あらすじ
深林から、りんごの花を求めて飛び立ったたくさんの蛾。しかし、故郷を離れられない仲間もいました。明るいりんごの花畑で過ごした蛾たちは、北海にある美しい島の話に心を奪われ、故郷への帰りを諦め、島を目指して大旅行に出発します。遠い旅路の果てに、ついに北海にたどり着いた蛾たちは、美しい高山植物の咲く野原で、島への渡航を企てます。そこへ、島を目指して旅するつばめと出会い、一緒に島へ行くことを約束します。しかし、待ち焦がれていた出発の日、嵐が吹き荒れ、つばめたちは無事島にたどり着きましたが、蛾たちは、海に飲み込まれてしまいました。
 鈍(にぶ)い砂漠(さばく)のあちらに、深林(しんりん)がありましたが、しめっぽい風(かぜ)の吹(ふ)く五月(がつ)ごろのこと、その中(なか)から、おびただしい白(しろ)い蛾(が)が発生(はっせい)しました。
 一時(じ)、ときならぬ花(はな)びらの、風(かぜ)に吹(ふ)かれたごとく、木々(きぎ)の枝葉(えだは)に蛾(が)がとまっていたのです。それは、また、ちょうど、降(ふ)りかかった、冷(つめ)たい雪(ゆき)のようにも見(み)られました。
 しかし、その深林(しんりん)は、蛾(が)にとって、あまり好(この)ましくなかった。夏(なつ)にでもなれば、そこにはいろいろの毒草(どくそう)や、雑草(ざっそう)に花(はな)が咲(さ)いたであろうけれど、この時分(じぶん)には、まだ花(はな)が少(すく)なかったからです。
 ある日(ひ)のこと、蛾(が)の仲間(なかま)が、外(そと)から林(はやし)に帰(かえ)ってくると、おおぜいに喜(よろこ)ばしい知(し)らせをもたらしたのでした。
「ここから、あちらに見(み)える丘(おか)を越(こ)してゆくと、いま、りんごの花盛(はなざか)りです。それは、いい香(にお)いがしています。」といいました。
 この知(し)らせは、たちまち、蛾(が)ぜんたいに知(し)れわたりました。
「それなら、私(わたし)たちは、この陰気(いんき)な森(もり)の中(なか)から、その明(あか)るいりんごばたけに、移(うつ)ろうじゃありませんか……。」
 外(そと)から、知(し)らせをもたらした一群(ぐん)の蛾(が)が道案内(みちあんない)となりました。そして、そのあとからみんながいっしょにつづいて飛(と)び立(た)ったのであります。
「さあ、出(で)かけましょう。」
 一群(ぐん)の蛾(が)が、花(はな)びらを振(ふ)りまいたように、空(そら)を飛(と)び舞(ま)ったのです。つづいて蛾(が)の大群(たいぐん)が大空(おおぞら)をかすめて、先(さき)へ飛(と)んでいった、蛾(が)の群(む)れのあとにつづきました。
 しかし、こんなに、みんながこの深林(しんりん)を見捨(みす)てて、出発(しゅっぱつ)した後(あと)にも、二十や、三十の蛾(が)は、みんなといっしょにゆかずにあとにとどまりました。
「私(わたし)たちは、ここで生(う)まれたのだ。ここで暮(く)らしましょう。そのうちに、きっとおもしろい、幸福(こうふく)なことがあるにちがいない。」と、残(のこ)った蛾(が)たちは、語(かた)り合(あ)ったのでした。
 りんごばたけに移(うつ)った蛾(が)の群(む)れは、明(あか)るい日(ひ)を送(おく)りました。やわらかな、あたたかな風(かぜ)は、白(しろ)いりんごの花(はな)の上(うえ)を吹(ふ)いて、昼(ひる)となく夜(よる)となく香(にお)っています。彼(かれ)らには、この美(うつく)しい殿堂(でんどう)が、自分(じぶん)たちのために造(つく)られたのではないかと思(おも)われたほどでした。
「こんなに、明(あか)るい、住(す)み心地(ここち)のいい場所(ばしょ)があるのに、なんで、あの暗(くら)い林(はやし)を恋(こい)しがって、あのひとたちはいっしょにこなかったのだろう。」と、あとに残(のこ)った蛾(が)を笑(わら)ったのでした。
 りんごの木(き)は、びっくりしました。どこからこんな小(ちい)さな、白(しろ)い羽虫(はむし)が飛(と)んできたろうかと思(おも)ったのです。けれど、べつに、自分(じぶん)たちに害(がい)を加(くわ)えるものでないと知(し)ったときに、花(はな)は、蛾(が)たちに向(む)かって話(はな)しかけました。
「あなたがたは、どこから、ここへ飛(と)んできたのですか?」
「あちらの暗(くら)い、深林(しんりん)の中(なか)から飛(と)んできました。もう、あの陰気(いんき)なところは、いやでたまりません。」
「そうじゃありません。いつか、恋(こい)しくなることがありますから……。」と、白(しろ)いりんごの花(はな)は、静(しず)かにいいました。
 蛾(が)たちは笑(わら)いました。こんなにじょうぶな羽(はね)を持(も)っているのに、生(う)まれた林(はやし)に、いつまでもじっとしている理由(りゆう)がわからなかったからです。
「私(わたし)たちにも故郷(こきょう)があります。それは、遠(とお)い北海(ほっかい)の中(なか)の島(しま)です。そこには、どんなにりんごの木(き)がたくさんあることか。そのほか、いろいろの草(くさ)があって、香気(こうき)の高(たか)い紫色(むらさきいろ)の花(はな)や、黄色(きいろ)の花(はな)が、春(はる)から、秋(あき)にかけて絶(た)えず咲(さ)いています……。」
「どうして、こんなに遠(とお)いところへ、あなたたちはいらしたのですか?」と、こんどは、蛾(が)が花(はな)に向(む)かってたずねました。
「人間(にんげん)が、その島(しま)から、私(わたし)たちをつれて、こんなところへ持(も)ってきたのです。人間(にんげん)は、かってなことをするものです。私(わたし)たちは、もうどんなことがあっても故郷(こきょう)へ帰(かえ)ることはできません。」と、花(はな)は、悲(かな)しそうにいいました。
「そうですね。あなたには、飛(と)ぶ羽(はね)がありませんものね。」と、蛾(が)が答(こた)えた。
「もし、私(わたし)たちに、飛(と)ぶ羽(はね)があったら、あなたがたにそっくりで、変(か)わりがないでしょう。」と、りんごの花(はな)は笑(わら)いました。
「その島(しま)は、そんなに美(うつく)しいのですか?」
「その島(しま)に咲(さ)く、花(はな)の色(いろ)は、もっと白(しろ)くて雪(ゆき)のようです。香気(こうき)はもっと高(たか)く、空(そら)の色(いろ)は、もっと青(あお)く冴(さ)えているし、海(うみ)の色(いろ)は、たとえようもないほど、青(あお)く、また紫(むらさき)です。」と、花(はな)は思(おも)い出(だ)したように蛾(が)に向(む)かっていいました。
 りんごの木(き)が、この話(はなし)をした後(のち)のことです。蛾(が)たちは、ある日(ひ)の晩方(ばんがた)寄(よ)り合(あ)って、みんなで相談(そうだん)をしました。
「自分(じぶん)たちは、ここで一生(しょう)を送(おく)ったらいいだろうか。」
「りんごの花(はな)は、じきに散(ち)ってしまうだろう。そうしたら、どうするのだ?」
「この花(はな)が散(ち)ってしまったら、また、生(う)まれた深林(しんりん)へ帰(かえ)るよりしかたがない。」
「帰(かえ)りたいものは、帰(かえ)るがいいが、俺(おれ)たちは、いやだ。どこかへ飛(と)んでいこう……。」
「旅(たび)をするなら、いっしょにしようじゃないか。いっしょに生(う)まれた兄弟(きょうだい)だもの、いっしょに死(し)ぬのがほんとうだ。」
「そうだ。」
「それにちがいない。」
 蛾(が)たちは、りんごの花(はな)から聞(き)いた、北海(ほっかい)の中(なか)にある美(うつく)しい島(しま)に向(む)かって、大旅行(だいりょこう)を企(くわだ)てることを決議(けつぎ)したのでした。そして、そのことを花(はな)に向(む)かって話(はな)しました。
 りんごの木(き)は、最初(さいしょ)は、びっくりしましたが、後(のち)には、心(こころ)から、その旅行(りょこう)を祝(しゅく)して、その成功(せいこう)を祈(いの)ったのです。そして、蛾(が)たちに向(む)かって、北海(ほっかい)を渡(わた)る時分(じぶん)の注意(ちゅうい)をして、
「私(わたし)が、こちらにくるときに見(み)たことを話(はな)しますと、人間(にんげん)のたくさん住(す)んでいる町(まち)は、夜(よる)になると、いろいろのりっぱな花(はな)が一時(じ)に咲(さ)いたように、燈火(ともしび)が輝(かがや)きます。けれど、それを花(はな)と思(おも)って飛(と)んでいっては、いけません。そして、町(まち)の近傍(きんぼう)には、人間(にんげん)の栽培(さいばい)している花園(はなぞの)や、いろいろの果樹園(かじゅえん)があるものですから、そこへいってお休(やす)みなさい。それから、北(きた)へ、北(きた)へ、町(まち)や、野原(のはら)や、山(やま)を越(こ)して飛(と)んでおゆきなさると、いつしか海(うみ)が見(み)えます。その海(うみ)の岸(きし)に沿(そ)っていちばん高(たか)い山(やま)があります。山(やま)の頂(いただき)にはいつも、雪(ゆき)があって光(ひか)っているから、すぐわかります。その山(やま)のふもとで、しばらくお休(やす)みなさい。そこには高山植物(こうざんしょくぶつ)の咲(さ)いている野原(のはら)や、深林(しんりん)がありますから、ここで、天気(てんき)を見(み)はからって、海(うみ)の上(うえ)を渡(わた)ることになさい。そうすると、あちらに、美(うつく)しい島(しま)が見(み)えます。島(しま)へお着(つ)きになったら、私(わたし)どものことをみんなに話(はな)してください。どんなに驚(おどろ)いて、あなたたちを歓迎(かんげい)することでありましょう……。」と、りんごの木(き)はいいました。
 蛾(が)たちは、勇(いさ)みたちました。ある日(ひ)の昼(ひる)ごろ、みんなは、この大旅行(だいりょこう)の途(と)に上(のぼ)ったのです。自分(じぶん)たちの生(う)まれた、故郷(こきょう)の深林(しんりん)をふたたびかすめて飛(と)び、さらに、明(あ)くる日(ひ)は、鈍(にぶ)い砂漠(さばく)を越(こ)して、遠(とお)くまでいったのでありました。
 空(そら)をかすめて飛(と)ぶ蛾(が)の群(む)れは、たがいにおくれまいとしました。そして、夕暮(ゆうぐ)れ方(がた)になると深林(しんりん)や、花園(はなぞの)へ降(お)りて休(やす)んだのでした。赤(あか)い夕日(ゆうひ)は、彼(かれ)らの目(め)に悲(かな)しく映(うつ)りました。
 あるときは、百姓(しょう)らが焚(た)いている野火(のび)が、真紅(まっか)な花(はな)の風(かぜ)になびいている姿(すがた)となって見(み)えたりして、その中(なか)に飛(と)び込(こ)んで、長(なが)い旅(たび)をつづけた末(すえ)に、むなしく死(し)んでしまった仲間(なかま)もあります。また、街(まち)に輝(かがや)いた火影(ほかげ)に、つい誘惑(ゆうわく)されて、りんごの花(はな)の警(いまし)めも忘(わす)れて、飛(と)んでいくと、そこにはいい音楽(おんがく)が聞(き)こえたり、唄(うた)の声(こえ)がしたり、ほかに美(うつく)しい塔(とう)や、噴水(ふんすい)や銅像(どうぞう)などがあったり、また花園(はなぞの)さえあったりしたので、うかうかと時間(じかん)を過(す)ごしてしまって、みんなから離(はな)れてしまったものもあります。
 しかし、根気強(こんきづよ)い蛾(が)の群(む)れは、翌日(よくじつ)も、そのまた翌日(よくじつ)も、旅(たび)をつづけました。そして、広(ひろ)い野原(のはら)を横切(よこぎ)り、あるときは、山(やま)の頂(いただき)を越(こ)えて、ついに、夏(なつ)のはじめのころには、はるかに、青(あお)い、青(あお)い、北海(ほっかい)の見(み)える地方(ちほう)へ達(たっ)したのでした。
「とうとう海(うみ)へきた。」
「私(わたし)たちのゆく、美(うつく)しい島(しま)は、どこだろうか?」と、蛾(が)たちは、喜(よろこ)んで叫(さけ)びました。
「この海(うみ)を越(こ)えて、島(しま)に達(たっ)することは容易(ようい)のことでない。疲(つか)れを休(やす)めて、穏(おだ)やかな、いい天気(てんき)のつづく日(ひ)を待(ま)とうではないか。」
「それがいい。雪(ゆき)の光(ひか)る、高(たか)い山(やま)のふもとには、高山植物(こうざんしょくぶつ)の咲(さ)く野原(のはら)があり、みごとな深林(しんりん)があるという話(はなし)だから、そこまでいこう。そして、いい日(ひ)を待(ま)つことにしよう。」
 みんなは、この最後(さいご)の説(せつ)に従(したが)いました。それから、雪(ゆき)の光(ひか)る、高(たか)い山(やま)を探(たず)ねて、そのふもとへといったのであります。
 その高(たか)い山(やま)は、すぐにわかりました。ふもとへいってみると、美(うつく)しく晴(は)れた空(そら)の下(した)に、高山植物(こうざんしょくぶつ)が、盛(さか)りと咲(さ)いていました。白(しろ)い蛾(が)の群(む)れは、思(おも)い思(おも)いに、自分(じぶん)の好(す)きな花(はな)を探(さが)して飛(と)びまわったのでありました。
 しらかばや、はんや、落葉松(らくようしょう)の林(はやし)の中(なか)には、くびの赤(あか)い、小形(こがた)のつばめがたくさんきて鳴(な)いていました。その中(なか)の一羽(わ)のつばめが、高山植物(こうざんしょくぶつ)の咲(さ)いている野原(のはら)へ降(お)りたときに、火山岩(かざんがん)の上(うえ)に止(と)まって、蛾(が)と話(はなし)をしました。
「私(わたし)たちも、その島(しま)へ見物(けんぶつ)にゆくのですよ。それでここへきて、天気(てんき)を見(み)はからっているのです。」と、つばめはいいました。
 蛾(が)は、いまさら、その島(しま)が、それほど、美(うつく)しい、有名(ゆうめい)なところであるのを知(し)りました。
「私(わたし)たちは、遠(とお)い、南(みなみ)の深林(しんりん)から旅(たび)をして、幾日(いくにち)も、幾日(いくにち)もかかって、ここまでやってきたのです。いっしょに出発(しゅっぱつ)しながら、長(なが)い日(ひ)の間(あいだ)には、おくれたり、また災難(さいなん)にかかって死(し)んだりした仲間(なかま)もありました。しかし、これから、海(うみ)を渡(わた)ることが困難(こんなん)だと思(おも)っています。」と、蛾(が)はいいました。
 つばめは、体(からだ)をつぼめるようにして、高原(こうげん)の上(うえ)を吹(ふ)いてくる、風(かぜ)の方(ほう)に向(む)かっていましたが、
「私(わたし)たちも、やはり、南(みなみ)からきたものです。その島(しま)にいって見物(けんぶつ)がすんだら、あまり寒(さむ)くならないうちに、故郷(こきょう)へ旅立(たびだ)ちしなければなりません……。」と、答(こた)えたのです。
 蛾(が)たちは、このつばめの言葉(ことば)を聞(き)いて驚(おどろ)きました。
 いま、日(ひ)の光(ひかり)は強(つよ)く、空(そら)は、輝(かがや)いているけれど、やがて、自分(じぶん)たちにとって怖(おそ)ろしい秋(あき)がやってくることを、つばめの言葉(ことば)によって悟(さと)られたからでした。
「私(わたし)たちは、二度(ど)と故郷(こきょう)へは帰(かえ)ることはできまい。せめて、早(はや)く、その島(しま)に着(つ)いて、死(し)ぬまで楽(たの)しく送(おく)りたいものだ。」と、蛾(が)は、ため息(いき)をつきました。
「そんなに歎(なげ)いたものでない。まだ自分(じぶん)たちは生(う)まれてから、いままで生(い)きてきたほど、この先(さき)も生(い)きられるのだから、力(ちから)を落(お)とすことはない。」と、またほかの蛾(が)がいいました。
「そんなことは、考(かんが)えないほうがいい。」
 蛾(が)たちの話(はなし)を、だまって聞(き)いていたつばめは、
「ほんとうに、そうですとも。あなたたちの一日(にち)は、私(わたし)たちの半年(はんとし)よりも、もっとおもしろく、愉快(ゆかい)に、暮(く)らしがいがあるのですから、そんなことを心配(しんぱい)することはありません。まだ、あなたたちは、お若(わか)いのです……。」といいました。
「それで、あなたがたは、いつ、その島(しま)へお立(た)ちになりますか。」と、蛾(が)は、つばめにたずねた。
 つばめは頭(あたま)をかしげて、空(そら)を見(み)ながら、
「それは、まだわかりませんが、きまったら、お知(し)らせいたしましょう。」と答(こた)えた。
「どうぞ、お知(し)らせください。私(わたし)たちも、ごいっしょに立(た)つようになるかもしれませんから。」と、蛾(が)は頼(たの)みました。
 はじめて、海(うみ)の上(うえ)を渡(わた)る蛾(が)には、なんとなく心細(こころぼそ)く思(おも)われたからです。そして、つばめたちが、いいという日(ひ)は、自分(じぶん)たちにも、いい日(ひ)にちがいないと考(かんが)えたからでした。
 二、三日(にち)後(のち)の晩方(ばんがた)でした。先日(せんじつ)、話(はなし)をしたつばめが、蛾(が)たちのいるところへきて、明日(あす)、自分(じぶん)たちは、島(しま)に向(む)かって出発(しゅっぱつ)することを知(し)らせました。
「また、島(しま)でお目(め)にかかれるかもしれません。どうぞ、ご機嫌(きげん)よう……。」と、つばめは、暇(いとま)ごいをして、彼(かれ)らの仲間(なかま)のいる林(はやし)の方(ほう)へ飛(と)んでいきました。
 蛾(が)たちは、自分(じぶん)らも明日(あす)立(た)つかどうかということについて、相談(そうだん)しました。このとき、かわいらしい淡紅色(うすべにいろ)の高山植物(こうざんしょくぶつ)の花(はな)は顔(かお)をこちらに向(む)けて、
「明日(あす)は、風(かぜ)になりますよ。」と、注意(ちゅうい)したのです。その言葉(ことば)は、あまり蛾(が)たちには顧(かえり)みられなかった。
 高(たか)い山脈(さんみゃく)の頂(いただき)は、明(あか)るく雲切(くもぎ)れがして、日(ひ)は暮(く)れてしまいました。一夜(や)は無事(ぶじ)に過(す)ぎて、翌朝(あくるあさ)になると、空(そら)はいつものごとく青(あお)く晴(は)れていました。このとき、蛾(が)たちは、空高(そらたか)くつばめの群(む)れが、林(はやし)から旅立(たびだ)って、北(きた)を指(さ)して飛(と)んでゆく姿(すがた)をながめたのでした。
「俺(おれ)たちもいこう!」
 蛾(が)の群(む)れは、つばめたちの後(あと)を追(お)って、旅立(たびだ)ったのでありました。
 その後(あと)で、高山植物(こうざんしょくぶつ)は、しきりに頭(あたま)を動(うご)かしていた。はたして、昼(ひる)ごろから、夜(よる)にかけて、強(つよ)い南(みなみ)から吹(ふ)く嵐(あらし)と変(か)わってしまった。
 つばめらは、予期(よき)したごとく、嵐(あらし)を脊(せ)に負(お)って、安々(やすやす)と島(しま)に着(つ)いたけれど、蛾(が)たちは、ひとたまりもなく、海(うみ)の中(なか)へ吹(ふ)き落(お)とされて死(し)んでしまったのであります。
――一九二六・三――
了

底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社
   1977(昭和52)年3月10日第1刷
底本の親本:「未明童話集1」丸善
   1927(昭和2)年1月5日発行
初出:「童話」
   1926(大正15)年5月号
※表題は底本では、「北海(ほっかい)の波(なみ)にさらわれた蛾(が)」となっています。
※初出時の表題は「北海の波に浚はれた蛾」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:へくしん
2020年9月28日作成
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