あらすじ
中学の教師は、授業に全く集中せず、教師の顔ばかり見ている生徒・秀吉を、ある種の嫌悪感を持って見ていました。秀吉は、母親から「人の顔ばかり見ている」と指摘され、教師は彼を学校から遠ざけようとします。そんな秀吉は、友人の家に遊びに行った際に、奇妙な薬の話や、どくろのマークのついた戸だなを見せられ、強い印象を受けます。その後、秀吉は教会に通い始め、そこで絵を描くことを学びます。彼の絵は、周囲の人々を驚かせるほど独特で、やがて、教会で開かれる絵画展に出展されることになります。
 天職(てんしょく)を自覚(じかく)せず、また、それにたいする責任(せきにん)を感(かん)ぜず、上(うえ)のものは、下(した)のものに好悪(こうお)の感情(かんじょう)を露骨(ろこつ)にあらわして平気(へいき)だった、いまよりは、もっと暗(くら)かった時代(じだい)の話(はなし)であります。
 新(あたら)しく中学(ちゅうがく)の受(う)け持(も)ち教師(きょうし)となったS(エス)は、おけ屋(や)のむすこの秀吉(ひできち)を、どういうものか好(す)きでありませんでした。特別(とくべつ)にきらった理由(りゆう)の一つは、ほかの生徒(せいと)のごとく学科(がっか)ができないからというのではなく、秀吉(ひできち)がいつも、じっと教師(きょうし)の顔(かお)を見(み)つめて、なにか恨(うら)みをもつように、あるいは相手(あいて)の心(こころ)の内(うち)をさぐるように、ゆだんのできぬ、いらだたしい感(かん)じを、与(あた)えるからでありました。
 秀吉(ひできち)は教場(きょうじょう)へ入(はい)ると、目(め)をたえず教師(きょうし)の顔(かお)にとめて、ほかへ動(うご)かそうとしませんでした。
「いったい、なんのため、こう自分(じぶん)ばかり見(み)ているのだろう。」と、教師(きょうし)は、不快(ふかい)に思(おも)いました。で、つい彼(かれ)にばかり質問(しつもん)する気(き)になったが、なにをきいても、秀吉(ひできち)の答(こた)えは、ちんぷんかんでありました。それというのも、よく話(はなし)を聞(き)いているのではなく、ほかのことを考(かんが)えているか、また、心(こころ)の中(なか)で、だれにも想像(そうぞう)のつかぬようなことを、思(おも)っていたからでした。
 これは、算数(さんすう)のときでも、作文(さくぶん)のときでも、同(おな)じでありました。こうした子供(こども)は、不思議(ふしぎ)に図画(ずが)だけは、じょうずに書(か)くものだといわれていたが、秀吉(ひできち)のばあいは、静物(せいぶつ)を写生(しゃせい)させても、なにをかいたのか、その外形(がいけい)すら、まとまっていなかったのでした。
「これは、手(て)のつけようのない低能児(ていのうじ)だな。」と、教師(きょうし)は、口(くち)の内(うち)でつぶやきました。
 ついに、秀吉(ひできち)の母親(ははおや)が、学校(がっこう)へ呼(よ)び出(だ)されました。彼(かれ)のすんでいる部落(ぶらく)は、貧(まず)しい人々(ひとびと)の集(あつ)まりでもありました。母親(ははおや)は、おそるおそる職員室(しょくいんしつ)へ出頭(しゅっとう)して、ひくく頭(あたま)をたれて、いかめしい、ひげのある顔(かお)を、まともに見(み)ようとせず、ただ教師(きょうし)のいうことを、額(ひたい)に汗(あせ)をにじませながら聞(き)いていました。
「あの子(こ)は、妙(みょう)なくせがあって、人(ひと)の顔(かお)ばかり見(み)ていて、勉強(べんきょう)がすこしも頭(あたま)に入(はい)っていないが、家(うち)ではどんなふうですか。」と、教師(きょうし)は、たずねました。
「先生(せんせい)のおっしゃることを、よく聞(き)いて、頭(あたま)に入(い)れなければならぬと、家(うち)ではいいきかせているのですが。」と、母親(ははおや)は、恐縮(きょうしゅく)しました。
「いや、人(ひと)の顔(かお)を見(み)るのが、あの子(こ)のくせであるか、聞(き)いているのです。」と、教師(きょうし)は、自分(じぶん)にだけする行為(こうい)なのか、それを知(し)りたかったのです。
「あの子(こ)だけは、なにを考(かんが)えているか、私(わたし)どもにも、わからないことがあります。ほかの子(こ)には、そんなこともありませんが、よく、ねこと遊(あそ)んでいて、おかあさん、このねこはどんなことを、思(おも)っているでしょうかねと、聞(き)くのであります。それは、おかあさんにも、ねこの心(こころ)の中(なか)はわからないよ、ねこに聞(き)いてみなければねというと、あの子(こ)は、ちょっと見(み)ると、ずるそうだけれど、また、むじゃきだから、ねこは、かわいがられるんだねといって、いつまでも、ねこを見(み)ているのでございます。」と、母親(ははおや)は答(こた)えました。
 この話(はなし)を聞(き)くと、教師(きょうし)は、だんだん、秀吉(ひできち)に顔(かお)を見(み)られるのを、気味悪(きみわる)く思(おも)いました。どうかして、あの子供(こども)を、学校(がっこう)へよこさないようにする工夫(くふう)は、ないものかと考(かんが)えました。
「おかあさんに聞(き)きますが、あの子(こ)は、小(ちい)さいとき、脳膜炎(のうまくえん)をわずらったことがありませんか。」と、教師(きょうし)はたずねたのです。
 母親(ははおや)は、自分(じぶん)の子供(こども)が、白痴(はくち)でないかと、いわれていると気(き)がついたので、
「そんな覚(おぼ)えも、ございませんが。」と、さすがに言葉(ことば)をにごしていました。
「あれで、なかなか人(ひと)の気持(きも)ちや、腹(はら)にかくしているようなことを、よく当(あ)てる妙(みょう)なところがあります。」と、彼女(かのじょ)は、最後(さいご)に、その特長(とくちょう)をいって、子供(こども)を弁護(べんご)しました。
「それで、おかあさんからも、いってください。学校(がっこう)にきても、勉強(べんきょう)にまったく興味(きょうみ)がないくらいなら、そして、先生(せんせい)の顔(かお)ばかり見(み)ているようでは、なんの益(えき)にもならないことだから、いっそ学校(がっこう)をやめて、奉公(ほうこう)にいくなり、家庭(かてい)で、手(て)に職(しょく)をおぼえるほうが将来(しょうらい)のためにも役立(やくだ)つだろうと、いいきかせてください。」と教師(きょうし)は、こういいのこすと、急(きゅう)に席(せき)を立(た)って出(で)ていきました。
 あわれな母親(ははおや)は、学校(がっこう)の門(もん)をでると、教師(きょうし)から受(う)けた、ひややかな感(かん)じに、学校(がっこう)をいやがるのも、子供(こども)ばかりを責(せ)めるわけにはいかぬと、ふかく考(かんが)えながら、家路(いえじ)を急(いそ)いだのでした。
 村(むら)と町(まち)の間(あいだ)に、一軒(けん)の医院(いいん)があります。村人(むらびと)にいわせると、この医者(いしゃ)の薬(くすり)は高(たか)いから、めったに、かかれない。だから、どこでも買(か)い薬(ぐすり)で、まにあわせるといううわさをしました。その医院(いいん)のむすこのK(ケー)と、秀吉(ひできち)は同級(どうきゅう)だったので、よく同(おな)じ道(みち)を話(はな)しながら、歩(ある)いて帰(かえ)ることがありました。
 ある日(ひ)秀吉(ひできち)は、K(ケー)にいわれるまま、彼(かれ)の家(いえ)へ遊(あそ)びによったのでした。学校(がっこう)でもK(ケー)は、よくできるという評判(ひょうばん)でした。教師(きょうし)もK(ケー)にたいしては、秀吉(ひできち)とは反対(はんたい)で、彼(かれ)を見(み)る目(め)つきは、いつも柔和(にゅうわ)であり、ときには、こびるように、やさしい言葉(ことば)をかけるとさえ思(おも)われることもありました。秀吉(ひできち)はK(ケー)について、よくふき清(きよ)められた玄関(げんかん)を入(はい)ると、ひやりとした空気(くうき)を感(かん)じました。
 かたわらには患者(かんじゃ)の控(ひか)え室(しつ)があって、そこをぬけると、薬品(やくひん)のにおいのする診察室(しんさつしつ)があり、並(なら)んで座敷(ざしき)になっていました。秀吉(ひできち)は、K(ケー)の客(きゃく)という資格(しかく)で、案内(あんない)されるまま、奥(おく)にあるK(ケー)の書斎(しょさい)へみちびかれました。その際(さい)、座敷(ざしき)のうすぐらい床(とこ)の間(ま)においてあった、美(うつく)しい尾(お)をひろげた大(おお)きな鳥(とり)に、目(め)をうばわれたのであります。
「君(きみ)、あの鳥(とり)は、なんというのかい。」と、秀吉(ひできち)は、友(とも)だちの机(つくえ)のそばにすわると、すぐたずねました。
「あの鳥(とり)を、まだ知(し)らないの。孔雀(くじゃく)の剥製(はくせい)なんだよ。」と、K(ケー)は答(こた)えました。
「ほんとうに、きれいな鳥(とり)だね。どこにすんでいるのだろうね。」
「なんでも、南洋(なんよう)の暑(あつ)い国(くに)にいるというよ。」
「どうやって、捕(と)らえるのだろうね。」と、彼(かれ)は、それから、それへと、空想(くうそう)してききました。
「しかし君(きみ)、あの尾(お)のいちばんきれいなところが、大毒(たいどく)なんだというよ。」と、K(ケー)は、秀吉(ひできち)にいいました。
「あの紫色(むらさきいろ)にぴかぴか光(ひか)るところなの。」と秀吉(ひできち)は、思(おも)わず目(め)をかがやかしたのです。
「ああ、そういう話(はなし)だよ。」
「なめれば死(し)ぬかしらん。」と、秀吉(ひできち)は、いいました。
「それは、死(し)ぬだろう。しかし、もう置物(おきもの)にされて古(ふる)いのだから、あてにならんが、それより、もっとおそろしい毒薬(どくやく)を見(み)たことがあるよ。ただ見(み)ただけでは、つまらん白(しろ)い粉(こな)さ。一グラムの、いく百分(ぶん)の一でも、それをなめると、獣(けもの)でも、人間(にんげん)でも、死(し)ぬのだから。」と、K(ケー)がいいました。
「そんな、おそろしい薬(くすり)、ぼく見(み)たいものだな。」と、秀吉(ひできち)は、ため息(いき)をつきました。
「家(うち)にあるけれど、お父(とう)さんが、子供(こども)なんかの、見(み)るものではないと、厳重(げんじゅう)に戸(と)だなにしまってあるんだよ。」と、友(とも)だちは答(こた)えました。
「このあいだ、学校(がっこう)へおかあさんが呼(よ)ばれて、僕(ぼく)が小(ちい)さいときに、脳膜炎(のうまくえん)をやったのではないかと、聞(き)いたそうだよ。」と、彼(かれ)が正直(しょうじき)に、K(ケー)につげると、K(ケー)は向(む)きなおって、
「あのはげ頭(あたま)がかい。なんで、敏感(びんかん)な君(きみ)が、ばかなもんか。はげ頭(あたま)こそ、大酒(おおざけ)のみの酒乱(しゅらん)なんだよ。よくPTA(ピーティーエー)の会員(かいいん)の家(いえ)で、へべれけになるんだそうだ。」と、いって、K(ケー)は笑(わら)いました。秀吉(ひできち)の帰(かえ)るとき、K(ケー)は玄関(げんかん)まで送(おく)って出(で)ながら、薬室(やくしつ)の前(まえ)をいきかけて、
「君(きみ)、あすこに、どくろのしるしのついた戸(と)だながあるだろう。さっきいった毒薬(どくやく)のびんが、あの中(なか)に、はいっているのだよ。」と、指(ゆび)さしました。
 秀吉(ひできち)は、灰色(はいいろ)のどくろの画(え)に、なにか特別(とくべつ)の胸(むね)にせまる鋭(するど)いものを感(かん)じました。
 ちょうど、そのころのことでした。町(まち)へささやかな教会堂(きょうかいどう)がたてられました。近(ちか)くの子供(こども)たちや、めぐまれない家庭(かてい)の女(おんな)たちが、日曜日(にちようび)ごとに、お祈(いの)りに集(あつ)まって、牧師(ぼくし)のお説教(せっきょう)をきいたのであります。
 牧師(ぼくし)というのは、女(おんな)の外国人(がいこくじん)でありました。その下(した)に、日本人(にっぽんじん)の信者(しんじゃ)がいて、いろいろの世話(せわ)をしたり、なにかと教会(きょうかい)のめんどうをみながら働(はたら)いていました。一人(ひとり)の青年(せいねん)は、髪(かみ)のちぢれた、やせ姿(すがた)の芸術家(げいじゅつか)らしく、もう一人(ひとり)は、美(うつく)しいお嬢(じょう)さんでありました。平常(へいじょう)、女(おんな)のほうは、子供(こども)らとオルガンにあわせて、讃美歌(さんびか)をうたい、また希望者(きぼうしゃ)に英語(えいご)を教(おし)えたりしました。そして、青年(せいねん)のほうは、子供(こども)らに、手工(しゅこう)のけいこをしたり、自由画(じゆうが)をかかせたりしました。
 ある日(ひ)、この若(わか)い男(おとこ)の先生(せんせい)は、子供(こども)がならんでテーブルに向(む)かっている前(まえ)へ、クレオンと紙(かみ)をくばって、
「なんでも見(み)たこと、また思(おも)ったことを、自由(じゆう)に画(え)にして、かいてみたまえ。」といいました。
 秀吉(ひできち)は、なにをかいたらいいものか、自由(じゆう)という意味(いみ)が、よくわからなかったのです。いつも学校(がっこう)では、教師(きょうし)が問題(もんだい)を出(だ)して、それに答(こた)えるように教(おし)えられていました。線(せん)一本(ぽん)でも、まちがってはならぬのでした。だから、自分(じぶん)では熱心(ねっしん)にかいたつもりでも、めいめいのものと見(み)くらべて、よい悪(わる)いをきめられるので、いつも、ほめられるのは、日(ひ)ごろ成績(せいせき)がいいとされているものにかぎっていました。秀吉(ひできち)などは、どの科目(かもく)も、ほめられたことはなかったのです。
 いま、この教会(きょうかい)からもらったクレオンは、品質(ひんしつ)が上等(じょうとう)とみえて、赤(あか)の色(いろ)はまったく鮮紅(せんこう)だったし、紫(むらさき)の色(いろ)も、いつか友(とも)だちの家(いえ)で見(み)た孔雀(くじゃく)の羽(はね)のように光(ひか)っているし、そして青(あお)い色(いろ)は、ステンド=グラスをとおして仰(あお)ぐ、あの奥深(おくぶか)い大空(おおぞら)のようだったので、彼(かれ)の持(も)ってうまれた創造力(そうぞうりょく)は、なにをかきあらわしていいか、頭(あたま)の中(なか)で、出口(でぐち)をしきりとさがしたのです。
 彼(かれ)は、まず、まざまざと目(め)にのこっていた孔雀(くじゃく)をかきました。それとならべて、彼(かれ)には、お化(ば)けと感(かん)ずる、ひげのはえた丸(まる)い顔(かお)をかきました。しかしそれは、人間(にんげん)の顔(かお)でありません。目(め)から火(ひ)を吹(ふ)けば、口(くち)からも、ちょろちょろと、へびのように、赤(あか)い舌(した)を出(だ)していて、頭(あたま)をかしげていました。
「だんだん、ほんとうの君(きみ)がでて、おもしろくなるね。」と、若(わか)い先生(せんせい)は、なにを画(え)から見取(みと)ったものか、秀吉(ひできち)を勇気(ゆうき)づけました。
 このとき、とつぜん秀吉(ひできち)は、
「先生(せんせい)、神(かみ)さまは人間(にんげん)をみんな平等(びょうどう)に愛(あい)してくださるんですか。」といってききました。
「そうですとも。正直(しょうじき)なもの、また貧(まず)しいものは、とりわけ深(ふか)く愛(あい)してくださるのです。」と、先生(せんせい)は、秀吉(ひできち)を見(み)ながら答(こた)えて、目(め)に涙(なみだ)をうかべていました。
 やがて、北国(ほっこく)の村(むら)や、町(まち)に、ちらちらと寒(さむ)い日(ひ)は、雪(ゆき)が降(ふ)るようになりました。教会(きょうかい)では、そのころからストーブをたきはじめました。
 ある日(ひ)、秀吉(ひできち)のかいた自由画(じゆうが)は、これまでになかった特異(とくい)のものです。少年(しょうねん)らしい人間(にんげん)が雪中(せっちゅう)に埋(う)もれて倒(たお)れていました。
 そのそばには、いつものたこ入道(にゅうどう)が、ひげのはえた口(くち)を開(あ)けて、さも勝(か)ちほこるように笑(わら)いながら、赤(あか)い舌(した)を出(だ)している。また目(め)からも一筋(ひとすじ)の糸(いと)のように火(ひ)を吹(ふ)いて、少年(しょうねん)の死骸(しがい)を見下(みお)ろしている。そして、この化(ば)け物(もの)には、幾本(いくほん)も手(て)や足(あし)があって、それがへびのように、電信柱(でんしんばしら)や街灯(がいとう)の柱(はしら)に、まきついて、つめから血(ち)がしたたっている。
 すると、そのとき、頭(あたま)の上(うえ)を孔雀(くじゃく)のような美(うつく)しい羽(はね)のある天女(てんにょ)が、ぐるぐると輪(わ)をえがくごとく飛(と)び舞(ま)っていました。あちらの空(そら)は、真(ま)っ青(さお)で海(うみ)の色(いろ)をし、また片方(かたほう)の空(そら)は真(ま)っ赤(か)で、日(ひ)が沈(しず)みかけていました。
 若(わか)い先生(せんせい)は、この画(え)にひどく感動(かんどう)したようすでした。
「なんという題(だい)をつけたらいいかね。」と、先生(せんせい)は、秀吉(ひできち)にいいました。
「天女(てんにょ)とお化(ば)けです。」と、秀吉(ひできち)は答(こた)えたのです。
「ああ、それがいい。この画(え)の意味(いみ)は、どうやらわかるようだ。」と、先生(せんせい)は、いつまでも画(え)に見入(みい)っていました。
 教会(きょうかい)へあつまる子供(こども)らの画(え)には、それぞれ特色(とくしょく)があり、個性(こせい)があらわれていたので、教会(きょうかい)では、それらの作品(さくひん)をあつめて、一般(ぱん)にしめす展覧会(てんらんかい)を催(もよお)すことになりました。
 当日(とうじつ)は、学校(がっこう)の教師(きょうし)や、また家庭(かてい)の父兄(ふけい)たちが、参観(さんかん)にやってきました。ちょうど昼(ひる)ごろのことです。参観者(さんかんしゃ)の一人(ひとり)が急(きゅう)に卒倒(そっとう)して、大(おお)さわぎとなりました。さっそく医者(いしゃ)をよんで、関係者(かんけいしゃ)たちは介抱(かいほう)しましたが、診断(しんだん)の結果(けっか)は、急性脳溢血(きゅうせいのういっけつ)ということがわかって、もはや手(て)の下(くだ)しようがなかったのです。
 このとき、場内係(じょうないがかり)の、自由画(じゆうが)を受(う)け持(も)つ若(わか)い先生(せんせい)もやってきて、先生(せんせい)は二度(ど)びっくりしました。死人(しにん)の頭(あたま)がはげて、ひげのある丸(まる)い顔(かお)は、秀吉(ひできち)のいつもかく、お化(ば)けの顔(かお)そっくりだったからでした。
了

底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社
   1977(昭和52)年12月10日第1刷発行
   1983(昭和58)年1月19日第5刷発行
底本の親本:「うずめられた鏡」金の星社
   1954(昭和29)年6月
初出:「キング」
   1953(昭和28)年12月
※表題は底本では、「天女(てんにょ)とお化(ば)け」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年6月25日作成
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