あらすじ
やんまがくもの巣にかかり、助けを求めるおじいさんの願いを受け、孫の正二は、命がけでやんまを救出します。やんまを救った正二は、おじいさんからハーモニカをねだられますが、やんまを助けるのは当たり前のことだと、ご褒美を拒否します。その後、正二は友達と、とうもろこしの畑で「お化けごっこ」を始めますが、その夜、強い風が吹き荒れ、翌朝には庭に散らばる木の葉が、秋の訪れを告げていました。
 空(そら)高(たか)く羽虫(はむし)を追(お)いかけていたやんまが、すういと降(お)りたとたんに、大(おお)きなくもの巣(す)にかかってしまいました。しまったといわぬばかりに、羽(はね)をばたばたして逃(に)げようとしたけれど、どうすることもできませんでした。
 縁先(えんさき)で、新聞(しんぶん)を読(よ)んでいたおじいさんは、ふと顔(かお)を上(あ)げた拍子(ひょうし)に、これが目(め)に入(はい)ってじっと眼鏡(めがね)の底(そこ)から、とんぼの苦(くる)しがるのを見(み)たのであります。
 かわいそうにと、おじいさんは、思(おも)いました。年(とし)をとると、すべてのことに対(たい)して、憫(あわ)れみ深(ぶか)くなるものです。そして、いまにもくもが出(で)てきて、目(め)の前(まえ)で、とんぼの殺(ころ)されるのを見(み)るにしのびませんでした。
「正二(しょうじ)や。」と、おじいさんは、孫(まご)を呼(よ)びました。自分(じぶん)にはどうにもならなかったからです。
 あちらのへやで、明日(あした)の宿題(しゅくだい)をしていた正二(しょうじ)は、何事(なにごと)かと思(おも)って、すぐに祖父(そふ)のところへやってきました。
「なんですか、おじいさん。」
「あれ見(み)な、いまやんまが飛(と)んできて、くもの巣(す)にかかったんだ。かわいそうだから助(たす)けてやんなさい。」
 正二(しょうじ)は、いつも、こんなようなことに出(で)あったときは、人(ひと)にいわれなくとも、自分(じぶん)から進(すす)んで助(たす)けてやる性質(せいしつ)でありました。
「くもは、どうしたのか、出(で)てきませんね。」と、正二(しょうじ)は、不思議(ふしぎ)そうに、見上(みあ)げていました。
「いや、どこかに隠(かく)れていて、やんまの弱(よわ)るのを待(ま)っているのだ。なかなかずるいやつだからな。はやく助(たす)けてやんなさい。」
 おじいさんは、まごまごしていると、やんまが、疲(つか)れて死(し)んでしまうと思(おも)ったのでした。
 正二(しょうじ)は、勝手(かって)もとへいって、長(なが)い物干(ものほ)しざおを取(と)って、裏(うら)の方(ほう)へまわりました。庭(にわ)には日(ひ)ごろから、おじいさんの大事(だいじ)にしている植木鉢(うえきばち)が、たなの上(うえ)に並(なら)べてありました。彼(かれ)は、それを落(お)とさないように、自分(じぶん)の力(ちから)にあまる長(なが)いさおを持(も)ち上(あ)げて、垣根(かきね)の際(きわ)までいきましたけれど、まだそのさおの長(なが)さでは、くもの巣(す)までとどきませんでした。
「おじいさん、だめですよ。」
 やんまは、まだ生(い)きていて、ときどき思(おも)い出(だ)したように、羽(は)ばたきをしました。けれど、どうしたのか、くもはまだ姿(すがた)を見(み)せませんでした。
「さおが短(みじか)いか、よわったのう。」と、おじいさんは、眼鏡(めがね)の中(なか)から、小(ちい)さな光(ひか)る目(め)で、やんまを見(み)つめていられました。
「ああ、重(おも)い。」
 正二(しょうじ)、さおをドシンと垣根(かきね)の上(うえ)へ倒(たお)しました。そのくもの巣(す)は、高(たか)い木立(こだち)の枝(えだ)から、隣家(りんか)の二階(かい)のひさしへかけているので、隣(となり)の屋根(やね)へ上(あ)がるか、それとも隣(となり)の塀(へい)の上(うえ)に登(のぼ)らなければ、さおがとどかなかったのでした。
「かまわずにおきましょうか。」
 しかし、おじいさんには、知(し)らぬ顔(かお)をしていることができませんでした。
「あちらの塀(へい)へ上(あ)がれば、とどくだろう。」
「僕(ぼく)、やだなあ。」
「いい子(こ)だから、助(たす)けておやり。なんでもおまえのほしいものを買(か)ってやるから。」と、おじいさんは、いいました。
「ほんとう? おじいさん、僕(ぼく)にハーモニカ買(か)ってくれる。」と、正二(しょうじ)は、聞(き)きました。このあいだから、おじいさんに、ねだっている品(しな)です。
「買(か)ってやるから、助(たす)けておやり。」と、おじいさんは、いいました。
 これを聞(き)くと、正二(しょうじ)は、一時(じ)は、うれしそうな顔(かお)つきをしましたが、急(きゅう)になんと思(おも)ったか、
「いいよ、おじいさん、僕(ぼく)買(か)ってくれなくてもいいの。」といいながら、さおをかついで、隣(となり)の家(いえ)の門(もん)を開(あ)けて入(はい)っていきました。
 ちょうどそのとき、そろそろと糸(いと)を伝(つた)って、大(おお)きな黒(くろ)いくもが、やんまに迫(せま)っていました。
 これを見(み)た正二(しょうじ)は、急(いそ)いで、塀(へい)へ上(あ)がると、
「こいつめ。」といいながら、さおでまずやんまを払(はら)い、つぎにくもを落(お)としました。巣(す)がずたずたに切(き)れて、やんまは、やっと飛(と)んでいくことができたし、くもはちぢこまって下(した)へ落(お)ちました。
「おお、ようした。ようした。ハーモニカを買(か)ってやるぞ。」
 正二(しょうじ)が、庭(にわ)へもどってくると、おじいさんは、生(い)き物(もの)の命(いのち)を助(たす)けた喜(よろこ)びに、顔(かお)をかがやかしていいました。
「おじいさん、こんど僕(ぼく)、いいお点(てん)をもらってきたときでいいよ。」
「どうしてか、なぜ今日(きょう)ではいらないのだ。」
 おじいさんは、不思議(ふしぎ)に思(おも)いました。
「どうしても。だって、やんまを助(たす)けてやるのは、あたりまえだろう。」
 正二(しょうじ)、こんなことで、日(ひ)ごろの言(い)い分(ぶん)を通(とお)すのは、あまりうれしくなかったからでした。
「そうか、それは、感心(かんしん)だ。ごほうびをもらわなくても、正(ただ)しいことは進(すす)んでやるのが善(よ)い子供(こども)なのだ。」
 おじいさんは、上機嫌(じょうきげん)でありました。正二(しょうじ)も、おじいさんにそういわれると、ハーモニカを買(か)ってもらったよりもうれしかったのでした。
 晩方(ばんがた)のことです。
 正二(しょうじ)が、外(そと)へ出(で)ると徳(とく)ちゃんが、飛(と)んできました。
「正(しょう)ちゃん、おもしろいことをしない。」といいました。
「おもしろいことって、どんなことだい。」
「お化(ば)けごっこだよ。」
「お化(ば)けごっこって、どうするの。」
 徳(とく)ちゃんは、正二(しょうじ)に、いろいろ知恵(ちえ)を与(あた)えたのです。
「すてきだね、待(ま)っておいで。僕(ぼく)、家(うち)へいって絵(え)を描(か)いてくるから。」と、正二(しょうじ)は、走(はし)り出(だ)そうとすると、
「僕(ぼく)、お母(かあ)さんのエプロンを持(も)ってくるからね。」
 徳(とく)ちゃんも、家(いえ)へ向(む)かって駆(か)けていきました。二人(ふたり)は、他(た)の子供(こども)らに、知(し)られぬように、とうもろこしの畑(はたけ)であうことにしました。脊高(せいたか)く茂(しげ)ったとうもろこしの畑(はたけ)には、うまおいが、鳴(な)いています。星晴(ほしば)れのした、青(あお)い夜(よる)の空(そら)を白(しろ)い雲(くも)が走(はし)っていました。もうどことなくゆく夏(なつ)の姿(すがた)が感(かん)じられたのです。
 徳(とく)ちゃんは、お母(かあ)さんのエプロンを持(も)って先(さき)にいって待(ま)っていると、正二(しょうじ)は、自分(じぶん)で急(きゅう)ごしらえの般若面(はんにゃめん)を持(も)ってやってきました。
「ああ、ろうそくがなくては、いけないね。」
「そうだ、うりで行燈(あんどん)を造(つく)ろうよ。僕(ぼく)、小(ちい)さいろうそくを持(も)ってくるから。」
 正二(しょうじ)は、家(いえ)へ仏壇(ぶつだん)へ上(あ)げるろうそくとマッチを取(と)りにいくと、徳(とく)ちゃんは、その間(あいだ)に大(おお)きなうりをさがしてきて、中(なか)の種子(たね)を出(だ)して、燈火(あかり)のつくような穴(あな)を明(あ)けていました。そこへ正二(しょうじ)がもどってまいりました。これで、すっかり用意(ようい)ができてしまいました。
「だれが、お化(ば)けになるの。」
「じゃんけんして、負(ま)けたものにしようや。」
 二人(ふたり)は、じゃんけんをしました。正二(しょうじ)が、負(ま)けました。
「正(しょう)ちゃんが、お化(ば)けだよ。」
「おもしろいな。」と、正二(しょうじ)は、白(しろ)いエプロンを着(き)て、自分(じぶん)の造(つく)った般若面(はんにゃめん)を被(かぶ)りました。
「どんなだい? 徳(とく)ちゃん。」
「おう、すごいよ。ほんとうのお化(ば)けみたいだ。」
「ほんとう。」
「頭(あたま)へ、とうもろこしの毛(け)をつけるといいよ。」
 徳(とく)ちゃんは、枯(か)れた毛(け)を取(と)ってきて、正二(しょうじ)の頭(あたま)へのせました。それから、うりのちょうちんに、火(ひ)をつけて、ぶらさげました。濃(こ)い緑色(みどりいろ)の火(ひ)が、あたりを暗(くら)く照(て)らして、正二(しょうじ)の白(しろ)い姿(すがた)を気味悪(きみわる)く見(み)せました。
「やあ、おっかないな。」
 徳(とく)ちゃんは、これを見(み)て逃(に)げ出(だ)そうとしました。
「徳(とく)ちゃん、そんなにおっかない。」
「ぞっとするよ。」
「おもしろいな。だれか呼(よ)んでおいでよ。」と、正二(しょうじ)は、とうもろこしの葉蔭(はかげ)に隠(かく)れました。
 往来(おうらい)で、二人(ふたり)の小(ちい)さな子供(こども)が、もう暗(くら)くなったのに、まだ遊(あそ)んでいました。勇(ゆう)ちゃんと光(みっ)ちゃんです。
「明日(あした)は、二百十日(とおか)だよ。川(かわ)の堰(せき)をはらって、魚(さかな)を捕(と)るのだね。」
「勇(ゆう)ちゃんも川(かわ)へ入(はい)る?」
「入(はい)るさ。」
「僕(ぼく)、兄(にい)さんが魚(さかな)を捕(と)って投(ほう)るのを、岸(きし)にいて、バケツへ入(い)れるのだ。」
「光(みつ)ちゃんも川(かわ)へお入(はい)りよ。」
「なまずがとれるといいな。こいもいいな。」
「かにがいいよ。」
「かめの子(こ)が、いいよ。」
 そこへ、徳(とく)ちゃんが、やってきました。
「勇(ゆう)ちゃん、畑(はたけ)にお化(ば)けが出(で)るよ。」
「お化(ば)け? うそだい。」
「うそなもんか、いってごらんよ。」
 三人(にん)は、さびしい畑(はたけ)の方(ほう)へ歩(ある)いていきました。とうもろこしの葉(は)が、夕風(ゆうかぜ)に動(うご)いて、さっきから鳴(な)いているうまおいの声(こえ)が、夜(よる)のふけるにつれてだんだん冴(さ)えていました。
「どこに?」
「もっといくんだよ。」
「こわいな。」と、光(みっ)ちゃんが、いいました。
「お化(ば)けなんか、うそだい。」と、勇(ゆう)ちゃんは、先(さき)になろうとして、なすの畑(はたけ)へ踏(ふ)み込(こ)みました。
「ほら、あすこに、青(あお)い灯(ひ)が……。白(しろ)い着物(きもの)を着(き)て立(た)っているだろう。」
「あっ、お化(ば)けだ!」と、光(みっ)ちゃんが、逃(に)げ出(だ)しました。つづいて勇(ゆう)ちゃんも逃(に)げようとしたが、徳(とく)ちゃんが立(た)っているので、徳(とく)ちゃんのうしろから、じっと、とうもろこしの畑(はたけ)をすかして見(み)ていました。
「だれか、いたずらしたんだよ。」
「勇(ゆう)ちゃん、そばへいける?」
「こわいな。」
「それごらんよ、だれかおおぜい呼(よ)んでおいでよ。」
 このとき、勇(ゆう)ちゃんは足(あし)もとの土(つち)を拾(ひろ)って、青(あお)い灯(ひ)を目(め)あてに投(な)げました。すると、青(あお)い灯(ひ)が動(うご)いて、白(しろ)い着物(きもの)がこちらへ近寄(ちかよ)ってきました。
「こわい。」と、徳(とく)ちゃんが、逃(に)げ出(だ)しました。勇(ゆう)ちゃんは、独(ひと)りしにもの狂(ぐる)いに土(つち)を拾(ひろ)って投(な)げていました。そのうち、土(つち)がお化(ば)けにあたったのか、
「あっ。」といって、青(あお)い灯(ひ)が下(した)に落(お)ちました。
「目(め)に土(つち)が入(はい)った……。勇(ゆう)ちゃんおよしよ。」
 白(しろ)い着物(きもの)を着(き)た、お化(ば)けが、いいました。
「正(しょう)ちゃんなの、なあんだ……。」
 勇(ゆう)ちゃんは、すぐそばへ走(はし)っていきました。
「お面(めん)を被(かぶ)っていたの。」
「目(め)が痛(いた)くてあかないよ。」
「正(しょう)ちゃん、ごめんね。」
 勇(ゆう)ちゃんの叔父(おじ)さんの家(いえ)は、ここから近(ちか)かったのです。村(むら)の端(はし)にあった、お医者(いしゃ)さまでした。内科(ないか)だけでなく、目(め)も診察(しんさつ)するのでした。勇(ゆう)ちゃんと徳(とく)ちゃんは、正(しょう)ちゃんの手(て)を引(ひ)いて、勇(ゆう)ちゃんの叔父(おじ)さんの家(いえ)へいきました。
 叔父(おじ)さんは夜(よる)の往診(おうしん)からちょうど帰(かえ)ってきたばかりでした。
「どれ、どれ。」といって、正(しょう)ちゃんの目(め)を見(み)て、水(みず)で洗(あら)ってくれました。そして、薬(くすり)をさしてくれました。
「どう、もうなんともないだろう。」
 正二(しょうじ)は、目(め)を開(あ)けると勇(ゆう)ちゃんの叔父(おじ)さんは笑(わら)っていました。
「叔父(おじ)さん、お化(ば)けごっこをして、僕(ぼく)が土(つち)を投(な)げたんだよ。」
「乱暴(らんぼう)をして、目(め)の中(なか)へ土(つち)を入(い)れたりしてわるいじゃないか。」
 叔父(おじ)さんは、正二(しょうじ)のポケットからのぞいている般若面(はんにゃめん)を見(み)つけて、
「これを被(かぶ)ったんだな。」といいながら、引(ひ)き出(だ)して自分(じぶん)で被(かぶ)るまねをしました。みながひょうきんな叔父(おじ)さんの顔(かお)を見(み)て笑(わら)いました。
 それから、三人(にん)は、話(はな)しながら暗(くら)い道(みち)を帰(かえ)りました。
「光(みっ)ちゃんは、どうしたろうか。」
「もう、ねんねしたろう。光(みっ)ちゃんは、臆病(おくびょう)だね。」
「勇(ゆう)ちゃんもおっかなかったろう。」
「僕(ぼく)、徳(とく)ちゃんが、大騒(おおさわ)ぎをしないから、きっとだれかいたずらをしているのだと思(おも)ったよ。」
「いたずらなんかして、ばかをみてしまった。」と、正二(しょうじ)は、後悔(こうかい)しました。このとき、木(き)の枝(えだ)に当(あ)たる風(かぜ)が、いつもとちがって強(つよ)かったのでした。
「二百十日(とおか)の風(かぜ)だね。」と、徳(とく)ちゃんが、いいました。思(おも)い思(おも)いに、空(そら)を仰(あお)ぐと、星(ほし)の光(ひかり)が、見(み)えたり隠(かく)れたりしました。雲(くも)が走(はし)っていたからです。
「明日(あす)は、土曜(どよう)だから、学校(がっこう)から帰(かえ)ったら、川(かわ)へいって、魚捕(さかなと)りをしよう。」と、たがいにいって、別(わか)れました。
 正二(しょうじ)は、夜中(よなか)にふと目(め)をさますと、ゴウゴウといって、風(かぜ)の音(おと)がしています。
「風(かぜ)が西(にし)へまわったから、雨(あめ)になるかな。」と、庭(にわ)の方(ほう)で、おじいさんの声(こえ)がしました。
「おじいさまは、起(お)きていらっしゃるのだろうか。」と、正二(しょうじ)は耳(みみ)をすましていると、たなの上(うえ)の植木鉢(うえきばち)を下(お)ろして、家(いえ)の内(うち)へ入(い)れているようすでした。おじいさんは、実(み)のついたざくろから先(さき)に入(い)れられたであろうと思(おも)いました。
「ざくろのつぎにはどれかな。」
 正二(しょうじ)は、寝(ね)ながら、いろいろあった植木鉢(うえきばち)のことなど考(かんが)えました。「梅(うめ)か、それとも松(まつ)かな。」そんなことを空想(くうそう)しているうちに、いつかまたぐっすりと眠入(ねい)ってしまいました。
 夜(よ)が明(あ)けました。けれども、まだ風(かぜ)の音(おと)がしています。正二(しょうじ)は起(お)きて庭先(にわさき)へ出(で)てみると、いろいろの木(き)の葉(は)が、無理(むり)に引(ひ)きちぎられたように、庭(にわ)一面(めん)に散(ち)らばっていました。そして、百日紅(さるすべり)の花(はな)が、ふさのつけ根(ね)からもがれていました。
 学校(がっこう)へいく時分(じぶん)には、風(かぜ)はいくぶん衰(おとろ)えたが、頭(あたま)の上(うえ)の空(そら)には、まだものすごい雲(くも)が後(あと)から後(あと)から駆(か)けていました。正二(しょうじ)は、途中(とちゅう)で同(おな)じ組(くみ)の年雄(としお)くんに出(で)あいました。
「年(とし)ちゃん、ひどい風(かぜ)だったね。」
「はとが帰(かえ)らないのだよ。」と、心配(しんぱい)そうな顔(かお)つきをして、年雄(としお)くんがいいました。
「えっ、はとが。」と、正二(しょうじ)は、驚(おどろ)きました。
「昨日(きのう)、兄(にい)さんが、静岡(しずおか)の方(ほう)から放(はな)したのさ、それがまだ帰(かえ)ってこないのだ。」
「風(かぜ)に出(で)あって、どっかに休(やす)んでいるんだろう。」
「千キロの記録(きろく)があるのだけど、もう年(とし)をとっているから心配(しんぱい)なんだよ。」
 正二(しょうじ)も、年雄(としお)くんの家(いえ)のはとのことが気(き)にかかったので、学校(がっこう)から帰(かえ)っていってみました。だが、まだ、はとは帰(かえ)っていませんでした。川(かわ)の堰(せき)はらいが延(の)びたというので、年雄(としお)くんと二人(ふたり)で、村(むら)の端(はし)を散歩(さんぽ)すると、昨夕(ゆうべ)入(はい)った畑(はたけ)のとうもろこしがだいぶ倒(たお)れて、頭(あたま)の上(うえ)にひろがった、青(あお)い空(そら)が急(きゅう)に秋(あき)らしく感(かん)じられたのです。
了

底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社
   1977(昭和52)年10月10日第1刷発行
   1982(昭和57)年9月10日第5刷発行
底本の親本:「赤土へ来る子供たち」文昭社
   1940(昭和15)年8月
初出:「小学六年生」
   1939(昭和14)年9月
※表題は底本では、「二百十日(とおか)」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年10月25日作成
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