福沢諭吉は、慶応二年|丙寅《へいいん》に『西洋事情』を出版し、たちまち十万部を超えるベストセラーに。しかし、政治的には無関心を装い、幕府の翻訳職に勤めながら、印税を稼いでいました。彼は、日本の現状に絶望し、西洋の知識を学ぶことの大切さを説き、慶応義塾を創立しました。慶応義塾は、西洋文化を学ぶための場所であり、福沢自身の情熱が注ぎ込まれた場所でした。やがて、維新政府が安定し、福沢は初めて政治に目を向け、自らの理想を現実世界に実現しようとします。そして、彼は「学問のすゝめ」を著し、日本の社会に大きな影響を与えることになるのです。