あらすじ
坂本竜馬は、この手紙で、菅野覚兵衛と高松太郎に、自身の身の回りで起きている出来事や今後の計画について報告しています。特に、最近遭遇した危険な出来事や、西郷隆盛との連携について言及しており、その内容から、当時の激動する時代の中で竜馬が抱えていた重大な決意と、困難な状況を乗り越えようとする強い意志を感じ取ることができます。手紙には、航海日記や西郷とのやり取りについての記述も含まれており、当時の状況をより詳しく知ることができる貴重な資料となっています。 拝啓。然に大極丸は後藤庄次郎引受くれ申候。そして小弟をして海援長と致し、諸君其まゝ御修業被レ成候よふ、つがふ付呉候。是西郷吉が老侯にとき候所と存候。福岡藤次郎此儀お国より以て承り申候。然に此度土州イロハ丸かり受候て、大坂まで急に送り申候所、不レ計も四月廿三日夜十一時頃、備後鞆の近方、箱の岬と申所にて、紀州の船直横より乗かけられ、吾船は沈没致し、又是より長崎へ帰り申候。何れ血を不レ見ばなるまいと存居候。其後の応接書は西郷まで送りしなれば、早々御覧可レ被レ成候。航海日記写書送り申候間、御覧可レ被レ成候。此航海日記と長崎にて議論すみ候までは、他人には見せぬ方が宜と存候。西郷に送りし応接書は早
天下の耳に入候得ば、自然一戦争致候時、他人以て我も尤と存くれ候。惣じて紀州人は我々共及便船人をして、荷物も何にも失しものを、唯鞆の港になげあげ主用あり急ぐとて長崎に出候。鞆の港に居合せよと申事ならん。実に怨み報ぜざるべからず。
早々頓首。
菅野覚兵衛様
多賀松太郎様
追而船代の外二千金かりし所、是は必代金御周旋にて御下被レ成るよふ御頼み申候。
別紙ハ航海日記、応接一冊を西郷ニ送らんと記せしが猶思ふに諸君御覧の後、早々西、小松などの本ニ御廻、付てハ、石川清の助などにも御見せ奉レ願候。又だきにて御一見の後、御とゞ(め)おき被レ成候てハ、不レ安候間、御らん後、西郷あたりニ早
御見せ可レ被レ下候。実ハ一戦仕りと存候間、天下の人ニよく為レ知て置度存候。早々。
菅野様
多賀様
了
底本:「龍馬の手紙」宮地佐一郎、講談社学術文庫、講談社
2003(平成15)年12月10日第1刷発行
2008(平成20)年9月19日第7刷発行
※「御下被レ成るよふ御頼み申候。」の後に、(坂本直衛旧蔵)とあります。
※「多賀様」の後に、(野島家文書)とあります。
※丸括弧付きの語句は、底本編集時に付け加えられたものです。
入力:Yanajin33
校正:Hanren
2010年8月26日作成
2011年6月17日修正
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