あらすじ
レモンを愛でる男の、静かで奇妙な楽しみ。そして、秋の午後にくゆらす煙草。短い二つの詩は、梶井基次郎独特の感性で、日常の風景を独特の光に照らし、哀愁と美しさ、そして不可思議な世界へと誘います。静寂の中に、生命の儚さや心の奥底に秘められた感情が、静かに、しかし力強く訴えかけてきます。
一顆いっか檸檬レモンを買い来て、
そをもてあそぶ男あり、
電車の中にはマントの上に、
道行く時は手拭タオルの間に、
そを見 そを嗅げば、
嬉しさ心に充つ、
悲しくも友に離りて
ひとり ただ独り 我が立つは丸善の洋書棚の前、
セザンヌはなく、レンブラントはもち去られ、
マチス 心をよろこばさず、
独り 唯ひとり、心に浮ぶ楽しみ、
秘やかにレモンを探り、
色のよき 本を積み重ね、
その上にレモンをのせて見る、
ひとり唯ひとり数歩へだたり
それを眺む、美しきかな、
丸善のほこりの中に、一顆のレモン澄みわたる、
ほほえまいて またそれをとる、冷さは熱ある手に快く
その匂いはやめる胸にしみ入る、
奇しきことぞ 丸善の棚に澄むはレモン
企らみてその前を去り
ほほえみて それを見ず、
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秋の日の下、物思いの午後、芝生の上。
取り出せるは、しわになれる敷島の袋、
残れる一本を、くわえて、火を点ず、
残れる火を、さて敷島の袋にうつす、
秋の日の下、物思いのひるさがり、芝生の上、
めらめらと、袋は燃ゆらし 灰となりゆく、
あわれ、我が肺もこの袋の如、
日に夜に蝕まれゆくか、
秋の日の下、くゆらす煙草のいとからし。
(大正十一年)

底本:「梶井基次郎全集 全一巻」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年8月26日第1刷発行
   1990(平成2)年5月20日第7刷発行
底本の親本:「梶井基次郎全集 第一巻」筑摩書房
   1966(昭和41)年4月20日
入力:呑天
校正:川山隆
2014年12月15日作成
2015年2月18日修正
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