あらすじ
ある町の病院の六号室には、様々な事情を抱えた患者たちが暮らしている。かつて裁判所の警吏を務めていたグロモフは、不当な扱いを受けた過去から、常に捕まるのではないかと恐怖に怯えている。彼は周囲の人々を疑い、夜も眠れず、精神状態は悪化していく。一方、かつて裕福だった大地主ミハイルは、人生の不条理について嘆き、過去の栄光を懐かしむ。彼は、院長アンドレイと共に、人生の意義や死について語り合うが、彼らの議論はいつも結論に至らない。グロモフとアンドレイ、そして周囲の人々の複雑な心の内が、静かで陰鬱な六号室で交錯する。
 町立病院(ちやうりつびやうゐん)の庭(には)の内(うち)、牛蒡(ごばう)、蕁草(いらぐさ)、野麻(のあさ)などの簇(むらが)り茂(しげ)つてる邊(あたり)に、小(さゝ)やかなる別室(べつしつ)の一棟(むね)がある。屋根(やね)のブリキ板(いた)は錆(さ)びて、烟突(えんとつ)は半(なかば)破(こは)れ、玄關(げんくわん)の階段(かいだん)は紛堊(しつくひ)が剥(は)がれて、朽(く)ちて、雜草(ざつさう)さへのび/\と。正面(しやうめん)は本院(ほんゐん)に向(むか)ひ、後方(こうはう)は茫廣(ひろ/″\)とした野良(のら)に臨(のぞ)んで、釘(くぎ)を立(た)てた鼠色(ねずみいろ)の塀(へい)が取繞(とりまは)されてゐる。此(こ)の尖端(せんたん)を上(うへ)に向(む)けてゐる釘(くぎ)と、塀(へい)、さては又(また)此(こ)の別室(べつしつ)、こは露西亞(ロシア)に於(おい)て、たゞ病院(びやうゐん)と、監獄(かんごく)とにのみ見(み)る、儚(はかな)き、哀(あはれ)な、寂(さび)しい建物(たてもの)。
 蕁草(いらぐさ)に掩(おほ)はれたる細道(ほそみち)を行(ゆ)けば直(す)ぐ別室(べつしつ)の入口(いりぐち)の戸(と)で、戸(と)を開(ひら)けば玄關(げんくわん)である。壁際(かべぎは)や、暖爐(だんろ)の周邊(まはり)には病院(びやうゐん)のさま/″\の雜具(がらくた)、古寐臺(ふるねだい)、汚(よご)れた病院服(びやうゐんふく)、ぼろ/\の股引下(ヅボンした)、青(あを)い縞(しま)の洗浚(あらひざら)しのシヤツ、破(やぶ)れた古靴(ふるぐつ)と云(い)つたやうな物(もの)が、ごたくさと、山(やま)のやうに積(つ)み重(かさ)ねられて、惡臭(あくしう)を放(はな)つてゐる。
 此(こ)の積上(つみあ)げられたる雜具(がらくた)の上(うへ)に、毎(いつ)でも烟管(きせる)を噛(くは)へて寐辷(ねそべ)つてゐるのは、年(とし)を取(と)つた兵隊上(へいたいあが)りの、色(いろ)の褪(さ)めた徽章(きしやう)の附(つ)いてる軍服(ぐんぷく)を始終(ふだん)着(き)てゐるニキタと云(い)ふ小使(こづかひ)。眼(め)に掩(おほ)ひ被(かぶ)さつてる眉(まゆ)は山羊(やぎ)のやうで、赤(あか)い鼻(はな)の佛頂面(ぶつちやうづら)、脊(せ)は高(たか)くはないが瘠(や)せて節塊立(ふしくれだ)つて、何處(どこ)にか恁(か)う一癖(くせ)ありさうな男(をとこ)。彼(かれ)は極(きは)めて頑(かたくな)で、何(なに)よりも秩序(ちつじよ)と云(い)ふことを大切(たいせつ)に思(おも)つてゐて、自分(じぶん)の職務(しよくむ)を遣(や)り終(おほ)せるには、何(なん)でも其鐵拳(そのてつけん)を以(もつ)て、相手(あいて)の顏(かほ)だらうが、頭(あたま)だらうが、胸(むね)だらうが、手當放題(てあたりはうだい)に毆打(なぐ)らなければならぬものと信(しん)じてゐる、所謂(いはゆる)思慮(しりよ)の廻(ま)はらぬ人間(にんげん)。
 玄關(げんくわん)の先(さき)は此(こ)の別室全體(べつしつぜんたい)を占(し)めてゐる廣(ひろ)い間(ま)、是(これ)が六號室(がうしつ)である。淺黄色(あさぎいろ)のペンキ塗(ぬり)の壁(かべ)は汚(よご)れて、天井(てんじやう)は燻(くすぶ)つてゐる。冬(ふゆ)に暖爐(だんろ)が烟(けぶ)つて炭氣(たんき)に罩(こ)められたものと見(み)える。窓(まど)は内側(うちがは)から見惡(みにく)く鐵格子(てつがうし)を嵌(は)められ、床(ゆか)は白(しろ)ちやけて、そゝくれ立(だ)つてゐる。漬(つ)けた玉菜(たまな)や、ランプの燻(いぶり)や、南京蟲(なんきんむし)や、アンモニヤの臭(にほひ)が混(こん)じて、入(はひ)つた初(はじ)めの一分時(ぷんじ)は、動物園(どうぶつゑん)にでも行(い)つたかのやうな感覺(かんかく)を惹起(ひきおこ)すので。
 室内(しつない)には螺旋(ねぢ)で床(ゆか)に止(と)められた寐臺(ねだい)が數脚(すうきやく)。其上(そのうへ)には青(あを)い病院服(びやうゐんふく)を着(き)て、昔風(むかしふう)に頭巾(づきん)を被(かぶ)つてゐる患者等(くわんじやら)が坐(すわ)つたり、寐(ね)たりして、是(これ)は皆(みんな)瘋癲患者(ふうてんくわんじや)なのである。患者(くわんじや)の數(すう)は五人(にん)、其中(そのうち)にて一人丈(ひとりだけ)は身分(みぶん)のある者(もの)であるが他(た)は皆(みな)卑(いや)しい身分(みぶん)の者計(ものばか)り。戸口(とぐち)から第(だい)一の者(もの)は、瘠(や)せて脊(せ)の高(たか)い、栗色(くりいろ)に光(ひか)る鬚(ひげ)の、眼(め)を始終(しゞゆう)泣腫(なきは)らしてゐる發狂(はつきやう)の中風患者(ちゆうぶくわんじや)、頭(あたま)を支(さゝ)へて凝(ぢつ)と坐(すわ)つて、一つ所(ところ)を瞶(みつ)めながら、晝夜(ちうや)も別(わ)かず泣(な)き悲(かなし)んで、頭(あたま)を振(ふ)り太息(といき)を洩(もら)し、時(とき)には苦笑(にがわらひ)をしたりして。周邊(あたり)の話(はなし)には稀(まれ)に立入(たちい)るのみで、質問(しつもん)をされたら决(けつ)して返答(へんたふ)を爲(し)たことの無(な)い、食(く)ふ物(もの)も、飮(の)む物(もの)も、與(あた)へらるゝまゝに、時々(とき/″\)苦(くる)しさうな咳(せき)をする。其頬(そのほゝ)の紅色(べにいろ)や、瘠方(やせかた)で察(さつ)するに彼(かれ)にはもう肺病(はいびやう)の初期(しよき)が萠(き)ざしてゐるのであらう。
 其(それ)に續(つゞ)いては小體(こがら)な、元氣(げんき)な、※鬚(あごひげ)[#「丿+臣+頁」、34-下-21]の尖(とが)つた、髮(かみ)の黒(くろ)いネグル人(じん)のやうに縮(ちゞ)れた、些(すこ)しも落着(おちつ)かぬ老人(らうじん)。彼(かれ)は晝(ひる)には室内(しつない)を窓(まど)から窓(まど)に往來(わうらい)し、或(あるひ)はトルコ風(ふう)に寐臺(ねだい)に趺(あぐら)を坐(か)いて、山雀(やまがら)のやうに止(と)め度(ど)もなく囀(さへづ)り、小聲(こゞゑ)で歌(うた)ひ、ヒヽヽと頓興(とんきよう)に笑(わら)ひ出(だ)したり爲(し)てゐるが、夜(よる)に祈祷(きたう)をする時(とき)でも、猶且(やはり)元氣(げんき)で、子供(こども)のやうに愉快(ゆくわい)さうにぴん/\してゐる。拳(こぶし)で胸(むね)を打(う)つて祈(いの)るかと思(おも)へば、直(すぐ)に指(ゆび)で戸(と)の穴(あな)を穿(ほ)つたりしてゐる。是(これ)は猶太人(ジウ)のモイセイカと云(い)ふ者(もの)で、二十年計(ねんばか)り前(まへ)、自分(じぶん)が所有(しよいう)の帽子製造場(ばうしせいざうば)が燒(や)けた時(とき)に、發狂(はつきやう)したのであつた。
 六號室(がうしつ)の中(うち)で此(こ)のモイセイカ計(ばか)りは、庭(には)にでも町(まち)にでも自由(じいう)に外出(でる)のを許(ゆる)されてゐた。其(そ)れは彼(かれ)が古(ふる)くから病院(びやうゐん)にゐる爲(ため)か、町(まち)で子供等(こどもら)や、犬(いぬ)に圍(かこ)まれてゐても、决(けつ)して他(た)に何等(なんら)の害(がい)をも加(くは)へぬと云(い)ふ事(こと)を町(まち)の人(ひと)に知(し)られてゐる爲(ため)か、左(と)に右(かく)、彼(かれ)は町(まち)の名物男(めいぶつをとこ)として、一人(ひとり)此(こ)の特權(とくけん)を得(え)てゐたのである。彼(かれ)は町(まち)を廻(まは)るに病院服(びやうゐんふく)の儘(まゝ)、妙(めう)な頭巾(づきん)を被(かぶ)り、上靴(うはぐつ)を穿(は)いてる時(とき)もあり、或(あるひ)は跣足(はだし)でヅボン下(した)も穿(は)かずに歩(ある)いてゐる時(とき)もある。而(さう)して人(ひと)の門(かど)や、店前(みせさき)に立(た)つては一錢(せん)づつを請(こ)ふ。或(ある)家(いへ)ではクワスを飮(の)ませ、或(ある)所(ところ)ではパンを食(く)はして呉(く)れる。で、彼(かれ)は毎(いつ)も滿腹(まんぷく)で、金持(かねもち)になつて、六號室(がうしつ)に歸(かへ)つて來(く)る。が、其(そ)の携(たづさ)へ歸(かへ)る所(ところ)の物(もの)は、玄關(げんくわん)でニキタに皆(みんな)奪(うば)はれて了(しま)ふ。兵隊上(へいたいあが)りの小使(こづかひ)のニキタは亂暴(らんばう)にも、隱(かくし)を一々(いち/\)轉覆(ひつくりか)へして、悉皆(すつかり)取返(とりか)へして了(しま)ふので有(あ)つた。
 又(また)モイセイカは同室(どうしつ)の者(もの)にも至(いた)つて親切(しんせつ)で、水(みづ)を持(も)つて來(き)て遣(や)り、寐(ね)る時(とき)には布團(ふとん)を掛(か)けて遣(や)りして、町(まち)から一錢(せん)づつ貰(もら)つて來(き)て遣(や)るとか、各(めい/\)に新(あたら)しい帽子(ばうし)を縫(ぬ)つて遣(や)るとかと云(い)ふ。左(ひだり)の方(はう)の中風患者(ちゆうぶくわんじや)には始終(しゞゆう)匙(さじ)でもつて食事(しよくじ)をさせる。彼(かれ)が恁(か)くするのは、別段(べつだん)同情(どうじやう)からでもなく、と云(い)つて、或(あ)る情誼(じやうぎ)からするのでもなく、唯(たゞ)右(みぎ)の隣(となり)にゐるグロモフと云(い)ふ人(ひと)に習(なら)つて、自然(しぜん)其眞似(そのまね)をするので有(あ)つた。
 イワン、デミトリチ、グロモフは三十三歳(さい)で、彼(かれ)は此室(このしつ)での身分(みぶん)の可(い)いもの、元來(もと)は裁判所(さいばんしよ)の警吏(けいり)、又(また)縣廳(けんちやう)の書記(しよき)をも務(つと)めたので。彼(かれ)は人(ひと)が自分(じぶん)を窘逐(きんちく)すると云(い)ふ事(こと)を苦(く)にしてゐる瘋癲患者(ふうてんくわんじや)、常(つね)に寐臺(ねだい)の上(うへ)に丸(まる)くなつて寐(ね)てゐたり、或(あるひ)は運動(うんどう)の爲(ため)かのやうに、室(へや)を隅(すみ)から隅(すみ)へと歩(ある)いて見(み)たり、坐(すわ)つてゐる事(こと)は殆(ほとん)ど稀(まれ)で、始終(しゞゆう)興奮(こうふん)して、燥氣(いら/\)して、曖※(あいまい)[#「目+末」、37-上-24]なある待(ま)つことで氣(き)が張(は)つてゐる樣子(やうす)。玄關(げんくわん)の方(はう)で微(かすか)な音(おと)でもするか、庭(には)で聲(こゑ)でも聞(き)こえるかすると、直(す)ぐに頭(あたま)を持上(もちあ)げて耳(みゝ)を欹(そばだ)てる。誰(だれ)か自分(じぶん)の所(ところ)に來(き)たのでは無(な)いか、自分(じぶん)を尋(たづ)ねてゐるのでは無(な)いかと思(おも)つて、顏(かほ)には謂(い)ふべからざる不安(ふあん)の色(いろ)が顯(あら)はれる。さなきだに彼(かれ)の憔悴(せうすゐ)した顏(かほ)は不幸(ふかう)なる内心(ないしん)の煩悶(はんもん)と、長日月(ちやうじつげつ)の恐怖(きようふ)とにて、苛責(さいな)まれ※(ぬ)[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」、35-下-3]いた心(こゝろ)を、鏡(かゞみ)に寫(うつ)したやうに現(あら)はしてゐるのに。其廣(そのひろ)い骨張(ほねば)つた顏(かほ)の動(うご)きは、如何(いか)にも變(へん)で病的(びやうてき)で有(あ)つて。然(しか)し心(こゝろ)の苦痛(くつう)にて彼(かれ)の[#「彼(かれ)の」は底本では「後(かれ)の」]顏(かほ)に印(いん)せられた緻密(ちみつ)な徴候(ちようこう)は、一見(けん)して智慧(ちゑ)ありさうな、教育(けういく)ありさうな風(ふう)に思(おも)はしめた。而(さう)して其眼(そのめ)には暖(あたゝか)な健全(けんぜん)な輝(かゞやき)がある、彼(かれ)はニキタを除(のぞ)くの外(ほか)は、誰(たれ)に對(たい)しても親切(しんせつ)で、同情(どうじやう)が有(あ)つて、謙遜(けんそん)であつた。同室(どうしつ)で誰(だれ)かゞ釦鈕(ぼたん)を落(おと)したとか匙(さじ)を落(おと)したとか云(い)ふ場合(ばあひ)には、彼(かれ)が先(ま)づ寐臺(ねだい)から起(おき)上(あが)つて、取(と)つて遣(や)る。毎朝(まいあさ)起(おき)ると同室(どうしつ)の者等(ものら)にお早(はや)うと云(い)ひ、晩(ばん)には又(また)お休息(やすみ)なさいと挨拶(あいさつ)もする。
 彼(かれ)の發狂者(はつきやうしや)らしい所(ところ)は、始終(しゞゆう)氣(き)の張(は)つた樣子(やうす)と、變(へん)な眼付(めつき)とをするの外(ほか)に、時折(ときをり)、晩(ばん)になると、着(き)てゐる病院服(びやうゐんふく)の前(まへ)を神經的(しんけいてき)に掻合(かきあ)はせると思(おも)ふと、齒(は)の根(ね)も合(あ)はぬまでに全身(ぜんしん)を顫(ふる)はし、隅(すみ)から隅(すみ)へと急(いそ)いで歩(あゆ)み初(はじ)める、丁度(ちやうど)激(はげ)しい熱病(ねつびやう)にでも俄(にはか)に襲(おそ)はれたやう。と、施(やが)て立留(たちとゞま)つて室内(しつない)の人々(ひと/″\)を※(「目+旬」、第3水準1-88-80)(みまは)して昂然(かうぜん)として今(いま)にも何(なに)か重大(ぢゆうだい)な事(こと)を云(い)はんとするやうな身構(みがま)へをする。が、又(また)直(たゞち)に自分(じぶん)の云(い)ふ事(こと)を聽(き)く者(もの)は無(な)い、其(そ)の云(い)ふ事(こと)が解(わか)るものは無(な)いとでも考(かんが)へ直(なほ)したかのやうに燥立(いらだ)つて、頭(あたま)を振(ふ)りながら又(また)歩(ある)き出(だ)す。然(しか)るに言(い)はうと云(い)ふ望(のぞみ)は、終(つひ)に消(き)えず忽(たちまち)にして總(すべて)の考(かんがへ)を壓去(あつしさ)つて、此度(こんど)は思(おも)ふ存分(ぞんぶん)、熱切(ねつせつ)に、夢中(むちゆう)の有樣(ありさま)で、言(ことば)が迸(ほとばし)り出(で)る。言(い)ふ所(ところ)は勿論(もちろん)、秩序(ちつじよ)なく、寐言(ねごと)のやうで、周章(あわて)て見(み)たり、途切(とぎ)れて見(み)たり、何(なん)だか意味(いみ)の解(わか)らぬことを言(い)ふのであるが、何處(どこ)かに又(また)善良(ぜんりやう)なる性質(せいしつ)が微(ほのか)に聞(きこ)える、其言(そのことば)の中(うち)か、聲(こゑ)の中(うち)かに、而(さう)して彼(かれ)の瘋癲者(ふうてんしや)たる所(ところ)も、彼(かれ)の人格(じんかく)も亦(また)見(み)える。其意味(そのいみ)の繋(つな)がらぬ、辻妻(つじつま)の合(あ)はぬ話(はなし)は、所詮(しよせん)筆(ふで)にする事(こと)は出來(でき)ぬのであるが、彼(かれ)の云(い)ふ所(ところ)を撮(つま)んで云(い)へば、人間(にんげん)の卑劣(ひれつ)なること、壓制(あつせい)に依(よ)りて正義(せいぎ)の蹂躙(じうりん)されてゐること、後世(こうせい)地上(ちじやう)に來(きた)るべき善美(ぜんび)なる生活(せいくわつ)のこと、自分(じぶん)をして一分(ぷん)毎(ごと)にも壓制者(あつせいしや)の殘忍(ざんにん)、愚鈍(ぐどん)を憤(いきどほ)らしむる所(ところ)の、窓(まど)の鐵格子(てつがうし)のことなどである。云(い)はゞ彼(かれ)は昔(むかし)も今(いま)も全(まつた)く歌(うた)ひ盡(つく)されぬ歌(うた)を、不順序(ふじゆんじよ)に、不調和(ふてうわ)に組立(くみたて)るのである。

 今(いま)から大凡(おほよそ)十三四年(ねん)以前(いぜん)、此(こ)の町(まち)の一番(ばん)の大通(おほどほり)に、自分(じぶん)の家(いへ)を所有(も)つてゐたグロモフと云(い)ふ、容貌(ようばう)の立派(りつぱ)な、金滿(かねもち)の官吏(くわんり)が有(あ)つて、家(いへ)にはセルゲイ及(およ)びイワンと云(い)ふ二人(ふたり)の息子(むすこ)もある。所(ところ)が、長子(ちやうし)のセルゲイは丁度(ちやうど)大學(だいがく)の四年級(ねんきふ)になつてから、急性(きふせい)の肺病(はいびやう)に罹(かゝ)り死亡(しばう)して了(しま)ふ。是(これ)よりグロモフの家(いへ)には、不幸(ふかう)が引續(ひきつゞ)いて來(き)てセルゲイの葬式(さうしき)の終(す)んだ一週間(しうかん)目(め)、父(ちゝ)のグロモフは詐欺(さぎ)と、浪費(らうひ)との件(かど)を以(もつ)て裁判(さいばん)に渡(わた)され、間(ま)もなく監獄(かんごく)の病院(びやうゐん)でチブスに罹(かゝ)つて死亡(しばう)して了(しま)つた。で、其家(そのいへ)と總(すべて)の什具(じふぐ)とは、棄賣(すてうり)に拂(はら)はれて、イワン、デミトリチと其母親(そのはゝおや)とは遂(つひ)に無(む)一物(ぶつ)の身(み)となつた。
 父(ちゝ)の存命中(ぞんめいちゆう)には、イワン、デミトリチは大學(だいがく)修業(しうげふ)の爲(ため)にペテルブルグに住(す)んで、月々(つき/″\)六七十圓(ゑん)づゝも仕送(しおくり)され、何(なに)不自由(ふじいう)なく暮(くら)してゐたものが、忽(たちまち)にして生活(くらし)は一變(ぺん)し、朝(あさ)から晩(ばん)まで、安値(あんちよく)の報酬(はうしう)で學科(がくくわ)を教授(けうじゆ)するとか、筆耕(ひつかう)をするとかと、奔走(ほんそう)をしたが、其(そ)れでも食(く)ふや食(く)はずの儚(はか)なき境涯(きやうがい)。僅(わづか)な收入(しうにふ)は母(はゝ)の給養(きふやう)にも供(きよう)せねばならず、彼(かれ)は遂(つひ)に此(こ)の生活(せいくわつ)には堪(た)へ切(き)れず、斷然(だんぜん)大學(だいがく)を去(さ)つて、古郷(こきやう)に歸(かへ)つた。而(さう)して程(ほど)なく或人(あるひと)の世話(せわ)で郡立學校(ぐんりつがくかう)の教師(けうし)となつたが、其(そ)れも暫時(ざんじ)、同僚(どうれう)とは折合(をりあ)はず、生徒(せいと)とは親眤(なじ)まず、此(こゝ)をも亦(また)辭(じ)して了(しま)ふ。其中(そのうち)に母親(はゝおや)は死(し)ぬ。彼(かれ)は半年(はんとし)も無職(むしよく)で徘徊(うろ/\)して唯(たゞ)パンと、水(みづ)とで生命(いのち)を繋(つな)いでゐたのであるが、其後(そのご)裁判所(さいばんしよ)の警吏(けいり)となり、病(やまひ)を以(もつ)て後(のち)に此(こ)の職(しよく)を辭(じ)するまでは、此(こゝ)に務(つとめ)を取(と)つてゐたのであつた。
 彼(かれ)は學生時代(がくせいじだい)の壯年(さうねん)の頃(ごろ)でも、生得(せいとく)餘(あま)り壯健(さうけん)な身體(からだ)では無(な)かつた。顏色(かほいろ)は蒼白(あをじろ)く、姿(すがた)は瘠(や)せて、初中終(しよつちゆう)風邪(かぜ)を引(ひ)き易(やす)い、少食(せうしよく)で落々(おち/\)眠(ねむ)られぬ質(たち)、一杯(ぱい)の酒(さけ)にも眼(め)が廻(まは)り、往々(まゝ)ヒステリーが起(おこ)るのである。人(ひと)と交際(かうさい)する事(こと)は彼(かれ)は至(いた)つて好(この)んでゐたが、其神經質(そのしんけいしつ)な、刺激(しげき)され易(やす)い性質(せいしつ)なるが故(ゆゑ)に、自(みづか)ら務(つと)めて誰(たれ)とも交際(かうさい)せず、隨(したがつ)て亦(また)親友(しんいう)をも持(も)たぬ。町(まち)の人々(ひと/″\)の事(こと)は彼(かれ)は毎(いつ)も輕蔑(けいべつ)して、無教育(むけういく)の徒(と)、禽獸的生活(きんじうてきせいくわつ)と罵(のゝし)つて、テノルの高聲(たかごゑ)で燥立(いらだ)つてゐる。彼(かれ)が物(もの)を言(い)ふのは憤懣(ふんまん)の色(いろ)を以(もつ)てせざれば、欣喜(きんき)の色(いろ)を以(もつ)て、何事(なにごと)も熱心(ねつしん)に言(い)ふのである。で、其言(そのい)ふ所(ところ)は終(つひ)に一つ事(こと)に歸(き)して了(しま)ふ。町(まち)で生活(せいくわつ)するのは好(この)ましく無(な)い。社會(しやくわい)には高尚(かうしやう)なる興味(インテレース)が無(な)い。社會(しやくわい)は曖※(あいまい)[#「目+末」、36-下-9]な、無意味(むいみ)な生活(せいくわつ)を爲(な)して居(ゐ)る。壓制(あつせい)、僞善(ぎぜん)、醜行(しうかう)を逞(たくまし)うして、以(も)つて是(これ)を紛(まぎ)らしてゐる。是(こゝ)に於(おい)てか奸物共(かんぶつども)は衣食(いしよく)に飽(あ)き、正義(せいぎ)の人(ひと)は衣食(いしよく)に窮(きう)する。廉直(れんちよく)なる方針(はうしん)を取(と)る地方(ちはう)の新聞紙(しんぶんし)、芝居(しばゐ)、學校(がくかう)、公會演説(こうくわいえんぜつ)、教育(けういく)ある人間(にんげん)の團結(だんけつ)、是等(これら)は皆(みな)必要(ひつえう)缺(か)ぐ可(べ)からざるものである。又(また)社會(しやくわい)自(みづか)ら悟(さと)つて驚(おどろ)くやうに爲(し)なければならぬとか抔(など)との事(こと)で。彼(かれ)は其眼中(そのがんちゆう)に社會(しやくわい)の人々(ひと/″\)を唯(たゞ)二種(しゆ)に區別(くべつ)してゐる、義者(ぎしや)と、不義者(ふぎしや)と、而(さう)して婦人(ふじん)の事(こと)、戀愛(れんあい)の事(こと)に就(つ)いては、毎(いつ)も自(みづか)ら深(ふか)く感(かん)じ入(い)つて説(と)くのであるが、偖(さて)自身(じしん)には未(いま)だ一度(ど)も戀愛(れんあい)てふものを味(あぢは)ふた事(こと)は無(な)いので。
 彼(かれ)は恁(か)くも神經質(しんけいしつ)で、其議論(そのぎろん)は過激(くわげき)であつたが、町(まち)の人々(ひと/″\)は其(そ)れにも拘(かゝは)らず彼(かれ)を愛(あい)して、ワアニア、と愛嬌(あいけう)を以(もつ)て呼(よ)んでゐた。彼(かれ)が天性(てんせい)の柔(やさ)しいのと、人(ひと)に親切(しんせつ)なのと、禮儀(れいぎ)の有(あ)るのと、品行(ひんかう)の方正(はうせい)なのと、着古(きぶる)したフロツクコート、病人(びやうにん)らしい樣子(やうす)、家庭(かてい)の不遇(ふぐう)、是等(これら)は皆(みな)總(すべ)て人々(ひと/″\)に温(あたゝか)き同情(どうじやう)を引起(ひきおこ)さしめたのであつた。又(また)一面(めん)には彼(かれ)は立派(りつぱ)な教育(けういく)を受(う)け、博學(はくがく)多識(たしき)で、何(な)んでも知(し)つてゐると町(まち)の人(ひと)は言(い)ふてゐる位(くらゐ)。で、彼(かれ)は此(こ)の町(まち)の活(い)きた字引(じびき)とせられてゐた。
 彼(かれ)は非常(ひじやう)に讀書(どくしよ)を好(この)んで、屡※(二の字点、1-2-22)(しば/\)倶樂部(くらぶ)に行(い)つては、神經的(しんけいてき)に髭(ひげ)を捻(ひね)りながら、雜誌(ざつし)や書物(しよもつ)を手當次第(てあたりしだい)に剥(は)いでゐる、讀(よ)んでゐるのではなく咀(か)み間合(まにあ)はぬので鵜呑(うのみ)にしてゐると云(い)ふやうな鹽梅(あんばい)。讀書(どくしよ)は彼(かれ)の病的(びやうてき)の習慣(しふくわん)で、何(な)んでも凡(およ)そ手(て)に觸(ふ)れた所(ところ)の物(もの)は、其(そ)れが縱令(よし)去年(きよねん)の古新聞(ふるしんぶん)で有(あ)らうが、暦(こよみ)であらうが、一樣(やう)に饑(う)えたる者(もの)のやうに、屹度(きつと)手(て)に取(と)つて見(み)るのである。家(いへ)にゐる時(とき)も毎(いつ)も横(よこ)になつては、猶且(やはり)、書見(しよけん)に耽(ふ)けつてゐる。

 ある秋(あき)の朝(あさ)のこと、イワン、デミトリチは外套(ぐわいたう)の襟(えり)を立(た)てゝ泥濘(ぬか)つてゐる路(みち)を、横町(よこちやう)、路次(ろじ)と經(へ)て、或(あ)る町人(ちやうにん)の家(いへ)に書付(かきつけ)を持(も)つて金(かね)を取(と)りに行(い)つたのであるが、猶且(やはり)毎朝(まいあさ)のやうに此(こ)の朝(あさ)も氣(き)が引立(ひきた)たず、沈(しづ)んだ調子(てうし)で或(あ)る横町(よこちやう)に差掛(さしかゝ)ると、折(をり)から向(むかふ)より二人(ふたり)の囚人(しうじん)と四人(にん)の銃(じゆう)を負(お)ふて附添(つきそ)ふて來(く)る兵卒(へいそつ)とに、ぱつたりと出會(でつくわ)す。彼(かれ)は何時(いつ)が日(ひ)も囚人(しうじん)に出會(でつくわ)せば、同情(どうじやう)と不愉快(ふゆくわい)の感(かん)に打(う)たれるのであるが、其日(そのひ)は又(また)奈何云(どうい)ふものか、何(なん)とも云(い)はれぬ一種(しゆ)の不好(いや)な感覺(かんかく)が、常(つね)にもあらずむら/\と湧(わ)いて、自分(じぶん)も恁(か)く枷(かせ)を箝(は)められて、同(おな)じ姿(すがた)に泥濘(ぬかるみ)の中(なか)を引(ひ)かれて、獄(ごく)に入(いれ)られはせぬかと、遽(にはか)に思(おも)はれて慄然(ぞつ)とした。其(そ)れから町人(ちやうにん)の家(いへ)よりの歸途(かへり)、郵便局(いうびんきよく)の側(そば)で、豫(かね)て懇意(こんい)な一人(ひとり)の警部(けいぶ)に出遇(であ)つたが警部(けいぶ)は彼(かれ)に握手(あくしゆ)して數歩計(すうほばか)り共(とも)に歩(ある)いた。すると、何(なん)だか是(これ)が又(また)彼(かれ)には只事(たゞごと)でなく怪(あや)しく思(おも)はれて、家(いへ)に歸(かへ)つてからも一日中(にちぢゆう)、彼(かれ)の頭(あたま)から囚人(しうじん)の姿(すがた)、銃(じゆう)を負(お)ふてる兵卒(へいそつ)の顏(かほ)などが離(はな)れずに、眼前(がんぜん)に閃付(ちらつ)いてゐる、此(こ)の理由(わけ)の解(わか)らぬ煩悶(はんもん)が怪(あや)しくも絶(た)えず彼(かれ)の心(こゝろ)を攪亂(かくらん)して、書物(しよもつ)を讀(よ)むにも、考(かんが)ふるにも、邪魔(じやま)をする。彼(かれ)は夜(よる)になつても燈(あかり)をも點(つ)けず、夜(よも)すがら眠(ねむ)らず、今(いま)にも自分(じぶん)が捕縛(ほばく)され、獄(ごく)に繋(つな)がれはせぬかと唯(たゞ)其計(そればか)りを思(おも)ひ惱(なや)んでゐるのであつた。
 然(しか)し無論(むろん)、彼(かれ)は自身(じしん)に何(なん)の罪(つみ)もなきこと、又(また)將來(しやうらい)に於(おい)ても殺人(さつじん)、窃盜(せつたう)、放火(はうくわ)などの犯罪(はんざい)は斷(だん)じて爲(せ)ぬとは知(し)つてゐるが、又(また)獨(ひとり)つく/″\と恁(か)うも思(おも)ふたのであつた。故意(こい)ならず犯罪(はんざい)を爲(な)すことが無(な)いとも云(い)はれぬ、人(ひと)の讒言(ざんげん)、裁判(さいばん)の間違(まちがひ)などは有(あ)り得(う)べからざる事(こと)だとは云(い)はれぬ、抑(そもそ)も裁判(さいばん)の間違(まちがひ)は、今日(こんにち)の裁判(さいばん)の状態(じやうたい)にては、最(もつと)も有(あ)り有(う)べき事(こと)なので、總(そう)じて他人(たにん)の艱難(かんなん)に對(たい)しては、事務上(じむじやう)、職務上(しよくむじやう)の關係(くわんけい)を有(も)つてゐる人々(ひと/″\)、例(たと)へば裁判官(さいばんくわん)、警官(けいくわん)、醫師(いし)、とかと云(い)ふものは、年月(ねんげつ)の經過(けいくわ)すると共(とも)に、習慣(しふくわん)に依(よ)つて遂(つひ)には其相手(そのあいて)の被告(ひこく)、或(あるひ)は患者(くわんじや)に對(たい)して、單(たん)に形式以上(けいしきいじやう)の關係(くわんけい)を有(も)たぬやうに望(のぞ)んでも出來(でき)ぬやうに、此(こ)の習慣(しふくわん)と云(い)ふ奴(やつ)がさせて了(しま)ふ、早(はや)く言(い)へば彼等(かれら)は恰(あだか)も、庭(には)に立(た)つて羊(ひつじ)や、牛(うし)を屠(ほふ)り、其(そ)の血(ち)には氣(き)が着(つ)かぬ所(ところ)の劣等(れつとう)の人間(にんげん)と少(すこ)しも選(えら)ぶ所(ところ)は無(な)いのだ。
 翌朝(よくあさ)イワン、デミトリチは額(ひたひ)に冷汗(ひやあせ)をびつしよりと掻(か)いて、床(とこ)から吃驚(びつくり)して跳起(はねおき)た。もう今(いま)にも自分(じぶん)が捕縛(ほばく)されると思(おも)はれて。而(さう)して自(みづか)ら又(また)深(ふか)く考(かんが)へた。恁(か)くまでも昨日(きのふ)の奇(く)しき懊惱(なやみ)が自分(じぶん)から離(はな)れぬとして見(み)れば、何(なに)か譯(わけ)があるのである、さなくて此(こ)の忌(いま)はしい考(かんがへ)が這麼(こんな)に執念(しふね)く自分(じぶん)に着纒(つきまと)ふてゐる譯(わけ)は無(な)いと。
『や、巡査(じゆんさ)が徐々(そろ/\)と窓(まど)の傍(そば)を通(とほ)つて行(い)つた、怪(あや)しいぞ、やゝ、又(また)誰(たれ)か二人(ふたり)家(うち)の前(まへ)に立留(たちとゞま)つてゐる、何故(なぜ)默(だま)つてゐるのだらうか?』
 是(これ)よりしてイワン、デミトリチは日夜(にちや)を唯(たゞ)煩悶(はんもん)に明(あか)し續(つゞ)ける、窓(まど)の傍(そば)を通(とほ)る者(もの)、庭(には)に入(い)る者(もの)は皆(みな)探偵(たんてい)かと思(おも)はれる。正午(ひる)になると毎日(まいにち)警察署長(けいさつしよちやう)が、町盡頭(まちはづれ)の自分(じぶん)の邸(やしき)から警察(けいさつ)へ行(い)くので、此(こ)の家(いへ)の前(まへ)を二頭馬車(とうばしや)で通(とほ)る、するとイワン、デミトリチは其度毎(そのたびごと)、馬車(ばしや)が餘(あま)り早(はや)く通(とほ)り過(す)ぎたやうだとか、署長(しよちやう)の顏付(かほつき)が別(べつ)で有(あ)つたとか思(おも)つて、何(な)んでも此(こ)れは町(まち)に重大(ぢゆうだい)な犯罪(はんざい)が露顯(あら)はれたので其(そ)れを至急(しきふ)報告(はうこく)するのであらうなどと極(き)めて、頻(しき)りに其(そ)れが氣(き)になつてならぬ。
 家主(いへぬし)の女主人(をんなあるじ)の處(ところ)に見知(みし)らぬ人(ひと)が來(き)さへすれば其(そ)れも苦(く)になる。門(もん)の呼鈴(よびりん)が鳴(な)る度(たび)に惴々(びく/\)しては顫上(ふるへあが)る。巡査(じゆんさ)や、憲兵(けんぺい)に遇(あ)ひでもすると故(わざ)と平氣(へいき)を粧(よそほ)ふとして、微笑(びせう)して見(み)たり、口笛(くちぶえ)を吹(ふ)いて見(み)たりする。如何(いか)なる晩(ばん)でも彼(かれ)は拘引(こういん)されるのを待(ま)ち構(かま)へてゐぬ時(とき)とては無(な)い。其(そ)れが爲(ため)に終夜(よつぴて)眠(ねむ)られぬ。が、若(も)し這麼事(こんなこと)を女主人(をんなあるじ)にでも嗅付(かぎつ)けられたら、何(なに)か良心(りやうしん)に咎(とが)められる事(こと)があると思(おも)はれやう、那樣疑(そんなうたがひ)でも起(おこ)されたら大變(たいへん)と、彼(かれ)はさう思(おも)つて無理(むり)に毎晩(まいばん)眠(ね)た振(ふり)をして、大鼾(おほいびき)をさへ發(か)いてゐる。然(しか)し這麼心遣(こんなこゝろづかひ)は事實(じゝつ)に於(おい)ても、普通(ふつう)の論理(ろんり)に於(おい)ても考(かんが)へて見(み)れば實(じつ)に愚々(ばか/\)しい次第(しだい)で、拘引(こういん)されるだの、獄舍(らうや)に繋(つな)がれるなど云(い)ふ事(こと)は良心(りやうしん)にさへ疚(やま)しい所(ところ)が無(な)いならば少(すこ)しも恐怖(おそる)るに足(た)らぬ事(こと)、這麼事(こんなこと)を恐(おそ)れるのは精神病(せいしんびやう)に相違(さうゐ)なき事(こと)、と、彼(かれ)も自(みづか)ら思(おも)ふて是(こゝ)に至(いた)らぬのでも無(な)いが、偖(さて)又(また)考(かんが)へれば考(かんが)ふる程(ほど)迷(まよ)つて、心中(しんちゆう)は愈々(いよ/\)苦悶(くもん)と、恐怖(きようふ)とに壓(あつ)しられる。で、彼(かれ)ももう思慮(かんが)へる事(こと)の無益(むえき)なのを悟(さと)り、全然(すつかり)失望(しつばう)と、恐怖(きようふ)との淵(ふち)に沈(しづ)んで了(しま)つたのである。
 彼(かれ)は其(そ)れより獨居(どくきよ)して人(ひと)を避(さ)け初(はじ)めた。職務(しよくむ)を取(と)るのは前(まへ)にも不好(いや)であつたが、今(いま)は猶(なほ)一層(そう)不好(いや)で堪(たま)らぬ、と云(い)ふのは、人(ひと)が何時(いつ)自分(じぶん)を欺(だま)して、隱(かくし)にでも密(そつ)と賄賂(わいろ)を突込(つきこ)みは爲(せ)ぬか、其(そ)れを訴(うつた)へられでも爲(せ)ぬか、或(あるひ)は公書(こうしよ)の如(ごと)きものに詐欺(さぎ)同樣(どうやう)の間違(まちがひ)でも爲(し)はせぬか、他人(たにん)の錢(ぜに)でも無(な)くしたり爲(し)はせぬか。と、無暗(むやみ)に恐(おそろし)くてならぬので。
 春(はる)になつて雪(ゆき)も次第(しだい)に解(と)けた或日(あるひ)、墓場(はかば)の側(そば)の崖(がけ)の邊(あたり)に、腐爛(ふらん)した二つの死骸(しがい)が見付(みつ)かつた。其(そ)れは老婆(らうば)と、男(をとこ)の子(こ)とで、故殺(こさつ)の形跡(けいせき)さへ有(あ)るのであつた。町(まち)ではもう到(いた)る所(ところ)、此(こ)の死骸(しがい)のことゝ、下手人(げしゆにん)の噂計(うはさばか)り、イワン、デミトリチは自分(じぶん)が殺(ころ)したと思(おも)はれは爲(せ)ぬかと、又(また)しても氣(き)が氣(き)ではなく、通(とほり)を歩(ある)きながらも然(さう)思(おも)はれまいと微笑(びせう)しながら行(い)つたり、知人(しりびと)に遇(あ)ひでもすると、青(あを)くなり、赤(あか)くなりして、那麼(あんな)弱者共(よわいものども)を殺(ころ)すなどと、是程(これほど)憎(にく)むべき罪惡(ざいあく)は無(な)いなど、云(い)つてゐる。が、其(そ)れも此(こ)れも直(ぢき)に彼(かれ)を疲勞(つか)らして了(しま)ふ。彼(かれ)は乃(そこで)ふと思(おも)ひ着(つ)いた、自分(じぶん)の位置(ゐち)の安全(あんぜん)を計(はか)るには、女主人(をんなあるじ)の穴藏(あなぐら)に隱(かく)れてゐるのが上策(じやうさく)と。而(さう)して彼(かれ)は一日中(にちゞゆう)、又(また)一晩中(ひとばんぢゆう)、穴藏(あなぐら)の中(なか)に立盡(たちつく)し、其翌日(そのよくじつ)も猶且(やはり)出(で)ぬ。で、身體(からだ)が甚(ひど)く凍(こゞ)えて了(しま)つたので、詮方(せんかた)なく、夕方(ゆふがた)になるのを待(ま)つて、こツそりと自分(じぶん)の室(へや)には忍(しの)び出(で)て來(き)たものゝ、夜明(よあけ)まで身動(みうごき)もせず、室(へや)の眞中(まんなか)に立(た)つてゐた。すると明方(あけがた)、未(ま)だ日(ひ)の出(で)ぬ中(うち)、女主人(をんなあるじ)の方(はう)へ暖爐造(だんろつくり)の職人(しよくにん)が來(き)た。イワン、デミトリチは彼等(かれら)が厨房(くりや)の暖爐(だんろ)を直(なほ)しに來(き)たのであるのは知(し)つてゐたのであるが、急(きふ)に何(なん)だか然(さ)うでは無(な)いやうに思(おも)はれて來(き)て、是(これ)は屹度(きつと)警官(けいくわん)が故(わざ)と暖爐職人(だんろしよくにん)の風體(ふうてい)をして來(き)たのであらうと、心(こゝろ)は不覺(そゞろ)、氣(き)は動顛(どうてん)して、※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)卒(いきなり)、室(へや)を飛出(とびだ)したが、帽(ばう)も被(かぶ)らず、フロツクコートも着(き)ずに、恐怖(おそれ)に驅(か)られたまゝ、大通(おほどほり)を眞(ま)一文字(もんじ)に走(はし)るのであつた。一匹(ぴき)の犬(いぬ)は吠(ほ)えながら彼(かれ)を追(お)ふ。後(うしろ)の方(はう)では農夫(のうふ)が叫(さけ)ぶ。イワン、デミトリチは兩耳(りやうみゝ)がガンとして、世界中(せかいぢゆう)の有(あら)ゆる壓制(あつせい)が、今(いま)彼(かれ)の直(す)ぐ背後(うしろ)に迫(せま)つて、自分(じぶん)を追駈(おひか)けて來(き)たかのやうに思(おも)はれた。
 彼(かれ)は捕(とら)へられて家(いへ)に引返(ひきかへ)されたが、女主人(をんなあるじ)は醫師(いしや)を招(よ)びに遣(や)られ、ドクトル、アンドレイ、エヒミチは來(き)て彼(かれ)を診察(しんさつ)したのであつた。
 而(さう)して頭(あたま)を冷(ひや)す藥(くすり)と、桂梅水(けいばいすゐ)とを服用(ふくよう)するやうにと云(い)つて、不好(いや)さうに頭(かしら)を振(ふ)つて、立歸(たちかへ)り際(ぎは)に、もう二度(ど)とは來(こ)ぬ、人(ひと)の氣(き)の狂(くる)ふ邪魔(じやま)を爲(す)るにも當(あた)らないからとさう云(い)つた。
 恁(か)くてイワン、デミトリチは宿(やど)を借(かり)る事(こと)も、療治(れうぢ)する事(こと)も、錢(ぜに)の無(な)いので出來兼(できか)ぬる所(ところ)から、幾干(いくばく)もなくして町立病院(ちやうりつびやうゐん)に入(い)れられ、梅毒病患者(ばいどくびやうくわんじや)と同室(どうしつ)する事(こと)となつた。然(しか)るに彼(かれ)は毎晩(まいばん)眠(ねむ)らずして、我儘(わがまゝ)を云(い)つては他(ほか)の患者等(くわんじやら)の邪魔(じやま)をするので、院長(ゐんちやう)のアンドレイ、エヒミチは彼(かれ)を六號室(がうしつ)の別室(べつしつ)へ移(うつ)したのであつた。
 一年(ねん)を經(へ)て、町(まち)ではもうイワン、デミトリチの事(こと)は忘(わす)れて了(しま)つた。彼(かれ)の書物(しよもつ)は女主人(をんなあるじ)が橇(そり)の中(なか)に積重(つみかさ)ねて、軒下(のきした)に置(お)いたのであるが、何處(どこ)からともなく、子供等(こどもら)が寄(よ)つて來(き)ては、一册(さつ)持(も)ち行(ゆ)き、二册(さつ)取去(とりさ)り、段々(だん/\)に皆(みんな)何(いづ)れへか消(き)えて了(しま)つた。

 イワン、デミトリチの左(ひだり)の方(はう)の隣(となり)は、猶太人(ジウ)のモイセイカであるが、右(みぎ)の方(はう)にゐる者(もの)は、全然(まるきり)意味(いみ)の無(な)い顏(かほ)をしてゐる、油切(あぶらぎ)つて、眞圓(まんまる)い農夫(のうふ)、疾(と)うから、思慮(しりよ)も、感覺(かんかく)も皆無(かいむ)になつて、動(うご)きもせぬ大食(おほぐ)ひな、不汚(ふけつ)極(きはま)る動物(どうぶつ)で、始終(しゞゆう)鼻(はな)を突(つ)くやうな、胸(むね)の惡(わる)くなる臭氣(しうき)を放(はな)つてゐる。
 彼(かれ)の身(み)の周(まは)りを掃除(さうぢ)するニキタは、其度(そのたび)に例(れい)の鐵拳(てつけん)を振(ふる)つては、力(ちから)の限(かぎ)り彼(かれ)を打(う)つのであるが、此(こ)の鈍(にぶ)き動物(どうぶつ)は、音(ね)をも立(た)てず、動(うご)きをもせず、眼(め)の色(いろ)にも何(なん)の感(かん)じをも現(あら)はさぬ。唯(たゞ)重(おも)い樽(たる)のやうに、少(すこ)し蹌踉(よろけ)るのは見(み)るのも氣味(きみ)が惡(わる)い位(くらゐ)。
 六號室(がうしつ)の第(だい)五番目(ばんめ)は、元來(もと)郵便局(いうびんきよく)とやらに勤(つと)めた男(をとこ)で、氣(き)の善(い)いやうな、少(すこ)し狡猾(ずる)いやうな、脊(せ)の低(ひく)い、瘠(や)せたブロンヂンの、利發(りかう)らしい瞭然(はつきり)とした愉快(ゆくわい)な眼付(めつき)、些(ちよつ)と見(み)ると恰(まる)で正氣(しやうき)のやうである。彼(かれ)は何(なに)か大切(たいせつ)な祕密(ひみつ)な物(もの)を有(も)つてゐると云(い)ふやうな風(ふう)をしてゐる。枕(まくら)の下(した)や、寐臺(ねだい)の何處(どこ)かに、何(なに)かをそツと隱(かく)して置(お)く、其(そ)れは盜(ぬす)まれるとか、奪(うば)はれるとか、云(い)ふ氣遣(きづかひ)の爲(た)めではなく人(ひと)に見(み)られるのが恥(はづ)かしいのでさうして隱(かく)して置(お)く物(もの)がある。時々(とき/″\)同室(どうしつ)の者等(ものら)に脊(せ)を向(む)けて、獨(ひとり)窓(まど)の所(ところ)に立(た)つて、何(なに)かを胸(むね)に着(つ)けて、頭(かしら)を屈(かゞ)めて熟視(みい)つてゐる樣子(やうす)。誰(たれ)か若(も)し近着(ちかづき)でもすれば、極(きまり)惡(わる)さうに急(いそ)いで胸(むね)から何(なに)かを取(と)つて隱(かく)して了(しま)ふ。然(しか)し其祕密(そのひみつ)は直(すぐ)に解(わか)るのである。
『私(わたくし)をお祝(いは)ひなすつて下(くだ)さい。』
と、彼(かれ)は時々(とき/″\)イワン、デミトリチに云(い)ふことがある。
『私(わたくし)は第(だい)二等(とう)のスタニスラウの勳章(くんしやう)を貰(もら)ひました。此(こ)の第(だい)二等(とう)の勳章(くんしやう)は、全體(ぜんたい)なら外國人(ぐわいこくじん)でなければ貰(もら)へないのですが、私(わたくし)には其(そ)の、特別(とくべつ)を以(もつ)てね、例外(れいぐわい)と見(み)えます。』
と、彼(かれ)は訝(いぶ)かるやうに些(ちよつ)と眉(まゆ)を寄(よ)せて微笑(びせう)する。
『實(じつ)を申(まを)しますと、是(これ)はちと意外(いぐわい)でしたので。』
『私(わたくし)は奈何(どう)もさう云(い)ふものに就(つ)いては、全然(まるで)解(わか)らんのです。』
と、イワン、デミトリチは愁(うれ)はしさうに答(こた)へる。
『然(しか)し私(わたくし)が早晩(さうばん)手(て)に入(い)れやうと思(おも)ひますのは、何(なん)だか知(し)つておゐでになりますか。』
 先(もと)の郵便局員(いうびんきよくゐん)は、さも狡猾(ずる)さうに眼(め)を細(ほそ)めて云(い)ふ。
『私(わたくし)は屹度(きつと)此度(こんど)は瑞典(スウエーデン)の北極星(ほくきよくせい)の勳章(くんしやう)を貰(もら)はうと思(おも)つて居(を)るです、其勳章(そのくんしやう)こそは骨(ほね)を折(を)る甲斐(かひ)のあるものです。白(しろ)い十字架(じか)に、黒(くろ)リボンの附(つ)いた、其(そ)れは立派(りつぱ)です。』
 此(こ)の六號室程(がうしつほど)單調(たんてう)な生活(せいくわつ)は、何處(どこ)を尋(たづ)ねても無(な)いであらう。朝(あさ)には患者等(くわんじやら)は、中風患者(ちゆうぶくわんじや)と、油切(あぶらぎ)つた農夫(のうふ)との外(ほか)は皆(みんな)玄關(げんくわん)に行(い)つて、一つ大盥(おほだらひ)で顏(かほ)を洗(あら)ひ、病院服(びやうゐんふく)の裾(すそ)で拭(ふ)き、ニキタが本院(ほんゐん)から運(はこ)んで來(く)る、一杯(ぱい)に定(さだ)められたる茶(ちや)を錫(すゞ)の器(うつは)で啜(すゝ)るのである。正午(ひる)には酢(す)く漬(つ)けた玉菜(たまな)の牛肉汁(にくじる)と、飯(めし)とで食事(しよくじ)をする。晩(ばん)には晝食(ひるめし)の餘(あま)りの飯(めし)を食(た)べるので。其間(そのあひだ)は横(よこ)になるとも、睡(ねむ)るとも、空(そら)を眺(なが)めるとも、室(へや)の隅(すみ)から隅(すみ)へ歩(ある)くとも、恁(か)うして毎日(まいにち)を送(おく)つてゐる。
 新(あたら)しい人(ひと)の顏(かほ)は六號室(がうしつ)では絶(た)えて見(み)ぬ。院長(ゐんちやう)アンドレイ、エヒミチは新(あらた)な瘋癲患者(ふうてんくわんじや)はもう疾(と)くより入院(にふゐん)せしめぬから。又(また)誰(ゝれ)とて這麼瘋癲者(こんなふうてんしや)の室(へや)に參觀(さんくわん)に來(く)る者(もの)も無(な)いから。唯(たゞ)二ヶ月(げつ)に一度(ど)丈(だ)け、理髮師(とこや)のセミヨン、ラザリチ計(ばか)り此(こゝ)へ來(く)る、其男(そのをとこ)は毎(いつ)も醉(よ)つてニコ/\しながら遣(や)つて來(き)て、ニキタに手傳(てつだ)はせて髮(かみ)を刈(か)る、彼(かれ)が見(み)えると患者等(くわんじやら)は囂々(がや/\)と云(い)つて騷(さわ)ぎ出(だ)す。
 恁(か)く患者等(くわんじやら)は理髮師(とこや)の外(ほか)には、唯(たゞ)ニキタ一人(ひとり)、其(そ)れより外(ほか)には誰(たれ)に遇(あ)ふことも、誰(たれ)を見(み)ることも叶(かな)はぬ運命(うんめい)に定(さだ)められてゐた。
 しかるに近頃(ちかごろ)に至(いた)つて不思議(ふしぎ)な評判(ひやうばん)が院内(ゐんない)に傳(つた)はつた。
 院長(ゐんちやう)が六號室(がうしつ)に足繁(あしゝげ)く訪問(はうもん)し出(だ)したとの風評(ひやうばん)。

 不思議(ふしぎ)な風評(ひやうばん)である。
 ドクトル、アンドレイ、エヒミチ、ラアギンは風變(ふうがは)りな人間(にんげん)で、青年(せいねん)の頃(ころ)には甚(はなはだ)敬虔(けいけん)で、身(み)を宗教上(しゆうけうじやう)に立(た)てやうと、千八百六十三年(ねん)に中學(ちゆうがく)を卒業(そつげふ)すると直(す)ぐ、神學大學(しんがくだいがく)に入(い)らうと决(けつ)した。然(しか)るに醫學博士(いがくはかせ)にして、外科(げくわ)專門家(せんもんか)なる彼(かれ)が父(ちゝ)は、斷乎(だんこ)として彼(かれ)が志望(しばう)を拒(こば)み、若(も)し彼(かれ)にして司祭(しさい)となつた曉(あかつき)は、我(わ)が子(こ)とは認(みと)めぬと迄(まで)云張(いひは)つた。が、アンドレイ、エヒミチは父(ちゝ)の言(ことば)ではあるが、自分(じぶん)は是迄(これまで)醫學(いがく)に對(たい)して、又(また)一般(ぱん)の專門學科(せんもんがくゝわ)に對(たい)して、使命(しめい)を感(かん)じたことは無(な)かつたと自白(じはく)してゐる。
 左(と)に右(かく)、彼(かれ)は醫科大學(いくわだいがく)を卒業(そつげふ)して司祭(しさい)の職(しよく)には就(つ)かなかつた。而(さう)して醫者(いしや)として身(み)を立(た)つる初(はじ)めに於(おい)ても、猶(なほ)今日(こんにち)の如(ごと)く別段(べつだん)宗教家(しゆうけうか)らしい所(ところ)は少(すく)なかつた。彼(かれ)の容貌(ようばう)はぎす/\して、何處(どこ)か百姓染(ひやくしやうじ)みて、※鬚(あごひげ)[#「丿+臣+頁」、40-上-12]から、ベツそりした髮(かみ)、ぎごちない不態(ぶざま)な恰好(かつかう)は、宛然(まるで)大食(たいしよく)の、呑※(のみぬけ)[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」、40-上-13]の、頑固(ぐわんこ)な街道端(かいだうばた)の料理屋(れうりや)なんどの主人(しゆじん)のやうで、素氣無(そつけな)い顏(かほ)には青筋(あをすぢ)が顯(あらは)れ、眼(め)は小(ちひ)さく、鼻(はな)は赤(あか)く、肩幅(かたはゞ)廣(ひろ)く、脊(せい)高(たか)く、手足(てあし)が圖※(づぬ)[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」、40-上-15]けて大(おほ)きい、其手(そのて)で捉(つか)まへられやうものなら呼吸(こきふ)も止(と)まりさうな。其(そ)れでゐて足音(あしおと)は極(ご)く靜(しづか)で、歩(ある)く樣子(やうす)は注意深(ちゆういぶか)い忍足(しのびあし)のやうである。狹(せま)い廊下(らうか)で人(ひと)に出遇(であ)ふと、先(ま)づ道(みち)を除(よ)けて立留(たちどま)り、『失敬(しつけい)』と、さも太(ふと)い聲(こゑ)で云(い)ひさうだが、細(ほそ)いテノルで然(さ)う挨拶(あいさつ)する。彼(かれ)の頸(くび)には小(ちひ)さい腫物(はれもの)が出來(でき)てゐるので、常(つね)に糊付(のりつけ)シヤツは着(き)ないで、柔(やは)らかな麻布(あさ)か、更紗(さらさ)のシヤツを着(き)てゐるので。而(さう)して其服裝(そのふくさう)は少(すこ)しも醫者(いしや)らしい所(ところ)は無(な)く、一つフロツクコートを十年(ねん)も着續(きつゞ)けてゐる。稀(まれ)に猶太人(ジウ)の店(みせ)で新(あたら)しい服(ふく)を買(か)つて來(き)ても、彼(かれ)が着(き)ると猶且(やはり)皺(しわ)だらけな古着(ふるぎ)のやうに見(み)えるので。一つフロツクコートで患者(くわんじや)も受(う)け、食事(しよくじ)もし、客(きやく)にも行(ゆ)く。然(しか)し其(そ)れは彼(かれ)が吝嗇(りんしよく)なるのではなく、扮裝(なり)などには全(まつた)く無頓着(むとんぢやく)なのに由(よ)るのである。
 アンドレイ、エヒミチが新(あらた)に院長(ゐんちやう)として此町(このまち)に來(き)た時(とき)は、此(こ)の病院(びやうゐん)の亂脈(らんみやく)は名状(めいじやう)すべからざるもので。室内(しつない)と云(い)はず、廊下(らうか)と云(い)はず、庭(には)と云(い)はず、何(なん)とも云(い)はれぬ臭氣(しうき)が鼻(はな)を衝(つ)いて、呼吸(いき)をするさへ苦(くる)しい程(ほど)。病院(びやうゐん)の小使(こづかひ)、看護婦(かんごふ)、其(そ)の子供等抔(こどもらなど)は皆(みな)患者(くわんじや)の病室(びやうしつ)に一所(しよ)に起臥(きぐわ)して、外科室(げくわしつ)には丹毒(たんどく)が絶(た)えたことは無(な)い。患者等(くわんじやら)は油蟲(あぶらむし)、南京蟲(なんきんむし)、鼠(ねずみ)の族(やから)に責(せ)め立(た)てられて、住(す)んでゐることも出來(でき)ぬと苦情(くじやう)を云(い)ふ。器械(きかい)や、道具(だうぐ)などは何(なに)もなく外科用(げくわよう)の刄物(はもの)が二つある丈(だ)けで體温器(たいをんき)すら無(な)いのである。浴盤(よくばん)には馬鈴薯(じやがたらいも)が投込(なげこ)んであるやうな始末(しまつ)、代診(だいしん)、會計(くわいけい)、洗濯女(せんたくをんな)は、患者(くわんじや)を掠(かす)めて何(なん)とも思(おも)はぬ。話(はなし)には前(さき)の院長(ゐんちやう)は往々(まゝ)病院(びやうゐん)のアルコールを密賣(みつばい)し、看護婦(かんごふ)、婦人患者(ふじんくわんじや)を手當次第(てあたりしだい)妾(めかけ)としてゐたと云(い)ふ。で、町(まち)では病院(びやうゐん)の這麼有樣(こんなありさま)を知(し)らぬのでは無(な)く、一層(そう)棒大(ぼうだい)にして亂次(だらし)の無(な)いことを評判(ひやうばん)してゐたが、是(これ)に對(たい)しては人々(ひと/″\)は至(いた)つて冷淡(れいたん)なもので、寧(むし)ろ病院(びやうゐん)の辯護(べんご)をしてゐた位(くらゐ)。病院(びやうゐん)などに入(はひ)るものは、皆(みんな)病人(びやうにん)や百姓共(ひやくしやうども)だから、其位(そのくらゐ)な不自由(ふじいう)は何(なん)でも無(な)いことである、自家(じか)にゐたならば、猶更(なほさら)不自由(ふじいう)を爲(せ)ねばなるまいとか、地方自治體(ちはうじちたい)の補助(ほじよ)もなくて、町(まち)獨立(どくりつ)で立派(りつぱ)な病院(びやうゐん)の維持(ゐぢ)されやうは無(な)いとか、左(と)に右(かく)惡(わる)いながらも病院(びやうゐん)の有(あ)るのは無(な)いよりも増(まし)であるとかと。
 アンドレイ、エヒミチは院長(ゐんちやう)として其職(そのしよく)に就(つ)いた後(のち)恁(かゝ)る亂脈(らんみやく)に對(たい)して、果(はた)して是(これ)を如何樣(いかやう)に所置(しよち)したらう、敏捷(てきぱき)と院内(ゐんない)の秩序(ちつじよ)を改革(かいかく)したらうか。彼(かれ)は此(こ)の不順序(ふじゆんじよ)に對(たい)しては、さのみ氣(き)を留(と)めた樣子(やうす)はなく、唯(たゞ)看護婦(かんごふ)などの病室(びやうしつ)に寐(ね)ることを禁(きん)じ、機械(きかい)を入(い)れる戸棚(とだな)を二個(ふたつ)備付(そなへつ)けた計(ばか)りで、代診(だいしん)も、會計(くわいけい)も、洗濯婦(せんたくをんな)も、元(もと)の儘(まゝ)に爲(し)て置(お)いた。
 アンドレイ、エヒミチは知識(ちしき)と廉直(れんちよく)とを頗(すこぶ)る好(この)み且(か)つ愛(あい)してゐたのであるが、偖(さて)彼(かれ)は自分(じぶん)の周圍(まはり)には然云(さうい)ふ生活(せいくわつ)を設(まう)ける事(こと)は到底(たうてい)出來(でき)ぬのであつた。其(そ)れは氣力(きりよく)と、權力(けんりよく)に於(お)ける自信(じしん)とが足(た)りぬので。命令(めいれい)、主張(しゆちやう)、禁止(きんし)、恁云(かうい)ふ事(こと)は凡(すべ)て彼(かれ)には出來(でき)ぬ。丁度(ちやうど)聲(こゑ)を高(たか)めて命令(めいれい)などは决(けつ)して致(いた)さぬと、誰(たれ)にか誓(ちかひ)でも立(た)てたかのやうに、呉(く)れとか、持(も)つて來(こ)いとかとは奈何(どう)しても言(い)へぬ。で、物(もの)が食(た)べたくなつた時(とき)には、何時(いつ)も躊躇(ちうちよ)しながら咳拂(せきばらひ)して、而(さう)して下女(げぢよ)に、茶(ちや)でも呑(の)みたいものだとか、飯(めし)にしたいものだとか云(い)ふのが常(つね)である、其故(それゆゑ)に會計係(くわいけいがゝり)に向(むか)つても、盜(ぬす)むではならぬなどとは到底(たうてい)云(い)はれぬ。無論(むろん)放逐(はうちく)することなどは爲(な)し得(え)ぬので。人(ひと)が彼(かれ)を欺(あざむ)いたり、或(あるひ)は諂(へつら)つたり、或(あるひ)は不正(ふせい)の勘定書(かんぢやうがき)に署名(しよめい)をする事(こと)を願(ねが)ひでもされると、彼(かれ)は蝦(えび)のやうに眞赤(まつか)になつて只管(ひたすら)に自分(じぶん)の惡(わる)いことを感(かん)じはする。が、猶且(やはり)勘定書(かんぢやうがき)には署名(しよめい)をして遣(や)ると云(い)ふやうな質(たち)。
 初(はじめ)にアンドレイ、エヒミチは熱心(ねつしん)に其職(そのしよく)を勵(はげ)み、毎日(まいにち)朝(あさ)から晩(ばん)まで、診察(しんさつ)をしたり、手術(しゆじゆつ)をしたり、時(とき)には産婆(さんば)をも爲(し)たのである、婦人等(ふじんら)は皆(みな)彼(かれ)を非常(ひじやう)に褒(ほ)めて名醫(めいゝ)である、殊(こと)に小兒科(せうにくわ)、婦人科(ふじんくわ)に妙(めう)を得(え)てゐると言囃(いひはや)してゐた。が、彼(かれ)は年月(としつき)の經(た)つと共(とも)に、此事業(このじげふ)の單調(たんてう)なのと、明瞭(あきらか)に益(えき)の無(な)いのとを認(みと)めるに從(したが)つて、段々(だん/\)と厭(あ)きて來(き)た。彼(かれ)は思(おも)ふたのである。今日(けふ)は三十人(にん)の患者(くわんじや)を受(う)ければ、明日(あす)は三十五人(にん)來(く)る、明後日(あさつて)は四十人(にん)に成(な)つて行(ゆ)く、恁(か)く毎日(まいにち)、毎月(まいげつ)同事(おなじこと)を繰返(くりかへ)し、打續(うちつゞ)けては行(ゆ)くものゝ、市中(まち)の死亡者(しばうしや)の數(すう)は决(けつ)して減(げん)じぬ。又(また)患者(くわんじや)の足(あし)も依然(いぜん)として門(もん)には絶(た)えぬ。朝(あさ)から午(ひる)まで來(く)る四十人(にん)の患者(くわんじや)に、奈何(どう)して確實(かくじつ)な扶助(たすけ)を與(あた)へることが出來(でき)やう、故意(こい)ならずとも虚僞(きよぎ)を爲(な)しつゝあるのだ。一統計年度(とうけいねんど)に於(おい)て、一萬二千人(にん)の患者(くわんじや)を受(う)けたとすれば、即(すなは)ち一萬二千人(にん)は欺(あざむ)かれたのである。重(おも)い患者(くわんじや)を病院(びやうゐん)に入院(にふゐん)させて、其(そ)れを學問(がくもん)の規則(きそく)に從(したが)つて治療(ちれう)する事(こと)は出來(でき)ぬ。如何(いか)なれば規則(きそく)はあつても、茲(こゝ)に學問(がくもん)は無(な)いのである。哲學(てつがく)を捨(すて)て了(しま)つて、他(た)の醫師等(いしやら)のやうに規則(きそく)に從(したが)つて遣(や)らうとするのには、第(だい)一に清潔法(せいけつはふ)と、空氣(くうき)の流通法(りうつうはふ)とが缺(か)くべからざる物(もの)である。然(しか)るに這麼不潔(こんなふけつ)な有樣(ありさま)では駄目(だめ)だ。又(また)滋養物(じやうぶつ)が肝心(かんじん)である。然(しか)るに這麼臭(こんなくさ)い玉菜(たまな)の牛肉汁(にくじる)などでは駄目(だめ)だ、又(また)善(よ)い補助者(ほじよしや)が必要(ひつえう)である、然(しか)るに這麼盜人計(こんなぬすびとばか)りでは駄目(だめ)だ。
 而(さう)して死(し)が各人(かくじん)の正當(せいたう)な終(をはり)であるとするなれば、何(なん)の爲(ため)に人々(ひと/″\)の死(し)の邪魔(じやま)をするのか。假(かり)にある商人(しやうにん)とか、ある官吏(くわんり)とかゞ、五年(ねん)十年(ねん)餘計(よけい)に生延(いきの)びたとして見(み)た所(ところ)で、其(そ)れが何(なん)になるか。若(もし)又(また)醫學(いがく)の目的(もくてき)が藥(くすり)を以(もつ)て、苦痛(くつう)を薄(うす)らげるものと爲(な)すなれば、自然(しぜん)茲(こゝ)に一つの疑問(ぎもん)が生(しやう)じて來(く)る。苦痛(くつう)を薄(うす)らげるのは何(なん)の爲(ため)か? 苦痛(くつう)は人(ひと)を完全(くわんぜん)に向(むか)はしむるものと云(い)ふでは無(な)いか、又(また)人類(じんるゐ)が果(はた)して丸藥(ぐわんやく)や、水藥(すゐやく)で、其苦痛(そのくつう)が薄(うす)らぐものなら、宗教(しゆうけう)や、哲學(てつがく)は必要(ひつえう)が無(な)くなつたと棄(すつ)るに至(いた)らう。プシキンは死(し)に先(さきだ)つて非常(ひじやう)に苦痛(くつう)を感(かん)じ、不幸(ふかう)なるハイネは數年間(すうねんかん)中風(ちゆうぶ)に罹(かゝ)つて臥(ふ)してゐた。して見(み)れば原始蟲(げんしちゆう)の如(ごと)き我々(われ/\)に、切(せめ)て苦難(くなん)てふものが無(な)かつたならば、全(まつた)く含蓄(がんちく)の無(な)い生活(せいくわつ)となつて了(しま)ふ。からして我々(われ/\)は病氣(びやうき)するのは寧(むし)ろ當然(たうぜん)では無(な)いか。
 恁(かゝ)る議論(ぎろん)に全然(まるで)心(こゝろ)を壓(あつ)しられたアンドレイ、エヒミチは遂(つひ)に匙(さじ)を投(な)げて、病院(びやうゐん)にも毎日(まいにち)は通(かよ)はなくなるに至(いた)つた。

 彼(かれ)の生活(せいくわつ)は此(かく)の如(ごと)くにして過(す)ぎ行(ゆ)いた。朝(あさ)は八時(じ)に起(お)き、服(ふく)を着換(きか)へて茶(ちや)を呑(の)み、其(そ)れから書齋(しよさい)に入(はひ)るか、或(あるひ)は病院(びやうゐん)に行(ゆ)くかである。病院(びやうゐん)では外來患者(ぐわいらいくわんじや)がもう診察(しんさつ)を待構(まちかま)へて、狹(せま)い廊下(らうか)に多人數(たにんず)詰掛(つめか)けてゐる。其側(そのそば)を小使(こづかひ)や、看護婦(かんごふ)が靴(くつ)で煉瓦(れんぐわ)の床(ゆか)を音高(おとたか)く踏鳴(ふみなら)して往來(わうらい)し、病院服(びやうゐんふく)を着(き)てゐる瘠(や)せた患者等(くわんじやら)が通(とほ)つたり、死人(しにん)も舁(かつ)ぎ出(だ)す、不潔物(ふけつぶつ)を入(い)れた器(うつは)をも持(も)つて通(とほ)る。子供(こども)は泣(な)き叫(さけ)ぶ、通風(とほりかぜ)はする。アンドレイ、エヒミチは恁云(かうい)ふ病院(びやうゐん)の有樣(ありさま)では、熱病患者(ねつびやうくわんじや)、肺病患者(はいびやうくわんじや)には最(もつと)も可(よ)くないと、始終(しゞゆう)思(おも)ひ/\するのであるが、其(そ)れを又(また)奈何(どう)する事(こと)も出來(でき)ぬので有(あ)つた。
 代診(だいしん)のセルゲイ、セルゲヰチは、毎(いつ)も控所(ひかへじよ)に院長(ゐんちやう)の出(で)て來(く)るのを待(ま)つてゐる。此(こ)の代診(だいしん)は脊(せ)の小(ちひ)さい、丸(まる)く肥(ふと)つた男(をとこ)、頬髯(ほゝひげ)を綺麗(きれい)に剃(そ)つて、丸(まる)い顏(かほ)は毎(いつ)も好(よ)く洗(あら)はれてゐて、其(そ)の氣取(きど)つた樣子(やうす)で、新(あたら)しいゆつとりした衣服(いふく)を着(つ)け、白(しろ)の襟飾(えりかざり)をした所(ところ)は、全然(まる)で代診(だいしん)のやうではなく、元老議員(げんらうぎゐん)とでも言(い)ひたいやうである。彼(かれ)は町(まち)に澤山(たくさん)の病家(びやうか)の顧主(とくい)を持(も)つてゐる。で、彼(かれ)は自分(じぶん)を心窃(こゝろひそか)に院長(ゐんちやう)より遙(はるか)に實際(じつさい)に於(おい)て、經驗(けいけん)に積(つ)んでゐるものと認(みと)めてゐた。何(なん)となれば院長(ゐんちやう)には町(まち)に顧主(とくい)の病家(びやうか)などは少(すこ)しも無(な)いのであるから。控所(ひかへじよ)は、壁(かべ)に大(おほ)きい額縁(がくぶち)に填(はま)つた聖像(せいざう)が懸(かゝ)つてゐて、重(おも)い燈明(とうみよう)が下(さ)げてある。傍(そば)には白(しろ)い布(きれ)を被(き)せた讀經臺(どきやうだい)が置(お)かれ、一方(ぱう)には大主教(だいしゆけう)の額(がく)が懸(か)けてある、又(また)スウャトコルスキイ修道院(しうだうゐん)の額(がく)と、枯(か)れた花環(はなわ)とが懸(か)けてある。此(こ)の聖像(せいざう)は代診(だいしん)自(みづか)ら買(か)つて此所(こゝ)に懸(か)けたもので、毎日曜日(まいにちえうび)、彼(かれ)の命令(めいれい)で、誰(だれ)か患者(くわんじや)の一人(ひとり)が、立(た)つて、聲(こゑ)を上(あ)げて、祈祷文(きたうぶん)を讀(よ)む、其(そ)れから彼(かれ)は自身(じしん)で、各病室(かくびやうしつ)を、香爐(かうろ)を提(さ)げて振(ふ)りながら廻(まは)る。
 患者(くわんじや)は多(おほ)いのに時間(じかん)は少(すく)ない、で、毎(いつ)も極(ご)く簡單(かんたん)な質問(しつもん)と、塗藥(ぬりぐすり)か、※麻子油位(ひましあぶらぐらゐ)[#「箆」の「竹かんむり」に代えて「くさかんむり」、42-上-12]の藥(くすり)を渡(わた)して遣(や)るのに留(とゞ)まつてゐる。院長(ゐんちやう)は片手(かたて)で頬杖(ほゝづゑ)を突(つ)きながら考込(かんがへこ)んで、唯(たゞ)機械的(きかいてき)に質問(しつもん)を掛(か)けるのみである。代診(だいしん)のセルゲイ、セルゲヰチが時々(とき/″\)手(て)を擦(こす)り/\口(くち)を入(い)れる。『此(こ)の世(よ)には皆(みな)人(ひと)が病氣(びやうき)になります、入用(いりよう)なものがありません、何(なん)となれば、是(これ)皆(みな)親切(しんせつ)な神樣(かみさま)に不熱心(ふねつしん)でありますから。』診察(しんさつ)の時(とき)に院長(ゐんちやう)はもう疾(と)うより手術(しゆじゆつ)を爲(す)る事(こと)は止(や)めてゐた。彼(かれ)は血(ち)を見(み)るさへ不愉快(ふゆくわい)に感(かん)じてゐたからで。又(また)子供(こども)の咽喉(のど)を見(み)るので口(くち)を開(あ)かせたりする時(とき)に、子供(こども)が泣叫(なきさけ)び、小(ちひ)さい手(て)を突張(つツぱ)つたりすると、彼(かれ)は其聲(そのこゑ)で耳(みゝ)がガンとして了(しま)つて、眼(め)が廻(まは)つて涙(なみだ)が滴(こぼ)れる。で、急(いそ)いで藥(くすり)の處方(しよはう)を云(い)つて、子供(こども)を早(はや)く連(つ)れて行(い)つて呉(く)れと手(て)を振(ふ)る。
 診察(しんさつ)の時(とき)、患者(くわんじや)の臆病(おくびやう)、譯(わけ)の解(わか)らぬこと、代診(だいしん)の傍(そば)にゐること、壁(かべ)に懸(かゝ)つてる畫像(ぐわざう)、二十年(ねん)以上(いじやう)も相變(あひかは)らずに掛(か)けてゐる質問(しつもん)、是等(これら)は院長(ゐんちやう)をして少(すくな)からず退屈(たいくつ)せしめて、彼(かれ)は五六人(にん)の患者(くわんじや)を診察(しんさつ)し終(をは)ると、ふいと診察所(しんさつじよ)から出(で)て行(い)つて了(しま)ふ。で、後(あと)の患者(くわんじや)は代診(だいしん)が彼(かれ)に代(かは)つて診察(しんさつ)するのであつた。
 院長(ゐんちやう)アンドレイ、エヒミチは疾(とう)から町(まち)の病家(びやうか)を有(も)たぬのを、却(かへ)つて可(い)い幸(さいはひ)に、誰(だれ)も自分(じぶん)の邪魔(じやま)をするものは無(な)いと云(い)ふ考(かんがへ)で、家(いへ)に歸(かへ)ると直(す)ぐ書齋(しよさい)に入(い)り、讀(よ)む書物(しよもつ)の澤山(たくさん)あるので、此(こ)の上(うへ)なき滿足(まんぞく)を以(もつ)て書見(しよけん)に耽(ふけ)るのである、彼(かれ)は月給(げつきふ)を受取(うけと)ると直(す)ぐ半分(はんぶん)は書物(しよもつ)を買(か)ふのに費(つひ)やす、其(そ)の六間(ま)借(か)りてゐる室(へや)の三つには、書物(しよもつ)と古雜誌(ふるざつし)とで殆(ほとんど)埋(うづま)つてゐる。彼(かれ)が最(もつと)も好(この)む所(ところ)の書物(しよもつ)は、歴史(れきし)、哲學(てつがく)で、醫學上(いがくじやう)の書物(しよもつ)は、唯(たゞ)『醫者(ヴラーチ)』と云(い)ふ一雜誌(ざつし)を取(と)つてゐるのに過(す)ぎぬ。讀書(どくしよ)爲初(しはじ)めると毎(いつ)も數時間(すうじかん)は續樣(つゞけさま)に讀(よ)むのであるが、少(すこ)しも其(そ)れで疲勞(つかれ)ぬ。彼(かれ)の書見(しよけん)は、イワン、デミトリチのやうに神經的(しんけいてき)に、迅速(じんそく)に讀(よ)むのではなく、徐(しづか)に眼(め)を通(とほ)して、氣(き)に入(い)つた所(ところ)、了解(れうかい)し得(え)ぬ所(ところ)は、留(とゞま)り/\しながら讀(よ)んで行(ゆ)く。書物(しよもつ)の側(そば)には毎(いつ)もウオツカの壜(びん)を置(お)いて、鹽漬(しほづけ)の胡瓜(きうり)や、林檎(りんご)が、デスクの羅紗(らしや)の布(きれ)の上(うへ)に置(お)いてある。半時間毎(はんじかんごと)位(くらゐ)に彼(かれ)は書物(しよもつ)から眼(め)を離(はな)さずに、ウオツカを一杯(ぱい)注(つ)いでは呑乾(のみほ)し、而(さう)して矢張(やはり)見(み)ずに胡瓜(きうり)を手探(てさぐり)で食(く)ひ缺(か)ぐ。
 三時(じ)になると彼(かれ)は徐(しづか)に厨房(くりや)の戸(と)に近(ちか)づいて咳拂(せきばら)ひをして云(い)ふ。
『ダリユシカ、晝食(ひるめし)でも遣(や)り度(た)いものだな。』
 不味(まづ)さうに取揃(とりそろ)へられた晝食(ひるめし)を爲(な)し終(を)へると、彼(かれ)は兩手(りやうて)を胸(むね)に組(く)んで考(かんが)へながら室内(しつない)を歩(ある)き初(はじ)める。其中(そのうち)に四時(じ)が鳴(な)る。五時(じ)が鳴(な)る、猶(なほ)彼(かれ)は考(かんが)へながら歩(ある)いてゐる。すると、時々(とき/″\)厨房(くりや)の戸(と)が開(あ)いて、ダリユシカの赤(あか)い寐惚顏(ねぼけがほ)[#ルビの「ねぼけがほ」は底本では「ねぼけがは」]が顯(あら)はれる。
『旦那樣(だんなさま)、もうビールを召上(めしあが)ります時分(じぶん)では御座(ござ)りませんか。』
と、彼女(かれ)は氣(き)を揉(も)んで問(と)ふ。
『いや未(ま)だ……もう少(すこ)し待(ま)たう……もう少(すこ)し……。』
と、彼(かれ)は云(い)ふ。
 晩(ばん)には毎(いつ)も郵便局長(いうびんきよくちやう)のミハイル、アウエリヤヌヰチが遊(あそ)びに來(く)る。アンドレイ、エヒミチに取(と)つては此(こ)の人間(ひと)計(ばか)りが、町中(まちゞゆう)で一人(ひとり)氣(き)の置(お)けぬ親友(しんいう)なので。ミハイル、アウエリヤヌヰチは元(もと)は富(と)んでゐた大地主(おほぢぬし)、騎兵隊(きへいたい)に屬(ぞく)してゐた者(もの)、然(しか)るに漸々(だん/\)身代(しんだい)を耗(す)つて了(しま)つて、貧乏(びんばふ)し、老年(らうねん)に成(な)つてから、遂(つひ)に此(こ)の郵便局(いうびんきよく)に入(はひ)つたので。至(いた)つて元氣(げんき)な、壯健(さうけん)な、立派(りつぱ)な白(しろ)い頬鬚(ほゝひげ)の、快活(くわいくわつ)な大聲(おほごゑ)の、而(しか)も氣(き)の善(よ)い、感情(かんじやう)の深(ふか)い人間(にんげん)である。然(しか)し又(また)極(ご)く腹立易(はらだちツぽ)い男(をとこ)で、誰(だれ)か郵便局(いうびんきよく)に來(き)た者(もの)で、反對(はんたい)でもするとか、同意(どうい)でも爲(せ)ぬとか、理屈(りくつ)でも並(なら)べやうものなら、眞赤(まつか)になつて、全身(ぜんしん)を顫(ふる)はして怒立(おこりた)ち、雷(らい)のやうな聲(こゑ)で、默(だま)れ! と一喝(かつ)する。其故(それゆゑ)に郵便局(いうびんきよく)に行(ゆ)くのは怖(こは)いと云(い)ふは一般(ぱん)の評判(ひやうばん)。が、彼(かれ)は町(まち)の者(もの)を恁(か)く部下(ぶか)のやうに遇(あつか)ふにも拘(かゝは)らず、院長(ゐんちやう)アンドレイ、エヒミチ計(ばか)りは、教育(けういく)があり、且(か)つ高尚(かうしやう)な心(こゝろ)を有(も)つてゐると、敬(うやま)ひ且(か)つ愛(あい)してゐた。
『やあ、私(わたし)です。』
と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは毎(いつも)のやうに恁(か)う云(い)ひながら、アンドレイ、エヒミチの家(いへ)に入(はひ)つて來(き)た。
二人(ふたり)は書齋(しよさい)の長椅子(ながいす)に腰(こし)を掛(か)けて、暫時(ざんじ)莨(たばこ)を吹(ふ)かしてゐる。
『ダリユシカ、ビールでも欲(ほ)しいな。』
と、アンドレイ、エヒミチは云(い)ふ。
 初(はじ)めの壜(びん)は二人共(ふたりとも)無言(むごん)の行(ぎやう)で呑乾(のみほ)して了(しま)ふ。院長(ゐんちやう)は考込(かんがへこ)んでゐる、ミハイル、アウエリヤヌヰチは何(なに)か面白(おもしろ)い話(はなし)を爲(し)やうとして、愉快(ゆくわい)さうになつてゐる。
 話(はなし)は毎(いつ)も院長(ゐんちやう)から、初(はじ)まるので。
『何(なん)と殘念(ざんねん)なことぢや無(な)いですかなあ。』
と、アンドレイ、エヒミチは頭(かしら)を振(ふ)りながら、相手(あひて)の眼(め)を見(み)ずに徐々(のろ/\)と話出(はなしだ)す。彼(かれ)は話(はなし)をする時(とき)に人(ひと)の眼(め)を見(み)ぬのが癖(くせ)。
『我々(われ/\)の町(まち)に話(はなし)の面白(おもしろ)い、知識(ちしき)のある人間(にんげん)の皆無(かいむ)なのは、實(じつ)に遺憾(ゐかん)なことぢや有(あ)りませんか。是(これ)は我々(われ/\)に取(と)つて大(おほい)なる不幸(ふかう)です。上流社會(じやうりうしやくわい)でも卑劣(ひれつ)なこと以上(いじやう)には其教育(そのけういく)の程度(ていど)は上(のぼ)らんのですから、全(まつた)く下等社會(かとうしやくわい)と少(すこ)しも異(ことな)らんのです。』
『其(そ)れは眞實(まつたく)です。』と、郵便局長(いうびんきよくちやう)は云(い)ふ。
『君(きみ)も知(し)つてゐられる通(とほ)り。』
と、院長(ゐんちやう)は靜(しづか)な聲(こゑ)で、又(また)話續(はなしつゞ)けるので有(あ)つた。
『此(こ)の世(よ)の中(なか)には人間(にんげん)の知識(ちしき)の高尚(こうしやう)な現象(げんしやう)の外(ほか)には、一(ひとつ)として意味(いみ)のある、興味(きようみ)のあるものは無(な)いのです。人智(じんち)なるものが、動物(どうぶつ)と、人間(にんげん)との間(あひだ)に、大(おほい)なる限界(さかひ)をなして居(を)つて、人間(にんげん)の靈性(れいせい)を示(しめ)し、或(あ)る程度(ていど)まで、實際(じつさい)に無(な)い所(ところ)の不死(ふし)の換(かは)りを爲(な)してゐるのです。是(これ)に由(よ)つて人智(じんち)は、人間(にんげん)の唯一(ゆゐいつ)[#ルビの「ゆゐいつ」は底本では「ゐいつ」]の快樂(くわいらく)の泉(いづみ)となつてゐる。然(しか)るに我々(われ/\)は自分(じぶん)の周圍(まはり)に、些(いさゝか)も知識(ちしき)を見(み)ず、聞(き)かずで、我々(われ/\)は全然(まるで)快樂(くわいらく)を奪(うば)はれてゐるやうなものです。勿論(もちろん)我々(われ/\)には書物(しよもつ)が有(あ)る。然(しか)し是(これ)は活(い)きた話(はなし)とか、交際(かうさい)とかと云(い)ふものとは又(また)別(べつ)で、餘(あま)り適切(てきせつ)な例(れい)では有(あ)りませんが、例(たと)へば書物(しよもつ)はノタで、談話(だんわ)は唱歌(しやうか)でせう。』
『其(そ)れは眞實(まつたく)です。』と、郵便局長(いうびんきよくちやう)は云(い)ふ。
 二人(ふたり)は默(だま)る。厨房(くりや)からダリユシカが鈍(にぶ)い浮(う)かぬ顏(かほ)で出(で)て來(き)て、片手(かたて)で頬杖(ほゝづゑ)を爲(し)て、話(はなし)を聞(き)かうと戸口(とぐち)に立留(たちどま)つてゐる。
『あゝ君(きみ)は今(いま)の人間(にんげん)から知識(ちしき)をお望(のぞ)みになるのですか?』
と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは嘆息(たんそく)して云(い)ふた。而(さう)して彼(かれ)は昔(むかし)の生活(せいくわつ)が健全(けんぜん)で、愉快(ゆくわい)で、興味(きようみ)の有(あ)つたこと、其頃(そのころ)の上流社會(じやうりうしやくわい)には知識(ちしき)が有(あ)つたとか、又(また)其社會(そのしやくわい)では廉直(れんちよく)、友誼(いうぎ)を非常(ひじやう)に重(おも)んじてゐたとか、證文(しようもん)なしで錢(ぜに)を貸(か)したとか、貧窮(ひんきゆう)な友人(いうじん)に扶助(たすけ)を與(あた)へぬのを恥(はぢ)としてゐたとか、愉快(ゆくわい)な行軍(かうぐん)や、戰爭(せんさう)などの有(あ)つたこと、面白(おもしろ)い人間(にんげん)、面白(おもしろ)い婦人(ふじん)の有(あ)つたこと、又(また)高加索(カフカズ)と云(い)ふ所(ところ)は實(じつ)に好(い)い土地(とち)で、或(あ)る騎兵大隊長(きへいだいたいちやう)の夫人(ふじん)に變者(かはりもの)があつて、毎(いつ)でも身(み)に士官(しくわん)の服(ふく)を着(つ)けて、夜(よる)になると一人(ひとり)で、カフカズの山中(さんちゆう)を案内者(あんないしや)もなく騎馬(きば)で行(ゆ)く。話(はなし)に聞(き)くと、何(なん)でも韃靼人(だつたんじん)の村(むら)に、其夫人(そのふじん)と、土地(とち)の某公爵(ぼうこうしやく)との間(あひだ)に小説(せうせつ)があつたとの事(こと)だ、とかと。
『へゝえ。』
と、ダリユシカは感心(かんしん)して聞(き)いてゐる。
『而(さう)して可(よ)く呑(の)み、可(よ)く食(く)つたものだ。又(また)非常(ひじやう)な自由主義(じいうしゆぎ)の人間(にんげん)なども有(あ)つたツけ。』
 アンドレイ、エヒミチは聞(き)いてはゐたが、耳(みゝ)にも留(とま)らぬ風(ふう)で、何(なに)かを考(かんが)へながら、ビールをチビリ/\と呑(の)んでゐる。
『私(わたし)は奈何(どう)かすると知識(ちしき)のある秀才(しうさい)と話(はなし)を爲(し)てゐることを夢(ゆめ)に見(み)ることがあります。』
と、院長(ゐんちやう)は突然(だしぬけ)にミハイル、アウエリヤヌヰチの言(ことば)を遮(さへぎ)つて言(い)ふた。
『私(わたし)の父(ちゝ)は私(わたし)に立派(りつぱ)な教育(けういく)を與(あた)へたです、然(しか)し六十年代(ねんだい)の思想(しさう)の影響(えいきやう)で、私(わたし)を醫者(いしや)として了(しま)つたが、私(わたし)が若(も)し其時(そのとき)に父(ちゝ)の言(い)ふ通(とほ)りにならなかつたなら、今頃(いまごろ)は現代思潮(げんだいしてう)の中心(ちゆうしん)となつてゐたであらうと思(おも)はれます。其時(そのとき)には屹度(きつと)大學(だいがく)の分科(ぶんくわ)の教授(けうじゆ)にでもなつてゐたのでせう。無論(むろん)知識(ちしき)なるものは、永久(えいきう)のものでは無(な)く、變遷(へんせん)して行(ゆ)くものですが、然(しか)し生活(せいくわつ)と云(い)ふものは、忌々(いま/\)しい輪索(わな)です。思想(しさう)の人間(にんげん)が成熟(せいじゆく)の期(き)に達(たつ)して、其思想(そのしさう)が發展(はつてん)される時(とき)になると、其人間(そのにんげん)は自然(しぜん)自分(じぶん)がもう已(すで)に此(こ)の輪索(わな)に掛(かゝ)つてゐる遁(のが)れる路(みち)の無(な)くなつてゐるのを感(かん)じます。實際(じつさい)人間(にんげん)は自分(じぶん)の意旨(いし)に反(はん)して、或(あるひ)は偶然(ぐうぜん)な事(こと)の爲(ため)に、無(む)から生活(せいくわつ)に喚出(よびだ)されたものであるのです……。』
『其(そ)れは眞實(まつたく)です。』
と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは云(い)ふ。
 アンドレイ、エヒミチは依然(やはり)相手(あひて)の顏(かほ)を見(み)ずに、知識(ちしき)ある者(もの)の話計(はなしばか)りを續(つゞ)ける、ミハイル、アウエリヤヌヰチは注意(ちゆうい)して聽(き)いてゐながら『其(そ)れは眞實(まつたく)です。』と、其(そ)れ計(ばか)りを繰返(くりかへ)してゐた。
『然(しか)し君(きみ)は靈魂(れいこん)の不死(ふし)を信(しん)じなさらんのですか?』
と、俄(にはか)にミハイル、アウエリヤヌヰチは問(と)ふ。
『いや、ミハイル、アウエリヤヌヰチ、信(しん)じません、信(しん)じる理由(りいう)が無(な)いのです。』と、院長(ゐんちやう)は云(い)ふ。
『實(じつ)を申(まを)すと私(わたし)も疑(うたが)つてゐるのです。然(しか)し尤(もつと)も、私(わたくし)は或時(あるとき)は死(し)なん者(もの)のやうな感(かんじ)もするですがな。其(そ)れは時時(とき/″\)恁(か)う思(おも)ふ事(こと)があるです。
 這麼老朽(こんならうきう)な體(からだ)は死(し)んでも可(い)い時分(じぶん)だ、とさう思(おも)ふと、忽(たちま)ち又(また)何(なん)やら心(こゝろ)の底(そこ)で聲(こゑ)がする、氣遣(きづか)ふな、死(し)ぬ事(こと)は無(な)いと云(い)つて居(ゐ)るやうな。』
 九時(じ)少(すこ)し過(す)ぎ、ミハイル、アウエリヤヌヰチは歸(かへ)らんとて立上(たちあが)り、玄關(げんくわん)で毛皮(けがは)の外套(ぐわいたう)を引掛(ひつか)けながら溜息(ためいき)して云(い)ふた。
『然(しか)し我々(われ/\)は隨分酷(ずゐぶんひど)い田舍(ゐなか)に引込(ひつこ)んだものさ、殘念(ざんねん)なのは、這麼處(こんなところ)で往生(わうじやう)をするのかと思(おも)ふと、あゝ……。』

 親友(しんいう)を送出(おくりだ)して、アンドレイ、エヒミチは又(また)讀書(どくしよ)を初(はじ)めるのであつた。夜(よる)は靜(しづか)で何(なん)の音(おと)も爲(せ)ぬ。時(とき)は留(とゞま)つて院長(ゐんちやう)と共(とも)に書物(しよもつ)の上(うへ)に途絶(とだ)えて了(しま)つたかのやう。此(こ)の書物(しよもつ)と、青(あを)い傘(かさ)を掛(か)けたランプとの外(ほか)には、世(よ)に又(また)何物(なにもの)も有(あ)らぬかと思(おも)はるる靜(しづ)けさ。院長(ゐんちやう)の可畏(むくつけ)き、無人相(ぶにんさう)の顏(かほ)は、人智(じんち)の開發(かいはつ)に感(かん)ずるに從(したが)つて、段々(だん/\)と和(やはら)ぎ、微笑(びせう)をさへ浮(うか)べて來(き)た。
『あゝ、奈何(どう)して、人(ひと)は不死(ふし)の者(もの)では無(な)いか。』
と、彼(かれ)は考(かんが)へてゐる。『腦髓(なうずゐ)や、視官(しくわん)、言語(げんご)、自覺(じかく)、天才(てんさい)などは、終(つひ)には皆(みな)土中(どちゆう)に入(はひ)つて了(しま)つて、旋(やが)て地殼(ちかく)と共(とも)に冷却(れいきやく)し、何百萬年(なんびやくまんねん)と云(い)ふ長(なが)い間(あひだ)、地球(ちきう)と一所(しよ)に意味(いみ)もなく、目的(もくてき)も無(な)く廻(まは)り行(ゆ)くやうになるとなれば、何(なん)の爲(ため)に這麼物(こんなもの)が有(あ)るのか……。』冷却(れいきやく)して後(のち)、飛散(ひさん)するとすれば、高尚(かうしやう)なる殆(ほとん)ど神(かみ)の如(ごと)き智力(ちりよく)を備(そな)へたる人間(にんげん)を、虚無(きよむ)より造出(つくりだ)すの必要(ひつえう)はない。而(さう)して恰(あたか)も嘲(あざけ)るが如(ごと)くに、又(また)人(ひと)を粘土(ねんど)に化(くわ)する必要(ひつえう)は無(な)い。あゝ物質(ぶつしつ)の新陳代謝(しんちんたいしや)よ。然(しかし)ながら不死(ふし)の代替(だいたい)を以(もつ)て、自分(じぶん)を慰(なぐさ)むると云(い)ふ事(こと)は臆病(おくびやう)ではなからうか。自然(しぜん)に於(おい)て起(おこ)る所(ところ)の無意識(むいしき)なる作用(さよう)は、人間(にんげん)の無智(むち)にも劣(おと)つてゐる。何(なん)となれば、無智(むち)には幾分(いくぶん)か、意識(いしき)と意旨(いし)とがある。が、作用(さよう)には何(なに)もない。死(し)に對(たい)して恐怖(きようふ)を抱(いだ)く臆病者(おくびやうもの)は、左(さ)の事(こと)を以(もつ)て自分(じぶん)を慰(なぐさ)める事(こと)が出來(でき)る。即(すなは)ち彼(か)の體(たい)を將來(しやうらい)、草(くさ)、石(いし)、蟇(ひきがへる)の中(うち)に入(い)つて、生活(せいくわつ)すると云(い)ふ事(こと)を以(もつ)て慰(なぐさ)むることが出來(でき)る。
『其(そ)れとも物質(ぶつしつ)の變換(へんくわん)……物質(ぶつしつ)の變換(へんくわん)を認(みと)めて、直(すぐ)に人間(にんげん)の不死(ふし)と爲(な)すと云(い)ふのは、恰(あだか)も高價(かうか)なヴアイオリンが破(こは)れた後(あと)で、其明箱(そのあきばこ)が換(かは)つて立派(りつぱ)な物(もの)となると同(おな)じやうに、誠(まこと)に譯(わけ)の解(わか)らぬ事(こと)である。』
 時計(とけい)が鳴(な)る。アンドレイ、エヒミチは椅子(いす)の倚掛(よりかゝり)に身(み)を投(な)げて、眼(め)を閉(と)ぢて考(かんが)へる。而(さう)して今(いま)讀(よ)んだ書物(しよもつ)の中(うち)の面白(おもしろ)い影響(えいきやう)で、自分(じぶん)の過去(くわこ)と、現在(げんざい)とに思(おもひ)を及(およぼ)すのであつた。
『過去(くわこ)は思出(おもひだ)すのも不好(いや)だ、と云(い)つて、現在(げんざい)も亦(また)過去(くわこ)と同樣(どうやう)ではないか。』
と、彼(かれ)は其(そ)れから患者等(くわんじやら)のこと、不潔(ふけつ)な病室(びやうしつ)の中(うち)に苦(くる)しんでゐること、抔(など)を思(おも)ひ起(おこ)す。『未(ま)だ眠(ねむ)らないで南京蟲(なんきんむし)と戰(たゝか)つてゐる者(もの)も有(あ)らう、或(あるひ)は強(つよ)く繃帶(はうたい)を締(し)められて惱(なや)んで呻(うな)つてゐる者(もの)も有(あ)らう、又(また)或(あ)る患者等(くわんじやら)は看護婦(かんごふ)を相手(あいて)に骨牌遊(かるたあそび)を爲(し)てゐる者(もの)も有(あ)らう、或(あるひ)はヴオツカを呑(の)んでゐる者(もの)も有(あ)らう、病院(びやうゐん)の事業(じげふ)は總(すべ)て二十年前(ねんまへ)と少(すこ)しも變(かは)らぬ。窃盜(せつたう)、姦淫(かんいん)、詐欺(さぎ)の上(うへ)に立(た)てられてゐるのだ。であるから、病院(びやうゐん)は依然(いぜん)として、町(まち)の住民(ぢゆうみん)の健康(けんかう)には有害(いうがい)で、且(か)つ不徳義(ふとくぎ)なものである。』
と、彼(かれ)は思(おも)ひ來(きた)り、更(さら)に又(また)彼(か)の六號室(がうしつ)の鐵格子(てつがうし)の中(なか)で、ニキタが患者等(くわんじやら)を打毆(なぐ)つてゐる事(こと)、モイセイカが町(まち)に行(い)つては、施(ほどこし)を請(こ)ふてゐる姿(すがた)などを思(おも)ひ出(だ)す。
 其(そ)れより又(また)彼(かれ)は醫學(いがく)の此(こ)の近(ちか)き二十五年間(ねんかん)に於(おい)て、如何(いか)に長足(ちやうそく)の進歩(しんぽ)を爲(な)したかと云(い)ふ事(こと)を考(かんが)へ初(はじ)める。
『自分(じぶん)が大學(だいがく)にゐた時分(じぶん)は、醫學(いがく)も猶且(やはり)、錬金術(れんきんじゆつ)や、形而上學(けいじゝやうがく)などと同(おな)じ運命(うんめい)に至(いた)るものと思(おも)ふてゐたが、實(じつ)に驚(おどろ)く可(べ)き進歩(しんぽ)である。大革命(だいかくめい)とも名(なづ)けられる位(くらゐ)だ、防腐法(ばうふはふ)の發明(はつめい)によつて、大家(たいか)のピロウゴフさへも、到底(たうてい)出來得(できう)べからざる事(こと)を認(みとめ)てゐた手術(しゆじゆつ)が、容易(たやす)く遣(や)られるやうにはなつた。今(いま)では腹部截開(ふくぶせつかい)の百度(たび)の中(うち)、死(し)を見(み)ることは一度位(どぐらゐ)なものである。梅毒(ばいどく)も根治(こんぢ)される、其他(そのた)遺傳論(ゐでんろん)、催眠術(さいみんじゆつ)、パステルや、コツホなどの發見(はつけん)、衞生學(ゑいせいがく)、統計學(とうけいがく)などは奈何(どう)であらう……。』
 我々(われ/\)ロシヤの地方團體(ちはうだんたい)の醫術(いじゆつ)は如何(どう)であらうか、先(ま)づ精神病(せいしんびやう)に就(つ)いて云(い)ふならば、現今(げんこん)の病氣(びやうき)の類別法(るゐべつはふ)、診斷(しんだん)、治療(ちれう)の方法(はうはふ)、共(とも)に皆是(みなこれ)を過去(くわこ)の精神病學(せいしんびやうがく)と比較(ひかく)するならば、其(そ)の差(さ)はエリボルスの山(やま)の如(ごと)き高大(かうだい)なるものである。現今(げんこん)では精神病者(せいしんびやうしや)の治療(ちれう)に冷水(れいすゐ)を注(そゝ)がぬ、蒸暑(むしあつ)きシヤツを被(き)せぬ、而(さう)して人間的(にんげんてき)に彼等(かれら)を取扱(とりあつか)ふ、即(すなは)ち新聞(しんぶん)に記載(きさい)する通(とほ)り、彼等(かれら)の爲(ため)に、演劇(えんげき)、舞蹈(ぶたふ)を催(もよほ)す。
 彼(かれ)は又(また)恁(か)く思考(かんが)へた。
 現時(げんじ)の見解(けんかい)及(およ)び趣味(しゆみ)を見(み)るに、六號室(がうしつ)の如(ごと)きは、誠(まこと)に見(み)るに忍(しの)びざる、厭惡(えんを)に堪(た)へざるものである。恁(かゝ)る病室(びやうしつ)は、鐵道(てつだう)を去(さ)ること、二百露里(ヴエルスタ)の此(こ)の小都會(せうとくわい)に於(おい)てのみ見(み)るのである。即(すなは)ち此所(こゝ)の市長(しちやう)並(ならび)に町會議員(ちやうくわいぎゐん)は皆(みな)生物知(ゝまものし)りの町人(ちやうにん)である、であるから醫師(いし)を見(み)ることは神官(しんくわん)の如(ごと)く、其(そ)の言(い)ふ所(ところ)を批評(ひゝやう)せずして信(しん)じてゐる。例(たと)へば、溶解(ようかい)せる鉛(なまり)を口(くち)に入(い)るゝとも、少(すこ)しも不思議(ふしぎ)には思(おも)はぬであらう。が、若(も)し是(これ)が他(た)の所(ところ)に於(おい)ては如何(どう)であらうか、公衆(こうしゆう)と、新聞紙(しんぶんし)とは必(かなら)ず此(かく)の如(ごと)き監獄(バステリヤ)は、とうに寸斷(すんだん)にして了(しま)つたであらう。
『然(しか)し其(そ)れが奈何(どう)である。』
と、彼(かれ)はパツと眼(め)を開(ひら)いて自(みづか)ら問(と)ふた。
『防腐法(ばうふはう)だとか、コツホだとか、パステルだとか云(い)つたつて、實際(じつさい)に於(おい)ては世(よ)の中(なか)は少(すこ)しも是迄(これまで)と變(かは)らないでは無(な)いか、病氣(びやうき)の數(すう)も、死亡(しばう)の數(すう)も、瘋癲患者(ふうてんくわんじや)の爲(ため)だと云(い)つて、舞踏會(ぶたふくわい)やら、演藝會(えんげいくわい)やらが催(もよほ)されるが、然(しか)し彼等(かれら)をして全(まつた)く開放(かいはう)することは出來(でき)ないでは無(な)いか。而(し)て見(み)れば、何(なん)でも皆(みな)空(むな)しい事(こと)だ、ヴインナの完全(くわんぜん)な大學病院(だいがくびやうゐん)でも、我々(われ/\)の此(こ)の病院(びやうゐん)と少(すこ)しも差別(さべつ)は無(な)いのだ。
 然(しか)し俺(おれ)は有害(いうがい)な事(こと)に務(つと)めてると云(い)ふものだ、自分(じぶん)の欺(あざむ)いてゐる人間(にんげん)から給料(きふれう)を貪(むさぼ)つてゐる、不正直(ふしやうぢき)だ、然(け)れども俺(おれ)其者(そのもの)は至(いた)つて微々(びゞ)たるもので、社會(しやくわい)の必然(ひつぜん)の惡(あく)の一分子(ぶんし)に過(す)ぎぬ、總(すべ)て町(まち)や、郡(ぐん)の官吏共(くわんりども)でも皆(みな)詰(つま)り無用(むよう)の長物(ちやうぶつ)だ。唯(た)だ給料(きふれう)を貪(むさぼ)つてゐるに過(す)ぎん……而(さう)して見(み)れば不正直(ふしやうぢき)の罪(つみ)は、敢(あへ)て自分計(じぶんばか)りぢや無(な)い、時勢(じせい)に有(あ)るのだ、もう二百年(ねん)も晩(おそ)く自分(じぶん)が生(うま)れたなら、全然(まるで)別(べつ)の人間(にんげん)で有(あ)つたかも知(し)れぬ。』
 三時(じ)が鳴(な)る、彼(かれ)はランプを消(け)して寐室(ねべや)に行(い)つた。が、奈何(どう)しても睡眠(ねむり)に就(つ)くことは出來(でき)ぬのであつた。

 二年(ねん)此方(このかた)、地方自治體(ちはうじちたい)はやう/\饒(ゆたか)になつたので、其管下(そのくわんか)に病院(びやうゐん)の設立(たて)られるまで、年々(ねん/\)三百圓(ゑん)づつを此(こ)の町立病院(ちやうりつびやうゐん)に補助金(ほじよきん)として出(だ)す事(こと)となり、病院(びやうゐん)では其(そ)れが爲(ため)に醫員(いゐん)を一人(ひとり)増(ま)す事(こと)と定(さだ)められた。で、アンドレイ、エヒミチの補助手(ほじよしゆ)として、軍醫(ぐんい)のエウゲニイ、フエオドロヰチ、ハヾトフといふが、此(こ)の町(まち)に聘(へい)せられた。其人(そのひと)は未(ま)だ三十歳(さい)に足(た)らぬ若(わか)い男(をとこ)で、頬骨(ほゝぼね)の廣(ひろ)い、眼(め)の小(ちひ)さい、ブルネト、其祖先(そのそせん)は外國人(ぐわいこくじん)で有(あ)つたかのやうにも見(み)える、彼(かれ)が町(まち)に來(き)た時(とき)は、錢(ぜに)と云(い)つたら一文(もん)もなく、小(ちひ)さい鞄(かばん)只(たゞ)一個(ひとつ)と、下女(げぢよ)と徇(ふ)れてゐた醜女計(みにくいをんなばか)りを伴(ともな)ふて來(き)たので、而(さう)して此女(このをんな)には乳呑兒(ちのみご)が有(あ)つた。彼(かれ)は常(つね)に廂(ひさし)の附(つ)いた丸帽(まるばう)を被(かぶ)つて、深(ふか)い長靴(ながぐつ)を穿(は)き冬(ふゆ)には毛皮(けがは)の外套(ぐわいたう)を着(き)て外(そと)を歩(ある)く。病院(びやうゐん)に來(き)てより間(ま)もなく、代診(だいしん)のセルゲイ、セルゲヰチとも、會計(くわいけい)とも、直(す)ぐに親密(しんみつ)になつたのである。下宿(げしゆく)には書物(しよもつ)は唯(たゞ)一册(さつ)『千八百八十一年度(ねんど)ヴインナ大學病院(だいがくびやうゐん)最近(さいきん)處方(しよはう)』と題(だい)するもので、彼(かれ)は患者(くわんじや)の所(ところ)へ行(ゆ)く時(とき)には必(かなら)ず其(そ)れを携(たづさ)へる。晩(ばん)になると倶樂部(くらぶ)に行(い)つては玉突(たまつき)をして遊(あそ)ぶ、骨牌(かるた)は餘(あま)り好(この)まぬ方(はう)、而(さう)して何時(いつ)もお極(きま)りの文句(もんく)を可(よ)く云(い)ふ人間(にんげん)。
 病院(びやうゐん)には一週(しう)に二度(ど)づつ通(かよ)つて、外來患者(ぐわいらいくわんじや)を診察(しんさつ)したり、各病室(かくびやうしつ)を廻(まは)つたりしてゐたが、防腐法(ばうふはふ)の此(こゝ)では全(まつた)く行(おこな)はれぬこと、呼血器(きふけつき)のことなどに就(つ)いて、彼(かれ)は頗(すこぶ)る異議(いぎ)を有(も)つてゐたが、其(そ)れと打付(うちつ)けて云(い)ふのも、院長(ゐんちやう)に恥(はぢ)を掻(か)かせるやうなものと、何(なん)とも云(い)はずにはゐたが、同僚(どうれう)の院長(ゐんちやう)アンドレイ、エヒミチを心祕(こゝろひそか)に、老込(おいこみ)の怠惰者(なまけもの)として、奴(やつ)、金計(かねばか)り溜込(ためこ)んでゐると羨(うらや)んでゐた。而(さう)して其後任(そのこうにん)を自分(じぶん)で引受(ひきう)け度(た)く思(おも)ふてゐた。

 三月(ぐわつ)の末(すゑ)つ方(かた)、消(き)えがてなりし雪(ゆき)も、次第(しだい)に跡(あと)なく融(と)けた或夜(あるよ)、病院(びやうゐん)の庭(には)には椋鳥(むくどり)が切(しき)りに鳴(な)いてた折(をり)しも、院長(ゐんちやう)は親友(しんいう)の郵便局長(いうびんきよくちやう)の立歸(たちか)へるのを、門迄(もんまで)見送(みおく)らんと室(しつ)を出(で)た。丁度(ちやうど)其時(そのとき)、庭(には)に入(はひ)つて來(き)たのは、今(いま)しも町(まち)を漁(あさ)つて來(き)た猶太人(ジウ)のモイセイカ、帽(ばう)も被(かぶ)らず、跣足(はだし)に淺(あさ)い上靴(うはぐつ)を突掛(つツか)けたまゝ、手(て)には施(ほどこし)の小(ちひ)さい袋(ふくろ)を提(さ)げて。
『一錢(せん)おくんなさい!』
と、モイセイカは寒(さむ)さに顫(ふる)へながら、院長(ゐんちやう)を見(み)て微笑(びせう)する。
 辭(じ)することの出來(でき)ぬ院長(ゐんちやう)は、隱(かくし)から十錢(せん)を出(だ)して彼(かれ)に遣(や)る。
『これは可(よ)くない』と、院長(ゐんちやう)はモイセイカの瘠(や)せた赤(あか)い跣足(はだし)の踝(くるぶし)を見(み)て思(おも)ふた。
『路(みち)は泥濘(ぬか)つてゐると云(い)ふのに。』
 院長(ゐんちやう)は不覺(そゞろ)に哀(あは)れにも、又(また)不氣味(ぶきみ)にも感(かん)じて、猶太人(ジウ)の後(あと)に尾(つ)いて、其禿頭(そのはげあたま)だの、足(あし)の踝(くるぶし)などを※(「目+旬」、第3水準1-88-80)(みまは)しながら、別室(べつしつ)まで行(い)つた。小使(こづかひ)のニキタは相(あひ)も變(かは)らず、雜具(がらくた)の塚(つか)の上(うへ)に轉(ころが)つてゐたのであるが、院長(ゐんちやう)の入(はひ)つて來(き)たのに吃驚(びつくり)して跳起(はねお)きた。
『ニキタ、今日(こんにち)は。』
と、院長(ゐんちやう)は柔(やさ)しく彼(かれ)に挨拶(あいさつ)して。
『此(こ)の猶太人(ジウ)に靴(くつ)でも與(あた)へたら奈何(どう)だ、然(さ)うでもせんと風邪(かぜ)を引(ひ)く。』
『はツ、拜承(かしこ)まりまして御坐(ござ)りまする。直(すぐ)に會計(くわいけい)に然(さ)う申(まを)しまして。』
『然(さ)うして下(くだ)さい、お前(まへ)は會計(くわいけい)に私(わたし)がさう云(い)つたと云(い)つて呉(く)れ。』
 玄關(げんくわん)から病室(びやうしつ)へ通(かよ)ふ戸(と)は開(ひら)かれてゐた。イワン、デミトリチは寐臺(ねだい)の上(うへ)に横(よこ)になつて、肘(ひぢ)を突(つ)いて、さも心配(しんぱい)さうに、人聲(ひとごゑ)がするので此方(こなた)を見(み)て耳(みゝ)を欹(そばだ)てゝゐる。と、急(きふ)に來(き)た人(ひと)の院長(ゐんちやう)だと解(わか)つたので、彼(かれ)は全身(ぜんしん)を怒(いかり)に顫(ふる)はして、寐床(ねどこ)から飛上(とびあが)り、眞赤(まつか)になつて、激怒(げきど)して、病室(びやうしつ)の眞中(まんなか)に走(はし)り出(で)て突立(つゝた)つた。
『やあ、院長(ゐんちやう)が來(き)たぞ!』
 イワン、デミトリチは高(たか)く※(さけ)[#「口+斗」、47-上-10]んで、笑(わら)ひ出(だ)す。
『來(き)た々々! 諸君(しよくん)お目出(めで)たう、院長閣下(ゐんちやうかくか)が我々(われ/\)を訪問(はうもん)せられた! 此(こ)ン畜生(ちくしやう)め!』
と、彼(かれ)は聲(こゑ)を甲走(かんばし)らして、地鞴踏(ぢだんだふ)んで、同室(どうしつ)の者等(ものら)の未(いま)だ甞(か)つて見(み)ぬ騷方(さわぎかた)。
『此(こ)ン畜生(ちくしやう)! やい毆殺(ぶちころ)して了(しま)へ! 殺(ころ)しても足(た)るものか、便所(べんじよ)にでも敲込(たゝきこ)め!』
 院長(ゐんちやう)のアンドレイ、エヒミチは玄關(げんくわん)の間(ま)から病室(びやうしつ)の内(なか)を覗込(のぞきこ)んで、物柔(ものやは)らかに問(と)ふので有(あ)つた。
『何故(なぜ)ですね?』
『何故(なぜ)だと。』と、イワン、デミトリチは嚇(おど)すやうな氣味(きみ)で、院長(ゐんちやう)の方(はう)に近寄(ちかよ)り、顫(ふる)ふ手(て)に病院服(びやうゐんふく)の前(まへ)を合(あは)せながら。
『何故(なぜ)かも無(な)いものだ! 此(こ)の盜人(ぬすびと)め!』
 彼(かれ)は惡々(にく/\)しさうに唾(つば)でも吐(は)つ掛(か)けるやうな口付(くちつ)きをして。
『此(こ)の山師(やまし)! 人殺(ひとごろし)!』
『まあ、落着(おちつ)きなさい。』
と、アンドレイ、エヒミチは惡(わ)るかつたと云(い)ふやうな顏付(かほつき)で云(い)ふ。
『可(よ)くお聽(き)きなさい、私(わたし)は未(ま)だ何(なん)にも盜(ぬす)んだ事(こと)もなし、貴方(あなた)に何(なに)も致(いた)したことは無(な)いのです。貴方(あなた)は何(なに)か間違(まちが)つてお出(いで)なのでせう、酷(ひど)く私(わたし)を怒(おこ)つてゐなさるやうだが、まあ落着(おちつ)いて、靜(しづ)かに、而(さう)して何(なに)を立腹(りつぷく)してゐなさるのか、有仰(おつしや)つたら可(い)いでせう。』
『だが何(なん)の爲(ため)に貴下(あなた)は私(わたし)を這麼(こんな)ところに入(い)れて置(お)くのです?』
『其(そ)れは貴君(あなた)が病人(びやうにん)だからです。』
『はあ、病人(びやうにん)、然(しか)し何(なん)百人(にん)と云(い)ふ狂人(きやうじん)が自由(じいう)に其處邊(そこらへん)を歩(ある)いてゐるではないですか、其(そ)れは貴方々(あなたがた)の無學(むがく)なるに由(よ)つて、狂人(きやうじん)と、健康(けんかう)なる者(もの)との區別(くべつ)が出來(でき)んのです。何(なん)の爲(ため)に私(わたし)だの、そら此處(こゝ)にゐる此(こ)の不幸(ふかう)な人達計(ひとたちばか)りが恰(あだか)も獻祭(けんさい)の山羊(やぎ)の如(ごと)くに、衆(しゆう)の爲(ため)に此(こゝ)に入(い)れられてゐねばならんのか。貴方(あなた)を初(はじ)め、代診(だいしん)、會計(くわいけい)、其(そ)れから、總(すべ)て此(こ)の貴方(あなた)の病院(びやうゐん)に居(ゐ)る奴等(やつら)は、實(じつ)に怪(け)しからん、徳義上(とくぎじやう)に於(おい)ては我々共(われ/\ども)より遙(はるか)に劣等(れつとう)だ、何(なん)の爲(ため)に我々計(われ/\ばか)りが此(こゝ)に入(い)れられて居(を)つて、貴方々(あなたがた)は然(さ)うで無(な)いのか、何處(どこ)に那樣論理(そんなろんり)があります?』
『徳義上(とくぎじやう)だとか、論理(ろんり)だとか、那樣事(そんなこと)は何(なに)も有(あ)りません。唯(たゞ)場合(ばあひ)です。即(すなは)ち此處(こゝ)に入(い)れられた者(もの)は入(はひ)つてゐるのであるし、入(い)れられん者(もの)は自由(じいう)に出歩(である)いてゐる、其(そ)れ丈(だ)けの事(こと)です。私(わたし)が醫者(いしや)で、貴方(あなた)が精神病者(せいしんびやうしや)であると云(い)ふことに於(おい)て、徳義(とくぎ)も無(な)ければ、論理(ろんり)も無(な)いのです。詰(つま)り偶然(ぐうぜん)の場合(ばあひ)のみです。』
『那樣屁理窟(そんなへりくつ)は解(わか)らん。』
と、イワン、デミトリチは小聲(こゞゑ)で云(い)つて、自分(じぶん)の寐臺(ねだい)の上(うへ)に坐(すわ)り込(こ)む。
 モイセイカは今日(けふ)は院長(ゐんちやう)のゐる爲(ため)に、ニキタが遠慮(ゑんりよ)して何(なに)も取返(とりかへ)さぬので、貰(もら)つて來(き)た雜物(ざふもつ)を、自分(じぶん)の寐臺(ねだい)の上(うへ)に洗(あら)ひ浚(ざら)ひ廣(ひろ)げて、一つ/\並(なら)べ初(はじ)める。パンの破片(かけら)、紙屑(かみくづ)、牛(うし)の骨(ほね)など、而(さう)して寒(さむさ)に顫(ふる)へながら、猶太語(エヴレイご)で、早言(はやこと)に歌(うた)ふやうに喋(しやべ)り出(だ)す、大方(おほかた)開店(かいてん)でも爲(し)た氣取(きどり)で何(なに)かを吹聽(ふいちやう)してゐるので有(あ)らう。
『私(わたし)を此處(こゝ)から出(だ)して下(くだ)さい。』と、イワン、デミトリチは聲(こゑ)を顫(ふる)はして云(い)ふ。
『其(そ)れは出來(でき)ません。』
『如何云(どうい)ふ譯(わけ)で。其(そ)れを聞(き)きませう。』
『其(そ)れは私(わたし)の權内(けんない)に無(な)い事(こと)なのです。まあ、考(かんが)へて御覽(ごらん)なさい、私(わたし)が假(かり)に貴方(あなた)を此(こゝ)から出(だし)たとして、甚麼利益(どんなりえき)が有(あ)りますか。先(ま)づ出(で)て御覽(ごらん)なさい、町(まち)の者(もの)か、警察(けいさつ)かが又(また)貴方(あなた)を捉(とら)へて連(つ)れて參(まゐ)りませう。』
『左樣(さやう)さ/\其(そ)れは然(さ)うだ。』と、イワン、デミトリチは額(ひたひ)の汗(あせ)を拭(ふ)く、『其(そ)れは然(さ)うだ、然(しか)し私(わたし)は如何(どう)したら可(よ)からう。』
 アンドレイ、エヒミチはイワン、デミトリチの顏付(かほつき)、眼色(めいろ)抔(など)を酷(ひど)く氣(き)に入(い)つて、如何(どう)かして此(こ)の若者(わかもの)を手懷(てなづ)けて、落着(おちつ)かせやうと思(おも)ふたので、其寐臺(そのねだい)の上(うへ)に腰(こし)を下(おろ)し、些(ちよつ)と考(かんが)へて、偖(さて)言出(いひだ)す。
『貴方(あなた)は如何(どう)したら可(よ)からうと有仰(おつしや)るが。貴方(あなた)の位置(ゐち)を好(よ)くするのには、此(こゝ)から逃出(にげだ)す一方(ぱう)です。然(しか)し其(そ)れは殘念(ざんねん)ながら無益(むえき)に歸(き)するので、貴方(あなた)は到底(たうてい)捉(とら)へられずには居(を)らんです。社會(しやくわい)が犯罪人(はんざいにん)や、精神病者(せいしんびやうしや)や、總(すべ)て自分等(じぶんら)に都合(つがふ)の惡(わる)い人間(にんげん)に對(たい)して、自衞(じゑい)を爲(な)すのには、如何(どう)したつて勝(か)つ事(こと)は出來(でき)ません。で、貴方(あなた)の爲(な)すべき所(ところ)は一つです。即(すなは)ち此處(こゝ)に居(ゐ)る事(こと)が必要(ひつえう)であると考(かんが)へて、安心(あんしん)をしてゐるのみです。』
『いや、誰(たれ)にも此處(こゝ)は必要(ひつえう)ぢや有(あ)りません。』
『然(しか)し已(すで)に監獄(かんごく)だとか、瘋癲病院(ふうてんびやうゐん)だとかの存在(そんざい)する以上(いじやう)は、誰(たれ)か其中(そのうち)に入(はひ)つてゐねばなりません、貴方(あなた)でなければ、私(わたくし)、でなければ、他(ほか)の者(もの)が。まあお待(ま)ちなさい、左樣(さやう)今(いま)に遙(はる)か遠(とほ)き未來(みらい)に、監獄(かんごく)だの、瘋癲病院(ふうてんびやうゐん)の全廢(ぜんぱい)された曉(あかつき)には、即(すなは)ち此(こ)の窓(まど)の鐵格子(てつがうし)も、此(こ)の病院服(びやうゐんふく)も、全(まつた)く無用(むよう)になつて了(しま)ひませう、無論(むろん)、然云(さうい)ふ時(とき)は早晩(さうばん)來(き)ませう。』
 イワン、デミトリチはニヤリと冷笑(わら)つた。
『然(さう)でせう。』と、彼(かれ)は眼(め)を細(ほそ)めて云(い)ふた。『貴方(あなた)だの、貴方(あなた)の補助者(ほじよしや)のニキタなどのやうな、然云(さうい)ふ人間(にんげん)には、未來(みらい)などは何(なん)の要(えう)も無(な)い譯(わけ)です。で、貴方(あなた)は好(よ)い時代(じだい)が來(こ)やうと濟(すま)してもゐられるでせうが、いや、私(わたくし)の言(い)ふことは卑(いやし)いかも知(し)れません、笑止(をか)しければお笑(わら)ひ下(くだ)さい。然(しか)しです、新生活(しんせいくわつ)の曉(あかつき)は輝(かゞや)いて、正義(せいぎ)が勝(かち)を制(せい)するやうになれば、我々(われ/\)の町(まち)でも大(おほい)に祭(まつり)をして喜(よろこ)び祝(いは)ひませう。が、私(わたし)は其迄(それまで)は待(ま)たれません、其時分(そのじぶん)にはもう死(し)んで了(しま)ひます。誰(たれ)かの子(こ)か孫(まご)かは、遂(つい)に其時代(そのじだい)に遇(あ)ひませう。私(わたくし)は誠心(まごゝろ)を以(もつ)て彼等(かれら)を祝(しゆく)します、彼等(かれら)の爲(ため)に喜(よろこ)びます! 進(すゝ)め! 我(わ)が同胞(どうばう)! 神(かみ)は君等(きみら)に助(たすけ)を給(たま)はん!』と、イワン、デミトリチは眼(め)を輝(かゞや)かして立上(たちあが)り、窓(まど)の方(はう)に手(て)を伸(のば)して云(い)ふた。
『此(こ)の格子(こうし)の中(うち)より君等(きみら)を祝福(しゆくふく)せん、正義(せいぎ)萬歳(ばんざい)! 正義(せいぎ)萬歳(ばんざい)!』
『何(なに)を那樣(そんな)に喜(よろこ)ぶのか私(わたくし)には譯(わけ)が分(わか)りません。』と、院長(ゐんちやう)はイワン、デミトリチの樣子(やうす)が宛然(まるで)芝居(しばゐ)のやうだと思(おも)ひながら、又(また)其風(そのふう)が酷(ひど)く氣(き)に入(い)つて云(い)ふた。
『成程(なるほど)、時(とき)が來(く)れば監獄(かんごく)や、瘋癲病院(ふうてんびやうゐん)は廢(はい)されて、正義(せいぎ)は貴方(あなた)の有仰(おつしや)る通(とほ)り勝(かち)を占(し)めるでせう、然(しか)し生活(せいくわつ)の實際(じつさい)が其(そ)れで變(かは)るものではありません。自然(しぜん)の法則(はふそく)は依然(いぜん)として元(もと)の儘(まゝ)です、人々(ひと/″\)は猶且(やはり)今日(こんにち)の如(ごと)く病(や)み、老(お)い、死(し)するのでせう、甚麼立派(どんなりつぱ)な生活(せいくわつ)の曉(あかつき)が顯(あら)はれたとしても、畢竟(つまり)人間(にんげん)は棺桶(くわんをけ)に打込(うちこ)まれて、穴(あな)の中(なか)に投(とう)じられて了(しま)ふのです。』
『では來世(らいせい)は。』
『何(なに)、來世(らいせい)。戯談(じやうだん)を云(い)つちや可(い)けません。』
『貴方(あなた)は信(しん)じなさらんと見(み)えるが私(わたし)は信(しん)じてます。ドストエフスキイの中(うち)か、ウオルテルの中(うち)かに、小説中(せうせつちゆう)の人物(じんぶつ)が云(い)つてる事(こと)が有(あ)ります、若(も)し神(かみ)が無(な)かつたとしたら、其時(そのとき)は人(ひと)が神(かみ)を考(かんが)へ出(だ)さう。で、私(わたくし)は堅(かた)く信(しん)じてゐます。若(も)し來世(らいせい)が無(な)いと爲(し)たならば、其時(そのとき)は大(おほ)いなる人間(にんげん)の智慧(ちゑ)なるものが、早晩(さうばん)是(こ)れを發明(はつめい)しませう。』
『フヽム、旨(うま)く言(い)つた。』
と、アンドレイ、エヒミチは最(い)と滿足氣(まんぞくげ)に微笑(びせう)して。
『貴方(あなた)は然(さ)う信(しん)じてゐなさるから結構(けつこう)だ。然云(さうい)ふ信仰(しんかう)が有(あ)りさへすれば、假令(たとひ)壁(かべ)の中(なか)に塗込(ぬりこ)まれたつて、歌(うた)を歌(うた)ひながら生活(せいくわつ)して行(ゆ)かれます。貴方(あなた)は失禮(しつれい)ながら何處(どこ)で教育(けういく)をお受(う)けになつたか?』
『私(わたくし)は大學(だいがく)でゝす、然(しか)し卒業(そつげふ)せずに終(しま)ひました。』
『貴方(あなた)は思想家(しさうか)で考深(かんがへぶか)い方(かた)です。貴方(あなた)のやうな人(ひと)は甚麼場所(どんなばしよ)にゐても、自身(じしん)に於(おい)て安心(あんしん)を求(もと)める事(こと)が出來(でき)ます。人生(じんせい)の解悟(かいご)に向(むか)つて居(を)る自由(じいう)なる深(ふか)き思想(しさう)と、此(こ)の世(よ)の愚(おろか)なる騷(さわぎ)に對(たい)する全然(ぜん/\)の輕蔑(けいべつ)、是(こ)れ即(すなは)ち人間(にんげん)の之(こ)れ以上(いじやう)のものを未甞(いまだかつ)て知(し)らぬ最大幸福(さいだいかうふく)です。而(さう)して貴方(あなた)は縱令(たとひ)三重(ぢゆう)の鐵格子(てつがうし)の内(うち)に住(す)んでゐやうが、此(こ)の幸福(かうふく)を有(も)つてゐるのでありますから。ヂオゲンを御覽(ごらん)なさい、彼(かれ)は樽(たる)の中(なか)に住(す)んでゐました、然(け)れども地上(ちじやう)の諸王(しよわう)より幸福(かうふく)で有(あ)つたのです。』
『貴方(あなた)の云(い)ふヂオゲンは白癡(はくち)だ。』と、イワン、デミトリチは憂悶(いうもん)して云(い)ふた。『貴方(あなた)は何(なん)だつて私(わたくし)に解悟(かいご)だとか、何(なん)だとかと云(い)ふのです。』と、俄(にはか)に怫然(むき)になつて立上(たちあが)つた。『私(わたくし)は人並(ひとなみ)の生活(せいくわつ)を好(この)みます、實(じつ)に、私(わたくし)は恁云(かうい)ふ窘逐狂(きんちくきやう)に罹(かゝ)つてゐて、始終(しゞゆう)苦(くる)しい恐怖(おそれ)に襲(おそ)はれてゐますが、或時(あるとき)は生活(せいくわつ)の渇望(かつばう)に心(こゝろ)を燃(も)やされるです、非常(ひじやう)に人並(ひとなみ)の生活(せいくわつ)を望(のぞ)みます、非常(ひじやう)に、其(そ)れは非常(ひじやう)に。』
 彼(かれ)は室内(しつない)を歩(ある)き初(はじ)めたが、施(やが)て小聲(こゞゑ)で又(また)言(いひ)出(だ)す。
『私(わたくし)は時折(ときをり)種々(いろ/\)な事(こと)を妄想(まうざう)しますが、往々(わう/\)幻想(まぼろし)を見(み)るのです、或人(あるひと)が來(き)たり、又(また)人(ひと)の聲(こゑ)を聞(き)いたり、音樂(おんがく)が聞(きこ)えたり、又(また)林(はやし)や、海岸(かいがん)を散歩(さんぽ)してゐるやうに思(おも)はれる時(とき)も有(あ)ります。何卒(どうぞ)私(わたくし)に世(よ)の中(なか)の生活(せいくわつ)を話(はな)して下(くだ)さい、何(なに)か珍(めづ)らしい事(こと)でも無(な)いですか。』
『町(まち)の事(こと)をですか、其(そ)れとも一般(ぱん)の事(こと)に就(つ)いてゞすか?』
『先(ま)づ町(まち)の事(こと)からして伺(うかゞ)ひませう。其(そ)れから一般(ぱん)のことを。』
『町(まち)では實(じつ)にもう退屈(たいくつ)です。誰(だれ)を相手(あひて)に話(はなし)するものもなし。話(はなし)を聞(き)く者(もの)もなし。新(あたら)しい人間(にんげん)はなし。然(しか)し此頃(このころ)ハヾトフと云(い)ふ若(わか)い醫者(いしや)が町(まち)には來(き)たですが。』
『甚麼人間(どんなにんげん)が。』
『いや、極(ご)く非文明的(ひぶんめいてき)な、奈何云(どうい)ふものか此(こ)の町(まち)に來(く)る所(ところ)の者(もの)は、皆(みな)、見(み)るのも胸(むね)の惡(わる)いやうな人間計(にんげんばか)り、不幸(ふかう)な町(まち)です。』
『左樣(さやう)さ、不幸(ふかう)な町(まち)です。』と、イワン、デミトリチは溜息(ためいき)して笑(わら)ふ。『然(しか)し一般(ぱん)には奈何(どう)です、新聞(しんぶん)や、雜誌(ざつし)は奈何云(どうい)ふ事(こと)が書(か)いてありますか?』
 病室(びやうしつ)の中(うち)はもう暗(くら)くなつたので、院長(ゐんちやう)は靜(しづか)に立上(たちあが)る。然(さう)して立(た)ちながら、外國(ぐわいこく)や、露西亞(ロシヤ)の新聞(しんぶん)雜誌(ざつし)に書(か)いてある珍(めづ)らしい事(こと)、現今(げんこん)は恁云(かうい)ふ思想(しさう)の潮流(てうりう)が認(みと)められるとかと話(はなし)を進(すゝ)めたが、イワン、デミトリチは頗(すこぶ)る注意(ちゆうい)して聞(き)いてゐた。が忽(たちま)ち、何(なに)か恐(おそろ)しい事(こと)でも急(きふ)に思(おも)ひ出(だ)したかのやうに、彼(かれ)は頭(かしら)を抱(かゝ)へるなり、院長(ゐんちやう)の方(はう)へくるりと背(せ)を向(む)けて、寐臺(ねだい)の上(うへ)に横(よこ)になつた。
『奈何(どう)かしましたか?』と、院長(ゐんちやう)は問ふ。
『もう貴方(あなた)には一言(ごん)だつて口(くち)は開(き)きません。』
 イワン、デミトリチは素氣(そつけ)なく云(い)ふ。『私(わたくし)に管(かま)はんで下(くだ)さい!』
『奈何(どう)したのです?』
『管(かま)はんで下(くだ)さいと云(い)つたら管(かま)はんで下(くだ)さい、チヨツ、誰(だれ)が那樣者(そんなもの)と口(くち)を開(き)くものか。』
 院長(ゐんちやう)は肩(かた)を縮(ちゞ)めて溜息(ためいき)をしながら出(で)て行(ゆ)く、而(さう)して玄關(げんくわん)の間(ま)を通(とほ)りながら、ニキタに向(むか)つて云(い)ふた。
『此處邊(こゝら)を少(すこ)し掃除(さうぢ)したいものだな、ニキタ。酷(ひど)い臭(にほひ)だ。』
『拜承(かしこ)まりました。』と、ニキタは答(こた)へる。
『何(なん)と面白(おもしろ)い人間(にんげん)だらう。』と、院長(ゐんちやう)は自分(じぶん)の室(へや)の方(はう)へ歸(かへ)りながら思(おも)ふた。『此(こゝ)へ來(き)てから何年振(なんねんぶり)かで、恁云(かうい)ふ共(とも)に語(かた)られる人間(にんげん)に初(はじ)めて出會(でつくわ)した。議論(ぎろん)も遣(や)る、興味(きようみ)を感(かん)ずべき事(こと)に、興味(きようみ)をも感(かん)じてゐる人間(にんげん)だ。』
 彼(かれ)は其後(そのゝち)讀書(どくしよ)を爲(な)す中(うち)にも、睡眠(ねむり)に就(つ)いてからも、イワン、デミトリチの事(こと)が頭(あたま)から去(さ)らず、翌朝(よくてう)眼(め)を覺(さま)しても、昨日(きのふ)の智慧(ちゑ)ある人間(にんげん)に遇(あ)つたことを忘(わす)れる事(こと)が出來(でき)なかつた、便宜(べんぎ)も有(あ)らばもう一度(ど)彼(かれ)を是非(ぜひ)尋(たづ)ねやうと思(おも)ふてゐた。

 イワン、デミトリチは昨日(きのふ)と同(おな)じ位置(ゐち)に、兩手(りやうて)で頭(かしら)を抱(かゝ)へて、兩足(りやうあし)を縮(ちゞ)めた儘(まゝ)、横(よこ)に爲(な)つてゐて、顏(かほ)は見(み)えぬ。
『や、御機嫌(ごきげん)よう、今日(こんにち)は。』院長(ゐんちやう)は六號室(がうしつ)へ入(はひ)つて云(い)ふた。『君(きみ)は眠(ねむ)つてゐるのですか?』
『いや私(わたくし)は貴方(あなた)の朋友(ほういう)ぢや無(な)いです。』と、イワン、デミトリチは枕(まくら)の中(うち)へ顏(かほ)を愈※(二の字点、1-2-22)(いよ/\)埋(うづ)めて云(い)ふた。『又(また)甚麼(どんな)に貴方(あなた)は盡力(じんりよく)仕(し)やうが駄目(だめ)です、もう一言(ごん)だつて私(わたくし)に口(くち)を開(ひら)かせる事(こと)は出來(でき)ません。』
『變(へん)だ。』と、アンドレイ、エヒミチは氣(き)を揉(も)む。『昨日(きのふ)我々(われ/\)は那麼(あんな)に話(はな)したのですが、何(なに)を俄(にはか)に御立腹(ごりつぷく)で、絶交(ぜつかう)すると有仰(おつしや)るのです、何(なに)か其(そ)れとも氣(き)に障(さは)ることでも申(まを)しましたか、或(あるひ)は貴方(あなた)の意見(いけん)と合(あ)はん考(かんがへ)を云(い)ひ出(だ)したので?』
『いや、那樣(そんな)ら貴方(あなた)に云(い)ひませう。』と、イワン、デミトリチは身(み)を起(おこ)して、心配(しんぱい)さうに又(また)冷笑的(れいせうてき)に、ドクトルを見(み)るので有(あ)つた。『何(なに)も貴方(あなた)は探偵(たんてい)したり、質問(しつもん)をしたり、此(こゝ)へ來(き)て爲(す)るには當(あた)らんです。何處(どこ)へでも他(ほか)へ行(い)つて爲(し)た方(はう)が可(よ)いです。私(わたくし)はもう昨日(きのふ)貴方(あなた)が何(なん)の爲(ため)に來(き)たのかゞ解(わか)りましたぞ。』
『是(これ)は奇妙(きめう)な妄想(まうざう)を爲(し)たものだ。』と、院長(ゐんちやう)は思(おも)はず微笑(びせう)する。『では貴方(あなた)は私(わたくし)を探偵(たんてい)だと想像(さうざう)されたのですな。』
『左樣(さやう)。いや探偵(たんてい)にしろ、又(また)私(わたくし)に窃(ひそか)に警察(けいさつ)から廻(ま)はされた醫者(いしや)にしろ、何方(どちら)だつて同樣(どうやう)です。』
『いや貴方(あなた)は。困(こま)つたな、まあお聞(き)きなさい。』と、院長(ゐんちやう)は寐臺(ねだい)の傍(そば)の腰掛(こしかけ)に掛(か)けて責(せむ)るがやうに首(くび)を振(ふ)る。
『然(しか)し假(か)りに貴方(あなた)の云(い)ふ所(ところ)が眞實(しんじつ)として、私(わたくし)が警察(けいさつ)から廻(まは)された者(もの)で、何(なに)か貴方(あなた)の言(ことば)を抑(おさ)へやうとしてゐるものと假定(かてい)しませう。で、貴方(あなた)が其爲(そのため)に拘引(こういん)されて、裁判(さいばん)に渡(わた)され、監獄(かんごく)に入(い)れられ、或(あるひ)は懲役(ちようえき)に爲(さ)れるとして見(み)て、其(そ)れが奈何(どう)です、此(こ)の六號室(がうしつ)にゐるのよりも惡(わる)いでせうか。此(こゝ)に入(い)れられてゐるよりも貴方(あなた)に取(と)つて奈何(どう)でせうか? 私(わたくし)は此(こゝ)より惡(わる)い所(ところ)は無(な)いと思(おも)ひます。若(も)し然(さ)うならば何(なに)を貴方(あなた)は那樣(そんな)に恐(おそ)れなさるのか?』
 此(こ)の言(ことば)にイワン、デミトリチは大(おほい)に感動(かんどう)されたと見(み)えて、彼(かれ)は落着(おちつ)いて腰(こし)を掛(か)けた。
 時(とき)は丁度(ちやうど)四時過(じす)ぎ。毎(いつ)もなら院長(ゐんちやう)は自分(じぶん)の室(へや)から室(へや)へと歩(ある)いてゐると、ダリユシカが、麥酒(ビール)は旦那樣(だんなさま)如何(いかゞ)ですか、と問(と)ふ刻限(こくげん)。戸外(こぐわい)は靜(しづか)に晴渡(はれわた)つた天氣(てんき)である。
『私(わたくし)は中食後(ちゆうじきご)散歩(さんぽ)に出掛(でか)けましたので、些(ちよつ)と立寄(たちよ)りましたのです。もう全然(まるで)春(はる)です。』
『今(いま)は何月(なんぐわつ)です、三月(ぐわつ)でせうか?』
『左樣(さよう)、三月(ぐわつ)も末(すゑ)です。』
『戸外(そと)は泥濘(ぬか)つて居(を)りませう。』
『那樣(そんな)でも有(あ)りません、庭(には)にはもう小徑(こみち)が出來(でき)てゐます。』
『今頃(いまごろ)は馬車(ばしや)にでも乘(の)つて、郊外(かうぐわい)へ行(い)つたらさぞ好(い)いでせう。』と、イワン、デミトリチは赤(あか)い眼(め)を擦(こす)りながら云(い)ふ。『而(さう)して其(そ)れから家(うち)の暖(あたゝか)い閑靜(かんせい)な書齋(しよさい)に歸(かへ)つて……名醫(めいゝ)に恃(かゝ)つて頭痛(づつう)の療治(れうぢ)でも爲(し)て貰(も)らつたら、久(ひさ)しい間(あひだ)私(わたくし)はもうこの人間(にんげん)らしい生活(せいくわつ)を爲(し)ないが、其(それ)にしても此處(こゝ)は實(じつ)に不好(いや)な所(ところ)だ。實(じつ)に堪(た)へられん不好(いや)な所(ところ)だ。』
 昨日(きのふ)の興奮(こうふん)の爲(ため)にか、彼(かれ)は疲(つか)れて脱然(ぐつたり)して、不好不好(いやいや)ながら言(い)つてゐる。彼(かれ)の指(ゆび)は顫(ふる)へてゐる。其顏(そのかほ)を見(み)ても頭(あたま)が酷(ひど)く痛(いた)んでゐると云(い)ふのが解(わか)る。
『暖(あたゝか)い閑靜(かんせい)な書齋(しよさい)と、此(こ)の病室(びやうしつ)との間(あひだ)に、何(なん)の差(さ)も無(な)いのです。』と、アンドレイ、エヒミチは云(い)ふた。『人間(にんげん)の安心(あんしん)と、滿足(まんぞく)とは身外(しんぐわい)に在(あ)るのではなく、自身(じしん)の中(うち)に在(あ)るのです。』
『奈何云(どうい)ふ譯(わけ)で。』
『通常(つうじやう)の人間(にんげん)は、可(い)い事(こと)も、惡(わる)い事(こと)も皆(みな)身外(しんぐわい)から求(もと)めます。即(すなは)ち馬車(ばしや)だとか、書齋(しよさい)だとかと、然(しか)し思想家(しさうか)は自身(じしん)に求(もと)めるのです。』
『貴方(あなた)は那樣哲學(そんなてつがく)は、暖(あたゝか)な杏(あんず)の花(はな)の香(にほひ)のする希臘(ギリシヤ)に行(い)つてお傳(つた)へなさい、此處(こゝ)では那樣哲學(そんなてつがく)は氣候(きこう)に合(あ)ひません。いやさうと、私(わたくし)は誰(たれ)かとヂオゲンの話(はなし)を爲(し)ましたつけ、貴方(あなた)とでしたらうか?』
『左樣(さやう)昨日(きのふ)私(わたくし)と。』
『ヂオゲンは勿論(もちろん)書齋(しよさい)だとか、暖(あたゝか)い住居(すまゐ)だとかには頓着(とんぢやく)しませんでした。是(これ)は彼(か)の地(ち)が暖(あたゝか)いからです。樽(たる)の中(うち)に寐轉(ねころが)つて蜜柑(みかん)や、橄欖(かんらん)を食(た)べてゐれば其(そ)れで過(すご)される。然(しか)し彼(かれ)をして露西亞(ロシヤ)に住(すま)はしめたならば、彼(かれ)必(かなら)ず十二月(ぐわつ)所(どころ)ではない、三月(ぐわつ)の陽氣(やうき)に成(な)つても、室(へや)の内(うち)に籠(こも)つてゐたがるでせう。寒氣(かんき)の爲(ため)に體(からだ)も何(なに)も屈曲(まが)つて了(しま)ふでせう。』
『いや寒氣(かんき)だとか、疼痛(とうつう)だとかは感(かん)じない事(こと)が出來(でき)るです。マルク、アウレリイが云(い)つた事(こと)が有(あ)りませう。「疼痛(とうつう)とは疼痛(とうつう)の活(い)きた思想(しさう)である、此(こ)の思想(しさう)を變(へん)ぜしむるが爲(ため)には意旨(いし)の力(ちから)を奮(ふる)ひ、而(しか)して之(これ)を棄(す)てゝ以(もつ)て、訴(うつた)ふる事(こと)を止(や)めよ、然(しか)らば疼痛(とうつう)は消滅(せうめつ)すべし。」と、是(これ)は可(よ)く言(い)つた語(ことば)です、智者(ちしや)、哲人(てつじん)、若(も)しくは思想家(しさうか)たるものゝ、他人(たにん)に異(ことな)る所(ところ)の點(てん)は、即(すなは)ち此(こゝ)に在(あ)るのでせう、苦痛(くつう)を輕(かろ)んずると云(い)ふ事(こと)に。是(こゝ)に於(おい)てか彼等(かれら)は常(つね)に滿足(まんぞく)で、何事(なにごと)にも又(また)驚(おどろ)かぬのです。』
『では私(わたくし)などは徒(いたづら)に苦(くるし)み、不滿(ふまん)を鳴(なら)し、人間(にんげん)の卑劣(ひれつ)に驚(おどろ)いたり計(ばか)りしてゐますから、白癡(はくち)だと有仰(おつしや)るのでせう。』
『然(さ)うぢや無(な)いです。貴方(あなた)も愈※(二の字点、1-2-22)(いよ/\)深(ふか)く考慮(かんがへ)るやうに成(な)つたならば、我々(われ/\)の心(こゝろ)を動(うごか)す所(ところ)の、總(すべ)ての身外(しんぐわい)の些細(さゝい)なる事(こと)は苦(く)にもならぬとお解(わか)りになる時(とき)が有(あ)りませう、人(ひと)は解悟(かいご)に向(むか)はなければなりません。是(これ)が眞實(しんじつ)の幸福(かうふく)です。』
『解悟(かいご)……。』イワン、デミトリチは顏(かほ)を顰(しか)める。『外部(ぐわいぶ)だとか、内部(ないぶ)だとか……。いや私(わたくし)には然云(さうい)ふ事(こと)は少(すこ)しも解(わか)らんです。私(わたくし)の知(し)つてゐる事(こと)は唯(たゞ)是丈(これだけ)です。』と、彼(かれ)は立上(たちあが)り、怒(おこ)つた眼(め)で院長(ゐんちやう)を睨(にら)み付(つ)ける。『私(わたし)の知(し)つてゐるのは、神(かみ)が人(ひと)を熱血(ねつけつ)と、神經(しんけい)とより造(つく)つたと云(い)ふ事丈(ことだけ)です! 又(また)有機的組織(いうきてきそしき)は、若(も)し其(そ)れが生活力(せいくわつりよく)を有(も)つてゐるとすれば、總(すべ)ての刺戟(しげき)に反應(はんおう)を起(おこ)すべきものである。其(そ)れで私(わたくし)は反應(はんおう)してゐます。即(すなはち)疼痛(とうつう)に對(たい)しては、絶※(ぜつけう)[#「口+斗」、51-下-12]と、涙(なんだ)とを以(もつ)て答(こた)へ、虚僞(きよぎ)に對(たい)しては憤懣(ふんまん)を以(もつ)て、陋劣(ろうれつ)に對(たい)しては厭惡(えんを)の情(じやう)を以(もつ)て答(こた)へてゐるです。私(わたくし)の考(かんがへ)では是(これ)が抑(そも/\)生活(せいくわつ)と名(な)づくべきものだらうと。又(また)有機體(いうきたい)が下等(かとう)に成(な)れば成(な)る丈(だ)け、より少(すくな)く物(もの)を感(かん)ずるので有(あ)らうと、其故(それゆゑ)により弱(よわ)く刺戟(しげき)に答(こた)へるのである。で、高等(かうとう)に成(な)れば隨(したがつ)てより強(つよ)き勢力(せいりよく)を以(もつ)て、實際(じつさい)に反應(はんおう)するのです。貴方(あなた)は醫者(いしや)でおゐでて、如何(どう)して那麼譯(こんなわけ)がお解(わか)りにならんです。苦(くるしみ)を輕(かろ)んずるとか、何(なん)にでも滿足(まんぞく)してゐるとか、甚麼事(どんなこと)にも驚(おどろ)かんと云(い)ふやうになるのには、那(あれ)です、那云(あゝい)ふ状態(ざま)になつて了(しま)はんければ。』と、イワン、デミトリチは隣(となり)の油切(あぶらぎ)つた彼(か)の動物(どうぶつ)を差(さ)してさう云(い)ふた。『或(あるひ)は又(また)苦痛(くつう)を以(もつ)て自分(じぶん)を鍛練(たんれん)して、其(そ)れに對(たい)しての感覺(かんかく)を恰(まる)で失(うしな)つて了(しま)ふ、言(ことば)を換(か)へて言(い)へば、生活(せいくわつ)を止(や)めて了(しま)ふやうなことに至(いた)らしめなければならぬのです。私(わたくし)は無論(むろん)哲人(てつじん)でも、哲學者(てつがくしや)でも無(な)いのですから。』と、更(さら)に激(げき)して。『ですから、那麼事(こんなこと)に就(つ)いては何(な)にも解(わか)らんのです。議論(ぎろん)する力(ちから)が無(な)いのです。』
『如何(どう)してなか/\、貴方(あなた)は立派(りつぱ)に議論(ぎろん)なさるです。』
『貴方(あなた)が例證(れいしよう)に引(ひ)きなすつたストア派(は)の哲學者等(てつがくしやら)は立派(りつぱ)な人達(ひとたち)です。然(しか)しながら彼等(かれら)の學説(がくせつ)は已(すで)に二千年以前(ねんいぜん)に廢(すた)れて了(しま)ひました、もう一歩(ぽ)も進(すゝ)まんのです、是(これ)から先(さき)、又(また)進歩(しんぽ)する事(こと)は無(な)い。如何(いかん)となれば是(これ)は現實的(げんじつてき)でない、活動的(くわつどうてき)で無(な)いからで有(あ)る。恁云(かうい)ふ學説(がくせつ)は、唯(たゞ)種々(しゆ/″\)の學説(がくせつ)を集(あつ)めて研究(けんきう)したり、比較(ひかく)したりして、之(これ)を自分(じぶん)の生涯(しやうがい)の目的(もくてき)としてゐる、極(きは)めて少數(せうすう)の人計(ひとばか)りに行(おこな)はれて、他(た)の多數(たすう)の者(もの)は其(そ)れを了解(れうかい)しなかつたのです。苦痛(くつう)を輕蔑(けいべつ)すると云(い)ふ事(こと)は、多數(たすう)の人(ひと)に取(と)つたならば、即(すなは)ち生活(せいくわつ)其物(そのもの)を輕蔑(けいべつ)すると云(い)ふ事(こと)になる。如何(いかん)となれば、人間(にんげん)全體(ぜんたい)は、餓(うゑ)だとか、寒(さむさ)だとか、凌辱(はづかし)めだとか、損失(そんしつ)だとか、死(し)に對(たい)するハムレツト的(てき)の恐怖(おそれ)などの感覺(かんかく)から成立(なりた)つてゐるのです。此(こ)の感覺(かんかく)の中(うち)に於(おい)て人生(じんせい)全體(ぜんたい)が含(ふく)まつてゐるのです。之(これ)を苦(く)にする事(こと)、惡(にく)む事(こと)は出來(でき)ます。が、之(これ)を輕蔑(けいべつ)する事(こと)は出來(でき)んです。で有(あ)るから、ストア派(は)の哲學者(てつがくしや)は未來(みらい)を有(も)つ事(こと)が出來(でき)んのです。御覽(ごらん)なさい、世界(せかい)の始(はじめ)から、今日(こんにち)に至(いた)るまで、益※(二の字点、1-2-22)(ます/\)進歩(しんぽ)して行(ゆ)くものは生存競爭(せいぞんきやうさう)、疼痛(とうつう)の感覺(かんかく)、刺戟(しげき)に對(たい)する反應(はんおう)の力(ちから)などでせう。』と、イワン、デミトリチは俄(にはか)に思想(しさう)の聯絡(れんらく)を失(うしな)つて、殘念(ざんねん)さうに額(ひたひ)を擦(こす)つた。
『何(なに)か肝心(かんじん)なことを云(い)はうと思(おも)つて出(で)なくなつた。』
と、彼(かれ)は續(つゞ)ける。『其(そ)れぢや基督(ハリストス)でも例(れい)に引(ひ)きませう、基督(ハリストス)は泣(な)いたり、微笑(びせう)したり、悲(かなし)んだり、怒(おこ)つたり、憂(うれひ)に沈(しづ)んだりして、現實(げんじつ)に對(たい)して反應(はんおう)してゐたのです。彼(かれ)は微笑(びせう)を以(もつ)て苦(くるしみ)に對(むか)はなかつた、死(し)を輕蔑(けいべつ)しませんでした、却(かへ)つて「此(こ)の杯(さかづき)を我(われ)より去(さ)らしめよ」と云(い)ふて、ゲフシマニヤの園(その)で祈祷(きたう)しました。』
 イワン、デミトリチは恁(か)く云(い)つて笑出(わらひだ)しながら坐(すわ)る。
『で假(か)りに人間(にんげん)の滿足(まんぞく)と安心(あんしん)とが、其身外(そのしんぐわい)に在(あ)るに非(あ)らずして、自身(じしん)の内(うち)に在(あ)るとして、又(また)假(か)りに苦痛(くつう)を輕蔑(けいべつ)して、何事(なにごと)にも驚(おどろ)かぬように爲(し)なければならぬとして、見(み)て、第(だい)一貴方(あなた)自身(じしん)は何(なん)に基(もとづ)いて、這麼(こんな)ことを主張(しゆちやう)なさるのか、貴方(あなた)は一體(たい)哲人(ワイゼ)ですか、哲學者(てつがくしや)ですか?』
『いや私(わたくし)は哲學者(てつがくしや)でも何(なん)でも無(な)い。が、之(これ)を主張(しゆちやう)するのは、大(おほい)に各人(かくじん)の義務(ぎむ)だらうと思(おも)ふのです、是(これ)は道理(だうり)の有(あ)る事(こと)で。』
『いや私(わたくし)の知(し)らうと思(おも)ふのは、何(なん)の爲(ため)に貴方(あなた)が解悟(かいご)だの、苦痛(くつう)だの、其(そ)れに對(たい)する輕蔑(けいべつ)だの、其他(そのた)の事(こと)に就(つ)いて自(みづか)ら精通家(せいつうか)と認(みと)めてお出(いで)なのですか。貴方(あなた)は何時(いつ)にか苦(くるし)んだ事(こと)でも有(あ)るのですか、苦(くる)しみと云(い)ふ事(こと)の理解(りかい)を有(も)つてお出(い)でゝすか、或(あるひ)は失禮(しつれい)ながら貴方(あなた)はお幼少(ちひさい)時分(じぶん)、打擲(ぶたれ)でもなされましたことがお有(あ)りなのですか?』
『否(いえ)、私(わたくし)の兩親(りやうしん)は、身體上(しんたいじやう)の處刑(しよけい)は非常(ひじやう)に嫌(きら)つて居(ゐ)たのです。』
『私(わたくし)は父(ちゝ)には酷(ひど)く仕置(しおき)をされました。私(わたくし)の父(ちゝ)は極(ご)く苛酷(かこく)な官員(くわんゐん)で有(あ)つたのです。が、貴方(あなた)の事(こと)を申(まを)して見(み)ませうかな。貴方(あなた)は一生涯(しやうがい)誰(だれ)にも苛責(かしやく)された事(こと)は無(な)く、健康(けんかう)なること牛(うし)の如(ごと)く、嚴父(げんぷ)の保護(ほご)の下(もと)に生長(せいちやう)し、其(そ)れで學問(がくもん)させられ、其(それ)からして割(わり)の好(よ)い役(やく)に取付(とりつ)き、二十年以上(ねんいじやう)の間(あひだ)も、暖爐(だんろ)も焚(た)いてあり、燈(あかり)も明(あか)るき無料(むれう)の官宅(くわんたく)に、奴婢(ぬひ)をさへ使(つか)つて住(す)んで、其上(そのうへ)、仕事(しごと)は自分(じぶん)の思(おも)ふ儘(まゝ)、仕(し)ても仕(し)ないでも濟(す)んでゐると云(い)ふ位置(ゐち)。で、生來(せいらい)貴方(あなた)は怠惰者(なまけもの)で、嚴格(げんかく)で無(な)い人間(にんげん)、其故(それゆゑ)貴方(あなた)は何(な)んでも自分(じぶん)に面倒(めんだう)でないやう、働(はたら)かなくとも濟(す)むやうと計(ばか)り心掛(こゝろが)けてゐる、事業(じげふ)は代診(だいしん)や、其他(そのた)のやくざものに任(まか)せ切(き)り、而(さう)して自分(じぶん)は暖(あたゝか)い靜(しづか)な處(ところ)に坐(ざ)して、金(かね)を溜(た)め、書物(しよもつ)を讀(よ)み、種々(しゆ/″\)な屁理窟(へりくつ)を考(かんが)へ、又(また)酒(さけ)を(彼(かれ)は院長(ゐんちやう)の赤(あか)い鼻(はな)を見(み)て)呑(の)んだりして、樂隱居(らくいんきよ)のやうな眞似(まね)をしてゐる。一言(げん)で云(い)へば、貴方(あなた)は生活(せいくわつ)と云(い)ふものを見(み)ないのです、其(そ)れを全(まつた)く知(し)らんのです。而(さう)して實際(じつさい)と云(い)ふ事(こと)を唯(たゞ)理論(りろん)の上(うへ)から計(ばか)り推(お)してゐる。だから苦痛(くつう)を輕蔑(けいべつ)したり、何事(なにごと)にも驚(おどろ)かんなどと云(い)つてゐられる。其(そ)れは甚(はなは)だ單純(たんじゆん)な原因(げんいん)に由(よ)るのです。「空(くう)の空(くう)」だとか、内部(ないぶ)だとか、外部(ぐわいぶ)だとか、苦痛(くつう)や、死(し)に對(たい)する輕蔑(けいべつ)だとか、眞正(しんせい)なる幸福(かうふく)だとか、と那麼言草(こんないひぐさ)は、皆(みな)ロシヤの怠惰者(なまけもの)に適當(てきたう)してゐる哲學(てつがく)です。で、貴方(あなた)は恁(か)うなのだ、先(ま)づ齒(は)が痛(いた)むと云(い)ふ農婦(のうふ)が來(く)る……と、其(そ)れが奈何(どう)したのだ。疼痛(とうつう)は疼痛(とうつう)の事(こと)の思想(しさう)である。且又(かつまた)、病氣(びやうき)が無(な)くては此(こ)の世(よ)に生(い)きて行(ゆ)く譯(わけ)には行(ゆ)かぬものだ。早(はや)く歸(かへ)るべし。俺(おれ)の思想(しさう)とヴオツカを呑(の)む邪魔(じやま)を爲(す)るな。と恁(か)う云(い)ふでせう。又(また)或(ある)若者(わかもの)が來(き)て奈何云(どうい)ふ風(ふう)に生活(せいくわつ)を爲(し)たら可(い)いかと相談(さうだん)を掛(か)けられる、と、他人(たにん)は先(ま)づ一番(ばん)考(かんが)へる所(ところ)で有(あ)らうが、貴方(あなた)には其答(そのこたへ)はもう丁(ちやん)と出來(でき)てゐる。解悟(かいご)に向(むか)ひなさい、眞正(しんせい)の幸福(かうふく)に向(むか)ひなさい。と恁(かう)云(い)ふです。我々(われ/\)を這麼格子(こんなかうし)の内(うち)に監禁(かんきん)して置(お)いて苦(くる)しめて、而(さう)して是(これ)は立派(りつぱ)な事(こと)だ、理窟(りくつ)の有(あ)る事(こと)だ、奈何(いかん)となれば此(こ)の病室(びやうしつ)と、暖(あたゝか)なる書齋(しよさい)との間(あひだ)に何(なん)の差別(さべつ)もない。と、誠(まこと)に都合(つがふ)の好(い)い哲學(てつがく)です。而(さう)して自分(じぶん)を哲人(ワイゼ)と感(かん)じてゐる……いや貴方(あなた)是(これ)はです、哲學(てつがく)でもなければ、思想(しさう)でもなし、見解(けんかい)の敢(あへ)て廣(ひろ)いのでも無(な)い、怠惰(たいだ)です。自滅(じめつ)です。睡魔(すゐま)です! 左樣(さやう)!』と、イワン、デミトリチは昂然(かうぜん)として『貴方(あなた)は苦痛(くつう)を輕蔑(けいべつ)なさるが、試(こゝろみ)に貴方(あなた)の指(ゆび)一本(ぽん)でも戸(と)に挾(はさ)んで御覽(ごらん)なさい、然(さ)うしたら聲(こゑ)限(かぎ)り※(さけ)[#「口+斗」、53-上-13]ぶでせう。』
『或(あるひ)は※(さけ)[#「口+斗」、53-上-15]ばんかも知(し)れません。』と、アンドレイ、エヒミチは言(い)ふ。
『那樣事(そんなこと)は無(な)い、例(たと)へば御覽(ごらん)なさい、貴方(あなた)が中風(ちゆうぶ)にでも罹(かゝ)つたとか、或(あるひ)は假(かり)に愚者(ぐしや)が自分(じぶん)の位置(ゐち)を利用(りよう)して貴方(あなた)を公然(こうぜん)辱(はづか)しめて置(お)いて、其(そ)れが後(のち)に何(なん)の報(むくい)も無(な)しに濟(す)んで了(しま)つたのを知(し)つたならば、其時(そのとき)貴方(あなた)は他(た)の人(ひと)に、解悟(かいご)に向(むか)ひなさいとか、眞正(しんせい)の幸福(かうふく)に向(むか)ひなさいとか云(い)ふ事(こと)の効力(かうりよく)が果(はた)して、何程(なにほど)と云(い)ふことが解(わか)りませう。』
『これは奇※(きばつ)[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」、53-上-21]だ。』と院長(ゐんちやう)は滿足(まんぞく)の餘(あま)り微笑(びせう)しながら、兩手(りやうて)を擦(こす)り/\云(い)ふ。『私(わたくし)は貴方(あなた)が總(すべ)てを綜合(そうがふ)する傾向(けいかう)を有(も)つてゐるのを、面白(おもしろ)く感(かん)じ且(か)つ敬服(けいふく)致(いた)したのです、又(また)貴方(あなた)が今(いま)述(の)べられた私(わたくし)の人物評(じんぶつひやう)は、唯(たゞ)感心(かんしん)する外(ほか)は有(あ)りません。實(じつ)は私(わたくし)は貴方(あなた)との談話(だんわ)に於(おい)て、此上(このうへ)も無(な)い滿足(まんぞく)を得(え)ましたのです。で、私(わたくし)は貴方(あなた)のお話(はなし)を不殘(のこらず)伺(うかゞ)ひましたから、此度(こんど)は何卒(どうぞ)私(わたくし)の話(はなし)をもお聞(き)き下(くだ)さい。』

 恁(か)くて後(のち)、猶(なほ)二人(ふたり)の話(はなし)は一時間(じかん)も續(つゞ)いたが、其(そ)れより院長(ゐんちやう)は深(ふか)く感動(かんどう)して、毎日(まいにち)、毎晩(まいばん)のやうに六號室(がうしつ)に行(ゆ)くのであつた。二人(ふたり)は話込(はなしこ)んでゐる中(うち)に日(ひ)も暮(く)れて了(しま)ふ事(こと)が往々(まゝ)有(あ)る位(くらゐ)。イワン、デミトリチは初(はじ)めの中(うち)は院長(ゐんちやう)が野心(やしん)でも有(あ)るのでは無(な)いかと疑(うたが)つて、彼(かれ)に左右(とかく)遠(とほ)ざかつて、不愛想(ぶあいさう)にしてゐたが、段々(だん/\)慣(な)れて、遂(つひ)には全(まつた)く素振(そぶり)を變(か)へたので有(あ)つた。
 然(しか)るに病院(びやうゐん)の中(うち)では院長(ゐんちやう)アンドレイ、エヒミチが六號室(がうしつ)に切(しきり)に通(かよ)ひ出(だ)したのを怪(あやし)んで、其評判(そのひやうばん)が高(たか)くなり、代診(だいしん)も、看護婦(かんごふ)も、一樣(やう)に何(なん)の爲(ため)に行(ゆ)くのか、何(なん)で數時間餘(すうじかんよ)も那麼處(あんなところ)にゐるのか、甚麼話(どんなはなし)を爲(す)るので有(あ)らうか、彼處(かしこ)へ行(い)つても處方書(しよはうがき)を示(しめ)さぬでは無(な)いかと、彼方(あつち)でも、此方(こつち)でも、彼(かれ)が近頃(ちかごろ)の奇(き)なる擧動(きよどう)の評判(ひやうばん)で持切(もちき)つてゐる始末(しまつ)。ミハイル、アウエリヤヌヰチは此頃(このごろ)では始終(しゞゆう)彼(かれ)の留守(るす)に計(ばか)り行(ゆ)く。ダリユシカは旦那(だんな)が近頃(ちかごろ)は定刻(ていこく)に麥酒(ビール)を呑(の)まず、中食迄(ちゆうじきまで)も晩(おく)れることが度々(たび/\)なので困却(こま)つてゐる。
 或時(あるとき)六月(ぐわつ)の末(すゑ)、ドクトル、ハヾトフは、院長(ゐんちやう)に用事(ようじ)が有(あ)つて、其室(そのへや)に行(い)つた所(ところ)、居(を)らぬので庭(には)へと探(さが)しに出(で)た。すると其處(そこ)で院長(ゐんちやう)は六號室(がうしつ)で有(あ)ると聞(き)き、庭(には)から直(すぐ)に別室(べつしつ)に入(い)り、玄關(げんくわん)の間(ま)に立留(たちとゞま)ると、丁度(ちやうど)恁云(かうい)ふ話聲(はなしごゑ)が聞(きこ)えたので。
『我々(われ/\)は到底(たうてい)合奏(がつそう)は出來(でき)ません、私(わたくし)を貴方(あなた)の信仰(しんかう)に歸(き)せしむる譯(わけ)には行(ゆ)きませんから。』
と、イワン、デミトリチの聲(こゑ)。
『現實(げんじつ)と云(い)ふ事(こと)は全(まつた)く貴方(あなた)には解(わか)らんのです、貴方(あなた)は未嘗(いまだかつ)て苦(くるし)んだ事(こと)は無(な)いのですから。然(しか)し私(わたくし)は生(うま)れた其日(そのひ)より今日迄(こんにちまで)、絶(た)えず苦痛(くつう)を嘗(な)めてゐるのです、其故(それゆゑ)私(わたくし)は自分(じぶん)を貴方(あなた)よりも高(たか)いもの、萬事(ばんじ)に於(おい)て、より多(おほ)く精通(せいつう)してゐるものと認(みと)めて居(を)るです。ですから貴方(あなた)が私(わたくし)に教(をし)へると云(い)ふ場合(ばあひ)で無(な)いのです。』
『私(わたくし)は何(なに)も貴方(あなた)を自分(じぶん)の信仰(しんかう)に向(むか)はせやうと云(い)ふ權利(けんり)を主張(しゆちやう)はせんのです。』院長(ゐんちやう)は自分(じぶん)を解(わか)つて呉(く)れ人(て)の無(な)いので、さも殘念(ざんねん)と云(い)ふやうに。『然云(さうい)ふ譯(わけ)では無(な)いのです、其(そ)れは貴方(あなた)が苦痛(くつう)を嘗(な)めて、私(わたくし)が嘗(な)めないといふことではないのです。詮(せん)ずる所(ところ)、苦痛(くつう)も快樂(くわいらく)も移(うつ)り行(ゆ)くもので、那樣事(そんなこと)は奈何(どう)でも可(い)いのです。で、私(わたくし)が言(い)はうと思(おも)ふのは、貴方(あなた)と私(わたくし)とが思想(しさう)するもの、相共(あひとも)に思想(しさう)したり、議論(ぎろん)を爲(し)たりする力(ちから)が有(あ)るものと認(みと)めてゐるといふことです。縱令(たとひ)我々(われ/\)の意見(いけん)が何(ど)の位(くらゐ)違(ちが)つても、此(こゝ)に我々(われ/\)の一致(ち)する所(ところ)があるのです。貴方(あなた)が若(も)し私(わたくし)が一般(ぱん)の無智(むち)や、無能(むのう)や、愚鈍(ぐどん)を何(ど)れ程(ほど)に厭(いと)ふて居(を)るかと知(し)つて下(くだ)すつたならば、又(また)如何(いか)なる喜(よろこび)を以(もつ)て、恁(か)うして貴方(あなた)と話(はなし)をしてゐるかと云(い)ふ事(こと)を知(し)つて下(くだ)すつたならば! 貴方(あなた)は知識(ちしき)の有(あ)る人(ひと)です。』
 ハヾトフは此時(このとき)少計(すこしばか)り戸(と)を開(あ)けて室内(しつない)を覗(のぞ)いた。イワン、デミトリチは頭巾(づきん)を被(かぶ)つて、妙(めう)な眼付(めつき)をしたり、顫(ふるへ)上(あが)つたり、神經的(しんけいてき)に病院服(びやうゐんふく)の前(まへ)を合(あ)はしたりしてゐる。院長(ゐんちやう)は其側(そのそば)に腰(こし)を掛(か)けて、頭(かしら)を垂(た)れて、凝(じつ)として心細(こゝろぼそ)いやうな、悲(かな)しいやうな樣子(やうす)で顏(かほ)を赤(あか)くしてゐる。ハヾトフは肩(かた)を縮(ちゞ)めて冷笑(れいせう)し、ニキタと見合(みあ)ふ。ニキタも同(おな)じく肩(かた)を縮(ちゞ)める。
 翌日(よくじつ)ハヾトフは代診(だいしん)を伴(つ)れて別室(べつしつ)に來(き)て、玄關(げんくわん)の間(ま)で又(また)も立聞(たちぎゝ)。
『院長殿(ゐんちやうどの)、とう/\發狂(はつきやう)と御坐(ござ)つたわい。』と、ハヾトフは別室(べつしつ)を出(で)ながらの話(はなし)。
『主(しゆ)憐(あはれめ)よ、主(しゆ)憐(あはれめ)よ、主(しゆ)憐(あはれめ)よ!』と、敬虔(けいけん)なるセルゲイ、セルゲヰチは云(い)ひながら。ピカ/\と磨上(みがきあ)げた靴(くつ)を汚(よご)すまいと、庭(には)の水溜(みづたまり)を避(よ)け/\溜息(ためいき)をする。
『打明(うちあ)けて申(もを)しますとな、エウゲニイ、フエオドロヰチもう私(わたくし)は疾(と)うから這麼事(こんなこと)になりはせんかと思(おも)つてゐましたのさ。』

 其後(そのご)院長(ゐんちやう)アンドレイ、エヒミチは自分(じぶん)の周圍(まはり)の者(もの)の樣子(やうす)の、ガラリと變(かは)つた事(こと)を漸(やうや)く認(みと)めた。小使(こづかひ)、看護婦(かんごふ)、患者等(くわんじやら)は、彼(かれ)に往遇(ゆきあ)ふ度(たび)に、何(なに)をか問(と)ふものゝ如(ごと)き眼付(めつき)で見(み)る、行(ゆ)き過(す)ぎてからは私語(さゝや)く。折々(をり/\)庭(には)で遇(あ)ふ會計係(くわいけいがゝり)の小娘(こむすめ)の、彼(かれ)が愛(あい)してゐた所(ところ)のマアシヤは、此(こ)の節(せつ)は彼(かれ)が微笑(びせう)して頭(あたま)でも撫(な)でやうとすると、急(いそ)いで遁出(にげだ)す。郵便局長(いうびんきよくちやう)のミハイル、アウエリヤヌヰチは、彼(かれ)の所(ところ)に來(き)て、彼(かれ)の話(はなし)を聞(き)いてはゐるが、先(さき)のやうに其(そ)れは眞實(まつたく)ですとはもう云(い)はぬ。何(なん)となく心配(しんぱい)さうな顏(かほ)で、左樣々々(さやう/\)、々々(/\)、と、打濕(うちしめ)つて云(い)つてるかと思(おも)ふと、やれヴオツカを止(よ)せの、麥酒(ビール)を止(や)めろのと勸(すゝめ)初(はじ)める。又(また)醫員(いゐん)のハヾトフも時々(とき/″\)來(き)ては、何故(なにゆゑ)かアルコール分子(ぶんし)の入(はひ)つてゐる飮物(のみもの)を止(よ)せ。ブローミウム加里(かり)を服(の)めと勸(すゝ)めて行(ゆ)くので。
 八月(ぐわつ)にアンドレイ、エヒミチは市役所(しやくしよ)から、少(すこ)し相談(さうだん)が有(あ)るに由(よ)つて、出頭(しゆつとう)を願(ねが)ふと云(い)ふ招状(せうじやう)が有(あ)つた、で、定刻(ていこく)に市役所(しやくしよ)に行(い)つて見(み)ると、もう地方軍令部長(ちはうぐんれいぶちやう)を初(はじ)め、郡立學校視學官(ぐんりつがくかうしがくゝわん)市役所員(しやくしよゐん)、それにドクトル、ハヾトフ、又(また)も一人(ひとり)の見知(みし)らぬブロンヂンの男(をとこ)、ずらりと並(なら)んで控(ひか)へてゐる。傍(そば)にゐた者(もの)は直(す)ぐに院長(ゐんちやう)に此(こ)の人間(にんげん)を紹介(せうかい)した、猶且(やはり)ドクトルで、何(なん)だとかと云(い)ふポーランドの云(い)ひ惡(にく)い名(な)、此(こ)の町(まち)から三十ヴエルスタ計(ばか)り隔(へだゝ)つてゐる、或(あ)る育馬所(いくばしよ)に居(ゐ)る者(もの)、今日(けふ)此(こ)の町(まち)を何(なに)かの用(よう)で些(ちよつ)と通掛(とほりかゝ)つたので、此(こ)の場所(ばしよ)へ立寄(たちよ)つたとのことで。
『えゝ只今(たゞいま)、足下(そくか)に御關係(ごくわんけい)の有(あ)る事柄(ことがら)で、申上(まをしあ)げたいと思(おも)ふのですが。』と、市役所員(しやくしよゐん)は居並(ゐなら)ぶ人々(ひと/″\)の挨拶(あいさつ)が濟(す)むと恁(か)う切(き)り出(だ)した。『あ、エウゲニイ、フエオドロヰチの有仰(おつしや)るには、本院(ほんゐん)の藥局(やくきよく)が狹隘(せまい)ので、之(これ)を別室(べつしつ)の一つに移轉(うつ)しては奈何(どう)かと云(い)ふのです。勿論(もちろん)是(これ)は雜作(ざふさ)も無(な)い事(こと)ですが、其(そ)れには別室(べつしつ)の修繕(しうぜん)を要(えう)すると云(い)ふ其事(そのこと)です。』
『左樣(さやう)、修繕(しうぜん)を致(いた)さなければならんでせう。』と、院長(ゐんちやう)は考(かんが)へながら云(い)ふ。『例(たと)へば隅(すみ)の別室(べつしつ)を藥局(やくきよく)に當(あ)てやうと云(い)ふには、私(わたくし)の考(かんがへ)では、極(ご)く少額(せうがく)に見積(みつも)つても五百圓(ゑん)は入(い)りませう、然(しか)し餘(あま)り不生産的(ふせいさんてき)な費用(ひよう)です。』
 皆(みな)は少時(すこし)默(もく)してゐる。院長(ゐんちやう)は靜(しづか)に又(また)續(つゞ)ける。
『私(わたくし)はもう十年(ねん)も前(まへ)から、さう申上(まをしあ)げてゐたのですが、全體(ぜんたい)此(こ)の病院(びやうゐん)の設立(たて)られたのは、四十年代(ねんだい)の頃(ころ)でしたが、其時分(そのじぶん)は今日(こんにち)のやうな資力(しりよく)では無(な)かつたもので。然(しか)し今日(こんにち)の所(ところ)では病院(びやうゐん)は、確(たしか)に市(し)の資力(ちから)以上(いじやう)の贅澤(ぜいたく)に爲(な)つてゐるので、餘計(よけい)な建物(たてもの)、餘計(よけい)な役(やく)などで隨分(ずゐぶん)費用(ひよう)も多(おほ)く費(つか)つてゐるのです。私(わたくし)の思(おも)ふには、是丈(これだけ)の錢(ぜに)を費(つか)ふのなら、遣(や)り方(かた)をさへ換(か)へれば、此(こゝ)に二つの模範的(もはんてき)の病院(びやうゐん)を維持(ゐぢ)する事(こと)が出來(でき)ると思(おも)ひます。』
『では一つ遣(や)り方(かた)を換(か)へて御覽(ごらん)になつたら如何(いかゞ)です。』
と、市役所員(しやくしよゐん)は活發(くわつぱつ)に云(い)ふ。
『私(わたくし)は前(さき)にも申上(まをしあげ)ました通(とほ)り、醫學上(いがくじやう)の事務(じむ)を地方自治體(ちはうじちたい)の方(はう)へ、お渡(わた)しになつては如何(どう)でせう?』
『地方自治(ちはうじち)に錢(ぜに)を渡(わた)したら、其(そ)れこそ彼等(かれら)は皆(みな)盜(ぬす)んで了(しま)ひませう。』と、ブロンヂンのドクトルは笑(わら)ひ出(だ)す。
『其(そ)りや極(きま)つてます。』と、市役所員(しやくしよゐん)も同意(どうい)して笑(わら)ふ。
 院長(ゐんちやう)は茫然(ぼんやり)とブロンヂンのドクトルを見(み)たが。『然(しか)し公平(こうへい)に考(かんが)へなければなりません。』と云(い)ふた。
 皆(みな)は又(また)少時(しばし)默(もく)して了(しま)ふ。其中(そのうち)に茶(ちや)が出(で)る。ドクトル、ハヾトフは皆(みな)との一般(ぱん)の話(はなし)の中(うち)も、院長(ゐんちやう)の言(ことば)に注意(ちゆうい)をして聞(き)いてゐたが突然(だしぬけ)に。『アンドレイ、エヒミチ今日(けふ)は何日(なんにち)です?』其(それ)から續(つゞ)いて、ハヾトフとブロンヂンのドクトルとは下手(へた)なのを感(かん)じてゐる試驗官(しけんくわん)と云(い)つたやうな調子(てうし)で、今日(けふ)は何曜日(なにえうび)だとか、一年(ねん)の中(うち)には何日(なんにち)有(あ)るとか、六號室(がうしつ)には面白(おもしろ)い豫言者(よげんしや)がゐるさうなとかと、交々(かはる/″\)尋問(たづ)ねるので有(あ)つた。
 院長(ゐんちやう)は終(をはり)の問(とひ)には赤面(せきめん)して。『いや、那(あれ)は病人(びやうにん)です、然(しか)し面白(おもしろ)い若者(わかもの)で。』と答(こた)へた。
 もう誰(たれ)も何(なん)とも質問(しつもん)を爲(せ)ぬのである。
 院長(ゐんちやう)は玄關(げんくわん)の間(ま)で外套(ぐわいたう)を着(き)、市役所(しやくしよ)の門(もん)を出(で)たが、是(これ)は自分(じぶん)の才能(さいのう)を試驗(しけん)する所(ところ)の委員會(ゐゐんくわい)で有(あ)つたと初(はじ)めて悟(さと)り、自分(じぶん)に懸(か)けられた質問(しつもん)を思(おも)ひ出(だ)し、一人(ひとり)自(みづか)ら赤面(せきめん)し、一生(しやう)の中(うち)今(いま)初(はじ)めて、醫學(いがく)なるものを、つくづくと情無(なさけな)い者(もの)に感(かん)じたのである。
 其晩(そのばん)、郵便局長(いうびんきよくちやう)のミハイル、アウエリヤヌヰチは彼(かれ)の所(ところ)に來(き)たが、挨拶(あいさつ)もせずに匆卒(いきなり)彼(かれ)の兩手(りやうて)を握(にぎ)つて、聲(こゑ)を顫(ふる)はして云(い)ふた。
『おゝ君(きみ)、ねえ、君(きみ)は僕(ぼく)の切(せつ)なる意中(いちゆう)を信(しん)じて、僕(ぼく)を親友(しんいう)と認(みと)めて呉(く)れる事(こと)を證(しよう)して下(くだ)さるでせうね……え、君(きみ)!』
 彼(かれ)は院長(ゐんちやう)の云(い)はんとするのを遮(さへぎ)つて、何(なに)かそわ/\して續(つゞ)けて云(い)ふ。『私(わたし)は貴方(あなた)の教育(けういく)と、高尚(かうしやう)なる心(こゝろ)とを甚(はなは)だ敬愛(けいあい)して居(を)るです。何卒(どうぞ)君(きみ)、私(わたし)の云(い)ふことを聞(き)いて下(くだ)さい。醫學(いがく)の原則(げんそく)は、醫者等(いしやら)をして貴方(あなた)に實(じつ)を云(い)はしめたのです。然(しか)しながら私(わたし)は軍人風(ぐんじんふう)に眞向(まつかう)に切出(きりだ)します。貴方(あなた)に打明(うちあ)けて云(い)ひます、即(すなは)ち貴方(あなた)は病氣(びやうき)なのです。是(これ)はもう周圍(まはり)の者(もの)の疾(と)うより認(みと)めてゐる所(ところ)で、只今(たゞいま)もドクトル、エウゲニイ、フエオドロヰチが云(い)ふのには、貴方(あなた)の健康(けんかう)の爲(ため)には、須(すべから)く氣晴(きばらし)をして、保養(ほやう)を專(せん)一と爲(せ)んければならんと。是(これ)は實際(じつさい)です。所(ところ)が、丁度(ちやうど)私(わたし)も此(こ)の節(せつ)、暇(ひま)を貰(もら)つて、異(かは)つた空氣(くうき)を吸(す)ひに出掛(でか)けやうと思(おも)つてゐる矢先(やさき)、如何(どう)でせう、一所(しよ)に付合(つきあ)つては下(くだ)さらんか、而(さう)して舊事(ふるいこと)を皆(みんな)忘(わす)れて了(しま)ひませうぢや有(あ)りませんか。』
『然(しか)し私(わたし)は少(すこ)しも身體(からだ)に異状(いじやう)は無(な)いです、壯健(さうけん)です。無暗(むやみ)に出掛(でか)ける事(こと)は出來(でき)ません、何卒(どうぞ)私(わたし)の友情(いうじやう)を他(た)の事(こと)で何(なん)とか證(しよう)させて下(くだ)さい。』
 アンドレイ、エヒミチは初(はじめ)の一分時(ぷんじ)は、何(なん)の意味(いみ)もなく書物(しよもつ)と離(はな)れ、ダリユシカと麥酒(ビール)とに別(わか)れて、二十年來(ねんらい)定(さだ)まつた其生活(そのせいくわつ)の順序(じゆんじよ)を破(やぶ)ると云(い)ふ事(こと)は出來(でき)なく思(おも)ふたが、又(また)深(ふか)く思(おも)へば、市役所(しやくしよ)で有(あ)りし事(こと)、其自(そのみづか)ら感(かん)じた不愉快(ふゆくわい)の事(こと)、愚(おろか)な人々(ひと/″\)が自分(じぶん)を狂人視(きやうじんし)してゐる這麼町(こんなまち)から、少(すこ)しでも出(で)て見(み)たらば、とも思(おも)ふので有(あ)つた。
『然(しか)し貴方(あなた)は一體(たい)何處(どこ)へお出掛(でか)けにならうと云(い)ふのです?』院長(ゐんちやう)は問(と)ふた。
『モスクワへも、ペテルブルグへも、ワルシヤワへも……ワルシヤワは實(じつ)に好(よ)い所(ところ)です、私(わたし)が幸福(かうふく)の五年間(ねんかん)は彼處(あすこ)で送(おく)つたのでした、其(そ)れは好(い)い町(まち)です、是非(ぜひ)行(ゆ)きませう、ねえ君(きみ)。』

 一週間(しうかん)を經(へ)てアンドレイ、エヒミチは、病院(びやうゐん)から辭職(じしよく)の勸告(くわんこく)を受(う)けたが、彼(かれ)は其(そ)れに對(たい)しては至(いた)つて平氣(へいき)であつた。恁(か)くて又(また)一週間(しうかん)を過(す)ぎ、遂(つひ)にミハイル、アウエリヤヌヰチと共(とも)に郵便(いうびん)の旅馬車(たびばしや)に打乘(うちの)り、近(ちか)き鐵道(てつだう)のステーシヨンを差(さ)して、旅行(りよかう)にと出掛(でか)けたのである。
 空(そら)は爽(さはやか)に晴(は)れて、遠(とほ)く木立(こだち)の空(そら)に接(せつ)する邊(あたり)も見渡(みわた)される凉(すゞ)しい日和(ひより)。ステーシヨン迄(まで)の二百ヴエルスタの道(みち)を二晝夜(ちうや)で過(す)ぎたが、其間(そのあひだ)馬(うま)の繼場々々(つぎば/\)で、ミハイル、アウエリヤヌヰチは、やれ、茶(ちや)の杯(こつぷ)の洗(あら)ひやうが奈何(どう)だとか、馬(うま)を附(つ)けるのに手間(てま)が取(と)れるとかと力(りき)んで、上句(あげく)には、何(いつ)も默(だま)れとか、彼(か)れ此(こ)れ云(い)ふな、とかと眞赤(まつか)になつて騷(さわぎ)を返(かへ)す。道々(みち/\)も一分(ぷん)の絶間(たえま)もなく喋(しやべ)り續(つゞ)けて、カフカズ、ポーランドを旅行(りよかう)したことなどを話(はな)す。而(さう)して大聲(おほごゑ)で眼(め)を剥出(むきだ)し、夢中(むちゆう)になつてドクトルの顏(かほ)へはふツ/\と息(いき)を吐掛(ふつか)ける、耳許(みゝもと)で高笑(たかわらひ)する。ドクトルは其(そ)れが爲(ため)に考(かんがへ)に耽(ふけ)ることもならず、思(おもひ)に沈(しづ)む事(こと)も出來(でき)ぬ。
 汽車(きしや)は經濟(けいざい)の爲(ため)に三等(とう)で、喫烟(きつえん)を爲(せ)ぬ客車(かくしや)で行(い)つた。車室(しやしつ)の中(うち)はさのみ不潔(ふけつ)の人間計(にんげんばか)りではなかつたが、ミハイル、アウエリヤヌヰチは直(すぐ)に人々(ひと/″\)と懇意(こんい)になつて誰(たれ)にでも話(はなし)を仕掛(しか)け、腰掛(こしかけ)から腰掛(こしかけ)へ廻(まは)り歩(ある)いて、大聲(おほごゑ)で、這麼不都合(こんなふつがふ)極(きはま)る汽車(きしや)は無(な)いとか、皆(みな)盜人(ぬすびと)のやうな奴等計(やつらばか)りだとか、乘馬(じようば)で行(ゆ)けば一日(にち)に百ヴエルスタも飛(と)ばせて、其上(そのうへ)愉快(ゆくわい)に感(かん)じられるとか、我々(われ/\)の地方(ちはう)の不作(ふさく)なのはピン沼(ぬま)などを枯(から)して了(しま)つたからだ、非常(ひじやう)な亂暴(らんばう)をしたものだとか、などと云(い)つて、殆(ほとん)ど他(ひと)には口(くち)も開(き)かせぬ、而(さう)して其相間(そのあひま)には高笑(たかわらひ)と、仰山(ぎやうさん)な身振(みぶり)。
『私等(わたしら)二人(ふたり)の中(うち)、何(いづ)れが瘋癲者(ふうてんしや)だらうか。』と、ドクトルは腹立(はらだゝ)しくなつて思(おも)ふた。『少(すこ)しも乘客(じようきやく)を煩(わづら)はさんやうに務(つと)めてゐる俺(おれ)か、其(そ)れとも這麼(こんな)に一人(ひとり)で大騷(おほさわぎ)をしてゐた、誰(たれ)にも休息(きうそく)も爲(さ)せぬ此(こ)の利己主義男(りこしゆぎをとこ)か?』
 モスクワへ行(い)つてから、ミハイル、アウエリヤヌヰチは肩章(けんしやう)の無(な)い軍服(ぐんぷく)に、赤線(あかすぢ)の入(はひ)つたヅボンを穿(は)いて町(まち)を歩(ある)くにも、軍帽(ぐんばう)を被(かぶ)り、軍人(ぐんじん)の外套(ぐわいたう)を着(き)た。兵卒(へいそつ)は彼(かれ)を見(み)て敬禮(けいれい)をする。アンドレイ、エヒミチは今(いま)初(はじ)めて氣(き)が着(つ)いたが、ミハイル、アウエリヤヌヰチは前(さき)に大地主(おほぢぬし)で有(あ)つた時(とき)の、餘(あま)り感心(かんしん)せぬ風計(ふうばか)りが今(いま)も殘(のこ)つてゐると云(い)ふことを。机(つくゑ)の前(まへ)にマツチは有(あ)つて、彼(かれ)は其(そ)れを見(み)てゐながら、其癖(そのくせ)、大聲(おほごゑ)を上(あ)げて小使(こづかひ)を呼(よ)んでマツチを持(も)つて來(こ)いなどと云(い)ひ、女中(ぢよちゆう)のゐる前(まへ)でも平氣(へいき)で下着(したぎ)一つで歩(ある)いてゐる、下僕(しもべ)や、小使(こづかひ)を捉(つかま)へては、年(とし)を寄(と)つたものでも何(なん)でも構(かま)はず、貴樣々々(きさま/\)と頭碎(あたまごなし)。其上(そのうへ)に腹(はら)を立(た)つと直(す)ぐに、此(こ)の野郎(やらう)、此(こ)の大馬鹿(おほばか)と惡體(あくたい)が初(はじ)まるので、是等(これら)は大地主(おほぢぬし)の癖(くせ)であるが、餘(あま)り感心(かんしん)した風(ふう)では無(な)い、とドクトルも思(おも)ふたのであつた。
 モスクワ見物(けんぶつ)の第(だい)一着(ちやく)に、ミハイル、アウエリヤヌヰチは其友(そのとも)を先(ま)づイウエルスカヤ小聖堂(せうせいだう)に伴(つ)れ行(ゆ)き、其處(そこ)で彼(かれ)は熱心(ねつしん)に伏拜(ふくはい)して涙(なみだ)を流(なが)して祈祷(きたう)する、而(さう)して立上(たちあが)り、深(ふか)く溜息(ためいき)して云(い)ふには。
『縱令(たとひ)信(しん)じなくとも、祈祷(きたう)をすると、何(なん)とも云(い)はれん位(くらゐ)、心(こゝろ)が安(やす)まる、君(きみ)、接吻(せつぷん)爲給(したま)へ。』
 アンドレイ、エヒミチは體裁惡(きまりわる)く思(おも)ひながら、聖像(せいざう)に接吻(せつぷん)した。ミハイル、アウエリヤヌヰチは唇(くちびる)を突出(つきだ)して、頭(あたま)を振(ふ)りながら、又(また)も小聲(こゞゑ)で祈祷(きたう)して涙(なみだ)を流(なが)してゐる。其(そ)れから二人(ふたり)は其處(そこ)を出(で)て、クレムリに行(ゆ)き、大砲王(たいはうわう)(巨大な砲)と大鐘王(たいしようわう)(巨大な鐘、モスクワの二大名物)とを見物(けんぶつ)し、指(ゆび)で觸(さは)つて見(み)たりした。其(そ)れよりモスクワ川向(かはむかふ)の町(まち)の景色(けしき)などを見渡(みわた)しながら、救世主(きうせいしゆ)の聖堂(せいだう)や、ルミヤンツセフの美術館(びじゆつくわん)なんどを廻(まは)つて見(み)た。
 中食(ちゆうじき)はテストフ亭(てい)と云(い)ふ料理店(れうりてん)に入(はひ)つたが、此(こゝ)でもミハイル、アウエリヤヌヰチは、頬鬚(ほゝひげ)を撫(な)でながら、暫(やゝ)少時(しばらく)、品書(しながき)を拈轉(ひねく)つて、料理店(れうりや)を我(わ)が家(や)のやうに擧動(ふるま)ふ愛食家風(あいしよくかふう)の調子(てうし)で。
『今日(けふ)は甚麼御馳走(どんなごちそう)で我々(われ/\)を食(く)はして呉(く)れるか。』と、無暗(むやみ)と幅(はゞ)を利(き)かせたがる。

 ドクトルは見物(けんぶつ)もし、歩(ある)いても見(み)、食(く)つても飮(の)んでも見(み)たのであるが、たゞもう毎日(まいにち)ミハイル、アウエリヤヌヰチの擧動(きよどう)に弱(よわ)らされ、其(そ)れが鼻(はな)に着(つ)いて、嫌(いや)で、嫌(いや)でならぬので、如何(どう)かして一日(にち)でも、一時(とき)でも、彼(かれ)から離(はな)れて見(み)たく思(おも)ふので有(あ)つたが、友(とも)は自分(じぶん)より彼(かれ)を一歩(ぽ)でも離(はな)す事(こと)はなく、何(なん)でも彼(かれ)の氣晴(きばらし)をするが義務(ぎむ)と、見物(けんぶつ)に出(で)ぬ時(とき)は饒舌(しやべ)り續(つゞ)けて慰(なぐさ)めやうと、附纒(つきまと)ひ通(どほ)しの有樣(ありさま)。二日(か)と云(い)ふものアンドレイ、エヒミチは堪(こら)へ堪(こら)へて、我慢(がまん)をしてゐたのであるが、三日目(かめ)にはもう如何(どう)にも堪(こら)へ切(き)れず。少(すこ)し身體(からだ)の工合(ぐあひ)が惡(わる)いから、今日丈(けふだ)け宿(やど)に殘(のこ)つてゐると、遂(つひ)に思切(おもひき)つて友(とも)に云(い)ふたので有(あ)つた、然(しか)るにミハイル、アウエリヤヌヰチは、其(そ)れぢや自分(じぶん)も家(いへ)にゐる事(こと)に爲(し)やう、少(すこ)しは休息(きうそく)も爲(し)なければ足(あし)も續(つゞ)かぬからと云(い)ふ挨拶(あいさつ)。アンドレイ、エヒミチはうんざりして、長椅子(ながいす)の上(うへ)に横(よこ)になり、倚掛(よりかゝり)の方(はう)へ突(つい)と顏(かほ)を向(む)けた儘(まゝ)、齒(は)を切(くひしば)つて、友(とも)の喋喋(べら/\)語(しやべ)るのを詮方(せんかた)なく聞(き)いてゐる。然(さ)りとも知(し)らぬミハイル、アウエリヤヌヰチは、大得意(だいとくい)で、佛蘭西(フランス)は早晩(さうばん)獨逸(ドイツ)を破(やぶ)つて了(しま)ふだらうとか、モスクワには攫客(すり)が多(おほ)いとか、馬(うま)は見掛計(みかけばか)りでは、其眞價(そのしんか)は解(わか)らぬものであるとか。と、其(そ)れから其(そ)れへと話(はなし)を續(つゞ)けて息(いき)の繼(つ)ぐ暇(ひま)も無(な)い、ドクトルは耳(みゝ)が[#「耳(みゝ)が」は底本では「耳(みゝ)を」]ガンとして、心臟(しんざう)の鼓動(こどう)さへ烈(はげ)しくなつて來(く)る。と云(い)つて、出(で)て行(い)つて呉(く)れ、默(だま)つてゐて呉(く)れとは彼(かれ)には言(い)はれぬので、凝(じつ)と辛抱(しんばう)してゐる辛(つら)さは一倍(ばい)である。所(ところ)が仕合(しあはせ)にもミハイル、アウエリヤヌヰチの方(はう)が、此度(こんど)は宿(やど)に引込(ひつこ)んでゐるのが、とうとう退屈(たいくつ)になつて來(き)て、中食後(ちゆうじきご)には散歩(さんぽ)にと出掛(でか)けて行(い)つた。
 アンドレイ、エヒミチはやつと一人(ひとり)になつて、長椅子(ながいす)の上(うへ)にのろ/\と落着(おちつ)いて横(よこ)になる。室内(しつない)に自分(じぶん)唯一人(たゞひとり)、と意識(いしき)するのは如何(いか)に愉快(ゆくわい)で有(あ)つたらう。眞實(しんじつ)の幸福(かうふく)は實(じつ)に一人(ひとり)でなければ得(う)べからざるもので有(あ)ると、つく/″\思(おも)ふた。而(さう)して彼(かれ)は此頃(このごろ)見(み)たり、聞(き)いたりした事(こと)を考(かんが)へやうと思(おも)ふたが、如何(どう)したものか猶且(やはり)、ミハイル、アウエリヤヌヰチが頭(あたま)から離(はな)れぬので有(あ)つた。
 其(そ)の後(のち)は彼(かれ)は少(すこ)しも外出(ぐわいしゆつ)せず、宿(やど)に計(ばか)り引込(ひつこ)んでゐた。
 友(とも)は態々(わざ/\)休暇(きうか)を取(と)つて、恁(か)く自分(じぶん)と共(とも)に出發(しゆつぱつ)したのでは無(な)いか。深(ふか)き友情(いうじやう)によつてゞは無(な)いか、親切(しんせつ)なのでは無(な)いか。然(しか)し實(じつ)に是程(これほど)有難迷惑(ありがためいわく)の事(こと)が又(また)と有(あ)らうか。降參(かうさん)だ、眞平(まつぴら)だ。とは云(い)へ、彼(かれ)に惡意(あくい)が有(あ)るのでは無(な)い。と、ドクトルは更(さら)に又(また)沁々(しみ/″\)と思(おも)ふたので有(あ)つた。
 ペテルブルグに行(い)つてからもドクトルは猶且(やはり)同樣(どうやう)、宿(やど)にのみ引籠(ひきこも)つて外(そと)へは出(で)ず、一日(にち)長椅子(ながいす)の上(うへ)に横(よこ)になり、麥酒(ビール)を呑(の)む時(とき)に丈(だ)け起(おき)る。
 ミハイル、アウエリヤヌヰチは、始終(しゞゆう)ワルシヤワへ早(はや)く行(ゆ)かうと計(ばか)り云(い)ふてゐる。
『然(しか)し君(きみ)、私(わたし)は何(なに)もワルシヤワへ行(ゆ)く必要(ひつえう)は無(な)いのだから、君(きみ)一人(ひとり)で行(ゆ)き給(たま)へ、而(さう)して私(わたし)を何卒(どうぞ)先(さき)に故郷(こきやう)に歸(かへ)して下(くだ)さい。』アンドレイ、エヒミチは哀願(あいぐわん)するやうに云(い)ふた。
『飛(とん)だ事(こと)さ。』と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは聽入(きゝい)れぬ。『ワルシヤワこそ君(きみ)に見(み)せにやならん、僕(ぼく)が五年(ねん)の幸福(かうふく)な生涯(しやうがい)を送(おく)つた所(ところ)だ。』
 アンドレイ、エヒミチは例(れい)の氣質(きしつ)で、其(そ)れでもとは云(い)ひ兼(か)ね、遂(つひ)に又(また)嫌々(いや/\)ながらワルシヤワにも行(い)つた。其處(そこ)でも彼(かれ)は宿(やど)から出(で)ずに、終日(しゆうじつ)相變(あひかは)らず長椅子(ながいす)の上(うへ)に轉(ころ)がり、相變(あひかは)らず友(とも)の擧動(きよどう)に愛想(あいさう)を盡(つ)かしてゐる。ミハイル、アウエリヤヌヰチは一人(ひとり)して元氣可(げんきよ)く、朝(あさ)から晩迄(ばんまで)町(まち)を遊(あそ)び歩(ある)き、舊友(きういう)を尋(たづ)ね廻(まは)り、宿(やど)には數度(すうど)も歸(かへ)らぬ夜(よ)が有(あ)つた位(くらゐ)。と、或朝(あるあさ)早(はや)く非常(ひじやう)に興奮(こうふん)した樣子(やうす)で、眞赤(まつか)な顏(かほ)をし、髮(かみ)も茫々(ばう/\)として宿(やど)に歸(かへ)つて來(き)た。而(さう)して何(なに)か獨語(ひとりごと)しながら、室内(しつない)を隅(すみ)から隅(すみ)へと急(いそ)いで歩(ある)く。
『名譽(めいよ)は大事(だいじ)だ。』
『然(さ)うだ名譽(めいよ)が大切(たいせつ)だ。全體(ぜんたい)這麼町(こんなまち)に足(あし)を踏込(ふみこ)んだのが間違(まちが)ひだつた。』と、彼(かれ)は更(さら)にドクトルに向(むか)つて云(い)ふた。『實(じつ)は私(わたし)は負(ま)けたのです。で、奈何(どう)でせう、錢(ぜに)を五百圓(ゑん)貸(か)しては下(くだ)さらんか?』
 アンドレイ、エヒミチは錢(ぜに)を勘定(かんぢやう)して、五百圓(ゑん)を無言(むごん)で友(とも)に渡(わた)したのである。ミハイル、アウエリヤヌヰチは未(ま)だ眞赤(まつか)になつて、面目無(めんぼくな)いやうな、怒(おこ)つたやうな風(ふう)で。『屹度(きつと)返却(かへ)します、屹度(きつと)。』などと誓(ちか)ひながら、又(また)帽(ばう)を取(と)るなり出(で)て行(い)つた。が、大約(おほよそ)二時間(じかん)を經(た)つてから歸(かへ)つて來(き)た。
『お蔭(かげ)で名譽(めいよ)は助(たす)かつた。もう出發(しゆつぱつ)しませう。這麼不徳義(こんなふとくぎ)極(きはま)る所(ところ)に一分(ぷん)だつて留(とゞま)つてゐられるものか。掏摸(すり)ども奴(め)、墺探(あうたん)ども奴(め)。』
 二人(ふたり)が旅行(りよかう)を終(を)へて歸(かへ)つて來(き)たのは十一月(ぐわつ)、町(まち)にはもう深雪(みゆき)が眞白(まつしろ)に積(つも)つてゐた。アンドレイ、エヒミチは歸(かへ)つて見(み)れば自分(じぶん)の位置(ゐち)は今(いま)はドクトル、ハヾトフの手(て)に渡(わた)つて、病院(びやうゐん)の官宅(くわんたく)を早(はや)く明渡(あけわた)すのをハヾトフは待(ま)つてゐるといふとの事(こと)、又(また)其(そ)の下女(げぢよ)と名(な)づけてゐた醜婦(しうふ)は、此(こ)の間(あひだ)から、別室(べつしつ)の内(うち)の或(あ)る處(ところ)に移轉(いてん)した。町(まち)には、病院(びやうゐん)の新院長(しんゐんちやう)に就(つ)いての種々(いろ/\)な噂(うはさ)が立(た)てられてゐた。下女(げぢよ)と云(い)ふ醜婦(しうふ)が會計(くわいけい)と喧嘩(けんくわ)をしたとか、會計(くわいけい)は其女(そのをんな)の前(まへ)に膝(ひざ)を折(を)つて謝罪(しやざい)したとか、と。
 アンドレイ、エヒミチは歸來(かへり)早々(さう/\)先(ま)づ其住居(そのすまひ)を尋(たづ)ねねばならぬ。
『不遠慮(ぶゑんりよ)な御質問(おたづね)ですがなあ君(きみ)。』と郵便局長(いうびんきよくちやう)はアンドレイ、エヒミチに向(むか)つて云(い)ふた。
『貴方(あなた)は何位(どのくらゐ)財産(ざいさん)をお所有(も)ちですか?』
 問(と)はれて、アンドレイ、エヒミチは默(もく)した儘(まゝ)、財嚢(さいふ)の錢(ぜに)を數(かぞ)へ見(み)て。『八十六圓(ゑん)。』
『否(いえ)、然(さ)うぢやないのです。』ミハイル、アウエリヤヌヰチは更(さら)に云直(いひなほ)す。『其(そ)の、君(きみ)の財産(ざいさん)は總計(そうけい)で何位(どのくらゐ)と云(い)ふのを伺(うかゞ)うのさ。』
『だから總計(そうけい)八十六圓(ゑん)と申(まを)してゐるのです。其切(それぎ)り私(わたし)は一文(もん)も所有(も)つちや居(を)らんので。』
 ミハイル、アウエリヤヌヰチはドクトルの廉潔(れんけつ)で、正直(しやうぢき)で有(あ)るのは豫(かね)ても知(し)つてゐたが、然(しか)し其(そ)れにしても、二萬圓(ゑん)位(ぐらゐ)は確(たしか)に所有(もつ)てゐることゝのみ思(おも)ふてゐたのに、恁(か)くと聞(き)いては、ドクトルが恰(まる)で乞食(こじき)にも等(ひと)しき境遇(きやうぐう)と、思(おも)はず涙(なみだ)を落(おと)して、ドクトルを抱(いだ)き締(し)め、聲(こゑ)を上(あ)げて泣(な)くので有(あ)つた。

 ドクトル、アンドレイ、エヒミチはベローワと云(い)ふ婦(をんな)の小汚(こぎた)ない家(いへ)の一間(ま)を借(か)りることになつた。彼(かれ)は前(まへ)のやうに八時(じ)に起(お)きて、茶(ちや)の後(のち)は直(すぐ)に書物(しよもつ)を樂(たの)しんで讀(よ)んでゐたが、此(こ)の頃(ごろ)は新(あたら)しい書物(しよもつ)も買(か)へぬので、古本計(ふるほんばか)り讀(よ)んでゐる爲(せゐ)か、以前程(いぜんほど)には興味(きようみ)を感(かん)ぜぬ。或時(あるとき)徒然(つれ/″\)なるに任(まか)せて、書物(しよもつ)の明細(めいさい)な目録(もくろく)を編成(へんせい)し、書物(しよもつ)の背(せ)には札(ふだ)を一々貼付(はりつ)けたが、這麼機械的(こんなきかいてき)な單調(たんてう)な仕事(しごと)が、却(かへ)つて何故(なにゆゑ)か奇妙(きめう)に彼(かれ)の思想(しさう)を弄(ろう)して、興味(きようみ)をさへ添(そ)へしめてゐた。
 彼(かれ)は其後(そのご)病院(びやうゐん)に二度(ど)イワン、デミトリチを尋(たづ)ねたので有(あ)るがイワン、デミトリチは二度(ど)ながら非常(ひじやう)に興奮(こうふん)して、激昂(げきかう)してゐた樣子(やうす)で、饒舌(しやべ)る事(こと)はもう飽(あ)きたと云(い)つて彼(かれ)を拒絶(きよぜつ)する。彼(かれ)は詮方(せんかた)なくお眠(やす)みなさい、とか、左樣(さやう)なら、とか云(い)つて出(で)て來(こ)やうとすれば、『勝手(かつて)にしやがれ。』と怒鳴(どな)り付(つ)ける權幕(けんまく)。ドクトルも其(そ)れからは行(ゆ)くのを見合(みあ)はせてはゐるものゝ、猶且(やはり)行(ゆ)き度(た)く思(おも)ふてゐた。
 前(さき)には彼(かれ)は中食後(ちうじきご)は、屹度(きつと)室(へや)の隅(すみ)から隅(すみ)へと歩(ある)いて考(かんが)へに沈(しづ)んでゐるのが常(つね)で有(あ)つたが、此(こ)の頃(ごろ)は中食(ちうじき)から晩(ばん)の茶(ちや)の時迄(ときまで)は、長椅子(ながいす)の上(うへ)に横(よこ)になる。と、毎(いつ)も妙(めう)な一つ思想(しさう)が胸(むね)に浮(うか)ぶ。其(そ)れは自分(じぶん)が二十年以上(ねんいじやう)も勤務(つとめ)を爲(し)てゐたのに、其(そ)れに對(たい)して養老金(やうらうきん)も、一時金(じきん)も呉(く)れぬ事(こと)で、彼(かれ)は其(そ)れを思(おも)ふと殘念(ざんねん)で有(あ)つた。勿論(もちろん)餘(あま)り正直(しやうぢき)には務(つと)めなかつたが、年金(ねんきん)など云(い)ふものは、縱令(たとひ)、正直(しやうぢき)で有(あ)らうが、無(な)からうが、凡(すべ)て務(つと)めた者(もの)は受(う)けべきで有(あ)る。勳章(くんしやう)だとか、養老金(やうらうきん)だとか云(い)ふものは、徳義上(とくぎじやう)の資格(しかく)や、才能(さいのう)などに報酬(はうしう)されるのではなく、一般(ぱん)に勤務(つとめ)其物(そのもの)に對(たい)して報酬(はうしう)されるので有(あ)る。然(しか)らば何(なん)で自分計(じぶんばか)り報酬(はうしう)をされぬので有(あ)らう。又(また)今更(いまさら)考(かんが)へれば旅行(りよかう)に由(よ)りて、無慘々々(むざ/\)と惜(あた)ら千圓(ゑん)を費(つか)ひ棄(す)てたのは奈何(いか)にも殘念(ざんねん)。酒店(さかや)には麥酒(ビール)の拂(はらひ)が三十二圓(ゑん)も滯(とゞこほ)る、家賃(やちん)とても其通(そのとほ)り、ダリユシカは密(ひそか)に古服(ふるふく)やら、書物(しよもつ)などを賣(う)つてゐる。此際(このさい)彼(か)の千圓(ゑん)でも有(あ)つたなら、甚麼(どんな)に役(やく)に立(た)つ事(こと)かと。
 彼(かれ)は又(また)恁(かゝ)る位置(ゐち)になつてからも、人(ひと)が自分(じぶん)を抛棄(うつちや)つては置(お)いて呉(く)れぬのが、却(かへ)つて迷惑(めいわく)で殘念(ざんねん)で有(あ)つた。ハヾトフは折々(をり/\)病氣(びやうき)の同僚(どうれう)を訪問(はうもん)するのは、自分(じぶん)の義務(ぎむ)で有(あ)るかのやうに、彼(かれ)の所(ところ)に蒼蠅(うるさ)く來(く)る。彼(かれ)はハヾトフが嫌(いや)でならぬ。其滿足(そのまんぞく)な顏(かほ)、人(ひと)を見下(みさげ)るやうな樣子(やうす)、彼(かれ)を呼(よ)んで同僚(どうれう)と云(い)ふ言(ことば)、深(ふか)い長靴(ながぐつ)、此等(これら)は皆(みな)氣障(きざ)でならなかつたが、殊(こと)に癪(しやく)に障(さは)るのは、彼(かれ)を治療(ちれう)する事(こと)を自分(じぶん)の務(つとめ)として、眞面目(まじめ)に治療(ちれう)をしてゐる意(つもり)なのが。で、ハヾトフは訪問(はうもん)をする度(たび)に、屹度(きつと)ブローミウム加里(カリ)の入(はひ)つた壜(びん)と、大黄(だいおう)の丸藥(ぐわんやく)とを持(も)つて來(く)る。
 ミハイル、アウエリヤヌヰチも猶且(やはり)、初中終(しよつちゆう)、アンドレイ、エヒミチを訪問(たづ)ねて來(き)て、氣晴(きばらし)を爲(さ)せることが自分(じぶん)の義務(ぎむ)と心得(こゝろえ)てゐる。で、來(く)ると、宛然(まるで)空々(そら/″\)しい無理(むり)な元氣(げんき)を出(だ)して、強(し)ひて高笑(たかわらひ)をして見(み)たり、今日(けふ)は非常(ひじやう)に顏色(かほいろ)が好(い)いとか、何(なん)とか、ワルシヤワの借金(しやくきん)を拂(はら)はぬので、内心(ないしん)の苦(くる)しく有(あ)るのと、恥(はづか)しく有(あ)る所(ところ)から、餘計(よけい)に強(し)ひて氣(き)を張(は)つて、大聲(おほごゑ)で笑(わら)ひ、高調子(たかてうし)で饒舌(しやべ)るので有(あ)るが、彼(かれ)の話(はなし)にはもう倦厭(うんざ)りしてゐるアンドレイ、エヒミチは、聞(き)くのもなか/\に大儀(たいぎ)で、彼(かれ)が來(く)ると何時(いつ)もくるりと顏(かほ)を壁(かべ)に向(む)けて、長椅子(ながいす)の上(うへ)に横(よこ)になつた切(き)り、而(さう)して齒(は)を切(くひしば)つてゐるのであるが、其(そ)れが段々(だん/\)度重(たびかさ)なれば重(かさな)る程(ほど)、堪(たま)らなく、終(つひ)には咽喉(のど)の邊(あた)りまでがむづ/\して來(く)るやうな感(かん)じがして來(き)た。

 或日(あるひ)郵便局長(いうびんきよくちやう)ミハイル、アウエリヤヌヰチは、中食後(ちゆうじきご)にアンドレイ、エヒミチの所(ところ)を訪問(はうもん)した。アンドレイ、エヒミチは猶且(やはり)例(れい)の長椅子(ながいす)の上(うへ)。すると丁度(ちやうど)ハヾトフもブローミウム加里(カリ)の壜(びん)を携(たづさ)へて遣(や)つて來(き)た。アンドレイ、エヒミチは重(おも)さうに、辛(つら)さうに身(み)を起(おこ)して腰(こし)を掛(か)け、長椅子(ながいす)の上(うへ)に兩手(りやうて)を突張(つツぱ)る。
『いや今日(こんにち)は、おゝ君(きみ)は今日(けふ)は顏色(かほいろ)が昨日(きのふ)よりも又(また)ずツと可(い)いですよ。まづ結構(けつこう)だ。』と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは挨拶(あいさつ)する。
『もう全快(ぜんくわい)しても可(い)いでせう。』とハヾトフは欠(あくび)をしながら言(ことば)を添(そ)へる、
『平癒(なほ)りますとも、而(さう)してもう百年(ねん)も生(い)きまさあ。』と、郵便局長(いうびんきよくちやう)は愉快氣(ゆくわいげ)に云(い)ふ。
『百年(ねん)てさうも行(ゆ)かんでせうが、二十年(ねん)や其邊(そこら)は生(い)き延(の)びますよ。』ハヾトフは慰(なぐさ)め顏(がほ)。『何(なん)んでも有(あ)りませんさ、なあ同僚(どうれう)。悲觀(ひくわん)ももう大抵(たいてい)になさるが可(い)いですぞ。』
『我々(われ/\)は未(ま)だ隱居(いんきよ)するには早(はや)いです。ハヽヽ左樣(さう)でせうドクトル、未(ま)だ隱居(いんきよ)するのには。』郵便局長(いうびんきよくちやう)は云(い)ふ。
『來年(らいねん)邊(あたり)はカフカズへ出掛(でか)けやうぢや有(あ)りませんか、乘馬(じようば)で以(もつ)てからに彼方此方(あちこち)を驅廻(かけまは)りませう。而(さう)してカフカズから歸(かへ)つたら、此度(こんど)は結婚(けつこん)の祝宴(しゆくえん)でも擧(あ)げるやうになりませう。』と片眼(かため)をパチ/\して。『是非(ぜひ)一つ君(きみ)を結婚(けつこん)させやう……ねえ、結婚(けつこん)を。』
 アンドレイ、エヒミチはむかツとして立上(たちあが)つた。
『失敬(しつけい)な!』と、一言(ひとこと)※(さけ)[#「口+斗」、60-上-5]ぶなりドクトルは窓(まど)の方(はう)に身(み)を退(よ)け。『全體(ぜんたい)貴方々(あなたがた)は這麼失敬(こんなしつけい)な事(こと)を言(い)つてゐて、自分(じぶん)では氣(き)が着(つ)かんのですか。』
 柔(やはら)かに言(い)ふ意(つもり)で有(あ)つたが、意(い)に反(はん)して荒々(あら/\)しく拳(こぶし)をも固(かた)めて頭上(かしらのうへ)に振翳(ふりかざ)した。
『餘計(よけい)な世話(せわ)は燒(や)かんでも可(い)い。』益※(二の字点、1-2-22)(ます/\)荒々(あら/\)しくなる。
『二人(ふたり)ながら歸(かへ)つて下(くだ)さい、さあ、出(で)て行(ゆ)きなさい。』
 自分(じぶん)の聲(こゑ)では無(な)い聲(こゑ)で顫(ふる)へながら※(さけ)[#「口+斗」、60-上-11]ぶ。
 ミハイル、アウエリヤヌヰチとハヾトフとは呆氣(あつけ)に取(と)られて瞶(みつ)めてゐた。
『二人(ふたり)とも、さあ出(で)てお行(い)でなさい。さあ。』アンドレイ、エヒミチは未(ま)だ※(さけ)[#「口+斗」、60-上-15]び續(つゞ)けてゐる。『鈍痴漢(とんちんかん)の、薄鈍(うすのろ)な奴等(やつら)、藥(くすり)も絲瓜(へちま)も有(あ)るものか、馬鹿(ばか)な、輕擧(かるはずみ)な!』ハヾトフと郵便局長(いうびんきよくちやう)とは、此(こ)の權幕(けんまく)に辟易(へきえき)して戸口(とぐち)の方(はう)に狼狽(まご/\)出(で)て行(ゆ)く。ドクトルは其後(そのあと)を睨(にら)めてゐたが、匆卒(ゆきなり)ブローミウム加里(カリ)の壜(びん)を取(と)るより早(はや)く、發矢(はつし)と計(ばか)り其處(そこ)に投(なげ)付(つけ)る、壜(びん)は微塵(みぢん)に粉碎(ふんさい)して了(しま)ふ。
『畜生(ちくしやう)! 行(ゆ)け! さツさと行(ゆ)け!』と彼(かれ)は玄關迄(げんくわんまで)駈出(かけだ)して、泣聲(なきごゑ)を上(あ)げて怒鳴(どな)る。『畜生(ちくしやう)!』
 客等(きやくら)が立去(たちさ)つてからも、彼(かれ)は一人(ひとり)で未(ま)だ少時(しばらく)惡體(あくたい)を吻(つ)いてゐる。然(しか)し段々(だん/\)と落着(おちつ)くに隨(したが)つて、有繋(さすが)にミハイル、アウエリヤヌヰチに對(たい)しては氣(き)の毒(どく)で、定(さだ)めし恥入(はぢい)つてゐる事(こと)だらうと思(おも)へば。あゝ思慮(しりよ)、知識(ちしき)、解悟(かいご)、哲學者(てつがくしや)の自若(じゝやく)、夫(そ)れ將(は)た安(いづく)にか在(あ)ると、彼(かれ)は只管(ひたすら)に思(おも)ふて、慙(は)ぢて、自(みづか)ら赤面(せきめん)する。
 其夜(そのよ)は慙恨(ざんこん)の情(じやう)に驅(か)られて、一睡(すゐ)だも爲(せ)ず、翌朝(よくてう)遂(つひ)に意(い)を决(けつ)して、局長(きよくちやう)の所(ところ)へと詑(わび)に出掛(でかけ)る。
『いやもう過去(くわこ)は忘(わす)れませう。』と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは固(かた)く彼(かれ)の手(て)を握(にぎ)つて云(い)ふた。『過去(くわこ)の事(こと)を思(おも)ひ出(だ)すものは、兩眼(りやうがん)を抉(くじ)つて了(しま)ひませう。リユバフキン!』と、彼(かれ)は大聲(おほごゑ)で誰(たれ)かを呼(よ)ぶ。郵便局(いうびんきよく)の役員(やくゐん)も、來合(きあ)はしてゐた人々(ひと/″\)も、一齊(せい)に吃驚(びつくり)する。『椅子(いす)を持(も)つて來(こ)い。貴樣(きさま)は待(ま)つて居(を)れ。』と、彼(かれ)は格子越(かうしごし)に書留(かきとめ)の手紙(てがみ)を彼(かれ)に差出(さしだ)してゐる農婦(のうふ)に怒鳴(どな)り付(つけ)る。『俺(おれ)の用(よう)の有(あ)るのが見(み)えんのか。いや過去(くわこ)は思(おも)ひ出(だ)しますまい。』と彼(かれ)は調子(てうし)を一段(だん)と柔(やさ)しくしてアンドレイ、エヒミチに向(むか)つて云(い)ふ。『さあ君(きみ)、掛(か)け給(たま)へ、さあ何卒(どうか)。』
 一分間(ぷんかん)默(もく)して兩手(りやうて)で膝(ひざ)を擦(こす)つてゐた郵便局長(いうびんきよくちやう)は又(また)云出(いひだ)した。
『私(わたくし)は决(けつ)して君(きみ)に對(たい)して立腹(りつぷく)は致(いた)さんので、病氣(びやうき)なれば據無(よんどころな)いのです、お察(さつ)し申(もを)すですよ。昨日(きのふ)も君(きみ)が逆上(のぼせ)られた後(のち)、私(わたし)はハヾトフと長(なが)いこと、君(きみ)のことを相談(さうだん)しましたがね、いや君(きみ)も此度(こんど)は本氣(ほんき)になつて、病氣(びやうき)の療治(れうぢ)を遣(や)り給(たま)はんと可(い)かんです。私(わたし)は友人(いうじん)として何(なに)も彼(か)も打明(うちあ)けます。』と、彼(かれ)は更(さら)に續(つゞ)けて。『全體(ぜんたい)君(きみ)は不自由(ふじいう)な生活(せいくわつ)をされてゐるので、家(いへ)と云(い)へば清潔(せいけつ)でなし、君(きみ)の世話(せわ)をする者(もの)は無(な)し、療治(れうぢ)をするには錢(ぜに)は無(な)し。ねえ君(きみ)、で我々(われ/\)は切(せつ)に君(きみ)に勸(すゝ)めるのだ。何卒(どうぞ)是非(ぜひ)一つ聽(き)いて頂(いたゞ)きたい、と云(い)ふのは、實(じつ)は然云(さうい)ふ譯(わけ)であるから、寧(むしろ)君(きみ)は病院(びやうゐん)に入(はひ)られた方(はう)が得策(とくさく)であらうと考(かんが)へたのです。ねえ君(きみ)、病院(びやうゐん)は未(ま)だ比較的(ひかくてき)、食物(しよくもつ)は好(よ)し、看護婦(かんごふ)はゐる、エウゲニイ、フエオドロヰチもゐる。其(そ)れは勿論(もちろん)、是(これ)は我々丈(われ/\だけ)の話(はなし)だが、彼(かれ)は餘(あま)り尊敬(そんけい)をすべき人格(じんかく)の男(をとこ)では無(な)いが、術(じゆつ)に掛(か)けては又(また)なか/\侮(あなど)られんと思(おも)ふ。で願(ねがは)くはだ、君(きみ)、何卒(どうぞ)一つ充分(じゆうぶん)に彼(かれ)を信(しん)じて、療治(れうぢ)を專(せん)一にして頂(いたゞ)きたい。彼(かれ)も私(わたし)に屹度(きつと)君(きみ)を引受(ひきう)けると云(い)つてゐたよ。』
 アンドレイ、エヒミチは此(こ)の切(せつ)なる同情(どうじやう)の言(ことば)と、其上(そのうへ)涙(なみだ)をさへ頬(ほゝ)に滴(た)らしてゐる郵便局長(いうびんきよくちやう)の顏(かほ)とを見(み)て、酷(ひど)く感動(かんどう)して徐(しづか)に口(くち)を開(ひら)いた。
『君(きみ)は彼等(かれら)を信(しん)じなさるな。嘘(うそ)なのです。私(わたし)の病氣(びやうき)と云(い)ふのは抑(そも/\)恁(か)うなのです。二十年來(ねんらい)、私(わたし)は此(こ)の町(まち)にゐて唯(たゞ)一人(ひとり)の智者(ちしや)に遇(あ)つた。所(ところ)が其(そ)れは狂人(きちがひ)で有(あ)ると云(い)ふ、是丈(これだけ)の事實(じゝつ)です。で私(わたし)も狂人(きちがひ)にされて了(しま)つたのです。然(しか)しなあに私(わたし)は奈何(どう)でも可(い)いので、からして畢竟(つまり)何(なん)にでも同意(どうい)を致(いた)しませう。』
『病院(びやうゐん)へお入(はひ)りなさい、ねえ君(きみ)。』
『左樣(さやう)、奈何(どう)でも可(い)いです、縱令(よしんば)穴(あな)の中(なか)に入(はひ)るのでも。』
『で、君(きみ)は萬事(ばんじ)エウゲニイ、フエオドロヰチの言(ことば)に從(したが)ふやうに、ねえ君(きみ)、頼(たの)むから。』
『宜(よろ)しい、私(わたし)は今(いま)は實(じつ)以(もつ)て二(につ)ちも三(さつ)ちも行(ゆ)かん輪索(わな)に陷沒(はま)つて了(しま)つたのです。もう萬事休矣(おしまひ)です覺悟(かくご)はしてゐます。』
『いや屹度(きつと)平癒(なほる)ですよ。』
 格子(こうし)の外(そと)には公衆(こうしゆう)が次第(しだい)に群(むらが)つて來(く)る。アンドレイ、エヒミチは、ミハイル、アウエリヤヌヰチの公務(こうむ)の邪魔(じやま)を爲(す)るのを恐(おそ)れて、話(はなし)は其丈(それだけ)にして立上(たちあが)り、彼(かれ)と別(わか)れて郵便局(いうびんきよく)を出(で)た。
 丁度(ちやうど)其日(そのひ)の夕方(ゆうがた)、ドクトル、ハヾトフは例(れい)の毛皮(けがは)の外套(ぐわいたう)に、深(ふか)い長靴(ながぐつ)、昨日(きのふ)は何事(なにごと)も無(な)かつたやうな顏(かほ)で、アンドレイ、エヒミチを其宿(そのやど)に訪問(たづ)ねた。
『貴方(あなた)に少々(せう/\)お願(ねがひ)が有(あ)つて出(で)たのですが、何卒(どうぞ)貴方(あなた)は私(わたくし)と一つ立合診察(たちあひしんさつ)を爲(し)ては下(くだ)さらんか、如何(いかゞ)でせう。』と、然(さ)り氣(げ)なくハヾトフは云(い)ふ。
 アンドレイ、エヒミチはハヾトフが自分(じぶん)を散歩(さんぽ)に誘(さそ)つて氣晴(きばらし)を爲(さ)せやうと云(い)ふのか、或(あるひ)は又(また)自分(じぶん)に那樣仕事(そんなしごと)を授(さづ)けやうと云(い)ふ意(つもり)なのかと考(かんが)へて、左(と)に右(かく)服(ふく)を着換(きか)へて共(とも)に通(とほり)に出(で)たのである。彼(かれ)はハヾトフが昨日(きのふ)の事(こと)は噫(おくび)にも出(だ)さず、且(か)つ氣(き)にも掛(か)けてゐぬやうな樣子(やうす)を見(み)て、心中(しんちゆう)一方(ひとかた)ならず感謝(かんしや)した。這麼非文明的(こんなひぶんめいてき)な人間(にんげん)から、恁(かゝ)る思遣(おもひや)りを受(う)けやうとは、全(まつた)く意外(いぐわい)で有(あ)つたので。
『貴方(あなた)の有仰(おつしや)る病人(びやうにん)は何處(どこ)なのです?、』アンドレイ、エヒミチは問(と)ふた。
『病院(びやうゐん)です、もう疾(と)うから貴方(あなた)にも見(み)て頂(いたゞ)き度(たい)と思(おも)つてゐましたのですが……妙(めう)な病人(びやうにん)なのです。』
 施(やが)て病院(びやうゐん)の庭(には)に入(い)り、本院(ほんゐん)を一周(ひとまはり)して瘋癲病者(ふうてんびやうしや)の入(い)れられたる別室(べつしつ)に向(むか)つて行(い)つた。ハヾトフは其間(そのあひだ)何故(なにゆゑ)か默(もく)した儘(まゝ)、さツさと六號室(がうしつ)へ這入(はひ)つて行(い)つたが、ニキタは例(れい)の通(とほ)り雜具(がらくた)の塚(つか)の上(うへ)から起上(おきあが)つて、彼等(かれら)に禮(れい)をする。
『肺(はい)の方(はう)から來(き)た病人(びやうにん)なのですがな。』とハヾトフは小聲(こごゑ)で云(い)ふた。『や、私(わたし)は聽診器(ちやうしんき)を忘(わす)れて來(き)た、直(す)ぐ取(と)つて來(き)ますから、些(ちよつ)と貴方(あなた)は此處(こゝ)でお待(ま)ち下(くだ)さい。』
と彼(かれ)はアンドレイ、エヒミチを此(こゝ)に一人(ひとり)殘(のこ)して立去(たちさ)つた。

 日(ひ)は已(すで)に沒(ぼつ)した。イワン、デミトリチは顏(かほ)を枕(まくら)に埋(うづ)めて寐臺(ねだい)の上(うへ)に横(よこ)になつてゐる。中風患者(ちゆうぶくわんじや)は何(なに)か悲(かな)しさうに靜(しづか)に泣(な)きながら、唇(くちびる)を動(うご)かしてゐる。肥(ふと)つた農夫(のうふ)と、郵便局員(いうびんきよくゐん)とは眠(ねむ)つてゐて、六號室(がうしつ)の内(うち)は※(「門<貝」、第4水準2-91-57)(げき)として靜(しづ)かであつた。
 アンドレイ、エヒミチは、イワン、デミトリチの寐臺(ねだい)の上(うへ)に腰(こし)を掛(か)けて、大約(おほよそ)半時間(はんじかん)も待(ま)つてゐると、室(へや)の戸(と)は開(あ)いて、入(はひ)つて來(き)たのはハヾトフならぬ小使(こづかひ)のニキタ。病院服(びやうゐんふく)、下着(したぎ)、上靴抔(うはぐつなど)、小腋(こわき)に抱(かゝ)へて。
『何卒(どうぞ)閣下(かくか)是(これ)をお召(め)し下(くだ)さい。』と、ニキタは前院長(ぜんゐんちやう)の前(まへ)に立(た)つて丁寧(ていねい)に云(い)ふた。『那(あれ)が閣下(かくか)のお寐臺(ねだい)で。』と、彼(かれ)は更(さら)に新(あたら)しく置(おか)れた寐臺(ねだい)の方(はう)を指(さ)して。『何(なん)でも有(あ)りませんです。必(かなら)ず直(すぐ)に御全快(ごぜんくわい)になられます。』
 アンドレイ、エヒミチは是(こゝ)に至(いた)つて初(はじ)めて讀(よ)めた。一言(ごん)も言(い)はずに彼(かれ)はニキタの示(しめ)した寐臺(ねだい)に移(うつ)り、ニキタが立(た)つて待(ま)つてゐるので、直(す)ぐに着(き)てゐた服(ふく)をすツぽりと脱(ぬ)ぎ棄(す)て、病院服(びやうゐんふく)に着換(きか)へて了(しま)つた。シヤツは長(なが)し、ヅボン下(した)は短(みじ)かし、上着(うはぎ)は魚(さかな)の燒(や)いた臭(にほひ)がする。『屹度(きつと)間(ま)もなくお直(なほ)りでせう。』と、ニキタは復(また)云(い)ふてアンドレイ、エヒミチの脱捨(ぬぎすて)た服(ふく)を一纏(ひとまと)めにして、小腋(こわき)に抱(かか)へた儘(まゝ)、戸(と)を閉(た)てゝ行(ゆ)く。
『奈何(どう)でも可(い)い……。』と、アンドレイ、エヒミチは體裁(きまり)惡(わる)さうに病院服(びやうゐんふく)の前(まへ)を掻合(かきあ)はせて、さも囚人(しうじん)のやうだと思(おも)ひながら、『奈何(どう)でも可(い)いわ……燕尾服(えんびふく)だらうが、軍服(ぐんぷく)だらうが、此(こ)の病院服(びやうゐんふく)だらうが、同(おな)じ事(こと)だ。』
『然(しか)し時計(とけい)は奈何(どう)したらう、其(そ)れからポツケツトに入(い)れて置(お)いた手帳(てちやう)も、卷莨(まきたばこ)も、や、ニキタはもう着物(きもの)を悉皆(のこらず)持(も)つて行(い)つた。いや入(い)らん、もう死(し)ぬ迄(まで)、ヅボンや、チヨツキ、長靴(ながぐつ)には用(よう)が無(な)いのかも知(し)れん。然(しか)し奇妙(きめう)な成行(なりゆき)さ。』と、アンドレイ、エヒミチは今(いま)も猶(なほ)此(こ)の六號室(がうしつ)と、ベローワの家(いへ)と何(なん)の異(かは)りも無(な)いと思(おも)ふてゐたが、奈何云(どうい)ふものか、手足(てあし)は冷(ひ)えて、顫(ふる)へてイワン、デミトリチが今(いま)にも起(お)きて自分(じぶん)の此(こ)の姿(すがた)を見(み)て、何(なん)とか思(おも)ふだらうと恐(おそろ)しいやうな氣(き)もして、立(た)つたり、居(ゐ)たり、又(また)立(た)つたり、歩(ある)いたり、やうやく半時間(はんじかん)、一時間計(じかんばかり)も坐(すわ)つてゐて見(み)たが、悲(かな)しい程(ほど)退屈(たいくつ)になつて來(き)て、奈何(どう)して這麼處(こんなところ)に一週間(しうかん)とゐられやう、况(ま)して一年(ねん)、二年(ねん)など到底(たうてい)辛棒(しんぼう)をされるものでないと思(おも)ひ付(つ)いた。さう思(おも)へば益※(二の字点、1-2-22)(ます/\)居堪(ゐたま)らず、衝(つ)と立(た)つて隅(すみ)から隅(すみ)へと歩(ある)いて見(み)る。『さうしてから奈何(どう)する、あゝ到底(たうてい)居堪(ゐたゝま)らぬ、這麼風(こんなふう)で一生(しやう)!』
 彼(かれ)はどつかり坐(すわ)つた、横(よこ)になつたが又(また)起直(おきなほ)る。而(さう)して袖(そで)で額(ひたひ)に流(なが)れる冷汗(ひやあせ)を拭(ふ)いたが顏中(かほぢゆう)燒魚(やきざかな)の腥※(「月+亶」、第3水準1-90-52)(なまぐさ)い臭(にほひ)がして來(き)た。彼(かれ)は又(また)歩(ある)き出(だ)す。『何(なに)かの間違(まちが)ひだらう……話合(はなしあ)つて見(み)にや解(わか)らん、屹度(きつと)誤解(ごかい)が有(あ)るのだ。』
 イワン、デミトリチはふと眼(め)を覺(さま)し、脱然(ぐつたり)とした樣子(やうす)で兩(りやう)の拳(こぶし)を頬(ほゝ)に突(つ)く。唾(つば)を吐(は)く。初(はじ)め些(ちよつ)と彼(かれ)には前院長(ぜんゐんちやう)に氣(き)が付(つ)かぬやうで有(あ)つたが施(やが)て其(そ)れと見(み)て、其寐惚顏(そのねぼけがほ)には忽(たちま)ち冷笑(れいせう)が浮(うか)んだので。
『あゝ貴方(あなた)も此(こゝ)へ入(い)れられましたのですか。』と彼(かれ)は嗄(しはが)れた聲(こゑ)で片眼(かため)を細(ほそ)くして云(い)ふた。『いや結構(けつこう)、散々(さん/″\)人(ひと)の血(ち)を恁(か)うして吸(す)つたから、此度(こんど)は御自分(ごじぶん)の吸(す)はれる番(ばん)だ、結構々々(けつこう/\)。』
『何(なに)かの多分(たぶん)間違(まちがひ)です。』とアンドレイ、エヒミチは肩(かた)を縮(ちゞ)めて云(い)ふ。『間違(まちがひ)に相違(さうゐ)ないです。』
 イワン、デミトリチは又(また)も床(ゆか)に唾(つば)を吐(は)いて、横(よこ)になり、而(さう)して呟(つぶや)いた。『えゝ、生甲斐(いきがひ)の無(な)い生活(せいくわつ)だ、如何(いか)にも殘念(ざんねん)な事(こと)だ、此(こ)の苦痛(くつう)な生活(せいくわつ)がオペラにあるやうな、アポテオズで終(をは)るのではなく、是(これ)があゝ死(し)で終(をは)るのだ。非人(ひにん)が來(き)て、死者(ししや)の手(て)や、足(あし)を捉(とら)へて穴(あな)の中(なか)に引込(ひきこ)んで了(しま)ふのだ、うツふ! だが何(なん)でもない……其換(そのかは)り俺(おれ)は彼(あ)の世(よ)から化(ば)けて來(き)て、此處(こゝ)らの奴等(やつら)を片端(かたツぱし)から嚇(おど)して呉(く)れる、皆(みんな)白髮(しらが)にして了(しま)つて遣(や)る。』
 折(をり)しもモイセイカは外(そと)から歸(かへ)り來(きた)り、其處(そこ)に前院長(ぜんゐんちやう)のゐるのを見(み)て、直(すぐ)に手(て)を延(のば)し、
『一錢(せん)お呉(くん)なさい!』

 アンドレイ、エヒミチは窓(まど)の所(ところ)に立(た)つて外(そと)を眺(なが)むれば、日(ひ)はもうとツぷりと暮(く)れ果(は)てゝ、那方(むかふ)の野廣(のびろ)い畑(はた)は暗(くら)かつたが、左(ひだり)の方(はう)の地平線上(ちへいせんじやう)より、今(いま)しも冷(つめ)たい金色(こんじき)の月(つき)が上(のぼ)る所(ところ)、病院(びやうゐん)の塀(へい)から百歩計(ぽばか)りの處(ところ)に、石(いし)の牆(かき)の繞(めぐ)らされた高(たか)い、白(しろ)い家(いへ)が見(み)える。是(これ)は監獄(かんごく)で有(あ)る。
『是(これ)が現實(げんじつ)と云(い)ふものか。』アンドレイ、エヒミチは思(おも)はず慄然(ぞつ)とした。
 凄然(せいぜん)たる月(つき)、塀(へい)の上(うへ)の釘(くぎ)、監獄(かんごく)、骨燒場(ほねやきば)の遠(とほ)い焔(ほのほ)、アンドレイ、エヒミチは有繋(さすが)に薄氣味惡(うすきみわる)い感(かん)に打(う)たれて、しよんぼりと立(た)つてゐる。と直後(すぐうしろ)に、吐(ほつ)と計(ばか)り溜息(ためいき)の聲(こゑ)がする。振返(ふりかへ)れば胸(むね)に光(ひか)る徽章(きしやう)やら、勳章(くんしやう)やらを下(さ)げた男(をとこ)が、ニヤリと計(ばか)り片眼(かため)をパチ/\と、自分(じぶん)を見(み)て笑(わら)ふ。
 アンドレイ、エヒミチは強(し)ひて心(こゝろ)を落着(おちつ)けて、何(なん)の、月(つき)も、監獄(かんごく)も其(そ)れが奈何(どう)なのだ、壯健(さうけん)な者(もの)も勳章(くんしやう)を着(つ)けてゐるではないか。と、然(さ)う思返(おもひかへ)したものゝ、猶且(やはり)失望(しつばう)は彼(かれ)の心(こゝろ)に愈※(二の字点、1-2-22)(いよ/\)募(つの)つて、彼(かれ)は思(おも)はず兩(りやう)の手(て)に格子(かうし)を捉(とら)へ、力儘(ちからまか)せに搖動(ゆすぶ)つたが、堅固(けんご)な格子(かうし)はミチリとの音(おと)も爲(せ)ぬ。
 荒凉(くわうりやう)の氣(き)に打(う)たれた彼(かれ)は、何(なに)かなして心(こゝろ)を紛(まぎ)らさんと、イワン、デミトリチの寐臺(ねだい)の所(ところ)に行(い)つて腰(こし)を掛(かけ)る。
『私(わたくし)はもう落膽(がつかり)して了(しま)ひましたよ、君(きみ)。』と、彼(かれ)は顫聲(ふるへごゑ)して、冷汗(ひやあせ)を拭(ふ)きながら。『全(まつた)く落膽(がつかり)して了(しま)ひました。』
『では一つ哲學(てつがく)の議論(ぎろん)でもお遣(や)んなさい。』と、イワン、デミトリチは冷笑(れいせう)する。
『あゝ絶體絶命(ぜつたいぜつめい)……然(さ)うだ。何時(いつ)か貴方(あなた)は露西亞(ロシヤ)には哲學(てつがく)は無(な)い、然(しか)し誰(たれ)も、彼(かれ)も、丁斑魚(めだか)でさへも哲學(てつがく)をすると有仰(おつしや)つたつけ。然(しか)し丁斑魚(めだか)が哲學(てつがく)をすればつて、誰(だれ)にも害(がい)は無(な)いのでせう。』アンドレイ、エヒミチは奈何(いか)にも情無(なさけな)いと云(い)ふやうな聲(こゑ)をして。『奈何(どう)して君(きみ)、那樣(そんな)に可(い)い氣味(きみ)だと云(い)ふやうな笑樣(わらひやう)をされるのです。幾(いく)ら丁斑魚(めだか)でも滿足(まんぞく)を得(え)られんなら、哲學(てつがく)を爲(せ)ずには居(を)られんでせう。苟(いやしく)も智慧(ちゑ)ある、教育(けういく)ある、自尊(じそん)ある、自由(じいう)を愛(あい)する、即(すなは)ち神(かみ)の像(ざう)たる人間(にんげん)が。唯(たゞ)に醫者(いしや)として、邊鄙(へんぴ)なる、蒙昧(もうまい)なる片田舍(かたゐなか)に一生(しやう)、壜(びん)や、蛭(ひる)や、芥子粉(からしこ)だのを弄(いぢ)つてゐるより外(ほか)に、何(なん)の爲(な)す事(こと)も無(な)いのでせうか、詐欺(さぎ)、愚鈍(ぐどん)、卑劣漢(ひれつかん)、と一所(しよ)になつて、いやもう!』
『下(くだ)らん事(こと)を貴方(あなた)は零(こぼ)して居(ゐ)なさる。醫者(いしや)が不好(いや)なら大臣(だいじん)にでもなつたら可(い)いでせう。』
『いや、何處(どこ)へ行(ゆ)くのも、何(なに)を遣(や)るのも望(のぞ)まんです。考(かんが)へれば意氣地(いくぢ)が無(な)いものさ。是迄(これまで)は虚心(きよしん)平氣(へいき)で、健全(けんぜん)に論(ろん)じてゐたが、一朝(てう)生活(せいくわつ)の逆流(ぎやくりう)に觸(ふ)るゝや、直(たゞち)に氣(き)は挫(くじ)けて落膽(らくたん)に沈(しづ)んで了(しま)つた……意氣地(いくぢ)が無(な)い……人間(にんげん)は意氣地(いくぢ)が無(な)いものです、貴方(あなた)とても猶且(やはり)然(さ)うでせう、貴方(あなた)などは、才智(さいち)は勝(すぐ)れ、高潔(かうけつ)ではあり、母(はゝ)の乳(ちゝ)と共(とも)に高尚(かうしやう)な感情(かんじやう)を吸込(すひこ)まれた方(かた)ですが、實際(じつさい)の生活(せいくわつ)に入(い)るや否(いなや)、直(たゞち)に疲(つか)れて病氣(びやうき)になつて了(しま)はれたです。實(じつ)に人(ひと)は微弱(びじやく)なものだ。』
 彼(かれ)には悲愴(ひさう)の感(かん)の外(ほか)に、未(ま)だ一種(しゆ)の心細(こゝろぼそ)き感(かん)じが、殊(こと)に日暮(ひぐれ)よりかけて、しんみりと身(み)に泌(し)みて覺(おぼ)えた。是(これ)は麥酒(ビール)と、莨(たばこ)とが、欲(ほ)しいので有(あ)つたと彼(かれ)も終(つひ)に心着(こゝろづ)く。
『私(わたし)は此處(こゝ)から出(で)て行(ゆ)きますよ、君(きみ)。』と、彼(かれ)はイワン、デミトリチに恁(か)う云(い)ふた。『此(こゝ)へ燈(あかり)を持(も)つて來(く)るやうに言付(いひつ)けますから……奈何(どう)して這麼眞暗(こんなまつくら)な所(ところ)にゐられませう……我慢(がまん)爲切(しき)れません。』
 アンドレイ、エヒミチは戸口(とぐち)の所(ところ)に進(すゝ)んで、戸(と)を開(あ)けた。するとニキタが躍上(をどりあがつ)て來(き)て、其前(そのまへ)に立塞(たちふさが)る。
『何方(どちら)へ! 可(い)けません、可(い)けません!』と、彼(かれ)は※(さけ)[#「口+斗」、63-下-12]ぶ。『もう眠(ね)る時(とき)ですぞ!』
『いや些(ち)と庭(には)を歩(ある)いて來(く)るのだ。』と、アンドレイ、エヒミチは怖々(おど/\)する。
『可(い)けません、可(い)けません! 那樣事(そんなこと)を爲(さ)せても可(い)いとは誰(たれ)からも言付(いひつ)かりません。御存(ごぞん)じでせう。』
 云(い)ふなりニキタは戸(と)をぱたり。而(さう)して背(せ)を閉(し)めた戸(と)に當(あ)てゝ猶且(やはり)其所(そこ)に仁王立(にわうだち)。
『然(しか)し俺(おれ)が出(で)たつて其(そ)れが爲(ため)に誰(だれ)が何(なん)と云(い)ふ。』アンドレイ、エヒミチは肩(かた)を縮(ちゞめ)る。『譯(わけ)が分(わか)らん、おいニキタ俺(おれ)は出(で)なければならんのだ!』彼(かれ)の聲(こゑ)は顫(ふる)へる。『用(よう)が有(あ)るのだ!』
『規律(きりつ)を亂(みだ)す事(こと)は出來(でき)ません、可(い)けません!』とニキタは諭(さと)すやうな調子(てうし)。
『何(なん)だと畜生(ちくしやう)!』と、此時(このとき)イワン、デミトリチは急(きふ)にむツくりと起上(おきあが)る。『何(なん)で彼奴(きやつ)が出(だ)さんと云(い)ふ法(はふ)がある、我々(われ/\)を此(こゝ)に閉込(とぢこ)めて置(お)く譯(わけ)は無(な)い。法律(はふりつ)に照(てら)しても明白(あきらか)だ、何人(なにびと)と雖(いへども)、裁判(さいばん)もなくして無暗(むやみ)に人(ひと)の自由(じいう)を奪(うば)ふ事(こと)が出來(でき)るものか! 不埒(ふらち)だ! 壓制(あつせい)だ!』
『勿論(もちろん)不埒(ふらち)ですとも。』アンドレイ、エヒミチはイワン、デミトリチの加勢(かせい)に頓(とみ)に力(ちから)を得(え)て、氣(き)が強(つよ)くなり。『俺(おれ)は用(よう)が有(あ)るのだ! 出(で)るのだ! 貴樣(きさま)に何(なん)の權利(けんり)が有(あ)る! 出(だ)せと云(い)つたら出(だ)せ!』
『解(わか)つたか馬鹿野郎(ばかやらう)!』と、イワン、デミトリチは※(さけ)[#「口+斗」、64-上-6]んで、拳(こぶし)を固(かた)めて戸(と)を敲(たゝ)く。『やい開(あ)けろ! 開(あ)けろ! 開(あ)けんか! 開けんなら戸(と)を打破(ぶちこは)すぞ! 人非人(ひとでなし)! 野獸(けだもの)!』
『開(あ)けろ!』アンドレイ、エヒミチは全身(ぜんしん)をぶる/\と顫(ふる)はして。『俺(おれ)が命(めい)ずるのだツ!』
『もう一度(ど)言(い)つて見(み)ろ!』戸(と)の那裏(むかふ)でニキタの聲(こゑ)。『もう一度(ど)言(い)つて見(み)ろ!』
『ぢや、エウゲニイ、フエオドロヰチでも此處(こゝ)へ呼(よ)んで來(こ)い、些(ちよつ)と俺(おれ)が來(き)て呉(く)れツて云(い)つて居(ゐ)ると然(さ)う云(い)へ……些(ちよつ)とで可(い)いからツて!』
『明日(あした)になればお出(い)でになります。』
『何日(いつ)になつたつて我々(われ/\)を决(けつ)して出(だ)すものか。』イワン、デミトリチは云(い)ふ、『我々(われ/\)を茲(こゝ)で腐(くさ)らして了(しま)ふ料簡(れうけん)だらう! 來世(らいせい)に地獄(ぢごく)がなくて爲(な)るものか、這麼人非人共(こんなひとでなしども)が如何(どう)して許(ゆる)される、那樣事(そんなこと)で正義(せいぎ)は何處(どこ)にある、えい、開(あ)けろ、畜生(ちくしやう)!』彼(かれ)は嗄(しやが)れた聲(こゑ)を絞(しぼ)つて、戸(と)に身(み)を投掛(なげか)け。『可(い)いか、貴樣(きさま)の頭(あたま)を敲(たゝ)き破(わ)るぞ! 人殺奴(ひとごろしめ)!』
 ニキタはぱツと戸(と)を開(あ)けるより、阿修羅王(あしゆらわう)の荒(あ)れたる如(ごと)く、兩手(りやうて)と膝(ひざ)でアンドレイ、エヒミチを突飛(つきとば)し、骨(ほね)も碎(くだ)けよと其鐵拳(そのてつけん)を眞向(まつかう)に、健(したゝ)か彼(かれ)の顏(かほ)を敲(たゝ)き据(す)ゑた。アンドレイ、エヒミチはアツと云(い)つたまゝ、緑色(みどりいろ)の大浪(おほなみ)が頭(あたま)から打被(うちかぶ)さつたやうに感(かん)じて、寐臺(ねだい)の上(うへ)に引(ひ)いて行(ゆ)かれたやうな心地(こゝち)。口(くち)の中(うち)には鹽氣(しほけ)を覺(おぼ)えた、大方(おほかた)齒(は)からの出血(しゆつけつ)であらう。彼(かれ)は泳(およ)がんと爲(す)るものゝやうに兩手(りやうて)を動(うご)かして、誰(たれ)やらの寐臺(ねだい)にやう/\取縋(とりすが)つた。と又(また)も此時(このとき)振下(ふりおろ)したニキタの第(だい)二の鐵拳(てつけん)、背骨(せぼね)も歪(ゆが)むかと悶(もだ)ゆる暇(ひま)もなく打續(うちつゞい)て、又々(また/\)三度目(どめ)の鐵拳(てつけん)。
 イワン、デミトリチは此時(このとき)高(たか)く※聲(さけびごゑ)[#「口+斗」、64-下-3]。彼(かれ)も打(ぶ)たれたのであらう。
 其(そ)れよりは室内(しつない)復(また)音(おと)もなく、ひツそりと靜(しづま)り返(かへ)つた。折(をり)から淡々(あは/\)しい月(つき)の光(ひかり)、鐵窓(てつさう)を洩(も)れて、床(ゆか)の上(うへ)に網(あみ)に似(に)たる如(ごと)き墨畫(すみゑ)を夢(ゆめ)のやうに浮出(うきだ)したのは、謂(い)[#ルビの「い」は底本では「いは」]ふやうなく、凄絶(せいぜつ)又(また)慘絶(さんぜつ)の極(きはみ)で有(あ)つた、アンドレイ、エヒミチは横(よこ)たはつた儘(まゝ)、未(ま)だ息(いき)を殺(ころ)して、身(み)を縮(ちゞ)めて、もう一度(ど)打(ぶ)たれはせぬかと待(まち)構(かま)へてゐる。と、忽(たちま)ち覺(おぼ)ゆる胸(むね)の苦痛(くつう)、膓(ちやう)の疼痛(とうつう)、誰(たれ)か鋭(するど)き鎌(かま)を以(もつ)て、刳(ゑぐ)るにはあらぬかと思(おも)はるゝ程(ほど)、彼(かれ)は枕(まくら)に強攫(しが)み着(つ)き、きりゝと齒(は)をば切(くひしば)る。今(いま)ぞ初(はじ)めて彼(かれ)は知(し)る。其有耶無耶(そのうやむや)になつた腦裏(なうり)に、猶(なほ)朧朦氣(おぼろげ)に見(み)た、月(つき)の光(ひかり)に輝(てら)し出(だ)されたる、黒(くろ)い影(かげ)のやうな此(こ)の室(へや)の人々(ひと/″\)こそ、何年(なんねん)と云(い)ふ事(こと)は無(な)く、恁(かゝ)る憂目(うきめ)に遭(あ)はされつゝ有(あ)りしかと、堪(た)へ難(がた)き恐(おそろ)しさは電(いなづま)の如(ごと)く心(こゝろ)の中(うち)に閃(ひらめ)き渡(わた)つて、二十有餘年(いうよねん)の間(あひだ)、奈何(どう)して自分(じぶん)は是(これ)を知(し)らざりしか、知(し)らんとは爲(せ)ざりしか。と空(そら)恐(おそろ)しく思(おも)ふので有(あ)つたが、又(また)剛情(がうじやう)我慢(がまん)なる其良心(そのりやうしん)は、とは云(い)へ自(みづか)らは未(いま)だ嘗(かつ)て疼痛(とうつう)の考(かんが)へにだにも知(し)らぬので有(あ)つた、然(しか)らば自分(じぶん)が惡(わる)いのでは無(な)いのであると囁(さゝや)いて、宛然(さながら)襟下(えりもと)から冷水(ひやみづ)を浴(あ)びせられたやうに感(かん)じた。彼(かれ)は起上(おきあが)つて聲限(こゑかぎ)りに※(さけ)[#「口+斗」、64-下-18]び、而(さう)して此(こゝ)より拔出(ぬけい)でて、ニキタを眞先(まつさき)に、ハヾトフ、會計(くわいけい)、代診(だいしん)を鏖殺(みなごろし)にして、自分(じぶん)も續(つゞ)いて自殺(じさつ)して終(しま)はうと思(おも)ふた。が、奈何(どう)したのか聲(こゑ)は咽喉(のど)から出(い)でず、足(あし)も亦(また)意(い)の如(ごと)く動(うご)かぬ、息(いき)さへ塞(つま)つて了(しま)ひさうに覺(おぼ)ゆる甲斐(かひ)なさ。彼(かれ)は苦(くる)しさに胸(むね)の邊(あたり)を掻(か)き毟(むし)り、病院服(びやうゐんふく)も、シヤツも、ぴり/\と引裂(ひきさ)くので有(あ)つたが、施(やが)て其儘(そのまゝ)氣絶(きぜつ)して寐臺(ねだい)の上(うへ)に倒(たふ)れて了(しま)つた。

 翌朝(よくてう)彼(かれ)は激(はげ)しき頭痛(づつう)を覺(おぼ)えて、兩耳(りやうみゝ)は鳴(な)り、全身(ぜんしん)には只(たゞ)ならぬ惱(なやみ)を感(かん)じた。而(さう)して昨日(きのふ)の身(み)に受(う)けた出來事(できごと)を思(おも)ひ出(だ)しても、恥(はづか)しくも何(なん)とも感(かん)ぜぬ。昨日(きのふ)の小膽(せうたん)で有(あ)つた事(こと)も、月(つき)さへも氣味(きみ)惡(わる)く見(み)た事(こと)も、以前(いぜん)には思(おも)ひもしなかつた感情(かんじやう)や、思想(しさう)を有(あり)の儘(まゝ)に吐露(とろ)したこと、即(すなは)ち哲學(てつがく)をしてゐる丁斑魚(めだか)の不滿足(ふまんぞく)の事(こと)を云(い)ふた事(こと)なども、今(いま)は彼(かれ)に取(と)つて何(なん)でもなかつた。
 彼(かれ)は食(く)はず、飮(の)まず、動(うご)きもせず、横(よこ)になつて默(もく)してゐた。
『あゝもう何(なに)も彼(か)もない、誰(たれ)にも返答(へんたふ)などするものか……もう奈何(どう)でも可(い)い。』と、彼(かれ)は考(かんが)へてゐた。
 中食後(ちゆうじきご)ミハイル、アウエリヤヌヰチは茶(ちや)を四半斤(はんぎん)と、マルメラドを一斤(きん)持參(も)つて、彼(かれ)の所(ところ)に見舞(みまひ)に來(き)た。續(つゞ)いてダリユシカも來(き)、何(なん)とも云(い)へぬ悲(かな)しそうな顏(かほ)をして、一時間(じかん)も旦那(だんな)の寐臺(ねだい)の傍(そば)に凝(じつ)と立(たつ)た儘(まゝ)で、其(そ)れからハヾトフもブローミウム加里(カリ)の壜(びん)を持(も)つて、猶且(やはり)見舞(みまひ)に來(き)たのである。而(さう)して室内(しつない)に何(なに)か香(かう)を薫(く)ゆらすやうにとニキタに命(めい)じて立去(たちさ)つた。
 其夕方(そのゆふがた)、俄然(がぜん)アンドレイ、エヒミチは腦充血(なうじゆうけつ)を起(おこ)して死去(しきよ)して了(しま)つた。初(はじ)め彼(かれ)は寒氣(さむけ)を身(み)に覺(おぼ)え、吐氣(はきけ)を催(もよほ)して、異樣(いやう)な心地惡(こゝちあ)しさが指先(ゆびさき)に迄(まで)染渡(しみわた)ると、何(なに)か胃(ゐ)から頭(あたま)に突上(つきあ)げて來(く)る、而(さう)して眼(め)や耳(みゝ)に掩(おほ)ひ被(かぶ)さるやうな氣(き)がする。青(あを)い光(ひかり)が眼(め)に閃付(ちらつ)く。彼(かれ)は今(いま)已(すで)に其身(そのみ)の死期(しき)に迫(せま)つたのを知(し)つて、イワン、デミトリチや、ミハイル、アウエリヤヌヰチや、又(また)多數(おほく)の人(ひと)の靈魂不死(れいこんふし)を信(しん)じてゐるのを思(おも)ひ出(だ)し、若(も)し那樣事(そんなこと)が有(あ)つたらばと考(かんが)へたが、靈魂(れいこん)の不死(ふし)は、何(なに)やら彼(かれ)には望(のぞ)ましくなかつた。而(さう)して其考(そのかんが)へは唯(たゞ)一瞬間(しゆんかん)にして消(き)えた。昨日(きのふ)讀(よ)んだ書中(しよちゆう)の美(うつく)しい鹿(しか)の群(むれ)が、自分(じぶん)の側(そば)を通(とほ)つて行(い)つたやうに彼(かれ)には見(み)えた。此度(こんど)は農婦(ひやくしやうをんな)が手(て)に書留(かきとめ)の郵便(いうびん)を持(も)つて、其(そ)れを自分(じぶん)に突出(つきだ)した。何(なに)かミハイル、アウエリヤヌヰチが云(い)ふたので有(あ)るが、直(すぐ)に皆(みな)掻消(かきき)えて了(しま)つた。恁(か)くてアンドレイ、エヒミチは永刧(えいごふ)覺(さ)めぬ眠(ねむり)には就(つ)いた。
 下男共(げなんども)は來(き)て、彼(かれ)の手足(てあし)を捉(と)り、小聖堂(こせいだう)に運(はこ)び去(さ)つたが、彼(かれ)が眼(め)未(いま)だ瞑(めい)せずして、死骸(むくろ)は臺(だい)の上(うへ)に横臥(よこたは)つてゐる。夜(よ)に入(い)つて月(つき)は影暗(かげくら)く彼(かれ)を輝(てら)した。翌朝(よくてう)セルゲイ、セルゲヰチは此(こゝ)に來(き)て、熱心(ねつしん)に十字架(じか)に向(むか)つて祈祷(きたう)を捧(さゝ)げ、自分等(じぶんら)が前(さき)の院長(ゐんちやう)たりし人(ひと)の眼(め)を合(あ)はしたので有(あ)つた。
 一日(にち)を經(へ)て、アンドレイ、エヒミチは埋葬(まいさう)された。其(そ)の祈祷式(きたうしき)に預(あづか)つたのは、唯(たゞ)ミハイル、アウエリヤヌヰチと、ダリユシカとで。
了

底本:「明治文學全集 82 明治女流文學集(二)」筑摩書房
   1965(昭和40)年12月10日発行
   1989(平成元)年2月20日初版第5刷
底本の親本:「露國文豪 チエホフ傑作集」獅子吼書房
   1908(明治41)年10月
初出:「文藝界」
   1906(明治39)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「匆」と「」、「拔」と「[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」]」、「舞踏」と「舞蹈」、「理窟」と「理屈」の混在、仮名表記と繰り返し記号の使い方の揺れは、底本通りです。
入力:阿部哲也
校正:岩渕祐子
2006年9月11日作成
2010年12月8日修正
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