あらすじ
菊岡久利の詩集「貧時交」は、中原中也が「豊富」で「センチメンタリズムに堕することからあぶない所で脱れてゐる」と評しています。詩人は、記憶を率直に書きながらも、一貫した流れを見せる「克己」の持ち主であり、その強さが作品に深みを与えています。中也は、さらに詩人の「凝集」を期待し、それが実現すれば詩は「迫力を持つ」と述べています。詩集には、個人的な興味が散見され、それが詩性を「散漫」にしているとも感じているようです。 私自身とは、詩に於けるたてまへも大分相違してゐるにも拘らず、私は此の詩集を、気持よく読んだことを告白しなければならない。先づ第一に、是等の詩を書いた人は豊富である。従つてセンチメンタリズムに堕することからあぶない所で脱かれてゐる。
此の事は強調すべき必要がある。何故なら詩性に乏しい現今は、兎角、あまりに貧弱なモチーフを取上げることから、多くの詩が妙な複雑に堕しがちである。これは云ふまでもなくセンチメンタルであることに他ならない。
横光氏が此の詩集の序に「惑乱を防ぐ克己」を以て此の詩人の特質としてをられることには意義がある。菊岡久利の詩が、記憶を可なり無雑作に書き付けてゐる場合にも、猶一貫した流れを見せる所以のものは、彼のその克己が、彼の遠近法を乱すことがないからである。
扨、此の上私が彼に期待したいことは、簡潔にいふことである。但しその簡潔とは、原稿紙に臨んでからのことであるよりも、寧ろそれ以前の、凝集を謂つてゐるのである。彼がこのことに意を用ゐて呉れゝば、彼の詩は今後もつと迫力を持つこととならう。言換れば、彼の詩には猶事象そのことに対個人的な興味――結局これは詩に於ては散文に於けるよりも一層散文的なものとして留るもの――があつて、それが詩性を少しく散漫にしてゐると思ふのである。
右匆々乍ら此の詩人への讃美と註文とである。
(一九三六、一、二八)
了
底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店
2003(平成15)年11月25日初版発行
底本の親本:「歴程」
1936(昭和11)年3月創刊号
初出:「歴程」
1936(昭和11)年3月創刊号
※()内の編者によるルビは省略しました。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:村松洋一
校正:noriko saito
2014年9月11日作成
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