あらすじ
北原白秋が晩年の数年間に書きためた作品集です。自然と向き合い、家族や友人との穏やかな日々、そして移りゆく季節の美しさ、静寂の中に生命の息吹を感じられる、そんな詩の数々を、白秋は繊細な言葉で紡ぎ出しています。都会の喧騒から離れ、静かな山間の暮らしの中で生まれた、白秋ならではの心の風景が目に浮かびます。
目次
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目にたちて黄なる蕋までいくつ明(あか)る白菊の乱れ今朝まだ冷(つめ)たき

黄の蕋(しべ)のいとど目にたつ白菊は花みな小さし咲き乱れつつ

さえざえと今朝咲き盛る白菊の葉かげの土は紫に見ゆ

独遊ぶ今朝のこころのつくづくと目を留めてゐる白菊の花に

菊の香(か)よ故しわかねどうらうらに咲きの盛りは我を泣かしむ

咲くほどは垣内(かきつ)の小菊影さして日のあたり弱きしづもりにあり

独居(ひとりゐ)はなにかくつろぐ午たけて酒こほしかもこの菊盛り

この垣内(かきつ)見つつ狭けど白菊のにほふおもてのかぎりなく澄む

鎌倉小町園にて
日あたりの籬(ませ)の白菊小町菊盛り過ぎつつなほししづけさ

白菊や香には匂へどうつつなしよにしづかなる日ざしあたれり

菊の影いくつしづけき真柴垣日は移るらしあたるとなしに

かの薫るは日当りの菊日かげの菊いづれともわかぬ冷たき菊の香

日向べは観てしづかなり菊の香のうつらかがよふひと日遊ばむ

父母のしきりに恋し雉子のこゑ  芭蕉
日当りと日影のすぢめ目につきてしきりにさびし穂にそよぐもの

榧(かや)の木にかやの実の生(な)り、榧の実は熟(う)れてこぼれぬ。こぼれたる拾ひて見れば、露じもに凍てし榧の実、尖(とが)り実の愛(かな)し銃弾(つつだま)、みどり児が頭(つむり)にも似つ、わが抱ける子の。


かい擁(かか)へかやの実ひろふ朝寒し子が掌(て)にもしかと一つ持たしつ

かいかがみ拾ふ木の実のか青さよしみじみと置く今朝の露霜

みどり児が力こめたる掌(たなひら)に一つ手(た)にぎる小さきかやの実

霜じみの一つかやの実押し据ゑて何ぞこの子があつき掌(たなぞこ)

かやの実も愛しとは思へかい撫でて吾がみどり児が愛(かな)し頭毛(つむりげ)

みどり児の尖る頭よよく似ればあはれよひろふ凍てしかやの実

今朝も見てここだ現(うつ)しきかやの実やほらよほらよと子に拾ひつつ

かやの根にかやの木地蔵ましまして子らも立ちたり霧の木しづく

地にころげここだ下凍(したし)むかやの実はかきさがすまも愛(かな)しかりけり

何あそびうつつなき子ぞ椅子の上にゆらぐ頭(つむり)のうしろのみ見ゆ

うつつなく頭(つむり)揺りをるうしろ影わが子ぞと見つつ息もつきあへず

独よく遊ぶ吾子や久しくを声ひとつたてず真日あかるきに

気(け)にふかく遊ぶ吾子や後附きてうかがひほほえみ息つむ我は

あれの児が独あそびの幼くてはずみあまれば手を挙げ叫べり

うらなごむ今日の日向や種子とると刈りて干したり了へし葉鶏頭(かまつか)

茎も葉もあかき葉鶏頭根刈りして地にたたきをり房の種子殻(たねがら)

掌(て)の汗にしみみ粒だつ紅(あけ)の種子葉鶏頭の種子は柔ら揉みつつ

ねもごろにけふも了へたり葉鶏頭の千金丹は布の袋に

いつしかと寒うなるらし見つつ行く薄日の崖の竹煮草のかげ

竹煮草の枯がれの葉のがさつき葉をりふしの風も陽もかげらしむ

枯れにけり今は芙蓉の実の殻の中(なか)干割れつつ光る絹の毛

日あたりのうらめづらしき竜胆の蕾がふたつ開きつつゐる

日あたりの冬の薊に吹かれ来て揺れてゐる蝶の影のうつつなさ

円(まど)かなる月の後夜(ごや)としなりにけり孟宗の秀(ほ)の大揺れの風

照りあかき月の夜にしてさわさわし孟宗の揺れのあの寒さはや

物すごき藪の月夜の時あかりかげるかと見れば騒(さや)ぐ葉の影

目のさめて悔(くや)しと思ふ祈りごころ許されざらむ月に対(むか)へり

この寺の老木(おいき)の栗のいが栗はまたすがれたり榧(かや)の木の前

榧の木はさしも青けど落葉木の栗はあらはに枯れにけるかも

百日紅が咲いたさうなよほうら見ろ隣の寺の藁屋根のつま

百日紅が寺に咲いたぞひさびさだ遊びがてらに出て見よかなも

百日紅が紅う咲いてる寺のむすめが手まりついてるその花かげで

百日紅が紅う咲いたとながめてゐた紅う咲いたと誰か云つてゐる

柔かなは仏の掌(てのひら)であるほんのりした百日紅の紅みが射して

百日紅が紅う咲いたと知らしてあげなお母(かあ)様でもお見えなさろで

出入(ではひ)りに紅いな紅いなとながめてゐるとなりの寺の百日紅を

百日紅の花のさかりも過ぎまするどれよはなれの障子でも張ろ

このお父(と)さ抱(だ)きあげ抱きあげほれ坊やよ紅(あか)い花がと何処(どこ)迄行くぞ

ほれ坊やよ百日紅が咲いてましよ紅いな紅いなさしあげて見しよ

ほれ坊やよ海の向ふが見えましよが美しいでしよ差上げて見しよ

まだ秋だに早やもお寺の茶の花はふつこぼれてる茶つ株のねきに

幽かなる茶の花よりも濃き青の厚葉がかなし一枝摘めば

山川のみ冬の瀞(とろ)に影ひたす椿は厚し花ごもりつつ

須雲川寒き日蔭の岩床(がんしやう)にぬめる氷の面(めん)のかぐろさ

塔が島馬酔木(あしび)しみ立ち岩床に暁かけて凝る垂氷(たるひ)これ

父母(ちちはは)の枕にちかく目ざめゐて湖に寒(かん)のとほり来る聴く

父母の間(あひ)に入り寝て思ふなり二方(ふたかた)の寝息豈(あに)やすからず

父母と元旦に見てひと山の薄すさまじく穂に老(ふ)けにけり

母のこと父のみ前に言(こと)わけて申し継(つ)げどももとな寒さや

箱根路は山松かげに萱の家の一戸二戸寒し木屑干しつつ

山岨(やまそば)の石畳道(いしだたみみち)にあたる日のこのあかるさよ冬とし思ふに

昼ながらいまだ凍(いて)たる岨の隈つくづく踏めば草もみぢ濃き

霜の凍(いて)昼もきびしき草の葉にハトロン紙敷きてゆで卵食ふ

柴の火にたぎるちろりの酒の色とくとくとよみて口寄する吾は

日は寒し今は仰げば松ヶ枝の間(あひ)かがやかし檮(かし)の秀(ほ)に見ゆ

丘窪の棚田の畔(あぜ)の茨の実は玉し綴れど霜ふかきかも

このごろの日の短かさよ裏藪の下萌の草の霜も凍(い)てつつ

たまたまは暇ありけりかやの木のこぬれのゆれも目にとまりつつ

ひえびえと明りて近き小竹の揺れ硝子戸越しに見つつ飯(いひ)待つ

書読みて心安けきたまたまは我やさしかり餅(もちひ)など焼く

葉鶏頭(かまつか)は秀(ほ)より照り透きつぎつぎに下葉紅く燃えぬ褪す時もまた

早く咲きし芙蓉が先きに萎えにけりいつまでか紅きこの葉鶏頭は

山椿山椒の魚が棲む淵にあかあかと映りたけぬらし春

島山の紅きつばきの花かげに足さすりをり母と休らひ

子らが編む花環の糸は鮮やけき椿の蕊の中つらぬけり

花樫(はながし)に月の大きくかがやけば眼ひらく木菟(づく)かほうほうと啼けり

去冬、箱根に遊びて
日あたりの山のなぞへの鉾杉は葉の叢(むら)深し群れこもりつつ

霜に焼けておほかた枯れし竝鉾の老木の杉に陽があたるなり

杉の秀(ほ)に冬至過ぎたる陽のいろのほの温(ぬく)き山も遠くには見ゆ

渓岨(たにそば)の日かげの暗き青杉も上面(うはづら)焦げて冬去(い)なむとす

寂ふかく雪に焼けつつ鉾杉の叢葉(むらは)が層(かさ)も春立たむとす

このごろは寂びて明るき杉山の日和つづきを飛ぶ鵯(ひよ)多し

冬の丘寂びし杉生(すぎふ)の日あたりの見のこちごちに眺め足らへり

落葉たく煙しめらふ朝の間(ま)は杉垣の焦げもにほひ深く見ゆ

たまさかは夕焼の赤き海を透かす叢杉の秀(ほ)ゆゑいよよ親しも

雪あかり冴えてましろき駒ヶ嶽まさ眼に北はかげの濃く見ゆ

墓の石一つ一つに雪つけて見の愛(かな)しもよ童(わらはべ)がごと

櫨(はじ)の木にとををに白く積む雪は枝にもつめど実の房ごとに

何にまして白くすべなし墓地裏の雑木(ざふき)の雪のいとど明(あか)るは

雪ふりぬ何といふことなく掻餅焼き裏かへしをり火を赤くつぎて

雪に立つ竹のあはひの気に立ちて紅(あか)くかがよふ春さりにけり

雪ののち今朝しづかなり大き※(「窗/心」、第3水準1-89-54)の北の明りに書(ふみ)は読みつつ

一月二十八日、堂ヶ島に遊ぶ。翌日帰宅。
箱根路は早やおもしろし山松やみ雪ふりつむ二三本見ゆ

畔(あぜ)は畔田は田の型(かた)につもりたりおもしろの雪やおもしろの雪や

雪しろき千本鉾杉下に見てわが行く岨(そば)よ冷(ひ)えとほりつつ

明るさよ杉の叢葉(むらは)につむ雪の揺るるかと見ればしづれてぞ見ゆ

暮の岨の雪踏み来る荷駄馬の蹄鉄(あしがね)に穿く大き草鞋(わらんぢ)

向つ山まだ明れどもこの日暮ひえびえと落つる細き白滝

しみしみと夕冷(ゆふひ)えまさるしら雪に岩うつり啼くは河原鶸(かはらひわ)かも

雪に来る河原鶸かと耳とめて碁石うちゐついまだ灯(とも)さず

したしくは妻子とこもれ雪(ゆき)あかりのこの谿底(たにそこ)の日の暮の冷(ひえ)

おとなしく炬燵(こたつ)にはひり日暮なりふりつつやみし雪のあとの冷(ひえ)

雪ふかしここの谿間(たにま)の湯の宿の湯気(ゆげ)のこもりによくぬくもらむ

岩群の岩の畳みの雪あかり暮れつつしありて暗(くら)みつつあり

凍みひびく夜(よ)の渓(たに)がはの岩床の大岩床の間近(まぢか)くに寝る

二月十三日、佐藤惣之助、大木篤夫両君と、妻と四人裏の丘にのぼり、落葉を焚き酒を温めて朝餐す。後少時散策して帰る。

杉の根の縁白笹に燃ゆる陽(ひ)のこの閑(しづ)けさよたまらふ見れば

杉むらに杉の落葉を拾はなと拾ひつつゐてなにか素直さ

澄みたまる陽のしづけさよ熊笹のむら笹が奥も燃え明(あか)りつつ

澄みたまる陽のぬくとさにはひり来て妻とし拾ふ枯葉杉の葉

日あたりの杉の落葉の裏じめりやや手に冷(ひや)き春さりにけり

落葉掻く我の歩みのおのづからよき日あたりへ向ひつつあり

山窪の陽(ひ)ざしに遠き青杉も半ば焦げつつ花つけぬ皆

山はまだ花やや寒き榛(はり)の木(き)の枯れ枯れの枝に蒿雀(あをじ)つどへり

春あさき榛の木原(こばら)の空あかり今朝は蒿雀の飛ぶ影迅(はや)し

丘に来て酒あたたむる友情(なからひ)も稀なるが故に春の愛(かな)しさ

雪折の青(さを)の真竹はあはれなり三つ割に白く走り裂(さ)けたり

この寒きが竹の花かと手にふれてまたのぼるなり竹の上の岨を

春はまだ青からたちの刺(とげ)の秀(ほ)のするどに冷(ひ)やき眼の触(さや)りなり

杉垣の小杉若木はその葉さへ紅う染み出つ漆葉のごと

二月十七日、前田夕暮君と、妻と三人堂ヶ島に遊ぶ。
風祭村
春はまだ浅き菜畑、白き鶏(とり)日向あさるを、水ぐるままはるかたへの、※(「窗/心」、第3水準1-89-54)障子さみしくあけて、女の童(わらは)ひとり見やれり、外(と)の青き菜を。

反歌
この春や水車(すゐしや)が立つる水だまのまた大きなり芽柳のもと

停電の電車を降りてやや暇あり車掌は温(ぬく)き向ふ畔(あぜ)にゐる

日は小(ち)さけど早や松風の春あさき旧海道を行く道者あり

小山田の雪解(ゆきげ)の田居にゐる鶏(かけ)のわづかに青む物あさるなり

まだ二月水車が傍(わき)の※(「窗/心」、第3水準1-89-54)あけて誰か見てゐる青き菜のいろ

脊戸川に飯櫃ひたし春浅し白飯(しらいひ)のつぶのしろく透く見ゆ

粗(あら)むしろ春は浅けどこぼれ陽(び)の薔薇(ばら)いろ温(ぬく)し子豚啼きゐる

見の飽かずさびしがりゐつ赤き実の南天のかげの水にゆるるを

湯本駅
前山の雪の斑(はだ)らを仰ぎ見てやや言葉多し登山電車待つ

樫多き山の幾襞(いくひだ)樫の秀(ほ)に雪のはだれの白う凍(い)てつつ

樫山の樫の秀ごとにつむ雪の鹿の子まだらの冴えの明るさ

登山電車
この山は老樫おほし見てゆくに斑(はだ)らの小雪凍(い)てつかぬなき

鷹の巣かやどり木の団(たま)か一つ寒き欅の梢見はるかし登る

凍(こご)りし雪解(と)けつつかあらし明星ヶ嶽鼠(ねずみ)色ふかめつつ上る靄(もや)絶えず

枯山は縦に焼き切り幅びろき防火線黒し雪のこりつつ

谿々(たにだに)の雑木(ざふき)の芽立紅(べに)をふくみ雨こまやかなり春か来ぬらし

堂ヶ島
自(おのれ)凍てて硬ばりし雪か岩角の犬羊歯を打てばしやきりしやきり白き

堂ヶ島春近むらし雪解(ゆきげ)水とどろきたぎち昨日にも似ず

雪解靄嶺にはこもれ枯山のなだりは明し日のあたりつつ

谿底の萱家の氷柱(つらら)つらつらに萱の色沁み冬去(い)なむとす

林泉のしづけき水に目をとめて紅き鰭ふる魚も見にけり

岩蔭の井の辺にひたすさねかづら咲きにけるかと見つつ過ぎにき

春と云へどいまだ色なき谿隈は橋ところどころ吹きさらしの岩

陽(ひ)のあたる向つなぞへの枯萱のほのあたたかき春としなりぬ

向う谿の青の女小竹(めざさ)の秀(ほ)の揺も冷(ひ)えびえと見ゆれ冬のそれならず

栂(つが)の木の夕日に対(むか)ふわが眺め早やさむざむし内(うち)へはひらむ

落ちつかぬ湯やどの春のほの寒さなになれば子を置きて来にけむ

硬雪(かたゆき)に尿(いばり)しつつも先いそぐ友が提灯に言葉かけて居る

時をり提灯の紅(あか)きさしつけて雪ふかき杉の葉裏見上げつ

二月十八日、晴、前田君と例の裏山に酒を温めて歓語す。後、水之尾より荻窪を散策して帰る。

榛(はり)の花くれなゐふかし遥か見る丹沢山に雪の消えつつ

雪しろき阿夫利の山の尖(とが)り秀(ほ)にひたひたと触れて青き空はある

榛の木の花の盛りを声に出づる薬鑵の酒の煮えのしづけさ

ほたほたと掻きて垂らせる朱(しゆ)の漆榛の雄花は春早き花

陽のもとに酒あたたむるのどけさを今日も楽しと来りつどへる

春あさし酒を柴火にあたためて白木綿雲(しらゆふぐも)の行き消ゆる見む

ねもごろに酒はぬくめむ杉山の杉の落葉は火を燃すによき

日あたりに杉の落葉を燃しつけて酒わかす間(ま)の晴れの潮騒(しほざゐ)

おのづから滞らざらむ落葉火に薬鑵の酒も音を立つるを

春あさき樫の葉ならむ陽のさして風こもるらしきこまごまの照り

枯くさにしばし酔ひ臥(ね)てほかほかと身もぬくもらな心ゆくまで

狭間田(はざまだ)の田尻にひびく瀬の鳴りのなにかしら近し春としなりけむ

雪解靄いまだはこもれ松山の高きを移る頬白のこゑ

峯の脊に辛うじてもつ夕ばえの後かがやきも暮れはてむとす

芝崖に草木瓜(くさぼけ)赤き日おもての水之尾道は行きつつ愛(かな)し

今思へばかの音なりし水車なりし櫟丘(くぬぎをか)越えて見の春めくは

ああ早春、桐の木畑の桐の木の実の殻逸(そ)れて鶺鴒翔ける

竹藪にはひる径(こみち)のよく見えて裾明り寒しせせらぎのあるか

はきはきと竹馬の跨ひろげゆく子が連多し藪外(そと)の風

蜜柑袋かつぎ来る子をよびとめし友さびしからむ五つ六つ買ひぬ

この日ごろ野山にまじり人にまじり遊びほれてゐるそれが愛(かな)しも

積藁に南天の実のかげ揺れて子ら騒ぎ出づる日の暮の晴(はれ)

わが妻が厠借りにとゆく農家の縁さきに早し紅(べに)つばきの花

府川氏宅に寄る、友不在
はちはちと蜜柑の硬(かた)き葉を燃してゐろり大きなり蜜柑山の家

大き籠を擁(かか)へ来ましぬ蜜柑なりいまだ馴染(なじ)まねど友が母刀自

夕風に小さき子を負ひ蜜柑畑の岐れ道まで来らす爺かも

二月二十五日弟来る。行いて裏の丘に例のごとく酒を温む。細雨、後曇り。

たまさかは来よとねがひき来しゆゑにこの弟(おと)愛(かな)し酒なと温(ぬく)めな

芝丘のつばらの小松春浅し行きても愛(め)でな酒わかしつつ

杉の秀(ほ)にわづかにぬくき日のあたりなにがなうれし弟と見て

この日やや雨もよひ暗し土耳古赤の榛の木の花の房のみ揺れつつ

しゆんしゆんと煮立つ酒かも吾が弟(おと)と春早き丘に来り火をたく

やどり木の薬玉(くすだま)かがる春あさき欅の雨も見の親しかも

芝崖に妻が見つけし草木瓜の花赤きからに弟と掘る

この岨や焼芝つづき草木瓜のところどころ咲きて水之尾(みづのを)近し

日の在処(ありど)くろく幽けき女松山の春雨親し田雲雀のこゑ

夕湿る女松(めまつ)山ゆき野山ゆき弟(おと)と語らふ父母の事

道の辺の落葉か薄くなりにけり菫咲くべき春や近づく

一
白梅のかかる盛りを父母と遊びまつらでうたたうとしも

白梅の咲きの盛りをうれしうれし弟も来ぬ弟嫁(おとよめ)も来ぬ

これの世におなじ父母いただくと弟と愛(かな)し白梅のもと

われ歳(とし)たけ老いし父母守(まも)る事のさびしとは思へ白梅の花

この春も老いし父母かなしくて為すなき我や遠く遊ばず

二
梅咲きて空も明るか声立てて児は喜べり外(と)に出づる度(たび)

抱かれて吾が児が触(さや)る梅の花蕚(うてな)が紅(あか)しその枝のさきに

三
今を盛りの梅花の影を双手(もろて)とりて歩(ある)かせば歩くこの児がかはゆさ

梅咲きて吾が児は愛(かな)し歩むとし歩み蹴上げぬ小さき赤き靴を

四
梅咲きて白くしづけき日おもては見つつよろしも草餅(くさもちひ)食(は)み

五
この朝や山の迅風(はやち)の風息(かざいき)にかがやきて白し梅の花みな

春はいま梅花の盛り七面鳥が風おこるたびに真正面(まとも)向きて来る

春あさき夕日の光かやの秀(ほ)にまだ射しあかるしばし暇あり

裏丘の※(「木+若」、第3水準1-85-81)(しもと)がかげの花すみれ乏しくは咲けど咲ける皆濃き

下畦(したあぜ)の赤き櫨子(しどみ)を根に掘るとかがみゐてさびし高圧線のうなり

焼芝に櫨子(しどみ)燃えたつ高畦(たかあぜ)の下道かへる新入生と母

朝ひらく黄のたんぽぽの露けさよ口寄する馬の叱られてゆきぬ

山ゆくと山の樒(しきみ)の黄の花のよにつつましき春も見にけり

山松の夕日のこぼれひろひ来て我幽かなり雲に会ひつつ

言(こと)にいでて春は山辺の夕がすみ愛(め)づてふならね山にこもりぬ

夕かけて双子の山にゐる雲の白きを見れば春たけにける

濃き淡き遠山霞あかねさし夕べは親し日の洩れにけり

山の尾の襞(ひだ)の五百重の春がすみなごめる空は夕かけて見む

まだ白き野火のけむりの春じめりゆふべは靄にこもらひにけり

春はまた山辺の子らが防ぐ火の走り火あかく燃えて暮れつつ

なごやかに今日もありけりさみどりの蕨(わらび)は結(ゆ)ひて灰汁(あく)にひたしぬ

春山は杉も青みていつしかと鶯の声が鶸に代りぬ

春といへば青き鱗の杉の花粉にふきいでてうち霧(き)らふめり

ほたほたと掻きて垂らせる朱のうるし榛(はり)の雄花は春早き花

人言(ひとごと)よほとほといとへ寂しくてえは堪へずけり春をこもるは

春いまも前の小藪の花なづな見つつすべなし見てをのみゐる

誰か知る人か来けらし蕗の薹の大きさ愛づる話声すも

春の靄こもらふみれば木いちごの一重のしろき花明るなり

直土(ひたつち)の春のしめりに今朝見えてすれすれを飛ぶ柔(やは)き蝶なれ

山吹の咲きしだれたる※(「窗/心」、第3水準1-89-54)際は子が顔出して空見るところ

褪(あ)せやすき蘇枋の花にふる雨のやや夏めきてまぶしもよ今朝

蕗の葉に薄翅(うすば)の蜻蛉(あきつ)匍ひいでて日の照らしふかし夏は来(く)らしも

浅々(あさあさ)に夏はみどりの花つづる新桑(にひくは)細枝(ほそえ)見るべくなりぬ

桑の芽にかがよふ雨の大きさよ肥桶積みて馬曳きて来も

雨あとや虎杖(いたどり)の芽のくれなゐは踏みてやわらかし斑萌の氈(かも)

陽に向ふ山路は暑し雨ばれのきらきらし黒き砂金の光

山村の水之尾村は落ちたまるつばきの紅(あけ)に今日にぎはへり

水の辺の馬酔木(あしび)の若木小さけれどほのかに群れて花つけぬらし

この春や水車が立つる水だまの早や大きなり芽柳のもと

桐畑はほほけし薹の数よりも蕗の葉おほし春も過ぎつつ

この里も春過ぎたらし篁のおもての照りに人が田を鋤く

よく湿(しめ)る萱屋は低し新芽(しんめ)ふく一本(いつぽん)の茱萸(ぐみ)の銀鼠(ぎんねず)の雨

山ゆゑに深山つつじも咲きたらむ明うなりぬと眺めてくだる

日は午なれ明神ヶ嶽の裏空に山火事の煙ただならぬかも

一
わが※(「窗/心」、第3水準1-89-54)の孟宗竹(ちく)にふる雨はややまだ寒し書(ふみ)を読みつつ

藪かげの吾が宿ゆゑにふる雨の幽けさ満ちてこもらひにけり

二
白檀(びやくだん)の幽(かそ)けき花にふる雨の雨あし繁し細く見えつつ

三
わが宿の竹の林の春の暮仏焔ふかし蒟蒻のはな
註・仏焔とは喇叭状の花の前に垂れたるもの
わが宿の竹の林の春湿(じめ)り昼やや闌けて軒に音あり

四
このしめる雨や春雨木の間(ま)ゆく馬のしりがひ紅(あけ)褪せにけり

一
藪華曼は紫けまんとも云ふ、紫雲英に似て紅紫色の花穂をひらく。

朝なさな洗面室の※(「窗/心」、第3水準1-89-54)あけて眼に露けきは藪華曼の花

裏藪の竹の根方の藪華曼花紅うつけて早うしぼみぬ

二
髭からむ藪蒟蒻の太茎(ふとぐき)は春し闌けたれ立ちのけうとさ

紫の藪蒟蒻の花かげはまだ土ふかき蟾蜍(ひき)の隠(こも)り処(ど)

春の藪くぐもる蟾蜍(ひき)のふたたびと声つづかねばひとりうとしも

三
わが宿の竹の林をのぞく子はつばきのあかき首環かけたり

四
朝なさな湿(しめ)り親しき竹の根に筍生ひてうれしこの頃

春過ぎて夏来にけらし筍のみづみづし根の紫の疣

疣多き根太(ねぶと)筍(たけのこ)その根掘り紫ふかき畑にほふり出す

春はいま吾がかきさがす筍を隣の藪も気にはずむらし

土かむるいまだ幼き筍は落葉掻きわけ指に掘り出す

一
梅もややひらきそめたりたまさかは詣でて見ませ山の寺にも

わが宿は土間にも外(と)にも若竹のさやにのびつつ白露むすぶ

二
伝肇寺春は老木の花つけてこちごちに明る山のしづけさ

山寺は緋桃しら桃枝あまた剪りて売りけり花の盛りを

三
寺ずみの二人の媼(おうな)さみしからむ眺めては居れど花の向うの空

四
出で入りに紅(あか)し紅(あか)しと見し椿山門のわきに落ちてかさみぬ

坊が妻あかき椿をひろふ子のうしろ出でゐてあはれなるかも

五
この春も巡礼講を率(ゐ)て行くとあるじの僧はあわただしまた

日は永し巡礼講の寄合(よりあひ)の媼(おうな)が念仏(ねぶつ)山ざくら花

六
今はまだ梅の実小さし小糠雨のやや繁くして寺は寒かり

花めぐる父の御坊はいづらべぞ留守もる子らが見やる春雨

山寺の春も闌(た)けたり秋田蕗の大きなる葉に雨は音して

七
大和路の花より帰り三日四日は落ちゐぬ僧か筍掘りをる

いつまでか栗のこずゑのあはれなるとなりの榧も花をつくるに

八
山寺は庭を畑とし馬鈴薯(じやがいも)の根薯埋めたり秋待たむとす

白芥子の芽も葉も茎も食みつくす寺の小矮鶏(こちやぼ)の追へどまた来る

九
片開く※(「窗/心」、第3水準1-89-54)に猫ゐて何の木か障子にうつる春の日の寺

この寺は葬式(とむらひ)とぼし花蘇枋いつしか褪せて葉のこぞり出ぬ
註・住職は秋田の人なり
    §

たまさかは掃かれし墓か杉の花またすこし散りてそこら湿(しめ)りぬ

閼伽水にこまかに溜る杉の花今朝見ればみな浮きし沈みぬ

    §

墓地裏を肥桶載せてゆく駄馬の嚏(くさめ)大きなりまめんぶしの花
註・まめんぶしは灌木にして可なり高し。春、淡黄色の花房を垂れる。その形赤楊の花と似ている。
素木(しらき)の卒塔婆のへりに来て跳(は)ぬる※(「虫+奚」、第3水準1-91-59)※(「虫+斥」、第3水準1-91-53)(はたはた)の子のさみどりの翅

朝咲きて夕べは凋む木芙蓉(きふよう)の花の紅(あけ)ゆゑ水うたせけり

毎朝、郵便夫来る
藪かげにあかき芙蓉のさく小舎(こや)をみみづくの家と知りて来にけり

朝光(あさかげ)にあかき芙蓉をほめてゐてすがすがし妻と麺麭(パン)もぎり食ふ

静ごころ闌けつつにほふ木芙蓉の顕気(うつしけ)もなき真昼なるかも

地震(なゐ)の間も光しづけき秋の日に芙蓉の花は震ひつづけつ

吾が宿の朝光(あさかげ)ごとに咲く花の芙蓉の盛りおとろへにけり

篠の秀(ほ)にすでに夕べの大き露のぼりゐにけり生けるもののごと

篠の秀は露を保てり揺りつつも涼しかるらむ涼しとを見つ

篠の秀の露のしら玉揺れつつや揺れつつし太(ふと)る光放てり

篠の秀に光放てる露の玉ひとはじきしなば飛びも散りなむ

篠の秀に照る大き露子が指に触れしむとしてあやふく止めぬ

竹の根にほのかな花が咲いてるといふ真(まこと)にほのかな藪茗荷の花

竹の根の夏の朝日に花つけてほの涼しきは茗荷ならむか

朝顔の露の干ぬ間と木の馬のくるまつけをり妻とかがみて

胡麻咲きてほのかに紅(あか)き日たむろは珠数かけ鳩の呼び鳴くところ

白き月指さす吾子(あこ)は唐黍(たうきび)の実の房にすら脊丈及ばず

この秋はいよよあかるき葉鶏頭(かまつか)の三(み)もと二(ふた)もと見てを過ぎなむ

この秋よ、雲は白うて、事もなき世にしあるかな。山村はここの水之尾、樋のへりにみそ萩さきて、みそ萩に水だまはねて、水ぐるまやまずめぐれり、その水口(みなくち)に。

反歌
水ぐるままはる樋口のかがやくは夕日か水にさしあたるらし


伊張山(いはりやま)老木の藤の花房に霧かとも思ふ雲の通へる

夏はまた伊張の山のやまもものこぼれ日しるくなりにけるかも

花明る桐の木原の前の田は早や水張れり紫の水

髪につく楊(やなぎ)の絮に気はつかず先あゆむ妻よ乳母車押して

風にのる楊の絮はすかんぽの花の崖越えて光りつつあり

乳母ぐるま押しつつのぼる日のくもり一木は白きからたちの花

日盛りの山からたちも棘の秀に乏しき花を白う保ちぬ

松の花黄に立ちそろふ日おもてを幽かに霧らふ雲のかげあり

山ゆけば照りつつ涼し青羊歯の淡き胞子も夏ならむとす

何の草掘りてゐるらむ日だまりの風脇に小さく妻はかがめり

松山に子が母待つと乳母ぐるま停めてをりけり松蝉のこゑ

早や早やも松蝉鳴けりききてゐてこの松山も暑しと思ひぬ

熟れ麦は照り眩(まぶ)しかも乳母ぐるまの子が寝顔には幌をかけなむ

昼ふかき日の照りながらほのぼのと南天の花はいまだふふめり

伝肇寺桃の茂りのいぶせくてきのふもけふも雨は降りつつ

おぼおぼしく桃の茂り葉見て暮るる山寺の子らに雨の夜は来ぬ

坊が妻梅雨(つゆ)の雨間(あまま)を出てはたく梅の実円し早や色づきぬ

乳母ぐるま傘さしかけて出でにけり梅雨のあがりを寺の外まで

この寺のはひりの径(こみち)わびしけどまだしも明る釣鐘草の花

霖雨(つゆ)しげし大き蝙蝠傘(かうもり)低くさし女(め)の子なるらし坂のぼり来し

朽ちかさむ椎の落葉の霖雨じめりいとどにしろきどくだみの花

梅雨の寺湿らひふかし栗の穂と※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)(も)ぎ後(あと)の梅の葉のにほひして

寺わきの乏し穂麦を刈るひとは日暮(ひぐれ)息(せ)き来る雨間うれしみ

寺わきを雨間せはしみ刈る麦は根に息(せ)き殺(そ)げりひとにぎりづつ

雨に刈る麦の手づかみひとつかみほさりと伏せていそぎ次ぎ刈る

山寺は麦刈りはてしこの夜さり唐藷(からいも)の葉のみ雨に音しつ

朝かげに早や咲きそろふ木はちすの一重の白き花を楽しむ

焼場道ややに咲きつぐ木はちすのよき朝光(あさかげ)となりて来らしも

花木槿(はなむくげ)いよいよ深しこの道や焼場へはひる道にかもあらむ

朝かげに咲きてすずしき木はちすの夕光(ゆふかげ)も見ずときけばかなしき

    §

風立ちて夕光(ゆふかげ)あかし刈り棄てにそこばくねかす夏そばの花

夕光のさわさわ早稲(わせ)の穂の間(あひ)にはや咲きまじる白胡麻(しろごま)のはな

山畑(やまばた)の独活(うど)の繁りに風立ちて秋来と云はば驚きなむか(消息)

藪抜けて唐藷(からいも)畑にそよぐ穂の猫じやらし吹く風も秋なり

昼の間はここの山家(やまが)も日の照りて鶏頭あかし童(わらべ)のみゐる

外庭(そとには)のかの夕光にさく蓼(たで)の紅きを見れば風出でぬらし

夕光はあはれなれども犬蓼(いぬたで)の花穂はうれし揺れの重くて

籠ながら涼し花もつ秋草はその馬柵(ませ)越しに黒馬(あを)が食みつつ

山はまだ毬栗(いがくり)あをし日のすゑにつくつくほうし鳴きしぐれつつ

外庭(そとには)に日暮れてはこぶ木の鉢は何の粉か盛る白き粉のいろ

震災以来、広大なる隣の別荘への出入自在なれば、行きて遊ぶも心のままなり。素にして悠たるかな。この秋や。

秋さきてほろろこぼるる茶の花の日和みじかき世にしありけり

乏しくも今は足りつつ茶の花のにほふ隣を楽しみにけり

日あたりの広きお庭にまとゐしてわかつ昼餉は足らずともよし

この園の柑子の実りゆたけくていよよよろしき秋たけにけり

常なしと常に観つつも茶の花のにほふ日向ぞ寂びてよろしも

山水にかよふこころはおのづからこの茶の花にかかはりにけり

山ごもり月日も知らず茶の花のにほふ日ざしにあひにけるかも

この庭のこれの日向よ寄り寄りにねもごろならむ茶のはなはみて

破(や)れ焜炉ほのにあほがせ茶の花のにほふ日向に茶を立つらくは

まゐり路の寺の日向の茶の花も咲きていくらかこぼれたるべし

茶の煙こもらふ芝のなぞへ原日のあたる辺が薄うもみでぬ

枯芝にそこらくまじる豆蓼のまだ紅き見て食むむすびなり

吾が子は飯をこぼしてやまず
飯粒つく草のもみぢをあはれよと払ひつつゐて暑し日ざしは

箸もちて赤き蜻蛉(あきつ)の影慕ふ吾子なりけり豆菊のはな

妻は去年の実ならんといふ、われは今年のならむといふ。
日向辺はややほの紅き枯芝に茶の実こぼれて秋ふけむまた

目にとめて拾ふ茶の実のかそけさよ二つ三つ四つ手に鳴らしつつ

お茶の実を拾ふ吾子に着すべくは紅きスエタアもほころびにけり
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なまよみの甲斐の須成(すなり)のよきをぢさ山葵(わさび)持て来ぬ春日よろしみ

太茎(ふとぐき)の八尺(やさか)の独活(うど)のひとくくり無雑作にさげて笑ひ来(く)爺(をぢ)さ

薄あかき秀(ほ)はそろはざれ大き独活(うど)縄にくくりて二十本はあらむ

ほら見よと独活を持て来ぬ子を連れて見にも来よちふ畑の大独活

天そそる不二のうらべの山畑のまだ紅(べに)ふふむとりたての独活

山百合の大き根七つたびにけり植ゑてながめむ庭の七ところ

あしびきの山百合の根は冷たけど百合の息満つ層太(かさぶと)の球

ひと球づつ百合の根埋めてこのところ百合の芽出むと帰れり爺(をぢ)さ

爺さ云はく
山べにはやたら生へたるつくつくし都はかしこつまむほど売る

春浅き山田の畔(くろ)の草木瓜(くさぼけ)は刺は繁けど地面より咲く

渋柿の青柿漬けて味噌の香の染みつつ柿も味噌もうましも

椎茸や秋は持て来むみ山べは椎も老いたりさはに朽ちたり

干柿の粉をふく冬の日あたりのほのりほのりと老いて足りつつ

おほらかに不二の裾廻(すそみ)の湖五つ見てとめぐりて来(きた)らせ我脊

山越すと脊負梯子に樽つけて男子揺り脊負ふ須成少女ぞ

山越すと山の少女が脊の樽に乗りても見ませ乗りおほらかに

紫の通草(あけび)の房の数花のかぞへて待たむ君が来(こ)らす日

口ひびく山葵磨りおろし不二川や水上の瀬々のたぎち忍ばむ

山葵田の砂田片附きたぎつ瀬や不二の雪解の水泡(みなわ)はも巻く

山葵植ゑ独活を分けつつこのあした我ゆたかなり足りて遊べり

太茎のくれなゐあさき秀(ほ)の独活は吾がよき方へ褒めて分けなむ

紅(べに)あさき独活の酢びたしよろしなべ楽しむ酒はふふみふふみのめ

この春はとなりの御坊水たびず井の辺のつばきただに紅みぬ

となりびと日ごと言痛(こちた)しくれなゐの椿も藪に落ちそめにけり

花多(さは)に老木の梅の明れるは盛りみじかくなりにたるらし

繁(しじ)に出て帰れば吾子のいふ言(こと)のこのごろ痛しおぼえそめにき

赤い鳥の選稿了へず蕗の薹立ちほほけたり花はじけつつ

今朝見れば花壇荒れたり足跡の大き吾が子にまたおどろきぬ

湯にをりて我と子と聴く春雨は孟宗と梅にふれるなるらし

ロダンのユウゴーの首を見てゐる子かすけき地震(なゐ)に夜を驚きぬ

真夜中を紅き太陽見むと欲る吾が子はをさな※(「窗/心」、第3水準1-89-54)べうかがふ

木曾川橋畔にある、雀の宿の主人(児童の愛護者)来りて、その丘の命名を乞ふ。乃ち

君が丘遊ぶ童の多(さは)ならば童ヶ丘と名づけたらなむ

童らと朝な夕なに遊びゐてけだし倦みなば遊ばぬぞよき

風たちてこまかに落つる竹の葉は日の照る方へみなちらふなり

竹の苞(つと)しきり散らへり日向辺の音のかそけき家(や)のはひりかも

世を挙げて心傲ると歳久し天地の譴怒(いかり)いただきにけり

地は震へ轟き亨(とほ)る生けらくやたちまち空しうちひしがれぬ

この大地震(おほなゐ)避くる術なしひれ伏して揺りのまにまに任せてぞ居る

言挙げて世を警むる国つ聖いま顕れよ天譴(みいかり)下(くだ)りぬ

大君(おほきみ)は天の譴怒(いかり)と躬(み)自(みづか)ら照らす御光(みかげ)を謙(を)しみたまへり

国民(くにたみ)のこのまがつびは日の本し下忘れたる心ゆ来れり

大正十二年九月ついたち国ことごと震亨(しんとほ)れりと後世(のちよ)警め

篁に牝牛草食む音きけばさだかに地震(なゐ)ははてにけらしも

牝牛立つ孟宗やぶの日のひかりかすけき地震はまだつづくらし


冬ごもりうらさびぬらし。隣べは日のあたるよと、萩も枯れ萱も枯れぬと、よろしよと、見つつぬくもる、吾が和ぎごころ。

反歌
おのづからうらさびぬらし萩の戸のへだての垣も枯れて匂ひぬ

つれづれと眺めあかぬを、枯れしとて萩は刈られぬ。ほほけしと薄も刈りぬ。ほのぬくみ刈りつる人も、うちたばね、かつぎていにぬ。日あたりの、となりの庭の、そのよろしさを。

反歌
枯れはてて萩は薄は刈られける日のたむろべのよろしみ来るを

土見れば土の香(か)立つを、はなはだし、春はをさなし。蕗の薹いづらにふふむ。つくつくし萌え立つやいつ。置く霜のややに浅くも、こぬか雨ややに繁くも、裏藪や、菫さく辺(べ)の、いまだなじまず。

反歌
隣べの春もをさなしたき火して梅のつぼみをしたしとを見れ

寺の井のぽむぷの把手(とりて)今朝見れば春雨しげし動かしにけり


かにかくにうつろふ冬や、隙間洩る風を寒みと、破(や)れはてし家にこもると、はららうつ雨のこまかに、置く霜の置くと解くれば、ふる地震(なゐ)のふると消(け)につつ、おのづから霞立つ日ののどけくなりぬ。

反歌
いつしかとなごみ来ぬらし向山(むかやま)の地震(なゐ)の壊(く)え土萌えかすみつつ

冬ごもり、こもりあかねど、寒き日は吾(あ)もちぢまりぬ。春まつと妻は急(せ)けども、のどならむ家も壊(く)えたり。子が愛(め)づる薄葉鉄(ブリキ)の太鼓、その紅(あか)き片面(かたも)剥げしに、土盛りて、せめて植ゑむと、福寿草霜に抜き来ぬ、二株三株。

反歌
児が愛(め)づる薄葉鉄(ブリキ)の太鼓剥がれたり植ゑて眺めむ福寿草のはな

おもしろの春や、この朝、花しろき梅のはやしに、をさな鵙(もず)来てををりける。草餅の蓬よろしと、黄粉(きなこ)つけ、食みつつきけば、いはけなの鵙や子の鵙。ふふみ音(ね)の、まだなづむ音(ね)の、うぐひすの鳴まねびをる。頬白のふりまねびをる。しづ枝(え)ゆり、ゆり遊びをる。移り飛びをる。

反歌
梅おほきとなりやかたは明るくて花のさかりををさな鵙飛ぶ

春鳥の枝(え)に揺る声の、ゆく水のかがよふ音の、朝風の松のひびき、夕風の小竹(ささ)のさゆれの、おのづから我よあはれと、あはれにも恍(ほ)れて、しらべて、あるべきものを。

反歌
一(ひと)いきに歌ひ成してぞおもしろきこのごろくやし思ひ凝りつる

子よあそべ、父も遊ばむ、母呼ばむ、来り遊ばむ。日あたりにつくしも立ちぬ。つくしべに蓬も萌えぬ。枯萱の裏むらさきの、ほのぬくみ、かがやく根には、あなあはれ、白きなづなの花も群れたる。

反歌
うらなごむ春日よろしみ蓬生(よもぎふ)や花のなづなを踏みて暮しつ

匂だちとみに春めく蓬生の下べのしめり踏めばかなしも

春の草まだやはらかしとりまぜて摘むとためけり子らが帽子に

土筆摘み、妻と子と摘み、うすあかき土筆の茎の、緑だつその秀(ほ)の粉(こな)の、かなしとも吾(あ)が妻も摘め、をさな児もしみみ摘みをる、そのをさなさを。

反歌
一(ひと)つ一つ摘みし土筆をつくづくとまた植ゑてをりもとなをさな児

鍬入れて、繁(しじ)に篩(ふる)ひて、掻きならす土はよき土。春雨のよべのしめりに、けさ蒔くや、種子はひなげし、金蓮花、伊勢のなでしこ。向日葵は間(ま)をよくあけて、枇杷のべに糸瓜は寄せて、蒔かずしも朝顔夕顔、おのづからまかせたらなむ、垣の根かたに。

反歌
盛り土に足あとつけて子も蒔くと画(ゑ)の種ぶくろ日にかがやきぬ


このごろはくつろぎにけり。歌よめばよくもあしくも、墨磨れば濃けれうすけれ、うれしくも恍(ほ)れて書きけり、かなしくも恍(ほ)れて書きけり、ただ楽しみて。

反歌
歌ふらくおのれ楽しむものならし楽しみてあらむひとりこもりて

爺(をぢ)が張る四つ手の網に、月さしていろくづ二つ。その魚のくちびる紅(あか)き、この魚の脊の鰭青き、現(うつつ)とも思(も)へばつめたく、幻と見れば霧(き)らひつ。けだしくも息づく物の、水よりは空や明るき、水離(さか)り空やさみしき。春浅き潯陽江の、この月の魚。

反歌
月蒼き潯陽江の春浅しふなべり低め四つ手張りたる

たださへや月の光は霧らふらし四つ手に跳ぬる水の江の魚

口あけてぽちりと紅くそめにけり小さき木彫のいつくしき魚


魚売りの爺(をぢ)が日永や、ふち広(びろ)の菅の編笠、たよたよと担棒(おほこ)かつぎて、はらはらに片手まはして、前籠に魚かすくなき、後(あと)の籠魚か多かる。後の籠地にしひきずる。重かるらしも。

反歌
菅笠の爺(をぢ)が日永となりにけりになひの籠のうしろさがりに


米つくと、杵は踏みゐつ。雁射ると、弓弦(ゆづる)張りゐつ。足に踏む、をかしかりけり。手にし張る、あはれなりけり。米つきは下べ見てゐつ、雁射るは空べ見てゐつ、とざまかうざま。

反歌
米つくとうつらうつらに踏む杵のこなた踏むなべかなたあがりぬ

雁射ると弓弦(ゆづる)ひき放ち反(そ)る弓の小手にくるりとかへりたるらし

高砂の牡丹社の子か、命こめ、荒く彫りけむ。つたなけど静立つ牛の、をさなけどゆゆし力や。男ごころよひたぶる恋ふと、下ふかく燃ゆる思の、えは堪へね、なほし堪ふると、遊びつつ遊び彫りけむ、くるしくも寂びて寂びけむ、外(と)には見せずも。

反歌
荒彫の木彫の牛のみぎり角ほきり欠きたり思ひかねきや

父のごと眺むとすらしこれの子や春山霞ながめつつ来も

女童(めわらべ)が脊(せ)に結(ゆ)ひかつぐ弟(おと)の足触りつつ蹴(け)をり伸びし芽麦を

佇(た)ちて見ていよよ歩まぬこれの子を甘菜吸ひほけ遊ぶ子らはも

この道よ踏むにはやはき虎杖(いたどり)の斑萌(むらもえ)あかし子が手曳き行く

畑垣の風防(かざよけ)木槿(むくげ)枯れはてぬ春の日ざしのかがよひにけり

崩(く)え崖の櫨子(しどみ)の蕾朱(しゆ)の褪(あ)せて雨の跳(は)ね土(つち)しみみ附き見ゆ

電柱に吾子(あこ)は耳あてうつつなし蕾のたんぽぽが帽に光れる

山ゆけば春は恋(こほ)しき仏の座子と目につきてうたたかなしも

円丘(まるをか)の芽麦の畑に子が立つと後(あと)山しろし雪ひかりつつ

櫨子さく畦と見てしか帰さには忘れゐにけり子と行き過ぎぬ

空は見て頭(あたま)がちなる子がひとり雑草(あらくさ)の香の照りのしづかさ

天(あま)づたふ日はまだ闌(た)けず草ぶかにはずみてこもらふ幼な吾が子や

雑草(あらくさ)の花の盛りは長からじ垂髪(たりがみ)ゆすれをさな垂髪

草の香にはずむ吾子(あこ)ゆゑはてはなしあはて角力(すま)ひて父はころぶを

あれを見よ荒地野菊ぞ、こを見よ帚草(ははきぐさ)ぞ、藜こそ葉茎にも知れ、こすもすの入り乱れたる、それ見よと、父母ぞわれら、草いきれ暑きさなかを、立ちまはり、早やをへむぞと髪刈ると、よき篁に、子を坐らせて。


反歌
秋づけど草の香暑し子が髪の垂りいとほしみ愛(を)しみ刈り居る

草深野月押し照れり咲く花の今宵の莟(ふふ)み満ちにけらしも

雑草(あらくさ)の花咲き煙る夕月夜まうらがなしも歩きて見れば

たわみ飛ぶ鳥影見れば雑草(あらくさ)原臈たき月の光照りたる

りりとして鳴く虫の音は夏蕎麦の月の光に闌(た)けにたるらし

山に経る吾が幾秋ぞ目にとめて実のかなめなどしみみ見知りぬ

毬栗(いがくり)の目につきそめて染(し)む声の寒蝉(かんぜみ)ならしつくつくと啼けり

山はまたつくつくほうし鳴く声のめねくすずしき秋立ちにけり

いなのめに茅蜩(かなかな)啼けり子は覚めてすでにききゐつその茅蜩を

茅蜩の啼きづるきけば眉引の月の光し白みたるらし

一つ啼く茅蜩ときくに音につぎてこもごもに啼く朝明(あさけ)の茅蜩

春の明けを清(すが)し茅蜩音に湧くと吾が心神(こころど)よ揺りつつ透る

童(わらはべ)のたまゆら寝覚めあはれなり茅蜩の声はききてねむりし

二階に臥(こや)りて久し向日葵の今は垂れたる萼(うてな)のみ見ゆ

向日葵は円蕋(えんずゐ)黒しまだ暑く子とかがみゐて痒(かゆ)き蚋(ぶよ)うつ

かぐろくも円き花芯(くわしん)や向日葵の花みな了(を)へて西日暑かり

青萱に朝は流らふ日の光また総角(あげまき)のうつら蝶追ふ

萱の根のいよよにほてる日のさかり口赤くあけぬ蜥蜴出で来て

返り咲く黄の山吹のはかなさよ砌の照りに影さす見れば

白檀の土用芽見ればかたへ乾す梅の赤きは塩にふき出づ

雨けぶる孟宗見れば昨(きぞ)の夜の颱風のなごりけだしこもれり

孟宗のしだりいぶせくなりにけりしたべ払はむ雨のすき見て

柿の葉にふる雨見ればつぶら果(み)のここだく青く頻吹(しぶ)きはねつつ

初夜後夜の虫の声こそあはれなれ時のうつりに音(ね)いろ代へつつ

耳とめて幽かに聴けや虫の音の一つ澄めるあればすだき満つるあり

一つゐてとほる声あり月あかりすがしくやあらむ揺りつつ鳴けり

蔵経に月の光ぞ満ちにける一つころろぐこほろぎの声

青柿に灯(ほ)かげさだまる夜のくだち啼く虫のこゑのひとつとほれる

秋づきて土に親しき物の根は見つつし親し寝ねつつし見む

おのづから細み来ぬらし日向辺の物のはしにも影の引きつつ

日おもての小竹(ささ)の靡きは明るけどしきりに涼し秋は来にけり

眺めつつ夕づきぬらむ竹の根の苧(からむし)の日ざしとみに移りぬ

臥(こや)りゐてつくづく久し萩の葉の露の一つに我目とめをる

真日中をとわたる月の臈たさよきのふもけふも海は荒れつつ

八朔の波の音とぞなりにけるおのづからにし秋は満ちなむ

竹の枝(え)に馬追啼けり良夜(あたらよ)の涼しきがほどをわれは湯を浴ぶ

夕花のおしろい咲けば水うちてそこらいつぱいに虫の音湧き来も

篠の秀(ほ)は露つきやすしかぎろひの夕の乳くばる音ちかづきぬ

枇杷の枝に星の生(あ)れ待つ夕涼をほのかに覚(さ)むる吾子(あこ)が声はも

あはあはし星の出(で)を待つ夕ごころうらひもじもよこの揺りごころ

篠の秀に露澄みとほる星月夜坐り幽けく吾も保たむ

秋は早や小竹(ささ)の根かたに水引のつぶさに紅(あか)し咲きにけるかも

こぼれ陽に小蓼すずしき朝の間は茗荷も秋の香に立つらしき

風たちてこまかに落つる竹の葉は日の照る方へみなちらふなり

竹の苞(つと)しきり散らへり日向辺の音のかそけき家(や)のはひりかも

篁にそよぎ閑(しづ)けき日の光吾子(あこ)が昼寝(ひるい)の時ちかづきぬ

篁に深うはひるは閑けくて夕づく秋の西日なりけり

葉茗荷にとどまる蠅の三つ二つ日向ま近き道の端(は)にして

藪茗荷ほのかに咲けば寺の子の誘ふともなく吾子も出でつつ

寺畑は夏もけうとし立ち茎の蒟蒻の葉の張りて澄みたる

夏はまだ夕かげ永き柴の戸にねもごろふふむ蔦の花かも

ひもじくて臥(こや)り暑けき夕凪はとうすみの翅(は)の来るもうれしき

病快し
夕かげの斜面の道ぞかびろけれ並らび駈けあがる我と妻と子と

この夜ごろひむがし親し大き星赤き火星の近づきにけり

水うちて赤き火星を待つ夜さや父は大き椅子に子は小さき椅子に

浪の音に妻とい対(むか)ふかかる夜は星合の空を来る小鳥あらむ

浪の音昼は忘れつ星合のこの夜すがらに高うおもほゆ

天の原広き夜頃も家ごもり我あわただし書きはつぎつつ

砂まじり白きザボンの落花(おちばな)の雷管に似し星の夜に思ふ

朝光(あさかげ)のおもてに見れば山松や全(また)くしづけく秋めきしかも

朝光よすずしとを見れ炒(い)る声の油蝉居ればにいにい蝉居り

小さき釣鐘は地上に据ゑたり、緋の射干咲けり
射干(ひあふぎ)の日射に隣る鐘の疣(いぼ)かがやき染まず秋にはなりぬ

伝肇寺老木の木槿朝咲きてかかる日射に地震(なゐ)はふるひし

憤る裸の子なれ地面(ぢべた)に寝て陽にはまぶしき眼をほそめ居り

小竹(ささ)ごもりひびかふきけば蜂の子ろ月の光に営みにけり

御堂跡にはやほろほろし白の胡麻月の光の射しにけるかも

円けくて隈ある月の明るさよ今宵は小竹の揺るる秀に見ゆ

    §

月の路やや移るらし昨夜(よべ)よりはいくらか風も涼しくおもほゆ

萩むらにすでにこもらふ虫のこゑ朝な夕なを隣りて住めば

萩すすきにほふ日頃の親しくて通らせてもらふとなりの道を

隣べは秋いち早し萩すすきながめまさりぬ道をうづみて

萩すすき観つつ隣ればうらやすし今さらかはす言のすくなさ

さしなみのにほふ隣となりにける萩見薄見楽しむ吾を

吾命(わぎのち)やまた若からじねもごろに身は省る時にいたりぬ

人常にすこやかならず朝露の藜のみどり観つつ飯(いひ)欲(ほ)る

「節酒の箴」を思ひて
朝顔の露の干ぬ間に食む飯はほの涼しうて白き飯ならむ

深き酒せちにつつすむ目醒(めざめ)あり茗荷の花を観つつ思ひぬ

病はかばかしからず
白き飯久しくとらず蓼の穂の粒だち暑き日のみつづきぬ

目にたたぬ門のかなめに咲きつぐと朝顔はよしからみてのぼる

置きまさる露にふふめど朝顔の明日咲く花もちひさかるべし

    §

眺めつつはかながれどもいや紅(あか)く百日紅は咲きつづくかに

百日紅花明らけし声ありて父よと呼ばふ子におどろきぬ

    §

ほのあかき立穂(たちほ)の薄光るなり愛(かな)しかる子とい寄りさやらふ

朝露の穂のまだあかき糸薄をさなかる子よ父は守らむ

    §

裏丘のなぞへすずしくなりにけり薄もあかき穂にそろひつつ

    §

篁に起居(たちゐ)すがしむきのふけふしみみに紅き水引のはな

穂に分きて水引紅き竹の根は常に濡れてよしその篁を

ほの寒く恙ある身のをさなさよ金水引の穂など引きつつ

くだまきは轡虫の異名なり、郷里にて用ふ。
宵はまだ啼くくだまきの気近(けぢか)くて照明笠(シヤンデリヤ)親し童話読みつぐ

くつわ虫爆(は)ぜて気近き外の藪に赤み恋(こほ)しき月円くあり

男童は啼き爆(は)ぜる音がよきならしくだまきよしと夜に喜びぬ

くだまきぞ宵は爆(は)ぜたれ子がい寝(ね)てすずむしの音のみ今は透(とほ)りぬ

浪の音とどろかぶらへうち消へず鈴虫の声がひとつ透りぬ

常よりは月夜明るき棕梠の葉に糸瓜さがりて風そよぐ見ゆ

良夜(あたらよ)と月はあかれど雑草の見ゆるかぎりは穂にさびにける

野分だち孟宗さやぐいなのめは朗らながらに月かたぶきぬ

テニスをはじむ、子も伴なり
野分だつ茅萱がむらに飛び逸れてテニスの白き球ははずみぬ

月は見てねむり吾が子か眉引のおほに明るみ下笑めるかに

小夜ふけて吾子(あこ)が寝顔のかがやくは望月の輪か照り宿るらし

子はいみじほのぼのとして交らふか父と母とのおもざしがあはれ

蟋蟀の啼くまも愛(を)しみ手ぐさとり母の乳ゆらにゆりし子は眠(ね)ぬ

蟋蟀の声澄みとほる夜くだちて睫毛(まつげ)の黒き吾子(あこ)をさまりぬ

母と子とまどろみ深き夜のくだち雨に浸(ひ)て沁む蟋蟀のこゑ

蟋蟀ぞしきり鳴きつげ夜越しふり冷えゆく雨の灯(ひ)に照らされぬ

童べに母の乳滴(した)る夜明がた蟋蟀の声は冷えてやみにし

外(と)の藪のあかつき雨や玻璃まどに電球の線の黄に映りゐる

一色と竹の葉に澄む暁(あけ)の雨硝子戸あけて音にし立ち来も

竹の葉にふる雨聴けばおのづから揺りはこぼれてまたたまるらし

澄みつつし音こそこもらへふる雨の垂りゆるがせり竹の葉竝を

雨の後緑冴え来る竹の葉のしたたる雫その葉映せり

孟宗の根に生ひまじる篠の葉のなびかふ見れば雨伝ふらし

竹の葉にふる雨観つつ時久しつぎつぎと幹を水ながれ見ゆ

若竹に百舌とまり居りおもしろと友が見にけむその百舌啼くも

おなじく夜雨
竹の葉に雨降り居らしま青くも灯影流らひ燃えゆらぎ見ゆ

芙蓉咲く※(「窗/心」、第3水準1-89-54)べに伏せてアルミ鍋飯櫃とよし朝日射したる

朝光に芙蓉咲き満つ茅の家(や)のしかすがによき吾が家かなしも

吾が童あかき芙蓉の門に居り秋の朝日の射しにけるかも

地のおもてまだ安からず咲きむかふ芙蓉の日射おぼにふるへり

ひえびえと百舌が音来る雨あとはまだ青柿の蔕も濡れつつ

百舌の鳥音に急(せ)き啼けばさえざえし夕風立ちて秋は来にけり

白芙蓉紅き芙蓉と層み咲き上なるがさびし白うにほひぬ

わすれ草茗荷をもがばほのぼのとその芽に白き花つかぬ間を

露じめるをさな茗荷の着る袷まだほのあかし早うもぎたり

香にさみし茗荷の花や日の洩れてまだし露けきひとつ房花

秋霖雨(あきづゆ)のふる雨長し地に抽(ぬ)けば茗荷の花も下冷えにけり

颱風のおどろ吹き分く花生薑タオルかかぶりそこら引き結(ゆ)ふ

草くづに蓼の紅浸(ひ)て垂り繁きこの秋雨や地ににじむべみ

鶏頭の葉の冷え青き雨あとをしみじみと集(よ)りて凝(こ)る心あり

鴨跖草(つゆくさ)に冷やき雨ふるこのあした夕刊と朝刊と濡れてとどきぬ

鴨跖草は何に咲きつぐ青梅の夏よりかけて秋霖雨(あきづゆ)もなほ

鴨跖草に交る嫁菜の雨なれば鉄条網の垣も親しき

鴨跖草の露と思へや数まさり綴れる見れば瑠璃の勾玉

朝なさな雨はふりつげ白萩のこぼれきらねば我は観るかも

二百十日つひに過ぎたり白萩のしるくこぼれて雨はららやみぬ

白萩の露分きかぬる子がつむりいとどしく愛(かな)しこぼれ花つけて

吾の子を愛(かな)しと思へば人の子と分きへだちつつ早やかたぶきぬ

自(おの)づ似て父の子なれや子は激(はげ)し堪(こら)へねば投げぬ手に触るるものは

葉鶏頭(かまつか)に風吹き添へば朱(あけ)なるやうれ葉火に立つ騒(さわ)めきにけり

葉鶏頭やうれ葉黄に立ちつぎつぎと下葉揺り煽る燃えうつるべみ

子よ見よや庭は燃えたつ葉鶏頭の獅子がしらにし今朝輝やけり

葉鶏頭の秀(ほ)の燃えたちてふる雨の長月の雨の霽るる間はなし

雨の夜は腸冷えやすし早寝して啼くほどの虫の音を愛(を)しむ吾は

聴くほどはすだきかなしき虫の声うちかたぶきて寝らえぬ吾は

ある虫は品まさり啼けまされるはひとり澄みつつ妙にさびしも

寄り寄りにすだく虫あり一連に継ぎは啼けどもかへてわびしも

二くさに三いろにもきく虫のこゑ夜の厠べぞわびまさりける

よく聴けば脊戸と庭とに啼く虫の音をし競へり脊戸のが鋭し

啼く虫は品にたがへれ聴くほどは声のかぎりに夜露愛しめり

一連(つれ)に啼きつつ早む草雲雀夜のほどろまでとほりて冷えぬ

暁近く思ひつのるらし啼く虫の今をかぎりとはたや澄みつつ

鶏(かけ)は啼け星の冷えにしふるごとき虫の音いろは夜明まさりぬ

弓張りの月の出おそくなりにけり南瓜畑のくつわ虫のこゑ

秋鳥かけだしさわたる耳とめて雨夜はせちに灯かげ守りゐむ

    §

薄月に小雨添ひ来る夜のふけは身の冷えしるし懐炉灰つぐ

雨の夜は虫の音継がず錠剤の三粒五粒取り出(で)噛み居る

    §

人の気の衰ふ夜々は眼(まなこ)光りうかがふ蜘蛛の大き影うつる

壊(く)ゑはてし家(や)ぬちの闇に鳴きはぜて轡虫は居り住みつくならむ

向日葵の蘂(しべ)の座黒う熟れにけり秋の日向もうらなつかしも

向日葵はいつしか花も了(を)へにけり輝かでよし眺めてあるに

五方(いつかた)に五つ了(を)へたれ向日葵の大きなる黒き円蘂(ゑんずゐ)よしも

向日葵の枯れたる蘂に雀来ていとまありげや種子つつき居る

向日葵の種つつくらし下向けて雀がつむり寂びにけるかも

向日葵の蘂も枯れたり揺り移り雀おとなしほどよき照りに

花了(を)へし大輪向日葵日に干して種子は鼠が皆引きにけり

竹の根に秀(ほ)の立ち赤き曼珠沙華この朝見れば数生ひにけり

曼珠沙華いまだをさなき秀の朱(あけ)に指にぎりゐつ今年竹の根に

子が素肌ただに涼しく見し藪に数赤きかなや曼珠沙華出ぬ

寺の山風冷え来れば曼珠沙華ただ咲きつぎぬ外(と)にも内にも

曼珠沙華そこらく赤き寺の山彼岸詣でのかげもふえけり

吾が庭もつひにわびしよ朝雨の藜がそばに曼珠沙華出ぬ

母が手に埋もる子ゆゑに曼珠沙華ひたと凝視(みつ)めて尿(しし)放つあはれ

親しくも幽けき秋や篁の外(そと)べの柿のうれ葉赤みぬ
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生方敏郎君来る
吾が宿の春深からず、梅しろく、小竹(ささ)の葉黄なり。霧雨のふれば幽(かす)かに、鶯の啼けばをさなし。ああ、友よ、一日は過ぐせ、この山のしづけさを。

柿双樹(かきふたき)、あれか双柿舎、春はまださびし梢や、かの丘よ、君おはすらし、白梅の盛りなるらし、このきり雨を。

おもしろの春の小雨(こさめ)や、うら向けに羽織かぶりて、※(「筑」の「凡」に代えて「卩」、第3水準1-89-60)(つゑ)かつぎ、石いくつ飛び、童(わらべ)さび、声うちあげて、翁こそ帰り来ましぬ。柿がもと、白梅がもとかうかうと帰り来ましぬ。先生らしも。


柿双木(ふたき)梅五三本(いつみもと)この庭の春しづかなり小雨(こさめ)流らふ

春雨の柿の老樹の根に映えて八つ手濡れ居り坐りつつ見ゆ

きさらぎのこのふる雨にさびしくていとどしろきは梅の花かも

ここに来てなにか素直になりたらし先生の面を描きゐつ我は

大き耳持たすものかもまむかひに描きつつし嬉し吾が先生を

先生の片頬明るは玻璃越しに外(と)の白梅の照り映ゆるらし

来(き)の宮はここかよと思ふかたへ川梅白くちりぬ石群(いはむら)が上に

行くところ梅咲き明る丘の道湯の気噴き立つ湯の町が見ゆ

目のかぎりしろき花のみすがしくて幽けかりけりまさに梅林

花しろき梅のはやしの日曇(ひなぐもり)せせらぎの音もかげりつつあり

松かげの草の菴(いほり)は目立たずて梅の花しろし埋むかに見ゆ(撫松菴)

花しろき梅の林の夕かげは目下(まなした)に見ていよよ閑けさ

尾羽黒き一羽の鶴の声なくてただ花ふかき林なりけり

吾が宿も梅の盛りかいちじるくむら小竹(ささ)が間の白うい照りぬ

待ち迎ふ吾子が声こそ駈け来なれ梅の花しろきその小竹やぶを

五日六日相見ざる間にこの吾子や眼さかしう父になじまず

梅しろし吾が篁(たかむら)に飯食むと旅のつかれも忘れゐにけり


眺めても眺めあきずよ、親しめば親しむがまま、幽けきもありのさながら、かかはらず、またさまたげず、竹は竹、我は我ゆゑ、竹がうれしも。

篁に竹を愛でつつ歳久しつくづくと思ふよく住みにけり

篁に酒を楽しむ閑かなりいにしへびともけだしこもりき

篁の南なぞへの日のたむろ世にうま酒を楽しみにけり

おのがじし竹にい凭りて日を浴びてねもごろ楽し酒をふふめる

日たむろの竹の根方の鈴菜ぐさ下萌青し早すずろぎぬ

篁に酒を煮つつし将た安しとなりづからに柿放(はふ)り賜ぶ

玻璃戸透く陽はかがやかず樽柿の皮むかせかじるペン画描きつつ

毛のシヨール照り柔かし卓に置きてうすうすと引けり※(「窗/心」、第3水準1-89-54)硝子の影

まさしくも鵯の音寒し※(「窗/心」、第3水準1-89-54)の陽に子とあたりゐてペン画まだ描く

破れ壁に冬の西日の澄むところ影親しかも※(「窗/心」、第3水準1-89-54)枠と桟と

※(「窗/心」、第3水準1-89-54)掛の皺みに残る日の光蠅ふたつをり離るとなしに

日にましに赤(あけ)の豆柿にぎはひぬ山の目白の数つどひつつ

み冬来て豆柿あかる屋(いへ)の空孟宗藪といつくしく見ゆ

子は起きて目も円らなり窓ぞひに豆柿が赤く一羽の目白

朝なさなふと目ざめつつ見るものに目白はうれし柿の実にゐる

柿の実に目白来てをり吾が見るとまだ知らざらし啄みほれぬ

玉つづるあけの豆柿よろしみとただに仰ぎて見てをる吾は

豆柿に目白群れ来る朝かげは※(「窗/心」、第3水準1-89-54)に面(つら)出し子と楽しみぬ

ひそけさよ小さき目白の枝越しに揺りつつきをりまんまろき柿を

小禽来てひと日楽しむ豆柿は吾(あが)楽しみて食(は)むにまかせぬ

豆柿に来ゐる小禽を仰ぐ子に竝び見あげぬものいひて吾も

豆柿に遊ぶ小禽のうらなさようつむけるがあり仰向けるがあり

豆柿に目白散らばりひそかなりたまたま来たる百舌の大きさ

柿食みにつどふ目白も寒からし孟宗の枝に移り啼きつつ

鵯来れば目白逃げちり百舌の声に鵯翔けり去りぬ赤きは豆柿

わが脊戸や熟(う)れて落ちたる豆柿は鼠が赤くかかへ去りにけり

下枝(しづえ)には寒き蔕のみ数ましぬこずゑの柿のいとど赤くて


のどけくもゆゆしき野火か山越しに黄色(わうじき)の煙(けぶり)ふた塊(くれ)あがれり

物の爆(は)ぜ聴きて越え来る峰の脊を向うに燃ゆる山の大きさ

山ふたつ揺りとどろけり燃ゆる火の火立(ほだち)の走り添ひのぼりつつ

しづかなる昼と思ふをまなかひを山ふたつ燃えぬとよみ合ひつつ

さうさうと空揺りとよむ走り火の炎の幅は山を領(し)らせり

山ひと山なだりともよし鳴りのぼる大野火赤しひろごりにけり

春まひる向つ山腹(やまはら)に猛る火の火中(ほなか)に生るるいろの清(さや)けさ

春山は霞揺り分き熾(さか)る火の火のことごとに火鳴(ほなり)澄みつつ

火は放てなにかのどけしうら霞み山かたつきて騒ぐ子らはも

先き先きと火は放つらし煙あがりしきりに白し山の根ごとに

心ぐく放つ炎のおぎろなし春山霞揺りて燃え立つ

山焼の飛ぶ火のあふりただならずまた燃えつぎぬとよみ響けり

篠の爆ぜたしかに深し向つ山鳴りしづみつつ火の渦巻きぬ

燃えさかる向つ山腹鳴り凄しみ雪踏みしき我は見にける

鳴り凄し山かた走る子等がかげおのが放ちし火にふためけり

春山の尾根もとどろに燃ゆる火のたちまちさびし消ゆらく思へば

物の爆(は)ぜ間なくとよめどうらかすみあたりの山のあやにのどけさ

大野火にいささか遠き山の尾をなづさふしろき雲にぞありける

うら霞みしかもしづもる山中を火の鳴りふかし聴きつつあるけば

向つやま山火消えはてひたさびしほのくれぐれを鶯鳴くも(小涌谷)

向つ山夕冷(ゆふびえ)早しくろぐろと此の面(も)のなだり焼け果てにけり

とりよろふ山の畳峰(やつを)の尾根ながら夕空ちかし火の赤みつつ

さねさし相模(さがみ)の嶺呂(ねろ)に燃ゆる火の夜ははた赤く見ゆる頃かも

尾根づたふほそき山火(やまび)の幾つづりつぎつぎ赤し今宵(こよひ)冷(ひ)ゆべみ

峰づたふ夜の火が赤しつくづくも言惜しみつつ今は下らむ

電は昆婆羅山と槃荼婆の岩窟に墜つ。斯の比倫なき(仏の児)は山窟に入りて禅思す。(シリクダ長老の偈)
電(いなづま)は槃荼婆山(はんだばせん)の岩に墜つ我も坐らむその電を
我竹叢の中にありて甘き乳糜を喫し、好く諸蘊を思念し心を遠離に専らにして、嶺を占得せん。(ゴーサラ長老の偈)

篁にもはらにそそぐ日のひかりゴーサラのごと我も坐らむ

この真昼我楽しめり南天のほのけき花もふふみたらしも

あきらけく我楽しめり竹の葉のしたたるみどり草と映らふ

吾庭の梅雨(つゆ)の雨間の花どころ藜(あかざ)しげりて青がへる啼く

輝かず降らず蒸す日ぞ日につづく藜の伸びのただに紅みて

となりびとまだ貧しかり食む物にうれ葉の紅き藜抜きに来

竹煮草ふふめば恋(こほ)し我と子とほのけく言(もの)を云ひつつ通る

夏すでに花穂立ちそろふ巨(おほ)き草西洋大葉子は吾子(あこ)より高し

ほのぼのとねぢ花紅し草に寝て今日明日生れむ子を思ふなり

子とかがむ外(と)の日の照りはかぎりなし蟻の移動のつばらかに見ゆ

    §

まさやかに今朝し垂りたりいついつと待ちにし栗のしだり房花(ふさばな)

梅雨のまをとなりの畑へくぐり出て落梅をひらふ吾が家の落梅

火の赤き蚊取線香けぶるなり子と対ひゐて饅頭食(は)み居る

走る汽車クレオンで描けといふ子ゆゑ我は描き居り火をたく所

白き蛾のほの紫のにほひ羽の脊の重ね羽にこの夜ら闌けぬ

日の射して蛾のしきり飛ぶ夕つかた見辛(みづら)くし居り紅き真萩を

藪茗荷花過ぎにけり帰り来てつくづくと子としいまだ遊ばず

竹の根にひとくきあかき曼珠沙華秋季皇霊祭の今朝見つけたり

白き猫ひそけき見れば月かげのこぼるる庭にひとり戯(あざ)れぬ

柿の葉の濡れてかぶさる木片(こば)屋根(やね)に夜ふけて来る月のかげあり

月よみの光すずしくなりにけり通草(あけび)の莢(さや)はいまだ青きに

宇都野研氏の庭
うち見にもなにか閑(しづ)けき秋ぐさのよきととのひや日ざしあびつつ

この庭の日の照るかたに咲きむれて紫苑はうれし秋づきにけり

野分過ぎ空うち晴れぬ朝戸出て梅の散り葉に目も染みにけり

影面(かげとも)の棚田の狭霧うらがなしこのごろきけば刈りつぎにけり

無花果に隣の御坊のぼりをりひとつふたつは食べにけらしも
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顔の上(へ)の蔽ひのガーゼとりにけりまこと死にせり鼻の尖りも

死顔のこの鋭(と)き鼻よこの伯母ぞ吾が母に最(もと)も辛(つら)く当らしき

強面(こはもて)の伯母なりしかなほそぼそと死にたまひけり白髪染して

伯母の子の二郎そだたきその御足そろへまつるに人皆泣きたり

二郎よ俺は泣くなり故は無し泣かじとをすれど声のさぐるに

伯母の御の死顔見れば土の鳩ほろこほろこと吹きし日泣かゆ

雉子ぐるま子の雉子のせて走りけり幼児われは曳きて遊びし

あかあかとこの夜灯(とも)さな亡き人もひたにさむきはおそれたまひき

目まぜして燗場(かんば)へつどふ夜の寒さ酒のたぎりがただ待たれつつ

通夜酒に酔へどけざむき夜のほどろ煮〆の昆布も青うねばりぬ

通夜の酒すぐさめやすし火は掻きて頭寒けば外套をかぶる

三宝の大き蕪(かぶら)にとりそへて人蔘はよし朱(あか)き垂鬚(たりひげ)

亡き伯母の笑(ゑ)まししをどり踊らましすべからくのめこのうま酒を

神あがり伯母のみ霊も見そなはせ涙垂りつつ手うちをどるを

きはやかに物の気の澄む冬の晴れ棺はゆきぬ影をしるして

野の窪の牧場にかがむ牛のむれ閑(しづ)かさすぎてかかはりもなし

競馬場の柵(しがらみ)白くこなた辺や蕪と大根(おほね)のなぞへ段畑

冬空のうつりて青き海のいろ火葬場道はゆきつつ高し

逝くものは影しとどめず風並(かざなみ)に冬の光も流れたりけり

冬空に煙突白くつき立てり伯母の棺もいたりとどきぬ

茶店にて売れり
人の世はつひに幽けし青竹の弾(はじ)き鉄砲に澄む冬のいろ

何しかも過ごし酔ひけむこの夜さり声あららげて人を叱りし

夜の神酒(みき)に我酔ひけらし斑鳩(いかるが)やほろこほろことまねて寝にける

少女どち中に寝よちふうれしくて雑(まじ)り寝にけり魚(とと)よと云ひて

うつし世の焼場の前の日のあたりぬるき番茶はすてて出にけり

骨(こつ)あげて帰る丘べの霜ぐもり常にもがもな人は咳(しはぶ)く

冬枯のアスパラガスに実はのこりそこらく赤し掻きわけにけり

礼まはりとざまかうざま日は寒し高き梢の頬白のこゑ

その製氷会社は従兄の経営するところなり
ほどほどに機械うごかす短か日の氷室(ひむろ)の氷見にも寄るなり

繁(しじ)に見てあつき涙のこぼれけり角(かく)の堅氷(かたごほり)のまつしろの罅(ひび)

鉄管に霜結晶し早やしろしアンモニヤ瓦斯はよく冷ゆるらし

外(と)にうごく夜鳥の影は大きけどさむざむとあり製氷の照り

鼻の垂りゆたにかいあげ象の子の物食める見ればその目笑へり

真向(まつかう)より皺だみ垂るる象の鼻どこからが鼻ぞ訊(き)いて見よ子よ

おもしろの象の鼻や食むなればあの鼻の下に口かもあるらし

子の象の寒けき見れば鼻の垂り振りは揺りつつひたすらにあり

高髄(たかすね)の毛に凍みこごるちらちら陽駝鳥は寒し張りてあゆみぬ

夕かげにゆるぎいでつつさむざむし駱駝は髯を反らしたるなり

へら鷺のついばみたらす黄の鰌家鴨ぬすまむ佇みにあり

軽鴨の池に遊ぶは寒けかりとりのこされし急ぎ追ひをる

春もまだ物書きいそぎいとまなし風呂立てさせて夕べ過ぎたり

早やあかる梅の下道走らして子が自転車の輪は走るなり

口あけばちやちやとのみいふ子に見せて萼(うてな)愛(かな)しきあちむきの梅

さるかたへとなりの御坊越されけり萼ばかりのしら梅のはな

母としか湯には入らずと子は云へりひとりひたれり梅の萼見て

梅の萼赤く見づらし湯にひたり水鉄砲を吾子(あこ)とはじかす

梅の蕊赤く毛ばだち雨しげし種痘のふれの今朝は来りし

恙ありてまゐるすべなしひたごころ堪へつつ献ぐ国おもふ歌

国おもふこころを堪へて我がこやる※(「窗/心」、第3水準1-89-54)べの春はいまだ浅かり

国おもふこころはさやぐ葦鴨の乱れて寒し波立つなゆめ

み民われ思はずあらめやおほきみの大御詔(おほみことのり)にあひにけるかも

国を思ひ御詔(みのり)伝ふと大鳥の立たしし君がきほひ猛しも
了

底本:「白秋全集 9」岩波書店
   1986(昭和61)年2月5日発行
底本の親本:「風隠集」墨水書房
   1944(昭和19)年3月20日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※小見出しよりもさらに下位の見出しには、注記しませんでした。
※「蕋」と「蕊」、「竝」と「並」、「」と「窓」、「蕚」と「萼」の混在は、底本通りです。
入力:岡村和彦
校正:フクポー
2017年12月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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