あらすじ
老獣医糟谷は、種畜場で将来を期待されていたものの、時代の変化に取り残され、職を失ってしまいます。その後は低位の職を転々とし、かつての輝かしい日々は遠い過去のものとなりました。家族にも失望を与え、生活は苦しくなる一方です。そんな中、糟谷はかつての同僚であり、厚意のある西田に出会い、ささやかな希望を見出します。しかし、息子芳輔の反抗的な態度に再び落胆させられるのでした。
 糟谷獣医(かすやじゅうい)は、去年の暮(く)れ押(お)しつまってから、この外手町(そとでまち)へ越(こ)してきた。入り口は黒板(くろいた)べいの一部を切(き)りあけ、形(かたち)ばかりという門がまえだ。引きちがいに立てた格子戸(こうしど)二枚(まい)は、新しいけれど、いかにも、できの安物(やすもの)らしく立てつけがはなはだ悪(わる)い。むかって右手(みぎて)の門柱(もんちゅう)に看板(かんばん)がかけてある。板も手ごしらえであろう、字ももちろん自分で書いたものらしい、しろうとくさい幼稚(ようち)な字だ。
「家畜診察所(かちくしんさつじょ)」
とある大字のわきに小さく「病畜(びょうちく)入院(にゅういん)の求(もと)めに応(おう)じ候(そうろう)」と書いてある。板の新しいだけ、なおさら安(やす)っぽく、尾羽(おは)打(う)ち枯(か)らした、糟谷(かすや)の心のすさみがありありと読(よ)まれる。
 あがり口の浅(あさ)い土間(どま)にあるげた箱(ばこ)が、門外(もんがい)の往来(おうらい)から見えてる。家はずいぶん古いけれど、根継(ねつ)ぎをしたばかりであるから、ともかくも敷居(しきい)鴨居(かもい)の狂(くる)いはなさそうだ。
 入り口の障子(しょうじ)をあけると、二坪(つぼ)ほどな板(いた)の間(ま)がある。そこが病畜診察所(びょうちくしんさつじょ)兼(けん)薬局(やっきょく)らしい。さらに入院家畜(にゅういんかちく)の病室(びょうしつ)でもあろう、犬の箱(はこ)ねこの箱などが三つ四つ、すみにかさねあげてある。
 ほかに六畳(じょう)の間(ま)が二間(ふたま)と台所(だいどころ)つき二畳(じょう)が一間(ひとま)ある。これで家賃(やちん)が十円とは、おどろくほど家賃も高くなったものだ。それでも他区(たく)にくらべると、まだたいへん安いといって、糟谷(かすや)はよろこんで越(こ)してきたのである。
 糟谷(かすや)は次男(じなん)芳輔(よしすけ)三女(じょ)礼(れい)の親子(おやこ)四人の家族(かぞく)であるが、その四人の生活が、いまの糟谷(かすや)の働(はたら)きでは、なかなかほねがおれるのであった。
 平顔の目の小さいくちびるの厚(あつ)い、見たとおりの好人物(こうじんぶつ)、人と話をするにかならず、にこにこと笑(わら)っている人だ。なにほど心配なことがあっても、心配ということを知っていそうなふうのない人である。
 細君(さいくん)はそれと正反対(せいはんたい)に、色の青白(あおじろ)い、細面(ほそおもて)なさびしい顔で、用談(ようだん)のほかはあまり口はきかぬ。声をたてて笑うようなことはめったにない。そうかといって、つんとすましているというでもない。
 それは、前途(ぜんと)におおくの希望(きぼう)を持った、若(わか)い時代(じだい)には、ずいぶんいやにすました人だといわれたこともあった。実際(じっさい)気位(きぐらい)高くふるまっていたこともあった。しかしながらいまのこの人には、そんな内心(ないしん)にいくぶん自負(じふ)しているというような、気力(きりょく)は影(かげ)もとどめてはいない。きどって黙(だま)っていた、むかしのおもかげがただその形(かたち)ばかりに残ってるのだ。
 天性(てんせい)陰気(いんき)なこの人は、人の目にたつほど、愚痴(ぐち)も悔(く)やみもいわなかったものの、内心(ないしん)にはじつに長いあいだの、苦悶(くもん)と悔恨(かいこん)とをつづけてきたのである。いまは苦悶(くもん)の力もつきはてて、目に気張(きば)りの色も消えてしまった。
 生(う)まれが生まれだけにどことなし、人柄(ひとがら)なところがあって、さびしい面(おも)ざしがいっそうあわれに見える。もうもう我が世はだめだとふかくあきらめて、なるままに身をも心をもまかせてしまったというふうである。それでもさすがに、ここへ移(うつ)ってきた夜は、だれにいうとはなく、
「引(ひ)っ越(こ)すたびに家が小さくなる」
とひとりごとをくりかえしておった。
 糟谷(かすや)はあければ五十七才になる。細君(さいくん)はそれより十一の年下とかいった。糟谷は本所(ほんじょ)へ越(こ)してきて、生活の道が確立(かくりつ)したかというに、まだそうはいかぬらしい。
 糟谷が上京以来(じょうきょういらい)たえず同情(どうじょう)を寄(よ)せて、ねんごろまじわってきた、当区(とうく)の畜産家(ちくさんか)[#「畜産家」は底本では「畜産科」]西田(にしだ)という人が、糟谷の現状(げんじょう)を見るにしのびないで、ついに自分の手近(てぢか)に越(こ)さしたのであるが、糟谷が十年住(す)んでおった、新小川町のとにかく中流(ちゅうりゅう)の住宅(じゅうたく)をいでて、家賃(やちん)十円といういまの家へ移(うつ)ってきたについては、一場(じょう)の悲劇(ひげき)があった結果(けっか)である。

 糟谷(かすや)は明治十五年ごろから、足掛(か)け十二年のあいだ、下総種畜場(しもうさしゅちくじょう)の技師(ぎし)であった。そのころ種畜場は農商務省(のうしょうむしょう)の所管(しょかん)であった。糟谷(かすや)は三十になったばかり、若手(わかて)の高等官(こうとうかん)として、周囲(しゅうい)から多大(ただい)の希望(きぼう)を寄(よ)せられていた。
 新しい学問をした獣医(じゅうい)はまだすくない時代であるから、糟谷は獣医(じゅうい)としても当時(とうじ)の秀才(しゅうさい)であった。快活(かいかつ)で情愛(じょうあい)があって、すこしも官吏(かんり)ふうをせぬところから、場中(じょうちゅう)の気受(きう)けも近郷(きんごう)の評判(ひょうばん)もすこぶるよろしかった。近郷(きんごう)の農民(のうみん)はひいきの欲目(よくめ)から、糟谷は遠からずきっと場長(じょうちょう)になると信じておった。
 糟谷(かすや)は西洋葉巻(せいようはま)きを口から離(はな)さないのと、へたの横好(よこず)きに碁(ご)を打つくらいが道楽(どうらく)であるから、老人側(ろうじんがわ)にも若い人の側(がわ)にもほめられる。時間のゆるすかぎり、糟谷(かすや)は近郷(きんごう)の人の依頼(いらい)に応(おう)じて家蓄(かちく)の疾病(しっぺい)を見てやっていた。職務(しょくむ)に忠実(ちゅうじつ)な考えからばかりではないのだ。無邪気(むじゃき)な農民から、糟谷さん糟谷さんともてはやされるのが、単調子(たんちょうし)の人(ひと)よしの糟谷にはうれしかったからである。
 梅(うめ)の花(はな)、菜(な)の花(はな)ののどかな村むらを、粟毛(くりげ)に額白(ぬかじろ)の馬をのりまわした糟谷は、当時(とうじ)若(わか)い男女の注視(ちゅうし)の焦点(しょうてん)であった。糟谷は種畜場(しゅちくじょう)におって、公務(こうむ)をとるよりは、村落(そんらく)へでて農民を相手に働くのが、いつも愉快(ゆかい)に思われてきた。そうしてこういうことが、自己(じこ)の天職(てんしょく)からみてもかえってとうといのじゃないかなど考えながら、ますます乗(の)り気(き)になって農民に親(した)しむことをつとめた。
 糟谷(かすや)はでるたびにいく先(さき)ざきで、村の青年らを集(あつ)め、農耕改良(のうこうかいりょう)はかならず畜産(ちくさん)の発達(はったつ)にともなうべき理由(りゆう)などを説(と)き、文明の農業は耕牧兼行(こうぼくけんこう)でなければならぬということなどをしきりに説(と)き聞(き)かせ、養鶏(ようけい)をやれ、養豚(ようとん)をやれ、牛はかならず洋牛(ようぎゅう)を飼(か)えとすすめた。人望(じんぼう)のあった糟谷の話であるから、近郷(きんごう)の農民はきそうて家畜(かちく)を飼(こ)うた。
 糟谷はこのあいだに、三里塚(りづか)の一富農(ふのう)の長女と結婚(けっこん)した。いまの細君(さいくん)がそれである。細君の里方(さとかた)では、糟谷をえらい人と思いこみ、なお出世(しゅっせ)する人と信じて、この結婚を名誉(めいよ)と感じてむすめをとつがし、糟谷のほうでもただ良家(りょうけ)の女ということがありがたくて、むぞうさにこの結婚は成立(せいりつ)した。それで男も女も恋愛(れんあい)に関(かん)する趣味(しゅみ)にはなんらの自覚(じかく)もなかった。
 精神上(せいしんじょう)からみると、まことに無意味(むいみ)な浅薄(せんぱく)な結婚であったけれど、世間(せけん)の目から羨望(せんぼう)の中心となり、一時(じ)近郷の話題(わだい)の花であった。そして糟谷夫婦(かすやふうふ)もたわいもない夢(ゆめ)に酔(よ)うておった。

 過渡期(かとき)の時代はあまり長くはなかった。糟谷(かすや)が眼前(がんぜん)咫尺(しせき)の光景(こうけい)にうつつをぬかしているまに、背後(はいご)の時代はようしゃなく推移(すいい)しておった。
 札幌農学校(さっぽろのうがっこう)や駒場農学校(こまばのうがっこう)あたりから、ぞくぞくとして農学上(のうがくじょう)獣医学上(じゅういがくじょう)の新秀才(しんしゅうさい)がでてくる。勝島獣医学博士(かつしまじゅういがくはくし)が駒場農学校(こまばのうがっこう)のまさに卒業(そつぎょう)せんとする数十名の生徒(せいと)をひきいて種畜場(しゅちくじょう)参観(さんかん)にこられたときは、教師(きょうし)はもちろん生徒にいたるまで糟谷(かすや)のごときほとんど眼中(がんちゅう)になかった。
 糟谷(かすや)が自分の周囲(しゅうい)の寂寥(せきりょう)に心づいたときはもはやおそかった。糟谷ははるかに時代の推移(すいい)から取(と)り残(のこ)されておった。場長(じょうちょう)の位置(いち)を望(のぞ)むなどじつに思いもよらぬことと思われてきた。いまの現在(げんざい)の位置(いち)すらも、そろそろゆれだしたような気がする。ものに屈託(くったく)するなどいうことはとんと知らなかった糟谷も、にわかに悔恨(かいこん)の念(ねん)禁(きん)じがたく、しばしば寝(ね)られない夜もあった。糟谷はある夜また例(れい)のごとく、心細い思案(しあん)にせめられて寝(ね)られない。
 なるほど自分はうかつであった。国家のためということを考えて働いた。畜産界(ちくさんかい)のためということも考えて働いた。人民(じんみん)のためということも考えて働いた。けれどもただ自分のためということは、ほとんど胸中(きょうちゅう)になく働いておった。なんといううかつであったろう。もうまにあわない、なにもかもまにあわない。
 糟谷(かすや)はこう考えながら、自分には子どもがふたりあるということを強(つよ)く感じて、心持ちよく眠(ねむ)っている妻子(さいし)をかえりみた。長男義一(ぎいち)はふとってつやつやしい赤い顔を、ふとんから落(お)としてすやすや眠(ねむ)っている。妻(つま)は三つになる次男(じなん)を、さもかわいらしそうに胸(むね)に抱(だ)きよせ子どものもじゃもじゃした髪(かみ)の毛(け)に、白くふっくらした髪をひつけてなんの苦(く)もない面持(おもも)ちに眠っている。糟谷はいよいよさびしくてたまらなくなった。
 自分になんらの悪気(わるぎ)はなかったものの、妻が自分にとつぐについては自分に多大(ただい)な望(のぞ)みを属(しょく)してきたことは承知(しょうち)していたのだ。そうことばの穂(ほ)にでたときにも、自分は調子(ちょうし)にのって気休(きやす)めをいうたこともあったのだ。
 結婚当時(けっこんとうじ)からのことをいろいろ回想(かいそう)してみると、妻(つま)に対(たい)しての気のどくな心持(こころも)ち、しゅうとしゅうとめに対して面目(めんぼく)ない心持ち、いちいち自分をくるしめるのである。かれらが失望(しつぼう)落胆(らくたん)すべき必然(ひつぜん)の時期(じき)はもはや目のまえに迫(せま)っていると思うと、はらわたが煮(に)えかえってちぎれる心持ちがする。自分はなんらおかした罪(つみ)はないと考えても、それがために苦痛(くつう)の事実(じじつ)が軽(かる)くなるとは思えないのだ。
 糟谷(かすや)はまた自分の結婚(けっこん)するについてもその当時(とうじ)あまりに思慮(しりょ)のなかったことをいまさらのごとく悔(く)いた。家とか位置(いち)とかいうことを、たがいに目安(めやす)にせず、いわば人と人との結婚であったならば、自分の位置(いち)に失望的(しつぼうてき)な変遷(へんせん)があったにしろ、ともにあいあわれんで、夫婦(ふうふ)というものの情合(じょうあ)いによって、失望(しつぼう)の苦(く)も慰(なぐさ)むところがあるにちがいないだろうが、それがいまの自分にはほとんど望(のぞ)みがないばかりでなく、かえって夫婦間(ふうふかん)におこるべきいやな、いうにいわれない苦痛(くつう)のために、時代に捨(す)てらるるさびしさがいっそう苦しいのである。それもこれも考えればみな自分のうかつから求(もと)めたことでまぬがれようのない、いわゆるみずから作(つく)れるわざわいだ……。
 恋愛(れんあい)などということただただばかげてるとばかり思っていたが、恋愛のとぼしい結婚はじつにばかげておった。ばかげているというよりも、いまはそのあさはかな結婚のために、たまらないいやなくるしみをせねばならぬことになった。
 こう思って糟谷(かすや)はまた妻(つま)や子の寝姿(ねすがた)を見やった。なにか重(おも)いものでしっかりおさえていられるように妻(つま)や子どもは寝入(ねい)っている。
 いよいよ自分も非職(ひしょく)となり、出世(しゅっせ)の道がたえたときまったら、妻はどうするか、かれの両親はどういう態度(たいど)をするか、こういうときに夫婦(ふうふ)の関係(かんけい)はどうなるものかしら。いっそのこと別(わか)れてしまえばかえって気は安いが、やはり男の子ふたりのかすがいが不本意(ふほんい)に夫婦をつないでおくのだろう。
「しようがないから」「どうすることもできないから」「よんどころないからあきらめている」というような心持ちで、いかにもつまらない冷(ひや)やかな家庭を作っていねばならないのか、ああ考えるのもいやだ……。
 うっかりして過渡期(かとき)の時代におったというのが、つまり思慮(しりょ)がたらなかったのだ……。ここをやめたからとて、妻子(さいし)をやしなってゆくくらいにこまりもせまいが、しかたがない、どうなるものか益(えき)のない考えはよそう。
 考えにつかれた糟谷(かすや)は、われしらずああ、ああと嘆声(たんせい)をもらした。下女(げじょ)がおきるなと思ってから、糟谷はわずかに眠った。

 翌朝(よくちょう)はようやく出勤(しゅっきん)時間にまにあうばかりにおきた。よほど顔色(かおいろ)がわるかったか、
「どうかなさいましたか」
と細君(さいくん)がとがめる。糟谷(かすや)はうんにゃといったまま井戸端(いどばた)へでた。食事もいそいで出勤(しゅっきん)のしたくにかかると、ふたりの子どもは右から左から父にまつわる。
「おとうさん、おとうさん」
「とんちゃん、とんちゃん」
 糟谷(かすや)はきょうにかぎって、それがうるさくてたまらないけれど、子煩悩(こぼんのう)な自分が、毎朝かならず出勤(しゅっきん)のまえに、こうして子どもを寵愛(ちょうあい)してきたのであるから、無心(むしん)な子どもは例(れい)のごとく父にかわいがられようとするのを、どうもしかりとばすこともできない。
「きょうは遅(おそ)いからいそぐだ」
とすこしむずかしい顔をしても子どもは聞き入れそうもしない。糟谷(かすや)はますますむしゃくしゃして、手をだす気にもならない。
「ねいあなたちょっと抱(だ)いてやってくださいな、ほんのすこし、ねいあなたちょっと」
 細君(さいくん)から手移(てうつ)しに押(お)しつけられて、糟谷(かすや)はしょうことなしに笑って、しょうことなしに芳輔(よしすけ)を抱(だ)いた。それですぐまた細君(さいくん)に返(かえ)した。糟谷(かすや)はこのあいだにも細君の目をそらして、これら無心(むしん)の母子をぬすみ見たのである。そうしてさびしいはかない苦痛(くつう)が、胸(むね)にこみあげてくるのである。心臓(しんぞう)の動悸(どうき)が息のつまるほどはげしく、自分で自分の身がささえていられないようになった。糟谷は、
「もう遅(おそ)いっ」
とおちつかないそぶりをことばにまぎらかして外(そと)へでた。外へでるがいなや糟谷は涙(なみだ)をほろほろと落(お)とした。いますこしのところで妻(つま)に涙(なみだ)を見られるところであったと、糟谷は心で思った。
 糟谷は事務所(じむしょ)の入り口で小使(こづかい)を見た。小使はいつもていねいにあいさつするのだが、けさはすぐわきをとおりながらあいさつもせずにいってしまった。糟谷(かすや)はいやな気持ちがした。事務所へはいってみると、場長(じょうちょう)はじめ同僚(どうりょう)までに一種(しゅ)の目で自分は見られるような気がする。いつもは、
「糟谷(かすや)さんこうしてください」とか、
「これはこれしておきましょうかね」
とか、うちとけてむぞうさにいうところも、みょうにあらたまって命令的(めいれいてき)に事務(じむ)の話をするのである。糟谷はもうおちついて事務がとれない。
 あるいは非職(ひしょく)の辞令(じれい)が場長の手許(てもと)まできてでもいやせぬかとも考える。まさかにそんなに早くやめられるようなこともあるまいと思いなおしてみる。糟谷はへいきで仕事をしてるようなふうをよそおうて、机(つくえ)にむかっているときにはわかりきってることをわざわざ立っていって同僚(どうりょう)に聞いたりしている。
 場長(じょうちょう)が同僚(どうりょう)と話をしているのに、声が低(ひく)くてよく聞きとれないと、胸騒(むなさわ)ぎがする。そのかんにも昨夜(さくや)考えたことをきれぎれに思いださずにはいられない。人びとがおのおの黙(もく)して仕事(しごと)をしてるのを見ると、自分はのけものにされてるのじゃないかという考えを禁(きん)ずることができない。
 場長がなにか声高(こわだか)に近くの人に話すのを聞くと、来月(らいげつ)にはいるとそうそうに、駒場農学校(こまばのうがっこう)の卒業生(そつぎょうせい)のひとり技手(ぎしゅ)として当場(とうじょう)へくるとの話であった。糟谷(かすや)はおぼえずひやりとする。それから千葉県(ちばけん)の某(それがし)も埼玉県(さいたまけん)の某(それがし)も非職(ひしょく)になったという話をしている。それはみな糟谷と同出身(どうしゅっしん)の獣医(じゅうい)で糟谷の知人(ちじん)であった。糟谷はいまの場長の話は遠まわしに自分に諷(ふう)するのじゃないかと思った。
 糟谷(かすや)はつくづくと、自分が過渡期(かとき)の中間(ちゅうかん)に入用(にゅうよう)な材(ざい)となって、仮小屋的任務(かりごやてきにんむ)にあたったことを悔(く)やんだ。涙(なみだ)がいつのまにかまぶたをうるおしていた。
 糟谷(かすや)がぼんやりしていると、場長はじめおおくの事務員(じむいん)は、みんな書類(しょるい)をかたづけて退場(たいじょう)の用意をする。そのわけがわからなかったから、糟谷はうろたえてきょろきょろしている。ようやくのこと人びとの口気(こうき)できょうの土曜日(どようび)というに気づいた。糟谷はいまがいままできょうの土曜日ということを忘(わす)れておったのだ。
 糟谷は土曜と知って目がさめたようにたちあがった。なるほどそうであったな、すっかり忘(わす)れていた、とにかく都合(つごう)がえい、それではきょうさっそく上京(じょうきょう)して、あの人に相談(そうだん)してみよう、時重(ときしげ)先生が心配してくれ、きっとどうにかなる、東京にいることになれば位置(いち)が低くても勉強ができる、なるべく非職(ひしょく)などいう辞令(じれい)を受け取らずに、転任(てんにん)したいものだ、飯(めし)くってすぐとでかけよう。
 糟谷(かすや)はこう考えがきまると、よろめく足をふみこたえたように、からだのすわりがついた。ふみだす足にも力がはいって、おおいに元気づいて家に帰ってきた。
「とんちゃんとんちゃん」
という声も、いつものごとくにかわいかった。
 糟谷(かすや)が芳輔(よしすけ)を抱(だ)いて奥(おく)へあがるとざる碁仲間(ごなかま)の老人がすわりこんでいる。
「きょうは先生、ぜひとも先日(せんじつ)の復讐(ふくしゅう)をするつもりでやってきました。こうすこしぽかぽか暖(あたた)かくなってきますと、どうも家にばかりおられませんから」
 老人は糟谷(かすや)の浮(う)かない顔などにはいっこう気もつかず、かってに自分のいいたいことをいっている。糟谷は役所着(やくしょぎ)のままで東京へいくつもりであるから、洋服(ようふく)をぬごうともせず、子どもを抱(だ)いたまま老人と対座(たいざ)した。
「これはせっかくのご出陣(しゅつじん)ですが、じつはそのちょっと東京へいってくるつもりで……はなはだ残念(ざんねん)だが……」
「いやそりゃ残念ですな、日帰りですか」
「今夜(こんや)は帰れません」
「それじゃきょうじゅうに東京へいけばえい。二、三席(せき)勝負(しょうぶ)してからでかけても遅(おそ)くはない。うまくいって逃(に)げようたってそうはいかない」
 農家の楽隠居(らくいんきょ)に、糟谷(かすや)がいまの腹(はら)のわかるはずがない。糟谷(かすや)はくるしく思うけれど、平生(へいぜい)心おきなくまじわった老人であるから、そうきびしくことわれない、かつまたあまりにわかに変(か)わった態度(たいど)をして、いまの自分の不安心(ふあんしん)をけどられやせまいかというような、あさはかなみえもあった。
 とうとう二、三盤(ばん)打(う)つことにした。人間も糟谷(かすや)のような境遇(きょうぐう)に落(お)つるとどっちへむいても苦痛(くつう)にばかり出会(であ)うのである。
 糟谷(かすや)はその夕刻(ゆうこく)上京して、先輩(せんぱい)時重博士(ときしげはくし)をたずねて希望(きぼう)を依頼(いらい)した。
「うむ、いますこし勉強するにはそりゃもちろん東京へくるほうが得策(とくさく)だ、位置(いち)を望(のぞ)まないというならば、どうとかなるだろう、しかしきみたちのように、まにあわせの学問をした人はみなこまってるらしい、いますこし勉強するのはもっとも必要(ひつよう)だね」
 糟谷(かすや)はがらにないおじょうずをいったり、自分ながらひや汗(あせ)のでるような、軽薄(けいはく)なものいいをしたりして、なにぶん頼(たの)むを数十ぺんくり返(かえ)して辞(じ)した。
「これでも高等官(こうとうかん)かい」
 糟谷(かすや)は自分で自分をあなどって、時重博士(ときしげはくし)の門をかえりみた。なに時重さんくらいと思ったときもあったに、いまは時重と自分とのあいだに、よほどな距離(きょり)があることを思わないわけにいかなかった。妻子(さいし)を振(ふ)り捨(す)てて、奮然(ふんぜん)学問のしなおしをやってみようかしら、そんならばたしかに人をおどろかすにたるな。やってみようか、おもしろいな奮然(ふんぜん)やってみようか。ふたりの子どもを妻(つま)のやつが連(つ)れて三里塚(りづか)へいってくれると都合(つごう)がえいが、承知(しょうち)しないかな。独身(どくしん)になっていま一度(ど)学問(がくもん)がやってみたいなあ。子どもはひとりだけだなあ。ひとりのほうは妻(つま)がつれていくにきまってる。いちばん奮然(ふんぜん)としてやってみようかな。
 糟谷(かすや)はくるしまぎれに、そんな考(かんが)えをおこしてみたものの、それも長くはつづかず、すぐまたぐったりとなって、時重博士(ときしげはくし)がいってくれた「どうとかなるだろう」を頼(たよ)りにわずかに安心するほかはなかった。
 よくよく糟谷(かすや)は苦悶(くもん)につかれた。遠(とお)いさきのことはとにかく、なにかすこしのなぐさめを得(え)て、わずかのあいだなりとも、このつかれのくるしみを忘(わす)れる娯楽(ごらく)を取らねば、とてもたえられなくなった。酒好(さけず)きならばこんなときにはすぐ酒(さけ)に走るところだが、糟谷(かすや)は酒はすこしもいけない。
 糟谷(かすや)はとうとう神楽坂(かぐらざか)に親(した)しい友人をたずねた。そうしてつとめて、自分が苦労してる問題に離(はな)れた話に興(きょう)を求め、ことさらにたわいもないことを騒(さわ)いで、一晩(ばん)ざる碁(ご)をたのしんだ。翌日(よくじつ)もざる碁(ご)をたのしんだ。
 糟谷はその後(ご)日曜(にちよう)たびにかならず上京(じょうきょう)しておった。かくべつ用がなくても上京しておった。種畜場(しゅちくじょう)近郷(きんごう)の農家から、牛がすこしわるいからきてくれの、碁会(ごかい)をやるからきてくれのとしきりにいうてきたけれど、いっさい村落(そんらく)へでなかった。土曜日日曜日をうかがって、遊(あそ)びにくるものがあってもたいていは避(さ)けて会(あ)わないようにした。
 胸中(きょうちゅう)に深刻(しんこく)な痛(いた)みをおぼえてから、気楽(きらく)な悠長(ゆうちょう)な農民を相手(あいて)にして遊ぶにたえられなくなったのである。
 糟谷(かすや)はついに東京に位置(いち)を得(え)られないうちに、四月上旬(じょうじゅん)非職(ひしょく)の辞令(じれい)を受(う)け取(と)った。

 農商務省(のうしょうむしょう)にもでた、警視庁(けいしちょう)へもでた。いずれもあまりに位置(いち)が低(ひく)いので二年とはいられずやめてしまった。そのうち府下(ふか)の牛乳搾取業者(ぎゅうにゅうさくしゅぎょうしゃ)の一部(ぶ)が主(しゅ)となって、畜産衛生会(ちくさんえいせいかい)というものができた。ちょうど糟谷(かすや)が遊んでおったをさいわいに、その主任獣医(しゅにんじゅうい)となった。糟谷は以来栄達(えいたつ)の望(のぞ)みをたち、碌(ろく)ろくたる生活に安(やす)んじてしまった。愛想(あいそ)よくいつもにこにこして、葉巻(はま)きのたばこを横にくわえ、ざる碁(ご)をうって不平(ふへい)もぐちもなかった。
 ただ一度(ど)細君(さいくん)に対しては、もはや自分は大きい望(のぞ)みのないことをさらけだし、いまの自分に不足(ふそく)があるならばどうなりともおまえの気(き)ままにしてくれというた。その後は細君(さいくん)から不満(ふまん)をうったえられても相手(あいて)にならず、ひややかな気まずいそぶりをされても、へいきに見流(みなが)しておった。そうして新小川町に十余年(よねん)おった。
 糟谷(かすや)はいよいよ平凡(へいぼん)な一獣医(じゅうい)と估券(こけん)が定(さだ)まってみると、どうしても胸(むね)がおさまりかねたは細君であった。どうしてもこんなはずではなかった。三里塚(りづか)界隈(かいわい)での富豪(ふごう)の長女が、なんだってただの一獣医(じゅうい)の妻(つま)となったか、たとい種畜場(しゅちくじょう)はやめても東京へでたらば高等官(こうとうかん)のはしくれぐらいにはなっておれることと思っておった。ただの町獣医(まちじゅうい)の妻(つま)では親類(しんるい)に会(あ)わせる顔もないと思うから、どう考えてもあきらめられない。それであけても暮(く)れても欝(うつ)うつたのしまない。
 なにかといっては月のうちに一度(ど)も二度(ど)も里方(さとかた)へ相談(そうだん)にいく。なんぼ相談をくりかえしても、三人の子持ちとなった女はもはや動きはとれない。いつもいつも父母兄弟から相(あい)も変(か)わらぬ気休めをいわれて帰ってくる。
 運(うん)がわるいのだ、まがわるいのだ。若くて死(し)ぬ人もいくらもある世の中だ。あきらめねばなるまい。あきらめるよりほかに道はない。こう百度も千度もくりかえして、われと自分をいさめてみても、なかなかその日がおもしろいという気になれないのだ。
 糟谷(かすや)は細君(さいくん)がどういうことをしようといやな顔もしないから、さすがに細君もときには自分のわがままを気づいて、
「わたしがなにぶん性分(しょうぶん)がわるいものですから、わたしも自分の性分(しょうぶん)がわるいことは心得(こころえ)ていますけれども、どうもその今日(こんにち)をおもしろく暮(く)らすという気になれませんで、始終(しじゅう)あなたに失礼(しつれい)ばかりしておりますけれども」
 などと遠(とお)まわしにわび言(ごと)をいうことさえあるのである。
 種畜場以来(しゅちくじょういらい)この人を知ってる人の話を聞くと、糟谷(かすや)の奥(おく)さんは、種畜場にいた時分(じぶん)とはほとんど別人(べつじん)のようにおもざしが変(か)わってしまった、以前(いぜん)はあんなさびしい人ではなかったというている。
 こればかりは親の力にもおよばないとはいうものの、むすめが苦悶(くもん)のためにおもざしまで変(か)わったのを見ては、実(じつ)の親として心配せぬわけにはゆかない。結局(けっきょく)両親は自分たちの隠居金(いんきょがね)を全部(ぜんぶ)むすめにあたえて、
「ふたりの男の子をせい一ぱい教育(きょういく)しなさい、そうしてわが世(よ)をあきらめて、ふたりの子の出世(しゅっせ)をたのしめ」
とさとしたのである。糟谷(かすや)の妻(つま)もやっと前途(ぜんと)に一道(どう)の光をみとめて、わずかに胸のおさまりがついた。長らくのくもりもようやくうすらいで、糟谷(かすや)の家庭にわずかな光とぬくまりとができた。家畜衛生会(かちくえいせいかい)のほうもそうとうに収入(しゅうにゅう)がある。ただ近隣(きんりん)から、
「糟谷(かすや)の奥(おく)さんは陰気(いんき)な人ねい」
といわれるくらいのことで六、七年間はうすあたたかい平穏(へいおん)な月日を経過(けいか)した。
 長男義一(ぎいち)は十六才になって、いよいよ学問はだめだときまりがついた。北海道に走って牧夫(ぼくふ)をしている。三里塚(りづか)の両親も相(あい)ついで世を去(さ)った。跡取(あとと)りの弟は糟谷(かすや)をばかにして、東京へきても用でもなければ寄(よ)らぬということもわかった。細君の顔はよりはなはだしく青くなった。

 十一月も末(すえ)であった。こがらしがしずかになったと思うと、ねずみ色をした雲が低く空をとじて雪でも降(ふ)るのかしらと思われる不快(ふかい)な午後(ごご)であった。
 糟谷(かすや)は机にむかったなり目を空(くう)にしてぼうぜん考えている。細君はななめに夫(おっと)に対(たい)し、両手をそでに入れたままそれを胸に合(あ)わせ、口をかたくとじて、ほとんど人形(にんぎょう)のようにすわっている。この人をモデルにして不満足(ふまんぞく)という題(だい)の絵(え)なり彫刻(ちょうこく)なり作ったならばと思われる。ふたりはしばらくのあいだ口もきかなかった。
 三女の礼子(れいこ)が帰ってきて、
「おとうさんただいま、おかあさんただいま」
とにこにこしておじぎをしても、父も母もはいともいわない。礼子は両親(りょうしん)の顔をちらと見たままつぎの間(ま)へでてしまった。つづいて芳輔(よしすけ)が帰ってきた。両親のところへはこないで、台所(だいどころ)へはいって、なにかくどくど下女(げじょ)にからかってる。
「芳輔(よしすけ)のやつ帰(かえ)ったな、芳輔(よしすけ)……芳輔」
「きょうはほんとに、なまやさしいことではあなたいけませんよ」
「こら芳輔」
 父の声はいつになく荒(あら)かった、芳輔は上目(うわめ)使いに両親の顔をぬすみ見しながら、からだをもじりもじり座敷(ざしき)のすみへすわった。すわったかとするともうよそ見をしてる。母なる人は無言(むごん)にたって、芳輔(よしすけ)の手を捕(とら)えて父の近くへ引(ひ)き寄(よ)せた。
「芳輔(よしすけ)……おまえはいま家へきしなに小川さんに会(あ)ったろ」
「知りません」
「そうか、小川さんはおまえの保証人(ほしょうにん)だぞ、学校からおまえのことについて、二度(ど)も三度も話があったというて、きょうはおまえのことについていろいろの話をしていかれた。いま帰ったばかりだがきさまといき会うはずだが、いやそりゃどうでもよいが、きさまはいくつになる」
 芳輔はこういわれてすこし父をあなどるような冷笑(れいしょう)を目に浮(う)かべる。
「自分の子の年を人に聞かねたって……」
「こら芳輔(よしすけ)、そりゃなんのことです。おとうさんに対(たい)して失礼(しつれい)な」
「だっておとうさんはつまらないことを聞くから……」
「だまれこの野郎(やろう)……」
 両親はもう手もふるえ、くちびるもふるえてすぐにはつぎのことばがでない。母はまたたきもせずわが子(こ)の顔を見つめている。
「芳輔(よしすけ)、きさまはなにもかもおぼえがあるだろう。きょう小川さんの話を聞くと、小川さんはおまえのために三度(ど)も学校へよばれたそうだぞ。きのうは校長まででてきて、いま一度(ど)芳輔の両親にも話し、本人にもさとしてくれ。こんど不都合(ふつごう)があればすぐ退校(たいこう)を命(めい)ずるからという話であったそうな。どんな不都合(ふつごう)を働いた。儀一(ぎいち)はあのとおりものにならない。あとはきさまひとりをたよりに思ってれば、この始末(しまつ)だ、警察(けいさつ)からまで、きさまのためには注意(ちゅうい)を受(う)けてる。夜遊(よあそ)びといえばなにほどいってもやめない。朝は五へんも六ぺんもおこされる。学校の成績(せいせき)がわるいのもあたりまえのことだ。十五になったら十六になったらと思ってみてれば、年をとるほどわるくなる。おかあさんを見ろ、きさまのことを心配してあのとおりやせてるわ。もうそのくらいの年になったらば、両親(りょうしん)の苦心(くしん)もすこしはわかりそうなものだ」
「おかあさんはもとからやせてら……」
 母はこのぞんざいな芳輔(よしすけ)のことばを聞くやいなやひいと声をたてて泣(な)きふした。父も顔青ざめて言句(ごんく)がでない。
「おとうさん、わたしすこし用がありますから錦町(にしきちょう)までいってきます」
 そういって芳輔(よしすけ)は立ちかける。なにごとにも思いきったことのできない糟谷(かすや)も、あまりに無神経(むしんけい)な芳輔(よしすけ)のものいいにかっとのぼせてしまった。
「この野郎(やろう)ふざけた野郎だ……」
 猛然(もうぜん)立ちあがった糟谷はわが子を足もとへ引(ひ)き倒(たお)し、ところきらわずげんこつを打ちおろした。芳輔はほとんど他人(たにん)とけんかするごとき語気(ごき)と態度(たいど)で反抗(はんこう)した。手足をわなわなさして見ておったかれの母は、力のこもった決心(けっしん)のある声をひそめて、あなた殺(ころ)してしまいなさい。殺してしまいなさい。罪(つみ)はわたしがしょいます。殺(ころ)してしまってください。もう生(い)きがいのないわたし、あなたが殺されなけりゃわたしが殺す……。こうさけんで母は奥座敷(おくざしき)へとび去(さ)った。……礼子(れいこ)と下女(げじょ)は泣(な)き声(ごえ)あげて外(そと)へでた。糟谷(かすや)も殺(ころ)すの一言(ごん)を耳にして思わず手をゆるめる。芳輔(よしすけ)は殺せ殺せとさけんで転倒(てんとう)しながらも、真(しん)に殺さんと覚悟(かくご)した母の血相(けっそう)を見ては、たちまち色を変(か)えて逃(に)げだしてしまった。
 礼子(れいこ)は外から飛(と)び込(こ)みさまに母に泣きすがった。いっしょけんめいに泣きすがって離(はな)れない。糟谷(かすや)も座(ざ)につきながら励声(れいせい)に妻(つま)を制(せい)した。隣家(りんか)の夫婦(ふうふ)も飛(と)び込(こ)んできてようやく座はおさまる。
 糟谷はまだ手をぶるぶるさしてる。礼子はただがたがたふるえて母を見守(みまも)っている。母はほとんど正気(しょうき)を失(うしな)ってものすさまじく、ただハアハア、ハアハアと息(いき)をはずませてる。はっきりと口をきくものもない。
 ようやくのこと糟谷は、
「増山(ますやま)さん(となりの主人)いやはやまことに面目(めんぼく)もないしだいで、なんとも申(もう)しあげようもありません」
「いやお察(さっ)し申しあげます、いかにもそりゃ……まことにお気(き)のどくな、しかし糟谷さんあまり無分別(むふんべつ)なことをやってしまっては取(と)りかえしがつきませんよ、奥さんはよほど興奮(こうふん)していらっしゃるから、しばらくお寝(ね)かしもうしたがよろしいでしょう」
「どうも面目(めんぼく)ありません」
 ほとんど人のみさかいもないように見えた細君(さいくん)も、礼子(れいこ)や下女(げじょ)や増山(ますやま)の家内(かない)から、いろいろなぐさめられていうがままに床(とこ)についた。やがて増山夫婦(ますやまふうふ)も帰った。あとへ深川の牛乳屋(ぎゅうにゅうや)某(それがし)がくる、子宮脱(しきゅうだつ)ができたからというので車で迎(むか)えにきたのである。家のありさまには気がつかず、さあさあといそぎたてるのである。糟谷(かすや)はとつおいつ、あいさつのしようにも窮(きゅう)して、いたりたったりしていた。
 子宮脱(しきゅうだつ)はかれこれ六時間以上(いじょう)になるという。いちばん高い牛だから、気が気でないという。糟谷(かすや)はいかれないともいえず、危険(きけん)な意味(いみ)ある妻(つま)を下女(げじょ)と子どもとにまかせてでるのはいかにも不安(ふあん)だし、糟谷(かすや)はとほうに暮(く)れてしまった。おりよくもそこへ西田(にしだ)がひょっこりはいってきた。深川の乳屋(ちちや)も知ってる人と見え、やあとあいさつして遠慮(えんりょ)もなくあがってきた。
「うちでしたな、えいあんばいであった。じつはころあいのうちが見つかったもんですからな」
 西田の声がして家のなかの空気は見るまに変(か)わってしまった。陰欝(いんうつ)な空気が見るまにうすらぐような気がした。糟谷は手短(てみじか)にきょうのできごとから目の前の窮状(きゅうじょう)を西田に語(かた)った。
「うん、きみもかわいそうな人だな、なるほど奥さんも無理(むり)はない。ああ奥さんもかわいそうだ」
 涙(なみだ)もろい西田(にしだ)は、もう目をうるおした。礼子(れいこ)もでてきて黙(だま)ってお辞儀(じぎ)をする。西田はたちながら、
「子宮脱(しきゅうだつ)ならなるたけ早いほうがえいでしょう。糟谷(かすや)くん職務(しょくむ)はだいじだ。ぼくが留守(るす)をしてあげるから、すぐと深川へでかけたまえ」
 西田はこういい捨(す)てて、細君の寝間(ねま)へはいった。細君も同情(どうじょう)深い西田の声を聞いてから、夢からさめたように正気(しょうき)づいた。そうしてはいってきた西田におきて礼儀(れいぎ)をした。
「いま糟谷くんからかいつまんで聞きましたが、もうひとすじに思いつめんがようございますよ」
 細君は、
「ありがとうございます」
と細い声でいってさんさんと泣(な)くのである。
「それじゃ西田(にしだ)さんちょっといってくるから頼(たの)む」
と糟谷(かすや)は唐紙(からかみ)の外から声をかけてでてしまった。
 西田は細君(さいくん)に対し、外手(そとで)町に家のあったこと、本所(ほんじょ)へ越(こ)してからの業務(ぎょうむ)の方法(ほうほう)、そのほかここの家賃(やちん)のとどこおりまで弁済(べんさい)してあげるということまで話して、細君をなぐさめた。
 子どもをりっぱにして自分がしあわせをしようと思うても、それはあてにならないから、なんでも人間のしあわせということは、自分にできることの上に求めねばならぬ。とかく無理(むり)な希望(きぼう)を持(も)ってると、自分のすることにも無理(むり)ができるから、無理とくるしみを求めるようになるなどと話されて、細君もひたすら西田(にしだ)の好意(こうい)に感じて胸が開(ひら)いた。
 あかしのつくころに糟谷(かすや)は帰ってきた。西田は帰ってしまうにしのびないで、泊(と)まって話しすることにする。夜になって礼子や下女の笑い声ももれた。細君もおきて酒肴(しゅこう)の用意(ようい)に手伝(てつだ)った。
 糟谷は飲めない口で西田の相手をしながら、いまいってきた某氏(ぼうし)の家の惨状(さんじょう)を語った。
 ひとりむすこに嫁(よめ)をとって、孫(まご)がひとりできたら嫁(よめ)は死んだ。まもなくむすこも病気になった。ちょうどきょう某博士(ぼうはくし)というのがきた。病気は胃癌(いがん)だといわれて、家(いえ)じゅう泣(な)きの涙でいた。牛のほうはぞうさないけれど、むすこは助かる見込(みこ)みがない。おふくろが前掛(まえか)けで涙(なみだ)をふきながら茶をだしたが、どこにもよいことばかりはないと、しみじみ糟谷(かすや)は嘆息(たんそく)した。
 西田はあいさつのしようがなく、
「ぼくのような友人があるのをしあわせと思ってるさ」
と投(な)げだすようにいう。
「ほんとにそうでございます」
と細君はいかにもことばに力を入れていった。芳輔(よしすけ)は、十時ごろに台所(だいどころ)からあがってこっそり自分のへやへはいった。パチリパチリと碁(ご)の音は十二時すぎまで聞(き)こえた。
了

底本:「野菊の墓」ジュニア版日本文学名作選、偕成社
   1964(昭和39)年10月1刷
   1984(昭和59)年10月44刷
初出:「中央公論」反省社
   1909(明治42)年3月1日
※表題は底本では、「老獣医(ろうじゅうい)」となっています。
※三女に対する「礼」と「礼子」、長男に対する「義一」と「儀一」の混在は、底本通りです。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:高瀬竜一
校正:岡村和彦
2016年6月10日作成
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