あらすじ
「木曾道中記」は、明治時代に書かれた旅行記です。著者の饗庭篁村は、友人3人と共に、東京から木曽路を旅し、名所旧跡を巡りながら、道中に出会った人々や風景をユーモラスに描写しています。現代の私たちには想像もつかない当時の交通手段や風俗を、軽妙な筆致で生き生きと描き出し、まるで旅の興奮と感動が伝わってくるようです。
鐵道の進歩は非常の速力を以て鐵軌(レール)を延長(のば)し道路の修繕は縣官の功名心の爲に山を削り谷を埋(うづ)む今ま三四年せば卷烟草一本吸ひ盡さぬ間に蝦夷(ゑぞ)長崎へも到りヱヘンといふ響きのうちに奈良大和へも遊ぶべし况(いは)んや手近の温泉塲など樋(とひ)をかけて東京へ引くは今の間(ま)なるべし昔の人が須磨明石の月も枴(おふご)にかけてふり賣にやせんと冷評せしは實地となること日を待たじ故に地方漫遊のまた名所古跡一覽のと云ふ人は少し出立(でたち)を我慢して居ながら伊勢の大神宮へ賽錢あぐる便利を待つたが宜(よさ)さうなものといふ人もあれど篁村(くわうそん)一種の癖(へき)ありて「容易に得る樂みは其の分量薄し」といふヘチ理屈を付け旅も少しは草臥(くたびれ)て辛い事の有るのが興多しあまり徃來の便を極めぬうち日本中を漫遊し都府を懸隔(かけへ)だちたる地の風俗を交(ま)ぜ混(こ)ぜにならぬうちに見聞(けんもん)し山河(やまかは)も形を改ため勝手の違はぬうち觀て置きて歴史など讀む參考ともしまた古時(いにしへ)旅行のたやすからざりし有樣の一斑をも窺ひ交通の不便はいかほどなりしかを知らんと願ふこと多時なりしが暇。金。連(つれ)の三(みつ)折合ずそれがため志しばかりで左(さ)のみ長旅はせず繪圖の上へ涎(よだれ)を垂して日を送りしが今度其の三ツ備はりたればいでや時を失ふべからず先づ木曾名所を探り西京(さいきやう)大坂を囘(めぐ)り有馬(ありま)の温泉より神戸へ出て須磨明石を眺め紀州へ入(い)りて高野山へ上(のぼ)り和歌の浦にて一首詠み熊野本宮の湯に入(い)りてもとの小栗と本復しと拍子にかゝれば機關(からくり)の云立(いひたて)めけど少しは古物類も覗(のぞ)く爲に奈良へ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りて古寺古社に詣(まう)で名張越(なばりごえ)をして伊勢地に入(い)り大廟にぬかづき二見ヶ浦で日の出を拜み此所(このところ)お目とまれば鐵道にて東海道を歸るの豫算なるたけ歩いてといふ注文三十日の日づもりで行くか歸るか分からねど太華山人(たいくわさんじん)。幸田露伴(かうだろはん)[#ルビの「かうだろはん」は底本では「かうだろばん」]。梅花道人(ばいくわだうじん)の三人が揃つて行かうといふを幸ひ四人男出立(いでたち)を定め維時(これとき)明治廿三年四月の廿六日に本願の幾分を果すはじめの日と先づ木曾街道を西京さして上る間の記を平つたく木曾道中記とはなづけぬこれは此行四人とも別々に紀行を書き幸田露伴子は獨得の健筆を大阪朝日新聞社へ出(いだ)して「乘興記(じようきようき)」と名づけ梅花道人は「をかしき」といふを讀賣新聞へ掲げ太華山人は「四月の櫻」と題して沿道の風土人情を細(こまか)に觀察して東京公論へ載するにつきまぎれぬ爲にしたるなり此の旅行の相談まとまるやあたかも娘の子が芝居見物の前の晩の如く何事も手につかず假初(かりそめ)にも三十日のことなればやりかけたる博覽會の評も歸つてからまた見直すとした處で四五日分は書き溜てザツト片を付けねばならず彼是(かれこれ)の取まぎれに何處(どこ)へも暇乞(いとまご)ひには出ず廿五日出社の戻りに須藤南翠(すどうなんすゐ)氏に出會ぬ偖(さて)羨やましき事よ我も來年は京阪漫遊と思ひ立ぬせめても心床(こゝろゆか)しに汝(おんみ)の行を送らん特(こと)に木曾とありては玉味噌と蕎麥(そば)のみならん京味を忘れぬ爲め通り三丁目の嶋村にて汲まんと和田鷹城子(わだおうじやうし)と共に勸められ南翠氏が濱路(はまぢ)もどきに馬琴(ばきん)そつくりの送りの詞(ことば)に久しく飮まぬ醉(ゑひ)を盡し歸りがけに幸堂(かうだう)氏にまた止められ泥の如くなりて家に戻り明日(あす)は朝の五時に總勢此(こゝ)に會合すれば其の用意せよと云ふだけが確にて夢は早くも名所繪圖の中(うち)に跳(をど)り入ぬ

博覽會開設につき地方の人士雲の如くに東京に簇集(あつまり)きたる之(これ)に就て或人説をなして米價騰貴の原因として其の日々(にち/\)費す所の石數(こくすう)を擧げたるがよし夫(それ)までにあらずとも地方は輕く東京は重き不平均は生じたるならん我々四人反對に東京より地方へ出て釣合をよくせんと四月廿六日の朝上野の山を横ぎりて六時發横川行の※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車に乘らんと急ぎしに冗口(むだぐち)といふ魔がさして停車塲(ステーシヨン)へ着く此時おそく彼時(かのとき)迅(はや)く※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)笛一聲上野の森に烟(けぶり)を殘して※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車はつれなく出(いで)にけり此(こゝ)が風流だ此の失策が妙だと自(みづか)ら慰むるは朝寐せし一人にて風流ごかしに和(なだ)められ※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車に乘おくれるが何が風流ぞと怒つたところで可笑(をかし)くもなければ我も苦笑ひして此方(こなた)を見れば雜踏(こみあひ)の中を飄然として行く後ろつき菊五郎(おとはや)に似たる通仕立(つうじたて)の翁(おきな)あり誰ぞと見れば幸堂得知(かうだうとくち)氏なり偖(さて)は我々の行を送らんとして此(こゝ)に來て逢はぬに本意(ほい)なく歸るならん送る人を却つて我々が送るも新しからずやと詞(ことば)はかけず後(うしろ)について幸堂氏の家まで到り此(こゝ)に新たに送別會を開きぬ我三人に萬(よろづ)の失策皆な酒より生ず旅中は特(こと)につゝしむべしと一句を示す
一徳利(ひとゝくり)あとは蛙(かはづ)の聲に寐よ
また新らしく瀧澤鎭彦(たきざはうづひこ)幸堂得知の兩氏に送られ九時の※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車に乘り横川までは何事もなく午後一時三十分に着せしが是からが英雄競(くらべ)此碓氷嶺(このうすひたふげ)が歩く邪魔にならば小脇に抱へて何處(どこ)ぞ空地へ置てやらうと下駄揃にて歩み出(いだ)せしが始めのうちこそ小石を蹴散し洒落(しやれ)散したれ坂下驛(さかもとえき)を過るころより我輩はしばらく措(おい)て同行(どうぎやう)三人の鼻の穴次第に擴がり吐(つ)く息角立(かどた)ち洒落も追々(おひ/\)苦しくなり最(も)うどの位來たらうとの弱音(よわね)梅花道人序開きをなしぬ横川に※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車を下(お)りて直(すぐ)に碓氷の馬車鐵道に乘れば一人前四十錢にて五時頃までには輕井澤へ着きまた直ちに信越の鐵道に乘れば追分より先の宿(しゆく)小田井(をだゐ)(停車塲(ステーシヨン)は御代田(みよだ)といふ)まで行くべきなれど其處(そこ)が四天王とも云(いは)るゝ豪傑鐵道馬車より歩いて早く着いて見せんとしかも舊道の峠を上(のぼ)りかけしが梅花道人兎角(とかく)に行なづむ樣子に力餅の茶店に風を入れ此(こゝ)にて下駄を捨てゝ道人と露伴子は草鞋(わらじ)となりしが我と太華山人は此の下駄は我々の池月摺墨(いけづきするすみ)なり木曾の山々を踏み凹(くぼ)ませて京三條の大橋を踏轟(ふみとゞろ)かせて見せんものと二人を見て麓より吹上る風より冷かに笑ひつゝ先んじて上(のぼ)る上りて頂上に近くなれば氣候は大(おほい)に東京とは變りて山風寒(さぶ)し木の間がくれに山櫻の咲出たる千蔭翁(ちかげをう)が歌の「夏山のしげみがおくのしづけさに心の散らぬ花もありけり」とあるも思ひ出られて嬉しく頻(しき)りに景色を褒め行くうち山人汗を雫(しづく)と流して大草臥(おほくたびれ)となれば露伴子は此(こゝ)ぞと旅通を顯して飛ぶが如くに上(のぼ)る此(こゝ)に至つて不思議にも始め弱りし梅花道人ムク/\と強くなり山も震ふばかり力聲を出(いだ)しサア僕が君の荷を持たうしつかりして上(のぼ)り玉へと矢庭に山人の荷物と自分の荷を合せて引かつぎエイ/\聲に上りしは目ざましきまで感心なり拙者は中弱(ちうよわ)りの氣味にて少し足は重けれど初日に江戸ツ子が泣(なき)を入れたりと云れんは殘念なればはづむ鼻息を念じこらへてナニサ左樣(さう)でもないのサと平氣をつくろひ輕井澤に下(お)りて鶴屋といふに着き風呂の先陣へ名乘て勇ましく風呂へ行きしが直ちには跨(また)ぎて湯に入(いら)れず少しく顏をしはめたり

風流は寒(さぶ)いものとは三馬(さんば)が下せし定義なり山一つ越えて輕井澤となれば國も上野(かうづけ)が信濃(しなの)となり管轄縣廳も群馬が長野と變るだけありて寒(さぶ)さは十度も強しといふ前は碓氷後(うしろ)は淺間の底冷(そこびえ)に峠で流せし汗冷たく身輕を旨(むね)の旅出立(たびでたち)わな/\震ふばかりなり宿の女子(をなご)心得て二階座敷の居爐裡(ゐろり)に火を澤山入れながら夏の凉しき事を誇る蚊が出(で)ぬとて西洋人が避暑に來るとて夫(そ)れが今の寒(さぶ)さを凌ぐ足(たし)にはならず早く酒を持ち來たれ。畏(かしこ)まりぬと答へばかりよくして中々(なか/\)持ち來らず飢(うゑ)もし渇(かはき)もしたるなり先づ冷(ひや)にてよし酒だけをと頼めど持來らず徳利などに入るゝに及ばず有合す碗石(わんいし)五器(ごき)にも汲み來れと急(せ)きてもいつかな持ち來らず四人爐を圍みて只風雅の骨髓に徹するを歎ずるのみ夜風いよ/\冷かなりトばかり有りて頓(やが)て膳部を繰り出(いだ)し來りぬ續いて目方八百五十目といふ老鷄しかも雄(をんどり)にて齒に乘らざる豪傑鍋も現はれぬ是等の支度をせんには二時三時間經ちしも無理ならず斯く膳部取揃はぬに酒を出(いだ)すは禮法に背くものと心得たる朴實これまた風雅の骨なり兎(と)も角(かく)も有合せもので先づ御酒(ごしゆ)をと云ふは江戸臭くして却つて興味なし諸事旅は此事よと稱して箸を下(くだ)すに味ひ頗(すこ)ぶる佳し勞(つか)れを忘れて汲みかはせしが初日ゆゑか人々身体に異常をおぼえて一徳利(ひとゝくり)と極(きは)めし數にも足らで盃を收めたり夜具(よるのもの)も清くして取扱ひ丁寧なり寐衣(ねまき)とて袷(あはせ)を出(いだ)したれど我はフラネルの單衣(ひとへ)あればこれにて寐んと一枚を戻せしにいかに惡(あし)くは聞取りけん此袷汚(きたな)しと退けしと思ひ忽ち持ち行きて換へ來りしを見れば今仕立しと見ゆる八丈絹(はちぢやうぎぬ)の小袖なり返せしは左る心にてはなし是が寐心よければ別に寐衣(ねまき)に及ばずと云しなりと詫てまた戻せしが是にても客を大切と思ふ志しは知られたり然らば寐(ねま)らんと蒲團に潛(もぐ)り今日道々の景色に
行く春を追ふて木曾路の櫻かな
など考ふるに眼はさえて今宵は草臥(くたびれ)に紀行も書ざりしが明日(あす)の泊りは早くして必らず二日分認(したゝ)むべし四人別々に書く紀行拙者も貴公も同案にては可笑(をかし)からずハテ甘(うま)く書きたいもの何ぞ名案名趣向名句もせめて一二句は彼(あれ)も斯(かう)して是もまたカウ/\グウ/\鼾(いびき)の音偖(さて)よく人は睡(ねぶ)らるゝよ障子を洩りて領(えり)に入(い)る淺間の山の雪おろし弓なりに寐るつる屋の二階是等も何ぞの取合せと思ふ折しも下屋(したや)賑はしく馬士(まご)人足の醉(ゑ)ひたるならん祭文(さいもん)やら義太夫やら分らぬものを濁聲(だみごゑ)上げ其の合の手には飮ませじと云ふ酒を今ま一合注げ二合温めよと怒りつ狂ひつどしめくなり醉(ゑひ)ての上の有樣は彼も此もかはりはなし耻べきかな醉狂(すゐきやう)愼むべきかな暴飮
泥まみれこれが櫻の葩(はなびら)か
降りつゞく雨明日(あす)の空までの事を思へば水の流れもまた雨と枕に傳へて詫し夜はおそく明けぬ今日は輕井澤より越後直江津まで通る信越鐵道とかいふ鐵道に乘り追分驛の先小田井(をだゐ)といふまで至らんと朝立出れば此ほとりは淺間の麓の廣野(ひろの)にて停車塲まで行く間灰の如き土にて草も短かし四方(よも)の山々に雉子(きじ)鶯の聲野には雲雀(ひばり)の所得顏(ところえがほ)なる耳も目も榮耀を極めぬしかし芭蕉翁に「雲雀啼く中の拍子や雉子の聲」と先に出られたれば一句もなし

朝靄(あさもや)山の腰をめぐりて高くあがらず淺間が嶽に殘る雪旭(ひ)の光にきらめきたり※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車の走るに兩側を眺むる目いそがはし丘を堀割し跡にわずかに生出(おひいで)し躑躅(つゝぢ)岩にしがみ付て花二つ三つ削落(けづりおと)せし如き巖(いはほ)の上に小松四五本立(たて)り其下に流るゝ水雪の解けて落(おつ)るにや流早く石に礙(さへ)られてまた元の雪と散るを面白しと云もきらぬうち雜木茂る林に入(い)る林を出(いづ)ればまた曠野(ひろの)にて燒石(やけいし)昔し噴出せしまゝなり開墾せんにも二三尺までは灰の如き土にて何も作りがたしとぞ此所(こゝ)は輕井澤より沓掛(くつかけ)追分小田井の三宿の間なり四里程なれば忽ち小田井に着きて※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車を下りしが下りてグルリと※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて見ると方角さらに分らずいづれが行先(ゆくて)歸る道と評議する顏を見て通りかゝりし學校教員らしき人御代田(みよだ)へは斯う參られよと深切(しんせつ)なり御代田とは小田井が改名せしなり一禮して其の如くに行く此ほとりの林の中に櫻咲き野にはシドメの色を飾り畑道は菫(すみれ)蒲公英(たんぽゝ)田には蓮花艸(れんげさう)紅きものを敷きつめたるやうなり
足元を花に氣遣へば揚雲雀(あげひばり)
宿(しゆく)は永くまばらに續きたり此(こゝ)を過て岩村田(いはむらた)までまだ四方(よも)の山遠く氣も廣々と田地開けたり岩村田よりやゝ山近くなり坂道もあり此(こゝ)にていづれも足取重げなれば車を雇はんとせしが其の相談のうちに宿を出はなれたり梅花道人いかにしてか後(おく)れて到らず偖(さて)こそ弱りて跡へ殘りしならん足は長けれど役には立(たゝ)ず長足道怖(こは)し馬乘らぬとは此事だと無理を云ふうちオイ/\諸君の荷物を此方(こつち)へ出したり宜しい諸事僕が心得た先の宿(しゆく)で待つよと跡より驅來りて梅花道人手輕く三人の荷を取りて一まとめにするゆゑ是はいかにと怪しむ跡より鹽灘(しほなだ)への歸り車とて一挺來(きた)るこれ道人が一行に一足後(おく)れて密(ひそか)に一里半の丁塲をわずか六錢に掛合(かけあひ)此の拔掛は企てしなり昨日(きのふ)碓氷の働きと云ひ今ま此の素早さに三人の旅通先(せん)を取られて後生畏るべしと舌を吐くうち下り方のよき道なれば失敬と振り※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)す帽子は忽ち森の陰となりぬ畜生侮(あなど)ツて一番やられたよし左らば車が早きか我々の脛(すね)が達者か競爭を試みんと口には云しが汗のみ流れて足は重し平塚村といふに小高き森ありてよき松の樹多し四方晴れて風冷(すゞ)しきに此の丘に上(のぼ)れば雌松雄松が一(ひとつ)になりし相生(あひおひ)あり珍しき事かなと馬を曳きて通る男に聞けば女夫松(めをとまつ)とて名高きものなりといふ丘の上に便々館湖鯉鮒(べん/\くわんこりふ)の狂詠を彫りし碑あり業平(なりひら)も如何(どう)したとかいふヘボ歌ゆゑ記臆をすべり落ぬ辷(すべ)る赤土に下駄を腰の臺としてしばらく景色を眺め此丘一つ我物ならば此(こゝ)に讀書の室(しつ)を築き松風蘿月(しようふうらげつ)を侶(とも)として澄し込んものと又しても出來ぬ相談を始め勝地に到れば住んことを望み佳景にあへば一句してやらんと思ふ此等みな酒屋の前に涎(よだれ)を垂し鰻屋の臭に指を啣(くは)へる類(たぐひ)なり慾で滿ちたる人間とて何につけても夫(それ)が出るには愛想が盡る人生居止(きよし)を營む竟(つひ)に何人(なんぴと)の爲に卜(ぼく)するぞや眺望(ながめ)があつて清潔な所を拙者が家(うち)だと思へば宜(い)いハテ百年住み遂げる人は無いわサト痩我慢の悟りを開き此所(このところ)の新築見合せとし田へ引く流に口を漱(そゝ)ぎ冗語(むだ)を勞(つか)れの忘れ草笑聲(わらひ)を伽(とぎ)の野は長く駒の形付(かたちつき)たる石ありといふ駒形明神(こまかたみやうじん)の坂も過ぎ鹽灘(しほなだ)へこそ着にけれ

鹽灘(しほなだ)にて早けれど晝餉(ひるげ)したゝむ空暗く雲重ければいさゝか雨を氣遣ふ虚に付け入り車に乘れと勸む八幡(やはた)の先に瓜生峠(うりふたふげ)とてあり其麓までと極めて四挺の車を走らす此邊の車には眞棒(しんばう)に金輪(かなわ)をつけ走るとき鳴り響きて人を避(よ)けさするやうにして有り四挺の車に八(やつ)の金輪リン/\カチヤ/\硝子屋(びいどろや)が夕立に急ぐやうなり鹽灘の宿(しゆく)を出はづれの阪道に瀧あり明神の杜(もり)心地も清(すゞ)しく茂りたり瀧の流に水車(みづぐるま)を仕掛流(ながれ)の末には杜若(かきつばた)など咲き躑躅(つゝぢ)盛りなりわづかの處なれど風景よし笠翁(りつをう)の詩に山民習得(ならひえ)て一身慵(ものう)し間(かん)に茅龕(ばうがん)に臥し倦(うみ)て松に倚(よ)る却(かへつ)て辛勤(しんきん)を把(とつ)て澗水(かんすゐ)に貽(おく)る曉夜を分たず人に代つて舂(うすづ)くとあるも此等のおもかげかしばしと立寄りたれど車なれば用捨(ようしや)なく駈け下(くだ)る下れば即ち筑摩川(ちくまがは)にて水淺けれど勇ましく清く流れて川巾は隅田川ほどあり船橋掛る半(なかば)渡りて四方を見れば山々雨を含みて雲暗く水の響き凄じ斯(かゝ)る折名乘りも出(いで)よ時鳥(ほとゝぎす)
驀地(まつしぐら)馬乘り入れん夏の川
筑摩川春ゆく水はすみにけり消て幾日(いくか)の峯の白雪とは順徳院(じゆんとくゐん)の御製(ぎよせい)とか大(おほい)なる石の上にて女衣(きぬ)を濯(あら)ふ波に捲き取(とら)れずやと氣遣(きづかは)る向の岸の方(かた)に此川へ流れ入る流に水車(みづぐるま)を仕掛あり其下はよどみて水深げに青みたるに鵞鳥(がてう)の四五羽遊ぶさながら繪なり八幡を過ぎ金山(かなやま)阪下にて車は止る瓜生峠(うりふたふげ)を越ゆるに四歳(よつ)ばかりの女子(めのこ)父に手を引かれて峠を下る身はならはしの者なるかな角摩川(かくまがは)といふを渡りて望月(もちづき)の宿(しゆく)に入(い)るよき家並(やなみ)にていづれも金持らし此(こゝ)は望月の駒と歌にも詠まるゝ牧の有し所にて宿(しゆく)の名も今は本牧(ほんまき)と記しあり。宿(しゆく)を通して市(まち)の中に清き流れありてこれを飮用(のみゝづ)にも洗ひ物にも使ふごとし水切(みづぎれ)にて五六丁も遠き井戸に汲(くみ)に出る者これを見ばいかに羨しからん是より雁(がん)とり峠といふを越ゆ峠らしくなく眺望(ながめ)よき阪なりいばら阪といふとか道々清き流を手に掬(むす)びては咽喉(のど)を濕(うるほ)す人々戯れて休まんとする時には「ドウダ一杯やらうか」といふ此の一杯やらうが一丁ごとぐらゐになると餘程勞(つか)れたるなり蘆田(あしだ)の宿(しゆく)より先に未だ峠あり石荒阪(いしあれざか)といふ名の如く石荒の急阪にて今までのうち第一等の難所なり阪の上へ到れば平なる所半丁ほどありて草がくれの水手に掬(むす)ぶほども流れず下(くだ)りて一丁ほど行けば此の水山の滴(したゝ)りを合せて小流れとなる下るまた一二丁流は石に觸れて音あり又下る三四丁流れは岩に激して雪を散らす下ること又四五丁川となりて水聲雷(らい)の如し坂を下り終れば川巾廣く穩かに流れて左右の岸には山吹咲き亂れ鳥うたひ魚躍るはじめは道端のヒヨロ/\流れ末は四面の田地に灌(そゝ)ぐ河となる岩間洩る滴りも合(あは)する時は斯の如し小善とて嫌ふなかれ積めば則ち大善人小惡とて許(ゆるす)なかれ積めば即ち大惡人富は屋を潤(うるほ)し徳は身を潤す富は少しき費(つひへ)を省き少しき利を集めたるなり集りて富となれば屋を潤すばかりでなく人を潤し業を興す流れの及ぶところ皆な潤す徳は少しの善行を重ねたるなり其功徳(そのこうとく)身を潤すに止まらず人をして知(しら)ず/\の間に善(よき)に導き逢ふ所觸るゝところ皆な徳に潤(うるほ)はざるなし學問もまた斯の如し今日(こんにち)一事を知り明日(みやうにち)また一事を知る集りて大知識大學者とはなるなり現に今ま此の水を見る自(みづか)ら省みて感深し草を藉(し)いてしばらく川に對す

石荒坂を過ぎ曲折して平地に出(いづ)れば即ち長久保(ながくぼ)なり宿(しゆく)の家並(やなみ)よく車多し石荒坂にて下駄黨も草鞋派も閉口したれば此(こゝ)より車に乘る此邊平地とは云へ三方山にて圍ひ一方は和田峠に向ツて進むなれば岩大石ゴロタ石或ひは上り或は下る坂とまでならねど凸凹(でこぼこ)多く乘る者は難儀なれど挽夫(ひくもの)は躍るもガタツクも物とはせず風の如くに飛び行けば心づもりより時は早く午後三時半和田へ着し緑川といへる高大なる寒げなる家へ泊りたり和田峠は中仙道第一の高山また絶所難塲なりと聞けば窓押し開けて雲深き方(かた)をグツト睨み置き偖(さて)風呂に入(い)りて銘々一閑張(いつかんばり)の机を借り受け駄洒(だじや)中止紀行に取りかゝる宿の人此体(このてい)を見て不審がる二時間ほどにして露伴子先(ま)づ筆を收めたれば酒肴(しゆかう)見立掛り膳部申付役となる火の熾(さか)んなる圍爐裏(ゐろり)に足踏伸し鉛筆の後(しり)にて寶丹(ほうたん)と烟草の吹※(「士/冖/一/几」、第4水準2-5-22)(ふきがら)をソクイに練り交ぜながら下物(さかな)は有るやと問ふ宿の女なしと淡泊無味に答ふデモ此邊の川で取れる岩魚(いはな)か何かあらうと押し返せば一遍聞合せて見ませうと立つ我々紀行並びに手紙等を書終り偖(さて)いかに酒は來りしや大膳太夫(だいぜんのたいふ)殿と云へば露伴子ヂレ込み先刻(さつき)聞合せると云たばかりに沙汰なしとは酷(ひど)い奴だと烈しく手を叩けば緩(ゆる)やかに出來(いできた)る肴(さかな)はといきまけばまだ聞(きゝ)に行た者が歸りませんと落付たり露伴堪(こら)へず其(そ)は何處(いづこ)まで聞にやりしぞ一時間も掛るにまだ戻らぬかと詞(ことば)を荒くすれば川へ聞きにやりましたまだ戻りませんと答ふ我輩不思議に思ひ傍らより口を出(いだ)し川へ聞にやるとは如何なる事ぢやと問へば川へ魚を捕りに出(いで)し者あるべければ河原へ行き其の漁者について魚は有るや否やを問ふにて魚屋とて別にそれを貯へて賣る處はなしとの事に一同アツト顏を見合し暮て河原に漁者を尋ね尋ね當(あて)て魚の有りや無しやを問ひそれを我等に報じて而(しか)して後に調理にかゝられては一日二日の滯留にては味ふこと難(かた)かるべし肴の儀は取消しとすべし急ぎ膳をと頼めば頓(やが)て持ち來(きた)る膳部の外に摺芋(すりいも)に鷄卵(たまご)を掛けたるを下物(さかな)として酒を持ち來り是は明日(あす)峠を目出度(めでたく)越え玉はんことを祝(ことほ)ぎたてまつるなり味なしとて許されて志しばかりを汲ませ玉へやといふ先に家の大(おほい)なるに合せ奮發したる茶代の高此(こゝ)に至ツて光を放ちぬ併(しか)しながら此家は夫是(それこれ)の事に拘はらず山を祝ふて酒を勸(すゝ)むるが例なりと質朴にしてまた禮ありと稱(たゝ)へ皆な快く汲む終りて梅花道人は足の勞(つか)れ甚だしければ按摩(あんま)を取らんとて呼(よぶ)いろ/\弄(なぶ)りて果は露伴子も揉ませながら按摩(あんま)に年を探らするも可笑(をか)しく我はこれを聞つゝ先に枕に就く
雨を呼ぶ蛙(かはづ)よ明日は和田峠
降らぬやうに祈るぞと云しが山下(やまおろ)しの風の音雨と聞なされて覺(さむ)ること度々(たび/\)なり果して夜半に雨來る彼方(あち)に寐がへり此方(こち)に寐がへり明日(あす)此(こゝ)に滯留とならば我先づ河原へ出て漁者を尋ねんなど思ひ續くるうち夜は明けしが嬉しや雨も止みぬ馬二頭(ひき)曳き來り二方荒神(にはうくわうじん)といふものに二人づゝ乘すといふ繪に見話には聞しが自ら乘るは珍しく勇み乘りて立ち出(いづ)れば雨の名殘の樹々の露領(えり)に冷たく宿(しゆく)を離るれば直(すぐ)に山にて溪(たに)の流れも水嵩(みづかさ)まして音高く昨夜(ゆふべ)の雲はまだ山と別れず朝嵐身にこたへて寒(さぶ)し

身輕手輕と夫(それ)ばかりを專(せん)にしたる旅出立(たびでたち)なれば二方荒神の中に縮(すく)まりてまだ雨を持つ雲の中に上(のぼ)る太華山人其の寒(さぶ)さを察し袷羽織(あはせばおり)を貸さる我が羽織の上へ重ね被(き)ても大きければ向ふ山風に吹き孕みて恰(あた)かも母衣(ほろ)の如し後(あと)の馬の露伴梅花の兩子いろ/\に見立(みたて)て嘲(あざ)み笑ふ此(こゝ)は信濃の山中(やまなか)なり見惡(みにく)しとて寒(さぶ)さにかへられんや左云ふ君等の顏の色を見よと詞(ことば)戰かひ洒落も凍りて可笑(をか)しきは出ず峯には櫻溪(たに)には山吹唐松(からまつ)の芽出(めだし)の緑鶯のをり/\ほのめかすなど取あつめたる景色旅の嬉しさ是なりと語りかはして
山響き谷こたへて後(あと)しづかなり雉子(きじ)の聲
と無理を吐く羊膓(やうちやう)たる阪路(さかみち)進むが如くまた退(もど)るが如し馬をしばしと止めて元來(き)し方を顧みれば淺間の山はすでに下に見られて其身は白雲の上にあり昨日(きのふ)此山を見て一睨みして置きしが今日は昨日宿りし處を見んとして見えず何となく氣壯(さか)んになりて身に膓胃ある事を忘れたり此山路(このやまぢ)秋は左こそと青葉を紅(くれなゐ)に默想し雪はいかにと又萬山を枯し盡して忽ち突兀(とつこつ)天際に聳ゆる銀(しろがね)の山を瞑思すつひに身ある事を忘れたり澤を傳ひ峯に上る隨分峻(さか)しき峠なれど馬にまかせて嶮(けは)しき事を知らず東もち屋村といふは峠の上にして人家四五軒あり名物の餡餅(あんもち)あり此(こゝ)にて馬を下(お)り圍爐裏(ゐろり)の火に龜(かゞ)みし手足を温めながら其名物を試む梅花道人物喰(ものくひ)に於て豪傑の稱あり此(こゝ)にてもまた人々に推尊せられて二盆(ふたぼん)の外我分(わがぶん)までを啖(くら)ひ盡すやがて此を出で是より下りなればとて例の鐵脚を踏み轟かす道人餡餅(あんもち)腹に入(い)りて重量(おもみ)を増したるにや兎角に後(しりへ)に下(さが)る露伴子は昨年此道中をせしとて甚だ通なり甞(かつ)て出立(しゆつたつ)の時に曰く木曾海道美人に乏し和田峠西もちや村の餅屋に一人また洗馬(せば)に一人あり洗馬のは予(われ)未だ其比を見ざる眞に絶世の美人なり餅屋のはこれに亞(つ)ぐと物覺え惡き一行なれど是は皆々領裏(えりうら)にでも書留て置きしやよく覺えて夫(それ)となく此(こゝ)より荷物を包み直し領(えり)掻き合せ蝙蝠傘(かうもりがさ)に薄日を厭(いと)ふ峠の上の平坦(たひら)なるを過ぎて下(くだ)り口に至りて西の方(かた)を一望すれば眼界新たに曠(はれ)て昨日(きのふ)までの景色と異なり群山皆な雌伏此の峠の外(ほか)に山と仰ぐべきなし何か自分が此山になつたやうな氣持にて傲然としてまた一睨みす下りは元は急にて上りより難儀なりしを御巡幸の節道を直し今は行人安樂なりといふ左れど尚ほ屈曲の險坂(けんはん)幾段なるや知らず古(いに)しへの險阻おもふべきなり下り終らんとする所即ち西もちや村なり此(こゝ)は人家十餘軒ありて宿屋の前に女ども出(いで)てお休みな/\と客を呼ぶスハヤ尤物(いうぶつ)は此中(このうち)に在るぞと三人鵜の目鷹の目見つけなば其所(そこ)に入(い)らんとする樣子なり我は元より冷然として先に進み道のかたへの菫(すみれ)蕗(ふき)の薹(たう)蒲公英(たんぽゝ)茅花(つばな)など此(こゝ)に殘(のこん)の春あるを賞して騷しき方(かた)は見もかへらず三人跡より喘(あへ)ぎ來りて無し/\影もなし大かたは此邊の貴家豪族が選び取て東京紳士の眞似をなし贋(がん)雪舟と共に床の間にあがめ置くなるべし憎むべし/\といふ
呼子鳥(よぶこどり)おぼつかないで尚床し
日も温かに鳥の聲も麗かなりぶらり/\と語りながら行くに足は勞(つか)れたり諏訪(すは)の湖水はまだ見えずや晝も近きにと云(いふ)うち下(しも)の諏訪と記したる所に出(いで)たり旅宿(やどや)もあり此(こゝ)ならんと思へばこれは出村にてまだ一里といふ

旅にて聞くを厭(いと)ふ詞(ことば)二つまだと餘なり初日碓氷(うすひ)にて勞(つか)れしとき舊道へ入(い)るの道の標(しるし)を見るに輕井澤まで二里餘とあり喘(あへ)ぎ/\上(のぼ)りてやがて二里餘も來らんと思ふに輕井澤は見えず孤屋(ひとつや)の婆(ばゝ)に聞けば是からまだ二里なりといふ一行落膽(がつかり)し偖(さて)は是程に草臥(くたびれ)て餘(よ)だけしか來らざりしかと泣かぬばかりに驚きたり是より道を問ひて餘の字を付加へらるゝ時はスハヤと足を擦(さす)りたり又まだと云(いふ)は頓(やが)て其處(そこ)ならんと思ふて問ふとき付加へられて力を落す詞なり和田峠の上(のぼ)りは馬に乘りたれば野々宮高砂(のゝみやたかさご)なりしが下(くだ)りは侮(あなど)りて遊び/\歩きたる爲め三里に足らぬと聞くに捗取(はかど)らぬこと不思議なるうへ下口(おりくち)はドカ/\と力も足に入(い)る故か空腹甚しく餡餅(あんもち)二盆半の豪傑すら何ぞやらかす物はないかと四方を見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)す程なれば我は餘ほど北山やら西山やら知らぬ方角の山吹躑躅(つゝぢ)見るも目のまはる程となりしに曲り下りる坂下に町家(まちや)ありし事なればしかも下諏訪とありし事なれば嬉しや此(こゝ)ぞと先へ驅けしが心あての龜屋なし立どまりて露伴子に聞けば何でも此(こゝ)を越して夫(それ)から諏訪の湖水が見えて夫から下諏訪だ此は云て見ればお前立(まへだち)といふやうなものとの答へまだ付の一里是からの長きこと限りなく山吹を折りて帽子に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)したり蓮華草(れんげさう)を摘んだり道草は喰へど腹は脹(ふく)れず何やら是だけが餘計の道のやうに思はれて小腹も立てば
飛ぶ蝴蝶羽をかはして我を乘せよ
とダヽを捏(こ)ねるイヨ藤浪由縁之助(ふぢなみゆかりのすけ)と聲をかけらるゝにまた取敢ず
術なさに倒るゝまでも菫(すみれ)かな
と狂句すればイヨ忍月居士(にんげつこじ)と云(いふ)此(こゝ)に始めて忍月居士が愛慕さるゝは菫御前(すみれごぜん)なることを知り又通人を褒めてイヨすみれは置かれませんと挨拶するは此事より起りたる詞(ことば)ならんと悟りぬ兎角(とかく)いふうち入(いり)まじへたる山の盡るほとりに一面の名鏡現れたり此ぞ諏訪の湖なると露伴子の指すに俄(にはか)に足も輕(かろ)く氣も勇み始めて心づきて四方を眺望するに山々には殘りの花あり雲雀(ひばり)鶯の聲は野に滿ち下は湖水へ注ぐ大河ありて岩波高きに山吹危うげに咲き溢(こぼ)れたる此景色今まで何とて目には入(い)らざりしといぶかる頓(やが)て下(しも)の諏訪秋の宮に詣づ神さびたるよき御社(みやしろ)なり上(かみ)の諏訪に春の宮あり莊嚴目をおどろかすと聞しが夫(それ)へは詣でず此宿(このしゆく)より上の諏訪はまだ三里もありと聞(きけ)ばなり正午(ひる)少し過るころ下諏訪の温泉宿龜屋に着く一浴して快と賞し鯉鯰(なまづ)などにて小酌しながら偖(さて)も今日半日の勞(つか)れの恐しさよ小敵と見て侮りたる故此敗(このはい)は取りしならん是よりは愼みて一里の道も百里を行くの勇氣を以てあたるべしと語るうち下座敷(したざしき)に月琴(げつきん)の響き聞ゆ怪しの物の音(ね)や東京を出(いで)て未だ鳥の謠ひ奏づる外(ほか)人間の音樂は聞ずさすがに此は遊浴繁花(はんくわ)の地とて優しくも聞くものかな且つ其調(そのしらべ)も拙なからず微(かす)めて唄ふに聲はさだかならねど人※(「てへん+丙」、第4水準2-13-2)もさぞと慕はしきにいざや此(こゝ)へ呼びて一曲を所望せん彼(か)の潯陽(じんやう)の江頭(えのほとり)ならで諏訪湖邊に月琴を聽くもまた面白からずやと直ちに手を鳴らして女を呼び下にて月琴を彈(ひ)くは何者ぞと問へば此家の娘なりといふ容貌(さまかたち)も温泉に濯(あら)ひて清げならん年は幾許(いくつ)ぞ。ハイ九歳(こゝのつ)でまだネカラ手が※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りません。此答へに一座唖然たり

二方荒神の味を覺えて鹽尻峠(しほじりたふげ)も馬に遊ばんと頼み置きて寐に就く温泉にて勞(つか)れを忘れ心よく睡(ねぶ)りたれば夜の明けたるも知らず宿の者に催されて漸(やう)やくに眼を擦(こす)りながら浴室(ふろ)に至れば門前に待ち詫びたる馬の高く嘶(いなゝ)くにいよ/\慌て朝餉(あさげ)の膳に向へば昨日(きのふ)鯉の濃汁(こくしやう)を褒めたればとて鍋ごと盛んに持ち出で勢ひに呑まれてか豪食の三傑詞(ことば)にも似ず椀の數少なし馬は何時頃より來り待つぞと問へば江戸のお客樣は氣短でお出(い)でなさるゆゑマダ來ぬかと叱られぬ爲め夜明前より門に來て居りました私共も四時から御膳の支度して御手の鳴るを待ちましたと云ふ諸事左樣(さう)來て貰ひたしさすがは下諏訪の龜屋なりと稱(たゝ)へ土産(みやげ)にとて贈られたる名物氷餅(こほりもち)を旅荷物の中(うち)へ入れて馬(うま)ち遠(どほ)であツたと馬士(まご)にも挨拶して此(こゝ)を立ち出づ宿(しゆく)の朝景色何處(いづこ)も勇ましく甲斐々々しく清々(すが/\)しきものなるが分きて此宿(このしゆく)は馬で心よく搖られ行く爲か面白し宿(しゆく)を離るれば諏訪の湖水朝霧立こめて空も雨を催(もよ)ひて寒(さぶ)し馬士(まご)の道々語りて云ふ此宿も今は旅人(りよじん)を當にもなさず先づ養蠶一方なり田を作るも割に合はぬゆゑ皆な斯樣(かやう)に潰して畑となし豆を作るか桑を殖(うゑ)るかなり元は隨分繁昌な所で有りましたがナア又曰く此の流れはアレ彼山(あのやま)の間を川に流れて天龍川に落ちますナニお前さん氷は張りますが馬は危ないので通行は致しません人は見當をつけて向ふの村へ何處(どこ)でも行きます廣さは十三里と云ますが左樣(さう)はございません狐が渡るといふのも昔の話でハイ鯉や鮒(ふな)鰻は大層捕れますダガ十月から彼岸時分まで氷で漁は出來ませんナニサ兎は少し取れますが獸(けだもの)は何處(どこ)も此處(こゝ)も開けたので一疋も居なくなりましたハイ遊廓なんテ見られたもんでは無いと矢鱈(やたら)と謙遜なりポクリ/\と鹽尻峠を上りながら晴た日だと是から富士が見えますと指さす顧みれば水面わずかに白く四方は朝霧にて山の形さへ定かならず此の鏡へ姿を寫す富士の俤(おもかげ)さぞと胸に畫けば煙霧糢糊たる間一種の風景あり馬士(まご)また云ふ昨夜(ゆふべ)私(わし)の方で大喧嘩が有りました湯の中で騷いだので大きに迷惑します一体湯を引いて湯塲を作るのは大分の入費で夫(それ)は村から出し合て誰でも無代(たゞ)で入(い)れますのだが此頃新道を作る人足が大勢入(はい)り込んで宜(い)い湯治塲へ行た氣で無代(たゞ)で湯へ入(はい)り其上威張散して喧嘩を仕かけたので村の者は怖しがり女や年寄は最(も)う入(はい)らぬ位ですナント馬鹿々々しいではございませんか昨夜(ゆふべ)の喧嘩も土方同士でイヤハヤ新道一件ではいろ/\な事がございます如何(どう)か人足の暴れるだけもせめて取締ツて貰ひたい金を出した湯の持主が隅へ小さくなツて何處(どこ)の者か知れぬ奴が無代(たゞ)で巾を利かせて歌など唄ツて騷ぐとはエライ話しだと不平を云ふ一体に新道には不平と見え馬も舊道行人(ゆくひと)も舊道なり只運送馬車のみ道は遠けれど平坦(たひら)ゆゑ新道を驅けるとぞ此邊の屋作り皆な玄關搆へにて嚴(いか)めしく男も雪見袴(ゆきみばかま)とかいふものを着(つけ)て古風なり松本道(みち)の追分あり此(こゝ)より十五六里なりと午前九時鹽尻の宿(しゆく)へ着く
乘り捨し馬を繋ぐや散る李花(すもゝ)
此邊にては人の妻を呼びてお方(かた)と云ふ女働らき男樂する風(ふう)なり土地は桔梗(きゝやう)が原(はら)に續いて田畑多し

鹽尻の茶店(ちやゝ)の爐に暖まり温飩(うどん)掻込(かつこ)みながら是よりなら井まで馬車一輛雇ふ掛合を始む直段(ねだん)忽ち出來たれど馬車を引來らず遲し/\と度々(たび/\)の催促に馬車屋にては頓(やが)てコチ/\と破(こは)れ馬車を繕(つくろ)ひ始めたりイヤハヤ客を見て釘を打つ危ない馬車に乘らるべきか外(ほか)に馬車なくば破談にすべしと云へばナニお客樣途中で破(こは)れるやうな事はございません破(こは)れても上の屋根だけですから轉(ころ)がり落る程の事は有ませんサアお乘りなさいと二十三四の馬丁(べつたう)平氣なれば餘義なくこれに乘る二十三四の小慧(こざかし)き奴(やつ)客を客とも思はばこそ遊び半分にラツパを吹きて先を驅くガタ/\ゴロ/\隨分と烈し鹽尻を過れば一望の原野開墾年々(とし/″\)にとゞきて田畑多しこれ古戰塲桔梗(きゝやう)ヶ原(はら)雨持つ空暗く風慘(いたは)し六十三塚など小さき丘に殘れり當年の矢叫び鬨(とき)の聲必竟(ひつきやう)何の爲ぞ
田鼠(たねずみ)や化(な)りおほせても草隱れ
興敗(こうはい)つひに夕鶉(ゆふうづら)の一悲鳴(いつひめい)草の葉に露置くを見れば小雨の降り來りしなり馬車を驅ること飛が如くなれば手帳へ字などなか/\書けず只破(こは)れかゝりし臺の横木に掴まりて落ても怪我のないやうにと心に祈るばかりなり忽ちに二里を馳(は)せ洗馬(せば)へ着く昔はよき驛(しゆく)なりしならん大きな宿屋荒果(あれはて)て憐(あはれ)なり此(こゝ)に木曾義仲馬洗(うまあらひ)の水といふ有りといへど見ず例の露伴子愛着の美人も尋ねずわづかに痩馬に一息させしのみにて亦驅け出(いだ)す此宿より美濃(みの)の國境(くにさかひ)馬籠(まごめ)までの間の十三宿が即ち木曾と總稱する所なり誠に木曾に入(い)りしだけありて此(これ)より景色(けいしよく)凡ならず谷深く山聳へ岩に觸るゝ水生茂(おひしげ)る木皆な新たに生面を開きたりソレ彼(あ)の瀧ホラ向ふの岩奇絶妙絶と云ふうちには四五反(たん)は馳せ過る馬車の無法(むはふ)飛(とば)せ下は藍なす深き淵かたへは削りなせる絶壁やうやくに車輪をのするだけの崕道(がけみち)を容赦も※(「酉+斗」、第4水準2-90-33)酌(しんしやく)もなく鞭を振つて追立るなれば其の危うさは目もくるめき心も消(きゆ)るばかりなりあはれ斯(かゝ)る景色(けいしよく)再びとは來られねば心のどかに杖を立て飽までに眺めんと思ふに其甲斐なし命一ツ全きを願ふばかり付燒刄(つけやきば)の英雄神色少し變じたり馬丁(べつたう)にあまりに烈し少し靜にせよと云へば斯(かゝ)る所はハヅミに掛つて飛さねば却(かへつ)て誤ちありナアニ此樣(こん)な所此(こゝ)はまだいろはです是から先が些(ちと)ばかり危ないのですと鼻唄の憎さよ坂を眞下(まつくだ)りに下る時は泥犁(でいり)の底に落る如くまた急なる塲所を上(のぼ)る時は直立して天に向ふ此(こゝ)は危なし下(おり)んと云へど聞かぬ顏にていよ/\飛ばす山は恰も驅(かけ)るが如く樹は飛が如くに見ゆ快と云(いは)ば快爽と云ば爽なれどハツ/\と魂を驚かすあまり壽命の藥でもなし呉々(くれ/″\)も重ね/\も木曾見物の風流才士は此(こゝ)を馬車にて飛ぶべからず同行例の豪傑揃ひなれば一難所一急坂を過る時は拍手して快を呼ぶ馬丁(べつたう)ます/\氣を得て驅けさすこといよ/\烈し一句を吐(はか)んと思ひ込みしに冗(むだ)と仕たり瞬間に本山(もとやま)に着けど馬に水もかはず只走りに走る梅澤櫻澤などいふ絶景の地に清く廣やかの宿屋三四軒あり此(こゝ)に一宿せざることの憾(を)しさよ山吹躑躅(つゝぢ)今を盛りにて仙境の想(おもひ)あり聞く熱川(にえがは)には温泉の出(いづ)る所ありと此等(こゝら)に暑を避けて其の湯に塵を洗(そゝ)ぐならば即身即仙とんだ樂しき事なるべきに

見上(みあぐ)る山には松にかゝりて藤の花盛りなり見下(みおろ)せば岩をつゝみて山吹咲こぼれたり躑躅(つゝぢ)石楠花(しやくなげ)其間に色を交へ木曾川は雪と散り玉と碎け木曾山は雲を吐き烟(けぶり)を起す松唐松(からまつ)杉檜森々(しん/\)として雨ならずとも樹下(このした)は濕(うるほ)ひたり此間(このあひだ)に在りて始めて人間の氣息緩(ゆるや)かなるべきを無法飛(とば)せの馬車なれば(是よりして木曾の山中(やまなか)にも無法飛ぶのは馬車ではないか抔(など)定めて洒落始めしならん)下手(へた)な言文一致の詞(ことば)のやうにアツヱツ發矢(はつし)など驚きて思はず叫ぶばかり山も川も只飛び過ぎ熱川(にえがは)より奈良井の間の諏訪峠といふ所は車の片輪を綱にて結びて※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)らぬやうにし片輪のみにて落し下すに石に軋(きし)りて火花を出(いだ)す凄じさ譬(たと)へて云(いは)んやうもなし又本山(もとやま)と熱川(にえがは)の間なりし崕道(がけみち)崩(くえ)て往來なり難きにより木曾川の河原へ下(お)り川を二度渡りかへして道へ出(で)る所などは會釋もなく川の中へ馬車をやり入れたるが水は馬の太腹にも及び車の臺へ付く程なれば叩き立られたる痩馬向ふの岸に着きかねて喘(あへ)ぐに流石(さすが)の我武者馬丁(がむしやべつたう)も術(すべ)なくて己(おのれ)川中へ下り立ち四人を負ひて川原へ下(おろ)し※(「士/冖/一/几」、第4水準2-5-22)馬車(からばしや)にして辛うじて引上げしが道を作り居たる土地の者崖の上より見下して乘り入れたる馬丁(べつたう)も強し下(お)りぬ客人も大膽やと賞(ほめ)るか譏(そし)るか聲を發して額に手をば加へたり此の時少し篁村息を吐(つ)き河原に立やすらひて四方を眺め崩(くえ)たる崕道(がけみち)を見上(みあぐ)るに夫婦連(めをとづれ)の旅人(たびゝと)通りかゝり川へ下りんも危うし崖を越んも安からずと彳(たゝず)み居しが頓(やが)て男は崩(くえ)たる處ろへ足を踏み出し足溜りをこしらへてはまた踏み固め二間餘のところ道をつけ偖(さて)立戻り蝙蝠傘(かふもりがさ)の柄(え)の先を女に確(しか)と掴ませ危うくも渡り越して互にホト息して無事を悦び合ふ愛情いと尊くも嬉しけれ早々(はや/\)乘れ雨の來(きた)らんにと急(せ)かれて心ならねど又馬車に乘り先の嶮岨をいろはなりと云しに違(たが)はずだん/\危うくせず京あたりの難所も首尾よく飛せ越えて奈良井へ着(つき)しは晝前なり是より直(すぐ)に鳥居峠なれば馬車を下りしに馬丁(べつたう)は意氣揚々としてドウですお客樣一番鳥居峠を追立(おつたて)て見ませうかと云ふ我手を振りて是を願ひ下げ此(こゝ)にて晝餉を認(したゝ)めしが雨はいよ/\本降となりしゆゑ豫(かね)て梅花道人奉行となりて新調せしゴム引の合羽(かつぱ)を取り出(いだ)し支度だけ凛々敷(りゝしく)此所(こゝ)を出れば胸を突くばかり直(すぐ)に峠にて馬車の上に縮(すく)みたる足なればチト息ははづみたり此峠に古(いに)しへは棧橋(かけはし)ありしとか思ふに今にして此嶮岨なれば棧橋(かけはし)は強(あなが)ち一ヶ所に限らず所々(しよ/\)に在しならん芭蕉の「かけはしや命をからむ蔦かづら」と詠みしも今の棧橋(かけはし)の所にては有まじ四五丁上(のぼ)りかけて谷に寄たる方(かた)に土地の者の行く近道あり折々此の近道あれど草深く道の跡も定(さだか)ならで危(あやふ)ければ是を通道(つうみち)と名(なづ)け通と云れたがる者ならでは通らず梅花道人少し後(おく)れたるテレ隱しに忽ち此道に驅け上る危ないぞと聲を掛(かく)るうち姿は見えずナニ幾許(いくら)ほど近いものかハアハア云つて此上あたりに休み居るならんト三人嘲(あざ)みながら上(のぼ)るに道人は居ず五六丁の間は屈曲(をりまがり)てもよく先が見えるに後影もなし若(も)しやは近きを貪りて谷へ轉げ落ちしにあらずや此谷に落たるを救ひ上げんには三人の帶を繋ぐとも屆くまじ如何(いかゞ)はせんと谷底を覗き見ながら雨を凌(しの)ぎて上(のぼ)る

雲雀(ひばり)より上にやすらふ峠かなと芭蕉が詠みしは此の鳥居峠なり雨は合羽(かつぱ)の裙(すそ)よりまくり上げに降る此曲降(きよくぶり)を防がんやうなく只濡(ひたぬれ)なるに脊はまた汗なり一里に足らぬ峠なれど急上(きふのぼ)りの急下(きふくだ)りなれば大辟易の形となりぬ頓(やが)て峠へ上りつきて餅屋にて云々(しか/″\)の形(なり)の者は通らずやと聞けば先にお下(くだ)りになりましたと云ふ偖(さて)は梅花道人も谷へは落ちざりしかと安心し下(くだ)りとならば嶮しとて一跳(ひとはね)にせんものと雨を凌ぎつゝ勢ひをつけて下(くだ)る下りてやゝ麓近くなりしとき篁村小石に躓(つま)づきはづみを打て三四間けし飛びしが鞍馬(くらま)育ちの御曹子を只散髮(ざんぎり)にした丈の拙者なればドツコイと傘を突き左りの足にて踏み止めぬアハヤと叫びし太華露伴の兩氏イヨ感心と褒めたるが實は此のドツコイ甚だ宜しからず踏み止めし左りの足ギクリとせしが是より少々痛みを覺え雨に傘は用ひずして左りの杖となしたるぞ無念なる下(くだ)りきりては只の田甫道(たんぼみち)面白くもなくトボ/\としてやがて藪原(やごはら)に着く此(こゝ)はヤゴ原と讀み元は八五原と書くお六櫛(ろくゞし)と世に名高き櫛の名所にて八五は即はち九四に同じといふ附會説(こじつけせつ)ありまだ午後の三時に及ばず今三里行けば木曾中第一の繁昌地福嶋(ふくしま)なり其所(そこ)まで飛ばせよといふ議も出(いで)しが拙者左りの足が危(あや)しければイヤサ繁花(はんくわ)の所より此の山間の宿(やど)に雨を聽くがあはれも深いものだと弱身を隱して云ふに左らばと此宿(このしゆく)に泊る梅花道人茶店に待てありしが一つになり見ぬ事とて早足の自慢大げさなり脇に羽の生えた跡もなけれど偖(さて)宿に入(い)りて見れば家名(いへな)は忘れしが家居(いへゐ)廣く清らかにて隣りに大きな櫛店(くしみせ)もあり宿(しゆく)中第一の大家とは知られぬ湯に入り名物の櫛を買ふうち頓(やが)て名代の蕎麥を持ち出(いだ)す信濃路一体に輪嶋塗(わじまぬり)沈金彫(ちんきんぼり)の膳椀多しこれ能登よりの行商ありて賣り行くならん大きなる黒椀に蕎麥を山と盛り汁(つゆ)を同じく大椀に添へ山葵(わさび)大根葱(ねぎ)海苔(のり)等藥味も調(とゝの)ひたり蕎麥は定めて太く黒きものならん汁(つゆ)の※(「酉+咸」、第4水準2-90-39)(から)さもどれほどぞと侮(あな)どりたるこそ耻かしけれ篁村一廉(いつかど)の蕎麥通なれど未だ箸には掛けざる妙味切方も細く手際よく汁加※(つゆかげん)[#「冫+咸」、U+51CF、17-上-27]甚はだ佳(よ)し思ひ寄らぬ珍味ぞといふうち膳の上の椀へヒラリと蕎麥一山飛び來りぬ心得たりと箸を振ひやゝ二杯目を喰ひ盡さんとする此時遲く彼時(かのとき)早く又もヒラリと飛び込みたり是はと驚く後より左りに持つ椀へ汁(つゆ)を波々(なみ/\)注(つ)がれたりシヤ物々しと割箸のソゲを取り膳の上にて付き揃へ瞬く間に三椀を退治たりと思ふ油斷に四椀目は早くも投げ込まれぬ此の狼狽我のみならず飮食道に豪傑の稱ある梅花道人始め露伴子太華山人も呆れ果て箸を膳に置いて一息しよく/\見れば美くしき妻女清(すゞ)しき眼を見はり椀だに明かば投げ込んと盛り替の蕎麥を手元へ引つけて呼吸(きあひ)を量(はか)り若き女其後(そのうしろ)にありて盛替々々續けたり今一人は汁注(しるつぎ)を右に持ち中腰にて我々の後より油斷を見て汁(つゆ)を注がんと搆へたり此備へ美事喰崩して見せんものと云合さねど同じ心に一同また箸を擧げしが拙者は五椀目にて降參を呼(よば)はり投げ込みと欺(だま)し注(つぎ)を恐れて兩椀に手早く蓋をして其上を確(しつか)と押へ漸く蕎麥責を脱(のが)れしが此時露伴子は七椀と退治和田の牡丹餅(ぼたもち)に梅花道人が辭してより久しく誰人の手にも落ちざりし豪傑號を得たりしは目ざましかりける振舞なり

此の藪原は木曾の深山なれば上の山には鷹多く昔しは巣鷹を取る爲に役所をさへ置かれけるとか和田鳥居と過來つる目にはさしも深山(みやま)の中(うち)なりとは思はれず左りながら此宿(このしゆく)を過れば木曾川に沿ふての崖道にて景色いふばかりなくよし巴(ともゑ)御前山吹(やまぶき)御前の墓あり巴は越中(ゑつちう)にて終りしとも和田合戰の後(のち)木曾へ引籠りしとも傳へて沒所さだかならず思ふに此(こゝ)は位牌所なるべし宮の腰に八幡宮あり義仲此の廣前(ひろまへ)にて元服せしといふ宮の腰とは木曾が舘(やかた)の跡なればなりと土人今にして木曾樣義仲樣と敬(うやま)ふ木曾が城跡といふは高き山ならねど三方山にて後に駒ヶ嶽聳へ前に木曾川あり此(こゝ)に來(きた)る道東よりするも西よりするも嶮岨の固め諸所にあれば義仲粟津(あはづ)の戰塲を脱(のが)れ此に籠(こもり)て時を窺はば鎌倉の治世覺束(おぼつか)なかるべし抔(など)語合ふ思(おもへ)ば治承(ぢしよう)の昔し頼朝には北條時政といふ大山師(おほやまし)が付き義經には奧州の秀衡(ひでひら)といふ大旦那(だいだんな)あり義仲には中三權頭兼遠(ちうさんごんのかみかねとほ)といふわづかの後楯(うしろだて)のみなりしに心逞ましき者なればこそ京都へ度々忍び上(のぼ)つて平家の動靜を窺ひ今井樋口と心を合せ高倉宮の令旨(りやうじ)を得るより雲の如く起り波の如く湧き越後に出で越前に※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)り忽ち京都へ伐(せ)め上(のぼ)り時めく平家を追下(おひくだ)し朝日將軍の武名を輝かしき凡人にてはあらざりけり元暦(げんりやく)元年の春の雪粟津(あはづ)の原に消えたれど首は六條の河原にさらされ尸(かばね)は原に埋(うづ)めたれど名は末代に殘りけり
杜鵑(とけん)一聲しばしは空に物もなし
年はわづかに三十一此の英傑を討取て「信濃なる木曾の御料(ごれう)に汁かけて只一口に九郎義經」と云れたる義經もたゞ此年を去る四五年にて同じく三十一にて死す二人は骨折損にして皆な頼朝にシテやられぬ氣の毒至極の事共なり我が贔負(ひいき)役者を揉(も)み消したる頼朝は憎けれどまた考へれば義仲には關白松殿の姫君のほか巴山吹などの艶福あり義經には京の君靜御前といふ意氣筋あり頼朝めは政子といふ嫉深(しつふか)のいけない女に恐れ入り偶々(たま/\)浮氣らしき事あれば三鱗(みつうろこ)を逆立(さかだて)て怖(こは)い眼に睨まれ小さくなツて手を引きぬ嗚呼(あゝ)艶福なる者は必らず斯(かく)の如く不運なり女運なければ幸福なり讀者諸君それいづれをか執らんと思ひ玉ふナニ女運を右に幸福を左りに握りたい不埒(ふらち)至極の了簡(れうけん)お止めなさい/\我輩は謹んで艶福を天にかへしたてまつり少し欲氣(よくげ)に聞ゆれど幸福一方と决定仕りぬ友人中には夫(それ)は惜いお前が女運を捨(すつ)るとなると此の情世界が甚だ寂莫(せきばく)最少し艶氣を出せかしと勸告せらるゝ向(むき)もあれどイヤ其の仰せは僻事(ひがごと)なり抑(そ)もと堅く出て左樣な否(いや)らしき儀一切(いつせつ)謝絶諸事頼朝流の事と取極め政子崇拜主義となりぬ皆樣(みなさん)も是非饗庭黨(あへばたう)となり玉へ世の中まことに穩かにて至極野氣(のんき)で第一は壽命の藥女は命を削るの鉋(かんな)かんなとをんなと音(おん)近きもこれまた自然の道理なり緋威(ひをどし)の鎧とめかし込み艶福がるといづれ仕舞(しまひ)は深田へ馬を乘り入れて二進(につち)も三進(さつち)もいかなくなるか自腹の痛事あるべきなりオヽ怖(こは)やと悟る人は誠に好(い)い子といふべきなり抔(など)と横道の冗(むだ)は措き此(こゝ)を越せば山吹が淵巴が淵など云ふ所あり山吹まことに盛りにて岩にさへられて水が巴にめぐるも妙なり
昔し誰が影やうつせし苔清水
福嶋驛はもと關所ありて山村甚兵衞これを固め鐵砲と女を嚴しく改めしといふ昔から女と鐵砲は兎角(とかく)わざをする物と見えたり成程此宿(このしゆく)は繁花(はんくわ)にて家數も多く作りて立派なり晝前なるに料理屋に三味線(さみせん)の音ありさだめて木曾の歌の古雅なるならんと立寄れば意氣がりて爪彈(つめびき)で春雨いらぬ事ながら何やら憎く思はれぬ道中筋の繁花な所といふと得て生意氣な風が吹て可厭(いや)な臭がしたがる者なり賢くも昨夜(ゆふべ)の宿を藪原にとりし事よと獨り思ふ此(こゝ)には通運會社あれば持重りの手荷物を東京へ送らんと荷拵へして頼めば目方を量るも賃銀を定むるも掛りの男居ずして知れがたし先拂ひにして下されよとの事にそれにて頼みしが此等より東京へ出すには一旦(いつたん)松本まで持ちかへるゆゑ日數(ひかず)十四五日は掛るといふ果して東京へは二十日目に屆きたり雨は上りたれど昨日(きのふ)よりの降(ふり)に道は惡し宿(しゆく)の中ほどに橋ありこれを渡り終らんとする末の一足後(うしろ)を向いて冗(むだ)を云ながら左を踏み出すと橋板より土は一寸ばかり低くガクリと落せしが鳥居嶺(とりゐたふげ)のドツコイ此(こゝ)に打て出で俄(にはか)に足痛みて歩きがたし左れども乘るべき車はなし橋際に立徃生もならず傘と痩我慢を杖にして顏を皺(しか)めて歩く此時の体相(ていさう)諸君(みなさん)にお目にかけずに仕合せサ惡い時にはいけない事が續くもので福嶋から二里ばかりの道は木曾とは思はれぬ只の田甫(たんぼ)の泥濘(ぬかるみ)にて下駄の齒は泥に吸ひつかれて運ぶに重く傘の先は深くはまりて拔くに力が入(い)る程ゆゑ痛みはいよ/\強く人々に後(おく)れて泣たい苦しみ梅花道人さすがに見捨がたくや立戻りて勢ひをつけるに外見(みえ)を捨てその蝙蝠傘(かうもりがさ)を借り遂に兩杖となりたるぞ憐(あはれ)なる道は捗取(はかどら)ねど時が經てば腹は※[#「冫+咸」、U+51CF、18-下-22]りてまた苦を重ぬるを道人勇みをつけて一軒の茶店ある所まで連れ行き此(こゝ)にて待たれよ我は先へ行きて車を見つけ迎ひによこすべければと頼もしく云(いは)るれどたつきも知らぬ山中(やまなか)に一人殘されては車を待つ間の心細さいかならんナニ是式(これしき)と力足を踏めば倒るゝばかりの痛み歩き自慢の中下駄(ちうげた)も此時ばかりは弱り入りそろり/\とまた出かけしが頓(やが)て山川の景色凡ならぬ所に出(いで)たり問はねど知るゝ木曾の棧橋(かけはし)これ此行第一の處ハテ絶景やと勇みつきて進めば川に臨(のぞ)みて作りかけたる茶屋の店に腰打掛け太華露伴大得意に酒を飮み居たり人の苦みも知らず顏にと怨めば先へ來たは御座所をしつらへる爲めに先づ一杯ナント此景色はと云はれて何も打忘れ山を見ては褒めて一杯川を見ては褒めて一杯岩が妙だ一杯水が不思議だ一杯と景色を下物(さかな)に飮むほどに空腹(すきばら)ではあり大醉(おほよひ)となり是から一里や二里何の譯はない足が痛ければ轉げても行く此(こゝ)さへ此の絶景だものかねて音に聞き繪で惚れて居る寐覺(ねざめ)の臨川寺(りんせんじ)はどんなで有らう足が痛んで行倒(ゆきだふれ)になるとも此の勝地に葬(はうぶ)られゝば本望だ出かけやう/\と酒が云(いは)する付元氣(つけげんき)上松(あげまつ)から車をよこすから爰(こゝ)に待(まち)なと云ふを聞かず亭主大きに世話であつたなと大勇みで飛び出しは出たものゝ痛みは先より尚強し一丁行きては立止り景色を褒めてはまた休む醉(ゑひ)は苦しみに消されて早く醒め今は跡の茶屋へも戻れず先へも行かれず氣の毒な事を見てお痛足(いたあし)やと云ふ事は此時よりや始りけん

名下(めいか)虚士(きよし)無しなど云へど名のみは當にならぬ世なり木曾道中第一の名所は寐覺(ねざめ)の里の臨川寺(りんせんじ)と現(うつゝ)にも覺え名所圖繪の繪にて其概略(そのあらまし)を知たかぶり岩があつて溪(たに)があつて蕎麥が名物是非一日遊ばうぞやと痛む足を引ずりて上松(あげまつ)も過ぎしが頓(やが)て右手の草原(くさはら)の細道に寐覺(ねざめ)の床(とこ)浦嶋の舊跡と記せし杭(くひ)あるを見付けガサゴソと草の細道を分け行けば俗々たる寺あり門を入(い)れば此(こゝ)即ち臨川寺にて成ほど木曾川に臨みて居れど眺望佳絶といふべきにあらず此の前後の勝景に比べては寧(むし)ろ俗境といふべし小僧人の入(い)り來(きた)るを見るより忽ち出で來りて浦嶋太郎の腰を掛けた岩があれで向ふのが猿が踊を跳(をど)ツた古跡だなどゝ茶かした云立(いひたて)に一人前五厘と掴み込む田舍の道者魂消(たまげ)た顏にて財布を探るも氣の毒なり一行は座(ゐ)ながらにして名所を知るの大通なる上露伴子といふ先達(せんだつ)あり云立を並べんとする小僧の口を塞ぎ座敷を借らんと云入(いひいれ)しに座敷は迷惑なりと云ふ心得たりと太華大藏(おほくら)の卿(きやう)五十錢札一枚を出すイザ是へと急に座敷に請じて茶菓(さくわ)を饗す兎も角も此(こゝ)は書入(かきいれ)の名所なり俗境なりとて偖(さて)止むべきかは一杯酌みて浦嶋殿の近付(ちかづき)とならんと上の旅人宿(はたごや)へいそぎ酒(さけ)肴(さかな)を持來れと命じ夫(それ)より寺内を漫歩(そゞろあるき)しまた川を眺むるに流を餘り下に見るより川巾狹く棧橋(かけはし)より太(いた)く劣るやうに見ゆるにてマンザラ捨た所にはあらず雨雲ちぎれて飛ぶが如く對面の山※(「倏」の「犬」に代えて「火」、第4水準2-1-57)忽(たちまち)有無(いうむ)また面白き景色となりしばらくは足の痛も忘れ石を投げて川の向ふへ屆くものを好子(いゝこ)といふ競技をはじめしが酒は一時間過てもまだ來ず茶に醉ふてかフラ/\と露伴子は睡(ねぶ)り梅花道人は欠伸(あくび)するに我は見兼ね太華山人と共に旅人宿(はたごや)へ催促と出かけしに直(ぢき)に門前にて只今持ち參るの所なりといふ寺も早や興盡きて寒(さぶき)を覺ゆるに寧(いつ)そ宿にて飮むまいかと割籠(わりご)の支度を座敷へ取寄せ寺に殘りし二人を呼び飮みかけたるまではよかりしが篁村醉(ゑひ)の※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りに分からぬ事を云出したり平生よく分(わけ)の分かる感心の拙者も酒といふ狂藥に折々不感心な事を仕出かすアヽ酒は嚴禁すべきものなり聞く英國のチヤーチル卿は國中(こくちう)の酒屋を皆な廢し醉漢(のたまく)共を掃落して仕舞はんと禁酒論を國會へ持ち出したりとかチヤーチル氏だから元より下戸だらう抔(など)と茶かさずに誰人も酒は禁じたきものなり偖(さて)酒を飮みて湯に入(い)り湯より上りて酒を飮み大グズとなりて此座可笑(をかし)からず泊りを先の宿(しゆく)にして飮み直すべしといふ途方もなき事を云出し浴衣(ゆかた)のまゝ夜中(やちう)に飛出したり處は木曾の山中(やまなか)なり雨あがりに道は惡し行先は何やら勝手知れず其うへ飛出してから氣が付けば足の痛みありそして車は更なり家もなしドウも木曾山中の夜景は妙だとは酒の云せる譫語(たはごと)にて矢鱈(やたら)と豪傑がる拙者は我慢の跡押(あとおし)あれど連累(まきぞへ)となりし梅花道人こそ氣の毒なれコレサ危ないイヽサ承知だよと受答へに醉も定めて醒めしならん勢ひにまかせて一里ほどを歩き漸く家の五六軒ある處に至り片端から叩き辛じて車を一輛仕立させしが二人は下駄を踏みかへし臑(すね)まで泥の尻からげ浴衣がけで荷物はないグズ醉の旅人(たびゝと)なれば驚き呆れて車の梶棒を下に置き顏打守るばかりにて乘れとは更に云ざりけり

とかうして車に乘れば醉と勞(つかれ)にウト/\と睡(ねぶ)りかけしがガタリと車は止りて旦那此(こゝ)が小野の瀧でござりますと云ふ心得たりと下(お)り立しが泥濘(ぬかりみち)に下駄は立(たゝ)ずバタリと轉べば後より下りし梅花道人またバタリ泥に手を突きコリヤ歩かれぬと叫(わめ)くを車夫二人手を取り跡押(あとおし)せし車夫の女房二(ふたつ)の提灯(てうちん)を左右の手に持ち瀧のほとりに指上げたり瀧は高きにあらねど昨日(きのふ)今日(けふ)の雨に水勢を増しさながら大河を倒(さかさ)まに落すが如し衣袂(いべい)皆な濕(うるほ)ひてそゞろ寒(さぶ)きを覺ゆれば見分(けんぶん)確かに相濟んだと車夫の手を拂ひて車に乘ればまたガタ/\とすさまじき崖道(がけみち)を押し上り押し下(くだ)し夜の十時過ぎ須原(すはら)の宿(やどり)へ着き車夫を厚く勞(ねぎ)らいて戻し是より風呂を新たに焚き酒の下物(さかな)を調するなど宿の者は騷ぐうち其(そ)を待つ程もなく我は座敷に倒れて熟醉(うまゐ)したれば梅花道人如何(いか)なる妙狂言ありしかそれは知らず
此の須原は花漬トロヽ汁の名物なり翌朝鰻のブツ/\切の馳走になり一陶(いつたう)の勇氣をかりて車にて出づ細雨濛々(まう/\)たれど景色を見脱(みおと)さんが惜ければ母衣(ほろ)は掛けず今井四郎の城跡といふあり此間右は木曾川漲(みなぎ)り流れ左りは連山峨々(がゝ)たる崖(がけ)なるが左りの山を劈(つんざ)いて横に一大河の流れて木曾川へ入るあり此の棧橋(かけはし)の上より車を停(とゞ)めて川面(かはづら)を見やれば誠に魂を冷す關山とて峻(さか)しき坂あり一人此(こゝ)を守れば萬夫も越えがたしと見ゆる絶所にて景色(けいしよく)もよし車夫いろ/\名所話しをなす喘(あへ)ぎながら語(ものい)ふが苦しげなれば此方(こなた)より此(こゝ)はなどゝ問(とは)ん時のほか話しかけるに及ばずと云へど左れど國自慢に苦しげながら又不問語(とはずがたり)するも可笑(をか)し野尻を過ぎ三戸野(みとの)にて檜笠(ひのきがさ)をもとめ蝙蝠傘(かうもりがさ)にかへて被(き)る此(こゝ)にて一句あるべきと梅花道人の云へば
土産(つと)にして凉しと云はん人は誰
と口早に云てこれを笠の裏に書(かゝ)んとせしが茶店の亭主仔細らしき顏して二人が姿を見上げ見下(みおろ)し小首傾(かたぶ)け痛はしやいかなる雲の上人の抔(など)云出ん樣子なればチヤクと其笠に姿を隱し車に乘る表に立(たち)て見るもの子供まじりに十四五人あり梅花道人我身に受けてグツト氣張り車やれと異(おつ)な調子なり妻籠(つまご)の宿(しゆく)にて晝餉認(したゝ)む馬籠(まごめ)の峠なれば車は二人曳(にんびき)ならでは行かず夫(それ)もなか/\遲し馬にて越させ玉へと宿(やど)の主の心付けに荷を付けて中津川(なかつがは)より來りし馬二頭ありしを幸ひこれに乘る元より駄馬なれば鞍も麁末(そまつ)に蒲團などもなし宿の主才角(さいかく)して後(うしろ)より馬の桐油(とうゆ)をかけて我々を包む簑虫の變化(ばけもの)の如し共に一笑して此(こゝ)を出づ此には雌雄(めを)の瀧(たき)鯉岩烏帽子岩(ゑぼしいは)などあり飯田とかへ通路ありとて駄荷多く集(つど)ひて賑し左れど旅人(りよじん)などは一向になし晝の宿に西洋人二人通辯ボーイ等五六人居たるのみ此峠は木曾の御坂(みさか)と歌にも詠む所にて左のみ嶮しからず景色穩やかにてよし古(いにし)へ西京より東(あづま)へ向ひて來んには此の峠こそ木曾に入(い)るはじめなれば偖(さて)こそ都人(みやこびと)の目に珍しく賞したるならん東より西をさして行かんには此の峠など小さき坂とも見做すべし風越(かぜごし)の峰(みね)といふも此あたりだと聞しかど馬士(まご)ねから知らず却(かへつ)て此山にて明治の始め豪賊を捕へたりなどあらぬ事を誇る時に不思議や馬の太腹我腰のあたりに鷄(とり)の啼聲す顧みれば鷄(とり)はなく若き男葉付の竹を杖にして莞爾(にこつき)居たり

今の世に客(かく)を愛する孟甞君(まうしやうくん)なし有らば此人や上客(じやうかく)の一人ならん年ごろ廿一二痩て脊(せい)低く色白く眼は小さけれど瞳流れず口早にて細き聲の男馬士(まご)の友と見え後先に話ながら來りしが忽ち小指を口に當ると思ふト鷄(にはとり)の鳴(なく)音(ね)をなす其の妙なること二三度は誠の鷄(とり)と聞捨て四五度目に至り怪しや人家なき此の山中にと氣付きて始めて此男の徒(いたづ)らと知りしなり東京に猫八とて犬猫より鷄(とり)烏の眞似をする者あれど汝(おんみ)の絶技に比ぶべくもなしと褒めるに氣を得てや雄(をんどり)が餌(ゑ)を見付て雌(めんどり)を呼ぶ聲怖しき物を見て叫ぶ聲などいろ/\の曲を盡す二人は興に入りいろ/\話かければ彼も鼻をうごめかして白山(はくさん)の祭禮に勇を振ひて女連(をんなづれ)の敵を驚かせしこと親父に追出されて信州の友を尋ね矢鱈(やたら)婦人に思ひ付かれしこと智計を以て錢(ぜに)なしに旅せしこと伊勢參宮に人違ひの騷動など細やかに話す話すに條理(すぢみち)あらねども其の樣子其の身振面白く可笑(をか)しく腹を抱へて馬より落ちんとせり馬士(まご)もまた客の悦ぶに共に悦び鶴さん此前の喧嘩に組打した事を話して聞せなされと云ふさすが才子の鶴的此の組打は語りて其身に不利益と思ひしにや苦(にが)みて他を云ふもまた可笑(をか)し終(つひ)に我輩問ひて此地の流行唄(はやりうた)に及びしに彼また委(くは)しく答へて木曾と美濃と音調の差(たがひ)あることを論じ名古屋はまた異なりと例證に唄ひ分けて聞す其聲亮々(りやう/\)として岩走る水梢を吹く風に和(くわ)す唄ひ終つて忽ち見えず梅花道人鞍を打て歎じて曰く山川秀絶の氣凝(こ)りて斯(かゝ)る男子を出(いだ)す此人若(も)し東京に出(いで)て學ぶこと多年ならばいかなる英傑とならんも知れずと我輩曰く斯(かゝ)る奇才子は宜しく此の山間に生涯を終りて奇を丘壑(きうがく)に埋(うづ)むべし然らずして東京へ出(いで)てなまじひに學問をせば猾智(かつち)狡才(かうさい)賄賂を取るにあらねば其の周旋人を煽(おだ)てる公事師(くじし)とならずば小股をすくふ才取(さいとり)。我家を遊樓(おやまや)にして時めく人を取込む紳士か左らずば長官の御手の付し引物(ひけもの)を頂く屬官とならん名節を汚(けが)し面目を泥にし只其類の小人(せうじん)に富貴(ふうき)を羨まるゝに止まるべし清唳(せいるゐ)孤潔此の鶴公の名を如何(いか)にせんと此時また忽然と鶴的鞍に傍(そ)ひて歩み來(きた)る見れば馬の沓(くつ)を十足ほど彼(か)の竹杖に括(くゝ)し付けて肩にしたり我馬士(わがまご)問ふて曰く鶴さん大層沓(くつ)を買(かは)しつたな煮付て晩飯の代りに喰ふかよと鶴的莞爾(くわんじ)としイヤ喰て仕舞(しまは)ぬ爲に買た今日馬を追て十八錢取つたが彼所(あすこ)の婆(ばゝ)の茶屋で強飯(こはめし)を二盆やつたから跡が五錢ほきやない是を持て居ると歸るまでにまた何ぞやつて一文なしにして又親父にどやされるが落(おち)だから皆(みん)な馬の沓を買てしまつたホラよと是を親父の前へ出せば睨まれる事はないワと此答へを聞て我輩大(おほい)に驚けり己(おの)れの心己れが嗜欲に克(かた)ざるを知り罪を犯せし後に悔(くゆ)とも犯さゞる前に復(かへ)らざるを知り浪費せざる前に早く物と換へて其災ひを未前(みぜん)に防ぐ智といふべし歸りて父の温顏を見るを悦ぶ孝といふべし生知(せいち)の君子九皋(きうかう)に鳴て聲天にきこゆる鶴殿を惡(あし)くも見あやまり狡才猾智の人とせしこそ悔(くや)しけれ誠や馬を相して痩たるに失ひ人を相して貧きに失ふアヽ※(「りっしんべん+蜈のつくり」、第3水準1-84-50)(あやま)ちぬと悔(くゆ)るにつけても昨夜の泊り醉狂に乘じて太華氏露伴子に引別れたる事の面(おも)なさよ今日は先に中津川に待ち酒肴(しゆかう)を取設け置て過(あやま)ちの償ひとせんと心に思ひて中津川の橋力(はしりき)に着けば一封の置手紙あり即ち兩氏の名にして西京にて會せんとあり憮然として出(いだ)すべき詞(ことば)なし

中津川は美濃の國なり國境(くにざかひ)は馬籠(まごめ)と落合の間の十石(こく)峠(たふげ)といふ所なり國かはれば風俗も異なりて木曾道中淳朴(じゆんぼく)の風(ふう)は木曾川の流と共にはなれてやゝ淫猥の臭氣あり言語(ことば)も岐阜と名古屋半交(はんまぜ)となり姿形(すがたかたち)も見よげになれり氣候も山を離れて大に暖かみを覺ふ昨日車中より見たる畑の麥はわづかに穗を出(いだ)したるのみなりしが今日(こんにち)馬上に見れば風に波寄る程に伸びたり山を出(いで)たる目には何事も都めくに特(こと)に此の橋力(はしりき)といふは中山道(なかせんだう)第一といふべき評判の上旅籠屋(じやうはたごや)にて座敷も廣く取扱ひも屆き酒もよく肴もよし近年料理屋より今の業に轉じ專心一意の勉強に斯く繁昌をなすなりといふ昨夜は醉にまぎれたれば何ともなかりしが今宵は梅花子と兩人相對して燈火(ともしび)も暗きやうに覺え盃をさすにも淋(さみ)しく話も途絶勝(とだえがち)なれば梅花道人忽ち大勇猛心を振り起しイザヤ他の酒樓に上りて此の憂悶を散ずべし豫(かね)て此(こゝ)にて大盛宴を開く積(つもり)ならずや我輩勞(つか)れたりと云へどよく露伴太華の代理として三人分を飮むべしと云ふこれに勵(はげま)されて何樓とかへ上(のぼ)り歌妓(うたひめ)ありと聞て木曾の唄をたしかに聞ざるも殘念なればと夫(それ)を呼びて謠(うた)はすに名古屋の者なれば正眞の木曾調子にはゆかずと謙遜して偖(さて)唄ふ其唄
木曾のナア木曾の御嶽山(おんたけさん)は夏でも寒(さぶ)い袷(あはせ)やりたや袷やりたや足袋(たび)添へて
木曾のナア木曾の御山(おやま)はお月を抱きやる私(わし)も抱たや私(わし)も抱たやお十七(じふしち)を
隨分無骨(ぶこつ)なる調子にて始はフト吹出すやうなれど嶮しき山坂峠をば上り下りに唄ふものなれば濁(だみ)たる節(ふし)も無理ならず其文句に至りては率直にして深切(しんせつ)ありのまゝにして興あり始の歌木曾の山の寒(さぶき)を案じ夏とて谷間に雪あるに郎(をとこ)は單衣(ひとへぎぬ)にて上(のぼ)られぬ梢の雫(しづく)巖(いはほ)の滴(したゝ)り何とてそれにて凌(しの)がれん袷(あはせ)を贈りまゐらせたやとの情彼(か)の孤閨を守る婦(をんな)が夫が遠征の先へ新衣を裁(したて)て送んとし思(おもへ)ば定(さだめ)て勞(つかれ)に痩せ昔の腰圍(こしまはり)にはあるまじと衣(きぬ)を裁(たゝ)んとして躊躇するにも似たり而(しか)してこれは丁寧(ていねい)尚ほ足袋に及ぶ爪先までも心の屆きし事といふべし又次の歌は想ふ人を月に寄せたるにて木曾の山月(つき)を抱(いだ)くの語は彼(か)の杜工部(とこうぶ)が四更山吐月(しかうやまつきをはく)と詠じたると異意同調ともいふべきなり其の謠ふ間の拍子取りにはトコセイ。ヨイサといふ實(げ)に麓より見上げて胸を衝くばかりの鳥居峠など上らんに右の手の竹杖に岩角を突き斯く唄はゞ其の勞(つかれ)を忘るゝ事もあるべし我輩越後に赴きしとき米山(よねやま)を越えて後に新潟にて米山節を聞しが其の音節調子重(おもき)を負ふて米山を越(こゆ)るによく適(かな)ひたり拍子詞(へうしことば)にソイ/\といふは嶮しけれども高からぬゴロタ石の坂を登るを見るが如し所によりて囃(はや)し詞(ことば)の斯く變るは面白し此の外(ほ)かにいろ/\歌あれど今作り添へたるものにて卑俗聽くに堪(たへ)ず諸國風俗唄の古きにはよきが多し是等取調べて惡(あし)きは捨てよきを殘さば假名の詩經が出來やうも知れず一話一言の中(うち)なりしが諸國の唄を集め出(いだ)せしうちに遠州邊の唄とて
魚は水に住む鳥は木にとまる人は情(なさけ)の下に住む
といふがありしと覺ゆ「鴨ぞ鳴くなる川よどにして」の古歌に心は同じにして只俗なるのみ俗なるゆゑ人に通ず俚歌(りか)は輕んずべきものにあらずと昨夜(ゆふべ)に懲りて此夜は眞面目なり

中津川の宿(しゆく)を立(たゝ)んとするに左の足痛みて一歩も引きがたしコハ口惜(くちをし)と我手に揉(もみ)つ擦(さす)りつして漸やく五六町は我慢したれど終(つひ)に堪(こら)へきれずして車乘詰(のりづめ)の貴族旅となりぬ雨は上りたれど昨日(きのふ)も一昨日(をとゝひ)も降り續きたる泥濘(ぬかるみ)に車の輪を沒する程の所あり何卒(なにとぞ)小山の上を少しの間歩き玉ひてと車夫の乞ふに心得たりと下りては見たれどなまじ車に足を縮(すく)めたる爲め痛み強くわづかに蝙蝠傘(かうもりがさ)を力に右の足のみにて飛び/\に歩く苦しさ云(いは)ん方なし小松交りの躑躅(つゝぢ)の花の美しきも目には入(い)らず十間歩くを一里とも二里とも思ひなせど痛き顏をしては梅花道人の案じ玉ふが氣の毒なればわざと顏の皺を伸ばし洒落など云(いは)んとすれど滿足に出るは稀なれば今日は大層洒落が苦しいネと云るゝ辛さ笑ふさへ足に響く心地す大井を過ぎて新街道大釜戸(おほかまど)といふより御嶽(みたけ)へ出づ元は大井より大久手(おほくて)細久手(ほそくて)を經て御嶽(みたけ)へ出(いで)しなれど高からねど山阪多きゆゑ釜戸(かまど)の方(かた)を街道となせしなりと如何(いか)ばかりの事かあらん見渡すかぎり木曾に馴れし眼には丘といふぐらゐの山のみ道をかゆる程の必要あらんやと口には云しが此足に山阪は恐れる運よく此街道を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)る事よと腹には思ひたりうとふ阪の下り口を例の通り下(おろ)されて澁々歩くと跡先になりて二十六七の羽織着たる男頻(しき)りに二人の姿を眺めしが頓(やが)て道人の前へ一揖(いついふ)して失禮ながら其の革提(かばん)は東京で何程ぐらゐ致しますと問かけしが其の樣子アヽ欲しやこれを提(さ)げなば定めて村人の驚き羨まんにと思ふ氣色(けしき)なりまた頓(やが)て我に近づき先ほど見上げましたが珍しい蝙蝠傘(かうもりがさ)彈(はぢ)きがなしでよく左樣に開閉(ひろげすぼめ)が出來ます嘸(さぞ)高い品でござりませうと是も亦片手に握りて見たき顏の色に我はヱヘンとして斯樣(かやう)な物は東京に住む者が流行(はやり)に逐はれて馬鹿の看板に致すなり地方の人は鰐皮の革提(かばん)の代りに布袋を提げパテンの蝙蝠(かうもり)を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)(かざ)さずして竹の子笠を被(き)る誠に清くして安樂の生涯羨ましき限りなり衣服調度の美を競ふは必竟(ひつきやう)自分の心を慰むる爲ならず人に羨まれん感服されんといふ爲なり其爲に心を苦ますること幾許(いくばく)か知れず惡事も此念より芽を出(いだ)し壽命も是より縮まるなり此の江戸風が地方に流れ込むは昨年の洪水より怖しきものと思ひ玉へと云へば膽(きも)の潰れた顏をして足早に行過しも可笑(をか)し御嶽(みたけ)の宿(しゆく)にて晝食(ちうじき)す此に可兒寺(かにでら)また鬼の首塚などありと聞けど足痛ければ素通りと極(きめ)て車を走らす是より山の頂の大岩道を行く下されること數度なり左右の松山にヂイ/\と濁りし聲に啼く虫あり何ぞと聞ば松虫と答ふ山に掛れば數万本の松皆赤枯れて火に燒けたる如し又問へば松虫が皆な喰ひ枯せしなりといふ松に此虫が生(わ)けば滿山枯し盡さねば止(やま)ず其形は毛虫の如くにて憎むべきものなりと云ふ嗚呼(あゝ)松に生じ松によりて育ちながら新芽を喰ひ盡して其松をあはれに枯し却つて其身はヂイ/\と濁聲(だみごゑ)を放つて得意を鳴らす其名を聞けばおとなしやかに松虫といふ汝に似たる人間もまた世になきには非ざりけり數百万本の松の芽を徒(いたづ)らに喰ひ盡しむしり取り名は美しく毛だらけにてヂイ/\と濁聲(だみごゑ)に得意を鳴らすもの嗚呼なきにはあらざりけり枯るゝ松こそ哀なれ

中納言行平卿(ゆきひらきやう)の墓ありといふ少し縁續きなれど參らず伏見を經て太田川にかゝる大河なり木曾の棧橋(かけはし)太田の渡りと古く謠ひて中山道中やかましき所なり河を越して太田に泊る宿狹けれど給仕の娘摺足(すりあし)にて茶(ちや)つた待遇(もてなし)なり翌日雨降れど昨日(きのふ)の車夫を雇ひ置きたれば車爭ひなくして無事に出立す母衣(ほろ)を掛くれば四方の景色見えず掛けねば濡れるといふ難あり着物や荷物は濡てもまた乾かすべし景色は再び會ひがたからんと决着していかに濡るゝも母衣(ほろ)をかけず道は平坦(たひら)の繩手(なわて)にてしかも下り目ゆゑ雨に拘はらずよく走る此邊は官林の松林あり彼(か)の松虫に喰枯されて何百万本か新たに小松を植付け虫取役を付け置かるゝとぞ同じ虫でも蠶(かひこ)の如く人に益し國を富(とま)すあれば此(か)く樹を枯して損を與たふるものあり實(げ)に世はさま/″\なりと獨り歎じて前面(むかふ)を見れば徃來は道惡き爲めに避けてか車の行くを先に除(よ)けてか林の傍(わき)の草原(くさはら)を濡れつゝ來(きた)る母子(おやこ)あり母(をや)は三十四五ならんが貧苦に窶(やつ)れて四十餘にも見ゆるが脊に三歳(みつ)ばかりの子を負ひたり後(うしろ)に歩むは六歳(むつ)ばかりの女の子にて下駄を履きたり母は縁(ふち)のほつれし竹の子笠を被(かぶ)りたるが何故にや腮(おとがひ)の濡るゝまで仰向きたり思へばこれ脊(せな)の子を濡らさじと小さき笠を後(うしろ)へ掩(おほ)ふ爲なりしまだ其下にも跡(あと)の子を入れんとにや後(うしろ)さまに右の手を出(いだ)して娘子(むすめ)の手を引かんとすれど子供はスネてか又は脊に負はれし弟(おとゝ)を羨みてや兩手を胸に縮めて寒げにかぢけ行くのみ泣(なく)聲(こゑ)はなし涙は雨に洗はれしなるべし此の母の心は如何ならん夫は死せしか病(やみ)て破屋の中に臥すか何(いづれ)に行かんとし又何をなさんとするや胸に飮む熱き涙に雨を冷たしとは思ふまじしかも此日は風寒く重ね着しても身の震ふに褸(つゞれ)の單衣(ひとへ)裾(すそ)短かく濡れたるまゝを絞りもせず其身はまだも堪(こら)ゆべし二人の子供を何とせん憐れにも亦いぢらしき有樣よと思ふうち母子(おやこ)の歩みは遲けれど驅ける車の早ければ見顧(みかへり)ても見えずなりぬ此母子(このおやこ)の境界(きやうがい)はいかならん影の如く是に伴ひて見たしまた成し遂(とげ)らるゝものならば力をも添へてやりたし嗚呼此の脊に負はるゝ子跡(あと)より歩む娘今より十年の後はいかになりて在るや二十年の後は何となるべきや人生れて貧賤なればとて生涯それにて果(はつ)るにあらず※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)り合せさへよくば富貴(ふうき)の者となりて雨に戀しきみのゝ國に昔し苦みし事を笑ふて語る時あらんも知れずよし貧賤に終るとて此の母子(おやこ)の慈愛ありなまじ富貴にして却つて財物(ざいもつ)を爭ひ兄弟親子(しんし)疎遠になり敵(かたき)同士と摺れ合ふよりは幸福なりなど思ひつゞくるうち鵜沼(うぬま)も過ぎて加納(かなふ)に着きしが此間(このあひだ)の景色川あり山あり觀音坂といふ邊など誠に面白き所なりし岐阜の停車塲(ステーシヨン)の手前の料理店に入(い)りて晝を認(したゝ)め是より我は足の痛み強ければ一人東京へ歸らんと云ひ梅花道人は太華氏露伴氏の跡を追ふて西京に赴むくといふ終(つひ)に此(こゝ)にて別杯を酌みかはし
左らばとて分つ袂に桐の雨
幸ひに西も東も午後一時何分とか時間に差(たが)ひ少なきゆゑ共に停車塲(ステーシヨン)に入り道人は西我は東煙は同じ空に靡(なび)けど※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車は走る道を異にして我は其夜靜岡に泊り待つと告來し大坂の友には今年の秋と契(ちぎ)り翌日また※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車にて根岸の古巣へ飛び歸りぬ
了

底本:「明治文學全集 94 明治紀行文學集」筑摩書房
   1974(昭和49)年1月30日第1刷発行
底本の親本:「むら竹 第二十卷」春陽堂
   1890(明治23)年12月
初出:「東京朝日新聞」
   1890(明治23)年5月3日〜7月3日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「石荒阪」と「石荒坂」、「居爐裡」と「圍爐裏」、「險阻」と「嶮岨」、「桔梗(きゝやう)が原(はら)」と「桔梗(きゝやう)ヶ原(はら)」、「」と「柄」の混在は底本の通りです。
※「國境」に対するルビの「くにさかひ」と「くにざかひ」の混在は、底本通りです。
入力:古山惠一郎
校正:岡村和彦
2019年5月28日作成
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