あらすじ
明治時代、早稲田大学で「学問の独立」という言葉を頻繁に耳にしたという著者は、当初は日本語で西洋の学問を学ぶことを意味するものだと理解していました。しかし、時代が進むにつれ、西洋の学問に追随するのではなく、日本独自の学問を確立することの重要性が叫ばれるようになったのです。著者は、翻訳や受け売りを「学問の独立」と呼ぶのは矛盾していると感じ、独自性の高い日本の学問が今後発展することを期待しています。その時代には、教師が舶來の學問を日本語に譯して説明するだけの講義を聽いても、我々はそれを學問の獨立的講義であると信じて、少しも疑問を起さなかつた。學問と云ふと西洋のものを移植することゝ、事が極つてゐたのだ。
ところが、近年は「學問の獨立」の意味が著しく異つて來た。學問の研究には他の何ものからも干渉されず、束縛されないといふ毅然たる態度を意味することにもなるであらうが、それよりも現在の風潮から云つて、西洋の學問追隨の弊風を脱して日本的に獨立すべしといふ意味に取つた方がいゝかも知れない。元來、飜譯や受け賣りの講義を「學問の獨立」と稱したのは合點の行かぬ次第なのだ。
「あらくれ」といふ小雜誌の新年號所載の或る感想録を讀むと、歐洲大戰爭の時、ドイツなどから書物が來なくなつたので、桑木博士などが「困つたものだ。」といふやうなことを一寸いふと、岩野泡鳴が、「そんな風にいつも西洋にばかり頼つてゐるからいけないんだ。なぜもつと獨創的の學問を立てないのだ。」と、小つぴどくやつゝけたことが記されてゐた。勇敢なる泡鳴はすべてその調子で、獨創を念としてゐたのであつたが、その泡鳴だつて、アーサー・シモンズの『象徴派の運動』といふ西洋の本を虎の卷にして、ポーだの、ボードレールだの、ヴエルレーヌだのにかぶれてゐたのだから面白い。
しかし、今日あの頃よりはすべての學問が非常に進歩してゐるのだから、哲學でも政治學でも、さぞ日本的色彩の鮮明な獨創のものが續出せんとしてゐるのであらう。
了
底本:「正宗白鳥全集第二十七卷」福武書店
1985(昭和60)年6月29日発行
底本の親本:「予が一日一題」人文書院
1938(昭和13)年12月1日
初出:「読売新聞 夕刊」読売新聞社
1938(昭和13)年1月22日発行
入力:フクポー
校正:山村信一郎
2016年9月9日作成
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