あらすじ
二人の少年が竹刀を持って、遊びながら歩いていました。一人は「お小手が得意」と言い、もう一人は「お胴が得意」と答えます。二人は、仕合のまねごとを始め、道行く人に注意されるほど熱中していました。
その帰り道、一人の少年は、飼い鳩が猫に食べられたことを、もう一人の少年に話します。猫を懲らしめようと、少年はステッキを持って猫を殴ろうとしますが、猫の哀れな姿を見て、結局殴ることはできませんでした。
少年は、自分の優柔不断さを悔やみ、猫を殴らなかったことを後悔します。やがて、二人の少年は信号待ちをしていると、おまわりさんから、小僧を代わりに殴るよう命じられます。
少年たちは、どんな結末を迎えるのでしょうか。
 二人(ふたり)の少年(しょうねん)が、竹刀(しない)をこわきに抱(かか)えて、話(はな)しながら歩(ある)いてきました。
「新(しん)ちゃん、僕(ぼく)は、お小手(こて)がうまいのだぜ。」
「ふうん、僕(ぼく)は、お胴(どう)だよ。」
「お面(めん)は、なかなかはいらないね。」
「どうしても、背(せ)の高(たか)いものがとくさ。正(しょう)ちゃん、いつか仕合(しあい)してみない。」
 新吉(しんきち)は、お友(とも)だちの顔(かお)を見(み)て、にっこりと笑(わら)いました。
「まだ、君(きみ)と、やったことがないね。だが、新(しん)ちゃんを負(ま)かすと、かわいそうだからな。」
「だれが、正(しょう)ちゃんに負(ま)けるものか。」
 新吉(しんきち)は、自信(じしん)ありげに肩(かた)をそびやかして、前方(ぜんぽう)をにらみました。
「僕(ぼく)は、新(しん)ちゃんに負(ま)けない。」
「僕(ぼく)も、正(しょう)ちゃんに負(ま)けない。」
 二人(ふたり)は、道(みち)の上(うえ)で、竹刀(しない)を振(ふ)りまわしながら、仕合(しあい)のまねごとを始(はじ)めたのです。
「お小手(こて)。」
「お面(めん)。」
「おや、あぶのうございますよ。」
 ふいに、どこかのおばさんが声(こえ)をかけました。おばさんは、道(みち)の端(はし)の方(ほう)へ体(からだ)をさけていました。
「新(しん)ちゃん、あぶないからよそうや。」と、正二(しょうじ)がいいました。
「ああ、よそう。」
 二人(ふたり)は、往来(おうらい)で、こんなことをしてはよくないことに気(き)がついて、ふたたびおとなしく、肩(かた)を並(なら)べて歩(ある)いていました。さっきのおばさんは、いきかけてから、ちょっと立(た)ち止(ど)まって、振(ふ)り向(む)いて笑(わら)いました。
「正(しょう)ちゃん、僕(ぼく)のはと、ねこにとられてしまった。」
「えっ、とられた。」
「どらねこがとったのだよ。君(きみ)、知(し)らない。尾(お)の長(なが)い三毛(みけ)ねこだ。はとが遊(あそ)びから帰(かえ)って、箱(はこ)のトラップへはいるのを見(み)ていたのだね。後(あと)からついてはいって、二羽(わ)とも食(た)べてしまったのさ。出(で)ようとしても、トラップの口(くち)があかないだろう。ねこのやつ、箱(はこ)の中(なか)でじっとして、目(め)を細(ほそ)くして眠(ねむ)っていたのだよ。」
「悪(わる)いやつだね。それからどうした。」
 正(しょう)ちゃんは、足(あし)を止(と)めて、新(しん)ちゃんの顔(かお)を見(み)ました。
「僕(ぼく)、どうしてやろうかと思(おも)って、おねえさんを呼(よ)んだのさ。おねえさんも二階(かい)へ上(あ)がってきて、『悪(わる)いねこだから、ひどいめにあわせておやり。』というから、僕(ぼく)、太(ふと)いステッキを持(も)ってきて、なぐろうと思(おも)ったのさ。箱(はこ)の中(なか)から引(ひ)き出(だ)そうとしても、お腹(なか)が大(おお)きくて、トラップの口(くち)から出(で)そうもないのだよ。」
 新吉(しんきち)は、そのときのことを思(おも)い出(だ)して、息(いき)をはずませました。
「なぐった。」
「だって、箱(はこ)の中(なか)へはいっているのだろう。上(うえ)からなぐれないし、僕(ぼく)、困(こま)ったのだよ。」
「ねこは、どうしていた。」
「悪(わる)いやつだね、目(め)を細(ほそ)くして、知(し)らないふうをしているのさ。」
「あばれなかったの。はははは、だまそうと思(おも)ったのだね。」と、正(しょう)ちゃんが笑(わら)いました。
「じっとしているから、おねえさんに箱(はこ)のふたをはずしてもらって、僕(ぼく)が、なぐってやろうとしたのだ。」
「なぐった。」
 新吉(しんきち)は、ねえさんが注意(ちゅうい)しながら、ふたをはずしたのを思(おも)い出(だ)しました。そのとき、ねこはあまえるようにして、体(からだ)をねえさんにこすりつけたので、自分(じぶん)は、振(ふ)り上(あ)げた手(て)をどうしようかと、ちょっとためらった瞬間(しゅんかん)に、ねこが矢(や)のように逃(に)げ出(だ)したので、はっと思(おも)って、すぐなぐったが、ただ、はげしく、ステッキが地面(じめん)を打(う)っただけでありました。
「打(う)ちそこねて、おしいことをしたのさ。」
「だめだな、新(しん)ちゃんは、そんなの打(う)てなくてどうするのだい。僕(ぼく)なら、きっと、たたき殺(ころ)してやったのに。」
 正二(しょうじ)は、今度(こんど)、仕合(しあい)をしても、自分(じぶん)は、じゅうぶん勝(か)てる、といわぬばかりの調子(ちょうし)でありました。
「僕(ぼく)、あんなやさしいねこの姿(すがた)を見(み)なければ打(う)てたのさ。」
 日(ひ)ごろ、犬(いぬ)やねこをかわいがる新吉(しんきち)は、まったく、そのとき、手(て)もとがくるったのであります。
「だめだなあ、敵(かたき)を討(う)つとき、かわいそうもなんにもないだろう。」と、正二(しょうじ)がいいました。正二(しょうじ)のいったことは、たしかに、新吉(しんきち)を深(ふか)く考(かんが)えさせました。
「だが、ねこは、鳥(とり)をとるのを悪(わる)いと思(おも)っていないだろう。」
「君(きみ)、はとのほうが、よっぽどかわいそうだろう。」
「それは、そうだ。」
「みたまえ、箱(はこ)の中(なか)はどんなだったい、血(ち)だらけでなかった。」
「ああ、血(ち)がそこらについて、毛(け)が散(ち)らばっていた。」
「それだのに、君(きみ)は、はとの敵(かたき)を討(う)つのに、かわいそうだなんて思(おも)ったのか。」
 正二(しょうじ)は、新吉(しんきち)をなじりました。新吉(しんきち)は、じっと下(した)を向(む)いて歩(ある)いていました。そして、つくづくと自分(じぶん)の勇気(ゆうき)がなかったのを感(かん)じ、ねこをなぐらなかったのを後悔(こうかい)しました。
 交叉点(こうさてん)のところへかかると、まだ、青(あお)赤(あか)の信号燈(しんごうとう)がまにあわぬとみえて、ばたんばたんと、ゴーストップの機械(きかい)をまわして、見張(みは)りの巡査(じゅんさ)がピリッピリッと、そのたびに笛(ふえ)を鳴(な)らしていました。
 ばたんと赤(あか)が出(で)ると、一方(ぽう)からくる車(くるま)がみんな止(と)まって、いままで、じっとしていた車(くるま)が、流(なが)れるように続(つづ)きました。また、ばたんと機械(きかい)がまわって、ピリッピリッと鳴(な)ると、ゴウッと走(はし)ってきた車(くるま)が急(きゅう)に止(と)まって、止(と)まっていた車(くるま)が走(はし)り出(だ)すのです。台(だい)の上(うえ)に立(た)って、ピリッピリッと笛(ふえ)を鳴(な)らすおまわりさんは、あるときは、やせて背(せ)の高(たか)い人(ひと)のこともあれば、ときには、太(ふと)って腹(はら)をつき出(だ)した赤(あか)ら顔(がお)の人(ひと)のこともありました。
 今日(きょう)は、その太(ふと)ったおまわりさんで、胸(むね)を張(は)って、元気(げんき)よく合図(あいず)をしていました。
 ピリッピリッと笛(ふえ)が鳴(な)りました。このときと思(おも)って、二人(ふたり)があちらへ道(みち)を横切(よこぎ)っていきかかると、
「おい、君(きみ)。」と、おまわりさんは、後(うし)ろから、二人(ふたり)を呼(よ)び止(と)めました。新吉(しんきち)も正二(しょうじ)も、びっくりして、おまわりさんの方(ほう)を見返(みかえ)りました。
「ちょっと、きたまえ。」と、おまわりさんは、大(おお)きな声(こえ)でいいました。
 あちらの歩道(ほどう)を歩(ある)いている人(ひと)たちまでが立(た)ち止(ど)まって、なんだろうと、こちらを見(み)たのです。
「僕(ぼく)たちは、なにをしかられるようなことをしたろうか。」
 二人(ふたり)は、顔(かお)を見合(みあ)ったが、おまわりさんが手(て)を上(あ)げて招(まね)くので、その前(まえ)へいきました。その間(あいだ)も、おまわりさんは休(やす)まずに、ばたんばたんと機械(きかい)をまわしながら、ピリッピリッと笛(ふえ)を鳴(な)らしました。そして、一方(ぽう)からくる車(くるま)は、それによって、ゴウッと走(はし)り出(だ)し、一方(ぽう)からくる車(くるま)は、それによって、ぴたっと止(と)まりました。
 おまわりさんは、いつもここを通(とお)る二人(ふたり)の顔(かお)を知(し)っているとみえて、
「いま帰(かえ)るのか、おそいな。」といいました。なるほど、短(みじか)い冬(ふゆ)の太陽(たいよう)は、もう西(にし)にかたむきかけていました。
「撃剣(げっけん)のおけいこをしてきたのです。」と、正二(しょうじ)が答(こた)えました。
「君(きみ)、それで、ひとつ、この小僧(こぞう)を打(う)ってくれ。」と、おまわりさんは、わきを振(ふ)り向(む)きました。二人(ふたり)は驚(おどろ)いて、そちらを見(み)ると、かごを自転車(じてんしゃ)に乗(の)せた小僧(こぞう)さんが、じっとして立(た)っていました。(きっと、合図(あいず)を見(み)ないで、走(はし)り抜(ぬ)けようとしたのだ。)と思(おも)いました。
「ひとつ、うんと打(う)ってくれ。」と、おまわりさんは、今度(こんど)、新吉(しんきち)の方(ほう)に向(む)き直(なお)っていいました。
「僕(ぼく)、いやです。」と、新吉(しんきち)は答(こた)えました。
「許(ゆる)しておやりよ。」と、正二(しょうじ)が、おまわりさんの顔(かお)を見上(みあ)げていったのです。
「いや、一つ打(う)てば許(ゆる)してやる。それでなければ、一時間(じかん)も立(た)たせておく。」
 これを聞(き)くと、正二(しょうじ)は、一時間(じかん)も立(た)たされるのは、かえって小僧(こぞう)さんを苦(くる)しめることだから、(打(う)とうかな。)と考(かんが)えました。
 彼(かれ)は、竹刀(しない)を持(も)ち直(なお)して、小僧(こぞう)さんの方(ほう)を見(み)たのでした。早(はや)くもそれを知(し)った新吉(しんきち)は、
「えいっ。」といって、正二(しょうじ)の顔(かお)を自分(じぶん)の竹刀(しない)で、一つ軽(かる)くたたいて、あちらへかけ出(だ)しました。
「やったな。」と、正二(しょうじ)は頭(あたま)をおさえて、すぐに新吉(しんきち)の後(あと)を追(お)いかけました。おまわりさんは、大(おお)きな腹(はら)を抱(かか)えるようにして、
「わっ、ははは。」と笑(わら)いました。止(と)まった車(くるま)から見(み)ている人(ひと)たちまで、こちらを見(み)て笑(わら)いましたが、ピリッピリッ、ぎい、ばたんばたんと機械(きかい)がまわると、もう一瞬間前(しゅんかんまえ)のことは忘(わす)れて、みんな走(はし)り出(だ)しました。二人(ふたり)の少年(しょうねん)の姿(すがた)は、見(み)えなくなってしまったのでした。そのつぎのピリッピリッを鳴(な)らし、機械(きかい)をまわすと、巡査(じゅんさ)は、
「これから気(き)をつけろ。」と、小僧(こぞう)を許(ゆる)してやりました。小僧(こぞう)は、幾度(いくど)も頭(あたま)を下(さ)げて、ほかの車(くるま)といっしょに走(はし)り去(さ)りました。
 町(まち)からはなれた野原(のはら)の草(くさ)は、毎夜(まいよ)降(ふ)る霜(しも)のために、黄色(きいろ)く枯(か)れていました。新吉(しんきち)は、一人(ひとり)、道(みち)の上(うえ)で、夕焼(ゆうや)けのうすれた西(にし)の空(そら)をのぞんで、雪(ゆき)のきた、遠(とお)くの山(やま)のけしきをながめていました。すきとおるような空(そら)の色(いろ)は、ちょうど冷(つめ)たいガラスのように、無限(むげん)にひろがっています。そして、刻々(こくこく)と紫色(むらさきいろ)に山(やま)の姿(すがた)が変(か)わっていくのでありました。
 彼(かれ)は、じっと目(め)をこらして、うす紅色(べにいろ)の空(そら)から、二羽(わ)のはとが、いまにもぽつんと黒(くろ)い点(てん)のようにあらわれて、こちらへかけてきて、だんだん大(おお)きくなるような気(き)がしたのです。
 けれど、いつまでたっても、それはむなしいのぞみであって、なつかしい影(かげ)は、あらわれませんでした。
「正(しょう)ちゃんのいったように、あのとき、ねこをひどいめにあわせてやるのだったな。」
 帰(かえ)らぬことを思(おも)っていると、チリチリチンと鈴(すず)の音(おと)がして、八百屋(やおや)の小僧(こぞう)さんが、やさいを乗(の)せて、自転車(じてんしゃ)を走(はし)らせてきました。そして、新吉(しんきち)の前(まえ)を過(す)ぎるときに、ふと小僧(こぞう)さんは、こちらを向(む)いて、かごの中(なか)から、一つ紅(あか)いりんごを取(と)り出(だ)して、新吉(しんきち)の立(た)っている足(あし)もとの草(くさ)の上(うえ)へ投(な)げていきました。
 はっと思(おも)って、新吉(しんきち)は見送(みおく)ると、小僧(こぞう)さんは振(ふ)り返(かえ)りながら、手(て)を上(あ)げてしっけいをしました。
「あっ、さっきの小僧(こぞう)さんだ。小僧(こぞう)さん。」
 すでに自転車(じてんしゃ)は遠(とお)くなって、こちらを向(む)く顔(かお)だけが、白(しろ)く見(み)えました。新吉(しんきち)は、りんごを拾(ひろ)い上(あ)げると、にっこり笑(わら)って、その冷(つめ)たい紅(あか)いくだものを自分(じぶん)のほおに押(お)しあてて、あくまで、北国(きたぐに)の畠(はたけ)に生(う)まれた、高(たか)いかおりをかごうとしたのであります。
了

底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社
   1977(昭和52)年10月10日第1刷発行
   1982(昭和57)年9月10日第5刷発行
底本の親本:「鳩とりんご」新潮社
   1940(昭和15)年12月
初出:「日本の子供」
   1940(昭和15)年1月
※初出時の表題は「鳩と林檎」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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