あらすじ
晩秋、しとしとと雨が降る忌森村。あすは村の鎮守祭礼の日です。源四郎の家では、祭りの準備に家族総出で賑わっています。そこに、大富村から二人の男が訪ねてきます。彼らは、源四郎の妻お政の母親が亡くなったことを告げに来たのです。お政の母親は、長年精神病に苦しみ、家を離れて放浪していました。その知らせに、お政は驚き、悲しみ、そして複雑な思いを抱きます。
 雨が落(お)ちたり日影(ひかげ)がもれたり、降(ふ)るとも降らぬとも定(さだ)めのつかぬ、晩秋(ばんしゅう)の空(そら)もようである。いつのまにか風は、ばったりなげて、人も気づかぬさまに、小雨(こさめ)は足のろく降りだした。
 もうかれこれ四時過(す)ぎ五時にもなるか、しずかにおだやかな忌森忌森(いもりいもり)のおちこち、遠(とお)くの人声、ものの音、世(よ)をへだてたるものの響(ひび)きにもにて、かすかにもやの底(そこ)に聞こえる。近くあからさまな男女の話し声や子どもの泣(な)き騒(さわ)ぐ声、のこぎりの音まき割(わ)る音など、すべてがいかにもまた、まのろくおぼろかな色をおんで聞こえる。
 ゆったりとおちついたうちにも、村内(そんない)戸々(ここ)のけはいは、おのがじしものせわしきありさまに見える。あす二十二日がこの村の鎮守祭礼(ちんじゅさいれい)の日で、今夕(こんゆう)はその宵祭(よいまつ)りであるからであろう。
 源四郎(げんしろう)の家では、屋敷(やしき)の掃除(そうじ)もあらかたかたづいたらしい。長屋門(ながやもん)のまえにある、せんだんの木に二、三羽(ば)のシギが実(み)を食(く)いこぼしつつ、しきりにキイキイと鳴(な)く。その声はもの考えする人の神経(しんけい)をなやましそうな声であった。ほうきめのついてる根元(ねもと)の砂地(すなち)に、やや黄(き)ばんだせんだんの実(み)が散(ち)り乱(みだ)してある。どういうものかこの光景(こうけい)は見る人にあわれな思いをおこさせた。
 源四郎(げんしろう)はなお屋敷(やしき)のすみずみの木立(こだ)ちのなか垣根(かきね)のもとから、朽(く)ち葉(ば)やほこりのたぐいをはきだしては、物置(ものお)きのまえなる栗(くり)の木のもとでそれを燃(も)やしている。雨になったのでいっそうせいてやってるようすである。もとより湿(しっ)けのある朽(く)ち葉(ば)に、小雨(こさめ)ながら降ってるのだから、火足(ひあし)はすこしも立たない。ただプツプツとけむるばかり、煙(けむり)は茅屋(ぼうおく)のまわりにただようている。源四郎はそれにもかかわらず、どしどしといやがうえにごみをのせかける。火はときどき思いだしたように、パチパチと燃(も)えてはすぐ消(き)えてしまう。朽(く)ち葉(ば)のくさみを持った煙(けむり)はいよいよ立ち迷(まよ)うのである。源四郎は二十二、三の色黒(いろぐろ)い丸顔(まるがお)な男だ。豆(まめ)しぼりの手ぬぐいをほおかむりにして、歌もうたわずただ黙(もく)もく掃除(そうじ)している。
 源四郎のしゅうとごは六十以上と見える。背高(せたか)く顔の長いやさしそうな老人(ろうじん)だ。いま奥(おく)の間(ま)の、一枚開いた障子(しょうじ)のこかげに、机(つくえ)の上にそろばんをおいて、帳面(ちょうめん)を見ながら、パチパチと玉(たま)をはじいてる。お台屋(だいや)のかたでは、源四郎の細君(さいくん)お政(まさ)とまま母(はは)と若(わか)いやとい女(おんな)との三人が、なにかまじめに話をしながら、まま母(はは)ははすの皮(かわ)をはぎ、お政と女はつと豆腐(どうふ)をこしらえてる。むろんあしたのごちそうを作ってるのである。
 シギもいつしかせんだんを去(さ)って、庭先(にわさき)の栗(くり)の木、柿(かき)の木に音のするほど雨も降(ふ)りだした。にわかにうす暗(ぐら)くなって、日も暮(く)れそうである。めがねをはずして机(つくえ)を立った老人(ろうじん)は、
「源四郎……源四郎……雨がひどくなったじゃねいか、もうやめにしたらどうだい」
「ハッ」
「源四郎や」
「ハッ」
 源四郎は、ただハッハッと返事(へんじ)をしながら、なおせっせと掃除(そうじ)をやってる。老人(ろうじん)は表座敷(おもてざしき)のいろりばたに正座(せいざ)して、たばこをくゆらしながら門のほうを見てる。おもざし父ににて、赤味(あかみ)がちなお政(まさ)は、かいがいしきたすきすがたにでてきて、いろりに火を移(うつ)す。鉄(てつ)びんを自在(じざい)にかける。
「どうもほん降(ぶ)りになりましたね、おとっさん」
「うむ、せっかくの祭(まつ)りも雨だない。えいやい休みだから」
 お政はそこをおりていったが、裏(うら)のほうからすぐ長女の七つになるのを連(つ)れてきた。
「おじいさん、どうぞ柿(かき)をむいてやってください。もう暗(くら)くなったからね、おじいさんのそばにいるのだよ」
「おおまあや、この降るのにおまえどこに遊(あそ)んでおった。さあおじいさんとこへきな。あしたあ祭(まつ)りだからな、みんなのじゃまになっちゃいけねい。いまに甘酒(あまざけ)もできるぞ。うむ、柿(かき)のほうがえいか、よしよし」
 松女(まつじょ)はおじいの膝(ひざ)にのって柿(かき)を食(く)ってる。源四郎(げんしろう)もようやく掃除(そうじ)をやめたらしい。くまでやほうきやくわなどを長屋(ながや)のすみへかたづけている。そとは雨の降(ふ)るのも見えぬほど暮(く)れてきた。そのほの暗(ぐら)い長屋門(ながやもん)をくぐって、見知(みし)らぬ男がふたりいそいそとはいってくる。羽織(はおり)はもめんらしいが縞地(しまじ)か無地(むじ)かもわからぬ。ももひきぞうりばきのいでたち、ふたりは二十五、六ぐらい、によったふうである。軒(のき)に近づくとふたりはひとしくかぶりものをとる。
「ごめんください」
「ごめんください」
「ハイ」
 老人(ろうじん)は松女を膝(ひざ)からおろしてちょっとむきなおる。はいったふたりはおなじように老人に会釈(えしゃく)した。老人はたって敷(し)き物(もの)をふたりにすすめる。ふたりのものは腰(こし)もかけないで、おまえが口上(こうじょう)を申(もう)してくれ、いやおまえがと、小声(こごえ)に押(お)し合(あ)ってる。老人はもとより気軽(きがる)な人だから、
「おまえさんがたはどちらからでございますか」
「ハイ」
「ハイ」
 ようやくのこと、すこし年上(としうえ)らしいほうの男が、顔のようすをつくろうて、あらたまった口調(くちょう)に口上(こうじょう)をのべる。
「わたくしどもは、その大富村(おおとみむら)からでましてございますが、ご親類(しんるい)の善右衛門(ぜんえもん)さんのおばさんが、けさそのなくなりましたものでございますから、告(つ)げ人(びと)にでましたしだいでございます。ハイ一統(いっとう)からよろしくとのことで……」
「あ、さようでございましたか。それはそれは遠方(えんぽう)のところをご苦労(くろう)さまで……それはあのなくなったは気違(きちが)いのことでしょうな」
「さようでございます。善右衛門(ぜんえもん)さんからよろしくと申(もう)しましてございます」
「まことにはやご苦労(くろう)さまに存(ぞん)じます。あの気違(きちが)いも長ながとご迷惑(めいわく)をかけましたが、それでわたしも安心いたしました。まずどうぞおかけくださいまし」
 この老人は応対(おうたい)のうまいというのが評判(ひょうばん)の人であったから、ふたりの使(つか)いがこの人にむかっての告(つ)げ人(びと)の口上(こうじょう)はすこぶる大役(たいやく)であった。ふたりは道すがら話もせずに、腹(はら)のうちでねりにねってきたのである。どうやら見苦(みぐる)しくもなくあいさつがすんだので、ふたりは重荷(おもに)をおろしたようである。気色(きしょく)のはりもゆるみ、腰(こし)のはりもゆるんで、たばこ入れに手がでる。ようやく腰をかけて時候(じこう)の話もでる。
 平生(へいぜい)多弁(たべん)の老人はかえって顔に不安(ふあん)沈鬱(ちんうつ)のくもりを宿(やど)し、あいさつもものういさまである。その気違(きちが)いというはこの老人(ろうじん)の前妻(ぜんさい)なのだ。長女お政(まさ)が十二のときにまったくの精神病(せいしんびょう)となったのである。いろいろ療養(りょうよう)をつくしたが、いかんともしようがなく、いささかの理由(りゆう)をもって親里(おやざと)へ帰した。元来(がんらい)は帰すべきでないものを帰したのであるから、もと悪人(あくにん)ならぬ老人は長く良心(りょうしん)の苦痛(くつう)にせめられた。それのみならず気違(きちが)いはその後(ご)、里(さと)に帰っても里にいず、こじきとなって近村をふれ歩いた。たちがたき因縁(いんねん)につながる老人は、それがためまたあきらめてもあきらめられぬ羞恥(しゅうち)の苦痛(くつう)をおいつつあったのである。このごろ老人もようやく忘(わす)れんとしつつありしをきょうは耳新しく、その狂婦(きょうふ)もなくなったと告(つ)げられ、苦痛(くつう)の記憶(きおく)をことごとく胸先(むなさき)に呼(よ)びおこして、口にいうことのできないいやな心持ちに胸がとざされたのである。
 その凶報(きょうほう)はおだやかなりし老人の胸を攪乱(かくらん)したばかりでなく、宵祭(よいまつ)りを祝(いわ)うべき平和な家庭をもかきにごした。
 大富(おおとみ)からの告(つ)げ人(びと)と聞いたお政(まさ)は手のものを投(な)げだしてきた。懇切(こんせつ)に使いの人の労(ろう)を感謝(かんしゃ)したうえに、こまごまと死者のうえについての話を聞こうとする。老人はお政がでたをさいわいに奥(おく)へはいったままでてこない。まま母もそれを聞いてちょっとあいさつにでたぎり寄(よ)りつかない。源四郎は馬小屋(うまごや)にわらなどいれている。
 ひとりお政はたとえ気違(きちが)いでもこじきでも、正しき生(う)みの母である。あたたかき乳房(ちぶさ)に取りすがって十二のときまで保育(ほいく)を受けた母である。心がけのよいかしこい女といわれているお政は、
「わたしはもうみえも外聞(がいぶん)も考えませぬ。たとえあの気違(きちが)いがどのようなふうをしていようと、気違いですものしかたがありません。どんなになっていても、わたしはただこの世に一日も長く生かしておきたいと思うばかりであります。あの気違いの子がと人さまに笑われても、気違いの子にちがいないのですから、よんどころありません」
とお政(まさ)が、ことにふれての母に対(たい)する述懐(じゅっかい)はいつでもきまってるが、どうかすると、はじめは平気(へいき)に笑いながら、気違いのうわさをいうてても、いつのまにか過敏(かびん)に人のことばなどを気にかけ、涙(なみだ)を目に一ぱいにしたかとみるまに、抱(だ)いてたわが子を邪険(じゃけん)にかきのけて、おいおい声を立てて泣(な)きだすようなことがあるのである。思いやりのないだれかれは、お政もすこしへんちきだ、子どものふたりもある女が大声たてて泣(な)くのはあたりまえではないなどという。心あるしんせつな人らは気違いになった母よりも、お政のほうがかえってかわいそうだと、とも涙(なみだ)にくれて同情を寄(よ)せてる。
 お政は、きょう不意(ふい)にその母がなくなったと聞かせられたのである。あしたは祭礼(さいれい)の日というので朝から家じゅう総(そう)がかりで内外の取(と)りかたづけやらふるまいの用意にたてきってる際(さい)に、告(つ)げ人(びと)を受けたのである。お政はほとんど胸中(きょうちゅう)が転倒(てんとう)している。まずなにごとよりもさきに、お政が胸に浮かぶのは、気違いの母がどんなふうにしてなくなったかという点(てん)である。
 もしや野原(のはら)か往来(おうらい)などで、行(ゆ)き倒(だお)れにでもなりやせまいか、人の知らぬまに死んでいたのではないかしら、それともすこしは早くようすがわかって家のものの世話(せわ)を受けてなくなったのか、いろいろな想像(そうぞう)が一時(じ)に胸(むね)にわきかえる。ひさしいあいだの気違いであるから、家の人たちとてきっと満足には世話(せわ)もしてくれなかったろう。
 とかくにこうひがんだ考えばかり思いだされ、顔はほてり、手足はふるえ、お政はややとりのぼせの気味(きみ)で、使いのものに始終(しじゅう)のことを問(と)いつめるのである。告げ人というものにたいしてのあしらいかたには、通例(つうれい)の習慣(しゅうかん)がある。お政はそれらのことにも気がつかずに、たすきを手にして立ったまま話を聞いてる。使いのふたりがかわりがわりに話すところをまとめると、こうである。
「べつに病気というほどにも見えなかったけれど、この月はじまりのころから、たいへんおとなしくなって、家のもののいうことをよく聞きわけ、ほとんど外へでなかった。家のひとたちのあてがうものをこころよく食(く)い飲(の)みして、なんのこともなく昨夜(さくや)まで過(す)ごしてきたところ、けさは何時(なんじ)になっても起きないから、はじめて不審(ふしん)をおこし、いろいろたずねてみるとようすがわるい、きゅうに医者(いしゃ)にも見せたがまにあわなく、そのうちまもなく息(いき)を引(ひ)き取(と)った。あなたにお知らせするまもなかったは残念(ざんねん)ながら、まことにいい終わりでありました」
 こう聞かせられて、お政はひととおりならずよろこんだ。見る見る顔色(かおいろ)がおだやかになった。いつ何時(なんどき)どんなところで無残(むざん)ななくなりようをすることやらと、つねづねそればかりを苦(く)に病(や)んでたのだから、まことにいい終わりようでありましたと告(つ)げられて非常(ひじょう)によろこんだ。お政のそぶりはよく使いのふたりを動かした。
「それはほんとうのことでしょうね。それはほんとうでしょうね。わたしもそれを聞いて安心しました」
「人ひとりなくなったのを、けっこうというはずはないが、まあ、ああして終わりますれば、ハイ定命(じょうみょう)はいたしかたないとして、まずけっこうでござります、ハイ」
「まあ暗(くら)くなったこと。かってなことばかり申(もう)して、あかりもださずに、なんという無調法(ぶちょうほう)でしょう」
 お政はきゅうにやとい女を呼(よ)んで灯明(とうみょう)を命(めい)じ、自分は茶(ちゃ)の用意(ようい)にかかった。しとしとと雨は降(ふ)る、雨落(あまお)ちの音が、ぽちゃりぽちゃりと落(お)ちはじめた。使いの人らは、二里(り)の夜道を雨に降られては、と気づかうさまで、しきりに外(そと)をながめて、ささやいている。
 老人はせきばらいする声が奥(おく)に聞こえるが、寝(ね)てしまったらしく、ついにでてこなかった。源四郎はへっついのまえに腰(こし)をおろして馬のものをにているらしい。祖父(そふ)につき離(はな)された松女(まつじょ)は祖母(そぼ)にまつわって祖母(そぼ)にしかられ、しくしくべそをかいて母の腰(こし)にまつわるのである。祖母はなにか気に入らぬことでもあるか、平生(へいぜい)の手まめ口まめににず、夜道(よみち)を遠く帰るべき告(つ)げ人(びと)にいっこうとんちゃくせぬのである。やとい女もさしずがなければ手出しのしようもない。ただうろついている。源四郎はもとより悪気(わるぎ)のある男ではない。祖母の態度(たいど)に不平(ふへい)があるでもなく、お政の心中(しんちゅう)を思いやる働きもない。
 お政はただひとりで気をもんでるが、子どもには泣(な)きつかれる、どうしてよいかわからぬ。やっと茶をだしたけれど、ひととおり酒食(しゅしょく)をさせねばならない告げ人を、まま母なる人がみょうによそよそしているのでどうすることもできない。使いの人も食事だけはやって帰りたいと思うても、このありさまにごうをにやし、雨が降るのに夜おそくなってはといいだして、いとまを告(つ)げるのである。
「一口さしあげないで、どうしてお帰し申すことができましょう。ご遠方(えんぽう)のお帰りをまことに申しわけが……」
とお政は早や声をくもらして、四苦(く)八苦(く)に気もみする。夫(おっと)にすこし客の相手(あいて)をしていてくれと頼(たの)めば源四郎は「ウンウン」と返事(へんじ)はしても、立ちそうにもせぬ。お政は泣く子をかげでしかりつけ、背(せ)におうて膳立(ぜんだ)てをするのである。おちついてやるならばなんでもないことながら、心中惑乱(わくらん)しているお政の手には、ことがすこしも運ばない。
 老人はなぜ寝(ね)てしまったか、源四郎はどう思ってるのか。使いの人らは帰るにも帰れず、ぼんやりたばこを吸(す)うている。老人のせきする声と源四郎がときどきへっついに燃(も)やす火の音のほか、声立てる人もない。かくていまこの一家は陰悪(いんあく)な空気にとざされているのである。
 お政は長いあいだ苦(く)に思っていた狂母(きょうぼ)が、きょう人なみに終わったと聞いて、一どは胸(むね)なでおろして安心したものの、さすがに忘(わす)れがたき母の死を感じては、心(こころ)さびしくもあり悲(かな)しくもある。二十年あまりのあいだじゃまにされ、やっかいにされ、あらゆる醜状(しゅうじょう)を世間(せけん)にさらした生(い)きがいなき不幸(ふこう)な母と思いつめると、ありし世の狂母(きょうぼ)の惨状(さんじょう)やわが身(み)の過去(かこ)の悲痛(ひつう)やが、いちいち記憶(きおく)から呼(よ)び起こされるのである。
 手に用をせねばならぬお政は、わきたぎつ涙(なみだ)をぬぐうてもいられぬ。ひややかなまま母、思いやりのない夫、家の人びとのあまりにすげなきしぶりを気づいては、お政は心中(しんちゅう)惑乱(わくらん)してほとんど昏倒(こんとう)せんばかりに悲(かな)しい。ただ雨の夜道を遠く帰らねばならない使いの人らに、気を配(くば)るはりあいで、お政はわずかに自分を失(うしな)わずにいるのである。
 お政は夢(ゆめ)の心地(ここち)に心ばかりの酒食(しゅしょく)をととのえてふたりを饗(きょう)した。つねはけっして人をそらさぬ人ながら、ただ「どうぞ」といったままほとんど座にたえないさまである。家人(かじん)のようすにいくばくか不快(ふかい)を抱(いだ)いた使いの人らも、お政の苦衷(くちゅう)には同情(どうじょう)したものか、こころよく飲食(いんしょく)して早そうに立(た)ち去(さ)った。
 源四郎が、のろいからだとにぶい顔をだしたときには、使いの人らは庭まででてしまった。
 お政はずいぶん神経(しんけい)過敏(かびん)に感情的(かんじょうてき)な女であるけれど、またそうとうに意志(いし)の力を持っている。たいていのことは胸(むね)のうちに処理(しょり)して外に圭角(けいかく)をあらわさない美質(びしつ)を持っている。今夜(こんや)はじつにこみいった感情(かんじょう)が、せまい女の胸(むね)ににえくり返ったけれど、ともかくもじっと堪忍(かんにん)して、狂母(きょうぼ)の死を告(つ)げにきてくれた人たちに、それほどに礼儀(れいぎ)を失わなかった。
 しかしながら、波瀾(はらん)を表面(ひょうめん)に見せないだけ、お政が内心の苦痛(くつう)は容易(ようい)なわけのものでなかった。告(つ)げ人(びと)を帰したお政は、いささか気もおちついたものの、おちついた思慮(しりょ)が働くと、さらに別種(べっしゅ)の波瀾(はらん)が胸にわく。叫哭(きょうこく)したくてたまらなかったときに叫哭(きょうこく)しえないで、叫哭すべき時期(じき)を経過(けいか)したいまは、かなしい思いよりは、なさけなく腹立(はらだ)たしさにのぼせてしまった。
「あんまりだ」
 こう一言叫(さけ)んだお政は、客(きゃく)の飲(の)み残(のこ)した徳利(とくり)を右手にとって、ちゃわんを左手に、二はい飲み三ばい飲み、なお四はいをついだ。お政の顔は皮膚(ひふ)がひきつって目がすわった。かたわらにいた松女は、子どもながら母のただならぬようすを見て、火がついたように泣(な)きだした。
「おじいさんとこへいくんだ。おじいさんとこへいくんだ」
 お政はわが子の泣くのも知らぬさまに、四はいを飲みつくし、なお五はいをつごうとする。源四郎も老人も松女のさけび泣(な)きにおどろいてでてきた。源四郎はお政の手から酒をうばって、
「こら、なにをするんだ」
「なにもしやしません。お酒をいただいてるんです」
「酒を飲むんだって、そんな乱暴(らんぼう)に飲んでどうする」
「あんまりです、あんまりです」
 お政は泣き声にこうさけんでうつふしてしまった。松女は祖父(そふ)にすがりついて、
「おかあさんをだましておくれよ、おかあさんをだましておくれよ」
 老人は松女をすかして引き寄せながら、
「政やおまえの胸(むね)をおれはよく知っている。おまえの腹立(はらだ)ちにすこしも無理(むり)はないのだから、おまえの胸はおれがよく知(し)ってるから、となりの家へでもいってな、となりのおかあさんにおまえの胸をよく聞いてもらえよ。そうすりゃ気もおちついてくるだろう。なにもかもすんでしまったことじゃないか。おまえがこれまで、ようく堪忍(かんにん)していてくれたことはおれがちゃんと知(し)ってるのだから、なあ政(まさ)……えいかわかったろう。源四郎(げんしろう)、おまえ、となりへつれていって頼(たの)んでくれ」
 老人(ろうじん)は、なにごとものみこんでいるから、お政の心中(しんちゅう)を察(さっ)し、涙(なみだ)を浮(う)かべてむすめをさとすのである。
 源四郎はわが妻(つま)ながら、お政の悲嘆(ひたん)をどうすることもできなかった。
「おとうさんもああいうのだから、黙(だま)ってくれ。おまえの心はおれだって知ってるよ。さあ、おとうさんがいうのだから、となりの家へすこしいっておれよ。おれがいっしょにいくから、えい、お政……」
 お政は源四郎のことばには答えもせず、わずかに頭を起こし、
「おとうさん、もう心配しないでください。となりへいかんでもようございます。わたし、しばらく休ませてもらえばようございます」
「そうか、そんならおまえのすきにしてくれや。それじゃ松(まつ)や、おかあさんはね、すこし休むちから、さあ甘甘(あまあま)にしようよ」
 老人はそのままお台屋(だいや)へはいる。源四郎は妻(つま)をうながして納戸(なんど)へ送りやった。
 まま母ははじめから口もださず手もださず、きわめて冷然(れいぜん)たるものであった。老人は老妻(ろうさい)の冷淡(れいたん)なるそぶりにつき、二言(こと)三言(こと)なじるような小言(こごと)をいうたに対(たい)し、
「わたしゃなにもかまいやしません。お政がひとりで腹(はら)をたってるのは、わたしにもしようがありませんもの」
 まま母のものいいは、歯(は)にもののはさまってるような心持ちに聞こえるけれど、やさしい老人はそのうえ追及(ついきゅう)もしなかった。源四郎はもちろん妻のしぶりに同情(どうじょう)しているが、さりとてまま母の冷淡(れいたん)に憤慨(ふんがい)するでもない。黙(だま)って酒を飲み、ものを食っている。雨はいよいよ降りが強くなってきたらしい。
 翌日(よくじつ)は意外(いがい)な好天気(こうてんき)で、シギが朝早くから例(れい)のせんだんの木に鳴(な)いている。
 二十年まえに離別(りべつ)した人でこの家の人ではないけれど、現在(げんざい)お政の母である以上は、祭(まつ)りは遠慮(えんりょ)したほうがよかろうと老人(ろうじん)のさしずで、忌中(きちゅう)の札(ふだ)を門にはった。ものざといお政は早くも昨夜のことは自分の胸ひとつにおさめてしまえばなにごともなくすむことと悟(さと)って、朝起きる早(そう)そう色をやわらげて、両親(りょうしん)にあいさつし昨夜の無調法(ぶちょうほう)をわび、そのまま母の喪(も)におもむいた。そうして思うさまにその狂母(きょうぼ)を泣(な)いた。泣いて泣きぬいた。
 親戚(しんせき)のものは、みな気違いが死んでくれてやれよかったといってるなかで、お政がひとり泣いておった。お政が心底(しんそこ)をしんに解(かい)した人は、お政の父ひとりくらいであったろうけれど、それでもだれいうとなく、お政さんはかしこい女だという評判(ひょうばん)が立った。
了

底本:「野菊の墓」ジュニア版日本文学名作選、偕成社
   1964(昭和39)年10月1刷
   1984(昭和59)年10月44刷
初出:「ホトヽギス 第十二卷第三號」
   1908(明治41)年12月1日
※表題は底本では、「告(つ)げ人(びと)」となっています。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:高瀬竜一
校正:岡村和彦
2016年7月9日作成
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