あらすじ
「探検実記 地中の秘密」の第三巻「嶺の千鳥窪」は、著者が故飯田東皐氏らと共に、埼玉県にある嶺の千鳥窪遺跡の発掘に挑む物語です。遺跡は、すでに明治時代に発掘された歴史があり、著者は三番目の発掘者となります。発掘は予想外に難航し、様々な困難に見舞われますが、著者は諦めずに掘り進め、ついに貴重な土器を発見します。しかし、発掘は思わぬ展開を見せ、著者は新たな謎に直面するのです。果たして、著者は千鳥窪の地中に隠された秘密を解き明かすことができるのでしょうか?
――雪ヶ谷の道路――金槌で往來を擲く――嶺千鳥窪發掘歴史――土瓶の續出――露西亞式の發掘――棄權の跡――土瓶の仇討――都々逸の功徳――異臭紛々――内部に把手の有る破片――
嶺の發掘を語る前に、如何しても故飯田東皐君との關係を語らねばならぬ。
三十六年の夏、水谷氏が内の望蜀生と共に採集に出かけて、雪ヶ谷の圓長寺の裏の往還を掘つて居た。道路が遺跡に當るので、それをコツ/\掘りかへして居たのだ。
其所へ來合せた一紳士が、貴君方は何をするんですかと咎めたので、水谷氏は得意の考古學研究を振舞はした。其紳士連りに傾聽して居たが、それでは私も仲間に入れて貰ひたい。兎も角手前の宅へ來て下さいといふので、二人はのこ/\附いて行つた。
其先きは、つい、下の、圓長寺。日蓮宗の大寺である。紳士が帽子を取去ると、それは住職の飯田東皐氏。
此所で水谷氏と飯田氏とはすツかり懇意に成つて了つたので、今度は僕の弟子を連れて來ますから、一處に發掘しませうと、大採集袋を擴げた結果、七月十八日に水谷氏は余と高橋佛骨氏と、望蜀生とを率ゐて行く事となつた。
余と望生とは徒歩である。幻花佛骨二子は自轉車である。自轉車の二子よりも、徒歩の余等の方が先きへ雪ヶ谷へ着いたなどは滑稽である。如何に二子がよたくり廻つたかを想像するに足る。
待てども/\遣つて來ぬので、ハンマーを持つて往還をコツ/\穿ち、打石斧の埋れたのなど掘出して居たが、それでも來ない。仕方が無いので此方の二人は、先きへ寺の中に入つた。
其後へ自轉車隊が來て、居合せた農夫に、二人連の、人相の惡い男子が、此邊をうろ/\して居なかつたかと問うて見ると、農夫頗る振つた答へをした。
『はア今の先き、二人連で、何んだか知んねえが、金槌を持つて、往來を擲きながら歩いて居たツけ』
金槌で往來を擲くとは奇拔である。大笑ひをして、自轉車隊は寺に入つた。
四人合して頼母を乞うて見ると、住職は不在とある。
や、大失敗と、がツかりして、先づ本堂の椽側へ腰を掛ける。いつしかそれが誰先きとなく草鞋を脱ぐ。到頭四人本堂へ上り込んで、雜談をする。寐轉ぶ。端ては半燒酎を村の子に頼んで買ひに遣つて、それを飮みながら大氣焔を吐く。留守居の女中は烟に卷れながら、茶を入れて出す。菓子を出す。菓子は疾くに平げて了つて、其後へ持參の花竦薑を、壜から打明けて、酒の肴にして居る。
其所へ、ひよツくり住職は歸つて來て。
『いやこれは/\』と驚かれた。
然うして、四邊をきよろ/\見廻しながら。
『留守中[#ルビの「るゐちう」はママ]これは失禮でした。妻が居ませんので、女中[#ルビの「ぢよちう」は底本では「ぢうちう」]ばかり‥‥や、つまらん物を差上げて恐縮しました』と花竦薑を下目で見る。
入物は其方のですが、其つまらん中身は持參ですと言ひたい處を、ぐツと我慢して、余等は初對面[#ルビの「しよたいめい」はママ]の挨拶をした。
それから東皐子の案内[#ルビの「あんない」は底本では「あんなん」]で、嶺村に是空庵、原田文海氏を訪うべく立出でた。
原田氏[#「はらだし」は底本では「 らだし」]は星亨氏幕下の雄將で、關東に於ける壯士の大親分である。嶺村草分の舊家であるが、政事熱で大分軒を傾けたといふ豪傑。美髯[#ルビの「びせん」はママ]、禿頭、それがシヤツ、ヅボン下に、大麥稈帽を冠つて、今しも畑に水を遣つて居る處。
『やア、僕は今、フアーマーをして居る處だ。まア上り給へ。直き足を洗ふ。離座敷は見晴しが好いから』と客を好む。
『いや、上らんで其儘が好い。掘りに行くのだから、フアーマーが結構だ』と東皐氏はいふ。
『掘るのなら僕の知つて居る者の雜木山が好い。案内するから來給へ』と文海子は先きに立つた。
同勢六人で行つて見ると、それは我等の間に既に名高き、嶺千鳥窪の遺跡である。
此所ならば度々來たが、未だ大發掘はせずに居るのだ。今日掘つても好いかと問ふと、大丈夫だ。原田文海が心得とると大呑込み。
それ、掛れツと、蠻勇隊は一時に突貫。これが抑も嶺千鳥窪大發掘の發端。
抑も此所千鳥窪が、遺跡として認められたのは、隨分古い事で、明治二十一年の九月には、阿部正功若林勝邦の二氏が既に發掘をして居る。其後三月二十八日に、内山九三郎氏が發掘して、大把手を出した。其記事は東京人類學會雜誌の八十六號に記載せられてある。
其後、表面採集、或は小發掘に來た人は、少くあるまいが、正式の發掘に掛るのは我々が三番目に當るのだ。
加之、前の諸氏が發掘したのは、畑中に塚の形を成して居た處で、それは今開かれて形を留めぬ。
我々の著手するのは、一本老松のある雜木山の中で、一寸眼には、古墳でも有るかと思はれるが、これは四方を畑に開いて自然に取殘された一區劃に他ならぬ。つまり、畑に開き難いので其儘放棄されて居る、それだけ貝層が深いのである。
幻花子は佛骨子と共に、松下南面の左端から掘り進み。余と望蜀生とは右端から掘り進み、中央を東皐文海二子の初陣に委せた。忽ちの間に穴は連續して、大穴を開いた。
が、何も出ぬ。大破片がチヨイ/\見出されるが、格別注意すべき物ではない。大いに疲勞して來たので、引揚げやうかと考へて居る間、幻花子は、口部だけ缺けて、他は完全なる土瓶を一箇、掘出した。
大氣焔で以て威張り散らされるので、品川軍は散々の敗北。文海子が歸りに寄つて呉れといふのも聽かず、望蜀生を連れて、せツせと歸り支度した。ぷツぷツ憤つてゞある。
幻花子は、此土瓶を布呂敷に包み、背に斜に掛けて負ひ、自轉車に反身で乘つて走らすのを、後から見て行く佛骨子が、如何かして自轉車から落ちて、土瓶を破したら面白からうと呪つたといふ。それで考へても幻翁の大氣焔は知るべしである。
これで病附いた東皐子は、翌日徒弟及び穴掘の老爺を同行して、盛んに發掘し、朝貌形完全土器を出したなどは、茶氣滿々である。
七月二十三日には、幻翁、望生、及び余の三人で出掛けたが、此時も亦幻翁は完全なる小土瓶を一箇出し、望生は砧形を成す小角器(用法不明。類品下總余山より出づ)と朝貌式の完全土器とを出し、而して余は大失敗。
斯うなると既う厭に成つて來る。貧乏貝塚だの、馬鹿貝塚だの、狗鼠貝塚だの、あらゆる惡罵を加へるのである。
東皐子はそれを聞いて、手紙で『思ひ直して來る氣は無いか鳥も枯木に二度とまる』と言つて寄越す。幻翁もすゝめる。罵りながらも實は行きたいので、又出掛ける。相變らず何も無い。
電車は無し、汽車で大森まで行く。それから俥で走らせるなど、却々手間取るのだが、それでも行く。
と餘り猛烈に掘り立てるので、地主が感情を害して、如何か中止して貰ひたいと掛合に來るのである。
掘つてる穴を覗きながら、地主は頑固に中止を言張る。下では掘りながら、談判はどうか原田さんの方へ言つて呉れと取合はぬ。これを露西亞式の發掘と云つて笑つたのであつた。
然う斯うして居る間に、松下南面の方は大概掘り盡して了つた。余は九月二日幻翁佛子の二人と共に行つて、掘らうとしたが、既う余の坑は、松の木の根方まで喰入つて了つて、進む事が出來ぬ。
已むを得ず、松の東面の方に坑を開かうとして、草原を分けて見ると、其所に掘り掛けの小坑がある。先度幻翁が試掘して、中止した處なのだ。
『如何です、君は此所を未だ掘りますか』と問うて見ると。
『いや、其所は駄目で、貝層は直きに盡きて了うです』と幻翁はいふ。
それでは其棄權した跡を讓受けやうとて、掘り掛けると、なる程、貝層は五六寸にして盡きる。が、其下の土の具合が未だシキとも見えぬので、根氣好く掘下げて見ると、又新しき貝層がある。二重に成つて居るらしい。
其貝層のシキまで掘下げて見ると、萬鍬の爪の間を巧く潜つて、土の中から、にゆツと出た突起物。
把手でもあるかと、そろ/\掘つて見ると、把手には相違ないが、それは土瓶のツルカケの手と、それに接して土瓶の口。
おや/\と思ひながら、猶念を入れて土を取つて見ると、把手の一部のみ缺けて他は完全なる土瓶であつた。(第三圖イ參照)

第三圖(武藏嶺)
イ(土瓶) ロ(土器)
『出た/\』と叫ぶ。
『出た?』と眼の色を變へて、幻翁は覗き込む。佛子は手を打つて喜び。
『嶺千鳥土瓶仇討』と地口る。
此日は全く大勝利であつた。土瓶の他に完全土器が一箇。
東皐子は之を聞いて、正しく都々逸の功徳だと誇るのであつた。
味を締めて同月七日に行くと、完全なる大土器、及び大土器の下部が取れて上部のみを廢物利用したかと思ふのと、土器製造用の石具かと思ふのと、鋸目に刻みたる獸牙とを出した。大當[#ルビの「あたあた」はママ]りである。
其代り二十八日には大失敗をして、坑に入ると忽ち異臭紛々たる物を踏付けた。これは乞食の所爲だと思ふ。
貝塚發掘の爲に、余は種々の遭難を重ねるけれど、此時の如き惡難は恐らく前後に無からうである。
到頭此坑を見捨てるの已むを得ぬに至つた。(いや土器が出かゝつてゞも居れば、决して見捨てるのでは無い)
其後望生が、土偶變形とも見るべき一箇の把手を有する土器(第三圖ロ參照)其他二箇の土器を出し。余も亦土器を三箇ばかり出した。幻翁も大分出した。
余が出した破片の内に、内模樣のある土器の内部に把手を有するのがある。これなぞも珍品に數ふべしだ。
斯くして嶺千鳥窪の遺跡は、各部面に大穴を穿ち散らした。今でも其跡は生々しく殘つて居る。
露西亞式發掘は併し好い事では無い。それ限り余等は行はぬ。了
底本:「探檢實記 地中の秘密」博文館
1909(明治42)年5月25日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。
※「東皐子」と「東皐氏」、「嶺千鳥窪」と「千鳥窪」の混在は、底本通りです。
※「把手」に対するルビの「とつて」と「とツて」、「其後」に対するルビの「そのご」と「そののち」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った「女中(ぢうちう)」「案内(あんなん)」を、本文中の他の箇所の表記にそって、あらためました。
※ルビの抜けを疑った「原田氏( らだし)」を、前行の「原田文海氏(はらだぶんかいし)」に従って、あらためました。
※本文中の「‥‥」は底本では5点リーダーで表記されています。
入力:岡山勝美
校正:岡村和彦
2021年7月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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