あらすじ
「秋の岐蘇路」は、作者の田山花袋が木曾路を旅したときの体験を描いた紀行文です。美しい山々、激流の渓谷、そしてそこに暮らす人々の素朴な生活に触れながら、作者は自然と人間の心の奥深さを深く感じ取ります。旅の途中で出会う人々との会話や、古き良き風景、雄大な自然の息吹が、まるでそこにいるかのような臨場感を生み出します。秋の日は少しずつ短くなり、木々の葉が色づき始める静寂の世界。その中で作者は、心の奥底に秘めたる思いと向き合い、深く考えさせられる旅を続けます。
 大井(おほゐ)、中津川(なかつがは)の諸驛を過ぎて、次第に木曾の翠微(すゐび)に近(ちかづ)けるは、九月も早(はや)盡きんとして、秋風(しうふう)客衣(かくい)に遍(あま)ねく、虫聲路傍に喞々(しよく/\)たるの頃なりき。あゝわが吟懷、いかに久しくこの木曾の溪山に向ひて馳(は)せたりけむ。名所圖繪を繙(ひもと)きて、幼き心に天下またこの好山水(かうさんすゐ)ありやと夢みしは昔、長じて人の其山水を記せるの文を讀み、客(かく)の其勝(そのしやう)を説くを聞くに及びて、興湧き胸躍りて、殆どそを禁(とゞ)むるに由なかりき。さればわが昨日(きのふ)遙かに御嶽(おんたけ)の秀絶なる姿を群山挺立(ていりつ)の中(うち)に認めて、雀躍して路人(ろじん)にあやしまるゝの狂態を演じたるもまた宜(むべ)ならずや。
 木曾の溪山は十數里、其特色たる、山に樹多く、溪(けい)に激湍(げきたん)多く、茅屋(ばうおく)村舍山※(「山+解」、第4水準2-8-67)(さんかい)水隈(すゐわい)に點在して、雲烟の變化殆ど極(きはま)りなきにありといふ。住民また甚だ太古の風(ふう)を存し、婦(ふ)は皆齒に涅(でつ)し、山袴(やまばかま)と稱する短袴(たんこ)を穿(うが)ち、ことに其の清麗透徹たる山水は克(よ)く天然の麗質を生じて、世に見るを得べからざるの美頗(すこぶ)る多しと聞く。まして須原(すはら)の驛の花漬賣(はなづけうり)の少女(をとめ)はいかにわが好奇の心を動かしけむ。われも亦願はくはこの山中の神韻に觸れて、美しき神のたまさかなる消息を聞かばやと思ふの念甚だ切なりき。
 ことに、既に長き旅路に勞(つか)れたる我をして、嚢中(のうちう)甚だ旅費の乏しきにも拘らず、奮(ふる)つてこの山中に入(い)らしめたる理由猶一つあり。そは、わが親しき友のこの山中なる福島(ふくしま)の驛にありて、美しき詩想を養ひつゝあること是なり。この友は木曾山中の妻籠(つまご)驛に生れて、其のすぐれたる詩想とそのやさしく美しき胸とは、曾てわれをして更に木曾の山水に憧(あく)がれしめたるもの、今しも共にその山水に對して、詩を談し、文を論じたらんには、その興の饒(おほ)き、あはれ果して如何(いか)なるべき。これ我の殊更に遠きを厭(いと)はずして、この山中に入(い)りたる所以なり。
 落合(おちあひ)驛を過ぎて、路二つに岐(わか)る。一は新道にして木曾川の流に沿ひ、一は馬籠峠(まごめたうげ)を踰(こ)えて妻籠(つまご)に入(い)る。われは其路の岐(わか)るゝ一角に立ちて、久しくその撰擇に苦しまざるを得ざりき。聞く、新道の木曾川に沿へるの邊、奇景百出、岩石の奇、奔湍(ほんたん)の妙、旅客必ずこれを過ぎざるべからずと。况(いは)んや、其路坦々(たん/\)として砥(と)の如く、復た舊道の如く嶮峻ならざるに於てをや。されど其道を過ぎんには、わが稚(をさな)き頃より夢に見つる馬籠(まごめ)驛の翠微(すゐび)は遂に一目をも寓する能(あた)はざるなり。往古の木曾の關門とも稱すべき風情ある驛舍の景は、永久(とこしへ)にわが眼に映ぜずして終らざるべからず。
 われは遂に舊道を取りつ。
 數歩にして既にその舊道のいかに嶮に、且(かつ)いかに荒廢に歸したるかを知りぬ。昔の大路(たいろ)には荊棘(けいきよく)深く茂りて、をり/\横(よこたは)れる小溪には渡るべき橋すら無し。否、崕(がけ)は崩れ、路は陷(おちゐ)りて、磊々(らい/\)たる岩石の多き、その歩み難きこと殆ど言語に絶す。かくて溪流を徒渉すること二、路は暫し松林(しようりん)の間を穿(うが)ちて、茅屋(ばうおく)村舍の上に靡(なび)ける細き烟のさながら縷(る)の如くなるを微見(ほのみ)つゝ、次第に翠嵐(すゐらん)深き處へとのぼり行きしが、不圖(ふと)四面打開きたる一帶の高地に出でゝわれは思はず足を停(とゞ)めぬ。あゝ何等の壯觀ぞ。今までかゝる後景を背にしながら夢にもそれと知らざりしはわれながらあまりのおぞさと思はるゝばかりの美しさ。昨日(きのふ)仰ぎし惠那岳(えなだけ)は右に、美濃(みの)一國の山々は波濤の打寄するが如く蜿蜒(ゑんえん)と連(つらな)り亙(わた)りて、低き處には高原を披(ひら)き、凹(くぼ)き處には溪流を駛(はし)らせ、村舍の炊烟(すゐえん)、市邑(しいう)の白堊(はくあ)、その眺望の廣濶(くわうくわつ)なる、殆ど譬(たと)ふべき言葉を知らず。まして、秋の初の清く澄みたる空氣は明かに、山々の巓(いたゞき)に白旗(はくき)を飜したらんごとき雲の長くおもしろく靡(なび)けるなど誰かつく/″\と眺入りて、秋の姿のさびしさに旅思を惱まさぬものかあらん。ことにわれは多恨の遊子(いうし)、秋の草木(くさき)に置く露の觸るればやがて涙の落つる悲しき身なるをや。

 馬籠(まごめ)は風情多き驛(しゆく)なり。
 今の世に旅するもの、國道の到る處に昔榮えて今衰へたる所謂(いはゆる)古驛なるものゝ多きを見ん。而(しか)して其の古驛なるものゝいかに荒凉寂寞(せきばく)たる光景を呈したるかに傷心せざるものは稀(まれ)ならん。壁落ち、庇(ひさし)傾(かたぶ)きたる大(だい)なる家屋の幾箇(いくつ)となく其道を挾みて立てる、旅亭の古看板の幾年月の塵埃(ちりほこり)に黒みて纔(わづ)かに軒に認めらるゝ、傍(かたはら)に際立(きはだ)ちて白く夏繭(なつまゆ)の籠の日に光れる、驛のところどころ家屋途絶(とだ)えて、里芋、大根、唐蜀黍(たうもろこし)などの畑のそこはかとなく連(つらな)りたる、殊に、白髮の老爺(らうや)の喪心したるやうに、默して背を日に曝(さら)したる、皆これ等古驛に於て常に好く見る所の景なり。其處(そこ)には墓塲のくされたる如き臭(にほひ)充(み)ち/\て、新しき生命ある空氣は少しだになく、住(すま)へる人また遠くこの世を隔てたるにはあらずやと疑はる。
 馬籠は幸ひにして火災に逢ひぬ。火災に逢ひたるが爲め、他の古驛に見るが如き醜く汚(けが)れたる光景とあはれに佗しき家屋とをとゞめずして止みぬ。されど古驛は依然として古驛なり。荒凉は依然として荒凉なり。見よその高原につくられたる新しき小さき家屋にいかに無限の秋風(あきかぜ)の吹渡れるかを。更に見よ、新道の開通せられてより、更に旅客の此地を過ぐるものなく、當年繁盛(はんせい)の驛路、今は一戸の旅舍をも留(とゞ)めずなりたるを。
 われはこの高原の上なる風情ある古驛の入口の石に腰を休めて、久しくなるまで四邊(あたり)の風景に見入りつゝ、さま/″\なる空想に耽(ふけ)りたるを今猶記憶す。いかに美しき空なりしよ。いかにさびしき秋の日の光なりしよ。いかに秋風の空高く、わが思をして遠くかの蒼(さう)に入らしめしよ。村の寺の鐘、村の少女(をとめ)の唄、いかに縹渺(へう/″\)としてわが耳に入(い)り、いかに寂寞としてわが心を撲(う)ちたりしよ。わが腰を休めたる石の彼方(かなた)には、山より集り落つる清水の筧(かけひ)ありて、わが久しく物を思へる間、幾人(いくたり)の少女(をとめ)來りて、その水を汲みては歸りし。筧(かけひ)の細きに、水の來りてその桶に充(み)つること遲く、少女(をとめ)は立ちてさま/″\の物語を爲(な)せしが、果ては久しく留(とゞま)りて石の如く動かざる我が上に及びしと覺しく、互に此方(こなた)を見ては、何事をか私語(さゝや)き合ひぬ。
『この驛(しゆく)にて晝餐(ひるげ)食ぶべき家は無きにや』と我は遂に問ひぬ。
 少女(をとめ)の最も年長なる一人進み出でゝ、
『驛(しゆく)の外れに山田屋といへるあれば、そこに行きて聞きて見給へ』と教ゆ。
 其顏は丸く、眼は光ありき。
 驛の兩側を流れ落つる小溪、それに臨(のぞ)みて衣洗へる少女(をとめ)の二人三人(ふたりみたり)、疎(まば)らに繁茂せる桑の畑などを見つゝ、少時(しばし)が程行けば、果して山田屋といへる飮食店あり。されど旅客の來りて憇(いこ)ふものもなければか、店頭(みせさき)には白き繭の籠を幾箇(いくつ)となく並べられ、客を待てる準備(ようい)は更に見えず。檐頭(えんとう)に立寄りて、何にてもよし食ふべきものありやと問ふに、素麺(そうめん)の外には何物もあらずと答ふ。止むなくこれを冷させて食ふ。常は左程好(この)まざるものなれど、その旨(うま)きこと譬(たと)ふるにもの無し。山の清水の冷(ひやゝ)かなるが爲めなるべし。
 驛を離れて峠に懸るに、杉樹(さんじゆ)次第に路傍に深く、一歩は一歩より前なる高原の風景を失ひ、峠に達すれば、山樹空濛(くうもう)として、四顧(こ)只雲烟。
 即ち疾驅してこれを下(くだ)る。半里程(はんりてい)にして、當面俄(には)かに一大奇山の蜃氣樓のごとく聳立(しやうりつ)したるを認む。而(しか)して僧の如き、佛陀の如き、臥牛(ぐわぎう)の如き、奔馬の如き小山脈はこれに從ひて遙かに西に駛(はし)れるを見る。即ち思ふ、木曾の大溪はこのわが立てる山脈とかの山系との間に横(よこたは)りて、其間にこそわが久しく見んことを願ひし奇絶快絶の大景は全く深く藏せらるゝなれと。是(こゝ)に於て興の起るに堪へず、更に疾驅してこれに赴く。

 始めて木曾の大溪に逢ひしは、妻籠(つまご)驛を經て、新舊兩道の分岐點なるなにがし橋と稱する一溪橋を渡れる後(のち)にあり。わが最初の寓目(ぐうもく)の感は如何(いかん)、われは唯前山(ぜんざん)の麓に沿うて急駛(きうし)奔跳(ほんてう)せる一道の大溪と傍(かたはら)に起伏出沒する數箇の溪石とを認めしに過ぎざりしと雖(いへど)も、しかもその鏘々(さう/\)として金石を鳴らすが如き音は、久しく山水に渇したるわが心を誘うて、思はず我をして手を拍(う)つて快哉(くわいさい)を叫ばしめぬ。溪(けい)に沿ふて猶進むこと數歩、路は急に兩傍(りやうはう)より迫れる小丘陵の間に入(い)りて、溪聲俄かに前に高く、※(「金+堂」、第4水準2-91-34)鏗(だうかう)たる響は復(ま)た以前の※(「口+曹」、第3水準1-15-16)々(さう/\)切々(せつ/\)たるに似ず、訝(いぶか)りつゝも猶進めば、兩傍の丘陵は忽ち開けて、前に一大奇景の横(よこたは)れるを見る。
 山は開けて上流を見るべく、一曲毎(きよくごと)に一瀬(らい)をつくり、一瀬毎に一潭(たん)をたゝへたる面白き光景は、宛然(えんぜん)一幅の畫圖(ぐわと)を展(ひろ)げたるがごとし。而(しか)してわが立てる脚下の大溪潭は、まさに是れ數十の瀬(らい)、數十の潭(たん)を合せたるものと稱すべく、沈々として流れ來りたる碧き水の、忽ち河中の一大奇巖に逢ひて、※(「革+堂」、第3水準1-93-80)々(だう/\)澎湃(はうはい)の趣を盡したる、自然の色彩またこれに過ぐべきものありとも覺えず。况んや前山の雲のたゝずまひの無心の中(うち)におのづからの秋の姿を具(そな)へて、飄々(へう/\)高く揚らんとするの趣ある、我は愈(いよ/\)心を奪はれぬ。
 惜むらくは時尚ほ早くして、全山紅葉の奇を見る能(あた)はざるをと我は思ひぬ。福島にある友は、曾てわが爲めに語りて言ひき。木曾の美は秋にあり、秋の紅葉の節にあり、滿山皆なさま/″\の錦繍(きんしう)を着くるの時、雲に水に山に、その色彩の多きこと殆ど状するに言葉なし。ことに、純紫色(じゆんしゝよく)は自然の神の惜みて容易に人間に示さゞる所、晩秋の候、天の美しく晴れたる日、夕陽(せきやう)を帶びて、この木曾の大溪を傳ひ行けば、駒ヶ嶽絶巓(ぜつてん)の紅葉斜(なゝめ)に夕日の光を受けて、稀にそのたまさかなる色彩を示すことあり。これわが日本畫家の知らざる所なるべしと友は語りき。まことにその晩秋の候はいかに。
 これより三留野(みとの)驛へ三里。山舒(の)び、水緩(ゆるや)かに、鷄犬の聲歴落(れきらく)として雲中に聞ゆ。人家或は溪(けい)に臨み、或は崖に架し、或は山腹に凭(よ)る。白堊の夕日に閃(きら)めけるを望みては、其家にすめる少女(をとめ)の美しきを思ひ、山巓に沈み行く一片の雲を仰ぎては、わが愁の甚だその行衞に似たるを嘆じ、一道の坦途(たんと)漸く其の古驛に達したるは、夕陽(せきやう)の影漸く薄からんとするの頃なりき。
 一度(たび)は今宵は此驛にやどらんと思ひしが、猶脚の勞(つか)れざると、次の驛なる須原(すはら)まで左程遠くもあらざるに勇を鼓して、とある茶榻(ちやたう)に一休憩(ひとやすみ)したる後、靜かに唐詩を吟じつゝ驛を出づ。
 一里半餘にして、溪聲また大に、山容また奇なり。路は薄暮に近き山間を縫ひて、杉樹(さんじゆ)の蓊欝(おうゝつ)と繁茂せるところ、髣髴(はうふつ)として一大奇景の眼下に横(よこたは)れるを見る。されど崖高く、四邊深黒にして容易に之を辨ずる能はず。乃(すなは)ち溪聲を樹間に求め、樹に縋(すが)り、石に凭(よ)りて纔(わづ)かにこれを窺ふ。水は國道の絶崖に偏(かたよ)りて、其處に劒の如く聳立(しやうりつ)せる大岩(たいがん)に衝(あた)り、その飛沫の飛散する霧のごとく烟(けぶり)の如し。加ふるに絶崖の罅隙(かげき)を穿(うが)ちて※(「革+堂」、第3水準1-93-80)々(だう/\)深潭に落下する一小瀑あり。
 思はず奇を呼ぶ。
 樹間を出でゝ數歩ならざるに、われはまた手を拍(う)つて快哉を叫ばざるべからざるの奇景に逢ひぬ。見よ、四邊已(すで)に暗く、山樹、溪流また明かに辨ずる能はざらんとする今の時に當りて、當面夕日の餘光の微(かす)かに殘れる空の上遙かに、黒く大(だい)なる駒ヶ嶽の姿のさながら印せらるゝ如く顯はれたるを認めたるにあらずや。
 諾威(ノルヴエー)の詩人ビヨルンソンが山嶽小説を讀む者、皆その若主人公アルネが山中に生長して、山の美、山の靈、山の神(しん)にいたく心を動せるを知らざるはあらぬなるべし。而してその少年が高山の巓(いたゞき)に沈み行く夕日の影を仰ぎ見て、山の彼方(かなた)なるめづらしき國々にあくがるゝ段は、ことに全篇の骨子として皆な人の唱道(しやうだう)するところ、あゝこの木曾山中、この駒ヶ嶽の絶巓に微かに消え行く夕照(せきせう)の光を望み見て、日夜(にちや)都門に向ひて志を馳せつゝある少年なきや。
 我は只その山容を打守りぬ。
 山巓なる夕照の光は次第に微かに、いつか全く消え失せて、終にはその尨大なる黒き姿を留(とゞ)むるのみになりぬ。
 顧れば十三日の月光既に溪流にあり。

 これより須原驛に至る間、わが興(きよう)はいかに揚り、わが吟懷はいかに振ひ、わが胸はいかにさま/″\なる空想を以て滿されたりけむ。われは銀(しろがね)の如く美しき月光に浴しつゝ、蹌々踉々(さう/\らう/\)として大聲唐詩を高吟し、路傍の人家を驚かしたるを今猶記憶す。酒を路傍の村舍に求め、一歩に一飮、一歩に一吟、われは全く人生の覊絆(きはん)を脱却して、飄々天上の人とならんとするが如くなるを覺えき。
 須原驛に着きしは、夜の九時頃なりしが、山中の荒驛(くわうえき)は早くも更けて、冷露(れいろ)聲なく玉兎(ぎよくと)靜かに轉ずるの良夜も更に人の賞するものなく、旅亭は既に戸を閉ぢたるもの多かりき。わが宿りたるは恰(あたか)も木曾川の流に沿ひて、室(へや)よりはその流の髣髴を見ることを得ざれども、水聲は近く枕に通ひて、夢魂(むこん)極めて穩かなりき。
 翌朝(よくてう)花漬賣の少女(をとめ)より一箱二箱を買ひ、活溌に旅亭を出づ。
 行く/\旭日(あさひ)未だ昇らず、曉露(げうろ)の繁きこと恰も雨のごとし。霧は次第に東山(とうざん)より晴れて、未だ寢覺(ねざめ)に至らざるに、日影は早くも對岸の山の半腹に及びぬ。空氣は飽(あく)まで清澄にして、中に言ふべからざる秋の靜けさとさびしさとを交へたり。木曾川の溪流よりは朝(あした)の水烟盛(さかん)に登りて、水聲の潔(いさぎよ)き、この人世のものとしも覺えず。
 寐覺(ねざめ)の床(とこ)の名はかねて耳に熟せるところ、路傍にその標柱の立てるを認めて、直ちに路をもとめてこれに赴く。臨川寺(りんせんじ)の庭に踞(きよ)して、獨り靜かに下瞰(かゝん)するに、水は飽(あく)まで碧(みどり)に、岩は飽まで奇に、其間に松の面白く點綴(てんせつ)せられたる、更に畫圖(ぐわと)のごとき趣を添へたるを見る。雛僧(すうそう)あり、寺の縁起を説くの傍(かたはら)、溪(けい)に下るべきの路あるを指點し、わが爲めに導を爲(な)さんことを乞ふ。則ち共に細徑(さいけい)を竹林(ちくりん)の中(うち)に求め、石に縋(すが)り、岩に凭(よ)りて辛うじて溪に達す。
 溪(けい)、直徑大凡(おほよそ)七八町、岩石の奇なるものを屏風岩(びやうぶいは)、硯岩(すゞりいは)、烏帽子岩(ゑぼしいは)、蓮華石(れんげいし)、浦島釣舟岩(うらしまつりふねいは)と爲し、其水の來(きた)るや、沈々として聲無く、其色の深碧にして急駛(きうし)せる、座(そゞ)ろにわれの心を惹きぬ。岩石の中央に一小祠あり、稱して浦島太郎が綸(いと)を垂れたるの古跡と爲す。
 岩上に盤踞(ばんきよ)して四顧すること多時(たじ)、興の盡くるを待ちて、來路をもとめ、再び木曾川の流に沿ふ。
 上松(あげまつ)驛は木曾山中福島に次ぐの都邑(といふ)にして、其の繁華は中津川以西未(いま)だ曾て見ざるところ、街區また甚だ整頓せり。而して駒ヶ嶽登臨の客は多くこの地よりするを以て、夏時(かじ)は白衣(はくい)の行者(ぎやうじや)陸續として踵(くびす)を接し、旅亭は人を以て填(うづ)めらるゝと聞く。
 上松を過れば、一度(たび)遠く離れし木曾川は再び來りて路傍を洗ひ、激湍の水珠(すゐしゆ)を飛ばし、奇岩の水中に横(よこたは)れる、更に昨日(さくじつ)に倍せるを覺ゆ。兩岸の山また漸く迫り、棧橋(かけはし)に至りて、更に有名なる一大奇溪を現出し來る。
 棧橋(かけはし)や命をからむ蔦(つた)かつら、芭蕉翁の過ぎし頃は、其路、其溪、果して如何(いかん)の光景を呈したりけむ。名所圖繪を繙(ひもと)きても、其頃は路(みち)嶮に、溪(けい)危(あやう)く、少しく意を用ゐざれば、千尋(じん)の深谷(しんこく)に墮(お)つるの憂ありしものゝ如くなるを、纔(わづ)かに百餘年を隔てたる今日(こんにち)、棧橋(かけはし)の跟(あと)なく、溪(けい)またかく淺く平らかにならんとは、我はその變遷に驚かざる能はざりき。
 されど風景としては、さして惡(あ)しゝと言ふにてもなく、見ん人の心々にて、寢覺などよりも勝(すぐ)れたりと思ふもあるなるべし。溪はその長さ二町ばかり、上流より弦形(げんけい)を爲して流れ來りたるが、その弦の中央に當りたらんとも覺しきあたり、最も深潭の趣に富み、溪樹の蓊鬱(おうゝつ)として其上に生ひ茂れる、また捨つべきものとしも覺えず。殊に、其の深潭に臨(のぞ)みて、瀟洒なる一軒の茶亭(さてい)あり。名物あんころ餅は旅客の大方は憇ひて味ふところ、秋の紅葉の頃に至れば、來りて遊ぶもの踵(くびす)を接し、欄干をめぐらしたる茶亭に酒を汲みて一日を暮すもの甚だ多しと。
 さはいへ、棧橋(かけはし)の名の甚だ高きに惑(まどは)されて、その實の甚だ名に添はざりしを覺えしは、われに取りて實に少なからざる遺憾なるをいかにかせん。
 棧橋(かけはし)を出でゝ一二里、路は次第に高く高くなりて、王瀧川(わうたきがは)の來りて木曾川に會するあたりに至れば、其の岸の高さ、殆ど俯して水脈を窺ひ得るばかりなり。不圖(ふと)見れば、王瀧川の上流遠く、雲の幾重(いくへ)ともなく重れる間より、髣髴としてあらはれ渡れる偉大なる山の半面。
 折から過ぐる村童に、
『あれは御嶽(おんたけ)にや』と指(ゆびさ)して問ひぬ。
 村童は只點頭(うなづ)くのみ。
 あゝなつかしの御嶽! 二三日來われはいかにその翠鬟(すゐくわん)の美しきとその姿の卓(すぐ)れたるとを指點したりけむ。群山の上に挺立(ていりつ)すること數百尺、雲は斜にその半腹を帶のごとく卷きて、空の碧(みどり)、日のかゞやき、ある時は茶褐色の衣を着け、或時は深紫(こきむらさき)の服をかさね、朝(あした)は黄金の寶冠を戴きて、來り朝(てう)する宇内(うだい)の群山に接するの光景は、いかにわがあくがれ易き心を動かしたりけむ。今、これをこの群山の間に見る、髣髴と雖(いへど)もわが心いかでかこれに向つて馳(は)せざらんや。
 雲は見るが中(うち)に次第に解けて、その見馴れたる山の絶巓(いたゞき)は、明かにわが眼底に落ち來りぬ。
 われは佇立(ちよりつ)時を移しつ。
 これより山緩(ゆるや)かに水舒(の)びて、福島町に至る間、また一ところの激湍をも見ず。路も次第に下(くだ)り下りて、その極(きは)まる處、遂に數百の瓦甍(ぐわばう)を認む。
 わが友はこの福島町なる奇應丸(きおうぐわん)の本舖(ほんぽ)高瀬なにがしの家に滯(とゞま)れりと聞くに、町に入(い)るや否(いな)、とある家に就きて先(まづ)その家の所在を尋ねしに、朴訥(ぼくとつ)なる一人の老爺(らうや)わざ/\奧より店先まで出で來りて、そはこの町を右に曲りて、殆ど通拔けんとするところの右側の石垣のある家なりと親切に教へて呉れぬ。
 細く暗くして古風の家屋のみ多き町を眞直に突當りつ。それより右に、旅亭の三四戸連(つらな)れる間を過れば、木曾川は路と共に大屈曲を爲して、其路の傍(かたはら)に一道の大橋(たいけう)を架したり。それをも顧みずに猶進めば、果して町の盡頭(はづれ)とも覺しき邊(あたり)の右側に、高く石垣を築きおこしたる嚴(いかめ)しき門構(もんがまへ)の家屋あり。
 これ、友の滯(とゞま)れる家なり。
 石階(せきかい)を上(のぼ)らんとしてわれは少しく躊躇せざるを得ざりき。顧れば、われは身に一枚の藺席(ござ)を纏ひ、しほたれたる白地の浴衣(ゆかた)を着、脚には脚絆(きやはん)も穿(うが)たず、頭(かしら)には帽子をも戴かず、背には下婢(げぢよ)の宿下りとも言ひつべき丸き一箇(ひとつ)の風呂敷包を十文字に背負ひて、その旅に窶(やつ)れたるさまはさながらあはれなる乞食ともまがふべきにあらずや。
 勇氣を鼓して玄關に向ひぬ。
 聲に應じて出で來りたるは、此家の下婢(かひ)とも覺しき十七八歳の田舍女なるが、果してわれの姿の亂れたるに驚きたりと覺しく、其處(そこ)に立ちたるまゝ、じつとわれの顏を訝(いぶか)り見ぬ。
『なにがし君は此方(こなた)に居給ふにや』
『貴下(あなた)は?』
 東京より來(きた)れるなにがしと名乘りたれど、下婢は猶疑惑(うたがひ)晴れざるものゝ如く、じつとわれを打守りぬ。やがて其旨を奧へ報ずべく立ち行きしが、少時(しばし)經ちて足音高く其處に立現はれしは、なつかしきわが友の姿。
『君か』
『や、何(ど)うも……』
『誰かと思ひし』
 霰(あられ)の如き間投詞(かんたうし)の互に交(かは)されたる後、灑(すゝ)ぎの水は汲まれ、草鞋(わらじ)は脱(ぬ)がれ、其儘奧の室(へや)に案内せられたるが、我等二人は先(まづ)何を語るべきかを知らざりき。
 友は先(まづ)わが衣の汚(けが)れたるを脱がしめ、わが旅の汗を風呂に流がさしめぬ。われはいかに喜びてその清き風呂に浴し、その厚き待遇に接したりけむ。殊に湯より上り來れば、虎の皮を敷き一閑張(かんばり)の大机を据ゑたる瀟洒なる一室には、九谷燒の徳利を載せたる午餐(ひるげ)の膳既に陳(なら)べられて、松蕈(まつたけ)の香(かぐ)はしき薫氣(かほり)はそこはかとなくあたりに滿てるにあらずや。
 盃を執りつゝ、われ等は何をか語りけむ。友は未だ世に公(おほやけ)にせざる新しき詩を吟してわれに聞かせ、われはわが旅のさま/″\の興を語りて以て友を羨ましめぬ。友はいふ、君來らんとはまことに思ひ懸けざりき。またかゝる山中にて君に逢はんとは夢にも思ひ知らざりき。此處(こゝ)はわが姉の嫁(とつ)げる家にて、さらに心置くべきもの一人もあらねば、長くとゞまりて、御嶽(おんたけ)にも登り給へ、王瀧(わうたき)にも遊び給へ、殊に、橋戸(はしど)村は木曾山中屈指の勝と稱せらるゝところなれば、必ず行きて其景を探り給へ、否、君さへ其心あらば、おのれも共に行きて遊ばむと。
 我はこの旅の意外に長くなりたるを語り、この山中に來りたるも、實は君に逢ひたしと思ひてなれば、君にすら逢はんには、最早(もはや)それにて望は達しぬ。都にも爲殘(しのこ)したる用事多きに、明日(あす)はいかにしても此處を發(た)たん。只一夜(ひとよ)の宿りを……とのみ。

 友の詩のかゞやけるも亦宜(むべ)なりや。室(へや)は木曾の清溪に對して、其水聲は鏘々(しやう/\)として枕に近く、前山後山の翠微(すゐび)は絶えずその搖曳せる嵐氣(らんき)を送りて、雲のたゞずまひまた世の常ならず。まして屋後(おくご)の花園には山ならでは見るを得られぬ珍しき草花咲き亂れて、苦吟の後(のち)は、必ずその花園を逍遙するを常と爲(な)したりと、友は秋海棠(しうかいだう)の花の咲き後(おく)れたるを摘(つ)みつゝわれに語りぬ。友の眉には無限の愁思あり、友の胸には無限の琴線(きんせん)あり。われはこれに觸れんとして、却つてわが情の純ならざるを悔ひぬ。
 午后は町を逍遙せずやといふ友の言葉に從ひて、家の若き主人(あるじ)と三人(みたり)共に家を出づ。先づ、木曾川を渡りて、對岸なる興禪寺(こうぜんじ)を訪ふ。寺は町の古寺にして、域内に木曾義仲の墳墓あり。境内また頗(すこぶ)る廣く、盆踊の盛(さかん)なるは殆ど町中第一なりといふ。それより町をめぐりて四時少し過る頃、家に歸りぬ。
 夜、友と共に再び町を散歩す。美しき月は後山より出でゝ、其興の揚れる、また此宵に似るべくもあらず。われ等は詩を語り、人生を論じ、運命を言ひて、靜かに木曾川の橋上に立てば、滿天の風露(ふうろ)冷かに衣を掠(かす)め、溪流に碎くる月の光の美しきは殆ど譬(たと)ふるに言葉を知らず。
『盆踊見んとは思はずや』
 と友の言ひしは、猶それより彼方此方(かなたこなた)を逍遙して、美しき月の光を充分に賞し盡したる後(のち)なりき。
『まだ、盆踊はあるにや』
『一月ほど前のものとは甚しく劣れど、今も踊れるものなきにあらず。行きて見んと思はゞ、伴(ともな)ひ行かん』
『行きて見ん』
 とわれは應じつ。
 町を少し左に曲れば、何ともなき廣き土地に、祭禮のごとく人集りて、その中央には手拭にて頬冠りしたる若き男女圈形(けんけい)をつくりつゝ手を繋(つな)ぎ合せて頻(しき)りに踊れり。月は水の如くその廣塲を照して、一塲の光景さながら一幅の畫圖(ぐわと)のごとくなるに、われは思はず興に入りてこれを見る。
 友はわが爲めに説きていふ、この福島町に於ける盆踊の盛(さかん)なるは到底此(この)一塲(ぢやう)のさまなどにては想像にだも及ばぬことなり。毎年その盛期に達すれば、夜ごとに近郷近村より集り來(きた)れる若き男女殆ど無數、皆この一塲の廣塲に集りて、徹宵(てつせう)踊り騷ぐを常となし、夜深(やしん)に至るに從ひて、その踊の圈(わ)次第に大に、一時二時頃に及べば、その一圈(けん)の數七八十餘名の多きに達し、而してその圈(わ)の數もまた七八組に及ぶこと尠なからず。されば淫風從つて盛に、見るに忍びざるの醜體を演ずること徃々にしてありと友は語る。
『君は其の光景を見たる事あるにや』
『幾度(いくたび)も見たり。幼き頃にもよくこの地に泊りに來ては、その賑かなるさまを面白しと思ひぬ。されど今年ほどよくその光景を觀察したる事なし。見給へ、今宵などは左程熱したるさまにも見えねど、かれ等の踊りて興に乘ずるや、殆ど周圍の見物人などは眼中に無く、その自己をすら全く忘れ果てたりと思はるゝ程にて、手の揃ひ足の亂れざる、人業(ひとわざ)にてはあらじと思はるゝばかりなり。かれ等はかくて終夜踊り、翌日は直ちに野に出でゝ烈しき勞働に從事するなるが、その根氣強きはまことに驚かるゝばかりならずや』
『町の者も出づるにや』
『否(いな)、近在より來(きた)れる農夫多し。町にても下等社會には交(まじは)りて踊るものあれど、中以上はこれを敢てするものなし』
 われ等は盆踊より延(ひ)いて、人間に於ける動物的慾情の消長に及び、その根本的本能の性のいかに吾人人類の上に烈しく恐るべき勢力を有せるかを嘆きぬ。
 歸りて眠(ねぶ)りしは十時過なりき。

 あくる朝、友の強ゐて留(とゞ)むるをさま/″\に言ひ解きて程(てい)に上(のぼ)る。旅の衣を着け、草鞋(わらぢ)を穿(うが)ち、藺席(ござ)を被(かうぶ)ればまた依然として昨日(きのふ)の乞食書生なり。友と若き主人とは少し送らばやとて後(あと)より追ひ來りぬ。美しく晴れたる日にて、路傍の草の露の繁き、思はず人をして秋の氣の胸に沁(しん)するごとくなるを覺えしむ。一二町にして友に別離(わかれ)を告げんことを望む。友諾(だく)せず。猶來ること數町、われより強ゆる更に數次なるに及び、さらばとて立留りしは、町を既に遠く離れて、路の少しく右に曲りたる、一株の松樹(まつ)の面白く立てる處なりき。
 友は微笑(ほゝゑ)みてわが旅の姿を見送れり。われは胸に限りなき旅の淋しさを覺えたれど、しかもそを強ゐて押へつゝ一歩々々次第に其處(そこ)を遠ざかり行きぬ。一町にして顧るに、友猶ほ其處に立てり。否、わが方(かた)を指點して頻(しき)りに何事をか語合へるものゝ如し。猶行くこと一町、顧るに友の姿は早既にあらず。
 これより宮(みや)の越(こし)驛に至る、坦々(たん/\)砥(と)の如き大路(たいろ)にして、木曾川は遠く開けたる左方の山の東麓を流れ、またその髣髴を得べからず。宮の越驛は木曾義仲の古蹟多きを以て世に聞えたるの地、その本城たりし山吹城(やまぶきじやう)の遺址(ゐし)は今猶其の東端にありて、田圃(でんぽ)蕭條の中(うち)仔細にその地形を指點すべく、傍(かたはら)に祀(まつ)れる八幡宮の小祠(せうし)は義仲が初めて元服を加へたるところと傳ふ。
 驛を過れば、山影再び帽廂(ばうさう)に近く、木曾川の流も亦その美しき景を眼前に展開し來(きた)る。一危橋あり、翠嵐(すゐらん)搖曳するの間に架し、刈草(かりくさ)を滿載したる馬の徐(おもむ)ろに其間を過ぎ行く、また趣なしとせず。路は溪(けい)と共に左に折れ又右に折れ、遂に群山重疊(ちやうでう)せる間に沒却し去る。雲あり、輕羅(けいら)のごとし。飄々として高く揚り、日光に照されてさながら金烏(きんう)のごとき光を發し、更に無限の秋風に吹かれて、次第に旗のごとく帶のごとくその山巓を卷かんとす。かくて兩山相仄(あひそく)し、溪聲雷(らい)のごとき間を過ぐること一里餘、路は更に幾屈曲して、遂に萬山の窮(きはま)るところ、蕭々たる數軒の人家の遙かに雲中に歴落(れきらく)たるを認む。
 これ即ち籔原(やごはら)驛なり。
 一時間の後(のち)、われは鳥居峠の絶巓、御嶽(おんたけ)神社遙拜所の華表(とりゐ)の前なる、一帶の草地に藺席(ござ)を敷きて、峠を登り來りし勞を醫しながら、じつと眼下に展げられたる木曾の深谷(しんこく)の景を見やりぬ。
 其景や甚だ大なるにあらず、其眺矚(そのてうしよく)や甚だ廣濶(くわうくわつ)なるにあらず、否、此處(こゝ)よりはその半腹を登り行く白衣(はくい)の行者さへ見ゆと言ふなる御嶽の姿も、今日(けふ)は麓の深谷より簇々(むら/\)と渦上する白雲の爲めに蔽はれて、その髣髴を辨ずる能はざれど、しかもわれはこの絶巓の眺望を限りなき激賞の念を以て見ざることを得ざりき。見よ、四面の連山のさながら波濤の起伏するがごとく遠く高く連(つらな)れるを。天下何(いづ)れの處にかこのおもしろき一矚(そく)とこの深奧なる無數の山谷とを見ることを得む。また、何れの處にかこの秋のさびしさとこの山の靜けさとを味うことを得む。况んや秋の日の光は美しく四山の白雲に掩映(えんえい)して、空の藍碧(らんぺき)は透徹(すきとほ)るばかりに黒く嶮しき山嶺を包み、中(うち)に無限の秋の姿を藏したるをや。
 われは茫然として時の移るをも知らざりき。
了

底本:「明治文學全集 94 明治紀行文學集」筑摩書房
   1974(昭和49)年1月30日初版第1刷発行
   1977(昭和52)年3月1日初版第2刷発行
底本の親本:「草枕」隆文館
   1905(明治38)年7月
初出:「文藝倶樂部 定期増刊 月と露」
   1903(明治36)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「邑」に対するルビの「いう」と「いふ」、「下婢」に対するルビの「げぢよ」と「かひ」の混在は、底本通りです。
入力:杉浦鳥見
校正:岡村和彦
2020年10月28日作成
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