明治42年12月、喜田貞吉は石城山神籠石探検のため、学術団体や地元有志らと共に登山しました。石城山には、古来より「山姥の穴」と呼ばれる4つの穴が存在し、その形式が筑後|女山の水門に酷似していることから、西原視学が神籠石の存在を示唆する遺構を発見したのです。一行は、この発見をきっかけに、石城山をくまなく探索し、穴を繋ぐ列石や、加工された巨石など、神籠石を構成すると思われる遺構を次々と見つけ出します。そして、石城神社の縁起や地元の伝説、さらには古地図との照らし合わせから、石城山神籠石が石城神社の旧境内の境界であり、古代における重要な信仰遺跡である可能性を探ります。