あらすじ
山奥の村に住む、耳の遠い娘は都会で働き、5年の月日が経ち、故郷に帰ります。都会で流行の美しい日傘を手に入れ、村人たちに見せようと意気揚々でしたが、日傘は村の娘たちの間で奪い合いになり、破れてしまいます。都会での生活に疲れたのか、耳の遠い娘は再び都会へ。そして、大切な日傘を、村に残してきた、足の不自由な娘に託します。優しい娘は日傘を大切にしますが、山風にあおられ、深い谷底へと落ちてしまいます。それから、村には美しい更紗模様の蝶が舞うようになり、村の人々は、耳の遠い娘の思い出を胸に刻むのでした。
 ある山(やま)の中(なか)の村(むら)に、不(ふ)しあわせな二人(ふたり)の娘(むすめ)がありました。
 一人(ひとり)の娘(むすめ)は、生(う)まれつき耳(みみ)が遠(とお)うございました。もう一人(ひとり)の娘(むすめ)は、小(ちい)さな時分(じぶん)にけがをして、びっこであったのであります。
 この二人(ふたり)の娘(むすめ)は、まことに仲(なか)のいいお友(とも)だちでありました。そして二人(ふたり)とも性質(せいしつ)のいい娘(むすめ)でありました。
 二人(ふたり)の女(おんな)の子(こ)は、どちらも十四、五歳(さい)になったのであります。そして、それぞれなにかふさわしい仕事(しごと)につかなければなりませんでした。
 ある日(ひ)のこと、耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)は、びっこの娘(むすめ)のところへやってまいりました。びっこの娘(むすめ)は、いつにないお友(とも)だちの沈(しず)んでる顔(かお)つきを見(み)て、
「なにか心配(しんぱい)なことでもあるのですか?」と、やさしくたずねました。
「私(わたし)は、遠(とお)いところへゆかなくてはならないかもしれません……。」と、耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)は答(こた)えました。
 びっこの娘(むすめ)はそれを聞(き)いて、びっくりいたしました。二人(ふたり)が、別(わか)れるということは、どんなに、悲(かな)しいことであるかしれなかったからであります。
「遠(とお)いところというのは、どこですか。」と問(と)いました。
「東京(とうきょう)へ奉公(ほうこう)にゆくようになったのです。私(わたし)は、うれしいやら、悲(かな)しいやら、わからないような気持(きも)ちでいます。」と、耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)は答(こた)えました。
「まあ、東京(とうきょう)へ? それは、どんなにしあわせだかわからない。私(わたし)も、一度(ど)東京(とうきょう)へいってみたいと思(おも)っていますが、こんな体(からだ)では、とても望(のぞ)みのないことであります。あなたは、東京(とうきょう)へいって、にぎやかなところをごらんなさい。しかし、後(あと)に残(のこ)された私(わたし)は、さびしいことでしょう。」と、びっこの娘(むすめ)は、涙(なみだ)をのんでいいました。
 二人(ふたり)は別(わか)れを惜(お)しみました。村(むら)の若(わか)い娘(むすめ)たちの中(なか)では、こんど東京(とうきょう)へゆくようになった耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)をうらやましく思(おも)ったものもありました。
 ある日(ひ)のこと、耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)は、みんなに村(むら)のはずれまで見送(みおく)られて、いよいよ都(みやこ)に向(む)かって出発(しゅっぱつ)したのであります。
 彼女(かのじょ)は、道(みち)すがらも、汽車(きしゃ)の中(なか)も、だんだん遠(とお)く隔(へだ)たってゆく故郷(こきょう)のことを思(おも)いました。また、仲(なか)のよかったびっこの娘(むすめ)のことなどをも思(おも)い出(だ)して、いつまた二人(ふたり)はあわれるだろうかと、悲(かな)しく思(おも)わずにはいられませんでした。
 彼女(かのじょ)は、東京(とうきょう)にきて、一年(ねん)働(はたら)き、二年(ねん)働(はたら)き、三年(ねん)と働(はたら)きました。そして、すっかり都会(とかい)の生活(せいかつ)になれてしまったのです。その間(あいだ)に、びっこの娘(むすめ)からは、たよりがおりおりありましたが、それもいつしか絶(た)えてしまいました。
 しかし、彼女(かのじょ)は、なにかにつけて、故郷(こきょう)のことを思(おも)い出(だ)さずにはいられなかったのです。あのころのお友(とも)だちは、どうしたろう? と思(おも)いますと、どうか、一度(ど)、ふるさとへ帰(かえ)ってきたいものだと思(おも)いました。
 彼女(かのじょ)は、耳(みみ)が遠(とお)いものですから、同(おな)じ奉公(ほうこう)をしましても、ほかの女(おんな)たちのように、どんな仕事(しごと)にでも、役(やく)にたつというわけにはゆきませんでした。それですから、したがって、もらうお金(かね)は少(すく)なかったのです。
 しかし彼女(かのじょ)は、それをべつに不平(ふへい)にも思(おも)いませんでした。そしてこんど、ふるさとへ帰(かえ)る時分(じぶん)に、着(き)てゆく着物(きもの)やおみやげに費(つか)おうと、すこしずつなりとためておきました。
 五年(ねん)めの春(はる)の終(お)わりのころ、彼女(かのじょ)は、ふるさとへ、幾日(いくにち)かの暇(ひま)をもらって、帰(かえ)ってくることにいたしました。
 彼女(かのじょ)は、新(あたら)しい着物(きもの)を造(つく)りました。新(あたら)しいげたも買(か)いました。そしてもっとそのうえ、東京(とうきょう)から帰(かえ)ったということを、田舎(いなか)の人(ひと)たちに見(み)せたいために、どんなものを買(か)っていったらいいだろうかと考(かんが)えました。
 都(みやこ)は、ちょうど夏(なつ)のはじめの季節(きせつ)でありましたから、街(まち)の唐物店(とうぶつみせ)には、流行(りゅうこう)の美(うつく)しい日(ひ)がさが、いく種類(しゅるい)となく並(なら)べてありました。
「あの日(ひ)がさをさして帰(かえ)ったら、どんなにみんながたまげるだろう……。」と、彼女(かのじょ)は、思(おも)いますと、それをさして帰(かえ)って、みんなに見(み)せてやりたいものだという気(き)になりました。
 彼女(かのじょ)は、唐物店(とうぶつみせ)へいって、その中(なか)のハイカラなのを、かなり高(たか)いお金(かね)を出(だ)して買(か)いました。それをさして歩(ある)いた姿(すがた)は、まったく東京(とうきょう)の女(おんな)であって、どこにも、山奥(やまおく)の田舎娘(いなかむすめ)らしいところは見(み)えなかったのであります。
 彼女(かのじょ)は、自分(じぶん)の姿(すがた)を鏡(かがみ)にうつして見(み)とれていました。そして、いよいよふるさとに向(む)かって旅立(たびだ)ったのであります。
 山(やま)の中(なか)のさびしい村(むら)では、耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)が、見(み)ちがえるほどに、美(うつく)しくなって帰(かえ)ったといって、あちらでもこちらでも、うわさをしました。
「たいへんな、ハイカラさんになってきた。」と、みんなは、口々(くちぐち)にいいはやしたのであります。娘(むすめ)たちは、まだ、こんなりっぱな日(ひ)がさを見(み)たことがありませんから、耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)が、日(ひ)がさをさして歩(ある)くと、みんなはそのそばに寄(よ)ってきました。はじめのうちは、目(め)を円(まる)くして見(み)ているばかりで、遠慮(えんりょ)をして、貸(か)してくれなどといったものもありませんが、日数(ひかず)がたって、昔(むかし)のいっしょに遊(あそ)んだ、耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)であったということが、頭(あたま)の中(なか)にはっきりとわかると、
「私(わたし)に、ちょっと貸(か)してくんなさい。」といって、娘(むすめ)たちは、美(うつく)しい、うす紅色(べにいろ)と水色(みずいろ)の模様(もよう)のついた日(ひ)がさを借(か)りて、喜(よろこ)んで、それをさしてみました。
「東京(とうきょう)では、こんなりっぱなものを毎日(まいにち)さし、道(みち)を歩(ある)くだか……。」といって、聞(き)いたものもあります。
「これから、街(まち)の中(なか)は、こんなパラソルがいくつ通(とお)るか、数(かぞ)えきれないくらいだ。」と、耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)はいいました。
 これをきくと、田舎(いなか)の娘(むすめ)たちは、都(みやこ)のありさまをいろいろに想像(そうぞう)しました。
「それだら、たくさん、きれいなちょうが、飛(と)んでいるように見(み)えるだろう。」といったものもありました。
「ほんとうに、ちょうが飛(と)んでいるように美(うつく)しいだろう。」といったものもありました。
「どら、おらにも、ちょっと貸(か)してくんなせい。おら、生(う)まれて、はじめて、こんなりっぱなものをさしてみるだ。」といった娘(むすめ)もありました。
 その娘(むすめ)は、日(ひ)がさを借(か)りてさしてみました。そして、仰(あお)ぎますと、うすい絹地(きぬじ)をとおして太陽(たいよう)の光(ひかり)が、まばゆく、顔(かお)の上(うえ)に映(うつ)るような気(き)がしました。
「まあ、お日(ひ)さまが、すいて見(み)えるだ。なんという、うすいりっぱな、羽(はね)のようなこうもりだろう。」と、ため息(いき)をもらしました。
「どら、私(わたし)にも貸(か)してくんなせい。」といって、村(むら)の娘(むすめ)たちは日(ひ)がさを、たがいに奪(うば)い合(あ)いました。
 そのうちに、一人(ひとり)の娘(むすめ)は、すこしでも長(なが)く自分(じぶん)がさしていたいと思(おも)って、日(ひ)がさをさしながら、あちらへ逃(に)げてゆきました。
「なんだずるい。自分(じぶん)ばかりさして、おれにも貸(か)してくんなせい。」といって、他(た)の一人(ひとり)の娘(むすめ)は、その後(あと)を追(お)いかけました。
 逃(に)げた娘(むすめ)は、山道(やまみち)を日(ひ)がさをさして駆(か)けてゆきました。そのあとを他(た)の娘(むすめ)たちは、追(お)っていったのです。
 きれいな日(ひ)がさは、木(き)の枝(えだ)や、奪(うば)い合(あ)いのために切(き)り株(かぶ)などにあたって、破(やぶ)れました。村(むら)の娘(むすめ)たちは、はじめてたいへんなことをしてしまったと驚(おどろ)いて、耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)のところへきて、あやまりました。
 彼女(かのじょ)は、せっかく買(か)ってきた大事(だいじ)な日(ひ)がさの破(やぶ)れてしまったのを見(み)て、ただぼんやりとしてしまいました。美(うつく)しい日(ひ)がさが破(やぶ)れると、もう村(むら)の娘(むすめ)たちは、用事(ようじ)がないといわぬばかりに、どこかへ散(ち)ってしまいました。
「見(み)たとこばかりきれいでも、あんな紙(かみ)ようなものが、なんの役(やく)にたとうかさ。」と、村(むら)の娘(むすめ)はあざ笑(わら)ったものもあります。
 耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)は、急(きゅう)にさびしくなりました。しかし、びっこの娘(むすめ)は、昔(むかし)もいまも、やさしい心(こころ)をもっていて、すこしも変(か)わりはありませんでした。
 びっこの娘(むすめ)は、家(いえ)にいて、百姓(ひゃくしょう)をしていましたが、暇(ひま)をみては、耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)のところへたずねてまいりました。そして、彼女(かのじょ)から都会(とかい)の話(はなし)をきくのを楽(たの)しみにしたのであります。
「ああ、私(わたし)は、いつ東京(とうきょう)へいって、そのにぎやかな光景(こうけい)を見(み)られるだろう?」と、びっこの娘(むすめ)は、ひとりでため息(いき)をもらしたのでした。
 そのうちに、日数(ひかず)がたって、耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)は、また東京(とうきょう)へ帰(かえ)らなければならなかったのです。
「私(わたし)は、また明日(みょうにち)、東京(とうきょう)へ立(た)つことになりました。」と、びっこの娘(むすめ)のところにきて、暇(いとま)ごいを告(つ)げたのであります。
「こんどは、いつ、二人(ふたり)が、あわれようか……。」と、びっこの娘(むすめ)は、別(わか)れを悲(かな)しみました。ついに別(わか)れる日(ひ)となりました。びっこの娘(むすめ)は耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)を村(むら)のはずれまで送(おく)ってゆきました。
「どうぞ、お達者(たっしゃ)で暮(く)らしてください。この日(ひ)がさは、あなたに置(お)いてゆきます。」といって、耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)は、日(ひ)がさをかたみに、びっこの娘(むすめ)に与(あた)えました。
 二人(ふたり)は、そこで悲(かな)しい別(わか)れをしました。びっこの娘(むすめ)は、ひとり山道(やまみち)を歩(ある)いて帰(かえ)ります途中(とちゅう)、道(みち)ばたの石(いし)の上(うえ)に腰(こし)をかけて休(やす)みました。そして、ふたたび都(みやこ)へ旅立(たびだ)っていった友(とも)だちのことを思(おも)い出(だ)しながら、美(うつく)しい日(ひ)がさを開(ひら)いてながめていました。
 たちまち、青葉(あおば)の上(うえ)を波立(なみだ)っていました山風(やまかぜ)が襲(おそ)ってきて、この日(ひ)がさをさらってゆきました。びっこの娘(むすめ)はいっしょうけんめいであとを追(お)いかけましたが、とうとう日(ひ)がさは、深(ふか)い谷(たに)の中(なか)へ落(お)ちて見(み)えなくなりました。
 しかし不思議(ふしぎ)なことに、そのあくる年(とし)からこの山(やま)には、美(うつく)しい更紗模様(さらさもよう)のついたちょうが、たくさん谷(たに)から出(で)てきました。
 村(むら)の娘(むすめ)たちは、みんなそのちょうを見(み)て、いつか、耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)がさして帰(かえ)った、日(ひ)がさを思(おも)い出(だ)さないものはなかったのです。
 また、それから幾年(いくねん)にもなりますが、二度(ど)と耳(みみ)の遠(とお)い娘(むすめ)は、ふるさとへ帰(かえ)ってこないのです。
了

底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社
   1977(昭和52)年3月10日第1刷発行
初出:「週刊朝日」
   1924(大正13)年7月
※初出時の表題は「日傘と蝶」です。
※表題は底本では、「日(ひ)がさとちょう」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:雪森
2013年5月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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