あらすじ
戦後、世の中は荒れ果て、子供たちは親を失い、悲しみに暮れていました。裕福な地主は、そんな子供たちを哀れみながらも、心の奥底では、自分の息子を戦争で亡くした悲しみから、他人を救う気持ちになれませんでした。しかし、ある日、寺のおしょうさんが、自分たちの力ではとても助けきれないほどの多くの孤児を世話している話を聞かされます。地主は、その話を聞きながら、かつて子供たちが、自分の家を訪れて、貧しいながらも明るく歌っていた姿を思い出します。そして、子供たちの無邪気な姿に、自分自身の心の曇りを思い知らされ、深い反省をするのです。
 広(ひろ)い庭(にわ)には、かきが赤(あか)くみのっていました。かきねの破(やぶ)れを直(なお)して、主人(しゅじん)は、いま縁側(えんがわ)へ腰(こし)を下(お)ろし、つかれを休(やす)めていたのです。彼(かれ)はこのあたりの地主(じぬし)でした。
 裏門(うらもん)から、寺(てら)のおしょうさんが、にこにこしながら、入(はい)ってくるのを見(み)ると、ちょっと迷惑(めいわく)そうな顔色(かおいろ)をしたが、すぐ笑(わら)いにまぎらして、丁寧(ていねい)に迎(むか)えました。
「あまりごぶさたをしたので、前(まえ)を通(とお)りかかったものだから。」と、おしょうさんは、いいました。
「どうぞ、すこしお上(あ)がりください。」
 地主(じぬし)は、おしょうさんを、茶(ちゃ)の間(ま)へ通(とお)しました。
「おお、ここのにわとりは、ねこを追(お)いかけるな。」と、土間(どま)の方(ほう)を見(み)て、おしょうさんは、さもおどろいたように、大(おお)きな声(こえ)でいいました。
「このあいだ、卵(たまご)を産(う)んだので、魚(さかな)の骨(ほね)をやりましたら、ねこの分(ぶん)まで、自分(じぶん)のものと思(おも)い、しようのないやつです。」
「ほ、ほう、なるほどしつけは、怖(おそ)ろしいもんだな。教育(きょういく)のしかたで、いい子(こ)も、わるくなるから。」と、あとのほうを、おしょうさんは、ひとりごとのようにいって、立(た)ち上(あ)がりました。そして、仏壇(ぶつだん)の前(まえ)へすわり、静(しず)かにかねをたたき、お念仏(ねんぶつ)を唱(とな)えたのです。そこには、軍服姿(ぐんぷくすがた)をした若者(わかもの)の写真(しゃしん)が飾(かざ)られ、お供(そな)え物(もの)が上(あ)がっていました。
「まだお便(たよ)りがありませんか。もう帰(かえ)るものは、たいてい帰(かえ)ったようにききますが。」
 おしょうさんは、もとの座(ざ)へもどりました。
「うちのせがれは、死(し)んだものと、あきらめています。」と、地主(じぬし)は、こう答(こた)えて、さすがにさびしそうでありました。
「いつ亡(な)くなられたものかの。」
 おしょうさんは、声(こえ)を低(ひく)く落(お)としました。
「なんでも、南(みなみ)へいった舟(ふね)は、およそ途中(とちゅう)でやられたという話(はなし)で」
「いや、こんどの戦争(せんそう)では、お気(き)の毒(どく)な方(かた)が、どれほどいるかしれません。なんにしても、戦争(せんそう)ばかりは、地獄(じごく)にまさる、この世(よ)の地獄(じごく)ですぞ。」と、おしょうさんは、ため息(いき)をもらして、瞑目(めいもく)しました。このとき地主(じぬし)のついでくれた茶(ちゃ)をすすって、またおしょうさんは、じっと考(かんが)えていました。庭(にわ)の木立(こだち)で、あぶらぜみの鳴(な)く声(こえ)がします。
 先刻(さっき)から、おしょうさんが、なんで立(た)ち寄(よ)ったろうかと思(おも)ったのが、ほぼ察(さっ)せられると、地主(じぬし)は、先手(せんて)を打(う)つつもりで、
「なにしろ頼(たの)みとするせがれでしたので、量見(りょうけん)がせまいようですが、当分(とうぶん)他人(たにん)さまのためにどうこうする気持(きも)ちも起(お)こりません。」といいました。
「ごもっとものことです。ご存(ぞん)じのごとく、資力(しりょく)のない私(わたし)どもに、人(ひと)を助(たす)ける資格(しかく)はありませんが、ほかでない、両親(りょうしん)をなくした、子供(こども)の身(み)を考(かんが)えますと、だれも世話(せわ)をするものがなければ、自分(じぶん)がしなくてはという気(き)でやったものの、皆(みな)の力(ちから)を借(か)りねばできぬ事業(じぎょう)でして。」と、おしょうさんはいいました。
「おおぜいの子供(こども)の世話(せわ)では、おたいていでありますまい。」
「いまのところ、まだ五、六人(にん)ですが、なにしろこんな時勢(じせい)で、それさえ荷(に)が重(おも)すぎ、ときどき途方(とほう)にくれますよ。しかし、またいじらしい子供(こども)の姿(すがた)を見(み)ると、これを見捨(みす)てられるものかとむち打(う)たれるのです。」
 この話(はなし)をきくうち、地主(じぬし)の目(め)に、一つの光景(こうけい)が浮(う)かびました。過日(かじつ)この孤児園(こじえん)の孤児(こじ)たちが、連(つ)れ立(だ)って、書簡(しょかん)せんや、鉛筆(えんぴつ)や、はみがき粉(こ)などをかんへ入(い)れて、売(う)りにきたとき、自分(じぶん)は、つれなく、「みんなあるから、いらない。」と、断(ことわ)ったのだった。そのとき、子供(こども)らは恨(うら)めしそうに、こちらを見(み)たが、いずれも顔色(かおいろ)は青(あお)く、手足(てあし)がやせて、草履(ぞうり)を引(ひ)きずって歩(ある)くのも物憂(ものう)そうなようすであった。
 おしょうさんは、前(まえ)の茶(ちゃ)わんをとり上(あ)げて、残(のこ)った茶(ちゃ)をすすりながら、
「子供(こども)には罪(つみ)がありません。みんな大人(おとな)の犯(おか)した悪(あく)の酬(むく)いです。どうか、世間(せけん)にそのことがわかってもらいたいのです。さすがに、子供(こども)どうしの間(あいだ)では同情(どうじょう)があって、行商(ぎょうしょう)に出(で)ると、鉛筆(えんぴつ)や、紙(かみ)などを学校(がっこう)の生徒(せいと)が買(か)ってくれます。ありがたいことです。」と、こう、意味(いみ)ありげにいって、おしょうさんは、扇子(せんす)でふところへ風(かぜ)を入(い)れていました。
 この家(いえ)の軒下(のきした)には、薪(たきぎ)が、山(やま)のごとく積(つ)んでありました。また土間(どま)には、つけ物(もの)おけや、みそだるが、並(なら)べて置(お)いてあり、中(なか)すみの方(ほう)には、まだどろのついたままの芋(いも)や、にんじんが、ころがっていました。さらに、奥(おく)の間(ま)へ目(め)を向(む)けると、百姓家(しょうや)にしては、ぜいたくすぎる派手(はで)な着物(きもの)が、同(おな)じように高価(こうか)な帯(おび)といっしょに衣桁(いこう)へかかっていました。
 外(そと)から見(み)て、何人(なんぴと)か、ここに悲(かな)しみがあると思(おも)うだろうか。むろんここには近所(きんじょ)まで迫(せま)った飢餓(きが)もなければ貧困(ひんこん)もなかったのでした。
「ふとる盛(さか)りの子(こ)に、腹(はら)いっぱい食(た)べさせられないのは、なによりもつらいのです。このあいだ、町(まち)からきた子(こ)が、白(しろ)い飯(めし)をどうしてもたべません。きいてみると、こんな光(ひか)るご飯(はん)を、見(み)たことがないというのです。」と、話(はな)しました。
「光(ひか)るからというんですね。」
「なんでも、その子(こ)は、母親(ははおや)と方々(ほうぼう)を転々(てんてん)したというから、これまでの生活(せいかつ)が、察(さっ)しられますが、ほかにも子供(こども)どうしで、あの木(き)の芽(め)はたべられそうだとか、あの草(くさ)を煮(に)てたべたら、おいしかろうとか、真剣(しんけん)にいい合(あ)っているのを聞(き)くと、いじらしい気(き)がして。」
 これをきいて、地主(じぬし)は、なんとも返答(へんとう)ができなかった。そして、おしょうさんの今日(きょう)きたわけが、いよいよはっきりのみこめたけれど、ただ寄付(きふ)はしたくなかったのでした。そして、半分(はんぶん)は、いつわりなく、心(こころ)のうちをいって、弁解(べんかい)するように、
「せがれが、もし生(い)きていますなら、どこか山(やま)の中(なか)で、へびや、とかげを食(く)っていることでしょう。そう考(かんが)えると、だれも彼(かれ)も、いっしょに苦(くる)しむがいい、と思(おも)いまして、たとえ子供(こども)であろうが、特別(とくべつ)に同情(どうじょう)する気(き)になれません。」といいました。
「いや、正直(しょうじき)なお話(はなし)です。あなたばかりでなく、みんなが、悪(わる)い夢(ゆめ)を見(み)ていますのう。」と、おしょうさんは答(こた)えました。
「悪(わる)い夢(ゆめ)とおっしゃいますか。」
「さよう、悪(わる)い夢(ゆめ)にちがいない。すべて夢(ゆめ)からさめるのを悟(さと)りといいますのう。別(べつ)に、美(うつく)しい、なごやかな、真(しん)の人間世界(にんげんせかい)があるはずだが。」と、おしょうさんは、いいました。
「どうしたら、その世界(せかい)を知(し)ることができますか?」と、地主(じぬし)は、いいました。
「それを、いま私(わたし)がいってもわかりますまい。正(ただ)しい心(こころ)をもちながら、忘(わす)れたのであれば、かならず悟(さと)る日(ひ)がありますじゃ。」
「つい、長居(ながい)して。」と、おしょうさんは、あいさつして、縁側(えんがわ)へ出(で)てから、庭(にわ)のさるすべりを、ほめて帰(かえ)りました。
 ある日(ひ)、地主(じぬし)は、用(よう)たしでお寺(てら)のそばを通(とお)ると、ちょうど孤児(こじ)たちが、庭(にわ)で遊(あそ)んでいました。境内(けいだい)には、はぎの花(はな)が盛(さか)りなばかりか、どこからともなく、もくせいの甘酸(あまず)っぱいような香(かお)りがただよってきました。
 一人(ひとり)の子(こ)が、ふいに、
 ――南(みなみ)から、南(みなみ)から、とんできた、きた、渡(わた)り鳥(どり)、うれしさに、楽(たの)しさに、――と、うたい始(はじ)めたのです。すると、ほかの子(こ)も、手(て)をたたいて、調子(ちょうし)をとりました。歌(うた)うと、どの子(こ)の顔(かお)を見(み)ても、無心(むしん)で、さも楽(たの)しそうでした。
 おそらく、このときの子供(こども)の心(こころ)は明(あか)るく、なんの悲(かな)しみもなかったでしょう。地主(じぬし)は、それに誘(さそ)われて、自分(じぶん)が子供(こども)の時分(じぶん)を回想(かいそう)しました。自分(じぶん)にも、こんな時代(じだい)があった。いたずらをして、しかられても、すぐ悲(かな)しみを忘(わす)れて、なにを見(み)ても楽(たの)しく、美(うつく)しく、だれ彼(かれ)の差別(さべつ)なくなつかしかったのであった。
「おしょうさんが、いわれたように、子供(こども)に罪(つみ)はない。すべてが大人(おとな)の責任(せきにん)なんだ。子供(こども)は、いつも美(うつく)しいし、子供(こども)の心(こころ)は、いつも朗(ほが)らかだ。それを、なんと大人(おとな)が、一(ひと)たび道(みち)を誤(あやま)ったばかりに……。」
 こう感(かん)ずると、地主(じぬし)は、急(きゅう)に悪夢(あくむ)からさめたような気(き)がしたのでした。同時(どうじ)に、目(め)の前(まえ)へ、清(きよ)らかで、平(たい)らかな人(ひと)として踏(ふ)むべき道(みち)の開(ひら)けるのを感(かん)じました。地主(じぬし)は、いきいきとして、歩(ある)きながら、自分(じぶん)のからだに、良心(りょうしん)の火(ひ)がまだ残(のこ)っていたのが、限(かぎ)りなくうれしかったのでした。
了

底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社
   1977(昭和52)年11月10日第1刷発行
   1983(昭和58)年1月19日第5刷発行
底本の親本:「心の芽」文寿堂出版株式会社
   1948(昭和23)年10月
初出:「社会 創刊号」
   1946(昭和21)年9月
※表題は底本では、「子供(こども)は悲(かな)しみを知(し)らず」となっています。
※初出時の表題は「悲しみを知らない噺」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年11月24日作成
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