あらすじ
貧しい粉ひき男は、悪魔との約束により、美しい娘を手放すことになります。娘は悪魔に奪われないよう、神に祈りを捧げ、悪魔に手と腕を切り落とされてしまいます。悪魔に奪われなかった娘は、手のない腕を背負い、旅に出ます。旅の途中で、王様に出会い、その愛を得て王様の妃となります。しかし、悪魔の策略により、王様は娘が亡くなったと信じ込みます。悲しみに暮れる王様は、娘を探す旅に出ます。果たして、王様は娘と再会できるのでしょうか?
 ある粉(こな)ひきの男が、だんだん貧乏(びんぼう)になりました。そして、とうとうしまいには、粉ひきの水車(すいしゃ)と、そのうしろにはえている一本の大きなリンゴの木のほかには、なにひとつないようになってしまいました。
 あるとき、粉ひきが森にはいって、たきぎをとっていますと、見かけたことのない、ひとりのおじいさんが粉ひきのところへやってきて、
「おまえは、なんでそんなにほねをおって木を切っているのだね。おまえが、水車のうしろに立っているものをわしにくれると約束(やくそく)すれば、わしはおまえを金持(かねも)ちにしてやろう。」
と、いいました。
(それは、あのリンゴの木のことにちがいない。)
 粉(こな)ひきはこう考えましたので、
「いいですよ。」
と、こたえて、その知らない男に証文(しょうもん)を書きました。
 すると、その男はあざけるようにわらいながら、
「三年たったら、またきて、わしのものをもっていくぞ。」
と、いって、それなりどこかへいってしまいました。
 粉(こな)ひきがうちへかえってきますと、おかみさんがむかえにでて、いいました。
「どうしたんだろうねえ、親方(おやかた)。いったいどこから、お金(かね)がだしぬけにうちんなかへはいってきたんだろうねえ? そこらじゅうの箱(はこ)が、きゅうに、みんなお金でいっぱいになってしまったじゃないか。だれももってきたわけじゃなし。どうしたわけなんだか、あたしにゃさっぱりわからないよ。」
 すると、粉(こな)ひきはこたえていいました。
「そりゃあ、森のなかでおれがであった、どこかの男のやったことさ。なにしろ、そいつはおれに宝(たから)ものをうんとくれるって約束(やくそく)をしたんだからな。そのかわり、おれは水車(すいしゃ)のうしろに立ってるものをやるって証文(しょうもん)を書いたんだ。あの大きいリンゴの木なら、やったってかまやしないさ。」
「まあ、おまえさん。」
と、おかみさんはぎょっとしていいました。
「それは悪魔(あくま)だよ。そいつのいうのはリンゴの木じゃなくて、うちのむすめのことなんだよ。あの子はちょうど水車のうしろに立って、庭(にわ)をはいていたんだもの。」
 その粉(こな)ひきのむすめというのは、まことに美しい、信心(しんじん)ぶかい子でした。むすめは、それからの三年間というものは、神(かみ)さまをうやまい、おこないをつつしんでくらしました。
 いよいよ、約束(やくそく)した期限(きげん)がきれて、悪魔(あくま)がむすめをつれていく日がきました。むすめはからだをきれいにあらって、チョークでじぶんのまわりにひとすじの輪(わ)をかきました。
 悪魔は、はやばやとやってはきましたが、むすめに近よることはできませんでした。悪魔は腹(はら)をたてて、粉(こな)ひきにいいました。
「むすめから水をみんなとりあげちまって、からだをあらえないようにしろ。でなきゃ、おれはむすめをどうすることもできないじゃないか。」
 粉(こな)ひきは、おそろしいものですから、いわれるとおりにしました。
 あくる朝、悪魔(あくま)がまたやってきました。けれども、むすめは両手を顔にあてて泣(な)いていましたので、その手は涙(なみだ)にぬれて、すこしもけがれがなく、きよらかでした。ですから、悪魔はまたしてもむすめに近よることができません。それで、悪魔は気のくるったようにおこって、粉ひきにいいました。
「むすめの両手を切っちまえ。でなきゃ、おれはむすめに手がだせねえ。」
 粉(こな)ひきはびっくりして、こたえました。
「自分のほんとうのむすめの手が、どうして切れましょう。」
 すると、悪魔は粉ひきをおどして、
「おまえがおれのいうとおりにしなけりゃ、おまえはおれのものだ。おれはおまえをさらっていくぞ。」
と、いいました。
 粉(こな)ひきはこわくなって、いうとおりにすると悪魔(あくま)に約束(やくそく)してしまいました。そこで、むすめのところへいって、いいました。
「ねえ、おまえ、おとうさんがおまえの両手を切らないと、悪魔がおとうさんをつれていってしまうというんだよ。それで、おとうさんはこわくって、ついそうすると悪魔に約束(やくそく)してしまったんだよ。おとうさんは、こまりきっているんだから、どうかたすけておくれ。おまえにひどいことをするのを、どうかゆるしておくれ。」
 すると、むすめはこたえて、いいました。
「おとうさん、あたしのからだは、どうかおとうさんのいいようになすってください。あたしはおとうさんの子ですもの。」
 むすめはこういって、両手をさしのべて、おとうさんに切らせました。
 悪魔(あくま)はまたまたやってきました。けれども、むすめは手首(てくび)のない腕(うで)を顔にあてて、長いことさめざめと泣(な)きましたので、腕は涙(なみだ)にぬれて、すこしのけがれもなく、きよらかでした。
 これには、さすがの悪魔もとうとうこうさんして、むすめをうばいとる権利(けんり)をすっかりなくしてしまいました。
 粉(こな)ひきはむすめにいいました。
「おとうさんは、おまえのおかげで、たいへんなお金(かね)をもうけたんだよ。だから、おまえの生きているあいだは、おまえをうんとだいじにしてやるよ。」
 けれどもむすめは、
「あたしは、ここにはいられません。どこかよそへまいります。きっと、なさけぶかい人たちが、あたしにいるだけのものはくれるでしょう。」
と、いいました。
 それから、むすめは手首(てくび)のなくなった腕(うで)を背中(せなか)にしばりつけてもらって、朝日がのぼるといっしょに旅(たび)にでかけました。
 一日歩きつづけていくうちに、とうとう、夜になりました。そのとき、むすめはある王さまのお庭(にわ)にでました。お月さまのあかりですかしてみますと、そのお庭にある木には、美しいくだものがすずなりになっています。でも、そのなかへはいっていくことはできません。なぜって、お庭のまわりには堀(ほり)がありますもの。
 むすめは一日じゅう歩きどおしで、おまけに、ひと口も食べものを口にいれていないのです。いまはもう、おなかがすいてたまりません。それで、
(ああ、あのなかへはいっていって、あのくだものを食べたいわ。でないと、あたしおなかがへって、死(し)んでしまうわ。)
と、思いました。
 そこで、むすめはひざまずいて、神さまのみ名(な)をよび、おいのりをしました。すると、とつぜん、天使(てんし)があらわれて、お堀(ほり)の水門(すいもん)をとじてくれました。ですから、お堀はすっかりかわいて、むすめはそこをとおっていくことができました。
 むすめはお庭(にわ)にはいりました。天使(てんし)もいっしょについていきました。むすめはくだもののなっている木を見ました。そのくだものというのは、ナシでした。けれども、そのナシはすっかり数がかぞえてあったのです。むすめはその木に近よって、ナシをひとつ口で木からとって食べました。こうして、おなかのへっているのをふさぎました。けれども、ひとつきりで、それいじょうは食べませんでした。
 庭師(にわし)がそれを見ていましたが、そばに天使(てんし)が立っていたものですから、こわくって、あのむすめは幽霊(ゆうれい)だろうと思って、だまっていました。人をよぶ勇気(ゆうき)も、幽霊に話しかける勇気もなかったのです。
 むすめはナシを食べおわりますと、おなかがいっぱいになりましたので、そこをでて、やぶのなかにかくれました。
 そのお庭の持(も)ち主(ぬし)の王さまが、あくる朝、お庭におりてきました。ナシの数をかぞえてみますと、きょうはひとつたりません。そこで王さまは、
「ナシはどこへいったのだ。木の下におちてもいないのに、ひとつたりなくなっているぞ。」
と、庭師(にわし)にいいました。
 すると、庭師(にわし)はこたえていいました。
「じつは、ゆうべ幽霊(ゆうれい)がはいってまいりました。その幽霊は、手が両方ともありませんでしたが、口でナシをひとつ食べたのでございます。」
 王さまは、
「その幽霊(ゆうれい)は、どうして堀(ほり)をわたってきたのだ。してまた、ナシを食べてから、どこへいったのだ。」
と、たずねました。
「だれですか、雪のように白い着物(きもの)をきた人が天からおりてまいりまして、その人が水門(すいもん)をとじて、水をとめてしまいましたので、幽霊(ゆうれい)はお堀(ほり)をとおってくることができたのでございます。その人は天使(てんし)にちがいないと思いましたので、わたくしはおそろしくなって、たずねもいたさず、人もよばなかったのでございます。幽霊はナシを食べてしまいますと、またもとの道をもどっていきました。」
と、庭師(にわし)はこたえました。
 それをきいて、王さまはいいました。
「おまえのもうすとおりなら、今夜はひとつ、わしがおまえのそばで番(ばん)をしてみよう。」
 くらくなりますと、王さまはお庭におりました。王さまは坊(ぼう)さんをひとりつれてきました。この人は幽霊(ゆうれい)に話しかける役(やく)だったのです。三人は木の下にこしをおろして、気をつけていました。
 ま夜中(よなか)ごろに、むすめがやぶからはいだしてきて、木のところへいって、ゆうべとおなじように口でナシをひとつ食べました。むすめのそばには、天使(てんし)が白い着物(きもの)をきて、立っていました。
 そのとき、坊(ぼう)さんがすすみでて、いいました。
「おまえは神(かみ)さまのところからきたのか。それとも、人間の世(よ)のなかからきたのか。おまえは幽霊(ゆうれい)なのか、人間なのか。」
 すると、むすめはこたえていいました。
「あたくしは幽霊(ゆうれい)ではございません。神さまのほかは、みんなから見すてられているあわれな人間でございます。」
 王さまはいいました。
「たとえ、おまえが世界(せかい)じゅうのものから見すてられていても、わしは、おまえを見すてはしないぞ。」
 王さまはむすめをじぶんのお城(しろ)につれていきました。たいそう美しく、信心(しんじん)ぶかいむすめでしたので、王さまは心のそこからこのむすめがすきになりました。そして、むすめに銀(ぎん)の手をこしらえてやって、じぶんのお妃(きさき)さまにしました。
 それから一年たったとき、王さまは戦争(せんそう)にいかなければならなくなりました。そこで、王さまは、わかいお妃さまのことをおかあさまにたのんで、こういいました。
「妃がお産(さん)の床(とこ)につきましたら、どうかくれぐれもいたわってやってください。そして、すぐにわたしに手紙(てがみ)をくださいませ。」
 やがて、お妃(きさき)さまは美しい男の子を生みました。そこで、年をとったおかあさまは、いそいでそのことを手紙に書いて、うれしい知らせを王さまにおくりました。
 ところが、その使(つか)いのものが、とちゅうでとある小川の岸でやすみました。長い道のりを歩いて、くたびれきっていたものですから、使いのものはぐっすりねこんでしまったのです。
 するとそこへ、あの悪魔(あくま)がやってきました。こいつは、信心(しんじん)ぶかいお妃(きさき)さまをひどいめにあわせてやろうと、そのことばかり考えていたのです。そこで、さっそく、使いのもっている手紙をべつのとすりかえて、それには、お妃さまが[#「お妃さまが」は底本では「お姫さまが」]みにくい子を生んだと書いておきました。
 王さまはその手紙を読みますと、びっくりして、たいそうかなしみました。けれども、じぶんがかえるまで、お妃さまをだいじにいたわってやってもらいたい、とへんじの手紙を書きました。使いのものはその手紙をもってひきかえしましたが、まえとおなじ場所(ばしょ)でやすみますと、またまたそのままねこんでしまいました。
 そこへ、またも悪魔(あくま)がやってきて、使いのポケットにべつの手紙をいれました。それには、お妃(きさき)さまを子どももろとも殺(ころ)してもらいたい、と書いてあったのです。
 年よりのおかあさまは、この手紙をうけとって、ひどくびっくりしました。でも、どうしてもほんとうとは思えませんので、もういちど王さまに手紙を書きました。けれども、そのたびに、悪魔(あくま)がにせの手紙とすりかえてしまいますので、くるへんじはいつもおんなじことばかりでした。しかもいちばんおしまいの手紙には、殺(ころ)した証拠(しょうこ)に、お妃(きさき)さまの舌(した)と目をとっておいてもらいたい、とさえ書いてあるではありませんか。
 年よりのおかあさまは、なんの罪(つみ)もないものの血(ち)をながせといわれたのをかなしんで、泣(な)きました。そこで、夜になるのを待(ま)って、一ぴきのメジカをつれてこさせ、その舌(した)と目とを切りとって、それをしまっておきました。それから、おかあさまはお妃さまにむかっていいました。
「わたしには、王さまのおっしゃるように、とてもあなたを殺(ころ)させることはできません。でも、あなたもここに長くいるわけにはいきませんから、子どもをつれてひろい世(よ)のなかへでておいでなさい。そして、ここへは二度とかえってこないようになさい。」
 おかあさまは、お妃さまの背中(せなか)に子どもをしばりつけてやりました。かわいそうに、お妃さまは、目をまっかに泣(な)きはらして、たちさっていきました。
 お妃(きさき)さまは、とあるうっそうとした大きな森のなかにはいりました。そこで、お妃さまは地面(じめん)にひざまずいて、神(かみ)さまにおいのりをしました。すると、神さまの天使(てんし)があらわれて、お妃さまをある小さな家へつれていってくれました。みれば、その家には、「ここには、だれでもただで住めます」と、書いた小さな看板(かんばん)がかかっています。
 そのとき、家のなかから、雪のように白いおとめがでてきて、
「よくいらっしゃいました、お妃さま。」
と、いって、お妃さまを家のなかへ案内(あんない)しました。
 おとめはひもをといて、お妃(きさき)さまの背中(せなか)から小さな男の子をおろしました。そして、お妃さまの乳房(ちぶさ)にあてがって、お乳(ちち)をのませました。それがすむと、こんどは、すっかりしたくのできている美しい、小さな寝床(ねどこ)に、男の子をねかせました。そこで、かわいそうな女がたずねました。
「あたしがお妃(きさき)だったことを、あなたはどうして知っていらっしゃるのですか。」
 すると、白いおとめはこたえていいました。
「あたしは天使(てんし)です。あなたと、あなたのお子さまのお世話(せわ)をするように、神(かみ)さまからつかわされたのです。」
 こうして、お妃さまはこの家に七年のあいだいて、手あつい世話をうけました。そして、信心(しんじん)ぶかいおかげで、神さまのおめぐみによって、切りとられたお妃さまの手首(てくび)が、もういちど、もとのようにはえたのです。
 いっぽう、王さまはやっと戦場(せんじょう)からかえってきました。そして、まっさきに、妻(つま)と子どもにあいたい、といいました。
 それをきいて、年よりのおかあさまは泣(な)きだして、いいました。
「あなたは、なんというひどいひとでしょう。わたしに、なんの罪(つみ)もないふたりの命(いのち)をうばえと書いてよこすなんて、あんまりではありませんか。」
 そして、悪魔(あくま)のすりかえた二通(つう)の手紙(てがみ)を王さまに見せて、なおもことばをつづけました。
「わたしは、あなたのいいつけどおりにしましたよ。」
 こういって、その証拠(しょうこ)に舌(した)と目玉をだして見せました。それを見たとたん、王さまはかわいそうな妻(つま)と子どもの身(み)の上(うえ)をかなしんで、おかあさまよりももっとはげしく泣(な)きだしました。そのようすを見ますと、年よりのおかあさまはいじらしくなって、
「安心(あんしん)なさい。妃(きさき)はまだ生きています。じつは、わたしはメジカをこっそり殺(ころ)させて、ここにある証拠(しょうこ)の品(しな)をとっておいたのですよ。そして妃には、わたしが背中(せなか)に子どもをしばりつけて、遠くへいくようにもうしつけました。二度とここへはもどってこないと約束(やくそく)させたうえでね。だって、あなたが妃のことをひどくおこっていると思いましたからね。」
と、いいました。
 それをきいて、王さまはいいました。
「青空のつづくかぎり、どこまでもわたしはまいります。かわいい妻(つま)と子にめぐりあうまでは、飲(の)み食(く)いもいたしますまい。それまでに、ふたりがなくなるか、うえ死(じ)にでもしなければ、おそらくめぐりあうことができましょうから。」
 それから、王さまは七年ばかりも、あちこちと歩きまわって、けわしい岩のがけも、ほら穴(あな)も、どこからどこまでさがしてみました。しかし、ふたりはどこにも見つかりません。それで、とうとう王さまも、きっと、ふたりは力がつきて、死(し)んでしまったのだろう、と思いました。
 王さまは、このあいだじゅう、ずうっとのみもしなければ、食べもしなかったのですが、それでも神(かみ)さまが生かしておいてくださいました。
 さいごに、王さまは、とある大きな森のなかへはいりました。そしてその森のなかで、小さな家を見つけますと、その家には「ここには、だれでもただで住めます」と、書いた看板(かんばん)がかかっていました。そのとき、家のなかから白いおとめがでてきて、王さまの手をとって、家のなかへ案内(あんない)しました。そして、
「よくいらっしゃいました、王さま。」
と、いいました。それから、王さまに、
「どこからいらっしゃいました。」
と、たずねました。
「あちこちと歩きだしてから、もうぼつぼつ七年になります。妻(つま)と子どもをさがしているのですが、どうしても見つからないのです。」
と、王さまはこたえました。
 天使(てんし)は王さまに食べものと飲(の)みものをあげましたが、王さまはそれをことわって、ただすこしやすませてもらいたい、と、いいました。王さまは、ねようと思って、横になりました。そして、じぶんの顔にハンカチをかけました。
 そのとき、天使は、お妃(きさき)さまと子どものいるへやにはいっていきました。この子のことを、お妃さまはいつも〈かなしご〉と、よんでおりました。天使はお妃さまにむかって、
「お子さんをつれて、でていらっしゃいませ。殿(との)さまがおいでになりましたよ。」
と、いいました。
 そこで、お妃(きさき)さまは、王さまのねているところへいきました。そのとき、王さまの顔からハンカチがおちました。それを見て、お妃さまがいいました。
「かなしごや、あなたのおとうさまにハンカチをひろっておあげなさい。もとのようにお顔にかけてあげるのよ。」
 子どもはハンカチをひろって、もとどおり王さまの顔にかけました。王さまは、うとうとしながら、この話をきいていたのですが、もういちど、こんどは、わざとそのハンカチをおとしました。男の子はじれったくなって、お妃(きさき)さまにいいました。
「おかあさま、ぼくのおとうさまの顔にハンカチをかけるなんて、へんじゃないの。だって、ぼくには、この世(よ)のなかにおとうさまっていないんでしょう。ぼくが、天にましますわれらの父よ、っておいのりをならったとき、ぼくのおとうさまは天にいらっしゃるんだって、神さまなんだって、おかあさまはおっしゃったじゃないの。こんな山男みたいな人、ぼく知りゃあしない。おとうさまじゃないや。」
 王さまはこれをきくと、おきあがって、
「あなたはどなたですか。」
と、お妃さまにたずねました。
「あたくしは、あなたの妻(つま)でございます。そしてこれが、あなたの子どもの〈かなしご〉でございます。」
と、お妃(きさき)さまがこたえました。
 すると、王さまは、お妃さまの血(ち)のかよっている、ほんとうの手を見て、
「わたしの妻(つま)は銀(ぎん)の手をしていたはずだ。」
と、いいました。
 そこで、お妃さまはこたえました。
「おめぐみぶかい神(かみ)さまが、ほんとうの手をもとのようにはやしてくださったのでございます。」
 そして、天使(てんし)がおへやにいって、銀の手をもってきて、王さまに見せました。そこで、王さまははじめて、これがじぶんのかわいい妻(つま)であり、子どもであることを知ったのでした。
 王さまはふたりにキッスして、心からよろこびました。そして、
「これで、おもい石がわたしの胸(むね)からおちた。」
と、いいました。
 そこで、神さまのお使(つか)いの天使(てんし)は、もういちどみんなにごちそうをだしました。
 それから、三人そろって、王さまの年とったおかあさまのところへかえっていきました。
 どこもかしこも、大よろこびでした。王さまとお妃(きさき)さまは、もういちど婚礼(こんれい)の式をあげました。そして、ふたりは一生(いっしょう)をおわるまで、たのしくくらしました。
了

底本:「グリム童話集(1)」偕成社文庫、偕成社
   1980(昭和55)年6月1刷
   2009(平成21)年6月49刷
※誤植を疑った箇所を、「グリム童話集(1)」偕成社文庫、偕成社、1988(昭和63)年2月23刷の表記にそって、あらためました。
入力:sogo
校正:チエコ
2021年11月27日作成
2023年9月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。