明治時代に足尾銅山から排出される鉱毒によって、渡良瀬川流域の農民たちが深刻な被害に遭った。その惨状を目の当たりにした田中正造は、衆議院議員として鉱毒問題の解決に奔走する。政府は、鉱毒問題を軽視し、被害者救済には消極的だった。田中は、議会で政府を厳しく糾弾し、鉱毒地の現状を訴え続けた。彼は、自分の選挙区のために活動しているのではないと主張し、議員の歳費まで辞退する。しかし、政府は田中を無視し、鉱毒問題は解決されないままだった。田中は、ついに議会で演説の最中に政府批判を続け、衆議院議員を辞任する。その後、彼は直接、天皇陛下に直訴する。彼の生涯は、正義と真実のために闘い続けた一人の男の姿を描いている。