あらすじ
西田幾多郎は、井上先生を深く尊敬し、その偉大な功績を称えるとともに、自身の思い出を語ります。井上先生は、西田が若い頃にインド哲学や哲学体系を教え、その博識と人柄に西田は深く感銘を受けていました。その後、西田は長く先生と疎遠になっていましたが、再び出会い、先生の変わらぬ活力に驚き、その深遠な東洋哲学への探求に感嘆します。先生は、西田にとって、まさに哲学の師であり、深い尊敬と懐かしさを抱かせる存在なのです。私が先生に教を受けたのは明治二十年代の中頃であつて、先生が丁度洋行歸りの元氣旺盛の頃であつた。先生の講義はその頃一週二回であり、一回は印度哲學を、一回は哲學體系といつた樣なものを講ぜられた樣に記憶する。講義はいつでも午後の三時からといふ風で先生が襟卷をして、ステッキを持つて、校門を入つて來られた姿は、今も尚眼前に見ることができる樣な氣がする。私は氣儘者であまり、誰の講義にも出席せなかつたが、先生の印度哲學の講義は長く保存して居た、今も尚何處かにあるかも知れない。私はその頃何回か先生の私宅へも伺つたことを記憶して居る。その頃の選科生といふのは全く特殊部落扱ひにされたものだが、それでも先生はさういふことは眼中になく、人並に扱つて下さつたのを心よく感じた。學校を出てから私は全く田舍に蟄居して居たもの故、又先生に御目にかゝる機會もなかつた。年四十にして暫く學習院に居た頃、又時々先生を御尋ねした。そして先生が御多用中にも關らず、快く御逢ひ下され、且つ私の爲に色々御心配下さつたことを、今も尚難有思つて居る。京都に來て以來、又先生を御尋ねする機會もなく、御目にかゝることも稀であつたが、數年前先生の御病中一度御尋ねした。併しその時は御目にかゝることができなかつた。然るにこの二ヶ月前、久しぶりで先生を御尋ねした。もう十年以上も御目にかゝらぬと思ふので、先生も定めし老い込んで居らるゝであらうと思つてゐた。然るに先生はまだ中々元氣である、何處か尚若々しいものが殘つて居る、喜壽の人とも思はれない。先生は何か東洋哲學について考へて居らるる樣である。今後或一方に精なる人は出るであらうが、先生の樣な學東西に通ずる博大な學者は多く出ないであらう。我々は先生の百歳の長壽と更に學界への貢獻とを祈らざるを得ない。私共の教を受けた哲學の先生といふのはブッセ、ケベル兩先生逝き、元良中島兩教授の歿せられた後、獨り井上先生あるのみである。先生に御目にかゝる毎に深い懷舊の情に堪へない。
了
底本:「井上先生喜壽記念文集」冨山房
1931(昭和6)年12月15日発行
初出:「井上先生喜壽記念文集」冨山房
1931(昭和6)年12月15日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:岩澤秀紀
校正:フクポー
2019年5月28日作成
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