あらすじ
ロシアの片田舎の町立病院。本院から少し離れた場所に、さびれた別室「六号室」がある。そこは、様々な境遇の精神病患者たちが暮らす場所だ。元裁判所警吏のグロモフ、帽子製造場の火事で発狂したモイセイカ、中風で泣き続ける患者など、個性的な患者たちが織りなす日常。彼らを見守る兵隊上がりの小使ニキタ、そして、彼らの生活を影ながら見守る院長アンドレイ・エヒミチ。閉ざされた「六号室」で、彼らはそれぞれに悩み、葛藤し、そして生きていく。
 町立病院(ちょうりつびょういん)の庭(にわ)の内(うち)、牛蒡(ごぼう)、蕁草(いらぐさ)、野麻(のあさ)などの簇(むらが)り茂(しげ)ってる辺(あたり)に、小(ささ)やかなる別室(べっしつ)の一棟(むね)がある。屋根(やね)のブリキ板(いた)は錆(さ)びて、烟突(えんとつ)は半(なかば)破(こわ)れ、玄関(げんかん)の階段(かいだん)は紛堊(しっくい)が剥(は)がれて、朽(く)ちて、雑草(ざっそう)さえのびのびと。正面(しょうめん)は本院(ほんいん)に向(むか)い、後方(こうほう)は茫広(ひろびろ)とした野良(のら)に臨(のぞ)んで、釘(くぎ)を立(た)てた鼠色(ねずみいろ)の塀(へい)が取繞(とりまわ)されている。この尖端(せんたん)を上(うえ)に向(む)けている釘(くぎ)と、塀(へい)、さてはまたこの別室(べっしつ)、こは露西亜(ロシア)において、ただ病院(びょういん)と、監獄(かんごく)とにのみ見(み)る、儚(はかな)き、哀(あわれ)な、寂(さび)しい建物(たてもの)。
 蕁草(いらぐさ)に掩(おお)われたる細道(ほそみち)を行(ゆ)けば直(す)ぐ別室(べっしつ)の入口(いりぐち)の戸(と)で、戸(と)を開(ひら)けば玄関(げんかん)である。壁際(かべぎわ)や、暖炉(だんろ)の周辺(まわり)には病院(びょういん)のさまざまの雑具(がらくた)、古寐台(ふるねだい)、汚(よご)れた病院服(びょういんふく)、ぼろぼろの股引下(ズボンした)、青(あお)い縞(しま)の洗浚(あらいざら)しのシャツ、破(やぶ)れた古靴(ふるぐつ)と云(い)ったような物(もの)が、ごたくさと、山(やま)のように積(つ)み重(かさ)ねられて、悪臭(あくしゅう)を放(はな)っている。
 この積上(つみあ)げられたる雑具(がらくた)の上(うえ)に、いつでも烟管(きせる)を噛(くわ)えて寐辷(ねそべ)っているのは、年(とし)を取(と)った兵隊上(へいたいあが)りの、色(いろ)の褪(さ)めた徽章(きしょう)の附(つ)いてる軍服(ぐんぷく)を始終(ふだん)着(き)ているニキタと云(い)う小使(こづかい)。眼(め)に掩(おお)い被(かぶ)さってる眉(まゆ)は山羊(やぎ)のようで、赤(あか)い鼻(はな)の仏頂面(ぶっちょうづら)、背(せ)は高(たか)くはないが瘠(や)せて節塊立(ふしくれだ)って、どこにかこう一癖(くせ)ありそうな男(おとこ)。彼(かれ)は極(きわ)めて頑(かたくな)で、何(なに)よりも秩序(ちつじょ)と云(い)うことを大切(たいせつ)に思(おも)っていて、自分(じぶん)の職務(しょくむ)を遣(や)り終(おお)せるには、何(なん)でもその鉄拳(てっけん)を以(もっ)て、相手(あいて)の顔(かお)だろうが、頭(あたま)だろうが、胸(むね)だろうが、手当放題(てあたりほうだい)に殴打(なぐ)らなければならぬものと信(しん)じている、所謂(いわゆる)思慮(しりょ)の廻(ま)わらぬ人間(にんげん)。
 玄関(げんかん)の先(さき)はこの別室全体(べっしつぜんたい)を占(し)めている広(ひろ)い間(ま)、これが六号室(ごうしつ)である。浅黄色(あさぎいろ)のペンキ塗(ぬり)の壁(かべ)は汚(よご)れて、天井(てんじょう)は燻(くすぶ)っている。冬(ふゆ)に暖炉(だんろ)が烟(けぶ)って炭気(たんき)に罩(こ)められたものと見(み)える。窓(まど)は内側(うちがわ)から見悪(みにく)く鉄格子(てつごうし)を嵌(は)められ、床(ゆか)は白(しろ)ちゃけて、そそくれ立(だ)っている。漬(つ)けた玉菜(たまな)や、ランプの燻(いぶり)や、南京虫(なんきんむし)や、アンモニヤの臭(におい)が混(こん)じて、入(はい)った初(はじ)めの一分時(ぷんじ)は、動物園(どうぶつえん)にでも行(い)ったかのような感覚(かんかく)を惹起(ひきおこ)すので。
 室内(しつない)には螺旋(ねじ)で床(ゆか)に止(と)められた寐台(ねだい)が数脚(すうきゃく)。その上(うえ)には青(あお)い病院服(びょういんふく)を着(き)て、昔風(むかしふう)に頭巾(ずきん)を被(かぶ)っている患者等(かんじゃら)が坐(すわ)ったり、寐(ね)たりして、これは皆(みんな)瘋癲患者(ふうてんかんじゃ)なのである。患者(かんじゃ)の数(すう)は五人(にん)、その中(うち)にて一人(ひとり)だけは身分(みぶん)のある者(もの)であるが他(た)は皆(みな)卑(いや)しい身分(みぶん)の者(もの)ばかり。戸口(とぐち)から第(だい)一の者(もの)は、瘠(や)せて脊(せ)の高(たか)い、栗色(くりいろ)に光(ひか)る鬚(ひげ)の、眼(め)を始終(しじゅう)泣腫(なきは)らしている発狂(はっきょう)の中風患者(ちゅうぶかんじゃ)、頭(あたま)を支(ささ)えてじっと坐(すわ)って、一つ所(ところ)を瞶(みつ)めながら、昼夜(ちゅうや)も別(わ)かず泣(な)き悲(かなし)んで、頭(あたま)を振(ふ)り太息(といき)を洩(もら)し、時(とき)には苦笑(にがわらい)をしたりして。周辺(あたり)の話(はなし)には稀(まれ)に立入(たちい)るのみで、質問(しつもん)をされたら决(けっ)して返答(へんとう)をしたことの無(な)い、食(く)う物(もの)も、飲(の)む物(もの)も、与(あた)えらるるままに、時々(ときどき)苦(くる)しそうな咳(せき)をする。その頬(ほお)の紅色(べにいろ)や、瘠方(やせかた)で察(さっ)するに彼(かれ)にはもう肺病(はいびょう)の初期(しょき)が萌(き)ざしているのであろう。
 それに続(つづ)いては小体(こがら)な、元気(げんき)な、頤鬚(あごひげ)の尖(とが)った、髪(かみ)の黒(くろ)いネグル人(じん)のように縮(ちぢ)れた、すこしも落着(おちつ)かぬ老人(ろうじん)。彼(かれ)は昼(ひる)には室内(しつない)を窓(まど)から窓(まど)に往来(おうらい)し、或(あるい)はトルコ風(ふう)に寐台(ねだい)に趺(あぐら)を坐(か)いて、山雀(やまがら)のように止(と)め度(ど)もなく囀(さえず)り、小声(こごえ)で歌(うた)い、ヒヒヒと頓興(とんきょう)に笑(わら)い出(だ)したりしているが、夜(よる)に祈祷(きとう)をする時(とき)でも、やはり元気(げんき)で、子供(こども)のように愉快(ゆかい)そうにぴんぴんしている。拳(こぶし)で胸(むね)を打(う)って祈(いの)るかと思(おも)えば、直(すぐ)に指(ゆび)で戸(と)の穴(あな)を穿(ほ)ったりしている。これは猶太人(ジウ)のモイセイカと云(い)う者(もの)で、二十年(ねん)ばかり前(まえ)、自分(じぶん)が所有(しょゆう)の帽子製造場(ぼうしせいぞうば)が焼(や)けた時(とき)に、発狂(はっきょう)したのであった。
 六号室(ごうしつ)の中(うち)でこのモイセイカばかりは、庭(にわ)にでも町(まち)にでも自由(じゆう)に外出(でる)のを許(ゆる)されていた。それは彼(かれ)が古(ふる)くから病院(びょういん)にいる為(ため)か、町(まち)で子供等(こどもら)や、犬(いぬ)に囲(かこ)まれていても、决(けっ)して他(た)に何等(なんら)の害(がい)をも加(くわ)えぬと云(い)うことを町(まち)の人(ひと)に知(し)られている為(ため)か、とにかく、彼(かれ)は町(まち)の名物男(めいぶつおとこ)として、一人(ひとり)この特権(とっけん)を得(え)ていたのである。彼(かれ)は町(まち)を廻(まわ)るに病院服(びょういんふく)のまま、妙(みょう)な頭巾(ずきん)を被(かぶ)り、上靴(うわぐつ)を穿(は)いてる時(とき)もあり、或(あるい)は跣足(はだし)でズボン下(した)も穿(は)かずに歩(ある)いている時(とき)もある。そうして人(ひと)の門(かど)や、店前(みせさき)に立(た)っては一銭(せん)ずつを請(こ)う。或(ある)家(いえ)ではクワスを飲(の)ませ、或(ある)所(ところ)ではパンを食(く)わしてくれる。で、彼(かれ)はいつも満腹(まんぷく)で、金持(かねもち)になって、六号室(ごうしつ)に帰(かえ)って来(く)る。が、その携(たずさ)え帰(かえ)る所(ところ)の物(もの)は、玄関(げんかん)でニキタに皆(みんな)奪(うば)われてしまう。兵隊上(へいたいあが)りの小使(こづかい)のニキタは乱暴(らんぼう)にも、隠(かくし)を一々(いちいち)転覆(ひっくりか)えして、すっかり取返(とりか)えしてしまうのであった。
 またモイセイカは同室(どうしつ)の者(もの)にも至(いた)って親切(しんせつ)で、水(みず)を持(も)って来(き)て遣(や)り、寐(ね)る時(とき)には布団(ふとん)を掛(か)けて遣(や)りして、町(まち)から一銭(せん)ずつ貰(もら)って来(き)て遣(や)るとか、各(めいめい)に新(あたら)しい帽子(ぼうし)を縫(ぬ)って遣(や)るとかと云(い)う。左(ひだり)の方(ほう)の中風患者(ちゅうぶかんじゃ)には始終(しじゅう)匙(さじ)でもって食事(しょくじ)をさせる。彼(かれ)がかくするのは、別段(べつだん)同情(どうじょう)からでもなく、と云(い)って、或(あ)る情誼(じょうぎ)からするのでもなく、ただ右(みぎ)の隣(となり)にいるグロモフと云(い)う人(ひと)に習(なら)って、自然(しぜん)その真似(まね)をするのであった。
 イワン、デミトリチ、グロモフは三十三歳(さい)で、彼(かれ)はこの室(しつ)での身分(みぶん)のいいもの、元来(もと)は裁判所(さいばんしょ)の警吏(けいり)、また県庁(けんちょう)の書記(しょき)をも務(つと)めたので。彼(かれ)は人(ひと)が自分(じぶん)を窘逐(きんちく)すると云(い)うことを苦(く)にしている瘋癲患者(ふうてんかんじゃ)、常(つね)に寐台(ねだい)の上(うえ)に丸(まる)くなって寐(ね)ていたり、或(あるい)は運動(うんどう)の為(ため)かのように、室(へや)を隅(すみ)から隅(すみ)へと歩(ある)いて見(み)たり、坐(すわ)っていることは殆(ほとん)ど稀(まれ)で、始終(しじゅう)興奮(こうふん)して、燥気(いらいら)して、瞹眛(あいまい)なある待(ま)つことで気(き)が張(は)っている様子(ようす)。玄関(げんかん)の方(ほう)で微(かすか)な音(おと)でもするか、庭(にわ)で声(こえ)でも聞(き)こえるかすると、直(す)ぐに頭(あたま)を持上(もちあ)げて耳(みみ)を欹(そばだ)てる。誰(だれ)か自分(じぶん)の所(ところ)に来(き)たのでは無(な)いか、自分(じぶん)を尋(たず)ねているのでは無(な)いかと思(おも)って、顔(かお)には謂(い)うべからざる不安(ふあん)の色(いろ)が顕(あら)われる。さなきだに彼(かれ)の憔悴(しょうすい)した顔(かお)は不幸(ふこう)なる内心(ないしん)の煩悶(はんもん)と、長日月(ちょうじつげつ)の恐怖(きょうふ)とにて、苛責(さいな)まれ抜(ぬ)いた心(こころ)を、鏡(かがみ)に写(うつ)したように現(あら)わしているのに。その広(ひろ)い骨張(ほねば)った顔(かお)の動(うご)きは、如何(いか)にも変(へん)で病的(びょうてき)であって。しかし心(こころ)の苦痛(くつう)にて彼(かれ)の[#「彼の」は底本では「後の」]顔(かお)に印(いん)せられた緻密(ちみつ)な徴候(ちょうこう)は、一見(けん)して智慧(ちえ)ありそうな、教育(きょういく)ありそうな風(ふう)に思(おも)わしめた。そうしてその眼(め)には暖(あたたか)な健全(けんぜん)な輝(かがやき)がある、彼(かれ)はニキタを除(のぞ)くの外(ほか)は、誰(たれ)に対(たい)しても親切(しんせつ)で、同情(どうじょう)があって、謙遜(けんそん)であった。同室(どうしつ)で誰(だれ)かが釦鈕(ぼたん)を落(おと)したとか匙(さじ)を落(おと)したとか云(い)う場合(ばあい)には、彼(かれ)がまず寝台(ねだい)から起(おき)上(あが)って、取(と)って遣(や)る。毎朝(まいあさ)起(おき)ると同室(どうしつ)の者等(ものら)にお早(はよ)うと云(い)い、晩(ばん)にはまたお休息(やすみ)なさいと挨拶(あいさつ)もする。
 彼(かれ)の発狂者(はっきょうしゃ)らしい所(ところ)は、始終(しじゅう)気(き)の張(は)った様子(ようす)と、変(へん)な眼付(めつき)とをするの外(ほか)に、時折(ときおり)、晩(ばん)になると、着(き)ている病院服(びょういんふく)の前(まえ)を神経的(しんけいてき)に掻合(かきあ)わせると思(おも)うと、歯(は)の根(ね)も合(あ)わぬまでに全身(ぜんしん)を顫(ふる)わし、隅(すみ)から隅(すみ)へと急(いそ)いで歩(あゆ)み初(はじ)める、丁度(ちょうど)激(はげ)しい熱病(ねつびょう)にでも俄(にわか)に襲(おそ)われたよう。と、やがて立留(たちとどま)って室内(しつない)の人々(ひとびと)を※(「目+旬」、第3水準1-88-80)(みまわ)して昂然(こうぜん)として今(いま)にも何(なに)か重大(じゅうだい)なことを云(い)わんとするような身構(みがま)えをする。が、また直(ただち)に自分(じぶん)の云(い)うことを聴(き)く者(もの)は無(な)い、その云(い)うことが解(わか)るものは無(な)いとでも考(かんが)え直(なお)したかのように燥立(いらだ)って、頭(あたま)を振(ふ)りながらまた歩(ある)き出(だ)す。しかるに言(い)おうと云(い)う望(のぞみ)は、終(つい)に消(き)えず忽(たちまち)にして総(すべて)の考(かんがえ)を圧去(あっしさ)って、こんどは思(おも)う存分(ぞんぶん)、熱切(ねっせつ)に、夢中(むちゅう)の有様(ありさま)で、言(ことば)が迸(ほとばし)り出(で)る。言(い)う所(ところ)は勿論(もちろん)、秩序(ちつじょ)なく、寐言(ねごと)のようで、周章(あわて)て見(み)たり、途切(とぎ)れて見(み)たり、何(なん)だか意味(いみ)の解(わか)らぬことを言(い)うのであるが、どこかにまた善良(ぜんりょう)なる性質(せいしつ)が微(ほのか)に聞(きこ)える、その言(ことば)の中(うち)か、声(こえ)の中(うち)かに、そうして彼(かれ)の瘋癲者(ふうてんしゃ)たる所(ところ)も、彼(かれ)の人格(じんかく)もまた見(み)える。その意味(いみ)の繋(つな)がらぬ、辻妻(つじつま)の合(あ)わぬ話(はなし)は、所詮(しょせん)筆(ふで)にすることは出来(でき)ぬのであるが、彼(かれ)の云(い)う所(ところ)を撮(つま)んで云(い)えば、人間(にんげん)の卑劣(ひれつ)なること、圧制(あっせい)に依(よ)りて正義(せいぎ)の蹂躙(じゅうりん)されていること、後世(こうせい)地上(ちじょう)に来(きた)るべき善美(ぜんび)なる生活(せいかつ)のこと、自分(じぶん)をして一分(ぷん)毎(ごと)にも圧制者(あっせいしゃ)の残忍(ざんにん)、愚鈍(ぐどん)を憤(いきどお)らしむる所(ところ)の、窓(まど)の鉄格子(てつごうし)のことなどである。云(い)わば彼(かれ)は昔(むかし)も今(いま)も全(まった)く歌(うた)い尽(つく)されぬ歌(うた)を、不順序(ふじゅんじょ)に、不調和(ふちょうわ)に組立(くみたて)るのである。

 今(いま)から大凡(おおよそ)十三四年(ねん)以前(いぜん)、この町(まち)の一番(ばん)の大通(おおどおり)に、自分(じぶん)の家(いえ)を所有(も)っていたグロモフと云(い)う、容貌(ようぼう)の立派(りっぱ)な、金満(かねもち)の官吏(かんり)があって、家(いえ)にはセルゲイ及(およ)びイワンと云(い)う二人(ふたり)の息子(むすこ)もある。所(ところ)が、長子(ちょうし)のセルゲイは丁度(ちょうど)大学(だいがく)の四年級(ねんきゅう)になってから、急性(きゅうせい)の肺病(はいびょう)に罹(かか)り死亡(しぼう)してしまう。これよりグロモフの家(いえ)には、不幸(ふこう)が引続(ひきつづ)いて来(き)てセルゲイの葬式(そうしき)の終(す)んだ一週間(しゅうかん)目(め)、父(ちち)のグロモフは詐欺(さぎ)と、浪費(ろうひ)との件(かど)を以(もっ)て裁判(さいばん)に渡(わた)され、間(ま)もなく監獄(かんごく)の病院(びょういん)でチブスに罹(かか)って死亡(しぼう)してしまった。で、その家(いえ)と総(すべて)の什具(じゅうぐ)とは、棄売(すてうり)に払(はら)われて、イワン、デミトリチとその母親(ははおや)とは遂(つい)に無(む)一物(ぶつ)の身(み)となった。
 父(ちち)の存命中(ぞんめいちゅう)には、イワン、デミトリチは大学(だいがく)修業(しゅうぎょう)の為(ため)にペテルブルグに住(す)んで、月々(つきづき)六七十円(えん)ずつも仕送(しおくり)され、何(なに)不自由(ふじゆう)なく暮(くら)していたものが、忽(たちまち)にして生活(くらし)は一変(ぺん)し、朝(あさ)から晩(ばん)まで、安値(あんちょく)の報酬(ほうしゅう)で学科(がっか)を教授(きょうじゅ)するとか、筆耕(ひっこう)をするとかと、奔走(ほんそう)をしたが、それでも食(く)うや食(く)わずの儚(はか)なき境涯(きょうがい)。僅(わずか)な収入(しゅうにゅう)は母(はは)の給養(きゅうよう)にも供(きょう)せねばならず、彼(かれ)は遂(つい)にこの生活(せいかつ)には堪(た)え切(き)れず、断然(だんぜん)大学(だいがく)を去(さ)って、古郷(こきょう)に帰(かえ)った。そうして程(ほど)なく或人(あるひと)の世話(せわ)で郡立学校(ぐんりつがっこう)の教師(きょうし)となったが、それも暫時(ざんじ)、同僚(どうりょう)とは折合(おりあ)わず、生徒(せいと)とは親眤(なじ)まず、ここをもまた辞(じ)してしまう。その中(うち)に母親(ははおや)は死(し)ぬ。彼(かれ)は半年(はんとし)も無職(むしょく)で徘徊(うろうろ)してただパンと、水(みず)とで生命(いのち)を繋(つな)いでいたのであるが、その後(ご)裁判所(さいばんしょ)の警吏(けいり)となり、病(やまい)を以(もっ)て後(のち)にこの職(しょく)を辞(じ)するまでは、ここに務(つとめ)を取(と)っていたのであった。
 彼(かれ)は学生時代(がくせいじだい)の壮年(そうねん)の頃(ごろ)でも、生得(せいとく)余(あま)り壮健(そうけん)な身体(からだ)では無(な)かった。顔色(かおいろ)は蒼白(あおじろ)く、姿(すがた)は瘠(や)せて、しょっちゅう風邪(かぜ)を引(ひ)き易(やす)い、少食(しょうしょく)で落々(おちおち)眠(ねむ)られぬ質(たち)、一杯(ぱい)の酒(さけ)にも眼(め)が廻(まわ)り、ままヒステリーが起(おこ)るのである。人(ひと)と交際(こうさい)することは彼(かれ)は至(いた)って好(この)んでいたが、その神経質(しんけいしつ)な、刺激(しげき)され易(やす)い性質(せいしつ)なるが故(ゆえ)に、自(みずか)ら務(つと)めて誰(たれ)とも交際(こうさい)せず、随(したがっ)てまた親友(しんゆう)をも持(も)たぬ。町(まち)の人々(ひとびと)のことは彼(かれ)はいつも軽蔑(けいべつ)して、無教育(むきょういく)の徒(と)、禽獣的生活(きんじゅうてきせいかつ)と罵(ののし)って、テノルの高声(たかごえ)で燥立(いらだ)っている。彼(かれ)が物(もの)を言(い)うのは憤懣(ふんまん)の色(いろ)を以(もっ)てせざれば、欣喜(きんき)の色(いろ)を以(もっ)て、何事(なにごと)も熱心(ねっしん)に言(い)うのである。で、その言(い)う所(ところ)は終(つい)に一つことに帰(き)してしまう。町(まち)で生活(せいかつ)するのは好(この)ましく無(な)い。社会(しゃかい)には高尚(こうしょう)なる興味(インテレース)が無(な)い。社会(しゃかい)は瞹眛(あいまい)な、無意味(むいみ)な生活(せいかつ)を為(な)している。圧制(あっせい)、偽善(ぎぜん)、醜行(しゅうこう)を逞(たくましゅ)うして、以(も)ってこれを紛(まぎ)らしている。ここにおいてか奸物共(かんぶつども)は衣食(いしょく)に飽(あ)き、正義(せいぎ)の人(ひと)は衣食(いしょく)に窮(きゅう)する。廉直(れんちょく)なる方針(ほうしん)を取(と)る地方(ちほう)の新聞紙(しんぶんし)、芝居(しばい)、学校(がっこう)、公会演説(こうかいえんぜつ)、教育(きょういく)ある人間(にんげん)の団結(だんけつ)、これらは皆(みな)必要(ひつよう)欠(か)ぐ可(べ)からざるものである。また社会(しゃかい)自(みずか)ら悟(さと)って驚(おどろ)くようにしなければならぬとかなどとのことで。彼(かれ)はその眼中(がんちゅう)に社会(しゃかい)の人々(ひとびと)をただ二種(しゅ)に区別(くべつ)している、義者(ぎしゃ)と、不義者(ふぎしゃ)と、そうして婦人(ふじん)のこと、恋愛(れんあい)のことに就(つ)いては、いつも自(みずか)ら深(ふか)く感(かん)じ入(い)って説(と)くのであるが、さて自身(じしん)にはいまだ一度(ど)も恋愛(れんあい)ちょうものを味(あじお)うたことは無(な)いので。
 彼(かれ)はかくも神経質(しんけいしつ)で、その議論(ぎろん)は過激(かげき)であったが、町(まち)の人々(ひとびと)はそれにも拘(かかわ)らず彼(かれ)を愛(あい)して、ワアニア、と愛嬌(あいきょう)を以(もっ)て呼(よ)んでいた。彼(かれ)が天性(てんせい)の柔(やさ)しいのと、人(ひと)に親切(しんせつ)なのと、礼儀(れいぎ)のあるのと、品行(ひんこう)の方正(ほうせい)なのと、着古(きぶる)したフロックコート、病人(びょうにん)らしい様子(ようす)、家庭(かてい)の不遇(ふぐう)、これらは皆(みな)総(すべ)て人々(ひとびと)に温(あたたか)き同情(どうじょう)を引起(ひきおこ)さしめたのであった。また一面(めん)には彼(かれ)は立派(りっぱ)な教育(きょういく)を受(う)け、博学(はくがく)多識(たしき)で、何(な)んでも知(し)っていると町(まち)の人(ひと)は言(い)うている位(くらい)。で、彼(かれ)はこの町(まち)の活(い)きた字引(じびき)とせられていた。
 彼(かれ)は非常(ひじょう)に読書(どくしょ)を好(この)んで、しばしば倶楽部(くらぶ)に行(い)っては、神経的(しんけいてき)に髭(ひげ)を捻(ひね)りながら、雑誌(ざっし)や書物(しょもつ)を手当次第(てあたりしだい)に剥(は)いでいる、読(よ)んでいるのではなく咀(か)み間合(まにあ)わぬので鵜呑(うのみ)にしていると云(い)うような塩梅(あんばい)。読書(どくしょ)は彼(かれ)の病的(びょうてき)の習慣(しゅうかん)で、何(な)んでも凡(およ)そ手(て)に触(ふ)れた所(ところ)の物(もの)は、それがよし去年(きょねん)の古新聞(ふるしんぶん)であろうが、暦(こよみ)であろうが、一様(よう)に饑(う)えたる者(もの)のように、きっと手(て)に取(と)って見(み)るのである。家(いえ)にいる時(とき)もいつも横(よこ)になっては、やはり、書見(しょけん)に耽(ふ)けっている。

 ある秋(あき)の朝(あさ)のこと、イワン、デミトリチは外套(がいとう)の襟(えり)を立(た)てて泥濘(ぬか)っている路(みち)を、横町(よこちょう)、路次(ろじ)と経(へ)て、或(あ)る町人(ちょうにん)の家(いえ)に書付(かきつけ)を持(も)って金(かね)を取(と)りに行(い)ったのであるが、やはり毎朝(まいあさ)のようにこの朝(あさ)も気(き)が引立(ひきた)たず、沈(しず)んだ調子(ちょうし)で或(あ)る横町(よこちょう)に差掛(さしかか)ると、折(おり)から向(むこう)より二人(ふたり)の囚人(しゅうじん)と四人(にん)の銃(じゅう)を負(お)うて附添(つきそ)うて来(く)る兵卒(へいそつ)とに、ぱったりと出会(でっくわ)す。彼(かれ)は何時(いつ)が日(ひ)も囚人(しゅうじん)に出会(でっくわ)せば、同情(どうじょう)と不愉快(ふゆかい)の感(かん)に打(う)たれるのであるが、その日(ひ)はまたどう云(い)うものか、何(なん)とも云(い)われぬ一種(しゅ)のいやな感覚(かんかく)が、常(つね)にもあらずむらむらと湧(わ)いて、自分(じぶん)もかく枷(かせ)を箝(は)められて、同(おな)じ姿(すがた)に泥濘(ぬかるみ)の中(なか)を引(ひ)かれて、獄(ごく)に入(いれ)られはせぬかと、遽(にわか)に思(おも)われて慄然(ぞっ)とした。それから町人(ちょうにん)の家(いえ)よりの帰途(かえり)、郵便局(ゆうびんきょく)の側(そば)で、予(かね)て懇意(こんい)な一人(ひとり)の警部(けいぶ)に出遇(であ)ったが警部(けいぶ)は彼(かれ)に握手(あくしゅ)して数歩(すうほ)ばかり共(とも)に歩(ある)いた。すると、何(なん)だかこれがまた彼(かれ)には只事(ただごと)でなく怪(あや)しく思(おも)われて、家(いえ)に帰(かえ)ってからも一日中(にちじゅう)、彼(かれ)の頭(あたま)から囚人(しゅうじん)の姿(すがた)、銃(じゅう)を負(お)うてる兵卒(へいそつ)の顔(かお)などが離(はな)れずに、眼前(がんぜん)に閃付(ちらつ)いている、この理由(わけ)の解(わか)らぬ煩悶(はんもん)が怪(あや)しくも絶(た)えず彼(かれ)の心(こころ)を攪乱(かくらん)して、書物(しょもつ)を読(よ)むにも、考(かんが)うるにも、邪魔(じゃま)をする。彼(かれ)は夜(よる)になっても灯(あかり)をも点(つ)けず、夜(よも)すがら眠(ねむ)らず、今(いま)にも自分(じぶん)が捕縛(ほばく)され、獄(ごく)に繋(つな)がれはせぬかとただそればかりを思(おも)い悩(なや)んでいるのであった。
 しかし無論(むろん)、彼(かれ)は自身(じしん)に何(なん)の罪(つみ)もなきこと、また将来(しょうらい)においても殺人(さつじん)、窃盗(せっとう)、放火(ほうか)などの犯罪(はんざい)は断(だん)じてせぬとは知(し)っているが、また独(ひとり)つくづくとこうも思(おも)うたのであった。故意(こい)ならず犯罪(はんざい)を為(な)すことが無(な)いとも云(い)われぬ、人(ひと)の讒言(ざんげん)、裁判(さいばん)の間違(まちがい)などはあり得(う)べからざることだとは云(い)われぬ、そもそも裁判(さいばん)の間違(まちがい)は、今日(こんにち)の裁判(さいばん)の状態(じょうたい)にては、最(もっと)もあり得(う)べきことなので、総(そう)じて他人(たにん)の艱難(かんなん)に対(たい)しては、事務上(じむじょう)、職務上(しょくむじょう)の関係(かんけい)をもっている人々(ひとびと)、例(たと)えば裁判官(さいばんかん)、警官(けいかん)、医師(いし)、とかと云(い)うものは、年月(ねんげつ)の経過(けいか)すると共(とも)に、習慣(しゅうかん)に依(よ)って遂(つい)にはその相手(あいて)の被告(ひこく)、或(あるい)は患者(かんじゃ)に対(たい)して、単(たん)に形式以上(けいしきいじょう)の関係(かんけい)をもたぬように望(のぞ)んでも出来(でき)ぬように、この習慣(しゅうかん)と云(い)う奴(やつ)がさせてしまう、早(はや)く言(い)えば彼等(かれら)は恰(あだか)も、庭(にわ)に立(た)って羊(ひつじ)や、牛(うし)を屠(ほふ)り、その血(ち)には気(き)が着(つ)かぬ所(ところ)の劣等(れっとう)の人間(にんげん)と少(すこ)しも選(えら)ぶ所(ところ)は無(な)いのだ。
 翌朝(よくあさ)イワン、デミトリチは額(ひたい)に冷汗(ひやあせ)をびっしょりと掻(か)いて、床(とこ)から吃驚(びっくり)して跳起(はねおき)た。もう今(いま)にも自分(じぶん)が捕縛(ほばく)されると思(おも)われて。そうして自(みずか)らまた深(ふか)く考(かんが)えた。かくまでも昨日(きのう)の奇(く)しき懊悩(なやみ)が自分(じぶん)から離(はな)れぬとして見(み)れば、何(なに)か訳(わけ)があるのである、さなくてこの忌(いま)わしい考(かんがえ)がこんなに執念(しゅうね)く自分(じぶん)に着纒(つきまと)うている訳(わけ)は無(な)いと。
『や、巡査(じゅんさ)が徐々(そろそろ)と窓(まど)の傍(そば)を通(とお)って行(い)った、怪(あや)しいぞ、やや、また誰(たれ)か二人(ふたり)家(うち)の前(まえ)に立留(たちとどま)っている、何故(なぜ)黙(だま)っているのだろうか?』
 これよりしてイワン、デミトリチは日夜(にちや)をただ煩悶(はんもん)に明(あか)し続(つづ)ける、窓(まど)の傍(そば)を通(とお)る者(もの)、庭(にわ)に入(い)る者(もの)は皆(みな)探偵(たんてい)かと思(おも)われる。正午(ひる)になると毎日(まいにち)警察署長(けいさつしょちょう)が、町尽頭(まちはずれ)の自分(じぶん)の邸(やしき)から警察(けいさつ)へ行(い)くので、この家(いえ)の前(まえ)を二頭馬車(とうばしゃ)で通(とお)る、するとイワン、デミトリチはその度毎(たびごと)、馬車(ばしゃ)が余(あま)り早(はや)く通(とお)り過(す)ぎたようだとか、署長(しょちょう)の顔付(かおつき)が別(べつ)であったとか思(おも)って、何(な)んでもこれは町(まち)に重大(じゅうだい)な犯罪(はんざい)が露顕(あら)われたのでそれを至急(しきゅう)報告(ほうこく)するのであろうなどと極(き)めて、頻(しき)りにそれが気(き)になってならぬ。
 家主(いえぬし)の女主人(おんなあるじ)の処(ところ)に見知(みし)らぬ人(ひと)が来(き)さえすればそれも苦(く)になる。門(もん)の呼鈴(よびりん)が鳴(な)る度(たび)に惴々(びくびく)しては顫上(ふるえあが)る。巡査(じゅんさ)や、憲兵(けんぺい)に遇(あ)いでもすると故(わざ)と平気(へいき)を粧(よそお)うとして、微笑(びしょう)して見(み)たり、口笛(くちぶえ)を吹(ふ)いて見(み)たりする。如何(いか)なる晩(ばん)でも彼(かれ)は拘引(こういん)されるのを待(ま)ち構(かま)えていぬ時(とき)とては無(な)い。それが為(ため)に終夜(よっぴて)眠(ねむ)られぬ。が、もしこんなことを女主人(おんなあるじ)にでも嗅付(かぎつ)けられたら、何(なに)か良心(りょうしん)に咎(とが)められることがあると思(おも)われよう、そんな疑(うたがい)でも起(おこ)されたら大変(たいへん)と、彼(かれ)はそう思(おも)って無理(むり)に毎晩(まいばん)眠(ね)た振(ふり)をして、大鼾(おおいびき)をさえ発(か)いている。しかしこんな心遣(こころづかい)は事実(じじつ)においても、普通(ふつう)の論理(ろんり)においても考(かんが)えて見(み)れば実(じつ)に愚々(ばかばか)しい次第(しだい)で、拘引(こういん)されるだの、獄舎(ろうや)に繋(つな)がれるなど云(い)うことは良心(りょうしん)にさえ疚(やま)しい所(ところ)が無(な)いならば少(すこ)しも恐怖(おそる)るに足(た)らぬこと、こんなことを恐(おそ)れるのは精神病(せいしんびょう)に相違(そうい)なきこと、と、彼(かれ)も自(みずか)ら思(おも)うてここに至(いた)らぬのでも無(な)いが、さてまた考(かんが)えれば考(かんが)うる程(ほど)迷(まよ)って、心中(しんちゅう)はいよいよ苦悶(くもん)と、恐怖(きょうふ)とに圧(あっ)しられる。で、彼(かれ)ももう思慮(かんが)えることの無益(むえき)なのを悟(さと)り、すっかり失望(しつぼう)と、恐怖(きょうふ)との淵(ふち)に沈(しず)んでしまったのである。
 彼(かれ)はそれより独居(どっきょ)して人(ひと)を避(さ)け初(はじ)めた。職務(しょくむ)を取(と)るのは前(まえ)にもいやであったが、今(いま)はなお一層(そう)いやで堪(たま)らぬ、と云(い)うのは、人(ひと)が何時(いつ)自分(じぶん)を欺(だま)して、隠(かくし)にでもそっと賄賂(わいろ)を突込(つきこ)みはせぬか、それを訴(うった)えられでもせぬか、或(あるい)は公書(こうしょ)の如(ごと)きものに詐欺(さぎ)同様(どうよう)の間違(まちがい)でもしはせぬか、他人(たにん)の銭(ぜに)でも無(な)くしたりしはせぬか。と、無暗(むやみ)に恐(おそろし)くてならぬので。
 春(はる)になって雪(ゆき)も次第(しだい)に解(と)けた或日(あるひ)、墓場(はかば)の側(そば)の崖(がけ)の辺(あたり)に、腐爛(ふらん)した二つの死骸(しがい)が見付(みつ)かった。それは老婆(ろうば)と、男(おとこ)の子(こ)とで、故殺(こさつ)の形跡(けいせき)さえあるのであった。町(まち)ではもう到(いた)る所(ところ)、この死骸(しがい)のことと、下手人(げしゅにん)の噂(うわさ)ばかり、イワン、デミトリチは自分(じぶん)が殺(ころ)したと思(おも)われはせぬかと、またしても気(き)が気(き)ではなく、通(とおり)を歩(ある)きながらもそう思(おも)われまいと微笑(びしょう)しながら行(い)ったり、知人(しりびと)に遇(あ)いでもすると、青(あお)くなり、赤(あか)くなりして、あんな弱者共(よわいものども)を殺(ころ)すなどと、これ程(ほど)憎(にく)むべき罪悪(ざいあく)は無(な)いなど、云(い)っている。が、それもこれも直(じき)に彼(かれ)を疲労(つか)らしてしまう。彼(かれ)はそこでふと思(おも)い着(つ)いた、自分(じぶん)の位置(いち)の安全(あんぜん)を計(はか)るには、女主人(おんなあるじ)の穴蔵(あなぐら)に隠(かく)れているのが上策(じょうさく)と。そうして彼(かれ)は一日中(にちじゅう)、また一晩中(ひとばんじゅう)、穴蔵(あなぐら)の中(なか)に立尽(たちつく)し、その翌日(よくじつ)もやはり出(で)ぬ。で、身体(からだ)が甚(ひど)く凍(こご)えてしまったので、詮方(せんかた)なく、夕方(ゆうがた)になるのを待(ま)って、こッそりと自分(じぶん)の室(へや)には忍(しの)び出(で)て来(き)たものの、夜明(よあけ)まで身動(みうごき)もせず、室(へや)の真中(まんなか)に立(た)っていた。すると明方(あけがた)、まだ日(ひ)の出(で)ぬ中(うち)、女主人(おんなあるじ)の方(ほう)へ暖炉造(だんろつくり)の職人(しょくにん)が来(き)た。イワン、デミトリチは彼等(かれら)が厨房(くりや)の暖炉(だんろ)を直(なお)しに来(き)たのであるのは知(し)っていたのであるが、急(きゅう)に何(なん)だかそうでは無(な)いように思(おも)われて来(き)て、これはきっと警官(けいかん)が故(わざ)と暖炉職人(だんろしょくにん)の風体(ふうてい)をして来(き)たのであろうと、心(こころ)は不覚(そぞろ)、気(き)は動顛(どうてん)して、いきなり、室(へや)を飛出(とびだ)したが、帽(ぼう)も被(かぶ)らず、フロックコートも着(き)ずに、恐怖(おそれ)に駆(か)られたまま、大通(おおどおり)を真(ま)一文字(もんじ)に走(はし)るのであった。一匹(ぴき)の犬(いぬ)は吠(ほ)えながら彼(かれ)を追(お)う。後(うしろ)の方(ほう)では農夫(のうふ)が叫(さけ)ぶ。イワン、デミトリチは両耳(りょうみみ)がガンとして、世界中(せかいじゅう)のあらゆる圧制(あっせい)が、今(いま)彼(かれ)の直(す)ぐ背後(うしろ)に迫(せま)って、自分(じぶん)を追駈(おいか)けて来(き)たかのように思(おも)われた。
 彼(かれ)は捕(とら)えられて家(いえ)に引返(ひきかえ)されたが、女主人(おんなあるじ)は医師(いしゃ)を招(よ)びに遣(や)られ、ドクトル、アンドレイ、エヒミチは来(き)て彼(かれ)を診察(しんさつ)したのであった。
 そうして頭(あたま)を冷(ひや)す薬(くすり)と、桂梅水(けいばいすい)とを服用(ふくよう)するようにと云(い)って、いやそうに頭(かしら)を振(ふ)って、立帰(たちかえ)り際(ぎわ)に、もう二度(ど)とは来(こ)ぬ、人(ひと)の気(き)の狂(くる)う邪魔(じゃま)をするにも当(あた)らないからとそう云(い)った。
 かくてイワン、デミトリチは宿(やど)を借(かり)ることも、療治(りょうじ)することも、銭(ぜに)の無(な)いので出来兼(できか)ぬる所(ところ)から、幾干(いくばく)もなくして町立病院(ちょうりつびょういん)に入(い)れられ、梅毒病患者(ばいどくびょうかんじゃ)と同室(どうしつ)することとなった。しかるに彼(かれ)は毎晩(まいばん)眠(ねむ)らずして、我儘(わがまま)を云(い)っては他(ほか)の患者等(かんじゃら)の邪魔(じゃま)をするので、院長(いんちょう)のアンドレイ、エヒミチは彼(かれ)を六号室(ごうしつ)の別室(べっしつ)へ移(うつ)したのであった。
 一年(ねん)を経(へ)て、町(まち)ではもうイワン、デミトリチのことは忘(わす)れてしまった。彼(かれ)の書物(しょもつ)は女主人(おんなあるじ)が橇(そり)の中(なか)に積重(つみかさ)ねて、軒下(のきした)に置(お)いたのであるが、どこからともなく、子供等(こどもら)が寄(よ)って来(き)ては、一冊(さつ)持(も)ち行(ゆ)き、二冊(さつ)取去(とりさ)り、段々(だんだん)に皆(みんな)何(いず)れへか消(き)えてしまった。

 イワン、デミトリチの左(ひだり)の方(ほう)の隣(となり)は、猶太人(ジウ)のモイセイカであるが、右(みぎ)の方(ほう)にいる者(もの)は、まるきり意味(いみ)の無(な)い顔(かお)をしている、油切(あぶらぎ)って、真円(まんまる)い農夫(のうふ)、疾(と)うから、思慮(しりょ)も、感覚(かんかく)も皆無(かいむ)になって、動(うご)きもせぬ大食(おおぐ)いな、不汚(ふけつ)極(きわま)る動物(どうぶつ)で、始終(しじゅう)鼻(はな)を突(つ)くような、胸(むね)の悪(わる)くなる臭気(しゅうき)を放(はな)っている。
 彼(かれ)の身(み)の周(まわ)りを掃除(そうじ)するニキタは、その度(たび)に例(れい)の鉄拳(てっけん)を振(ふる)っては、力(ちから)の限(かぎ)り彼(かれ)を打(う)つのであるが、この鈍(にぶ)き動物(どうぶつ)は、音(ね)をも立(た)てず、動(うご)きをもせず、眼(め)の色(いろ)にも何(なん)の感(かん)じをも現(あら)わさぬ。ただ重(おも)い樽(たる)のように、少(すこ)し蹌踉(よろけ)るのは見(み)るのも気味(きみ)が悪(わる)い位(くらい)。
 六号室(ごうしつ)の第(だい)五番目(ばんめ)は、元来(もと)郵便局(ゆうびんきょく)とやらに勤(つと)めた男(おとこ)で、気(き)の善(い)いような、少(すこ)し狡猾(ずる)いような、脊(せ)の低(ひく)い、瘠(や)せたブロンジンの、利発(りこう)らしい瞭然(はっきり)とした愉快(ゆかい)な眼付(めつき)、ちょっと見(み)るとまるで正気(しょうき)のようである。彼(かれ)は何(なに)か大切(たいせつ)な秘密(ひみつ)な物(もの)をもっていると云(い)うような風(ふう)をしている。枕(まくら)の下(した)や、寐台(ねだい)のどこかに、何(なに)かをそッと隠(かく)して置(お)く、それは盗(ぬす)まれるとか、奪(うば)われるとか、云(い)う気遣(きづかい)の為(た)めではなく人(ひと)に見(み)られるのが恥(はず)かしいのでそうして隠(かく)して置(お)く物(もの)がある。時々(ときどき)同室(どうしつ)の者等(ものら)に脊(せ)を向(む)けて、独(ひとり)窓(まど)の所(ところ)に立(た)って、何(なに)かを胸(むね)に着(つ)けて、頭(かしら)を屈(かが)めて熟視(みい)っている様子(ようす)。誰(たれ)かもし近着(ちかづき)でもすれば、極(きまり)悪(わる)そうに急(いそ)いで胸(むね)から何(なに)かを取(と)って隠(かく)してしまう。しかしその秘密(ひみつ)は直(すぐ)に解(わか)るのである。
『私(わたくし)をお祝(いわ)いなすって下(くだ)さい。』
と、彼(かれ)は時々(ときどき)イワン、デミトリチに云(い)うことがある。
『私(わたくし)は第(だい)二等(とう)のスタニスラウの勲章(くんしょう)を貰(もら)いました。この第(だい)二等(とう)の勲章(くんしょう)は、全体(ぜんたい)なら外国人(がいこくじん)でなければ貰(もら)えないのですが、私(わたくし)にはその、特別(とくべつ)を以(もっ)てね、例外(れいがい)と見(み)えます。』
と、彼(かれ)は訝(いぶ)かるようにちょっと眉(まゆ)を寄(よ)せて微笑(びしょう)する。
『実(じつ)を申(もう)しますと、これはちと意外(いがい)でしたので。』
『私(わたくし)はどうもそう云(い)うものに就(つ)いては、まるで解(わか)らんのです。』
と、イワン、デミトリチは愁(うれ)わしそうに答(こた)える。
『しかし私(わたくし)が早晩(そうばん)手(て)に入(い)れようと思(おも)いますのは、何(なん)だか知(し)っておいでになりますか。』
 先(もと)の郵便局員(ゆうびんきょくいん)は、さも狡猾(ずる)そうに眼(め)を細(ほそ)めて云(い)う。
『私(わたくし)はきっとこんどは瑞典(スウェーデン)の北極星(ほっきょくせい)の勲章(くんしょう)を貰(もら)おうと思(おも)っておるです、その勲章(くんしょう)こそは骨(ほね)を折(お)る甲斐(かい)のあるものです。白(しろ)い十字架(じか)に、黒(くろ)リボンの附(つ)いた、それは立派(りっぱ)です。』
 この六号室程(ごうしつほど)単調(たんちょう)な生活(せいかつ)は、どこを尋(たず)ねても無(な)いであろう。朝(あさ)には患者等(かんじゃら)は、中風患者(ちゅうぶかんじゃ)と、油切(あぶらぎ)った農夫(のうふ)との外(ほか)は皆(みんな)玄関(げんかん)に行(い)って、一つ大盥(おおだらい)で顔(かお)を洗(あら)い、病院服(びょういんふく)の裾(すそ)で拭(ふ)き、ニキタが本院(ほんいん)から運(はこ)んで来(く)る、一杯(ぱい)に定(さだ)められたる茶(ちゃ)を錫(すず)の器(うつわ)で啜(すす)るのである。正午(ひる)には酢(す)く漬(つ)けた玉菜(たまな)の牛肉汁(にくじる)と、飯(めし)とで食事(しょくじ)をする。晩(ばん)には昼食(ひるめし)の余(あま)りの飯(めし)を食(た)べるので。その間(あいだ)は横(よこ)になるとも、睡(ねむ)るとも、空(そら)を眺(なが)めるとも、室(へや)の隅(すみ)から隅(すみ)へ歩(ある)くとも、こうして毎日(まいにち)を送(おく)っている。
 新(あたら)しい人(ひと)の顔(かお)は六号室(ごうしつ)では絶(た)えて見(み)ぬ。院長(いんちょう)アンドレイ、エヒミチは新(あらた)な瘋癲患者(ふうてんかんじゃ)はもう疾(と)くより入院(にゅういん)せしめぬから。また誰(たれ)とてこんな瘋癲者(ふうてんしや)の室(へや)に参観(さんかん)に来(く)る者(もの)も無(な)いから。ただ二ヶ月(げつ)に一度(ど)だけ、理髪師(とこや)のセミョン、ラザリチばかりここへ来(く)る、その男(おとこ)はいつも酔(よ)ってニコニコしながら遣(や)って来(き)て、ニキタに手伝(てつだ)わせて髪(かみ)を刈(か)る、彼(かれ)が見(み)えると患者等(かんじゃら)は囂々(がやがや)と云(い)って騒(さわ)ぎ出(だ)す。
 かく患者等(かんじゃら)は理髪師(とこや)の外(ほか)には、ただニキタ一人(ひとり)、それより外(ほか)には誰(たれ)に遇(あ)うことも、誰(たれ)を見(み)ることも叶(かな)わぬ運命(うんめい)に定(さだ)められていた。
 しかるに近頃(ちかごろ)に至(いた)って不思議(ふしぎ)な評判(ひょうばん)が院内(いんない)に伝(つた)わった。
 院長(いんちょう)が六号室(ごうしつ)に足繁(あししげ)く訪問(ほうもん)し出(だ)したとの風評(ひょうばん)。

 不思議(ふしぎ)な風評(ひょうばん)である。
 ドクトル、アンドレイ、エヒミチ、ラアギンは風変(ふうがわ)りな人間(にんげん)で、青年(せいねん)の頃(ころ)には甚(はなはだ)敬虔(けいけん)で、身(み)を宗教上(しゅうきょうじょう)に立(た)てようと、千八百六十三年(ねん)に中学(ちゅうがく)を卒業(そつぎょう)すると直(す)ぐ、神学大学(しんがくだいがく)に入(い)ろうと决(けっ)した。しかるに医学博士(いがくはかせ)にして、外科(げか)専門家(せんもんか)なる彼(かれ)が父(ちち)は、断乎(だんこ)として彼(かれ)が志望(しぼう)を拒(こば)み、もし彼(かれ)にして司祭(しさい)となった暁(あかつき)は、我(わ)が子(こ)とは認(みと)めぬとまで云張(いいは)った。が、アンドレイ、エヒミチは父(ちち)の言(ことば)ではあるが、自分(じぶん)はこれまで医学(いがく)に対(たい)して、また一般(ぱん)の専門学科(せんもんがっか)に対(たい)して、使命(しめい)を感(かん)じたことは無(な)かったと自白(じはく)している。
 とにかく、彼(かれ)は医科大学(いかだいがく)を卒業(そつぎょう)して司祭(しさい)の職(しょく)には就(つ)かなかった。そうして医者(いしゃ)として身(み)を立(た)つる初(はじ)めにおいても、なお今日(こんにち)の如(ごと)く別段(べつだん)宗教家(しゅうきょうか)らしい所(ところ)は少(すく)なかった。彼(かれ)の容貌(ようぼう)はぎすぎすして、どこか百姓染(ひゃくしょうじ)みて、頤鬚(あごひげ)から、べッそりした髪(かみ)、ぎごちない不態(ぶざま)な恰好(かっこう)は、まるで大食(たいしょく)の、呑抜(のみぬけ)の、頑固(がんこ)な街道端(かいどうばた)の料理屋(りょうりや)なんどの主人(しゅじん)のようで、素気無(そっけな)い顔(かお)には青筋(あおすじ)が顕(あらわ)れ、眼(め)は小(ちい)さく、鼻(はな)は赤(あか)く、肩幅(かたはば)広(ひろ)く、脊(せい)高(たか)く、手足(てあし)が図抜(ずぬ)けて大(おお)きい、その手(て)で捉(つか)まえられようものなら呼吸(こきゅう)も止(と)まりそうな。それでいて足音(あしおと)は極(ご)く静(しずか)で、歩(ある)く様子(ようす)は注意深(ちゅういぶか)い忍足(しのびあし)のようである。狭(せま)い廊下(ろうか)で人(ひと)に出遇(であ)うと、まず道(みち)を除(よ)けて立留(たちどま)り、『失敬(しっけい)』と、さも太(ふと)い声(こえ)で云(い)いそうだが、細(ほそ)いテノルでそう挨拶(あいさつ)する。彼(かれ)の頸(くび)には小(ちい)さい腫物(はれもの)が出来(でき)ているので、常(つね)に糊付(のりつけ)シャツは着(き)ないで、柔(やわ)らかな麻布(あさ)か、更紗(さらさ)のシャツを着(き)ているので。そうしてその服装(ふくそう)は少(すこ)しも医者(いしゃ)らしい所(ところ)は無(な)く、一つフロックコートを十年(ねん)も着続(きつづ)けている。稀(まれ)に猶太人(ジウ)の店(みせ)で新(あたら)しい服(ふく)を買(か)って来(き)ても、彼(かれ)が着(き)るとやはり皺(しわ)だらけな古着(ふるぎ)のように見(み)えるので。一つフロックコートで患者(かんじゃ)も受(う)け、食事(しょくじ)もし、客(きゃく)にも行(ゆ)く。しかしそれは彼(かれ)が吝嗇(りんしょく)なるのではなく、扮装(なり)などには全(まった)く無頓着(むとんじゃく)なのに由(よ)るのである。
 アンドレイ、エヒミチが新(あらた)に院長(いんちょう)としてこの町(まち)に来(き)た時(とき)は、この病院(びょういん)の乱脈(らんみゃく)は名状(めいじょう)すべからざるもので。室内(しつない)と云(い)わず、廊下(ろうか)と云(い)わず、庭(にわ)と云(い)わず、何(なん)とも云(い)われぬ臭気(しゅうき)が鼻(はな)を衝(つ)いて、呼吸(いき)をするさえ苦(くる)しい程(ほど)。病院(びょういん)の小使(こづかい)、看護婦(かんごふ)、その子供等(こどもら)などは皆(みな)患者(かんじゃ)の病室(びょうしつ)に一所(しょ)に起臥(きが)して、外科室(げかしつ)には丹毒(たんどく)が絶(た)えたことは無(な)い。患者等(かんじゃら)は油虫(あぶらむし)、南京虫(なんきんむし)、鼠(ねずみ)の族(やから)に責(せ)め立(た)てられて、住(す)んでいることも出来(でき)ぬと苦情(くじょう)を云(い)う。器械(きかい)や、道具(どうぐ)などは何(なに)もなく外科用(げかよう)の刄物(はもの)が二つあるだけで体温器(たいおんき)すら無(な)いのである。浴盤(よくばん)には馬鈴薯(じやがたらいも)が投込(なげこ)んであるような始末(しまつ)、代診(だいしん)、会計(かいけい)、洗濯女(せんたくおんな)は、患者(かんじゃ)を掠(かす)めて何(なん)とも思(おも)わぬ。話(はなし)には前(さき)の院長(いんちょう)はまま病院(びょういん)のアルコールを密売(みつばい)し、看護婦(かんごふ)、婦人患者(ふじんかんじゃ)を手当次第(てあたりしだい)妾(めかけ)としていたと云(い)う。で、町(まち)では病院(びょういん)のこんな有様(ありさま)を知(し)らぬのでは無(な)く、一層(そう)棒大(ぼうだい)にして乱次(だらし)の無(な)いことを評判(ひょうばん)していたが、これに対(たい)しては人々(ひとびと)は至(いた)って冷淡(れいたん)なもので、寧(むし)ろ病院(びょういん)の弁護(べんご)をしていた位(くらい)。病院(びょういん)などに入(はい)るものは、皆(みんな)病人(びょうにん)や百姓共(ひゃくしょうども)だから、その位(くらい)な不自由(ふじゆう)は何(なん)でも無(な)いことである、自家(じか)にいたならば、なおさら不自由(ふじゆう)をせねばなるまいとか、地方自治体(ちほうじちたい)の補助(ほじょ)もなくて、町(まち)独立(どくりつ)で立派(りっぱ)な病院(びょういん)の維持(いじ)されようは無(な)いとか、とにかく悪(わる)いながらも病院(びょういん)のあるのは無(な)いよりも増(まし)であるとかと。
 アンドレイ、エヒミチは院長(いんちょう)としてその職(しょく)に就(つ)いた後(のち)かかる乱脈(らんみゃく)に対(たい)して、果(はた)してこれを如何様(いかよう)に所置(しょち)したろう、敏捷(てきぱき)と院内(いんない)の秩序(ちつじょ)を改革(かいかく)したろうか。彼(かれ)はこの不順序(ふじゅんじょ)に対(たい)しては、さのみ気(き)を留(と)めた様子(ようす)はなく、ただ看護婦(かんごふ)などの病室(びょうしつ)に寐(ね)ることを禁(きん)じ、機械(きかい)を入(い)れる戸棚(とだな)を二個(ふたつ)備付(そなえつ)けたばかりで、代診(だいしん)も、会計(かいけい)も、洗濯婦(せんたくおんな)も、元(もと)のままにして置(お)いた。
 アンドレイ、エヒミチは知識(ちしき)と廉直(れんちょく)とを頗(すこぶ)る好(この)みかつ愛(あい)していたのであるが、さて彼(かれ)は自分(じぶん)の周囲(まわり)にはそう云(い)う生活(せいかつ)を設(もう)けることは到底(とうてい)出来(でき)ぬのであった。それは気力(きりょく)と、権力(けんりょく)における自信(じしん)とが足(た)りぬので。命令(めいれい)、主張(しゅちょう)、禁止(きんし)、こう云(い)うことは凡(すべ)て彼(かれ)には出来(でき)ぬ。丁度(ちょうど)声(こえ)を高(たか)めて命令(めいれい)などは决(けっ)して致(いた)さぬと、誰(たれ)にか誓(ちかい)でも立(た)てたかのように、くれとか、持(も)って来(こ)いとかとはどうしても言(い)えぬ。で、物(もの)が食(た)べたくなった時(とき)には、何時(いつ)も躊躇(ちゅうちょ)しながら咳払(せきばらい)して、そうして下女(げじょ)に、茶(ちゃ)でも呑(の)みたいものだとか、飯(めし)にしたいものだとか云(い)うのが常(つね)である、それ故(ゆえ)に会計係(かいけいがかり)に向(むか)っても、盗(ぬす)んではならぬなどとは到底(とうてい)云(い)われぬ。無論(むろん)放逐(ほうちく)することなどは為(な)し得(え)ぬので。人(ひと)が彼(かれ)を欺(あざむ)いたり、或(あるい)は諂(へつら)ったり、或(あるい)は不正(ふせい)の勘定書(かんじょうがき)に署名(しょめい)をすることを願(ねが)いでもされると、彼(かれ)は蝦(えび)のように真赤(まっか)になってひたすらに自分(じぶん)の悪(わる)いことを感(かん)じはする。が、やはり勘定書(かんじょうがき)には署名(しょめい)をして遣(や)ると云(い)うような質(たち)。
 初(はじめ)にアンドレイ、エヒミチは熱心(ねっしん)にその職(しょく)を励(はげ)み、毎日(まいにち)朝(あさ)から晩(ばん)まで、診察(しんさつ)をしたり、手術(しゅじゅつ)をしたり、時(とき)には産婆(さんば)をもしたのである、婦人等(ふじんら)は皆(みな)彼(かれ)を非常(ひじょう)に褒(ほ)めて名医(めいい)である、殊(こと)に小児科(しょうにか)、婦人科(ふじんか)に妙(みょう)を得(え)ていると言囃(いいはや)していた。が、彼(かれ)は年月(としつき)の経(た)つと共(とも)に、この事業(じぎょう)の単調(たんちょう)なのと、明瞭(あきらか)に益(えき)の無(な)いのとを認(みと)めるに従(したが)って、段々(だんだん)と厭(あ)きて来(き)た。彼(かれ)は思(おも)うたのである。今日(きょう)は三十人(にん)の患者(かんじゃ)を受(う)ければ、明日(あす)は三十五人(にん)来(く)る、明後日(あさって)は四十人(にん)に成(な)って行(ゆ)く、かく毎日(まいにち)、毎月(まいげつ)同事(おなじこと)を繰返(くりかえ)し、打続(うちつづ)けては行(ゆ)くものの、市中(まち)の死亡者(しぼうしゃ)の数(すう)は决(けっ)して減(げん)じぬ。また患者(かんじゃ)の足(あし)も依然(いぜん)として門(もん)には絶(た)えぬ。朝(あさ)から午(ひる)まで来(く)る四十人(にん)の患者(かんじゃ)に、どうして確実(かくじつ)な扶助(たすけ)を与(あた)えることが出来(でき)よう、故意(こい)ならずとも虚偽(きょぎ)を為(な)しつつあるのだ。一統計年度(とうけいねんど)において、一万二千人(にん)の患者(かんじゃ)を受(う)けたとすれば、即(すなわ)ち一万二千人(にん)は欺(あざむ)かれたのである。重(おも)い患者(かんじゃ)を病院(びょういん)に入院(にゅういん)させて、それを学問(がくもん)の規則(きそく)に従(したが)って治療(ちりょう)することは出来(でき)ぬ。如何(いか)なれば規則(きそく)はあっても、ここに学問(がくもん)は無(な)いのである。哲学(てつがく)を捨(すて)てしまって、他(た)の医師等(いしゃら)のように規則(きそく)に従(したが)って遣(や)ろうとするのには、第(だい)一に清潔法(せいけつほう)と、空気(くうき)の流通法(りゅうつうほう)とが欠(か)くべからざる物(もの)である。しかるにこんな不潔(ふけつ)な有様(ありさま)では駄目(だめ)だ。また滋養物(じようぶつ)が肝心(かんじん)である。しかるにこんな臭(くさ)い玉菜(たまな)の牛肉汁(にくじる)などでは駄目(だめ)だ、また善(よ)い補助者(ほじょしゃ)が必要(ひつよう)である、しかるにこんな盗人(ぬすびと)ばかりでは駄目(だめ)だ。
 そうして死(し)が各人(かくじん)の正当(せいとう)な終(おわり)であるとするなれば、何(なん)の為(ため)に人々(ひとびと)の死(し)の邪魔(じゃま)をするのか。仮(かり)にある商人(しょうにん)とか、ある官吏(かんり)とかが、五年(ねん)十年(ねん)余計(よけい)に生延(いきの)びたとして見(み)た所(ところ)で、それが何(なん)になるか。もしまた医学(いがく)の目的(もくてき)が薬(くすり)を以(もっ)て、苦痛(くつう)を薄(うす)らげるものと為(な)すなれば、自然(しぜん)ここに一つの疑問(ぎもん)が生(しょう)じて来(く)る。苦痛(くつう)を薄(うす)らげるのは何(なん)の為(ため)か? 苦痛(くつう)は人(ひと)を完全(かんぜん)に向(むか)わしむるものと云(い)うでは無(な)いか、また人類(じんるい)が果(はた)して丸薬(がんやく)や、水薬(すいやく)で、その苦痛(くつう)が薄(うす)らぐものなら、宗教(しゅうきょう)や、哲学(てつがく)は必要(ひつよう)が無(な)くなったと棄(すつ)るに至(いた)ろう。プシキンは死(し)に先(さきだ)って非常(ひじょう)に苦痛(くつう)を感(かん)じ、不幸(ふこう)なるハイネは数年間(すうねんかん)中風(ちゅうぶ)に罹(かか)って臥(ふ)していた。して見(み)れば原始虫(げんしちゅう)の如(ごと)き我々(われわれ)に、せめて苦難(くなん)ちょうものが無(な)かったならば、全(まった)く含蓄(がんちく)の無(な)い生活(せいかつ)となってしまう。からして我々(われわれ)は病気(びょうき)するのは寧(むし)ろ当然(とうぜん)では無(な)いか。
 かかる議論(ぎろん)にまるで心(こころ)を圧(あっ)しられたアンドレイ、エヒミチは遂(つい)に匙(さじ)を投(な)げて、病院(びょういん)にも毎日(まいにち)は通(かよ)わなくなるに至(いた)った。

 彼(かれ)の生活(せいかつ)はかくの如(ごと)くにして過(す)ぎ行(ゆ)いた。朝(あさ)は八時(じ)に起(お)き、服(ふく)を着換(きか)えて茶(ちゃ)を呑(の)み、それから書斎(しょさい)に入(はい)るか、或(あるい)は病院(びょういん)に行(ゆ)くかである。病院(びょういん)では外来患者(がいらいかんじゃ)がもう診察(しんさつ)を待構(まちかま)えて、狭(せま)い廊下(ろうか)に多人数(たにんず)詰掛(つめか)けている。その側(そば)を小使(こづかい)や、看護婦(かんごふ)が靴(くつ)で煉瓦(れんが)の床(ゆか)を音高(おとたか)く踏鳴(ふみなら)して往来(おうらい)し、病院服(びょういんふく)を着(き)ている瘠(や)せた患者等(かんじゃら)が通(とお)ったり、死人(しにん)も舁(かつ)ぎ出(だ)す、不潔物(ふけつぶつ)を入(い)れた器(うつわ)をも持(も)って通(とお)る。子供(こども)は泣(な)き叫(さけ)ぶ、通風(とおりかぜ)はする。アンドレイ、エヒミチはこう云(い)う病院(びょういん)の有様(ありさま)では、熱病患者(ねつびょうかんじゃ)、肺病患者(はいびょうかんじゃ)には最(もっと)もよくないと、始終(しじゅう)思(おも)い思(おも)いするのであるが、それをまたどうすることも出来(でき)ぬのであった。
 代診(だいしん)のセルゲイ、セルゲイチは、いつも控所(ひかえじょ)に院長(いんちょう)の出(で)て来(く)るのを待(ま)っている。この代診(だいしん)は脊(せ)の小(ちい)さい、丸(まる)く肥(ふと)った男(おとこ)、頬髯(ほおひげ)を綺麗(きれい)に剃(そ)って、丸(まる)い顔(かお)はいつもよく洗(あら)われていて、その気取(きど)った様子(ようす)で、新(あたら)しいゆっとりした衣服(いふく)を着(つ)け、白(しろ)の襟飾(えりかざり)をした所(ところ)は、まるで代診(だいしん)のようではなく、元老議員(げんろうぎいん)とでも言(い)いたいようである。彼(かれ)は町(まち)に沢山(たくさん)の病家(びょうか)の顧主(とくい)を持(も)っている。で、彼(かれ)は自分(じぶん)を心窃(こころひそか)に院長(いんちょう)より遙(はるか)に実際(じっさい)において、経験(けいけん)に積(つ)んでいるものと認(みと)めていた。何(なん)となれば院長(いんちょう)には町(まち)に顧主(とくい)の病家(びょうか)などは少(すこ)しも無(な)いのであるから。控所(ひかえじょ)は、壁(かべ)に大(おお)きい額縁(がくぶち)に填(はま)った聖像(せいぞう)が懸(かか)っていて、重(おも)い灯明(とうみょう)が下(さ)げてある。傍(そば)には白(しろ)い布(きれ)を被(き)せた読経台(どきょうだい)が置(お)かれ、一方(ぽう)には大主教(だいしゅきょう)の額(がく)が懸(か)けてある、またスウャトコルスキイ修道院(しゅうどういん)の額(がく)と、枯(か)れた花環(はなわ)とが懸(か)けてある。この聖像(せいぞう)は代診(だいしん)自(みずか)ら買(か)ってここに懸(か)けたもので、毎日曜日(まいにちようび)、彼(かれ)の命令(めいれい)で、誰(だれ)か患者(かんじゃ)の一人(ひとり)が、立(た)って、声(こえ)を上(あ)げて、祈祷文(きとうぶん)を読(よ)む、それから彼(かれ)は自身(じしん)で、各病室(かくびょうしつ)を、香炉(こうろ)を提(さ)げて振(ふ)りながら廻(まわ)る。
 患者(かんじゃ)は多(おお)いのに時間(じかん)は少(すく)ない、で、いつも極(ご)く簡単(かんたん)な質問(しつもん)と、塗薬(ぬりぐすり)か、※麻子油位(ひましあぶらぐらい)[#「箆」の「竹かんむり」に代えて「くさかんむり」、42-上-12]の薬(くすり)を渡(わた)して遣(や)るのに留(とど)まっている。院長(いんちょう)は片手(かたて)で頬杖(ほおづえ)を突(つ)きながら考込(かんがえこ)んで、ただ機械的(きかいてき)に質問(しつもん)を掛(か)けるのみである。代診(だいしん)のセルゲイ、セルゲイチが時々(ときどき)手(て)を擦(こす)り擦(こす)り口(くち)を入(い)れる。『この世(よ)には皆(みな)人(ひと)が病気(びょうき)になります、入用(いりよう)なものがありません、何(なん)となれば、これ皆(みな)親切(しんせつ)な神様(かみさま)に不熱心(ふねっしん)でありますから。』診察(しんさつ)の時(とき)に院長(いんちょう)はもう疾(と)うより手術(しゅじゅつ)をすることは止(や)めていた。彼(かれ)は血(ち)を見(み)るさえ不愉快(ふゆかい)に感(かん)じていたからで。また子供(こども)の咽喉(のど)を見(み)るので口(くち)を開(あ)かせたりする時(とき)に、子供(こども)が泣叫(なきさけ)び、小(ちい)さい手(て)を突張(つッぱ)ったりすると、彼(かれ)はその声(こえ)で耳(みみ)がガンとしてしまって、眼(め)が廻(まわ)って涙(なみだ)が滴(こぼ)れる。で、急(いそ)いで薬(くすり)の処方(しょほう)を云(い)って、子供(こども)を早(はや)く連(つ)れて行(い)ってくれと手(て)を振(ふ)る。
 診察(しんさつ)の時(とき)、患者(かんじゃ)の臆病(おくびょう)、訳(わけ)の解(わか)らぬこと、代診(だいしん)の傍(そば)にいること、壁(かべ)に懸(かか)ってる画像(がぞう)、二十年(ねん)以上(いじょう)も相変(あいかわ)らずに掛(か)けている質問(しつもん)、これらは院長(いんちょう)をして少(すくな)からず退屈(たいくつ)せしめて、彼(かれ)は五六人(にん)の患者(かんじゃ)を診察(しんさつ)し終(おわ)ると、ふいと診察所(しんさつじょ)から出(で)て行(い)ってしまう。で、後(あと)の患者(かんじゃ)は代診(だいしん)が彼(かれ)に代(かわ)って診察(しんさつ)するのであった。
 院長(いんちょう)アンドレイ、エヒミチは疾(とう)から町(まち)の病家(びょうか)をもたぬのを、却(かえ)っていい幸(さいわい)に、誰(だれ)も自分(じぶん)の邪魔(じゃま)をするものは無(な)いと云(い)う考(かんがえ)で、家(いえ)に帰(かえ)ると直(す)ぐ書斎(しょさい)に入(い)り、読(よ)む書物(しょもつ)の沢山(たくさん)あるので、この上(うえ)なき満足(まんぞく)を以(もっ)て書見(しょけん)に耽(ふけ)るのである、彼(かれ)は月給(げっきゅう)を受取(うけと)ると直(す)ぐ半分(はんぶん)は書物(しょもつ)を買(か)うのに費(つい)やす、その六間(ま)借(か)りている室(へや)の三つには、書物(しょもつ)と古雑誌(ふるざっし)とで殆(ほとんど)埋(うずま)っている。彼(かれ)が最(もっと)も好(この)む所(ところ)の書物(しょもつ)は、歴史(れきし)、哲学(てつがく)で、医学上(いがくじょう)の書物(しょもつ)は、ただ『医者(ヴラーチ)』と云(い)う一雑誌(ざっし)を取(と)っているのに過(す)ぎぬ。読書(どくしょ)し初(はじ)めるといつも数時間(すうじかん)は続様(つづけさま)に読(よ)むのであるが、少(すこ)しもそれで疲労(つかれ)ぬ。彼(かれ)の書見(しょけん)は、イワン、デミトリチのように神経的(しんけいてき)に、迅速(じんそく)に読(よ)むのではなく、徐(しずか)に眼(め)を通(とお)して、気(き)に入(い)った所(ところ)、了解(りょうかい)し得(え)ぬ所(ところ)は、留(とどま)り留(とどま)りしながら読(よ)んで行(ゆ)く。書物(しょもつ)の側(そば)にはいつもウォッカの壜(びん)を置(お)いて、塩漬(しおづけ)の胡瓜(きゅうり)や、林檎(りんご)が、デスクの羅紗(らしゃ)の布(きれ)の上(うえ)に置(お)いてある。半時間毎(はんじかんごと)位(くらい)に彼(かれ)は書物(しょもつ)から眼(め)を離(はな)さずに、ウォッカを一杯(ぱい)注(つ)いでは呑乾(のみほ)し、そうして矢張(やはり)見(み)ずに胡瓜(きゅうり)を手探(てさぐり)で食(く)い欠(か)ぐ。
 三時(じ)になると彼(かれ)は徐(しずか)に厨房(くりや)の戸(と)に近(ちか)づいて咳払(せきばら)いをして云(い)う。
『ダリュシカ、昼食(ひるめし)でも遣(や)りたいものだな。』
 不味(まず)そうに取揃(とりそろ)えられた昼食(ひるめし)を為(な)し終(お)えると、彼(かれ)は両手(りょうて)を胸(むね)に組(く)んで考(かんが)えながら室内(しつない)を歩(ある)き初(はじ)める。その中(うち)に四時(じ)が鳴(な)る。五時(じ)が鳴(な)る、なお彼(かれ)は考(かんが)えながら歩(ある)いている。すると、時々(ときどき)厨房(くりや)の戸(と)が開(あ)いて、ダリュシカの赤(あか)い寐惚顔(ねぼけがお)が顕(あら)われる。
『旦那様(だんなさま)、もうビールを召上(めしあが)ります時分(じぶん)では御座(ござ)りませんか。』
と、彼女(かれ)は気(き)を揉(も)んで問(と)う。
『いやまだ……もう少(すこ)し待(ま)とう……もう少(すこ)し……。』
と、彼(かれ)は云(い)う。
 晩(ばん)にはいつも郵便局長(ゆうびんきょくちょう)のミハイル、アウエリヤヌイチが遊(あそ)びに来(く)る。アンドレイ、エヒミチに取(と)ってはこの人間(ひと)ばかりが、町中(まちじゅう)で一人(ひとり)気(き)の置(お)けぬ親友(しんゆう)なので。ミハイル、アウエリヤヌイチは元(もと)は富(と)んでいた大地主(おおじぬし)、騎兵隊(きへいたい)に属(ぞく)していた者(もの)、しかるに漸々(だんだん)身代(しんだい)を耗(す)ってしまって、貧乏(びんぼう)し、老年(ろうねん)に成(な)ってから、遂(つい)にこの郵便局(ゆうびんきょく)に入(はい)ったので。至(いた)って元気(げんき)な、壮健(そうけん)な、立派(りっぱ)な白(しろ)い頬鬚(ほおひげ)の、快活(かいかつ)な大声(おおごえ)の、しかも気(き)の善(よ)い、感情(かんじょう)の深(ふか)い人間(にんげん)である。しかしまた極(ご)く腹立易(はらだちッぽ)い男(おとこ)で、誰(だれ)か郵便局(ゆうびんきょく)に来(き)た者(もの)で、反対(はんたい)でもするとか、同意(どうい)でもせぬとか、理屈(りくつ)でも並(なら)べようものなら、真赤(まっか)になって、全身(ぜんしん)を顫(ふる)わして怒立(おこりた)ち、雷(らい)のような声(こえ)で、黙(だま)れ! と一喝(かつ)する。それ故(ゆえ)に郵便局(ゆうびんきょく)に行(ゆ)くのは怖(こわ)いと云(い)うは一般(ぱん)の評判(ひょうばん)。が、彼(かれ)は町(まち)の者(もの)をかく部下(ぶか)のように遇(あつか)うにも拘(かかわ)らず、院長(いんちょう)アンドレイ、エヒミチばかりは、教育(きょういく)があり、かつ高尚(こうしょう)な心(こころ)をもっていると、敬(うやま)いかつ愛(あい)していた。
『やあ、私(わたし)です。』
と、ミハイル、アウエリヤヌイチはいつものようにこう云(い)いながら、アンドレイ、エヒミチの家(いえ)に入(はい)って来(き)た。
 二人(ふたり)は書斎(しょさい)の長椅子(ながいす)に腰(こし)を掛(か)けて、暫時(ざんじ)莨(たばこ)を吹(ふ)かしている。
『ダリュシカ、ビールでも欲(ほ)しいな。』
と、アンドレイ、エヒミチは云(い)う。
 初(はじ)めの壜(びん)は二人共(ふたりとも)無言(むごん)の行(ぎょう)で呑乾(のみほ)してしまう。院長(いんちょう)は考込(かんがえこ)んでいる、ミハイル、アウエリヤヌイチは何(なに)か面白(おもしろ)い話(はなし)をしようとして、愉快(ゆかい)そうになっている。
 話(はなし)はいつも院長(いんちょう)から、初(はじ)まるので。
『何(なん)と残念(ざんねん)なことじゃ無(な)いですかなあ。』
と、アンドレイ、エヒミチは頭(かしら)を振(ふ)りながら、相手(あいて)の眼(め)を見(み)ずに徐々(のろのろ)と話出(はなしだ)す。彼(かれ)は話(はなし)をする時(とき)に人(ひと)の眼(め)を見(み)ぬのが癖(くせ)。
『我々(われわれ)の町(まち)に話(はなし)の面白(おもしろ)い、知識(ちしき)のある人間(にんげん)の皆無(かいむ)なのは、実(じつ)に遺憾(いかん)なことじゃありませんか。これは我々(われわれ)に取(と)って大(おおい)なる不幸(ふこう)です。上流社会(じょうりゅうしゃかい)でも卑劣(ひれつ)なこと以上(いじょう)にはその教育(きょういく)の程度(ていど)は上(のぼ)らんのですから、全(まった)く下等社会(かとうしゃかい)と少(すこ)しも異(ことな)らんのです。』
『それは真実(まったく)です。』と、郵便局長(ゆうびんきょくちょう)は云(い)う。
『君(きみ)も知(し)っていられる通(とお)り。』
と、院長(いんちょう)は静(しずか)な声(こえ)で、また話続(はなしつづ)けるのであった。
『この世(よ)の中(なか)には人間(にんげん)の知識(ちしき)の高尚(こうしょう)な現象(げんしょう)の外(ほか)には、一(ひとつ)として意味(いみ)のある、興味(きょうみ)のあるものは無(な)いのです。人智(じんち)なるものが、動物(どうぶつ)と、人間(にんげん)との間(あいだ)に、大(おおい)なる限界(さかい)をなしておって、人間(にんげん)の霊性(れいせい)を示(しめ)し、或(あ)る程度(ていど)まで、実際(じっさい)に無(な)い所(ところ)の不死(ふし)の換(かわ)りを為(な)しているのです。これに由(よ)って人智(じんち)は、人間(にんげん)の唯一(ゆいいつ)の快楽(かいらく)の泉(いずみ)となつている。しかるに我々(われわれ)は自分(じぶん)の周囲(まわり)に、些(いささか)も知識(ちしき)を見(み)ず、聞(き)かずで、我々(われわれ)はまるで快楽(かいらく)を奪(うば)われているようなものです。勿論(もちろん)我々(われわれ)には書物(しょもつ)がある。しかしこれは活(い)きた話(はなし)とか、交際(こうさい)とかと云(い)うものとはまた別(べつ)で、余(あま)り適切(てきせつ)な例(れい)ではありませんが、例(たと)えば書物(しょもつ)はノタで、談話(だんわ)は唱歌(しょうか)でしょう。』
『それは真実(まったく)です。』と、郵便局長(ゆうびんきょくちょう)は云(い)う。
 二人(ふたり)は黙(だま)る。厨房(くりや)からダリュシカが鈍(にぶ)い浮(う)かぬ顔(かお)で出(で)て来(き)て、片手(かたて)で頬杖(ほおづえ)をして、話(はなし)を聞(き)こうと戸口(とぐち)に立留(たちどま)っている。
『ああ君(きみ)は今(いま)の人間(にんげん)から知識(ちしき)をお望(のぞ)みになるのですか?』
と、ミハイル、アウエリヤヌイチは嘆息(たんそく)して云(い)うた。そうして彼(かれ)は昔(むかし)の生活(せいかつ)が健全(けんぜん)で、愉快(ゆかい)で、興味(きょうみ)のあったこと、その頃(ころ)の上流社会(じょうりゅうしゃかい)には知識(ちしき)があったとか、またその社会(しゃかい)では廉直(れんちょく)、友誼(ゆうぎ)を非常(ひじょう)に重(おも)んじていたとか、証文(しょうもん)なしで銭(ぜに)を貸(か)したとか、貧窮(ひんきゅう)な友人(ゆうじん)に扶助(たすけ)を与(あた)えぬのを恥(はじ)としていたとか、愉快(ゆかい)な行軍(こうぐん)や、戦争(せんそう)などのあったこと、面白(おもしろ)い人間(にんげん)、面白(おもしろ)い婦人(ふじん)のあったこと、また高加索(カフカズ)と云(い)う所(ところ)は実(じつ)にいい土地(とち)で、或(あ)る騎兵大隊長(きへいだいたいちょう)の夫人(ふじん)に変者(かわりもの)があって、いつでも身(み)に士官(しかん)の服(ふく)を着(つ)けて、夜(よる)になると一人(ひとり)で、カフカズの山中(さんちゅう)を案内者(あんないしゃ)もなく騎馬(きば)で行(ゆ)く。話(はなし)に聞(き)くと、何(なん)でも韃靼人(だったんじん)の村(むら)に、その夫人(ふじん)と、土地(とち)の某公爵(ぼうこうしゃく)との間(あいだ)に小説(しょうせつ)があったとのことだ、とかと。
『へへえ。』
と、ダリュシカは感心(かんしん)して聞(き)いている。
『そうしてよく呑(の)み、よく食(く)ったものだ。また非常(ひじょう)な自由主義(じゆうしゅぎ)の人間(にんげん)などもあったッけ。』
 アンドレイ、エヒミチは聞(き)いてはいたが、耳(みみ)にも留(とま)らぬ風(ふう)で、何(なに)かを考(かんが)えながら、ビールをチビリチビリと呑(の)んでいる。
『私(わたし)はどうかすると知識(ちしき)のある秀才(しゅうさい)と話(はなし)をしていることを夢(ゆめ)に見(み)ることがあります。』
と、院長(いんちょう)は突然(だしぬけ)にミハイル、アウエリヤヌイチの言(ことば)を遮(さえぎ)って言(い)うた。
『私(わたし)の父(ちち)は私(わたし)に立派(りっぱ)な教育(きょういく)を与(あた)えたです、しかし六十年代(ねんだい)の思想(しそう)の影響(えいきょう)で、私(わたし)を医者(いしゃ)としてしまったが、私(わたし)がもしその時(とき)に父(ちち)の言(い)う通(とお)りにならなかったなら、今頃(いまごろ)は現代思潮(げんだいしちょう)の中心(ちゅうしん)となっていたであろうと思(おも)われます。その時(とき)にはきっと大学(だいがく)の分科(ぶんか)の教授(きょうじゅ)にでもなっていたのでしょう。無論(むろん)知識(ちしき)なるものは、永久(えいきゅう)のものでは無(な)く、変遷(へんせん)して行(ゆ)くものですが、しかし生活(せいかつ)と云(い)うものは、忌々(いまいま)しい輪索(わな)です。思想(しそう)の人間(にんげん)が成熟(せいじゅく)の期(き)に達(たっ)して、その思想(しそう)が発展(はってん)される時(とき)になると、その人間(にんげん)は自然(しぜん)自分(じぶん)がもうすでにこの輪索(わな)に掛(かか)っている遁(のが)れる路(みち)の無(な)くなっているのを感(かん)じます。実際(じっさい)人間(にんげん)は自分(じぶん)の意旨(いし)に反(はん)して、或(あるい)は偶然(ぐうぜん)なことの為(ため)に、無(む)から生活(せいかつ)に喚出(よびだ)されたものであるのです……。』
『それは真実(まったく)です。』
と、ミハイル、アウエリヤヌイチは云(い)う。
 アンドレイ、エヒミチはやはり相手(あいて)の顔(かお)を見(み)ずに、知識(ちしき)ある者(もの)の話(はなし)ばかりを続(つづ)ける、ミハイル、アウエリヤヌイチは注意(ちゅうい)して聴(き)いていながら『それは真実(まったく)です。』と、そればかりを繰返(くりかえ)していた。
『しかし君(きみ)は霊魂(れいこん)の不死(ふし)を信(しん)じなさらんのですか?』
と、俄(にわか)にミハイル、アウエリヤヌイチは問(と)う。
『いや、ミハイル、アウエリヤヌイチ、信(しん)じません、信(しん)じる理由(りゆう)が無(な)いのです。』と、院長(いんちょう)は云(い)う。
『実(じつ)を申(もう)すと私(わたし)も疑(うたが)っているのです。しかしもっとも、私(わたくし)は或時(あるとき)は死(し)なん者(もの)のような感(かんじ)もするですがな。それは時時(ときどき)こう思(おも)うことがあるです。
 こんな老朽(ろうきゅう)な体(からだ)は死(し)んでもいい時分(じぶん)だ、とそう思(おも)うと、忽(たちま)ちまた何(なん)やら心(こころ)の底(そこ)で声(こえ)がする、気遣(きづか)うな、死(し)ぬことは無(な)いと云(い)っているような。』
 九時(じ)少(すこ)し過(す)ぎ、ミハイル、アウエリヤヌイチは帰(かえ)らんとて立上(たちあが)り、玄関(げんかん)で毛皮(けがわ)の外套(がいとう)を引掛(ひっか)けながら溜息(ためいき)して云(い)うた。
『しかし我々(われわれ)は随分酷(ずいぶんひど)い田舎(いなか)に引込(ひっこ)んだものさ、残念(ざんねん)なのは、こんな処(ところ)で往生(おうじょう)をするのかと思(おも)うと、ああ……。』

 親友(しんゆう)を送出(おくりだ)して、アンドレイ、エヒミチはまた読書(どくしょ)を初(はじ)めるのであった。夜(よる)は静(しずか)で何(なん)の音(おと)もせぬ。時(とき)は留(とどま)って院長(いんちょう)と共(とも)に書物(しょもつ)の上(うえ)に途絶(とだ)えてしまったかのよう。この書物(しょもつ)と、青(あお)い傘(かさ)を掛(か)けたランプとの外(ほか)には、世(よ)にまた何物(なにもの)もあらぬかと思(おも)わるる静(しず)けさ。院長(いんちょう)の可畏(むくつけ)き、無人相(ぶにんそう)の顔(かお)は、人智(じんち)の開発(かいはつ)に感(かん)ずるに従(したが)って、段々(だんだん)と和(やわら)ぎ、微笑(びしょう)をさえ浮(うか)べて来(き)た。
『ああ、どうして、人(ひと)は不死(ふし)の者(もの)では無(な)いか。』
と、彼(かれ)は考(かんが)えている。『脳髄(のうずい)や、視官(しかん)、言語(げんご)、自覚(じかく)、天才(てんさい)などは、終(つい)には皆(みな)土中(どちゅう)に入(はい)ってしまって、やがて地殻(ちかく)と共(とも)に冷却(れいきゃく)し、何百万年(なんびゃくまんねん)と云(い)う長(なが)い間(あいだ)、地球(ちきゅう)と一所(しょ)に意味(いみ)もなく、目的(もくてき)も無(な)く廻(まわ)り行(ゆ)くようになるとなれば、何(なん)の為(ため)にこんな物(もの)があるのか……。』冷却(れいきゃく)して後(のち)、飛散(ひさん)するとすれば、高尚(こうしょう)なる殆(ほとん)ど神(かみ)の如(ごと)き智力(ちりょく)を備(そな)えたる人間(にんげん)を、虚無(きょむ)より造出(つくりだ)すの必要(ひつよう)はない。そうして恰(あたか)も嘲(あざけ)るが如(ごと)くに、また人(ひと)を粘土(ねんど)に化(か)する必要(ひつよう)は無(な)い。ああ物質(ぶっしつ)の新陳代謝(しんちんたいしゃ)よ。しかしながら不死(ふし)の代替(だいたい)を以(もっ)て、自分(じぶん)を慰(なぐさ)むると云(い)うことは臆病(おくびょう)ではなかろうか。自然(しぜん)において起(おこ)る所(ところ)の無意識(むいしき)なる作用(さよう)は、人間(にんげん)の無智(むち)にも劣(おと)っている。何(なん)となれば、無智(むち)には幾分(いくぶん)か、意識(いしき)と意旨(いし)とがある。が、作用(さよう)には何(なに)もない。死(し)に対(たい)して恐怖(きょうふ)を抱(いだ)く臆病者(おくびょうもの)は、左(さ)のことを以(もっ)て自分(じぶん)を慰(なぐさ)めることが出来(でき)る。即(すなわ)ち彼(か)の体(たい)を将来(しょうらい)、草(くさ)、石(いし)、蟇(ひきがえる)の中(うち)に入(い)って、生活(せいかつ)すると云(い)うことを以(もっ)て慰(なぐさ)むることが出来(でき)る。
『それとも物質(ぶっしつ)の変換(へんかん)……物質(ぶっしつ)の変換(へんかん)を認(みと)めて、直(すぐ)に人間(にんげん)の不死(ふし)と為(な)すと云(い)うのは、恰(あだか)も高価(こうか)なヴァイオリンが破(こわ)れた後(あと)で、その明箱(あきばこ)が換(かわ)って立派(りっぱ)な物(もの)となると同(おな)じように、誠(まこと)に訳(わけ)の解(わか)らぬことである。』
 時計(とけい)が鳴(な)る。アンドレイ、エヒミチは椅子(いす)の倚掛(よりかかり)に身(み)を投(な)げて、眼(め)を閉(と)じて考(かんが)える。そうして今(いま)読(よ)んだ書物(しょもつ)の中(うち)の面白(おもしろ)い影響(えいきょう)で、自分(じぶん)の過去(かこ)と、現在(げんざい)とに思(おもい)を及(およぼ)すのであった。
『過去(かこ)は思出(おもいだ)すのもいやだ、と云(い)って、現在(げんざい)もまた過去(かこ)と同様(どうよう)ではないか。』
と、彼(かれ)はそれから患者等(かんじゃら)のこと、不潔(ふけつ)な病室(びょうしつ)の中(うち)に苦(くる)しんでいること、などを思(おも)い起(おこ)す。『まだ眠(ねむ)らないで南京虫(なんきんむし)と戦(たたか)っている者(もの)もあろう、或(あるい)は強(つよ)く繃帯(ほうたい)を締(し)められて悩(なや)んで呻(うな)っている者(もの)もあろう、また或(あ)る患者等(かんじゃら)は看護婦(かんごふ)を相手(あいて)に骨牌遊(かるたあそび)をしている者(もの)もあろう、或(あるい)はヴォッカを呑(の)んでいる者(もの)もあろう、病院(びょういん)の事業(じぎょう)は総(すべ)て二十年前(ねんまえ)と少(すこ)しも変(かわ)らぬ。窃盗(せっとう)、姦淫(かんいん)、詐欺(さぎ)の上(うえ)に立(た)てられているのだ。であるから、病院(びょういん)は依然(いぜん)として、町(まち)の住民(じゅうみん)の健康(けんこう)には有害(ゆうがい)で、かつ不徳義(ふとくぎ)なものである。』
と、彼(かれ)は思(おも)い来(きた)り、更(さら)にまた彼(か)の六号室(ごうしつ)の鉄格子(てつごうし)の中(なか)で、ニキタが患者等(かんじゃら)を打殴(なぐ)っていること、モイセイカが町(まち)に行(い)っては、施(ほどこし)を請(こ)うている姿(すがた)などを思(おも)い出(だ)す。
 それよりまた彼(かれ)は医学(いがく)のこの近(ちか)き二十五年間(ねんかん)において、如何(いか)に長足(ちょうそく)の進歩(しんぽ)を為(な)したかと云(い)うことを考(かんが)え初(はじ)める。
『自分(じぶん)が大学(だいがく)にいた時分(じぶん)は、医学(いがく)もやはり、錬金術(れんきんじゅつ)や、形而上学(けいじじょうがく)などと同(おな)じ運命(うんめい)に至(いた)るものと思(おも)うていたが、実(じつ)に驚(おどろ)く可(べ)き進歩(しんぽ)である。大革命(だいかくめい)とも名(なづ)けられる位(くらい)だ、防腐法(ぼうふほう)の発明(はつめい)によって、大家(たいか)のピロウゴフさえも、到底(とうてい)出来得(できう)べからざることを認(みとめ)ていた手術(しゅじゅつ)が、容易(たやす)く遣(や)られるようにはなった。今(いま)では腹部截開(ふくぶせっかい)の百度(たび)の中(うち)、死(し)を見(み)ることは一度位(どぐらい)なものである。梅毒(ばいどく)も根治(こんじ)される、その他(た)遺伝論(いでんろん)、催眠術(さいみんじゅつ)、パステルや、コッホなどの発見(はっけん)、衛生学(えいせいがく)、統計学(とうけいがく)などはどうであろう……。』
 我々(われわれ)ロシヤの地方団体(ちほうだんたい)の医術(いじゅつ)はどうであろうか、まず精神病(せいしんびょう)に就(つ)いて云(い)うならば、現今(げんこん)の病気(びょうき)の類別法(るいべつほう)、診断(しんだん)、治療(ちりょう)の方法(ほうほう)、共(とも)に皆(みな)これを過去(かこ)の精神病学(せいしんびょうがく)と比較(ひかく)するならば、その差(さ)はエリボルスの山(やま)の如(ごと)き高大(こうだい)なるものである。現今(げんこん)では精神病者(せいしんびょうしゃ)の治療(ちりょう)に冷水(れいすい)を注(そそ)がぬ、蒸暑(むしあつ)きシャツを被(き)せぬ、そうして人間的(にんげんてき)に彼等(かれら)を取扱(とりあつか)う、即(すなわ)ち新聞(しんぶん)に記載(きさい)する通(とお)り、彼等(かれら)の為(ため)に、演劇(えんげき)、舞蹈(ぶとう)を催(もよお)す。
 彼(かれ)はまたかく思考(かんが)えた。
 現時(げんじ)の見解(けんかい)及(およ)び趣味(しゅみ)を見(み)るに、六号室(ごうしつ)の如(ごと)きは、誠(まこと)に見(み)るに忍(しの)びざる、厭悪(えんお)に堪(た)えざるものである。かかる病室(びょうしつ)は、鉄道(てつどう)を去(さ)ること、二百露里(ヴェルスタ)のこの小都会(しょうとかい)においてのみ見(み)るのである。即(すなわ)ちここの市長(しちょう)並(ならび)に町会議員(ちょうかいぎいん)は皆(みな)生物知(なまものし)りの町人(ちょうにん)である、であるから医師(いし)を見(み)ることは神官(しんかん)の如(ごと)く、その言(い)う所(ところ)を批評(ひひょう)せずして信(しん)じている。例(たと)えば、溶解(ようかい)せる鉛(なまり)を口(くち)に入(い)るるとも、少(すこ)しも不思議(ふしぎ)には思(おも)わぬであろう。が、もしこれが他(た)の所(ところ)においてはどうであろうか、公衆(こうしゅう)と、新聞紙(しんぶんし)とは必(かなら)ずかくの如(ごと)き監獄(バステリヤ)は、とうに寸断(すんだん)にしてしまったであろう。
『しかしそれがどうである。』
と、彼(かれ)はパッと眼(め)を開(ひら)いて自(みずか)ら問(と)うた。
『防腐法(ぼうふほう)だとか、コッホだとか、パステルだとか云(い)ったって、実際(じっさい)においては世(よ)の中(なか)は少(すこ)しもこれまでと変(かわ)らないでは無(な)いか、病気(びょうき)の数(すう)も、死亡(しぼう)の数(すう)も、瘋癲患者(ふうてんかんじゃ)の為(ため)だと云(い)って、舞踏会(ぶとうかい)やら、演芸会(えんげいかい)やらが催(もよお)されるが、しかし彼等(かれら)をして全(まった)く開放(かいほう)することは出来(でき)ないでは無(な)いか。して見(み)れば、何(なん)でも皆(みな)空(むな)しいことだ、ヴィンナの完全(かんぜん)な大学病院(だいがくびょういん)でも、我々(われわれ)のこの病院(びょういん)と少(すこ)しも差別(さべつ)は無(な)いのだ。
 しかし俺(おれ)は有害(ゆうがい)なことに務(つと)めてると云(い)うものだ、自分(じぶん)の欺(あざむ)いている人間(にんげん)から給料(きゅうりょう)を貪(むさぼ)っている、不正直(ふしょうじき)だ、けれども俺(おれ)その者(もの)は至(いた)って微々(びび)たるもので、社会(しゃかい)の必然(ひつぜん)の悪(あく)の一分子(ぶんし)に過(す)ぎぬ、総(すべ)て町(まち)や、郡(ぐん)の官吏共(かんりども)でも皆(みな)詰(つま)り無用(むよう)の長物(ちょうぶつ)だ。ただ給料(きゅうりょう)を貪(むさぼ)っているに過(す)ぎん……そうして見(み)れば不正直(ふしょうじき)の罪(つみ)は、敢(あえ)て自分(じぶん)ばかりじゃ無(な)い、時勢(じせい)にあるのだ、もう二百年(ねん)も晩(おそ)く自分(じぶん)が生(うま)れたなら、まるで別(べつ)の人間(にんげん)であったかも知(し)れぬ。』
 三時(じ)が鳴(な)る、彼(かれ)はランプを消(け)して寐室(ねべや)に行(い)った。が、どうしても睡眠(ねむり)に就(つ)くことは出来(でき)ぬのであった。

 二年(ねん)このかた、地方自治体(ちほうじちたい)はようよう饒(ゆたか)になったので、その管下(かんか)に病院(びょういん)の設立(たて)られるまで、年々(ねんねん)三百円(えん)ずつをこの町立病院(ちょうりつびょういん)に補助金(ほじょきん)として出(だ)すこととなり、病院(びょういん)ではそれが為(ため)に医員(いいん)を一人(ひとり)増(ま)すことと定(さだ)められた。で、アンドレイ、エヒミチの補助手(ほじょしゅ)として、軍医(ぐんい)のエウゲニイ、フェオドロイチ、ハバトフというが、この町(まち)に聘(へい)せられた。その人(ひと)はまだ三十歳(さい)に足(た)らぬ若(わか)い男(おとこ)で、頬骨(ほおぼね)の広(ひろ)い、眼(め)の小(ちい)さい、ブルネト、その祖先(そせん)は外国人(がいこくじん)であったかのようにも見(み)える、彼(かれ)が町(まち)に来(き)た時(とき)は、銭(ぜに)と云(い)ったら一文(もん)もなく、小(ちい)さい鞄(かばん)只(ただ)一個(ひとつ)と、下女(げじょ)と徇(ふ)れていた醜女(みにくいおんな)ばかりを伴(ともな)うて来(き)たので、そうしてこの女(おんな)には乳呑児(ちのみご)があった。彼(かれ)は常(つね)に廂(ひさし)の附(つ)いた丸帽(まるぼう)を被(かぶ)って、深(ふか)い長靴(ながぐつ)を穿(は)き冬(ふゆ)には毛皮(けがわ)の外套(がいとう)を着(き)て外(そと)を歩(ある)く。病院(びょういん)に来(き)てより間(ま)もなく、代診(だいしん)のセルゲイ、セルゲイチとも、会計(かいけい)とも、直(す)ぐに親密(しんみつ)になったのである。下宿(げしゅく)には書物(しょもつ)はただ一冊(さつ)『千八百八十一年度(ねんど)ヴィンナ大学病院(だいがくびょういん)最近(さいきん)処方(しょほう)』と題(だい)するもので、彼(かれ)は患者(かんじゃ)の所(ところ)へ行(ゆ)く時(とき)には必(かなら)ずそれを携(たずさ)える。晩(ばん)になると倶楽部(くらぶ)に行(い)っては玉突(たまつき)をして遊(あそ)ぶ、骨牌(かるた)は余(あま)り好(この)まぬ方(ほう)、そうして何時(いつ)もお極(きま)りの文句(もんく)をよく云(い)う人間(にんげん)。
 病院(びょういん)には一週(しゅう)に二度(ど)ずつ通(かよ)って、外来患者(がいらいかんじゃ)を診察(しんさつ)したり、各病室(かくびょうしつ)を廻(まわ)ったりしていたが、防腐法(ぼうふほう)のここでは全(まった)く行(おこな)われぬこと、呼血器(きゅうけつき)のことなどに就(つ)いて、彼(かれ)は頗(すこぶ)る異議(いぎ)をもっていたが、それと打付(うちつ)けて云(い)うのも、院長(いんちょう)に恥(はじ)を掻(か)かせるようなものと、何(なん)とも云(い)わずにはいたが、同僚(どうりょう)の院長(いんちょう)アンドレイ、エヒミチを心秘(こころひそか)に、老込(おいこみ)の怠惰者(なまけもの)として、奴(やつ)、金(かね)ばかり溜込(ためこ)んでいると羨(うらや)んでいた。そうしてその後任(こうにん)を自分(じぶん)で引受(ひきう)けたく思(おも)うていた。

 三月(がつ)の末(すえ)つ方(かた)、消(き)えがてなりし雪(ゆき)も、次第(しだい)に跡(あと)なく融(と)けた或夜(あるよ)、病院(びょういん)の庭(にわ)には椋鳥(むくどり)が切(しき)りに鳴(な)いてた折(おり)しも、院長(いんちょう)は親友(しんゆう)の郵便局長(ゆうびんきょくちょう)の立帰(たちか)えるのを、門(もん)まで見送(みおく)らんと室(しつ)を出(で)た。丁度(ちょうど)その時(とき)、庭(にわ)に入(はい)って来(き)たのは、今(いま)しも町(まち)を漁(あさ)って来(き)た猶太人(ジウ)のモイセイカ、帽(ぼう)も被(かぶ)らず、跣足(はだし)に浅(あさ)い上靴(うわぐつ)を突掛(つッか)けたまま、手(て)には施(ほどこし)の小(ちい)さい袋(ふくろ)を提(さ)げて。
『一銭(せん)おくんなさい!』
と、モイセイカは寒(さむ)さに顫(ふる)えながら、院長(いんちょう)を見(み)て微笑(びしょう)する。
 辞(じ)することの出来(でき)ぬ院長(いんちょう)は、隠(かくし)から十銭(せん)を出(だ)して彼(かれ)に遣(や)る。
『これはよくない』と、院長(いんちょう)はモイセイカの瘠(や)せた赤(あか)い跣足(はだし)の踝(くるぶし)を見(み)て思(おも)うた。
『路(みち)は泥濘(ぬか)っていると云(い)うのに。』
 院長(いんちょう)は不覚(そぞろ)に哀(あわ)れにも、また不気味(ぶきみ)にも感(かん)じて、猶太人(ジウ)の後(あと)に尾(つ)いて、その禿頭(はげあたま)だの、足(あし)の踝(くるぶし)などを※(「目+旬」、第3水準1-88-80)(みまわ)しながら、別室(べっしつ)まで行(い)った。小使(こづかい)のニキタは相(あい)も変(かわ)らず、雑具(がらくた)の塚(つか)の上(うえ)に転(ころが)っていたのであるが、院長(いんちょう)の入(はい)って来(き)たのに吃驚(びっくり)して跳起(はねお)きた。
『ニキタ、今日(こんにち)は。』
と、院長(いんちょう)は柔(やさ)しく彼(かれ)に挨拶(あいさつ)して。
『この猶太人(ジウ)に靴(くつ)でも与(あた)えたらどうだ、そうでもせんと風邪(かぜ)を引(ひ)く。』
『はッ、拝承(かしこ)まりまして御坐(ござ)りまする。直(すぐ)に会計(かいけい)にそう申(もう)しまして。』
『そうして下(くだ)さい、お前(まえ)は会計(かいけい)に私(わたし)がそう云(い)ったと云(い)ってくれ。』
 玄関(げんかん)から病室(びょうしつ)へ通(かよ)う戸(と)は開(ひら)かれていた。イワン、デミトリチは寐台(ねだい)の上(うえ)に横(よこ)になって、肘(ひじ)を突(つ)いて、さも心配(しんぱい)そうに、人声(ひとごえ)がするので此方(こなた)を見(み)て耳(みみ)を欹(そばだ)てている。と、急(きゅう)に来(き)た人(ひと)の院長(いんちょう)だと解(わか)ったので、彼(かれ)は全身(ぜんしん)を怒(いかり)に顫(ふる)わして、寐床(ねどこ)から飛上(とびあが)り、真赤(まっか)になって、激怒(げきど)して、病室(びょうしつ)の真中(まんなか)に走(はし)り出(で)て突立(つった)った。
『やあ、院長(いんちょう)が来(き)たぞ!』
 イワン、デミトリチは高(たか)く※(さけ)[#「口+斗」、U+544C、47-上-10]んで、笑(わら)い出(だ)す。
『来(き)た来(き)た! 諸君(しょくん)お目出(めで)とう、院長閣下(いんちょうかっか)が我々(われわれ)を訪問(ほうもん)せられた! こン畜生(ちくしょう)め!』
と、彼(かれ)は声(こえ)を甲走(かんばし)らして、地鞴踏(じだんだふ)んで、同室(どうしつ)の者等(ものら)のいまだかつて見(み)ぬ騒方(さわぎかた)。
『こん畜生(ちくしょう)! やい殴殺(ぶちころ)してしまえ! 殺(ころ)しても足(た)るものか、便所(べんじょ)にでも敲込(たたきこ)め!』
 院長(いんちょう)のアンドレイ、エヒミチは玄関(げんかん)の間(ま)から病室(びょうしつ)の内(なか)を覗込(のぞきこ)んで、物柔(ものやわ)らかに問(と)うのであった。
『何故(なぜ)ですね?』
『何故(なぜ)だと。』と、イワン、デミトリチは嚇(おど)すような気味(きみ)で、院長(いんちょう)の方(ほう)に近寄(ちかよ)り、顫(ふる)う手(て)に病院服(びょういんふく)の前(まえ)を合(あわ)せながら。
『何故(なぜ)かも無(な)いものだ! この盗人(ぬすびと)め!』
 彼(かれ)は悪々(にくにく)しそうに唾(つば)でも吐(は)っ掛(か)けるような口付(くちつ)きをして。
『この山師(やまし)! 人殺(ひとごろし)!』
『まあ、落着(おちつ)きなさい。』
と、アンドレイ、エヒミチは悪(わ)るかったと云(い)うような顔付(かおつき)で云(い)う。
『よくお聴(き)きなさい、私(わたし)はまだ何(なん)にも盗(ぬす)んだこともなし、貴方(あなた)に何(なに)も致(いた)したことは無(な)いのです。貴方(あなた)は何(なに)か間違(まちが)ってお出(いで)なのでしょう、酷(ひど)く私(わたし)を怒(おこ)っていなさるようだが、まあ落着(おちつ)いて、静(しず)かに、そうして何(なに)を立腹(りっぷく)していなさるのか、有仰(おっしゃ)ったらいいでしょう。』
『だが何(なん)の為(ため)に貴下(あなた)は私(わたし)をこんなところに入(い)れて置(お)くのです?』
『それは貴君(あなた)が病人(びょうにん)だからです。』
『はあ、病人(びょうにん)、しかし何(なん)百人(にん)と云(い)う狂人(きょうじん)が自由(じゆう)にそこら辺(へん)を歩(ある)いているではないですか、それは貴方々(あなたがた)の無学(むがく)なるに由(よ)って、狂人(きょうじん)と、健康(けんこう)なる者(もの)との区別(くべつ)が出来(でき)んのです。何(なん)の為(ため)に私(わたし)だの、そらここにいるこの不幸(ふこう)な人達(ひとたち)ばかりが恰(あだか)も献祭(けんさい)の山羊(やぎ)の如(ごと)くに、衆(しゅう)の為(ため)にここに入(い)れられていねばならんのか。貴方(あなた)を初(はじ)め、代診(だいしん)、会計(かいけい)、それから、総(すべ)てこの貴方(あなた)の病院(びょういん)にいる奴等(やつら)は、実(じつ)に怪(け)しからん、徳義上(とくぎじょう)においては我々共(われわれども)より遙(はるか)に劣等(れっとう)だ、何(なん)の為(ため)に我々(われわれ)ばかりがここに入(い)れられておって、貴方々(あなたがた)はそうで無(な)いのか、どこにそんな論理(ろんり)があります?』
『徳義上(とくぎじょう)だとか、論理(ろんり)だとか、そんなことは何(なに)もありません。ただ場合(ばあい)です。即(すなわ)ちここに入(い)れられた者(もの)は入(はい)っているのであるし、入(い)れられん者(もの)は自由(じゆう)に出歩(である)いている、それだけのことです。私(わたし)が医者(いしゃ)で、貴方(あなた)が精神病者(せいしんびょうしゃ)であると云(い)うことにおいて、徳義(とくぎ)も無(な)ければ、論理(ろんり)も無(な)いのです。詰(つま)り偶然(ぐうぜん)の場合(ばあい)のみです。』
『そんな屁理窟(へりくつ)は解(わか)らん。』
と、イワン、デミトリチは小声(こごえ)で云(い)って、自分(じぶん)の寐台(ねだい)の上(うえ)に坐(すわ)り込(こ)む。
 モイセイカは今日(きょう)は院長(いんちょう)のいる為(ため)に、ニキタが遠慮(えんりょ)して何(なに)も取返(とりかえ)さぬので、貰(もら)って来(き)た雑物(ぞうもつ)を、自分(じぶん)の寝台(ねだい)の上(うえ)に洗(あら)い浚(ざら)い広(ひろ)げて、一つ一つ並(なら)べ初(はじ)める。パンの破片(かけら)、紙屑(かみくず)、牛(うし)の骨(ほね)など、そうして寒(さむさ)に顫(ふる)えながら、猶太語(エヴレイご)で、早言(はやこと)に歌(うた)うように喋(しゃべ)り出(だ)す、大方(おおかた)開店(かいてん)でもした気取(きどり)で何(なに)かを吹聴(ふいちょう)しているのであろう。
『私(わたし)をここから出(だ)して下(くだ)さい。』と、イワン、デミトリチは声(こえ)を顫(ふる)わして云(い)う。
『それは出来(でき)ません。』
『どう云(い)う訳(わけ)で。それを聞(き)きましょう。』
『それは私(わたし)の権内(けんない)に無(な)いことなのです。まあ、考(かんが)えて御覧(ごらん)なさい、私(わたし)が仮(かり)に貴方(あなた)をここから出(だし)たとして、どんな利益(りえき)がありますか。まず出(で)て御覧(ごらん)なさい、町(まち)の者(もの)か、警察(けいさつ)かがまた貴方(あなた)を捉(とら)えて連(つ)れて参(まい)りましょう。』
『左様(さよう)さ左様(さよう)さそれはそうだ。』と、イワン、デミトリチは額(ひたい)の汗(あせ)を拭(ふ)く、『それはそうだ、しかし私(わたし)はどうしたらよかろう。』
 アンドレイ、エヒミチはイワン、デミトリチの顔付(かおつき)、眼色(めいろ)などを酷(ひど)く気(き)に入(い)って、どうかしてこの若者(わかもの)を手懐(てなず)けて、落着(おちつ)かせようと思(おも)うたので、その寐台(ねだい)の上(うえ)に腰(こし)を下(おろ)し、ちょっと考(かんが)えて、さて言出(いいだ)す。
『貴方(あなた)はどうしたらよかろうと有仰(おっしゃ)るが。貴方(あなた)の位置(いち)をよくするのには、ここから逃出(にげだ)す一方(ぽう)です。しかしそれは残念(ざんねん)ながら無益(むえき)に帰(き)するので、貴方(あなた)は到底(とうてい)捉(とら)えられずにはおらんです。社会(しゃかい)が犯罪人(はんざいにん)や、精神病者(せいしんびょうしゃ)や、総(すべ)て自分等(じぶんら)に都合(つごう)の悪(わる)い人間(にんげん)に対(たい)して、自衛(じえい)を為(な)すのには、どうしたって勝(か)つことは出来(でき)ません。で、貴方(あなた)の為(な)すべき所(ところ)は一つです。即(すなわ)ちここにいることが必要(ひつよう)であると考(かんが)えて、安心(あんしん)をしているのみです。』
『いや、誰(たれ)にもここは必要(ひつよう)じゃありません。』
『しかしすでに監獄(かんごく)だとか、瘋癲病院(ふうてんびょういん)だとかの存在(そんざい)する以上(いじょう)は、誰(たれ)かその中(うち)に入(はい)っていねばなりません、貴方(あなた)でなければ、私(わたくし)、でなければ、他(ほか)の者(もの)が。まあお待(ま)ちなさい、左様(さよう)今(いま)に遙(はる)か遠(とお)き未来(みらい)に、監獄(かんごく)だの、瘋癲病院(ふうてんびょういん)の全廃(ぜんぱい)された暁(あかつき)には、即(すなわ)ちこの窓(まど)の鉄格子(てつごうし)も、この病院服(びょういんふく)も、全(まった)く無用(むよう)になってしまいましょう、無論(むろん)、そう云(い)う時(とき)は早晩(そうばん)来(き)ましょう。』
 イワン、デミトリチはニヤリと冷笑(わら)った。
『そうでしょう。』と、彼(かれ)は眼(め)を細(ほそ)めて云(い)うた。『貴方(あなた)だの、貴方(あなた)の補助者(ほじょしゃ)のニキタなどのような、そう云(い)う人間(にんげん)には、未来(みらい)などは何(なん)の要(よう)も無(な)い訳(わけ)です。で、貴方(あなた)はよい時代(じだい)が来(こ)ようと済(すま)してもいられるでしょうが、いや、私(わたくし)の言(い)うことは卑(いやし)いかも知(し)れません、笑止(おか)しければお笑(わら)い下(くだ)さい。しかしです、新生活(しんせいかつ)の暁(あかつき)は輝(かがや)いて、正義(せいぎ)が勝(かち)を制(せい)するようになれば、我々(われわれ)の町(まち)でも大(おおい)に祭(まつり)をして喜(よろこ)び祝(いわ)いましょう。が、私(わたし)はそれまでは待(ま)たれません、その時分(じぶん)にはもう死(し)んでしまいます。誰(たれ)かの子(こ)か孫(まご)かは、遂(つい)にその時代(じだい)に遇(あ)いましょう。私(わたくし)は誠心(まごころ)を以(もっ)て彼等(かれら)を祝(しゅく)します、彼等(かれら)の為(ため)に喜(よろこ)びます! 進(すす)め! 我(わ)が同胞(どうぼう)! 神(かみ)は君等(きみら)に助(たすけ)を給(たま)わん!』と、イワン、デミトリチは眼(め)を輝(かがや)かして立上(たちあが)り、窓(まど)の方(ほう)に手(て)を伸(のば)して云(い)うた。
『この格子(こうし)の中(うち)より君等(きみら)を祝福(しゅくふく)せん、正義(せいぎ)万歳(ばんざい)! 正義(せいぎ)万歳(ばんざい)!』
『何(なに)をそんなに喜(よろこ)ぶのか私(わたくし)には訳(わけ)が分(わか)りません。』と、院長(いんちょう)はイワン、デミトリチの様子(ようす)がまるで芝居(しばい)のようだと思(おも)いながら、またその風(ふう)が酷(ひど)く気(き)に入(い)って云(い)うた。
『成程(なるほど)、時(とき)が来(く)れば監獄(かんごく)や、瘋癲病院(ふうてんびょういん)は廃(はい)されて、正義(せいぎ)は貴方(あなた)の有仰(おっしゃ)る通(とお)り勝(かち)を占(し)めるでしょう、しかし生活(せいかつ)の実際(じっさい)がそれで変(かわ)るものではありません。自然(しぜん)の法則(ほうそく)は依然(いぜん)として元(もと)のままです、人々(ひとびと)はやはり今日(こんにち)の如(ごと)く病(や)み、老(お)い、死(し)するのでしょう、どんな立派(りっぱ)な生活(せいかつ)の暁(あかつき)が顕(あら)われたとしても、つまり人間(にんげん)は棺桶(かんおけ)に打込(うちこ)まれて、穴(あな)の中(なか)に投(とう)じられてしまうのです。』
『では来世(らいせい)は。』
『何(なに)、来世(らいせい)。戯談(じょうだん)を云(い)っちゃいけません。』
『貴方(あなた)は信(しん)じなさらんと見(み)えるが私(わたし)は信(しん)じてます。ドストエフスキイの中(うち)か、ウォルテルの中(うち)かに、小説中(しょうせつちゅう)の人物(じんぶつ)が云(い)ってることがあります、もし神(かみ)が無(な)かったとしたら、その時(とき)は人(ひと)が神(かみ)を考(かんが)え出(だ)そう。で、私(わたくし)は堅(かた)く信(しん)じています。もし来世(らいせい)が無(な)いとしたならば、その時(とき)は大(おお)いなる人間(にんげん)の智慧(ちえ)なるものが、早晩(そうばん)これを発明(はつめい)しましょう。』
『フウム、旨(うま)く言(い)った。』
と、アンドレイ、エヒミチはいと満足気(まんぞくげ)に微笑(びしょう)して。
『貴方(あなた)はそう信(しん)じていなさるから結構(けっこう)だ。そう云(い)う信仰(しんこう)がありさえすれば、たとい壁(かべ)の中(なか)に塗込(ぬりこ)まれたって、歌(うた)を歌(うた)いながら生活(せいかつ)して行(ゆ)かれます。貴方(あなた)は失礼(しつれい)ながらどこで教育(きょういく)をお受(う)けになったか?』
『私(わたくし)は大学(だいがく)でです、しかし卒業(そつぎょう)せずに終(しま)いました。』
『貴方(あなた)は思想家(しそうか)で考深(かんがえぶか)い方(かた)です。貴方(あなた)のような人(ひと)はどんな場所(ばしょ)にいても、自身(じしん)において安心(あんしん)を求(もと)めることが出来(でき)ます。人生(じんせい)の解悟(かいご)に向(むか)っておる自由(じゆう)なる深(ふか)き思想(しそう)と、この世(よ)の愚(おろか)なる騒(さわぎ)に対(たい)する全然(ぜんぜん)の軽蔑(けいべつ)、これ即(すなわ)ち人間(にんげん)のこれ以上(いじょう)のものをいまだかつて知(し)らぬ最大幸福(さいだいこうふく)です。そうして貴方(あなた)はたとい三重(じゅう)の鉄格子(てつごうし)の内(うち)に住(す)んでいようが、この幸福(こうふく)をもっているのでありますから。ジオゲンを御覧(ごらん)なさい、彼(かれ)は樽(たる)の中(なか)に住(す)んでいました、けれども地上(ちじょう)の諸王(しょおう)より幸福(こうふく)であったのです。』
『貴方(あなた)の云(い)うジオゲンは白痴(はくち)だ。』と、イワン、デミトリチは憂悶(ゆうもん)して云(い)うた。『貴方(あなた)は何(なん)だって私(わたくし)に解悟(かいご)だとか、何(なん)だとかと云(い)うのです。』と、俄(にわか)に怫然(むき)になって立上(たちあが)った。『私(わたくし)は人並(ひとなみ)の生活(せいかつ)を好(この)みます、実(じつ)に、私(わたくし)はこう云(い)う窘逐狂(きんちくきょう)に罹(かか)っていて、始終(しじゅう)苦(くる)しい恐怖(おそれ)に襲(おそ)われていますが、或時(あるとき)は生活(せいかつ)の渇望(かつぼう)に心(こころ)を燃(も)やされるです、非常(ひじょう)に人並(ひとなみ)の生活(せいかつ)を望(のぞ)みます、非常(ひじょう)に、それは非常(ひじょう)に。』
 彼(かれ)は室内(しつない)を歩(ある)き初(はじ)めたが、やがて小声(こごえ)でまた言(いい)出(だ)す。
『私(わたくし)は時折(ときおり)種々(いろいろ)なことを妄想(もうぞう)しますが、往々(おうおう)幻想(まぼろし)を見(み)るのです、或人(あるひと)が来(き)たり、また人(ひと)の声(こえ)を聞(き)いたり、音楽(おんがく)が聞(きこ)えたり、また林(はやし)や、海岸(かいがん)を散歩(さんぽ)しているように思(おも)われる時(とき)もあります。どうぞ私(わたくし)に世(よ)の中(なか)の生活(せいかつ)を話(はな)して下(くだ)さい、何(なに)か珍(めず)らしいことでも無(な)いですか。』
『町(まち)のことをですか、それとも一般(ぱん)のことに就(つ)いてですか?』
『まず町(まち)のことからして伺(うかが)いましょう。それから一般(ぱん)のことを。』
『町(まち)では実(じつ)にもう退屈(たいくつ)です。誰(だれ)を相手(あいて)に話(はなし)するものもなし。話(はなし)を聞(き)く者(もの)もなし。新(あたら)しい人間(にんげん)はなし。しかしこの頃(ころ)ハバトフと云(い)う若(わか)い医者(いしゃ)が町(まち)には来(き)たですが。』
『どんな人間(にんげん)が。』
『いや、極(ご)く非文明的(ひぶんめいてき)な、どう云(い)うものかこの町(まち)に来(く)る所(ところ)の者(もの)は、皆(みな)、見(み)るのも胸(むね)の悪(わる)いような人間(にんげん)ばかり、不幸(ふこう)な町(まち)です。』
『左様(さよう)さ、不幸(ふこう)な町(まち)です。』と、イワン、デミトリチは溜息(ためいき)して笑(わら)う。『しかし一般(ぱん)にはどうです、新聞(しんぶん)や、雑誌(ざっし)はどう云(い)うことが書(か)いてありますか?』
 病室(びょうしつ)の中(うち)はもう暗(くら)くなったので、院長(いんちょう)は静(しずか)に立上(たちあが)る。そうして立(た)ちながら、外国(がいこく)や、露西亜(ロシヤ)の新聞(しんぶん)雑誌(ざっし)に書(か)いてある珍(めず)らしいこと、現今(げんこん)はこう云(い)う思想(しそう)の潮流(ちょうりゅう)が認(みと)められるとかと話(はなし)を進(すす)めたが、イワン、デミトリチは頗(すこぶ)る注意(ちゅうい)して聞(き)いていた。が忽(たちま)ち、何(なに)か恐(おそろ)しいことでも急(きゅう)に思(おも)い出(だ)したかのように、彼(かれ)は頭(かしら)を抱(かか)えるなり、院長(いんちょう)の方(ほう)へくるりと背(せ)を向(む)けて、寐台(ねだい)の上(うえ)に横(よこ)になった。
『どうかしましたか?』と、院長(いんちょう)は問う。
『もう貴方(あなた)には一言(ごん)だって口(くち)は開(き)きません。』
 イワン、デミトリチは素気(そっけ)なく云(い)う。『私(わたくし)に管(かま)わんで下(くだ)さい!』
『どうしたのです?』
『管(かま)わんで下(くだ)さいと云(い)ったら管(かま)わんで下(くだ)さい、チョッ、誰(だれ)がそんな者(もの)と口(くち)を開(き)くものか。』
 院長(いんちょう)は肩(かた)を縮(ちぢ)めて溜息(ためいき)をしながら出(で)て行(ゆ)く、そうして玄関(げんかん)の間(ま)を通(とお)りながら、ニキタに向(むか)って云(い)うた。
『ここ辺(ら)を少(すこ)し掃除(そうじ)したいものだな、ニキタ。酷(ひど)い臭(におい)だ。』
『拝承(かしこ)まりました。』と、ニキタは答(こた)える。
『何(なん)と面白(おもしろ)い人間(にんげん)だろう。』と、院長(いんちょう)は自分(じぶん)の室(へや)の方(ほう)へ帰(かえ)りながら思(おも)うた。『ここへ来(き)てから何年振(なんねんぶり)かで、こう云(い)う共(とも)に語(かた)られる人間(にんげん)に初(はじ)めて出会(でっくわ)した。議論(ぎろん)も遣(や)る、興味(きょうみ)を感(かん)ずべきことに、興味(きょうみ)をも感(かん)じている人間(にんげん)だ。』
 彼(かれ)はその後(のち)読書(どくしょ)を為(な)す中(うち)にも、睡眠(ねむり)に就(つ)いてからも、イワン、デミトリチのことが頭(あたま)から去(さ)らず、翌朝(よくちょう)眼(め)を覚(さま)しても、昨日(きのう)の智慧(ちえ)ある人間(にんげん)に遇(あ)ったことを忘(わす)れることが出来(でき)なかった、便宜(べんぎ)もあらばもう一度(ど)彼(かれ)を是非(ぜひ)尋(たず)ねようと思(おも)うていた。

 イワン、デミトリチは昨日(きのう)と同(おな)じ位置(いち)に、両手(りょうて)で頭(かしら)を抱(かか)えて、両足(りょうあし)を縮(ちぢ)めたまま、横(よこ)に為(な)っていて、顔(かお)は見(み)えぬ。
『や、御機嫌(ごきげん)よう、今日(こんにち)は。』院長(いんちょう)は六号室(ごうしつ)へ入(はい)って云(い)うた。『君(きみ)は眠(ねむ)っているのですか?』
『いや私(わたくし)は貴方(あなた)の朋友(ほうゆう)じゃ無(な)いです。』と、イワン、デミトリチは枕(まくら)の中(うち)へ顔(かお)をいよいよ埋(うず)めて云(い)うた。『またどんなに貴方(あなた)は尽力(じんりょく)しようが駄目(だめ)です、もう一言(ごん)だって私(わたくし)に口(くち)を開(ひら)かせることは出来(でき)ません。』
『変(へん)だ。』と、アンドレイ、エヒミチは気(き)を揉(も)む。『昨日(きのう)我々(われわれ)はあんなに話(はな)したのですが、何(なに)を俄(にわか)に御立腹(ごりっぷく)で、絶交(ぜっこう)すると有仰(おっしゃ)るのです、何(なに)かそれとも気(き)に障(さわ)ることでも申(もう)しましたか、或(あるい)は貴方(あなた)の意見(いけん)と合(あ)わん考(かんがえ)を云(い)い出(だ)したので?』
『いや、そんなら貴方(あなた)に云(い)いましょう。』と、イワン、デミトリチは身(み)を起(おこ)して、心配(しんぱい)そうにまた冷笑的(れいしょうてき)に、ドクトルを見(み)るのであった。『何(なに)も貴方(あなた)は探偵(たんてい)したり、質問(しつもん)をしたり、ここへ来(き)てするには当(あた)らんです。どこへでも他(ほか)へ行(い)ってした方(ほう)がよいです。私(わたくし)はもう昨日(きのう)貴方(あなた)が何(なん)の為(ため)に来(き)たのかが解(わか)りましたぞ。』
『これは奇妙(きみょう)な妄想(もうぞう)をしたものだ。』と、院長(いんちょう)は思(おも)わず微笑(びしょう)する。『では貴方(あなた)は私(わたくし)を探偵(たんてい)だと想像(そうぞう)されたのですな。』
『左様(さよう)。いや探偵(たんてい)にしろ、また私(わたくし)に窃(ひそか)に警察(けいさつ)から廻(ま)わされた医者(いしゃ)にしろ、どちらだって同様(どうよう)です。』
『いや貴方(あなた)は。困(こま)ったな、まあお聞(き)きなさい。』と、院長(いんちょう)は寐台(ねだい)の傍(そば)の腰掛(こしかけ)に掛(か)けて責(せむ)るがように首(くび)を振(ふ)る。
『しかし仮(か)りに貴方(あなた)の云(い)う所(ところ)が真実(しんじつ)として、私(わたくし)が警察(けいさつ)から廻(まわ)された者(もの)で、何(なに)か貴方(あなた)の言(ことば)を抑(おさ)えようとしているものと仮定(かてい)しましょう。で、貴方(あなた)がその為(ため)に拘引(こういん)されて、裁判(さいばん)に渡(わた)され、監獄(かんごく)に入(い)れられ、或(あるい)は懲役(ちょうえき)にされるとして見(み)て、それがどうです、この六号室(ごうしつ)にいるのよりも悪(わる)いでしょうか。ここに入(い)れられているよりも貴方(あなた)に取(と)ってどうでしょうか? 私(わたくし)はここより悪(わる)い所(ところ)は無(な)いと思(おも)います。もしそうならば何(なに)を貴方(あなた)はそんなに恐(おそ)れなさるのか?』
 この言(ことば)にイワン、デミトリチは大(おおい)に感動(かんどう)されたと見(み)えて、彼(かれ)は落着(おちつ)いて腰(こし)を掛(か)けた。
 時(とき)は丁度(ちょうど)四時過(じす)ぎ。いつもなら院長(いんちょう)は自分(じぶん)の室(へや)から室(へや)へと歩(ある)いていると、ダリュシカが、麦酒(ビール)は旦那様(だんなさま)如何(いかが)ですか、と問(と)う刻限(こくげん)。戸外(こがい)は静(しずか)に晴渡(はれわた)った天気(てんき)である。
『私(わたくし)は中食後(ちゅうじきご)散歩(さんぽ)に出掛(でか)けましたので、ちょっと立寄(たちよ)りましたのです。もうまるで春(はる)です。』
『今(いま)は何月(なんがつ)です、三月(がつ)でしょうか?』
『左様(さよう)、三月(がつ)も末(すえ)です。』
『戸外(そと)は泥濘(ぬか)っておりましょう。』
『そんなでもありません、庭(にわ)にはもう小径(こみち)が出来(でき)ています。』
『今頃(いまごろ)は馬車(ばしゃ)にでも乗(の)って、郊外(こうがい)へ行(い)ったらさぞいいでしょう。』と、イワン、デミトリチは赤(あか)い眼(め)を擦(こす)りながら云(い)う。『そうしてそれから家(うち)の暖(あたたか)い閑静(かんせい)な書斎(しょさい)に帰(かえ)って……名医(めいい)に恃(かか)って頭痛(ずつう)の療治(りょうじ)でもして貰(も)らったら、久(ひさ)しい間(あいだ)私(わたくし)はもうこの人間(にんげん)らしい生活(せいかつ)をしないが、それにしてもここは実(じつ)にいやな所(ところ)だ。実(じつ)に堪(た)えられんいやな所(ところ)だ。』
 昨日(きのう)の興奮(こうふん)の為(ため)にか、彼(かれ)は疲(つか)れて脱然(ぐったり)して、いやいやながら言(い)っている。彼(かれ)の指(ゆび)は顫(ふる)えている。その顔(かお)を見(み)ても頭(あたま)が酷(ひど)く痛(いた)んでいると云(い)うのが解(わか)る。
『暖(あたたか)い閑静(かんせい)な書斎(しょさい)と、この病室(びょうしつ)との間(あいだ)に、何(なん)の差(さ)も無(な)いのです。』と、アンドレイ、エヒミチは云(い)うた。『人間(にんげん)の安心(あんしん)と、満足(まんぞく)とは身外(しんがい)に在(あ)るのではなく、自身(じしん)の中(うち)に在(あ)るのです。』
『どう云(い)う訳(わけ)で。』
『通常(つうじょう)の人間(にんげん)は、いいことも、悪(わる)いことも皆(みな)身外(しんがい)から求(もと)めます。即(すなわ)ち馬車(ばしゃ)だとか、書斎(しょさい)だとかと、しかし思想家(しそうか)は自身(じしん)に求(もと)めるのです。』
『貴方(あなた)はそんな哲学(てつがく)は、暖(あたたか)な杏(あんず)の花(はな)の香(におい)のする希臘(ギリシヤ)に行(い)ってお伝(つた)えなさい、ここではそんな哲学(てつがく)は気候(きこう)に合(あ)いません。いやそうと、私(わたくし)は誰(たれ)かとジオゲンの話(はなし)をしましたっけ、貴方(あなた)とでしたろうか?』
『左様(さよう)昨日(きのう)私(わたくし)と。』
『ジオゲンは勿論(もちろん)書斎(しょさい)だとか、暖(あたたか)い住居(すまい)だとかには頓着(とんじゃく)しませんでした。これは彼(か)の地(ち)が暖(あたたか)いからです。樽(たる)の中(うち)に寐転(ねころが)って蜜柑(みかん)や、橄欖(かんらん)を食(た)べていればそれで過(すご)される。しかし彼(かれ)をして露西亜(ロシヤ)に住(すま)わしめたならば、彼(かれ)必(かなら)ず十二月(がつ)所(どころ)ではない、三月(がつ)の陽気(ようき)に成(な)っても、室(へや)の内(うち)に籠(こも)っていたがるでしょう。寒気(かんき)の為(ため)に体(からだ)も何(なに)も屈曲(まが)ってしまうでしょう。』
『いや寒気(かんき)だとか、疼痛(とうつう)だとかは感(かん)じないことが出来(でき)るです。マルク、アウレリイが云(い)ったことがありましょう。「疼痛(とうつう)とは疼痛(とうつう)の活(い)きた思想(しそう)である、この思想(しそう)を変(へん)ぜしむるが為(ため)には意旨(いし)の力(ちから)を奮(ふる)い、しかしてこれを棄(す)てて以(もっ)て、訴(うった)うることを止(や)めよ、しからば疼痛(とうつう)は消滅(しょうめつ)すべし。」と、これはよく言(い)った語(ことば)です、智者(ちしゃ)、哲人(てつじん)、もしくは思想家(しそうか)たるものの、他人(たにん)に異(ことな)る所(ところ)の点(てん)は、即(すなわ)ちここに在(あ)るのでしょう、苦痛(くつう)を軽(かろ)んずると云(い)うことに。ここにおいてか彼等(かれら)は常(つね)に満足(まんぞく)で、何事(なにごと)にもまた驚(おどろ)かぬのです。』
『では私(わたくし)などは徒(いたずら)に苦(くるし)み、不満(ふまん)を鳴(なら)し、人間(にんげん)の卑劣(ひれつ)に驚(おどろ)いたりばかりしていますから、白痴(はくち)だと有仰(おっしゃ)るのでしょう。』
『そうじゃ無(な)いです。貴方(あなた)もいよいよ深(ふか)く考慮(かんがえ)るように成(な)ったならば、我々(われわれ)の心(こころ)を動(うごか)す所(ところ)の、総(すべ)ての身外(しんがい)の些細(ささい)なることは苦(く)にもならぬとお解(わか)りになる時(とき)がありましょう、人(ひと)は解悟(かいご)に向(むか)わなければなりません。これが真実(しんじつ)の幸福(こうふく)です。』
『解悟(かいご)……。』イワン、デミトリチは顔(かお)を顰(しか)める。『外部(がいぶ)だとか、内部(ないぶ)だとか……。いや私(わたくし)にはそう云(い)うことは少(すこ)しも解(わか)らんです。私(わたくし)の知(し)っていることはただこれだけです。』と、彼(かれ)は立上(たちあが)り、怒(おこ)った眼(め)で院長(いんちょう)を睨(にら)み付(つ)ける。『私(わたし)の知(し)っているのは、神(かみ)が人(ひと)を熱血(ねっけつ)と、神経(しんけい)とより造(つく)ったと云(い)うことだけです! また有機的組織(ゆうきてきそしき)は、もしそれが生活力(せいかつりょく)をもっているとすれば、総(すべ)ての刺戟(しげき)に反応(はんのう)を起(おこ)すべきものである。それで私(わたくし)は反応(はんのう)しています。即(すなわち)疼痛(とうつう)に対(たい)しては、絶※(ぜっきょう)[#「口+斗」、U+544C、51-下-12]と、涙(なみだ)とを以(もっ)て答(こた)え、虚偽(きょぎ)に対(たい)しては憤懣(ふんまん)を以(もっ)て、陋劣(ろうれつ)に対(たい)しては厭悪(えんお)の情(じょう)を以(もっ)て答(こた)えているです。私(わたくし)の考(かんがえ)ではこれがそもそも生活(せいかつ)と名(な)づくべきものだろうと。また有機体(ゆうきたい)が下等(かとう)に成(な)れば成(な)るだけ、より少(すくな)く物(もの)を感(かん)ずるのであろうと、それ故(ゆえ)により弱(よわ)く刺戟(しげき)に答(こた)えるのである。で、高等(こうとう)に成(な)れば随(したがっ)てより強(つよ)き勢力(せいりょく)を以(もっ)て、実際(じっさい)に反応(はんのう)するのです。貴方(あなた)は医者(いしゃ)でおいでて、どうしてこんな訳(わけ)がお解(わか)りにならんです。苦(くるしみ)を軽(かろ)んずるとか、何(なん)にでも満足(まんぞく)しているとか、どんなことにも驚(おどろ)かんと云(い)うようになるのには、あれです、ああ云(い)う状態(ざま)になってしまわんければ。』と、イワン、デミトリチは隣(となり)の油切(あぶらぎ)った彼(か)の動物(どうぶつ)を差(さ)してそう云(い)うた。『或(あるい)はまた苦痛(くつう)を以(もっ)て自分(じぶん)を鍛練(たんれん)して、それに対(たい)しての感覚(かんかく)をまるで失(うしな)ってしまう、言(ことば)を換(か)えて言(い)えば、生活(せいかつ)を止(や)めてしまうようなことに至(いた)らしめなければならぬのです。私(わたくし)は無論(むろん)哲人(てつじん)でも、哲学者(てつがくしゃ)でも無(な)いのですから。』と、更(さら)に激(げき)して。『ですから、こんなことに就(つ)いては何(な)にも解(わか)らんのです。議論(ぎろん)する力(ちから)が無(な)いのです。』
『どうしてなかなか、貴方(あなた)は立派(りっぱ)に議論(ぎろん)なさるです。』
『貴方(あなた)が例証(れいしょう)に引(ひ)きなすったストア派(は)の哲学者等(てつがくしゃら)は立派(りっぱ)な人達(ひとたち)です。しかしながら彼等(かれら)の学説(がくせつ)はすでに二千年以前(ねんいぜん)に廃(すた)れてしまいました、もう一歩(ぽ)も進(すす)まんのです、これから先(さき)、また進歩(しんぽ)することは無(な)い。如何(いかん)となればこれは現実的(げんじつてき)でない、活動的(かつどうてき)で無(な)いからである。こう云(い)う学説(がくせつ)は、ただ種々(しゅじゅ)の学説(がくせつ)を集(あつ)めて研究(けんきゅう)したり、比較(ひかく)したりして、これを自分(じぶん)の生涯(しょうがい)の目的(もくてき)としている、極(きわ)めて少数(しょうすう)の人(ひと)ばかりに行(おこな)われて、他(た)の多数(たすう)の者(もの)はそれを了解(りょうかい)しなかったのです。苦痛(くつう)を軽蔑(けいべつ)すると云(い)うことは、多数(たすう)の人(ひと)に取(と)ったならば、即(すなわ)ち生活(せいかつ)その物(もの)を軽蔑(けいべつ)すると云(い)うことになる。如何(いかん)となれば、人間(にんげん)全体(ぜんたい)は、餓(うえ)だとか、寒(さむさ)だとか、凌辱(はずかし)めだとか、損失(そんしつ)だとか、死(し)に対(たい)するハムレット的(てき)の恐怖(おそれ)などの感覚(かんかく)から成立(なりた)っているのです。この感覚(かんかく)の中(うち)において人生(じんせい)全体(ぜんたい)が含(ふく)まっているのです。これを苦(く)にすること、悪(にく)むことは出来(でき)ます。が、これを軽蔑(けいべつ)することは出来(でき)んです。であるから、ストア派(は)の哲学者(てつがくしゃ)は未来(みらい)をもつことが出来(でき)んのです。御覧(ごらん)なさい、世界(せかい)の始(はじめ)から、今日(こんにち)に至(いた)るまで、ますます進歩(しんぽ)して行(ゆ)くものは生存競争(せいぞんきょうそう)、疼痛(とうつう)の感覚(かんかく)、刺戟(しげき)に対(たい)する反応(はんのう)の力(ちから)などでしょう。』と、イワン、デミトリチは俄(にわか)に思想(しそう)の連絡(れんらく)を失(うしな)って、残念(ざんねん)そうに額(ひたい)を擦(こす)った。
『何(なに)か肝心(かんじん)なことを云(い)おうと思(おも)って出(で)なくなった。』
と、彼(かれ)は続(つづ)ける。『それじゃ基督(ハリストス)でも例(れい)に引(ひ)きましょう、基督(ハリストス)は泣(な)いたり、微笑(びしょう)したり、悲(かなし)んだり、怒(おこ)ったり、憂(うれい)に沈(しず)んだりして、現実(げんじつ)に対(たい)して反応(はんのう)していたのです。彼(かれ)は微笑(びしょう)を以(もっ)て苦(くるしみ)に対(むか)わなかった、死(し)を軽蔑(けいべつ)しませんでした、却(かえ)って「この杯(さかずき)を我(われ)より去(さ)らしめよ」と云(い)うて、ゲフシマニヤの園(その)で祈祷(きとう)しました。』
 イワン、デミトリチはかく云(い)って笑出(わらいだ)しながら坐(すわ)る。
『で仮(か)りに人間(にんげん)の満足(まんぞく)と安心(あんしん)とが、その身外(しんがい)に在(あ)るに非(あ)らずして、自身(じしん)の内(うち)に在(あ)るとして、また仮(か)りに苦痛(くつう)を軽蔑(けいべつ)して、何事(なにごと)にも驚(おどろ)かぬようにしなければならぬとして、見(み)て、第(だい)一貴方(あなた)自身(じしん)は何(なん)に基(もとづ)いて、こんなことを主張(しゅちょう)なさるのか、貴方(あなた)は一体(たい)哲人(ワイゼ)ですか、哲学者(てつがくしゃ)ですか?』
『いや私(わたくし)は哲学者(てつがくしゃ)でも何(なん)でも無(な)い。が、これを主張(しゅちょう)するのは、大(おおい)に各人(かくじん)の義務(ぎむ)だろうと思(おも)うのです、これは道理(どうり)のあることで。』
『いや私(わたくし)の知(し)ろうと思(おも)うのは、何(なん)の為(ため)に貴方(あなた)が解悟(かいご)だの、苦痛(くつう)だの、それに対(たい)する軽蔑(けいべつ)だの、その他(た)のことに就(つ)いて自(みずか)ら精通家(せいつうか)と認(みと)めてお出(いで)なのですか。貴方(あなた)は何時(いつ)にか苦(くるし)んだことでもあるのですか、苦(くる)しみと云(い)うことの理解(りかい)をもってお出(い)でですか、或(あるい)は失礼(しつれい)ながら貴方(あなた)はお幼少(ちいさい)時分(じぶん)、打擲(ぶたれ)でもなされましたことがおありなのですか?』
『否(いえ)、私(わたくし)の両親(りょうしん)は、身体上(しんたいじょう)の処刑(しょけい)は非常(ひじょう)に嫌(きら)っていたのです。』
『私(わたくし)は父(ちち)には酷(ひど)く仕置(しおき)をされました。私(わたくし)の父(ちち)は極(ご)く苛酷(かこく)な官員(かんいん)であったのです。が、貴方(あなた)のことを申(もう)して見(み)ましょうかな。貴方(あなた)は一生涯(しょうがい)誰(だれ)にも苛責(かしゃく)されたことは無(な)く、健康(けんこう)なること牛(うし)の如(ごと)く、厳父(げんぷ)の保護(ほご)の下(もと)に生長(せいちょう)し、それで学問(がくもん)させられ、それからして割(わり)のよい役(やく)に取付(とりつ)き、二十年以上(ねんいじょう)の間(あいだ)も、暖炉(だんろ)も焚(た)いてあり、灯(あかり)も明(あか)るき無料(むりょう)の官宅(かんたく)に、奴婢(ぬひ)をさえ使(つか)って住(す)んで、その上(うえ)、仕事(しごと)は自分(じぶん)の思(おも)うまま、してもしないでも済(す)んでいると云(い)う位置(いち)。で、生来(せいらい)貴方(あなた)は怠惰者(なまけもの)で、厳格(げんかく)で無(な)い人間(にんげん)、それ故(ゆえ)貴方(あなた)は何(な)んでも自分(じぶん)に面倒(めんどう)でないよう、働(はたら)かなくとも済(す)むようとばかり心掛(こころが)けている、事業(じぎょう)は代診(だいしん)や、その他(た)のやくざものに任(まか)せ切(き)り、そうして自分(じぶん)は暖(あたたか)い静(しずか)な処(ところ)に坐(ざ)して、金(かね)を溜(た)め、書物(しょもつ)を読(よ)み、種々(しゅじゅ)な屁理窟(へりくつ)を考(かんが)え、また酒(さけ)を(彼(かれ)は院長(いんちょう)の赤(あか)い鼻(はな)を見(み)て)呑(の)んだりして、楽隠居(らくいんきょ)のような真似(まね)をしている。一言(げん)で云(い)えば、貴方(あなた)は生活(せいかつ)と云(い)うものを見(み)ないのです、それを全(まった)く知(し)らんのです。そうして実際(じっさい)と云(い)うことをただ理論(りろん)の上(うえ)からばかり推(お)している。だから苦痛(くつう)を軽蔑(けいべつ)したり、何事(なにごと)にも驚(おどろ)かんなどと云(い)っていられる。それは甚(はなは)だ単純(たんじゅん)な原因(げんいん)に由(よ)るのです。「空(くう)の空(くう)」だとか、内部(ないぶ)だとか、外部(がいぶ)だとか、苦痛(くつう)や、死(し)に対(たい)する軽蔑(けいべつ)だとか、真正(しんせい)なる幸福(こうふく)だとか、とこんな言草(いいぐさ)は、皆(みな)ロシヤの怠惰者(なまけもの)に適当(てきとう)している哲学(てつがく)です。で、貴方(あなた)はこうなのだ、まず歯(は)が痛(いた)むと云(い)う農婦(のうふ)が来(く)る……と、それがどうしたのだ。疼痛(とうつう)は疼痛(とうつう)のことの思想(しそう)である。かつまた、病気(びょうき)が無(な)くてはこの世(よ)に生(い)きて行(ゆ)く訳(わけ)には行(ゆ)かぬものだ。早(はや)く帰(かえ)るべし。俺(おれ)の思想(しそう)とヴォッカを呑(の)む邪魔(じゃま)をするな。とこう云(い)うでしょう。また或(ある)若者(わかもの)が来(き)てどう云(い)う風(ふう)に生活(せいかつ)をしたらいいかと相談(そうだん)を掛(か)けられる、と、他人(たにん)はまず一番(ばん)考(かんが)える所(ところ)であろうが、貴方(あなた)にはその答(こたえ)はもうちゃんと出来(でき)ている。解悟(かいご)に向(むか)いなさい、真正(しんせい)の幸福(こうふく)に向(むか)いなさい。とこう云(い)うです。我々(われわれ)をこんな格子(こうし)の内(うち)に監禁(かんきん)して置(お)いて苦(くる)しめて、そうしてこれは立派(りっぱ)なことだ、理窟(りくつ)のあることだ、いかんとなればこの病室(びょうしつ)と、暖(あたたか)なる書斎(しょさい)との間(あいだ)に何(なん)の差別(さべつ)もない。と、誠(まこと)に都合(つごう)のいい哲学(てつがく)です。そうして自分(じぶん)を哲人(ワイゼ)と感(かん)じている……いや貴方(あなた)これはです、哲学(てつがく)でもなければ、思想(しそう)でもなし、見解(けんかい)の敢(あえ)て広(ひろ)いのでも無(な)い、怠惰(たいだ)です。自滅(じめつ)です。睡魔(すいま)です! 左様(さよう)!』と、イワン、デミトリチは昂然(こうぜん)として『貴方(あなた)は苦痛(くつう)を軽蔑(けいべつ)なさるが、試(こころみ)に貴方(あなた)の指(ゆび)一本(ぽん)でも戸(と)に挟(はさ)んで御覧(ごらん)なさい、そうしたら声(こえ)限(かぎ)り※(さけ)[#「口+斗」、U+544C、53-上-13]ぶでしょう。』
『或(あるい)は※(さけ)[#「口+斗」、U+544C、53-上-15]ばんかも知(し)れません。』と、アンドレイ、エヒミチは言(い)う。
『そんなことは無(な)い、例(たと)えば御覧(ごらん)なさい、貴方(あなた)が中風(ちゅうぶ)にでも罹(かか)ったとか、或(あるい)は仮(かり)に愚者(ぐしゃ)が自分(じぶん)の位置(いち)を利用(りよう)して貴方(あなた)を公然(こうぜん)辱(はずか)しめて置(お)いて、それが後(のち)に何(なん)の報(むくい)も無(な)しに済(す)んでしまったのを知(し)ったならば、その時(とき)貴方(あなた)は他(た)の人(ひと)に、解悟(かいご)に向(むか)いなさいとか、真正(しんせい)の幸福(こうふく)に向(むか)いなさいとか云(い)うことの効力(こうりょく)が果(はた)して、何程(なにほど)と云(い)うことが解(わか)りましょう。』
『これは奇抜(きばつ)だ。』と院長(いんちょう)は満足(まんぞく)の余(あま)り微笑(びしょう)しながら、両手(りょうて)を擦(こす)り擦(こす)り云(い)う。『私(わたくし)は貴方(あなた)が総(すべ)てを綜合(そうごう)する傾向(けいこう)をもっているのを、面白(おもしろ)く感(かん)じかつ敬服(けいふく)致(いた)したのです、また貴方(あなた)が今(いま)述(の)べられた私(わたくし)の人物評(じんぶつひょう)は、ただ感心(かんしん)する外(ほか)はありません。実(じつ)は私(わたくし)は貴方(あなた)との談話(だんわ)において、この上(うえ)も無(な)い満足(まんぞく)を得(え)ましたのです。で、私(わたくし)は貴方(あなた)のお話(はなし)を不残(のこらず)伺(うかが)いましたから、こんどはどうぞ私(わたくし)の話(はなし)をもお聞(き)き下(くだ)さい。』

 かくて後(のち)、なお二人(ふたり)の話(はなし)は一時間(じかん)も続(つづ)いたが、それより院長(いんちょう)は深(ふか)く感動(かんどう)して、毎日(まいにち)、毎晩(まいばん)のように六号室(ごうしつ)に行(ゆ)くのであった。二人(ふたり)は話込(はなしこ)んでいる中(うち)に日(ひ)も暮(く)れてしまうことがままある位(くらい)。イワン、デミトリチは初(はじ)めの中(うち)は院長(いんちょう)が野心(やしん)でもあるのでは無(な)いかと疑(うたが)って、彼(かれ)にとかく遠(とお)ざかって、不愛想(ぶあいそう)にしていたが、段々(だんだん)慣(な)れて、遂(つい)には全(まった)く素振(そぶり)を変(か)えたのであった。
 しかるに病院(びょういん)の中(うち)では院長(いんちょう)アンドレイ、エヒミチが六号室(ごうしつ)に切(しきり)に通(かよ)い出(だ)したのを怪(あやし)んで、その評判(ひょうばん)が高(たか)くなり、代診(だいしん)も、看護婦(かんごふ)も、一様(よう)に何(なん)の為(ため)に行(ゆ)くのか、何(なん)で数時間余(すうじかんよ)もあんな処(ところ)にいるのか、どんな話(はなし)をするのであろうか、彼処(かしこ)へ行(い)っても処方書(しょほうがき)を示(しめ)さぬでは無(な)いかと、彼方(あっち)でも、此方(こっち)でも、彼(かれ)が近頃(ちかごろ)の奇(き)なる挙動(きょどう)の評判(ひょうばん)で持切(もちき)っている始末(しまつ)。ミハイル、アウエリヤヌイチはこの頃(ごろ)では始終(しじゅう)彼(かれ)の留守(るす)にばかり行(ゆ)く。ダリュシカは旦那(だんな)が近頃(ちかごろ)は定刻(ていこく)に麦酒(ビール)を呑(の)まず、中食(ちゅうじき)までも晩(おく)れることが度々(たびたび)なので困却(こま)っている。
 或時(あるとき)六月(がつ)の末(すえ)、ドクトル、ハバトフは、院長(いんちょう)に用事(ようじ)があって、その室(へや)に行(い)った所(ところ)、おらぬので庭(にわ)へと探(さが)しに出(で)た。するとそこで院長(いんちょう)は六号室(ごうしつ)であると聞(き)き、庭(にわ)から直(すぐ)に別室(べっしつ)に入(い)り、玄関(げんかん)の間(ま)に立留(たちとどま)ると、丁度(ちょうど)こう云(い)う話声(はなしごえ)が聞(きこ)えたので。
『我々(われわれ)は到底(とうてい)合奏(がっそう)は出来(でき)ません、私(わたくし)を貴方(あなた)の信仰(しんこう)に帰(き)せしむる訳(わけ)には行(ゆ)きませんから。』
と、イワン、デミトリチの声(こえ)。
『現実(げんじつ)と云(い)うことは全(まった)く貴方(あなた)には解(わか)らんのです、貴方(あなた)はいまだかつて苦(くるし)んだことは無(な)いのですから。しかし私(わたくし)は生(うま)れたその日(ひ)より今日(こんにち)まで、絶(た)えず苦痛(くつう)を嘗(な)めているのです、それ故(ゆえ)私(わたくし)は自分(じぶん)を貴方(あなた)よりも高(たか)いもの、万事(ばんじ)において、より多(おお)く精通(せいつう)しているものと認(みと)めておるです。ですから貴方(あなた)が私(わたくし)に教(おし)えると云(い)う場合(ばあい)で無(な)いのです。』
『私(わたくし)は何(なに)も貴方(あなた)を自分(じぶん)の信仰(しんこう)に向(むか)わせようと云(い)う権利(けんり)を主張(しゅちょう)はせんのです。』院長(いんちょう)は自分(じぶん)を解(わか)ってくれ人(て)の無(な)いので、さも残念(ざんねん)と云(い)うように。『そう云(い)う訳(わけ)では無(な)いのです、それは貴方(あなた)が苦痛(くつう)を嘗(な)めて、私(わたくし)が嘗(な)めないということではないのです。詮(せん)ずる所(ところ)、苦痛(くつう)も快楽(かいらく)も移(うつ)り行(ゆ)くもので、そんなことはどうでもいいのです。で、私(わたくし)が言(い)おうと思(おも)うのは、貴方(あなた)と私(わたくし)とが思想(しそう)するもの、相共(あいとも)に思想(しそう)したり、議論(ぎろん)をしたりする力(ちから)があるものと認(みと)めているということです。たとい我々(われわれ)の意見(いけん)が何(ど)の位(くらい)違(ちが)っても、ここに我々(われわれ)の一致(ち)する所(ところ)があるのです。貴方(あなた)がもし私(わたくし)が一般(ぱん)の無智(むち)や、無能(むのう)や、愚鈍(ぐどん)を何(ど)れ程(ほど)に厭(いと)うておるかと知(し)って下(くだ)すったならば、また如何(いか)なる喜(よろこび)を以(もっ)て、こうして貴方(あなた)と話(はなし)をしているかと云(い)うことを知(し)って下(くだ)すったならば! 貴方(あなた)は知識(ちしき)のある人(ひと)です。』
 ハバトフはこの時(とき)少(すこし)ばかり戸(と)を開(あ)けて室内(しつない)を覗(のぞ)いた。イワン、デミトリチは頭巾(ずきん)を被(かぶ)って、妙(みょう)な眼付(めつき)をしたり、顫(ふるえ)上(あが)ったり、神経的(しんけいてき)に病院服(びょういんふく)の前(まえ)を合(あ)わしたりしている。院長(いんちょう)はその側(そば)に腰(こし)を掛(か)けて、頭(かしら)を垂(た)れて、じっとして心細(こころぼそ)いような、悲(かな)しいような様子(ようす)で顔(かお)を赤(あか)くしている。ハバトフは肩(かた)を縮(ちぢ)めて冷笑(れいしょう)し、ニキタと見合(みあ)う。ニキタも同(おな)じく肩(かた)を縮(ちぢ)める。
 翌日(よくじつ)ハバトフは代診(だいしん)を伴(つ)れて別室(べっしつ)に来(き)て、玄関(げんかん)の間(ま)でまたも立聞(たちぎき)。
『院長殿(いんちょうどの)、とうとう発狂(はっきょう)と御坐(ござ)ったわい。』と、ハバトフは別室(べっしつ)を出(で)ながらの話(はなし)。
『主(しゅ)憐(あわれめ)よ、主(しゅ)憐(あわれめ)よ、主(しゅ)憐(あわれめ)よ!』と、敬虔(けいけん)なるセルゲイ、セルゲイチは云(い)いながら。ピカピカと磨上(みがきあ)げた靴(くつ)を汚(よご)すまいと、庭(にわ)の水溜(みずたまり)を避(よ)け避(よ)け溜息(ためいき)をする。
『打明(うちあ)けて申(もう)しますとな、エウゲニイ、フェオドロイチもう私(わたくし)は疾(と)うからこんなことになりはせんかと思(おも)っていましたのさ。』

 その後(ご)院長(いんちょう)アンドレイ、エヒミチは自分(じぶん)の周囲(まわり)の者(もの)の様子(ようす)の、ガラリと変(かわ)ったことを漸(ようや)く認(みと)めた。小使(こづかい)、看護婦(かんごふ)、患者等(かんじゃら)は、彼(かれ)に往遇(ゆきあ)う度(たび)に、何(なに)をか問(と)うものの如(ごと)き眼付(めつき)で見(み)る、行(ゆ)き過(す)ぎてからは私語(ささや)く。折々(おりおり)庭(にわ)で遇(あ)う会計係(かいけいがかり)の小娘(こむすめ)の、彼(かれ)が愛(あい)していた所(ところ)のマアシャは、この節(せつ)は彼(かれ)が微笑(びしょう)して頭(あたま)でも撫(な)でようとすると、急(いそ)いで遁出(にげだ)す。郵便局長(ゆうびんきょくちょう)のミハイル、アウエリヤヌイチは、彼(かれ)の所(ところ)に来(き)て、彼(かれ)の話(はなし)を聞(き)いてはいるが、先(さき)のようにそれは真実(まったく)ですとはもう云(い)わぬ。何(なん)となく心配(しんぱい)そうな顔(かお)で、左様々々(さようさよう)、左様(さよう)、と、打湿(うちしめ)って云(い)ってるかと思(おも)うと、やれヴォッカを止(よ)せの、麦酒(ビール)を止(や)めろのと勧(すすめ)初(はじ)める。また医員(いいん)のハバトフも時々(ときどき)来(き)ては、何故(なにゆえ)かアルコール分子(ぶんし)の入(はい)っている飲物(のみもの)を止(よ)せ。ブローミウム加里(かり)を服(の)めと勧(すす)めて行(ゆ)くので。
 八月(がつ)にアンドレイ、エヒミチは市役所(しやくしょ)から、少(すこ)し相談(そうだん)があるに由(よ)って、出頭(しゅっとう)を願(ねが)うと云(い)う招状(しょうじょう)があった、で、定刻(ていこく)に市役所(しやくしょ)に行(い)って見(み)ると、もう地方軍令部長(ちほうぐんれいぶちょう)を初(はじ)め、郡立学校視学官(ぐんりつがっこうしがくかん)市役所員(しやくしょいん)、それにドクトル、ハバトフ、またも一人(ひとり)の見知(みし)らぬブロンジンの男(おとこ)、ずらりと並(なら)んで控(ひか)えている。傍(そば)にいた者(もの)は直(す)ぐに院長(いんちょう)にこの人間(にんげん)を紹介(しょうかい)した、やはりドクトルで、何(なん)だとかと云(い)うポーランドの云(い)い悪(にく)い名(な)、この町(まち)から三十ヴェルスタばかり隔(へだた)っている、或(あ)る育馬所(いくばしょ)にいる者(もの)、今日(きょう)この町(まち)を何(なに)かの用(よう)でちょっと通掛(とおりかか)ったので、この場所(ばしょ)へ立寄(たちよ)ったとのことで。
『ええ只今(ただいま)、足下(そっか)に御関係(ごかんけい)のある事柄(ことがら)で、申上(もうしあ)げたいと思(おも)うのですが。』と、市役所員(しやくしょいん)は居並(いなら)ぶ人々(ひとびと)の挨拶(あいさつ)が済(す)むとこう切(き)り出(だ)した。『あ、エウゲニイ、フェオドロイチの有仰(おっしゃ)るには、本院(ほんいん)の薬局(やっきょく)が狭隘(せまい)ので、これを別室(べっしつ)の一つに移転(うつ)してはどうかと云(い)うのです。勿論(もちろん)これは雑作(ぞうさ)も無(な)いことですが、それには別室(べっしつ)の修繕(しゅうぜん)を要(よう)すると云(い)うそのことです。』
『左様(さよう)、修繕(しゅうぜん)を致(いた)さなければならんでしょう。』と、院長(いんちょう)は考(かんが)えながら云(い)う。『例(たと)えば隅(すみ)の別室(べっしつ)を薬局(やっきょく)に当(あ)てようと云(い)うには、私(わたくし)の考(かんがえ)では、極(ご)く少額(しょうがく)に見積(みつも)っても五百円(えん)は入(い)りましょう、しかし余(あま)り不生産的(ふせいさんてき)な費用(ひよう)です。』
 皆(みな)はすこし黙(もく)している。院長(いんちょう)は静(しずか)にまた続(つづ)ける。
『私(わたくし)はもう十年(ねん)も前(まえ)から、そう申上(もうしあ)げていたのですが、全体(ぜんたい)この病院(びょういん)の設立(たて)られたのは、四十年代(ねんだい)の頃(ころ)でしたが、その時分(じぶん)は今日(こんにち)のような資力(しりょく)では無(な)かったもので。しかし今日(こんにち)の所(ところ)では病院(びょういん)は、確(たしか)に市(し)の資力(ちから)以上(いじょう)の贅沢(ぜいたく)に為(な)っているので、余計(よけい)な建物(たてもの)、余計(よけい)な役(やく)などで随分(ずいぶん)費用(ひよう)も多(おお)く費(つか)っているのです。私(わたくし)の思(おも)うには、これだけの銭(ぜに)を費(つか)うのなら、遣(や)り方(かた)をさえ換(か)えれば、ここに二つの模範的(もはんてき)の病院(びょういん)を維持(いじ)することが出来(でき)ると思(おも)います。』
『では一つ遣(や)り方(かた)を換(か)えて御覧(ごらん)になったら如何(いかが)です。』
と、市役所員(しやくしょいん)は活発(かっぱつ)に云(い)う。
『私(わたくし)は前(さき)にも申上(もうしあげ)ました通(とお)り、医学上(いがくじょう)の事務(じむ)を地方自治体(ちほうじちたい)の方(ほう)へ、お渡(わた)しになってはどうでしょう?』
『地方自治(ちほうじち)に銭(ぜに)を渡(わた)したら、それこそ彼等(かれら)は皆(みな)盗(ぬす)んでしまいましょう。』と、ブロンジンのドクトルは笑(わら)い出(だ)す。
『そりゃ極(きま)ってます。』と、市役所員(しやくしょいん)も同意(どうい)して笑(わら)う。
 院長(いんちょう)は茫然(ぼんやり)とブロンジンのドクトルを見(み)たが。『しかし公平(こうへい)に考(かんが)えなければなりません。』と云(い)うた。
 皆(みな)はまたしばし黙(もく)してしまう。その中(うち)に茶(ちゃ)が出(で)る。ドクトル、ハバトフは皆(みな)との一般(ぱん)の話(はなし)の中(うち)も、院長(いんちょう)の言(ことば)に注意(ちゅうい)をして聞(き)いていたが突然(だしぬけ)に。『アンドレイ、エヒミチ今日(きょう)は何日(なんにち)です?』それから続(つづ)いて、ハバトフとブロンジンのドクトルとは下手(へた)なのを感(かん)じている試験官(しけんかん)と云(い)ったような調子(ちょうし)で、今日(きょう)は何曜日(なんようび)だとか、一年(ねん)の中(うち)には何日(なんにち)あるとか、六号室(ごうしつ)には面白(おもしろ)い予言者(よげんしゃ)がいるそうなとかと、交々(かわるがわる)尋問(たず)ねるのであった。
 院長(いんちょう)は終(おわり)の問(とい)には赤面(せきめん)して。『いや、あれは病人(びょうにん)です、しかし面白(おもしろ)い若者(わかもの)で。』と答(こた)えた。
 もう誰(たれ)も何(なん)とも質問(しつもん)をせぬのである。
 院長(いんちょう)は玄関(げんかん)の間(ま)で外套(がいとう)を着(き)、市役所(しやくしょ)の門(もん)を出(で)たが、これは自分(じぶん)の才能(さいのう)を試験(しけん)する所(ところ)の委員会(いいんかい)であったと初(はじ)めて悟(さと)り、自分(じぶん)に懸(か)けられた質問(しつもん)を思(おも)い出(だ)し、一人(ひとり)自(みずか)ら赤面(せきめん)し、一生(しょう)の中(うち)今(いま)初(はじ)めて、医学(いがく)なるものを、つくづくと情無(なさけな)い者(もの)に感(かん)じたのである。
 その晩(ばん)、郵便局長(ゆうびんきょくちょう)のミハイル、アウエリヤヌイチは彼(かれ)の所(ところ)に来(き)たが、挨拶(あいさつ)もせずにいきなり彼(かれ)の両手(りょうて)を握(にぎ)って、声(こえ)を顫(ふる)わして云(い)うた。
『おお君(きみ)、ねえ、君(きみ)は僕(ぼく)の切(せつ)なる意中(いちゅう)を信(しん)じて、僕(ぼく)を親友(しんゆう)と認(みと)めてくれることを証(しょう)して下(くだ)さるでしょうね……え、君(きみ)!』
 彼(かれ)は院長(いんちょう)の云(い)わんとするのを遮(さえぎ)って、何(なに)かそわそわして続(つづ)けて云(い)う。『私(わたし)は貴方(あなた)の教育(きょういく)と、高尚(こうしょう)なる心(こころ)とを甚(はなは)だ敬愛(けいあい)しておるです。どうぞ君(きみ)、私(わたし)の云(い)うことを聞(き)いて下(くだ)さい。医学(いがく)の原則(げんそく)は、医者等(いしやら)をして貴方(あなた)に実(じつ)を云(い)わしめたのです。しかしながら私(わたし)は軍人風(ぐんじんふう)に真向(まっこう)に切出(きりだ)します。貴方(あなた)に打明(うちあ)けて云(い)います、即(すなわ)ち貴方(あなた)は病気(びょうき)なのです。これはもう周囲(まわり)の者(もの)の疾(と)うより認(みと)めている所(ところ)で、只今(ただいま)もドクトル、エウゲニイ、フェオドロイチが云(い)うのには、貴方(あなた)の健康(けんこう)の為(ため)には、須(すべから)く気晴(きばらし)をして、保養(ほよう)を専(せん)一とせんければならんと。これは実際(じっさい)です。所(ところ)が、丁度(ちょうど)私(わたし)もこの節(せつ)、暇(ひま)を貰(もら)って、異(かわ)った空気(くうき)を吸(す)いに出掛(でか)けようと思(おも)っている矢先(やさき)、どうでしょう、一所(しょ)に付合(つきあ)っては下(くだ)さらんか、そうして旧事(ふるいこと)を皆(みんな)忘(わす)れてしまいましょうじゃありませんか。』
『しかし私(わたし)は少(すこ)しも身体(からだ)に異状(いじょう)は無(な)いです、壮健(そうけん)です。無暗(むやみ)に出掛(でか)けることは出来(でき)ません、どうぞ私(わたし)の友情(ゆうじょう)を他(た)のことで何(なん)とか証(しょう)させて下(くだ)さい。』
 アンドレイ、エヒミチは初(はじめ)の一分時(ぷんじ)は、何(なん)の意味(いみ)もなく書物(しょもつ)と離(はな)れ、ダリュシカと麦酒(ビール)とに別(わか)れて、二十年来(ねんらい)定(さだ)まったその生活(せいかつ)の順序(じゅんじょ)を破(やぶ)ると云(い)うことは出来(でき)なく思(おも)うたが、また深(ふか)く思(おも)えば、市役所(しやくしょ)でありしこと、その自(みずか)ら感(かん)じた不愉快(ふゆかい)のこと、愚(おろか)な人々(ひとびと)が自分(じぶん)を狂人視(きょうじんし)しているこんな町(まち)から、少(すこ)しでも出(で)て見(み)たらば、とも思(おも)うのであった。
『しかし貴方(あなた)は一体(たい)どこへお出掛(でか)けになろうと云(い)うのです?』院長(いんちょう)は問(と)うた。
『モスクワへも、ペテルブルグへも、ワルシャワへも……ワルシャワは実(じつ)によい所(ところ)です、私(わたし)が幸福(こうふく)の五年間(ねんかん)は彼処(あすこ)で送(おく)ったのでした、それはいい町(まち)です、是非(ぜひ)行(ゆ)きましょう、ねえ君(きみ)。』

 一週間(しゅうかん)を経(へ)てアンドレイ、エヒミチは、病院(びょういん)から辞職(じしょく)の勧告(かんこく)を受(う)けたが、彼(かれ)はそれに対(たい)しては至(いた)って平気(へいき)であった。かくてまた一週間(しゅうかん)を過(す)ぎ、遂(つい)にミハイル、アウエリヤヌイチと共(とも)に郵便(ゆうびん)の旅馬車(たびばしゃ)に打乗(うちの)り、近(ちか)き鉄道(てつどう)のステーションを差(さ)して、旅行(りょこう)にと出掛(でか)けたのである。
 空(そら)は爽(さわやか)に晴(は)れて、遠(とお)く木立(こだち)の空(そら)に接(せっ)する辺(あたり)も見渡(みわた)される凉(すず)しい日和(ひより)。ステーションまでの二百ヴェルスタの道(みち)を二昼夜(ちゅうや)で過(す)ぎたが、その間(あいだ)馬(うま)の継場々々(つぎばつぎば)で、ミハイル、アウエリヤヌイチは、やれ、茶(ちゃ)の杯(こっぷ)の洗(あら)いようがどうだとか、馬(うま)を附(つ)けるのに手間(てま)が取(と)れるとかと力(りき)んで、上句(あげく)には、何(いつ)も黙(だま)れとか、彼(か)れこれ云(い)うな、とかと真赤(まっか)になって騒(さわぎ)を返(かえ)す。道々(みちみち)も一分(ぷん)の絶間(たえま)もなく喋(しゃべ)り続(つづ)けて、カフカズ、ポーランドを旅行(りょこう)したことなどを話(はな)す。そうして大声(おおごえ)で眼(め)を剥出(むきだ)し、夢中(むちゅう)になってドクトルの顔(かお)へはふッはふッと息(いき)を吐掛(ふっか)ける、耳許(みみもと)で高笑(たかわらい)する。ドクトルはそれが為(ため)に考(かんがえ)に耽(ふけ)ることもならず、思(おもい)に沈(しず)むことも出来(でき)ぬ。
 汽車(きしゃ)は経済(けいざい)の為(ため)に三等(とう)で、喫烟(きつえん)をせぬ客車(かくしゃ)で行(い)った。車室(しゃしつ)の中(うち)はさのみ不潔(ふけつ)の人間(にんげん)ばかりではなかったが、ミハイル、アウエリヤヌイチは直(すぐ)に人々(ひとびと)と懇意(こんい)になって誰(たれ)にでも話(はなし)を仕掛(しか)け、腰掛(こしかけ)から腰掛(こしかけ)へ廻(まわ)り歩(ある)いて、大声(おおごえ)で、こんな不都合(ふつごう)極(きわま)る汽車(きしゃ)は無(な)いとか、皆(みな)盗人(ぬすびと)のような奴等(やつら)ばかりだとか、乗馬(じょうば)で行(ゆ)けば一日(にち)に百ヴェルスタも飛(と)ばせて、その上(うえ)愉快(ゆかい)に感(かん)じられるとか、我々(われわれ)の地方(ちほう)の不作(ふさく)なのはピン沼(ぬま)などを枯(から)してしまったからだ、非常(ひじょう)な乱暴(らんぼう)をしたものだとか、などと云(い)って、殆(ほとん)ど他(ひと)には口(くち)も開(き)かせぬ、そうしてその相間(あいま)には高笑(たかわらい)と、仰山(ぎょうさん)な身振(みぶり)。
『私等(わたしら)二人(ふたり)の中(うち)、何(いず)れが瘋癲者(ふうてんしゃ)だろうか。』と、ドクトルは腹立(はらだた)しくなって思(おも)うた。『少(すこ)しも乗客(じょうきゃく)を煩(わずら)わさんように務(つと)めている俺(おれ)か、それともこんなに一人(ひとり)で大騒(おおさわぎ)をしていた、誰(たれ)にも休息(きゅうそく)もさせぬこの利己主義男(りこしゅぎおとこ)か?』
 モスクワへ行(い)ってから、ミハイル、アウエリヤヌイチは肩章(けんしょう)の無(な)い軍服(ぐんぷく)に、赤線(あかすじ)の入(はい)ったズボンを穿(は)いて町(まち)を歩(ある)くにも、軍帽(ぐんぼう)を被(かぶ)り、軍人(ぐんじん)の外套(がいとう)を着(き)た。兵卒(へいそつ)は彼(かれ)を見(み)て敬礼(けいれい)をする。アンドレイ、エヒミチは今(いま)初(はじ)めて気(き)が着(つ)いたが、ミハイル、アウエリヤヌイチは前(さき)に大地主(おおじぬし)であった時(とき)の、余(あま)り感心(かんしん)せぬ風(ふう)ばかりが今(いま)も残(のこ)っていると云(い)うことを。机(つくえ)の前(まえ)にマッチはあって、彼(かれ)はそれを見(み)ていながら、その癖(くせ)、大声(おおごえ)を上(あ)げて小使(こづかい)を呼(よ)んでマッチを持(も)って来(こ)いなどと云(い)い、女中(じょちゅう)のいる前(まえ)でも平気(へいき)で下着(したぎ)一つで歩(ある)いている、下僕(しもべ)や、小使(こづかい)を捉(つかま)えては、年(とし)を寄(と)ったものでも何(なん)でも構(かま)わず、貴様々々(きさまきさま)と頭砕(あたまごなし)。その上(うえ)に腹(はら)を立(た)つと直(す)ぐに、この野郎(やろう)、この大馬鹿(おおばか)と悪体(あくたい)が初(はじ)まるので、これらは大地主(おおじぬし)の癖(くせ)であるが、余(あま)り感心(かんしん)した風(ふう)では無(な)い、とドクトルも思(おも)うたのであった。
 モスクワ見物(けんぶつ)の第(だい)一着(ちゃく)に、ミハイル、アウエリヤヌイチはその友(とも)をまずイウエルスカヤ小聖堂(しょうせいどう)に伴(つ)れ行(ゆ)き、そこで彼(かれ)は熱心(ねっしん)に伏拝(ふくはい)して涙(なみだ)を流(なが)して祈祷(きとう)する、そうして立上(たちあが)り、深(ふか)く溜息(ためいき)して云(い)うには。
『たとい信(しん)じなくとも、祈祷(きとう)をすると、何(なん)とも云(い)われん位(くらい)、心(こころ)が安(やす)まる、君(きみ)、接吻(せっぷん)し給(たま)え。』
 アンドレイ、エヒミチは体裁悪(きまりわる)く思(おも)いながら、聖像(せいぞう)に接吻(せっぷん)した。ミハイル、アウエリヤヌイチは唇(くちびる)を突出(つきだ)して、頭(あたま)を振(ふ)りながら、またも小声(こごえ)で祈祷(きとう)して涙(なみだ)を流(なが)している。それから二人(ふたり)はそこを出(で)て、クレムリに行(ゆ)き、大砲王(たいほうおう)(巨大な砲)と大鐘王(たいしょうおう)(巨大な鐘、モスクワの二大名物)とを見物(けんぶつ)し、指(ゆび)で触(さわ)って見(み)たりした。それよりモスクワ川向(かわむこう)の町(まち)の景色(けしき)などを見渡(みわた)しながら、救世主(きゅうせいしゅ)の聖堂(せいどう)や、ルミャンツセフの美術館(びじゅつかん)なんどを廻(まわ)って見(み)た。
 中食(ちゅうじき)はテストフ亭(てい)と云(い)う料理店(りょうりてん)に入(はい)ったが、ここでもミハイル、アウエリヤヌイチは、頬鬚(ほおひげ)を撫(な)でながら、ややしばらく、品書(しながき)を拈転(ひねく)って、料理店(りょうりや)を我(わ)が家(や)のように挙動(ふるま)う愛食家風(あいしょくかふう)の調子(ちょうし)で。
『今日(きょう)はどんな御馳走(ごちそう)で我々(われわれ)を食(く)わしてくれるか。』と、無暗(むやみ)と幅(はば)を利(き)かせたがる。

 ドクトルは見物(けんぶつ)もし、歩(ある)いても見(み)、食(く)っても飲(の)んでも見(み)たのであるが、ただもう毎日(まいにち)ミハイル、アウエリヤヌイチの挙動(きょどう)に弱(よわ)らされ、それが鼻(はな)に着(つ)いて、嫌(いや)で、嫌(いや)でならぬので、どうかして一日(にち)でも、一時(とき)でも、彼(かれ)から離(はな)れて見(み)たく思(おも)うのであったが、友(とも)は自分(じぶん)より彼(かれ)を一歩(ぽ)でも離(はな)すことはなく、何(なん)でも彼(かれ)の気晴(きばらし)をするが義務(ぎむ)と、見物(けんぶつ)に出(で)ぬ時(とき)は饒舌(しゃべ)り続(つづ)けて慰(なぐさ)めようと、附纒(つきまと)い通(どお)しの有様(ありさま)。二日(か)と云(い)うものアンドレイ、エヒミチは堪(こら)え堪(こら)えて、我慢(がまん)をしていたのであるが、三日目(かめ)にはもうどうにも堪(こら)え切(き)れず。少(すこ)し身体(からだ)の工合(ぐあい)が悪(わる)いから、今日(きょう)だけ宿(やど)に残(のこ)っていると、遂(つい)に思切(おもいき)って友(とも)に云(い)うたのであった、しかるにミハイル、アウエリヤヌイチは、それじゃ自分(じぶん)も家(いえ)にいることにしよう、少(すこ)しは休息(きゅうそく)もしなければ足(あし)も続(つづ)かぬからと云(い)う挨拶(あいさつ)。アンドレイ、エヒミチはうんざりして、長椅子(ながいす)の上(うえ)に横(よこ)になり、倚掛(よりかかり)の方(ほう)へ突(つい)と顔(かお)を向(む)けたまま、歯(は)を切(くいしば)って、友(とも)の喋喋(べらべら)語(しゃべ)るのを詮方(せんかた)なく聞(き)いている。さりとも知(し)らぬミハイル、アウエリヤヌイチは、大得意(だいとくい)で、仏蘭西(フランス)は早晩(そうばん)独逸(ドイツ)を破(やぶ)ってしまうだろうとか、モスクワには攫客(すり)が多(おお)いとか、馬(うま)は見掛(みかけ)ばかりでは、その真価(しんか)は解(わか)らぬものであるとか。と、それからそれへと話(はなし)を続(つづ)けて息(いき)の継(つ)ぐ暇(ひま)も無(な)い、ドクトルは耳(みみ)をガンとして、心臓(しんぞう)の鼓動(こどう)さえ烈(はげ)しくなって来(く)る。と云(い)って、出(で)て行(い)ってくれ、黙(だま)っていてくれとは彼(かれ)には言(い)われぬので、じっと辛抱(しんぼう)している辛(つら)さは一倍(ばい)である。所(ところ)が仕合(しあわせ)にもミハイル、アウエリヤヌイチの方(ほう)が、こんどは宿(やど)に引込(ひっこ)んでいるのが、とうとう退屈(たいくつ)になって来(き)て、中食後(ちゅうじきご)には散歩(さんぽ)にと出掛(でか)けて行(い)った。
 アンドレイ、エヒミチはやっと一人(ひとり)になって、長椅子(ながいす)の上(うえ)にのろのろと落着(おちつ)いて横(よこ)になる。室内(しつない)に自分(じぶん)ただ一人(ひとり)、と意識(いしき)するのは如何(いか)に愉快(ゆかい)であったろう。真実(しんじつ)の幸福(こうふく)は実(じつ)に一人(ひとり)でなければ得(う)べからざるものであると、つくづく思(おも)うた。そうして彼(かれ)は此頃(このごろ)見(み)たり、聞(き)いたりしたことを考(かんが)えようと思(おも)うたが、どうしたものかやはり、ミハイル、アウエリヤヌイチが頭(あたま)から離(はな)れぬのであった。
 その後(のち)は彼(かれ)は少(すこ)しも外出(がいしゅつ)せず、宿(やど)にばかり引込(ひっこ)んでいた。
 友(とも)はわざわざ休暇(きゅうか)を取(と)って、かく自分(じぶん)と共(とも)に出発(しゅっぱつ)したのでは無(な)いか。深(ふか)き友情(ゆうじょう)によってでは無(な)いか、親切(しんせつ)なのでは無(な)いか。しかし実(じつ)にこれ程(ほど)有難迷惑(ありがためいわく)のことがまたとあろうか。降参(こうさん)だ、真平(まっぴら)だ。とは云(い)え、彼(かれ)に悪意(あくい)があるのでは無(な)い。と、ドクトルは更(さら)にまたしみじみと思(おも)うたのであった。
 ペテルブルグに行(い)ってからもドクトルはやはり同様(どうよう)、宿(やど)にのみ引籠(ひきこも)って外(そと)へは出(で)ず、一日(にち)長椅子(ながいす)の上(うえ)に横(よこ)になり、麦酒(ビール)を呑(の)む時(とき)にだけ起(おき)る。
 ミハイル、アウエリヤヌイチは、始終(しじゅう)ワルシャワへ早(はや)く行(ゆ)こうとばかり云(い)うている。
『しかし君(きみ)、私(わたし)は何(なに)もワルシャワへ行(ゆ)く必要(ひつよう)は無(な)いのだから、君(きみ)一人(ひとり)で行(ゆ)き給(たま)え、そうして私(わたし)をどうぞ先(さき)に故郷(こきょう)に帰(かえ)して下(くだ)さい。』アンドレイ、エヒミチは哀願(あいがん)するように云(い)うた。
『飛(とん)だことさ。』と、ミハイル、アウエリヤヌイチは聴入(ききい)れぬ。『ワルシャワこそ君(きみ)に見(み)せにゃならん、僕(ぼく)が五年(ねん)の幸福(こうふく)な生涯(しょうがい)を送(おく)った所(ところ)だ。』
 アンドレイ、エヒミチは例(れい)の気質(きしつ)で、それでもとは云(い)い兼(か)ね、遂(つい)にまた嫌々(いやいや)ながらワルシャワにも行(い)った。そこでも彼(かれ)は宿(やど)から出(で)ずに、終日(しゅうじつ)相変(あいかわ)らず長椅子(ながいす)の上(うえ)に転(ころ)がり、相変(あいかわ)らず友(とも)の挙動(きょどう)に愛想(あいそう)を尽(つ)かしている。ミハイル、アウエリヤヌイチは一人(ひとり)して元気(げんき)よく、朝(あさ)から晩(ばん)まで町(まち)を遊(あそ)び歩(ある)き、旧友(きゅうゆう)を尋(たず)ね廻(まわ)り、宿(やど)には数度(すうど)も帰(かえ)らぬ夜(よ)があった位(くらい)。と、或朝(あるあさ)早(はや)く非常(ひじょう)に興奮(こうふん)した様子(ようす)で、真赤(まっか)な顔(かお)をし、髪(かみ)も茫々(ぼうぼう)として宿(やど)に帰(かえ)って来(き)た。そうして何(なに)か独語(ひとりごと)しながら、室内(しつない)を隅(すみ)から隅(すみ)へと急(いそ)いで歩(ある)く。
『名誉(めいよ)は大事(だいじ)だ。』
『そうだ名誉(めいよ)が大切(たいせつ)だ。全体(ぜんたい)こんな町(まち)に足(あし)を踏込(ふみこ)んだのが間違(まちが)いだった。』と、彼(かれ)は更(さら)にドクトルに向(むか)って云(い)うた。『実(じつ)は私(わたし)は負(ま)けたのです。で、どうでしょう、銭(ぜに)を五百円(えん)貸(か)しては下(くだ)さらんか?』
 アンドレイ、エヒミチは銭(ぜに)を勘定(かんじょう)して、五百円(えん)を無言(むごん)で友(とも)に渡(わた)したのである。ミハイル、アウエリヤヌイチはまだ真赤(まっか)になって、面目無(めんぼくな)いような、怒(おこ)ったような風(ふう)で。『きっと返却(かえ)します、きっと。』などと誓(ちか)いながら、また帽(ぼう)を取(と)るなり出(で)て行(い)った。が、大約(おおよそ)二時間(じかん)を経(た)ってから帰(かえ)って来(き)た。
『お蔭(かげ)で名誉(めいよ)は助(たす)かった。もう出発(しゅっぱつ)しましょう。こんな不徳義(ふとくぎ)極(きわま)る所(ところ)に一分(ぷん)だって留(とどま)っていられるものか。掏摸(すり)ども奴(め)、墺探(おうたん)ども奴(め)。』
 二人(ふたり)が旅行(りょこう)を終(お)えて帰(かえ)って来(き)たのは十一月(がつ)、町(まち)にはもう深雪(みゆき)が真白(まっしろ)に積(つも)っていた。アンドレイ、エヒミチは帰(かえ)って見(み)れば自分(じぶん)の位置(いち)は今(いま)はドクトル、ハバトフの手(て)に渡(わた)って、病院(びょういん)の官宅(かんたく)を早(はや)く明渡(あけわた)すのをハバトフは待(ま)っているというとのこと、またその下女(げじょ)と名(な)づけていた醜婦(しゅうふ)は、この間(あいだ)から、別室(べっしつ)の内(うち)の或(あ)る処(ところ)に移転(いてん)した。町(まち)には、病院(びょういん)の新院長(しんいんちょう)に就(つ)いての種々(いろいろ)な噂(うわさ)が立(た)てられていた。下女(げじょ)と云(い)う醜婦(しゅうふ)が会計(かいけい)と喧嘩(けんか)をしたとか、会計(かいけい)はその女(おんな)の前(まえ)に膝(ひざ)を折(お)って謝罪(しゃざい)したとか、と。
 アンドレイ、エヒミチは帰来(かえり)早々(そうそう)まずその住居(すまい)を尋(たず)ねねばならぬ。
『不遠慮(ぶえんりょ)な御質問(おたずね)ですがなあ君(きみ)。』と郵便局長(ゆうびんきょくちょう)はアンドレイ、エヒミチに向(むか)って云(い)うた。
『貴方(あなた)は何位(どのくらい)財産(ざいさん)をお所有(も)ちですか?』
 問(と)われて、アンドレイ、エヒミチは黙(もく)したまま、財嚢(さいふ)の銭(ぜに)を数(かぞ)え見(み)て。『八十六円(えん)。』
『否(いえ)、そうじゃないのです。』ミハイル、アウエリヤヌイチは更(さら)に云直(いいなお)す。『その、君(きみ)の財産(ざいさん)は総計(そうけい)で何位(どのくらい)と云(い)うのを伺(うかが)うのさ。』
『だから総計(そうけい)八十六円(えん)と申(もう)しているのです。それ切(ぎ)り私(わたし)は一文(もん)も所有(も)っちゃおらんので。』
 ミハイル、アウエリヤヌイチはドクトルの廉潔(れんけつ)で、正直(しょうじき)であるのは予(かね)ても知(し)っていたが、しかしそれにしても、二万円(えん)位(ぐらい)は確(たしか)に所有(もっ)ていることとのみ思(おも)うていたのに、かくと聞(き)いては、ドクトルがまるで乞食(こじき)にも等(ひと)しき境遇(きょうぐう)と、思(おも)わず涙(なみだ)を落(おと)して、ドクトルを抱(いだ)き締(し)め、声(こえ)を上(あ)げて泣(な)くのであった。

 ドクトル、アンドレイ、エヒミチはベローワと云(い)う婦(おんな)の小汚(こぎた)ない家(いえ)の一間(ま)を借(か)りることになった。彼(かれ)は前(まえ)のように八時(じ)に起(お)きて、茶(ちゃ)の後(のち)は直(すぐ)に書物(しょもつ)を楽(たの)しんで読(よ)んでいたが、この頃(ごろ)は新(あたら)しい書物(しょもつ)も買(か)えぬので、古本(ふるほん)ばかり読(よ)んでいる為(せい)か、以前程(いぜんほど)には興味(きょうみ)を感(かん)ぜぬ。或時(あるとき)徒然(つれづれ)なるに任(まか)せて、書物(しょもつ)の明細(めいさい)な目録(もくろく)を編成(へんせい)し、書物(しょもつ)の背(せ)には札(ふだ)を一々貼付(はりつ)けたが、こんな機械的(きかいてき)な単調(たんちょう)な仕事(しごと)が、却(かえ)って何故(なにゆえ)か奇妙(きみょう)に彼(かれ)の思想(しそう)を弄(ろう)して、興味(きょうみ)をさえ添(そ)えしめていた。
 彼(かれ)はその後(ご)病院(びょういん)に二度(ど)イワン、デミトリチを尋(たず)ねたのであるがイワン、デミトリチは二度(ど)ながら非常(ひじょう)に興奮(こうふん)して、激昂(げきこう)していた様子(ようす)で、饒舌(しゃべ)ることはもう飽(あ)きたと云(い)って彼(かれ)を拒絶(きょぜつ)する。彼(かれ)は詮方(せんかた)なくお眠(やす)みなさい、とか、左様(さよう)なら、とか云(い)って出(で)て来(こ)ようとすれば、『勝手(かって)にしやがれ。』と怒鳴(どな)り付(つ)ける権幕(けんまく)。ドクトルもそれからは行(ゆ)くのを見合(みあ)わせてはいるものの、やはり行(ゆ)きたく思(おも)うていた。
 前(さき)には彼(かれ)は中食後(ちゅうじきご)は、きっと室(へや)の隅(すみ)から隅(すみ)へと歩(ある)いて考(かんが)えに沈(しず)んでいるのが常(つね)であったが、この頃(ごろ)は中食(ちゅうじき)から晩(ばん)の茶(ちゃ)の時(とき)までは、長椅子(ながいす)の上(うえ)に横(よこ)になる。と、いつも妙(みょう)な一つ思想(しそう)が胸(むね)に浮(うか)ぶ。それは自分(じぶん)が二十年以上(ねんいじょう)も勤務(つとめ)をしていたのに、それに対(たい)して養老金(ようろうきん)も、一時金(じきん)もくれぬことで、彼(かれ)はそれを思(おも)うと残念(ざんねん)であった。勿論(もちろん)余(あま)り正直(しょうじき)には務(つと)めなかったが、年金(ねんきん)など云(い)うものは、たとい、正直(しょうじき)であろうが、無(な)かろうが、凡(すべ)て務(つと)めた者(もの)は受(う)けべきである。勲章(くんしょう)だとか、養老金(ようろうきん)だとか云(い)うものは、徳義上(とくぎじょう)の資格(しかく)や、才能(さいのう)などに報酬(ほうしゅう)されるのではなく、一般(ぱん)に勤務(つとめ)その物(もの)に対(たい)して報酬(ほうしゅう)されるのである。しからば何(なん)で自分(じぶん)ばかり報酬(ほうしゅう)をされぬのであろう。また今更(いまさら)考(かんが)えれば旅行(りょこう)に由(よ)りて、無惨々々(むざむざ)と惜(あた)ら千円(えん)を費(つか)い棄(す)てたのはいかにも残念(ざんねん)。酒店(さかや)には麦酒(ビール)の払(はらい)が三十二円(えん)も滞(とどこお)る、家賃(やちん)とてもその通(とお)り、ダリュシカは密(ひそか)に古服(ふるふく)やら、書物(しょもつ)などを売(う)っている。此際(このさい)彼(か)の千円(えん)でもあったなら、どんなに役(やく)に立(た)つことかと。
 彼(かれ)はまたかかる位置(いち)になってからも、人(ひと)が自分(じぶん)を抛棄(うっちゃ)っては置(お)いてくれぬのが、却(かえ)って迷惑(めいわく)で残念(ざんねん)であった。ハバトフは折々(おりおり)病気(びょうき)の同僚(どうりょう)を訪問(ほうもん)するのは、自分(じぶん)の義務(ぎむ)であるかのように、彼(かれ)の所(ところ)に蒼蠅(うるさ)く来(く)る。彼(かれ)はハバトフが嫌(いや)でならぬ。その満足(まんぞく)な顔(かお)、人(ひと)を見下(みさげ)るような様子(ようす)、彼(かれ)を呼(よ)んで同僚(どうりょう)と云(い)う言(ことば)、深(ふか)い長靴(ながぐつ)、此等(これら)は皆(みな)気障(きざ)でならなかったが、殊(こと)に癪(しゃく)に障(さわ)るのは、彼(かれ)を治療(ちりょう)することを自分(じぶん)の務(つとめ)として、真面目(まじめ)に治療(ちりょう)をしている意(つもり)なのが。で、ハバトフは訪問(ほうもん)をする度(たび)に、きっとブローミウム加里(カリ)の入(はい)った壜(びん)と、大黄(だいおう)の丸薬(がんやく)とを持(も)って来(く)る。
 ミハイル、アウエリヤヌイチもやはり、しょっちゅう、アンドレイ、エヒミチを訪問(たず)ねて来(き)て、気晴(きばらし)をさせることが自分(じぶん)の義務(ぎむ)と心得(こころえ)ている。で、来(く)ると、まるで空々(そらぞら)しい無理(むり)な元気(げんき)を出(だ)して、強(し)いて高笑(たかわらい)をして見(み)たり、今日(きょう)は非常(ひじょう)に顔色(かおいろ)がいいとか、何(なん)とか、ワルシャワの借金(しゃっきん)を払(はら)わぬので、内心(ないしん)の苦(くる)しくあるのと、恥(はずか)しくある所(ところ)から、余計(よけい)に強(し)いて気(き)を張(は)って、大声(おおごえ)で笑(わら)い、高調子(たかちょうし)で饒舌(しゃべ)るのであるが、彼(かれ)の話(はなし)にはもう倦厭(うんざ)りしているアンドレイ、エヒミチは、聞(き)くのもなかなかに大儀(たいぎ)で、彼(かれ)が来(く)ると何時(いつ)もくるりと顔(かお)を壁(かべ)に向(む)けて、長椅子(ながいす)の上(うえ)に横(よこ)になった切(き)り、そうして歯(は)を切(くいしば)っているのであるが、それが段々(だんだん)度重(たびかさ)なれば重(かさな)る程(ほど)、堪(たま)らなく、終(つい)には咽喉(のど)の辺(あた)りまでがむずむずして来(く)るような感(かん)じがして来(き)た。

 或日(あるひ)郵便局長(ゆうびんきょくちょう)ミハイル、アウエリヤヌイチは、中食後(ちゅうじきご)にアンドレイ、エヒミチの所(ところ)を訪問(ほうもん)した。アンドレイ、エヒミチはやはり例(れい)の長椅子(ながいす)の上(うえ)。すると丁度(ちょうど)ハバトフもブローミウム加里(カリ)の壜(びん)を携(たずさ)えて遣(や)って来(き)た。アンドレイ、エヒミチは重(おも)そうに、辛(つら)そうに身(み)を起(おこ)して腰(こし)を掛(か)け、長椅子(ながいす)の上(うえ)に両手(りょうて)を突張(つッぱ)る。
『いや今日(こんにち)は、おお君(きみ)は今日(きょう)は顔色(かおいろ)が昨日(きのう)よりもまたずッといいですよ。まず結構(けっこう)だ。』と、ミハイル、アウエリヤヌイチは挨拶(あいさつ)する。
『もう全快(ぜんかい)してもいいでしょう。』とハバトフは欠(あくび)をしながら言(ことば)を添(そ)える、
『平癒(なお)りますとも、そうしてもう百年(ねん)も生(い)きまさあ。』と、郵便局長(ゆうびんきょくちょう)は愉快気(ゆかいげ)に云(い)う。
『百年(ねん)てそうも行(ゆ)かんでしょうが、二十年(ねん)やそこらは生(い)き延(の)びますよ。』ハバトフは慰(なぐさ)め顔(がお)。『何(なん)んでもありませんさ、なあ同僚(どうりょう)。悲観(ひかん)ももう大抵(たいてい)になさるがいいですぞ。』
『我々(われわれ)はまだ隠居(いんきょ)するには早(はや)いです。ハハハそうでしょうドクトル、まだ隠居(いんきょ)するのには。』郵便局長(ゆうびんきょくちょう)は云(い)う。
『来年(らいねん)辺(あたり)はカフカズへ出掛(でか)けようじゃありませんか、乗馬(じょうば)で以(もっ)てからにあちこちを駆廻(かけまわ)りましょう。そうしてカフカズから帰(かえ)ったら、こんどは結婚(けっこん)の祝宴(しゅくえん)でも挙(あ)げるようになりましょう。』と片眼(かため)をパチパチして。『是非(ぜひ)一つ君(きみ)を結婚(けっこん)させよう……ねえ、結婚(けっこん)を。』
 アンドレイ、エヒミチはむかッとして立上(たちあが)った。
『失敬(しっけい)な!』と、一言(ひとこと)※(さけ)[#「口+斗」、U+544C、60-上-5]ぶなりドクトルは窓(まど)の方(ほう)に身(み)を退(よ)け。『全体(ぜんたい)貴方々(あなたがた)はこんな失敬(しっけい)なことを言(い)っていて、自分(じぶん)では気(き)が着(つ)かんのですか。』
 柔(やわら)かに言(い)う意(つもり)であったが、意(い)に反(はん)して荒々(あらあら)しく拳(こぶし)をも固(かた)めて頭上(かしらのうえ)に振翳(ふりかざ)した。
『余計(よけい)な世話(せわ)は焼(や)かんでもいい。』ますます荒々(あらあら)しくなる。
『二人(ふたり)ながら帰(かえ)って下(くだ)さい、さあ、出(で)て行(ゆ)きなさい。』
 自分(じぶん)の声(こえ)では無(な)い声(こえ)で顫(ふる)えながら※(さけ)[#「口+斗」、U+544C、60-上-11]ぶ。
 ミハイル、アウエリヤヌイチとハバトフとは呆気(あっけ)に取(と)られて瞶(みつ)めていた。
『二人(ふたり)とも、さあ出(で)てお行(い)でなさい。さあ。』アンドレイ、エヒミチはまだ※(さけ)[#「口+斗」、U+544C、60-上-15]び続(つづ)けている。『鈍痴漢(とんちんかん)の、薄鈍(うすのろ)な奴等(やつら)、薬(くすり)も糸瓜(へちま)もあるものか、馬鹿(ばか)な、軽挙(かるはずみ)な!』ハバトフと郵便局長(ゆうびんきょくちょう)とは、この権幕(けんまく)に辟易(へきえき)して戸口(とぐち)の方(ほう)に狼狽(まごまご)出(で)て行(ゆ)く。ドクトルはその後(あと)を睨(にら)めていたが、ゆきなりブローミウム加里(カリ)の壜(びん)を取(と)るより早(はや)く、発矢(はっし)とばかりそこに投(なげ)付(つけ)る、壜(びん)は微塵(みじん)に粉砕(ふんさい)してしまう。
『畜生(ちくしょう)! 行(ゆ)け! さッさと行(ゆ)け!』と彼(かれ)は玄関(げんかん)まで駈出(かけだ)して、泣声(なきごえ)を上(あ)げて怒鳴(どな)る。『畜生(ちくしょう)!』
 客等(きゃくら)が立去(たちさ)ってからも、彼(かれ)は一人(ひとり)でまだしばらく悪体(あくたい)を吻(つ)いている。しかし段々(だんだん)と落着(おちつ)くに随(したが)って、さすがにミハイル、アウエリヤヌイチに対(たい)しては気(き)の毒(どく)で、定(さだ)めし恥入(はじい)っていることだろうと思(おも)えば。ああ思慮(しりょ)、知識(ちしき)、解悟(かいご)、哲学者(てつがくしゃ)の自若(じじゃく)、それ将(は)た安(いずく)にか在(あ)ると、彼(かれ)はひたすらに思(おも)うて、慙(は)じて、自(みずか)ら赤面(せきめん)する。
 その夜(よ)は慙恨(ざんこん)の情(じょう)に駆(か)られて、一睡(すい)だもせず、翌朝(よくちょう)遂(つい)に意(い)を决(けっ)して、局長(きょくちょう)の所(ところ)へと詑(わび)に出掛(でかけ)る。
『いやもう過去(かこ)は忘(わす)れましょう。』と、ミハイル、アウエリヤヌイチは固(かた)く彼(かれ)の手(て)を握(にぎ)って云(い)うた。『過去(かこ)のことを思(おも)い出(だ)すものは、両眼(りょうがん)を抉(くじ)ってしまいましょう。リュバフキン!』と、彼(かれ)は大声(おおごえ)で誰(たれ)かを呼(よ)ぶ。郵便局(ゆうびんきょく)の役員(やくいん)も、来合(きあ)わしていた人々(ひとびと)も、一斉(せい)に吃驚(びっくり)する。『椅子(いす)を持(も)って来(こ)い。貴様(きさま)は待(ま)っておれ。』と、彼(かれ)は格子越(こうしごし)に書留(かきとめ)の手紙(てがみ)を彼(かれ)に差出(さしだ)している農婦(のうふ)に怒鳴(どな)り付(つけ)る。『俺(おれ)の用(よう)のあるのが見(み)えんのか。いや過去(かこ)は思(おも)い出(だ)しますまい。』と彼(かれ)は調子(ちょうし)を一段(だん)と柔(やさ)しくしてアンドレイ、エヒミチに向(むか)って云(い)う。『さあ君(きみ)、掛(か)け給(たま)え、さあどうか。』
 一分間(ぷんかん)黙(もく)して両手(りょうて)で膝(ひざ)を擦(こす)っていた郵便局長(ゆうびんきょくちょう)はまた云出(いいだ)した。
『私(わたくし)は决(けっ)して君(きみ)に対(たい)して立腹(りっぷく)は致(いた)さんので、病気(びょうき)なれば拠無(よんどころな)いのです、お察(さっ)し申(もう)すですよ。昨日(きのう)も君(きみ)が逆上(のぼせ)られた後(のち)、私(わたし)はハバトフと長(なが)いこと、君(きみ)のことを相談(そうだん)しましたがね、いや君(きみ)もこんどは本気(ほんき)になって、病気(びょうき)の療治(りょうじ)を遣(や)り給(たま)わんといかんです。私(わたし)は友人(ゆうじん)として何(なに)も彼(か)も打明(うちあ)けます。』と、彼(かれ)は更(さら)に続(つづ)けて。『全体(ぜんたい)君(きみ)は不自由(ふじゆう)な生活(せいかつ)をされているので、家(いえ)と云(い)えば清潔(せいけつ)でなし、君(きみ)の世話(せわ)をする者(もの)は無(な)し、療治(りょうじ)をするには銭(ぜに)は無(な)し。ねえ君(きみ)、で我々(われわれ)は切(せつ)に君(きみ)に勧(すす)めるのだ。どうぞ是非(ぜひ)一つ聴(き)いて頂(いただ)きたい、と云(い)うのは、実(じつ)はそう云(い)う訳(わけ)であるから、寧(むしろ)君(きみ)は病院(びょういん)に入(はい)られた方(ほう)が得策(とくさく)であろうと考(かんが)えたのです。ねえ君(きみ)、病院(びょういん)はまだ比較的(ひかくてき)、食物(しょくもつ)はよし、看護婦(かんごふ)はいる、エウゲニイ、フェオドロイチもいる。それは勿論(もちろん)、これは我々(われわれ)だけの話(はなし)だが、彼(かれ)は余(あま)り尊敬(そんけい)をすべき人格(じんかく)の男(おとこ)では無(な)いが、術(じゅつ)に掛(か)けてはまたなかなか侮(あなど)られんと思(おも)う。で願(ねがわ)くはだ、君(きみ)、どうぞ一つ充分(じゅうぶん)に彼(かれ)を信(しん)じて、療治(りょうじ)を専(せん)一にして頂(いただ)きたい。彼(かれ)も私(わたし)にきっと君(きみ)を引受(ひきう)けると云(い)っていたよ。』
 アンドレイ、エヒミチはこの切(せつ)なる同情(どうじょう)の言(ことば)と、その上(うえ)涙(なみだ)をさえ頬(ほお)に滴(た)らしている郵便局長(ゆうびんきょくちょう)の顔(かお)とを見(み)て、酷(ひど)く感動(かんどう)して徐(しずか)に口(くち)を開(ひら)いた。
『君(きみ)は彼等(かれら)を信(しん)じなさるな。嘘(うそ)なのです。私(わたし)の病気(びょうき)と云(い)うのはそもそもこうなのです。二十年来(ねんらい)、私(わたし)はこの町(まち)にいてただ一人(ひとり)の智者(ちしゃ)に遇(あ)った。所(ところ)がそれは狂人(きちがい)であると云(い)う、これだけの事実(じじつ)です。で私(わたし)も狂人(きちがい)にされてしまったのです。しかしなあに私(わたし)はどうでもいいので、からしてつまり何(なん)にでも同意(どうい)を致(いた)しましょう。』
『病院(びょういん)へお入(はい)りなさい、ねえ君(きみ)。』
『左様(さよう)、どうでもいいです、よしんば穴(あな)の中(なか)に入(はい)るのでも。』
『で、君(きみ)は万事(ばんじ)エウゲニイ、フェオドロイチの言(ことば)に従(したが)うように、ねえ君(きみ)、頼(たの)むから。』
『宜(よろ)しい、私(わたし)は今(いま)は実(じつ)以(もっ)て二(にっ)ちも三(さっ)ちも行(ゆ)かん輪索(わな)に陥没(はま)ってしまったのです。もう万事休矣(おしまい)です覚悟(かくご)はしています。』
『いやきっと平癒(なおる)ですよ。』
 格子(こうし)の外(そと)には公衆(こうしゅう)が次第(しだい)に群(むらが)って来(く)る。アンドレイ、エヒミチは、ミハイル、アウエリヤヌイチの公務(こうむ)の邪魔(じゃま)をするのを恐(おそ)れて、話(はなし)はそれだけにして立上(たちあが)り、彼(かれ)と別(わか)れて郵便局(ゆうびんきょく)を出(で)た。
 丁度(ちょうど)その日(ひ)の夕方(ゆうがた)、ドクトル、ハバトフは例(れい)の毛皮(けがわ)の外套(がいとう)に、深(ふか)い長靴(ながぐつ)、昨日(きのう)は何事(なにごと)も無(な)かったような顔(かお)で、アンドレイ、エヒミチをその宿(やど)に訪問(たず)ねた。
『貴方(あなた)に少々(しょうしょう)お願(ねがい)があって出(で)たのですが、どうぞ貴方(あなた)は私(わたくし)と一つ立合診察(たちあいしんさつ)をしては下(くだ)さらんか、如何(いかが)でしょう。』と、さり気(げ)なくハバトフは云(い)う。
 アンドレイ、エヒミチはハバトフが自分(じぶん)を散歩(さんぽ)に誘(さそ)って気晴(きばらし)をさせようと云(い)うのか、或(あるい)はまた自分(じぶん)にそんな仕事(しごと)を授(さず)けようと云(い)う意(つもり)なのかと考(かんが)えて、とにかく服(ふく)を着換(きか)えて共(とも)に通(とおり)に出(で)たのである。彼(かれ)はハバトフが昨日(きのう)のことは噫(おくび)にも出(だ)さず、かつ気(き)にも掛(か)けていぬような様子(ようす)を見(み)て、心中(しんちゅう)一方(ひとかた)ならず感謝(かんしゃ)した。こんな非文明的(ひぶんめいてき)な人間(にんげん)から、かかる思遣(おもいや)りを受(う)けようとは、全(まった)く意外(いがい)であったので。
『貴方(あなた)の有仰(おっしゃ)る病人(びょうにん)はどこなのです?、』アンドレイ、エヒミチは問(と)うた。
『病院(びょういん)です、もう疾(と)うから貴方(あなた)にも見(み)て頂(いただ)きたいと思(おも)っていましたのですが……妙(みょう)な病人(びょうにん)なのです。』
 やがて病院(びょういん)の庭(にわ)に入(い)り、本院(ほんいん)を一周(ひとまわり)して瘋癲病者(ふうてんびょうしゃ)の入(い)れられたる別室(べっしつ)に向(むか)って行(い)った。ハバトフはその間(あいだ)何故(なにゆえ)か黙(もく)したまま、さッさと六号室(ごうしつ)へ這入(はい)って行(い)ったが、ニキタは例(れい)の通(とお)り雑具(がらくた)の塚(つか)の上(うえ)から起上(おきあが)って、彼等(かれら)に礼(れい)をする。
『肺(はい)の方(ほう)から来(き)た病人(びょうにん)なのですがな。』とハバトフは小声(こごえ)で云(い)うた。『や、私(わたし)は聴診器(ちょうしんき)を忘(わす)れて来(き)た、直(す)ぐ取(と)って来(き)ますから、ちょっと貴方(あなた)はここでお待(ま)ち下(くだ)さい。』
と彼(かれ)はアンドレイ、エヒミチをここに一人(ひとり)残(のこ)して立去(たちさ)った。

 日(ひ)はすでに没(ぼっ)した。イワン、デミトリチは顔(かお)を枕(まくら)に埋(うず)めて寐台(ねだい)の上(うえ)に横(よこ)になっている。中風患者(ちゅうぶかんじゃ)は何(なに)か悲(かな)しそうに静(しずか)に泣(な)きながら、唇(くちびる)を動(うご)かしている。肥(ふと)った農夫(のうふ)と、郵便局員(ゆうびんきょくいん)とは眠(ねむ)っていて、六号室(ごうしつ)の内(うち)は※(「門<貝」、第4水準2-91-57)(げき)として静(しず)かであった。
 アンドレイ、エヒミチは、イワン、デミトリチの寐台(ねだい)の上(うえ)に腰(こし)を掛(か)けて、大約(おおよそ)半時間(はんじかん)も待(ま)っていると、室(へや)の戸(と)は開(あ)いて、入(はい)って来(き)たのはハバトフならぬ小使(こづかい)のニキタ。病院服(びょういんふく)、下着(したぎ)、上靴(うわぐつ)など、小腋(こわき)に抱(かか)えて。
『どうぞ閣下(かっか)これをお召(め)し下(くだ)さい。』と、ニキタは前院長(ぜんいんちょう)の前(まえ)に立(た)って丁寧(ていねい)に云(い)うた。『あれが閣下(かっか)のお寐台(ねだい)で。』と、彼(かれ)は更(さら)に新(あたら)しく置(おか)れた寐台(ねだい)の方(ほう)を指(さ)して。『何(なん)でもありませんです。必(かなら)ず直(すぐ)に御全快(ごぜんかい)になられます。』
 アンドレイ、エヒミチはここに至(いた)って初(はじ)めて読(よ)めた。一言(ごん)も言(い)わずに彼(かれ)はニキタの示(しめ)した寐台(ねだい)に移(うつ)り、ニキタが立(た)って待(ま)っているので、直(す)ぐに着(き)ていた服(ふく)をすッぽりと脱(ぬ)ぎ棄(す)て、病院服(びょういんふく)に着換(きか)えてしまった。シャツは長(なが)し、ズボン下(した)は短(みじ)かし、上着(うわぎ)は魚(さかな)の焼(や)いた臭(におい)がする。『きっと間(ま)もなくお直(なお)りでしょう。』と、ニキタはまた云(い)うてアンドレイ、エヒミチの脱捨(ぬぎすて)た服(ふく)を一纏(ひとまと)めにして、小腋(こわき)に抱(かか)えたまま、戸(と)を閉(た)てて行(ゆ)く。
『どうでもいい……。』と、アンドレイ、エヒミチは体裁(きまり)悪(わる)そうに病院服(びょういんふく)の前(まえ)を掻合(かきあ)わせて、さも囚人(しゅうじん)のようだと思(おも)いながら、『どうでもいいわ……燕尾服(えんびふく)だろうが、軍服(ぐんぷく)だろうが、この病院服(びょういんふく)だろうが、同(おな)じことだ。』
『しかし時計(とけい)はどうしたろう、それからポッケットに入(い)れて置(お)いた手帳(てちょう)も、巻莨(まきたばこ)も、や、ニキタはもう着物(きもの)を悉皆(のこらず)持(も)って行(い)った。いや入(い)らん、もう死(し)ぬまで、ズボンや、チョッキ、長靴(ながぐつ)には用(よう)が無(な)いのかも知(し)れん。しかし奇妙(きみょう)な成行(なりゆき)さ。』と、アンドレイ、エヒミチは今(いま)もなおこの六号室(ごうしつ)と、ベローワの家(いえ)と何(なん)の異(かわ)りも無(な)いと思(おも)うていたが、どう云(い)うものか、手足(てあし)は冷(ひ)えて、顫(ふる)えてイワン、デミトリチが今(いま)にも起(お)きて自分(じぶん)のこの姿(すがた)を見(み)て、何(なん)とか思(おも)うだろうと恐(おそろ)しいような気(き)もして、立(た)ったり、いたり、また立(た)ったり、歩(ある)いたり、ようやく半時間(はんじかん)、一時間(じかん)ばかりも坐(すわ)っていて見(み)たが、悲(かな)しい程(ほど)退屈(たいくつ)になって来(き)て、どうしてこんな処(ところ)に一週間(しゅうかん)といられよう、まして一年(ねん)、二年(ねん)など到底(とうてい)辛棒(しんぼう)をされるものでないと思(おも)い付(つ)いた。そう思(おも)えばますます居堪(いたま)らず、衝(つ)と立(た)って隅(すみ)から隅(すみ)へと歩(ある)いて見(み)る。『そうしてからどうする、ああ到底(とうてい)居堪(いたたま)らぬ、こんな風(ふう)で一生(しょう)!』
 彼(かれ)はどっかり坐(すわ)った、横(よこ)になったがまた起直(おきなお)る。そうして袖(そで)で額(ひたい)に流(なが)れる冷汗(ひやあせ)を拭(ふ)いたが顔中(かおじゅう)焼魚(やきざかな)の腥※(「月+亶」、第3水準1-90-52)(なまぐさ)い臭(におい)がして来(き)た。彼(かれ)はまた歩(ある)き出(だ)す。『何(なに)かの間違(まちが)いだろう……話合(はなしあ)って見(み)にゃ解(わか)らん、きっと誤解(ごかい)があるのだ。』
 イワン、デミトリチはふと眼(め)を覚(さま)し、脱然(ぐったり)とした様子(ようす)で両(りょう)の拳(こぶし)を頬(ほお)に突(つ)く。唾(つば)を吐(は)く。初(はじ)めちょっと彼(かれ)には前院長(ぜんいんちょう)に気(き)が付(つ)かぬようであったがやがてそれと見(み)て、その寐惚顔(ねぼけがお)には忽(たちま)ち冷笑(れいしょう)が浮(うか)んだので。
『ああ貴方(あなた)もここへ入(い)れられましたのですか。』と彼(かれ)は嗄(しわが)れた声(こえ)で片眼(かため)を細(ほそ)くして云(い)うた。『いや結構(けっこう)、散々(さんざん)人(ひと)の血(ち)をこうして吸(す)ったから、こんどは御自分(ごじぶん)の吸(す)われる番(ばん)だ、結構々々(けっこうけっこう)。』
『何(なに)かの多分(たぶん)間違(まちがい)です。』とアンドレイ、エヒミチは肩(かた)を縮(ちぢ)めて云(い)う。『間違(まちがい)に相違(そうい)ないです。』
 イワン、デミトリチはまたも床(ゆか)に唾(つば)を吐(は)いて、横(よこ)になり、そうして呟(つぶや)いた。『ええ、生甲斐(いきがい)の無(な)い生活(せいかつ)だ、如何(いか)にも残念(ざんねん)なことだ、この苦痛(くつう)な生活(せいかつ)がオペラにあるような、アポテオズで終(おわ)るのではなく、これがああ死(し)で終(おわ)るのだ。非人(ひにん)が来(き)て、死者(ししゃ)の手(て)や、足(あし)を捉(とら)えて穴(あな)の中(なか)に引込(ひきこ)んでしまうのだ、うッふ! だが何(なん)でもない……その換(かわ)り俺(おれ)は彼(あ)の世(よ)から化(ば)けて来(き)て、ここらの奴等(やつら)を片端(かたッぱし)から嚇(おど)してくれる、皆(みんな)白髪(しらが)にしてしまって遣(や)る。』
 折(おり)しもモイセイカは外(そと)から帰(かえ)り来(きた)り、そこに前院長(ぜんいんちょう)のいるのを見(み)て、直(すぐ)に手(て)を延(のば)し、
『一銭(せん)お呉(くん)なさい!』

 アンドレイ、エヒミチは窓(まど)の所(ところ)に立(た)って外(そと)を眺(なが)むれば、日(ひ)はもうとッぷりと暮(く)れ果(は)てて、むこうの野広(のびろ)い畑(はた)は暗(くら)かったが、左(ひだり)の方(ほう)の地平線上(ちへいせんじょう)より、今(いま)しも冷(つめ)たい金色(こんじき)の月(つき)が上(のぼ)る所(ところ)、病院(びょういん)の塀(へい)から百歩(ぽ)ばかりの処(ところ)に、石(いし)の牆(かき)の繞(めぐ)らされた高(たか)い、白(しろ)い家(いえ)が見(み)える。これは監獄(かんごく)である。
『これが現実(げんじつ)と云(い)うものか。』アンドレイ、エヒミチは思(おも)わず慄然(ぞっ)とした。
 凄然(せいぜん)たる月(つき)、塀(へい)の上(うえ)の釘(くぎ)、監獄(かんごく)、骨焼場(ほねやきば)の遠(とお)い焔(ほのお)、アンドレイ、エヒミチはさすがに薄気味悪(うすきみわる)い感(かん)に打(う)たれて、しょんぼりと立(た)っている。と直後(すぐうしろ)に、吐(ほっ)とばかり溜息(ためいき)の声(こえ)がする。振返(ふりかえ)れば胸(むね)に光(ひか)る徽章(きしょう)やら、勲章(くんしょう)やらを下(さ)げた男(おとこ)が、ニヤリとばかり片眼(かため)をパチパチと、自分(じぶん)を見(み)て笑(わら)う。
 アンドレイ、エヒミチは強(し)いて心(こころ)を落着(おちつ)けて、何(なん)の、月(つき)も、監獄(かんごく)もそれがどうなのだ、壮健(そうけん)な者(もの)も勲章(くんしょう)を着(つ)けているではないか。と、そう思返(おもいかえ)したものの、やはり失望(しつぼう)は彼(かれ)の心(こころ)にいよいよ募(つの)って、彼(かれ)は思(おも)わず両(りょう)の手(て)に格子(こうし)を捉(とら)え、力儘(ちからまか)せに揺動(ゆすぶ)ったが、堅固(けんご)な格子(こうし)はミチリとの音(おと)もせぬ。
 荒凉(こうりょう)の気(き)に打(う)たれた彼(かれ)は、何(なに)かなして心(こころ)を紛(まぎ)らさんと、イワン、デミトリチの寐台(ねだい)の所(ところ)に行(い)って腰(こし)を掛(かけ)る。
『私(わたくし)はもう落胆(がっかり)してしまいましたよ、君(きみ)。』と、彼(かれ)は顫声(ふるえごえ)して、冷汗(ひやあせ)を拭(ふ)きながら。『全(まった)く落胆(がっかり)してしまいました。』
『では一つ哲学(てつがく)の議論(ぎろん)でもお遣(や)んなさい。』と、イワン、デミトリチは冷笑(れいしょう)する。
『ああ絶体絶命(ぜったいぜつめい)……そうだ。何時(いつ)か貴方(あなた)は露西亜(ロシヤ)には哲学(てつがく)は無(な)い、しかし誰(たれ)も、彼(かれ)も、丁斑魚(めだか)でさえも哲学(てつがく)をすると有仰(おっしゃ)ったっけ。しかし丁斑魚(めだか)が哲学(てつがく)をすればって、誰(だれ)にも害(がい)は無(な)いのでしょう。』アンドレイ、エヒミチはいかにも情無(なさけな)いと云(い)うような声(こえ)をして。『どうして君(きみ)、そんなにいい気味(きみ)だと云(い)うような笑様(わらいよう)をされるのです。幾(いく)ら丁斑魚(めだか)でも満足(まんぞく)を得(え)られんなら、哲学(てつがく)をせずにはおられんでしょう。いやしくも智慧(ちえ)ある、教育(きょういく)ある、自尊(じそん)ある、自由(じゆう)を愛(あい)する、即(すなわ)ち神(かみ)の像(ぞう)たる人間(にんげん)が。ただに医者(いしゃ)として、辺鄙(へんぴ)なる、蒙昧(もうまい)なる片田舎(かたいなか)に一生(しょう)、壜(びん)や、蛭(ひる)や、芥子粉(からしこ)だのを弄(いじ)っているより外(ほか)に、何(なん)の為(な)すことも無(な)いのでしょうか、詐欺(さぎ)、愚鈍(ぐどん)、卑劣漢(ひれつかん)、と一所(しょ)になって、いやもう!』
『下(くだ)らんことを貴方(あなた)は零(こぼ)していなさる。医者(いしゃ)がいやなら大臣(だいじん)にでもなったらいいでしょう。』
『いや、どこへ行(ゆ)くのも、何(なに)を遣(や)るのも望(のぞ)まんです。考(かんが)えれば意気地(いくじ)が無(な)いものさ。これまでは虚心(きょしん)平気(へいき)で、健全(けんぜん)に論(ろん)じていたが、一朝(ちょう)生活(せいかつ)の逆流(ぎゃくりゅう)に触(ふ)るるや、直(ただち)に気(き)は挫(くじ)けて落胆(らくたん)に沈(しず)んでしまった……意気地(いくじ)が無(な)い……人間(にんげん)は意気地(いくじ)が無(な)いものです、貴方(あなた)とてもやはりそうでしょう、貴方(あなた)などは、才智(さいち)は勝(すぐ)れ、高潔(こうけつ)ではあり、母(はは)の乳(ちち)と共(とも)に高尚(こうしょう)な感情(かんじょう)を吸込(すいこ)まれた方(かた)ですが、実際(じっさい)の生活(せいかつ)に入(い)るや否(いなや)、直(ただち)に疲(つか)れて病気(びょうき)になってしまわれたです。実(じつ)に人(ひと)は微弱(びじゃく)なものだ。』
 彼(かれ)には悲愴(ひそう)の感(かん)の外(ほか)に、まだ一種(しゅ)の心細(こころぼそ)き感(かん)じが、殊(こと)に日暮(ひぐれ)よりかけて、しんみりと身(み)に泌(し)みて覚(おぼ)えた。これは麦酒(ビール)と、莨(たばこ)とが、欲(ほ)しいのであったと彼(かれ)も終(つい)に心着(こころづ)く。
『私(わたし)はここから出(で)て行(ゆ)きますよ、君(きみ)。』と、彼(かれ)はイワン、デミトリチにこう云(い)うた。『ここへ灯(あかり)を持(も)って来(く)るように言付(いいつ)けますから……どうしてこんな真暗(まっくら)な所(ところ)にいられましょう……我慢(がまん)し切(き)れません。』
 アンドレイ、エヒミチは戸口(とぐち)の所(ところ)に進(すす)んで、戸(と)を開(あ)けた。するとニキタが躍上(おどりあがっ)て来(き)て、その前(まえ)に立塞(たちふさが)る。
『どちらへ! いけません、いけません!』と、彼(かれ)は※(さけ)[#「口+斗」、U+544C、63-下-12]ぶ。『もう眠(ね)る時(とき)ですぞ!』
『いやちと庭(にわ)を歩(ある)いて来(く)るのだ。』と、アンドレイ、エヒミチは怖々(おどおど)する。
『いけません、いけません! そんなことをさせてもいいとは誰(たれ)からも言付(いいつ)かりません。御存(ごぞん)じでしょう。』
 云(い)うなりニキタは戸(と)をぱたり。そうして背(せ)を閉(し)めた戸(と)に当(あ)ててやはりそこに仁王立(におうだち)。
『しかし俺(おれ)が出(で)たってそれが為(ため)に誰(だれ)が何(なん)と云(い)う。』アンドレイ、エヒミチは肩(かた)を縮(ちぢめ)る。『訳(わけ)が分(わか)らん、おいニキタ俺(おれ)は出(で)なければならんのだ!』彼(かれ)の声(こえ)は顫(ふる)える。『用(よう)があるのだ!』
『規律(きりつ)を乱(みだ)すことは出来(でき)ません、いけません!』とニキタは諭(さと)すような調子(ちょうし)。
『何(なん)だと畜生(ちくしょう)!』と、この時(とき)イワン、デミトリチは急(きゅう)にむッくりと起上(おきあが)る。『何(なん)で彼奴(きゃつ)が出(だ)さんと云(い)う法(ほう)がある、我々(われわれ)をここに閉込(とじこ)めて置(お)く訳(わけ)は無(な)い。法律(ほうりつ)に照(てら)しても明白(あきらか)だ、何人(なにびと)と雖(いえども)、裁判(さいばん)もなくして無暗(むやみ)に人(ひと)の自由(じゆう)を奪(うば)うことが出来(でき)るものか! 不埒(ふらち)だ! 圧制(あっせい)だ!』
『勿論(もちろん)不埒(ふらち)ですとも。』アンドレイ、エヒミチはイワン、デミトリチの加勢(かせい)にとみに力(ちから)を得(え)て、気(き)が強(つよ)くなり。『俺(おれ)は用(よう)があるのだ! 出(で)るのだ! 貴様(きさま)に何(なん)の権利(けんり)がある! 出(だ)せと云(い)ったら出(だ)せ!』
『解(わか)ったか馬鹿野郎(ばかやろう)!』と、イワン、デミトリチは※(さけ)[#「口+斗」、U+544C、64-上-6]んで、拳(こぶし)を固(かた)めて戸(と)を敲(たた)く。『やい開(あ)けろ! 開(あ)けろ! 開(あ)けんか! 開けんなら戸(と)を打破(ぶちこわ)すぞ! 人非人(ひとでなし)! 野獣(けだもの)!』
『開(あ)けろ!』アンドレイ、エヒミチは全身(ぜんしん)をぶるぶると顫(ふる)わして。『俺(おれ)が命(めい)ずるのだッ!』
『もう一度(ど)言(い)って見(み)ろ!』戸(と)のむこうでニキタの声(こえ)。『もう一度(ど)言(い)って見(み)ろ!』
『じゃ、エウゲニイ、フェオドロイチでもここへ呼(よ)んで来(こ)い、ちょっと俺(おれ)が来(き)てくれッて云(い)っているとそう云(い)え……ちょっとでいいからッて!』
『明日(あした)になればお出(い)でになります。』
『何日(いつ)になったって我々(われわれ)を决(けっ)して出(だ)すものか。』イワン、デミトリチは云(い)う、『我々(われわれ)をここで腐(くさ)らしてしまう料簡(りょうけん)だろう! 来世(らいせい)に地獄(じごく)がなくて為(な)るものか、こんな人非人共(ひとでなしども)がどうして許(ゆる)される、そんなことで正義(せいぎ)はどこにある、えい、開(あ)けろ、畜生(ちくしょう)!』彼(かれ)は嗄(しゃが)れた声(こえ)を絞(しぼ)って、戸(と)に身(み)を投掛(なげか)け。『いいか、貴様(きさま)の頭(あたま)を敲(たた)き破(わ)るぞ! 人殺奴(ひとごろしめ)!』
 ニキタはぱッと戸(と)を開(あ)けるより、阿修羅王(あしゅらおう)の荒(あ)れたる如(ごと)く、両手(りょうて)と膝(ひざ)でアンドレイ、エヒミチを突飛(つきとば)し、骨(ほね)も砕(くだ)けよとその鉄拳(てっけん)を真向(まっこう)に、健(したた)か彼(かれ)の顔(かお)を敲(たた)き据(す)えた。アンドレイ、エヒミチはアッと云(い)ったまま、緑色(みどりいろ)の大浪(おおなみ)が頭(あたま)から打被(うちかぶ)さったように感(かん)じて、寐台(ねだい)の上(うえ)に引(ひ)いて行(ゆ)かれたような心地(ここち)。口(くち)の中(うち)には塩気(しおけ)を覚(おぼ)えた、大方(おおかた)歯(は)からの出血(しゅっけつ)であろう。彼(かれ)は泳(およ)がんとするもののように両手(りょうて)を動(うご)かして、誰(たれ)やらの寐台(ねだい)にようよう取縋(とりすが)った。とまたもこの時(とき)振下(ふりおろ)したニキタの第(だい)二の鉄拳(てっけん)、背骨(せぼね)も歪(ゆが)むかと悶(もだ)ゆる暇(ひま)もなく打続(うちつづい)て、またまた三度目(どめ)の鉄拳(てっけん)。
 イワン、デミトリチはこの時(とき)高(たか)く※声(さけびごえ)[#「口+斗」、U+544C、64-下-3]。彼(かれ)も打(ぶ)たれたのであろう。
 それよりは室内(しつない)また音(おと)もなく、ひッそりと静(しずま)り返(かえ)った。折(おり)から淡々(あわあわ)しい月(つき)の光(ひかり)、鉄窓(てっそう)を洩(も)れて、床(ゆか)の上(うえ)に網(あみ)に似(に)たる如(ごと)き墨画(すみえ)を夢(ゆめ)のように浮出(うきだ)したのは、謂(いお)うようなく、凄絶(せいぜつ)また惨絶(さんぜつ)の極(きわみ)であった、アンドレイ、エヒミチは横(よこ)たわったまま、まだ息(いき)を殺(ころ)して、身(み)を縮(ちぢ)めて、もう一度(ど)打(ぶ)たれはせぬかと待(まち)構(かま)えている。と、忽(たちま)ち覚(おぼ)ゆる胸(むね)の苦痛(くつう)、膓(ちょう)の疼痛(とうつう)、誰(たれ)か鋭(するど)き鎌(かま)を以(もっ)て、刳(えぐ)るにはあらぬかと思(おも)わるる程(ほど)、彼(かれ)は枕(まくら)に強攫(しが)み着(つ)き、きりりと歯(は)をば切(くいしば)る。今(いま)ぞ初(はじ)めて彼(かれ)は知(し)る。その有耶無耶(うやむや)になった脳裡(のうり)に、なお朧朦気(おぼろげ)に見(み)た、月(つき)の光(ひかり)に輝(てら)し出(だ)されたる、黒(くろ)い影(かげ)のようなこの室(へや)の人々(ひとびと)こそ、何年(なんねん)と云(い)うことは無(な)く、かかる憂目(うきめ)に遭(あ)わされつつありしかと、堪(た)え難(がた)き恐(おそろ)しさは電(いなづま)の如(ごと)く心(こころ)の中(うち)に閃(ひらめ)き渡(わた)って、二十有余年(ゆうよねん)の間(あいだ)、どうして自分(じぶん)はこれを知(し)らざりしか、知(し)らんとはせざりしか。と空(そら)恐(おそろ)しく思(おも)うのであったが、また剛情(ごうじょう)我慢(がまん)なるその良心(りょうしん)は、とは云(い)え自(みずか)らはいまだかつて疼痛(とうつう)の考(かんが)えにだにも知(し)らぬのであった、しからば自分(じぶん)が悪(わる)いのでは無(な)いのであると囁(ささや)いて、さながら襟下(えりもと)から冷水(ひやみず)を浴(あ)びせられたように感(かん)じた。彼(かれ)は起上(おきあが)って声限(こえかぎ)りに※(さけ)[#「口+斗」、U+544C、64-下-18]び、そうしてここより抜出(ぬけい)でて、ニキタを真先(まっさき)に、ハバトフ、会計(かいけい)、代診(だいしん)を鏖殺(みなごろし)にして、自分(じぶん)も続(つづ)いて自殺(じさつ)して終(しま)おうと思(おも)うた。が、どうしたのか声(こえ)は咽喉(のど)から出(い)でず、足(あし)もまた意(い)の如(ごと)く動(うご)かぬ、息(いき)さえ塞(つま)ってしまいそうに覚(おぼ)ゆる甲斐(かい)なさ。彼(かれ)は苦(くる)しさに胸(むね)の辺(あたり)を掻(か)き毟(むし)り、病院服(びょういんふく)も、シャツも、ぴりぴりと引裂(ひきさ)くのであったが、やがてそのまま気絶(きぜつ)して寐台(ねだい)の上(うえ)に倒(たお)れてしまった。

 翌朝(よくちょう)彼(かれ)は激(はげ)しき頭痛(ずつう)を覚(おぼ)えて、両耳(りょうみみ)は鳴(な)り、全身(ぜんしん)には只(ただ)ならぬ悩(なやみ)を感(かん)じた。そうして昨日(きのう)の身(み)に受(う)けた出来事(できごと)を思(おも)い出(だ)しても、恥(はずか)しくも何(なん)とも感(かん)ぜぬ。昨日(きのう)の小胆(しょうたん)であったことも、月(つき)さえも気味(きみ)悪(わる)く見(み)たことも、以前(いぜん)には思(おも)いもしなかった感情(かんじょう)や、思想(しそう)を有(あり)のままに吐露(とろ)したこと、即(すなわ)ち哲学(てつがく)をしている丁斑魚(めだか)の不満足(ふまんぞく)のことを云(い)うたことなども、今(いま)は彼(かれ)に取(と)って何(なん)でもなかった。
 彼(かれ)は食(く)わず、飲(の)まず、動(うご)きもせず、横(よこ)になって黙(もく)していた。
『ああもう何(なに)も彼(か)もない、誰(たれ)にも返答(へんとう)などするものか……もうどうでもいい。』と、彼(かれ)は考(かんが)えていた。
 中食後(ちゅうじきご)ミハイル、アウエリヤヌイチは茶(ちゃ)を四半斤(はんぎん)と、マルメラドを一斤(きん)持参(も)って、彼(かれ)の所(ところ)に見舞(みまい)に来(き)た。続(つづ)いてダリュシカも来(き)、何(なん)とも云(い)えぬ悲(かな)しそうな顔(かお)をして、一時間(じかん)も旦那(だんな)の寐台(ねだい)の傍(そば)にじっと立(たっ)たままで、それからハバトフもブローミウム加里(カリ)の壜(びん)を持(も)って、やはり見舞(みまい)に来(き)たのである。そうして室内(しつない)に何(なに)か香(こう)を薫(く)ゆらすようにとニキタに命(めい)じて立去(たちさ)った。
 その夕方(ゆうがた)、俄然(がぜん)アンドレイ、エヒミチは脳充血(のうじゅうけつ)を起(おこ)して死去(しきょ)してしまった。初(はじ)め彼(かれ)は寒気(さむけ)を身(み)に覚(おぼ)え、吐気(はきけ)を催(もよお)して、異様(いよう)な心地悪(ここちあ)しさが指先(ゆびさき)にまで染渡(しみわた)ると、何(なに)か胃(い)から頭(あたま)に突上(つきあ)げて来(く)る、そうして眼(め)や耳(みみ)に掩(おお)い被(かぶ)さるような気(き)がする。青(あお)い光(ひかり)が眼(め)に閃付(ちらつ)く。彼(かれ)は今(いま)すでにその身(み)の死期(しき)に迫(せま)ったのを知(し)って、イワン、デミトリチや、ミハイル、アウエリヤヌイチや、また多数(おおく)の人(ひと)の霊魂不死(れいこんふし)を信(しん)じているのを思(おも)い出(だ)し、もしそんなことがあったらばと考(かんが)えたが、霊魂(れいこん)の不死(ふし)は、何(なに)やら彼(かれ)には望(のぞ)ましくなかった。そうしてその考(かんが)えはただ一瞬間(しゅんかん)にして消(き)えた。昨日(きのう)読(よ)んだ書中(しょちゅう)の美(うつく)しい鹿(しか)の群(むれ)が、自分(じぶん)の側(そば)を通(とお)って行(い)ったように彼(かれ)には見(み)えた。こんどは農婦(ひゃくしょうおんな)が手(て)に書留(かきとめ)の郵便(ゆうびん)を持(も)って、それを自分(じぶん)に突出(つきだ)した。何(なに)かミハイル、アウエリヤヌイチが云(い)うたのであるが、直(すぐ)に皆(みな)掻消(かきき)えてしまった。かくてアンドレイ、エヒミチは永刧(えいごう)覚(さ)めぬ眠(ねむり)には就(つ)いた。
 下男共(げなんども)は来(き)て、彼(かれ)の手足(てあし)を捉(と)り、小聖堂(こせいどう)に運(はこ)び去(さ)ったが、彼(かれ)が眼(め)いまだ瞑(めい)せずして、死骸(むくろ)は台(だい)の上(うえ)に横臥(よこたわ)っている。夜(よ)に入(い)って月(つき)は影暗(かげくら)く彼(かれ)を輝(てら)した。翌朝(よくちょう)セルゲイ、セルゲイチはここに来(き)て、熱心(ねっしん)に十字架(じか)に向(むか)って祈祷(きとう)を捧(ささ)げ、自分等(じぶんら)が前(さき)の院長(いんちょう)たりし人(ひと)の眼(め)を合(あ)わしたのであった。
 一日(にち)を経(へ)て、アンドレイ、エヒミチは埋葬(まいそう)された。その祈祷式(きとうしき)に預(あずか)ったのは、ただミハイル、アウエリヤヌイチと、ダリュシカとで。
了

底本:「明治文學全集 82 明治女流文學集(二)」筑摩書房
   1965(昭和40)年12月10日発行
   1989(平成元)年2月20日初版第5刷発行
底本の親本:「露国文豪 チエホフ傑作集」獅子吼書房
   1908(明治41)年10月
初出:「文藝界」
   1906(明治39)年4月
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
「此の」は「この」、「又」は「また」、「於て」は「おいて」、「毎も」は「いつも」、「何処」は「どこ」、「恁う」は「こう」、「其」は「その」または「それ」、「是」は「これ」または「ここ」、「丈」は「だけ」、「計り」は「ばかり」、「凝と」は「じっと」、「為た」は「した」、「些し」は「すこし」、「為て」は「して」、「然し」は「しかし」、「猶且」は「やはり」、「其れ」は「それ」、「事」は「こと」、「左に右」は「とにかく」、「儘」は「まま」、「而して」は「そうして」、「了う」は「しまう」、「呉れ」は「くれ」、「悉皆」は「すっかり」、「有った」は「あった」、「恁く」は「かく」、「唯」は「ただ」、「可い」は「いい」または「よい」、「有って」は「あって」または「もって」、「先ず」は「まず」、「施て」は「やがて」、「然るに」は「しかるに」、「此度」は「こんど」、「亦」は「また」、「了った」は「しまった」、「此」は「ここ」または「かく」、「初中終」は「しょっちゅう」、「往々」は「まま」、「居る」は「いる」または「おる」、「是等」は「これら」、「為なければ」は「しなければ」、「抔」は「など」、「偖」は「さて」、「有る」は「ある」、「屡」は「しばしば」、「縦令」は「よし」または「たとい」または「よしんば」、「屹度」は「きっと」、「奈何」は「どう」または「いかん」または「いか」、「不好」は「いや」、「為ぬ」は「せぬ」、「有り」は「あり」、「抑も」は「そもそも」、「有たぬ」は「もたぬ」、「這麼」は「こんな」、「此れ」は「これ」、「若し」は「もし」、「那様」は「そんな」、「愈々」は「いよいよ」、「全然」は「すっかり」または「まるきり」または「まるで」、「猶」は「なお」、「密と」は「そっと」、「那麼」は「あんな」または「こんな」、「乃」は「そこで」、「然」は「そう」または「しかし」、「未だ」は「まだ」または「いまだ」、「然う」は「そう」、「卒」は「いきなり」、「有ゆる」は「あらゆる」、「些と」は「ちょっと」、「恰で」は「まるで」、「丈け」は「だけ」、「迄」は「まで」、「宛然」は「まるで」または「さながら」、「猶更」は「なおさら」、「為ねば」は「せねば」、「恁る」は「かかる」、「且つ」は「かつ」、「只管」は「ひたすら」、「茲」は「ここ」、「若」は「もし」、「切て」は「せめて」、「可く」は「よく」、「好く」は「よく」、「全然で」は「まるで」、「此所」は「ここ」、「度い」は「たい」、「毎」は「いつも」、「為よう」は「しよう」、「好い」は「いい」または「よい」、「已」は「すで」、「依然」は「やはり」、「尤も」は「もっとも」、「如何」は「どう」、「而て」は「して」、「然れども」は「けれども」、「唯だ」は「ただ」、「此方」は「このかた」、「度く」は「たく」、「嘗つて」は「かつて」、「其処」は「そこら」または「そこ」、「此処」は「ここ」、「居って」は「おって」、「甚麼」は「どんな」、「可かろう」は「よかろう」、「居らん」は「おらん」、「畢竟」は「つまり」、「可けません」は「いけません」、「最と」は「いと」、「仮令」は「たとい」、「之れ」は「これ」、「嘗て」は「かつて」、「何卒」は「どうぞ」または「どうか」、「仕よう」は「しよう」、「何方」は「どちら」、「居り」は「おり」、「為ない」は「しない」、「然らば」は「しからば」、「抑」は「そもそも」、「那」は「あれ」または「ああ」、「益」は「ますます」、「有つ」は「もつ」、「仕て」は「して」、「仕ない」はしない」、「丁と」は「ちゃんと」、「左右」は「とかく」、「居らぬ」は「おらぬ」、「未」は「いまだ」、「少時」は「すこし」または「しばし」または「しばらく」、「匆卒」は「いきなり」または「ゆきなり」、「暫」は「やや」、「然り」は「さり」、「態々」は「わざわざ」、「沁々」は「しみじみ」、「左様」は「そう」、「夫れ」は「それ」、「為ず」は「せず」、「其辺」は「そこら」、「彼方此方」は「あちこち」、「有繋」は「さすが」、「可かん」は「いかん」、「好し」は「よし」、「度」は「たい」、「復」は「また」、「計」は「ばかり」、「况して」は「まして」、「苟も」は「いやしくも」、「那方」は「むこう」、「些と」は「ちと」、「頓に」は「とみに」、「那裏」は「むこう」に、置き換えました。
※「[#「丿+臣+頁」]は、「頤」に書き換えました。
※「[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」]」は「抜」に書き換えました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「理窟」と「理屈」、「踏」と「蹈」、「匆」と「」の混在は底本通りです。
※仮名表記と繰り返し記号の使い方の揺れは、底本通りです。
入力:阿部哲也
校正:米田
2011年1月20日作成
2011年3月6日修正
青空文庫作成ファイル:
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