あらすじ
小村雪岱は、明治四十二年の夏、福岡医科大学の久保博士の御宅に滞在中に、思わぬ形で泉鏡花先生と出会います。久保博士の令夫人を通じて、鏡花先生の小説の話になり、その熱心なファンであることを知った雪岱は、後日、鏡花先生の奥様とも面会を果たします。そして、翌日に鏡花先生ご本人と対面する機会に恵まれたのです。或日の事でした、矢張り御宿へ伺つて模写をして居ますと宿の女中が夫人に、泉さんの奥さんが御見えになりましたが御通し申上げませうか、と伺ひました時、その背後で通つてゐますよと言はれましたのが、思もかけぬ泉先生の奥さんでありました。色の白い二十台の奥さんは、国貞ゑがく岩井粂三郎の白糸によく似ておいでの御方だと思ひました。
その翌日、今度は先生が御見えになりました。夫人に御願ひして初めて御挨拶を申上げました、真にそれは/\色の白い小柄な、丁度勝気な美人が男装をした様な方で、私は全く驚いて仕舞ました。足袋は八文半といふ事をあとで伺ひました。暫くの間誠に丁寧な御言葉で、様々の御話が御座いましたが、有頂天の私は何も覚えて居りません。ただ怪談の怪は水の流れる様なもので二度とかへりません、と言はれました事と、遊びにおいでなさい、と言はれました事を記憶して居ります。あとで考へますと、丁度白鷺の御仕度中であつたと思はれます。御年は三十五六でありました。それから間もなく私は嬉しさのあまり、生来の引込思案にも似ず、大和の法華寺で授けられました、木彫の地蔵菩薩を持つて、御宅へ伺ひました。三十年以前の事であります。
了
底本:「小村雪岱随筆集」幻戯書房
2018(平成30)年2月15日第1刷発行
初出:「図書 第5年第50号 泉鏡花号」
1940(昭和15)年3月5日
入力:きゅうり
校正:石波峻一
2019年10月28日作成
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