都会を離れ避暑に出かける人々の中で、主人公は今年も東京で夏を過ごす。子どもの頃から郷里を持たず、文学や音楽に耽るため、両親の避暑に同行することを避けてきた。かつて逗子で過ごした夏を半紙に記した文章は、今となっては噴飯物だが、その時の心境は、晩年のヴェルレーヌの詩作を思い起こさせる。主人公は、毎年夏の大川端で水泳に明け暮れた日々を懐かしむ。神伝流の稽古場、蘆が生い茂る水神の森、水死者の屍が流れ着く中洲、真逆さまに橋から飛び込む仲間たち――隅田川の風景は、少年時代からの強い印象として、主人公の心に深く刻まれている。自然主義が流行する時代においても、主人公は隅田川を、過去の文学や風俗を通して見てしまう。モオパッサンやゴンクール兄弟の描いたセーヌ河の風景は、隅田川に対する彼の空想をさらに豊かにする。江戸の人々は、巴里の人々よりも早くから郊外の自然を愛し、隅田川の風景に心を惹かれていたのだ。しかし、明治時代は、伝統的な風景を破壊し、都会を電信柱の大森林に変えようとしている。避暑に出かける友人に誘われながらも、主人公は、縁先の萩や石榴の花、合歓の花など、夏の東京の風景に見とれている。