あらすじ
学制頒布七十年の記念式の記事を読んだことがきっかけで、著者はある考えにたどり着きます。それは、教育の仕事は、成功すれば目立たず、失敗すれば大きな代償を伴う、まさに「張り合いの無い仕事」であるということです。そのことを、児童を救うために命を落とした教師と、長年勤め上げたが無事故で退職した教師の対比を通して、深く考えさせられる物語です。 学制頒布七十年の記念式の新聞記事をよみながら、ふと思いついた話である。
何処かの国民学校で、児童たちをつれて遠足に行った。雨上がりで足をすべらせた児童の一人が河に落ちこんだ。その時先生の一人がすぐ濁流にとび込んでその児童を救い上げたが、自分は濁流の中に流されてしまった。
こういう場合には、その場所に石碑が建つであろう。そういう実例がたしか東京の近くにあったように記憶する。
ところで三十年間国民学校の先生をつとめ上げて、その間に何十人という腕白な児童たちを、何百回と遠足につれて行って、その中の一人をも河に落さなかった先生も沢山ある。そういう先生が退職しても、まず石碑は建たない。
教育の仕事は巧く行った場合には、効果は目立たない。そしてどんな無茶なことをしても、その人の在任中に悪い結果が現われる心配もない。いわば張り合いの無い仕事であるが、それだけに大切な仕事である。教育の仕事だけは、人気取りを必要とするいわゆる政治家にまかせたくないものである。(昭和十七年)
了
底本:「中谷宇吉郎随筆選集第一巻」朝日新聞社
1966(昭和41)年6月20日発行
底本の親本:「科学小論集」生活社
1944(昭和19)年4月15日発行
初出:「東京日日」
1942(昭和17)年
入力:砂場清隆
校正:室瀬皆実
2021年4月27日作成
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