あらすじ
戦国時代、武田家の滅亡後、信玄公の孫である伊那丸は、家臣の忍剣と共に命からがら逃亡を続け、隠れ家を求めてさまよい歩く。彼らの行く手には、織田、徳川勢力だけでなく、富士の裾野を支配する山大名の根来小角が待ち受けており、伊那丸を狙う陰謀が渦巻く。伊那丸と忍剣は、命がけの逃避行を続けるが、さらなる危険が待ち受けている。果たして彼らは、無事に逃れることができるのか?
 私は、元来、少年小説を書くのが好きである。大人(おとな)の世界にあるような、きゅうくつな概念(がいねん)にとらわれないでいいからだ。
 少年小説を書いている間は、自分もまったく、童心(どうしん)のむかしに返る、少年の気もちになりきッてしまう。――今のわたくしは、もう古い大人だが、この天馬侠(てんまきょう)を読み直し、校訂(こうてい)の筆を入れていると、そのあいだにも、少年の日が胸によみがえッてくる。
 ああ少年の日。一生のうちの、尊(とうと)い季節だ。この小説は、わたくしが少年へ書いた長編の最初のもので、また、いちばん長いものである。諸君の楽しい季節のために、この書が諸君の退屈(たいくつ)な雨の日や、淋(さび)しい夜の友になりうればと思い、自分も好きなまま、つい、こんなに長く書いてしまったものである。
 いまの日本は、大人の世界でも、子どもの天地でも、心に楽しむものが少ない。だが、少年の日の夢は、痩(や)せさせてはいけない。少年の日の自然な空想は、いわば少年の花園(はなぞの)だ。昔にも、今にも、将来へも、つばさをひろげて、遊びまわるべきである。
 この書は、過去の伝奇(でんき)と歴史とを、わたくしの夢のまま書いたものだが、過去にも、今と比較して、考えていいところは多分(たぶん)にある。悪いところは反省し、よいところは知るべきだと思う。その意味で、鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)も、泣き虫の蛾次郎(がじろう)も、諸君の友だち仲間へ入れておいてくれ給え。時代はちがうが、よく見てみたまえ、諸君の友だち仲間の腕白(わんぱく)にも、竹童もいれば、蛾次郎もいるだろう。大人(おとな)についても、同じことがいえる。
 以前(いぜん)、これが「少年倶楽部」に連載されていた当時の愛読者は、成人(せいじん)して、今日では政治家になったり、実業家になったり、文化人になったりして、みな社会の一線に立っている。諸君のお父さんや兄さんのうちにも、その頃の愛読者がたくさんおられることと思う。
 わたくしはよくそういう人たちから、少年時代、天馬侠(てんまきょう)の愛読者でした――と聞かされて、年月の流れに、おどろくことがある。もし諸君がこの書(しょ)を手にしたら、諸君の父兄(ふけい)やおじさんたちにも、見せて上げてもらいたい。そして、著者の言伝(ことづ)てを、おつたえして欲しい。
 ――ご健在(けんざい)ですか。わたくしは健在です、と。
 そして、いまの少年も、また天馬侠を読むようになりました、と。

昭和二四・春
著者
[#改丁]





 そよ風のうごくたびに、むらさきの波、しろい波、――恵林寺(えりんじ)うらの藤(ふじ)の花が、今をさかりな、ゆく春のひるである。
 朱(しゅ)の椅子(いす)によって、しずかな藤波(ふじなみ)へ、目をふさいでいた快川和尚(かいせんおしょう)は、ふと、風のたえまに流れてくる、法螺(ほら)の遠音(とおね)や陣鉦(じんがね)のひびきに、ふっさりした銀(ぎん)の眉毛(まゆげ)をかすかにあげた。
 その時、長廊下(ながろうか)をどたどたと、かけまろんできたひとりの弟子(でし)は、まっさおな面(おもて)をぺたりと、そこへ伏(ふ)せて、
「おッ。お師(し)さま! た、大変(たいへん)なことになりました。あアおそろしい、……一大事(いちだいじ)でござります」
 と舌(した)をわななかせて告(つ)げた。
「しずかにおしなさい」
 と、快川(かいせん)は、たしなめた。
「――わかっています。織田(おだ)どのの軍勢(ぐんぜい)が、いよいよ此寺(ここ)へ押しよせてきたのであろう」
「そ、そうです! いそいで鐘楼(しょうろう)へかけのぼって見ましたら、森も野も畠(はたけ)も、軍兵(ぐんぴょう)の旗指物(はたさしもの)でうまっていました。あア、もうあのとおり、軍馬の蹄(ひづめ)まで聞えてまいります……」
 いいもおわらぬうちだった。
 うら山の断崖(だんがい)から藤(ふじ)だなの根もとへ、どどどどと、土けむりをあげて落ちてきた者がある。ふたりはハッとして顔をむけると、ふんぷんとゆれ散った藤(ふじ)の花をあびて鎧櫃(よろいびつ)をせおった血まみれな武士(ぶし)が、気息(きそく)もえんえんとして、庭(にわ)さきに倒(たお)れているのだ。
「や、巨摩左文次(こまさもんじ)どのじゃ。これ、はやく背(せ)のものをおろして、水をあげい、水を」
「はッ」と弟子僧(でしそう)ははだしでとびおりた。鎧櫃をとって泉水の水をふくませた。武士は、気がついて快川(かいせん)のすがたをあおぐと、
「お! 国師(こくし)さま」と、大地へ両手(りょうて)をついた。
「巨摩どの、さいごの便(たよ)りをお待ちしていましたぞ。ご一門はどうなされた」
「はい……」左文次はハラハラと涙(なみだ)をこぼして、
「ざんねんながら、新府(しんぷ)のお館(やかた)はまたたくまに落城(らくじょう)です。火の手をうしろに、主君の勝頼公(かつよりこう)をはじめ、御台(みだい)さま、太郎君(たろうぎみ)さま、一門のこり少なの人数をひきいて、天目山(てんもくざん)のふもとまで落ちていきましたが、目にあまる織田(おだ)徳川(とくがわ)の両軍におしつつまれ、みな、はなばなしく討死(うちじに)あそばすやら、さ、刺(さ)しちがえてご最期(さいご)あるやら……」
 と左文次(さもんじ)のこえは涙にかすれる。
「おお、殿(との)もご夫人もな……」
「まだおん年も十六の太郎信勝(のぶかつ)さままで、一きわすぐれた目ざましいお討死(うちじに)でござりました」
「時とはいいながら、信玄公(しんげんこう)のみ代(よ)まで、敵(てき)に一歩も領土(りょうど)をふませなかったこの甲斐(かい)の国もほろびたか……」
 と快川(かいせん)は、しばらく暗然(あんぜん)としていたが、
「して、勝頼公の最期のおことばは?」
「これに持ちました武田家(たけだけ)の宝物(ほうもつ)、御旗(みはた)楯無(たてなし)(旗と鎧)の二品(しな)を、さきごろからこのお寺のうちへおかくまいくだされてある、伊那丸(いなまる)さまへわたせよとのおおせにござりました」
 そこへまた、二、三人の弟子僧(でしそう)が、色を失ってかけてきた。
「お師(し)さま! 信長公(のぶながこう)の家臣が三人ほど、ただいま、ご本堂から土足(どそく)でこれへかけあがってまいりますぞ」
「や、敵が?」
 と巨摩左文次(こまさもんじ)は、すぐ、陣刀(じんとう)の柄(つか)をにぎった。
 快川(かいせん)は落ちつきはらって、それを手でせいしながら、
「あいや、そこもとは、しばらくそこへ……」
 と床下(ゆかした)をゆびさした。急なので、左文次も、宝物(ほうもつ)をかかえたまま、縁(えん)の下へ身をひそめた。
 と、すぐに廊下(ろうか)をふみ鳴らしてきた三人の武者(むしゃ)がある。いずれも、あざやかな陣羽織(じんばおり)を着、大刀(だいとう)の反(そ)りうたせていた。眼(まなこ)をいからせながら、きッとこなたにむかって、
「国師(こくし)ッ!」
 と、するどく呼(よ)びかけた。

 天正(てんしょう)十年の春も早くから、木曾口(きそぐち)、信濃口(しなのぐち)、駿河口(するがぐち)の八ぽうから、甲斐(かい)の盆地(ぼんち)へさかおとしに攻めこんだ織田(おだ)徳川(とくがわ)の連合軍(れんごうぐん)は、野火(のび)のようないきおいで、武田勝頼(たけだかつより)父子、典厩信豊(てんきゅうのぶとよ)、その他の一族を、新府城(しんぷじょう)から天目山(てんもくざん)へ追いつめて、ひとりのこさず討(う)ちとってしまえと、きびしい軍令(ぐんれい)のもとに、残党(ざんとう)を狩(か)りたてていた。
 その結果、信玄(しんげん)が建立(こんりゅう)した恵林寺(えりんじ)のなかに、武田(たけだ)の客分、佐々木承禎(ささきじょうてい)、三井寺(みいでら)の上福院、大和淡路守(やまとあわじのかみ)の三人がかくれていることをつきとめたので、使者をたてて、落人(おちゅうど)どもをわたせと、いくたびも談判(だんぱん)にきた。
 しかし、長老の快川国師(かいせんこくし)は、故信玄(こしんげん)の恩(おん)にかんじて、断乎(だんこ)として、織田(おだ)の要求をつっぱねたうえに、ひそかに三人を逃(の)がしてしまった。
 織田(おだ)の間者(かんじゃ)は、夜となく昼となく、恵林寺(えりんじ)の内外をうかがっていた。ところが、はからずも、勝頼(かつより)の末子(ばっし)伊那丸(いなまる)が、まだ快川(かいせん)のふところにかくまわれているという事実をかぎつけて、いちはやく本陣へ急報したため、すわ、それ逃(の)がしてはと、二千の軍兵(ぐんぴょう)は砂塵(さじん)をまいて、いま――すでにこの寺をさして押しよせてきつつあるのだ。
 快川(かいせん)は、それと知っていながら、ゆったりと、朱(しゅ)の椅子(いす)から立ちもせずに、三人の武将をながめた。
「また、織田(おだ)どのからのお使者ですかな」
 と、しずかにいった。
「知れたことだ」となかのひとりが一歩すすんで、
「国師(こくし)ッ、この寺内(じない)に信玄(しんげん)の孫、伊那丸をかくまっているというたしかな訴人(そにん)があった。縄(なわ)をうってさしだせばよし、さもなくば、寺もろとも、焼(や)きつくして、みな殺しにせよ、という厳命(げんめい)であるぞ。胆(きも)をすえて返辞(へんじ)をせい」
「返辞はない。ふところにはいった窮鳥(きゅうちょう)をむごい猟師(りょうし)の手にわたすわけにはゆかぬ」
 と快川のこえはすんでいた。
「よしッ」
「おぼえておれ」と三人の武将は荒々しくひッ返した。そのうしろ姿(すがた)を見おくると、快川(かいせん)ははじめて、椅子(いす)をはなれ、
「左文次(さもんじ)どの、おでなさい」
 と合図(あいず)をしたうえ、さらに奥(おく)へむかって、声をつづけた。
「忍剣(にんけん)! 忍剣!」
 呼ぶよりはやく、おうと、そこへあらわれた骨たくましいひとりの若僧(わかそう)がある。若僧は、白綸子(しろりんず)にむらさきの袴(はかま)をつけた十四、五歳(さい)の伊那丸(いなまる)を、そこへつれてきて、ひざまずいた。
「この寺へもいよいよ最後の時がきた。お傅役(もりやく)のそちは一命にかえても、若君を安らかな地へ、お落としもうしあげねばならぬ」
「はッ」
 と、忍剣(にんけん)は奥(おく)へとってかえして、鉄の禅杖(ぜんじょう)をこわきにかかえてきた。背には左文次(さもんじ)がもたらした武田家(たけだけ)の宝物(ほうもつ)、御旗(みはた)楯無(たてなし)の櫃(ひつ)をせおって、うら庭づたいに、扇山(せんざん)へとよじのぼっていった。
 ワーッという鬨(とき)の声は、もう山門ちかくまで聞えてきた。寺内は、本堂(ほんどう)といわず、廻廊(かいろう)といわずうろたえさわぐ人々の声でたちまち修羅(しゅら)となった。白羽(しらは)黒羽(くろは)の矢は、疾風(はやて)のように、バラバラと、庭さきや本堂の障子襖(しょうじぶすま)へおちてきた。
「さわぐな、うろたえるな! 大衆(だいしゅ)は山門におのぼりめされ。わしについて、楼門(ろうもん)の上へのぼるがよい」
 と快川(かいせん)は、伊那丸(いなまる)の落ちたのを見とどけてから、やおら、払子(ほっす)を衣(ころも)の袖(そで)にいだきながら、恵林寺(えりんじ)の楼門(ろうもん)へしずかにのぼっていった。
「それ、長老と、ご最期(さいご)をともにしろ――」
 つづいて、一山(ざん)の僧侶(そうりょ)たちは、幼(おさな)い侍童(わらわ)のものまで、楼門の上にひしひしとつめのぼった。
 寄手(よせて)の軍兵は、山門の下へどッとよせてきて、
「一山(ざん)の者どもは、みな山門へのぼったぞ、下から焼きころして、のちの者の、見せしめとしてくれよう」
 と、うずたかく枯(か)れ草をつんで、ぱッと火をはなった。みるまに、渦(うず)まく煙は楼門をつつみ、紅蓮(ぐれん)の炎(ほのお)は、百千の火龍(かりゅう)となって、メラメラともえあがった。
 楼上(ろうじょう)の大衆は、たがいにだきあって、熱苦のさけびをあげて伏(ふ)しまろんだ。なかにひとり、快川和尚(かいせんおしょう)だけは、自若(じじゃく)と、椅子(いす)にかけて、眉(まゆ)の毛もうごかさず、
「なんの、心頭(しんとう)をしずめれば、火もおのずから涼(すず)しい――」
 と、一句(く)のことばを、微笑のもとにとなえて、その全身を、焔(ほのお)になぶらせていた。

「おお! 伊那丸(いなまる)さま。あれをごらんなされませ。すさまじい火の手があがりましたぞ」
 源次郎岳(げんじろうだけ)の山道までおちのびてきた忍剣(にんけん)は、はるかな火の海をふりむいて、涙(なみだ)をうかべた。
「国師(こくし)さまも、あの焔(ほのお)の底で、ご最期(さいご)になったのであろうか、忍剣よ、わしは悲しい……」
 伊那丸(いなまる)は、遠くへ向かって掌(て)を合わせた。空をやく焔は、かれのひとみに、生涯(しょうがい)わすれぬものとなるまでやきついた。すると、不意だった。
 いきなり、耳をつんざく呼子(よびこ)の音(ね)が、するどく、頭の上で鳴ったと思うと、かなたの岩かげ、こなたの谷間から、槍(やり)や陣刀(じんとう)をきらめかせて、おどり立ってくる、数十人の伏勢(ふせぜい)があった。それは徳川方(とくがわがた)の手のもので、酒井(さかい)の黒具足組(くろぐそくぐみ)とみえた。忍剣は、すばやく伊那丸を岩かげにかくして、じぶんは、鉄杖(てつじょう)をこわきにしごいて、敵を待った。
「それッ、武田の落人(おちゅうど)にそういない。討(う)てッ」
 と呼子をふいた黒具足の部将(ぶしょう)は、ひらりと、岩上からとびおりて号令(ごうれい)した。下からは、槍(やり)をならべた一隊がせまり、そのなかなる、まッ先のひとりは、流星のごとく忍剣の脾腹(ひばら)をねらって、槍(やり)をくりだした。
「おうッ」と力をふりしぼって、忍剣の手からのびた四尺(しゃく)余寸(よすん)の鉄杖が、パシリーッと、槍の千段(だん)を二つにおって、天空へまきあげた。
「払(はら)え!」と呼子をふいた部将が、またどなった。
 バラバラとみだれる穂(ほ)すすきの槍(やり)ぶすまも、忍剣(にんけん)が、自由自在にふりまわす鉄杖にあたるが最後だった。藁(わら)か棒切(ぼうき)れのように飛ばされて、見るまに、七人十人と、朱(あけ)をちらして岩角(いわかど)からすべり落ちる。ワーッという声のなだれ、かかれ、かかれと、ののしる叫(さけ)び。すさまじい山つなみは、よせつかえしつ、満山を血しぶきに染(そ)める。
 一介(かい)の若僧(わかそう)にすぎない忍剣のこの手なみに、さすがの黒具足組(くろぐそくぐみ)も胆(きも)をひやした。――知る人は知る。忍剣はもと、今川義元(いまがわよしもと)の幕下(ばっか)で、海道一のもののふといわれた、加賀見能登守(かがみのとのかみ)その人の遺子(わすれがたみ)であるのだ。かれの天性の怪力は、父能登守のそれ以上で、幼少から、快川和尚(かいせんおしょう)に胆力(たんりょく)をつちかわれ、さらに天稟(てんぴん)の武勇と血と涙とを、若い五体にみなぎらせている熱血児(ねっけつじ)である。
 あの眼のたかい快川和尚が、一山(ざん)のなかからえりすぐって、武田伊那丸(たけだいなまる)と御旗(みはた)楯無(たてなし)の宝物(ほうもつ)を托(たく)したのは、よほどの人物と見ぬいたればこそであろう。
 新羅三郎(しんらさぶろう)以来二十六世(せい)をへて、四隣(りん)に武威(ぶい)をかがやかした武田(たけだ)の領土(りょうど)は、いまや、織田(おだ)と徳川(とくがわ)の軍馬に蹂躪(じゅうりん)されて、焦土(しょうど)となってしまった。しかも、その武田の血をうけたものは、世の中にこの伊那丸(いなまる)ひとりきりとなったのだ。焦土のあとに、たった一粒(ひとつぶ)のこった胚子(たね)である。
 この一粒の胚子に、ふたたび甲斐源氏(かいげんじ)の花が咲くか咲かないか、忍剣の責任は大きい。また、伊那丸の宿命もよういではない。
 世は戦国である。残虐(ざんぎゃく)をものともしない天下の弓取りたちは、この一粒の胚子をすら、芽(め)をださせまいとして前途に、あらゆる毒手をふるってくるにちがいない。
 すでに、その第一の危難は眼前にふってわいた。忍剣(にんけん)は鉄杖(てつじょう)を縦横(じゅうおう)むじんにふりまわして、やっと黒具足組(くろぐそくぐみ)をおいちらしたが、ふと気がつくと、伊那丸(いなまる)をのこしてきた場所から大分はなれてきたので、いそいでもとのところへかけあがってくると、南無三(なむさん)、呼子(よびこ)をふいた部将が抜刀(ばっとう)をさげて、あっちこっちの岩穴(いわあな)をのぞきまわっている。
「おのれッ」と、かれは身をとばして、一撃(げき)を加えたが敵もひらりと身をかわして、
「坊主(ぼうず)ッ、徳川家(とくがわけ)にくだって伊那丸をわたしてしまえ、さすればよいように取りなしてやる」
 と、甘言(かんげん)の餌(え)をにおわせながら、陣刀(じんとう)をふりかぶった。
「けがらわしい」
 忍剣は、鉄杖をしごいた。らんらんとかがやく眸(ひとみ)は、相手の精気をすって、一歩、でるが早いか、敵の脳骨(のうこつ)はみじんと見えた。
 そのすきに、忍剣のうしろに身ぢかくせまって、片膝(かたひざ)おりに、種子島(たねがしま)の銃口(じゅうこう)をねらいつけた者がある。ブスブスと、その手もとから火縄(ひなわ)がちった――さすがの忍剣も、それには気がつかなかったのである。
 かれがふりこんだ鉄杖は、相手の陣刀をはらい落としていた。二どめに、ズーンとそれが横薙(よこな)ぎにのびたとおもうと、わッと、部将(ぶしょう)は血へどをはいてぶったおれた。
 刹那(せつな)だ。ズドンと弾(たま)けむりがあがった――
 はッとして身をしずめた忍剣(にんけん)が、ふりかえってみると種子島(たねがしま)をもったひとりの黒具足(くろぐそく)が、虚空(こくう)をつかみながら煙のなかであおむけにそりかえっている。
 はて? と眸(ひとみ)をさだめてみると、その脾腹(ひばら)へうしろ抱きに脇差(わきざし)をつきたてていたのは、いつのまに飛びよっていたか武田伊那丸(たけだいなまる)であった。
「お、若さま!」
 忍剣は、あまりなかれの大胆(だいたん)と手練(しゅれん)に目をみはった。
「忍剣、そちのうしろから、鉄砲(てっぽう)をむけた卑怯者(ひきょうもの)があったによって、わしが、このとおりにしたぞ」
 伊那丸は、笑顔(えがお)でいった。

 木(こ)の実(み)をたべたり、小鳥を捕(と)って飢(う)えをしのいだ。百日あまりも、釈迦(しゃか)ヶ岳(たけ)の山中にかくれていた忍剣(にんけん)と伊那丸(いなまる)は、もう甲州(こうしゅう)攻めの軍勢も引きあげたころであろうと駿河路(するがじ)へ立っていった。峠々(とうげとうげ)には、徳川家(とくがわけ)のきびしい関所(せきしょ)があって、ふたりの詮議(せんぎ)は、厳密(げんみつ)をきわめている。
 そればかりか、織田(おだ)の領地(りょうち)のほうでは、伊那丸(いなまる)をからめてきた者には、五百貫(かん)の恩賞(おんしょう)をあたえるという高札(こうさつ)がいたるところに立っているといううわさである。さすがの忍剣(にんけん)も、はたととほうにくれてしまった。
 きのうまでは、甲山(こうざん)の軍神といわれた、信玄(しんげん)の孫伊那丸も、いまは雨露(うろ)によごれた小袖(こそで)の着がえもなかった。足は茨(いばら)にさかれて、みじめに血がにじんでいた。それでも、伊那丸は悲しい顔はしなかった。幼少からうけた快川和尚(かいせんおしょう)の訓育(くんいく)と、祖父信玄(しんげん)の血は、この少年のどこかに流れつたわっていた。
「若さま、このうえはいたしかたがありませぬ。相模(さがみ)の叔父(おじ)さまのところへまいって、時節のくるまでおすがりいたすことにしましょう」
 かれは、伊那丸のいじらしい姿(すがた)をみると、はらわたをかきむしられる気がする。で、ついに最後の考えをいいだした。
「小田原城(おだわらじょう)の北条氏政(ほうじょううじまさ)どのは、若さまにとっては、叔父君(おじぎみ)にあたるかたです。北条(ほうじょう)どのへ身をよせれば、織田家(おだけ)も徳川家(とくがわけ)も手はだせませぬ」
 が、富士(ふじ)の裾野(すその)を迂回(うかい)して、相模(さがみ)ざかいへくると、無情な北条家(ほうじょうけ)ではおなじように、関所(せきしょ)をもうけて、武田(たけだ)の落武者(おちむしゃ)がきたら片ッぱしから追いかえせよ、と厳命してあった。叔父(おじ)であろうが、肉親(にくしん)であろうが、亡国(ぼうこく)の血すじのものとなれば、よせつけないのが戦国のならいだ。忍剣もうらみをのんでふたたびどこかの山奥へもどるより術(すべ)がなかった。今はまったく袋(ふくろ)のねずみとなって、西へも東へもでる道はない。
 ゆうべは、裾野(すその)の青すすきをふすまとして寝(ね)、けさはまだ霧(きり)の深いころから、どこへというあてもなく、とぼとぼと歩きだした。やがてその日もまた夕暮れになってひとつの大きな湖水(こすい)のほとりへでた。
 このへんは、富士の五湖(こ)といわれて、湖水の多いところだった。みると汀(なぎさ)にちかく、白旗(しらはた)の宮と額(がく)をあげた小さな祠(ほこら)があった。
「白旗の宮? ……」と忍剣(にんけん)は見あげて、
「オオ、甲斐(かい)も源氏(げんじ)、白旗といえば、これは縁(えん)のある祠(ほこら)です。若さましばらく、ここでやすんでまいりましょうに……」
 と、縁へ腰をおろした。
「いや、わしは身軽でつかれはしない。おまえこそ、その鎧櫃(よろいびつ)をしょっているので、ながい道には、くたびれがますであろう」
「なんの、これしきの物は、忍剣の骨にこたえはいたしませぬ。ただ、大せつなご宝物(ほうもつ)ですから、まんいちのことがあってはならぬと、その気づかいだけです」
「そうじゃ。わしは、この湖水をみて思いついた」
「なんでござりますか」
「こうして、その櫃(ひつ)をしょって歩くうちに、もし敵の目にかかって、奪(うば)われたらもう取りかえしがつかぬ」
「それこそ、この忍剣としても、生きてはおられませぬ」
「だから――わしがせめて、元服(げんぷく)をする時節まで、その宝物を、この白旗(しらはた)の宮へおあずけしておこうではないか」
「とんでもないことです。それは物騒千万(ぶっそうせんばん)です」
「いや、あずけるというても、御堂(みどう)のなかへおくのではない。この湖水のそこへ沈(しず)めておくのだ。ちょうどここにある宮の石櫃(いしびつ)、これへ入れかえて、沈めておけば安心なものではないか」
「は、なるほど」と、忍剣(にんけん)も、伊那丸(いなまる)の機智(きち)にかんじた。
 ふたりはすぐ祠(ほこら)にあった石櫃へ、宝物をいれかえ一滴(てき)の水もしみこまぬようにして、岸にあった丸木のくりぬき舟にそれをのせて、忍剣がひとりで、棹(さお)をあやつりながら湖の中央へと舟をすすめていった。
 伊那丸は陸(おか)にのこって、岸(きし)から小舟を見おくっていた。あかい夕陽(ゆうひ)は、きらきらと水面を射(い)かえして、舟はだんだんと湖心へむかって小さくなった。
「あッ――」
 とその時、伊那丸は、なにを見たか、さけんだ。
 どこから射出(いだ)したのか、一本の白羽(しらは)の矢が湖心の忍剣をねらって、ヒュッと飛んでいったのであった。――つづいて、雨か、たばしる霰(あられ)のように、数十本の矢(や)が、バラバラ釣瓶(つるべ)おとしに射(い)かけられたのだ。
 さッと湖心には水けむりがあがった。その一しゅん、舟も忍剣も石櫃も、たちまち湖水の波にそのすがたを没してしまった。
「ややッ」
 おどろきのあまり、われを忘(わす)れて、伊那丸(いなまる)が水ぎわまでかけだしたときである。――なにものか、
「待てッ」
 とうしろから、かれの襟(えり)がみをつかんだ大きな腕(うで)があった。

「小童(こわっぱ)、うごくと命(いのち)がないぞ」
 ずるずると、引きもどされた伊那丸は、声もたて得(え)なかった。だが、とっさに、片膝(かたひざ)をおとして、腰の小太刀(こだち)をぬき打ちに、相手の腕根(うでね)を斬(き)りあげた。
「や、こいつが」と、不意をくった男は手をはなして飛びのいた。
「だれだッ。なにをする――」
 とそのすきに、小太刀(こだち)をかまえて、いいはなった伊那丸には、おさないながらも、天性の威(い)があった。
 あなたに立った大男はひとりではなかった。そろいもそろった荒くれ男ばかりが十四、五人、蔓巻(つるまき)の大刀(だいとう)に、革(かわ)の胴服(どうふく)を着たのもあれば、小具足(こぐそく)や、むかばきなどをはいた者もあった。いうまでもなく、乱世(らんせい)の裏(うら)におどる野武士(のぶし)の群団(ぐんだん)である。
「見ろ、おい」と、ひとりが伊那丸をきッとみて、
「綸子(りんず)の小袖(こそで)に菱(ひし)の紋(もん)だ。武田伊那丸(たけだいなまる)というやつに相違(そうい)ないぜ」と、いった。
「うむ、ふんじばって織田家(おだけ)へわたせば、莫大(ばくだい)な恩賞(おんしょう)がある、うまいやつがひッかかった」
「やいッ、伊那丸。われわれは富士の人穴(ひとあな)を砦(とりで)としている山大名(やまだいみょう)の一手だ。てめえの道づれは、あのとおり、湖水のまンなかで水葬式(みずそうしき)にしてくれたから、もう逃げようとて、逃げるみちはない、すなおにおれたちについてこい」
「や、では忍剣(にんけん)に矢を射(い)たのも、そちたちか」
「忍剣かなにか知らねえが、いまごろは、山椒(さんしょう)の魚の餌食(えじき)になっているだろう」
「この土蜘蛛(つちぐも)……」
 伊那丸は、くやしげに唇(くちびる)をかんで、にぎりしめていた小太刀(こだち)の先をふるわせた。
「さッ、こなけりゃふんじばるぞ」
 と、野武士(のぶし)たちは、かれを少年とあなどって、不用意にすすみでたところを、伊那丸は、おどりあがって、
「おのれッ」
 といいざま、真眉間(まみけん)をわりつけた。野武士(のぶし)どもは、それッと、大刀(だいとう)をぬきつれて、前後からおッとりかこむ。
 武技(ぶぎ)にかけては、躑躅(つつじ)ヶ崎の館(やかた)にいたころから、多くの達人やつわものたちに手をとられて、ふしぎな天才児(てんさいじ)とまで、おどろかれた伊那丸(いなまる)である。からだは小さいが、太刀(たち)は短いが、たちまちひとりふたりを斬(き)ってふせた早わざは飛鳥のようだった。
「この童(わっぱ)め、味(あじ)をやるぞ、ゆだんするな」
 と、野武士(のぶし)たちは白刃の鉄壁(てっぺき)をつくってせまる。その剣光のあいだに、小太刀ひとつを身のまもりとして、斬(き)りむすび、飛びかわしする伊那丸のすがたは、あたかも嵐(あらし)のなかにもまれる蝶(ちょう)か千鳥のようであった。しかし時のたつほど疲れはでてくる。息(いき)はきれる。――それに、多勢(たぜい)に無勢(ぶぜい)だ。
「そうだ、こんな名もない土賊(どぞく)どもと、斬(き)りむすぶのはあやまりだ。じぶんは武田家(たけだけ)の一粒としてのこった大せつな身だ。しかもおおきな使命のあるからだ――」
 と伊那丸は、乱刀のなかに立ちながらも、ふとこう思ったので、いっぽうの血路をやぶって、いっさんににげだした。
「のがすなッ」
 と野武士たちも風をついて追いまくってくる。伊那丸は芦(あし)の洲(す)からかけあがって、松並木へはしった。ピュッピュッという矢のうなりが、かれの耳をかすって飛んだ。
 夕闇(ゆうやみ)がせまってきたので、足もともほの暗くなったが松並木へでた伊那丸は、けんめいに二町ばかりかけだした。
 と、これはどうであろう、前面の道は八重十文字(やえじゅうもんじ)に、藤(ふじ)づるの縄(なわ)がはってあって、かれのちいさな身でもくぐりぬけるすきもない。
「しまった」と伊那丸(いなまる)はすぐ横の小道へそれていったが、そこにも茨(いばら)のふさぎができていたので、さらに道をまがると藤(ふじ)づるの縄(なわ)がある。折れてもまがっても抜けられる道はないのだ。万事休(ばんじきゅう)す――伊那丸は完全に、蜘蛛手(くもで)かがりという野武士(のぶし)の術中におちてしまったのだ。身に翼(つばさ)でもないかぎりは、この罠(わな)からのがれることはできない。
「そうだ、野武士らの手から、織田家(おだけ)へ売られて名をはずかしめるよりは、いさぎよく自害(じがい)しよう」
 と、かれは覚悟をきめたとみえて、うすぐらい林のなかにすわりこんで、脇差(わきざし)を右手にぬいた。
 切っさきを袂(たもと)にくるんで、あわや身につきたてようとしたときである。ブーンと、飛んできた分銅(ふんどう)が、カラッと刀の鍔(つば)へまきついた。や? とおどろくうちに、刀は手からうばわれて、スルスルと梢(こずえ)の空へまきあげられていく。
「ふしぎな」と立ちあがったとたん、伊那丸は、ドンとあおむけにたおれた。そしてそのからだはいつのまにか罠(わな)なわのなかにつつみこまれて、小鳥のようにもがいていた。
 すると、いままで鳴りをしずめていた野武士が、八ぽうからすがたをあらわして、たちまち伊那丸をまりのごとくにしばりあげて、そこから富士(ふじ)の裾野(すその)へさして追いたてていった。

 幾里(いくり)も幾里ものあいだ、ただいちめんに青すすきの波である。その一すじの道を、まッくろな一群(ぐん)の人間が、いそぎに、いそいでいく。それは伊那丸(いなまる)をまン中にかためてかえる、さっきの野武士(のぶし)だった。
「や、どこかで笛(ふえ)の音(ね)がするぜ……」
 そういったものがあるので、一同ぴったと足なみをとめて耳をすました。なるほど、寥々(りょうりょう)と、そよぐ風のとぎれに、笛の冴(さ)えた音がながれてきた。
「ああ、わかった。咲耶子(さくやこ)さまが、また遊びにでているにちがいない」
「そうかしら? だがあの音(ね)いろは、男のようじゃないか。どんなやつが忍(しの)んでいるともかぎらないからゆだんをするなよ」
 とたがいにいましめあって、ふたたび道をいそぎだすと、あなたの草むらから、月毛(つきげ)の野馬(のうま)にのったさげ髪(がみ)の美少女が、ゆらりと気高(けだか)いすがたをあらわした。
 一同はそれをみると、
「おう、やっぱり咲耶子さまでございましたか」
 と荒くれ武士(ぶし)ににげなく、花のような美少女のまえには、腰をおって、ていねいにあたまをさげる。
「じゃ、おまえたちにも、わたしが吹いていた笛の音が聞えたかえ?」
 と駒(こま)をとめた咲耶子は、美しいほほえみをなげて見おろしたが、ふと、伊那丸のすがたを目にとめて、三日月なりの眉(まゆ)をちらりとひそめながら、
「まあ、そのおさない人を、ぎょうさんそうにからめてどうするつもりです。伝内(でんない)や兵太(ひょうた)もいながら、なぜそんなことをするんです」
 と、とがめた。名をさされたふたりの野武士(のぶし)は、一足(ひとあし)でて、咲耶子(さくやこ)の駒(こま)に近よった。
「まだ、ごぞんじありませぬか。これこそ、お頭(かしら)が、まえまえからねらっていた武田家(たけだけ)の小伜(こせがれ)、伊那丸(いなまる)です」
「おだまりなさい。とりこにしても身分のある敵なら、礼儀(れいぎ)をつくすのが武門のならいです。おまえたちは、名もない雑人(ぞうにん)のくせにして、呼(よ)びすてにしたり、縄目(なわめ)にかけるというのはなんという情けしらず、けっして、ご無礼(ぶれい)してはなりませぬぞ」
「へえ」と、一同はその声にちぢみあがった。
「わたしは道になれているから、あのかたを、この馬にお乗せもうすがよい」
 と、咲耶子は、ひらりとおりて伊那丸の縄(なわ)をといた。
 まもなくけわしいのぼりにかかって、ややしばらくいくと、一の洞門(どうもん)があった。つづいて二の洞門をくぐると天然(てんねん)の洞窟(どうくつ)にすばらしい巨材(きょざい)をしくみ、綺羅(きら)をつくした山大名(やまだいみょう)の殿堂(でんどう)があった。
 この時代の野武士の勢力はあなどりがたいものだった。徳川(とくがわ)北条(ほうじょう)などという名だたる弓とりでさえも、その勢力範囲(はんい)へ手をつけることができないばかりか、戦時でも、野武士の区域(くいき)といえば、まわり道をしたくらい。またそれを敵とした日には、とうてい天下の覇(は)をあらそう大事業などは、はかどりっこないのである。
 ここの富士浅間(ふじせんげん)の山大名(やまだいみょう)はなにものかというに、鎌倉(かまくら)時代からこの裾野(すその)一円にばっこしている郷士(ごうし)のすえで根来小角(ねごろしょうかく)というものである。
 つれこまれた伊那丸(いなまる)は、やがて、首領(しゅりょう)の小角の前へでた。獣蝋(じゅうろう)の燭(しょく)が、まばゆいばかりかがやいている大広間は、あたかも、部将(ぶしょう)の城内へのぞんだような心地がする。
 根来小角は、野武士(のぶし)とはいえ、さすがにりっぱな男だった。多くの配下を左右にしたがえて、上段にかまえていたが、そこへきた姿をみると座をすべって、みずから上座にすえ、ぴったり両手をついて臣下にひとしい礼をしたのには、伊那丸もややいがいなようすであった。
「お目どおりいたすものは、根来小角ともうすものです。今日(こんにち)は雑人(ぞうにん)どもが、礼(れい)をわきまえぬ無作法(ぶさほう)をいたしましたとやら、ひらにごかんべんをねがいまする」
 はて? 残虐(ざんぎゃく)と利慾よりなにも知らぬ野盗(やとう)の頭(かしら)が、なんのつもりで、こうていちょうにするのかと、伊那丸は心ひそかにゆだんをしない。
「また、武田(たけだ)の若君ともあるおんかたが、拙者(せっしゃ)の館(やかた)へおいでくださったのは天のおひきあわせ。なにとぞ幾年でもご滞留(たいりゅう)をねがいまする。ところでこのたびは、織田(おだ)徳川(とくがわ)両将軍のために、ご一門のご最期(さいご)、小角ふかくおさっし申しあげます」
 なにをいっても、伊那丸は黙然(もくねん)と、威(い)をみださずにすわっていた。ただこころの奥底まで見とおすような、つぶらな瞳(ひとみ)だけがはたらいていた。
「つきましては、小角は微力ですが、三万の野武士と、裾野(すその)から駿遠甲相(すんえんこうそう)四ヵ国の山猟師(やまりょうし)は、わたくしの指ひとつで、いつでも目のまえに勢ぞろいさせてごらんにいれます。そのうえ若君が、御大将(おんたいしょう)とおなりあそばして、富士(ふじ)ヶ根(ね)おろしに武田菱(たけだびし)の旗あげをなされたら、たちまち諸国からこぞってお味方に馳(は)せさんじてくることは火をみるよりあきらかです」
「おまちなさい」と伊那丸(いなまる)ははじめて口をひらいた。
「ではそちはわしに名のりをあげさせて、軍勢をもよおそうという望みか」
「おさっしのとおりでござります。拙者(せっしゃ)には武力はありますが名はありませぬ。それゆえ、今日(こんにち)まで髀肉(ひにく)の歎(たん)をもっておりましたが、若君のみ旗(はた)さえおかしくださるならば、織田(おだ)や徳川(とくがわ)は鎧袖(がいしゅう)の一触(しょく)です。たちまち蹴散(けち)らしてごむねんをはらします所存」
「だまれ小角(しょうかく)。わしは年こそおさないが、信玄(しんげん)の血をうけた武神の孫じゃ。そちのような、野盗人(のぬすびと)の上(かみ)にはたたぬ。下郎(げろう)の力をかりて旗上げはせぬ」
「なんじゃ!」と小角のこえはガラリとかわった。
 じぶんの野心を見ぬかれた腹立ちと、落人(おちゅうど)の一少年にピシリとはねつけられた不快さに、満面に朱(しゅ)をそそいだ。
「こりゃ伊那丸、よく申したな。もう汝(なんじ)の名をかせとはたのまぬわ、その代りその体を売ってやる! 織田家(おだけ)へわたして莫大(ばくだい)な恩賞(おんしょう)にしたほうが早手まわしだ。兵太(ひょうた)ッ、この餓鬼(がき)、ふんじばって風穴(かざあな)へほうりこんでしまえ」
「へいッ」四、五人たって、たちまち伊那丸をしばりあげた。かれはもう観念(かんねん)の目をふさいでいた。
「歩けッ」
 と兵太(ひょうた)は縄尻(なわじり)をとって、まッくらな間道(かんどう)を引っ立てていった。そして地獄の口のような岩穴のなかへポーンとほうりこむと、鉄柵(てつさく)の錠(じょう)をガッキリおろしてたちさった。
 うしろ手にしばられているので、よろよろところげこんだ伊那丸(いなまる)は、しばらく顔もあげずに倒れていた。ザザーッと山砂をつつんだ旋風(せんぷう)が、たえず暗澹(あんたん)と吹きめぐっている風穴(かざあな)のなかでは、一しゅんのまも目を開(あ)いていられないのだ。そればかりか、夜の更(ふ)けるほど風のつめたさがまして八寒地獄(はっかんじごく)のそこへ落ちたごとく総身(そうみ)がちぢみあがってくる。
「あア忍剣(にんけん)はどうした……忍剣はもうあの湖水の藻(も)くずとなってしまったのか」
 いまとなって、しみじみと思いだされてくるのであった。
「忍剣、忍剣。おまえさえいれば、こんな野武士(のぶし)のはずかしめを受けるのではないのに……」
 唇(くちびる)をかんで、転々と身もだえしていると、なにか、とん、とん、とん……とからだの下の地面がなってくる心地がしたので、
「はてな? ……」と身をおこすと、そのはずみに、目のまえの、二尺(しゃく)四方ばかりな一枚石が、ポンとはねあがって、だれやら、覆面(ふくめん)をした者の頭が、ぬッとその下からあらわれた。

 山大名(やまだいみょう)の根来小角(ねごろしょうかく)の殿堂(でんどう)は、七つの洞窟(どうくつ)からできている。その七つの洞穴(ほらあな)から洞穴は、縦(たて)に横に、上に下に、自由自在の間道(かんどう)がついているが、それは小角ひとりがもっている鍵(かぎ)でなければ開(あ)かないようになっていた。
 また、そとには、まえにもいったとおり、二つの洞門(どうもん)があって、配下の野武士(のぶし)が五人ずつ交代(こうたい)で、篝火(かがりび)をたきながら夜どおし見はりをしている厳重(げんじゅう)さである。
 今宵(こよい)もこの洞門のまえには、赤い焔(ほのお)と人影がみえて、夜ふけのたいくつしのぎに、何か高声(たかごえ)で話していると、そのさいちゅうに、ひとりがワッとおどろいて飛びのいた。
「なんだッ」
 と一同が総立ちになったとき、洞門のなかからばらばらととびだしてきたのは七、八ひきの猿(さる)であった。
「なんだ猿(さる)じゃないか、臆病者(おくびょうもの)め」
「どうして檻(おり)からでてきたのだろう。咲耶子(さくやこ)さまのかわいがっている飼猿(かいざる)だ。それ、つかまえろッ」
 と八ぽうへちってゆく猿(さる)を追いかけていったあと、留守(るす)になった二の洞門(どうもん)の入口から脱兎(だっと)のごとくとびだした影(かげ)! ひとりは黒装束(くろしょうぞく)の覆面(ふくめん)、そのかげにそっていたのは、伊那丸(いなまる)にそういなかった。
「何者だッ」
 と一の洞門では、早くもその足音をさとって、ひとりが大手をひろげてどなると、鉄球(てっきゅう)のように飛んでいった伊那丸が、どんと当身(あてみ)の一拳(けん)をついた。
「うぬ!」と風をきって鳴った山刀(やまがたな)のひかり。
 よろりと泳(およ)いだ影は、伊那丸のちいさな影から、あざやかに投げられて、断崖(だんがい)の闇(やみ)へのまれた。
「曲者(くせもの)だ! みんな、でろ」
 覆面の黒装束へも襲(おそ)いかかった。姿(すがた)はほっそりとしているのに、手練(しゅれん)はあざやかだった。よりつく者を投げすてて、すばやく逃げだすのを、横あいからまた飛びついていったひとりがむんずと組みついて、その覆面の顔をまぢかく見て、
「ああ、あなたは」と、愕然(がくぜん)とさけんだ。
 顔を見られたと知った覆面は、おどろく男を突ッぱなした。よろりと身をそるところへ、黒装束の腰からさッとほとばしった氷の刃(やいば)! 男の肩からけさがけに斬(き)りさげた。――ワッという絶叫(ぜっきょう)とともに闇(やみ)にたちまよった血けむりの血なまぐささ。
「伊那丸さま」
 黒装束(くろしょうぞく)は、手まねきするやいなや、岩つばめのようなはやさで、たちまち、そこからかけおりていってしまった。

 下界(げかい)をにらみつけるような大きな月が、人ひとり、鳥一羽の影さえない、裾野(すその)のそらの一角(かく)に、夜の静寂(しじま)をまもっている。
 その渺(びょう)としてひろい平野の一本杉に、一ぴきの白駒(しろこま)がつながれていた。馬は、さびしさも知らずに、月光をあびながら、のんきに青すすきを食べているのだ。
 いっさんにかけてきた黒装束(くろしょうぞく)は、白馬(しろうま)のそばへくるとぴッたり足をとめて、
「伊那丸(いなまる)さま、もうここまでくれば大じょうぶです」
 と、あとからつづいてきた影へ手をあげた。
「ありがとうござりました」
 伊那丸は、ほッとして夢心地(ゆめごこち)をさましたとき、ふしぎな黒装束の義人(ぎじん)のすがたを、はじめて落ちついてながめたのであるが、その人は月の光をしょっているので、顔はよくわからなかった。
「もう大じょうぶです。これからこの野馬(のうま)にのって、明方までに富士川(ふじがわ)の下までお送りしてあげますから、あれから駿府(すんぷ)へでて、いずこへなり、身をおかくしなさいまし、ここに関所札(せきしょふだ)もありますから……」
 と、黒装束(くろしょうぞく)のさしだした手形(てがた)をみて、伊那丸(いなまる)はいよいよふしぎにたえられない。
「そして、そなたはいったいたれびとでござりますぞ」
「だれであろうと、そんなことはいいではありませんか。さ、早く、これへ」
 と白駒(しろこま)の手綱(たづな)をひきだしたとき、はじめて月に照らされた覆面(ふくめん)のまなざしを見た伊那丸は、思わずおおきなこえで、
「や! そなたはさっきの女子(おなご)、咲耶子(さくやこ)というのではないか」
「おわかりになりましたか……」涼(すず)しい眸(ひとみ)にちらと笑(え)みを見せて、それへ両手をつきながら、
「おゆるしくださいませ、父の無礼(ぶれい)は、どうぞわたしにかえてごかんべんあそばしませ……」と、わびた。
「では、そなたは小角(しょうかく)の娘でしたか」
「そうです、父のしかたはまちがっております。そのおわびに鍵(かぎ)をそッと持ちだしておたすけもうしたのです。伊那丸さま、あなたのおうわさは私も前から聞いておりました、どうぞお身を大切にして、かがやかしい生涯(しょうがい)をおつくりくださいまし」
「忘れませぬ……」
 伊那丸は、神のような美少女の至情にうたれて、思わずホロリとあつい涙を袖(そで)のうちにかくした。
 と、咲耶子はいきなり立ちあがった。
「あ――いけない」と顔いろを変えてさけんだ。
「なんです?」
 と、伊那丸(いなまる)もその眸(ひとみ)のむいたほうをみると、藍(あい)いろの月の空へ、ひとすじの細い火が、ツツツツーと走りあがってやがて消(き)えた。
「あの火は、この裾野(すその)一帯の、森や河原にいる野伏(のぶせり)の力者(りきしゃ)に、あいずをする知らせです。父は、あなたの逃げたのをもう知ったとみえます。さ、早く、この馬に。……抜けみちは私がよく知っていますから、早くさえあれば、しんぱいはありませぬ」
 とせき立てて、伊那丸の乗ったあとから、じぶんもひらりと前にのって、手ぎわよく、手綱(たづな)をくりだした。
 その時、すでにうしろのほうからは、百足(むかで)のようにつらなった松明(たいまつ)が、山峡(やまあい)の闇(やみ)から月をいぶして、こなたにむかってくるのが見えだした。
「おお、もう近い!」
 咲耶子(さくやこ)は、ピシリッと馬に一鞭(ひとむち)あてた。一声たかくいなないた駒(こま)は、征矢(そや)よりもはやく、すすきの波をきって、まッしぐらに、南のほうへさしてとぶ――

 それよりも前の、夕ぐれのことである。
 夕陽(ゆうひ)のうすれかけた湖(みずうみ)の波をザッザときって、陸(おか)へさして泳いでくるものがあった。湖水の主(ぬし)の山椒(さんしょう)の魚(うお)かとみれば、水をきッてはいあがったのはひとりの若僧(わかそう)――かの忍剣(にんけん)なのであった。
 どっかりと、岸辺(きしべ)へからだを落とすと、忍剣はすぐ衣(ころも)をさいて、ひだりの肘(ひじ)の矢傷(やきず)をギリギリ巻きしめた。そして身をはねかえすが否(いな)や、白旗(しらはた)の宮へかけつけてきてみると、伊那丸(いなまる)のすがたはみえないで、ただじぶんの鉄杖(てつじょう)だけが立てかけてのこっていた。
「若さま――、伊那丸さまア――」
 二ど三ど、こえ高らかに呼んでみたが、さびしい木魂(こだま)がかえってくるばかりである。それらしい人の影もあたりに見えてはこない。
「さては」と忍剣は、心をくらくした。湖水のなかほどへでたとき、ふいに矢を乱射(らんしゃ)したやつのしわざにちがいない。小さなくりぬき舟であったため、矢をかわしたはずみに、くつがえってしまったので、石櫃(いしびつ)はかんぜんに湖心のそこへ沈めたけれど、伊那丸の身を何者かにうばわれては、あの宝物(ほうもつ)も、永劫(えいごう)にこの湖から世にだす時節もなくなるわけだ。
「ともあれ、こうしてはおられない、命にかけても、おゆくえをさがさねばならぬ」
 鉄杖をひッかかえた忍剣は、八ぽうへ血眼(ちまなこ)をくばりながら、湖水の岸、あなたこなたの森、くまなくたずね歩いたはてに、どこへ抜けるかわからないで、とある松並木をとおってくると、いた! 二、三町ばかり先を、白い影がとぼとぼとゆく。
「オーイ」
 と手をあげながらかけだしていくと、半町ほどのところで、フイとその影を見うしなってしまった。
「はてな、ここは一すじ道だのに……」
 小首をひねって見まわしていると、なんのこと、いつかまた、三町も先にその影が歩いている。
「こりゃおかしい。伊那丸(いなまる)さまではないようだが、あやしいやつだ。一つつかまえてただしてくれよう」
 と宙(ちゅう)をとんで追いかけていくうちに、また先の者が見えなくなる。足をとめるとまた見える。さすがの忍剣(にんけん)も少しくたびれて、どっかりと、道の木の根に腰かけて汗をふいた。
「どうもみょうなやつだ。人間の足ではないような早さだ。それとも、あまり伊那丸さまのすがたを血眼(ちまなこ)になってさがしているので、気のせいかな」
 忍剣がひとりでつぶやいていると、その鼻ッ先へ、スーッと、うすむらさき色の煙がながれてきた。
「おや……」ヒョイとふりあおいでみると、すぐじぶんのうしろに、まっ白な衣服をつけた男がたばこをくゆらしながら、忍剣の顔をみてニタリと笑った。
「こいつだ」
 と見て、忍剣もグッとにらみつけた。男は背(せ)に笈(おい)をせおっている六部(ろくぶ)である。ばけものではないにちがいない。にらまれても落ちついたもの、スパリスパリと、二、三ぷくすって、ポンと、立木の横で、きせるをはたくと、あいさつもせずに、またすたすたとでかけるようすだ。
「まて、六部(ろくぶ)まて」
 あわてて立ちあがったが、もうかれの姿は、あたりにも先にも見えない。忍剣(にんけん)はあきれた。世のなかには、奇怪なやつがいればいるものと、ぼうぜんとしてしまった。
 疑心暗鬼(ぎしんあんき)とでもいおうか、場合がばあいなので、忍剣には、どうも今の六部の挙動(きょどう)があやしく思えてならない。なんとなく伊那丸(いなまる)の身を闇(やみ)につつんだのも、きゃつの仕事ではないかと思うと、いま目のさきにいたのを逃(に)がしたのがざんねんになってきた。
「あやしい六部だ。よし、どんな早足をもっていようがこの忍剣のこんきで、ひッとらえずにはおかぬぞ」
 とかれはまたも、いっさんにかけだした。

 並木(なみき)がとぎれたところからは、一望千里の裾野(すその)が見わたされる。
 忍剣(にんけん)は、この方角とにらんだ道を、一念(ねん)こめて、さがしていくと、やがて、ゆくてにあたって、一宇(う)の六角堂が目についた。
「おお、あれはいつの年か、このへんで戦(たたか)いのあったとき焼けのこった文殊閣(もんじゅかく)にちがいない。もしかすると、六部(ろくぶ)の巣(す)も、あれかもしれぬぞ……」
 と勇(いさ)みたって近づいていくと、はたして、くずれかけた文殊閣の石段のうえに、白衣(びゃくえ)の六部が、月でもながめているのか、ゆうちょうな顔をして腰かけている。
「こりゃ六部、あれほど呼(よ)んだのになぜ待たないのだ」
 忍剣はこんどこそ逃がさぬぞという気がまえで、その前につッ立った。
「なにかご用でござるか」
 と、かれはそらうそぶいていった。
「おおさ、問うところがあればこそ呼んだのだ。年ごろ十四、五に渡らせられる若君を見失ったのだ。知っていたら教えてくれ」
「知らない、ほかで聞け」
 六部の答えは、まるで忍剣を愚弄(ぐろう)している。
「だまれッ、この裾野(すその)の夜ふけに、問いたずねる人間がいるか。そういう汝(なんじ)の口ぶりがあやしい、正直にもうさぬと、これだぞッ」
 ぬッと、鉄杖(てつじょう)を鼻さきへ突きつけると、六部はかるくその先をつかんで、腰の下へしいてしまった。
「これッ、なんとするのだ」
 忍剣(にんけん)は、渾力(こんりき)をしぼって、それを引きぬこうとこころみたが、ぬけるどころか、大山(たいざん)にのしかかられたごとく一寸のゆるぎもしない。しかも、六部(ろくぶ)はへいきな顔で、両膝(りょうひざ)にほおづえをついて笑っている。
「むッ……」
 と忍剣は、総身(そうみ)の力をふりしぼった。力にかけては、怪童といわれ、恵林寺(えりんじ)のおおきな庭石をかるがるとさして山門の階段をのぼったじぶんである。なにをッ、なにをッと、引けどねじれど、鉄杖(てつじょう)のほうが、まがりそうで、六部のからだはいぜんとしている。すると、ふいに、六部が腰をうかした。
「あッ――」
 思わずうしろへよろけた忍剣は、かッとなって、その鉄杖をふりかぶるが早いか、磐石(ばんじゃく)もみじんになれと打ちこんだが、六部の姿はひらりとかわって、空(くう)をうった鉄杖のさきが、はっしと、石の粉(こ)をとばした。
「無念ッ」とかえす力で横ざまにはらい上げた鉄杖を、ふたたびくぐりぬけた六部は、杖(つえ)にしこんである無反(むぞ)りの冷刀(れいとう)をぬく手も見せず、ピカリと片手にひらめかせて、
「若僧(わかそう)、雲水」と錆(さび)をふくんだ声でよんだ。
「なにッ」と持ちなおした鉄杖を、まッこうにふりかぶった忍剣は、怒気(どき)にもえた目をみひらいて、ジリジリと相手のすきをねらいつめる。
 六部(ろくぶ)はといえば、片手にのばした一刀を、肩から切先(きっさき)まで水平にかまえて、忍剣(にんけん)の胸もとへと、うす気味のわるい死のかげを、ひら、ひら――とときおりひらめかせていく――。たがいの息と息は、その一しゅん、水のようにひそやかであった。しかも、総身(そうみ)の毛穴からもえたつ熱気は、焔(ほのお)となって、いまにも、そうほうの切先から火の輪(わ)をえがきそうに見える……。
 突(とつ)として、風を切っておどった銀蛇(ぎんだ)は、忍剣の真眉間(まみけん)へとんだ。
「おうッ」と、さけびかえした忍剣は、それを鉄杖(てつじょう)ではらったが、空(くう)をうッてのめッたとたん、背をのぞんで、六部はまたさッと斬りおろしてきた。
 そのはやさ、かわす間(ま)もあらばこそ、忍剣も、ぽんとうしろへとびのくより策(さく)がなかった。そして、踏(ふ)みとどまるが早いか、ふたたび鉄杖を横がまえに持つと、
「待て」と六部の声がかかった。
「怯(ひる)んだかッ」たたき返すように忍剣がいった。
「いやおくれはとらぬ。しかしきさまの鉄杖はめずらしい。いったいどこの何者だか聞かしてくれ」
「あてなしの旅をつづける雲水の忍剣というものだ。ところで、なんじこそただの六部ではあるまい」
「あやしいことはさらにない。ありふれた木遁(もくとん)の隠形(おんぎょう)でちょっときさまをからかってみたのだ」
「ふらちなやつだ。さてはきさまは、どこかの大名(だいみょう)の手先になって、諸国をうかがう、間諜(いぬ)だな」
「ばかをいえ。しのびに長(た)けているからといって、諜者(ちょうじゃ)とはかぎるまい。このとおり六部(ろくぶ)を世わたりにする木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)という者だ。こう名のったところできくが、さっききさまのたずねた若君とは何者だ」
「その口にいつわりがないようすだから聞かしてやる。じつは、さる高貴なおん方のお供(とも)をしている」
「そうか。では武田(たけだ)の御曹子(おんぞうし)だな……」
「や、どうして、汝(なんじ)はそれを知っているのだ?」
「恵林寺(えりんじ)の焔(ほのお)のなかからのがれたときいて、とおくは、飛騨(ひだ)信濃(しなの)の山中から、この富士(ふじ)の裾野(すその)一帯(たい)まで、足にかけてさがしぬいていたのだ。きさまの口うらで、もうおいでになるところは拙者(せっしゃ)の目にうつってきた。このさきは、伊那丸(いなまる)さまはおよばずながら、この六部がお附添(つきそ)いするから、きさまは、安心してどこへでも落ちていったがよかろう」
 忍剣(にんけん)はおどろいた。まったくこの六部のいうこと、なすことは、いちいちふにおちない。のみならず、じぶんをしりぞけて、伊那丸をさがしだそうとする野心もあるらしい。
「たわけたことをもうせ。伊那丸さまはこの忍剣が命にかけて、お護(まも)りいたしているのだわ」
「そのお傅役(もりやく)が、さらわれたのも知らずにいるとは笑止千万(しょうしせんばん)じゃないか。御曹子(おんぞうし)はまえから拙者(せっしゃ)がさがしていたおん方だ、もうきさまに用はない」
「いわせておけば無礼(ぶれい)なことばを」
「それほどもうすなら、きさまはきさまでかってにさがせ。どれ、拙者(せっしゃ)は、これから明け方までに、おゆくえをつきとめて、思うところへお供(とも)をしよう」
「この痴(し)れものが」
 と、忍剣(にんけん)は真から腹立たしくなって、ふたたび鉄杖(てつじょう)をにぎりしめたとき、はるか裾野(すその)のあなたに、ただならぬ光を見つけた。
 六部(ろくぶ)の木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)も見つけた。
 ふたりはじッとひとみをすえて、しばらく黙然(もくねん)と立ちすくんでしまった。
 それは蛇形(だぎょう)の陣(じん)のごとく、うねうねと、裾野(すその)のあなたこなたからぬいめぐってくる一道(どう)の火影(ほかげ)である。多くの松明(たいまつ)が右往左往(うおうざおう)するさまにそういない。
「あれだ!」いうがはやいか龍太郎は、一足(そく)とびに、石段から姿をおどらした。
「うぬ。汝(なんじ)の手に若君をとられてたまるか」
 忍剣(にんけん)も、韋駄天(いだてん)ばしり、この一足(ひとあし)が、必死のあらそいとはなった。

 ただ見る――白い月の裾野(すその)を、銀の奔馬(ほんば)にむちをあげて、ひとつの鞍(くら)にのった少年の貴公子(きこうし)と、覆面(ふくめん)の美少女は、地上をながるる星とも見え、玉兎(ぎょくと)が波をけっていくかのようにも見える。たちまち、そらの月影が、黒雲のうちにさえぎられると、裾野(すその)もいちめんの如法闇夜(にょほうあんや)、ただ、ザワザワと鳴るすすきの風に、つめたい雨気さえふくんできた。
「あ、折りがわるい――」
 と、駒(こま)をとめて、空をあおいだ咲耶子(さくやこ)の声は、うらめしげであった。
「おお、雲は切れめなくいちめんになってきた。咲耶どの、もう駒(こま)をはやめてはあぶない、わしはここでおりますから、あなたは岩殿(いわどの)へお帰りなさい」
「いいえ、まだ富士川(ふじがわ)べりまでは、あいだがあります」
「いや、そなたが帰ってから、小角(しょうかく)にとがめられるであろうと思うと、わしは胸がいたくなります。さ、わしをここでおろしてください」
「伊那丸(いなまる)さま、こんなはてしも見えぬ裾野のなかで、馬をお捨てあそばして、どうなりますものか」
 いい争(あらそ)っているすきに、十間(けん)とは離れない窪地(くぼち)の下から、ぱッと目を射てきた松明(たいまつ)のあかり。
「いたッ」
「逃がすな」と、八ぽうからの声である。
「あッ、大へん」
 と咲耶子はピシリッと駒(こま)をうった。ザザーッと道もえらまずに数十間(けん)、一気にかけさせたのもつかの間(ま)であった。たのむ馬が、窪地(くぼち)に落ちて脚(あし)を折ったはずみに、ふたりはいきおいよく、草むらのなかへ投げ落とされた。
「それッ、落ちた。そこだッ」
 むらがりよってきた松明(たいまつ)の赤い焔(ほのお)、山刀(やまがたな)の光、槍(やり)の穂(ほ)さき。
 ふたりのすがたは、たちまちそのかこみのなかに照らしだされた。
「もう、これまで」
 と小太刀(こだち)をぬいた伊那丸(いなまる)は、その荒武者(あらむしゃ)のまッただなかへ、運にまかせて、斬りこんだ。
 咲耶子(さくやこ)も、覆面(ふくめん)なのを幸いに一刀をもって、伊那丸の身をまもろうとしたが、さえぎる槍や大刀に畳(たた)みかけられ、はなればなれに斬りむすぶ。
「めんどうくさい。武田(たけだ)の童(わっぱ)も、手引きしたやつも、片ッぱしから首にしてしまえ」
 大勢のなかから、こうどなった者は、咲耶子と知ってか知らぬのか、山大名(やまだいみょう)の根来小角(ねごろしょうかく)であった。
 時に、そのすさまじいつるぎの渦(うず)へ、突(とつ)として、横合いからことばもかけずに、無反(むぞ)りの大刀をおがみに持って、飛びこんできた人影がある。六部(ろくぶ)の木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)であった。一閃(せん)かならず一人を斬り、一気かならず一夫(ぷ)を割る、手練(しゅれん)の腕は、超人的(ちょうじんてき)なものだった。
 それとみて、愕然(がくぜん)とした根来小角は、みずから大刀をとって、奮(ふる)いたった。
 と同時に、一足(ひとあし)おくれて、かけつけた忍剣(にんけん)の鉄杖(てつじょう)も、風を呼んでうなりはじめた。
 空はいよいよ暗かった。降るのはこまかい血の雨である。たばしる剣(つるぎ)の稲妻(いなずま)にまきこまれた、可憐(かれん)な咲耶子(さくやこ)の身はどうなるであろう。――そして、武田伊那丸(たけだいなまる)の運命は、はたしてだれの手ににぎられるのか?

 雲の明るさをあおげば、夜はたしかに明けている。しかし、加賀見忍剣(かがみにんけん)の身のまわりだけは、常闇(とこやみ)だった。かれは、とんでもない奈落(ならく)のそこに落ちて、土龍(もぐら)のようにもがいていた。
「伊那丸(いなまる)さまはどうしたであろう。あの武士の群(む)れにとりかえされたか、あるいは、六部(ろくぶ)の木隠(こがくれ)というやつにさらわれてしまったか? ――そのどっちにしても大へんだ。アア、こうしちゃいられない、グズグズしている場合じゃない……」
 忍剣は、どんな危地(きち)に立っても、けっしてうろたえるような男ではない。ただ、伊那丸の身をあんじてあせるのだった。地の理にくらいため、乱闘のさいちゅうに、足を踏(ふ)みすべらしたのが、かえすがえすもかれの失敗であった。
 ところが、そこは裾野(すその)におおい断層(だんそう)のさけ目であって、両面とも、切ってそいだかのごとき岩と岩とにはさまれている数丈(すうじょう)の地底なので、さすがの忍剣(にんけん)も、精根(せいこん)をつからして空の明るみをにらんでいた。
「む! 根気だ。こんなことにくじけてなるものか」
 とふたたび袖(そで)をまくりなおした。かれは鉄杖(てつじょう)を背なかへくくりつけて、護身(ごしん)の短剣をぬいた。そして、岩の面へむかって、一段(いちだん)一段、じぶんの足がかりを、掘りはじめたのである。
 すると、なにかやわらかなものが、忍剣の頬(ほお)をなでてははなれ、なでてははなれするので、かれはうるさそうにそれを手でつかんだ時、はじめて赤い絹(きぬ)の細帯(ほそおび)であったことを知った。
「おや? ……」
 と、あおむいて見ると、ちゅうとから藤(ふじ)づるかなにかで結びたしてある一筋(ひとすじ)が、たしかに、上からじぶんを目がけてさがっている。
「ありがたい!」
 と力いっぱい引いてこころみたが、切れそうもないので、それをたよりに、するするとよじのぼっていった。
 ぽんと、大地へとびあがったときのうれしさ。
 忍剣はこおどりして見まわすと、そこに、思いがけない美少女が笑(え)みをふくんで立っている。少女の足もとには、謎(なぞ)のような黒装束(くろしょうぞく)の上下(うえした)がぬぎ捨てられてあった。
「や、あなたは……」
 と忍剣(にんけん)はいぶかしそうに目をみはった。その問いにおうじて、少女は、
「わたくしはこの裾野(すその)の山大名(やまだいみょう)、根来小角(ねごろしょうかく)の娘で、咲耶子(さくやこ)というものでございます」
 と、はっきりしたこわ音(ね)でこたえた。
「そのあなたが、どうしてわたしをたすけてくださったのじゃ」
「ご僧(そう)は、伊那丸(いなまる)さまのお供(とも)のかたでございましょうが」
「そうです。若君のお身はどうなったか、それのみがしんぱいです。ごぞんじなら、教えていただきたい」
「伊那丸さまは、ご僧(そう)と一しょに斬りこんできた六部(ろくぶ)のひとが、おそろしい早技(はやわざ)でどこともなく連れていってしまいました。あの六部が、善人か悪人か、わたくしにもわからないのです。それをあなたにお知らせするために夜の明けるのを待っていたのです」
「えッ、ではやっぱりあの六部にしてやられたか。して六部めは、どっちへいったか、方角だけでも、ごぞんじありませんか」
「わたくしはそのまえに、富士川(ふじがわ)をくだって、東海道から京へでる関所札(せきしょふだ)をあげておきましたが、その道へ向かったかどうかわかりませぬ」
「しまった……?」
 と、忍剣は吐息(といき)をもらした。と、咲耶子は、にわかに色をかえてせきだした。
「あれ、父の手下どもが、わたくしをたずねてむこうからくるようです。すこしも早くここをお立ちのきあそばしませ。わたくしは山へ帰りますが、かげながら、伊那丸(いなまる)さまのお行く末をいのっております」
「ではお別れといたそう。拙僧(せっそう)とて、安閑(あんかん)としておられる身ではありません」
 ふたたび鉄杖(てつじょう)を手にした忍剣(にんけん)は、別れをつげて、恨(うら)みおおき裾野(すその)をあとに、いずこともなく草がくれに立ち去った。
 ――咲耶子(さくやこ)も、しばしのあいだは、そこに立ってうしろ姿(すがた)を見おくっていた。

 浜松(はままつ)の城下は、海道一の名将、徳川家康(とくがわいえやす)のいる都会である。その浜松は、ここ七日のあいだは、男山八幡(おとこやまはちまん)の祭なので、夜ごと町は、おびただしいにぎわいであった。
「どうですな、鎧屋(よろいや)さん、まだ売れませんか」
 その八幡(はちまん)の玉垣(たまがき)の前へならんでいた夜店の燈籠売(とうろうう)りがとなりの者へはなしかけた。
「売れませんよ。今日で六日もだしていますがだめです」
 と答えたのは、十八、九の若者で、たった一組の鎧(よろい)をあき箱の上にかざり、じぶんのそばには、一本の朱柄(あかえ)の槍(やり)を立てかけて、ぼんやりとそこに腰かけている。
「おまえさんの燈籠(とうろう)のほうは、女子供が相手だから、さだめし毎日たくさんの売上げがありましたろう」
「どうしてどうして、あの鬼玄蕃(おにげんば)というご城内の悪侍(わるざむらい)のために、今年はからきし、商(あきな)いがありませんでした」
「ゆうべもわたしがかえったあとで、だれかが、あいつらに斬られたということですが、ほんとでしょうかね」
「そんなことは珍しいことじゃありませんよ。店をメチャメチャにふみつぶされたり、片輪(かたわ)にされたかわいそうな人が、何人あるか知れやしません。まったく弱いものは生きていられない世の中ですね」
 といってる口のそばから、ワーッという声が向こうからあがって、いままで歓楽(かんらく)の世界そのままであったにぎやかな町の灯(あか)りが、バタバタ消えてきた。
 燈籠売(とうろうう)りははねあがってあおくなった。
「大へん大へん、鎧屋(よろいや)さん、はやく逃げたがいいぜ、鬼玄蕃がきやがったにちがいない」
 にわか雨でもきたように、あたりの商人たちも、ともどもあわてさわいだが、かの若者だけは、腰も立てずに悠長(ゆうちょう)な顔をしていた。
 案のじょう、そこへ旋風(つむじかぜ)のようにあばれまわってきた四、五人の侍(さむらい)がある。なかでも一きわすぐれた強そうな星川玄蕃(ほしかわげんば)は、つかつかと鎧屋のそばへよってきた。泥酔(でいすい)したほかの侍たちも、こいつはいいなぶりものだという顔をして、そこを取りまく。
「やい、町人。この槍(やり)はいくらだ」
 と玄蕃(げんば)はいきなり若者のそばにあった朱柄(あかえ)の槍(やり)をつかんだ。
「それは売り物じゃありません」
 にべもなく、ひッたくって槍をおきかえたかれは、あいかわらず、無神経(むしんけい)にすましこんでいた。
「けしからんやつだ、売り物でないものを、なぜ店へさらしておく。こいつ、客をつる山師(やまし)だな」
「槍はわしの持物です。どこへいくんだッて、この槍を手からはなさぬ性分(しょうぶん)なんだからしかたがない」
「ではこの鎧(よろい)が売りものなのか。黒皮胴(くろかわどう)、萌黄縅(もえぎおどし)、なかなかりっぱなものだが、いったいいくらで売るのだ」
「それも売りたい品(しな)ではないが、お母(ふくろ)が病気なので、薬代(くすりだい)にこまるからやむなく手ばなすんです。酔(よ)ッぱらったみなさまがさわいでいると、せっかくのお客も逃げてしまいます。早くあっちへいってください」
「無愛想(ぶあいそう)なやつだ。買うからねだんを聞いているのだ」
「金子(きんす)五十枚、びた一文(もん)もまかりません。はい」
「たかい、銅銭五十枚にいたせ、買ってくれる」
「いけません、まっぴらです」
「ふらちなやつだ。だれがこんなボロ鎧に、金五十枚をだすやつがあるか、バカめッ」
 玄蕃(げんば)が土足(どそく)をあげて蹴(け)ったので、鎧(よろい)はガラガラとくずれて土まみれになった。こんならんぼうは、泰平(たいへい)の世には、めったに見られないが、あけくれ血や白刃(しらは)になれた戦国武士の悪い者のうちには、町人百姓を蛆虫(うじむし)とも思わないで、ややともすると、傲慢(ごうまん)な武力をもってかれらへのぞんでゆくものが多かった。
「山師(やまし)めッ」
 ほかの武士(ぶし)どもも、口を合わせてののしった上に鎧(よろい)を踏(ふ)みちらして、どッと笑いながら立ちさろうとした時、若者の眉(まゆ)がピリッとあがった。――と思うまに、朱柄(あかえ)の槍(やり)は、いつか、その小脇(こわき)にひッかかえられていた。
「待てッ」
「なにッ」とふりかえりざま、刀の柄(つか)へ手をかけた五人の、おそろしい眼つき。
 すわと、弥次馬(やじうま)は、潮(うしお)のごとくたちさわいだ。――と、その群集のなかから、まじろぎもせずに、朱柄の槍先をみつめていた白衣(びゃくえ)の六部(ろくぶ)と、ひとりの貴公子(きこうし)ふうの少年とがあった。
 玉垣(たまがき)を照らしている春日燈籠(かすがどうろう)の灯影(ほかげ)によく見ると、それこそ、裾野(すその)の危地(きち)を斬りやぶって、行方(ゆくえ)をくらました木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)と、武田伊那丸(たけだいなまる)のふたりであった。
 六部の龍太郎は、はたして、なんの目的で伊那丸をうばいとってきたかわからないが、ここに立ったふたりのようすから察(さっ)すると、いつか伊那丸もかれを了解(りょうかい)しているし、龍太郎も主君のごとく敬(うやま)っているようだ。しかしそれにしても武田の残党(ざんとう)を根だやしにするつもりである敵の本城地に、かく明からさまに姿をあらわしているのは、なんという大胆(だいたん)な行動であろう。今にもあれ、徳川家(とくがわけ)の目付役(めつけやく)か、酒井黒具足組(くろぐそくぐみ)の目にでもふれたらば最後、ふたりの身の一大事となりはしまいか?
 それはとにかく、いっぽう、鎧売(よろいう)りの若者は、はやくも、槍(やり)を、穂短(ほみじか)にしごいて、ジリジリと一寸にじりに五人の武士へ迫ってゆく――
「小僧ッ、気がちがったか」玄蕃(げんば)はののしった。
「気は狂(ちが)っていない! 町人のなかにも男はいる、天にかわって、汝(なんじ)らをこらしてやるのだ」
「なまいきなことをほざく下郎(げろう)だ、汝らがこのご城下で安穏(あんのん)にくらしていられるのは、みなわれわれが敵国と戦っている賜物(たまもの)だぞ。罰(ばち)あたりめ」
「町人どもへよい見せしめ、そのほそ首をぶッ飛ばしてくれよう」
「うごくなッ」
 鬼玄蕃(おにげんば)をはじめ、一同の刀が、若者の手もとへ、ものすさまじく斬りこんだ。

 とたんに、朱柄(あかえ)の槍(やり)は、一本の火柱のごとく、さッと五本の乱刀を天宙(てんちゅう)からたたきつけた。
 わッと、あいての手もとが乱れたすきに、若者はまた一声「えいッ」とわめいて、ひとりのむなさきを田楽刺(でんがくざ)しにつきぬくがはやいか、すばやく穂先(ほさき)をくり引いて、ふたたびつぎの相手をねらっている。
 その早技(はやわざ)も、非凡(ひぼん)であったが、よりおどろくべきものは、かれのこい眉毛(まゆげ)のかげから、らんらんたる底光をはなってくる二つの眸(ひとみ)である。それは、槍(やり)の穂先よりするどい光をもっている。
「やりおったな、小僧(こぞう)ッ。もうゆるさん」
 玄蕃(げんば)は怒りにもえ、金剛力士(こんごうりきし)のごとく、太刀(たち)をふりかぶって、槍の真正面に立った。かれのがんじょうな五体は、さすが戦場のちまたで鍛(きた)えあげたほどだけあって、小柄(こがら)な若者を見おろして、ただ一撃(げき)といういきおいをしめした。それさえあるのに、あと三人の武士(ぶし)も、めいめいきっさきをむけて、ふくろづめに、一寸二寸と、若者の命(いのち)に、くいよってゆくのだ。
 ああ、あぶない。
「龍太郎(りゅうたろう)――」
 と、こなたにいた伊那丸(いなまる)は、息をのんでかれの袖(そで)をひいた、そしてなにかささやくと、龍太郎はうなずいて、ひそかに、例の仕込杖(しこみづえ)の戒刀(かいとう)をにぎりしめた。いざといわば、一気におどりこんで、木隠(こがくれ)一流(りゅう)の冴(さ)えを見せんとするらしい。
 ヤッという裂声(れっせい)があたりの空気をつんざいた。鬼玄蕃(おにげんば)星川(ほしかわ)が斬りこんだのだ。朱(あか)い槍(やり)がサッとさがる――玄蕃はふみこんで、二の太刀をかぶったが、そのとき、流星のごとくとんだ槍(やり)の穂(ほ)が、ビュッと、鬼玄蕃(おにげんば)の喉笛(のどぶえ)から血玉をとばした。
「わッ――」と弓なりにそってたおれたと見るや、のこる三人の侍(さむらい)は、必死に若者の左右からわめきかかる、疾風(しっぷう)か、稲妻(いなずま)か、刃(やいば)か、そこはただものすごい黒旋風(くろつむじ)となった。
「えいッ、木(こ)ッ葉(ぱ)どもめ!」
 若者は、二、三ど、朱柄(あかえ)の槍(やり)をふりまわしたが、トンと石突きをついたはずみに、五尺の体をヒラリおどらすが早いか、社(やしろ)の玉垣を、飛鳥のごとく飛びこえたまま、あなたの闇(やみ)へ消えてしまった。
 バラバラと武士もどこかへかけだした。あとは血なまぐさい風に、消えのこった灯(ともしび)がまたたいているばかり。
「アア、気もちのよい男」
 と伊那丸(いなまる)は、思わずつぶやいた。
「拙者(せっしゃ)も、めずらしい槍(やり)の玄妙(げんみょう)をみました」
 龍太郎(りゅうたろう)は助太刀(すけだち)にでようとおもうまに、みごとに勝負をつけてしまった若者の早技(はやわざ)に、舌(した)をまいて感嘆(かんたん)していた。そして、ふたりはいつかそこを歩みだして、浜松城に近い濠端(ほりばた)を、しずかに歩いていたのである。
 すると、大手門の橋から、たちまち空をこがすばかりの焔(ほのお)の一列が疾走(しっそう)してきた。龍太郎は見るより舌うちして、伊那丸とともに、濠端の柳(やなぎ)のかげに身をひそませていると、まもなく、松明(たいまつ)を持った黒具足(くろぐそく)の武士が十四、五人、目の前をはしり抜けたが、さいごのひとりが、
「待て、あやしいやつがいた」とさけびだした。
「なに? いたか」
 バラバラと引きかえしてきた人数は、いやおうなく、ふたりのまわりをとり巻いてしまった。
「ちがった、こいつらではない」
 と一目見た一同は、ふり捨ててふたたびゆきすぎかけたが、そのとき、
「ややッ、伊那丸(いなまる)、武田伊那丸(たけだいなまる)ッ」と、だれかいった者がある。

 朱柄(あかえ)の槍(やり)をもった曲者(くせもの)が、城内の武士(ぶし)をふたりまで突きころしたという知らせに、さては、敵国の間者(かんじゃ)ではないかと、すぐ討手(うって)にむかってきたのは、酒井黒具足組(くろぐそくぐみ)の人々であった。
 運わるく、そのなかに、伊那丸の容貌(かおかたち)を見おぼえていた者があった。かれらは、おもわぬ大獲物(おおえもの)に、武者(むしゃ)ぶるいを禁(きん)じえない。たちまちドキドキする陣刀は、伊那丸と龍太郎(りゅうたろう)のまわりに垣(かき)をつくって、身うごきすれば、五体は蜂(はち)の巣(す)だぞ――といわんばかりなけんまくである。
「ちがいない。まさしくこの者は、武田伊那丸(たけだいなまる)だ」
「お城(しろ)ちかくをうろついているとは、不敵なやつ。尋常にせねば縄(なわ)をうつぞ、甲斐源氏(かいげんじ)の御曹司(おんぞうし)、縄目(なわめ)を、恥(はじ)とおもわば、神妙(しんみょう)にあるきたまえ――」
 侍頭(さむらいがしら)の坂部十郎太(さかべじゅうろうた)が、おごそかにいいわたした。
 伊那丸は、ちりほども臆(おく)したさまは見せなかった。りんとはった目をみひらいて、周囲のものをみつめていたが、ちらと、龍太郎(りゅうたろう)の顔を見ると――かれも眸(ひとみ)をむけてきた。以心伝心(いしんでんしん)、ふたりの目と目は、瞬間にすべてを語りあってしまう。
「いかにも――」龍太郎はそこでしずかに答えた。
「ここにおわすおん方(かた)は、おさっしのとおり、伊那丸君であります。天下の武将のなかでも徳川(とくがわ)どのは仁君(じんくん)とうけたまわり、おん情けの袖(そで)にすがって、若君のご一身を安全にいたしたいお願いのためまいりました」
「とにかく、きびしいお尋ね人じゃ、おあるきなさい」
「したが、落人(おちゅうど)のお身の上でこそあれ、無礼のあるときは、この龍太郎が承知いたさぬ、そう思(おぼ)しめして、ご案内なさい」
 龍太郎は、戒刀(かいとう)の杖(つえ)に、伊那丸の身をまもり、すすきをあざむく白刃(はくじん)のむれは、長蛇(ちょうだ)の列のあいだに、ふたりをはさんで、しずしずと、鬼(おに)の口にもひとしい、浜松城(はままつじょう)の大手門のなかへのまれていった。

 本丸(ほんまる)とは、城主のすまうところである。築山(つきやま)の松、滝(たき)をたたえた泉(いずみ)、鶺鴒(せきれい)があそんでいる飛石など、戦(いくさ)のない日は、平和の光がみちあふれている。そこは浜松城のみどりにつつまれていた。
 伊那丸(いなまる)と龍太郎(りゅうたろう)は、あくる日になって、三の丸、二の丸をとおって、家康(いえやす)のいるここへ呼びだされた。
「勝頼(かつより)の次男、武田伊那丸(たけだいなまる)の主従(しゅじゅう)とは、おん身たちか」
 高座(こうざ)の御簾(みす)をあげて、こういった家康は、ときに、四十の坂をこえたばかりの男ざかり、智謀(ちぼう)にとんだ名将のふうはおのずからそなわっている。
「そうです。じぶんが武田伊那丸です」
 龍太郎は、かたわらに両手をついたが、伊那丸ははっきりこたえて、端然(たんぜん)と、家康の顔をじいとみつめた。――家康も、しかと、こっちをにらむ。
「おう……天目山(てんもくざん)であいはてた、父の勝頼、また兄の太郎信勝(のぶかつ)に、さても生写(いきうつ)しである……。あの戦(いくさ)のあとで検分(けんぶん)した生首(なまくび)に瓜(うり)二つじゃ」
「うむ……」
 伊那丸(いなまる)の肩は、あやしく波をうった。かれをにらんだ二つの眸(ひとみ)からは、こらえきれない熱涙が、ハラハラとはふり落ちてとまらない。
 この家康(いえやす)めが、織田(おだ)と力をあわせ、北条(ほうじょう)をそそのかして、武田(たけだ)の家をほろぼしたのか、父母や兄や、一族たちをころしたのか――と思うと、くやし涙は、頬(ほお)をぬらして、骨に徹(てっ)してくる。眼(まなこ)もらんらんともえるのだった。
「若君、若君……」
 と、龍太郎(りゅうたろう)はそッと膝(ひざ)をついて目くばせをしたが、伊那丸は、さらに心情をつつまなかった。
「おお……」と家康はうなずいて、そしてやさしそうに、
「父の領地(りょうち)は焦土(しょうど)となり、身は天涯(てんがい)の孤児(こじ)となった伊那丸、さだめし口惜(くや)しかろう、もっともである。いずれ、家康もとくと考えおくであろうから、しばらくは、まず落ちついて、体をやすめているがよかろう」
 家康はなにか一言(ひとこと)、近侍(きんじ)にいいつけて、その席を立ってしまった。ふたりはやがて、酒井の家臣、坂部十郎太(さかべじゅうろうた)のうしろにしたがって、二の丸の塗籠造(ぬりごめづく)りの一室へあんないされた。伊那丸は、ふたりきりになると、ワッと袂(たもと)をかんで、泣いてしまった。
「龍太郎、わしは口惜(くや)しい……くやしかった」
「ごもっともです、おさっしもうしまする」
 とかれもしばらく、伊那丸(いなまる)の手をとって、あおむいていたが、きッと、あらたまっていった。
「さすがにいまだご若年(じゃくねん)、ごむりではありますが、だいじなときです。お心をしかとあそばさねば、この大望(たいもう)をはたすことはできません」
「そうであった、伊那丸は女々(めめ)しいやつのう……」
 と快川和尚(かいせんおしょう)が、幼心(おさなごころ)へうちこんでおいた教えの力が、そのとき、かれの胸に生々(いきいき)とよみがえった。にっこりと笑って、涙をふいた。
「わたくしの考えでは、家康(いえやす)めは、あのするどい目で、若さまのようすから心のそこまで読みぬいてしまったとぞんじます。なかなか、この龍太郎(りゅうたろう)が考えた策(て)にのるような愚将(ぐしょう)ではありませぬから、必然(ひつぜん)、お身の上もあやういものと見なければなりません」
「わしもそう思った。それゆえに、よしや、いちじの計略(はかりごと)にせよ、家康などに頭をさげるのがいやであった。龍太郎、そちの教えどおりにしなかった、わしのわがままはゆるしてくれよ」
 果然(かぜん)、ふたりはまえから、家康の身に近よる秘策(ひさく)をいだいて、わざと、この城内へとらわれてきたのらしい。しかし、すでにそれを、家康が見破ってしまったからには、鮫(さめ)をうたんがため鮫の腹中にはいって、出られなくなったと、おなじ結果におちたものだ。
 このうえは、家康がどうでるか、敵のでようによってこの窮地(きゅうち)から活路(かつろ)をひらくか、あるいは、浜松城の鬼となるか、武運の分れめを、一挙(きょ)にきめるよりほかはない。

 日がくれると、膳所(ぜんしょ)の侍(さむらい)が、おびただしい料理や美酒をはこんできて、うやうやしくふたりにすすめた。
「わが君の志(こころざし)でござります。おくつろぎあって、じゅうぶんに、おすごしくださるようにとのおことばです」
「過分(かぶん)です。よしなに、お伝えください」
「それと、城内の掟(おきて)でござるが、ご所持のもの、ご佩刀(はいとう)などは、おあずかりもうせとのことでござりますが」
「いや、それはことわります」と龍太郎(りゅうたろう)はきっぱり、
「若君のお刀は伝家の宝刀、ひとの手にふれさせていい品(しな)ではありませぬ。また、拙者(せっしゃ)の杖(つえ)は護仏(ごぶつ)の法杖(ほうじょう)、笈(おい)のなかは三尊(さんぞん)の弥陀(みだ)です。ご不審(ふしん)ならば、おあらためなさるがよいが、お渡しもうすことは、誓(ちか)ってあいなりません」
「では……」
 と、その威厳(いげん)におどろいた家臣たちは、おずおずと笈のなかをあらためたが、そのなかには、龍太郎の言明したとおり、三体のほとけの像(ぞう)があるばかりだった。そして、杖(つえ)のあやしい点には気づかずに、そこそこに、そこからさがってしまった。
「若君、けっして手をおふれなさるな、この分では、これもあやしい」
 と、膳部(ぜんぶ)の吸物椀(すいものわん)をとって、なかの汁(しる)を、部屋の白壁にパッとかけてみると、墨(すみ)のように、まっ黒に変化して染まった。
「毒だ! この魚にも、この飯にも、おそろしい毒薬がまぜてある。伊那丸(いなまる)さま、家康(いえやす)の心はこれではっきりわかりました。うわべはどこまでも柔和(にゅうわ)にみせて、わたしたちを毒害(どくがい)しようという肚(はら)でした」
「ではここも?」
 と伊那丸は立ちあがって、塗籠(ぬりごめ)の出口の戸をおしてみると、はたして開(あ)かない。力いっぱい、おせど引けど開かなくなっている。
「若君――」
 龍太郎(りゅうたろう)はあんがいおちついて、なにか伊那丸の耳にささやいた。そして、夜のふけるのを待って、足帯(あしおび)、脇差(わきざし)など、しっかりと身支度(みじたく)しはじめた。
 やがて龍太郎は、笈(おい)のなかから取りのけておいた一体の仏像(ぶつぞう)を、部屋(へや)のすみへおいた。そして燭台(しょくだい)の灯(ともしび)をその上へ横倒しにのせかける。
 部屋の中は、いちじ、やや暗くなったが、仏像の木に油がしみて、ふたたびプスプスと、まえにもまして、明るい焔(ほのお)を立ててきた。
 龍太郎は、伊那丸の体をひしと抱きしめて、反対のすみによった。そして、できるだけ身をちぢめながら、じッとその火をみつめていた。プス……プス……焔(ほのお)は赤くなり、むらさき色になりしてゆくうちに、パッと部屋のなかが真暗になったせつな、チリチリッと、こまかい火の粉(こ)が、仏像からうつくしくほとばしりはじめた。
「若君、耳を耳を」と、いいながら龍太郎も、かたく眼をつぶった。
 その時――
 轟然(ごうぜん)たる音響(おんきょう)とともに、仏像のなかにしかけてあった火薬が爆発した。――浜松城の二の丸の白壁は、雷火(らいか)に裂(さ)かれてくずれ落ちた。
 ガラガラと、すさまじい震動(しんどう)は、本丸(ほんまる)、三の丸までもゆるがした。すわ変事(へんじ)と、旗本(はたもと)や、役人たちは、得物(えもの)をとってきてみると、外廓(そとぐるわ)の白壁がおちたところから、いきおいよくふきだしている怪火! すでに、矢倉(やぐら)へまでもえうつろうとしているありさまだ。
「火事ッ、火事ッ――」
 降(ふ)りかかる火の粉(こ)をあびて、口々にうろたえた顔をあおむかせていると、ふたたび、どッと、突きくずしてきた白壁の口から、紅蓮(ぐれん)をついてあらわれた者がある。無反(むぞ)りの戒刀(かいとう)をふりかぶった木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)、つづいて、武田伊那丸(たけだいなまる)のすがた。
「曲者(くせもの)ッ」
 と下では、騒然(そうぜん)と渦(うず)をまいた。その白刃の林をめがけて、焔(ほのお)のなかから、ひらりと飛びおりた伊那丸と龍太郎――
 ああ、その危(あや)うさ。

 小太刀(こだち)をとっては、伊那丸(いなまる)はふしぎな天才児である。木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)も戒刀の名人、しかも隠形(おんぎょう)の術からえた身のかるさも、そなえている。
 けれど、伊那丸も龍太郎も、けっして、匹夫(ひっぷ)の勇(ゆう)にはやる者ではない。どんな場合にも、うろたえないだけの修養はある。――だのに、なぜ、こんな無謀(むぼう)をあえてしたろう? 白刃林立のなかへ、肉体をなげこめば、たちまち剣のさきに、メチャメチャに刺(さ)されてしまうのは、あまりにも知れきった結果だのに。
 しかし、ひとたび人間が、信念に身をかためてむかう時は、刀刃(とうじん)も折れ、どんな悪鬼(あっき)も羅刹(らせつ)も、かならず退(しりぞ)けうるという教えもある。ふたりがふりかぶった太刀は、まさに信念の一刀だ。とびおりた五尺の体(からだ)もまた、信念の鎖帷子(くさりかたびら)をきこんでいるのだった。
「わッ」
 とさけんだ下の武士たちは、ふいにふたりが、頭上へ飛びおりてきたいきおいにひるんで、思わず、サッとそこを開いてしまった。
 どんと、ふたりのからだが下へつくやいな、いちじに、乱刀の波がどッと斬りつけていったが、
「退(すさ)れッ」
 と、龍太郎の手からふりだされた戒刀(かいとう)の切(き)ッ先(さき)に、乱れたつ足もと。それを目がけて伊那丸(いなまる)の小太刀も、飛箭(ひせん)のごとく突き進んだ。たちまち火花、たちまち剣(つるぎ)の音、斬りおられた槍(やり)は宙(ちゅう)にとび、太刀さきに当ったものは、無残なうめきをあげて、たおれた。
「退(ひ)けッ! だめだ」
 と城の塀(へい)にせばめられて、人数の多い城兵は、かえって自由を欠(か)いた。武士たちは、ふたたび、見ぎたなく逃げ出した。龍太郎(りゅうたろう)と伊那丸は、血刀をふって、追いちらしたうえ、昼間(ひるま)のうちに、見ておいた本丸をめがけて、かけこんでいった。
 家康(いえやす)にちかづいて、武田(たけだ)一門の思いを知らそうと思ったことは破れたが、せめて一太刀でも、かれにあびせかけなければ――浜松城の奥ふかくまではいってきたかいがない。めざすは本丸!
 あいてはひとり!
 と、ほかの雑兵(ぞうひょう)には目もくれないで、まっしぐらに、武者走り(城壁(じょうへき)の細道(ほそみち))をかけぬけた。

 矢倉(やぐら)へむかった消火隊と、武器をとって討手(うって)にむかった者が、あらかたである。――で、家康(いえやす)のまわりには、わずか七、八人の近侍(きんじ)がいるにすぎなかった。
「火はどうじゃ、手はまわったか」
 寝所をでた家康は、そう問いながら、本丸の四阿(あずまや)へ足をむけていた。すると、闇(やみ)のなかから、ばたばたとそこへかけよってきた黒い人影がある。
「や!」
 と侍たちが、立ちふさがって、きッと見ると、物の具で身をかためたひとりの武士(ぶし)が、大地へ両手をついた。
「お上(かみ)、武田(たけだ)の主従(しゅじゅう)が、火薬をしかけたうえに狼藉(ろうぜき)におよびました。ご身辺にまんいちがあっては、一大事です。はやくお奥(おく)へお引きかえしをねがいまする」
「おう、坂部十郎太(さかべじゅうろうた)か。たかが稚児(ちご)どうような伊那丸(いなまる)と六部(ろくぶ)の一人や二人が、檻(おり)をやぶったとて、なにをさほどにうろたえることがある。それよりか、城の火こそ、はやく消さねばならぬ、矢倉(やぐら)へむかえ!」
「はッ」と十郎太が、立ちかけると――
「家康ッ!」と、ふいに、耳もとをつんざいた声とともに、闇のうちからながれきたった一閃(せん)の光。
「無礼ものッ!」
 とさけびながら、よろりと、しりえに、身をながした家康の袖(そで)を、さッと、白い切(き)ッ先(さき)がかすってきた。
「何者だ!」
 とその太刀影(たちかげ)を見て、ガバと、はねおきるより早く、斬りまぜていった十郎太(じゅうろうた)の陣刀。
「お上(かみ)、お上」
 と近侍(きんじ)のものは、そのすきに、家康(いえやす)を屏風(びょうぶ)がこいにして、本丸の奥へと引きかえしていった。
「無念ッ――」
 長蛇(ちょうだ)を逸(いっ)した伊那丸(いなまる)は、なおも、四、五間(けん)ほど、追いかけてゆくのを、待てと、坂部十郎太(さかべじゅうろうた)の陣刀が、そのうしろから慕(した)いよった。
 と、伊那丸はなんにつまずいたか、ア――と闇(やみ)をおよいだ。ここぞと、十郎太がふりかぶった太刀に、あわれむごい血煙が、立つかと見えたせつな、魔鳥のごとく飛びかかってきた龍太郎(りゅうたろう)が、やッと、横ざまに戒刀(かいとう)をもって、薙(な)ぎつけた。
「むッ……」と十郎太は、苦鳴(くめい)をあげて、たおれた。
「若君――」
と寄りそってきた龍太郎、
「またの時節(じせつ)があります。もう、すこしも、ご猶予(ゆうよ)は危険です。さ、この城から逃げださねばなりませぬ」
「でも……龍太郎、ここまできて、家康を討ちもらしたのはざんねんだ。わしは無念だ」
「ごもっともです。しかし、伊那丸(いなまる)さまの大望は、ひろい天下にあるのではござりませぬか。家康(いえやす)ひとりは小さな敵です。さ、早く」
 とせき立てたかれは、むりにかれの手をとって、築山(つきやま)から、城の土塀(どべい)によじのぼり、狭間(はざま)や、わずかな足がかりを力に、二丈(じょう)あまりの石垣(いしがき)を、すべり落ちた。
 途中に犬走りという中段がある。ふたりはそこまでおりて、ぴったりと石垣に腹をつけながら、しばらくあたりをうかがっていた。上では、城内の武士が声をからして、八ぽうへ手配(てくば)りをさけびつつ、縄梯子(なわばしご)を、石垣のそとへかけおろしてきた。南無三(なむさん)――とあなたを見れば、火の手を見た城下の旗本たちが、闇(やみ)をついて、これまた城の大手へ刻々に殺到するけはいである。
「どうしたものだろう?」
 さすがの龍太郎(りゅうたろう)も、ここまできて、はたと当惑(とうわく)した。もう濠(ほり)までわずかに五、六尺だが、そのさきは、満々とたたえた外濠(そとぼり)、橋なくして、渡ることはとてもできない。ふつう、兵法で十五間(けん)以上と定められてある濠(ほり)が、どっちへまわっても、陸と城との境(さかい)をへだてている。するといきなり上からヒューッと一団の火が尾をひいて、ふたりのそばに落ちてきた。闇夜の敵影をさぐる投げ松明(たいまつ)である。ヒューッ、ヒューッ、とつづけざまにおちてくる光――
「いたッ、犬走りだ」
 と頭のうえで声がしたとたんに、光をたよりに、バラバラと、つるべうちに射(い)てきた矢のうなり、――鉄砲のひびき。
「しまった」と龍太郎(りゅうたろう)は伊那丸(いなまる)の身をかばいながら、石垣にそった犬走りを先へさきへとにげのびた。しかし、どこまでいっても陸(おか)へでるはずはない。ただむなしく、城のまわりをまわっているのだ。そのうちには、敵の手配(てはい)はいよいよきびしく固まるであろう。
 矢と、鉄砲と、投げ松明(たいまつ)は、どこまでも、ふたりの影をおいかけてくる。そのうちに龍太郎は、「あッ」と立ちすくんでしまった。
 ゆくての道はとぎれている。見れば目のまえはまっくらな深淵(しんえん)で、ごうーッという水音が、闇(やみ)のそこに渦(うず)まいているようす。ここぞ、城内の水をきって落としてくる水門であったのだ。
 矢弾(やだま)は、ともすると、鬢(びん)の毛をかすってくる。前はうずまく深淵(しんえん)、ふたりは、進退きわまった。
「ああ、無念――これまでか」と龍太郎は天をあおいで嘆息(たんそく)した。
 と、そのまえへ、ぬッと下から突きだしてきた槍(やり)の穂(ほ)?
「何者?」
 と思わず引っつかむと、これは、冷たい雫にぬれた棹(さお)のさきだった。龍太郎がつかんだ力に引かれて、まっ黒な水門から筏(いかだ)のような影がゆらゆらと流れよってきた。その上にたって、棹(さお)を手(た)ぐってくるふしぎな男はたれ? 敵か味方か、ふたりは目をみはって、闇(やみ)をすかした。

「お乗りなさい、はやく、はやく」
 筏(いかだ)のうえの男は、早口にいった。いまはなにを問(と)うすきもない。ふたりは、ヒラリと飛びうつった。
 ザーッとはねあがった水玉をあびて、男は、力まかせに石垣(いしがき)をつく。――筏は外濠(そとぼり)のなみを切って、意外にはやく陸(おか)へすすむ。そして、すでに濠(ほり)のなかほどまできたとき、
「その方はそも何者だ。われわれをだれとおもって助けてくれたのか」
 龍太郎(りゅうたろう)が、ふしんな顔をしてきくと、それまで、黙々として、棹をあやつっていた男は、はじめて口を開いてこういった。
「武田伊那丸(たけだいなまる)さまと知ってのうえです。わたくしは、この城の掃除番(そうじばん)、森子之吉(もりねのきち)という者ですが、根から徳川家(とくがわけ)の家来ではないのです」
「おう、そういえば、どこやらに、甲州(こうしゅう)なまりらしいところもあるようだ」
「何代もまえから、甲府(こうふ)のご城下にすんでおりました。父は森右兵衛(もりうへえ)といって、お館(やかた)の足軽(あしがる)でした。ところが、運わるく、長篠(ながしの)の合戦のおりに、父の右兵衛(うへえ)がとらわれたので、わたくしも、心ならず徳川家に降(くだ)っていましたが、ささいなあやまちから、父は斬罪(ざんざい)になってしまったのです。わたくしにとっては、怨(うら)みこそあれ、もう奉公する気のない浜松城をすてて、一日もはやく、故郷(こきょう)の甲府にかえりたいと思っているまに、武田家(たけだけ)は、織田(おだ)徳川(とくがわ)のためにほろぼされ、いるも敵地、かえるも敵地というはめになってしまいました。ところへ、ゆうべ、伊那丸(いなまる)さまがつかまってきたという城内のうわさです。びっくりして、お家の不運をなげいていました。けれど、今宵(こよい)のさわぎには、てっきりお逃げあそばすであろうと、水門のかげへ筏(いかだ)をしのばして、お待ちもうしていたのです」
「ああ、天の助けだ。子之吉(ねのきち)ともうす者、心からお礼をいいます」
 と、伊那丸は、この至誠な若者を、いやしい足軽(あしがる)の子とさげすんではみられなかった。いくどか、頭をさげて礼(れい)をくり返した。そのまに、筏(いかだ)はどんと岸についた。
「さ、おあがりなさいませ」と子之吉は、葦(あし)の根をしっかり持って、筏を食いよせながらいった。
「かたじけない」と、ふたりが岸へ飛びあがると、
「あ、お待ちください」とあわててとめた。
「子之吉(ねのきち)、いつかはまたきっとめぐりあうであろう」
「いえ、それより、どっちへお逃げなさるにしても、この濠端(ほりばた)を、右にいってはいけません。お城固(しろがた)めの旗本屋敷(はたもとやしき)が多いなかへはいったら袋(ふくろ)のねずみです。どこまでもここから、左へ左へとすすんで、入野(いりぬ)の関(せき)をこえさえすれば、浜名湖(はまなこ)の岸へでられます」
「や、ではこの先にも関所(せきしょ)があるか」
「おあんじなさいますな、ここに蓑(みの)と、わたくしの鑑札(かんさつ)があります。お姿をつつんで、これをお持ちになれば大じょうぶです」
 子之吉(ねのきち)は、下からそれを渡すと、岸をついて、ふたたび、筏(いかだ)を濠(ほり)のなかほどへすすめていったが、にわかに、どぶんとそこから水けむりが立った。
「ややッ」と、岸のふたりはおどろいて手をあげたが、もうなんともすることもできなかった。
 子之吉は、筏をはなすと同時に、脇差(わきざし)をぬいて、みごとにわが喉笛(のどぶえ)をかッ切ったまま、濠(ほり)のなかへ身を沈めてしまったのである。後日に、徳川家(とくがわけ)の手にたおれるよりは、故主の若君のまえで、報恩の一死をいさぎよくささげたほうが、森子之吉(もりねのきち)の本望(ほんもう)であったのだ。

 伊那丸(いなまる)と龍太郎(りゅうたろう)が外濠(そとぼり)をわたって、脱出(だっしゅつ)したのを、やがて知った浜松城の武士たちは、にわかに、追手(おって)を組織して、入野(いりぬ)の関(せき)へはしった。
 ところが、すでに二刻(ふたとき)もまえに、蓑(みの)をきた両名のものが、この関(せき)へかかったが、足軽鑑札(あしがるかんさつ)を持っているので、夜中ではあったが、通したということなので、討手(うって)のものは、地だんだをふんだ。そして、長駆(ちょうく)して、さらに次の浜名湖(はまなこ)の渡し場へさしていそいだ。
 いっぽう、伊那丸(いなまる)、龍太郎(りゅうたろう)のふたりは、しゅびよく、浜名湖のきしべまで落ちのびてきたが、一難(なん)さってまた一難、ここまできながら、一艘(そう)の船も見あたらないのでむなしくあっちこっちと、さまよっていた。
 月はないが、空いちめんに磨(と)ぎだされ、かがやかしい星の光と、ゆるやかに波を縒(よ)る水明りに、湖は、夜明けのようにほの明るかった。すると、ギイ、ギイ……とどこからか、この静寂(しじま)をやぶる櫓(ろ)の音がしてきた。
「お、ありゃなんの船であろう?」
 と伊那丸が指したほうを見ると、いましも、弁天島(べんてんじま)の岩かげをはなれた一艘の小船に、五、六人の武士が乗りこんで、こなたの岸へ舵(かじ)をむけてくる。
「いずれ徳川家(とくがわけ)の武士(ぶし)にちがいない。伊那丸さま、しばらくここへ」
 と龍太郎はさしまねいて、ともにくさむらのなかへ身をしずめていると、まもなく船は岸について、黒装束(くろしょうぞく)の者がバラバラと陸(おか)へとびあがり、口々になにかざわめき立ってゆく。
「せっかく仕返しにまいったのに、かんじんなやつがいなかったのはざんねんしごくであった」
「いつかまた、きゃつのすがたを見かけしだいに、ぶッた斬ってやるさ。それに、すまいもつきとめてある」
「あの小僧(こぞう)も、あとで家へかえって見たら、さだめしびっくりして泣きわめくにちがいない。それだけでも、まアまア、いちじの溜飲(りゅういん)がさがったというものだ」
 ものかげに、人ありとも知らずにこう話しながら、浜松のほうへつれ立ってゆくのをやり過ごした龍太郎(りゅうたろう)と伊那丸(いなまる)は、そこを、すばやく飛びだして、かれらが乗りすてた船へとびうつるが早いか、力のかぎり櫓(ろ)をこいだ。
「龍太郎、いったいいまのは、何者であろう」
 舳(みよし)に腰かけていた伊那丸が、ふといいだした。
「さて、この夜中に、黒装束(くろしょうぞく)で横行(おうこう)するやからは、いずれ、盗賊(とうぞく)のたぐいであったかもしれませぬ」
「いや、わしはあのなかに、ききおぼえのある声をきいた。盗賊の群れではないと思う」
「はて……?」龍太郎は小首をかしげている。
「そうじゃ、ゆうべ、八幡前(はちまんまえ)で、鎧売(よろいう)りに斬りちらされた悪侍、あのときの者が二、三人はたしか今の群れにまじっていた」
「おお、そうおっしゃれば、いかにも似通(にかよ)うていたやつもおりましたな」
 と、龍太郎はいつもながら、伊那丸のかしこさに舌(した)をまいた。そのまに、船は弁天島(べんてんじま)へこぎついた。
「若君――」と船をもやってふりかえる。
「浜松から遠くもない、こんな小島に長居(ながい)は危険です。わたくしの考えでは、夜のあけぬまえに、渥美(あつみ)の海へこぎだして、伊良湖崎(いらこざき)から志摩(しま)の国へわたるが一ばんご無事かとぞんじますが」
「どんな荒海、どんな嶮岨(けんそ)をこえてもいい。ただ一ときもはやく、かねがねそちが話したおん方にお目にかかり、また忍剣(にんけん)をたずね、その他の勇士を狩(か)りあつめて、この乱れた世を泰平(たいへい)にしずめるほか、伊那丸(いなまる)の望みはない」
「そのお心は、龍太郎(りゅうたろう)もおさっしいたしております。では、わたくしは弁天堂の禰宜(ねぎ)か、どこぞの漁師(りょうし)をおこして食(た)べ物の用意をいたしてまいりまするから、しばらく船のなかでお待ちくださいまし」
 と龍太郎は、ひとりで島へあがっていった。そしてあなたこなたを物色(ぶっしょく)してくると、白砂をしいた、まばらな松のなかにチラチラ灯(あか)りのもれている一軒の家が目についた。
「漁師の家と見える、ひとつ、訪(おとず)れてみよう」
 と龍太郎は、ツカツカと軒下へきて、開けっぱなしになっている雨戸の口からなかをのぞいてみると、うすぐらい灯(ともしび)のそばに、ひとりの男が、朱(あけ)にそまった老婆(ろうば)の死骸(しがい)を抱きしめたまま、よよと、男泣きに泣いているのであった。

 龍太郎(りゅうたろう)が、そこを立ちさろうとすると、なかの男は、跫音(あしおと)を耳にとめたか、にわかに、はねおきて、壁(かべ)に立てかけてあった得物(えもの)をとるやいなや、ばらッと、雨戸のそとへかけおりた。
「待てッ、待て、待てッ!」
 あまりその声のするどさに、龍太郎も、ギョッとしてふりかえった。すると――そのせつな、真眉間(まみけん)へむかって、ぶんとうなってきたするどい光りものに――はッとおどろいて身をしずめながら、片手にそれをまきこんで袖(そで)の下へだきしめてしまった。見ればそれは朱柄(あかえ)の槍(やり)であった。
「こりゃ、なんだって、拙者(せっしゃ)の不意をつくか」
「えい、吐(ぬ)かすな、おれのお母(ふくろ)をころしたのは、おまえだろう。天にも地にも、たったひとりのお母(ふくろ)さまのかたきだ。どうするかおぼえていろ!」
「勘ちがいするな、さようなおぼえはないぞ」
「だまれ、だまれッ、めったに人のこないこの島に、なんの用があって、うろついていた。今しがた、宿(しゅく)から帰ってみれば、お母(ふくろ)さまはズタ斬り、家のなかは乱暴狼藉(ろうぜき)、あやしいやつは、汝(なんじ)よりほかにないわッ」
 目に、いっぱい溜(た)め涙(なみだ)をひからせている。憤怒(ふんぬ)のまなじりをつりあげて、いッかなきかないのだ。この若者は浜松の町で、稀代(きたい)な槍法(そうほう)をみせた鎧売(よろいう)りの男で――いまは、この島に落ちぶれているが、もとは武家生まれの、巽小文治(たつみこぶんじ)という者であった。
「うろたえ言(ごと)をもうすな、だれが、恨みもないきさまの老母などを、殺すものか」
「いや、なんといおうが、おれの目にかかったからにはのがすものか」
「うぬ! 血まよって、後悔(こうかい)いたすなよ」
「なにを、この朱柄(あかえ)の槍(やり)でただひと突き、おふくろさまへの手向(たむ)けにしてくれる。覚悟(かくご)をしろ」
「えい! 聞きわけのないやつだ」
 と、龍太郎(りゅうたろう)もむッとして、槍(やり)のケラ首が折れるばかりにひッたくると、小文治(こぶんじ)も、金剛力(こんごうりき)をしぼって、ひきもどそうとした。
「やッ――」とその機をねらった龍太郎が、ふいに穂先(ほさき)をつッ放すと、力負けした小文治は、槍(やり)をつかんだままタタタタタと、一、二間(けん)もうしろへよろけていった。――そこを、
「おお――ッ」ととびかかった龍太郎の抜き討ちこそ、木隠流(こがくれりゅう)のとくいとする、戒刀(かいとう)のはやわざであった。
 いつか、裾野(すその)の文殊閣(もんじゅかく)でおちあった加賀見忍剣(かがみにんけん)も、この戒刀(かいとう)のはげしさには膏汗(あぶらあせ)をしぼられたものだった。ましてや、若年(じゃくねん)な巽小文治(たつみこぶんじ)は、必然、まッ二つか、袈裟(けさ)がけか? どっちにしても、助かりうべき命ではない。
 と見えたが――意外である! 龍太郎(りゅうたろう)の刀は、サッと空(くう)を斬って、そのとたんに槍(やり)の石突きがトンと大地をついたかと思うと、小文治(こぶんじ)の体は、五、六尺もたかく宙(ちゅう)におどって、龍太郎の頭の上を、とびこえてしまった。
 この手練(しゅれん)――かれはただ平凡な槍使(やりつか)いではなかった。
 龍太郎は、とっさに、眸(ひとみ)を抜かれたような気持がした。すぐ踏(ふ)みとまって、太刀(たち)を持ちなおすと、すでにかまえなおした小文治は槍を中段ににぎって、龍太郎の鳩尾(みぞおち)へピタリと穂先(ほさき)をむけてきた。
 かつて一ども、いまのようにあざやかに、敵にかわされたためしのない龍太郎は、このかまえを見るにおよんで、いよいよ要心(ようじん)に要心をくわえながら、下段(げだん)の戒刀(かいとう)をきわめてしぜんに、頭のうえへ持っていった。
 玄妙(げんみょう)きわまる槍と、精妙無比(せいみょうむひ)な太刀はここにたがいの呼吸をはかり、たがいに、兎(う)の毛(け)のすきをねらい合って一瞬一瞬、にじりよった。
 天※(「風にょう+炎」、第4水準2-92-35)(てんぴょう)一陣! ものすごい殺気が、みるまにふたりのあいだにみなぎってきた。ああ龍虎(りゅうこ)たおれるものはいずれであろうか。

 船べりに頬杖(ほおづえ)ついて、龍太郎を待っていた伊那丸(いなまる)は、宵(よい)からのつかれにさそわれて、いつか、銀河の空の下でうっとりと眠りの国へさまよっていた。――松かぜの奏(かな)でや、舷(ふなばた)をうつ波の鼓(つづみ)を、子守唄のように聞いて。
 ――すると。
 内浦鼻(うちうらばな)のあたりから、かなり大きな黒船のかげが瑠璃(るり)の湖(みずうみ)をすべって、いっさんにこっちへむかってくるのが見えだした。だんだんと近づいてきたその船を見ると徳川家(とくがわけ)の用船でもなく、また漁船(ぎょせん)のようでもない。舳(みよし)のぐあいや、帆柱(ほばしら)のさまなどは、この近海に見なれない長崎型(ながさきがた)の怪船であった。
 ふかしぎな船は、いつか弁天島(べんてんじま)のうらで船脚(ふなあし)をとめた。そして、親船をはなれた一艘(そう)の軽舸(はしけ)が、矢よりも早くあやつられて伊那丸(いなまる)の夢をうつつに乗せている小船のそばまで近づいてきた。
 ポーンと鈎縄(かぎなわ)を投げられたのを伊那丸はまったく夢にも知らずにいる。――それからも、船のすべりだしたのすら気づかずにいたが、フト胸(むな)ぐるしい重みを感じて目をさました時には、すでに四、五人のあらくれ男がよりたかって、おのれの体に、荒縄(あらなわ)をまきしめていたのだった。
「あッ、龍太郎(りゅうたろう)――ッ」
 かれは、おもわず絶叫(ぜっきょう)した。だがその口も、たちまち綿(わた)のようなものをつめられてしまったので、声も立てられない。ただ身をもがいて、伏(ふ)しまろんだ。
 水なれた怪船の男どもは、毒魚のごとく、胴(どう)の間(ま)や軽舸の上におどり立って、なにかてんでに口ぜわしくさけびあっている。
「それッ、北岸(きたぎし)へ役人の松明(たいまつ)が見えだしたぞ」
「はやく軽舸(はしけ)をあげてしまえッ」
「帆綱(ほづな)に集(たか)れーッ、帆綱をまけ――」
 キリキリッ、キリキリッと帆車(ほぐるま)のきしむおとが高鳴ると同時に、軽舸の底にもがいていた伊那丸(いなまる)のからだは、
「あッ」というまに鈎綱(かぎづな)にひっかけられて、ゆらゆらと波の上へつるしあげられた。
 龍太郎(りゅうたろう)はどうした? この伊那丸の身にふってわいた大変事を、まだ気づかずにいるのかしら? それとも、巽小文治(たつみこぶんじ)の稀代(きたい)な槍先(やりさき)にかかってあえなく討たれてしまったのか……?
 西北へまわった風を帆(ほ)にうけて、あやしの船は、すでにすでに、入江を切って、白い波をかみながら、外海(そとうみ)へでてゆくではないか。

 うわべは歌詠(うたよ)みの法師か、きらくな雲水と見せかけてこころはゆだんもすきもなく、武田伊那丸(たけだいなまる)のあとをたずねて、きょうは東、あすは南と、血眼(ちまなこ)の旅をつづけている加賀見忍剣(かがみにんけん)。
 裾野(すその)の闇(やみ)に乗じられて、まんまと、六部(ろくぶ)の龍太郎(りゅうたろう)のために、大せつな主君を、うばいさられた、かれの無念(むねん)さは思いやられる。
 したが、不屈(ふくつ)なかれ忍剣は、たとえ、胆(きも)をなめ、身を粉(こ)にくだくまでも、ふたたび伊那丸(いなまる)をさがしださずに、やむべきか――と果てなき旅をつづけていた。
 おりから、天下は大動乱(だいどうらん)、鄙(ひな)も都も、その渦(うず)にまきこまれていた。
 この年六月二日に、右大臣織田信長(うだいじんおだのぶなが)は、反逆者(はんぎゃくしゃ)光秀(みつひで)のために、本能寺であえなき最期(さいご)をとげた。
 盟主(めいしゅ)をうしなった天下の群雄は、ひとしくうろたえまよった。なかにひとり、山崎の弔(とむら)い合戦に、武名をあげたものは秀吉(ひでよし)であったが、北国の柴田(しばた)、その他(た)、北条(ほうじょう)徳川(とくがわ)なども、おのおのこの機をねらって、おのれこそ天下をとらんものと、野心の関(せき)をかため、虎狼(ころう)の鏃(やじり)をといで、人の心も、世のさまも、にわかに険(けわ)しくなってきた。
 そうした世間であっただけに、忍剣の旅は、なみたいていなものではない。しかも、酬(むく)いられてきたものは、けっきょく失望――二月(ふたつき)あまりの旅はむなしかった。
「伊那丸さまはどこにおわすか。せめて……アア夢(ゆめ)にでもいいから、いどころを知りたい……」
 足をやすめるたびに嘆息(たんそく)した。
 その一念で、ふと忍剣のあたまに、あることがひらめいた。
「そうだ! クロはまだ生きているはずだ」
 かれはその日から、急に道をかえて、思い出おおき、甲斐(かい)の国へむかって、いっさんにとってかえした。
 忍剣(にんけん)が気のついたクロとは、そもなにものかわからないが、かれのすがたは、まもなく、変りはてた恵林寺(えりんじ)の焼(や)け跡(あと)へあらわれた。

 忍剣は数珠(じゅず)をだして、しばらくそこに合掌(がっしょう)していた。すると、番小屋のなかから、とびだしてきた侍(さむらい)がふたり、うむをいわさず、かれの両腕をねじあげた。
「こらッ、そのほうはここで、なにをいたしておった」
「はい、国師(こくし)さまはじめ、あえなくお亡(な)くなりはてた、一山(ざん)の霊(れい)をとむろうていたのでござります」
「ならぬ。甲斐(かい)一帯(たい)も、いまでは徳川家(とくがわけ)のご領分だぞ。それをあずかる者は、ご家臣の大須賀康隆(おおすかやすたか)さまじゃ。みだりにここらをうろついていることはならぬ、とッととたちされ、かえれ!」
「どうぞしばらく。……ほかに用もあるのですから」
「あやしいことをもうすやつ。この焼けあとに何用がある?」
「じつは当寺の裏山、扇山(せんざん)の奥に、わたしの幼(おさな)なじみがおります。久しぶりで、その友だちに会いたいとおもいまして、はるばる尋(たず)ねてまいったのです」
「ばかをいえ、さような者はここらにいない」
「たしかに生きているはずです。それは、友だちともうしても、ただの人ではありません。クロともうす大鷲(おおわし)、それをひと目見たいのでございます」
「だまれ。あの黒鷲は、当山を攻めおとした時の生捕(いけど)りもの、大せつに餌(え)をやって、ちかく浜松城へ献上(けんじょう)いたすことになっているのだ、汝(なんじ)らの見せ物ではない。帰れというに帰りおらぬか」
 ひとりが腕(うで)、ひとりが襟(えり)がみをつかんで、ずるずるとひきもどしかけると、忍剣(にんけん)の眉(まゆ)がピリッとあがった。
「これほど、ことをわけてもうすのに、なおじゃまだてするとゆるさんぞ!」
「なにを」
 ひとりが腰縄(こしなわ)をさぐるすきに、ふいに、忍剣の片足がどんと彼の脾腹(ひばら)をけとばした。アッと、うしろへたおれて、悶絶(もんぜつ)したのを見た、べつな侍(さむらい)は、
「おのれッ」と太刀の柄(つか)へ手をかけて、抜きかけた。
 ――それより早く、
「やッ」と、まッこうから、おがみうちに、うなりおちてきた忍剣の鉄杖(てつじょう)に、なにかはたまろう。あいては、かッと血へどをはいてたおれた。
 それに見むきもせず、鉄杖をこわきにかかえた忍剣はいっさんに、うら山の奥(おく)へおくへとよじのぼってゆく。――と、昼なおくらい木立のあいだから、いような、魔鳥(まちょう)の羽(は)ばたきがつめたい雫(しずく)をゆりおとして聞えた。

 らんらんと光る二つの眼は、みがきぬいた琥珀(こはく)のようだ。その底にすむ金色(こんじき)の瞳(ひとみ)、かしらの逆羽(さかばね)、見るからに猛々(たけだけ)しい真黒な大鷲(おおわし)が、足の鎖(くさり)を、ガチャリガチャリ鳴らしながら、扇山(せんざん)の石柱(いしばしら)の上にたって、ものすごい絶叫(ぜっきょう)をあげていた。
 そのくろい翼(つばさ)を、左右にひろげるときは、一丈(じょう)あまりの巨身(きょしん)となり、銀の爪(つめ)をさか立てて、まっ赤な口をあくときは、空とぶ小鳥もすくみ落ちるほどな威(い)がある。
「おおいた! クロよ、無事でいたか」
 おそれげもなく、そばへかけよってきた忍剣(にんけん)の手になでられると、鷲(わし)は、かれの肩に嘴(くちばし)をすりつけて、あたかも、なつかしい旧友(きゅうゆう)にでも会ったかのような表情をして、柔和(にゅうわ)であった。
「おなじ鳥類(ちょうるい)のなかでも、おまえは霊鷲(れいしゅう)である。さすがにわしの顔を見おぼえているようす……それならきっとこの使命をはたしてくれるであろう」
 忍剣は、かねてしたためておいた一片(ぺん)の文字(もんじ)を、油紙(あぶらがみ)にくるんでこよりとなし、クロの片足へ、いくえにもギリギリむすびつけた。
 この鷲(わし)にもいろいろな運命があった。
 天文(てんもん)十五年のころ、武田信玄(たけだしんげん)の軍勢が、上杉憲政(うえすぎのりまさ)を攻めて上野乱入(こうずけらんにゅう)にかかったとき、碓氷峠(うすいとうげ)の陣中でとらえたのがこの鷲(わし)であった。
 碓氷の合戦は甲軍(こうぐん)の大勝となって、敵将の憲政(のりまさ)の首まであげたので、以来(いらい)、信玄(しんげん)はその鷲(わし)を館(やかた)にもちかえり、愛育していた。信玄(しんげん)の死んだあとは、勝頼(かつより)の手から、供養(くよう)のためと恵林寺(えりんじ)に寄進(きしん)してあったのである。ところがある時、檻(おり)をやぶって、民家の五歳になる子を、宙天(ちゅうてん)へくわえあげたことなどがあったので、扇山の中腹に石柱をたて、太い鎖(くさり)で、その足をいましめてしまった。
 幼少から、恵林寺にきていた伊那丸(いなまる)は、いつか忍剣(にんけん)とともに、この鷲(わし)に餌(え)をやったり、クロよクロよと、愛撫(あいぶ)するようになっていた。獰猛(どうもう)な鷲(わし)も、伊那丸や忍剣の手には、猫(ねこ)のようであった。そして、恵林寺が大紅蓮(だいぐれん)につつまれ、一山(ざん)のこらず最期(さいご)をとげたなかで、鷲(わし)だけは、この山奥につながれていたために、おそろしい焔(ほのお)からまぬがれたのだ。
「クロ、いまこそわしが、おまえの鎖(くさり)をきってやるぞ、そしてその翼(つばさ)で、大空を自由にかけまわれ、ただ、おまえをながいあいだかわいがってくだすった、伊那丸さまのお姿を地上に見たらおりてゆけよ」
 そういいながら、鎖に手をかけたが、鷲(わし)の足にはめられた鉄(くろがね)の環(かん)も、またふとい鎖も断(き)れればこそ。
「めんどうだ――」と、忍剣は鉄杖(てつじょう)をふりかぶって、石柱の角にあたる鎖をはッしと打った。
 そのとき、ふもとのほうから、ワーッという、ただならぬ鬨(とき)の声(こえ)がおこった。鎖(くさり)はまだきれていないが、忍剣(にんけん)はその声に、小手(こて)をかざして見た。
 はやくも、木立のかげから、バラバラと先頭の武士がかけつけてきた。いうまでもなく、大須賀康隆(おおすかやすたか)の部下である。扇山へあやしの者がいりこんだと聞いて、捕手(とりて)をひきいてきたものだった。
「売僧(まいす)、その霊鳥(れいちょう)をなんとする」
「いらざること。この鷲(わし)こそ、勝頼公(かつよりこう)のみ代(よ)から当山に寄進(きしん)されてあるものだ! どうしようとこなたのかってだ」
「うぬ! さては武田(たけだ)の残党(ざんとう)とはきまった」
「おどろいたかッ」と、いきなりブーンとふりとばした鉄杖(てつじょう)にあたって、二、三人ははねとばされた。
「それ! とりにがすな」
 ふもとのほうから、追々(おいおい)とかけあつまってきた人数を合(がっ)して、かれこれ三、四十人、槍(やり)や太刀(たち)を押ッとって、忍剣の虚(きょ)をつき、すきをねらって斬ってかかる。
「飛び道具をもった者は、梢(こずえ)のうえからぶッぱなせ」
 足場がせまいので、捕手の頭(かしら)がこうさけぶと、弓、鉄砲(てっぽう)をひッかかえた十二、三人のものは、猿(ましら)のごとく、ちかくの杉(すぎ)や欅(けやき)の梢にのぼって、手早く矢をつがえ、火縄(ひなわ)をふいてねらいつける。
 下では忍剣(にんけん)、近よる者を、かたッぱしからたたきふせて、怪力のかぎりをふるったが、空からくる飛び道具をふせぐべき術(すべ)もあろうはずはない。
 はやくも飛んできた一の矢! また、二の矢。
 夜叉(やしゃ)のごとく荒れまわった忍剣は、突(とつ)として、いっぽうの捕手(とりて)をかけくずし、そのわずかなすきに、ふたたび鷲(わし)の鎖(くさり)をねらって、一念力、戛然(かつぜん)とうった。
 きれた! ギャーッという絶鳴(ぜつめい)をあげた鷲(わし)は、猛然と翼(つばさ)を一はたきさせて、地上をはなれたかと見るまに、一陣の山嵐をおこした翼のあおりをくって、大樹(たいじゅ)の梢(こずえ)の上からバラバラとふりおとされた弓組、鉄砲組。
「ア、ア、ア!」とばかり、捕手(とりて)の軍卒(ぐんそつ)がおどろきさわぐうちに、一ど、雲井(くもい)へたかく舞いあがった魔鳥(まちょう)は、ふたたびすさまじい天※(「風にょう+炎」、第4水準2-92-35)(てんぴょう)をまいて翔(か)けおりるや、するどい爪(つめ)をさかだてて、旋廻(せんかい)する。
 ふるえ立った捕手どもは、木の根、岩角(いわかど)にかじりついて、ただアレヨアレヨと胆(きも)を消しているうちに、いつか忍剣のすがたを見うしない、同時に、偉大なる黒鷲(くろわし)のかげも、天空はるかに飛びさってしまった。

 はなしはふたたびあとへかえって、ここは波明るき弁天島(べんてんじま)の薄月夜(うすづきよ)――
 いっぽうは太刀(たち)の名人、いっぽうは錬磨(れんま)の槍(やり)、いずれ劣(おと)らぬ切(き)ッ先(さき)に秘術の妙(みょう)をすまして突きあわせたまま、松風わたる白砂の上に立ちすくみとなっているのは、白衣(びゃくえ)の木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)と朱柄(あかえ)の持ち主、巽小文治(たつみこぶんじ)。
 腕が互角(ごかく)なのか、いずれに隙(すき)もないためか、そうほううごかず、彫(ほ)りつけたごとくにらみあっているうちに、魔か、雲か、月をかすめて疾風(はやて)とともに、天空から、そこへ翔(か)けおりてきたすさまじいものがある。
 バタバタという羽(は)ばたきに、ふたりは、はッと耳をうたれた。弁天島の砂をまきあげて、ぱッと、地をすってかなたへ飛びさった時、不意をおそわれたふたりは、思わず眼をおさえて、左右にとびわかれた。
「あッ――」とおどろきの叫(さけ)びをもらしたのは、龍太郎のほうであった。それは、もうはるかに飛びさった、鷲(わし)の巨(おお)きなのにおどろいたのではない。
 いま、鏡(かがみ)のような入江をすべって浜名湖から外海(そとうみ)へとでてゆく、あやしい船の影――それをチラと見たせつなに、龍太郎のむねを不安にさわがしたのは、小船にのこした伊那丸(いなまる)の身の上だった。
「もしや?」とおもえば、一刻(こく)の猶予(ゆうよ)もしてはおられない。やにわに、小文治(こぶんじ)という眼さきの敵をすてて、なぎさのほうへかけだした。
「卑怯(ひきょう)もの!」
 追いすがった小文治(こぶんじ)が、さッと、くりこんでいった槍(やり)の穂先(ほさき)、ヒラリ、すばやくかわして、千段(せんだん)をつかみとめた龍太郎(りゅうたろう)は、はッたとふりかえって、
「卑怯(ひきょう)ではない。わが身ならぬ、大せつなるおかたの一大事なのだ、勝負はあとで決してやるから、しばらく待て」
「いいのがれはよせ。その手は食わぬ」
「だれがうそを。アレ見よ、こうしているまにも、あやしい船が遠のいてゆく、まんいちのことあっては、わが身に代えられぬおんかた、そのお身のうえが気づかわしい、しばらく待て、しばらく待て」
「オオあの船こそ、めったに正体を見せぬ八幡船(ばはんせん)だ。して、小船にのこしたというのはだれだ。そのしだいによっては、待ってもくれよう」
「いまはなにをつつもう、武田家(たけだけ)の御曹子(おんぞうし)、伊那丸(いなまる)さまにわたらせられる」
 しばらく、じッと相手をみつめていた小文治(こぶんじ)は、にわかに、槍を投げすててひざまずいてしまった。
「さては伊那丸君(いなまるぎみ)のお傅人(もりびと)でしたか。今宵(こよい)、町へわたったとき、さわがしいおうわさは聞いていましたが、よもやあなたがたとは知らず、さきほどからのしつれい、いくえにもごかんべんをねがいまする」
「いや、ことさえわかればいいわけはない、拙者(せっしゃ)はこうしてはおられぬ場合だ。さらば――」
 ほとんど一足(そく)跳(と)びに、もとのところへひッ返してきた龍太郎(りゅうたろう)が、と見れば、小船は舫綱(もやい)をとかれて、湖水のあなたにただようているばかりで、伊那丸(いなまる)のすがたは見えない。
「チェッ、ざんねん。あの八幡船(ばはんせん)のしわざにそういない。おのれどうするか、覚えていろ」
 と地だんだ踏(ふ)んでにらみつけたが、へだては海――それもはや模糊(もこ)として、遠州灘(えんしゅうなだ)へ浪(なみ)がくれてゆくものを、いかに、龍太郎でも、飛んでゆく秘術(ひじゅつ)はない。

 ところへ、案じてかけてきたのは、小文治(こぶんじ)だった。
「若君のお身は?」
「しまッたことになった。船はないか、船は」
「あの八幡船のあとを追うなら、とてもむだです」
「たとえ遠州灘のもくずとなってもよい! 追えるところまでゆく覚悟(かくご)だ。たのむ、早くだしてくれ」
「小船は一艘(そう)ありますが、八幡船のゆく先ばかりは、いままで領主(りょうしゅ)のご用船が、死に身になって取りまいても、霧(きり)のように消えて、つきとめることができないほどでござります」
「ええ、なんとしたことだ――」
 と、思わずどッかり腰をおとしてしまった龍太郎(りゅうたろう)は、われながらあまりの不覚に、唇(くちびる)をかみしめた。
 小文治(こぶんじ)は、それを見ると、不用意なじぶんの行動が後悔されてきた。母をうしなった悲しさに、いちずに龍太郎を下手人(げしゅにん)とあやまったがため、このことが起ったのだ。さすれば、とうぜん、じぶんにも罪(つみ)はある。
 かれは、いくたびかそれをわびた。そして、あらためて素性(すじょう)を名のり、永年よき主(しゅ)をさがしていたおりであるゆえ、ぜひとも、力をあわせて伊那丸(いなまる)さまを取りかえし、ともども天下につくしたいと、真心(まごころ)こめて龍太郎にたのんだ。
 龍太郎も、よい味方を得たとよろこんだ。しかし、さてこれから八幡船(ばはんせん)の根城(ねじろ)をさがそうとなると、それはほとんど雲にかくれた時鳥(ほととぎす)をもとめるようなものだった。――むろん小文治(こぶんじ)にも、いい智恵(ちえ)は浮かばなかった。
「こうなってはしかたがない」
 龍太郎はやがてこまぬいていた腕から顔をあげた。
「お叱(しか)りをうけるかもしれぬが、一たび先生のところへ立ち帰って、この後の方針をきめるとしよう。それよりほかに思案はない」
「して、その先生とおっしゃるおかたは」
「京の西、鞍馬(くらま)の奥(おく)にすんではいるが、ある時は、都にもいで、またある時は北国の山、南海のはてにまで姿を見せるという、稀代(きたい)なご老体で、拙者(せっしゃ)の刀術(とうじゅつ)、隠形(おんぎょう)の法なども、みなその老人からさずけられたものです」
 鞍馬(くらま)ときくさえ、すぐ、天狗(てんぐ)というような怪奇が聯想(れんそう)されるところへ、この話をきいた小文治(こぶんじ)は、もっと深くその老人が知りたくなった。
「龍太郎(りゅうたろう)どのの先生とおっしゃる――そのおかたの名はなんともうされますか」
「まことの姓(せい)はあかしませぬ。ただみずから、果心居士(かしんこじ)と異号(いごう)をつけております。じつはこのたびのことも、まったくその先生のおさしずで、織田(おだ)徳川(とくがわ)が甲府攻(こうふぜ)めをもよおすと同時に、拙者(せっしゃ)は、六部(ろくぶ)に身を変じて、伊那丸(いなまる)さまをお救いにむかったのです。それがこの不首尾(ふしゅび)となっては、先生にあわせる顔もないしだいだが、天下のこと居(い)ながらにして知る先生、またきっと好いおさしずがあろうと思う」
「では、どうかわたしもともに、お供(とも)をねがいまする」
「異存(いぞん)はないが、さきをいそぐ、おしたくを早く」
 小文治は、家に取ってかえすと、しばらくあって、粗服(そふく)ながら、たしなみのある旅支度(たびじたく)に、大小を差し、例の朱柄(あかえ)の槍(やり)をかついで、ふたたびでてきた。
「お待たせいたしました。小船は、わたしの家のうしろへ着けておきましたから……」
 という言葉に、龍太郎がそのほうへすすんで行くと、小船の上には、ひとつの棺(かん)がのせてある。
 武士(ぶし)にかえった門出(かどで)に、小文治(こぶんじ)は、母の亡骸(なきがら)をしずかな湖(うみ)の底へ水葬(すいそう)にするつもりと見える。
 と、あやしい羽音(はおと)が、またも空に鳴った。はッとしてふたりが船からふりあおぐと、大きな輪(わ)をえがいていた怪鳥(けちょう)のかげが、潮(しお)けむる遠州灘(えんしゅうなだ)のあなたへ、一しゅんのまに、かけりさった。

 みんな空をむいて、同じように、眉毛(まゆげ)の上へ片手をかざしている。
 烏帽子(えぼし)の老人、市女笠(いちめがさ)の女、侍(さむらい)、百姓、町人――雑多(ざった)な人がたかって、なにか評議(ひょうぎ)の最中(さいちゅう)である。
「さて、ふしぎなやつじゃのう」
「仙人(せんにん)でしょうか」
「いや、天狗(てんぐ)にちがいない」
「だって、この真昼(まひる)なかに」
「おや、よく見ると本を読んでいますよ」
「いよいよ魔物(まもの)ときまった」
 この人々は、そも、なにを見ているのだろう。
 ここは近江(おうみ)の国、比叡山(ひえいざん)のふもと、坂本(さかもと)で、日吉(ひよし)の森からそびえ立った五重塔(ごじゅうのとう)のてッぺん――そこにみんなの瞳(ひとみ)があつまっているのだった。
 なるほどふしぎ、人だかりのするのもむりではない。太陽のまぶしさにさえぎられて、しかとは見えないが、鶴(つる)のごとき老人が、五重塔(ごじゅうのとう)のてッぺんにたしかにいるようだ。しかも目のいい者のことばでは、あの高い、登(のぼ)りようもない上でのんきに書物を見ているという。
「なに、魔物(まもの)だと? どけどけ、どいてみろ」
「や、今為朝(いまためとも)がきた」
 群集はすぐまわりをひらいた。今為朝(いまためとも)といわれたのはどんな人物かと見ると、丈(たけ)たかく、色浅ぐろい二十四、五歳(さい)の武士(ぶし)である。黒い紋服(もんぷく)の片肌(かたはだ)をぬぎ、手には、日輪巻(にちりんまき)の強弓(ごうきゅう)と、一本の矢をさかしまに握(にぎ)っていた。
「む、いかにも見えるな……」
 と、五重塔のいただきをながめた武士は、ガッキリ、その矢をつがえはじめた。
「や、あれを射(い)ておしまいなさいますか」
 あたりの者は興(きょう)にそそられて、どよみ立った。
「この霊地(れいち)へきて、奇怪なまねをするにっくいやつ、ことによったら、南蛮寺(なんばんじ)にいるキリシタンのともがらかもしれぬ。いずれにせよ、ぶッぱなして諸人(しょにん)への見せしめとしてくれる」
 弓の持ちかた、矢番(やつがい)も、なにさまおぼえのあるらしい態度だ。それもそのはず、この武士こそ、坂本(さかもと)の町に弓術(きゅうじゅつ)の道場をひらいて、都にまで名のきこえている代々木流(よよぎりゅう)の遠矢(とおや)の達人(たつじん)、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)という者であるが、町の人は名をよばずに、今為朝(いまためとも)とあだなしていた。
「あの矢先に立ってはたまるまい……」
 人々がかたずをのんでみつめるまに、矢筈(やはず)を弦(つる)にかけた蔦之助は、陽(ひ)にきらめく鏃(やじり)を、虚空(こくう)にむけて、ギリギリと満月にしぼりだした。
 塔(とう)のいただきにいる者のすがたは、下界(げかい)のさわぎを、どこふく風かというようすで、すましこんでいるらしい。

「日吉(ひよし)の森へいってごらんなさい。今為朝が、五重塔(ごじゅうのとう)の上にでた老人の魔物(まもの)を射(い)にゆきましたぜ」
 坂本の町の葭簀(よしず)茶屋でも、こんなうわさがぱッとたった。
 床几(しょうぎ)にかけて、茶をすすっていた木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)は、それを聞くと、道づれの小文治(こぶんじ)をかえりみながら、にわかにツイと立ちあがった。
「ひょっとすると、その老人こそ、先生かもしれない。このへんでお目にかかることができればなによりだ、とにかく、いそいでまいってみよう」
「え?」
 小文治(こぶんじ)はふしんな顔をしたが、もう龍太郎(りゅうたろう)がいっさんにかけだしたので、あわててあとからつづいてゆくと、うわさにたがわぬ人群(む)れだ。
 両足をふんまえて、狙(ねら)いさだめた蔦之助(つたのすけ)は、いまや、プツンとばかり手もとを切ってはなした。
「あ――」と群集は声をのんだ、矢のゆくえにひとみをこらした。と見れば、風をきってとんでいった白羽の矢は、まさしく五重塔(ごじゅうのとう)の、あやしき老人を射抜(いぬ)いたとおもったのに、ぱッと、そこから飛びたったのは、一羽の白鷺(しらさぎ)、ヒラヒラと、青空にまいあがったが、やがて、日吉(ひよし)の森へ影(かげ)をかくした。
「なアんだ」と多くのものは、口をあいたまま、ぼうぜんとして、まえの老人がまぼろしか、いまの白鷺がまぼろしかと、おのれの目をうたぐって、睫毛(まつげ)をこすっているばかりだ。
 そこへ、一足(ひとあし)おくれてきた龍太郎と小文治はもう人の散ってゆくのに失望して、そのまま、叡山(えいざん)の道をグングン登っていった。
 ふたりはこれから、比叡山(ひえいざん)をこえ、八瀬(やせ)から鞍馬(くらま)をさして、峰(みね)づたいにいそぐのらしい。いうまでもなく果心居士(かしんこじ)のすまいをたずねるためだ。
 音にきく源平(げんぺい)時代のむかし、天狗(てんぐ)の棲家(すみか)といわれたほどの鞍馬の山路は、まったく話にきいた以上のけわしさ。おまけにふたりがそこへさしかかってきた時は、ちょうど、とっぷり日も暮れてしまった。
 ふもとでもらった、蛍火(ほたるび)ほどの火縄(ひなわ)をゆいつのたよりにふって、うわばみの歯のような、岩壁をつたい、百足腹(むかでばら)、鬼すべりなどという嶮路(けんろ)をよじ登ってくる。
 おりから初秋(はつあき)とはいえ、山の寒さはまたかくべつ、それにいちめん朦朧(もうろう)として、ふかい霧(きり)が山をつつんでいるので、いつか火縄もしめって、消えてしまった。
「小文治(こぶんじ)どの、お気をつけなされよ、よろしいか」
「大じょうぶ、ごしんぱいはいりません」
 とはいったが、小文治も、海ならどんな荒浪にも恐れぬが、山にはなれないので、れいの朱柄(あかえ)の槍(やり)を杖(つえ)にして足をひきずりひきずりついていった。千段曲(せんだんまが)りという坂道をやっとおりると、白い霧がムクムクわきあがっている底に、ゴオーッというすごい水音がする。渓流(けいりゅう)である。
「橋がないから、その槍(やり)をおかしなさい。こうして、おたがいに槍の両端を握りあってゆけば、流されることはありません」
 龍太郎(りゅうたろう)は山なれているので、先にかるがると、岩石へとびうつった。すると、小文治のうしろにあたる断崖(だんがい)から、ドドドドッとまっ黒なものが、むらがっておりてきた。
「や?」と小文治は身がまえて見ると、およそ五、六十ぴきの山猿(やまざる)の大群である。そのなかに、十歳(さい)ぐらいな少年がただひとり、鹿(しか)の背にのって笑っている。
「おお、そこへきたのは、竹童(ちくどう)ではないか」
 岩の上から龍太郎が声をかけると、鹿の背からおりた少年も、なれなれしくいった。
「龍太郎(りゅうたろう)さま、ただいまお帰りでございましたか」
「む、して先生はおいでであろうな」
「このあいだから、お客さまがご滞留(たいりゅう)なので、このごろは、ずっと荘園(そうえん)においでなさいます」
「そうか。じつは拙者(せっしゃ)の道づれも、足をいためたごようすだ。おまえの鹿(しか)をかしてあげてくれないか」
「アアこのおかたですか、おやすいことです」
 竹童(ちくどう)は口笛(くちぶえ)を鳴らしながら、鹿をおきずてにして、岩燕(いわつばめ)のごとく、渓流(けいりゅう)をとびこえてゆくと、猿(さる)の大群も、口笛について、ワラワラとふかい霧の中へかげを消してしまった。
 鹿の背をかりて、しばらくたどってくると、小文治(こぶんじ)は馥郁(ふくいく)たる香(かお)りに、仙境(せんきょう)へでもきたような心地がした。
「やっと僧正谷(そうじょうがたに)へまいりましたぞ」
 と龍太郎が指さすところを見ると、そこは山芝(やましば)の平地で、甘(あま)いにおいをただよわせている果樹園(かじゅえん)には、なにかの実(み)が熟(う)れ、大きな芭蕉(ばしょう)のかげには、竹を柱にしたゆかしい一軒の家が見えて、ほんのりと、灯(あか)りがもれている。
 門からのぞくと、庵室(あんしつ)のなかには、白髪童顔(はくはつどうがん)の翁(おきな)が、果物で酒を酌(く)みながら、総髪(そうはつ)にゆったりっぱな武士(ぶし)とむかいあって、なにかしきりに笑い興(きょう)じている。
「龍太郎(りゅうたろう)、ただいま帰りました」
 とかれが両手をついたうしろに、小文治(こぶんじ)もひかえた。
「なんじゃ? おめおめと帰ってきおったと」
 翁(おきな)――それは別人ならぬ果心居士(かしんこじ)だ。龍太郎の顔を見ると、ふいと、かたわらの藜(あかざ)の杖(つえ)をにぎりとって、立ちあがるが早いか、
「ばかもの」ピシリと龍太郎の肩をうった。

 果心居士(かしんこじ)は、なにも聞かないうちに、すべてのことを知っていた。八幡船(ばはんせん)に伊那丸(いなまる)をうばわれたことも、巽小文治(たつみこぶんじ)の身の上も。――そして、きょうのひる、日吉(ひよし)の五重塔(ごじゅうのとう)のてッぺんにいたのもじぶんであるといった。
 かれは、仙人(せんにん)か、幻術師(げんじゅつし)か、キリシタンの魔法を使う者か? はじめて会った小文治は、いつまでも、奇怪な謎(なぞ)をとくことに苦しんだ。
 しかし、だんだんと膝(ひざ)をまじえて話しているうちに、ようやくそれがわかってきた、かれは仙人(せんにん)でもなければ、けっして幻術使(げんじゅつつかい)でもない。ただおそろしい修養の力である。みな、自得(じとく)の研鑽(けんさん)から通力(つうりき)した人間技(にんげんわざ)であることが納得(なっとく)できた。
 浮体(ふたい)の法、飛足(ひそく)の呼吸(いき)、遠知(えんち)の術(じゅつ)、木遁(もくとん)その他の隠形(おんぎょう)など、みなかれが何十年となく、深山にくらしていたたまもので、それはだれでも劫(こう)をつめば、できないふしぎや魔力ではない。
 ところで、果心居士(かしんこじ)がなにゆえに、武田伊那丸(たけだいなまる)を龍太郎(りゅうたろう)にもとめさせたか、それはのちの説明にゆずって、さしあたり、はてなき海へうばわれたおんかたを、どうしてさがしだすかの相談になった。
「竹童(ちくどう)、竹童――」
 居士は例の少年をよんで、小さな錦(にしき)のふくろを持ってこさせた。そのなかから、机の上へカラカラと開けたのは亀(かめ)の甲羅(こうら)でつくった、いくつもいくつもの駒(こま)であった。
 かれの精神がすみきらないで、遠知の術のできないときは、この亀卜(きぼく)という占(うらな)いをたてて見るのが常であった。
「む……」ひとりで占いをこころみて、ひとりうなずいた果心居士は、やがて、客人のほうへむいて、
「民部(みんぶ)どの、こんどはあなたがいったがよろしい」といった。龍太郎はびっくりして、それへ進んだ。
「しばらく、先生のおおせながら、余人(よじん)にその儀(ぎ)をおいいつけになられては、手まえのたつ瀬(せ)も、面目(めんぼく)もござりませぬ。どうか、まえの不覚をそそぐため、拙者(せっしゃ)におおせつけねがいとうぞんじます」
「いや龍太郎、おまえには、さらに第二段の、大せつなる役目がある。まずこれをとくと見たがよい」
 と、革(かわ)の箱から取りだして、それへひろげたのは、いちめんの山絵図(やまえず)であった。
「これは?」と龍太郎(りゅうたろう)は腑(ふ)におちない顔である。
「ここにおられる、小幡民部(こばたみんぶ)どのが、苦心してうつされたもの。すなわち、自然の山を城廓(じょうかく)として、七陣の兵法をしいてあるものじゃ」
「あ! ではそこにおいでになるのは、甲州流(こうしゅうりゅう)の軍学家、小幡景憲(こばたかげのり)どののご子息ですか」
「いかにも、すでにまえから、ご浪人なされていたが、武田(たけだ)のお家のほろびたのを、よそに見るにしのびず、伊那丸(いなまる)さまをたずねだしてふたたび旗(はた)あげなさろうという大願望(だいがんもう)じゃ、おなじ志(こころざし)のものどもがめぐりおうたのも天のおひきあわせ、したが、伊那丸さまのありかが知れても、よるべき天嶮(てんけん)がなくてはならぬ。そこで、まずひそかに、二、三の者がさきにまいって地理の準備(じゅんび)、またおおくの勇士をも狩(か)りもよおしておき、おんかたの知れしだいに、いつなりと、旗あげのできるようにいたしておくのじゃ」
「は、承知いたしました。して、この図面(ずめん)にあります場所は?」
 という龍太郎の問いに応じてこんどは、小幡民部が膝(ひざ)をすすめた。
「武田家(たけだけ)に縁(えん)のふかき、甲(こう)、信(しん)、駿(すん)の三ヵ国にまたがっている小太郎山(こたろうざん)です。また……」
 と、軍扇(ぐんせん)の要(かなめ)をもって、民部は掌(たなごころ)を指すように、ここは何山、ここは何の陣法と、こまかに、噛(か)みくだいて説明した。
 肝胆(かんたん)あい照らした、龍太郎、小文治(こぶんじ)、民部の三人は、夜のふけるをわすれて、旗上げの密議をこらした。果心居士(かしんこじ)は、それ以上は一言(ひとこと)も口をさし入れない。かれの任務(にんむ)は、ただここまでの、気運だけを作るにあるもののようであった。
 翌日は早天に、みな打ちそろって僧正谷(そうじょうがたに)を出立(しゅったつ)した。龍太郎と小文治は、例のすがたのまま、旗あげの小太郎山(こたろうざん)へ。
 また、小幡民部(こばたみんぶ)ひとりは、深編笠(ふかあみがさ)をいただき、片手に鉄扇(てっせん)、野袴(のばかま)といういでたちで、京都から大阪もよりへと伊那丸(いなまる)のゆくえをたずねもとめていく。
 その方角は、果心居士の亀卜(きぼく)がしめしたところであるが、この占(うらな)いがあたるか否(いな)か。またあるいは音にひびいた軍学者小幡が、はたしてどんな奇策(きさく)を胸に秘(ひ)めているか、それは余人(よじん)がうかがうことも、はかり知ることもできない。

 板子(いたご)一枚下は地獄(じごく)。――船の底はまッ暗だ。
 空も見えなければ、海の色も見えない。ただときおりドドーン、ドドドドドーン! と胴(どう)の間(ま)にぶつかってはくだける怒濤(どとう)が、百千の鼓(つづみ)を一時にならすか、雷(いかずち)のとどろきかとも思えて、人の魂(たましい)をおびやかす。
 その船ぞこに、生ける屍(しかばね)のように、うつぶしているのは、武田伊那丸(たけだいなまる)のいたましい姿だった。
 八幡船(ばはんせん)が遠州灘(えんしゅうなだ)へかかった時から、伊那丸の意識(いしき)はなかった。この海賊船(かいぞくせん)が、どこへ向かっていくかも、おのれにどんな危害が迫(せま)りつつあるのかも、かれはすべてを知らずにいる。
「や、すっかりまいっていやがる」
 さしもはげしかった、船の動揺もやんだと思うと、やがて、入口をポンとはねて、飛びおりてきた手下どもが伊那丸のからだを上へにないあげ、すぐ船暈(ふなよい)ざましの手当にとりかかった。
「やい、その童(わっぱ)の脇差(わきざし)を持ってきて見せろ」
 と舳(みよし)からだみごえをかけたのは、この船の張本(ちょうほん)で、龍巻(たつまき)の九郎右衛門(くろうえもん)という大男だった。赤銅(しゃくどう)づくりの太刀(たち)にもたれ、南蛮織(なんばんおり)のきらびやかなものを着ていた。
「はて……?」と龍巻は、いま手下から受けとった脇差の目貫(めぬき)と、伊那丸の小袖(こそで)の紋(もん)とを見くらべて、ふしんな顔をしていたが、にわかにつっ立って、
「えらい者が手に入った。その小童(こわっぱ)は、どうやら武田家(たけだけ)の御曹子(おんぞうし)らしい。五十や百の金で、人買いの手にわたす代物(しろもの)じゃねえから、めったな手荒をせず、島へあげて、かいほうしろ」
 そういって、三人の腹心の手下をよび、なにかしめしあわせたうえ、その脇差を、そッともとのとおり、伊那丸(いなまる)の腰へもどしておいた。
 まもなく、軽舸(はしけ)の用意ができると、病人どうような伊那丸を、それへうつして、まえの三人もともに乗りこみ、すぐ鼻先(はなさき)の小島へむかってこぎだした。
「やい! 親船がかえってくるまで、大せつな玉を、よく見はっていなくっちゃいけねえぞ」
 龍巻(たつまき)は二、三ど、両手で口をかこって、遠声をおくった。そしてこんどは、足もとから鳥が立つように、あたりの手下をせきたてた。
「それッ、帆綱(ほづな)をひけ! 大金(おおがね)もうけだ」
「お頭領(かしら)、また船をだして、こんどはどこです」
「泉州(せんしゅう)の堺(さかい)だ。なんでもかまわねえから、張れるッたけ帆(ほ)をはって、ぶっとおしにいそいでいけ」
 キリキリ、キリキリ、帆車(ほぐるま)はせわしく鳴りだした。船中の手下どもは、飛魚(とびうお)のごとく敏捷(びんしょう)に活躍しだす。舳(みよし)に腰かけている龍巻は、その悪魔的(あくまてき)な跳躍(ちょうやく)をみて、ニタリと、笑みをもらしていた。

 この秋に、京は紫野(むらさきの)の大徳寺(だいとくじ)で、故右大臣信長(こうだいじんのぶなが)の、さかんな葬儀(そうぎ)がいとなまれたので、諸国の大小名(だいしょうみょう)は、ぞくぞくと京都にのぼっていた。
 なかで、穴山梅雪入道(あなやまばいせつにゅうどう)は、役目をおえたのち、主人の徳川家康(とくがわいえやす)にいとまをもらって、甲州北郡(きたごおり)へかえるところを、廻り道して、見物がてら、泉州の堺(さかい)に、半月あまりも滞在(たいざい)していた。
 堺は当時の開港場(かいこうじょう)だったので、ものめずらしい異国(いこく)の色彩(しきさい)があふれていた。唐(から)や、呂宋(ルソン)や、南蛮(なんばん)の器物、織物などを、見たりもとめたりするのも、ぜひここでなければならなかった。
「殿(との)、見なれぬ者がたずねてまいりましたが、通しましょうか、いかがしたものでござります」
 穴山梅雪の仮(かり)の館(やかた)では、もう燭(しょく)をともして、侍女(こしもと)たちが、琴(こと)をかなでて、にぎわっているところだった。そこへひとりの家臣が、こう取りついできた。
「何者じゃ」
 梅雪入道は、もう眉(まゆ)にも霜(しも)のみえる老年、しかし、千軍万馬を疾駆(しっく)して、鍛(きた)えあげた骨ぶしだけは、たしかにどこかちがっている。
「肥前(ひぜん)の郷士(ごうし)、浪島五兵衛(なみしまごへえ)ともうすもので、二、三人の従者(じゅうしゃ)もつれた、いやしからぬ男でござります」
「ふーむ……、してその者が、何用で余(よ)にあいたいともうすのじゃ」
「その浪島ともうす郷士が、あるおりに呂宋(ルソン)より海南(ハイナン)にわたり、なおバタビヤ、ジャガタラなどの国々の珍品もたくさん持ちかえりましたので、殿のお目にいれ、お買いあげを得たいともうすので」
「それは珍しいものが数あろう」
 梅雪入道(ばいせつにゅうどう)は、このごろしきりに、堺(さかい)でそのような品(しな)をあつめていたところ、思わず心をうごかしたらしい。
「とにかく、通してみろ。ただし、ひとりであるぞ」
「はい」家臣は、さがっていく。
 入れちがって、そこへあんないされてきたのは、衣服、大小や、かっぷくもりっぱな侍(さむらい)、ただ色はあくまで黒い。目はおだやかとはいえない光である。
「取りつぎのあった、浪島(なみしま)とはそちか」
「ヘッ、お目通りをたまわりまして、ありがとうぞんじます」
「さっそく、バタビヤ、ジャガタラの珍品などを、余(よ)に見せてもらいたいものであるな」
「じつは、他家(たけ)へ吹聴(ふいちょう)したくない、秘密な品(しな)もござりますゆえ、願わくばお人払(ばら)いをねがいまする」
 という望みまでいれて、あとはふたりの座敷となると梅雪はさらにまたせきだした。
「して、その秘密な品(しな)とは、いかなるものじゃ」
「殿(との)――」
 浪島という、郷士(ごうし)のまなこが、そのときいような光をおびて、声の調子まで、ガラリと変った。
「買ってもらいたいのは、ジャガタラの品物じゃありません。武田菱(たけだびし)の紋(もん)をうった、りっぱな人間です。どうです、ご相談にのりませんか」
「な、なんじゃッ?」
「シッ……大きな声をだすと、殿(との)さまのおためにもなりませんぜ。徳川家(とくがわけ)で、血眼(ちまなこ)になっている武田伊那丸(たけだいなまる)、それをお売りもうそうということなんで」
「む……」入道(にゅうどう)はじッと郷士(ごうし)の面(おもて)をみつめて、しばらくその大胆(だいたん)な押(お)し売(う)りにあきれていた。
「けっして、そちらにご不用なものではありますまい。武田(たけだ)の御曹子(おんぞうし)を生けどって、徳川さまへさしだせば、一万石(ごく)や二万石(ごく)の恩賞(おんしょう)はあるにきまっています。先祖代々から禄(ろく)をはんだ、武田家(たけだけ)の亡(ほろ)びるのさえみすてて、徳川家へついたほどのあなただから、よろこんで買ってくださるだろうと思って、あてにしてきた売物です」
 ほとんど、強請(ゆすり)にもひとしい口吻(こうふん)である。だのに、梅雪入道(ばいせつにゅうどう)は顔色をうしなって、この無礼者を手討ちにしようともしない。
 どんな身分であろうと、弱点をつかれると弱いものだ。穴山梅雪入道は、事実、かれのいうとおり、ついこのあいだまでは、武田勝頼(たけだかつより)の無二の者とたのまれていた武将であった。
 それが、織田徳川連合軍(おだとくがわれんごうぐん)の乱入とともに、まッさきに徳川家にくだって、甲府討入(こうふうちい)りの手引きをしたのみか、信玄(しんげん)いらい、恩顧(おんこ)のふかい武田(たけだ)一族の最期(さいご)を見すてて、じぶんだけの命と栄華(えいが)をとりとめた武士(ぶし)である。
 この利慾のふかい武士へ、伊那丸(いなまる)という餌(えさ)をもって釣(つ)りにきたのは、いうまでもなく、武士に化(ば)けているが、八幡船(ばはんせん)の龍巻(たつまき)であった。

 都より開港場(かいこうじょう)のほうに、なにかの手がかりが多かろうと、目星をつけて、京都から堺(さかい)へいりこんでいたのは、鞍馬(くらま)を下山した小幡民部(こばたみんぶ)である。
 人手をわけて、要所を見張らせていた網(あみ)は、意外な効果(こうか)をはやくも告(つ)げてきた。
「たしかに、八幡船のやつらしい者が三人、侍(さむらい)にばけて、穴山梅雪(あなやまばいせつ)の宿をたずねた――」
 この知らせをうけた民部は、たずねさきが主家(しゅけ)を売って敵にはしった、犬梅雪(いぬばいせつ)であるだけに、いよいよそれだと直覚した。
 いっぽう、その夜ふけて、梅雪のかりの館(やかた)をでていった三つのかげは、なにかヒソヒソささやきながら堺の町から、くらい波止場(はとば)のほうへあるいていく。
「おかしら、じゃアとにかく、話はうまくついたっていうわけですね」
「上首尾(じょうしゅび)さ。じぶんも立身の種(たね)になるんだから、いやもおうもありゃあしない。これからすぐに島へかえって、伊那丸をつれてさえくれば、からだの目方と黄金(きん)の目方のとりかえッこだ」
「しッ……うしろから足音がしますぜ」
「え?」
 と三人とも、脛(すね)にきずもつ身なので、おもわずふりかえると、深編笠(ふかあみがさ)の侍(さむらい)が、ピタピタあるき寄ってきて、なれなれしくことばをかけた。
「おかしら、いつもご壮健で、けっこうでござりますな」
「なんだって? おれはそんな者じゃアない」
「エヘヘヘヘ、わたしも、こんな、侍姿にばけているから、ゆだんをなさらないのはごもっともですが、さきほど町で、チラとお見うけして、まちがいがないのです」
「なんだい、おめえはいったい?」
「こう見えても、ずいぶん浪(なみ)の上でかせいだ者です」
「おれたちの船じゃなかろう、こっちは知らねえもの」
「そりゃア数ある八幡船(ばはんせん)ですから」
「しッ。でっかい声をするねえ」
「すみません。船から船へわたりまわったことですからな、ながいお世話にはなりませんでしょうが、おかしらの船でも一どはたらいたことがあるんです」
 話しながら、いつか陸(おか)はずれの、小船のおいてあるところまできてしまった。あとをついてきた侍すがたの男は、ぜひ、もう一ど船ではたらきたいからとせがんでたくみに龍巻(たつまき)を信じさせ、沖にすがたを隠している、八幡船(ばはんせん)の仲間のうちへ、まんまと乗りこむことになった。
 その男の正体(しょうたい)が、小幡民部(こばたみんぶ)であることはいうまでもない。なまじ町人すがたにばけたりなどすると、かえってさきが、ゆだんをしないと見て、生地(きじ)のままの反間苦肉(はんかんくにく)がみごとに当った。
 民部のこころは躍っていた。けれどもうわべはどこまでもぼんやりに見せて、たえず、船中に目をくばっていたが、どうもこの船にはそれらしい者を、かくしているようすが見えない。で、いちじはちがったかと思ったが、梅雪(ばいせつ)をおとずれたという事実は、どうしても、民部には見のがせない。
 船は、その翌日、闇夜(あんや)にまぎれて、堺(さかい)の沖から、ふたたび南へむかって、満々(まんまん)と帆(ほ)をはった。

 伊那丸(いなまる)は、日ならぬうちに気分もさわやかになった。それと同時に、かれは、生まれてはじめて接した、大海原(おおうなばら)の壮観(そうかん)に目をみはった。
 ここはどこの島かわからないけれど、陸(りく)のかげは、一里ばかりあなたに見える。けれど、伊那丸には、龍巻の手下が五、六人、一歩あるくにもつきまとっているので逃げることも、どうすることもできなかった。
「ああ……」忍剣(にんけん)を思い、咲耶子(さくやこ)をしのび、龍太郎(りゅうたろう)のゆくえなどを思うたびに、波うちぎわに立っている伊那丸(いなまる)のひとみに涙が光った。
「なんとかしてこの島からでたい、名もしれぬ荒くれどもの手にはずかしめられるほどなら、いッそこの海の底に……」
 夜はつめたい磯(いそ)の岩かげに組んだ小屋にねる。だが、そのあいださえ、羅刹(らせつ)のような手下は、交代(こうたい)で見張(みは)っているのだ。
「そうだ、あの親船が返ってくれば、もう最期(さいご)の運命、逃げるなら、いまのうちだ」
 きッと、心をけっして、頭をもたげてみると、もう夜あけに近いころとみえて、寝ずの番も頬杖(ほおづえ)をついていねむっている。
「む!」はね起きるよりはやく、ばらばらと、昼みておいた小船のところへ走りだした。ところがきてみると、船は毎夜、かれらの用心で、十間(けん)も陸(おか)の上へ、引きあげてあった。
「えい、これしきのもの」
 伊那丸は、金剛力(こんごうりき)をしぼって、波のほうへ、綱(つな)をひいてみたが、荒磯(あらいそ)のゴロタ石がつかえて、とてもうごきそうもない。――ああこんな時に、忍剣ほどの力がじぶんに半分あればと、益(えき)ないくり言(ごと)もかれの胸にはうかんだであろう。
「野郎ッ、なにをする!」
 われを忘れて、船をおしている伊那丸のうしろから、松の木のような腕(うで)が、グッと、喉輪(のどわ)をしめあげた。
「見つかったか」伊那丸(いなまる)は歯がみをした。
「こいつ。逃げる気だな」
 喉(のど)に閂(かんぬき)をかけられたまま、伊那丸はタタタタタと五、六歩あとへ引きもどされた。
 もうこれまでと、脇差(わきざし)の柄(つか)に手をやって、やッと、身をねじりながら切(き)ッ先(さき)をとばした。
「あッ――き、斬(き)りやがったなッ」
 とたん――目をさましてきた四、五人の手下たちも、それッと、櫂(かい)や太刀をふるって、わめきつ、さけびつ撃(う)ちこんできたが、伊那丸も捨身(すてみ)だった。小太刀の精のかぎりをつくして、斬りまわった。
 しかし何せよ、慓悍無比(ひょうかんむひ)な命しらずである。ただでさえ精(せい)のおとろえている伊那丸は、無念(むねん)や、ジリジリ追われ勝ちになってきた。

 その時であった。
 空と波との水平線から、こなたの島をめがけて、征矢(そや)のように翔(か)けてきた一羽のくろい大鷲(おおわし)。
 ぱッと、波をうっては水けむりをあげた。空に舞(ま)っては雲にかくれた。――やがて、そのすばらしい雄姿を目(ま)のあたりに見せてきたと思うと、伊那丸(いなまる)と五人の男の乱闘(らんとう)のなかを、さっと二、三ど、地をかすって翔(か)けりまわった。
「わーッ、いけねえ!」
 のこらずの者が、その巨大な翼(つばさ)にあおりたおされた。むろん、伊那丸も、四、五間(けん)ほど、飛ばされてしまった。
 嵐か、旋風(つむじ)か、伊那丸は、なんということをも意識(いしき)しなかった。ただ五人の敵! それに一念であるため、立つよりはやく、そばにたおれていたひとりを、斬りふせた。
 くろい大鷲(おおわし)は、伊那丸の頭上をはなれず廻っている。砂礫(されき)をとばされ、その翼にあたって、のこる四人も散々(さんざん)になって、気を失(うしな)った。――ふと、伊那丸は、その時はじめて、ふしぎな命びろいをしたことに気づいた。空をあおぐと、オオ! それこそ、恵林寺(えりんじ)にいたころ、つねに餌(え)をやって愛していたクロではないか。
「お! クロだ、クロだ」
 かれが血刀(ちがたな)を振って、狂喜(きょうき)のこえを空になげると、クロはしずかにおりてきて、小船のはしに、翼をやすめた。
「ちがいない。やはりクロだった。それにしても、どうして、あの鎖(くさり)をきったのであろう」
 ふと見ると、足に油紙(あぶらがみ)の縒(よ)ったのが巻きしめてある。伊那丸はいよいよふしぎな念に打たれながら、いそいで解(と)きひらいてみると、なつかしや、忍剣(にんけん)の文字!

若さま、このてがみが、あなたさまの、お目にふれましたら、若さまのおてがみも、かならず私の手にとどきましょう。忍剣(にんけん)いのちのあらんかぎりは、ふたたびお目にかからずにはおりません。甲斐(かい)の山にて。

 ハラハラと、とめどない涙(なみだ)を、その数行の文字にはふり落として立ちすくんでいた伊那丸(いなまる)は、いそいで小屋に取ってかえし、今の窮状(きゅうじょう)をかんたんに認(したた)めて、かけもどってきた。
 夜はほのぼのと、八重(やえ)の汐路(しおじ)に明けはなれてきた。
 見れば、クロはよほど飢(う)えていたらしく、五人の死骸(しがい)の上を飛びまわって、生々(なまなま)しい血に、舌(した)なめずりをしていた。
 同じように、かえし文(ぶみ)を、鷲(わし)の片足へむすびつけて、それのおわったとき、伊那丸の目のまえに、さらに呪(のろ)いの悪魔(あくま)が悠々(ゆうゆう)とかげを見せてきた。
 八幡船(ばはんせん)の親船がかえってきたのだ。もうすぐそこ――島から数町の波間(なみま)のちかくへ。
「いよいよ最期(さいご)となった。クロ! わしの運命はおまえのつばさに乗せてまかすぞよ」
 坐(ざ)して死をまつも愚(ぐ)と、伊那丸は鷲の背中へ、抱きつくように身をのせた。
 思うさま、人の血をすすったクロは、両の翼(つばさ)でバサと大地をうったかと思うと、伊那丸の身を軽々とのせたまま、天空高く、舞(ま)いあがった。

「あれ、あれ、ありゃあなんだ?」
「おお、島からとび立ったあやしい魔鳥(まちょう)」
「鷲(わし)だッ。くろい大鷲(おおわし)だ」
 白浪(はくろう)をかんで、満々(まんまん)と帆(ほ)を張ってきた八幡船(ばはんせん)の上では多くの手下どもが、あけぼのの空をあおいで、潮(しお)なりのようにおどろき叫んでいた。
 さわぎを耳にして、船部屋(ふなべや)からあらわれた龍巻九郎右衛門(たつまきくろうえもん)は、ギラギラ射(い)かえす朝陽(あさひ)に小手をかざして、しばらく虚空(こくう)に旋回(せんかい)している大鷲の影をみつめていたが、
「ややッ」にわかに色をかえて、すぐ、
「あの鷲(わし)を射(い)おとせッ、はやくはやく。遠のかねえうちだ」
 とあらあらしく叱咤(しった)した。おう! 手下どもは武器倉(ぶきぐら)へ渦(うず)をまいて、弓(ゆみ)鉄砲(てっぽう)を取るよりはやく、宙(ちゅう)を目がけて火ぶたを切り、矢つぎばやに、征矢(そや)の嵐をはなしたが、鷲(わし)はゆうゆうと、遠く近くとびまわって、あたかも矢弾(やだま)の弱さをあざけっているようだ。
「民蔵(たみぞう)民蔵、新米(しんまい)の民蔵はどうしたッ」
 龍巻(たつまき)が足を踏(ふ)みならして、こうさけんだ時、船底からかけあがってきたのは、民蔵(たみぞう)と名をかえて、堺(さかい)から手下になって乗りこんでいた、かの小幡民部(こばたみんぶ)であった。
「おかしら、お呼(よ)びになりましたかい」
「どこへもぐりこんでいるんだ。てめえに、ちょうどいい腕(うで)だめしをいいつける。あの大鷲(おおわし)の上に、人間が抱(だ)きついているんだ、島から伊那丸(いなまる)が逃(に)げだしたにちげえねえ、てめえの腕でぶち落として見ろ」
「えッ、伊那丸とは、なんですか」
「そんなことをグズグズ話しちゃいられねえ、オオまた近くへきやがった、はやく撃(う)てッ」
「がってんです!」
 小幡民部の民蔵は、伊那丸と聞いてギクッとしたが、龍巻に顔色を見すかされてはと、わざと勇(いさ)みたって、渡された種子島(たねがしま)の銃口(つつぐち)をかまえ、船の真上へ鷲がちかよってくるのを待った。
 と見るまに、鷲はふたたび低く舞(ま)って、帆柱(ほばしら)のてッぺんをさッとすりぬけた。
「そこだ」龍巻はおもわず拳(こぶし)を握りしめる。
 同時に、狙(ねら)いすましていた民部(みんぶ)の手から、ズドン! と白い爆煙(ばくえん)が立った。
「あたった! あたった」
 ワーッという喊声(かんせい)が、船をゆるがしたせつな、大鷲はまぢかに腹毛を見せたまま、ななめになってクルクルと海へ落ちてきた――と見えたのは瞬間(しゅんかん)。――大きなつばさで海面をたたいたかと思うまに、ギャーッと一声(ひとこえ)、すごい絶鳴(ぜつめい)をあげて、猛然(もうぜん)と高く飛び上がった。
 そのとたんに、大鷲(おおわし)の背から海中へふり落とされたものがある――いうまでもなく武田伊那丸(たけだいなまる)であった。龍巻(たつまき)は、雲井(くもい)へかけり去った鷲(わし)の行方などには目もくれず、すぐ手下に軽舸(はしけ)をおろさせて、波間にただよっている伊那丸を、親船へ引きあげさせた。
「民蔵(たみぞう)でかしたぞ。きさまの腕前にゃおそれいッた」
 と龍巻は上機嫌(じょうきげん)である。そしていままでは、やや心をゆるさずにいた民部(みんぶ)を、すッかり信用してしまった。

 堺見物(さかいけんぶつ)もおわったが、伊那丸のことがあるので、帰国をのばしていた穴山梅雪(あなやまばいせつ)の館(やかた)へ、ある夕(ゆう)べ、ひとりの男が密書(みっしょ)を持っておとずれた。
 吉左右(きっそう)を待ちかねていた梅雪入道は、くっきょうな武士七、八名に、身のまわりをかためさせて、築山(つきやま)の亭(ちん)へ足をはこんできた。そこには、黒衣覆面(こくいふくめん)の密書の使いが、両手をついてひかえていた。
「書面は、しかと見たが、今宵(こよい)のあんないをするというそのほうは何者だの」
 と梅雪はゆだんのない目くばりでいった。
「龍巻(たつまき)の腹心の者、民蔵(たみぞう)ともうしまする」
「して、伊那丸(いなまる)の身は、ただいまどこへおいてあるの?」
「しばらく船中で手当を加えておりましたが、こよい亥(い)の刻(こく)に、かねてのお約束(やくそく)どおり、船からあげて阿古屋(あこや)の松原まで頭(かしら)が連れてまいり、金子(きんす)と引きかえに、お館(やかた)へお渡しいたすてはずになっておりまする」
 よどみのない使いの弁舌(べんぜつ)に、梅雪入道(ばいせつにゅうどう)も疑(うたが)いをといたとみえ、すぐ家臣に三箱の黄金をになわせ、じぶんも頭巾(ずきん)に面(おもて)をかくして騎馬立(きばだ)ちとなり、剛者(つわもの)十数人を引きつれて、阿古屋の松原へと出向いていった。
「殿さま、しばらくお待ちねがいます」
 途中までくると、案内役の民蔵は、梅雪入道の鞍壺(くらつぼ)のそばへよって、ふいに小腰をかがめた。
「少々おねがいの儀(ぎ)がござります。お馬をとめて、無礼者(ぶれいもの)とお怒りもありましょうが、阿古屋の松原へついては間(ま)にあわぬこと、お聞きくださいましょうか」
「なんじゃ、とにかくもうしてみい」
「は、余(よ)の儀(ぎ)でもござりませぬが、今日(こんにち)お館のご威光(いこう)を見、またかくお供(とも)いたしているうちに、八幡船(ばはんせん)の手下となっていることが、つくづく浅ましく感じられ、むかしの武士(ぶし)にかえって、白日(はくじつ)のもとに、ご奉公いたしたくなってまいりました」
「悠長(ゆうちょう)なやつ、かような出先(でさき)にたって、なにを述懐(じゅっかい)めいたことをぬかしおるか。それがなんといたしたのだ」
「ここに一つの手柄(てがら)をきっと立てますゆえ、お館(やかた)の家来の端(はし)になりと、お加えなされてくださりませ」
「ふウ――どういう手柄(てがら)を立てて見せるな」
「この三箱の黄金(おうごん)をかれにわたさずして、まんまと、武田伊那丸(たけだいなまる)を龍巻(たつまき)の手よりうばい取ってごらんに入れますが」
「ぬからぬことをもうすやつだ。して、その策(さく)は?」
「わが君、お耳を……」
 小幡民部(こばたみんぶ)の民蔵(たみぞう)が、なにをささやいたものか、梅雪(ばいせつ)はたちまち慾ぶかいその相好(そうごう)をくずして、かれのねがいを聞きとどけた。そして、えらびだした武士二、三人に、密命をふくませ、そこからいずこともなく放してやると自身はふたたび、民蔵を行列の先頭にして、闇夜(あんや)の街道を、しずしずと進んでいった。

 まもなく着いた、阿古屋(あこや)の松原。
 梅雪入道(ばいせつにゅうどう)は鞍(くら)からおりて、海神(かいじん)の社(やしろ)に床几(しょうぎ)をひかえた。
 と――やがて約束の亥(い)の刻(こく)ごろ、浜辺(はまべ)のほうから、百鬼(き)夜行(やこう)、八幡船(ばはんせん)の黒々とした一列が、松明(たいまつ)ももたずに、シトシトと足音そろえて、ここへさしてくる。
「民蔵(たみぞう)、民蔵」
 と鳥居まえで、合図(あいず)をしたのは龍巻(たつまき)にちがいなかった。民蔵は梅雪(ばいせつ)のそばをすりぬけて、そこへかけていった。
「お頭(かしら)ですか」
「む、いいつけた使いの首尾(しゅび)はどうだった」
「こちらは、殿さまごじしんで、早くからきて、あれに待っています。そして伊那丸(いなまる)は?」
「ふんじばってつれてきた、じゃおれは、梅雪とかけあいをつけるから、きさまが縄尻(なわじり)を持っていろ。なかなか童(わっぱ)のくせに強力(ごうりき)だから、ゆだんをして逃(に)がすなよ」
 龍巻は二、三十人の手下をつれて、梅雪のいる拝殿(はいでん)の前へおしていった。
 縄尻をうけた民蔵は、
「やいッ、歩かねえか」わざと声をあららげて、伊那丸の背中をつく。――その心のうちでは、手をあわせている小幡民部(こばたみんぶ)であった。
 しばらくのあいだ、龍巻と談合(だんごう)していた梅雪は、伊那丸の面体(めんてい)を、しかと見さだめたうえで、約束の褒美(ほうび)をわたそうといった。龍巻も心得て、うしろへ怒鳴(どな)った。
「民蔵、その童をここへひいてこい」
「へい」
 民蔵は縄目(なわめ)にかけた伊那丸を、梅雪入道の前へひきすえた。拝殿の上から、とくと、見届(みとど)けた梅雪は、大きくうなずいて、
「でかしおッた。武田伊那丸(たけだいなまる)にそういない」
 その時、むッくり首をあげた伊那丸は、穴山(あなやま)のすがたを、かッとにらみつけて、血を吐(は)くような声でいった。
「人でなしの梅雪入道(ばいせつにゅうどう)!」
「な、なにッ」
「お祖父(じい)さま(信玄(しんげん))の時代より、武田家(たけだけ)の禄(ろく)を食(は)みながら、徳川(とくがわ)軍へ内通したばかりか、甲府攻(こうふぜ)めの手引きして、主家(しゅけ)にあだなした犬侍(いぬざむらい)。どの面(つら)さげて、伊那丸の前へでおった、見るもけがれだ。退(さが)れッ」
「ワッハッハハハハ」梅雪は内心ギクとしながら、老獪(ろうかい)なる嘲笑(ちょうしょう)にまぎらわして、
「なにをいうかと思えば、小賢(こざか)しい無礼呼(ぶれいよ)ばわり。なるほどその昔は、信玄公にも仕(つか)え、勝頼(かつより)にも仕(つか)えた梅雪じゃが、いまは、主(しゅ)でもなければ君(きみ)でもない。武田の滅亡は、お許(もと)の父、勝頼が暗愚(あんぐ)でおわしたからじゃ。うらむならお許の父をうらめ、馬鹿大将の勝頼をうらむがよい」
「ムムッ……よういッたな!」
 不道の臣に面罵(めんば)されて、身をふるわせた伊那丸は、やにわに、ガバとはねおきるがはやいか、両手を縛(ばく)されたまま、梅雪に飛びかかって、ドンと、かれを床几(しょうぎ)から蹴(け)とばした。
「なにをするか」
 縄尻(なわじり)をひいた民蔵(たみぞう)の力に、伊那丸(いなまる)はあおむけざまにひッくり返った。ア――おいたわしい! とおもわず睫毛(まつげ)に涙のさす顔をそむけて、
「ふ、ふざけたまねをすると承知(しょうち)しねえぞ。立て! こっちの隅(すみ)へ寄っていろい!」
 ズルズルと引きずってきて、拝殿の柱(はしら)へ縄尻をくくりつけた。龍巻(たつまき)はそれをきッかけにして、
「じゃあ殿(との)さま、伊那丸はたしかに渡しましたから、約束の金を、こっちへだしてもらいましょうか」
「む、いかにも褒美(ほうび)をつかわそう、これ、用意してきた黄金をここへ持て」
 と、家臣にになわせてきた三箱の金をそこへ積ませると、
「さすがは大名(だいみょう)、これだけの黄金をそくざに持ってきたのはえらいものだ」
 と、ニタリ笑(え)つぼに入(い)った。
「やい野郎ども、はやくこの黄金を軽舸(はしけ)へ運んでいけ。どりゃ、用がすんだら引きあげようか」
 と手下にそれをかつがせて、龍巻も立とうとすると、
「やッ、大へんだ、おかしら、少ウしお待ちなさい」
 と民蔵がことさら大きな声で、出足をとめた。
「なんでえ、やかましい」
 龍巻(たつまき)は、舌(した)うちをしてふりかえった。社(やしろ)の廻廊(かいろう)にたって、小手(こて)をかざしていた民蔵(たみぞう)は、なおぎょうさんにとびあがって、
「一大事一大事! おかしら、沖の親船が焼ける! あれあれ、親船が燃(も)えあがってる!」
 と、手をふりまわした。

「なにッ、親船が?」
 龍巻も、さすがにギョッとして、浜辺のほうをすかしてみると、まッ暗な沖合(おきあい)にあたって、ボウと明るんできたのは、いかにも船火事らしい。
「ややややや」龍巻の目はいようにかがやく。
 見るまに沖の明るみは一団(だん)の火の玉となって、金粉のごとき火の粉(こ)を空にふきあげた。夜の潮(うしお)は燦爛(さんらん)と染(そ)められて、あたかも龍宮城が焼けおちているかのような壮観(そうかん)を現じた。
「ちぇッ、とんでもねえことになッた。それッ、早く漕(こ)ぎつけて、消しとめろ」
 とぎょうてんした龍巻は、二、三十人の手下たちとともに、一どにドッと海神(かいじん)の社(やしろ)をかけだしていくと、にわかに、鳥居わきの左右から、ワッという声つなみ!
「海賊ども、待て」
「御用、御用」
 たちまち氷雨(ひさめ)のごとく降りかかる十手(じって)の雨。――かける足もとを、からみたおす刺股(さすまた)、逃げるをひきたおす袖(そで)がらみ。驚きうろたえるあいだに、バタバタと、捕(と)ってふせ、ねじふせ、刃向(はむ)かうものは、片っぱしから斬り立ててきた、捕手(とりて)の人数は、七、八十人もあろうかと見えた。
 陣笠(じんがさ)、陣羽織(じんばおり)のいでたちで、堺奉行所(さかいぶぎょうしょ)の提灯(ちょうちん)を片手に打ちふり、部下の捕手を激励(げきれい)していた佐々木伊勢守(ささきいせのかみ)へ、荒獅子(あらじし)のごとく奮迅(ふんじん)してきたのは、頭(かしら)の、龍巻九郎右衛門(たつまきくろうえもん)であった。
「おのれッ」とさえぎる捕手を斬りとばして、夜叉(やしゃ)を思わせる太刀風(たちかぜ)に、ワッと、開(ひら)いて近よる者もない折から穴山梅雪(あなやまばいせつ)一手の剛者(つわもの)が、捕手に力をかして、からくも龍巻をしばりあげた。
「民蔵(たみぞう)、そのほうの奇策(きさく)はまんまと図(ず)にあたった。こなたより奉行所(ぶぎょうしょ)へ密告(みっこく)したため、アレ見よ、沖(おき)でも、この通りなさわぎをしているわい……小きみよい悪党(あくとう)ばらの最後じゃ」
 穴山梅雪は、帰館(きかん)すべくふたたびまえの駒(こま)にのって、持ってきた黄金をも取りかえし、武田伊那丸(たけだいなまる)をも手に入れて、得々(とくとく)と社頭から列をくりだした。
「手はじめの御奉公、首尾(しゅび)よくまいって、民蔵めも面目至極(めんもくしごく)です。殿のご運をおよろこびもうしあげます」
「ういやつだ。こよいから余(よ)の近侍(きんじ)にとり立ててくれる。伊那丸(いなまる)の縄(なわ)をとって、ついてこい」
 いっぽう、捕手(とりて)にかこまれて、引ッ立てられた龍巻(たつまき)は、この態(てい)をみると、あたりの者をはねとばして、形相(ぎょうそう)すごく、民蔵(たみぞう)のそばへかけよった。
「畜生(ちくしょう)。う、うぬはよくも、おれを裏切(うらぎ)りやがったな。一どは、縄(なわ)にかかっても、このまま、獄門台(ごくもんだい)に命を落とすような龍巻じゃねえぞ。きっとまたあばれだして、きさまの首をひンねじる日があるからおぼえていろ!」
「おお、心得た。だが、拙者(せっしゃ)は腕力は弱いから、その時には、また今夜のように、智慧(ちえ)くらべで戦おうわい」
 久しぶりに、小幡民部(こばたみんぶ)らしい口調でこたえた民蔵は、子供の悪たれでも聞きながすように笑って、他の武士たちと同列に、梅雪(ばいせつ)の館(やかた)へついていった。

 ここしばらく、京都に滞在(たいざい)している徳川家康(とくがわいえやす)の陣営(じんえい)へにわかに目通りをねがってでたのは、梅雪入道(ばいせつにゅうどう)であった。
 家康は、もうとッくに、甲州(こうしゅう)北郡(きたごおり)の領土(りょうど)へ帰国したものと思っていた穴山(あなやま)が、また途中から引きかえしてきたのは、なにごとかと意外におもって、そくざに、かれを引見(いんけん)した。
 梅雪(ばいせつ)は御前(ごぜん)にでて、入道頭(にゅうどうあたま)をとくいそうにふり立てて、かねて厳探中の伊那丸(いなまる)を捕縛(ほばく)した顛末(てんまつ)を、さらに誇張(こちょう)して報告した。さしずめ、その恩賞(おんしょう)として、一万石(ごく)や二万石(ごく)のご加増はあってしかるべしであろうといわんばかり。
「ふム……そうか」
 家康(いえやす)のゆがめた口のあたりに二重の皺(しわ)がきざまれた。これはいつも、思わしくない感情をあらわすかれの特徴(とくちょう)である。
「浜松のご城内へまで潜入(せんにゅう)して、君のお命(いのち)をねらった不敵な伊那丸、生かしておきましては、ながく徳川(とくがわ)御(ご)一門(もん)をおびやかし奉(たてまつ)るは必定(ひつじょう)とぞんじまして……」
「待て、待て、わかっておる……」
 梅雪はあんがい、いや、大不服である。
 あれほど、伊那丸の首に、恩賞のぞみのままの沙汰(さた)をふれておきながら、この無愛想(ぶあいそ)な口ぶりはどうだ。
 しかし家康は、梅雪がうぬぼれているほど、かれを腹心(ふくしん)とは信じていない。
 日本の歴史にも、中華(ちゅうか)史上にも少ないくらいな、武士(ぶし)の面(つら)よごしが、武田(たけだ)滅亡のさいに、二人あった。一人はこの梅雪、一人は小山田信茂(おやまだのぶしげ)である。
 織徳(しょくとく)連合軍におわれた勝頼主従(かつよりしゅじゅう)が、その臣(しん)、小山田信茂の岩殿山(いわどのやま)をたよって落ちたとき、信茂は、柵(さく)をかまえて入城をこばみ、勝頼一門が、天目山(てんもくざん)の討死(うちじに)を見殺しにした。そして、それを軍功顔(ぐんこうがお)に、織田(おだ)の軍門へ降(くだ)っていった。
 信長(のぶなが)の子、織田城之助(おだじょうのすけ)は、小山田(おやまだ)を見るよりその不忠不人情を罵倒(ばとう)して、褒美(ほうび)はこれぞと、陣刀(じんとう)一閃(せん)のもとに首を討ちおとした。――そういう例もある。
 ましてや、梅雪入道(ばいせつにゅうどう)は、武田家譜代(たけだけふだい)の臣(しん)であるのみならず、勝頼(かつより)とは従弟(いとこ)の縁(えん)さえある。その破廉恥(はれんち)は小山田以上といわねばならぬ。
 ――けれど家康(いえやす)は、城之助とちがって、何者をも利用することを忘れない大将であった。
「梅雪、伊那丸(いなまる)を捕(とら)えたともうすが、それだけか」
「は? それだけとおおせられますると」
「たわけた入道よな。武田家の護(まも)り神(がみ)とも崇(あが)めておった御旗(みはた)楯無(たてなし)の宝物(ほうもつ)は、たしかに、伊那丸がかくしているはずじゃ。その儀(ぎ)をもうすのにわからぬか」
「はッ、いかさま。それまでには気がつきませんでした。さっそく、糺明(きゅうめい)いたしてみます」
「仏(ほとけ)つくって、魂(たましい)いれぬようなことは、家康、大のきらいじゃ。伊那丸の首と、御旗(みはた)楯無(たてなし)とをそろえて、持参いたしてこそ、はじめて、まったき一つの働きをたてたともうすもの」
「願わくば、ここ二月(ふたつき)のご猶予(ゆうよ)を、この入道にお与えくださりませ。きっとその宝物と、伊那丸の塩漬(しおづ)け首とを、ともにごらんに供(そな)えまする」
 梅雪入道は、家康にかたく誓(ちか)って、そこそこに堺(さかい)へ立ちもどった。にわかに家来一同をまとめて、領土へ帰国の旨(むね)を布令(ふれ)だした。
 その前にさきだって、小幡民部(こばたみんぶ)の民蔵(たみぞう)は、いずこへか二、三通の密書(みっしょ)をとばした。はたしてどことどことへ、その密書がいったかは、何人(なんぴと)といえども知るよしはないが、うち一通は、たしかに鞍馬山(くらまやま)の僧正谷(そうじょうがたに)にいる、果心居士(かしんこじ)の手もとへ送られたらしい。
 堺(さかい)を出発した穴山(あなやま)の一族郎党(ろうどう)は、伊那丸(いなまる)をげんじゅうな鎖駕籠(くさりかご)にいれ、威風堂々(いふうどうどう)と、東海道をくだり、駿府(すんぷ)から西にまがって、一路甲州の山関(さんかん)へつづく、身延(みのぶ)の街道へさしかかった。
 ここらあたりは、見わたすかぎり果てしもない晩秋の広野である。
 ――ああそこは伊那丸にとって、思い出ふかき富士(ふじ)の裾野(すその)。加賀見忍剣(かがみにんけん)と手に手をとって、さまよいあるいた富士の裾野。
 けれど、鎖網(くさりあみ)をかけた、駕籠(かご)のなかなる伊那丸の目には、なつかしい富士のすがたも見えなければ、富士川の流れも、枯(か)れすすきの波も見えない。
 ただ耳にふれてくるものは、蕭々(しょうしょう)と鳴る秋風のおと、寥々(りょうりょう)とすだく虫の音があるばかり。
 すると、どこでするのか、だれのすさびか、秋にふさわしい笛(ふえ)の音(ね)がする。その妙(たえ)な音色(ねいろ)は、ふと伊那丸の心のそこへまで沁(し)みとおってきた。――かれは、まッ暗な駕籠(かご)のなかで、じッと耳をすました。
「お! 咲耶子(さくやこ)、咲耶子の笛ではないか」
 思わずつぶやいた時である。なにごとか、いきなりドンと駕籠(かご)がゆれかえった。

「ぶれい者、お供先(ともさき)に立ってはならぬ」
「あやしい女、ひッ捕(とら)えろ!」数人は、バラバラと前列のほうへかけあつまった。穴山(あなやま)の郎党(ろうどう)たちは、たちまち、押しかぶさって、ひとりの少女をそこへねじふせた。
「しばらくお待ちくださいまし。わたくしは、けっしてあやしい者ではありませぬ。穴山梅雪(あなやまばいせつ)さまのご通行を幸(さいわ)いに、お訴(うった)えもうしたいことがあるのです」
「だまれ、ご道中でさようなことは、聞きとどけないわ、帰れッ」
 と、家来どものののしる声を聞いて、駕籠の扉(とびら)をあけさせた梅雪は、
「しさいあり気(げ)な女子(おなご)じゃ。なんの願いか聞いて取らせる。これへ呼べ」と一同を制止した。
 うるわしいお下髪(さげ)にむすび、帯(おび)のあいだへ笛をはさんだその少女(おとめ)は、おずおずと、梅雪の駕籠の前へすすんで手をついた。
「訴えのおもむきをいうてみい。また、このようなさびしい広野(ひろの)に、ただひとりおるそちは、いったい何者の娘だ」
「野武士の娘、咲耶子(さくやこ)ともうしまする。お訴えいたすまえに、おうかがいいたしたいのは、うしろの鎖駕籠(くさりかご)のなかにいるおかたです。もしや武田伊那丸(たけだいなまる)さまではございませんでしょうか」
「それを聞いてなんとする」
 梅雪(ばいせつ)はおそろしい目を咲耶子(さくやこ)の挙動(きょどう)に注(そそ)ぎかけた。
 けれど彼女は、むじゃきに咲(さ)いた野の花のよう、なんのおそれげもわだかまりもなく、あとのことばをさわやかにつづけた。
「まことは、まえに伊那丸さまから、ご大切な宝物(ほうもつ)とやらを、父とわたくしとで、お預(あず)かりもうしておりましたが、そのために、親娘(おやこ)の者が、ひとかたならぬ難儀(なんぎ)をいたしておりますゆえ、きょう、お通りあそばしたのを幸(さいわ)い、お返しもうしたいのでござります」
「ふーむ、して、その宝物(ほうもつ)とやらはどんな物だ」
「このさきの、五湖(こ)の一つへ沈(しず)めてありますゆえ、どんな物かはぞんじませぬが、このごろ、あっちこっちの悪者がそれを嗅(か)ぎつけて、湖水の底をさぐり合っておりまする。なんでも石櫃(いしびつ)とやらにはいっている、武田(たけだ)さまのお家の宝(たから)だともうすことでござります」
「む、よう訴(うった)えてきた。褒美(ほうび)はぞんぶんにとらすからあんないせい」
 梅雪の顔は、思いがけない幸運にめぐり合ったよろこびにあふれた。――が、駕籠側(かごわき)にいた民蔵(たみぞう)は、サッと色をかえて、この不都合(ふつごう)な密告をしてきた少女を、人目さえなければ、ただ一太刀(ひとたち)に斬(き)ってすてたいような殺気をありありと目のなかにみなぎらせた。
 行列はきゅうに方向を転(てん)じて、五湖の一つに沈んでいる宝物をさぐりにむかった。けれども、道案内(みちあんない)に立った咲耶子(さくやこ)は西も東もわからぬ広野(こうや)を、ただグルグルと引きずりまわすのみなので、一同は、道なき道につかれ、梅雪(ばいせつ)もようやくふしんの眉(まゆ)をひそめはじめた。
「民蔵(たみぞう)はいないか、民蔵」と呼びつけて、
「小娘(こむすめ)の挙動(きょどう)、だんだんと合点(がてん)がいかぬ。あるいは、野かせぎの土賊(どぞく)ばらが、手先に使っている者かも知れぬ、も一ど、ひッ捕(とら)えてただしてみろ」
「かしこまりました」
 民蔵は得たりと思った。ばらばらと前列へかけ抜けてきて、いきなり、むんずと咲耶子の腕首(うでくび)をつかんだ。
「小娘ッ」まことは甲州流兵法(こうしゅうりゅうへいほう)の達人(たつじん)小幡民部(こばたみんぶ)が、こういってにらんだ眼光は射(い)るようだった。
「なんでござりますか」
「さきほどからみるに、わざと、道なき野末(のずえ)へあんないしていくはあやしい。いったいどこへまいる気だ」
「知りませぬ、わたしは、ひとりで好きに歩いているのですから」
「だまれ、五湖へあんないいたすともうしたのではないか」
「だれが、穴山(あなやま)さまのような、けがらわしい犬侍(いぬざむらい)のあんないになど立ちましょうか」
「おのれ、さては野盗(やとう)の手引きか」
「いいえ、ちがいます」
「吐(ぬ)かすなッ。さらば何者にたのまれた」
「御旗(みはた)楯無(たてなし)の宝物が欲しさに、慾に目がくらんで、わたしのような少女にまんまとだまされた! オホホホホ……やッとお気がつかれましたか」
「おのれッ」
 抜く手も見せず、民蔵(たみぞう)がサッと斬(き)りつけた切(き)ッ先(さき)からヒラリと、蝶(ちょう)のごとく跳(と)びかわした咲耶子(さくやこ)は、バラバラと小高い丘(おか)へかけあがるよりはやく、帯(おび)の横笛をひき抜いて、片手に持ったまま宙(ちゅう)へ高く、ふってふってふりまわした。
 ああ! こはそもなに? なんの合図(あいず)。
 それと同時に、ただいちめんの野と見えた、あなたこなたのすすきの根、小川のへり、窪地(くぼち)のかげなどから、たちまち、むくむくとうごきだした人影。
 ウワーッと喊声(かんせい)をあげて、あらわれたのは四、五十人の野武士(のぶし)である。手に手に太刀(たち)をふりかざして、あわてふためく穴山(あなやま)一党(とう)のなかへ、天魔軍(てんまぐん)のごとく猛然(もうぜん)と斬(き)りこんだ。
 ニッコと笑って、丘(おか)に立った咲耶子が、さッと一閃(せん)、笛をあげればかかり、二閃(せん)、さッと横にふればしりぞき、三閃(せん)すればたちまち姿をかくす――神変(しんぺん)ふしぎな胡蝶(こちょう)の陣。

 きょうも棒切(ぼうき)れを手にもって、友だち小猿(こざる)を二、三十匹(ぴき)つれ、僧正谷(そうじょうがたに)から、百足虫腹(むかでばら)の嶮岨(けんそ)をつたい、鞍馬(くらま)の大深林(だいしんりん)をあそびまわっているのは、果心居士(かしんこじ)の童弟子(わらべでし)、いが栗(ぐり)あたまの竹童(ちくどう)であった。
「おや、こんなところへだれかやってくるぞ……このごろ人間がよくのぼってくるなア」
 竹童がつぶやいた向こうを見ると、なるほど、菅笠(すげがさ)に脚絆(きゃはん)がけの男が、深林の道にまよってウロウロしている。
「オーイ、オーイ――」
 とかれが口に手をあてて呼ぶと、菅笠の男が、スタスタこっちへかけてきたが、見ればまだ十歳(さい)ぐらいの男の子が、たッたひとり、多くの猿(さる)にとり巻(ま)かれているのでへんな顔をした。
「おじさん、どこへいくんだい、こんなところにマゴマゴしていると、うわばみに食べられちまうぜ」
「おまえこそいったい何者だい、鞍馬寺(くらまでら)の小坊主(こぼうず)さんでもなし、まさか山男の伜(せがれ)でもあるまい」
「何者だなんて、生意気(なまいき)をいうまえに、おじさんこそ、何者だかいうのが本来(ほんらい)だよ。おいらはこの山に住んでる者だし、おじさんはだまって、人の山へはいってきた風来人(ふうらいじん)じゃないか」
「おどろいたな」と旅の男はあきれ顔に――「じつは僧正谷(そうじょうがたに)の果心居士(かしんこじ)さまとおっしゃるおかたのところへ、堺(さかい)のあるおかたから手紙をたのまれてきたのさ」
「アア、うちのお師匠(ししょう)さまへ手紙を持ってきたのか、それならおいらにおだしよ。すぐとどけてやる」
「じゃおまえは果心居士さまのお弟子(でし)か、やれやれありがたい人に会った」
 と、男は竹童(ちくどう)に手紙をわたしてスタスタ下山していった。
「いそぎの手紙だといけないから、さきへこいつに持たしてやろう」
 と竹童はその手紙を、一匹(ぴき)の小猿(こざる)にくわえさせて、鞭(むち)で僧正谷の方角(ほうがく)をさすと、猿(さる)は心得たようにいっさんにとんでいく。そのあとで、
「さッ、こい、おいらとかけッくらだ」
 竹童は、とくいの口笛(くちぶえ)を吹きながら、ほかの猿(さる)とごッたになって、深林の奥(おく)へおくへとかけこんでいったが、ややあって、頭の上でバタバタという異様(いよう)なひびき。
「おや? ――」と、かれは立ちどまった。小猿たちは、なんにおびやかされたのか、かれひとりを置き捨(ず)てにして、ワラワラとどこかへ姿(すがた)をかくしてしまった。
「やア……やア……やア奇態(きたい)だ」
 なにもかも忘れはてたようすである。あおむいたまま、いつまでも棒立(ぼうだ)ちになっている竹童(ちくどう)の顔へ、上の梢(こずえ)からバラバラと松の皮がこぼれ落ちてきたが、かれは、それをはらうことすらも忘れている。
 そも、竹童の目は、なんに吸(す)いつけられているのかと見れば、じっさい、おどろくべき怪物(かいぶつ)――といってもよい大うわばみが、鞍馬山(くらまやま)にはめずらしい大鷲(おおわし)を、翼(つばさ)の上から十重二十重(とえはたえ)にグルグル巻(ま)きしめ、その首と首だけが、そうほうまっ赤な口から火焔(かえん)をふきあって、ジッとにらみあっているのだ。まさに龍攘虎搏(りゅうじょうこはく)よりものすごい決闘(けっとう)の最中(さいちゅう)。
「や……おもしろいな。おもしろいな。どっちが勝つだろう」
 竹童おどろきもせず、口アングリ開(ひら)いて見ていることややしばし、たちまち、鼓膜(こまく)をつんざくような大鷲(おおわし)の絶鳴(ぜつめい)とともに、大蛇(おろち)に巻きしめられていた双(そう)の翼(つばさ)がバサッとひろがったせつな、あたりいちめん、嵐に吹きちる紅葉(こうよう)のくれないを見せ、寸断(すんだん)されたうわばみの死骸(しがい)が、バラバラになって大地へ落ちてきた。
 それを見るや否(いな)や、雲を霞(かすみ)と、僧正谷(そうじょうがたに)へとんで帰った竹童。果心居士(かしんこじ)の荘園(そうえん)へかけこむがはやいか、めずらしい今の話を告(つ)げるつもりで、
「お師匠(ししょう)さま、お師匠さま」と呼(よ)びたてた。
「うるさい和子(わこ)じゃ。あまり飛んで歩いてばかりいると、またその足がうごかぬようになるぞよ」
 芭蕉亭(ばしょうてい)の竹縁(ちくえん)に腰かけていた居士(こじ)の目が、ジロリと光る、その手に持っている手紙をみた竹童(ちくどう)は、ふいとさっきの用を思いだして、うわばみと鷲(わし)の話ができなくなった。
「あ、お師匠(ししょう)さま、さきほど、お手紙がまいりましたから、猿(さる)に持たせてよこしました。もうごらんなさいましたか」と目の玉をクルリとさせる。
「横着(おうちゃく)なやつめ。小幡民部(こばたみんぶ)どのからの大切なご書面、もし失(うし)のうたらどうするつもりじゃ」
「ハイ」
 竹童は頭をかいて下をむいた。居士(こじ)は、白髯(はくぜん)のなかから苦笑をもらしたが、叱言(こごと)をやめて語調(ごちょう)をかえる。
「ところでこの手紙によって急用ができた、竹童、おまえちょっとわたしの使いにいってくれねばならぬ」
「お使いは大好きです。どこへでもまいります」
「ム、大いそぎで、武蔵(むさし)の国、高尾山(たかおさん)の奥院(おくのいん)までいってきてくれ、しさいはここに書いておいた」
「お師匠さま、あなたはごむりばかりおっしゃります」
「なにがむりじゃの」
「この鞍馬(くらま)の山奥から、武蔵の高尾山までは、二百里(り)もございましょう。なんでちょっといってくるなんていうわけにいくものですか、だからつねづねわたしにも、お師匠(ししょう)さまの飛走(ひそう)の術をおしえてくださいともうすのに、いっこうおしえてくださらないから、こんな時にはこまってしまいます」
「なぜ口をとがらすか、けっしてむりをいいつけるのではない。それにはちょうどいい道案内(みちあんない)をつけてやるから、和子(わこ)はただ目をつぶってさえいればよい」
「へー、では、だれかわたしを連れていってくれるんですか」
「オオ、いまここへ呼(よ)んでやるから見ておれよ」
 と果心居士(かしんこじ)は、露芝(つゆしば)の上へでて、手に持ったいちめんの白扇(はくせん)をサッとひらき、要(かなめ)にフッと息をかけて、あなたへ投げると、扇(おうぎ)はツイと風に乗って飛ぶよと見るまに、ひらりと一羽(わ)の鶴(つる)に化してのどかに空へ舞いあがった。
 ア――と竹童(ちくどう)は目をみはっていると、たちまち、宙天(ちゅうてん)からすさまじい疾風(しっぷう)を起してきた黒い大鷲(おおわし)、鶴を目がけてパッと飛びかかる。鶴は白毛を雪のごとく散らして逃げまわり、鷲のするどい爪(つめ)に追いかけられて、果心居士の手もとへ逃げて下りてきたが、そのとたん、居士がひょいと手をのばすと、すでに、鶴は一本の扇となって手のうちにつかまれ、それを追ってきた大鷲は、居士の膝(ひざ)の前に翼(つばさ)をおさめて、ピッタリおとなしくうずくまっている。

「竹童(ちくどう)竹童、その泉(いずみ)の水を少々くんでこい」
「ハイ」
 あっけにとられて見ていた竹童は、居士(こじ)にいいつけられたまま、岩のあいだから、こんこんと湧(わ)きいでている泉をすくってきた。
「かわいそうにこの鷲(わし)は、片目を鉄砲で撃(う)たれているため、だいぶ苦しがっている。はやくその霊泉(れいせん)で洗ってやるがよい。すぐなおる」
「ハイ」
 竹童は草の葉ひとつかみを取ってひたし、いくたびか鷲の目を洗ってやった。大鷲(おおわし)は心地よげに竹童のなすがままにまかせていた。
「おまえの道案内(みちあんない)はこの鷲だ。これに乗ってかける時は千里の旅も一日の暇(ひま)じゃ、よいか」
「これに乗るんですか、お師匠(ししょう)さま、あぶないナ」
「たわけめが」
 喝(かつ)! と叱(しか)りつけた果心居士(かしんこじ)は、竹童がアッというまに襟(えり)くびをグッとよせて、
「エーッ」と一声、片手につかんでほうりなげた。ブーンと風を切った竹童のからだは、珠(たま)のごとく飛んで、はるかあなたの築山(つきやま)の上へいって、ヒョッコリ立ったが、たちまち、そこからかけもどってきてニコニコ笑いながら澄(す)ましている。
「お師匠さま、またいたずらをなさいましたね」
「どうだ、どこかけがでもしたか」
「いいえ、そんな竹童(ちくどう)ではございません。わたしはお師匠(ししょう)さまから、まえに浮体(ふたい)の術を授(さず)かっておりますもの」
「それみよ。なぜいつもその心がけでおらぬ。この鷲(わし)に乗っていくのがなんであぶない、浮体(ふたい)の息(いき)を心得てのれば一本の藁(わら)より身のかるいものだ」
「わかりました。さっそくいってまいります」
「オオ書面にて認(したた)めておいたが、時おくれては、武田伊那丸(たけだいなまる)さまのお身があぶない、いや、あるいは小幡民部(こばたみんぶ)どのの命(いのち)にもかかわる、いそいでいくのじゃ」
「そして、だれにこの手紙をわたすのですか」
「高尾(たかお)の奥院(おくのいん)にかくれている、加賀見忍剣(かがみにんけん)どのという者にわたせばよい。その忍剣はこの鷲のすがたを毎日待ちこがれているであろう。またこの鷲も霊鷲(れいしゅう)であるから、かならず忍剣のすがたを見れば地におりていくにちがいない」
「かしこまりました。よくわかりました」
「かならず道草(みちくさ)をしていてはならぬぞ」
「ハイ、心得ております」
 と竹童はしたくをした――したくといっても、例の棒(ぼう)切れを刀のように腰へさして、稗(ひえ)と草の芽(め)を団子(だんご)にした兵糧(ひょうろう)をブラさげて、ヒラリと鷲の背にとびつくが早いか、鷲は地上の木の葉をワラワラとまきあげて、青空たかく飛びあがった。
 伊那丸(いなまる)とちがって竹童(ちくどう)は、浮体(ふたい)の法を心得ているうえ、深山にそだって鳥獣(ちょうじゅう)をあつかいなれている。かれはしばらく目をつぶっていたがなれるにしたがって平気になりはるかの下界(げかい)を見廻しはじめた。
「オオ高い高い、もう鞍馬(くらま)も貴船山(きぶねやま)も半国(はんごく)ヶ岳(たけ)も、あんな遠くへ小(ち)ッちゃくなってしまった。やア、京都の町が右手に見える、むこうに見える鏡(かがみ)のようなのは琵琶湖(びわこ)だナ、この眼下は大津(おおつ)の町……」
 と夢中(むちゅう)になっているうちに、ヒュッとなにかが、耳のそばをうなってかすりぬけた。
「や、なんだ」
 と竹童はびっくりしてふりかえった時、またもや下からとんできたのは白羽(しらは)の征矢(そや)、つづいてきらきらとひかる鏃(やじり)が風を切って、三の矢、四の矢と隙(すき)もなくうなってくる。
「おや、さてはだれか、この鷲(わし)をねらうやつがある、こいつはゆだんができないゾ」
 と竹童は例の棒(ぼう)切れを片手に持って、くる矢くる矢をパラパラと打ちはらっていたが、それに気をとられていたのが不覚(ふかく)、たいせつな果心居士(かしんこじ)の手紙を、うッかり懐中(ふところ)から取りおとしてしまった。
「アッ、アアアアア……しまった!」
 ヒラヒラと落ちいく手紙へ、思わず口走りながら身をのばしたせつな、竹童のからだまで、あやうく鷲の背中(せなか)からふりおとされそうになった。

 大津(おおつ)の町の弓道家(きゅうどうか)、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)は、このあいだ、日吉(ひよし)の五重塔(ごじゅうのとう)であやしいものを射損(いそん)じたというので、かれを今為朝(いまためとも)とまでたたえていた人々まで、にわかに口うら返して、さんざんに悪い評判(ひょうばん)をたてた。
 それをうるさいと思ってか、蔦之助は、以来ピッタリ道場の門をとざして、めったにそとへすがたを見せず、世間の悪口もよそに、兵書部屋(へいしょべや)へこもり、ひたすら武技(ぶぎ)の研究に余念がなかった。
 その日も、しずかに兵書をひもといていた蔦之助(つたのすけ)は、ふと町にあたって、ガヤガヤという人声がどよみだしたので、文字から目をはなして耳をそばだてた。とそこへ、下僕(しもべ)の関市(せきいち)が、あわただしくかけこんできてこういう。
「旦那(だんな)さま旦那さま。まアはやくでてごらんなさいまし、とてもすばらしい大鷲(おおわし)が、比叡(ひえい)のうしろから飛びまわってまいりました。お早く、お早く」
「鷲?」
 と蔦之助は部屋(へや)から庭へヒラリと、身をおどらして大空をあおぐと、なるほど、関市のぎょうさんなしらせも道理、かつて話に聞いたこともない黒鷲(くろわし)が、比叡の峰(みね)の背(せ)からまッさかさまに大津(おおつ)の空へとかかってくるところ。
「関市! 張(は)りの強い弓を! それと太矢(ふとや)を七、八本」
「へい」と関市(せきいち)が、大あわてで取りだしてきた節巻(ふしまき)の籐(とう)にくすね引(び)きの弦(つる)をかけた強弓(ごうきゅう)。とる手もおそしと、槙(まき)の葉鏃(はやじり)の太矢(ふとや)をつがえた蔦之助(つたのすけ)は、虚空(こくう)へむけて、ギリギリとひきしぼるよと見るまに、はやくも一の矢プツン! と切る、すぐ関市が代(かわ)り矢を出す。それを取ってさらに射(い)る。その迅(はや)さ、あざやかさ、目にもとまらぬくらい。
 しかしその矢は、二どめからみな宙(ちゅう)にあがって二つにおれ、ハラリ、ハラリと地上に返ってくる。てっきり鷲(わし)の上には何者かがいる! 蔦之助ももとより射(い)おとすつもりではない。そのふしぎな人物をなんとかして地上へおろしてみたら、あるいは、日吉(ひよし)の塔(とう)の上にいた、奇怪(きかい)な人間のなぞもとけようかと考えたのであった。
 矢数(やかず)はひょうひょうと虹(にじ)のごとく放(はな)たれたが、時間はほんの瞬間(しゅんかん)、すでに大鷲(おおわし)は町の空を斜(なな)めによぎって、その雄姿(ゆうし)を琵琶湖(びわこ)のほうへかけらせたが、なにか白い物をとちゅうからヒラヒラと落としさった。それを見て、
「よしッ」
 ガラリと弓を投げすてた蔦之助は、紙片(しへん)の落ちたところを目ざして、息もつかさずにかけだした。
 飛ぶがごとく町はずれをでたかれは、一念(ねん)がとどいて、ある原へ舞(ま)いおちたものをひろった。
 手にとって開(ひら)いてみれば、芭蕉紙(ばしょうし)ぐるみの一通の書面。

加賀見忍剣(かがみにんけん)どのへ知らせん この状(じょう)を手にされし日 ただちに錫杖(しゃくじょう)を富士の西裾野(にしすその)へむけよ たずねたもう御方(おんかた)あらん 同志(どうし)の人々にも会い給(たま)わん
かしん居士(こじ)
 竹童(ちくどう)は弱った。しんそこからこまった。
 大切な手紙を取りおとしては、お師匠(ししょう)さまから、どんなお叱(しか)りをうけるか知れないと、かれはあわてて鷲(わし)をおろした。そこはうつくしい鳰鳥(におどり)の浮いている琵琶湖(びわこ)のほとり、膳所(ぜぜ)の松原のかげであった。
「これクロよ、おいらが手紙をさがしてくるあいだ、後生(ごしょう)だから待ってるんだぞ、そこで魚(さかな)でも取って待っているんだぞ、いいか、いいか」
 竹童は鷲にたいして、人間にいい聞かせるとおりのことばを残し、スタスタ松と松のあいだを走りだしてくると、反対にむこうからも息をきって、こなたへいそいできたひとりの武士があった――いうまでもなく山県蔦之助(やまがたつたのすけ)である。
 ふたりはバッタリ細い小道でゆき会った。竹童がなにげなく蔦之助の片手をみると、まさしくおとした手紙をつかんでいる。蔦之助もまた、素(す)はだし尻(しり)きり衣服に、棒切れを腰にさした、いような小僧(こぞう)のすがたに目をみはった。
「これ子供、子供。……つんぼか、なぜ返辞(へんじ)をせぬ」
「おじさん、おいら子供じゃないぜ」
「なに子供じゃないと、では何歳(なんさい)じゃ」
「九ツだよ。だけれど大人(おとな)だけの働きをするから子供じゃない、アアそんなことはどうでもいい、おいらおじさんに聞きたいけれど、そっちの手につかんでいるものはなんだい? 見せておくれよ」
「ばかをもうせ。それより拙者(せっしゃ)のほうがきくが、いましがた、大津(おおつ)の町の上をとんでいた鷲(わし)が、ここらあたりでおりた形跡(けいせき)はないか、どうじゃ」
「白(しら)ばッくれちゃいけない。その手紙をおだしよ」
「この童(わっぱ)めッ、無礼(ぶれい)をもうすな」
「なにッ、返さなきゃこうだぞ」
 と、竹童(ちくどう)からだは小さいが身ごなしの敏捷(びんしょう)おどろくばかり、不意(ふい)に蔦之助(つたのすけ)に飛びかかったと思うと、かれの手から手紙をひッたくって、バラバラと逃げだした。
「小僧(こぞう)ッ――」と追い討(う)ちにのびた蔦之助の烈剣(れっけん)に、あわや、竹童まッ二つになったかと見れば、切(き)ッ先(さき)三寸(ずん)のところから一躍(やく)して四、五間(けん)も先へとびのいた。
「きゃつ、ただ者ではない」ととっさにおもった蔦之助は、いっさんに追いかけながら、ピュッと手のうちからなげた流星の手裏剣(しゅりけん)! それとは、さすがに用心しなかった竹童の踵(かかと)をぷッつり刺(さ)しとめた。
「あッ!」ドタリと前へころんだところを、すかさずかけよってねじつけた、蔦之助の強力(ごうりき)。それには竹童(ちくどう)も泣きそうになった。
「おじさん、おじさん、なんだっておいらの手紙をそんなにほしがるんだい――苦しいから堪忍(かんにん)しておくれよ。この手紙は大切な手紙だから」
「なんじゃ、ではこの書面は汝(なんじ)が持っていた物か」
「ああ、おいらが遠方の人へとどけにいくんだ」
「ではいましがた、鷲(わし)の上にのっていたのは?」
「おいらだよ、アア、喉(のど)がくるしい」
「えッ、そのほうか」
 とびっくりして、竹童をだきおこした蔦之助(つたのすけ)は、しばらくしげしげとかれの姿をみつめていたが、やがて、松の根方(ねかた)へ腰をおろして、心からこのおさない者に謝罪(しゃざい)した。
「知らぬこととはもうせ、飛んだ粗相(そそう)をいたした。どうかゆるしてくれい、そこで、あらためて聞きたいが、御身(おんみ)はその手紙にある果心居士(かしんこじ)のお弟子(でし)か」
「そうだ……」竹童も岩の上にあぐらをかいて、腰のふくろから薬草の葉を取りだし、手でやわらかにもんだやつを踵(かかと)のきずへはりつけている。
「ではさきごろ、日吉(ひよし)の五重塔(ごじゅうのとう)へ登っていたのも居士ではなかったか、恥(はじ)をもうせば、里人(さとびと)の望みにまかせて射(い)たところが、一羽(わ)の鷺(さぎ)となって逃げうせた」
「おじさんはむちゃだなあ、おいらのお師匠(ししょう)さまへ矢をむけるのは、お月さまを射(い)るのと同じだよ」
「やっぱりそうであったか、いや面目(めんもく)もないことであった。ところで、さらにくどいようじゃが、そちの持っている書面にある加賀見忍剣(かがみにんけん)ともうすかたは、ただいまどこにおいでになるのか、また、たずねるお方とはどなたを指したものか、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)が頭をさげてたのむ。どうか教えてもらいたい」
「いやだ」
 竹童(ちくどう)はきつくかぶりをふった。
「なぜ?」
「わからないおじさんだナ、なんだって人がおとした手紙のなかをだまって読んだのさ。だからいやだ」
「ウーム、それも重々(じゅうじゅう)拙者(せっしゃ)が悪かった、ひらにあやまる」
「じゃあ話してやってもいいが、うかつな人にはうち明けられない、いったいおじさんは何者?」
「父はもと甲州二十七将(しょう)の一人であったが、拙者の代(だい)となってからは天下の浪人(ろうにん)、大津(おおつ)の町で弓術(きゅうじゅつ)の指南(しなん)をしている山県蔦之助ともうすものじゃ」
「えッ、じゃあおじさんも武田(たけだ)の浪人か――ふしぎだなア……おいらのお師匠(ししょう)さまも、ずっと昔は武田家(たけだけ)の侍(さむらい)だったんだ」
 といいかけて竹童は、まえに居士(こじ)から口止めされたことに気がついたか、ふッと口をつぐんでしまった。そのかわり、これから、居士(こじ)の命(めい)をうけて武州(ぶしゅう)高尾(たかお)にいる忍剣のところへいくこと、また過日(かじつ)、小幡民部(こばたみんぶ)から通牒(つうちょう)がきて、なにごとか伊那丸(いなまる)の身辺に一大事が起っているらしいということ、さては、書中にある御方(おんかた)という人こそ信玄(しんげん)の孫(まご)武田(たけだ)伊那丸であることまで、残るところなく説明した。
 聞きおわった蔦之助(つたのすけ)は、こおどりせんばかりによろこんだ。武田滅亡(たけだめつぼう)の末路(まつろ)をながめて、悲憤(ひふん)にたえなかったかれは、伊那丸の行方(ゆくえ)を、今日(こんにち)までどれほどたずねにたずねていたか知れないのだ。
「これこそ、まことに天冥(てんみょう)のお引きあわせだ。拙者(せっしゃ)もこれよりすぐに、富士(ふじ)の裾野(すその)へむけて出立(しゅったつ)いたす、竹童(ちくどう)とやら、またいつかの時にあうであろう」
「ではあなたも裾野へかけつけますか、わたしもいそがねば、伊那丸さまの一大事です」
「おお、ずいぶん気をつけていくがよい」
「大じょうぶ、おさらばです」
 竹童はふたたび鷲(わし)の背にかくれて、舞いあがるよと見るまに、いっきに琵琶湖(びわこ)の空をこえて、伊吹(いぶき)の山のあなたへ――。
 いっぽう、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)は、その日のうちに、武芸者姿(ぶげいしゃすがた)いさましく、富士(ふじ)ヶ根(ね)さして旅立った。

「まだきょうも空に見えない、ああクロはどうしたろう……?」
 毎日高尾の山巓(さんてん)にたって、一羽(わ)の鳥影も見のがさずに、鷲(わし)の帰るのを待ちわびている者は、加賀見忍剣(かがみにんけん)その人である。
 快風(かいふう)一陣! かれを狂喜(きょうき)せしめた便(たよ)りは天の一角(かく)からきた。クロの足にむすびつけられた伊那丸(いなまる)の血書(けっしょ)の文字、竹童(ちくどう)がもたらしてきた果心居士(かしんこじ)の手紙。かれははふりおつる涙をはらいつつ、二通の文字をくり返しくりかえし読んだ。
「これを手に受けたらその日に立てとある――オオ、こうしてはいられないのだ。竹童とやら、はるばる使いにきてご苦労だったが、わしはこれからすぐ、伊那丸さまのおいでになるところへいそがねばならぬ、鞍馬(くらま)へ帰ったら、どうかご老台(ろうだい)へよろしくお礼をもうしあげてくれ」
「ハイ承知(しょうち)しました。だけれどお坊(ぼう)さん、おいらは少しこまったことができてしまった」
「なんじゃ、お使いの褒美(ほうび)に、たいがいのことは聞いてやる、なにか望みがあるならもうすがよい」
「ううん、褒美なんかいらないけれど、そのクロという鷲はお坊さんのものなんだネ」
「いやいや、この鷲はわたしの飼(か)い鳥でもない、持主(もちぬし)といえば、武田家(たけだけ)にご由緒(ゆいしょ)のふかい鳥ゆえ、まず伊那丸君の物とでももうそうか」
「ネ、おいら、ほんとをいうと、このクロと別(わか)れるのがいやになってしまったんだよ。きっと大切にして、いつでも用のある時には飛んでいくから、おいらにかしといてくんないか」
 天真爛漫(てんしんらんまん)な願いに、忍剣もおもわず微笑(ほほえ)んでそれをゆるした。竹童(ちくどう)は大よろこび、あたかも友だちにだきつくようにクロの背なかへふたたび身を乗せて、忍剣に別(わか)れを告(つ)げるのも空の上から――いずこともなく飛びさってしまった。
 間(ま)もなく、高尾の奥院(おくのいん)からくだってきた加賀見忍剣(かがみにんけん)は、神馬小舎(しんめごや)から一頭の馬をひきだし、鉄の錫杖(しゃくじょう)をななめに背(せ)にむすびつけて、法衣(ころも)の袖(そで)も高からげに手綱(たづな)をとり、夜路(よみち)山路(やまみち)のきらいなく、南へ南へと駒(こま)をかけとばした。
 ほのぼの明けた次の朝、まだ野も山も森も見えぬ霧(きり)のなかから、
「オーイ、オーイ」
 と忍剣の駒を追いかけてくる者がある。しかも、あとからくる者も騎馬(きば)と見えて、パパパパパとひびく蹄(ひづめ)の音、はて何者かしらと、忍剣が馬首(ばしゅ)をめぐらせて待ちうけているとたちまち、目の前へあらわれてきた者は、黒鹿毛(くろかげ)にまたがった白衣(びゃくえ)の男と朱柄(あかえ)の槍(やり)を小わきにかいこんだりりしい若者。
「もしやそれへおいでになるのは、加賀見忍剣どのではござらぬか」
「や! そういわれる其許(そこもと)たちは」
「おお、いつか裾野(すその)の文殊閣(もんじゅかく)で、たがいに心のうちを知らず、伊那丸君(いなまるぎみ)をうばいあった木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)」
「またわたくしは、巽小文治(たつみこぶんじ)ともうす者」
「おお、ではおのおのがたも、ひとしく伊那丸さまのおんために力をおあわせくださる勇士たちでしたか」
「いうまでもないこと。忍剣(にんけん)どののおはなしは、くわしくのちにうけたまわった。じつは我々両名の者は、小太郎山(こたろうざん)に砦(とりで)をきずく用意にかかっておりましたが、はからずも主君伊那丸さまが、穴山梅雪(あなやまばいせつ)の手にかこまれて、きょう裾野(すその)へさしかかるゆえ、出会(しゅっかい)せよという小幡民部(こばたみんぶ)どのからの諜状(しめしじょう)、それゆえいそぐところでござる」
「思いがけないところで、同志(どうし)のおのおのと落ち会いましたことよ。なにをつつみましょう。まこと、わたくしもこれよりさしていくところは、富士(ふじ)の裾野」
「忍剣どのも加わるとあれば、千兵(せんぺい)にまさる今日(きょう)の味方、穴山一族の木(こ)ッ葉(ぱ)武者どもが、たとえ、幾(いく)百幾(いく)千騎(き)あろうとも、おそるるところはござりませぬ」
「きょうこそ、若君のおすがたを拝(はい)しうるは必定(ひつじょう)です」
「おお、さらば一刻もはやく!」
 轡(くつわ)をならべて、同時にあてた三騎(き)の鞭(むち)! 一声(ひとこえ)高くいななき渡って、霧のあなたへ、駒(こま)も勇士もたちまち影を没(ぼっ)しさったが、まだ目指(めざ)すところまでは、いくたの嶮路(けんろ)いくすじの川、渺茫(びょうぼう)裾野(すその)の道も幾十里かある。
 霧ははれた。そして紺碧(こんぺき)の空へ、雄大なる芙蓉峰(ふようほう)の麗姿(れいし)が、きょうはことに壮美(そうび)の極致(きょくち)にえがきだされた。
 富士は千古(せんこ)のすがた、男の子の清い魂(たましい)のすがた、大和撫子(やまとなでしこ)の乙女(おとめ)のすがた。――日本を象徴(しょうちょう)した天地に一つの誇(ほこ)り。
 いまや、その裾野(すその)の一角にあって、咲耶子(さくやこ)がふったただ一本の笛(ふえ)の先から、震天動地(しんてんどうち)の雲はゆるぎだした。閃々(せんせん)たる稲妻(いなずま)はきらめきだした。
 雨を呼ぶか、雷(いかずち)が鳴るか、穴山(あなやま)軍勝つか、胡蝶陣(こちょうじん)勝つか? 武田伊那丸(たけだいなまる)と小幡民部(こばたみんぶ)の民蔵(たみぞう)は、どんな行動をとりだすだろうか? 富士はすべて見おろしている――

 胡蝶(こちょう)の陣! 胡蝶の陣!
 裾野にそよぐ穂(ほ)すすきが、みな閃々(せんせん)たる白刃(はくじん)となり武者(むしゃ)となって、声をあげたのかと疑(うたが)われるほど、ふいにおこってきた四面の伏敵(ふくてき)。
 野末(のずえ)のおくにさそいこまれて、このおとしあなにかかった穴山梅雪入道(あなやまばいせつにゅうどう)は、馬からおちんばかりにぎょうてんしたが、あやうく鞍(くら)つぼに踏(ふ)みこたえて、腰なる陣刀をひきぬき、
「退(ひ)くな。たかの知れた野武士(のぶし)どもがなにほどぞ、一押(ひとお)しにもみつぶせや!」
 と、うろたえさわぐ郎党(ろうどう)たちをはげました。
 音にひびいた穴山(あなやま)一族(ぞく)、その旗下(はたもと)には勇士もけっしてすくなくない。天野刑部(あまのぎょうぶ)、佐分利五郎次(さぶりごろうじ)、猪子伴作(いのこばんさく)、足助主水正(あすけもんどのしょう)などは、なかでも有名な四天王(てんのう)、まッさきに槍(やり)の穂(ほ)をそろえておどりたち、
「おうッ」
 と、吠(ほ)えるが早いか、胡蝶(こちょう)の陣(じん)の中堅(ちゅうけん)を目がけて、無(む)二無(む)三につきすすんだ。それにいきおいつけられたあとの面々、
「それッ。烏合(うごう)のやつばら、ひとりあまさず、討(う)ってとれ」
 と、具足(ぐそく)の音を霰(あられ)のようにさせ、槍(やり)、陣刀(じんとう)、薙刀(なぎなた)など思いおもいな得物(えもの)をふりかざし、四ほうにパッとひらいて斬(き)りむすんだ。
「やや一大事! だれぞないか、伊那丸(いなまる)の駕籠(かご)をかためていた者は取ってかえせ、敵の手にうばわれては取りかえしがつかぬぞッ」
 たちまちの乱軍に、梅雪入道(ばいせつにゅうどう)がこうさけんだのも、もっとも、大切な駕籠はほうりだされて、いつのまにか、警固(けいご)の武士(ぶし)はみなそのそばをはなれていた。
「心得てござります」
 いち早くも、梅雪の前をはしりぬけて、れいの――伊那丸がおしこめられてある鎖駕籠(くさりかご)の屋根へ、ヒラリととびあがって八ぽうをにらみまわした者は、別人(べつじん)ならぬ小幡民部(こばたみんぶ)であった。
 かりにも、乗物の上へ、土足(どそく)で跳(と)ひあがった罪(つみ)――ゆるし給(たま)え――と民部(みんぶ)は心に念(ねん)じていたが、とは知らぬ梅雪入道(ばいせつにゅうどう)、ちらとこの態(てい)をながめるより、
「お、新参(しんざん)の民蔵(たみぞう)であるな、いつもながら気転(きてん)のきいたやつ……」
 とたのもしそうにニッコリとしたが、ふとまた一ぽうをかえりみて、たちまち顔いろを変えてしまった。

 咲耶子(さくやこ)がふった横笛(よこぶえ)の合図(あいず)とともに、押しつつんできた人数はかれこれ八、九十人、それに斬(き)りむかっていった穴山方(あなやまがた)の郎党(ろうどう)もおよそ七、八十人、数の上からこれをみれば、まさに、そうほう互角(ごかく)の対陣(たいじん)であった。
 しかし、一ぽうは勇あって訓練(くんれん)なき野武士(のぶし)のあつまり。こなたは兵法(へいほう)のかけ引き、実戦(じっせん)の経験もたしかな兵である。梅雪入道(ばいせつにゅうどう)ならずとも、とうぜん、勝ちは穴山方にありと信じられていた。ところが形勢(けいせい)はガラリとかわって、なにごとぞ、四天王(てんのう)以下の面々は名もなき野武士の切(き)ッ先(さき)にかけまわされ、胡蝶(こちょう)の陣(じん)の変化自在(へんげじざい)の陣法にげんわくされて、浮き足みだしてくずれ立ってきた。と見るや、怒(いか)りたった入道は、
「ええ腑甲斐(ふがい)のない郎党(ろうどう)ども、このうえは、梅雪みずからけちらしてくれよう!」
 両の手綱(たづな)を左の手にあつめ、右手に陣刀(じんとう)をふりかざしてあわや、乱軍のなかへ馬首(ばしゅ)をむけてかけ入ろうとした。
 とそのとき、
「しばらくしばらく、そもわが君は、お命(いのち)をいずこへ捨てにいかれるお心でござるか!」
 声たからかに呼(よ)びとめた者がある。
「なに?」ふりかえってみると、それは、伊那丸(いなまる)の駕籠(かご)の上に立った小幡民部(こばたみんぶ)。梅雪(ばいせつ)はせきこんで、
「やあ、民蔵(たみぞう)、汝(なんじ)はなにをもって、さような不吉(ふきつ)をもうすのじゃ」
「されば、殿の御身(おんみ)を大切と思えばこそ」
「して、なんのしさいがあって」
「眼を大にしてごらんあれ。敵は野武士(のぶし)といいながら、神変(しんぺん)ふしぎな少女の陣法によってうごくもの、これすなわち奇兵(きへい)でござる。あなどってその策(さく)におちいるときは、殿のお命(いのち)とてあやうきこと明らかでござりまする」
「うーむ、してかれの陣法(じんぽう)とは」
「伏現自在(ふくげんじざい)の胡蝶(こちょう)の陣(じん)」
「やぶる手策(てだて)は?」
「ござりませぬ」
「ばかなッ」
「うそとおぼし召(め)すか」
「おおさ、年端(としは)もゆかぬ女童(めわらべ)が指揮する野武士(のぶし)の百人足らず、なんで破れぬことがあろうか」
「ではしばらくここにて四ほうを観望(かんぼう)なさるがなにより。おお佐分利五郎次(さぶりごろうじ)の組子(くみこ)はやぶれた、ああ足助主水正(あすけもんどのしょう)もたちまち袋(ふくろ)のねずみ……」
「なんの、余(よ)が四天王(てんのう)じゃ、いまにきっと盛(も)り返して、あの手の野武士をみな殺しにするであろうわ」
「危(あや)ういかな、危ういかな、かしこの窪地(くぼち)へ追いこまれた猪子伴作(いのこばんさく)、天野刑部(あまのぎょうぶ)、その他十七、八名の味方の者どもこそ、すんでに敵の術中(じゅっちゅう)におちいり、みな殺しとなるばかり」
「や、や、や、や、や!」
「おお! 殿(との)にもご用意あれや、早くも伊那丸(いなまる)の駕籠(かご)を目がけて、総勢(そうぜい)の力をあつめてくるような敵の奇変(きへん)と見えまするぞ」
「お、お、お、民蔵(たみぞう)民蔵、汝(なんじ)になんぞ策(さく)はないか」
 梅雪(ばいせつ)のようすは、にわかにうろたえて見えだした。
「おそれながら、しばしのあいだ、殿の采配(さいはい)を拙者(せっしゃ)におかしたまわるなら、かならず、かれの奇襲(きしゅう)をやぶって味方の勝利となし、なお、野武士を指揮(しき)なすあやしき少女をも生(い)けどってごらんに入れます」
「ゆるす、すこしも早く味方の者を救(すく)いとらせい」
 さしも強情(ごうじょう)な穴山梅雪(あなやまばいせつ)も、論(ろん)より証拠(しょうこ)、民部(みんぶ)のことばのとおり、味方がさんざん敗北(はいぼく)となってきたのを見て、もうゆうよもならなくなったのであろう。こなたへ駒(こま)を寄せてきて、小幡民部(こばたみんぶ)の手へ采配(さいはい)をさずけた。
「ごめん」
 受けとって押しいただいた民部(みんぶ)は、駕籠(かご)の上に立ったまま、八ぽうの戦機をきッと見渡したのち、おごそかに軍師(ぐんし)たるの姿勢(しせい)をとり、采(さい)のさばきもあざやかに、
 さッ、さッ、さッ。
 虚空(こくう)に半円をえがいて、風をきること三度(みたび)。
 ああなんという見事さ、それこそ、本朝(ほんちょう)の諸葛亮(しょかつりょう)か孫呉(そんご)かといわれた甲州流の軍学家(ぐんがくか)、小幡景憲(こばたかげのり)の軍配(ぐんばい)ぶりとそッくりそのまま。
「や?」
 よもや、新参(しんざん)の民蔵(たみぞう)が、その人の一子(し)、民部(みんぶ)であろうとは、夢(ゆめ)にも知らない梅雪入道(ばいせつにゅうどう)、おもわず驚嘆(きょうたん)の声をもらしてしまった。

 月の夜には澄(す)み、朝(あした)は露をまろばせても、聞く人もないこの裾野(すその)に、ひとり楽しんでいる笛(ふえ)は、咲耶子(さくやこ)が好きで好きでたまらない横笛ではないか。
 しかし、その優雅(ゆうが)な横笛は、時にとって身を守る剣(つるぎ)ともなり、時には、猛獣(もうじゅう)のような野武士(のぶし)どもを自由自在にあやつるムチともなる。
 いましも、小高い丘(おか)の上にたって、その愛笛(あいてき)を頭上にたかくささげ、部下のうごきから瞳(ひとみ)をはなたずにいた彼女のすがたは、地上におりた金星の化身(けしん)といおうか、富士の女神(めがみ)とたとえようか、丈(たけ)なす黒髪は風にみだれて、麗(うるわ)しいともなんともいいようがない。
「アッ――」
 ふいに、彼女の唇(くちびる)を洩(も)れたかすかなおどろき。
 その眸(ひとみ)のかがやくところをみれば、いまがいままでしどろもどろにみだれたっていた、穴山梅雪(あなやまばいせつ)の郎党(ろうどう)たちはひとりの武士(ぶし)の采配(さいはい)を見るや、たちまちサッと退(ひ)いて中央に一列となった。
 それは民部(みんぶ)の立てた蛇形(だぎょう)の陣。
 咲耶子(さくやこ)はチラと眉(まゆ)をひそめたが、にわかに右手(めて)の笛をはげしく斜(なな)めにふって落とすこと二へん、最後に左の肩へサッとあげた。――とみた野武士の猛勇(もうゆう)は、ワッと声つなみをあげて、蛇形陣(だぎょうじん)の腹背(ふくはい)から、勝ちにのって攻めかかった。
 そのとき早く、ふたたび民部の采配が、龍(りゅう)を呼ぶごとくさっとうごいた。と見れば、蛇形の列は忽然(こつねん)と二つに折れ、まえとは打ってかわって一糸(し)みだれず、扇形(おうぎがた)になってジリジリと野武士の隊伍(たいご)を遠巻きに抱いてきた。
「あッ、いけない。あれはおそろしい鶴翼(かくよく)の計略」
 咲耶子はややあわてて、笛を天から下へとふってふってふりぬいた。
 それは退軍の合図(あいず)であったと見えて、いままで攻勢(こうせい)をとっていた野武士(のぶし)たちは、一どにどッと潮(うしお)のごとく引きあげてきたようす。が、民部(みんぶ)の采配(さいはい)は、それに息をつく間(ま)もあたえず、たちまち八射(しゃ)の急陣と変え、はやきこと奔流(ほんりゅう)のように、追(お)えや追えやと追撃(ついげき)してきた。
「オオ、なんとしたことであろう」
 あまりの口惜(くや)しさに、咲耶子(さくやこ)はさらに再三再四、胡蝶(こちょう)の陣(じん)を立てなおして、応戦(おうせん)をこころみたが、こなたで焔(ほのお)の陣をしけば、かれは水の陣を流して防ぎ、その軍配(ぐんばい)は孫呉(そんご)の化身(けしん)か、楠(くすのき)の再来かと、あやしまれるほど、機略縦横(きりゃくじゅうおう)の妙(みょう)をきわめ、手足のごとく、奇兵に奇兵を次(つ)いでくる。
 さすがの胡蝶陣(こちょうじん)に妙(みょう)をえた咲耶子(さくやこ)も、いまはほどこすに術(すべ)もなくなった。精鋭無比(せいえいむひ)の彼女の部下の刃(やいば)も、いまはしだいしだいに疲れてくるばかり。
「それッ、この機をはずすな!」
「いずこまでも追って追って追いまくれッ」
「裾野(すその)の野武士(のぶし)を根絶(ねだ)やしにしてくれようぞ」
 穴山(あなやま)の四天王(てんのう)猪子伴作(いのこばんさく)、足助主水正(あすけもんどのしょう)、その他の郎党(ろうどう)は、民部が神のごとき采配ぶりにたちまち頽勢(たいせい)を盛(も)りかえし、猛然(もうぜん)と血槍(ちやり)をふるって追撃(ついげき)してきた。
 西へ逃げれば西に敵、南に逃げれば南に敵、まったく民部の作戦に翻弄(ほんろう)されつくした野武士たちは、いよいよ地にもぐるか、空にかけるのほか、逃げる路(みち)はなくなってしまった。
 と、咲耶子(さくやこ)のいる丘(おか)の上から、悲調(ひちょう)をおびた笛の音(ね)が一声(ひとこえ)高く聞えたかと思うと、いままでワラワラ逃げまどっていた野武士(のぶし)たちの影は、忽然(こつねん)として、草むらのうちにかくれてしまった。胆(きも)をけした穴山(あなやま)一族の将卒(しょうそつ)は、血眼(ちまなこ)になって、草わけ、小川の縁(へり)をかけまわったが、もうどこにも一人の敵すら見あたらず、ただいちめんの秋草の波に、野分(のわき)の風がザアザアと渡るばかり。
 狐(きつね)につままれたようなうろたえざまを、丘(おか)の上からながめた咲耶子は、帯のあいだに笛をはさみながら、ニッコリ微笑(びしょう)をもらして、丘のうしろへとびおりようとしたその時である。
「咲耶子とやら、もうそちの逃げ道はないぞ」
 りんとした声が、どこからか響(ひび)いてきた。
「え?」思わず目をみはった彼女の前に、ヒラリとおどりあがってきたのは、いつのまにここへきたのか、さっきまで采配(さいはい)をとって敵陣(てきじん)にすがたをみせていた小幡民部(こばたみんぶ)であった。
「あッ」
 さすがの彼女もびっくりして、丘(おか)のあなたへ走りだすと、そのまえに、四天王(てんのう)の佐分利五郎次(さぶりごろうじ)が、八、九人の武士(ぶし)とともに、槍(やり)ぶすまをつくってあらわれた。ハッと思って横へまわれば、そこからも、不意にワーッと鬨(とき)の声があがった。うしろへ抜けようとすればそこにも敵。
 いまはもう四面(めん)楚歌(そか)だ。絶望(ぜつぼう)の胸をいだいて、立ちすくんでしまうよりほかなかった。とみるまに、丘の上は穴山方(あなやまがた)の薙刀(なぎなた)や太刀(たち)で、まるで剣をうえた林か、針(はり)の山のように、いっぱいにうずまってしまった。
「咲耶子(さくやこ)、咲耶子、もういかにもがいても、この八門(もん)鉄壁(てっぺき)のなかからのがれることはできぬぞ、神妙(しんみょう)に縄(なわ)にかかッてしまえ」
 小幡民部(こばたみんぶ)は、声をはげましてそういった。
 無念(むねん)そうに、唇(くちびる)をかみしめていた咲耶子は、ふたたびかくれた野武士(のぶし)たちを呼(よ)びだすつもりか、帯(おび)のあいだの横笛をひきぬいて、さッと、ふりあげようとしたが、その一瞬(しゅん)、
「えい、不敵な女め」
 佐分利五郎次(さぶりごろうじ)が、飛びかかるが早いか、ガラリとその笛を打ちおとすと、とたんに、右からも、走りよった足助主水正(あすけもんどのしょう)が早業(はやわざ)にかけられて、あわれ、野百合(のゆり)のような小娘(こむすめ)は、情(なさ)け容赦(ようしゃ)もなくねじあげられてしまった。

 たったひとりの少女を生けどるのに四天王(てんのう)ともある者や、多くの荒武者(あらむしゃ)が総がかりとなったのは、大人(おとな)げないと恥(は)ずべきであるのに、かれらは大将の首でもとったように、ワッと、勝鬨(かちどき)をあげながら、丘(おか)の上からおりていった。
 まもなく、馬前(ばぜん)へひッ立てられてきた咲耶子(さくやこ)をひとめ見た梅雪入道(ばいせつにゅうどう)は、鞍(くら)の上からはッたとにらみつけて、
「こりゃ小娘ッ、ようも汝(なんじ)は、道しるべをいたすなどともうして、思うさまこの方(ほう)をなぶりおったな。いまこそ、その細首をぶち落としてくれるから待っておれ」
 面(おもて)に朱(しゅ)をそそいで、鞍(くら)の上からののしったのち、
「民蔵(たみぞう)民蔵」とはげしく呼び立てた。
「はッ」と走りだした小幡民部(こばたみんぶ)は、チラと、入道のおもてを見ながら片手をつかえた。
「なんぞご用でござりまするか」
「おお民蔵か、あっぱれなそのほうの軍配(ぐんばい)ぶり、褒美(ほうび)は帰国のうえじゅうぶんにとらすであろう、ところで、不敵なこの小娘、生かしておけぬ、そちに太刀とりをもうしつくるほどに、余(よ)が面前で、血祭(ちまつ)りにせい」
「あいや、それはしばしご猶予(ゆうよ)ねがいまする」
「なに、待てともうすか」
「御意(ぎょい)にござりまする。いまこの小娘を血祭りにするときは、ふたたびまえにもてあましたる野武士(のぶし)が、復讐(ふくしゅう)に襲(おそ)うてくること必定(ひつじょう)。もとより、千万の野武士があらわれようとて、おそるるところはござらぬが、この小娘をおとりとして、さらに殿のお役に立てようがため、せっかく生捕(いけど)りにいたしたもの、むざむざここで首にいたすのはいかがとぞんじます」
「奇略(きりゃく)にとんだその方(ほう)のことゆえ、なお上策(じょうさく)があればまかせおくが、して、この小娘をおとりにしてどうする所存(しょぞん)であるか」
「秘中(ひちゅう)の秘(ひ)、味方といえども、余人(よじん)のいるところでは、ちともうしかねます」
「もっともじゃ、ではこれへしたためて見せい」
 ヒラリと投げてきたのは一面の軍扇(ぐんせん)。
 民部(みんぶ)は即座(そくざ)に矢立(やたて)をとりよせ、筆をとって、サラサラ八行(ぎょう)の詩(し)を書き、みずから梅雪(ばいせつ)の手もとへ返した。
「どれ」と、入道(にゅうどう)はそれを受けとり、馬上で扇面(せんめん)の文字を読み判(はん)じて――
「む、どこまでもそちは軍師(ぐんし)じゃの」と膝(ひざ)をたたいて、感嘆(かんたん)した。その秘策(ひさく)とは、すなわち、これから馬をすすめて五湖の底にあるという武田家(たけだけ)の宝物(ほうもつ)御旗(みはた)楯無(たてなし)をさぐりだし、同時に、伊那丸(いなまる)をもそこで首にしてしまおうというおそろしい献策(けんさく)。
 じつは穴山梅雪(あなやまばいせつ)も、これから甲斐(かい)の国へはいる時は、武田(たけだ)の残党(ざんとう)もあろうゆえ、伊那丸を首にする場所にも、心をいためていたところだった。しかし、この富士の裾野(すその)なら安心でもあるし、御旗(みはた)楯無(たてなし)の宝物(ほうもつ)まで、手にはいれば一挙両決(いっきょりょうけつ)、こんなうまいことはない。すぐまた都へ取ってかえし、家康(いえやす)から、多大の恩賞(おんしょう)をうけ、そのうえ帰国してもけっしておそくはない。
「そうだ、この小娘もそのとき首にすれば、世話なしというもの……」
 梅雪はとっさにそう思ったらしい、あくまで信じきっている民部(みんぶ)の献策(けんさく)にまかせて、ふたたび郎党(ろうどう)を一列に立てなおし、民部と咲耶子(さくやこ)を先(さき)にして、裾野(すその)を西へ西へとうねっていった。
 そのあいだに民部は、なにごとかひくい声で、咲耶子にささやいたようであった。かしこい彼女は、黙々(もくもく)として聞えぬふりで歩いていたが、その瞳(ひとみ)は、ときどき意外な表情をして民部にそそがれた。そんな、こまかいふたりの挙動(きょどう)は、はるかあとから騎馬(きば)でくる梅雪の目に、べつだんあやしくもうつらなかった。
 やがて、裾野の野道がつきて、長い森林にはいってきた。そこをぬけると、青いさざなみが、木(こ)の間(ま)から見えだした。
「おお湖水(こすい)へでた! 湖(みずうみ)が見えた!」
 軍兵(ぐんぴょう)どもは、沙漠(さばく)に泉(いずみ)を見つけたように口々に声をもらした。そのほとりには、小さな社(やしろ)があるのも目についた。つかつかと社の前へあゆみ寄った小幡民部(こばたみんぶ)は、「白旗(しらはた)の宮(みや)」とあるそこの額(がく)を見あげながら、口のうちで、「白旗の宮? ……源家(げんけ)にゆかりのありそうな……」とつぶやいて小首をかしげたが、ふいと向きなおって、こんどはおそろしい血相(けっそう)で、咲耶子(さくやこ)をただしはじめた。
「これッ。武田家(たけだけ)の宝物(ほうもつ)をしずめた湖水は、ここにそういあるまい、うそいつわりをもうすと、痛(いた)いめにあわすぞ、どうじゃ!」
「は、はい……」咲耶子は、にわかに神妙(しんみょう)になって、そこへひざまずいた。
「もうお隠(かく)しもうしても、かなわぬところでござります。おっしゃるとおり、御旗(みはた)楯無(たてなし)の宝物は、石櫃(いしびつ)におさめて、この湖(みずうみ)のそこに沈めてあるにそういありませぬ」
「まったくそれにちがいないか!」
「神かけていつわりはもうしませぬ」
「よし、よく白状(はくじょう)いたした。おお殿(との)さま。ただいまのことばをお聞きなされましたか」
 ちょうどそこへ、おくればせに着いた梅雪(ばいせつ)のすがたをみて、民部が、こういいながら馬上を見上げると、かれは笑(え)つぼに入(い)ってうなずいた。
「聞いた。かれのもうすところたしかとすれば、すぐ湖水からひきあげる手くばりせい」
「はッ、かしこまりました」
 民部はいさみ立ったさまをみせて、郎党(ろうどう)たちを八ぽうへ走らせた。まもなく、地理にあかるい土着(どちゃく)の里人(さとびと)が、何十人となくここへ召集されてきた。そして、狩(か)りだされてきた里人や郎党(ろうどう)は、多くの小船に乗りわかれて、湖水の底へ鈎綱(かぎづな)をおろしながら、あちらこちらと漕(こ)ぎまわった。

 陸(おか)のほうでは穴山梅雪入道(あなやまばいせつにゅうどう)が白旗(しらはた)の宮(みや)のまえに床几(しょうぎ)をすえ、四天王(てんのう)の面々を左右にしたがえて悠然(ゆうぜん)と見ていた。
 と、かれの貪慾(どんよく)な相好(そうごう)がニヤニヤ笑(え)みくずれてきた。――湖水の中心では、いましも鈎(かぎ)にかかった獲物(えもの)があったらしい。多くの小船は、たちまちそこに集まって鈎(かぎ)をおろし、エイヤエイヤの声をあわせて、だんだんと浅瀬(あさせ)のほうへひきずってくるようすだ。
 伊那丸(いなまる)と忍剣(にんけん)が智慧(ちえ)をしぼって世の中からかくしておいた宝物(ほうもつ)も、こうして、苦もなく発見されてしまった。まもなく梅雪入道の床几の前へ運ばれてきたものは、真青(まっさお)に水苔(みずごけ)さびたその石櫃(いしびつ)。
「殿さま、ご苦心のかいあって、いよいよご開運の秘宝(ひほう)もめでたく手に入りました。祝着(しゅうちゃく)にぞんじまする」
 里人たちに恩賞(おんしょう)をやって追いかえしたのち、民部(みんぶ)はそばから祝(いわ)いのことばをのべた。
「そのほうの手柄(てがら)は忘れはおかぬぞ。この宝物に伊那丸の首をそえてさしだせば、いかにけちな家康(いえやす)でも、一万石(ごく)や二万石(ごく)の城地(じょうち)は、いやでも加増するであろう。そのあかつきには、そのほうもじゅうぶんに取りたて得(え)さす」
「かたじけのうぞんじます。しかし、お望みの物が手にはいったからは、いっこくもご猶予(ゆうよ)は無用、この場で伊那丸(いなまる)を首にいたし、あの鎖駕籠(くさりかご)へは宝物のほうを入れかえにして、寸時もはやく家康公(いえやすこう)へおとどけあるが上分別(じょうふんべつ)とこころえます」
「おお、きょうのような吉日(きちじつ)はまたとない。いかにもこの場できゃつを成敗(せいばい)いたそう、その介錯(かいしゃく)もそちに命じる! ぬかるな!」
「はッ、心してつとめます」
 梅雪(ばいせつ)の目くばせに、きッとなって立ちあがった民部(みんぶ)はすばやく下緒(さげお)を取って襷(たすき)となし、刀のつかにしめりをくれた。そのまに、二、三人の郎党(ろうどう)は、小船の板子(いたご)を四、五枚はずしてきて、武田伊那丸(たけだいなまる)の死の座(ざ)をもうけた。
「これこれ、せんこくの小娘もことのついでじゃ。そこへならべて、民蔵(たみぞう)の腕だめしにさせい。旅の一興(きょう)に見物いたすもよかろうではないか」
 宮(みや)の根(ね)もとにくくりつけられていた咲耶子(さくやこ)は、罪人のように追ったてられて、板子(いたご)のならべてあるとなりへすえられた。彼女は、もうすっかり覚悟を決めてしまったか、ほつれ髪もおののかせず、白百合(しらゆり)の花そのままな顔をしずかにうつむけている。
 いっぽうでは、鎧(よろい)の音をさせて、ずかずかと迫っていった四天王(てんのう)の面々が、例の鎖駕籠(くさりかご)のまわりへ集まり、乗物の上からかぶせてある鉄の網(あみ)をザラザラとはずしはじめた。
 長い道中のあいだ日のめを見ることなく、乗物のうちにゆられてきた伊那丸は、いよいよ運命の最後を宣告され、悪魔(あくま)の断刀(だんとう)をうけねばならぬこととなった。四天王(てんのう)の天野刑部(あまのぎょうぶ)は、ガチャリ、ガチャリと荒々しく錠(じょう)の音をさせて、駕籠(かご)の引き手をグイとおし開(あ)け、
「伊那丸(いなまる)、これへでませいッ」と、涙もなく、ただの罪人でも呼びだすようにどなった。
 が――駕籠(かご)のなかは、ひっそりとして音もない。
「やい、伊那丸、さッさとこれへでてうせぬか」
 猪子伴作(いのこばんさく)は、次にこうわめきながら、駕籠の扉口(とぐち)を土足(どそく)ではげしくけとばした。と、足(あし)もとが、不意に軽くすくわれたので、伴作はあッといってうしろへよろめく。
 すわ!
 殺気はたちまちそこにはりつめた。天野(あまの)、佐分利(さぶり)、足助(あすけ)の三人は、陣刀(じんとう)のつかを握(にぎ)りしめつつ、駕籠口(かごぐち)へ身がまえた。

「おお夜が明けたようだ……」
 つぶやく声といっしょに、伊那丸のすがたは、しずかにそこへあらわれた。じたばたすると思いのほか、落ちつきはらったようすに、四天王の者どもはやや拍子(ひょうし)ぬけがしたらしい。
「歩けッ」
 左右からせきたてて、小船の板子(いたご)をしいた死の座(ざ)へ伊那丸(いなまる)をひかえさせた。そして床几(しょうぎ)にかけた梅雪(ばいせつ)に目礼(もくれい)をしてひきさがる。
「おッ、伊那丸さま――」
「あ! そなたは」
 席をならべて伊那丸と咲耶子(さくやこ)は、たがいにはッとしたが、彼女は、せつなに顔をそむけ、なにげないようすをした。で伊那丸も、さまざまな疑惑(ぎわく)に胸をつつまれながら、眸(ひとみ)をそらして、こんどはきっと、入道(にゅうどう)の顔をにらみつけた。――梅雪(ばいせつ)もまけずに、
「こりゃ伊那丸、さだめし今まで窮屈(きゅうくつ)であったろうが、いますぐ楽(らく)にさせてくれる。この世の見おさめに、泣くとも笑うとも、ぞんぶんに狂って見るがいい」
 と、にくにくしい毒口(どくぐち)をたたいた。
「さて大人気(おとなげ)ない武者(むしゃ)どもよ――」
 伊那丸は声もすずしくあざわらって、
「わしひとりの命(いのち)をとるのに、なんとぎょうぎょうしいことであろう。冥土(めいど)におわす祖父(そふ)信玄(しんげん)やその他の武将たちによい土産話(みやげばなし)、甲州侍(こうしゅうざむらい)のなかにも、こんな卑劣者(ひれつもの)があったと笑うてやろう!」
「えい、口がしこいやつめ、民蔵(たみぞう)、早々(そうそう)この童(わっぱ)の息のねをとめてしまえ!」
 梅雪は、号令(ごうれい)した。
 声におうじて、
「はッ」と、武者(むしゃ)ぶるいして立ちあがった民部(みんぶ)は、伊那丸(いなまる)のうしろへまわって、ピタリと体をきめ、見る目もさむき業刀(わざもの)をスラリと腰からひきぬいた。
「お覚悟(かくご)なさい! 太刀取(たちと)りの民蔵(たみぞう)が君命によってみ首(しるし)はもうしうけた」
「…………」
 覚悟――それは伊那丸にとっていまさらのことではない。かれは一糸(し)とりみだすさまもなく、観念の眼をふさいでいる。
 正面(しょうめん)の梅雪入道(ばいせつにゅうどう)をはじめ、四天王(てんのう)以下の大衆も、かたずをのんで、民部の太刀と伊那丸のようすとを見くらべていた。
 湖水の波も心あるか、冷(つめ)たい風を吹きおこして、松の梢(こずえ)にかなしむかと思われ、陽(ひ)も雲のうちにかくされて、天地は一瞬(しゅん)、ひそとした。
 そのとき、民部の口からかすかな声。
「八幡(はちまん)」
 水もたまらぬ太刀をふりかぶッて、伊那丸の白い頸(くび)をねらいすました。――と、そのするどい眼気(がんき)が、キラと動いたと見えた一瞬、
「ええいッ!」
 武田伊那丸(たけだいなまる)の首が落ちたかとおもうと、なにごとぞ、梅雪のまッこうめがけて、とびかかった小幡民部(こばたみんぶ)、
「悪逆無道(あくぎゃくむどう)の穴山入道(あなやまにゅうどう)、天罰(てんばつ)の明刀(めいとう)をくらえ!」
 耳をつんざく声だった。
 ふいをくった梅雪(ばいせつ)は、ぎょうてんして身をさけようとしたが、ヒュッと、眉間(みけん)をかすめた剣光(けんこう)に眼もくらんで、
「わーッ」額(ひたい)の血しおを両手でおさえたまま、床几(しょうぎ)のうしろへもんどり打ってぶッたおれた。
「曲者(くせもの)」愕然(がくぜん)と、おどりあがった四天王(てんのう)たち。同時に、その余(よ)の群猛(ぐんもう)も渦(うず)をまいて、
「うぬッ、気が狂(くる)ったかッ」
「裏切者(うらぎりもの)ッ――退(の)くな」
 とばかり、一どに総立(そうだ)ちになるやいなや、民部(みんぶ)の上へ、どッとなだれを打ってきた剣(つるぎ)の怒濤(どとう)。

 梅雪入道は、みだれ立つ郎党(ろうどう)たちの足もとを、逃げまわりながら、
「曲者は武田(たけだ)の残党(ざんとう)だッ。伊那丸(いなまる)を逃がすなッ」
 と絶叫(ぜっきょう)した。
 民部(みんぶ)はその姿をおって、
「おのれッ」
 無(む)二無(む)三に斬(き)りつけようとしたが、佐分利五郎次(さぶりごろうじ)にささえられ、じゃまなッ、とばかりはねとばす。そのあいだに、天野(あまの)、猪子(いのこ)、足助(あすけ)などが、鉾先(ほこさき)をそろえてきたため、みすみす長蛇(ちょうだ)を逸(いっ)しながら、それと戦わねばならなかった。
 いっぽう、民部にかかりあつまった雑兵(ぞうひょう)は、伊那丸(いなまる)のほうへ、バラバラと、かけ集まったが、それよりまえに、咲耶子(さくやこ)が、腰の縄(なわ)を切るがはやいか、伊那丸の手をとって、
「若君。早く早く」
 と、よりたかる武者(むしゃ)二、三人を斬りふせながらせきたてた。
 とたんに背(せ)なかから、一人の武者がかぶりついた。伊那丸は身をねじって、ドンと前へ投げつけ、かれのおとした陣刀をひろいとるがはやいか、近よる一人の足をはらって、さらに、咲耶子へ槍(やり)をつけていた武者を斬ってすてた。
 すべては一瞬(しゅん)の間(あいだ)だった。
 伊那丸じしんですら、じぶんでどう動いたかわからない。穴山(あなやま)がたの郎党(ろうどう)も、たがいに目から火をだしての狼狽(ろうばい)だった。そして白熱戦の一瞬がすぎると、だれしも命(いのち)は惜(お)しく、八ぽうへワッと飛びのく。――
 ひらかれた中心にあるのは、伊那丸と咲耶子とである。二人は背なかあわせに立って、血ぬられた陣刀と懐剣(かいけん)を二方にきっとかまえている。
 目にあまるほどの敵も、うかと近よる者もない。ただわアわアと武者声(むしゃごえ)をあげていた。すると、あなたから加勢にきた四天王(てんのう)の足助主水正(あすけもんどのしょう)。
「えい、これしきの敵にひまどることがあろうか」
 大身(おおみ)の槍(やり)に行き足つけて、伊那丸(いなまる)の真正面へ、タタタタタッ、とばかりくりだした。
 伊那丸の身は、その槍先(やりさき)に田楽刺(でんがくざ)しと思われたが、さッとかわしたせつな、槍は伊那丸の胸をかすって流るること四、五尺。
「あッ」
 片足を宙(ちゅう)にあげてのめりこんだ主水正、しまッたと槍をくりもどしたが、時すでに、ズンとおりた伊那丸の太刀(たち)に千段(だん)を切りおとされて、無念(むねん)、手にのこったのは穂(ほ)をうしなった半分の柄(え)ばかり。
「やッ」
 捨鉢(すてばち)に柄を投げつけた。そして陣刀をぬきはらったが、たびたびの血戦になれた伊那丸は、とっさに咲耶子と力をあわせ、いっぽうの雑兵(ぞうひょう)をきりちらして、湖畔(こはん)のほうへ疾風(しっぷう)のようにかけだした。

 そこには、白旗(しらはた)の宮(みや)のまえから、追いつ追われつしてきた小幡民部(こばたみんぶ)が、穴山(あなやま)の旗本(はたもと)雑兵(ぞうひょう)を八面にうけて、今や必死(ひっし)に斬(き)りむすんでいる。
 しかし、小幡民部(こばたみんぶ)は、こうした斬合(きりあい)はごく不得手(ふえて)であった。太刀(たち)をもって人にあたることは、かれのよくすることではない。
 けれど、軍配(ぐんばい)をもって陣頭(じんとう)に立てば、孫呉(そんご)のおもかげをみるごとくであり、帷幕(いばく)に計略をめぐらせば、孔明(こうめい)も三舎(しゃ)を避ける小幡民部が、太刀打(たちう)ちが下手(へた)だからといっても、けっしてなんの恥ではない。かれの偉(えら)さがひくくなるものではない。民部の本領(ほんりょう)はどこまでも、奇策無双(きさくむそう)な軍学家というところにあるのだから。
 だが、それほど智恵(ちえ)のある民部が、なんで、こんな苦しい血戦をみずからもとめ、みずから不得手な太刀を持って斬りむすぶようなことをしたのであろう。なぜ、もっといい機会をねらって、らくらくと伊那丸(いなまる)を救(すく)わないのか。
 民部ははじめ、こう考えた。
 穴山梅雪(あなやまばいせつ)の領内(りょうない)、甲州北郡(きたごおり)の土地へはいってからでは、伊那丸を助けることはよういであるまい。これはなんでも途中において目的をはたしてしまうのにかぎる。――でかれは、出発にさきだって鞍馬(くらま)の果心居士(かしんこじ)、小太郎山(こたろうざん)の龍太郎(りゅうたろう)、小文治(こぶんじ)などの同志(どうし)へ通牒(つうちょう)をとばしておいた。
 ところが、裾野(すその)へかかってきた第一日に、咲耶子(さくやこ)という意外なものがあらわれた。かれは少女のふしぎな行動を見て、ははアこれは伊那丸君(いなまるぎみ)を救おうという者だナ、と直覚したが、なにしろ、梅雪の警固(けいご)には、四天王(てんのう)をはじめ、手ごわい旗本(はたもと)や郎党(ろうどう)が百人近くもついているので、あくまで入道(にゅうどう)をゆだんさせるため、奇計をもって咲耶子(さくやこ)を生けどり、なお、心ひそかに、待つ者がくるひまつぶしに、この湖水までおびきよせたのだ。
 ところが、民部(みんぶ)の心まちにしている人々は、いまもってすがたが見えない。――で、いまは最後の手段があるばかりと、途中で咲耶子にもささやいておいたとおりな、驚天動地(きょうてんどうち)の火ぶたを切ったのである。
 致命傷(ちめいしょう)にはなるまいが、怨敵(おんてき)梅雪(ばいせつ)へは、たしかに一太刀(ひとたち)手ごたえをくれてあるから、このうえはどうかして、一ぽうの血路をひらき、伊那丸君(いなまるぎみ)をすくいだそうと民部は心にあせった。しかし、まえにも、いったとおり、剣(けん)を持っては万夫不当(ばんぷふとう)のかれではないから、無念(むねん)や、そこへ追われてきた伊那丸と咲耶子のすがたを見ながら、四天王(てんのう)の天野、猪子、佐分利などにささえられて近よることもできない。
 それどころか、いまは民部のじぶんがすでにあぶないありさま。
 天野刑部(あまのぎょうぶ)は月山流(げつざんりゅう)の達者(たっしゃ)とて、刃渡(はわた)り一尺(しゃく)四寸(すん)の鉈薙刀(なたなぎなた)をふるってりゅうりゅうとせまり、佐分利五郎次(さぶりごろうじ)は陣刀せんせんと斬(き)りつけてくる。その一人にも当りがたい民部は、はッはッと火のような息を吐(は)きながら、受けつ、逃げつ、かわしつしていたが、一ぽうは湖(みずうみ)、だんだんと波のきわまで追いつめられて、もうまったく袋(ふくろ)のねずみだ、背水(はいすい)の陣にたおれるよりほかない。
「よしッ、もうこのほうはひきうけた。猪子伴作(いのこばんさく)は伊那丸のほうへいってくれ」
「おお承知(しょうち)した」
 天野刑部(あまのぎょうぶ)の声にこたえた伴作(ばんさく)は、笹穂(ささほ)の槍(やり)をヒラリと返して、一ぽうへ加勢にむかった。ところへ、いっさんにかけだしてきたのは伊那丸(いなまる)と咲耶子(さくやこ)、そうほうバッタリと出会いながら、ものをいわず七、八合(ごう)槍(やり)と太刀の秘術(ひじゅつ)をくらべて斬りむすんだが、たちまち、うしろから足助主水正(あすけもんどのしょう)、その他の郎党(ろうどう)が嵐のような勢いで殺到した。
 あなたでは民部(みんぶ)の苦戦、ここでは伊那丸と咲耶子が、腹背(ふくはい)の敵にはさみ討ちとされている。二ヵ所の狂瀾(きょうらん)はすさまじい旋風(せんぷう)のごとく、たばしる血汐(ちしお)、丁々(ちょうちょう)ときらめく刃(やいば)、目も開(あ)けられない修羅(しゅら)の血戦。
 三つの命は刻々(こっこく)とせまった。
 そのころから、秀麗(しゅうれい)な富士の山肌(やまはだ)に、一抹(まつ)の墨(すみ)がなすられてきた、――と見るまに、黒雲の帯(おび)はむくむくとはてなくひろがり、やがて風さえ生じて、澄(す)みわたっていた空いちめんにさわがしい色を呈(てい)してきた。
 雲団々(くもだんだん)、陽(ひ)はたちまち暗く、たちまち、ぱッと明るく、明暗たちどころにかわる空の変化はいちいち下界(げかい)にもうつって、修羅(しゅら)のさけびをあげている湖畔(こはん)の渦(うず)は、しんに凄愴(せいそう)、極致(きょくち)の壮絶(そうぜつ)、なんといいあらわすべきことばもない。
 おりしもあれ!
 はるか湖水の南岸に、ポチリと見えだした一点の人影。
 画面点景(がめんてんけい)の寸馬豆人(すんばとうじん)そのまま、人も小さく馬も小さくしか見えないが、たしかに流星のごときはやさで湖畔(こはん)をはしってくる。それが、空の明るくなった時はくッきりと見え、陽(ひ)がかげるとともに、暗澹(あんたん)たる蘆(あし)のそよぎに見えなくなる。
 そも何者?
 おお、いよいよ奔馬(ほんば)は近づいてきた。しかもそれは一騎(き)ではない。あとからつづくもう一騎がある。
 いや、さらにまた一騎。
 まさしくここへさしてくる者は三騎の勇士だ。そのはやきこと疾風(しっぷう)、その軽きことかける天馬(てんば)かとあやしまれる。

 わーッ、わーッと湖畔(こはん)にあがったどよみごえ。
 さては伊那丸(いなまる)がとらえられたか、咲耶子(さくやこ)が斬られたか、あるいは、小幡民部(こばたみんぶ)がたおれたのであろうか。
 いやいや、そうではなかった。――一声(ひとこえ)たかくいなないた駒(こま)のすがたが、忽然(こつねん)とそこへあらわれたがため。
 まッ先におどりこんできたのは、高尾の神馬(しんめ)、月毛(つきげ)の鞍(くら)にまたがった加賀見忍剣(かがみにんけん)、例の禅杖(ぜんじょう)をふりかぶって真一文字(まいちもんじ)に、
「やあやあ、お心づよくあそばせや伊那丸(いなまる)さま! 加賀見忍剣、ただいまこれへかけつけましたるぞッ。いでこのうえは穴山(あなやま)一族(ぞく)のヘロヘロ武者(むしゃ)ども、この忍剣の降魔(ごうま)の禅杖をくらってくたばれ!」
 天雷(てんらい)くだるかの大音声(だいおんじょう)。
 むらがる剣(つるぎ)を雑草ともおもわず、押しかかる槍(やり)ぶすまを枯(か)れ木のごとくうちはらって、縦横無尽(じゅうおうむじん)とあばれまわる怪力(かいりき)は、さながら金剛力士(こんごうりきし)か、天魔神(てんまじん)か。
 時をおかず、またもやこの一角(かく)へ、どッと黒鹿毛(くろかげ)の馬首(ばしゅ)をつッこんできたのは、これなん戒刀(かいとう)の名人木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)、つづいて、朱柄(あかえ)の槍(やり)をとっては玄妙無比(げんみょうむひ)な巽小文治(たつみこぶんじ)のふたり。
 紫白(しはく)の手綱(たづな)を、左手(ゆんで)に引きしぼり、右手(めて)に使いなれた無反(むぞ)りの一剣(けん)をひっさげた龍太郎は、声もたからかに、
「それにおいであるのは小幡民部殿(こばたみんぶどの)か。木隠龍太郎、小太郎山(こたろうざん)よりただいまご助勢(じょせい)にかけむかってまいったり。木(こ)ッ葉(ぱ)武者(むしゃ)どもは、拙者(せっしゃ)がたしかに引きうけもうしたぞ」
 黒鹿毛の蹄(ひづめ)をあげて、無(む)二無(む)三にかけちらしながら、はやくも鞍上(あんじょう)の高きところより、右に左に、戒刀(かいとう)をふるって血煙(ちけむり)をあげる。
「いかに穴山入道(あなやまにゅうどう)はいずれにある。巽小文治が見参(げんざん)、卑劣者(ひれつもの)よ、いずれにまいったか」
 十方(ぽう)自在(じざい)の妙槍(みょうそう)をひッ抱(かか)え、馬に泡(あわ)をかませながら、乱軍のうちを血眼(ちまなこ)になって走りまわっていたのは小文治である。
「うぬ、小ざかしい、いいぐさ」
 その姿をチラと見て、まッしぐらにかけよってきた四天王(てんのう)の猪子伴作(いのこばんさく)は怒喝(どかつ)一番、
「素浪人(すろうにん)ッ」
 さッと下から笹穂(ささほ)の槍(やり)を突きあげた。
「おうッ」と横にはらって返した朱柄(あかえ)の槍(やり)。
 人交(ひとま)ぜもせずに、一騎(き)打ちとなった槍(やり)と槍(やり)は、閃光(せんこう)するどく、上々下々、秘練(ひれん)を戦わせていたが、たちまち、朱柄(あかえ)の槍(やり)さきにかかって、猪子伴作(いのこばんさく)は田楽刺(でんがくざ)しとなって、草むらのなかへ投げとばされた。
 と、白旗(しらはた)の宮(みや)の裏(うら)から、よろばいだした法師武者(ほうしむしゃ)がある。こなたの混乱(こんらん)に乗じて、そこなる馬に飛びつくや否(いな)、死にものぐるいであなたへむかって走りだした。
 オオそれこそ、さきに一太刀うけて、さわぎのうちにどこかへもぐりこんでいた梅雪入道(ばいせつにゅうどう)ではないか。
「やッ、きゃつめ!」
 こなたにあって、天野刑部(あまのぎょうぶ)の大薙刀(おおなぎなた)と渡りあっていた木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)は、奮然(ふんぜん)と、刑部を一刀の下(もと)に斬(き)ってすて、梅雪の跡(あと)からどこまでも追いかけた。
 ピシリ、ピシリ、ピシリ! 戒刀(かいとう)の平(ひら)を鞭(むち)にして追いとぶこと一町(ちょう)、二町、三町……だんだんと近づいて、すでに敵のすがたをあいさることわずかに十七、八間(けん)。
 すると、何者が切ってはなしたのか、梅雪の馬のわき腹へグサと立った一本の矢、いななく声とともに、人もろとも馬はどうと屏風(びょうぶ)だおれとなった。
 行く手の丘に小高いところがあった。そこの松の切株(きりかぶ)の上に立っていたひとりの武芸者(ぶげいしゃ)は、いななく馬の声をきくと、弓を小わきに持ってヒラリと飛びおりてきた。

 征矢(そや)にくるった馬の上から、もんどり打っておとされた穴山梅雪(あなやまばいせつ)は、朱(あけ)にそんだ身を草むらのなかより起すがはやいか、無我夢中(むがむちゅう)のさまで、道もない雑木帯(ぞうきたい)へ逃げこんだ。
 しずかなること一瞬(しゅん)、たちまち、パパパパパパパッ! と地を打ってきた蹄鉄(ていてつ)のひびき、天馬飛空(てんばひくう)のような勢いをもって乗りつけてきたのは木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)である。怨敵(おんてき)梅雪が道なきしげみへ逃(に)げこんだと見るや、ヒラリと黒鹿毛(くろかげ)を乗りすてて右手(めて)なる戒刀(かいとう)を引ッさげたまま、
「卑怯(ひきょう)なやつ、未練なやつ、一国の主(あるじ)ともあろうものが恥(はじ)を知れや、かえせ梅雪! かえせ梅雪!」
 と呼(よ)ばわりながら、身を没(ぼっ)するような熊笹(くまざさ)のなかを追いのぼっていった。
 だが、梅雪のほうはそれに耳をかすどころでなく、命(いのち)が助かりたいの一心で、丘のいただき近くまでよじのぼってくると、不意に目の前へ、猿(さる)かむささびか雷鳥(らいちょう)か、上なる岩のいただきから一足(そく)とびにぱッととびおりてきたものがある。
「あッ」
 おびえきっている梅雪の心は、ふたたびギョッとして立ちすくんだけれど、ふと驚異(きょうい)のものを見なおすとともに、これこそ天来(てんらい)のすくいか、地獄(じごく)に仏(ほとけ)かとこおどりした。それはたくましい重籐(しげどう)の弓を小わきに持った若い、そしてりんりんたる武芸者(ぶげいしゃ)であるから。
 梅雪は本能的(ほんのうてき)にさけんだ。
「おおよいところで! 余(よ)は甲州北郡(きたごおり)の領主(りょうしゅ)穴山梅雪(あなやまばいせつ)じゃ、いまわしのあとより追いかけてくる裾野(すその)の盗賊(とうぞく)どもを防いでくれ、この難儀(なんぎ)を救(すく)うてくれたら、千石(ごく)二千石(ごく)の旗本にも取り立て得させよう。いいや恩賞は望みしだい!」
「さては遠くから見た目にたがわず、そのほうが穴山梅雪入道か」
「かかる姿をしているからとて疑うな、余(よ)がその梅雪にちがいないのじゃ、そちが一生の出世(しゅっせ)の蔓(つる)は、いまとせまったわしの危急(ききゅう)を救(すく)ってくれることにあるぞ」
「だまれ、やかましいわいッ」わかき武芸者(ぶげいしゃ)は、その頬(ほお)ぺたをはりつけんばかりにどなりつけて、
「音にひびいた甲州の悪入道。よしやどれほどの宝(たから)を捧(ささ)げてこようと、なんで汝(なんじ)らごとき犬侍(いぬざむらい)のくされ扶持(ぶち)をうけようか、たいがいこんなことであろうと、汝(なんじ)の逃足(にげあし)へ遠矢を射(い)たのはかくもうすそれがしなのだ」
「げッ、さてはおのれも」
 絶望、驚愕(きょうがく)、憤怒(ふんぬ)!
 奈落(ならく)へ突きのめされた梅雪は、あたかも虎穴(こけつ)をのがれんとして、龍淵(りゅうえん)におちたような破滅(はめつ)とはなった。もうこのうえはいちかばちか、命(いのち)はただそれ自分をたのむことにあるのみだ。
「うーム。ようもじゃま立てをいたしたな! 老(お)いたりといえども穴山梅雪(あなやまばいせつ)、その素(そ)ッ首をはねとばしてくれよう」
「ハハハハハハ、片腹(かたはら)いたい臆病者(おくびょうもの)のたわ言(ごと)こそ、あわれあわれ、もう汝(なんじ)の天命は、ここにつきているのだ、男らしく観念してしまえ」
「エエ、いわしておけば」
 死身(しにみ)の勇を奮(ふる)いおこした梅雪の手は、かッと、陣刀の柄(つか)に鳴って、あなや、皎刀(こうとう)の鞘(さや)ばしッて飛びくること六、七尺(しゃく)! オオッとばかり、武芸者(ぶげいしゃ)のまッこうのぞんで斬り下げてきた。
「笑止(しょうし)や、蟷螂(とうろう)の斧(おの)だ」
 ニヤリと笑った若き武芸者は、さわぐ気色(けしき)もなく身をかわして、左手(ゆんで)に持った弓の弦(つる)がヒューッと鳴るほどたたきつけた。
「あッ」と梅雪は二の太刀を狂わせ、熊笹(くまざさ)の根につまずいてよろよろとした。
「老いぼれ」
 すかさずその襟(えり)がみをムズとつかんだ武芸者は、その時ガサガサと丘の下からかけあがってくる木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)の姿(すがた)をみとめた。
「あいや、それへおいであるのは、武田伊那丸君(たけだいなまるぎみ)のお身内(みうち)でござらぬか」
「オオ!」
 びっくりして、高き岩頭をふりあおいだ龍太郎は、見なれぬ武芸者(ぶげいしゃ)のことばをあやしみながら、
「いかにも、伊那丸さまのお傅人(もりびと)、木隠龍太郎という者でござるが、もしや、貴殿(きでん)は、このなかへ逃げこんだ血まみれなる法師武者(ほうしむしゃ)のすがたをお見かけではなかったか」
「その入道なれば、わざわざこれまでお登りなさるまでもないこと」
「や! では、そこにおさえているやつが?」
「オオ、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)が伊那丸君へ、初見参(ういげんざん)のごあいさつがわりに、ただいまそれへおとどけもうすでござろう」
 いうかと思えば、若き武芸者――それはかの近江(おうみ)の住人山県蔦之助――カラリと左手の弓を投げすてて、梅雪入道(ばいせつにゅうどう)の体に双手(もろて)をかけ、なんの苦もなくゆらッとばかり目の上にさしあげて、
「それ、お受けあれや龍太郎どの!」声と一しょに梅雪の体を、丘(おか)の下へ、投げとばしてきた。

 スポーンと紅葉(こうよう)の茂(しげ)りへおちた梅雪(ばいせつ)のからだは、※(「毬」の「求」に代えて「鞠のつくり」、第4水準2-78-13)(まり)のごとくころがりだして、土とともに、ゴロゴロと熊笹(くまざさ)の崖(がけ)をころがってきた。龍太郎(りゅうたろう)は、心得たりと引ッつかんで、さらに上なる人をあおぎながら、
「山県蔦之助(やまがたつたのすけ)どのとやら、まことにかたじけのうござった。そもいかなるお人かぞんじませぬが、おことばに甘えて初見参(ういげんざん)のお引出(ひきで)もの、たしかにちょうだいつかまつった。お礼(れい)は伊那丸(いなまる)さまのご前にまいったうえにて」
「拙者(せっしゃ)もすぐあとよりつづきますゆえ、なにぶん、君へのお引合わせを」
「委細承知(いさいしょうち)、はや、まいられい!」
 ヘトヘトになった梅雪を小わきにかかえた龍太郎は、さっき乗りすててきた駒(こま)のところへと、いっさんにかけおりていった。
 と、同時に、上からも身軽(みがる)にヒラリヒラリと飛びおりてきた蔦之助。
 龍太郎は、黒鹿毛(くろかげ)にまたがって、鞍壺(くらつぼ)のわきへ、梅雪をひッつるし、一鞭(ひとむち)くれて走りだすと、山県蔦之助も、遅(おく)れじものと、つづいていく。
 一ぽう、白旗(しらはた)の宮(みや)の前では、穴山(あなやま)の郎党(ろうどう)たちは、すでにひとりとして影を見せなかった。そこには凱歌(がいか)をあげた忍剣(にんけん)、小文治(こぶんじ)、民部(みんぶ)、咲耶子(さくやこ)などが、あらためて、伊那丸を宮の階段(かいだん)に腰かけさせ、無事をよろこんでほッと一息ついていた。人々のすがたはみな、紅葉(もみじ)を浴(あ)びたように、点々の血汐(ちしお)を染(そ)めていた。勇壮といわんか凄美(せいび)といわんか、あらわすべきことばもない。
 なかでも忍剣(にんけん)は、疲れたさまもなく、なお、綽々(しゃくしゃく)たる余裕(よゆう)を禅杖(ぜんじょう)に見せながら、
「木(こ)ッ葉(ぱ)武者はどうでもよいが、当(とう)の敵たる穴山入道(あなやまにゅうどう)を討(う)ちもらしたのは、かえすがえすもざんねんであった。いったいきゃつはどこにうせたか」
「たしかにここで拙者(せっしゃ)が一太刀くれたと思いましたが」
 と小幡民部(こばたみんぶ)も、無念(むねん)なていに見えたけれど、伊那丸(いなまる)はあえて、もとめよともいわず、かえって、みなが気のつかぬところに注意をあたえた。
「それはとにかく龍太郎(りゅうたろう)のすがたが、このなかに見えぬようであるが、どこぞで、傷手(いたで)でもうけているのではあるまいか」
「お、いかにも龍太郎どのが見えぬ」
 一同は入りみだれて、にわかにあたりをたずねだした。すると、咲耶子(さくやこ)は耳ざとく駒(こま)の蹄(ひづめ)を聞きつけて、
「みなさまみなさま。あなたからくるおかたこそ龍太郎さまにそういござりませぬ。オオ、なにやら鞍(くら)わきにひッつるして、みるみるうちにこれへまいります」
「や! ひッさげたるは、たしかに人」
「穴山梅雪(あなやまばいせつ)?」
「オオ、梅雪をつるしてきた」
「龍太郎(りゅうたろう)どの手柄(てがら)じゃ、でかしたり、さすがは木隠(こがくれ)」
 口々にさけびながらかれのすがたを迎えさわぐなかにも、忍剣(にんけん)は、ほとんど児童(わらべ)のように狂喜(きょうき)して、あおぐように手をふりながらおどりあがっている――と見るまに、それにもどってきた龍太郎は、どんと一同のなかへ梅雪(ばいせつ)をほうりやって、手綱(たづな)さばきもあざやかに鞍(くら)の上から飛びおりた。
「それッ」
 待ちかまえていた一同の腕は、期(き)せずして、梅雪のからだにのびる。いまはいやも応(おう)もあらばこそ、みにくい姿をズルズルと伊那丸(いなまる)のまえへ引きだされてきた。
 民部(みんぶ)は、その襟(えり)がみをつかんで、
「入道ッ、面(おもて)をあげろ」と、いった。
「むウ……ム、残念だッ」
 穴山梅雪(あなやまばいせつ)は眉間(みけん)を一太刀(ひとたち)割られているうえに、ここまでのあいだに、いくどとなく投げられたり鞍壺(くらつぼ)にひッつるされたりしてきたので、この世の者とも見えぬ顔色になっていた。

「まて民部、手荒(てあら)なことをいたすまい」
 もっともうらみ多きはずの伊那丸が、意外にもこういったので、民部も忍剣も、意外な顔をした。
 伊那丸(いなまる)はしずかに、階段(かいだん)からおりて、梅雪入道(ばいせつにゅうどう)の手をとり、宮の板縁(いたえん)へ迎えあげて、礼儀ただしてこういった。
「いかに梅雪、いまこそ迷夢(めいむ)がさめたであろう、わしのような少年ですら、甲斐源氏(かいげんじ)を興(おこ)さんものと、ひたすら心をくだいているのに、いかにとはいえ、二十四将の一人に数えられ、武田家(たけだけ)の血統(ちすじ)でもある其許(そこもと)が、あかざる慾のためにこのみにくき末路(まつろ)はなにごと。それでも甲州武士(こうしゅうぶし)かと思えば情けなさに涙がこぼれる。いざ! このうえはいさぎよく自害して、せめて最期(さいご)を清うし、末代(まつだい)未練(みれん)の名を残さぬようにいたすがよい」
「ええうるさいッ」梅雪はもの狂わしげに首をふって、――「余(よ)に自害(じがい)せいとぬかすか、バカなことを!」
「なんと、もがこうが、すでに天運のつきたるいま、のがれることはなるまいが」
「なろうとなるまいと、汝(なんじ)らの知ったことか。こりゃ伊那丸、縁(えん)からいえば汝の父勝頼(かつより)の従弟(いとこ)、年からいっても長上(めうえ)にあたるこの梅雪に、刃(やいば)を向ける気か、それこそ人倫(じんりん)の大罪じゃぞ」
「それゆえにこそこのとおり、礼をただして迎え、自害をすすめ、本分をとげさせんといたすものを、さりとは未練(みれん)なことば」
「いや、もう聞く耳もたぬ」
「では、どうあっても自害せぬか」
「いうまでもない。余は汝(なんじ)らの命(めい)によって、死ぬわけがない。死ぬるのはいやだ!」
「アア、救(すく)いがたき卑劣者(ひれつもの)――」
 伊那丸(いなまる)は空をあおいで長嘆(ちょうたん)してのち、
「このうえはぜひもない……」とつぶやくのを聞いた梅雪(ばいせつ)は、伊那丸の命令がくだらぬうち、先(さき)をこして、やにわに鎧(よろい)どおしをひき抜き、
「童(わっぱ)ッ! 冥途(めいど)の道づれにしてくれる」
 猛然(もうぜん)とおどりかかッて、伊那丸の胸板(むないた)へ突いていったが、ヒラリとかわして凛々(りんりん)たる一喝(かつ)の下(もと)。
「悪魔ッ」
 パッと足もとをはらうと見るまに、五体をうかされた梅雪は、板縁(いたえん)の上から輪(わ)をえがいて下へ落とされた。
「人非人(にんぴにん)、斬ってしまえッ!」伊那丸の命令一下に、
「はッ」
 声におうじてくりだした巽小文治(たつみこぶんじ)の朱柄(あかえ)の槍(やり)、梅雪の体が地にもつかぬうちにサッと突きあげ、ブーンと一ふりふってたたき落とした。そこをまた木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)の一刀に、梅雪の首は、ゴロリと前に落ちた。
「それでよし、死骸(しがい)は湖水の底へ」
 板縁に立って、伊那丸はしずかに目をふさいでいう。
 折から山県蔦之助(やまがたつたのすけ)もかけつけた。あらためて伊那丸(いなまる)に志(こころざし)をのべ、一同にも引きあわされて、一党(とう)のうちへ加わることになった。
 ポツリ、ポツリ、大粒(おおつぶ)の雨がこぼれてきた。空をあおげば団々(だんだん)のちぎれ雲が、南へ南へとおそろしいはやさで飛び、たちまち、灰色の湖水がピカリッ、ピカリッと走ってまわる稲妻(いなずま)のかげ。
 濛々(もうもう)たる白い幕(まく)が、はるか裾野(すその)の一角(かく)から近づいてくるなと見るまに、だんだんに野(の)を消し、ながき渚(なぎさ)を消し、湖水を消して、はや目の前まできた。と思う間もあらせず、ザザザザザザザアーッと盆(ぼん)をくつがえすという、文字どおりな大雨(おおあめ)の襲来(しゅうらい)。
 めでたく穴山梅雪(あなやまばいせつ)を討(う)ちとりはしたが、離散(りさん)して以来のつもる話もあるし、これからさきのそうだんもある折から、爽快(そうかい)なる大雨(たいう)の襲来は、ちょうどいい雨宿(あまやど)りであろうと、一同は、白旗(しらはた)の宮(みや)のあれたる拝殿(はいでん)に入り、そして伊那丸(いなまる)を中心に、しばらく四方(よも)の物語にふけっていた。

 武州(ぶしゅう)高尾(たかお)の峰(みね)から、京は鞍馬山(くらまやま)の僧正谷(そうじょうがたに)まで、たッた半日でとんでかえったおもしろい旅の味(あじ)を、竹童(ちくどう)はとても忘れることができない。
 果心居士(かしんこじ)のまえに、首尾(しゅび)よくすましたお使いの復命(ふくめい)をしたのち、その晩、寝床(ねどこ)にはいったけれども、からだはフワフワ雲の上を飛んでいるような心地、目には、琵琶湖(びわこ)だの伊吹山(いぶきやま)だの東海道の松並木(まつなみき)などがグルグル廻って見えてきて、いくら寝(ね)ようとしても寝られればこそ。
「アアおもしろかったなア、あんな気持のいい思いをしたのは生まれてはじめてだ。お師匠(ししょう)さまは意地悪だから、なかなか飛走の術(じゅつ)なんか教えてくれないけれど、おいらにクロという飛行自在(じざい)な友だちができたから、もう飛走の術なんかいらないや。それにしても今夜はクロはどうしているだろう……天狗(てんぐ)の腰掛松(こしかけまつ)につないできたんだけれど、あそこでおとなしく寝ているかしら、きっとおいらの顔を見たがって啼(な)いてるだろうナ。アアもう一ど、クロの背(せ)なかへ乗ってどこかへ遊びにゆきたい……」
「竹童(ちくどう)竹童」となりの部屋(へや)で果心居士の声がする。
「ハイ」
「ハイじゃあない、なにをこの夜中にブツブツ寝言(ねごと)をいっている。なぜ早く寝ないか」
「ハイ」
 竹童はそら鼾(いびき)をかきだしたが、心はなかなか休まらないで、いよいよ頭脳明晰(ずのうめいせき)になるばかりだ。
「ハハア、竹童のやつめ、鷲(わし)の背なかで旅をした味(あじ)をしめて、なにか心にたくらみおるな。よしよし明日(あす)はひとつなにかでこらしておいてやろう」
 いながらにして百里の先をも見とおす果心居士(かしんこじ)の遠知の術(じゅつ)、となりの部屋(へや)に寝ている竹童(ちくどう)のはらを読むぐらいなことはなんでもない。
 とも知らず、夜が明けるか明けないうちに、亀(かめ)の子(こ)のようにムックリ寝床から首をもたげだした竹童、
「しめた! お師匠(ししょう)さまはあのとおりな鼾(いびき)、いくらなんでも寝ているうちのことは気がつくまい。どれ、今のうちにおいらの羽をのばしてこようか」
 ほそっこい帯(おび)をチョコンとむすび、例の棒切(ぼうき)れを腰にさして、ゆうべ食べのこした木(き)の芽(め)団子(だんご)をムシャムシャほおばりながら、猿(さる)のごとく荘園(そうえん)をぬけだした。
 そのはやいことは、さながら風!
 空にはまだ有明けの月があった。あっちこっちの岩穴(いわあな)からムクムクと白いものを噴(ふ)いている、朝(あさ)の霧(きり)である。竹童のあわい影が平地(へいち)から崖(がけ)へ、崖(がけ)から岩へ、岩から渓流(けいりゅう)へと走っていくほどに、足音におどろかされた狼(おおかみ)や兎(うさぎ)、山鳥などが、かれの足もとからツイツイと右往左往(うおうざおう)に逃げまわる。
 いつもの竹童ならば、こんな場合、すぐ狼を手捕りにする、兎を渓流のなかへほうりこむ。とてもいたずらをして道草するのだが、きょうはどうしてそれどころではない。なにしろこれからお師匠(ししょう)さまの朝飯となるまでに、日本国じゅうの半分もまわってこようという勢いなのだから。
「やアどうしたんだろう、いない! いない!」
 やがて、瘤(こぶ)ヶ峰(みね)のてッぺんにある、天狗(てんぐ)の腰掛松(こしかけまつ)の下にたった竹童(ちくどう)は、素(す)ッ頓狂(とんきょう)な声をだしてキョロキョロあたりを見まわしていた。
「おかしいな、きのうかえってから、この松の木の根ッこへあんな太い縄(なわ)でしばっておいたのに、どこへとんでッちゃったのだろう」
 がっかりして、しばらくあっちこっちをうろうろした竹童は、とうとう目から大粒(おおつぶ)の涙(なみだ)をポロリポロリとこぼしながら、あかつきの空にむかって声いッぱい!
「クロクロクロクロ。クロクロクロクロクロ」
 それでも影を見せてこないので、かれはグンニャリとなり、天狗の腰掛松へよりかかってしまったが、ふとこのあいだ居士(こじ)が扇子(せんす)をなげて鷲(わし)を呼びよせた幻術(げんじゅつ)をおもいだし、
「よし、おいらもあの術をまねしてみよう」
 竹童はもう目の色かえて一心である。呪文(じゅもん)はわからないが、腰の棒切れをぬき、一念こめて、エエイッと気合(きあい)を入れて虚空(こくう)へ投げる。
 棒はツツツと空へ直線をえがいてあがった。
「やア、奇妙(きみょう)奇妙」竹童は嬉(うれ)しさのあまり、手をたたき、踊りをおどって狂喜した。
 と見る、谷をへだてたあなたから、とんでくるのはクロではないか、間(あい)の谷(たに)を、わずか二つ三つの羽ばたきでさっとくるなり、投げあげられた棒切れを、パクリとくわえて、かれのそばまで降りてきた。竹童(ちくどう)が有頂天(うちょうてん)となったのもむりではない。

 まもなく、かれはゆうべの夢を実行して、京から大阪(おおさか)、大阪から奈良(なら)の空へと遊びまわっている。町も村も橋も河も、まるで箱庭(はこにわ)のような下界(げかい)の地面がみるみるながれめぐってゆく。そのあげくに、ふと思いついたのは、おととい忍剣(にんけん)のいったことばである。
「オオそうだ、なんでもきょうあたりは、富士(ふじ)の裾野(すその)に大そうどうがあるはずだ。おいらはまだ生まれてから戦(たたか)いというものをみたことがない。これから一つ裾野までとんでいって、勇ましいところを空から見物してやろう」
 つねづね、果心居士(かしんこじ)からよくお叱言(こごと)ばかりいただいているくせに、竹童はもう鞍馬山(くらまやま)へ帰るのもわすれて、こんな大望(たいもう)をおこした。思いたっては、矢(や)も楯(たて)もたまらないかれだった。すぐその足で、富士の姿(すがた)を目あてに鷲(わし)をとばした。いかなる名馬で地を飛ぶよりも、こうして空中を自由に飛行する快味は、まるでじぶんがじぶんでなく、生きながら、神か仙人(せんにん)になったような愉快(ゆかい)さである。――だが、ここまできたときとちがって、鷲はそれから先一向(いっこう)竹童の自由にならない。富士の裾野とは方角(ほうがく)ちがいな、北へ北へと向かって、勝手に雲をぬってとぶ。
「やい、クロ。そんなほうへいくんじゃない、こらッ、こらッ、こらッ!」
 竹童はあわてて、いくどもいくども、方向をかえようとしたが、さらにききめがなく、地上へもどらんとしても、いつものようにスラスラと降(お)りてもくれない。ああいったいこれはどうしたことだ。
「チェーッ、畜生(ちくしょう)、畜生、畜生」
 かれはクロの上でかんしゃくをおこし、じれだし、最後にベソをかきだした。
 そもそも今日(きょう)は竹童(ちくどう)にとっていかなる悪日(あくび)か、ベソをかくことばかり突発する日だ。しかし、そう気がついてももうおそい、いくら泣いてもわめいても、鷲(わし)に一身をたくして雲井の高きにある以上、クロの翼(つばさ)がつかれて、しぜんに大地へ降りるのをまつよりほかはない。それはまだよかったが、泣き面(つら)に蜂(はち)、つづいておそるべき第二の大難が起ってきた。
 すでに今朝から陰険(いんけん)な相(そう)をあらわしていた空は、この時になって、いっそうわるい気流となり、雷鳴(らいめい)とともに密雲の層(そう)はだんだんとあつくなって、呼吸(いき)づまるような水粒(すいりゅう)の疾風(しっぷう)が、たえず、さっさっとぶっつかってきた。
 そして、鷲(わし)が雲より低くいくときは、滝のごとき雨が竹童の頭からザッザとあたり、上層(じょうそう)の雲にはいるときは白濛々(はくもうもう)の夢幻界(むげんかい)にまよい、髪(かみ)の毛も爪(つめ)の先も、氷となって折れるような冷寒(れいかん)をかんじる。しかも、クロはこの難行苦行(なんぎょうくぎょう)にも屈(くっ)する色なく、なおとぶことは稲妻(いなずま)よりもはやい。
 すると漠々(ばくばく)たる雲の海から、黒い山脈の背骨(せぼね)がもっこりと見えだした。竹童はどうにかして、ここから降りようと苦策(くさく)を案じ、いきなり手をのばして鷲(わし)の両眼をふさいでしまった。
 人間でも目をふさいでは歩けないから、こうしてやったらきっと止(と)まるだろうという、竹童(ちくどう)が必死(ひっし)の名案(めいあん)、はたせるかな鷲(わし)もおどろいたさまで、糸目のくるった凧(たこ)のようにクルクルッとめぐりまわりだした。かれの計略(けいりゃく)が図(ず)にあたって急に元気よく、
「もうこっちのものだぞ、しめた、しめた」
 とよろこんだが、あわれそれも束(つか)の間(ま)。
 たちまち鳴りはためいた雷(いかずち)が、かれの耳もとをつんざいた一せつな、下界(げかい)にあっては、ほとんどそうぞうもつかないような朱電(しゅでん)が、ピカッピカッと、まつげのさきを交錯(こうさく)したかと思うまもあらばこそ。
「あッ」
 といった竹童のからだは、おそるべき稲妻(いなずま)の震力(しんりょく)にあって、鷲の背なかからひッちぎられた、そしてまッさかさまとなって、いずことも知れぬ下へ一直線におちていくなと見る間(ま)に――追いすがった鷲の嘴(くちばし)は、いきなりパクリと竹童の帯(おび)をくわえ、わらか小魚(こうお)でもさらっていくように、そのまま、模糊(もこ)とした深岳(しんがく)の一角(かく)へ、ななめさがりにかけりだした。

「ア痛(いた)、アイタタタッ……」
 跛(びっこ)をひきながら、草むらよりころげだしたのは竹童(ちくどう)である。地上二、三十尺(しゃく)のところまできて、ふいに鷲(わし)の嘴(くちばし)からはなされたのだ。
 これが尋常(じんじょう)の者なら、悩乱悶絶(のうらんもんぜつ)はむろんのこと、地に着かぬうちに死んでいるべきだが、山気(さんき)をうけた一種の奇童(きどう)、三歳児(みつご)のときから果心居士(かしんこじ)にそだてられて、初歩の幻術(げんじゅつ)や浮体(ふたい)の秘法(ひほう)ぐらいは、多少心得ている竹童なればこそ、五体の骨をくだかなかった。
「オオ痛(いた)い。クロの野郎(やろう)め、おいらがあんなにかあいがってやるのに、よくも恩人をこんな目にあわせやがッたな、アア痛(いた)、痛(いた)、痛(いた)、畜生(ちくしょう)畜生、どうするか覚えていろ!」
 腰骨をさすりながら、ふと後ろをふりかえって見ると、なんとにくいやつ、すぐじぶんのそばに、すました顔で、翼(つばさ)をやすめているではないか。
「けッ、癪(しゃく)にさわる!」
 竹童はいきなり帯(おび)の棒切(ぼうき)れをひッこ抜(ぬ)き、クロをねらってピュッと打ってかかる。と、鷲も猛鳥の本性(ほんしょう)をあらわして、ギャッとばかり、竹童の頭から一つかみと爪(つめ)をさかだってきた。
「こいつめッ、生意気(なまいき)においらにむかってくる気だな」
 とかんしゃくすじを立てた勢いで、ブーンと棒を横なぐりにはらいとばすと、こはいかに、鷲の片足が、ムンズとのびて竹童の胸をつかみ、
「これ竹童、なにが生意気なのじゃ」とにらみつけた。
「あッ、あなたはお師匠(ししょう)さま?」
 さらぬだに目玉の大きい竹童(ちくどう)が、瞳(ひとみ)をみはってあきれ返った。なんと、鷲(わし)とおもって打っていたのは、鞍馬(くらま)におるはずのお師匠(ししょう)さま、果心居士(かしんこじ)ではないか。
 ふしぎ、ふしぎ。かれは天空から落ちたときよりぎょうてんして、からだを石のようにこわくさせ、口もきけず、逃げもできず、ややしばらくというもの、そこにモジモジとしていたが、ガラリと棒切(ぼうき)れをすてて、地べたへ額(ひたい)をすりつけてしまった。
「お師匠さま。わたしがわるうござりました。どうぞごかんべんあそばしくださいまし」
「びっくりしたか、どうじゃ悪いことはできないものであろう」
 居士は、ニヤリと笑って、足もとの岩へ腰をおろした。
「まったくこんな胆(きも)をつぶしたことはございません。これからけっしてお師匠さまにむだんで遠くへまいりませんから、どうかおゆるしくださいまし」
「よしよし、仕置(しおき)はさんざんすんでいるのじゃから、もうこのうえのこごとはいうまい」
「エ、じゃアとんでくるうちに、あんな目にあわしたのもお師匠さまでしたか。エ、お師匠さま。どうして人間が鷲になんかになってとべるのでしょう?」
「ソレ、ゆるすといえばすぐにまた甘えてくる。さようなことはどうでもよい、おまえにはまた一ついいつけることがある。ほかでもないが、これから富士(ふじ)の人穴(ひとあな)へいって、そこに住みおる和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)という賊(ぞく)のかしらに会うのじゃ。しかし容易(ようい)なことでは、かれにうたがわれるから、あくまでおまえは子供らしく、いざとなったらかくかくのことをもうしのべろ……」
 と居士(こじ)はあかざの杖(つえ)をもって、なにかこまごまと書いて示したりささやいたりして旨(むね)をふくませたのち、
「よいか、そこで呂宋兵衛(るそんべえ)が、うまうまとこちらのことばに乗ったとみたら、そくざに、五湖の白旗(しらはた)の宮(みや)におわす、武田伊那丸君(たけだいなまるぎみ)その余(よ)のかたがたにおしらせするのじゃ、なかなか大役であるからばかにしないでつとめなければなりませんぞ」
「かしこまりました。ですけれどお師匠(ししょう)さま」
「鷲(わし)がいないというのであろう。いまほんもののクロを呼んでやるから、しばらくそのへんにひかえていなさい」
「ハイ」
 竹童(ちくどう)はそこでやっと落着いて、あたりの景色(けしき)を見直した。ところでここはいったいどこの何山だろう?
 いま、さしもの豪雨(ごうう)もやんで、空は瑠璃(るり)いろに澄(す)んできたが、眼下ははてしもない雲の海だ。それからおしてもここはかなりの高地にちがいないが、この山そのものがあたかも天然(てんねん)の一城廓(じょうかく)をなして、どこかに人工のあとがある。
 すると、コーン、コーン、コーンと深いところで石でも切るような音。と思えば、ザザザザーッと谷をけずるような響(ひび)きもしてきた。竹童はこの深山に妙(みょう)だなと思いながら、なにごころなくながめまわしてくると、天斧(てんぷ)の石門(せきもん)、蜿々(えんえん)とながき柵(さく)、谷には桟橋(さんばし)、駕籠渡(かごわた)し、話にきいた蜀(しょく)の桟道(さんどう)そのままなところなど、すべてはこれ、稀代(きたい)な築城法(ちくじょうほう)の人工(じんこう)を加味した天嶮無双(てんけんむそう)な自然城(しぜんじょう)だ。
「これはすてきもないところだナ、いったいなんのためにこんな砦(とりで)があるのだろう」
 竹童(ちくどう)はふしぎな顔をして、もとのところへ帰ってきてみると、いつのまにか、ほんもののクロが居士(こじ)のそばにちゃんとひかえている。
「竹童、早々(そうそう)したくをしていかねばならぬ。用意はできているか」
「ハイいつでもかまいません。けれどお師匠(ししょう)さま、でがけにひとつうかがいたいことがございます」
「そんなことをいってるまに時刻がたつ」
「いいえ、たった一言(ひとこと)、いったいここはどこの何山で、だれのもっている砦(とりで)でございましょうネ」
「おまえなどは知らないでもいいことだが、お使いをする褒美(ほうび)として聞かしてやろう。ここは甲斐(かい)と信濃(しなの)と駿河(するが)の堺(さかい)、山の名は小太郎山(こたろうざん)」
「え、小太郎山」
「砦にこもる御方(おんかた)はすなわち武田伊那丸(たけだいなまる)さまだ」
「えッ、ここがあの小太郎山で、伊那丸さまの立てこもる根城(ねじろ)となるのでございますか」
 ふかいわけはわからないが、竹童(ちくどう)はそう聞いて、なんとなく胸おどり血わいて、じぶんも、甲斐源氏(かいげんじ)の旗上げにくみする一人であるように勇(いさ)みたった。

 富士(ふじ)の裾野(すその)に、数千人の野武士(のぶし)をやしなっていた山大名(やまだいみょう)の根来小角(ねごろしょうかく)は亡(ほろ)びてしまった。しかし、野盗(やとう)の巣(す)である人穴(ひとあな)の殿堂(でんどう)はいぜんとして、小角の滅亡後(めつぼうご)にも、かわっている者があった。すなわち、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)という怪人(かいじん)である。
 あれほどしたたかな小角が、どうして亡(ほろぼ)されたかといえば、じぶんの腹心とたのんでいた呂宋兵衛にうらぎられたがため、――つまり飼(か)い犬(いぬ)に手をかまれたのと同じことだ。
 呂宋兵衛というのは、仲間(なかま)の異名(いみょう)である。
 かれは、和田門兵衛(わだもんべえ)という、長崎からこの土地へ流れてきた南蛮(なんばん)の混血児(あいのこ)であった。右の腕には十字(じ)架(か)、左の腕には呂宋文字(るそんもじ)のいれずみをしているところから、野武士(のぶし)の仲間(なかま)では門兵衛を呂宋兵衛とよびならわしていた。また碧瞳紅毛(へきどうこうもう)、金蜘蛛(きんぐも)のようなこの魁偉(かいい)な容貌(ようぼう)にも、呂宋兵衛の名のほうがふさわしかった。
 呂宋兵衛は富士の人穴(ひとあな)へきてから、たちまち小角(しょうかく)の無二(むに)の者となった。かれの父が、南蛮人(なんばんじん)のキリシタンであったから、呂宋兵衛もはやくから修道者(イルマン)となり、いわゆる、切支丹流(キリシタンりゅう)の幻術(げんじゅつ)をきわめていた。小角はそこを見こんで重用した。
 しかし根(ね)が邪悪(じゃあく)な呂宋兵衛は、たちまちそれにつけあがって陰謀(いんぼう)をたくらみ、策(さく)をもって、小角を殺し、配下(はいか)の野武士(のぶし)を手なずけ、人穴の殿堂(でんどう)を完全に乗っ取ってしまった。
 小角のひとり娘の咲耶子(さくやこ)は、あやうく父とともに、かれの毒手(どくしゅ)にかかるところだったが、節(せつ)を変(か)えぬ七、八十人の野武士もあって、ともに裾野(すその)へかくれた。そしていかなる苦しみをなめても、呂宋兵衛をうちとり、小角の霊(れい)をなぐさめなければならぬと、毎日広野(こうや)へでて、武技(ぶぎ)をねり、陣法の工夫(くふう)に他念(たねん)がなかった。
 ――その健気(けなげ)な乙女(おとめ)ごころを天もあわれんだものか、彼女はゆくりなくも、きょう伊那丸(いなまる)と一党(とう)の人々に落ちあうことができた。
 かつて、伊那丸が人穴の殿堂にとらわれたときに、咲耶子のやさしい手にすくわれたことがある。いや、そんなことがなくっても、思いやりのふかい伊那丸と、侠勇勃々(きょうゆうぼつぼつ)たる一党の勇士たちは、かならずや、咲耶子の味方となることを辞(じ)せぬであろう。
 一ぽう、山大名の呂宋兵衛は裾野(すその)へかくれた咲耶子の行動にゆだんせず、毎日十数人の諜者(ちょうじゃ)をはなっている。
 きょうも、途中雷雨にあって、ズブぬれとなりながら野馬(のうま)をとばして人穴へかえってきた三人の諜者(ちょうじゃ)は、すぐ呂宋兵衛(るそんべえ)のまえへでて、五湖のあたりにおこった急変を注進(ちゅうしん)した。
「おかしら、一大事でございます」
「なに、一大事だ」
 身はぜいたくをしているが、心にはたえず不安のある呂宋兵衛は、琥珀(こはく)の盃(さかずき)を手からおとし、さらに、諜者(ちょうじゃ)のさぐってきたちくいち――伊那丸(いなまる)と咲耶子(さくやこ)のうごきを聞くにおよんで、その顔色はいちだんと恐怖的(きょうふてき)になった。
「むウ、ではなにか、武田伊那丸のやつらが、穴山梅雪(あなやまばいせつ)を討(う)ちとり、また湖水の底から宝物(ほうもつ)の石櫃(いしびつ)を取りだしたというのか。あのなかの御旗(みはた)楯無(たてなし)は、とッくにこっちで入れかえて、売りとばしてしまったからいいようなものの、それと知ったら、伊那丸のやつも咲耶子も、一しょになってここへ押しよせてくることは必定(ひつじょう)だ。こいつは大敵、ゆだんがならねえ、すぐ手配(てくば)りして、要所(ようしょ)要所を厳重(げんじゅう)にかためろ」
 立ちあがって、わめくようにいいつけた時、石門から取次ぎを受けた野武士(のぶし)のひとりが、ばらばらと進んできて口ぜわしく、
「おかしらへ申しあげます。ただいま、一の門へ、穴山梅雪の残党(ざんとう)が二、三十人まいって、ぜひお願いがあるといってきましたが、どうしたものでございましょうか」
「穴山の残党なら、湖畔(こはん)で伊那丸のために討ちもらされた落武者(おちむしゃ)だろう。こんなときには、少しのやつも味方の端(はし)だ。そのなかからおもだった者だけ二、三人とおしてみろ」
「承知(しょうち)しました」
 とひッ返した手下の者は、やがて、殿堂(でんどう)の広間へ、ふたりの武士をあんないしてきた。呂宋兵衛(るそんべえ)は上段の席から鷹揚(おうよう)にながめて、
「富士浅間(ふじせんげん)の山大名(やまだいみょう)和田門兵衛(わだもんべえ)は身どもでござるが、おたずねなされたご用のおもむきは?」
「さっそくのご会見、かたじけのうぞんじます。じつは拙者(せっしゃ)は、穴山(あなやま)の四天王(てんのう)足助主水正(あすけもんどのしょう)ともうしまする者」
「また某(それがし)は、佐分利(さぶり)五郎次でござる、すでにごぞんじであろうが、ざんねんながら、伊那丸与党(いなまるよとう)の奸計(かんけい)にかかり、主君の梅雪(ばいせつ)は討(う)たれ、われわれ四天王(てんのう)のうちたる天野(あまの)、猪子(いのこ)の両名まであえなき最期(さいご)をとげました」
「その儀(ぎ)はいま、手下の者からもくわしくうけたまわった」
「主君のほろびたうえは、甲斐(かい)へかえるも都へかえるも詮(せん)なきこと、追腹(おいばら)きって相果てようかと思いましたが、それも犬死(いぬじに)、ことによるべなき残り二、三十人の郎党(ろうどう)どもがふびんゆえ、それらの者を集めておとずれまいったしだい、どうぞ、われわれ両名をはじめ一同を、この山寨(さんさい)におとめおきくださるまいか」
「オオ、それはそれはご心中おさっしもうす、武士は相身(あいみ)たがい、かならずお力になりもうそう」
 呂宋兵衛は、ひそかによろこんだ。
 折もおり、いまのこの場合、二勇士が、場なれた郎党(ろうどう)を二、三十人も連れて、味方についてくるとはなんたる僥倖(ぎょうこう)、かれは足助(あすけ)と佐分利(さぶり)に客分の資格(しかく)をあたえ、下へもおかずもてなししたうえ、にわかに気強くなって、軍議の開催(かいさい)をふれだした。
 妖韻(よういん)のこもった鐘(かね)がゴーンと鳴りわたると、鎧(よろい)を着た者、雑服(ぞうふく)の者、陸続(りくぞく)として軍議室にはいってくる。
 そこは四面三十七間(けん)、百二十畳(じょう)の籐(とう)の筵(むしろ)をしき、黒く太やかな円柱(えんちゅう)左右に十本ずつの大殿堂。一ぽうの中庭からほのかな日光ははいるが、座中陰惨(いんさん)としてうす暗く、昼から短檠(たんけい)をともした赤い光に、ぼうと照らしだされた者は、みなこれ、呂宋兵衛(るそんべえ)の腹心の強者(つわもの)ぞろい。
「わらうべし、わらうべし、乳(ちち)くさい伊那丸(いなまる)や咲耶子(さくやこ)などが、烏合(うごう)の小勢でよせまいろうとて、なにをぎょうぎょうしい軍議などにおよぼうか。拙者(せっしゃ)に二、三百の者をおあずけくださるならば、ただひと押しにけちらしてみせようわ」
 破鐘(われがね)のような声でいう者がある。
 見れば山寨(さんさい)第一の膂力(りょりょく)、熊のごとき髯(ひげ)をたくわえている轟又八(とどろきまたはち)だった。すると一ぽうから、軍謀(ぐんぼう)第一のきこえある丹羽昌仙(にわしょうせん)がしかつめらしく、
「おひかえなさい轟(とどろき)、敵をあなどることはすでに亡兆(ぼうちょう)でござるぞ。伊那丸は有名なる信玄(しんげん)の孫、兵法に精通(せいつう)、つきしたがう傅人(もりびと)もみな稀代(きたい)の勇士ときく。すべからくこの天嶮(てんけん)に拠(よ)って、かれのきたるところを策(さく)によって討つが上乗(じょうじょう)」
「やアまた、昌仙(しょうせん)の臆病(おくびょう)意見、富士の山大名(やまだいみょう)ともある者が、あれしきの者に恐れをなしたといわれては、四隣(りん)の国へもの笑い。これよりすぐに、五湖へまいって、からめ捕(と)るこそ、上策(じょうさく)」
「いや小勢とはいいながら、かれは智(ち)あり仁(じん)あり勇ある者ども。平野の戦(いくさ)はあやうし、あやうし」
「くどい、拙者(せっしゃ)はどこまでも討(う)ってでる」
「だまれ轟(とどろき)、まだ衆議(しゅうぎ)も決せぬうちに、僭越千万(せんえつせんばん)な」
 両名の争論につづいて、一統(とう)の意見も二派(ふたは)にわかれ、座中なんとなく騒然としてきたころ――
 これまた何たる皮肉(ひにく)! 空から中庭のまん中へ、ズシーンとばかり飛び降りてきた、雷獣(らいじゅう)のような一個の奇童(きどう)がある。

「や!」
「あッ」
「なにやつ?」
 あまりのことに一同は、しばらく開(あ)いた口もふさがらず、ヒョッコリ庭先にたった、面妖(めんよう)な子供をみつめるのみ。子供とはいうまでもない竹童(ちくどう)で、人見知りもせず、ニヤリと白い歯を見せた。
「やア、この人穴(ひとあな)には、ずいぶんお侍(さむらい)が大勢いるんだなあ。おじさんたちは、いったいそこでなにをしているんだい」
「バカッ」
 いきなり革足袋(かわたび)のままとびおりた轟又八(とどろきまたはち)、竹童(ちくどう)の襟(えり)がみをおさえて、
「こらッ、きさまは、どこの炭焼(すみや)きの餓鬼(がき)だ、またどこのすきまからこんなところへしのびこんでまいった」
「しのびこんでなんかきやしないよ、アア苦しいや、苦しいよ、おじさん……」
「ふざけたことをぬかせ、しのびこまずにこらるべきところではない」
「だっておいらは空からおりてきたんだもの、空はいきぬけだから、ツイきてしまったんだよ」
「なに、空から? ――」
 人々は思わず、物騒(ぶっそう)らしい顔を空にむけた。
 そして、再び奇怪なる少年の姿を見なおし、こいつ天狗(てんぐ)の化身(けしん)ではあるまいかと、舌(した)をまいた。はるかにながめた、呂宋兵衛(るそんべえ)は、
「これこれ又八(またはち)、とにかくふしぎな童(わっぱ)、おれが素性(すじょう)をただしてみるから、これへ引きずってこい」
「はッ」と、又八は、かるがると竹童をひッつるして席へあがり、呂宋兵衛のまえへかれをほうりだした。
 なみいる人々は、鬼のごとき武骨者(ぶこつもの)ばかりで、あたりは大伽藍(だいがらん)のような暗殿(あんでん)である。大人(おとな)にせよ、この場合、生きたる心地はなかるべきだが、竹童(ちくどう)はケロリとして、
「ヤ、呂宋兵衛(るそんべえ)は混血児(あいのこ)だ。京都の南蛮寺(なんばんじ)にいるバテレンとそっくり……」
 口にはださないがめずらしそうに目をみはったので、呂宋兵衛は、
「小僧(こぞう)ッ」とにらんで、一喝(かつ)あびせた。
「なんだい、おいらにゃ、竹童っていう名があるんだよ」
「だまれ、さっするところそのほうは、伊那丸(いなまる)からはなされた隠密(おんみつ)にちがいない、思うに、屋根の上にいて、ただいまの評定(ひょうじょう)をぬすみ聞きしたのであろう」
「知らない知らない。おいらそんなことを知ってるもんか」
「いいや、汝(なんじ)の眼光、樵夫(きこり)や炭焼(すみや)きの小僧でないことはあきらかだ。いったい何者にたのまれてここへまいった。首の飛ばないうちにいってしまえ!」
「おいらが隠密なら、おじさんたちに、すがたなど見せるものか、おいらは、天道(てんとう)さまのまえだろうが、どこだろうが、ちっともうしろ暗いところがないから、平気さ」
「うーム、まったくそれにそういないか」
「アア。そこになるとおじさんたちはかわいそうだね、もぐらみたいに明るいところをいばって歩けない商売だから、おいらみたいな、ちびが一ぴきとびこんでも、その通りびくびくする」
 不敵な竹童(ちくどう)の面(つら)がまえを、じッとみつめていた呂宋兵衛(るそんべえ)は、ことばの糺問(きゅうもん)は無益(むえき)と知って、口をつぐみ、黙然(もくねん)と右手の人さし指をむけ、天井(てんじょう)から竹童の頭の上へ線をかいた。
「おや」
 と竹童が、なにやらさわるものに手をやると、上より一すじ絹糸(きぬいと)のようなものがたれ、襟(えり)くびから手にはいまわってきたのは一ぴきの金蜘蛛(きんぐも)だった。
 キャッというかと思えば、竹童はニッコリ笑っていきなり、蜘蛛を鷲(わし)づかみにし、あんぐり口のなかへほおばって、ムシャムシャ噛(か)みつぶしてしまったようす。
「む、む……」と、呂宋兵衛はいよいよゆだんのない目で、かれの一挙(きょ)一動をみまもっていると、竹童は唇(くちびる)をつぼめて、噛(か)みためていたなかのものを、
「プッ――」と呂宋兵衛の顔を目がけて吹きつけた。
 ――その口からとびだしたのは、きたないかみつぶしではなくて、美しい一羽(わ)の毒蝶(どくちょう)、ヒラヒラと毒粉(どくふん)を散らした。
「エイッ」
 呂宋兵衛が扇(おうぎ)をもって打ちおとせば、蝶(ちょう)の死骸(しがい)はまえからそこにあった一片(ぺん)の白紙に返っている。
「わかった、きさまは鞍馬山(くらまやま)の果心居士(かしんこじ)の弟子(でし)だな」
「だから、竹童という名があるといったじゃないか」
「さてこそ、ものにおどろかぬはず、しかし有名なる果心居士(かしんこじ)の弟子(でし)が、富士(ふじ)の殿堂(でんどう)と知らずに、くるわけがない、なんのご用か、あらためて聞こうではないか」
「ムム、そう尋常(じんじょう)におっしゃるなら、わたくしもお師匠(ししょう)さまから受けたお使いのしだいをすなおに話しましょう」
「では、果心先生から、この呂宋兵衛(るそんべえ)へのお使いでござるか」
「そうです。さて、お師匠さまのお伝えというのは、きょうなにげなく鞍馬(くらま)から富士のあたりをみましたところ、いちまつの殺気(さっき)が立ちのぼって、ただならぬ戦雲のきざしが歴々(れきれき)とござりました。あらふしぎ、いま天下信長公(のぶながこう)の亡(な)きのちは、西に秀吉(ひでよし)、東に徳川(とくがわ)、北条(ほうじょう)、北国(ほっこく)に柴田(しばた)、滝川(たきがわ)、佐々(さっさ)、前田のともがらあって、たがいに、中原(ちゅうげん)を狙(ねら)うといえども、いずれも満(まん)を持(じ)してはなたぬ今日(こんにち)、そも何者がうごくのであろうかと、ご承知(しょうち)でもござりましょうが、先生、ご秘蔵(ひぞう)の亀卜(きぼく)をカラリと投げて占(うらな)われました」
「オオ」
 呂宋兵衛はもとより、なみいる猛者(もさ)どもも、この奇童(きどう)のよどみなき弁(べん)によわされてしわぶきすらたてず、ひろき殿堂は、人なきようにシーンと静まりかえってしまった。

 竹童(ちくどう)は、ここでいささか得意気(とくいげ)に、ちいさな体をちょこなんとかしこまらせ、両肱(りょうひじ)をはって、ことばをつぐ。
「お師匠(ししょう)さまがつらつら亀卜(きぼく)の卦面(かめん)を案じまするに、すなわち、――富岳(フガク)ニ鳳雛(ホウスウ)生(ウ)マレ、五湖(コ)ニ狂風(キョウフウ)生(ショウ)ジ、喬木(キョウボク)十悪(アク)ノ罪(ツミ)ヲ抱(イダ)イテ雷(ライ)ニ裂(サ)カル――とござりましたそうです」
「なになに? 喬木(きょうぼく)、雷(らい)に裂(さ)かると易(えき)にでたか」
 呂宋兵衛(るそんべえ)の顔色土のごとく変るのを見て、竹童(ちくどう)は手をふりながら、
「おどろいてはいけません、それは穴山梅雪(あなやまばいせつ)の身の上でした。ところで、裏(うら)をかえして見ますると、つまり裏の卦(か)、参伍綜錯(さんごそうさく)して六十四卦(か)の変化(へんか)をあらわします。これによって結果を考えましたところ、今夕(こんせき)酉(とり)の下刻(げこく)から亥(い)の刻のあいだに、昼よりましたおそろしい大血戦が裾野(すその)のどこかで起るということがわかりました」
「むウ、それはあたっていた。して、勝負の結果は」
「さればでござります。にわかにわたくしが鷲(わし)にのってまいったのもそのため、残念ながらあなたの命(いのち)は、こよい乾(いぬい)の星がおつるとともに、亡(な)きかずに入り、腹心のかたがたもなかば以上は、あえない最期(さいご)をとげることとなるそうでござります。これを、層雲(そううん)くずれの凶兆(きょうちょう)ともうしまして、暦数(れきすう)の運命、ぜひないことだと、お師匠さまも吐息(といき)をおもらしなさいました」
「えッ、なんといった。しからば呂宋兵衛のいのちは、こよいかぎり腹心のものも大半はほろぶとな?」
「そうおっしゃったことはおっしゃいましたが、ここに一つ、たすかる秘法(ひほう)があるのです。お師匠(ししょう)さまは、わたくしにその秘法(ひほう)をさずけ、あなたに会って、あることと交換(こうかん)にして教えてこい、だが、呂宋兵衛(るそんべえ)はずるいやつゆえ、もしも、こっちできくことをちゃんと答えなかったら、なんにもいわずに逃げてこい――といいつかってまいりました」
「待てまて、たずねることがあらば、なんでも答えるほどに、その層雲(そううん)くずれの凶兆(きょうちょう)を封(ふう)じる秘法をおしえてくれ」
「ですから、まずわたくしのほうのたずねることからお答えくださいまし」
「よし、なんでも問うてみるがいい」
「ではおききもうします」
 と、竹童(ちくどう)はやおらひと膝(ひざ)のりだし、
「湖水のそこに沈めてありました石櫃(いしびつ)をあげて、なかにあった御旗(みはた)楯無(たてなし)の宝物(ほうもつ)をすりかえたのはたしかにあなた――これはお師匠さまも遠知の術(じゅつ)でわかっております。されどその宝物を、あなたはだれにわたしましたか、または、この山寨(さんさい)のうちにあるのですか。ききたいのはつまりそのこと一つです」
 呂宋兵衛は、心中すくなからずおどろいた。果心居士(かしんこじ)といえば、京で有名な奇道士(きどうし)だが、まさか、これまでに自分のしたことを知っていようとは思わなかった。それほどの道士なれば、竹童のことばもほんとうにそういないだろうし、ひそかに湖水からすりかえてうばった宝物は、いまでは手もとにないのだから打ち明けたところで、こっちに損得(そんとく)はない――と思った。
「そんなことならたやすいこと、いかにもあきらかに答えてやろう。だが……」
 と呂宋兵衛(るそんべえ)が武士(さむらい)だまりの者へ、チラとめくばせをすると、バラバラと立ちあがったふたりの荒(あら)くれ武士が、いきなりムンズと竹童(ちくどう)の左右から両腕(りょううで)をねじ押さえた。
「ア、おじさんたちはおいらをどうするんだい!」
「いやおこるな、竹童。こっちのいうことだけ聞いて逃げられぬ用心。そうしていても耳はきこえようからよく聞けよ。御旗(みはた)楯無(たてなし)の宝物(ほうもつ)は、ここにいる轟(とどろき)又八に京へ持たせて、いまはぶりも金まわりもよい羽柴秀吉(はしばひでよし)に金子(きんす)千貫(がん)で売りとばした。それゆえ、いまの持主(もちぬし)は秀吉(ひでよし)、この山寨(さんさい)には置いてない。さ、このうえは果心(かしん)先生からおさずけの秘法(ひほう)をうけたまわろう」
「たしかにわかりました。では先生の秘法(ひほう)をおさずけもうします。そもそも層雲(そううん)くずれの大難(だいなん)は、どんな名将でものがれることのできぬものでござりますが、その難をさけるには、まず夜の酉(とり)から亥(い)のあいだに、四里四方けがれのない平野へでて、ふだんの護(まも)り神をおがみ、壇(だん)をきずいて霊峰(れいほう)の水をささげます。――次に、おのれの生年月日をしたためて、人形(にんぎょう)の紙をみ神光(あかし)で焼くこと七たび、かくして、十方(ぽう)満天(まんてん)の星をいのりますれば、兇難(きょうなん)たちどころに吉兆(きっちょう)をあらわして、どんな大敵に遭(あ)いましょうとも、けっしておくれをとるということがありません」
 呂宋兵衛は、怪力(かいりき)もあり幻術(げんじゅつ)にも長(ちょう)じているが、異邦人(いほうじん)の血のまじっている証拠(しょうこ)には、戦いというものに対して、すこぶる考えがちがう。それに修道者(イルマン)でもあっただけに、迷信(めいしん)にとらわれやすかった。
 つまりかれがもっているいちばんの弱点に、うまうまと乗(じょう)じられた呂宋兵衛(るそんべえ)は、まったく竹童(ちくどう)の言(げん)に惑酔(わくすい)して穴山(あなやま)の残党(ざんとう)がなんといおうと、轟(とどろき)や昌仙(しょうせん)のやからが疑(うたが)わしげに反省をもとめても、頑(がん)としてきかず、秘法の星まつりを行うべく、手下の野武士(のぶし)に厳命(げんめい)した。
 ために、軍議はしぜんと、夜に入って四里四方けがれなき平野に、その式をすましたうえ、出陣ときまってしまった。
 その用意のものものしいさわぎのなかで、有卦(うけ)に入(い)っていたのは竹童(ちくどう)だ。別間(べつま)でたくさんな馳走(ちそう)をされ、鞍馬(くらま)では食べつけない珍味の数々を、箸(はし)と頤(あご)のつづくかぎりたらふくつめこみ、さて、例の棒切(ぼうき)れ一本さげて、飄然(ひょうぜん)とここを辞(じ)してかえる。
 さしも、はげしかった昼の雷雨に、乱雲のかげは、落日とともに澄(す)みぬいていた。西の甲武(こうぶ)連山は茜(あかね)にそまり、東相豆(そうず)の海は無限の紺碧(こんぺき)をなして、天地は紅(くれない)と紺(こん)と、光明とうす闇(やみ)の二色に分けられ、そのさかいに巍然(ぎぜん)とそびえているのは、富士(ふじ)の白妙(しろたえ)。
 ――すると、この夕方を、人穴(ひとあな)から上へ上へとはいあがっていく豆つぶ大の人影が見えた。それはどうも竹童らしい。見るまに、二合(ごう)目(め)の下あたりから鷲(わし)にのって、おともなく五湖(こ)のほうへとび去った。

 富士の二合(ごう)目(め)をはなれ、いっきに、五湖の水明かりをのぞんで飛行していた竹童(ちくどう)は、夜の空から小手(こて)をかざして、しきりに、下界(げかい)にある伊那丸主従(いなまるしゅじゅう)のいどころをさがしている。
「オオ暗い、暗い、暗い。天もまッ暗、地もまッ暗。これじゃいったいどこへ降(お)りていいんだか、お月さまでもでてくれなきゃア、けんとうがつきあしない」
 大空で迷子星(まいごぼし)になった竹童は、例の、寝るまもはなさぬ棒切(ぼうき)れを右手(めて)にもち、左の手を目のはたへかざして、鷲(わし)の上から、
「オオーイ、オオーイ」と、とうとう声をはりあげて呼びだした。
 しかし、竹童の声ぐらいは、竹童じしんが乗っている鷲の羽風(はかぜ)に消(け)しとばされてしまった。そのかわり、人ではないが、はるかな地上にあたって、馬のいななくのが高く聞えた。
「おや、馬のやつが返辞(へんじ)をしたぞ」
 と、つぶやいたが、その竹童のかんがえはちがっている。動物は動物にたいして敏感であるから、いま、下のほうでいなないた馬は、ここにさしかかってきた闇夜(あんや)飛行の怪物の影に、おどろいたものにそういない。
 けれど竹童(ちくどう)は、馬が答えたものと信じて、いきなり、棒切れをピューッと下へふった。と、クロはたちまち身をさかしまにして、ツツツツ――と木(こ)の葉(は)おとしに降(お)りていく。
「あ、ここはどこかのお宮の庭だな……」
 鷲(わし)からおりて、しばらくそのあたりをあるいていた竹童は、やがて、拝殿(はいでん)からもれるほのあかりをみとめ、そッと忍(しの)びよってみると、たしかに六、七人のささやき声がする。
「いた!」かれは思わず叫んで、
「おじさん! おじさんたち」
 呼ぶ声と一しょに、拝殿のなかにいた者は、どやどやと、それへでてきて、七つの人影をあらわした。
「何者じゃッ」と竹童をねめつけた。
「おいらだよ、鞍馬山(くらまやま)の竹童だよ」
「おお、竹童か」
 ほとんど、そのなかの半分以上の者が、口をあわしてこういった。木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)も、忍剣(にんけん)も、民部(みんぶ)も蔦之助(つたのすけ)も小文治(こぶんじ)も竹童にとればみな友だちだ。
 ただ、床几(しょうぎ)にかけて、かれを見おろしていた伊那丸(いなまる)だけが、すこし解(げ)せないようすである。
「龍太郎(りゅうたろう)。そちたちはこの童(わらべ)をよう知っているようじゃが、いったいどこのものであるの」
「さきほどお話しもうしあげました、果心居士(かしんこじ)の童弟子(わらべでし)でござります」
「おおあれか」
 伊那丸はニッコリして竹童(ちくどう)を見なおした。竹童もニヤリと笑って、ともするとなれなれしく、じぶんの友だちにしてしまいそうだ。
「これ竹童、伊那丸君(いなまるぎみ)のおんまえ、つッ立っていてはならぬ、すわれすわれ」
「いや、そう叱(しか)らぬがよい、鞍馬(くらま)の奥(おく)でそだった者じゃ、その天真爛漫(てんしんらんまん)がかえって美しい。したが、おまえはここへ、何用があってきたのか」
「はい」竹童はかしこまって、
「お師匠(ししょう)さまのおいいつけでござります」
「なに、果心(かしん)先生からここへお使いに?」
「さようでござります。みなさまは、きょう穴山梅雪(あなやまばいせつ)をお討(う)ちになって、さだめしホッとなされたでござりましょうが、勝って兜(かぶと)の緒(お)をしめよ、ここでごゆだんをなされては大へんでござります」
「む、伊那丸はけっしてゆだんはしておらぬぞよ」
「では、湖水の底から引きあげた石櫃(いしびつ)の蓋(ふた)をとって、なかをあらためてごらんになりましたか」
「いや、ほかのところへかくしたものとちがって、湖底へ沈めておいた石櫃、あらためるまでもない」
「ところが、お師匠(ししょう)さまの遠知の術では、どうも、石櫃のなかの宝物(ほうもつ)にうたがいがあるとおっしゃいました。それゆえ、にわかにお師匠さまにいいふくめられて、この竹童(ちくどう)が、鷲(わし)の翼(つばさ)のつづくかぎり、とびまわったのでござります。どうぞみなさま、いっこくもはやく、石櫃をおあらためくださいまし」
「さては、それが伊那丸(いなまる)のゆだんであったかもしれぬ。忍剣(にんけん)、忍剣、ともあれ石櫃をここへ。また、小文治(こぶんじ)と龍太郎は、あるかぎりのかがり火をあたりにたき立ててください」
「はッ」
 席を立った者たちが三つ脚(あし)のかがり火を、左右五、六ヵ所へ炎々(えんえん)と燃したてるまに、忍剣は、さきに梅雪(ばいせつ)の郎党(ろうどう)たちが、湖底から引きあげておいた石櫃をかかえてきて、やおら、伊那丸のまえにすえた。
「こう見たところでは、蓋(ふた)の合口(あいくち)に異状(いじょう)はないが」
「青苔(あおごけ)がいちめんについているさまともうし、一ども人の手にふれたらしい点はみえませぬ」
「とにかく、蓋(ふた)をはらってみい」
「心得(こころえ)ました」
 と忍剣(にんけん)は立ちあがって、グイと法衣(ころも)の袖(そで)をたくしあげ厳重な石の蓋(ふた)をポンとはねのけてみた。

「や、やッ」まず忍剣がきもをつぶした。
「どういたした。なんぞ変りがあったか」
 伊那丸(いなまる)もおもわず床几(しょうぎ)から腰をうかした。
「ちぇっ。これごらんなさりませ」
 と、くやしそうに忍剣が石櫃を引っくりかえすと、なかからごろごろところがりだしたのは、御旗(みはた)楯無(たてなし)の宝物(ほうもつ)に、似(に)ても似つかぬただの石ころ。
「むウ……」
 伊那丸は顔いろをうしなった。それはむりではない、武田家重代(たけだけじゅうだい)の軍宝――ことに父の勝頼(かつより)が、天目山(てんもくざん)の最期(さいご)の場所から、かれの手に送りつたえてきたほど大せつな品(しな)。
 それがない!
 ないですもうか。
 御旗楯無の宝物は、武田家の三種の神器(じんぎ)だ。これを失っては、甲斐源氏(かいげんじ)の家系(かけい)はなんの権威(けんい)もなくなってしまう。伊那丸(いなまる)をはじめ他の六人まで、ひとしくここに、色をうしなったも当然である。
「アア、やっぱり、おいらの先生はえらい――」
 そのとき、嘆(たん)ずるようにいったのは竹童(ちくどう)だった。
「ああ、どこまで武田家は衰亡(すいぼう)するのであろうか……」
 と嘆(たん)じあわして、伊那丸もつぶやく。
「大じょうぶだよ」竹童は棒切(ぼうき)れを杖(つえ)にしてふいにつっ立ち、気の毒そうに伊那丸の面(おもて)を見あげた。
「大じょうぶだ大じょうぶだ。そのなかの物がなくなっても、ぬすんだやつはわかってるから……おいらがちゃんとかぎつけてきてあるから――」
「なに! ではおまえがその者を知っているか」
「ああ知っている。そいつは、人穴(ひとあな)の殿堂にいる和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)という悪いやつだよ。そして、盗(ぬす)んだ宝物(ほうもつ)は、手下を京都へやって、羽柴秀吉(はしばひでよし)に売ってしまったんだ――これはきょうおいらが呂宋兵衛と問答して、鎌(かま)をかけてきいてきたんだからまちがいのないことなんだ」
「えッ、では御旗(みはた)楯無(たてなし)をぬすんだやつも、あの人穴(ひとあな)の呂宋兵衛か……」
 と、伊那丸が意外そうな瞳(ひとみ)を咲耶子(さくやこ)に向けると、彼女も、思いがけぬことのように、
「わたしにとれば父をころした悪人。伊那丸さまにはお家(いえ)の賊(ぞく)、八つざきにしてもあきたりない悪党(あくとう)でござります」
 と、やさしい眉(まゆ)にもうらみが立った。
 伊那丸(いなまる)は床几(しょうぎ)をはなれ、そしてうごかぬ決意を語気にしめしていった。
「みなのもの、わしはこれからすぐ人穴(ひとあな)の殿堂へ駈(か)けいり、呂宋兵衛(るそんべえ)の首を剣頭にかけて、祖先におわびをいたすつもりだ。一つには、恩義のある咲耶子(さくやこ)への助太刀(すけだち)、われと思わんものはつづけ、御旗(みはた)楯無(たてなし)をうしなって、武田(たけだ)の家なく、武田の家なくして、この伊那丸はないぞ!」
「お勇ましいおことば、われわれとて、どこまでも君(きみ)のお供(とも)いたさずにはおりませぬ」
 山県蔦之助(やまがたつたのすけ)、忍剣(にんけん)、龍太郎(りゅうたろう)、小文治(こぶんじ)などの、たのもしげな勇士たちは、声をそろえてそういった。
「おう、わたしを入れてここに七騎(き)の勇士がある。咲耶子も心づよく思うがよい、きっとこよいのうちに、きゃつの首を、この剣(つるぎ)の切(き)ッ先にさしてみせよう。忍剣、馬を馬を!」
「はッ」
 バラバラと樹立(こだ)ちへはいった忍剣は、梅雪(ばいせつ)一党(とう)が乗りすてた駒(こま)のなかから、逸物(いちもつ)をよって、チャリン、チャリン、チャリン、と轡金具(くつわかなぐ)の音をひびかせて、伊那丸のまえまで手綱(たづな)をとってくると、いままで黙然(もくねん)としていた小幡民部(こばたみんぶ)が、
「しばらく――」と、駒をおさえて頭(ず)をさげた。

「なんじゃ、民部(みんぶ)」
「お怒(いか)りにかられて、これより人穴(ひとあな)の殿堂へかけ入ろうという思(おぼ)し召(め)しは、ごもっともではござりますが、民部はたってお引きとめもうさねばなりませぬ」
「なぜ?」伊那丸(いなまる)はめずらしく苦(にが)い色をあらわした。
「けっして、かれをおそれるわけではありませぬが、音にきこえた天嶮(てんけん)の野武士城(のぶしじょう)、いかに七騎(き)の勇があっても攻めて落ちるはずのものとは思われませぬ」
「だまれ、わしも信玄(しんげん)の孫(まご)じゃ! 勝頼(かつより)の次男じゃ! 野武士のよる山城ぐらいが、なにものぞ」
 かれにしては、これは稀有(けう)なほど、激越(げきえつ)なことばであった。民部には、またじゅうぶんな敗数の理(み)が見えているか、
「いいや、おことばともおもえませぬ」
 と、つよく首をふって、
「いかに信玄公(しんげんこう)のお孫であろうと、兵法をやぶって勝つという理(り)はありませぬ。なにごとも時節がだいじです。しばらくこの裾野(すその)にかくれて呂宋兵衛(るそんべえ)が山をでる日を、おまちあそばすが上策(じょうさく)とこころえまする」
「そうだ」
 その時、横からふいにことばをはさんだのは竹童(ちくどう)で、さらに頓狂(とんきょう)な声をあげてこうさけんだ。
「そうだ! おいらもうっかりしていたが、そいつは今夜きっと山をでるよ、うそじゃない、きっと山をでる! 山をでる!」
「竹童、それはほんとうか」
 民部(みんぶ)は、目をかれにうつした。
「うそなんかおいら大きらいだ、まったくの話をするとお師匠(ししょう)さまが呂宋兵衛(るそんべえ)に、おまえの命(いのち)はこよいのうちにあぶないぞっておどかしたんだよ。おいらはその使いになって、今夜子(ね)の刻(こく)(十一時から一時)のころに、裾野(すその)四里四方人気(ひとけ)のないところへでて、層雲(そううん)くずれの祈祷(きとう)をすれば助かると、いいかげんなことを教えてきてあるんだけれど、それも、いま考えあわせてみると、みんなお師匠さまがさきのさきまでを見ぬいた計略(けいりゃく)で、わざとおいらにそういわせたにちがいない」
 おどろくべき果心居士(かしんこじ)の神機妙算(しんきみょうさん)、さすがの民部もそれまでにことが運んでいようとは気がつかなかった。
 子(ね)の刻(こく)一天(てん)までには、まだだいぶあいだがある。伊那丸(いなまる)は一同にむかい、それまではここにあって、じゅうぶんに体をやすめ、英気をやしなっておくように厳命した。
 竹童は勇躍(ゆうやく)して、
「それでは夜中になると、まためざましい戦いがはじまるな。おいらもいまからしっかり英気をやしなっておくことだ……」
 と、クロをだいて、お堂の端(はし)へゴロリと寝てしまった。
 と、かれは横になるかならないうちに、
「おや、笛(ふえ)が鳴ったぞ」
 と頭をもたげてキョロキョロあたりを見まわした。見ると、咲耶子(さくやこ)がただひとり、社前(しゃぜん)の大楠(おおくすのき)の切株(きりかぶ)につっ立ち、例の横笛を口にあてて、音(ね)もさわやかに吹いているのだった。
 竹童は初めのうち、なんのためにするのかとうたがっていたらしいが、まもなく、笛の音(ね)が裾野(すその)の闇(やみ)へひろがっていくと、あなたこなたから、ムクムクと姿をあらわしてきた野武士(のぶし)のかげ。それがたちまち、七十人あまりにもなって、咲耶子のまえに整列したのにはびっくりしてしまった。
 咲耶子は、あつまった野武士たちに、なにかいいわたした。そしてしずかに伊那丸(いなまる)の前へきて、
「この者たちは、いずれも父の小角(しょうかく)につかえていた野武士でござりますが、きょうまで、わたくしとともにこの裾野へかくれ、折があれば呂宋兵衛(るそんべえ)をうって仇(あだ)をむくいようとしていた忠義者(ちゅうぎもの)でござります。どうかこよいからは、わたくしともどもに、お味方にくわえてくださりますよう」
 伊那丸はまんぞくそうにうなずいた。
 時にとって、ここに七十人の兵があるとないとでは、小幡民部(こばたみんぶ)が軍配(ぐんばい)のうえにおいても、たいへんなちがいであった。
 ましてや、いまここに集められたほどの者は、みなへいぜいから、咲耶子(さくやこ)の胡蝶(こちょう)の陣に、練(ね)りにねり、鍛(きた)えにきたえられた精鋭(せいえい)ぞろい。
 かくて一同は、敵の目をふさぐ用意に、ばたばたとかがり火を消し、太刀の音(ね)をひそませ、箭(や)づくり、刃(やいば)のしらべはいうまでもなく、馬に草をも飼(か)って、時刻のいたるをまちわびている。
 待つほどに更(ふ)くるほどに、夜はやがて三更(こう)、玲瓏(れいろう)とさえかえった空には、微小星(びしょうせい)の一粒までのこりなく研(と)ぎすまされ、ただ見る、三千丈(じょう)の銀河(ぎんが)が、ななめに夜の富士(ふじ)を越えて見える。
「グウー、グウ、グウーグウ……」
 そのなかで、竹童(ちくどう)ばかりが、鷲(わし)の翼(つばさ)をはねぶとんにして、さもいい気もちそうに、いびきをかいて寝こんでいた。

 まさに、夜は子(ね)の刻(こく)の一天(てん)。
 人穴(ひとあな)の殿堂(でんどう)をまもる、三つの洞門(どうもん)が、ギギーイとあいた。
 と、そのなかから、焔々(えんえん)と燃えつつながれだしてきたのは、半町(はんちょう)もつづくまっ赤な焔(ほのお)の行列。無数の松明(たいまつ)。その影にうごめく、野武士(のぶし)、馬、槍(やり)、十字(じ)架(か)、旗、すべて血のように染(そ)まって見えた。
 なかでも、一丈(じょう)あまりな白木(しらき)の十字架は、八人の手下にゆらゆらとささえられ、すぐそばに呂宋兵衛(るそんべえ)が、南蛮錦(なんばんにしき)の陣羽織(じんばおり)に身をつつみ、白馬(はくば)にまたがり、十二鉄騎(てっき)にまもられながら、妖々(ようよう)と、裾野(すその)の露(つゆ)をはらっていく。
 すすむこと二、三里(り)、ひろい平野のまン中へでた。呂宋兵衛は馬からひらりと降(お)り、二、三百人の野武士を指揮(しき)して、見るまにそこへ壇(だん)をきずかせ、十字架を立て、かがり火を焚(た)いて、いのりのしたくをととのえさせた。
「念珠(コンタツ)を念珠(コンタツ)を、これへ――」
 呂宋兵衛は、まえにもいったとおり、南蛮(なんばん)の混血児(あいのこ)でキリシタンの妖法(ようほう)を修(しゅう)する者であるから、層雲(そううん)くずれの祈祷(きとう)も、じぶんが信じる異邦(いほう)の式でゆくつもりらしい。
 手下の者から、念珠(コンタツ)をうけとったかれは、それを頸(くび)へかけ、胸へ、白金(はっきん)の十字架をたらして、しずしずと壇(だん)の前へすすんだ。
 護衛(ごえい)する野武士たちは、しわぶきもせず、いっせいに槍(やり)の穂(ほ)さきを立てならべた。なかにはきょう味方についた穴山(あなやま)の残党(ざんとう)、足助主水正(あすけもんどのしょう)、佐分利(さぶり)五郎次、その他の者もここにまじっている。
 壇(だん)にむかって、七つの赤蝋(せきろう)をともし、金明水(きんめいすい)、銀明水(ぎんめいすい)の浄水(じょうすい)をささげて、そこにぬかずいた呂宋兵衛(るそんべえ)は、なにかわけのわからぬいのりのことばをつぶやきながら、いっしんに空の星を祈(いの)りだした。
 すると、どこからともなく、ザッ、ザッ、ザッ、ザッと草をなでてくるような風音(かざおと)。つづいて、地を打ってくる馬蹄(ばてい)のひびき。
「や!」かれはぎょっと、頭をあげて、
「あの物音は? あのひびきは? おお馬だッ、人声だ。ゆだんするな!」
 叫(さけ)ぶまもなく、ピュッ、ピュッと、風をきってくる霰(あられ)のような征矢(そや)。――早くも、四面の闇(やみ)からワワーッという喊声(かんせい)が聞えだした。
「さては武田伊那丸(たけだいなまる)がきたか」
「いやいや咲耶子(さくやこ)が仕返しにまいったのだろう」
「うろたえていずとかがり火を消せ、はやく松明(たいまつ)をすててしまえ、敵方の目じるしになるぞ」
 あたりはたちまち暗瞑(あんめい)の地獄(じごく)。
 ただ、燃えいぶった煙と、ののしる声と、太刀や槍(やり)の音ばかりが、ものすごくましていった。
 もう、どこかで斬(き)りあいがはじまったらしい。
 星明かりをすかしてみると、敵か味方か入りみだれてよくわからないが、白馬(はくば)黒鹿毛(くろかげ)をかけまわしている七人の影は、たしかに襲(よ)せてきた七勇士。それに斬りまわされて、呂宋兵衛の手下どもは、
「だめだ、足を斬られた」
「敵はあんがいてごわいぞ。もう大変な手負(てお)いがでた」
「殿堂へ逃げろ!」
「人穴(ひとあな)へ引きあげろ!」
 と声をなだれあわせて、思いおもいな草の細径(ほそみち)へ蜘蛛(くも)の子のちるように逃げくずれた。
 それらの、雑兵(ぞうひょう)や手下には目もくれず、さきほどから馬上りんりんとかけまわっていた伊那丸(いなまる)は、
「咲耶子(さくやこ)はいずれにある。咲耶子、咲耶子」
 と、しきりに呼びつづけていた。
「おお伊那丸さま、わたくしはここでござります」
 近よってきた白鹿毛(しろかげ)の上には、かいがいしい装束(いでたち)をした彼女のすがたが、細身の薙刀(なぎなた)を小脇(こわき)に持って、にっことしていた。
「咲耶子、呂宋兵衛めは、いずれへ姿をかくしたのであろう。忍剣(にんけん)も龍太郎(りゅうたろう)も、いまだに討(う)ったと声をあげぬが」
「わたくしも、余の者には目もくれず、八ぽうさがしてまわりましたが、影も形も見あたりませぬ。ざんねんながら、どうやら取り逃がしたらしゅうござります」
「いや、民部(みんぶ)がしいた八門の陣、その逃げ口には、伏兵(ふくへい)がふせてあるゆえ、かならず討ちもらす気づかいはない」
 とふたりが、馬上で語り合っているすぐうしろで、ふいに、悪魔(あくま)の嘲笑(ちょうしょう)が高くした。
「わ、はッはわはッは……このバカもの!」
「や!」
 ふりかえってみると、人影はなく、星の空にそびえている一基(き)の十字(じ)架(か)。
「いまの声は、たしかに呂宋兵衛(るそんべえ)」
「奇(き)ッ怪(かい)な笑い声、咲耶子(さくやこ)、心をゆるすまいぞ」
 きッと、十字架をにらんで、ふたりが息を殺したせつなである、一陣の怪風! とたんに、星祭(ほしまつり)の壇(だん)に燃えのこっていた赤蝋(せきろう)が、メラメラと青い焔(ほのお)に音をさせてあたりを照らした。
 明滅(めいめつ)の一瞬(しゅん)、十字架のうしろにかくれていたおぼろげなかげは、たしかに怪人、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)。
「おのれッ!」
「怨敵(おんてき)」
 敵将のすがたを目(ま)のあたりに見て、なんのひるみを持とう。伊那丸(いなまる)は太刀をふりかぶり、咲耶子(さくやこ)は薙刀(なぎなた)の柄(え)をしごいて八幡(まん)! 十字(じ)架(か)の根もとをねらって斬りつけた。
 と――ほとんど同時である。
 伊那丸がたの軍師(ぐんし)、小幡民部(こばたみんぶ)は、無二無三に駒(こま)をここへ飛ばしてきながら、
「やあ、待ちたまえ若君(わかぎみ)。かならずそれへ近よりたもうな。あ、あ、あッ、危(あぶ)ないッ!」
 と、かれは狂気ばしって絶叫(ぜっきょう)した。
 が――その注意はすでに間に合わなかった。
 ふたりのえものは、もう、ザクッと十字架のかげを目がけてふりこんでしまった。と見るまに、ああ、そもなんの詭計(きけい)ぞ、足もとから轟然(ごうぜん)たる怪火の炸裂(さくれつ)。
 ぽかッと、渦(うず)をふいた白煙(はくえん)とともに、宙天(ちゅうてん)へ裂(さ)けのぼった火の柱、同時に、バラバラッとあたりへ落ちてきたいちめんの火の雨――それも火か土か肉か血か、ほとんど目を開(あ)けて見ることもできない。

 すさまじい雷火の焔(ほのお)が、パッと立ったせつな、ゲラゲラゲラと十字架のかげで大きく笑う声がした。
 怪人呂宋兵衛(るそんべえ)の目である。口である。
 悪魔(あくま)の面(めん)! それがあざわらった。
「あッ――」
 伊那丸(いなまる)の馬は、蹄(ひづめ)を蹴(け)って横飛びにぶったおれた。咲耶子(さくやこ)は、竿立(さおだ)ちとなった駒(こま)のたてがみにしがみついて、焔(ほのお)のまえに悶絶(もんぜつ)した。
 倒れたのは、馬ばかりか、人ばかりか、二尺(しゃく)角(かく)の白木(しらき)の十字(じ)架(か)まで、上から真(ま)ッ二つにさけ、余煙(よえん)のなかへゆら、――と横になりかかってきた。
 雷火(らいか)の炸裂(さくれつ)は、詭計(きけい)でもなんでもない。怪人(かいじん)呂宋兵衛(るそんべえ)が、ふところに秘(ひ)めておいた一塊(かい)の強薬(ごうやく)を、祭壇(さいだん)に燃えのこっていたろうそく火(び)へ投げつけたのだ。
 長崎や堺(さかい)あたりで、南蛮人(なんばんじん)が日本人と争闘(そうとう)すると、常習(じょうしゅう)にやるかれらの手口(てぐち)である。民部(みんぶ)はそれを知っていたので、あわてて駒を飛ばしてきたが、一足(ひとあし)おそかった、裂(さ)けた十字架が、いましもドスーンと大地へ音をひびかせた時である。
「人穴(ひとあな)の賊(ぞく)。そこうごくなッ!」
 民部は、乗りつけてきた馬の鞍(くら)から飛びおりるより早く、壇(だん)の上につっ立っているかれを目がけて斬りつけた。
「しゃらくさいわッ」
 呂宋兵衛は、民部の第一刀をひッぱずして、いきなり鬼のような手で彼の右手(めて)をねじあげた。
 もうふところに強薬は持っていないので、まえのような危険はないが、腕と腕、剣と剣の打ちあいでも、民部は呂宋兵衛(るそんべえ)の敵ではない。
「うーむ、この小僧(こぞう)ッ子め」
 酒呑童子(しゅてんどうじ)もかくやの形相(ぎょうそう)で、大きな唇(くちびる)へやい歯をかませた呂宋兵衛は、いきなり民部の利腕(ききうで)をひとふりふって、やッと一声(せい)、壇(だん)の上から大地へ投げつけた。
「無念」
 一代の軍師(ぐんし)、小幡民部(こばたみんぶ)も、腕の勝負ではいかんともすることができない。はねおきようとすると、はやくも、呂宋兵衛の山のような体がのしかかってきて、グイとのどわをしめつけ、
「おウ、てめえが伊那丸(いなまる)の腰について、穴山梅雪(あなやまばいせつ)を討(う)ったという小ざかしい小幡民部というやつだな。こりゃいい首にめぐり会った。山荘(さんそう)へのみやげにしてやる。覚悟(かくご)をしろ」
 鎧通(よろいどお)しをひきぬき、逆手(さかて)にもって、グイと民部の首根(くびね)にせまった。民部は、そうはさせまいと、下から短剣(たんけん)をぬき、足をもがき、ここ一髪(ぱつ)のあらそいとなって、たがいに必死。
 伊那丸(いなまる)も咲耶子(さくやこ)も、みすみすかたわらにありながら、いまの雷火(らいか)にふかれて、ふたりとも気を失ってしまっている。
「うーむッ」
 もみ合っているふたりのあいだから、おそろしい苦鳴(くめい)があがった。さては、民部が首をかき落とされたか、呂宋兵衛(るそんべえ)が脾腹(ひばら)をえぐられたか、どッちか一つ。

 さきにはね起きたのは、呂宋兵衛であった。
 かれの左の足に、一本の流れ矢がつき刺さっていた。つづいて民部(みんぶ)も飛びおきた。またすさまじい短剣と短剣の斬りあいになる。
「やッ、呂宋兵衛、ここにおったか」
 そのとき、ゆくりなくもきあわせた巽小文治(たつみこぶんじ)が、朱柄(あかえ)の槍(やり)をしごいて、横から突っこんだ。
「じゃまするなッ」
 ガラリとはらう。さらに突く。
 さらにはらう。またも突きだす。
 この妙槍(みょうそう)にかかっては、さすがの呂宋兵衛も、弱腰になった。それさえ、大敵と思うところへ、加賀見忍剣(かがみにんけん)、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)の三人が、ここのあやしき物音を知って、いっせいに蹄(ひづめ)をあわせて、三方から、野嵐(のあらし)のごとく馬を飛ばしてくるようす。
「呂宋兵衛、呂宋兵衛、汝(なんじ)、いかに猛(もう)なりとも、ふくろのなかのねずみどうようだ、時うつればうつるほど、ここは鉄刀(てっとう)鉄壁(てっぺき)にかこまれ、そとは八門暗剣の伏兵(ふくへい)にみちて、のがれる道はなくなるのじゃ、神妙(しんみょう)に観念(かんねん)してしまえ」
 小幡民部(こばたみんぶ)がののしると、呂宋兵衛(るそんべえ)はかッと眼(まなこ)をいからせて、わざとせせら笑った。
「だまれッ。汝(なんじ)らのようなとうすみとんぼ、百ぴきこようと千びきあつまろうと、この呂宋兵衛の目から見れば子供のいたずらだわ」
「舌長(したなが)なやつ、その息(いき)のねをとめてやるッ」
「なにを」
 と呂宋兵衛は立ちなおって、剣を、鼻ばしらの前へまッすぐ持ち、あたかも、不死身(ふじみ)の印(いん)をむすんでいるような形。
 ふしぎや、小文治(こぶんじ)の槍(やり)も民部の太刀も、その奇妙(きみょう)な構(かま)えを、どうしても破ることができない。ところへ、同時にかけあつまったまえの三人。
 この態(てい)を見るより、めいめい、ひらりひらりと鞍(くら)からおりて、かけよりざま、
「おうッ、巽小文治(たつみこぶんじ)どの、龍太郎(りゅうたろう)が助太刀(すけだち)もうすぞ」
「加賀見忍剣(かがみにんけん)これにあり、いで! 目にものみせてくれよう」
 とばかり、呂宋兵衛の前後からおッつつんだ。
 さすがのかれも、ついにあわてだした。そして、一太刀も合わせず、ふいに忍剣の側(わき)をくぐって疾風(しっぷう)のように逃げだした。
「待てッ」
 すばやくとびかかった龍太郎が、戒刀(かいとう)の切(き)ッ先するどく薙(な)ぎつけると、呂宋兵衛はふりかえって、右手の鎧通(よろいどお)しを手裏剣(しゅりけん)がわりに、
「えいーッ」
 気合(きあ)いとともに投げつけた。
 龍太郎(りゅうたろう)は身をしずめながら、刀のみねで、ガラリとそれをはらい落とした。
 と、なにごとだろう?
 ピラピラと、魚鱗(ぎょりん)のような閃光(せんこう)をえがいて飛んできた鎧通(よろいどお)しが、龍太郎の太刀(たち)にあたると同時に、銀粉(ぎんぷん)のふくろが切れたように、粉々(こなごな)とくだけ散って、あたりはにわかに、月光と霧(きり)につつまれたかのようになった。
「や、や。あやしい妖気(ようき)」
「きゃつはキリシタンの幻術師(げんじゅつし)、かたがたもゆだんするな」
「この忍剣(にんけん)にならって、破邪(はじゃ)のかたちをおとり召されい」
 と、まッさきに忍剣が、大地にからだをピッタリ伏(ふ)せ、地から上をすかしてみると、いましも、黒い影がするするとあなたへ足をはやめている。
「おのれッ」
 とびついていった忍剣の禅杖(ぜんじょう)が、力いッぱい、ブーンとうなった。とたんに、一陣(じん)の怪風――そして、わッ、と、さけんだのはまぎれもない呂宋兵衛(るそんべえ)である。
 たしかに手ごたえはあったらしいが、かれもさるもの、すばやく隠形(おんぎょう)の印(いん)をむすび、縮地飛走(しゅくちひそう)の呪(じゅ)をとなえるかと見れば、たちまち雷獣(らいじゅう)のごとく身をおどらせ、おどろく人々の眼界から、一気に二、三町も遠くとびさってしまった。
「あ、あ、あ、あ、あ!」とさすがの忍剣も、龍太郎(りゅうたろう)もそのゆくえを、ただ見まもるばかり。
 目(ま)ばたきするまに、二、三町もとんだ呂宋兵衛(るそんべえ)のあとには、うすい虹(にじ)か、あわい霧(きり)のようなものが一すじ尾をひいてのこった。

 いつまで見送って、たがいに歯がみしていたところで及ばぬことと、忍剣(にんけん)は一同をはげました。そして、そこにたおれている、伊那丸(いなまる)と咲耶子(さくやこ)とに、手当(てあて)を加えた。
 さいわいに、ふたりはさしたる重傷(ふかで)を受けていたのではなかった。けれど、やがて気がついてから、賊将(ぞくしょう)、呂宋兵衛をとり逃がしたと知って、無念がったことは、ほかの者より強かった。ことに、伊那丸は父ににて勝気(かちき)なたち。
「かれらの策(さく)におちて、おくれをとったときこえては、のちの世まで武門の名おれ。わしはどこまでも、呂宋兵衛のいくところまで追いつめて、かれの首を見ずにはおかぬ。民部(みんぶ)、止(と)めるなッ」
 いいすてるが早いか、馬の鞍(くら)つぼをたたいて、まっしぐらに走りだした。と咲耶子も、
「お待ちあそばせや、伊那丸さま。人穴(ひとあな)の殿堂は、この咲耶子が空(そら)んじている道、踏みやぶる間道(かんどう)をごあんないいたしましょうぞ」
 手綱(たづな)をあざやかに、ひらりと駒(こま)におどった武装(ぶそう)の少女は一鞭(ひとむち)あてるよと見るまに、これも、伊那丸にかけつづいた。
 ことここにいたっては、思慮(しりょ)ぶかい小幡民部(こばたみんぶ)も、もうこれまでである、いちかばちかと、決心して、
「加賀見忍剣(かがみにんけん)どの。木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)どの」
 と声高らかに呼ばわった。
「おお」
「おおう」
「そこもとたちふたりは、若君の右翼(うよく)左翼(さよく)となり、おのおの二十名ずつの兵を具(ぐ)して、おそばをはなれず、ご先途(せんど)を見とどけられよ、早く早く」
「かしこまッた」
 軍師(ぐんし)に礼をほどこして、ふたりは馬に鞭(むち)をくれる。
「つぎに山県蔦之助(やまがたつたのすけ)どの。巽小文治(たつみこぶんじ)どの」
「おう」
「おう」
「ご両所たちは搦手(からめて)の先陣。まず小文治どのは槍組(やりぐみ)十五名の猛者(もさ)をつれて、人穴(ひとあな)の殿堂よりながれ落ちている水門口をやぶり、まッ先に洞門(どうもん)のなかへ斬りこまれよ」
「心得(こころえ)た」
 小文治(こぶんじ)は朱柄(あかえ)の槍(やり)をひッかかえて、十五名の力者(りきしゃ)をひきつれ、人穴をさして、たちまち草がくれていく。
「さて蔦之助(つたのすけ)どの、そこもとは残る十七名の兵をもって、一隊の弓組(ゆみぐみ)をつくり、殿堂をかこい嶮所(けんしょ)に登って廓(くるわ)のなかへ矢を射(い)こみ、ときに応(おう)じ、変にのぞんで、奇兵(きへい)となって討ちこまれい!」
「承知(しょうち)いたしました」
「拙者(せっしゃ)は、のこりの者とともに後詰(ごづめ)をなし、若君の旗本、ならびに、総攻めの機(き)をうかがって、その時ごとに、おのおのへ合図(あいず)をもうそう。さらばでござる」
 軍配(ぐんばい)のてはずを、残りなくいいわたした民部(みんぶ)は、ひとりそこに踏(ふ)みとどまり、人穴攻(ひとあなぜ)めの作戦図(ず)を胸にえがきながら、無月(むげつ)の秋の空をあおいで、
「敗るるも勝つも、小幡民部(こばたみんぶ)の名は、おしくもなき一介(かい)の軍配(ぐんばい)とりじゃ。しかし……しかし伊那丸(いなまる)さまは大せつな甲斐源氏(かいげんじ)の一粒種(ひとつぶだね)、あわれ八幡(まん)、あわれ軍(いくさ)の神々、力わかき民部の采配(さいはい)に、無辺(むへん)のお力をかしたまえ」
 正義の声は、いつにあっても、だれの口からほとばしっても、ほがらかなものである。

 英気をやしなうため、宵(よい)のくちに、ほんのちょっと寝ておくつもりだった竹童(ちくどう)は、いつか鼻(はな)から提灯(ちょうちん)をだしてわれにもなく、大いびき。
 このぶんでほっておいたら、かならずや、夜が明けるのも知らずに寝ているにちがいない。
 ところが、好事(こうじ)魔(ま)おおし、せっかくの白河夜船(しらかわよふね)を、何者とも知れず、ポカーンと頬(ほ)っぺたをはりつけて、かれの夢をおどろかさせた者がある。
「あ痛(いた)ッ、アた、た、た、た!」
 ねぼけ眼(まなこ)ではねおきた竹童(ちくどう)は、むちゃくちゃに腹が立ったと見えて、いつにない怒(おこ)りようだ。
「おいッ、おいらをぶんなぐったのは、いったいどこのどン畜生(ちくしょう)だ、さアかんべんできない、ここへでろ、おいらの前へでてうせろッ」
 あまり太くもない腕(うで)をまくりあげて、そこへしゃちこ張ったのはいいが、竹童、まだなにを寝ぼけているのか、そこにいた人の顔を見ると、急にすくんで、膝(ひざ)ッ子のまえをかきあわせ、ペコペコお辞儀(じぎ)をしはじめたものだ。
「竹童、おまえは大そう強そうに怒(おこ)るな」
「はい……」
「どうした。おいらの前へでてうせろといばっておったではないか。なぐったわしはここにいる」
「はい、いいえ……」
「不埒者(ふらちもの)めがッ」
 なんのこと、あべこべにまた叱(しか)られた。
 もっとも、それはべつだんふしぎなことではない。いつのまにか、ここにきていた人間は、竹童(ちくどう)が小太郎山(こたろうざん)にいることとばかり思っていた、果心居士(かしんこじ)その人だったのだ。
 しかし、いくら飛走の達人(たつじん)でも、どうして、いつのまにこんなところへきたんだろうと、竹童はじぶんのゆだんをつねって、目ばかりパチパチさせている。
 けれど、なんとしても、このお師匠(ししょう)さまは人間じゃあない。ほとんど神さま、このおかたに会ってはかなわないから、三どめの大目玉をいただかないうちに、なんでもかでも、こっちからあやまってしまうほうが先手(せんて)だと、そこは竹童もなかなかずるい。
「お師匠さま。お師匠さま。どうもすみませんでございました。お使い先で、グウグウ寝てしまったのは、まったくこの竹童、悪いやつでございました。どうぞごかんべんなされてくださいまし」
「横着(おうちゃく)な和子(わこ)ではある。わしのいう叱言(こごと)を、みんなさきにじぶんからいってしまう」
「いいえ、お師匠さまの叱言よけではございませんが、ひとりでに、じぶんが悪かったと、ピンピン頭へこたえてくるのでございます」
「しかたのないやつ」
 果心居士も竹童の叱言には、いつも途中から苦笑(くしょう)してしまった。
「けれど、叱言ではないが――そちも大せつな使者に立った者ではないか。なぜ、伊那丸(いなまる)さまのご先途(せんど)まで見とどけてくるか、あるいは、ひとたび小太郎山まで立ち帰ってきて、ようすはこれこれとわしに返辞(へんじ)を聞かせぬのじゃ」
「はい。ですからわたしは、しばらくここに寝こんでいて、夜中にみなさまがここをでる時、ご一しょについていって見ようと思っていたのでござります」
「たわけ者め。そのご一同がどこにいる?」
「えッ」
 竹童(ちくどう)は始めてあたりを見まわし、
「おや? もう子(ね)の刻(こく)が過ぎたのかしら、伊那丸(いなまる)さまもお見えにならず、忍剣(にんけん)さまも、……蔦之助(つたのすけ)さまもおかしいなあ、だれもいないや。お師匠(ししょう)さま、みなさまはもう戦(いくさ)にでておしまいなされたのでしょうか?」
「もう子の刻もとッくにすぎ、裾野(すその)の戦(いくさ)も一段落(だんらく)となっているわ」
「アアしまった! しまった! すッかり寝こんでなにも知らなかった。お師匠さま、竹童はどうしてこういつまでおろかなのでござりましょう」
「どうじゃ。わしに打たれたのがむりと思うか」
「けっしてごむりとは思いません。これからこんなゆだんをいたしませんように、もっとたくさんおぶちなされてくださいまし」
「よいよい。それほどに気がつけば、本心にこたえたのじゃろう。ところで竹童、また大役があるぞ」
「もうたくさん寝ましたから、どんなむずかしいご用でも、きッとなまけずに勤めまする」
「む、ほかではないが、こよいの計略(けいりゃく)は呂宋兵衛(るそんべえ)の妖術(ようじゅつ)にやぶられ、いままた、伊那丸(いなまる)さまはじめ、その他の旗本(はたもと)たちは人穴(ひとあな)の殿堂さして攻めのぼっていった。しかし、かれには二千の野武士(のぶし)があり、幾百の猛者(もさ)、幾十人の智者(ちしゃ)軍師(ぐんし)もいることじゃ。なかなか七十人や八十人の小勢(こぜい)でおしよせたところで、たやすく嶮所(けんしょ)の廓(くるわ)は落ちまいと思う」
「わたくしもあのなかを見てきましたが、どうしてどうして、おそろしい厳重(げんじゅう)な山荘(さんそう)でございました」
「それゆえ、力で押さず、智でおとす。しかし、智にたよって勇をうしなってもならぬゆえ、わざと伊那丸さまにはお知らせいたさず、そちにだけ第二の密計(みっけい)をさずけるのじゃ。竹童(ちくどう)、耳を……」
「はい」
 とすりよると、果心居士(かしんこじ)は白髯(はくぜん)につつまれた唇(くちびる)からひそやかに、二言三言(ふたことみこと)の秘策(ひさく)をささやいた。
 それが、いかにおどろくべきことであったかは、すぐ聞いている竹童の目の玉にあらわれて、あるいは驚嘆(きょうたん)、あるいは壮感(そうかん)、あるいは危惧(きぐ)の色となり、せわしなく、瞳(ひとみ)をクルクル廻転させた。
「よいか、竹童!」
 はなれながら、果心居士(かしんこじ)はさいごにいった。
「一心になって、おおせの通りやりまする」
「そのかわり、この大役を首尾(しゅび)よくすましたら、伊那丸(いなまる)さまにおねがいして、そちも武士(ぶし)のひとりに取り立てて得(え)さすであろう」
「ありがとうござります。お師匠(ししょう)さま、侍(さむらい)になれば、わたくしでも、刀がさせるのでござりましょうね」
「差せるさ」
「差したい! きッと差してみせるぞ」
 竹童は、その興奮(こうふん)で立ちあがった。
 しかし、かれのひきうけた大役とはいったいなんだろう。もとより鞍馬山霊(くらまさんれい)の気をうけたような怪童子(かいどうじ)、あやぶむことはあるまいが、居士(こじ)の口吻(こうふん)からさっしても、ことなかなか容易(ようい)ではないらしい。

 夜もすがら、百八ヵ所で焚(た)きあかしているかがり火のため、人穴城(ひとあなじょう)の殿堂(でんどう)は、さながら、地獄(じごく)の祭のように赤い。
 和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)たちが、おおきな十字(じ)架(か)をささげて、層雲(そううん)くずれの祈祷(きとう)にでていったあとは、腹心の轟又八(とどろきまたはち)が軍奉行(いくさぶぎょう)の格(かく)になって、伊那丸(いなまる)と咲耶子(さくやこ)をうつべき、明日(あす)の作戦に忙殺(ぼうさつ)されていた。
「東の空がしらみだしたら一番貝(がい)、勢(せい)ぞろいの用意とおもえ。富士川が見えだしたら、二番貝で部署(ぶしょ)につき、三番貝はおれがふく。同時に、八方から裾野(すその)へくだって、時刻時刻の合図(あいず)とともに、遠巻(とおま)きの輪(わ)をちぢめて、ひとりあまさず討ってとる計略(けいりゃく)。かならずこの手はずをわすれるなよ」
 一同へ軍令をおわった轟又八は、やや得意ないろで広場にたち、あすの天候を観測(かんそく)するらしいていで、暗天を見あげていたが、ふと、なにがしゃくにさわったのか、
「ふふん、この闇(やみ)の晩に、なにが見えるんだ。バカ軍師(ぐんし)め、人のせわしさも知らずに、まだあんなところでのんき面(づら)をかまえていやがる」
 上のほうへはきだすようにつぶやき、そのまま、殿堂の物(もの)の具(ぐ)部屋(べや)へ隠れてしまった。
 又八をして、ぷんぷんと怒らせたものとは、いったいなんであろうか――と空をあおいで見ると、炎々(えんえん)とのぼるかがりの煙にいぶされて、高い櫓(やぐら)がそびえていた。そのてッぺんに、さっきから、ひとりの影が立っている。
 山寨(さんさい)の軍師、丹羽昌仙(にわしょうせん)であった。
 轟(とどろき)又八がバカ軍師とののしったわけである。昼間(ひるま)から、攻守両意見にわかれて、反対していたのだ。そこで昌仙(しょうせん)は詮(せん)なきこととあきらめたか、呂宋兵衛(るそんべえ)が裾野(すその)をでるとすぐ、軍備にはさらにたずさわらず、継子(ままこ)のように、ひとり望楼(ぼうろう)のいただきへあがって、寂然(じゃくねん)とたちすくみ、四顧(こ)暗々(あんあん)たる裾野をにらみつめている。
 かれは、さっさつたる高きところの風に吹かれながら、そも、なにをみつめているのだろうか。
 星こそあれ、無月荒涼(むげつこうりょう)のやみよ。――おお、はるかに焔(ほのお)の列が蜿々(えんえん)とうごいていく。呂宋兵衛らの祈祷(きとう)の群れだ、火の行動は人の行動。ちりぢりになる時も、かたまる時も、しずかな時も、さわぐ時も、なるほど、ここにあれば手にとるごとくわかる。
 と、なににおどろいたものか、昌仙の顔いろが、サッと変って、ふいに、
「あああ」
 と望楼の柱につかまりながら身をのばした。見れば、はるかかなたの火が、風に吹き散らされた蛍(ほたる)のごとく、算(さん)をみだしてきはじめたのだ。
「むウ」
 思わず重くるしいうめき声。
「しまった! あの竹童(ちくどう)という小僧(こぞう)の奇策(きさく)にはかられた。もうおそい――」
 と、かれがもらした痛嘆(つうたん)のおわるかおわらぬうち、遠き闇(やみ)にあたって、ズーンと立った一道の火柱(ひばしら)、それが消えると、一点の微光(びこう)もあまさず、すべてを暗黒がつつんでしまった。
「それ見ろ! このほうがいったとおりだッ」
 昌仙(しょうせん)は手をのばして、いきなり天井(てんじょう)へ飛びつき、そこにたれていた縄(なわ)の端(はし)をグイと引いた。と、――人穴城(ひとあなじょう)の八方にしかけてある自鳴鉦(じめいしょう)がいっせいに、ジジジジジジジジッ……とけたたましく鳴り渡る。
 これ、大手(おおて)一の門(もん)二の門三の門、人穴門(ひとあなもん)、水門、間道門(かんどうもん)の四つの口、すべて一時に護(まも)るための手配(てはい)。いうまでもなく出門(しゅつもん)は厳禁。無断(むだん)持場(もちば)をうごくべからず――の軍師合図(ぐんしあいず)。
 さらに、櫓番(やぐらばん)へ声をかけて、部下の一人で、もと道中かせぎの町人であった、燕作(えんさく)という者をよびあげ、かねて用意しておいたらしい一通の密書(みっしょ)をさずけた。
 そして口ぜわしく、
「これを一刻(こく)もはやく羽柴秀吉(はしばひでよし)どのにわたしてこい。ぐずぐずいたしておると、この山寨(さんさい)から一歩もでられなくなる。すぐいけよ、なんのしたくもしていてはならんぞ」
 と、いいつけた。
 燕作は、野武士(のぶし)の仲間から、韋駄天(いだてん)といわれているほど足早(あしばや)な男。頭(ず)をさげて、昌仙からうけた密書をふところへ深くねじおさめ、
「へい、承知(しょうち)いたしました。ですが、その秀吉さまは、山崎の合戦(かっせん)ののち、いったいどこのお城にお住(すま)いでござりましょうか」
「近江(おうみ)の安土(あづち)か、長浜の城か、あるいは京都にご滞在(たいざい)か、まずこの三つを目指(めざ)していけ」
「合点(がってん)です。では――」
 と立って、クルリとむきなおるが早いか、韋駄天(いだてん)の名にそむかず、飛鳥(ひちょう)のように望楼(ぼうろう)をかけおりていった。

 ふいに自鳴鉦(じめいしょう)を聞いた轟(とどろき)又八は、青筋(あおすじ)をかんかんに立てて立腹した。
「こっちで攻めだす用意をしているのに、どこまでもおれに楯(たて)をつくふつごうな丹羽昌仙(にわしょうせん)。軍師(ぐんし)といえどもゆるしておいてはくせになる」
 恐ろしい血相(けっそう)で、望楼の登り口へかけよってくると、出合(であ)いがしらに、上からゆうゆうと昌仙がおりてきた。
「おお、轟、籠城(ろうじょう)の用意は手ぬかりなかろうな」
「だまれ。いつ頭領(かしら)から籠城の用意をしろとおふれがでた。しかも、夜が明けしだいに、裾野(すその)へ討ってでるしたくのさいちゅうだわ」
「ならぬ! 呂宋兵衛(るそんべえ)さまから軍配(ぐんばい)を預っている、この昌仙がさようなことはゆるさぬ。七つの門は一寸たりともあけることまかりならんぞ」
「めくら軍師ッ。かしらの呂宋兵衛さまも帰らぬうち、洞門(どうもん)を閉(し)めてしまってどうする気だ」
「いまにみよ、祈祷(きとう)にでたものはちりぢりばらばら、呂宋兵衛(るそんべえ)さまも手傷(てきず)をうけて命(いのち)からがら立ちかえってくるであろうわ」
「ばかばかしい! そんなことがあってたまるものか」
 と又八が大口(おおぐち)をあいてあざわらっていると、折もおりだ。祈祷の列に加わっていった足助主水正(あすけもんどのしょう)と佐分利(さぶり)五郎次などが、さんばら髪に、血汐(ちしお)をあびて逃げかえってきた。
「やア、その姿は――?」
 今もいまとて、強情(ごうじょう)をはっていた轟又八、目をみはってこうさけぶと、裾野(すその)から逃げかえってきた者どもは声をあわせて、
「一大事、一大事。まんまと敵の計略におちいって、頭領(かしら)のご生死もわからぬような総くずれ――」
 つづいて逃げてきた手下の口から、
「伊那丸(いなまる)じしんが先手(せんて)となり、小幡民部(こばたみんぶ)が軍師(ぐんし)となって、もうすぐここへ攻めよせてくるけはい」
 と報告された。さらにあいだも待たず、
「あやしいやつが二、三十人ばかり、嶮岨(けんそ)をよじ登って、人穴(ひとあな)の裏(うら)へまわったようす」
「前面の雨(あま)ヶ岳(たけ)にも、軍兵(ぐんぴょう)の声がきこえてきた。水門口のそとでも、鬨(とき)の声があがった――」
 一刻一刻と、矢のような注進。
 そのごうごうたるさわぎのなかへ、風に乗ってきたごとく、こつぜんと走りかえってきた和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)は、一同にすがたを見せるよりはやく、
「なにをうろたえまわっているかッ、洞門(どうもん)をまもれ、水門へ人数をくばれ、バカッ、バカッ、バカッ」
 八方(ぽう)へ狂気のごとくどなりつけた。そのくせ、かれじしんからして衣(ころも)はさかれ目は血ばしり、おもては青味(あおみ)をおびて、よほど度を失っているのだからおかしい。
 昌仙(しょうせん)は、それ見ろ、といわんばかり、
「おさわぎなさるな、頭領(かしら)。大方(おおかた)こんなこととぞんじて、すでに手配(てはい)はいたしておきました」
「おお軍師(ぐんし)。こののちはかならず御身(おんみ)のことばにそむくまい。どうか寄手(よせて)のやつらを防ぎやぶってくれ」
「ご安堵(あんど)あれ、北条流(ほうじょうりゅう)の蘊奥(うんおう)をきわめた丹羽昌仙(にわしょうせん)が、ここにあるからは、なんの、伊那丸(いなまる)ごときにこの人穴(ひとあな)を一歩も踏(ふ)ませることではござらぬ」
 轟(とどろき)又八は、いつのまにか、こそこそと雑兵(ぞうひょう)のなかへ姿をかくしてしまった。

 はやくも、一の洞門に鬨(とき)の声があがる。
 まッ先に攻めつけてきたのは武田伊那丸(たけだいなまる)であった。要所のあんないは咲耶子(さくやこ)。すぐあとから、加賀見忍剣(かがみにんけん)と木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)のふたりが、右翼(うよく)左翼の力をあわせて、おのおの二十人ほどひきつれ、えいや、えいや、洞門(どうもん)の前へおしよせてきた。
 いっぽう――人穴(ひとあな)から、どッと流れおちている水門口へかかった巽小文治(たつみこぶんじ)は、槍(やり)ぞろい十五名の部下をつれて、水門をぶちこわそうとしたが、頭の上へガラガラと岩や大木を投げつけてくるのに悩(なや)まされた。のみならず、水門には、頑丈(がんじょう)な鉄柵(てつさく)が二重になっているうえ、足場(あしば)のわるい狭隘(きょうあい)な谿谷(けいこく)である。おまけに、全身水しぶきをあびての苦戦は一通(ひととお)りでない。
 うら山の嶮(けん)にのぼって、殿堂へ矢を射(い)こもうとした山県蔦之助(やまがたつたのすけ)以下の弓組も、とちゅう、おもわぬ道ふさぎの柵(さく)にはばめられたり、八方(ぽう)わかれの謎道(なぞみち)にまよわされたりして、やっとたどりついたが、はやくもそれと知った丹羽昌仙(にわしょうせん)が、望楼(ぼうろう)のうえから南蛮銃(なんばんじゅう)の筒口(つつぐち)をそろえて、はげしく火蓋(ひぶた)を切ってきた。
 丹羽昌仙の北条流(ほうじょうりゅう)の軍配(ぐんばい)と、二千の野武士(のぶし)と、この天嶮無双(てんけんむそう)な砦(とりで)によった人穴(ひとあな)の賊徒(ぞくと)らは、こうしてビクともしなかった。
 ついにむなしくその夜は明けた。――二日目もすぎた。三日目にも落とすことができなかった。ああなにせよ小勢(こぜい)、いかに伊那丸があせっても、しょせん、百人足らずの小勢では洞門ひとつ突き破ることもむずかしそうである。
「民部(みんぶ)、わしはこんどはじめて、戦(いくさ)の苦しさを知った。あさはかな勇にはやったのが恥(はず)かしい。しかし武夫(もののふ)、このまま退(ひ)くのは残念じゃ」
 前面の高地、雨ヶ岳を本陣として、ひとまず寄手(よせて)をひきあげた伊那丸(いなまる)が、軍師(ぐんし)小幡民部(こばたみんぶ)とむかい合って、こういったのがちょうど九日目。
「ごもっともでござります」民部も軍扇(ぐんせん)を膝(ひざ)について、おなじ無念にうつむきながら思わず、
「ああ、ここにもう二、三百の兵さえあれば、策(さく)をかえて、一つの戦略をめぐらすことができるのだが」
 とつぶやくと、伊那丸も同じように、嘆(たん)をもらして、
「そのむかし、武田菱(たけだびし)の旗の下(もと)には、百万二百万の軍兵(ぐんぴょう)が招(まね)かずしてあつまったものを」
「また、わが君のおうえにも、かならず輝きの日がまいりましょう。いや、不肖(ふしょう)民部の身命(しんめい)を賭(と)しましても、かならずそういたさねば相なりませぬ」
「うれしいぞ民部。けれど、みすみす敵を目のまえにしながら、わずか七、八十人の味方とともにこのありさまでいるようでは……」
 と無念の涙をたたえていると、いままで、うしろに黙然(もくねん)としていた木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)が、なに思ったか、
「伊那丸さま――」
 とすすみだして、
「どうぞ某(それがし)に四日のお暇(いとま)をくださいますよう」
 といいだした。
「なに四日の暇をくれともうすか」
「されば、ただいま民部どのが、欲(ほ)しいとおっしゃっただけの兵を、かならずその日限(にちげん)のうちに、若君のおんまえまで召(め)しあつめてごらんにいれまする」
「おお龍太郎どの――」
 と民部は、うれしそうな声と顔をひとつにあげて、
「民部、畢生(ひっせい)の軍配(ぐんばい)のふりどき、ぜひともごはいりょをおねがいもうすぞ」
「しかし、いまの戦国多端(たたん)のときに、二、三百の兵を四日にあつめてくるのは容易(ようい)でないこと。龍太郎、それはまちがいないことか……」
 伊那丸(いなまる)は気づかわしそうな顔をした。
 が龍太郎はもう立ちあがって、敢然(かんぜん)と礼(れい)をしながら、
「ちと心算(しんさん)もござりますゆえ、なにごとも拙者(せっしゃ)の胸におまかせをねがいます。ではわが君、民部どの、きょうから四日のちに、三百人の軍兵(ぐんぴょう)とともにお目にかかるでござりましょう」
 仮屋(かりや)の幕(まく)をしぼって、陣をでた木隠龍太郎は、みずから「項羽(こうう)」と名づけた黒鹿毛(くろかげ)の駿馬(しゅんめ)にまたがり、雨ヶ岳の山麓(さんろく)から真(ま)一文字(もんじ)に北へむかった。
 すると、かれのすがたを見かけた者であろうか、
「おおうい。おおうい木隠(こがくれ)どの――」
 と呼(よ)びかけてくる者がある。駒(こま)をとめてふとふりかえると、本栖湖(もとすこ)のほうから槍組(やりぐみ)二隊をひきつれてそこへきた巽小文治(たつみこぶんじ)が、せんとうに朱柄(あかえ)の槍をかついで立ち、
「おそろしい勢いで、どこへおいでなさるのじゃ」
 とふしぎそうにかれを見あげた。
「おお小文治(こぶんじ)どのか、拙者(せっしゃ)はにわかに大役をおびて、これから小太郎山(こたろうざん)へ立ちかえるところだ」
「ふーむ、ではいよいよ人穴攻(ひとあなぜ)めは断念(だんねん)でござるか」
「どうしてどうして。ほんとうの合戦(かっせん)はこれから四日目だ。なにしろいそぎの出先(でさき)、ごめん――」
「おお待ってくれ。いったいなんの用で小太郎山へお帰り召(め)さるのじゃ」
 と小文治(こぶんじ)がききかえすまに、駿馬(しゅんめ)項羽(こうう)のかげは木隠をのせて、疾風(しっぷう)のごとく遠ざかってしまった。
 難攻不落(なんこうふらく)の人穴攻めは、こうしてあと四日ののちを待つことになった。しかし、伊那丸(いなまる)や、忍剣(にんけん)や民部(みんぶ)などの七将星のほかに、果心居士(かしんこじ)の秘命(ひめい)をうけている竹童(ちくどう)は、そもそもこの大事なときを、どこでなにをまごまごしているのだろう。
 いくらのんきな竹童でも、まさか、お師匠(ししょう)さまの叱言(こごと)をわすれて、裾野(すその)の野うさぎなんかと、すすきのなかでグウグウ昼寝もしていまいが、もういいかげんに、なにかやりだしてもよいじぶん。
 ぐずぐずしていれば、丹羽昌仙(にわしょうせん)の密使(みっし)が、秀吉(ひでよし)のところへついて、いかなる番狂(ばんくる)わせが起ろうも知れず、四日とたてば、木隠(こがくれ)龍太郎の吉左右(きっそう)もわかってくる。どっちにしても、ここ二、三日のうちに果心居士(かしんこじ)の命(めい)をはたさなければ、こんどこそ竹童、鞍馬山(くらまやま)から追(お)ンだされるにきまっている。

 安土(あづち)の山は焼け山だ。
 安土の城も半分は焼けくずれている。
 岩は赭(あか)くかわき、石垣はいぶり、樹木の葉は、みなカラカラ坊主(ぼうず)になって黒い幹(みき)ばかりが立っていた。
 その石段を、ぴょい、ぴょい、ぴょい。まるでりすのようなはやさでかけのぼっていったのは、竹(たけ)ノ子(こ)笠(がさ)に道中合羽(どうちゅうがっぱ)をきて旅商人(たびあきんど)にばけた丹羽昌仙の密使、早足(はやあし)の燕作(えんさく)だ。
 中途(ちゅうと)でちょっと小手をかざし、四方をながめまわして、
「ああ変るものだなあ。戦国の世の中ほど、有為転変(ういてんぺん)のはやいものはない。どうだい、ついこの夏までは、右大臣織田信長(うだいじんおだのぶなが)の居城(きょじょう)で、この山の緑(みどり)のなかには、すばらしい金殿玉楼(きんでんぎょくろう)が見えてよ、金の鯱(しゃち)や七重(じゅう)のお天主(てんしゅ)が、日本中をおさえてるようにそびえていた安土城(あづちじょう)だ。それが、たった一日でこのありさま。おもえば明智光秀(あけちみつひで)という野郎(やろう)も、えらい魔火(まび)をだしやあがったものだなア……」
 燕作(えんさく)でなくても、ひとたびここに立って、一朝(ちょう)の幻滅(げんめつ)をはかなみ、本能寺変(ほんのうじへん)いらいの、天下の狂乱をながめる者は、だれか、惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)の大逆(たいぎゃく)をにくまずにいられようか。
 けれど、その光秀(みつひで)じしん、悪因悪果(あくいんあっか)、土冠(どこう)の竹槍(たけやり)にあえない最期(さいご)をとげてしまった。で、いまではこの安土城(あづちじょう)のあとへ、信長(のぶなが)の嫡孫(ちゃくそん)、三法師(ぼうし)丸(まる)が清洲(きよす)からうつされてきて、焼けのこりの本丸(ほんまる)を修理し、故右大臣家(こうだいじんけ)の跡目(あとめ)をうけついでいる。
 だが、三法師君は、まだきわめて幼少であったため、もっぱら信長の遺業(いぎょう)を左右し、後見人(こうけんにん)となっている者はすなわち、ここ、にわかに大鵬(たいほう)のかたちをあらわしてきた左少将羽柴秀吉(さしょうしょうはしばひでよし)。――つまり、早足(はやあし)の燕作(えんさく)が、はるばる尋ねてきたその人である。
「おっと、見物は帰りみちのこと、なにしろ役目を果さないうちは気が気じゃない……」
 と燕作は、ふたたび笠(かさ)のふちをおさえながら、一散(さん)に石段から石段をかけのぼっていくと、
「こらッ」
 といきなり合羽(かっぱ)の襟(えり)をつかまれた。
「へ、へい」
 とびっくりしてふりかえると、具足(ぐそく)をつけた侍(さむらい)――いかにも強そうな侍だ。
 槍(やり)の石突(いしづ)きをトンとついて、
「どこへいく? きさまのような町人がくるところじゃない。もどれッ」
 とにらみつけた。
 すると、焼(や)け崩(くず)れの土塀(どべい)のかげからさらに、りっぱな武将が四、五人の足軽(あしがる)をつれて見廻りにきたが、このていを見ると、つかつかとよってきて、
「才蔵(さいぞう)、それは何者じゃ」
 とあごでしゃくった。
「ただいま、取り調べているところでござります」
「うむ、お城のご普請中(ふしんちゅう)をつけこんで、雑多(ざった)なやつがまぎれこむようすじゃ。びしびしと締(し)めつけて白状(はくじょう)させい」
 燕作(えんさく)はおどろいた。
 そのびしびしのこないうちにと、あわてて密書(みっしょ)を取りだし、
「もしもし、わたくしはけっしてあやしい人間じゃあございません。この通り秀吉(ひでよし)さまへ大事なご書面を持ってまいりましたもの、どうぞよろしくお取次(とりつ)ぎをねがいます。へい、これでございます」
「どれ」
 武将は受けとって、と見、こう見、やがて、うなずいてふところに入れてしまった。
「よろしい。帰っても大事ない」
「へい……」
 燕作(えんさく)はもじもじして、
「ですが、しつれいでございますが、あなたさまはいったい、どなたでござりましょうか、お名まえだけでもうかがっておきませんと、その……」
「それがしは秀吉公(ひでよしこう)の家臣、福島市松(ふくしまいちまつ)だわ」
「あ、正則(まさのり)さま」
 と、燕作はとびあがって、
「それなら大安心、これでわたくしの荷(に)も降(お)りたというわけ。ではみなさんごめんなさいまし、さようなら」
 いま、ツイそこでおじぎをしていたかと思うまに、もう燕作のすがたは、松の樹(こ)がくれに小さくなって、琵琶湖(びわこ)のほうへスタコラと歩いていた。
「おそろしい足早(あしばや)な男もあるもの――」
 福島正則は、家来の可児才蔵(かにさいぞう)と顔をあわせて、しばし、あきれたように竹ノ子笠(がさ)を見送っていた。

 うえの羽織(はおり)は、紺地錦(こんじにしき)へはなやかな桐散(きりぢら)し、太刀(たち)は黄金(こがね)づくり、草色の革(かわ)たびをはき、茶筌髷(ちゃせんまげ)はむらさきの糸でむすぶ。すべてはでずきな秀吉(ひでよし)が、いま、その姿(すがた)を、本丸(ほんまる)の一室にあらわした。
 そこでかれは、腰へ手をまわし、少し背(せ)なかを丸くして、しきりに壁(かべ)をにらんでいる。達磨大師(だるまだいし)のごとく、いつまでもあきないようすで、一心に壁とむかいあっている。
 飯(めし)をかむまもせわしがっているほどの秀吉が、にらみつめている以上、壁もただの壁ではない。縦(たて)六尺あまり横(よこ)三間(げん)余(よ)のいちめんにわたって、日本全土、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)のありさまを、青、赤、白、黄などで、一目(もく)瞭然(りょうぜん)にしめした大地図の壁絵。――さきごろ、絵所(えどころ)の工匠(こうしょう)を総(そう)がかりで写(うつ)させたものだ。
「あるある。安土(あづち)などよりはぐんとよい地形がある。まず秀吉が住むとなれば、この摂津(せっつ)の大坂(おおさか)だな……」
 この地図を見ていると、秀吉はいつもむちゅうだ。青も赤も黄色も眼中にない、かれの目にはもう一色(ひといろ)になっているのだ。
「関東には一ヵ所よい場所があるな。しかし、西国(さいごく)の猛者(もさ)どもをおさえるにはちと遠いぞ。――お、これが富士(ふじ)、神州(しんしゅう)のまン中に位(くらい)しているが、裾野(すその)一帯(たい)から、甲信越(こうしんえつ)の堺(さかい)にかけて、無人(むじん)の平野、山地の広さはどうだ。うむ……なかなかぶっそうな場所が多いわ」
 ひとり語(ごと)をもらしながら、若いのか爺(じじ)いなのか、わからぬような顔をちょっとしかめていると、
「秀吉(ひでよし)どの――」
 かるく背(せ)なかをたたいた人がある。
「おお」
 われに返ってふりむくと、いつのまにきていたのか、それは右少将徳川家康(うしょうしょうとくがわいえやす)であった。
「だいぶ、ご熱心なていに見うけられまするのう」
「はッはッはははは。いやほんのたいくつまぎれ。それより家康どのには、近ごろめずらしいご登城(とじょう)」
「ひさしく三法師(ぼうし)君(ぎみ)にもご拝顔いたしませぬので、ただいまごきげんうかがいをすまして、お暇(いとま)をいただいてまいりました。時に、話はちがいまするが、さきごろ、秀吉どのには世にもめずらしい品(しな)をお手に入(い)れたそうな」
「はて? なにか茶道具の類(るい)のお話でもござりますかな」
「いやいや。武田家(たけだけ)につたわる天下の名宝、御旗(みはた)楯無(たてなし)の二品(ふたしな)をお手に入(い)れたということではござりませぬか」
「あああれでござるか、いや例の好(この)みのくせで、求めたことは求めましたが、さて、なんに使うということもできない品(しな)で、とんだ背負物(しょいもの)でござる。あはははははは」
 と、秀吉(ひでよし)は、こともなく笑ってのけたが、家康(いえやす)にはいたい皮肉(ひにく)である。穴山梅雪(あなやまばいせつ)に命じて、じぶんの手におさめようとした品(しな)を、いわば不意に、横からさらわれたような形。
 しかし、秀吉はそんな小さな皮肉のために、黄金(おうごん)千枚を積(つ)んで買いもとめたわけでもなく、また決して、御旗(みはた)楯無(たてなし)の所有慾(しょゆうよく)にそそられたものでもない。要は和田呂宋兵衛(るそんべえ)という野武士(のぶし)の潜勢力(せんせいりょく)を買ったのだ。
 清濁(せいだく)あわせ呑(の)む、という筆法で、蜂須賀小六(はちすかころく)の一族をも、その伝(でん)で利用した秀吉が、呂宋兵衛に目をつけたのもとうぜんである。
 かれを手なずけておいて、甲駿三遠(こうすんさんえん)四ヵ国の大敵、げんに目のまえにいる徳川家康を、絶えずおびやかし、時によれば、背後をつかせ、つねに間諜(かんちょう)の役目をさせておこう、――というのが秀吉のどん底にある計画だ。
 と、折からそこへ、
「右少将(うしょうしょう)さまにもうしあげます。ただいま、ご家臣の本多(ほんだ)さまがお国もとからおこしあそばしました」
 と、ひとりの小侍(こざむらい)が取りついできた。すると、入れかわりにまたすぐと、べつな侍が両手をつき、
「左少将(さしょうしょう)さま。福島正則(ふくしままさのり)さまが、ちとご別室で御意(ぎょい)得たいと先刻(せんこく)からおまちかねでござります」
 ふたりは、大地図(だいちず)のまえをはなれて、目礼(もくれい)をかわした。
「ではまた、後刻(ごこく)あらためてお目にかかりましょう」
 端厳(たんげん)、麒麟(きりん)のごとき左少将秀吉(さしょうしょうひでよし)。風格、鳳凰(ほうおう)のような右少将家康(うしょうしょういえやす)。どっちも胸に大野心(だいやしん)をいだいて、威風(いふう)あたりをはらい、安土城本丸(あづちじょうほんまる)の大廓(おおくるわ)を右と左とにわかれていった。

「野武士(のぶし)のうちにも人物があるぞ」
 別室にうつって、福島正則(ふくしままさのり)の手から密書(みっしょ)をうけ取った秀吉(ひでよし)は、一読して、すぐグルグルとむぞうさに巻(ま)きながら、
「丹羽昌仙(にわしょうせん)というやつ、ちょっと使えるやつじゃ。したがこの手紙の要求などをいれることはまかりならん。ほっとけ、ほっとけ」
「信玄(しんげん)の孫、伊那丸(いなまる)とやらが、ふたたび、甲斐源氏(かいげんじ)の旗揚(はたあ)げをいたす兆(きざ)しが見えると、せっかく、かれからもうしてまいったのに、そのままにいたしておいても、大事はござりますまいか」
「市松(いちまつ)、そこが昌仙のぬからぬところじゃ。われからことに援兵(えんぺい)をださせて、北条(ほうじょう)、徳川(とくがわ)などの領地(りょうち)をさわがせ、その機(き)に乗じておのれの野心をとげんとする。――秀吉(ひでよし)にそんな暇(ひま)はない、乳(ちち)くさい伊那丸ごとき者にほろぼされる者なら滅(ほろ)んでしまえ」
「では、だれか一、二名をつかわして、呂宋兵衛(るそんべえ)のようす、また、武田伊那丸(たけだいなまる)の形勢などを、さぐらせて見てはいかがでござりましょうか」
「む、それはよいな。――だが、待てよ、家康(いえやす)の領内をこえていかにゃならぬ。腹心の者はみな顔を知られているし、そうかともうして、凡々(ぼんぼん)な小者(こもの)ではなんの役にも立つまいのう」
「それには、屈強(くっきょう)な新参者(しんざんもの)がひとりござります」
「それやだれだ」
「可児才蔵(かにさいぞう)という豪傑(ごうけつ)でござる。わたくしじまんの家来、ちかごろのほりだし者と、ひそかに鼻を高くしておるほどの者でござりまする」
「む、山崎の合戦(かっせん)このかた、そちの幕下(ばっか)となった評判(ひょうばん)の才蔵か、おお、あれならよろしかろう」
 正則(まさのり)は、秀吉(ひでよし)のまえをさがって、やがて、この旨(むね)を可児才蔵にふくませた。
 才蔵は新参者(しんざんもの)の身にすぎた光栄と、いさんでその夜、こっそりと鳥刺(とりさ)し稼業(かぎょう)の男に変装(へんそう)した。そしてもち竿(ざお)一本肩にかけ安土(あづち)の城をあかつきに抜けて、富岳(ふがく)の国へ道をいそぐ――
 ずっと後年(こうねん)――関ヶ原の役(えき)に、剣頭にあげた首のかずを知らず、斬っては笹(ささ)の枝にさし、斬っては笹に刺(さ)したところから、「笹(ささ)の才蔵(さいぞう)」と一世に武名をうたわれた評判男は、いよいよこれから、武田伊那丸の身辺に近づこうとする変装(へんそう)の鳥刺し、この可児才蔵であった。
 剣道は卜伝(ぼくでん)の父塚原土佐守(つかはらとさのかみ)の直弟子(じきでし)。相弟子(あいでし)の小太郎と同格といわれた腕、槍(やり)は天性(てんせい)得意とする可児才蔵(かにさいぞう)が、それとは似(に)もつかぬもち竿(ざお)をかついで頭巾(ずきん)に袖(そで)なしの鳥刺(とりさ)し姿。
「ピピピピッ、……ピョロッ、ピョロ、ピョロ……」
 時々は、吹きたくない鳥呼笛(とりよびぶえ)をふき、たまには、雀(すずめ)の後(あと)をおっかけたりして、東海道の関所(せきしょ)から、関所を、たくみに切りぬけてくるうちに、これはどうだろう、かほどたくみに変装(へんそう)したかれを、もうひとりの男が、見えつかくれつ、あとをつけて、慕(した)っていく。
 ところが、世の中はゆだんがならない、その男はとちゅうからつけだしたのではなく、じつは、安土(あづち)の城からくっついてきているのだ。
 同じ日に、浜松から安土(あづち)へきた家康(いえやす)の家臣、徳川四天王(てんのう)のひとり本多忠勝(ほんだただかつ)が、こッそりその男をつけさせた。――というのは、竹ノ子笠(がさ)の燕作(えんさく)が、正則(まさのり)に密書(みっしょ)をわたしたようすを、休息所の窓(まど)から、とっくりにらんでいたのである。
「はてな?」小首をかしげた忠勝(ただかつ)は、主人家康と面談をすましてから、とものなかにいる菊池半助(きくちはんすけ)という者をひそかによんだ。そしてなにかささやくと、半助はまたどこかへか立ち去った。
 この菊池半助も、前身は伊賀(いが)の野武士(のぶし)であったが、わけあって徳川家(とくがわけ)に見いだされ、いまでは忍術組(にんじゅつぐみ)の組頭(くみがしら)をつとめている。いわゆる、徳川時代の名物、伊賀者(いがもの)の元祖(がんそ)は、この菊池半助(きくちはんすけ)と、柘植半之丞(つげはんのじょう)、服部小源太(はっとりこげんた)の三羽(ば)烏(がらす)。そのひとりである半助が、忍術(にんじゅつ)に長(た)けているのはあたりまえ、あらためてここにいう要がない。したがって偽鳥刺(にせとりさ)しの可児才蔵(かにさいぞう)の後をつけ、落ちつく先の行動を見とどけるくらいな芸当は、まったく朝飯前(あさめしまえ)の仕事だった。

ピキ ピッピキ トッピキピ
おなかがへッて北山(きたやま)だ
芋(いも)でもほッて食(く)うべえか
芋泥棒(いもどろぼう)にゃなりたくない
鳶(とんび)を捕(と)ッて食(く)うべえか
ヒョロヒョロ泣かれちゃ喰(た)べかねる
そんなら雪でも食(く)ッておけ
富士の山でもかじりてえ
ピキ ピッピキ トッピキピ
 だれだろう? そも何者だろう? こんなでたらめなまずい歌を、おくめんもなく、大声でどなってくるものは。
 この村には、家はならんでいるが、ほとんど人間はいなくなっているはず。五湖、裾野(すその)、人穴(ひとあな)、いたる所ではげしい斬り合があったり、流れ矢が飛んできたりしたため、善良な村の人たちは、すわ、また大戦の前駆(ぜんく)かと、例によって、甲州の奥ふかく逃げこんだ。
 それゆえ、秋の日和(ひより)だというのに、にわとりも鳴かず、杵(きね)の音(おと)もせず、あわれにも閑寂(かんじゃく)をきわめている。いま聞こえたへたくそな歌も、一つはこのせいで、いっそう、素(す)ッ頓狂(とんきょう)にもひびいてきこえる。
「やア、こいつア、こいつアこいつアうまいものがあらあ――」
 こんどは地声(じごえ)で、人なき村のある軒先(のきさき)に立ち――こういったのは竹童(ちくどう)である。
 かれが、目の玉をクルクルさせ、よだれをたらして見あげたのは、大きな柿(かき)の木であった。上には枝もたわわに、まだ青いのや、赤ずんできた猿柿(さるがき)が、七分(ぶ)三分(ぶ)にブラさがっている。
「こッちの端(はし)にある赤いやつはうまそうだなあ。取っちゃあ悪いかしら? かまわないかしら……?」
 いつまでも立って考えている。この姿を、果心居士(かしんこじ)が見たら、なんとあきれるだろう。
 口に葉ッぱをくわえているところを見ると、いま、木(こ)の葉(は)笛(ぶえ)を吹きながら、へんなでまかせを歌ったのもこの竹童にそういない。いったいこの子は、お師匠(ししょう)さまからいいつけられている計略(けいりゃく)なんか、とっくにドコかへ忘れてしまっているのではないかしら、第一きょうはかんじんな、かの昇天雲(しょうてんうん)である鷲(わし)にも乗っていない。
「いいや、いいや。一ツや二ツくらいとってかまうもんか。柿(かき)なんか、ひとりでに、地べたから生(は)えてるものなんだ。これを取ったッて、泥棒(どろぼう)なんかになりゃしない」
 勝手(かって)なりくつをかんがえて、ぴょいと、木へ飛びつくと、これはまたあざやかなもの。なにしろ、本場(ほんば)鞍馬(くらま)の山で鍛(きた)えた木のぼり。するッと上がって、一番赤い柿(かき)のなっている枝先へ、鳥のようにとまッてしまった。
「べッ、しぶいや」
 びしゃッと下へたたきすてる。
「ありがたい――」
 次のは甘かったと見える。もう口なんかきいていない。猿(さる)のようにカリカリ音をさせて頬(ほお)ばり、たねだけを下へはきだしている。
「甘いなあ、これで一霜(しも)かかればなお甘いんだ。おいらばかり食(た)べているのはもったいない、お師匠(ししょう)さまにも一つ食(た)べさせてあげたいな……」
 食(く)うに専念(せんねん)、ことばはブツブツ噛(か)みつぶれた寝言(ねごと)のようだ。このぶんなら、まだ十や十五は食(く)えそうだという顔でいると、どうしたのか竹童(ちくどう)、時々、チクリ、チクリと、変に顔をしかめだした。
「ア痛(いた)!」と粘(ねば)った手で頬(ほ)っぺたをおさえた。
 が、またすぐ食(く)う。
 木を降りるのもおしいようす。と、一口かじりかけると、またチクリ。
「ちぇッ」と舌(した)うちして襟(えり)くびをなでた。こんどは大へん、なでた手がチクリと刺された。
「なんだろう、さっきから――」
 そッとさぐってみると、こいつはふしぎ、針だ、キラキラする二寸(すん)ばかりの女の縫針(ぬいばり)。
「あッ!」
 そのとたんに、竹童はおもわず肱(ひじ)をまげて顔をよけた。まえの萱葺屋根(かやぶきやね)の家から、射(い)るようなするどい目がキラッとこちらへ光った。
「降(お)りろ、小僧(こぞう)!」
 見ると、百姓家(ひゃくしょうや)のやぶれ廂(びさし)の下から、白い煙がスーッとはいあがっている。そこには、ひとりのお婆(ばあ)さん、麻(あさ)のような髪(かみ)をうしろにたれ、鍋(なべ)や、糸かけを前に、腰をかけて、繭(まゆ)を煮(に)ながら、湯のなかの白い糸をほぐしだしている。

 柿(かき)の木から飛びおりた竹童(ちくどう)は、はじめてそこに人あるのを知って、軒先(のきさき)に近より、家の中をのぞいてみると、奥(おく)には雑多(ざった)な蚕道具(かいこどうぐ)がちらかっており、土間(どま)のすみの土(ど)べっついのまえには、ひとりの男がうしろ向きにしゃがんで、スパリ、スパリ、煙草(たばこ)をつけながら火を見ている。
「ごめんよ、あれ、お婆(ばあ)さんとこの柿(かき)の木だったのかい?」
 竹童(ちくどう)は繭(まゆ)の鍋(なべ)をのぞきながら、たッた一つおじぎをした。
 婆(ばあ)さんは、ぎょろッとした目をあげて、
「人みしりをしねえ餓鬼(がき)だ。なんだって、人んとこの柿をだまってぬすみさらすのじゃい」
「だからあやまってるじゃないか。ああそうそう、おいらも用があってこの村へきたんだっけ。お婆さん、どこかこのへんに、物をあきなっている家(うち)はないかしらなあ」
「でまかせをこけ。この村には、ここともう一軒(けん)鍛冶屋(かじや)よりほかに人はいやしない。そんなことは承知(しょうち)のうえで、柿泥棒(かきどろぼう)にきやがったくせにして」
「ほんとだ、おいらまったく買いたい物があってきたんだ。お婆さんとこにあったらゆずってくんないか」
「なんだい」
「松明(たいまつ)さ」
「松明?」
「アア、二十本ばかりほしいんだがなあ」
「餓鬼のくせに、松明なんかなんにするだ」
「ちょッといることがあるんだよ。お婆(ばあ)さんの家(うち)に持ちあわせはないかね」
「ねえッ、そんなものは!」
 といった婆さんの顔を見て、竹童は「あッ」と叫んでしまった。お婆さんの口の中で光った物があったのだ。三、四本の乱杭歯(らんぐいば)の間を、でたり入(はい)ったりしているのは、たしかに四、五十本の縫針(ぬいばり)だ。
 これだ!
 さっき柿の木の上まで飛んできて頬(ほ)っぺたを刺(さ)した針は――竹童はむッとした。
「たぬき婆(ばばあ)。もう、松明(たいまつ)なんかたのまない!」
「なんだと、この小僧(こぞう)」
「よくも、おいらをさんざん悩(なや)めやがったなッ」
 いきなり腰の棒切(ぼうき)れを抜いてふりかぶり、蚕婆(かいこばばあ)の肩をピシリと打っていったせつな、あら奇怪、身をかわした婆(ばばあ)の口から、ピラピラピラピラピラピラピラ糸のような細い光線となって、竹童の面(めん)へ吹きつけてきた含(ふく)み針(ばり)!
 これこそ、剣、槍(やり)、薙刀(なぎなた)の武術のほかのかくし技(わざ)、吹針(ふきばり)の術(じゅつ)ということを、竹童も、話には聞いていたが、であったのは、きょうがはじめてである。
「その時に、目に気をつけろ、敵の目をとるのが吹針の極意(ごくい)」と、かねて聞いていたので、竹童はハッとして、とっさに顔をそむけて飛びのいた。

 その時だった。
 竹童(ちくどう)と蚕婆(かいこばばあ)の問答(もんどう)をよそに土(ど)べっついの火にむかって煙草(たばこ)をくゆらしていた脚絆(きゃはん)わらじの男が、ふいに戸外(おもて)へ飛びだしてきた。
 男は、やにわに、竹童の首ッ玉へ、うしろから太腕を引っかけて、かんぬきしばりに、しばりあげた。
「鞍馬山(くらまやま)の小僧(こぞう)、いいところであった!」
「くッ、くッ……」
 竹童はのどをひッかけられて声がでない。顔ばかりをまッ赤(か)にし、喉首(のどくび)の手を、むちゃくちゃにひッかいた。
「ちッ、畜生(ちくしょう)。きょうばかりはのがしゃしねえ」
「だれだいッ、くッくくくくるしい」
「ざまあみやがれ。小(ち)っぽけなぶんざいをしやがって、よくも武田伊那丸(たけだいなまる)の諜者(ちょうじゃ)になって、人穴(ひとあな)へ飛びこみ、おかしらはじめ、多くの者をたぶらかしやがったな。その返報(へんぽう)だ、こうしてやる! こうしてやる」
 と、なぐりつけた。
「くそウ! おいらだって、こうなりゃ鞍馬山の竹童だ」
 と、ぼつぜんと、竹童(ちくどう)もはんぱつした。
 なりこそちいさいが、必死の力をだすと、大人(おとな)もおよばぬくらい、ねじつけられている体(からだ)をもがいて、男の鼻と唇(くちびる)へ指をつッこみ、鷲(わし)のように爪(つめ)を立てた。
「あッ」
 これにはさすがの男も、ややたじたじとしたらしい。ゆだんを見すまし、竹童は腕のゆるみをふりほどくが早いか一目(もく)散(さん)――
「おまえみたいな下(した)っ端(ぱ)に、からかってなんかいられるもんかい!」
 すてぜりふをいって、あとをも見ずに逃げだした。
「バカ野郎(やろう)」
 男は割合(わりあい)に落ちついて見送っている。
「そうだそうだ。もッと十町でも二十町でも先に逃げてゆけ、はばかりながら、てめえなんかに追いつくにゃ、この燕作(えんさく)さまにはひと飛びなんだ」
 この男こそ、燕作だった。さてこそ、竹童を伊那丸(いなまる)の手先と見て、組みついたはず。
 かれは、首尾(しゅび)よく、丹羽昌仙(にわしょうせん)の密書をとどけて、ここまで帰ってきたものの、人穴(ひとあな)城の洞門(どうもん)はかたく閉(し)められ、そこここには伊那丸の一党(とう)が見張っているので、山寨(さんさい)へも帰るに帰られず、蚕婆(かいこばばあ)の家(うち)にかくれていたものらしい。
「あの竹童のやつをひっ捕(と)らえていったら、さだめし呂宋兵衛(るそんべえ)さまもお喜びになるだろうし、おれにとってもいい出世(しゅっせ)仕事だ。どれ、一つ追いついて、ふんづかまえてくれようか」
 いうかと思うまに、もう燕作(えんさく)は、礫(つぶて)のとんでいくように走っていた。それを見るとなるほど稀代(きたい)な早足(はやあし)で、日ごろかれが、胸に笠(かさ)をあてて馳(か)ければ、笠を落とすことはないと自慢しているとおり、ほとんど、踵(かかと)が地についているとは見えない。
 竹童(ちくどう)も、逃げに逃げた。折角村(おりかどむら)から蛭(ひる)ヶ岳(たけ)の裾(すそ)を縫(ぬ)って街道にそって、足のかぎり、根(こん)かぎり、ドンドンドンドンかけだして、さて、
「もうたいがい大じょうぶだろう――」と立ちどまり、ひょいとあとをふりかえってみると、とんでもないこと、もうすぐうしろへ追いついてきている。
「あッ」またかける。燕作もいちだんと足を早めながら、
「やあい、竹童。いくら逃げてもおれのまえをかけるのはむだなこッたぞ」
「おどろいた早足だな、早いな、早いな、早いな」
 さすがの竹童も敵ながら感心しているうちに、とうとう、ふたたび燕作のふと腕が、竹童の襟(えり)がみをつかんで、ドスンとあおむけざまに引っくりかえした。
 そこは、釜無川(かまなしがわ)の下(しも)、富士川(ふじがわ)の上(かみ)、蘆山(あしやま)の河原(かわら)に近いところである。燕作は、思いのほかすばしッこい竹童をもてあまして、手捕(てど)りにすることをだんねんした。そのかわり、かれはにわかにすごい殺気を眉間(みけん)にみなぎらせ、
「めんどうくせえ、いッそ首にして呂宋兵衛(るそんべえ)さまへお供(そな)えするから覚悟(かくご)をしろ」とわめいた。
 ひきぬいたのは、二尺四寸の道中差(どうちゅうざし)、竹童はぎょッとしてはね返った。とすぐに、するどい太刀風(たちかぜ)がかれの耳(みみ)たぶから鼻ばしらのへんをブーンとかすった。
 哀れ竹童、組打ちならまだしも、駈(か)け競(くら)べならまだしものこと――真剣(しんけん)の白刃交(しらはま)ぜをするには、悲しいかな、まだそれだけの骨組もできていず、剣をとっての技(わざ)もなし、第一、腰に差してる刀というのが、頼みすくない樫(かし)の棒切(ぼうき)れだ。

 秋の水がつめたくなって、鮠(はや)も山魚(やまめ)もいなくなったいまじぶん、なにを釣(つ)る気か、ひとりの少年が、蘆川(あしかわ)の瀞(とろ)にむかって、釣(つ)り糸(いと)をたれていた。
 少年、年のころは十五、六。
 すこし低能(ていのう)な顔だちだが、目だけはずるく光っている。鳥(とり)の巣(す)みたいな髪の毛をわらでむすび、まッ黒によごれた山袴(やまばかま)をはいて、腰には鞘(さや)のこわれを、あけびの蔓(つる)でまいた山刀一本さしていた。
「ちぇッ、釣れねえつれねえ、もうやめた!」
 とうとう、かんしゃくを起したとみえて、いきなり竿(さお)をビシビシと折って、蘆川(あしかわ)のながれへ投げすてた。
「あ、瀞(とろ)の岩にせきれいが遊んでいやがる。そうだ、これからは鳥うちだ、ひとつ小手しらべにけいこしてやろうか」
 と、足もとの小石を三つ四つ拾いとったかと思うと、はるか、流れの中ほどをねらって、おそろしく熟練(じゅくれん)した礫(つぶて)を投げはじめた。
「やッ――」と、小石に気合いがかかって飛んでいく。
 と見るまに、二羽(わ)のせきれいのうち、一羽が瀞(とろ)の水に落ちて、うつくしい波紋(はもん)をクルクルと描(えが)きながら早瀬(はやせ)のほうへおぼれていった。
「どんなもんだい。蛾次郎(がじろう)さまの腕まえは――」
 かれはひとりで鼻うごめかしたが、もうねらうべきものが見あたらないので、こんどは、たくみな水切りの芸をはじめた。一つの小石が、かれの手からはなれるとともに、なめらかな水面を、ツイッ、ツイッ、ツイッと水を切っては跳(と)び、切っては跳(と)ぶ、まるで、小石が千鳥(ちどり)となって波を蹴(け)っていくよう。
「七つ切れた! こんどは十!」
 調子(ちょうし)にのって、蛾次郎がわれをわすれているときだ。
 そこから二、三町はなれたところの河原(かわら)で、ただならぬさけび声がおこった。かれはふいに耳をたって、四、五間(けん)ばかりかけだしてながめると、いましも、ひとりの兇漢(きょうかん)が、皎々(こうこう)たる白刃(はくじん)をふりかぶって、小(ち)ッぽけな小僧(こぞう)をまッ二つと斬りかけている。
 それは、燕作(えんさく)と、竹童(ちくどう)だった。
 竹童はいまや必死のところ、樫(かし)の棒切(ぼうき)れを風車(かざぐるま)のようにふって、燕作の真剣(しんけん)と火を飛ばしてたたかっているのだ。しかし、大の男のするどい太刀(たち)かぜは、かれに目瞬(まばたき)するすきも与えず、斬り立ててきた。あわや、竹童は血煙とともにそこへ命を落としたかと見えたが、
「あッ――」
 ふいに燕作が、唇(くちびる)をおさえながら、タジタジとよろけた。どこからか、風を切って飛んできた小石に打たれたのである。
「しめた!」と、竹童は小さな体(からだ)をおどらせて、ピシリッと、燕作の耳(みみ)たぶをぶんなぐった。
「野郎(やろう)ッ!」
 怒髪(どはつ)をさかだてて、ふたたび太刀を持ちなおすと、またブーンとかれの小手へあたった第二の礫(つぶて)。
「ア痛(いた)ッ」
 ガラリと道中差(どうちゅうざし)をとり落としたが、さすがの燕作も、それを拾いとって、ふたたび立ち直る勇気もないらしい。笑止(しょうし)や、四尺にたらぬ竹童にうしろを見せて、例の早足(はやあし)。雲を霞(かすみ)と逃げだした。
「待て。意気地(いくじ)なしめ!」
 竹童(ちくどう)は、急に気がつよくなって、こんどはまえと反対に、かれを追ってドンドン走りだすと、ちょうど、あなたからも河原づたいに、黒鹿毛(くろかげ)の駒(こま)を疾風(しっぷう)のごとく飛ばしてくるひとりの勇士があった。――見るとそれは秘命をおびて、伊那丸(いなまる)の本陣雨(あま)ヶ岳(たけ)をでた奔馬(ほんば)「項羽(こうう)」。――上なる人はいうまでもなく、白衣(びゃくえ)の木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)だ。
「や、や、あいつは伊那丸(いなまる)がたの武将らしいぞ」
 と、戸まどいした燕作(えんさく)が、その行く先でうろうろしているうちに、たちまちかけよった龍太郎(りゅうたろう)、
「これッ」
 と、すれちがいざま、右手をのばして燕作の首すじをひっつかみ、やッと馬上へつるし上げたかとおもうと、
「往来(おうらい)のじゃまだ!」
 手玉(てだま)にとってくさむらのなかへほうりこみ、そのまま走りだすと、こんどはバッタリ竹童にいき会った。
「おお、それへおいでなされたのは龍太郎さま――」
「やあ、竹童ではないか」ピタリと「項羽」の足をとめて、
「なんでこんなところでうろついているのだ。呂宋兵衛(るそんべえ)の手下どもに見つけられたら、命(いのち)がないぞ、はやく鞍馬山(くらまやま)へ立ち帰れ」
「ありがとうございますが、まだこの竹童には、お師匠(ししょう)さまからいいつけられている大役があるんです。ところで龍太郎さまは、これからいずれへおいそぎですか」
「されば小太郎山(こたろうざん)へまいって、三百人の兵をかりあつめ、ここ四日ののちに、人穴城(ひとあなじょう)を攻めおとす計略(けいりゃく)」
「わたくしがやる仕事も四日目です。どうも、お師匠(ししょう)さまのおさしずは、ふしぎにピタリピタリと伊那丸(いなまる)さまの計略と一致するのが妙(みょう)でございます」
「ふーむ……してその密計とはどんなことだ?」
「天機(てんき)もらすべからず。――しゃべるとお師匠(ししょう)さまからお目玉を食(く)います。それよりあなたこそ、どうして三百人という兵がわずか四日で集められますか、まさかわら人形でもありますまいに」
「それも、軍機(ぐんき)は語るべからずじゃ」
「あ、しっぺ返しでございますか」
「オオ、そんなのんきな問答をいたしている場合ではない、竹童(ちくどう)さらば!」
 と、ふいに鞭(むち)をあげて、行く手をいそぎだそうとすると何者か、
「ばかだな、ばかだなあ! あの人はいったいどこへいくつもりなんだい!」とあざわらう声がする。
 木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)も竹童も、そのことばにびっくりしてふりかえると、石投げをしていた蛾次郎(がじろう)がいつかのっそりそこに立っていた。

「拙者(せっしゃ)をバカともうしたのはきさまだな」
 龍太郎(りゅうたろう)がにらみつけると、蛾次郎(がじろう)はいっこうにこたえのないふうで、ゲタゲタと笑いながら、
「ああおれだよ」
「ふらちなやつ、なんでさようなことをぬかした」
「だってお侍(さむらい)さんは、小太郎山(こたろうざん)へいくんだっていうのに、とんでもないほうへ馬の首をむけていそぎだしたから笑ったんだ」
「ふーむ、ではこっちへむかっていってはわるいか」
「悪いことはないけれど、この蘆川(あしかわ)を大まわりして、甲州街道(かいどう)をグルリとまわった日には、半日もよけいな道を歩かなけりゃならない。それより、この川を乗っきって駿州路(すんしゅうじ)を左にぬけ、野之瀬(ののせ)、丸山、鷲(わし)の巣(す)とでて、野呂川(のろがわ)を見さえすれば、すぐそこが、小太郎山じゃないか」
 と、すこし抜けている蛾次郎も、住みなれた土地の地理だけに、くわしく弁(べん)じた。
「なるほど、これは拙者(せっしゃ)がこのへんに暗いため、無益(むえき)の遠路(とおみち)につかれていたかも知れぬ。しかし、この激流を、馬で乗っきる場所があろうか」
「あるとも、水馬(すいば)さえ達者(たっしゃ)なら、らくらくとこせる瀞(とろ)がある。ここだよ、お侍(さむらい)さん――」
 と蛾次郎(がじろう)はまえに水切りをやっていたところを教えた。
「む。なるほど、ここは深そうだ、川幅(かわはば)も四、五十間(けん)、これくらいなところなら乗っ切れぬこともあるまい」
 と龍太郎はよろこんで、浅瀬(あさせ)から項羽(こうう)を乗りいれ、ザブザブ、ザブ……と水を切っていくうちに紺碧(こんぺき)の瀞(とろ)をあざやかに乗りきって、たちまち向こう岸へ泳ぎ着いてしまった。
「ありがとう」
 と、それを見送るとほッとしたさまで、竹童(ちくどう)が礼をいうと、蛾次郎(がじろう)はクスンと笑って、
「なにがありがてえんだ、おめえに教えてやったわけじゃあない」といった。
 竹童はじぶんより三歳か四歳上らしい蛾次郎を見上げて、へんなやつだとおもった。
「そのことじゃないよ、さっきおいらが悪いやつに、あやうく殺されそうになったところを、石を投げて逃(に)がしてくれたから、その礼(れい)をいったのさ」
「あんなことはお茶の子だ、こう見えてもおれは石投げ蛾次郎といわれるくらい、礫(つぶて)を打つのは名人なんだぜ」
 と、ボロ鞘(ざや)の刀をひねくッて、竹童(ちくどう)に見せびらかした。
「蛾次郎(がじろう)さんの家(うち)はどこだい?」
「おれか、おれは裾野(すその)の折角村(おりかどむら)だ、だがいまあの村には、桑畑(くわばたけ)の蚕婆(かいこばばあ)と、おれの親方だけしか住んでいないから人無村(ひとなしむら)というほうがほんとうだ」
「親方っていう人は、あの村でなにをしているんだい」
「知らねえのかおめえは、おれの親方は、鼻かけ卜斎(ぼくさい)っていう有名な鏃鍛冶(やじりかじ)だよ。おれの親方の鍛(う)った矢の根は、南蛮鉄(なんばんてつ)でも射抜(いぬ)いてしまうってんで、ほうぼうの大名(だいみょう)から何万ていう仕事がきているんだ。おれはそこの秘蔵(ひぞう)弟子だ」
「偉(えら)いなあ――」竹童(ちくどう)はわざと仰山(ぎょうさん)に感心して、
「じゃ、蛾次郎さんとこには、松明(たいまつ)なんかくさるほどあるだろうな」
「あるとも、あんなものなら薪(まき)にするほどあらあ」
「おいらに二十本ばかりそっとくれないか」
「やってもいいけれど、そのかわりおれになにをくれる」
 と蛾次郎はずるい目を光らした。
 竹童はとうわくした。お金もない。刀もない。なんにもない。持っているのは相変らずの棒切れ一本だ。そこで、
「お礼(れい)には、鷲(わし)に乗せて遊ばしてやら。ね、鷲(わし)にのって天を翔(か)けるんだぜ。こんなおもしろいことはない」
 といった。
「ほんとうかい、おい!」蛾次郎(がじろう)は、目の玉をグルグルさせた。
「うそなんかいうものか、松明(たいまつ)さえ持ってきてくれれば乗せてやる。そのかわり夜でなくッちゃいけない」
「おれも夜の方がつごうがいい。そしておまえはどこに待っている?」
「白旗(しらはた)の宮(みや)の森で待ってら、まちがいなくくるかい」
「いくとも! じゃ今夜、松明(たいまつ)を二十本持っていったら、きっと鷲(わし)に乗せてくれるだろうな、うそをいうと承知(しょうち)しないぜ、おい! おれは切れる刀を差しているんだからな」
 と、またあけび巻(まき)の山刀(やまがたな)を自慢(じまん)した。

 木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)のために、河原(かわら)へ投げつけられた燕作(えんさく)は、気をうしなってたおれていたが、ふとだれかに介抱(かいほう)されて正気(しょうき)づくと、鳥刺(とりさ)し姿(すがた)の男が、
「どうだ、気がついたか」
 とそばの岩に腰かけている。見れば、つい四、五日前に安土城(あづちじょう)で、じぶんの手から密書(みっしょ)をわたした福島正則(ふくしままさのり)の家来可児才蔵(かにさいぞう)である。
 燕作はあっけにとられて、
「あ、いつのまにこんなところへ」と、思わず目をみはった。
「しッ、大きな声をいたすな、じつは、秀吉公(ひでよしこう)の密命(みつめい)をうけて、武田伊那丸(たけだいなまる)との戦(いくさ)のもようを見にまいったのだ、ところで、さっそく丹羽昌仙(にわしょうせん)に会いたいが、そのほう、これより人穴城(ひとあなじょう)のなかへあんないいたせ」
「とてもむずかしゅうございます。敵は小人数(こにんず)ながら、小幡民部(こばたみんぶ)という軍配(ぐんばい)のきくやつがいて、蟻(あり)ものがさぬほど厳重(げんじゅう)に見張っているところですから」
「どこの城にも、秘密の間道(かんどう)はかならず一ヵ所はあるべきはず、そちは、それを知らぬのであろう」
「さあ、間道(かんどう)といえば、ことによると蚕婆(かいこばばあ)が、知っているかもしれません。あいつは呂宋兵衛(るそんべえ)さまの手先になって、それとなくそとのようすを城内へ通じている、裾野(すその)の目付婆(めつけばばあ)、とにかくそこへいってききただして見ることにいたしましょう」
 と燕作(えんさく)は、可児才蔵(かにさいぞう)のあんないにたって、人無村(ひとなしむら)の蚕婆の家までもどってきた。
「お婆(ばあ)さん、開(あ)けてくれないか、燕作(えんさく)だよ。燕作が帰ってきたんだから、ちょっと開(あ)けておくれ」
 もう日が暮れている。
 とざした門をホトホトとたたくと、なかから婆さんがガラリとあけて、灯影(ほかげ)に立った可児才蔵のすがたをいぶかしそうに睨(にら)めすました。
「だれだい燕作さん、この人は村ではいっこう見たことがないかたじゃないか」
「このおかたは、姿こそ、変えておいでなさるが、福島正則(ふくしままさのり)さまのご家臣で可児才蔵(かにさいぞう)というお人、昌仙(しょうせん)さまの密書で、わざわざ安土城(あづちじょう)からおいでくだすったのだ」
 と説明すると、蚕婆(かいこばばあ)はにわかに態度を変えて、下へもおかぬもてなしよう。茶を煮(に)たり酒をだしたりしてすすめた。

「それはようおいでなされました。さだめし、昌仙さまのお手紙で、多くの軍兵(ぐんぴょう)を秀吉(ひでよし)さまからおかしくださることになるのでございましょうね」
「いや、とにかく軍師(ぐんし)と会って、そうだんをしてみたうえじゃ。ところがこれなる燕作(えんさく)のもうすには、しょせん人穴城(ひとあなじょう)へは入れぬとのこと、せっかくここまでまいりながら、呂宋兵衛(るそんべえ)どのにも軍師(ぐんし)にも、会わずにもどるとは残念千万(せんばん)」
「いえいえ。そういう大事なお使者なら、たった一つ人穴城へぬける秘(かく)しみちへ、ごあんないいたしましょう。これ燕作さん、おめえちょっと、裏表(うらおもて)にあやしいやつがいないかどうか検(あらた)めておくれ」
「がってんだ」と燕作が家のあたりを見まわしてきて、
「だれもあやしいような者はいない。ないているのは鹿(しか)ぐらいなもの――」
 というと、蚕婆は、はじめて安心して、じぶんのすわっている下の蓆(むしろ)を、グルグルと巻きはじめた。
 おやと、燕作がびっくりしている間(ま)に、さらに、二畳(じょう)敷(じき)ほどな床板(ゆかいた)をはねあげると、縁(えん)の下は四角な井戸のように掘り下げられてあった。顔をだすと、つめたい風がふきあげてくる。
「ここをおりると、あとは人穴城(ひとあなじょう)の地下洞門(ちかどうもん)のなかまで三十三町一本道でいけますのじゃ、さ、人目にかからないうちに、すこしもはやく、おこしなさるがよい」
 と蚕婆(かいこばばあ)がせきたてると、才蔵(さいぞう)は、間道(かんどう)の口をのぞいてから、ふいと顔をあげて、
「婆(ばばあ)、杖(つえ)にして飛びこむから、長押(なげし)にかかっているその錆槍(さびやり)を、かしてくれい」
 と指さした。婆は彼のいう通り、石突(いしづ)きをたよりに、下へ降(お)りるのであろうと、なんの気なしに取って渡すと才蔵(さいぞう)は、
「かたじけない」
 と受けとって、ポンと、槍(やり)の石突きを下へ降(お)ろすかと見るまに、意外や、電光石火(でんこうせっか)、
「やッ――」
 と一声、錆槍(さびやり)の穂先(ほさき)で、いきなり真上の天井板(てんじょういた)を突いた。とたんに、屋根裏を獣(けもの)がかけまわるような、すさまじい音が、ドタドタドタ響(ひび)きまわった。
「やッ、なんだ――」
 と蚕婆と燕作が、飛びあがっておどろくうちに、才蔵は、すばやく間道(かんどう)のなかへ姿をかくして、下からあおむいて笑っている。
「おどろくことはない、天井うらに忍(しの)んでいたやつは、徳川家(とくがわけ)の菊池半助(きくちはんすけ)だ、これで隠密落(おんみつお)としの禁厭(まじない)がすんだから、もう安心。燕作(えんさく)、はやくこい!」
「じゃあ婆(ばあ)さん、あとはたのむよ」
 と燕作もつづいてなかへ姿をけした。その足音が地の下へとおざかるのを聞きながら、蚕婆(かいこばばあ)はすぐもとのとおり床板(ゆかいた)や蓆(むしろ)を敷(し)きつめ、壁にかかっている獣捕(けものと)りの投げ縄(なわ)をつかむが早いか、いきなりおもてへ飛びだした。
「いやがった!」
 かがりのような目を磨(と)ぎすまして、あなたこなたを見まわした蚕婆は、ふと、七、八間(けん)さきの闇(やみ)のなかで、なにやらうごめいている人影を見つけて、じっとねらった。
 と――それはまぎれもなく、天井裏(てんじょううら)で膝(ひざ)を突かれた曲者(くせもの)が、小川の水で傷手(いたで)を洗っているのだ。頭から足のさきまで、烏(からす)のように黒装束(くろしょうぞく)をした隠密(おんみつ)の男、すなわち徳川家(とくがわけ)からまわされた菊池半助(きくちはんすけ)。
「おうッ!」
 ふいに吠(ほ)えるような蚕婆の声とともに、さすがは半助、足の痛手(いたで)を忘れて、ポーンと小川を跳(と)びこえたが、よりはやく、闇(やみ)のなかを飛んできた投げ縄(なわ)の輪が無残、五体にからんでザブーンと、水のなかへ捕(と)りおとされてしまった。

 さすが伊賀衆(いがしゅう)の三羽烏(さんばがらす)、菊池半助(きくちはんすけ)も、可児才蔵(かにさいぞう)にみやぶられて、錆槍(さびやり)の穂先(ほさき)を膝(ひざ)にうけ、そのうえ、投げ縄(なわ)にかかって五体の自由を奪(うば)われては、どうすることもできない。
「ざまをみさらせ! 命(いのち)知らずが」
 蚕婆(かいこばばあ)が毒づきながら、縄のまま半助をひきずってきて、家(いえ)の前の柿(かき)の木へグルグル巻(ま)きにしばってしまった。
「夜明けまでに、手間(てま)いらずの法で殺してやる。うぬばかりでなく、この村へ隠密(おんみつ)にはいる者はみんなこうだ」
 蚕婆は、やがて枯(か)れ木を集めてきて、半助(はんすけ)の身辺に積(つ)みあげ、端のほうから火をつけてメラメラと燃えあがったのを見ると、そのまま家(うち)へはいって寝てしまった。
 焔(ほのお)がたっても、はじめのうちは覆面(ふくめん)や衣類がぬれていたので、しばらくさまでは思わなかったが、やがて衣類がかわき、枯(か)れ木の火焔(かえん)が、パチパチと夜風にあおり立てられてくるにつれて、菊池半助は焦熱地獄(しょうねつじごく)の苦しみ。
「ア熱(つ)ッ、ア熱(つ)ッ、アアアアア」
 おもわず悲鳴をあげて、必死に縄を切ろうともだえていた。――すると、その火の手を見て、いっさんにかけてきたのは、鏃鍛冶(やじりかじ)卜斎(ぼくさい)の弟子蛾次郎(がじろう)であった。
「おうそこへまいったもの、はやく拙者(せっしゃ)の脇差(わきざし)をぬいてこの縄を切ってくれ、早く、早く!」
「やあどうしたんだお侍(さむらい)さんは? 死んじまうぞ。死んじまうぞ」
「はやくしてくれ、早く助けてくれい」
「助けてやったら、なにをくれる?」
 石投げの天才のほか、仕事も下手(へた)、もの覚(おぼ)えも悪く、すこし足らない蛾次郎(がじろう)だが、慾(よく)にかけては、ぬけめがない、半助(はんすけ)は一ときの熱苦もたまらず、うめきながら、
「なんでもつかわすからはやく、ア熱(つ)ッ、あッツツツ」
「よし、きっとだぜ」
 念を押しながら飛びこんで、蛾次郎(がじろう)は枯(か)れ木の火を蹴(け)ちらし、山刀(やまがたな)をぬいて半助の縄目(なわめ)をぶっつり切った。火のなかから跳(と)びだした半助は、ほッとして大地へたおれたが、やにわにまた足の痛手(いたで)を忘れておどりたった。
「わるいところへ、またあなたからあやしい人の足音がしてまいった。おい、おれに肩をかせ、そして、しばらく休息するところまで連れてゆけ。褒美(ほうび)はのぞみしだいにやろう」
「じゃ、おれの親方の家(うち)でもいいかい」
「頼む、あれ、あれ、もう軍馬の蹄(ひづめ)がまぢかにせまる」
「たいへんだ! ことによると雨(あま)ヶ岳(たけ)に陣どっている者たちがくだってきたのかも知れないぞ」
 蛾次郎(がじろう)もにわかにあわてだして、半助のからだを背負(せお)って、一目散(いちもくさん)にそこを立ちさった。すると、たった一足(ひとあし)ちがいに、嵐(あらし)のように殺到した一団(だん)の軍馬があった。
「それ、常からあやしい蚕婆(かいこばばあ)の家(いえ)をあらためろ!」
「戸を蹴(け)やぶってなかへ、踏(ふ)ンごめッ」
 馬上から十四、五人の武士に、はげしく下知(げち)をしたふたりの武士、これなん、伊那丸(いなまる)の幕下(ばっか)でも、荒武者(あらむしゃ)の双龍(そうりゅう)といわれている加賀見忍剣(かがみにんけん)と巽小文治(たつみこぶんじ)のふたり。
「おう!」
 と部下は武者声(むしゃごえ)をあげるやいなや、蚕婆の家の裏表(うらおもて)から、メリメリッ、バリバリッと戸を踏(ふ)みやぶっておどりこんだ。が、なかは暗澹(あんたん)、どこをさがしても、人かげらしい者は、見あたらなかった。
 と、聞いた忍剣は、
「いや、そんなはずはない。たしかにあやしい男と老婆(ろうば)とが、密談(みつだん)いたしていたのを、間諜(かんちょう)の者が見とどけたとある。この上は自身であらためてくれる」
 と禅杖(ぜんじょう)をひっかかえひらりと馬を飛びおり、巽小文治とともに、家の中へはいっていって八方家探(やさが)ししたが、部下のことばのとおり、何者もひそんでいなかった。
「ふしぎだ――」
 小文治は、そこにもぬけの殻(から)となっている寝床(ねどこ)へ手を入れてみて、
「このとおり、まだ人のぬくみがある。さすれば、いよいよ逃げた者こそ、あやしい曲者(くせもの)にそういない」
「む、では寝床のわきの床板(ゆかいた)をはねあげてみよう」
 と、忍剣(にんけん)が先にたって、蓆(むしろ)を巻き、板をはいでみるとたちまち、一間(けん)四方の間道(かんどう)の口が、奈落(ならく)の門のごとく一同の目にうつった。
「おお、これこそ人穴城(ひとあなじょう)へ通じる間道(かんどう)にそういない」
「しめた! その方どもはこの口もとを護(まも)っていて、あやしい者が逃げまいったら、かならず捕(と)りにがさぬように見張っておれ」
 と、いいのこして、忍剣は禅杖(ぜんじょう)をひっ抱(かか)え、小文治(こぶんじ)は槍(やり)の石突きをトンと下ろして、ともにまッ暗な間道のなかへとびこんでいった。
 あとにのこった部下の者は、ひとしく間道口(かんどうぐち)に目と耳を磨(と)ぎすまして、いまに、なにかかわった物音がつたわってくるか、あやしいやつが飛びだしてくるかと、夜もすがら、ゆだんもなかった。

 菊池半助(きくちはんすけ)を肩にかけて、まっ暗な人無村(ひとなしむら)をかけていった蛾次郎(がじろう)は、やがて、おおきな荒屋敷(あれやしき)の門へはいった。
 見ると、そこが卜斎(ぼくさい)の細工小屋(さいくごや)か、東のすみにぽッと明るい焔(ほのお)がみえて、トンカン、トンカン、槌(つち)と鉄敷(かなしき)のひびきがしている。そしてときどき、小屋のなかから白い煙とともに、シューッとふいごの火の粉(こ)がふきだしていた。
「親方、お客さまをつれてきた、旅のお侍さんで、けがをして難渋(なんじゅう)しているんだから、今夜とめてやっておくんなさい」
 蛾次郎(がじろう)がおどおどしながら、細工場(さいくば)のとなりの雨戸をあけて、ひろい土間へはいると、手燭(てしょく)をもって奥からつかつかとでてきたのは、主人の卜斎(ぼくさい)であろう。陣羽織(じんばおり)のような革(かわ)の袖(そで)なしに、鮫柄(さめづか)の小刀を一本さし、年は四十がらみ、両眼するどく、おまけに、仕事場で火傷(やけど)でもしたけがか、片鼻(かたはな)が、そげたように欠(か)けている。
 人呼んで、鼻かけ卜斎(ぼくさい)と綽名(あだな)している名人の鏃師(やじりし)。なにさま、ひとくせありそうな人物である。
「蛾次公(がじこう)、昼間からどこをうろつきまわっているのだ。このバカ野郎(やろう)め!」
 卜斎(ぼくさい)は、つれてきた半助などには目もくれず、頭からこの怠(なま)け者の抜け作などとどなりつけて、さんざん油をしぼったあげく、
「それに、あとで聞けば、てめえは、夕方、物置小屋から二、三十本の松明(たいまつ)をぬすみだしていったそうだが、いったい、そんな物をどこへ持ちだして、なんのために使ったのだ。うそをいうとこれだぞ!」
 いきなり弓の折れを持って、羽目板(はめいた)をピシリッとうった。その音のはげしいこと、蛾次郎のふるえあがったのはむろん、菊池半助(きくちはんすけ)さえ度胆(どぎも)を抜かれた。
 卜斎はその時はじめて、半助のほうへ気をかねて、
「まあよいわ、お客人がいるから、てめえの詮議(せんぎ)はあとにしよう。ときに旅のお武家さま、なにしろ今夜は更(ふ)けておりますから、この上の中二階へあがって、ごゆるりとお休みなさるがいい。そこに夜具(やぐ)もある、火の気(け)もある、食(く)い物(もの)もある、男世帯(おとこじょたい)の屋敷ですから、好(す)きにしてお泊りなさい」
「かたじけない、ではお言葉にあまえて夜明けまで……」
 と、半助はそこにいるのも気まずいので、びっこを引きながら、おしえられた中二階の梯子(はしご)を、ギシリ、ギシリと踏んでいった。
「はてな……」と、梯子をあがりながら一つの疑念――「どこかで見たことのある男だが? ……ただの鏃師(やじりし)ではない、たしかにどこかで? ……」と、しきりに思いなやんだが、とうとう、中二階へあがるまで考えだせなかった。
 卜斎(ぼくさい)にいわれたまま、押入れから蒲団(ふとん)をだして、そのうえに身を横たえながら、膝(ひざ)の槍傷(やりきず)を布(ぬの)でまきつけていると、また、すぐ下の土間(どま)であらあらしい声が起りはじめた。
「野郎(やろう)、どうあってもいわぬな! いわなければ、こうだッ」
 弓の折れがヒュッと鳴ると、蛾次郎(がじろう)がオイオイと声をあげて泣きだした。まるで七つか八つの子供が泣くような声で泣いている。
「いいます、親方、いいますからかんべんしてください」
「では、何者にたのまれて、松明(たいまつ)を盗みだした。さ、ぬかせ」
「白旗(しらはた)の森にいる、竹童(ちくどう)というわたしより五歳(いつつ)ばかり下の童(わっぱ)にたのまれたんです。その者にやりました」
「あきれかえったバカ者だ。じぶんより年下の餓鬼(がき)に、手先に使われるとは情けないやつ、しかし、てめえもなにかもらったろう。ただで松明(たいまつ)をやるはずがない」
「いいえ、なんにももらいなんかしやしません」
「まだいいぬけをしやがるか!」
 またピシリッと弓の折れがうなる、蛾次郎(がじろう)がヒイヒイと泣く、すぐその上にいる菊池半助は、これではとても今夜は寝られないと思った。
 それに気をいらいらさせられたか、かれは寝床からはいだして、ふたたび梯子口(はしごぐち)からコマねずみのようにそッと顔をだした。そのとき、半助ははじめて、卜斎(ぼくさい)の姿容(すがたかたち)を、よく見ることができて、思わず、
「あッ」と、すべりでそうな声をかみころした。
「どこかで見たと思ったはず――あれは、越前(えちぜん)北(きた)ノ庄(しょう)の主(あるじ)、柴田権六勝家(しばたごんろくかついえ)の腹心だ――おお、鏃師(やじりし)の鼻かけ卜斎(ぼくさい)とは、よくも巧(たく)みに化(ば)けたりな、まことは、鬼柴田(おにしばた)の爪(つめ)といわれた上部八風斎(かんべはっぷうさい)という軍師(ぐんし)築城(ちくじょう)の大家(たいか)。いつも柴田権六が、攻略の軍をだすときに、そのまえから敵の領土へ住みこんで、砦(とりで)のかまえ、水利、地の理、残るくまなくさぐって、一挙に掌握(しょうあく)するという、おそろしい人物だ。――その八風斎がこの裾野(すその)へ巣(す)を作ったところをみると、さては、野心のふかい柴田勝家、はやくも天下をこころざす足がかりに、この一帯(たい)へ目をつけたものだろう。武田伊那丸(たけだいなまる)といい呂宋兵衛(るそんべえ)といい、また秀吉(ひでよし)の手の者が入りこんだことといい、いちいち徳川家(とくがわけ)の大凶兆(だいきょうちょう)。こりゃ、裾野(すその)一帯(たい)いよいよゆだんのならぬものばかりだ……」
 半助は、耳を畳(たたみ)にこすりつけて、さらに、階下(かいか)の声を一語も聞きもらすまいと息をのんでいた。と、下ではまた卜斎(ぼくさい)の声で、
「なに? ではその竹童(ちくどう)という童(わっぱ)に、二十本の松明(たいまつ)をくれて、そのかわりに鷲(わし)にのせてもらったというのか。やい! 泣きじゃくってばかりいたのではわからぬわい。はっきりと口をきけ」
「そ、そうなんです……」
 ベソをかきながら答えてるのは蛾次郎(がじろう)の声だ。
「松明を持っていったら、そのお礼(れい)に大きな鷲の背なかへ乗せてくれましたから、白旗(しらはた)の森の上から空へあがって、五湖や裾野(すその)の上をグルグルとまわってまいりました」
「そうか、それでしさいがわかった」
 と卜斎はうなずいて、なお、竹童のようすや、鷲のことなどをつぶさにただしたから、蛾次郎はゆるされるのかと思っていると、荒縄(あらなわ)で両手をしばりあげたまま、松明をぬすみだした物置小屋のなかへ三日間の監禁(かんきん)をいいわたされてほうりこまれてしまった。
 そのあとは、卜斎も寝入り、細工(さいく)小屋の槌音(つちおと)もやんでシーンと真夜中の静けさにかえったが、半助だけは、うすい蒲団(ふとん)をかぶって横になりながらも、まだ寝もやらず目をパチパチとさせていた。
「鷲(わし)、鷲! 竹童というやつが、自由自在につかう飛行の大鷲! おお、そいつを一つ巻きあげて、こんどの手柄(てがら)としてかえろう……」
 とかれは、ふと思いついた胸中の奇策(きさく)に、ニタリと悦(えつ)をもらしたが、そのとき、なんの気なしに天井(てんじょう)を見あげるや否(いな)、かれは、全身の血を氷のごとく冷(つめ)たくして、
「や、や、やッ」と、目をむいて、ふるえあがった。

 菊池半助(きくちはんすけ)が、身をすくませたのも道理、中二階の天井(てんじょう)には、いちめんの鉄板(てっぱん)が張ってあって、それに、氷柱(つらら)のような、無数の鏃(やじり)が植えてあるのだ。
 剣の切(き)ッ先よりするどい鏃は、ちょうど、あおむけになっている半助の真上に、ドギドギとぶきみな光をならべている。おお、もしその鉄板が、いちどおちてこようものなら、いかに隠身(おんしん)自由、怪力無双(かいりきむそう)なものでも、五体は蜂(はち)の巣(す)となって圧死(あっし)してしまうであろう。
「釣(つ)り天井(てんじょう)――」
 半助は、とっさに壁ぎわへ、身をすりよせた。
 このおそろしい部屋へじぶんをあんないしたからには鼻かけ卜斎(ぼくさい)の八風斎(はっぷうさい)は、すでに徳川家の伊賀衆(いがしゅう)菊池半助ということを見破ったにそういない――と半助は、こころみに梯子口(はしごぐち)をのぞいてみると、はたしていつのまにか梯子はとりはずされて、下には、あやしい陥穽(おとしあな)が伏(ふ)せてあるようす、ほかに出口はむろんない。
 半助は絶体絶命(ぜったいぜつめい)となった。
 けれど五本の指と二本の足が、ままになる以上、こんなことで、おめおめ命(いのち)をおとすような菊池半助ではない。
 かれは脇差(わきざし)をぬいて、いきなり、あっちこっちの壁をズブズブとつき刺した。そしてそとへ通じるところをさぐりあて、たちまち二尺四方ぐらいの穴(あな)を切りぬいたかとおもうと、ほとんど、猫(ねこ)が障子(しょうじ)の穴をすりぬけるようにするりと身をはいだして、一丈(じょう)四、五尺(しゃく)の上から大地へポンと跳(と)びおりた。そして、
「ここだな……」と、すすり泣きのもれている物置小屋の戸をねじあけて、なかにいる蛾次郎(がじろう)を助けだした。
「あッ、お武家さん――」
 蛾次郎が素(す)ッ頓狂(とんきょう)な声をだす口をおさえて、
「しずかにせい。さっきそのほうがおれをたすけてくれた返礼に、こんどはきさまを救ってやる。徳川家へまいれば伊賀衆(いがしゅう)の組頭(くみがしら)、いくらでも取り立ててやるから一しょについてくるがいい」
「あ、ありがとう。おれもこんなやかましい親方にくッついているのはいやでいやでたまらないんだ」
「む、卜斎(ぼくさい)に気取(けど)られぬうち、そッと馬小屋から足のはやいのを一ぴきひっぱりだしてこい」
「いいとも、馬ぐらい盗みだすのは、ぞうさもないよ」
 蛾次郎(がじろう)が闇(やみ)のなかへ飛んでいくと、そのとたんに半助(はんすけ)のあたまの上で、ドドドドスン! というすさまじい家鳴(やな)り震動(しんどう)。ふり仰(あお)いでみると、いまかれがのがれだした壁の穴から、濛々(もうもう)たる土煙が噴(ふ)きだしている。
「おれがここへ抜けだしているのに、卜斎めが釣(つ)り天井(てんじょう)の綱(つな)を切ったんだろう。そんな壺(つぼ)におちるような者は、伊賀衆(いがしゅう)の中には一ぴきもいるもんか」
 せせら笑っていると、ふいに、家(いえ)のなかから轟然(ごうぜん)たる爆音とともに、火蓋(ひぶた)を切った種子島(たねがしま)のねらい撃(う)ち。
「あッ、気がついたな、こいつはぶっそうだ」
 バラバラとかけだしていくと、暗闇(くらやみ)から牛をひきだしたという諺(ことわざ)どおり蛾次郎のうろたえよう。
「お侍(さむらい)さん、――お侍さんじゃないのかい」
「おれだおれだ、馬は? 馬はどこにいる?」
「ここだよ、馬を盗みだしてきたところだ」
「どこだ、アア、まっ暗。どこにいるのじゃ」
「ここだよ、ここだよ」
 と蛾次郎(がじろう)が手をたたくと、その音(おと)をたよりにねらった鉄砲(てっぽう)の弾(たま)が、またも、つづけざまに、二、三発、ズドンズドン! と火の縞(しま)を走らせた。
「わあッ、だめだ、あぶねえ!」
 ふいに、蛾次郎が胆(きも)をつぶして腰を抜かしたらしい弱音(よわね)。
「えい、泣くなッ」
 と叱(しか)りつけた菊池半助(きくちはんすけ)。いったい、この厄介者(やっかいもの)をなんに利用しようとするのか、むんずと横脇(よこわき)にひっかかえて馬の鞍壺(くらつぼ)にとびあがり、つるべうちの鉄砲を聞きながして、人無村(ひとなしむら)から闇(やみ)の裾野(すその)へ、まッしぐらに、逃げおちてしまった。

 いっぽう、蚕婆(かいこばばあ)の家の床下(ゆかした)から、人穴城(ひとあなじょう)の間道(かんどう)をすすんでいった加賀見忍剣(かがみにんけん)と巽小文治(たつみこぶんじ)。
 瞳(ひとみ)はいつか闇になれたが、道は暗々(あんあん)として行く手もしれない。冥府(めいふ)へかよう奈落(ならく)の道をいくような気味わるさ。ポトリ、ポトリと襟(えり)もとに落ちてくる雫(しずく)のつめたいこと。たえず、冷々(ひえびえ)と面(おもて)をかすめてくる陰森(いんしん)たる風、ものいえば、ガアンと間道中(かんどうじゅう)の悪魔がこぞって答えるようにひびく。
 ――と、つねに沈着な巽小文治が、ふいに、「あッ」とさけんで一歩とびのき、片手で顔をおさえてしまった。
「どうした、小文治どの」
「なにか風のようなものに、さっと面(めん)をふかれたその痛さ。忍剣(にんけん)どのもかならずごゆだんなさるまいぞ」
「そんなバカなことがあろうか、あれは年へた蝙蝠(こうもり)のたぐいじゃ」
 と入れかわって、忍剣が、さきに立って二、三歩すすむと、かれも同じように奇怪ないたさに面(おもて)を刺(さ)されて、たちまち片目を押さえてしまった。そして、ふと衣(ころも)の上に、霜(しも)のように立つものを手でさぐってみて、
「こりゃ! 針(はり)だッ」
 と叫(さけ)んだ。
「えッ、針?」
 その時、はじめてふたりとも身がまえ直して、じッとやみをすかして見ると、白髪(しらが)をさかだてたひとりの老婆(ろうば)が蜘蛛(くも)のように岩肌(いわはだ)に身を貼(は)りつけて、プップップッとたえまなく、ふたりの面(おもて)へ吹きつけてくる針の息……
 おお、それこそ竹童(ちくどう)がなやまされた蚕婆(かいこばばあ)の秘術(ひじゅつ)吹針(ふきばり)の目つぶしだった。

 早足(はやあし)の燕作(えんさく)と可児才蔵(かにさいぞう)は、蚕婆(かいこばばあ)より一足(ひとあし)先に抜け穴(あな)へはいったので、すぐあとにおこった異変もなにも知らず、ただひた走りに、地下三十三町の間道(かんどう)を人穴城(ひとあなじょう)へいそいでいく。
 目というものがあっても、ここでは、目がなんの役にも立たない暗黒界、けれど、足もとは坦々(たんたん)とたいらであるし、両側は岩壁(いわかべ)の横道なし。――いくら盲(めくら)めっぽうに進んでも、けっして、迷(まよ)う気づかいはないと、燕作はいつもの早足ぐせで、才蔵よりまえにタッタとかけていったが、やがてのこと、
「ホイ! しまったり!」
 目から火でもだしたような声で、勢いよく四(よつ)ンばいにつんのめった。あとからきた才蔵も、あやうくその上へ折りかさなるところを踏(ふ)みとどまって、
「どうした燕作」と声をかける。
「オオ、痛(いて)え! 才蔵さま、どうやらここは行止まりのようです」
「どんづまりにはちと早い、あわてずによくさぐってみい……おおこりゃ石段ではないか」
「え、石段?」
「人穴城(ひとあなじょう)は、裾野(すその)より高地となるから、この間道が、しぜんのぼりになるのは、はや近づいた証拠(しょうこ)といえる」
 才蔵がのぼっていく尾について、燕作も石段の数をふんでいく……と道はふたたび平地(ひらち)の坂となり、それをあくまで進みきると、こんどこそほんとうのゆきづまり、手探(てさぐ)りにも知れる鉄(くろがね)の扉(とびら)が、ゆく手の先をふさいでいた。
「燕作(えんさく)燕作、殿堂の間道門(かんどうもん)は、すなわちこれであろう。なんとかして、なかの者にあいずをするくふうはないか」
「とにかく、どなってみましょう」
 と燕作は鉄門の前に立って、器量(きりょう)いっぱいな大声。
「やアやア搦手(からめて)がたの兄弟、丹羽昌仙(にわしょうせん)さまの密書をもって、安土城(あづちじょう)へ使いした早足(はやあし)の燕作(えんさく)が、ただいま立ちかえったのだ。開門! 開門」
 鉄壁(てっぺき)をたたいて呼ばわッたとたん、頭の上からパッとさしてきた龕燈(がんどう)のひかり、と見れば、高いのぞき窓(まど)から首を集めて、がやがや見おろしている七、八人の手下どもの顔がある。
「おお、いかにも、燕作にちがいないらしいが、あとのひとりは人穴城(ひとあなじょう)で見たこともないやつ、軍師(ぐんし)さまの厳命(げんめい)ゆえ、さような者は、ここ一寸(すん)も、とおすことまかりならん。開門ならん」
「ヤイヤイ、しつれいをもうしあげるな」
 と、燕作はまばゆい光をあおむいて、
「鳥刺(とりさ)し姿に身をやつしておいでなさるが、このお方こそ、秀吉公(ひでよしこう)の帷幕(いばく)の人、福島(ふくしま)さまのご家臣で、音にきこえた可児才蔵(かにさいぞう)とおっしゃる勇士だ。うたがわしく思うなら、とッとと軍師(ぐんし)さまのお耳に入れてくるがいい」
「なんだ、福島正則(ふくしままさのり)さまのご家来だと?」
 おどろいた手下どもは、すぐことの由(よし)を、丹羽昌仙(にわしょうせん)へ告(つ)げにいった。昌仙は、燕作(えんさく)の吉報(きっぽう)をまちかねていたところなので、すぐさま、大将呂宋兵衛(るそんべえ)とともに、間道門(かんどうもん)のてまえまで、秀吉(ひでよし)の使者を出むこうべくあらわれた。
 しばらくすると、鉄の閂(かんぬき)をはずす音がして、明暗の境をなすおもい扉(とびら)が、ギ、ギ、ギイ……と一、二寸ずつ開(ひら)いてきたので、暗黒のなかに立っていた才蔵と燕作のすがたへ、一道(どう)の光線が水のごとくそそぎ流れた。
「はるばるお越しくだされた可児才蔵(かにさいぞう)さま、いざお入りくだされい」
 内よりおごそかな声があって、門扉(もんぴ)は八文字(もんじ)にひらかれた。――と、ほとんど同時である。またも間道(かんどう)のあなたから、疾風(しっぷう)のように走ってきた人間がある! すでに才蔵と燕作がなかへはいって、ふたたびギーッと門が閉(し)まろうとするところへ、あわただしくきて、
「大へんだ! わたしを入(い)れて、はやくあとを閉(し)めておくれよ」
 ころぶようにたおれこんだ蚕婆(かいこばばあ)、いつものし太(ぶと)さに似ず、いきた色もしていない。
「おお裾野(すその)の見付婆(みつけばばあ)、大へんとはなんだなんだ」
 一せいに色めきたつ人々を見まわして、蚕婆は歯をむきだして、がなッた。
「なんだもかんだも、あるもんか、はやくはやく、さきに門を閉(し)めなきゃ大へんだ、いまわたしのあとから忍剣(にんけん)と小文治(こぶんじ)というやつが追っかけてくる!」
「えッ、伊那丸(いなまる)の旗本(はたもと)がおいかけてくるッて? それは、ここへか、こっちへか?」
「くどいことはいっておられないよ、あれ、あの足音がそうだ! あの足音だ!」
「それッ、かたがた、はやく門をとじて厳重(げんじゅう)にかためてしまえ」
「やア、もうそこへ姿がみえた」
「閂(かんぬき)はどうした!」
「くさりをかせ! 鎖(くさり)を!」
「わーッ、わーッ」
 ――ととつぜん、暴風にそなえるように、うろたえた手下どもは、扉(とびら)へ手をかけて、ドーンという響(ひび)きとともに、間道門(かんどうもん)を閉(し)めてしまった。
「むねんッ」
 と、その下にふたりの声。ああ、たった一足(ひとあし)ちがい――
 蚕婆(かいこばばあ)を追いつめて、人穴城(ひとあなじょう)のかくし道をきわめてきた忍剣と小文治は、いでや、このまま城内へ斬って入(い)ろうと勢いこんできたところを、内からかたく閉(し)められてじだんだ踏(ふ)んだ。
「卑怯(ひきょう)なやつら、臆病(おくびょう)ぞろいよ! わずかふたりの敵をむかえることができぬのか、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)の下ッぱには男らしいやつは一ぴきもいないのか、くやしければ、開(あ)けろ、開けろッ!」
 さんざんにいいののしったが、こッちでののしれば、内でもののしり返すばかり、果てしがないので、
「えい、めんどうだッ」
 手馴(てな)れの禅杖(ぜんじょう)を、ふりかまえた加賀見忍剣(かがみにんけん)、どうじに巽小文治(たつみこぶんじ)も、
「よし、拙者(せっしゃ)は、あれからとびこんでゆく」
 と、槍(やり)を立てかけて、足がかりとなし、十数尺上ののぞき口へ、無二無三にとびつこうとこころみた。
 グワーン!
 たちまち、雷火をしかけたように、鉄門をとどろかした忍剣(にんけん)の第一撃! この鉄の扉(とびら)が破れるか、この禅杖(ぜんじょう)が折れるかとばかり。
 つづいて、第二、第三撃!
 間道門(かんどうもん)のなかでは、呂宋兵衛(るそんべえ)をはじめ丹羽昌仙(にわしょうせん)、轟(とどろき)又八、そのほか燕作(えんさく)も蚕婆(かいこばばあ)もおおくの手下どもも、思わず胆(きも)をひやして、ただ、あれよあれよとおどろき見ているまに、さしもの鉄壁も、飴(あめ)のようにゆがんでくる。
 すわこそ、人穴城(ひとあなじょう)の一大事となった。
 呂宋兵衛はまッさおになった。
 手下どもも、見えぬ敵の恐怖(きょうふ)におそわれた。こんな猛者(もさ)に、ふたりもおどりこまれた日には、よしや、城内に二千の野武士(のぶし)はあるとも、どれほど死人手負(てお)いの山をきずかれるか、さいげんの知れたものではないと思った。
「なにを気を呑(の)まれているか! 意気地(いくじ)なしめ!」
 ふいに、そのなかで、思いだしたようにどなったのは轟(とどろき)又八。
「すこしもはやく、水道門の堰(せき)をきって、間道(かんどう)のなかへ濁水(だくすい)をそそぎこめ、さすれば、いかなる天魔(てんま)鬼神(きじん)であろうと、なかのふたりが溺(おぼ)れ死ぬのはとうぜん、しかも、味方にひとりの怪我人(けがにん)もなくてすむわ」
 あっぱれ名案と、誇(ほこ)りがましく命令すると、手下どもが、おうと答えるよりはやく、
「いや、そりゃ断じていかん」
 はげしく異議(いぎ)を申したてた者は、軍師(ぐんし)丹羽昌仙(にわしょうせん)であった。かれとは、つねに犬と猿(さる)の仲みたいな轟又八、すぐ眉(まゆ)をピリッとさせて、
「こういうときの用意のため、いつでも水道門の堰さえきれば、間道はおろか裾野(すその)一円、満々と出水(でみず)になるようしかけておいた計略ではないか。軍師(ぐんし)には、なんでお止(と)めなさる」
「おろかなことをお問いめさるな、それ、溺兵(できへい)の計りごとは、一城の危急存亡にかかわるさいごの手段、わずかふたりの敵をころすために、なんでそれほどの費(つい)えをなそうや」
「心得ぬ軍師(ぐんし)のいい条(じょう)、では、みすみす間道門(かんどうもん)をやぶられて、ここにおおくの手負(てお)いをだすとも、大事ないといいはらるるか」
「なんで昌仙(しょうせん)が、それまで手をつかねて見ていようぞ、拙者(せっしゃ)にはべつな一計があること、又八どのは、それにてゆるりとご見物あるがよい。やあ者ども、この鉄門の前へ焼草(やきくさ)をつみあげい」
 たちまち、山と積まれた枯草(かれくさ)の束(たば)。はこばれてくる獣油(じゅうゆ)の瓶(かめ)、かつぎだされた数百本の松明(たいまつ)。
 洞門(どうもん)のなかでは、それとも知らず、必死にあえぐ忍剣(にんけん)と小文治(こぶんじ)のかげ。と――いきなり、バラバラバラ、バラバラッ! と上ののぞき口から投げこんできた枯草のたば! つづいて焔(ほのお)のついた松明(たいまつ)、獣油(じゅうゆ)の雨、火はたちまちパッと枯草についた。いや、ふたりの袖(そで)や裾(すそ)にもついた。
 火は消しもする、はらいもする、が、もうもうと間道(かんどう)のなかへこもりだした煙はおえぬ。しかも異臭(いしゅう)をふくんだ獣油の黒煙が、でどころがなく、渦(うず)をまいてふたりをつつんだ。
 目からはしぶい涙がでる。鼻腔(びこう)はつきさされるよう、咽(のど)はかわいて声さえでぬ。……そこにしばらくもがいていれば煙にまかれて窒息(ちっそく)はとうぜんだ。ふたりは歯ぎしりをしながら、煙におしだされて、しだいしだいにあともどりした――といっても、充満(じゅうまん)している煙の底をはいながら……
 間道の半ば過ぎまで引っかえしてきたころ、ふたりは、やっとどうやらうす目をあいて、たがいにことばをかわせるようになった。
「や、小文治(こぶんじ)どの、どうやらここは、先刻(せんこく)すすんでいった間道(かんどう)とはちがうようではないか」
「拙者(せっしゃ)もすこし変に思ってはいるが、たしかいきがけには、ほかに横穴はないように心得ていた」
「しかし、このように両側のせまい穴ではなかったはず……はてな? こりゃちとおかしい……」
「忍剣(にんけん)どの、また煙の渦(うず)がながれてきた。とにかく、もどるところまでもどってみよう」
「せっかく、人穴城(ひとあなじょう)の根もとまで押しよせたに、煙攻めの策(さく)にかかって引ッ返すとは無念千万(ばん)……ああまたまっ黒に包んできおった」
「ちぇッ、いまいましいが、もうここにもぐずぐずしておれぬわ」
 さすがの勇士も、煙の魔軍には勝つ術(すべ)がなかった。息づまる苦しさと、目にしむ涙(なみだ)をこらえながら、いっさんにその穴(あな)を走りもどった。
 からくも、前にはいった床下(ゆかした)へきた。まさしく、蚕婆(かいこばばあ)の家の下にちがいない。とちゅうの道がちがっているように思えたのも、さすれば、煙のための錯覚(さっかく)であったかもしれない。
「こりゃ部下の者、この板を退(の)けて、綱(つな)をおろせ、早く早く!」
 と小文治(こぶんじ)が、槍(やり)の石突(いしづ)きを上へむけて、蓋(ふた)の板を下からポンポンと突きあげた。
 すると、入口に待ちかねていた部下の者であろう、板をはがして、二本の綱(つな)を無言のまま下へたれてきた。それを力に、忍剣(にんけん)と小文治(こぶんじ)は、ひらりと上へとびあがる!
 ――あがったところはまッ暗であった。
 だれかが、カチカチ……と火打石(ひうちいし)を磨(す)っている。部下は二十人ばかり、ここへ置いていったのに、イヤにあたりが静かである。
 カチッ、カチッ、カチッ……火打石はなかなかにつかない……
「たわけ者め!」
 忍剣は、部下の不用意を叱(しか)りつけた。じぶんたちがいない間(ま)に、あるいは、軍律を破って、夜半(よわ)の眠りをむさぼっていたのではないかとさえうたぐった。
「なぜ、かがり火を焚(た)いておらぬ、この暗さで、いざことある場合になんといたす。不埒者(ふらちもの)めが、はやく灯(ひ)をつけい!」
「はい、ただいますぐに明るくいたします」
 と答える者があったが、すこし声音(こわね)がへんである。調子がおかしい。
 小文治は、部下の者のなかにこんなしわがれた声はなかったはずと思って、きッとなりながら、
「何者だッ、そこにいるのは!」
 と、声あらく、どなりつけてみた。
 にもかかわらず、相手は平気で、まだカチカチと闇(やみ)のなかで、火打石を磨っている。
「名を申さんと突きころすぞッ、敵か、味方か!」
 ピラリッ――朱柄(あかえ)の槍(やり)の穂先(ほさき)がうごいて、闇(やみ)のなかにねらいすまされた。と、その槍先から、ポーッとうす明るい灯(ひ)がともった。
「わしは敵でもなければ味方でもない。そうもうすおまえがたこそ、深夜に床下(ゆかした)から忍(しの)びこんできて、ひとの家へなにしにきた!」
「やや、ここは蚕婆(かいこばばあ)の家ではなかったのか――」
 忍剣(にんけん)も小文治(こぶんじ)も、あまりのことにぼうぜんとしながら、そこに立ったひとりの人物を、そも何者かと、みつめなおした。
 いまともした行燈(あんどん)を前にだして、しずかに席についたその男は、するどい両眼に片鼻(かたはな)のそげた顔をもち、熊(くま)の毛皮の胴服(どうふく)に、刻(きざ)み鞘(ざや)の小太刀(こだち)を前挟(まえばさ)みとなし、どこかにすごみのあるすがたで、
「あははははは、床下(ゆかした)から戸まどいしてござったのは、さてこそ、伊那丸(いなまる)が幕下(ばっか)のおかたでござるな。なんにせよ、深夜の珍客どの、お話もござりますゆえ、まずそれへおすわりください」
 いう声がら、容貌(ようぼう)も、それは、まぎれもあらぬ鏃鍛冶(やじりかじ)の鼻かけ卜斎(ぼくさい)。

 意外なおもいにうたれた忍剣と小文治の目は、つぎに部屋(へや)のなかをながめまわした。
 ここは卜斎(ぼくさい)の書斎(しょさい)とみえて、兵書、武器、種々な鏃(やじり)の型図面(かたずめん)などがざったにちらかっており、なかにも一挺(ちょう)の種子島(たねがしま)が、いま使ったばかりのように、火縄(ひなわ)をそえて、かれのそばにおいてあった。
「いかにもご推察(すいさつ)のとおり、われわれはいま雨(あま)ヶ岳(たけ)を本陣としている、武田伊那丸(たけだいなまる)さまの旗本(はたもと)でござるが、してそこもとは何人(なんぴと)? またここはいったいいずこでござりますか?」
 ややあって、忍剣(にんけん)が、こう問いただした。
「ここは、やはり裾野(すその)の村、おふたりが間道(かんどう)へはいられた蚕婆(かいこばばあ)の家から、さよう、ざっと五、六町はなれた鏃鍛冶(やじりかじ)の小屋でござる。すなわち、手まえは主(あるじ)の卜斎ともうす者」
「ではそちも、鏃鍛冶(やじりかじ)とは世をあざむく稼業(かぎょう)で、まことは蚕婆とおなじように、人穴城(ひとあなじょう)の見付(みつけ)をいたしているのであろうが!」
 小文治(こぶんじ)が、グッと急所を押すと、卜斎は、ひややかに嘲笑(あざわら)って、
「とんでもないこと、けっしてさような者ではございません」
「だまれ、呂宋兵衛(るそんべえ)の隠密(おんみつ)でない者が、なんで床下(ゆかした)から間道(かんどう)へ通じるようにしかけてあるのだ」
「なるほど、それはごもっともなおうたがいじゃ。いかにもこの卜斎鏃鍛冶とはほんの一時の表稼業(おもてかぎょう)で、まことはおさっしのとおり隠密(おんみつ)にそういない」
「さてこそ、間者(かんじゃ)!」
 小文治(こぶんじ)と忍剣(にんけん)は、腰の大刀をグイとにぎって、あわやおどりかからんずる気勢をしめした。
 片手を斜(なな)めにさし向けて、きッと、体をかまえなおした卜斎(ぼくさい)、
「じゃが、おさわぎあるなご両所、隠密(おんみつ)は隠密でも、呂宋兵衛(るそんべえ)のごとき曲者(くせもの)の手先となって、働くような卜斎ではございません――」
 と、左右のふたりへ、するどい眼をそそぎながら、
「――まことかくもうす卜斎こそは、北国(ほっこく)一の雄(ゆう)、柴田権六勝家(しばたごんろくかついえ)が間者、本名上部八風斎(かんべはっぷうさい)という者、人穴(ひとあな)の築城(ちくじょう)をさぐろうがため、ここに鏃師(やじりし)となって、家の床下(ゆかした)から八ぽうへかくし道をつくり、ここ二星霜(せいそう)のあいだ、苦心していたのでござる」
「おう……」うめくがようにふたりは顔を見あわせて、
「音にきこえた鬼柴田(おにしばた)のふところ刀、上部八風斎とはそこもとでござったか。してその御人(ごじん)が、なんのご用ばしあって、われわれをお止(と)めなされた」
「されば、それがしの主君勝家より密命があって、ご不運なる武田家(たけだけ)の御曹司(おんぞうし)へ、ひとつの贈(おく)り物をいたそうがため」
「はて、柴田家(しばたけ)より伊那丸君(いなまるぎみ)へ、そもなんの贈り物を?」
「すなわちこの品(しな)――」
 と、八風斎がしめしたのは、かれが学力の蘊蓄(うんちく)をかたむけて、くまなくさぐりうつした人穴(ひとあな)の攻城図、獣皮(じゅうひ)につつんで大せつに密封(みっぷう)してあるものだった。
「――かねてから主君勝家(かついえ)は、若年(じゃくねん)におわし、しかも、孤立無援(こりつむえん)に立ちたもう伊那丸(いなまる)さまへ、よそながらご同情いたしておりました。折から、このたびのご苦戦、ままになるなら、北国勇猛(ゆうもう)の軍馬をご加勢に送りたいは山々なれど、四隣(りん)の国のきこえもいかが、せめては武家の相身(あいみ)たがい、弓取り同士のよしみの印(しるし)までにもと、この攻城図を、ご本陣へさしあげたいというおいいつけ」
「なんといわるる、ではそこもとが、苦心に苦心をかさねて写(うつ)されたこの秘図を、おしげもなく、伊那丸さまへおゆずりなさろうとおっしゃるか」
「いかにも、これさえあれば、人穴城(ひとあなじょう)の要害(ようがい)は、掌(たなごころ)をさすごとく、大手(おおて)搦(から)め手の攻め口、まった殿堂、櫓(やぐら)にいたるまで、わが家のごとく知れまする。すなわちこの一枚の図面は、千人の援兵(えんぺい)にもまさること万々(ばんばん)ゆえ、一刻もはやく、ご本陣へまいらせたいこのほうの志(こころざし)、なにとぞ、伊那丸さまへ、よしなにお取次ぎを」
「ああ、世は澆季(すえ)でなかった」
 と、忍剣(にんけん)も小文治(こぶんじ)も、胸をうたれずにおられなかった。
 越前(えちぜん)北(きた)ノ庄(しょう)の鬼柴田(おにしばた)といえば、弱肉強食の乱世(らんせい)のなかでも、とくに恐ろしがられている梟雄(きょうゆう)だのに、こんな美しい、情けの持主(もちぬし)であろうとは、きょうまで夢(ゆめ)にも知らなかった。――なんとゆかしい弓取りのよしみであろう。
 そして、むろんこれはこばむことではないと思った。
 さだめし、伊那丸(いなまる)さまをはじめ同志の人々がよろこぶことと信じて、そくざに、八風斎(はっぷうさい)の願いをゆるし、雨(あま)ヶ岳(たけ)の本陣へあんないすることを快諾(かいだく)した。
 八風斎も欣然(きんぜん)として、衣服大小をりっぱにあらため、獣皮(じゅうひ)につつんだ図面を懐中(ふところ)にいれ、ふたりのあとについて屋敷をでた。
 いっぽう、蚕婆(かいこばばあ)の家で、たむろをしていた部下の者たちは、床下(ゆかした)の穴から濛々(もうもう)たる煙がふきだしてきたので、すわこそ、忍剣と小文治の身のうえに、変事があったにちがいないと、すくなからずさわぎあっていた。そこへ意外な方角から、ふたりが無事でかえってきたので、一同あッけにとられてしまった。
 やがて、勢ぞろいをして、人無村(ひとなしむら)をでてゆく一列の軍馬を見れば、まッさきに馬上の加賀見忍剣(かがみにんけん)、おなじく騎馬(きば)たちの上部八風斎(かんべはっぷうさい)、巽小文治(たつみこぶんじ)、それにしたがう二十余人の兵。――この一列が整々(せいせい)として雨(あま)ヶ岳(たけ)の本陣へかえってくるまに、富士(ふじ)の山は、銀の冠(かんむり)にうす紫(むらさき)のよそおいをして、あかつきの空に君臨(くんりん)し、流るる霧(きり)のたえまに、裾野(すその)の朝がところどころ明けかけてくる。
 人無村の柿(かき)の木には、今朝(けさ)も烏(からす)がむれていた。

 富士(ふじ)川の名物、筏舟(いかだぶね)に棹(さお)さして、鰍沢(かじかざわ)からくだる筏乗(いかだの)りのふうをよそおい、矢のように東海へさして逃げたふたりのあやしい男がある。
 海口(うみぐち)へ着くやいな、しぶきにぬれた蓑笠(みのかさ)とともに、筏をすて、浜べづたいに、蒲原(かんばら)の町へはいったすがたをみると、これぞまえの夜、鼻かけ卜斎(ぼくさい)の屋敷から遁走(とんそう)した菊池半助(きくちはんすけ)。つれているのは、そのときゆきがけの駄賃(だちん)に、かどわかしてきた泣(な)き虫(むし)の蛾次郎(がじろう)だ。
 十五、六にもなりながら、人にかどわかされるくらいな蛾次郎だから、むろん、じぶんではかどわかされたとは思っていない。バカにしんせつで、じぶんを出世(しゅっせ)さしてくれるいいおじさんにめぐりあったと心得ている。
「蛾次郎、もうここまでくれば、どんなことがあっても安心だから、かならずしんぱいしないで元気をだすがいい」
 半助がふりかえっていうと、あとから宿(しゅく)のにぎやかさに、キョロつきながら、のこのこと歩いてきた蛾次郎、すこし口をとンがらせながら、
「元気をだせったッて、元気なんかでやしねえや、お侍(さむらい)さんはよく腹がすかないねえ」
「ははア、どうもさっきからきげんがわるいと思ったら、空腹(くうふく)のために、ふくれているんだな」
「だってゆうべッから、一ッ粒もごはんを食べないんだもの、それで今朝(けさ)になっても、まだ歩いてばかりいちゃあ、いくらおれだってたまらねえや」
「まて、もうすこしのしんぼうじゃ。向田(むこうだ)ノ城(しろ)へまいれば、なんでも腹いッぱい食(く)わせてやる」
「もうだめだ、アア、もう歩けない、なにか食(た)べなくッちゃ目がまわりそうだ……」
 なれるにしたがってそろそろ尻尾(しっぽ)をだしてきた蛾次郎(がじろう)は、宿場人足(しゅくばにんそく)がよりたかって、うまそうに立ち食(ぐ)いしている餅屋(もちや)の前へくると、ぎょうさんに、腹をかかえてしゃがんでしまった。
 半助はにが笑いして、いくらかの小銭(こぜに)をだしてやった。それをもらうと、蛾次郎は人ごみをかきわけてふところいッぱい焼餅(やきもち)を買いもとめ、ムシャムシャほおばりながら歩きだした。
 間(ま)もなく、ふたりのまえに見えた向田ノ城。
 ここの砦(とりで)には、富士、庵原(いはら)、二郡(ぐん)をまもる徳川家(とくがわけ)の松平周防守康重(まつだいらすおうのかみやすしげ)がいる。菊池半助(きくちはんすけ)は、その人に会って、じぶんが探知(たんち)した裾野(すその)の形勢(けいせい)をしさいに書面へしたため、それを浜松の本城へ、早打ちで送りとどけてもらうようにたのんだ。
 書状(しょじょう)の内容は、徳川家(とくがわけ)の領内である富士の人穴(ひとあな)を中心に、裾野(すその)一帯の無人(むじん)の広野(こうや)に、いまや、呂宋兵衛(るそんべえ)だの、伊那丸(いなまる)だの、あるいは秀吉(ひでよし)の隠密(おんみつ)、柴田勝家(しばたかついえ)の間者(かんじゃ)などが、跳梁(ちょうりょう)して、風雲すこぶる険悪(けんあく)である。はやく、いまのうちに味方の兵をだして、それらの者を、掃滅(そうめつ)しなければ一大事で。――という意味のものであった。
 その密談のあいだに、
「ちぇッ、ばかにしてやがら」
 城内の一室で、プンプンしていたのは蛾次郎(がじろう)である。もう焼餅(やきもち)を食(た)べつくし、腹はいっぱいになったが、まさか寝ることもできず、半助はいつまでも顔を見せないし、遊ぶところはなし、文句(もんく)のやり場のないところから、ひとりでブツブツこぼしている。
「いやンなっちゃうな。どうしたんだい、あの人は、向田(むこうだ)ノ城(しろ)へいったら、なんでも好きなものはやるの、うまいものは食いほうだいだのッて、いっておいてよ、ちぇッくそ! ばかにしてやがら、うそつき! 菊池半助(きくちはんすけ)の大うそつき!」
 腹いせにわめいていると、ふいに、そこへ半助がはいってきたので、さすがの蛾次郎も、これにはすこし間(ま)が悪かったとみえて作り笑いをした。
「蛾次郎、さだめしたいくつであったろう」
「ううん、そんなでもなかったよ、だけれど、菊池さんはいままでいったいどこへいってたのさ」
「その方(ほう)をりっぱな侍(さむらい)に取り立ててやりたいと、城主(じょうしゅ)周防守(すおうのかみ)さまとそうだんしてまいったのだ。どうだ蛾次郎(がじろう)、きさまもはやくりっぱな侍になり、堂々と馬にのったり、多くの家来をかかえて、こんなお城に住んでみたくはないか」
「うふふふふふ、おれをその侍にしてくれるのかい」
 蛾次郎は、目をほそくしてうれしがった。
「きっとしてやる。が、それには、ぜひなにか一つの手柄(てがら)をあらわさなければならん」
「手柄をあらわすには、どんなことをすりゃいいんだろう」
「その方法は拙者(せっしゃ)がおしえてやる。しかも蛾次郎でなければできぬことがあるのだ。これ、耳をかせ……」
 と半助(はんすけ)は、なにやらひそひそささやくと、蛾次郎は目をまるくして、あたりもかまわず、
「えッ、じゃあの竹童(ちくどう)の使っている大鷲(おおわし)を、おれがぬすんでくるのかい!」
「シッ、大きな声をいたすな。――そちはたしか、あの大鷲に乗せてもらった経験があるだろう」
「ある、ある。竹童が松明(たいまつ)をくれッていったから、それを持っていって、一晩じゅう、鷲に乗せてもらったよ」
「さすれば、あの小僧(こぞう)が鷲をつないでおくところも、鷲の背に乗ることも、そちはじゅうぶんに心得ているはず――じつは近いうちに、あの辺で大きな戦(いくさ)がおきるのだ、そのさわぎに乗じて、竹童の鷲(わし)を徳川家の陣中へ乗りにげしてくれればそれでよいのだ。なんと、やさしいことではないか」
「だけれど、……もしかやりそこなうと大へんだな、竹童ッてやつ、ちびでもなかなか強いからな」
「蛾次(がじ)ッ」
 半助がこわい目をしたので、かれは、ギョッとして飛びのいた。
「いやといえばこれだぞ――」
 ギラリと脇差(わきざし)をぬいて、蛾次郎(がじろう)の鼻ッ先へつきつけた菊池半助は、また、左の手で、袂(たもと)からザラザラと小判(こばん)をつかみだして、刀と金をならべてみせた。
「おうといえば褒美(ほうび)にこれ。イヤといえば刀で首。さアどっちでもよい方(ほう)をのぞめ」

 菊池半助(きくちはんすけ)の書面が、家康(いえやす)の本城(ほんじょう)浜松へつくと同じ日にいくさになれた三河武士(みかわぶし)の用意もはやく、旗指物(はたさしもの)をおしならべて、東海道を北へさして出陣した三千の軍兵(ぐんぴょう)。
 精悍無比(せいかんむひ)ときこえた亀井武蔵守(かめいむさしのかみ)の兵七百、内藤清成(ないとうきよなり)の手勢(てぜい)五百、加賀爪甲斐守(かがづめかいのかみ)の一隊六百余人、高力与左衛門(こうりきよざえもん)の三百五十人、水野勝成(みずのかつなり)が後詰(ごづめ)の人数九百あまり、軍奉行(いくさぶぎょう)は天野三郎兵衛康景(あまのさぶろべえやすかげ)。
 法螺(ほら)、陣鐘(じんがね)の音に砂けむりをあげつつ、堂々と街道(かいどう)をおしくだり、蒲原(かんばら)の宿(しゅく)、向田(むこうだ)ノ城にはいって、松平周防守(まつだいらすおうのかみ)のむかえをうけた。
 ここで、裾野陣(すそのじん)の大評議をした各将は、待ちもうけていた菊池半助を、地理の案内役として先陣にくわえ、全軍犬巻峠(いぬまきとうげ)の嶮(けん)をこえて、富士河原(ふじがわら)を乗りわたし、天子(てんし)ヶ岳(たけ)のふもとから南裾野(みなみすその)へかけて、長蛇(ちょうだ)の陣をはるもよう。
 西をのぞめば、雨(あま)ヶ岳(たけ)のいただきを陣地とする武田伊那丸(たけだいなまる)の一党(とう)、北をみれば、人穴城(ひとあなじょう)にたてこもる呂宋兵衛(るそんべえ)の一族、また南の平野には、葵(あおい)の旗指物(はたさしもの)をふきなびかせて、威風(いふう)りんりんとそなえた三千の三河武士(みかわぶし)がある。
 ここ、いずれも、敵味方三方わかれの形である。
 甲(こう)を攻めれば乙(おつ)きたらん、乙を討たんとせば丙(へい)突(つ)かんという三角(かく)対峙(たいじ)。はたしてどんな駈引(かけひ)きのもとに、目まぐるしい三つ巴(どもえ)の戦法がおこなわれるか、風雲の急なるほど、裾野のなりゆきは、いよいよ予測(よそく)すべからざるものとなった。
 けれど、それは人と人とのこと、弓取りと弓取りのこと。晩秋の千草(ちぐさ)を庭としてあそぶ、鶉(うずら)や百舌(もず)や野うさぎの世界は、うらやましいほど、平和そのものである。
 ちょうどそれとおなじように、のんきの洒(しゃ)アな顔をして、またぞろ、裾野へ舞(ま)いもどってきた泣き虫の蛾次郎(がじろう)はばかにいい身分になったような顔をして、あっちこっちを、のこのこと歩いていた。

「木隠(こがくれ)が出立(しゅったつ)してから、きょうで、はや四日目。――かれのことだ。よも、裏切(うらぎ)りもすまいが、なんの沙汰(さた)もないのは、どうしたのか。おいとしや、若君のご武運もいまは神も見はなし給うか」
 床几(しょうぎ)によって、まなこをとじながら、こうつぶやいた小幡民部(こばたみんぶ)。
 ここは、陣屋というもわびしい、武田伊那丸(たけだいなまる)のいる雨(あま)ヶ岳(たけ)の仮屋(かりや)である。軍師(ぐんし)民部は、きのうから幕(まく)のそとに床几をだして、ジッと裾野(すその)をみつめたまま、龍太郎(りゅうたろう)のかえりを、いまかいまかと待ちかねていた。
 が――龍太郎のすがたはきょうもまだ見えない。四日のあいだには、かならず兵三百を狩(か)りあつめて、帰陣すると誓(ちか)ってでた木隠龍太郎。ああ、かれの影はまだどこからも見えてこない。
 いよいよ、絶望とすれば、ふたたび、人穴城(ひとあなじょう)を攻めこころみて、散るか咲くかの、さいごの一戦! それよりほかはみちがない。すでに兵(へい)倦(う)み、兵糧(ひょうろう)もとぼしく、もとより譜代(ふだい)の臣でもない野武士(のぶし)の部下は、日のたつほどひとり去りふたりにげ、この陣地をすて去るにちがいない。
「軍師(ぐんし)、軍師、小幡民部どの!」
 ふいに、耳もとでこうよぶ声。
 あれやこれ、思いしずんでいた民部が、ふと、見あげると、巽小文治(たつみこぶんじ)と加賀見忍剣(かがみにんけん)が連れ立ってそこにある。
「オ。これはご両所(りょうしょ)、なんぞご用で」
「一昨日(おととい)からかなたにあって、待ちわびている者が、もういちどこれを最後として、若君へお取次ぎを願って見てくれいと申して、いッかなきかぬ。――軍師(ぐんし)から伊那丸(いなまる)さまへ、もういちどおことばぞえねがわれまいか」
「おお、上部八風斎(かんべはっぷうさい)のことですか、その儀(ぎ)は、拙者(せっしゃ)からも再三若君のお耳へいれたが、断(だん)じて会わんという御意(ぎょい)のほか、一こうお取上げにならぬしまつ。事情をいうて追いかえされたがよろしかろう」
「は」
 といったが、ふたりの面(おもて)はとうわくの色にくもった。
 じぶんたちが独断で、八風斎を本陣へつれてきたのがわるかったか。伊那丸は対面無用といったまま、耳もかさないのである。また、八風斎のほうでも、あくまで、会わぬうちは、この雨(あま)ヶ岳(たけ)をくだらぬといい張って、うごく気色(けしき)もなかった。
 忍剣と小文治は、なかに立って板ばさみとなった。八風斎はだだをこねるし、伊那丸はきげんがわるい。これでは立つ瀬がないと、いまも民部に、苦しい立場をうちあけていると、ふいに、帳(とばり)のかげから伊那丸の声で、
「民部、民部やある」
 としきりに呼ぶ。
「はッ」
 とりいそいで、幕(まく)のなかへ姿をいれた小幡民部(こばたみんぶ)は、ふたたびそこへ立ちもどってきて、
「よろこばれよご両所(りょうしょ)、にわかに若君が、八風斎に会ってやろうとおおせだされた。御意(ぎょい)のかわらぬうち、いそいで、かれをここへ」
 といった。
 間(ま)もなく、上部八風斎(かんべはっぷうさい)はあなたの仮屋(かりや)から、忍剣(にんけん)と小文治(こぶんじ)にともなわれてそこへきた。迎えにたった民部は、そも、どんな人物かとかれを見るに、鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)の名にそむかず、容貌(ようぼう)こそ、いたってみにくいが、さすが北越(ほくえつ)の梟雄(きょうゆう)鬼柴田(おにしばた)の腹心であり、かつ攻城学(こうじょうがく)の泰斗(たいと)という貫禄(かんろく)が、どこかに光っている。
「八風斎どの、それへおひかえなさい」
 制止(せいし)の声とどうじに、バラバラと陣屋のかげからあらわれた槍組(やりぐみ)のさむらい、左右二列にわかれて立ちならぶ。
 と――武田菱(たけだびし)の紋(もん)を打ったまえの陣幕(じんまく)が、キリリと、上へしぼりあげられた。
 見れば、正面(しょうめん)の床几(しょうぎ)に、気(け)だかさと、美しい威容(いよう)をもった伊那丸(いなまる)、左右には、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)と咲耶子(さくやこ)が、やや頭をさげてひかえている。
「これは……」
 と、槍(やり)ぶすまにひるまぬ八風斎も、うたれたように平伏(へいふく)した。

 初対面(しょたいめん)のあいさつや、陣中の見舞(みま)いなどをのべおわってのち、八風斎(はっぷうさい)は、れいの秘図(ひず)をとりだし、主人勝家(かついえ)からの贈(おく)り物として、うやうやしく、伊那丸(いなまる)の膝下(しっか)にささげた。
 が、なぜか、伊那丸は、よろこぶ色はおろか、さらに見向きもしないで、にべなくそれをつッかえした。
「ご好意はかたじけないが、さようなものはじぶんにとって欲(ほ)しゅうもない。持ちかえって、柴田(しばた)どのへお土産(みやげ)となさるがましです」
「は、心得ぬ仰(おお)せをうけたまわります。主人勝家(かついえ)こそははるかに御曹司(おんぞうし)のお身(み)の上(うえ)をあんじている、無二のお味方、人穴城(ひとあなじょう)をお手にいれたあかつきは、およばずながらよしみをつうじて、ご若年(じゃくねん)のお行(ゆ)く末(すえ)を、うしろだてしたいとまでもうしております。……なにとぞ、おうたがいなくご受納(じゅのう)のほどを」
「だまれ、八風斎!」
 はッたとにらんだ伊那丸は、にわかにりんとなって、かれの胸をすくませた。
「いかに、汝(なんじ)が、懸河(けんが)の弁(べん)をふるうとも、なんでそんな甘手(あまて)にのろうぞ。この伊那丸に恩義を売りつけ、柴田が配下に立たせよう計(はか)りごとか、または、後日(ごじつ)に、人穴城をうばおうという汝らの奸策(かんさく)、この伊那丸は若年(じゃくねん)でも、そのくらいなことは、あきらかに読めている」
「うーむ……」
 うめきだした八風斎(はっぷうさい)の顔は、見るまにまッさおになって、じッと、伊那丸(いなまる)をにらみかえして、眼(め)もあやしく血走ってくる。
「益(えき)ないことに暇(ひま)とらずに、汝(なんじ)も早々(そうそう)、北越(ほくえつ)へひきあげい。そして、勝家(かついえ)とともに大軍をひきい、この裾野(すその)へでなおしてきたおりには、またあらためて見参(げんざん)するであろう。そちの大事がる図面とやらも、そのとき使うように取っておいたがよい」
 深くたくらんだ胸のうちも、完全に見やぶられた八風斎は、本性(ほんしょう)をあらわして、ごうぜんとそりかえった。
「なるほど、さすが信玄(しんげん)の孫(まご)だけあって、その眼力(がんりき)はたしかだ。しかしわずか七十人や八十人の小勢(こぜい)をもって、人穴城(ひとあなじょう)がなんで落ちよう。敵はまだそればかりか、呂宋兵衛(るそんべえ)にもましておそろしい大敵が、すぐ背後(うしろ)にもせまっているぞ。悪いことはすすめぬから、いまのうちに柴田家(しばたけ)の旗下(きか)について、後詰(ごづめ)の援兵(えんぺい)をあおぐが、よいしあんと申すものじゃ」
「だまれ。よしや伊那丸ひとりになっても、なんで、柴田ずれの下風(かふう)につこうや、とくかえれ、八風斎!」
「ではどうあっても、柴田家にはつかぬと申しはるか、あわれや、信玄の孫どのも、いまに、裾野に屍(かばね)をさらすであろうわ、笑止(しょうし)笑止」
 毒口(どくぐち)たたいて、秘図(ひず)をふところにしまいかえした八風斎、やおら、伊那丸のまえをさがろうとすると、面目(めんもく)なげにうつむいていた忍剣(にんけん)と小文治(こぶんじ)が、左右から立って、
「若君にむかってふらちな悪口(あっこう)、よくもわれわれ両人をだましおったな!」
 と、猿臂(えんぴ)をのばして、八風斎のえりがみをつかもうとしたとき、
「方々(かたがた)! 方々! 敵の大軍が見えましたぞッ」
 にわかに起ったさけび声、陣のあなたこなたにただならぬどよみ声、伊那丸(いなまる)も咲耶子(さくやこ)も、民部(みんぶ)も蔦之助(つたのすけ)も、思わずきッと突っ立った。
「それ見たことか、はやくも地獄(じごく)の迎えがきたわッ!」
 さわぎのすきに、すてぜりふの嘲笑(ちょうしょう)をなげながら、疾風(しっぷう)のように逃げだした上部八風斎(かんべはっぷうさい)。
 忍剣と小文治が、なおも追わんとするのを伊那丸はかたく止(と)めて、かれのすがたを見送りもせず、
「小さき敵に目をくるるな、心もとない大軍の出動とやら、だれぞ、はようもの見せい!」
「はい、かしこまりました」
 こたえた声音(こわね)は意外にやさしい、だれかとみれば、伊那丸のそばから、蝶(ちょう)のように走りだしたひとりの美少女、いうまでもなく咲耶子である。
 見るまに、物見(ものみ)の松の高きところによじのぼって、梢(こずえ)にすがりながら、片手をかざし、
「オオ、見えまする! 見えまする!」
「して、その敵のありどころは」
 松の根方(ねかた)から上をあおいで、一同がこたえを待つ。
 上では、緑の黒髪を吹かれながら、咲耶子(さくやこ)の声いっぱい。
「天子(てんし)ヶ岳(たけ)のふもとから、南すそのへかけて、まんまんと陣取ったるが本陣と思われまする。オオ、しかも、その旗印(はたじるし)は、徳川方(とくがわがた)の譜代(ふだい)、天野(あまの)、内藤(ないとう)、加賀爪(かがづめ)、亀井(かめい)、高力(こうりき)などの面々」
「やや、では呂宋兵衛(るそんべえ)が人穴城(ひとあなじょう)をでたのではなかったか。してして軍兵(ぐんぴょう)のかずは?」
「富士川もよりには、和田(わだ)、樋之上(ひのかみ)の七、八百騎(き)、大島峠(おおしまとうげ)にも三、四百余の旗指物(はたさしもの)、そのほか、津々美(つつみ)、白糸(しらいと)、門野(もんの)のあたりにある兵をあわせておよそ三千あまり」
「その軍兵は、こなたへ向かって、すすんでくるか?」
「いえいえ、満(まん)を持(じ)してうごかぬようす、敵の気ごみはすさまじゅう見うけられます」
 咲耶子の報告がおわると、物見(ものみ)の松のしたでは、伊那丸(いなまる)と軍師(ぐんし)を中心にして、悲壮な軍議がひらかれた。まえには、人穴城の強敵あり、うしろには徳川家(とくがわけ)の大軍あり、雨(あま)ヶ岳(たけ)は、いまやまったく孤立無援(こりつむえん)の死地におちた。
 おそらくは、主従(しゅじゅう)の軍議もこれが最後のものであろう。軍議というも、守るも死、攻むるも死、ただ、その死に方の評定(ひょうじょう)である。
 時は、たそがれ刻(どき)か、あるいは、宵(よい)か夜中か明け方か、いずれにせよ、闇でも花とちる身(み)にはかわりがない。
 こい! 徳川勢(とくがわぜい)――。
 伊那丸方(いなまるがた)の面々(めんめん)は、馬には飼糧(かいば)、身には腹巻をひきしめて、雨(あま)ヶ岳(たけ)の陣々に鳴りをしずめた。
 そのころ、人穴城(ひとあなじょう)の望楼(ぼうろう)のうえにも、三つの人影があらわれた。大将呂宋兵衛(るそんべえ)に、軍師(ぐんし)丹羽昌仙(にわしょうせん)、もうひとりは客分の可児才蔵(かにさいぞう)。三人は、いつまでも暮れゆく陣地をながめわたして、なにやら密議に余念がない。心なしか、こよいはことに砦(とりで)のうえに、いちまつの殺気がみち満ちていた。

 富士(ふじ)はくれゆく、裾野(すその)はくれる。
 きょうで四日目の陽(ひ)は、まさに沈もうとしているのに小太郎山(こたろうざん)へむかって、駿馬(しゅんめ)項羽(こうう)をとばせた木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)はそも、どこになにしているのだろう。
 かれは、よもや雨(あま)ヶ岳(たけ)にのこした伊那丸の身や、同志の人々を忘れはてるようなものではけっしてあるまい。いや、断じてないはずの人間だ。それだのに、晩秋の靄(もや)ひくくとぶ鳥はみえても、駿馬項羽にまたがったかれのすがたが、いつまでも見えてこないのはどうしたわけだ?
 人無村(ひとなしむら)で、とんだ命(いのち)びろいをしたッきり、白旗(しらはた)の森(もり)のおくへもぐりこんでしまった竹童(ちくどう)も、ほんとに、頭脳(あたま)がいいならば、いまこそどこかで、
「きょうだぞ、きょうだぞ、さアきょうだぞ」
 と叫(さけ)んでいなければならないはず。
 お師匠(ししょう)さまの果心居士(かしんこじ)から、こんどこそ、やりそこなったら大へんだという秘命(ひめい)を、とっくのまえからさずけられている竹童(ちくどう)が、その、一生いちどの大使命をやる日はまさにきょうのはずだ。
 ところが、きのうあたりから、あの蛾次郎(がじろう)が、団子(だんご)や焼餅(やきもち)などをたずさえて、チョクチョク白旗の森にすがたを見せ、竹童のごきげんとりをやりだしたのも奇妙(きみょう)である。

 雨のような落葉(おちば)が、よこざまに、ばらばらと降(ふ)る。
 くろい葉、きいろい葉、まっかな葉、入りまじってさんらんと果てしなくとぶ。
 さしもひろい湖(みずうみ)の水も、ながい道も、このあたりは見るかぎり落葉(おちば)の色にかくされて、足のふみ場もわからないほどである。
 と――どこかで、
「ぐう、ぐう、ぐう……」
 不敵(ふてき)ないびきの声がする。
 つかれた旅人でも寝ているのであろう、白旗(しらはた)の宮(みや)の、蜘蛛(くも)の巣(す)だらけな狐格子(きつねごうし)のなかから、そのいびきはもれているのだ。
 旅人なら、夕陽(ゆうひ)の光がまだ、雲間(くもま)にあるいまのうちに早くどこか、人里(ひとざと)までたどり着(つ)いておしまいなさい――と願わずにいられない。
 この地方は、冬にならぬころから、口のひっ裂(さ)けた、れいの狼(おおかみ)というのが、よく出現して、たびの人を、骨(ほね)だけにしてしまう。
 するとあんのじょう、森のかげから、ガサガサという異様な音がちかづいてきた。みると、それは幸(さいわ)いにして狼ではなかったが、針金頭巾(はりがねずきん)や小具足(こぐそく)で、甲虫(かぶとむし)みたいに身をかためたふたりの兵。手には短槍(たんそう)を引っさげている。
 服装の目印(めじるし)、どうやら徳川家(とくがわけ)の斥候(ものみ)らしいが、きょう、天子(てんし)ヶ岳(たけ)に着陣したばかりなのに、はやくもこのへんまで斥候の手がまわってきたとはさすが、海道一の三河勢(みかわぜい)、ぬけ目のないすばやさである。
 斥候の甲虫は、一歩一歩、あたりに気をくばって、落葉(おちば)をふむ足音もしのびやかにきたが、
「しッ……」
 と、さきのひとりが、白旗の宮のそばで、うしろの者へ手あいずする。
「なんだ……」
 おなじく、ひくい声でききかえした。
「あやしい声がする」
「えッ」
「しずかに」
 ぴたりと、ふたりは槍(やり)とともに落葉のなかへ身をふせてしまった。そして、ややしばらく、耳と目を研(と)ぎすましていたが、それっきり、いまのいびきも聞えなくなったので、甲虫(かぶとむし)はふたたび身をおこして、いずこともなく立ちさった。
 あとは、またものさびしい落葉(おちば)の舞(ま)い。
 暮れんとして暮れなやむ晩秋の哀寂(あいじゃく)。
 ぎい……とふいに、白旗(しらはた)の宮(みや)の狐格子(きつねごうし)がなかからあいた。そして、むっくり姿をあらわしたのは、なんのこと、鞍馬山(くらまやま)の竹童(ちくどう)であった。
「あぶない、あぶない。もうこんなほうまで、徳川家の陣笠(じんがさ)がうろついてきたぞ。ところで、おいらは、いよいよ、今夜お師匠(ししょう)さまのおいいつけをやるのだが、それにしては、もうそろそろどこかで、鬨(とき)の声(こえ)があがってきそうなもの……どれ、ひとつ高見(たかみ)から陣のようすをながめてやろうか」
 ひらりと、宮の縁(えん)から飛びおりるがはやいか、湖畔(こはん)にそびえている樅(もみ)の大樹(たいじゅ)へ、するするすると、りすの木のぼり、これは、竹童ならではできない芸当(げいとう)。
 数丈(すうじょう)うえのてっぺんに、烏(からす)のようにとまった竹童、したり顔して、あたりの形勢(けいせい)をとくと見とどけてのち、ふたたび降(お)りてくると、こんどは、白旗(しらはた)の宮(みや)の拝殿にかくしておいた一たばの松明(たいまつ)をかつぎだしてきた。
 この松明こそは、竹童が苦心さんたんして、蛾次郎(がじろう)から手にいれたものである。かれは、この松明、二十本をなんに使うつもりか、腰に皮の火打石袋(ひうちいしぶくろ)をぶらさげ、いっさんに、白旗の森のおくへ走りこんでいった。

 そこは密林(みつりん)のおくであったが、地盤(じばん)の岩石が露出(ろしゅつ)しているため、一町四方(ほう)ほど樹木(じゅもく)がなく、平地は硯(すずり)のような黒石、裂(さ)け目くぼみは、いくすじにもわかれた、水が潺湲(せんかん)としてながれていた。
 ギャアギャアギャア
 ――ふしぎな怪物の啼(な)き声(ごえ)がする。そして、すさまじい羽(は)ばたきがそこで聞えた。見ると、ひとつの岩頭(がんとう)に金瞳黒毛(きんどうこくもう)の大鷲(おおわし)が、威風(いふう)あたりをはらい、八方を睥睨(へいげい)してとまっている。
 いうまでもない、クロである。
 むろん、足はなにかで岩の根(ね)っこへしばりつけてあるらしかった。
「やい、もひとつ啼(な)け、もひとつ啼いてみろ」
 七尺ばかりはなれて、鷲(わし)とあいむきに、腰かけていた者はれいの蛾次郎、竹の先ッぽに、兎(うさぎ)の肉をつき刺(さ)して、しきりにクロを馴(な)らそうとしていた。
「おい、蛾次公(がじこう)、なにをしてるんだい」
「え」
 ふいに肩をたたかれて、蛾次郎がひょいと、うしろを見ると、竹童(ちくどう)が、松明(たいまつ)を薪(まき)のようにしょって立っている。
「なにもしてやしないさ、餌(えさ)をやっているんだ」
「よけいなことをしてくれなくってもいい、さっきも、おいらが鹿(しか)の股(もも)を二つやったんだから」
「ああ、竹童さんにも、おれが土産(みやげ)を持ってきたぜ、きょうは焼栗(やきぐり)だ、ふたりで仲よく食べようじゃないか」
「いやにこのごろは、おいらにおべっかを使うな、そんなにおせじをつかってきたって、もう、そうはちょいちょい鷲(わし)に乗せてやるわけにはゆかないぜ」
「そんなことをいわないで、おれを弟子(でし)にしてくれよ、な、たのまあ、そのかわりに、おまえのためなら、おれはどんなことだって、いやといわないからよ」
「きっとか」
「きっとだ!」
「じゃ。さっそく一つ用をたのもうかな」
「たのんでくれよ、さ、なんだい」
「大役だぜ」
「いいとも」
「他人の用ばかりしていると、おまえの主人の鼻かけ卜斎(ぼくさい)に、叱(しか)られやしないか」
「大じょうぶだってことさ、おらあもうあすこの家(うち)をとびだして、いまでは徳川家(とくがわけ)の……」
 と、いいかけて、さすがの低能児(ていのうじ)も、気がついたらしく、口をにごらしながら、
「いまじゃ、天下の浪人(ろうにん)もおんなじ体(からだ)なんだ」
「ふうむ……じゃね、これからおいらのために、ちょっとそこまで斥候(ものみ)にいってくれないか」
「斥候(ものみ)に?」
 蛾次郎(がじろう)ぎょっと、目を白くした。
 竹童(ちくどう)は、ことさらに、なんでもないような顔をして、
「このあいだから、雨(あま)ヶ岳(たけ)に陣取っている、武田伊那丸(たけだいなまる)さまの軍勢が、人穴城(ひとあなじょう)へむかってうごきだしたら、すぐここまで知らしてくれりゃいいのだ」
「そしたら、いったい、どうする気なんだい?」
「どうもしないさ、この鷲(わし)にのって、大空から戦見物(いくさけんぶつ)にでかけるのさ」
「おもしろいなあ、おれもいっしょに乗せてくれるか」
「やるとも」
「よしきた、いってくら!」
 よく人のだしにつかわれる生まれつきだ。年下の者のおちょうしにのって、もう、一もくさんにかけていく。
 そのあとで竹童(ちくどう)は、鷲(わし)の足をといてやった。クロは自由の身(み)になっても、竹童のそばを離れることなく、流れる水をすっていると、かれはまた火打石(ひうちいし)を取りだして、そこらの枯葉(かれは)に火をうつし、煙の立ちのぼる夕空をあおぎながら、
「おそいなあ。あのぐずの斥候(ものみ)を待っているより、またじぶんでそこいらの木へ登ってみようかしら」
 と、ひとりつぶやいたとこである。
 すると、いつの間(ま)にか、かれの身辺をねらって、じりじりとはいよってきたふたりの武士(ぶし)――それはまえの甲虫(かぶとむし)だ、いきなり飛びついて、
「こらッ、あやしい小僧(こぞう)!」
「うごくなッ」
 とばかり、竹童の両腕とってねじふせた。竹童はまったくの不意打ち、なにを叫ぶ間(ま)もなく、跳(は)ねかえそうとしたが、はやくも、甲虫の短刀が、ギラリと目先(めさき)へきて、
「うごくと命(いのち)がないぞ、しずかにせい、しずかにせい」
「な、な、なにをするんだい!」
「なにもくそもあるものか、きさまこそ、餓鬼(がき)のぶんざいで、この松明(たいまつ)をなんにつかう気だ、文句(もんく)はあとで聞いてやるから、とにかく天子(てんし)ヶ岳(たけ)のふもとまでこい」
「や、ではきさまたちは徳川方(とくがわがた)の斥候(ものみ)だな」
「おお、亀井武蔵守(かめいむさしのかみ)の手の者だ」
「ちぇッ、そう聞きゃおいらにも覚悟がある」
「生意気(なまいき)なッ」
 たちまち、大人(おとな)ふたりと、竹童との、乱闘(らんとう)がはじまった。
 こいつ、体(からだ)はちいさいが、一すじなわではいかないぞ――とみた甲虫(かぶとむし)は、やにわに短槍(たんそう)をおっ取って、閃々(せんせん)と突いて突いて、突きまくってくる。
 あわや、竹童あやうし――と見えたせつなである。にわかに、大地をめくり返すような一陣の突風(とっぷう)! と同時に、パッと翼(つばさ)をひろげた金瞳(きんどう)の黒鷲(くろわし)は、ひとりを片(かた)つばさではねとばし、あなよというまに、あとのひとりの肩先へとび乗って、銀の爪(つめ)をいかり立ッて、かれの顔を、ばりッとかいて宙天(ちゅうてん)へつるしあげた。
「わッ!」
 と、大地へおちてきたのを見れば、目も鼻も口もわからない。満顔(まんがん)ただからくれないの一コの首(くび)。

 さても伊那丸(いなまる)は、小袖(こそで)のうえに、黒皮(くろかわ)の胴丸(どうまる)具足(ぐそく)をつけ、そまつな籠手(こて)脛当(すねあて)、黒の陣笠(じんがさ)をまぶかにかぶって、いま、馬上しずかに、雨(あま)ヶ岳(たけ)をくだってくる。
 世にめぐまれたときの君(きみ)なれば、鍬(くわ)がたの兜(かぶと)に、八幡座(はちまんざ)の星をかざし、緋(ひ)おどしの鎧(よろい)、黄金(こがね)の太刀はなやかにかざるお身(み)であるものを……と、つきしたがう、民部(みんぶ)をはじめ、忍剣(にんけん)も小文治(こぶんじ)も蔦之助(つたのすけ)も、また咲耶子(さくやこ)も、ともに、馬をすすめながら、思わず、ほろりと小袖(こそで)をぬらす。
 兵は、わずかに七十人。
 みな、生きてかえる戦(いくさ)とは思わないので、張りつめた面色(めんしょく)である。決死のひとみ、ものいわぬ口を、かたくむすんで、粛々(しゅくしゅく)、歩(ほ)をそろえた。
 まもなく、梵天台(ぼんてんだい)の平(たいら)へくる。夜(よる)の帳(とばり)はふかくおりて徳川方(とくがわがた)の陣地はすでに見えなくなったが、すぐ前面の人穴城(ひとあなじょう)には、魔獣(まじゅう)の目のような、狭間(はざま)の灯(ひ)が、チラチラ見わたされた。その時、やおら、俎岩(まないたいわ)の上につっ立った軍師(ぐんし)民部(みんぶ)は、人穴城をゆびさして、
「こよいの敵は呂宋兵衛(るそんべえ)、うしろに、徳川勢(とくがわぜい)があるとてひるむな――」
 高らかに、全軍の気をひきしめて、さてまた、
「味方は小勢(こぜい)なれども、正義の戦い。弓矢八幡(ゆみやはちまん)のご加勢があるぞ。われと思わんものは、人穴城(ひとあなじょう)の一番乗りをせよや」
 同時に、きッと、馬首(ばしゅ)を陣頭にたてた伊那丸は、かれのことばをすぐうけついで、
「やよ、面々(めんめん)、戦いの勝ちは電光石火(でんこうせっか)じゃ、いまこそ、この武田伊那丸(たけだいなまる)に、そちたちの命(いのち)をくれよ」
 凛々(りんりん)たる勇姿(ゆうし)、あたりをはらった。さしも、烏合(うごう)の野武士(のぶし)たちも、このけなげさに、一滴(てき)の涙(なみだ)を、具足(ぐそく)にぬらさぬものはない。
「おう、この君(きみ)のためならば、命(いのち)をすててもおしくはない」
 と、骨(ほね)鳴(な)り、肉おどらせて、勇気は、日ごろに十倍する。
 たちまち、進軍の合図(あいず)。
 さッと、民部(みんぶ)の手から二行(ぎょう)にきれた采配(さいはい)の鳴りとともに、陣は五段にわかれ、雁行(がんこう)の形となって、闇(やみ)の裾野(すその)から、人穴城(ひとあなじょう)のまんまえへ、わき目もふらず攻めかけた。
「わーッ。わーッ……」
 にわかにあがる鬨(とき)の声(こえ)。
「かかれかかれ、命(いのち)をすてい」
 いまぞ花の散りどころと、伊那丸は、あぶみを踏んばり、鞍(くら)つぼをたたいて叫びながら、じぶんも、まっさきに陣刀をぬいて、城門まぢかく、奔馬(ほんば)を飛ばしてゆく。
 と見て、帷幕(いばく)の旗本(はたもと)は、
「それ、若君(わかぎみ)に一番乗りをとられるな」
「おん大将に死におくれたと聞えては、弓矢の恥辱(ちじょく)、天下の笑われもの」
「死ねやいまこそ、死ねやわが友」
「おお、死のうぞ方々(かたがた)」
 たがいに、いただく死の冠(かんむり)。
 えいや、えいや、かけつづく面々(めんめん)には、忍剣(にんけん)、民部(みんぶ)、蔦之助(つたのすけ)、そして、女ながらも、咲耶子(さくやこ)までが、筋金入(すじがねい)りの鉢巻(はちまき)に、鎖襦袢(くさりじゅばん)を肌(はだ)にきて、手ごろの薙刀(なぎなた)をこわきにかいこみ、父、根来小角(ねごろしょうかく)のあだを、一太刀(ひとたち)なりと恨(うら)もうものと、猛者(もさ)のあいだに入りまじっていく姿は、勇ましくもあり、また、涙ぐましい。
 ただ、こよいのいくさに、一点のうらみは、ここに、かんじんかなめな、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)のすがたを見ないことである。
 上(かみ)は大将伊那丸(いなまる)から、下(した)は雑兵(ぞうひょう)にいたるまで、死の冠をいただいてのこの戦いに、大事なかれのいあわせないのは、かえすがえすも遺憾(いかん)である。ああ龍太郎、かれはついに、伊那丸の前途(ぜんと)に見きりをつけ、主(しゅ)をすて、友をすて去ったであろうか。――とすれば、龍太郎もまた、武士(ぶし)の風上(かざかみ)におけない人物といわねばならぬ。

「いよいよ攻めてまいりましたぞ」
「なに、大したことはない。主従合(がっ)しても、せいぜい八十人か九十人の小勢(こぜい)です」
「小勢ながら、正陣(せいじん)の法をとって、大手へかかってきたようすは、いよいよ決死の意気、うっかりすると、手を焼きますぞ」
「おう、そういえば、天をつくような鬨(とき)の声(こえ)」
「伊那丸(いなまる)は、たしかに、命(いのち)をすてて、かかってきた……」
 まっ暗な、空の上での話し声だ。
 そこは、人穴城(ひとあなじょう)の望楼(ぼうろう)であった。つくねんと、高きところの闇(やみ)に立っているのは、呂宋兵衛(るそんべえ)と可児才蔵(かにさいぞう)である。
 呂宋兵衛は、いましがた、軍師(ぐんし)昌仙(しょうせん)と物頭(ものがしら)の轟(とどろき)又八が、すべての手くばりをしたようすなので、ゆうゆう、安心しきっているていだった。
 が、可児才蔵はかんがえた。
「待てよ、こいつは見くびったものじゃない……」と。
 そして日没(にちぼつ)から、伊那丸の陣地を見わたしていると、小勢(こぜい)ながら、守ること林のごとく、攻むること疾風(しっぷう)のようだ。
 かれは、心のうちで、ひそかに舌(した)をまいた。
「いま、天下の者は豊臣(とよとみ)、徳川(とくがわ)、北条(ほうじょう)、柴田(しばた)のともがらあるを知って、武田菱(たけだびし)の旗(はた)じるしを、とうの昔にわすれているが――いやじぶんもそうだったが――こいつは大きな見当(けんとう)ちがい、あの麒麟児(きりんじ)が、一朝(ちょう)の風雲に乗じて、つばさを得ようものなら、それこそ信玄(しんげん)の再来(さいらい)だろう。天下はどうなるかわからない、下手(へた)をすると、主人の秀吉公(ひでよしこう)のご未来に、おそろしいつまずきを、きたそうものでもない――これは、ぐずぐずしている場合ではない。すこしもはやく安土城(あづちじょう)へ帰って、この由(よし)を復命するのがじぶんの役目、もとより秀吉公は、呂宋兵衛(るそんべえ)には、あまり重きをおいていられないのだ、そうだ、その勝敗を見とどけたら、すぐにも安土へ立ちかえろう」
 臍(ほぞ)をきめたが、色にはかくして、大手の形勢(けいせい)を観望(かんぼう)している。
 そこには、たちまち矢叫(やさけ)び、吶喊(とっかん)の声(こえ)、大木(たいぼく)大石(たいせき)を投げおとす音などが、ものすさまじく震撼(しんかん)しだした。濛(もう)――と、煙硝(えんしょう)くさい弾(たま)けむりが、釣瓶(つるべ)うちにはなす鉄砲の音ごとに、櫓(やぐら)の上までまきあがってくる。
 おりから、望楼(ぼうろう)の上へ、かけあがってきたのは、轟(とどろき)又八であった。黒皮胴(くろかわどう)の具足(ぐそく)に大太刀(おおだち)を横たえ、いかにも、ものものしいいでたちだ。
「お頭領(かしら)に申しあげます」
「どうした、戦いのもようは?」
「城兵は、一の門(もん)二の門とも、かたく守って、破れる気づかいはありませぬ。だがかれもまた、伊那丸をせんとうに、一歩もひかず、小幡民部(こばたみんぶ)のかけ引き自在(じざい)に、勝負ははてしないところです。これは、丹羽昌仙(にわしょうせん)のれいの蓑虫根性(みのむしこんじょう)から起ること、なにとぞ、とくにお頭領よりこの又八に、城外へ打ってでることを、お許(ゆる)し願わしゅうぞんじます」
「む、では汝(なんじ)は城門をおっ開(ぴら)いて、いっきに、寄手(よせて)を蹴(け)ちらそうというのか」
「たかのしれた小人数、かならずこの又八が、一ぴきのこらずひっからげて、呂宋兵衛(るそんべえ)さまのおんまえにならべてごらんにいれます」
「昌仙(しょうせん)の手がたい一点ばかりも悪くないが、なるほど、それでは果(はて)しがあるまい。ゆるす、又八、打ってでろ」
「はッ、ごめん」
 と会釈(えしゃく)をして、バラバラと望楼(ぼうろう)をかけおりていった。
 可児才蔵(かにさいぞう)はそれを見て、
「ああ、いけない」とひそかに思う。
 軍師(ぐんし)の威命(いめい)おこなわれず、命令が二途(と)からでて、たがいに功(こう)をいそぐこと、兵法の大禁物(だいきんもつ)である。
 大手(おおて)へかけもどった又八は、すぐ、城兵のなかでも一粒(ひとつぶ)よりの猛者(もさ)、久能見(くのみ)の藤次(とうじ)、岩田郷祐範(いわたごうゆうはん)、浪切右源太(なみきりうげんた)、鬼面突骨斎(おにめんとっこつさい)、荒木田五兵衛(あらきだごへえ)、そのほか穴山(あなやま)の残党(ざんとう)、足助主水正(あすけもんどのしょう)、佐分利(さぶり)五郎次などを先手(さきて)とし、四、五百人を勢ぞろいしておしだした。
 軍師の昌仙がそれを見て、おどろき、怒(おこ)るもかまわず、呂宋兵衛(るそんべえ)のことばをかさに、
「それッ」
 と、城門を八文字(もんじ)に開(ひら)いた。
「わーッ」
 と、たちまち、寄手(よせて)の兵と、ま正面(しょうめん)にぶつかって、人間の怒濤(どとう)と怒濤があがった。たがいに、退(ひ)かず、かえさず、もみあい、おめきあっての太刀まぜである。それが、およそ半刻(はんとき)あまりもつづいた。
 しかし、やがて時たつほど、むらがり立って、新手(あらて)新手と入りかわる城兵におしくずされ、伊那丸(いなまる)がたは、どっと二、三町ばかり退(ひ)けいろになる。
「それ、この機(き)をはずすな」
 とみずから、八角(かく)の鉄棒をりゅうりゅうと持って、まッ先に立った又八、
「追いつぶせ、追いつぶせ、どこまでも追って、伊那丸一味(み)をみなごろしにしてしまえ」
 と、千鳥(ちどり)を追いたつ大浪(おおなみ)のように、逃げるに乗って、とうとう、裾野(すその)の平(たいら)までくりだした。

 時分はよしと、にわかに踏(ふ)みとどまった小幡民部(こばたみんぶ)。
 とつぜん、采配(さいはい)をちぎれるばかりにふって、
「止(と)まれッ!」
 と、いった。
 算(さん)をみだして、逃げてきた足なみは、ぴたりと踵(きびす)をかえして、稲(いな)むらにおりた雀(すずめ)のように、ばたばたと槍(やり)もろともに身(み)をふせる。
「かかれッ、轟(とどろき)又八をのがすな」
「おうッ」
 たちまちおこる胡蝶(こちょう)の陣。かけくる敵の足もとをはらって、乱離(らんり)、四面(めん)に薙(な)ぎたおす。
 なかにも目ざましいのは、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)と巽小文治(たつみこぶんじ)のはたらき。見るまに、鬼面突骨斎(おにめんとっこつさい)、浪切右源太(なみきりうげんた)を乱軍のなかにたおし、縦横無尽(じゅうおうむじん)とあばれまわった。
「さては、またぞろ民部(みんぶ)の策(さく)にのせられたか」
 と、又八は色をうしなって、にわかに道をひき返してくると、こはいかに、すでに逃げみちを断って、ふいに目の前にあらわれた一手(ひとて)の人数。
 そのなかから、ひときわ高い声があって、
「武田伊那丸(たけだいなまる)これにあり、又八に見参(げんざん)!」
「めずらしや轟(とどろき)、小角(しょうかく)の娘、咲耶子(さくやこ)なるぞ」
「われこそは加賀見忍剣(かがみにんけん)、いで、素(そ)ッ首(くび)を申しうけた」
 と、耳をつんざいた。
 轟又八は、思わず、ぶるぶると身の毛をよだてた。腹心の剛力(ごうりき)、荒木田五兵衛(あらきだごへえ)は、忍剣に跳(と)びかかって、ただ一討(ひとう)ちとなる。
 手下(てした)の野武士(のぶし)は、敵の三倍四倍もあるけれど、こう浮足(うきあし)だってしまっては、どうするすべもなかった。かれはやけ半分の眼(め)をいからして、
「おう、山寨(さんさい)第一の強者(つわもの)、轟(とどろき)又八の鉄棒をくらっておけ」
 と、忍剣(にんけん)の禅杖(ぜんじょう)にわたりあった。
 龍(りゅう)うそぶき虎(とら)哮(ほ)えるありさま、ややしばらく、人まぜもせず、石火(せっか)の秘術をつくし合ったが、隙(すき)をみて、走りよった伊那丸(いなまる)が、陣刀一閃(せん)、又八の片腕サッと斬りおとす。
「うーむ」
 よろめくところを、咲耶子(さくやこ)の薙刀(なぎなた)、みごとに、足をはらって、どうと、薙(な)ぎたおした。
 又八が討たれたと見て、もう、だれひとり踏みとどまる敵はない、道もえらばず、闇(やみ)のなかをわれがちに、人穴城(ひとあなじょう)へ、逃げもどってゆく。
 その時、はるか南裾野(みなみすその)にあたって、ぼう――ぼう――と鳴りひびいてきた法螺(ほら)の遠音(とおね)、また陣鐘(じんがね)。
 みわたせば、いつのまにやら、徳川(とくがわ)三千の軍兵(ぐんぴょう)は、裾野(すその)半円を遠巻(とおま)きにして、焔々(えんえん)たる松明(たいまつ)をつらね、本格の陣法くずさず、一鼓(こ)六足(そく)、鶴翼(かくよく)の備(そな)えをじりじりと、ここにつめているようす。
 また、人穴城では、いまの敗北をいかった呂宋兵衛(るそんべえ)がこんどはみずから望楼(ぼうろう)をくだり、さらに精鋭(せいえい)の野武士(のぶし)千人をすぐって嵐(あらし)のごとく殺到(さっとう)した。
 ひゅッ! ひゅッ!
 と早くも、闇(やみ)をうなってきた矢走(やばし)りから見ても、徳川勢(とくがわぜい)の先手(さきて)、亀井武蔵守(かめいむさしのかみ)、内藤清成(ないとうきよなり)、加賀爪甲斐守(かがづめかいのかみ)の軍兵(ぐんぴょう)はほど遠からぬところまで押しよせてきたものとおもわれる、その証拠には、伊那丸(いなまる)の陣した、雨(あま)ヶ岳(たけ)のうえから噴火山(ふんかざん)のような火の手があがった。
 三河勢(みかわぜい)が火をかけたのである。
 その火明かりで、梵天台(ぼんてんだい)にみちている兵も見えた。まぢかの川を乗りわたしてくる軍馬も見えはじめた。裾野(すその)は夕焼けのように赤くなった。
「若君、いよいよご最期(さいご)とおぼしめせ」
 小幡民部(こばたみんぶ)が、天をあおいでこういった。
「覚悟はいたしておる。わしはうれしい、わしはうれしい!」
「おお、おうれしいとおっしゃいまするか」
「野武士(のぶし)ずれの呂宋兵衛(るそんべえ)をあいてに討死するより、ただ一太刀でも、甲斐源氏(かいげんじ)の怨敵(おんてき)、徳川家(とくがわけ)の旗じるしのなかにきりいって死ぬこそ本望(ほんもう)、うれしゅうなくてなんとするぞ」
「けなげなご一言(ごん)、われらも、斬って斬って斬りまくろう」
 と、忍剣(にんけん)もいさみたったが、かえりみれば、前後に、この強敵をうけながら、伊那丸のまわりにのこった人数は、わずかに四十五、六人。

 竹童(ちくどう)にたのまれて、人穴城(ひとあなじょう)附近の斥候(ものみ)にでかけた蛾次郎(がじろう)は、どうやら戦いがはじまりだしたようすなので、草むらをざわざわかきわけてもどってくると、とある小道で、向こうからくるひとりの男のかげを見つけた。
「ア、あいつは雨(あま)ヶ岳(たけ)のほうからきたらしい、あいつに聞けば、伊那丸(いなまる)がたの、くわしいようすがわかるだろう……」
 道ばたに腰かけて、さきからくるのを待っている。
 ビタ、ビタ、ビタ……足音はちかづいてきたが、星明かりぐらいでは、それが百姓だか侍だか判(はん)じがつかないけれど、蛾次郎は、ひょいとまえへ立ちあらわれて、
「もし、ちょっと、うかがいます」
 と、頭をさげた。
 おおかたびっくりしたのだろう、あいてはしばらくだまって、蛾次郎のかげを見すかしている。
「もしやあなたは、雨ヶ岳のほうから、やってきたのではございませんか」
「ああ、そうだよ」
「あすこに陣どっている、武田伊那丸(たけだいなまる)の兵は、もう山を下りましたろうか、戦いは、まだおッぱじまりませんでしょうかしら」
「知らないよ。そんなことは、おまえはいったいなにものだ」
「おれかい、おれはさ、もと鼻かけ卜斎(ぼくさい)という鏃鍛冶(やじりかじ)のとこにいた、人無村(ひとなしむら)の蛾次郎(がじろう)という者だが、どうも卜斎という師匠(ししょう)が、やかまし屋で気にくわないから、そこを飛びだして、いまではあるところの大大名(だいだいみょう)のお抱(かか)えさまだ」
「バカッ」
「ア痛(いた)ッ。こんちくしょう、な、な、なんでおれをなぐりやがる」
「蛾次郎、いつきさまにひまをくれた」
「えーッ」
「いつ、この卜斎が、暇(ひま)をやると申したか」
「あ、いけねえ!」
 蛾次郎が、くるくる舞(ま)いをして逃げだしたのも道理、それは、雨(あま)ヶ岳(たけ)からおりてきた当(とう)の卜斎、すなわち上部八風斎(かんべはっぷうさい)であった。
「野郎(やろう)!」
 ばらばらッと追いかけて、蛾次郎の襟(えり)がみをひっつかみ、足をはやめて、人無村の細工(さいく)小屋へかえってきた。
「親方、ごめんなさい、ごめんなさい」
「えい、やかましいわい」
「ア痛(いて)え、もう、もうけっして、飛びだしません、親方ア、これから、気をつけます。か、かんにんしておくんなさい……」
 わんわんと手ばなしで泣きだした。もっとも、蛾次郎(がじろう)の泣き虫なること、いまにはじまったことではないから、その泣き声も、たいして改心の意味をなさない。
「バカ野郎、てめえに叱言(こごと)などをいっていられるものか。こんどだけは、かんべんしてやるから、これをしょって、早くあるけ」
 と、今夜は八風斎(はっぷうさい)の鼻かけ卜斎(ぼくさい)も、家にかえって落ちつくようすもなく、書斎(しょさい)をかきまわして、だいじな書類だけを、一包(ひとつつ)みにからげ、それを蛾次郎にしょわせて、夜逃げのように、立ちのいてしまった。
 門をでると、いま泣いた烏(からす)の蛾次(がじ)、もうけろりとして、
「親方、親方、こんな物をしょって、これからいったいどこへでかけるんですえ」
 とききだした。
「戦(いくさ)ばかりで、この人無村(ひとなしむら)では仕事ができないから、越前(えちぜん)北(きた)ノ庄(しょう)へ立ちかえるのだ」
「え、越前へ」
 蛾次郎はおどろいた。
「いやだなア」
 と、口にはださないが、肚(はら)のなかでは、渋々(しぶしぶ)した。せっかく、菊池半助(きくちはんすけ)が、ああやって、徳川家(とくがわけ)で出世(しゅっせ)の蔓(つる)をさがしてくれたのに、越前なンて雪国へなんかいくなんて、なんとつまらないことだと、また泣きだしたくなった。
 ちょうど、夜逃げのふたりが、人無村(ひとなしむら)のはずれまできた時、――八風斎(はっぷうさい)がふいにピタリと足をとめて、
「はてな? ……」
 と、耳をそばだてた。
「な、なんです親方」
「だまっていろ……」
 しばらく立ちすくんでいると、たちまち、ゆくての闇のなかから、とう、とう、とう――と地をひびかせてくる軍馬の蹄(ひづめ)、おびただしい人の足音、行軍(こうぐん)の貝の音、あッと思うまに、三、四百人の蛇形陣(だぎょうじん)が、嵐(あらし)のごとくまっしぐらに、こなたへさしてくるのが見えだした。
 八風斎(はっぷうさい)は、ぎょっとして、さけんだ。
「蛾次郎(がじろう)、蛾次郎、すがたをかくせ、早くかくれろ」
「え、え、え、なんです。親方親方」
「バカ! ぐず――見つかっては一大事だ、はやくそこらへ姿をけせ」
「ど、どこへ消えるんで? ……」
 と、不意のできごとに、蛾次郎(がじろう)は、度(ど)をうしない、まだうろうろしているので、八風斎(はっぷうさい)は、「えいめんどう」とばかり、かれをものかげに突きとばし、じぶんはすばやく、かたわらの松の木へ、するするとよじ登ってしまった。
 ふたりが、からくも、すがたを隠したかかくさないうちである、八風斎の目のしたへ、潮(うしお)の流れるごとき勢いで、さしかかってきた蛇形(だぎょう)の行軍(こうぐん)、その人数はまさに四百余人。みな、一ようの陣笠(じんがさ)小具足(こぐそく)、手槍(てやり)抜刀(ぬきみ)をひっさげて、すでに戦塵(せんじん)を浴(あ)びてるようなものものしさ。
 なかに、目立つはひとりの将、漆黒(しっこく)の馬にまたがって身には鎧(よろい)をまとわず、頭に兜(かぶと)をかぶらず、白の小袖(こそで)に、白鞘(しらさや)の一刀を帯(お)びたまま、鞭(むち)を裾野(すその)にさして、いそぎにいそぐ。
「あ、あの人は見たことがあるぜ」
 ものかげにいた蛾次郎は、目をみはって、その馬上を見おくったが、ふと気がついて、
「そうだ、そうだ」とばかり、あとからつづく人数のなかにまぎれこみ、まんまと、八風斎の目をくらまして越前落(えちぜんお)ちのとちゅうから、もとの裾野(すその)へ逃げてもどってしまった。
「おお、あの矢さけび、火の手もみえる、流れ矢もとんでくるわ、この一時(ひととき)こそ一期(ご)の大事、息もつかずに、いそげいそげ!」
 人無村(ひとなしむら)をかけぬけて、渺漠(びょうばく)たる裾野(すその)の原にはいると、黒馬(こくば)の将(しょう)は、鞍(くら)のうえから声をからして、はげました。雨(あま)ヶ岳(たけ)の火はまだ赤々ともえている。
「敵!」
「敵だッ!」
「討(う)て!」
 と、俄然(がぜん)、前方の者から声があがった。四、五間(けん)ばかりの小石(こいし)河原、そこではしなくも、徳川家(とくがわけ)の先鋒(せんぽう)、内藤清成(ないとうきよなり)の別隊、四、五十人と衝突(しょうとつ)したのである。
 暗憺(あんたん)たる闇いくさ、ただものすごい太刀音と、槍(やり)の折れる音や人のうめきがあったのみで、敵味方の見定(みさだ)めもつかなかったが、勝負は瞬間に決したと見えて、前の蛇形陣(だぎょうじん)は、ふたたび一糸(し)みだれず、しかも足なみいよいよはやく、人穴城(ひとあなじょう)の山下(さんか)へむかった。
「おうーい、おうーい」
 かけつつ馬上の将は何者をか呼びもとめた。それにつづいて、陣笠(じんがさ)の兵たちも、かわるがわる、声をからして、おーい、おーいとつなみのように鬨(とき)の声を張りあげた。

 地から湧(わ)いたように、忽然(こつねん)と、人無村をつきぬけて、ここへかけつけてきた軍勢は、そもいずれの国、いずれの大名(だいみょう)に属(ぞく)すものか、あきらかな旗指物(はたさしもの)はないし、それと知らるる騎馬(きば)大将もなかには見えない。ふしぎといえばふしぎな軍勢。
 海に船幽霊(ふなゆうれい)のあるように、広野(こうや)の古戦場にも、また時として、武者幽霊(むしゃゆうれい)のまぼろしが、野末(のずえ)を夜もすがらかけめぐって、草木も霊(れい)あるもののごとく、鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)のそよぎをなし、陣馬の音をよみがえらせて、里人(さとびと)の夢をおどろかすことが、ままあるという古記も見える。
 それではないか?
 この軍勢も、その武者幽霊の影ではないか、いかにも、まぼろしの魔軍(まぐん)のごとく、天※(「風にょう+炎」、第4水準2-92-35)(てんぴょう)のごとく、迅速(じんそく)な足なみだ。
「おうーい、おうーい」
 魔軍はまた、潮(うしお)のように呼んでいる。
 時しもあれ――
 ほど遠からぬところにあって、亀井武蔵守(かめいむさしのかみ)の、精悍(せいかん)なる三河武士(みかわぶし)二、三百人に取りまかれていた武田伊那丸(たけだいなまる)の矢さけびを聞くや、魔軍は忽然(こつねん)と、三段に備(そな)えをわかって、わッとばかり斬りこんだ。
 ときに、矢来(やらい)の声があって、伊那丸をはじめ苦境の味方を、夢かとばかり思わせた。
「やあ、やあ、若君はご無事でおわすか、その余のかたがたも聞かれよ、すぐる日、小太郎山(こたろうざん)へむかった木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)、ただいまこれへ立ち帰ったり! 龍太郎これへ立ちかえったり!」
「わーッ」
 と、地軸(ちじく)をゆるがす歓喜(かんき)の声。
「わーッ」
 と、ふたたびあがる乱軍のなかの熱狂。しばしは、鳴りもやまず、三河勢(みかわぜい)はその勢いと、新手(あらて)の精鋭(せいえい)のために、さんざんになって敗走した。
 木隠龍太郎は、やはり愛すべき武士であった。かれはついに、主君の危急(ききゅう)に間にあった。
 それにしても、かれはどうして、小太郎山から、四百の兵を拉(らっ)してきたのであろう。それは、かれについてきた兵士たちのいでたちを見ればわかる。
 陣笠(じんがさ)も具足(ぐそく)も、昼のあかりで見れば、それは一夜(や)づくりの紙ごしらえであろう、兵はみな、小太郎山の、とりでの工事にはたらいていた石切りや、鍛冶(かじ)や、大工(だいく)や、山崩(くず)しの土工(どこう)なのである。武器だけは、砦(とりで)をつくるまえに、ひそかに、蓄(たくわ)えてあったので不足がなかった。
 この成算(せいさん)があったので、龍太郎は四日のあいだに、四百の兵を引きうけた。そして、その機智(きち)が、意外に大きな功(こう)をそうした。
 しかし、一同は、ほッとする間(ま)もなかった。ひとたび、兵をひいた亀井武蔵守(かめいむさしのかみ)は、ふたたび、内藤清成(ないとうきよなり)の兵と合(がっ)して、堂々と、再戦をいどんできた。
 のみならず、人穴城(ひとあなじょう)を発した呂宋兵衛(るそんべえ)も、すぐ六、七町さきまで野武士勢(のぶしぜい)をくりだして、四、五百挺(ちょう)の鉄砲組をならべ、いざといえば、千鳥落(ちどりお)としにぶっぱなすぞとかまえている。

 鼻かけ卜斎(ぼくさい)の越前落(えちぜんお)ちに、とちゅうまでひっぱられていった蛾次郎(がじろう)が、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)の行軍(こうぐん)のなかにまぎれこんで、うまうま逃げてしまったのは、けだし、蛾次郎近来の大出来(おおでき)だった。
 かれはまた、その列のなかから、いいかげんなところで、ぬけだして、すたこらと、白旗(しらはた)の森(もり)のおくへかけつけてきた。
 見ると、そこに焚火(たきび)がしてあり、鷲(わし)もはなたれているが、竹童(ちくどう)のすがたは見えない。
 蛾次郎は、しめた! と思った。今だ今だ、菊池半助(きくちはんすけ)にたのまれているこの鷲をぬすんで、徳川家(とくがわけ)の陣中へ、にげだすのは今だ、と手をたたいた。
「これが天の与えというもんだ、あんなに資本(もと)をつかって、おまけに、竹童みたいなチビ助に、おべっかをしたり、使いをしたりしてやったんだもの、これくらいなことがなくっちゃ、埋(う)まらないや、さ、クロ、おまえはきょうからおれのものだぞ」
 ひとりで有頂天(うちょうてん)になって、するりと、やわらかい鷲の背なかへまたがった。
 蛾次郎は、このあいだ、竹童とともにこれへ乗って、空へまいあがった経験もあるし、また、この数日、腹にいちもつがあるので、せいぜい兎(うさぎ)の肉や小鳥をあたえているので、かなり鷲にも馴(な)れている。
 竹童(ちくどう)のする通り、かるく翼(つばさ)をたたいて、あわや、乗りにげしようとしたとたん、頭の上から、
「やいッ」
 するすると木から下りてきた竹童、
「なにをするんだッ」
 いきなり鷲(わし)の上の蛾次郎(がじろう)を、二、三間(げん)さきへ突きとばした。不意をくって、尻(しり)もちついた蛾次郎は、いたい顔をまがわるそうにしかめて、
「なにを怒(おこ)ったのさ、ちょっとくらい、おれにだってかしてくれてもいいだろう。命(いのち)がけで、いくさのもようをさぐってきてやったんだぜ、そんな根性(こんじょう)の悪いことをするなら、おれだって、なんにも話してやらねえよ」
「いいとも、もうおまえになんか教えてもらうことはない。おいらが木の上から、およそ見当(けんとう)をつけてしまった」
「かってにしやがれ、戦(いくさ)なんか、あるもんかい」
「ああ、蛾次公なんかに、かまっちゃいられない、こっちは、今夜が一生一度の大事なときだ」
 竹童は、二十本の松明(たいまつ)を、藤(ふじ)づるでせなかへかけ、一本の松明には焚火(たきび)の焔(ほのお)をうつして、ヒラリと鷲(わし)のせへ乗った。
「やい、おれも一しょにのせてくれ、乗せなきゃ、松明をかえせ、おれのやった松明をかえしてくれえ」
「ええ、うるさいよ!」
「なんだと、こんちくしょう」
 と、胸をつつかれた蛾次郎(がじろう)は、おのれを知らぬ、ぼろ鞘(ざや)の刀をぬいて、いきなり竹童に斬りつけてきた。
「なにをッ」
 竹童は、焔(ほのお)のついた松明(たいまつ)で、蛾次郎の鈍刀(なまくら)をたたきはらい、とっさに、鷲(わし)をばたばたと舞いあげた。蛾次郎はそのするどい翼(つばさ)にはたかれて、
「あッ」
 と、四、五間(けん)さきの流れへはねとばされたが、むちゅうになって、飛びあがり、およびもない両手をふって、
「やーい、竹童、竹童」
 と、泣き声まじりに呼びかけた。
 けれど、それに見向きもしない大鷲(おおわし)は、しずかに、宙(ちゅう)へ舞(ま)いあがって、しばらく旋回(せんかい)していたが、やがて、ただ見る、一条(じょう)の流星か、焔(ほのお)をくわえた火食鳥(ひくいどり)のごとく、松明(たいまつ)の光をのせて、暗夜(あんや)の空を一文字(もんじ)にかけり、いまや三角(かく)戦(せん)のまっ最中(さいちゅう)である人穴城(ひとあなじょう)の真上まで飛んできた。

 軍令(ぐんれい)をやぶって抜(ぬ)けがけした轟(とどろき)又八が、伊那丸(いなまる)がたのはかりごとにおちて、ついに首をあげられてしまったと聞き、人穴城(ひとあなじょう)のものは、すッかり意気を沮喪(そそう)させて、また城門を固(かた)めなおした。
 敗走の手下から、その注進をうけた丹羽昌仙(にわしょうせん)は、
「ええいわぬことではないのに……」と苦(にが)りきりながら、望楼(ぼうろう)の段を踏(ふ)みのぼっていった。
 そこには、宵(よい)のうちから、呂宋兵衛(るそんべえ)と、可児才蔵(かにさいぞう)が床几(しょうぎ)をならべて、始終(しじゅう)のようすを俯瞰(ふかん)している。
「呂宋兵衛さま」
「おお、軍師(ぐんし)」
「又八は城外へでて討死(うちじに)いたしました」
「ウム……」
 と、呂宋兵衛は、じぶんにも非(ひ)があるので、決(き)まりわるげに沈んでいたが、
「おお、それはともかく――」
 と、話をそらして、
「伊那丸(いなまる)と徳川勢(とくがわぜい)との勝敗(しょうはい)はどうなったな。かすかに、矢さけびは聞えてくるが、この闇夜(やみよ)ゆえさらにいくさのもようが知れぬ」
「いまはちょうど、双方必死(そうほうひっし)の最中(さいちゅう)かと心得ます」
「そうか、いくら伊那丸でも、三千からの三河武士(みかわぶし)にとりかこまれては、一たまりもあるまい」
「ところが、斥候(ものみ)の者のしらせによると、にわかに四、五百のかくし部隊があらわれて、亀井武蔵守(かめいむさしのかみ)をはじめ、徳川勢をさんざんに悩(なや)めているとのことでござる」
「ふむ……とすると、勝ち目はどっちに多いであろうか」
「むろん、さいごは、徳川勢が凱歌(がいか)をあげるでござりましょうが」
「さすれば、こっちは高見(たかみ)の見物、伊那丸の首は、三河勢(みかわぜい)が槍玉(やりだま)にあげてくれるわけだな」
「が、ゆだんはなりませぬ。なるほど、伊那丸がたは、徳川の手でほろぼされましょうが、次には、勝ちにのった三河の精鋭(せいえい)どもが、この人穴城(ひとあなじょう)を乗っとりに、押しよせるは必定(ひつじょう)です」
「一難(なん)さってまた一難か。こりゃ昌仙(しょうせん)、こんどこそは、かならずそちの采配(さいはい)にまかす。なんとか、妙策(みょうさく)をあんじてくれ」
 と、とうとう兜(かぶと)をぬいでしまった。
「仰(おお)せまでもなく、機(き)に応じ、変にのぞんで、昌仙(しょうせん)が軍配(ぐんばい)の妙(みょう)をごらんにいれますゆえ、かならずごしんぱいにはおよびませぬ」
「それを聞いて安堵(あんど)いたした。オオ、また裾野(すその)にあたって武者声(むしゃごえ)が湧(わ)きあがった。しかしとうぶん、人穴城(ひとあなじょう)は日和見(ひよりみ)でいるがいい、幸(さいわ)いに、可児才蔵(かにさいぞう)どのも、これにあることだから、伊那丸がたがみじんになるまで、一献(こん)酌(く)むといたそう」
 手下にいいつけて、望楼(ぼうろう)の上へ酒をとりよせた呂宋兵衛(るそんべえ)は、昌仙(しょうせん)と才蔵(さいぞう)をあいてに、ゆうゆうと酒宴(さかもり)をしながら、ここしばらく、裾野(すその)の戦(いくさ)を、むこう河岸(がし)の火事とみて、夜(よ)をふかしていた。
 するとにわかに、星なき暗天にあたって、ヒューッという怪音がはしった。その音は遠く近く、人穴城の真上をめぐって鳴りだした。
「風であろう、すこし空が荒れてきたようだ」
 杯(さかずき)を持ちながら、三人がひとしく空をふりあおぐと、こはなに? 狐火(きつねび)のような一朶(だ)の怪焔(かいえん)が、ボーッとうなりを立てつつ、頭の上へ落ちてくるではないか。

 可児才蔵も呂宋兵衛も、また、丹羽昌仙も、おもわず床几(しょうぎ)を立って、
「あッ」
 と、櫓(やぐら)の三方へ身をさけた。
 とたんに、空から降(ふ)ってきた怪火のかたまりが、音をたててそこにくだけたのである。
 たおれた壺(つぼ)の酒が、望楼(ぼうろう)の上からザッとこぼれ、花火のような火の粉(こ)がまい散った。
「ふしぎ――どこから落ちてきたのであろう」
「昌仙(しょうせん)昌仙、早くふみ消さぬと望楼(ぼうろう)へ燃えうつる」
「お、こりゃ松明(たいまつ)じゃ」
「え、松明?」
 三人は唖然(あぜん)とした。
 いくら天変地異(てんぺんちい)でも、空から火のついた松明が降ってくるはずはない、あろう道理はないのである。もし、あるとすれば世のなかにこれほどぶっそうな話はない。
 しかし、事実はどこまでも事実で、瞬間(しゅんかん)ののち、またもや同じような怪焔(かいえん)が、こんどは籾蔵(もみぐら)へおち、つづいて外廓(そとぐるわ)、獣油(じゅうゆ)小屋など、よりによって危険なところへばかり落ちてくる。
「火が降る、火が降る」
「それ、あすこへついた」
「そこのをふみ消せ、ふしぎだ、ふしぎだ」
 城中のさわぎは鼎(かなえ)のわくようである。ある者は屋根にのぼり、ある者は水をはこんでいる。
 なかでも、気転(きてん)のきいたものがあって、闇使(やみづか)いの龕燈(がんどう)をあつめ、十四、五人が一ところによって、明かりを空へむけてみた結果、はじめて、そこに、おどろくべき敵のあることを知った。
 かれらの目には、なんというはんだんもつかなかったが、地上から明かりをむけたせつな、かつて、話にきいたこともない怪鳥(けちょう)が、虚空(こくう)に風をよんで舞(ま)ったのが、チラと見えた。
 それは鷲(わし)の背をかりて、白旗(しらはた)の森(もり)をとびだした竹童(ちくどう)なることは、いうまでもない。
 鞍馬(くらま)そだちの竹童も、こよいは一世(せ)一代(だい)のはなれわざだ。果心居士(かしんこじ)うつしの浮体(ふたい)の法で、ピタリと、クロの翼(つばさ)の根へへばりつき、両端(りょうはし)へ火をつけた松明(たいまつ)をバラバラおとす。火先はさんらんと縞目(しまめ)の筋(すじ)をえがいて、人穴城(ひとあなじょう)へそそぎ、三千の野武士(のぶし)の巣を、たちまち大こんらんにおとし入れてしまった。
「ああ、いけねえ」
 と、その時、ふと、つぶやいた竹童。
 空はくらいが、地上は明るい。人穴城のなかで、右往左往(うおうさおう)している態(さま)を見おろしながら、
「こっちで投げる松明を、そうがかりで、消されてしまっちゃ、なんにもならない。オヤ、もうあと四、五本しかないぞ」
 なに思ったか、クロの襟頸(えりくび)をかるくたたいて、スーと下へ舞いおりてきた。いくら大胆(だいたん)な竹童(ちくどう)でも、まさか人穴城(ひとあなじょう)のなかへはいるまいと思っていると、あんのじょう、れいの望楼(ぼうろう)の張出(はりだ)し――さっき呂宋兵衛(るそんべえ)たちのいたところから、また一段たかい太鼓櫓(たいこやぐら)の屋根へかるくとまった。
 クロをそこへ止(とま)らせておいて、竹童は、残りの松明(たいまつ)を背負(せお)って、スルスルと望楼台へ下りてきた。もうそこにはだれもいない、呂宋兵衛も昌仙(しょうせん)も才蔵(さいぞう)も、下のさわぎにおどろいて降(お)りていったものと見える。
「しめた」
 竹童は、五つ六つある階段を、むちゅうでかけおりた。
 そこは、七門の扉(とびら)にかためられている人穴城(ひとあなじょう)のなかだ。あっちこっちの小火(ぼや)をけすそうどうにまぎれて、さしもきびしい城内ではあるが、ここに、天からふったひとりの怪童(かいどう)ありとは、夢にも気のつく者はなかった。

 果心居士(かしんこじ)の命(めい)をおびて、いつかここに使いしたことのある竹童は、そのとき、だいぶ、ようすをさぐっておいたので、城内のかっても、心得ぬいている。
 おそろしい、はしッこさで、かれがねらってきたのは鉄砲火薬(てっぽうかやく)をつめこんである一棟(ひとむね)だった。見ると、戦時なので、煙硝箱(えんしょうばこ)も、つみだしてあるし、庫(くら)の戸も、観音(かんのん)びらきに開(あ)いている。しかも願ったりかなったり、いまのさわぎで、武器番の手下も、あたりにいなかった。
 ちょこちょこと、庫(くら)のなかへはいった竹童は、れいの松明(たいまつ)に、火をつけて、まン中におき、藁縄(わらなわ)の綱火(つなび)が火をさそうとともに、このなかの煙硝箱(えんしょうばこ)が、いちじに爆発するようにしかけた。そして、ポンと、そとの扉(と)を閉(し)めるがはやいか、もときた望楼(ぼうろう)へ、息もつかずにかけあがってくる。
「ありがたい、ありがたい。これで人穴城(ひとあなじょう)の蛆虫(うじむし)どもは、間(ま)もなくいっぺんに寂滅(じゃくめつ)だ。伊那丸(いなまる)さまも、およろこびなら、お師匠(ししょう)さまからも、たくさん褒(ほ)めていただかれるだろう」
 望楼に立って、手をふった竹童、待たせてあるクロが飛び去っては一大事と、大いそぎで、欄間(らんま)から棟木(むなぎ)へ手をかけ、棟木から屋根の上へ、よじ登ろうとすると、
「小僧(こぞう)、待て!」
 ふいに、下からグングンと、足をひッぱる者があった。
「あ! あぶない」
「降(お)りろ、神妙(しんみょう)におりてこないと、きさまのからだは、この望楼からころがり落ちていくぞ」
「あ、しまった」
 竹童はおどろいた。
 平地とちがって、からだは七階の櫓(やぐら)のすてッぺんにあった。棟木(むなぎ)へかけている五本の指が、命(いのち)をつっているようなもの、ひとつ力まかせに下からひっぱられたひには、たまったものではない。
「降(お)りろともうすに、降りてこないか」
「いま降りるよ、降りるから、手をはなしてくれ、でなくッちゃ、からだが自由にならないもの」
「ばかを申せ、はなせば、上へあがるんだろう」
 足をつかんでいる者はゆだんがない。
 竹童(ちくどう)は観念(かんねん)してしまった。
 ままよ、どうにでもなれ、お師匠(ししょう)さまからいいつけられた使命は、もう十のものなら九つまでしとげたのもどうよう、呂宋兵衛(るそんべえ)の手下につかまって、首をはねられても残りおしいことはないと思った。
「じゃ、どうしろっていうんだい」
 おのずから、声もことばも、大胆(だいたん)になる。
「その手をはなしてしまえ」
「手をはなせば、ここから下まで、まッさかさまだ」
「いや、おれがこう持ってやる」
 下の者は背をのばして、竹童の腰帯(こしおび)をグイとつかんだ。もうどうしたってのがれッこはない、竹童は、運を天にまかせて、棟木(むなぎ)の角(かど)へかけていた手を、ヒョイとはなした。
「えいッ」
 はッと思うと、竹童のからだは、望楼台(ぼうろうだい)の上へ鞠(まり)のように投げつけられていた。覚悟はしていても、こうなると最後までにげたいのが人情、かれは、むちゅうになってはね起きたが、すかさず、いまの男が、上からグンと乗しかかって、
「まだもがくか!」
 と手足の急所をしめて、磐石(ばんじゃく)の重みをくわえた。それをだれかと見れば、さっき、呂宋兵衛(るそんべえ)や昌仙(しょうせん)とともに、ここにいた可児才蔵(かにさいぞう)である。
 安土(あづち)から選ばれてきた可児才蔵とわかってみれば、なるほど、竹童が、つかまれた足を離せなかったのもむりではない。
「いたい、いたい。苦しい」
 竹童も、呂宋兵衛の手下にしては、どうもすこし、手強(てごわ)いやつに捕(つか)まったとうめきをあげた。
「痛いのはあたりまえだ、うごけばうごくほど、急所がしまる」
「殺してくれ、もう死んでもいいんだ」
「いや、殺さない」
「首を斬れ」
「首も斬らぬ。いったいきさまは、どこの何者だ」
「聞くまでもないではないか、おいらはいつか、果心居士(かしんこじ)さまのお使いとなって、この城へきたことのある鞍馬山(くらまやま)の竹童(ちくどう)だ。首の斬り方をしらないなら、さッさと、呂宋兵衛(るそんべえ)の前へひいていけ」
「ウーム、鞍馬山の竹童というか」
 可児才蔵(かにさいぞう)も、心中舌(した)をまいておどろいた。
 安土(あづち)の城には、じぶんの主人福島市松(ふくしまいちまつ)をはじめ、幼名(ようめい)虎之助(とらのすけ)の加藤清正(かとうきよまさ)、そのほか豪勇(ごうゆう)な少年のあったことも聞いているが、まだこの竹童のごとく、軽捷(けいしょう)で、しかも大胆(だいたん)な口をきく小僧(こぞう)というものを見たことがない。

 竹童はまた竹童で、才蔵に組みふせられていながら、肚(はら)のなかで、ふとこんなことを思った。
「こいつはおもしろい、いましかけてきたあの綱火(つなび)が、松明(たいまつ)の火からだんだん燃えうつって、もうじきドーンとくるじぶんだ。そうすれば煙硝庫(えんしょうぐら)も人穴城(ひとあなじょう)の野武士(のぶし)も、この望楼(ぼうろう)もおいらもこいつも、いっぺんにけし飛んでしまうんだ」
 と、かれはいきなり下から、ぎゅッと才蔵の帯をにぎりしめた。
「あはははは、およばぬ腕だて」
 と、才蔵は力をゆるめて笑いだした。
「笑っていろ、笑っていろ、そして、いまに見ているがいい、この下の煙硝庫(えんしょうぐら)が破裂(はれつ)して、やぐらもきさまもおいらも、一しょくたに、木(こ)ッ葉(ぱ)みじんに吹ッ飛ばされるから」
「えッ、煙硝庫が?」
「おお、あのなかへ松明(たいまつ)を、ほうりこんできたんだ。ああいい気味(きみ)、その火を見ながら死ぬのは竹童(ちくどう)の本望(ほんもう)だ、おいらは本望だ」
「いよいよ、よういならん小僧(こぞう)だ」
 さすがの才蔵(さいぞう)も、これにはすこしとうわくした。がいまの一言(ごん)を聞いて、
「では、もしや汝(なんじ)は、伊那丸(いなまる)のために働いている者ではないか」
 と、問いただした。
「あたりまえさ、伊那丸さまをおいて、だれのためにこんなあぶない真似(まね)をするものか、おいらもお師匠(ししょう)さまも、みんなあのお方(かた)を世にだしたいために働いているんだ」
「おお、さてはそうか」
 と才蔵は飛びのいて、にわかに態度をあらためた。竹童は、手をひかれて起きあがったが、少しあっけにとられていた。
「そうとわかれば、汝を手いたい目にあわすのではなかった。なにをかくそう、拙者(せっしゃ)はわけがあって、秀吉公(ひでよしこう)の命(めい)をうけ、この裾野(すその)のようすを探索(たんさく)にきた、可児才蔵(かにさいぞう)という者だ」
「おじさん、おじさん、そんなことをいってると、ほんとうに鉄砲薬(てっぽうぐすり)の山が、ドカーンとくるぜ、おいらのいったのは、うそじゃないからね」
「では竹童、すこしも早く逃げるがいい」
「えッ、おいらを逃がしてくれるというの」
「おお秀吉公(ひでよしこう)は、伊那丸(いなまる)どのに悪意をもたぬ。あのおん方(かた)に、会ったらつたえてくれい、可児才蔵(かにさいぞう)と申す者が、いずれあらためて、お目にかかり申しますと」
「はい、しょうちしました」
 ないとあきらめた命(いのち)を、思いがけなく拾った竹童は、さすがにうれしいとみえて、こおどりしながら、まえの欄間(らんま)へ足をかけた。
「あぶないぞ、落ちるなよ」
 まえには足をひっ張った才蔵が、こんどは下から助けてくれる。竹童は棟木(むなぎ)の上へ飛びつきながら、
「ありがとう、ありがとう。だが、おじさん――じゃあない可児さま。あなたも早くここを降(お)りて、どこかへ逃げださないと、もうそろそろ煙硝(えんしょう)の山が爆発(ばくはつ)しますよ」
「心得た、では竹童、いまの言伝(ことづて)を忘れてくれるな」
 といいすてて、可児才蔵はバラバラと望楼(ぼうろう)をおりていったようす、いっぽうの竹童も、やっと屋根瓦(がわら)の上へはいのぼってみると、うれしや、畜生(ちくしょう)ながら霊鷲(れいしゅう)クロにも心あるか、巨人のように翼(つばさ)をやすめてかれのもどるのを待っていた。
「さあ、もう天下はこっちのものだ」
 鷲(わし)の翼にかくれた竹童(ちくどう)のからだは、みるまに、望楼(ぼうろう)の屋根をはなれて、磨墨(するすみ)のような暗天たかく舞いあがった。
 ――と思うと同時に、とつぜん、天地をひっ裂(さ)くばかりな轟音(ごうおん)。
 ここに、時ならぬ噴火口(ふんかこう)ができて、富士の形が一夜(や)に変るのかと思われるような火の柱が、人穴城(ひとあなじょう)から、宙天(ちゅうてん)をついた。
 ドドドドドドウン!
 二どめの爆音(ばくおん)とともに、ふたつに裂(さ)けた望楼台(ぼうろうだい)は、そのとき、まっ黒な濛煙(もうえん)と、阿鼻叫喚(あびきょうかん)をつつんで、大紅蓮(だいぐれん)を噴(ふ)きだした殿堂のうえへぶっ倒れた。
 そして、八万八千の魔形(まぎょう)が、火となり煙となって、舞いおどる焔(ほのお)のそこに、どんな地獄(じごく)が現じられたであろうか。

「また富士山(ふじさん)が、火をふきだしたのであろうか」
「おお、まだ今朝(けさ)もあんなに、黒煙(くろけむり)が、あがっている」
「なあに、お山はあのとおり、いつもと変ったところはない、きっと猟師(りょうし)が、野火(のび)でもだしたんだろうよ」
「いやいや、野火ばかりで、あんな音がするものか、戦(いくさ)のためだ、戦があったにきまっている」
「え、戦? 戦とすればたいへんだ、このへんもぶっそうなことになるのじゃないかしら」
 ここは、裾野(すその)や人無村(ひとなしむら)からも、ずッとはなれている甲斐国(かいのくに)の法師野(ほうしの)という山間(さんかん)の部落。
 人穴城(ひとあなじょう)がやけた轟音(ごうおん)は、このへんまで、ひびいたとみえて、家(うち)に落着けない里(さと)の人があっちに一群(ひとむ)れ、こっちにひとかたまり、はるかにのぼる煙へ小手をかざしながら、今朝(けさ)もガヤガヤあんじあっていた。
「おい、与五松(よごまつ)」
 そのうちのひとりがいった。
「おめえの家(うち)で、ゆうべ宿をかした旅の客があったな。なんだかこわらしい顔をしていたが、物しりらしいところもある、一つあの客人にきいて見ようじゃないか」
「なるほど、矢作(やさく)がいいところへ気がついた、どこに戦(いくさ)があるのか、あの人なら知っているかもしれねえ、はやくお呼(よ)びもうしてこいやい」
「あ、その人は、おれがでてくるときに、先をいそぐとやらで立(た)ち支度(じたく)をしていたから、ことによるともうでかけてしまったかもしれねえが、おいでになったらすぐ連れてこよう」
 与五松という若者は、すぐじぶんの家(うち)へかけだしていった。ちょうど、立ちかけているところへ間(ま)に合ったものか、しばらくすると、かれはひとりの旅人をつれて一同のほうへ取ってかえしてきた。
「あれかい、与五松の家(うち)へとまった、お客というのは」
 里の者たちは、袖(そで)ひき合って、クスクス笑いあった。なぜかといえば、片鼻(かたはな)そげている顔が、いかにも怪異(かいい)に見えたのである。
 旅の男というのは、鼻かけ卜斎(ぼくさい)の八風斎(はっぷうさい)であった。越後路(えちごじ)へむかっていくかれは、蛾次郎(がじろう)を見うしなって、ひとりとなり、昨夜(ゆうべ)はこの部落で、一夜をあかした。
「わざわざ恐れいりまする」
 と、年かさな矢作(やさく)が、卜斎のまえへ、小腰をかがめながら、ていねいにききだした。
「あなたさまは、裾野(すその)からおいでになった鏃師(やじりし)とやらだそうでござりますが、あのとおりな黒煙(くろけむり)が、二日二晩もつづいて立ちのぼっているのは、いったいなんなのでござりましょう」
「あれかい」卜斎はくだらぬことに、呼びとめられたといわんばかりに、
「あれはたぶん、人穴(ひとあな)の殿堂(でんどう)が焼けたのでしょう」
「へえ、人穴の殿堂と申しますると」
「野武士(のぶし)の立てこもっていた山城(やまじろ)――和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)、丹羽昌仙(にわしょうせん)などというやつらが、ひさしく巣(す)をつくっていたところだ。それもとうとう時節がきて、あのとおり、焼きはらわれたものだろう」
「ああ野武士ですか、野武士の城なら、いい気味だ」
「お富士(ふじ)さまの罰(ばち)だ」
 と、里人(さとびと)はにわかにほッと安心したばかりか、日ごろの欝憤(うっぷん)をはらしたようにどよみ立った。
 するとまた二、三の者が、
「あ、だれかきた」と叫びだした。
 見ると鳥刺(とりさ)し姿の可児才蔵(かにさいぞう)が、山路(やまじ)をこえてこの部落にはいってきたのだ。ここは街道衝要(しょうよう)なところなので、甲府(こうふ)へいくにも南信濃(みなみしなの)へはいるにも、どうしても、通らねばならぬ地点になっている。
「おお鳥刺しだ」
 と、部落の者たちは、また才蔵を取りまいて、裾野(すその)のようすをくどく聞きたがった。けれど才蔵は、これから安土(あづち)へ昼夜兼行(けんこう)でかえろうとしている体(からだ)、裾野におけるちくいちの仔細(しさい)は、まず第一に、秀吉(ひでよし)へ復命すべきところなので、多くを語るはずがない。
「さあ、ふかいようすは知りませんが、なにしろ、裾野はいま、人穴城(ひとあなじょう)の火が、枯野(かれの)へ燃えひろがって、いちめんの火ですよ、そのために、徳川勢(とくがわぜい)と武田方(たけだがた)の合戦(かっせん)は、両陣ひき分けになったかと聞きましたが、人穴城から焼けだされた野武士(のぶし)は、駿河(するが)のほうへは逃げられないのでたぶん、こっちへ押しなだれてきましょう」
「えッ、野武士の焼けだされが、こっちへ逃げてきますって?」
「ほかに逃げ道もなし、食糧(しょくりょう)のあるところもありませんから、きっとここへやってくるにそういありません。ところでみなさん、わたしがここを通ったことは、その仲間(なかま)がきても、けっしていわないでくださいまし、ではさきをいそぎますから――」
 と、可児才蔵はほどよくいって、いっさんに、部落をかけだした。
 そして、甲信両国(こうしんりょうごく)の追分(おいわけ)に立ったとき、右手の道を、いそいでいく男のかげがさきに見えた。
「ははあ、きゃつは、柴田(しばた)の廻(まわ)し者上部八風斎(かんべはっぷうさい)だな、これから北(きた)ノ庄(しょう)へかえるのだろうが、とても、勝家(かついえ)の腕ではここまで手が伸(の)びない。やれやれごくろうさまな……」
 苦笑を送ってつぶやいたが、じぶんは、それとは反対な、信濃堺(しなのざかい)の道へむかって、足をはやめた。

 法師野(ほうしの)の部落は、それから一刻(ひととき)ともたたないうちに、昼ながら、森(しん)としてしまった。たださえ兇暴(きょうぼう)な野武士(のぶし)が焼けだされてきた日には、どんな残虐(ざんぎゃく)をほしいままにするかも知れないと、家を閉(と)ざして村中恐怖(きょうふ)におののいている。
 はたして、その日の午後になると、この部落へ、いような落武者(おちむしゃ)の一隊がぞろぞろとはいってきた。各戸(かっこ)の防ぎを蹴破(けやぶ)って、
「ありったけの食(た)べ物(もの)をだせ」
「女老人(としより)は森へあつまれ、そして飯(めし)をたくんだ」
「村から逃げだすやつは、たたッ斬るぞ」
「家(うち)はしばらくのあいだ、われわれの陣屋とする」
 好(す)き勝手なことをいって、財宝をうばい、衣類食い物を取りあげ、部落の男どもを一人のこらずしばりあげて、その家々(いえいえ)へ、飢(う)えた狼(おおかみ)のごとき野武士が、わがもの顔して、なだれこんだ。
 焼けだされた狼は、わずか三、四十人の隊伍(たいご)であったが、なにせよ、武器をもっている命知(いのちし)らずだからたまらない。なかには、呂宋兵衛(るそんべえ)をはじめ、丹羽昌仙(にわしょうせん)、早足(はやあし)の燕作(えんさく)、吹針(ふきばり)の蚕婆(かいこばばあ)までがまじっていた。
 あの夜、殿堂へ、煙硝爆破(えんしょうばくは)の紅蓮(ぐれん)がかぶさったときには、さすがの昌仙も、手のつけようがなく、わずかに、呂宋兵衛その他のものとともに、例の間道(かんどう)から人無村(ひとなしむら)へ逃げ、からくも危急を脱(だっ)したのであるが、多くの手下は城内で焼け死んだり、のがれた者も、大半は、徳川勢(とくがわぜい)や伊那丸(いなまる)の手におちて、捕(とら)われてしまった。
 城をうしない、裾野(すその)の勢力をうしなった呂宋兵衛は、たちまち、野盗(やとう)の本性(ほんしょう)にかえって、落ちてきながら、通りがけの部落をかたっぱしから荒らしてきた。そしてこれから、秀吉(ひでよし)の居城(きょじょう)安土(あづち)へのぼって、助けを借りようという虫のよい考え。――ところが、一しょにおちてきた可児才蔵(かにさいぞう)は、こんな狼連(おおかみれん)につきまとわれては大へんと、いちはやく、とちゅうから姿をかくし、一足(ひとあし)さきに上方(かみがた)へ立っていったのである。

 ここに、一世(せ)一代(だい)の大手柄(おおてがら)をやったのは鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)。
 その得意や、思うべしである。
 飛行自在のクロあるにまかせて、かれは、燃えさかる人穴城(ひとあなじょう)をあとに、ひさしぶりで、京都の鞍馬山(くらまやま)のおくへ飛んでかえり、お師匠(ししょう)さまの果心居士(かしんこじ)にあって、得意のちくいちを物語ろうと思ったところが、荘園(そうえん)の庵(いおり)はがらん洞(どう)で、ただ壁に、一枚の紙片(かみきれ)が貼(は)ってあり、まさしく居士の筆で、いわく、

竹童よ。誇(ほこ)るなよ。なまけるなよ。ゆだんするなよ。お前の使命はまだ残(のこ)っているはず。
ふたたび、われとあう日まで、心の紐(ひも)をゆるめるなかれ。
果心居士
「おや、こんなものを書きのこして、お師匠さまはいったい、どこへ隠(かく)れてしまったんだろう」
 竹童は、がっかりしたり、不審(ふしん)におもったりして、しばらく庵にぼんやりしていた。
「おまえの使命はまだ残っている――おかしいなあ、お師匠さまの計略は、いいつけられたとおりまんまとしたのに……ああそうか、徳川軍(とくがわぐん)にかこまれた伊那丸(いなまる)さまが、勝ったか負けたか、生きたか死んだか、その先途(せんど)も見(み)とどけないのがいけないというのかしら、そういえば、可児才蔵(かにさいぞう)という人からたのまれている伝言(ことづて)もあったっけ」
 と、にわかに気がついた竹童は、数日来(らい)、不眠不休(ふみんふきゅう)の活動に、ともすると眠くなる目をこすりながら、ふたたび、クロに乗って富士の裾野(すその)へ舞いもどった。
 やがて、白砂青松(はくしゃせいしょう)の東海道の空にかかったとき、竹童がふと見おろすと、たしかに徳川勢(とくがわぜい)の亀井(かめい)、内藤(ないとう)、高力(こうりき)なんどの武者らしい軍兵(ぐんぴょう)三千あまり、旗幟堂々(きしどうどう)、一鼓(こ)六足(そく)の陣足(じんそく)ふんで浜松城へ凱旋(がいせん)してきたようす。
「おや、あのあんばいでは、裾野(すその)の合戦(かっせん)は伊那丸(いなまる)さまの敗亡(はいぼう)となったかしら?」
 竹童、いまさら気が気でなくなったから、いやがうえにも、クロをいそがせて、裾野の空へきて見ると、人穴(ひとあな)から燃えひろがった野火(のび)は、止(とど)まるところを知らず、方(ほう)三里(り)にわたって、濛々(もうもう)と煙をたてているので、下界(げかい)のようすはさらに見えない。

 七日七夜(なぬかななよ)、燃えにもえた野火の煙は、裾野一円にたちこめて、昼も日食(にっしょく)のように暗い。
 富士の白妙(しろたえ)が銀細工(ぎんざいく)のものなら、とッくに見るかげもなく、くすぶッてしまったところだ。見よ、さしも人穴(ひとあな)の殿堂(でんどう)すべて灰燼(かいじん)に帰(き)し、まるで鬼(おに)の黒焼(くろやき)、巌々(がんがん)たる岩ばかりがまっ黒にのこっている。
 すると、さっきから、その焼(や)け跡(あと)を見まわっていた三騎(き)のかげが、廃城(はいじょう)の門をまっしぐらに駈(か)けだした。そして濛々(もうもう)たる野火の煙をくぐりながら、金明泉(きんめいせん)のちかくまできたとき、さきにきた山県蔦之助(やまがたつたのすけ)が、ふいに、ピタッと駒(こま)をとめて、
「や? ご両所(りょうしょ)、しばらく待ってくれ」
 と、あとからきた二騎(き)――巽小文治(たつみこぶんじ)と木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)へ、手をふって押しとどめた。
「おお、蔦之助、呂宋兵衛(るそんべえ)の残党(ざんとう)でもおったか」
「いや、よくはわからぬが、あの泉(いずみ)のほとりに、なにやらあやしいやつがいる。いま、拙者(せっしゃ)が遠矢(とおや)をかけて追いたてるから、あとは斬るとも生けどるとも、おのおの鑑定(かんてい)しだいにしてくれ」
「ウム、心得た」
 といったへんじよりは、龍太郎と小文治、金明泉へむかって馬を飛ばしていたほうがはやかった。
 蔦之助は、鷹(たか)の石打ちの矢を一本とって、弓弦(ゆづる)につがえ、馬上、横がまえにキラキラと引きしぼる。
 ――小(こ)一町(ちょう)は、駿馬(しゅんめ)項羽(こうう)で一足(そく)とび、
「やッ、しまった!」
 と、そこまできて龍太郎はびっくりした。なぜといえば、いましも金明泉のほとりから、笹叢(ささむら)をガサガサ分けてでてきたのは、呂宋兵衛(るそんべえ)の残党(ざんとう)どころか、大せつな大せつな鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)。
 竹童はなんにも知らない。金明泉(きんめいせん)の水でも飲んできたか、袖(そで)で口をふきながら、ヒョイと、岩角(いわかど)へとび乗ってわざわざ蔦之助(つたのすけ)のまとに立ってしまった。
 龍太郎はあわてて、うしろのほうへ馬首(ばしゅ)をめぐらし、
「待てッ、味方だ!」
「竹童だ、うつな!」
 小文治(こぶんじ)も絶叫(ぜっきょう)した。
 が、間(ま)にあわなかった。プツン! とたかい弦鳴(つるな)りがもうかなたでしてしまった。
 射手(いて)は名人、矢は鷹(たか)の石打ち、ヒューッと風をふくんで飛んだかと思うと、狙(ねら)いはあやまたずかれの胸板(むないた)へ――
 あっけらかんと口をふいていた竹童、睫毛(まつげ)の先にキラリッと鏃(やじり)の光を感じたせつなに、ヒョイ――と首をすくめて右手すばやく稲妻(いなずま)つかみに、名人の矢をにぎり止(と)めてしまった。
「竹童、みごと」
 矢にもおどろいたし、褒(ほ)め声(ごえ)にもおどろいた竹童、龍太郎と小文治のすがたを見つけて、
「木隠(こがくれ)さま。大人(おとな)のくせに、よくないいたずらをなさいますね」
 と、ニッコリ笑った。
「いや竹童、いまのは木隠(こがくれ)どののわるさではない。むこうにいる山県氏(やまがたうじ)の見そこないだから、まあかんにんしてやるがよい」
 小文治(こぶんじ)がいいわけしていると、蔦之助(つたのすけ)も遠くから、このようすを見てかけてきた。そして、今為朝(いまためとも)ともいわれたじぶんの矢を、つかみとるとは、末(すえ)おそろしい子だという。
 けれど当(とう)の竹童には、末おそろしくもなんにもない。こんな鍛練(たんれん)は、果心居士(かしんこじ)のそばにおれば、のべつ幕(まく)なしにためされている「いろは」のいの字だ。
「ときに龍太郎さま、なによりまっ先に、うかがいたいのは、伊那丸(いなまる)さまのお身の上、どうか、その後(ご)のようすをくわしく聞かしてくださいまし」
「ウム、当夜若君の孤軍(こぐん)は、いちどは重囲(じゅうい)におちいられたが、折もよし、人穴城(ひとあなじょう)の殿堂から、にわかに猛火を発したので、さすがの呂宋兵衛(るそんべえ)も、間道(かんどう)から逃げおちて、のこるものは阿鼻叫喚(あびきょうかん)の落城となった。どうじに三河勢(みかわぜい)も浜松より急命がくだって総退軍。そのため、味方の勝利と一変したのだ」
「そして、ただいま、ご本陣のあるところは」
「五湖をまえにして、白旗(しらはた)の森(もり)一帯(たい)、総軍一千あまりの兵が、物の具をつくろうて、休戦しておる」
「呂宋兵衛の部下が軍門にくだって、それで急に、味方がふえたわけなんですね」
「そうだ。して竹童、おまえはきょうまで、どこにいたのか」
「ちょっと鞍馬(くらま)へかえって見ましたところが、お師匠(ししょう)さまの叱言(こごと)が壁にはってあったので、あわててまた舞(ま)いもどってきたんです」
「フーム、では果心(かしん)先生には、鞍馬(くらま)の庵室(あんしつ)にも、おすがたが見えなかったか」
「いっこうお行方(ゆくえ)しれずです。またお気がむいて、日本くまなく行脚(あんぎゃ)しておいでになるのかも知れませんが、困(こま)るのはこの竹童(ちくどう)、先生のおいいつけは、やりとげましたが、こんどはなにをやっていいのか見当(けんとう)がつきません。龍太郎(りゅうたろう)さま、あそんでいると眠くなりますから、なにか一つ中役(ちゅうやく)ぐらいなところを、いいつけておくんなさい」
 龍太郎も、じぶんの手柄話(てがらばなし)らしいことを、おくびにもださなかったが、竹童もまた、あれほどの大軍功(だいぐんこう)を成しとげていながら、鼻にもかけず塵(ちり)ほどの誇(ほこ)りもみせていない。
 そしてなお、なにか一役いいつけてくれという。よいかな竹童、さすがは果心居士(かしんこじ)が、藜(あかざ)の杖(つえ)で、ピシピシしこんだ秘蔵弟子(ひぞうでし)だ。

 武田伊那丸(たけだいなまる)、小幡民部(こばたみんぶ)、そのほか帷幕(いばく)のものが、いまなお白旗(しらはた)に陣をしいて、しきりにあせっているわけは、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)の所在が、かいもく知れないためであった。
 人穴城(ひとあなじょう)という外廓(がいかく)は焼けおちたが、中身(なかみ)の魔人(まじん)どもはのこらず逃亡してしまった。丹羽昌仙(にわしょうせん)、吹針(ふきばり)の蚕婆(かいこばばあ)、穴山残党(あなやまざんとう)の佐分利(さぶり)、足助(あすけ)の輩(ともがら)にいたるまで、みな間道(かんどう)から抜けだした形跡(けいせき)。しかも、落ちていったさきが不明とあっては、真(まこと)に、この一戦の痛恨事(つうこんじ)である。
「そこできょうも、咲耶子(さくやこ)さまをはじめ忍剣(にんけん)もわれわれ三名も、八ぽうに馬をとばし、木の根、草の根をわけてさがしているところだ」
 ――と龍太郎からはなされた竹童は、聞くとともに、こともなげにのみこんで、
「では龍太郎さま、この竹童が、ちょっと、一鞭(ひとむち)あてて見てまいりましょう」
「ウム、なにかおまえに、成算(せいさん)があるか」
「あてはございませんが、そのくらいのことなら、なんのぞうさもないこッてす」
「いや、あいかわらず小気味(こきみ)のいいやつ、ではわかりしだいにその場所から、この狼煙(のろし)を三どうちあげてくれ、こちらでも、その用意をして待つことにいたしているから」
「ハイ。きっとお合図(あいず)もうします。じゃ蔦之助(つたのすけ)さま、小文治(こぶんじ)さま、これでごめんこうむりますよ」
 竹童、龍太郎から受けとった狼煙筒(のろしづつ)を、ふところに納(おさ)めると、またまえにでてきた笹叢(ささむら)のなかへ、ガサガサと熊(くま)の子のように姿をかくしてしまった。
 おや? あんな大言(たいげん)を吐(は)いておいて、どこへもぐりこんでゆくのかと、こなたに三人がながめていると、折こそあれ、金明泉(きんめいせん)のほとりから、一陣の旋風(せんぷう)をおこして、天空たかく舞いあがった大鷲(おおわし)のすがた――
 地上にあっても小粒の竹童、空へのぼると、鷲(わし)の一毛(もう)にもたらず、かれの姿は、翼(つばさ)のかげにありとも見え、なしとも思われつつ、鷲そのものも、たちまち鳩(はと)のごとく小さくなり、雀(すずめ)ほどにうすらぎ、やがて、一点の黒影(こくえい)となって、眼界(がんかい)から消えてゆく。
 雲井にきえた鷲(わし)と竹童(ちくどう)。甲駿(こうすん)二国のさかいを、蛇(じゃ)の目(め)まわりに、ゆうゆうと見てまわって、とうとう、この法師野(ほうしの)の部落に、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)一族の焼けだされどもが、よわい村民(そんみん)をしいたげているようすをとくと見さだめた。
 このあたり、野火(のび)の煙がないので、竹童が鷲の背から小手をかざしてみると、法師野の山村、手にとるごとしだ。部落の家には、みな人穴城(ひとあなじょう)の残党(ざんとう)がおしこみ、衣食をうばわれた善良な村人(むらびと)は、老幼男女(ろうようなんにょ)、のこらず裸体(はだか)にされて、森のなかに押しこめられている。真(まこと)にこれ、白昼の大公盗(だいこうとう)、目もあてられぬ惨状(さんじょう)だ。
「ちくしょうめ、人穴城でやけ死んだかと思ったら、またこんなところで悪事をはたらいていやがるな……ウヌいまに一あわふかせてやるからおぼえていろ」
 空にあって、竹童は、おもわず歯がみをしたことである。そして、一刻もはやく、この状況(じょうきょう)を、伊那丸(いなまる)の本陣へ知らせようと、大空ななめに翔(か)けおりる――
 するとそのまえから、法師野の大庄屋(おおしょうや)狛家(こまけ)の屋敷を横奪(おうだつ)して、わがもの顔にすんでいた和田呂宋兵衛は、腹心の蚕婆(かいこばばあ)や昌仙(しょうせん)をつれて、庭どなりの施無畏寺(せむいじ)へでかけて、三重の多宝塔(たほうとう)へのぼり、なにか金目(かねめ)な宝物(ほうもつ)でもないかと、しきりにあっちこっちを荒らしていた。
 吹針(ふきばり)の蚕婆は、ちょうどその時、三重の塔のいただきへのぼって、朱(しゅ)の欄干(らんかん)から向こうをみると、今しも、竹童ののった大鷲(おおわし)が、しきりにこの部落の上をめぐってあなたへ飛びさらんとしているとき――
「あッ、たいへん」
 顔色をかえて、蚕婆(かいこばばあ)がぎょうさんにさわぎだしたので、塔のなかの宝物をかきまわしていた呂宋兵衛(るそんべえ)と昌仙(しょうせん)なにごとかとあわてふためいて、細廻廊(ほそかいろう)の欄干へ立ちあらわれた。
 見ると空の黒鷲(くろわし)、その翼(つばさ)にひそんでいるのは、呂宋兵衛がうらみ骨髄(こつずい)にてっしている鞍馬(くらま)の小童(こわっぱ)。丹羽昌仙(にわしょうせん)はきッと見て、
「ウーム、きゃつめ、伊那丸方(いなまるがた)の斥候(ものみ)にきおったな」
 と拳(こぶし)をにぎったが、かれの軍学も空へはおよばず、蚕婆(かいこばばあ)の吹針(ふきばり)も、ここからはとどかず、ただ唇(くちびる)をかんでいるまに、鷲はいっさんに裾野(すその)をさしてななめに遠のく。
「呂宋兵衛さま、もうこうはしておられませぬ」
 さすがの昌仙が、ややろうばいして腰をうかすと、いつも臆病(おくびょう)な呂宋兵衛が、イヤに落着きはらって、
「なアに、大丈夫」
 と苦(にが)っぽく嘲笑(あざわら)い、じッと、鷲のかげを見つめていたが、やがて、右手に持っていた金無垢肉彫(きんむくにくぼ)りの鷹(たか)の黄金板(おうごんばん)――それはいまの塔内(とうない)から引ッぺがしてきた厨子(ずし)の金物(かなもの)。
「はッ……、はッ……」
 と三たびほど息をかけて、術眼(じゅつがん)をとじた呂宋兵衛、その黄金の板へ、やッと、力をこめて碧空(あおぞら)へ投げあげたかと思うと、ブーンとうなりを生じて、とんでいった。
「あッ」
「オオ」
 と丹羽昌仙(にわしょうせん)も蚕婆(かいこばばあ)も、おもわず金光(こんこう)の虹(にじ)に眼をくらまされて、まぶしげに空をあおいだが、こはいかに、その時すでに、黄金板(おうごんばん)のゆくえは知れず、ただ見る金毛燦然(きんもうさんぜん)たる一羽(わ)の鷹(たか)が、太陽の飛ぶがごとく、びゅッ――と竹童の鷲(わし)を追ッかけた。
 これは、前身悪伴天連(あくバテレン)の和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)が、蛮流幻術(ばんりゅうげんじゅつ)の奇蹟(きせき)をおこなって、竹童(ちくどう)を、鳥縛(ちょうばく)の術におとさんとするものらしい。――知らず鞍馬(くらま)の怪童子(かいどうじ)、はたして、どんな対策(たいさく)があるだろうか?

「あら、あら、あら! コンちくしょうめ」
 竹童は、にわかに空でめんくらった。
 いや、乗ってる鷲がくるいだしたのだ。――で、いやおうなく、かれが、大声あげて、叱咤(しった)したのもむりではない。
「こらッ、クロ、そっちじゃねえ、そっちへ飛ぶんじゃないよ!」
 いつも背なかで調子をとれば、以心伝心(いしんでんしん)、思うままの方向へ自由になるクロが、にわかに、風をくらった凧(たこ)のように、一つところを、くるくるまわってばかりいる。
 はるか、多宝塔(たほうとう)の上で、呂宋兵衛が、放遠の術気(じゅっき)をかけているとは知らない竹童、ふしぎ、ふしぎとあやしんでいると、怪光をおびた一羽(わ)の大鷹(おおたか)が、かッと嘴(くちばし)をあいて、じぶんの目玉をねらってきた。
「あッ」
 竹童(ちくどう)はぎょッとして、鷲(わし)の背なかへうっぷした。――とクロは猛然と巨瞳(きょどう)をいからし、鷹(たか)をめがけて絶叫を浴びせかける。らんらんたる太陽のもと、双鳥(そうちょう)たちまち血みどろになってつかみあった。飛毛ふんぷんと降(ふ)って、そこはさながら、日月(じつげつ)あらそって万星(ばんせい)うずを巻くありさまである。
「えいッ」
 そのとき竹童、腰なる名刀がわりの棒切(ぼうき)れ、ぬく手もみせず、怪光の鷹(たか)をたたきつけた。とたんに、その鋭い気合いが、術気(じゅっき)をやぶったものか、鷹(たか)は、かーんと黄金板(おうごんばん)の音(ね)をだして、一直線に地上へ落ちていった。
「ウーム、しまった!」
 多宝塔(たほうとう)の上で、遠術の印(いん)をむすんでいた呂宋兵衛(るそんべえ)、あおじろい額(ひたい)から、タラタラと脂汗(あぶらあせ)をながしたが、すぐ蛮語(ばんご)の呪文(じゅもん)をとなえ、満口(まんこう)に妖気(ようき)をふくみ入れて、フーと吹くと、はるかな、竹童と鷲の身辺だけが、薄墨(うすずみ)をかけたように、円(まる)くぼかされてしまった。
 はじめは、そのうす黒い妖気が、雲のように見えたがやがて、チラチラ銀光にくずれだしたのを見ると……数万(すうまん)数億(すうおく)の白い毒蝶(どくちょう)。――打てども、はらえども、銀雲のように舞って、さすがの竹童も、これには弱りぬいた。同時に、さては何者か、妖気を放術してさまたげているにそういないと知ったから、かねて果心居士(かしんこじ)におしえられてあった破術遁明(はじゅつとんめい)の急法をおこない、蝶群(ちょうぐん)の一角(かく)をやぶって、無(む)二無(む)三に、鷲(わし)を飛ばそうとすると、クロは白蝶群(はくちょうぐん)の毒粉(どくふん)に眩暈(よっ)て、翼(つばさ)を弱められ、クルクルと木(こ)の葉おとしに舞いおりた。
 多宝塔(たほうとう)の上から、それをながめた呂宋兵衛(るそんべえ)、してやったりとほくそ笑(え)んで、塔のなかへ姿をかくしたが、まもなく金銀珠玉(きんぎんしゅぎょく)の寺宝をぬすみだして、庄屋(しょうや)の狛家(こまけ)へはこびこみ、野武士(のぶし)の残党(ざんとう)どもに、酒蔵(さかぐら)をやぶらせて、面(つら)にくい大酒宴(おおさかもり)。
 寺には、僧侶(そうりょ)が斬りころされ、森には裸体(はだか)の老幼(ろうよう)がいましめられて、飢(う)えと恐怖におののいている。戦国の悲しさには、この暴悪なともがらの暴行に、駈(か)けつけてくる代官所(だいかんしょ)もなく、取りしまる政府もない。
 こうして呂宋兵衛たちは、この村を食(く)いつくしたら、次の部落へ、つぎの部落を蹂躪(じゅうりん)しきったらその次へ、群(ぐん)をなして桑田(そうでん)を枯(か)らす害虫のように渡りあるく下心(したごころ)でいるのだ。それは、この一族ばかりでなかったとみえて、戦国時代のよわい民のあいだには「狼(おおかみ)と野武士(のぶし)がいなけりゃ山家(やまが)は極楽(ごくらく)」と、いう諺(ことわざ)さえあった。
 さて、いっぽうの竹童は、どこへ降(お)りたろう。
 降(お)りたところで、ふと見るとそこは、つごうよく、五湖方面から法師野(ほうしの)地方へかよう街道のとちゅう。小広い平地があって、竹林(ちくりん)のしげった隅(すみ)に、一軒(けん)の茅葺屋根(かやぶきやね)がみえ、裏手(うらて)をながるる水勢のしぶきのうちに、ゴットン、ゴットン……水車(みずぐるま)の悠長(ゆうちょう)な諧調(かいちょう)がきこえる。
 さっきは、呂宋兵衛(るそんべえ)の遠術になやまされて、クロがだいぶつかれているようすなので、竹童は、水車(すいしゃ)のかけてある流れによって、鷲(わし)にも水を飲ませじぶんも一口すって、さて、一刻(こく)もはやく合図(あいず)の狼煙(のろし)をあげてしらせたいがと、あっちこっちを見まわした後(のち)、クロをそこへ置きすてて、いっさんにうらの小山へ登りだした。
 ところが、その水車小屋(すいしゃごや)には、一昨日(おととい)からひとりの男が張(は)りこんでいた。
 呂宋兵衛から、張り番をいいつけられていた早足(はやあし)の燕作(えんさく)。毎日たいくつなので、きょうは通りかかった泣き虫の蛾次郎(がじろう)を、小屋のなかへ引っぱりこみ、このいい天気なのに小屋の戸を閉(し)めきったまま、ふたりでなにかにむちゅうになっていた。

 入口も窓(まど)も閉めきってあるので、水車小屋のなかはまっ暗だ。ただ、蝋燭(ろうそく)が一本たっている。
 そこで、早足の燕作が、泣き虫の蛾次郎に、よからぬ秘密(ひみつ)を、伝授(でんじゅ)している。
 なにかと思えば、かけごとである。するものに事をかいて、かけごとの方法をつたえるとは、教授する先生も先生なら、また、教えをうける弟子(でし)も弟子、どっちも、褒(ほ)められた人物でない。
「おい蛾次公(がじこう)、まだふところに金があるんだろう、勝負ごとは、しみッたれるほど負けるもんだ、なんでも、気まえよくザラザラだしてしまいねえ」
「だって燕作(えんさく)さん、いまそこへだした小判(こばん)は?」
「わからねえ男だな、いまのはおまえが負けたからおれにとられてしまったんだよ。それを取りかえそうと思ったら、いっぺんに持ってるだけかけて見ろ」
「だって負けると、つまらねえや」
「そこが男の度胸(どきょう)じゃねえか、鏃師(やじりし)の蛾次郎ともあるおまえが、それぐらいな度胸がなくって、将来天下に名をあげることができるもんか、ええ蛾次ちゃん、しッかりしろやい」
 と燕作は、ここ苦心さんたんで、蛾次郎の持ち金のこらず巻きあげようとつとめている。
 蛾次郎が、身にすぎた小判(こばん)を、ザラザラ持っていたのは、向田(むこうだ)ノ城の一室で、菊池半助(きくちはんすけ)からもらった金だった。――かれは、本来その報酬(ほうしゅう)として竹童(ちくどう)の鷲(わし)をぬすんで、裾野戦(すそのせん)のおこるまえに、菊池半助の陣中へかけつけなければならなかったはずだが、密林(みつりん)のおくで、鷲をぬすみそこねて、竹童のため、したたか痛められていらい、もうこりごり、のこりの金で買食(かいぐ)いでもしようかと、甲府(こうふ)をさしてきたとちゅう、ここで張(は)り番役をしていた燕作(えんさく)の目にとまり、ひっぱりこまれたものである。
 そしてさっきから、うまうまとふところの小判(こばん)を、あらかた巻きあげられ、もう三枚しか手になかった。燕作は、その三枚の小判(こばん)をふんだくってしまったら、おとといおいでと、小屋からつまみだしてしまうつもりだ。
「おい、蛾次公(がじこう)先生、いつまで考えこんでいるんだい」
「だけれど、こわいなあ、この三枚をだして負けになると、おれは、空(から)ッぽになってしまうんだろう」
「そのかわり、おめえが勝てば、六枚になるじゃねえか、六枚はって、また勝てば十二枚、その十二枚をまたはれば、二十四枚、二十四枚は二十四両、どうでえ、それだけの金をふところに入れて、甲府へいってみろ、買えねえ物は、ありゃしねえぞ」
「よし! はった」
「えらい、さすがは男だ、よしかね、勝負をするぜ」
「ウム、燕作さん、ごまかしちゃいけねえよ」
「ばかをいやがれ、いいかい、ほれ……」
 と、燕作が壺(つぼ)へ手をかける、蛾次郎は目をとぎすます――と、その時だ……
 ドドーンと、裏山(うらやま)の上で、不意にとどろいた一発の狼煙(のろし)。
 燕作は見張り番の性根(しょうね)を呼びさまして、「あッ!」とばかりはねかえり、窓の戸をガラッとあけて空をみると、いましも、打ちあげられた狼煙(のろし)のうすけむり、水に一滴(てき)の墨汁(すみじる)をたらしたように、ボーッと碧空(あおぞら)ににじんで合図(あいず)をしている。
「やッ、なにか伊那丸(いなまる)の陣のほうへ、合図をしやがったやつがあるな。ウム、もうこうしちゃいられねえ」
 あわただしく取ってかえすや否(いな)、賭(か)けてあった小判(こばん)をのこらずかきあつめて、ザラザラとふところにねじ込む。
 蛾次郎(がじろう)はぎょうてんして、その袂(たもと)にしがみついた。
「ずるいやずるいや、燕作(えんさく)さん、おれの金まで持っていっちゃいけないよ、かえしてくれ、かえしてくれ」
「ええい、この阿呆(あほう)め、もう、てめえなんぞに、からかっているひまはねえんだ」
 ポンと蛾次郎を蹴(け)はなして、脇差(わきざし)をぶちこむがはやいか、ガラリッと土間(どま)の戸を開(あ)けっぱなして、狼煙のあがった裏の小山へ、いちもくさんにかけあがった。
 あとで起きあがった蛾次郎、親の死目(しにめ)に会わなかったより悲しいのか、両手を顔にあてて、
「わアん……わアん……わアん……」
 と、手ばなしで泣きだした。
 しかし天性(てんせい)の泣き虫にかぎって、泣きだすのもはやいが泣きやむのもむぞうさに、ケロリと天気がはれあがる。
 しばらくのあいだ、おもうぞんぶん泣きぬいた蛾次郎は、それで気がさっぱりしたか、プーと面(つら)をふくらましてそとへでてきた。と思うと、なにかんがえたか、賽(さい)の河原(かわら)の亡者(もうじゃ)のように、そこらの小石をふところいっぱいひろいこんだ。
「燕作(えんさく)め! 見ていやがれ」
 怖(おそ)ろしい怖ろしい、低能児(ていのうじ)でも復讐心(ふくしゅうしん)はあるもの。蛾次郎が、小石をつめこんだのは、れいの石投げの技(わざ)で、小判(こばん)の仇(かたき)をとるつもりらしい。
 燕作がかえってくるのを待伏(まちぶ)せる計略か、蛾次郎はギョロッとすごい目をして水車小屋(すいしゃごや)の裏へかくれこんだ。
 と、どこまで運のわるいやつ、わッと、そこでまたまた腰をぬかしそこねた。
「やあ、おめえは、クロじゃねえか」
 一どはびっくりしたが、そこにいた怪物は、おなじみの竹童(ちくどう)のクロだったので、蛾次郎は思わず、人間にむかっていうようなあいさつをしてしまった。
 そして、いまの泣(な)きッ面(つら)を、グニャグニャと笑いくずして、
「しめ、しめ! 竹童がいないまに、この鷲(わし)をかっぱらッてしまえ。鷲にのって菊池半助(きくちはんすけ)さまのところへいけばお金はくれる、侍(さむらい)にはなれる、ときどきクロにのって諸国の見物はしたいほうだい。アアありがてえ、こんな冥利(みょうり)を取りにがしちゃあ、天道(てんとう)さまから、苦情がくら」
 竹の小枝を折って棒切(ぼうき)れとなし、竹童うつしにクロの背なかへのった泣き虫の蛾次郎。ここ一番の勇気をふるいおこして、鷲(わし)ぬすみのはなれわざ、小屋の前からさッと一陣の風をくらって、宙天(ちゅうてん)へ乗り逃げしてしまった。

 血相(けっそう)かえて、小山の素天(すて)ッぺんへ駈(か)けあがってきた早足(はやあし)の燕作(えんさく)、きッと、あたりを見まわすと、はたして、そこの粘土(ねんど)の地中に狼煙(のろし)の筒(つつ)がいけてあった。
 スポンとひき抜いて、その筒銘(つつめい)をあらためていると、すきをねらってものかげから、バラバラと逃げだしたひとりの少年。
「うぬ、間諜(まわしもの)!」
 ぱッと飛びついて組みかぶさった燕作、肩ごしに対手(あいて)の頤(あご)へ手をひっかけて、タタタタタと五、六間(けん)ひきずりもどしたが、きッと目をむいて、
「やッ、てめえは鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)だな」
「オオ竹童だが、どうした」
「狼煙をあげて、伊那丸方(いなまるがた)へ合図(あいず)をするなんて、なりにもにあわぬふてえやつ。きょうこそ呂宋兵衛(るそんべえ)さまのところへ引っつるすからかくごをしろ」
「だれがくそ!」
「ちぇッ。この餓鬼(がき)め」
「なにをッ、この大人(おとな)め」
 組んずほぐれつ、たちまち大小二つの体(からだ)が、もみ合った。――赤土がとぶ、草が飛ぶ。それが火花のように見える。
 さきに、釜無川原(かまなしがわら)でぶつかった時、燕作(えんさく)の早足と腕まえを知った竹童は、もう逃げては、やぼとおもったか、いきなりかれの手首へかじりついた。
「あ痛(いて)ッ! ちくしょうッ」
 燕作は拳(こぶし)をかためて、イヤというほど、竹童のびんたをなぐる。しかし竹童も、必死に食(く)いさがって、はなれればこそ。
「ウム」と唇(くちびる)から血をたらして同体に組みたおれた。そしてややしばらく芋虫(いもむし)のように転々(てんてん)として上になり、下になりしていたが、ついに踏(ふ)ンまたいでねじふせた燕作が、右の拇指(おやゆび)で、グイと対手(あいて)の喉(のど)をついたので、あわれや竹童(ちくどう)、喉(のど)三寸のいきの根(ね)をたたれて、
「ウーム……」
 と、四肢(し)をぶるるとふるわせたまま、ついに、ぐったりしてしまった。
「ざまア見やがれ! がらの小(ちい)せえわりに、ぞんがいほねを折らせやがった」
 燕作は、すぐ竹童をひっかかえて、法師野(ほうしの)にいる呂宋兵衛(るそんべえ)のところへかけつけようとしたが、ふと気がつくと、いまの格闘(かくとう)で、さっき蛾次郎(がじろう)からせしめた小判(こばん)が、あたりに山吹(やまぶき)の落花(らっか)となっているので、
「ほい、こいつをすてちゃあゆかれねえ」
 あっちの三枚、こっちの五枚、ザラザラひろいあつめていると、突(とつ)! どこからか風をきって飛んできた石礫(いしつぶて)が、コツンと、燕作(えんさく)の肩骨にはねかえった。
「おや」
 とふりむいたが、竹童(ちくどう)は気絶(きぜつ)して横たわっているし、ほかにあやしい人影も見あたらない。どうもへんだとは思ったが、なにしろ大(たい)せつな小判(こばん)をと、ふたたびかき集めていると、こんどはバラバラ小石の雨が、つづけざまに降(ふ)ってきた。
「あ、あ、あいたッ!」
 両手で頭をかかえながら、ふとあおむいた燕作の目に、そのとたん! さッと舞いおりた大鷲(おおわし)の赤銅色(しゃくどういろ)の腹が見えた。
 首尾(しゅび)よく、鷲(わし)ぬすみをやった泣き虫の蛾次郎(がじろう)、その上にあって、細竹(ほそだけ)の杖(つえ)を口にくわえ、右手に飛礫(つぶて)をつかんで、
「やい燕作、やアい、燕作のバカ野郎(やろう)。さっきはよくも蛾次郎さまの金を、いかさまごとで、巻きあげやがったな。その返報には、こうしてやる、こうしてやる!」
 天性(てんせい)、石なげの妙(みょう)をえた蛾次郎が、邪魔物(じゃまもの)のない頭の上からねらいうちするのだからたまらない、さすがの燕作も手むかいのしようがなく、あわてまわって、竹童のからだを横わきに引っかかえるや否(いな)、小山の降(お)り口(ぐち)へむかって、一足(そく)とびに逃げだした。
 が――一せつな、蛾次郎がさいごの力をこめた飛礫(つぶて)がピュッと、燕作のこめかみにあたったので、かれは、急所の一撃(げき)に、くらくらと目をまわして、竹童のからだを横にかかえたまま、粘土(ねんど)の急坂(きゅうはん)を踏(ふ)みすべって、竹林(ちくりん)のなかへころがり落ちていった。
「やあ、いい気味だ、いい気味だ! ひっヒヒヒヒヒ」
 白い歯をむきだして、虚空(こくう)に凱歌(がいか)をあげた蛾次郎(がじろう)は、口にくわえていた細竹(ほそだけ)の杖(つえ)を持ちなおし、ここ、竹童そッくりの大得意(だいとくい)。
「さ、クロ、あっちへ飛べ」
 南――遠江(とおとうみ)の国は浜松の城、徳川家康(とくがわいえやす)の隠密組(おんみつぐみ)菊池半助(きくちはんすけ)のところを指して、いっきに鷲(わし)をかけらせた。
 幸か不幸か、いま竹童は息の根(ね)絶(た)えてそれを知らない。醒(さ)めてのち、かれが天下なにものよりも愛着してやまないクロが、蛾次郎のため盗みさられたと知ったら、その腹立ちはどんなだろう。

 ゴットン、ゴットン、ゴットン……
 水車の諧調(かいちょう)に、あたりはいつか、たそがれてきた。
 竹林(ちくりん)のやみに、夜の風がサワサワゆれはじめると、昼はさまでに思えなかった水音(みずおと)が、いちだんとすごみを帯(お)びてくる。――ことに今夜は、小屋の灯(ひ)をともす者もなかった。
 星あかりで見ると、その燕作(えんさく)は、水車場(すいしゃば)のすぐ上の崖(がけ)に、竹童(ちくどう)をかかえたまま、だらりと木の根に引っかかっている。
 ――ふたりとも、死せず活(い)きず、気絶(きぜつ)しているのだ。
 すると上の竹の葉が、サラサラ……とひそやかにそよぎだしたかと思うと、笹(ささ)の雫(しずく)がそそぎこぼれて、燕作(えんさく)の顔をぬらした。で、かれはハッと正気(しょうき)をとりもどし、むくむくと起きて、闇(やみ)のなかにつっ立った、――立ったとたんに、笹の枝からヌルリとしたものが、燕作の首に巻きついた。
「あッ――」と、つかんですてると、それは小さな白蛇(しろへび)である。こんどはたおれている竹童の胸へのって、かれのふところへ鎌首(かまくび)を入れ、スルスルと襟首(えりくび)へ、銀環(ぎんかん)のように巻きついた。
 夜はいよいよ森々(しんしん)としている。燕作は、なんだかゾッとして手がだせないでいた。そして、顔のしずくをなでまわした。
 と、それはあまりに遠くない地点から、ぼウ――ぼウ――と鳴りわたってきた法螺(ほら)の音(ね)、また陣鐘(じんがね)。耳をすませば、ごくかすかに甲鎧(こうがい)のひびきも聞える。兵馬漸進(へいばぜんしん)の足なみかと思われる音までが、ひたひたと潮(うしお)のように近づいてくる。
「オオ!」
 燕作はいきなり、そばの木へのぼって、枝づたいに、水車小屋の屋根の上へポンととびうつった。そして、暗憺(あんたん)たる裾野(すその)の方角へ小手をかざしてみると、こはなにごと!
 急は目前(もくぜん)、味方の一大事、すでに十数町の近くまでせまってきていた。
 竹童(ちくどう)があいずの狼煙(のろし)をみて、この地方に敵ありと知った武田伊那丸(たけだいなまる)は、白旗(しらはた)の森(もり)に軍旅(ぐんりょ)をととのえ、裾野陣(すそのじん)の降兵(こうへい)をくわえた約千余の人数を、星(せい)、流(りゅう)、騎(き)、白(はく)、幻(げん)の五段にわかち、木隠(こがくれ)、巽(たつみ)、山県(やまがた)、加賀見(かがみ)、咲耶子(さくやこ)の五人を五隊五将の配置とした。
 采配(さいはい)、陣立て、すべてはむろん、軍師(ぐんし)小幡民部(こばたみんぶ)これを指揮(しき)するところ。
 陣の中央はこれ天象(てんしょう)の太陽座(ざ)、すなわち、武田伊那丸の大将座、陰陽(いんよう)脇備(わきぞな)え、畳備(たたみぞな)え、旗本(はたもと)随臣(ずいしん)たち楯(たて)の如くまんまんとこれをかこみ、伝令(でんれい)旗持(はたも)ちはその左右に、槍組(やりぐみ)、白刃組(はくじんぐみ)、弓組をせんとうに、小荷駄(こにだ)、後備(うしろぞな)えはもっともしんがりに、いましも、三軍星(ほし)をいただき、法師野(ほうしの)さしていそいできた。
 ひる、それを見れば、孫子(そんし)四軍の法を整々(せいせい)とふんだ小幡民部が軍配(ぐんばい)ぶり、さだめしみごとであろうが、いまは荒涼(こうりょう)たる星あかり、小屋の屋根から小手をかざしてみた燕作(えんさく)にも、ただその殺気しか感じられなかった。
「ウーム……」
 と、燕作はおもわずうなって、
「いよいよ伊那丸のやつばらが、呂宋兵衛(るそんべえ)さまのあとをかぎつけてきやがったな。オオ、すこしも早くこのことを、法師野(ほうしの)へ知らせなくっちゃならねえ」
 ひらりと、屋根をとびおりた燕作、この大事に驚愕(きょうがく)して、いまはひとりの竹童をかえり見ている暇(ひま)もなく、得意の早足(はやあし)一もくさん、いずこともなくすッ飛んでった。

 駈(か)けもかけたり早足(はやあし)の燕作(えんさく)。
 水車小屋から法師野(ほうしの)まで、二里(り)八、九丁(ちょう)はたっぷりな道、暗夜悪路をものともせず、ひととび、五、六尺(しゃく)ずつ踵(きびす)をけって、たちまち大庄屋(おおしょうや)狛家(こまけ)の土塀門(どべいもん)のうちへ、息もつかずに走りこんだ。
 きて見ると、こなたは意外、いやのんきしごくなていたらく。
 呂宋兵衛(るそんべえ)以下、野獣(やじゅう)のごとき残党輩(ざんとうばら)。竹童(ちくどう)のあげた狼煙(のろし)も、伊那丸軍(いなまるぐん)の出動も知らず、みなゆだんしきッた酒宴(さかもり)の歓楽最中(かんらくさいちゅう)。なかにはすでに酔(よ)いつぶれて、正体(しょうたい)のない野武士(のぶし)さえある。
 息はずませて、門から奥(おく)をのぞきこんだ燕作、
「ケッ、ばかにしていやがら」
 と、むッとして、
「おれひとりを、番小屋に張りこませておきゃあがって、てんでに、すきかってなまねをしていやがる。ウム、くせになるから、いちばん胆(きも)ッ玉のでんぐり返るほど、おどかしてやれ」
 じぶんも蛾次郎(がじろう)あいてに、かけごとをしていたことなどは棚(たな)へあげて、不平づらをとンがらかした燕作(えんさく)、いきなり庭先のやみへバラッとおどり立ち、声と両手をめちゃくちゃにふりあげて、
「一大事、一大事! 酒宴(さかもり)どころじゃない、一大事がおこったぞ」
 取次ぎもなく、ふいにどなられたので、呂宋兵衛(るそんべえ)は、杯(さかずき)をおとして顔色をかえた。かれのみか、丹羽昌仙(にわしょうせん)、蚕婆(かいこばばあ)、穴山(あなやま)の残党(ざんとう)足助(あすけ)、佐分利(さぶり)の二名、そのほかなみいる野武士(のぶし)たちまで、みな総立(そうだ)ちとなり、あさましや、歓楽(かんらく)の席は、ただ一声(ひとこえ)で乱脈となった。
「おお、そちは番小屋の燕作、さてはなんぞ、伊那丸がたの間諜(かんちょう)でも、立ちまわってきたと申すか」
「あ、昌仙さまでございましたか、間諜どころか、武田伊那丸(たけだいなまる)じしんが、一千あまりの軍勢を狩(か)りたて、この法師野(ほうしの)へおそってくるようすです」
「ウーム、さすがは伊那丸、もうこの隠(かく)れ里(ざと)をさぐりつけてまいったか。よもやまだ四、五日は大丈夫と、たかをくくっていたのが、この昌仙のあやまり、ああ、こりゃどうしたものか……」
 丹羽昌仙は、ためいきついて、つぶやいたが、急に、ヒラリと庭さきへでて、じッと、十方の天界(てんかい)をみつめだした。
 そらは無月(むげつ)、紺紙(こんし)に箔(はく)をふきちらしたかのごとき星月夜(ほしづきよ)、――五遊星(ゆうせい)、北極星(ほっきょくせい)、北斗星(ほくとせい)、二十八宿星(しゅくせい)、その光芒(こうぼう)によって北条流(ほうじょうりゅう)軍学の星占(ほしうらな)いをたてているらしい昌仙(しょうせん)は、しばらくあってのち、なにかひとりうなずいて、もとの席へもどり、呂宋兵衛(るそんべえ)にむかって、離散逃亡(りさんとうぼう)の急策(きゅうさく)をさずけた。
「ではなんとしても、おれもひとりとなり、そちもひとりとなり、他の者どももみなばらばらとなって、退散せねば危(あぶ)ないというのか」
 蛮流幻術(ばんりゅうげんじゅつ)にたけて、きたいな神変(しんぺん)をみせる呂宋兵衛も、臆病(おくびょう)な生まれつきは争(あらそ)えず、語韻(ごいん)はふるえをおびて昌仙の顔をみまもっていた。
「ざんねんながら、富岳(ふがく)の一天に凶兆(きょうちょう)れきれき、もはや、死か離散かの、二途(と)よりないようにぞんぜられまする」
「伊那丸(いなまる)ずれに亡(ほろ)ぼされて、ここに終るのも、無念至極(むねんしごく)。ウム……では、ひとまずめいめいかってに落ちのびて、またの時節をうかがい、京都へあつまって、人穴城(ひとあなじょう)の栄華(えいが)にまさる出世の策(さく)を立てるとしよう」
「なるほど、京都へまいれば秀吉公(ひでよしこう)のお力にすがることもでき、公卿(こうけい)百官の邸宅(ていたく)や諸侯(しょこう)の門など甍(いらか)をならべておりますから、またなんぞうまい手蔓(てづる)にぶつからぬかぎりもござりますまい。では、呂宋兵衛さま、すこしもはやく、ここ退散のおしたくを……」
「おう、じゃ、昌仙もほかの者も、のちに京都で落ちあうことはたしかにしょうちしたろうな」
「がってんです、きっとまた頭領(とうりょう)のところへ駈(か)けあつまります」
 一同が、異口同音(いくどうおん)に答えるのを聞いて、呂宋兵衛(るそんべえ)は、有り金をあたまわりに分配して、武器、服装、足ごしらえ用意周到(よういしゅうとう)の逃げじたくをはじめる。
 間(ま)もあらせず、とうとうたる金鼓(きんこ)や攻め貝もろとも、法師野(ほうしの)の里(さと)へひた押しに寄せてきた伊那丸勢(いなまるぜい)、怒濤(どとう)のごとく、大庄屋(おおしょうや)狛家(こまけ)のまわりをグルッととりかこんだ。
 その時おそし、呂宋兵衛一味(み)の残党(ざんとう)、間(ま)ごと間(ま)ごとの燈火(ともしび)をふき消して、やくそくどおりの自由行動、蜂(はち)の巣(す)を突いたように、八方から闇(やみ)にまぎれて、戸外(おもて)へ逃げだした。
 塀(へい)を躍(おど)り越そうとする者――木の枝にぶらさがる者、屋根にのぼってすきを見る者、衆を組んで破れかぶれに斬りだす者――いちじにワーッと喊声(かんせい)をあげると、寄手(よせて)のほうも木霊(こだま)がえしに、武者声(むしゃごえ)を合わせて、弓組いっせいに弦(つる)を切り、白刃組(はくじんぐみ)は鎬(しのぎ)をけずり、ここかしこにたちおこる修羅(しゅら)の巷(ちまた)。
 時に、鉄鋲(てっぴょう)打(う)った鉢兜(はちかぶと)に小具足(こぐそく)をつけ、背に伝令旗(でんれいばた)を差(さ)し立てた一騎(き)、伊那丸の命(めい)をうけて、五陣のあいだをかけめぐりながら、
「――民家へ火をつけるな。――罪なき民(たみ)を傷(きず)つけるな。――降(こう)を乞(こ)う者は斬るな。――和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)はかならず手捕(てど)りにせられよ。以上、おん大将ならびに軍師(ぐんし)の厳命(げんめい)でござるぞ。違背(いはい)あるにおいては、味方たりといえども斬罪(ざんざい)」
 と、声をからして伝令し去(さ)った。

「もうだめだ、表のほうは、蟻(あり)のはいでるすきもねえ。昌仙(しょうせん)さま、昌仙さま、うまいところが見つかったから、はやく頭領(とうりょう)をつれてこっちへ逃げておいでなさい」
 まっ暗な裏手(うらて)に飛びだして、あわただしく手をふったのは早足(はやあし)の燕作(えんさく)。ひゅうッ、ひゅうッ、とうなりを立てて飛んでくる矢は、そのあたりの戸袋(とぶくろ)、井戸がわ、廂(ひさし)、立木の幹(みき)、ところきらわず突き刺(さ)さって、さながら横なぐりに吹雪(ふぶき)がきたよう。
 と、暗憺(あんたん)たる家のなかで、丹羽昌仙のひくい声。
「呂宋兵衛さま、裏手のほうが手うすとみえて、燕作がしきりにわめいております。さ、少しもはやくここをお落ちなさいませ」
「ウム」
 となにかささやきながら、奥(おく)からゾロゾロとでてきたのは、丹羽昌仙、蚕婆(かいこばばあ)、足助主水正(あすけもんどのしょう)、佐分利(さぶり)五郎次、そしてそのなかに取りかこまれた黒布蛮衣(こくふばんい)の大男が、まぎれもない和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)か――と思うと、またあとからおなじ黒衣(こくい)をつけ、おなじ銀の十字(じ)架(か)を胸にたれ、おなじ背かっこうの男がふたりもでてきた。
 しめて、七人。
 そのなかに呂宋兵衛が三人もいる。ふたりはむろん昌仙がとっさの妙策(みょうさく)でつくった影武者(かげむしゃ)だが、どれが本物の呂宋兵衛か、どれが影武者か、夜目(よめ)ではまッたくけんとうがつかない。
「燕作(えんさく)、燕作」
 昌仙(しょうせん)は用心ぶかく、裏口へ首だけだしてどなってみた。矢はしきりに飛んでくるが、さいわい、まだ伊那丸(いなまる)の手勢(てぜい)はここまで踏(ふ)みこんでいなかった。
「燕作、逃げ口をあんないしろ! 燕作はどこにいるんだ」
「あ、昌仙さまでございますか」
「そうだ、呂宋兵衛(るそんべえ)さまをお落としもうさにゃならぬ、うまい逃げ口が見つかったとは、どこだ」
「ここです――ここです」
「どこだ、そちはどこにいるんだ」
「ここですよ。昌仙さま、呂宋兵衛さま、はやくここへおいでなさいまし」
「はてな?」
 流れ矢があぶないので、七人とも首だけだして、裏手の闇をズーと見わたしたが、ふしぎ、すぐそこで、大きくひびく燕作の声はあるが、どこをどう見つめても、かれのすがたが見あたらない。
 とたんに、表のほうへ、伊那丸の手勢が乱入してきたのか、すさまじい物音。逃げだした部下もあらかた生(い)けどられたり斬りたおされた気(け)はいである。
「それッ、ぐずぐずしてはいられぬ」
 七人のかげが流れ矢をくぐってそとへとびだし、いっぽうの血路(けつろ)を斬りひらく覚悟で、うらの土塀(どべい)によじ登ろうとすると、
「あぶない! そっちは危(あぶ)ない!」
 とまた燕作の声がする。
「どこだ、そのほうはいずれにいるのだ」
「ここだよ、こっちだよ」
「こっちとはどこだ」
 七人は行き場にまよってウロウロした。
 矢は見るまに、めいめいの袖(そで)や裾(すそ)にも二、三本ずつ刺(さ)さってきた。
「ええ、じれッてえな、ここだってば!」
「や、あの声は?」
「早く早く! 早く降(お)りておいでなせえ」
「燕作」
「おい」
「どこじゃ」
「ちぇッ、血のめぐりがどうかしているぜ」
 という声が、どうやら地底でしたと思うと、かたわらの車井戸(くるまいど)にかけてあった釣瓶(つるべ)が、癇癪(かんしゃく)を起したように、カラカラカラとゆすぶれた。
「や、この井戸底(いどそこ)にいるのか」
「そうです、ここより逃げ場はありませんぜ」
「バカなやつめ」
 影武者(かげむしゃ)のひとりか、ただしは本人の呂宋兵衛(るそんべえ)か、井戸がわに立ってあざ笑いながら、
「こんななかへとびこむのは、じぶんで墓(はか)へはいるもどうぜんだ」
「おッと、そいつは大安心(おおあんしん)、ここは空井戸(からいど)で一滴(てき)の水もないばかりか、横へぬけ道ができているからたしかに間道(かんどう)です」
「なに抜け道になっているとか、そりゃもっけの幸(さいわ)い」
 と、にわかに元気づいた七人、かわるがわる釣瓶づたいに空井戸の底へキリキリとさがってゆく。
 そして、すでに七人のうち五人までがすがたを隠し、しんがりに残った影武者のひとりと佐分利(さぶり)五郎次とが、つづいて釣瓶縄(つるべなわ)にすがって片足かけたとき、早くもなだれ入った伊那丸勢(いなまるぜい)のまっさきに立って、疾風(しっぷう)のごとく飛んできたひとりの敵。
「おのれッ」
 と、駈(か)けよりざま、雷喝(らいかつ)一声(せい)、闇からうなりをよんだ一条(じょう)の鉄杖(てつじょう)が、ブーンと釣瓶もろとも、影武者のひとりをただ一撃(げき)にはね飛ばした。
 そのおそろしい剛力(ごうりき)に、空井戸の車はわれて、すさまじく飛び、ふとい棕梠縄(しゅろなわ)は大蛇(おろち)のごとく蜿(うね)って血へどを吐(は)いた影武者のからだにからみついた。
「あッ――」
 と、あやうく鉄杖(てつじょう)の二つ胴(どう)にされそこなった佐分利(さぶり)五郎次、井戸がわから五、六尺とびのいてきッと見れば、鎧武者(よろいむしゃ)にはあらず、黒の染衣(せんえ)かろやかに、ねずみの手甲(てっこう)脚絆(きゃはん)をつけた骨たくましい若僧(わかそう)、いま、ちぬられた鉄杖をしごきなおして、ふたたび、らんらんとした眼(まなこ)をこなたへ射向(いむ)けてくるようす。
「さてはこいつが、伊那丸(いなまる)の幕下(ばっか)でも、怪力(かいりき)第一といわれた加賀見忍剣(かがみにんけん)だな……」
 五郎次はブルッと身ぶるいしたが、すでに空井戸(からいど)の逃げみちは断(た)たれ、四面楚歌(しめんそか)にかこまれてしまった上は、とうてい助かる術(すべ)はないとかんねんして、やにわに陣刀をギラリと抜き、
「おお、そこへきたのは加賀見忍剣とみたがひがめか、もと穴山梅雪(あなやまばいせつ)が四天王(してんのう)のひとり佐分利五郎次、きさまの法師首(ほうしくび)を剣先(けんさき)にかけて、亡主(ぼうしゅ)梅雪の回向(えこう)にしてくれる、一騎(き)うちの作法(さほう)どおり人まじえをせずに、勝負をしろ」
 窮鼠(きゅうそ)猫(ねこ)をかむとはこれだ、すてばちの怒号(どごう)ものものしくも名のりをあげた。
 忍剣は、それを聞くとかえって鉄杖の力をゆるめ、声ほがらかに笑って、
「はははは、さては汝(なんじ)は、悪入道(あくにゅうどう)の遺臣(いしん)であったか、主人梅雪がすでに醜骸(しゅうがい)を裾野(すその)にさらして、相果(あいは)てたるに、いまだ命(いのち)ほしさに、呂宋兵衛(るそんべえ)の手下にしたがっているとは臆面(おくめん)なき恥知らず、いで、まことの武門をかがやかしたもう伊那丸(いなまる)さまの御内人(みうちびと)加賀見忍剣が、天にかわって誅罰(ちゅうばつ)してくりょう」
「ほざくな痩法師(やせほうし)、鬼神といわれたこの五郎次の陣刀を受けられるものなら受けてみろ」
「豎子(じゅし)! まだ忍剣(にんけん)の鉄杖(てつじょう)のあじを知らぬな」
「うぬ、その舌(した)の根(ね)を!」
 ――とさけびながら佐分利(さぶり)五郎次、三日月(みかづき)のごとき大刀をまっ向(こう)にかざして、加賀見忍剣(かがみにんけん)の脳天(のうてん)へ斬りさげてくる。
「おお」
 ゆうゆう、右にかわして、さッと鉄杖に寸(すん)のびをくれて横になぐ。あな――とおもえば佐分利(さぶり)も一かどの強者(つわもの)、ぽんと跳(と)んで空間(くうかん)をすくわせ、
「ウム、えイッ」
 と陣刀に火をふらして斬ってかかる。パキン! パキン! と二ど三ど、忍剣の鉄杖が舞ってうけたかと思うと、佐分利の大刀は、氷(こおり)のかけらが飛んだように三つに折れて鍔(つば)だけが手にのこった。
 仕損(しそん)じたり――とおもったか佐分利五郎次、おれた刀をブンと忍剣の面上(めんじょう)目がけて投げるがはやいか、踵(きびす)をめぐらして、いっさんに逃げだしていく。
 時こそあれ、
「えーイッ」とひびいた屋上(おくじょう)の気合い。
 屋根廂(やねびさし)からななめさがりに、ぴゅッと一本の朱槍(しゅやり)が走って、逃げだしていく佐分利の背から胸板をつらぬいて、あわれや笑止(しょうし)、かれを串刺(くしざ)しにしたまま、欅(けやき)の幹(みき)に縫(ぬ)いつけてしまった。

「何者?」
 鉄杖(てつじょう)をおさめて、忍剣(にんけん)が廂(ひさし)の上をふりあおぐと、声におうじて、ひとりの壮漢(そうかん)が、
「巽小文治(たつみこぶんじ)」
 と名のりながら、ひらりと上からとび下りてきた。
「なんだ小文治どのか、よけいなことする男じゃ」
「でも、あやうく逃げるようすだったから」
「だれがこんな弱武者(よわむしゃ)一ぴき、鉄杖のさきからのがすものか」
「はやまって、失礼もうした」
「いや、なにもあやまることはござらぬよ」
 と忍剣は苦笑して、さきに打ちたおした黒衣(こくい)の影武者をのぞいたが、呂宋兵衛(るそんべえ)の偽者(にせもの)と知って舌打(したう)ちする。小文治は敵を串刺(くしざ)しにして、大樹(たいじゅ)の幹につき立った槍(やり)をひき抜き、穂先(ほさき)の刃(は)こぼれをちょっとあらためてみた。
「して、小文治どの、木隠(こがくれ)や山県(やまがた)などはどうしたであろう」
「龍太郎(りゅうたろう)どのは表口から奥の間(ま)へはいって、呂宋兵衛のゆくえをたずね、蔦之助(つたのすけ)どのは、弓組を四町四ほうに伏(ふ)せて、かれらの逃げみちをふさいでおります」
「ウム、それまで手配(てはい)がとどいておれば、いかに神変自在な呂宋兵衛でも、もう袋(ふくろ)のねずみどうよう、ここよりのがれることはできまい。だが……この井戸はどうやら空井戸(からいど)らしい、念のためにこうしてやろう」
 法衣(ころも)の袖(そで)をまくりあげた忍剣(にんけん)、一抱(ひとかか)えもある庭石をさしあげて、ドーンと、井戸底(いどそこ)へほうりこむ。それを合図(あいず)に、あとから駈けあつまってきた部下の兵も、めいめい石をおこして投げこんだので、見るまに井戸は完全な石埋(いしう)めとなってしまった。
 ところへ木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)が、うちのなかから姿をあらわして、
「オオ、ご両所(りょうしょ)、ここにいたか」
「やあ、龍太郎どの、呂宋兵衛(るそんべえ)の在所(ありか)は」
「ふしぎや、いっこう行方(ゆくえ)が知れもうさぬ。どうやらすでに風をくらって、逃げ失せたのではないかと思われる」
「といって、この家の四ほうは、二重(じゅう)三重(じゅう)に取りかこんであるから、かれらのしのびだすすきもないが」
「どこかに間道(かんどう)らしい穴口(あなぐち)でもないかしら」
「それもわしが手をわけて尋ねさせたが、ここに一つの空井戸があったばかり」
「なに空井戸?」
 と龍太郎がとび降(お)りてきて、
「ウム、こりゃあやしい、どこかへ通じる間道(かんどう)にそういない、なかへはいってあらためて見よう」
「いや、念のために、ただいまわしが石埋(いしう)めにしてしまった」
 と、忍剣(にんけん)はしたり顔だが、龍太郎はじだんだふんで口惜(くや)しがった。呂宋兵衛(るそんべえ)や敵の主(おも)なるものが、この口から逃走したとすれば、この空井戸(からいど)をふさいで、どこからかれらを追跡するか、どこへ兵を廻しておくか、まったくこれでは、みずから手がかりの道を遮断(しゃだん)してしまったことに帰結する――と憤慨(ふんがい)した。その理(り)の当然に、忍剣もすっかり後悔して、しばらく黙(もく)しあっていた。
 すると、はるか北方の森にあたって、とぎれとぎれな笛(ふえ)の音(ね)が高鳴った。
 ――おお、それは、幻(げん)の陣(じん)をしいて鳴りをしずめていた咲耶子(さくやこ)が、かねて手はずをあわせてある合図(あいず)の笛。
「それ、咲耶子どのの笛がよぶ――」
 よみがえったように、加賀見忍剣(かがみにんけん)、巽小文治(たつみこぶんじ)、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)の三名、音(ね)をしたって走り出すと、その余の手勢(てぜい)も波にすわるる木(こ)の葉(は)のごとく、声なく音(おと)なく、渦(うず)の中心に駈けあつまる――

 城やとりでの間道(かんどう)とちがって、豪農(ごうのう)の家にある空井戸(からいど)の横穴は、戦時財宝のかくし場とするか、あるいは、家族の逃避所とする用意に過ぎないので、もとより、二里も三里もとおい先へぬけているはずがない。
 呂宋兵衛(るそんべえ)たち五人のものがわずか二、三丁(ちょう)の暗闇(くらやみ)をはいぬけて、ガサガサと星影の下に姿をあらわしたのは、黒百合谷(くろゆりだに)の中腹で、上はれいの多宝塔(たほうとう)のある施無畏寺(せむいじ)の境内(けいだい)、下は神代川(じんだいがわ)とよぶ渓流(けいりゅう)がドーッとつよい水音をとどろかしている。
「道は水にしたがえ」とは山あるきの極意(ごくい)。
 五人は無言のうちに、道どりの心(こころ)一致(いっち)して、蔓草(つるくさ)、深山笹(みやまざさ)をわけながら、だらだら谷の断崖(だんがい)を降(お)りてゆく。
 ――と、その時だ。
 にょッきと、星の空にそびえた一本の白樺(しらかば)、その高き枝にみどりの黒髪(くろかみ)風に吹かして、腰かけていたひとりの美少女、心なくしてふと見れば、黒百合谷(くろゆりだに)の百合(ゆり)の精か星月夜(ほしづきよ)のこぼれ星かとうたがうだろう――ほどに気(け)だかい美少女が、手にしていた横笛を、山千鳥の啼(な)くかとばかり強く吹いた。
「や、や? ……」
 五人の者が、うたがいに、進みもやらずもどりもせず深山笹のしげみに、うろうろしていると、白樺のこずえの少女は、虚空(こくう)にたかく笛をふって、さっ、さっ、さっと三閃(せん)の合図(あいず)知らせをしたようす。
 と思うと、神代川の渓流がさかまきだしたように、ウワーッとあなたこなたの岩石(がんせき)のかげから、いちじに姿をあらわした伏兵(ふくへい)。
 これなん、咲耶子(さくやこ)の一指(し)一揮(き)に伏現(ふくげん)する裾野馴(すそのな)らしの胡蝶(こちょう)の陣。
「しまった!」
 丹羽昌仙(にわしょうせん)が絶叫(ぜっきょう)した。
 とたんに崖(がけ)のうえから木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)が、
「賊徒(ぞくと)、うごくな」
 と戒刀(かいとう)の鞘(さや)をはらって、銀蛇(ぎんだ)頭上に揮(ふ)りかぶってとびおりる。発矢(はっし)、昌仙が、一太刀うけているすきに、呂宋兵衛(るそんべえ)とその影武者、蚕婆(かいこばばあ)と早足(はやあし)の燕作(えんさく)、四人四ほうへバラバラと逃げわかれた。
 と、ゆくてにまたあらわれた巽小文治(たつみこぶんじ)、朱柄(あかえ)の槍(やり)をしごいて、燕作を見るやいな、えいッと逆落(さかお)としに突っかける。もとより武道の心得のない燕作、受ける気もなくかわす気もなく、ただ助かりたい一念で、神代川(じんだいがわ)の水音めがけて飛びこんだ。が、小文治はそれに目もくれず、ひたすら呂宋兵衛の姿をめざして駈(か)けだした。
 一ぽうでは丹羽昌仙、龍太郎の切(き)ッ先(さき)をさけるとたんに断崖(だんがい)をすべり落ちて、伏兵(ふくへい)の手にくくりあげられそうになったが、必死に四、五人を斬りたおして、その陣笠(じんがさ)と小具足(こぐそく)をすばやく身にまとい、同じ伏兵(ふくへい)のような挙動(きょどう)をして、まんまと伊那丸方(いなまるがた)の部下にばけ、逃げだす機会をねらっている。
 もっとも足のよわい蚕婆は、れいの針を口にふくんで、まえの抜け穴(あな)に舞いもどり、見つけられたら吹き針のおくの手をだそうと、眼(まなこ)をとぎすましていたけれど、悪運まだつきず、穴の前を加賀見忍剣(かがみにんけん)と龍太郎が駈け過ぎたにもかかわらず、とうとう見つけられずに、なおも息を殺していた。
「木(こ)ッ葉(ぱ)どもはどうでもよい、呂宋兵衛(るそんべえ)はどうした」
「かくまで手をつくしながら、当(とう)の呂宋兵衛を取り逃がしたとあっては、若君に対しても面目(めんぼく)ない、者ども、余人(よじん)には目をくれず、呂宋兵衛を取りおさえろ」
 忍剣と龍太郎が、ほとんど狂気のように叱※(「口+它」、第3水準1-14-88)(しった)してまわったが、なにせよ、身を没(ぼっ)すばかりな深山笹(みやまざさ)、杉の若木、蔦葛(つたかずら)などが生(お)いしげっているので、うごきも自由ならずさがしだすのもよういでなかった。すると、かなたにあって、
「やあやあ、巽小文治(たつみこぶんじ)が和田呂宋兵衛を生けどったり! 和田呂宋兵衛を生けどったり!」
 声、満山(まんざん)鳴りわたった。
「ワーッ――」
「ワーッ」
 と、手柄(てがら)名のりにおうずる味方の歓呼(かんこ)、谷間へ遠く山彦(やまびこ)する。
 さしも、強悪無比(きょうあくむひ)な呂宋兵衛、いよいよここに天運つきたか。

 山県蔦之助(やまがたつたのすけ)も、さっきの笛合図(ふえあいず)と、小文治(こぶんじ)の手柄名(てがらな)のりをきいて、弓組のなかからいっさんにそこへ駈(か)けつけてきた。
 でかした小文治――と、党友(とうゆう)の功(こう)をよろこびつつ、忍剣(にんけん)も龍太郎(りゅうたろう)も、声のするほうへとんでいってみると、いましも小文治は、黒衣(こくい)の大男を組みふせて、あたりの藤蔓(ふじづる)でギリギリとしばりあげているところだ。
「おお、みごとやったな」
 蔦之助と龍太郎があおぐようにほめそやす。忍剣はちょっとざんねんがって、
「どうもきょうは、よく小文治どのに先陣をしてやられる日だわい……」
 と、うれしいなかにまだ腕をさすっている。
 すると、白樺(しらかば)のこずえの上にあって、始終をながめていた咲耶子(さくやこ)が、にわかに優(やさ)しい声をはって、
「あれあれ、蔦之助さま、忍剣さま! 上(うえ)の手うすに乗じて、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)が逃げのぼりましたぞ、はやくお手配(てはい)なされませ!」
「な、なんといわるる!」
 四人は、愕然(がくぜん)として空を見あげた。
「咲耶子(さくやこ)どの、その呂宋兵衛(るそんべえ)は、ただいま小文治(こぶんじ)どのがこれにて生けどりました。それはなにかの人ちがいであろう」
「いえいえ、たしかにあれへ登ってゆくのこそ、呂宋兵衛にそういありませぬ。オオ、施無畏寺(せむいじ)の境内(けいだい)へかくれようとしてようすをうかがっておりまする、もう、わたしもこうしてはおられませぬ」
 咲耶子は、笛(ふえ)を帯(おび)にたばさんで、スルスルと白樺(しらかば)の梢(こずえ)から下(お)りてしまった。
「や、ことによるときゃつも? ……」
 忍剣(にんけん)は、さっき空井戸(からいど)で打ちころした影武者を思いおこして、黒衣(こくい)の襟(えり)がみをグイとつかんだ。と同時に、その顔をのぞきこんで龍太郎も、おもわず声をはずませて、
「はてな、呂宋兵衛は蛮人(ばんじん)の血をまぜた、紅毛碧瞳(こうもうへきどう)の男であるはずだが、こりゃ、似ても似つかぬただの野武士(のぶし)だ、ウーム、さてはおのれ、影武者であったな」
「ええ、ざんねんッ」
 怒気心頭(どきしんとう)にもえた巽小文治(たつみこぶんじ)、朱柄(あかえ)の槍(やり)をとって、一閃(せん)に突きころし、いまあげた手柄(てがら)名のりの手まえにも、当(とう)の本人を引っとらえずになるものかと、無二無三に崖上(がけうえ)へのぼりかえした。
 一足(ひとあし)さきに、白樺を下(お)りて追いすがった咲耶子は、いましも施無畏寺の境内(けいだい)へ、ツウとかくれこんでいった黒衣(こくい)のかげをつけて、
「呂宋兵衛(るそんべえ)、呂宋兵衛」
 と二声(ふたこえ)よんだ。
 意外なところに、やさしい女の声音(こわね)がひびいたので、
「なに?」
 おもわず足を踏(ふ)みとどめて、ギョロッと両眼をふり向けたのは、蛮衣(ばんい)に十字の念珠(ねんじゅ)を頸(くび)にかけた怪人(かいじん)、まさしく、これぞ、正真正銘(しょうしんしょうめい)の和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)その者だ。
「や、汝(なんじ)は根来小角(ねごろしょうかく)の娘だな」
「おお、仇(かたき)たるそちとはともに天をいただかぬ咲耶子(さくやこ)じゃ。伊那丸(いなまる)さまや、その余のかたがたのお加勢で、ここに汝(なんじ)をとりかこみ得たうれしさ、悪人! もう八ぽうのがれるみちはないぞえ」
「わはははは、おのれや伊那丸ずれの女子供に、この呂宋兵衛が自由になってたまるものか。斬るも突くも不死身(ふじみ)のおれだ。五尺とそばへ近よって見ろ、汝の黒髪は火となって焼きただれるぞ」
「やわか、邪法(じゃほう)の幻術(げんじゅつ)などにまどわされようぞ」
「ふふウ……その幻術にこりてみたいか」
「笑止(しょうし)やその広言(こうげん)、咲耶子には、胡蝶(こちょう)の陣(じん)の守りがある」
「胡蝶陣? あのいたずらごとがなんになる」
「オオ、そういうじぶんが、すでに胡蝶陣の罠(わな)に墜(お)ちているのも知らずに……ホホホホ、曳(ひ)かれ者の小唄(こうた)は聞きにくいもの――」
「女郎(めろう)! おぼえていろ」
 かッと、両眼をいからして、呂宋兵衛(るそんべえ)はふいに咲耶子(さくやこ)の咽首(のどくび)をしめつけてきた。じゅうぶん彼女にも用意があったところなので、ツイと、ふりもぎって、帯(おび)の笛(ふえ)を抜くよりはやく、れいの合図(あいず)、さッと打ちふろうとすると呂宋兵衛が強力(ごうりき)をかけて奪(うば)いとり、いきなりじぶんの力で縦横(じゅうおう)にふってふってふりぬいた。
 するとピューッ、ピューッというぶきみな笛鳴りは、たちまちおそろしい暴風となって、満地(まんち)満天(まんてん)に木々の落葉(おちば)をふき巻くりあれよと見るまに、咲耶子は砂塵(さじん)をかおに吹きつけられて、あ――と眼(まなこ)をつぶされてしまう。
「おのれ!」
 きらめく懐剣(かいけん)、ぴかッと呂宋兵衛の脇腹(わきばら)をかすめる。――カラリ、と笛をなげすてた呂宋兵衛は、肩にとまった一枚の紅葉(もみじ)を唇(くち)にくわえて、プーッと彼女の顔に吹きつけるやいなや、ひらりと舞った紅葉の葉は、とんで一片(ぺん)の焔(ほのお)となり、吹きぬく風にあおりをえて、あやし、咲耶子の黒髪にボウとばかり燃えついた。
 あッとおどろいたのは、一瞬の幻覚(げんかく)である。どこからか飛んできた一本の矢が、あやうく呂宋兵衛の耳をかすりぬけたせつな、かれの術気(じゅっき)は、ぱたッとやんだ風とともに破れて、ばらばらとかなたをさして逃げだした。
 それは、忽然(こつねん)とかけあがってきた四勇士の影をそこに見たがためであろう。――のがさじと、おいすがる咲耶子(さくやこ)につづいて、忍剣(にんけん)は鉄杖(てつじょう)をひっさげ、龍太郎(りゅうたろう)は戒刀(かいとう)をひらめかし、蔦之助(つたのすけ)は弓に矢をつがえ、小文治(こぶんじ)は朱柄(あかえ)の槍(やり)をしごいて、八門(もん)必殺(ひっさつ)のふくろづめに、呂宋兵衛(るそんべえ)を、多宝塔(たほうとう)のねもとまでタタタタと追いまくした。

 さきに、伝令(でんれい)が陣ぶれをしたことばには、かならず、呂宋兵衛を手捕りにせよとの達(たっ)しであった。けれど、もうこうなっては、騎虎(きこ)の勢いというもの、戒刀を引っさげた龍太郎は、まッさきに背後(はいご)からとびかかって、
「奸賊(かんぞく)、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)、伊那丸方(いなまるがた)にさる者ありと知られたる木隠(こがくれ)が素(そ)ッ首もらった」
 さッと一陣の太刀風(たちかぜ)をなげた。
「あッ」
 呂宋兵衛はきもをひやして、切(き)ッ先三寸のさきからツウと左へ逃げかわす。
 そこには加賀見忍剣(かがみにんけん)、鉄杖をまっこうに押(お)っとって、かれのゆくてに立ちあらわれ、
「おのれ、極悪(ごくあく)の山大名(やまだいみょう)!」
 みじんになれとふりつける。
 右へよければ巽小文治(たつみこぶんじ)、大音とともに、
「呂宋兵衛、はや天命はつきたるぞッ」
 とばかり朱電(しゅでん)の槍(やり)をくり出して、まつげを焦(や)くばかりな槍影閃々(そうえいせんせん)。
「えい、なんのおのれ輩(ばら)に!」
 絶体絶命(ぜったいぜつめい)となった呂宋兵衛(るそんべえ)。そのとき、とんと踏(ふ)みとまって腰の大刀を横なぎに抜きはらったかとおもうと、剣は、火をふいて夜光の珠(たま)を散らすかと思われるような閃光(せんこう)を投げつけた。
「おお!」
 おもわず目をふさいだ四勇士。
 はッと虚(きょ)をうたれて飛びのいたが、これ、火遁幻惑(かとんげんわく)の逃術(とうじゅつ)であって、まことの剣を抜いたのではなかった。そのすきに、呂宋兵衛はしめたとばかり、多宝塔(たほうとう)の階段へ向かってトントントンとかけのぼった。
 そこへプツン! と山県蔦之助(やまがたつたのすけ)がねらいはなしてきた二の矢を、みごとに袖(そで)でからみおとした呂宋兵衛は、すばやく多宝塔のとびらへ手をかけた。
 この鉄壁(てっぺき)の塔(とう)へかくれて、なかから扉(とびら)をもってふせぐさんだん。
 咲耶子(さくやこ)も四勇士も、あッ、しまった! と階段へ追いすがってきたが、呂宋兵衛はそれを尻目(しりめ)にかけて、早くも塔の扉をひらき、そのなかへ風のごとく姿をすいこませてしまった。
 けれど、かれのからだがそこへかくれるやいな、漆(うるし)のような塔内(とうない)の闇(やみ)から、とつじょ、
「奸賊(かんぞく)すさりおろう!」
 声のひびきに呂宋兵衛(るそんべえ)の五体、はじき返しに、階段の下までゴロゴロとけおとされてきた。
 忍剣(にんけん)をはじめ小文治(こぶんじ)や龍太郎(りゅうたろう)は、得たりとばかり、得物(えもの)をすてて呂宋兵衛に折りかさなり、歯がみをしてもがきまわる奸賊を高手小手(たかてこて)にからめあげた。――が、いま頭上でひびいた声の主(ぬし)は、そも何者であろうか、味方にしては意外なと、思ってふと見あげた人々は、
「や、わが君(きみ)」
 と、階段の下へひれふしてしまった。
「オオ、心地よいこと!」
 そのとき、多宝塔(たほうとう)の扉(とびら)をはいして、悠然(ゆうぜん)と壇上(だんじょう)に床几(しょうぎ)をすえ、ふくみ笑(わら)いをして、こう見下ろしたのは、伊那丸(いなまる)であった。白綸子(しろりんず)の着込みに、むらさき縅(おど)しの具足(ぐそく)、太刀(たち)のきらめきもはなばなしい。
 そのわきに、片膝(かたひざ)折(お)って、手をついたのは、すなわち軍師(ぐんし)小幡民部(こばたみんぶ)である。紺地無紋(こんじむもん)の陣羽織(じんばおり)をつけ、ひだりの籠手(こて)に采配(さいはい)をもち、銀作(しろがねづく)りの太刀をうしろへ長くそらしていた。
 兵は味方より計(はか)るというが、あまり意外なことなので龍太郎は、呂宋兵衛の縄尻(なわじり)をとりながら、民部に向かってたずねてみた。
「こよいは法師野(ほうしの)に平陣(ひらじん)をしかれて、あれにおいであることとばかり思っておりましたに、いつのまに、この塔(とう)のうちへお越しなされてでござります」
「おん大将の陣は、ありと見ゆるところになく、なしと見ゆるところにあるのが常、べつにふしぎはござりませぬ」
 と、民部(みんぶ)はことばすくなく答えたのみ。
「いつもながら軍師(ぐんし)の妙策(みょうさく)、敬服のほかはござりませぬ。ところでこやつはいかがいたしましょうか」
「わが君(きみ)の御意(ぎょい)は!」
「そうじゃの……」
 伊那丸(いなまる)はじッと考えて、
「厳重にひっくくって、ひとまず、この三重(じゅう)の塔(とう)のいただきへからげつけておくのはどうじゃ」
「ともすると、幻術(げんじゅつ)をもって人をまどわす妖賊(ようぞく)、なにさま、陣ぞろいのまもありますゆえ、それが上策(じょうさく)かも知れませぬ」
「ウム、軍馬をそろえて、小太郎山(こたろうざん)の砦(とりで)へひきあげたうえは、御旗(みはた)楯無(たてなし)の宝物のありかも、とくと糺(ただ)してみねばならぬゆえ、そのあとで咲耶子(さくやこ)に討たせてやるもおそくはあるまい」
「おおせ、ごもっともです。では方々(かたがた)、呂宋兵衛(るそんべえ)をこの三重(じゅう)へひっ立てて、かならず妖術(ようじゅつ)などで逃げ失(う)せぬように厳重なご用意あるよう」
「はッ、しょうちいたした」
「立てッ!」
 と、呂宋兵衛(るそんべえ)を引ったてた四勇士は、多宝塔(たほうとう)三重(じゅう)のいただきまで追いあげて、その一室の丸柱に鎖(くさり)をもって厳重にしばりつけ、二階三階の梯子(はしご)まではずした上、扉(とびら)の口々はそとから鉄錠(てつじょう)をおろしてしまった。

 水車(すいしゃ)は、夜(よ)もすがらふだんの諧音(かいおん)をたてて、いつか、孟宗藪(もうそうやぶ)の葉もれに、さえた紺色(こんいろ)の夜(よ)があけていた。
 燕作(えんさく)の拇指(おやゆび)で、息の根(ね)をとめられた鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)は、いぜんとして、水車小屋のうら崖(がけ)に、ダラリとなったまま木の根にからんであおむけざまに倒れている――
 とはいえ、まだ幽明(ゆうめい)の境(さかい)にあって、まったく死んでしまったわけではないので、いくぶん、温(ぬく)みがあるが、笹(ささ)の小枝からはいうつった小さな白蛇(しろへび)は、かれの体温(たいおん)へこころよげにそって、腕から喉(のど)へ、銀(ぎん)の輪となって巻きついたきり、去りもやらず、害をくわえるようすもない。
 おりから、法師野(ほうしの)の空にあって、三鼓(こ)七流(りゅう)の陣鐘(じんがね)が鳴りわたるを合図(あいず)に、天地にとどろくばかりな勝鬨(かちどき)の声があがった。
 それは、人穴(ひとあな)の残党(ざんとう)を一挙(きょ)に蹴散(けち)らして、主将呂宋兵衛(るそんべえ)を生けどり、多宝塔(たほうとう)の三重(じゅう)へ封(ふう)じこめた伊那丸(いなまる)の軍兵(ぐんぴょう)が、あかつきの陣ぞろいに富岳(ふがく)の紅雲(こううん)をのぞんで、三軍おもわず声をあわせてあげた凱歌(がいか)であろう。
 とおい動揺(どよ)みが、失神の耳にも通じたものか、そのとき竹童(ちくどう)は、ピクリと鳩尾(みぞおち)をうごかして、すこし顔を横にふった。その唇(くちびる)へ、白蛇(しろへび)は銀の鎌首(かまくび)をむけて、緋撫子(ひなでしこ)のような舌(した)をペロリと吐(は)く。
 すると、幾十の麗人(れいじん)が、笙(しょう)をあわせて吹くごとき竹林(ちくりん)の風――ザザザザザッ……とそよぎ渡ったかと思うと、竹童ははッきりと意識(いしき)を呼びかえされて、パッチリこの世の目をひらいた。
 ――気がつくと、じぶんはだれかに抱(だ)かれている。
 白衣(はくい)白髯(はくぜん)の老道士(ろうどうし)、片手を彼の首にまき、片手を胸にまわして、わが膝(ひざ)に抱(だ)きながら、なにやら、かんばしい仙丹(せんたん)を噛(か)みつぶして、竹童の口へ唇(くち)うつしにのませてくれる。
「こりゃ、竹童、竹童……」
「あ?」
「気がついたか」
「オオ、あなたはお師匠(ししょう)さま!」
「ウム」
 とうなずいたとたんに、老道士(ろうどうし)は竹童(ちくどう)を手からおろして、すばやく七、八間(けん)ばかり離れてしまった。
 その人は、竹童がぎょうてんして呼(よ)んだごとく、かれの恩師(おんし)果心居士(かしんこじ)であった。みずから仙丹(せんたん)をかんで唇(くち)うつしにのませてくれるほどやさしい居士も、竹童が正気(しょうき)にかえるとともに、いつもの気むずかしい厳格(げんかく)なすがたにもどっている。
「不覚者(ふかくもの)めが、この後(ご)もあること、敵にあったらかならずわしの教えをおもいだすのじゃぞ」
「はい、面目(めんぼく)しだいもございません。燕作(えんさく)というやつにつかまって、とうとうおくれをとりましたが、こんど会ったら、きっと負けはいたしません」
「よし、早うゆけ」
「ですが、お師匠さま――」
 竹童はなつかしそうに近寄って、居士のおもてを見上げながら、
「いつか、人穴城(ひとあなじょう)へなげ松明(たいまつ)をせよと、お師匠さまから密策(みっさく)をさずけられました時に、お別れしたきり、その後(ご)さらにお姿が見えませんでしたが、一たい今日(こんにち)まで、どこにおいでなされたのでござります」
「おお、わしのいたところか、じつは、そちだけにいってきかすが、わしはゆえあって、常陸(ひたち)鹿島(かしま)の宮、下総(しもうさ)香取(かとり)の両(りょう)神社に、七日ずつの祈願(きがん)をこめて参籠(さんろう)しておったのじゃ」
「そして、お師匠(ししょう)さまのご祈願というのは?」
「伊那丸(いなまる)さまのご武運をうらなうに、どうも亀卜(きぼく)の示すところがよくないので、前途のおため神願(しんがん)をたてた」
「では、お師匠さまの易(えき)によると、伊那丸さまには、甲斐源氏(かいげんじ)のみ旗をもって、天下をお握(にぎ)りあそばすほどな、ご運がないとおっしゃいますか」
「いやいやそうともいえぬ、しかしそのことばかりは、ただ天これを知るのほか、凡夫(ぼんぷ)な居士(こじ)には予察(よさつ)ができぬ」
 と、果心居士(かしんこじ)はふかくもいわず口をにごして話頭(わとう)一転(てん)。
「それはとにかく、法師野(ほうしの)に陣ぞろいいたしている伊那丸君や龍太郎(りゅうたろう)などは、さだめし、そちの見えぬのをあんじているであろう」
「ここで狼煙(のろし)をあげたッきりですから、ほんとうにしんぱいしていられるかもしれません」
「ウム、少しもはやく、ご幕下(ばっか)へはせくわわって、このうえとも、伊那丸さまのおんために働けよ」
「はい」
「わしも、もういちど鞍馬(くらま)のおくにこもって、星座を観(かん)じ、天下の風雲をうかがい、機(おり)あらばあらわれ、変あらば退(ひ)いて、伊那丸(いなまる)さまの善後の策(さく)を立てるかんがえ。――では竹童(ちくどう)、またしばらくそちにも会わぬぞ」
「あッ、お師匠(ししょう)さま――」
 竹童が声をあげて呼ぶうちに居士(こじ)のすがたは、風のごとく竹林(ちくりん)をぬって、見えなくなった。
 ふたたび法師野(ほうしの)にあたって聞ゆる法螺(ほら)の音(ね)――。すでに夜(よ)はまったく明けはなれて、紫金紅流(しきんこうりゅう)の朝雲が、裾野(すその)の空を縦横(じゅうおう)にいろどっていた。

 多宝塔(たほうとう)を中心として、施無畏寺(せむいじ)の庭に陣ぞろいした武田(たけだ)の軍勢(ぐんぜい)は、手負(てお)い討死(うちじに)の点呼(てんこ)をしたのち、伊那丸(いなまる)の命令一下に、またも一部の軍卒(ぐんそつ)が、法師野の部落を八方にかけわかれる。
 まだ戦いがあるのか――と思うとそうではない。
 武田の士卒(しそつ)は、呂宋兵衛(るそんべえ)らのために森にいましめられていた善良の民を第一に解放し、衣(きぬ)なき者には衣(きぬ)をあたえ、財は家々(いえいえ)へかえしてやり、宝物は寺にはこび返し、老人には慰安(いあん)を、わかき者には活動を、女には希望を、子供には元気をつけてやる。
「オオ、あの旗じるしを見ろ、多宝塔(たほうとう)の下にいるおん大将をおがめ、あれこそ、この土地のむかしのご領主、信玄(しんげん)さまのおんまご武田伊那丸(たけだいなまる)さま――」
 と、部落の民は、わかれた慈父(じふ)にめぐり会ったごとく大地にぬかずくもの、おどって狂喜するもの、うれし涙にくれる者などさまざまで、さながらそこは、修羅暗憺(しゅらあんたん)の地獄(じごく)から、天華(てんげ)ふる極楽(ごくらく)の寂光土(じゃっこうど)へ一変したような光景である。
 一たび、めいめい、家へかえった百姓(ひゃくしょう)たちは、取ってかえしに、名主(なぬし)の狛家(こまけ)一族をせんとうとして、
「これを、どうぞおん曹子(ぞうし)さまにさしあげてくださいませ」
「八車(しゃ)の米と十駄(だ)の粟(あわ)は、ご陣屋の兵糧(ひょうろう)としてご使用くださいますよう」
「わたくしたち若いものは、なんなりと軍役(ぐんえき)をつとめますから、仰(おお)せつけねがいとうぞんじます」
 と、兵糧軍用品を、車につんでひきこむかと思えば、家畜(かちく)野菜(やさい)をもたらしてくる者、あるいは労力の奉仕を申しこむ若者もあり、なかにはしおらしくも、まずしい一家がよろこびの餅(もち)をついて献納(けんのう)するなど、人情の真美と歓喜(かんき)のこえは、陣屋(じんや)の内外にあふれて、まことこれこそ極楽(ごくらく)の景色(けしき)かと、見るからにただ涙ぐましい。
 かくて、民の平和をながめたうえで、伊那丸をはじめ幕下(ばっか)の人々、一千の軍兵(ぐんぴょう)、おもいおもいに屯(たむろ)をかまえ、はじめて朝の兵糧をとった。
 勝戦(かちいくさ)のあとの兵糧――その味はまたかくべつ。
 そしてきょう一日は、夜来(やらい)一睡(すい)もせぬ兵馬のため、陣やすみという触(ふ)れ太鼓(だいこ)がなる。
 ところへ、ションボリした顔で、陣屋のうちへ、力なくかえってきた鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)。
 こんな元気のないことは、竹童として稀有(けう)なことだ。
「オオ、どうした竹童!」
「竹童が見えた、竹童がもどってまいった」
 さっきから、士卒(しそつ)を八方にやって、その行方(ゆくえ)をたずねさせていた龍太郎(りゅうたろう)や忍剣(にんけん)らは、栄光(えいこう)の勇士を迎えるように手をとって、狼煙(のろし)のてがらを褒(ほ)めたたえた。
 ことに伊那丸(いなまる)は、竹童かえるの声をきくと、みずから幔幕(まんまく)をしぼってそれへ立ちいで、人穴城(ひとあなじょう)いらいの功(こう)を称揚(しょうよう)して、手ずから般若丸長光(はんにゃまるながみつ)の脇差(わきざし)を褒美(ほうび)として、かれにあたえた。
 主君から刀をさずけられたのは、武士の資格(しかく)をゆるされたもどうよう、竹童もきょうからは幕下(ばっか)のひとりである。なりこそ小さいが、押しもおされもせぬ伊那丸の旗本(はたもと)。しかも拝領(はいりょう)したその刀は、武田家伝来(たけだけでんらい)の名刀般若丸(はんにゃまる)尺七、八寸の丁字(ちょうじ)みだれ、抜くにも手ごろ、斬るにも自在な反(そ)り按配(あんばい)、かの泣き虫蛾次郎(がじろう)がじまんする、あけび蔓(づる)をまいた山刀などとは、質(たち)がちがう。
 これからは竹童も、鞍馬(くらま)いらいの棒切(ぼうき)れをすてて、一人前の大人(おとな)のように、玉ちる刃(やいば)で敵にむかうことができる。
 もう、早足(はやあし)の燕作(えんさく)ごときは、一刀のもとに斬ッても捨てられるんだ。
 長いあいだの希望がかなって、さだめしこおどりしたろうと思うと、スゴスゴとご前(ぜん)をさがった竹童(ちくどう)、般若丸(はんにゃまる)の太刀(たち)をいだいて、ひとけなき陣屋(じんや)のすみで、ひとりシクシクと泣きはじめた。

「はてな? ……」
 龍太郎(りゅうたろう)は眉(まゆ)をひそめて、そッと、竹童のあとについていった――見るとそのありさま。
「ウーム。こりゃふしぎだ。鞍馬(くらま)の奥にいたころから、泣いたことのない竹童だが……」
 すきまからのぞき見をしていた龍太郎、こうつぶやきながら、しばらく考えていたが、やがて、
「こりゃ、竹童、なんでこんなところに泣いているのだ」
 幕(まく)をはらって、やさしくかれの背なかをたたいた。
 竹童はふいに声をかけられて、恥(は)ずかしそうに、泣き顔をかくしながら、
「いいえ、なにも泣いてなんかいやしません」
「うそをつけ、瞼(まぶた)はまッ赤だし、拝領(はいりょう)のおん刀は、このとおりおまえの涙にぬれているではないか、いったいどういうわけか、おまえと拙者(せっしゃ)とは果心居士(かしんこじ)先生の兄弟弟子(でし)、うち明けられぬということはあるまい」
「はい、……じつは龍太郎(りゅうたろう)さま……」
「ウム、どうした」
「あの、クロがどこかへ逃げてしまいました」
「オオ、そちが何者よりかわいがっていた、あの大鷲(おおわし)がにげ失(う)せたと申すか」
「きのう、狼煙(のろし)をうちあげる時、水車小屋のうしろへおいといたのに、今朝(けさ)みると、影も形もみえないんです、……ああとうとう、クロはわたしを見すててどこかの山へかくれてしまいました」
「あれほどなついていたし、そちもかわいがっていた鷲(わし)だから、さだめしさびしく思うだろうが、いくら霊鷲(れいしゅう)でもやはり畜生(ちくしょう)、詮(せん)ないこととあきらめるよりほかないであろう」
「いいえ、おいらはあきらめきれません……」
 竹童(ちくどう)は駄々(だだ)ッ子のように頭をふって、
「おいらは悲しい、クロがいなくッちゃ一日もさびしくって生きていられない」
「はははは」
 龍太郎は、思わず笑ってしまいながら、
「さてさて、おまえも鞍馬(くらま)の竹童というと、いかにも稀代(きたい)な神童だが、こんなところは、やッぱり年だけのわからず屋だな、これ竹童、そちはクロを失ったかわりに、若君から般若丸長光(はんにゃまるながみつ)の名刀を拝領(はいりょう)したではないか、さ、元気をだして、きょうからそれを差(さ)し料(りょう)とするがいい」
「だから、おいらはよけいにかなしいんだ……。人穴城(ひとあなじょう)へなげ松明(たいまつ)をした手柄(てがら)も、きのうの誉(ほま)れをあげたこともみんな、おいらの力よりはクロの手柄。……クロがあってこそこの竹童も、人並以上の働きができたのに、おいらばかりこんなに褒美(ほうび)をもらっても、ちっともうれしくありゃしない……」
 いうところは天真爛漫(てんしんらんまん)、竹童はいよいよクロの別れをかなしみ、いよいよ声をだして泣くばかり――さすがの龍太郎も、これには弱りぬいて、ことばをつくしてなぐさめたうえ、きょう一日は陣休みだから、とにかく久しぶりに、じゅうぶん心もからだも養っておくようにと、幕(まく)のあなたへでていった。
「はい、もう泣くのはやめます……」
 竹童は龍太郎の立ちぎわにそういったが、ひとりになるとまたさびしさに耐(た)えぬもののごとく、ションボリと陣屋の空を見あげていた。そして、つまらなそうに、馬糧(まぐさ)のなかにゴロリと身をよこたえたが、やがて連日の疲労(ひろう)がいちじにでて、むじゃきないびきが、スヤスヤそこからもれはじめた。

 ここに、得意(とくい)なやつは、泣き虫の蛾次郎(がじろう)。
 首尾(しゅび)よく、鷲(わし)ぬすみのはなれ業(わざ)をやりとげて、飛行天行(ひこうてんこう)の怪(かい)をほしいままに、たちまちきたのは家康(いえやす)の采地(さいち)浜松の城下。
 竹童(ちくどう)の故智(こち)にならって、乗りすてた鷲(わし)を、とある森のなかにかくし、じぶんはれいの、あけび巻(まき)の山刀をひねくりまわして、意気ようようと城下隠密組(おんみつぐみ)の黒屋敷(くろやしき)、菊池半助(きくちはんすけ)の住居(すまい)をたずねあててきた。
「おねがい申します」
 反(そ)りかえって立ちはだかった玄関口(げんかんぐち)。
 猪口才(ちょこざい)にも、もっともらしい顔をして、取次ぎの小侍(こざむらい)に申しいれることには、
「まかりでました者は、富士の裾野(すその)の住人鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)の弟子鏃師(やじりし)の蛾次郎(がじろう)と申す者、ご主人半助さまに、至急お目にかかりとうぞんじます」
 取ってかえしに、奥からでてきたのは、菊池家(きくちけ)の家来とみえて、いかさまがんじょうな三河武士(みかわぶし)、横柄(おうへい)に頭の上から見くだして、
「フーム、おまえか、泣き虫の蛾次公(がじこう)というのは?」
「はて心得ぬ」
 蛾次郎、口をとンがらかして、すこぶる威厳(いげん)を傷つけられたように、憤然(ふんぜん)と、
「鍛冶(かじ)にかけては鏃鍛(やじりう)ちの名人、石をなげては百発百中の早技(はやわざ)をもつわたくし。しかも、半助さまのおたのみにより、命(いのち)がけで稀代(きたい)の大鷲(おおわし)を連れてまいりましたのに、近ごろ無礼なごあいさつ。よけいなことをいわないで、さッさとご主人にお取次ぎあれ」
 胸に慢心(まんしん)のいっぱいな蛾次郎、天狗(てんぐ)の面をかぶったように、鼻たかだかと大見得(おおみえ)をきった。
「やかましいッ」
 侍(さむらい)の一喝(かつ)に、蛾次郎(がじろう)はひやりと首をすくめる。
「ご主人半助(はんすけ)さまには、きさまのような小僧(こぞう)になんのご用もないとおっしゃった。ペラペラむだ口をたたきおらずと退散(たいさん)せい」
「へえ、……こりゃ妙(みょう)だ。あれほど蛾次郎(がじろう)に、鷲(わし)をぬすんでくれとたのんだ半助さまが、きょうになって、用がないとはずいぶんひどい。それはなにかのおまちがいでしょう」
「だまれ、へらず口の達者(たっしゃ)なやつだ。いつまでお玄関(げんかん)に立ちはだかっていると、つまみだすからそのつもりでおれ」
「ちぇッ、ばかにしやがら」
「こいつめ、まだでて失(う)せぬかッ」
「いまいましい! けッ、よくも人にカスを食(く)わせやがったな、おぼえていろ、いまに鷲に乗って、この屋敷の上から小便をひっかけてやるから」
 得意と、えがいてきた慾望(よくぼう)を、めちゃめちゃに裏切(うらぎ)られた蛾次郎は、腹立たしさのあまり、出放題(でほうだい)なにくまれ口をたたいて、黒屋敷(くろやしき)の門をでようとすると、横からふいに、
「これッ、待て!」
 と、ふとい腕が、むんずとかれの襟(えり)がみをつかみもどした。
「あッ、――あなたは菊池(きくち)さま」
「ただいまなんと申した」
「くッ、くるしい。……べつになんにもいいはしません」
「いやいった! 不埒(ふらち)なやつめ」
「だって、だってそいつはむりでしょう。あなたさまこそ、竹童(ちくどう)の鷲(わし)をぬすんでくれば、徳川家(とくがわけ)の武士に取りたててやる。褒美(ほうび)はなんでも望みしだいと、向田(むこうだ)ノ城(しろ)でおっしゃったじゃありませんか」
「ばかッ。いやはやあきれかえった低能児(ていのうじ)だ。汝(なんじ)のようなうすのろを、戦(いくさ)の用に立てようとしたのが半助の大失策(だいしっさく)、ご当家(とうけ)の軍勢が裾野陣(すそのじん)へくりだすときに間(ま)にあってこそ、鷲もご用に立つとおもって申したのだ。それをなんだ、すでに戦(いくさ)もすみ、軍勢もひいてしまった今日(こんにち)のめのめといまごろ鷲をぬすんできたとてなんになるかッ。あのここな慾張(よくば)り小僧(こぞう)めッ」
 ピシリッ、と頬(ほお)げたを一つくらわしたうえ、足をもって門外へけとばすと、さっきの小侍や仲間などが下水の水をくんで、蛾次郎(がじろう)の頭からぶっかけ、門をしめて笑いあった。
 半死半生(はんしはんしょう)の泥(どろ)ねずみとなって、泣くにも泣けぬ蛾次郎先生、命(いのち)からがら浜松の城下を、鷲にのって逃げだしたはいいが、夜に入るにしたがって、空天(くうてん)の寒冷(かんれい)は骨身(ほねみ)にてっし、腹はへるし、寝る場所のあてはなし、青息吐息(あおいきといき)の盲飛行(めくらひこう)、わるくすると先生、雲のなかへ迷子(まいご)となってしまいそうだ。
 されば、村正(むらまさ)の斬れあじも、もつ人の腕しだいであるし、千里(り)の駒(こま)も乗り手による。――自体(じたい)、蛾次郎(がじろう)の腕なり頭なりでは荷(に)の勝ちすぎたこの大鷲(おおわし)が、はたしてかれの自由になるかどうか、ここ、おもしろい見ものである。

 法師野(ほうしの)の空には平和の星がかがやいている。
 今夜ばかりは、部落の人も、はじめて楽しい夢路(ゆめじ)にはいっているのだ。
 老人はご陣屋のほうへ足をむけずに寝ているだろう。嬰児(おさなご)は母の乳房(ちぶさ)にすがって、スヤスヤと寝ついているだろう。――そして施無畏寺(せむいじ)の庭に陣した千人の軍兵(ぐんぴょう)も、鞍(くら)や物(もの)の具(ぐ)を枕(まくら)にしてつかのまの眠りにつき、馬もいななかず、篝(かがり)もきえ、陣の幕(とばり)にしめっぽい夜がふける。
 すると、多宝塔(たほうとう)のまわりを、ぴた……ぴた……と、しずかに歩いてくる人影。
 また、廻廊(かいろう)のかげからも、ふたりの武士が、足音ひそやかに、階段をおりてきた。
「オオ、山県(やまがた)どのに小文治(こぶんじ)どのか……」
「これは忍剣(にんけん)どの、おたがいに、こよいの寝ずの番、ごくろう」
「どこにも異状はありませぬか」
「かくべつ」
「では後刻(ごこく)に……」
 黙礼(もくれい)して左右にわかれる。
 カーン、カーン、――水にひびくような寂(さび)しい音。時刻番(じこくばん)が丑時(うしどき)(午前二時から三時の間)の報(し)らせ。
 本陣、おん大将の寝所幕(しんじょまく)のあたりにも、夜詰(よづ)めの侍(さむらい)が警固(けいご)する槍(やり)の穂(ほ)が、ときおり、ピカリ、ピカリとうごいてまわる。
 そのころ――、まさにそのころ。
 多宝塔(たほうとう)三重(じゅう)の頂上(いただき)にある暗室へ、ゆうべからほうりこまれていた和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)は、らんらんたる眼(まなこ)をとぎすまして、しばられている鉄の鎖(くさり)を、時おり、ガチャリ、ガチャリと鳴らしていた。
「ウーム、いまいましい」
 音を立てないようにはしているが、しきりに身もだえして、あらんかぎりの力を鎖にこころみているようす。しかし、しょせんそれはむだな努力。
 だれかに、腕でも斬ってもらわないかぎり、鎖の寸断されるはずもなし、塔(とう)の太柱(ふとばしら)が砕(くだ)けるはずもないのだ。
「ああ、ざんねんッ……ウーム、つつつッ……」
 もがきにもがくうち、呂宋兵衛(るそんべえ)は唇(くちびる)をかみわって、タラタラと血潮(ちしお)をたらした。
 とたんに、バサッと天井(てんじょう)を打ったまっ黒な怪物(かいぶつ)がある。見ると、楼閣(ろうかく)の欄間(らんま)から飛びこんでいた一尺ばかりの蝙蝠(こうもり)、すでに秋の暑(あつ)さもすぎているこのごろなので、翼(つばさ)に力もなく、厨子(ずし)の板壁をズルズルとすべってきた。
「オ! しめた」
 呂宋兵衛(るそんべえ)はジリジリと身をにじらせた。蝙蝠をみたとっさに思いうかんだのは、獣遁(じゅうとん)の一法(ぽう)、南蛮流(なんばんりゅう)の妖術(ようじゅつ)では化獣縮身(けじゅうしゅくしん)の術という。が、それを行うには、ちょっとでもよいから蝙蝠のからだにふれなければやれない。いや、蝙蝠にかぎることはない、なんでも動物霊気(れいき)の感応(かんのう)を必要とするのだから、ねずみでも猫(ねこ)でもいいが、いまこの塔中(とうちゅう)には蝙蝠よりいないのだから、ぜひそれへ指でもふれたいのである。
 しかし、なかなか蝙蝠のほうでちかづいてくれない。
 たまに、頭の上へはってきたなとおもって、体をよせていくと柱にしばりつけてある鎖(くさり)がガチャッと鳴るので蝙蝠はびっくりして天井(てんじょう)へはねあがる――が、六角形の密室なので、そとへはでずにまたバサバサと板壁に羽(は)すべりをしてきた。
 こんど近くへきたらのがすまいと、呂宋兵衛は息をころした。けんめいになるとおそろしいもの、かれの額(ひたい)は魚の油を塗(ぬ)ったように汗ばんでいる。
 けれど、蝙蝠の敏覚(びんかく)に、七たび八たびおなじことをくりかえしても、呂宋兵衛の努力はむなしかった。はやくも里(さと)では一番鶏(どり)がなく、かれは気が気でなくなった。
 そこで、呂宋兵衛(るそんべえ)はまた考えなおした。
 かれは坐禅(ざぜん)を組むようにすわった。そして、さいごにもういちど蝙蝠(こうもり)が壁をすべってくるのを待ちかまえこんどは、口に呪(じゅ)をとなえて、つーッと一本のほそい絹糸のような線を吐(は)きだした。
 と思うと――一ぴきの小さな金蜘蛛(きんぐも)が、呂宋兵衛の口からスススススと、その細い糸をつたわりだした。
 これはかつて、人穴城(ひとあなじょう)で竹童(ちくどう)と初対面のときに、問答(もんどう)ちゅうにかれがやってみせたことのある、呂宋兵衛得意の口術(こうじゅつ)、いま、吐(は)いて糸をわたらせた金蜘蛛は、壁にはりついている大蝙蝠(おおこうもり)のそばへはいよったが、それを見ると蝙蝠は、バサリと一すべりして、いきなり蜘蛛(くも)を食(く)いにかかった。
 と、蜘蛛はつーッ、と二尺ばかり糸をもどってとまる。蝙蝠はまたソロリと寄って餌(えさ)をうかがう――その機微(きび)なころあいをはかって、呂宋兵衛はスッと、吸う息とともに、蜘蛛を口のなかに引きいれてしまうと、蝙蝠は餌(え)を追ってパッとかれの顔へぶつかってきた。
「えいッ!」
 とたんに、かれの五体からおそろしい気合いが発した。そして、忽然(こつねん)と床(ゆか)に鳴った鎖(くさり)の上へ、大蝙蝠のくろい妖影(ようえい)が、クルクルと舞いおちた。

「やッ」
 愕然(がくぜん)と、多宝塔(たほうとう)の下で立ちすくんだのは、寝ずの番の加賀見忍剣(かがみにんけん)。
 左に鉄杖(てつじょう)をつき、右手を眉(まゆ)にあてて、暁闇(ぎょうあん)の空をじッとみつめていたが、やがて、
「おお! 山県(やまがた)、巽(たつみ)!」
 と同僚(どうりょう)の名を呼びたてた。
「なんじゃ」
「異変かッ」
 バラバラと、すぐそこへ飛んできた小文治(こぶんじ)と蔦之助(つたのすけ)、――忍剣は、
「しッ」
 と手でせいして、
「愚僧(ぐそう)の気のせいかも知れぬが、あの塔の三重(じゅう)目(め)にあたる欄干(らんかん)に、何者か立っておらぬだろうか」
「どれ……」
 すこし身を横にかがませて、暁天(ぎょうてん)の闇(やみ)をすかしたふたりは、なるほど、よくよく眸(ひとみ)をこらして見ると、忍剣のいうとおり楼閣(ろうかく)の三階目に、うす黒い影が立っているような気がした。
「しかし、あれに人のいるはずはなし、ことによったら棟木(むなぎ)の瓔珞(ようらく)ではないか」
「いや、瓔珞がアア大きく見えるはずはない」
「といって、厳重にいましめておいた呂宋兵衛(るそんべえ)ではなおさらあるまい。ウーム、おや……、影がうごいた!」
「なに影がうごいた? オオ、いよいよあやしい」
「ちぇッ、やっぱり呂宋兵衛だ、どうして自由になりおったか、あれあれ、棟木の瓔珞に身をのばして、塔(とう)の屋根によじ登ろうとしておるのだ」
「一大事! それのがすなッ」
「オオ」
 三人は疾風(しっぷう)のごとく階段をあがって、扉(とびら)を蹴(け)ひらき、塔のなかへ躍(おど)りこんだが、南無(なむ)三、二階三階へあがる梯子(はしご)は、呂宋兵衛を頂上にほうりこんだ時、まんいちをおもんぱかって、みんな取りはずしたまま施無畏寺(せむいじ)へはこんでしまった。
 うっかり、それを忘れて飛びこんだ三人は、じだんだをふんで、
「しまった!」
 とふたたびそとへかけだしてきた。
「なんじゃ、なにごとが起ったのだ」
 ところへ、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)がくる。小幡民部(こばたみんぶ)がはせつける。たちまちにして、陣々の大そうどう、大将伊那丸(いなまる)も幕(とばり)をはらってそれへきたが、閣上(かくじょう)の呂宋兵衛は、いちはやく屋根の上へとびうつり、九輪(りん)の根(ね)もとに身をかがめてしまったので、遠矢(とおや)を射(い)かけるすべもない。
「あれあれ、呂宋兵衛(るそんべえ)は幻術(げんじゅつ)に長(た)けた曲者(くせもの)、どう逃げようもしれませぬ、みなさま、はやくお手配(てはい)をしてくださりませ」
 と、うろたえまわる軍兵(ぐんぴょう)のなかにまじって、しきりに叫(さけ)んでいるのは咲耶子(さくやこ)の声らしい。十数人の軍兵は同時に、施無畏寺(せむいじ)へ塔(とう)の梯子(はしご)を取りに走りだした。
 それを待つのももどかしいと思ったか、れいによっておくれをとらぬ木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)、ばらばらと多宝塔(たほうとう)の裾(すそ)にかけよったかと見るまに、一階の欄干(らんかん)にひらりと立って、えいッとさけんだ気合いもろとも、千本(ぼん)廂(びさし)の瓔珞(ようらく)にとびついた。
「オオ、やったり、木隠(こがくれ)!」
 と、こなたの一同は、その機智(きち)に感嘆(かんたん)の声をあげたが瓔珞の飾(かざ)り座金(ざがね)がくさっていたとみえて、龍太郎の体がつりさがるとともに、金鈴青銅(きんれいせいどう)の金物(かなもの)といっしょにかれの五体は、ドーンと大地におちてしまった。
「ウーム、無念」
 ふたたび立ってよじのぼるくふうをしていると、朱柄(あかえ)の槍(やり)をひっさげた小文治(こぶんじ)。すっくとそこに立って、槍(やり)の石突きを勢いよくトンと大地につくやいなや、
「やッ――」
 と叫んで、みごとに一階の屋根廂(やねびさし)へ飛びあがった。そしてすぐ槍を引こうとすると、
「待ったッ」
 と九尺柄(え)のなかごろに、龍太郎(りゅうたろう)がすがりつく。
「おうッ」
 と、上から小文治(こぶんじ)が力をこめると、龍太郎も息をあわせて、槍(やり)の柄(え)とともにポンと跳(は)ねあがった。
 たちまち、槍をたよりに二階へあがり、三階目の欄干(らんかん)までよじのぼって、呂宋兵衛(るそんべえ)監禁(かんきん)の六角(かく)室(しつ)を見ると、一ぴきの蝙蝠(こうもり)が死んでいるほか、そこには何者のかげもない。
「あ! いよいよ逃げたは、きゃつときまった」
「それッ、この上だ」
 とふたりは、東のすみの欄干に足をかけたが、そこから九輪(りん)のたっている塔(とう)のてっぺんへのぼるには、どうしても、千本廂(びさし)につってある瓔珞(ようらく)に身をのばして、ブラさがるより道がない。
 ところが、それをたよりにすることは、一階のときの失敗があるので、さすがの小文治(こぶんじ)も二の足をふんだが、龍太郎はなんのおそれげもなく、やッと、欄干から瓔珞の根にとびついた。
 下にながめていた伊那丸(いなまる)をはじめ、あまたの勇士も、思わず、胆(きも)をひやしたが、こんどは瓔珞も落ちず、龍太郎も完全に棟木(むなぎ)へ片手をかけてしまった。これ、さっきは、瓔珞の頑丈(がんじょう)をたよって不覚をとったが、こんどは、果心居士(かしんこじ)相伝(そうでん)の浮体(ふたい)の法をじゅうぶんにおこなっているためだ。
 そのかわり、龍太郎(りゅうたろう)、最後の頂上へのぼるにはだいぶ手間(てま)がとれている。片足を瓔珞(ようらく)の鈴環(れいかん)にかけ、そろそろと手をのばして、屋根の青銅瓦(せいどうがわら)に半身(はんしん)ほど乗りだしたところで、小文治(こぶんじ)のさしだした槍(やり)をつかんでやる。
 巽小文治(たつみこぶんじ)は、もとより果心居士(かしんこじ)の門下でないから、浮体(ふたい)の息を知らない。したがってただ度胸(どきょう)のはや業(わざ)。槍(やり)の一端(たん)を塔(とう)の角金具(かどかなぐ)にひっかけ、いっぽうを龍太郎につかんでいてもらって、スッと瓔珞の鈴環へ足をかけると、ともに、ふたりの重みがかかっては危(あぶ)ないので、龍太郎はすばやく上へはいあがった。
 とたんに、雨とも見えぬ空合(そらあい)なのに、塔の先端(せんたん)九輪(りん)の根もとから、ザーッと滝(たき)のような水がながれてきて、塔の四面はさながら、水晶(すいしょう)の簾珠(れんじゅ)をかけつらねたごとく、龍太郎の身も小文治のからだも、水の勢いでおし流されそうにおぼえた。
「呂宋兵衛(るそんべえ)の妖術(ようじゅつ)だ、まことの水ではない、小文治どのひるむなッ」
 龍太郎は果心居士の手もとにいただけに、幻術(げんじゅつ)しのびの技(わざ)などには多少の心得がある。いま、九輪の根もとから吹いてきた水勢もてっきり、呂宋兵衛の水龍隠(すいりゅうがく)れの術とみたから、こう注意して、無二無三に青銅瓦の大屋根へ踏みあがった。
 そして、気は宙天(ちゅうてん)へ、声は、大地にひびくばかりに、
「やあ、奸賊(かんぞく)和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)、この期(ご)になってはのがれぬところ、神妙(しんみょう)に木隠(こがくれ)龍太郎の縄目(なわめ)をうけろ」
「だまれ、青二才(さい)、汝(なんじ)らごとき者の手にかかる呂宋兵衛ではない。うかと、わが身にちかよると、このいただきから蹴落(けお)として、木(こ)ッ葉(ぱ)微塵(みじん)にしてくれるぞ」
 水術の印(いん)を解(と)くとひとしく、あきらかに姿をみせた和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)、九輪(りん)の銅柱(どうちゅう)をしっかと抱(だ)いて、夜叉(やしゃ)のごとく突ッ立っていた。
「おのれッ――」
 と片膝(かたひざ)おりに、戒刀(かいとう)の鞘(さや)を横にはらった龍太郎、銅の九輪(りん)も斬れろとばかり、呂宋兵衛の足もと目がけて薙(な)ぎつけた。
 同時に、波のごとき瓦(かわら)のうえへ、ヒラリと飛びあがった巽小文治(たつみこぶんじ)は、いま龍太郎が斬りつけたとたんに、朱柄(あかえ)の槍(やり)をさッとしごいて、呂宋兵衛がかわさば突かんと身がまえた。

 下では、あッと、手に汗をにぎる諸軍(しょぐん)の声(こえ)。
 伊那丸(いなまる)をはじめ、幕下(ばっか)の面々、また竹童(ちくどう)も咲耶子(さくやこ)も、塔(とう)の一点に眸(ひとみ)をあつめ、ハラハラしながら鳴りをしずめた。
 時こそあれ、――大(たい)へん。
 三重(じゅう)の屋根瓦(やねがわら)から塔(とう)の九輪(りん)のまっ先へ、雷獣(らいじゅう)のごとくスルスルとはいあがった和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)、
「おうッ……」
 なにやら叫んだかと思うと、片手をブンとふりまわした。
 と――またこそ、かれの幻術(げんじゅつ)か、ふいに、さッと落ちてきた一陣の風鳴(かぜな)り。
 すると明方(あけがた)の天空(てんくう)から、思いがけない人声がきこえた。
「いけねえいけねえ、おいクロ! こんなところへおりちゃアいけねえ」
 いうまもなく、ななめに翔(か)けりきたった、まっ黒な怪物があった。
 まさしく鷲(わし)! 竹童(ちくどう)の盗まれたクロ。
 乗っているのは――わめいているのは、菊池半助(きくちはんすけ)にドヤされて、遠江(とおとうみ)の国をすッ飛んできた、泣き虫の蛾次郎(がじろう)であった。
 鷲は見るまに九輪(りん)をかすった。
 一大事!
 巽小文治(たつみこぶんじ)はふたたび槍(やり)をとりなおして、あおむけざまに、ヤッと突きあげたが、鷲の羽風(はかぜ)にふき倒され、さらにいっぽうの龍太郎(りゅうたろう)が、九輪の根もとからはらいあげた戒刀(かいとう)の切(き)ッ先も敵のからだにまでとどかなかった。
 その時、それと同時に、呂宋兵衛(るそんべえ)はとんできた鷲の背なかへ乗りうつっていた――ほとんど、電光(でんこう)一過(か)――目(ま)ばたきする間(ま)だ。
 塔上(とうじょう)の二勇士、塔下(とうか)の三軍が、あれよと、おどろきさけんだ時には、万事休(ばんじきゅう)す、蛾次郎(がじろう)、呂宋兵衛(るそんべえ)、ふたりを乗せた大鷲(おおわし)の影はまっしぐらに、三国山脈(みくにさんみゃく)の雲井(くもい)はるかに消えていく。
「しまった!」
 伊那丸(いなまる)以下の者、でる声は、ただこのたんそくばかりであった。
 なかにひとり竹童のみは、陣屋をかけだして、
「おお、クロだクロだ、おいらのクロだ」
 空にむかって叫びながら、追えどもおよばぬ大鷲(おおわし)の行方(ゆくえ)へ無我夢中(むがむちゅう)で走りだした。

 さて、おどろいたのは、蛾次郎(がじろう)である。
 多宝塔(たほうとう)のてッぺんを通りすぎたとたんに、ヘンなやつがじぶんの腰へとびついたと思ったが、なにしろ、鷲(わし)の走っているあいだはふり向くこともできず、話しかけることもできない。
 目の下に、クルクルまわる山や峠(とうげ)や町や村をいくつも見て、およそ小半日(こはんにち)も飛んだころ、やっと青々とした海辺(うみべ)におりた。
「アア、お腹(なか)がペコペコだ。これで命(いのち)も無事だったし、なにか食(た)べ物にもありつけるだろう……」
 すぐにキョロキョロ見まわして、漁師(りょうし)の干(ほ)しておいた小魚(こざかな)を見つけ、それを火にあぶりもせず、引ッ裂(さ)いて食(た)べはじめた。
 食べながら波打ちぎわを見ると、黒の蛮衣(ばんい)をきた大男が、小手をかざして、しきりに地理をあんじている。
「あッ、あの男だナ、おれの腰に取っついてきた蠅(はえ)のようなやつは」
 蛾次郎(がじろう)、干魚(ほしか)をムシャムシャ噛(か)みながら、そばへ寄ってみると、裾野(すその)で見かけたことのある呂宋兵衛(るそんべえ)なので、二どびっくりという顔で、
「お、あなたは人穴(ひとあな)の……」
「ウム、呂宋兵衛(るそんべえ)じゃ、ああ、おまえは、鏃師(やじりし)鼻かけ卜斎(ぼくさい)の弟子(でし)だったな」
「ええ、よくごぞんじでございますね。おおせのとおり蛾次郎という者。……ところで呂宋兵衛さま」
「なんじゃ」
「ここはいったい、東海道のどのへんにあたりましょう」
「まるで方角ちがい――北陸道の糸魚川(いといがわ)と申すところだ」
「すると向こうに見える岬(みさき)は伊豆(いず)の国とはちがいますか」
「あたりまえだ、北日本の海に伊豆(いず)はない。すなわちあれが能登(のと)の半島、また、うしろに見える山々は、白馬(はくば)、戸隠(とがくし)、妙高(みょうこう)、赤倉(あかくら)、そして、武田家(たけだけ)と鎬(しのぎ)をけずった謙信(けんしん)の居城春日山(かすがやま)も、ここよりほど遠からぬ北にあたっておる」
「へえ……そしてあなたは、ここからどこへ行こうってえつもりなんです?」
「京へのぼるのじゃ」
「いいなあ。わたくしも一つお供(とも)につれてッてくれませんか」
「おまえにはたのみがある。蚕婆(かいこばばあ)と早足(はやあし)の燕作(えんさく)、それに丹羽昌仙(にわしょうせん)、この三名にあったら、わしが京都へのぼっておるゆえ、あとからかならずくるようにと、言伝(ことづて)をしてもらいたい」
「燕作は大きらいだけれど、あとのふたりは引きうけますよ。……オヤ、アッ、大へん……」
 なにを見たか、にわかぎょうてんしてうろたえだした蛾次郎(がじろう)、さようならともいわず、クロにとび乗って、ツーと空へ逃げてしまった。
 と、間(ま)もなく、スタスタここへきた旅人。
「や、それにまいったのは、人無村(ひとなしむら)の卜斎(ぼくさい)ではないか」
「これはこれは、呂宋兵衛(るそんべえ)さま、意外なところで……」
 と双方(そうほう)、磯岩(いそいわ)に腰かけて、裾野落(すそのお)ち以来のことを話しあったが――卜斎の上部八風斎(かんべはっぷうさい)、伊那丸(いなまる)へ人穴城(ひとあなじょう)の絵図面(えずめん)を持ちこんだことや、自分が柴田勝家(しばたかついえ)の家中(かちゅう)であることなどは、もとよりおくびにもださずにいる。
「しかし、卜斎。おまえは裾野に住みついている鏃鍛冶(やじりかじ)、なにもこんどのことで、逃げる必要もなかろうではないか。いったいこれからどこへまいろうとするのだ」
「裾野(すその)もよろしゅうございますが、ああしばしば戦(いくさ)があった日には、とても、のんびり金敷(かなしき)をたたいてはおられません。そこで、越前(えちぜん)北(きた)ノ庄(しょう)へ巣(す)をかえようと申すわけで」
「なるほど。じつはわしもこれから都(みやこ)へでて、安土(あづち)の秀吉公(ひでよしこう)へすがり、なんとかいとぐちをつけようと考えているが、うまくとちゅうまでの便船(びんせん)でもあるまいか」
「さあ、わたくしも、北ノ庄まででる船はないかと、ずいぶん尋(たず)ねてみましたが、どうも折り悪く、出船(でふね)のついでがないそうで」
 と、ふたりが話すのを聞いていたものか、波打ちぎわにあげてあった空船(からぶね)のなかから、ムックリ起きあがったひとりの船頭(せんどう)。
「おい」
 と、いけぞんざいに呼びかけて、
「おめえたち、上方(かみがた)のほうへいきてえなら船をだしてやろうか。越前(えちぜん)へでも若狭(わかさ)へでも着けてやるぜ」
「それはかたじけない。しかし、そこにあげてあるような小舟(こぶね)ではどうにもならぬ」
「いや、長崎から越後港(えちごみなと)へ、南蛮呉服(なんばんごふく)をつんできた親船(おやぶね)が、この沖(おき)にとまってるんでさ。どうせ南へ帰る便船(びんせん)だ、えんりょなく乗っていくがいい」
 船頭(せんどう)は空船の艫(とも)をおして、砂地から海のなかへ突きだした。そして呂宋兵衛(るそんべえ)、卜斎(ぼくさい)のふたりを乗せるや否(いな)、勢いよく櫓柄(ろづか)をとって、沖の親船へ漕(こ)ぎだした。
 まもなく、海潮(うみしお)けむるかなたの沖に長崎型(がた)の呉服船(ごふくぶね)、紅帆船(こうはんせん)の影らしいのが、だんだん近く見えはじめる。

 紅(べに)がら色の帆(ほ)に、まんまんたる風をはらんだ呉服船はいま、能登(のと)の輪島(わじま)と七つ島(じま)の間(あいだ)をピュウピュウ走っている――
 カーン カーン カーン……
 船楼(せんろう)の鐘(かね)。
 もう真夜中(まよなか)であろう、風はないほうだがかなり高波(たかなみ)。パッと、舳(みよし)にくだける潮(うしお)の花にもうもうたる霧(きり)が立ってゆく。
 その霧のなかに、ブランブランと、人魂(ひとだま)のようにゆれている魚油(ぎょゆ)のあかり。ギリギリ、ギリギリと帆綱(ほづな)のきしむ気味の悪さ……
「やい、起きろッ」
 ふいに木枕(きまくら)を蹴(け)とばされて、はねおきたのは便乗(びんじょう)してきた卜斎(ぼくさい)と呂宋兵衛(るそんべえ)。フト見ると、胴(どう)の間(ま)のグルリに、閃々(せんせん)と光るものが立ちならんでいる。
「なにをするんだおまえたちは?」
 卜斎(ぼくさい)は、前差しの短刀をつかんで、きッとなった。
「まぬけめ、なにをする者か聞かなくッちゃわからねえのか。こいつを見たら少しゃ目がさめるだろう」
 わざと、ふりうごかして見せた光は、まさしく槍(やり)、刀、鏃(やじり)、薙刀(なぎなた)――どれ一つを食っても命(いのち)のないものばかり。
「ウーム、さては汝(なんじ)らは海賊だな」
 呂宋兵衛(るそんべえ)は、その時のっそり突っ立って、魚油(ぎょゆ)のあかりに照らしだされている二十四、五人の荒くれ男を睨(ね)めまわした。
「知れたことだッ」
 槍の穂(ほ)は、いっせいに横になって、車の歯のごとく中心へ向いた。
「おとなしく素(す)ッ裸(ぱだか)になッちまえ、体だけは、ここから輪島(わじま)の磯(いそ)へながれ着くようにほうりこんでくれる」
「待てッ。望みどおりになってもやるが、汝らの頭領(かしら)はいったいなんという者だ」
「そいつを聞くと命(いのち)がない掟(おきて)だぞ。それでも聞きたけりゃ聞かしてやる」
「ウム、しょうちのうえでも聞きたいものじゃ」
「よし、冥途(めいど)の土産(みやげ)に知っておけ。この船の頭領は、龍巻(たつまき)の九郎右衛門(くろうえもん)。もと東海の龍王(りゅうおう)といわれた八幡船(ばはんせん)十八艘(そう)のお頭領さまだ。サ、こう聞かしたからにゃ命(いのち)ぐるみもらったからかくごしろ」
「ばかをぬかせ」
「なんだとッ」
「まごまごいたすとこっちでこそ、汝(なんじ)らの持ち物はおろか船ぐるみ巻きあげてしまうから用心しろ」
「や、こいつが! てめえいったい何者だ」
「富士(ふじ)の人穴(ひとあな)にいた山賊(さんぞく)だ」
「なに山賊……」
「おお、海賊(かいぞく)の腕が強いか、山賊の智恵(ちえ)がたしかか、ここでいちばん腕くらべをしてもいい。それともすなおに頭領(かしら)の龍巻(たつまき)をよんできて詫(わ)びをするか」
「なまいきなッ!」
 勃然(ぼつぜん)と海賊の武器がうごいた。
 が――無益(むえき)な問答をしているあいだに、呂宋兵衛(るそんべえ)は、じゅうぶんに幻術(げんじゅつ)のしたくをしていた。
「ふッ……」
 と、前後の対手(あいて)へ二息(ふたいき)かけると、たちまち、かれのすがたは一条(じょう)の水気(すいき)となって、あるがごとくなきがごとく乱打の武器もむなしく風を斬るばかり。
「うぬッ」
 ひとりがすさまじい気合いで、おぼろの影を槍(やり)で突く。すると、ピチリと一ぴきの魚(さかな)がはねた。
 目の下、二尺もある鯔(ぼら)だ。
 ザアッと、舷(ふなばた)から二どめの浪(なみ)がしらがきて、鯔(ぼら)を海中に巻きかえそうとしたが、海賊の手下どもはこれこそ蛮流幻術(ばんりゅうげんじゅつ)をやる山賊の変身と、よってたかって、手づかみにしようときそったが、ピチピチはねまわる死力の魚(うお)は、むしろ人間一ぴきつかまえるのよりしまつがわるい。
「ちくしょッ――」
 バラリと網(あみ)をなげた者がある。
 鉛(なまり)の重味(おもみ)にしばられて、とうとう鯔はそのなかにくるまってしまったが、同時に頭の上で、
「わッはッはははは、あはははは。やい、野郎(やろう)ども、いいかげんにしねえか」
 と、ふたりして、笑う声がする。
 ひょいと仰向(あおむ)いてみると、船楼(せんろう)の櫓(やぐら)に腰かけている頭領(かしら)の龍巻(たつまき)と、いま下にいた呂宋兵衛(るそんべえ)。
 どッちも卓(たく)へ頬杖(ほおづえ)をつきながら、下のありさまを見物して、仲よく酒を飲んでいる。
「じょうだんじゃねえ。お頭領、こいつア、いったいどうしたわけなんで……」
 手下どもは、わいわいそこへ寄ってきて、ただふしんにたえぬという面(おも)もち。
「しんぱいするな、こりゃ和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)といって、おれが長崎にゴロついていた時代の兄弟分だ」
「へえ? ……」
「見ろ」
 と、龍巻(たつまき)は、じぶんの二の腕と、呂宋兵衛(るそんべえ)の二の腕をまくりあげて、手下どもに見くらべさせながら、
「このとおり、ふたりとも蜘蛛(くも)の文身(ほりもの)を彫(ほ)りあって、おれは海で一旗(ひとはた)あげるし、呂宋兵衛は山に立てこもって、おたがいに天下をねらおうとちかって別れた仲なのだ」
「なるほど、そういう兄弟分があるということは、いつかお頭領(かしら)の話にも聞いていました」
「そのふたりが、思いがけなくめぐりあった心祝(こころいわ)いに、てめえたちにも飲ませるから、いまの魚(さかな)を料理して、もっと酒をはこんでこい」
「しょうちしました。だが、そうとするといまの鯔(ぼら)はいったいどうしたってんだろう?」
「あれは呂宋兵衛が、水気魚陰(すいきぎょいん)の法をかけて、てめえたちみてえな半間(はんま)なやつの目をくらましたのだ。しかし、魚はちょうど船へ跳(は)ねこんだほんものだそうだから、安心して料理するがいい」
 手下どもを追いはらって、ふたりとなった船櫓(ふなやぐら)に、龍巻と呂宋兵衛、久しぶりの酒を酌(く)みかわして、話はつきないもよう。
 名はおそろしい海賊(かいぞく)と山賊(さんぞく)だが、久濶(きゅうかつ)の人情には、かわりのないものとみえる。
「なあ、龍巻。てめえとおれとは、その昔、天下を二分するような元気で別れたんだが、おたがいに、いつまでケチな賊(ぞく)の頭領(かしら)じゃしようがないなあ」
「しかし呂宋兵衛(るそんべえ)」
「なんだ」
「おめえは富士の山大名(やまだいみょう)とか、野武士(のぶし)の総締(そうじ)めとかいわれて、豪勢(ごうせい)なはぶりだってことをうわさに聞いていたが」
「さ、それが残念千万(ざんねんせんばん)な話で、いちじは富士の殿堂に、一国一城の主(あるじ)を気どっていたが、武田伊那丸(たけだいなまる)という小童(こわっぱ)のために、とうとう人穴城(ひとあなじょう)を焼けだされて落武者(おちむしゃ)となってしまったのだ」
「なに、武田伊那丸だッて」
「ウム、てめえもうわさに聞いていたろう」
 いま、船は加賀(かが)の北浦に沿(そ)って、紅帆(こうはん)黒風(こくふう)のはためき高く、いよいよ水脚(みずあし)をはやめている。

 龍巻(たつまき)の九郎右衛門(くろうえもん)は、杯(さかずき)の南蛮酒(なんばんしゅ)をゴクリと乾(ほ)し、呂宋兵衛へもついでやりながら、
「ふウむ、そいつはふしぎないんねんだ……」
 とうめくようにいったものである。
「じつは兄貴(あにき)、うわさどころかこの龍巻(たつまき)も、あの伊那丸のやつと、家来の小幡民部(こばたみんぶ)という野郎(やろう)には、ひどい目にあわされたことがあるんだ」
 と、紅帆船(こうはんせん)以前のことを、無念そうに語りだす。
 それは、かれが東海をさかんに荒していたころ――といっても古い話ではない、伊那丸(いなまる)が忍剣(にんけん)にわかれて、弁天島(べんてんじま)から八幡船(ばはんせん)のとりこになった時のこと――
 穴山梅雪(あなやまばいせつ)の手をへて、伊那丸のからだを徳川家(とくがわけ)へ売りこもうとした晩、小幡民部(こばたみんぶ)に計略の裏をかかれて、沖の八幡船は焼打ちされ、かれじしんは、堺町奉行(さかいまちぶぎょう)の手に召しとらえられてしまった。
 その後、龍巻(たつまき)は、堺町奉行の牢(ろう)をやぶって逃亡したが警戒がきびしいため、こんどは、紅(べに)がら色の帆(ほ)をあげて北日本の海へまわり、長崎から往復する呉服船(ごふくぶね)と見せかけて、海上の諸船や、諸港(しょこう)の旅人をなやましている。
「こういうわけで、おれはいまでも、その恨(うら)みを忘れやしねえ。この龍巻の息のねのあるうちは、きっと、あの伊那丸と小幡民部の野郎を、取ッちめずにはおかねえつもりだ」
「そうか……」
 と、呂宋兵衛(るそんべえ)は、聞きおわって、
「してみれば、伊那丸一族は、この呂宋兵衛にも、龍巻にとっても、遺恨(いこん)のつもりかさなるやつ。おれもこれから京へのぼって、秀吉公(ひでよしこう)の力を借り、武田(たけだ)一族を狩(か)りつくすさんだんをするから、てめえも折(おり)さえあったら、この仕返しをすることを忘れるなよ」
「いわれるまでもないことだ。……オオそりゃいいが、さっき、兄貴がつれていた男はどうしたろう」
「ウム、すっかり忘れていた。あの槍襖(やりぶすま)におどろいて、胴(どう)の間(ま)のすみで、気を失っているかもしれねえ。……なにしろ裾野(すその)の鏃鍛冶(やじりかじ)で、おそろしい修羅場(しゅらば)は知らねえやつだから」
 すると、そこへばらばらと、櫓(やぐら)へ駈けあがってきた手下のひとりが、
「お頭領(かしら)、さっきのどさくさまぎれに、もうひとりの男が、艫(とも)の小舟(こぶね)を切りおとして、逃げッちまったようですぜ」
「なに、卜斎(ぼくさい)が逃げてしまったと?」
 それと聞いて、呂宋兵衛(るそんべえ)は、はじめてかれに疑いをいだき、櫓の欄(らん)に駈けよって、漆(うるし)のような海面を見わたしたが、もとより一片(ぺん)の小舟が、ひろい闇(やみ)から見いだされるはずもない。
 いっぽう、あやしげな親船(おやぶね)を逃げだした鼻かけ卜斎(ぼくさい)の八風斎(はっぷうさい)。たちまち加賀(かが)の美川(みかわ)ヶ浜に上陸して、陸路越前(えちぜん)の北(きた)ノ庄(しょう)へ帰りつき、主人勝家(かついえ)に、裾野陣(すそのじん)のありさまを残りなく復命した。
 そして勝家は、ちかごろひんぴんと領海をあらす海賊(かいぞく)に討手(うって)を向けたが、すでに、紅帆呉服船(こうはんごふくぶね)の行方(ゆくえ)はまったく知れなかった。

「あ、あ、あア――」
 と、煙草(たばこ)くさいあくびを一つ。
「だいぶ遊んでしまったな、もう陸(おか)へあがって四十日目か。おやおや都入(みやこい)りのとちゅうで、おもわぬ道草を食(く)ってしまったわい……」
 ひとりごちながら寝台(ねだい)をおり、二階の窓ぎわへ、唐風(からふう)の朱椅子(あかいす)をかつぎだして、そこへ頬杖(ほおづえ)をついたのは、こういう異人屋敷(いじんやしき)にふさわしい和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)。
 そとは海――それも鯖(さば)の背のような、あお黒い冬の海。
 昼の陽(ひ)ざしも、こたえがなく、北日本特有の寒風が、槍(やり)のごとく波面(なみづら)をかすッて、港泊(どま)りの諸船(もろぶね)の帆(ほ)ばしら、ゆッさゆッさとゆさぶれあうさま、まるで盥(たらい)のなかの玩具(おもちゃ)を見るよう。
 その港を、どこかといえば、賤(しず)ヶ岳(たけ)を南にせおい、北陸無双(むそう)の要害(ようがい)ではあり商業の繁昌地(はんじょうち)。――陸(おか)には南蛮(なんばん)屋敷があり、唐人館(とうじんかん)の棟(むね)がならび、湾(わん)には福州船(ふくしゅうぶね)やスペイン船などの影がたえない角鹿(つるが)(いまは敦賀(つるが)と書く)の町である。
「さてと、ことしは天正(てんしょう)十年、もう十二月だな……」
 この海を見、この異国情調(じょうちょう)をながめても、呂宋兵衛(るそんべえ)には、詩をつくる頭もないと見え、みょうなことをつぶやいている。
「天正十年、――へんな年だッたな、ばかに天下をかきまわした年だ。まずちょっとおもいだしたところでも、春早々(そうそう)、甲斐(かい)の武田(たけだ)が亡(ほろ)ぼされ、六月には、信長(のぶなが)が本能寺(ほんのうじ)で焼打(やきう)ちにあった。うまくやったのは猿面(さるめん)の秀吉(ひでよし)、山崎の一戦から柴田(しばた)も佐々(さっさ)も滝川(たきがわ)も眼中になく、メキメキ羽振(はぶ)りをあげたが、ずるいやつは徳川家康(とくがわいえやす)だ。どさくさまぎれに、甲州(こうしゅう)から信濃(しなの)の国をわが物にして、こっそり領分(りょうぶん)をふくらませてしまった。――だが、まずゆくゆくの天下取りは、どうしても秀吉だろうな。北(きた)ノ庄(しょう)の柴田勝家(しばたかついえ)、こいつもなかなか指をくわえてはいまい。いまに秀吉と、のるかそるかの大勝負だ。……ウム、のるかそるかは俺(おれ)のこと、手ぶらで都入(みやこい)りも気がきかない。手近なところでなにか一つ、秀吉のやつに取りいるお土産(みやげ)を、かんがえようか……」
 その時、コツコツ扉(と)をたたく者があった。
「オイ、兄貴(あにき)、いねえのか、寝ているのか!」
「だれだ」
「龍巻(たつまき)だ、あけてくれ」
「いや、こいつはすまなかった」
 窓をはなれて、重い扉(と)をギーとひらく。と、待つ間(ま)おそしの勢いで、飛びこんできた九郎右衛門(くろうえもん)、片目をおさえたまま、呂宋兵衛(るそんべえ)の寝台(ねだい)の上へ、ゴロリとあおむけに寝てしまった。
「どうしたんだ、耳のほうへ血がたれてくるではないか」
「すまねえが兄貴(あにき)、この左の目へささッている物を、そッとやわらかに抜きとってくれないか」
「いいとも、だが、棘(とげ)でもさしたのか」
「針だ、針がささッてるんだ」
「針?」
「ウン、ゆうべ沖の客船から、四、五人の旅人をさらってきて、この下の穴蔵(あなぐら)へほうりこんでおいたのだ。そこでいま手下どもと、ひとりひとりの持ち物や身の皮をはいでいると、そのなかにふんじばられていた婆(ばばあ)めが、いきなりおれの顔へ針をふきつけやがったんだ。ア、痛、……なにしろ早く抜いてくれなきゃ話もできねえ」
「うごいてはいけないぞ、いま洗い薬を、こしらえているから」
「たのむからはやく……」
「よし、じッとしていろよ」
 と、多少蛮法(ばんぽう)の医術にも心得があるらしい呂宋兵衛、口をもって龍巻(たつまき)の眸(ひとみ)にふかく突きささっている針をくわえとり、すぐ洗い薬をあたえておちつかせた。
 すると、四、五人の手下が、扉口(とぐち)から首をだして、
「おかしら」
 と、どなった。
「いよいよあの船へ、角鹿町(つるがまち)の和唐屋(わとうや)から一万(まん)両(りょう)の銀を送りこみましたぜ。船積みするところまでたしかに見届(みとど)けてきました」
「そうか!」龍巻(たつまき)は、苦痛もわすれ、
「して、厦門船(アモイせん)は、いつ纜(ともづな)を巻きそうだ」
「いつどころじゃねえ、もう出船(でふね)のしたくをしているようすなんで、風のあんばいじゃ夕方にも、港をズリだすかも知れませんぜ」
「じゃ、こうしちゃいられねえ。てめえたちは、穴蔵(あなぐら)にいる子分を呼びあげて、すぐ沖(おき)の鼻へ、船をまわして見張っていろ。おれはあとから、早船(はやぶね)で追いつくから」
「がってんです。じゃ、お頭領(かしら)もすぐにきておくんなさい」
 ドカドカと階段を降(お)りていった。
「大そうな仕事じゃあないか」
 呂宋兵衛(るそんべえ)は、いまの話であらかたのもようをさっしていた。
「この角鹿へ煙草(たばこ)を売りこんだ厦門船が、一万両の売り代を積んでかえるやつを、玄海灘(げんかいなだ)あたりで物にしようというたくらみさ。そこでこんどはしばらくこの仲間(なかま)屋敷へも帰らねえから、兄貴(あにき)はここで冬を越すとも、また閉(し)めて京都へ立つなりと好(す)きにしてくれ」
「ちょうどいい。じつはおれも、いつまでここにいい心持になってもいられないから、一つゆきがけの駄賃(だちん)に北(きた)ノ庄(しょう)のようすをさぐり、それを土産(みやげ)に都入(みやこい)りして、うまうまと秀吉(ひでよし)のふところへ飛びこむつもりで考えていたところだ。すぐおれもここを立つとしよう」
「するととうぶんお別れだが、秀吉公(ひでよしこう)へ取りいったら、おれもお船手の侍大将(さむらいだいしょう)かなにかになれるように、うまく手蔓(てづる)をしてもらいてえものだな」
「野武士(のぶし)だろうが海賊(かいぞく)だろうが、人見知りをせず味方にする秀吉だから、おれが上手(じょうず)に売りこんで、龍巻壱岐守(たつまきいきのかみ)ぐらいにはしてやるよ。まあそれを楽しみにしているがいい」
「あ――厦門船(アモイせん)がでやがった」
 窓口から港をながめて、龍巻はにわかに立った。そしてせわしい別れをつげ、部屋(へや)からかげを消したかと思うと、やがて、海賊の巣(す)である異人屋敷の裏手から、一艘(そう)のはしけを矢のごとく漕(こ)がせていった。
「ははあ、紅帆船(こうはんせん)は、むこうの岬(みさき)のかげにかくれているんだな」
 それを見つつ、呂宋兵衛(るそんべえ)も伴天連(バテレン)の黒服(くろふく)をつけ、首に十字(じ)架(か)をかけて、ふところには短刀をのんだ。さて、すっかり身支度(みじたく)がおわると、バタバタ窓をしめて、かれもこの家を立ちかけたが、門口(かどぐち)でフイと一つの忘れ物を思いだした。
「針(はり)……針……針がいたッけ……」
 呪文(じゅもん)のようにつぶやくと、クルッと踵(きびす)をかえして、うす暗い石段をスルスルと地の底へ――

 陰湿(いんしつ)な穴蔵部屋(あなぐらべや)、手さぐりで近寄(ちかよ)ると、鉄格子(てつごうし)の錆(さび)がザラザラ落ちた。すると、ウーム……とうめきだしたかすかな人声。海賊(かいぞく)たちにつれこまれた旅人らしい、ムクムクと身をおこして、人のけはいにおびえている。
「おい、おい」呂宋兵衛(るそんべえ)は、鉄格子からのぞきこんで、
「もしやおまえは、富士の裾野(すその)にいた蚕婆(かいこばばあ)ではないか」
「えッ!」
 と、びっくりしたが、しばられているので、そばへは寄ってこられぬらしい。
「わ、わたしを知っているのは、いったい、だ、だれだい……」
「人穴(ひとあな)の呂宋兵衛よ」
「ひえッ、呂宋兵衛さま? ああありがたい、助かった。海賊の龍巻がこないうち、はやくここからだしてやっておくんなさい」
「どうしておまえはまた、こんなところへつれこまれたのだ」
「どうしてだって、このくろうをするのも、みんなおまえさんに味方をしたためじゃないか。人穴城(ひとあなじょう)から法師野(ほうしの)へ逃げて、落ちつくまもなく、伊那丸(いなまる)の夜討ちにあい、やッと北陸道まで逃げのびたと思うと、こんどは海賊につかまってこのありさまさ」
「やッぱり、おれの想像(そうぞう)があたっていた」
「くやしいから龍巻(たつまき)の目の玉へ、針を一本吹いてやったら、いまになぶり殺しにしてやるからおぼえていろと、おそろしい血相(けっそう)で、二階へかけあがっていったが……」
「その龍巻や手下どもは、にわかに船をだすことになって、おまえをここへおき去(ざ)りにしていった」
「すると、わたしを餓死(うえじに)させる気だったんだね。呂宋兵衛(るそんべえ)さま、とにかく早くだしてくださいまし」
「よし、そのかわりにこれからさきは、おれのために、火の中へでも水の中へでも飛びこむだろうな」
「ごめん、ごめん。わたしはもう大きな慾(よく)のない身だから、また裾野(すその)で、蚕(かいこ)の糸でものんきに引きたいよ」
「ふん、それじゃ、いッそ、死ぬまでこの穴蔵(あなぐら)で隠居(いんきょ)をしていろ。たぶんもう二、三年は、この屋敷の戸を開(あ)けにくる人間はないはずだから」
 呂宋兵衛が、もどりかけると、蚕婆(かいこばばあ)は悲鳴をあげた。いやおうなく、いろいろな誓(ちか)いを立てさせられて、そこから助けだしてもらうと、婆(ばばあ)は、頭にくろい頭巾(ずきん)、身に黒布(こくふ)をまとわせられて、あたかも女修道士(おんなイルマン)のような姿となり、呂宋兵衛のあとからあてもなくついていった。
 それから数日ののち――
 角鹿(つるが)の浦から十六、七里、足羽御厨(あすわみくりや)の北(きた)ノ庄(しょう)(今の福井市(ふくいし))の城下に、ふたりの偽伴天連(にせバテレン)があらわれて、さかんに奇蹟(きせき)や説教をふりまわしていた。
 と、ある日である。濠端(ほりばた)にたって、なにやら祈祷(いのり)をささげている伴天連をみかけて、美しい夫人が鋲乗物(びょうのりもの)を止(と)めさせた。
「もし、伴天連さま」
 きれいな侍女(こしもと)たちが三、四人、駕籠(かご)をはなれて腰をかがめた。伴天連――呂宋兵衛(るそんべえ)と蚕婆は、もったいらしく、祈祷の膝(ひざ)をおこして、
「はい、なんぞご用でござりますかな」
「あの駕籠(かご)のうちにおいでなされますのは、ご城主さまの奥方小谷(おだに)の方(かた)さまでいらっしゃいます」
「ああそれはそれは、右大臣信長公(うだいじんのぶながこう)のお妹君(ぎみ)で小谷の方さま、おうわさにもうけたまわっておりました」
「奥方さまは、そのむかし、安土(あづち)においでのころから、マリヤさまをふかいご信仰(しんこう)でいらっしゃいます。ついては、なにかお祈祷のお願いがあるとのこと、ごめいわくでも城内までお越しあそばしてくださいませぬか」
「おやすいこと、すぐにもお供(とも)もうしましょう」
 と、呂宋兵衛は、人知れず蚕婆に目くばせして、聖僧気(せいそうき)どりのうやうやしく、小谷の方の乗物について大手の橋を渡りこえた。
 すると多門(たもん)の塀際(へいぎわ)ですれちがった、りっぱな武士がある。
「おや?」
 と伴天連(バテレン)のすがたを見送って、
「こりゃふしぎだ、いま奥方の供(とも)に加わっていったやつは、たしかに、いつぞや海賊船(かいぞくせん)で別れた和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)、ひとりは裾野(すその)の蚕婆(かいこばばあ)によく似たやつだ……はて、みょうだわい」
 と、下城(げじょう)のとちゅうで腕ぐみをしてしまった。
「ウーム、あの呂宋兵衛がこの城内へ……伴天連になりすまして……蚕婆をつれて……こりゃ時節がらゆだんがならん!」
 従者だけをそこから下城させて、スタスタとふたたび曲輪(くるわ)へ帰りだしたのは、もと裾野では鏃師(やじりし)の鼻かけ卜斎(ぼくさい)――いまではこの城の礎(いしずえ)とたのまれる上部八風斎(かんべはっぷうさい)だった。

 足羽九十九橋(あすわつくもばし)を脚下(きゃっか)にして、そびえたつ北(きた)ノ庄(しょう)の城は北国一の荒大名(あらだいみょう)、鬼柴田勝家(おにしばたかついえ)がいる砦(とりで)である。塁濠(るいごう)は宏大(こうだい)、天主や楼閣(ろうかく)のけっこうさ、さすがに、秀吉(ひでよし)を成りあがりものと見くだして、大徳寺では、筑前守(ちくぜんのかみ)に足をもませたと、うそにも、いわれるほどなものはある。
「憎(に)っくい猿面(さるめん)、ウーム、一あわふかしてくれねばならぬ」
 と、本丸の上段、毛皮の褥(しとね)に、どッかりかまえた修理亮勝家(しゅりのすけかついえ)は、その年、五十三の老将である。こよいも、岐阜(ぎふ)の侍従(じじゅう)信孝(のぶたか)からの飛状(ひじょう)を読みおわって、憤怒(ふんぬ)を面(おもて)にみなぎらしていた。
 評定(ひょうじょう)の間(ま)のあかりは、晃々(こうこう)と照って、席には一族の権六勝敏(ごんろくかつとし)、おなじく勝豊(かつとよ)、徳山則秀(とくやまのりひで)、不破光治(ふわみつはる)、小島若狭守(わかさのかみ)、毛受勝介(めんじゅかつすけ)、佐久間玄蕃允(さくまげんばのじょう)など、万夫不当(ばんぷふとう)の北国衆が、評定の座へズラリといならんでいる。
「この勝家(かついえ)が冬ごもりのまを、鬼(おに)のいぬまと思うて、猿面(さるめん)秀吉(ひでよし)がすき勝手なふるまい。この書状(しょじょう)のようすでは、疾(と)く佐和山(さわやま)をおとしいれ、長浜の城まで手をだしてまいったらしい。ウム、もう隠忍(いんにん)している場合ではない。若狭(わかさ)! 若狭守!」
「はッ」
「そちはすぐ天守(てんしゅ)へあがって、陣触(じんぶ)れの貝をふけ」
「はッ」
「勝敏(かつとし)、勝豊(かつとよ)! また玄蕃允(げんばのじょう)! その方(ほう)どもは先陣に立ってまッしぐらに、近江(おうみ)へむかえ、すぐにじゃぞ……」
「君(きみ)! しばらく待たせられい」
「なんじゃ、毛受勝介(めんじゅかつすけ)、そちも一陣のさきがけをのぞむか」
「いや、もってのほかな――」
 とニジリだした勝介(かつすけ)、やや色をあらためて、きッと、
「さきほど、軍師(ぐんし)の八風斎(はっぷうさい)どのが、列席のおりには、秀吉(ひでよし)退治(たいじ)のご出陣は、来春の雪解(ゆきど)けと、同時に遊ばすことに決したではござりませぬか」
「ひかえろ、それはまだ信孝公(のぶたかこう)の御書(ごしょ)がつかぬまえじゃ。秀吉の独断かくまでと思わぬからじゃ」
「ご立腹はさりながら、時はいま十二月の真冬、北国街道(かいどう)の雪たかく、軍馬の進路、おもいもよりませぬ」
「だまれ、勝介(かつすけ)、おりから今年(ことし)は雪がすくない。このくらいな天候ならば、柳(やな)ヶ瀬(せ)越えもなんのその、一挙(きょ)に、長浜を取りかえして、猿(さる)めに、一あわふかすぐらいなんのぞうさがある」
「仰(おお)せながら、ひとたび軍旅を遠くはせて、木(き)ノ芽(め)峠(とうげ)や賤(しず)ヶ岳(たけ)の険路(けんろ)を、吹雪(ふぶき)にとじこめられるときは、それこそ腹背(ふくはい)の難儀(なんぎ)、軍馬はこごえ、兵糧(ひょうろう)はつづかず、ふたたびこの北(きた)ノ庄(しょう)へご凱旋(がいせん)はなりますまい」
「ウーム……」
 勝家(かついえ)も愚将(ぐしょう)ではない、ましてや分別もじゅうぶんな年ごろ。理(り)のとうぜんに、やり場のない怒気(どき)が、うめきとなって口からもれる。
「いちおうの理がある、しかし……」
 とやや落ちついて、
「来春を待つとして、ほかになんぞ、よい策(さく)があるか」
 と極(き)めつけた。
「ござります――それは裾野(すその)よりご帰参の上部(かんべ)どのが、一月(ひとつき)あまりお屋敷にこもって、苦心のすえ作戦された、秀吉(ひでよし)袋攻(ふくろぜ)めの奇陣(きじん)、必勝の布陣(ふじん)、軍旅の用意にいたるまで、お書付(かきつけ)としてご家老(かろう)徳山(とくやま)どのへお渡しになっております」
「そんなものがあったか。伊那丸(いなまる)を味方につけ、甲駿(こうすん)へ根を張らんとしてながらくでていた八風斎(はっぷうさい)、それが不首尾(ふしゅび)で、帰参後も、めッたに顔をみせぬと思うていたら、すでに、秀吉袋攻めの奇陣を策(さく)しておったのか、どれ、一見(けん)いたそう」
 と、勝家(かついえ)はことごとくきげんをなおして、徳山則秀(とくやまのりひで)の取りだした書類や図面に目をとおし、また時折にはなにか小声でヒソヒソと密謀(みつぼう)をささやいていた。
 するとこの夜陰(やいん)、おくの曲輪(くるわ)にあたって、にわかにジャラン! ……と妖異(ようい)な鐘(かね)のひびきがゆすりわたった。
「なんじゃ」
 折もおりなので、一同おもわず、ガバと顔をはねあげる。
 勝家(かついえ)も聞きとがめて、
「南蛮寺(なんばんじ)で聞くような、いまわしい鐘の音色(ねいろ)、奥の局(つぼね)でするらしいが、やかましいゆえ、止(と)めてまいれ」
「はッ――」
 と気転(きてん)よくたった小姓(こしょう)の藤巻石弥(ふじまきいしや)、ふと廊下(ろうか)へでるとこは何者? 評定(ひょうじょう)の間(ま)の袖部屋(そでべや)へじッとしゃがみこんでいる黒衣(こくい)の人間。
「間諜(かんちょう)ッ!」
 大声に叫んで、ダッ! と組みついた。奮然(ふんぜん)と、むこうからもむかってくるかと思ったがあんがい、グズグズとくじけてしまったので石弥(いしや)もあっ気にとられた。
「なに、諜者(ちょうじゃ)が入りこんでいたと?」
 勝家(かついえ)をはじめ、玄蕃允(げんばのじょう)、若狭守(わかさのかみ)など、めいめい燭(しょく)をかざしてそれへでてきた。
「なんじゃ、そちは伴天連(バテレン)……しかも老婆(ろうば)ではないか」
「はい、はい、……どうぞおゆるしくださりませ」
 黒いかげは、竿(さお)でハタキ落とされた蝙蝠(こうもり)のようにおののいていた。毛受勝介(めんじゅかつすけ)はッたとにらんで、
「きさま、ただいまの密議を、ここで聞きおッたな!」
「めっそうもないこと、わたくしは神さまに仕える修道士(イルマン)でございます……戦(いくさ)のご評議などを立ちぎきしてなんになりましょう」
「その修道士が、なんでかような場所へ入(い)りこんだか。婆(ばばあ)! うそをもうすと八ツ裂(ざ)きだぞ」
「奥方さまのおたのみで、お祈祷(いのり)にあがりました……ハイ、三人の姫君さまが、そろいもそろうてご風気(ふうき)の大熱(たいねつ)……そのご平癒(へいゆ)を神さまにお祈(いの)りしてくれとのご諚(じょう)をうけてまいりました」
「ほ、なるほど……」
 勝家(かついえ)の面(おもて)がすこしやわらいだ。
「おさない姫(ひめ)たちが、このあいだから風邪(かぜ)に悩(なや)んでいる。奥もきょうはそれで祈祷(いのり)にまいった。アレは昔からその宗門(しゅうもん)でもあった」
「まったく、ご錠口(じょうぐち)をまちがえまして……」
「石弥(いしや)、この修道士(イルマン)の婆(ばばあ)を、おくの局(つぼね)へつれていってやれ、間諜(かんちょう)でもないらしい」
「かしこまりました」
 と、石弥(いしや)が立ち、一同がちりかけると、そのとき、四十九間(けん)の長廊下(ながろうか)を、かけみだれてくる人々! 小谷(おだに)の方(かた)をまっ先に、局(つぼね)侍女(こしもと)など奥の者ばかり、めいめい鞘(さや)をはらった薙刀(なぎなた)をかかえ、雪洞(ぼんぼり)花のごとくふりてらしてきた。
「奥ではないか、なにごとじゃ」
「オオ殿さま、ごゆだんあそばしますな」
 と小谷の方は、薙刀をふせて、
「今がいままで、一間(ま)のうちに祈祷(いのり)の鐘をならしていた伴天連(バテレン)がみょうなそぶりで、ご城内の要害(ようがい)をさぐり歩いているという小者の知らせでござります」
 と息をあえいだ。
「うかつな者をめしいれるから悪い。む! さすればただいまの老婆(ろうば)もその片われじゃな」
「オオ、そこにいる修道士(イルマン)、引っくくってごせんぎなされませ」
 といわせもはてず、小谷(おだに)の方(かた)のうるわしい頬(ほお)へピラピラッと四、五本の針がふき刺(さ)さった。
「あッ!」と藤巻石弥(ふじまきいしや)も、同時にひとみをおさえて飛びしさる、とたんにすきをねらった老婆(ろうば)は、黒布(こくふ)をひるがえしてドドドドドッと大廊下(おおろうか)から庭先へ飛びおりた。
「それッ」
 と近侍(きんじ)をはじめ侍女(こしもと)の薙刀(なぎなた)、八面(めん)をつつんでワッと追いかぶさったが、雪ともつかぬ雹(ひょう)ともつかぬふしぎなものが、近よる者のひとみに刺さって、見るまに怪異(かいい)な老婆のかげは、外曲輪(そとぐるわ)の闇へ、飛鳥(ひちょう)と消える。
 ふいのそうどうに、ガランとしていた評定(ひょうじょう)の間(ま)。
 一羽(わ)の蛾(が)がピラピラと飛んでいる。……
 これはあやしい。蛾(が)は妖異(ようい)だ。夏なら知らず十二月、蛾が生きているはずがない――と思うと灯取(ひと)り虫、一つ一つの燭(しょく)をはたきまわって、殿中(でんちゅう)にわかにボーッと暗くなってきた。
 スウーッとその蛾(が)が吸いこまれてしまった。
 いつの間(ま)にか襖(ふすま)のかげに立っていた呂宋兵衛(るそんべえ)の口のなかへ――滅光(めっこう)の口術(こうじゅつ)? ニヤリと笑って、評定の間へスルスルとはいってきた。

 暗闇(くらやみ)のなかで、呂宋兵衛(るそんべえ)、ムズとつかんだ。一同が評議にかけていた秀吉(ひでよし)袋攻(ふくろぜ)めの秘帖(ひちょう)、それだ! それをつかんだ。――片手につかんで蟇(がま)のように評定(ひょうじょう)の間(ま)をはいだした。
 大廊下(おおろうか)には人がいる、ワイワイとさわいでいる。そッちへは逃げられない、次の間(ま)へ、スーと抜けてくると、障子(しょうじ)に槍(やり)をもってる人影がうつっている。
「こいつは危(あぶ)ない……」
 と、あとずさりをした壁ぎわで息をのむ。と、うしろからだれか、指のさきで、チョイと背中をついた者がある。
 二寸ばかり納戸襖(なんどぶすま)があいていた。そのなかから手がでて呂宋兵衛の指へやわらかにさわった。
「蚕婆(かいこばばあ)だな……」
 と、すぐ肚(はら)のうちで、うなずいた。
 そして、手につかんでいた秘帖を、スルリと引っぱられたが、婆(ばばあ)があずかるつもりだろう――と思ってわたしてしまった。
 とたんに、ズドン! と短銃(たんづつ)の弾(たま)がまつげをかすった。白いけむりが評定の間でムクッとあがった。いけねえ! と思ったので呂宋兵衛、いきなり障子(しょうじ)を開(あ)けるやいな、バラッと飛びだすと、待ちかまえていた長身(ながみ)の槍先(やりさき)が、
「えいッ」
 と、するどい光をつッかけてきた。
「おッ!」
 と、すばやくつかみとめた槍の千段(だん)、顔を見るとおどろいた、闇(やみ)でも知れる鼻――あの鼻のもちぬし、上部八風斎(かんべはっぷうさい)である。
 こいつは苦手(にがて)だ、ばらばらともとの部屋へ逃げこむ、と同時に、佐久間玄蕃允(さくまげんばのじょう)の声で、
「曲者(くせもの)ッ!」
 組んできた。ドンとつぎの千畳敷(せんじょうじき)へ投げつけられた。起きあがると、またふたたび、毛受勝介(めんじゅかつすけ)の大喝(だいかつ)一声(せい)、
「おのれ、間諜(かんちょう)!」
 グンと襟(えり)がみを引ッつかまれた。が、こんどは呂宋兵衛(るそんべえ)にれいの奥の手をだすよゆうがあった。ポンとその手をはらうや否(いな)、跳(と)びあがって広間の壁へ、守宮(やもり)のようにペタリと背なかを貼(は)りつけてしまった。
 上部八風斎、すばやく見つけて、槍の素扱(すご)きをくれながらブーンと壁の下からつき上げた。――もんどり打って呂宋兵衛のからだが畳(たたみ)の上へおちたかと思うと、木(こ)の葉(は)をめくるように一枚の畳がヒラリと起きて槍へかぶった。
「おおッ」
 と、毛受、佐久間が飛びつくまに、かれのすがたは畳(たたみ)の下へもぐって消える。
「方々(かたがた)、方々、曲者(くせもの)はこの部屋(へや)でござる。千畳(じょう)敷(じき)を取りまきめされい!」
 毛受勝介(めんじゅかつすけ)が城中へ鳴りわたるばかりにどなった。
 と――あら奇怪、畳から次の畳へ、ムクムクムクと波のごとくうごいていった。そして、向こうの端(はし)の一枚がポンとめくれる――たちまち飛びだした呂宋兵衛(るそんべえ)、脱兎(だっと)のごとく大廊下(おおろうか)から武者走(むしゃばし)りににげだした。
「幻術師(げんじゅつし)! のがすなッ」
 とひしめきあって、あらん限りの武者がそれへ殺到してしまった。そのようすを見すまして、はじめて、納戸襖(なんどぶすま)をソロリとあけた黒装束(くろしょうぞく)、押入れからとびだして、呂宋兵衛からわたされた攻軍(こうぐん)の秘図(ひず)をふところにおさめ、別なほうから築山(つきやま)づたいで、北庄城(ほくしょうじょう)の石垣(いしがき)をすべり落ちていった。

 橡(とち)ノ木(き)峠(とうげ)の大吹雪(おおふぶき)――
 軍飛脚(いくさびきゃく)か狼(おおかみ)か雪女よりほかはとおるまい。
 ところがひとりのお婆(ばあ)さん、元気なものだ。歓喜天(かんぎてん)さまのお宮の絵馬(えま)を引ッぺがして、ドンドン焚火(たきび)をしてあたっている。
 黒い頭巾(ずきん)をかぶって、姿は気(け)だかい修道士(イルマン)だが、中身(なかみ)は裾野(すその)の蚕婆(かいこばばあ)だ。たきびで焼いた兎(うさぎ)の肉をひとりでムシャムシャ食(た)べている。
「ここで落ちあうやくそくだのに、どうしたんだろう……にげ損(そこ)なってやられたのかしら」
 同じことを、口のうちでなんどいったか知らない。そのうち麓(ふもと)のほうから、雪をおかしてくる人かげ。
「おお、呂宋兵衛(るそんべえ)さま」
「婆(ばばあ)、待っていたか」
 かぶってきた蓙(ござ)をすてて焚火(たきび)のそばへふるえついたのは、おなじ姿の呂宋兵衛だった。
「待っていたかもないもんだ、半日もおさきだったあね」
「気の毒だった、捕手(とりて)に逃げ口をふさがれて、足羽川(あすわがわ)の上(かみ)を遠まわりしてきたため、ばかに手間(てま)をとってしまった。それはいいが、城中でわたしたアレは落とさずもってきたろうな」
「城中で? おやなにを……」
「この呂宋兵衛(るそんべえ)が、命がけでとった柴田方(しばたがた)攻軍(こうぐん)の秘帖(ひちょう)、秀吉公(ひでよしこう)への土産(みやげ)にするのだ」
「いいえ、わしはなんにも知りませんよ」
「城中のくらがりで、たしかに汝(なんじ)の手へわたしたはず」
「ごじょうだんを……この婆(ばばあ)はおまえさんがはたらくまえに、逃げだしたんじゃないか」
「はてな? するとあの手はだれだろう」
 早打(はやう)ちの男か、またサクサクとここへ雪の峠越(とうげご)えをしてきたものがある。頬(ほお)かむりの上に藁帽子(わらぼうし)、まるで、顔はわからないが蓑(みの)の下から大小の鐺(こじり)がみえた。
 ふたりの前をとおりかかって、
「吹雪(ふぶき)がくる――、追手(おって)もくるぞ」
 ヘンなことをいって通りすぎた。
「なるほど、また北から黒い雲がまいてきた。日の暮れないうち麓(ふもと)の宿(しゅく)へたどりつこう」
 呂宋兵衛と蚕婆は、また伴天連(バテレン)になりすます約束でサクリ、サクリと歩きはじめた。
 案(あん)の定(じょう)、ドーッと、陣太鼓(じんだいこ)をぶつけるような吹雪がきた。燃えのこった焚火(たきび)が雪にまじって、虚空(こくう)に舞い、歓喜天(かんぎてん)の堂の扉(とびら)もさらってゆかれそう。このぶんで一晩ふったら、お宮も埋(う)もって山の木がみんな二、三尺(じゃく)になるかも知れない。
「オオ寒ッ!」
 いたたまれないで、お堂のなかから飛びだしたはひとりの少年。寒いはずだ、膝行袴(たっつけばかま)に筒袖(つつそで)の布子(ぬのこ)一枚、しかし、腰の刀は身なりにも年にも似あわぬ名刀の銀(しろがね)づくり。
「こんな雪が降ってるうちは、クロも空をとべないだろう。アア、いつおいらとめぐりあえるのかしら」
 吹雪(ふぶき)の空を見あげて、くろい大鷲(おおわし)の幻影(げんえい)をえがいたのは、法師野(ほうしの)いらい、その行方(ゆくえ)をたずね歩いている鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)である。
 信濃(しなの)をこえて、飛騨(ひだ)を越えて、クロを尋ねつ冬にはいって、この大雪にゆきくれた竹童、腰に名刀般若丸(はんにゃまる)のほこりはあるも、お師匠(ししょう)さまは尊(たっと)いもの、クロはおいらのかわいいものとしている、あの鷲(わし)にあえざる心はさびしかろう。

 あければ、天正(てんしょう)の十一年。
 本能寺(ほんのうじ)の焼け跡(あと)にも、柳(やなぎ)があおい芽(め)をふいた。
 都の春のにぎやかさ。ことに、羽柴(はしば)従(じゅ)四位(い)の参議秀吉(さんぎひでよし)が入洛(じゅらく)ちゅうのにぎやかさ。――金の千瓢(せんなり)、あかい陣羽織(じんばおり)、もえ黄(ぎ)縅(おどし)、小桜(こざくら)おどし、ピカピカひかる鉄砲(てっぽう)、あたらしい弓組、こんな行列が大路(おおじ)小路(こうじ)に絶えまがない。
 戦(いくさ)があっても貧相でなく、新鋳(しんちゅう)の小判(こばん)がザラザラ町にあらわれ、はでで、厳粛(げんしゅく)で、陽気で、活動する人気(にんき)は秀吉の気質(きしつ)どおりだ。京ばかりではない、姫路(ひめじ)へ下向(げこう)すれば姫路の町が秀吉になり、安土(あづち)へゆけば安土の町がそッくり秀吉の気性(きしょう)をうつす。
「ご前(ぜん)」
 馬廻(うままわ)りの福島正則(ふくしままさのり)、ニヤニヤ笑いながら、秀吉の前へひざまずいた。京都の仮陣営(かりじんえい)、ここに天下の覇握(はあく)をもくろんでいるかれ、飯(めし)を噛(か)むまもないせわしさ。いまも、祐筆(ゆうひつ)になにか書かせながら、じぶんは花判(かきはん)黒印(こくいん)をペタペタ捺(お)している。
 ちかく出師(すいし)せんとする柴田(しばた)がたの滝川征伐(せいばつ)、その兵を糾合(きゅうごう)する諸大名(しょだいみょう)への檄文(げきぶん)であるらしい。
「なんじゃ」
 むぞうさにこたえて、次のへ、ペタリと一つ捺した。
「とうとうやってまいりました」
「だれが」
「裾野(すその)の和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)。おそるおそるご拝謁(はいえつ)を願いに、陣前へまかりこしております」
「富士の人穴(ひとあな)で、二千の軍兵(ぐんぴょう)をかかえながら、勝頼(かつより)の遺子(いし)、武田伊那丸(たけだいなまる)に追いまくられて、こんどはわしへとりいる気だな」
「むろん、ご賢察(けんさつ)のごとくでござりましょう」
「まアいい、ここへ持ってこい」
 と、まるで品物を見るようにいった。
「可児才蔵(かにさいぞう)はあるか!」
 おおきな声でどなった。
 はなやかな小具足(こぐそく)をつけた可児才蔵(かにさいぞう)、幕(まく)をはらって階下に頭(ず)をさげる。
「しばらくそこにおれ」
 といったまま、また祐筆(ゆうひつ)にむかってなにか文言(ぶんげん)をさずけている。と、福島正則(ふくしままさのり)、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)と蚕婆(かいこばばあ)の修道士(イルマン)を連れてはるかに平伏(へいふく)させた。
 呂宋兵衛は、ここぞ出世の緒口(いとぐち)と、あらんかぎりの巧舌(こうぜつ)と甘言(かんげん)で、お目見得(めみえ)した。まず、将来天下人(てんかびと)の兆瑞(ちょうずい)がお見えあそばすということ、君のおんためには死も一毛(もう)より軽しということ、それから、こんどは手まえ味噌(みそ)で天下の野武士(のぶし)はわが指一本にうごくというじまん、幻術(げんじゅつ)は天下無双(むそう)、兵法智略には、丹羽昌仙(にわしょうせん)という腹心の者があること、――かぎりもなくならべたてる。
 秀吉(ひでよし)は、フン、フン、フン、で、聞くことだけは聞いている。
 さてと呂宋兵衛、まだなにかいうつもりだ。
「さてこのたびのご拝謁(はいえつ)に、なにがなよき土産(みやげ)ともぞんじまして、上洛(じょうらく)のとちゅう、命(いのち)がけでさぐりえましたのは柴田勝家(しばたかついえ)の攻略(こうりゃく)、まった北庄城(ほくしょうじょう)の縄(なわ)ばり本丸(ほんまる)外廓(そとぐるわ)、濠(ほり)のふかさにいたるまでのこと、それを密々(みつみつ)言上(ごんじょう)いたしますれば、ちかきご合戦(かっせん)はご勝利うたがいもなきこととぞんじまする」
 と、蚕婆(かいこばばあ)にさぐらせた評定(ひょうじょう)のもよう、じぶんがしらべた砦(とりで)の秘密など、得々然(とくとくぜん)とかたり出した。
 いま、勝家(かついえ)と秀吉(ひでよし)の仲、日ごとに険悪(けんあく)となりつつあることは天下の周知(しゅうち)。さだめし、秀吉が目をほそくしてよろこぶだろうと思うと、呂宋兵衛(るそんべえ)がしゃべっているまに、
「うッははははは」
 と腹をおさえて笑いだした。
「呂宋兵衛、柴田(しばた)の内幕話(うちまくばなし)ならもうやめい」
「はッ」とかれは目をぱちくり。
「仰(おお)せにはござりますが、勝家(かついえ)一族が、ご当家を袋攻(ふくろぜ)めにせん奇陣をくふうし、雪解(ゆきど)けとどうじに出陣の密策(みっさく)をさぐってまいりましたゆえ」
「わかった、わかった。そちの申すのはこれであろう」
 座右(ざう)の文庫から、むぞうさにとりあげて、呂宋兵衛のほうへみせた書類! ヒョイと仰(あお)ぐと、いつぞや、北庄城(ほくしょうじょう)の一室で、納戸襖(なんどぶすま)から合図(あいず)されて手へわたした、あの攻軍の秘帖(ひちょう)だ! あの手が秀吉(ひでよし)だったのか? あの手が? 呂宋兵衛はぼうぜんとして二の句(く)がでない。
「こりゃ、そちは幻術(げんじゅつ)をやるだろうが、諜者(ちょうじゃ)はから下手(べた)じゃの。さぐりにかけては、まだそこにいる男のほうがはるかにうまい」
 と、可児才蔵(かにさいぞう)を顎(あご)でさした。
「才蔵、びっくりしておるわ、種(たね)をあかしてやれ」
「はッ、呂宋兵衛どの」
 と、こんどは才蔵があとをうけた。
「先日はまことに失礼つかまつった」
「や! ではあの時、うしろから手をだされたのは?」
「貴公(きこう)よりまえに、北庄城(ほくしょうじょう)へさぐりにはいっていた拙者(せっしゃ)でござる。また、橡(とち)ノ木(き)峠(とうげ)でごあいさつして通ったのもすなわち拙者で」
「ははあ……」といったまま、呂宋兵衛(るそんべえ)も蚕婆(かいこばばあ)も、すっかり毒気(どっけ)をぬかれたていで、いままで喋々(ちょうちょう)とならべたてた吹聴(ふいちょう)が、いっそう器量(きりょう)を悪くした。

 と、そのとき、羽柴(はしば)の荒旗本(あらはたもと)、脇坂甚内(わきざかじんない)、平野(ひらの)三十郎、加藤虎之助(かとうとらのすけ)の三人、バラバラと幕屋(まくや)の裾(すそ)にあらわれて一大事を報告した。
 しかも、ふしぎな事件である。
 いま、ふいにこの陣屋へ徳川家(とくがわけ)の武士(ぶし)五人がおとずれてきた、というのである。五人の頭(かしら)は、徳川家のうちでも、音にきこえた菊池半助(きくちはんすけ)。
 その半助のいうには、武田勝頼(たけだかつより)、ほかふたりの従者がすみぞめの衣(ころも)に網代笠(あじろがさ)を目(ま)ぶかにかぶり、ひそかに、東海道からこの京都へはいったので追跡(ついせき)してきたが、ついに、この洛中(らくちゅう)で見うしなったゆえ、羽柴どののご手勢でからめてもらいたいとの口上(こうじょう)である。
 こんな奇怪(きかい)な話はない。
 武田四郎勝頼(たけだしろうかつより)――、すなわち、伊那丸(いなまる)の父なる大将は去年天正十年三月、織田(おだ)徳川(とくがわ)の連合軍にほろぼされて、天目山(てんもくざん)の麓(ふもと)ではなばなしい討死(うちじに)をとげていること、天下の有名、だれあって知らぬものはない。
 だのに、その勝頼が、すみぞめの衣(ころも)をきて、京都にはいったとは、なんとしても面妖(めんよう)である。
「おまちがいないか」
 と、虎之助(とらのすけ)が念をおした時、
「断じてそういはござらん」
 と、菊池半助(きくちはんすけ)が語(ご)をつよめていった。
 しかし、京都は徳川家(とくがわけ)の勢力圏内(せいりょくけんない)ではない。ぜひお手配(てはい)をわずらわしたい、との懇願(こんがん)。事件、人物がまた容易(ようい)ならぬ人、なんとへんじをしましょうかと、三人の旗本(はたもと)がこもごも申したてた。
「ふウむ……勝頼がな」
 と秀吉(ひでよし)も、これを聞くとしばらく沈思瞑目(ちんしめいもく)していたがやがて重く、
「ほかならぬ徳川どののおたのみ、聞いてあげずばなるまい。しょうちいたしましたとごへんじをいたせ」
「はッ、お伝(つた)え申しまする」
 と平野(ひらの)三十郎ひとりだけが立ってゆく。と、脇坂甚内(わきざかじんない)すぐに小膝(こひざ)をゆるがして、
「ご承引(しょういん)のうえは、それがしと虎之助(とらのすけ)どのとにて、四郎勝頼(かつより)のありかをたしかめ引っとらえてまいりましょうか」
「待てまて……」
 秀吉(ひでよし)は、まだ瞑目(めいもく)をつづけていたが、はじめて、いつもの調子でいいのける。
「やがてこの筑前守(ちくぜんのかみ)は伊勢(いせ)の滝川(たきがわ)攻めじゃ、この用意のなか、死んだ勝頼をさがしているひまな郎党(ろうどう)はもたぬ」
「はッ」
 甚内(じんない)は五体をしびらせておそれいった。
「じゃが、ひきうけたこと抛(ほう)ってもおけまい、この役目は和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)に申しつける。よいか」
「しょうちいたしました、すぐ洛中(らくちゅう)をくまなくただしてご前(ぜん)へその者を召(め)しつれます」
「やってみろ、そちには手ごろな尋ねものじゃ」
 人使いの名人、顔を見たとたんに、もう呂宋兵衛をあそばせておかなかった。が、ふしぎな大役(たいやく)、いいつけられた、呂宋兵衛のほうでも、なんだかムズムズ油がのる。秀吉公(ひでよしこう)への目見得(めみえ)の初役(はつやく)、ぜひ引っからめて見せねばならぬとひそかにちかった。
 ましてや、武田(たけだ)四郎勝頼、伊那丸(いなまる)の父である。事実、天目山(てんもくざん)で討死(うちじに)していなかったとすれば、天下の風雲、さらに逆睹(ぎゃくと)すべからざることになる。

 里の二月は紅梅(こうばい)のほころぶころだが、ここは小太郎山(こたろうざん)の中腹、西をみても東をながめても、駒城(こまぎ)の峰や白間(しらま)ヶ岳(だけ)など、白皚々(はくがいがい)たる袖(そで)をつらねているいちめんの銀世界で、およそ雪でないものは、伊那(いな)をながるる三峰川(みぶがわ)か、甲斐(かい)へそそぐ笛吹川(ふえふきがわ)のあおいうねりがあるばかり。
「北国すじへ間者(かんじゃ)にいった、巽小文治(たつみこぶんじ)はどうしたであろう」
「そういえば、東海道へいった山県蔦之助(やまがたつたのすけ)も、もうもどってこなければならないじぶんだが? ……」
 小太郎山の山ふところ、石垣(いしがき)をきずき洞窟(どうくつ)をうがち、巨材(きょざい)巨石でたたみあげた砦(とりで)のなかは、そこに立てこもっている人と火気で、室(むろ)のようにあたたかい。
 いま、砦の一ヵ所に炎々(えんえん)と篝(かがり)をたいて、床几(しょうぎ)にかけながらこう話しているのは、忍剣(にんけん)と龍太郎(りゅうたろう)であった。
「ふたりとも、あまりに日数がかかりすぎる。悪くするとこの雪に道でもふみちがえて凍(こご)えたのではあるまいか」
「いや、とちゅうには番卒(ばんそつ)小屋もあり、部落部落には味方もいるから、けっしてそんなはずはない」
「では深入りして徳川家(とくがわけ)のやつに、生けどられたかな」
「蔦之助(つたのすけ)も小文治(こぶんじ)も、おめおめ敵の縄目(なわめ)にかかる男でもなし……きっとなにか大事なことでもさぐっているのだろう。それよりあんじられるのは竹童(ちくどう)じゃ」
 と、龍太郎は眉(まゆ)をくもらせた。
「オオ、竹童といえば、いったいどこへいってしまったのか、とんと尻(しり)のおちつかぬやつだ」
「しかしあいつのことだから、かならずクロをさがしだして、元気な顔でもどってくるだろうが、この雪や氷の冬のうちを、どこで送っているかと思うと、ふびんでもありしんぱいでならぬ……」
 さすがに木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)は、兄弟弟子(でし)の竹童を、明けくれ忘れていないのである。
 去年の晩秋――人穴城(ひとあなじょう)をおとし法師野(ほうしの)の里に凱歌(がいか)をあげた武田伊那丸(たけだいなまる)は、折から冬にかかってきたので、幕下(ばっか)の旗本(はたもと)をはじめ二千の軍兵(ぐんぴょう)をひきいて、ひとまずこの小太郎山へ引きあげたのだ。
 しばらくは、この山城で冬ごもりだ。
 陣具(じんぐ)をつくり武器をとぎ、英気をやしなわせて、春の雪解(ゆきど)けをまっている。
 で、おん大将をはじめ軍師(ぐんし)の民部(みんぶ)も、咲耶子(さくやこ)も、みな一家(か)のごとく団欒(だんらん)して、この冬をこし、初春(はつはる)をむかえたのであるが、ただひとり、人気者の竹童がいないのは、なにかにつけて、だれもがさびしく感じていた。
 竹童よ、竹童よ。おまえはいったいどこにいるか?
 ああ、クロの行方(ゆくえ)がわからないように、竹童のたよりもいっこうわからない――と、いまも龍太郎が灰色の空をあおいで長嘆(ちょうたん)していると、バラバラと、砦(とりで)の柵(さく)の方から、ひとりの番卒(ばんそつ)がかけてきた。
「木隠(こがくれ)さま! 加賀見(かがみ)さま!」
「なんじゃ」
 煙のかげからふたりの声が一しょにおうじた。
「ただいま、巽小文治(たつみこぶんじ)さまと山県(やまがた)さまが、ふもとのほうからこちらへのぼっておいでになります」
「オオ、かえってきたか!」
 ふたりはすぐに篝(かがり)をはなれて立ち、バラバラと砦の一の柵まで迎えにかけだした。

 ここは大将の陣座とみえて、綺羅(きら)ではないが巨材(きょざい)をくんだ本丸づくり、おくには武田菱(たけだびし)の幕(まく)がはりまわされ、そのなかにあって、当(とう)の武田伊那丸(たけだいなまる)は、いましも、軍師(ぐんし)小幡民部(こばたみんぶ)から、呉子(ごし)の兵法図国編(へいほうとこくへん)の講義(こうぎ)をうけているところであった。
 そばには、咲耶子(さくやこ)もいて、氷のような板敷(いたじき)にかしこまり両手を膝(ひざ)において、つつしんで聞いている。
 と――、幕をはらって加賀見忍剣(かがみにんけん)、
「わが君」
 と声をかけた。
「おお忍剣、なんであるな」
「ご講義ちゅうでござりますか」
「いや、兵学のつとめも、ちょうどおわったところじゃ」
「では、せんこく帰陣しました山県(やまがた)、巽(たつみ)のふたり、すぐこれへ召入(めしい)れましてもよろしゅうござりましょうか」
「オオ、北国と徳川領(とくがわりょう)へさぐりにいったふたりのもの、日ごとに帰りを待っていた。すぐここへ呼んでよかろう」
「はッ」
 幕をおとして忍剣のすがたが消えると、やがてふたたびその幕がはねあげられ、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)と巽小文治(たつみこぶんじ)、それに龍太郎(りゅうたろう)と忍剣もつづいて、伊那丸(いなまる)の前へひざまずいた。
「雪中の細作(さいさく)、さだめし難儀(なんぎ)にあったであろう」
 と伊那丸は、まずふたりの使いをねぎらって、
「順序として、北国筋(すじ)の動静をさきに聞きたい、小文治そちのさぐりはどうであった」
「はッ」
 威儀(いぎ)をただして、小文治が復命する。
「多宝塔(たほうとう)のいただきから、たくみに鷲(わし)をつかって逃げうせました呂宋兵衛(るそんべえ)は、どうやら、越前(えちぜん)北(きた)ノ庄(しょう)を経て、京都へ入りこみましたような形跡(けいせき)にござります」
「ウーム、京都へ!」
 小幡民部(こばたみんぶ)がうなずいた。
「おりから、裾野(すその)にいた鏃鍛冶(やじりかじ)の卜斎(ぼくさい)も、柴田(しばた)の家中へひきあげて、北庄城(ほくしょうじょう)では雪解(ゆきど)けとともに、筑前守秀吉(ちくぜんのかみひでよし)と一戦をなす用意おさおさおこたりなく、国境の関(せき)はきびしい固めでござります」
「それでおよそのようすはわかった……」
 と伊那丸(いなまる)はつぎに山県蔦之助(やまがたつたのすけ)へことばをむける。
「して、東海道のほうにはなんぞかわりはないかの」
「若君――」
 すぐ受けて蔦之助、
「容易(ようい)ならぬうわさをきいてござります」
 といった。
「なに、容易ならぬうわさとな?」
「また徳川(とくがわ)の痩武者(やせむしゃ)どもが、この砦(とりで)へ攻(せ)めよせてくるとでもいうことか」
 忍剣(にんけん)は気早(きばや)な肩をそびやかした。
「それとはちがって、世にもふしぎなうわさでござる」
 と、蔦之助(つたのすけ)は伊那丸(いなまる)の顔をあおぎ見ながら、
「――若君、おおどろき遊ばしますな、そのうわさともうすのは、お家(いえ)滅亡(めつぼう)のみぎり、あえなく討死(うちじに)あそばしたと人も信じ、またわれわれどもまでが、うたがって見ませぬ四郎勝頼(かつより)さま」
「オオ、父上――その父上がなんとあるのじゃ」
「じつはお討死(うちじに)とは表向(おもてむ)きで、まことは、天目山(てんもくざん)の峰(みね)つづき、裂石山(れっせきざん)雲峰寺(うんぽうじ)へいちじお落ちなされて、世間のしずまるころをお待ちなされたうえ、このほど身をいぶせき旅僧(たびそう)にかえられ、ひそかに、京都へお入りあそばした由(よし)にござります」
「えッ!」
 はたして伊那丸のおどろきは一通りではなかった。
 勝頼――と父の名をきいただけでも、はやその眸(ひとみ)はうるみ、胸は恋しさにわななくものを、まだ存命(ぞんめい)ときいては、そぞろ恩愛の情(じょう)あらたにひたひたと胸をうって、歓喜(かんき)と驚愕(きょうがく)と、またそれを、怪しみうたがう心の雲が入(い)りみだれる。
「ではなんといやる、父上にはなおご武運つきず、旅の僧となって、都へおちゆかれたと申すのか――蔦之助もっとくわしゅう話してくれ」
「されば、まだことの虚実(きょじつ)は明確に申しあげられませぬが、東海道――ことに徳川家(とくがわけ)の家中(かちゅう)においてはもっぱら評判(ひょうばん)いたしております。それゆえ、なお浜松の城下まで入(い)りこみまして、ふかく実否(じっぴ)をさぐりましたところ、その旅僧(たびそう)を勝頼(かつより)なりといって、隠密組(おんみつぐみ)の菊池半助(きくちはんすけ)、京都へ追跡(ついせき)いたしました」
「ウーム、さては真(まこと)にちがいない」
 心そぞろに、伊那丸(いなまる)のひとみは燃(も)える。
「意外なこともあるものじゃ。真実(しんじつ)、勝頼公(かつよりこう)が世におわすとすれば、武田(たけだ)のご武運もつきませぬところ、若君のよろこびはいうもおろか、われわれにとっても、かようなうれしいことはないが……」
 つぶやきながら軍扇(ぐんせん)をついて、ふかく考えているのは小幡民部(こばたみんぶ)である。しかし、加賀見忍剣(かがみにんけん)や龍太郎(りゅうたろう)やまた咲耶子(さくやこ)にいたるまで、みなこの報告を天来の福音(ふくいん)ときいて武田再興(たけださいこう)の喜悦(きえつ)にみなぎり、春風陣屋(じんや)にみちてきた。
「京都へまいろう! そうじゃ、すぐ京都へまいってお父上にめぐりあおう!」
 なかにも伊那丸は、おさなくして別れた父、なき人とばかり思っていた父――その父の存命(ぞんめい)を知っては、いても立ってもいられなかった。
「民部、わしはこれよりすぐに京都へまいるぞ、そしてお父上を小太郎山(こたろうざん)へおむかえ申さねばならぬ」
 一刻(こく)のゆうよもならずと立ちあがった。
「しばらくお待ちあそばしませ」
 いつも思慮(しりょ)ぶかい小幡民部(こばたみんぶ)、しずかに、伊那丸(いなまる)の裾(すそ)へよって両手をついた。
「民部、そちはわしの孝心をとめるのか」
「なんとしてお止(と)め申しましょう。若君のお心、そうなくてはならぬところでござります。しかしようお考えあそばせ、元来、徳川家(とくがわけ)には策士(さくし)の伝言(でんごん)多く、虚言浮説(きょげんふせつ)は戦国の常、にわかにそれをお信じなされるもいかがかとぞんじます」
「いいや、徳川家の菊池半助(きくちはんすけ)が、それとみた旅の僧(そう)を、京都まで追いつめていったとあれば、こんどのうわさはうそではあるまい。まんいち、時をあやまって、お父上が、家康(いえやす)の手にでも捕(とら)われたのちには、もうほどこすすべはないぞ、この伊那丸が生涯(しょうがい)の大不孝となろうぞ」
「おお、ぜひもござりませぬ……」
 さすがの民部(みんぶ)にもそれをはばむことはできない。かれはとちゅうの変をあんじ、伊那丸じしんがとおく旅する危険を予感(よかん)しているが、孝の一言(ごん)! それをさえぎる文字(もじ)は、兵法にもなかった。
 にわかに、旅のしたくがふれだされた。
 旅から旅をつぐ道筋(みちすじ)は、みな敵の領土(りょうど)だ。むろんしのびの旅である――ともは加賀見忍剣(かがみにんけん)、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)のふたりにきまった。
 雪をふんだ一列の人馬が、蟻(あり)のように小さくくろく小太郎山(こたろうざん)の砦(とりで)をくだった。ふもとの野呂川(のろがわ)は富士川へ水つづき、筏(いかだ)にうつった伊那丸と忍剣、龍太郎の三人は、そこで送りの兵をかえし、雪と水しぶきの銀屑(ぎんせつ)を突ッきって、まっしぐらに、東へ東へと下(くだ)っていった。
 父にめぐり会(あ)いたさの一心(しん)、伊那丸(いなまる)は敵地をぬけ、関(せき)をかすめて旅する苦しさやおそろしさを思わなかった。
 東海道のうら道をぬけて、主従三人が京都へたどりついたのは二月のすえ。おりから伊勢路(いせじ)一円は、いよいよ秀吉(ひでよし)が三万の強軍を狩(か)りもよおして、桑名(くわな)の滝川一益(たきがわかずます)を攻めたてていたので、多羅安楽(たらあんらく)の山からむこうは濛々(もうもう)たる戦塵(せんじん)がまきあがっていた。

 伊勢は戦(いくさ)といううわさだが、京都の空はのどかなものだ。公卿(くげ)屋敷の築地(ついじ)には、白梅(しらうめ)の香(か)がたかく、加茂川(かもがわ)の堤(つつみ)には、若草がもえている。
 そのやわらかい草のうえに、グタリと足をのばしている少年。ときどき、水をみてはさびしい顔――空をあおいではポロポロと、涙(なみだ)をこぼしている。
「クロ! クロ! こんなにおまえをさがしているおいらをすててどこへかくれてしまったんだい、クロ、もう一どおまえのすがたを見せておくれ。おいらはおまえがいないので、こんなにさびしがっているんだぜ! さがしてさがしぬいて、こんなにつかれているんだぜ!」
 鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)は空へむかってこう叫んだ。
 しかし、その訴(うった)えに答えてくれるものもなければ、クロの幻影(げんえい)さえも見えてこない。かれはまたぼんやりと加茂の流れをみつめていた。
 すると、往来からこっちへ歩みよってきた男が、
「おい、おまえは竹童(ちくどう)じゃねえか」
 ふいに背なかをたたいていった。
「え?」
 と、すこしおどろいた顔をして、その男をふりあおいだ竹童は、へんじをするまえにパッと立ちあがって、般若丸(はんにゃまる)の柄(つか)へ手をかけた。
「おいおい、やぼなことをするなよ」
 と、男は手をかまえて、飛びのきながら、
「人の面(つら)をみると、すぐ喧嘩面(けんかづら)だから怖(お)ッかなくってしようがねえなあ。竹童、おめえとおれとは、なにも仇同志(かたきどうし)じゃあるめえし、そういつまで根(ね)を持つことはねえじゃねえか」
 としきりとなだめている男は、裾野落(すそのお)ちのひとりである早足(はやあし)の燕作(えんさく)。なぜか、きょうにかぎってばかに下手(したで)だ。
「なあ竹童――じゃあない、竹童さん。そういつまでも怒(おこ)ってるのはやぼだぜ。呂宋兵衛(るそんべえ)は没落(ぼつらく)するし、人穴城(ひとあなじょう)の住人(じゅうにん)でもなくなってみれば、おまえとおれはなんの仇でもありゃしねえ。久しぶりで仲よく話でもしようじゃねえか」
 竹童(ちくどう)は純(じゅん)なものだ。そういわれてまで、かれを敵視(てきし)する気にもなれないので、意気(いき)ごんだ力抜(ちからぬ)けに、またもとの堤草(どてぐさ)へ腰をおろした。
「みょうなところで会(あ)ったなア」
 と燕作(えんさく)もそばへ寄(よ)ってきて、
「どうしておまえひとりで、こんなところにぼんやりしているのよ。え? ばかに元気のねえ顔つきじゃねえか」
「クロがいなくなったので、それでがっかりしているんだよ」
「クロ? ……なんだい、クロってえのは」
「おいらのかわいがっていた大鷲(おおわし)」
「ああなるほど――」
 と燕作は手をうって、
「あれならなにもしんぱいすることはねえぜ。泣き虫の蛾次公(がじこう)が、おまえのすきをねらって、乗りにげしたッていう話だから」
「ところが行方(ゆくえ)が知れないんだもの――しんぱいしずにいられないよ」
「なアに、蛾次公のことだもの、いまにあっちこっちを飛びまわったあげくに、この京都へもやってくるにきまってら。な、そこをギュッと取っつかまえてしまいねえ」
「ああ、おいらもそう思って、北国街道(ほっこくかいどう)から、雪のふる橡(とち)ノ木(き)峠(とうげ)をこえて、この京都へきたけれど……まだ鷲の影(かげ)さえも見あたらない」
「そう短気(たんき)なことをいったってむりだ。ものはなんでもしんぼうがかんじんだからな……おや、そりゃそうと、竹童(ちくどう)さん、おまえはたいそうすばらしい刀をさしているじゃねえか」
 と、燕作(えんさく)はソロソロ狡獪(こうかい)な本性(ほんしょう)をあらわして、なれなれしく竹童の帯(お)びている般若丸(はんにゃまる)の鍔(つば)や目貫(めぬき)をなでまわしながら、
「こりゃ大(たい)したものだ。目貫の獅子(しし)は本金(ほんきん)で、鍔(つば)は後藤祐乗(ごとうゆうじょう)の作らしい。ウーム……どうだい竹童さん、ものはひとつそうだんだが、その刀をおれに四、五日貸(か)してくれないか」
「えッ」
 竹童は図々(ずうずう)しい相手のことばにびっくりして、
「とんでもないこと! この刀は貸すどころか、ちょっとでも肌身(はだみ)をはなすことのできないだいじな品物(しなもの)だよ」
「そんな意地(いじ)の悪いことをいうなよ。じつは裾野(すその)を落ちていらい、着(き)のみ着のままで、路銀(ろぎん)もなし資本(もとで)もなし、なにをすることもできずに困(こま)っているところだ。後生(ごしょう)だから、その刀を貸してくんねえ。二、三百両にゃ売れるだろうから、そうしたらおまえにも、小判(こばん)の十枚や二十枚は分けてやるぜ」
「ばかなことをいうとしょうちしないぞ」
「オヤ、こんちくしょう」
 と燕作(えんさく)はグッと腕(うで)をまくりあげて立ちあがって、竹童の胸ぐらをつかんだ。
「さっきから下手(したで)にでていればツケあがって、素直(すなお)にわたさねえとまた痛(いた)い目に会わすからそう思え」
「おのれ、さてはやさしくいいよって、はじめからこの刀をとろうとしていたんだな」
「知れたことよ。だれが、てめえみてえな山猿(やまざる)に、ただペコペコするやつがあるものか!」
「ちぇッ、そう聞けばなおのこと、命(いのち)にかけても般若丸(はんにゃまる)をわたすものか!」
「命知らずめ、後悔(こうかい)するなよッ」
 もろ手で咽(のど)をしめつけながら、足がらみをかけて、ドンとねじたおすと、たおれたとたんに竹童が、さっと下から般若丸の冷光(れいこう)をよこざまにはらった。
「おッとあぶねえ!」
 一足(そく)とびに切(き)ッ先(さき)をかわして、おのれも脇差(わきざし)をぬきはらった燕作、陽(ひ)にかがやく大刀をふりかざして、ふたたびタタッ――と斬りこんでくる。
 竹童はすばやく跳(は)ねかえって、チャリン! とそれを引ッぱずした。が、それは剣(けん)の法ではなく、いつも使いなれている棒(ぼう)の呼吸(いき)だ。
 鞍馬(くらま)のおくを下(お)りてから、きょうまでいくたびも生死のさかいを超(こ)えてきたが、ほんものの刀をとって、敵(てき)と刃交(はま)ぜするのは竹童きょうがはじめての経験(けいけん)である。なんともいえぬおそろしさだが、またなんともいえぬ壮快(そうかい)な気分と、必死(ひっし)の力が五肢(し)にも刃(やいば)にもみなぎってくる――

「この山猿(やまざる)め、味(あじ)なまねをしやがるな」
 燕作(えんさく)は見くびりぬいて上段(じょうだん)にかまえ、すきをねらって竹童の手もとへ、パッと斬りつける。
 鞍馬(くらま)の竹童、剣道(けんどう)は知らぬが、胆(たん)は斗(と)のごとしだ。
「なにをッ」
 と叫(さけ)ぶがはやいか、名刀般若丸(はんにゃまる)を棒(ぼう)とおなじに心得(こころえ)て燕作の刀へわが刀をガチャッとたたきつけていった。
 なんでたまろう、二条(じょう)の白虹(はっこう)、パッと火花をちらしたかと思うと、燕作の鈍刀(なまくら)がパキンと折れて、氷(こおり)のごとき鋩子(きっさき)の破片(はへん)、クルッ――と虚空(こくう)へまいあがった。
「しまった!」
 と燕作、悲鳴(ひめい)をあげて逃(に)げだすところを、やっと追(お)いすがった竹童が、ただ一息(ひといき)に、斬(き)りさげようとすると、サヤサヤと葉をそよがせた楊柳(かわやなぎ)のこずえから、雨でもない、露(つゆ)でもない、ただの光でもない、音のない銀の風!
 オオ、無数(むすう)の針(はり)!
 光線(こうせん)をそそぐがごとくピラピラピラピラ! と吹きつけてきて竹童の目、竹童の耳、竹童の毛穴(けあな)、ところきらわずつき刺(さ)さッた。
「ウーム?」
 と息(いき)ぐるしい悶絶(もんぜつ)の一声(ひとこえ)。
 さすが気丈(きじょう)な怪童子(かいどうじ)も、その一瞬(しゅん)に、にわかにあたりが暗(くら)くなった心地(ここち)がして、名刀般若丸(はんにゃまる)をふりかぶったまま、五肢(し)を弓形(ゆみなり)に屈(くっ)して、ドーンとうしろへたおれてしまった。
「ざまをみやがれ、すなおに渡(わた)してしまえばいいに、おあつらえどおりに、苦(くる)しい目を見やがった」
 セセラ笑って、ひっ返した早足(はやあし)の燕作(えんさく)、歯(は)がみをする竹童の胸板(むないた)に足をふんがけて、つかんでいる般若丸(はんにゃまる)を力まかせに引ったくった。
 そして、ニヤリと刃渡(はわた)りをながめていると、ふいにだれか、えりくびをムズとつかんだ。
「あッ、なにをするんだ」
 いうまもなかった。
 フワリと足が大地をはなれたとたんに、かれのからだは宙(ちゅう)をかすって、堤(どて)の若草を二、三間(げん)さきへズデンともんどり打っている。
「ア痛(いた)ッ」
 と跳(は)ねおきて見ると、いつの間(ま)にそこへきたか、網代(あじろ)の笠(かさ)を眉深(まぶか)にかぶったひとりの旅僧(たびそう)、ひだりに鉄鉢(てっぱち)をもち、みぎに拳(こぶし)をふりあげて、
「こりゃ、かような少年をとらえてなんとするのじゃ」
 はッたと睨(ね)めて、よらばふたたび投げつけそうな構(かま)えである。
「おや、この乞食坊主(こじきぼうず)め、よくも生意気(なまいき)な手だしをしやがったな!」
 うばい取った般若丸(はんにゃまる)を持ちなおして、いきなり燕作(えんさく)が斬(き)ってかかると、旅僧はやすやすと体をかわして、手もとへよろけてきた小手をピシリと打った。――燕作はしたたかに手首(てくび)をうたれて、ホロリと刀を落としたので、それをひろい取ろうとすると、ふたたびヤッ! というするどい気合い、こんどは堤(どて)の下へつき落とされた。
 ズルズルとすべり落ちたが、まだ性(しょう)こりもなく起きあがって、いまの仕返(しかえ)しをする気でいると、ひとりとおもった旅僧のほかに、まだ同じすがたの行脚僧(あんぎゃそう)がふたり、すぐそこにたたずんでいたので、
「あッ、いけねえ!」
 とばかり一もくさん、堤のしたを縫(ぬ)って逃(に)げだしてしまった。
 そのうしろすがたのおかしさに、ふたりの僧(そう)は見おくりながら、
「ははははは」
 とほがらかに笑い合う。
 と、堤の上から先のひとりの僧が降(お)りてきて、燕作のすてていった般若丸(はんにゃまる)をたずさえてきて、
「この太刀(たち)を見おぼえはござりませぬか……」
 膝(ひざ)をおって、丈(せい)のたかい僧(そう)のひとりへさしだした。
 網代笠(あじろがさ)にかくされて、僧(そう)のおもざしはうかがいようもないが、丸(まる)ぐけの紐(ひも)をむすんだ口もとの色白く、どこか凛々(りり)しいその行脚僧(あんぎゃそう)は、衣(ころも)のそでで陽(ひ)をよけながら、ジイッと刃(やいば)をみつめていたが、やがてきわめてひくい声で、
「さてさて珍(めずら)しい刀をみることじゃ」
 感慨無量(かんがいむりょう)な語調(ごちょう)をこめて、瞳(ひとみ)もはなたずつぶやいた。
「見るもなつかしいことである。これはまぎれもなき伊那丸(いなまる)の守(まも)り刀(がたな)……」
「わたしも、しかとさように心得(こころえ)ますが」
「つきぬ奇縁(きえん)じゃ……おもえばふしぎな刀とわが身のめぐりあわせのう」
「御意(ぎょい)にござります、あれにたおれている少年を介抱(かいほう)して、ひとつしさいをただしてみましょうか」
「いや、世をしのぶ身じゃ。それはソッと少年の鞘(さや)にもどしておいたほうがよい」
「しかしなにやら、苦(くる)しんでおりますものを、このまま見捨(みす)ててまいるのもつれないようにぞんじますが」
「オオ、では、河原(かわら)の水でもすくってきてやれい。じゃが、夢(ゆめ)にも刀のことはきかぬがよいぞ。訊(き)けばこなたの素性(すじょう)も人に気(け)どられるわけになる」
「しょうちいたしました……」
 と、ひとりが河原(かわら)へ下(お)りていくと、ひとりは竹童(ちくどう)を抱(だ)きおこして活(かつ)をいれ、口に水をあたえただけで、ことばはかけずにスタスタといき過(す)ぎてしまった。
「ア痛(つ)……どなたですか……ありがとうございました。ありがとうございました……」
 竹童は遠退(とおの)く跫音(あしおと)へいくども礼(れい)をいったが、両手(りょうて)で顔をおさえているので、それがどんな風(ふう)の人であったか、見送ることができなかった。
 顔をおさえている指のあいだから、タラタラと赤い血の筋(すじ)……
「あ痛(つ)ッ……」
 と片手(かたて)さぐりに河原の水音をたどっていった竹童、岩と岩との間から首をのばして、ザアッと流れる水の瀬(せ)で血汐(ちしお)をあらい、顔をひやし、そして目や髪(かみ)の毛のあいだに刺(さ)さッた針(はり)を一本ずつ抜いてはまた目を洗っていた。
 そのあいだに――以前(いぜん)の場所の楊柳(かわやなぎ)のこずえから、ヒラリと飛びおりたひとりの女がある。
 女といってもお婆(ばあ)さんだ。修道士(イルマン)の服(ふく)をかぶった蚕婆(かいこばばあ)――。
 くろい頭巾(ずきん)の中から、梟(ふくろ)のような目をギョロリとさせて、柳(やなぎ)がくれに遠去(とおざ)かる三つの網代笠(あじろがさ)を見おくっていたが、やがてウムとひとりでうなずいた。
 いつか河原は暮(く)れている――
 青いぶきみな妖星(ようせい)が、四条(じょう)の水にうつりだした。
 伊勢路(いせじ)に戦(いくさ)のあるせいか、日が沈(しず)んだのちまでも東の空だけはほの赤い。
「あいつだ! たしかにあいつにちがいない!」
 こうさけんだ蚕婆(かいこばばあ)、妖霊星(ようれいせい)をグッとにらんで、しばらく首をかしげていたが、まもなく、黒い蝶々(ちょうちょう)が飛ぶように、そこからヒラヒラと走りだした。

 空にはうつくしい金剛雲(こんごうぐも)、朱雀(すざく)のはらには、観世水(かんぜみず)の小流(ささなが)れが、ゆるい波紋(はもん)をながしている。
 月はあるが、月食(げっしょく)のような春のよい――たちこめている夜霞(よがすみ)に、家も灯(ともしび)も野も水も、おぼろおぼろとした夜であった。いつともなく菊亭右大臣家(きくていうだいじんけ)の釣(つ)り橋(ばし)にたたずんだ三人づれの旅僧(たびそう)は、人目(ひとめ)をはばかりがちに、ホトホトと裏門の扉(と)をおとずれていた。
「はて、まだ答(いら)えがござりませぬが、どうしたものでござりましょう」
 やがて、当惑(とうわく)そうにつぶやく声がきこえた。
「まえもって、密書(みっしょ)をさしあげてあることゆえ、館(やかた)にはとくよりごぞんじのあるはずだが……」
「あまりあたりをはばかりますゆえ、まだ詰(つ)め侍(ざむらい)が気がつかぬのでござりましょう。どれ……」
 となかのひとりが、こころみにまた、閂(かんぬき)をガタガタゆすっていると、こんどは、その合図(あいず)がとどいたとみえて奥にもれていた小鼓(こつづみ)の音(ね)がはたとやみ、同時に人の跫音(あしおと)がこなたへ近づいてくるらしい。
 ギイ……とうちから裏門(うらもん)の扉(と)があかった。
 ななめに、紙燭(ししょく)の黄色い明かりがながれた。その明かりに、泛(う)いた僧形(そうぎょう)のかげを見ると、顔をだした公卿侍(くげざむらい)は、
「や! これは?」
 とおどろいたさまで、すぐに、ふッとかざしてきた紙燭を吹きけしてしまった。
「意外にお早いお着(つ)き、お館(やかた)さまもお待ちかねでござります。いざ……」
 あたかも、貴人(きじん)の微行(びこう)でも迎(むか)えるように、いんぎんをきわめて、扉(と)のすそにひざまずいた。網代笠(あじろがさ)をかぶった三人の僧形は、黙々(もくもく)として、その礼(れい)をうけ、やがてあんないにしたがって、菊亭殿(きくていどの)の奥へ、スーッと姿(すがた)をかくしてしまった。
 ふたたび閉(し)めきられた裏門(うらもん)は、秘密(ひみつ)をのんでものいわぬ口のようにかたく封(ふう)じられた。夜はふけてくるほど、草にも花にも甘(あま)い香(か)が蒸(む)れて、あとはただ釣(つ)り橋(ばし)の紅梅(こうばい)が、築地(ついじ)をめぐる水の上へ、ヒラ、ヒラと花びらくろく散りこぼれているばかり。
 すると、その濠(ほり)ぎわの木のかげから、ツイとはなれた人影(ひとかげ)があった。黒布(こくふ)をかぶった妖婆(ようば)である。いうまでもなく、それは加茂(かも)の堤(どて)から、三人の僧(そう)をつけてきた蚕婆(かいこばばあ)――
 修道士(イルマン)すがたの黒いかたちが、朧月(おぼろづき)の大地へほそながく影(かげ)をひいた。婆(ばばあ)はヒラヒラと釣(つ)り橋(ばし)のそばまできて、かたく閉(と)じた裏門(うらもん)を見まわしていたが、やがて得意(とくい)そうに「ひひひひひひひひ」と、ひとりで笑いをもらした。
「あれだあれだ、やっぱりわしの目にまちがいはなかったぞよ。あの三人の僧侶(そうりょ)のうちのひとりがたしかに武田勝頼(たけだかつより)、あとのふたりは家来(けらい)であろう。うまく姿(すがた)をかえて天目山(てんもくざん)からのがれてはきたが、もうこの婆(ばばあ)の目にとまったからには、運(うん)のつき……すこしも早く、呂宋兵衛(るそんべえ)さまへ、このことを知らさなければならぬが、めったにここをはなれて、また抜(ぬ)けだされたら虻蜂(あぶはち)とらずじゃ、ええ、あの半間(はんま)の燕作(えんさく)のやつ、いったいどこへいってしまったのだろう」
 ブツブツ口小言(くちこごと)をいいながら、濠(ほり)のまわりをいきつもどりつしていると、向こうから足をはやめてきた男が、ひょいと木を楯(たて)にとって、
「だれだ! そこにいるなあ?」
 と、ゆだんのない目を光らした。
「おや、おまえは燕作じゃないか」
「なアんだ、婆(ばあ)さん、おめえだったのか」
 と、声に安心して、早足(はやあし)の燕作、木のそばをはなれて蚕婆(かいこばばあ)のほうへのそのそと寄(よ)ってきた。
「どうしたんだい、半間にもほどがあるじゃないか」
 と婆(ばばあ)は燕作(えんさく)を息子(むすこ)のように叱(しか)りつけて、
「竹童(ちくどう)みたいな小僧(こぞう)には斬(き)りまくられ、旅僧(たびそう)ににらまれればすぐ逃(に)げだすなんて、いくら町人(ちょうにん)にしても、あまり度胸(どきょう)がなさすぎるね」
「婆(ばあ)さん婆さん、そうガミガミといいなさんな。あれでも燕作にしてみりゃ、精(せい)いっぱいにやったつもりなんだが、なにしろ竹童のやつが必死(ひっし)に食(く)ってかかってきたので、すこし面食(めんく)らったというものさ。だがおまえが木の上にかくれていて、れいの針(はり)をふいてくれたので大助かりだッたぜ」
「そうでもなければ、おまえさんは、あんな小さな者のために、般若丸(はんにゃまる)のためし斬りにされていたろうよ」
「まったく! あいつは鷲乗(わしの)りの名人だとは思ったが、剣道(けんどう)まで、アア上手(じょうず)だとは夢(ゆめ)にも気がつかなかった」
「なアに竹童は剣術(けんじゅつ)なんて、ちっとも知っていやしないのだけれど、おまえのほうが弱過(よわす)ぎるのさ。だがまア、そんなことはもうどうでもいいや、燕作さんや、一大事(だいじ)が起ったよ」
「え? またいそがしくなるのかい」
「用をたのみもしないうちから、いやな顔をおしでないよ。おたがいにこれが首尾(しゅび)よくいけば、呂宋兵衛(るそんべえ)さまも一国(こく)一城(じょう)の主(あるじ)となり、わたしや、おまえも秀吉(ひでよし)さまからウンとご褒美(ほうび)にありつけるんじゃないか、しっかりしなくッちゃいけないよ」
「合点(がってん)合点。ところでなんだい、その一大事とは」
「それはね……」
 婆(ばばあ)はギョロリと館(やかた)のほうへ目をくばってから、燕作(えんさく)のそばへすりよって、その耳へ口をつけてなにやらひそひそとささやきだした。
 しばらく、目を白黒させて聞いていた燕作。
「えッ、じゃさっきの旅僧(たびそう)が、天目山(てんもくざん)からのがれてきた勝頼(かつより)だったのか」
「しッ……」
 その素頓狂(すとんきょう)な声をおさえつけて、
「わたしはここに見張(みは)っているから、はやくこのことを呂宋兵衛(るそんべえ)さまに知らせてきておくれ。こんな役目(やくめ)はおまえさんにかぎるのだから」
「よしきた! おれの足(あし)なら一足(そく)とびだ」
「そして、すぐに手配(てはい)をまわすようにね」
「おッと心得(こころえ)た!」
 いうが早いか燕作は、朱雀(すざく)の原をななめにきッて、お手のものの韋駄天(いだてん)ばしり、どこへ駈(か)けたか、たちまち、すがたは朧(おぼろ)の末(すえ)にかくれてしまう。
 あとにのこった蚕婆(かいこばばあ)は、黒い袖(そで)を頭からかぶって、釣(つ)り橋(ばし)のかげにピッタリと身(み)をひそめている。そして菊亭殿(きくていどの)の奥(おく)のようすをジッと聞きすましているらしかったが、ひろい大殿作(おおとのづく)りの内からは、あれきり鼓(つづみ)の音(ね)も人声ももれてはこず、ただ花橘(はなたちばな)や梅の香(か)に、ぬるい夜風がゆらめくのを知った。

 駈(か)けるほどにいくほどに、早足(はやあし)の燕作(えんさく)は、さっさつたる松風(まつかぜ)の声が、しだいに耳ちかくなるのを知った。臥龍(がりゅう)に似たる洛外天(らくがいてん)ヶ丘(おか)のすがたは、もう目のまえにおぼろの空をおおっている。
「アア、息(いき)がきれた……」
 よほどいそいだものと見えて、さすがの燕作も、そこでホッと一息(ひといき)やすめた。
 丘(おか)はさして高くはないが、奇岩(きがん)乱石(らんせき)の急勾配(きゅうこうばい)、いちめんに生(お)いしげっている落葉松(からまつ)の中を、わずかに、石をたたんだ細道(ほそみち)が稲妻形(いなずまがた)についている。
「どりゃ、もう一息――」
 というと燕作は、兎(うさぎ)のようにその道をピョイピョイと登(のぼ)りだした。やや中ごろまでのぼってくると、道は二股(ふたまた)に分れて右をあおぐと、石壁(いしかべ)の堂(どう)に鉄骨(てっこつ)の鐘楼(しょうろう)がみえ、左をあおぐと、松のあいだに朱(あか)い楼門(ろうもん)がそびえていた。燕作はひだりの朱門(あかもん)へさして駈(か)けのぼった。
 これこそ、有名な洛外天ヶ丘の朱門。
 なんで有名かといえば、その門作(もんづく)りがかわっているためでもなく、風光明媚(ふうこうめいび)なためでもない。ここのいただきの平地に、織田信長(おだのぶなが)の建立(こんりゅう)した異国風(いこくふう)の南蛮寺(なんばんじ)があるからである。
 まだ信長の世に時めいていたころは、長崎(ながさき)、平戸(ひらど)、堺(さかい)などから京都へあつまってきた、伴天連(バテレン)や修道士(イルマン)たちは、みなこの南蛮寺(なんばんじ)に住んでいた。そして仏教(ぶっきょう)の叡山(えいざん)におけるがごとく、ここに教会堂(きょうかいどう)を建て、十字(じ)架(か)の聖壇(せいだん)をまつり、マリヤの讃歌(さんか)をたたえて、朝夕、南蛮寺のかわった鐘(かね)の音(ね)が、京都(きょうと)の町へもひびいていた。
 しかし、本能寺(ほんのうじ)の変(へん)とどうじに、異国(いこく)の宣教師(せんきょうし)たちは信長というただひとりの庇護者(ひごしゃ)をうしなって、この南蛮寺も荒廃(こうはい)してしまった。そして無住(むじゅう)どうようになっていたので、秀吉(ひでよし)は呂宋兵衛(るそんべえ)に、天(てん)ヶ丘(おか)へ居住(きょじゅう)することをゆるした。だが、南蛮寺をおまえにやるぞとはいわない。しばらくのあいだ、あれに住めといったばかり、要するに呂宋兵衛は、荒廃(こうはい)した南蛮寺の番人(ばんにん)におかれたわけである。
 だが、慾(よく)のふかい呂宋兵衛は、もう南蛮寺を拝領(はいりょう)したようなつもりで、すっかりここに根を生(は)やし、またボツボツと浪人者(ろうにんもの)を山内(さんない)へあつめて、あわよくば、一国(こく)一城(じょう)の主(あるじ)をゆめみている。
 だから、むろん、祭壇(さいだん)はあれほうだいだし、もとの教会堂(きょうかいどう)には、槍(やり)や鉄砲(てっぽう)をたくわえこみ、うわべこそ伴天連(バテレン)の黒布(こくふ)をまとっているが、心は、人穴(ひとあな)時代からかわりのない残忍(ざんにん)なるかれであった。
「よくいう諺(ことわざ)に、天道(てんとう)さまと米の飯(めし)はつきものだというが、まッたく世のなかはしんぱいしたものじゃない。人穴城(ひとあなじょう)がなくなったと思えば、こんないい棲家(すみか)がたちまちめっかる。わはははは、富士の裾野(すその)だの大江山(おおえやま)だのにこもっているより、いくら増(ま)しだか知れやしねえ。しかもこんどは、羽柴秀吉(はしばひでよし)から公(おおやけ)にゆるされているのだからなおさら安心、しかし、だれもかれも、悪事をやるなら上手(じょうず)にやれよ、裾野(すその)とちがって都(みやこ)のなか、あの秀吉ににらまれると、おれもすこし困(こま)るからな」
 広間(ひろま)には、燃(も)えるような絨氈(じゅうたん)をしきつめてあった。そこは南蛮寺(なんばんじ)の一室。四方(ほう)に大きな絵蝋燭(えろうそく)をたて、呂宋兵衛(るそんべえ)は、中央に毛皮(けがわ)のしとねをしき、大あぐらをかいて、美酒(びしゅ)をついだ琥珀(こはく)のさかずきをあげながら、いかにも傲慢(ごうまん)らしい口調(くちょう)でいった。
「なあ昌仙(しょうせん)、そんなものじゃないか」
「仰(おお)せのとおり、こうなるのも、頭領(かしら)のご武運のつよい証拠(しょうこ)でござる」
 そばにいて、相槌(あいづち)を打ちながら、頭をさげた武士の容形(なりかたち)、どこやら、見たようなと思うと、それもそのはず、人穴落城(ひとあならくじょう)のときに、法師野(ほうしの)までともに落ちてきて別れわかれになった軍師(ぐんし)、丹羽昌仙(にわしょうせん)だ。
 席(せき)には、昌仙以外にも、人穴城から落ちのびてきた野武士(のぶし)もあり、あらたに加わったやくざ浪人(ろうにん)もいならんでその数四、五十人、呂宋兵衛(るそんべえ)のお流(なが)れをいただきながらどれもこれも、軽薄(けいはく)なお追従(ついしょう)をのべたてている。

 ところへ、朱門(あかもん)をぬけて、本堂(ほんどう)の階段(かいだん)からバラバラと駈(か)けあがってきたのは早足(はやあし)の燕作(えんさく)。
「お頭(かしら)、とうとう目(め)っけてまいりました」
 と、廻廊(かいろう)のそとへ、膝(ひざ)をついて大汗(おおあせ)をふいた。
「おう、燕作(えんさく)か」
 と、呂宋兵衛(るそんべえ)は、大広間(おおひろま)からかれのすがたを見て、
「目っけてきたとは吉報(きっぽう)らしい。ではなにか、勝頼(かつより)の在(あ)り家(か)が、知れたというのか」
「へい……それなんで」と燕作は、唾(つば)で喉(のど)をうるおしながら、
「じつあ、きょうも、それを探索(たんさく)するために、蚕婆(かいこばばあ)とふたりで、加茂川(かもがわ)の岸をブラブラ歩いていると、ごしょうちでがしょう、あの鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)のやつがボンヤリ堤(どて)に腰かけていたんです。見ると、すがたに似合(にあ)わぬ名刀をさしているので、こいつ一番セシめてやろうと、蚕婆はやなぎの木の上にかくれ、わっしはそしらぬ顔で、なれなれしく話しかけたものです」
「やいやい、燕作!」
 ふいに呂宋兵衛が魔(ま)のような口を開いてさえぎった。
「バカ野郎(やろう)め。目っけたというのはその竹童のことをいうのか。ふざけやがッて! だれがあんな小僧(こぞう)をさがせといいつけたのだ」
「ま、ま、待っておくんなさい」と燕作はちぢみあがってどもりながら、
「その竹童のことは、話の順序(じゅんじょ)なんで……じゃ、てッとり早(ばや)く本筋(ほんすじ)をもうしあげます。そこへ通りかかった三人の旅僧(たびそう)、挙動(きょどう)があやしいので蚕婆(かいこばばあ)がつけていくと、朱雀(すざく)の原の……ええと……なんといッたっけ……おおそれそれ菊亭右大臣(きくていうだいじん)という公卿屋敷(くげやしき)の裏門(うらもん)から、こッそり姿をかくしました。そのうちのひとりは、たしかに、武田勝頼(たけだかつより)にそういないから、すぐこのことを、呂宋兵衛(るそんべえ)さまにお知らせもうせという蚕婆からの言伝(ことづて)なんで」
「ウーム、そうか……」
 と、呂宋兵衛はやっとまんぞくそうにうなずいたが、まだうたがい深い顔をして、
「どうだろう、昌仙(しょうせん)、そいつアたしかに勝頼かしら?」
「さよう……」
 と丹羽昌仙(にわしょうせん)、じッとうつむいてかんがえていたが、なにか思いあたったらしく、丁(ちょう)と膝(ひざ)をうって、
「たしかにそういござるまい!」
 と断言(だんげん)した。
「どうしてそれがわかるのだ」
「そのわけは、菊亭家(きくていけ)と、武田(たけだ)の祖先(そせん)とは、縁戚(えんせき)のあいだがら。のみならず、勝頼の祖父信虎(のぶとら)とは、ことに親密(しんみつ)であったよしを、耳にいたしました。さすれば、いま天下に身のおきどころのない、落人(おちゅうど)が、そこをたよってくるのは、まことに自然(しぜん)だとかんがえます」
「なるほど、ウム……さてはそうか!」
 と呂宋兵衛(るそんべえ)は、昌仙(しょうせん)の説(せつ)をきいて、それこそ、落人(おちゅうど)勝頼(かつより)の化身(けしん)にちがいなかろうと、大きく一つうなずいた。
 で、すぐに、それを召(め)しとる方法を議(ぎ)しはじめたが、昌仙にも名案(めいあん)がなくなかなかそうだんがまとまらない。なぜかといえば、菊亭右大臣(きくていうだいじん)ともある堂上(どうじょう)の館(やかた)へ、うかつに手を入れれば、後日(ごじつ)朝廷(ちょうてい)から、どんなおとがめがあるかもしれないから――これは秀吉(ひでよし)じしんの手をもってしても、めったなことはできないのであろう。
 といっても、あのやかましい秀吉から、その捕縛(ほばく)をいいつけられている呂宋兵衛は、なんとしても、勝頼を秀吉の面前へ拉致(らっち)していかなければ、たちまち、かれの信用が失墜(しっつい)することになる。
 ――策(さく)はないか! 策はないか! なにかいい名策(めいさく)はないか! と呂宋兵衛はややしばらく、額(ひたい)を押(お)さえて考えこんでいたが、やがてのこと、
「うむ、どうしても、こよいをはずしてはなおまずい。昌仙、耳を……」
 決断(けつだん)がついたか、あの大きな碧瞳(へきどう)をギョロリと光らし丹羽昌仙の耳もとへなにかの計略(はかりごと)をささやいて、ことばのおわりに、
「よいか!」
 ときつく念(ねん)をおした。
「ご名案(めいあん)、心得(こころえ)ました」
「ではさきにでかけるぞ、燕作(えんさく)、その菊亭(きくてい)の館(やかた)へあんないをしろ」
 呂宋兵衛(るそんべえ)は、くろい蛮衣(ばんい)をふわりとかぶって立ちあがり、早足(はやあし)の燕作をさきにたたせて、風のごとく、天(てん)ヶ丘(おか)から駈(か)けだした。
 満山(まんざん)を鳴らして、ゴーッという一陣(じん)の松風が、朧月(おぼろづき)へ墨(すみ)をなすッてすぎさった。と、呂宋兵衛が、立ちさったのち、――南蛮寺(なんばんじ)の絵蝋燭(えろうそく)は一つ一つふき消されて、かなたこなたから狩(か)りだされた四、五十人の浪人(ろうにん)が、いずれも覆面黒装束(ふくめんくろしょうぞく)になって、荒廃(こうはい)した石壁(いしかべ)の会堂(かいどう)へあつまってくる。
 ガチャン! という錠前(じょうまえ)をはずす音。ガラガラとおもい鉄の扉(と)を開(あ)けるひびき――。そして狼(おおかみ)が食(く)い物へとびつくかのように、覆面の者どもが一せいにそのなかへゾロゾロはいると、たちまち鉄砲(てっぽう)、鉄弓(てっきゅう)、槍(やり)、捕縄(とりなわ)など、おもいおもいな得物(えもの)をえらび、丹羽昌仙(にわしょうせん)の指揮(しき)にみちびかれて、百鬼夜行(ひゃっきやこう)! 天ヶ丘からシトシトと京の町へさしてまぎれだした。

 風もないのに、紅梅(こうばい)や白梅(はくばい)の花びらが、釣(つ)り橋(ばし)の水に点々(てんてん)とちって、そのにおいがあやしいまで闇(やみ)にゆらぐ。――と、更(ふ)けわたった菊亭家(きくていけ)の裏門(うらもん)のあたりから、築土(ついじ)をこえて、ヒラリと屋敷(やしき)のなかへ忍(しの)びこんだ三つの人かげがある。
 月(つき)ヶ瀬(せ)の景趣(けいしゅ)をちぢめたような庭作り、丘(おか)あり橋(はし)あり流れあり、ところどころには、蟇(がま)のような石、みやびた春日燈籠(かすがどうろう)の灯(ひ)が、かすかにまたたいていた。
 その館(やかた)の奥庭(おくにわ)を、もののかげからかげへ、暗(くら)がりから暗がりへ、ソロ……ソロ……と息(いき)をころして忍(しの)んでいった三つの影(かげ)は、やがてひろい泉水(せんすい)の縁(ふち)へでて、たがいになにかうなずき合いながら、ひとりは右へ、ひとりは左へ、別れわかれに姿(すがた)をかくして、そこにうッすらと立ちのこったのは、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)だけになった。
 呂宋兵衛はじッとたたずんで、泉水のなかほどをみつめていた。そこには泉殿(いずみどの)とよぶ一棟(ひとむね)の水亭(すいてい)がある。泉(いずみ)の亭(てい)の障子(しょうじ)にはあわい明かりがもれていた。その燈影(とうえい)は水にうつって、ものしずかな小波(さざなみ)に縒(よ)れている。
「…………」
 呂宋兵衛は唇(くちびる)だけをうごかして、印咒(いんじゅ)のまなこを閉(と)じだした。と思うと、そッと足もとの小石をとって、池のなかへ、ポーンと投げる。
「あ!」
 とおどろいたような声が、泉の亭のなかからもれ、池に面した塗(ぬ)り骨(ぼね)の障子(しょうじ)がスッと開(あ)いた。
 その部屋(へや)から、なかば身をさしだして、音のした池の面(も)をながめたのは、館(やかた)の菊亭右大臣晴季公(きくていうだいじんはるすえこう)で、そのまえには、さっきの僧(そう)のひとりが対坐(たいざ)し、ふたりの僧は、末(すえ)のほうにひかえているらしかった。
「なんじゃ……」
 晴季(はるすえ)は微笑(びしょう)をふくんで、波紋(はもん)のなかにしずんでいく魚(うお)のかげを見ながら、
「緋鯉(ひごい)であったそうな……ごあんじなさるまい」
 こういって、またピシャリと障子(しょうじ)をしめてしまった。
 ところが――そのわずかもわずか、ほんの目(ま)ばたきするあいだに、泉(いずみ)のふちに立っていた呂宋兵衛(るそんべえ)のすがたが忽然(こつぜん)と消(き)えてしまった。いや、消えてしまったのではない。水遁(すいとん)の秘法(ひほう)をもちいて、泉殿(いずみどの)の橋(はし)をわたり、いつのまにか、晴季や僧(そう)たちのいる室(へや)のどこかに忍(しの)びこんでいたのだ。
 とも知らず――晴季は、障子(しょうじ)を閉(し)めてほッとしたもののように、また小声で、目のまえにいる僧形(そうぎょう)の貴人(きじん)へ話しかけていたことばをつづける。
「いや、なにごとも時世時節(ときよじせつ)……こうおあきらめがかんじんじゃ。あのような水音にさえ、はッと心をおくお身の上、さだめしおつらかろうとお察(さっ)し申すが、またいつか天運のお恵(めぐ)みもあろうでな。まずそれまではご一身(しん)こそなによりの大事、かならず早まったことをなさらぬがようござる」
「お情(なさ)け、かたじけのう思います」
 正面にすわった僧形の貴人は、ことばすくなに沈んでいた。これ、はたして武田勝頼(たけだかつより)その人であるか否(いな)かは、あまりに、主客の対話(たいわ)がかすかで、にわかに判(はん)じがたいのである。しかし短檠(たんけい)の光に照らされたその風貌(ふうぼう)をみるに、色こそ雨露(うろ)にさらされて下人(げにん)のごとく日にやけているが、双眸(そうぼう)らんとして人を射(い)るの光があり、眉色(びしょく)うるしのごとく濃(こ)く、頬麗(きょうれい)丹脣(たんしん)にして威(い)のあるようす、どうみても、尋常人(じんじょうじん)でないことだけはたしかである。
「とにかく、いちじこうなされてはどうであろう……」
 晴季(はるすえ)は、さらにいちだんと声をひくめて、
「嵯峨(さが)の仁和寺(にんなじ)に、麿(まろ)の親身(しんみ)な阿闍梨(あじゃり)がわたらせられるほどに、ひとまずそれへお越(こ)し召(め)されて、しばらくは天下の風雲(ふううん)をよそに、世のなりゆきを見ておわせ。そしてご武運(ぶうん)だにあらば、機(おり)を待ってまたの大事をお計(はか)りなさるのがなによりの万全(ばんぜん)じゃ。……晴季はそう思うが、御意(ぎょい)のほどはどうおわすの?」
「しごくなお計(はか)らい……いまの身になんのかってな我意(がい)を申しましょうぞ。よろずとも、よろしきようにお願(ねが)いするばかりじゃ」
「では、追(お)い立てるようではあるが、ここの館(やかた)は召使(めしつかい)どもも多いことゆえ、夜明けをまって一刻(こく)もはやく嵯峨へお身を落ちつけあそばしたほうがよい、麿から阿闍梨どのへ、しさいに頼(たの)み状(じょう)を書いておきますでの……」
 こういって晴季(はるすえ)は、千鳥棚(ちどりだな)の硯筥(すずりばこ)と懐紙(かいし)を取りよせ、さらさらと文言(もんごん)をしたためだした。ところがいつになく筆(ふで)がにぶって、書いているまに頭脳(あたま)がボーと重くなり、さながらムシムシとした黒い霧(きり)に身をつつまれているようなだるさをおぼえてきた。
 はッとして、こころを冴(さ)え澄(す)まそうとした。そしてなにげなく見まわすと、まえの人は端然(たんぜん)としているが、ふたりの従僧(じゅうそう)は坐(ざ)しながら、われをわすれていねむっている。
「奇怪(きかい)な!」
 晴季(はるすえ)はクルクルと手紙をまいてゆだんのない目をみはった。とたんに、三人の僧(そう)たちも、なにかいいしれぬ魔魅(まみ)の気(け)におそわれているのを知って、無言(むごん)のまま、ジロジロと部屋(へや)のすみずみをみつめ合った。
 しかし、短檠(たんけい)のかげ、棚(たな)のかげ、調度(ちょうど)のもののかげのほか、あやしいというものの影(かげ)は見あたらない。
「では……」
 と晴季は、したためた手紙を僧の手にわたした。――とはるかに、ガラガラと戸をあける音や、人声のザワめきや、また牛車(ぎゅうしゃ)の轍(わだち)、鶏(とり)の声など、夜明けを知らせる雑音(ざつおん)が、入(い)りまじって、かすかに聞えだしてきた。
「はてな? まだ夜明けにしては、あまり早すぎるが」
 ふと、池の面(も)の障子(しょうじ)をひらいてみると、いつか暁(あかつき)の光が、ほのぼのと水にういて、あなたこなたの庭木の花さえ、しらじらと明けはなれている。
「オオ、不覚(ふかく)不覚、あまり話に身がいって、時刻(じこく)のたつのを忘れていたとみえる」
「ではお館(やかた)、人目にたたぬうちお暇(いとま)をいたす」
「お疲(つか)れでもあろうが、昼のおでましは、かなわぬおからだ、すぐにお立ちがよろしかろう」
 にわかに取りいそいで、三人の僧(そう)はそこから、網代笠(あじろがさ)をかぶり、菊亭晴季(きくていはるすえ)に見おくられて、泉殿(いずみどの)から池(いけ)の橋(はし)をわたってきた。
 すると、四人が橋を渡りおえるとともに、いまがいままで、さえざえと夜明けの光をたたえていたあたりは、また、どんよりとしたおぼろ月夜(づきよ)となり、人声や車の雑音(ざつおん)もバッタリ聞えなくなった。
「や、や? ……」
 立ちどまっていると、ものかげから、ひとりの男、すがたは見せずに、
「お館(やかた)さま」と、声をかけた。
「だれじゃ」
「番(ばん)の者でござります」
「ウム、門まわりの小者(こもの)か。して、なにか変ったことはないか」
「忍(しの)びの者(もの)が入(い)りこみました」
「なに、忍びの者?」
「はい、徳川家(とくがわけ)の菊池半助(きくちはんすけ)というしのびの名人が」
「なんという! すりゃ一大事じゃ」
「世をしのぶ危(あぶ)ないお方(かた)、はやくお落としなさいませ。早く、早く、早く……」
「ウム、そちが裏門(うらもん)をあけてご案内(あんない)してさしあげい。かならずそそうのないように」
「心得(こころえ)ました。さ、こちらへ……」
 ガサガサと木(こ)の葉(は)をわけて、男がさきに立ったので、三つの網代笠(あじろがさ)が晴季(はるすえ)に目礼(もくれい)をしてついていった。
 が晴季は、そのあとで、ふと不安な疑念(ぎねん)におそわれたか、小走りに僧(そう)たちのあとを追おうとした。するとそのとたんに、かれは背なかから、何者かに、ペタリと抱(だ)きつかれて、蝙蝠(こうもり)の翼(つばさ)のようなものに、さえぎられてしまった。
「だれじゃ、麿(まろ)を止(と)めるものは」
 ふりはなそうとしたが、その力はねばり強く抱きすくめていた。さては! と感じたので、晴季は前差(まえざし)の小太刀をぬいて、ピュッと一揮(き)に、
「曲者(くせもの)!」
 力まかせに後ろにはらった。
「ひッ……」
 とさけんで四尺ばかり、まッ黒なかげが、身をはなれた。みると、黒衣(こくい)の妖婆(ようば)。――晴季の切(き)ッ先を跳(と)びのくが早いか、乱杭歯(らんぐいば)の口を、カッと開いて、ピラピラピラピラ! と目にもとまらぬ針(はり)をふいた。

 妖婆(ようば)の吹き針に目をつぶされて、なにかたまろう、菊亭晴季(きくていはるすえ)はウームとそこへ気をうしなってしまった。
 と、すぐにまたそこへ一つの人かげ、ヒラ――とこなたへかけてきて、
「婆(ばばあ)、いそげ!」
 と、あとには目もくれずに、屋敷(やしき)のそとへ走りだした。いうまでもなく、呂宋兵衛(るそんべえ)と蚕婆(かいこばばあ)で、さきに、屋敷の小者(こもの)のふりをして、貴人(きじん)の僧(そう)をさそいだしていったのは、早足(はやあし)の燕作(えんさく)であった。
 その燕作は、いましも、三人の僧を早く早くと急(せ)かしながら、朱雀(すざく)の馬場(ばば)を右にそって、しだいに道を天(てん)ヶ丘(おか)の方角へとって駈(か)けている。
「待てまて、小者まて!」
 従僧(じゅうそう)のひとりが、ふいに足をとめて、
「こうまいっては、嵯峨(さが)の方向とはまるで反対(はんたい)ではないか。仁和寺(にんなじ)へまいるのであるぞ」
「心得(こころえ)ております」
「心得ておりながら、なんでかようなところへ、あんないするのじゃ」
「まアだまって、わっしについておいでなさい。どうせあなたがたは、甲州(こうしゅう)の田舎者(いなかもの)、都のみちは、ごあんないじゃありますめえが」
「まだ、いうか」
 飛びかかッた従僧(じゅうそう)のひとり、燕作(えんさく)の襟(えり)がみをつかんでグッとうしろへ引きたおした。
「無礼(ぶれい)なやつめ、甲州(こうしゅう)の田舎者(いなかもの)とはなにをいうのじゃ、おそれ多くもこれにわたらせらるるは……」
 怒(いか)りのあまり、口をすべらしかけると、別のひとりがハッとしたようすで袖(そで)をひいた。
「ええ、なにをするんだッ」
 燕作は、よろけながらヤケになって大声にわめいた。
「そのことばが、甲州(こうしゅう)なまりだから、甲州の田舎者といったのがどうした、甲州も甲州、二十七代もつづいた武田(たけだ)の落人(おちゅうど)、四郎勝頼(かつより)はてめえだろう!」
「あッ、こやつ――」
 声と一しょに従僧の手から、隠(かく)し差(ざ)しの一刀が、サッとのびて燕作の肩(かた)をかすった。
「おッとあぶねえ」
 燕作は、バッと五、六間(けん)ほど、泳(およ)ぐようにつんのめっていきながら、ピピピピピ……と合図(あいず)の呼子(よびこ)をふいて逃(に)げた。――と思うと八方から、おどりたった覆面(ふくめん)の浪人(ろうにん)どもが、
「落人待った!」
「武田勝頼! ご用!」
「天命(てんめい)はつきたぞ」
 口々に呼(よ)ばわりながら、ドッと三人の僧侶(そうりょ)をとりかこんだ。
「ちぇッ、さては早くも……」
 歯(は)ぎしりを噛(か)んだふたりの従僧(じゅうそう)、網代笠(あじろがさ)をかなぐり捨(す)て、大刀をふりかぶって、主僧(しゅそう)の身をまもり、きたるをうけて槍(やり)や刀をうけはらった。
 いつか白刃(しらは)はみだれ合って、朱(あけ)になったふたりの従僧は、別れわかれの渦(うず)に巻(ま)きこまれてしまった。そして、すきをねらった一本の飛縄(ひじょう)が、松のこずえからピューッと風をきってきたかと思うと、かれらの主(しゅ)と守る僧(そう)は、あッ――と大地へ搦(から)めたおされたようす。
「これ、用意の駕籠(かご)を」
 闇(やみ)にあたって、丹羽昌仙(にわしょうせん)の声がひびいた。
「おうッ」
 というと覆面(ふくめん)のむれ、ガチャガチャと一挺(ちょう)の鎖駕籠(くさりかご)を舁(か)きこんできて、七重(え)八重(え)にしばりあげた貴人(きじん)の僧をそのなかに押(お)しこみ、それッとかつぎあげるや否(いな)、まッ黒にもんで、天(てん)ヶ丘(おか)の南蛮寺(なんばんじ)へいそぎだした。
「ええ、しまった!」
「わが君ッ――」
 悲痛(ひつう)な声が、血煙(ちけむり)のなかに残った。満身(まんしん)の太刀傷(たちきず)にさいなまれたふたりの従僧、斬ッつ、追(お)いつ、小半町(こはんちょう)ほど鎖駕籠を追いかけたが、刀おれ力もつきて、とうとう馬場(ばば)のはずれの若草の上で、たがいに喉(のど)と喉とを刺(さ)しちがえたまま、無念(むねん)の鬼(おに)となってしまった。

 東山(ひがしやま)に、金色(こんじき)の雲(くも)がゆるぎだした。
 京の大宮人(おおみやびと)が歌よむ春のあけぼのは、加茂(かも)の水、清水(きよみず)の花あかりから、ほのぼのと明けようとしている。
 だれもいない南蛮寺(なんばんじ)、緑青(ろくしょう)のふいた銅瓦(どうがわら)の上へ、あけぼのの空から、サッ――と舞(ま)いおりてきた怪物(かいぶつ)がある。みると、ひさしく裾野(すその)からその影をたっていた、竹童(ちくどう)の愛鷲(あいしゅう)、――いやいや、いまでは泣き虫の蛾次郎(がじろう)が、わがもの顔に乗りまわしている大鷲(おおわし)だ。
「やあ、いよいよここが都だな、ゆうべは伊吹山(いぶきやま)でさびしい思いをしたが、きょうはひとつ、クロにも楽(らく)をさせて、京都の町でブラブラ遊んでやろう」
 あれからのち――どこをどう飛(と)んで歩きまわっていたか、あいかわらず、のんきの洒(しゃ)アな顔をして、泣き虫の蛾次郎。南蛮寺の屋根の上から、小手(こて)をかざしてひとりごと……
「いいなア、いいなア、さすがに天子(てんし)さまの都だけあるなあ。オーむこうに見えるのが御所(ごしょ)の屋根だな。霞(かすみ)をひいて絵(え)のとおりだ。二条(じょう)、三条、四条、五条。こうしているあいだにだんだんみえてくる……おッとこんなところで感心していたところでつまらない、はやく一つ腹(はら)ごしらえして金閣寺(きんかくじ)だの祇園(ぎおん)だの、ゆっくり一つ見物(けんぶつ)してこよう」
 ふわりと鷲(わし)を地へ舞(ま)わせて、南蛮寺(なんばんじ)の朱門(あかもん)へおりた蛾次郎(がじろう)。あッちこッちを見まわしていたが、やがて、天(てん)ヶ丘(おか)の松林を奥(おく)ふかくはいってしまった。
 そして、とある松の大木(たいぼく)へ、用意の鎖(くさり)で、鷲(わし)の足をしばりつけてから、
「おいおい、クロ公(こう)」
 と、人間へいうように、いいきかせる。
「おれはな、ちょッと久しぶりだ、きょうはほうぼうあるいてくるから、おれのるすに、どこへもいっちゃいけねえぜ。いいかい、帰りにゃ兎(うさぎ)の肉をウンと買ってきてやるからな、たのむぜ、クロ公(こう)」
 これで安心したらしい。
 そこでさて泣き虫蛾次郎、すこし気どって、れいのボロ鞘(ざや)の刀を差(さ)しなおし、松の小道をとって、ふもとの方へ歩きだしながら、みちみち、山椿(やまつばき)の葉を一枚もいで唇(くち)にくわえ、木(こ)の葉(は)笛(ぶえ)で調子をとりつつ、へんな歌をさけびだした。

ピキ、ピッピキ   トッピッピ
竹童(ちくどう)ちッぽけ    ちッぱッぱ
鷲(わし)を盗(と)られて    ちッぱッぱ
とられる半間(はんま)に   盗(と)る利口(りこう)
鴉(からす)がないても    おら知らねえ
竹童(ちくどう)ちッぽけ    ちッぱッぱ
ピキ、ピッピキ   トッピッピ

「わアおもしれえおもしれえ。竹童のやつがきいたら口惜(くや)しがるだろうな。フフンだ、もうだめだッてことよ。クロは死んでも蛾次(がじ)ちゃんのそばを離(はな)れるのはいやだとさ……あはははははだ。うふふふふふだ。やアい――竹童小(ち)ッぽけちッぱッぱ」
 ひとりで、はしゃぎ立て、ひとりで踊(おど)り足をふりながら、天(てん)ヶ丘(おか)をなかほどまでくだってきたが、そこで、なにを見つけたか蛾次郎(がじろう)は急に、
「おやッ?」
 と目玉をデングリかえした。
「オヤオヤオヤ、なんだなんだありゃ、まッ黒に顔をつつんで、目ばかり光らした侍(さむらい)が大勢(おおぜい)ここへのぼってくるぞ」
 崖(がけ)の上へはいあがって、木(こ)の葉(は)を頭から引っかぶり、なおも目をみはってつぶやいた。
「ずいぶんくるなあ、四、五十人もくるぞ。オオ鎖駕籠(くさりかご)もやってくる。だれがいるんだろうあのなかに。罪人(ざいにん)かしら? えらい人かしら? アレアレ見たような奴(やつ)が、おさきに立ってくるぞ……いけねえ! 呂宋兵衛(るそんべえ)に蚕婆(かいこばばあ)だッ」
 というと蛾次郎(がじろう)は、その覆面(ふくめん)の群(む)れが、目の下へくるよりはやく、鉄砲玉(てっぽうだま)の反(そ)れたうさぎのように、横ッとびの一もくさん――崖(がけ)から崖をころげていってしまった。

 ――きょうは、西陣(にしじん)の今宮祭(いまみやまつり)。
 紫野(むらさきの)から加茂(かも)の里(さと)あたりまで、なんとすばらしいにぎわいではないか。
 太鼓(たいこ)の音(ね)に、道の紅梅(こうばい)は散りしき、笛(ふえ)の音(ね)にふくらみだす桜(さくら)のつぼみ。鐘(かね)チャンギリも浮(う)きうきとして、風流小袖(ふうりゅうこそで)の老幼男女(ろうようなんにょ)が、くることくること、帰ること帰ること、今宮神社(いまみやじんじゃ)の八神殿(しんでん)から、斎院(さいいん)、絵馬堂(えまどう)、矢大臣門(やだいじんもん)、ほとんど織(お)りなすばかりな人出(ひとで)である。
 これで、世が戦国だ、乱世(らんせい)だとはまったく、ふしぎなくらいのもの。
 ときしも、羽柴筑前守秀吉(はしばちくぜんのかみひでよし)は、北国(ほっこく)の柴田権六(しばたごんろく)をうつ小手しらべに、南海(なんかい)の雄(ゆう)、滝川一益(たきがわかずます)の桑名(くわな)の城(しろ)を、エイヤ、エイヤ、血けむり石火矢(いしびや)で、攻(せ)めぬいているまッさいちゅうなのである。
 留守(るす)の都で、ピイヒャラドンドンの今宮祭は、やや悠長(ゆうちょう)すぎるようだが、日本はもともと祭(まつ)りの国だ。かりそめの戦雲(せんうん)が日月(じつげつ)をおおうても、神(かみ)のまつりは絶(た)えないがいい。また、じしんはとおく戦陣(せんじん)の旅(たび)にあるとも、留守(るす)の町人(ちょうにん)百姓(ひゃくしょう)や女子供には、こうして、春は春らしく、平和にのんきに景気(けいき)よく、今宮祭(いまみやまつり)ができるようにしておくのも、つまり、筑前守秀吉(ちくぜんのかみひでよし)が、やがて大(だい)をなすゆえんであるかも知れない。
 なにしろきょうは、けっこうな日である。
 戦(いくさ)をしている秀吉にはここへくるひまもないだろうが、百姓には百姓のわざ、商人(あきんど)には商人のわざがある。大いにお祭をし、大いにはたらけ、それが秀吉さまもおすきだぞ! とばかり、いまも本殿(ほんでん)三座(ざ)の御榊(みさかき)をひっかついで、ワーッと矢大臣門(やだいじんもん)へなだれてきたのは、やすらい踊(おど)りのひとかたまり。
 紅衣(こうい)の楽人(がくじん)たちが笛(ふえ)をはやし、白丁狩衣(はくちょうかりぎぬ)の男たちが鉾(ほこ)や榊をふって、歌いに歌う。そして輪(わ)になった女子供が花棒(はなぼう)ふりふりおどって歩く。
 するとこの踊りの渦(うず)まきが境内(けいだい)の神馬小屋(しんめごや)のまえまできたとき、
 だれか! どこかで?
「キャーッ!」
 と悲鳴(ひめい)をあげたのである。
 だが――うかれ、熱(ねっ)している踊りのむれ。それにも気がつかずに、なおも足なみを練(ね)ってゆくと、こんどは、
「わーッ」
 といって、白丁(はくちょう)の衛士(えじ)がふいにぶッ倒(たお)れた。
 白丁だから目についた。たおれた姿(すがた)が血(ち)まみれである。
「踊(おど)りをやめろ! 踊りをやめろ!」
「踊るやつは、ぶッた斬(ぎ)るぞッ」
 おどろくべき乱暴者(らんぼうもの)が、いつのまにやら、この極楽(ごくらく)へまぎれこんでいたのだ。
 ふいに、破(わ)れ鐘(がね)ごえでこう叫んだのを見ると、雲つくような大男が三人、大小打(ぶ)ッこみ、侍すがた、へべれけに酔(よ)って熟柿(じゅくし)のような息(いき)をはき、晃々(こうこう)たる大刀をぬきはらい、花や女子(おなご)の踊りにまじって、ブンブンふりまわしているのだからたまらぬ。
「アレーッ」
 と泣いて逃げるもの。神馬小屋(しんめごや)へ飛(と)びこんで、馬のお尻(しり)にかくれるもの、さては韋駄天(いだてん)と逃(に)げちる者など――いまが今までの散華舞踊(さんげぶよう)は、一しゅんのまにこの我武者(がむしゃ)のろうぜきで荒涼(こうりょう)たるありさまと化(か)してしまった。
 それにも飽(あ)かず、この三人の浪人者(ろうにんもの)。
 またぞろ八神殿(しんでん)の参詣道(さんけいみち)に、ヒョロヒョロとあらわれて、あッちへ当り、こッちへ当りちらし、肩(かた)で風をきってくる。
「こらッ、物売(ものう)りどもは、店をかたづけい」
「見世物(みせもの)小屋はたたんでしまえ」
「鳴(な)り物(もの)をはやすことはまかりならんぞ。いまは、そんな時世(じせい)ではないのだッ、このバカどもめ!」
「秀吉(ひでよし)さまは、合戦(かっせん)のまッただ中、町人(ちょうにん)のくせに、祭(まつり)などとはもってのほか、さッ、店や小屋(こや)はドシドシとたたんでしまえ!」
 手には刀をふりまわし、足はそこらの物売(ものう)りの荷(に)を片(かた)ッ端(ぱし)から蹴(け)ちらしてゆく。――烏帽子(えぼし)を売っていたおじいさん、鳩(はと)の豆を売っているおばあさん、逃(に)げそこなってかわいそうに、燈籠(とうろう)の下で腰(こし)をぬかしてしまう。
 さらに哀(あわ)れをとどめたのは――大勢(おおぜい)の客を呼びあつめ足駄(あしだ)ばきで三方(ぼう)にのっていた歯磨(はみが)き売りの若い男、居合(いあい)の刀を持っていたところから、一も二もなく目がけられて、豹(ひょう)のごとく飛(と)びついてきた酒乱(しゅらん)の浪人者(ろうにんもの)に、血まつりの贄(にえ)とされた。
「あぶないぞウ!」
 と、なだれる群集(ぐんしゅう)。
「よるなようッ」
「母(か)アちゃあん――」
 悲鳴(ひめい)! 叫喚(きょうかん)! 子をかばい、親をだいて、砂けむりをあげる人情地獄(にんじょうじごく)。それは面(おもて)も向けられない砂ほこりであった。
「ざまをみろ、蛆虫(うじむし)めら」
「祭がやりたかッたら、なぜ天(てん)ヶ丘(おか)へ付けとどけをしておかねえのだ」
「商(あきな)いがしたいと思うなら、ここから近い南蛮寺(なんばんじ)へ、さきに礼物(れいもつ)を持ってこい」
 かってなことを吠(ほ)えた上に、カラカラッとあざわらった三名の酒乱(しゅらん)。
「おおッ、こんどは今宮(いまみや)の社(やしろ)へかけあいをつけろ!」
「うむ、いいところへ気がついたぞ。すぐ目のまえの南蛮寺(なんばんじ)へ、なんの貢物(みつぎ)もせずに祭(まつり)をするとは太い神主(かんぬし)だ。グズグズぬかしたら拝殿(はいでん)をけちらかして、あの賽銭箱(さいせんばこ)を引ッかついでゆけ!」
 神慮(しんりょ)をおそれぬ罰(ばち)あたり、土足(どそく)、はだかの皎刀(こうとう)を引っさげたまま、酒気(しゅき)にまかせてバラバラッと八神殿(しんでん)の階段(かいだん)をのぼりかけた。

 なだれを打って逃(に)げかけた群集(ぐんしゅう)も、このさまをみて、どうなることかと、こわいもの見たさの好奇心(こうきしん)に、遠くからアレヨアレヨとながめている。
 すると。
 八神殿の朱柱(しゅばしら)のかげから、ヒラリとあらわれたふたりの男があった。
 右の丸柱(まるばしら)から駈(か)けよってきたのは、白衣(びゃくえ)に白鞘(しらさや)の刀をさしたひとりの六部(ろくぶ)、左からぬッと立ったのは墨(すみ)の法衣(ほうい)をまとって、色しろく、クリクリとした若僧(わかそう)である。
 そのふたり。
 手をつなぐように、階段の上へ大手をひろげて、
「待て! 酔(よ)いどれッ」
「ここを通すことはまかりならぬ!」
 どッちの声も、威力(いりょく)がある。
「な、なんだとッ」
 頭をおさえられた狼(おおかみ)は、ふんぜんと、牙(きば)をむいて食(く)ってかかった。
「見うけるところ、二匹(ひき)とも、乞食(こじき)にちかい六部(ろくぶ)と雲水(うんすい)。下手(へた)なところへでしゃばると、足腰(あしこし)たたぬ片端者(かたわもの)にしてくれるぞ」
「酔(よ)いを醒(さ)ませ、この白痴者(しれもの)! ここをいずこと心得(こころえ)ておるのだ」
「オオ、ここは紫野(むらさきの)の今宮神社(いまみやじんじゃ)、八神殿(しんでん)と心得(こころえ)ておる。それが一たいどうしたのだ」
「ははは。生酔(なまよ)い本性(ほんしょう)にたがわずだ。このバカ侍(さむらい)どもよく聞けよ。それ、日(ひ)の本(もと)の武士(ぶし)たるものは、弱きをあわれみ、力なき者を愛し、神仏(しんぶつ)をうやまい、心やさしくみだりに猛(たけ)きをあらわさず、知(ち)をもって、誠(まこと)の胸(むね)とするのが、真(しん)の武士というもの――」
 色白な若僧(わかそう)が、右手の禅杖(ぜんじょう)を床(ゆか)へついてから、諭(さと)したが、そんなことに、耳をかすかれらではない。
「エエ、口がしこいことを申すな。われわれをただの浪人者(ろうにんもの)と思いおるか。おそれ多くも、羽柴(はしば)どのよりお声がかりで、天(てん)ヶ丘(おか)一帯(たい)の取りしまりをなす、南蛮寺(なんばんじ)の番士(ばんし)だぞ」
「だまれッ、番士であろうと秀吉(ひでよし)じしんであろうと、民(たみ)をしいたげ、神をけがするなど、天、人ともにゆるさぬところじゃ」
「ゆるすゆるさぬはこっちのことだ。南蛮寺へことわりなしに、ぎょうぎょうしい祭(まつり)や踊(おど)りをなすゆえに、この神主(かんぬし)へかけあいにまいったのが悪いか。やい、じゃまだッ、そこをどかぬと、うぬらも血まつりにするぞ」
「きさまたちのいい分(ぶん)は腑(ふ)におちぬ。秀吉ほどな人物がさような沙汰(さた)をするはずがない。アアわかった、主(しゅ)もなし能(のう)もなしに、かようなことをして、良民(りょうみん)をくるしめ歩く野武士(のぶし)だなッ」
「野武士とは無礼(ぶれい)なことを申すやつ。耳をかッぽじって聞いておけ、いま、天(てん)ヶ丘(おか)の南蛮寺(なんばんじ)を支配する、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)さまの身内人(みうちびと)、斧大九郎(おのだいくろう)とは拙者(せっしゃ)のことだ」
「やッ、呂宋兵衛? ……」
 と、六部(ろくぶ)は若僧(わかそう)と目ばやくうなずき合って、
「うむ、呂宋兵衛の手下(てした)ときけばなおのこと!」
「なおのことどうしたッ」
 いきり立って駈(か)けあがってきたやつを、グイと右手で猫(ねこ)づかみにつるしあげた若僧、
「間答無用(もんどうむよう)! こうしてやる」
 すこし力を入れたかと、思うと、ふわりと宙(ちゅう)へおよがせて冠桜(かんむりざくら)の根瘤(ねこぶ)のあたりへ、エエッ、ずでーんと気味(きみ)よくたたきつけた。
「うぬッ」
 と、また飛びついてきたやつは、待ちかまえていた六部が、気合いをかけた当身(あてみ)のこぶしで、顎(あご)をねらってひと突(つ)きに、突きとばす。
 なにかたまろう、ウームというと蝦反(えびぞ)りになって、階段の中途からデンとおちる。それも、冠桜(かんむりざくら)の根ッこのやつも、神罰覿面(しんばつてきめん)、血へどを吐(は)いてたおれたままとなってしまった。
「わーッ、わあッ――」
 と、かなたでよろこぶ群集(ぐんしゅう)の声々、八百万(やおよろず)の神々(かみがみ)も神楽(かぐら)ばやしのように、興(きょう)じ給(たも)うやと思われるばかりに聞える。
 じぶんたちから、南蛮寺(なんばんじ)にある呂宋兵衛(るそんべえ)の部下と名のった斧(おの)大九郎、それを見ると、かッと逆上(ぎゃくじょう)したていである。ひっさげていた大刀の下からはらいあげて、ふたりの足を、諸薙(もろな)ぎにせんず勢いで、またかかってきた。
「猪口才(ちょこざい)なやつめ」
 手もとへよせて、怪力(かいりき)の若僧(わかそう)が、また、虫でもつまむように引っとらえた時である。いつか、六部(ろくぶ)のうしろまで進んできた品(ひん)よき公達(きんだち)が、
「忍剣(にんけん)、そやつを投げころしては相(あい)ならぬぞ」
 あわや――という手をさえぎった。

 思いがけない悪魔(あくま)がでて、のろわれた今宮祭(いまみやまつり)や踊(おど)りのむれも、また思いがけない侠人(きょうじん)の力で、午(ひる)すぎからは、午前におとらぬ歓楽(かんらく)の巷(ちまた)にかえってにぎわった。
「いったいあのわかい坊(ぼう)さまと六部(ろくぶ)はなんであろう?」
「天狗(てんぐ)のような力と早わざ、よも、尋常人(ただびと)ではございますまいよ」
「それに、もうひとりうしろにいて、だまってみていた公達(きんだち)がいたではありませんか」
「そうそう、藺笠(いがさ)をかぶっておりましたが、年は十五、六、スラリとして、観音(かんのん)さまがお武家(ぶけ)になってきたようなおすがた」
「それそれ、あの人たちは、神か菩薩(ぼさつ)かの化身(けしん)でしょうよ。まったく、悪いことはできないもので」
 うわさはどこもかしこもであるが、その焦点(しょうてん)の人々はあれからどこへいったろう?
 紫野(むらさきの)の芝原(しばはら)には、野天小屋(のでんこや)がけの見世物(みせもの)が散在(さんざい)していた。おおくの人が、大(たい)がいそれへ目をうばわれているのをさいわいに、れいの若僧(わかそう)が、斧(おの)大九郎を小脇(こわき)にひっかかえ、飛ぶがごとく駈(か)けぬける――とあとから大股(おおまた)に、藺笠(いがさ)の公達(きんだち)と六部(ろくぶ)のすがたが、つづいていった。
「ここらでよかろう」
 立ちどまったのは、舟岡山(ふなおかやま)のすそ。
 高からぬこの山にのぼるとすれば、西に愛宕(あたご)や、衣笠(きぬがさ)の峰(みね)の影(かげ)、東はとおく、加茂(かも)の松原ごしに、比叡(ひえい)をのぞんでいる。さらに北をあおぐと、竹童(ちくどう)の故郷(ふるさと)鞍馬山(くらまやま)の翠巒(すいらん)が、よべば答えんばかりに近い。
「若君ここへおかけなさりませ」
 たかだかとそびえた杉林の下――。
 一つの切株(きりかぶ)の塵(ちり)をはらって、六部(ろくぶ)はわきへ片膝(かたひざ)をついた。
「…………」
 目でうなずいて、藺笠(いがさ)の美少年は、それへ腰(こし)をおろした。この公達(きんだち)こそ、甲州(こうしゅう)小太郎山(こたろうざん)の雪の砦(とりで)から、はるばる、父勝頼(かつより)の消息(しょうそく)を都へたずねにきた武田伊那丸(たけだいなまる)であった。
 そのわきに、頭を下げたのは木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)で、加賀見忍剣(かがみにんけん)は、ひッかかえてきた斧(おの)大九郎をそこへほうりだして、
「若君、いざ、おしらべなさいませ」
 と、少しさがったところで、れいの鉄杖(てつじょう)を、持ちなおしている。
「下郎(げろう)、おもてを見せい」
 伊那丸はいった。これはまた、忍剣の鉄杖より、龍太郎のはや技(わざ)より、一種(しゅ)べつな気稟(きひん)というもの、下郎大九郎は、すでに面色(めんしょく)もなく、ふるえあがって両手をついた。
「ま、まったく持ちまして、さいぜんのことは泥酔(でいすい)のあまりでござる。どうぞ、ひらにひらに、おゆるしのほどを……」
 これがつい、いましがた、今宮(いまみや)の境内(けいだい)を修羅(しゅら)にして暴(あば)れまわった男とは、思えぬような、弱音(よわね)である。
 いうのをおさえつけて、伊那丸は、ハッタとにらんだ。
「卑怯(ひきょう)なやつではある。むだ口を申さずと、ただこのほうがたずねることに答えればよいのじゃ」
「は……はい、命(いのち)さえ、おたすけくださるぶんには、斧(おの)大九郎、なんなりとぞんじよりを申しあげます」
「その口を忘(わす)れまいぞ」
 きッと、半身(はんしん)をつきだした伊那丸(いなまる)、針葉樹(しんようじゅ)の木洩(こも)れ陽(び)を、藺笠(いがさ)としろい面貌(おもざし)へうつくしくうけて、
「なんじはさいぜん、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)の家来(けらい)じゃというていばっていたの?」
「あ……あれは」
「いや申した! たしかに聞いた」
「いいましたにそういございませんが、じつは、こ、心にもないでたらめごと」
 いいかけるとあとから、忍剣(にんけん)の鉄杖(てつじょう)のさきが背なかへ穴(あな)があくかとばかりドンとついて、
「このうそつきめが。呂宋兵衛の部下なるがゆえに、ことわりなしに祭(まつり)をもよおした神主(かんぬし)をこらしめるとか、かけ合うとか、ほざいていたではないか。若君(わかぎみ)のおしらべにたいして、寸言(すんげん)たりともあいまいなことを申すと、いちいちこれだぞ」
 も一つ、ドンと食(く)わせる。
「ウーム、フフフ、痛(いと)うござる、痛うござる」
「痛かったら申しあげろ」
「も、もうしあげます。まったく和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)の手のものにそういございません」
「よくいった」
 伊那丸(いなまる)は、うなずいて、
「して、その呂宋兵衛は、ただいま、どこに巣(す)をかまえそしてなにをいたしておるな」
「秀吉(ひでよし)さまのお気に入り者となりまして、天(てん)ヶ丘(おか)の寺領(じりょう)と、南蛮寺(なんばんじ)を拝領(はいりょう)いたし、裾野(すその)いらいの一味(み)、丹羽昌仙(にわしょうせん)や蚕婆(かいこばばあ)や燕作(えんさく)など、みなそこに住居(すまい)をいたしております」
「オオ、定(さだ)めしそれらのものは、一味同類(いちみどうるい)となって、武田勝頼(たけだかつより)の行方(ゆくえ)をたずねておるであろうな」
「えッ、どうしてごぞんじでござりますか」
「知らないでか!」
 と伊那丸のかけたかまを、たくみに引きうけた龍太郎(りゅうたろう)。わざと少しわらいすまして、
「これにおいで遊ばすは、徳川家(とくがわけ)のさる御公達(ごきんだち)。まった某(それがし)やこの若僧(わかそう)は、みな、浜松城(はままつじょう)の隠密組(おんみつぐみ)だ」
「あッ、さては貴殿(きでん)たちも、菊池半助(きくちはんすけ)どのたちと一しょに、あの僧形(そうぎょう)を京都へつけてこられたおかたで?」
「さよう――」
 と龍太郎は、おかしく思いながら、まじめにおうじて、
「ところで、その僧形(そうぎょう)であるが、なんと変った消息(しょうそく)はないか。すなおに話してくれれば、敵(てき)でも味方(みかた)でもないお主(ぬし)とわれわれ、そこらで仲なおりの酒でも酌(く)もうし、また、ここにおわす徳川家(とくがわけ)の御公達(ごきんだち)に、出世(しゅっせ)の口を取りもってやらぬものでもないが……」
「へへッ」
 というと大九郎、慾(よく)につりこまれて、草芝(くさしば)の上へあらたまり、おとといの真夜中(まよなか)、呂宋兵衛(るそんべえ)が手策(てだて)をつくして従僧(じゅうそう)ふたりを殺(あや)め、ひとりの主僧(しゅそう)をいけどってきて、天(てん)ヶ丘(おか)の古会堂(ふるかいどう)へ打ちこんであるということまでベラベラしゃべってしまった。
 すぐお追従(ついしょう)をいう軽薄(けいはく)なかれの舌(した)は、それでもまだいいたらずに、つけ加えて、また話すことには、
「ところで、その勝頼公(かつよりこう)。たしかに生(い)けどってきた僧形の貴人(きじん)にそういないとはにらんでおりますが、なんせい、野武士(のぶし)や浪人(ろうにん)どもばかりの天ヶ丘、真実(しんじつ)の勝頼公の面態(めんてい)を見知るものがないのでござった」
「して、その謎(なぞ)の僧(そう)は、いまもって、南蛮寺(なんばんじ)の古会堂に押しこめてあるのか――」
 と、龍太郎も忍剣(にんけん)も息(いき)をころして聞いている。
「されば、ただいまも申したとおり、まだ真(まこと)の勝頼公なるや、いなや一点(てん)のうたがいがござりますゆえ、いッそのこと、桑名(くわな)にご在陣(ざいじん)の秀吉公(ひでよしこう)のところへ、かれを差(さ)したて送ろうという、昨夜の評定(ひょうじょう)で」
「なんと申す! 滝川攻(たきがわぜ)めのため、近ごろ桑名にいると聞く秀吉の陣へそれを送りこむという手はずになっているのか。してそれは何日、時刻(じこく)は何時(なんどき)じゃ」
「明日(あす)の朝まだきに、東山(ひがしやま)から陽(ひ)がのぼるを出立(しゅったつ)の時刻として、天(てん)ヶ丘(おか)から桑名城(くわなじょう)へ。そのために、きょう一日は、われわれも骨(ほね)やすみのひまをもらい、かようなところをブラついておりましたわけ、さきほどの無礼(ぶれい)の段(だん)はひらにお目こぼしねがいまする」
 一伍一什(いちぶしじゅう)のはなし。
 聞くからに伊那丸(いなまる)は、われをわすれて、両(りょう)のこぶしを膝(ひざ)の上ににぎりしめつつ、
「ウーム! さてはお父上には、早くも毒手(どくしゅ)に墜(お)ちたもうて、桑名へさしたてられるご武運(ぶうん)の末(すえ)とはおなり遊ばしたか、……ああ、おそかった……」
 と、まなじりに血をにじませ、藺笠(いがさ)のうちに鬢髪(びんぱつ)をブルブルとふるわせた。
 父上、という一句(く)をきいて、斧(おの)大九郎、ハッとあっけにとられながら、じりじりと尻(しり)ごみする。
 伊那丸がハラハラと落涙(らくるい)するようすを見て、
「若君(わかぎみ)、かならずお力おとしはご無用でござります」
 と、忍剣(にんけん)、龍太郎(りゅうたろう)のふたりが、口を合わせてなだめるのだった。
「すでにお命(いのち)のないものなら、真(まこと)にご武運のすえ、また人力(じんりょく)のおよぶところではござりませぬが、ただいま、大九郎の話によれば、まだご尊体(そんたい)にはなんのご異状(いじょう)なく、明朝、天ヶ丘から桑名の陣(じん)へうつされてまいるとのこと、折こそよし、これ天の与えたもう好機会(こうきかい)ではござりませぬか」
「おお! かならずお父上を、お救い申しあげねばならぬ」
 立ちあがった時である。
「ややッ! さては武田(たけだ)の?」
 ぎょうてんした大九郎、跳(は)ねあがって逃げだすと、伊那丸(いなまる)の一喝(かつ)。
「龍太郎、そやつを討(う)て!」
「はッ」
 と答えるまでもなく、立ちあがった木隠(こがくれ)が、やらじと猿臂(えんぴ)をのばしたので、胆(きも)をとばした斧(おの)大九郎、にげみちをうしなって無我夢中(むがむちゅう)に松のこずえへ飛びついた。
「ええ――ッ」
 つんざいた木隠の気殺(きさつ)!
 とたんに、抜(ぬ)きはなたれた無反(むぞ)りの戒刀(かいとう)、横にないでただ一閃(せん)の光が、松の枝にブラさがった大九郎の胴(どう)を通りぬけてしまった。
 バサリと血のなかにおちたのは、胴(どう)から下、上半身(じょうはんしん)は枝をつかんだまま、虚空(こくう)にみにくく止(とま)っていた。
 そのとき、あなた――今宮(いまみや)の舞楽殿(ぶがくでん)では、笛(ふえ)や太鼓(たいこ)、そして鈴(すず)の音(ね)がゆるぎだした。やすらい踊(おど)りのどよめきにあわせて、神楽囃子(かぐらばやし)がはじまったのであろう。――悪魔(あくま)たいじの御神楽歌(みかぐらうた)。

ピイヒャラ ドン助(すけ) ひゃらりこドン!
鷲(わし)をとられて オッぺけぺ!
竹童(ちくどう)ドン助 ひゃらりこ ドン!

 これは、あちらの神楽歌(かぐらうた)ではない。
 暮れなんとする杉林から芝生(しばふ)のへんを、しきりに浮かれまわっている少年の放歌(ほうか)である。
 はるかに聞える神楽(かぐら)にあわせて、

ピイヒャラ ドン助(すけ) ひゃらりこドン!

 すっかりゆかいになっている。
 右手に一本もっているのは、串(くし)へさしたお芋(いも)の田楽(でんがく)、左につかんでいるのは黒い飴(あめ)ン棒(ぼう)、ひゃらりこドンと踊(おど)りながら、芋(いも)をたべては飴(あめ)をなめ、飴(あめ)をなめては芋(いも)をくい、かわりばんこに舌(した)を楽しませて、

竹童(ちくどう)ドン助(すけ) ひゃらりこドン!

 いよいよ無上の大歓楽(だいかんらく)、歌もおどりもやむことを知らず、陽(ひ)が暮れようとするのも知らず、いましも林をぬけてきた。
 このお天気な少年は、いうまでもなく蛾次郎(がじろう)である。
 きのうから遊びつづけて、きょうは、今宮祭(いまみやまつり)の見物(けんぶつ)としゃれているのか。
 胸(むね)や口のまわりには、田楽(でんがく)の味噌(みそ)だの、黄粉(きなこ)だの、あまくさい蜜糖(みつ)の粘(ねば)りだのがこびりついていて、いかに、かれの胃袋(いぶくろ)が、きょう一日をまんぞくにおくっていたかを物語っている。
 のみならず蛾次郎は、目のかたきにしている竹童にたいして、いま、大なる優越感(ゆうえつかん)をもっている。
「竹童のやつめ、さぞいまごろは、クロを盗(と)られて、メソメソしているだろうな。まっ黒な富士の裾野(すその)で、まぬけな面(つら)をしているだろうな。
 このおれさまはどうだ! 日本中クロを乗りまわしてきて、いまは、天子(てんし)さまと同じ都(みやこ)の土をふんでいるんだ。九重(ここのえ)の都をよ!
 どうだい、蛾次郎(がじろう)さまの光栄(こうえい)は!
 食(た)べたいものをウンと食べたぜ。見たいものもウンと見たぜ。だからおいらは踊(おど)るのさ、踊らずにはいられないや。ワーーイだ、ワーーイ! ワイ竹童、ざまをみやがれ!」
 こんな気分が、かれ蛾次郎の歌となり、舞躍(ぶやく)となるのであった。
 ところで、有頂天(うちょうてん)の蛾次郎が、いま、なんの気なしに林の中をおどってくると、なんだか、ぬらりとしたものが鼻(はな)の頭をなでたのである。
「おやッ?」
 と思ってさわってみた。
 どうも人間らしいのである。しかし、今晩(こんばん)は、とはいわなかった。
「おかしいなア、この人は……」
 と、上から下へ、ソーとなでてみると、へんだ! へんだ! へんな人間! 腰(こし)から下がなにもない。
「わッ、化(ば)け物(もの)ッ」
 蛾次郎は芋(いも)の串(くし)をほうりだして、逃(に)げるわ逃げるわ、むちゅうでにげた――一心不乱(いっしんふらん)に、あかるいほうへかけだした。
 夜になっても、今宮(いまみや)の境内(けいだい)はにぎやかであった。そこで蛾次郎は、はじめてホッと人心地(ひとごこち)にかえった。更(ふ)けるにしたがって、踊(おど)りの輪(わ)もちり、参詣(さんけい)の人もたえ、いつか、あなたこなたの燈籠(とうろう)の灯(ひ)さえ、一つ一つ消えかかってくる。

「こんやの宿屋(やどや)はどこにしようか」
 額堂(がくどう)は吹きさらしだし、拝殿(はいでん)の廊下(ろうか)へねては神主(かんぬし)が怒(おこ)るだろうし、と、しきりに寝床(ねどこ)を物色(ぶっしょく)してきた蛾次郎(がじろう)。
「ウム、ここがいい。神(かみ)さまの足(あし)もとなら、化(ば)け物(もの)もでないだろう」
 と、四つンばいになって、のこのこはいこんだのは、八神殿(しんでん)の床下(ゆかした)。藁蓙(わらござ)を一枚かかえこんで、だんだん奥(おく)のほうへいざってきた。
 むろん、縁(えん)の下はまっ暗で、鼻をつままれてもわからないくらいだが、蛾次郎がはいすすんでいったすこしさきに、なにやら、ゴソ……という音がした。
「ははあ、お仲間(なかま)がいるな」
 そう思って、地べたへ顎(あご)をつけながら、じッと闇(やみ)をみつめていると、しだいに眸(ひとみ)がなれてきて、おぼろげながら、人かげがみとめられた。
 姿(すがた)かたちは、だれともわからぬけれど、やはり蛾次郎と同じように、土台柱(どだいばしら)のしたへ一枚の蓙(むしろ)をしき、そこへじッと身をかがめたまま、しきりに、器(うつわ)の水へ布(ぬの)をひたして、目を洗(あら)っているらしい。
 しばらくするとその影(かげ)は、小布(こぎれ)で目をおさえたまま、蛾次郎のいるのは知らぬようすで、
「ああ、困(こま)ったなア……」
 ひとり惆然(ちゅうぜん)として、つぶやくのである。
「もう春にもなったし、目さえ見えれば、山のおくへでも海の果てまでも、たずねてさがしだすのだけれども……急にこの目が見えなくなってしまった、蚕婆(かいこばばあ)の針(はり)にふかれて! あの吹き針(ばり)に目をいられて――おいらはとうとう盲(めくら)になってしまったんだ……」
 見えぬのは目ばかりでなく、心も憂(うれ)いの雲にとじられているのであろう。なんともいえぬ、悲哀(ひあい)のこもったつぶやきである。
「神さまッ……」
 ガバと伏(ふ)して、その影が合掌(がっしょう)した。
「八神殿(しんでん)の神々(かみがみ)さま! このお社(やしろ)にまつられてある神々さま。おいらはそれがなんという名の神さまだか知りませんが、どうぞこの目をなおしてください。神さまのお力で、針(はり)にふかれたこの目の痛(いた)みをとってください……」
 こっちにいた蛾次郎(がじろう)は、オヤオヤ、という腰(こし)つきで、じッと聞き耳をたてている。
「なんだいあいつは? 気ちがいじゃねえのかな、みょうに、ふるえた声をだしやがって……アレ見や、むちゅうになって手を合わせている、ア、泣いていやがら……ばかだなあ、泣くなよ兄弟」
 と、うっかり声をすべらしかけたが、待て、もうすこし、見ていてやろうと息(いき)をころした。
 盲(めくら)のすがたは一心不乱(ふらん)に、掌(たなごころ)をあわせ、八神殿(しんでん)の神々(かみがみ)に念(ねん)じていた。
 信仰(しんこう)に熱(ねっ)してくると、おのずから手がふるえ、声もわれ知らず高くなって、
「この目のいたみをおなおしくださいませ! 八神殿の八つの神さま、おいらにはどうしても、さがしたいものがあるのです。クロという鷲(わし)をたずねだしたいのです。そして、伊那丸(いなまる)さまのおんために、もっともっと、大きな手柄(てがら)を立てなければなりません。こんなところにもぐっていると、お師匠(ししょう)さまに叱(しか)られます。盲のすがたを見られたら、一味(み)の人たちにも恥ずかしゅうございます。なおしてください。八神殿の神々さま、その大望(たいもう)をとげましたら、わたしの腰(こし)にさしている般若丸(はんにゃまる)を、きッと奉納(ほうのう)いたします」
 血汐(ちしお)も吐(は)かんばかりである。
 一念の声、一念のいのり! 祈(いの)らなくても、人の誠(まこと)は天地をうごかすという……。だが、床下(ゆかした)のやみは、しいんとしていた。

 おどろいたのは蛾次郎(がじろう)だった。
 梟(ふくろ)のように目をまるくして、ソーッと、また一、二間(けん)ちかづいて、よくよくその影(かげ)を見さだめていると、あんにたがわず、それは鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)である。
 いつぞや、加茂(かも)の堤(つつみ)で蚕婆(かいこばばあ)の吹(ふ)き針(ばり)にふかれてその目をつぶされ、いまは黒白(あやめ)もわかたぬ不自由な身となった。
 町をあるけば人につまずき、森をあるけば木の根(ね)にたおされるしまつ。クロの行方(ゆくえ)を知るよしもないので、瀬戸物(せともの)のかけらに御洗水(みたらし)の清水(しみず)をすくってきて、この床下(ゆかした)へ身をひそめ、ただ一念(ねん)にいのり、一念に目を洗っているのだった。
「ふウん……やっぱり、竹童(ちくどう)にちがいない」
 蛾次郎(がじろう)は犬つくばいにようすをながめて、
「へんなところで、でッ会(くわ)したな。目がわるいようすだから、一つ、からかッてやろうかしら」
 手にさわった土塊(つちくれ)をつかんで、竹童のかげへ、バラッと投げつけた。
「だれだッ」
 さなきだに、盲(めくら)になってからは、神経(しんけい)のとがり立っている鞍馬(くらま)の竹童、こういって、からだをねじむけてきたのである。
 蛾次郎は、おもわずズルズルとあとへさがった。
 だが、目がわるい、ここまではきやしまいと、たかをくくってまた、
「どうだい大将(たいしょう)――」
 と、あざわらった。
「なんだと」
「おもらいがたくさんあるかい。え、お菰(こも)さん」
「…………」
「はははは、さすがは偉(えら)いもんだ、果心居士(かしんこじ)のお弟子(でし)さんはな。鞍馬(くらま)の竹童はえらいよ偉いよ、とうとう花の都(みやこ)へでて、天下のお乞食(こじき)になったんだからな」
「だれだ、だれだッ、おいらの名を知っているのは?」
「おめえ、盲(めくら)のくせに勘(かん)がわるいな。アアにわか盲だから、声まで見えなくなったのか。じゃアいって聞かしてやろう。びっくりして気絶(きぜつ)するなよ。こう申す者こそはすなわち、おめえのクロを頂戴(ちょうだい)して、天下に名をあげている蛾次郎(がじろう)さまだア」
「なにッ! 蛾次郎だとッ」
 さけぶや否(いな)、鞍馬の竹童、般若丸(はんにゃまる)の名刀をピュッと抜きはなって、声のするほうを、さッと斬(き)りはらった。
 まさか鞍馬の竹童が、こんな名刀を持っていようとは夢にも知らなかった蛾次郎、アッといって床下(ゆかした)からころげだし、すぐむこうにあった小屋(こや)のなかへ、四つンばいにかくれこんだ。
 が、そこはれいの神馬小屋(しんめごや)であったので、注連飾(しめかざ)りをつけた白馬(しろうま)が、ふいの闖入者(ちんにゅうしゃ)におどろいて、ヒーンと一声(こえ)いなないたかと思うと、飛びこんできた蛾次郎の脾腹(ひばら)を蹄(ひづめ)でパッと蹴りかえした。
「ウーム……」
 と、打(ぶ)ったおれた泣き虫の蛾次郎は、脾腹をおさえてフンぞったとたんに、昼間のうち胃袋(いぶくろ)を楽しませたご馳走(ちそう)をのこらず口から吐(は)きだして、厩(うまや)のまえにへたばってしまった。
 馬は、見むきもせず、われ関(かん)せず焉(えん)と、かッたるそうに目の皮をふさいでいる。
 ――更(ふ)けてくると、祭(まつり)の夜も寂(せき)としてものさびしい。
 一陣(じん)の山嵐(さんらん)が、鞍馬山(くらまやま)の肩あたりから、サーッと冷気(れいき)をふり落としてきたかと思うと、八神殿(しんでん)の冠桜(かんむりざくら)の下あたりに――竹童(ちくどう)のお師匠(ししょう)さま果心居士(かしんこじ)のすがたが、めずらしくもほのかに見えたのである。そして、もくもくとして裏宮(うらみや)のほうへ杖(つえ)をひいていった。

 右手(めて)に、名刀般若丸(はんにゃまる)を、ひだりの手では、地や蜘蛛(くも)の巣(す)をなでまわしながら、ソロリと、八神殿の床下(ゆかした)をはいだしてきた者がある。
 それはさっき、泣き虫の蛾次郎(がじろう)に、さんざんな悪口(わるくち)や揶揄(やゆ)をなげられていた盲(めくら)の少年――鞍馬の竹童。
 あたりをさぐって、そとにでれば、夜は四更(こう)の闇(やみ)ながら、空には、女菩薩(にょぼさつ)たちの御瞳(みひとみ)にも似(に)る、うるわしい春の星が、またたいている。
 鳥の巣(す)のようなかれの頭、土にまみれた肩(かた)や肘(ひじ)、そして、血のにじんだかれの素足(すあし)――。それらのあわれな物のかげをつづった竹童のすがたは、星影(ほしかげ)の下にあおく隈(くま)どられて見えたが、かれの目には、ただ一粒(ひとつぶ)の春の星さえ、うつらぬのである。
 見えぬがために、見ようとする、心の異常(いじょう)なはたらきが、心眼(しんがん)ともいうべき感覚(かんかく)を全身にするどく研(と)いで、右手(めて)につかんだ般若丸(はんにゃまる)を、おのれの背なかにかくしながら、
「蛾次郎(がじろう)……蛾次郎はどこへいった!」
 八神殿(しんでん)の石段(いしだん)にそって、裏宮(うらみや)の方へしのびやかに歩いてくる。おお、その影(かげ)のいたましくもおそろしい。
 かれは、心のうちでこう叫(さけ)ぶのだ。
 返せクロを! 返せクロを!
 おいらの手から横奪(よこど)りした、あの鷲(わし)をかえせ、おいらの手にタッタいまかえせ!
 竹童の目は見えないはずでありながら、その一念(ねん)に、あたかも、なにものかを、的確(てっかく)に見ているように、いうのであった。歩きだすのであった。
 でてこい蛾次郎! 泣き虫の腰(こし)ぬけ。
 でてこい蛾次郎、どこへいった!
 よくもよくもクロをうばったな。また、よくもさっきは、この竹童を盲(めくら)とあなどって、土塊(つちくれ)をぶつけたり、お師匠(ししょう)さまの悪口(わるくち)をたたいたり、そして、鞍馬(くらま)の竹童のことを、天下のお乞食(こじき)さまとののしり恥ずかしめたな。
 おまえはさっきたいそうなじまんをいった。いかにも得意(とくい)らしいことをいった。だが泣き虫蛾次郎(がじろう)よ、ひとの愛している鷲(わし)をうばって乗りまわしたり、ひとのダシに使われてもらったお金で買いぐいをしたり、また益(えき)もなく都の町を浮(う)かれあるいたりして、それがなんの自慢(じまん)になる! それがなんで男の誇(ほこ)りだ!
 あの秀麗(しゅうれい)なる神州美(しんしゅうび)の象徴(しょうちょう)。富士(ふじ)の裾野(すその)に生まれながら、どうしておまえはそんなきたない下司根性(げすこんじょう)をもっているんだろう。情(なさ)けないやつ、意気地(いくじ)のないやつ、怠(なま)けもの、腰(こし)ぬけ腑抜(ふぬ)け、お天気な少年!
 それはみんな、蛾次郎よ! おまえの名だ。
 おいらは鞍馬(くらま)の山育ちだ。
 だが、蛾次郎よ。
 おいらはおまえのような下卑(げび)たやつとは心のみがき方(かた)がちがっている。また、おいらがこんな乞食のような姿(すがた)になっていたり、盲(めくら)になってしまったのも、みんな自分の慾(よく)ではない。甲斐源氏(かいげんじ)の御曹子(おんぞうし)、武田伊那丸(たけだいなまる)さまへ忠義(ちゅうぎ)をつくすため、また、お師匠(ししょう)のおいいつけを守(まも)らんがためしていることだぞ。
 おいらは恥(は)じない。
 乞食になっても、盲になっても、この竹童(ちくどう)の心は八神殿(しんでん)の神々(かみがみ)さまや、弓矢八幡(ゆみやはちまん)がご照覧(しょうらん)ある。
 罵(ののし)るものなら罵ってみろ。鷲(わし)を返さぬというならば、男らしくどうどうと竹童(ちくどう)の前へたっていいきってみろ! オオこの般若丸(はんにゃまる)の名刀でおのれただ一刀に斬(き)りすててくれるから……
 いきどおろしい、竹童の心は湯(ゆ)のごとく沸(たぎ)りたって、こう叫(さけ)びながら方角(ほうがく)もさだめず、裏宮(うらみや)のお堂(どう)を巡(めぐ)り、いましも、斎院(さいいん)の前まであるいてきた。
 ――すると、かれより六、七歩(ほ)まえを、だれやら、しずかに、ピタピタと足をはこんでいく者がある。
 夜はすでに更(ふ)けしずんで、さまよう者とてあるはずのないこの境内(けいだい)、さては蛾次郎(がじろう)めが、またわれを盲(めくら)とあなどってからかうつもりだな!
 竹童はかッとなって、こう思った。
 しかし、かなしいかな目がみえぬ。すぐそこをピタピタといく跫音(あしおと)を聞くのであるが、ただ一討(ひとう)ちにとびかかってはいかれない。
「おのれ目がみえぬとて、たかのしれた蛾次郎ぐらい、斬って捨(す)てられないでどうするものか」
 竹童は、とっさに、地べたへ身をかがませた。
 そして、般若丸の太刀(たち)を背中にかくし、左の手と膝(ひざ)ではい歩くように、まえなるものの跫音をスルスルとつけてゆく……
 一歩(ぽ)――二歩(ほ)。
 さきの者の草履(ぞうり)のかかとが、かれの顔へ土をはねかえしてくる近さまで寄(よ)りついたので、いまこそと胸(むね)おどらした鞍馬(くらま)の竹童。
 猛然(もうぜん)と、たつが早いか、ふりかぶった般若丸(はんにゃまる)に風をきらせて、
「覚(おぼ)えたかッ」
 とばかり、鉄(てつ)も切るような一刀、一念の気(き)、盲(めくら)となってから、それは一そうすさまじいするどさをもって、まえなる人のあり場をねらって、揮(ふ)りおろした。

 剣(けん)は、空(くう)をきって、七、八尺(しゃく)はしった。
 あたかも闇(やみ)なる彗星(ほうきぼし)が、地界(ちかい)へ吸われていったように。
 燦然(さんぜん)たる蛍(ほたる)いろの太刀(たち)! かかとをあげて、ダッ――と斬(き)りすべっていった竹童の手にそれが持たれている。
「ウウム、無念(むねん)!」
 とさけんだ悲痛(ひつう)な声。
 竹童の唇(くち)から、血のようにもれて、かれはあやうく突(つ)ンのめりそうになった足取りを踏(ふ)みしめた。
 そして、さらに、まえよりはすごい血相(けっそう)で、般若丸の切(き)ッ先を向けなおし、剣を目とし、見えぬ目に、ジリジリと闇をさぐってくる。
 針(はり)がふれてもピリッと感じるであろう柄手(つかで)の神経(しんけい)に、なにか、ソロリとさわったものがあったので竹童は、まさしく相手の得物(えもの)と直覚し、
「エ――エイッ」
 身をおどらして斬(き)りかかった。
 飛躍(ひやく)は、竹童の得意(とくい)である。
 かつて、かれがまだ鞍馬(くらま)の山奥(やまおく)にいたころは、朝ごと薪(まき)をとりに僧正谷(そうじょうがたに)をでて、森林の梢(こずえ)をながめては、丈余(じょうよ)の大木へとびかかって、枯(か)れたる枝をはらい落とした――その練習(れんしゅう)によるのである。
 だが、いままでは剣(けん)をもつと剣をつかおうとする気に支配(しはい)され、棒(ぼう)をもつと棒をつかう心にくらまされて、この呼吸(こきゅう)というものが、いつかまったく忘れていた。
 いま、かれは無我無心(むがむしん)に、相手の脳天(のうてん)をねらってとんだ。
 ――それは剣法(けんぽう)でいう梢斬(こずえぎ)りともいうべきあざやかなものである。たれかよく、宙天(ちゅうてん)から斬りさげてくるこの殺剣(さっけん)をのがれ得よう。
 ところが――相手は苦(く)もなくかわした。
 風のごとく身をひるがえし、さらに持ったるなんらかの得物で、パーンと竹童の般若丸(はんにゃまる)をはらいつけたのである。
 と、竹童、思わず両手のしびれに柄(つか)をゆるめたので、般若丸は彼の手をはなれて地上におちた。無手無眼(むてむがん)となった竹童は、もう打ってかかるものは、五体そのものよりほかはない。
「おのれッ!」
 というと、隼(はやぶさ)のように、相手の胸(むな)もとへとびかかって、ムズと襟(えり)をつかんだのである。
 だが、そのとたんに竹童(ちくどう)は、
「あッ――人ちがい!」
 といったまま、のけ反(ぞ)るばかりな驚(おどろ)きにうたれた。いまが今まで、蛾次郎(がじろう)とばかり思って斬(き)りつけていた当(とう)の人は、枯巌枯骨(こがんここつ)そのもののような老人であったのだ。
「オオ、ちがった、人ちがいであった。――どなたかぞんじませぬが飛んでもない無礼(ぶれい)をしました。どうぞかんにんしてくださいまし」
 こういうとその老人、枯(か)れ木のような手をのばして、竹童の肩(かた)をやさしくかかえこんだ。
「竹童よ」
「えッ……」
 見えぬ目をしばたたきつつ、かれは、じぶんの名をあきらかに呼(よ)んだ者を、だれかしらとあやしむように、両手でその人の衣服(いふく)をなでまわした。
「あやまることはない、あやまることはない。他(ほか)の者ならあぶなかったが、わしであったからまアよかった……」
「オオ!」
 竹童(ちくどう)は、こごえていた嬰児(あかご)が、母のあたたかな乳房(ちぶさ)へすがりついた時のように、ひしと、ひしと、その人の胸(むね)にかじりついて、
「あなたは鞍馬(くらま)のお師匠(ししょう)さま! オオ、お師匠さまではございませんか」
 と、声もからだもふるわせた。
「わかったか竹童、いかにもわしは果心居士(かしんこじ)じゃ。ずいぶん久しく見えなかったのう」
「では、やっぱりお師匠さまでございましたか、ああ、おすがたを見たいにも、竹童めは、なんの罰(ばち)でか、このような盲(めくら)となってしまいました」
「竹童、目がつぶれたことを、おまえはそんなに不自由とおもうか」
「はい、伊那丸(いなまる)さまのおんために働くことはおろか、だいじな鷲(わし)をとり返すことさえできませぬ」
「そして、それを悲(かな)しいと思うか」
「お師匠さま。これがなんで悲しまずにおられましょう」
「まだまだおまえは修行(しゅぎょう)が足りない。なぜ盲(めしい)となったなら、心眼(しんがん)をひらくくふうをせぬ。ものは目ばかりでみるものではない。心の目をひらけば宇宙(うちゅう)の果てまで見えてくるよ。……しかし、おまえはまだ歳(とし)も歳じゃ、このりくつは、ちっとむずかしかろう」
「はい、わたしにはよくわかりませぬ」
「よしよし、おまえの目は、もともと生まれつきの眼病(がんびょう)ではない。吹針の蚕婆(かいこばばあ)、あれの毒針(どくばり)に目をふかれたためじゃ。わしが一つなおしてやろう」
「えッ、お、お師匠(ししょう)さまッ。ではこの目を見えるようにしてくださいますか」
「ウム! 竹童(ちくどう)。まずその太刀(たち)を鞘(さや)におさめて、わしの腕にしっかりとつかまっているがよい」
 いわれるまま竹童は、地べたをさぐって般若丸(はんにゃまる)をひろい、果心居士(かしんこじ)の右腕(みぎうで)にからみつくと、居士は藁(わら)でも持つようにフワリと竹童のからだを小脇(こわき)にかかえ、やがて、八神殿(しんでん)の裏宮(うらみや)から境内(けいだい)をぬけ、森々(しんしん)たる木立(こだち)のおくへ、疾風(しっぷう)のように駈(か)けこんでいった。
 竹童はおよぐように引っかかえられていた。
 さっさつと――風があたる。
 バラバラと雨のごとき夜露がぶつかる。
 居士は愛弟子(まなでし)竹童をかかえて、いったいどこへつれていく気か? やがて森林をぬけて、紫野(むらさきの)のはて、舟岡山(ふなおかやま)の道を一さんにのぼりだした。
 ゴウ――ッという水のおと。
 それはほどなく近づいた雷神(らいじん)の滝(たき)のひびきである。暗々(あんあん)たる梢(こずえ)から梢を、バラバラッと飛びかうものは、夜の夢(ゆめ)をやぶられたむささびか怪鳥(けちょう)であろう。
 鞍馬(くらま)の道士(どうし)果心居士、竹童をひっかかえて岩頭(がんとう)にたち、※(「革+堂」、第3水準1-93-80)鞳(とうとう)たる雷神(らいじん)の滝を眼下(がんか)にみた。
「竹童!」
 居士(こじ)の、こう呼ぶ声をきいたが、かれは小脇(こわき)に引っかかえられていて、こたえる声さえでなかったのである。
 と――居士は両手をさし伸(の)ばして、あわやという間(ま)に竹童(ちくどう)のからだを、目よりも高くさし上げた。
 そして、もいちど呼んだのである。
「竹童!」
「はい……」
 かれは、虚空(こくう)におよぎながら、かすかに、しかし、はっきりと答えた。
「おまえはその目が開(ひら)きたいか」
「ハイ、開きとうございます」
「なんのために」
「…………」
「なんのために?」
「りっぱな人間となりますために」
「ウム」
「そして正義(せいぎ)の武士(ぶし)となりますために」
「ウム。ではそのためには、どんな艱難辛苦(かんなんしんく)もいとうまいな」
「いといませぬ。たとえこの身がどうなりますとも」
 敢然(かんぜん)たる声でいった。
「オオ、それでこそ、師たるわしもはりあいがある。雷神(らいじん)の滝(たき)の宙天(ちゅうてん)で誓(ちか)いをたてたことばを終身(しゅうしん)の守(まも)りとするなら、おまえはおそらく天下の何人(なんぴと)にも、おくれをとらぬ武士(ぶし)となるであろう。オオ、苦しめ苦しめ! 苦しまぬ者はみがかれぬ。八神殿(しんでん)の八柱(やはしら)の神々、あわれ竹童を、このうえとも苦しめたまえッ」
 祈(いの)るがごとく、吠(ほ)えるがごとく、雷神の滝の岩頭(がんとう)に、果心居士(かしんこじ)の声がこうひびいた時である。
「あッ――」
 と、いうと鞍馬(くらま)の竹童。
 ドウッ――と鳴る滝津瀬(たきつせ)の音を、さかしまに聞いて、居士の手から闇(やみ)のそこへまッさかさまに投げこまれた。

 枯(か)れ木をあつめて焚(た)いた燃(も)えのこりの火が、パチパチとわずかな火の粉をちらし、一すじのうすじろい煙(けむり)は、森の梢(こずえ)をぬけて、まっすぐに立ちのぼっていた。
 その火のまわりを取りまいて、夜の明けるのを待ちさびしげに語りあっている三人の武士(ぶし)。
 あかき光を正面(しょうめん)にうけて、薪束(まきたば)のうえに腰(こし)をかけている影(かげ)こそ、まさしく伊那丸(いなまる)であり、その両側(りょうがわ)にそっているのは、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)、加賀見忍剣(かがみにんけん)、いつも、すきなき身がまえである。
「若君(わかぎみ)。待つというものは久しいもの、まだなかなか夜が明けそうもござりませぬな」
「そちたちは、火にぬくもったところで、少しここでやすんではどうじゃ」
「いや、なかなか寝(ね)られるどころではございませぬ」
 こういったのは忍剣である。
「夜明けと同時に、天(てん)ヶ丘(おか)をくだる呂宋兵衛(るそんべえ)の列(れつ)を待ちうけ、勝頼公(かつよりこう)のお乗物(のりもの)を、首尾(しゅび)よくとるかいなかのさかい。――それを思うても眠られぬし、また、日陰(ひかげ)に敵(てき)のいましめをうけておわす、大殿(おおとの)のご心中(しんちゅう)を思うても、なかなか安閑(あんかん)とねている場合ではございませぬ」
「おっしゃる通りじゃ」
 木隠もうなずいて、
「たくみに大殿をワナにおとし入(い)れ、桑名(くわな)にいる秀吉(ひでよし)の陣屋(じんや)まで、送りとどけんとする呂宋兵衛、さだめし明日(あす)はぎょうさんな人数(にんず)をもってくりだすことでしょう。ここぞ、若君にとって、武運のわかれめ、忍剣どのもおぬかりあるなよ」
「いうまでもない。たとえなにほどの敵だろうとも、降魔(ごうま)の禅杖(ぜんじょう)は、にぶりはしませぬ」
「いつもながらふたりの者のたのもしさ、わしはよい味方を持ってしあわせに思う」
 と、伊那丸(いなまる)は心から、よろこばしげに、
「その意気(いき)をもってするからには、たとえ敵陣(てきじん)のかこみのうちに、無念(むねん)の鬼(おに)となろうとも、わしは心残(こころのこ)りではない」
「心よわいことをおおせ遊ばすな。呂宋兵衛(るそんべえ)こそ、多少蛮流(ばんりゅう)の幻術(げんじゅつ)を心得(こころえ)ておりますが、他の有象無象(うぞうむぞう)は、みなたかの知れた野武士(のぶし)や浮浪人(ふろうにん)の寄(よ)りあつまり、きっとけちらしてごらんに入れましょうから、お心やすく思(おぼ)しめせ」
「そうとも、死をいとうのではないが、こんど、木隠(こがくれ)とこの忍剣(にんけん)がお供(とも)をしてきて、首尾(しゅび)よう大殿(おおとの)のご安否(あんぴ)をつきとめねば、小太郎山(こたろうざん)にのこっている、小幡民部(こばたみんぶ)や咲耶子(さくやこ)や小文治(こぶんじ)などにも笑われ草……」
 と、つとめて、伊那丸の勇気(ゆうき)を鼓舞(こぶ)するため、ふたりが快活(かいかつ)に話していると、あなたの林をへだてた闇(やみ)にあたって、ドボーン! とすさまじい水音がたった。
「や、あれは……?」
「雷神(らいじん)の滝(たき)のあたり、まさしくその滝壺(たきつぼ)になにかあやしいもの音がいたしたようす」
「それ、あらためてみよう」
 というと、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)は、手ばやく、用意(ようい)の松明(たいまつ)を焚火(たきび)に突(つ)っこんで燃(も)えうつし、それをふりかざしてまっさきに走りだした。
 木々のあいだを縫(ぬ)っていく、松明(たいまつ)のあかい光について伊那丸(いなまる)も忍剣(にんけん)も滝壺(たきつぼ)のほとりへ向かって歩(ほ)をはやめる。
 たちまち見る、眼前(がんぜん)の銀河(ぎんが)、ドウッ――と噴霧(ふんむ)を白くたてて、宙天(ちゅうてん)の闇(やみ)から滝壺へそそいでいる。
「龍太郎、龍太郎!」
 伊那丸は雑木(ぞうき)をわけて、まっ暗な淵(ふち)をのぞきながら指さした。
「そこへ松明をふってみい」
「はッ」
「あぶない! 岩苔(いわごけ)にすべるなよ」
「おあんじなさいますな」
 と龍太郎、松明を左手にもって、ヒラリ、ヒラリ、と岩から岩へとびうつっていった。

 漆(うるし)の渦(うず)まくを見るようなものすごい闇の滝壺である。そこに、百千の水龍(すいりゅう)が、泡(あわ)をかみ霧(きり)をのぞんで躍(おど)っている。
「おお、人がおぼれているぞ」
 さけんだのは、加賀見忍剣(かがみにんけん)。
「なに、人がおぼれていると?」
「やッ――また沈んでいった、木隠(こがくれ)木隠、早くこっちへ松明(たいまつ)をかざしてみてくれ」
「待て、ただいままいるから」
 と龍太郎(りゅうたろう)は、また二つ三つの岩をとんで、忍剣のそばへ寄っていった。
 焔(ほのお)を高くささげながら、じッと、あわだつ水面を透(す)かしてみていると、やがて真白(まっしろ)な泡(あわ)がブクブクと湧(わ)きあがって、そのなかから、蓬(よもぎ)のような、人間の黒髪がういてみえた。
「しめた!」
 と忍剣は、岩につかまって鉄杖(てつじょう)のさきをのばした。おぼれている者は、まだ多少の意識(いしき)があるとみえて、目のまえにだされた鉄杖へシッカリと、両手をかけた。
「オオ、はなすなよ――」
 と声をかけながら、ズーと岩の根へひき寄せると、滝壺(たきつぼ)のなかのものはプーッと水を吹きながら、けんめいにはい上(あ)がろうともがくのである。
「拙者(せっしゃ)の手にすがるがよい」
 龍太郎が片手をだした。
 氷(こおり)のようにこごえた手が、ビッショリと雫(しずく)をたらしてそこへすがってきた。――と同時に、滝壺のなかからはいあがってきた少年をみたふたりは、おもわず声をあげて、
「やッ、そちは竹童(ちくどう)ではないか!」
 見まもると、上にいた伊那丸(いなまる)も、
「なに、竹童じゃ……」
 とうたがうように叫(さけ)んだ。そして、森のなかへすくいあげてから、たしかに鞍馬(くらま)の竹童だとわかると、伊那丸をはじめ、あまりの意外(いがい)さにぼうぜんとしたほどだった。場所もあろうに、深夜(しんや)の滝壺(たきつぼ)から、法師野(ほうしの)いらい、久しく姿(すがた)を見うしなっていた竹童をすくいだそうとは、なんたる奇蹟(きせき)! あまりのことにあきれるばかりであった。
 しかし、その人々のおどろきよりは、竹童のおどろきのほうが、どんなに強いものだったか知れない。
 かれは、忍剣(にんけん)に、森のなかへかかえこまれてきた時にありありとそこに燃(も)えている赤い火をみた。
 その火に照らされている、伊那丸のすがた、龍太郎の顔、忍剣の禅杖(ぜんじょう)も、あきらかに、かれの眸(ひとみ)に見えたではないか。
 かれの目が癒(い)えた。竹童の目があいた。
 ※(「革+堂」、第3水準1-93-80)鞳(とうとう)たる滝(たき)の水にうたれて毒(どく)が洗われたためか――あるいは、竹童の精神を修養(しゅうよう)させる果心居士(かしんこじ)の心で、居士が、神力をもって癒やしたものか、とにかく、竹童はおのれの目の見えるのを疑(うたが)い、と同時に、絶(た)えてひさしき人々を、ここに見たのを夢のように、ふしぎがった。
 竹童(ちくどう)の話をさきに聞いてから、龍太郎(りゅうたろう)と忍剣(にんけん)は、かわるがわるに、こんどの、都入(みやこい)りの大事をはなして聞かせた。
 竹童は四方(よも)の話をしているあいだに、ぬれた衣服(いふく)を焚火(たきび)にほして身にまとった。その火のぬくみに全身(ぜんしん)の血が活々(いきいき)とよみがえってくるのをおぼえて、かれは、この新しい力を、どこへそそごうかと勇(いさ)みたった。
 話をきけば、夜明けとともに、若君(わかぎみ)の伊那丸(いなまる)は、ふたりを力に、天(てん)ヶ丘(おか)から降(お)りてくる和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)の一族(ぞく)をむかえ、桑名(くわな)に送られる父勝頼君(かつよりぎみ)をうばいとらねばならぬとのことである。
 いい機会(きかい)にめぐりあった竹童は、その壮挙(そうきょ)に加わりたいとねがって、すぐ伊那丸の許(ゆる)しを得た。
「では、龍太郎さま、忍剣さま」
 かれは、気早(きばや)に立ちあがって、
「まだ夜は明けておりませぬが、わたしは一足(ひとあし)さきに、天ヶ丘へのぼって、呂宋兵衛のようすをさぐり、やがてほどよいところから、みなさまに合図(あいず)をいたすことにいたしまする」
「ウム、いつも間諜(かんちょう)の役(やく)は竹童の得意(とくい)、おまかしなされてはどうでござりましょう」
 忍剣が伊那丸の顔をあおぐと、伊那丸も小気味(こきみ)よいやつとうなずいて、竹童のすがたを見ながらこういった。
「では、われわれ三人は、天(てん)ヶ丘(おか)から十四、五町(ちょう)手まえ寒松院(かんしょういん)の並木(なみき)にかくれて待つであろう。そちは身なりの目立たぬのをさいわい、出立(しゅったつ)のようす、人数(にんず)、道順(みちじゅん)、落ちなくさぐって知らせてくれい」
「はい。かならずくまなく見とどけてまいります。ではまだ雷神(らいじん)の滝(たき)の上に、お師匠(ししょう)さまがおいでになるかも知れませぬゆえ、ひとことお礼を申しあげて、すぐその足で天ヶ丘へむかいまする」
「なんという。では、果心居士(かしんこじ)先生が、この近くにおいであるのか。オオ、ちょうどよいおり、ぜひお目にかかっておこう」
 と伊那丸(いなまる)はにわかに立ちあがった。
 龍太郎や忍剣も、居士のすがたを拝(はい)さぬこと久しいので、先の松明(たいまつ)をふりかざし、竹童をあんないにして、雷神の滝の断崖(だんがい)をよじ登(のぼ)っていくと、やがて竹童。
「みなさま、ごらんなさいませ。あのいちばん高い岩の上に、お師匠さまが立っておられます。そしてこちらの松明(たいまつ)が、近づいていくのを待っておいでなされます」
 指さすかたをみると、なるほど、滝の水明かりと、ほのかな星影(ほしかげ)の光をあびて、孤岩(こがん)の上に立っている白い道士(どうし)の衣(ころも)がみえる。
「おお、老先生――」
 龍太郎は、はるかに見てさえ、なつかしさにたえぬように、声をあげた。
 熊笹(くまざさ)にせばめられた道、凹凸(おうとつ)のはげしい坂、息(いき)をあえぎあえぎ、その岩(いわ)の根(ね)もとまでいそいできた四人は、そこへくると同時に、岩の上をふりあおぎ、声もひとつによびかけた。
「果心(かしん)先生! 果心先生!」
 すると――おおという声はなく、ふいに、孤岩(こがん)の上の道士(どうし)のすがたが、ふわりと宙(ちゅう)へ舞(ま)いあがったので、四人のひとみも、あッ――と空へつられていった。
 その時――
 夜はまだ明けぬが有明(ありあ)けの月(つき)、かすかに雲の膜(まく)をやぶって黒い鞍馬(くらま)の山の端(は)にかかっていた。
 白き衣(ころも)をつけた居士(こじ)のすがたとみえたのは、はからざりき一羽(わ)の丹頂(たんちょう)! まっ白な翼(つばさ)をハタハタとひろげて、四人の上に輪(わ)をえがいて舞(ま)いめぐり、あれよと見るまに有明けの月のかげをかすめて、いずこともなく飛んでしまった。
 しかし、四人はまだ、なお岩の上に、果心居士(かしんこじ)がいるような心地(ここち)がして、その上まで登ってみた。そこにはだれもいなかった。
 ただ残っていたのは一本の刀。
 滝壺(たきつぼ)のなかに落としたとばかり思っていた、竹童(ちくどう)の愛刀般若丸(はんにゃまる)は、水にもぬれずにおいてある。
「や、まだなにやらここに……?」
 と、伊那丸(いなまる)はたいまつの光をよんで足もとをみつめた。
 見ると、岩をけずって、数行(すうぎょう)の文字が小柄(こづか)で彫(ほ)りのこされてある。それは、うたがう余地(よち)もなく、果心居士(かしんこじ)らしい枯淡(こたん)な筆(ひっ)せきで、

父子(ふし)の邂逅(かいこう)はむなしく
小太郎山(こたろうざん)の砦(とりで)はあやうし

 とただ二行(ぎょう)の文字であった。
 しかし、この二行にすぎぬ文字の予言(よげん)は、武田伊那丸(たけだいなまる)にとって、否(いな)、その帷幕(いばく)の人すべてにとって、なんと絶望的(ぜつぼうてき)な、そして戦慄(せんりつ)すべき予言(よげん)ではあるまいか。

 予言(よげん)は、よき未来(みらい)の暗示(あんじ)であり、いましめの謎(なぞ)である。かならずしも、文字の表(おもて)にあらわれている意味ばかりが真(まこと)なのではない。その裏(うら)の意味もふかく味読(みどく)してみねばならぬ。

父子(ふし)の邂逅(かいこう)はむなしく
小太郎山(こたろうざん)の砦(とりで)はあやうし

 孤岩(こがん)の上に――こう彫(ほ)りのこした果心居士(かしんこじ)の心は、どう解(と)いたらいいであろうか?
 伊那丸(いなまる)をはじめ、忍剣(にんけん)も龍太郎(りゅうたろう)も、また竹童(ちくどう)も、ひとしく松明(たいまつ)の燃(も)えつきるのを忘れて、岩上(がんじょう)の文字をみつめ予言(よげん)の意味(いみ)をときなやんでしまった。
 これを、読んで文字のごとく考えれば、
(伊那丸よ――おまえのいま望(のぞ)んでいることは無益(むえき)であるぞ、徒労(とろう)であるぞ、幻滅(げんめつ)をもとめているにすぎないぞよ、そして、そんなことをしているまに、留守(るす)の小太郎山(こたろうざん)の砦(とりで)は、徳川家康(とくがわいえやす)におそわれて、あの裾野(すその)の陣(じん)の終局(しゅうきょく)をむすばれてしまうぞよ――)
 思うてみるさえ、おそろしい声がきこえる。
 だが、まさかそんなことはあるまい!
 伊那丸は心のそこで、否定(ひてい)した。
 これは老先生の激励(げきれい)であろう。いまが大事なときであるぞと、凡夫(ぼんぷ)のわれわれを鼓舞(こぶ)してくださる垂訓(すいくん)なのであろう。すなわち、予言の裏(うら)にふくむ真意(しんい)をくめば、
 ――ここに最善(さいぜん)のつとめをなさねば汝(なんじ)と父(ちち)勝頼(かつより)との、父子(ふし)のめぐり会うのぞみはついにむなしいぞ。
 ――ここにゆうゆうといたずらな日を過(すご)すときは、小太郎山の砦もあるいは危(あや)うからん。
 というおことばなのにそういない!
 忍剣(にんけん)もそう解(と)いた。
 龍太郎(りゅうたろう)も、それにちがいないといった。
 で、武田伊那丸(たけだいなまる)は、いやがうえにも、希望(きぼう)をもった。武者(むしゃ)ぶるいとでもいうような、全霊(ぜんれい)の血と肉(にく)との躍(おど)りたつのがじぶんでもわかった。
「おのれ和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)、きょうこそは、かならず汝(なんじ)の手から父君(ちちぎみ)をとり返してみせるぞ」
 固(かた)くかたく、こう誓(ちか)った。
 そして、予言(よげん)の文字に吸(す)いつけられていた眸(ひとみ)をあげてふと有明(ありあ)けの空をふりあおぐと、おお希望の象徴(しょうちょう)! 熱血(ねっけつ)のかがやき! らんらんたる日輪(にちりん)の半身(はんしん)が、白馬金鞍(はくばきんあん)の若武者(わかむしゃ)のように、東の雲をやぶってあらわれた。
 夢(ゆめ)からさめたようにあたりをみると、舟岡山(ふなおかやま)は水いろにあけている。春のあけぼの! 春のあけぼの! 小鳥はそういって歌っていた。森をこえて紫野(むらさきの)の里(さと)に、うす桃色(ももいろ)の花の雲をひいて、今宮神社(いまみやじんじゃ)の大屋根(おおやね)が青さびて見える。
「夜が明けた!」
 竹童(ちくどう)が、とびあがるような声でいった。
「おお!」
 と龍太郎と忍剣、きッとなって、伊那丸(いなまる)の顔をみながら、
「若君(わかぎみ)、時刻(じこく)をうつしては一大事です。ともあれ竹童を先にやって、天(てん)ヶ丘(おか)のようすを、しかと見とどけさせましょう」
「ウム、そしてわれわれは、寒松院(かんしょういん)の松並木(まつなみき)に待ち伏(ぶ)せているか」
「それが、上策(じょうさく)とかんがえまする」
「竹童」
「はい」
「心得(こころえ)たか」
「たしかにうけたまわりました」
「では、これを――」
 と龍太郎が、狼煙筒(のろしづつ)を、竹童の手へわたして、
「呂宋兵衛(るそんべえ)をはじめ天ヶ丘の者どもが、山をくだって、寒松院の並木へかかるころを見はからい、この狼煙をうちあげてくれい。時ならぬ狼煙の音におびやかされて、きゃつらは、かならずうろたえるにちがいない」
「その虚(きょ)につけ入って、呂宋兵衛の一族をけちらし、勝頼公(かつよりこう)のお駕籠(かご)をうばいとる、ご計略(けいりゃく)でございますか」
「そうじゃ。機(き)をあやまらぬようにいたせ」
「かしこまりました。ではみなさま――」
 般若丸(はんにゃまる)をさしなおして、伊那丸(いなまる)に一礼すると、もうヒラリと岩の上から飛びおりていた。そして、バラバラと舟岡山(ふなおかやま)をかけおりていく彼のすがたを見送っていると、たちまち、崖(がけ)をこえ、雷神(らいじん)の滝(たき)の流れをとび、やがて森から紫野(むらさきの)のはてへ霞(かす)んでしまった。
 そのはやいことはやいこと、まるで鹿(しか)のようである。もっとも、あのけわしい鞍馬(くらま)の谷や細道になれきッている竹童(ちくどう)だ。ここらの山や森などは、ほとんど、坦々(たんたん)たる芝生(しばふ)の庭をかけるようなものだろう。
「あれ、ごらんあそばせ」
 龍太郎(りゅうたろう)が、そのうしろ姿を指さしていう。
「竹童め、今朝(けさ)はすッかり忘(わす)れております」
「なにを?」
 と、伊那丸がきく。
「きのうまでは盲(めくら)であったが、老先生のお力で、にわかにアアなったことをまるで忘れているらしゅうございます」
「お、……それが童子(どうじ)らしいところである」
 微笑(びしょう)をもってながめていた伊那丸は、愛らしいやつ、――たのもしいやつ――そう思ってうなずいた。
 やがて、その三人も、雷神(らいじん)の滝(たき)の岩頭(がんとう)をおりた。そして、裏道(うらみち)をめぐって、敵の廻(まわ)しものに覚(さと)られぬように、ひそかに寒松院(かんしょういん)の並木(なみき)にかくれ、腕(うで)をさすッて、合図(あいず)の狼煙(のろし)を、待ちうけていた。

「オオ、寒(さむ)い」
 正気(しょうき)にかえって、ポカンとあたりを見まわしたのは、ゆうべ、今宮神社(いまみやじんじゃ)の境内(けいだい)で、馬にけられてヘドを吐(は)いて、あのまま気絶(きぜつ)していた泣き虫の蛾次郎(がじろう)。
「オオ寒、寒、寒……」
 ブルブルガタガタふるえている。
 ひょいと見ると、目のまえには、じぶんの吐(は)いたご馳走(ちそう)やら、馬の糞(ふん)やら紙屑(かみくず)やらで、きれいな物は一つもない。
 この汚穢(おわい)だらけな地面の上に、気をうしなって寝ていたかと思うと、いくら洒(しゃ)アつくな蛾次郎でも、さすがにすこしあさましくなって、今朝(けさ)の寝起(ねお)きは、あまりいい気持でなかった。
「アア、おなかがペコペコだ……」
 起きるとすぐに食(く)うしんぱい。
 ゆうべスッカリ吐きだして、今朝(けさ)は胃袋(いぶくろ)が、カラッポになっているとみえて、食慾(しょくよく)ばかりになった目つきで、しきりに、そこらをキョトキョトと見まわしながら、
「なにかないかナ、なにかないかナ……」
 泥(どろ)だらけな着物もハタかず、ふらふらと立ちあがった。
 その姿や寝ぼけ面(づら)が、おかしいとみえて、すぐそばの神馬小屋(しんめごや)で、白と黒と二疋(ひき)の馬が、ヒーンと鼻で吹きだした。すると頭の上のモチの木でも、鴉(からす)がカーッと啼(な)き合わせた。
 虫のいどころが悪かった。
「ばかア! てめえのことじゃねえやい」
 と、蛾次郎(がじろう)、鴉をどなりつけて、スタスタと向こうへ歩きだした。
 すると、あった! あった!
 ひとつの御堂(みどう)の神前(しんぜん)に、蛾次郎の見のがしならぬものがあった。
 蕎麦(そば)まんじゅうのお供物(くもつ)である。
 きのうのお祭(まつり)に、氏子(うじこ)があげた物であろう。三方(さんぽう)の上に、うずたかく、大げさにいえば、富士(ふじ)の山ほど積(つ)んであった。
 犬もあるけば棒(ぼう)にあたる!
 これなるかな、これなるかなと、蛾次郎はそこで、よだれをたらして見とれてしまった。
「ちぇッ、ありがたし、かたじけなし」
 と泣き虫の蛾次郎、じぶんのおでこをピシャリとたたいて、神さまに感謝(かんしゃ)したのである。が、さてと口に唾(つば)をわかせてみると、いけないことには、厳重(げんじゅう)な柵(さく)をめぐらしてあって、いくら長い手をのばしてみても、とても、そこまではとどかない。
「ウーム、いまいましいなア」
 宝の山に入(い)りながら、この蕎麦(そば)まんじゅうに手がとどかないとは、なんたる無念(むねん)しごくだろうというふうに、胃液(いえき)をわかせながら蛾次郎(がじろう)の目がすわってしまった。だが、こういう事業にたいしては、人一倍(ばい)の熱をもつ蛾次郎である。たちまち一策(さく)をあんじだして、蕎麦まんじゅうの曲取(きょくど)りをやりはじめた。
 そこらで見つけてきた一本の細竹(ほそだけ)、先をそいでとがらせ、柵(さく)のそとから手をのばして、三方(ぽう)の上のまんじゅうを上から一箇(こ)ずつ突(つ)いては取り、突いては食(た)べ、口の中へ五つばかり、ふところの中へ八つばかり、まんまと、せしめてしまったのである。
「エヘン。どんなものだい、蛾次郎さまのお手なみは」
 これで兵糧(ひょうろう)もでき、目もさめた。
「さア、これからきょうはどうしよう、どうしておもしろくあそぼうか」
 富士の裾野(すその)をでていらい、鷲(わし)に乗って北国(ほっこく)も見たし、東海道(とうかいどう)も見物(けんぶつ)したし、奈良(なら)の堂塔(どうとう)、大和(やまと)の平野、京都の今宮祭(いまみやまつり)まで見たから、こんどはひとつ思いきって、四国へ飛ぼうか、九州へいこうか?
 なにしろ――前途(ぜんと)は洋々(ようよう)たるものだ。
 ひとまず、きょうは天(てん)ヶ丘(おか)へかえって、ゆッくりと考えたうえにしよう。
 おお、天ヶ丘といえば、おればかりご馳走(ちそう)を食(た)べあるいて、クロのことをすッかり忘れていた。あの丘(おか)の奥(おく)の松の木へ、鎖(くさり)でしばりつけておいたから、逃(に)げる気づかいはちっともないが、きッと腹をへらしているだろう。
 こう気がついたので蛾次郎(がじろう)も、にわかに足をはやめて今宮神社(いまみやじんじゃ)の内(うち)から、天(てん)ヶ丘(おか)のほうへ歩きだした。
 すると、ちょうどその麓(ふもと)。
 南蛮寺(なんばんじ)ののぼりにかかろうとする参道(さんどう)の並木(なみき)を、忍(しの)びやかにゆく人かげがある。
 まだ朝霞(あさがすみ)がたちこめているので、おおかた薪拾(まきひろ)いの小僧(こぞう)か、物売(ものう)りだろうくらいに思っていた蛾次郎は、だんだん近づいて見てびっくりした。どうも、それは鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)らしい。
「おやッ」
 蛾次郎は、もういっそうちかくよってみた。まちがいなく竹童である。
「だが、へんだなあ。……あいつ目が見えないくせにして、いやにまっすぐに向いて歩いていやがる。ははア読(よ)めた……よく盲(めくら)というやつは、見えるふりをして歩くというが、竹童もそれであんなにすましているんだな。うふッ、……また一つからかって見てやろうか」
 と、ひとり合点(がてん)をして泣き虫の蛾次郎、止(よ)せばよいのに性懲(しょうこ)りもなく、また悪戯心(いたずらごころ)をおこして、竹童の後からピタピタとついていった。

 霞(かすみ)にぼかされた松の丘に、南蛮寺(なんばんじ)の朱門(あかもん)は、まだ、かたくとざされてあった。
 稲妻形(いなずまがた)についている石段(いしだん)の道を見まわしても、きれいな朝露(あさつゆ)がたたえられて、人の土足(どそく)にふみにじられているようすはない。
 きょうの朝まだきに、桑名(くわな)に在陣(ざいじん)する秀吉(ひでよし)のところへ向けて、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)が護送(ごそう)していこうとする勝頼(かつより)の駕籠(かご)は、まだあの朱門(あかもん)をでて山をくだっていないようだ。……竹童(ちくどう)はまずよかったと、そこでいっそう身をかがませながら、はうようにして、石段を一歩(ぽ)一歩とのぼっていく……
 それを見ると、蛾次郎(がじろう)は、
「あはははは。やっぱり盲(めくら)だ、石段を四つンばいになって登(のぼ)っていきゃアがる」
 と、嘲笑(あざわら)いながら、心をゆるめてしまった。そこで、ふところの蕎麦(そば)まんじゅうを半分たべて、のこりの半分を、ポンと竹童の背なかへ投げつけながら、
「おい、鞍馬(くらま)の竹童――どこへいくンだい」
 と呼びかけた。竹童は、ハッとして石段へ身をねかせた。そしてジロリと、ふりかえって見ると、ゆうべ八神殿(しんでん)の床下(ゆかした)でにがした蛾次郎だ。
「ああ、またきたな」
 と思ったが、はやる心をおさえて、なお盲のふりをしながら、しずかに天(てん)ヶ丘(おか)へのぼりだすと、蛾次郎(がじろう)は、それとも知らずに、
「オイオイ、つんぼかい?」
 いよいよ図(ず)にのって、減(へ)らず口(ぐち)をたたきだした。
「ゆうべはつんぼじゃなかったはずだ。盲(めくら)の上にツン的(てき)ときたひにゃ、それこそ、でくの坊(ぼう)よりなッちゃあいねえからな。ええオイ竹童……おッと、こいつは俺(おれ)がまちがった。おまえは八神殿(しんでん)の床下(ゆかした)をお屋敷(やしき)としている、天下のお乞食(こじき)だッたんだっけ。それじゃ返事をしないはずだよ。ではあらためて呼びなおすことにしよう……」
 蛾次郎、ますますお調子(ちょうし)づいて、いまや、その身が竹童の般若丸(はんにゃまる)の切(き)ッ先に、まねき寄(よ)せられているとは知らずに、ノコノコとすぐ後(うし)ろへまで近よっていった。
 そして、黄色(きいろ)い歯(は)をムキだして、ゲタゲタと笑いながら、竹童の顔を、肩(かた)ごしにのぞくようにしながら、
「――もし、天下のお乞食さま。おめえ、これからどこへいくのよ。南蛮寺(なんばんじ)の台所(だいどころ)か、それにゃ、まずすこし時刻(じこく)が早かろうぜ。おあまりは朝飯(あさめし)すぎにいかなけりゃくれやしないよ。うふふふふ……怒(おこ)ってるのか。澄(す)ますなよ。はずかしいのか、蛾次郎さまにすがたを見られて……。まアいいじゃアねえか、なアおい竹童、おれとおめえとは、いまじゃ身分がちがってしまったが、もとは裾野(すその)の人無村(ひとなしむら)で、おなじ柿(かき)の木の柿をかじりあった仲だ。――おれはおめえに同情(どうじょう)しているんだぜ。だからよ、ゆうべだッて、おれから声をかけたんじゃねえか。うまい飴(あめ)ン棒(ぼう)でもしゃぶらしてやろうと思って、ひとが親切(しんせつ)にいったものを、コケおどしの刃物(はもの)なんぞふりまわして、よせやい、おれだって、はばかりながら、刀ぐらいは差(さ)しているんだからな」
 竹童(ちくどう)は、唖(おし)のようにだまっていた。
 しかし、全身の血は、沸(たぎ)りたち、毛もよだつほど怒(おこ)っていた。だが、――いまは、どこまで盲(めくら)の態(てい)をみせて蛾次郎(がじろう)にゆだんをさせ、その素(そ)ッ首(くび)をひンねじってやろうと、心の奥(おく)にためきって、かれの悪口雑言(あっこうぞうごん)を、いうがままにこらえている。
「エエ、オイ、なんとかいえよ、なんとか」
 蛾次郎は、竹童のからだから棘(とげ)の立っているのに気づかず、いきなり蕎麦(そば)まんじゅうをムシャムシャ食(た)べて、
「やい乞食(こじき)、これでも食(く)らえ」
 と、その食(く)いかけを、竹童の口もとへ持っていった。
 待っていたぞ――と、いわぬばかりに。
「逃げるな、蛾次!」
 と、いうがはやいか、鞍馬(くらま)の竹童、顔まできた蛾次郎の右の手を、いきなりつかんでひきよせた。
「あッ! こ、こいつ」
「よくやってきた。思いしれ」
 と竹童は、その利(き)き腕(うで)をねじあげて、石段の中途(ちゅうと)へ、押(お)したおした。
「おう! て、てめえ目が見えるのか」
 と押(お)しふせられながら蛾次郎(がじろう)は、胆(きも)をつぶして、ふるえあがった。竹童(ちくどう)はその上へのって、膝(ひざ)がしらで、相手の腕をおしつけ、両手で喉(のど)と腕首をしめつけて、ビクとも動きをとらせずに、
「やい蛾次公(がじこう)! よくもおのれは、この竹童を、さんざんに恥(は)ずかしめたな。うぬッ、どうするかおぼえていろ」
「あッ――か、か、かんにんしてくれ」
「えい、いまになって、卑怯(ひきょう)なことをいうな」
「あやまる、あやまる、あやまる! あやまりますから! かんべんしてくれッ!」
「だめだ! だめだ! だめだッ。もうなんといッたってゆるすもんか、ここでおいらの手につかまったのが百年目だ、般若丸(はんにゃまる)の斬(き)れあじを試(ため)してやるから、そう思え」
 と、刀の柄(つか)へ手をやった。
「アア待ってくれ、竹童、竹童さまーッ」
 と、蛾次郎はついに本性(ほんしょう)をだして、ベソをかきながら悲鳴(ひめい)をあげた。
「待ってくれよ、おめえに返すものがある。おれを殺してしまうと、それがわからなくなるぜ」
「なに? 返すものが……オオ鷲(わし)をか」
「そうだ。クロを返すから、命(いのち)だけを助けてくれ」
「きっとだな!」
「きっと!」
「よし、クロを返すというならば命(いのち)だけは助けてやる。だが、それはいったいどこにあるのだ」
「す、す、……すこうし手をゆるめてくれなくちゃ、のどがくるしくって、声が……」
「さッ、はやくいえ!」
 と少しからだを浮かしてやると、そのとたんに、泣き虫の蛾次郎(がじろう)、ドンと足をあげて竹童の頤(あご)を蹴(け)とばした。あッ、と竹童もふいを食(く)ったが、胸(むな)ぐらをつかんでいた手をはなさなかったので、足を踏(ふ)みはずした勢いで、蛾次郎もろともに、ゴロゴロゴロと、二つのからだが、俵(たわら)のように、石段の中ほどから下までころげ落ちていった。

 ごろんと石段の下にとどまると、蛾次郎はいきなり、竹童の唇(くち)へ、爪(つめ)をひっかけた。
「なまいきなッ」
 と竹童、その手をはらって、襟(えり)がみをつかみ、腰(こし)をあてて、車投(くるまな)げに、――ぶんと、大地へなげつける。が、蛾次郎もここ一生の命(いのち)がけ、投げつけられて立つや否(いな)、バラバラッと横ッとびに逃(に)げだした。
「待てッ――」
 なんで竹童の足にかなうものか! すぐ追(お)いつかれそうになる、これはとおどろいて、蛾次郎、高くそびえ立った一本の樫(かし)の木へ猿(ましら)のようにツツッ――とよじのぼった。
 木登(きのぼ)りは、また竹童の得意(とくい)とするところ。
 かれが猿(さる)なら、竹童はむささびのごとく敏捷(びんしょう)だ。ピョンと枝へ飛(と)びつくと、もう蛾次郎の踵(かかと)をつかまえた。
「わッ!」と蛾次郎。
 あぶなくすべり落ちそうになったところを、蹴(け)はなして、ザワザワと横枝へはいだした。人の重味で樫(かし)の枝が弓(ゆみ)なりになって崖(がけ)へさがる――すぐあとからまた、竹童が猿臂(えんぴ)をのばしてきた。南無(なむ)三! 蛾次郎はポンと枝から崖(がけ)へ飛びうつっていちもくさんに天(てん)ヶ丘(おか)へかけのぼった。
 鷲(わし)だ、鷲だ!
 こんな時には手のとどかない、地面をはなれてしまうのが一番安全(あんぜん)。
 こう思って蛾次郎は、いつぞや、クロをつないでおいた松の木の下まで、無我夢中(むがむちゅう)にかけのぼってきてみると鷲は、人の跫音(あしおと)を聞きつけて、羽(は)ばたきの音を高々とさせている。
「おお、いたな! ありがてえ」
 息をはずませてかけよった。
 そして汗(あせ)を拭(ふ)くまもなく、クロの足をしばりつけてある鎖(くさり)をガチャガチャ解(と)きはじめた。だが、――意地(いじ)わるく、急げばいそぐほど、鎖は笹(ささ)や枯草(かれくさ)にひっからんで、容易(ようい)にむすびこぶしが解(と)けない。
 とこうするまに、鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)、ヒョイと見うしなった蛾次郎(がじろう)のすがたを血眼(ちまなこ)で、さがしながら、もうすぐそこまで、のぼってきた。
「オオ、クロがいた! おれのクロだ!」
 かれは思わずこうさけんだ。あたかも、暗夜(あんや)に見うしなった肉親の姿でも見つけたように――
 と、ちょうどその時である。
 南蛮寺(なんばんじ)の奥(おく)のほうから、ジャン、ジャン、ジャン! 妖韻(よういん)のこもった鐘(かね)の音(ね)――そして一種の凄味(すごみ)をおびた貝(かい)の音(ね)がひびいてきた。ハッと思ってふり向くとたんに、丘(おか)のいただきにある南面の朱門(あかもん)が、魔王(まおう)の口を開いたように、ギーイと八文字に押(お)しひらかれた。
 同時に――
 その朱門の中からワラワラとあふれだしたおびただしい浪人武者(ろうにんむしゃ)! 黒装束(くろしょうぞく)へ小具足(こぐそく)をつけたるもの、鎖襦袢(くさりじゅばん)をガッシリと着(き)こんだもの、わらじ野袴(のばかま)に朱鞘(しゅざや)のもの、異風(いふう)さまざまないでたちで、その数五十人あまり。
 百鬼夜行(ひゃっきやこう)ということはあるが、これは爛々(らんらん)たる朝の陽(ひ)をあびて、その装束(しょうぞく)が同じからぬごとく、その武器(ぶき)も槍(やり)、太刀(たち)、かけや、薙刀(なぎなた)、鉄弓(てっきゅう)、鎖鎌(くさりがま)、見れば見るほど十人十色。
「それッ、列(れつ)をみだすな、駕籠わきへつけ、駕籠わきへ」
 なかに、ひとりこういって、手をふりあげた者がある。これぞたしかに、紅毛黒衣(こうもうこくい)の怪人(かいじん)、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)にまぎれもない。
 黄金(おうごん)の鎖(くさり)を胸(むね)にたらした銀色(ぎんいろ)の十字(じ)架(か)、それが、朝陽(あさひ)をうけて、ギラギラ光っている。
「おう!」
 と答えて、ひとつの駕籠のまわりへ、警固(けいご)についた者たちを見ると、おなじ黒布(こくふ)をかぶり黒衣(こくい)をつけた吹針(ふきばり)の蚕婆(かいこばばあ)をはじめ、呂宋兵衛のふところ刀、丹羽昌仙(にわしょうせん)、早足(はやあし)の燕作(えんさく)、このほか、腕(うで)ぶしの強そうな者ばかり、ひしひしと足なみをそろえた。
 そして、あたかも、深岳(しんがく)の狼(おおかみ)が、群(む)れをなして里(さと)へでるごとく、列(れつ)をつくって、天(てん)ヶ丘(おか)の石段(いしだん)を下(くだ)りはじめる。中にはさんでいく一挺(ちょう)の鎖駕籠(くさりかご)は――まさしく、桑名(くわな)の羽柴秀吉(はしばひでよし)へおくらんとする貴人(きじん)の僧形(そうぎょう)、武田勝頼(たけだかつより)が幽囚(ゆうしゅう)されているものと見られる。
「やッ! 呂宋兵衛がいく、勝頼さまのお駕籠(かご)がいく」
 それを見るや竹童(ちくどう)は思った。寒松院(かんしょういん)の並木(なみき)に待ちぶせている伊那丸(いなまる)やそのほかの人々に、すこしも早く、このことを合図(あいず)してやらねばならぬと。――
 といって――
 狼煙(のろし)のしたくをしているまには、おお、すぐそこにいる蛾次郎(がじろう)めが、クロの背をかりて、宙天(ちゅうてん)へ逃げ失せてしまうであろう。
 蛾次郎を見のがすぐらいは、虫ケラと思えばなんでもないが、いまここで、せっかくその姿を見たクロとふたたび別れてしまうのは、なんとしてもしのびない。いつまた、それが蛾次郎の手から、じぶんの手へ返ってくる時節(じせつ)があるかわからない。
 さればといって――それにグズグズ手間(てま)どっているまに、呂宋兵衛(るそんべえ)一族(ぞく)が天(てん)ヶ丘(おか)から道をかえて、勝頼公(かつよりこう)をとおく護送(ごそう)してしまったら、それこそ伊那丸(いなまる)さまへたいしてぬぐわれざる不忠不義(ふちゅうふぎ)! 腹を切っておわびしても、その大罪(だいざい)をつぐなうには値(あたい)しない。
「ああ、困(こま)った」
 竹童は、髪(かみ)の毛(け)をつかんで、迷(まよ)いにまよった。合図(あいず)か? 鷲(わし)か? 合図か? 鷲か?
 どっちへこの身をむけていいか。
「おお、クロを?」かれはとつぜん蛾次郎のいるほうへ征矢(そや)のごとく飛んでッた。
 クロこそは、人間のもつなにものも、匹敵(ひってき)するあたわざる飛行の武器(ぶき)だ、生ける武器だ。クロさえ蛾次郎の手からとり返せば、のろしをあげるまでもなく、あの偉大(いだい)なつばさで一はたきで、寒松院(かんしょういん)の並木(なみき)にいる味方(みかた)へ、このようすをお知らせにも飛んでいける。
 そのうえ、たとえ呂宋兵衛(るそんべえ)が、どこをどう逃(に)げまわっても、空からそれを見てとることもできるというもの。――こう竹童(ちくどう)はかんがえた。
 しかし、その時すでに、蛾次郎(がじろう)は、鎖(くさり)をといて鷲(わし)の背へ、フワリと乗っていたのである。
「あッ、待て!」
 飛(と)びついていった竹童と、地上をはなれた大鷲(おおわし)とはそのとき、ほとんど同時であった。
「くそうッ」と蛾次郎、鷲の上から竹をふるって、竹童の肩(かた)をピシーッとなぐった。
「ちイッ……」と、こらえながら、竹童は、必死(ひっし)につかんだ蛾次郎の足をはなさず、大鷲のつばさが、さッと大地を打ってまいあがるのと一しょに、かれも蛾次郎とともに、無(む)二無(む)三に、鷲の背(せ)なかへかじりついてしまった……

 かくて巨大(きょだい)な黒鷲(くろわし)の背には、いまやたがいに、敵(てき)たり仇(あだ)たるふたりの童子(どうじ)が、ところもあろうに、飛行する大空において、ひとつ翼(つばさ)の上に乗りあってしまった。
 だが、しかし――鷲そのものは、蛾次郎(がじろう)を敵ともおもわず、また竹童を仇(かたき)とも思うようすもない。軽々(かるがる)と、二少年を背にのせて、そのゆうゆうたるすがたを、南蛮寺(なんばんじ)の空にまいあがらせた。
 おお、みるまに下界(げかい)は遠くなる――遠くなる――
 南蛮寺(なんばんじ)の屋根(やね)、天(てん)ヶ丘(おか)一帯(たい)、さらに四方の山川まで、たちまち箱庭(はこにわ)を見るように、すぐ目の下へ展開(てんかい)されて、それが、ゆるい渦巻(うずまき)のように巻いてながれる……
 蹴(け)おとされては大へんと、泣き虫の蛾次郎(がじろう)は、歯(は)を食(く)いしばって、鷲(わし)の頸毛(えりげ)にしがみついた。
 と――同じように、地上とちがって、大空の風をきってゆく鷲の背なかにいては、さすがの竹童も、手がはなせないので、みすみすそばに乗りあっている蛾次郎をどうすることもできないのである。
 それはいいが、ここに、なおなお困ったことは、ひとりならば自由な方角(ほうがく)をさして飛(と)ばすこともできるが、こうして蛾次郎と相乗(あいの)りになってしまったために、クロはただクロ自身の意志(いし)で、勝手なほうへさっさつとして飛んでいく。それでは、伊那丸(いなまる)たちへ、合図(あいず)をするたよりがないので、かかるまも、竹童の腹のなかは、引っくり返るような心配(しんぱい)である。
 ピューッ、ピューッと顔をかすっていく風の絶(た)えまにはるかに下をみてあれば、もう和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)一族(ぞく)の列は蟻(あり)のように小さく見えながら、天ヶ丘の石段を降(お)りきっている。
「かならず――合図(あいず)をまちがえてくれるなよ――」
 くれぐれもことわられた龍太郎(りゅうたろう)のことばが、空の上なる竹童の耳に、いまもありありと聞える心地がする。
 ――とそのせつなである。竹童は、すぐ真下(ました)の地上に一点の火の塊(かたまり)を見いだした。
 枯草(かれくさ)をやく百姓(ひゃくしょう)の野火(のび)か、あるいは、きこりのたいた焚火(たきび)であろうか、とある原のなかほどに、チラチラと赤くもえている焔(ほのお)があった。
「しめた」
 竹童は、やっと片手をふところへ入れて、龍太郎から渡(わた)されてきた、狼煙筒(のろしづつ)をかたくつかんだ。そして、鷲(わし)の腹がちょうどその火の上へ舞(ま)いめぐってきたとたんに、ポーンと下へ投げおとした。
 ツーと斜線(しゃせん)をえがいて落ちていく、小さい物体(ぶったい)の行方(ゆくえ)に、竹童は祈(いの)りを送った。
 しめた! 狼煙の筒(つつ)は、うまく、地上に見えるその焔の廓(くるわ)のなかへ落ちた。
 と、思うまもあらず、轟然(ごうぜん)たる青天(せいてん)の霹靂(へきれき)。
 筒の中の火薬(かやく)が破裂(はれつ)して、ドーン! とすさまじい火と灰(はい)と炸裂(さくれつ)した物体(ぶったい)の破片(はへん)を舞(ま)いあげた。
 合図(あいず)の狼煙! それは一倍(ばい)ものすごい響(ひび)きをもって、寒松院(かんしょういん)の並木(なみき)にいる、伊那丸(いなまる)、忍剣(にんけん)、龍太郎の耳へまでつんざいていったことは必定(ひつじょう)である。だが――? そのとたんに、ビックリした大鷲(おおわし)は、雷気(らいき)にあって天空をそれたようにパッ! ――と一陣(じん)の風をついて、竹童と蛾次郎をのせたまま、いずこともなく飛びさってしまった。

 さて――。
 寒松院(かんしょういん)の松並木(まつなみき)――ここもまだ、朝がすみがこめていた。四条(じょう)五条(じょう)へ花売りにでる大原女(おはらめ)が、散りこぼしていったのであろう、道のところどころに、連翹(れんぎょう)の花や、白桃(しろもも)の小枝(こえだ)が、牛車(ぎゅうしゃ)のわだちにもひかれずに、おちている。
 並木のこずえには、高々とうたう春の百鳥(ももどり)、大地はシットリと露(つゆ)をふくんで、なんともいわれないすがすがしさ。
 かかるところへ、霞(かすみ)のなかから、ポカリと浮(う)きだした一列の人かげがある。寂光浄土(じゃっこうじょうど)の極楽(ごくらく)へ、地獄(じごく)の獄卒(ごくそつ)どもが練(ね)ってきたように、それは殺風景(さっぷうけい)なものであった。
 きょう、桑名(くわな)の陣(じん)をさして、天(てん)ヶ丘(おか)をくだってきた、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)の一行(こう)である。れいの鎖駕籠(くさりかご)をいと厳重(げんじゅう)に警固(けいご)して、随行(ずいこう)には軍師(ぐんし)の昌仙(しょうせん)、早足(はやあし)の燕作(えんさく)、吹針の蚕婆(かいこばばあ)、そのほか五十余名の浪人(ろうにん)が、鳴り物こそ使わないが、いわゆる一鼓(こ)六足(そく)の陣あゆみで、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ……と、足なみをそろえてくる。
 せんとうに立ったのは三人の野武士(のぶし)である。さえぎるものあらばと、刀の柄(つか)に手をかけたまま歩いてくる。次には、黒柄(くろえ)九尺の槍(やり)を横にもち、するどい穂先(ほさき)をならべてくる者が七人。――そのつぎに、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)、黒衣(こくい)に蛮刀(ばんとう)を佩(は)き、いかにも意気ようようとしていた。
 追分(おいわけ)へでたら、左だぞ、左だぞ。すこしは道がまわりになっても、なるべく裏街道(うらかいどう)をえらんでいけよ。――途中(とちゅう)、ほかの大名(だいみょう)にあったらば、同格(どうかく)の会釈(えしゃく)をして、かまわないから、羽柴筑前守(はしばちくぜんのかみ)のみ内(うち)と名のれ――関所(せきしょ)へかかったときは、武器(ぶき)を伏(ふ)せろよ! いいか、関所で武器をふせるのを忘れるなよ! そのほか、桑名(くわな)のご陣(じん)につくまでは、みちみち話をかわすことはならぬ。
 列の前後へむかって、こう号令(ごうれい)したが、令をくだす自分だけは軍律(ぐんりつ)もなにもなく、黒布(こくふ)のかくしぶくろから陶器製(すえものせい)のパイプを出し、それへ、葉煙草(はたばこ)をつめたかと思うと、歩きながら、スパスパとむらさき色の煙をくゆらしはじめた。
 しばらくゆくと、また呼(よ)んだ。
「昌仙(しょうせん)、昌仙」
「はッ」
 と、うしろのほうでこたえる。丹羽昌仙(にわしょうせん)と早足(はやあし)の燕作(えんさく)とは、鎖駕籠(くさりかご)の両わきに、つきそっていた。
「京の大津口(おおつぐち)から桑名まで、およそ何里(なんり)ほどあるだろう」
「さよう? ……」
 と昌仙(しょうせん)は歩きながら懐中絵図(かいちゅうえず)をひろげて見て、
「二十九里(り)余町(よちょう)――まア、ざっと三十里でございまする。すると桑名(くわな)のご陣(じん)へつきますまでには、約三日ののちとあいなります」
「三日はすこしかかりすぎるな。どこか間道(かんどう)をとおって、二日ぐらいでまいれる工夫(くふう)はなかろうか」
「なにしろ途中には、大津(おおつ)の関所(せきしょ)、松本の渡舟(わたし)、鈴鹿山(すずかやま)の難路(なんろ)などがございますので……」
 と、しきりに懐中絵図の説明をしていたが、そのうちに列のまっさきにあたって、あッ、という声がした。さきの野武士(のぶし)三人の手から、ふいに、虹(にじ)のような陣刀(じんとう)がひらめいたのだ。
 と思うと、その三名は、電光(でんこう)一瞬(しゅん)のまにたおれ、すさまじい一陣(じん)の風をついて、何者かが、向かってくる。
「おお!」
 と、五十余名の大衆(たいしゅう)が、シタシタと足をひいて、まえをみると、霞(かすみ)のふかい松並木(まつなみき)のかげから、忽然(こつぜん)とおどりだした年わかい怪僧(かいそう)があった。染衣(せんえ)の袖(そで)を綾(あや)にしてうしろにからげ、手には、禅杖(ぜんじょう)をふりまわして、曠野(こうや)をはしる獅子(しし)のごとくおどりこんできた。
「おのれッ!」
 さけぶやいな、第二段の浪人組(ろうにんぐみ)七人が、黒柄(くろえ)九尺(しゃく)の槍(やり)の穂(ほ)さきを、サッと若僧(わかそう)の一身(しん)にあつめ、リラッ、リラッ、リラッ、としごきをくれて八面を押(お)っとりかこんだ。

「や、や?」
 と、呂宋兵衛(るそんべえ)は、陶器(すえもの)パイプを口からおとして、
「おう! ありゃ、武田方(たけだがた)の加賀見忍剣(かがみにんけん)だ。さては、勝頼(かつより)をうばいかえすために、伊那丸(いなまる)をはじめ、その他(ほか)のやつらも、このちかくに身をふせているとおぼえたぞ。昌仙(しょうせん)、昌仙! 燕作(えんさく)もゆだんするなッ」
 いうもおそし、その伊那丸は、いきなり横あいの草むらから、バラバラとおどりだして、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)とともに刀のこじりをはねあげ、呂宋兵衛の前へぬッくと立った。
「野武士(のぶし)ども待て、しばらく待て、むりにおし通らんとすれば、命(いのち)がないぞ」
「おッ――おのれは武田伊那丸に龍太郎だな。秀吉公(ひでよしこう)の威勢(いせい)をもおそれず、都へ入(い)りこんでくるとは、不敵(ふてき)なやつ。この呂宋兵衛の手並(てなみ)にもこりず、わざわざ富士(ふじ)の裾野(すその)から討たれにきたか」
 内心、胆(きも)をつぶしながらも、怯(ひる)みを見せまいとする呂宋兵衛は、蛮音(ばんおん)をはりあげて、刀へ手をかけた。
「やかましいッ!」と、木隠龍太郎。
「はるばる、若君(わかぎみ)がここへ、お越しあそばしたのは、お父上(ちちうえ)勝頼公(かつよりこう)をお迎えにまいったのだ。その鎖駕籠(くさりかご)のうちに、お身をひそめたもうおん方(かた)こそ、まぎれもなき勝頼公(かつよりこう)と見た。呂宋兵衛(るそんべえ)、神妙(しんみょう)に渡してしまえ」
「なにを、ばかな。いかにも鎖駕籠のうちには、これから桑名(くわな)のご陣屋(じんや)へ護送(ごそう)するひとりの落武者(おちむしゃ)が入(い)れてある! だがよくきけよ! おれも人穴城(ひとあなじょう)にいた野武士(のぶし)とちがって、いまでは、南蛮寺(なんばんじ)を守護(しゅご)する羽柴家(はしばけ)の呂宋兵衛だぞ。なんで勝頼をうぬらの手にわたすものか」
「渡さぬとあらば、なおおもしろい。木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)や忍剣(にんけん)が力をあわせて、汝(なんじ)らを、この松並木(まつなみき)の生(い)き肥(ごえ)にしてくれる」
「わはははは、片腹(かたはら)いたいいいぐさを聞(き)いちゃいられねえ。オオ! めんどうだが、桑名へのいきがけの駄賃(だちん)にうぬらの生首(なまくび)を槍(やり)のとッ尖(さき)にさしていくのも一興(きょう)だろう。それッ、この虫けらを踏(ふ)みつぶしてしまえッ」
 剣(けん)をはらって、うしろの狼軍(ろうぐん)をケシかけようとすると伊那丸(いなまる)の声が、またひびいた。
「ひかえろッ、雑人(ぞうにん)ども!」
 機山大居士(きざんだいこじ)武田信玄(たけだしんげん)の孫(まご)、天性(てんせい)そなわる威容(いよう)には、おのずから人をうつものがあるか、こういうと呂宋兵衛にしたがう山犬武士ども、おもわず耳の膜(まく)をつン抜(ぬ)かれたように、たじたじとして、われ一番にと斬(き)りつける者もない。
「えいッ、相手はわずか二人か三人、なにを猶予(ゆうよ)しているのだ、ふくろづつみにして、そッ首をあげちまえッ」
 呂宋兵衛(るそんべえ)が怒号(どごう)したとたんに、ズドンッ! と一発、つづいてまた一発のたま! シュッと、硝煙(しょうえん)をあげて伊那丸(いなまる)の耳をかする。
「おッ、若君(わかぎみ)、飛道具(とびどうぐ)のそなえがありますぞ」
「なんの!」
 と、武田伊那丸(たけだいなまる)、小太刀(こだち)をぬいて、身をおどらせ、目ざす呂宋兵衛の手もとへとびかかった。
「それッ、頭領(おかしら)をうたすな」
 と、なだれてくるのをおさえて、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)はかれが得意(とくい)の戒刀(かいとう)をぬいた。――たちまち、前後の四、五人を斬りふせつつ、かの鎖駕籠(くさりかご)のてまえまで走りよった。
 と――駕籠(かご)の屋根にはさっきから、一人の老野武士(ろうのぶし)が立っていた。その上から、銀象嵌(ぎんぞうがん)の短銃(たんづつ)をとってかまえ、いましも、三度目の筒口(つつぐち)に、伊那丸の姿をねらっていたが、龍太郎が近づいたのをみると、オオ! とそのつつ先を向けかえた。
「おのれッ!」
 とたんに、ごうぜんと、また一発のけむりが立った。老野武士は短銃を持ったまま、駕籠の屋根から向こうがわへぶっ倒(たお)れ、龍太郎のすがたは、太刀(たち)を走らせたまま煙の下へよろめいた。
 短銃をつかんでいた者こそ、すなわち人穴(ひとあな)以来、呂宋兵衛の軍師格(ぐんしかく)となっている丹羽(にわ)昌仙――ああ好漢、木隠龍太郎、とうとうかかる無名の野軍師(のぐんし)と、あい討(う)ちになってしまったか?

 龍太郎(りゅうたろう)と伊那丸(いなまる)が、呂宋兵衛(るそんべえ)の側面(そくめん)をつくよりまえに、ただひとり、列のまっ正面から禅杖(ぜんじょう)をふっておどりこんだ勇僧(ゆうそう)は、いうまでもなく加賀見忍剣(かがみにんけん)だ。
 七、八人の野武士(のぶし)どもが、九尺(しゃく)柄(え)の槍尖(やりさき)をそろえて、ズラリと円陣(えんじん)をつくり、かれをまんなかに押しつつんでしまったが、笑止(しょうし)や、忍剣の眼から見れば、こんなうすッぺらな殺陣(さつじん)は、紙のふすまを蹴(け)やぶるよりもたやすいことであろう。――見よ、錬鉄(れんてつ)の禅杖が、かれの頭上(ずじょう)にふりかぶられて、いまにも疾風(しっぷう)をよぼうとしているのを!
 かッと、目を見ひらいて、加賀見忍剣、
「命(いのち)のおしいやつはどけッ!」と大喝(たいかつ)した。
 と思えば――虚空(こくう)からさッとおちた禅杖が、右なる槍を二、三本たたき伏(ふ)せる! それッと、ひだり側(がわ)から間髪(かんはつ)をいれずにくりこんだ槍は、ビューッと禅杖が輪(わ)をえがいてかえったとたんに、乱離微塵(らんりみじん)! 三段(だん)四段(だん)におれとんで、その持主(もちぬし)は血の下になった。
「わッ」
 と円陣の一角(かく)がくずれると、もうかれらは、こらえもなく浮(う)きあしをみだした。忍剣はといえば、その瞬隙(しゅんげき)に、檻(おり)をでた猛虎(もうこ)のごとく、伊那丸の側(そば)へかけだしている。
 伊那丸はどこまでも、呂宋兵衛をのがさじと追(お)いつめて、いまや、火をふらして血戦(けっせん)をいどんでいた。そこへ忍剣(にんけん)がかけつけて、あたりの木(こ)ッ葉(ぱ)浪人(ろうにん)を八面にたたき伏(ふ)せ、
「若君(わかぎみ)、お助太刀(すけだち)」
 いきなり、呂宋兵衛(るそんべえ)の横から打ってかかった。
「おう!」
 と魔(ま)もののように吼(ほ)えた呂宋兵衛は、すでに、味方(みかた)の半(なか)ばはきずつき、半ばはどこかへ逃げうせたのを見て、いよいよ狼狽(ろうばい)したようす。伊那丸(いなまる)のするどい切(き)ッさきと、忍剣の禅杖(ぜんじょう)をうけかねて、息をあえぎ、脂汗(あぶらあせ)をしぼりながら、一歩(ぽ)一歩(ぽ)追いつめられたが、そのうちに、ドンとうしろへつまずいた。
 ほうりだされた鎖駕籠(くさりかご)――それへ打(ぶ)つかって、呂宋兵衛がヨロリと駕籠(かご)の棒(ぼう)へささえられた。
「しめたッ!」
 と、いう声がそのうしろでした。――だれかとおもうと、さいぜん、弾煙(たまけむり)のなかにたおれた木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)である。
 いかなる戒刀(かいとう)の達人(たつじん)も、飛道具(とびどうぐ)のまえに立っては危険(きけん)なので、わざと身をうっ伏(ぷ)せたものだった。
 しかし龍太郎は、たおれたまま仮死(かし)をよそおっていただけではない。かれは、丹羽昌仙(にわしょうせん)が、じぶんの切(き)ッさきからとんで逃げ、あたりの者も見えないしおに、得(え)たりとばかり鎖駕籠の側(そば)へはいより、その錠(じょう)まえをねじ切っていたところである――そこへ、呂宋兵衛がヨロケこんできたから、龍太郎(りゅうたろう)はなんの苦もなく、
「しめた!」
 と、その片足をつかんでしまった。
 まえには忍剣(にんけん)、横には伊那丸(いなまる)の太刀、足をつかまれて立ちすくみになった呂宋兵衛(るそんべえ)は、いよいよいまが最後とみえたが、いつもこうした破滅(はめつ)には、かならず南蛮流幻術(なんばんりゅうげんじゅつ)で姿(すがた)を消すのが、かれの奥(おく)の手だ。
 いまもいまとて、伊那丸と忍剣が、一気にかれを討(う)ちとろうとしたせつな、どこからともなく、ビラビラビラビラビラッと吹きつけてきた針(はり)の風! それは呂宋兵衛の幻術(げんじゅつ)ではない、すぐかたわらの松の木のうえに、蝙蝠(こうもり)のごとく逃(に)げあがっていた蚕婆(かいこばばあ)が、呂宋兵衛あやうしと見て、例の妖異(ようい)な唇(くちびる)から、ふくみ針(ばり)を吹いたのだ。
 梢(こずえ)はたかく、下へはかなりの間隔(かんかく)があった。無数の針は音なき風となって、ピラピラと飛んできても肌(はだ)につき立つほどではないが、あたかも毒蛾(どくが)の粉(こな)のように身を刺(さ)したので、ふたりはあッ――と面(おもて)をそむけた。その一瞬(しゅん)だ!
「ええッ!」
 と、するどく龍太郎の手を蹴(け)はらった呂宋兵衛は、いきなり駕籠(かご)にかぶせてある鎖(くさり)の網(あみ)をつかんで、パッと大地へ投網(とあみ)のように投げた。
「あッ、また妖術(ようじゅつ)を――」
 とさけぶまに、龍太郎のからだがその鎖網(くさりあみ)のなかへつつみこまれたので、おどろいた忍剣(にんけん)、禅杖(ぜんじょう)に風をきらせて五体みじんになれとふりつけると、おお奇怪(きかい)! 一陣(じん)の黒風がサッと流れて、いままでほがらかだった春暁(しゅんぎょう)の光はどこへやら、あたりは見るまに墨色(すみいろ)にぬりつぶされ、ザアッ――という木(こ)の葉(は)のそよぎとともに、雨か霧(きり)かしぶきか、なんともいえないしめッぽい水粒(すいりゅう)がもうもうと立ってきた。
 とたんに、呂宋兵衛(るそんべえ)のからだは、邪法(じゃほう)秘密(ひみつ)の印(いん)をむすびながら、ヒラリと駕籠(かご)の屋根(やね)へ飛(と)びうつっていた。あれよ! と眼をみはるまに、まッ暗になった両側の松並木(まつなみき)の根もとから、サラサラサラサラ……という水音がしてたちまち滾々(こんこん)とあふれてくる清冽(せいれつ)が、その駕籠をうごかして、呂宋兵衛を乗せたままツウ――と舟のように流れだした。
「魔人(まじん)め。また邪術(じゃじゅつ)をほどこしたな」
「若君(わかぎみ)若君。これは呂宋兵衛の幻惑(げんわく)ですぞ、かならず、その手に乗って、おひるみあそばすな」
 投げかけられた鎖(くさり)をはらって、龍太郎と忍剣が、流るる駕籠をジャブジャブと追(お)いかける、その時もうこの街道(かいどう)は、まんまんたる濁水(だくすい)の川となって、槍(やり)の折れや、血あぶらや、死骸(しがい)がうきだし、ともすると伊那丸(いなまる)まで足をながされておぼれそうだ。
「ちぇッ、ざんねんだ!」
 なにしろ水の勢いが、とうとうと足の運びをはばめるので、さすがの伊那丸も二勇士も、目前(もくぜん)に仇(あだ)を見、目前に父の駕籠を目撃(もくげき)しながら、どうしても追いつくことができない。そのまに、筏(いかだ)のように水に浮いた駕籠がグングンとゆれつつ押しながれ、その上には和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)、ざまを見ろといわんばかりに、白い歯(は)をむいてあざわらっている。
「ウーム、おのれ邪法(じゃほう)の外道(げどう)め、見ておれよ!」
 水勢に巻かれて、むなしく立(た)ち往生(おうじょう)してしまった主従(しゅじゅう)三人は、もう胸の上まで濁水(だくすい)にひたって、樹(き)の枝につかまりながら、敵のゆくえをにらんでいたが、そのとき、加賀見忍剣(かがみにんけん)は、はじめて破術(はじゅつ)の法を思いだして、散魔文(さんまもん)の秘句(ひく)をとなえ、手の禅杖(ぜんじょう)をふりあげ、エイッ! と水流を切断(せつだん)するように打ちおろした。
 水面をうった法密(ほうみつ)の禅杖に、サッと水がふたつに分れたと思うと、散魔文の破術にあって狼狽(ろうばい)した呂宋兵衛は徒歩(とほ)になってまッしぐらにかなたへ逃げだし、まんまんと波流(はりゅう)をえがいていた濁水は、みるみるうちに、一抹(まつ)の水蒸気(すいじょうき)となって上昇(じょうしょう)してゆく……そして松並木(まつなみき)の街道(かいどう)は、ふたたびもとののどかな朝にかえっていた。
 まるで、悪夢(あくむ)から醒(さ)めたよう……ふとみると春の陽(ひ)はさんさんと木の間からもれて若草にもえ、鳥はほがらかに音(ね)を張(は)ってうたっている。それのみか、呂宋兵衛が水に浮かして乗りさったと思えた鎖駕籠(くさりかご)は、一寸(すん)の場所もかえずに、もとのところにすえられてある。

 呂宋兵衛が得意とする水術に眩惑(げんわく)されて、かれをとり逃がしたのは遺憾(いかん)だが、勝頼(かつより)の駕籠をうばったのは、せめて伊那丸(いなまる)の心をなぐさめるに足(た)るものであった。
「待て待て、忍剣(にんけん)。龍太郎(りゅうたろう)も待て!」
 伊那丸は、なおも憎(に)ッくき賊(ぞく)を追おうとするふたりを止(と)めて、
「このたび都(みやこ)へまいったのは、まず何よりもお父上の危急(ききゅう)をお救(すく)い申すにあった。いまここに、その駕籠(かご)を迎えまいらせた以上、呂宋兵衛(るそんべえ)を討つのは、いまにかぎったことではない。それ、一刻(こく)もはやく、お駕籠のうちからお救い申しあげて、小太郎山(こたろうざん)のとりでへもどろうぞ」
「おっしゃるごとく、それこそ、大願(たいがん)の目標(もくひょう)でした」
「忍剣! 手をかせ」
「はッ」
 と、主従(しゅじゅう)三人、バラバラと駕籠のそばへ寄っていったが、ああ、去年(こぞ)の春、織徳連合軍(しょくとくれんごうぐん)の襲(おそ)うところとなって、天目山(てんもくざん)の露(つゆ)と化(か)したまうと聞えて以来、ここにはやくも一めぐりの春。――いまこそ、亡(な)き君とのみ思うていた、武田四郎勝頼(たけだしろうかつより)その人のかわれる姿(すがた)を拝(はい)すことができるのかと、龍太郎も忍剣も、思わず胸(むね)をわななかせて、大地にひざまずき、伊那丸もまだその姿(すがた)を拝(はい)さぬうちから、睫毛(まつげ)になみだの露(つゆ)をたたえている。
 一同、駕籠(かご)のまえに、ピタと両手をついて、
「あいや、それにおわす貴人(きじん)のご僧(そう)に申しあげまする。われわれは武田家恩顧(たけだけおんこ)のともがら、ここにいますは、お家(いえ)のご次男伊那丸さまにおわします。ひそかにおうわさのあとをしたって、遠き小太郎山のとりでより、ここまでお迎えに参(さん)じましてござります。このうえはなにとぞ、もとの甲山(こうざん)にお帰りあそばして、あわれ、甲斐源氏再興(かいげんじさいこう)のために、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)いたしている若君(わかぎみ)をはじめ、われわれどもの盟主(めいしゅ)とおなりくださいますよう。またそれをごしょうちくださいますとあらば、なにとぞ、ここにて久しぶりに、若君へご対顔(たいがん)おおせつけ願いとうぞんじます」
 誠意(せいい)をこめて、ふたりがいうと、
「うむ……」と駕籠(かご)のうちで、かすかにうなずく声がした。
「さてはおゆるし? ……」
 と龍太郎、忍剣(にんけん)と目くばせしながら、おそるおそる寄って駕籠の塗戸(ぬりど)へ手をかけ、
「若君、ご対面(たいめん)なされませ」
 スーと開(あ)けると、なかには、まぎれもなきひとりの僧形(そうぎょう)、網代笠(あじろがさ)をまぶかにかぶって、うつむきかげんに乗っていた。
「おお、お父上でござりましたか。おなつかしゅうぞんじまする。わたくしは伊那丸(いなまる)でござります――天目山(てんもくざん)のご合戦(かっせん)にもい合わさず、むなしく生き永(なが)らえておりました。お父上! お父上!」
 ほとばしる激情(げきじょう)! われをわすれて駕籠の戸にすがりつき、僧形の人の手をとると、僧も黙然(もくねん)として手をとられ、ゆらりと駕籠のそとに立った。
「お父上! またもや敵の手がまわらぬうちに、一刻(こく)もはやく、ここを去ってお越(こ)しくださいませ、いざ伊那丸がごあんないいたしまする」
「どこへ? ……わしを連れていくというのじゃ」
「甲信駿(こうしんすん)三ヵ国のさかい、小太郎山(こたろうざん)のとりでの奥(おく)へ。――オオ父上、そここそ山また山、自然の嶮城(けんじょう)、難攻不落(なんこうふらく)の地にござります。お父上のご武運つたなく、ひとたびは織田(おだ)徳川(とくがわ)のために亡(ほろ)びこそすれ、まだその深岳(しんがく)のいただきには、甲斐源氏(かいげんじ)の旗(はた)一旒(りゅう)、秋(とき)をのぞんでひるがえっておりまする」
「ああ、その秋(とき)はすでに去りました――、天の運行(うんこう)は去ってかえらず、還(かえ)るは百年ののちか千年の後か――」
「えッ、なんとおっしゃいます……父上!」
 染衣(せんえ)の袖(そで)にすがりついて、ふと、網代笠(あじろがさ)の下からあおいだ伊那丸(いなまる)は、あッといって、ぼうぜん――ただぼうぜん、その手をはなしてこういった。
「父上とのみ思うていたが、そちは、鞍馬(くらま)の果心居士(かしんこじ)ではないか」
 聞くより龍太郎(りゅうたろう)もびっくりして、
「やッ、老先生でござりますと? ――」
 あまりのことにあきれはてて、忍剣(にんけん)とともに、ただ顔を見あわせているばかり。しばらくの間(あいだ)は、口もきけないほどであった。
「定めしおおどろきでござろう。……しかし、わしが雷神(らいじん)の滝(たき)の孤岩(こがん)の上に、書きのこしておいた通り、これもみな、まえからわかっていることなのでござる。おう、ご不審(ふしん)の晴れるように、いまその次第(しだい)をお話しいたそう。若君(わかぎみ)も、まず、そのあたりへ御座(ござ)をかまえられい」
 居士(こじ)はゆうゆうと、ちかくの石へ腰をおろした。そして、伊那丸(いなまる)へ、
「おん曹子(ぞうし)――」と重々(おもおも)しく呼びかけた。
「はい」と伊那丸は、老師のまえへ、神妙(しんみょう)に首をたれてこたえる。
「あなたは、甲斐源氏(かいげんじ)の一つぶ種(だね)――世にもとうとい身(み)でありながら、危地(きち)をおかしてお父上を求めにまいられた。孝道(こうどう)の赤心(せきしん)、涙ぐましいほどでござる。が、しかし――その勝頼公(かつよりこう)が世に生きているということは、はたして真実でござりますか? あなたはその証拠(しょうこ)をにぎっておいでなさりますか?」
「わしは知らぬが、伝(つた)うところによれば、父君は天目山(てんもくざん)にて討死(うちじに)したと見せかけて、じつは裂石山(れっせきざん)の古寺(ふるでら)にのがれて姿をかえ、京都へ落ちられたといううわさ……」
「さ。それが真実か虚伝(きょでん)かは、まだまだ深いなぞでござるぞ。いかにも、この果心居士(かしんこじ)が知るところでも、呂宋兵衛(るそんべえ)の手にとらえられた僧形(そうぎょう)の貴人(きじん)は、勝頼公(かつよりこう)によう似ておった」
「おお、してその僧侶(そうりょ)はどうしました。また、居士はなんで、かような姿をして、この鎖駕籠(くさりかご)のなかにはいっておいでになりましたか」
「されば、じつをいうと、その貴人の僧は、南蛮寺(なんばんじ)の武器倉(ぶきぐら)に押しこめられている間(あいだ)に、わしがソッと逃がしてやりました。そして――その人の笠(かさ)や衣(ころも)をそのまま着て、わしがこの鎖駕籠に乗っていたのじゃ」
「お! では老先生、やはりその僧こそ、父の勝頼(かつより)ではございませぬか」
「さあ? ……その人が勝頼であるかないか、それはだれにもはっきりは申されぬ」
「な、なぜでござります」
「武門(ぶもん)をすて、世をすて、あらゆる恩愛(おんあい)や争闘(そうとう)の修羅界(しゅらかい)を、すてられた人の身の上でござるもの。話すべきにあらず、また話して返らぬことでもある」
「や、や、や! ではこの伊那丸(いなまる)が、かくまで心をくだいて、武田家(たけだけ)の再興(さいこう)を計(はか)っているのに、お父上には、もう現世(げんせ)の争闘をお忌(い)みあそばして、まったく、心からの世捨人(よすてびと)とおなりなされたのですか」
「もし、おん曹子(ぞうし)――まえにもいったとおり、まだその僧が、勝頼公かいなか、はっきり分っておらぬのに、そうご悲嘆(ひたん)なされてはこまる。どれ、わしもそろそろ鞍馬(くらま)の奥へ立ちかえろう」
「老先生、しばらくお待ちくださいませ。……もう一言(ひとこと)うかがいますが、居士(こじ)が身代(みがわ)りとなって逃がしたとおっしゃるその僧は、いったいどこへいったのでござりましょうか」
「おそらく、浮世(うきよ)の巷(ちまた)ではありますまい」
「と、すると」
「浄悪(じょうあく)すべてをつつむ八葉(よう)蓮華(れんげ)の秘密の峰(みね)――高野(こうや)の奥には、数多(あまた)の武人が弓矢を捨てていると聞く」
 と、謎(なぞ)のような言葉をのこして、果心居士(かしんこじ)は飄然(ひょうぜん)と松のあいだへ姿をかくした。
 幻滅(げんめつ)の悲しみをいだいて、ぼうぜんと気ぬけのした伊那丸(いなまる)は、ややあってわれにかえった。そして、なお問(と)いたいことのいくつかを思いだし、あわただしくあとを追って、老師(ろうし)! 老師! ――といくたびも声のかぎり呼んで見たけれど、もう春影(しゅんえい)の林間(りんかん)にそのうしろ姿はなく、ほろほろとなく山鳥の声に、なにかの花がまッ白に散(ち)っていた。
 ああわからない、わからない。どう考えても伊那丸にはわからない。
 果心居士の話しぶりでは、居士はすでに貴人の僧に会っているのだ。そして、自身がその身代(みがわ)りになり、桑名(くわな)に護送(ごそう)されるまえに、どこかへ落としてしまったとおっしゃる。だのに、居士はそれが父の勝頼(かつより)であるとは決していいきらない。その一点だけをどうしても打ち明けてくれない。
 なぜだろう? ――ああさてはお父上には、居士が口をもらしたとおり、まったく弓矢の道をすてて、高野(こうや)の道場にこもるおつもりなのか? ……そして浮世(うきよ)に未練(みれん)をもたぬため、いさぎよく、わざとじぶんにも会わず、父とも名のらず、愛情のきずなを断(た)って三密(みつ)の雲ふかきみ山にかくれてゆかれたのであろう?
 そう伊那丸はかんがえた。
 お父上よ! お父上よ! ではぜひないことでござります。敗軍(はいぐん)の将(しょう)は兵をかたらずと申します。ひとたび天目山(てんもくざん)に惨敗(ざんぱい)をとられた父上が、弓矢をなげうつのご決心は、よくわかっておりまする。
 甲山(こうざん)に鎮守(ちんじゅ)して二十七世(せい)の名家(めいか)、武田菱(たけだびし)の名聞(みょうもん)をなくし、あまたの一族(ぞく)郎党(ろうどう)を討死させた責任をご一身(しん)におい、沙門遁世(しゃもんとんせい)のご発心(ほっしん)! アア、それはよくわかっておりまする! お父上のご心中、戦国春秋(せんごくしゅんじゅう)の常とはいえ、ご推察(すいさつ)するだに、熱いなみだがわきます。
 さあれ、伊那丸(いなまる)はまだ若年(じゃくねん)です。
 伝家(でんか)の宝什(ほうじゅう)、御旗(みはた)楯無(たてなし)の心をまもり、大祖父(だいそふ)信玄(しんげん)の衣鉢(いはつ)をつぎ、一片(ぺん)の白旗(しらはた)を小太郎山(こたろうざん)の孤塁(こるい)にたてます。
 われに越王勾践(えつおうこうせん)の忍苦(にんく)あり、帷幕(いばく)に民部(みんぶ)、咲耶子(さくやこ)、蔦之助(つたのすけ)あり、忍剣(にんけん)、龍太郎(りゅうたろう)の驍勇(ぎょうゆう)あり、不倶戴天(ふぐたいてん)のあだ徳川家(とくがわけ)を討ち、やがて武田再興(たけださいこう)の熱願、いな、天下掌握(しょうあく)の壮図(そうと)、やわか、やむべくもありませぬ。
 伊那丸は心のそこで、高く高く、こう思い、こう誓(ちか)い、こうさけんだ。
 そして彼は、まもなく忍剣と龍太郎とをつれて、寒松院(かんしょういん)の松並木(まつなみき)をたち去った。
 かかるうえは一刻(こく)もはやく、小太郎山のとりでへ帰って、一党(とう)の面々(めんめん)にこのしまつをつげ、いよいよ兵をねり陣をならし、一旦(たん)の風雲に乗じるの備えをなすこそ急務(きゅうむ)である――と思ったのである。
 伊那丸はほんぜんとさとった。大悟(だいご)すれば、居士(こじ)の謎(なぞ)めいた言葉も、おのずから解(と)けたような心地がする。
 会わねど、見ねど、さらば父上よ高野(こうや)の道場にいませ。
 ――かれの心はすがすがしかった。

 いそぎにいそいで京都をでた伊那丸主従(いなまるしゅじゅう)が、大津(おおつ)越え関(せき)の峠(とうげ)にさしかかったのは、すでに、その日の薄暮(はくぼ)であった。
 ここは木曾街道(きそかいどう)、東海道、北国街道(ほっこくかいどう)、三道のわかれ道で、いずれを取るもその人の心まかせ。伊那丸は三井寺山(みいでらやま)のふもとに立ち、魚鱗(ぎょりん)の小波(さざなみ)をたたえている琵琶(びわ)のみずうみをながめながらかんがえた。
「忍剣(にんけん)、龍太郎(りゅうたろう)。そちたちは、これから小太郎山(こたろうざん)へもどる道を、いずれにえらぶがよいと思うか」
「されば」と、龍太郎はすぐこたえた。
「北国路(ほっこくじ)には、上部八風斎(かんべはっぷうさい)のつかえる柴田権六勝家(しばたごんろくかついえ)が、厳重に柵(さく)をかまえていて、めッたな旅人は通しますまい、また、東海道はなおのこと、徳川家康(とくがわいえやす)の城下あり、井伊(いい)、本多(ほんだ)、榊原(さかきばら)などの、陣屋陣屋もござりますゆえ、ここを破ってまいるのもひとかたならぬご難儀(なんぎ)かとぞんじまする」
「とわれらのとる道は、まず木曾路(きそじ)が一番安全であるという意見じゃの」
「さようにござります」
 というと、忍剣(にんけん)が、異論をとなえて、木曾路ゆきに反対した。
「イヤ龍太郎どののお言葉は、もっとものようであるが、木曾路もけっして安心な道中ではない。なんとなれば、木曾の木曾義昌(きそよしまさ)、きゃつも昔は武田家(たけだけ)の忠族であったが、いまでは徳川家(とくがわけ)の走狗(そうく)となっている、かならず若君に弓をひくやつであろう。ことに木曾路はゆくところみな難所(なんしょ)折所(せっしょ)、いざという場合にはいちだんと危険が多いように考えられる」
「では、忍剣どのには、北国路がよいと仰(おお)せられるか」
「北国路とて同じこと、柴田権六(しばたごんろく)、ちかく賤(しず)ヶ岳(たけ)まで軍兵(ぐんぴょう)をだして、木(き)ノ芽(め)峠(とうげ)には厳重(げんじゅう)な柵(さく)をかまえているように聞きますゆえ、ここを通るも難中(なんちゅう)の難でござる。で、おなじ難儀をみるものなら、むしろどうどうと徳川家の領土(りょうど)をぬけ、あわよくば浜松城のやつばらに、一あわふかせて引きあげたほうがおもしろいとぞんじます」
 ちょっと聞くと忍剣の説は、暴論(ぼうろん)のように聞えるが、ふかく考えれば北国も木曾も東海も、その危険さは一つである。ましてやいま、天下に一国の領土もなく、一城の知己(ちき)もない伊那丸(いなまる)に、安全な通路というものがあろうはずはない。
 おなじ敵地をふむものなら、忍剣のいうとおり、徳川家の蟠踞(ばんきょ)する東海道こそもっとも小太郎山(こたろうざん)に近く、もっとも地理平明である。では――と相談(そうだん)がまとまって伊那丸は藺笠(いがさ)の緒(お)をしめ、忍剣(にんけん)は禅杖(ぜんじょう)をもち直し、やおら、そこを立ちかけたせつなである。
 頭のいただきから、山嵐(さんらん)をゆする三井寺(みいでら)の大梵鐘(だいぼんしょう)が、ゴウーン……と余韻(よいん)を長くひいて湖水のはてへうなりこんでいった。と、一しょに――これはそもなに? 逢坂山(おうさかやま)の森をかすめて、ピューッと凧(たこ)のうなるがごとき音をさせつつ、斜(なな)めにひくく、直線にたかく、そしてゆるく、またはやく旋回(せんかい)してきたあやしいものがある。――オ、舞いめぐる空の怪物(かいぶつ)! それは丈余(じょうよ)の大鷲(おおわし)だ。
 そのとき、暮れなんとする春の夕空は、ひがし一面を紺碧(こんぺき)に染(そ)め、西半面の空は夕やけに赤く、琵琶(びわ)の湖水を境にして染めわけられたころあいである。空にかかった大鷲の影も、遠き夕照(ゆうで)りをうけて金羽(きんう)さんらんとして見えるかと思えば、またたちまち藍色(あいいろ)の空にとけて、ただものすごき一点の妖影(ようえい)と化している。
「おお、ありゃクロだ! 竹童(ちくどう)がたずねている大鷲だ」
 禅杖をあげて忍剣が高くさけぶと、龍太郎(りゅうたろう)と伊那丸(いなまる)も目をみはって、
「うむ! まさしくクロにそういない。寒松院(かんしょういん)の並木(なみき)へのろしの音はきこえてきたが、竹童はあのまま帰らぬ。もしや鷲に乗って、追いついてきたのではあるまいか」
「そういえばだれか乗っているようす、――や、竹童だ!」
「なに竹童が乗っている。オオ、竹童――竹童ッ――」
 とふたりが、声をあげて大空に呼んだが、鷲はひくく樹木のさきへふれるばかりにおりてきて、また、ツーッとあらぬ方角へそれてしまう。と、龍太郎が、なにを見いだしたかおどろきの声をはずませて、
「や、ふしぎな! あの鷲(わし)には、竹童ばかりでなく、ほかの童子(どうじ)も乗っている。たしかにふたりの人間が乗っている」
「龍太郎どのの目にもそう見えたか、わしもそう思ってふしぎに感じていたのだ。アレアレ、こんどは湖水のほうへいっさんにかけりだした――」
 瞳(ひとみ)をこらして見ていれば、さっさつたる怪影(かいえい)は、関(せき)の山(やま)から竹生島(ちくぶしま)のあたりへかけて、ゆうゆうと翼(つばさ)をのばして舞(ま)うのであった。その鷲の背にありとみえた両童子(りょうどうじ)こそ、まぎれもあらず、南蛮寺(なんばんじ)の丘からムシャブリついて飛びあがった、鞍馬(くらま)の竹童――泣き虫の蛾次郎(がじろう)。

 天空(てんくう)のふたりは、朝から今まで、たがいに、飲まず食(く)わずである。
 竹童は、蛾次郎を鷲の背から蹴(け)おとさんとし、蛾次郎は、竹童をふりおとして、じぶんひとりで翼を占有(せんゆう)しようとしている。
 しかもそれは、寸分(すんぶん)の休みもなく走っている鷲の背なかで、天空の上で――行われつつある争闘(そうとう)だ。一しゅんのゆだん、一分(ぶ)のすきでもあれば、鷲じしんにふりおとされるか、そのいずれかが見舞ってくる。朝から飲まず食わずでも、またこれからいく日(にち)、一滴(てき)の水を口にしないまでも、そんなことは念頭(ねんとう)にない。まさに真剣以上の真剣だ。それに早くまいったほうが惨敗者(ざんぱいしゃ)だ。
「やい、蛾次郎(がじろう)!」
 かけりゆく鷲(わし)の上で、こういう声は鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)。
「なんだ、竹童」
 蛾次郎は、ただそれ下界(げかい)へ蹴(け)おとされまい一念で、鷲の頸毛(えりげ)にダニのようにたかっていた。
「いいかげんに降参(こうさん)してしまえ。そしてこの鷲をおいらに返してしまえ。そしたら命(いのち)だけは助けてやる」
「いやなこッた。てめえこそ、低いところへ降(お)りたときに、飛び降りてしまやがれ。そしたら命だけたすけてやる」
「こいつめ、人の口まねをするな。おのれ、今にどこかで突きおとしてくれるから見ていろよ」
「手をはなせば、人を落とすまえに、じぶんのからだがお陀仏(だぶつ)だぞ。ざま見やがれ、唐変木(とうへんぼく)、突きとばせるものならやッて見ろ」
「おのれきっとか」
「くそうッ!」
 と、ののしり合った空のけんか。
 両手をはなして組みあえば、蛾次郎のいう通り、鷲の上からふりすてられてしまうので、片手と片手のつかみ合い。
 蛾次郎(がじろう)は猫(ねこ)のごとく爪(つめ)をたって、竹童の頬(ほ)ッぺたをひっかいたが、指にかみつかれたので、びっくりして手を引っこめ、こんどはいきなり対手(あいて)の髪(かみ)の毛を引っつかんだ。
「うむ! こんちくしょうッ」
 竹童は拳骨(げんこつ)をかためて、かれの脇(わき)のしたから顎(あご)をねらった。そして、二つばかり顔を突いたが、蛾次郎も命(いのち)がけだ。くちびるを噛(か)みしめて、なおも必死にこらえている。
「ちぇッ――強情(ごうじょう)なやつだ、降参(こうさん)しろ、降参しろ! まいったといわないうちは、こうしてくれる!」
 竹童の鉄拳(てっけん)が、目といわず鼻といわず、ポンポン突いてくるので、さすがの蛾次郎も、だんだん色をうしなって顔色まっ青にかわってきた。これがいつもならば泣き虫の蛾次郎、本領(ほんりょう)を発揮(はっき)してワアワア泣き声をあげているはずだが、かれも生死の境にたった以上、ふだんよりは相当(そうとう)につよい。タラタラと鼻血をながして、くちびるの色まで変えたが、まだ参(まい)ったとはいわないで、
「ちッ、ちッ、畜生(ちくしょう)ッ!」
 というがはやいか、竹童の腰(こし)に差されてあった般若丸(はんにゃまる)の刀に目をつけ、あっという間(ま)に、それを抜いてふりかぶった。
 雲井(くもい)にあらそう両童子(りょうどうじ)を乗せて、鷲(わし)はいましも満々(まんまん)たる琵琶(びわ)の湖水をめぐっている。

 はてしもなく舞(ま)う大鷲(おおわし)の背(せ)なかに、はてしもなき両童子(りょうどうじ)の争闘(そうとう)! 蛾次郎(がじろう)は、敵の剣(けん)を抜きとッてふりかぶり、竹童(ちくどう)はその腕(うで)くびを引ッつかんで、やわか! とばかり般若丸(はんにゃまる)の柄(つか)をもぎ取ろうとする。
 黒毛(こくもう)ふんぷん、大地の上なら、まさに組(く)ンずほぐれつである。
 蛾次郎勝つか? 竹童勝つか。
 雲井(くもい)に賭(と)した命(いのち)と命! かれも必死(ひっし)、これも必死だ。
 だが、大鷲の神経(しんけい)は、かかる火花をちらす活闘(かっとう)が、おのれの背におこなわれているのも、知らぬかのように、ゆうゆうとして翼(つばさ)をまわし、いま、比叡(ひえい)の峰(みね)や四明(しめい)ヶ岳(たけ)の影をかすめたかとみれば、たちまち湖面の波を白くかすって、伊吹(いぶき)の上をめぐり、彦根(ひこね)の岸から打出(うちで)ヶ浜(はま)へともどってくる。――
 さッきから三井寺(みいでら)の丘(おか)のふもとに立って、かたずをのんで見つめていた伊那丸(いなまる)と、忍剣(にんけん)、龍太郎(りゅうたろう)の三人は、その巨影(きょえい)がありありと目前へ近づいたせつなに、
「あッ――竹童!」
 と、異口同音(いくどうおん)にさけんだが、いかにかれの危難(きなん)を知っても、それへ力を貸(か)してやることもならず、鷲(わし)はまた、バッと山かげに突きあたって飛翼(ひよく)をかえし、広い琵琶湖(びわこ)の上を高くひくく舞いはじめた。
 と思うと――一しゅんのまに、鷲はいような羽(は)ばたきをして、糸目(いとめ)のからんだ凧(たこ)のように、クルクルッと狂(くる)いはじめた。
 両童子(りょうどうじ)が背なかの上で、たがいに、斬らんとし、奪(うば)わんとしていた般若丸(はんにゃまる)の切(き)ッさきが、あやまッて鷲のどこかを傷つけたのにそういない。あッ――というまもなく、虚空(こくう)の上から引ッからんだ二つの体(からだ)が、フーッと真ッさかさまに落ちたなと思うと、琵琶湖のまン中に、龍巻(たつまき)でも起ったような水煙が、ザブーンと高くはねあがった。
 しぶきの散ッたあとは、雪かとばかり白い泡(あわ)がいちめんにみなぎっていた。そしてその泡沫(ほうまつ)が消えゆくにつれて、夕ぐれの青黒い波が、モクリ、モクリと、大きな波紋(はもん)をえがいていたが、ジッと波の中をすかして見ると、電魚(でんぎょ)のような光がして、たッたいままで天空(てんくう)にあった竹童(ちくどう)と蛾次郎(がじろう)、こんどは湖水の底で、なおもはげしくあらそっている。
 時おり、黒い波を切ッて、ピカリピカリとひらめくのは、般若丸の光であった。やがて、竹童の力がまさったか、その刀をもぎ取ってブクリッ……と水面に浮かびだしてくると、その腰(こし)にからんで蛾次郎も、
「ア、ぷッ……」
 と鮫(さめ)のように水をふいた。
「えい、じゃまなッ」
 と鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)は、般若丸(はんにゃまる)を口にくわえるやいなや、蛾次郎(がじろう)をけって……サッと抜き手をきったが、かれはまた一方の足をかたくつかんで、死んでもはなすまいとした。
 ふたたび三たび、浮いては沈(しず)み、浮いては沈みするうちに、さすがの竹童もきょくどに心身(しんしん)をつからして、蛾次郎に足を引かれたまま、ブクブクと深みへ重くしずんでしまった。
 そしてついに、湖面(こめん)へ浮かんでこなかったが、ややしばらくたつと、そこからズッとはなれた竹生島(ちくぶしま)の西浦(にしうら)あたりに、名刀般若丸(はんにゃまる)の血流しをくわえたまま失神している竹童と、その右足にからんでグンニャリした泣き虫の蛾次郎とが、くらげのごとく、フワリ、フワリ……と夜の湖水の波をよりつつただよっていた。

「これッ、だれかおらぬか、この渡場(わたしば)のものはおらぬか!」
 もうトップリ日がくれた松本(まつもと)の渡船場(とせんば)へきてあわただしく、そこの船小屋(ふなごや)の戸をたたいていたのは、加賀見忍剣(かがみにんけん)であった。
「湖水に落ちておぼれたものがある、それを救ってやるいそぎの船を借(か)りたい。これ、だれかおらぬか、船頭(せんどう)は!」
 と、破れんばかり戸をたたいたが、なかにもれる灯影(ほかげ)があるのに、いっこうこたえがないので、加賀見忍剣(かがみにんけん)、禅杖(ぜんじょう)をかかえて附近の波うちぎわを見まわしていると、三井寺(みいでら)のふもとから、おくればせに馳(か)けてきた伊那丸(いなまる)と龍太郎(りゅうたろう)も、はるかに見た竹童(ちくどう)の危急をあんじて、
「忍剣、船はあったか」と、そこへくるなり声をいそがした。
「ふしぎなこと、……この渡船場(とせんば)に、一そうもそれが見あたりませぬ」
「まだ宵(よい)なのに、矢走(やばせ)(矢橋または八馳)へかよう船がないはずはない。そのへんの小屋に、船頭(せんどう)がいるであろう」
「さ、それをただいま、呼んでいるところでございますが」
「船頭もおらぬのか。――さては、さきに逃げた呂宋兵衛(るそんべえ)やその手下どもが、このあたりの船を狩(か)り集めて、琵琶湖(びわこ)を渡ったものとみえる。アーふびんなことをいたした。いかに竹童でも、あの高い空から落ちて、はや日も暮れてしまったことゆえ、さだめし水におぼれたであろう……なんとか、助けてやる工夫(くふう)はないものか」
 主従三人、愁然(しゅうぜん)と手をつかねて湖水の闇(やみ)を見つめていると、瀬田川(せたがわ)の川上、――はるか彼方(あなた)の唐橋(からはし)の上から、炬火(きょか)をつらねた一列の人数が、まッしぐらにそこへいそいできた。
 危難は竹童の身ばかりではない。
 敵地に身をおいて、草木の音にも気をくばっている伊那丸主従は、それを見ると、ハッとして、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)がさかよせをしてきたか、膳所(ぜぜ)の城にある徳川方(とくがわがた)の武士がきたかと、身がまえをしていると、やがて、炬火(きょか)の先駆(せんく)となって、駒(こま)をとばしてきた一騎(き)の武者。
「やあ、それにおいであるのは、武田伊那丸(たけだいなまる)さまではございませぬか」
 音声(おんじょう)たからかに呼んで近づいてきた。
「おお、いかにもこれに渡らせらるるは、伊那丸君でおわすが、して、そこもとたちは何者でござる」
 まえにたって龍太郎(りゅうたろう)と忍剣(にんけん)、きびしくこういって油断(ゆだん)をしずにいると、
「さては!」
 とその騎馬武者(きばむしゃ)三人、ヒラリ、ヒラリ、と鞍(くら)から飛びおりて、具足(ぐそく)陣太刀(じんだち)の音をひびかせながら面前に立った。
「それがしは、福島市松(ふくしまいちまつ)の家来、可児才蔵(かにさいぞう)」
 こう名(な)のると、つぎの武者が――
「拙者(せっしゃ)は、加藤虎之助(とらのすけ)の家臣、井上大九郎と申す」
「おなじく、木村又蔵(またぞう)でござる」
 と、いずれもりっぱな態度(たいど)で会釈(えしゃく)をした。
 そしてふたたび、なかの可児才蔵が、一歩(ぽ)すすんで、
「不意(ふい)にかような戦場のすがたで、人数をひきいてまいりましては、さだめしお驚きとぞんじますが、じつはこれお迎(むか)えの軍卒(ぐんそつ)、さっそく、あれへ用意いたしてまいった馬にお召(め)しをねがいます」
「なんといわれる。伊那丸(いなまる)さまをお迎えにまいられたとか?」
 意外な口上(こうじょう)をきいて、忍剣(にんけん)と龍太郎(りゅうたろう)が顔を見あわせていると、井上大九郎が語をついで、
「それは、桑名(くわな)のご陣にある、秀吉公(ひでよしこう)からの、直命(ちょくめい)でござる。殿のおおせには、このたび伊那丸さまのご上洛(じょうらく)こそよきおりなれば、ぜひ一どお目にかかったうえ、ながらくおあずかりいたしている品(しな)を、手ずからお返し申したいとの御意(ぎょい)、なにとぞ、ご同道のほどくださいますように」
「はて、不審(ふしん)なおおせではある? ……」
 伊那丸は優美な眉(まゆ)をひそめて、
「べつにこの方(ほう)より、秀吉(ひでよし)どのへおあずけいたした品(しな)もないが……」
「イヤ、たしかに、大事な品をおあずかりしているとおおせられました。そのために、桑名攻(くわなぜ)めの陣中から、われわれどもが、騎馬(きば)をとばしてお迎えにまいったわけ」
 というと、加賀見忍剣(かがみにんけん)、もしや巧言(こうげん)をもって、若君を生(い)けどろうとする秀吉の策(さく)ではないかと、わざと、鉄杖(てつじょう)をズシーンと大地へつき鳴らして、
「ではおうかがいいたすが、桑名攻めの戦場にあられたかたがたが、どうして、ここへ伊那丸さまがお通りあることを、かように早く承知(しょうち)めされたのじゃ」
「その不審(ふしん)はごもっともであるが、じつはきょうの午(うま)の刻(こく)まえに、南蛮寺(なんばんじ)の番人(ばんにん)和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)をはじめその他の者が、ちりぢりばらばらとなって、桑名(くわな)のご陣へかけつけてまいりました」
「ウム。勝頼公(かつよりこう)を差(さ)したてよとは、アレも、秀吉(ひでよし)どのの指図(さしず)であろうが」
「都に風聞(ふうぶん)の立ったとき、その在所(ありか)をしらべよとはおいいつけになりましたが、罪人(ざいにん)あつかいにして、桑名に護送(ごそう)することなどは、まッたく、秀吉公のごぞんじないこと。――しかるに呂宋兵衛、桑名のご陣へまいって、いろいろと差出(さしで)がましいことを申しあげたため、かえって秀吉公のお怒(いか)りをうけて、そくざに、ご陣屋を追いはらわれ、南蛮寺(なんばんじ)の番衛役(ばんえいやく)も召(め)しあげられ、この後は、京都へ立ち入ることはならぬと、手下のものまで追放(ついほう)になりました」
 まことはおもてにあふれるもの。
 使者三名の口上(こうじょう)には、その真実味(しんじつみ)がこもっていた。
 では、筑前守秀吉(ちくぜんのかみひでよし)は、かならずしも、悪意があって勝頼のゆくえをたずねさせたのではなかろう……と伊那丸(いなまる)も心がとけ、忍剣(にんけん)や龍太郎(りゅうたろう)も、さらばと、その意(い)に従(したが)うことになった。
 いつか、一同のまわりには、松明(たいまつ)をあかあかと照らした軍兵(ぐんぴょう)が五、六十人、ズラリと輪形(わがた)になって陣列を組んでいた。
「それ、用意のみ鞍(くら)をさしあげい」
 と、木村又蔵(またぞう)が合図(あいず)をすると、おッといって馬廻(うままわ)りの武士、月毛(つきげ)、黒鹿毛(くろかげ)の馬三頭のくつわをならべ、馬具(ばぐ)の金属音(きんぞくおん)をりんりんとひびかせて、三人の前へひいてきた。と――伊那丸(いなまる)が、
「ごめん――」
 と、目礼(もくれい)をして、まッ先に、白駒(しろこま)の金鞍(きんあん)にヒラリと乗る。つづいて忍剣(にんけん)と龍太郎(りゅうたろう)、波に月兎(げっと)の鞍(くら)をおいた黒鹿毛(くろかげ)の背へヒラリとまたがって、キッと手綱(たづな)をしぼり、たがいにあいかえりみながら、
「裾野(すその)以来、こうして馬上になるのは、久しぶりだなあ……」という風(ふう)に微笑しあった。
 やがて、まッくらな瀬田(せた)の唐橋(からはし)、小橋(こばし)三十六間(けん)、大橋九十六間(けん)を、粛々(しゅくしゅく)とわたってゆく一行(こう)の松明(たいまつ)が、あたかも火の百足(むかで)がはってゆくかのごとくにみえた。

 夜も昼(ひる)も、伊勢(いせ)の空は、もうもうと戦塵(せんじん)にくもっていた。
 七万の兵をひきいて、滝川(たきがわ)攻めにかかった秀吉(ひでよし)は、あの無類(むるい)な根気(こんき)と、熱と、智謀(ちぼう)をめぐらして、またたくうちに、亀山城(かめやまじょう)をおとし、国府(こう)の城をぬき、さらに敵の野陣や海べの軍船を焼(や)きたてて、一益(かずます)の本城、桑名(くわな)のとりでへ肉迫(にくはく)してゆく。
 それが、天正(てんしょう)十一年、三月上旬(じゅん)のことである。
 春となれば、焼蛤(やきはまぐり)の汐(しお)のかおりに、龍宮城(りゅうぐうじょう)の蜃気楼(しんきろう)がたつといわれる那古(なこ)の浦(うら)も、今年は、焼けしずんだ兵船の船板(ふないた)や、軍兵(ぐんぴょう)のかばねや、あまたの矢や楯(たて)が、洪水(こうずい)のあとのように浮いて、ドンヨリした赤銅色(しゃくどういろ)の太陽が、その水面へ反映(はんえい)もなく照っていた。
 陸(おか)をみれば、泊(とまり)、八幡(やわた)、白子(しらこ)の在所(ざいしょ)在所、いずれをみても荒涼(こうりょう)たる焼(や)け原(はら)と化して、あわれ、並木(なみき)のおちこちには、にげる途中でなげすてた在家(ざいか)の人の家財荷物(かざいにもつ)が、うらめしげに散乱して、ここにも、斬(き)ッつ斬られつした血汐(ちしお)や槍(やり)の折れや、なまなましい片腕(かたうで)などがゆくところに目をそむけさせる。
 すると、この酸鼻(さんび)な戦場の地獄(じごく)へ、血をなめずる山犬のように、のそのそとウロついてくる人影がある。
「お、こいつの差している刀はすばらしい」
「しめた、ふところから金(かね)がでたぞ」
「やあ、この陣羽織(じんばおり)は血にもよごれていねえ。ドレ、こっちへ召上(めしあ)げてやろうか」
 ざわざわと、こんなことをささやきながら、あなたこなたにたおれている武士の物(もの)の具(ぐ)や持ち物を剥(は)ぎまわっているのだ。
 ああ戦国の餓鬼(がき)! 戦場のあとに白昼(はくちゅう)の公盗(こうとう)をはたらく野武士(のぶし)の餓鬼! その一群(ぐん)であった。
「おい! もう大がいにしておけ。あまりかせぎすぎると、こんどは道中の荷(に)やッかいになって、釜(かま)をかぶって歩くようなことになるぞ」
 すると、この野盗(やとう)の頭(かしら)とみえて、ふとい声が土手(どて)の上からひびいた。ヒョイとそこをふり仰(あお)ぐと、臥龍(がりゅう)にはった松の木のねッこに、手下の稼(かせ)ぐのをニヤニヤとながめている者がある。
「もうたくさんだ、たくさんだ。そう一ぺんに慾(よく)ばらねえでも、ちかごろは、ゆくさきざきに戦(いくさ)のある世の中だ。まごまごしているまに、秀吉(ひでよし)の陣見(じんみ)まわりでもきた日には大へんだ」
 また、こういって、そこにスパスパ煙草(たばこ)を吸(す)っていたのは、すなわち、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)、ほかの二人は蚕婆(かいこばばあ)と丹羽昌仙(にわしょうせん)だ。
 これで事情はおよそわかった。
 秀吉の御感(ぎょかん)にいって、出世(しゅっせ)の階段をとびあがるつもりでいた勝頼(かつより)探索(たんさく)の結果が、あの通りマズイはめとなったうえに、命令以上なでしゃばりをやッたので、ついに、軍律(ぐんりつ)をもって陣屋追放をうけたというから、そこで呂宋兵衛は、もちまえの盗賊化(とうぞくか)して、これから他国へ逐電(ちくてん)するゆきがけの駄賃(だちん)とでかけているところであろう。
 いくら捨(す)て鉢(ばち)になったにしろ、よくこんな、残忍(ざんにん)な盗みができることと思うが、根(ね)を考えると、富士の人穴(ひとあな)に巣(す)をかまえていた時から、和田呂宋兵衛、このほうが本業なのだ。
「頭領(かしら)、思いがけなく、金目(かねめ)なものがありましたぜ」
 と、二、三十人ほどの手下が、そこへ、剥(は)ぎとった太刀や陣羽織(じんばおり)や金をつんでみせると、呂宋兵衛(るそんべえ)は土手(どて)の上からニタリと横目にながめて、
「そうだろう。このへんに討死(うちじに)しているやつらは、おおかた滝川一益(たきがわかずます)の家来で、ツイきのうまでは、桑名城(くわなじょう)でぜいたく三昧(ざんまい)なくらしをしていた者ばかりだからな。……う、そりゃアとにかく、もう南蛮寺(なんばんじ)も秀吉(ひでよし)のやつにとりあげられてしまったから、京都へもどることはできねえ。いッたいこれからどこへ指(さ)して落ちのびたものだろう?」
 と、昌仙(しょうせん)と蚕婆(かいこばばあ)のほうに相談(そうだん)をもちかけた。
「また、富士(ふじ)の人穴(ひとあな)へかえろうじゃないか」
 と、蚕婆は常に思っていることを、このさいにもちだして、あの曠野(こうや)の棲(す)みよいことや、安心なことを数えたてた。
「そうよ、もうほとぼりもさめたから、久しぶりで、富士のすがたも拝(おが)みてえな」
「だが――それはまだよろしゅうござるまい」
 といったのは丹羽昌仙(にわしょうせん)。野武士(のぶし)のなかにいても、軍師格(ぐんしかく)なだけに、この者はすこし厳(いか)めしくかまえこんでいる。
「なぜだい?」
「なぜと申しても、小太郎山(こたろうざん)の砦(とりで)には、伊那丸(いなまる)の幕下(ばっか)、小幡民部(こばたみんぶ)、また、頭領(かしら)を親の仇(かたき)とねらっている咲耶子(さくやこ)などが、きびしく裾野(すその)を見張っております」
「ウームなるほど。すると、おれがまた人穴城(ひとあなじょう)へ入(はい)りこむと、さっそく、小太郎山からやつらがドッと攻めかけてくるわけだな」
「火をみるよりも明らかな話でござる。まず、もうしばらく、こッちの力がじゅうぶんにととのうまで、裾野(すその)へはいるのは、見合わせたほうがいいようにぞんじます」
「じゃアひとつ、北国路へでもいって、あの敦賀津(つるがつ)の海に紅(べん)がら帆(ほ)をおッ立てている、龍巻(たつまき)の九郎右衛門(くろうえもん)と合体(がったい)して、こんどは海べのほうでも荒してやるか」
「イヤイヤ、それもダメなことで」
 と、昌仙(しょうせん)はいう下からかぶりをふって――
「もうそろそろ北国街道(かいどう)の雪も解(と)けてまいったはず、春となれば、秀吉(ひでよし)と、弔合戦(とむらいがっせん)をやるべく意気ごんでいた柴田勝家(しばたかついえ)が、北(きた)ノ庄(しょう)から近江路(おうみじ)へかけて、ミッシリ軍勢(ぐんぜい)をそなえているでございましょう」
「じゃ、そッちへもいけねえとしたら、いったいどこへ落ちのびたらいいのだ」
「まず、いまのところしずかなのは、東海道でございますな」
「フーン。すると徳川家(とくがわけ)の領分(りょうぶん)だな」
「さよう。近ごろ家康(いえやす)と秀吉とは、たがいに、珠(たま)をあらそう龍虎(りゅうこ)のかたち。その仲の悪いところをつけこんで、こんどは家康のふところへ食(く)いいる算段(さんだん)が、第一かと考えます」
「そううまくこっちの註文(ちゅうもん)にハマるかな」
「いくら狡獪(こうかい)な家康(いえやす)でも、策(さく)をもって乗(の)せれば、乗らぬものでもございますまい、じつはその用意のために、早足(はやあし)の燕作(えんさく)を物見(ものみ)にやッてありますゆえ、やがてそろそろここへ帰るじぶん……」
 と、話ついでに、のびあがって向こうを見ていると、オオその燕作であろう、竹(たけ)ノ子(こ)笠(がさ)に紺無地(こんむじ)の合羽(かっぱ)、片袖(かたそで)をはねて手拭(てぬぐい)で拭(ふ)きふき、得意な足をタッタと飛ばして、みるまにここへ駈(か)けついた。

「やあ、ごくろう、ごくろう」
 と丹羽昌仙(にわしょうせん)、土手(どて)の上から飛びおりて、
「して、どうだッた。伊那丸(いなまる)のようすは?」
「やッぱり、東海道から裾野(すその)へはいって、それから小太郎山(こたろうざん)へかえる道順(みちじゅん)をとるらしゅうございます」
 と、さすがに早足(はやあし)、あれほど韋駄天(いだてん)と走ってきながら息もきらさずこう答えた。
「そうか、やッぱりこっちの想像(そうぞう)どおり、思うつぼにハマったわい」
「ところが昌仙さま、あまり思うつぼでもありませんぜ。というなあ、秀吉(ひでよし)の指図(さしず)で、瀬田(せた)まで迎えにでやがった軍勢があるんで」
「ほ……秀吉が? フーン猿面(さるめん)め、じょさいないことをやりおって、うまく伊那丸を抱(だ)きこもうという腹だな。だがよいわ、まさかに家康(いえやす)の領分(りょうぶん)まで、その軍兵(ぐんぴょう)がクッついてもいけないだろう」
「昌仙(しょうせん)――」
 と呂宋兵衛(るそんべえ)もズルズルと下へおりてきて、
「徳川家(とくがわけ)へ取りいる算段(さんだん)とは、やッぱりなにか、その伊那丸をおとりにして? ……」
「こいつを利用しないのは愚(ぐ)でござる。武田伊那丸(たけだいなまる)を心のそこから憎(にく)みぬいて、あくまでもかれを殺害してしまいたいと願っているのは、秀吉(ひでよし)よりは家康でございますからな。また伊那丸にとっても、かれは、父の勝頼(かつより)をほろぼした仇(あだ)。どッち道、このふたりのあいだは生涯(しょうがい)の敵同志(かたきどうし)でおわるでしょう。――ところが、こんど伊那丸が小太郎山(こたろうざん)へかえるには、どうしても、その家康の城下を通らねばなりますまい。さア、おもしろいのはここの細工(さいく)で、そのさきにわれわれが浜松城へまいって、なにかのことを教えてやったら、あのずるい家康も、眼をほそめて、うれしがるにきまッております」
「名策(めいさく)! 名策!」
 呂宋兵衛、手を打ってよろこんだ。
「そいつアいい考えだ。ではさっそく、浜松へ乗りこもう! だがなんでも慾得(よくとく)ずくだ、無条件(むじょうけん)じゃいけねえぜ」
「むろん、伊那丸を討(う)ったあかつきには、こうしてくれという条件(じょうけん)もつけてのうえに」
「富士(ふじ)の裾野(すその)は徳川領だから、あのへん一帯から人穴(ひとあな)を、おれの領分としてくれりゃありがたいが」
「家康(いえやす)が夢(ゆめ)にまでみておそれている、伊那丸(いなまる)がないものとなれば、それくらいなことは承知(しょうち)しましょう」
「天下はひろい! もう草履(ぞうり)とりあがりの猿面(さるめん)なんざア、くそでも食(く)らえだ。ワハハハハハ」
 にわかに前途を明るくみて、小心な呂宋兵衛(るそんべえ)が、こう元気づいていると、しきりに向こうを見はっていた早足(はやあし)の燕作(えんさく)が、
「あッ、いけねえ! もうきやがッた」
 と、いかにも狼狽(ろうばい)したらしくさわぎだした。
「な、な、なんだ、なにがきたンだ」
「ゆうべ瀬田(せた)から伊那丸をむかえてきた、木村又蔵(またぞう)、可児才蔵(かにさいぞう)、井上大九郎なんていうやつの軍兵(ぐんぴょう)で」
「そいつア大へんだ、ヤイ、てめえたち、はやく獲物(えもの)を引ッかついで浜べのほうへ姿をかくせ! オオ蚕婆(かいこばばあ)、おまえがさッき目をつけておいた船があッたな、船で逃げろよ船で――。燕作燕作、向こうだ向こうだ、蚕婆と一しょにいって、はやく船のしたくをしていろい」
 まるで、突風(とっぷう)に見まわれた紙屑(かみくず)か、白日(はくじつ)に照らされた蜘蛛(くも)の子のように、クルクル舞いをして呂宋兵衛とその手下ども、スルスルと土手草(どてくさ)へとびついて、雑木林(ぞうきばやし)の深みへもぐりこんだかと思うと、木の葉ばかりをザワザワとそよがせて、首もみせずに海べのほうへ逃げぬける。

 二里さきには桑名(くわな)の城が見える。
 亀山(かめやま)の出城(でじろ)、関(せき)、国府(こう)の手足まで、むごたらしくもぎとられた滝川一益(たきがわかずます)、そこに、死にもの狂いの籠城(ろうじょう)をする気で、狭間(はざま)からはブスブスと硝煙(しょうえん)をあげ、矢倉(やぐら)には血さけびの武者をあげて、合図(あいず)おこたりないさま、いかにも悲壮(ひそう)な空気をみなぎらしている。
 その城とは、三里弱(じゃく)の距離(きょり)をおいて、水屋(みずや)ノ原(はら)にかりの野陣をしいているのは、すなわち秀吉方(ひでよしがた)の軍勢(ぐんぜい)で、紅紫白黄(こうしびゃくおう)の旗さしもの、まんまんとして春風(しゅんぷう)に吹きなびいていた。
 きょう――あかつきの半刻(はんとき)ばかりの間に、バタバタとここへ集団した野陣であるから、板小屋一ツありはしない。
 ところどころに鉄柱(てっちゅう)を打ちこみ、桐紋(きりもん)の幔幕(まんまく)をザッとかけたのが本陣であろう。今――このかげから四、五人の軍卒(ぐんそつ)、鎖具足(くさりぐそく)に血のにじんだ鉢巻(はちまき)をして、手に手に鍬(くわ)や鋤(すき)をひッさげ、バラバラと陣屋へ駈(か)けだしてきた。
 れんげがいっぱい咲(さ)いている。
 やわらかい若草が、二、三寸(ずん)ほどな芽(め)をそろえている野原を、血汐(ちしお)だらけな武者(むしゃ)わらじがズカズカと踏ンづけてひとところへかたまったかと思うと、鋤(すき)を持ったものが、サク、サク、サク、と四角い仕切(しき)りをつけてゆく。と、ただちにそのあとから、鍬(くわ)をふりかぶッた方(ほう)が戦(いくさ)をするような力で、線のうちがわを、パッ、パッ、パッと土をかきだして、みるまに穴(あな)を掘(ほ)ってしまった。
 と――こんどは、その穴へあつい桐油紙(とうゆがみ)を一面にしき、五寸(すん)かすがいでふちを止(と)めて、ドウッと水を入れはじめる。
 そのまに他(ほか)のものが、まッ赤(か)に焼けた金(かね)の棒(ぼう)を持ッてきては、ジュウッ、ジュウッ……とその中へ突っこむうちに、いつか、中の水は湯にかわって、モクリと白い湯気(ゆげ)を立てた。
「できた――」
 といって、軍兵(ぐんぴょう)たちは、むこうの陣場へかくれてしまった。
 何ができたのだろう?
 すると、ややあってから、一方の幕(まく)をサッとはらって、羽柴筑前守秀吉(はしばちくぜんのかみひでよし)、ズカズカと大股(おおまた)にあるいてきた。
「殿、――しばらく、ただいまお支度(したく)を設(もう)けます」
 あわてながら追っかけてきたのは、秀吉(ひでよし)の脇小姓(わきこしょう)、朝野弥平次(あさのやへいじ)、加藤孫一(かとうまごいち)。
 抱(かか)えてきた楯(たて)を、バタバタと四、五枚そこへ敷きならべて、なおも、あとから運んできたのを、まわりへ立てようとすると、秀吉手をふって、
「うっとうしい」と、うしろ向きになった。
「はッ……では」
 と陣礼儀(じんれいぎ)をして、ふたりがそこをさがると、秀吉は鎧草摺(よろいくさずり)をガチャリと楯の上へ投げすてて、まッぱだかになった。
 そして、一片(ぺん)の布(ぬの)をもって、前に軍兵(ぐんぴょう)がつくっていった、野陣の野風呂(のぶろ)へドブリと首までつかりこんだ。
「ウーム……ウウム……」
 と、秀吉、湯のなかに首まではいって、さも心地よげにうなっていたが、ザブリと一つ顔をあらって、
「ああ、よい湯かげん――」
 と、湯穴(ゆあな)のフチにしいてある楯の上に腰かけ、両(りょう)の足だけを、ダラリとなかへブラさげていた。そしてときどき無意識(むいしき)にジャブリジャブリとさせながら、
「智恵(ちえ)じまんな一益(かずます)も、ゆうべは定めしおどろいたろう……」
 苦笑(くしょう)をうかべて、桑名城(くわなじょう)を観望(かんぼう)している。
 そうだ。昨夜は滝川一益(たきがわかずます)が、ここから五、六里離れたところの白子(しらこ)の陣へ夜討(よう)ちをかけた。秀吉(ひでよし)は、きゃつめかならずこうくるな――と手を読んでいたから、四方(ほう)の平地(へいち)や森の人家のかげに、堀尾茂助(ほりおもすけ)、黒田官兵衛(くろだかんべえ)、福島市松(ふくしまいちまつ)、伊藤掃部(いとうかもん)、加藤虎之助(かとうとらのすけ)、小川土佐守(おがわとさのかみ)など配置よろしくしいておいて、左近将監一益(さこんしょうげんかずます)が枚(ばい)をふくんで寄せてきたところを、逆(ぎゃく)に、ワ――ッと鬨(とき)の声をあげさせて、敵が森へ逃げんとすれば森の中から、海辺へはしれば海の中から、金鼓(きんこ)を鳴らして追いまわし追いまわし、とうとう桑名城(くわなじょう)まで袋(ふくろ)づめに追いこんだ。
 これは兵法(へいほう)でいう八門(もん)遁甲(とんこう)。諸葛孔明(しょかつこうめい)が司馬仲達(しばちゅうたつ)をおとし入れた術(じゅつ)でもある。秀吉、それを試(こころ)みて、滝川一益(たきがわかずます)をなぶったのだ。
「まずこれで伊勢(いせ)は片づけた、――つぎには柴田権六(しばたごんろく)か、きゃつも、ソロソロ熊(くま)のように、雪国の穴(あな)から首をだしかけておろう……」
 敵城を前にして、すッかり野風呂(のぶろ)であたたまった秀吉は、こうつぶやきつつ、まッ赤(か)になった下ッ腹へ、ウン、と、一つ力をいれて、いかにも愛撫(あいぶ)するごとくへそのまわりをなではじめた。
 なでると黒い垢(あか)がボロボロ落ちた。
 それもそのはず、この二月十日に七万の大軍を三道にわけて、都を発してきて以来の入浴(にゅうよく)で、寝ぬ日もきょうで三日つづく。しかし、垢はでるがいねむりはでない。かれは精力の権化(ごんげ)であった。
「どれ……上がろうか」
 湯の中に立って、手ばやく上半身を拭(ふ)きはじめると、オオ、その時だ! れんげの花へピタリとからだを伏(ふ)せて、蛇(へび)のようにスルリ、スルリ……とはってきた異形(いぎょう)の武士が、寝たまま片腕(かたうで)をズーッと伸(の)ばして、種子島(たねがしま)の筒先(つつさき)を、秀吉(ひでよし)の背骨(せぼね)へピタリとねらいつけた。
 火縄(ひなわ)をプッと吹いたようす――、ドーンと弾(たま)けむりがあがるかと思うと、せつなに、パッとはねかえった異形の武士は、串(くし)にさされた蛙(かえる)のように、九尺柄(え)の槍(やり)に胸板(むないた)をつきぬかれ、しかもその槍尖(やりさき)はグザと大地につき立っていた。
「孫一(まごいち)、やりおったの」
 それをニヤニヤ笑ってながめながら、秀吉、足を拭(ふ)いて楯(たて)の上にあがった。加藤孫一(まごいち)、すがたは見せないが、向こうの楯のかげで、
「は、一益(かずます)のまわし者と見ましたので」と答えた。
「イヤちがう。ありゃおそらく、徳川家(とくがわけ)の隠密組(おんみつぐみ)であろう。家康(いえやす)もなかなか人が悪いからの。あとでよく死骸(しがい)のふところをあらためてみい」
 ところへ、バタバタと早運(はやはこ)びの足音がひびいてきた。フト見ると、加藤虎之助(とらのすけ)、はるかにはなれて具足(ぐそく)の膝(ひざ)を地につかえる。
「お上(かみ)」
「ウム、虎之助(とらのすけ)」
「近江路(おうみじ)へやりました井上大九郎、その他の者、ただいま武田伊那丸(たけだいなまる)をご陣屋まで召しつれましたが」
「や、帰ってきたか。ウム、伊那丸(いなまる)も同道して。――そうか。では表陣屋西幕(おもてじんやにしまく)のうちに床几(しょうぎ)をあたえて、鄭重(ていちょう)におとりなし申して置くがよい」
 これだけの言葉をはくうちに、秀吉(ひでよし)は、肌着(はだぎ)小手(こて)脛当(すねあて)をピチンと着(つ)けて、皆朱碁石(かいしゅごいし)おどしの鎧(よろい)をザクリと着こみ、唐織銀文地(からおりぎんもんじ)に日月(じつげつ)を織りうかした具足羽織(ぐそくばおり)まで着てしまった。
 そして鎧のアイビキ紐(ひも)、草摺(くさずり)のクリシメ紐(ひも)、陣太刀の緒(お)と、端(はし)からキチキチむすんでゆく指の早さといったらない。まるで神技(かみわざ)と思わるるくらいだ。もっとも秀吉ばかりでなく、およそ戦国の世に男とうまれ武士の子と生まれたほどの者は、みな、陣太鼓(じんだいこ)の音(ね)が三ツ鳴るあいだに、具足着(ぐそくき)こみのできるくらいの修養(しゅうよう)を、ふだんのうちにつんでいた。
「孫一(まごいち)」
 武将いでたちとなると、秀吉の威風(いふう)、あたりをはらって、日輪(にちりん)のごとき赫々(かっかく)さがある。
「はッ、御意(ぎょい)は?」
「右陣(うじん)にいる福島市松(ふくしまいちまつ)のところへ伝令せい! ただ今、武田伊那丸(たけだいなまる)が見えたによって、あずけておいた一品(ひとしな)、そっこくここへ持参いたせと」
「は、かしこまりました」
 ヒラリと溜(たま)りへかえった加藤孫一、使番目印(つかいばんめじるし)の黄幌(きほろ)に赤の差旗(さしもの)を背(せ)につッたて、馬をあおって、右陣(うじん)福島市松(ふくしまいちまつ)のところへ馳(か)けとばした。
 伊那丸(いなまる)から秀吉(ひでよし)があずかったという品(しな)、――それは果たしてなんであろうか?

 伊那丸は与えられた床几(しょうぎ)によって、秀吉(ひでよし)のくるのを待っていた。右には忍剣(にんけん)、左には龍太郎(りゅうたろう)が烱(けい)とした眼をひからせている。
 張りめぐらした幔幕(まんまく)のそとには、槍(やり)の穂(ほ)さきがチカチカと霜(しも)のごとくうごいていた。やがて、加藤虎之助(とらのすけ)があらわれて、いんぎんに礼をして、秀吉(ひでよし)の大将座をもうけ、その脇(わき)にひかえていると、順をおって堀休太郎(ほりきゅうたろう)、蜂須賀小六(はちすかころく)、仙石権兵衛(せんごくごんべえ)、一柳市介(ひとつやなぎいちすけ)などの、旗本(はたもと)がいならび、やがて幕をはらって、秀吉の碁石縅(ごいしおどし)の姿がそこへあらわれた。
「おお、伊那丸どのな――」
 こういいながら秀吉は、ズカリと前へよってきた。その満顔(まんがん)の笑(え)みをみると伊那丸も旧知(きゅうち)のような気がして、笑みをもって迎えずにはいられなかった。
「まずもって、あっぱれなご成人ぶりを祝福いたす。つねにうわさはきいておるが、イヤ、さすがは機山大居士(きざんだいこじ)の御孫(おんまご)、末(すえ)たのもしい御曹子(おんぞうし)じゃ……」
 みじんのわだかまりもなく、胸をひらいて手をつかんだ。そして、その手をふって明るく笑った。あたかも肉親の邂逅(かいこう)のように。
「さて、眼前(がんぜん)にまだ一攻(ひとせ)めいたす桑名城(くわなじょう)もござるゆえ、ゆるりとお話もいたしかねるが、お迎えもうしお返しせねばならぬ一品(ひとしな)。おじゃまではあろうなれど、小太郎山(こたろうざん)のとりでへ、土産(みやげ)としてお持ちかえり願いたい」
 床几(しょうぎ)になおって、羽柴秀吉(はしばひでよし)、こういうと手の軍扇(ぐんせん)を膝(ひざ)にとってかまえながら、
「市松(いちまつ)! 市松!」とおごそかに呼(よ)ばわった。
「はッ」
 という幕(まく)かげの答え。主命(しゅめい)によって、いまそこへ、控(ひか)えたばかりの福島市松(ふくしまいちまつ)、一箇(こ)の鎧櫃(よろいびつ)をもって、秀吉と伊那丸(いなまる)の中央にすえた。
「伊那丸どの、お返し申す品(しな)はこのなかにある。すなわち、それは武田家(たけだけ)のご再興(さいこう)になくてかなわぬ什宝(じゅうほう)、御旗(みはた)楯無(たてなし)の名器(めいき)でござりますぞ」
「や、ではこの中に、御旗楯無の宝物(ほうもつ)が?」
「秀吉の手にあるわけは、あの和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)めが、人穴城(ひとあなじょう)におったころ、京へ売りつけにきた物をもとめておいたからでござる。もとより、もとめる時からこの秀吉には用のない品(しな)、いつかそこもとの手へ返してあげたいと念じていたのじゃ、どうぞ、あらためて貴手(きしゅ)へお受け取り願いたい」
 武田家(たけだけ)無二(むに)の什宝――御旗楯無。それこそは、伊那丸にとってなによりなものである。裾野(すその)の湖水へしずめて隠しておいた後、それが何者かに盗みさられて、呂宋兵衛の手で京都にはこばれ秀吉の手からふたたび伊那丸へ返ってきたのは、これ武田家再興の大願がなる吉兆(きっちょう)か――と、かれはなつかしくそれをながめ、また、秀吉(ひでよし)の好意を謝(しゃ)さずにもいられない。
 二言三言(ふたことみこと)、その礼をのべている時だった。なにごとか、にわかに、陣々に脈々(みゃくみゃく)たる兵気がみなぎってきたかと思うと、本陣へ京都からの早馬の急使がきて、秀吉に、時ならぬ急報をつげた。
 いわく、
 北国北(きた)ノ庄(しょう)の柴田勝家(しばたかついえ)、盟友(めいゆう)一益(かずます)の桑名(くわな)の城(しろ)危(あや)うしと聞いて、なお残雪のある峠(とうげ)の嶮(けん)をこえ、佐久間盛政(さくまもりまさ)を先鋒(せんぽう)に、上部八風斎(かんべはっぷうさい)を軍師(ぐんし)にして近江(おうみ)へ乱入し、民家を焼き要害(ようがい)のとりでをきずいて、作戦おさおさおこたりない――と。
 その飛状(ひじょう)を手にした秀吉は、あわてもせず、莞爾(かんじ)として、
「では残りおしいが、伊那丸(いなまる)どの、また会う機会もあるであろう。その宝物の御旗(みはた)、その楯無(たてなし)の鎧(よろい)が、かがやく日をお待ちするぞ」
「ご芳志(ほうし)、ありがたくおうけいたします」
「おお、それより小太郎山(こたろうざん)へお帰りあるは、途中さだめし多難であろう。秀吉の部下五、六十騎(き)おかし申そう」
「イヤ、徳川領(とくがわりょう)を通るのがおそろしゅうて、秀吉どののさむらいを借りてきたと申されては……」
「ウウム、名折(なお)れといわるか」
「多難は旅の道ばかりではございませぬ」
「そうじゃ。天下は暗澹(あんたん)――いずれ、光明の冠(かんむり)をいただく天下人(てんかびと)はあろうが、その道程(どうてい)は刀林地獄(とうりんじごく)、血汐(ちしお)の修羅(しゅら)じゃ。この秀吉(ひでよし)のまえにも多難な嶮山(けんざん)が累々(るいるい)とそびえている」
「ましてやおさない伊那丸(いなまる)が、わずかな旅路を苦にしてどうなりましょうか」
「愉快なおことば、秀吉もその意気ごみで、ドレ北国の荒熊(あらぐま)どもを、一煽(ひとあお)りに蹴(け)ちらしてまいろうよ」
 さらば――と別れて、秀吉はたって作戦の用意にかかり、伊那丸は、はからずも手にもどった御旗(みはた)楯無(たてなし)の具足櫃(ぐそくびつ)を忍剣(にんけん)の背に背おわせて、陣のうらかられんげ草のさく野道へ走りだした。
 ワーーッという武者押しの声をきいた。
 小手をかざして桑名(くわな)の方(ほう)をみると、はやくも秀吉の先陣は、ふたたび戦雲をあげて孤城奪取(こじょうだっしゅ)の総攻めにかかり、後陣は鳥雲(ちょううん)のかたちになって、長駆(ちょうく)、柴田(しばた)との迎戦(げいせん)に引ッかえしてゆく様子――。
 その戦雲をくぐり、敵味方の乱軍をぬけて、伊那丸主従は、やがて名古屋から岡崎へとすすんでいった。――ああ、いよいよあと十数里で、徳川家康(とくがわいえやす)の本城、浜松の地へ入ることになる。
 さきに、奸策(かんさく)をえがいていた呂宋兵衛(るそんべえ)が、こんどは、狡智深謀(こうちしんぼう)な家康と、どう手を組んでくるだろうか。
 伊那丸(いなまる)のまえには、いまや、おそるべき死の坑穴(こうけつ)が何者かの手で掘られている。

 死といえば、夜の湖水にただよっていた、鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)と泣き虫の蛾次郎(がじろう)。あのふたりの死はどうなっただろう。
 死はどうなるものでもない。
 死は絶対(ぜったい)であり永遠である。

 琵琶湖(びわこ)のなかにひとつの島がある。本朝(ほんちょう)五奇景(きけい)のうちに数えられている竹生島(ちくぶしま)。
 島の西がわ、天狗(てんぐ)の爪(つめ)とよぶ岩の上に、さっきからひとりの神官(しんかん)、手に笙(しょう)の笛をもち、大口(おおぐち)の袴(はかま)をはき、水色のひたたれを風にふかせて立っている。
 そこから小手をかざしてみると、うッすらとした昼霞(ひるがすみ)のあなたに、若狭(わかさ)の三国山(みくにやま)、敦賀(つるが)の乗鞍(のりくら)、北近江(きたおうみ)の山々などが眉(まゆ)にせっしてそびえている。そして、はるか柳(やな)ヶ瀬(せ)のおくから、この琵琶湖へ一冽(れつ)の銀流をそそいでくる高時川(たかときがわ)のとちゅうに、のッと空に肩をそびやかしているのは、賤(しず)ヶ岳(たけ)の巨影(きょえい)で、そのうしろに光っているいちめんの明鏡(めいきょう)は余呉(よご)の湖水と思われる。
 と、――その神官(しんかん)の眼が、そこにピタリと吸(す)いついて時ひさしくたたずんでいるうちに、賤ヶ岳から柳(やな)ヶ瀬(せ)にわたる方角に、モクリと黄色いけむりがあがった。
 見るまに、それを一手として、つぎには、大岩山(おおいわやま)、木之本附近(きのもとふきん)、岩崎山(いわさきやま)のとりでとおぼしきところから山火事のような黒煙(こくえん)がうずをまいて、日輪(にちりん)の光をかくした。と思うと、余呉の湖水や琵琶(びわ)の大湖(たいこ)も、銀のつやをかき消されて、鉛(なまり)のような鈍色(にぶいろ)にかわってくる。
「ああ、敗れた!」
 神官は手にもてる笙(しょう)のような声でさけんだ。
「賤ヶ岳のとりでも落ちた――柳ヶ瀬の陣も総くずれだ――柴田勢(しばたぜい)はとうとう秀吉(ひでよし)のためにほろぼされる運命ときまった……」
 いかにも悲痛(ひつう)な色をうかべた。
 神官のひとみには、かすかな涙の光さえみえる。
 そして、亡国(ぼうこく)の余煙をとむらわんとするのか、おがむように笙を持って、しずかに、その歌口(うたぐち)へくちびるをあてた。
 壮(そう)な音色(ねいろ)、悲愁(ひしゅう)な叫び、または※(「口+曹」、第3水準1-15-16)々(そうそう)としてさわやかに転変する笙の余韻(よいん)が、志賀(しが)のさざ波へ微(び)に妙(たえ)によれていった――
「宮内(くない)さま、――菊村(きくむら)さまア!」
 すると、その笙(しょう)の音(ね)をたよりにして、岩々(がんがん)たる島の根を漕(こ)ぎまわってくる小船があった。
 呼ぶこえ、櫓(ろ)の音(おと)。船のなかにはひとりの若い漁師(りょうし)が、櫓柄(ろづか)をにぎって、屏風(びょうぶ)のような絶壁(ぜっぺき)をふりあおいでくる。
「おう、源五(げんご)か」
 天狗(てんぐ)の爪(つめ)からのびあがって、こう答えた神官は、すなわち菊村宮内(きくむらくない)である。松の枝に手をささえて、波うちぎわを見おろした。
「宮内さま、おたのみをうけまして、すっかり陸(おか)のようすをみてまいりました」
「ごくろうごくろう、さきほどから、その返辞(へんじ)を待ちかねていたところ、どうであった戦(いくさ)の結果は」
「伊勢(いせ)の陣から引っかえした秀吉勢(ひでよしぜい)は、おそろしい勢いで、無二無三(むにむさん)に北国街道(かいどう)をすすみ、堂木山(どうきざん)に本陣をおいて、柴田勢(しばたぜい)を追いちらし、北(きた)ノ庄(しょう)まで馳(か)けすすんでゆくというありさまです」
「ウーム、そうか、北国一の荒武者(あらむしゃ)といわれた、佐久間盛政(さくまもりまさ)もそれを食(く)いとめることができなかったか……」
「佐久間勢(さくまぜい)も、一どは秀吉方(ひでよしがた)の中川清兵衛(なかがわせいべえ)を破ったそうですが、丹羽長秀(にわながひで)が不意の加勢についたため、勝軍(かちいくさ)は逆(ぎゃく)になって、北国勢(ほっこくぜい)は何千という死骸(しがい)を山や谷へすてたまま、越前(えちぜん)へなだれて退(ひ)いたといううわさです。このあんばいでは、やがて北(きた)ノ庄(しょう)の柴田勝家(しばたかついえ)も、近いうちには秀吉(ひでよし)の軍門(ぐんもん)にくだるか、でなければ生(なま)くびを塩(しお)づけにされて凱旋(がいせん)の土産(みやげ)になってしまうだろうと、もっぱら風聞(ふうぶん)しております」
「おうわかった――北国勢の敗軍であろうとは、ここからながめても、およそ見当がついていた。源五(げんご)、ごくろうだった。また用があったら笙(しょう)を吹くから……」
 力なくこういうと、神官(しんかん)の菊村宮内(きくむらくない)は、天狗(てんぐ)の爪(つめ)からすべりおちるように、よろよろと島のなかへすがたをかくしてしまった。
 島にはつつじ、山吹(やまぶき)、連翹(れんぎょう)、糸桜(いとざくら)、春の万花(まんげ)がらんまんと咲いて、一面なる矮生(わいせい)植物と落葉松(からまつ)のあいだを色どっている。宮内のすがたは、その美(うる)わしい自然に目もくれないで、しおしおと細道をたどっていった。
 かれの直垂(ひたたれ)の袖(そで)をかすめて、まッ黄色な金糸雀(カナリア)がツウ――と飛んだ。
 と、その向こうには、神さびた弁天堂(べんてんどう)の建物が見えた。なお、あたりには、宇賀(うが)の御社(みやしろ)、観音堂(かんのんどう)、多聞堂(たもんどう)、月天堂(げってんどう)などの屋根が樹の葉のなかに浮(う)いている。
「宮内さま、もうお午(ひる)でございます」
 社の内から走りだしてきた巫女(みこ)の少女が、かれの姿をみるとこう告(つ)げた。だが、宮内はゆううつな顔をうつむけたまま、
「う、お午(ひる)か。やめよう、今日はなんだか食(た)べたくない」
 とかぶりをふった。ちいさい巫女はそれを追って、
「ですけれど、あの、可愛御堂(かわいみどう)のなかにいるお方(かた)へは、いつものように、お粥(かゆ)を作っておけとおっしゃったので、もうできておりますが」
「お、忘れていた。じぶんの心がみだされたので、ツイそのことを忘れていた。さだめしお腹(なか)がすいていよう」
「じゃ、いつもの通り、あそこへ運んでまいりましょうか」
「あ、両方(りょうほう)へ同じようにな」
 宮内(くない)は急にいそぎ足になって、境内(けいだい)のかたすみにある六角(かく)堂(どう)へ向かっていった。一間(けん)の木連格子(きつれごうし)が、六面の入口にはまっていた。
 その一方の錠(じょう)をあけて、宮内はやさしい声をかけた。うすぐらい御堂の中には、蒲団(ふとん)をかぶって寝ている少年のすがたがある。――ふと見ると、それは泣き虫の蛾次郎(がじろう)だった。

「どうだな、蛾次郎さん」
 と宮内はそこへしゃがみこんで、体(からだ)の、容体(ようたい)をききはじめた。そのようすをみると、かれはしばらく病人となって、この可愛御堂に閉(と)じこもっていたものとみえる。
 だが、蛾次郎は、蒲団のなかにねてこそいるが、もうあらかたご全快(ぜんかい)のていとみえて、宮内の顔をみるや否(いな)、ムックリとそこへ起きあがった。そして、
「おじさん、ひどいじゃねえか! どうしたンだいッ」
 とどなりつけた。
 病人にどなりつけられたので、宮内(くない)も少しびっくりしたが、二十日(か)あまりもこの蛾次郎(がじろう)の世話をやいて、いまではすッかりその性質をのみこんでいるから、かくべつ怒(おこ)りもしなかった。
「たいそうな元気じゃの。けっこうけっこう、それくらいな勢いなら、もうじきに元の体(からだ)になるだろう」
「なにをいッてやがるンだい」
 蛾次郎は不平の口をとンがらして、
「もうとッくの昔に、このとおりまえの体になっているんじゃないか。それを、いつまでこんな中へほうりこんでおいて、だしてくれないッて法があるかい。え、おじさん――どこの国へいったって、そんなばかな法はないぜ」
「そうかな、それは悪かったよ」
 と、宮内は、どこまでも好人物(こうじんぶつ)らしく笑っている。
「おまけに、笙(しょう)ばかり吹いていて、まだお午(ひる)の飯(めし)も持ってきてくれやしねえ。ちぇッ、おらア腹がへってしまった」
「いまじきに持ってきてあげるから、おとなしくしておいでなさい」
 宮内はこうなだめておいて、そこの扉(とびら)をピンと閉(し)めたかと思うと、こんどは、つぎから二ツ目の木連格子(きつれごうし)の錠(じょう)をあけた。と、みょうなことに、この中にも蛾次郎(がじろう)のところと同じように、一組の夜具(やぐ)が敷きのべてあって、その蒲団(ふとん)の上にも、やはりひとりの少年がいる。
 だが、これは向こうの蛾次郎のごとく不作法(ぶさほう)ではなくいかにもものしずかに、いるかいないかわからぬようにしてすわっていたが、木連格子がギーッと開(ひら)いたので、顔をさし入れた菊村宮内(きくむらくない)と目を見あわせ、だまって、頭をさげた。
「うっかりして、昼の食物(もの)をおそくいたした。さだめし空腹になったであろう」
「どういたしまして、それどころではございません」
 こういった者こそ、かの鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)なのである。
 その日からおよそ二十日(か)ほどまえ、海月(くらげ)のようにただよって、湖水におぼれていた竹童と蛾次郎が、いまなお、この竹生島(ちくぶしま)の可愛御堂(かわいみどう)という建物のなかに生(せい)をたもっているところをみると、あの夜か翌朝、島の西浦(にしうら)で、弁天堂(べんてんどう)の神官菊村宮内の手で救いあげられたにそういない。そして、柔和(にゅうわ)で子供ずきな宮内の手当(てあて)が厚(あつ)かったために、こうしてふたりとも、もとのからだに近いまでに、健康をとりもどしてきたのだろう。
「ありがとうぞんじます。もう体(からだ)もよほどよくなりましたから、けっして、ごしんぱいくださいますな。そして、わがままのようですが、どうぞわたくしのからだを、この島からおはなしなすッてくださいまし」
 竹童が、こういったものごしを見るにつけても、宮内は、向こうにいる蛾次郎とこの少年とは、なんという性格の違い方だろうと思った。
 だが、かれは、どッちも憎いと思わなかった。竹童(ちくどう)が好きなら、蛾次郎(がじろう)も好きだった。イヤ、菊村宮内(きくむらくない)という人物は、すべての子供――どんな鼻垂(はなた)れでもオビンズルでもきたない子でも、子供と名のつく者ならみんな好きだった。
 それがために、かれは武士の身分をすてて、この竹生島(ちくぶしま)へ、可愛御堂(かわいみどう)という六角屋根の建物をたてた。
 今日は東の国、あすは西の国と、つぎからつぎへ戦(たたか)いがあってやまない世の中。――その兵火のたびごとに、武士も死ねば女も死ぬ百姓も死ぬ、まして、たくさんな子供のたましいも犠牲(いけにえ)になる。
 菊村宮内は、もと柴田勝家(しばたかついえ)の家中(かちゅう)でも、重きをなしていた武将であったが、そういう世のありさまをながめると、まことに心がかなしくなった。で、主君の勝家から暇(いとま)をもらって、いくたの戦場をたずね、やがて竹生島の弁天(べんてん)の社(やしろ)にそって、この可愛御堂を建立(こんりゅう)した。
「弁財天(べんざいてん)は母である。そしてわしは不運なおおくの子供たちの慈父(じふ)になりたい」
 こういう願いをもっている。
 ところが、さきごろから、琵琶湖(びわこ)の附近にも、戦(いくさ)の黄塵(こうじん)がまきあがった。すなわち、伊勢(いせ)の滝川一益(たきがわかずます)をうった秀吉(ひでよし)が、さらにその余勢(よせい)をもって、北国の柴田軍(しばたぐん)と、天下(てんか)分(わ)け目(め)の迎戦(げいせん)をこころみたのである。
 不幸な子供の魂(たましい)をとむらいながら、可愛御堂(かわいみどう)の堂守(どうもり)で生涯(しょうがい)をおわろうと思っていた菊村宮内(きくむらくない)も、むかしの主人であり、ふるさとの兵である北国勢(ほっこくぜい)が、すぐ向(むこ)う岸(ぎし)の木之本(きのもと)でやぶれ、賤(しず)ヶ岳(たけ)から潰走(かいそう)するありさまを見ると、なんとなく心がいたんで、いっそのこと、島をでてふたたび主君の馬前に立とうかとさえ――ツイさっきも迷ったのである。
 しかし、それもそれだが、まったくみじめな、乱世(らんせい)の子供たちの慈父(じふ)となる生涯も、けっして悪い目的ではない。ことに、いま、この島には、じぶんが心をそそいで救いかけている竹童(ちくどう)という少年、蛾次郎(がじろう)という少年がいる。
 もう、からだはなおったが、からだだけなおしてやっただけでは、まんぞくとはいえない。ふたりの境遇(きょうぐう)や、心までも、幸福に健全(けんぜん)にして、そして、この竹生島(ちくぶしま)をだしてやりたいと、かれは願った。

 でいまここに、蛾次郎の顔をみ、竹童のすがたを見ると同時に、宮内(くない)は、湖(みずうみ)をへだてたかなたの戦(いくさ)のことも、きれいに心頭(しんとう)から忘れさって、まことに慈父(じふ)のような温顔(おんがん)になっていた。
「この島からだしてくれといわれるか?」
「はい」竹童はキチンとすわって、そしてすなおに、
「わたくしには、一刻(とき)も忘れてはならない主君がありますし、それに、だいじな鷲(わし)のゆくえもさがさなければなりませんから……」
「おお、おまえは主人持ちか。してそのお人という者の名は?」
「ここでは、お話し申されません。ですが、お師匠(ししょう)さまの名まえなら、打ちあけてもかまわないでしょう。わたくしは鞍馬山(くらまやま)の僧正谷(そうじょうがたに)にいる果心居士(かしんこじ)先生の弟子(でし)のひとりでございます」
「ウム、有名な、果心居士のお弟子であったか。なるほど、それならものの聞きわけもよいはずだ。……ではおまえに一つのたのみがあるが」
「はい、命(いのち)をたすけられたご恩人」
「なんでも聞いてくれるというのか」
「できることならきっとききます」
「ほかではないが、おまえと一しょに、湖水におぼれていた蛾次郎(がじろう)な」
「ああ、あの蛾次郎がどうかしましたか」
「どうも、ひどく仲(なか)が悪そうだが、なんとかわしの顔にめんじて、これからさき、仲をよくしてくれないか」
「…………」
 竹童(ちくどう)はだまって下を向いてしまった。
「でないと、ふたりをこの御堂(みどう)からだしてやることができない。せっかくわしが助けてあげても、この塔(とう)をでるとたんに、檻(おり)をでた犬と猿(さる)のように、また血まみれになったり、取ッ組んだりされては、わしの親切がかえって仇(あだ)になってしまう。それがゆえに、罪(つみ)のようだが、ふたりを別々な口へいれて、錠(じょう)までおろしているのだよ、これもひとつの情けのかぎだ。悪く思ってくれてはこまる」
 宮内(くない)のあたたかい真心が、じゅんじゅんと胸にひたってくるので、竹童も思わず涙ぐましくさえなった。
 だが、そればかりは、竹童にも、ハイとすなおに快諾(かいだく)されなかった。かれはだまって、いつまでも下をむいていた。
「いけないと見えるな……ウーム、これだけはさすがのわしも困(こま)ったな」
 そこへ、巫女(みこ)の少女が粥(かゆ)をはこんできたので、宮内はそれを竹童にあたえ、蛾次郎(がじろう)の分はじぶんが持って、また以前のところへもどってきた。
 お粥のけむりを見ると、空腹(すきばら)で、喉(のど)から手がでそうなくせにして、蛾次郎はプンプンと怒(おこ)った。
「けッ、またおかゆかい、おじさん」
「うごかずにいる間(あいだ)は、まアまアこれでがまんをしなければ」
「じょうだんじゃねえや、おれなんか、裾野(すその)にいたじぶんから、ズッと奈良(なら)や京都のほうを見物して歩いてる時なんかも、こんなまずいものを一どだって食(く)ったことはありゃしねえ」
「ほウ、おまえはそんなぜいたくだったのか」
「そうさ、おいらはこう見えても、徳川家(とくがわけ)へゆけばはぶりがきくんだからな。浜松にいる菊池半助(きくちはんすけ)という人を知っているかい。おじさんなんか知るめえ。隠密組(おんみつぐみ)で第一ッていう人よ。おれはその人にずいぶん小判(こばん)をもらったぜ、つかいきれないほどあった――アアつまらねえつまらねえ、また浜松へいって、少しお金をせびッてこよう」
 ひとりでペラペラしゃべりながら、まずいといった粥(かゆ)を一つぶのこらずなめてしまった。
 そして、すぐにゴロリと横になって、手枕(てまくら)をかいながら、生意気(なまいき)そうな鼻の穴(あな)を宮内(くない)のほうにむけ、
「おじさん、いまおめえは、この向こうにはいっている竹童(ちくどう)のところで、なにかコソコソ耳こすりをやっていたろう」
 といった。
「ウム。おまえと仲(なか)をよくせぬかと、そのそうだんをしていたのじゃ」
「くそウくらえ――だれがあんなやつと仲をよくするもんか。おいらは徳川びいきだし、あの竹童ッてやつは、山乞食(やまこじき)の伊那丸(いなまる)って餓鬼(がき)や、イヤな坊主(ぼうず)に味方をしているんだ」
「ではどうもしかたがないな。……ふたりの気がおれて、仲をよくするというまで、この塔(とう)にはいっていてもらうよりほかに方法はあるまい」
 宮内(くない)は竹童(ちくどう)のたべた土鍋(どなべ)のからと、蛾次郎(がじろう)の食(た)べたからを両手にもって、社家(しゃけ)のほうへもどってしまった。
 格子(こうし)のすきまから、そのうしろ姿をみて、蛾次郎は声のあるッたけ悪(あく)たれをついた。
「やい、早くここをだしてくれよ。いッてしまっちゃいけないよ! やい神主(かんぬし)! つんぼか唖(おし)かでくの坊(ぼう)か! オイきこえないふりをしてゆくない。オーイ、バカ神主め、おいらをいつまで竹生島(ちくぶしま)へおいておくんだい。かえせ、帰せ、かえしてくれ! 帰さねえと、いまに弁天(べんてん)さまへ火をつけるぞッ!」
 あおむけに寝(ね)ながら、足で床板(ゆかいた)をふみ鳴らし、口から出放題(でほうだい)にあたりちらしていると、その仕切境(しきりざかい)の板のむこうがわで、
「やかましいッ」と、小気味(こきみ)のいい一喝(かつ)がツンざいた。
「オヤ、なんだと!」
 ムクムクと身をおこした蛾次郎。
「なにがやかましいッ!」と負けずにどなりかえした。
 だが、じぶんの声が、ガーンとくらい塔(とう)の内部へひびいただけで、もう向こうにいる竹童は、それきり、かれの相手になってこなかった。

 強がりンぼで横着(おうちゃく)で、すぐツケあがる泣き虫の蛾次郎(がじろう)。いざとなれば声をだしてわめくくせに向こうでだまりこむと、その足もとをつけこんで「やい、竹童(ちくどう)ッ」と、こっちからけんかを吹ッかける。
 これだから菊村宮内(きくむらくない)も、この性(しょう)のあわないふたりを、一つのじぶんの手にすくって、難儀(なんぎ)をしているところなのだ。で、どうかして、仲をよくしてやりたいと考えてはいるが、なにしろ蛾次郎は、からだを養生(ようじょう)するうちに菊村宮内のやさしさに馴(な)れ、すっかり増長(ぞうちょう)している気味(きみ)だから、とても竹童と手をにぎって、心から打ちとけるべくもない。
「やいなんとかいえよ!」
 業(ごう)をにやして蛾次郎は、さかいの板をドンドンとたたいた。すると、向こうにいて、ジッと我慢(がまん)をしているらしい竹童も、ついに、堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒(お)をきって、
「だまれッ、狂人(きちがい)!」と叱(しか)りつけた。
「なに、狂人だと! おれのこと、狂人だとぬかしたな。なまいきなア! いまに野郎(やろう)おぼえておれよ。フーンだ――いまにこの島をでてみやがれ、あの大鷲(おおわし)をまたおいらの手に取りかえして、きさまたちに目にもの見せてくれるから」
「井(い)の中の蛙(かわず)――おまえなんかに天下のことがわかるものか、この島をでたら、分相応(ぶんそうおう)に、人の荷物(にもつ)でもかついで、その駄賃(だちん)で焼餅(やきもち)でも頬(ほお)ばッておれよ」
「よけいなおせッかいをやくな。てめえこそこの島からだされると、また八神殿(しんでん)の床下(ゆかした)で、お乞食(こじき)さまのまねをするより道がねえので、それで、おとなしくしていやがるンだろう。武田伊那丸(たけだいなまる)だッて、忍剣(にんけん)とかいうやつだって、龍太郎(りゅうたろう)という唐変木(とうへんぼく)だって、てめえの味方は、みんなロクでもねえ山乞食(やまこじき)ばかりだ」
「うぬッ、伊那丸さまのことをよくも悪(あし)ざまにいったな」
「オイオイ、どッちもでられないと思って、強そうなことをいうなよ、なぐれるものならなぐってごらんだ。お手々(てて)が痛(いた)くなるばかりだ」
「バカ! こんなほそい木連格子(きつれごうし)ぐらい、破ろうと思えば破れるが、それでは、ご恩(おん)になった菊村(きくむら)さまにすまないから、おゆるしのあるまで、ジッとしんぼうしてはいっているのだ」
「ちぇッ! おつなことをおっしゃったよ。お腹(なか)の虫がチャンチャラおどりをしたいとサ」
「きッとか! 蛾次郎(がじろう)!」
「おどかすねえ、琵琶湖(びわこ)の水をのんで、助かったばかりのところを」
「だからだまっていろというのだ」
「そういわれりゃなおさわぐぞ」
「勝手にしろい」
「ざまを見やがれ、へッこみやがって!」
「こいつ!」
 と竹童(ちくどう)がわれをわすれて立ったとたんに、ヒョイと手をかけると格子(こうし)のとびらが、観音(かんのん)びらきにサッと開(あ)いた。
「あッ――」
 はずみを食(く)って、塔(とう)の口からころがりだしたせつなに、蛾次郎(がじろう)も仰天(ぎょうてん)して扉(と)をおした。すると、意外や、そこも容易(ようい)にパッとひらいて、かごの鳥が舞うようにかれも表へとんででる。――
 そうだ、菊村宮内(きくむらくない)は、さッき社家(しゃけ)のほうへもどる時、いつものように、そとから錠(じょう)をおろしてゆかないようであった。なにか考えごとをしていて、ウッカリそれを忘れていたのだ。
 それはいいが、さてまたここに一大事。
 パッと両方の口からとびだした蛾次郎と竹童とは、王庭(おうてい)に血戦(けっせん)をいどむ闘鶏(とうけい)のように、ジリジリとよりあって、いまにもつかみ合いそうなかたちをとった。
 裾野(すその)以来――また、京都の八神殿(しんでん)以来――かれとこれとは、いよいよ怨(うら)みのふかい仇敵(きゅうてき)となるばかりであった。ことに蛾次郎は、一ど徳川家(とくがわけ)からあまい汁(しる)をすわされているので、その方(ほう)に肩をもち、竹童はそれを伊那丸(いなまる)とともに敵としている。また、いまはいずこの空へ飛んでいるかわからないが、あの大鷲(おおわし)をたがいにわが手におさめんとする競(きそ)い人(て)も蛾次郎は竹童をめざし、竹童は蛾次郎の息のねをとめてしまわなければやまない。
 ところが、蛾次郎も、近ごろは先(せん)のうちより、だいぶ強くなってきた。もともと彼は石投げの天才であって、智能(ちのう)の点はともかくも、糞度胸(くそどきょう)がつくとなると、どうして、容易(ようい)にあなどりがたい。
 ましてやいまは、竹童も般若丸(はんにゃまる)を宮内(くない)の手にあずけてあるし、蛾次郎もあけび巻(まき)の一腰(ひとこし)を取りあげられているから、この勝負こそ、まったく無手(むて)と無手。
「ウーム、よくもいまは広言(こうげん)をはいたな」
 と、掌(て)につばきをくれながら、竹童がジーッとせまると、蛾次郎もまた腕(うで)をまくりあげて、
「こん畜生(ちくしょう)、もう一ど琵琶湖(びわこ)の水をくらいたいのか」
 いきなり拳(こぶし)をかためて、電火のごとき力まかせに、グワンと相手の頬骨(ほおぼね)をなぐりつけていったが、なにをッ! と引っぱらって鞍馬(くらま)の竹童、パッと身をかわしたので、ふたりはすれちがいに位置を取りかえ、またそこで血ばしった眼をにらみ合った。
 と――思うと蛾次郎は、ふいに五、六間(けん)ほどとびさがって、足もとから小石をひろった。卑怯(ひきょう)! 飛礫(つぶて)をつかんだな! と見たので竹童も、おなじように大地のものを右手につかんだ。
 だが、竹童のつかんだのは、石でもない、土でもない。
 あたり一面に、雪かとばかり白く散っていた、糸桜(いとざくら)の花びらである。
 花びらの武器(ぶき)? なんになるのか蛾次郎(がじろう)にはわからない。畜生(ちくしょう)、すこし血があがっていやがるなと見くびってひろいとった石飛礫(いしつぶて)、ピューッと敵の眉間(みけん)へ打ってはなすと、竹童すばやく身をしずめて指の先から一片(ぺん)の花をもみだして唇(くちびる)へあて、息をくれて、プーッと吹いたかと思うと、それは飛んで一ぴきの縞蜘蛛(しまぐも)となり、つぎの飛礫をねらいかけていた蛾次郎の鼻へコビリついた。
 これはかつて竹童が、人穴城(ひとあなじょう)へ使者としていったとき、呂宋兵衛(るそんべえ)の前でやって見せたことのある初歩の幻術(げんじゅつ)、きわめて幼稚(ようち)なものであるが、蛾次郎ははじめてなのでおどろいた。
「わッ」
 といって、おもわず顔へ手をやった。すでに体(たい)はみだれたのだ。得(え)たりと竹童、そこをねらって馳(か)けよりざま、さらにつかんでいた無数の花びらを、エエッと、力いッぱい蛾次郎の頭からたたきつけた。オオ落花(らっか)みじん、相手はふんぷんたる白点につつまれたであろうと見ると、それとはちがって、竹童の手からパッと生まれて飛んだのは、まッくろな羽に赤い渦(うず)のある鎌倉蝶々(かまくらちょうちょう)、――蛾次郎の目へ粉をはたいてすぐにどこかへ消えてしまった。
 いよいようろたえた泣き虫の蛾次郎、たわいもなく竹童の足がらみにけたおされて、ギュッと喉笛(のどぶえ)をしめつけられ、さらにうらみかさなる拳(こぶし)の雨が、ところきらわずに乱打(らんだ)してきそうなので、いまは強がりンぼの鼻柱(はなばしら)がくじけたらしく、
「たッ、たすけてーッ、神主(かんぬし)さま、神主さま」
 最前、ここをだしてくれなければ、火をつけるぞと悪(あく)たれを吐(つ)いていた、その弁天(べんてん)さまのほうへ、声をしぼって救いをよんだ。

 その晩である。
 瘤(こぶ)だらけになった蛾次郎と、みみずばれをこしらえた竹童とが、菊村宮内(きくむらくない)の住居(すまい)のほうで、かた苦しくすわらされていた。
 昼間、もう少し蛾次郎がやせがまんをしていたら、竹童のためにしめ殺されていたかもしれない。あのとき、すぐに宮内が馳(か)けつけて引き分けてくれたからこそ、かれの頭が多少のでこぼこを呈(てい)しただけですんでいる。
「なんとしても、ふたりは死ぬまで、敵となり仇(かたき)となり、仲よくしてはくれないというのか。アア……どうもこまった因縁(いんねん)だの」
 宮内は双方(そうほう)の顔を見くらべて、つくづくとこう嘆息(たんそく)した。
 およそどんな者にでも、真心から熱い慈愛(じあい)をそそぎこめば、まがれる竹もまっすぐになり、ねじけた心も矯(た)めなおせると信じているかれだったが、竹童はとにかく、蛾次郎の横着(おうちゃく)と奸智(かんち)と強情(ごうじょう)には、すっかり手を焼いてしまった。
 こういう性質(たち)の不良なものでは、日本に天邪鬼(あまのじゃく)という名があり、西洋にはキリストの弟子のうちに、ユダという男がいた。ユダの悪魔(あくま)ぶりにはキリストも持てあましたし、十二使徒(しと)の人々も顰蹙(ひんしゅく)して、あいつはとても、真人間(まにんげん)にはなりませんといったくらいだ――という話を、宮内(くない)はいつか伴天連(バテレン)の説教(せっきょう)にきいたことがあるので、蛾次郎もそれに近い人間かなと考えた。
「では、なんともいたしかたがない。いつまでおまえたちを、この竹生島(ちくぶしま)へ鎖(くさり)でつないでおくわけにもゆかぬから、明日(あした)はふたりをむこうの陸(おか)におくってあげよう」
 とうとう宮内もあきらめてこういいわたした。
「まことに、永いあいだ、手あついお世話になりました」
 竹童は尋常(じんじょう)に礼(れい)をいったが、蛾次郎は、ヘン、お粥(かゆ)ばかり食(く)わせておきやがって、大きな顔をしていやがる――といわんばかり、面(つら)と瘤(こぶ)をふくらましてそッぽを向いたままである。
「だが? ……」と宮内はまたなにか考えて、
「明日(あした)までにはまだだいぶ間(ま)がある。たがいに顔を見ているとツイつかみ合いをやりたくなるから、向こうへゆくまでの間(あいだ)、これをかぶって双方(そうほう)口をきかぬことにしているがよい」
 と、奥(おく)へいって持ってきたのは、ふるい二つの仮面(めん)である。あおい烏天狗(からすてんぐ)の仮面(めん)を蛾次郎(がじろう)にわたし、白い尊(みこと)の仮面(めん)を竹童にわたした。
 それをかぶらせておいてから、宮内はも一つのほうの箱を開けてふたりの前に妙(みょう)なものをならべてみせた。
 なにかと思って目をみはった蛾次郎が、
「オヤ、独楽(こま)だ!」と、すぐに手をだしそうになるのを、
「まあ、お待ち」
 と宮内がそれをおさえて、じぶんの両手に一箇(こ)ずつ持ち、さて、ふたりの者へ、たのむようにいうには、
「この古代独楽(ごま)は、竹生島(ちくぶしま)の宮にあった火独楽(ひごま)と水独楽(みずごま)という珍(めずら)しいものだ。この火独楽を地に打ってまわせば、火焔(かえん)のもえて狂(くる)うかとばかりに見え、この水独楽を空(くう)にはなせば、サンサンとして雨のような玉露(たまつゆ)がふる……」
「おもしろいな!」
 説明をきいているうちに、蛾次郎、もう瘤(こぶ)のいたさを忘れて盗(ぬす)んでもほしそうな様子をする。
「これこれ、そうおもしろいことばかり聞いてくれては、わしが話をする意味がなくなる。まだこの独楽にはふしぎな力がたくさんあって、たとえば、じぶんの迷(まよ)うことを問(と)わんとし、または指すべき方角をこころみる時に、この独楽をまわせば自然にそのほうへまわってゆく――、などということもあるが、あまり話すと、また蛾次郎(がじろう)が勘(かん)ちがいをいたすから、もうそのほうのことはいうまい」
「おじさん、――じゃアなかった。神主(かんぬし)さま、もう蛾次郎も、けっして勘ちがいなんかしないことにいたします」
「わかったわかった、ところで竹童(ちくどう)」
「はい」
「この紅(あか)い火独楽(ひごま)はそなたに進上する」
「えッ!」
 といったのは、もらった竹童ではなくって、それをながめた蛾次郎である。
「そ、それを竹童に? ……もったいないなあ。じゃおれにもこっちをくれるんだろう」
「やらないとはいわない。この青い水独楽(みずごま)は、すなわちおまえにあげようと思って、とうから考えていたくらいなのだ」
「ちぇッ、かたじけねえ」
 独楽(こま)を押しいただいた蛾次郎は、そのままうしろへ引っくりかえって、鯱鉾(しゃちほこ)だちでもやりたかったが、また叱(しか)られて取りあげられては大へんと、かたくにぎって踊(おど)りだしたいのをこらえていた。
「そこでな、ふたりの者」
 きッとあらたまった宮内(くない)は、まず少年の心理をつかんでおいてから、その本道(ほんどう)を説(と)こうとする。
「こんどはわしのいうことをきいてくれる番だぞ。よいかな。明日(あす)この島をでて、向こうの陸(おか)へあがってから、もうわしがそばにいないからよいと思って、その仮面(めん)をとるが早いか、喧嘩(けんか)や斬りあいをするのでは、今日(きょう)までの宮内のこころは無(む)になってしまう」
「ごもっともでございます」
 と蛾次郎(がじろう)、みょうなところでばかていねいな返辞(へんじ)をした。笑いもしないで竹童(ちくどう)はまじめに、
「それで、宮内さまのおたのみというのは、いったいなんでございますか」
 とかたずをのむ。
「ほかではないが、ふたりの遺恨(いこん)を、きょうからこの独楽(こま)にあずけてしまって、たがいに、討つか討たれるか、命(いのち)のやり取りをしようという時には、この独楽で勝負をしてもらいたい。そうすれば、独楽はくだけても、そなたたちのからだに怪我(けが)はできないから」
「わかりました」
「その儀(ぎ)、きっと承知(しょうち)してくれるだろうな」
「じゃア、なんですか?」とまた蛾次郎が反問(はんもん)した。
「たとえば、わたしたちの争っている大鷲(おおわし)を、どっちのものにするかという時にも、つまり、この独楽(こま)のまわしッくらで、きめるんですか」
「そうだ、そればかりでなく、今日のような場合(ばあい)でも、腹がたったら独楽で勝った者のいいぶんを通すなり、または、あやまるということにしたら、なにもつかみあって湖水におぼれるまでの必要もなくなるであろう」
 欲(ほ)しいものは与えられ、愉快(ゆかい)な方法はおしえられて、なんで少年の心がおどり立たずにいよう。竹童(ちくどう)はむろんそれに異存(いぞん)もなし、蛾次郎(がじろう)も一言(ごん)の不平なく、きっとその約束を守りますといって宮内(くない)にちかった。
 でふたりは、いいつけられた仮面(めん)をかぶり、あたえられた独楽(こま)をかたく抱(だ)いて、奥(おく)の部屋(へや)に、今夜だけは仲(なか)よく寝こんでしまった。

 死人(しにん)の顔のように青い月があった。
 にらんでいるかと思うほど冴(さ)えている。月も或(あ)る夜はおそろしいものだ。
 昼は蓬莱山(ほうらいさん)の絵ともみえた竹生島(ちくぶしま)が、いまは湖水から半身(はんしん)だしている巨魔(きょま)のごとく、松ふく風は、その息かと思われてものすごい。
 まさに夜半(やはん)をすぎている。
 ザブーン! と西浦(にしうら)の岩になにか当った。パッと散ったのは波光(はこう)である。百千の夜光珠(やこうじゅ)とみえた飛沫(しぶき)である。だが、そこに、怪魚(かいぎょ)のごとき影がおどっていた。舟だ、人だ。
「やッ」
 とさけんだのは舟中(しゅうちゅう)の男だろう。ほかに人はだれもいない。またつづいて、やッ! という声がかかった、声というよりは気合いである。
 ピューッと舟から空に走ったのは、鈎(かぎ)のついた一本のなわ。ガリッというと手にもどって、上からザラザラと岩のかけらが落ちてくる。
 エイッ、ガリッ! というこの物音、なんどくり返されたかわからない。そのうちに、
「しめた!」
 という声。うまく投げた鈎のさきが岩松の根に引っからんだとみえる。
 力をこめて手応(てごた)えをためし、よしと思うとその男のかげ、度胸(どきょう)よく乗ってきた小舟を蹴(け)ながし、スルスルと一本綱(づな)へよじのぼりだした。
 胆(きも)も太いが手ぎわもいい、たちまち三丈(じょう)あまりの絶壁(ぜっぺき)の上へみごとに手(た)ぐりついて、竹生島(ちくぶしま)の樹木の中へヒラリと姿をひそませてしまった。
 と。それからすぐに――。
 弁天堂(べんてんどう)のわきにある菊村宮内(きくむらくない)の家の戸を、トントントンと根(こん)よくたたき起していたのはその男で、やがて手燭(てしょく)を持ってでてきた宮内(くない)と、たがいに顔を見合わせると、
「や」
「おお」
 といったまま、中にはいって厳重(げんじゅう)に戸じまりをかい、奥(おく)の一室に席をしめて、声ひそやかに話しはじめた。
「どうなすった。こんどの合戦(かっせん)に、北国勢(ほっこくぜい)の軍師(ぐんし)であるそこもとが、かかる真夜中に落ちてくるようでは、いよいよ北(きた)ノ庄(しょう)の城もあぶないとみえますな」
「おさっしのとおりまことにみじめな負けいくさ。ここへきて貴殿(きでん)に顔をあわすのも面目(めんぼく)ないが、じつは、賤(しず)ヶ岳(たけ)の一戦に、この方(ほう)と佐久間盛政(さくまもりまさ)との意見が衝突(しょうとつ)いたし、そのためにいろいろな手ちがいを生んだので、いまさら越前(えちぜん)へももどれず……」
 深夜の客は暗然(あんぜん)として、話す間(ま)に、その顔すらもあげなかった。宮内(くない)も、いまは浪人(ろうにん)の身であり、まったく弓矢をすてた心ではあるが、北庄城(ほくしょうじょう)にいたころの友が、かく負軍(まけいくさ)で逃げこんできた姿をみたり、または旧主(きゅうしゅ)の亡(ほろ)びる消息(しょうそく)をつたえられては、さすがに一掬(きく)の涙が眼(まな)ぞこにわきたってくる。
「オオ……ではあの我(が)のつよい佐久間どのと意見がちがって……なるほど、得(え)て、一国の亡びる時には、そういうふうに人心へヒビの入りやすいもので」
「のみならず、かれは賤ヶ岳をすてて、先に北ノ庄へ逃げかえり、このほうの軍配(ぐんばい)すべて乱脈(らんみゃく)をきわめたりと、勝家公(かついえこう)へざん言(げん)いたしたとやら」
「ウ、それはまたあまりなこと」
「でなくてさえ、味方の敗軍(はいぐん)に、いらだっている主君には、手もなくそれを信じて、身(み)どもを軍罰(ぐんばつ)にかけよという命令をくだしました」
「や、では」
「北(きた)ノ庄(しょう)へかえれば、軍罰に照らされて首を打たれるは必定(ひつじょう)。といって戦場にとどまれば、秀吉(ひでよし)の手におさえられて、生恥(いきはじ)をかかねばならぬ窮地(きゅうち)に落ちたのでござる。で、ぜひなく、羽柴勢(はしばぜい)の目をくぐって、ここまで落ちのびて、まいったわけじゃ、ごめいわくでも、二、三日この島にかくまっておいてくださるまいか」
 深沈(しんちん)とふけゆく座敷(ざしき)のうちに、こう湿(しめ)ッぽい密々話(ひそひそばなし)。ハテナ? ハテナ? なんだかどこかで、聞いたことのある声だぞと、亀(かめ)の子のように、のこのこと蒲団(ふとん)の中から首をもたげだしたのは、独楽(こま)をもらったうれしさに昂奮(こうふん)して、つい寝つかれずにいた泣き虫の蛾次郎(がじろう)。
 こういうことに出(で)ッ会(くわ)すと、がんらい、ジッとしていられない性分(しょうぶん)。よせばいいのに、ソロリ、ソロリと四ツン這(ば)いにはいだして、つぎの部屋(へや)の向こうがわの、線香(せんこう)のようにスーと明かりの立っているところを目あてに、
「だれだろう? そばできくと、よけいに聞きおぼえのある声だが……」
 と、細目(ほそめ)にすかして、烏天狗(からすてんぐ)の仮面(めん)をつけたまま息を殺してさしのぞいた。

 見てびっくりするくらいなら、のぞかなければいいものを、襖(ふすま)のすきへ仮面(めん)をつけたとたんに、
「あッ! こいツアいけねえ」
 と仰天(ぎょうてん)して、蛾次郎(がじろう)みずから、そこにじぶんのいることを、となりの武士に知らしてしまった。
 草木(くさき)のそよぎにも心をおくという、落武者(おちむしゃ)の境遇(きょうぐう)にある者が、なんでそれを気づかずにいよう。
 イヤ、当(とう)の蛾次郎よりははるかに胆(きも)をひやしたかもしれない。
「ヤ、だれか、となりへ!」
 太刀をつかんでパッと立った。おそろしく背(せ)のたかい武士。筋骨(きんこつ)も太く、容貌(ようぼう)がまたなくすごいようにみえたが――オオなるほどこれには蛾次郎が仰天したのも無理(むり)ではない。だれあろう、この落人(おちゅうど)こそ、柴田方(しばたがた)では一方(ぽう)の軍師(ぐんし)とあおがれていた上部八風斎(かんべはっぷうさい)――すなわち、富士の裾野(すその)にいた当時は、綽名(あだな)されて鏃師(やじりし)の鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)といわれていた人物。
 蛾次郎はそのころかれの弟子であった。じつはまだはっきりとお暇(ひま)もいただいてないのだから、ここで逢(あ)ったのはまずいというより運のつきだ。
「南無(なむ)三。とんでもねえやつが舞いこんできやがった。こいつアどうもたまらねえ」
 と、バタバタと奥のほうへ逃げこんだので、八風斎(はっぷうさい)の鼻かけ卜斎(ぼくさい)は、さてこそ、秀吉(ひでよし)のまわし者でもあろうかと邪推(じゃすい)をまわして、そこの唐紙(からかみ)を蹴(け)たおすばかりな勢い――間髪(かんはつ)をいれずにあとを追いかけていった。
 一足(そく)とびに二間(けん)ほど馳(か)けぬけてくると、卜斎はなにかにドンとつまずいた。
「あッ」
 といって、蒲団(ふとん)のなかから躍りだしたのは、尊(みこと)の仮面(めん)をつけて寝ていた竹童(ちくどう)である。
 だが卜斎は、その背(せ)かっこうの似(に)ているところから、これこそ、奥へ逃げこんだ小童(こわっぱ)であろうと、拳(こぶし)をかためてなぐりつけた。
 寝(ね)ごみの不意をくったので、さすがの竹童もかわすひまなく、グワンと血管(けっかん)の破れるような激痛(げきつう)をかんじてぶッ倒(たお)れたが、とっさに枕(まくら)もとへおいて寝た、般若丸(はんにゃまる)を抜きはらって、かれの足もとをさッと薙(な)ぎつける。
「うむ」
 と卜斎一流の妖気(ようき)みなぎる含(ふく)み気合いが、それをはねこえて壁ぎわへ身を貼(は)りつけると、
「オオ、なんじは鞍馬(くらま)の竹童だな」
 らんらんとして眸(ひとみ)を射(い)て、こなたのかげをすかしたものだ。ハッと思って、竹童は自分の顔に気がついた。
 卜斎(ぼくさい)の鉄拳(てっけん)をくったせつなに、仮面(めん)は二つに割(わ)られてしまった。そして二つに割られた仮面が、畳(たたみ)の上に片目をあけて嘲笑(あざわら)っている。
「なんでおいらの寝ているところをぶンなぐった。裾野(すその)にいた鏃鍛冶(やじりかじ)、顔は知っているが、怨(うら)みをうけるおぼえはない」
「ではなにか、今この方(ほう)が宮内(くない)と話をしていたのを、ぬすみ聞きしていたのは、きさまではなかったか」
「それは向こうに寝ていた泣き虫の蛾次郎(がじろう)だろう」
「や? ――蛾次郎もここにおったか。ちッ、ちくしょうめ」
 と、そのほうへ走りだそうとしたが、卜斎、なにをフト思いなおしたかにわかに大刀の柄(つか)をつかんでジリジリと竹童のほうへよってきながら、
「いやいや、たとえ怨みがあろうとなかろうと、ここへおれが潜伏(せんぷく)しているということを知られた以上は、もうきさまも助けておけない」
「なにッ」竹童も身がまえを直(なお)した。
「秀吉(ひでよし)の陣へ内通されれば、八風斎(はっぷうさい)の運命(うんめい)にかかわる。気の毒だが生命(いのち)はもらうぞ――だめだだめだ! 鞍馬(くらま)の竹童ジリジリ二寸(すん)や三寸ずつ後退(あとず)さりしても、八風斎の殺剣(さつけん)がのがすものか、立って逃げればうしろ袈裟(げさ)へひと浴(あ)びせまいるぞ、――ジッとしていろ、運が悪いとあきらめて、そのままそこに、ジッとしていろ」
 スラリと青光(あおびか)りの業物(わざもの)を抜いた。
 戦国時代の猛者(もさ)が好んでさした、胴田貫(どうたぬき)の厚重(あつがさ)ねという刀である。竹童ぐらいな細い首なら、三つや四つならべておいても優(ゆう)に斬れるだろうと思われるほどな。――
 そいつを抜(ぬ)いて、鼻かけ卜斎(ぼくさい)、ダラリと右手(みぎて)にさげたのである。そして、
「ジッとしていろ!」
 とおそろしい威迫(いはく)を感じる声で、ズカリとくるなり足をあげて、般若丸(はんにゃまる)を構(かま)えていた竹童の小手を横に蹴(け)った。しかも、その足力(あしぢから)がまたすばらしい、あッというと、般若丸はかれの手をもろくはなれて、ガラリと向こうへ飛ばされてしまった。
「これでおれの力量(りきりょう)はわかったろう、じたばたするなよ、とてもむだだ。――ジッとしていろ! ジッとしていろ! 痛(いた)くないように斬ってやる」
 こういいながら胴田貫、おもむろに切(き)ッさきを持ちあげて、ヌッと竹童のひとみへ直線にきたと思うと、パッと風を切って卜斎の頭上(ずじょう)にふりかぶられた。
 なんで、これがジッとしていられよう。そのすきに鞍馬(くらま)の竹童、グッとうしろへ身を反(そ)らしたが、落とした刀へは手がとどかず、立って逃げれば、われから卜斎の殺剣(さつけん)へはずみを加えてゆくようなものだし? ……
 絶体絶命(ぜったいぜつめい)。
 いまは、のがれんとするもその術(すべ)はなく、この五体、ついに鮮麗(せんれい)な血をあびるのかと、おもわず胸をだきしめる、とその手のいったふところに、さっきの火独楽(ひごま)が指にさわった。

 賤(しず)ヶ岳(たけ)の総(そう)くずれから、敵営(てきえい)、秀吉方(ひでよしがた)の目をかすめて、やっと世をはなれた竹生島(ちくぶしま)に、旧知(きゅうち)の菊村宮内(きくむらくない)をたよってきた――柴田(しばた)の落武者(おちむしゃ)、上部八風斎(かんべはっぷうさい)の鼻かけ卜斎(ぼくさい)。
 草木(くさき)のそよぎにも、恟々(きょうきょう)と、心をおどろかす敗軍の落伍者(らくごしゃ)が、身をかくまってもらおうと、弁天堂(べんてんどう)の神主(かんぬし)、宮内の社家(しゃけ)にヒソヒソと密話(みつわ)をかわしていると、止(よ)せばよいのに、でしゃばりずきな泣き虫の蛾次郎(がじろう)が、ワザワザ寝床(ねどこ)からはいだして、それを、ぬすみぎきしていたのを、卜斎、気取(けど)るや否(いな)や、おそろしい形相(ぎょうそう)で、かれを奥へ追いまくした。
 南無(なむ)三――もとの主人卜斎だったかと、仰天(ぎょうてん)した蛾次郎は、すばやく風を食(く)らって逃げだした。けれど、その禍(わざわ)いは、なにも知らずに寝こんでいた、鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)の身にふりかかって、すでに、自身のあるところを知られては、秀吉のほうへ、密告(みっこく)されるおそれがある、きさまも生かしてはおけぬ、目をつぶって、覚悟(かくご)をしろ、逃げようとしても、それは無駄(むだ)だぞ――と、おそろしい威迫(いはく)の目をもって、胴田貫(どうたぬき)の大刀を面前にふりかぶった。
「――ジッとしていろ! ジッとしていろ。痛(いた)くないように斬ってやる!」
 卜斎(ぼくさい)の足の拇指(おやゆび)が、蝮(まむし)のように、ジリジリと畳(たたみ)をかんでつめよってくるのに、なんで、鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)、ジッと、その死剣(しけん)を待っていられるものか。そんな無意義(むいぎ)な殺刀(さっとう)にあまんじる理由があろうか。
 といって、身をまもる唯一(ゆいつ)の愛刀、般若丸(はんにゃまる)はそのまえに、卜斎の足蹴(あしげ)にはねとばされて、拾(ひろ)いとって立つ間(ま)はない。しかも、寸秒(すんびょう)の危機(きき)は目前(もくぜん)、おもわず、額(ひたい)や腋(わき)の下から、つめたい脂汗(あぶらあせ)をしぼって、ハッと、ときめきの息を一つ吐(は)いたが――その絶体絶命(ぜったいぜつめい)のとっさ、ふと、指さきに触(ふ)れたのは、さっき、菊村宮内からもらって、ふところに入れていた、希代(きたい)な火独楽(ひごま)! その火独楽だ。

 宵(よい)に、神官(しんかん)の菊村宮内が竹童と蛾次郎(がじろう)をならべておいて、蛾次郎には青い水独楽(みずごま)をあたえ、竹童にはあかい火独楽をくれて――その時ふたりにいったことには、これは、竹生島(ちくぶしま)の弁天(べんてん)に、歳久(としひさ)しく伝わっている奇蹟(きせき)の独楽(こま)だといった。
 宮内は、この独楽をもって、仲のわるい二童子(どうじ)の手をむすぼうとしたのである。だから、その奇蹟についてはあまり、多くを語らなかったが、火独楽(ひごま)水独楽、どっちも、なにかの不可思議力(ふかしぎりょく)を持つものにちがいない。
 だが、――竹童の今は、しんに、間(かん)一髪(ぱつ)をおく間(ま)もない危機(きき)である。もとより、かれが、卜斎(ぼくさい)が大刀をふりかぶったとたんに、ふところの独楽(こま)をつかんだとはいえ、ふかい、冷静な、思慮(しりょ)ののちにそうしたのではない。寸鉄(すんてつ)もおびていない自衛意志(じえいいし)が、おのずから独楽をつかませたのだ。
 それが、たとえば一個の石にすぎなくとも、この場合(ばあい)、竹童(ちくどう)の手は、その石へふれていたにちがいない。
「なんできさまたちの刃(やいば)にたおれるものか!」
 口にはださないが、竹童の顔筋肉(がんきんにく)はそういう風(ふう)に引きしまっていた。
 そして、独楽をかたくにぎった。
 遊戯(ゆうぎ)に、まわすべき独楽なら、紐(ひも)のこともかんがえるが、いまの場合(ばあい)そうでない。武器(ぶき)として、目つぶしとして、敵が大刀へ風を切らせてくるとたんに、卜斎の眼玉へ、それをたたきつけようと気がまえているのだ。
 卜斎も、竹童のたいどをみて、うかつにはそれをふりおろしてこない。ジリ、ジリ、と一寸(すん)にじりに寄(よ)りながら息をはかり、気合いをかけたが最後、ただ一刀に、息(いき)の根(ね)をとめてしまおうとするらしい。
「まいるぞッ!」
 と、いきなり魔獣(まじゅう)のような気合いがかかった。
 はッ――として、竹童の五体も、おもわずその凄(すさ)まじさにすくんでしまおうとしたせつな――
「ええッ」
 とわめいた卜斎(ぼくさい)の大剣が、電火(でんか)のごとく竹童(ちくどう)の頭上におちてきた。あッ――といったのは刀下(とうか)一閃(せん)のさけび、どッと、血けむりを立てるかと思うと、必死の寸隙(すんげき)をねらって、竹童の右手(めて)がふところをでるやいなや、
「なにをッ」
 と一声、待ちかまえていた独楽のつぶてを、パッと卜斎の眉間(みけん)へ投げつけた。
 すると、まっ赤な火独楽(ひごま)は、文字どおり、一条(じょう)の火箭(かせん)をえがいて、しかも、ピュッとおそろしい唸(うな)りを立て、鼻かけ卜斎の顔へ食(く)いつくように飛んでいった。
「おお、これはッ?」
 と、おどろいた卜斎、斬りすべった厚重(あつがさ)ねの太刀(たち)を持ちなおす間(ま)もなく、火の玉のように宙(ちゅう)まわりをしてきた火焔独楽(かえんごま)をガッキと刀の鍔(つば)でうけたが、そのとたんに、独楽(こま)の金輪(かなわ)と鍔(つば)のあいだから、まるで蛍籠(ほたるかご)でもブチ砕(くだ)いたような、青白い火花が、鏘然(そうぜん)として八方(ぽう)へ散った。
「うつッ……」
 と、卜斎が、片手で眼をふさいだ間髪(かんはつ)に、竹童はいちはやく、般若丸(はんにゃまる)の刀をひろって、バラバラッと廊下(ろうか)へでたが、それと一しょに、奇蹟(きせき)の火焔独楽、ポーンとはね返って、竹童の手(て)もとへ舞いもどってきた。
 いかにもふしぎな魔独楽(まごま)の力よ!
 とあやしまれたがのちによく見れば、独楽(こま)の金輪(かなわ)の一端(たん)に、ほそい金環(きんかん)がついていて、その金環から数丈(すうじょう)の紐(ひも)が心棒(しんぼう)にまいてあるのだ。はねもどったのは、独楽(こま)それ自身の魔力(まりょく)ではなく、竹童(ちくどう)の帯(おび)に結んであった紐(ひも)の弾撥(だんぱつ)。手もとへおどり返ってきたのは、とうぜんなのであった。

 竹童をとり逃(に)がして卜斎(ぼくさい)は、不意の燦光(さんこう)に目をいられて、一時は、あたりがボーッとなってしまったが、廊下(ろうか)を走ってゆく足音を聞きとめると同時に、
「うぬッ」
 憤然(ふんぜん)として、その真(ま)ッ暗(くら)な部屋(へや)からかけだした。
 そして、いきなり廊下から、庭先(にわさき)へ降(お)りようとして、やみのなかにそれと見えた、沓脱石(くつぬぎいし)へ足をかけると、こはいかに、それは庭の踏石(ふみいし)ではなくて、ふわりとしたものが、足の裏(うら)にやわらかくグラついたかと思うと、
「ぎゃッ」と、蛙(かえる)のようにつぶれてしまった。
 それは、竹童より先ににげた泣き虫の蛾次郎(がじろう)で、いま、床下(ゆかした)へもぐりこもうとしているところへ、卜斎の足音がしてきたので、そのまま、縁(えん)の下へ首をつっこんだなりに、石の真似(まね)をしていたものらしい。
 あの勢(いきお)いで、大兵(だいひょう)な、卜斎に踏(ふ)みつけられたのだから、蛾次郎もギャッといって、ぴしゃんこにつぶれたのはもっともだが。
 おどろいたのは、むしろそれへ足を乗せた卜斎(ぼくさい)のほうで、まさか、やわらかい石だとは、夢(ゆめ)にも思わなかったはずみから、よろよろとツンのめって、あやうく、向こうの梅(うめ)の老木(ろうぼく)に頭をぶつけ、ふたたび、目から火のでるつらい思いをするところだった。
「やッ……おのれは蛾次郎(がじろう)だな」
 気がつくと卜斎は、いきなり蛾次郎のえりがみをつかんで、ウンと、そとへ引きずりだそうとした。
 蛾次郎は、半分もぐりこんだまま縁(えん)の下の土台(どだい)にかじりついて、
「ごめんなさい! 親方(おやかた)、親方!」
 と土龍(もぐら)のように、でようとしない。
 なにしろ蛾次郎は、この卜斎ほどおっかないものはないと心得(こころえ)ている。裾野(すその)にいた時分から、気にいらないことがあると、すぐに鏃(やじり)をきたえる金槌(かなづち)で、頭をコーンとくるくらいはまだやさしいほう、ふいごで拳骨(げんこつ)を食(く)ったり、弓のおれでビシビシとどやされたおそろしさが、頭のしんにしみこんでいる。
 しかもまだその当時(とうじ)の、弟子(でし)師匠(ししょう)の関係を断(た)っているわけではなく、卜斎が北(きた)ノ庄(しょう)へかえるとちゅう、目をくらまして逃(に)げだしていたところだから、見つけられたがさいご、こんどこそ、どんな目に遭(あ)わされるかと、いきた空もないのである。
「たわけめ。でろ、ここへ!」
 とどなりながら、卜斎(ぼくさい)はすこし苦笑(くしょう)をもらしてしまった。
 いまでも、裾野当時(すそのとうじ)の気持で、じぶんへあやまるのに、親方(おやかた)親方と呼(よ)んだところが、いくぶんか正直(しょうじき)らしいと、おかしくなって、この蛾次郎には、竹童へ向かったような、ああいう本気にはなれなかった。
「かんべんしてください、親方、後生(ごしょう)です」
「でろと申(もう)すに!」
「あッ、苦(くる)しい……いまでます、いま……」
「このバカッ」
 力まかせに引ッ張(ぱ)りだして、イヤというほど叩(たた)きつけようとすると、蛾次郎、頬(ほ)ッぺたをおさえて飛(と)び退(の)きながら、
「親方(おやかた)、どうも、お久(ひさ)しぶりでした」
 ピョコンと、おじぎをして、たくみに、あとの拳骨(げんこつ)を予防(よぼう)した。
「蛾次郎!」
「へいッ」
「きさまはだれにゆるされて、方々(ほうぼう)かってにとびまわっているんだ」
「もうしわけございません」
「まだ、きさまにひまをだしてはいないぞ」
「承知(しょうち)しています。これから、けっして気ままにあそんで歩きません。はい、親方の腰(こし)についております」
「また、なんのために、この竹生島(ちくぶしま)へなどきているのだ」
「琵琶湖(びわこ)で土左衛門(どざえもん)になるところを、ここの神主(かんぬし)のやつが助けやがったんで……わたしがきたいと思ってきたところじゃありません」
「竹童(ちくどう)もか」
「そうです」
「武田伊那丸(たけだいなまる)やあの一党(とう)の者は、その後(ご)、どうしているか、なにか、うわさを聞いているだろう」
「あのなかの、小幡民部(こばたみんぶ)や咲耶子(さくやこ)や山県蔦之助(やまがたつたのすけ)などは、小太郎山(こたろうざん)のとりでに、留守番(るすばん)をしているそうです」
「そして、伊那丸は?」
「加賀見忍剣(かがみにんけん)と木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)をつれて、しばらく京都におりましたが、そのうちに、なんでも秀吉(ひでよし)の陣(じん)をとおって桑名(くわな)から東海道(とうかいどう)のほうへ帰っていったという話です。……けれども、それは、わたしが見たわけじゃありませんから、親方、ちがっていても、かんにんしてください」
 と蛾次郎(がじろう)は、卜斎(ぼくさい)の顔色(かおいろ)が、だんだん和(やわ)らいでくるのを見ると、甘(あま)ッたれたような調子(ちょうし)でしゃべりだしてくる。
「ウーム。秀吉は伊那丸に好意(こうい)をよせて、暗(あん)に、かれを庇護(ひご)しているものとみえる。だが……」
 というと、卜斎(ぼくさい)は、なにか自分の前途(ぜんと)について、だいじな方針(ほうしん)をかんがえかけてきたとみえ、逃(に)げたる竹童(ちくどう)のことはともかく、どっかりと、庭石へ腰(こし)をおろして腕(うで)ぐみをしてしまった。
「――だが、家康(いえやす)は伊那丸(いなまる)をにくんでいる。たしかに、かれを亡(な)き者にせねば、ある不安から離(はな)れられまい。伊那丸も家康を武田家(たけだけ)の仇(かたき)とねらっているのは知れきったこと……」
「そ、その通りですよ、親方」
 と、蛾次郎(がじろう)は、そばから、おちょぼ口をつぼめて、
「これからまた、富士山のまわりで、すさまじい戦(いくさ)があるとすりゃ、伊那丸と家康の喧嘩(けんか)でしょうよ。家康も東海道(とうかいどう)の名将だが、伊那丸のほうにいる忍剣(にんけん)や龍太郎(りゅうたろう)というやつも強いからな。それに、小太郎山(こたろうざん)にのこっている小幡民部(こばたみんぶ)というやつが、たいへんな軍師(ぐんし)だそうで」
 いいかけたところで、また、卜斎の顔色をみて、
「だが、親方には、かなわねえやきっと――」
 と前言(ぜんげん)をあいまいにした。
「おれも柴田家(しばたけ)から爪弾(つまはじ)きをされてみれば、なんとか、ここで行(ゆ)く末(すえ)の方針を立てなければならない場合(ばあい)だが」
「はい、そうです」
 と深いわけもわからぬくせに、卜斎(ぼくさい)が問(と)わず語(がた)りにつぶやくのへ、蛾次郎(がじろう)、いちいちあいづちをうって、じぶんも腕(うで)ぐみのまねをしている。
「ウム」
 それには相手にならないで、卜斎はなにかひとりでこううなずき、上に着ていた陣羽織(じんばおり)を脱(ぬ)ぎすてて、
「しばらくの間(あいだ)、またもとの鏃鍛冶(やじりかじ)にばけて、世間(せけん)のなりゆきを見ているとしよう。そのうちには、なんとかいい運(うん)がひらけてくるだろう」
「じゃ親方(おやかた)、また裾野(すその)の人無村(ひとなしむら)へかえって、テンカンテンカンやるんですか」
「どこに住(す)むかわからないが、てめえもこれからは、無断(むだん)でほうぼうとんであるくと承知(しょうち)しないぞ」
「へ、へい」
「どこまでもおれについていろ。そして一人(にん)前(まえ)の鏃師(やじりし)になったら暇(ひま)をくれてやる。お、そんなことはとにかく、おれがここへきたことを、竹童(ちくどう)に知られてしまったから、もう永居(ながい)をしているのはぶっそうだ。鏃師卜斎にすがたをかえて、夜(よ)の明けないうちに、竹生島(ちくぶしま)をでるとしよう」
 卜斎は陣羽織をすててつぎに、手ばやく籠手(こて)の具足(ぐそく)をとり、脛当(すねあて)の鎖(くさり)を脚絆(きゃはん)にかえて、旅の鏃師らしいすがたにかわった。そして蛾次郎に、
「菊村宮内(きくむらくない)どのへ、ちょっとお暇(いとま)をつげてまいるから、おまえも、そのあいだに支度(したく)をして、ここに待(ま)っているんだぞ」
 と、いいのこして、そこを立とうとすると、なんだろう? 周囲(しゅうい)の闇(やみ)――樹木(じゅもく)や笹(ささ)や燈籠(とうろう)のかげに、チカチカとうごく数多(あまた)の閃光(せんこう)。
 槍(やり)だ――槍の穂先(ほさき)だ。
 いつのまにか、卜斎(ぼくさい)と蛾次郎(がじろう)のまわりには、十数槍(すうそう)の抜身(ぬきみ)の穂尖(ほさき)、音もせずに、ただ光だけをギラギラさせて、芒(すすき)のように植(う)えならんでいた。
「さては、秀吉(ひでよし)の陣(じん)から、もう追手(おって)がまわってきたな」
 卜斎ははやくも観念(かんねん)して、飾(かざ)りをとった陣刀(じんとう)を脇差(わきざし)にぶっこみ、りゅうッ――と抜(ぬ)くがはやいか、その槍襖(やりぶすま)の一角(かく)へ、われから血路(けつろ)をひらきに走った。

「親方(おやかた)――ッ」
 と泣きごえをだした蛾次郎は、そのとたんにいきなり、突(つ)っかけてきた槍の柄(え)にむこうずねをたたかれ、ワッといって、打(ぶ)ッたおれた。
 あとはおそらく、蛾次郎じしんにも、むちゅうであったにちがいない。とにかく、ひとりや半分の敵ではなく十数人――あるいは二、三十人もあったろうと思われる甲冑(かっちゅう)の武士(ぶし)が、なにも知らずにいるところへ、なにもいわずに、ズラリと槍の尖をそろえてきたのだから、胆(きも)は天外(てんがい)に吹ッとんでいる。
 一どたおれた蛾次郎(がじろう)は本能的(ほんのうてき)にはねかえって、起きるが早いか、そばの大樹(たいじゅ)へ、無我夢中(むがむちゅう)によじのぼった。
 猿(ましら)のように梢(こずえ)へのぼるとちゅうでも、秀吉方(ひでよしがた)の甲冑武者(かっちゅうむしゃ)に、槍(やり)の柄(え)でピシリッと叩(たた)かれたが、それさえ、必死(ひっし)であったので、痛(いた)いともなんとも性(しょう)にこたえなかった。
 そして、運よく大樹の枝先が、弁天堂(べんてんどう)の上へおおいかぶさっていたのを幸(さいわ)いに、かれはヒラリと身をおどらして、枝から屋根へ飛びうつり、てんてんと影(かげ)をおどらせて、やっと竹生島(ちくぶしま)の磯(いそ)へかけ下(お)りてきた。
 するといっぽうの急坂(きゅうはん)からも、血路(けつろ)をひらいた卜斎(ぼくさい)が、血刀(ちがたな)を引っさげてこの磯へ目ざしてきたので、ふたりは前後(ぜんご)になって磯の岩石(がんせき)から岩石を飛びつたい、やがて、一艘(そう)の小舟を見つけだすとともに、それへ飛び乗って櫓(ろ)をおっとり、粘墨(ねんぼく)のように黒い志賀(しが)ノ浦(うら)の波(なみ)を切って、いずこともなく逃(に)げのびてしまった。
 それよりまえに、あやうく卜斎の殺刃(さつじん)をのがれて、堂(どう)の裏(うら)に姿(すがた)をかくしていた鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)は、ほど経(へ)てあたりをうかがいながら、そっと、ようすをながめにでた。見ると、弁天堂のまえへ、大勢(おおぜい)の武士をつれて篝火(かがりび)を焚(た)かせている者は、かの賤(しず)ヶ岳(たけ)で勇名(ゆうめい)をはせた、加藤虎之助(かとうとらのすけ)の臣(しん)、井上大九郎であることがわかった。
 思いがけないところで、大九郎にあった竹童は、かれの口から、その後(ご)の伊那丸(いなまる)の消息(しょうそく)をくわしく知ることができた。
 すなわち、武田伊那丸と従臣(じゅうしん)のふたりは、大九郎が桑名(くわな)の陣(じん)を引きはらうと同時に、秀吉(ひでよし)にわかれて小太郎山(こたろうざん)へかえるべく、徳川家(とくがわけ)の城地(じょうち)へ危険(きけん)をおかして進んでいったという話。――
 それを聞くと、竹童(ちくどう)は、すぐにあとをしたって、三人に追(お)いつき、ひとまず小太郎山のとりでへ帰ろうと決心(けっしん)した。そののちに、琵琶湖(びわこ)の上で乗り落ちたまま行方(ゆくえ)をうしなったクロをさがす方針(ほうしん)もかんがえ、また、一党(とう)の人々にも、久(ひさ)しぶりで会(あ)いたいと願った。あの、温厚(おんこう)にして深略(しんりゃく)のある小幡民部(こばたみんぶ)、あのやさしくて凛々(りり)しい咲耶子(さくやこ)、あの絶倫(ぜつりん)な槍術家(そうじゅつか)と弓の名人である、蔦之助(つたのすけ)や巽小文治(たつみこぶんじ)にもずいぶんながく会わなかった。あの人たちは、みなじぶんを心の底(そこ)からいとしんでくれる、骨肉(こつにく)のようなやさしさと、温味(あたたかみ)をもっている。
 その人たちに久(ひさ)しぶりで会おう。
 小太郎山は、乱世(らんせい)の中にあってゆるがず、みだされずにある、義血(ぎけつ)の兄弟たちの家(うち)だ。その家(うち)へ帰ろう。こう思うと矢(や)も楯(たて)もなく、竹童は、神官(しんかん)の菊村宮内(きくむらくない)に、きょうまでうけた親切(しんせつ)の礼(れい)をのべ、井上大九郎の舟に送られて、ほのぼのと夜(よ)の白(しら)みかけた竹生島(ちくぶしま)へ別れをつげた――。
 もとより、辛苦(しんく)になれている竹童には、野に伏(ふ)し樹下(じゅか)にねむることも、なんのいとうところではなく、また鞍馬(くらま)の谷(たに)で馴(な)らした足には、近江街道(おうみかいどう)の折所(せっしょ)や東海道(とうかいどう)の山路(やまじ)なども、もののかずにはならないので、なみの旅人(たびびと)のはかどるよりは数日もはやく里数(りすう)をとって、間(ま)もなく、家康(いえやす)の領地(りょうち)、遠江(とおとうみ)の国へ近づいてきた。
 しかしそこまでいって、ハタと竹童(ちくどう)がとうわくした、というのは、いたるところの国境(くにざかい)に、徳川家(とくがわけ)の関所(せきしょ)がきびしく往来(おうらい)をかためていて、めったな者は通さないという風評(ふうひょう)であった。
 で、やむなく、街道(かいどう)を遠(とお)くはなれて、人もとおらぬ山河(さんが)を越(こ)え、ようよう遠江の国へはいったが、こんな厳重(げんじゅう)さでは、さきに桑名(くわな)を立った伊那丸(いなまる)たちも、やすやす、無事(ぶじ)にここを通れたとは思われない。なにかの危険(きけん)にであっているにちがいない。
「ああ、だれかに、ご安否(あんぴ)をたずねてみたいが、めったなものに、そんなことをきけば、みずから人のうたがいを招(まね)くようなものだし……」
 こう思いながら、鞍馬(くらま)の竹童は、野末にうすづく夕陽(ゆうひ)をあびて、見わたすかぎり渺茫(びょうぼう)とした曠野(こうや)の夕ぐれをトボトボと歩いていた。
 ここは、どこの野辺(のべ)ともわからないが、いま渡(わた)ってきた川の瀬(せ)には、都田川(みやこだがわ)という杭(くい)が立っていた。
 なお、はるかにあなたの野(の)のはてには、一抹(まつ)、霞(かすみ)のように白い河原(かわら)がみえる。あとは、西をあおいでも、北を見ても、うっすらした山脈(さんみゃく)のうねりが黙思(もくし)しているのみだ。
 微風(びふう)もない晩春(ばんしゅん)の夕ぐれ、――ありやなしの霞をすかして、夕陽(ゆうひ)の光が金色(こんじき)にかがやいている。いちめんの草にも、霞にも、竹童の肩(かた)にも――。
 するとやがて、耀々(ようよう)とした夕がすみのなかから、あまたの青竹と杉丸太(すぎまるた)をつんだ車が、ガラガラと竹童(ちくどう)のそばを通りぬけた。そのあとについて、八、九人の足軽(あしがる)と十数名の人夫(にんぷ)たちが、斧(おの)や、鉞(まさかり)や、木槌(きづち)などをかついで、なにかザワザワと話しながら歩いてゆく。
 すれちがった時に、なんの気もなく竹童がふりかえると、一ばんさいごについてゆく足軽が、一本の立て札(ふだ)をかついでいる。
 生(なま)あたらしいその高札(こうさつ)の片面(かためん)に、なにか墨色(すみいろ)もまざまざと書いてあったが、その文字のうちに、ふと、武田(たけだ)と読めた一行(ぎょう)があったので、竹童はハッと胸(むね)をさわがしたが、
「あ、もし」
 と、呼(よ)びとめておいて、つとめて冷静(れいせい)をよそおいながら、
「浜松のご城下(じょうか)へゆくには、これをまっすぐにゆけばいいんですか……」
 と道にまよっているふりをして、そのあいだに、足軽が肩(かた)にかけている高札の文字を読もうとしたが、意地(いじ)わるく、文字面(もじめん)の裏(うら)を向けていて、よく読むことができなかった。
「うむ、ご城下へは一本道だが、まだだいぶ道のりがあるぜ」
「じゃ、日が暮(く)れてしまいましょうね」
「いそいでゆきねえ。ぶっそうだから」
 曠野(こうや)にさまよう子供と見て、その足軽は、さきへ青竹をつんでいった車やつれの人数からひとりおくれて、こまごまと、十字(じ)路(ろ)の方角(ほうがく)や里数(りすう)をおしえてくれている。
「どうもありがとうございました」
 竹童はその道しるべより、肩(かた)にかついでいる高札(こうさつ)のことを、なんとかして聞きほじりたいがと苦慮(くりょ)したが、いきなりたずねだすのもさきの疑(うたが)いを買うであろうと、わざと空(そら)とぼけて、
「それでよく道はわかりました。ですけれど、おじさん、この広い原ッぱは、いったいなんという所なんでしょうね」
「おまえは、それも知らずに歩いているのか。子供ってえものはたわいのねえものだ。ここはおまえ、甲斐(かい)の信玄(しんげん)と家康(いえやす)さまとが、鎬(しのぎ)をけずった有名な戦場(せんじょう)で、――ほれ、三方(みかた)ヶ原(はら)というところだ」
「あ、ここが、三方ヶ原でございますか。――なるほど、広いもんだなあ。そして、おじさんたちは、やっぱり徳川(とくがわ)さまのご家来(けらい)ですか」
「そうよ、おれたちは、浜松城(はままつじょう)の足軽組(あしがるぐみ)だ」
「いまごろから、あんな青竹や松明(たいまつ)をたくさん車につんで、いったい、どこへおいでになりますので?」
「おれたちか……」足軽は、ちょッといやな顔をして、
「これから都田川(みやこだがわ)の手まえまでいって、夜明(よあ)かしで、人の死に場所(ばしょ)をこしらえにかかるんだよ」
「へえ、人の死に場所を」
「うむ。つまり、刑場(けいじょう)のしたくにゆくんだ」
「ああ、それで、矢来(やらい)にする竹や丸太(まるた)や、獄門台(ごくもんだい)をつくる道具(どうぐ)をかついで、みんながさっき向こうへいったんだな」
「そうだ、おまえも、こんなこわい話を聞いてしまうと、たださえさびしい三方(みかた)ヶ原(はら)が、よけいにさびしくなって歩けなくなるぜ。だがまだいまのうちなら、夕陽(ゆうひ)がキラキラしているからいい、はやく、いそいでゆくことにしねえ」
 クルリとふり向くと、さきの者とは、だいぶ距離(きょり)ができたのにびっくりして、足軽(あしがる)の男は、急にいそぎ足に別(わか)れかけた。
「あ、おじさん。もしもし」
 竹童(ちくどう)は、あわててそれを呼びかえしたが、べつに、どういう口実(こうじつ)もないので、とっさの機智(きち)を口からでまかせに、
「腰(こし)の手拭(てぬぐい)が落ちますよ」といった。
「ありがとう」
 と、さきの男が、うっかり釣(つ)りこまれている間(あいだ)に、かれは、すかさず、矢(や)つぎ早(ばや)にさぐりをいれた。
「あの、いまおじさんがいった刑場で、いったいだれがいつ斬(き)られることになるんです」
「よくいろんなことをききたがるな。子供のおまえにそんなことを話してもしかたがねえが、男は一どは見ておくものだそうだから、あさっての夕方、都田川(みやこだがわ)の竹矢来(たけやらい)のそとへ見にきねえ。この高札(こうさつ)に書いてある通り、こんど徳川(とくがわ)さまの手でつかまった、武田伊那丸(たけだいなまる)とその他(ほか)二人の者がバッサリとやられるのだから」
 もう、うるさいと思ったか、こんどはそっけなくいいはなした。肩(かた)の高札を持ちかえると、ふり向きもせずにタッタとさきの人数を追(お)いかけていった。

 ゆき別れた足軽(あしがる)のすがたが半町(はんちょう)ばかり遠ざかると、生(い)ける色もなく、そこに取りのこされた竹童は、
「ウウム……」
 髪(かみ)の毛をつかんだまま、よろよろと、草のなかへ腰(こし)をついて、
「た、たいへんだ」
 身をゆすぶッて、もだえだした。
「伊那丸さまが――あとのふたりも? ――」
 くわっと、眼をひらいて、宇宙(うちゅう)に眸(ひとみ)をさまよわせたが、
「こうしてはおられない!」
 また、ものぐるわしくそこを立った。
 いても立ってもいられない焦燥(しょうそう)である。
 その驚愕(きょうがく)とうろたえのさまは、鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)として、いつにない取りみだしようだ。はね起きたが、その足を向けようとする方角(ほうがく)にも、迷(まよ)いともだえがからんでみえる。
「アア、どうしたらいいだろう」
 三方(みかた)ヶ原(はら)は渺(びょう)として、そこには、ただようようにうすれてゆく夕陽(ゆうひ)の色があるばかりだ。
「はやく、小太郎山(こたろうざん)にのこっている、一党(とう)の人たちへ、この大事を知らせるのが、一ばんいい工夫(くふう)だけれど、そんなことに、四日(か)も五日もかかっていては間(ま)に合いはしない。エエ、どうしたらいいだろうッ……」
 歯(は)を食いしばったまま、湧(わ)きたつ胸(むね)を、両手(りょうて)でギュッとだきしめた。
「どうして、伊那丸(いなまる)さまが……おまけに龍太郎(りゅうたろう)さまや忍剣(にんけん)さままでついていて、やみやみと、徳川家(とくがわけ)の手へつかまっておしまいなされたのであろう。アア、だけれど、いまはそんなことを考えている間(ま)などない。おいらの頭の上へ降(ふ)りかかってきた使命(しめい)は――どうして、はやくこのことを、小太郎山へ知らせてあげるか、どうしたら伊那丸さまをお助けすることができるか、この二つだ! この二つが目のまえの大事だ」
 ひとり問(と)い、ひとり答えて、はては当面(とうめん)の大難(だいなん)にあたまも惑乱(わくらん)して、ぼうぜんと、そこに、腕(うで)ぐみのまま立ちすくんでしまったのである。
 すると、野原のどこからか、ワ――ッと、元気のいい声が、潮(うしお)のように近づいてきたかと思うと、やがて青々(あおあお)とした草の波(なみ)から、おなじ年頃(としごろ)の少年ばかりが二十人ほど、まっ黒になって、竹童(ちくどう)のほうへなだれてくる。
「や、なんだろう?」
 ぼうぜんとしていた竹童は、その気配(けはい)に顔をあげたが、ようすがわからないので、いち早く、草のなかに身をふせてしまった。
 姿(すがた)をかくして、眸(ひとみ)だけをジッとそれへ向けていると、あまたの少年たちは、いずれも、前髪(まえがみ)だちで、とんぼ模様(もよう)のついたそろいの小袖(こそで)、おなじ色の袴(はかま)をうがち、なにか、大きな動物に綱(つな)をつけて、その動物の力にワイワイと引きずられてくる。
 見ると、それはクロだ。
 竹童の愛鷲(あいしゅう)――あの大きな鷲(わし)だ。
 とんぼのついたそろいの小袖を着(き)ているところでは、これこそ、浜松城(はままつじょう)で有名な、お小姓(こしょう)とんぼの少年たちにちがいはない。そして、このとんぼ組(ぐみ)の餓鬼大将(がきだいしょう)とかげ口をいわれているものは、結城秀康(ゆうきひでやす)の子で家康(いえやす)には孫(まご)にあたる、徳川万千代(とくがわまんちよ)である。
 万千代は、いまもこのとんぼ組の小姓たちの先達(せんだつ)となって、しきりに大鷲(おおわし)の背(せ)なかへ乗ろうとしては落ち、乗ろうとしては、翼(つばさ)にハタかれて、ぶッたおれた。
 足に結びつけた、綱(つな)にすがりついている多くの小姓も万千代も、手や足にすり傷(きず)をこしらえて血(ち)だらけになっているが、さすがに、戦国の少年、三河武士(みかわぶし)の卵(たまご)たちである。あくまで鷲と力をあらそって、自由にせずにはおかないふうだ。
 竹童は、われを忘れて草の中から立っていた。

 草の嵐(あらし)にうすづく夕日。
 日の暮(く)れるのも忘れてしまって、三方(みかた)ヶ原(はら)の奥(おく)へ奥へ、鷲(わし)にひきずられてゆくとんぼ組(ぐみ)のお小姓(こしょう)たち。
 鷲をオモチャにしているのか、鷲にオモチャにされているのか、ともすると、あべこべに、空(そら)へつるしあげられそうになるのを、からくも、一本(ぽん)杉(すぎ)の根(ね)ッこへ、その手綱(たづな)を巻(ま)きつけて食(く)いとめたとたんに、
「あア、くたびれた」
 と、ヘトヘトにつかれたこえを合わせながら、
「休(やす)もう」
「休もう」
「休んでからまた飛ぼう!」
 と、これでも鷲のつばさと一しょに、飛んできた気でいるのだからたわいない。
 見ればみな、なつめのような眼をもった、十二、三から十五ぐらいまでの前髪(まえがみ)少年。浜松城(はままつじょう)のお小姓(こしょう)であれば、しかるべき家柄(いえがら)の息子(むすこ)たちにはちがいないが、城下(じょうか)からこんなところまで、鷲(わし)と取っくんできたのだからたまらない、とんぼぢらしのおそろいの小袖(こそで)も、カギ裂(ざ)きやら泥(どろ)だらけ。
 なかには、手や頬(ほ)ッぺたをすりむいて、ざくろみたいになっている者、鼻血をだしておさえている者、髷(まげ)の草(くさ)ッ葉(ぱ)がとれないでこまっているもの、脇差(わきざし)の鞘(さや)だけさしてすましているもの。――どれもこれも弟(てい)たりがたく兄(けい)たりがたき腕白顔(わんぱくがお)だ。さだめし、屋敷(やしき)へかえったのちには、母者人(ははじゃびと)からお小言(こごと)であろう。
 お山の大将(たいしょう)おれひとり――という格(かく)で、中にまじっている徳川万千代(とくがわまんちよ)は、みんなと一しょに、つなぎ止(と)めた大鷲(おおわし)を取りまきながら、
「やあ、金光(きんぴか)りの眼で、ギョロギョロとにらんでいるわ。怒(おこ)るなおこるな、いまに餌(えさ)をやるからな。余一(よいち)、余一、さっきの餌(えさ)を持ってこい」
 と、鞭(むち)をあげてさしまねいた。
「はい」
 というと、とんぼ組(ぐみ)の中でも一番チビなお小姓余一、にわとりの死んだのを、竹のさきにかけて、万千代の手へ渡(わた)した。
「おお、鷲のごちそう」
 と一同にみせて、笑(わら)わせながら、万千代はそれを猛禽(もうきん)の鼻(はな)ッ先へ持っていった。そして、くちばしのそばへぶらぶらさせたが鷲は横をむいて、その匂(にお)いすらかごうとしない。
 業(ごう)を煮(に)やした万千代(まんちよ)は、意地(いじ)になって、
「こりゃ食(く)え、食え。くれたものを、なぜ食わんか」
 と、よけいに突(つ)きつけると、うるさいとでも感じたか、金瞳黒羽(きんどうこくう)の大鷲(おおわし)、嵐(あらし)に吹かれたようにムラムラと満身(まんしん)、逆羽(さかばね)をたててきた。
 と思うと――畳(たたみ)二枚(まい)ほどは優(ゆう)にある両(りょう)の翼(つばさ)が、ウワーッと上へひろがって、白い腋毛(わきげ)が見えたから、びっくりしたお小姓(こしょう)とんぼ。
「そら――ッ」
 とまわりを飛びはなれたが、偉大(いだい)なる猛禽(もうきん)のつばさが、たッたひと打ち、風をあおるとともに、笑止(しょうし)笑止(しょうし)、まるで豆人形(まめにんぎょう)でもフリまいたように、そこらの草へころがった。
「アー痛(いた)い」
「オーひどい」
 やがてめいめい、腰(こし)をさすって起きあがってみると、鷲(わし)は杉(すぎ)の根(ね)もとにケロリとして、とんぼ組(ぐみ)の諸君(しょくん)、なにを踊(おど)っているんです、といわないばかりの様子である。
 だが、えらいやつがいた。
 たッたひとり、いまの羽風(はかぜ)にも倒(たお)されずに、鷲のそばに突(つ)っ立ったまま、ジッと腕(うで)ぐみをしている少年。
 お小姓(こしょう)とんぼのなかにも、あんな強胆(ごうたん)な者がいたかしら? とみんなが眼をみはって見ると、ちがッてるちがッてる、肩(かた)つぎのある筒袖(つつそで)に、よごれきった膝行袴(たっつけ)を穿(は)き、なりにふさわぬ太刀(たち)を差(さ)して、鷲(わし)にも負けない眼の持ち主(ぬし)。
 浜松城(はままつじょう)の小姓組(こしょうぐみ)には、こんなきたない小僧(こぞう)はいない。
「だれだ、あいつは?」
「いつのまに、どこから降(ふ)ってきおったのじゃ」
 ぞろぞろと集(あつ)まった。
 そして、こんどは鷲(わし)よりも、この小僧に好奇(こうき)の目をそそいだ。けれど、そこに黙然(もくねん)と立った鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)は、じぶんをとり巻(ま)いてジロジロと見る、小姓たちのあることなどは忘れはてて、
「オオ、おまえはクロじゃあないか」
 と、心のそこから、いっぱいななつかしさを、無言(むごん)に呼(よ)びかけているのである。――
 ああ、ずいぶん久(ひさ)しぶりだったねえ――
 そう思うと、竹童は、なんだかボッと顔が赤くなる気がした。かれの愛着(あいちゃく)とあこがれは、不意(ふい)にめぐり会(あ)ったクロを見て、やさしく動悸(どうき)を打っていた。
 そこに動物と人との、なんのへだたりもなく、
「おまえを蛾次郎(がじろう)にぬすまれてから、おいらはどんなに諸国(しょこく)をさがし歩いていたろう。波(なみ)のあらい北の海、吹雪(ふぶき)のすさぶ橡(とち)ノ木(き)峠(とうげ)、それから盲目(めしい)になってまで、京都の空へ向かっても、おいらは、クロよ、クロよと呼(よ)んでいた。そのかいがあって、やっと、天(てん)ヶ丘(おか)で蛾次郎(がじろう)とうばい合いをしたかと思うと、おまえはまた、ふたりを琵琶湖(びわこ)へふりおとしたまま、どこかへ姿(すがた)を消(け)してしまった――さあ、それからも竹生島(ちくぶしま)にいるあいだ、おいらは、朝となく夜となく、どれほど空を気にしていたか知れやしない……だがよかったなア、いいところでめぐり会(あ)ったなア。わかるかい、おぼえているかい? この鞍馬(くらま)の竹童の顔を……」
 と、口にはださないが、熱(あつ)い思慕(しぼ)をこめて、ジイッとみつめているうちに、思いもうけぬ邂逅(かいこう)の情(じょう)が、ついには、滂沱(ぼうだ)の涙(なみだ)となって目にあふれてくる。
 そして、なにげなく愛撫(あいぶ)の手が、クロの襟毛(えりげ)へ伸(の)びようとすると、
「これッ」鞭(むち)をかまえながら、徳川万千代(とくがわまんちよ)、
「わしの大事な飼(か)い鳥(どり)へ、なんで手をふれるのじゃ」
「あ」
 竹童はその声に、はじめてわれに返(かえ)ったように、万千代のすがたと、あたりに群(む)れているとんぼ組(ぐみ)の少年たちを見まわした。
 そして、だまって、頭をさげた。
「なんだ、おまえはッ。どこの子だ」
「わたくしは」
「あやしい小僧(こぞう)じゃ、敵国(てきこく)の間者(かんじゃ)であろう。おじいさまのお城(しろ)へつれて、役人の手へ渡(わた)してくれる」
「アアもし、けっして、そんな者ではございません。わたくしは、たびたび東海道(とうかいどう)へもきております、伊吹村(いぶきむら)の独楽(こま)まわしです」
「なに独楽まわしじゃ?」と、みんなどよめきだして、
「独楽まわしなら廻(まわ)してみろ! うそをついたら承知(しょうち)せんぞ」
 と、腕(うで)まくりをして見せた。
「ハイ。独楽のご用ならおやすいこと、商売(しょうばい)ですから、お望(のぞ)みにまかせてまわします。ですが、わたくしが首尾(しゅび)よく芸(げい)をごらんにいれましたら、そのご褒美(ほうび)には、なにがいただけるでございましょう」
「鳥目(ちょうもく)を投げてやる」
「いえ、お鳥目はいりません。そのかわりに、ひとつのお願いがございますから」
「では、扇子(せんす)がほしいか、きれいな巾着(きんちゃく)がのぞみなのか」
「いえいえ、わたくしのお願いと申すのは、この鷲(わし)に乗らしていただきたいのです。はい、上まであがりましたら、すぐにまた降(お)りてまいりますから」
「これへ乗るッて」
 万千代(まんちよ)は目をまるくして、
「そんなことができるのか」
「できますとも。伊吹の山にいたころは、毎日、鷲や鷹(たか)をあい手にあそんでいたわたくしです」
 たわいのないお小姓(こしょう)とんぼは、興(きょう)にそそられて、一も二もなくかれのことばを信(しん)じてしまった。そして竹童(ちくどう)にむかって、はやく独楽(こま)をまわせ、独楽をまわしたら鷲(わし)をかしてやる、とせがんだ。
「じゃ、まわしますから、ズッとそこを開(ひら)いてください」
 かれはどこかの町で見かけた旅芸人(たびげいにん)の所作(しょさ)を思いうかべて、わざと、興(きょう)をそえながら、杖(つえ)でクルリと円形(えんけい)の線(せん)をえがいて、
「――そもそも独楽にもいろいろござります、古くは狛江(こまえ)の高句麗(こくり)ゴマ、島(しま)からわたった貝独楽(べいごま)も、五色(しき)にまわる天竺独楽(てんじくごま)も、みんな渡来(とらい)でございます。そこで日本独楽(にほんごま)のはじまりは、行成大納言(ゆきなりだいなごん)、小松(こまつ)つぶりに村濃(むらご)の糸をそえまして、御所(ごしょ)でまわしたのがヤンヤとはやりだしました初(はじ)め。さあそれからできましたこと、できましたこと、竹筒(たけづつ)の半鐘独楽(はんしょうごま)をはじめとしまして、独楽鍛冶(ごまかじ)もたくさんできました。陀羅(だら)ゴマ銭(ぜに)ゴマ真鍮(しんちゅう)ゴマ、ぶんぶん鳴るのが神鳴(かみな)りゴマ、おどけて踊(おど)るが道化(どうけ)ゴマ、背(せい)のたかいは但馬(たじま)ゴマ、名人独楽(めいじんごま)は金造(きんぞう)づくり、豆ゴマ、賭(かけ)ゴマ、坊主(ぼうず)ゴマ、都(みやこ)ではやっておりまする。そこで手まえのあつかいますのは、近江(おうみ)は琵琶湖(びわこ)の竹生島(ちくぶしま)に、千年あまり伝(つた)わりました、希代(きたい)ふしぎな火焔独楽(かえんごま)――はい、火焔独楽!」
 と、ここに竹童(ちくどう)が、にわか芸人(げいにん)の口上(こうじょう)をうつして、弁(べん)にまかせてのべ立てると、万千代(まんちよ)はじめ、とんぼ組(ぐみ)、パチパチと手をたたいて無性(むしょう)にうれしがってしまった。
 だが、竹童は、真剣(しんけん)である。
 口に道化(どうけ)ても肚(はら)のそこでは、たえず、伊那丸(いなまる)の危急(ききゅう)をあんじているのだ。
 さきに、都田川(みやこだがわ)の刑場(けいじょう)へ、したくにいそいでいったあの足軽(あしがる)のはなしが事実(じじつ)ならば――
 武田伊那丸(たけだいなまる)と忍剣(にんけん)と龍太郎(りゅうたろう)とが、むなしく徳川家(とくがわけ)の手に縛(ばく)されて、あさっての夕ぐれ、河原(かわら)の刑場に斬(き)られるという、あの高札(こうさつ)が事実ならば――
 じつに、武田一党(とう)の致命的(ちめいてき)な危難(きなん)は、目睫(もくしょう)にせまっているのだ。
 竹童(ちくどう)の胸(むね)がなんで安かろうはずはない。かれは、一刻(こく)もはやく、この大へんを、小太郎山(こたろうざん)のとりでへしらせたいともだえている。どうしても、四、五日かかる道のりのある小太郎山へ、今夜のうちに、かけつけたいと苦念(くねん)している。
 とうてい、人の力でおよばぬことをなさんがために、竹童は心にもない大道芸人(だいどうげいにん)のまねをするのだ。見ているお小姓(こしょう)とんぼはおもしろかろうが、ああ、かれには涙(なみだ)の芸(げい)であった。

「さあ、それから、それから――」
 と、輪(わ)になっている前髪(まえがみ)たちは、待ちきれないで、あとをせがんだ。
 きわどいところで、竹童はたくみにおッとりして、
「さ、火焔独楽(かえんごま)の曲(きょく)まわし、いよいよかかりますがそのまえに、ちょっと、おうかがいしたいことがございます。どうか、話してくださいまし」
「なんじゃ? 独楽(こま)まわし」
「あの、近ごろ浜松(はままつ)のご城下(じょうか)で、武田伊那丸(たけだいなまる)という方(かた)が徳川(とくがわ)さまの手でつかまったそうですが、それは、ほんとでございますか」
「捕(つか)まったのはまことじゃ、家来(けらい)のやつふたりも一しょに」
「ああ、では……」
 思わず、あおざめたかと思う顔を、むりに微笑(びしょう)させて、
「やっぱり、うわさはまことでございましたか。それで、さだめし家康(いえやす)さまもご安心でございましょう。けれど伊那丸や家来のふたりも、なかなか智勇(ちゆう)のある者とききましたが、どうしてそんなに、たやすく捕まってしまったのでしょう?」
「いいではないか、そんなこと。早くそれより独楽をまわして見せい」
「はい、いままわします。ですけれど、じつはこのさきの都田川(みやこだがわ)で、そんな高札(こうさつ)を見ました時に、仲間(なかま)の者と賭(かけ)をしたのでございます」
「じゃ、話してやるから、それがすんだら、すぐに火焔独楽(かえんごま)をまわすのじゃぞ」
「ええ、まわしますとも、まわしますとも」
「その武田伊那丸は、まえからほうぼうへ手配(てはい)をしていたが、なかなか捕まえることができなかった。するとこんど、桑名(くわな)のほうから、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)という者が密訴(みっそ)をしてきた。その者のことばで、伊那丸のとおる道がわかったから、関所(せきしょ)に兵を伏(ふ)せておいて、苦(く)もなくしばりあげたのじゃ。だから、あさっての太刀取(たちと)りは呂宋兵衛(るそんべえ)が役(やく)をおおせつかって、都田川(みやこだがわ)の刑場(けいじょう)で、その三人の首を斬(き)ることになっている」
「ああ、そうですか。いや、それでよくわかりました」
 と、さり気(げ)なく聞いていたものの、竹童(ちくどう)の胸(むね)は早鐘(はやがね)をついている。
「そして、この大鷲(おおわし)は、どうしてまた、あなたがたのお手に入りましたか。浜松にも、めったにこんな大鷲は飛ばないでしょうに」
「この鷲(わし)か。――これもその呂宋兵衛が、桑名(くわな)から浜松へくるとちゅうで捕(つか)まえたのを、菊池半助(きくちはんすけ)のところへ土産(みやげ)に持ってきたのじゃ。それを万千代(まんちよ)さまが、おねだりして、こうしてとんぼ組(ぐみ)で飼(か)っているのじゃ。だから、めッたな者にはかさないが、おまえが上手(じょうず)に独楽(こま)をまわせば、万千代さまもかしてやろうとおっしゃる。サ、はやくまわしてみせい、はやく火焔独楽(かえんごま)の曲(きょく)まわしをやってみせい」
 もうすっかり、竹童を旅の独楽まわしと思っているので小姓(こしょう)たちは、城内(じょうない)で聞きかじっていたことを、みんなベラベラしゃべってしまった。
 事実(じじつ)だ。伊那丸(いなまる)の遭難(そうなん)はまことであった。ああ、大事はついにきた。
「ウウム、もうこうしてはおられない!」
 と竹童の眼はわれ知らずかッと燃(も)えた。
 その真剣(しんけん)な気(け)ぶりに、万千代や小姓たちが、少しあとへさがったのをしおとして、かれはまた、ふたたび芸(げい)にとりかかるような身構(みがま)えをキッと取り、
「では! 竹生島神伝(ちくぶしましんでん)の魔独楽(まごま)!」
 と、こえ高(たか)らかに叫(さけ)んで――
「――小手(こて)しらべは剣(つるぎ)の刃渡(はわた)りッー」
 片手(かたて)に独楽(こま)――まわすと見せて、一方の手に、般若丸(はんにゃまる)の脇差(わきざし)を抜(ぬ)きはなったかと思うと、杉(すぎ)の根もとにつながれている、クロの綱(つな)をさッと斬(き)った。
 紫電(しでん)のおどろきに、鷲(わし)は地をうってユラリ――と、空に足をちぢめた。
 ふたたび帰らぬ高き上に。
「あ、あ、あッー」
 と、不意(ふい)をくったとんぼ組(ぐみ)の小姓(こしょう)たちは、旋風(つむじ)にまかれた木(こ)の葉のように、睥睨(へいげい)する大鷲(おおわし)の腹(はら)の下で、こけつ、まろびつ、悲鳴(ひめい)をあげて、
「逃(に)がすな」
「いまの独楽まわしーッ」
「あッちへいった!」
「鷲も逃(に)げた!」
「それ」
「そらッ」
「追(お)ッかけろ!」と走(はし)りだした。
 見れば竹童もまッ先に馳(か)けてゆく。
 竹童は鷲(わし)を追い、万千代(まんちよ)は竹童を追い、小姓(こしょう)とんぼは万千代のあとからあとから――

 いつか茜(あかね)いろの曠野(こうや)は、海のような青い黄昏(たそがれ)とかわっていた。草をけって、追(お)いつ追われつする者たちには、十方(ぽう)なにものの障壁(しょうへき)もない。
 すると不意(ふい)に、
 さきへ走った竹童が、するどい気合(きあ)いをあげて、なにやら、虚空(こくう)へ棒(ぼう)のようなものを投げあげた。
 クルクルと螺旋(らせん)に舞(ま)って、それが、空の藍(あい)へとけ入(い)ったかと思うと、高いところで、かッ、という音がひびいた。そして、前の棒切(ぼうき)れが反落(はんらく)してくるのと一しょに、クロの巨影(きょえい)もそれにつれて真(ま)一文字(もんじ)に地へ降(お)りてきた。
 そしてやがて。
「独楽(こま)まわしのにせ者め」
「鷲をかえせ、鷲をかえせ」
 声をそろえて、そこへ万千代(まんちよ)たちのなだれてきたころには、すでに、地上に竹童のすがたもなく、大鷲(おおわし)の影(かげ)もなかった。
 ただ、あッ気(け)にとられていた眼へ、ふとうつったものはちょうどそのとき野末(のずえ)をはなれた、大きな宵月(よいづき)の光に、なにやら知れぬものの影が、草の上をフワフワとさまよった――それだけであった。
 おお、お小姓(こしょう)とんぼの坊(ぼ)ッちゃんたち!
 三方(みかた)ヶ原(はら)をあとにしながら下に月光の山川(さんせん)を見、あたりに銀鱗(ぎんりん)の雲を見ながら、鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)は鷲(わし)の上から叫(さけ)ぶのである。
 これはもともとおいらの鷲(わし)だ。
 おいらのものはおいらに帰(かえ)る。なんのふしぎもないはなしだ。蛾次郎(がじろう)みたいに、ぬすんで逃(に)げるのとはわけがちがう。
 独楽(こま)でだましたのは悪かったけれど、おとなしくクロを渡(わた)してくれといっても、かせといってたのんでも、浜松城(はままつじょう)の腕白(わんぱく)坊(ぼ)ッちゃん、けっして、すなおには承知(しょうち)しないでしょう。だから、あんな詐術(さじゅつ)をやりました。
 それも武田(たけだ)一党(とう)のため。ああ、しかも伊那丸(いなまる)さまの危難(きなん)を知った日に、この鷲が、ふたたびじぶんの手にかえるとは、天がこの竹童(ちくどう)をあわれんでか、果心居士(かしんこじ)さまのお護(まも)りであろうか。
 なにしろ、おいらは、これからいそがなくってはならない身だ。久しぶりでこのクロを、じぶんひとりで、ほしいままにのってかけるのだが、いまは、その翼(つばさ)の力さえなんだかおそい心地(ここち)がする。
 クロよ、ひとはたきにとんでくれ。
 小太郎山(こたろうざん)へ、小太郎山へ。

 右少将徳川家康(うしょうしょうとくがわいえやす)、いつになく、ほころんだ顔をしている。ごきげんがよいのである。
 常(つね)に、かれが気にしている秀吉(ひでよし)が、近ごろメキメキとはぶりをよくして、一挙(きょ)に桑名(くわな)の滝川(たきがわ)を陥(おと)し、軍をかえして北国(ほっこく)をつき、猛将(もうしょう)勝家(かついえ)の本城(ほんじょう)、北(きた)ノ庄(しょう)にせまって、抜(ぬ)くべからざる勢力をきずき、北陸(ほくりく)の豪族(ごうぞく)前田利家(まえだとしいえ)と仲(なか)をよくしたという間諜(かんちょう)もあった。
 で、はなはだ、かれの気色(きしょく)がうるわしくない。
 どこかで秀吉がつまずけかし、と祈(いの)っているのに、その反対(はんたい)なうわさばかりが飛んできて、ここしばらくの間(あいだ)、かれの心を楽しませぬのであった。
 しかし、きょうはいたって和(やわ)らかい眉目(びもく)である。
 がんらい、家康という人、心のうちの喜怒哀楽(きどあいらく)を色にださない質(たち)である。いつも、むッつりと武者(むしゃ)ずわりをして、少し猫背(ねこぜ)になりながら、寡言多聞(かげんたぶん)を心がけている。ひじょうに狡猾(こうかつ)で気むずかしく、腹(はら)ぐろい人相(にんそう)のようでもあり、ばかに柔和(にゅうわ)であたたかい相好(そうごう)のようにも見える。だから、その顔を好(す)くものは深くしたしみ、忌(い)みきらうものはまたひどくきらう。
 めずらしく、酒宴(しゅえん)をのべていた。
 多くの近侍(きんじ)や旗本(はたもと)をあいてに、ほがらかな座談(ざだん)。それが倦(う)むと、つづみの名人大倉六蔵(おおくらろくぞう)に、鼓(つづみ)をうたせて聞きとれる。
 そこへ、おそく酒宴(しゅえん)にまねかれた、菊池半助(きくちはんすけ)が末席(まっせき)にすわった。隠密(おんみつ)のものは、禄(ろく)は高いが士格(しかく)としては下輩(げはい)なので、めったに、こういう席に招(しょう)じられることはない。
 半助のすがたをチラリと見ると、
「鼓(つづみ)をやめい」
 と盃(さかずき)を取って、
「かれへ」
 と、近侍(きんじ)へ取りつがせた。
 破格(はかく)な盃をいただいた半助へ、人々は羨望(せんぼう)の目を送った。そして、半助、なにかよほど手柄(てがら)をやったな、とささやいていた。
 そういう様子をながめながら、家康(いえやす)はまた、近(ちこ)う、とかれをまぢかく呼(よ)んで、
「数日来(すうじつらい)のはたらき、まことに、過分(かぶん)である」
 と賞(ほ)めことばをあたえた。めったに、人を賞めない家康、これもあまりないことである。
「は」
 とのみいって、半助は平伏(へいふく)していた。
 伊賀衆(いがしゅう)のなかでも、隠密の上手(じょうず)とは聞いたが、なんという光栄(こうえい)をもった男だろうと、人々の目は、いよいよかれと主君(しゅくん)とにそそがれていた。
「して、こんどのことに、偉功(いこう)を立てた、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)は、いかがいたした」
「せっかく、ご酒宴(しゅえん)のお招(まね)きをうけましたが、まだ身分の定(さだ)まらぬ浪人境界(ろうにんきょうがい)で、出席はおそれおおいと辞退(じたい)しましたので、手まえの屋敷(やしき)にのこしてまいりました」
「そうか、野武士(のぶし)でも、なかなか作法(さほう)を心得(こころえ)ている。そちの家(うち)に食客(しょっかく)しているあいだ、じゅうぶんにいたわってとらせろ。そのうちに、なにか、適宜(てきぎ)な処置(しょち)をとってつかわす」
「かれが聞きましたなら、さだめし、ご恩(おん)に感泣(かんきゅう)いたしましょう」
「ながらく捕(と)らえ得(え)なかった武田伊那丸(たけだいなまる)、またふたりの者まで、一網(もう)に召捕(めしと)り得たのは、いつにかれの訴(うった)えと、そちの手柄(てがら)じゃ」
「は、ご過賞(かしょう)、身にあまるしだいでござります」
「当日、都田川(みやこだがわ)の刑場(けいじょう)で、伊那丸を斬(き)る太刀(たち)とり役(やく)、それも呂宋兵衛とそちとに申しつけてあるが、用意万端(よういばんたん)、手ぬかりはあるまいな」
「じゅうぶん、ご奉行(ぶぎょう)とともに、お打ち合せをいたしますつもり」
「矢来(やらい)、高札(こうさつ)、送り駕(かご)、また警固(けいご)の人数(にんず)など、そのほうは?」
「いちいち、手配(てはい)ずみでございます」
「またその日はうわさを聞きおよんで、あまたの領民(りょうみん)があつまるにちがいない。甲賀組(こうがぐみ)、伊賀組(いがぐみ)の者、残りなく狩(か)りだして、あやしい者の見張(みは)りに放(はな)ちおくように」
「変装組(へんそうぐみ)百人ばかり、もう今日のうちに、ご領内(りょうない)へ散(ち)らしておきました」
「ウム、ではもう牢内(ろうない)の、武田伊那丸、加賀見忍剣(かがみにんけん)、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)、その三人を都田川にひきだして首を洗(あら)って斬(き)るばかりか」
「御意(ぎょい)。もはや、裾野(すその)の雲は晴れました」
「甲斐(かい)ざかいの憂惧(うれい)がされば、これで心を安(やす)らかにして、旗(はた)を中原(ちゅうげん)にこころざすことができるというもの。家康(いえやす)にとって、伊那丸はおそろしい癌(がん)であった。幼少ながら、かれの行(ゆ)く末(すえ)は浜松城(はままつじょう)の呪(のろ)いであった。それを捕(と)らえ得(え)たのは近ごろの快事(かいじ)、いずれも斬刑(ざんけい)のすみしだいに、恩賞(おんしょう)におよぶであろうが、その日のくるまでは、かならず油断(ゆだん)せまいぞ。よいか、半助(はんすけ)」
 さては、家康のごきげんなわけは、伊那丸が捕(と)らえられたことであるか。と一同はうなずいて、徳川家(とくがわけ)のため、暗雲(あんうん)の晴れた心地(ここち)がした。そして、城を退(さが)ったものは、このうわさを城下(じょうか)につたえて、その日のくるのを、心待(こころま)ちにしていた。そして、かつて軍神(いくさがみ)の信玄(しんげん)が、甲山(こうざん)の兵をあげて、梟雄(きょうゆう)家康(いえやす)へ、乾坤(けんこん)一擲(てき)の血戦(けっせん)をいどんだ三方(みかた)ヶ原(はら)。
 そのいわれのある古戦場(こせんじょう)で、その信玄の孫(まご)が、わずかふたりの従者(じゅうしゃ)とともに、錆刀(さびがたな)で首を落とされるとは、なんと、あわれにもまた皮肉(ひにく)な因縁(いんねん)よ!
 と、気の毒(どく)がるささやきもあれば、心地(ここち)よげに嘲(あざ)む三河武士(みかわぶし)もある。
 とにかく、春もくれかかる東海道(とうかいどう)の辻(つじ)には、そのうわさが、なにかしら、人に無情(むじょう)を思わせた。

 すんだ笛(ふえ)の音(ね)が流(なが)れてくる。
 鬼(き)一管(かん)とか天彦(あまひこ)とかいう名笛(めいてき)の音(ね)のようだ。なんともいえない諧調(かいちょう)と余韻(よいん)がある。ことに、笛の音は、霧(きり)のない月明(げつめい)の夜ほど音(ね)がとおるものだ。ちょうど今夜もそんな晩(ばん)――。
 そこは、白樺(しらかば)の林であった。
 さらぬだに白い斑(ふ)のある樺(かば)の木に、一本一本、あおじろい月光が横から射(さ)している。
 笛がとぎれた時の、シーンとした静寂(しじま)と冷気(れいき)とは、まるで深海の底(そこ)のようだ。けれど、事実(じじつ)はおそろしい高地(こうち)なのだ。
 小太郎山(こたろうざん)の中腹(ちゅうふく)、陣馬(じんば)ヶ原(はら)の高原(こうげん)つづき。
 かの、伊那丸(いなまる)の留守(るす)をあずかる帷幕(いばく)の人々、民部(みんぶ)や蔦之助(つたのすけ)や小文治(こぶんじ)などが、天嶮(てんけん)を擁(よう)してたてこもるとりでの山。
 笛は喨々(りょうりょう)とうむことなく、樺の林をさまよっている。やがて、そこに人かげがうごいた。見ればひとりの美少女である。長くたれた黒髪(くろかみ)に、蘭(らん)の花をさしていた。
 その人かげのあとから、幾年(いくねん)も朽(くち)つんだ落葉(おちば)をふんで、ガサ、ガサと、歩いてくる者があった。小具足(こぐそく)をまとった武士(ぶし)である。
 七、八本の槍(やり)が、月光をくだいてギラギラとした。
「だれだッ!」
 呼(よ)びかけると、ひとりの手から、黄色い閃光(せんこう)が三角(かく)形(けい)に放射(ほうしゃ)された。
 龕燈(がんどう)のあかりのなかに浮(う)きたった少女のすがたをみると、
「おお、咲耶子(さくやこ)さま――」
 と、目礼(もくれい)して、武士たちは、樺(かば)の林をぬけてしまった。とりでを見張(みは)る番士(ばんし)たちである。
 そのうしろ姿(すがた)を、咲耶子はたのもしい思いで見おくった。ああして、寝(ね)ずに、夜なか、あかつきもこの要害(ようがい)を見まわっている人々の忠実さに感謝(かんしゃ)した。そして、まだこのとりでに雪(ゆき)のあるころ、山をくだって京都へ向かった伊那丸の上にも、どうぞ、この山のように無事(ぶじ)があるように――と祈(いの)った。
 咲耶子は裾野(すその)にいたころから、月の夜(よ)に笛(ふえ)をすさびながら歩くのが好(す)きであった。この小太郎山(こたろうざん)にきてからは、ことに白樺(しらかば)の林に、ほのかな蘭(らん)の香(か)のながれる道を、しずかに歩むのが好(この)ましく、今夜も陣馬(じんば)の搦手(からめて)から、月にさそわれて、思わず夜(よ)のふけるのを忘れてしまった。
「おお、ひえびえとしてきた。二子山(ふたごやま)に見えた月が、もうあんなに遠い谷間(たにま)にある。……あまり遅(おそ)うなっては、さだめし、民部(みんぶ)さまや小文治(こぶんじ)さまがおあんじなされているかもしれぬ……」
 そう思いながら、それでもまだ、帰(かえ)る道をむなしく歩いていくことはおしそうに、狛笛(こまぶえ)をとって、その歌口(うたぐち)を湿(しめ)しはじめる。
 するとどこかで、びゅうッ――という風のような音がした。だが、樺(かば)の梢(こずえ)はゆれてもいなかった。野呂川(のろがわ)のひびきにしては一しゅんである。いや、それは天地をゆく音ではなく、高いところをかすめた音響(おんきょう)にちがいなかった。
「なにかしら? ――」
 咲耶子(さくやこ)はいそいで林をかけぬけた。
 陣馬(じんば)の高原(こうげん)には、さまざまな植物の花が、露(つゆ)をふくんで黒々(くろぐろ)と眠(ねむ)っていた。ここに立てば、昼(ひる)は東の真正面(まっしょうめん)に富士(ふじ)の銀影(ぎんえい)や裾野(すその)の樹海(じゅかい)がひと目にながめられ、西には信濃(しなの)の山々、北には甲斐(かい)の盆地(ぼんち)、笛吹川(ふえふきがわ)のうねり、村、町、城下(じょうか)の地点(ちてん)までかぞえられる。
「耳のせいであったか、それとも、やはりただの風か? ……」
 見まわした空には、なにものの影(かげ)も見あたらなかった。ただ、しずかに黙(もく)している、月はある、星はある。
 ふたたび、狛笛(こまぶえ)の音(ね)が高くすんだ。そして咲耶子が、われとわが吹く音色(ねいろ)にじぶんをすら忘れかけたころ、さらにすさまじい一陣(じん)の疾風(しっぷう)が、月のふところをでて、小太郎山(こたろうざん)の真上(まうえ)をびゅうッ――と旋回(せんかい)しはじめた。
「オオ!」
 咲耶子(さくやこ)は、笛(ふえ)を唇(くち)からはなして、高く高くうちふった。
「――竹童(ちくどう)ではないか! 鷲! 鷲! 竹童の鷲よ――」
 おどり立つばかりに叫(さけ)んだが、すぐにまた、笛を持ちなおして、息(いき)いッぱいに、空へ向かって高らかに吹く。
 砦(とりで)の灯(ひ)は、夜はまったく隠(かく)されてあるので、このあたりの重畳(ちょうじょう)たる山の起伏(きふく)に、どれが目ざす小太郎山(こたろうざん)か、宙(ちゅう)に迷(まよ)いめぐっていた鞍馬(くらま)の竹童も、やっと、その音(ね)を聞きあてた。
 こころみに鷲の上から、下界(げかい)へ向かって、声いっぱいに、
「咲耶子さまーッ」と呼(よ)んでみる。
 小手(こて)をかざしてみれば、いちめんの高原植物(こうげんしょくぶつ)、月光と露(つゆ)に繚乱(りょうらん)たるなかに、ぽちりと、ひとりの少女のすがたが、ありありと立って見えた。
 少女は笛で呼んでいる。
 竹童もまた声をはって、
「咲耶子さまア。咲耶子さまアー」
 巨大(きょだい)なる波紋(はもん)を宇宙(うちゅう)にえがきながら、だんだんに陣馬(じんば)の地上へくだってきた。
 ただならぬ怪影(かいえい)を見つけた砦(とりで)の番士(ばんし)は、なにかとおどろいて、変(へん)を小幡民部(こばたみんぶ)につげた、その夜、自然城(しぜんじょう)の山曲輪(やまぐるわ)には、巽小文治(たつみこぶんじ)と山県蔦之助(やまがたつたのすけ)も、虫の知らせか、しきりに伊那丸(いなまる)の安否(あんぴ)や、随従(ずいじゅう)していった忍剣(にんけん)と龍太郎(りゅうたろう)から、なんの消息(しょうそく)もないことなどをうわさし合っているところであった。

 三方(みかた)ヶ原(はら)をとんで、夜の空をいそいだ鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)は、そうして、小太郎山(こたろうざん)の同志(どうし)へ、伊那丸の急変(きゅうへん)をもたらした。
 かれは、かれの使命(しめい)をとげた。一念(ねん)を達(たっ)した。
 けれど、寝耳(ねみみ)に水の変を聞いた、一党(とう)のものの驚(おどろ)きはどんなであったか。なかにも、小幡民部(こばたみんぶ)はその急報(きゅうほう)をうけるとともに、
「ううむ……」
 と、深くうめいたまま、しばらく、いうべき言葉もなかったくらい。
 山曲輪(やまぐるわ)の一廓(かく)、評定場(ひょうじょうば)の扉(とびら)はかたくとざされた。
 ひそやかに、そこへ集(あつ)まった人々は、むろん、帷幕(いばく)の者ばかりで、民部を中心に、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)、巽小文治(たつみこぶんじ)。そして、竹童はそのまえに疲(つか)れたからだをすえ、咲耶子はうちしおれて、紫蘭(しらん)のかおる黒髪(くろかみ)を、あかい獣蝋(じゅうろう)の灯(ひ)のそばにうつむけていた。
「竹童」
 やがて、民部はおもおもしい顔(かお)をあげて、
「そちがさぐってきた、若君(わかぎみ)のご異変(いへん)、また都田川(みやこだがわ)の刑場(けいじょう)でおこなわれる時日(じじつ)、かならずまちがいのないことであろうな」
「たしかに、そういないこととぞんじます。その刑場(けいじょう)をつくる足軽(あしがる)のはなしや、またお小姓(こしょう)のいったこともみなピッタリと、合っております」
「すると、今宵(こよい)もやがて夜明けに近いから、のこる日は明日(あす)だけじゃ……」
 さすが、甲州流(こうしゅうりゅう)の軍学家(ぐんがっか)、智謀(ちぼう)のたけた民部(みんぶ)といえども、この急迫(きゅうはく)な処置(しょち)には、ほとんど困惑(こんわく)したらしく、憂悶(ゆうもん)の色がそのおもてを暗(くら)くしている。
「若君(わかぎみ)のご運命(うんめい)がそうなっては、もう、われわれもこの砦(とりで)をまもる意義(いぎ)がない」
 巽小文治(たつみこぶんじ)は、悲痛(ひつう)なこえでいった。
「そうだ!」と蔦之助(つたのすけ)も嘆声(たんせい)をあわせて、
「このうえは、砦(とりで)にのこる兵をあげて、小勢(こぜい)ながら裾野(すその)へくだり、怨敵(おんてき)家康(いえやす)の城地(じょうち)へ、さいごの一戦を」
 みなまでいわせず、民部は首をよこにふった。
「そのとむらい合戦(がっせん)なら、すこしも、いそぐことはありますまい。いつでもできることじゃ」
「といって、むなしく、手をつかねておられましょうか」
「むろん、どうにか工夫(くふう)をせねばならぬ。しかし、人数をくりだして、とおく浜松(はままつ)へ着(つ)くころには、若君のお命(いのち)が、すでにないものと思わねばならぬ」
「おお、それもごもっとも」
 と、蔦之助(つたのすけ)はまた悶々(もんもん)とだまって、いまはただ、この民部の頭脳(ずのう)に、神のような明智(めいち)がひらめけかし、とジッと祈(いの)るよりほかはなかった。
「ともあれ、若君(わかぎみ)のご一命(めい)や忍剣や龍太郎(りゅうたろう)を、いかにせば救(すく)いうるか、それが目睫(もくしょう)の大問題であると思う。いたずらに最後の決戦をいそいで、千や二千の小勢(こぜい)をもって、東海道(とうかいどう)を攻(せ)めのぼったとて、とちゅうの出城(でじろ)や関所(せきしょ)でむなしく討死(うちじに)するのほかはない。それでは、きょうまでの臥薪甞胆(がしんしょうたん)、伊那丸君(いなまるぎみ)のおこころざし、すべては水泡(すいほう)となり、また世(よ)の笑われぐさにすぎぬものとなる」
 やはり民部の説(せつ)は常識(じょうしき)であった。
 あくまで伊那丸を中心とする一党(とう)が、その盟主(めいしゅ)をうしなって、なんの最後の一戦がはなばなしかろう。どうしても、いかなる手段(しゅだん)をもって、石に噛(か)みついても! 伊那丸をたすけなければ意義(いぎ)がない! 武士道(ぶしどう)がない。
 はなやかならぬ、また勇(ゆう)にのみはやれぬ、軍師(ぐんし)のつらい立場(たちば)はそこにあるのだ。
「ああ策(さく)は一つしかない」やがて、かれは決然(けつぜん)といった。
「蔦之助(つたのすけ)どの、小文治(こぶんじ)どの、すぐに、旅(たび)のおしたくを!」
「や、われわれのみで? その他(た)の味方(みかた)は?」
「むしろ秘密(ひみつ)に――」
 と、民部は席(せき)をたって、太刀(たち)をはき、身ごしらえにかかった。
 熟考(じゅっこう)の長さにひきかえて、意(い)を決(けっ)するとすぐであった。蔦之助と小文治も、膝行袴(たっつけ)の紐(ひも)をしめ、脇差(わきざし)をさし、手馴(てな)れの弓(ゆみ)と、朱柄(あかえ)の槍(やり)をそばへ取りよせた。
「民部(みんぶ)さま……」
 咲耶子(さくやこ)と竹童(ちくどう)は、じぶんたちに指図(さしず)のないのを、やや不満(ふまん)に思って、おなじように身じたくをしようとしながら、
「わたしも」
「わたくしも」
 一しょに立つと、民部はそれを制(せい)して、
「ふたりは、どうかとりでのるすを護(まも)っていてくれい。なお、われわれがおらぬ間(ま)も、われわれがいるように見せかけて、こよい、三人が小太郎山(こたろうざん)をぬけだしたことは、かならず、敵(てき)にも味方(みかた)にも秘密(ひみつ)にしておくように」
 そういって、評定場(ひょうじょうば)の床(ゆか)を上げた。
 まっくらな空洞(うつろ)が口をあけた。
 峡谷(きょうこく)の一方へひくくくだっていく間道(かんどう)である。
「では」と、そこへ足を入(い)れながら、民部はもういちど咲耶子と竹童をふりかえった。
「いまのたのみ、くれぐれも心得(こころえ)てくれよ、なにごとも若君(わかぎみ)のおためじゃ」
 いなむこともならず、ふたりはさびしい目で見おくった。小文治(こぶんじ)と蔦之助(つたのすけ)は、目と目で別れをつげながら、民部につづいて、もくもくと間道の下へすがたを入(い)れる。
 ドーンと、下から入口をふさいでしまわれると、山曲輪(やまぐるわ)の一室(しつ)にはもう、竹童と咲耶子、たッたふたりきりになってしまった。
 それから二刻(ふたとき)か、一刻(いっとき)ばかりの後(のち)――。
 味方の目をしのんで、一散(さん)に、ふもとへ走っていった小幡民部(こばたみんぶ)とほかふたりは、やがて、夜のしらしら明けに、麓(ふもと)の馬舎(うまや)から三頭(とう)の駿馬(しゅんめ)をよりだして、ヒラリと、それへまたがった。
 あいたいと、たなびく雲の高御座(たかみくら)に、富士(ふじ)のすがたがゆうぜんとあおがれる。民部は、鞭(むち)をさして、
「ご両所(りょうしょ)!」と呼(よ)んだ。
「竹童のしらせによると、若君が刑場(けいじょう)へひかれるのは、明日(あす)の夕方ということじゃ。きょう一日で、裾野(すその)から東海道(とうかいどう)のなかばまではかどれば、その時刻(じこく)にようよう間(ま)に合おうかと思う。いや、たとえ、駒(こま)とともに血(ち)を吐(は)くまでも、それまでに三方(みかた)ヶ原(はら)へかけつけねばならぬ」
「おお、もとよりそれぐらいなこと、この場合(ばあい)になんのことでもござりませぬ。して、その時には?」
「なんの手段(しゅだん)をめぐらす時間もない。ただ、群集(ぐんしゅう)のなかにまぎれて、せつなに、矢来(やらい)のなかへ斬(き)りこみ、若君(わかぎみ)をはじめふたりの盟友(めいゆう)を救(すく)いだすばかり」
「心得(こころえ)ました」
 小文治(こぶんじ)は腕(うで)をうならせて、朱柄(あかえ)の槍(やり)をからぶりさせた。
 さっさつたる朝の風が、駒(こま)のたてがみをこころよく吹(ふ)き散(ち)らす。
 ひゅうッ、と一鞭(ひとむち)あてると、三騎(き)はそのまま馬首(ばしゅ)をそろえて、東へひがしへ疾走(しっそう)していった。
 やがて、やがて、渺茫(びょうぼう)とした裾野(すその)と、はてなき碧落(へきらく)が目の前にめぐりまわってくる。
 海のようだ。五月の裾野(すその)、五月の大気。
 目のとどくかぎり、十何里(なんり)、ただ一色(しょく)の青ずすきが、うねうねと風のままに波に似(に)たる、波を立てている。
 そのなかを、いとも小さな三騎(き)がはしっていく。
 風にかくれ、風に見え、風をついて疾走する。
 ああまだ東海道(とうかいどう)へはへだてがある。なお浜松(はままつ)や三方(みかた)ヶ原(はら)には間(ま)がある。覚悟(かくご)のとおり、あの三騎は、とちゅうで血(ち)を吐(は)いてしまいはせぬだろうか。
 かかる場合(ばあい)は、千里(り)をとぶ逸足(いっそく)ももどかしく、一日の陽脚(ひあし)もまたたくひまである。すでにその日は、天龍川(てんりゅうがわ)のほとりに暮(く)れた三騎のひとびと、はたして、翌日(よくじつ)の午後までに、刑場(けいじょう)の矢来(やらい)ぎわまで、馳(か)けつけることができるのであろうか?

 ついに、その日、その時刻(じこく)はきた。
 都田川(みやこだがわ)の右岸(うがん)には、青竹(あおだけ)をくんだ矢来(やらい)の先が、針(はり)の山のように見えている。そのまわりに、うわさを聞きつたえて集(あつ)まった群集が、ヒシヒシと押(お)していた。
 夕ぐれの風が、矢来(やらい)の竹にカラカラとものさびしい音を鳴らすほか、むらがった大衆(たいしゅう)も、シーンとして、水のようにひそまっていた。
 さっき、浜松(はままつ)の城下(じょうか)から、三方(みかた)ヶ原(はら)をとおっていった裸馬(はだかうま)には、まだおさない公達(きんだち)と、僧形(そうぎょう)の者と六部(ぶ)のすがたがくくりつけられて、この刑場(けいじょう)へ運ばれてきたから、もうほどなく、首斬(くびき)りの役人が、太刀(たち)に水をそそぐであろうと、予想(よそう)するだけでも、みんなの息(いき)がつまってくる。
 と――丁字形(ていじけい)に幕(まく)をはった矢来のすみの溜(たま)り場から、くろい服をまとった男が、のっそりと刑場のまン中にでてきて、ジロジロと矢来の周囲(しゅうい)を見たり、天をあおいでなにかつぶやいているようす。
「おや、伴天連(バテレン)がきています」と、みんな、耳や口をよせあっていた。
 すると、ややおくれて、矢来の死門(しもん)から三人の縄(なわ)つきがひかれてきた。菊池半助(きくちはんすけ)がその縄取(なわと)りのうしろから、おごそかに口をむすんでくる。
「ごくろうでした」
「そこもとにも」
 と、伴天連と半助は、こう会釈(えしゃく)をして、すぐに刑吏(けいり)へさしずして、死座(しざ)をつくらせ、血(ち)だまりの穴(あな)をほらせ、水柄杓(みずびしゃく)をはこばせる。
 あなたには奉行(ぶぎょう)、検視(けんし)の役人などが、床几(しょうぎ)をすえて、いそがしくはたらく下人(げにん)たちのようすをながめ、ときどき、なにか下役(したやく)へ注意をあたえている。
 かけやを持ったひとりの男は、やがて、三ツの死のむしろのそばへ、三本の杭(くい)をコーン、コーンと打ちこんだ。
「それッ」と、菊池半助(きくちはんすけ)が、時刻(じこく)をはかって目くばせする。
「武田伊那丸(たけだいなまる)ッ、立て!」
 まっ先の杭へ、あらあらしく引きずってきて、ギリギリ巻(ま)きにいましめの端(はし)をからめつけた。
 むしろの上にすえられた姿(すがた)は、悄然(しょうぜん)と、うつ向いていた。さすがな家康(いえやす)も、その身分(みぶん)を思ってか、衣服(いふく)は着(つ)けたままの白綸子(しろりんず)、あきらかに、武田菱(たけだびし)の紋(もん)がみえて、前髪(まえがみ)だちのすがたとともに、心なき群集(ぐんしゅう)の眼にも、あわれに、いたいたしい涙(なみだ)をもよおさせる。
 さらに、ひどかったのは、つぎの、法師(ほうし)すがたのものと、白衣(びゃくえ)の人をあつかった刑吏(けいり)の待遇(たいぐう)である。打つ、蹴(け)る、あげくの果(は)てに、伊那丸と同じように引きすえて、何か、口あらくののしりちらした。そのふたりも、ついにはこらえかねて、刑吏にするどい言葉を返(かえ)していた。
 だが、目は布(ぬの)をもってふさがれ、両手(りょうて)は杭にしばりつけられている二人の怒声(どせい)は、むざんな役人たちの心に、ありふれた、世迷(よま)い言(ごと)としかひびかなかった。なお、矢来(やらい)のそとの群集には、そのありさまを見るだけで、ことばの意味(いみ)は聞きとれない。
「罪人(ざいにん)どもの泣きほえるのを、いちいち取りあげていては果(は)てしがない。それッ、時刻(じこく)の過(す)ぎぬうちに支度(したく)をせい」
 こう、奉行役人(ぶぎょうやくにん)が、大きな声でどなったのは、だれの耳にもわかった。
「太刀取(たちと)りのお方(かた)――」
 と、目くばせすると、それまで、小気味(こきみ)よげに三人をにらんでいた伴天連風(バテレンふう)の怪人(かいじん)は、
「半助(はんすけ)どのに、代理(だいり)をお願いいたしたい。この呂宋兵衛は、さきごろ桑名(くわな)で少し右腕(みぎうで)をいためておりますので……」
 と、辞退(じたい)した。
 その妖異(ようい)なすがたをした者こそ、伊那丸(いなまる)の通過(つうか)を密告(みっこく)して、またうまうまと徳川家(とくがわけ)のふところに食(く)い入(い)ろうとして、猫(ねこ)をかぶっている和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)である。
 呂宋兵衛の辞退をきくと、半助は、だれも刑場(けいじょう)へでると、一種(しゅ)の鬼気(きき)におそわれる、その臆病風(おくびょうかぜ)に見舞(みま)われたなと、苦笑(くしょう)するさまで、
「さようか。では、不肖(ふしょう)ですが、半助代刀(だいとう)をつかまつります」
 と、奉行にもいって、刑吏(けいり)の手から、無作(むづく)りの大刀をうけとり、すぐに、鞘(さや)をはらった。
 小柄杓(こびしゃく)の水を、サラサラと刃(やいば)にながして、その雫(しずく)のしたたる切(き)ッさきを、まず、右の端(はし)にいた者の目の前につきつけて、
「忍剣(にんけん)ッ!」
 と、声をかけた。
 白布(はくふ)で、目をふさがれている法師(ほうし)すがたは、その時、顔をあげ、肩(かた)をゆすぶッて、なにやら、無念(むねん)そうに叫(さけ)ぼうとしたが、
「徳川家(とくがわけ)に仇(あだ)なすやつ、やがて、あとからいく伊那丸(いなまる)の先駆(さきが)けをしろッ」
 という、半助のののしりに消(け)され、それと同時に、戛然(かつぜん)と剣(けん)がひらめいた。
 バサッ――と血(ち)しぶきが立った。
 とたんに、俯(う)ッ伏(ぷ)せとなった死骸(しがい)の斬(き)り口から、百千の蚯蚓(みみず)が走りだすように血がながれた。矢来(やらい)のそとに息(いき)をのんでいた群集(ぐんしゅう)も、さすがに、目をそむけて、手につめたい汗(あせ)をにぎりしめた。
「木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)ッ――」
 つづいて、こう叫(さけ)ぶ声がしたので、こわいもの見たさの眼をソッと向けてみると、袴(はかま)の裾(すそ)に、返(かえ)り血をつけた半助(はんすけ)のすがたが、すさまじく斬(き)れた大刀へ、ふたたび手桶(ておけ)の水をそそぎ直(なお)して、つぎの者へズカリと寄(よ)っていったかと思うと、
「龍太郎ッ! 覚悟(かくご)は? ――」と、光流(こうりゅう)をふりかぶった。
「覚悟(かくご)? そんなものはないッ」
 と、どなることばもおわらぬまに、風をきる刃(やいば)がはすかいに下(お)りて、白衣(びゃくえ)の全身がまッ赤(か)になった。
 あとは伊那丸ひとりだ。
 菊池半助(きくちはんすけ)はゆうゆうとして、三人目の成敗(せいばい)にかかろうとしている。
 点々(てんてん)たる返(かえ)り血は、夜叉(やしゃ)のように、かれの腕(うで)や袖(そで)をいろどった。
 哀寂(あいじゃく)な夕雲は、矢来(やらい)の上におもくたれて、一しゅん、そこを吹く風もハタと止(や)んだ。
 ああ、ついに間(ま)に合わなかった。
 小幡民部(こばたみんぶ)。
 山県蔦之助(やまがたつたのすけ)。
 巽小文治(たつみこぶんじ)。
 かれらはなにをしているのか!
 いそぎにいそいで、小太郎山(こたろうざん)から疾駆(しっく)してくるとちゅうで、馬もろとも、血を吐(は)いてぶったおれたのか。あるいは、もう、そのへんまで――三方(みかた)ヶ原(はら)の北のへんまでは、きているのか!
 それにしても、ああ、もう大事は過(す)ぎてしまった。
 一党(とう)になくてはならない盟友(めいゆう)、加賀見忍剣(かがみにんけん)はたおれている。木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)も血の中に俯(う)ッ伏(ぷ)してしまっている。
 と――思うまに菊池半助の無情(むじょう)な刃(やいば)は、颯然(さつぜん)と、伊那丸(いなまる)の襟(えり)もとへおちた。

 目をおおうべし。
 菊池半助が気をこめた刑刀(けいとう)は、一閃(せん)、ひゅッと虹光(にじびかり)をえがいて、伊那丸(いなまる)のすがたを血けむりにさせた。
「アーアー」
 群集(ぐんしゅう)はただ、こう口からもらしただけであった。正視(せいし)するにしのびないで、なかには、矢来(やらい)につかまったまま蒼(あお)ざめた者すらある。
 八双(そう)截鉄(せってつ)の落剣(らっけん)! 異様(いよう)なる血の音を立って、武田伊那丸(たけだいなまる)の首はバスッとまえにおちた。
 胴(どう)はそのとたんに死座(しざ)から前向きにガクッとつっぷしてしまう。あの小袖(こそで)につけた武田菱(たけだびし)の紋(もん)も、朱(しゅ)に染(そ)まって、もうビクリともしなかった。
 完全な死だ、完全な断刀(だんとう)だ! 家康(いえやす)もまた選(よ)りによって斬(き)れる刀を、刑吏(けいり)へ授(さず)けたものとみえる。
 忍剣を斬り、龍太郎の首をうち、いままた伊那丸を刑(けい)した半助は、さすがに斬りつかれがしたとみえて、滴々(てきてき)と、血流(ちなが)しから赤い雫(しずく)のたるる刃(やいば)をさげて、ぽうッとしばらく立っていた。そのあたりの草いッぱい、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)という地獄花(じごくばな)が咲(さ)いたように、三ツの死骸(しがい)の返(かえ)り血(ち)が斑々(はんはん)とあかく燃(も)えている。
 斬刑(ざんけい)がすんで、浜松城(はままつじょう)からきている奉行(ぶぎょう)や検死(けんし)役人などは、みな床几(しょうぎ)を立ちはじめた。入(い)りみだれて立ちはたらく下人(げにん)たちの間(あいだ)に、血なまぐさい陰風(いんぷう)が吹(ふ)く。
 ひとつ星(ぼし)、ふたつ星。……空は凄愴(せいそう)な暮色(ぼしょく)をもってきた。だが、矢来(やらい)のそとの群集(ぐんしゅう)は容易(ようい)にそこをさろうとしない。
「ああ、いやな気持になった! はじめのうちはおもしろかったが、なんだかいまになって毛穴(けあな)がゾーッとしてきやがった。へんなもんだなあ、人の斬(き)られるッていうものは」
 矢来(やらい)にたかっている数多(あまた)の中で、こういった、ひとりの見物人(けんぶつにん)がある。
「親方(おやかた)! 親方はなんともないような顔をしていますね」
 つれの男は太い口をむすんで、黙然(もくねん)と、刑場(けいじょう)のなかを見つめていた。革胴服(かわどうふく)にもんぺを穿(は)き、脇差(わきざし)をさした工匠風(こうしょうふう)、だれかと思うと、秀吉(ひでよし)の追捕(ついぶ)をのがれて、竹生島(ちくぶしま)から落ちてきた上部八風斎(かんべはっぷうさい)、いまではもとにかえって鏃鍛冶(やじりかじ)の鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)。
 しゃべっているのは蛾次郎(がじろう)だった。
「だけれど、考えてみると、伊那丸(いなまる)もかわいそうだな。ちょっと、旗上(はたあ)げのまねをしたばかりで、もう首を斬(き)られちまった。忍剣(にんけん)も龍太郎(りゅうたろう)もとうとう冥土(めいど)のお相伴(しょうばん)。アアいやだいやだ死ぬなんて。ねえ親方、こういうところを見ると、やっぱり富士(ふじ)の裾野(すその)あたりで、テンカンテンカンと鏃(やじり)をたたいているのが一ばん安泰(あんたい)ですね」
 卜斎はそばのおしゃべりへ、耳もかさずに腕組(うでぐ)みをしていた。
 だが蛾次郎は、卜斎が返辞(へんじ)をするとしないとにかかわらず、ひとり所感(しょかん)をのべている。
「これで、木から落ちた猿(さる)みたいに、ベソをかくのは竹童(ちくどう)だろう。この見物(けんぶつ)のなかにあいつがいたら、いまの景色(けしき)をどんな顔して見ているだろうな……オヤ、もうおしまいかしら、役人がみんな幕(まく)のかげへはいってしまった――つまらねえな。ア! 非人(ひにん)がきたぞ非人が、三ツの死骸(しがい)をかたづけるんだな。やあいけねえ、伊那丸(いなまる)の首を河原(かわら)の方(ほう)へ持っていってしまやがった。ホウ、あんなところの台(だい)へ首をのせてどうするんだろう、龍太郎(りゅうたろう)の首も、忍剣(にんけん)の首も――アア、獄門(ごくもん)というのはあれかしら? 親方親方、あれですか、獄門にかけるッていうことは?」
 指差(ゆびさ)しをして卜斎(ぼくさい)の顔を見あげたが、その卜斎は、蛾次郎(がじろう)とは、まるで見当(けんとう)ちがいなほうに目をすえているのであった。
 さっきから、なにを見ているんだい親方は?
 と――蛾次郎も卜斎の視線(しせん)にならってその方角(ほうがく)へ目をやってみると、竹矢来(たけやらい)の一角(かく)、そこはいまあらかたの弥次馬(やじうま)が獄門台(ごくもんだい)と掲示(けいじ)の高札(こうさつ)を見になだれさったあとで、ほのあかるい夕闇(ゆうやみ)に、点々(てんてん)と、かぞえるほどの人しか残(のこ)っていなかった。
 卜斎は最前(さいぜん)から、そこばかりをじっとにらんでいた。横目づかいの白眼(しろめ)で――
 蛾次郎の注意もはじめて同じ焦点(しょうてん)へ向いた。
 とたんに、
 かれ蛾次郎の目の玉(たま)が、デングリかえるようにグルグルとうごいた。そしてその睫毛(まつげ)がせわしなくパチパチと目(ま)ばたきをし、眉(まゆ)に八の字(じ)をこしらえた。なにか叫(さけ)ぼうとした唇(くちびる)が上下(じょうげ)にゆがんだが、いう言葉さえ知らぬように、鼻(はな)の穴(あな)をひろげたまま、アングリと口をあいて茫然自失(ぼうぜんじしつ)のていたらく……。
 あたかも磁力(じりょく)にすいつけられてしまったよう。そも、泣き虫の蛾次郎(がじろう)および親方(おやかた)の卜斎(ぼくさい)までが、なにを見てそんなにぼうぜんとしているのかと思えば――それも道理(どうり)、ふしぎ! イヤふしぎなどという生(なま)やさしい形容(けいよう)をこえた、あるべからざる事実(じじつ)が、そこに、顕然(けんぜん)とあったのである。
 見れば北側(きたがわ)の矢来(やらい)そと、人かげまばらなあとにのこって、なにかヒソヒソとささやき合ってる旅人(たびびと)がある。よくよく凝視(ぎょうし)するとおどろいたことには、それが、たったいま、刑場(けいじょう)のなかで首をおとされたはずの忍剣(にんけん)、龍太郎(りゅうたろう)、伊那丸(いなまる)の主従(しゅじゅう)三人。
 あやしいといってもこれほど怪異(かいい)なことはない。菊池半助(きくちはんすけ)が、大衆環視(たいしゅうかんし)のなかでたしかに斬(き)った三人――しかもその血汐(ちしお)は、なおまざまざと刑場(けいじょう)の草をそめており、その首は都田川(みやこだがわ)の獄門台(ごくもんだい)にのせられているのに!
 その人間がここにいる。
 話している。
 笑(わら)っている。
 ときどき、じぶんの首がのせられた獄門台のほうを見ている。
 そして微笑(びしょう)する。
 くすぐったいように――不審(ふしん)なように――ささやき、うなずき合っている。

 卜斎(ぼくさい)が眼をはなさなかったのもあたりまえ。
 蛾次郎(がじろう)が鼻(はな)から息(いき)を吸(す)ったままぼうとあッけにとられてしまったのももっともだ。
 人ちがいじゃないか?
 とも思って、眼をこすって見なおしたが、やはり記憶(きおく)はいつわらない。どう見てもあの三人、菊池半助(きくちはんすけ)にバサと斬(き)られた三ツの首の主(ぬし)にまぎれはない。
 すなわち武田伊那丸(たけだいなまる)は、眉目(びもく)をあさく藺笠(いがさ)にかくし、浮織琥珀(うきおりこはく)の膝行袴(たっつけ)に、肩からななめへ武者結(むしゃむす)びの包(つつ)みをかけ、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)は白衣白鞘(びゃくえしらさや)のいつもの風姿(なり)、また加賀見忍剣(かがみにんけん)もありのままな雲水(うんすい)すがた、手には例(れい)の禅杖(ぜんじょう)をつっ立てている。
「ウーム……親方(おやかた)……」
 蛾次郎はうなるように卜斎を見あげた。
「……はアて……」と卜斎もまたしきりに首をひねっていたが、
「どうもわからぬことがあるものだ。弥次馬(やじうま)にはなにもわかるまいが、わかる者から見ていると、世の中の裏表(うらおもて)は、じつに奇妙(きみょう)だ。いや裏が表だか、表が裏だか、こう見ているとおれにさえわからなくなってくる」
「まったくです!」と蛾次郎も相槌(あいづち)をうって、
「斬(き)られた首が本(ほん)ものの伊那丸か、見ている首が本ものか、なにがなんだか、さっぱりワケがわからなくなっちまった」
「そりゃもちろん、あっちのやつがにせ者だろう」
「テ、どっちがです?」
「矢来(やらい)のそとに立っているやつらよ」
「すると、生きてるほうの伊那丸(いなまる)ですか」
「ウム、方々(ほうぼう)の落武者(おちむしゃ)や浪人(ろうにん)で、飯(めし)の食(く)えない侍(さむらい)などは、よく名のある者のすがたと偽名(ぎめい)をつかって、無智(むち)な在所(ざいしょ)の者をたぶらかして歩く手輩(てあい)がずいぶんある。おおかたそんな者たちだろう」
「だって親方(おやかた)、それにしちゃ、あんまり似過(にす)ぎているじゃありませんか。ちょっとそばへいって、わたしが目利(めき)きをつけてきましょう」
「これッ、よけいなとこへ突(つ)っ走るな」
「へい!」
「ばかめ、すぐに調子(ちょうし)に乗りおって!」
「でも……」
 と蛾次郎(がじろう)は河豚(ふぐ)のようにプーッとふくれた。――なにもそう頭からこんなことをガンと叱(しか)らなくッたってよかりそうなもんだと。
 と思ったが、卜斎(ぼくさい)に袖(そで)をひっぱられたので、気がついた。うしろに、いやな目つきをした町人(ちょうにん)が立っている。
 うさん臭(くさ)い目つきをして、じぶんたちの挙動(きょどう)に注意(ちゅうい)しているらしい。蛾次郎(がじろう)は口をむすんで、あわてて夕星(ゆうぼし)へ顔をそらしながら、
「親方(おやかた)、そろそろ晩(ばん)になりましたネ」
 と空(そら)とぼけた。
「もどろうかな、ご城下(じょうか)へ」
「帰りましょうよ。はやく、宿屋のご飯(はん)が食(た)べたい」
 空の星がふえるのと反比例(はんぴれい)に、地上の人影(ひとかげ)はぼつぼつへっていた。ふたりは矢来(やらい)のきわをはなれながら、それとなく気をつけたが、いつのまにか疑問(ぎもん)の三名は忽然(こつねん)とかげを消(け)して、あたりのどこにも見えなかった。まるでたったいま、ありありと見えたあの姿(すがた)が、まぼろしか? 人間の蜃気楼(しんきろう)でもあったかのように。
 妖麗(ようれい)な夜霞(よがすみ)をふいて、三方(みかた)ヶ原(はら)の野末(のずえ)から卵黄色(らんこうしょく)な夕月(ゆうづき)がのっとあがった。都田川(みやこだがわ)のながれは刻々(こっこく)に水の色を研(と)ぎかえてくる、――藍(あい)、黒、金、銀波(ぎんぱ)。
 そして河原(かわら)はシーンとしてしまった。秋のようだ。虫でも啼(な)きそうだ。獄門台(ごくもんだい)の釘(くぎ)に刺(さ)された三ツの首は、その月光に向かっても、睫毛(まつげ)をふかくふさいでいた。
 そばには生々(なまなま)しい新木(あらき)の高札(こうさつ)が立ってある。
 いつぞやこの原の細道(ほそみち)で、足軽(あしがる)がになっていくのを竹童(ちくどう)がチラと見かけた、あの高札(こうさつ)が打ってあるのだ。――といつの間(ま)にか、その立札(たてふだ)と獄門(ごくもん)の前へ、三ツの人影(ひとかげ)が近づいている。
「わしの首級(しゅきゅう)がさらしてある」
 こういったのは、伊那丸(いなまる)の首のまえに立った伊那丸である。
「これが拙者(せっしゃ)の首でございますな」と龍太郎(りゅうたろう)も、おのれの首をながめて笑(わら)った。
「じぶんの首と対面(たいめん)して話をすることはおもしろい。これ忍剣(にんけん)の首! よくそちの面体(めんてい)をわしに見せろ」
 加賀見忍剣(かがみにんけん)は禅杖(ぜんじょう)を持ちかえ、いきなり、獄門台(ごくもんだい)の首のもとどりをつかんで月光に高くさし上げ、
「は、は、は、は。運(うん)のわるい弱虫の忍剣め、つぎの世には拙僧(せっそう)のような不死身(ふじみ)を持って生まれかわってこい。喝(かつ)! 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)ッ――」
 ドボーンと都田川(みやこだがわ)の流(なが)れへ首をほうりこんだ。
 その水音があがったとたん。
 獄門番(ごくもんばん)の寝(ね)るむしろ小屋(ごや)から、銀(ぎん)の鞭(むち)をたずさえた黒衣(こくい)の伴天連(バテレン)、豹(ひょう)のごとくおどりだして、
「計略(けいりゃく)ッ、図(ず)にあたった!」と絶叫(ぜっきょう)した。
 だれかと思えば、それこそ、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)なのであった。
「ウウむ、網(あみ)にかかった!」
 と、呂宋兵衛の叫(さけ)びにこたえてどなったのは、隠密頭(おんみつがしら)の菊池半助(きくちはんすけ)、いつのまにか、三人の背後(はいご)に姿(すがた)をあらわして、
「しめた! 伊那丸主従(いなまるしゅじゅう)のやつら、そこを去(さ)らすな」
 と四方へ叱咤(しった)する。
 同時に、ピピピピピ……と二人が音(ね)をあわせて吹(ふ)いた高呼笛(たかよびこ)につれて、河原(かわら)のかげや草むらの中から蝗(いなご)のように、わらわらとおどり立った百人の町人(ちょうにん)。これ、その日見物(けんぶつ)のなかにまぎれこませておいた菊池半助配下(はいか)の伊賀衆(いがしゅう)、小具足(こぐそく)十手(じって)の腕(うで)ぞろい、変装(へんそう)百人組(ぐみ)の者たちであった。
 さらに見れば、川向こうから三方(みかた)ヶ原(はら)のおちこちには、いつか、秋霜(しゅうそう)のごとき槍(やり)と刀と人影(ひとかげ)をもって、完全な人縄(ひとなわ)を張(は)り、遠巻(とおま)きに二重(じゅう)のにげ道をふさいでいる。

 そのおなじ日の落ちゆく陽脚(ひあし)をいそいで、まだ逆川(さかさがわ)に夕照(ゆうで)りのあかあかと反映(はんえい)していたころ、小夜(さよ)の中山(なかやま)、日坂(にっさか)の急(きゅう)をさか落としに、松並木(まつなみき)のつづく掛川(かけがわ)から袋井(ふくろい)の宿(しゅく)へと、あたかも鉄球(てっきゅう)がとぶように、砂塵(さじん)をついて疾走(しっそう)していく悍馬(かんば)があった。
 くろく点々(てんてん)と、その数(かず)三頭(とう)。
 いうまでもなく小太郎山(こたろうざん)から、伊那丸(いなまる)の急変(きゅうへん)に鞭(むち)をはげましてきた小幡民部(こばたみんぶ)、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)、巽小文治(たつみこぶんじ)の三勇士(ゆうし)である。
 天龍(てんりゅう)の瀬(せ)を乗っきって、遮(しゃ)二無(む)二笠井(かさい)の里(さと)へあがったのも夢心地(ゆめごこち)、ふと気がつくと、その時はもう西遠江(にしとおとうみ)の連峰(れんぽう)の背に、ゆうよのない陽(ひ)がふかく沈(しず)んで、刻(こく)一刻、一跳(ちょう)一足(そく)ごとに、馬前(ばぜん)の暮色(ぼしょく)は濃(こ)くなっていた。
「暮(く)れたぞ! 暮れたぞ!」
 蔦之助(つたのすけ)は鞭(むち)も折れろとばかり、ぴゅうッと馬背(ばはい)を打ってさけんだ。馬もはやいがより以上(いじょう)に、こころは三方(みかた)ヶ原(はら)にいっている。
「刑場(けいじょう)はもう近い! 落胆(らくたん)するな、気をくじくな!」
 と、民部(みんぶ)はいよいよ手綱(たづな)に勢(せい)をつけて、そればかりはげましてきた。
 しかし、ああしかし、その三方ヶ原の北端(ほくたん)をのぞんだ時には、もう夕刻(ゆうこく)とはいいがたい、すでに夜である。草と平(たいら)にうっすらとした月光さえ流れてきた。
 すると原の道をちりぢりにくる人かげが見えだした。みな浜松(はままつ)の城下(じょうか)へかえっていく見物人(けんぶつにん)である。それを見ると巽小文治(たつみこぶんじ)は、
「ウウム、ざんねんッ――間(ま)に合わなかった! もはや刑場(けいじょう)のことがすんだとみえて、みなあの通りにもどってくる」
 と、歯(は)がみをして、われとわが膝(ひざ)を、かかえている槍(やり)の柄(え)でなぐりつけた。
 民部のようすもさすがに平色(へいしょく)ではなかった。それを見ても、なお気をくじくなとははげましきれなかった。かれは、道々すれちがった町人(ちょうにん)に、都田川(みやこだがわ)のもようをたずねたがそれは、みな伊那丸以下(いなまるいか)のものが、菊池半助(きくちはんすけ)の斬刀(ざんとう)に命(いのち)をたたれて、その首級(しゅきゅう)も河原(かわら)の獄門(ごくもん)にさらしものとなった、という答(こた)えに一致(ち)していた。
 絶望(ぜつぼう)! 三人は馬から落ちるように草原へおりて、よろよろと腰(こし)をついてしまった。
 民部(みんぶ)はものをいわなかった。小文治も黙然(もくねん)とふかい息(いき)をつくのみだった。蔦之助もまた暗然(あんぜん)と言葉をわすれて、無情(むじょう)な星(ほし)のまたたきに涙(なみだ)ぐむばかり……
「ぜひがない! おれは一足(ひとあし)さきにごめんこうむる!」
 小文治(こぶんじ)はいきなり脇差(わきざし)をぬいて自分の腹(はら)へつき立てようとした。と一しょに蔦之助(つたのすけ)も、
「おお、この期(ご)になってなんの生き甲斐(がい)があろう。小文治、拙者(せっしゃ)もともに若君(わかぎみ)のお供(とも)をするぞッ」
 と、同じく自害(じがい)の刃(やいば)を取りかける。
「これッ――」と、民部は叱(しか)りつけるような語気(ごき)で、左右(さゆう)にふたりの腕(うで)くびをつかみながら、
「なにをするのかッ!」
「おたずねはむしろ意外(いがい)にぞんじます」
「死のうという考えならしばらくお待ちなさい」
「すでに伊那丸君(いなまるぎみ)がごさいごとわかった以上(いじょう)は、いさぎよくお供(とも)をして、臣下(しんか)の本分(ほんぶん)をまっとういたしとうござります」
「ご心情(しんじょう)はさもあること。しかしまだそのまえに、臣(しん)としての役目がいくらものこされてある。都田川(みやこだがわ)にかけられた御首級(みしるし)をうばって、浄地(じょうち)へおかくし申すこと。また刑刀(けいとう)をとった菊池半助(きくちはんすけ)を討(う)って、いささか龍太郎(りゅうたろう)や忍剣(にんけん)の霊(れい)をなぐさめることも友情の一ツ。さらに、しばらくこらえて小太郎山(こたろうざん)の味方(みかた)をすぐり、怨敵(おんてき)家康(いえやす)に一矢(し)をむくいたのちに死ぬとも、けっして若君(わかぎみ)のお供(とも)におくれはいたしますまい」
 民部のかんがえ方(かた)は、どういう絶望(ぜつぼう)の壁(へき)に打(ぶ)つかっても、けっして狂(くる)うことがなかった。情熱(じょうねつ)の一方に走りがちな蔦之助(つたのすけ)や小文治(こぶんじ)は、それに、反省(はんせい)されはげまされて、ふたたび馬の背(せ)にとび乗った。
 そしてふと。
 夜色(やしょく)をこめた草原のはてを鞍上(あんじょう)から見ると――はるかに白々(しらじら)とみえる都田川(みやこだがわ)のほとり、そこに、なんであろうか、一脈(みゃく)の殺気(さっき)、形なくうごく陣気(じんき)が民部に感じられた。
「はてな? ……」
 眸(ひとみ)をこらしてみつめていると、ときおり、面(おもて)をなでてくる微風(びふう)にまじってかすかな叫喚(きょうかん)……矢唸(やうな)り……呼子笛(よびこぶえ)……激闘(げきとう)の剣声(けんせい)。

「計策(けいさく)は図(ず)にあたったぞ!」
 と呂宋兵衛(るそんべえ)がさけび、しめたと菊池半助(きくちはんすけ)がいったところからみると、きょう都田川(みやこだがわ)でおこなわれた刑罪(けいざい)は、家康(いえやす)が呂宋兵衛と半助にふかくたくらませてやった、一つの計(はか)りごとであったことはうたがいもない。
 すなわち家康は、さきに伊那丸(いなまる)の主従(しゅじゅう)が、桑名(くわな)からこの浜松(はままつ)へはいってくるという呂宋兵衛の密告(みっこく)はきいたが、容易(ようい)にそのすがたを見出(みいだ)すことができないので、奉行所(ぶぎょうしょ)の牢内(ろうない)にいる罪人(ざいにん)のうちから、同じ年ごろの僧侶(そうりょ)と少年と六部(ぶ)とをよりだし、服装(ふくそう)までそれらしく似(に)かよわせて、わざとことごとしく斬(き)らせたのだ。
 つまり、虚(きょ)をつたえて実(じつ)をさそう、ひとつの陥穽(かんせい)を作らせたのだ。そしてかならず、その日の見物(けんぶつ)のうちには、まことの伊那丸(いなまる)や龍太郎(りゅうたろう)が入(い)りまじってくるにちがいないといった。で、群集(ぐんしゅう)のなかには、百人の伊賀衆(いがしゅう)を変装(へんそう)させてまきちらし、片(かた)っぱしからその顔を改(あらた)めていたのである。
 はたして、伊那丸の主従(しゅじゅう)は、捕(と)らえられもせぬじぶんたちが、きょう刑場(けいじょう)で斬(き)られるといううわさを聞いて、奇異(きい)な感じに誘惑(ゆうわく)された。
 にせ首を斬らせて、まことの首を得(え)ようと計(はか)ったもくろみは、かれらにとって筋書(すじがき)どおりにいったのである。
 もとより龍太郎も忍剣も、この奇怪(きかい)な事実(じじつ)が、意味(いみ)もないものだとは思わなかったが、そうまでの落とし穴(あな)とは気がつかなかった。
「あッ!」
 と獄門台(ごくもんだい)のそばをはなれたときには、すでに、敵影(てきえい)八面(めん)に満(み)ちている。
 呂宋兵衛(るそんべえ)は、今夜こそ伊那丸をとらえて、家康にひとつの功(こう)を立てようものと、銀鞭(ぎんべん)をふるってじぶんたちの一味(み)、丹羽昌仙(にわしょうせん)や早足(はやあし)の燕作(えんさく)や、二、三十人あまりの野武士(のぶし)たちを、獣使(けものつか)いのようにケシかけた。
 菊池半助(きくちはんすけ)はその側面(そくめん)にかかって、部下(ぶか)の変装組(へんそうぐみ)に、激励(げきれい)の声をからした。軽捷(けいしょう)むひな伊賀者(いがもの)ばかりが、百人も小具足術(こぐそくじゅつ)の十手(て)をとって、雨か、小石かのように、入れかわり立ち代(かわ)り、三人の手足にまといついてくるには、野武士(のぶし)の大刀などよりも、むしろ防ぎなやむものだった。
 龍太郎の戒刀(かいとう)は、四角(かく)八面(めん)に斬(き)って斬って、柄(つか)まで血汐(ちしお)になっていた。
 一揮(き)風(かぜ)をよび、一打(だ)颯血(さっけつ)を立てるものは、加賀見忍剣(かがみにんけん)の禅杖(ぜんじょう)でなくてはならない。さきに身代(みがわ)りの自分の首に引導(いんどう)を渡(わた)して、都田川(みやこだがわ)へ水葬礼(すいそうれい)をおこなった快侠僧(かいきょうそう)、なんとその猛闘(もうとう)ぶりの男々(おお)しさよ! 生命力(せいめいりょく)の絶倫(ぜつりん)なことよ!
 見るまに、かれと龍太郎の犠牲(にえ)となる者のかずが知れなかった。そのふたりにまもられながら伊那丸(いなまる)も小太刀(こだち)をぬいて幾人(いくにん)か斬(き)った。だが、かれは敵(てき)をかけまわして浴(あ)びせかけることはしない。身を守って、よりつく者を斬りたおすばかりであった。
 それは、平時に民部(みんぶ)の教えるところであった。民部は伊那丸を勇士(ゆうし)猛夫(もうふ)の部類(ぶるい)には育てたくなかった。器(うつわ)の大きな、徳(とく)のゆたかな、品位(ひんい)と天禀(てんぴん)のまろく融合(ゆうごう)した名将(めいしょう)にみがきあげたいと念(ねん)じている。
 伊那丸はそうして最後を見ていた。
 しずかに、覚悟(かくご)の機会(きかい)を待っていた。
 いくら、追(お)っても斬りふせても、三方(みかた)ヶ原(はら)からわいてでる敵の人数は、少しもへっていくとは見えない。
 そして、都田川を背水(はいすい)にしいて、やや、半刻(はんとき)あまりの苦戦をつづけていると、フイに、思いがけぬ方角(ほうがく)から、ワーッという乱声(らんせい)があがった。
「それッ、獄門(ごくもん)の御首級(みしるし)をうばえ」
「うぬ、伊那丸(いなまる)さまのかたきの片(かた)われ!」
 と、馬首(ばしゅ)をあげておどってきた影(かげ)! 黒々(くろぐろ)とそこに見えた。
 そのまッ先に乗りつけてきたのは、朱柄(あかえ)の槍(やり)をもった巽小文治(たつみこぶんじ)である。
「退(ど)けどけどけ、邪魔(じゃま)するやつはこの槍(やり)を呑(の)ますぞ」
 とばかり、まっしぐらに獄門台の前まできたが、
「やッ、み首級がない!」
「なに、み首級がないと? さては逃(に)げたやつらが素早(すばや)くどこかへかくしたのだろう。それ、向こうの河原(かわら)に馳(か)けたやつを引きとらえてみろ!」
 蔦之助(つたのすけ)は馬上からそこの高札(こうさつ)を引きぬいてふりかざし、どっと、十四、五間(けん)ほどかけだしたが、あッ――と思うまに蔦之助、くぼの草かげから閃(ひら)めいた銀鞭(ぎんべん)にはらわれて、馬もろとも、ドーンともんどり打ってたおれてしまった。
「やッ、どうした?」
 と、小文治が乗りつけてみると、ひとりの怪人(かいじん)、蔦之助を組(く)みふせて鋭利(えいり)な短刀をその胸板(むないた)へ突(つ)きとおそうとしている。
「おのれ!」
 くりだした槍。
 黒衣(こくい)の影(かげ)は、そのケラ首をつかんでふりかえった。
「あッ、呂宋兵衛(るそんべえ)」
 とおどろいたせつなに、小文治(こぶんじ)の馬も屏風(びょうぶ)だおれにぶったおれた。朱柄(あかえ)の槍先(やりさき)をつかんでいた呂宋兵衛も、それにつれてからだを浮(う)かした。
「得(え)たり!」
 とはね起きた蔦之助(つたのすけ)、持ったる高札(こうさつ)で黒衣の影(かげ)に一撃(げき)をくらわせた。すごい声をあげたのは呂宋兵衛、したたかに肩(かた)を打たれたのだ。そして疾風(しっぷう)のごとく逃(に)げだした。
 追(お)おうとすると横合(よこあい)から、小文治の馬腹(ばふく)をついた菊池半助(きくちはんすけ)が、槍をしごいてさまたげた。
「よし、ひきうけた」
 と朱柄の槍がからみあう。
 黒樫(くろがし)の槍と朱柄の槍、せんせんと光を合わしてたたかっている。
 それは小文治にまかせて、蔦之助は逃げる呂宋兵衛を追っていく、へんぺんと風をくぐって同じ色の闇(やみ)にまぎれていく黒衣のはやさ、たちまち見うしなって河原(かわら)へくだると、不意(ふい)に、引っさげていた高札(こうさつ)が、屋根板(やねいた)のようにくだけて手から飛んだ。
「何奴(なにやつ)?」と大刀をぬく。
 相手に眼をつけるまもあらばこそ、ぶーんッとうなってくる鉄(てつ)の禅杖(ぜんじょう)。
 発矢(はっし)、火花(ひばな)!
「待てッ!」と、うしろで伊那丸(いなまる)がさけんだ。
「蔦之助(つたのすけ)ではないか! 忍剣(にんけん)、待て!」
「オオ加賀見(かがみ)――ヤヤ、そちらにおいで遊(あそ)ばすのは若君(わかぎみ)? ……」
 とあっけにとられて立ちすくんでいると、そこへ奇遇(きぐう)におどろきながら、小幡民部(こばたみんぶ)と龍太郎(りゅうたろう)がうちつれて馳(か)けつけてくる。
 小文治(こぶんじ)も相手の半助をいっして、かなたこなたをさまよった後(のち)、やがて、ここの人かげを見つけて走ってきた。
 はしなく落ちあった主従(しゅじゅう)は、かたく手をとって喜びあった。
 どうしてここへ?
 どうして生きて?
 同じ問いが双方(そうほう)の口をついてかわされた。

 嵐(あらし)のような声つなみがいくたびかくりかえされて、月は三方(みかた)ヶ原(はら)の東から西へまわった。
 渋面(じゅうめん)をつくった呂宋兵衛(るそんべえ)と、にがりきった菊池半助(きくちはんすけ)とが、片輪(かたわ)や死骸(しがい)になった味方(みかた)のなかに立ってぼんやりと朝の光を見ていた。
 敵(てき)はどうした! 敵は?
 陽(ひ)が高くあがったが、その行方(ゆくえ)はついにわからなかった。
 家康(いえやす)の不首尾(ふしゅび)な顔が思いやられる……
「どうするんだ、この復命(ふくめい)を?」
「どうするったッて、ありのままに申しあげて、おわびを願うよりほかにない」
「計略(けいりゃく)はうまくあたったんだが……」
「あんな助太刀(すけだち)がうしろを衝(つ)いてこようとは思わなかったからなあ」
 気をくさらして、疲(つか)れたからだをグッタリと草の上に投げあった。その顔へ、ブーンと虻(あぶ)がなぶってくる。
「ちイッ……」
 と半助は舌(した)打ちをした。
 そのころ武田伊那丸(たけだいなまる)は、ゆらゆらと駒(こま)にゆられて、大井川(おおいがわ)の上流、地蔵峠(じぞうとうげ)にかかっていた。
 五人の屈強(くっきょう)なるものが、その前後(ぜんご)につきしたがっている。
 この裏道(うらみち)をくるのにも、とちゅう、一、二ヵ所(しょ)の山関(やまぜき)があったが、小人数(こにんずう)の関守(せきも)りや、徳川家(とくがわけ)の名もない小役人などは、この一行(こう)のまえには、鎧袖(がいしゅう)一触(しょく)の価(あたい)すらもない。
 山路(やまじ)の険(けわ)しさはあるが、道は坦々(たんたん)、無人(むじん)の境(きょう)をすすむごとしだ。
 武田(たけだ)一党(とう)のまえには、洋々(ようよう)としたひろい光明(こうみょう)が待っているかと感ぜられる。見よ! もう大根沢(おおねざわ)の渓谷(けいこく)のあいだから、莞爾(かんじ)とした富士(ふじ)のかおが、伊那丸の無事(ぶじ)をむかえているではないか。
 立って地蔵峠(じぞうとうげ)の頂(いただき)からふりかえると、もう三方(みかた)ヶ原(はら)は遠(とお)くボカされて、ゆうべのことも夢(ゆめ)のようだ。
 あおい駿河(するが)の海岸線の一端(たん)には、家康(いえやす)の居城(きょじょう)が、松葉でつつんだ一個(こ)の菓子(かし)のごとく小さく望(のぞ)まれる。
「さだめしいまごろは、あのむずかしい顔を一そうむずかしくしているだろう」
 と思う想像(そうぞう)が、みんなの顔に、禁(きん)じえないほほえみをのぼせた。
 なにか、今日ばかりは、はればれしい旅(たび)ごこちがした。伊那丸(いなまる)も民部(みんぶ)も、そして、龍太郎(りゅうたろう)やそのほかの者も。
 そう思うこころの矢(や)さきへ、峠(とうげ)の間道(かんどう)を、のんきな唄(うた)がとおっていった。崖(がけ)の下へきた時に、小文治(こぶんじ)がのぞいてみると、裾野(すその)で見おぼえのある鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)、唄(うた)は、おともの蛾次郎(がじろう)が、大きな口を天へむかって開いているのだ。
「オヤ」
 と、向こうで気がついて、すぐわき道へ影(かげ)をかくしたので、一行(こう)の者もあえて追(お)わず、そのままさきをいそいでゆく。
 そしてようよう、駿遠(すんえん)の山境(さんきょう)を踏破(とうは)してきた。もとより旅人(たびびと)もあまり通らぬ道、里数(りすう)はあまりはかどらない。服織(はとり)という二、三十戸(こ)の山村(さんそん)、みな素朴(そぼく)な山家者(やまがもの)らしいので、その一軒(けん)へ伊勢(いせ)の郷士(ごうし)といつわって宿(やど)をかりた。
 はいった家は、その村の長(おさ)の邸(やしき)らしい。
 土着(どちゃく)の旧家(きゅうか)らしい土塀(どべい)や樹木(じゅもく)が、母屋(おもや)を深くつつんでいた。
 渓流(けいりゅう)へいってからだを洗(あら)い、宿の主(あるじ)にひかれて、奥(おく)の一室(しつ)へ落ちつくと、床(とこ)に一幅(ぷく)の軸(じく)がかかっていた。それはその部屋(へや)へはいったとたんに、だれにもすぐ目についた。
 伊那丸(いなまる)はサッと色をかえて、
「亭主(ていしゅ)」と案内(あんない)してきた村長(むらおさ)を見おろした。
「はい、なにかお気にさからいましたか」
「この石摺(いしず)りの軸はどうしてそちが手に入(い)れた」
「ああ、それは石摺りと申しますか。じつはわたしにもよく読めませず、へんなものだと思いましたが、このあいだ、村へまよってまいりました妙(みょう)な老人が、宿(やど)をかりた礼(れい)にといって、自分でかけてまいりましたので、そのままほッておいたのでござります」
「忍剣(にんけん)、龍太郎(りゅうたろう)。これを見い!」
 と伊那丸はさらに床(とこ)の間(ま)にちかづいて指さした。それまでは他(ほか)の者も、なにか、得体(えたい)の知れない、ただ岩(いわ)の肌(はだ)へ墨(すみ)をつけてそれを転写(てんしゃ)した碑文(ひぶん)かなにかと思っていた。が、そういわれてよく見ると、まっ黒な黒と白い筋(すじ)のあいだに二行(ぎょう)の文字が刷(す)りだされてある。
「あッ!」龍太郎はぎょッとした。忍剣もふしぎにたえない面持(おももち)であった。

父子(ふし)の邂逅(かいこう)はむなしく
小太郎山(こたろうざん)の砦(とりで)はあやうし

 いつか、京都の舟岡山(ふなおかやま)、雷神(らいじん)の滝(たき)の岩頭(がんとう)に、果心居士(かしんこじ)が彫(ほ)りのこしていった二行(ぎょう)の予言(よげん)!
 それが岩のしわ目と文字の痕(あと)をほの白く、そッくりそのまま、石摺(いしず)りに写(うつ)ってここにあるのではないか。
 勝頼(かつより)と伊那丸(いなまる)のことを、未然(みぜん)に暗示(あんじ)した一行(ぎょう)の文字はいま思えばあたっていた。戦慄(せんりつ)すべきもう一行(ぎょう)の予言(よげん)! 小太郎山(こたろうざん)の砦(とりで)があやういとはどういうわけか? それは伊那丸にも民部(みんぶ)にも、どうしてもわからなかった。
 村長(むらおさ)の話をきけば、数日前に、この家(うち)へとまって飄然(ひょうぜん)と去(さ)ったという妙(みょう)な老人というのこそ、どうやら果心居士であるような気がする。

 躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の館(たち)というのは、甲府(こうふ)の町に南面(なんめん)した平城(ひらじろ)である。
 平城というのは、天嶮(てんけん)によらず平地(へいち)にきずいた城塞(じょうさい)のことで、要害(ようがい)といっては、高さ一丈(じょう)ばかりの芝土手(しばどて)と、清冽(せいれつ)な水をあさく流した濠(ほり)があるだけだ。
 土手は南北百六間(けん)、三ツの郭(くるわ)にわかれ、八門(もん)の石築(いしづき)に出入(でい)りを守(まも)られている。
 青銅瓦(せいどうがわら)のご殿(てん)の屋根(やね)、樹林(じゅりん)からすいてみえる高楼(たかどの)づくりの朱(しゅ)の勾欄(こうらん)、芝(しば)の土手(どて)にのびのびと枝ぶりを舞(ま)わせている松のすがたなど城というよりは、まことに、館(たち)とよぶほうがふさわしい。
 甲斐(かい)の土は一歩(ぽ)も敵にふませぬ。
 終生(しゅうせい)このことばをもって通した信玄(しんげん)には、ものものしい要害(ようがい)は無用(むよう)であった。けれど、勝頼(かつより)が敗(やぶ)れたのちは、その躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の館(たち)も、織田(おだ)の代官(だいかん)の居邸(きょてい)となり、さらにそののち火事泥的(かじどろてき)に甲府(こうふ)へ兵をだしてかすめとった小田原(おだわら)の北条氏直(ほうじょううじなお)が持主(もちぬし)にかわった。
 氏直が甲府を手にいれたと知ると、家康(いえやす)は眉(まゆ)をひそめた。
「もし小太郎山(こたろうざん)と甲府とが結(むす)びついたら? どうだろう?」
 想像(そうぞう)するだけでもおそろしいことだと思った。
 で、かれ一流(りゅう)の反間苦肉(はんかんくにく)の策(さく)をほどこし、奇兵(きへい)をだして、躑躅ヶ崎の館をうばった。それは、伊那丸(いなまる)が京都へいっているあいだのできごとであった。
 大久保石見守長安(おおくぼいわみのかみながやす)は、家康の腹心(ふくしん)で、能役者(のうやくしゃ)の子から金座奉行(きんざぶぎょう)に立身(りっしん)した男、ひじょうに才智(さいち)にたけ算盤(そろばん)にたっしている。家康はその石見守を甲府の代官とした。そして甲州(こうしゅう)には昔からの金坑(きんこう)があるから、できうるかぎりの金塊(きんかい)を浜松におくれと命(めい)じた。
 でなくてさえ強慾(ごうよく)な石見守は、私腹(しふく)をこやすためと家康のきげんをとるために、金坑掘夫(ほり)をやとって八方へ鉱脈(こうみゃく)をさぐらせる一方に、甲斐(かい)の百姓(ひゃくしょう)町人(ちょうにん)から、ビシビシと苛税(かぜい)をしぼりあげて、じぶんは躑躅ヶ崎の館で、むかしの信虎(のぶとら)時代もおよばぬほどなぜいたくをきわめている。
「畜生(ちくしょう)ッ、あばれるか! 手向(てむ)かいをすると耳をきるぞ! 脛(すね)をぶッぱらうぞ! 歩けッ、歩けッ、うぬ歩かんか」
 腕(うで)まくりをした若侍(わかざむらい)が八、九人。
 いま、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の石門(いしもん)のなかへ、ひとりの百姓をしばりつけてきた。
「おとうさんを助けてくださいませ! もし、おとうさん、あやまってください、お武家(ぶけ)さま、堪忍(かんにん)してあげてくださいませ」
 十五、六の女の子。その百姓の娘(むすめ)らしい。人目(ひとめ)もなく泣(な)きながら若侍の腕(うで)にすがりつくのを、
「えい、きさまも片(かた)われだ!」と、大きな掌(てのひら)で頬(ほお)をなぐった。
 娘はワーッと声をあげて泣く。百姓は気狂(きちが)いのように猛(たけ)る。それを仮借(かしゃく)なくズルズルと引きずってきて、やがて、大久保石見(おおくぼいわみ)が酒宴(しゅえん)をしている庭先(にわさき)へすえた。
「なんだ、そのむさくるしい人間は?」
 石見守は、近習(きんじゅう)に酌(しゃく)をさせながら、トロンとした眼で見おろした。若侍は膝(ひざ)をついて、
「こいつ、ただいまご城下(じょうか)の辻(つじ)で、信玄(しんげん)の碑(ひ)のまえへ供物(くもつ)をあげながら、徳川家(とくがわけ)のことを悪(あし)ざまにのろっておりました」
「斬(き)ッてしまえ」
 酒をふくみながら石見守(いわみのかみ)はかんたんにいった。
「ついでに、あの信玄(しんげん)の石碑(せきひ)なども、濠(ほり)のそこへ投げこんでしまうがいい。あんなものを辻にたてておくから、いつまでも百姓(ひゃくしょう)や町人(ちょうにん)めが、旧主(きゅうしゅ)をわすれず新しい領主(りょうしゅ)をうらみに思うのだ」
 若侍(わかざむらい)はただちに刀を抜(ぬ)いた。
 石見守は盃(さかずき)を重(かさ)ねて見てもいなかったが、バッと音がしたので庭先(にわさき)へおもてを向けてみると、もう百姓と娘(むすめ)の死骸(しがい)がふたところにつッ伏(ぷ)していた。
「殿(との)さま!」
 そこへ、ひとりの小侍(こざむらい)が、あわただしい足音をさせて、一封(ぷう)の早打状(はやうち)をもたらしてきた。
 大きな黒印(こくいん)がすわっている。徳川家康(とくがわいえやす)の手状(しゅじょう)だ。
「おッ、なんだろう?」
 かれも少し酒(さけ)の気をさまして、いそがわしく封(ふう)を切った。またその下にも封緘(ふうかん)がしてある。よほど大事なことだなと思った。
「これ、伊部熊蔵(いのべくまぞう)をよべ、奥(おく)の鉱石庫(かなぐら)にいるはずじゃ」
 その手紙を巻(ま)きおさめながら、こういった石見守の顔色(かおいろ)は尋常(じんじょう)でない。
 鉱山目付(かなやまめつけ)の伊部熊蔵、奥のほうから庭伝(にわづた)いにとんできた。大久保石見(おおくぼいわみ)は酒席(しゅせき)につっ立って、庭先にいる中戸川弥五郎(なかどがわやごろう)という若侍へ、
「その見ぎたない百姓と娘の死骸を、はやくどこかへ取りかたづけろ」
 と苦々(にがにが)しくいいつけて、
「おお熊蔵、むこうへまわれ、浜松(はままつ)からの早打状(はやうち)で、そちに申しつける急用ができた」
 と、離室(はなれ)のほうへ顎(あご)をさして、そのなかへ密談(みつだん)にすがたをかくしてしまった。そして半刻(はんとき)ばかりすると、伊部熊蔵(いのべくまぞう)、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の館(たち)の外郭(そとぐるわ)へ駈(か)けだしてきて、ピピピピと山笛(やまぶえ)を吹いた。
 鉱石庫(かなぐら)の外や内(うち)ではたらいていた荒(あら)くれ男は、その山笛をきくと持っている槌(つち)も天秤(てんびん)もほうりなげて、ワラワラと熊蔵のいる土手(どて)の下へあつまってきた。
「おい、すばらしい鉱脈(こうみゃく)が見つかったんだ」
 熊蔵はこういって、鉱山掘夫(かなやまほり)一同の顔をジロリと見わたした。どれもこれも山男のようなたくましい筋肉(きんにく)と、獰猛(どうもう)な形相(ぎょうそう)をもっていて、尻切襦袢(しりきりじゅばん)へむすんだ三尺(じゃく)帯(おび)の腰(こし)には、一本ずつの山刀(やまがたな)と、一本ずつの鉱石槌(かなづち)をはさんでいる。鷲(わし)のくちばしのようにするどく曲(まが)ってキラキラ光っている鉱山槌だ。
「ヘエ」と、みんなバカにしたような面(つら)がまえで、熊蔵のことばを冷笑(れいしょう)した。
「どうして素人(しろうと)にそんなものが見つかったんですえ?」
「素人? ふふん、貴様(きさま)たちみたいに、銅脈(どうみゃく)ばかりさぐりあてる玄人(くろうと)とはちがって、しかもこれは金鉱(きんこう)だ」
「ごじょうだんでしょう、めッたやたらに、そんな鉱山(やま)があってたまるもんですか」
「いやうそではない、すぐにこれから、その鉱山(やま)へ出立(しゅったつ)するのだ」
「まったくですか? そしていったいそりゃあだれが見つけた山なんで」
「浜松城(はままつじょう)のご主君(しゅくん)、右少将家康様(うしょうしょういえやすさま)だ!」
「? ……」
 みんなあッけにとられてしまった。家康公(いえやすこう)が鉱山掘夫(かなやまほり)の玄人(くろうと)だとはのみこめない……という顔だ。
 熊蔵(くまぞう)はすこしキッとなって、山目付(やまめつけ)らしい威厳(いげん)をとった。
「で、これは家康公の直命(じきめい)にひとしいのだから、鉱山へいくとちゅうで、イヤの応(おう)のとしぶるやつは、ようしゃなく打(ぶ)ッた斬(ぎ)るからさよう心得(こころえ)ろ」
「へい」
「頭数(あたまかず)は?」
「六十人ばかりで……」
「よし、向こうへいけば、まだ人数がいるはずだから、これだけでいいだろう。五足(そく)ずつの草鞋(わらじ)と三日分(ぶん)の焼米(やきごめ)を腰(こし)につけて、すぐに西門(にしもん)のお濠(ほり)ぎわへ集(あつ)まりなおせ!」

 さて。
 躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の館(たち)をでた六十人の鉱山掘夫。
 伊部熊蔵(いのべくまぞう)にひかれて、甲府(こうふ)の城下(じょうか)を西へ西へとすすみ、龍王街道(りゅうおうかいどう)から釜無川(かまなしがわ)を駈(か)けわたり、やがて、山地(さんち)にさしかかった。
「どこだい、ここは」
「御勅使川(みてしがわ)の裾(すそ)じゃねえか」
「ふーむ、まだ山はあさいな」
「どうやら、ゆくさきは信濃(しなの)か飛騨(ひだ)だぜ」
 ドンドンドンドン、駈(か)けていく。
「沢(さわ)へでたな」
「水びたしじゃ草鞋がたまらねえ」
「向こうの山は?」
「大唐松(おおからまつ)よ」
「峠(とうげ)へきたな、どこだいここは」
「べらぼうめ、鉱山掘夫(かなやまほり)がいちいち山の名をきくやつがあるものか。トノコヤ峠(とうげ)、雨池(あまいけ)の下(くだ)り勾配(こうばい)、ヌックと向こうに立っているのが、甲信駿(こうしんすん)の三国にまたがっている白根(しらね)ヶ岳(たけ)と鷲(わし)の巣(す)山(やま)だ」
「だが、オイ」
「なんだ」
「いったいどこまでいくんだろう」
「さあ、そいつはおれにもわからねえ、さきへいくお目付(めつけ)の熊蔵(くまぞう)さまに聞いてみねえ」
「へんだな、妙(みょう)だな、だんだん鉱気(かなけ)のねえ山へはいっていくぜ。打(ぶ)つかるなア、水脈(みずみゃく)ばかりだ」
 しかり、鉱山掘夫(かなやまほり)六十人、その時、野呂川(のろがわ)の流(なが)れに沿(そ)って、上流(かみ)へ上流へと足なみをそろえていた。
 森々(しんしん)と深まさる檜(ひのき)の沢(さわ)、タッタとそろう足音が、思わず足を軽(かる)くさせる。
 と思うと、伊部熊蔵(いのべくまぞう)、
「オイ、止(と)まれ」とうしろを向いた。
 六十人の額(ひたい)からポッポと湯気(ゆげ)がたっている。
 そこは小太郎山(こたろうざん)のふもとであった。

「止まれ」
 といわれた鉱山掘夫、汗(あせ)をふきながらあたりを見て、みんなけげんな顔をしながら、伊部熊蔵のさしずをうたがった。
 ばかにしてやがら! といわんばかりに、気の荒(あら)い山掘夫(やまほり)のひとりが、
「もし、熊蔵(くまぞう)さま!」と、突(つ)っかかってきた。
「なんだ、雁六(がんろく)」
「ここは小太郎山(こたろうざん)じゃあねえんですか」
「そうだ、小太郎山の東麓(とうろく)だが、それがどうかいたしたか」
「どうかしたかもねエもんです、じょうだんじゃアねえ、いいかげんにしておくんなさい」
 と小頭(こがしら)の雁六が腹(はら)をたてて、岩に腰(こし)をおろしてしまったので、以下(いか)六十人の山掘夫(やまほり)も、みんなブツブツ口小言(くちこごと)をつぶやきながら、ふて腐(くさ)れの煙草(たばこ)やすみとでかけはじめた。
 こんな日傭稼(ひようかせ)ぎなどになめられて、山目付(やまめつけ)というお役目がつとまるものかと、伊部熊蔵(いのべくまぞう)、ひたいに青筋(あおすじ)を立ってカンカンになりながら、
「こら! 山掘夫どもッ。だれのゆるしを得(え)て勝手に煙草休(たばこやす)みをするか。躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)をでた時からきっといいわたしてあるとおり、拙者(せっしゃ)の命(めい)にそむくことは大久保石見守(おおくぼいわみのかみ)さまの命にそむくも同じこと、石見守さまのおいいつけにそむくことは、すなわち、家康公(いえやすこう)のご命令をないがしろにいたすも同様(どうよう)だぞッ」
 そういいながら、いきなり腰(こし)の刀をぬいて素(す)ぶりをくれ、猛獣使(もうじゅうつか)いの鞭(むち)のように持った。
「いいつけを守(まも)って、すなおにはたらく者へは、後日(ごじつ)、じゅうぶんな褒美(ほうび)をくれるし、とやこう申すやつは斬(き)ってすてるからさよう心得(こころえ)ろ」
「ですがお目付(めつけ)さま、いくら働けといったところで、こんな鉱気(かなけ)のないくそ山を、掘(ほ)り返(かえ)したところでしようがありますまい」
「イヤこの山には金鉱(きんこう)の脈(みゃく)がある! すなわち家康公(いえやすこう)にとっての金脈(きんみゃく)があるのだ! これからそれをさがしにかかるのだから、ずいぶん骨(ほね)を折るがよい。いまもいったとおり、首尾(しゅび)よくいけば莫大(ばくだい)なご褒美(ほうび)がある仕事だから」
「どうもさっぱり腑(ふ)に落ちませんが、おそらく骨折(ほねお)り損(ぞん)のくたびれもうけでございましょう」
「よけいなことはいわんでもよい。さ、一服(ぷく)吸(す)ったら八方(ぽう)へ手を分けて、まず第一に間道(かんどう)らしい洞穴(ほらあな)をさがしてみろ」
「ヘエ、洞穴を」
「ウム、洞穴だ! かならずどこかに頂上(ちょうじょう)へ抜(ぬ)けでられる穴口(あなぐち)があるはずだ」
「そしてそれをどうするんで?」
「いずれ要所(ようしょ)要所には、石扉(せきひ)を閉(た)てたり岩石(がんせき)や組木(くみき)を組(く)んで、ふだんは通れぬ仕掛(しか)けになっているだろう。それをおまえたちの槌(つち)でいけるところまで掘(ほ)りぬいていくのだ」
「へえ? ……そうして」
「そうして不意(ふい)にとりでの郭内(くるわない)にあらわれ、岩くだきの強薬(ごうやく)を爆発(ばくはつ)させて、砦(とりで)にるすいをしているやつらがあわてさわぐまに、小太郎山(こたろうざん)を乗っとってしまう! むろん、これだけの人数ではむずかしいが、砦(とりで)のなかにはまえまえから、こっちの味方(みかた)が諜者(まわしもの)になって入(い)りこんでいるし、火薬(かやく)の爆音(ばくおん)をあいずとして、甲府表(こうふおもて)から、いちどきに家中(かちゅう)の者が攻(せ)めかけてくる手はずとなっておるのだから、いわばわれわれは乗(の)っ取(と)りの先陣(せんじん)、願(ねご)うてもない誉(ほま)れをつとめるわけなのだ」
 おどろいたのは小頭(こがしら)の雁六(がんろく)、ほか六十人の山掘夫(やまほり)たちである。
 金脈(きんみゃく)だ金脈だというので、なにも知らずにきてみれば、命(いのち)がけの合戦(かっせん)をやるのだ。間道(かんどう)からもぐりこんで、とりでをかきまわすという危(あぶ)ない役目、鉱山(かなやま)の坑(あな)へ細曳(ほそびき)一本で吊(つ)りさがるよりは、まだ危険(きけん)だ。
「こんなことならついてくるんではなかった」
 と、いまさら臍(ほぞ)をかんでも追(お)いつかない、後陣(ごじん)には石見守(いわみのかみ)の家中(かちゅう)がうしろ巻(まき)をしているといえば、逃(に)げだしたところで、すぐと捕(つか)まって血祭(ちまつ)りになるのは知れている。
「だが、こんな奥(おく)ぶかい山地(さんち)に、だれのとりでがあるのであろうか」
 と、そこで一同、はじめて麓(ふもと)から山を見あげて見たが、峨々(がが)たる岩脈(がんみゃく)と雲(くも)のような樹林(じゅりん)の高さを仰(あお)ぎうるばかりで、城(しろ)らしい石垣(いしがき)も見えず、まして、ここに千も二千もの人数が、立てこもっているとは思われないほど、森々(しんしん)として静かである。

 ぜひなく観念(かんねん)した鉱山掘夫(かなやまほり)は、伊部熊蔵(いのべくまぞう)の指揮(しき)のもとに小太郎山(こたろうざん)の東のふもと、木や草をわけて八方へ散(ち)らかった。
 なにせよ、荒仕事(あらしごと)と山には馴(な)れきった者ばかり、手に手に鷹(たか)のくちばしのように光る鉱石槌(かなづち)を持ち、木の根にひっかけ、崖(がけ)によじ、清水(しみず)と岩脈(がんみゃく)のかたちをさっして、それらしい所をさがし廻(まわ)っているうちに、ひとりが深い熊笹(くまざさ)の沢(さわ)の上で、
「あった! 間道(かんどう)が見つかった!」
 と、大声でさけんだ。
 小頭(こがしら)の雁六(がんろく)が、ピューッと口笛(くちぶえ)を一つ吹(ふ)くと、上から、下から伊部熊蔵(いのべくまぞう)をはじめすべての者のかげが、ワラワラとそこへ駈(か)けあつまった。
 見ると、たけなす山葦(やまあし)と笹(ささ)むらにかくれて、洞然(どうぜん)たる深い横穴(よこあな)がある。
「これだ!」
 と、熊蔵が、用意(ようい)の松明(たいまつ)を持たせて中にすすむと、清水にぬれて海獣(かいじゅう)の肌(はだ)のようにヌルヌルした岩壁(がんぺき)を、無数(むすう)の沢蟹(さわがに)が走りまわったのに、ハッとした。
「雁六、この穴(あな)はどうだ?」
「掘(ほ)ったものです。しかも、まだ新しく掘った穴にちがいありません」
「ウム、それじゃてっきり、山曲輪(やまぐるわ)へ通(つう)じる間道だろう、先を一つさぐってみてくれ」
「合点(がってん)です! オイ松明を持った野郎(やろう)はさきに立て」
 あとからあとからと、山葦をわけてザワザワと中へはいった。そして、奥(おく)へすすめば、すすむほど、土質(どしつ)の肌目(きめ)があらく新しくなってくる。ところどころに、土をくりぬいた段(だん)があった。段をのぼると平地(ひらち)になり、平地をいくと段がきりこんである。
 かくて、かなりの暗黒(あんこく)をうねっていくと、やがてゆきどまりの岸壁(がんぺき)にぶつかった。あらかじめこうあることとは、石見守(いわみのかみ)からもいわれてきた熊蔵(くまぞう)、
「それッ」
 というと、山ほりたち、合点(がってん)といっせいに腰(こし)の槌(つち)をひきぬいて、金脈(きんみゃく)だ金脈だ! 家康公(いえやすこう)から恩賞(おんしょう)のでる金脈だとばかり、たちまちそこを掘(ほ)りぬけた。
 荒鉱(あらがね)を掘ることを思えば、なんの造作(ぞうさ)もないひと仕事。
 抜(ぬ)けると、カーッと陽(ひ)が照(て)っていた。
 小太郎山(こたろうざん)第一の峡(かい)!
 孔雀(くじゃく)の背(せ)なかを見るような燦鬱(さんうつ)として真(ま)っさおな、檜林(ひのきばやし)の急傾斜(きゅうけいしゃ)、それが目の下に見おろされる。
「ウム、ちょうど山の二合(ごう)目(め)だ」
 目のくらむような陽をあびて、狼群(ろうぐん)のように、はいかがんだ人数、向こうに見える次(つぎ)の間道(かんどう)を目がけてゾロゾロゾロゾロはいこんだ。
 さざえのなかをくぐるように、また二つめの間道をしばらくのぼると、山の五合目虚無僧壇(こむそうだん)とよぶところ、暗緑色(あんりょくしょく)の峡(かい)を隔(へだ)てた向こうと、丸石(まるいし)を畳(たた)みあげた砦(とりで)の石垣(いしがき)、黒木(くろき)をくんだ曲輪(くるわ)の建物(たてもの)らしいのがチラリと見える。
 だが、千仭(じん)の深さともたとうべき峡谷(きょうこく)には、向こうへわたる道もなく、蔦葛(つたかずら)の桟橋(かけはし)もない。
「オ、あれに三ツ目の間道(かんどう)がある」
 伊部熊蔵(いのべくまぞう)がこういったので、みなそのあとからついていった。まさしく、こんどは間道らしい間道である。まっ赤(か)な松明(たいまつ)をふり廻(まわ)して、シトシトシトシトいそぎだした。と――こんどは段(だん)もなく、井戸(いど)のような深い穴口(あなぐち)へでた。そこに一本の鉄棒(てつぼう)が横たえられ、蔓梯子(つるばしご)がブラさがっている。
 それより他(ほか)にいきようはないので、いずれまた、段々(だんだん)と上へのぼることになるのであろうと、一同はそれにすがって下(お)りていくと、その深いことはおどろくくらい――、下(お)りるとまたうねうねと道々がある、まるで富士(ふじ)の胎内(たいない)くぐりという形(かたち)だ。
「はてな?」
 と地中の闇(やみ)を馳(か)けながら、小頭(こがしら)の雁六(がんろく)は首をかしげた。
「妙(みょう)だぞ、妙だぞ、いっこう上(のぼ)りになってこない、なんだかだんだん下(くだ)る」
「いやそんなはずはない、こういううちに、しぜんと頂上(ちょうじょう)のとりでの中にでるにちがいない」
 と、伊部熊蔵はがえんぜない。ますます足を早めていった。
 するといきなり眼の前に、ドウーッと真(ま)っ白なものが光った。青い光線がひえびえと流れこんできた。見るとそれは岸(きし)をあらう渓流(けいりゅう)である。岩をかんで銀屑(ぎんせつ)をちらす飛沫(しぶき)である。
 岩壁(がんぺき)の一たんに、ふとい鉄環(てっかん)が打ちこんであり、環(かん)に一本の麻縄(あさなわ)か結(むす)びつけてあった。で、その縄(なわ)の端(はし)をながめやると、大きな丸太筏(まるたいかだ)が三そう、水勢(すいせい)にもてあそばれてうかんでいる。
 はてな? いよいよ、はてな? である。
 熊蔵(くまぞう)も雁六(がんろく)も、すこし道順(みちじゅん)がわからなくなってきた。まえには渓流(けいりゅう)、うしろは暗黒(あんこく)!
「ままよ。いくところまでいって見ろ。つぎには第四の間道(かんどう)があるだろう」
 そう多寡(たか)をくくって、三そうの筏に飛びうつり、向こうへ渡(わた)ろうとしたのであるが、思いのほか水足(みずあし)がはやく、鉄環の縄をきるやいな――ザアッと筏は下流(かりゅう)のほうへ押されてしまった。
 そしてやっと、水勢のゆるい瀞(とろ)へかかった時、向こう岸(ぎし)へはいあがって見ると、ああなんということだ!
 見るとそこは、さっき一同が甲府(こうふ)から指(さ)してきた時に、汗(あせ)をしぼって一列に駈(か)けた野呂川(のろがわ)の右岸(うがん)で、その胎内(たいない)の間道(かんどう)をくぐり、その絶頂(ぜっちょう)のとりでへでようとこころみた小太郎山(こたろうざん)そのものの姿(すがた)は、唖然(あぜん)として立った六十人の眼のあなたに――。
 かなり離(はな)れた渓流の向こうに、むらさきばんだ昼霞(ひるがすみ)をたなびかせ、なにごとも知らぬさまに聳(そび)えている山の容(かたち)こそ、小太郎山ではないか。いま、げんに、その山の腹(はら)をくぐり登(のぼ)っていたはずの山ではないか。
 山掘夫(やまほり)、山にもてあそばる!
 その時、穴(あな)に入るまえはらんらんとかがやいていた太陽が、もう西へまわって朱盆(しゅぼん)のように赤くくすんでいた。

 その高原(こうげん)の一角(かく)に立てば、群山(ぐんざん)をめぐる雲のうみに、いま、しずもうとしている太陽の金環(きんかん)が、ほとんど自分の視線(しせん)よりは、ズッと低目(ひくめ)なところに見える。
 で――まッ赤(か)な逆光線(ぎゃっこうせん)の夕やけに照(て)らされている小太郎山(こたろうざん)の上、陣馬(じんば)ヶ原(はら)いちめんは、不可思議(ふかしぎ)な自然美(しぜんび)にもえあがっていた。
 みやま菫(すみれ)の濃(こ)いむらさき色、白りんどうの気高(けだか)い花、天狗(てんぐ)の錫杖(しゃくじょう)の松明(たいまつ)をならべたような群生(ぐんせい)、そうかと思うと、弟切草(おとぎりそう)や茅(ち)がやの穂(ほ)や、蘭科植物(らんかしょくぶつ)のくさぐさなどが、あたかも南蛮絨毯(なんばんじゅうたん)を敷(し)きのべたように、すみきった大気(たいき)もみださぬほどな微風(びふう)になでられてあった。
「竹童(ちくどう)さアーん、竹童さアん! ……」
 やがてだれかのこう呼(よ)ぶ声がする。
 咲耶子(さくやこ)であった。
 彼女(かのじょ)はいま、砦(とりで)の二の丸から、崖(がけ)をよじてこの高原(こうげん)にのぼってきた。
「竹童(ちくどう)さアーん!」
 二つの掌(て)を口にかざしながら、雲とも夕霧(ゆうぎり)ともつかない白いものにボカされている果(は)てへ、声かぎり呼(よ)び歩いてきた。返辞(へんじ)がない。
 つねに目なれている景色(けしき)ではあるが、そこのうるわしいながめにも足もとの花にも、なんの魅力(みりょく)を感ぜずに咲耶子(さくやこ)は、ひたすら、すがたの見えない竹童をあんじていた。
 きょうの午(ひる)ごろまでは、じぶんと一しょに、砦のおくの櫓(やぐら)に、きのうと同じように油断(ゆだん)なく小太郎山(こたろうざん)を見張(みは)っていたのに、いつのまにか櫓を下りていったきりかえってこない。
 この四、五日のあいだは、小幡民部(こばたみんぶ)をはじめその他(ほか)の人たちが、とおく三方(みかた)ヶ原(はら)まで伊那丸(いなまる)の危急(ききゅう)を救(すく)いにかけつけているだいじな留守(るす)! その留守のあいだは、味方(みかた)の武士(ぶし)がこめている砦とはいえ、けっして油断をしてはならないのに、あの子はまアどこへいってしまったのだろう? ……
「ほんとに、竹童さんはまだ子供だ。もう日が暮(く)れようとしているのに――わたしにこんな心配(しんぱい)をさせて」
 咲耶子は不安にたえぬように眉(まゆ)をひそめた。
 夕餉(ゆうげ)どきに帰りを忘(わす)れてあそんでいる弟(おとうと)を、父や母が怒(おこ)らぬうちにとハラハラしてさがす姉(あね)のような愛が、彼女の眼にこもっていた。
「竹童さアーん……」
 そうして、自分の身の危険(きけん)を、一歩(ぽ)一歩とわすれていった。
「もしかすると?」
 露(つゆ)にぬれる草履(ぞうり)のグッショリと重(おも)くなったのも感じないで、例(れい)の樺(かば)の林のほうへかけだして見た。林のあさいところの木は、一本一本薄(うす)い夕陽(ゆうひ)の紅(べに)になすられているが、奥(おく)のほうはもう宵(よい)のような闇(やみ)がただよっている。
 そこでもまた呼(よ)んで見た。
 五たび六たびも、あかずにかれの名をよんだ。
 だが林の奥から、さびしい木魂(こだま)がかえってくるだけで、オーイと、あの快活(かいかつ)な竹童の返辞(へんじ)はしてこない。
「おや?」
 咲耶子(さくやこ)は妙(みょう)な音にきき耳を立てて、林のやみへ眸(ひとみ)をこらした。なにか非常に大きな力が樹木(じゅもく)をゆすったように思える。
 われをわすれ、樺の密林(みつりん)へ馳(か)けこんだ。見ると、なかでも大きな一本の樺の木に、あの竹童の飼(か)っている荒鷲(あらわし)がつながれてあった。その飼主(かいぬし)の名を呼んだので、羽ばたきをしたのであろうと、愛(いと)しく思えたが、
「おまえをかわいがっている竹童さんはどこへいったか?」
 と、禽(とり)に聞いてみるよしもなかった。咲耶子はまたすごすごとそこをさった。
 すると、大蛇(おろち)の背(せ)なかのようなものが、笹(ささ)を分けてザワザワと彼女(かのじょ)についていく――それはかなりまえから先のかげをねめまわしていたのであるが、咲耶子(さくやこ)は知らなかった。
 林の道が三ツ股(また)にわかれているところへくると、その左右(さゆう)にも、ふたりの人間がかがんでいて、足音を聞くとともに、ムクッとうごいたよう……
「だれじゃッ?」
 はげしくいって、キッと小脇差(こわきざし)に手をかけて立ちどまると、甲虫(かぶとむし)のような茶色(ちゃいろ)の具足(ぐそく)をつけた侍(さむらい)が、いきなりおどりあがって左右から二本の槍(やり)をつき向けた。
「咲耶子! しずかにしろ」
「ヤッ、おまえたちは、外曲輪(そとぐるわ)の番卒(ばんそつ)ではないか」
「ばかをいえ、おれたちは大久保長安(おおくぼながやす)さまからたのまれて、それとなくまえから野武士(のぶし)をよそおい、この砦(とりで)へさぐりに入っている黒川八十松(くろかわやそまつ)、団軍次郎(だんぐんじろう)という者、どうだ胆(きも)をつぶしたか」
「大久保長安? ――やや、すると、おまえたちは、慾(よく)に釣(つ)られて敵(てき)の諜者(まわしもの)に買われたのじゃな」
「知れたことだ! 武田伊那丸(たけだいなまる)は留守(るす)、小幡民部(こばたみんぶ)もでていったこの砦(とりで)は、もう空巣同然(あきすどうぜん)、入(い)れ代(かわ)ってきょうからは、大久保石見守(おおくぼいわみのかみ)さまが下(さが)り藤(ふじ)の旗差物(はたさしもの)と立てかわり、家康公(いえやすこう)のご支配(しはい)となる。神妙(しんみょう)に縄(なわ)にかかってしまえ!」
「なに、縄(なわ)にかかれと?」
「オオ、甲府城(こうふじょう)躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)まで曳(ひ)いてこいという、石見守(いわみのかみ)さまの厳命(げんめい)、悪くあがくとこの槍(やり)に血(ち)ぶるいをさせるぞ」
「だまれ、たとえ伊那丸(いなまる)さまや一党(とう)のお方は留守(るす)であろうと、この咲耶子(さくやこ)と竹童(ちくどう)が留守(るす)をあずかる以上(いじょう)、おまえたちに、なんで、おめおめと小太郎山(こたろうざん)を渡(わた)してよいものか。侍(さむらい)のくせにして、慾に目がくらんで味方(みかた)を売る裏切(うらぎ)りもの、多くの部下(ぶか)の見せしめのため、陣馬(じんば)ヶ原(はら)で討(う)ち首にしてあげる」
「なまいきなッ」
 と、いわせも果(は)てず、ひとりが長槍(ちょうそう)をくりだしてくるのをかわして、咲耶子は手ばやく呼子笛(よびこ)を吹きかけた。
 と――うしろから地をはってきた曲者(くせもの)、跳(と)びかかってその喉首(のどくび)をしめあげる。だが、彼女も屈(くっ)しはしない。裾野(すその)にいたころは富士(ふじ)の山大名(やまだいみょう)の娘(むすめ)――胡蝶陣(こちょうじん)の神技(しんぎ)――猛獣(もうじゅう)のような野武士(のぶし)のむれを自由自在(じざい)にうごかした咲耶子である。
 手を廻(まわ)してその腕(うで)くびをつかんだかと思うと、あざやかに、大の男を肩越(かたご)しに投げた。
「うッ、おのれ」
 と二本の槍(やり)は、風を吸(す)って十字の閃光(せんこう)をかく。
 咲耶子は口にくわえた呼子笛を、力いッぱい、ピピピピピッ……と吹きたてながら、陣馬(じんば)ヶ原(はら)のお花畑(はなばたけ)へ走りだした。

 だが、けんめいにふいた呼子笛(よびこ)は、とおき砦(とりで)にいる味方(みかた)をまねくまえに、あたりの悪魔(あくま)を集めてしまった。
 甲府(こうふ)の代官(だいかん)大久保石見守(おおくぼいわみのかみ)が、手をまわして入(い)れておいた裏切(うらぎ)り者はすべてで十二人、彼女(かのじょ)の走りだすさき、さけるさきに、槍(やり)を取って立ちふさがる。
 砦(とりで)の一の曲輪(くるわ)、二の曲輪には、味方(みかた)の郎党(ろうどう)たちが二千人足(た)らずはいるので、その者たちに知らせさえすれば、わずかな裏切り者ぐらいはなんのぞうさもなく片(かた)づけてしまうのであろうが、この陣馬(じんば)の高原(こうげん)とそことは、平地(へいち)にしてちょうど十町ほどの距離(きょり)があった。
 咲耶子(さくやこ)は、ともあれそこへ近づいて、味方(みかた)へこの急変(きゅうへん)を叫(さけ)ぼうとあせった。で、追(お)い走ってくる槍、横から突(つ)いてかかる槍の穂(ほ)を、翻身(ほんしん)、蝶(ちょう)のごとくかわしながら、白りんどうの花をけった。
「かれを二の丸へ近づけては一大事!」
 と、追いまくした十二人の裏切り武士(ぶし)、そのなかでも剛力(ごうりき)をほこる神保大吉(じんぼうだいきち)は、九尺(しゃく)柄(え)の槍をしごいて、咲耶子のまえへ馳(か)けまわった。
 彼女の手には尺(しゃく)四、五寸(すん)の小太刀(こだち)がひかる。
 からりッと、槍(やり)と小太刀(こだち)がからみ合った。
 小太刀は槍の柄(え)を断(た)ちきれず、白い穂先(ほさき)が肩(かた)をかすめてうしろへ抜(ぬ)ける。
 手(て)もとへもどして、穂(ほ)みじかに構(かま)えなおした神保大吉(じんぼうだいきち)は、咲耶子(さくやこ)が右へよれば右へ、左へよれば左へ、ジワジワとおしていった。
 そのまに、黒川八十松(くろかわやそまつ)、団軍次郎(だんぐんじろう)、そのほかの者が、十二本の槍をそろえて、ドッ――と咲耶子の前後にかかる!
 ああもういけない!
 咲耶子は近よったひとりを斬(き)って、ふたたび、樺(かば)の林へかけこんだ。そこでは、密生(みっせい)している木立(こだち)のために、十二人がいちどきに彼女を取り巻(ま)くことができない。
 団軍次郎と神保大吉は、それと見るや否(いな)、まっさきに林の細道(ほそみち)へふみこんだ。そして、咲耶子を道の尽(つ)きるところまで追(お)いこんで、ここぞと、気合(きあ)いをあわせて、二槍(そう)一緒(しょ)に彼女の胸板(むないた)へ突(つ)いていった。
「あッ!」
 一槍ははらったが――もう一槍!
 大吉の突(つ)きだした大身(おおみ)の槍は、かわす間(ま)もなく、咲耶子の胸(むね)から白い顎(あご)へと!
 しまった――と思うと。
 不意(ふい)にどこからかブン――と虻(あぶ)のようにうなってきたひとつの独楽(こま)が、槍のケラ首へくるくると巻(ま)きついた。むろん、槍は独楽の紐(ひも)にひかれて、思わぬほうへたぐられてしまった。
「やッ?」
 と神保大吉(じんぼうだいきち)は、あたりのほの暗(ぐら)さに、それを独楽(こま)ともなんともさとらずに、力まかせに手もとへひく! と一方の独楽の紐(ひも)も、負けずおとらず剛力(ごうりき)をかけて引ッ張った。
 すると、槍(やり)の柄(え)に巻きよじれた独楽、双方(そうほう)の力にガラガラッと火を吹いて虚空(こくう)にまわる――。
「おうッ!」
 と目をおさえてたじろいだのは、あとからきた裏切(うらぎ)り武士(ぶし)ども。すでに林の夜は濃(こ)く、あいての姿(すがた)もかすかにしか見えない闇(やみ)! そこに、一箇(こ)の炬火(きょか)が廻(まわ)っている! いな、廻っているのは独楽なのだが、あたかも、太陽のコロナのごとく、独楽はブンブン火を吹きながらまわっているのだ。
 青か赤かむらさきか? なんとも見定(みさだ)めのつかない火の色、燿々(ようよう)とめぐる火焔車(かえんぐるま)のように、虚空に円をえがいて馳(か)けだしてきた!
「あッ」
 と八方に逃(に)げながら、その怪光(かいこう)をすかしてみると、独楽の持ち手はまぎれもない鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)。
「竹童だ! 竹童だ!」
 だれの口からともなく戦慄(せんりつ)の声がもれる。
「なに竹童? 多寡(たか)の知れた餓鬼(がき)ではないか、うぬ、おれが槍先(やりさき)に突(つ)っかけてやる」
 神保大吉(じんぼうだいきち)はこう豪語(ごうご)して、ふたたび槍(やり)を持ちなおしたが、おそかった!
 びゅうと――独楽(こま)の紐(ひも)がのびた。
「ひイッ」
 と叫(さけ)んだときは大吉(だいきち)の喉(のど)に、食(く)いついたような独楽の分銅(ふんどう)、ブーンとひとつ巻(ま)きついて、ふれるところに火焔(かえん)をまわした。そして見るまにかれは顔を焼(や)かれて悶絶(もんぜつ)した。
 相手がたおれると火の魔独楽(まごま)は、生きてるように竹童の手へもどった。そしてブンブンかれの片手に廻(まわ)されている、次にはどいつの喉首(のどくび)へ飛ぼうかと。
「オオ、竹童がもどって見えた」
 咲耶子(さくやこ)はよみがえったような心地(ここち)で、
「裏切(うらぎ)り者じゃ! 徳川家(とくがわけ)の諜者(まわしもの)じゃ。竹童ッ! はやく味方(みかた)のものにこのことを」
「討(う)てッ、早くかたづけてしまえ」
 のこる十一人のうちで、黒川八十松(くろかわやそまつ)がしきりとわめきたった。
「こんな者に暇(ひま)どって、もし砦(とりで)のやつらに感づかれた日にはこっちの出道(でみち)をふさがれてしまうだろう――はやくそのふたりを殺(ばら)してしまえ、もう生けどりにするなどといっていられる場合じゃない」
「おうッ」
「おおッ」
 と叫(さけ)ぶと、槍(やり)ぶすまはふたたび木立(こだち)のあいだにギラギラ光った。
 裏切(うらぎ)[#ルビの「うらぎ」は底本では「うちぎ」]り者と聞いて竹童(ちくどう)も、スワ一大事が起(おこ)ったなと思った。林のなかでは使いにくい火独楽(ひごま)、めんどうとふところへ飛びこませて、
「咲耶子(さくやこ)さま、ここは竹童がひきうけました。あなたははやく砦(とりで)のほうへ」
「いや、おまえが早く知らせておくれ」
「おいらは新手(あらて)だ!」
 聞かばこそ、竹童。
 般若丸(はんにゃまる)の一刀をぬいて、いきなり、むちゃに、ひとりを斬(き)った。
 女性(おんな)の咲耶子をこの危地(きち)にのこしておいて、男たるものが、知らせに馳(か)けていくなんていやなこッた!
 そのようすを見て、咲耶子はぜひなく、一方の槍ぶすまをつきぬいて、お花畑(はなばたけ)へ疾走(しっそう)した。そして、ひとりの男に、後(うし)ろからあぶない投(な)げ槍(やり)をくわされたが、からくもかわして、すべり落ちるように、砦のおく、二の丸のうらへ降(お)りた。
 だが。
 降りたとたんに咲耶子は、
「あッ――大へん!」
 と、はじめて、まっくらになった、とおい眼下(がんか)に気がついた。
 いつか、あらゆる視界(しかい)には、夜のとばりがおりていた。ただはるかな麓(ふもと)のほうに、野呂川(のろがわ)の水の蛇(へび)の皮(かわ)のような光と、やや東北によって、きわめてかすかな赤い空あかりをみとめることができる。そこはおそらく、武田家(たけだけ)の旧領地(きゅうりょうち)、いまは、徳川家(とくがわけ)の代官支配(だいかんしはい)となっている甲府新城(こうふしんじょう)躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の城下(じょうか)であろう。けれど、咲耶子(さくやこ)をおどろかせたのは、水でもない、空でもない。
 その甲府と小太郎山(こたろうざん)の中間(ちゅうかん)あたり、すなわち釜無川(かまなしがわ)のほとり、韮崎(にらさき)の宿(しゅく)から御所山(ごしょやま)の裾(すそ)あたりにかけて、半里あまりの長さにわたっている、人である、火である、野陣(やじん)の殺気(さっき)である。
「見張(みは)りの者ッ――」
 櫓(やぐら)をあおいで絶叫(ぜっきょう)した。
「鐘(かね)を打て、鐘を打て! 番士(ばんし)、番士、門衛(もんえい)の番士たち! はやく貝(かい)をふいて武者(むしゃ)だまりへ味方(みかた)をおあつめッ――」
 狂気(きょうき)のようになって、咲耶子は武者ばしりの柵際(さくぎわ)を呼(よ)びまわった。けれど、どうしたのか、オウ! といって物(もの)の具(ぐ)を引っかつぐ部下(ぶか)もなく、かんじんな櫓番(やぐらばん)のいるところさえ、無人(むじん)のようにシーンとしている。
 それもそのはず。
 かねて今宵(こよい)のことをもくろんでいる裏切(うらぎ)り者は、夕方の炊事(かしぎ)どきを見はからって、砦(とりで)の用水(ようすい)――山からひく掛樋(かけひ)、泉水(せんすい)、井戸(いど)、そのほかの貯水池(ちょすいち)へ、酔魚草(すいぎょそう)、とりかぶとなどという、毒草(どくそう)や毒薬(どくやく)をひそかに流(なが)しこんでおいたのであった。
 竹童(ちくどう)はクロの餌(えさ)とするものを狩(か)りにいっていたため、まだ夕方の食事をしていなかったし、咲耶子(さくやこ)もかれをさがしにでて難(なん)をのがれていたが、それを知らずに飲み、毒水(どくすい)でたいた飯(めし)を食(く)ったものは、おそらくちょうどいまが毒薬(どくやく)のまわってきた時分――

 時刻(じこく)はそれより少し前のこと――。
 かの、小太郎山(こたろうざん)の間道(かんどう)へかかって、首尾(しゅび)よく築城(ちくじょう)の迷道(めいどう)をさまよい、もとのところへ舞(ま)いもどった伊部熊蔵(いのべくまぞう)と雁六(がんろく)、ほか六十人の金鉱山掘夫(かなやまほり)が、ぼんやりくたびれもうけをしていた時分なのである。
「ねエ、親方(おやかた)」
 と、ばかに素(す)でかい声をして、
「こんな歌を知ってますか、こんな歌を?」
 と、檜(ひのき)の沢(さわ)を伝わりながら、ぴょいぴょい歩いてきた小僧(こぞう)がある。
「どんな歌を?」
 と、いったのはその親方とみえるへんな顔をした人で――見ると鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)だ。
「水晶掘(すいしょうほ)りの歌ですよ、これから甲州(こうしゅう)へいこうっていうのに、水晶掘りの歌ぐらい知らなくっちゃ幅(はば)が利(き)きませんぜ、ひとつ歌ってみましょうか」
 と、あいかわらずな泣き虫の蛾次郎(がじろう)。
 鼻(はな)の穴(あな)を天(てん)じょうに向け、喉(のど)ぼとけの奥(おく)まで夕やけの明りに見せて、声いッぱい、いい気になって、歌いだしたものである。
 どうせ山の中だというふうに、卜斎(ぼくさい)もかまわずにほうっておくもんだから――。

水晶(すいしょう)!     水晶!
むらさき水晶(ずいしょう)は  お染(そめ)にやンべ
お染(そめ)かんざしに  挿(さ)すよにサ
黒い水晶は    婆(ば)さまにやンべ
婆(ば)さまみがいて  お寺(てら)にあげて
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の    入れ黒子(ぼくろ)

「なんだ、あいつは」
 と、びっくりしてふりかえったのは、別(べつ)なことでぼうとしていた金鉱山掘夫(かなやまほり)や熊蔵たち。
 沢(さわ)から平坦(へいたん)な道へとびあがったとたんに、大勢(おおぜい)のあらくれ男やさむらいが、ひとところにたむろをしていたので、蛾次郎(がじろう)も急に間(ま)がわるそうな顔をして、でたらめな水晶掘(すいしょうほ)りの歌をやめてしまった。
 その蛾次郎はともかくも、卜斎の風体(ふうてい)人相(にんそう)、ひとくせありげに見えたので、伊部熊蔵(いのべくまぞう)は雁六(がんろく)に目くばせをして、
「オイ、待てまて」と呼(よ)びとめた。
 他郷(たきょう)に入(い)って争(いさか)いすべからず、利(り)ある争いもかならず不利、――という諺(ことわざ)は、むかしの案内記(あんないき)などにはかならず記(しる)していましめてあることだ。まして、相手が悪そうだから、卜斎(ぼくさい)も悪びれないで、
「はい」とすなおに腰(こし)をかがめた。
「どこへいくんだ、いまごろ?」
「甲府(こうふ)へまいります」
「なにをしに?」
「ちかごろ、甲府のご新城(しんじょう)は、代(だい)がかわって、たいそう暮(く)らしよいといううわさを聞きましたので」
「じゃあ、きさまは、武田家(たけだけ)の時分よりは、いまの徳川(とくがわ)の御代(みよ)をありがたいと思ってゆくのか」
「さようでございます。昔(むかし)からのご縁故(えんこ)で、わたくしは、どこでもよいから、徳川さまのご領地(りょうち)に住みたいと願っております」
「ふウム……そうか……」
 と伊部熊蔵(いのべくまぞう)はわるい気持がしないようすだ。卜斎の目から見れば、この山目付(やまめつけ)らしい侍(さむらい)が、どこの大名(だいみょう)に属(ぞく)している者かぐらいは、腰をかがめた時にわかりきっている。
「して、職業(しょくぎょう)はなんだ? じつは、この街道(かいどう)は、今日すこしぶっそうなことがあるから、さきへいっても通してくれるかどうかわからない」
「ヘエ、それはこまりましたナ」
 と卜斎(ぼくさい)、ぺしゃんこな鼻に皺(しわ)をよせて、
「わたくしは、もと富士(ふじ)の裾野(すその)におりました鏃鍛冶(やじりかじ)で、徳川(とくがわ)さまのご家中(かちゅう)のお仕事をした者でございますから、なんとか、ひとつ無事(ぶじ)に通れるようなおはからいをしてくださいませんか」
「ウム、それはしてやってもよいが」
 と熊蔵(くまぞう)が、手形(てがた)を書いてやろうかと考えていると、雁六(がんろく)は、およしなさい、もし下手(へた)なまわし者でもあって、裏(うら)をかかれると大へんですぜ――というような目まぜをした。
「あ、いけないナ」
 と卜斎は、その顔色(かおいろ)で相手の肚(はら)を読みとおした。
 で、こんどは如才(じょさい)なく、はなしの鉾先(ほこさき)をかえて、なんでぶっそうなのか、事情(じじょう)をさぐってみようと考えた。
「いいえ、なんでございます……もしごつごうが悪ければ、わたくしにいたしましても、命(いのち)が大事です。すこしあとへもどって、どこか安全な百姓家(ひゃくしょうや)にでも泊(と)めてもらいますで」
「ウム神妙(しんみょう)なやつだ。なろうことなら、そうしたほうがおまえたちのためだろう」
「ですからお武家(ぶけ)さま、失礼(しつれい)なことをうかがいますが、あなたがたはいったいなんのために、こんなところで日が暮(く)れるのにたむろをしていらっしゃるんで? ……見れば、なにか、当惑(とうわく)そうなご様子にも思われますが」
「じつは、まことに少し当惑(とうわく)しておる」
「できることなら、ご相談に乗って進(しん)ぜようじゃございませんか。見ればどなたもお若い方、およばずながらわたしの方が、年をとっているだけに、いくらかその功(こう)がないこともございません」
「じゃ聞いてみるが、鍛冶屋(かじや)」
「ヘイ」
「すこし商売ちがいな話だが、おまえの口ぶりでは、裾野(すその)からこのへんのことはくわしそうだ。知っていたら教えてくれ」
「エエ、なんなりとおたずねくださいまし」
「この小太郎山(こたろうざん)だが――」
 と雁六(がんろく)が指(ゆび)さしたので、蛾次郎(がじろう)はもとより卜斎(ぼくさい)も、思わずギョッとした感じをうけた。
 このふたりが、ひとまず、甲府(こうふ)へいって見ようという目的は、はじめから定(き)めてきたことであるけれど、じつをいうと、今日は道にまよって、どこを歩いているのか見当(けんとう)がつかずにいたところである。
 伊那丸(いなまる)の一党(とう)が立てこもる小太郎山(こたろうざん)の砦(とりで)が、いま、立っている真上(まうえ)だとは、夢(ゆめ)にも知らずにいただけに、身の毛(け)を寒(さむ)くしてしまった。
「ヘエ、ここがあの小太郎山? なアるほど」
 とそらとぼけて、岩々(がんがん)と天(そら)を摩(ま)している山かげをあおぎながら、
「深いことは知りませんが、うわさにきけば、なんでもこの上には武田(たけだ)の残党(ざんとう)がたてこもっている山城(やまじろ)がありますそうで」
「そうだ! その砦へ抜(ぬ)けるために、じつは非常に苦心(くしん)しているところじゃ」
「うえに人がいる以上(いじょう)は、かならずどこかに道がありましょう」
「あるにはむろんあるが、間道(かんどう)から不意(ふい)に中へでたいと思う」
「おやすいことではございませんか」
「それがなかなか見つからぬのじゃ」
「地相(ちそう)、岩脈(がんみゃく)、山骨(さんこつ)、樹姿(じゅし)、それらのものからよく観(み)ると、どんな隠(かく)し道でもかならずわかるわけでございます。ことに、ここには野呂川(のろがわ)があり、そこへ落ちる山瀬(やませ)の水もありますことゆえ、水理(すいり)を検討(けんとう)してゆきましても、それくらいなことは、さぐりあたらぬはずはございません」
「おまえ、たいそうくわしいな」
「は、は、は、は、は」
 卜斎(ぼくさい)もわれながらおかしくなって笑(わら)いだした。
 柴田権六(しばたごんろく)に召使(めしつか)われていたころは、つねに、攻(せ)めようとする敵地(てきち)へ先へはいって、そこの地勢(ちせい)水理(すいり)をきわめておくのが自分の仕事であった。日本では何人と指(ゆび)を折られる築城(ちくじょう)の地学家(ちがっか)、これくらいなことは、表看板(おもてかんばん)の鏃(やじり)をたたくことよりたやすいこと。
 で、卜斎は瞬間(しゅんかん)にかんがえた。
 世間(せけん)はひろく歩いてみるものだ、――秀吉(ひでよし)にはにらまれている身の上、家康(いえやす)の恩顧(おんこ)をうけるほかに生き道はないと考えていたら、これは、偶然(ぐうぜん)とはいえ、願(ねが)ってもないことにぶつかったものだ。
「どうですナ、お武家(ぶけ)さま」と、さて、じぶんから口を切って、
「それほどおこまりのものならば、ひとつ、わたくしがこの砦(とりで)のいただきへでられる道を、案内(あんない)してあげようではございませんか」
「わかるか、きさまに」
「このふもとを、十町ばかり歩いてみれば、きっとさがしあててごらんにいれます」
「こりゃ天祐(てんゆう)だ! そちにその間道(かんどう)がわかるとならば、ぜひとも一つたずねてくれ」
「よろしゅうございます。では、しばらくそこで一服(ぷく)吸(す)ってお待ちください。そして、わかりましたところから松明(たいまつ)を空へ投げるといたしましょう。――これよ、蛾次(がじ)!」
「ヘイ」
「おまえ、あちらの方(かた)の持っている松明をお借(か)りして、わたしのあとからついておいで」
「親方(おやかた)ア」
「なんだ」
「早く甲府(こうふ)へゆきましょうヨ」
「待て待て、せっかく、ご一同のお困(こま)りだ、ひと働きしてあげよう」
「だっても……」
「なにが、だってもじゃ」
「おらア、もうお腹(なか)がペコペコなんだもの」
「たわけめ! なにをいうか」
 むこうで人足(にんそく)たちが、焼(やき)するめと焼米(やきごめ)を頬(ほお)ばっているのを見て伊部熊蔵(いのべくまぞう)、それが欲(ほ)しい謎(なぞ)だろうとさっして、
「オイ、だれか、この鼻(はな)ッたらしに、なにか食(く)い物(もの)をやってくれ」
 といった。
 蛾次郎(がじろう)はニヤニヤとなるのをかくしながら、
「親方、ここが小太郎山(こたろうざん)とはおどろきましたネ」
 と思いだしたように小手(こて)をかざした。

 扇縄(おうぎなわ)の水の手――山城(やまじろ)の貯水池(ちょすいち)をさして、そう呼(よ)ぶのである。
 今。
 小太郎山(こたろうざん)の砦(とりで)は毒(どく)にまわされていた。
 その扇縄の区域へ、裏切(うらぎ)り者がひそかに毒(どく)をしずめたので、夕方の兵糧時(ひょうろうどき)に、すべての者の腹中(ふくちゅう)へ、おそるべき酔魚草(すいぎょそう)の毒水(どくすい)がめぐっている。
 竹童(ちくどう)をのこして、陣馬(じんば)ヶ原(はら)お花畑(はなばたけ)の危変(きへん)をのがれてきた咲耶子(さくやこ)が、とりでの奥郭(おくぐるわ)へとびおりざま、狂気(きょうき)のように、櫓番(やぐらばん)や武者(むしゃ)だまりの侍(さむらい)へ、声をからして、呼(よ)んでも叫(さけ)んでも、ひとりとして、オオとへんじをする者がない。
 夜は灯(ひ)を滅(めっ)しておく習慣(しゅうかん)の城塞(じょうさい)は、まッくらで、隠森(いんしん)として、ただひとりさけびまわる彼女(かのじょ)の声が木魂(こだま)するばかりだった。
「裏切り者がある。出合(であ)え! 出合え!」
 なお、こう呼(よ)び立てながら、咲耶子はおくの郭(くるわ)から二の郭の中間(ちゅうかん)、桝形(ますがた)の柵(さく)まで走ってくると、とうぜん、そこに夜半(よなか)でも詰(つ)めていなければならないはずの武士(ぶし)が、声もなく寂寞(せきばく)として、木戸(きど)の口は開(あ)けっぱなしになっていた。
 はじめて、ここにも大事が湧(わ)いているのを知って、咲耶子は、
「あッ」と、息(いき)をひいておどろいた。
 見れば。
 木戸(きど)の番小屋(ばんごや)の前に、七人の部下(ぶか)が槍(やり)をつかんだまま悶々(もんもん)とのた打っている。
 また、向こうの柵(さく)のそばには、見まわりの三人組が三人とも、胸(むね)に一本ずつの短刀(たんとう)をうけて、重(かさ)なり合ってころげている。
「や、や、これは? ……」
 と井楼(せいろう)の梯子(はしご)を登(のぼ)ってみると、そこにも、眼を光らしていなければならないはずの見張役(みはりやく)が、やぐら柱(ばしら)の根もとに、爪(つめ)を立ったまま、息(いき)が絶(た)えていた。
「毒(どく)! ……」
 裏切(うらぎ)り者のおそろしい詭計(きけい)をさとって、彼女は、慄然(りつぜん)となる胸(むね)をだきしめた。
 と同時に咲耶子(さくやこ)はまた、自分と竹童の肩(かた)にあずけられている責任(せきにん)をつよく思う。
「もしも、一党(とう)の方々(かたがた)のかえらぬ留守(るす)に、このとりでを失(うしな)うようなことがあったら――」と。
 そう考えるだけでも、ふさふさした黒髪(くろかみ)が夜風(よかぜ)に逆立(さかだ)ちそうだった。
「オオッ」とわれにかえると咲耶子。
「――この山城(やまじろ)は三段(だん)郭(ぐるわ)、奥(おく)の砦(とりで)のものは毒水(どくみず)をのんでたおれたにしろ、まだ八合(ごう)目(め)の外城(そとじろ)のものは、無事(ぶじ)でなにも知らずにいるかも知れない」
 そう気がついて、やぐら柱にかけてあった陣貝(じんがい)の紐(ひも)をはずし、金嵌(きんかん)の法螺貝(ほらがい)にくちびるをあてて、息(いき)のあるかぎり吹(ふ)いてみる。
 バウー……バウウウウ……ッ。
 序破急(じょはきゅう)に甲音(かんおん)三声(せい)、揺韻(よういん)をゆるくひいて初甲(しょかん)の音(ね)にかえる、勘助流(かんすけりゅう)陣貝吹(じんがいふ)き、「変(ヘン)アリ部(ブ)ニツクベシ」のあいずである。
 だが、さけんで反応(はんのう)がなかったように、その貝(かい)がとおく八合(ごう)目(め)へ鳴りひびいていっても、外城(そとじろ)の柵(さく)から、こたえ吹(ぶ)きの合わせ貝(がい)が鳴ってこなかった。
「外城のものまでも、毒(どく)にまわされてしまったと見える、ああッ! ……」
 絶望的(ぜつぼうてき)な声と一しょに、思わず陣貝(じんがい)をとり落とすと、井楼(せいろう)やぐらの下の岩へ、貝はみじんとなってくだけた。
「咲耶(さくや)さまッ」やぐらの下へだれかかけてきた。
「お、竹童(ちくどう)! ――竹童さん?」
「貝合図(かいあいず)は吹(ふ)いてもムダです――扇縄(おうぎなわ)の水の手へ、毒を流したものがあって、砦(とりで)の者はみなごろしになってしまった。アア、ここはもう死の城だ!」
 かれの声は悲壮(ひそう)だった。
「そして、陣馬(じんば)ヶ原(はら)にいたまわし者は?」
「斬(き)りちらして馳(か)けだしてきたんです――こっちのほうが心配(しんぱい)になるので」
「といっても……味方(みかた)はおまえとわたしふたりきりだ」
「たとえふたりきりになっても、この砦を敵(てき)の手には渡(わた)されない」
「よくいった! 死んでも敵へは渡せない! ……おやッ?」
「な、なんです」
 と竹童(ちくどう)は、やぐら柱(ばしら)にすがって伸(の)びあがっている咲耶子(さくやこ)のかげを下からあおいでいった。
「――外城(そとじろ)の方には、まだ無事(ぶじ)な味方(みかた)がいるらしい」
「えッ、なにか合図(あいず)がありますか」
「みだれた火の影(かげ)がチラチラとうごきだして、上へ上へと押してくる」
「おお、しめた! じゃ、咲耶さま、早く!」
 と手招(てまね)きした。
 ばらばらと櫓梯子(やぐらばしご)を下(お)りると、ふたりは真(ま)一文字(もんじ)に奥郭(おくぐるわ)の内部(ないぶ)へはいった。そして、岩壁(がんぺき)、洞窟(どうくつ)を利用(りよう)して建(た)てられてある、とりでの本丸(ほんまる)のなかへ走りこんだ。
 具足部屋(ぐそくべや)、評定(ひょうじょう)の間(ま)、寝所(しんじょ)、みな広い床張(ゆかば)りで、そこには毒死(どくし)の侍(さむらい)もなくしんとしている。伊那丸(いなまる)の留守(るす)に錠口(じょうぐち)のさきからだれも人を入れなかったところなので――。
 まッしぐらにぬけて、軍師(ぐんし)の部屋(へや)の扉(とびら)を開(あ)けた。
 ここも、小幡民部(こばたみんぶ)と蔦之助(つたのすけ)と小文治(こぶんじ)の三人が、ひそかに、間道(かんどう)から影(かげ)をかくして、三方(みかた)ヶ原(はら)へ立っていったのちに、ぜったいに部下をのぞかせずに、三人の下山(げざん)を秘密(ひみつ)にしていたところ。
 ガラッと、厚(あつ)い車戸(くるまど)を押(お)しあけて、そこへはいると、咲耶子と竹童は、まっくらな床板(ゆかいた)を手さぐりでなでまわした。

 例(れい)の間道(かんどう)の口をたずねているらしい。
 と。
 指(ゆび)のかかるところがあった。
 ここを開(あ)ければ、八合(ごう)目(め)の柵(さく)、三の砦(とりで)、すべての外城(そとじろ)一郭(かく)へはむろん、麓(ふもと)へでもどこへでも自由に通りぬけることができる。
 ふたりはまず、八通(つう)の間道(かんどう)をぬけて、いま山の中腹(ちゅうふく)にみえた味方(みかた)を呼(よ)びいれてこようとするつもり。
 であったが? ……
「ヤッ、妙(みょう)な音?」
 床板(ゆかいた)をめくりかかった竹童(ちくどう)が、ギョッとした目を咲耶子(さくやこ)へ向けて、
「音がしますよ、妙な音が?」と、息(いき)をのんだ。
 ふたりははうようにかがみこんだ、間道の蓋(ふた)へ耳をあててみた。いかにも妙(みょう)な物音がする。ダッダッダッと地の底を打つような音――ゴゴゴゴゴという騒音(そうおん)――それがだんだんに近づいてくる。
「味方(みかた)がくるんだ!」
 竹童は信じることばに力をこめた。
「頂上(ちょうじょう)に裏切(うらぎ)り者がでたのを知って、外城(そとじろ)の者が一挙(きょ)にやってくるんです。そうにちがいない」
「じゃ、なおのこと、早くここを開いておいて、篝火(かがり)をつけておこうね」
「いや、篝火は待ってみたほうがいいでしょう。どこにどんな裏切(うらぎ)り者が鳴りをしずめているかも知れず、そいつらが、他(ほか)の柵(さく)や木戸(きど)の出丸(でまる)をやぶって、いっせいにさわぎだすと、いよいよ手におえなくなってしまいます」
 とささやいていると、不意(ふい)に、間道(かんどう)の下から、ドン、ドン、ドン! とはげしく槍(やり)の石突(いしづ)きでつきあげる者がある。
「味方(みかた)か?」
 と竹童が床(ゆか)へ口をつけて呼(よ)ぶと、なにやらガヤガヤさわぐのがかすかに聞える。といっても、分厚(ぶあつ)な蓋(ふた)がへだてているのでその意味(いみ)はわからないが、なにせよ、人間の声がうずまいているのは想像(そうぞう)される。
「味方(みかた)かッ?」
「おう!」
「外城(そとじろ)の者かッ?」
「おウ! 早くお開(あ)けください」
 ――野太(のぶと)いこえが遠くのように聞えた。
「――砦(とりで)の内部に異端者(いたんしゃ)があらわれましたので、本城(ほんじょう)にも変事(へんじ)はないかどうか、あんじて駈(か)けつけてまいりました。はやくお開(あ)けください」
「よしッ、心得(こころえ)た」
 と、竹童、手をかけたが、開(あ)かばこそ、石のような重さ、咲耶子(さくやこ)とともに力をそろえて、ウムと四、五寸(すん)ほど持ちあげるとあとはすなおに、ギイと蝶番(ちょうつがい)がきしんで径(けい)三尺(じゃく)四方(ほう)の口がポンと開(あ)く。
 と、下からまっ赤(か)な火のかげが、開(ひら)いたなりに、パッと天井(てんじょう)へうつった。まるで四角(かく)な火柱(ひばしら)のように。
 すると、そのあかい火光(かこう)のなかからまッさきに、
「それ、本丸(ほんまる)へでたぞ!」
 とおどりだしたのは、胴服(どうふく)に膝行袴(たっつけ)をはいた異形(いぎょう)な男――つづいて松明(たいまつ)を口にくわえ、鎖(くさり)にすがって無(む)二無(む)三によじてきたのは、味方(みかた)と思いのほか、猿(さる)のような一少年。
「あッ、蛾次郎(がじろう)!」
「おう! 竹童」
 と、せつな、火を発(はっ)したような驚愕(きょうがく)と驚愕。
 異形な男は鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)であった。
 八通(つう)の間道(かんどう)をさまよって、小太郎山(こたろうざん)のふもとへぎゃくもどりをして、ウロウロしていた伊部熊蔵(いのべくまぞう)と小頭(こがしら)の雁六(がんろく)そのほかの鉱山掘夫(かなやまほり)をつれて、地脈(ちみゃく)をさぐり方向をあんじて、ついにこの城塞(じょうさい)の心臓(しんぞう)を突(つ)きとめてきたのである。
「しまッた!」
 と叫(さけ)ぶまに、もう見ている間(ま)だ! 蛾次郎(がじろう)のあとから小頭(こがしら)の雁六(がんろく)、伊部熊蔵(いのべくまぞう)、そのほかあまたの山掘夫(やまほり)たち、防(ふせ)ぎようもなくヒラリヒラリととびあがって、たちまち軍師(ぐんし)の間(ま)いッぱいになってしまった。

「おい、下にいろッ」
 と、伊部熊蔵は竹童(ちくどう)の肩骨(かたぼね)をおした。
「…………」
 竹童は肩をふってその手を突(つ)っぱなした。咲耶子(さくやこ)もすわらずに、まわりの者をにらんでいた。
 瞬間(しゅんかん)、おそろしいだまりあいのうちに、双方(そうほう)の眼と眼だけがするどくからみあった。
 とつぜん、ゲタゲタと笑(わら)いだしたのは蛾次郎(がじろう)で、
「おいおい竹童、あんまりびっくりしたんでぼうとしてしまったんじゃないか。いくら民部(みんぶ)や蔦之助(つたのすけ)がいるように見せかけていたッて、だめだだめだ、おれも親方(おやかた)も、ちゃんと三方(みかた)ヶ原(はら)であいつらを見ているんだから。――もうあとの空巣(あきす)へは大久保長安(おおくぼながやす)さまの人数が、入(い)れ替(かわ)りにふもとまで引っ越しにきているんだ。サ、おどきよおどきよ、どこへでも退散(たいさん)しなよ、もう小太郎山(こたろうざん)の砦(とりで)は、いまから徳川(とくがわ)さまの持物(もちもの)になる、おまえみたいに、京都でお菰(こも)をしてきたようなきたないやつは飼(か)っておけないんだ。サ、咲耶子(さくやこ)も一しょに山を下(お)りてゆけ、ぐずぐずしていると、命(いのち)がねエぞ」
 城攻(しろぜ)めの一番乗りでもしたように、得意(とくい)な色をみせてどなった。
「だまれッ」たたきつけるように竹童が大喝(だいかつ)した。
「だれが砦(とりで)をわたすッ、ここは伊那丸(いなまる)さまの小太郎山(こたろうざん)だ」
「生意気(なまいき)な」と熊蔵(くまぞう)、年のいかぬ者とみくびって、
「それ、あの舌(した)の長い小僧(こぞう)を、うしろ手に引ッちばッてしまえ」
「おうッ」
 と顎(あご)のさきから二、三人の山掘夫(やまほり)、竹童の襟(えり)がみを取ろうとして飛びかかった。
 と――、咲耶子の怜悧(れいり)な目がキラと横にながれた。ひとりは彼女の腕(うで)をもつかみにかかったが、ツイと身を横にひいて、すぐそばに、松明(たいまつ)を持って立っていた山掘夫のひとりを、ふいに、部屋(へや)のすみへドンと突(つ)いた。
「あッ――」
 大(だい)の男が、もろくも腰(こし)をくじいて、松明を持ったままうしろへたおれた。
 部屋(へや)のすみには、たくさんな火縄(ひなわ)の束(たば)が釘(くぎ)にかかっていた。そこへ、メラメラと火がはいあがった。
 ドドドドドド……ッ――と地震(ない)のような轟音(ごうおん)は、その一瞬(しゅん)に、あたりを晦冥(かいめい)にしてしまった。
 松明(たいまつ)の火が火縄(ひなわ)にうつり、その真下に積(つ)んであった銃丸(じゅうがん)の箱(はこ)から火薬(かやく)の威力(いりょく)を発(はっ)したのである。
 しかし、火薬(かやく)も鉄砲(てっぽう)も、当時(とうじ)まだ南海の蛮船(ばんせん)から日本へ渡来(とらい)したばかりで、硝石(しょうせき)の発火力(はっかりょく)も、今のような、はげしいものではない。それに、火縄(ひなわ)の下にあったのも二箱か三箱なので、火に吹かれたのは山掘夫(やまほり)の十二、三人、あとは悲鳴(ひめい)の声のあがったのを見ても、いのちだけは助かったらしい。
 咲耶子(さくやこ)と竹童(ちくどう)は、脱兎(だっと)のように、軍師(ぐんし)の間(ま)のそとへ飛びだしていた。そして、そのあとから伊部熊蔵(いのべくまぞう)と卜斎(ぼくさい)などが、黒けむりと一しょにはきだされて、ふたりのあとを追(お)いかけた。
 まえの井楼(せいろう)の下まできたとき、咲耶子は足をとめた。
「ちッ……」
 なにかいおうとしたらしいが、いまになって焔硝(えんしょう)にむせんで、あとのことばがでずにしまう。
 竹童も、ハッとふとい息(いき)をついた。まッくろな煙(けむり)の柱(はしら)が、もくもくと宙天(ちゅうてん)におどりあがっているのを見る。……
「わ、わたしは、少し思うところがあるから、ここに踏(ふ)みとどまって、最後の力をつくします。竹童さん、おまえははやく樺(かば)の林へもどり、あすこにつないである鷲(わし)に乗って、ここを落ちておくれ、後生(ごしょう)です。早くここを、逃(に)げてください」
「に、逃げろッて?」
「ふたりとも、ここで斬(き)り死(じに)してしまっては、民部(みんぶ)さまへ事情(じじょう)を知らせる者がない」
「いやだ! いやだ、おいらは!」
 生きのこった山掘夫(やまほり)どもが、もう向こうからワッワッとわめいてくるようすなのに、竹童は頑(がん)とそこをうごかないで、強くかぶりをふっていった。
「逃(に)げてゆくなんていやなこった、小太郎山(こたろうざん)をとられるものなら、おいらも砦(とりで)と一しょに斬り死する! どうして、そ、そんなことをいって、民部(みんぶ)さまに会(あ)われるもんか」
「アア、この場合、そんなことをいって、わたしをこまらさないでおくれ、ネ、竹童さん」
「イヤだ! 落ちてゆくなら、おまえひとりで逃げてゆきな」
「ま、なにか考えちがいをしていますね」
「なぜ」
「落ちるといってもけっして卑怯(ひきょう)でも不義(ふぎ)でもない。かえって、砦を枕(まくら)にして斬り死するより、立派(りっぱ)なつとめをはたすんです。ここでふたりが一しょに最期(さいご)をとげてしまったら、だれが、この事情を一党(とう)の方(かた)にしらせますか」
「でも……おいらは、そんな役目は好(す)きじゃない」
「こうしている一刻(こく)が大事、たのむから、はやくクロを飛ばして」
「よし、おいらはすぐにまた帰ってくる」
「えッ、じゃ落ちてくれますか」
「クロを飛ばしていくなら一羽(は)ばたきだ。一党(とう)の人を見つけたら、おいらはすぐに帰ってくる。咲耶子(さくやこ)さま」
「エ? ……」
「それまで、樺(かば)の奥(おく)へかくれこんで、敵(てき)のやつに見つからないように」
「あ、大丈夫(だいじょうぶ)、死にはしません」
「きっとだぜ!」
「アア」
「きっとだぜ」
「エエ」
「短気(たんき)なことをしちゃいけないぜ」
「アア、加勢(かせい)のくるのを待っています」
「おうッ、それじゃいそいでいってくる!」
 竹童(ちくどう)はヒラリと身をかえして、また以前(いぜん)のお花畑(はなばたけ)から陣馬(じんば)ヶ原(はら)を馳(か)けぬけて、愛鷲(あいしゅう)クロを飼(か)っておく深林(しんりん)のくぼへ走りこんだ。

「クロ……」
 林のくぼは星(ほし)の光もなく真(ま)っ暗(くら)だ。
「クロ! クロ!」
 かれは口笛(くちぶえ)をふいて返事(へんじ)を待った。
 鷲(わし)が返事をするわけもないが、いつも、かれがこの林間(りんかん)へ足を入(い)れれば、木(こ)の葉(は)をふむ音だけで、自分のきたことを知って、よろこばしげに、爽快(そうかい)な羽(は)ばたきをするのがれいだ。
 だのに? どうしたのだろう。
 羽ばたきもなければ、ギャーッという啼声(なきごえ)もしない。
「寝(ね)ているのかしら?」
 鷲もいまごろは眠(ねむ)るであろうと竹童はかんがえた。
 だがだんだんにおぼえのある喬木(きょうぼく)の根ッこにさぐりよって見ると、かれの想像(そうぞう)はまったくくつがえされて、そこには、最前(さいぜん)このへんにあつまった城内(じょうない)の裏切(うらぎ)り者、黒川八十松(くろかわやそまつ)とほかふたりの者が、肉(にく)を裂(さ)かれてぶッたおれ、しかも一つの死骸(しがい)には首がない。そうしてかんじんな鷲のすがたは影(かげ)もかたちも見当(みあた)らない。
「やッ、逃(に)げたのかしら? 鎖(くさり)だけが残(のこ)っている」
 いかにも、太(ふと)い樺(かば)の根こぶには、鷲をつないでおいた鎖だけが残(のこ)っている――そしてクロがいない――そして三人の侍(さむらい)が肉を裂かれている、この謎(なぞ)をなんと解(と)いていいか?
「わかった!」
 征矢(そや)のごとく林を馳(か)けだした。
 かれの目は怒(いか)りにつりあがっている。
 血走(ちばし)った涙(なみだ)をたたえて空をあおいだ……
 だが空にもクロは見えなかった! 裏切(うらぎ)り者の黒川八十松(くろかわやそまつ)め、あれが、自分によって飛行変現(ひこうへんげん)の自在(じざい)につかわれる器(うつわ)だと知って、逃(に)がしたのだ! 鎖(くさり)をきって空へはなしてしまったのだ。
 人をのろわば穴(あな)二つ、あの猛禽(もうきん)の鎖(くさり)をきった三人は、立ちどころに、自分がはなした鷲(わし)の爪(つめ)につかまれて、四肢(し)を裂(さ)かれてしまったのにそういない。
 思いあわすと、きょうはまだ一回(かい)も、クロに餌(えさ)をやっていない。その餌にすべき小鳥やけだものを狩(か)りにいって、ちょうど、陣馬(じんば)へ帰ってきた時に、今夜の騒動(そうどう)が起ったので、それなりにほうっておかれたクロは、さだめし飢(う)えていたであろうと思われる。
 飢えた猛禽は、折(おり)からよき餌食(えじき)と、三人の荒武者(あらむしゃ)の肉(にく)をさき、血(ち)をすすって、樺(かば)の林からぬけあがった。
「やっぱり、砦(とりで)を枕(まくら)に死ねというしらせだ」
 かれはいつになく、その行方(ゆくえ)を軽(かる)くあきらめて、ふたたび黒煙(こくえん)のとりでへ影(かげ)をまぎれこませてきた。
「火をつけるな、松明(たいまつ)をほうるな」
 そこでは伊部熊蔵(いのべくまぞう)がさけんでいる。
「焼城(やけじろ)をとるのは手柄(てがら)が小(ちい)せえ、生城(いけじろ)をとるのは大武功(だいぶこう)としてある。どうせもうこっちのものになる城(しろ)だ、向こうの火もはやく伏(ふ)せろ伏せろ」
 と、火薬(かやく)から燃(も)えひろがりそうな奥郭(おくぐるわ)へザッザと水をかけさせている。
 一方では二十人ほど、手をわけて咲耶子(さくやこ)のゆくえをさがし、また一方では鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)が、腰(こし)に手をあてて城塞(じょうさい)のつくりを、しきりに見てまわっている。
 と、れいの扇縄(おうぎなわ)の水の手に、だれかかがみこんで、ザブザブと顔を洗(あら)いながら、ついでに、口を水面へのばして、チューッと吸(す)おうとしているやつがある。
 見ると、泣き虫の蛾次郎(がじろう)だった。
「ばかッ」
 卜斎にどなられて、蛾次郎は、すいこんだ水を思わずガッと吐(は)きだして、
「親方(おやかた)……?」
 と、叱(しか)られるのをけげんそうに、
「な、なにが、ばかなんで」
「毒水(どくみず)だぞ、それは」
「げッ」
「すべて城(しろ)をのっとったさいには、そこらに残(のこ)っている食糧(しょくりょう)や水はけっして口にすべきものじゃあない」
「ヘエ、そうでしょうか」
 ペッ、ペッ、口のつばきを吐(は)きちらして、こんどは、洗(あら)いかけていた焔硝(えんしょう)いぶりの顔のしずくを両方(りょうほう)の袖(そで)で拭(ふ)きまわしている……。
 とたんに、
「卜斎(ぼくさい)ッ、うごくな!」
 馳(か)けだしてきた竹童(ちくどう)。
 童髪(どうはつ)かぜに立って夜叉(やしゃ)のようだった。砦(とりで)とともに死のうと覚悟(かくご)をしている彼。
 ひゅーッと、紫(むらさき)をかいて走ったのは般若丸(はんにゃまる)の飛閃(ひせん)! あッと、卜斎は首をすくめ、肩(かた)をはすにかわして、斬(き)りすべってきた竹童の腕(うで)をつかんだ。
「親方ッ、手をかすぜ」
 蛾次郎(がじろう)はうしろから寄(よ)って、あけび巻(まき)の山刀(やまがたな)、ザラザラと引っこ抜いて、スパーッと竹童の背(せ)すじを斬(き)ったつもり。
 腕(うで)もなまくら、刀も赤錆(あかさび)、上着(うわぎ)一枚きれはしない。
「じゃまだ、どけッ」
 つかんだ相手の腕くびをしめて、卜斎、
「ええッ!」
 と吠(ほ)えたかと思うと、おそろしい強力(ごうりき)で、ブーンと竹童のからだをふり、鞠(まり)でもとって投げるように、扇縄(おうぎなわ)の水の手へ、かれの小さなからだをほうりこんだ。
 ドボーン……と、まっ白な水柱(みずばしら)があがった。まんまんとして毒水(どくすい)の波紋(はもん)がよれる。ガバ、ガバ、と二つ三つ苦(くる)しげな息(いき)をしているうちに、波紋にまかれ、竹童のかげは、青ぐろい池(いけ)のそこへ見えなくなった。

 ここは平和だ。あかるい朝。
 まだ草の根には白い霧(きり)がからんでいる。
 向こう側(がわ)の傾斜(けいしゃ)を見ると、芝(しば)を掃(は)いたようなやわらかさである。しかし、その傾斜は目がまわるほど深く、きわまるところに、白い渓流(けいりゅう)が淙々(そうそう)と鳴っている。
 どこからとでもなく、このあたりいちめん、得(え)もいわれぬ好(よ)いかおりにつつまれている。朝の陽(ひ)が、ゆらゆらと峡(かい)のあいだから射(さ)してくると、つよい気高(けだか)い香気(こうき)が水蒸気(すいじょうき)のようにのぼって、ソヨとでも風があれば、恍惚(こうこつ)と酔(よ)うばかりな芳香(ほうこう)が鼻(はな)をうつ。
 人の知らぬ小太郎山(こたろうざん)の峡をぬけて、奥(おく)へ奥へと二里(り)ほどはいった裏山(うらやま)、ちょうど、白姫(しらひめ)の峰(みね)と神仙(しんせん)ヶ岳(たけ)との三山(ざん)にいだかれた谷間(たにま)で、その渓流にそった盆地(ぼんち)の一角(かく)を杣(そま)や猟師(りょうし)は、緋(ひ)おどし谷(だに)とよんでいる。
 緋おどし谷一帯(たい)は、ほとんど山百合(やまゆり)の花でうまっている。むしろ百合谷(ゆりだに)と呼(よ)ぶべきところだが、その盆地に特殊(とくしゅ)な一部落(ぶらく)があって、百合より名をなすゆえんとなっている。
 渓流に架かっている蔦(つた)のかけ橋(はし)、そこを渡(わた)ると部落の盆地、あなたに四、五軒(けん)、河(かわ)べりに七、八軒、また傾斜(けいしゃ)の山の背(せ)にも八、九軒、煙(けむり)を立てている人家(じんか)があった。そして、そこに住んでいるのは、みな十五、六から七、八の百合花(ゆり)そのままな乙女(おとめ)たちばかりである。
 修羅戦国(しゅらせんごく)の春秋(しゅんじゅう)をよそに、緋(ひ)おどし谷(だに)は平和である。比叡(ひえい)、根来(ねごろ)の霊山(れいざん)を焼(や)きはらって惜(お)しまぬ荒武者(あらむしゃ)のわらじにも、まだここの百合(ゆり)の花だけはふみにじられず、どこの家も小ぎれいで、まどには鳥籠(とりかご)、垣(かき)には野菊(のぎく)、のぞいてみれば、壁(かべ)や床(ゆか)にも胡弓(こきゅう)や琴(こと)。
 だが、知らぬものにはふしぎな郷(さと)だ。
 林檎色(りんごいろ)の頬(ほお)をした、健康そうな少女たちばかりすんで、いったい、なにを職業とし、父や兄や祖父(そふ)などはないものかしら?
 まさか、女護(にょご)ヶ谷(だに)でもあるまいに。
 それは。
 みんな冬にはかえる少女だ。雪(ゆき)を見れば甲府(こうふ)へかえり、春になれば夏のすえまで、少女ばかりでこの谷にくらしている。
 で、目的(もくてき)は? やはりかせぎにくるのである。そしてその一棟(ひとむね)一棟(ひとむね)で、みな職業がちがっているのもおもしろい。
 河べりに近い家(うち)では、糸や麻(あさ)をさらしていた。そのとなりでは染物(そめもの)をしている。また一軒(けん)では鹿皮(しかがわ)をなめし、小桜模様(こざくらもよう)、菖蒲紋(しょうぶもん)、そんな型(かた)おきをしている家(うち)もあった。
 ここの渓流(けいりゅう)では砂金(さきん)がとれる、砂金をうって鎧(よろい)小太刀(こだち)の金具(かなぐ)をつくる少女があり、そうかと思うと、皮(かわ)をついで絹糸(きぬいと)で、武具(ぶぐ)の草摺(くさず)りをよろっている家(うち)も見える。とにかく、ここでは、革(かわ)、草摺(くさず)り、旗差物(はたさしもの)、幕(まく)の裁縫(さいほう)、鎧下着(よろいしたぎ)、あるいはこまかいつづれ錦(にしき)、そのほか武人(ぶじん)の衣裳(いしょう)につく物や、陣具(じんぐ)の類(るい)をつくるものばかりが棲(す)み、そして、それがみなかわいい少女の手に製作(せいさく)されていた。
 この渓谷(けいこく)の水が染物(そめもの)によく適(てき)し、ここの温度(おんど)が革(かわ)づくりによいせいだというか、とにかく、緋(ひ)おどし谷(だに)の開闢(かいびゃく)は、信玄以来(しんげんいらい)のことである。
 そこへ。
 けさふとすがたを見せたのは、峡(かい)をつたって、小太郎山(こたろうざん)から眠(ねむ)らずにきた咲耶子(さくやこ)である。
 向こうがわには、緋(ひ)おどし谷の部落(ぶらく)をながめ、だれか渓流(けいりゅう)にくるのを待っていると、やがて二、三人の少女が染桶(そめおけ)と糸のたばをかかえて、あかるい笑いをかわしながら、川床(かわどこ)へ下(お)りてきたようす。
 咲耶子は、ゆうべのことで、苦悶(くもん)の色のかくせぬ中にも、それを見ると、ニッコとして、帯(おび)のあいだの横笛(よこぶえ)を抜(ぬ)き、しずかに、歌口(うたぐち)をしめしだした。
 鳴る!
 ゆるい、笛の音(ね)、高い笛の音。
「おや?」
 河原(かわら)のしろい顔が、みんな一しょにこっちを見た。
 笛が――咲耶子(さくやこ)のしろい手に高くあげられて、横に縦(たて)にうごいている。
 合図(あいず)であろう!
 それを見ると、少女のひとりがなにかさけんだ。それにおうじて、あなたこなたの家(うち)から、ワラワラワラ馳(か)けだしてくる。みんな同じ下(さ)げがみの少女、みんな同じ年ごろの少女、みんな凜々(りり)しい紅頬(こうきょう)の少女。
 みるまにちょうど三、四十人、蔦(つた)のかけ橋(はし)を踏(ふ)みわたって、あたかも落花(らっか)の散(ち)るように、咲耶子のいる向こうの峡(かい)へ馳(か)けてくる!
 笛は、早く早くと呼(よ)んでいた。
 緋(ひ)おどし谷(だに)の胡蝶(こちょう)たち、胡蝶の陣(じん)を組(く)むのである。

 蔦のかけ橋をいっさんにわたって、咲耶子のすがたをあてに走ってきた少女の群(む)れは、みるまに近づいて、さしまねかれた笛の下へ、グルリと、花輪(はなわ)のように集(あつ)まった。
「――まいりました、咲耶子さま」
「なにかご用でございますか」
「いつになくおわるい顔色」
「どうしました? 咲耶子(さくやこ)さま」
「おっしゃってくださいまし、わたくしたちのする用を」
 いきいきとした少女たちの眸(ひとみ)、みな、なつめのようにクルッとみはって――そしてまだ心配そうに、中央に立ついちばん背丈(せい)の高い人を見あげた。
 小太郎山(こたろうざん)にすむ咲耶子と、そこから近い緋(ひ)おどし谷(だに)の者たちとは、しぜん、いつのまにかしたしくなっていた。かれらはみな、咲耶子を山の女神(めがみ)のようにしたい、咲耶子はまたみなを、妹のように愛していた。
 ことに、かれらはすべて、おさない時から子守歌(こもりうた)にも信玄(しんげん)の威徳(いとく)をうたった血(ち)をもっている甲斐(かい)の少女だ。国はほろびても、その景慕(けいぼ)や愛国の情熱(じょうねつ)は、ちいさな胸(むね)に燃(も)えている。
 げんに。
 いま彼女たちが緋(ひ)おどし谷(だに)でつくっている、具足(ぐそく)や幕(まく)や旗差物(はたさしもの)や、あるいは革足袋(かわたび)、太刀金具(たちかなぐ)、刺繍(ししゅう)、染物(そめもの)などの陣用具(じんようぐ)は、すべてそれ小太郎山(こたろうざん)のとりでへ贈(おく)るべきうつくしい奉仕(ほうし)だった。
 ――そのたのもしい少女は、ちょうど三、四十人ほどそこにいた。
 咲耶子は夜来(やらい)の変事(へんじ)をつぶさに話して、いまに、この谷へも、大久保長安(おおくぼながやす)の手勢(てぜい)がきて、小太郎山の砦(とりで)どうよう、ぞんぶんに蹂躪(じゅうりん)するであろうとつげた。
「――ですからおまえたちはすこしも早く、だいじな品物や、仕事の道具(どうぐ)を取りまとめて、めいめいの郷(さと)へお帰りなさい。そして後日(ごじつ)、ふたたび小太郎山に武田菱(たけだびし)の旗印(はたじるし)を見たならば、またその時は、緋(ひ)おどし谷(だに)へきておくれ、そして、仲(なか)よく刺繍(ししゅう)をしたり染物(そめもの)をしておくれ。わたしは、それを知らせにきたのです」
 意外(いがい)!
 かなしい別れの言葉であった。
 巴旦杏(はたんきょう)のようにかがやいていた少女たちの頬(ほお)は、みているまに白くあせて、眉(まゆ)はかなしみに曇(くも)った。
 袖(そで)をもって顔をおおう少女もある。
 拭(ふ)くのも忘れてあきらかに涙(なみだ)の流るるにまかせている顔もある。
 だが。
 それはやがて、強い敵愾心(てきがいしん)とかわって、哀別(あいべつ)をこばむ決心が、だれの唇(くち)からともなく、
「イエ!」
「イエ!」
「イエ!」
 とはげしくほとばしり、みなそろってかぶりをふった。
「わたしたちは帰りません!」
 ひとりの声が凜(りん)という。
「このまま郷(さと)へ逃(に)げかえって、父や兄に問(と)われた時、なんと、小太郎山のことを話しましょう」
「あ……」
 と咲耶子(さくやこ)は、その純真(じゅんしん)な叫(さけ)びに、魂(たましい)をつかまれてゆすぶられるように感じた。
「――砦(とりで)のさいごを見とどけとうございます。咲耶子さまのおさしずについて、なろうものなら戦います。家康(いえやす)の家来(けらい)大久保長安(おおくぼながやす)、あれはいま甲府(こうふ)の民を苦しめている悪い代官(だいかん)、その手勢(てぜい)とたたかうことは、父や兄妹(きょうだい)の仇(あだ)に向かうもおなじことです」
「…………」
「ねえ、咲耶子さま!」
「…………」
「つねに練(ね)りきたえている胡蝶(こちょう)の陣(じん)を組(く)みましょう。ふだん武芸(ぶげい)をはげむのも、こういう場合(ばあい)のためにではありませぬか」
「オ……」
「ここにいる残らずの者は、みな一ツ心じゃと申しております」
「オオ……」
 その言葉を待っていた咲耶予の頬(ほお)は、思わずしらず、感激(かんげき)のなみだが玉(たま)となってまろばった。

 おなじ朝――時刻(じこく)はそれより一刻(とき)半(はん)ほどまえのこと。
 むろん、まだ夜は白(しら)みかけたばかり。
 砦(とりで)はゆうべの酸鼻(さんび)な空気をおどませて、輝(かがや)きのない朝をむかえていた。
 伊部熊蔵(いのべくまぞう)や山掘夫(やまほり)どもや、あとからくりこんだ大久保(おおくぼ)の手勢(てぜい)は、みな、貝殻虫(かいがらむし)のように、砦の建物(たてもの)にもぐりこんで寝(ね)ているようす。
 ただ城楼(じょうろう)高きところ――下(さが)り藤(ふじ)大久保家(おおくぼけ)の差物(さしもの)と、淡墨色(うすずみいろ)にまるく染(そ)めた葵(あおい)の紋(もん)の旗(はた)じるしとが目あたらしく翩翻(へんぽん)としている。
 ピイッ! ピピピピッ。
 一羽(わ)の翡翠(かわせみ)。
 いつもの朝のとおり、るり色の翼(つばさ)をひるがえして、扇縄(おうぎなわ)の水の手へとんできた。そして、翡翠(かわせみ)がもつあの長いくちばしで、水に棲(す)むハヤというちいさな魚をねらいに降(お)りた。
 ――と思うと翡翠は、バッと水面をつばさでうっただけで、風にさらわれたようにすッとんでしまった。
 名人の矢(や)に狂(くる)いはあるとも、翡翠が魚をくわえそこなうなんていうことはけっしてないのに。
 と見ると、その朝にかぎって、扇形(おうぎなり)の貯水池(ちょすいち)には小さなハヤや大きな山女(やまめ)が、白い腹(はら)を浮(う)かせて死んでいるのだ。あの強そうな赤い山蟹(やまがに)まで、へろへろして水ぎわに弱っていた。
「こりゃあいけねえ」
 それを見て、水をすかしているふたりの士卒(しそつ)がいった。大久保勢(おおくぼぜい)の兵糧方(ひょうろうがた)、飯(めし)や汁(しる)を煮炊(にたき)する身分の軽(かる)い兵である。
「ゆうべ水門(すいもん)を開(あ)けておかなかったから、まだこの水の手には毒(どく)がよどんでいるんだ」
「それじゃ、朝の兵糧を炊くのにさっそくこまるぜ」
「――掃除(そうじ)をして新しい水を入(い)れかえなけりゃ……」
「やっかいだな、こんなわるさをしやがって」
「城をとるやつは、兵糧方のこまることなんか眼中(がんちゅう)にはない。攻(せ)め取りさえすればいいんだから」
「そしてグウグウ寝(ね)ていやがる」
「眼がさめると、おれたちがこしらえた汁(しる)や飯(めし)をたらふくくらって、自慢話(じまんばなし)でいばりちらす……考えてみると、兵糧方はわりがわるい」
「オイ、ぐちをこぼしてもしかたがねえ。早く水を代(か)えておこうじゃねえか」
「そうだ! 陽(ひ)がのぼってきた」
 ふたりは水の手の水門をのぞきこんだ。そして、かんぬきをぬいた。
「オヤ」
「どうした?」
「藻(も)がからんでいて開(あ)かねんだ」
「あッ……おい、藻じゃねえぞそれは。死骸(しがい)だ! オオ土左衛門(どざえもん)だ」
「えッ、人間か?」
 と、ひとりがかんぬきの先で突(つ)きだした。
 もくり……と毒水(どくすい)の波紋(はもん)がよれたかと思うと、俯(う)ッ伏(ぷ)せになった水死人(すいしにん)が水草(みずぐさ)の根をゆらゆらとはなれる。
 蒼(あお)ぐろい透明(とうめい)のなかにたれている手が、ギヤマンをすかしたような色に見えた。それは、夜が明けようとするまえに、卜斎(ぼくさい)のためこの池(いけ)に投げこまれた竹童(ちくどう)だ――手につかんでいるのは般若丸(はんにゃまる)の刀である。
 浮(う)いている髪(かみ)のさきから、ツイと、水馬(みずすまし)が二、三匹(びき)およいだ。

 兵糧方(ひょうろうがた)の足軽(あしがる)が、水面に目をみはっていた時だ。
 とつぜん。
 あらしのような風の音が、宙(ちゅう)をうなってきたかと思うと、ふたりの目の前へ、空からなにか勢いよく落ちてきた。
「あッ」
 ドボーン! ……と西瓜大(すいかだい)のくろい物?
 いちど深く沈(しず)んでから、ボカッと、あわだった水面に浮(う)きあがってきたのを見ると、若(わか)い武士(ぶし)の生首(なまくび)だ。
 胴(どう)のない生首は、胴をかくして立ち泳(およ)ぎをしている人間のように、グルリとまわって、足軽(あしがる)のほうへ顔を向けた。
「おッ……黒川八十松(くろかわやそまつ)さまの首だ!」
 驚(おどろ)くまもあらず、ごうーッと一陣(じん)の強風(きょうふう)にのって、ひくく、黒雲のように、旋舞(せんぶ)して降(お)りた大鷲(おおわし)があった。
 とたんに、扇縄(おうぎなわ)の水の手一つからザアッと龍巻(たつまき)がふきあがったかと見れば、非(あら)ず! いきなり鷲のくちばしが、竹童(ちくどう)の帯(おび)をくわえて宙(ちゅう)へ立ったのである。
 高くつりあげられた竹童のからだから夕立(ゆうだち)のような水しずくが降(ふ)る!
「あ、怪物(かいぶつ)ッ」
 宙をとんだふたりの兵糧方(ひょうろうがた)。
 早、腰(こし)をぬかさんばかり驚いて、具足(ぐそく)のままあっちこっちに寝(ね)ている武士(ぶし)を起(おこ)してまわった。
「逆襲(ぎゃくしゅう)? ……」
「朝討(あさう)ち?」
 寝(ね)ぼけまなこに得物(えもの)をとった侍(さむらい)や山掘夫(やまほり)どもは、稀有(けう)の大鷲が少年をくわえて舞(ま)いあがったと聞き、興味半分(きょうみはんぶん)にワラワラと貯水池(ちょすいち)のほうへ馳(か)けてきた。
 だが――ゆうべ陣馬(じんば)ヶ原(はら)で、おそろしい経験(けいけん)をなめているものは、
「あぶないぞ、油断(ゆだん)するな」
 と、走りながら、周囲(しゅうい)の者へせわしく話した。
 扇縄(おうぎなわ)の水の手へ、首となって落ちてきた黒川八十松(くろかわやそまつ)は、城攻(しろぜ)めの最中に、樺(かば)の林につないであった竹童(ちくどう)の鷲(わし)の鎖(くさり)を切ったのだ。そしてかえって、鷲のために食(く)いさかれて、非業(ひごう)な死をとげたのだ!
「あぶないぞ、あぶないぞ! あの鷲は敵(てき)と味方(みかた)をちゃんと見分(みわ)けている。だから、八十松の首をくわえていたんだ。そして、竹童をすくいに降(お)りてきたんだ」
「気をつけろよ、うっかりしてあのすごい爪(つめ)につかまれるな」
 注意をしながら駈(か)けてきた。
 しかし――鷲(わし)の雄姿(ゆうし)は、もう貯水池のまわりには見えなかった。
「おッ、井楼櫓(せいろうやぐら)の屋根(やね)にやすんでいる」
 とだれか見つけて、またいっせいにそのほうへ駈(か)け向かっていく。
「わアーッ」
 と諸声(もろごえ)を合わせたので、翼(つばさ)を休(やす)めていたクロは、さらに羽(はね)をうって舞(ま)いあがった。けれど、さすがな大鷲(おおわし)も、二、三歳(さい)の嬰児(あかご)なら知らぬこと、竹童ほどな少年のからだをくわえてそう飛べるはずはない。
 水面からそこへうつったのが極度(きょくど)の力であったろう。櫓(やぐら)の上を離(はな)れると、さすがに強い猛鷲(もうしゅう)も、むしろくわえている重量(じゅうりょう)に引かれこんでゆく形(かたち)。
 みるまに、下へ――下へ――下へ――。
 むこうの峰(みね)までは渡(わた)りきれずに、千仭(じん)のふかさを思わす小太郎山(こたろうざん)の谷間(たにま)へとさがっていった。
 と、見えたが、また。
 ついに、くちばしでもちきれなくなったのか、とちゅうで、鷲(わし)と竹童(ちくどう)のかげは二つに別(わか)れてしまった。
 落ちていった小さな黒点(こくてん)は、目にもとまらず直線(ちょくせん)に谷底(たにそこ)へ、――そして狂(くる)った大鷲(おおわし)は、せつな! 筒(つつ)をそろえて釣瓶(つるべ)うちに撃(う)ってはなした鉄砲組(てっぽうぐみ)の弾(たま)けむりにくるまれて、一瞬(しゅん)、その怪影(かいえい)は見えなくなった。

「あ。竹童め、運(うん)のいいやつだ」
 鉄砲組のうしろに立って、宙(ちゅう)を見ながら、こうつぶやいた人間がある。
 蛾次郎(がじろう)をつれた鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)だった。
 聞きとがめてヒョイとうしろを向き、
「なぜで?」
 とたずねたのは伊部熊蔵(いのべくまぞう)。
 毒薬(どくやく)をながした水の手へ投げこまれ、そのうえにまた、鷲(わし)にくわえあげられて、千仭(じん)の谷間(たにま)へ落ちていった竹童が、どうして運(うん)がいいんだか、こんなわからない話はない――という顔で。
 ところが卜斎(ぼくさい)、また同じ言葉をかさねて、
「まったく運の強いやつだよ」
 と、少し、くやしそうな顔をした。
「なぜですな? 卜斎殿(ぼくさいどの)」
「あいつめ、いまに蘇生(そせい)します。運がいいじゃありませんか」
「へえ、あの竹童が」
「ゆうべは真(ま)っくらでわからない。いずれ毒水(どくみず)を呑(の)んだろう、朝になったら念(ねん)のために、生死をたしかめにいこうと思っていたところなので」
「なるほど、竹童を投げこんだのは、貴公(きこう)でございましたな」
「ところがいま見るに、あの鷲が宙へつりあげた。それをもって見るに竹童め、わしが水の手へ投げこんだとたんに、杭(くい)か岩の角(かど)で脾腹(ひばら)をうち、気をうしなったにちがいない」
「ウ……ウム? ……」
「で、ついに、毒水(どくみず)を食(く)らわなかった。水を食らえば体重は倍(ばい)の上にもなるゆえ、けっして、いくら大鷲(おおわし)でもくわえて飛べたものじゃない」
「だが、あの谷間(たにま)へ落ちていっては、五体みじんとなったでしょう」
「イヤイヤ、あそこは深い檜谷(ひのきだに)、何百年も斧(おの)を入(い)れたことのない茂(しげ)りだ。落ちても枝(えだ)にかかるか深い灌木(かんぼく)の上にきまっている」
「そりゃいかん!」
 伊部熊蔵(いのべくまぞう)はにわかにあわてだした。そして、それッと、周囲(まわり)の武士(ぶし)を指揮(しき)して、
「朝めしまえの一仕事に、竹童(ちくどう)のからだをさがしだせ」
 といいつけた。
「はッ」
 というと鉄砲組(てっぽうぐみ)の中から五、六人、足軽(あしがる)十四、五人、山掘夫(やまほり)四、五人――小頭(こがしら)の雁六(がんろく)も一しょについて、まだ朝露(あさつゆ)のふかい谷底(たにそこ)へ降(お)りていった。
「おいおい、おいおい。そんな方角(ほうがく)じゃあない。もっと右の方だ、右の方の道を降(お)りろ。まだまだずッと沢(さわ)の方――あの檜林(ひのきばやし)がこんもり茂(しげ)っている向こうの谷だ」
 熊蔵はあとにのこって煙管(きせる)をくわえ、その煙管で、しきりと上から方角をおしえている。
 卜斎(ぼくさい)も崖(がけ)ッぷちに腰(こし)をかけて、大きな革(かわ)の莨入(たばこい)れを引っぱりだした。煙管もがんこなかっこうである。もっともそのころは、まだ煙草(たばこ)というものが南蛮(なんばん)から日本へ渡(わた)ったばかりで、そういう道具(どうぐ)もすこぶる原始的(げんしてき)なものだった。
 すると、側(そば)にいた、蛾次郎(がじろう)のやつ。
「くッ、くくくく……うふッ……うふふふふ……」
 と横を向いて笑(わら)いだした。
 なにをおかしがるのかと伊部熊蔵(いのべくまぞう)がふりむくと、蛾次郎は口をおさえて、横にすましている卜斎(ぼくさい)をそッと指(ゆび)さした。
 卜斎はなんにも知らず、がんこな煙管(きせる)を斜(しゃ)にもって、スパリ、スパリ、とふかしている。
 見ると、かれの鼻(はな)の穴(あな)から、ゆるい煙(けむり)がでるのである。だれにしたって、煙草(たばこ)を吸(す)えば鼻の穴から煙が出る。なんのふしぎもありはしない。
 だけれど、いったん鼻かけ卜斎先生(ぼくさいせんせい)が煙草の煙をすって吐(は)く段(だん)になると、一方の鼻の穴からは尋常(じんじょう)に紫煙(しえん)がはしり、一方の穴からでる煙はそッぽへ向かって噴出(ふんしゅつ)する。
 だから二本の煙が大股(おおまた)にひらいてでて、かたわの鼻(はな)が顔中にいばっているような壮観(そうかん)をあらわすのだった。
「な、なるほど。こいつはおそれいった鼻だ」
 と、熊蔵も吹きだしたいのをがまんして、横を向きながら腹(はら)の皮(かわ)をおさえた。
 ゆうゆうと紫煙をふかしていた卜斎は、はなはだ、けしからん顔つきで、
(なんじら! なにを笑うか?)
 と、口にはださないがギョロギョロした。
 雲ゆきが悪い! 気がつかれては大(たい)へんだぞと、そういうことには敏感(びんかん)な蛾次郎(がじろう)、ポイと立って断崖(だんがい)のふちから谷をのぞきこみ、
「ウーム、みんな見えなくなった。いまに竹童(ちくどう)をかつぎあげてくるだろうな……」
 と、つまらないひとりごと。
「親方(おやかた)」
「なんだ!」
 はたしてごきげんがわるい。
「まだ兵糧(ひょうろう)をくばってきませんネ」
「寝(ね)るから起きるまで、食(く)うことばかりいってやがる」
「いえ、わたしゃなんともないけれど、親方が、定(さだ)めしお腹(なか)がなんだろうと思って」
「よけいな心配(しんぱい)をするな」
「へい」
「それよりきさまも谷間(たにま)へ降(お)りて、なぜご一同と一しょにはたらかないか、なまけ者めが」
「オッ、帰ってきた!」
 ジッと見おろしていた伊部熊蔵(いのべくまぞう)が、こう叫(さけ)んで待ちうけていると、そこへ小頭(こがしら)の雁六(がんろく)、どうしたのか真(ま)ッ青(さお)になって、息(いき)をあえぎながら登(のぼ)ってきた。
「いかがいたした、ほかの者は?」
 上がりきらぬうちから熊蔵(くまぞう)がこう急(せ)くと、雁六(がんろく)は額(ひたい)のきずで、片目(かため)に流れこむ血(ち)をおさえながら、
「た、大(たい)へんです」
 うなるがごとき声だった。
「谷へ降(お)りた者は、ひとりのこらずみな殺しにされてしまった! 熊蔵さま、わ、わっしだけ、ようよう逃(に)げてきたんです」
「な、なんだッて」
 熊蔵は、踏(ふ)ンがけている足もとが、地すべりしていったかとばかり驚(おどろ)きにうたれて――。
「ど、どういう仔細(しさい)で? まさか、竹童(ちくどう)が」
「その竹童のからだをさがしに、だんだんうすぐらい檜谷(ひのきだに)へ降(お)りてゆくと、ピューッと、鵯(ひよどり)でも啼(な)いたような、笛(ふえ)の音(ね)がしたんです」
「ウム、そして?」
「と一しょに、頭の上から疾風(はやて)のような手裏剣(しゅりけん)が飛んできて、バタバタと四、五人ふいに打(ぶ)ッたおれたので、あッといったがもうおそい。……檜(ひのき)の上や笹(ささ)むらのなかから、ひらひら、ひらひら、まるで蝶々(ちょうちょう)のようなやつ、三、四十人の女です」
「女?」
「霧(きり)のように消(き)える、またワッと蛾(が)のように舞(ま)い立つ、それでふしぎな陣(じん)になっていて、こっちは煙(けむ)にまかれたようです。逃(に)げる、ふせぐ、斬(き)り合う、火縄(ひなわ)をつける、まごまごしているすきだってありゃしません。谷間へ落ちたり、渓流(けいりゅう)へすべりこんだり、かよわい女の切っさきに、大の男がさんざんのていです」
「ウーム、ちくしょう、咲耶子(さくやこ)のしわざだなッ」
「そうだ!」
 と、うしろでヌッと卜斎(ぼくさい)が立ちあがった。
「裾野(すその)でいちど見たことがある。――謙信流(けんしんりゅう)、楠流(くすのきりゅう)、永沼流(ながぬまりゅう)、小早川流(こばやかわりゅう)、甲州流(こうしゅうりゅう)、孔明流(こうめいりゅう)、唐(から)の孫武陸子(そんぶりくし)の兵法にもない胡蝶(こちょう)の陣(じん)! あれは咲耶子(さくやこ)が野武士(のぶし)で馴(な)らした得意(とくい)ふしぎな陣法(じんぽう)ですよ」

 木魂(こだま)! 木魂! 鉄砲(てっぽう)木魂。
 つるべうちにぶっぱなした銃火(じゅうか)の轟音(ごうおん)は二倍(ばい)になってきこえた。
 檜谷(ひのきだに)いちめんの暗緑色(あんりょくしょく)な木立(こだち)のあいだから、白い硝煙(しょうえん)が湯気(ゆげ)のようにムクムクと大気(たいき)へのぼる。
 むこうの峡(かい)で笛(ふえ)が鳴った。
 と。
 もんぺを穿(は)き、白の髪止(かみど)めをしめた一団(だん)の少女たちが、ひとりの童(わらべ)の手足をもってたすけあい、森(もり)から沢(さわ)へ、沢から渓流(けいりゅう)へ、浅瀬(あさせ)をわたってザブザブと峡の向こうへよじのぼる。
 鳴る、鳴る、鳴る! 笛はまたさらに高音(たかね)をつづけて鳴る。
 バラバラと峡のがけから細道(ほそみち)へ降(お)りてくる少女が見えた、上から手をのばして童(わらべ)をうけとる。その敏捷(びんしょう)なことおどろくばかり、螺旋状(らせんじょう)の細道(ほそみち)を奥(おく)へ奥へと見ているうちに走りだした。
 と思うとその半数(はんすう)は、どこかへこつぜんと見えなくなった。
「それッ」
「どこまでも追(お)い撃(う)ちをかけろ」
 渓流を越(こ)えて追撃(ついげき)してきたのは、伊部熊蔵(いのべくまぞう)と雁六(がんろく)をせんとうにした一隊(たい)である。
 みな、谷川で火縄(ひなわ)を濡(ぬ)らしてしまったので、鉄砲(てっぽう)をすてて大刀をぬく。槍(やり)を持った者は石突(いしづ)きをついてポンポンと石から石へ飛んであるく。こういう場合(ばあい)は、南蛮渡来(なんばんとらい)の新鋭(しんえい)な武器(ぶき)もかえって便(べん)がわるい。
 道案内(みちあんない)は地学家(ちがっか)の鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)、その腰(こし)についてあるくものは天下の泣き虫蛾次郎(がじろう)である。
 蛾次郎はすばらしくこうふんしてしまった。司馬仲達(しばちゅうたつ)を追(お)ッかけまわす孔明(こうめい)のごとき高き気概(きがい)。なんだか、自分ひとりの威勢(いせい)のために、咲耶子(さくやこ)の胡蝶(こちょう)の陣(じん)が逃(に)げくずれてゆくような気持がして――。
 すると、不意(ふい)に――
 峡(かい)の細道から三、四人、芋虫(いもむし)のように渓谷(けいこく)へころげ落ちた。あッ……と仰(あお)ぐと、天を摩(ま)す楢(なら)の木のてッぺんから、氷雨(ひさめ)! ピラピラピラ羽白(はじろ)の細矢(ほそや)がとんでくる。
 梢の葉がくれ、楢に花が咲(さ)いたように、半弓(はんきゅう)を持った少女が十二、三人ほど見えた。
 タジタジとあとへひいた熊蔵(くまぞう)の一隊(たい)、槍(やり)をそろえ、白刃(はくじん)をかこんで、下(お)りるところを待ちかまえたが一陣(じん)、楢の梢が暴風(ぼうふう)のようにゆすぶれたかと思うと、落花(らっか)? 胡蝶(こちょう)? 否(いな)、それよりも軽快(けいかい)に、彼女たちのすがたは枝(えだ)から枝へとびうつり、つぎの樹(き)からつぎの樹へ、そしてついに思わぬところの崖(がけ)へ――山千鳥(やまちどり)かとばかり散(ち)ってしまった。
 大久保長安(おおくぼながやす)の後詰(ごづめ)の手勢(てぜい)、百人ばかりはべつな道から緋(ひ)おどし谷(だに)へ向かっていた。
 糸染川(いとぞめがわ)と神仙川(しんせんがわ)の合流(ごうりゅう)するところで、熊蔵の一隊と一つになり、聖地(せいち)のごとき百合(ゆり)の香花(こうか)を踏(ふ)みあらし、もうもうとした塵(ちり)をあげて、れいの蔦(つた)のかけ橋(はし)まで殺到(さっとう)した。
「おお、こんなところに人家(じんか)がある」
「あの女雀(めすずめ)どもの巣(す)であろう」
「それッ」
「片(かた)ッぱしから火をかけてみな殺しにしてしまえ」
「いや、手捕(てど)りにして、とりでの下婢(はしため)にこき使ってやるのもよいぞ」
「かかれ!」
 殺気(さっき)をみなぎらした百六、七十人の軍兵(ぐんぴょう)が、いちどきにドッとかかったので、蔦(つた)のかけ橋は弓(ゆみ)なりにしなって左右にゆすぶれ、いまにも、ちぎれて渓谷(けいこく)へ人間をブチまけてしまうかと思われた。
 人家へせまるとその人数が、ワアーッと鬨(とき)の声をあわせた。まんいち、計(はか)りごともやある? と武者声(むしゃごえ)をたけらして、敵(てき)の反応(はんのう)をさぐるのだった。
 すると――
 討(う)ってでる敵はなかったが、どこからともなく幽玄(ゆうげん)な妙音(みょうおん)をまろばしてくる八雲琴(やくもごと)の音(ね)があった。

「やッ……琴(こと)の音(ね)がするッ?」
 慄然(りつぜん)として武者足(むしゃあし)がとまってしまった。
 温熱(おんねつ)のような殺気(さっき)は弾琴(だんきん)の音(ね)に吹きはらわれて、ただ、ぼうぜんとふしぎそうに耳をすます軍兵の眼ばかりが光り合う。
 なぜ? 血(ち)を水のごとくに見る荒武者(あらむしゃ)が、やさしい琴の音などにすくまってしまったのだろうか。
 中にまじっていた卜斎(ぼくさい)は、そういぶかしく思ったが、それをあやしむ彼自身(じしん)が、すでに妙(みょう)な錯覚(さっかく)にとらわれて、疑心暗鬼(ぎしんあんき)を眼底(がんてい)にかくしていたことを知らなかった。
 ひとりこの時かまわずに、琴(こと)の音(ね)のする家のほうへかけだしていったのは、蛾次郎(がじろう)であった。
 だが、かれの行動は、だれより勇敢(ゆうかん)といえるだろうか。それは問題としても、蛾次郎が来たままかけぬけていったのは、錯覚(さっかく)などを起(おこ)すほどこまかな神経(しんけい)を持ちあわせていない証拠(しょうこ)にはなる。
(いい間諜(かんちょう)が行った)
 というふうに一同は遠巻(とおま)きにしてながめている。
 みんなが見ている!
 蛾次郎はヤヤ得意(とくい)のようすだ。
 ふりかえってニヤリと笑(わら)う。そして小高(こだか)いところへのぼった。
 雅人(がじん)の住居(すまい)でもありそうな茅葺(かやぶき)の家、筧(かけひ)の水が庭(にわ)さきにせせらぐ。ここは甲山(こうざん)の奥(おく)なので、晩春(ばんしゅん)の花盛夏(せいか)の花、いちじにあたりをいろどって、拭(ふ)きこまれた竹の縁(えん)、塵(ちり)もとめずにしずかである。
 おくゆかしい萩垣根(はぎがきね)。そこから蛾次郎、鼻(はな)くそをほじりながら、背(せ)のびをしてのぞきこんだ。
「あッ、人がいら……」
 しかり、人がいる。
 女性(にょしょう)である。うつくしい人。
 琴台(きんだい)の上に乗せてあるのは、二絃(げん)焼桐(やきぎり)の八雲琴(やくもごと)、心しずかに奏(かな)でている。そして、ふと琴(こと)の手をやめ、蛾次郎(がじろう)のほうをふりかえった。
 蛾次郎は自分の顔がポッと赤くなったかと思って、どぎまぎと眼をまよわせたが、また見直(みなお)すと、それどころじゃない、琴台の前にいるのは咲耶子(さくやこ)ではないか。
「あッ……」
 首を引ッこめると、
「蛾次郎ですね」と、おちついた声。
「いいところへきてくれました。手勢(てぜい)をここへ呼(よ)んできてください」
「あかといえ!」
 蛾次郎、垣根(かきね)のそとで逃(に)げ腰(ごし)になりながら、
「そういくたびも、胡蝶陣(こちょうじん)の計略(けいりゃく)にひッかかってたまるもんかい」
「うそではない、もうどんなことをしてものがれぬところ、わたしは覚悟(かくご)をきめました。ほかの者を助けるためにね」
「じゃ、おめえひとりなのか」
「罪(つみ)のない少女たちを、斬(き)り死(じに)させるのはかわいそうです。あのひとたちの親兄弟(おやきょうだい)にすみません。だから……」
「ほんとか? まったくか?」
「この通り小袖(こそで)を着(き)かえ、髪(かみ)をなおし、うすい化粧(けしょう)までしているでしょう。これが覚悟(かくご)の証拠(しょうこ)です。わたしを縄(なわ)にかけて、甲府(こうふ)へでも、浜松城(はままつじょう)へでも送(おく)ってください」
 すると、とつぜんに、
「神妙(しんみょう)!」
 と、うしろから縄(なわ)をまわした者がある。
 裏口(うらぐち)からはいってきた卜斎(ぼくさい)であった。と――一しょに、ドカドカと槍(やり)や刀や鉄棒(てつぼう)をひっさげた武士(ぶし)のすがたが、庭へあふれこんできた。
「あ、待ってください」
「未練(みれん)をいうなッ」
「いえ……」
 と、咲耶子(さくやこ)は、ねじとられた手をしずかにもぎはなした。そして指(ゆび)の先の琴爪(ことづめ)を抜(ぬ)いて、高蒔絵(たかまきえ)のしてある爪筥(つめばこ)のなかへ、一つひとつていねいに入れた。

 そこは甲府(こうふ)の城下(じょうか)にでるとちゅうであった。
 虹(にじ)の松原(まつばら)の針葉樹(しんようじゅ)のこまかい日蔭(ひかげ)を、白い街道(かいどう)がひと筋(すじ)にとおっている。
 緋(ひ)おどし谷(だに)の山間(さんかん)から、かわるがわるに手車(てぐるま)を組(く)んで竹童(ちくどう)を助けだしてきた少女たちは、その松原の横へはいって、しきりと彼を看護(かんご)していた。
 気絶(きぜつ)したがために、さいわいとあの毒水(どくみず)を呑(の)まなかった竹童(ちくどう)は、多少の傷(きず)や痛(いた)みはあったが、やがて真心(まごころ)の介抱(かいほう)をうけて、かなりしっかりと気がついた。
「咲耶子(さくやこ)さんは?」
 息(いき)を吹ッかえすと、第一にでた問(と)い。
「小太郎山(こたろうざん)は? 咲耶子さんは?」
「咲耶子さんは……」
 おうむ返(がえ)しにそういって、少女たちは急にかなしい表情(ひょうじょう)にくもった。
「エ、どうしたい?」
「竹童さんを助けたいために、わざと緋(ひ)おどし谷(だに)にのこって、自分から敵(てき)の生捕(いけど)りになりましたの」
「なんだって?」
 ぼうぜん――なにを見るのであろう竹童の目。
 いっぱいな涙(なみだ)になってしまった。
「さかさまだ! さかさまだ!」
 かれはみなをおどろかせて叫(さけ)びだした。
「おいらを助けるために、あのひとが捕(つか)まってゆくなんて、そ、そんな、さかさまごとがあるもんか」
「ですけれど、竹童さん」少女のひとりがなぐさめ顔に、
「わたくしたちも泣きながら、七里(り)の山路(やまじ)を歩いたのです。もうおよばないことですから、このうえ、悲(かな)しいことをいわないでくださいまし」
 つぎの少女が口をそえた。
「そのかわりに、あなたは体(からだ)をしっかり癒(なお)して、伊那丸(いなまる)さまや民部(みんぶ)さまに、小太郎山(こたろうざん)の砦(とりで)のしまつを、くわしくお告(つ)げしてくれとおっしゃいました」
 三番(ばん)目(め)の少女がつげた。
「そして、みなさまの救(すい)いの手を、敵(てき)のなかで待っていますと」
 竹童はもうそういう言伝(ことづて)などを、じッと、聞いていなかった。どこか、骨節(ほねぶし)がつよく痛(いた)むのであろう、キッと口をゆがめながら、松にすがって立ちあがった。
「あ、どこへ?」
「竹童さん、どこへ?」
「竹童さーん!」
 呼(よ)べどふり向きもしなかった。
「ア、ア、あッ……」
 と、不安そうに見おくる少女たちの視界(しかい)をはなれて、とちゅうから、脱兎(だっと)のごとく駈(か)けてしまった。
 肉体の生命(せいめい)が奇蹟的(きせきてき)に無事(ぶじ)だったかわりに、あの少年の精神(せいしん)に狂気(きょうき)が与(あた)えられたのではないか? 少女たちは虹(にじ)の松原(まつばら)からめいめいの都(みやこ)へ帰った。

 臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の文字どおりに、伊那丸(いなまる)と一党(とう)の士(し)が、ここ一年余(よ)に、生命を賭(と)してきずきあげた小太郎山(こたろうざん)の孤城(こじょう)。そのただ一つの物から、再起(さいき)の旗印(はたじるし)を引きぬかれて、それに代(かわ)る徳川家(とくがわけ)の指物(さしもの)が立ってからすでに半年。
 天下は秋となった。
 落寞(らくばく)とした甲山(こうざん)の秋よ、蕭々(しょうしょう)とした笛吹川(ふえふきがわ)の秋よ。
 国ほろびて山河(さんが)かわらずという。しかし、人の転変(てんぺん)はあまりにはなはだしい。たとえば、いま甲府(こうふ)の城下(じょうか)を歩いて見ても、逢(あ)うものはみな徳川系(とくがわけい)の武士(ぶし)ばかりだ。
 金鋲(きんぴょう)の駕(かご)、銀鞍(ぎんあん)の馬、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の館(たち)に出入りする者、誇(ほこ)りはかれらの上にのみある。隆々(りゅうりゅう)と東海から八方へ覇翼(はよく)をのばす徳川家(とくがわけ)の一門(もん)、その勢(いきお)いのすばらしさったらない。
「おなじ武家(ぶけ)に仕官(しかん)をするなら、足軽(あしがる)でも徳川家につけ」
 当時(とうじ)、浪人仲間(ろうにんなかま)でそういったくらい。
 ゴ――ン、ゴ――ン。
 彼岸(ひがん)にちかい秋の町を、鉦(かね)をたたいて歩く男があった。そのゴ――ンというさびしい音(ね)は、いま、甲府塗師屋町(こうふぬしやまち)の四ツかどをでて、にぎやかで道のせまい盛(さか)り場(ば)の軒下(のきした)をたどってくる。
 かれの歩(あゆ)むにつれ彼の手から、紙(かみ)でつくった桃色(ももいろ)の蓮華(れんげ)の花片(はなびら)がひらひら往来(おうらい)へ散(ち)らばった。
 その蓮華(れんげ)のあとを慕(した)って、
「おじさん、紙おくれよ」
「おじさんおくれよ」
「紙をよ、紙をよ」
「紙をおくれよ、おじさん」
 と、こまッかい町の子供が、二十日(はつか)ねずみのようについてあるく。
 どこの国からきた、どこのお寺(てら)の行人(ぎょうにん)であろうか、天蓋(てんがい)に瓔珞(ようらく)のたれたお厨子(ずし)を背(せ)なかにせおい、胸(むね)には台(だい)をつって鉦(かね)と撞木(しゅもく)をのせてある。そして行乞(ぎょうこつ)でえた銭(ぜに)は、みなその鉦(かね)のなかにしずんでいた。
 うしろへまわって、お厨子(ずし)をのぞくと、金泥(きんでい)のとびらが開(あ)けてあって、なかには一基(き)の地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の像(ぞう)がすえてある。そのまえには、秋の草花、紅白(こうはく)のお餅(もち)、弄具(おもちゃ)やよだれ掛(かけ)やさまざまなお供物(くもつ)が、いっぱいになるほどあがっている。
「ああ、そんなにまえへまわると、おじさんが歩けなくなるじゃないか」
 こういって地蔵行者(じぞうぎょうじゃ)は、小さい手に取りまかれながら、背なかあわせに負(おぶ)っている地蔵菩薩(じぞうぼさつ)とそっくりのような人のよい笑顔(えがお)をつくった。
「よウ、よウ、よウ、おじさんてば」
「紙おくれよ、さっきの紙をさ」
 行者(ぎょうじゃ)はニコニコ見まわして、
「いまあげるよ、あげるから、けんかをしちゃいけない、おとなしくして……」
 ふところから刷(す)り物の紙をだして、仲(なか)よくひとりへ一枚ずつくばってあたえる。見ると、なるほど、子供が欲(ほ)しがりそうな美しい刷り物。
 むらさき色の地(じ)へ、金泥(きんでい)で地蔵(じぞう)さまのおすがたが刷ってある。そしてそのわきには、こんな文句(もんく)が書いてあるのだ。
親(おや)のない子。家のない子。まずしい子。
地蔵行者(じぞうぎょうじゃ)はそれをさがしてあるきます。
見つけて幸(しあわ)せにしてやりたいとて歩きます。
教(おし)えてください。あわれな子を。
竹生島(ちくぶしま)可愛御堂(かわいみどう)の堂守(どうもり)
菊村宮内(きくむらくない)
「家へもって帰って、お父(とう)さんや姉(ねえ)さんや兄(にい)さんにも見せておくれ。そして、かわいそうな子供がいたら教えておくれ。おじさんはまたあした、同じところを同じ時刻(じこく)にあるくから……。え? あさってかね、あさってはまたさきの町さ、わしは、そうして諸国(しょこく)をまわる旅人(たびびと)だもの」
 ゴ――ン、ゴ――ン、ゴ――ン。
 鉦(かね)をたたいてさきの町を流した。
 地蔵経(じぞうきょう)を誦(ず)して門(かど)へたち、行乞(ぎょうこつ)の銭(ぜに)や食(た)べ物は、知りえた不幸(ふこう)の子にわけてやる。ほんとに親(おや)も家もない子供は、自分の宿(やど)へつれて帰って、奉公口(ほうこうぐち)までたずねてやる。
 戦国の巷(ちまた)に見捨(みす)てられているおさない者のために、竹生島(ちくぶしま)の神官(しんかん)菊村宮内(きくむらくない)、とうとう琵琶湖(びわこ)のそとへまででて、地蔵行者の愛をひろめようとした。
 ちょうど、甲府(こうふ)の城下(じょうか)へはいってから、二日(ふつか)か三日目(みっかめ)の午(ひる)である。宮内は、馬場はずれの飯屋(めしや)の縄(なわ)すだれを分けてはいった。
 すると、そこのうすぐらい土間(どま)のすみに、生意気(なまいき)なかっこうをした少年がひとり、樽床几(たるしょうぎ)にこしかけ、頬杖(ほおづえ)をつきながら箸(はし)を持っていた。
「おい、おやじ」
 と、その生意気(なまいき)が年上の亭主(ていしゅ)にいう。
「なんだいこの魚(さかな)は? いくら山国の甲府(こうふ)だって、もうちッと、気の利(き)いたものはないのかい」
「それはやまめといって、みなさまがおよろこびになるお魚でございますがね」
「みんな田舎者(いなかもの)だからよ。おれなんか、京都であんまりぜいたくをしてきたせいか、こんな古(ふる)い物は食(く)えねえや、ベーッ、ベーッ、あー、まずい。なんかほかの食(た)べる物をだせやい」
「じゃ、こんにゃくとお芋(いも)はどうでございましょう」
「芋(いも)なんて下等(かとう)なものはきらいだよ」
「へえ、蓮根(れんこん)、焼豆腐(やきどうふ)、ほかには乾章魚(ほしだこ)の煮(に)ましたものぐらいで」
「ちっとも、おれの食慾(しょくよく)をそそらないぞ」
「さようですか」
「乾章魚をおだし、がまんして食(た)べてやるから」
 と、箸(はし)で皿をつッころがした。
 おそろしくいばった生意気(なまいき)、まるで大名(だいみょう)の息子(むすこ)のようなことをいっている。やはり都会の少年の中には悪い癖(くせ)があるなと、菊村宮内(きくむらくない)、なんの気なしにひょいと見ると、都会の少年ではない裾野育(すそのそだ)ち――竹生島(ちくぶしま)ではさんざんお粥(かゆ)をうまがって食(た)べたかの蛾次郎(がじろう)だ。
「あれッ? ……」
 と、蛾次郎は目をまろくして、菊村宮内の顔(かお)を見た。そして、しゃぶッていた箸で打つようなまねをしながら、
「めずらしいなア、エ、どうしたえ、大将(たいしょう)!」
 宮内はあきれかえって、返辞(へんじ)のしようもない顔つき。
 永(なが)いあいだ薬餌(やくじ)をとってもらった生命(いのち)の恩人(おんじん)――それは忘(わす)れてもいいにしろ、いきなり大人(おとな)をつかまえて頭から、大将! とは。

「おや、おまえは……」
 宮内(くない)はさらに眼をまろくして、蛾次郎(がじろう)のまえにある一本の徳利(とっくり)と、かれのドス赤い顔とをじッと見くらべた。
「酒(さけ)を飲んでいるな」
 厳父(げんぷ)のような言葉でいった。
「へへへへ」と蛾次郎は、さすがに、間(ま)がわるそうにガリガリと頭をかいて、
「きょうはじめて、どんな味(あじ)のものだか、ためしてみたんです」
「うまいか?」
「さっぱりおいしくねえや、なんだって、大人(おとな)はこんなものを飲むんだろうな」
「酒は狂水(きょうすい)という、頭のよい人をさえあやまらせる。ましてや、おまえのような低能児(ていのうじ)がしたしめば、もう一人(にん)前(まえ)の人間にはなれない。わしの見ている前ですてておしまい」
「ヘイ……」
「また、おまえはいま、たいそうぜいたくをいっていたな、もったいないことを忘(わす)れてはいけない。この戦国、いまの修羅(しゅら)の世の中には、飢(う)えて食(しょく)をさけんでも、ひと握(にぎ)りの粟(あわ)さえ得(え)られぬ人がある」
「はい、わかりました。えらい人に会(あ)っちゃった!」
「だが蛾次郎(がじろう)、おまえ、近ごろはなにをしているな」
「親方の卜斎(ぼくさい)について、甲府城(こうふじょう)のお長屋(ながや)に住(す)んでます」
「オオ、卜斎どのもこの土地へきているか」
「小太郎山(こたろうざん)で、すてきな手柄(てがら)を立てたんで。はい、それから大久保家(おおくぼけ)の知遇(ちぐう)を得(え)ました。元木(もとき)がよければ末木(うらき)まで、おかげさまで蛾次郎も、近ごろ、ぼつぼつお小遣(こづか)いをいただきます」
「けっこう、けっこう」
 宮内(くない)はわがことのようによろこばしかった。
「なるべく身をつめてむだづかいをせず、お金(かね)をだいじにもたなければいけない」
「お金を貯(た)めてどうするんだろう」
「あわれなものに恵(めぐ)んでやるのじゃ。それほどいい気持のすることはない」
「な、なーんだ、つまらねえ」
 と、乾章魚(ほしだこ)をつまんで口の中へほうりこみ、飯(めし)を茶碗(ちゃわん)に盛(も)ろうとしていると、門口(かどぐち)の縄(なわ)すだれがバラッと動いた。
 ぬッとはいってきた魁偉(かいい)の男(おとこ)、工匠袴(こうしょうばかま)をはいた鼻(はな)かけ卜斎である。ギョロッとなかを見まわして、
「亭主(ていしゅ)、うちの小僧(こぞう)はきておらなかったかい?」
 ときく。
 亭主(ていしゅ)はうしろをふりむいた。見ると、蛾次郎(がじろう)は、茶碗(ちゃわん)としゃもじを持ったまま、台(だい)の下へもぐりこんで、しきりにへんな目、しきりにかぶりをふっている。
「へえ、おりませんが」
「こまったやつだ……」
 と、卜斎(ぼくさい)は舌打(したう)ちをして、
「おれは見ないのでよく知らないが、城内(じょうない)の仲間(ちゅうげん)などのうわさによると、近ごろ、蛾次郎のやつめ、この馬場(ばば)の近所で水独楽(みずごま)というのをまわし、芸人(げいにん)のまねをして、銭(ぜに)をもらっては買い食(ぐ)いをして歩き廻(まわ)っているそうだが」
「ははあ……」
 と、亭主ははじめて知ったような顔をして、台の下にかがんでいる蛾次郎をちょッと見た。
 たのむ、たのむ、たのむよ後生(ごしょう)だ。
 蛾次郎は台の下で、飯(めし)つぶだらけな手をあわせて拝(おが)んでいる。と――その時、おりよく宮内(くない)が横から立って、
「卜斎どの」
 と、声をかけてくれた。
「おお!」びっくりして――
「菊村(きくむら)どのじゃないか、あまり姿(すがた)がかわっているので、少しも気がつかなかった。どうしてこの甲府(こうふ)へ?」
「でかけましょう、ご一しょに」
「おお、今夜は、わしの宅(たく)へきてお泊(とま)んなさい」
 地蔵行者(じぞうぎょうじゃ)と卜斎(ぼくさい)は、肩(かた)をならべて、飯屋(めしや)の軒(のき)をでていった。
 蛾次郎(がじろう)は台(だい)の下からはいだして、
「アア天佑(てんゆう)」
 お茶(ちゃ)をかけて、じゃぶじゃぶと四、五はいの飯(めし)をかッこみ、ころあいをはかって、ソッと戸外(おもて)へ飛びだした。
 久(ひさ)しぶりで甲府(こうふ)という都会のふんいきをかいだ蛾次郎には、さまざまな食(た)べ物の慾望(よくぼう)、みたいものや聞きたいものの誘惑(ゆうわく)、なにを見ても買いたい物、欲しいものだらけであった。だが、やかましやの親方(おやかた)卜斎(ぼくさい)、つねに小言(こごと)と拳骨(げんこつ)をくださることはやぶさかでないが、なかなか蛾次郎の慾をまんぞくさせる小遣(こづか)いなどをくれるはずがない。
 蛾次郎の不良性(ふりょうせい)は、そこから悪智(あくち)の芽(め)をふいて、ひとつの手段(しゅだん)を思いついた。かれは城下(じょうか)の馬場(ばば)はずれに立って、皿(さら)まわしの大道芸人(だいどうげいにん)の口上(こうじょう)をまね、れいの竹生島(ちくぶしま)で菊村宮内(きくむらくない)からもらってきた水独楽(みずごま)の曲廻(きょくまわ)しをやりだした。ふしぎな独楽(こま)の乱舞(らんぶ)を、かれの技力(ぎりょく)かと目をみはる往来(おうらい)の人や行路(こうろ)の閑人(ひまじん)が、そこでバラバラと銭(ぜに)や拍手(はくしゅ)を投げる。――蛾次郎、それをかき集(あつ)めては、毎日、卜斎の家を留守(るす)にして、野天(のてん)の芝居(しばい)をみたり買(か)い食(ぐ)いに日を暮(く)らしている。
 きょうも、夕方ぢかくなるのを待って、柳(やなぎ)のつじの鳥居(とりい)の下に立ち、竹生島神伝(ちくぶしましんでん)の魔独楽(まごま)! 水を降(ふ)らす雨乞独楽(あまごいごま)! そう叫(さけ)んで声をからし、半時(はんとき)ばかり人をあつめて、いざ小手(こて)しらべは虹渡(にじわた)りの独楽(こま)! 見物人(けんぶつにん)は傘(かさ)のご用心! そんな口上(こうじょう)をはりあげて蛾次郎(がじろう)、いよいよ独楽(こま)まわしの芸(げい)にとりかかろうとしていた。
 と。
 その群集(ぐんしゅう)のなかに立って、かれの挙動(きょどう)を凝視(ぎょうし)しているふたりの浪人(ろうにん)――深編笠(ふかあみがさ)に眉(まゆ)をかくした者の半身(はんしん)すがたがまじって見えた。
 なにか、ささやき、なにか、微笑(びしょう)し合っている。
 するとまた、そのうしろにかくれていた六部(ぶ)の指(ゆび)が、前のさむらいの背(せ)なかを軽(かる)くついて、ふりかえった顔となにかひそひそ話しているようす。
 にわかごしらえの水独楽(みずごま)まわしの太夫(たゆう)、いでや、独楽をまわそうとしてはでな口上をいったはいいが、ひょいと人輪(ひとわ)のなかの浪人と六部(ぶ)のすがたを見て、
「あッ! ……」
 そういったきり足をすくませ、水独楽にあらぬ眼の玉を、グルリとさきにまわしてしまった。

 さて、いよいよ本芸(ほんげい)にとりかかったところで、どうしたのか蛾次郎太夫(がじろうだゆう)、ふと妙(みょう)なことが気にかかっていたせいか、いつもあざやかにやる水独楽(みずごま)虹渡(にじわた)りの曲(きょく)まわしを、その日は、三どもやりそこなって、首尾(しゅび)よくドッという嘲笑(ちょうしょう)を、大道(だいどう)の見物人(けんぶつにん)からあびてしまった。
 通力(つうりき)のある神伝(しんでん)の魔独楽(まごま)。
「こんなはずはないぞ。こんなはずはないぞ」
 と、蛾次郎はドギマギしながら、いくども口上(こうじょう)をやりなおして、独楽(こま)を空に投げあげたが、水を降らせるどころか、廻(まわ)りもしないで、石のように曲(きょく)もなくボカーンと自分の頭の上へ落ちてくるばかりだ。
 だが、首尾(しゅび)よくゆかないでも、見物(けんぶつ)のほうはワイワイいってうれしがった。
 木戸銭(きどせん)をだしていない大道芸(だいどうげい)のせいでもあろうが、とかく人間は、かれの成功(せいこう)よりもかれの失敗(しっぱい)をよろこぶ傾向(けいこう)をたぶんにもっている。そして、それが群衆(ぐんしゅう)となると、いっそう露骨(ろこつ)にぶえんりょに爆発(ばくはつ)してくるのだった。
「イヨーッ、またしくじった」
「やりなおしの名人」
「小僧(こぞう)、いまにベソをかくぞ」
「どうしたい! 独楽(こま)まわし」
「目がまわりそうだとさ。あんまり騒(さわ)ぐと泣きだすぜ」
「大将(たいしょう)、しっかりたのむよ」
 とうぜん、出(い)ずべきはずの弥次(やじ)が、四方からワイワイと蛾次郎(がじろう)をひとりぜめに飛ぶので、さすがに、恥(はず)かしいことを知らぬ蛾次郎も、すっかりまいってしまって、三たびめの口上(こうじょう)は、自分でもなにをいっているのかわからないように、カーッと頭に血(ち)があがってきた。
 しかし、こうなるとかれもまた、意地(いじ)でも見物(けんぶつ)をあッと驚嘆(きょうたん)させてやらなければしゃくである。第一、この水独楽(みずごま)がまわらないというわけはない。
「そうだ、おれがあいつに気をとられて、びくびくしながら、まわしているから、ほんとの精気(せいき)が独楽に乗りうつらないのだ」
 蛾次郎にしてはいみじくも思いついたことである。いかにもそうにちがいなかった。かれはさいぜんから群集(ぐんしゅう)のうちにまじって、自分を見ているふたりの人物が気になってたまらないのである。
「よし、こんどは!」
 と腹(はら)からかまえどりをきめて蛾次郎太夫(がじろうだゆう)、邪念(じゃねん)をはらって独楽(こま)を持ちなおし、恬然(てんぜん)として四どめの口上(こうじょう)を反(そ)り身(み)でのべたてた。
「エエ、エヘン」
 見物(けんぶつ)はまたかと、クスクス笑(わら)った。
「さて、最初(さいしょ)の独楽(こま)しらべ、小手(こて)しらべとしまして、空(から)まわし三たび首尾(しゅび)よく相すみましたから、いよいよこれから本(ほん)まわしの初芸(はつげい)に取りかかります」
「うまく逃(に)げ口上(こうじょう)をいってやがる」
「また四どめも小手しらべはごめんだぜ」
「早くやれ、文句(もんく)をいわずに」
 第一印象(いんしょう)がわるかったので、太夫(たゆう)の人気はさんざんである。けれど蛾次郎は、ここでひとつ喝采(かっさい)をはくして見物(けんぶつ)から銭(ぜに)を投げてもらわなければ、ここまでの努力(どりょく)も水の泡(あわ)だし、かえりに空腹(すきばら)をかかえてもどらなければならないと思うと、しぜんと勇気(ゆうき)づいて、四面(めん)楚歌(そか)の弥次(やじ)ごえも馬の耳に念仏(ねんぶつ)。
「あいや、お立合(たちあい)のみなの衆(しゅう)!」
 と、いちだん声をはりあげて、
「芸(げい)は気合(きあ)いもの、独楽は生き物。いくら廻(まわ)し手が名人でも、そうお葬式(そうしき)の饅頭(まんじゅう)に鴉(からす)がよってきたように、ガアガアさわがれていてはやりきれない。せんこくから見物(けんぶつ)のなかで、おれのことを小僧(こぞう)小僧(こぞう)といっているようだが、大人(おとな)の癖(くせ)にガアガアいうほうが、よッぽどみッともないや。いまにおれの気合(きあ)いが乗って、この水独楽(みずごま)がブンとうなって見ろ、悪(あく)たれをいったその口がまがって、面目(めんぼく)名古屋(なごや)の乾大根(ほしだいこん)、尻尾(しっぽ)を巻(ま)いて逃(に)げだすだろう。オッといけない、首尾(しゅび)よく独楽(こま)がまわったからといって、逃(に)げだしたりあっけにとられたきりで、銭(ぜに)を投げるのを忘(わす)れてはいけないぜ、感心したものはえんりょなく一文(もん)でも二文でも投げるのさ。よろこびをうけて酬(むく)いることを知らざるは、人間にあらず馬なり、弥次馬(やじうま)なり。さあさあ弥次馬はあとへ引っこんで金持(かねもち)だけ前のほうへでてくださいよ。エエ、やり直(なお)しの魔独楽(まごま)は天津風(あまつかぜ)吹上(ふきあ)げまわし、村雨下(むらさめさ)がりとなって虹渡(にじわた)りの曲独楽(きょくごま)、首尾(しゅび)よくまわりましたらご喝采(かっさい)!」
 とうとうとムダ口をしゃべって大人(おとな)の見物(けんぶつ)をけむにまいた蛾次郎(がじろう)は、そこでヤッと気合いをだして、右手の独楽(こま)を虚空(こくう)へ高くなげた。
「ウウム、うまくいった」
 と、こんどは蛾次郎もわれながらニタッとした。
 風をきって一直線(ちょくせん)に手をはなれた独楽は、ゆくところまでゆくとビューッとうなりをあげて見物(けんぶつ)の頭の上へ落下(らっか)してきそうなようす。
「オオ?」
 と、思わず、だれの目もそれに気をとられて、宙(ちゅう)に眼をつりあげて見ると、夕陽(ゆうひ)にきらきらして星(ほし)がまわってくるかと思うばかりな一箇体(こたい)の金輪(かなわ)の縁(ふち)から、雨か霧(きり)か、独楽の旋舞(せんぶ)とともにシューッと時ならぬ村雨(むらさめ)のような水ばしりがして、そのこまかい水粒(すいりゅう)と夕陽(ゆうひ)の錯交(さっこう)は、口上(こうじょう)どおり七、八尺(しゃく)のみじかい虹(にじ)をいくつも空へのこして、独楽(こま)はトーンと蛾次郎(がじろう)の足もとへ落ちてすんでいる。
 群集(ぐんしゅう)は正直(しょうじき)にドッと賞讃(しょうさん)の手をはやした。そしてまわっているかいないかわからないほど澄(す)んでいる地上の魔独楽(まごま)に目をすえて押(お)し合ったが、蛾次郎は得意(とくい)になって独楽の心棒(しんぼう)を人差指(ひとさしゆび)の頭にすくいとり、ピョンと肩(かた)へ乗せたかと思うと、左の手から右の手へ衣紋(えもん)ながしの軽(かる)いところをやって見せる。
 見物(けんぶつ)はもう手をたたくのも忘(わす)れて、ふしぎな独楽の魅力(みりょく)にすいこまれていた。独楽は生きもののように蛾次郎の自由になって、指頭(しとう)あるき、剣(つるぎ)の刃(は)ばしり、胸坂鼻越(むなさかはなご)え背(せ)すじすべり、手玉(てだま)にあつかわれてまわっていたが、ふたたび、蛾次郎がヤッと空へ飛ばしたとき、――オオ、どうしたのかとちゅうまで霧(きり)を散(ち)らしてきたその水独楽(みずごま)、かれの手へは帰(かえ)らずに、忽然(こつぜん)と、どこかへ見えなくなってしまった。
「あれッ?」
 と、独楽につれていた見物の眼は、ふッと、宙(ちゅう)にまよってウロウロした。おどろいたのは蛾次郎太夫(がじろうだゆう)で手のうちの玉(たま)をとられたという文字どおりに狼狽(ろうばい)して、
「おや、コマは? コマは?」
 と見まわしたが、その時、フと、気がついて見ると、見物のなかから一本の紅(あか)い杖(つえ)がスッと伸(の)びて、落ちてくる独楽をその尖端(せんたん)で受けとめたかと思うと、紅い棒(ぼう)を坂(さか)にしてたくみに独楽を手もとへすべらせ、ひょいとふところへしまいこんで、小憎(こにく)いほどな早芸(はやげい)、向こうへすまして歩きだしてゆくふたりの人聞があった。
「オッ?」
 と、群集(ぐんしゅう)はあッけにとられ、蛾次郎(がじろう)は目をまるくしてあんぐりと口を開(あ)いている。
 横合(よこあ)いから投げ独楽(ごま)をすくい奪(と)った紅(あか)い棒(ぼう)と見えたのは、朱漆(しゅうるし)をといだ九尺(しゃく)柄(え)の槍(やり)であった。
 そして、独楽(こま)をふところに入れたのは、白衣(びゃくえ)に戒刀(かいとう)を帯(お)びた道者笠(どうじゃがさ)の六部(ぶ)で、つれの侍(さむらい)にかりうけた朱柄(あかえ)の槍をかえし、なにかクスクス笑(わら)いながら、あとのさわぎを知らぬ顔して、柳(やなぎ)の馬場(ばば)から濠(ほり)ばたのほうへスタスタと足を早めてゆく。

「ははははは」
 人通りのない濠端(ほりばた)までくると、朱柄の槍を杖(つえ)についた、一方の侍が声をだして笑(わら)いだした。
「鏃鍛冶(やじりかじ)の弟子小僧(でしこぞう)、さだめしびっくりしたことであろう」
 と、蛾次郎のあの瞬間(しゅんかん)の顔つきを思いだしては、また笑(わら)った。
 いかにも快活(かいかつ)な笑いごえである。
 それは、伊那丸(いなまる)の幕下(ばっか)で一番年のわかい巽小文治(たつみこぶんじ)だった。つれの六部は、ニヤリとして口数(くちかず)をきかないが、たしかに木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)であるということは、ほの暗い濠ばたの夕闇(ゆうやみ)にもわかる。
 小文治(こぶんじ)はなにものかを待つように、ときどきうしろをふりかえって、
「だがどうしたのだろう、まだ追(お)いかけてくるようすがないが」
 と、つぶやいた。
「いや、こっちの足が少し早かったから、どこかの辻(つじ)で見うしなって狼狽(ろうばい)しているのであろう。いまにきッと追(お)いかけてまいるにちがいない」
 と、龍太郎(りゅうたろう)は濠(ほり)ぎわの捨石(すていし)を見つけて、ゆったりとそこへ腰(こし)をおろした。
「けれど蛾次郎(がじろう)のやつも、われわれと知るとかえっておじけづいて、独楽(こま)よりは命(いのち)が大事と、あのまま泣寝入(なきねい)りに帰ってしまいはいたすまいか」
「なに、あの小僧(こぞう)は、白痴(はくち)のように見えて小(こ)ざかしいところがあり、悧巧(りこう)に見えて腑(ふ)のぬけている点(てん)がある。まことに奇態(きたい)な性質、バカか賢(かしこ)いのか、ぼんやり者かすばしッこいのか、つかみどころのないやつじゃ。われわれを怖(おそ)れていることは事実だが、けっして、ほんとの敵(てき)と思われていないことはよくぞんじているから、いまに空(そら)とぼけた顔をして、独楽(こま)を取りかえしにくるにそういあるまい」
「なるほど」
 と、小文治も槍(やり)にすがりながら、蛾次郎という小童(しょうどう)についてよく考えてみると、末(すえ)おそろしいといっていいか、末たのもしくないといおうか、まったく判断(はんだん)に苦しむような性格的畸形児(せいかくてききけいじ)であると思った。
「で、かれはいま、卜斎(ぼくさい)に召使(めしつか)われて、この躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の長屋(ながや)にすんでいる。とすれば、いずれ内部(ないぶ)のようすを多少ながら聞きかじっているにそういあるまいから、ここへきたところを捕(つか)まえて、いろいろその後(ご)のことをさぐって見ようと思う。それにはまず、この独楽(こま)を取りあげておいて、いうかいわぬかの責(せ)め道具(どうぐ)にする。あいついかに横着者(おうちゃくもの)とはいえ、まだ子供は子供、きっと独楽をもどして欲(ほ)しさに、なにもかもしゃべりだすにちがいない――と考えたので、大人(おとな)げないが、横合(よこあ)いからさらってきた」
「しかし、龍太郎(りゅうたろう)」
「うむ?」
「芸人(げいにん)なら種(たね)もあろうが、貴公(きこう)、どうしてあの独楽(こま)を、槍(やり)の石突(いしづ)きですくい取ったか、あんな離(はな)れわざは本職(ほんしょく)の独楽まわしでもやれまいと思うが、ふしぎなかくし芸(げい)を持っておられるな」
「なあに、あれは人目(ひとめ)をくらましたのだ」
「ほう……?」
「幼少(ようしょう)のとき、鞍馬(くらま)の僧正谷(そうじょうがたに)で果心居士(かしんこじ)から教えられた幻術(げんじゅつ)。おそらく、あのくらいのことなら、弟弟子(おとうとでし)の竹童(ちくどう)にもできるであろう」
「はははは、そうだったか。ときに竹童といえば……」
「ウム、竹童……」
 と龍太郎も同じようにつぶやく。
 この名が一党(とう)の者の口にでるときは、だれの胸(むね)にもすえの弟を思うような愛念(あいねん)が一致(ち)するのもふしぎであった。
「どうしたろうなあ! 竹童(ちくどう)は」
 いまも惆然(ちゅうぜん)として小文治(こぶんじ)がいう。
「緋(ひ)おどし谷(だに)から里(さと)へ逃げた少女の話によると、咲耶子(さくやこ)はこの躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)へ捕(とら)われていったとのことだが、竹童のゆくえについては、だれひとりとして知るものがない」
「拙者(せっしゃ)の考えでは、小太郎山(こたろうざん)を仇(かたき)にうばわれたことを、じぶんひとりの責任(せきにん)のように感じて、それを深く恥(は)じ、どこぞへ姿(すがた)をかくしたのであろうと思う」
「竹童とすればそう考えそうだな」
「ある時機(じき)がくるまで、かれは、われわれの前にすがたを見せないかも知れぬ」
「それではなおさら心配(しんぱい)になるが」
「どうもぜひのないことだ」
「しかしまたことによると、この館(たち)に擒人(とりこ)となっている咲耶子を助けだそうという考えで、この甲府(こうふ)に潜伏(せんぷく)しているようにも考える」
「ウム、それなら、どこかでわれわれと落ちあう時機もあるだろう」
「どうかそうありたいものだ、勝敗(しょうはい)はいくさの常(つね)、小太郎山が敵方(てきがた)の手に落ちたのもぜひないことと伊那丸(いなまる)さまもあきらめておいで遊(あそ)ばす。また事実(じじつ)は、竹童と咲耶子のおさない者とかよわい少女に、とりでの留守(るす)をあずけたほうがムリだったのじゃ。責(せ)めは竹童よりむしろ一党(とう)の人々にある、どうかして、かれの無事(ぶじ)を知りたいものだが……」
 と、話はいつか打ちしずんでくる。
 人の力でどうにもならないのは、皮肉(ひにく)な運命(うんめい)で、その運命をえて案外(あんがい)にくるわすものは、これまた人力の自由にならぬ時間というものである。竹童(ちくどう)と咲耶子(さくやこ)をとりでにのこして、民部(みんぶ)そのほかの人々が、三方(みかた)ヶ原(はら)へ馳(か)けつけなかったら、あの時の伊那丸(いなまる)の運命はどうなったかわからない。
 その危急(ききゅう)を切りぬけてきたかと思うと、一行伊那丸をいれて六人、富士(ふじ)の裾野(すその)までかかってきた朝、かえるべき小太郎山(こたろうざん)のとりでに、あの夜明けの落城(らくじょう)のけむりをゆく手に見たのであった。
 たった、半日、もしくは半夜の時間のちがいで――。
 馳(か)けつけて見たところでもうおそい。
 とりでの上には下(さ)がり藤(ふじ)の旗(はた)さし物と、葵(あおい)の印(しるし)が王座(おうざ)をしめて戦勝(せんしょう)をほこっている。ふもとから野呂川(のろがわ)の渓谷(けいこく)いったいは、大久保長安(おおくぼながやす)の手勢(てぜい)がギッシリ楯(たて)をうえていて、いかに無念(むねん)とおもっても、疲(つか)れきった六人の力で、それがどうなるはずもないのであった。
 しかし、伊那丸はわりあいに力をおとさなかった。自分の落胆(らくたん)や失望(しつぼう)が、どれほど忠節(ちゅうせつ)な人々の胸(むね)に反映(はんえい)するかをよく知っている。
「よし、しばらく小太郎山は大久保家へあずけておこう。そして自分たちが次(つぎ)の乾坤(けんこん)一擲(てき)にのぞむ支度(したく)のために、一両年(りょうねん)、諸国(しょこく)を流浪(るろう)してみるのも、またよい軍学修業(ぐんがくしゅぎょう)ではないか」
 こういって、小太郎山(こたろうざん)をすてたのである。いや、数年(すうねん)のあいだ、かりに敵手(てきしゅ)へあずけて別(わか)れ去(さ)る心であった。
 旅(たび)の途中(とちゅう)で、煙草畑(たばこばたけ)に葉をつんでいる少女に会(あ)った。少女はついこのあいだ、緋(ひ)おどし谷(だに)から里(さと)へ帰ってきた胡蝶陣(こちょうじん)のなかのひとり。
 その少女のはなしで、前後(ぜんご)の事情(じじょう)、うらぎり者の毒水(どくすい)の詭計(きけい)、咲耶子(さくやこ)のはたらいたことまたそのために捕(と)らわれとなったことなど、すべて明らかに知ることができた。
 ただ一つ、わからないのが竹童(ちくどう)のゆくえ。
 これには、伊那丸もいたく心をいためたが、いまは落人(おちゅうど)どうような境遇(きょうぐう)の公然(こうぜん)とふれをまわしてたずねることもならず、いつか、旅路(たびじ)の蛍(ほたる)ぐさに露(つゆ)のしとどに深くなる秋を知りながら、まだもって、その消息(しょうそく)の一片(ぺん)も知ることができない。
 こうして、伊那丸主従(いなまるしゅじゅう)は、信濃(しなの)の山を越(こ)えて、善光寺平(ぜんこうじだいら)をめぐり、諏訪(すわ)をこえて、また甲州路(こうしゅうじ)へ足を踏(ふ)み入れた。
 しかし、甲府(こうふ)へはいるにさきだって、民部(みんぶ)の献策(けんさく)によって六人は三組(くみ)に分れることにした。なぜかといえば、小太郎山奪取(こたろうざんだっしゅ)ののち、徳川家(とくがわけ)は大久保石見(おおくぼいわみ)に命(めい)じて、いっそう伊那丸の追捕(ついぶ)を厳命(げんめい)した。いたるところに、間者(かんじゃ)や捕手(とりて)をふせているもようが見えたからである。
 伊那丸(いなまる)は小幡民部(こばたみんぶ)と。
 山県蔦之助(やまがたつたのすけ)は加賀見忍剣(かがみにんけん)と。
 木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)は巽小文治(たつみこぶんじ)と。
 こう二人ずつ三組(くみ)にわかれて、甲府(こうふ)の城下(じょうか)へまぎれこみ、大久保家(おおくぼけ)の内状(ないじょう)をさぐったうえにて、間隙(かんげき)をはかって館(たち)のうちに捕(と)らわれている咲耶子(さくやこ)をすくいだす目的(もくてき)をしめし合わせた。
 しかし、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の平城(ひらじろ)は、厳重(げんじゅう)をきわめているうえに、さすがはむかし信玄(しんげん)じしんが縄張(なわば)りをした郭(くるわ)だけあって、あさい外濠(そとぼり)を越(こ)えて、向こうの石垣(いしがき)にすがるたよりもなかった。
 で――一党(とう)六人の人々、むなしく、咲耶子の身をあんじながら、手をこまぬいて弱っていると、ここに思いがけない好時機(こうじき)が、近い日のうちにせまっているのを知った。
 それは、なにかというと。
 甲斐(かい)の東端(とうたん)、北武蔵(きたむさし)との山境(やまざかい)にある、御岳神社(みたけじんじゃ)の紅葉(こうよう)の季節(きせつ)にあたって、万樹紅焔(まんじゅこうえん)の広前(ひろまえ)で、毎年おこなわれる兵学大講会(へいがくだいこうえ)に、ことしは、大久保石見守長安(おおくぼいわみのかみながやす)が、家康(いえやす)の名代(みょうだい)としてでかけるといううわさである。
 で――小幡民部(こばたみんぶ)は、
「若君(わかぎみ)、この機(き)を逸(いっ)してはなりません」
 と、伊那丸に一策(さく)をさずけた。
 それから間(ま)もなく、忍剣(にんけん)と蔦之助(つたのすけ)の組(くみ)も、伊那丸(いなまる)も、甲府表(こうふおもて)からすがたを隠(かく)して、あいかわらず、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)のようすをうかがっているものは、龍太郎(りゅうたろう)と小文治(こぶんじ)の一組になっていた。
 その龍太郎は、御岳(みたけ)神社の兵学大講会(へいがくだいこうえ)に長安(ながやす)がでかける日をねらって、咲耶子(さくやこ)を救(すく)いだすつもりであるが、なろうことなら一日も早くと気をあせって、きょうも城下(じょうか)をそれとなく歩いているうちに、思いがけない蛾次郎(がじろう)というものを見つけて、おとりの独楽(こま)を取りあげてきた。
 いまに、それを奪(と)りかえしに追(お)いかけてきたら、あの蛾次郎を独楽にまわして、ひとつ、さぐりをかけてみようと手ぐすね引いて待つのであったが、うわべは、心棒(しんぼう)がゆるんでいるように見えて、ときどき、大人(おとな)の鼻(はな)を明(あ)かす横着独楽(おうちゃくごま)、こっちの腹(はら)を読んでいるのか、なかなかやってきそうもない。

 水のきれいな甲斐(かい)の国、ことに秋の水は銘刀(めいとう)の深味(ふかみ)ある色にさえたとえられている。
 ほの暗(ぐら)い宵闇(よいやみ)のそこから、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の濠(ほり)の流れは、だんだん透明(とうめい)に磨(と)ぎだされてきた。眸(ひとみ)をこらしてのぞきこむと、藻(も)にねむる魚(うお)のかげも、底(そこ)の砂地(すなじ)へうつってみえるかと思う。
 その清冽(せいれつ)は十五間(けん)ほどの幅(はば)がある。
 濠(ほり)の向こうはなまこ壁(かべ)の築地(ついじ)、橋(はし)のあるところに巨大(きょだい)な石門がみえ土手芝(どてしば)の上には巨松(きょしょう)がおどりわだかまっている。松をすかしてチラチラ見えるいくつもの灯(ひ)は、館(たち)の高楼(こうろう)であり武者長屋(むしゃながや)であり矢倉(やぐら)の狭間(はざま)であり、長安歓楽(ながやすかんらく)の奥殿(おくでん)のかがやきである。
 二年前には、そこに、武田(たけだ)一族(ぞく)と伊那(いな)四郎勝頼(かつより)の座(ざ)をてらす燭(しょく)があった。
 十幾年(いくねん)かまえには、そこに、機山大居士信玄(きざんだいこじしんげん)の威風(いふう)にまたたいている短檠(たんけい)がおかれてあった。
 いまはどうだ?
 ながるる濠の水は春秋(しゅんじゅう)かわりなく、いまも、玲瓏(れいろう)秋の宵(よい)の半月にすんでいるが、人の手にともされる灯(ひ)と、つがれる油(あぶら)は、おのずから転変(てんぺん)している。
 ものおもわしき秋の夜。
 龍太郎(りゅうたろう)はなにげなくそこに眸(ひとみ)をあげて、さっと露(つゆ)をふらす濠ばたの柳(やなぎ)に背(せ)すじを寒(さむ)くさせたが、その時、ふとはじめて気がついた一個(こ)の人かげが向こうにある。
 どこの百姓(ひゃくしょう)の女房(にょうぼう)であろうか、櫛巻(くしまき)にしたほつれ毛(げ)をなみだにぬらして、両袖(りょうそで)を顔(かお)にあてたまま濠にむかってさめざめと泣(な)いているようす……
 月あかりを避(さ)けているが、やつれた姿(すがた)がかげでもわかる。年は三十五、六、質朴(しつぼく)らしい木綿着物(もめんぎもの)、たくさんの子供をうんだ女と見えて、大きな乳(ちち)が着物の前をふくらましている。そして、裾(すそ)のほうには女でも山国のものは穿(は)く、もんぺという盲目縞(めくらじま)の足ごしらえ、尻(しり)の切れた藁草履(わらぞうり)が、いっそうこの女の人の境遇(きょうぐう)を、いたいたしく感じさせていた。
「おや?」
 と、小文治(こぶんじ)は、直覚的(ちょっかくてき)にはね返った。
 すべての空気が、この女が、いまにも濠(ほり)へ身を投げそうなことを教えたからである。
 案(あん)の定(じょう)――女は泣きぬれた眼で、躑躅(つつじ)ヶ館(たち)を、うらめしげににらんでいたかと思うと、また、悲(かな)しげな声で、濠のそこへ良人(おっと)の名と、むすめの名らしい声を呼(よ)びつづけた。
 そして――あッ――と思うまに、手を合わせて、月光の水へ身をおどらせようとした。
「――待てッ」龍太郎(りゅうたろう)は飛鳥(ひちょう)のように馳(か)けて、女の体をうしろへ抱(だ)きもどした。女は、なにか口走(くちばし)りながら、そのとたんに、ワッと柳(やなぎ)の木の根もとへ泣きくずれてしまう。
「――見うけるところ、良人もあろうし、幾人(いくにん)かの子供もあろう人妻(ひとづま)ではないか。なぜそんな短気(たんき)なことをいたす。苦(くる)しい事情(じじょう)があろうにもしろ、浅慮千万(せんりょせんばん)……」
 と、たしなめるように強くしかった。
 返辞(へんじ)はない。
 しゅく、しゅく、と泣く声ばかりが、ふたりの足もとにうったえていた。
 だが――やがてやっと事情を聞きとると、この女房(にょうぼう)の死ぬ気もちになったことを、ふたりはもっともだと思わずにいられなかった。
「ごしんせつに、ありがとうございます。わたしは、西山梨在(にしやまなしざい)の戸狩村(とかりむら)にいた勘蔵(かんぞう)という水晶掘(すいしょうほ)りの女房(にょうぼう)でお時(とき)というもんでござります。はあ、子供も五人もございましたが、そのうち三人は亡(な)くなりました。ひとりの男の子はまだ小(ち)ッけえうちに、伊勢(いせ)まいりにいった途中(とちゅう)でかどわかされ、たったひとりのこっていた娘(むすめ)は……その娘は……」
 と、女は濠(ほり)を指(ゆび)さして、また泣(な)きじゃくった。
 ちょうど、この夏、伊部熊蔵(いのべくまぞう)がこの躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)に鉱山掘夫(やまほり)を勢(せい)ぞろいして、小太郎山(こたろうざん)へでかけようとした同じ日のこと、信玄(しんげん)の石碑(せきひ)へ、香華(こうげ)をあげて拝(おが)んでいるところを見つけられたひとりの百姓(ひゃくしょう)が、この館(たち)のうちへ、若侍(わかざむらい)たちの無情(むじょう)な手にひきずられてきた。それを助けてくれと、泣きながら城内(じょうない)へついてきた娘(むすめ)も、その百姓も、ちょうど酒宴(しゅえん)をしていた長安(ながやす)のよい酒(さけ)の興味(きょうみ)になって無慈悲(むじひ)な手討(てう)ちにあって殺されたが、その死骸(しがい)を投げすてられたと聞くこの濠(ほり)へ、いま身を投げようとした女は、そのときの百姓風な水晶掘(すいしょうほ)り勘蔵の女房なのであった。
 たったひとりの娘と良人を、無慈悲(むじひ)な領主(りょうしゅ)に殺されたお時(とき)は、すこし気がヘンになって、戸狩村からどこともなくさまよいだしていたが、あぶない命(いのち)をすくわれて、かの女(じょ)はまた、気もくるわしく泣くのであった。
「にくむべき長安!」
 小文治(こぶんじ)は人ごとに思われなかった。
「泣くな泣くな」背(せ)をなぜながらなぐさめて、
「泣いたところで、死んだ良人(おっと)も娘(むすめ)も返(かえ)りはしない。それよりは、おまえが伊勢(いせ)まいりの時に、道中(どうちゅう)でかどわかされたという、すえの男の子をたずねだして、その子をたよりに暮(く)らすがよい」
「はい……だ、だが、旦那(だんな)さま、そんなことは、とても望(のぞ)まれねえことなんでございます」
「いや、世間(せけん)には十年ぶり、二十年ぶりなどで、母子(おやこ)がめぐり会(あ)ったなどということもめずらしくはない。一心にさがせばきっとわかるだろう。それに、何かその子に目印(めじるし)でもあれば、なお手がかりとなって、人からも教(おし)えてくれぬかぎりもない」
「ところが、百姓(ひゃくしょう)の悲(かな)しさで、べつに、証拠(しょうこ)や印(しるし)になるようなものもありませず、ただ、……そうでがす……思いだしてみると、その子は、小(ち)ッけえ時(とき)から癇持(かんも)ちでがしたもンで、背骨(せぼね)の七ツ目の節(ふし)にはお諏訪(すわ)さまの禁厭灸(まじないきゅう)がすえてごぜえます。はあ、そりゃ大(で)けえ、一ツ灸(きゅう)で他国(たこく)にはねえ灸ですから、目印(めじるし)といえば、そんなもンぐらいでございます」
「そうか、諏訪神社(すわじんじゃ)の禁厭灸(まじないきゅう)よくおぼえておいて、拙者(せっしゃ)たちも旅(たび)の間(あいだ)には心がけておくようにいたそう」
 龍太郎(りゅうたろう)が温情(おんじょう)をこめて、不遇(ふぐう)な女をなぐさめてやると、小文治(こぶんじ)もおととしの春、まだ自分が浜名湖(はまなこ)の漁師小屋(りょうしごや)にいて、母の死骸(しがい)をほうむる費用(ひよう)もなく、舟にそれを乗せて湖水(こすい)に水葬(すいそう)したことなどを思いうかべて、まだ子をたずねる母、尋(たず)ねらるる子は、幸(しあわ)せであるように考えられた。そして、かれもともどもそんな気持をかんでふくめるように話して、女の一途(いちず)な死を思いとまらせた。
 やつれた女房(にょうぼう)は、感謝(かんしゃ)の涙(なみだ)にぬれながら、濠端(ほりばた)をすごすごと去(さ)った。そして、ふたりの慰藉(いしゃ)にはげまされて、これからは、まだ四ツのときに、伊勢(いせ)もうでの道中(どうちゅう)ではぐれたきりの末(すえ)の子をさがしだすのを楽(たの)しみにします――と誓(ちか)うように首をさげていいのこした。
「さまざまだなあ、世の中は……」
 うしろすがたを見送(みおく)りながら、ふたりの勇士(ゆうし)は、うるんだ眼を見あわせた。
 すると、とつぜんうしろのほうから、わすれていた蛾次郎(がじろう)の声がして、そこへ馳(か)けてくるが早いか、
「やい、独楽(こま)どろぼう、独楽をかえせ」
 と、飛んでもない鼻息(はないき)で、腕(うで)まくりをしてつめよった。
 ああ、やっぱりこいつは低能(ていのう)だな。
 小文治(こぶんじ)はそう思って苦笑(くしょう)した。
 盲目(めくら)、蛇(へび)に怖(お)じず――人もあろうに戒刀(かいとう)の名人(めいじん)龍太郎(りゅうたろう)と、血色塗(ちいろぬ)りの槍(やり)をとって向こうところ敵(てき)なき小文治のまえに立って、泥棒(どろぼう)よばわり、腕(うで)まくりは、にくむべき値(ね)うちもない滑稽(こっけい)ごとである。
「蛾次かッ」
 と、待っていたように龍太郎がヌッと立つと、蛾次郎は逃(に)げ腰(ごし)を浮かしながら、
「泥棒(どろぼう)、泥棒、こ、こ、独楽(こま)をかえせ。独楽をかえせ」
 と、どもりながら、手をだしたり、引っこめたりした。

「――おまえは蛾次郎、この独楽がほしいというのか」
 こう龍太郎がいってふところの独楽(こま)をだしてみせると、蛾次郎は飛びつきそうな眼色(めいろ)をして、
「欲(ほ)しいやイ! 返(かえ)せッ」
 と、打ってひびくように、泣き声でののしった。
「返してあげよう」
「か、か、返せッ!」
「そのかわりに、少しわしのたずねることに答えてもらいたい。そうしたら独楽もかえそう、おまえの望(のぞ)むことにはなんなりと応(おう)じてやろう。どうじゃ、蛾次郎」
「ふウん……」
 と、そこでかれの半信半疑(はんしんはんぎ)が、やおら、腕(うで)ぐみとなって、まじりまじりと落着(おちつ)かない目で、小文治(こぶんじ)と龍太郎の顔色を読み廻(まわ)して、
「じゃア……」と相好(そうごう)をくずしかけたが、またにわかにするどくなって、首をふるように、
「あかをいえ! だれが、くそ、そんなウマい策(て)にだまされやしねエぞ。いいや! かえさなけりゃ待っていろ、代官陣屋(だいかんじんや)へいって、てめえたちのことをみんないってやるから」
 蛾次郎(がじろう)にしてはくやしまぎれの不用意(ふようい)にでたことばであったかもしれないが、小文治はおどろいた。この甲府附近(こうふふきん)に、自分たちが入(い)りこんでいることを、まんいち、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)支配(しはい)の代官陣屋にでも密告(みっこく)されては、それこそ、三方にわかれて行動している伊那丸(いなまる)や党友(とうゆう)の一大事。
 はッと思うまに蛾次郎は、身をひるがえしてもとの道へはしりかけた。やっては! と小文治もいささかあわて気味(ぎみ)に、地についていた朱柄(あかえ)の槍(やり)を片手(かたて)のばしにかれの脾腹(ひばら)へ。
「わッ」と、蛾次郎の声であった。
 腰車(こしぐるま)をつかれて横ざまに、ドウと、もんどり打って倒れている。そして芋虫(いもむし)のようにころがったまま、ふたたび起きあがろうともしないようす。
 しかし、かれの肉(にく)にふれた朱柄の先は、穂(ほ)のほうではなくて石突(いしづ)きであったから、突(つ)きのばした片手の力ぐらいで、そう苦(く)もなく死んでしまうはずはないし、またよほど急所(きゅうしょ)でもなければ、悶絶(もんぜつ)するのも少しおかしい。
 見ると、なるほど。
 乞(こ)う休(やす)んぜよ、である。ひっくりかえった蛾次郎(がじろう)は、ぽかんと眼をあいて、自分にいって聞かせている。
(大丈夫(だいじょうぶ)だ、大丈夫だ。死にゃアしない、生きているぞおれは、たしかに生きている。その証拠(しょうこ)には星(ほし)が見える。月だってありありと見えるじゃないか。だが今は、死んだかと思った。あぶねえあぶねえ、うっかり起き上がろうものなら、こんどは光ったほうで、グサリとほんとにやられるかもしれない)
 こう考えて、死んだまねをしているらしい。いや、事実(じじつ)は腰(こし)の蝶(ちょう)つがいがはずれて、にわかに、起きたくも起きられないでいるのかもしれない。
「手におえない小僧(こぞう)でございますな」
 と、濠(ほり)ばたのほうで小文治(こぶんじ)がささやいた声さえも、かれはハッキリと耳に入れた。その話に、自分に対してべつだん深い殺意(さつい)がないのだと覚(さと)ると、蛾次郎(がじろう)ははじめて、ホッと多寡(たか)をくくって、
「ちぇッ、おどかすない」
 と、腰(こし)をさすって、そろそろ首をもたげだした。

 迷子札(まいごふだ)のような門鑑(もんかん)を番士(ばんし)にしめして、その夜、霜(しも)にあったキリギリスみたいに、ビッコをひいた蛾次郎(がじろう)が、よろよろと躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の郭内(くるわない)にあるお長屋(ながや)へ帰ってきたのは、もうだいぶな夜更(よふ)けであった。
 城内(じょうない)の長屋(ながや)というのは、館(たち)につめている常備(じょうび)の侍(さむらい)や雑人(ぞうにん)たちの住居(すまい)で、重臣(じゅうしん)でも、一朝(ちょう)戦乱(せんらん)でもあって籠城(ろうじょう)となるような場合(ばあい)には、城下の屋敷(やしき)からみな妻子眷族(さいしけんぞく)を引きあげてここに住まわせ、一国(こく)一郭(かく)のうちに大家族となって、何年でも敵(てき)と対峙(たいじ)することになる。
 小太郎山(こたろうざん)からずるずるべったりに、鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)はそのお長屋の一軒(けん)をちょうだいして、いまでは、大久保石見守(おおくぼいわみのかみ)の身内(みうち)ともつかず、躑躅ヶ崎の客分(きゃくぶん)ともつかない格(かく)で、のんきに暮(く)らしているのである。
「もう寝(ね)たじぶんだろう」
 とは、その卜斎をおそれる蛾次郎が、ビッコをひきながら道々(みちみち)考えもし、神(かみ)に念(ねん)じるほどそうあれかしと願(ねが)ってきたところで、お長屋の灯(ひ)を見るとともに、また、
「起きていた日には大(たい)へんだぞ」
 と、意気地(いくじ)なく足がすくんでしまう。
 で、いきなり門へははいらないで、そッと裏(うら)へまわってみたり、羽目板(はめいた)に耳をつけてみたり、窓(まど)の節穴(ふしあな)からのぞいたりしてみると、天なるかな命(めい)なるかな、寝(ね)ているどころか、ふだんより大きな声をだして、あのガンガンした声が家(や)の内(うち)にひびいている。
「こいつはたまらないぞ」
 蛾次郎(がじろう)はどうしようかと思った。
 奥(おく)には客(きゃく)がきているのだ。昼間(ひるま)、飯屋(めしや)でぶつかった地蔵行者(じぞうぎょうじゃ)の菊村宮内(きくむらくない)を引っぱってきて、久(ひさ)しぶりに夜(よ)の更(ふ)けるのを忘(わす)れて話しているあんばい。
 とすると、宮内の口から、おれがあそこでお酒(さけ)というものを飲んでみたこともしゃべったにちがいない。親方(おやかた)が、やってきた時、台(だい)の下にもぐりこんでいたことも、おもしろそうに話したろうな。おまけにおやじは、近ごろ、おれが水独楽(みずごま)をまわして小遣(こづか)い取りをしていることを、うすうす感づいているんだから、こんな夜更(よふ)けに帰ろうものなら、それこそ、飛んで灯(ひ)にいる夏の虫だ。親方のげんこつがおれの頭に富士山脈(ふじさんみゃく)をこしらえるか、弓(ゆみ)の折れで百たたきの目に会(あ)わされるか、どっちにしても椿事出来(ちんじしゅったい)、アア桑原(くわばら)桑原、桑原桑原。
 こっそり、こっそり、蛾次郎は裏(うら)の暗(くら)やみに消(き)えてしまった。
 どこへいったのかと思うと馬糧小屋(まぐさごや)だ。馬糧を盗(ぬす)みにはいる泥棒(どろぼう)はないから、そこだけは錠前(じょうまえ)もなく、ギイと開(あ)くと難(なん)なくかれを迎(むか)えいれてくれた。そしてまたソーッと閉(し)めておく。
 もとよりなかはまッ暗(くら)だが、愉快(ゆかい)なことには、抱擁性(ほうようせい)のあるやわらかい麦藁(むぎわら)が、山のごとく積(つ)んである。どうだい! すばらしい寝床(ねどこ)じゃないか! と、蛾次郎(がじろう)はうれしくなってしまった。
 火がなくッたって暖(あたた)かい、人間の親方(おやかた)はあんなに冷(つめ)たくッてとげとげしているのに、どうして枯(か)れた麦藁(むぎわら)がこんなに暖かいものだろう。変(へん)だなア、だが、なにしろありがたい、ここはおいらの安全地帯(あんぜんちたい)、いいお住居(すまい)を見つけたものだ。
 蛾次郎はかってなことを考えながら、いきなり麦藁の山へふんぞりかえった。やわらかいぞやわらかいぞ、お大名(だいみょう)の寝床(ねどこ)だって、こんなに上等(じょうとう)じゃああるまいなあ、などと牧(まき)をとかれた山羊(やぎ)みたいに、ワザとごろごろころがってみた。
「独楽(こま)もある」
 ふところからだして、頬(ほ)ッぺたにおしつけた。
 木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)からヤッとかえしてもらった独楽である。いつか蛾次郎にもこの独楽が、命(いのち)から二番目の大事なものになっている。かれがこの水独楽(みずごま)を愛すること、竹童(ちくどう)がかの火独楽(ひごま)をつねに大事にするのと愛念(あいねん)において少しもかわりはないのであった。
「独楽よ、独楽よ」
 独楽の心棒(しんぼう)は蛾次郎が頬(ほお)ずりするあぶらをうけて、暗(くら)やみのなかでもまわりそうになった。なんだかこの独楽には霊(れい)があっていきてるもののように思われる。いったい、独楽というものは、手でまわるのかしら? 心(こころ)が打ちこまれてまわるのかしら?
 疑問(ぎもん)はでたが、そうヒョッと、考えただけで、これは蛾次郎の智能(ちのう)では解(と)けそうにもない。
 いちじ、濠端(ほりばた)でひっくり返(かえ)ったかれが、この独楽(こま)をかえしてもらって無事(ぶじ)に長屋(ながや)へもどってきたところを見ると、あれから龍太郎(りゅうたろう)の詰問(きつもん)にあって、小太郎山(こたろうざん)いらいのこと、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の内情(ないじょう)など、すっかり話してしまったことは、もううたがうまでもない。
 もっとも、蛾次郎(がじろう)の身にとってみれば、甲府(こうふ)一城(じょう)の安危(あんき)よりは、この独楽一箇(こ)が大事かも知れない。だれか、かれを悪童(あくどう)とよぶものぞ。独楽を頬(ほ)ッぺたに押(お)しつけたまま、馬糧(まぐさ)のなかにやがてグウグウ寝入(ねい)りこんでしまったかれこそは、まことに、たわいのないものではないか。
 だが、眼がさめると、こいつがいけない。
 すぐにユダを発揮(はっき)し、天邪鬼(あまのじゃく)をまねる。
 蛾次郎よ、永遠(えいえん)に寝(ね)ていろ、馬糧のなかで。

 四更(こう)。
 月も三更(こう)までを限(かぎ)りとする。四更といってはもう夜半(やはん)をすぎて暁(あかつき)にちかいころ。
 馬(ま)ぐさ小屋(ごや)の中の高いびきは、定(さだ)めし心地(ここち)よい熟睡(うまい)におちているだろう。お長屋(ながや)の灯(ひ)もみんな消(き)えて、卜斎(ぼくさい)の家のなかも、主(あるじ)のこえなく、客(きゃく)の笑(わら)いもたえて、シンとしてしまった。
 月のゆくえはわからないが、空いちめんはいつまでも、月の水いろに明るく冴(さ)えている。啼(な)かぬ雁(かり)がしずかに渡(わた)る、啼く雁よりも啼かぬ雁のなんと秋らしいものかげだろう。
 と――躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の館(たち)の高楼(こうろう)にあたって、万籟(ばんらい)もねむり、死したようなこの時刻に、嚠喨(りゅうりょう)とふく笛(ふえ)の音(ね)がある。
 高音(たかね)ではないが、このすんだ四更(こう)の無音界(むおんかい)には、それが、いつまでも消(き)えないほどゆるく流れまわって、すべてのものの眠(ねむ)りをいっそう深くさせるようであった。
 さらにまた、その音(ね)をもとめるような一点(てん)の孤影(こえい)が大空をめぐっていた。
 雁か! 迷子(まいご)のはなれ雁(がり)か!
 いや、雁にしては大きすぎる。あの翼(つばさ)を見るがいい、遠(とお)いが、おそろしい力で風を呼(よ)んでいる。
 クロだ! 鷲(わし)だ!
 おお、されば小太郎山(こたろうざん)のとりでから、この躑躅ヶ崎の高楼にとらわれてきている咲耶子(さくやこ)が、悶々(もんもん)として眠られぬ幽窓(ゆうそう)に、あの影(かげ)をふと見つけて、狛笛(こまぶえ)の歌口(うたぐち)に、クロよ、クロよ、と呼(よ)ぶ音(ね)であったろうか。
 それとも、彼女が気をまぎらわすために吹いた笛が、ぐうぜん、しばらく行方(ゆくえ)の知れなかったクロの慕(した)うところとなって、おぼえのある音色(ねいろ)に、向こうからよってこようとしているのであろうか、いずれにしても、この音(ね)、あのかげ、おそらく天地に知る者のないことだろう。
 と、思ったところが……である。
 ちょうどその時刻、それまでは前後不覚(ぜんごふかく)であった馬糧小屋(まぐさごや)の蛾次郎(がじろう)の寝(ね)がおの上へ、草鞋(わらじ)の裏(うら)からはがれたような一かたまりの土が、しかも開(あ)いている口のあたりへ、グシャリと、落ちたものである。
 いくら寝坊(ねぼう)のおん大将(たいしょう)にせよ、それで眼がさめないはずはなく、
「ゲッ、ペッ……」
 と、寝(ね)ぼけながら、ジャリジャリする口をこすったが、ふいと天井(てんじょう)をながめると、いっぱいな星(ほし)が見えたので、あッと驚(おどろ)いて、さらにまた少し目をさました。
 馬糧小屋にだって屋根(やね)はある。そんなに星(ほし)が見えるという法(ほう)はない。事実(じじつ)、よくよく目をあらためてみるとそれは星に似(に)て星の光ではなく、屋根うらの隙間(すきま)や節穴(ふしあな)が、あかるい空の光線(こうせん)をすかして、星のように見えたのであった。
 だが? ……蛾次郎はジッと息(いき)を殺しはじめた。
 星どころじゃない、節穴(ふしあな)どころの沙汰(さた)じゃアない。変(へん)なやつがいる! へんな人間が屋根うらの梁(はり)に、取ッついている!
 闇(やみ)に馴(な)れた蛾次郎のひとみには、ようようそこの屋根うらが、怪獣(かいじゅう)のような黒木(くろき)の梁(はり)に架(か)けまわされてあるのが薄(う)っすらわかった。あやしげな一個(こ)の人間(にんげん)は、蛾次郎がここへ入(はい)ったとき、上へ身を避(さ)けていたものであろう。今(いま)になって知れば、馬糧小屋の天井の梁(はり)につかまって、ジッと、身動(みうご)きもしないでいる。
 その足もとから落ちた土。……どうりで、ここへ寝(ね)ころんだ時、イヤに、麦藁(むぎわら)の寝床(ねどこ)があたたかであり過(す)ぎた。
「だが、誰(だれ)だろう?」
 すこし気味(きみ)がわるくなった。
 城内(じょうない)の者ならば、なにも、好(この)んであんなところにひそんでいる必要(ひつよう)はあるまい。第一、なんだかその影(かげ)も大人(おとな)なみの人間にしてはすこし小さい。
「ははあ」
 思い当(あた)ったものがある。
 奥庭(おくにわ)で殿(との)さまが飼(か)っている猿(さる)――あの三太郎猿(さんたろうざる)じゃないか、とすれば、抱(だ)いて寝(ね)てやろうか、あいつはおもしろい。
 と、蛾次郎(がじろう)がムックリと起きると、猿とみた梁の影ははなはだ猿らしくなく、きッとかまえをとって、上から蛾次郎のようすを見つめる。
 しかも、腰(こし)のあたり、屋根の破(やぶ)れをもれる光線(こうせん)に、チカッと光るのは刀(かたな)の鐺(こじり)ではないか。
 とたんに、
「おお!」
 と蛾次郎は藁を散(ち)らして飛びあがった。
「やッ」
 と、天井(てんじょう)の小さい人かげもりすのごとくべつな梁(はり)へ飛びうつった。
 出会(であ)ったり! 火独楽(ひごま)と水独楽(みずごま)双方(そうほう)の持(も)ち主(ぬし)、上にひそんでいたものこそ、どうして、いつどこからこの躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の郭(くるわ)へしのびこんでいたのか、まぎれもあらぬ鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)。
 その時、鷲(わし)をよぶ高楼(こうろう)の笛(ふえ)はまだ、忍(しの)びやかに遠音(とおね)であった。

 奇遇(きぐう)といおうか、皮肉(ひにく)なぐうぜんといおうか、じつに人間の意表外(いひょうがい)にでることは、わずか十坪(つぼ)か二十坪の天地にも、つねに待ちぶせているものだ。
 近江(おうみ)竹生島(ちくぶしま)の可愛御堂(かわいみどう)でつかみあいの喧嘩(けんか)をやってから、菊村宮内(きくむらくない)に仲裁(ちゅうさい)をされ、その後(ご)、小太郎山落城(こたろうざんらくじょう)のまぎわに別(わか)れたまま、おたがいにその生死消息(しょうそく)をうたがいあっていた蛾次郎(がじろう)と竹童。
 ところもあろうに、こんな馬糧(まぐさ)だらけな馬糧小屋(ごや)のなかで、いきなりぶつかりあおうとは、両童子(りょうどうじ)、どっちも夢(ゆめ)にも思わなかッたことにちがいない。
「おおッ!」
「やッ!」
 とふたりのおどろき。
 ピュッと水火両性(すいかりょうせい)がはじきあってとんだように、はねわかれた暗中(あんちゅう)二つのかげ。
 双方(そうほう)しばしは天井(てんじょう)と馬糧(まぐさ)のなかとで、息(いき)をこらし、らんらんたる眼光(がんこう)を睨(ね)めあっていたが、やがてこれこそ、梁(はり)の上から鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)、じッと彼(かれ)なることを見さだめて、
「ウーム、おのれは、蛾次(がじ)だなッ」
 と、うめくがごとく叫(さけ)んだ。
「そうよ!」
 蛾次郎(がじろう)もすばやく水独楽(みずごま)をふところの奥(おく)にねじこみ、代(かわ)りにあけび巻(まき)の錆刀(さびがたな)をもってかまえをとり、柄(つか)に手をかけて屋根裏(やねうら)の虚空(こくう)をにらみつけた。
「――下(お)りてこいッ!」
 と声いッぱい。
 あいかわらず鼻息(はないき)だけはすばらしい。
「オオ、ゆくぞ」
「ウム、こい、こんちくしょう」
 とどなりかえしたが、ガサガサ……と腰(こし)の下の馬糧のワラがくずれるとともによろついて、もう蛾次郎の臆病風(おくびょうかぜ)、あたまの上へいつ落ちてくるかわからない敵(てき)のかわしかたをかんがえていた。
 だが、これを勝負(しょうぶ)の前兆(ぜんちょう)とはみられない。
 蛾次郎(がじろう)の争闘力(そうとうりょく)は、いつも、この腕(うで)よりは口である。度胸(どきょう)よりは舌(した)である。三尺(じゃく)の剣(つるぎ)よりは三寸(ずん)の毒舌(どくぜつ)、よく身をふせぎ敵(てき)を翻弄(ほんろう)し、ときには戦(たたか)わずして勝(か)つことがある。
「さあ、おりてこい、野(の)ねずみめ!」
 そろそろその舌(した)の鞘(さや)をはらって、蛾次郎、口ぎたなくののしった。
「うまく罠(わな)にかかりやがッたな。どう血(ち)まよったのかしらないが、自分から罠の袋(ふくろ)へはいりこんでくるうすノロがあるか。かわいそうに、はいったはいいが、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)のご門内(もんない)、西へも東へもぬけだす工夫(くふう)がつかないで、メソメソべそをかいていやがったんだろう、ざまを見やがれ! いまにおれの親方(おやかた)や大久保(おおくぼ)さまの侍(さむらい)たちを呼(よ)んできてやるから、しばらくそこで宙乗(ちゅうの)りをして待っていろ」
「待てッ、蛾次公(がじこう)!」
「大きなことをいうない」
「うごくとゆるさぬぞ」
「なにを」
「この小屋(こや)をでてはいけない」
「伊那丸(いなまる)の間者(かんじゃ)がまよいこみましたと、おくのご殿(てん)にどなってやるのだ。待っていろ、そこで!」
「おお、知らせるものなら知らせてみろ、この火独楽(ひごま)がスッ飛んで、その頭の鉢(はち)を木(こ)ッ葉(ぱ)みじんにくだいてやるから」
「けッ……な、生意気(なまいき)な……」
 とはいったが蛾次郎(がじろう)、上を見るとこわかった。思わずブルブルッと足がすくんだ。
 まだ竹童(ちくどう)のこんな必死(ひっし)な顔をかれは見たことがない。梁(はり)のうえに身(み)をかがめ、片手(かたて)を横木(よこぎ)にささえ、右手(めて)に火独楽(ひごま)をふりかぶって、うごかば、いまにも発矢(はっし)と投げつけそうな眼光(がんこう)。

 いかにも蛾次郎が胴(どう)ぶるいをおぼえたはずである。気はおもてにあらわる。今宵(こよい)こそはと最後の死をけっして、石門(せきもん)九ヵ所(しょ)のかためを越(こ)え、易水(えきすい)をわたる荊軻(けいか)よりはなお悲壮(ひそう)な覚悟(かくご)をもって、この躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の館(たち)にしのびこんだ竹童であった。
「うごいてみろ」
 と、かれは火独楽(ひごま)をつかんで、蛾次郎の頭蓋骨(ずがいこつ)へたたきつけるつもり。
 それでいけなければ般若丸(はんにゃまる)の晃刀(こうとう)、梁(はり)の上から抜(ぬ)きざまに、一気(き)一刀(とう)の下(もと)にとび斬(き)り。
 なお討(う)ちそんじたら取ッ組(く)んで、きゃつの喉首(のどくび)を締(し)めあげても、この馬糧小屋(まぐさごや)のそとへかれをだしては、きょうまでの臥薪嘗胆(がしんしょうたん)は水のあわではないか――と思いこんでいる鞍馬(くらま)の竹童。
 自分は決死、かれを見るや必殺(ひっさつ)。
 この躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の高楼(こうろう)にとらわれている咲耶子(さくやこ)をすくいださなければ、男として、鞍馬の竹童として、なんで生きてふたたび伊那丸(いなまる)や一党(とう)の人々とこの顔があわされようか。
 そう考えてしのびこんだ胸中(きょうちゅう)の大(だい)一念(ねん)、おのずから燐(りん)のごとく眼脈(がんみゃく)に燃(も)えあがっているので、暗々(あんあん)たる屋根(やね)うらの梁(はり)に、そのものすごい形相(ぎょうそう)をあおいだ蛾次郎(がじろう)が、口ほどもなく一目(め)見(み)るなりブルブルと、膝(ひざ)の蝶番(ちょうつがい)をはずしかけたのはもっともだった。
 神伝(しんでん)の火独楽(ひごま)がいかにおそるべき魔力(まりょく)をもっているかということは、だれよりも同じ水独楽(みずごま)の持主(もちぬし)蛾次郎はよく知っているので、あいつを、頭の鉢(はち)へたたきつけられてたまるものじゃない――と思わずひるんだ。
 ことに、じぶんは下、きゃつは上、足場(あしば)において勝目(かちめ)がない。
 黙然(もくねん)として刻一刻(こくいっこく)。
 蟇(がま)がなめくじに魔術(まじゅつ)をほどこしたごとく、じゅうぶんかれの気をのんでしまった竹童は、やがて、一尺(しゃく)二尺と梁の上をはいわたって、蛾次郎(がじろう)のすぐ脳天(のうてん)のところへ片足(かたあし)をブランと垂(た)らした。
「あッ!」
 と、腰(こし)を立てたとたん、蛾次郎はその足に肩(かた)をけられた。どすん! と藁(わら)の山に腰をついたが、無意識(むいしき)に、ウヌ、とばかり竹童の足にしがみついて振(ふ)りまわしたので、かれのからだも梁のうえから落とされて、藁のなかにころげ落(お)ちる。
 組(く)んだ!
 まるで二匹(ひき)のりすのように、そこで取ッ組んだ蛾次郎(がじろう)竹童(ちくどう)。
 つウ! えいッ! くそウ! と下になりゴミをかぶってもみあったが、弾力性(だんりょくせい)のある麦(むぎ)ワラの上なので、どっちもじゅうぶんに力がはいらず、目へチリをいれたり、ほこりを吸(す)いこんで、むせたりしているうちに、両童子(りょうどうじ)同体(どうたい)にゴロゴロゴロと馬糧(まぐさ)のワラ山からワラをくずして九尺(しゃく)ほど下へころがる。
 富士(ふじ)の須走(すばし)りとワラ山の雪崩(なだれ)に、怪我人(けがにん)のあった例(ため)しはない。むろん、ころげ落(お)ちた神童(しんどう)と畸童(きどう)、どっちも、そこでは健在(けんざい)だったが、落ちゆくまに、竹童(ちくどう)はかれの耳タブをギュッとつかみ、蛾次郎はあいての口中(こうちゅう)へ拇指(おやゆび)、もう一本、鼻(はな)のあなへ人差指(ひとさしゆび)を突(つ)ッこんでいた。
「ア痛(いた)ッ」
 と叫(さけ)んだのはその拇指(おやゆび)を、竹童(ちくどう)の歯(は)にかまれたのであろう。胸(むね)をついて手をはなし、あけび巻(まき)の錆刀(さびがたな)をザラリと抜(ぬ)きかける。
 抜くより投げられているほうが早かった。
 みごと、ドスン! と。
「隠密(おんみつ)だ隠密だーッ。伊那丸(いなまる)の隠密が入(い)りこんできた。だれかきてくれッ――」
 とそこで、蛾次郎が大声(おおごえ)で呼(よ)ばわったので、竹童はぎょッとして、かれの悲鳴(ひめい)をふせぐべく、思わず、おどしにつかんでいた火独楽(ひごま)を、
「こッ、こいつめ!」
 と、かれの横顔(よこがお)めがけてたたきつけた。
 ひゅうッと火の閃条(せんじょう)!
 魔力(まりょく)はそれをはなった持主(もちぬし)の怒気(どき)をうけて、ブウーンと独楽(こま)の心棒(しんぼう)に生命力(せいめいりょく)をよみがえらし、蛾次郎(がじろう)の顔へうなりをあげておどってきた。
「ひゃアッ!」
 と抜(ぬ)いたのは錆刀(さびがたな)、身をかわして火の閃条を切りはらったが、なんの手ごたえもなく、ジャリン! とふたたび鳴っておどる火焔(かえん)の車輪独楽(しゃりんごま)。
 まるで竹童の手から狐火(きつねび)がふりだされるようだったが、いつもの頓智(とんち)に似(に)ず、蛾次郎がふところにある水性(すいせい)のふせぎ独楽(ごま)に気がつかず、ただ、神魔(しんま)の火焔(かえん)に錆刀を振(ふ)っていたずらに疲(つか)れたのは愚(ぐ)のきわみだ。
「ええ! オオッ」
 と目(ま)ばたきする間もなく、噛(か)みついてくる独楽の閃影(せんえい)に、蛾次郎はヘトヘトになって逃(に)げまわる。――そのするどい金輪(かなわ)の火が一つコツンと頭にふれたらさいご、肉(にく)も骨(ほね)も持ってゆかれるのはうけあいである。
 でも、まだ、じぶんのふせぎ独楽には気がつかずに、ただ、
「こいつはたまらない」
 と無我夢中(むがむちゅう)。
 いきなりあたりにある馬糧(まぐさ)をかぶった。
 土龍(もぐら)のように首を突(つ)っこみ、積(つ)んであるワラ山へ無我夢中(むがむちゅう)でもぐりこむ。
 とたんに――ゴツンとなにか尻(しり)に当ったような気がしたが、痛(いた)くなかったのは首尾(しゅび)よくワラで防いだものだろう――とは蛾次郎(がじろう)が夢中の感覚(かんかく)、ワラ山に大地震(おおじしん)を起して、むこう側(がわ)の戸口(とぐち)へ抜(ぬ)けだそうとしたが、すわ、大へん。
「――南無(なむ)三!」竹童も色をうしなった。
 ワラが赤くなった! ワラが赤くなった! 積(つ)みあげてある馬糧(まぐさ)のいちめんから、雨上(あめあ)がりの火山(かざん)か、芋屋(いもや)の竈(かま)のように、むっくり……と白いけむりがゆらぎはじめた。
 火独楽(ひごま)の焔(ほのお)が燃(も)えついたのだ。
 うつったものは乾燥(かんそう)されたワラであるし、屋根(やね)うらの高い小屋の木組(きぐみ)は、一瞬(しゅん)にして燃えあがるべくおあつらえにできている。
 ド、ド、ド、ドッと蛾次郎の悲鳴(ひめい)が小屋の内部(ないぶ)をたたきまわった。出口をさがしているのである。しかし火を見たとたんに、逆上(ぎゃくじょう)している頭では、七間(けん)四方ばかりな羽目板(はめいた)に、一つの出口がなかなか見つからない。
 そッちじゃない! こッちじゃない! と頭をぶつけまわっては、ワラ山にはいあがり、煙(けむり)にむせてはころげ落ちる。
 かくてさわげばさわぐほど、火は散(ち)らかって一端(たん)から、パッと、一団(だん)の焔がたつ。
「しまッた――」
 と竹童(ちくどう)も、いまは蛾次郎(がじろう)を相手にしているどころではなく、焔(ほのお)にカッとうつって見えた出口のところへ馳(か)けよって、五体の力を肩(かた)のさきに、グンとそこへ打(ぶ)つけていった。
 戸(と)はガッシリとして口を開(あ)かない。
 さては横(よこ)にひく車戸(くるまど)かと、諸手(もろて)をかけて試(こころ)みたが、ぎしッといっただけで一寸(すん)も開(ひら)かばこそ。
「オオ、これは?」
 裾(すそ)に燃(も)えつきそうな紅蓮(ぐれん)をうしろにして、押(お)しつ引きつ、満身(まんしん)の力をしぼったが、戸(と)はいぜんとして鉄壁(てっぺき)のようだ。
 そればかりか、その時ふと耳についたのは、パチパチとはぜる内部の火の音ではなく、まさしく数十人の人足(にんそく)とおぼえられる物おとが、小屋の外部を嵐(あらし)のごとくめぐっている。
 ああ、いけない。
 甲館(こうかん)躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の詰侍(つめざむらい)が、すでに、ここの物音を聞きしって、そとをかためてしまったにそういない。
 そして、ふしぎな火のはぜる音に、その原因(げんいん)をうたぐって、焼(や)けあがるのを待っているのだろう。
 館(やかた)の側(がわ)になってみれば、何千貫(がん)といっても多寡(たか)が馬糧(まぐさ)で、焼(や)いても惜(お)しいものではあるまいが、でるにでられない蛾次郎と竹童こそ災難(さいなん)である。
 どこへでも、一ヵ所、風穴(かざあな)ができて見ろ、こんがりとした二つの骸骨(しゃりこうべ)が、番士(ばんし)の六尺(しゃく)棒(ぼう)で掻(か)き分けてさがしだされるのはまたたく間(ま)だ。

 その高楼(こうろう)を源氏閣(げんじかく)という。
 三層(そう)づくりのいただき、四方(ほう)屋根(やね)、千本(ぼん)廂(びさし)、垂木(たるき)、勾欄(こうらん)の外型(そとがたち)、または内部八畳(じょう)の書院(しょいん)、天井(てんじょう)、窓(まど)などのありさま、すべて、藤原式(ふじわらしき)の源氏づくりにできているばかりでなく、金泥(きんでい)のふすまに信玄(しんげん)が今川家(いまがわけ)から招(まね)きよせた、土佐名匠(とさめいしょう)の源氏五十四帖(じょう)の絵巻(えまき)の貼(は)りまぜがあるので、今にいたっても、大久保長安(おおくぼながやす)の家中(かちゅう)みな源氏閣とよんでいる。
 やはり、甲館(こうかん)の濠(ほり)のうちで、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)七殿(でん)のうちの桜雲台(おううんだい)千畳(じょう)敷(じき)の広間(ひろま)の東につづいて建(た)ってある。
 さっき――といっても、わずかなまえ。
 蛾次郎(がじろう)が竹童(ちくどう)のいるのを知らず、ワラ小屋で幸福(こうふく)ないびきをかいていたころに、その源氏閣の上で、しのびやかに吹(ふ)く佳人(かじん)の笛(ふえ)の音(ね)がしていた。
「おお、あすこが濠(ほり)のさかい……」
 咲耶子(さくやこ)は欄(らん)によってのびあがった。昼(ひる)ならばいうまでもなく、甲州盆地(こうしゅうぼんち)はそこから一眸(ぼう)のうちに見わたされて、帯(おび)のごとき笛吹川(ふえふきがわ)、とおい信濃境(しなのざかい)の山、すぐ目の下には城下(じょうか)の町や辻々(つじつじ)の人どおりまでが、豆(まめ)つぶのごとく見えるであろう。
 が――いまは夜あけに近い闇(やみ)。
 澄(す)んでいるとはいえ、月もどこかに、星明(ほしあか)りでは、ただ模糊(もこ)としたものよりほかに下界(げかい)の識別(しきべつ)がつかない。
 しかし、彼女(かのじょ)はそのうッすらとした夜霧(よぎり)の底(そこ)から、やっと、この城郭(じょうかく)の境(さかい)をなす、外濠(そとぼり)の水をほのかに見出(みいだ)したのである。そして、しばらくはそこへ、ジッと目をつけて、手の横笛(よこぶえ)をやすめている。
「まだ見えない」さびしくつぶやいて、なにかふかく思案(しあん)していた。
「――高音(たかね)をだして吹(ふ)けば、夜詰(よづめ)の侍(さむらい)が眼をさますであろうし、いまの音(ね)ぐらいでは、あの濠(ほり)の向こうへまではとどかぬであろうし……」
 そういったが、彼女のまつ心に、それからまもなくポチと一つの明(あか)りがうつった。
 北の石門(せきもん)にあたる外濠である。
 霧(きり)ににじんでその灯影(ほかげ)が蛍(ほたる)のように明滅(めいめつ)していたかと思うと、その灯(ひ)が横に一の字を描(か)く。
「オオ」
 と、彼女は、微笑(びしょう)をもって、それへはるかな注意(ちゅうい)をおくっている。――すると、その灯は消(き)えて、つぎにはやや青味(あおみ)をもった灯が、ななめに、雨のような筋(すじ)を三たびかいた。
 つづいて――青赤(あおあか)二点(てん)の灯が、たがいちがいに手ばやく闇(やみ)に文字をえがくがごとくうごいたが、それは軍学(ぐんがく)に心あるものでも、めったに意味(いみ)を解(と)くものは少ない、勘助流(かんすけりゅう)火合図(ひあいず)の信号(しんごう)にそういない。
「……や、いまから夜明けの間(ま)に……オオ、四十八人が……」
 闇(やみ)にかく灯(ひ)の暗号(あんごう)を、咲耶子(さくやこ)は熱心な目で読んでいたが、とつぜん、風にでも消(け)されたように、青(あお)い灯(ひ)、赤い灯、ふたつとも、いちじにパッと消(き)えてしまった。
 と――同時に、彼女の耳ちかく、一陣(じん)の強風が虚空(こくう)から横なぐりに巻(ま)いてくるのを感じた。そして、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の建(た)ちならぶ殿楼長屋(でんろうながや)のいらかの波(なみ)へ、バラバラバラバラまッくろな落葉(おちば)のかげが雹(ひょう)のように降(ふ)ってくる!
 彼女は知らなかった。
 自分が最前(さいぜん)、濠(ほり)のあなたへ、忍(しの)びやかに吹いていた笛(ふえ)の音(ね)が空をゆるく、妙(たえ)に流れているあいだ、酔(よ)えるように、しずかにこの源氏閣(げんじかく)の上を舞(ま)っていた怪鳥(けちょう)のことを。
「あッ――」と、はじめて知る。
 颯然(さつぜん)と目のまえへ降(お)りてきたのは、大鷲(おおわし)のクロである。
 黒いちぎれ雲のように、彼女のまえをかすめて奥庭(おくにわ)へ降りたかと思うと――地にはとまらないで、また、舞(ま)いあがってきた。
 しかし、それは彼女の目には見えないで、ただ、翼(つばさ)の音にそう感じたのであるが、やがて、もっとはっきりした音が、バサッと、屋根瓦(やねがわら)を打つように聞えて、あとはシンとしずかになった。

 まるで夢(ゆめ)のようだ。一瞬(しゅん)の疾風(はやて)。
 たしかに、竹童(ちくどう)の愛鷲(あいしゅう)クロのようだったが――見ちがいであったかしら? 幻(まぼろし)であったかしら? ――と咲耶子(さくやこ)はあとのしずかななかで錯覚(さっかく)にとらわれた。
 しかし、錯覚ではない。いまの名残(なごり)の吹(ふ)きあおられた落葉(おちば)が、まだ一ひら二ひら宙(ちゅう)に舞(ま)っているのでもわかる。鷲(わし)がこの源氏閣(げんじかく)の附近(ふきん)におりたのは事実(じじつ)にちがいない。
 とすれば、どこへいったのかしら――と彼女(かのじょ)が欄(らん)の南側(みなみがわ)から奥庭(おくにわ)の廂(ひさし)をのぞいていると、とつぜん、
 キャッ! キッキッキ、キ、キ、キイ……
 とけたたましい声をあげて、廂うらの垂木(たるき)をガリガリと走(はし)ってきた小猿(こざる)が、咲耶子の肩(かた)にとびついて手をやるとまた足もとへとび、おそろしくなにかに恐怖(きょうふ)したらしく、彼女のまわりをグルグルまわりだした。
 大久保長安(おおくぼながやす)が下のおく庭(にわ)に飼(か)っておく三太郎猿(さんたろうざる)。
 ときどき、源氏閣にはいあがってきて、幽閉(ゆうへい)されている咲耶子とは、いつのまにか仲(なか)よしになっていたが、今夜も、その仲(なか)よしの人のいる三層(そう)のうえの棟木(むなぎ)へでもきて、腕枕(うでまくら)で寝(ね)ていたものとみえる。
 その三太郎がおどろいてとび降(お)りてきたところをみると、やはり、鷲(わし)はこの閣(かく)の屋根(やね)に翼(つばさ)を止(と)めているのであろう――と咲耶子(さくやこ)が欄(らん)に手をやって、屋根をふりあおぐと、
「もし、女のお方(かた)」
 意外(いがい)や、上(うえ)から人のこえが呼(よ)ぶ。
 はッ……と咲耶子は胆(きも)をちぢめたふうである。さっきの火合図(ひあいず)で、明け方までに胸(むね)に一つの計画(けいかく)があるので、不意(ふい)な人ごえに、思わず水をかけられたようになった。
「もし……」と、上ではふたたび呼んでいる。
「こんなところに降(お)りて、まことにどうにもならないでこまりました。しつれいながら、そこへ降りることをおゆるしくださらぬか」
 見ると、屋根から下をのぞいているのは、色のしろい美少年。
 金(きん)の元結(もとゆい)が前髪(まえがみ)にチラチラしている、浅黄繻子(あさぎじゅす)の襟(えり)に、葡萄色(ぶどういろ)の小袖(こそで)、夜目(よめ)にもきらやかな裃(かみしも)すがた――そして朱房(しゅぶさ)のついた丸紐(まるひも)を、胸(むね)のところで蝶(ちょう)にむすんでいるのは、背(せ)なかへななめに持っている状筥(じょうばこ)であるとみえる。
 咲耶子はふしぎなものが、天から降りてきたように感(かん)じたが、とにかく、自分に異議(いぎ)をいう権利(けんり)はないので、かれのたのみをゆるすと、この美少年、三太郎猿(さんたろうざる)ほどのあざやかさではないが、垂木(たるき)にすがって欄の上へ、白足袋(しろたび)の爪先(つまさき)をたて、ヒラリと、源氏閣(げんじかく)の座敷(ざしき)のなかへはいってきた。
「――ありがとうございました。して、これから大久保(おおくぼ)さまのご本殿(ほんでん)か、お表(おもて)へまいるには、どこに降(お)り口がありましょうか……」
「階段(かいだん)をおたずねになりますので? ……」
「さようです」
「この源氏閣(げんじかく)には、降(お)りる階段(かいだん)はございませぬ」
「えッ……」美少年はびっくりして、
「では、どうしてあなたはここへあがられましたか」
 これは、いかにももっともな質問(しつもん)だった。
 そのとうぜんな問(と)いをうけて、咲耶子(さくやこ)は返辞(へんじ)に窮(きゅう)した。自分は捕(と)らわれの身なので、この閣(かく)のいただきにあげられ、階段(かいだん)をはずされてしまっているのだが、何者(なにもの)とも知れないこの少年に、うかつにそんなことを口すべらせていいか、悪いか。

「いえ、この源氏閣にも、昼(ひる)になればまた、降りる口がないことはございませんが……」
 咲耶子の返辞はずいぶんあいまいであった。
「ほウ……夜は下へ通(つう)じませんか」
「はい」
 と、それでキッパリ話(はなし)をきって、
「したが、あなたはいったい、何者(なにもの)でございますか、また、どうして屋根(やね)の上などから? ……」
「ああ、そうでした。いかにも、それをさきに申しあげなければ、さだめしご不審(ふしん)でございましょう」
 と、中腰(ちゅうごし)でいた身がまえをなおして、咲耶子(さくやこ)の前にしずかにすわった。
 小屏風(こびょうぶ)のかげに、銀の照(て)らしをつけた切燈台(きりとうだい)が、豆(まめ)ほどな灯明(ほあか)りを立てていた。それで見ると少年は、まだほんの十三、四歳(さい)、それでいて礼儀(れいぎ)ことばはまことに正しく、裃(かみしも)にみじかい刀(かたな)を二本差(さ)しているすがたは、夢(ゆめ)の国からきた使者(ししゃ)のようである。
 両手(りょうて)をついて、
「申しおくれました。わたくしは遠江(とおとうみ)浜松(はままつ)にご在城(ざいじょう)の、徳川家康(とくがわいえやす)さまのおん内(うち)でお小姓(こしょう)とんぼ組(ぐみ)のひとり、万千代(まんちよ)づきの星川余一(ほしかわよいち)というものでござります」
「えッ、家康さまの家来(けらい)?」
「はい」
 やはり敵方(てきがた)の片割(かたわ)れであった。うかつなことをさきに口へもらさなくてよかったと、咲耶子は心のうちで思うのだった。
「余一とやら、それはうそでありましょう。お小姓とんぼ組のひとりとはいつわりにちがいありませぬ」
「なぜでございますか。わたくしは、万千代(まんちよ)さまの組(くみ)の小姓(こしょう)にちがいないのですのに」
 小さな余一(よいち)は躍起(やっき)となって、年上の咲耶子(さくやこ)がたくみにかけたことばの綾(あや)にのせられていった。
「では、そのお小姓組(こしょうぐみ)のおまえが、どうしてこんな屋根上(やねうえ)から、おやかたのなかへはいろうとしますか」
「じつはわたくしは、鷲(わし)の背(せ)なかに乗(の)ってきたのでございます……」
「オオ、ではいま、空から真(ま)っさかさまに降(お)りてきたあの怪鳥(けちょう)にのって……?」
「はい、浜松城(はままつじょう)をでてまいりましたのは宵(よい)でしたが、とちゅう空でおそろしい霧(きり)にまかれ、やッといまごろここに着(つ)きましたが、ここへくると、またどこかで狛笛(こまぶえ)の音(ね)がしていたせいか、ご門のほうへは降(お)りてゆかず、とうとうこの源氏閣(げんじかく)の屋根の上へ、翼(つばさ)をやすめてしまいました」
「そして、その鷲はどうしましたか」
「閣上(かくじょう)の擬宝珠柱(ぎぼうしゅばしら)に結(ゆ)いつけておきました」
「あの鷲は、いぜん、わたしもよそで見たことがありますが、どうしておまえのものになっているのか、わたしは、ふしぎでならない気がする」
「さればです――」
 と余一は袴(はかま)の両膝(りょうひざ)に手をあらため、小ざかしげな眼をパチッとさせて、
「あの金瞳(きんどう)の黒鷲(くろわし)ともうしますものは、今年の春のくれつ方(かた)、三方(みかた)ヶ原(はら)で万千代(まんちよ)さまが、にせものの独楽(こま)まわしにとられたものでござります。で、浜松のお城(しろ)でも、万千代さまのおのぞみぞと、その後(ご)、諸処(しょしょ)ほうぼうへ足軽(あしがる)をかけらせ、鷲のゆくえをさがさせておりましたが、トンとすがたが見つかりません。しかるところ、さきごろ裾野(すその)の猟人(かりゅうど)が、この黒鷲が落ちたところを生(い)け捕(ど)りましたとおとどけにおよんだので、見ると、どこでやられたのか、股(もも)と左のつばさの脇(わき)に、二ヵ所(しょ)の鉄砲傷(てっぽうきず)をうけております。ヤレふびん、オオ、かわいそうなやつと、万千代さまはもうすもおろか、とんぼ組(ぐみ)一同が、浜松城(はままつじょう)のお庭(にわ)に飼(か)って、医療手当(いりょうてあて)をしながら大事がりましたので、鷲もいつかみんなになれ、いまでは、わたしのようなチビでさえ、自由に使いこなせるようになりました」
 と、ここで余一(よいち)はことばをきって、オオ、じぶんはなにをきかれて、なにを答えようとしていたのかと、かわいい首をすこし曲(ま)げた。
「ああ、それから、今夜のわけでございます……。ふいに今夕(こんゆう)浜松城の大広間(おおひろま)でなにやらみなさまのこ評定(ひょうじょう)、――と見えますると、余一余一! こう万千代さまのお呼(よ)びです。はッと、おんまえにかしこまりますと、すなわち、このご状筥(じょうばこ)――」
 肩(かた)にまわして胸(むね)にむすんだ、紅(あか)い丸紐(まるひも)の房(ふさ)をいじりながら、
「――この御書(ごしょ)をとりいそいで、甲州(こうしゅう)躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の大久保石見守(おおくぼいわみのかみ)の手もとへまでとどけよ、とのおおせにござります。これは名誉(めいよ)なお使番(つかいばん)、クロを飼いならしていらい、鷲(わし)にのってお使(つか)いをするものは、とんぼ組(ぐみ)の誉(ほま)れとしてありますので、わたしはほんとにうれしゅうございました」
「おお、それでよくわかりました。ではおまえは、お使番(つかいばん)になってこの館(たち)へ、家康(いえやす)さまの手紙を持ってきたのですね」
「すこしも早く石見守(いわみのかみ)さまのお手へ、お渡(わた)ししなければ役目がすみません。宿直(とのい)の方(かた)をお呼(よ)びするには、どこから声をかけたものでございましょうか」
 と小姓(こしょう)の星川余一(ほしかわよいち)はまた膝(ひざ)を立てて、あたりを見まわすようすであったが、そんなものを呼ばれては大(たい)へん、これから夜明けまでのあいだに、彼女がなそうとする計画(けいかく)はやぶれてしまう。
 といって、ここへ止(と)めおいてもこまるし、どうしたものか、と咲耶子(さくやこ)がふと考(かんが)えまどっていると、――キイッ、キイッ、キイ、と、また三太郎猿(さんたろうざる)が勾欄(こうらん)の上をいったりきたりしながら、異常(いじょう)なあわてかたをしてさけびだした。
「あ、あれッ……」
 三太郎のヘンな啼(な)きごえに余一も咲耶子も、その時はじめて、夜気(やき)のふかい館(たち)のあなた、外郭(そとぐるわ)のあたりにあたって、しずかな変化(へんか)が起(おこ)っているのに気がついた。
 それはちょうど、館(たち)の北側(きたがわ)につづく馬廻(うままわ)り役の長屋(ながや)の近くである。そこに建(た)っている屋根(やね)の高い馬糧小屋(まぐさごや)から蒸(む)れたせいろうのように白いけむりがスーとめぐっている。
 はて、おかしい?
 不審(ふしん)な目をみはると、余一はたちまち、
「な、なんだろう! あれは?」
 お使者(ししゃ)の格式(かくしき)をわすれて、お小姓(こしょう)とんぼマルだしの、子供らしい口ぶりになっていた。
「火事(かじ)じゃないかしら」
「おう……ほんとに」
「火事だ、火事だ、みんな知らないのかなあ、ほら、ほら、ほら! 白い煙(けむり)がだんだんひどく噴(ふ)いてくる」
 と、三太郎猿(さんたろうざる)といっしょになって心配(しんぱい)しだした。

 一ぽう、馬糧小屋(まぐさごや)のなかでは、竹童(ちくどう)と蛾次郎(がじろう)。
 パチ、パチ、パチ、パチ……
 火はわらの穂(ほ)を食(た)べてゆくようにうつる。むーッとこもる熱気(ねっき)は刻一刻(こくいっこく)にたかまる。そして、むせるそばから煙は目(め)や鼻(はな)にしみて防(ふせ)ぎようもない。
 カアーッと、あかいガラスで見るように、小屋いちめんが、まッ赤(か)に見えたかと思うと、火龍(かりゅう)は気味(きみ)わるく舌(した)をひそめて、暗澹(あんたん)とまッ黒な渦(うず)をまいて、二つのおどる影(かげ)も、煙のなかに見えなくなる。
 斃(たお)れたかな?
 と思っていると、また、パッと立つ炎(ほのお)の明(あか)りに、両童(りょうどう)のすがたが黒く浮(う)きだす。
 けんめいに戸(と)を破(やぶ)ろうとして竹童(ちくどう)は、そこをうごかず、蛾次郎(がじろう)は、むちゅうになって、ほかの出口をさがしているのだ。焼(や)け死ぬか、のがれだせるか、人間最高の努力(どりょく)をふりしぼる瞬間(しゅんかん)には、かれもこれも、おそろしい無言(むごん)であった。
 するとその時、竹童は自分のうしろで、とつぜん、ヒーッという絶叫(ぜっきょう)を聞(き)いた。
 見ると、もう血(ち)があがってしまった蛾次郎が、
「あ熱(つ)ッ……あ熱(つ)……あ、つつ、つッ……」
 着物(きもの)にもえついた火をハタきながら、まるで気狂(きちが)いのようになって、もう逃(に)げ口(ぐち)のけんとうもつかず、盲目的(もうもくてき)にやわらかいワラ火の山へ向かって駈(か)けだそうとする。
「おいッ」われを忘(わす)れてとは、この時の竹童のこと。
「ばッ、ばかッ。そッちは火だ!」
 と、蛾次郎の襟(えり)がみをつかんで引きとめた。いや、投げとめた。
 そして、かれを地べたにころがして、袖(そで)や裾(すそ)にもえついている火を消(け)してやると、蛾次郎は煙(けむり)にむせながらはねおきて、こんどは竹童と一しょになって、戸をやぶるべく必死(ひっし)に力をあわせはじめた。
 しかし、いぜんとして出口は開かれない。
 ふたりの命(いのち)も早やあきらめなければなるまい。噴(ふ)きあがった業火(ごうか)はふたりの無益(むえき)な努力(どりょく)をあざわらうもののごとく、ずッしりと黒く焦(こ)げたワラ山から小屋の羽目板(はめいた)をなめずりまわしている。
 心頭(しんとう)を滅(めっ)すれば火も涼(すず)し――と快川和尚(かいせんおしょう)は恵林寺(えりんじ)の楼門(ろうもん)でさけんだ。まけおしみではない、英僧(えいそう)にあらぬ蛾次郎(がじろう)でも、いまは、火のあついのを意識(いしき)しなくなった。
 いやふたりはまだ、より以上(いじょう)ふしぎなものを忘(わす)れていた。蛾次郎は竹童(ちくどう)を、竹童は蛾次郎を、あくまで敵(てき)、あくまで仇(かたき)! と思い合っているはずなのに、その憎念(ぞうねん)を瞬間(しゅんかん)スッカリ忘れてしまって、放(ほ)っておけば、ひとりで火の中に飛びこんで死ぬのを抱(だ)きとめたり、おたがいに髪(かみ)の毛や袖(そで)に移(うつ)る火を消(け)しあったり、そうしては、力をあわせて、けんめいに戸(と)を破(やぶ)りにかかっているのだ。
 ああ、竹童と蛾次郎とが、一つの目的(もくてき)へむかって、こんなに仲(なか)よく気(き)をあわせて必死(ひっし)になっているということが、きょうのいままでに、一どでもあったろうか。
 なにしろ、ふたりはむちゅうだ、一念(ねん)だ、死にものぐるいだった。
 一方がたおれれば戸をやぶる力が半分になる。
 火に負(ま)けるな!
 この運命(うんめい)を突(つ)きやぶれ!
 死んでくれるな! 死んでくれるな!
 あえて意識(いしき)しない共和(きょうわ)と、たがいの援護(えんご)がそこに生まれた。裾(すそ)をあおる炎(ほのお)の熱風(ねっぷう)よりは、もっと、もっと、つよい愛を渾力(こんりき)で投げあった。
 ガラン!
 縄(なわ)が焼(や)けきれたか、すぐそばへ、火の粉(こ)をちらして落ちてきた一本の松丸太(まつまるた)。
「オオ、蛾次(がじ)、これを持て」
「よしきたッ」
 知恩院(ちおんいん)の大梵鐘(だいぼんしょう)でも撞(つ)くように、気をそろえて、それへ手をかけあった両童子(りょうどうじ)、息(いき)と力をあわすやいな、
「ええッ!」
「おウッ――」
 ドウン! と戸口へ突(つ)ッかけた。
「開(あ)いたア!」
 まさにこれ暁(あかつき)の声だ。
 生命(せいめい)の絶叫(ぜっきょう)だ。
 ガラガラガラッととつぜん、風と紅蓮(ぐれん)の争闘(そうとう)がはじまった下をくぐって、蛾次郎(がじろう)と竹童(ちくどう)、ほとんど同時に、打ちこわした所(ところ)から小屋の外へ、頭の毛の火の粉(こ)をはらっておどりだした。
 必然(ひつぜん)。
 その間髪(かんはつ)には、ふたりの頭脳(あたま)に、助かッたぞッ――という歓呼(かんこ)があがったであろうが、結果は同じことだった。ただ業火(ごうか)の地獄(じごく)から八寒(かん)地獄(じごく)へ位置(いち)を代(か)えたにすぎなかった。
 なぜ?
 と――いうも迂遠(うえん)な話で、すでに最前(さいぜん)から小屋の外には、おびただしい人の足音が、なにかヒソヒソ囁(ささや)きながら嵐(あらし)の先駆(せんく)のごとく、ひそかにめぐりめぐっていた。
 待ちかまえてやあがったのだろう――。
 不動明王(ふどうみょうおう)に炎陣(えんじん)から蹴(け)とばされたこんがら、せいたかの両童子(りょうどうじ)でもあるように、火だらけになってころげだしたふたりをそこに見るやいな、
「それッ、その者を」
「やるな!」
 とばかりいっせいに寄(よ)る氷雨(ひさめ)と人影(ひとかげ)。
 二どめの仰天(ぎょうてん)。あッと、起きあがろうとしたのもおそい!
 すでに霜(しも)と植(う)えられた龍牙(りゅうが)の短刀(たんとう)、もしくはながき秋水(しゅうすい)、晃々(こうこう)たる剣陣(けんじん)を作って、すばやくふたりの逃(に)げ道をかこんでしまった。

「ありがたい。味方(みかた)がそとに待っていた。館(やかた)のつよい武士(ぶし)たちが馳(か)けつけていた」
 と、よろこんだのは、せつな、蛾次郎(がじろう)の生きかえった気持。
 それとは反対(はんたい)に、
「しまった、もう敵(てき)の手がまわったか」
 と絶望的(ぜつぼうてき)な驚(おどろ)きにうたれたのは、とっさ、竹童(ちくどう)の感じたところで、いわゆる、一難(なん)去(さ)ってまた一難、もうとてものがれる術(すべ)はないものと覚悟(かくご)をきめた。
 ところが、果然(かぜん)その直覚(ちょっかく)はあべこべで、手に手に細身(ほそみ)の刀、小太刀(こだち)を持ち、外に待ちかまえていた者たちは、館(やかた)の武士(ぶし)とも思われない黒の覆面(ふくめん)、黒のいでたち。
 人数はおよそ三、四十人、しかもみな、柳(やなぎ)の精(せい)か、梅(うめ)の化身(けしん)か、声すずしく手は白く、覆面すがたに似合(にあ)わないやさしいすがたの者ばかりで、甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、どの影(かげ)もすべて一体(たい)の分身(ぶんしん)かと思われるほどみなおなじ背(せ)かたちだ。
「それ、蛾次郎を生(い)け捕(ど)れ!」
 なかのひとりがこうさけぶと、閃々(せんせん)たる小太刀の陣(じん)は霜(しも)の歯車(はぐるま)のように、かれのまわりをグルリとめぐって、有無(うむ)をいわさず、蛾次郎を高手小手(たかてこて)にしばりあげる。
「や、燃(も)えあがった――」
「おくれては一大事」
「奥(おく)へ、奥へ」
 すでに馬糧小屋(まぐさごや)の火は屋根(やね)から空へもえ抜(ぬ)けて、あかあかとした反映(はんえい)が躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)一帯(たい)の建物(たてもの)を照(て)らした。
「蛾次郎(がじろう)はどうしましょうか」
「捨(す)ててゆけ、この場合(ばあい)じゃ」
「捨ててゆくのもせっかく、おお、むこうの厩(うまや)の柱(はしら)へ、しばりつけて――」
「なにしろ、すこしも早く奥庭(おくにわ)へ」
「源氏閣(げんじかく)へ、源氏閣へ!」
 散りぢりに呼(よ)びあい、叫びあいながら、柳姿(りゅうし)の覆面(ふくめん)三、四十人、芒(すすき)とそよぐ刃(やいば)をさげて、長屋門(ながやもん)の番士(ばんし)を斬(き)り、いっきに奥へはしり入(い)った。
「やッ、待(ま)って」
 と竹童(ちくどう)も不審(ふしん)のあまりその人々のあとを追(お)って、
「あなたがたは?」
 と、息(いき)をせいてきく。
 走りながら、覆面のひとりが、
「竹童さま、お忘(わす)れか」
 次(つぎ)にまた一つの顔がふりかえって、
「――お忘れか、お忘れか、虹(にじ)の松原(まつばら)のお別(わか)れを」
 さらに、足もやすめずまただれかが、
「わたくしたちは緋(ひ)おどし谷(だに)にいた乙女(おとめ)のむれ!」
 と明らかに名(な)のった。
 そういわれれば覆面(ふくめん)ながら、一つひとつにおぼえのある顔。
「いつか、虹(にじ)の松原(まつばら)で、竹童(ちくどう)さまとお別(わか)れしてのち、里(さと)にかえって散(ち)りぢりになっていましたが、かねてのやくそく、わたくしたちの心のちかい、こよい外濠(そとぼり)にあつまりました」
「深い話はしていられませぬ、一刻(こく)も早くあのお方(かた)を」
「咲耶子(さくやこ)さまをお救(すく)い申しに」
「竹童さまもまいられませ」
「力をそえてくださいませ」
「仔細(しさい)はあと――」
「かなたをさきに」
 群(む)れをくずして走ってゆきながら、こんな端的(たんてき)なことばを口々に投げた。
 さては、小太郎山(こたろうざん)から手当(てあて)されて、甲府(こうふ)の城下(じょうか)にはいるまえ、虹(にじ)の松原(まつばら)で礼(れい)もいわず置(お)きずてにして自分は馳(か)けだしてしまった、あの、優雅(ゆうが)にして機敏(きびん)な少女の工匠(たくみ)たちであったか。
 と知って。
 竹童はその意外(いがい)さをよろこびもし、驚(おどろ)きもしたが、なにを話すまもない馳けながらのこと。
「おっしゃるまでもないことです。もともと、咲耶子さまが捕(と)らわれたのは、わたしにも罪(つみ)のあること、それゆえ自分もこの館(たち)に忍(しの)んでいましたが、ここで会(あ)ったのは神さまのお助け、およばずながら竹童も力を添(そ)えます」
 これだけいって、腰(こし)の般若丸(はんにゃまる)をひき抜(ぬ)いたが、その刀身(とうしん)は、いきなりまっ赤(か)にひかって見えた。うしろの炎(ほのお)はもう高い火柱(ひばしら)となっていた。

 奥庭(おくにわ)までは白壁門(しらかべもん)、多門(たもん)、二ヵ所(しょ)の難関(なんかん)がまだあって、そこへかかった時分には、いかに熟睡(じゅくすい)していた侍(さむらい)や小者(こもの)たちも眼をさまし、警鼓(けいこ)警板(けいばん)をたたき立て、十手(じって)、刺股(さすまた)、槍(やり)、陣太刀(じんだち)、半弓(はんきゅう)、袖搦(そでがら)み、鉢(はち)ワリ、鉄棒(てつぼう)、六尺(しゃく)棒(ぼう)、ありとあらゆる得物(えもの)をとって、一時に、ワーッと侵入者(しんにゅうしゃ)のゆく手を食(く)いとめにかかった。
 血戦(けっせん)は開かれた。
 もとより、人数のすくない少女たちのほうでは、初めからひそかに咲耶子(さくやこ)を救(すく)いだす策略(さくりゃく)で来たのであるが、とちゅう、馬糧小屋(まぐさごや)にふしぎな煙(けむり)がもれていたため、その疑惑(ぎわく)にひまどって、ついに、こういう破目(はめ)になったのは、まことにぜひないことであった。
 及(およ)ばぬまでも、このうえは敵(てき)をむかえて、緋(ひ)おどし谷(だに)で練(ね)りきたえた、胡蝶(こちょう)の陣(じん)を組(く)みほぐしつ、糸を染(そ)めるほそい指に小太刀(こだち)をにぎり、死ぬまで、戦うよりほかに道がない。
 さいわいに風がない。
 小屋をぬいた炎(ほのお)の柱(はしら)はボウーッとまっすぐに立って、斬(き)りつ斬られつ、みだれあう黒い人かげの点在(てんざい)を見せる巨大(きょだい)な篝火(かがりび)のごとく燃(も)えている。そして、ほかの建物(たてもの)へもさいわいと火がはってゆくようすも見えない。
「曲者(くせもの)だぞ、曲者だぞ」
「火事だ、出火(しゅっか)だ」
「出合(であ)え! 出合え!」
 詰侍(つめざむらい)の部屋(へや)や長屋(ながや)にいる常備(じょうび)の武士(ぶし)を、番士(ばんし)は声をからして起しまわる。たちまち、物(もの)の具(ぐ)とって馳(か)けあつまる敵(てき)はかずを増(ま)すばかり。
 殷々(いんいん)たる警鼓(けいこ)の音(おと)、ごウーッとふとい炎(ほのお)の息(いき)、人のさけび、剣(つるぎ)のおめき、館(たち)の東西南北九ヵ所の門は、もうひとりも生きてはかえすまいぞと、戦時にひとしい非常の固(かた)めがヒシヒシと手くばりされた。
 すると。
 その一方の土手(どて)むこう、外(そと)ぼりをへだてた城外(じょうがい)の柳(やなぎ)のかげに、耳に手をかざして、館のなかの騒音(そうおん)をジッと聞(き)いている者がある。
 夜(よ)な夜なこの外城(そとじろ)の隙(すき)をうかがっていた木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)と巽小文治(たつみこぶんじ)のふたりだ。
「はて、ふしぎだのう……」
「内部の者があやまって、火災(かさい)を起してうろたえているのだろう」
「いや、それだけのさわぎではないようだ」
「じゃア、何者(なにもの)か、われわれの仲間(なかま)のものが、咲耶子(さくやこ)をすくい、また、小太郎山(こたろうざん)の雪辱(せつじょく)をしに、斬(き)りこんでいったのだろうか」
「なにか殺気(さっき)だっているが、伊那丸(いなまる)さまといい他(ほか)の者といい、ここへくれば、なんとかわれわれに手はずをなさるであろうから、どうもそうは考えられんな」
「では、なんだろう」
「石見守長安(いわみのかみながやす)の家中(かちゅう)で、うらぎり者が起ったか、でなければ、仲間同士(どうし)の争闘(そうとう)か」
「そうとすればおもしろいが――オヤ……」
 と小文治(こぶんじ)は足もとをすかすように、ほの明るく映(は)えている外濠(そとぼり)の水面(すいめん)をながめだす。
「――妙(みょう)な物(もの)が浮(う)いている」
「なんだ?」
「手組(てぐみ)の筏(いかだ)らしい――ヤ、そして、あの柳(やなぎ)の木の根(ね)からむこうの堤(どて)へ、一本の綱(つな)がわたしてあるぞ」
「ウーム、するとやッぱり、これは内部の仲間割(なかまわ)れではないな」
「この筏は天佑(てんゆう)かも知れんぞ」
「ウム」
「渡(わた)りに舟(ふね)というものだ、なにはともあれ、こいつに乗って城内(じょうない)に入(い)りこんで見ようではないか」
「おお、よかろう!」
 決然(けつぜん)というと龍太郎(りゅうたろう)は、柳(やなぎ)の根へかけ寄(よ)って、渡(わた)し綱(づな)にそえてあるともづなをこころみにグイと引ッぱってみた。
 案(あん)のごとく、濠(ほり)のなかほどに浮(う)いていた手組(てぐみ)の筏(いかだ)は、かるく、こっちの岸(きし)へよってきた。手組の筏というのは、およそ、ゆく手に水路(すいろ)のあるのをさっした場合(ばあい)、おのおの、九尺(しゃく)の桐丸太(きりまるた)を一本ずつたずさえていって、そくざに菱形筏(ひしがたいかだ)をあんでは渡ってゆくことで、これは、越後流(えちごりゅう)、甲州流(こうしゅうりゅう)、長沼流(ながぬまりゅう)を問(と)わず、すべての陣法(じんぽう)にあるめずらしくもないことなのである。
 ヒラリ――と龍太郎それへ乗る。
「白鷺(しらさぎ)のようだな……」
 小文治(こぶんじ)はかれの姿(すがた)を形容(けいよう)しながら、あとから飛びのって渡し綱をたよりに、グングン濠の水をあなたの芝土手(しばどて)へと横切ってゆく。
 苦(く)もなく渡っておどりあがった。
 なるほど、これでは三、四十人の覆面(ふくめん)少女が、やすやすと躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)へ入(い)りこんだわけだが、まだ龍太郎には、この手組の菱筏(ひしいかだ)が、だれに使用されたものか想像(そうぞう)はつかなかった。

 ガバとはね起きた石見守(いわみのかみ)、大久保長安(おおくぼながやす)は、悪夢(あくむ)におびやかされたように、枕刀(まくらがたな)を引ッつかむなり、桜雲台本殿(おううんだいほんでん)の自身(じしん)の寝所(しんじょ)から廊下(ろうか)へとびだした。
「桐井吾助(きりいごすけ)! 桐井吾助!」
 足をふみ鳴らして宿直部屋(とのいべや)へ呼(よ)びたてる。
「狩谷(かりや)はおらんかッ、狩谷軍太夫(かりやぐんだゆう)はおらぬか」
 それにも返辞(へんじ)はなく、殿中(でんちゅう)、ただなんとなくものさわがしいので、いまはジッとしていることもできないで、錠口(じょうぐち)まで足を早めながら、
「だれぞおらぬかッ。おお、伊部熊蔵(いのべくまぞう)はいかがいたした」
 と呼び立ててくると、出合(であ)い頭(がしら)。
 まがり廊下の横合いから、サッと見えた真槍(しんそう)の燐光(りんこう)、ビクリッとして飛びのくと、
「や、これは殿(との)」
「なんじゃ、伊東十兵衛(いとうじゅうべえ)ではないか」
「はッ……」
 ぴしゃりッ――と槍(やり)を廊下へ平(ひら)において、老臣(ろうしん)の伊東十兵衛、あわててかれの前に膝(ひざ)をついた。
「ものものしい庭(にわ)の手のそうどう、ありゃなにごとじゃ、夜討(よう)ちか?」
「いや、お案(あん)じなされますな、それほどな人数とも思われませぬ」
「領主(りょうしゅ)の城郭(じょうかく)へ押(お)しかける盗賊(とうぞく)もあるまい。では、何者(なにもの)が乱入(らんにゅう)したのじゃ」
「よくは目的(もくてき)がわかりませぬが、ことによると、源氏閣(げんじかく)に監禁(かんきん)しておく女を、救(すく)いだしにきた命(いのち)知らずであるやも知れませぬ」
「咲耶子(さくやこ)をうばい返しに? ウム、しゃらくさいやつめら! 浜松城(はままつじょう)へ護送(ごそう)するまでは大事な擒人(とりこ)、かならずぬかりがあってはならぬぞ」
「はッ」
「伊部熊蔵(いのべくまぞう)や宿直(とのい)の者はどうした」
「ご寝所(しんじょ)に近づけては申しわけがないと、みな、この外側(そとがわ)をかためております。なかにも伊部熊蔵は、腕(うで)のすぐれた若侍(わかざむらい)を選(よ)り、いちはやく白壁門(しらかべもん)へまいって斬(き)りふせいでおりますから、追(お)ッつけ四十や五十人の浮浪人(ふろうにん)ども、みなごろしにしてもどるでございましょう」
「そうか、しかしかんじんな、源氏閣(げんじかく)の方(ほう)は?」
「それはすぐこのご本殿(ほんでん)の階上(うえ)、三層(そう)までの階段(かいだん)をみな取りはずしてございますうえに、あの池(いけ)のほうにも、侍(さむらい)を伏(ふ)せておきましたゆえ、これまた、ご安心でござります」
 周到(しゅうとう)な老臣(ろうしん)が、臨機神速(りんきしんそく)な手くばりに、石見守(いわみのかみ)が寝(ね)ざめの驚愕(きょうがく)もやや鎮(しず)まって、ほッと、そこで胸(むね)をなでおろしたかと思うと、何者(なにもの)であろうか、大廂(おおびさし)のそとがわからクルリと身軽(みがる)にかげをかすめて、廊下(ろうか)の切(き)り欄間(らんま)へしのびこんだあやしき諜者(ちょうじゃ)が、いきなり、奇声(きせい)をあげて長安(ながやす)の肩(かた)へとびついた。
 折もおりなので、石見守――。
 はッ……と胆(きも)を冷(ひ)やして曲者(くせもの)の手をつかみ、まえへもんどり打たせて投げつけようとすると、伊東十兵衛(いとうじゅうべえ)もスワとはねあがって、つかみ取った槍(やり)の穂(ほ)に風をすわせ、石見守(いわみのかみ)が投げつけたら、そこを立たせずに一突(ひとつ)きと足をひらいた。が、曲者(くせもの)は、長安(ながやす)の肩(かた)をはなれない。
 鈎(かぎ)のような手の爪(つめ)で、しっかり襟(えり)もとへつかまっているので、十兵衛は槍をつきだしようがなく、あッと見ると、長安自身も、つかんだ曲者(くせもの)の手の毛むくじゃらにあきれかえる。
「あぶないッ、突(つ)くな」
「なんのこと――三太郎猿(さんたろうざる)でございましたか」
「人をおどろかすやつじゃ、放(はな)せ、いたずら者め」
「や、殿(との)。三太郎の襟首(えりくび)に、なにやら書状(しょじょう)が」
「なに、手紙が」
「は、りっぱな打紐(うちひも)のお状筥(じょうばこ)で」
「だれが猿(さる)めにこんなものを結(ゆわ)いつけたのか? やア、こりゃいよいよもって不審(ふしん)千万(ばん)、浜松城(はままつじょう)お使番(つかいばん)常用(じょうよう)の筥(はこ)、しかも紅房(べにふさ)の掛紐(かけひも)であるところを見ると、ご主君(しゅくん)家康(いえやす)さまのお直書(じきしょ)でなければならぬが」
「とにかく、ご開封(かいふう)を」
「ウム、猿(さる)めを抱(だ)いてこい」
 乱入者(らんにゅうしゃ)のそうどうの方(ほう)も気にかかるが、これまた意外(いがい)な天(あま)くだりの状筥(じょうばこ)、とにかく一見(けん)しようと、長安(ながやす)はあたふたと居間(いま)へはいり、灯(ともしび)をかき立ててなかをひらく。
 三太郎猿(さんたろうざる)はおうちゃくに、十兵衛(じゅうべえ)の膝(ひざ)を拝借(はいしゃく)してもたれかかりながら、茶色(ちゃいろ)の目をショボショボさせてながめている。
「十兵衛、どこかに、今宵(こよい)お使番(つかいばん)の方が見えておるのか」
「いや、さようなことは、表(おもて)役人からもうけたまわりませぬが」
「へんなこともあるものじゃ――まさしゅうこれは家康公(いえやすこう)のお手紙で、おまけに今夕(こんゆう)のお日附(ひづけ)となっている」
「いかに早足(はやあし)なお使番(つかいばん)でも、夕方からただいままでに、ここへ着くともうすのはふしぎなしだい。そして、御書(ごしょ)の内容(ないよう)は?」
「わしに、御岳(みたけ)の軍学大講会(ぐんがくだいこうえ)の総奉行(そうぶぎょう)を申しつくるというご沙汰(さた)。それと、ご評議(ひょうぎ)の結果(けっか)、日取(ひど)りその他(た)の事項(じこう)ご決定(けってい)に相(あい)なったお知らせである」
「ほウ……してお日取りは、いつごろに」
「十月七日から九日までの三日のあいだ」
「昨年よりは五日おくれでござりますな」
「そうなるかな。当年、軍学兵法の講論(こうろん)、大試合(だいしあい)に参加(さんか)する諸家(しょけ)は、まずご当家(とうけ)を筆頭(ひっとう)に、小田原(おだわら)の北条(ほうじょう)、加賀(かが)の前田(まえだ)、出陣中(しゅつじんちゅう)の豊臣家(とよとみけ)、奥州(おうしゅう)の伊達(だて)、そのほか三、四ヵ国のご予定(よてい)とある。――だが、どうしてこのご状筥(じょうばこ)が、猿(さる)めの首に結(ゆわ)いつけてあったのか。その儀(ぎ)、なんとも腑(ふ)に落ちないことである……」
「もし……そのご状筥(じょうばこ)の紐(ひも)のはしに、まだなにやら、紙片(かみきれ)が結(むす)びつけてあるようにござりますが」
「ウム、これか」
 と長安(ながやす)は、そういわれてなにげなく解(と)いてみると、懐紙(かいし)をさいて蝶結(ちょうむす)びにでもしたような紙片(しへん)。
 うっかり開(あ)けると、破(やぶ)れそうにまだ濡(ぬ)れている墨色(すみいろ)で、それは少年の筆(ふで)らしく、まことに稚拙(ちせつ)な走り書(がき)。読みくだしてみると、その文言(もんごん)は――。

お小姓(こしょう)とんぼ組(ぐみ)の星川余一(ほしかわよいち)、三太郎猿(さんたろうざる)にたくしてご依願(いがん)申(もう)しあげそろ。
お上様(かみさま)のお使いとして、ただいまこの源氏閣(げんじかく)の上に着城(ちゃくじょう)いたしそろところ、あやしき女人(にょにん)居合(いあ)わせ、あなたの火を見て、乗りまいりたるクロという鷲(わし)をうばい、屋上(おくじょう)より逃(に)げ去(さ)らん気(け)ぶりにてそろ。
大急ぎにてこの文(ふみ)したため、私もすぐあとより、屋根(やね)にのぼり組(く)み止(と)めるかくごながら万(まん)一不覚(ふかく)をしては一大事にそろゆえ、若侍衆(わかざむらいしゅう)、一刻(こく)もはやくお出合(であ)いありたく告(つ)げ申(もう)しそろ。火急(かきゅう)火急。

 はるばる、遠江(とおとうみ)の国から鷲(わし)にのってきたお小姓(こしょう)とんぼ組(ぐみ)のお使番(つかいばん)――星川余一(ほしかわよいち)が、源氏閣(げんじかく)のうえに着城早々(ちゃくじょうそうそう)、なにかよほどな危険(きけん)に追迫(ついはく)されたらしく、機智(きち)の一策(さく)、三太郎猿(さんたろうざる)を利用して、石見守長安(いわみのかみながやす)のもとへ、火急(かきゅう)火急と、走り書(がき)にすくいをもとめてきた蝶(ちょう)むすびの早文(はやぶみ)。
 読みおわるなり石見守は、いま、着座(ちゃくざ)したばかりの腰(こし)をうかしかけて、
「十兵衛(じゅうべえ)!」
 そばにひかえている禿頭(とくとう)を呼(よ)んで、
「だれもみな、表(おもて)のそうどうに走りだして、侍部屋(さむらいべや)には人のおらぬようすだが、それではならぬ、源氏閣の上にも思わぬ変事(へんじ)じゃ、すぐ十名なり二十名なりを呼(よ)びかえして、閣上(かくじょう)のようすを見につかわせ」
 老臣(ろうしん)の伊東十兵衛も、わたされた早文の走り書(がき)を一見(けん)して、仰天(ぎょうてん)しながら、
「おッ、咲耶子(さくやこ)のやつめが?」
「余一の乗ってきた鷲(わし)をうばって、監禁(かんきん)の閣(かく)をやぶり、こよいのそうどうにまぎれて逃(に)げのびようとしているらしい」
「ウーム、油断(ゆだん)のならぬ女め、捨(す)ててはおけませぬ」
「早くせいッ、早くッ」
「はッ」
 と、老臣(ろうしん)の伊東十兵衛(いとうじゅうべえ)、言下(げんか)に立ちかけたけれどイヤに膝(ひざ)が重(おも)い。はてな、と思って気がついて見ると、使いをしてきた三太郎猿(さんたろうざる)が最前(さいぜん)からしたり顔をして、じぶんの膝にもたれている。
 殿(との)さまご寵愛(ちょうあい)のお猿(さる)さま、常(つね)からわがままいっぱいのくせがついているので、老臣の膝を脇息(きょうそく)のかわりにするぐらいなことは平気(へいき)だが、折もおり、十兵衛も気が立っているので長安(ながやす)の見ている前もかまわず、
「えい、邪魔(じゃま)なやつめ」
 と、襟毛(えりげ)つかんで、こッぴどくほうり投げてくれると、キャッ! とぎょうさんな啼(な)き声をあげたが三太郎猿、ちっとも驚(おどろ)いたさまもなく、廊下(ろうか)のあなたにちょこんと両足(りょうあし)で立っていた。
「では、ごめんを」
 屈(かが)み腰(ごし)にツツとさがった老臣の伊東十兵衛は、袴(はかま)のひだをつまみあげ、いま、殿(との)のお室(へや)にはいる時は、脇部屋(わきべや)のそとにのこしておいた手槍(てやり)を持とうとして、そこを見ると、あるはずの槍がない。
 ガラガラガラと妙(みょう)な音があなたへ馳(か)けてゆくのに、戸(と)まどいをした目をそらすと、見当(みあた)らないはず、長廊下(ながろうか)を向こうの方へ自分の槍(やり)が引きずられてゆく。
「ちッ、いたずら者め!」
 腹立(はらだ)たしげに、舌打(したう)ちをして追(お)いかけると、それを持っていた三太郎猿(さんたろうざる)は、手をすべらして庭先(にわさき)へ槍(やり)を落としたので、十兵衛(じゅうべえ)の方をふりかえると、ケン! と人を茶(ちゃ)にした奇声(きせい)を発(はっ)しながら、萩(はぎ)の袖垣(そでがき)から老梅(ろうばい)の枝へと、軽業(かるわざ)でも見せるように逃(に)げてしまった。
 ところへ、白刃(はくじん)をさげて、表木戸(おもてきど)の方からここへ馳(か)けてきた侍(さむらい)が、
「お――こりゃご家老(かろう)のお槍(やり)ではございませぬか」
 ひろいとって庭先(にわさき)から手わたしてやると、
「ウム、伊部熊蔵(いのべくまぞう)か。よいところへきてくれた」
 と、十兵衛、手みじかに石見守(いわみのかみ)からいいつけられたことを話して、
「表(おもて)の方も気がかりになるが、咲耶子(さくやこ)をにがしては浜松城(はままつじょう)のほうへいいわけが立たんことになる。なにを打ちすてても、すぐ腕利(うでき)きの若侍(わかざむらい)をつれて、源氏閣(げんじかく)の上へかけつけてくれい」
 熊蔵としては、庭手(にわて)白壁門(しらかべもん)のほうの状況(じょうきょう)を主人(しゅじん)に告(つ)げるつもりで、ここへきたのであったが、出合(であ)いがしらに老臣(ろうしん)からそう急(せ)かれて見ると、なにを話している間(ま)もなく、
「すりゃ大(たい)へんです! 心得(こころえ)ました」
 もとへ引っかえして、築山(つきやま)の一角(かく)から、れいの鉱山掘夫(かなやまほり)に使う山笛(やまぶえ)というのを吹(ふ)き立てると、たちまち、真(ま)っ黒になるくらいな人数がワラワラとかれの周(まわ)りを囲繞(いにょう)してあつまった。
 おまえと、おまえと、おまえと、おまえ。
 なかで腕(うで)のすぐれていそうな顔を、伊部熊蔵(いのべくまぞう)、指さきで十二、三人ほどえりぬいて、
「源氏閣(げんじかく)へこい!」
 自分がさきへバラバラと馳(か)けだしたが、また、ひょいとうしろの者たちをふりかえって、
「残(のこ)ったものは殿(との)のご寝所(しんじょ)のほうを守(まも)れ、もう木戸(きど)や多門(たもん)の固(かた)めにはじゅうぶん人数がそろったから、よも、やぶれをとるおそれはあるまい」
 いいすてて桜雲台(おううんだい)へ馳(か)けてゆく。
 桜雲台は躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)七殿(でん)の中核(ちゅうかく)であって、源氏閣の建物(たてもの)はその上にそびえている。
 平常(へいじょう)は錠口(じょうぐち)より奥(おく)、平家来禁入(ひらげらいきんにゅう)の場所(ばしょ)であるが、いま老臣十兵衛がさきにまわってふれてあったので、一同表方(おもてがた)で血戦(けっせん)してきたままの土足(どそく)抜刀(ぬきみ)の狼藉(ろうぜき)すがたで、螺旋状(らせんじょう)の梯子口(はしごぐち)から二層(そう)目(め)へかけ上がり、それより上は階段(かいだん)がはずされてあるので、鈎縄(かぎなわ)、あるいは数珠梯子(じゅずばしご)などを投げかけ、われ一番(ばん)乗(の)りとよじのぼっていった。
 …………
 閣上(かくじょう)の源氏(げんじ)の間(ま)には、一穂(すい)の燈火(ともしび)、切燈台(きりとうだい)の油(あぶら)を吸(す)いつくして、ジジジと泣くように明滅(めいめつ)している。
 あたりはさっきのままである。
 ただ、銀泥色絵(ぎんでいいろえ)の襖(ふすま)のまえには、蒔絵(まきえ)の硯蓋(すずりぶた)の筆(ふで)が一本落ちてあって、そこにいるはずの咲耶子(さくやこ)のすがたも見えず、お小姓(こしょう)星川余一(ほしかわよいち)のかげも見当(みあた)らなかった。
「おお、いない!」
 数珠梯子から飛びあがった伊部熊蔵(いのべくまぞう)と伊東十兵衛(いとうじゅうべえ)は、予期(よき)していたことであったが、愕然(がくぜん)として顔を見合(みあ)わせた。
 とたんに。
 頭の上でガラガラと異様(いよう)なものおとを聞いたかと思うと、四、五枚の青銅瓦(せいどうがわら)が、廂(ひさし)のはしから落ちてくるなり本殿(ほんでん)平屋(ひらや)の瓦(かわら)の上で、すさまじい金属音(きんぞくおん)を立てた。
 そして、まさしく屋根(やね)の天(て)ッ辺(ぺん)。
「お出合(であ)いなさい! お出合いなされ! 大久保家(おおくぼけ)のご家中(かちゅう)の方々(かたがた)、あやしいものが逃(に)げまするぞ、早く、早く、早くここへ!」
 高きところに声を嗄(か)らしている小姓余一の絶叫(ぜっきょう)が、一同の頭からけたたましく聞えてくる。

「あれだッ――お使者(ししゃ)のこえ」
「おお、屋根(やね)、屋根の上!」
「のぼれ!」
「咲耶子(さくやこ)を手捕りにして余一(よいち)を助けろ」
 あわてきった十兵衛(じゅうべえ)の指図(さしず)と熊蔵(くまぞう)の叱咤(しった)が、若侍(わかざむらい)たちの先駆(さきが)けをあおッた。
 廂(ひさし)の上へぬけでるかくし階段(かいだん)をさがす者、欄間(らんま)に足をかけて釣龕燈(つりがんどう)の鎖(くさり)をつかみ、三太郎猿(さんたろうざる)のよくやる離(はな)れわざの亜流(ありゅう)をこころみて、屋根(やね)の上へはいあがろうとする者――咲耶子と余一とは、いったいどこから屋根上へのぼったのか血気(けっき)な若侍にしてもふしぎなくらい、この一番(ばん)乗(の)りは骨(ほね)が折れたが、あとになって心得(こころえ)のある者に聞くと、すべてこういう楼閣(ろうかく)には、修築(しゅうちく)手入(てい)れなどの場合(ばあい)の用意(ようい)に、工匠(こうしょう)が上下(じょうげ)する足がかりが棟(むね)のコマ詰(づめ)から角垂木(かどたるき)の間(あいだ)にかくしてあるもので、みんな上へ上へと気ばかりあせっていたので、その工匠口(こうしょうぐち)にはすこしも気がつかなかった。
 しかし――一せいにとはゆかないが、どうやらこうやら、ほど経(へ)て、上に登ることは登りついた。そしてはじめて、ようすいかに――と坂(さか)になった屋根の端(はし)から首をだして打ちあおいで見ると、
「わアん、わアん……わ――ん……」
 浜松城(はままつじょう)のお使者番(ししゃばん)は、満天(まんてん)の星(ほし)にくるまれた閣(かく)の尖端(せんたん)、擬宝珠(ぎぼうしゅ)のそばで、手放(てばな)しに大声あげて泣いていた。
「あれッ?」
 伊部熊蔵(いのべくまぞう)はあっけにとられた。
 まさか浜松城(はままつじょう)の来使(らいし)星川余一(ほしかわよいち)なるものが、十三、四の子供だとは考えていなかったので。
 立っては歩かれないくらい、勾配(こうばい)のきゅうな青銅瓦(せいどうがわら)の上をのしのしと無器用(ぶきよう)にはいあがって、
「その方(ほう)はいったいだれであるか」
 こう聞くと、余一は泣いている手をはなして、
「お小姓(こしょう)とんぼ組(ぐみ)の星川余一(ほしかわよいち)……」
 そう答えて、また声あらためて泣くのだった。
「なに、ではそこもとが、公書(こうしょ)のお使者番(ししゃばん)となってまいられた星川どのか」
「は、はい……」
「なにを泣いておられるのか、ただいま、三太郎猿(さんたろうざる)が首につけてきた知らせを見て、殿(との)にもことのほかなおおどろき、そっこく、ご助勢(じょせい)をするためわれわれが、ここへ馳(か)けつけてまいったものを。おお、してしてこの閣(かく)に監禁(かんきん)しておいた咲耶子(さくやこ)なる女をごぞんじないか、あれをにがしては一大事だから」
「だから……だからわたしが……早くお出合(であ)いなさいと、あれほど呼(よ)んでおりましたのに」
 しゃくりあげて、余一はまたくやしそうに、オイオイと肩(かた)をゆすぶりながら、
「もうだめ! もうだめ! みんなの来ようがおそいから、わたしがここで一生(しょう)けんめいにおさえていた咲耶子(さくやこ)は、とうとう擬宝珠(ぎぼうしゅ)につないでおいたクロをうばって、あれあれ、あれ向こうへ――」
「えッ」
「逃(に)げちゃった、逃げちゃった……。あのクロをなくしては、わたくしは、浜松城(はままつじょう)にいる万千代(まんちよ)さまに、帰っておわびをすることばがございません」
 余一(よいち)はそれで泣くのだった。
 逃(に)げた! と聞いておどろいた熊蔵(くまぞう)や、張合(はりあ)いぬけのした若侍(わかざむらい)たちが、半信半疑(はんしんはんぎ)の目をさまよわせて、どこへ逃(に)げたのかと明け方にちかい八方の天地をながめまわすと――。
 水色(みずいろ)にすみわたった五更(こう)の空――そこに黒くまう一葉(よう)のかげもなく、ただ一閃(せん)、ピカッと※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)惑星(けいわくせい)のそばの星(ほし)が、あおい弧線(こせん)をえがいて巽(たつみ)から源次郎岳(げんじろうだけ)の肩(かた)へながれた。
 また、足もとを俯瞰(みおろ)すと。
 竹童(ちくどう)と蛾次郎(がじろう)の争闘(そうとう)から端(たん)をはっした馬糧小屋(まぐさごや)の出火(しゅっか)は、その小屋だけを焼(や)きつくして焔(ほのお)を沈(しず)め、うすい白煙(はくえん)とまッ赤(か)な余燼(よじん)を、あなたの闇(やみ)のそこに、まだチラチラと見せている。
「ウーム、おそかったか!」
 と、熊蔵は、余一の泣くのがおかしくなった。
「ぜひがない。このうえは殿(との)にありのままをおつげして、少しも早く、ほかへ手配(てはい)をつけるのがかんじんだ」
 一同、手をむなしくして、屋根(やね)から降(お)りかけた時だった。下に待っていた老臣(ろうしん)伊東十兵衛(いとうじゅうべえ)が、なにか意味(いみ)の聞きとれない絶叫(ぜっきょう)をあげたかと思うと、二層(そう)目(め)の欄間(らんま)から、手槍(てやり)をつかんだまま仰向(あおむ)けに、
「伊部(いのべ)ッ」
 と救(すく)いを呼(よ)びながら、二層目の屋根へ、袈裟(けさ)がけになって斬(き)りおとされていった。
「やッ、ご家老(かろう)が」
「咲耶子(さくやこ)をすくいだそうとして、とうとうここまで曲者(くせもの)がなだれこんできたか。それ、なんでおくれをとっていることがある。降りろ、降りろ」
 降りるのは苦(く)もなかった。
 擬宝珠(ぎぼうしゅ)に玉縄(たまなわ)を結(むす)びつけ、ズル! ズルズルとつながってゆく。
 一閃(せん)。
 横に白刃(はくじん)の光流(こうりゅう)がその玉縄を下からすくったかと思うと、ぶらさがっていった四、五人が、束(たば)になってまッさかさまに下へ――。
「わアッ!」
 というどよめきがあがる。人の惨死(ざんし)を見ると、人間は忘(わす)れていた兇暴(きょうぼう)な血(ち)がたけりだす。
 こうなると、つねの怯者(きょうしゃ)も勇士(ゆうし)になるものだ。伊部熊蔵(いのべくまぞう)はカッと怒(いか)って、中断(ちゅうだん)された縄(なわ)のはしから千本(ぼん)廂(びさし)の鎖(くさり)にすがって、ダッ――と源氏(げんじ)の間(ま)へ飛びこんだ。
 見るとそこには。
 今夜、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の館(たち)へ斬(き)りこんだ覆面(ふくめん)の少女とはまるでちがったふたりの者のすがたがチラと見えた。一方は白い行衣(ぎょうえ)をきて手に戒刀(かいとう)とおぼしき直刃(すぐは)の一刀(とう)を引っさげた男。またひとりは朱柄(あかえ)九尺(しゃく)の槍(やり)をかかえて、射(い)るがごとき眼をもった若者(わかもの)である。
「いないぞ、ここには」
「さっきまで狛笛(こまぶえ)の音(ね)がしていたのに」
「では、逃(に)げたのであろう」
「いや、いくら咲耶子(さくやこ)でも、この堅固(けんご)をやぶっては逃げられまい」
「それならここにいそうなものだが」
「ふしぎだなあ」
「奥(おく)の部屋(へや)には」
「つぎの間(ま)はない!」
「ではどこかに隠(かく)れ場所(ばしょ)でも? ……」
 早口に、こんな言葉をかわしながら、室内(しつない)の物をとりのけて、しきりとだれかをさがしているようす。
 むろんそれは、手組(てぐみ)の筏(いかだ)にのって濠(ほり)をこえ、館(たち)のそうどうに乗(じょう)じて、ここへ潜入(せんにゅう)してきた、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)と巽小文治(たつみこぶんじ)のふたりである。
「おのれッ」
 と、そこに思わぬ敵(てき)を見かけた伊部熊蔵(いのべくまぞう)は、いきなり小文治(こぶんじ)のうしろ姿(すがた)を目がけて、思慮(しりょ)なき刃(やいば)を飛ばしていった。
「うむッ」
 といってその胸(むな)もとへ、石火(せっか)にのびてきた朱柄(あかえ)の槍(やり)の石突(いしづ)きは、かれの大刀が相手の身にふれぬうちに、かれの肋骨(あばら)の下を見舞(みま)った。
「ざんねんだが、咲耶子(さくやこ)のすがたが見当(みあた)らなければぜひもない。このうえは、どうせのついでに、大久保長安(おおくぼながやす)の寝所(しんじょ)を見つけて、きゃつの首を土産(みやげ)に引きあげよう」
 欄(らん)のまわりに影(かげ)ばかり見せて、ただワアワアとさわいでいる若侍(わかざむらい)たちを睥睨(へいげい)しながら、源氏閣(げんじかく)から桜雲台(おううんだい)の本殿(ほんでん)へもどってくると、そこへあまたの武士(ぶし)に追いつめられてきた乱髪(らんぱつ)の小童(しょうどう)があった。
「やッ、竹童(ちくどう)!」
 咲耶子(さくやこ)にあわぬ失望(しつぼう)は、そのうれしさにおぎなわれて、朱柄(あかえ)の槍(やり)と鍔(つば)なしの戒刀(かいとう)は、なんのためらいもなくその渦巻(うずまき)のなかへおどった。

 うるわしい明(あ)け方(がた)の雲が、東を染(そ)めてきた。
 秋霜(あきしも)の下(お)りた山国のあさは、都(みやこ)の冬よりはまだ寒(さむ)い。白い息(いき)が人の鼻(はな)さきに凍(こお)りそうだ。
「お早(はよ)う」
 地蔵行者(じぞうぎょうじゃ)の菊村宮内(きくむらくない)は、お長屋(ながや)の釣瓶井戸(つるべいど)で、足軽(あしがる)たちと一しょに口をそそいでいた。
「ゆうべは、まことにひどいそうどうでございましたな、さだめしみなさんもおつかれでございましょう」
 足軽たちに話しかけても、だれもウンとも返辞(へんじ)をするものがなかった。かれらの眼色(めいろ)はまだ夜の明けぬまえの異常(いじょう)な緊張(きんちょう)をもちつづけているらしい。
 顔をしかめて向こう脛(ずね)の傷(きず)をあらっている者や、水をくんでゆく者や、たわしで洗(あら)い物をする者などで、井戸(いど)ばたがこみ合っている。
 宮内は早々(そうそう)そこをはなれて、
「なにしろ、大事にならなくってしあわせだった」
 お長屋の屋根(やね)むこうに、まだ黄色く立ちのぼっている馬糧小屋(まぐさごや)の余煙(よえん)をながめて、ひとりごとをつぶやいた。
「あッ、神主(かんぬし)さん――。竹生島(ちくぶしま)の神主さん」
 とつぜん、かれの足を止(と)めた者がある。
 だれかと思って横をみると、ご殿(てん)の修築(しゅうちく)に使用する大石のたくさんつんである間(あいだ)に、元気のない蛾次郎(がじろう)の顔(かお)がチラと見えた。
「おや、おまえは?」伸(の)びあがってのぞくと、
「お地蔵(じぞう)さま、後生(ごしょう)です」
「後生ですって、なにが後生なんじゃ。でておいでな、ここへ」
「それが、でられないんで、弱ってるんです」
「なんだ、しばりつけられているのか」
「ええ、ゆうべお館(やかた)へ乱入(らんにゅう)した、あの狼藉者(ろうぜきもの)のためにしばられて、とうとうここで夜を明かしてしまったんで」
「おやおや、それはえらいお仕置(しおき)を食(く)ったな」
 宮内(くない)は人のいい笑(わら)い方をして、石置場(いしおきば)にしばられているかれの縄目(なわめ)を解(と)いてやったが、からだが自由になったとたんに、蛾次郎は、礼(れい)の言葉なぞはとにかくというふうに、いきなり向こうの馬糧小屋(まぐさごや)の焼(や)け跡(あと)へすッ飛んでいった。
 なんですッとんでいったかと思うと蛾次郎、そこでまだ、カッカと余燼(よじん)の火の色がはっている焼け跡にお尻(しり)をあぶって、
「オオ寒(さむ)、寒、寒、寒。……ああ、あったけえ、あったけえ、あったけえ」
 歯(は)をがたがたと鳴らしながら、凍(こお)りきった血(ち)をあたためて、人心地(ひとごこち)を呼(よ)びかえすのだった。
 そこへひょッこり、親方(おやかた)の鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)が、桜雲台(おううんだい)の方からもくもくともどってきた。
 卜斎はジロリと蛾次郎(がじろう)の顔を見たが、べつに声もかけないで、菊村宮内(きくむらくない)のいる火のそばへよりながら、
「定(さだ)めしゆうべはびっくりなすったであろう」
 と話しかける。
「おどろきました。火事と思うと、すぐにあの乱入者(らんにゅうもの)の剣(つるぎ)の音でな。しかし、かくべつなこともなかったようで、まずお館(やかた)にとっては、大難(だいなん)が小難(しょうなん)でなによりともうすものです」
「どうして、意外(いがい)な被害(ひがい)なので」
「ほウ」
「いま、役人がしさいを書きあげているが、味方(みかた)の斬(き)りすてられた者二十四、五名、手負(てお)いは五十名をくだるまいとのことでござった。その上、ご老職(ろうしょく)伊東十兵衛(いとうじゅうべえ)どのが、源氏閣(げんじかく)の上から袈裟斬(けさぎ)りになって真下(ました)へ落ち、鉱山目付(かなやまめつけ)の伊部熊蔵(いのべくまぞう)どのも悶絶(もんぜつ)していたようなありさま、けれどもこれは命(いのち)に別条(べつじょう)なく助かりましたが」
「ほウ、そんなに? してここの主(あるじ)、大久保長安(おおくぼながやす)どののお身にはなにごともなくすみましたかな」
「いちじは曲者(くせもの)に追(お)われて、あやういところであったそうだが、ご寝所(しんじょ)から壁返(かべがえ)しのかくれ間(ま)へひそんで、やっとのがれたという話、その間(ま)に運(うん)よく夜が明けましたゆえ、曲者たちは濠(ほり)をこえて、いずこともなく逃(に)げうせたそうで」
「で、相手方(あいてがた)の死骸(しがい)は?」
「それがふしぎ、なかには手負(てお)いや死んだ者もあったろうに、逃(に)げるときにもち去(さ)ったか、一つもさきの死骸がのこってない」
「さりとは心がけのよい曲者、いったい、それはどこの者で」
「黒装束(くろしょうぞく)はみな緋(ひ)おどし谷(だに)にいた若い女子(おなご)、源氏閣(げんじかく)へ斬(き)りこんだ者は、武田伊那丸(たけだいなまる)の身内(みうち)、木隠(こがくれ)、巽(たつみ)の両人(りょうにん)とあとでわかった。おお、それから鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)」
「えッ、竹童も」
 宮内(くない)は久(ひさ)しぶりであの好(す)きな少年を心にえがいた。
 そしてその竹童も、無事(ぶじ)にこの館(たち)をやぶって逃(に)げのびたと卜斎(ぼくさい)に聞(き)いて、敵(てき)でも味方(みかた)でもないが、なんとなくうれしくおぼえた。
 虹色(にじいろ)の陽(ひ)が高くのぼってきた。
 近国(きんごく)へうわさがもれては外聞(がいぶん)にかかわるというので、昨夜(ゆうべ)のさわぎはいっさい秘密(ひみつ)にするよう、家中(かちゅう)一統(とう)へ申(もう)し渡(わた)しがあって、ほどなく、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)一帯(たい)、つねの平静(へいせい)に返っていた。
 午後には、重(おも)なる家臣が桜雲台(おううんだい)へ集まった。
 けれど、それはゆうべの問題ではなく、もう日限(にちげん)の切迫(せっぱく)してきた、御岳(みたけ)の山における兵学大講会(へいがくだいこうえ)の奉行(ぶぎょう)を命(めい)ぜられた長安(ながやす)の下準備(したじゅんび)や手配(てくば)りの評議(ひょうぎ)。
 その公書(こうしょ)を浜松(はままつ)からもたらしてきたお小姓(こしょう)とんぼ組(ぐみ)の星川余一(ほしかわよいち)は、万千代(まんちよ)さまへの申(もう)しわけに、鷲(わし)の行方(ゆくえ)をつき止(と)めるまで、しばらく長安(ながやす)の詮議(せんぎ)をたよりに、ここへ滞留(たいりゅう)していることになる。
 鷲といえば――。
 余一のほかにだれも見とどけた者はないが、源氏閣(げんじかく)のてッぺんからすがたを消(け)した咲耶子(さくやこ)は、いったいどこへいったのだろうか?
 クロとともにかげを見えなくしたところからさっすれば、竹童(ちくどう)の鷲乗(わしの)りをうつしまねて、空へと、舞(ま)って逃(に)げたよりほかに考えようがないが、あの絵(え)に見まほしき振袖(ふりそで)すがたで、そんなあぶないはなれわざが、果(は)たして首尾(しゅび)よくいったろうか。
 いや、心配(しんぱい)はあるまい。
 かの女(じょ)も裾野(すその)の女性である。山大名(やまだいみょう)の娘(むすめ)である。竹童のすること、蛾次郎(がじろう)でさえやること、余一すら乗りこなしてきた鷲――なんで乗れないことがあるものか。
 そうあれば。
 とにかく咲耶子の身には、ふたたび、うばわれた自由と希望(きぼう)がかえっているわけ。

 カアーン……カアーン……カアーン
 きょうも甲府(こうふ)の町にのどかな鉦(かね)の音(ね)。
 菊村宮内(きくむらくない)はおなじ日に、卜斎(ぼくさい)と別(わか)れを告(つ)げ、花や供物(くもつ)にかざられた笈摺(おいずる)と、かがやく秋の陽(ひ)を背(せ)にして、きのうのごとく、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の愛(あい)の旅(たび)にたっていった。

 翌日(よくじつ)は駒飼(こまかい)から笹子峠(ささごとうげ)を越(こ)える。
 甲府(こうふ)を一とおり遍歴(へんれき)した宮内は、これから道を東にとって、武蔵(むさし)の国へはいるつもり。
 これから武蔵へかかる山境(やまざかい)は、姥子(うばこ)、鳴滝(なるたき)、大菩薩(だいぼさつ)、小仏(こぼとけ)、御岳(みたけ)、四顧(こ)、山(やま)また山を見るばかりの道である。すきな子供のむれに取りまかれることがいたってまれだ。
 阿弥陀街道(あみだかいどう)のながい半日に、かなり足の疲(つか)れをおぼえてきた宮内、
「おお、茶店(ちゃみせ)があるな」
 立場(たてば)がわりに駒止(こまど)めの杭(くい)がうってある葭簀掛(よしずがけ)の茶屋(ちゃや)を見かけて、
「少し休(やす)ませてもらいます……」
 と、なにげなく立ちよって、背(せ)なかの笈(おい)を床几(しょうぎ)の上へ安置(あんち)すると、土間(どま)のうちで荒々(あらあら)しい人声。
「女だからって、油断(ゆだん)もすきもありやしねえ!」
 なにかと思って見ると、街道稼(かいどうかせ)ぎの荷物持(にもつも)ちか馬方(うまかた)らしいならず者がふたり、黒鉄(くろがね)に毛(け)をはやしたような腕(うで)ぶしをまくりあげて、
「――飛んでもねえいいがかりを吐(ぬ)かしゃあがる。だれがてめえのような女乞食(おんなこじき)のビタ銭(せん)を、掏(す)ったり抜(ぬ)いたりするバカがあるものか、ものをぬすまれましたという人体(にんてい)は、もう少しなりのきれいな人柄(ひとがら)のいうこッた、よくてめえの姿(すがた)や商売(しょうばい)と相談してこいッ」
 おそろしいけんまくでどなりつけている。
 そのふたりの毛脛(けずね)のあいだにはさまって、土間(どま)へ手をついたまま、わなわなおののいている女は、坂東(ばんどう)三十三ヵ所(しょ)の札(ふだ)をかけ、膝(ひざ)のところへ菅笠(すげがさ)と杖(つえ)とを持った、三十四、五の女房(にょうぼう)である。
「いいえ、そうわるくお取りなすってはこまりますが、たしかに、駒飼(こまかい)の宿(しゅく)の辻堂(つじどう)で、ちょっと帯(おび)をしめ直(なお)しているあいだに、あなた方(がた)おふたりが、足もとへおいたわたしの金入(かねい)れをお持ちになってかけだしたので、悪気(わるぎ)はないほんのいたずらをなされたのであろうと、ここまで追(お)ってまいったのでございます。どうぞ、あの金(かね)がなくては、これからさきのながい旅(たび)ができない身の上、かわいそうだと思って、お返(かえ)しなすってくださいまし」
「この女めッ、だまっていりゃいい気になって、まるで人を盗(ぬす)っ人(と)のようにいやあがる」
「どういたしまして、けっしてそんな大(だい)それたことを申すのでは」
「やかましいやいッ。てめえがおれたちに金入れを取られたといやあ、おれたちふたりは泥棒(どろぼう)だ。よくも人に濡衣(ぬれぎぬ)を着(き)せやがった」
「あれッ、そのふところに見えます金入(かねい)れが、たしかに、わたしの持っていた包(つつ)みでございます」
「飛んでもねえことをいうねえ。こりゃ、おれが甲府(こうふ)の町でさる人からあずかってきた金入れだ。それを見やがってぶっそうないいがかり、どッちが白いか黒いか代官所(だいかんしょ)へでてやるところだが、女巡礼(おんなじゅんれい)を大(だい)の男ふたりで相手にしたといわれるのも名折(なお)れだ。さ、命(いのち)だけを助けてやるから、サッサとでていきやがれ」
 馬の草鞋(わらじ)にもひとしい土足(どそく)が、むざんに女の肩(かた)をはげしくけった。
「これ、なにを無慈悲(むじひ)なことをなさる」
 菊村宮内(きくむらくない)はわれをわすれて、その女巡礼の身をかばいながら、
「ふびんではござらんか、かような巡礼道(じゅんれいどう)の人の持物(もちもの)を巻(ま)きあげて、それがどれほどおまえたちの幸福(こうふく)になるものじゃない。どうか、そんな手荒(てあら)なことをせずに返してあげておくれ」
「おやッ」
「こんちくしょうめ」
 と、胸毛(むなげ)をむきだして腕(うで)まくりをしなおしたふたりの道中稼(どうちゅうかせ)ぎ。
「横合(よこあ)いから飛びだしゃあがって、なにをてめえなんぞの知ったことか。利(き)いたふうな文句(もんく)をつける以上(いじょう)は、この喧嘩(けんか)を買ってでるつもりか」
「はははは、飛んでもないことを。あなた方を相手にして、腕(うで)ずくなどの争(あらそ)いは、とてもわたしたちにはできないことです」
「じゃあ引ッこめ、引ッこめ! 鉦叩(かねたた)きのやせ行者(ぎょうじゃ)め」
「いや、引ッこめません」
「これでもかッ!」
 いきなり一方の鉄拳(てっけん)が、風をうならせて宮内の横顔(よこがお)を見舞(みま)ってきた。
「あぶない」
 軽く身をかわした菊村宮内(きくむらくない)、その腕くびをつかみ取って、
「そんなめちゃをなさらずに、どうか、ゆるしてあげてください。その金財布(かねざいふ)が、げんざい、あなた方の持物(もちもの)でない証拠(しょうこ)には、がらも色合(いろあい)も女物(おんなもの)ではありませぬか」
「えい、よけいな口をたたきやがると、こうしてくれるッ」
 と、両方(りょうほう)から、猿臂(えんぴ)をのばして襟(えり)もとをつかんでくる。
 宮内はうしろへ身を押(お)されて、あやうくそとの葭簀(よしず)につまずきかけたが、そこまで忍(しの)んでいたかれの顔色がサッと、するどく変(かわ)ったなと思うと、踵(かかと)をこらえてひねり腰(ごし)に、
「えいッ」ひとり矢(や)はずに投げつけた。
「野郎(やろう)ッ」
「兄弟――ッ、仲間(なかま)のやつらを呼(よ)んでこい」
「おうッ」
 というとはねおきた一方の男は、脱兎(だっと)のごとく茶店(ちゃみせ)のそとへ飛びだして、なにか大声で向こうの並木(なみき)へ手をふった。
 と――見る間(ま)に、くるわくるわ、どれもこれも一くせありげな道中人足(どうちゅうにんそく)、錆刀(さびがたな)や息杖(いきづえ)を持ちこんで、
「なんだなんだ」
「その野郎(やろう)か」
「生意気(なまいき)な鉦叩(かねたた)き虫(むし)め! ぞうさはねえ、その女も一しょにつまみだして、二本松の枝へさかづるしにつるしてぶんなぐれ」
 理(り)も非(ひ)もあったものではない。
 まっ黒になって茶店(ちゃみせ)の入口になだれこみ、あッと宮内(くない)があきれるうちに、床几(しょうぎ)の上にすえておいた地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の笈摺(おいずる)を、ひとりの男が土足(どそく)でガラガラとけおとした。
「ウーム……」
 と、宮内(くない)のまなじりが朱(しゅ)をそそいで引ッ裂(さ)けた。
 いかに、とるに足(た)らないあぶれ者とはいえ、一念(ねん)に自分の信仰(しんこう)する地蔵菩薩(じぞうぼさつ)のお像(すがた)を、馬糞(まぐそ)だらけな土足にかけられては、もうかんべんすることができない!
 見そこなったな、この青蠅(あおばえ)め!
 いまでこそ身は童幼(どうよう)の友と親(した)しまれ、背(せ)には地蔵(じぞう)の愛をせおい、軒(のき)ごとの行乞(ぎょうこつ)、旅(たび)から旅をさすらい歩くながれ人(びと)にちがいないが、竹生島(ちくぶしま)に世をすてて可愛御堂(かわいみどう)の堂守(どうもり)となる前までは、これでも、鬼柴田権六(おにしばたごんろく)の旗本(はたもと)で、戦塵裡(せんじんり)に人の生血(いきち)をすすりながら働きまわったおぼえもある菊村宮内(きくむらくない)。
「おのれ」
 憤怒(ふんぬ)はついにかれの手を、脇差(わきざし)の柄(つか)にふれさせて、今にも、目にもの見せてくれんずと、ぶるぶると、身をふるわせた。
「おや、なんでえ、それは」
「べらぼうめ、物乞(ものご)いがそんな錆刀(さびがたな)なんぞをヒネクリまわしたところで、だれがしりごみするものか」
「さッ、でてこい、そとへ!」
「その錆刀の手うちを見てやろうじゃねえか」
 宮内(くない)の血相(けっそう)には多少おどろいたが、多寡(たか)が地蔵(じぞう)さまを背負(せお)ってあるく鉦(かね)たたき、なんの意気地(いくじ)があるものかと、頭から見くびって、思うぞんぶん、唾(つば)をとばして罵詈(ばり)するので、いまはもう、あのやさしい宮内の形相(ぎょうそう)も、血(ち)を見ねばしずまりそうもない殺気(さっき)を見せた。
 だが。
 かれはふと、そこへ蹴飛(けと)ばされてきた地蔵菩薩(じぞうぼさつ)のお像(すがた)に目をとめた。蹴(け)られても、足にかけられても、みじん、つねの柔和(にゅうわ)なニコやかさとかわりのない愛のお顔。
「あッ……」
 かれは、刀の柄(つか)にかけた手を縛(しば)りつけられたように、よろよろと、うしろへ身を引いた。
「誓(ちか)いをわすれた……ああ、悪かった」
 そうつぶやくと、殺気(さっき)の形相(ぎょうそう)は一しゅんにさめて、かれの顔は地蔵(じぞう)のとうとい微笑(びしょう)に似(に)てきた。
「バカ野郎(やろう)め」とたんに、
「なにを寝言(ねごと)をいってやがるんでッ」
 ひとりの男の拳骨(げんこつ)が、ガン! と頬骨(ほおぼね)のくだけるほど、宮内(くない)の横顔をはり飛ばした。
「さッ、でろ、でろッ、そとへ」
 蹴(け)る、なぐる、突(つ)き飛ばす。
 宮内は甘(あま)んじてぞんぶんになった。
 踏(ふ)みつけられる土足(どそく)の下にも、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)と同じような微笑(びしょう)を失(うしな)ってはならないぞと自分の心を叱(しか)っていた。カッと、吐(は)きつけられた痰(たん)つばをも、かれは、おとなしくふいていた。
 かれには誓っていたことがある。
 武士(ぶし)をすてて竹生島(ちくぶしま)にかくれた時、そして、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の愛の旅(たび)に島(しま)をでたとき、かならず、終生(しゅうせい)刀(かたな)を抜(ぬ)くまいぞと心にちかった。
 いまは乱世(らんせ)だ、血(ち)みどろの戦国である。
 人は旅(たび)にある時も、町を歩(あゆ)むにも、家に寝(ね)ている間にも刀を肌身(はだみ)にはなせない世の中だ。
 けれど、人に愛をおしえ、不遇(ふぐう)な子の友だちとなり、人に弓矢(ゆみや)鉄砲(てっぽう)いがいの人生を悟(さと)らせようと志(こころざ)している自分が、その刀をたのみにしたり、その殺生(せっしょう)をやったりしてはならない。どんなことがあっても、生涯(しょうがい)刀は抜(ぬ)くまい、刀は差(さ)していても手をかけまい! 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の愛の体得(たいとく)をけっしてわすれまい!
 固(かた)くかたく、それを胸(むね)の誓(ちか)いとして、地蔵のみこころにむすびあわしている菊村宮内(きくむらくない)。
「げじげじめ」
「たわけ野郎(やろう)」
「ものもらい」
「ざまを見やがれ」
「くたばるまで蹴(け)ころがしてやれ」
 寄(よ)ってたかってなぐりつける、息杖(いきづえ)や足蹴(あしげ)の下に、いつか神気朦朧(しんきもうろう)として空も見えなくなってしまった。

 ここに六万五千人の人間が、地上に一個(こ)の建築(けんちく)をもりあげるため、蟻(あり)のごとく土木(どぼく)に蝟集(いしゅう)している。
 これが人間業(にんげんわざ)かとおどろかれるような巨城(きょじょう)。
 もうあらかたできあがりに近づいて、秋晴(あきば)れの空に鮮(あざ)やかな建築線(けんちくせん)をえがきだしている。
 なんとすばらしい城(しろ)だろう。その規模(きぼ)の大きなこと、ローマの古城(こじょう)をもしのぐであろうし、その工芸美(こうげいび)の結構(けっこう)はバビロンの神殿(しんでん)にもおとりはしない。
 武将(ぶしょう)の居城(きょじょう)として、こんな大がかりなものは、まだ日本になかった。いや、当時(とうじ)、海外から日本にきていて、この工事(こうじ)を見聞(みき)きしたクラセとか、フェローのような、宣教師(せんきょうし)でも、みな舌(した)を巻(ま)いて、その高大(こうだい)をつぶさに本国(ほんごく)へ通信していた。
 そこは――摂州(せっしゅう)東成郡(ひがしなりごおり)石山(いしやま)の丘(おか)、すなわち、大坂城(おおさかじょう)の造営(ぞうえい)である。
 城は本丸(ほんまる)、二ノ丸、三ノ丸にわかれ、中央(ちゅうおう)に八層(そう)の天主閣(てんしゅかく)が聳(そび)えていた、二重(じゅう)以下(いか)は惣塗(そうぬ)りごめ、五重(じゅう)には廻廊(かいろう)をめぐらし、勾欄(こうらん)には鳳龍(ほうりゅう)の彫琢(ちょうたく)、千畳(じょう)じきには七宝(しっぽう)の柱(はしら)、間(ま)ごとに万宝(ばんぽう)をちりばめてあおげば棟瓦(むねがわら)までことごとく金箔(きんぱく)。
 大和川(やまとがわ)、淀川(よどがわ)の二水(すい)をひいて濠(ほり)の長さを合計(ごうけい)すると三里(り)八町とかいうのだから、もって、いかにその大(おお)げさな築城(ちくじょう)かがわかるであろう。
「ほウ、またきょうも、だいぶ大石(たいせき)が集(あつ)まってくるな」
 と、秀吉(ひでよし)は、子供のようにごきげんがよい。
 本丸(ほんまる)の庭先(にわさき)になる山芝(やましば)の高いところに床几(しょうぎ)をすえこんで、浪華(なにわ)の入江(いりえ)をながめている。
 派手(はで)な陣羽織(じんばおり)に、きらびやかな具足(ぐそく)。
 服装(ふくそう)はりっぱだがからだの小さい秀吉、床几から立っても五尺(しゃく)せいぜいしかあるまい。それでいて、こんな大きな城をつくって、まだじぶんの住居(すまい)にはせまいような顔をしている。
 片桐市正且元(かたぎりいちのかみかつもと)、床几のそばに膝(ひざ)をついて、
「さようでござります。今日(こんにち)の入船(にゅうせん)は大和の筒井順慶(つついじゅんけい)、和泉(いずみ)の中村孫兵次(なかむらまごへいじ)、茨木(いばらき)の中川藤兵衛(なかがわとうべえ)、そのほか姫路(ひめじ)からも外濠(そとぼり)の大石が入港(はい)ってまいりますはずで」
 と、答えた。
「あの堺(さかい)のほうからくる船列(せんれつ)は?」
「三好秀次(みよしひでつぐ)からご寄進(きしん)の檜船(ひのきぶね)ではないかと思われます」
「小田原(おだわら)の北条(ほうじょう)からも、伊豆石(いずいし)の寄進をいたしたいと、奉行(ぶぎょう)へ申しいであったそうだな」
「家康(いえやす)どのからもご領地(りょうち)の巨木(きょぼく)や人夫(にんぷ)、おびただしい合力(ごうりき)でございます」
「あはははは」
 秀吉(ひでよし)はたわいのない笑(わら)い方をして、
「それではまるで、他人がこの城(しろ)を築(きず)いてくれるようなものだ。なぜだ? なぜそんなにして秀吉の住居(すまい)をみんなして作(つく)ってくれるのか」
 と、いかにも空(そら)とぼけた質問(しつもん)をだして、そばにひかえている片桐(かたぎり)、福島(ふくしま)、脇坂安治(わきざかやすはる)など、ツイせんだって賤(しず)ヶ岳(たけ)で七本(ほん)槍(やり)の名をあげた若い人たちをかえりみたが、またすぐに床几(しょうぎ)から腰(こし)を立てて、
「ウウム、壮観(そうかん)、壮観」
 と、港(みなと)のほうへ小手(こて)をかざした。
 そこから見ると――
 大坂(おおさか)はまだ三郷(ごう)とも、城下(じょうか)というほどな町を形成(けいせい)していないが、急ごしらえの仮小屋(かりごや)が、まるで焼(や)けあとのようにできている。
 そして、百川(せん)のすえに青々とすんだ浪華(なにわ)の海には、山陰(さんいん)山陽(さんよう)五畿(き)東山(とうさん)の国々から、寄進(きしん)の巨材(きょざい)大石(たいせき)をつみこんでくる大名(だいみょう)の千石(ごく)船(ぶね)が、おのおの舳先(へさき)に紋所(もんどころ)の旗(はた)をたてならべ、満帆(まんぱん)に風をはらんで、宛(えん)たる船陣(せんじん)をしながら、四方の海から整々(せいせい)と入江(いりえ)へさして集まってくる。
 なるほど壮観(そうかん)だ。
 秀吉(ひでよし)の目がほそくなる。わかわかしい希望(きぼう)の権化(ごんげ)のような顔にいッぱいな満足(まんぞく)がかがやく。
 さきには、北(きた)ノ庄(しょう)を攻(せ)めて、一挙(きょ)に柴田勝家(しばたかついえ)の領地(りょうち)を攻略(こうりゃく)し、加賀(かが)へ進出しては尾山(おやま)の城(しろ)に、前田利家(まえだとしいえ)と盟(めい)をむすんで味方(みかた)につけた。
 永(なが)いあいだ、なにかにつけてじぶんの前途(ぜんと)をさまたげていた勝家(かついえ)は自害(じがい)し、かれと策応(さくおう)していた信長(のぶなが)の遺子(いし)神戸信孝(かんべのぶたか)、勇猛(ゆうもう)佐久間盛政(さくまもりまさ)、毛受勝介(めんじゅかつすけ)、みな討死(うちじに)してしまった。
 伊勢(いせ)の滝川一益(たきがわかずます)も、かぶとをぬいで降(くだ)ってくる。
 破竹(はちく)の勢いとは、いまの秀吉のことであろう。京へ凱旋(がいせん)してのち、七本(ほん)槍(やり)の連中(れんちゅう)をはじめ諸将(しょしょう)の下のものへまで、すべて、論功行賞(ろんこうこうしょう)をやったかれにはまた、朝廷(ちょうてい)から、従(じゅ)四位(い)下(げ)参議(さんぎ)に補(ほ)せらるという、位官(いかん)のお沙汰(さた)がくだる。
 毛利(もうり)も人質(ひとじち)をだして和(わ)をねがう。
 丹羽(にわ)、前田も、あまんじて麾下(きか)にひざまずく。
 こうなると、ひそかに虎視眈々(こしたんたん)としていた徳川家康(とくがわいえやす)も、いきおいかれのまえに意地(いじ)を突(つ)ッぱってはいられないので、石川数正(いしかわかずまさ)を戦捷(せんしょう)の使者に立てて贈(おく)りものをしてくる。
 秀吉はそこで、
(人間てものは、まあ、そんなものサ)
 というような顔をしていた。
 そして、遠(とお)く走(は)せていた目を、すぐ真下(ました)の作事場(さくじば)――内濠(うちぼり)のところにうつすと、そこには数千の人夫(にんぷ)や工匠(こうしょう)が、朝顔(あさがお)のかこいのように縦横(たてよこ)に組(く)まれた丸太足場(まるたあしば)で、エイヤエイヤと、諸声(もろごえ)あわせて働いているのが見られた。
「市松(いちまつ)」
 とつぜん、かれは床几(しょうぎ)になおって、
「また使者が見えたぞ」といった。
「おう、さようで」
 と、福島市松(ふくしまいちまつ)も加藤孫一(かとうまごいち)も、みな主君(しゅくん)の指(ゆび)さすところへ目をやった。
 見ると、なるほど、戦場(せんじょう)のようにこんざつしている桜門(さくらもん)の方角(ほうがく)から、ひとりの武将(ぶしょう)がふたりの従者(じゅうしゃ)をつれ、作事奉行(さくじぶぎょう)筒井伊賀守(つついいがのかみ)の家臣(かしん)の案内(あんない)にしたがって、こっちへ向かってくるすがたが小さく見える。
「いかにも見えまするなあ」
 と孫一がいうと、片桐市正(かたぎりいちのかみ)が、
「お上(かみ)はお目がよくておいで遊(あそ)ばす」
 と賞(ほ)めあげた。
 秀吉(ひでよし)は、そうさ! といわないばかりに胸(むね)をそらして、
「おろかなこと、この秀吉の目には、日本のはてまで見えておる」
 笑(わら)いながら見得(みえ)を切った。

 かりに本丸(ほんまる)をかためている作事門(さくじもん)の柵(さく)ぎわへ、その使者と筒井(つつい)の家臣(かしん)とがきた。
「お開(あ)けください」
「だれだ!」
 番士(ばんし)は具足(ぐそく)、真槍(しんそう)、鉄砲(てっぽう)、すこしも戦時とかわらない。
 もっとも、作事奉行(さくじぶぎょう)も棟梁(とうりょう)も工匠目付(こうしょうめつけ)も、四方にかけあるいている使番(つかいばん)もすべて上(かみ)は鎧装(がいそう)陣羽織(じんばおり)、下(しも)は小具足(こぐそく)、ことに人夫(にんぷ)を使っているものなどは抜刀(ばっとう)をさげて指揮(しき)しているありさま。
(怠(なま)けるものは斬(き)る)
 これが築城場(ちくじょうば)の宣言(せんげん)だ。
 したがってここの空気は、賤(しず)ヶ岳(たけ)、柳(やな)ヶ瀬(せ)の合戦(かっせん)の緊張(きんちょう)ぶりとすこしもかわっていないのである。
「――作事奉行、筒井伊賀守(つついいがのかみ)の家臣(かしん)、猪飼八兵衛(いがいはちべえ)」
 と大声で答える。
「門鑑(もんかん)」
「いやお送(おく)りでござる――徳川(とくがわ)どののお使者」
「徳川家(とくがわけ)の使者? して何名(なんめい)」
「永井信濃守尚政(ながいしなののかみなおまさ)と、つきそい両名(りょうめい)」
「そのものは?」
「水野源五郎(みずのげんごろう)」
「ウム、徳川殿(とくがわどの)のお旗本(はたもと)でござるな。もう一名は」
「菊池半助(きくちはんすけ)」
「それだけでござるか」
「さよう」
「ごくろうでござッた」
 案内(あんない)の猪飼八兵衛(いがいはちべえ)はかけもどって、送(おく)りこまれた徳川家(とくがわけ)の家臣(かしん)三名、槍(やり)ぶすまの間をとおってひかえ所(じょ)に待たされた。
 やがてそれを、秀吉(ひでよし)のところへ知らせると、かれはもう心得(こころえ)ていて、福島市松(ふくしまいちまつ)に出迎(でむか)えを命(めい)じる。
 市松はガチャッ、ガチャッと歩くたびに陣太刀(じんだち)が具足(ぐそく)をたたく音をさせながら、巨石(きょせき)でたたみあげた石段(いしだん)をおりてきて、
「遠路(えんろ)浜松城(はままつじょう)からおこしのお使者、ごくろうです。福島市松ご案内(あんない)申(もう)しあげる。こちらへ」
 うしろへ目くばせすると、かれが無(む)二の家来(けらい)可児才蔵(かにさいぞう)、
「いざ」
 と三名のうしろについて、主人と首尾(しゅび)をつつんで秀吉(ひでよし)のいる本丸(ほんまる)の庭手(にわて)へあがっていった。
(はてな?)
 そのとちゅうで可児才蔵(かにさいぞう)は、自分の目のまえに立ってゆく、少しちぢれ毛(げ)のある男の襟(えり)もとを見つめながら、
(はて……どこかで見たことがある)
 いくども首をひねって考えたが、どうも思いだすことができない。
 徳川家(とくがわけ)の使者(ししゃ)についてきた侍(さむらい)、横顔(よこがお)をさしのぞくのも無礼(ぶれい)であるし、疑念(ぎねん)のあるものをやすやすと、主君の前へ近づけるのはなおのこと不安(ふあん)なはなし。
 で――作事門(さくじもん)からついてきた番士(ばんし)に、ソッと耳をよせてきいてみると、
「あの方(かた)ですか。あれはただいまたしか、菊池半助(きくちはんすけ)とか名のりました」
「えッ、菊池?」
 そうだ!
 それで可児才蔵にも思い起すことができる。かれは徳川家の伊賀衆隠密組(いがしゅうおんみつぐみ)の組頭(くみがしら)で、かつて富士(ふじ)の人穴城(ひとあなじょう)へ、じぶんが主命(しゅめい)でようすをさぐりにいったとき、はじめてその名を知った男だ。
(これはいけない! 油断(ゆだん)のならない使者のお供(とも)だ)
 かれがそう思いあたった時には、もう、秀吉のまえにきて、一同横列(おうれつ)になっていた。
 秀吉(ひでよし)は、ヤアと友だちを迎(むか)えるようにして、はなはだかんたんに、来意(らいい)をきく。
 けれど、いくらかんたんにされても、なれなれしくあつかわれても、ひとりでに使者のからだは固(かた)くなってヤアに対(たい)して、オウというような円滑(えんかつ)なへんじはできないで、
「左少将(さしょうしょう)さまにはいつもながら、ますますご健勝(けんしょう)のていに拝(はい)せられまして、かげながら主人(しゅじん)家康(いえやす)も祝着(しゅうちゃく)にぞんじあげておりまする」
 などと形式(けいしき)ばると、
「いや、ありがとう」
 秀吉はたいへんやさしい声で、
「体(からだ)はせわしいおかげでますます健固(けんご)、また、諸侯(しょこう)ご寄進(きしん)のおちからで、どうやらわしの寝所(ねどこ)もこのとおりできかかっている」
 使者の永井信濃守(ながいしなののかみ)は、肚(はら)のうちでひそかにあきれた。
(秀吉はウソばかりいっている。なんでこんな巨(おお)きな城(しろ)が寝所(ねどこ)なもんか、これはやがて、四国(こく)九州(しゅう)はおろか、東海道(とうかいどう)浜松(はままつ)も小田原(おだわら)も、一呑(ひとの)みに併呑(へいどん)しようとする支度(したく)じゃないか)
 そう考えたが、口にはだせない。
 秀吉は人の考えなどにはとんじゃくしないふうで、いよいようち解(と)けたようすになって床几(しょうぎ)をすすめ、
「時に、ご来意(らいい)は?」
「はッ」
 信濃守(しなののかみ)は、よそごとに散(ち)らしていた頭脳(あたま)を醒(さ)まして、
「ほかではございませんが」
「ウム」
「くわしくは主人の書状(しょじょう)につくしてござりますが、口上(こうじょう)をもって一通(ひととお)りお願い申しあげまする。それは」
「ウム」
「余事(よじ)ではございませんが、毎年、武田家(たけだけ)の行事(ぎょうじ)として行われてまいりましたところの、武州(ぶしゅう)御岳(みたけ)における兵法大講会(へいほうだいこうえ)の試合(しあい)の儀(ぎ)」
「ウム、ウム」
「勝頼(かつより)すでに亡(ほろ)び、甲斐(かい)の領土(りょうど)は主人(しゅじん)家康(いえやす)の治下(ちか)とあいなっております」
「いかにも」
「そこで旧武田家(きゅうたけだけ)の政弊悪政(せいへいあくせい)はこのさいつとめて廃(はい)しまするが、兵法奨励(へいほうしょうれい)の御岳大講会(みたけだいこうえ)の行事(ぎょうじ)だけは、なんとか保存(ほぞん)いたしたいと考えて、昨秋(さくしゅう)も形(かたち)ばかりはやりましたが、当時(とうじ)諸国紛端(しょこくふんたん)の折から、まことに思わしゅうございませんでした」
「大きに、ああいう尚武(しょうぶ)のふうはぜひのこしておきたい」
「で、本年は、甲府(こうふ)の代官(だいかん)大久保長安(おおくぼながやす)にその総奉行(そうぶぎょう)を命(めい)じ、支度(したく)ばんたん、力をつくしておこないたいと考えますゆえ、ぜひご当家(とうけ)よりも、当日の大講会に何人(なんぴと)かご参加(さんか)くださるようにと、わざわざおすすめに、イヤ、お願いにまいったようなわけでござります」
「なるほど」
 張合(はりあ)いのないくらいかんたんにうなずいて、
「だれかつかわすであろう」
 といったが、秀吉(ひでよし)、またちょっと考えて、
「だが待てよ……御岳(みたけ)の大講会(だいこうえ)ともうすと、なにさま天下の評判(ひょうばん)ごと、秀吉の家来(けらい)がまけてもこまるな」
「いや、けっして」
「当日(とうじつ)、兵法試合(へいほうじあい)のうち、軍学大論議(ぐんがくだいろんぎ)のあることは、あれから甲州流(こうしゅうりゅう)の陣法(じんぽう)が生まれたというくらい有名(ゆうめい)なものだが、そのほか、武道(ぶどう)の試合(しあい)としては、なんとなにか?」
「あえて、それに限(かぎ)りをもうけませぬ」
「うむ、そうか」
「たとえば、武道(ぶどう)の表芸(おもてげい)、弓術(きゅうじゅつ)、剣法(けんぽう)はもちろんのこと、火術(かじゅつ)、棒術(ぼうじゅつ)、十手術(じってじゅつ)、鎖(くさり)、鉄球(てっきゅう)、手裏剣(しゅりけん)の飛道具(とびどうぐ)もよし、あるいは築城(ちくじょう)の縄取(なわど)りくらべ、伊賀(いが)甲賀(こうが)の忍法(しのびほう)も試合にいれ、かの幻術(げんじゅつ)と称(しょう)する一派(ぱ)の技(わざ)でも、自信のあるものは立合(たちあ)いをゆるすつもりでございます」
 信濃守(しなののかみ)がしゃべっていると、丁(ちょう)ッ、と秀吉よこ手を打って、
「いや、なかなかおもしろそうだな」
 と、話のさきを折ッぺしょった。そして、
「ほんとうは、この秀吉が若ければ、自分ででかけたいところなのだが、まさか、そうもなるまい。イヤ、お使者の口上(こうじょう)あいわかった。いずれ当日(とうじつ)までにだれか人選(じんせん)して武州(ぶしゅう)へつかわすであろう。家康(いえやす)どのによろしくご返事を。どれ、一ツ外濠(そとぼり)の作事(さくじ)を見まわろうか」
 陣羽織(じんばおり)をきらめかせて立ちあがった。
 信濃守(しなののかみ)も目礼(もくれい)して宿所(しゅくしょ)へかえる。
 ところがその翌日(よくじつ)、秀吉は木の香(か)のあたらしい本丸(ほんまる)の一室(しつ)へ、福島市松(ふくしまいちまつ)をひとりだけ呼(よ)んで、
「いかんわい」
 と、おもしろくない顔をしてつぶやいた。
「なんでいけませんか」
 市松にはわからない。
 秀吉はときどき、尾張(おわり)の中村(なかむら)で村の餓鬼大将(がきだいしょう)だった時代のような言葉づかいを、ちょいちょいつかう。
 もっともそれは、当時(とうじ)からの腕白仲間(わんぱくなかま)の鍛冶屋(かじや)の虎之助(とらのすけ)や桶屋(おけや)の市松などと、さしむかいでいる時にかぎってはいたが。
 で――いまもその市松とふたりきりで対坐(たいざ)していたので、
「いかんぞ、いかんぞ、ゆだんもスキもなりはしない。まだすっかりできあがらぬうちに、この大坂城(おおさかじょう)の縄取(なわど)り構造(こうぞう)を浜松(はままつ)の狸(たぬき)めが盗(ぬす)みおった」
 と、水瓜(すいか)ばたけへ泥棒(どろぼう)がはいったように、口をひんまげて考えこんだ。

 この摂津(せっつ)の要害(ようがい)へ金城鉄壁(きんじょうてっぺき)をきずかれたのは、たしかに家康(いえやす)のほうにとってありがたくない目の上のこぶにはちがいない。
 しかし、その家康が、いつこの大坂城の縄取(なわど)りをぬすんだというのか、福島市松(ふくしまいちまつ)には主君のいうことがさっぱり解(げ)せないふうで、へんな顔をしてきいていた。
「わからないと申すか、はてさて、魯鈍(ろどん)な頭よな」
 と、秀吉(ひでよし)は、説明してやった。
「武州(ぶしゅう)御岳(みたけ)の兵法大講会(へいほうだいこうえ)についてわざわざ鄭重(ていちょう)に使いをよこしたのは、すこし妙(みょう)なと考えていたが、あれはの市松(いちまつ)、やっぱり家康めの策(さく)であった」
「ほう、ではかれの策略(さくりゃく)なので」
「というほどのことでもないが、まア用達(ようた)しのついでだな、転(ころ)んでもただは起きないのが、あの男のもちまえ、きのうの使者三名のうちに、ひとり隠密(おんみつ)の達者(たっしゃ)なやつをまぜてよこした」
「伊賀者(いがもの)を使者の人数にまぜてよこすは非礼(ひれい)千万(ばん)、どうしてそれがおわかりになりましたか」
「昨夜作事門(さくじもん)をのり越えて、本丸、二ノ丸のようすをうかがっていたやつがある。しかし、この方(ほう)にもすきがなかったので、じゅうぶん図面(ずめん)をうつしとることもできず、風のごとく逃(に)げうせたから、定(さだ)めし遠州(えんしゅう)の使者も宿所(しゅくしょ)をはらって、けさは早朝に帰国したのであろう」
「はてな、さようでございましょうか」
「魯鈍(ろどん)、魯鈍、そちはこんなにくわしく話されてもまだ感づかないのか」
「でも、あまりふしぎに思われますので」
「なにがふしぎ」
「お上(かみ)には昨夜ご酒宴(しゅえん)で、いたくお酔(よ)いあそばしました」
「ウーム、よいきげんだった」
「拙者(せっしゃ)はつぎの宿直(とのい)の間(ま)にひかえておりましたが、鼾声(かんせい)雷(らい)のごとく、夜明けまでお目ざめのようすもなかったのに、なんとしてそんなことがおわかりでございましょうや」
「ウム、一理(り)あるな、ではじつを申さねばなるまい、まことは昨夜その伊賀者(いがもの)の潜入(せんにゅう)を知ったのはかの源次郎(げんじろう)が働きじゃ」
「源次郎と申しますと?」
「お、家臣(かしん)の者ではないから、そちはまだ知らぬとみえる。かの信州(しんしゅう)上田城(うえだじょう)から質子(ちし)としてきている真田昌幸(さなだまさゆき)のせがれ源次郎がことじゃ」
「それなら、うわさにうけたまわっております」
「で――こんどの兵学大講会(へいがくだいこうえ)だが、その真田源次郎、まだ二十歳(はたち)にならぬ若年(じゃくねん)ものとはいえ、父昌幸、兄信幸(のぶゆき)にもまさる兵学者(へいがくしゃ)、一つあれをやろうと思うがどうだ」
「よろしかろうとぞんじます」
「それに加(くわ)えて、そちの家来(けらい)可児才蔵(かにさいぞう)」
 と、秀吉(ひでよし)はじゅんに指(ゆび)を折りだして、
「虎之助(とらのすけ)のかわいがっておる井上大九郎(いのうえだいくろう)、この三名をつかわそう。日もはやせっぱくしておることゆえ、すぐ出立(しゅったつ)させるがよい」
 豊臣家(とよとみけ)の代表者(だいひょうしゃ)として、御岳(みたけ)の兵法大講会に参加(さんか)する命(めい)がくだって、可児、井上、真田の三士(し)が大坂表(おおさかおもて)を発足(ほっそく)したのは、その翌々日(よくよくじつ)のことだった。
 山崎(やまざき)の合戦(かっせん)で敵(てき)の生首(なまくび)を笹(ささ)にとおしてかけあるくほどはたらいて、笹の才蔵といいはやされた可児。
 壮漢(そうかん)木村又蔵(きむらまたぞう)とならんで、加藤(かとう)の龍虎(りゅうこ)といわれている井上大九郎。
 それについていった真田源次郎というのは、ついこのあいだ信州から質子として大坂へきたばかりの田舎者(いなかもの)、いたって無口(むくち)で、年も他のふたりよりは若く、ながい道中(どうちゅう)も、ただむッつりとして歩(ある)いているが、秀吉(ひでよし)の犀眼(さいがん)が、はやくも見こんでいるとおり、後年太閤(たいこう)が阿弥陀峰頭(あみだほうとう)の土と化(か)してのち、孤立(こりつ)の大坂城(おおさかじょう)をひとりで背負(せお)って、関東(かんとう)の老獪将軍(ろうかいしょうぐん)大御所(おおごしょ)の肝(きも)をしばしば冷(ひ)やした、稀世(きせい)の大軍師(だいぐんし)真田幸村(さなだゆきむら)とは、まったくこの源次郎だったのである。
 だが、のちの大軍師(だいぐんし)幸村(ゆきむら)も、この時はまだ才蔵(さいぞう)よりも大九郎よりも後輩(こうはい)であったし、上田城(うえだじょう)の城主(じょうしゅ)昌幸(まさゆき)の子とはいいながら、質子(ちし)としてきている身分(みぶん)なので、なにかにつけて肩身(かたみ)がせまい。
 大九郎は大酒家(たいしゅか)で、道中もときどき源次郎に世話(せわ)をやかせてテコずらした。
 才蔵は御岳(みたけ)につくまで、じゅうぶん腕(うで)をきたえておこうというので宿(やど)へつくと稽古槍(けいこやり)を借(か)りて、源次郎をワラ人形(にんぎょう)のように突(つ)きたおす。
 太刀(たち)を持っては大九郎にかなわず、槍をとっては才蔵に向かえなかった。それでも源次郎は謙遜無口で、よく大九郎のめんどうをみたり、才蔵に槍の教えをうけたりしながら、順路(じゅんろ)東海道(とうかいどう)の旅(たび)をはかどっていた。
 浜松(はままつ)の城下(じょうか)へついた晩(ばん)、
「一つ皮肉(ひにく)に、せんだって使者にまじってきた、菊池半助(きくちはんすけ)をたずねて、一晩(ひとばん)泊(と)めてくれと申(もう)しこんで見ようじゃないか」
 大九郎の発意(ほつい)で、いたらこの間(あいだ)のことを揶揄(やゆ)してやろうぐらいな考え、伊賀組(いがぐみ)の屋敷(やしき)へおしかけていってみたが、
「運(うん)のいいやつめ」
 と、大九郎(だいくろう)は門前(もんぜん)から苦笑(くしょう)しながらもどってきた。
 もう菊池半助(きくちはんすけ)も、家中(かちゅう)の人々とともに、武州(ぶしゅう)御岳(みたけ)へ発足(ほっそく)していて留守(るす)だった。
 やむなく町へでて、ぶらぶら旅籠(はたご)をさがしていると、
「おや、可児才蔵(かにさいぞう)さまじゃござんせんか」
 と前にかがんで、なれなれしく人の顔をのぞきこんだ町人(ちょうにん)がある。
「だれだ、その方(ほう)は」
「お忘れですかい、わっしゃあ裾野(すその)でお目にかかったことがあります。へい、一ばん最初は釜無川(かまなしがわ)の河原(かわら)でね」
「釜無川の河原で?」
「さようでございます。あの時あなたは、鳥刺(とりさ)しの風(ふう)ていで人穴城(ひとあなじょう)をご見物(けんぶつ)にいらっしたんでがしょう。忘れやしません、わっしが河原で竹童(ちくどう)を取ッちめていると、そこへ飛んできて、ひどい目にあわせなすったじゃございませんか」
「おお、そうか」
「やっと思いだしましたね」
「それではきさまは、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)の手下(てした)、早足(はやあし)の燕作(えんさく)だったか」
「その燕作でございますよ、どうも旦那(だんな)、お久(ひさ)しぶりで……むかしは敵(てき)だの味方(みかた)だのといっていましたが、いまはやっと、だいぶ天下もしずまりましたし、人穴城(ひとあなじょう)は焼(や)けっちまうし、家康(いえやす)さまと秀吉(ひでよし)さまも、仲(なか)よくつき合っているご時世(じせい)ですから、こちとらなどは、なんの怨(うら)みもくそもありゃしません」
「そうだが、このさきはわからないが、とにかくいまのところでは天下平静(へいせい)、御岳(みたけ)の兵学大講会(へいがくだいこうえ)も、今年は定(さだ)めしにぎわしかろう」
「お、じゃ、旦那方(だんながた)もおでかけですか」
「なにも能(のう)はないが、見物(けんぶつ)にな」
「ごじょうだんでござんしょう」
 燕作(えんさく)はイヤな笑(わら)いかたをして、
「おととい、呂宋兵衛(るそんべえ)もあちらへでかけましたよ」
「ほう、あれもまいったか」
「家康(いえやす)さまのおさしずで、当日(とうじつ)は、南蛮流(なんばんりゅう)の幻術(げんじゅつ)を公開(こうかい)してみせるそうで」
「あの、蚕婆(かいこばばあ)はその後(ご)いかがいたしたな」
「あいかわらず、達者(たっしゃ)なもんでございますよ、ただ裾野(すその)にいたころとすこしちがってきたのは、呂宋兵衛にかぶれて、女修道者(イルマン)のくろい着物(きもの)をきているぐらいなもンでげす」
「おまえはゆかないのか」
「わっしでございますか……」
 と燕作はあたまに手をのせて――。
「わっしはまだごゆるりとあとからでかけますつもりで」
「そうゆうゆうと落ちついていると、もう試合(しあい)の当日(とうじつ)に間(ま)にあわなくなるぞ」
「なアに大丈夫(だいじょうぶ)、これでごンす」
 と、燕作(えんさく)は足の膝(ひざ)ぶしをピッシャリとたたいて、
「孫悟空(そんごくう)じゃござんせんが、早足(はやあし)の燕作、一番あとからかけつけましても、こういう筋斗雲(きんとうん)がございますから……へへへへことによると、あとからいって、いずれあちらでわっしの方がお待ちするようなことになるかも知れませんて。……へい、じゃあごきげんよろしゅう、さようなら」
 と、横町へかけこんだ。

 織田(おだ)と今川(いまがわ)のほろびた後(のち)は、家康(いえやす)の領地(りょうち)ざかいは小田原(おだわら)の北条氏直(ほうじょううじなお)ととなり合って、碁盤(ごばん)の石の目をあさるように武州(ぶしゅう)甲州(こうしゅう)上州(じょうしゅう)あたりの空地(あきち)をたがいに競(せ)りあっている。
 その小田原でも、御岳(みたけ)のうわさはたいへんなものだ。
 徳川家(とくがわけ)からでる和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)がきのう箱根(はこね)をとおった。お小姓(こしょう)とんぼ組(ぐみ)の連中(れんじゅう)がうつくしい行列(ぎょうれつ)で練(ね)りこんでいった。菊池半助(きくちはんすけ)がいった。やれだれがとおった。なんのなにがしもくりこんでいったと、小田原城(おだわらじょう)の若ざむらいは血(ち)をわかしていた。
 なんにつけても氏直は、いま、四隣(りん)へ虚勢(きょせい)を張(は)っているところだ。
「当家(とうけ)の武芸(ぶげい)のほどをしめしてやれ」
 と、これは秀吉(ひでよし)よりも大のり気で、すでに城内(じょうない)で数度(すうど)の下試合(したじあい)をやらせたうえ、家中(かちゅう)から選抜(せんばつ)して武芸者(ぶげいしゃ)十名、鎖帷子組(くさりかたびらぐみ)となづけてめいめいにおなじよそおいをさせ、応援(おうえん)として若ざむらい百二十人をそえ、示威(じい)どうどうとして、足柄裏街道(あしがらうらかいどう)から甲州路(こうしゅうじ)をぬけて、武州(ぶしゅう)御岳(みたけ)へ参加(さんか)することになった。
「ほう、あれや小田原(おだわら)の北条(ほうじょう)だな」
 その人数と、ちょうど位牌(いはい)ヶ岳(たけ)の追分(おいわけ)でぶつかった井上大九郎(いのうえだいくろう)、つれのふたりをかえりみて、
「戦(いくさ)にはあまりつよくない連中(れんじゅう)だから、せめて試合(しあい)に勝とうというんだろう」
 大口(おおぐち)をあいて笑(わら)いながらいった。
「よせよせ、大九郎」
 才蔵(さいぞう)は、道ばたに寄(よ)って、その人数をわざとやり過(す)ごしてから、
「大きな声をすると聞えるじゃないか」
「聞えたって、なあに、かまうもんか。なにかいったら賤(しず)ヶ岳(たけ)で、すこし食(く)い足(た)らなかった腰(こし)の刀(もの)に、生血(いきち)を馳走(ちそう)させてやるさ」
「すぐそんな気になってはこまる。こんどの御岳はただの武者修行(むしゃしゅぎょう)やなにかとちがう。豊臣家(とよとみけ)のおん名(な)をいただいてまいったことだから、もうすこし自重(じちょう)してくれよ。え、大九郎」
 と、可児才蔵(かにさいぞう)が肩(かた)をならべてゆきながら、酒(さけ)の匂(にお)いのたえない井上大九郎に、しきりと意見(いけん)していた。
 いつもおとなしいのは真田源次郎(さなだげんじろう)。
 ふたりの振分(ふりわけ)まで自分の肩(かた)に持ってやって、もくもくとあるき、もくもくとあたりの山をながめ、時には立ちどまって、地理山川(さんせん)をふところ紙(がみ)にうつしている。
 さすが後年(こうねん)九度(ど)山(やま)に身をかくしても、隠然(いんぜん)天下におもきをなした大軍師(だいぐんし)幸村(ゆきむら)、わかい時から人の知らない心がけがあった。
 ほどもなく、この人々も、小田原(おだわら)の人数も、甲州本街道(こうしゅうほんかいどう)を迂回(うかい)して、岩殿山(いわどのやま)に武田家滅亡(たけだけめつぼう)のあとをとむらいながら、御岳(みたけ)へ、御岳へ、と近づいていった。
 御岳ののぼり口には、いくつもの小屋や厩(うまや)や湯呑所(ゆのみじょ)などが建(た)っていた。いま山は紅葉(もみじ)のまっさかりで、山腹(さんぷく)山上(さんじょう)、ところどころに鯨幕(くじらまく)やむらさきだんだら染(ぞめ)の陣幕(じんまく)が、樹間(じゅかん)にひらめいて見える。
「伊達家諸士(だてけしょし)控所(ひかえじょ)」
「上杉家諸士(うえすぎけしょし)溜場(たまりば)」
「北条家(ほうじょうけ)休息小屋(きゅうそくごや)」
「徳川家家臣(とくがわけかしん)寄合場(よりあいば)」
 などとその小屋にはいちいち木札(きふだ)がうってあって、各所(かくしょ)ものものしいありさま、すでに明日(あす)とせまってきた大講会広前(だいこうえひろまえ)の試合(しあい)のしたくやなにかに活気(かっき)だっていたが、いま、天下大半(たいはん)のあるじ、豊臣家(とよとみけ)にはなんのしたくもなく、見物(けんぶつ)にまじってぶらりとやってきた三名は、さしずめ、そこらの樹(き)のしたに蓙(ござ)でもしいて一晩(ひとばん)明かすよりほかにしかたがない。

 麓(ふもと)のすこし手まえにある御岳(みたけ)の宿(しゅく)の町中(まちなか)も、あしたから三日にわたる山上(さんじょう)の盛観(せいかん)をみようとする諸国(しょこく)近郷(きんごう)の人々が、おびただしく入(い)りこんできていて、どこの旅籠(はたご)も人であふれ、民家(みんか)の軒(のき)に戸板(といた)をだして、そこに野宿(のじゅく)をする覚悟(かくご)のものが幾組(いくくみ)となく見うけられた。
 カアーン、カアーン
 鉦(かね)をたたきながら、そこを通る地蔵行者(じぞうぎょうじゃ)があった。
 足でもいためているのか、笈(おい)を背負(せお)っているその地蔵行者は右の足でびっこをひいていた。
 すこし歩いては休(やす)み、すこしあるいては休みして、
 カアーン、カアーン……と行乞(ぎょうこつ)の鉦をあわれげにたたく。
「まだおからだがお痛(いと)うございますか」
 こういって、いたいたしげに行者の足をみたのは、道づれになっている女の巡礼(じゅんれい)――坂東(ばんどう)三十三ヵ所(しょ)の札(ふだ)を背(せ)なかにかけた女房(にょうぼう)である。
「いいや、もうたいしたことはございません」
 菊村宮内(きくむらくない)はさびしく笑(わら)って、
「おまえさんこそ、きょうはだいぶ歩きましたから定(さだ)めしつかれたであろうと、さっきから休(やす)み場所(ばしょ)をさがしているが、どうも、たいへんなこんざつで……」
「ご心配(しんぱい)くださいますな、けっして、わたしはなんともありゃしませんで。ハイ、行者(ぎょうじゃ)さまわたしはきのうのことを思いますと世の中には、ありがたいお人もあるものと思わず涙(なみだ)がこぼれてしようがありません」
「なにをいいなさる。あれしきのこと」
「わたしの難儀(なんぎ)の身代(みがわ)りになって、あの人足(にんそく)たちに、打たれるやら、蹴(け)られるやら、それでも、おまえさまは手出(てだ)しもせず、ジッとがまんしていなすったから、とうとう気絶(きぜつ)してしまいなされた」
「それでも、死ななかったのは、お地蔵(じぞう)さまのお加護(かご)です」
「わたしの眼から見ますと、あなたさまのおからだに、あの時、後光(ごこう)がさしていたようでした」
「とんでもない、わたしはくだらない凡人(ぼんじん)ですよ」
 世間(せけん)に鬼(おに)はない。
 いまもふたりが立ち話をしていたごとく、その男女のすがたを見かけると、とある町家(まちや)の軒下(のきした)から、
「もしもし、お地蔵(じぞう)さん、ここへきてやすみなさいよ」
 と、しんせつにいってくれるものがある。
「ありがとうぞんじます」
 ふたりはていねいに腰(こし)をかがめてそこへはいり、笈(おい)をおろして茶(ちゃ)の馳走(ちそう)になった。
 ここにも、明日(あす)の御岳見物(みたけけんぶつ)がどっさり話し合っていた。が、なにかの雑談(ざつだん)の端(はし)から、身の上をきかれて、女巡礼(おんなじゅんれい)は涙(なみだ)をうかべながらうつ向いてしまった。
 菊村宮内(きくむらくない)は、きのうはからず阿弥陀街道(あみだかいどう)の茶店(ちゃみせ)で、この女房(にょうぼう)がわるい街道人足(かいどうにんそく)に迫害(はくがい)されているのをみかけて助けたことから、ここへくるまでのみちみちに、その身の上を聞いたので、
「わたしが代(かわ)って――と申しては、まことにさしでがましいようでござるが、なるべく多くの人さまに、聞いていただいたほうが、この方(かた)のため、ぞんじているだけをお話しいたしますが」
 と、人なかでは、口のきけない巡礼の女房にかわって、
「じつはこの女(ひと)は、甲州(こうしゅう)の水晶掘(すいしょうほ)りの女房で、お時(とき)といいますが、わけがあって自分のひとりの児(こ)をたずねあるいておるんです」
「へえ、子供をね……ふうむ……それやかわいそうなこった」
「どこかに、生きていれば十四、五になる男の児、おさない時に、伊勢参(いせまい)りのとちゅうではぐれたままなので、なんの証拠(しょうこ)もなさそうですが、たッた一つ……」
「ふム、ふム」
 と、一同の目は、お時(とき)と宮内(くない)にあつまった。
「――たッた一つある手がかりは、その児(こ)の背(せ)なかに、お諏訪(すわ)さまの禁厭(まじない)というてすえた、大きな虫の灸(きゅう)のあとがあることだけです」
「なるほど、背(せ)なかにお諏訪(すわ)さまの灸のあとがあれば、なんとか、いまに見つかるでしょう、あの灸点(きゅうてん)は甲府(こうふ)の近郷(きんごう)でやっているほか、あまり他(ほか)の国にはあんな大きな灸(きゅう)は見ないからの」
「まア、力をおとしなさんな」
「坂東(ばんどう)三十三ヵ所(しょ)の功力(くりき)でも、いまにきっと見つかりますよ」
 と、郷土(ごうど)の人たちのことばは温(あたた)かく、わずかな金(かね)をさいて合力(ごうりき)したり、握(にぎ)り飯(めし)をとって茶(ちゃ)をついでくれたりして、なぐさめてくれているうちに、いつか話がそれて、だれも気がつかないすきまだった。
 宮内(くない)にもだまって、巡礼(じゅんれい)のお時は、そこの軒下(のきした)から走りだしていた。
 そして、さきへひとごみを追(お)いながら、せまい宿場(しゅくば)の人ごみを縫(ぬ)ってゆく。
「あの子じゃないかしら?」
 と、お時は、さきへゆくひとりの少年をつけてゆくのだった。
 いつも、それではあとでがっかりするが、ちょうど思うころの年ごろの少年を見ると、お時は、どうしても、あとを追わずにはいられない。
「あの子かしら?」
 と思うと、その顔も、死んだおやじに似(に)ているように見えてくるし、いまにもニッコリふりかえって、
「あッ! おッ母(か)さん!」
 と飛びついてきやしまいかと思われるのだった。
「ああ、足が早い、足が早い、まあなんて足が早い子なんだろう。ちょっと、こっちをふり向いて、わたしに横顔(よこがお)でも見せてくれればいいのに」
 捨(す)ててきた宮内(くない)が心配(しんぱい)していることも、いまはすっかり忘(わす)れてしまった。
 ――とも知らずに、さきへゆくのは十五、六のなりの大きな腕白小僧(わんぱくこぞう)。
 ピキ、ピッピキ、トッピキピー
 木(こ)の葉(は)笛(ぶえ)をくちびるに当(あ)てて、しきりと奇妙(きみょう)きてれつなちょうしで大人(おとな)をおどかしてゆく。
 どこかへ買物(かいもの)にいってきたものとみえて、片(かた)ッぽの手にふろしきをさげている。そのふろしきがほとんど手にあるのを忘れて、
 ピキ、ピッピキ、トッピキピー
 木の葉笛で元気がいい。
「ああ、あれが自分の子だったら、どんなだろう」
 お時(とき)も夢中(むちゅう)で追(お)いかけた。
 そして、女の足では苦(くる)しいほどいそいで、やっとうしろから追いつきかけたお時(とき)は、横へまわるように馳(か)けぬけて、その少年の横顔(よこがお)をのぞきこんだ。
 ――見ればあまりいい顔だちではない。すこしばかり青い鼻汁(はなじる)をたらしかけている。けれど、お時の目には、やっぱり死んだおやじに似(に)ていた。
 なんとかして、話しかけてみたい。
 こんどはその気持につりこまれて、また見えがくれにつけていった。
「ちぇッ、ずいぶんありゃアがるな、宿(しゅく)から麓(ふもと)までは」
 四ツ辻(つじ)でそういって、木(こ)の葉(は)笛(ぶえ)ですこしかッたるくなった歯(は)ぐきを、頬(ほお)の上からもんでいるところを見ると、それは鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)のお供(とも)でこの御岳(みたけ)へきて、ゆうべから麓(ふもと)の小屋に泊(と)まっている泣き虫蛾次郎(がじろう)。
「そうだ……」
 なにがそうなのか、ひとりでコックリして、
「バカバカしいや、いまから帰ったって、また蛾次郎足をもめの腰(こし)をさすれのと、師匠(ししょう)にスリコ木(ぎ)みたいにこき使われちゃまいってしまう。どこかですこし、うまい道草はねえかしらなあ」
 ピキピッピッキ、トッピッピである。
 そこで蛾次郎は四ツ辻をうろうろまわって、なにか見世物小屋(みせものごや)でもないかと、月(つき)ノ宮(みや)神社(じんじゃ)の境内(けいだい)へはいろうとした。
 ――と蛾次郎(がじろう)、ぎょろりと目をすえて、
「いけねえ、またへんなところでぶつかってしまったぞ」
 急(きゅう)に尻尾(しっぽ)を巻(ま)いたようすで、あとへもどると、とつぜん馳(か)け足になってどこかへ姿(すがた)をかくしてしまった。
「おやッ、あの子は」
 と、お時(とき)は手のうちの玉(たま)をとられたように、あッけにとられて失望(しつぼう)したが、その目のまえに、すぐと、また同じような少年がひとり、月(つき)ノ宮(みや)の境内(けいだい)から勢(いきお)いよくかけだしてきて、
「――蛾次だ!」
 と、石の狛犬(こまいぬ)のそばに立って、背(せ)のびをしながら、逃(に)げたもののうしろ姿を見おくっているようす。
 すがたも似(に)ている、年かっこうもたいして違(ちが)うまい、ただ蛾次郎よりは少し背(せ)がひくく眼(まな)ざしや口(くち)もとに凜(りん)としたところがある。
 それもお時にははじめてみる少年――かの鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)だった。
 だが、子をたずね迷(まよ)うお時の目には、ものかげからジイッと飽(あ)かずに見ていると、ああ煩悩(ぼんのう)は実(げ)にもふしぎ、この少年こそ、あるいは自分の子ではないか、あのお諏訪(すわ)さまの灸(きゅう)のあとが背(せ)なかにあるのではあるまいかと、迷(まよ)えばまようほど思われてくるのであった。

 勢(いきお)いよく、月ノ宮の境内(けいだい)からかけだしてきた竹童(ちくどう)は、自分と入(い)れかわりに、そこをすッ飛ぶように逃(に)げだしていったうしろ姿(すがた)へ、
「やッ、あいつめ!」
 石の狛犬(こまいぬ)に手をかけて伸(の)びあがりながら――。
「蛾次(がじ)だ、蛾次公(こう)だ」
 と、棗(なつめ)のような目をクルッとさせて、いつまでもそこに見おくっていた。
 そして、かれの姿が、犬ころのように、宿場(しゅくば)のはてへ見えなくなると、竹童はもうそれを放念(ほうねん)したごとく、
「はてな、伊那丸(いなまる)さまやほかのかたがた……もうお見えになりそうなものだが」
 と、つぶやいて、べつな方角(ほうがく)へさまよわせた眸(ひとみ)を、ふと、狛犬のうしろにむけた。
 と――そのかげに見なれない巡礼(じゅんれい)すがたのおばさんがボンヤリと立っていて、自分のほうを穴(あな)のあくほど見つめていたので、竹童はボッと顔をあかく染(そ)め、あわてて眸をひッこめたが、お時(とき)のほうはものいいたげな微笑(びしょう)を送(おく)りながら、
「坊(ぼう)、おまえは、いくつだネ?」
 と、そばへ寄(よ)ってきた。
 竹童はきまりが悪そうに、もじもじとあとへ足を引っこめた。見たこともない坂東(ばんどうめぐ)巡りの巡礼女(じゅんれいおんな)が、いきなり年をきいたりジロジロと顔ばかり見つめてくるのが、なんとなくうす気味(きみ)のわるいようでもあった。
「いくツ? おめえは今年いくつになったえ?」
「…………」
「家(うち)はどこ?」
「…………」
「この御岳(みたけ)のまわりかい、それとも、もっと遠(とお)い在郷(ざいごう)かね?」
「…………」
 竹童は小指(こゆび)の爪(つめ)をかんでいる。
 だれにでも、打てばひびく調子(ちょうし)で、鮮明率直(せんめいそっちょく)なことばのでるかれも、そのやさしい問いには一句(く)も返辞(へんじ)ができないで、ただふしぎな巡礼のおばさんよと、あいての身なりをながめ入(い)るのみだった。
 子をたずねる愛執(あいしゅう)の闇(やみ)、生みのわが子をさがしあるく母性(ぼせい)のまよいに、ふしぎな錯覚(さっかく)を起しているお時(とき)は、相手のはにかみにも気がつかず、ただ(もしやこの子が)と思う一途(いちず)に、
「じゃあおめえは、両親(ふたおや)を持っているかね。――ほんとの父(とっ)つァんを知ってるけえ? おめえを生んだおッ母(か)さんはどこにいる?」
 絶(た)えて忘れていた一つのさびしさが、そのだしぬけなお時(とき)のことばに、ハッと、竹童(ちくどう)の胸(むね)をうってきた。

ほろほろと
啼(な)くやまどりの声きけば
父かとぞおもう
母かとぞおもう

 竹童はだれかに聞いたこの歌一つをおぼえていて、父を思うとき、母をおもうとき、寝床(ねどこ)のなかや森(もり)のかげでひとりこの歌をくり返(かえ)しくり返ししていると、いつもひとりでに涙(なみだ)がでてきた。
 かれは、生まれながらにして、父母(ちちはは)を知らない。
 もの心ついたころから、鞍馬(くらま)の奥(おく)の僧正谷(そうじょうがたに)で果心居士(かしんこじ)にそだてられ、友とするものは猿(さる)や鹿(しか)やむささびや怪鳥(けちょう)のたぐい、師(し)とあおぐ人も果心居士、父とうやまう人も居士、母とあまえる人も居士であった。
「おいらは、木の股(また)から生まれたんだ」
 ついこの間(あいだ)うちまで、かれはこう信じていた。
 しかし、やがて僧正谷(そうじょうがたに)から実世間(じつせけん)のなかへもまれだしてみて、はじめて、人間には両親(ふたおや)のあることを知った。
 父は六臂(ぴ)三面(めん)の神よりも力づよき柱(はしら)――、母は情体愛語(じょうたいあいご)の女菩薩(にょぼさつ)よりもやさしい守(まも)り――その二つのものが人間には橋(はし)の下に生まれる子にもあるのを知った。
「だのに、なぜおいらには、それがないのかしら?」
 この疑問(ぎもん)がすすんで、竹童(ちくどう)もいつのころからか、じぶんの父は何人(なんぴと)か、自分の母はたれなのかと、人知れずしきりに思うようになっていた。

「それにおるのは竹童ではないか。竹童、竹童!」
 不意(ふい)に、かれの幻想(げんそう)とうつつな耳をさます声があった。
 お時(とき)に親を問(と)われて、夢(ゆめ)でもみるように、なにかボウと考えこみ、石の狛犬(こまいぬ)とならんで指(ゆび)の爪(つめ)をかんでいた竹童は、近よる足音にハッとして目をそらした。
 ――と、かれの顔いッぱいに、意外(いがい)なよろこびにぶつかッた表情(ひょうじょう)が笑(わら)いかがやいて、
「オオ、民部(みんぶ)さま! や、伊那丸(いなまる)さまも」
 と、手をあげて迎(むか)える。
 森の小道でも抜(ぬ)けてきたか、とつぜんそこへ姿(すがた)をみせた人々は、民部(みんぶ)をさきに、伊那丸(いなまる)をなかに、うしろに山県蔦之助(やまがたつたのすけ)と加賀見忍剣(かがみにんけん)のふたりをしたがえた旅装(たびよそお)いの一行(こう)四名。
「竹童、よく達者(たっしゃ)でいたな」
 と、蔦之助が手をにぎる。
 忍剣も肩(かた)へ手をのせて、
「小太郎山(こたろうざん)の変(へん)いらい、そちの消息(しょうそく)がたえていたので、若君(わかぎみ)をはじめ一党(とう)の人たちが、どれほど、しんぱいしていたかわからぬ」
「あの、砦(とりで)の留守番役(るすばんやく)を仰(おお)せつかって、みなさまの帰らないうちに、あんなことになったもんですから……」
「もうそのことはいうな。おわびはわれわれからすんでおる。しかし、きさまどうしてこんなところにボンヤリと立っていたのだ」
「明日(あした)はいよいよ御岳(みたけ)の大講会(だいこうえ)、その前日(ぜんじつ)には月(つき)ノ宮(みや)の森で、みなさまが落ち合うことになっているおやくそくだったそうですから、それで待ちどおしくッて、さっきからここに立っていたんです」
「ふム、きょうのやくそくをぞんじておるならば、龍太郎(りゅうたろう)、小文治(こぶんじ)のふたりと一しょになっていたのか」
「はい、おふたりは先について、森の垢離堂(こりどう)でお待ちです」
「そうか。ではすぐにそこへまいろうではないか」
 と、伊那丸(いなまる)が藺笠(いがさ)の前をさしうつ向けてさきに立つ。
 それにつづいて、忍剣(にんけん)、民部(みんぶ)、蔦之助(つたのすけ)の三人が久(ひさ)しぶりで邂逅(かいこう)した竹童(ちくどう)をなかに、みなが弟のごとく取りかこんで、親(した)しげな話をかわしながら、月(つき)ノ宮(みや)の境内(けいだい)ふかくしずしずとあゆみ去(さ)ってゆく。
 あとには、ホウ、ホウ、と山鳩(やまばと)の啼(な)くのがさびしげに……
 そして、ひとりぼッち、あとに取りのこされた巡礼(じゅんれい)のお時(とき)は、孤寂(こじゃく)なかげをションボリたたずませて、去(さ)る者のうしろ姿(すがた)をのびあがりながら、
「アア……あの子もちがっていたのかしら?」
 とつぶやいて、どこかに聞えるあわれっぽい鳩笛(はとぶえ)の音(ね)に、なんとはなく涙(なみだ)をさそわれて、垢(あか)じみた旅衣(たびごろも)の袖(そで)に、思わずホロホロと涙をこぼした。
「おう、そこにいましたね、お時(とき)さん。いや、息(いき)がきれた息がきれた。不意(ふい)に人をうっちゃってこんなところへきてしまうのはひどいじゃないか、いくらあとから呼(よ)び返(かえ)してもふり向きもしないで」
 と、そこへ追(お)いついてきたのは、あの慈顔(じがん)に笑(え)みをうかべた地蔵行者(じぞうぎょうじゃ)の菊村宮内(きくむらくない)。
「ああ、宮内さま」
「おや、泣(な)いていましたな」
「まだ目のさきにチラチラする。ほんとに瓜(うり)二つじゃ、あんなよう似(に)た子供が、どうしてわしの子でないのかしら」
「いやいや、おさな顔はかわるもの、似たというものはあてになりません」
「でも、なんだか、あのふたりのどッちかは、わしの子にちがいないような気がしてなんねえのでがす」
「じゃ、おまえさんの尋(たず)ねる手がかり、あのお諏訪(すわ)さまの禁厭灸(まじないきゅう)が、その子の背(せ)なかにあるのでも見たのですか」
「いいえ、そら、どうやらとんと知らんけれど……」
「では――迷(まよ)いでしょう。おそらくそれは親心(おやごころ)の煩悩(ぼんのう)でしょう。――迷いの霧(きり)をへだてて見れば、枯(か)れ木も花と見え、縁(えん)なき他人(ひと)さまの子供でも、自分の子かと見えてくるのが、人情(にんじょう)のとうぜん。――まあまあ、そう気が短(みじ)こうては、自身のからだをやつれさすばかり、それでは永(なが)い年月(としつき)に、わが子をさがそうという巡礼(じゅんれい)の旅(たび)がつづきません。ただひたすら、めぐりあう日は神仏(しんぶつ)のお胸(むね)にまかせて、坂東(ばんどう)三十三ヵ所(しょ)のみ霊(たま)に祈(いの)りをおかけなさい。……わたしも幸(さいわ)い、地蔵愛(じぞうあい)の遍歴者(へんれきしゃ)、およばぬながらも同行(どうぎょう)になって、ともどもさがして進(しん)ぜましょうから」
 と、宮内(くない)はお時(とき)をなぐさめた。
 そしてふたりは、月ノ宮の御籠堂(おこもりどう)に笈(おい)をおろしたが、古莚(ふるむしろ)につめたい夢(ゆめ)のむすばれぬまま、啼(な)くこおろぎとともに夜(よ)もすがら詠歌(えいか)をささげて、秋の長夜(ながよ)を明かしていた。

 塩市(しおいち)と馬市(うまいち)と盆(ぼん)の草市(くさいち)が一しょくたにやってきたように、夜になると、御岳(みたけ)ふもとの宿(しゅく)は提灯(ちょうちん)の鈴(すず)なり、なにがなにやら、くろい人の雑沓(ざっとう)とまッ赤(か)な灯(ひ)であった。
 諸国(しょこく)諸道(しょどう)からここに雲集(うんしゅう)した人々は、あすの日を待ちかまえて、空を気にしたり、足ごしらえの用意(ようい)をしたり、またはその日の予想(よそう)や往年(おうねん)の思い出ばなしなどで、どこの宿屋(やどや)もすしづめのさわぎ。
「よウ、京都の葵祭(あおいまつり)にも人出(ひとで)はあるが、この甲斐(かい)の山奥(やまおく)へ、こんなに人間が集(あつ)まってくるたあ豪勢(ごうせい)なもンだなあ……」
 と、その町なかの一軒(けん)の旗亭(きてい)の二階(かい)で、窓(まど)から首をだして、のんきに下をながめている男が感心していた。
 なるほど、往来(おうらい)をみていると、宿(やど)をとれずにかけあっている田舎武士(いなかざむらい)や、酒気(しゅき)をおびている町人(ちょうにん)や、連(つ)れをよんでいる百姓(ひゃくしょう)や、えッさえッさと早駕(はやかご)で、おくればせに遠地(えんち)から馳(か)けつけてくる試合(しあい)の参加者(さんかしゃ)。
 そうかと思うと、鮨売(すしう)りの声やもろこし団子(だんご)や味噌田楽(みそでんがく)の食(く)い物屋、悠長(ゆうちょう)に尺八(しゃくはち)をながしてあるく虚無僧(こむそう)があるかと思えば、鄙(ひな)びた楽器(がっき)をかき鳴らしてゆく旅芸人(たびげいにん)の笠(かさ)のむれ――。
 なかでも一ばん売れているのは四ツ辻(つじ)の松明売(たいまつう)りだ。
「夜があけてから山をのぼってゆくようじゃ、とてもいい場所(ばしょ)で見物(けんぶつ)はできないぞ」
 というので、気のはやい連中(れんじゅう)が十七文(もん)の松明(たいまつ)をふりたて、その晩(ばん)のうちからドンドンドンドン御岳(みたけ)の山へかかってゆく。
 それが麓(ふもと)から見ると、狐火(きつねび)のように美しい。
「ウーム、どうでい、ありゃあ。まるで大文字山(だいもんじやま)の火祭(ひまつり)のようだな」
 この男、京都にいたことがあるとみえて、旗亭(きてい)の二階(かい)から首をだして、そのながめを大文字山の火祭に見立(みた)てた。
 だれかと思うと、早足(はやあし)の燕作(えんさく)だ。
 と――燕作、
「おッ、連中がやってきた」
 と、そこから店の軒下(のきした)をのぞいて、あわてて首を引っこめたが、次(つぎ)の部屋(へや)へヒョイときて、
「お頭(かしら)。きましたぜ、おそろいで」
「ウム」
 と、うなずいたのは和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)である。
 蚕婆(かいこばばあ)と丹羽昌仙(にわしょうせん)のふたりを相手に、さいぜんから酒(さけ)を飲みながら、だれかのくるのを待ちあわせていたらしい。
「一同、ご微行(びこう)だろうな」
「へい、ぞろぞろと編笠(あみがさ)が七ツばかり、いま、階下(した)の門口(かどぐち)へはいってきました」
「じゃあ、お迎(むか)えに」
 と目くばせすると、丹羽昌仙(にわしょうせん)が立ちあがって階下(した)へ降(お)りてゆく。
 間(ま)もなくそこへあがってきたのは、隠密組(おんみつぐみ)の菊池半助(きくちはんすけ)、おなじ組下(くみした)の綿貫三八(わたぬきさんぱち)、それに今度の兵学大講会(へいがくだいこうえ)に試合目付(しあいめつけ)として働いている大久保長安(おおくぼながやす)の家臣(かしん)が四、五人――ただし、そのなかには客分格(きゃくぶんかく)の鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)がまじっていて、そのまたうしろには泣き虫の蛾次郎(がじろう)、鼻をふいてひかえていた。
 そこでゾロリと車座(くるまざ)になった。
 ここに首を寄(よ)せあつめたものは、みな徳川家(とくがわけ)の息(いき)がかかっている者ばかり。なにかしらないが、話はあしたの相談(そうだん)とみえて、一間(ひとま)をピッタリ閉(し)めきった。
「およそ、明日(あす)の試合順(しあいじゅん)はきまりましたかな」
 と、呂宋兵衛(るそんべえ)がしきりに気にかけている。
 かれはこんどの大講会で、南蛮流幻術(なんばんりゅうげんじゅつ)の秘法(ひほう)をもって、日本伝来(にほんでんらい)の道士(どうし)がやる法術(ほうじゅつ)の幼稚拙劣(ようちせつれつ)なことを公衆(こうしゅう)にしめしてやると、浜松(はままつ)を立ってくるとき、家康(いえやす)のまえで豪語(ごうご)してきた。
 首尾(しゅび)よくゆけば、この機会(きかい)に大禄(たいろく)で家康にめしかかえられそうだし、まずくゆくと、またぞろ、態(てい)よく追(お)いはらわれて、もとの野衾(のぶすま)に立ちかえらなければならない。
 で、非常な緊張(きんちょう)ぶりだ。
 それにつれて芋蔓(いもづる)の出世(しゅっせ)をゆめみている丹羽昌仙(にわしょうせん)も、吹針(ふきばり)の蚕婆(かいこばばあ)も、はれの御岳(みたけ)でそれぞれ武名(ぶめい)をあげる算段(さんだん)、今から用意(ようい)おさおさおこたりないところである。
「いや、試合順(しあいじゅん)はきまりませぬ。御岳(みたけ)の兵法大講会(へいほうだいこうえ)の主旨(しゅし)は、世にかくれたる人材(じんざい)をひろいだすのが目的(もくてき)でもござれば」
 と、大久保家(おおくぼけ)の家臣(かしん)が釈明(しゃくめい)した。
 丹羽昌仙がつぎに小声(こごえ)で、
「なるほど、では当日(とうじつ)には、だいぶ飛(と)び入(い)りもございますな」
「ただいまのところ、表向(おもてむ)き大講会奉行所(だいこうえぶぎょうしょ)まで参加(さんか)を申しだしてあるものはこれだけであるが、当日(とうじつ)にいたって、かくれた麒麟(きりん)、蛟龍(こうりゅう)のたぐいが、ぞくぞくとあらわれる見こみです」
 と、席(せき)の中央(ちゅうおう)へ、多くの兵学者(へいがくしゃ)や武芸者(ぶげいしゃ)の名をしるした着到帳(ちゃくとうちょう)をくりひろげた。
「ふウむ……」
 と、呂宋兵衛(るそんべえ)をはじめ、卜斎(ぼくさい)、半助(はんすけ)、一同の首がそれに伸(の)びて順々(じゅんじゅん)にひろい読みしてゆくと、自署(じしょ)された有名(ゆうめい)無名(むめい)のうちに、ちょッと目につくものだけでも大へんなもの。
 まず軍学部(ぐんがくぶ)では――

氏隆流(うじたかりゅう)  岡本鴻雲斎(おかもとこううんさい)(浪人(ろうにん))
謙信(けんしん)三徳(とく)流(りゅう)  大道寺友仙(だいどうじゆうせん)(上杉家(うえすぎけ))
早雲流相伝(そううんりゅうそうでん)  沢崎主水(さわざきもんど)(北条家(ほうじょうけ))
楠流後学(くすのきりゅうこうがく)  三木道八(みきどうはち)(浪人(ろうにん))
孔明流(こうめいりゅう)  真田源次郎(さなだげんじろう)(豊臣家(とよとみけ))

 そのほか異流(いりゅう)もさまざまに署名(しょめい)があったが、ひとり甲州流(こうしゅうりゅう)を標榜(ひょうぼう)する軍学者(ぐんがくしゃ)だけが見あたらない。
 これは武田家(たけだけ)の滅亡(めつぼう)をまのあたりに見ているので、その亜流(ありゅう)をきらった人気(にんき)のあらわれともみられる。
 つぎに、剣道部(けんどうぶ)の着到順(ちゃくとうじゅん)は、

一羽(う)流(りゅう)  諸岡一羽(もろおかいちう)(浪人(ろうにん))
愛洲陰流(あいずかげりゅう)  疋田浮月斎(ひきだふげつさい)(虚無僧(こむそう))
吉岡流(よしおかりゅう)  祇園藤次(ぎおんとうじ)(京都町人(きょうとちょうにん))
一刀(とう)流(りゅう)  慈音(じおん)(鎌倉地福寺学僧(かまくらじふくじがくそう))
心貫流(しんかんりゅう)  丸目文之進(まるめぶんのしん)(伊達家(だてけ))

 などで、ちょっと端(はし)からみてもその階級(かいきゅう)さまざまで人数ももっとも多いけれど、射術(しゃじゅつ)、馬術(ばじゅつ)の方になると、およそ世上(せじょう)に定評(ていひょう)のある一流(りゅう)の人やその門下(もんか)の名が多い。
 しかし築城家(ちくじょうか)のほうはどうだろうと、鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)はそこに目をすいつけ、呂宋兵衛(るそんべえ)は法術部(ほうじゅつぶ)を気にし、菊池半助(きくちはんすけ)がそれと同じように忍法部(にんぽうぶ)の試合相手(しあいあいて)の名をながめているのは、とうぜんな人情(にんじょう)だった。
 その忍法部に署名(しょめい)されているものは――

百地流(ももちりゅう)  霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)(浪人(ろうにん))
魔風流(まかぜりゅう)  魔風来太郎(まかぜらいたろう)(伊賀郷士(いがごうし))
同流(どうりゅう)  永井源五郎(ながいげんごろう)(浪人)
愛洲移香流(あいずいこうりゅう)  天狗太郎(てんぐたろう)(浪人)
戸沢流(とざわりゅう)  猿飛佐助(さるとびさすけ)(浪人)
甲賀流(こうがりゅう)  虎若丸(とらわかまる)(甲賀郷士(こうがごうし))

 などという人々で、その名を見るからに菊池半助のこんどの試合(しあい)はすこぶる苦境(くきょう)にあるらしく、
「ウーム、猿飛もきているか……」
 と、うめくようにいって顎(あご)をおさえたままかがんでいる。
 では、築城術(ちくじょうじゅつ)の論議試合(ろんぎじあい)と目(もく)されている方などは、その人がすくないかと思うと、これにも相当(そうとう)きこえた人物の名が見えるのはさすがに戦国の学風によるものか、

天鼓流(てんこりゅう)  村上賛之丞(むらかみさんのじょう)(越後領(えちごりょう))
八車(しゃ)流(りゅう)  牧野雷堂(まきのらいどう)(四国(こく)領(りょう))
月花流(げっかりゅう)  柳川佐太夫(やながわさだゆう)(熊本領(くまもとりょう))

 もっともこのうちには、城(しろ)の工匠(こうしょう)か、地水縄取(ちすいなわど)りの専門家(せんもんか)とかがまじっているが、上部八風斎(かんべはっぷうさい)の鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)にしても、この人々と築城論試合(ちくじょうろんじあい)をして勝抜(かちぬ)きにいいやぶることは、なかなか楽とは思われない。
 ただ、さすがに人のないのは、法術師(ほうじゅつし)幻術家(げんじゅつか)の部(ぶ)で、ここにはたッたひとりの名がぽつんと記(しる)されてあるばかりで、しかもその名が聞いたこともない。

役小角後学(えんのしょうかくこうがく)  烏龍道人(うりゅうどうにん)(信州(しんしゅう)黒姫(くろひめ))

 という人物。
 こんな者は試合(しあい)にもおよばず、南蛮流幻術(なんばんりゅうげんじゅつ)の息(いき)一つで吹(ふ)きとばしてもすむことと、呂宋兵衛(るそんべえ)はすっかり安心してしまった。
 けれど大講会当日(だいこうえとうじつ)の試合(しあい)はこれだけではない。まだ火術(かじゅつ)、小具足術(こぐそくじゅつ)、槍(やり)、薙刀(なぎなた)、鎖(くさり)、手裏剣(しゅりけん)、棒(ぼう)、武技(ぶぎ)という武技、術(じゅつ)という術(じゅつ)、あらゆるものがふくまれているのだから、はたして、たった三日のあいだに、それだけの試合(しあい)ができるかどうかもうたがわしい。
 晴(は)れのあしたを前にして、なにを密議(みつぎ)するのか、その晩(ばん)、徳川(とくがわ)ばたけの者ばかりが、首を集(あつ)めておそくまで声をひそめていた。
 そしてついに、その日はきたのである。
 暁雲(ぎょううん)をやぶる明けがたの一番太鼓(だいこ)。
 御岳(みたけ)のいただきからとうとうとながれてきた――。

 雲表(うんぴょう)をぬいて南に見えるのは富士(ふじ)である。
 甲斐(かい)の連山(れんざん)や秩父(ちちぶ)の峻峰(しゅんぽう)も、みなこの晴れの日を審議(しんぎ)するもののように御岳のまわりをめぐっていた。
 頂上(ちょうじょう)には蔵王大権現(ざおうだいごんげん)のみ社(やしろ)。
 遠いむかし――武神(ぶしん)日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征(とうせい)のお帰りに、地鎮(じちん)として鉄甲(てっこう)を埋(い)けておかれたというその神地(しんち)は、いま、燃(も)えんばかりな紅葉(もみじ)のまッさかりだ。
 それを正面のたかき石段(いしだん)にあおいで、ひろい平地(へいち)の周囲(しゅうい)も、またそれからながめおろされる渓谷(けいこく)も、四顧(こ)の山も沢(さわ)も万樹(ばんじゅ)鮮紅(せんこう)に染(そ)められて、晩秋(ばんしゅう)の大気(たいき)はすみきッている。
 と――。
 頂上の神前(しんぜん)で二ばん太鼓が鳴った。
 さわやかな秋風が、一陣、まッさかさまに吹(ふ)いて、地上の紅葉(もみじ)を天空(てんくう)へさらってゆく。
 広前(ひろまえ)にはりめぐらした鯨幕(くじらまく)、また別(わか)れわかれに陣(じん)どった諸家(しょけ)の定紋幕(じょうもんまく)が波(なみ)のようにハタハタと風をうつ。
 大講会(だいこうえ)第一日の朝――。
 群集(ぐんしゅう)はこのさわやかな試合場(しあいじょう)の周囲(しゅうい)に、木(こ)の葉(は)のようにしずまっていた。三番(ばん)太鼓(だいこ)を待っていた。
 そのなかに伊那丸(いなまる)のすがたが見える。
 そばには帷幕(いばく)の人、小幡民部(こばたみんぶ)、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)、巽小文治(たつみこぶんじ)、加賀見忍剣(かがみにんけん)、鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)みな一ツところにならんでいた。
 ただ咲耶子(さくやこ)のすがたが見えない。
 源氏閣(げんじかく)のうえから大鷲(おおわし)の羽風(はかぜ)とともに姿(すがた)をかくした咲耶子はどうしたろうか?
 それはきょうまでの日に、竹童、龍太郎、小文治の三人が八方くまなくそうさくしてみたけれど、その消息(しょうそく)が得(え)られなかったので、やむをえず伊那丸(いなまる)とのやくそくもあるので、いちじ断念(だんねん)して、参会(さんかい)したのであった。
「まだ大講会は開かれませんか」
 小文治が民部にはなしかける。
「三番太鼓がなるのを合図(あいず)として、あの祭壇(さいだん)で御岳(みたけ)の神官(しんかん)とあまたの御岳行者(みたけぎょうじゃ)が式(しき)をやる。そして、黄母衣(きほろ)、赤母衣(あかほろ)、白母衣(しろほろ)の三騎(き)が試合場(しあいじょう)を一巡(じゅん)し、大講会(だいこうえ)第一番の試合番組(しあいばんぐみ)をふれてくると間(ま)もなく貝(かい)あいずと同時に、あの祭壇(さいだん)の下にある大講会のむしろへ論客(ろんかく)があがって、築城論議(ちくじょうろんぎ)をやることと思われる」
「ほウ、では、最初は築城試合(ちくじょうじあい)でございますかな」
「昨年はそうであったとうけたまわる」
「陣法(じんぽう)勝負などの場合(ばあい)は、やはり、論議だけでございましょうか」
「足軽(あしがる)何百人ずつを借用(しゃくよう)して、じっさいの陣(じん)あらそいになる場合もある」
「壮観(そうかん)でござりましょうな」
 と、小文治はわかわかしい目をした。
 伊那丸(いなまる)はふたりの話を小耳(こみみ)にはさんで、
「わしのおさないころは、なおさかんなものであった」
 と、とおい思い出を呼(よ)ぶ。
「さようでござりましょうとも、信玄公(しんげんこう)ご在世(ざいせい)のころからくらべれば比較(ひかく)にならないと、町人(ちょうにん)たちもささやいております」
 忍剣(にんけん)も恵林寺(えりんじ)にいたころ、一年(ひととせ)、その盛時(せいじ)を見たことがあるので追憶(ついおく)がふかい。
「おもえばむねんしごくな!」
 とつぜん、龍太郎(りゅうたろう)がこうふんした口調(くちょう)で、
「お家(いえ)の行事(ぎょうじ)もいまは徳川(とくがわ)に奉行(ぶぎょう)されて、御岳(みたけ)の神前(しんぜん)に武田菱(たけだびし)の幕(まく)一はり見えませぬ」
 と、つよくいった。
「しかし、かりにお家(いえ)のかたちは滅尽(めつじん)するとも、ここに武田(たけだ)の人あることを知らせてくれたい」
 と蔦之助(つたのすけ)もそれに応(おう)じる。
 忍剣(にんけん)は伊那丸(いなまる)の前へズッとよって、なにかうごかぬ決意(けつい)をしながら、
「若君(わかぎみ)、昨夜もお願いいたしたとおり、兵法大講会(へいほうだいこうえ)は故信玄公(こしんげんこう)が甲斐(かい)の武風(ぶふう)をあくまで天下にしめされた行事(ぎょうじ)、われわれが生涯(しょうがい)の思い出ともいたしとう存(ぞん)じますゆえ、なにとぞ大講会参加(さんか)の一闘士(とうし)として飛びいりおゆるしくださいますよう」
 と、熱願(ねつがん)した。
 それは一同の希望(きぼう)で、ゆうべも月ノ宮の垢離堂(こりどう)で、血気(けっき)の面々(めんめん)がみな口をそろえていうには、自分たちも闘士として出場(しゅつじょう)し、この秋の徳川家司宰(とくがわけしさい)のもとにおこなわれる大講会をして木(こ)ッ葉(ぱ)微塵(みじん)にしてやろうではないか――という意気(いき)があがった。
「痛快(つうかい)だ!」
「武田家の大行事(だいぎょうじ)を徳川家に踏襲(とうしゅう)されるよりは、この秋かぎり根絶(こんぜつ)させろ」
「それこそわれわれの願うところ、ぜひとも試合(しあい)にでる」
「武(ぶ)をもって横行(おうこう)するやからの顔色(がんしょく)をなくしてやろうぞ」
「武田は亡(ほろ)びても人ほろびずと、天下に名のりをあげることにもなる」
 と、やむにやまれぬ鉄血(てっけつ)の士(し)が、膝(ひざ)をまげて伊那丸にすがる。
 だが伊那丸(いなまる)は――ゆうべもいまも、
「ゆるす!」
 という一言(ひとこと)を、かれらの熱望(ねつぼう)にたいしてよういにあたえないで、
「……だが、冷静(れいせい)にこうしてながめているのもおもしろかろう」
 と、微笑(びしょう)しているばかり。
 柳(やなぎ)に風である。
 君(きみ)ながらお憎(にく)い態度(たいど)! とひそかに思いうらまれる。
 また、小幡民部(こばたみんぶ)もあまり興味をもたない顔つきで、とりなしてくれるようすがない、それが他(ほか)の者をしていっそうジリジリさせた。
 腕(うで)鳴(な)り肉(にく)うずく思いをのむとはこれだろう。
 龍太郎(りゅうたろう)しかり、小文治(こぶんじ)しかり、蔦之助(つたのすけ)も忍剣(にんけん)も、髀肉(ひにく)の嘆(たん)をもらしながら、四本の鎖(くさり)でとめられた四疋(ひき)の豹(ひょう)のような眼光(がんこう)をそろえて両肱(りょうひじ)を張(は)っている。
 いきなり鳴った! その時である。
 ドウ――、ドウーン……
 耳をうつ、天空(てんくう)のこえ。
 これ、待ちに待った三番(ばん)太鼓(だいこ)と知られたから、御岳広前(みたけひろまえ)の紅葉(こうよう)のあいだにまッ黒にうずくまっている数万の群集(ぐんしゅう)が一どきに、ワーッと声をあわせたが、さすが霊山(れいざん)の神前(しんぜん)、ことに厳粛(げんしゅく)きわまる武神(ぶしん)武人(ぶじん)の大行事(だいぎょうじ)、おのずから人の襟(えり)をたださしめて、一しゅんののちは、まるで山雨(さんう)一過(か)して万樹(ばんじゅ)のいろの改(あらた)まったように、シーンと鳴りしずまったまま、その空気だけが冴(さ)えかえってきた。
 と――。
 美妙(びみょう)な楽奏(がくそう)が、ながれてくる。
 あおいでみると、神(かん)さびた杉(すぎ)こだちの御山(みやま)の、黒髪(くろかみ)を分けたように見えるたかい石段(いしだん)のうえから、衣冠(いかん)の神官(しんかん)、緑衣(りょくい)の伶人(れいじん)、それにつづいてあまたの御岳行人(みたけぎょうにん)が白衣(びゃくえ)をそろえて粛々(しゅくしゅく)と広前(ひろまえ)へ降(お)りてくる。
 白木(しらき)の祭壇(さいだん)には四方(ほう)笹(ざさ)の葉がそよぎ、御霊鏡(みたまかがみ)が、白日(はくじつ)のように光っている。
 伶人は座(ざ)につき、白衣の行人はしろい列(れつ)を壇(だん)の下へひらく。
 ゆるい和笛(わてき)の音(ね)につれて、笙(しょう)、ひちりき、和琴(わごん)の交響(こうきょう)が水のせせらぐごとく鳴りかなでる。
 のりとをあげた祭壇の神官、そのとき、バサッと幣(へい)をきって、直垂(ひたたれ)の袖(そで)をたくしあげ、四方へ弦(つる)をならす式(しき)をおこなってから紫白(しはく)ふた色(いろ)の細(こま)かい紙片(しへん)をつかんで、壇(だん)の上から試合(しあい)の広庭(ひろにわ)へ雪(ゆき)のようにまきちらす。
 ――この大講会(だいこうえ)に血(ち)を見るなかれ!
 ――この大講会に邪兵(じゃへい)をうごかすなかれ!
 という意味(いみ)をふくむ神地(しんち)きよめの式(しき)である。
 この式がすむと同時に、大講会三日のあいだは、ぜったいにこの場(ば)では平常(へいじょう)の敵味方(てきみかた)をわすれ、仇(あだ)なく怨(うら)みなく、たとえ隣国(りんごく)と交戦中(こうせんちゅう)でも、三日間(かん)は兵戈(へいか)をおさめて待つというのが武門(ぶもん)のとうぜんとされている。
 黄色いけむりが空へ走った。
 狼火(のろし)である。
 群集(ぐんしゅう)の目がそれへつりあがると、また、寂(せき)とした大地を、かつかつと駆(か)ける馬蹄(ばてい)の音がおこっていた。
 三騎(き)の騎馬武者(きばむしゃ)――。
 これははなやかな甲冑(かっちゅう)陣太刀(じんだち)のよそおいで、黄母衣(きほろ)、白母衣(しろほろ)、赤母衣(あかほろ)、を背(せ)にながし、ゆるい虹(にじ)のように場内(じょうない)を一周(しゅう)した。
 これ、母衣組目付(ほろぐみめつけ)の番組ぶれで、すべて武田流(たけだりゅう)の作法(さほう)どおりにおこなわれるものと見える。
 さて。
 いよいよ第一日の一番(ばん)試合(しあい)は、太子流(たいしりゅう)の強弓(ごうきゅう)をひく氏家十左衛門(うじいえじゅうざえもん)と、大和流(やまとりゅう)の軟弓(なんきゅう)をとっての名人(めいじん)長谷川監物(はせがわけんもつ)との射術(しゃじゅつ)くらべで口火(くちび)を切ることになった。
 従来(じゅうらい)は築城試合(ちくじょうじあい)がさきであったが、弓(ゆみ)は兵家(へいか)の表道具(おもてどうぐ)、これがほんとだという意見(いけん)がある、あまり信玄(しんげん)の遺風(いふう)をまねているのは、徳川家(とくがわけ)としても権威(けんい)にかかわるという議論(ぎろん)があって、総奉行(そうぶぎょう)の大久保長安(おおくぼながやす)もこのほうの案(あん)をとった。
「オオ、始まったな」
「ウーム。どうも指(ゆび)をくわえているのはざんねんだな」
 と、忍剣(にんけん)や龍太郎(りゅうたろう)は、底光(そこびか)りのする眼光をいよいよ研(と)ぎすましている。
 これを冷静(れいせい)にみるという伊那丸(いなまる)のことばは、余人(よじん)なら知らずこの血(ち)の気(け)の多い人たちへは、無理(むり)ないましめ。
 ことに山県蔦之助(やまがたつたのすけ)は、弓術(きゅうじゅつ)は自分の畑(はたけ)のものであるし、じしん得意(とくい)とする代々木流(よよぎりゅう)も、久(ひさ)しく、日輪巻(にちりんまき)の弓(ゆみ)へ矢(や)つがえをして、腕(うで)のスジを思うさまのばしたことがないから、ひと一ばい熱心に見入(みい)るのも道理(どうり)なわけ。
「ウーム……」
 とうなりながら、胸(むね)に弦音(つるおと)を鳴らせ、口もきかずに腕(うで)ばかりさすっているようすは、はたからみてもなんとも気の毒(どく)らしかった。

 太子流(たいしりゅう)の作法(さほう)。
 大和流(やまとりゅう)の礼射(れいしゃ)。
 それにはじまって、両派(りょうは)の射術(しゃじゅつ)くらべが、矢(や)うなり勇(いさ)ましく、試合(しあい)の口火(くちび)をきった。
 午(ひる)すぎになって、西京(さいきょう)の大家(たいか)大坪道禅(おおつぼどうぜん)の馬術(ばじゅつ)、母衣流(ほろなが)しの見ごとな式(しき)をはじめとし、一門の騎士(きし)が鐙(あぶみ)をならして秘(ひ)をあらそい、ほかに剣道組(けんどうぐみ)から数番の手合(てあ)わせが開始されたが、すでに薄暮(はくぼ)の時刻がせまって、その日の御岳(みたけ)は平和裡(へいわり)に第一日のおわりを告(つ)げた。
 兵法大講会(へいほうだいこうえ)第(だい)二日目(め)。
 大衆(たいしゅう)はみなこの二日目に、多大な期待(きたい)をかけていた。
 最初の日は、あんがい、儀式作法(ぎしきさほう)の、目にきらびやかな番組ばかりが多く、龍攘虎搏(りゅうじょうこはく)ともいうべき予期(よき)していた火のでるような試合(しあい)がなかったので。
 果然(かぜん)――前の日よりもすさまじい群衆(ぐんしゅう)の怒濤(どとう)が、御岳の頂上(ちょうじょう)へ矢来押(やらいお)しにつめかけた。
 武田伊那丸(たけだいなまる)や民部(みんぶ)をはじめ、あの一党(とう)のひとびと、また鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)も、その熱風のようなふんいきのなかにくるまされて、きょうはジッとかたずをのみ合っている。
 清浄(せいじょう)な砂(すな)をしきつめて塵(ちり)もとめない試合場(しあいじょう)の中央(ちゅうおう)に、とみれば、黒皮(くろかわ)の陣羽織(じんばおり)をつけた魁偉(かいい)な男と、菖蒲(しょうぶ)いろの陣羽織をきた一名の若者とが、西と東のたまり場(ば)からしずしずと歩(あゆ)みだしている。
 ぼウーと陣貝(じんがい)がなった。
 とうとうたる太鼓(たいこ)、三段(だん)に打ちひびいたとき、れいの三色の母衣武者(ほろむしゃ)が、
「築城試合(ちくじょうじあい)、築城試合」
 要所(ようしょ)の控(ひか)え所(じょ)へ伝令(でんれい)する。
 黒革(くろかわ)の陣羽織(じんばおり)、これなん、もと柴田家(しばたけ)の浪人(ろうにん)上部八風斎(かんべはっぷうさい)こと、あだ名はれいの鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)でとおる人物。
 菖蒲色(しょうぶいろ)の若者をたれかと見れば、越後(えちご)上杉家(うえすぎけ)の家来(けらい)、天鼓流(てんこりゅう)の築城家(ちくじょうか)村上賛之丞(むらかみさんのじょう)。
 ふたりは床几(しょうぎ)についてむかいあった。
 これは腕(うで)の試合(しあい)ではない。
 舌(した)の試合である。築城学論議(ちくじょうがくろんぎ)である。
 群集(ぐんしゅう)は目よりも耳をすました。
 水を打ったようにしずまって、論議いかにと咳声(しわぶき)もしない。
 鼻かけ卜斎の上部八風斎、やおら肩(かた)をはり、軍扇(ぐんせん)いかめしく膝(ひざ)について声たかく、
「築城に四相(そう)あり、いかに?」
 と、第一問をだした。
 村上賛之丞、莞爾(かんじ)として、
「兵法(へいほう)に申す、小河(しょうが)東(ひがし)にあるを田沢(でんたく)といい、流水(りゅうすい)南(みなみ)にあるを青龍(せいりゅう)とよび、西に道あるを朱雀(すじゃく)と名(な)づけ、北に山あるを玄武(げんぶ)、林あるを白虎(びゃっこ)と称(しょう)す」
「して、地形(ちけい)をえらぶには」
「北高南低(ほっこうなんてい)は城塞(じょうさい)の善地(ぜんち)、水は南西にあるを利(り)ありと信(しん)ず」
「三段(だん)の嶮(けん)と申す儀(ぎ)は」
「天嶮(てんけん)、地嶮(ちけん)、人嶮(じんけん)のこと」
「山城(やまじろ)の見立(みた)ては」
「地性(ちせい)水質(すいしつ)によること、空論(くうろん)にては申されぬ」
 とはねつけて、こんどは賛之丞(さんのじょう)から卜斎(ぼくさい)にむかって反問(はんもん)をあびせかけた。
「いかに? たとえばこの御岳(みたけ)の山に一城(じょう)をきずく節(せつ)は?」
「むろん山城なれどいただきをきらい、中庸(ちゅうよう)の地相(ちそう)に郭(くるわ)をひかえ、梅沢(うめざわ)のすそに出丸(でまる)をきずき、大丹波(おおたんば)には望楼(ぼうろう)をおき、多摩(たま)の長流(ちょうりゅう)を濠(ほり)として、沢井(さわい)、二俣尾(ふたまたお)に木戸(きど)をそなえれば、武蔵野原(むさしのはら)に満(み)つる兵もめったに落とすことはできない」
「あいやしかし!」
 と、賛之丞、いちだんこえを張りあげて、
「かりに、甲州路(こうしゅうじ)より乱入(らんにゅう)する兵ありとすれば、一手(て)は必定(ひつじょう)、天目山(てんもくざん)より仙元(せんげん)の高きによって御岳(みたけ)を俯瞰(ふかん)するものにそういござらん、その場合(ばあい)は?」
「陰山陽向(いんさんようこう)のそなえ」
「ウーム、そのくばりは」
「全山(ぜんざん)を城地(じょうち)と見なし、十七町(ちょう)を外郭(そとぐるわ)とし、龍眼(りゅうがん)の地に本丸(ほんまる)をきずき、虎口(ここう)に八門、懸崖(けんがい)に雁木坂(がんぎざか)、五行(ぎょう)の柱(はしら)は樹林(じゅりん)にてつつみ、城望(じょうぼう)のやぐらは黒渋(くろしぶ)にて塗(ぬ)りかくし、天目山や仙元峠(せんげんとうげ)などより一目にのぞかれるような縄取(なわど)りはせぬ」
 と、鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)、懸河(けんが)の弁(べん)をふるってとうとうと一息(いき)にいった。
 卜斎(ぼくさい)の前身(ぜんしん)を知らずに、かれをただの鏃鍛冶(やじりかじ)とばかり思っていた、大久保長安(おおくぼながやす)の家来(けらい)たちは、少々あッけにとられている顔つき。
 だが卜斎の返答(へんとう)が雄弁(ゆうべん)だけで、ところどころうまくごま化(か)しているのをつらにくくおもった村上賛之丞(むらかみさんのじょう)は、やや激(げき)して、
「さらば問(と)わん」と開(ひら)きなおり、
「以上(いじょう)の縄取(なわど)りによれば、多摩(たま)の長流(ちょうりゅう)を唯一(ゆいつ)のたのみとし、武蔵野(むさしの)の平地(へいち)と上流の敵(てき)にのみ備(そな)えをおかるるお考えのようにぞんずるが、かりに、御岳(みたけ)の裏(うら)にあたる御前山(おんまえさん)へ奇兵(きへい)をさし向け、西風に乗(じょう)じて火をはなたば、前方の嶮(けん)は城兵(じょうへい)の墓穴(はかあな)、とりでも自滅(じめつ)のほかはあるまいと思うがいかに」
 と、つッこんだ。
 卜斎、カラカラとあざ笑(わら)って、
「お若(わか)い! お若い! およそ築城の縄取りをなすにあたって、後方(こうほう)の破(やぶ)れを思わぬ者やあらん」
「しからば火攻(かこう)の防(ふせ)ぎは」
「要所(ようしょ)を伐林(ばつりん)するまでのこと」
「樹木(じゅもく)を伐(き)るときは、城(しろ)の血脈(けつみゃく)たる水の手に水がれのおそれがあろう」
「扇縄(おうぎなわ)の一かくに、雨水(うすい)をたくわえておくまでのこと」
「大夏(たいか)の旱魃(かんばつ)に、もし籠城(ろうじょう)となったおりは」
「掛樋(かけひ)をもってうら山より秋川(あきがわ)の水をひくときは、城(しろ)の水の手に水がれはござるまい」
「兵法(へいほう)にいわく、天水(てんすい)危城(きじょう)を保(たも)つべし、工水(こうすい)名城(めいじょう)も保つべからず。――人体(じんたい)の血脈(けつみゃく)ともみるべき大事な一城(じょう)の水を、掛樋でよばんなどとは築城(ちくじょう)の逆法(ぎゃくほう)」
「いや、逆法ではない」
「逆法とぞんずるッ」
「貴殿(きでん)の尊奉(そんぽう)なさる越後(えちご)の天鼓流(てんこりゅう)では、まだ作事(さくじ)や築工(ちっこう)に時勢(じせい)おくれのところがあるゆえ、それを逆法と思われるかも知らぬが、自分の信(しん)ずる越前(えちぜん)……」
 と、いいかけて、卜斎(ぼくさい)、グッとつまった。
 ――越前北(きた)ノ庄(しょう)の城をじっさいにきずいたわが八風流(はっぷうりゅう)では! と、ここで卜斎、大見得(おおみえ)をきっていばりたかったところなのであるが、なぜか、グッ……とまっ赤(か)になって、絶句(ぜっく)した。
 それをいうと、柴田勝家(しばたかついえ)の遺臣(いしん)という、自分の前身(ぜんしん)が暴露(ばくろ)する。
 ほろびた柴田の残臣(ざんしん)を、まだねらっている者もたくさんあるし、ことに豊臣家(とよとみけ)の者のいるところで、それをいうのは禁物(きんもつ)だ。
 賛之丞(さんのじょう)は、ここぞとばかり、発矢(はっし)と軍扇(ぐんせん)を握(にぎ)りながら、
「ご自身の信(しん)ずるご流名(りゅうめい)はなにか」と、攻(せ)め立てた。
「う……」と、卜斎いよいよタジタジして、
「いや、わしは信じる」
「なにを」
「逆法(ぎゃくほう)ではない、けっして。逆法とはいわさん」
 と、すこぶるあいまいにゴマ化(か)したが、そのたいどにろうばいのようすがじゅうぶんに見えたから、一時(じ)に静かな空気を破(やぶ)って、ドッという嘲声(ちょうせい)がわき返(かえ)り、さしも強情(ごうじょう)な卜斎(ぼくさい)、ついに、半分紛失(ふんしつ)している小鼻(こばな)のわきへ、タラタラと脂汗(あぶらあせ)をながしてしまった。

「築城論(ちくじょうろん)、うち切り」
 奉行(ぶぎょう)の声がかかったので、卜斎はからくも引分(ひきわけ)のていで引きさがったが、群集(ぐんしゅう)は正直(しょうじき)である。村上賛之丞(むらかみさんのじょう)のたまり場(ば)へむかって歓呼(かんこ)を浴(あ)びせた。
 八車(しゃ)流(りゅう)の築城家(ちくじょうか)牧野雷堂(まきのらいどう)。
 それと――。
 月花流(げっかりゅう)の柳川左太夫(やながわさだゆう)。
 このふたりの論争(ろんそう)も、綿密(めんみつ)な築城法(ちくじょうほう)のことから意見(いけん)が衝突(しょうとつ)し、城(しろ)の間道埋設(かんどうまいせつ)の要点(ようてん)で、かなり論争(ろんそう)に火花をちらし合ったが、ついに八車(しゃ)流(りゅう)の敗北(はいぼく)となって、月花流(げっかりゅう)の熊本方(くまもとがた)では、白扇(はくせん)をふって勝ちどきをあげた。
 だが、見物(けんぶつ)は少々たいくつした。
 築城試合(ちくじょうじあい)も、じっさいに縄取(なわど)りの早さでも腕競(うでくら)べしてくれればありがたいが、議論(ぎろん)だけでは吾人(ごじん)には少しむずかし過(す)ぎて肩(かた)がはるぞ、という顔つき。
 ところが――。
 そのあとですぐに、万雷(ばんらい)のごとき拍手(はくしゅ)がおこった。
 相州(そうしゅう)鎌倉地福寺(かまくらじふくじ)の学僧(がくそう)、一刀(とう)流(りゅう)の剣(けん)の妙手(みょうしゅ)として聞えた慈音(じおん)という坊(ぼう)さんのすがたが見えたからである。
 対手(あいて)は?
 心貫流(しんかんりゅう)の丸目文之進(まるめぶんのしん)だろう。イヤ、吉岡流(よしおかりゅう)の祇園藤次(ぎおんとうじ)だろう。なアに諸岡一羽(もろおかいちう)なら慈音(じおん)とちょうどいい勝負、などと衆人(しゅうじん)の下馬評(げばひょう)からして、この方(ほう)は活気(かっき)が立つ。
 思いきや、時にあなたなる西側(にしがわ)の鯨幕(くじらまく)をしぼって、すらりと姿(すがた)をあらわした壮漢(そうかん)の手には、遠目(とおめ)にもチカッと光る真槍(しんそう)が持たれていた。
「笹(ささ)の才蔵(さいぞう)! 笹の才蔵!」
 だれいうとなく喧伝(けんでん)した。
 山崎(やまざき)の合戦(かっせん)で、敵(てき)の首が腰(こし)につけきれず、笹(ささ)にさして実検(じっけん)にそなえたというので、可児(かに)というよりも、笹(ささ)の才蔵(さいぞう)の名のほうが民間(みんかん)には親(した)しみがある。
 すなわち、こんど秀吉(ひでよし)のいいつけで、井上大九郎(いのうえだいくろう)、真田源次郎(さなだげんじろう)と共(とも)に、わずか三人きりで豊臣家(とよとみけ)を代表(だいひょう)してきた可児才蔵だ。
 才蔵の槍(やり)は黒樫(くろがし)の宗旦(そうたん)みがき。抜(ぬ)き身である。水が垂(た)れそうだ。
 それを持って、すずしそうに、歩(ある)いてくる。
 白布(しらぬの)の汗止(あせど)め、キッチリとうしろに結(むす)び、思いきって袴(はかま)を高くひっからげた姿(すがた)――群集(ぐんしゅう)のむかえる眼にも涼(すず)しかった。
 黙礼(もくれい)した。
 地福寺(じふくじ)の慈音(じおん)と笹(ささ)の才蔵(さいぞう)。
 慈音はむろん僧形(そうぎょう)である。
 手には、タラリと長い木剣(ぼっけん)。
 木剣とはいいながら枇杷(びわ)二尺(しゃく)八寸(すん)の薄刃(うすば)であるから、それは、真剣(しんけん)にもひとしいものだ。
 ひょっと、わき見をしていた者が見なおすと、もうそこにパッと砂(すな)が立っている。
 才蔵は槍(やり)をひくめにつけて慈音(じおん)に迫(せま)らんとし、慈音の両眼(りょうがん)は中段にとった枇杷刀(びわとう)のミネにすわっている。
 見物(けんぶつ)はハッと息(いき)をのんだが、そのとき、あなたの幔幕(まんまく)やこなたの鯨幕(くじらまく)のうちで、しゅんかん、ワーッという侍(さむらい)たちの声があがった。
 これ、槍術家(そうじゅつか)がわの者と、剣道方(けんどうがた)の者とが、しぜん、おのれのよるところへおもわず発(はっ)した声援(せいえん)と思われたが、それも、ただ一刻(こく)にして、パッタリとしずまる。
 おお、その時だ!
 才蔵の手がサッと槍をかくした。見ゆるは指(ゆび)と穂先(ほさき)だけである。
 パン! と慈音の肩(かた)の上でとつぜんな音がした。

 槍(やり)は高くのびて、一条(じょう)の光、ななめにたたきかわされている。
 才蔵(さいぞう)のひく手の早さ。
 ぶンとうなったのは二どめの突(つ)き、まえの槍(やり)の寸法(すんぽう)が倍(ばい)にのびていったように慈音(じおん)の胸板(むないた)へ走ったが、
「かッ!」
 と、口をむすんだ地福寺(じふくじ)の慈音、それをはずしたとたんに黒い鸞(らん)が舞(ま)ったかのごとく、刀(とう)をふりかざして才蔵の手もとへおどった。
 だが! おそかった。
 笹(ささ)の才蔵はうしろへ身をはね、白い槍(やり)の穂先(ほさき)が墨染(すみぞめ)の袖(そで)をぬって、慈音のきき手をくるわせた。
 明らかに勝負だった。
 やぶれた慈音は、衣紋(えもん)をただして溜(たま)りへさがる。
 にわかにわいたのは剣道組(けんどうぐみ)。
 試合目付(しあいめつけ)を通(つう)じて、笹(ささ)の才蔵へもう一勝負(しょうぶ)とある。
 そして、愛洲陰流(あいずかげりゅう)の疋田浮月斎(ひきだふげつさい)が雪辱(せつじょく)にでたが敗(やぶ)れ、香取流(かとりりゅう)のなにがしがまた敗れ、いよいよ試合(しあい)がコジれだして、なにかただならぬ凶雲(きょううん)を、この結末(けつまつ)が招(まね)きはしまいかとあんじられるほど、一種(しゅ)の殺気(さっき)が群集(ぐんしゅう)の心理(しんり)をあっして、四番(ばん)試合(じあい)、五番試合をいいつのる者も、それをぼうかんしている立場(たちば)の者も、なんとなく荒(あら)ッぽい気分に熱(ねっ)してきた。
「すこしおもしろくなってきたな」
「ウーム、こうこなくっちゃ、御岳(みたけ)の兵法大講会(へいほうだいこうえ)らしくない」
 と、ニッコリ顔を見あわせていたのは、その空気の一角(かく)にあって、四囲(い)のどよめきを愉快(ゆかい)がっていた忍剣(にんけん)と龍太郎(りゅうたろう)。
 小幡民部(こばたみんぶ)はあいかわらずいたって無表情(むひょうじょう)にながめているし、伊那丸(いなまる)も冷静(れいせい)なること、すこしも変(かわ)っていなかったが、うるさいのは竹童(ちくどう)。
「強(つよ)いなあ、才蔵(さいぞう)さまはまったく強い。あれは福島市松(ふくしまいちまつ)の家来(けらい)でおいらはあのおじさんを知っている! あのおじさんと口をきいたことがある!」
 と、ひとりごとにこうふんしている。
 ざんねんそうに、腕(うで)をさすっていたのは、朱柄(あかえ)の槍(やり)をかついでいる巽小文治(たつみこぶんじ)で、
「ウーン、おれも試合(しあい)にでてみたい!」
「だめだ」と、蔦之助(つたのすけ)が、それをうけて、
「どうしても、若君(わかぎみ)からお許(ゆる)しがでない」
「もういちど、お願(ねが)いして見ようじゃないか」
「じゃ、貴公(きこう)がいって見たまえ」
「蔦之助、おまえから一ツお願いしてみてくれ、たのむ、拙者(せっしゃ)はもうがまんができない」
 と、コソコソささやいているのを耳にはさんだ忍剣(にんけん)、じつは、自分じしんが、だれよりもさっきから腕(うで)をウズかせていたおりなので、
「民部(みんぶ)さま、蔦之助(つたのすけ)や小文治(こぶんじ)が、あのように申していることゆえ、なんとか若君(わかぎみ)におすがりして、試合(しあい)に加(くわ)わることお許(ゆる)しくださるよう、一つお取りなしを願いたいものでござるが……」
 民部は、忍剣の心を読んでいるように苦笑(くしょう)して、
「さあ、なんとおっしゃるか、おそばにおいで遊(あそ)ばすから、おのおのがたじしんでお願いしてみたらよかろう」
 と、しごくアッサリしている。
「いかんわい」
 と、忍剣は頭をかいて、龍太郎(りゅうたろう)の脇(わき)の下をソッと突(つ)ッついた。
「おい、後生(ごしょう)だ」
「なにが?」
「尊公(そんこう)から若君へお願いしてくれ。だれにしたって、ここで一番日ごろの鬱憤(うっぷん)を晴(は)らして、腕(うで)の夜泣(よな)きをなぐさめてやりたいのは、人情(にんじょう)じゃないか」
「そりゃ、拙者(せっしゃ)にしても、木隠流(こがくれりゅう)の戒刀(かいとう)をおもうぞんぶんふるってみたいのはやまやまだが」
「だから……尊公(そんこう)から若君へちょっと」
「む……ウ……」
 と、口のうちで返辞(へんじ)をしたが、冷々(れいれい)と、あらぬかたへ眸(ひとみ)をむけている伊那丸(いなまる)の顔を見ると、どうも、いいにくそうにして、貴公(きこう)がいいたまえ、イヤおまえがいえ、とたがいになすり合っているばかり。
 そんなことに、ふと目をはなしていたが、試合場(しあいじょう)のさわぎはいよいよ紛乱(ふんらん)して、母衣馬(ほろうま)や目付(めつけ)がものものしくかけまわり、なにか、番組急変(ばんぐみきゅうへん)の太鼓(たいこ)らしい合図(あいず)が、ふいに、ドーンと鳴ったので、忍剣(にんけん)も小文治(こぶんじ)も、ハッと、口をつぐんでそのほうへ目をやった。
 ――と見ると、笹(ささ)の才蔵(さいぞう)は、うしろ姿(すがた)をこっちに向けて、勝ちすてに豊臣家(とよとみけ)の幕(まく)かげへ引ッこもうとしている。
 一方で怒号(どごう)がきこえた。
 将棋(しょうぎ)だおしにやぶれた剣道方(けんどうがた)。
 その溜(たま)り場(ば)の幕が嵐(あらし)のようにゆれて、なにか、渦(うず)になった人間がもめている。
「待てッ。――可児才蔵(かにさいぞう)まてッ」
 制止(せいし)する目付役(めつけやく)をふりもぎって、とつぜん、かれのうしろ姿を追いかけた慓悍(ひょうかん)なる男があった。――これ祇園藤次(ぎおんとうじ)だった。
 すわ!
 遺恨試合(いこんじあい)!
「待てまてッ! 才蔵(さいぞう)ッ、もう一勝負(ひとしょうぶ)」
 藤次(とうじ)は吉岡流小太刀(よしおかりゅうこだち)の使(つか)い手(て)。
 右手(めて)に白みがきの栴檀刀(せんだんとう)を引ッさげていた。
 自分の控(ひか)え場(ば)まで帰って、いま、幕(まく)の裾(すそ)に手をかけようとしていた才蔵、
「よし!」
 いうが早いか、槍(やり)を持ちなおして、敢然(かんぜん)と試合場(しあいじょう)のほうへ帰ってきたが、まだ礼(れい)もすまないうちに血気(けっき)ばしった祇園藤次(ぎおんとうじ)が、颯然(さつぜん)とおどりかかった。
 立合(たちあ)いの奉行(ぶぎょう)と目付(めつけ)が、なにか、制止(せいし)するような声をかけたが、騎虎(きこ)、耳にも入らばこそ。
「ひきょう、作法(さほう)を知らぬか!」
 と、しかりつけて、サッと槍を手もとに吸(す)う。
 藤次はギクッとして、胸板(むないた)を守(まも)った。
 小太刀、ピッタリと青眼(せいがん)の不動体(ふどうたい)に。
 だが、一閃(せん)! かまえは割(わ)れて祇園藤次、タジタジッとあとへさがった。それを、食(く)いつめてゆく才蔵の足の拇指(おやゆび)。
 それは真槍(しんそう)だ。
 遺恨試合(いこんじあい)となった以上(いじょう)、突(つ)くであろう、肉(にく)を! 脾腹(ひばら)を!
 やわか! と必死(ひっし)な藤次、うしろの溜(たま)りでは仲間(なかま)の者は、ワーッと熱風(ねっぷう)のような声援(せいえん)を送(おく)ったが、だめ、だめ、だめ、一尺(しゃく)、二尺、三尺――すでに七、八尺、槍(やり)に追(お)いつめられた祇園藤次(ぎおんとうじ)、
「ムムッ、おのれ!」
 捨(す)て身にでて、われからバッと、反撥的(はんぱつてき)に打ちこんだ。
 そのとたんに、
 突(つ)くよと見えた才蔵(さいぞう)の槍(やり)が、片手(かたて)なぐりに藤次の体(たい)をはらったが、パキン! というすさまじい音と一しょに、かれの手にあった尺(しゃく)三、四寸の白栴檀(しろせんだん)の小太刀(こだち)が、槍ではねられた勢(いきお)いをくって、クルクルクルッととんぼのぼりに虚空(こくう)へ向かってすッ飛んだ。
 そして、藤次は?
 才蔵は?
 この勝敗(しょうはい)は?
 いや、ところが群集(ぐんしゅう)は一せつなに、試合(しあい)の結果(けっか)をその脳裡(のうり)から押(お)ッぽりわすれて、
「あ! あ! あ! あ! あッ!」
 と、空へ目をつってしまった。
 小太刀のちいさくなる空へ――。
 読者(どくしゃ)よ。
 次(つぎ)におこる驚天動地(きょうてんどうち)の争闘(そうとう)。御岳山上(みたけさんじょう)におけるこの篇(へん)の大眼目(だいがんもく)を描(えが)くために、あえて、ここに緩慢(かんまん)な数行(すうぎょう)をついやす筆者(ひっしゃ)の作心(さくしん)の支度(したく)をゆるしたまえ。
 はしなくも、遺恨試合(いこんじあい)となった激怒(げきど)のハズミに、才蔵(さいぞう)の槍(やり)の勢(いきお)いで、虚空(こくう)にとばされた白栴檀(しろせんだん)の木太刀(きだち)が、そのとき、つつがなく地上に落ちてかえってくれば、なんのことはなかったのである。
 たとえ、才蔵(さいぞう)一身(いっしん)に一部(ぶ)の嫉視(しっし)はのこっても、のちに現出(げんしゅつ)したような、意外(いがい)な大事にはならなかったであろう。
 また、若き人たちの血気(けっき)を、ことなかれと、きょくりょくおさえ止(と)めていた伊那丸(いなまる)や民部(みんぶ)も、なんのくろうなく、大講会(だいこうえ)二日(か)目(め)の行事(ぎょうじ)を見納(みおさ)めしたにちがいない。
 しかし、不測(ふそく)な変事(へんじ)は、いつも、こうして意表外(いひょうがい)なところから顔をだす。
 ――この大講会(だいこうえ)に血(ち)を見るなかれ!
 ――この大講会に邪兵(じゃへい)をうごかすなかれ!
 神官(しんかん)は祭壇(さいだん)にこう祈祷(きとう)したが、あのハズミで飛んだ一片(ぺん)の木太刀(きだち)が、まッたく予想(よそう)もせぬ風雲(ふううん)を地上から迎(むか)えにいったものになろうとは、おそらく、御岳(みたけ)の神の叡智(えいち)にもわからないのがほんとうであろう。

 さて。
 空に高くとばされた栴檀(せんだん)の木太刀(きだち)。
 そのゆくえにつられて、いっせいに、空へ上(うわ)むきになった群集(ぐんしゅう)のひとみは――ハッと一しゅんに、なにか異様(いよう)なものにつきあたったかのように、
「あッ、あれ――」
 と、妙(みょう)な顔つきになった。
 魂(たましい)を抜(ぬ)かれた顔。
 あッ気(け)にとられた目。
 現(うつつ)――無我(むが)――夢中(むちゅう)――の群集(ぐんしゅう)。
 とたんに、
 ドウーッという空鳴(そらな)りが宇宙(うちゅう)をひくく走った。
 そして、幕(まく)のごときまッ黒な怪物(かいぶつ)が、日輪(にちりん)の光を雄大(ゆうだい)な翼(つばさ)のかげにかくし、クルルッ――と巻(ま)きあがっていった栴檀刀(せんだんとう)を目がけて、どこからかまるで魔風(まかぜ)のように翔(か)けおりてきたかと見ると、
 ガツン
 とばかりその嘴(くちばし)が、本能的(ほんのうてき)に空の木太刀(きだち)をくわえ取った。
「鷲(わし)」
 ぼうぜんたる錯覚(さっかく)をドヤしつけられたしゅんかんに、
「オオうッ」
「あれよ、あれよ、あれ! ……」
 どよめき立った数万(すうまん)の大衆(たいしゅう)は、その時まるでホジクリだされた虫のごとく、地上にあってまッ黒に蠢動(しゅんどう)し、ただ囂々(ごうごう)、ただ喧々(けんけん)、なにがなにやら、叫(さけ)ぶこえ、喚(わめ)くこえ、それともうもうたる黄塵(こうじん)の万丈(ばんじょう)。
 ただ、試合(しあい)にばかり気をうばわれていた人々は、それよりほんの少しまえに、御岳(みたけ)の西方、御前山(おんまえさん)の森から舞(ま)いあがったこの怪物(かいぶつ)のかげが、浅黄色(あさぎいろ)にすみわたった空にゆるやかな弧(こ)をえがきつつあったのを万人(ばんにん)が万人、すこしも気がつかなかったのである。
 またいくども、ひろい試合場(しあいじょう)の砂地(すなじ)や、自分たちの顔に、その偉大(いだい)な怪影(かいえい)が太陽(たいよう)をかすめるごとに、とおり魔(ま)のような影(かげ)を投げていたのも、まったく知らずにいた。
 地上の人間が、ただ、アレヨアレヨとあぶくのごとく沸騰(ふっとう)して、手の舞(ま)い足の踏(ふ)むところを知らずにいるのにひきかえて、いま、一ぴきの虫でもくわえたように、するどい嘴(くちばし)に木太刀(きだち)をさらった大鷲(おおわし)は、ゆうゆうと茶褐色(ちゃかっしょく)の腹毛(はらげ)を見せて、そこを去(さ)らんともせず、高くも舞わず、御岳(みたけ)の空を旋回(せんかい)している。
 時に、光線(こうせん)のかげんで、そのまッ黒なつばさの艶(つや)を射(い)るような金色(きんいろ)の瞳(ひとみ)までがありありと見えた。
 いや、それだけならいい! それだけの事実(じじつ)だったなら、まだ地上の人々も、こうまでは胆(きも)をつぶさなかったにちがいない。
「あッ、帯(おび)がさがっている!」
「女の帯」
「赤い袖(そで)が見える」
「女が乗っているんだッ……女が、女が」
「ど、ど、どこに?」
「鷲(わし)のうえに――女が、女が!」
 熱病(ねつびょう)のように叫(さけ)びあった。
 気ちがいのように指(ゆび)を向けた。
 その時。
 押(お)しつもまれつする人波(ひとなみ)のあいだから、泳(およ)ぐように顔をだした鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)は、忍剣(にんけん)や小文治(こぶんじ)などの、仲間(なかま)の者までむちゅうになって押(お)しのけながら、
「あッ……た、大へん」
「竹童ッ、あぶないッ」
 だれかがとめたが、突(つ)きとばして、
「それどころじゃない、あれ! あれは咲耶子(さくやこ)」
「えッ、咲耶子ッ?」
「咲耶さんです、咲耶さんです! 躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の源氏閣(げんじかく)からどこかへ逃(に)げた咲耶子さんにちがいない」
「ウーム、そう申せば女らしい人かげがみえる」
 と、木隠(こがくれ)や小幡民部(こばたみんぶ)も、その大鷲(おおわし)にはおぼえがあるが、どうして咲耶子(さくやこ)が、ここの空へ舞(ま)ってきたのか、ただただふしぎな思いにうたれるのみだった。
「竹童、さわぐまい」
 伊那丸(いなまる)は、周囲(しゅうい)をはばかってこういった。
 だが竹童、いまは、その声も耳にはいらなかった。かれはいつのまにか抱(だ)きとめていた蔦之助(つたのすけ)の手をもぎはなして、
「クロ! クロ! 咲耶子さん――」
 われをわすれて雑鬧(ざっとう)のなかを走ってゆく。
 ところが、ここにまた。
 かれと同じように、そのクロの名をよんで、右往左往(うおうさおう)にみだれ立った試合場(しあいじょう)のなかをかけめぐりつつ、手をふっている二少年がある。
 ひとりは、さいぜん、村上賛之丞(むらかみさんのじょう)と築城問答(ちくじょうもんどう)をやってしゅびよくその鼻(はな)をへこまされた鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)のお供(とも)、すなわち泣き虫の蛾次郎(がじろう)である。
「やアーい、やアーい」
 蛾次はむちゅうだ。大さわぎだ。
 クロはかれにも二無(な)き親友である。
 どこの溜(たま)り場(ば)にもぐっていたのか、かれはクロを見るやいな、目の色かえて、めくら滅法(めっぽう)に試合場(しあいじょう)へおどりだし、
「おれのクロだ、おれのクロだ! やアーい、ちくしょうッ、やアーいッ、クロ!」
 とどかぬものに飛びあがって、ひとりであばれまわっている。
 と――同じように、
「あれ、あれ、あれ。あの鷲(わし)かえせ! あの鷲かえせ!」
 と、訴(うった)えるごとく、泣くごとく、狂気(きょうき)になって叫(さけ)んでいたのは、先(さき)つかた、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の館(たち)の、かの源氏閣閣上(げんじかくかくじょう)において、咲耶子(さくやこ)のために、その鷲をうばわれた浜松城(はままつじょう)の小さきお使番(つかいばん)星川余一(ほしかわよいち)だった。
 それと見るやまた、葵紋(あおいもん)の幔幕(まんまく)をはりめぐらした徳川家(とくがわけ)控(ひか)えどころの帳(とばり)のうちでも、
「おお、余一がさわいでいるぞ」
「余一が失(な)くしたクロはあれじゃ」
「あの鷲(わし)逃(に)がすなッ」
 と、群雀(ぐんじゃく)のように叫(さけ)びあってる。
「それッ」
 と、そこの葵の幕を切っておとし、巣(す)をやぶった蜂(はち)の子(こ)のごとくわれ先にと飛びだしてきたのは、はるばる浜松(はままつ)から見物(けんぶつ)にきていたきれいな一隊(たい)。
 家康(いえやす)の孫(まご)、徳川万千代(とくがわまんちよ)を餓鬼大将(がきだいしょう)といただく、お小姓(こしょう)とんぼ組(ぐみ)の面々(めんめん)である。

 あなたのできごと。
 ここのそうどう。
 それらはすべて大鷲出現(おおわししゅつげん)のせつなにおける、ほんの、目(ま)ばたきする間(ま)の現象(げんしょう)でしかない。
 もはや、兵法大講会(へいほうだいこうえ)は、この意外(いがい)な椿事(ちんじ)のため、その神聖(しんせい)と森厳(しんげん)をかきみだされて、どうにも収拾(しゅうしゅう)することができなくなった。
 奉行(ぶぎょう)を無能(むのう)というなかれ。目付役人(めつけやくにん)の狼狽(ろうばい)をののしるも、また無理(むり)である。
 群集(ぐんしゅう)の心理(しんり)が、かく落ちつかなくなったものを、にわかに鎮撫(ちんぶ)することは、とうてい容易(ようい)なことではない。
 心あるものはそれをあんじていた。
「どうなるであろうか。このさわぎが」――と、
 しかるに、ここに泉州(せんしゅう)堺(さかい)の住人(じゅうにん)、一火流(いっかりゅう)の石火矢(いしびや)と又助流(またすけりゅう)の砲術(ほうじゅつ)をもって、畿内(きない)に有名な鐘巻一火(かねまきいっか)という火術家(かじゅつか)。
 一門の門弟(もんてい)四、五十人をひき具(ぐ)して、おなじく、御岳山上(みたけさんじょう)の一端(たん)に、短銃(たんじゅう)打(ぶ)ッちがえの定紋(じょうもん)をつけた幕(まく)をはりめぐらし、そのうちにひかえて、すでに火術試合(かじゅつじあい)の申し出(い)でをしている一組(ひとくみ)だったが、大鷲出現のこのさわぎに、いみじくも、そこだけは申し合わせたように、ヒッソリしていた。
「こういうおりがまたとあろうか。鐘巻一火(かねまきいっか)の秘技(ひぎ)を衆人(しゅうじん)に知らしめるのは、この時だ」
 と、一火(いっか)は幕(まく)のうちにたって、新渡来(しんとらい)又助式(またすけしき)の鉄砲(てっぽう)をキッとつかんだ。
「先生、火縄(ひなわ)!」
 と、早くもその心をよんで、門下(もんか)のひとりが火縄を吹(ふ)いてわたす。
 一火の眼は宙(ちゅう)に吸いつけられている。
 いま――。
 鷲(わし)はふもとの多摩川(たまがわ)へ、水でも飲(の)みに降(お)りるように、ななめにさがりかけたところだった。
 だが、翼(つばさ)をかえすと、しゅんかんに、また、目前(もくぜん)に近よってくる。
 おそるべきその羽風(はかぜ)! ただ、目にながめたところでは、それはいかにもゆるやかで、泉(いずみ)をおよぐ魚(うお)のかげみたいに、あおい太虚(たいきょ)をしずかに舞(ま)いめぐっているとしか見えないのだが、サア――ッと、頭上にきたかと思うと、あなたこなたの鯨幕(くじらまく)は一せい風をはらみ、地上の紅葉(こうよう)は逆(さか)しまに吹(ふ)きあげられて、さんさんと黒く、さんさんと紅(あか)く、卍(まんじ)をえがき、旋風(つむじ)となって狂う。
「うぬッ、奇(き)ッ怪(かい)な女め」
 鐘巻一火の腕(うで)に、ピタッと、鉄砲(てっぽう)の筒(つつ)がすわりついた。
 ドーン!
 御岳(みたけ)の岩根(いわね)をゆるがすような轟音(ごうおん)。
 これも全山(ぜんざん)の人には、寝耳(ねみみ)に水のおどろきであったろう。
 ゴーッと遠い音波(おんぱ)をひびかせて、峰(みね)谷々(たにだに)の木魂(こだま)がひびき返(かえ)ってきたあとから、ふたたび、山海嘯(やまつなみ)にも似(に)た喊声(かんせい)のどよめき。
 見よ、
 鷲(わし)は、まッさかさまに墜(お)ちてきた。
 ――うつくしい女の帯(おび)を尾(お)にひいて。

 鐘巻一火(かねまきいっか)の鉄砲(てっぽう)は狙(ねら)いをあやまたなかった。
 どこかにあたったにちがいない。その証拠(しょうこ)には、くるった大鷲(おおわし)は、地上十四、五尺(しゃく)のところまでおちてきた。
 だが。
 とつぜんそこで、クルッと巨大(きょだい)なからだをまわしたと思うと、あッとあきれる人声をあとに、鷲(わし)は天目山(てんもくざん)の方角(ほうがく)へむかって、一直線(ちょくせん)――弩(ど)をはなれた鉄箭(てっせん)のように飛んでしまった。
 しかし。
 人々の眼は、その行方(ゆくえ)に気をうばわれているよりも、とつぜん試合場(しあいじょう)の南のすみへ、
「それ」
 と、なだれをうってあつまった人かげへ、なにごとかと、あたらしい驚目(きょうもく)をみはっている。
「お医師(いし)! お医師衆(しゅう)!」
 と、そこでさわぐこえがする。
 あなたの控(ひか)え所(じょ)へ出張(でば)っていた典医衆(てんいしゅう)は、なにがなにやらわからないが、とにかく、呼(よ)び立つこえがしきりなので、薬籠(やくろう)をかかえてその人なかへかけつけた。
 だが、その典医たちがくるよりも、鐘巻一火(かねまきいっか)が門下(もんか)の壮士(そうし)一隊(たい)をしたがえてそこへ飛んできたほうが一足(ひとあし)ばかり早かったのである。
 そして、口々に、
「ごめん」
「ごめん、ごめん」
 こういいつつ、一火をはじめ白袴(しろばかま)の門下(もんか)たちが、あたりの役人を押(お)しわけて前へすすんできたかと思うと、地上に気をうしなってたおれていた美女(びじょ)のからだを、てんぐるまにかつぎあげて、自分たちの溜(たま)り場(ば)へ電光石火(でんこうせっか)にひっかえし、鉄砲(てっぽう)ぶッちがえの定紋(じょうもん)を張(は)りまわしたなかに鳴りをしずめてしまった。
「おう――」
 それをながめた竹童(ちくどう)が、試合場(しあいじょう)の中央(ちゅうおう)で飛びあがるように手をふると、あなたにいた木隠(こがくれ)、巽(たつみ)、加賀見(かがみ)、山県(やまがた)の四人、矢来(やらい)の木戸口(きどぐち)から一散(さん)にそこへかけだしてきて、
「竹童。いま鷲(わし)から落ちたのは、たしかに咲耶子(さくやこ)にそういないか」
 と、息(いき)をせいていう。
「たしかにそうです。咲耶さまです。――その咲耶さんが鉄砲(てっぽう)にうたれたから、鷲(わし)のほうは怪我(けが)もなく逃(に)げてしまったんです」
「えッ、鉄砲に撃(う)たれた?」
「あの幕張(まくば)りの中へかついでいった侍(さむらい)の袴(はかま)が、血(ち)にあかく染(そ)まりましたから、それにそういないと思います。龍太郎(りゅうたろう)さま、はやく、あれへいって咲耶子さまを取りかえしてください」
「そうか!」
「おお」
 というと、もう忍剣(にんけん)は例(れい)の鉄杖(てつじょう)を小脇(こわき)にして、鐘巻一火(かねまきいっか)の幕前(まくまえ)へいきおいこんで馳(か)けだしていた。
 なにがさて、髀肉(ひにく)の嘆(たん)をもらしながら、伊那丸(いなまる)のゆるしがでぬため、いままでジッと腕(うで)をさすっていた人々、鎖(くさり)をとかれた獅子(しし)のような勢(いきお)いだ。
 竹童もあとにつづいて馳(か)けだしながら、口にはださないが心のうちで、
(さあこい! おいらのおじさんたちの男らしさを見てくれ!)
 そんな誇(ほこ)りがどこかにあった。
 すると、ほとんど同時のこと。
 咲耶子(さくやこ)をてんぐるまにして引きあげてきた鐘巻一火(かねまきいっか)のあとを追(お)って、そこへ殺到(さっとう)した人々がある。
 大講会総奉行(だいこうえそうぶぎょう)の大久保石見守長安(おおくぼいわみのかみながやす)、その家臣(かしん)、その目付役(めつけやく)、その介添役(かいぞえやく)、等(とう)、等、等。
 いきなり一火の溜(たま)り場(ば)へドカドカと入ろうとすると、なかから姿(すがた)をあらわした鐘巻一火じしんと、屈強(くっきょう)な門弟(もんてい)が、帳(とばり)の入口にたちはだかって、
「やあ狼藉者(ろうぜきもの)、どこへゆく!」
 と、大手(おおで)をひろげた。
 徳川家(とくがわけ)の重臣(じゅうしん)、甲州(こうしゅう)躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の城主(じょうしゅ)、大講会総奉行、それらの肩書(かたがき)を威光(いこう)にきている長安は、
「どこへまいろうと仔細(しさい)はない。身(み)は総奉行の大久保石見守じゃ」
 と言下(げんか)に肩(かた)をそびやかしていった。
「だまれッ」
 一火(いっか)は武術家気質(ぶじゅつかかたぎ)、とどろくような雷声(らいせい)で、
「ここは鐘巻(かねまき)の陣地(じんち)もどうよう、鉄砲紋(てっぽうもん)を張(は)りまわしたこのなかへ、むだんで一歩たりと踏(ふ)みこんで見よ、渡来(とらい)の短銃(たんじゅう)をもって応対(おうたい)申すぞ」
「聞きずてにならぬ暴言(ぼうげん)、用(よう)があればこそ幕内(まくうち)へとおる。それは奉行(ぶぎょう)の役権(やっけん)じゃ。役儀(やくぎ)の権(けん)をもって通(とお)るになんのふしぎがあろう。どけどけ」
「いや、奉行であろうが、目付衆(めつけしゅう)であろうが、試合(しあい)のことならとにかく、意味(いみ)もなく、われわれの陣地を踏(ふ)ますことはならん。用があるならそこでいえ」
「ウーム、強(た)って通(とお)さんとあらばぜひがない。では、ただいま奥(おく)へにないこんだ婦人(ふじん)をこれへだしてもらいたい」
 一火は聞くとカラカラと笑(わら)って、
「総奉行(そうぶぎょう)たる貴殿(きでん)が、不審(ふしん)なことをもうされるものかな。大講会(だいこうえ)の空を飛行(ひこう)して、試合(しあい)の心をみだす奇怪(きかい)な女を、拙者(せっしゃ)が一火流(いっかりゅう)の砲術(ほうじゅつ)をもって撃(う)ち落とし、かく衆人(しゅうじん)のさわぎを取りしずめたものを、なんでその女をわたせなどと見当(けんとう)ちがいなご抗議(こうぎ)を持ちこまれるのか。――それよりはすこしも早く、つぎの試合(しあい)の支度(したく)でもいそがれるが、そこもとの役目ではないかとぞんずる」
「さような指図(さしず)はうけんでもよろしい!」
 石見守(いわみのかみ)は額(ひたい)に青筋(あおすじ)を立てて、
「あの者は、源氏閣(げんじかく)の上より逃亡(とうぼう)して、その後(ご)ゆくえ知れずになっていた咲耶子(さくやこ)という不敵(ふてき)な女、ことに、浜松城(はままつじょう)に差(さ)し立てることになっている罪人(ざいにん)じゃ。わたさぬとあれば、徳川家(とくがわけ)の武威(ぶい)のほどを示(しめ)しても申しうけるがどうじゃ!」
 いうことばの終るのを待たず、
「血(ち)まような、石見守(いわみのかみ)ッ」と、一火(いっか)は激越(げきえつ)に、
「汝(なんじ)、総奉行(そうぶぎょう)という重き役目にありながら、じしんから大講会(だいこうえ)のやくそくを破(やぶ)ってもよいものか。――この御岳(みたけ)三日(みっか)のあいだは、兵を動かすなかれ、血(ち)を流すなかれ、仇国(きゅうこく)との兵火(へいか)もやめよという掟(おきて)の下(もと)に行(おこな)われることは、ここにあつまる天下の武門(ぶもん)、百姓(ひゃくしょう)町人(ちょうにん)もあまねく知るところ。――それを、弓矢(ゆみや)にかけてもと申したいまの一言(ごん)、それは正気(しょうき)か! おどかしか! 見ごと取れるものなら武力をもって取ってみろ」
 これは理(り)のとうぜん。
 石見守長安(いわみのかみながやす)は、ハッと醒(さ)めたような顔色になった。そして自分の過言(かごん)に気がついたらしく、
「いや鐘巻(かねまき)先生」
 と、急にたいどをかえて、
「不肖(ふしょう)、奉行(ぶぎょう)の身をもって、混乱(こんらん)のなかとはいえ、過激(かげき)に似(に)たことばを発(はっ)したのは、重々(じゅうじゅう)なあやまり、どうかお気持をとりなおしていただきたい」
「そう尋常(じんじょう)に仰(おお)せあるなら、なにも、このほうとて、威猛高(いたけだか)になる理由(りゆう)はない」
「ところで、ただいまもうした咲耶子(さくやこ)という女は、なにか、そこもとのほうで捕(と)らえておく必要(ひつよう)がおありなのか」
「いやいや、じぶんとしては、さいぜんからの騒擾(そうじょう)をしずめる手段(しゅだん)として、やむなく発砲(はっぽう)したまでのこと、それゆえ、女の左の腕(うで)をねらって、一命(めい)にはさわりのないように、はじめから用意(ようい)しておる」
「ならば、あの鷲(わし)のからだをねらってうったほうがよかったであろうに」
「あれほどの大鷲(おおわし)が、一発(ぱつ)の弾(たま)でおちてくるはずはない。さすれば、女は谷(たに)へふりおとされ、二ツの生命(いのち)を傷(きず)つけることになる。これも、御岳(みたけ)三日(みっか)の神文(しんもん)の約(やく)を守(まも)ればこそ」
「さすがは一火(いっか)先生、それほどまでのご用意(ようい)があろうとは、石見守(いわみのかみ)も敬服(けいふく)にたえませんです。いずれこのことは大講会閉会(だいこうえへいかい)ののちに主君(しゅくん)家康公(いえやすこう)にもうしあげて、なにかの形(かたち)でご表彰(ひょうしょう)いたしたいと思うが……」
 と、長安(ながやす)は老獪(ろうかい)な弁舌(べんぜつ)で、単純(たんじゅん)な武芸者肌(ぶげいしゃはだ)の一火を、たくみにおだてあげ、さてまた、
「そちらにご不用なあの咲耶子(さくやこ)、右のしだいゆえ、どうかこのほうへお下(さ)げ渡しを願いたい」
 と、ものやさしく奥(おく)の手をだした。
 するととつぜん、ことばの横から、
「イヤ、待ッた!」
 ずんと鉄杖(てつじょう)を大地について、加賀見忍剣(かがみにんけん)がそれへでてきた。

 忍剣(にんけん)のうしろには木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)、巽小文治(たつみこぶんじ)、竹童(ちくどう)など、いずれも非凡(ひぼん)な面構(つらがま)えをして突(つ)ッ立っている。
 長安(ながやす)は、まさかそれが、小太郎山(こたろうざん)の残党(ざんとう)、伊那丸幕下(いなまるばっか)の者であろうとは夢(ゆめ)にも知らず、
「なにッ?」
 と、五人のすがたへ賤(いや)しめるような目をくれて、
「何者(なにもの)だ! きさまたちは」
 きッとなって、睨(ね)めつけた。
 忍剣はおちつきはらって、
「拙僧(せっそう)は西方(さいほう)の国より大心衆生(たいしんしゅじょう)の人間界(にんげんかい)に化現(けげん)した釈迦(しゃか)の弟子(でし)、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)という男。――またうしろにいるのは、勢至菩薩(せいしぼさつ)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)、大日菩薩(だいにちぼさつ)の人々であるが……」
 あまりでたらめなことばに、あい手があッけにとられているのを見くだしながら、忍剣はきまじめに、
「ただいま、われらとしたしい勢至菩薩が、鷲(わし)にのって天行(てんこう)しつつ、この試合場(しあいじょう)をながめているうち、一火殿(いっかどの)の鉄砲(てっぽう)に傷(きず)つけられたようすゆえ、一同そろって見舞(みま)いにまいったのでござる。それを浜松城(はままつじょう)へ差(さ)し立てる罪人(ざいにん)などとは、飛んでもないあやまり、どうか、あの婦人(ふじん)は吾々(われわれ)のほうへお渡(わた)しを願(ねが)いたい」
(こやつ、気狂(きちが)いにそういない)
 石見守(いわみのかみ)は相手にせず、一火(いっか)へ向かって、
「いざ、こうしてひまどられては、かんじんな試合(しあい)の順序(じゅんじょ)がおくれるばかり。どうか、あれなる咲耶子(さくやこ)は縄(なわ)つきとして自分のほうへ渡されたい」
「いやいや、いかに人間界(にんげんかい)に化現(けげん)している身とはいえ、勢至菩薩(せいしぼさつ)を縄(なわ)つきなどになされては、あとの仏罰(ぶつばつ)がおそろしかろう。あの婦人はわれわれ五人へ渡したまえ」
「ふらちな売僧(まいす)め、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の勢至菩薩のと、だれがさようなたわごとを信(しん)じようか。あいや一火先生(いっかせんせい)、ぜひ、咲耶子はこの長安(ながやす)のほうへ」
「イヤ、ぜひともわれわれ五菩薩(ぼさつ)へ」
「いいや、長安が申しうける」
「なんのだんじて拙僧(せっそう)がもらいうけた!」
 双方(そうほう)、いいつのって、鐘巻一火(かねまきいっか)のとばりのまえを一寸(すん)たりとひく色がない。
 これが、御岳神文(みたけしんもん)の三日(みっか)でなければ、とっくに、長安(ながやす)も家来(けらい)に顎(あご)をしゃくって抜刀(ばっとう)を命(めい)じたであろうし、気のみじかい忍剣(にんけん)の禅杖(ぜんじょう)が、ブンと石見守の頬骨(ほおぼね)をおさきにくだいていたかもしれない。
 だが、幸(こう)か不幸か、なにしろ、血(ち)を見るなかれの場所(ばしょ)であり、三日である。
 その善(ぜん)と悪(あく)たるを問(と)わず、さきに神文の約(やく)をやぶれば天下の武芸者(ぶげいしゃ)にその信(しん)を失(うしな)わなければならない。
 で、これはどこまで、押(お)し根気(こんき)の懸合(かけあ)いだ。
 弱(よわ)ったのは、鐘巻一火(かねまきいっか)。
 かれが大久保長安(おおくぼながやす)にいったことばは、すこしもうそのないところである。かれが一火流(いっかりゅう)の手のうちを見せようとはかってした行為(こうい)の目的(もくてき)はたっしている。
 咲耶子(さくやこ)のからだはかれに用(よう)がない。内心(ないしん)では、渡(わた)してやってもいいと考えている。
 しかし、長安のほうに渡すのが至当(しとう)か、五菩薩(ぼさつ)の仮名(けみょう)をつかってでてきた者にわたしたほうがいいものか、双方(そうほう)のあいだにはさまって、まったくとうわくの顔色だ。
 しかも、五人の偽菩薩(にせぼさつ)の顔色をジロリと見ると、もし自分が石見守(いわみのかみ)に加担(かたん)して、いな、と一言(ごん)に突(つ)ッぱねれば、どういう手段(しゅだん)にもうったえかねない底意(そこい)がよめる。
 そこは、一火もひとかどの武芸者(ぶげいしゃ)、
(ウム、これは大難事(だいなんじ)、うかつに軍配(ぐんばい)をあげられないぞ)
 早くもさっしたから、よけいにこの難問題(なんもんだい)の決断(けつだん)がつかなかった。
 一方、群集(ぐんしゅう)のほうでは、矢来越(やらいご)しに遠見(とおみ)なので、こうした事情(じじょう)が、そこに起っているとはわからない。ただいつまでも試合場(しあいじょう)の中央(ちゅうおう)が大きな空虚(くうきょ)になりッぱなしとなって、人ばかり右往左往(うおうさおう)しているので、さかんにガヤガヤもめている。
 すると、鐘巻一火。
 そうほうの仲(なか)に板挟(いたばさ)みとなって、ややしばらく、腕(うで)をくんでしまったが、やがて、大久保(おおくぼ)がたの者と忍剣(にんけん)たちの両方(りょうほう)へ対(たい)して、
「お望(のぞ)みの咲耶子(さくやこ)とやらのからだは、何時(なんどき)にても、苦情(くじょう)なくお渡(わた)し申すことにいたそう」
 等分(とうぶん)にいって、クルリと、幕(まく)のすそをまくりあげた。――そして、
「お渡しすることはお渡しいたすが……ただしでござる、いずれへお渡しいたすのが正義(せいぎ)なりや、一火(いっか)もホトホトとうわくつかまつるしだい、ついては、ざんじ休息(きゅうそく)のうえ、門弟(もんてい)たちとも評議(ひょうぎ)をかさねてあらためてご返答(へんとう)をいたす考え、失礼(しつれい)ながらしばらくそれにてお待ち願いたい」
 ハラリと帳(とばり)をおろすと、幕(まく)のかげへ引ッこんでしまった。

 この場合(ばあい)にのんきしごくな――。
 と思うまもなく鐘巻一火(かねまきいっか)は、また、幕をしぼってあらわれた。
 解決(かいけつ)がついたか、まえのとうわくな気色(けしき)が晴(は)れている。
「咲耶子(さくやこ)が気がつきましたぞ」
 双方(そうほう)へむかっていった。
「おう、では大(たい)したけがもないか」
「腕(うで)の鉄砲傷(てっぽうきず)は急所(きゅうしょ)がそれておるし、ただいま、門人(もんじん)に手当(てあて)をさせておるゆえ、べつだんなこともないようでござる」
 そういってから――さて――と言葉をあらためて、
「ただいまのこと、一同評議(ひょうぎ)の結果(けっか)、これはやはり御岳(みたけ)の神慮(しんりょ)におまかせいたすのがとうぜんであろうという意見(いけん)に一決(けつ)したが、双方(そうほう)ごいぞんはないであろうか」
「神慮にまかすという意味(いみ)は、神籤(みくじ)でも引いて決(き)めようということであるか」
 と、長安(ながやす)は不満(ふまん)な色をたたえた。
「いや、神籤よりは武道試合(ぶどうしあい)の日のできごと、やはり、武技(ぶぎ)をもって神慮に問うのが自然(しぜん)であろう」
「なるほど!」
 忍剣(にんけん)は、よし、というふうにうなずいて、
「では、われわれと大久保家(おおくぼけ)の臣(しん)と、武技をたたかわせたうえに、その勝ったるほうへ、咲耶子(さくやこ)を渡(わた)してくださるというのですな」
「いかにも。石見守(いわみのかみ)どの、ご賛否(さんぴ)はいかが」
「ウム。よろしい!」
 かれも、いさぎよく承知(しょうち)した。
 が――すぐにあわてた調子(ちょうし)で、
「イヤ待った、それには、条件(じょうけん)がある」
「ふム、条件とは?」
「じしんが総奉行(そうぶぎょう)たり、重(おも)なる家臣(かしん)が目付(めつけ)たる役目上(やくめじょう)、大久保家では、このたびの試合(しあい)にいっさい何人(なんぴと)もだしておらぬ。それゆえ、主君(しゅくん)ご直参(じきさん)、浜松城(はままつじょう)の人々に、その代試合(だいじあい)をいらいするが、その件(けん)、異存(いぞん)があるならしょうちできぬ」
「なに、徳川家直参(とくがわけじきさん)のものに代試合をたのまれるとか、それは、願ってもないこと、当方(とうほう)に異存はない」
「では一火(いっか)どの、かならず、違約(いやく)なしという、神文血判(しんもんけっぱん)をしてほしい」
「誓紙(せいし)の支度(したく)は暇(ひま)どるばかり、それよりも武門(ぶもん)の金打(きんちょう)、おうたがいあるな」
「お。では浪人(ろうにん)ども、あちらの空部屋(あきべや)へさがって試合(しあい)の用意(ようい)をせい」
 長安(ながやす)は奉行(ぶぎょう)の床几席(しょうぎせき)へ大股(おおまた)にあるいていって、あたりの家臣(かしん)と額(ひたい)をあつめ、また徳川家の者がひかえている溜(たま)りへ使いを走らせた。
 見物(けんぶつ)はそういう内情(ないじょう)は知らない。ただ、床几席(しょうぎせき)に奉行のすがたが見えたし、検証(けんしょう)の位置(いち)に鐘巻一火(かねまきいっか)がひかえたので、
「さあ……」
 と、にわかに空気をかえて、つぎの試合を期待(きたい)した。
「うまくいったな」
「思(おも)う壺(つぼ)と申(もう)していいな」
 龍太郎(りゅうたろう)や小文治(こぶんじ)は、顔を見あわせ微笑(びしょう)した。長安は空部屋をさがして支度(したく)せよといったが、見渡(みわた)したところ、みなどうどうたる大名紋(だいみょうもん)の幔幕(まんまく)ばかりで、そんなところはありそうもなく、五人の勇士(ゆうし)も、それには、ちょッと立往生(たちおうじょう)していると、
「ご浪士(ろうし)、ご浪士」
 と、うしろで、呼(よ)ぶ者がある。
 見ると、さいぜん、栴檀刀(せんだんとう)をハネ飛ばした、すばらしい槍(やり)の使い手、可児才蔵(かにさいぞう)であった。
「支度(したく)の場所(ばしょ)におこまりのごようす、おいやでなくばこの幕(まく)のうちへ」
 と、五三の桐(きり)のとばりをあげて、ニッコと五人を目でまねいた。

 だれかは知らぬが、おりにふれて、相身(あいみ)たがいの武門(ぶもん)のなさけ、ゆかしくもうれしい、人の言葉である。
 飛び入りというのでもなく、意外(いがい)なことから、ここに咲耶子(さくやこ)の身をとるか、渡(わた)すかの試合(しあい)となった一同が、支度の場所もなくとうわくしているところへ、五三の桐の幕のかげから、
「これへ」と、さしまねいた親切(しんせつ)な武士(ぶし)。
 忍剣(にんけん)、龍太郎(りゅうたろう)、小文治(こぶんじ)、蔦之助(つたのすけ)、竹童(ちくどう)の五人は、時にとって炎暑(えんしょ)をしのぐ一樹(じゅ)の蔭(かげ)ともありがたく思いながら、
「ご芳志(ほうし)にあまえて、しばらくのあいだ、幕(まく)の一ぐうを拝借(はいしゃく)つかまつります」
 しずかにくぐってなかへ通り、隅(すみ)にのべてあるむしろの上へ、めいめいつつましくすわりこんだ。
 すると、そこにまっ赤(か)な顔をして、ゆうゆうと酒(さけ)を飲んでいた豪放(ごうほう)らしい侍(さむらい)がある。一同をながめると、莞爾(かんじ)として迎(むか)えながら、
「失礼(しつれい)だが、お祝(いわ)いに、一献(こん)まいろう」
 と、忍剣(にんけん)へ茶碗(ちゃわん)を持たせて、酒の入っているらしい壺(つぼ)を取りあげた。
「や、これはかたじけないが、じぶんは見らるるとおり僧形(そうぎょう)の身、幼少(ようしょう)から酒の味(あじ)を知ったことがない、兄貴(あにき)、かわってくれ」
 と、龍太郎(りゅうたろう)へ茶碗をゆずると、龍太郎もあやまって、
「武術(ぶじゅつ)に酒気(しゅき)のあるのは禁物(きんもつ)ということ、未熟者(みじゅくもの)にとってはことにだいじな試合(しあい)、もし不覚(ふかく)があってはもの笑(わら)いのたねとも相(あい)なるから、まず、お志(こころざし)だけをうけて、お祝(いわ)いはあとでちょうだいいたす」
 と、当(あた)りさわりなくいって、茶碗を返した。
「あはははは、なるほど、まだ前祝(まえいわ)いは少し早いな、では後祝(あといわ)いにいたして、じぶんがご一同に代(かわ)り、まず幸(さい)さきを祝福(しゅくふく)しておく」
 と、侍はらいらくに笑(わら)って、ひとり酌(つ)ぎ、ひとり飲んで、しきりと愉快(ゆかい)がっている。
 冷水(れいすい)をたたえた手桶(ておけ)に小柄杓(こびしゃく)、それに、汗(あせ)どめの白布(はくふ)をそえてはこんできた若い武士(ぶし)がある。一同にその使用をすすめたのち、
「拙者(せっしゃ)は大坂城(おおさかじょう)に質(ち)としておる真田源次郎(さなだげんじろう)という若輩者(じゃくはいもの)、どうかお見知(みし)りおきを」
 と、ていねいに名のった。
「や、では秀吉公(ひでよしこう)の」
 と忍剣(にんけん)や龍太郎(りゅうたろう)は、はじめて、五三の桐(きり)の紋(もん)どころに思いあわせて、
「真田源次郎どのとおおせあると、上田(うえだ)の城主(じょうしゅ)真田昌幸(さなだまさゆき)どののご一子(し)、秀吉公の手もとで養(やしな)われているとうわさにききましたが、その源次郎どのでござるか」
「お恥(はず)かしゅうぞんじます」
 と、源次郎はあくまでけんそんであった。
「やあ、さてはやはりそうであったか。これはお見それいたしました。わたしこそは、なにをかくしましょう、故勝頼公(こかつよりこう)のわすれがたみ、武田伊那丸君(たけだいなまるぎみ)の付人(つきびと)、恵林寺(えりんじ)の禅僧(ぜんそう)加賀見忍剣(かがみにんけん)ともうしますもの」
「じぶんは、おなじく伊那丸さまの微臣(びしん)、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)という者」
「拙者(せっしゃ)は、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)です」
 礼(れい)にたいしては礼をもって酬(むく)う。
 巽小文治(たつみこぶんじ)や鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)も、そのことばについてじゅんじゅんに姓名(せいめい)を明かしていくと、最初(さいしょ)に、幕(まく)のかげから手招(てまね)きした可児才蔵(かにさいぞう)もそれへきて話しかけ、酒(さけ)をのんでいた侍(さむらい)も、井上大九郎(いのうえだいくろう)と名のりあった。
 いつか伊那丸(いなまる)が京都から東へ帰るとき、秀吉(ひでよし)は桑名(くわな)の陣中(じんちゅう)にしたしく迎(むか)えて、道中(どうちゅう)の保護(ほご)をしてくれたのみか、御旗(みはた)楯無(たてなし)の家宝(かほう)まで伊那丸の手へかえしてくれた。
 それいらい、伊那丸も一党(とう)の者も、豊臣家(とよとみけ)にたいしてしぜんといい感じを持っていた。おそらく、秀吉は武田家(たけだけ)の味方(みかた)ではあるまいが、悪意(あくい)ある敵(てき)ではないと信(しん)じてきた。
 おもえば、ふしぎな縁(えん)でもある。
 桑名でああいう援護(えんご)をうけて、またまた、この御岳(みたけ)でも、同じ五三の桐(きり)の幕(まく)のかげに、武士(ぶし)の情(なさ)けをうけようとは。

 大九郎と可児才蔵(かにさいぞう)は、桑名の陣で、忍剣(にんけん)のおもざしを見おぼえていたといった。
 そういわれれば忍剣にも、思いだされることである。あのとき、秀吉に侍(じ)していた、あまたの武将(ぶしょう)や侍のなかに、たしかに、大九郎のすがたも見えた。可児才蔵の顔もあった。
 怪傑(かいけつ)と怪傑、勇士(ゆうし)と勇士、五三の桐の幕のなかには渾然(こんぜん)とうちとけ合って、意気(いき)りんりんたるものがある。
 ――試合場(しあいじょう)のほうは、さきほどから、きわだってしずかになっていた。群集(ぐんしゅう)も鳴りをしずめて、次(つぎ)の展開(てんかい)を待ちかまえているのであろう。
 ところへ、駒(こま)をとばしてきた一騎(き)の使者、ヒラリと降(お)りて、そとから桐紋(きりもん)の幕(まく)をたくしあげて、はいってきた。
 試合(しあい)の前のうちあわせである。
 徳川家(とくがわけ)からは五名の闘士(とうし)の名をあげてきた。そして、勝ち抜(ぬ)きでは勝敗(しょうはい)に果しがないから、おのおの一番勝負として、点数(てんすう)勝越(かちこ)しのほうのものが咲耶子(さくやこ)の身を引きとるというやくそくを条件(じょうけん)にかぞえてある。
「承知(しょうち)した」
 もとより、こっちにも異議(いぎ)はなかった。
「では、試合にさきだって、伝令(でんれい)の者が、各所(かくしょ)の溜(たま)りの人々へ、番組(ばんぐみ)を予告(よこく)するのが定例(じょうれい)でござるゆえ、そちらの闘士をきめて、この下へご記名(きめい)願(ねが)いたい」
 と、使者は、徳川家でえらびだす闘士の名をしるした奉書(ほうしょ)をそれへひろげた。
 見ると、なんという皮肉(ひにく)。
 ふつうの武技(ぶぎ)では、どういう敗辱(はいじょく)をまねこうも知れずと、大久保長安(おおくぼながやす)らが、わざと相手をこまらそうとたくらんだ卑劣(ひれつ)な心事(しんじ)があきらかに読めている。
 なぜかといえば、その人選(じんせん)はとにかく、争(あらそ)うべき焦点(しょうてん)にはこちらになんの相談(そうだん)もなく、こういう無類(むるい)な部門分(ぶもんわ)けをして、勝手(かって)な註文(ちゅうもん)をつけてきたのである。

一番忍法(にんぽう)  御方(みかた) 隠密組(おんみつぐみ) 菊池半助(きくちはんすけ)
      相手方(あいてがた)     未定(みてい)
二番遠矢(とおや)  御方 河内流(かわちりゅう) 加賀爪伝内(かがづめでんない)
      相手方        同
三番吹針(ふきばり)  御方 宗門御抱老女(しゅうもんおかかえろうじょ) 修道者(イルマン)
      相手方        同
四番幻術(げんじゅつ)  御方 南蛮流(なんばんりゅう) 和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)
      相手方        同
五番遠駆(とおがけ)  御方 浜松足軽組(はままつあしがるぐみ) 燕作(えんさく)
      相手方        同
定(さだめ)
 以上(いじょう)五試合(しあい)のこと。
 右のうち吹針には他(た)の武技(ぶぎ)をもって試合することを得(う)、また遠駆けには相手方、騎乗(きじょう)徒歩(かち)いずれにても随意(ずいい)たるべきもの也(なり)。
大講会総奉行(だいこうえそうぶぎょう)
大久保石見守(おおくぼいわみのかみ)(花押(かきはん))
試合検証(しあいけんしょう)
鐘巻一火(かねまきいっか)
 正当(せいとう)な武芸(ぶげい)とはいわれぬ、幻術(げんじゅつ)や遠駆(とおが)けなどの試合(しあい)を提示(ていじ)してきたのを見ると、一同は、かれらのひきょうな心底(しんてい)を観破(かんぱ)して、一言(ごん)のもとに、それをはねつけようと思った。
 しかし、考えてみると、自分たちはここで晴(は)れがましい武名(ぶめい)を大衆(たいしゅう)に売ろうというのではない。
 咲耶子(さくやこ)の一身を救えばいいのだ。
 かれをやぶってかれの毒手(どくしゅ)に同志(どうし)のひとりを渡(わた)さなければ、それでいい。つまりここで徳川家(とくがわけ)の代表者(だいひょうしゃ)とあらそうのはその方便(ほうべん)でしかないわけだ。
 で、忍剣(にんけん)は、男らしくいった。
「このさい、なにをぐずぐずいったところでしかたがないから、さきの註文(ちゅうもん)どおり快諾(かいだく)してやって、そのかわりに、木(こ)ッ葉(ぱ)みじんにしてやろうじゃないか」
「ウム、かれらの策(さく)にのせられると思えば不愉快(ふゆかい)だが、得物(えもの)やわざは末葉(まつよう)のこと、承知(しょうち)してくれよう」
 と、龍太郎(りゅうたろう)もうなずいて、他の者の同意(どうい)をたしかめたうえ、けつぜんと、徳川がたの使者(ししゃ)にこたえた。
「ご提示(ていじ)の定書(さだめがき)、いかにも承知(しょうち)いたした」
 使者(ししゃ)は一礼(れい)して、
「さっそくのご承引(しょういん)かたじけなくぞんじます」
 と、いったが、いまの書きつけをさしだして、
「では、この試合(しあい)の部門(ぶもん)に、なにびとがなんの立合(たちあ)いにご出場(しゅつじょう)になるか、流名(りゅうめい)とご姓名(せいめい)とを、正直(しょうじき)にお書き入れねがいとうござる」
「あいや、われらもとより浪々無住(ろうろうむじゅう)のともがらである。名のるほどの姓名流名を持ち合わせておらぬ者ゆえ、さいぜん申したとおり、文殊(もんじゅ)とでも大日菩薩(だいにちぼさつ)とでも、いいようにお書き入れください」
「大講会(だいこうえ)の規(おきて)として、そうはまいりませぬ。ご本名(ほんみょう)をお認(したた)めなきうちは、これを諸侯(しょこう)の控(ひか)え所(じょ)へ伝令(でんれい)することもならず、ご奉行(ぶぎょう)としても、役儀(やくぎ)がら試合を命(めい)じるわけにもゆきませぬ」
「どうしよう、忍剣(にんけん)」
 と、龍太郎(りゅうたろう)は、また一方へ相談(そうだん)を向けた。
「そうだな、われわれはどうなっても、いっこう仔細(しさい)はないが、まんいち若君(わかぎみ)にごめいわくがかかってはならぬし……」
「しかし、大講会三日のあいだは、血(ち)を見ることをゆるさぬ誓(ちか)いがある。かまわぬから本名を記(しる)してやろうじゃないか。どうだろう、蔦之助(つたのすけ)」
「すでに、豊臣家(とよとみけ)のほうにも打ち明けたこと、拙者(せっしゃ)も、名のって仔細はあるまいと思う」
 小文治(こぶんじ)も同意(どうい)した。
 そこで一同は、作戦をこらすために、かたすみへ寄(よ)って凝議(ぎょうぎ)をしたうえ、おのおの国籍(こくせき)本名(ほんみょう)をあからさまに記入(きにゅう)してやった。
(きゃつ、あれを見ると、きっとびっくりするにちがいないぞ)
 こう思っていると、案(あん)の定(じょう)、使者は五人の記名(きめい)と姿(すがた)とを見くらべて、がくぜんと目をまるくしたまま、あとの文句(もんく)もいわず、幕(まく)のそとへ飛びだしていった。
 さらに。それからかれ以上(いじょう)に仰天(ぎょうてん)したのは、使者がもたらしてきたことによって、はじめてことの真相(しんそう)を知った大久保石見守(おおくぼいわみのかみ)であり、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)であり、そのほか徳川家(とくがわけ)に籍(せき)をおくものすべてであった。
「さては」と、だれの顔色もかわった。
「咲耶子(さくやこ)をわたせと、けしきばんで、あれへなだれこんできた理由(りゆう)がわかった。多寡(たか)の知れた僧侶(そうりょ)や浪人者(ろうにんもの)と見くびって、わざと、家中(かちゅう)の侍(さむらい)をださず、呂宋兵衛や吹針(ふきばり)の婆(ばばあ)をあの番組のなかにいれて翻弄(ほんろう)してやろうと思ったのだが、そうと知ったら、もう一工夫(ひとくふう)するのであった」
 と、石見守には、後悔(こうかい)のようすがあった。
 けれど、すでに、時刻(じこく)はせまる、検証(けんしょう)の鐘巻一火(かねまきいっか)は床几(しょうぎ)につく、見物(けんぶつ)は鳴りをしずめて立合(たちあ)いを待ちかまえている。……悔(く)いておよばぬ場合(ばあい)である。
 ただこのうえは、まんがいちにも、かれに敗(やぶ)れをとらぬことだ。まかりちがって、正当(せいとう)なやくそくのもとに試合(しあい)して、どうどうと、かれに咲耶子(さくやこ)を持ってゆかれるようなことがあった日には、それこそ石見守(いわみのかみ)の立場(たちば)がない。かれの失態(しったい)はなんとしてもまぬがれない。
 で、長安(ながやす)はやっきとなった。
 菊池半助(きくちはんすけ)も、すわこそと、呂宋兵衛(るそんべえ)にここの大事をささやいていた。
 かかるまに、支度(したく)の陣貝(じんがい)がしずかに鳴りわたる。……とうとうたる太鼓(たいこ)……型(かた)のごとき黄母衣(きほろ)、赤母衣(あかほろ)、白母衣(しろほろ)の伝令(でんれい)三騎(き)が、番外(ばんがい)の五番試合(じあい)を各所(かくしょ)の控(ひか)え所(じょ)へふれて、虹(にじ)のように試合場(しあいじょう)のまわりを一巡(じゅん)する……
 水をうったように、群集(ぐんしゅう)のこえと黄塵(こうじん)がしずまって、ふたたび、御岳(みたけ)の広前(ひろまえ)に森厳(しんげん)な空気がひっそりと下(お)りてきた。
 大雨(たいう)一過(か)のおもむきである。
 次(つぎ)にきたるべきものは、嵐(あらし)か、雷(いかずち)か。
 試合ははじまった。
 浜松城の隠密組菊池半助がいつのまにか広前の中央(ちゅうおう)にすッくと立っているのが見える。得物(えもの)をもたず、たすきや鉢巻(はちま)きもしていないので、この番外試合(ばんがいじあい)のいきさつを知らない一般(ぱん)の群集(ぐんしゅう)には、ちょっと気抜(きぬ)けがさせられたようすで、ふしんそうに見とれている。
 相手方(あいてがた)は、やがて、あなたのすみにある豊臣家(とよとみけ)の桐紋(きりもん)の幕(まく)をあげて歩(あゆ)みだしてきた。
 これもどうように、なんの支度(したく)らしいよそおいもしていない。ただ、いささか観衆(かんしゅう)の好奇心(こうきしん)をみたしたのは、それが白衣(びゃくえ)に白鞘(しろさや)の太刀(たち)をさした六部(ぶ)らしい風采(ふうさい)だけであった。
 忍法試合(にんぽうじあい)?
 かかる白日(はくじつ)の下(もと)、万人衆目(ばんにんしゅうもく)のあるなかで、忍術(にんじゅつ)の秘法(ひほう)をどう争(あらそ)うのだろうか。争うとすればどうするのだろうか?
 ことの真相(しんそう)を知らない場外(じょうがい)の見物人(けんぶつにん)は、いろいろ妙(みょう)な顔をしているし、事情(じじょう)を知っている人々は、大鷲(おおわし)の背(せ)から捨(す)てられた美少女(びしょうじょ)の一身が、いずれに奪(と)るか奪られるかと、じッとかたずをのみはじめた。
 いままでの、意地(いじ)や興味(きょうみ)など超越(ちょうえつ)して、ある運命(うんめい)とものすごい殺気(さっき)をはらみかけた番外(ばんがい)五番(ばん)試合(じあい)は、こうしてまさにその火蓋(ひぶた)を切られようとしている。

 伊賀流(いがりゅう)の忍者(にんじゃ)菊池半助(きくちはんすけ)と、果心居士(かしんこじ)のおしえをうけた木隠龍太郎とが、双方(そうほう)、水のごとくたいしたとき、しずかな耳を突(つ)きぬくように、一声(せい)、短笛(たんてき)の音(ね)がつよく流れた。
 と、同時に。
 あなたの葵紋(あおいもん)の幕(まく)のうちに、花壇(かだん)のように、盛(も)りあがっていたお小姓(こしょう)とんぼ組(ぐみ)の一隊(たい)が、とんぼ模様(もよう)そろいの小袖(こそで)をひるがえし、サッと試合場の一方に走りくずれてきて、三十六人が十二名ずつ三行(ぎょう)にわかれ、目にもあざやかな隊伍(たいご)をつくった。
「鶴翼(かくよく)!」
 と、朱房(しゅぶさ)の鞭(むち)をふったのは、それを指揮(しき)する徳川万千代(とくがわまんちよ)であった。
 三段(だん)の隊伍は、中央(ちゅうおう)からまッ二ツに割(わ)れて、たちまち鶴翼の陣形をつくる。
「奉行(ぶぎょう)、これでよいか」
 と万千代は、とくいらしく床几(しょうぎ)の席(せき)へむかっていう。
 石見守(いわみのかみ)は、一顆(か)のあかい鞠(まり)をだして万千代の手にわたした。すると検証(けんしょう)の鐘巻一火(かねまきいっか)も、おなじように一つの白い鞠を星川余一(ほしかわよいち)の手にあずける。
 そこでふたたび、鞭をあげると、とんぼ組(ぐみ)の隊伍は、そのまましずかに進んで、ころあいなところで、鳥雲(ちょううん)の陣(じん)にくずれ、また魚鱗(ぎょりん)の形(かたち)にむすび、しきりと厳重(げんじゅう)な陣立(じんだて)を編(あ)もうとくふうしているようすであったが、やがて八門の陣をシックリと編(あ)んで、あたかも将軍(しょうぐん)の寝間(ねま)をまもる衛兵(えいへい)のように、三十六人が屹然(きつぜん)とわかれて立った。
 その、陣形の中宮(ちゅうぐう)に、白球(はっきゅう)をもった星川余一と、紅球(こうきゅう)を持った万千代(まんちよ)とが、ゆだんのない顔をして立つと、菊池半助(きくちはんすけ)はその紅球をとって、もとの場所へかえることを、また木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)は一方の白球を取ることを、試合目付(しあいめつけ)から命じられた。
 これは伊賀流(いがりゅう)の忍(しの)びをほこる半助にも、木隠にも、おそろしい難事(なんじ)だろうと思われる。およそ忍術(にんじゅつ)というものも夜陰(やいん)なればこそ鼠行(そぎょう)の法(ほう)もおこなわれ、木あればこそ木遁(もくとん)、火あればこそ火遁(かとん)の術(じゅつ)もやれようが、この白昼(はくちゅう)、この試合場(しあいじょう)のなかで、しかも三十六人のとんぼ組(ぐみ)の小姓(こしょう)たちが八門(もん)の陣(じん)を組(く)んでまもっている鞠(まり)を、どうして、気づかれずに自分の手へとってもとの場所(ばしょ)へかえるだろうか。
「いざ!」
「目をかすめて、忍(しの)べるものなら忍んでみよ」
 という風(ふう)に、お小姓とんぼの面々(めんめん)は、ゆだんのない目をみはった。
 両士(りょうし)は、サッと左右(さゆう)にわかれて、八門の陣のすきをうかがう。
 ――といっても、そこには木蔭(こかげ)があるわけではなく、身をかくす家があるのでもないから、もとよりどう手をくだす法(ほう)もないらしい。
 木隠(こがくれ)が右へまわれば右へ、半助が左側(さそく)をねらえば左側の目ばしこい小姓たちの眼が光ってうごく。
 すると、菊池半助(きくちはんすけ)は、とつぜんとんぼ組の陣形(じんけい)のまわりを、疾風(しっぷう)のようにぐるぐるまわりだした。
 かれらはその迅(はや)さに目まいがしてきたように、ただアッ――と、あッけにとられている。その姿(すがた)はいよいよ加速度(かそくど)に早くなって、ついには、小姓たちの目にも遠くからながめている人々の目にも、それが半助か、一片(ぺん)のくろい布(ぬの)がつむじ風(かぜ)でめぐっているのか、ほとんど目にもとまらないほど迅速(じんそく)になってきた。
 それに、すべての者の視線(しせん)がうばわれているまに、いままで、一方に立っていた木隠の姿(すがた)がこつぜんと消(き)えている。
「や、さては」
 と、小姓(こしょう)の面々(めんめん)がハッと身をかためていると、八門(もん)の陣(じん)の一方に、白いものがヒラリとおどった。
「それ」
 と、心もちそのほうへ、一同のからだがズズとよりつめてゆくと、非(あら)ず! そこへ散(ち)ったのは数枚のふところ紙(がみ)で、みなの視線(しせん)が、それにみだされて散らかったせつな、陣(じん)の中宮(ちゅうぐう)にいた星川余一(ほしかわよいち)が、風で貼(は)りついた一枚の白紙(はくし)を片手で取りのけながら、
「あッ、しまった」
 と、とんきょうにさけんだ。

 余一の声におどろいて、万千代(まんちよ)もひょいとろうばいした。とたんに、だれかが、かれの肘(ひじ)を足もとからトンと突(つ)いた。
「あッ」
 といったが、肘をつかれたはずみに、赤い鞠(まり)はかれの掌(て)をはなれて、ポンと飛びあがった。
 それへ、烏猫(からすねこ)のような人かげが、いきなり飛びかかったかと思うと、
「えいッ!」
 と、ほとんど一しょに耳をうった二声(ふたこえ)の気合(きあ)い。
 陣(じん)をくずした小姓組(こしょうぐみ)の者をいつのまにかとびこえたのであろう、木隠(こがくれ)は白球(はっきゅう)を手に、菊池半助(きくちはんすけ)は紅球(こうきゅう)を手にして、最初(さいしょ)の位置(いち)に立っている。
 忍法試合(にんぽうじあい)紅白(こうはく)鞠盗(まりぬす)みの試合(しあい)は瞬間(しゅんかん)だった。
 この鞠ぬすみは伊賀流(いがりゅう)と甲賀流(こうがりゅう)のものが、かつて信長(のぶなが)の在世(ざいせい)当時、安土城(あづちじょう)で試合をしたこともあるし、それよりいぜんには、仙洞御所(せんとうごしょ)のお庭さきで月卿雲客(げっけいうんかく)の前で、叡覧(えいらん)に供(きょう)したこともあって、のちには、公卿(くげ)たちのあいだに、これを蹴鞠(けまり)でまねした遊戯(ゆうぎ)さえのこったほどである。
 さて。
 余事(よじ)はとにかく、いまの試合はいずれに軍配(ぐんばい)があげられるものだろうか?
 むろん、検証役(けんしょうやく)の鐘巻一火(かねまきいっか)は、床几(しょうぎ)から立ちあがって、
「同点。忍法試合(にんぽうじあい)勝負なし!」
 と、鉄扇(てっせん)をふるって、奉行目付(ぶぎょうめつけ)へいったことである。
 衆目(しゅうもく)、それに異議(いぎ)はなかった。
 菊池半助は、勝負なしのものわかれに、無念(むねん)そうな白眼(はくがん)を相手に投げ、そうほう、無言(むごん)のままにらみわかれた。
「わーッ……」
 と崩(くず)れたのはお小姓(こしょう)とんぼである。万千代(まんちよ)をはじめ余一(よいち)その他(た)のもの、試合(しあい)がおわると、いっせいにもとの幕(まく)うちへ、引きあげてゆく。
 そして、遠雷(えんらい)のような群衆(ぐんしゅう)のどよめきが、あとしばらくのあいだ、空に消(き)えなかった。
 ――と思うと、すでに二番(ばん)試合(じあい)の合図(あいず)が、息(いき)もつかずとうとうと鳴りわたって、清新(せいしん)な緊張(きんちょう)と、まえにもまさる厳粛(げんしゅく)な空気を、そこにシーンとすみかえらせてきた。
 と見れば。
 片肌(かたはだ)をおとした凛々(りり)しいふたりの射手(いて)は、もう支度(したく)のできている場所(ばしょ)に身がまえをつくって、弓懸(ゆがけ)をしめ、気息(きそく)をただし、左手にあたえられた強弓(ごうきゅう)を取って、合図、いまやと待ちうけている。
 この遠矢(とおや)くらべ、番(つが)えた矢(や)よりほかに代矢(かえや)のない、一本(ぽん)試合(じあい)のだいじな競射(きょうしゃ)である。
 的(まと)は?
 おお、その的として、示(しめ)されたものがまたおそろしく遠方だ。じッと、眸(ひとみ)をこらさなければ、それとはたしかに見きわめがつかないくらい。
 谷(たに)をへだてた前方に、高からぬ峰(みね)がそびえている。その白鳥(しらとり)の峰の七合(ごう)目(め)あたりに、古い丸木(まるき)の鳥居(とりい)が見える。鳥居はその幽邃(ゆうすい)な白鳥神社(しらとりじんじゃ)奥(おく)の院(いん)の印(しるし)で、それまではだれにでも一目でわかるが、遠矢の的と示されたものは、その鳥居の正面にかかっている額(がく)だった。
 御岳(みたけ)の中腹(ちゅうふく)をくだり、渓流(けいりゅう)をこえ、沢(さわ)をわたり、そして向こうの白鳥のみねの七合目までいくには、おそらく二十八、九町(ちょう)もあろうが、この御岳(みたけ)の一端(たん)にたって直線(ちょくせん)に対峙(たいじ)すれば、そのいくぶんの一の距離(きょり)しかあるまい。
 しかし、せまい山と山とのあいだには、風がないような日でも、ふだんに寒冷(かんれい)な気流(きりゅう)があって、よほどな射手(いて)が、よほどな矢(や)をおくらぬかぎり、その気流のさからいをうけずに的(まと)へあたるということはありえないだろう。などと、弓道(きゅうどう)にこころえのある傍観者(ぼうかんしゃ)は、はやくも、各藩(かくはん)のひかえ所(じょ)で下馬評(げばひょう)まちまちである。
 だが、
 射手(いて)にはじゅうぶんな自信があるものか、やがて、弓作法(ゆみさほう)おごそかにすますと、徳川家方(とくがわけがた)の射手加賀爪伝内(かがづめでんない)、伊那丸方(いなまるがた)の山県蔦之助(やまがたつたのすけ)、そうほうおもむろに足を踏(ふ)みひらいて、矢番(やつが)えガッキリとかませ、白鳥(しらとり)のみねの樹間(じゅかん)にみえる大鳥居(おおとりい)の懸額(かけがく)を、キッと横ににらんだ。

 山県蔦之助は人もしる代々木流(よよぎりゅう)の達人(たつじん)。
 大津(おおつ)のまちにその弓道の道場をひらいていたころには、八坂(やさか)の塔(とう)の怪人(かいじん)を射(い)るいぜんから、今為朝(いまためとも)とはやされていた人。またかつて竹童(ちくどう)が、大鷲(おおわし)クロの背(せ)をかりて鞍馬(くらま)の僧正谷(そうじょうがたに)から高尾山(たかおさん)へつかいしたとちゅうにも、かれの誤解(ごかい)をうけて、そのおそろしい強弓(ごうきゅう)の矢(や)に見まわれ、ほとんど立ち往生(おうじょう)して地上におとされたことがある。
 その代々木流(よよぎりゅう)の臂力(ひりょく)をためさぬことも、蔦之助(つたのすけ)にとっては、久(ひさ)しいものだ。
 弓(ゆみ)をひく者がながらく弓を持たずにいると病気になるとさえいう。
 蔦之助も、めぐりぞ会(あ)ったこの晴(は)れの場所(ばしょ)で、いま、鏑籐日輪巻(かぶらとうにちりんまき)の強弓(ごうきゅう)にピッタリと矢筈(やはず)をかましたしゅんかん、なんともいえない爽快(そうかい)な気持が胸(むね)いっぱいにひらけてきた。
 くわッとはるかな的(まと)を見、弦絃(げんげん)二つに割(わ)って、キリッ、キリッと、しずかに満(まん)をしぼりこんでゆく。
 河内流(かわちりゅう)の加賀爪伝内(かがづめでんない)、これも徳川家(とくがわけ)ではすぐれた射術家(しゃじゅつか)らしい。
 りっぱだ。蔦之助のそばに立って、蔦之助のかまえに見おとりがしない。
 しぼりこんだ弓と人とが、ほとんど同じかたちになって、鏃(やじり)のさきが、弓身(きゅうしん)のそとにあますところのないまで引き強められていったしゅんかん――
 声をのんでひッそりとしずまりかえった場(じょう)の内外は、無人(むじん)のごとくどよみを沈(しず)めて、息(いき)づまるような空気をつくっていた。
 すると、ひとり、矢来(やらい)のそとの群衆(ぐんしゅう)のなかで、
「民部(みんぶ)、こまったことになったものだの」
 と、ささやいた人があった。
 さいぜん、竹童(ちくどう)が鷲(わし)につられて走ったのをきっかけに、とめるまもなく、一党(とう)のひとびとが矢来(やらい)をこえてこういう事態(じたい)をひきおこしたので、その成行(なりゆ)きをあんじている武田伊那丸(たけだいなまる)と小幡民部(こばたみんぶ)のふたりである。
 民部も、あなたへ眼をはなたず、
「ただ、天祐(てんゆう)を祈(いの)っているのほかございませぬ」
 と、ことばすくなく答えた。
「お……いまとなっては、もう手をくだす術(すべ)もない」
「若君(わかぎみ)」
 民部は、しいて伊那丸の憂(うれ)いをはげますようにいった。
「――おあんじなされますな、たとえ、いかなる波瀾(はらん)を生みましょうとも、かれらのことでござります」
「うム……」
「かれらのことです、かれらのことでござります。けっして、汚名(おめい)をさらすような結果を招(まね)きはいたしますまい」
 そうはいったが、そういうかれじしんが、人しれず手に汗(あせ)をにぎりしめているのであった。
 ――と、目をみはる間(ま)もなかった。
 あまたの人の口から、あッ……と軽(かる)いこえがいちようにもらされたかと見ると、すでに、しぼりこまれた二弓(きゅう)はブンと弓(ゆ)がえりを打って、ひょうッと、弦(つる)をはなれた二すじの矢(や)が、風を切ってまッすぐに走っている。
「やッ?」
 とたんに、射手(いて)の山県蔦之助(やまがたつたのすけ)は、弦(つる)をはなした右手(めて)をそのまま、サッと顔色(かおいろ)をかえてしまった。
 耳を聾(ろう)せんばかりのどよめきが、土用波(どようなみ)のように見物人(けんぶつにん)をもみあげた。なにかののしるような声、嘲笑(ちょうしょう)するようなわめき、それらが嵐(あらし)のごとく、かれをとりまいた心地(ここち)がした。
「遠矢(とおや)一本(ぽん)試合(じあい)、徳川家加賀爪伝内(とくがわけかがづめでんない)どのが的(まと)をとったり!」
 と、鐘巻一火(かねまきいっか)は検証(けんしょう)の床几(しょうぎ)からさけんだ。
 意外(いがい)。
 蔦之助は敗(やぶ)れたらしい。
 今為朝(いまためとも)の矢(や)はどうしたか? あのたしかな代々木流(よよぎりゅう)の矢がどうして狂(くる)ったのであろうか。

 鐘巻一火の叫(さけ)んだのは、けっして不公平(ふこうへい)でもうそでもなかった。加賀爪伝内の切ってはなった黒鷹(くろたか)の石打羽(いしうち)の矢(や)は、まさしく、白鳥(しらとり)の峰(みね)の大鳥居(おおとりい)の額(がく)ぶちに刺(さ)さっているのに、それにひきかえて蔦之助(つたのすけ)の射(い)た妻羽白(つまはじろ)の矢(や)は弓勢(ゆんぜい)が弱(よわ)かったため、谷間(たにま)の気流(きりゅう)をうけてそれたのか、あるいは弦切(つるぎ)れの微妙(びみょう)な指さきに、なにかのおちどがあったのだろうか、とにかく、白鳥の峰へとどかぬうち、霧(きり)のごとく影(かげ)を消(け)して、どこへ落ちたかそれていったか、肉眼(にくがん)では見えなくなった。
 お小姓(こしょう)とんぼ組(ぐみ)をはじめ、徳川方(とくがわがた)の者とそれに心をあわす溜(たま)り場(ば)では、わッといちじに凱歌(がいか)をあげた。
 無念(むねん)や、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)は、試合目付(しあいめつけ)の退場(たいじょう)の命(めい)と、その嘲笑(ちょうしょう)におくられて、悄然(しょうぜん)とそこをひかなければならなくなった。
 すると――。
 それよりほんのわずかまえに、試合(しあい)の勝敗(しょうはい)が心配(しんぱい)のあまり、桐紋(きりもん)の幕(まく)のうしろから、そッと抜(ぬ)けだしていた鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)は、なにげなく、諸国(しょこく)の剣士(けんし)のひかえ所(じょ)の裏(うら)をまわって、蔦之助の姿(すがた)が、もっとも近く見えるところからすきみをしていた。
 ところが、竹童の信念(しんねん)はくつがえされて、弓(ゆみ)をとっては神技(かみわざ)といわれている蔦之助が、どうだろう、この不覚(ふかく)? このみにくい敗(やぶ)れ方(かた)!
「ちぇッ」
 というと、鞍馬の竹童は、くやし涙(なみだ)がにじみだして、思わずそこへすわりたくなってしまった。
 あの徳川方(とくがわがた)のものの嘲笑(ちょうしょう)が伊那丸(いなまる)さまや民部(みんぶ)さまの耳にどんなにいたく聞えるだろう。あなたにいる豊臣家(とよとみけ)の人々や、忍剣(にんけん)や小文治(こぶんじ)が、それをどんなにつらく見つめたろう。
 竹童(ちくどう)は腰(こし)のささえをはずされたように、うしろへよろけた。
 そして、
「ああ、ざんねんだ……」
 と太(ふと)い息(いき)をついたが、ふと気がついてみると、そこは奉行(ぶぎょう)小屋の裏手(うらて)らしく、すぐ向こうから十数間(すうけん)のあいだには、ズッと鯨幕(くじらまく)がはりめぐらしてあって、一方の帳(とばり)には黒く染(そ)めぬいた葵(あおい)の紋印(もんじるし)が大きく風をはらんでいる。
「あッ、ここは徳川家(とくがわけ)の陣地(じんち)だな」
 竹童はびっくりして、あわててそこを立ち去ろうとしたが、見ると! そこから数歩(すうほ)向こうに、この人なき陣幕(じんまく)のうしろにかくれて、あやしげな黒衣(こくい)の男が、じっと立ちすくんでいるのを見た。
 何者(なにもの)だろう?
 そしてなにをしているのだろうか。
 おそろしく背丈(せい)のたかい男である。裾(すそ)までスラリとくろの帯(おび)なしの服(ふく)の着(き)ながし、胸(むね)には、ペルシャ猫(ねこ)の眼のごとくキラキラ光る白金(はっきん)の十字(じ)架(か)をたらしている。そして、祈(いの)るがごとく、口を閉(と)じ、眼をふさぎ、指(ゆび)で印(いん)をむすんでいる。
「やッ、呂宋兵衛(るそんべえ)だ」
 あぶなく、喉(のど)をやぶってでそうな声を、竹童は自分の手で自分の口をおさえた。
「やつめ、あんなところで、なにをしているのだろう? ……おおあのおそろしい顔はどうだ。あの他念(たねん)のない形相(ぎょうそう)をする時は、いつも、呂宋兵衛がとくいの南蛮流(なんばんりゅう)の幻術(げんじゅつ)をやるときだ」
 身をひそめながら、かれの眼はらんらんとその不解(ふかい)な疑惑(ぎわく)にむかって、錐(きり)のごときするどさを研(と)ぎすましてきた。
 読めた!
 かれの心臓(しんぞう)は、ドキッとしめつけられたようなあえぎをうつ。
 さては、もしや?
 怪人(かいじん)呂宋兵衛がこの幕(まく)のうらにしのんでいて、石見守(いわみのかみ)と腹(はら)をあわせ、かれ一流(りゅう)の邪法(じゃほう)をおこなって、試合場(しあいじょう)に一道(どう)の悪気(あっき)をおくり、衆人(しゅうじん)の眼をげんわくさせているのではないかしら?
 そして、そのために、いまのような意外(いがい)な勝敗(しょうはい)が、なにびとにも気づかれずに信(しん)じられているのではないのかしら?
 と――竹童はわれをわすれて、なお死人のごとく、印(いん)をむすんで、つッ立っている怪人呂宋兵衛の黒いすそへソロ、ソロ、とはいよっていった。

 なんと久(ひさ)しぶりに見る憎悪(ぞうお)の敵(てき)のすがただろう。
 竹童の手は、無意識(むいしき)に、般若丸(はんにゃまる)の柄(つか)をかたくにぎりしめていた。
 たとえ、斃(たお)せないまでも、不意(ふい)をうって、かれの邪法(じゃほう)の気念(きねん)をやぶってやろう。
 そう無意識の意志(いし)がうごいていった。
 そうして、気配(けはい)をしのばせながら、足もとによりついてくる者があるのも知らないで、呂宋兵衛(るそんべえ)はいぜんとして目をとじたままだった。かれはかれじしんのむすぶ幻術(げんじゅつ)の妖気(ようき)に酔(よ)っているもののようである。
 しめた!
 竹童の胸(むね)は大きな波(なみ)にあおられた。
 だが、般若丸の名刀が、鞘(さや)を脱(だっ)しようとしたしゅんかんに、はッと気がついたのは(血(ち)を見るなかれ)という御岳(みたけ)三日(みっか)の神誓(ちかい)である。もしや自分の軽(かる)はずみが、伊那丸(いなまる)さまの身にめいわくとなってかかってはならないということだった。
 といって、この怨敵(おんてき)を!
 みすみす目のまえにこうしている一党(とう)の仇敵(きゅうてき)、咲耶子(さくやこ)にとっては敵(かたき)のこの悪魔(あくま)を、なんで見のがしていいものだろうか。
 柄(つか)にまよった手は、いきなりふところにすべりこんだ。かれの指(ゆび)にふれたのは、竹生島神伝(ちくぶしましんでん)の火独楽(ひごま)! それであった。
 それを、ふところにつかんで、いきなり、パッと立ちあがるや否(いな)、鞍馬(くらま)の竹童(ちくどう)、
「うぬッ」
 と、独楽(こま)をまッこうにふりあげた。
 ぶン! と、うなった火焔独楽(かえんごま)。
 たしかに呂宋兵衛(るそんべえ)のからだのどこかに、焔(ほのお)をあげて噛(か)みついたにちがいない。あッと、相手の驚愕(きょうがく)した声が竹童の耳にも聞きとれた。
 だが、とたんに――。
 独楽は竹童のふところに飛んでかえって、かれ自身もまた、アッ――と片手(かたて)で顔をかくしたまま、あぶなくそこへたおれかかる。
 見れば、えりもとから鬢(びん)の毛(け)に、霜柱(しもばしら)が植(う)わったように、無数(むすう)の針(はり)が指(ゆび)にさわった。
 それにおどろいて身をひるがえすと、
「この餓鬼(がき)」
 大きなこうもりにふさわしい黒衣(こくい)の老女(ろうじょ)が、さッとすがって、うしろから竹童を抱(だ)きすくめ、
「呂宋兵衛さま! 呂宋兵衛さま」
 と、しわがれた声で助勢(じょせい)をもとめる。
「お、そいつは、鞍馬(くらま)の洟(はな)ッたらしだな」
「わしも、人無村(ひとなしむら)や京都で二、三ど見たことがある。竹童というて、伊那丸(いなまる)の手さきになってあるく童(わっぱ)じゃ」
「おのれ、野良犬(のらいぬ)のように、こんなところへなにしにウロウロしてきやがったか。この御岳(みたけ)では、殺すわけにもゆかないが、うム、こうしてやる」
 まえに寄(よ)ってくると、呂宋兵衛(るそんべえ)、煙草(たばこ)色のウブ毛がいっぱい生(は)えている大きなてのひらで、竹童の横顔(よこがお)を、みみず腫(ば)れに腫れあがるほど、三つ四つ打ちつづけた。
 それにもあきたらず、最後(さいご)に、喉笛(のどぶえ)でもしめつけられたか、かれのからだをかかえていた蚕婆(かいこばばあ)が手をはなすと、グッタリと地上にたおれてうッ伏(ぷ)せになった。
「ふん……」
 と、せせら笑(わら)いながら、
「婆(ばばあ)、こっちへはいっていろ」
 一方の幕(まく)をあげて、呂宋兵衛がすばやく影(かげ)をかくすと、老女修道者(ろうじょイルマン)となって、たえず彼についている吹針の蚕婆も、ニヤリと歯(は)をむきながらそのあとから腰(こし)をかがめかけた。
 と、その弱腰(よわごし)へ、一本の鉄杖(てつじょう)の先が、
「これ」と、かるく突(つ)いた。
 かるく突いたが、くろがねの杖(つえ)である。力を入(い)れないようでも忍剣(にんけん)が突いたのである。
「うッ……」
 というなり蚕婆(かいこばばあ)は、甲羅(こうら)をつぶされた亀(かめ)の子のように、グシャッと幕(まく)の裾(すそ)にへたばってしまった。
 その陣幕(じんまく)をはらいあげて、忍剣(にんけん)は、蚕婆には見むきもせず、飛足(ひそく)を跳(と)ばしておどりこむなり、稲妻(いなずま)のように次(つぎ)のとばりの間(ま)へ、チラと逃(に)げこんだ黒衣(こくい)の袖(そで)を、グッとつかんだ。
「悪伴天連(あくバテレン)呂宋兵衛(るそんべえ)、待て!」

「なにッ」
 というと銀(ぎん)の鞭(むち)が、びゅッと、忍剣の腕(うで)をつよく打ちかえしてきた。
 ――まさしく和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)である。逃(に)がしてはならない。忍剣はそう思った。
 じつをいうと、かれがここへ馳(か)けつけてきたのは、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)の遠矢(とおや)の敗北(はいぼく)がなんとも、ふしんな負けかたであり、解(げ)しかねる点(てん)が多々(たた)あるので、徳川方(とくがわがた)の勝ちと叫(さけ)んだ検証(けんしょう)の一火(いっか)や目付役(めつけやく)の者に、一苦情(ひとくじょう)持ちこむため、いきおいこんで駈けだしてきたのだ。
 もとより、ここで呂宋兵衛と出会(であ)おうとは、夢(ゆめ)にも予感(よかん)をもたないのだった。
 しかし、竹童が締(し)めたおされたのも目撃(もくげき)したし、その魁異(かいい)な妖人(ようじん)のすがたは、夢寐(むび)にも忘(わす)れていない仇敵(きゅうてき)である。
 なには措(お)いても、見のがせないやつ!
「おのれ」
 ふりつけてきた、銀(ぎん)の細鞭(ほそむち)をかわしながら、なお、忍剣(にんけん)は片手(かたて)につかんだ黒衣(こくい)の袖(そで)をはなさない。
 呂宋兵衛(るそんべえ)はぜったい絶命(ぜつめい)――。
「御岳(みたけ)だ!」と、叫(さけ)んだ。
 御岳だぞといったのは、血(ち)を見るなかれの神文(しんもん)の誓(ちか)いをふりまわして、卑怯(ひきょう)に相手をためらわそうとしたものである。
「だまれ、妖賊(ようぞく)」忍剣は耳もかさない。
 引きもどそうとする力、逃(こ)げこもうとする力、とうぜん、ベリッと黒衣(こくい)の袖(そで)がほころびた。
 ちぎれた布(ぬの)の一片(ぺん)は、忍剣の手につかまれたまま、よろよろと二、三歩(ぽ)よろけたが、野幕(のまく)の帳(とばり)のあいだなので鉄杖(てつじょう)のあつかいも自由にゆかず、みすみす、黒豹(くろひょう)のように逃(に)げこんでゆくうしろすがたに、
「待て、待て」
 と叫(さけ)びながら、手に残(のこ)った黒い布(ぬの)をほうり捨(す)てると、そのはずみに妙(みょう)な粘力(ねんりょく)を腕(うで)に感じたので、思わず、オヤとふりかえると、その肩(かた)さきへ、いったん地にすてた黒衣(くろぬの)がフワッと勢(いきお)いよく跳(と)びついてきた。
「やッ」と、肩(かた)をすかした。
 その首(くび)ッ玉(たま)をおどりこえて、目の前へ、軽業師(かるわざし)のようにモンドリ打ったものを見ると、どうだろう、思いがけない、まッくろな烏猫(からすねこ)、くびわに銀玉(ぎんぎょく)の鎖(くさり)をかけ、十字(じ)架(か)をつけているではないか。
 その銀玉の鎖と十字架をチリチリチリ……と鳴らしながら、幕(まく)のすそをかわいらしく馳(か)けだしたので、
「蛮流(ばんりゅう)の妖術師(ようじゅつし)め、さては、うまく姿(すがた)をかえたな」
 鉄杖(てつじょう)を持って追(お)いまわすと、猫(ねこ)はなおチリチリと逃(に)げだして、とつぜん、向こうのすみに、萩(はぎ)や桔梗(ききょう)や秋草のたぐいを入れ交(ま)ぜに、挿(い)けこんである大きな壺(つぼ)の口(くち)へ、ポンと、飛びこんでしまった。
 と見て、忍剣(にんけん)は、
「得(え)たり!」
 と、いきなり鉄杖を槍(やり)のようにしごいて、大瓶(おおがめ)の横ッ腹(ぱら)へガンと勢いよく突(つ)ッかけた。
 瓶(かめ)はくだけ、秋草はとんだ。
 みじんになった陶物(すえもの)の破片(はへん)を越えて、どッ、泉(いずみ)をきったような清水(しみず)があふれだしたことはむろんだが、猫(ねこ)もでなければ呂宋兵衛(るそんべえ)の正物(しょうぶつ)もあらわれなかった。
 水に足をひたされて、ハッとわれにかえれば、これは野陣(のじん)の人々の飲料水(いんりょうすい)である。反間(はんかん)の敵(てき)に毒(どく)を混(こん)じられないようにわざと、花壺(はなつぼ)に見せかけておいた生命(いのち)の水にちがいない。
「逃(に)がした……」
 なにか、忍剣(にんけん)のあたまは、そのとき、霧(きり)がかかっているような心地(ここち)だった。そして、ぼうぜんとしていると、張(は)りまわした幕(まく)に、ソヨソヨと小波(さざなみ)のような微風(びふう)がうごいて、その幕のかげあたりを、聞きなれない南蛮歌(なんばんか)の調子(ちょうし)で、口笛(くちぶえ)をふいて通ってゆくものがある。
「あッ」
 銀(ぎん)の鞭(むち)の音がする。
 そして、
「あははははははは……」
 まぎれもない、怪人(かいじん)和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)の人をバカにしたような笑(わら)いごえだ。

 あざ笑う声はする。
 銀(ぎん)の鞭(むち)が幕(まく)のうしろを歩(ある)いている。
 だが、霧(きり)のようなじゃまな幕、それにさえぎられて、けんとうもつかねば、すがたも見えない。
 忍剣(にんけん)は地だんだを踏(ふ)んで、幕の波(なみ)をさぐりかけた。しかし、瓶(かめ)の水が表(おもて)のほうへいっさんに流れだしていったため、それにおどろいた徳川家(とくがわけ)の諸士(しょし)や、溜(たま)り場(ば)のむしろを水びたしにされて跳(と)びあがった、れいの菊池半助(きくちはんすけ)、鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)、泣き虫の蛾次郎(がじろう)、そのほかお小姓(こしょう)とんぼの連中(れんじゅう)までが、総立(そうだ)ちになって、裏手(うらて)へまわってきそうな気(け)ぶり。
「これはいかん」忍剣は、早くも執着(しゅうじゃく)をすてて、
「またいいおりもあろうというもの、ここで、きょうの試合(しあい)をめちゃめちゃにしては、咲耶子(さくやこ)を無難(ぶなん)に取り返すことができなくなろう」
 と、分別(ふんべつ)した。
 で、ひらりともとの場所(ばしょ)へかえってくるなり、そこにたおれている竹童(ちくどう)をこわきに抱(だ)いた。
 竹童はいちじの昏倒(こんとう)で、
「あッ、忍剣さま」
 すぐに、目をひらいて、かれのたくましい腕(うで)のなかに自由になった。
 おのれの居場所(いばしょ)に馳(か)けもどってきてみると、一方そこでも、なにやら問題がおこっている最中(さいちゅう)である。
 総奉行(そうぶぎょう)の大久保長安(おおくぼながやす)と、検証(けんしょう)の鐘巻一火(かねまきいっか)が自身(じしん)できて、なにかしきりと高声(こうせい)で弁(べん)じているのだ。
 いま、いきなり飛びこんではまずいと思ったので、忍剣(にんけん)がそッとようすをきいていると、
「いや、ただいまの遠矢(とおや)は、あくまで蔦之助(つたのすけ)が勝ったものと信じます。鐘巻どのも一流(りゅう)の火術家(かじゅつか)でありながら、あの的先(まとさき)にお眼が届(とど)かぬとは心ぼそいしだいでもあり、また、検証(けんしょう)の床几(しょうぎ)につかれながら、徳川家(とくがわけ)へ勝ち名のりをあげられたのは早計(そうけい)しごくかとかんがえます」
 これは、山県蔦之助自身(やまがたつたのすけじしん)と、木隠(こがくれ)と巽(たつみ)とが、一しょになって主張(しゅちょう)していることばの要点(ようてん)だった。
「したが、加賀爪伝内(かがづめでんない)の遠矢が、額(がく)ぶちにりっぱに立っているのに、貴公(きこう)の矢が鳥居(とおい)の柱(はしら)にも立っていないのはどうしたしだいか、これ、弓勢(ゆんぜい)たらずして、矢走(やばし)りのとちゅうから、谷間(たにま)へおちた証拠(しょうこ)ではあるまいか」
 というのは、徳川方(とくがわがた)の強弁(きょうべん)だった。
 それにたいして、蔦之助は笑いをなげて、
「いや、自分の弦(つる)をはなれた矢(や)が、谷間へ落ちたものか、的(まと)を射当(いあ)てたものかぐらいなことは、弓(ゆ)がえりのとたんに、この手もとへ感じるものでござる。たとえば、鐘巻どのの鉄砲(てっぽう)にしても、その実感(じっかん)にお覚(おぼ)えがあろうが」
「ウムなるほど……それはたしかに一理(り)がある」
 一火はさすがに、そのことばを反駁(はんばく)しなかった。
 だが、奉行(ぶぎょう)の石見守(いわみのかみ)や目付(めつけ)たちは、どうしてもその説(せつ)だけではがえんぜない。また、蔦之助(つたのすけ)としても、事実(じじつ)において、その矢(や)が的先(まとさき)に見えないのであるから、それ以上(いじょう)、なんと理由(りゆう)づけて力説(りきせつ)することもできないのであった。
「では、この勝負は、ざんじ自分がおあずかり申すとしよう。そのかわりに……」
 と、鐘巻一火(かねまきいっか)は中にはさまってこまりはてたあげく、窮余(きゅうよ)の一策(さく)を持ちだして、
「最後(さいご)の勝負、遠駆(とおが)けのおりに、あの大鳥居(おおとりい)をめあてとして馳(か)けさせ、そうほう、その矢を持ちかえってくるとしたらどうであろうか。――とすれば、同時に遠矢(とおや)の勝敗(しょうはい)も歴然(れきぜん)と分明(ぶんみょう)いたすことになる」

 名案(めいあん)だった。
 それはよかろう――というので、すくその紛糾(ふんきゅう)は解決(かいけつ)したが、ここにまた番組変更(へんこう)のやむないことができたというのは、そこへ徳川家(とくがわけ)の侍(さむらい)がとんできて、
「例(れい)の、老女修道者(ろうじょイルマン)でございますが、たッたいま、何者(なにもの)かにしたたか腰(こし)をうたれて熱(ねつ)をはっし、ひどくうめいておりますので、吹針(ふきばり)の試合(しあい)にはでられぬようすでござります」
 という急報(きゅうほう)である。
 忍剣(にんけん)は、かげで、それをおかしく聞いていた。
 石見守(いわみのかみ)の腹(はら)では、吹針(ふきばり)の試合(しあい)ではしょせんあの老女(ろうじょ)に勝目(かちめ)はないと考えていたので、この出来事(できごと)はもっけのさいわいと思った。
 で、その試合(しあい)を取り消(け)すことを申しでたので、龍太郎(りゅうたろう)や忍剣もかたすみで相談(そうだん)のうえ、あらためて、こういう返答(へんとう)をかれにあたえた。
「――されば、幻術試合(げんじゅつしあい)の相手にでる竹童(ちくどう)も、きょうはすこし気分のすぐれぬようすであるから、いっそ二番の勝負を取り消して、最終(さいしゅう)の遠駆試合(とおがけじあい)一番にて、やくそくどおり咲耶子(さくやこ)をお渡(わた)しあるか否(いな)か、乾坤(けんこん)一擲(てき)の勝負を決(き)めるならば、それにご同意(どうい)いたしてもさしつかえはござらん」
「なるほど」石見守は考えていた。
 ところが、徳川家(とくがわけ)の者たちは、それを聞くと、むしろ僥倖(ぎょうこう)のように気勢(きせい)をあげて、
「遠駆(とおが)けの一番(ばん)試合(じあい)で、勝敗(しょうはい)を決(き)めることは当方(とうほう)で、望(のぞ)むところ、たしかに承知(しょうち)した。さらば、すぐそちらでもおしたくを」
 と、石見守になにやらささやいて、わいわいと引(ひ)き揚(あ)げていった。
 かれらの目算(もくさん)では、この一番こそ、疑(うたが)うまでもない勝味(かちみ)のあるものと信(しん)じているのだ。天下歩(あゆ)むことにかけて、たれか、早足(はやあし)の燕作(えんさく)にまさる人間があるはずはない。
 そう信じているからこそ、最初(さいしょ)にしめした、試合掟(しあいおきて)にも、相手方(がた)は騎乗(きじょう)でも徒歩(かち)でも勝手(かって)しだいと傲語(ごうご)したのだ。
 この嶮峻(けんしゅん)な山路(やまじ)の遠駆(とおが)けに、騎馬(きば)をえらべば愚(おろ)かである。人間の足より難儀(なんぎ)にきまっているのだ、そうかといって、徒歩(かち)なればおそらくわが早足(はやあし)の燕作(えんさく)をうしろにする足の持(も)ち人(て)はないわけになる。
 ――という腹(はら)が徳川(とくがわ)がたの作戦(さくせん)。
(どうでるか、相手方のやつは?)
 なかば、安心しているので、興味(きょうみ)をもって待ちかまえていると、すでに、支度(したく)ができていたものか、遠駆けにえらばれた巽小文治(たつみこぶんじ)、朱柄(あかえ)の槍(やり)を山県蔦之助(やまがたつたのすけ)の手にあずけて、
「どうッ、どうッ」
 一頭(とう)の白馬(はくば)をひいて、試合場(しあいじょう)へあらわれた。
 なんと毛なみの美(うる)わしい馬だろうと――それにはなみいるものが、ちょッと気をうばわれたが、よく見ると、名馬のはずだ、これは御岳(みたけ)神社の御厩(みうまや)に飼(か)われてある「草薙(くさなぎ)」とよぶ神馬(しんめ)である。
 しかし、徳川家(とくがわけ)の者や、諸藩(しょはん)のものは、この嶮路(けんろ)の遠駆けに、馬をひきだしてきた無智(むち)をわらった。
「どうだい」
 と、嘲笑(ちょうしょう)半分に、うわさするものがある。
「これから御岳の中腹(ちゅうふく)まで降(お)りて、渓谷(けいこく)をわたり、それから白鳥(しらとり)の峰(みね)の大鳥居(おおとりい)までいってかえってくるという遠駆けに、いくら名馬の手綱(たづな)をとったところで、しょせん、どうにもなりゃあしまい」
「まるで、山を舟で越(こ)えようというのとおなじ無謀(むぼう)な沙汰(さた)だ」
「しかし、あいつ、おそろしく自信のあるような顔をしているな」
「ふうていもかわっている、杣(そま)か、野武士(のぶし)か、百姓(ひゃくしょう)か、見当(けんとう)のつかぬような青(あお)二才(さい)だ」
「なにしろ、どう敗(ま)けるか、その敗けぶりをみてやろう」
 小文治(こぶんじ)の耳にも、こんな悪評(あくひょう)が、チラチラ耳に入らぬでもなかった。けれど、かれは黙笑(もくしょう)している。うすら笑(わら)いすると、その頬(ほお)には、ちいさな笑(え)くぼができて、愛らしい若者だった。

 一方。
 これはまた、おそろしく雲の上でも飛びそうなすがたででてきたのは、早足(はやあし)の燕作(えんさく)。
「やあ、ごくろうさま」
 小文治のすがたを見ると、町人(ちょうにん)らしく、腰(こし)をまげた。
 ちょっと、いままでの試合(しあい)と目先(めさき)がかわったので、見物(けんぶつ)はよろこんだ。大きな弥次(やじ)のこえが、高い樹(き)の上ではりあげている。
「お役人さま、念(ねん)のために、よくうかがっておきますがね」
 と、燕作(えんさく)は、よくしゃべる。
「なんでござんしょうか――この遠駆(とおが)けの勝負の眼目(がんもく)は、つまり、あの白鳥(しらとり)の峰(みね)の大鳥居(おおとりい)までいって、さっきの遠矢(とおや)を、一本ずつ持って帰(けえ)ってくりゃあよろしいンですね」
「そうじゃ」
 と、試合目付(しあいめつけ)がそうほうへくわしく説明した。
「――それと、さいぜん、勝負あずけとなっている遠矢のあたりの証拠(しょうこ)を持ちかえってもらいたい」
「ようがす、じゃ、あっしは、あの額(がく)のふちを引ッぱずして持ってくりゃいいんだ。そして、相手方(あいてがた)より一足(ひとあし)でも早く、この試合場(しあいじょう)へ持ってきて、それを検証(けんしょう)の床几(しょうぎ)のおかたに手渡(てわた)しすりゃあ勝ちというわけなんでございましょう。……なアんだぞうさもねえ、それならとちゅうで、さんざん煙草(たばこ)を吸(す)って帰(けえ)ってこられまさ」
 と、浮(うわ)ッ調子(ちょうし)な町人(ちょうにん)ことばで、おそろしく大言(たいげん)をはいた。
 小文治(こぶんじ)は、そら耳で聞きながら、一つかみ草をとって馬に飼(か)いながら、ニコニコ笑(わら)っていた。
「旦那(だんな)、支度(したく)はまだですか」
 燕作の足は、もう、やたらにピクピクしてきたふう。
「おお、よいぞ」
 というと、巽小文治(たつみこぶんじ)、ひらりと神馬(しんめ)草薙(くさなぎ)の鞍(くら)つぼにかるく飛びのった。
「待った!」
 と、目付(めつけ)の人々はあわてて、そこから合図(あいず)の手をあげると、ドウーンと三流(みなが)れの太鼓(たいこ)が鳴りこむ。
 なお、いざ! というのはまだである。
 太鼓は三色(みいろ)の母衣武者(ほろむしゃ)が、試合場(しあいじょう)の左右から正面へむかってかけだす報(し)らせだった。そこには、矢来(やらい)と二重(じゅう)に結(ゆ)いまわされた柵(さく)がある。柵の周囲(しゅうい)の群集(ぐんしゅう)を追(お)いはらうと、そこのひろい城戸(きど)が八文字(もんじ)にあいて、御岳山道(みたけさんどう)の正面のみちが、試合場からズッとゆきぬけに口をあいた形(かたち)になる。
 ――刻(とき)、すでに七刻(ななつ)ごろの陽脚(ひあし)。
 満山(まんざん)のもみじに、しずかな午後の陽のいろが、こころもち紅(くれない)を濃(こ)くしてきた。
 おりこそあれ、短笛(たんてき)の音(ね)。
 ここに、最後の勝敗(しょうはい)をけっする、騎馬(きば)徒歩(かち)、遠駆(とおが)けの試合(しあい)の矢声(やごえ)はかけられた。
 わーッと、いう声におくられて、正面の城戸を走りだした白馬(はくば)草薙(くさなぎ)と、天下無類(てんかむるい)の早足(はやあし)の持主(もちぬし)、もう、御岳の広前(ひろまえ)から真(ま)ッさかさまに、その姿(すがた)を見えなくしてしまった。

 いくら天下の早足(はやあし)とじまんをする燕作(えんさく)でも、騎手(のりて)は巽小文治(たつみこぶんじ)、馬は逸足(いっそく)の御岳(みたけ)の草薙(くさなぎ)、それを相手に足くらべをしたところで、もとよりおよぶわけはなく、勝とうというのが押(お)しのつよい量見(りょうけん)。
 ――と見物(けんぶつ)の者は、はじめからこの早駆(はやが)け勝負の結果(けっか)を見くびっていたが、はたして、その予想(よそう)ははずれなかった。
 試合場(しあいじょう)の城戸(きど)から、八町(ちょう)参道(さんどう)とよぶ広(ひろ)い平坦(へいたん)な坂(さか)をかけおりてゆくうちに、燕作の小粒(こつぶ)なからだはみるみるうちに追(お)い越(こ)されて、とてもこれは、比較(ひかく)にはならないと思われるほど、そうほうの間(あいだ)にかくだんな距離(きょり)ができてしまった。
 だがしかし――燕作の肚(はら)にはりっぱに勝算(しょうさん)がたっていた。
「見ていてくれ、ほんとの勝負はこれからさ」
 と、たかをくくっているのだ。
 そして八町参道をまたたくまにかけ降(お)りると、道はふた手にさけて一方はふもと、一方は白鳥越(しらとりご)え甲州裏街道(こうしゅううらかいどう)の方角(ほうがく)にあたる。
 その裏街道のほうへさきの小文治が勢(いきお)いよくまがった。
「ふふん……」と燕作は、それを見ながらあとからかけて、
「さあ、奴(やっこ)さんが泡(あわ)を吹(ふ)くのはこれからだぞ。そこで燕作さまは、このへんでじゅうぶん一息(ひといき)いれてゆくとしようか」
 腰(こし)の手拭(てぬぐい)をとって風車(かざぐるま)にまわしながら、一汗(ひとあせ)ふいて、またもやあとからかけだした。
 一方、いそぎにいそいでいった小文治(こぶんじ)は、やがて道のせばまるにつれて、樹木(じゅもく)や蔓草(つるくさ)に駒(こま)の足掻(あが)きをじゃまされて、しだいに立場(たちば)がわるくなってきた。
 この早駆(はやが)け勝負のまえには、奉行(ぶぎょう)の方から騎乗随意(きじょうずいい)といってきたくらいであるから、とうぜん、騎馬(きば)の往来(おうらい)は自由なところと考えていたが、このあんばいだと、前途(ぜんと)はしょせん馬で押(お)しとおすことはできないかも知れない。
「はかられたな」
 と小文治は早くも心のうちでさとったが、要(よう)するに地理不案内(ちりふあんない)からきたおちど、いまさら引っかえすわけにはゆかないことは知れきっているので、
「ままよ」
 と強情(ごうじょう)に、樹々(きぎ)にせばめられている細(ほそ)い道へと、むりやりに馬をすすめていった。
 が、そこには我武者(がむしゃ)にかけとばしても、たちまちまた一つの難関(なんかん)があった。なんの沢(さわ)というか知らないが、おそろしく急(きゅう)な傾斜(けいしゃ)で、その下には幅(はば)のひろい渓流(けいりゅう)がまッ白な泡(あわ)をたてて流れている。
 まよった。――小文治はまよわざるを得(え)なかった。
 手綱(たづな)にそうとう要意(ようい)と覚悟(かくご)をもてば、自分とて、こんなところを乗(の)り落とすことができないではないが、帰る場合(ばあい)にどうしよう?
 ほかに登(のぼ)る道があればいいが、ないとすると、この傾斜(けいしゃ)では、馬を乗りあげることがむずかしい。それに、下に見える渓流(けいりゅう)もはたして騎馬(きば)で越(こ)せるかどうか?
「ウーム、さては大久保(おおくぼ)をはじめ徳川家(とくがわけ)のやつばらめ、あらかじめ地の理(り)をしらべておいて、うまうまと最後(さいご)の勝負でこっちに一ぱい食(く)わせたのだ。……はてざんねんなわけ、どうしてやろうか」
 と、名馬草薙(くさなぎ)の足もそこよりは進(すす)みえずに、手綱(たづな)をむなしくして、馬上にぼうぜんと考えこんでしまっていると、そこへ飛んできた早足(はやあし)の燕作(えんさく)が、
「ああ、やっと追(お)いついた」と、ふりかえって、
「おい大将(たいしょう)、失礼(しつれい)だけれど、お先へごめんこうむりますぜ」
 尻(しり)をたたくようなかっこうを見せて、ぴょんと、傾斜(けいしゃ)の崖(がけ)ッぷちへかかった。
「あッ」
 と、われにかえって歯(は)がみをする小文治(こぶんじ)を、
「まあ、ごゆっくり」
 と見かえして、そういうが早いか、燕作のからだは、岩(いわ)に着物(きもの)をきせてころがしたように、そこから沢(さわ)の下の水辺(みずべ)まで一いきにザザザザザとかけおりてしまった。

 もうまよっている場合(ばあい)ではない。
 小文治(こぶんじ)は馬をすてた。
 あたりの喬木(きょうぼく)へ手綱(たづな)をくくりつけておいて、燕作(えんさく)のあとから、これも飛鳥(ひちょう)のように沢(さわ)へおりた。
 降(お)りてみると燕作はもう渓流(けいりゅう)の岩(いわ)をとんで、ひらりと対岸(たいがん)へあがっている。小文治が河(かわ)の向こうへ渡(わた)りついた時には、やはり同じ距離(きょり)だけをさきへのばして、こんどはスタスタと登(のぼ)りにかかった。
「お、白鳥(しらとり)の山へかかってきたのだな」
 かれは気が気ではなかった。
 まだ一里(り)も二里もさきがある勝負なら、なんとかそれだけの距離を取りかえすことができようが、たしかここから十二、三町(ちょう)のぼった中腹(ちゅうふく)がれいの大鳥居(おおとりい)だ。
「おのれ、燕作ごとき素町人(すちょうにん)におくれをとって一党(とう)の人々に顔向けがなろうか」
 早駆(はやが)けとはいい条(じょう)、ことここに立ちいたってみれば、武芸以上(ぶげいいじょう)の必死(ひっし)だった。いや、そんな意地(いじ)よりも名誉心(めいよしん)よりも、まんいち自分が敗(やぶ)れでもした時には、いやでも応(おう)でも、咲耶子(さくやこ)の身を徳川家(とくがわけ)の手にわたさなければならない。
 いわば一党の人の然諾(ぜんだく)と咲耶子の運命(うんめい)とは二つながら、かかって自分の双肩(そうけん)にあるのだ。敗れてなるものか、おくれてなるものか。
 彼はややあせった。
 汗(あせ)は全身をぬらしてくる。呼吸(こきゅう)はつまる。
 それにひきかえて燕作(えんさく)のほうを見ると、さすがはこいつ足馴(あしな)れたもので、少しもあせるようすがなく、まるで平地を歩(あゆ)むように、スラスラと十二、三町(ちょう)の登(のぼ)りを踏(ふ)みすすんでゆく。
 すると、ほどなく彼の前に、七、八段(だん)の幅(はば)のひろい石垣(いしがき)があらわれて、巨人(きょじん)がふんばった脚(あし)のような大鳥居(おおとりい)の根(ね)もとがそこに見られたのである。
「おっ、やっと着(つ)いたぞ」
 さすがな燕作も、そこでは、ホッとしたように息(いき)ついて、山下(さんか)へ小手をかざしてみたが、まだ小文治(こぶんじ)の姿(すがた)は見えない。
 で、安心したらしく、
「ヘン、どんなものだい」
 というふうに胸(むね)をひろげて、また手拭(てぬぐい)を風車(かざぐるま)にまわした。
「おっと、そうはいっても、まだまだやっと勝負はこれで半分みち。あの額(がく)の縁(ふち)に刺(さ)さッている矢(や)を抜(ぬ)きとって、もとの試合場(しあいじょう)まで帰り着かねえうちは、まだほんとに勝ったものとはいえない」
 つぶやきながら、大鳥居の上を見あげた。
 それへよじのぼる気か、燕作が、ペタと蝉(せみ)のように丸木(まるき)の鳥居へ取ッついたが、待てよ、とすこし考えて――。
「こいつあ損(そん)だ、わりに合わねえ」
 と不意(ふい)にべつの矢(や)をさがしはじめた。
 上の額縁(がくぶち)に刺(さ)さっている矢は、さいぜん、徳川家(とくがわけ)の射手(いて)加賀爪伝内(かがづめでんない)がはなした遠矢(とおや)で、かれも徳川方(とくがわがた)のひとりである以上(いじょう)、とうぜんその矢(や)をぬいて、持ちかえるのがほんとなのだが、この登(のぼ)りにくい鳥居(とりい)にかじりついてすべったり落ちたりしているよりは、どこか、そこらに落ちている山県蔦之助(やまがたつたのすけ)の矢(や)をひろっていったほうが、時間においてはるかに得策(とくさく)だと、あいかわらずずるい考えを起(おこ)したものなのである。
 で、鳥居(とりい)をくぐって、およそな見当(けんとう)のところをしきりにさがしはじめたが、さあこの矢(や)のほうにも一難(なん)がある。
 加賀爪の矢は的(まと)の中心にこそあたらなかったが、その額(がく)の縁(ふち)へ適中(てきちゅう)したので、あのとおりあからさまに鳥居の上にとまっているが、的を射(い)そんじた蔦之助の矢のほうは、それをそれたわけなので、どこまですッ飛んでしまったか、その距離(きょり)と方角(ほうがく)にいたっては燕作(えんさく)にもちょっと想像(そうぞう)がつかないのだ。
「おやおや、そうは問屋(とんや)でおろさねえときたね。じゃ、やっぱり尋常(じんじょう)に、あの上のやつを抜(ぬ)いて引っかえそうか」
 と、急(きゅう)に考えなおした燕作。
 なんの気もなく、まえの大鳥居(おおとりい)の根(ね)もとのほうへふたたび足を向けかえてゆくと、その足のつまさきが、なにやら妙(みょう)なものに蹴(け)つまずいたと思ったので、ヒョイと見ると、嵯峨天皇風(さがてんのうふう)の字体(じたい)で「白鳥霊社(しらとりれいしゃ)」と彫(ほ)ってある四角な古い欅板(けやきいた)だった。
「あれッ?」
 といったまま燕作(えんさく)は、それと鳥居(とりい)の上とを見くらべてあいた口がふさがらない。
 なぜかといえば――
 その板はまさしく大鳥居(おおとりい)の上にかけてあるべきはずの額(がく)なんである。だのに……と思ってよくよく宙(ちゅう)と大地の品(しな)とを見くらべてみると、鳥居の上には神額(しんがく)の縁(ふち)だけがのこっていて、なかの板だけがここへ落とされてあることがわかった。
 ではなんで落ちたか――ということは燕作にはもう疑問(ぎもん)とするにたらなかった。証拠(しょうこ)は歴然(れきぜん)、そこに落ちている神額の中板(なかいた)の「白鳥霊社(しらとりれいしゃ)」の霊(れい)という文字を見ごとに突(つ)きさしていた一本の矢(や)! 見るまでもないが手にとってみると、はたしてさいぜんの試合(しあい)に、山県蔦之助(やまがたつたのすけ)が日輪巻(にちりんまき)の弓(ゆみ)から切ってはなした白鷹(しらたか)の塗矢(ぬりや)にちがいはないのである。
「ああ、こりゃあ大(たい)へんだ」
 燕作はいままでの道を歩(ある)き損(そん)じたように、ガッカリしてつぶやいた。
 先刻(さっき)の遠矢試合(とおやじあい)では河内流(かわちりゅう)の加賀爪伝内(かがづめでんない)が勝点(しょうてん)をとって、蔦之助は負けということになっていたが、いま、その遠矢の的場(まとば)であるこの大鳥居の裾(すそ)に立ってみると、これはあきらかに伝内の負けで蔦之助の勝ちだ。
 伝内の矢は額の中心をはずして、わずかにその縁にとまっているにすぎないが、蔦之助の矢は神額のまッただなかを射(い)て、その板もろとも下へ落ちてしまったのだ。
 そのために、御岳(みたけ)の試合場(しあいじょう)から見ると、だれの目にもそれたように思われたが、この実際(じっさい)がわかるとなれば、大(たい)へんな番狂(ばんくる)わせで、おれが早駆(はやが)けに勝ったところで、きょうの勝負は五分五分(ごぶごぶ)なわけだ、と燕作(えんさく)はすっかり気がくさってしまった。
 と――もう下のほうから、巽小文治(たつみこぶんじ)が息(いき)をあえぎつつ登(のぼ)ってくるすがたが見えはじめた。
「ええ、きやがった」
 燕作はさきに着いていながら、まごまごしてしまったが、にわかになにか思いついて、
「そうだ、なにも心配(しんぱい)することはねえ。おれがここでこの額板(がくいた)を見つけたからこそ、蔦之助(つたのすけ)のあたりがわかったようなものの、なあに、このままどこかへかくしておけば、相手のやつらも気がつくことはないのだ」
 矢(や)はぬいて自分の腰(こし)にはさみ、神額(しんがく)の板(いた)は、人の気づかぬような雑木帯(ぞうきたい)の崖(がけ)へ目がけて力まかせにほうりすてた。
「ウム、これでよし」
 いこうとすると、何者か、
「待て! 燕作(えんさく)」
「あッ……」
 かれはなにものも見なかったであろう。
 ふりむいたとたんに、天地がグルリとまわったように感じた。そしてえりがみをはなされた時には、脾腹(ひばら)をうって、鳥居(とりい)の下に気をうしなっていた。

 わずかの間(ま)をおいて、そこへ、燕作(えんさく)に追(お)いこされた小文治(こぶんじ)が息(いき)をきって登(のぼ)ってきた。
 しかし、ふしぎなことには、たったいま何者(なにもの)かに投げられて、大鳥居(おおとりい)の下で気をうしなった燕作のからだが、どこへ片(かた)づけられたのか、そこに見えなくなっていた。
 そういう変事(へんじ)があったのは知らないが、小文治はふしんにおもった。あとから登ってくるみちみちにも、くだってくる燕作に出会(であ)うだろうと思っていたのに、ここへきても、その姿(すがた)が見えない。
「ひきょうなやつ、さては、このうえにも自分をだしぬくためにどこか近いぬけ道をまわっていったな」
 いわゆる、負けた者のくそ落ちつきではないけれど、小文治もこうなるうえは、この遠駆(とおが)けの勝敗(しょうはい)を天意(てんい)にまかせるよりほかはないとかんねんをきめた。
 全能(ぜんのう)全力(ぜんりょく)を正当(せいとう)につくしてみて、それでも敗(やぶ)れれば、まことに是非(ぜひ)のないわけだ。男らしく、一党(とう)の人の前へでて、罪(つみ)を謝(しゃ)するよりほかにみちはない。
 と、覚悟(かくご)をきめてしまったので、かれもぞんがい元気をたもっていた。
 そこで、しずかに、持ちかえる矢(や)をさがすと、蔦之助(つたのすけ)の矢は見あたらないで、大鳥居の額縁(がくぶち)に刺(さ)さっている加賀爪伝内(かがづめでんない)の矢が目にとまった。
 かれはハタととうわくして、
「どうしてあれを取ろうか」
 と腕(うで)をくんで考えた。
 一ぽうを見ると、そこにすばらしく大きい椋(むく)の大木(たいぼく)がある。その高い梢(こずえ)の一端(たん)がちょうど、鳥居(とりい)の横木(よこぎ)にかかっているので、
「そうだ」
 駆(か)け寄(よ)ってそれへよじのぼろうとすると、
「小文治(こぶんじ)、小文治」
 不意(ふい)に、どこかで自分を呼(よ)ぶものがある。
 ――が、どこを見まわしても、人らしいかげはあたりの鬱蒼(うっそう)にも見えないのである。
「耳のせいか?」
 かれはそう思った。ふたたび椋の幹(みき)に抱(だ)きついて、大鳥居(おおとりい)の横木へわたろうと考えた。
「――いまわしが降(お)りてゆくから、くるにはおよばんよ、そこで待っているがいい」
「や? ……」
 耳のせいではない。
 だれだろう、何者(なにもの)だろう、この白鳥(しらとり)の峰(みね)でなれなれしく話しかける人間は?
 かれの目はしきりにうごいて、うしろの樹立(こだち)をすかしたり暗緑(あんりょく)な境内(けいだい)を見まわしたりしたが、ついに、そこからなにものも見いだすことはできなかった。――たださいぜんから明らかに知っていて、べつに気にも止(と)めなかったのは、鳥居(とりい)の横木(よこぎ)にうずくまっている一羽(わ)の灰色(はいいろ)の鳥だった。
 ところが、かれの鼻(はな)のさきへ、上から額縁(がくぶち)の矢(や)が抜(ぬ)けて、ポーンと落ちてきたので、眸(ひとみ)をこめて見なおすと、その灰色のかげが鳥ではないのがはじめてわかった。
 衣(ころも)のような物をきている人間だ。鳥居の横木に腰(こし)をおろし、杖(つえ)のようなものを持っているあんばい。
 矢(や)を落として、するすると横木の端(はし)へはいだしてきた。
 銀(ぎん)のような髯(ひげ)が頤(あご)からたれて風をうけているのが、そのときには、下からもありありと仰(あお)がれた。老人(ろうじん)はやがて椋(むく)の梢(こずえ)にすがって、蜘蛛(くも)がさがるようにスルスルと降(お)りてきた。
「あッ、あなたは果心居士(かしんこじ)先生」
「小文治(こぶんじ)、ひさしく相見(あいみ)なかったの」
「どうして、あんなところに」
「まあよい、そこへすわれ」
 すわって話しこむどころの場合(ばあい)ではないが、ついぞここしばらくのあいだ、一党(とう)の人に影(かげ)もすがたも見せないでいた果心居士が、こつぜんと、そこに立ったのであるから、小文治もぼうぜんとして、思わず、腰(こし)をついてしまった。
「きょうはえらいさわぎだったな」
 居士(こじ)はいつもかわりのない童顔(どうがん)に明るい微笑(びしょう)を波(なみ)のようにたたえて、
「わしも、すこしあんじられたので、きょうは早くからあれに腰(こし)をすえて見物(けんぶつ)していたのじゃ」
 と、鳥居(とりい)の上を指(ゆび)さした。
「えッ、では、先生には、あの鳥居の上から御岳(みたけ)の試合(しあい)をながめておいであそばしたので」
「よく見える。あたかも鞍馬(くらま)の上から加茂(かも)の競馬(けいば)を見るようにな」
「して、いつこの武州(ぶしゅう)へ」
「ゆうべ、なにげなくれいの亀卜(きぼく)の易(えき)をこころみたところが、どうもはなはだおもしろくない卦面(けめん)のしらせじゃ。そこでにわかに思い立って、きょうぶらりとやってきたが、はたしてこのさわぎ……」
 小文治は居士の話にいろいろな疑念(ぎねん)をはさんだ。亀卜の易とはなにか? また京(きょう)の鞍馬山から武州まで、きょうぶらりとやってきたというのも、自分の聞きちがいのような気がした。
 けれど、かれがそんなことに頭をそらしているうちに、居士はずんずんとさきの話をいいつづけていて、
「で、なによりあんじられたのは、万が一にも、咲耶子(さくやこ)の身を徳川家(とくがわけ)のほうへとられると、おそらく、ふたたび助けだすことができまいということであった。なぜといえば、家康(いえやす)の心のうちには、いよいよ邪計(じゃけい)の萌(きざ)しがみえる。――武田(たけだ)の残党(ざんとう)を憎(にく)むことが、いぜんよりもはなはだしい。そして、秀吉(ひでよし)と覇(は)をあらそううえにも、つねに背後(はいご)の気がかりになる伊那丸君(いなまるぎみ)やそれに加担(かたん)のものを、どんな犠牲(ぎせい)を払(はら)っても、根絶(ねだ)やしにしなければならぬと、ひそかに支度(したく)をしつつあるのだから」
 老骨(ろうこつ)とは思われない若々しい居士(こじ)の語韻(ごいん)のうちに、仙味(せんみ)といおうか、童音(どうおん)といおうか、おのずからの気禀(きひん)があるので、小文治(こぶんじ)はつつしんで聞いていたが、話がとぎれると、遠駆(とおが)け試合(じあい)の決勝(けっしょう)が気にかかって、じッと落ち着いてはいられない気がする。
「もし、果心居士(かしんこじ)先生」
 たまらなくなって、腰(こし)を浮(う)かしかけた。
「なんじゃ」
「せっかく、お話中ではございますが、ご承知(しょうち)のとおり、わたしはいま遠駆けのとちゅう、この矢(や)をもっていっこくも早く試合場(しあいじょう)へもどりませぬと……」
「ウムぞんじておる」
「でも、ただいまも仰(おお)せられたとおり、まんいち不覚(ふかく)をとりますと咲耶子(さくやこ)の身を」
「それはわかっている。まあよい」
 わかっているといいながら、小文治のワクワクしている胸(むね)のうちもさっしなく、居士はゆうぜんと椋(むく)の木の根(ね)に腰をすえて、目を半眼(はんがん)にとじ、頤(あご)の銀髯(ぎんぜん)をやわらかになでている。

 気が気ではないのに、居士(こじ)はまだことばを切らないで、
「わしがみるところでは、世はいよいよ乱(みだ)れるだろう、いくさは諸国(しょこく)におこって絶(た)えないであろう、人間はますます殺伐(さつばつ)になり、人情(にんじょう)美風(びふう)はすたれるだろう。なげかわしいが天行(てんこう)のめぐりあわせ、まことにぜひないわけである」
 と、空をあおいでそういった。
 ああ悠長(ゆうちょう)な。
 小文治(こぶんじ)がことばをはさもうとすると、そこをまた、
「伊那丸君(いなまるぎみ)にもよく言伝(ことづて)をしてくれよ。よいか、ますます自重(じちょう)あそばすようにと」
「は、心得(こころえ)ました」
 いい機(しお)と、小文治が立ちかけると、
「あ、待て」
 またか、――そう思わずにいられないで、
「さきをいそぎますゆえ、なにとぞ、このまま失礼(しつれい)ごめんくださいまし」
 と、そこに落ちている矢(や)をひろって右手(めて)につかむと、居士も、やっと腰(こし)をあげて、
「小文治、その品(しな)ばかりでは心もとない、いずれこの空がまッ赤(か)に夕焼(ゆうやけ)するころには、御岳(みたけ)の山も流血(りゅうけつ)に染(そ)まるだろう。――戈(ほこ)をうごかすなかれ、血(ち)をみるなかれの神文(しんもん)もとうていいまの人心には守(まも)られる気づかいがない。見ろ――」
 手をあげた居士(こじ)の指(ゆび)が、そこから対山(たいざん)の中腹(ちゅうふく)をゆびさした。
「あれを見ろ、小文治(こぶんじ)。みだれた凶雲(きょううん)と殺気(さっき)にみなぎっている」
「では、兵法大講会(へいほうだいこうえ)の第二日も、いよいよ無事(ぶじ)にはおさまりませぬか」
「おそらく、三日目(みっかめ)を待たず、今夕(こんせき)かぎりでめちゃめちゃになるだろう。おう、おまえも早くゆくがいい、そして、まんいちの用意(ようい)に、これを証拠(しょうこ)に持ちかえるがよかろう」
 そういって、居士(こじ)がかれにあたえたのは、さいぜん、燕作(えんさく)がどこかへ投げすてた額板(がくいた)だった。
 蔦之助(つたのすけ)の遠矢(とおや)がけっして敗(やぶ)れたのではないと聞かされて、小文治はこおどりして、
「では、ごめんを」
 と、下山(げざん)の道へ走りだした。
「おお、せくなよ。急(せ)いてあとの不覚(ふかく)をとるなよ」
 見送(みおく)りながら、居士は白鳥(しらとり)の奥(おく)の院(いん)のほうへ風のごとく立ち去った。
 しばらくすると、草むらのなかから、
「ウーン……ア痛(いて)、アイテテテテ」
 と腰(こし)をさすりながら起きあがった燕作が、夢(ゆめ)のような顔をしてのこのこでてきた。
「どうしたんだろう? おれはいったい」
 あたりをみると、いつか夕暮(ゆうぐ)れらしい色が、森や草にはっていた。梢(こずえ)にすいてみえる空の色も、丹(たん)の刷毛(はけ)でたたいたように、まだらな紅(べに)に染(そ)まっている。
「あッ……ささささ、さア、大(たい)へん!」
 はじかれたように思いだして、大鳥居(おおとりい)の上を見ると、南無(なむ)三、そこに立っていた矢(や)はすでにぬき取られてあるではないか。
「ちぇッ、出(だ)しぬかれたぞ、小文治(こぶんじ)のやつに」
 わくわくと自分の腰(こし)に手をやってみる。
 さいぜん、帯(おび)へさした、蔦之助(つたのすけ)の矢(や)はたしかにあった。
「ウム、野郎(やろう)め。まだあいつの足では御岳(みたけ)の試合場(しあいじょう)までは行きつきはしめえ。……なんの見ていやがれ、早足(はやあし)の燕作(えんさく)が一世(せ)一代(だい)にすッ飛んでくれるから」
 足と腰(こし)の骨(ほね)を二つ三つたたくと、孫悟空(そんごくう)が急用(きゅうよう)にでかけたように、燕作のからだは鳥居のまえから見ているうちに小さくなっていった。
 いや、その早いことといったらない。まるで足が地についていないようである。
 またたく間(ま)にもとの渓流(けいりゅう)にかかってきた。
 ここは谷間(たにあい)のせいか、いちだんと暮色(ぼしょく)が濃(こ)くなって、もう夕闇(ゆうやみ)がとっぷりとこめていたから燕作は泣きだしたくなった。
「ええ、大(たい)へん」
 もしこの遠駆(とおが)けにおくれを取ったら、あの呂宋兵衛(るそんべえ)がおれをただはおくまい。菊池半助(きくちはんすけ)や大久保長安(おおくぼながやす)なども、さだめしあとで怒(おこ)るだろう。いや、おこられるだけならまだいいが、勝ったら百両(りょう)といわれた褒美(ほうび)もフイなら、第一、天下の早足(はやあし)の名まえがすたる。
 意地(いじ)でも欲(よく)でも勝たなければならない。
「ええ、間道(かんどう)をゆけ、間道を」
 とうとう燕作(えんさく)、ここまで試合(しあい)をつづけてきて、最後にさもしい町人根性(ちょうにんこんじょう)をだした。それを他人(たにん)に知られたら、ひきょうな立合(たちあ)いといわれて、徳川家(とくがわけ)の名をけがすことになるが、いまはそんなことを顧慮(こりょ)していることはできない。
 ただ、なんでもかでも、早くかえり着くことにあせった燕作は、やくそくの道をふまず、沢(さわ)をひだりにまわって、八町(ちょう)参道(さんどう)へ半分でぬけられる近道をいそぎだした。
「おう、しめた」

 そこへ抜(ぬ)けてでると、さきにいそいでゆく小文治(こぶんじ)の騎馬(きば)すがたがすぐ目のまえに見えた。
 にわかに元気づいた燕作が、一町(ちょう)半(はん)ばかり、死身(しにみ)になって踵(かかと)をけると、こいつどこまで足が達者(たっしゃ)に生まれた男だろう、神馬(しんめ)草薙(くさなぎ)とほとんど互角(ごかく)な早さで、長くのびた燕作の首と、泡(あわ)をかんだ馬の顔が、わずか一間(けん)か二間の差(さ)を、たがいに抜(ぬ)きつ抜(ぬ)かれつして、八町(ちょう)ばかりの坦道(たんどう)を、見るまに、二町走り三町走り、六町走り、アア、あとわずかと試合場(しあいじょう)の城戸(きど)まで、たッた二、三十間(けん)――。
 わッーという声の波(なみ)が、馬と人とを同時に抱(だ)きこんだ。
 燕作(えんさく)は、かけ着(つ)いたというよりも、自分のからだを城戸のなかへほうりこんで、
「遠駆(とおが)け一番!」
 たおれながら腰(こし)の矢(や)を高くさしあげた。
 それがさきか、かれが次着(じちゃく)か、ほとんど燕作のさけびと同時に、馬もろとも、おどりこんだ小文治(こぶんじ)の口からも、同じように、
「一番!」
 と絶叫(ぜっきょう)された。
 すると、すぐに審判(しんぱん)の床几(しょうぎ)にいた鐘巻一火(かねまきいっか)の口から、
「巽小文治(たつみこぶんじ)どの、遠駆け一番」
 とあきらかな軍配(ぐんばい)があがった。
「ちーイッ」
 と口をゆがめて歯(は)ぎしりをしたまま、早足の燕作は、腰(こし)を立てる気力(きりょく)もなく、なにかわけのわからないことを叫(さけ)びつづけた。
 小文治一番――と聞いて色めき立ったのは、かれの朋友(ほうゆう)たちで、
「それ、このうえは、約束(やくそく)のとおり一火どのから咲耶子(さくやこ)を申しうけよう」
 と、忍剣(にんけん)をはじめ龍太郎(りゅうたろう)に蔦之助(つたのすけ)や竹童(ちくどう)などが、審判の床几にいる鐘巻一火のところへかけ集(あつ)まってくると、いちじ色をうしなった徳川家(とくがわけ)のほうからも、大久保石見守(おおくぼいわみのかみ)、菊池半助(きくちはんすけ)、鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)。そのほかおびただしい人数(ひとかず)が、ドッと流れだしてきて、
「検証(けんしょう)の一火(いっか)どの、軍配(ぐんばい)がちがうぞ」
 と抗議(こうぎ)をもちこんだ。
 一火は公平なたいどで、
「なんで拙者(せっしゃ)の検証がちがうといわれるか」
 色をなして突(つ)ッ立った。
 されば石見守は一火の左の手につかんでいる矢(や)を指(さ)して、
「それはだれが持ちかえった矢であるか」
「これは小文治(こぶんじ)どの。またこちらは燕作(えんさく)の持ってきた矢であるが、それがどうかしたといわれるので」
「ちがう。この遠駆(とおが)けは勝負なしじゃ」
「なぜ?」
「小文治は蔦之助(つたのすけ)の矢(や)を取ってかえるべきがとうぜん、また燕作は、伝内(でんない)の矢(や)を持ちかえらねばならぬはずじゃ。それを双方(そうほう)心得(こころえ)ちがいをして、かくべつべつに取りちがえてきた以上(いじょう)、この遠駆(とおが)け試合(じあい)は、やりなおしか、互角(ごかく)とするよりほかはありますまい」
 ひきょうな苦情(くじょう)である。
 負けたがゆえに理(り)のないところへ理をつけた難癖(なんくせ)である。
 かりにも、武門(ぶもん)の塵(ちり)をはいて行(おこな)われた試合(しあい)のうえに唾棄(だき)すべききたない心がけだ。
 忍剣(にんけん)や龍太郎(りゅうたろう)の面上(めんじょう)には、みるまに、青い怒気(どき)がのぼった。
 その禅杖(ぜんじょう)、その戒刀(かいとう)は、いまにも長安(ながやす)の細首(ほそくび)へ飛びかかろうとしているふうだったが、かれの周囲(しゅうい)にも、菊池半助(きくちはんすけ)や、呂宋兵衛(るそんべえ)が、眼をくばって護(まも)っている。
 ただ、こまったのは鐘巻一火(かねまきいっか)である。
 かれは双方(そうほう)の板挟(いたばさ)みとなって、この場合(ばあい)をどう処置(しょち)していいのか、ほとんど、とうわくしてしまった。
 それを是(ぜ)とするか非(ひ)とするか、自分の唇(くちびる)をでる、ただ一句(く)で、どんな兇刃(きょうじん)がものの弾(はず)みで御岳(みたけ)の神前(しんぜん)を血(ち)の海としないかぎりもない。
「うーむ。これはどうしたものか」
 両方(りょうほう)のあいだに立って、かれがとうわくの腕(うで)ぐみをかたくむすんだ時、
「いや、しばらく」
 一党(とう)の人々を押(お)しなだめて、それへでてきたのは遠駆(とおが)け試合(じあい)の当(とう)の本人である巽小文治(たつみこぶんじ)。
 黒々とひとくせある顔をならべた先(せん)ぽうの者をずッと見まわして、
「――いかに浜松城(はままつじょう)の武士(ぶし)ども、たとえ、いまの遠駆けを勝敗なしとしたところで、もう咲耶子(さくやこ)はこっちへもらいうけたぞ。人はあざむき得(う)るとも神はあざむくべからず、疑(うたが)わしくば首をあつめて、とくとこれを見るがいい」
 と、例(れい)の鳥居(とりい)の額板(がくいた)をかれらの目のまえにつきだした。

 もう、ぜひの議論(ぎろん)にはおよばない。
 すべては「白鳥霊社(しらとりれいしゃ)」の額板が、雄弁(ゆうべん)に解決(かいけつ)をつけていた。
 それには、りっぱに、蔦之助(つたのすけ)の射(い)あてた矢(や)あとがある。かれの寃(えん)はそそがれた。そして、競射(きょうしゃ)に不当(ふとう)な勝点(しょうてん)をうばっていた徳川家(とくがわけ)は、一敗(ぱい)地にまみれてしまった。
 いくら、横車(よこぐるま)を押(お)そうとする徳川方(とくがわがた)の者でも、その証拠(しょうこ)を小文治(こぶんじ)につきつけられては、二の句(く)をつぐ者もなかった。
 検証役(けんしょうやく)の鐘巻一火(かねまきいっか)は、公平(こうへい)に、最後(さいご)の断(だん)をくだして、蔦之助や小文治たちにいった。
「おやくそくであるから、咲耶子(さくやこ)のからだは、おのおのたちへお渡(わた)しいたすことにする。いざ、こちらへきてください」
 さきに立って、自分のたまり場(ば)である幕(まく)のほうへみちびこうとすると、いまいましげに睨(ね)めつけていた大久保石見守(おおくぼいわみのかみ)が、
「まだ疑(うたが)わしきふしがある。待て、咲耶子(さくやこ)を渡(わた)すのはしばらく待て」
 と、みれんらしくどなった。
 蔦之助(つたのすけ)や小文治(こぶんじ)は、ふんぜんと色をなして、
「なに、このうえにも、なにか苦情(くじょう)があるというのか」
「おお、第一、あやしいのは額板(がくいた)。なるほど、白鳥霊社(しらとりれいしゃ)と彫(ほ)ってあるにはちがいないが、はたしてこの矢(や)あとが蔦之助の矢かどうか、それもにわかにたしかとはうけとれない。ことに、まだ大講会(だいこうえ)第三日の試合(しあい)も明日(あす)にのこっていることゆえ、咲耶子の身を処決(しょけつ)するのは、あしたにのばしてもさしつかえあるまい。そのあいだに、いま申した疑問(ぎもん)の点(てん)をとうほうでもじゅうぶんに取り調(しら)べておくから、それまで待てと申すのだ」
 いかにも無理(むり)な、智恵(ちえ)のない、いいぶんだ。
 一火(いっか)は、取るにたらないことばと聞きながして、さっさと引きあげようとしたが、徳川家(とくがわけ)のほうからは一刻(こく)ましに味方(みかた)があつまって、わざとことをもつれさせるように、石見守(いわみのかみ)の尾(お)について、ごうごうと苦情(くじょう)の声援(せいえん)をあげだした。
「不当(ふとう)だ」
 と、一火の肩(かた)をつく者がある。
「そっちに、やましいところがないならば、なぜ明日まで待てぬというか」
 と、雑魚(ざこ)のようにむらがってきて、龍太郎(りゅうたろう)や蔦之助たちの歩行(ほこう)をじゃまするやからもある。
 これが「血(ち)をみるなかれ」――刃傷禁断(にんじょうきんだん)の御岳(みたけ)の神前(しんぜん)でなければ、こんな雑魚(ざこ)どもに、かってな熱(ねつ)をふかせておくのではないが――と四人もジリジリ思ったろうし、はらはらして、そばにいた竹童(ちくどう)も、歯(は)ぎしりをかんで、ながめていた。
 蛾次郎(がじろう)も、卜斎(ぼくさい)のうしろから首をだしていた。
 そして、一人(にん)前(まえ)に徳川家(とくがわけ)の肩(かた)を持って、
「なんだ、そんなばかな法(ほう)があるもンか。やれやれ、やッつけろ」
 ケシかけるような弥次(やじ)をとばしたので、卜斎に、ぴしゃりとお出額(でこ)をたたかれて、だまってしまった。
 なにしろ、はてしがつかないさわぎだ。
 刀のぬけない場所(ばしょ)だけに、いたずらに声ばかり高く、理非(りひ)もめちゃくちゃにののしる声が、一火(いっか)と龍太郎以下(りゅうたろういか)の者を取りまいて、身うごきもさせない。
 すわ、なにかことこそはじまったぞ! とそれへ加(くわ)えて、上杉家(うえすぎけ)、北条家(ほうじょうけ)、前田家(まえだけ)、伊達家(だてけ)、そのほかの溜(たま)り場(ば)からも数知(かずし)れない剣士(けんし)たちがかけあつまってくる。
 むろん、鐘巻一火(かねまきいっか)の門人(もんじん)たちも、ただは見ていなかった。もし、師(し)の身にまちがいがあってはと控(ひか)え場(ば)の幕(まく)を空(から)にして、こぞって、そこへ飛んできた。
 すると。
 渡(わた)せ、渡さぬ、の苦情(くじょう)が、そこに人渦(ひとうず)をまいてもめているすきに、石見守(いわみのかみ)の目くばせで、呂宋兵衛(るそんべえ)と菊池半助(きくちはんすけ)のふたりが、ぷいと、どこかへ姿(すがた)を消(け)したことを、だれひとり気づいた者がない。
 伊賀者頭(いがものがしら)の菊池半助(きくちはんすけ)、あのりすのような挙動(きょどう)をして、どこへいったのかと思うと、やがてひとり、鐘巻一火(かねまきいっか)のひかえ場(ば)のうらへきて、鉄砲(てっぽう)ぶッちがえの幕(まく)のすきから、なかのようすをのぞいていた。
 そとのさわぎに、門人(もんじん)すべてではらって、幕(まく)のうちには人影(ひとかげ)もない。
 ただ、咲耶子(さくやこ)ひとりだけが、柱にもたれて休(やす)んでいた。
「ウム、いるな」
 こううなずくと半助は、幕(まく)をあげて、いきなりそこへ飛びこんだ。
 とたんに、あッ――と洩(も)れた咲耶子の声が、糸を切ったように、中途(ちゅうと)からポツンときれて、それっきり、あとはなんの音もしなかった。

 竹(たけ)で網代(あじろ)にあんだ駕籠(かご)である。山をとばすには軽(かる)くってくっきょうな品物。それへ、さいぜん、忍剣(にんけん)の鉄杖(てつじょう)で腰骨(こしぼね)をドンとやられた、蚕婆(かいこばばあ)が乗(の)っていた。
 あの、こうもりのつばさのような、女修道者(イルマン)の着るくろい服(ふく)をかぶって、青い顔をして乗っていた。
「婆(ばあ)さん、痛(いた)いかい?」
 のぞきこんだのは燕作(えんさく)である。
 蚕婆は、腰(こし)をさすって、
「ウーム、痛(いた)い」
 と、顔をしかめた。
「いまに楽(らく)にしてやるよ、おめえだけさきに浜松(はままつ)へ帰るんだ。ご城下(じょうか)にかえれば、湯(ゆ)もある医者(いしゃ)もある、なにもそんなに心配(しんぱい)することはねえ」
 ところへ、ばたばたと足音がしてくる。
 葵紋(あおいもん)の幕(まく)をあげて、あわただしくかけこんできたのは、菊池半助(きくちはんすけ)であった。
 右のこわきに、咲耶子(さくやこ)のからだを引っかかえていた。不意(ふい)に、当身(あてみ)をうけたのであろう、彼女(かのじょ)は力のない四肢(し)をグッタリとのばしていた。
「呂宋兵衛(るそんべえ)、呂宋兵衛」
「お」
 もう一挺(ちょう)の駕籠(かご)のなかに、和田呂宋兵衛(わだるそんべえ)がかくれていた。ひらりと飛びだして――。
「半助さま、ごくろうでしたな」
「む。いい首尾(しゅび)だったので、なんの苦(く)もなくさらってきた」
「お早いのには、呂宋兵衛も舌(した)を巻(ま)きましたよ。さすがは、伊賀者頭(いがものがしら)でお扶持(ふち)をもらっているだけのお値打(ねう)ちはある」
「おだてるな。して、支度(したく)は」
「このとおり。なん時でも」
「では、一刻(こく)もはやいがいいぞ。おい燕作(えんさく)、ちょっと手をかせ」
 呂宋兵衛(るそんべえ)が身をぬいた空駕籠(からかご)のなかへ、咲耶子(さくやこ)のからだを押(お)しこんで、その、人目(ひとめ)につく身なりの上へ、蚕婆(かいこばばあ)と同じくろい服(ふく)をふわりとかぶせた。
「さ、これでいい」
 と半助が合図(あいず)をすると、わらじをむすんでいた駕籠の者が、ばらばらと寄(よ)って二つの駕籠をかつぎあげた。――呂宋兵衛はすぐと、
「おれと菊池(きくち)さまは、あとから見えがくれについてゆくから燕作(えんさく)、てめえはなにしろ駕籠について、御岳(みたけ)のうら道をグングンとかけとばし、浜松(はままつ)のご城下(じょうか)へいそいでゆけ」
 と、手をふった。
 …………
 紛擾(ふんじょう)をきわめている一方では、徳川方(とくがわがた)のそんな奸計(かんけい)を、夢(ゆめ)にも知ろうはずがない。
 どっちも引(ひ)かずに争(あらそ)っていたが、審判(しんぱん)の公平(こうへい)と、他藩(たはん)の輿論(よろん)には勝てない。で、とうとう石見守(いわみのかみ)も我(が)を折った。ぜひがない、随意(ずいい)にするがいいと、兜(かぶと)をぬいだような顔をして、苦情(くじょう)の紛争(ふんそう)にけりをつけた。
「見たことか」
 と、小文治(こぶんじ)は小きみよく思った。
 で、鐘巻一火(かねまきいっか)の溜(たま)り場(ば)へ、凱歌(がいか)を奏(そう)してひきあげてきたはいいが、それほどまで争奪(そうだつ)の焦点(しょうてん)となっていた、かんじんな咲耶子その者のすがたが、いつのまにか失(うしな)われていた。
 門人(もんじん)たちはおどろいて、
「たったいままで、ここに手当(てあて)をうけて、しずかによりかかっておられたのに」
 と、血(ち)まなこで四方をさがし歩いたが、かげも形(かたち)も見えなかった。
 一火(いっか)はもうしわけがないと、龍太郎(りゅうたろう)や忍剣(にんけん)たちのまえに両手(りょうて)をついて謝罪(しゃざい)した。ふかく責(せ)めれば、腹(はら)を切ってもわびそうな気色(けしき)なので、四人はぼうぜんと顔を見あわせたのみで、一火を責(せ)める気にもなれない。
「計(はか)ったのだ。長安(ながやす)めの、はかりごとだ!」
 と、小文治(こぶんじ)が唇(くちびる)をかみしめて叫(さけ)ぶと、蔦之助(つたのすけ)も、
「そうだ! なんのかのと、時刻(とき)をうつしてさわがせたのは、このすきをうかがうための徳川方(とくがわがた)の策(さく)だったのだ。おそらく咲耶子(さくやこ)の身は、きゃつらに、奪(うば)い去(さ)られたにそういない」
 龍太郎は黙然(もくねん)とうなだれていたが、
「われわれがあさはかだったのだ。かれらを正(ただ)しい武門(ぶもん)の人間とかんがえて、試合(しあい)や争論(そうろん)に汗(あせ)をながしたのがおろかであった。これまでの力をつくしながら、咲耶子をとられたものならぜひがない、いちおう、ここを退(ひ)いて、またあとの分別(ふんべつ)をつけるとしよう」
 そういわなければ、一火の立場(たちば)があるまいとさっして、かれが他の三人に目まぜをすると、忍剣はなにもいわずに、鉄杖(てつじょう)をこわきにかかえて、まえの場所(ばしょ)へかけもどった。
 その顔色をチラと見て、龍太郎(りゅうたろう)は追(お)いすがりながら、
「忍剣(にんけん)! きさまは色をかえて、どこへゆこうとするのだ」
 息(いき)ぜわしく、袖(そで)をつかんだ。
 ふりはらって、ただ一言(ごん)、
「はなせ!」
 と語気(ごき)がするどい。
「いや、はなさん。おれははなさん」
「なんで、おれのすることをさまたげるのだ」
「きさまは、その引っかかえている禅杖(ぜんじょう)で、きょうの鬱憤(うっぷん)を晴(は)らそうという気だろう」
「知れたことだ。この晴(は)れがましい、大講会(だいこうえ)の広前(ひろまえ)で、かたく、約(やく)をむすんだ試合(しあい)ながら、さまざまに難癖(なんくせ)をつけたあげく、その裏(うら)をかいて、咲耶子(さくやこ)のすがたを隠(かく)してしまうという言語道断(ごんごどうだん)な行(おこな)いを、だまってこのまま見て引っこめるか。――龍太郎! おぬしは退(ひ)くなら、退くがいい、おれは徳川家(とくがわけ)の蛆虫(うじむし)めらを、ただ一匹(ぴき)でも、この御岳(みたけ)から下へおろすことはできない」
 かれの額(ひたい)には、炎(ほのお)のような青筋(あおすじ)がうねっていた。かつて、忍剣の形相(ぎょうそう)が、こうまですごくさえたことを、龍太郎も見たことがないくらい。
「こらえろ! こらえてくれ、忍剣! この山の掟(おきて)を知らぬか、兵法大講会(へいほうだいこうえ)三日の間(あいだ)は、たとえどんなことがあっても血(ち)を見るなかれという、きびしい山の禁断(きんだん)を知らぬかッ」
「ええ、もうその堪忍(かんにん)はしつくした。これ以上(いじょう)のこらえはできない」
「だからきさまの短慮(たんりょ)を、伊那丸(いなまる)さまも民部(みんぶ)どのも、へいぜいから心配(しんぱい)するのだ。もしものことをしでかしてみろ、きさまばかりではない。友だちのおれたちがこまる。こらえろ、こらえろ。よ! 忍剣(にんけん)」
「ウーム、こらえたいが、だめだッ。もうだめだッ! はなせそこを」
 龍太郎を突(つ)きのけて走りだしたかれの前には、もう、どんな力のものでも、さえぎることができそうもなかった。

 石見守長安(いわみのかみながやす)は、やぐらの者に、あわてて貝(かい)の音(ね)を高く吹(ふ)かせた。忘れていたが、いつか、とっぷりと日がくれていたのだ。
 が、――貝(かい)の合図(あいず)を待たずに、群集(ぐんしゅう)は、あのもめごとのうちに、のこらず山をくだったらしい。
「まず、大講会(だいこうえ)の二日も、これですんだというもの。ウーム、つかれた。これこれ足軽(あしがる)、篝火(かがり)を焚(た)け夜(よる)の篝火を」
 こういいながら、狩屋建(かりやだて)の奉行小屋(ぶぎょうごや)へはいると、かれはすぐに平服(へいふく)に着(き)かえて、炉(ろ)ばたへ床几(しょうぎ)を運(はこ)ばせた。
 そこへ、菊池半助(きくちはんすけ)と呂宋兵衛(るそんべえ)がチラと顔をみせた。そして、なにかささやいたが、
「ふ……そうか」
 と、うなずいた長安(ながやす)の笑顔(えがお)を見ると、ふたりはすぐ、影(かげ)をけした。さっきの駕籠(かご)のあとを追(お)って夜道をいそいだようすである。
 やがて、どッと、にぎやかな笑(わら)いがそこらではずみだした。奉行小屋(ぶぎょうごや)と棟(むね)つづきの目付小屋(めつけごや)でも、詰侍(つめざむらい)のかり屋(や)でも足軽(あしがる)の溜(たま)りでも、また浜松城(はままつじょう)のもののいる幕(まく)のうちでも。
 長安の奇計(きけい)が、ひそかに、耳から耳へ伝(つた)えられて、どッと、はやしたものだろう。あっちでもこっちでも、ドカドカと篝火(かがり)をもやして、急(きゅう)に、徳川方(とくがわがた)の空気が陽気(ようき)になりだした。
 が――しかし。
 そう見えたのもつかの間(ま)で、とつぜん、奉行小屋(ぶぎょうごや)の柱(はしら)が、すさまじい音をして折れたかと思うと、血(ち)か、肉(にく)か、白木(しらき)の羽目板(はめいた)へまッ赤(か)なものが、牡丹(ぼたん)のように飛びちった。
「狼藉者(ろうぜきもの)ッ」
 という声が、そこで聞えた。
 一瞬(しゅん)のうちに、おそろしいこんらんの幕(まく)があいた。逃(に)げる、わめく、得物(えもの)をとる。そして、同志討(どうしう)ちが随所(ずいしょ)にはじまる。
 修羅(しゅら)だ。たちまち、あたりは血(ち)の瓶(かめ)を割(わ)ったようだ。
 立ちふさがる侍(さむらい)や足軽(あしがる)を、二振(ふたふ)り三振り鉄杖(てつじょう)でたたき伏(ふ)せて、加賀見忍剣(かがみにんけん)は夜叉(やしゃ)のように、奉行小屋(ぶぎょうごや)の奥(おく)へおどりこんでいった。
 生(なま)はんかな得物(えもの)をとって、それを食い止(と)めようとする業(わざ)は、かえって、かれの鉄杖(てつじょう)に、勢(いきお)いを加(くわ)えるようなものだった。そして、そのまえに立ったものは、みんな血(ち)ヘドを吐(は)くか、手足の骨(ほね)をくじいて、まんぞくに逃(に)げきることはできなかった。
「なに、なに? なにが起ったのだ」
 石見守(いわみのかみ)は、はじめ、その物音を足軽部屋(あしがるべや)のいさかいかなにかと心得(こころえ)たものらしかったが、そこへ、
「忍剣がッ。忍剣があばれこんできたッ」
 血(ち)に染(そ)まった武士(ぶし)たちが、なだれを打ってころげこんできたので、そばにいた四、五人の家臣(かしん)と一しょに、
「さては」
 と、にわかに度(ど)をうしなってしまった。
 だが、かれとしては、張(は)らざるを得(え)ない虚勢(きょせい)をはって、
「ええ、多寡(たか)の知れた乞食坊主(こじきぼうず)のひとりぐらいに、この狼狽(ろうばい)はなにごとだ、取りかこんで、からめ捕(と)ってしまえッ」
 と、叱咤(しった)した。
 しかし――そのことばと一しょに、目のまえの炉(ろ)のなかへ、ひとりの試合役人(しあいやくにん)が逆(さか)とんぼを打って灰神楽(はいかぐら)をあげたのを見ると、かれはけつまずきそうになって、狩屋建(かりやだて)の小屋の裏(うら)へ逃(に)げだしていた。
「待てッ、長安(ながやす)」
 放(はな)たれた豹(ひょう)のごとく、その姿(すがた)を目がけて、忍剣(にんけん)の跳躯(ちょうく)がパッとうしろを追(お)う。
「あッ」
 と、かれがひきょうな声をうわずらしたせつな、狩屋建の板戸(いたど)や廂(ひさし)が木(こ)ッぱになって、メキメキと飛びちった。
「ウーム、徳川家(とくがわけ)の衆(しゅう)、浜松(はままつ)の衆、出合(であ)えッ、出合えッ、狼藉者(ろうぜきもの)だ、狼藉だ」
 見栄(みえ)もなく、むちゅうでさけびながら、幕(まく)のすそをくぐッて浜松城(はままつじょう)の剣士(けんし)たちがいる溜(たま)り場(ば)へ四つンばいに逃(に)げこんだ。
 朱槍(しゅやり)、黒槍(くろやり)、樫(かし)みがきの槍、とたんに、幕(まく)をはらって忍剣をつつんだ。
「売僧(まいす)ッ、御岳(みたけ)三日の掟(おきて)を知らぬか」
「だまれ、武門(ぶもん)の誓約(せいやく)さえふみにじる非武士(ひぶし)どもに、御岳の神約(しんやく)を口にする資格(しかく)はない」
 言下(げんか)に鉄杖(てつじょう)を見まっていった。
 霜(しも)とならべて、つきかかる槍(やり)も、乱離(らんり)となって折れとんだ。葵紋(あおいもん)の幔幕(まんまく)へ、霧(きり)のような、血汐(ちしお)を吹(ふ)ッかけて、見るまに、いくつかの死骸(しがい)が虚空(こくう)をつかむ。
 いかれる獅子(しし)のまえにはなにものの阻害(そがい)もない。忍剣はいま、さながら羅刹(らせつ)だ、夜叉(やしゃ)だ、奸譎(かんけつ)な非武士(ひぶし)の卑劣(ひれつ)を忿怒(ふんぬ)する天魔神(てんましん)のすがただ。
 ふだんは、無口(むくち)のほうで、伊那丸(いなまる)にたいしては柔順(じゅうじゅん)であり、友情にもろい男であり、小事(しょうじ)にこだわらず、その、鉄杖(てつじょう)に殺風(さっぷう)を呼(よ)ぶことも滅多(めった)にしない男であるが、いったん、そのまなじりを紅(べに)に裂(さ)いたときには、百槍(そう)千甲(こう)の敵(てき)も食(く)いとめることができないし、かれの友だちでも、手がつけられない忍剣(にんけん)だった。
 その忍剣が、堪忍(かんにん)をやぶって、鉄杖と鉄腕(てつわん)のつづくかぎり、あばれまわるのであるから、ほッたて小屋どうような狩屋建(かりやだて)は片っぱしからぶちこわされ、召捕(めしと)ろうとする、新手(あらて)も新手も、猛猪(もうちょ)に蹴(け)ちらされる木(こ)の葉(は)のように四離(り)し、散滅(さんめつ)して、手負(てお)いの数(かず)をふやすばかり。
 このさわぎとともに、徳川家以外(とくがわけいがい)の溜(たま)り場(ば)のものは、かれらの横暴(おうぼう)をひそかに不快(ふかい)に思っていたので、みな見て見ぬふりして山をおりてしまった。
 で、手にあました浜松城(はままつじょう)の武士(ぶし)や、石見守(いわみのかみ)から訴(うった)えたものであろう、御岳神社(みたけじんじゃ)の衛士(えじ)たちが数十人、ご神縄(しんじょう)と称(しょう)する注連縄(しめなわ)を手にもって、
「ひかえろ! ひかえろ! ひかえろ!」
 と叫(さけ)びながら、松明(たいまつ)をふって、石段(いしだん)の上からさっとうした。
 これを、神縛(しんばく)の討手(うって)という。
 神のお縄(なわ)をあずかって、神庭(しんてい)の狼藉者(ろうぜきもの)を捕縛(ほばく)する使いである。理非(りひ)はともあれ、御岳(みたけ)の掟(おきて)「血(ち)を見るなかれ」の誓(ちか)いをやぶった忍剣にたいして、とうぜん、そのご神縄(しんじょう)がくだったのである。

「ああ、しまった!」
 龍太郎(りゅうたろう)をはじめ、蔦之助(つたのすけ)や小文治(こぶんじ)や、そして竹童(ちくどう)たちは、忍剣(にんけん)が堪忍(かんにん)をやぶって力にうったえたのをむりとは思わないが、こまったことになったと、嘆声(たんせい)をあげていた。
 すでに、かれが忍従(にんじゅう)の鎖(くさり)をきって走った以上(いじょう)、それを止(と)めることもできないし、かれに加勢(かせい)することもできない。
 拱手(きょうしゅ)して傍観(ぼうかん)する? それも、友情としてしのびないではないか。
「どうしたものだろう」
 龍太郎は、自分の難儀(なんぎ)よりもとうわくした。
 だが――その人たちよりも、もっと驚(おどろ)いたのは、群集(ぐんしゅう)の去(さ)ったあとで、矢来(やらい)のそとにあんじてながめていた、小幡民部(こばたみんぶ)である、武田伊那丸(たけだいなまる)である。
 アア、ついに大事をひきおこした――。
 ふたりの面(おもて)には、うれいがみちていた。
 もし、こういうことでもあってはと、一党(とう)の者が矢来(やらい)のうちへ足を踏(ふ)みいれることをかたくいましめていたのに――といまさらの悔(く)いも追(お)いつかない。
「民部、民部」
 ものにさわがない伊那丸(いなまる)が、とつぜん、矢来(やらい)をやぶって、かけだしながら、
「はやくこい、捨(す)ててはおけまいぞ」
 と、龍太郎(りゅうたろう)たちのとうわくしているそばへきた。
「オオ、若君(わかぎみ)」
「忍剣(にんけん)の身の一大事じゃ」
「われわれのふつつか、おわびの申(もう)しあげようもございませぬ」
「そんなことは、いまさら、申すにはおよばない。なにせい、忍剣の身を」
「は、はい。……しかし、若(わか)さままでが、ここに姿(すがた)をおだしになっては、どんな禍(わざわ)いがふりかかるかも知れませぬから、どうか、民部(みんぶ)どのは若君(わかぎみ)のお供(とも)をして、ここを、お立退(たちの)きくださいまし、あとの儀(ぎ)は、われわれたちで、どうなりと処置(しょち)してまいります」
 一同が、おそるおそるいうことばへ、伊那丸は、強くかぶりをふって、
「かれの安危(あんき)がわからぬうちに、自分ばかり退(の)くことはできない。オオ!」
 伊那丸が、オオといった声につれて、かなたに、ワーッという鬨(とき)の声がどよめいた。ふりかえると、その時だった。
 殺到(さっとう)した、御岳(みたけ)の衛士(えじ)数十人が、手に手に、ご神縄(しんじょう)と松明(たいまつ)をもち、
「しずまれ! しずまれ!」
「神使(しんし)であるぞ。ご神縛(しんばく)の使いであるぞ」
「ひかえろッ」
「しずまれ!」
 と叫(さけ)びながら、血(ち)まみれの人渦(ひとうず)のなかへ、まっ白な列(れつ)を雪(ゆき)のように散(ち)らかしていった。
「あッ、あれは? ――」
「御岳(みたけ)のご神縛(しんばく)です――ご神縛がくだったのです」
「ぜひがないこととなった。したが、忍剣(にんけん)を他人手(ひとで)に召(め)し捕(と)られるのは、なんともざんねん。かれとしても本意(ほんい)であるまい。民部(みんぶ)、民部」
「はッ」
「わしに代(かわ)って、おまえが御神縄(ごしんじょう)をうけて忍剣を、捕(と)りおさえてこい」
 泣いて馬謖(ばしょく)をきる伊那丸(いなまる)の心とよめたので、
「はッ、かしこまりました」
 と、小幡民部(こばたみんぶ)は、涙(なみだ)をふるッて、かけだした。
 そして、群鷺(ぐんろ)のごとくそこへ襲(よ)せていた衛士(えじ)たちを割(わ)ッていって、
「あいや、御岳(みたけ)の舎人(とねり)たちに申しあげる。狼藉者(ろうぜきもの)は手まえの友人ゆえ、この方(ほう)にて取りおさえますから、しばらくの間、そのご神縄を拝借(はいしゃく)いたします」
 と叫(さけ)んで、ひとりの衛士(えじ)の縄(なわ)をかりて修羅王(しゅらおう)のように暴(あば)れている加賀見忍剣(かがみにんけん)の前へつかつかと寄(よ)っていった。
 常(つね)には、一飯(ぱん)一衣(い)を分けあって起き伏(ふ)しする友であるが、いまは、御岳の神縄をかりて捕りおさえにきた小幡民部。
 その縄(なわ)を右手につかんで、
「忍剣(にんけん)」
 としずかに呼(よ)びかけた。

 忍剣は、ハッとしたようすで、
「おう、民部(みんぶ)どのか」
 と、炎(ほのお)のような息(いき)をついた。
「伊那丸君(いなまるぎみ)のおいいつけを受けて、若君(わかぎみ)の代(かわ)りとしてまいった小幡民部(こばたみんぶ)だ。神の掟(おきて)をやぶった科者(とがもの)、すみやかにご神縛(しんばく)につけいッ」
 言下(げんか)に、ガランと地を掘(ほ)って、かれの足もとへ血(ち)みどろの鉄杖(てつじょう)が投げだされた。
 そして忍剣は、すなおに、うしろへ手をまわして、
「民部どの、ご心配(しんぱい)をかけました。いざ……」
 と、大地へ坐(すわ)りこんだ。
 注連(しめ)のついた荒縄(あらなわ)がギリギリとかれの腕(うで)へまわされた。民部はこのあいだに、なにか、いってやりたかったけれど、胸(むね)がいっぱいで、かれにあたえることばを知らなかった。
 忍剣のからだは縄つきのまま、民部の手から、御岳(みたけ)の神官(しんかん)にわたされた。
 それを見ると、逃(に)げまわっていた徳川家(とくがわけ)の者たちが、また蠅(はえ)のように集(あつ)まって神官(しんかん)を取りまき、忍剣をわたせ、殺傷(さっしょう)の罪人(ざいにん)を徳川へわたせと喧騒(けんそう)した。
 神官は、だんじて、それをこばんで、
「科人(とがにん)はご神刑(しんけい)にかけます。ご領地(りょうち)のできごとなら知らぬこと、ご神縛(しんばく)の科人は当山(とうざん)のならいによって罰(ばっ)します」
 そして、一同に退去(たいきょ)を命(めい)じた。
 血(ち)をながした以上(いじょう)、大講会(だいこうえ)の中止(ちゅうし)はやむをえないことだが、徳川家の武士(ぶし)や石見守(いわみのかみ)の家来(けらい)たちは、まだ騒然(そうぜん)とむれて、そこを去(さ)らなかった。
 神官はまた、法(ほう)によって、伊那丸(いなまる)や民部や、龍太郎(りゅうたろう)やすべて、忍剣と道づれである者を六人とも、垢離堂(こりどう)に拉(らっ)して、謹慎(きんしん)すべきように命(めい)じた。これも、掟(おきて)とあればいなむことができない。――およそ、戦国の世(よ)には、神ほど尊敬(そんけい)されたものはなく、神の力、神の法ほど、うごかすことのできないものと、信(しん)じられたものはなかった。どんな合戦(かっせん)も、一枚(まい)の、熊野権現(くまのごんげん)の誓紙(せいし)で、矛(ほこ)を収(おさ)めることができた。神をなかだちにして誓(ちか)えば、大坂城(おおさかじょう)の濠(ほり)さえうずめた。
 町人(ちょうにん)ですら、神文血判(しんもんけっぱん)は、命以上(いのちいじょう)のものだった。
 まして、武門(ぶもん)の人は、ぜったいに、神に服(ふく)し、敬神(けいしん)を心としていた。
 連累(れんるい)のものとして、伊那丸たちが、垢離堂に監禁(かんきん)されたのを見ると、さすが、がやがやさわいでいた徳川家の侍(さむらい)たちも、いくぶんか気がすんだと見えて、死骸(しがい)をかたづけ、血汐(ちしお)に砂(すな)をまき、大講会(だいこうえ)につかった屋舎(おくしゃ)をこわして、夜の明けがたに、ひとり、のこらず、御岳(みたけ)の山からおりてしまった。
 不首尾(ふしゅび)ながら、翌日(よくじつ)は、大久保長安(おおくぼながやす)はふもとの町から甲府(こうふ)へかえる行列(ぎょうれつ)を仕立(した)てた。
 ところが、そのとちゅうで――。
 なにか、長安から耳打(みみう)ちをされた鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)が、ある宿場(しゅくば)で行列(ぎょうれつ)がやすんだ時、
「お、ちょいとこっちへきな」
 と、蛾次郎(がじろう)をものかげへ手招(てまね)きした。
 いつになく、たいそうやさしく手招きされたので、蛾次郎はすぐうれしくなってしまった。
「なんですか、親方(おやかた)」
「まあ、こッちへおいで」
「もっと歩(ある)くんですか」
「ウム、殿(との)さまの駕籠(かご)がご休息(きゅうそく)になっているうちに、なにか食(た)べたいものでも食(く)わせてやろうと思ってさ」
「へ、へ、へ、へ、すみませんね、親方」
「なにがいいな?」
「どんなうまいものがあるか、ずッと、この宿場(しゅくば)を見てあるきましょうか」
「そんなに手間(てま)をとっちゃいられないよ。おれは、石見守(いわみのかみ)さまの駕籠がたつと、一しょに、甲府(こうふ)の躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)へ帰らなけりゃならない」
「じゃ、あそこにしましょう。あそこの家(うち)の……」
 と、指(ゆび)さした。
 餅(もち)や団子(だんご)や強飯(こわめし)がならんでいる。
 そこへはいって、奥(おく)のひくい板(いた)の間(ま)へ腰(こし)かけた。
「いくらでもおあがりよ。腹(はら)の虫が承知(しょうち)するほど」
 ことわるまでもないこと、むろん、蛾次郎(がじろう)もその気でパクついている。

 ほどのいいところを見はからって、卜斎(ぼくさい)が、
「時にな、蛾次公」
 と、声をひそめた。
 蛾次郎はグビリと頬張(ほおば)っていたあんころをのみくだして、
「へ?」
 と、ほかにも用(よう)があるのかというような顔をした。
「おまえはたしか、石投(いしな)げの名人だったな。ほかのことにかけては、ドジでも、つぶてを打たすと、すばらしく上手(じょうず)だった」
「親方あ――」と、蛾次郎は、卜斎の顔をゆびさして笑(わら)いながら、
「いまごろになって、あんなことをいってら。裾野(すその)にいたじぶん釜無川(かまなしがわ)の下で、毎日おいらが捕(と)ってきて親方(おやかた)に食(た)べさせた、あの鮠(はや)だの岩魚(いわな)だのは、みんな、石でピューッとやって捕ったんですぜ。ねエ、親方、河原(かわら)の小石をこう持つでしょう、こう指(ゆび)のあいだにはさんでネ、魚のやつが、白い腹(はら)をチラリと見せたところをねらって、スポーンと食(く)らわしてやるんです。どんな速(はや)い魚(さかな)だって蛾次(がじ)さんの石からそれたことはありませんよ。こんど親方にもその秘伝(ひでん)を教えてやろうか。ところが、どうして、その石の持ち方が、あれでもなかなかむずかしいんでね、だから、だれだかいいましたよ、蛾次は石投げの天才(てんさい)だってね」
「もういい、もういい」
 と、卜斎(ぼくさい)は手をふって、
「わかったよ、わかったよ。まったくおまえは石投げの天才だ」
「はい、天才だそうでございます」
「だからたぶん、飛道具(とびどうぐ)を持たせたら、きっと巧者(こうしゃ)だろうと思うんだが……」
「なんにかけたって、下手(へた)なものはありませんよ。ところで親方、塩ッぱいほうのお団子(だんご)を、もう一皿(ひとさら)もらってようございますか」
「ああいいよ。たくさんお食(た)べ。……じゃおまえ、こういうものを使えるかい」
「へ、なにをで」
「これさ……」
 と卜斎(ぼくさい)が、羽織(はおり)の裏(うら)から種子島(たねがしま)の短銃(たんじゅう)をだした。
「親方(おやかた)、鉄砲(てっぽう)でしょう、それは」
「ウン、スペインわたりの短筒(たんづつ)だ。どうだ欲しくないか」
「だって、くれやしないでしょう」
「おまえにやらないこともないさ。まだこのほかに、殿(との)さまからくだされものもたくさんある」
「わたしにですか」
 と、蛾次郎(がじろう)は目をパチパチさせて、急(きゅう)に膝(ひざ)ッこの前をあわせた。
「おまえもはや十六歳(さい)、たしか、そうだろう。もうここ二、三年で元服(げんぷく)をしてさ、一人(にん)前(まえ)の鍛冶(かじ)なり、一人前の侍(さむらい)なりになる心がけをしなくってはいけない。それには、なにかいい機会(きかい)をつかまえて、その機(き)をのがさず手がらをあらわすことがかんじんだ」
「はい、あらわします」
「それも、うわの空ではだめだ、目がけたことに向かったら、命(いのち)をすててかかる気ごみでなければだめだよ」
「だって親方(おやかた)、やる仕事がないんだもの」
「あるさ、おれはおまえを見こんで、その大功(たいこう)をあらわす仕事をひきうけてきたんだ。おまえというものを、石見守(いわみのかみ)さまにみとめさせようと思ってな。どうだ、どうだ蛾次、奮発(ふんぱつ)して一つやってみるか。だけれど、イヤならむりとはいわないよ、ほかに、望(のぞ)み手はたくさんあるし、それに、この鉄砲(てっぽう)で、ドンと一発(ぱつ)やればそれでいい仕事なんだから……」
 なにをいいふくめられたか、蛾次郎(がじろう)は、卜斎(ぼくさい)から、銀鋲(ぎんびょう)[#ルビの「ぎんびょう」は底本では「ぎんぴょう」]のスペイン短銃(たんじゅう)と一両(りょう)ほどの金子(きんす)をもらって、すっかり仕事をのみこんでしまった。
「いいか、いまもいったとおり、石見守(いわみのかみ)さまのおいいつけなのだ。大久保家(おおくぼけ)の侍衆(さむらいしゅう)では、もし、見つかった時にぐあいがわるい。で、おまえなら、なあに、どこの小僧(こぞう)がいたずらをしたかですむ。それに、二十一日のあいだにやりさえすればいいんだから、立派(りっぱ)に一つうち止(と)めてこい。もし、なまけぐせをだしおって、やり損(そん)じなどした時には、それこそ、この卜斎より石見守さまがその細首(ほそくび)をつけてはおくまいぞ」
 すこしあとの文句(もんく)がすごいな――と蛾次郎は思ったが、卜斎はそういいのこすと、かれをおきのこしてそこをかけだし、石見守の行列(ぎょうれつ)へついていった。
「なんだ、ぞうさはねえや」
 蛾次郎は、短銃をふところへしまいこんだ。なかで、なにかカチャリといったので、さぐってみると肌身(はだみ)はなさない秘蔵(ひぞう)の水独楽(みずごま)だ。
「じゃまだな」
 と、また短銃をだして、手拭(てぬぐい)にクルクルとくるんだ。そいつを、ボロ鞘(ざや)の刀と一しょに腰(こし)へさして、大小(だいしょう)を差(さ)したように気取(きど)りながら、
「オイ、亭主(おやじ)さん、おつりをくんな」
 と、もらったばかりの銀銭(ぎんせん)を餅屋(もちや)の台(だい)へほうりだした。
 そのつり銭(せん)を巾着(きんちゃく)にいれて、そとへ飛びだそうとすると出合(であ)いがしらに、カアーンという鉦(かね)の音(ね)が不意(ふい)に鳴ったので、
「あ。びッくりした」
 と、よこを見た。
 七、八軒(けん)さきの横町(よこちょう)から、地蔵行者(じぞうぎょうじゃ)の菊村宮内(きくむらくない)が、れいの地蔵尊(じぞうそん)の笈摺(おいずる)を背負(せお)って、こっちへ向かってくるのが見える。
「こいつはいけねえや、竹生島(ちくぶしま)のおやじに会(あ)うと、またなにか、小やかましいお説教(せっきょう)を聞かされるにちがいない」
 こうつぶやいて、かれが、横を向きながら、ぷいと向こうへそれようとすると、おなじ宿場(しゅくば)の軒(のき)をながしていた坂東巡礼(ばんどうじゅんれい)の三十七、八ぐらいな女――わが子をたずねて坂東めぐりをして歩(ある)くお時(とき)という女房(にょうぼう)が、
「あッ。あの子! あの子!」
 と、目をすえて、よってきた。
 いつか、月ノ宮の鳥居(とりい)の下で見たこともあるが、蛾次郎(がじろう)は、ただの物貰(ものもら)いとしか思わないので、いまの餅屋のおつりのうちから鐚銭(びたせん)を一枚なげて、
「ほれ、やるよ」
 と、あとも見ずに、あなたの小道(こみち)へ、すたこらとかけだしてしまった。

 いつのまにか、竹童(ちくどう)のすがたが見えなくなった。
 伊那丸以下(いなまるいか)のひとびとは、あのそうどうのあった晩(ばん)から、御岳(みたけ)の一舎(しゃ)に謹慎(きんしん)して、神前(しんぜん)をけがした罪(つみ)を謝(しゃ)すために、かわるがわる垢離堂(こりどう)の前で水垢離(みずごり)をとった。
 それまでのあいだに、竹童の姿(すがた)が洩(も)れている。
「どこへいったろう? もしや、徳川家(とくがわけ)の者に、捕(と)らわれていったのではないか」
 一同が、ひそかに心配(しんぱい)していると、翌朝(よくあさ)のこと、垢離堂の石井戸(いしいど)のそばに、竹にはさんだ紙片(かみきれ)が立っていた。

マタ鷲(ワシ)ヲサガシニマイリマス。クロハワタシヲコイシガッテイマス。ワタシモクロガコイシクテナリマセン。
民部(ミンブ)サマカラ若君(ワカギミ)ヘ申シアゲテクダサイマシ。ワガママナコトデス。

 置手紙(おきてがみ)には、竹童の文字(もじ)で、こう書いてあった。
「かれのことだ。それならあんじることはない」
 むしろ、一党(とう)の人は、それで愁眉(しゅうび)をひらいていた。しかし、愁眉のひらかれぬ気がかりは、ご神罰(しんばつ)に刑(けい)せられている忍剣(にんけん)の身の上――。
 轟々(ごうごう)と空に風の鳴る夜、シトシトと肌(はだ)さむい小雨(こさめ)が杉山(すぎやま)に降(お)りてくる朝、だれもがきっとかれの身を考えた。
「ああ、どうしているだろう、忍剣(にんけん)は」――と。
 だが、いくらどうあんじたところで、ここ二十一日間は、そのようすを見ることもできない。また、かれをすくう方法(ほうほう)もぜったいにない。
 忍剣はいま、神刑(しんけい)に梟(か)けられているのだ。
 二十一日間のおそろしい神刑。
 そこは、御岳(みたけ)の神殿(しんでん)から、まだ二里(り)半(はん)もある深山(みやま)の絶顛(ぜってん)に近いところ。
 山は冠(かむり)ヶ岳(たけ)とよぶ。
 急峻(きゅうしゅん)で、大樹(たいじゅ)と岩層(がんそう)が、天工(てんこう)の奇(き)をきわめているから、岳中(がくちゅう)自然(しぜん)と瀑布(ばくふ)や渓流(けいりゅう)がおおい。あるところは、右にも滝(たき)、左にも滝、そして、渓流の瀞(とろ)に朽(く)ちたおれている腐木(ふぼく)の上を、貂(てん)や、むささびや、りすなどが、山葡萄(やまぶどう)をあらそっているのを昼(ひる)でも見る。
 御岳の神領(しんりょう)であるから、斧(おの)をいれる杣(そま)もなかった。そこに、ご神刑の千年(ねん)山毛欅(ぶな)とよぶ大木(たいぼく)があった。
 おそろしく太い山毛欅だ。幾抱(いくかか)えあるかわからないような老木(ろうぼく)だ。まるで、青羅紗(あおラシャ)の服(ふく)でもきているように、一面に厚(あつ)ぼったい苔(こけ)がついていた。
 どこまで高いかとあおむいてみると、四方の樹林(じゅりん)をつきぬいて、奇怪(きかい)な枝(えだ)をはっている。白い霧(きり)がきたときは、その木の半分以上(はんぶんいじょう)は、まさに雲表(うんぴょう)に立っている。
「血(ち)をみるなかれ」の誓文(せいもん)をやぶった科(とが)で、加賀見忍剣(かがみにんけん)はその神刑(しんけい)の山毛欅(ぶな)の高い上にしばられていた。
 足はわずかに木のこぶにささえ、からだは注連縄(しめなわ)で巻(ま)かれたまま、礫(はりつけ)のように木の幹(みき)へしばりつけられた。目はもちろん、白い布(ぬの)で、かくされていてかえってよいかも知れなかった。十数丈(すうじょう)の樹上(じゅじょう)から目をひらけば、甲斐(かい)、秩父(ちちぶ)、上毛(じょうもう)の平野(へいや)、関(かん)八州(しゅう)、雲の上から見る気がして、目がくらむかもわからない。
 が、忍剣である。快川和尚(かいせんおしょう)の三十棒(ぼう)で鍛(きた)えあげられたかれである。目をひらけば、絶景(ぜっけい)! と叫(さけ)ぶだろう。それくらいな胆気(たんき)はある、きっと、それくらいな胆(きも)はすわっている。
 しかし、いくら大胆(だいたん)な忍剣でも、この深岳(しんがく)の霧(きり)にふかれて、二十一日間も飲まず食(く)わずで、そのままそうしておられるであろうか。心は禅(ぜん)に入(い)って、耐(た)えるとしても、人間の肉体(にくたい)がもつだろうか。
 大雨(おおあめ)がふる日もある。暴風(ぼうふう)が幹(みき)をゆすぶる晩(ばん)もある。雷鳴(らいめい)や雷気(らいき)が山を裂(さ)くような場合(ばあい)もあるにちがいない。
 ことに寒(さむ)い! まだ麓(ふもと)のもみじは浅(あさ)いが、このへんの冷気(れいき)は、身にしみるほどではないか。
 また、その山毛欅が枝をはっている下をのぞくと、気のちぢむような断崖(だんがい)だ。幅(はば)はせまいが、嵐弦(らんげん)の滝(たき)とよぶ百尺(しゃく)ほどの水がドウッと落下(らっか)している。もし、二十一日の間に、風雨(ふうう)にあって、山毛欅(ぶな)の枝がおれたらどうだろう。かれのからだをささえている縄(なわ)がすり切れたらどうなるだろう。
 そうだ、すべてのことが、忍剣(にんけん)の生命(せいめい)を、髪(かみ)の毛一すじで持たしてあるのだ。それが神刑(しんけい)なのだ。
 まんがいち、二十一日目に神官(しんかん)がきてみて、細(ほそ)い息(いき)でもかよっていれば、神に謝罪(しゃざい)がかなったものとして、罪(つみ)をゆるされて手当(てあて)をする、しかしここ四、五十年のあいだに、ご神木(しんぼく)の山毛欅に梟(か)けられたもので、助かった者はないということだ。
 ――すると、三日、四日、五日とすぎて、ちょうど八日目のこと。
 千年(ねん)山毛欅(ぶな)の枝(えだ)から枝を、ひらり、ひらり、ひらり、とよじのぼっていったものがある。
 見るまに、十数丈(すうじょう)のたかい樹上(じゅじょう)にのぼった。そして、忍剣のそばの枝に取ッついた。
 おかしいことには、なにか、忍剣の耳へはなしかけているふうに見える。だが、それは一匹(ぴき)の猿(さる)なのである。猿が話しかけるのはすこしへんだ。忍剣には、あの三太郎猿(さんたろうざる)にも知己(ちき)がないはずであった。

 目隠(めかく)しをされているので、忍剣はそばへきた者を見ることができない。
 それをからかいにきた山猿(やまざる)か? 山猿のいたずらか? いやそうでもない、やはり、猿(さる)が忍剣(にんけん)にささやくのであった。
「忍剣さま、さだめし、おひもじいことでしょう。早くこようと思いましたが、この山には道がありません。一つの小道(こみち)には神官(しんかん)の見張小屋(みはりごや)が建(た)っています、それでおそくなりました。なにしろ二十一日間、ものを食(た)べないでは夜の寒気(かんき)や雨の日に耐(た)えきれません。さ、これを食べてください、よくかんでのんでください、あとで水を持ってまいりますから」
 忍剣の口へ、ふしぎな味(あじ)のするものを入れた――木の実(み)でもない、穀物(こくもつ)でもない、菓子(かし)でもない、餅(もち)でもない。
 しかし、その味(あじ)のいいことは、なんともいえないほどだ。忍剣は、まだかつて、こんな味のいいものを食(た)べたことがなかった。
「おまえはだれだ」
「いまにわかります」
「でも」
「不安(ふあん)なものではありませんから」
「いまのはなんだ」
「なんということもありません。この山に生(は)えている、葡萄(ぶどう)、苔桃(こけもも)、若老(わかおい)、しゃくなげの芽(め)、それに栗(くり)だの柿(かき)だの、仙人草(せんにんそう)の根(ね)だの、いろんなものをすこしの焼米(やきごめ)と搗(つ)き交(ま)ぜたのでございます。一日に、これ一つ食(た)べれば、体(からだ)も、あたたかく、けっして、飢(う)えるようなことはありません」
「危険(きけん)をおかして、どうしておまえは、そんなものをわしに運(はこ)んでくれるのか」
 こうきいた時には、もう下へ降(お)りていた。忍剣(にんけん)には、それが見えない。
 翌日(よくじつ)、小雨(こさめ)が降(ふ)った。
 なにか木(こ)の葉(は)でつくった蓑(みの)のようなものが、彼のからだに着(き)せられた。その時から、忍剣がなにをきいても、猿(さる)は返辞(へんじ)をしなかった。
 そして、おなじ味(あじ)の食物(たべもの)が、毎朝、一片(ひときれ)ずつ木の上へはこばれてゆくこともかわらなかった。
 昨日(きのう)も今日も、山は天気つづきである。
 空の青さといッたらない。樹林(じゅりん)の梢(こずえ)をすいて見える清澄(せいちょう)な秋の空の青さ――
 うつくしい朝陽(あさひ)の光線(こうせん)が、ほそい梢から、木の根(ね)の苔(こけ)から、滝壺(たきつぼ)の底(そこ)の水の底まで少しずつゆきわたっている。鵯(ひよ)、文鳥(ぶんちょう)、駒鳥(こまどり)、遊仙鳥(ゆうせんちょう)、そんな小禽(ことり)が、紅葉(もみじ)を蹴(け)ちらして歌いあった。朝きげんのいい栗鼠(りす)、はしゃぎ者のむささび、雨ぎらいの貂(てん)、などが尻(し)ッ尾(ぽ)を振(ふ)りながら餌(えさ)をあさりに出だした。そこらに山葡萄(やまぶどう)は腐(くさ)るほどなっている。栗(くり)の実(み)はいたるところに割(わ)れている。プーンと醗酵(はっこう)している花梨(かりん)の実(み)、熟(う)れた柿(かき)は岩のあいだに落ちて、あまい酒(さけ)になっている。鳥も吸(す)え、栗鼠(りす)ものめ、蜂(はち)もはこべと――。
 今朝(けさ)のここは楽園(らくえん)だ。
 神木(しんぼく)の上に梟(か)けられている忍剣をのぞいては、すべての生物(いきもの)に、天国そのままな秋の朝だ。
 ところへ――。
 無心(むしん)な禽獣(きんじゅう)をおどろかす人間の口笛(くちぶえ)が、下のほうからきこえてきた。
 これも、ほがらかな秋を謳歌(おうか)する人間か、きいていても筋肉(きんにく)がピクピクしてきそうな口笛だ。健康(けんこう)な両足(りょうあし)で、軽快(けいかい)な歩調(ほちょう)で、やってくるのがわかるような口笛だ。
「ああ、ずいぶん登(のぼ)らせやがるな。まだかい! ご神刑(しんけい)の山毛欅(ぶな)ッていうのは」
 だれもいないと思って、思うさま太(で)ッかい声でひとりごとをいった。――それは、泣き虫の蛾次郎(がじろう)だった。

 喉(のど)がかわいているとみえて、蛾次郎はそこで一息(ひといき)つくと、岩層(がんそう)のあいだから滴々(てきてき)と落ちている清水(しみず)へ顔をさかさまにして、口をあいた。
「オオ、つめたい!」
 袖(そで)で口を横にふいて、また数十歩(ぽ)のぼりだした。
 すると、かれのまえに、裾野(すその)の樹海(じゅかい)でも見たこともないような、山毛欅の喬木(きょうぼく)が天を魔(ま)して立っていた。蛾次郎はそう思った。まるでばけものみたいな大きな木だなアと。
「おや?」
 見ると、その千年(ねん)山毛欅(ぶな)の根(ね)ッこに、石橋山(いしばしやま)で頼朝(よりとも)が身をかくしたような洞穴(うつろ)がある。そのまッ暗(くら)な洞穴のなかで、なにか、コトリと音がした。コトコトとかすかにきこえたものがあった。
「啄木鳥(きつつき)かしら? それとも、狐(きつね)かな?」
 足をすくめて考えた。が――音はそれっきり止(や)んでしまった。
 しかし、そこでなにげなく、ヒョイと樹上(じゅじょう)を見あげたせつなに、かれは目の玉をグルグルとさせて、
「ウーム、これだ、これだ! この樹(き)にちげエねえ」
 と、うなってしまった。
 数歩(すうほ)、うしろへとびのいて、帯(おび)のあいだに差(さ)しこんできた銀鋲(ぎんびょう)の短銃(たんじゅう)を右手(めて)につかんだ。
「はアん……おるわエ」
 手をかざして樹上をあおぐと、たしかに、神刑(しんけい)にかかっている忍剣(にんけん)のすがたが小さく目にとまった。
 そこで蛾次郎(がじろう)は、大久保長安(おおくぼながやす)から卜斎(ぼくさい)につたえられた秘命(ひめい)を思いだして、うなずいた。
「親方(おやかた)がいったのはこいつだな、これを撃(う)ちとめてこいといういいつけか。なアんだ、こんなものなら朝飯(あさめし)まえにただ一発(ぱつ)だ。それで、おいらの出世(しゅっせ)となりゃ、ありがた山のほととぎすさ」
 火縄(ひなわ)の支度(したく)をしはじめた。
「できたぞ」
 岩のかげへ身をくっして片足(かたあし)をおって、短銃(たんじゅう)の筒先(つつさき)をキッとかまえた。
 じッと、ねらいをつける……忍剣(にんけん)のすがたへ。
 忍剣は身の危険(きけん)を知るよしもなかった。おそらくかれは、故快川和尚(こかいせんおしょう)の最期(さいご)のことば――心頭(しんとう)を滅却(めっきゃく)すれば火もまた涼(すず)し――の禅機(ぜんき)をあじわって、二十一日の刑(けい)をけっして長いとも思っておるまい。
 ねらいは定まッた。
 火縄(ひなわ)の火がチリチリと散ったせつなに、蛾次郎(がじろう)の指(ゆび)さきは、すでに、短銃(たんじゅう)の引金(ひきがね)を引こうとした。
 とたんだった。
「わッ」
 と、蛾次は短銃(たんじゅう)をおッぽりだして、自分の顔をおさえてしまった。そして、ベッ……と顔をしかめながら突(つ)ッ立った。
 なにやら、甘酸(あまず)ッぱいものが、かれの顔じゅうにコビリついて、ふいてもふいてもしまつがつかない。
 ――どこから飛んできたものだろうか、熟柿(じゅくし)のすえたのが、顔の真(ま)ン中で、グシャッとつぶれた。
 柿(かき)の目つぶし!
「ちくしょう、猿(さる)のいたずらだな」
 と蛾次郎(がじろう)は、いまいましく思ったが、まごまごしていると火縄(ひなわ)の火がきえる。
 かれは、またあわてて短銃(たんじゅう)を取りなおした。
 そして、
「こんどこそは!」
 と、立ちがまえにねらいをすまして、ズドンと火ぶたを切ってはなそうとしたが、その一せつな、山毛欅(ぶな)の洞穴(うつろ)から跳(と)びだしたひとりの怪人(かいじん)が、電火(でんか)のごときすばやさで、かれの胸板(むないた)を敢然(かんぜん)とついてきた。
 不意(ふい)をくッて、
「あッ――」
 と、よろめいた蛾次は、むちゅうで、相手のえりがみをつかむ。
 かれの手がつかんだのは、やわらかい獣(けもの)の毛だった。怪人は猿(さる)の毛皮(けがわ)をかぶっていた。
「てめえだな、いまのしわざはッ」
 かれは、短銃を逆手(さかて)にして、三つ四つ、毛皮の上からなぐりつけた。
 相手はビクとも感じない。グングンと自分の喉(のど)をしめつけてきた。蛾次は内心(ないしん)、こいつは強いぞとおどろいた。
「この野郎(やろう)、うっかりしちゃあいられるもンか」
 猛然(もうぜん)と勇(ゆう)を鼓(こ)して、じゃまになる喉(のど)の腕(うで)をふりほどいた。
 ピシャリと、敵(てき)の平手(ひらて)が、すぐに蛾次郎(がじろう)の頬(ほっ)ペタを張(は)りつけたが、蛾次もまた、足をあげてさきの脛(すね)を蹴(け)とばした。
 精(せい)いッぱいな弾力(だんりょく)を交換(こうかん)して、ふたりはうしろへよろけあった。
 そのはずみに、相手のかぶっていた獣(けもの)の皮(かわ)が、勢(いきお)いよく、蛾次郎の手に引きはがれたので、
「あッ、てめえかッ」
 と、かれははじめて、相手の全姿(ぜんし)をみてぎょうてんした。

「やッ。てめえは、竹童(ちくどう)だな」
 と、蛾次郎はひるみをもった声でさけんだ。
 かれが、こうぎょうてんしたせつなに、猿(さる)の毛皮(けがわ)であたまから身をかくしていた鞍馬(くらま)の竹童は、
「オオ」
 と、その全姿(ぜんし)をあらわすとともに、とびついて、蛾次郎(がじろう)の手にある短銃(たんじゅう)をもぎとろうとした。
 いったん、よろけ合った二つのからだは、闘鶏師(とうけいし)にケシかけられた猛禽(もうきん)のように、また、肩(かた)と肩を咬(か)みあって、組(く)んずほぐれつの争(あらそ)いをおこした。
 この間(あいだ)うちから、千年(ねん)山毛欅(ぶな)の洞穴(うつろ)の中にかくれて、毎朝、喬木(きょうぼく)の上によじあがり神刑(しんけい)にかけられている忍剣(にんけん)の口へ、食餌(しょくじ)をはこんでいた猿(さる)と見えたのは、まったく、竹童(ちくどう)なのであった。一党(とう)のうちでも長兄(ちょうけい)のようにしたっている忍剣が、むごい神縄(しんじょう)にかけられて山へ送りやられた時から、この洞穴にしのびこんでいた。
 そうして、忍剣と苦(く)をともにしながら、忍剣のいのちを守(まも)っていたかれである。なんで、敵方(てきがた)の旨(むね)をふくんで忍剣を殺(ころ)そうとしてきた蛾次郎に、むざと奇功(きこう)をあげさせるものではない。――ぼつぜんと怒(いか)りを発(はっ)した竹童はあい手が、樹上(じゅじょう)の忍剣へ、狙撃(そげき)の引金(ひきがね)をひこうとするすきへむかって、かんぜんとおどりかかってきたのである。
 しかもそれが、蛾次郎であるとわかったので、かれはもうきょうこそこの天邪鬼(あまのじゃく)を、だんじて、生かしておくことではないぞと怒(いか)った。蛾次郎もまた、だいじな出世(しゅっせ)のいとぐちをつかもうとする矢(や)さきへ、またぞろ竹童がじゃまをしにでたので、目的(もくてき)をはたすまえに、かれの息(いき)のねをとめてしまわなければならぬと、すごい勢(いきお)いで応酬(おうしゅう)していった。
 まったく人まぜをせぬ格闘(かくとう)がつづいた。
 上になり下にころげして、たがいに致命的(ちめいてき)な急所(きゅうしょ)をおさえつけようとしているうちに、蛾次郎(がじろう)は竹童のからだへ足業(あしわざ)をかけて、その手(て)もとをぬけるや否(いな)、パッとかけはなれて、
「くるかッ」
 と、短銃(たんじゅう)の筒(つつ)さきを竹童にむけた。
「なにを」
 竹童の目にはなにもののおそれもなかった。
 蛾次郎はあわてた。かれの狡獪(こうかい)なそら脅(おど)しは効果(こうか)がなかった。火縄(ひなわ)はいまの格闘(かくとう)でふみけされてしまったので、筒口(つつぐち)をむけてもにわかの役には立たないのである。
 で、蛾次郎の立場(たちば)は悪くなった。
 彼はひどくろうばいして、いきなり短銃を相手の顔(かお)へ投げつけ、ばらばらと逃(に)げだした。
 それを肩(かた)のそとにこさして、一躍(やく)すると、竹童の手には、優越(ゆうえつ)をしめす般若丸(はんにゃまる)のひらめきが持たれている。
 彼は、逃げだした相手をおいかけて、
「ひきょうだぞ。――ひきょうだぞ、蛾次郎」
 と、叫(さけ)んでとぶ。
 さんざん逃げまわった蛾次郎は、ついに、とんでもない危地(きち)に自分からかけこんでしまった。そこは、嵐弦(らんげん)の滝(たき)の崖(がけ)ッぷちで、あきらかなゆきどまりである。
 彼は、目がくらんでしまった。
 ただそこに大きな楢(なら)の木があって、断崖(だんがい)の空間にのぞんで屈曲(くっきょく)していた。バリバリというと蛾次郎(がじろう)は、幹(みき)をはってその横枝(よこえだ)へうつっていた。
 しかし、そこもホッとする安全地帯(あんぜんちたい)にはならない。すぐ血眼(ちまなこ)になった竹童(ちくどう)が、おなじ幹(みき)をよじのぼって、般若丸(はんにゃまる)の刀で楢の小枝をはらいながら、ジリジリとせまってきた。
 追(お)いつめられた手長猿(てながざる)のように、蛾次郎のほうは、だんだん危険(きけん)な枝へはいうつって、いくら竹童でも、もうここまではこられまいと安心していたが、ふいに、竹童の体重(たいじゅう)がおなじ枝へのしかかったとたんに――生木(なまき)の股(また)に虫蝕折(むしお)れでもしかけていたのだろうか、ボキッと、あまりにもろい音がした。
 かなり大きな枝であった。それが、ふたりの体(からだ)とともに、ザーッとふかい樹間(じゅかん)の空(くう)をおちていった。あッというまさえなく、すべては一しゅんのまに、思いきッた解決(かいけつ)をとげた。
 やがて、嵐弦(らんげん)の滝(たき)の深湍(しんたん)に、白い水のおどりあがったのが見えた。そして、しばらくは消(き)えぬ泡沫(ほうまつ)の上へ、落葉樹(らくようじゅ)の黄色い葉や楢の実(み)がバラバラと降(ふ)ってやまなかった。

 山はまたもとの静寂(しじま)にかえって、坩堝(るつぼ)をでたような陽(ひ)が、樹林(じゅりん)の上の秋の自然(しぜん)をかがやき照(て)らした。
 ほどなくまた――そこへふたりの旅人(たびびと)が仲(なか)よく話しながらのぼってきた。ひとりは年配(ねんぱい)な女で、坂東(ばんどう)三十三ヵ所(しょ)を巡礼(じゅんれい)して歩(ある)くものらしく、ひとりは天蓋(てんがい)のついた笈(おい)を背負(せお)っている。
「山の道というものは、まようたらさいげんがない。もうこうなっては急がないことだ、そのうちにはだれか山家(やまが)のものにゆきあうであろう。……だが、お時(とき)さん、女の足ではさだめしおつかれなすッたろうな」
「いいえ、すこしも」
「急(せ)いてはいけませんよ。息(いき)を平調(たいら)にもっておあるきなさいよ。道にまよった時はなおのこと、山は気を落ちつけて歩くにかぎります」
 地蔵行者(じぞうぎょうじゃ)の菊村宮内(きくむらくない)と、坂東巡礼のお時とであった。ほんの旅先(たびさき)の道づれであるが、ふたりの仲のよいことは、おなじ家にすむ家族(かぞく)といえどもない美しさだった。
 お時は宮内の身のまわりのこまかい世話(せわ)を見、宮内はつねにお時の心ぼそい旅をはげまして、どうかしてこの女房(にょうぼう)のたずねている、まことの子供をさがしあててやりたいと祈(いの)っている。
 あらためていうまでもなく、ここは御岳(みたけ)のお止山(とめやま)で、足踏(あしぶ)みのならないところだのに、ふたりはその禁制(きんせい)を気づかずに、どこの山境(やまざかい)から迷(まよ)いこんできたのであろう。
 と、宮内は腰(こし)をかがめて、なにかふしんそうな顔をしながらひろいとった。
「こんなところに、南蛮(なんばん)わたりの短銃(たんじゅう)がおちている……」
「宮内(くない)さま、まだこのへんに、草履(ぞうり)だの、紙だのいろいろなものが落ちておりますよ」
「なるほど」
「だれの持物(もちもの)なんだろう?」
 お時は、草履の小さいのが気にかかった。
「どれ、どれ」
 宮内はそこに笈(おい)をおろして、踏(ふ)み散(ち)らしてある落葉(おちば)のあとをたどっていった。そして、例(れい)の楢(なら)の木(き)の断崖(だんがい)から深いところの水面をのぞいてみて、
「オオ、お時さん、大へんだ、大へんだ、だれか山家(やまが)の子らしい者が水に浮(う)いている」
「えッ、子供が」
 こういう場合(ばあい)にかぎらず、子供ときくと、すぐ顔色を変(か)えるのがお時のくせになっていた。
「あのようすでは、まだ水へはまってから、いくらも時がたっていない。わしは、ここから藤(ふじ)づるにすがって、ふたりの子を助けてくるから、お時さんは、わしが帰るまで、この楢の木のそばをはなれてはなりませんぞ」
 どうして、この絶壁(ぜっぺき)を下(お)りるかと見ていると、宮内は、さすがに根(ね)が武士(ぶし)だけに、いざとなると、おそろしいほど胆気(たんき)がすわっている。かれは、あけびや藤の蔓(つる)をたぐって、またたくまにすべり降(お)りた。
 とちゅうまでさがってゆくと、なにか足がかりがあったのであろう、かれの姿(すがた)は、忽然(こつぜん)と、木(き)の葉のなかにかくれた。――と思うとまた、滝(たき)の水沫(すいまつ)がたちこめている岩層(がんそう)の淵(ふち)にそって、水面を注意(ちゅうい)しながらかける宮内(くない)の小さい影(かげ)が見いだされた。

 どこか上品(じょうひん)で、ものごしのしずかな旅(たび)の侍(さむらい)が、森閑(しんかん)としている御岳(みたけ)の社家(しゃけ)の玄関(げんかん)にたって、取次(とりつ)ぎを介(かい)してこう申し入(い)れた。
「当社(とうしゃ)の神主(かんぬし)、長谷川右近(はせがわうこん)どのにお目にかかりたく参(さん)じました。――じぶんは、京都(きょうと)菊亭公(きくていこう)の雑掌(ざっしょう)、園部一学(そのべいちがく)というものです」
 わかい神官(しんかん)たちを相手に、奥(おく)で笙(しょう)をふいていた長谷川右近は、
「はてな、菊亭右大臣家(きくていうだいじんけ)から、なんのお使いであろう」
 ふしんに思ったが、倉皇(そうこう)と客間(きゃくま)へとおした。そこで、会(あ)ってみた一学という人は、なるほど、温雅(おんが)で京風(きょうふう)なよそおいをした、りっぱな人物であった。
「さっそくにうかがいまするが」
「は。ご用向きは?」
 主客(しゅかく)とも、心もち膝(ひざ)をよせ合った。
「ほかでもございませぬが、さきごろ、当社(とうしゃ)の広前(ひろまえ)で行(おこな)われました兵法大講会(へいほうだいこうえ)のみぎり、信玄公(しんげんこう)のお孫(まご)、武田伊那丸(たけだいなまる)さまとそのほかの浪人衆(ろうにんしゅう)が、おしのびにて見物(けんぶつ)に入りまじっていた由(よし)を里(さと)のうわさに聞きましたが、その後(ご)のおゆくえをごぞんじなさいますまいか。――信玄公(しんげんこう)のご在世(ざいせい)まで、代々(だいだい)武田家(たけだけ)より社領(しゃりょう)のご寄進(きしん)もあったこの山のことゆえ、もしや、ご承知(しょうち)もあろうかと、おうかがいにでましたしだいで」
 そう聞くと、神主(かんぬし)の長谷川右近(はせがわうこん)は、初耳(はつみみ)のように目をみはって、
「ほ。ではあの時、信玄公のお孫(まご)、伊那丸(いなまる)さまがご見物(けんぶつ)のなかにおられましたか」
 と、あべこべに園部一学(そのべいちがく)へ質問(しつもん)した。
「では、ご承知ないので?」
「いや、ただいまが初耳、それと知っておりましたら、もとのご縁故(えんこ)も浅(あさ)からぬこと、ぜひおひきとめ申すのであったに」
「それでは、おゆくえもわかりますまいな」
「さらに承知いたしませぬが。……その伊那丸さまのお年ごろは」
「天目山(てんもくざん)にて、お父上(ちちうえ)とともにお果(は)てあそばした太郎信勝(たろうのぶかつ)さまよりお一つ下――本年(ほんねん)お十六歳(さい)にわたらせられる」
「して、お付人(つきびと)は?」
「いずれも、わざと姿(すがた)をかえておりますが、小幡民部(こばたみんぶ)はかたがたしい武芸者風(ぶげいしゃふう)、巽小文治(たつみこぶんじ)と申すはもと浜名湖(はまなこ)の船夫(せんぷ)の子とかにて目じるしには常(つね)に朱柄(あかえ)の槍(やり)をたずさえております。また浪人風(ろうにんふう)の山県蔦之助(やまがたつたのすけ)、六部(ぶ)姿(すがた)の龍太郎(りゅうたろう)、わけても恵林寺(えりんじ)の弟子僧(でしそう)加賀見忍剣(かがみにんけん)と申すものは、武田家滅亡(たけだけめつぼう)いらい、寸時(すんじ)もおそばを離(はな)れることなくおつきそい申しておる忠節(ちゅうせつ)な男……」
 話しているうちに神主(かんぬし)長谷川右近(はせがわうこん)の顔が、発作的(ほっさてき)な病気でもおこしたように、ワナワナと唇(くちびる)をふるわせて、まったく土気色(つちけいろ)になってしまった。――と急(きゅう)に座(ざ)をたって、
「しばらくの間、中座(ちゅうざ)ごめんを」
 足も畳(たたみ)につかぬようすで、奥(おく)の座敷(ざしき)へかくれこんだ。
 とりのこされた一学(いちがく)は、なにか、急病(きゅうびょう)で不快(ふかい)でも起したのかと思っていたが、それから、待てどくらせど、神主の返辞(へんじ)もなければ神官(しんかん)たちの応接(おうせつ)もない。
 一方、神主の右近は、目もくらむばかりの驚(おどろ)き方(かた)であった。一学の話によれば、さきごろ、ご神縄(しんじょう)にかけて山毛欅(ぶな)の上にしばりつけた怪僧(かいそう)は加賀見忍剣(かがみにんけん)であり、同時に、それいらい、垢離堂(こりどう)の板(いた)の間(ま)に二十一日(にち)間(かん)の謹慎(きんしん)をまもっている人々こそまさしく信玄公(しんげんこう)のお孫(まご)、伊那丸君(いなまるぎみ)であり、おつきの人々であると気がついたからである。御岳(みたけ)の人々は、それが武田家(たけだけ)の御曹子(おんぞうし)とは、まったく知らずにご神縄をくだしたのであったらしい。神官たちはにわかに凝議(ぎょうぎ)して、その善後策(ぜんごさく)に沈鬱(ちんうつ)な空気をつくった。
「夢(ゆめ)にも知らぬご無礼(ぶれい)、ふかくおわびをしたら、おとがめもあるまい。このうえは、いっこくもはやく、あの垢離堂から社家(しゃけ)へおうつし申しあげ、また、付人(つきびと)の忍剣とやらの神縛(しんばく)もといて謝罪(しゃざい)するよりほかに手段(しゅだん)はなかろう」
 いつまで応接のないのはそのためであった。
 神官たちが垢離堂へ迎(むか)えに立ったあとで、右近はやっと一学のまえへでてきた。そして、あからさまに事情(じじょう)をのべて謝罪のとりなしをたのむのだった。
「ほ。それでは、若君(わかぎみ)は当社(とうしゃ)においで遊(あそ)ばしましたのか」
「武田家(たけだけ)からは、世々(よよ)、あつき社領(しゃりょう)をたまわり、亡家(ぼうか)ののちも、けっしておろそかには思いませぬものを、なんとも面目(めんぼく)ない大失態(だいしったい)」
「いや、まったく知らずにしたことなれば、寛大(かんだい)な若君、おとがめはありますまい。なんにしても、ここでお目にかかることができれば、自分もはるばるの使いとしてきてなによりの僥倖(ぎょうこう)です」
 間(ま)もなく、清掃(せいそう)した社家(しゃけ)の客殿(きゃくでん)へ、錦繍(きんしゅう)のしとねがおかれた。
 垢離場(こりば)の板敷(いたじき)にワラの円座(えんざ)をしいて、数日つつしんでいた人々は、いちやくあたたかい部屋(へや)とうやうやしいもてなしに迎(むか)えられてきた。
 一党(とう)の人々は、神官(しんかん)たちが平(ひら)あやまりにあやまる事情をきいて、一場(じょう)の滑稽事(こっけいじ)のように笑(わら)っていった。
 また伊那丸(いなまる)も、それをとがめるどころではなく、自分の手飼(てが)いの者が神庭(しんてい)をけがしたのであるから、主(しゅ)たる自分の謹慎(きんしん)するのはとうぜんであって、まだ二十一日にみたないうちにゆるしを賜(たも)うのは、神に対してむしろ心苦しいとさえいうのであった。
 で、御岳(みたけ)の神官たちは、ホッとした。
「ときに、若君をたずねて、はるばる都からまいられたお方(かた)がござります」
 右近(うこん)はおそるおそる、菊亭家(きくていけ)の使いの由(よし)を伊那丸にとりついだ。
「通(とお)せ」
 こういってやると、おりかえしての返辞(へんじ)が、
「ひそかなご用件(ようけん)とやらで、清浄(せいじょう)な、神殿(しんでん)において、若君(わかぎみ)とただふたりだけでお目にかかりたいと申しますが」
 という腑(ふ)に落ちないことばである。
 民部(みんぶ)も龍太郎(りゅうたろう)も、一党(とう)の人々は、見しらぬ旅(たび)の侍(さむらい)に油断(ゆだん)はならないとたぶんな懐疑(かいぎ)をもった。
 伊那丸(いなまる)はかんがえて、
「したが、かりそめにも、菊亭右大臣家(きくていうだいじんけ)はわしの伯母(おば)さまのご縁(えん)づきなされた家(いえ)がら、おうたがい申してはすまぬことだ。わしひとりで神殿(しんでん)においてその者に会(あ)いましょう」
 と、ふたたび右近(うこん)を介(かい)して、その旨(むね)をいいやった。
 冷気(れいき)のこもったうすぐらい拝殿(はいでん)に、二つの円座(えんざ)が設(もう)けられた。伊那丸と園部一学(そのべいちがく)がそこに対座(たいざ)したとき、杉戸(すぎと)のそとには、木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)や蔦之助(つたのすけ)や小文治(こぶんじ)などが、大刀をつかんで、よそながら主君(しゅくん)の身を守(まも)っている気(け)ぶりであった。
 が――伊那丸は、京都からきたという一学をみると、すぐに、かれがあやしげな者でないことを信(しん)じた。
「若君(わかぎみ)はもうお忘れでございましょうが、去年(きょねん)、お父上(ちちうえ)の勝頼(かつより)さまに似(に)た僧侶(そうりょ)をおしたいなされて菊亭家(きくていけ)へお越(こ)しあそばしたことを」
「オオ」
「そのおり、よそながら一学(いちがく)は、おすがたを拝(はい)しておりましたが、わずか一年のうちに、見ちがえるばかりなご成長(せいちょう)……」
 そういって畏(おそ)るおそる伊那丸(いなまる)を見上げながら、
「右大臣家(うだいじんけ)において、常(つね)に、おうわさ申しあげております」
「菊亭晴季公(きくていはるすえこう)にも、いつも、お変(かわ)りなくお暮(く)らしであるか」
「世は戦塵濛々(せんじんもうもう)、九重(ここのえ)の奥(おく)もなんとなくあわただしく、日ごとご君側(くんそく)の奉仕(ほうし)に、少しのおひまもないていにお見うけ申しまする」
「それは祝着(しゅうちゃく)である。そして、とくにそちがわしを尋(たず)ねてきた用向(ようむ)きとはなんであるな」
「右大臣家へのご托使(たくし)にござります」
「托使? ……では晴季公よりのご用でもないのか」
「さればです!」
 と、一学はさらにパッと威儀(いぎ)をあらためて、
「お嗽口(すすぎ)を」
 と目じらせをして立った。
 ただごとではない――と伊那丸もすぐに席(せき)を立った。
 そして、清水(せいすい)をくんで手洗(ちょうず)、嗽口をすまし、あらためて席へもどってくる。
 一学(いちがく)もおなじようにすすぎをおえ、神殿(しんでん)の龕(がん)にみ灯(あかし)をともした。ふとみると、そこに禁裡(きんり)のみ印(しるし)のある状筥(じょうばこ)がうやうやしく三ぼうの上にのせられてある。
「はッ」
 と、伊那丸(いなまる)は衝(う)たれたように平伏(へいふく)した。
「密勅(みっちょく)です」
 一学(いちがく)の声は、低(ひく)いが、おごそかである。
 伊那丸は夢(ゆめ)かと思った。国なく、家なく、武力もない自分になんの密勅であろうか。
 かれは五体のおののくようにおそれ多さを感じた。
 べつに一学に托(たく)せられてきた菊亭晴季(きくていはるすえ)の書状(しょじょう)からさきに黙読(もくどく)した。
 菊亭家(きくていけ)と武田家(たけだけ)とは、ふかい血縁(けつえん)のある家すじである。その晴季からなんの便(たよ)りであろうかという点(てん)も、伊那丸には、胸(むね)おどろしく感じられる。
 読みくだしてゆくうちに、伊那丸の目はいっぱいな涙(なみだ)になった。義憤(ぎふん)と悔恨(かいこん)の血(ち)が交互(こうご)に頬(ほお)を熱(あつ)くした。
 伊那丸よ――
 菊亭晴季の文はこう書きだしてある。さらにその文意(ぶんい)をくだいてここにしるせば、こういう愛国的(あいこくてき)な長文(ちょうぶん)であった。

伊那丸よ。
 都(みやこ)でも近ごろはそなたのうわさをしばしば耳にする。勇(いさ)ましいことである。けなげなことである。そなたは、貧(まず)しくとも、信玄公(しんげんこう)の名をはずかしめない。
 わしは、かげながらよろこんでおる。
 だが、そなたはも早や、元服(げんぷく)の若者である。一人(にん)前(まえ)の武士(もののふ)となるべきだ。いつまで小さな私怨(しえん)にとらわれているばかりが真(まこと)の武士(もののふ)でもなかろう。眼(まなこ)をひろい世の中にみひらいてたもれ。
 この一年有半(ゆうはん)の歳月(さいげつ)に、そなたはいまの世相(せそう)をよくながめ得(え)たであろう。どうであった戦国の浮世(うきよ)は。わけても百姓(ひゃくしょう)町人(ちょうにん)――いやそれよりもっと貧しい民(たみ)たちの苦(くる)しみはどうであろう。
 また、あるいはそなたも知らぬであろうが、畏(おそ)れ多いことながら、いまの御所(ごしょ)のお模様(もよう)は、その貧しい人々よりもまさるものがある。いや、おんみずからのご不自由(ふじゆう)よりも、戦乱(せんらん)のちまたに飢(う)えひしがれている民のうえにご宸念(しんねん)を休(やす)ませられたことがない。
 わしは、朝暮(ちょうぼ)に、御座(みざ)ちかく奉仕(ほうし)しているので、まのあたりにそのおんなやみをみて、涙(なみだ)のたえぬくらいである。畏れ多いおうわさであるが、御所(ごしょ)の御簾(みす)はほつれて秋風のふせぎもなく、供御(くご)のものにさえことかく事(こと)がめずらしくない。
 それだになお、君(きみ)は民草(たみくさ)の塗炭(とたん)にお心さえ休(やす)まったことがない。なんと浅(あさ)ましい戦乱のすがたではないか。
 なぜいまの世(よ)がこんなに悪いのか。それを、そなたにいうのは孟子(もうし)に法(ほう)を説(と)くようなものだが、武家(ぶけ)の罪(つみ)である、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)して領土(りょうど)と領土のあばきあいの他(ほか)、なにごとも忘れている兵家(へいか)の罪でなければならぬ。
 秀吉(ひでよし)、家康(いえやす)をはじめ、加賀(かが)の前田(まえだ)、毛利(もうり)、伊達(だて)、上杉(うえすぎ)、北条(ほうじょう)、長曾我部(ちょうそかべ)、みなそれぞれ名器(めいき)の武将(ぶしょう)であるけれど、かれらはじぶんの功(こう)をいそぐ以外(いがい)に、上(かみ)も下(しも)も、なにものもかえりみているゆとりがない。天下統(とう)一の先駆(さきが)けにあせって、戦(たたか)って勝つという信条(しんじょう)の下(もと)には、どんな犠牲(ぎせい)も惜(お)しまない。
 これでは民草(たみくさ)も枯(か)れるわけである。お上(かみ)のご宸念(しんねん)のたえない道理(どうり)である。気をわるくするかもしれないが、そなたの祖父(そふ)信玄(しんげん)ほどの人物も、そのひとりだといわなければならない。
 伊那丸よ。そなたもその仲間(なかま)にまじって、領土をあらそう武門(ぶもん)で終(おわ)りたいか。わたしは、そなたを見こんで、願(ねが)いがある。よく考えてたもれ、大事な秋(とき)だ。
 そなたが、うしなった甲斐(かい)の領土の甲斐源氏(かいげんじ)の家(いえ)を再興(さいこう)したいという願望(がんぼう)は、まさしく孝(こう)である、正義(せいぎ)である、男子のなすべき事業(じぎょう)である。だが、考えてたもれ、今は天下大事(てんかだいじ)な秋(とき)である。
 いまこそは何人(なんぴと)でもあれ、自我(じが)の名利(みょうり)をすて、世(よ)のため、あわれな民衆(みんしゅう)のために、野心(やしん)の群雄とならず、領土慾(りょうどよく)に割拠しない、まことの武士(もののふ)があらわれなければならない秋(とき)だ。まことの人がこの麻(あさ)のごとく乱(みだ)れた世を少しでも助けなければならない秋(とき)だ。
 聡明(そうめい)なるそなたにこれ以上(いじょう)の多言(たごん)は要(よう)すまいと思う。切(せつ)に、そなたの反省(はんせい)をたのむ。そしてそなたが祖父(そふ)機山(きざん)より以上(いじょう)な武士(もののふ)の業(ぎょう)をとげんことを祈(いの)る。秀吉(ひでよし)、家康(いえやす)の上に出(い)ずるところに刮眼(かつがん)することを祈る。
 また、かくいうも、このことばは自分ひとりの言(げん)ばかりではない。ある夜、高野(こうや)をひそかに下(くだ)られた某(それがし)とよぶ御僧(みそう)のすすめもあるのである。また、折(おり)ふし訪(おとず)れた白髯(はくぜん)の高士(こうし)の意見(いけん)もここに加(くわ)わっているのである。その高野の僧の名は明かしがたいが、高士の名はあかしてもよい。それは、鞍馬(くらま)の隠士(いんし)僧正谷(そうじょうがたに)の果心居士(かしんこじ)である。

 文(ぶん)はこれでおわっている。
 伊那丸(いなまる)は狭(せま)い暗黒(あんこく)から暁天(ぎょうてん)へみちびかれて、自分の真(しん)にゆくべき道を教(おし)えられたような心地(ここち)がした。

 お時(とき)は、楢(なら)の木の幹(みき)につかまりながら、ふかい絶壁(ぜっぺき)の下を、こわごわのぞいていた。
(どこの子供か知らないが、どうか、助かってくれればいい)
 彼女(かのじょ)は、じぶんの身の上にひきくらべて、そう祈(いの)らずにはいられなかった。
 下を見ると、目がまわりそうなので、あまり崖(がけ)っぷちには進みえないで、救(すく)いにいった宮内(くない)のようすも、仔細(しさい)に見ていることはできないが、ときどき木(こ)の葉(は)のすきまから、かれの活動が遠望(えんぼう)された。
「オオ、水からあげたような……」
 お時(とき)の顔に、わがことのようなよろこびの笑(え)くぼがのぼった。すると、とつぜんに、
「これッ。――どこからこの山へはいりこんだ」
 お時は、だれか力のある腕(うで)ぷしで、そこからうしろへ引きもどされた。
「あッ……」
 彼女はふるえ上がって、大地へ平蜘蛛(ひらぐも)のように手をついた。
 そこには、御岳(みたけ)の神官(しんかん)らしい人々が、山支度(やまじたく)をして立っていた。
「ここは、許しがなくてはのぼれぬ、お止山(とめやま)ということを知らんか」
「ち……ちッとも、ぞんじませんで、道にまよってきてしもうたのでござります」
「見れば、質朴(しつぼく)そうな坂東巡(ばんどうめぐ)りの者、道にまよってきたものならば、深くはとがめないが、一応(おう)吟味(ぎんみ)の上でなくては放(はな)してやるわけにはゆかない。しばらくそこでひかえていろ」
 こういうと、若い神官たちは、べつになにかいそぐ目的(もくてき)があるらしく、ばらばらと千年(ねん)山毛欅(ぶな)の根(ね)もとへかけあつまった。
 三人ほどの者が、袖(そで)をからげて山毛欅(ぶな)の上へよじのぼっていった。そして、ご神刑(しんけい)にかかっている、忍剣(にんけん)のいましめを解(と)き、抱(だ)くようにして下(お)ろしてきた。
 さだめし、疲(つか)れているだろうと思ったところが、案(あん)に相違(そうい)して、忍剣はすこしも衰(おとろ)えていなかった。それもそのはずなのであるが、神官(しんかん)は理由(りゆう)を知らないので、いよいよふしぎな怪僧(かいそう)であると、舌(した)をまいておどろいた。
「まだ、二十一日には満(み)つまいに」
 と、忍剣は、きょうの赦免(しゃめん)が、夢(ゆめ)のようであるらしい。
 が、事情(じじょう)をきいて、心から欣(よろこ)ばしそうな色が、さすがに、その面(おもて)を生々(いきいき)とさせた。
 一足(ひとあし)おくれて、御岳(みたけ)の奥(おく)の院(いん)からここへ越えてきた人々があった。それは、神主(かんぬし)の長谷川右近(はせがわうこん)を道案内(みちあんない)として忍剣(にんけん)健在(けんざい)なりや否(いな)や――と一刻(こく)をあらそって、迎(むか)えに見えた一党(とう)の朋友(ほうゆう)たちである。
 そのなかに、伊那丸(いなまる)のすがたを見出(みいだ)したので、忍剣は、思いやりの深い主君(しゅくん)の心がわかって、無言(むごん)のうちに涙(なみだ)がうかんだ。
 かれの健在(けんざい)を祝福(しゅくふく)しあうと、人々はすぐに、
「忍剣、すぐに京都へいそぐのだぞ」
 と、活気(かっき)づけるようにいった。
「えッ、都(みやこ)へ」
「くわしいことは、あとで若君(わかぎみ)からお話があろうが、きょうからわれわれは、甲州土着(こうしゅうどちゃく)の武士(ぶし)という心を捨(す)てることになったのだ」
「なぜ?」
 明らかに不平(ふへい)が、かれの顔色(かおいろ)にうごいた。
 が、一党(とう)の友の顔は、みな、いつもにも増(ま)して晴(は)れやかに見えた。
「甲州武士(こうしゅうぶし)などというせまい気持をすてて、まことの神州武士(しんしゅうぶし)となるのだからいいじゃないか。われらの愛国(あいこく)は甲斐(かい)ではなくなった。日本(にほん)だ。かがやきのある神州(しんしゅう)扶桑(ふそう)の国だ」
「そして?」
 忍剣(にんけん)には、友のことばが不意(ふい)にきこえた。まだじゅうぶんに胸(むね)に落ちないらしい。
「あおぐは一天(てん)の帝(みかど)」
「それは、だれにしてもそうではないか。いまさらこと改(あらた)めていうことはないだろう」
「いや、戦国の武将(ぶしょう)たちは、みんなそれを忘れている。もうひとつ忘れていることがある。それは貧(まず)しい下々(しもじも)の民(たみ)だ。われらの味方(みかた)するのはその人たちだ」
「どうしてにわかに京都へのぼることになったのか」
「菊亭右大臣(きくていうだいじん)さまのおはからいで、畏(おそ)れ多くも、あるご内意(ないい)がくだったのだ」
「えッ、若君(わかぎみ)へ」
「しかし、それはきわめて秘密(ひみつ)なことだ」
「では都から密使(みっし)が見えられたのか」
「とにかく、若君(わかぎみ)は、はじめておおらかな正義(せいぎ)の天地を自由に馳駆(ちく)する秋(とき)がきたと、非常(ひじょう)なおよろこびで、以後(いご)は武田残党(たけだざんとう)の名をすてて、われわれ一味(み)の党名(とうめい)も、天馬侠党(てんまきょうとう)とよぶことにきまったのだ。きょうは赦免(しゃめん)になったきさまもくわえて、天馬侠第一声をここにあげたのだ」
 熱血僧(ねっけつそう)忍剣(にんけん)は、だんだんと聞いてゆくうちに、その耳朶(じだ)を杏桃(すもも)のように赤くしてきた。王室(おうしつ)の御衰微(ごすいび)をなげくことと、戦国の馬塵(ばじん)にふみつけられてかえりみられない貧(まず)しい者をあわれむ心はつねに、この人々の胸(むね)に燃(も)えているところだった。
「じゃ、きょうすぐに、これから都へのぼるのか」
「多少の支度(したく)もあるから、きょうというわけにはゆくまいが、いっこくも早く、菊亭右大臣(きくていうだいじん)にお会(あ)いして、なにかのことをうかがったうえ、密詔(みっしょう)のご勅答(ちょくとう)を申しあげたいという若君のおことばだ」
「なるほど。だが、これだけではまだ天馬侠の侠友(きょうゆう)がひとりもれているぞ」
「民部(みんぶ)どのもおられる、龍太郎(りゅうたろう)、小文治(こぶんじ)、蔦之助(つたのすけ)、すべての者がそろっているが……あ、咲耶子(さくやこ)か」
「咲耶子もそうだが、竹童(ちくどう)が欠(か)けているのではないか」
「オ。その竹童は、また鷲(わし)をさがすといって、どこかへひとりで立ち去(さ)った」
「いや、うそだ」
 と、忍剣はやや興奮的(こうふんてき)に首をふって、
「おれはきょうまで、こうして、少しも疲(つか)れずにいたのは、まったく、かれが苦心惨憺(くしんさんたん)して、朝ごとに食(しょく)を口にいれてくれたおかげだ。どこかそこらにいるにちがいないからさがしてくれ」
 と、大声でいった。
 御岳(みたけ)の神官(しんかん)たちはおどろいた。
 けれど、伊那丸(いなまる)や党(とう)の人々たちは、その話をきいて、なんだか涙(なみだ)ぐましくさえなった。しかし、いくらあたりをたずねても、かれのすがたが見えないので、落胆(らくたん)しているところへ、崖(がけ)の細道(ほそみち)をかきわけて、菊村宮内(きくむらくない)が、水から助けあげたふたりの少年をつれてあがってきた。
「おっ、いた!」
 期(き)せずして、かれの周囲(しゅうい)を、一同のものがドッと取りまいた、ただそのようすを、さびしそうにながめていたのは、坂東巡礼(ばんどうじゅんれい)のお時(とき)であった。

 あの楢(なら)の枝から落ちて、ふしぎにふたりはかすり傷(きず)もなかった。その奇蹟(きせき)を、地蔵行者(じぞうぎょうじゃ)の菊村宮内は、竹生島神伝(ちくぶしましんでん)の独楽(こま)、火独楽(ひごま)と水独楽(みずごま)をめいめいがふところに持っていた功力(くりき)であるといって、その由来(ゆらい)をつぶさに話した。
 本来(ほんらい)、蛾次郎(がじろう)は泣いても吠(ほ)えてもここでその首を、侠党(きょうとう)の士(し)にもらわれなければならないのであるが、独楽(こま)の由来(ゆらい)の話から、いくぶんその情(じょう)を酌量(しゃくりょう)されて、宮内(くない)の命乞(いのちご)いにその首だけはやっとつながった。
 そのうちに神官(しんかん)のひとりが、どこからか、ふたりの丈(たけ)に合いそうな着物(きもの)をもらってきてくれた。なにしろ、衣服(いふく)がぬれていては、山を下(お)りるにしても、とちゅうの寒(さむ)さにたえられない。
「さあ、着(き)るがよい」
 裾(すそ)のみじかい着物と膝行袴(たっつけ)が、一枚ずつ公平(こうへい)にわたされた。あのおしゃべりの蛾次郎も、口をきく元気もなく、ただいくつもおじぎをつづけて、ぬれた着物をそれに着かえた。
 すると――そのようすを、研(と)ぎすましたような眼(まな)ざしで、ジーッと見つめていた巡礼(じゅんれい)のお時(とき)が、とつぜん、気でも狂(くる)ったように、
「オオ、おらの子だ! おらの子だ!」
 と、おどろく蛾次郎の首根(くびね)ッこにかじりついて、人まえもなく、ワッと声をあげてうれし泣(な)きに泣きたおれた。
 宮内も、がくぜんとそこへ飛びよって、
「お時さん、どうして? どうして?」
 人ごととは思えないで問(と)いただした。
「灸(きゅう)がある! 灸がある! これ宮内さま、この子の背(せ)なかを見てやってください。いつかわたしが話したように、わしの村でしかすえないお諏訪(すわ)さまの禁厭灸(まじないきゅう)のあとがある。そのわしの村でも、この背骨(せぼね)の節(ふし)の四ツ目(め)に、癲癇(てんかん)の灸(きゅう)をすえたのは、おらの子だけでございます」
「じゃ、この蛾次郎(がじろう)が、三つの時に、伊勢詣(いせまい)りのとちゅうで迷子(まいご)にしたおまえさんの子であったのか」
「それにちがいありません。ああ、親子(おやこ)の血(ち)はあらそわれない、やっぱりわしにはなんとなく、虫の知らせがありましたに……」
 と、蛾次郎のからだを抱(だ)きしめて、あまやかな女親(おんなおや)の涙(なみだ)をとめどなく流すのだった。
 蛾次郎はただキョトキョトして、お時(とき)の手をすこしこばむように尻(しり)ごみしていたが、宮内(くない)からじゅんじゅんと自分の母であることを話されると、東海道(とうかいどう)で、鼻(はな)かけ卜斎(ぼくさい)にひろわれたという幼(おさ)な話を思いだして、
「じゃ、おめえが、ほんとのおれのおッ母(か)さんだったのかい」
 と、はじめて、お時の顔を真正面(まっしょうめん)に見つめた。
「オオ、坊(ぼう)や!」
「ワーッ……」
 と、そのとたんに、蛾次郎は、一世(せ)一代(だい)の泣き声をあげてお時のひざにそのきたない顔を、むちゃくちゃにコスリつけていった。
 お時もうれし泣きに抱きしめた。
 牝牛(めうし)の乳(ちち)のように甘(あま)い女親(おんなおや)の涙(なみだ)のなかに、邪気(じゃき)も、慾(よく)も、なにもなく、身をひたりこんだ蛾次郎(がじろう)のすがたを見ていると、だれもかれに少しの憎(にく)しみも持てなかった。
 竹童(ちくどう)ですら、敵意(てきい)をわすれて、ぼんやりとその情景(じょうけい)をながめていた。
 だが、かれの親(おや)はどこにいる?
 竹童は、さびしかろ。

 侠党(きょうとう)七士(し)の人々が、御岳(みたけ)のすそ、北多摩(きたたま)のふもとから青毛(あおげ)、月毛(つきげ)、黒鹿毛(くろかげ)の馬首(ばしゅ)をならべて、銀(ぎん)のすすきの波(なみ)をうつ秋の武蔵野(むさしの)を西へさして去(さ)ったのは、その翌々日(よくよくじつ)のことであった。
 おなじ日に、泣き虫の蛾次郎は、母親のお時(とき)に手をひかれて、坂東何番(ばんどうなんばん)かのお札所(ふだしょ)へお礼(れい)まいりにのぼっていった。
 そして、ひと巡(めぐ)りの巡礼(じゅんれい)をすましたら、ふるさとの村(むら)へ帰るだろう。
 うららかな秋の陽(ひ)の下(もと)に立って、まぶしそうに見ていた菊村宮内(きくむらくない)は、消(き)えてゆく七騎(き)のかげと、手をひかれてゆく母と子と、そのどッちを見おくっても、いい気持がした。
 そして、かれもまた、カアーン、カアーンと、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)に鉦(かね)を手向(たむ)けながら、すすきを分(わ)ける旅人(たびびと)のひとりとなって、いずこともなく歩きだした。
了

底本:「神州天馬侠(一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年12月11日第1刷発行
   2012(平成24)年1月10日第16刷発行
   「神州天馬侠(二)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年12月11日第1刷発行
   2012(平成24)年6月1日第15刷発行
   「神州天馬侠(三)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1990(平成2)年1月11日第1刷発行
   2011(平成23)年5月6日第16刷発行
初出:「少年倶楽部」
   1925(大正14)年5月号〜1928(昭和3)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「ーー」は2倍の大きさで作られた長音記号です。「ーー」と「――」の混在は、底本通りです。
※「卦面」に対するルビの「かめん」と「けめん」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:トレンドイースト
2017年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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