あらすじ
深い秋を迎え、酒に酔いしれた「僕」は、友人の酒井君への手紙を書こうとしています。酒井君との近況や近頃感じる秋の移ろい、そして都会を離れて過ごす今の生活について、率直な言葉で綴ります。酒井君との再会を待ち焦がれる気持ちと、故郷の風景が織りなす、切なくも温かい手紙です。
 酒井君! いつかは失敬! あれはタイガア・カフエだつたかしら? そしてこの前の君の手紙もああいふわけで(?)失敬したよ。
 手紙ありがたう、今もとても気の利いた感想なんてあるはずはないんだけれど、君の編輯後記を見ると、原稿を送つても寄こさない奴! 何とまあいやな奴なのだらうと云ふやうな意味がかいてあつたので、(そんなことがかいてあつたのかしらん、ほんたうに!)僕ちよつと憂鬱をおぼえ、そして、こんなに酩酊してゐるんだが、期日も間に合はぬだらうと思ひ、皆な皆な、ちよつと彼方へ行つておくれ、俺は今! 手紙を書かなければならないんだ――とまあ、かうあたりの者をしりぞけて、この紙に向つたのだ。
 酔つてゐると云つたつてオダハラの吾家だよ、にくむ勿れ、間もなく酒樽も空らしい。
 タイガアで君に会ひ、その後一ト月ばかり後にまた行つたので、酒井さんはゐないか? ときいたら、昨今はお見えになりませんと云ふので――邦楽座へ行つて、「オレンジみのる頃」とかいふのを見た。それきり、どうも、東京へ行かないらしい、恋しくもない。小田原も厭だ。夏の黒さが次第に薄れて行く、背中の――。
 夏中、フンドシひとつで暮したので稀に涼しくなつて着物など羽おると、変だ! でもハイカラな浜でなくて幸せさ、若し、オダハラでなかつたら、あんなミナリで泳いでゐたら、とうに、つかまつてしまつたらうよ。
 また書かう、これは手紙として棄ててしまへば幸ひだ、ともかく走筆で、くどいけれど、また、失敬!
 君の健康をいのる。酒は悪いが、栗と柿が盛んだ。

底本:「牧野信一全集第三巻」筑摩書房
   2002(平成14)年5月20日初版第1刷
底本の親本:「牧野信一全集 第三巻」人文書院
   1975(昭和50)年6月30日
初出:「黄表紙」
   1928(昭和3)年12月発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年7月14日作成
2011年10月1日修正
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