つまり、極めて単純な自然物を或る一定の方法で配列すれば、そこにわれわれを斯までも感動させるような力が生ずるのである。其れは疑いもない事実であるが、しかし此の力を分析する事は到底吾人の思索の外にあるのだ。その画面の中にあるディテイル、その風景の中の箇々物の位置をちょいと取り換えれば、此の陰鬱な印象を制限し、或いは滅却するに充分であろうと私は思った。そう考えると共に、私は馬を進めて、邸の傍にどんより光って居る暗澹たる古沼の嶮しい涯の縁まで行った、そうして、水の面へ倒まに形を映して居る灰色の葦蘆や、幽霊じみた枯木の幹や、がらんとした眼玉のような窓の影を―――嘗て覚えた事のない激しい戦慄に襲われながら―――瞰おろしたのであった。
而も私は、今や此の憂鬱な邸宅に数週間を送ろうとしてやって来たのである。此の家の主人の、ロデリック・アッシャアと云う人は、以前少年時代には私と気の合った仲間同士であったのだが、その後二人は長い年月の間別れ別れになって居た。ところが先だって一本の手紙が、―――彼の書いた一本の手紙が、―――遠い田舎の地方から私の許へ届いたのである。その恐ろしく執心な懇願的な調子を見ると、私はどうしても訪ねて来ずには居られなかった。彼の神経が焦ら立って居る事は、書信の面に一目瞭然と露れて居た。手紙の主は自分の肉体が激烈な病気に罹って居ること、―――精神上の懊悩の為めに苦しんで居ること、―――などを訴えて、彼の最も親密な、そうして而も唯一の友人である私が側に居て慰めてくれたなら、少しは容態も軽くなるであろうから、是非顔を見せてくれるようにと頼んで来たのであった。これ等の事がこまごまと認められてある外に、猶それ以上の―――彼の切なる表情が生々しく文字の底に迸発して居る其の手紙の書き方は、私に何等の躊躇をも与えなかった。そこで私は、いまだに此の奇怪なる召喚の理由が分らないにも拘らず、兎にも角にも直ちに其の乞を容れたのである。
二人は子供の時分に、随分仲の好い間柄ではあったものの、実を云うと私は此の友達の事をあまりよくは知らないのである。彼の沈黙がちな性質はその当時極端に走って常に彼の特徴をなして居た。尤も私は、非常に古くから続いて居る彼の一家の人々が、いつとは知れぬ時代から、或る独特な、天稟の感受性を備えて居て、それが累代の長い間に多くの高尚な芸術上の作品となって発露したり、又近年に及んでは、幾度か情深い奥床しい慈善事業となって現れたりした事や、此れもその発露の一例である熱烈な渇仰が、誰にでも気がつき易い美点を持った普通の音楽趣味よりも、恐らくはもっと眼立たない方面へ余計に注がれたらしい事をも知って居た。私はまた頗る注目に値する斯う云う事実をも聞き込んで居た。と云うのは、昔も今も変らぬ尊敬を受けて居るアッシャア一族の血統と云うものは、嘗ていかなる時代に於いても、分家を出した事がないのである。語を換えて云えば、その全体の家系が一本の直線を成して伸びて居るばかりで、極めて些細な、一時的の変化はありながら、依然として其のまま今日に及んで居る。此の欠陥がある為めに、と、私は此の一家族の異常な特色と共に其の邸の光景の特色を精細に想い浮べながら、同時に又此の二つの物が、数世紀の長い間に、互いに及ぼし合ったに違いない影響の程度を考慮しながら、思案したのであった。―――恐らく此の、傍系を出さなかったと云う欠陥がある為めに、且その結果として、代々同じような調子で世襲財産と家名とが親から子へと伝えられて来た為めに、二つの物は遂に全然同一になって、その領地の元来の名義は「アッシャア家」と云う漠然とした曖昧な称呼の中に消えてなくなってしまったのであろう。―――現に土地の百姓が用いて居る此の称呼のうちには、その家族と家族の住んで居る邸宅と、両様の意味が含まれて居るのである。
先にも云った通り、私のやや子供じみた実験が齎した唯一の結果、―――あの古沼の水面を瞰おろした後の感じは、最初の不思議な印象をますます強くしたに過ぎなかった。私が自分の迷信の、―――そうだ、迷信と呼んでも差支えはあるまい。―――急激に増進しつつあるのを意識すればするほど、それは結局増進その物の速度を倍加させるに過ぎない事は明かであった。そう云う風になるのが、凡べて恐怖を根底にして居るあらゆる感情に共通な、奇妙な原則である事を、私は長い経験に依って知って居る。そうして大方それが原因であったのかも知れないが、私が水たまりの影像から目を離して実際の家を見た時、忽ち其処に或る怪しい幻想が私の心に浮かび上ったのである。―――
(未完)
此れはエドカア・アラン・ポオの物語の飜訳なり。次号より漸を追うて全部訳出すべし。
――続き――
その幻想はいかにも荒唐無稽なもので、その折の私の胸が、どれほど生き生きとした力強い感情で充たされて居たかを示す為めに、私は茲に一言せざるを得ないのである。私は実際、そこの邸宅や領地の全体が、その一区域に特有な一種の空気、外界のものとは違った、朽ち腐った樹木や、灰色の土塀や、黙々たる古沼からじめじめと這い上る空気、―――だるい、ものうい、微かに其れと分るような、鉛色をした、毒瓦斯のような神秘な水蒸気の中に、包まれて居るかの如く想像したのであった。私は此れ等の夢でなければならない物を振り払って、もっと詳密に其の建物の実際の姿を点検した。それは大体が極めて昔風な特色を備えた、見るからに古色蒼然たる建物であって、細かい菌のような植物が家全体に蔽い被さり、精巧に縺れ絡んだ蜘蛛の巣細工のように軒端から垂れ下って居る。けれども別段、此れが為めに夥しく破損した箇所があると云う訳ではなく、その石造のどの部分にも壊れ落ちて居るところはない。そうして其処には、部分部分の均整が未だに完全に維持されて居ながら、それを組み立てている一つ一つの石ころがぼろぼろに崩れかかって居ると云う、合点の行かない不一致が存在して居るように見える。それは私に、外側は立派な癖に目に付かない内側の方の円天井が、外気の交通を遮断されて長年の間に腐ってしまった、古い木造普請の全体を想わせるような趣があった。が、此の全体の上にひろがって居る衰頽の徴候を除いてしまえば、その建物には別に何等の不安定らしい所もない。尤も、非常に注意して観察する人さえあれば、その人は多分、殆んど目に見えないくらいな微かな亀裂が、家の前方の屋根から稲妻型のひびを入らせて、壁の面を這い降りながら、陰鬱な古沼の水の中へ消え失せて居るのに気が付くのだが。
今回はもっと沢山書くつもりで居たが、執筆の途中で風邪にかかったので、已むを得ずこんな短い物を載せることになった。次号には大いに奮発して沢山載せることにしよう。
(TJ生)