あらすじ
様々な形をした卵の不思議に、学者は様々な角度から考察を重ねています。例えば、海雀の卵が尖っているのは、絶壁から転げ落ちないようにするためだとか、親鳥が抱きやすくするためだとか、様々な説が唱えられています。しかし、近年注目されているのは、卵が産み出されるまでの力学的プロセスに着目した考え方です。卵は輸卵管の中で、周りの組織からの圧力を受けながら形成され、その過程で卵の後方が尖ってくるのだというのです。力学を用いて卵の形を説明しようとする試みは、生物界の現象を理解する新たな視点を提示するかもしれません。
 卵形といえば一方が少し尖った長円い形にきまったようなものであるが稀には円形の卵もある、亀、ふくろうなどがその例である。またかいつぶりの卵などはほとんど両端の丸みが同じで楕円形をしている。しかし一般にはほとんどいわゆる卵形で一方が尖っている。特に著しいのは千鳥や海鴨うみがもなどのである。
 こんな風に卵が色々の形をしているのは何故だろうと物好きな学者は研究したものである。先ず自然淘汰の結果として説明するものが多い。例えば海雀うみすずめの卵は多く絶壁の岩の上に産まれるので円錐形に尖ったのの外は岩から転げ落ちてしまうと考えられている。また片方の尖っている方が親鳥の腹の下へ沢山詰め込むのに都合がよいからだという説もある。
 ところが近頃この事について斬新な力学的の方面から説明を試みた人がある。一体卵が産み出さるる前にどんな道筋を経て来るかというに、始め卵黄だけが輸卵管へ出て来ると、そこで白味が来て取り巻く、これに膜が出来てその上に殻が分泌され管から押し出されるうちに固まってしまう。かくのごとく卵が出来上がるまでには管の内側から始終に圧迫を受けている。管壁の摩擦に打勝って卵を押し出すために卵の後方の環状筋を断えず収縮して卵殻を圧しつける。それだから輸卵管の割に卵が大き過ぎるほど圧迫が烈しいので卵の後方が小さく尖って来る。とこういう考えで力学的の数式をもって卵の形を現わし、種々の場合を詳論している。
 こんな議論が実用上どういう価値があるかは分りにくいが、ただ生物界の現象を説明するに力学を応用するようになった率先者の一人としてここに御紹介するその学者の名はダルシー・ウェントウォース・トムソンという。この論文は去る四月ロンドンの動物学会で述べたものである。
(明治四十一年八月二十六日『東京朝日新聞』)

底本:「寺田寅彦全集 第十二巻」岩波書店
   1997(平成9)年11月21日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第六巻」岩波書店
   1986(昭和61)年1月7日第2刷発行
初出:「東京朝日新聞」
   1908(明治41)年8月26日
※初出時の署名は「閑人」です。
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2022年8月27日作成
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