あらすじ
正ちゃんは、野球のピッチャーになる夢を抱き、ボール遊びが大好きですが、しょっちゅうボールをなくしてしまいます。ある日、またボールをなくした正ちゃんは、お母さんに新しいボールを買ってもらいますが、今度はしっかりと名前を書いておきました。しかし、遊びの最中にボールは、高い垣根を越えて隣の庭へ。正ちゃんはボールのことなど忘れて、庭で遊んでいる赤ちゃんに見とれてしまいます。しばらくしてボールは、親切な人に拾ってもらい、正ちゃんの元へ戻ってきます。ところが、新しいボールを手に入れた正ちゃんは、複雑な気持ちになります。翌日、正ちゃんは、なんとなく昨日なくしたボールを見つけてしまいます。それは、親切な少年が買ってくれたボールだったのです。正ちゃんは、少年への感謝の気持ちと、自分の不用心さの間で、葛藤する気持ちを抱きます。
 正(しょう)ちゃんは、いまに野球(やきゅう)のピッチャーになるといっています。それで、ボールをなげて遊(あそ)ぶのが大(だい)すきですが、よくボールをなくしました。
「お母(かあ)さん、ボールをなくしたから、買(か)っておくれよ。」と、学校(がっこう)へいこうとしてランドセルをかたにかけながら、いいました。
「また、なくしたのですか。二、三日前(にちまえ)に買(か)ったばかりじゃありませんか。」
「僕(ぼく)、ボールがないとさびしいんだもの。」
「いいえ、そう毎日(まいにち)、ボールばかり買(か)ってあげられません。」と、お母(かあ)さんはおっしゃいました。
「ねえ、お母(かあ)さん、もうなくなさないから。こんどから、きっとなくなさないから。」
「なくなさないと、なんどいいましたか。ものを粗末(そまつ)にするからですよ。」
「粗末(そまつ)になんかしないよ。だって、どっかへいってしまうんだもの。」
「おとなりの誠(まこと)さんなんか、おちついていらっしゃるから、おまえみたいに、そうものをおなくしになりませんよ。」と、お母(かあ)さんは、となりの誠(まこと)くんのことをほめられました。
「誠(まこと)くんだって、なくすやい。昨日(きのう)、上(うわ)ぐつを片(かた)っぽおとしてきて、お母(かあ)さんにしかられていたから。」と、正(しょう)ちゃんはいいました。
「じゃ、今日(きょう)は買(か)ってあげますから、名(な)まえを書(か)いておきなさい。」といって、お母(かあ)さんはボールを買(か)うお金(かね)をくださいました。
「ありがとう!」と、正(しょう)ちゃんはいただいて、元気(げんき)よく出(で)かけました。
「やさしいいいお母(かあ)さんだなあ。」と、正(しょう)ちゃんは心(こころ)の中(なか)で思(おも)ったのです。

 正(しょう)ちゃんは新(あたら)しいボールを買(か)って、それに「二年(ねん)一組(くみ) 山本正治(やまもとしょうじ)」と書(か)きました。正(しょう)ちゃんの帽子(ぼうし)にもハンカチにも、けしゴムにも、みんなそう書(か)いてありました。だから、学校(がっこう)の中(なか)でおとせば、拾(ひろ)った人(ひと)が先生(せんせい)にとどけてくれますので、また自分(じぶん)のところへもどってきました。たとえ学校(がっこう)の外(そと)でも、正直(しょうじき)な人(ひと)なら、
「ああ、あの学校(がっこう)の生徒(せいと)さんがおとしたのだな。」といって、学校(がっこう)へとどけてくれました。
 正(しょう)ちゃんはお家(うち)へかえって、「ただいま」をすると、お母(かあ)さんのところへいって今日(きょう)買(か)ったボールをお見(み)せしました。
「いいんですね。名(な)まえを書(か)きましたか。今年(ことし)から二年生(ねんせい)ですよ。」と、お母(かあ)さんが注意(ちゅうい)をなさいますと、正(しょう)ちゃんは、
「ほら、二年(ねん)一組(くみ)と書(か)いてあるだろう。」と、いって、お母(かあ)さんにボールをもう一ど見(み)せました。
「正(しょう)ちゃんはぼんやりしているから、また一年(ねん)と書(か)きゃしないかと思(おも)ったのよ。」
 そのとき、お姉(ねえ)さんが、
「ね、正(しょう)ちゃん、ピッチャーは、どんなかっこうをしてボールを投(な)げるの。」と、いいました。
「笑(わら)うから、やだあい。」
「笑(わら)わないから、ようおしえてよ。」と、お姉(ねえ)さんはいいました。
 お母(かあ)さんも笑(わら)いだしそうな顔(かお)つきをむりにこらえて見(み)ていらっしゃいますと、正(しょう)ちゃんはボールを持(も)った右手(みぎて)をぐるぐるっと頭(あたま)の上(うえ)でまわして、片手(かたて)をあげて投(な)げるまねをしました。
「まあ、すてきね。」
「僕(ぼく)の球(たま)は、それはカーブがあるんだから。」
「あまりありすぎて、球(たま)をなくすんでしょ。」と、お母(かあ)さんがおっしゃったので、お姉(ねえ)さんは、声(こえ)をたてて笑(わら)いました。

 原(はら)っぱへいってすればいいのに、正(しょう)ちゃんはせまい往来(おうらい)で、小(ちい)さい花子(はなこ)さんを相手(あいて)にキャッチボールをやっていると、正(しょう)ちゃんの投(な)げたボールが、からたちの垣根(かきね)をこして、向(む)こうの庭(にわ)にはいってしまいました。
「困(こま)ったわね、正(しょう)ちゃん。」と、花子(はな)さんがいいました。
「どこへはいったんだろうな。」と、正(しょう)ちゃんは、からたちの垣根(かきね)のあいだから、庭(にわ)の中(なか)を見(み)ていました。
 すると、ちょうど日(ひ)のよくあたるあちらのえんがわで、おばさんが赤(あか)ちゃんのおしめをかえてやっているところでした。
 お庭(にわ)の木(き)には、かきが赤(あか)くうれておりました。赤(あか)ちゃんは、なにがおかしいのか、けたけた声(こえ)を出(だ)して笑(わら)っていました。
 正(しょう)ちゃんはボールのことなど忘(わす)れてしまって、かわいい赤(あか)ちゃんの方(ほう)を見(み)とれていました。
「赤(あか)ちゃん、かわいいな。」と、花子(はなこ)さんの方(ほう)を向(む)いていいました。
「どれ、私(わたし)にも見(み)せて。」といって、花子(はなこ)さんも垣根(かきね)のあいだからのぞいて見(み)ました。
「僕(ぼく)んちにも、あんな赤(あか)ちゃんあるといいのだがな。」と、正(しょう)ちゃんはまたのぞいて見(み)ますと、赤(あか)ちゃんは、おしめをかえてしまって、おばさんにだっこして、笑(わら)っていました。
 正(しょう)ちゃんはボールのことをやっと思(おも)いだして、
「花子(はなこ)さん、拾(ひろ)っておいでよ。」と、いいました。
「私(わたし)、いやよ。正(しょう)ちゃんがいいわ。」
「花子(はなこ)さん、早(はや)くいっておいでよ。」
「おばさん、まりがはいったの。」と、花子(はなこ)さんがいいました。
 すると、男(おとこ)の声(こえ)で、
「いま、拾(ひろ)ってあげますよ。」といって、おじさんが拾(ひろ)って、こちらへ投(な)げてくださいました。

 あちらから、太郎(たろう)さんと誠(まこと)さんがやってきました。
「原(はら)っぱへいって、キャッチボールをしない?」と、いいました。
「ああ、しよう。」
 正(しょう)ちゃんはいきかけて、花子(はなこ)さんに、
「花子(はなこ)さんもおいでよ。」と、いいました。
「私(わたし)、お家(うち)へかえるわ。」
「また、あした遊(あそ)ぼうね。」
 三人(にん)は、原(はら)っぱへきました。太郎(たろう)さんのたまは、いちばん強(つよ)いのです。つぎが、正(しょう)ちゃんのたまです。誠(まこと)さんのは弱(よわ)くてそれたりするので、
「もっといいたまをお出(だ)しよ。」と、太郎(たろう)さんがいいました。
 このとき、向(む)こうで三人(にん)のまり投(な)げを見(み)ていた少年(しょうねん)が、
「僕(ぼく)もなかまに入(い)れてくれない?」と、いいました。
 正(しょう)ちゃんは、太郎(たろう)さんと誠(まこと)さんに、
「いいだろう?」と、ききました。
「ああ、いいよ。」
 そこで、四人(にん)はかわるがわるキャッチボールをしました。少年(しょうねん)のたまはなかなか強(つよ)いので、正(しょう)ちゃんや誠(まこと)さんは、たびたび受(う)けそこないました。
「君(きみ)のたまは、すごいんだね。」と、正(しょう)ちゃんが感心(かんしん)すると、少年(しょうねん)はもっともっと強(つよ)いたまを出(だ)そうとしました。
 そのうちに悪(わる)いたまを出(だ)したので、ボールはとおくへころがっていって、みんながそのあとを追(お)いかけてさがしたけれど、わからなくなりました。
「あんな悪(わる)いたまを出(だ)すんだもの。」と、太郎(たろう)さんがいいました。
 少年(しょうねん)は顔(かお)を赤(あか)くして、
「僕(ぼく)、弁償(べんしょう)してあげるよ。」と、いいました。

「君(きみ)、あやまったらいいだろう。」と、誠(まこと)さんがいいました。
「僕(ぼく)、なくしてすまないと思(おも)うよ。だけど、お金(かね)を持(も)っているから、買(か)ってかえすよ。」と、その少年(しょうねん)はいいました。
 正(しょう)ちゃんは、またボールをなくしてしかられると思(おも)ったけれど、
「みんなで遊(あそ)んだのだもの、そんなことしなくてもいいよ。お母(かあ)さんに買(か)ってもらうから。」と、いいました。
「僕(ぼく)、たのんで入(い)れてもらったのだから。」と、いいますので、太郎(たろう)さんが、
「じゃ、正(しょう)ちゃん、それでいいじゃないか。」と、いいました。
 四人(にん)は学校(がっこう)の前(まえ)へいって、お店(みせ)でボールを買(か)いました。正(しょう)ちゃんが、
「また、ボールをやらない?」というと、誠(まこと)さんも太郎(たろう)さんも賛成(さんせい)しましたが、少年(しょうねん)はお使(つか)いにきたのでもうかえらなければならないといいました。
「さようなら!」
「また、おいでよ。」
 少年(しょうねん)は三人(にん)とわかれて、さっさといってしまいました。正(しょう)ちゃんは、少年(しょうねん)の買(か)ってくれた新(あたら)しいボールを見(み)て、なんだかいい気持(きも)ちはしなかったのです。
「気(き)のどくなことをしたな。どうしても買(か)ってもらわなければよかったのに。」と、心(こころ)のうちで思(おも)いました。
 正(しょう)ちゃんは家(うち)にかえると、お母(かあ)さんにそのボールを見(み)せて今日(きょう)の話(はなし)をしました。
「どこの坊(ぼっ)ちゃんですか?」と、お母(かあ)さんはおききになりました。
「僕(ぼく)、知(し)らない。」と、正(しょう)ちゃんが答(こた)えると、
「これから、そんなときは、いいと、ことわるものですよ。」と、お母(かあ)さんはおっしゃいました。

 あくる日(ひ)、正(しょう)ちゃんは花子(はなこ)さんと原(はら)っぱで遊(あそ)んでいました。
「正(しょう)ちゃん、ここへきてごらんなさい。ありがなにかはこんでてよ。」と、花子(はなこ)さんがよびました。
 正(しょう)ちゃんが走(はし)っていくと、かわいらしい小(ちい)ちゃなありのむれが、なにかくわえて、列(れつ)をつくって走(はし)っているのです。
「花子(はなこ)さん、もう冬(ふゆ)のおしたくで、いっしょうけんめいなんだよ。」
 だんだんとつながり進(すす)んでいくありのむれを、二人(ふたり)は足(あし)ずりして追(お)っていくうちに、正(しょう)ちゃんは昨日(きのう)なくしたボールが、枯(か)れ草(くさ)の中(なか)にかくれているのを見(み)つけました。
「ボールがあった!」
 正(しょう)ちゃんはよろこびの声(こえ)を、あげました。そして、なつかしい自分(じぶん)のボールをにぎって、しばらくぼんやりとしていました。
「どうしたの、正(しょう)ちゃん? なくしたボールが見(み)つかったの?」
「僕(ぼく)、なくなったと思(おも)っていたら、あったのだよ。あの子(こ)に弁償(べんしょう)してもらって、どうしようかなあ。」と、正(しょう)ちゃんはポケットからもう一つのボールを出(だ)して考(かんが)えていました。
「誠(まこと)さん? 太郎(たろう)さん?」
「知(し)らない、あっちの子(こ)だよ。」
「きのう? 太郎(たろう)さんくらいの子(こ)でしょ?」
「そうだよ。」
「牛込(うしごめ)の兄(にい)さんだわ。正(しょう)ちゃんたちがボールをしていると私(わたし)がいったら、兄(にい)さんはとんでいったわ。」と、花子(はなこ)さんがいいました。
「じゃ、このボール、兄(にい)さんにかえしておくれ。」
「こんどきたら、かえしてあげるわ。」
 正(しょう)ちゃんは花子(はなこ)さんに、少年(しょうねん)の買(か)ってくれたボールをわたすと、気(き)もちがらくらくとしました。
 そして、自分(じぶん)のボールを力(ちから)いっぱい空(そら)に向(む)かって高(たか)く投(な)げあげたり、受(う)けたりして、遊(あそ)んだのであります。
了

底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社
   1977(昭和52)年8月10日第1刷
   1983(昭和58)年1月19日第6刷
※表題は底本では、「ボールの行方(ゆくえ)」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2015年5月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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