あらすじ
戦争で父を、病気で母を亡くした達吉は、東京の伯父の家へ身を寄せます。都会での暮らしは、故郷の穏やかな風景とは全く異なり、達吉は戸惑いを隠せません。しかし、優しい伯父と伯母、そして隣家の少年勇蔵との出会いが、少しずつ彼の心を和ませていきます。やがて伯父が不慮の事故で亡くなり、再び孤独にさいなまれる達吉ですが、ペンキ屋の親方の元で働き始め、たくましく成長していくのです。そして、達吉は、ある出来事をきっかけに、強く生きる決意を固めます。
 村(むら)からすこし離(はな)れた、山(やま)のふもとに達吉(たつきち)の家(いえ)はありました。彼(かれ)は学校(がっこう)の帰(かえ)りに、さびしい路(みち)をひとりで、ひらひら飛(と)ぶ白(しろ)いこちょうを追(お)いかけたり、また、田(た)のあぜで鳴(な)くかえるに小石(こいし)を投(な)げつけたりして、道草(みちくさ)をとっていたこともあります。そして、裏(うら)の松林(まつばやし)にせみの鳴(な)いている、我(わ)が家(や)が近(ちか)づくと急(きゅう)になつかしくなって、駈(か)け出(だ)したものでした。
 父親(ちちおや)というのは、体(からだ)つきのがっちりした、無口(むくち)の働(はたら)き者(もの)でした。今日(きょう)じゅうに、これだけ耕(たがや)してしまおうと心(こころ)で決(き)めると、たとえ日(ひ)が暮(く)れかかっても、休(やす)まずに仕事(しごと)に精(せい)を入(い)れるという性質(せいしつ)でしたから、村(むら)の人(ひと)たちからも信用(しんよう)されていました。ところが事変(じへん)の波(なみ)は、こうした静(しず)かな田舎(いなか)へも押(お)し寄(よ)せてきました。彼(かれ)には召集令(しょうしゅうれい)が下(くだ)ったのであります。カーキ色(いろ)の服(ふく)に戦闘帽(せんとうぼう)を被(かぶ)って、赤(あか)いたすきをかけた父親(ちちおや)は肩幅(かたはば)の広(ひろ)い姿勢(しせい)を毅然(きぜん)として、日(ひ)の丸(まる)の旗(はた)を持(も)ったみんなから送(おく)られて、平常(へいぜい)は、あまり人(ひと)の通(とお)らないさびしい路(みち)を、町(まち)の方(ほう)へといったのでありました。それは、ついこのあいだのことと思(おも)ったのが、はや二年(ねん)ばかりになりました。そして、その父親(ちちおや)が、中支(ちゅうし)の戦線(せんせん)で、激戦(げきせん)の際(さい)、戦死(せんし)を遂(と)げたという知(し)らせがとどいたので、さすがに、家(いえ)のものはじめ、村(むら)の人々(ひとびと)は、まったく夢(ゆめ)のような気(き)がしたのであります。あの健康(けんこう)な、意志(いし)の強(つよ)い男(おとこ)が、もうけっして、もどることがないと思(おも)ったからでした。
 達吉(たつきち)の母親(ははおや)は、やせ形(がた)な、女(おんな)らしい、優(やさ)しい性質(せいしつ)の人(ひと)でした。父親(ちちおや)が、いなくなってから、達吉(たつきち)は学校(がっこう)が退(ひ)けて、途中(とちゅう)から友(とも)だちと別(わか)れて一人(ひとり)ぼっちで帰(かえ)ると、こんど父親(ちちおや)に代(か)わって母親(ははおや)が、手(て)ぬぐいを被(かぶ)ってうつむきながら、たんぼで野菜(やさい)の中(なか)に埋(う)もれてせっせと働(はたら)いているのを見(み)ました。
 しかるに、この母親(ははおや)とも別(わか)れた。達吉(たつきち)は、いつになっても、その日(ひ)のことを考(かんが)えるとたまらなくなるのでした。それは、父親(ちちおや)の戦死(せんし)を聞(き)いたときよりも、もっと悲(かな)しさが深(ふか)く胸(むね)に迫(せま)ってくるのでした。
 母親(ははおや)は、まくらもとへ達吉(たつきち)を呼(よ)びました。
「もし、私(わたし)が病気(びょうき)で死(し)んだら、おまえは、東京(とうきょう)の伯父(おじ)さんのところへいくのだよ。伯父(おじ)さんも、いい人(ひと)だから、よくいうことをきくのだよ。」
 そのとき、母親(ははおや)の目(め)から、涙(なみだ)が落(お)ちて、黄色(きいろ)なほおを伝(つた)って、まくらをぬらしたのです。
「お母(かあ)さん、死(し)んじゃいやだよ。」と、達吉(たつきち)は、急(きゅう)に大(おお)きな声(こえ)で泣(な)き出(だ)しました。すると、てつだいにきていた、村(むら)の女(おんな)の人(ひと)が、あわててへやへ入(はい)ってきて、
「なんで、お母(かあ)さんが、坊(ぼう)だけ残(のこ)して死(し)になさるものか。じきによくなって、起(お)きなさるから、さあ、すこしあっちへいって遊(あそ)んできなさいね。」と、外(そと)へ抱(だ)くようにして、つれていったのでした。
 その夜(よる)であった。すさまじい北風(きたかぜ)が吹(ふ)き募(つの)った。秋(あき)の深(ふか)くなったという知(し)らせのように、風(かぜ)はヒュウヒュウと叫(さけ)んで、野原(のはら)をかすめ、林(はやし)の頭(あたま)をかすめて、木(き)や、枝(えだ)についている葉(は)をことごとくもぎとっていったばかりでなく、いっしょに達吉(たつきち)の母親(ははおや)の命(いのち)もさらっていったのです。
 翌朝(よくあさ)、東京(とうきょう)からきた、伯父(おじ)さんが着(つ)きました。そして、数日(すうじつ)の後(のち)には、達吉(たつきち)は、その伯父(おじ)さんにつれられて、思(おも)い出(で)の多(おお)い、自分(じぶん)の生(う)まれたこの村(むら)から去(さ)らなければならなかったのでした。
 伯父(おじ)さんの住(す)んでいる町(まち)は、都会(とかい)の片端(かたはし)であって、たてこんでいる小(ちい)さな家々(いえいえ)の上(うえ)に、雲(くも)のない空(そら)から日(ひ)が照(て)りつけていました。店(みせ)にブリキ板(いた)がすこしばかり置(お)いてあるだけの貧(まず)しい暮(く)らしであったが、子供(こども)がないところから、伯父(おじ)さんも、伯母(おば)さんも達吉(たつきち)をかわいがってくれました。
「なに、工場(こうじょう)などへいかなくたって、家(いえ)にいて、俺(おれ)の手助(てだす)けをすればいい。」と、伯父(おじ)さんは、やっと高等小学校(こうとうしょうがっこう)を出(で)たばかりの達吉(たつきち)を少年工(しょうねんこう)として、たとえこのごろは景気(けいき)がよくても、工場(こうじょう)へやるのにしのびませんでした。
「ああ、それがいいよ。」と、伯母(おば)さんも、いっていました。
 隣家(りんか)は、薪炭商(しんたんしょう)であって、そこには、達吉(たつきち)より二つ三つ年上(としうえ)の勇蔵(ゆうぞう)という少年(しょうねん)がありました。
「おい、達(たっ)ちゃん、リヤカーに乗(の)せてやろうか。これから、この炭(すみ)をとどけにいくのだから。」と、道(みち)の上(うえ)に茫然(ぼうぜん)として立(た)っている達吉(たつきち)を見(み)つけて、声(こえ)をかけました。
「そして、帰(かえ)りに、梅(うめ)の実(み)をもいでこようよ。」と、勇蔵(ゆうぞう)は元気(げんき)にいいました。
 達吉(たつきち)は、リヤカーに乗(の)せてもらって、車(くるま)の上(うえ)から、はじめて見(み)る町(まち)の景色(けしき)を物珍(ものめずら)しそうにながめていました。勇蔵(ゆうぞう)は、品物(しなもの)の配達(はいたつ)を終(お)わると、軽(かる)くなったリヤカーをさらに勢(いきお)いよく走(はし)らせて、町(まち)を突(つ)っ切(き)り、原(はら)っぱへと出(で)ました。広々(ひろびろ)とした原(はら)っぱには、一角(かく)に屋敷跡(やしきあと)のようなところがあって、青々(あおあお)とした梅林(ばいりん)には、実(み)がたくさん生(な)っていました。
「あれごらんよ、すっかり種子(たね)が固(かた)まっているのだぜ。」と、勇蔵(ゆうぞう)が、酸(す)っぱそうな口(くち)つきをして、いいました。
 達吉(たつきち)の目(め)の中(なか)に、このとき、北方(ほっぽう)の憂鬱(ゆううつ)な黒(くろ)い森(もり)の景色(けしき)がよみがえったのだ。そこは、自分(じぶん)の生(う)まれた村(むら)である。いまも、陣々(じんじん)として、頭(あたま)の上(うえ)を吹(ふ)く風(かぜ)の中(なか)に、たんぼの野菜(やさい)の葉(は)が白(しろ)い裏(うら)を返(かえ)すのである、そして、やつれた母(はは)の涙(なみだ)ぐんだ顔(かお)が浮(う)かぶのでありました。
「なにをぼんやりしているんだい。達(たっ)ちゃんは、実(み)を拾(ひろ)わないの。」と、勇蔵(ゆうぞう)は、棒(ぼう)きれを枝(えだ)に向(む)かって投(な)げつけると、雨(あめ)のように、白(しろ)いうぶ毛(げ)のある円(まる)い実(み)が、ころころと足(あし)もとにころげて落(お)ちました。
「炭(すみ)も、煉炭(れんたん)も、じき、切符制度(きっぷせいど)となって、僕(ぼく)も仕事(しごと)がなくなるから、工場(こうじょう)か、会社(かいしゃ)へ勤(つと)めようと思(おも)っているのさ。」と、帰(かえ)りに勇蔵(ゆうぞう)が、達吉(たつきち)に話(はな)しました。
「自分(じぶん)は、田舎(いなか)にいれば、いまごろ、くわを持(も)って百姓(しょう)をしているんだが。」と、達吉(たつきち)は考(かんが)えました。
 ある日(ひ)、伯父(おじ)さんは、外出(がいしゅつ)の支度(したく)をしながら、
「懇意(こんい)の准尉(じゅんい)さんで、陸軍病院(りくぐんびょういん)に入(はい)っていなさるのを、これからみまいにいくのだ。達吉(たつきち)も、いっしょにこないか。」と、いいました。
 達吉(たつきち)は、父親(ちちおや)が戦死(せんし)してから、戦争(せんそう)にいった兵隊(へいたい)さんに対(たい)して、なんとなくいいしれぬ親(した)しみをもつようになったのでした。
「ひょっとしたら、お父(とう)さんのことが聞(き)かれるかもしれない。」と、思(おも)ったので、飛(と)び立(た)つように喜(よろこ)びました。
 ひでりつづきの後(あと)なので、坂道(さかみち)を上(のぼ)ると、土(つち)のいきれが顔(かお)をあおって、むせ返(かえ)るように感(かん)じました。一面(めん)に白(しろ)く乾(かわ)いて、歩(ある)くとほこりが立(た)ち上(のぼ)りました。伯父(おじ)さんは、幾(いく)たびとなく休(やす)み、額(ひたい)からにじむ汗(あせ)をふきました。
「ちっとも風(かぜ)がないな、一雨(ひとあめ)くるといいのだが、毎日(まいにち)降(ふ)りそうになるけれど降(ふ)らない。」と、ひとりごとのように、伯父(おじ)さんは、いいました。
 木々(きぎ)の葉(は)が、てらてらとして、太陽(たいよう)の熱(ねつ)と光(ひかり)のためにしおれかけて、力(ちから)なく垂(た)れているのが見(み)られました。そして、せみの声(こえ)が、耳(みみ)にやきつくようにひびいてきました。
「あの、高(たか)い、白(しろ)い家(いえ)が病院(びょういん)だ。」と、伯父(おじ)さんは、彼方(かなた)の森(もり)の間(あいだ)に見(み)える大(おお)きな建物(たてもの)を指(さ)しました。
 二人(ふたり)は、いつかその病院(びょういん)の病室(びょうしつ)へ案内(あんない)されたのでした。准尉(じゅんい)は、白(しろ)い衣物(きもの)のそでに赤(せき)十字(じ)の印(しるし)のついたのを被(き)て、足(あし)を繃帯(ほうたい)していました。その二階(かい)から、ガラス窓(まど)をとおして、下(した)の方(ほう)にはるかの町々(まちまち)までが、さながら波濤(はとう)のつづくごとくながめられました。伯父(おじ)さんと、兵隊(へいたい)さんと話(はな)している間(あいだ)に、日(ひ)の光(ひかり)が陰(かげ)って、空(そら)は雲(くも)ったのでした。たちまち起(お)こる風(かぜ)が、窓(まど)の際(きわ)にあったあおぎりの枝(えだ)を襲(おそ)うと葉(は)はおびえたつように身(み)ぶるいしました。
「たいへんに暗(くら)くなった、なんだか夕立(ゆうだち)がきそうですね。」と、准尉(じゅんい)が、いいました。
 伯父(おじ)さんは、だまって、目(め)を遠(とお)くの地平線(ちへいせん)へ馳(は)せていました。そのほうには乱(みだ)れた黒雲(くろくも)がものすごく垂(た)れさがって、町々(まちまち)が、その雲(くも)のすそに包(つつ)まれようとしていました。どこかの煙突(えんとつ)から、立(た)ち上(のぼ)る白(しろ)い煙(けむり)が、風(かぜ)の方向(ほうこう)へかきむしられるように、はかなくちぎれています。ぴかりと光(ひか)ると、達吉(たつきち)は、はっとして、
「雷(かみなり)だ!」と思(おも)った瞬間(しゅんかん)に、鼓膜(こまく)の破(やぶ)れそうな大(おお)きな音(おと)が頭(あたま)の上(うえ)でしだして、急(きゅう)に大粒(おおつぶ)の雨(あめ)が降(ふ)ってきました。また光(ひか)った! そのたび大空(おおぞら)が、燃(も)えるように青白(あおじろ)いほのおでいろどられて、明(あか)るく家屋(かおく)も、木立(こだち)も、大地(だいち)から浮(う)き上(あ)がって見(み)られた。
「これは不気味(ぶきみ)な天候(てんこう)になったものだ。」
 伯父(おじ)さんは、あっけにとられながら、やっと口(くち)をききました。そのとき、達吉(たつきち)が、准尉(じゅんい)の顔(かお)を見(み)ると、戦地(せんち)へいってきた兵隊(へいたい)さんだけあって、いささかのおじ気(け)も色(いろ)に見(み)せるどころか、かえって微笑(ほほえ)んでいました。
「戦争(せんそう)のときは、こんなですか?」
 達吉(たつきち)は、ぴかり、ゴロゴロ、ド、ドンという電光(でんこう)と雷鳴(らいめい)のものすごい光景(こうけい)に、父(ちち)が戦死(せんし)したときのことを想像(そうぞう)して、つい思(おも)ったことを口(くち)に出(だ)して、きいたのであります。すると、准尉(じゅんい)は、
「まったく、これと同(おな)じです。すこしも違(ちが)いがありません。徐州攻撃(じょしゅうこうげき)のときなどは、もっとひどかったです。」
「ほ、ほう、こんなですかな。」
「なにしろ、砲弾(ほうだん)が炸裂(さくれつ)すると、たちまち目(め)の前(まえ)が、火(ひ)の海(うみ)となりますからね。」
 達吉(たつきち)は、あの、みんなから送(おく)られて、さびしい田舎道(いなかみち)をいった父親(ちちおや)の姿(すがた)を思(おも)い浮(う)かべました。苦(くる)しくなって、熱(あつ)いものが胸(むね)の裡(うち)にこみあげてきました。しかし自分(じぶん)は、いま兵隊(へいたい)さんの前(まえ)にいるのだと気(き)がつくと、彼(かれ)は、我慢(がまん)して、じっと、雷鳴(らいめい)の遠(とお)ざかっていく空(そら)を見(み)つめていました。そのうちに、雲(くも)が切(き)れて、青(あお)い空(そら)があらわれはじめたのであります。
 薪炭屋(しんたんや)の勇蔵(ゆうぞう)は、いよいよ昼間(ひるま)は役所(やくしょ)の給仕(きゅうじ)を勤(つと)めて、夜(よる)は、勉強(べんきょう)をするため、学校(がっこう)へいくことになりました。
 ここは、町(まち)の近(ちか)くにあった、原(はら)っぱです。子供(こども)たちが、夏(なつ)の日(ひ)の午後(ごご)を楽(たの)しくボールを投(な)げたり相撲(すもう)をとったりして遊(あそ)んでいました。小(ちい)さな弟妹(ていまい)の多(おお)い勇蔵(ゆうぞう)は、家(いえ)にいれば、赤(あか)ん坊(ぼう)を負(お)って守(も)りをしなければならなかったのです。だから、勇蔵(ゆうぞう)は、ボールを投(な)げる仲間(なかま)に入(はい)ることもできなかったので、ぼんやり立(た)ってほかの子供(こども)たちの投(な)げるのを見物(けんぶつ)していました。
 そのそばへ達吉(たつきち)がやってきて、
「勇(ゆう)ちゃん、僕(ぼく)が、代(か)わって赤(あか)ちゃんをおんぶしてやるから、君(きみ)は入(はい)って、ボールをおやりよ。」と、いって、無理(むり)に勇蔵(ゆうぞう)から赤(あか)ん坊(ぼう)を奪(うば)って、彼(かれ)に好(す)きなボール投(な)げをさせようとしたのでした。
「達(たっ)ちゃん、ありがとう。じゃ、十分間(ぷんかん)ばかりね。」
「もっと、長(なが)くたってかまわない。」
 二人(ふたり)が、原(はら)っぱで、こんな話(はなし)をしていたときでした。ちょうど達吉(たつきち)の伯父(おじ)さんは、町(まち)の一軒(けん)の家(いえ)へいって、壊(こわ)れたといを修繕(しゅうぜん)していました。戸口(とぐち)に遊(あそ)んでいた、長屋(ながや)の子供(こども)たちは、屋根(やね)の上(うえ)で、眼鏡(めがね)をかけて、仕事(しごと)をしているおじいさんを見(み)て、
「おじいさん。」と、親(した)しげに声(こえ)をかけました。
「あいよ。」と、伯父(おじ)さんは一人(ひとり)、一人(ひとり)の子供(こども)の顔(かお)を見(み)わけようとも、また注意(ちゅうい)をしようともしなかったけれど、そのいずれに対(たい)しても親(した)しみを感(かん)じて、やさしく返事(へんじ)をせずにはいられなかった。
「おじいさん!」と、子供(こども)たちは、いいお友(とも)だちを見(み)つけたように、口々(くちぐち)に、何度(なんど)も同(おな)じ言葉(ことば)をくり返(かえ)して、熱心(ねっしん)に仕事(しごと)をしているおじいさんの注意(ちゅうい)をひこうとしたのであります。
 達吉(たつきち)の伯父(おじ)さんは、新(あたら)しく造(つく)ってきた、ぴかぴか光(ひか)るブリキのといをのき下(した)に当(あ)ててみて、雨水(あまみず)の流(なが)れる勾配(こうばい)を計(はか)っていました。そのうち、不覚(ふかく)にも、腐(くさ)れていたひさしの端(はし)へ踏(ふ)み寄(よ)った刹那(せつな)であります。垂木(たるき)は、年寄(としよ)りの重(おも)みさえ支(ささ)えかねたとみえて、メリメリという音(おと)とともに、伯父(おじ)さんの体(からだ)は地上(ちじょう)へ真(ま)っさかさまに墜落(ついらく)したのでした。
 子供(こども)たちは、びっくりして目(め)をみはったが、つぎに怖(おそ)ろしさのあまり、悲鳴(ひめい)をあげて、
「たいへんだ!」と、叫(さけ)びました。
 長屋(ながや)じゅうのものが、総出(そうで)となって、この気(き)の毒(どく)な老職人(ろうしょくにん)の周囲(しゅうい)に集(あつ)まりました。
「早(はや)く、家(いえ)へ知(し)らさなければ。」
「それより、先(さき)に医者(いしゃ)へつれていくのだ。」
「おじいさん!」
「おじいさん、だいじょうぶか。」
 一人(ひとり)が、抱(だ)き起(お)こしながら、耳(みみ)もとへ口(くち)をつけて呼(よ)んでも返事(へんじ)がなかったので、みんなの顔色(かおいろ)は真(ま)っ青(さお)になった。しかし、しばらくすると、身動(みうご)きをしたので、死(し)んでいないことがわかったのです。
 この話(はなし)が、たちまち、口(くち)から口(くち)へ伝(つた)わって、あたりの騒(さわ)ぎになると、原(はら)っぱに遊(あそ)んでいた子供(こども)たちの耳(みみ)にも入(はい)ったのです。勇蔵(ゆうぞう)に代(か)わって赤(あか)ん坊(ぼう)の守(も)りをしながら、ボールを見(み)ていた達吉(たつきち)の耳(みみ)へも、一人(ひとり)の子供(こども)が飛(と)んできて、伯父(おじ)の災難(さいなん)を知(し)らせました。
「ほんとう?」と、達吉(たつきち)は、寝耳(ねみみ)に水(みず)の思(おも)いで、赤(あか)ん坊(ぼう)を負(お)ったまま駈(か)け出(だ)すと、脊中(せなか)の子(こ)は、火(ひ)のつくように泣(な)き出(だ)した。それから、十分(ぷん)とたたぬうちに、勇蔵(ゆうぞう)が、リヤカーに伯父(おじ)さんを乗(の)せて引(ひ)き、近所(きんじょ)の人(ひと)たちが車(くるま)の左右(さゆう)に従(したが)い、町(まち)の中(なか)を両断(りょうだん)する広(ひろ)い道路(どうろ)をすこしへだてた、骨(ほね)つぎ医者(いしゃ)へ連(つ)れていきました。もとより、達吉(たつきち)も、いっしょについていきました。
 電柱(でんちゅう)に、「骨(ほね)つぎもみ療治(りょうじ)」と看板(かんばん)のかかっているところから、路次(ろじ)へ曲(ま)がると、突(つ)き当(あ)たりに表側(おもてがわ)を西洋造(せいようづく)りにした医院(いいん)があります。入(い)り口(ぐち)にぶらさげてあった金網(あなあみ)のかごの中(なか)に、せきせいいんこが飼(か)ってあって、急(きゅう)にそうぞうしくなったので、鳥(とり)はびっくりしたのか、目(め)をまるくしながら、甲高(かんだか)な声(こえ)でキイー、キイーといって、奥(おく)の方(ほう)へ取(と)り次(つ)ぎをするごとく鳴(な)きつづけました。
 しかしながら、伯父(おじ)さんは、打(う)ちどころが悪(わる)かったので、ついに五、六日(にち)めに亡(な)くなったのであります。
 孤児(こじ)となった達吉(たつきち)に、こうして、また不幸(ふこう)がみまったのでした。彼(かれ)は、伯父(おじ)さんが死(し)んでから、後(あと)に残(のこ)った伯母(おば)さんと、しばらく途方(とほう)に暮(く)れていました。勇蔵(ゆうぞう)も、近所(きんじょ)の人(ひと)たちも、同情(どうじょう)をしてくれたけれど、生(い)きる道(みち)は、畢竟(ひっきょう)、自分(じぶん)が働(はたら)くよりもほかにないということを彼(かれ)は自覚(じかく)したのです。そのとき、伯父(おじ)さんの仲(なか)のよい友(とも)だちであったペンキ屋(や)の親方(おやかた)が訪(たず)ねてきて、
「手(て)が足(た)りなくて困(こま)っているのだ。おれのところへきて働(はたら)いてくれないか。」と、いいました。
 達吉(たつきち)はすでに働(はたら)くと決心(けっしん)したからには、どこだってかまわなかった。彼(かれ)は、すぐいくことにしたのです。ペンキの入(はい)ったかんをぶらさげて、高(たか)い屋根(やね)へ上(のぼ)るのは容易(ようい)なことではありませんでした。びくびくすると、かえって両脚(りょうあし)がふるえました。
「平気(へいき)で、どんなところでも、鼻唄(はなうた)をうたって歩(ある)けるようにならんければ、一人(にん)まえとはいえない。」と、親方(おやかた)は、笑(わら)いました。
「そうだ、人間(にんげん)のできることで、自分(じぶん)にできぬというはずはない。」と、歯(は)ぎしりをして、たとえ危険(きけん)な場所(ばしょ)へでも、親方(おやかた)が上(のぼ)るところへは、自分(じぶん)も上(のぼ)っていったのでした。
 かくして、一年(ねん)とたたぬうちに、彼(かれ)はもう大胆(だいたん)にりっぱに、仕事(しごと)ができるようになりました。
 あるとき、親方(おやかた)は、つくづくと彼(かれ)の仕事(しごと)ぶりを見(み)ていたが、
「おまえは、いつまでも、ペンキ屋(や)で暮(く)らそうとは思(おも)わないだろうが、いったいなにになりたい気(き)なのだ。」と、彼(かれ)にききました。
「僕(ぼく)は、軍人(ぐんじん)になりたい。」と達吉(たつきち)は、答(こた)えたのです。いつか准尉(じゅんい)にあってから、彼(かれ)はそう心(こころ)の中(なか)で思(おも)ったのでした。
「軍人(ぐんじん)にか、それはいい。おまえは、脊(せ)は低(ひく)いが、なかなか強情(ごうじょう)だから、いい軍人(ぐんじん)になれるだろう。」と親方(おやかた)は、達吉(たつきち)の意見(いけん)に、反対(はんたい)しませんでした。
 勝(か)ち気(き)の達吉(たつきち)は、同(おな)じ年(とし)ごろの少年(しょうねん)が学校(がっこう)へいくのを見(み)たりすると、うらやむかわりに、夜(よる)も、疲(つか)れた体(からだ)を小(ちい)さな机(つくえ)の前(まえ)にもたせて、航空雑誌(こうくうざっし)を読(よ)んだり、地理(ちり)や、歴史(れきし)を復習(ふくしゅう)したりしていました。そして、昼(ひる)になれば、彼(かれ)は、普通(ふつう)の子供(こども)たちなら、とうてい上(あ)がれない、目(め)のまわりそうな高(たか)い建物(たてもの)の頂(いただき)に立(た)って、
「学校(がっこう)で勉強(べんきょう)するよりか、こんなところで、大人(おとな)といっしょに仕事(しごと)をする己(おれ)のほうが、よほど偉(えら)いんだぞ!」と、だれに向(む)かっていうとなく、独(ひと)りで豪語(ごうご)しました。
 それは、彼(かれ)が、東京(とうきょう)へきてから、三(み)たびめに迎(むか)える夏(なつ)の暑(あつ)い日(ひ)のことでした。
 緑(みどり)の多(おお)い丘(おか)に建(た)っていた教会堂(きょうかいどう)の前(まえ)を通(とお)りかかると、たくさん人(ひと)が集(あつ)まって、塔(とう)の上(うえ)をながめていました。
「どうしたんですか。」
「あのたくさんなからすが、はとをねらっているのですよ。」
 このごろ、どこのごみ捨(す)て場(ば)をあさっても、あまり食(く)い物(もの)が見(み)つからないので、都会(とかい)にすむ餓(う)えたからすたちは、弱(よわ)い鳥(とり)をいじめてその肉(にく)を食(た)べることを考(かんが)えついたのでした。それで、はとの巣(す)を襲(おそ)ったのです。いつ、どこから飛(と)んできたのか、二羽(わ)のはとは、ここを安全(あんぜん)な場所(ばしょ)と思(おも)って、塔(とう)の屋根(やね)に巣(す)を造(つく)りました。そして、やがて子供(こども)を産(う)んで、育(そだ)てていました。これを知(し)っていて、からすは、いま計画的(けいかくてき)に、群(む)れをなしてやってきたのです。早(はや)くも悟(さと)った親(おや)ばとは、巣(す)の奥(おく)の方(ほう)へ二羽(わ)の子(こ)ばとを隠(かく)して、母(はは)ばとは、胸(むね)で子供(こども)をおおい、たぶんそれは父(ちち)ばとであったでしょう、いちばん端(はし)にうずくまって、体(からだ)で巣(す)の入(い)り口(ぐち)をふさぐようにして、敵(てき)とにらみ合(あ)っていました。
 どうなることかと、達吉(たつきち)もいっしょになって、見(み)ていました。すると、その中(なか)の獰猛(どうもう)な一羽(わ)のからすが、ふいに父(ちち)ばとに飛(と)びかかって、とうとう巣(す)から外(そと)へ引(ひ)きずり出(だ)してしまいました。待(ま)っていたとばかり、ほかのからすたちが、四方(ほう)から寄(よ)ってたかって、哀(あわ)れなはとを奪(うば)い合(あ)い、最後(さいご)に血(ち)にまみれたはとを屋根(やね)の上(うえ)へたたきつけて、たがいにくちばしでちぎりはじめたが、あっという間(ま)に、こうかつな一羽(わ)がその屍(かばね)をさらってどこかへ飛(と)び去(さ)ると、あわてて三羽(わ)、四羽(わ)、その後(あと)を追(お)いかけていきました。
「なんて、ひどいことをしやがる。まだ、あの巣(す)の中(なか)には、はとがいるから、それも喰(く)い殺(ころ)されるだろう。」
 こういって、見(み)ている人々(ひとびと)が、小石(こいし)を拾(ひろ)って、からすに向(む)かって投(な)げつけていた。しかし、石(いし)はそこまでとどきませんでした。からすは、石(いし)の当(あ)たらないのを知(し)っていて、こちらのことは気(き)にも止(と)めずに、だんだん巣(す)の方(ほう)へ近寄(ちかよ)って、じっと機会(きかい)をねらっていました。
「わるいやつだな。」と、達吉(たつきち)は、つくづく思(おも)いました。彼(かれ)の胸(むね)は、憤(いきどお)りのために、どきんどきんと鳴(な)りだしました。
 おそらく、子供(こども)を救(すく)うために、自分(じぶん)を犠牲(ぎせい)にしようと覚悟(かくご)したのでしょう。ふいに、母(はは)ばとが、巣(す)から飛(と)び出(だ)した。からすらが、なんで、それを見逃(みのが)そう。我先(われさき)に獲物(えもの)にありつこうと翔(かけ)るはとに向(む)かって突進(とっしん)しました。母(はは)ばとは、巧(たく)みに方向(ほうこう)を変(か)えて、子供(こども)たちのいる巣(す)から、敵(てき)を遠方(えんぽう)へ遠方(えんぽう)へと誘(さそ)ったのであります。見(み)ていると、塔(とう)の頂(いただき)の空(そら)を高(たか)く二、三回(かい)もぐるぐるまわってから、下(した)の町(まち)の方(ほう)へ、できるだけの速力(そくりょく)で、飛(と)び去(さ)っていきました。その後(あと)を、カアカアと叫(さけ)びながら、黒(くろ)くなって、からすらが執拗(しつよう)に追(お)いかけていきました。
 けれど、まだ二羽(わ)、三羽(わ)、意地悪(いじわる)いからすが残(のこ)っていて、どこへも去(さ)らずに、塔(とう)の屋根(やね)に止(と)まって、険(けわ)しい目(め)で巣(す)をねらっていました。そこには、親鳥(おやどり)を失(うしな)った、かわいそうな子(こ)ばとが怖(おそ)ろしさのためにふるえているのでした。それと知(し)った、達吉(たつきち)は、もうなんで我慢(がまん)ができましょう。
「よし、あの不埒(ふらち)なからすめを追(お)いはらってくれよう。そして、子供(こども)を己(おれ)の懐(ふところ)に抱(だ)いてきてやろう。」
 達吉(たつきち)は、人々(ひとびと)がなんといってもかまわずに、柵(さく)を乗(の)り越(こ)えて、寂然(せきぜん)とした教会堂(きょうかいどう)の敷地内(しきちない)へ入(はい)り込(こ)み、窓(まど)わくを足場(あしば)として、さるのごとく、といを伝(つた)って、建物(たてもの)の壁(かべ)を攀(よ)じり、急角度(きゅうかくど)に傾斜(けいしゃ)している屋根(やね)へはい上(あ)がろうとしました。
「おうい、やめろ、あぶないぞう!」と、下(した)からわめく声(こえ)がきこえました。この声(こえ)は彼(かれ)の耳(みみ)に入(はい)ったけれど、
「なに、くそ……。」と、彼(かれ)は、返事(へんじ)をするかわりに、歯(は)ぎしりをしていた。
 突然(とつぜん)、人間(にんげん)の頭(あたま)が、にょっきりと屋根(やね)の端(はし)から伸(の)び上(あ)がると、さすがにからすは、これに敵(かな)わぬと思(おも)ったか、いちはやく、どこかへ逃(に)げていきました。
 スレートの面(めん)は、太陽(たいよう)の熱(ねつ)で油(あぶら)を流(なが)すごとく焼(や)けていて、足(あし)の裏(うら)へ、針(はり)を刺(さ)すように痛(いた)さを感(かん)じさせた。
「もう、降(お)りろう!」と、見(み)ていたものの中(なか)から注意(ちゅうい)するものがあった。
 達吉(たつきち)は、ただ登(のぼ)らなければならぬ気(き)がしていた。顔(かお)を上(あ)げると、まだ巣(す)のところまで三、四メートルありました。同時(どうじ)に下(した)を見(み)ると、すぐ近(ちか)く大(おお)きな木(き)が目(め)に入(はい)り、四方(ほう)へ張(は)った枝(えだ)の柔(やわ)らかな緑色(みどりいろ)は毛氈(もうせん)を拡(ひろ)げたように、細(こま)かな葉(は)が、微風(びふう)にゆれていました。そして、こんな際(さい)に、どうしてか、いつか病院(びょういん)の窓(まど)から見(み)た、あおぎりの幻覚(げんかく)が浮(う)かんだ。
「己(おれ)は、どうすればいいのか?」さっと感激(かんげき)の失(う)せた刹那(せつな)、自分(じぶん)のすることがわからなくなり、心(こころ)がぐらつくと足(あし)の感覚(かんかく)までなくなって、体(からだ)がずるずると下(した)へ滑(すべ)りはじめた。堅(かた)いスレートにはどこにもつめの立(た)てようがない!
 彼(かれ)は、絶体絶命(ぜったいぜつめい)を感(かん)じた。数秒(すうびょう)の後(のち)に、自分(じぶん)の体(からだ)が、幾(いく)十尺(しゃく)の高(たか)いところから地上(ちじょう)に落下(らっか)して粉砕(ふんさい)するのだと意識(いしき)するや、不思議(ふしぎ)にも、気力(きりょく)が出(で)て跳(は)ね上(あ)がった。彼(かれ)は、   屋根(やね)を蹴(け)ると、眼下(がんか)の大木(たいぼく)を目(め)がけて、それにしがみつこうとして飛(と)んだ。
 軽業師(かるわざし)にやれる離(はな)れわざなら、なんで人間(にんげん)生死(せいし)の瀬戸際(せとぎわ)にできぬというはずがありましょう。
 達吉(たつきち)は、天地(てんち)が真(ま)っ闇(くら)だった。大波(おおなみ)が、自分(じぶん)を呑(の)んだ。体(からだ)は前後上下(ぜんごじょうげ)に揺(ゆ)れていた。わずかに、目(め)を開(あ)けると、しっかりと自分(じぶん)はけやきの木(き)の枝(えだ)にしがみついていた。
「おお、己(おれ)は、生(い)きているぞ! 己(おれ)は、助(たす)かったのだ。お父(とう)さんに誓(ちか)います。僕(ぼく)は、軍人(ぐんじん)になります。神(かみ)さまに誓(ちか)います。僕(ぼく)は、かならず飛行兵(ひこうへい)になります。」
 とっさに、希望(きぼう)が頭(あたま)にひらめいた。どこを見(み)てもただ明(あか)るく、さんらんたる光(ひかり)のうちにいるのを発見(はっけん)した。どこかで、がやがや人(ひと)の声(こえ)が、きこえるような気(き)がしたけれど、達吉(たつきち)は、ただ、手足(てあし)に力(ちから)を入(い)れて、どうしても強(つよ)く生(い)きなければならぬということだけしか考(かんが)えていなかった。
 このときの、彼(かれ)の目(め)は、からすの目(め)よりも、さとくいきいきと輝(かがや)いて、いったん心(こころ)につかんだものを一生(しょう)逃(のが)すまいとしていました。
了

底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社
   1977(昭和52)年11月10日第1刷発行
   1983(昭和58)年1月19日第5刷発行
底本の親本:「僕はこれからだ」フタバ書院成光館
   1942(昭和17)年11月
初出:「新児童文化 第3冊」
   1941(昭和16)年7月
※表題は底本では、「僕(ぼく)はこれからだ」となっています。
※「彼(かれ)は、   屋根(やね)を」は、第1刷では「彼(かれ)は、夢中(むちゅう)で屋根(やね)を」ですが、第2、3、4刷では「彼(かれ)は、   屋根(やね)を」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2018年4月26日作成
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