あらすじ
与吉は、巨大な樟の材木を黙々と挽き続ける木挽です。彼の住居は、干潮時には哀れな姿を見せる、川辺に停泊する小さな船。日々の生活は、材木と水の音、そして静寂に彩られています。しかし、その静寂の中に、与吉の父親の病気が暗い影を落とします。父親は、何とも言いようのない理由で魚を食べることを拒み、衰弱していく一方です。与吉は、父親の病状を案じ、豆腐屋のおかみさんに、骨のある豆腐を作ってくれるよう頼みます。しかし、その豆腐すら、父親には受け入れられないかもしれません。与吉は、父親の病気を治すため、そして、この静寂の世界から抜け出すため、必死に生きています。
「…………」
 山には木樵唄(きこりうた)、水には船唄(ふなうた)、駅路(うまやじ)には馬子(まご)の唄、渠等(かれら)はこれを以(もっ)て心を慰(なぐさ)め、労(ろう)を休め、我(おの)が身を忘れて屈託(くったく)なくその業(ぎょう)に服するので、恰(あたか)も時計が動く毎(ごと)にセコンドが鳴るようなものであろう。またそれがために勢(いきおい)を増し、力を得(う)ることは、戦(たたかい)に鯨波(とき)を挙げるに斉(ひと)しい、曳々(えいえい)! と一斉に声を合わせるトタンに、故郷(ふるさと)も、妻子(つまこ)も、死も、時間も、慾も、未練も忘れるのである。
 同じ道理で、坂は照る照る鈴鹿(すずか)は曇(くも)る=といい、袷(あわせ)遣(や)りたや足袋(たび)添えて=と唱える場合には、いずれも疲(つかれ)を休めるのである、無益(むえき)なものおもいを消すのである、寧(むし)ろ苦労を紛(まぎ)らそうとするのである、憂(うさ)を散(さん)じよう、恋を忘れよう、泣音(なくね)を忍ぼうとするのである。
 それだから追分(おいわけ)が何時(いつ)でもあわれに感じらるる。つまる処(ところ)、卑怯(ひきょう)な、臆病な老人が念仏を唱えるのと大差はないので、語(ご)を換えて言えば、不残(のこらず)、節(ふし)をつけた不平の独言(つぶやき)である。
 船頭、馬方、木樵、機業場(はたおりば)の女工など、あるが中に、この木挽(こびき)は唄を謡(うた)わなかった。その木挽の与吉(よきち)は、朝から晩まで、同じことをして木を挽いて居る、黙って大鋸(おおのこぎり)を以て巨材(きょざい)の許(もと)に跪(ひざまず)いて、そして仰いで礼拝(らいはい)する如く、上から挽きおろし、挽きおろす。この度(たび)のは、一昨日(おととい)の朝から懸(かか)った仕事で、ハヤその半(なかば)を挽いた。丈(たけ)四間(けん)半(はん)、小口(こぐち)三尺(じゃく)まわり四角な樟(くすのき)を真二(まっぷた)つに割ろうとするので、与吉は十七の小腕(こうで)だけれども、この業(わざ)には長(た)けて居た。
 目鼻立(めはなだち)の愛くるしい、罪の無い丸顔、五分刈(ごぶがり)に向顱巻(むこうはちまき)、三尺帯(さんじゃくおび)を前で結んで、南(なん)の字を大(おお)く染抜(そめぬ)いた半被(はっぴ)を着て居る、これは此処(ここ)の大家(たいけ)の仕着(しきせ)で、挽いてる樟もその持分(もちぶん)。
 未(ま)だ暑いから股引(ももひき)は穿(は)かず、跣足(はだし)で木屑(きくず)の中についた膝(ひざ)、股(もも)、胸のあたりは色が白い。大柄だけれども肥(ふと)っては居(お)らぬ、ならば袴(はかま)でも穿かして見たい。与吉が身体(からだ)を入れようという家は、直(すぐ)間近(まぢか)で、一町(ちょう)ばかり行(ゆ)くと、袂(たもと)に一本暴風雨(あらし)で根返(ねがえ)して横様(よこざま)になったまま、半ば枯れて、半ば青々とした、あわれな銀杏(いちょう)の矮樹(わいじゅ)がある、橋が一個(ひとつ)。その渋色の橋を渡ると、岸から板を渡した船がある、板を渡って、苫(とま)の中へ出入(でいり)をするので、この船が与吉の住居(すまい)。で干潮(かんちょう)の時は見るも哀(あわれ)で、宛然(さながら)洪水(でみず)のあとの如く、何時(いつ)棄(す)てた世帯道具(しょたいどうぐ)やら、欠擂鉢(かけすりばち)が黒く沈んで、蓬(おどろ)のような水草は波の随意(まにまに)靡(なび)いて居る。この水草はまた年久しく、船の底、舷(ふなばた)に搦(から)み附(つ)いて、恰も巌(いわお)に苔蒸(こけむ)したかのよう、与吉の家をしっかりと結(ゆわ)えて放しそうにもしないが、大川(おおかわ)から汐(しお)がさして来れば、岸に茂った柳の枝が水に潜(くぐ)り、泥だらけな笹の葉がぴたぴたと洗われて、底が見えなくなり、水草の隠れるに従(したご)うて、船が浮上(うきあが)ると、堤防の遠方(おちかた)にすくすくと立って白い煙を吐く此処彼処(ここかしこ)の富家(ふか)の煙突(えんとつ)が低くなって、水底のその欠擂鉢、塵芥(ちりあくた)、襤褸切(ぼろぎれ)、釘の折(おれ)などは不残(のこらず)形を消して、蒼(あお)い潮を満々(まんまん)と湛(たた)えた溜池(ためいけ)の小波(さざなみ)の上なる家は、掃除をするでもなしに美しい。
 爾時(そのとき)は船から陸へ渡した板が真直(まっすぐ)になる。これを渡って、今朝は殆(ほとんど)ど満潮だったから、与吉は柳の中で※(ぱっ)[#「火+發」、U+243CB、78-9]と旭(あさひ)がさす、黄金(こがね)のような光線に、その罪のない顔を照らされて仕事に出た。

 それから日一日(ひいちにち)おなじことをして働いて、黄昏(たそがれ)かかると日が舂(うすづ)き、柳の葉が力なく低(た)れて水が暗(くろ)うなると汐(しお)が退(ひ)く、船が沈んで、板が斜めになるのを渡って家に帰るので。
 留守には、年寄った腰の立たない与吉の爺々(ちゃん)が一人で寝て居るが、老後の病(やまい)で次第に弱るのであるから、急に容体の変るという憂慮(きづかい)はないけれども、与吉は雇(やと)われ先で昼飯をまかなわれては、小休(こやすみ)の間に毎日一度ずつ、見舞に帰るのが例であった。
「じゃあ行って来るぜ、父爺(ちゃん)。」
 与平(よへい)という親仁(おやじ)は、涅槃(ねはん)に入(い)ったような形で、胴(どう)の間(ま)に寝ながら、仏造(ほとけづく)った額(ひたい)を上げて、汗だらけだけれども目の涼しい、息子(せがれ)が地蔵眉(じぞうまゆ)の、愛くるしい、若い顔を見て、嬉しそうに頷(うなず)いて、
「晩にゃ又(また)柳屋(やなぎや)の豆腐(とうふ)にしてくんねえよ。」
「あい、」といって苫(とま)を潜(くぐ)って這(は)うようにして船から出た、与吉はずッと立って板を渡った。向(むこ)うて筋違(すじっかい)、角(かど)から二軒目に小さな柳の樹が一本、その低い枝のしなやかに垂れた葉隠(はがく)れに、一間口(けんぐち)二枚の腰障子(こししょうじ)があって、一枚には仮名(かな)、一枚には真名(まな)で豆腐と書いてある。柳の葉の翠(みどり)を透(す)かして、障子の紙は新らしく白いが、秋が近いから、破れて煤(すす)けたのを貼替(はりか)えたので、新規に出来た店ではない。柳屋は土地で老鋪(しにせ)だけれども、手広く商(あきない)をするのではなく、八九十軒もあろう百軒足らずのこの部落だけを花主(とくい)にして、今代(こんだい)は喜蔵(きぞう)という若い亭主が、自分で売りに廻(まわ)るばかりであるから、商に出た留守の、昼過(ひるすぎ)は森(しん)として、柳の蔭(かげ)に腰障子が閉まって居る、樹の下、店の前から入口へ懸(か)けて、地(じ)の窪(くぼ)んだ、泥濘(ぬかるみ)を埋めるため、一面に貝殻(かいがら)が敷いてある、白いの、半分黒いの、薄紅(うすべに)、赤いのも交って堆(うずたか)い。
 隣屋(となり)はこの辺(へん)に棟(むね)を並ぶる木屋(きや)の大家(たいけ)で、軒(のき)、廂(ひさし)、屋根の上まで、犇(ひし)と木材を積揃(つみそろ)えた、真中(まんなか)を分けて、空高(そらだか)い長方形の透間(すきま)から凡(およ)そ三十畳も敷けようという店の片端が見える、その木材の蔭になって、日の光もあからさまには射さず、薄暗い、冷々(ひやひや)とした店前(みせさき)に、帳場格子(ちょうばごうし)を控えて、年配の番頭が唯(ただ)一人帳合(ちょうあい)をしている。これが角屋敷(かどやしき)で、折曲(おれまが)ると灰色をした道が一筋(ひとすじ)、電柱の著(いちじる)しく傾いたのが、前(まえ)と後(うしろ)へ、別々に頭(かしら)を掉(ふ)って奥深(おくぶこ)う立って居る、鋼線(はりがね)が又半(なか)だるみをして、廂よりも低い処(ところ)を、弱々(よわよわ)と、斜めに、さもさも衰(おとろ)えた形(かたち)で、永代(えいたい)の方から長く続いて居るが、図(ず)に描(か)いて線を引くと、文明の程度が段々此方(こっち)へ来るに従(したご)うて、屋根越(やねごし)に鈍(にぶ)ることが分るであろう。
 単に電柱ばかりでない、鋼線ばかりでなく、橋の袂(たもと)の銀杏(いちょう)の樹も、岸の柳も、豆腐屋の軒も、角家の塀も、それ等(ら)に限らず、あたりに見ゆるものは、門の柱も、石垣も、皆(みな)傾いて居る、傾いて居る、傾いて居るが尽(ことごと)く一様(いちよう)な向(むき)にではなく、或(ある)ものは南の方へ、或ものは北の方へ、また西の方へ、東の方へ、てんでんばらばらになって、この風のない、天(そら)の晴れた、曇(くもり)のない、水面のそよそよとした、静かな、穏(おだや)かな日中(ひなか)に処(しょ)して、猶且(なおか)つ暴風に揉(も)まれ、揺(ゆ)らるる、その瞬間の趣(おもむき)あり。ものの色もすべて褪(あ)せて、その灰色に鼠(ねずみ)をさした湿地も、草も、樹も、一部落を蔽包(おおいつつ)んだ夥多(おびただ)しい材木も、材木の中を見え透く溜池(ためいけ)の水の色も、一切(いっさい)、喪服(もふく)を着(つ)けたようで、果敢(はか)なく哀(あわれ)である。

 界隈(かいわい)の景色がそんなに沈鬱(ちんうつ)で、湿々(じめじめ)として居るに従(したご)うて、住む者もまた高声(たかごえ)ではものをいわない。歩行(あるく)にも内端(うちわ)で、俯向(うつむ)き勝(がち)で、豆腐屋も、八百屋(やおや)も黙って通る。風俗も派手でない、女の好(このみ)も濃厚ではない、髪の飾(かざり)も赤いものは少なく、皆心するともなく、風土の喪に服して居るのであろう。
 元来岸の柳の根は、家々の根太(ねだ)よりも高いのであるから、破風(はふ)の上で、切々(きれぎれ)に、蛙(かわず)が鳴くのも、欄干(らんかん)の壊(くず)れた、板のはなればなれな、杭(くい)の抜けた三角形の橋の上に蘆(あし)が茂って、虫がすだくのも、船虫(ふなむし)が群(むら)がって往来を駆けまわるのも、工場の煙突(えんとつ)の烟(けむり)が遥(はる)かに見えるのも、洲崎(すさき)へ通う車の音がかたまって響くのも、二日おき三日置きに思出(おもいだ)したように巡査(じゅんさ)が入るのも、けたたましく郵便脚夫(きゃくふ)が走込(はしりこ)むのも、烏(からす)が鳴くのも、皆何となく土地の末路を示す、滅亡の兆(ちょう)であるらしい。
 けれども、滅びるといって、敢(あえ)てこの部落が無くなるという意味ではない、衰えるという意味ではない、人と家とは栄(さか)えるので、進歩するので、繁昌(はんじょう)するので、やがてその電柱は真直(まっすぐ)になり、鋼線(はりがね)は張(はり)を持ち、橋がペンキ塗(ぬり)になって、黒塀が煉瓦(れんが)に換(かわ)ると、蛙(かわず)、船虫、そんなものは、不残(のこらず)石灰(いしばい)で殺されよう。即(すなわ)ち人と家とは、栄えるので、恁(かか)る景色の俤(おもかげ)がなくなろうとする、その末路を示して、滅亡の兆を表わすので、詮(せん)ずるに、蛇(へび)は進んで衣(ころも)を脱ぎ、蝉(せみ)は栄えて殻(から)を棄(す)てる、人と家とが、皆他(た)の光栄あり、便利あり、利益ある方面に向って脱出(ぬけだ)した跡には、この地のかかる俤が、空蝉(うつせみ)になり脱殻(ぬけがら)になって了(しま)うのである。
 敢て未来のことはいわず、現在既(すで)にその姿になって居るのではないか、脱け出した或者(あるもの)は、鳴き、且(か)つ飛び、或者は、走り、且つ食(くら)う、けれども衣(きぬ)を脱いで出た蛇は、残した殻より、必ずしも美しいものとはいわれない。
 ああ、まぼろしのなつかしい、空蝉のかような風土は、却(かえ)ってうつくしいものを産するのか、柳屋に艶麗(あでやか)な姿が見える。
 与吉は父親に命ぜられて、心に留めて出たから、岸に上(あが)ると、思うともなしに豆腐屋に目を注いだ。
 柳屋は浅間(あさま)な住居(すまい)、上框(あがりがまち)を背後(うしろ)にして、見通(みとおし)の四畳半の片端(かたはし)に、隣家(となり)で帳合(ちょうあい)をする番頭と同一(おなじ)あたりの、柱に凭(もた)れ、袖をば胸のあたりで引き合わせて、浴衣(ゆかた)の袂(たもと)を折返(おりかえ)して、寝床(ねどこ)の上に坐(すわ)った膝(ひざ)に掻巻(かいまき)を懸(か)けて居る。背(うしろ)には綿(わた)の厚い、ふっくりした、竪縞(たてじま)のちゃんちゃんを着た、鬱金木綿(うこんもめん)の裏が見えて襟脚(えりあし)が雪のよう、艶気(つやけ)のない、赤熊(しゃぐま)のような、ばさばさした、余るほどあるのを天神(てんじん)に結(ゆ)って、浅黄(あさぎ)の角絞(つのしぼり)の手絡(てがら)を弛(ゆる)う大きくかけたが、病気であろう、弱々(よわよわ)とした後姿(うしろすがた)。
 見透(みとおし)の裏は小庭(こにわ)もなく、すぐ隣屋(となり)の物置(ものおき)で、此処(ここ)にも犇々(ひしひし)と材木が建重(たてかさ)ねてあるから、薄暗い中に、鮮麗(あざやか)なその浅黄の手絡と片頬(かたほ)の白いのとが、拭込(ふきこ)んだ柱に映って、ト見ると露草(つゆぐさ)が咲いたようで、果敢(はか)なくも綺麗(きれい)である。
 与吉はよくも見ず、通りがかりに、
「今日(こんにち)は、」と、声を掛けたが、フト引戻(ひきもど)さるるようにして覗(のぞ)いて見た、心着(こころづ)くと、自分が挨拶(あいさつ)したつもりの婦人(おんな)はこの人ではない。

「居ない。」と呟(つぶや)くが如くにいって、そのまま通抜(とおりぬ)けようとする。
 ト日があたって暖(あたた)たかそうな、明(あかる)い腰障子(こししょうじ)の内に、前刻(さっき)から静かに水を掻廻(かきまわ)す気勢(けはい)がして居たが、ばったりといって、下駄(げた)の音。
「与吉さん、仕事にかい。」
 と婀娜(あだ)たる声、障子を開けて顔を出した、水色の唐縮緬(とうちりめん)を引裂(ひっさ)いたままの襷(たすき)、玉のような腕(かいな)もあらわに、蜘蛛(くも)の囲(い)を絞(しぼ)った浴衣(ゆかた)、帯は占(し)めず、細紐(ほそひも)の態(なり)で裾(すそ)を端折(はしょ)って、布の純白なのを、短かく脛(はぎ)に掛けて甲斐甲斐(かいがい)しい。
 歯を染めた、面長(おもなが)の、目鼻立(めはなだち)はっきりとした、眉(まゆ)は落(おと)さぬ、束(たば)ね髪(がみ)の中年増(ちゅうどしま)、喜蔵の女房で、お品(しな)という。
 濡(ぬ)れた手を間近(まぢか)な柳の幹にかけて半身(はんしん)を出した、お品は与吉を見て微笑(ほほえ)んだ。
 土間(どま)は一面の日あたりで、盤台(はんだい)、桶(おけ)、布巾(ふきん)など、ありったけのもの皆濡れたのに、薄く陽炎(かげろう)のようなのが立籠(たちこ)めて、豆腐がどんよりとして沈んだ、新木(あらき)の大桶の水の色は、薄(うす)ら蒼(あお)く、柳の影が映って居る。
「晩方(ばんがた)又(また)来るんだ。」
 お品は莞爾(にっこり)しながら、
「難有(ありがと)う存じます、」故(わざ)と慇懃(いんぎん)にいった。
 つかつかと行懸(ゆきか)けた与吉は、これを聞くと、あまり自分の素気(そっけ)なかったのに気がついたか、小戻(こもど)りして真顔(まがお)で、眼を一ツ瞬(しばだた)いて、
「ええ、毎度難有う存じます。」と、罪のない口の利きようである。
「ほほほ、何をいってるのさ。」
「何がよ。」
「だってお前様(まえさん)はお客様じゃあないかね、お客様なら私(わたし)ン処(ところ)の旦那(だんな)だね、ですから、あの、毎度難有う存じます。」と柳に手を縋(すが)って半身を伸出(のびで)たまま、胸と顔を斜めにして、与吉の顔を差覗(さしのぞ)く。
 与吉は極(きまり)の悪そうな趣(おもむき)で、
「お客様だって、あの、私は木挽(こびき)の小僧だもの。」
 と手真似(てまね)で見せた、与吉は両手を突出(つきだ)してぐっと引いた。
「こうやって、こう挽いてるんだぜ、木挽の小僧だぜ。お前様(まえさん)はおかみさんだろう、柳屋のおかみさんじゃねえか、それ見ねえ、此方(こっち)でお辞儀(じぎ)をしなけりゃならないんだ。ねえ、」
「あれだ、」とお品は目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)って、
「まあ、勿体(もったい)ないわねえ、私達に何のお前さん……」といいかけて、つくづく瞻(みまも)りながら、お品はずッと立って、与吉に向い合い、その襷懸(たすきが)けの綺麗(きれい)な腕を、両方大袈裟(おおげさ)に振って見せた。
「こうやって威張(いば)ってお在(いで)よ。」
「威張らなくッたって、何も、威張らなくッたって構わないから、父爺(ちゃん)が魚を食ってくれると可(い)いけれど、」と何と思ったか与吉はうつむいて悄(しお)れたのである。
「何(ど)うしたんだね、又余計に悪くなったの。」と親切にも優しく眉を顰(ひそ)めて聞いた。
「余計に悪くなって堪(たま)るもんか、この節(せつ)あ心持(こころもち)が快方(いいほう)だっていうけれど、え、魚気(さかなっけ)を食わねえじゃあ、身体(からだ)が弱るっていうのに、父爺はね、腥(なまぐさ)いものにゃ箸(はし)もつけねえで、豆腐でなくっちゃあならねえッていうんだ。え、おかみさん、骨のある豆腐は出来まいか。」と思出(おもいだ)したように唐突(だしぬけ)にいった。

「おや、」
 お品は与吉がいうことの余り突拍子(とっぴょうし)なのを、笑うよりも先(ま)ず驚いたのである。
「ねえ、親方に聞いて見てくんねえ、出来そうなもんだなあ。雁(がん)もどきッて、ほら、種々(いろん)なものが入った油揚(あぶらあげ)があらあ、銀杏(ぎんなん)だの、椎茸(しいたけ)だの、あれだ、あの中へ、え、肴(さかな)を入れて交(ま)ぜッこにするてえことあ不可(いけ)ねえのかなあ。」
「そりゃ、お前さん。まあ、可(い)いやね、聞いて見て置きましょうよ。」
「ああ、聞いて見てくんねえ、真個(ほんと)に肴ッ気が無くッちゃあ、台なし身体(からだ)が弱るッていうんだもの。」
「何故(なぜ)父上(おとっさん)は腥(なまぐさ)をお食(あが)りじゃあないのだね。」
 与吉の真面目(まじめ)なのに釣込(つりこ)まれて、笑うことの出来なかったお品は、到頭(とうとう)骨のある豆腐の注文を笑わずに聞き済ました、そして真顔(まがお)で尋(たず)ねた。
「ええ、その何だって、物をこそ言わねえけれど、目もあれば、口もある、それで生白(なまじろ)い色をして、蒼(あお)いものもあるがね、煮られて皿の中に横になった姿てえものは、魚々(さかなさかな)と一口(ひとくち)にゃあいうけれど、考えて見りゃあ生身(なまみ)をぐつぐつ煮着(につ)けたのだ、尾頭(おかしら)のあるものの死骸(しがい)だと思うと、気味が悪くッて食べられねえッて、左様(そう)いうんだ。
 詰(つま)らねえことを父爺(ちゃん)いうもんじゃあねえ、山ン中の爺婆(じじばば)でも塩したのを食べるッてよ。
 煮たのが、心持(こころもち)が悪けりゃ、刺身(さしみ)にして食べないかッていうとね、身震(みぶるい)をするんだぜ。刺身ッていやあ一寸試(いっすんだめし)だ、鱠(なます)にすりゃぶつぶつ切(ぎり)か、あの又(また)目口(めくち)のついた天窓(あたま)へ骨が繋(つなが)って肉が絡(まと)いついて残る図なんてものは、と厭(いや)な顔をするからね。ああ、」といって与吉は頷(うなず)いた。これは力を入れて対手(あいて)にその意を得させようとしたのである。
「左様(そう)なんかねえ、年紀(とし)の故(せい)もあろう、一ツは気分だね、お前さん、そんなに厭がるものを無理に食べさせない方が可いよ、心持を悪くすりゃ身体のたしにもなんにもならないわねえ。」
「でも痩(や)せるようだから心配だもの。気が着かないようにして食べさせりゃ、胸を悪くすることもなかろうからなあ、いまの豆腐の何よ。ソレ、」
「骨のあるがんもどきかい、ほほほほほほ、」と笑った、垢抜(あかぬ)けのした顔に鉄漿(かね)を含んで美しい。
 片頬(かたほ)に触れた柳の葉先を、お品はその艶(つや)やかに黒い前歯で銜(くわ)えて、扱(こ)くようにして引断(ひっき)った。青い葉を、カチカチと二ツばかり噛(か)んで手に取って、掌(てのひら)に載せて見た。トタンに框(かまち)の取着(とッつき)の柱に凭(もた)れた浅黄(あさぎ)の手絡(てがら)が此方(こっち)を見向く、うら少(わかい)のと面(おもて)を合わせた。
 その時までは、殆(ほとん)ど自分で何をするかに心着(こころづ)いて居ないよう、無意識の間にして居たらしいが、フト目を留めて、俯向(うつむ)いて、じっと見て、又梢(こずえ)を仰いで、
「与吉さんのいうようじゃあ、まあ、嘸(さぞ)この葉も痛むこッたろうねえ。」
 と微笑(ほほえ)んで見せて、少(わか)いのがその清(すずし)い目に留めると、くるりと廻(まわ)って、空(そら)ざまに手を上げた、お品はすっと立って、しなやかに柳の幹(みき)を叩(たた)いたので、蜘蛛(くも)の巣の乱れた薄い色の浴衣の袂(たもと)は、ひらひらと動いた。
 与吉は半被(はっぴ)の袖を掻合(かきあ)わせて、立って見て居たが、急に振返って、
「そうだ。じゃあ親方に聞いて見ておくんな。可いかい、」
「ああ、可いとも、」といって向直って、お品は掻潜(かいくぐ)って襷(たすき)を脱(はず)した。斜めに袈裟(けさ)になって結目(むすびめ)がすらりと下(さが)る。
「お邪魔申しました。」
「あれだよ。又、」と、莞爾(にっこり)していう。
「そうだっけな、うむ、此方(こっち)あお客だぜ。」
 与吉は独(ひとり)で頷いたが、背向(うしろむき)になって、肱(ひじ)を張って、南(なん)の字の印が動く、半被の袖をぐッと引いて、手を掉(ふ)って、
「おかみさん、大威張(おおいばり)だ。」
「あばよ。」

「あい、」といいすてに、急足(いそぎあし)で、与吉は見る内(うち)に間近(まぢか)な渋色の橋の上を、黒い半被(はっぴ)で渡った。真中頃(まんなかごろ)で、向岸から駆けて来た郵便脚夫(きゃくふ)と行合(ゆきあ)って、遣違(やりちが)いに一緒になったが、分れて橋の両端(りょうはし)へ、脚夫はつかつかと間近に来て、与吉は彼(か)の、倒れながらに半ば黄ばんだ銀杏(いちょう)の影に小さくなった。

「郵便!」
「はい、」と柳の下で、洗髪(あらいがみ)のお品は、手足の真黒(まっくろ)な配達夫が、突当(つきあた)るように目の前に踏留(ふみと)まって棒立(ぼうだち)になって喚(わめ)いたのに、驚いた顔をした。
「更科(さらしな)お柳(りゅう)さん、」
「手前どもでございます。」
 お品は受取って、青い状袋の上書(うわがき)をじっと見ながら、片手を垂れて前垂(まえだれ)のさきを抓(つま)んで上げつつ、素足に穿(は)いた黒緒(くろお)の下駄を揃えて立ってたが、一寸(ちょっと)飜(かえ)して、裏の名を読むと、顔の色が動いて、横目に框(かまち)をすかして、片頬(かたほ)に笑(えみ)を含んで、堪(たま)らないといったような声で、
「柳ちゃん、来たよ!」というが疾(はや)いか、横ざまに駆けて入(い)る、柳腰(やなぎごし)、下駄が脱げて、足の裏が美しい。

 与吉が仕事場の小屋に入ると、例の如く、直(す)ぐそのまま材木の前に跪(ひざまず)いて、鋸(のこぎり)の柄(え)に手を懸(か)けた時、配達夫は、此処(ここ)の前を横切って、身を斜(ななめ)に、波に揺られて流るるような足取(あしどり)で、走り去った。
 与吉は見も遣(や)らず、傍目(わきめ)も触(ふ)らないで挽(ひ)きはじめる。
 巨大なるこの樟(くすのき)を濡(ぬ)らさないために、板屋根を葺(ふ)いた、小屋の高さは十丈(じょう)もあろう、脚の着いた台に寄せかけたのが突立(つッた)って、殆ど屋根裏に届くばかり。この根際(ねぎわ)に膝(ひざ)をついて、伸上(のびあが)っては挽き下ろし、伸上っては挽き下ろす、大鋸の歯は上下(うえした)にあらわれて、両手をかけた与吉の姿は、鋸よりも小さいかのよう。
 小屋の中(うち)には単(ただ)こればかりでなく、両傍(りょうわき)に堆(うずたか)く偉大な材木を積んであるが、その嵩(かさ)は与吉の丈(たけ)より高いので、纔(わずか)に鋸屑(おがくず)の降積(ふりつも)った上に、小さな身体(からだ)一ツ入れるより他に余地はない。で恰(あたか)も材木の穴の底に跪いてるに過ぎないのである。
 背後(うしろ)は突抜(つきぬ)けの岸で、ここにも地(つち)と一面な水が蒼(あお)く澄んで、ひたひたと小波(ささなみ)の畝(うねり)が絶えず間近(まぢこ)う来る。往来傍(おうらいばた)には又(また)岸に臨んで、果(はて)しなく組違(くみちが)えた材木が並べてあるが、二十三十ずつ、四ツ目形(なり)に、井筒形(いづつがた)に、規律正しく、一定した距離を置いて、何処(どこ)までも続いて居る、四ツ目の間を、井筒の彼方(かなた)を、見え隠れに、ちらほら人が通るが、皆黙って歩行(あるい)いて居るので。
 淋(さみし)い、森(しん)とした中に手拍子(てびょうし)が揃(そろ)って、コツコツコツコツと、鉄槌(かなづち)の音のするのは、この小屋に並んだ、一棟(ひとむね)、同一(おなじ)材木納屋(なや)の中で、三個(さんこ)の石屋が、石を鑿(き)るのである。
 板囲(いたがこい)をして、横に長い、屋根の低い、湿った暗い中で、働いて居るので、三人の石屋も斉(ひと)しく南屋(みなみや)に雇われて居るのだけれども、渠等(かれら)は与吉のようなのではない、大工と一所(いっしょ)に、南屋の普請(ふしん)に懸(かか)って居るので、ちょうど与吉の小屋と往来を隔てた真向(まむこ)うに、小さな普請小屋が、真新(まあたらし)い、節穴(ふしあな)だらけな、薄板で建って居る、三方(さんぽう)が囲ったばかり、編んで繋いだ縄(なわ)も見え、一杯の日当(ひあたり)で、いきなり土の上へ白木(しらき)の卓子(テエブル)を一脚据(す)えた、その上には大土瓶(おおどびん)が一個、茶呑茶碗(ちゃのみぢゃわん)が七個(ななつ)八個(やつ)。
 後(うしろ)に置いた腰掛台の上に、一人は匍匐(はらばい)になって、肱(ひじ)を張って長々と伸び、一人は横ざまに手枕(てまくら)して股引(ももひき)穿(は)いた脚を屈(かが)めて、天窓(あたま)をくッつけ合って大工が寝そべって居る。普請小屋と、花崗石(みかげいし)の門柱(もんばしら)を並べて扉が左右に開いて居る、門の内の横手の格子(こうし)の前に、萌黄(もえぎ)に塗った中に南と白で抜いたポンプが据(すわ)って、その縁(ふち)に釣棹(つりざお)と畚(ふご)とがぶらりと懸(かか)って居る、真(まこと)にもの静かな、大家(たいけ)の店前(みせさき)に人の気勢(けはい)もない。裏庭とおもうあたり、遥か奥の方(かた)には、葉のやや枯れかかった葡萄棚(ぶどうだな)が、影を倒(さかしま)にうつして、此処(ここ)もおなじ溜池(ためいけ)で、門のあたりから間近な橋へかけて、透間(すきま)もなく乱杭(らんぐい)を打って、数限(かずかぎり)もない材木を水のままに浸(ひた)してあるが、彼処(かしこ)へ五本、此処(ここ)へ六本、流寄(ながれよ)った形が判で印(お)した如く、皆三方から三ツに固(かたま)って、水を三角形に区切った、あたりは広く、一面に早苗田(さなえだ)のようである。この上を、時々ばらばらと雀(すずめ)が低(ひく)う。

 その他(た)に此処で動いてるものは与吉が鋸(のこぎり)に過ぎなかった。
 余り静かだから、しばらくして、又しばらくして、樟(くすのき)を挽(ひ)く毎(ごと)にぼろぼろと落つる木屑(きくず)が判然(はっきり)聞(きこ)える。
(父親(ちゃん)は何故(なぜ)魚を食べないのだろう、)とおもいながら膝(ひざ)をついて、伸上(のびあが)って、鋸を手元に引いた。木屑は極めて細かく、極めて軽く、材木の一処(ひとところ)から湧(わ)くようになって、肩にも胸にも膝の上にも降りかかる。トタンに向うざまに突出して腰を浮かした、鋸の音につれて、又時雨(しぐれ)のような微(かすか)な響(ひびき)が、寂寞(せきばく)とした巨材の一方から聞えた。
 柄(え)を握って、挽きおろして、与吉は呼吸(いき)をついた。
(左様(そう)だ、魚の死骸だ、そして骨が頭に繋がったまま、皿の中に残るのだ、)
 と思いながら、絶えず拍子にかかって、伸縮(のびちぢみ)に身体(からだ)の調子を取って、手を働かす、鋸が上下して、木屑がまた溢(こぼ)れて来る。
(何故だろう、これは鋸で挽く所為(せい)だ、)と考えて、柳の葉が痛むといったお品の言(ことば)が胸に浮ぶと、又木屑が胸にかかった。
 与吉は薄暗い中に居る、材木と、材木を積上げた周囲は、杉の香(か)、松の匂(におい)に包まれた穴の底で、目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)って、跪(ひざまず)いて、鋸を握って、空(そら)ざまに仰いで見た。
 樟の材木は斜めに立って、屋根裏を漏(も)れてちらちらする日光に映って、言うべからざる森厳(しんげん)な趣(おもむき)がある。この見上ぐるばかりな、これほどの丈(たけ)のある樹はこの辺(あたり)でついぞ見た事はない、橋の袂(たもと)の銀杏(いちょう)は固(もと)より、岸の柳は皆短(ひく)い、土手の松はいうまでもない、遥(はるか)に見えるその梢(こずえ)は殆(ほとん)ど水面と並んで居る。
 然(しか)も猶(なお)これは真直(まっすぐ)に真四角に切(きっ)たもので、およそ恁(かか)る角(かく)の材木を得ようというには、杣(そま)が八人五日あまりも懸らねばならぬと聞く。
 那(そん)な大木のあるのは蓋(けだ)し深山(しんざん)であろう、幽谷(ゆうこく)でなければならぬ。殊(こと)にこれは飛騨山(ひだやま)から廻(まわ)して来たのであることを聞いて居た。
 枝は蔓(はびこ)って、谷に亘(わた)り、葉は茂って峰を蔽(おお)い、根はただ一山(ひとやま)を絡(まと)って居たろう。
 その時は、その下蔭(したかげ)は矢張(やっぱり)こんなに暗かったか、蒼空(あおぞら)に日の照る時も、と然(そ)う思って、根際(ねぎわ)に居た黒い半被(はっぴ)を被(き)た、可愛(かわい)い顔の、小さな蟻(あり)のようなものが、偉大なる材木を仰いだ時は、手足を縮めてぞっとしたが、
(父親(ちゃん)は何(ど)うしてるだろう、)と考えついた。
 鋸は又動いて、
(左様だ、今頃は弥六親仁(やろくおやじ)がいつもの通(とおり)、筏(いかだ)を流して来て、あの、船の傍(そば)を漕(こ)いで通りすがりに、父上(ちゃん)に声をかけてくれる時分だ、)
 と思わず振向いて池の方、うしろの水を見返った。
 溜池(ためいけ)の真中(まんなか)あたりを、頬冠(ほおかむり)した、色のあせた半被を着た、脊(せい)の低い親仁が、腰を曲げ、足を突張(つッぱ)って、長い棹(さお)を繰(あやつ)って、画(え)の如く漕いで来る、筏は恰(あたか)も人を乗せて、油の上を辷(すべ)るよう。
 するすると向うへ流れて、横ざまに近づいた、細い黒い毛脛(けずね)を掠(かす)めて、蒼い水の上を鴎(かもめ)が弓形(ゆみなり)に大きく鮮(あざや)かに飛んだ。

「与太坊(よたぼう)、父爺(ちゃん)は何事もねえよ。」と、池の真中(まんなか)から声を懸けて、おやじは小屋の中を覗(のぞ)こうともせず、爪(つま)さきは小波(ささなみ)を浴(あ)ぶるばかり沈んだ筏(いかだ)を棹さして、この時また中空(なかぞら)から白い翼を飜(ひるがえ)して、ひらひらと落(おと)して来て、水に姿を宿したと思うと、向うへ飛んで、鴎の去った方(かた)へ、すらすらと流して行く。
 これは弥六といって、与吉の父翁(ちちおや)が年来の友達で、孝行な児(こ)が仕事をしながら、病人を案じて居るのを知って居るから、例として毎日今時分通りがかりにその消息を伝えるのである。与吉は安堵(あんど)して又(また)仕事にかかった。
(父親(ちゃん)は何事もないが、何故(なぜ)魚を喰(た)べないのだろう。左様(そう)だ、刺身(さしみ)は一寸(すん)だめしで、鱠(なます)はぶつぶつ切(ぎり)だ、魚(うお)の煮たのは、食べると肉がからみついたまま頭に繋(つなが)って、骨が残る、彼(あ)の皿の中の死骸に何(ど)うして箸がつけられようといって身震(みぶるい)をする、まったくだ。そして魚ばかりではない、柳の葉も食切(くいき)ると痛むのだ、)と思い思い、又この偉大なる樟(くすのき)の殆(ほとん)ど神聖に感じらるるばかりな巨材を仰ぐ。
 高い屋根は、森閑(しんかん)として日中(ひなか)薄暗い中に、ほのぼのと見える材木から又ぱらぱらと、ぱらぱらと、其処(そこ)ともなく、鋸(のこぎり)の屑(くず)が溢(こぼ)れて落ちるのを、思わず耳を澄まして聞いた。中央の木目(もくめ)から渦(うずま)いて出るのが、池の小波のひたひたと寄する音の中に、隣の納屋の石を切る響(ひびき)に交って、繁った葉と葉が擦合(すれあ)うようで、たとえば時雨(しぐれ)の降るようで、又無数の山蟻(やまあり)が谷の中を歩行(ある)く跫音(あしおと)のようである。
 与吉はとみこうみて、肩のあたり、胸のあたり、膝(ひざ)の上、跪(ひざまず)いてる足の間(あいだ)に落溜(おちたま)った、堆(うずたか)い、木屑の積ったのを、樟の血でないかと思ってゾッとした。
 今までその上について暖(あたたか)だった膝頭(ひざがしら)が冷々(ひやひや)とする、身体(からだ)が濡(ぬ)れはせぬかと疑って、彼処此処(あちこち)袖(そで)襟(えり)を手で拊(はた)いて見た。仕事最中、こんな心持(こころもち)のしたことは始めてである。
 与吉は、一人谷のドン底に居るようで、心細くなったから、見透(みす)かす如く日の光を仰いだ。薄い光線が屋根板の合目(あわせめ)から洩(も)れて、幽(かす)かに樟に映ったが、巨大なるこの材木は唯単(ただたん)に三尺角(さんじゃくかく)のみのものではなかった。
 与吉は天日を蔽(おお)う、葉の茂った五抱(いつかかえ)もあろうという幹に注連縄(しめなわ)を張った樟の大樹(たいじゅ)の根に、恰(あたか)も山の端(は)と思う処(ところ)に、しッきりなく降りかかる翠(みどり)の葉の中に、落ちて落ち重なる葉の上に、あたりは真暗(まっくら)な処に、虫よりも小(ちいさ)な身体で、この大木の恰もその注連縄の下あたりに鋸を突(つき)さして居るのに心着いて、恍惚(うっとり)として目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)ったが、気が遠くなるようだから、鋸を抜こうとすると、支(つか)えて、堅く食入(くいい)って、微(かす)かにも動かぬので、はッと思うと、谷々、峰々、一陣(いちじん)轟(ごう)! と渡る風の音に吃驚(びっくり)して、数千仞(すうせんじん)の谷底へ、真倒(まっさかさま)に落ちたと思って、小屋の中から転がり出した。
「大変だ、大変だ。」
「あれ! お聞き、」と涙声(なみだごえ)で、枕も上(あが)らぬ寝床の上の露草の、がッくりとして仰向(あおむ)けの淋(さびし)い素顔に紅(べに)を含んだ、白い頬に、蒼(あお)みのさした、うつくしい、妹の、ばさばさした天神髷(てんじんまげ)の崩れたのに、浅黄(あさぎ)の手絡(てがら)が解(と)けかかって、透通(すきとお)るように真白(まっしろ)で細(ほそ)い頸(うなじ)を、膝の上に抱いて、抱占(かかえし)めながら、頬摺(ほおずり)していった。お品が片手にはしっかりと前刻(さっき)の手紙を握って居る。
「ねえ、ねえ、お聞きよ、あれ、柳ちゃん――柳ちゃん――しっかりおし。お手紙にも、そこらの材木に枝葉がさかえるようなことがあったら、夫婦に成って遣(や)るッて書いてあるじゃあないか。
 親の為(ため)だって、何だって、一旦(いったん)他の人に身をお任せだもの、道理(もっとも)だよ。お前、お前、それで気を落したんだけれど、命をかけて願ったものを、お前、それまでに思うものを、柳ちゃん、何だってお見捨てなさるものかね、解(わか)ったかい、あれ、あれをお聞きよ。もう可(い)いよ。大丈夫だよ。願(ねがい)は叶(かな)ったよ。」
「大変だ、大変だ、材木が化けたんだぜ、小屋の材木に葉が茂った、大変だ、枝が出来た。」
 と普請小屋(ふしんごや)、材木納屋の前で叫び足らず、与吉は狂気の如く大声で、この家(や)の前をも呼(よば)わって歩行(ある)いたのである。
「ね、ね、柳ちゃん――柳ちゃん――」
 うっとりと、目を開(あ)いて、ハヤ色の褪(あ)せた唇(くちびる)に微笑(ほほえ)んで頷(うなず)いた。人に血を吸われたあわれな者の、将(まさ)に死なんとする耳に、与吉は福音(ふくいん)を伝えたのである、この与吉のようなものでなければ、実際また恁(かか)る福音は伝えられなかったのであろう。
了

底本:「化鳥・三尺角 他六篇」岩波文庫、岩波書店
   2013(平成25)年11月15日第1刷発行
   2015(平成27)年5月15日第2刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第四巻」岩波書店
   1941(昭和16)年3月15日
初出:「新小説 第四年第一巻」
   1899(明治32)年1月1日
※表題は底本では、「三尺角(さんじゃくかく)」となっています。
入力:日根敏晶
校正:門田裕志
2016年6月18日作成
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