慶滋保胤は、陰陽師の家系である賀茂氏に生まれながら、儒学者となり、文章博士として活躍しました。師である菅原文時は、天皇をも凌駕するほどの文才を持ち、保胤はそんな巨匠の弟子として、才能を開花させました。保胤は官位も得て、具平親王に仕えましたが、出世には関心がなく、むしろ仏教に傾倒していました。親王も保胤の仏教への熱心さを理解し、詩文の道だけでなく、仏教について語り合うこともありました。保胤は、慈悲深く、周囲の人々を深く思いやる優しい人物でした。ある日、都の大路で、重い荷を運ぶ老牛が、牛使いから酷い扱いを受けているのを見て、保胤は涙を流し、牛を救うようにと仏に祈りました。