福沢諭吉先生は、明治24年の冬頃に「瘠我慢の説」を執筆され、勝安芳氏と榎本武揚氏に意見を求められました。先生はこの論文を世に公表しようと考えながらも、長らく秘蔵しておられました。しかし、世間に広く知れ渡り、雑誌に掲載されたり、多くの人が伝聞で内容を知っていたようです。先生は、この論文の内容を、信頼のおける人物だけに示していたとされています。先生は、この論文を世に公表することをためらっておられたわけではありません。むしろ、広く知られるべきだと考え、時事新報に掲載することを決めたのです。そして、先生は勝氏と榎本氏に意見を求めた手紙と、二人の返事を、論文に添えて世に問うたのでした。