あらすじ
正吉は、かず子から見せてもらった美しい貝を、さらに上回る「きれいな物」を見せようと、悪戯っぽく言い出します。そして、ある生き物を捕まえ、かず子に見せますが、かず子はそれを気味悪がり、貝の方が好きだと答えます。正吉は、自分が捕まえた生き物と、かず子の好きな貝、そして友人の義雄が釣りに誘う約束、様々な出来事を通して、大切なことに気づき始めるのです。
目次
 かず子(こ)さんが、見(み)せてくれた紅(あか)い貝(かい)は、なんという美(うつく)しい色(いろ)をしていたでしょう。また、紫(むらさき)ばんだ青(あお)い貝(かい)も、海(うみ)の色(いろ)が、そのまま染(そ)まったような、めったに見(み)たことのないものでありました。
「ねえやが、お嫁(よめ)にいくので、お家(うち)へ帰(かえ)ったのよ。そして、私(わたし)に送(おく)ってくれたのよ。図画(ずが)の先生(せんせい)が、ほしいとおっしゃったから、私(わたし)いくつもあげたわ。」と、かず子(こ)さんが、いいました。正吉(しょうきち)は自分(じぶん)もほしいと思(おも)ったけれど、おくれと口(くち)に出(だ)してはいいませんでした。かえって、反対(はんたい)に、
「なあんだい、もっと、もっと、きれいなものをかず子(こ)ちゃんは、知(し)っていないだろう?」と、いったのです。かず子(こ)さんは、ぼんやりと、正吉(しょうきち)の顔(かお)をながめて、
「もっときれいなものって、貝(かい)? 石(いし)? 正(しょう)ちゃんは、持(も)っているの。」と、ききました。
「持(も)っていないけど、あるよ。」
「ありゃしないわ。」
「あるから。」
「じゃ、見(み)せてよ。」と、かず子(こ)さんは、いいました。
 正吉(しょうきち)は、ただ、なんでも悪口(わるくち)をいってみたかったのです。なぜなら、自分(じぶん)の家(うち)にいた女中(じょちゅう)のしげは、お嫁(よめ)の話(はなし)どころでなく、いつも欲深(よくふか)げな父親(ちちおや)がたずねてきては、外(そと)へ呼(よ)び出(だ)して、おしげが働(はたら)いてもらったお金(かね)を、みんな取(と)り上(あ)げていってしまった末(すえ)に、無理(むり)におしげをよそへやってしまったのでした。それを考(かんが)えると、だれにもいうことなく、腹(はら)が立(た)つのであります。
「悪口(わるくち)をいうから、正(しょう)ちゃんにはあげないわ。」
「いるもんか、かず子(こ)ちゃんは、もっと、もっと、きれいなものがあるのを知(し)らないだろう。」
 このとき、正吉(しょうきち)は、ほんとうにきれいなものがあるのを思(おも)い出(だ)したのでした。それで、ほくほくしていると、
「ああわかった、正(しょう)ちゃん、お花(はな)でしょう?」
「花(はな)なもんか。」
「正(しょう)ちゃんの知(し)っているもの?」
「うん、そうだよ。」
「ありゃしないわ。」
 かず子(こ)ちゃんは、勝(か)ち誇(ほこ)ったように、片足(かたあし)を上(あ)げて、トン、トンと跳(は)ねました。
「じゃ、きてごらんよ。」
 正吉(しょうきち)は先(さき)に立(た)って、くさむらの中(なか)へ入(はい)りました。木(き)にからんだ、からすうりの葉(は)に止(と)まっている、うす赤(あか)い蛾(が)を捕(と)らえました。
「ほら、かず子(こ)ちゃんの貝(かい)より、もっときれいだろう。」
 生(い)きている蛾(が)のほうが、貝(かい)がらよりもきれいでありました。けれど、かず子(こ)さんは、気味悪(きみわる)がって、その蛾(が)を取(と)ろうとしませんでした。
「ほんとうに、きれいだわね。ついている白(しろ)い粉(こな)、毒(どく)でしょう。」
「あとで、手(て)を洗(あら)うからいいよ。数珠玉(じゅずだま)だって、この青(あお)い貝(かい)よりきれいだぜ。」
「やっぱり、私(わたし)、貝(かい)がらのほうがいいわ。だって、海(うみ)にあるんですもの。」
 海(うみ)ときいて、正吉(しょうきち)は、だまって、考(かんが)え込(こ)んでいました。
「正(しょう)ちゃん、なにしてんだい。」
 そこへ、義雄(よしお)くんがやってきました。義雄(よしお)は、小(ちい)さな空(あ)きかんを握(にぎ)っていました。
「みみずを取(と)りにきたの?」と、正吉(しょうきち)が、きくと、彼(かれ)は、頭(あたま)が横(よこ)に振(ふ)って、
「君(きみ)、がまがえるを見(み)ない。」といいました。
「ひきがえるなら、私(わたし)の家(うち)のお庭(にわ)にいてよ。」と、かず子(こ)さんが、いいました。
「いまいる?」
「雨(あめ)が降(ふ)ると、出(で)てくるわ。」
「なあんだ、そんなんじゃ、しかたがないよ。」
「がまがえる、どうするんだい。」と、正吉(しょうきち)がききました。しかし、義雄(よしお)は、きかぬふりをして、
「正(しょう)ちゃん、僕(ぼく)、よく釣(つ)れるところをきいたから、こんどの日曜(にちよう)にゆかない。」と、話(はなし)をそらしました。
「義雄(よしお)さん、ほんとう、つれていってくれる?」
 正吉(しょうきち)は、目(め)をまるくして、義雄(よしお)を見(み)ました。義雄(よしお)は、うなずきました。
「どっかに、がまはいないかなあ。かたつむりでもいいんだけど。」
 釣(つ)りにつれていってくれるといったので、正吉(しょうきち)は、もう有頂天(うちょうてん)でした。
「かたつむりでもいいの、かたつむりなら、僕(ぼく)、さがしてあげるよ。」
 正吉(しょうきち)は、くさむらの中(なか)を潜(くぐ)って、かけずりました。そして、義雄(よしお)が、まだ一ぴきも見(み)つけないうちに、正吉(しょうきち)は、三びきも見(み)つけて、義雄(よしお)に与(あた)えました。
「これだけあれば、いいよ。」
「義雄(よしお)さん、飼(か)っておくの。」と、正吉(しょうきち)は、ききました。
「学校(がっこう)へ持(も)っていって、理科(りか)の時間(じかん)に解剖(かいぼう)するのだよ。」
「えっ、殺(ころ)してしまうの?」
 正吉(しょうきち)は、ぞっとしました。それなら、捕(つか)まえてやるのではなかったと思(おも)ったが、もうおそかったのです。心(こころ)の中(なか)が、急(きゅう)に暗(くら)くなりました。そして、なにもかも、おもしろくなかったのです。
「かわいそうだなあ。」
 やった、かたつむりを取(と)り返(かえ)す、いい智慧(ちえ)が浮(う)かんできませんでした。
「毒(どく)びんの中(なか)に入(い)れると、苦(くる)しまなくて、死(し)んでしまうのだよ。」と、義雄(よしお)は、心配(しんぱい)する必要(ひつよう)はないと、いいました。けれど、正吉(しょうきち)には、命(いのち)を取(と)るということが問題(もんだい)なのです。義雄(よしお)は、びんの中(なか)へ、草(くさ)の葉(は)も入(い)れて持(も)ってゆきました。いつのまにか、かず子(こ)さんはいなくなりました。正吉(しょうきち)だけ、いつまでも自分(じぶん)のしたことを後悔(こうかい)していました。

 学校(がっこう)で、正吉(しょうきち)は、とりわけ青木(あおき)、小田(おだ)とは仲(なか)よしでした。三人(にん)は、昼(ひる)の休(やす)み時間(じかん)に、運動場(うんどうじょう)へ出(で)て、木(こ)かげのところで話(はなし)をしていました。
「僕(ぼく)、このあいだ、教室(きょうしつ)へいったら、ねずみの奴(やつ)、机(つくえ)の上(うえ)でパンくずを食(た)べていたのさ。両手(りょうて)でこんなふうにパンを持(も)って、それはかわいらしかったよ。すぐ足音(あしおと)で逃(に)げてしまったが、見(み)たら机(つくえ)の上(うえ)に、糞(ふん)が二つ落(お)ちていた。は、は、は。」と、青木(あおき)が、いいました。正吉(しょうきち)は、なんだか、そのねずみのようすが目(め)に見(み)えるような気(き)がして、おかしかったので、
「小(ちい)さいねずみ?」と、きいてみました。
「ああ、まだ子供(こども)なんだね。壁(かべ)の下(した)に穴(あな)があいているだろう、あすこから、出(で)たり、入(はい)ったりするのだよ。」
「早(はや)く、穴(あな)をふさいでしまったらおもしろいね。」
「一人(ひとり)では、できないな。」
 三人(にん)は、いずれも動物(どうぶつ)が好(す)きなので、目(め)を細(ほそ)くして笑(わら)いました。ことに近眼(きんがん)の青木(あおき)は、顔(かお)を上(あ)げて、眼鏡(めがね)を光(ひか)らしながら、そのときのおかしさを思(おも)い出(だ)したように、
「いま、いったら、いるかもしれないよ。」といいますと、
「いってみようか。」と、正吉(しょうきち)も、小田(おだ)も、たちまち同意(どうい)しました。
 三人(にん)は、肩(かた)を組(く)み合(あ)って、口笛(くちぶえ)で、
千里(り)の山坂(やまさか)をつかの間(ま)に
過(す)ぎゆく旅路(たびじ)のおもしろや
と、うたいながら、はじめはゆるい歩調(ほちょう)で駆(か)けていましたが、途中(とちゅう)から、小田(おだ)が、独(ひと)り大急(おおいそ)ぎで、窓(まど)の下(した)の方(ほう)へ向(む)かって走(はし)り出(だ)しました。なにか落(お)ちていたのです。
「ああ、すずめの巣(す)だ!」
 こう叫(さけ)んで、つぎに正吉(しょうきち)が、駆(か)け出(だ)しました。このとき、たくさんのすずめが大騒(おおさわ)ぎして鳴(な)いている声(こえ)が耳(みみ)に入(はい)りました。小田(おだ)が拾(ひろ)った巣(す)をのぞくと、一羽(わ)の子(こ)すずめが入(はい)っていました。高(たか)い屋根(やね)の軒端(のきば)にかかっているのが落(お)ちたらしい。親(おや)すずめは、三人(にん)の立(た)っている頭(あたま)の上(うえ)を、心配(しんぱい)して往(い)ったり、きたりしました。白(しろ)く乾(かわ)いた土(つち)の上(うえ)へ飛(と)ぶ影(かげ)が落(お)ちました。
「かわいそうだけど、あんな高(たか)いところへ、上(あ)がれないね。」
「僕(ぼく)、飼(か)ってやろうかな。」と、小田(おだ)が、いいました。
「ああ、そのほうがいいよ。」
「巣(す)もいっしょに、かごの中(なか)へ入(い)れておくといいね。」
 二人(ふたり)は、小田(おだ)に、そうすることをすすめました。いつしか、ねずみのことなど忘(わす)れてしまいました。小田(おだ)は、自分(じぶん)の帽子(ぼうし)の中(なか)へすずめの巣(す)を入(い)れて、三人(にん)は、教室(きょうしつ)へ入(はい)ると、帰(かえ)るまで、どうしておくかということを相談(そうだん)しました。このとき、カチンといって、ドアの開(あ)く音(おと)がしたので、三人(にん)は、振(ふ)り向(む)くと、監護当番(かんごとうばん)の赤(あか)い印(しるし)を胸(むね)につけた、六年生(ねんせい)が二人(ふたり)こちらを見守(みまも)っていました。
「君(きみ)たち、お教室(きょうしつ)でなにをしているの?」と、一人(ひとり)が、たずねました。
「なにもしていない。ちょっと用事(ようじ)があったんだよ。」と、正吉(しょうきち)が答(こた)えました。
「持(も)っているのは、なに?」
「すずめの子(こ)をつかまえたんだよ。」と、小田(おだ)が、いいました。すると、二人(ふたり)の六年生(ねんせい)は、そばへやってきました。
「見(み)せて。」といって、一人(ひとり)は、帽子(ぼうし)の中(なか)からすずめの巣(す)を取(と)り出(だ)しました。子(こ)すずめは、ふるえて、空(そら)の方(ほう)を見上(みあ)げて、チュッ、チュッと鳴(な)き声(ごえ)をたてていました。それを聞(き)いて、親(おや)すずめが窓(まど)のあたりで、また、チュッ、チュッと鳴(な)いていました。
「かわいそうだから、早(はや)くここへ入(い)れて。」と、小田(おだ)が、帽子(ぼうし)を差(さ)し出(だ)すと、六年生(ねんせい)の小西(こにし)は、そのまま、すずめの巣(す)を、あちらへ持(も)ってゆこうとしました。
「だめだよ。」と、小田(おだ)が、怒(おこ)りました。
「すずめなんか、お教室(きょうしつ)へ持(も)ってきては、いけないのだろう。」
 二人(ふたり)の六年生(ねんせい)は、いうことをきかずに、すずめを取(と)りあげて、いこうとしました。
「失敬(しっけい)じゃないか。」と、小田(おだ)が、真(ま)っ先(さき)になって、その後(あと)を追(お)いました。
「およしよ!」と、正吉(しょうきち)も、叫(さけ)びました。
「このすずめ、僕(ぼく)たちにおくれよ。先生(せんせい)にあげるのだから、僕(ぼく)たち、理科(りか)の時間(じかん)に、解剖(かいぼう)をしてもらうんだよ。」と、小西(こにし)が、答(こた)えました。
 正吉(しょうきち)は、解剖(かいぼう)ときくと、ぞっとしました。義雄(よしお)さんに、頼(たの)まれて、なにも知(し)らずに、かたつむりを捕(と)ってやったことが後悔(こうかい)されるばかりでなく、そのときのことを思(おも)い出(だ)すと、いまでも腹(はら)が立(た)つので、
「いけないよ、そんなことをしちゃ。」と、大(おお)きな声(こえ)で、叫(さけ)びました。
「解剖(かいぼう)するなら、君(きみ)たち、かってにすずめを捕(と)ったらいいだろう。」と、青木(あおき)もいいました。
 すると、二人(ふたり)は、そのまま逃(に)げるようすをしましたから、三人(にん)は、やらせまいとして、廊下(ろうか)で道(みち)をさえぎって、争(あらそ)い合(あ)いました。争(あらそ)いの最中(さいちゅう)に、小西(こにし)のひじが、青木(あおき)の顔(かお)に当(あ)たると、眼鏡(めがね)が飛(と)びました。
「おい、騒(さわ)いじゃいかん、なんで、運動場(うんどうじょう)へ出(で)ないんだね。」
 こういって、止(と)めたものがあります。みんなが、びっくりして見(み)ると、髪(かみ)を長(なが)くして、赤(あか)いネクタイをした、図画(ずが)の先生(せんせい)でありました。先生(せんせい)は小使(こづか)い室(しつ)へ用事(ようじ)があるので、教員室(きょういんしつ)を出(で)て、ちょうど通(とお)りかかったのでした。
「先生(せんせい)、こんなすずめの巣(す)をお教室(きょうしつ)へ持(も)って入(はい)るのです。」と、六年(ねん)の山本(やまもと)が、告(つ)げました。
「先生(せんせい)、教室(きょうしつ)で遊(あそ)んでいたのでないのです。帰(かえ)りに持(も)って帰(かえ)ろうと置(お)きにきたのです。」と、小田(おだ)が、弁解(べんかい)しました。
 図画(ずが)の先生(せんせい)は、両方(りょうほう)の言(い)い分(ぶん)をきいていられたが、
「そんなものを、教室(きょうしつ)へ持(も)って入(はい)っては、いけないな。」と、おっしゃいました。六年生(ねんせい)は、それ見(み)ろといわぬばかりの顔(かお)つきをしました。
「先生(せんせい)、僕(ぼく)たちの拾(ひろ)ったすずめを、だまって持(も)っていこうとするから、いけないのです。」と、青木(あおき)が、六年生(ねんせい)の行為(こうい)を非難(ひなん)しました。
 先生(せんせい)はこうなると六年生(ねんせい)をいいとはいえませんでした。しばらく、先生(せんせい)は黙(だま)っていられると、六年(ねん)の山本(やまもと)が、
「吉村先生(よしむらせんせい)にあげて、理科(りか)の時間(じかん)に、解剖(かいぼう)していただこうと思(おも)ったのです。」と、答(こた)えました。
「解剖(かいぼう)!」と、若(わか)い図画(ずが)の先生(せんせい)の目(め)は光(ひか)って、山本(やまもと)の顔(かお)を見(み)られました。
「そうです。僕(ぼく)たち、このごろ、いろいろのものを解剖(かいぼう)して、習(なら)っているのです。吉村先生(よしむらせんせい)は、へびでも、小鳥(ことり)でも、捕(と)らえたら持(も)ってこいとおっしゃったのです。」と、すずめを持(も)っている小西(こにし)が、いいました。
 正吉(しょうきち)は、このとき、いい知(し)れぬ腹立(はらだ)たしさがこみ上(あ)げてきました。
「僕(ぼく)たち屋根(やね)からおっこちたすずめを助(たす)けてやろうと思(おも)っているのに殺(ころ)すなんて、そんなことできません。解剖(かいぼう)したかったら、自分(じぶん)で取(と)ってくればいいのです。」
 正吉(しょうきち)は、こういいました。しず子(こ)さんが、美(うつく)しい貝(かい)をあげた先生(せんせい)は、この先生(せんせい)だと思(おも)うと自分(じぶん)のいったことをわかってくださるにちがいないと思(おも)いました。
 図画(ずが)の先生(せんせい)は、目(め)をぱちぱちさして、どちらにも理屈(りくつ)があるので、判断(はんだん)に苦(くる)しむといったようすでしたが、窓(まど)ぎわへきて、子(こ)を案(あん)じて鳴(な)いている親(おや)すずめの鳴(な)き声(ごえ)が耳(みみ)に入(はい)ると、急(きゅう)に先生(せんせい)の顔色(かおいろ)が明(あか)るくなりました。
「君(きみ)たちのいうことは、よくわかった。一方(ぽう)は、理科(りか)の知識(ちしき)を得(え)るためだというのだし、一方(ぽう)はかわいそうだから助(たす)けるというのだ。どちらも悪(わる)いとはいわれないが、いちばんいいのは、この子(こ)すずめを親(おや)すずめに返(かえ)してやるんだね。」と、先生(せんせい)はおっしゃいました。
「ああ、それがいいのだ。」と、正吉(しょうきち)は、思(おも)いました。
「先生(せんせい)、あの高(たか)い屋根(やね)へどうして上(あ)がれますか!」
 小田(おだ)が、先生(せんせい)の言葉(ことば)の終(お)わるのを待(ま)って、問(と)いました。
「あすこへは上(あ)がれませんね。しかたがないから、物置(ものおき)の軒下(のきした)へでも小使(こづか)いさんに頼(たの)んで入(い)れてもらうのだ。そうすれば、親(おや)すずめがきて、世話(せわ)をするでしょう。」と、先生(せんせい)は、おっしゃいました。
「やはり、それがいい。」と、青木(あおき)も、小田(おだ)も、賛成(さんせい)しました。六年生(ねんせい)の二人(ふたり)は、反対(はんたい)しなかったが、だまっていました。
「それでいいなら、私(わたし)が、小使(こづか)いさんに頼(たの)んであげるから。」
「先生(せんせい)、お願(ねが)いいたします。」と、四年生(ねんせい)の三人(にん)は、声(こえ)をそろえて叫(さけ)びました。
 図画(ずが)の先生(せんせい)は、すずめの巣(す)を大事(だいじ)そうに持(も)って、はいっている子(こ)すずめを慰(いた)わるようにして、あちらへいってしまわれました。
 これで、とにかく、ひとまず事件(じけん)が終(お)わってしまったので、六年生(ねんせい)の二人(ふたり)も、あちらへ去(さ)ろうとしました。すると、突然(とつぜん)、青木(あおき)が、
「君(きみ)、僕(ぼく)の眼鏡(めがね)をわったね。」と、青(あお)い顔(かお)をして、六年(ねん)の小西(こにし)を呼(よ)びとめました。みんなは、驚(おどろ)いて、その方(ほう)を見(み)ました。
「僕(ぼく)が、君(きみ)の眼鏡(めがね)をわったって!」
 小西(こにし)は、青木(き)の差(さ)し出(だ)した眼鏡(めがね)を見(み)つめました。なるほど、片方(かたほう)の玉(たま)に白(しろ)いひびが入(はい)っています。
「君(きみ)のひじが当(あた)って、眼鏡(めがね)が飛(と)んだんだよ。」と、青木(あおき)が、説明(せつめい)しました。そういわれると、小西(こにし)も、「ああ、あのときか。」と、思(おも)ったのでありましょう。じっと眼鏡(めがね)を見(み)ていましたが、
「知(し)らんでしたのだから、かんにんしてね。」と、素直(すなお)に、わびました。
 こうわびられると、かえって、青木(あおき)が返事(へんじ)に窮(きゅう)してしまいました。それは、なぜでしょう? みんなの視線(しせん)が彼(かれ)の顔(かお)を見守(みまも)ると、さもいいにくそうにして、
「僕(ぼく)は、いいけれど、お母(かあ)さんが……。」と、いいよどみました。
「しかられるの。」と、小西(こにし)が、きき返(かえ)しました。青木(あおき)は、うなずきました。
 青木(あおき)の家(うち)は、荒物屋(あらものや)で、父親(ちちおや)はとうになくなって、母親(ははおや)と二人(ふたり)でさびしく暮(く)らしているのです。その家(うち)のことをよく知(し)っている、正吉(しょうきち)や、小田(おだ)には、むしろ、青木(あおき)の立場(たちば)に同情(どうじょう)されたのであります。そして、すずめの巣(す)よりも、このほうが、問題(もんだい)に思(おも)われました。
「お家(うち)へいって、あやまればいいだろう。」と、正吉(しょうきち)がいいました。
「家(うち)へいって、あやまらなくても、半分(はんぶん)弁償(べんしょう)すればいいだろう。」と山本(やまもと)は、小西(こにし)に味方(みかた)して、いいました。
 しばらく、だまって考(かんが)えていた小西(こにし)は、
「君(きみ)、お母(かあ)さんにしかられるようなら、僕(ぼく)、弁償(べんしょう)するよ。」
 こういったとき、ちょうどベルが鳴(な)ったので、六年生(ねんせい)の二人(ふたり)は自分(じぶん)たちの教室(きょうしつ)の方(ほう)へ、走(はし)っていきました。

 青木(あおき)は、小西(こにし)が、あやまりにきてくれなかったので、わった眼鏡(めがね)の球代(たまだい)を半分(はんぶん)、弁償(べんしょう)してもらうことにしました。そして、このことを正吉(しょうきち)と小田(おだ)に話(はな)すと、二人(ふたり)ともいっしょにいこうといってくれました。
「眼鏡屋(めがねや)の受取証(うけとりしょう)を忘(わす)れずに、持(も)ってゆくんだぜ。」と、小田(おだ)が、注意(ちゅうい)しました。
 正吉(しょうきち)は、学校(がっこう)から帰(かえ)ると、道順(みちじゅん)から、青木(あおき)と小田(おだ)の誘(さそ)いにくるのを待(ま)つ間(あいだ)、金魚(きんぎょ)の水(みず)を換(か)えたりしていました。やがて、外(そと)で二人(ふたり)の声(こえ)がしたので、正吉(しょうきち)は、家(いえ)を出(で)たのであります。
 小田(おだ)が、小西(こにし)の家(いえ)を知(し)っているというので、ほかの二人(ふたり)は、ついていきました。さるすべりの咲(さ)いている家(いえ)の垣根(かきね)について曲(ま)がると、お湯屋(ゆや)がありました。その付近(ふきん)には、小(ちい)さな商店(しょうてん)が、かたまっていましたが、小西(こにし)の家(うち)は、その中(なか)の青物屋(あおものや)でありました。こちらから見(み)ると、なすや、きゅうりや、大根(だいこん)などが、店先(みせさき)にならべられて、午後(ごご)の赤色(あかいろ)をした日(ひ)の光(ひかり)を受(う)けていました。
 小西(こにし)は、もう学校(がっこう)から帰(かえ)って、家(うち)のてつだいをしていましたが、貧(まず)しげなようすから見(み)て、正吉(しょうきち)は、なんだか、金(かね)を出(だ)させるのは、かわいそうな気(き)がしました。
 三人(にん)は、小西(こにし)が、こちらを向(む)いてくれるのを待(ま)っていましたが、なかなか向(む)きそうもありませんので、
「小西(こにし)くん!」と、ついに、小田(おだ)が、小(ちい)さな声(こえ)で呼(よ)んだのであります。きこえたとみえて、小西(こにし)は、じっとこちらを見(み)ました。そして、にっこり笑(わら)うと、彼(かれ)の姿(すがた)は、奥(おく)へ消(き)えて見(み)えなくなりました。
「どうしたんだろうね。」
「いま、出(で)てくるよ。」
 こんなことを話(はな)しているところへ、小西(こにし)が走(はし)ってきました。青木(あおき)は、小西(こにし)に向(む)かって、
「君(きみ)、半分(はんぶん)弁償(べんしょう)してくれない?」といいました。
「いくらなの?」と、小西(こにし)は、ききました。
 青木(あおき)は、上衣(うわぎ)のポケットから、眼鏡屋(めがねや)の受取証(うけとりしょう)は出(だ)して渡(わた)しました。
「家(うち)まで、きてくれない。」
 三人(にん)は、小西(こにし)のあとについてゆきました。店(みせ)の次(つぎ)の間(ま)では、小西(こにし)の父親(ちちおや)らしい人(ひと)が、肌脱(はだぬ)ぎで、若(わか)い男(おとこ)を相手(あいて)にして、将棋(しょうぎ)をさしていました。小西(こにし)が、受取証(うけとりしょう)を父親(ちちおや)に見(み)せると、父親(ちちおや)は、しばらくだまって考(かんが)え込(こ)んでいました。将棋(しょうぎ)の相手(あいて)をしている若(わか)い男(おとこ)が、「どうしたんだ?」と、のぞき込(こ)みました。父親(ちちおや)は、説明(せつめい)しているらしかったのです。すると、その若(わか)い男(おとこ)は、なにか小(ちい)さな声(こえ)で、理屈(りくつ)をいっているらしかったが、たちまち、三人(にん)のいる方(ほう)へ顔(かお)を向(む)けて、
「みんなが騒(さわ)いで、わったのだから、みんなで弁償(べんしょう)するのがあたりまえでしょう。一人(ひとり)に半分(はんぶん)出(だ)させる法(ほう)はないだろう。」と、おどすような口調(くちょう)で、いいました。三人(にん)は、思(おも)いがけない反対(はんたい)に出(で)あって、たがいに顔(かお)を見合(あ)わせました。
「子供(こども)だと思(おも)って、ばかにしている。」と、小田(おだ)がつぶやきました。
 このとき、正吉(しょうきち)は、その男(おとこ)をにらんで、
「いくら、おおぜいが騒(さわ)いでも、眼鏡(めがね)を飛(と)ばさなければ、われなかったんだろう。」と、いくらか、せき込(こ)んで答(こた)えました。これに対(たい)して、若(わか)い男(おとこ)が、なにかいおうとすると、
「自転車屋(じてんしゃや)のおじさん、いいんだよ。」と、小西(こにし)は、むりに男(おとこ)を押(お)さえました。そして、三人(にん)を引(ひ)っ張(ぱ)るようにして、湯屋(ゆや)の前(まえ)のすこしばかりの空(あ)き地(ち)へきました。
「きっと、あげるよ。今月(こんげつ)の末(すえ)まで、待(ま)ってくれない? 僕(ぼく)、新聞(しんぶん)を配達(はいたつ)しているのだから、お金(かね)をもらったら、すぐ持(も)っていくよ。」
 そういった、小西(こにし)の顔色(かおいろ)にも、言葉(ことば)にも、真実(しんじつ)があらわれていました。
「ああ、いつでもいいんだ。」
 青木(あおき)は、こう答(こた)えました。彼(かれ)は、小西(こにし)の境遇(きょうぐう)に同情(どうじょう)したばかりでなく、むしろ、感心(かんしん)な少年(しょうねん)だと心(こころ)を打(う)たれたのです。正吉(しょうきち)も、小田(おだ)も感(かん)じたことは、同(おな)じでありました。
 三人(にん)は、また、もときた道(みち)を帰(かえ)りました。最後(さいご)まで、黙(だま)っていた父親(ちちおや)や、おどそうとした若(わか)い男(おとこ)の顔(かお)は、三人(にん)の目(め)にいつまでも残(のこ)っていて、不快(ふかい)な感(かん)じがしたけれど、小西(こにし)からは、まったくそれと反対(はんたい)な、快(こころよ)い印象(いんしょう)を受(う)けたのであります。自分(じぶん)たちの世界(せかい)は、別(べつ)だと考(かんが)えたのは、独(ひと)り正吉(しょうきち)だけではなかったのです。いま、小西(こにし)に対(たい)して感(かん)ずるものは、友愛(ゆうあい)の情(じょう)よりほかにありませんでした。
「あっ、渡(わた)り鳥(どり)が!」と、小田(おだ)が、大空(おおぞら)を指(さ)しました。はるかに、空(そら)をたがいにいたわりながら、遠(とお)く旅(たび)をする鳥(とり)の影(かげ)が見(み)られました。
 三人(にん)は無限(むげん)の感慨(かんがい)で、見(み)えなくなるまで、いっしょに、その鳥(とり)の影(かげ)を見送(おく)っていたのであります。
了

底本:「定本小川未明童話全集 11」講談社
   1977(昭和52)年9月10日
   1983(昭和58)年1月19日第5刷
底本の親本:「未明童話 お話の木」竹村書房
   1938(昭和13)年4月
初出:「お話の木」
   1937(昭和12)年9月
※表題は底本では、「眼鏡(めがね)」となっています。
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校正:酒井裕二
2016年12月9日作成
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