あらすじ
怪力《くわいりき》の盲人《まうじん》と、大力無双《だいりきむさう》の大将《たいしやう》の力くらべ。その噂は、講釈師《かうしやくし》の口から語られ、好事家《かうずか》の随筆《ずゐひつ》に記される。二つの物語《ものがたり》は同じ筋立てながら、異なる様相を見せる。講釈《かうしやく》は武勇談《ぶゆうだん》として、随筆《ずゐひつ》は怪談《くわいだん》として。どちらが真実かは、読者自身の判断に委ねられる。しかし、その筆致は、あなたを物語《ものがたり》の世界へ引き込み、決して忘れられない怪力《くわいりき》の謎へと導いてくれるだろう。
 孰(いづ)れが前(さき)に出来(でき)たか、穿鑿(せんさく)に及(およ)ばぬが、怪力(くわいりき)の盲人(まうじん)の物語(ものがた)りが二ツある。同(おな)じ話(はなし)の型(かた)が変(かは)つて、一ツは講釈師(かうしやくし)が板(いた)にかけて、のん/\づい/\と顕(あら)はす。一ツは好事家(かうずか)の随筆(ずゐひつ)に、物凄(ものすご)くも又(また)恐(おそ)ろしく記(しる)される。浅(あさ)く案(あん)ずるに、此(こ)の随筆(ずゐひつ)から取(と)つて講釈(かうしやく)に仕組(しく)んで演(えん)ずるのであらうと思(おも)ふが、書(か)いた方(はう)を読(よ)むと、嘘(うそ)らしいが魅(み)せられて事実(じゞつ)に聞(き)こえる。それから講釈(かうしやく)の方(はう)を見(み)ると、真(まこと)らしいけれども考(かんが)えさせず直(たゞち)に嘘(うそ)だと分(わか)る。最(もつと)も上手(じやうず)が演(えん)ずるのを聞(き)いたら、話(はなし)の呼吸(こきふ)と、声(こゑ)の調子(てうし)で、客(きやく)をうまく引入(ひきい)れるかも知(し)れぬが、こゝでは随筆(ずゐひつ)に文章(ぶんしやう)で書(か)いたのと、筆記本(ひつきぼん)に言語(げんご)のまゝ記(しる)したものとを比較(ひかく)して、おなじ言葉(ことば)ながら、其(そ)の力(ちから)が文字(もんじ)に映(えい)じて、如何(いか)に相違(さうゐ)があるかを御覧(ごらん)に入(い)れやう。一ツは武勇談(ぶゆうだん)で、一つは怪談(くわいだん)。
 先(ま)づ講釈筆記(かうしやくひつき)の武勇談(ぶゆうだん)の方(はう)から一寸(ちよいと)抜(ぬ)き取(と)る。――最(もつと)も略筋(りやくすぢ)、あとで物語(ものがたり)の主題(しゆだい)とも言(い)ふべき処(ところ)を、較(くら)べて見(み)ませう。
 で、主題(しゆだい)と云(い)ふのは、其(そ)の怪力(くわいりき)の按摩(あんま)と、大力無双(だいりきむさう)の大将(たいしやう)が、しつぺい張(はり)くら、をすると言(い)ふので。講釈(かうしやく)の方(はう)は越前国(ゑちぜんのくに)一条(でう)ヶ谷(たに)朝倉左衛門尉義景(あさくらさゑもんのじやうよしかげ)十八人(にん)の侍大将(さむらひたいしやう)の中(うち)に、黒坂備中守(くろさかびつちうのかみ)と云(い)ふ、これは私(わたし)の隣国(りんこく)。随筆(ずゐひつ)の方(はう)は、奥州(おうしう)会津(あひづ)に諏訪越中(すはゑつちう)と云(い)ふ大力(だいりき)の人(ひと)ありて、これは宙外(ちうぐわい)さんの猪苗代(ゐなはしろ)から、山道(やまみち)三里(り)だから面白(おもしろ)い。
 処(ところ)で、此(こ)の随筆(ずゐひつ)が出処(しゆつしよ)だとすると、何(なん)のために、奥州(おうしう)を越前(ゑちぜん)へ移(うつ)して、越中(ゑつちう)を備中(びつちう)にかへたらう、ソレ或(ある)ひは越中(ゑつちう)は褌(ふんどし)に響(ひゞ)いて、強力(がうりき)の威厳(ゐげん)を傷(きづつ)けやうかの深慮(しんりよ)に出(で)たのかも計(はか)られぬ。――串戯(じやうだん)はよして、些細(さゝい)な事(こと)ではあるが、おなじ事(こと)でも、こゝは大力(だいりき)が可(い)い。強力(がうりき)、と云(い)ふと、九段坂(だんざか)をエンヤラヤに聞(き)こえて響(ひゞき)が悪(わる)い。
 最(もつと)も随筆(ずゐひつ)の方(はう)では唯(ただ)、大力(だいりき)の人(ひと)あり、としたゞけを、講釈(かうしやく)には恁(か)うしてある。
(これは越前(ゑちぜん)名代(なだい)の強力(がうりき)、一日(あるひ)狩倉(かりくら)に出(で)て大熊(おほくま)に出逢(であ)ひ、持(も)てる鎗(やり)は熊(くま)のために喰折(くひを)られ已(や)む事(こと)を得(え)ず鉄拳(てつけん)を上(あ)げて熊(くま)をば一拳(けん)の下(もと)に打殺(うちころ)しこの勇力(ゆうりよく)はかくの如(ごと)くであると其(そ)の熊(くま)の皮(かは)を馬標(うまじるし)とした。)
と大看板(おほかんばん)を上(あ)げたが、最(も)う此(こ)の辺(へん)から些(ち)と怪(あや)しく成(な)る。此(こ)の備中(びつちう)、一時(あるとき)越前(ゑちぜん)の領土巡検(りやうどじゆんけん)の役(やく)を、主人(しゆじん)義景(よしかげ)より承(うけたまは)り、供方(ともかた)二十人(にん)ばかりを連(つ)れて、領分(りやうぶん)の民(たみ)の状態(じやうたい)を察(さつ)せんため、名(な)だゝる越前(ゑちぜん)の大川(おほかは)、足羽川(あすはがは)のほとりにかゝる。ト長雨(ながあめ)のあとで、水勢(すゐせい)どう/\として、渦(うづ)を巻(まい)て流(なが)れ、蛇籠(じやかご)も動(うご)く、とある。備中(びつちう)馬(うま)を立(た)てゝ、
「頗(すこぶ)る水(みづ)だな。」
「御意(ぎよい)、」と一同(いちどう)川岸(かはぎし)に休息(きうそく)する。向(むか)ふ岸(ぎし)へのそ/\と出(で)て来(き)たものがあつた。
(尖(さき)へ玉(たま)のついた長杖(ながづゑ)を突(つ)き、草色(くさいろ)、石持(こくもち)の衣類(いるゐ)、小倉(こくら)の帯(おび)を胸高(むなだか)で、身(み)の丈(たけ)六尺(しやく)あまりもあらうかと云(い)ふ、大(おほき)な盲人(まうじん))――と云(い)ふのであるが、角帯(かくおび)を胸高(むなだか)で草色(くさいろ)の布子(ぬのこ)と来(き)ては、六尺(しやく)あまりの大(おほき)な盲人(まうじん)とは何(ど)うも見(み)えぬ。宇都谷峠(うつのやたふげ)を、とぼ/\と行(ゆ)く小按摩(こあんま)らしい。
 ――此(こ)の按摩(あんま)杖(つゑ)を力(ちから)に、川(かは)べりの水除(みづよ)け堤(づゝみ)へ来(く)ると、杖(つゑ)の先(さき)へ両手(りやうて)をかけて、ズイと腰(こし)を伸(の)ばし、耳(みゝ)欹(そばだ)てゝ考(かんが)えて居(ゐ)る様子(やうす)、――と言(い)ふ。
 これは可(い)い。如何(いか)にも按摩(あんま)が川岸(かはぎし)に立(た)つて瀬(せ)をうかゞうやうに見(み)える、が、尋常(たゞ)の按摩(あんま)と違(ちが)ひがない。
 上下(かみしも)何百文(なんびやくもん)を論(ろん)ずるのぢやない、怪力(くわいりき)を写(うつ)す優劣(いうれつ)を云(い)ふのである。
 出水(でみづ)だ危(あぶな)い、と人々(ひと/″\)此方(こなた)の岸(きし)から呼(よ)ばゝつたが、強情(がうじやう)にものともしないで、下駄(げた)を脱(ぬ)ぐと杖(つゑ)を通(とほ)し、帯(おび)を解(と)いて素裸(すはだか)で、ざぶ/\と渉(わた)りかける。呆(あき)れ果(は)てゝ眺(なが)めて居(ゐ)ると、やがて浅(あさ)い処(ところ)で腰(こし)の辺(あたり)、深(ふか)い処(ところ)は乳(ちゝ)の上(うへ)になる。最(もつと)も激流(げきりう)矢(や)を流(なが)す。川(かは)の七分目(ぶんめ)へ来(き)た処(ところ)に、大巌(おほいは)が一つ水(みづ)を堰(せ)いて龍虎(りうこ)を躍(おど)らす。按摩(あんま)巌(いは)の前(まへ)にフト留(と)まつて、少時(しばらく)小首(こくび)を傾(かたむ)けたが、すぐに褌(ふんどし)へ杖(つゑ)をさした。手唾(てつば)をかけて、ヤ、曳(えい)、と圧(お)しはじめ、ヨイシヨ、アリヤ/\/\、ザブーンと転(ころ)がす。
 備中(びつちう)驚(おどろ)き嘆(たん)じ、無事(ぶじ)に渉(わた)り果(は)てた按摩(あんま)を、床几(しやうぎ)に近(ちか)う召寄(めしよ)せて、
「あつぱれ、其(そ)の方(はう)、水(みづ)にせかるゝ大巌(おほいは)を流(ながれ)に逆(さか)らひ押転(おしころ)ばす、凡(およ)そ如何(いか)ばかりの力(ちから)があるな。」
 すると按摩(あんま)が我(われ)ながら我(わ)が力(ちから)のほどを、自(みづ)から試(こゝろ)みた事(こと)がないと言(い)ふ。
「汝(なんぢ)音(おと)にも聞(き)きつらん、予(よ)は白山(はくさん)の狩倉(かりくら)に、大熊(おほくま)を撲殺(うちころ)した黒坂備中(くろさかびつちう)、此(こ)の方(はう)も未(いま)だ自分(じぶん)に力(ちから)を試(ため)さん、いざふれ汝(なんぢ)と力競(ちからくら)べをして見(み)やうか。」
「へゝゝゝ、恐(おそ)れながら御意(ぎよい)にまかせ、早速(さつそく)おん対手(あひて)」と按摩(あんま)が云(い)ふ。
 さて、招魂社(しやうこんしや)の観世物(みせもの)で、墨(すみ)のなすりくらをするのではないから、盲人(まうじん)と相撲(すまふ)もいかゞなもの。
「シツペイの打(うち)くらをいたさうかの。」
「へゝゝゝ、おもしろうござります。」
「勝(か)つたら、御褒美(ごほうび)に銀(ぎん)二枚(まい)。汝(なんぢ)負(ま)けたら按摩(あんま)をいたせ、」と此処(こゝ)で約束(やくそく)が出来(でき)て、さて、シツペイの打(うち)くらと成(な)る。
「まづ、御前様(ごぜんさま)。」
「心得(こゝろえ)た。」
「へゝゝゝ」
と出(だ)した腕(うで)が松(まつ)の樹(き)同然(どうぜん)、針金(はりがね)のやうな毛(け)がスク/\見(み)える。
「参(まゐ)るぞ。」
 うん、と備中(びつちう)、鼻膩(はなあぶら)を引(ひ)いた――とある。
 宜(よ)いか按摩(あんま)、と呼(よ)ばゝつて、備中守(びつちうのかみ)、指(ゆび)のしなへでウーンと打(う)つたが、一向(いつかう)に感(かん)じた様子(やうす)がない。さすがに紫色(むらさきいろ)に成(な)つた手首(てくび)を、按摩(あんま)は擦(さす)らうとせず、
「ハヽヽ、蕨(わらび)が触(さは)つた。」
は、強情(がうじやう)不敵(ふてき)な奴(やつ)。さて、入替(いれかは)つて按摩(あんま)がシツペイの番(ばん)と成(な)ると、先(ま)づ以(も)つて盆(ぼん)の払(はらひ)にありつきました、と白銀(はくぎん)二枚(まい)頂戴(ちやうだい)の事(こと)に極(き)めてかゝつて、
「さあ、殿様(とのさま)お手(て)を。」
と言(い)ふ。其処(そこ)で渋(しぶ)りながら備中守(びつちうのかみ)の差出(さしだ)す腕(うで)を、片手(かたて)で握添(にぎりそ)へて、大根(だいこん)おろしにズイと扱(しご)く。とえゝ、擽(くすぐ)つたい処(どころ)の騒(さは)ぎか。最(も)う其(それ)だけで痺(しび)れるばかり。いや、此(こ)の勢(いきほひ)で、的面(まとも)にシツペイを遣(や)られた日(ひ)には、熊(くま)を挫(ひし)いだ腕(うで)も砕(くだ)けやう。按摩(あんま)爾時(そのとき)鼻脂(はなあぶら)で、
「はい御免(ごめん)。」
ト傍(かたはら)に控(ひか)へた備中(びつちう)の家来(けらい)、サソクに南蛮鉄(なんばんてつ)の鐙(あぶみ)を取(と)つて、中(なか)を遮(さへぎ)つて出(だ)した途端(とたん)に、ピシリと張(は)つた。
「アイタタ。」
と按摩(あんま)さすがに怯(ひる)む。備中(びつちう)苦笑(にがわら)ひをして、
「力(ちから)は其(それ)だけかな、さて/\思(おも)つたほどでもない。」
と負惜(まけをし)みを言(い)つたものゝ、家来(けらい)どもと顔(かほ)を見合(みあ)はせて、舌(した)を巻(ま)いたも道理(だうり)。鐙(あぶみ)の真中(まんなか)が其(そ)のシツペイのために凹(くぼ)んで居(ゐ)た――と言(い)ふのが講釈(かうしやく)の分(ぶん)である。
 さて此(こ)の趣(おもむき)で見(み)ると、最初(さいしよ)から按摩(あんま)の様子(やうす)に、迚(とて)も南蛮鉄(なんばんてつ)の鐙(あぶみ)の面(つら)を指(ゆび)で張窪(はりくぼ)ますほどの力(ちから)がない。以前(いぜん)激流(げきりう)に逆(さから)つて、大石(だいせき)を転(ころ)ばして人助(ひとだす)けのためにしたと言(い)ふのも、第(だい)一、かちわたりをすべき川(かは)でないから石(いし)があるのが、然(さ)まで諸人(しよにん)の難儀(なんぎ)とも思(おも)はれぬ。往来(わうらい)に穴(あな)があるのとは訳(わけ)が違(ちが)ふ。
 処(ところ)で、随筆(ずゐひつ)に書(か)いた方(はう)は、初手(しよて)から筆者(ひつしや)の用意(ようい)が深(ふか)い。これは前(まへ)にも一寸(ちよつと)言(い)つた。――奥州(おうしう)会津(あひづ)に諏訪越中(すはゑつちう)と云(い)ふ大力(だいりき)の人(ひと)あり。或一年(あるひとゝせ)春(はる)の末(すゑ)つ方(かた)遠乗(とほのり)かた/″\白岩(しらいは)の塔(たふ)を見物(けんぶつ)に、割籠(わりご)吸筒(すゐづゝ)取持(とりも)たせ。――で、民情視察(みんじやうしさつ)、巡見(じゆんけん)でないのが先(ま)づ嬉(うれ)しい。――供(とも)二人三人召連(めしつ)れ春風(はるかぜ)と言(い)ふ遠(とほ)がけの馬(うま)に乗(の)り、塔(たふ)のあたりに至(いた)り、岩窟堂(がんくつだう)の虚空蔵(こくうざう)にて酒(さけ)をのむ――とある。古武士(こぶし)が野(の)がけの風情(ふぜい)も興(きよう)あり。――帰路(きろ)に闇川橋(やみがはばし)を通(とほ)りけるに、橋姫(はしひめ)の宮(みや)のほとりにて、丈(たけ)高(たか)くしたゝかなる座頭(ざとう)の坊(ばう)、――としてあるが、宇都谷峠(うつのやたふげ)とは雲泥(うんでい)の相違(さうゐ)、此(こ)のしたゝかなるとばかりでも一寸(ちよいと)鐙(あぶみ)は窪(くぼ)ませられる。座頭(ざとう)、琵琶箱(びはばこ)を負(お)ひて、がたりびしりと欄干(らんかん)を探(さぐ)り居(ゐ)たり。――琵琶箱(びはばこ)負(お)ひたる丈(たけ)高(たか)きしたゝかな座頭(ざとう)一人(ひとり)、人通(ひとゞほり)もなき闇川橋(やみがはばし)の欄干(らんかん)を、杖(つゑ)以(も)てがたりびしりと探(さぐ)る――其(そ)の頭上(づじやう)には怪(あや)しき雲(くも)のむら/\とかゝるのが自然(しぜん)と見(み)える。分(わ)けて爰(こゝ)に、がたりびしりは、文章(ぶんしやう)の冴(さえ)で、杖(つゑ)の音(おと)が物凄(ものすご)く耳(みゝ)に響(ひゞ)く。なか/\口(くち)で言(い)つても此(こ)の味(あぢ)は声(こゑ)に出(だ)せぬ。
 また此(こ)の様子(やうす)を見(み)ては、誰(たれ)も怪(あやし)まずには居(ゐ)られない。――越中(ゑつちう)馬(うま)を控(ひか)へ、坐頭(ざとう)の坊(ばう)何(なに)をする、と言(い)ふ。坐頭(ざとう)聞(き)いて、此(こ)の橋(はし)は昔(むかし)聖徳太子(しやうとくたいし)の日本(につぽん)六十余州(よしう)へ百八十の橋(はし)を御掛(おか)けなされし其(そ)の内(うち)にて候(さふらふ)よし伝(つた)へうけたまはり候(さふらふ)、誠(まこと)にて候(さふらふ)や、と言(い)ふ。
 成程(なるほど)それなりと言(い)ふ。
 座頭(ざとう)申(まを)すやう、吾等(われら)去年(いぬるとし)、音(おと)にきゝし信濃(しなの)なる彼(か)の木曾(きそ)の掛橋(かけはし)を通(とほ)り申(まを)すに、橋杭(はしぐひ)立(た)ち申(まを)さず、谷(たに)より谷(たに)へ掛渡(かけわた)しの鉄(てつ)の鎖(くさり)にて繋(つな)ぎ置(お)き申候(まをしさふらふ)。其(そ)の木曾(きそ)の掛橋(かけはし)と景色(けしき)は同(おな)じ事(こと)ながら、此(こ)の橋(はし)の風景(ふうけい)には歌(うた)よむ人(ひと)もなきやらむ。木曾(きそ)の橋(はし)をば西行法師(さいぎやうほふし)の春(はる)花(はな)の盛(さかり)に通(とほ)り給(たま)ひて、
生(お)ひすがふ谷(たに)のこずゑをくもでにて
    散(ち)らぬ花(はな)ふむ木曾(きそ)のかけ橋(はし)
また源(みなもと)の頼光(よりみつ)、中納言維仲卿(ちうなごんこれなかきやう)の御息女(ごそくぢよ)を恋(こ)ひさせ給(たま)ひて、
恋染(こひそめ)し木曾路(きそぢ)の橋(はし)も年(とし)経(へ)なば
    中(なか)もや絶(た)えて落(おち)ぞしぬめり
 此(こ)のほか色々(いろ/\)の歌(うた)も侍(はべ)るよし承(うけたまは)り候(さふらふ)と言(い)ふ。――此(こ)の物語(ものがたり)、優美(いうび)の中(うち)に幻怪(げんくわい)あり。六十余州(よしう)往来(わうらい)する魔物(まもの)の風流(ふうりう)思(おも)ふべく、はた是(これ)あるがために、闇川橋(やみがはばし)のあたり、山(やま)聳(そび)え、花(はな)深(ふか)く、路(みち)幽(ゆう)に、水(みづ)疾(はや)き風情(ふぜい)見(み)るが如(ごと)く、且(か)つ能楽(のうがく)に於(お)ける、前(まへ)シテと云(い)ふ段取(だんどり)にも成(な)る。
 越中(ゑつちう)つく/″\聞(き)いて、見(み)かけは弁慶(べんけい)とも言(い)ふべき人柄(ひとがら)なれども心(こゝろ)だての殊勝(しゆしよう)さは、喜撰法師(きせんはふし)にも劣(おと)るまじと誉(ほ)め、それより道(みち)づれして、野寺(のでら)の観音堂(くわんおんだう)へ近(ちか)くなりて、座頭(ざとう)傍(かたはら)の石(いし)に躓(つまづ)きて、うつぶしに倒(たふ)れけるが――と本文(ほんもん)にある処(ところ)、講釈(かうしやく)の即(すなは)ち足羽川(あすはがは)中流(ちうりう)の石(いし)なのであるが、比較(ひかく)して言(い)ふまでもなく、此(こ)の方(はう)が自然(しぜん)で、且(か)つ変化(へんげ)の此(こ)の座頭(ざとう)だけに、観音堂(くわんおんだう)に近(ちか)い処(ところ)で、躓(つまづ)き倒(たふ)れたと云(い)へば、何(なに)となく秘密(ひみつ)の約束(やくそく)があつて、ゾツとさせる。――座頭(ざとう)むくと起直(おきなほ)つて、腹(はら)を立(た)て、道端(みちばた)にあつて往来(わうらい)の障(さまたげ)なりと、二三十人(にん)ばかりにても動(うご)かしがたき大石(だいせき)の角(かど)に手(て)をかけ、曳(えい)やつといふて引起(ひきおこ)し、目(め)より高(たか)くさし上(あ)げ、谷底(たにそこ)へ投落(なげおと)す。――いかにも是(これ)ならば投(な)げられる、――越中(ゑつちう)これを見(み)て胆(きも)を消(け)し、――とあつて、
「さて/\御座頭(おざとう)は大力(だいりき)かな、我(われ)も少(すこ)し力(ちから)あり、何(なん)と慰(なぐさ)みながら力競(ちからくらべ)せまじきか。」
と言(い)ふ。我(われ)も少(すこ)し力(ちから)ありて、やわか座頭(ざとう)に劣(おと)るまじい大力(だいりき)のほどが想(おも)はれる。自(みづ)から熊(くま)を張殺(はりころ)したと名乗(なの)るのと、どちらが点首(うなづ)かれるかは論(ろん)に及(およ)ばぬ。
 座頭(ざとう)聞(き)いて、
「御慰(おなぐさ)みになるべくは御相手(おあいて)仕(つかまつ)るべし。」
と言(い)ふ。其処(そこ)で、野寺(のでら)の観音堂(くわんおんだう)の拝殿(はいでん)へ上(あが)り、其方(そなた)盲人(まうじん)にて角觝(すまう)は成(な)るまじ、腕(うで)おしか頭(あたま)はりくらか此(こ)の二(ふた)つの中(うち)にせむ。座頭(ざとう)申(まを)すは、然(しか)らばしつぺい張競(はりくら)を仕候(つかまつりさふら)はんまゝ、我(わが)天窓(あたま)を御張(おんは)り候(さふら)へと云(い)ふ。越中(ゑつちう)然(しか)らばうけ候(さふら)へとて、座頭(ざとう)の天窓(あたま)へしたゝかにしつぺいを張(は)る。座頭(ざとう)覚(おぼ)えず頭(かしら)を縮(ちゞ)め、面(おもて)を顰(ひそ)め、しばし天窓(あたま)を撫(な)でゝ、
「さて/\強(つよ)き御力(おちから)かな、そなたは聞及(きゝおよ)びし諏訪越中(すはゑつちう)な。さらば某(それがし)も慮外(りよぐわい)ながら一(ひと)しつぺい仕(つかまつ)らむ、うけて御覧候(ごらんさふら)へ。」
とて越中(ゑつちう)が頭(かしら)を撫(な)でゝ見(み)、舌(した)赤(あか)くニヤリと笑(わら)ひ、人(ひと)さし指(ゆび)に鼻油(はなあぶら)を引(ひい)て、しつぺい張(はら)んと歯噛(はがみ)をなし立上(たちあが)りし面貌(つらがまへ)――と云々(うんぬん)。恁(かく)てこそ鬼神(きじん)と勇士(ゆうし)が力較(ちからくら)べも壮大(そうだい)ならずや。
 越中(ゑつちう)密(ひそか)に立(た)つて鐙(あぶみ)をはづし、座頭(ざとう)がしつぺいを鐙(あぶみ)の鼻(はな)にて受(う)くる。座頭(ざとう)乗(のり)かけ声(こゑ)をかけ、
「曳(えい)や、」
とはつしと張(は)る。鐙(あぶみ)の雉子(きじ)のもゝのまがりめ二(ふた)ツ三(み)ツに張砕(はりくだ)けたり。
「あつ、」
と越中(ゑつちう)、がたり鐙(あぶみ)を投(はう)り出(だ)し、馬(うま)にひらりと乗(の)るより疾(はや)く、一散(さん)に遁(に)げて行(ゆ)く。座頭(ざとう)腹(はら)を立(た)て、
「卑怯(ひけう)なり何処(いづく)へ遁(に)ぐる。」
と大音(だいおん)あげ、追掛(おひかけ)しが忽(たちま)ちに雲(くも)起(おこ)り、真闇(まつくら)になり、大雨(たいう)降出(ふりいだ)し、稲光(いなびかり)烈(はげ)しく、大風(おほかぜ)吹(ふ)くが如(ごと)くなる音(おと)して座頭(ざとう)はいづくに行(ゆき)しやらむ――と言(い)ふのである。前(まへ)の講釈(かうしやく)のと読較(よみくら)べると、彼(か)の按摩(あんま)が後(のち)に侍(さむらひ)に取立(とりたて)られたと云(い)ふ話(はなし)より、此天狗(このてんぐ)か化物(ばけもの)らしい方(はう)が、却(かへ)つて事実(じゝつ)に見(み)えるのが面白(おもしろ)い。
了

底本:「新編 泉鏡花集 第十巻」岩波書店
   2004(平成16)年4月23日第1刷発行
底本の親本:「桜草」文芸書院
   1913(大正2)年3月18日
初出:「新小説 第十四年第六巻―第十四年第七巻」春陽堂
   1909(明治42)年6月1日―7月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「怪力(くわいりき)」となっています。
※初出時の署名は「泉鏡花」です。
入力:日根敏晶
校正:門田裕志
2016年10月28日作成
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