あらすじ
ある日、美しい鳥が町に現れます。少年正吉は、その鳥を捕まえようと木に登りますが、失敗し、足を骨折してしまいます。その後、正吉は不具となり、周囲から嘲笑の的になってしまいます。しかし彼は、縫い箔屋で働き、その技術で周囲を驚かせます。やがて戦争が起き、縫い箔屋は廃業に。正吉は電気工場で働き始めます。ある日、彼はかつての主人と再会し、民主主義や自分の権利について考えさせられます。そして、選挙の日に、正吉は長い列に並んで、自分の権利を行使します。
 ある日(ひ)、どこからか、きれいな鳥(とり)が飛(と)んできて、木(き)にとまりました。腹(はら)のあたりは黄色(きいろ)く、頭(あたま)が紅(あか)く、長(なが)い尾(お)がありました。野鳥(やちょう)のように、すばしこくなく、人間(にんげん)になれているらしく見(み)えるのは、たぶん飼(か)われていたのが、かごを逃(に)げ出(だ)したのかもしれません。
 みんなが、大騒(おおさわ)ぎをしました。大人(おとな)も、子供(こども)も、どうしたら捕(と)らえられようかと、木(き)の近(ちか)くへ集(あつ)まりました。正吉(しょうきち)は、胸(むね)がどきどきして、自分(じぶん)が捕(と)らえようと、心(こころ)にきめると、みんなにむかって、
「あの鳥(とり)は、おれのものだ。わあわあいっちゃいけない。」といって、彼(かれ)は、すぐ鳥(とり)のとまっているかきの木(き)に登(のぼ)りはじめました。
 鳥(とり)は、そんなことにまったく気(き)づかず、さものんきそうに、あちこちと景色(けしき)をながめていました。見(み)ている人(ひと)たちの中(なか)には、うまくつかまればいいがと思(おも)ったり、あるいは、早(はや)く逃(に)げればいいのにと思(おも)ったり、てんでになにか考(かんが)えていたであろうが、とにかくだまって、正吉(しょうきち)のすることを見(み)まもっていたのです。
 正吉(しょうきち)は、木(き)の幹(みき)の蔭(かげ)で、なるたけ自分(じぶん)のからだを隠(かく)すようにして、音(おと)をたてずに、ねこがねずみをねらうときのようすそっくりで、すこしずつ鳥(とり)にしのびよって、もう一息(ひといき)というところまで達(たっ)しました。そこで考(かんが)えていた彼(かれ)は、おそるおそる手(て)をさしのべたのでした。
「うまくいったぞ!」と、見(み)ている人(ひと)の中(なか)から、いったものもあります。
 しかし、あまり鳥(とり)が美(うつく)しいので、つかまえる手(て)がにぶったか、指先(ゆびさき)が、尾(お)にふれんとした瞬間(しゅんかん)、急(きゅう)に鳥(とり)は、おどろいて飛(と)び立(た)ちました。そのとき、正吉(しょうきち)のからだも、いっしょに木(き)からはなれて、空(くう)でもんどり打(う)ち、地上(ちじょう)へと落(お)ちました。
「鳥(とり)には羽(はね)があるが、人間(にんげん)にはないものを、なんで、手(て)づかみができるものか。」と、こんどは、見(み)ていた人々(ひとびと)は、口々(くちぐち)にののしりながら、気(き)を失(うしな)った子供(こども)のところへ駆(か)けつけました。そして、だき起(お)こして介抱(かいほう)するやら、親(おや)たちを呼(よ)びにいくやら、あわてふためいたのであります。
 この村(むら)には、専門(せんもん)の医者(いしゃ)がありませんでした。内科(ないか)と外科(げか)を兼(か)ねた頼(たよ)りげないものしかなかったので、治療(ちりょう)にも無理(むり)があったか、正吉(しょうきち)の折(お)れた右脚(みぎあし)は、ついにもとのごとく、伸(の)びずにしまいました。それから、不具(かたわ)となった少年(しょうねん)は、友(とも)だちからばかにされたり、わらわれたりしたのであります。
 彼(かれ)は、ろくろく学校(がっこう)へもいかず、早(はや)くから、町(まち)の縫(ぬ)い箔屋(はくや)へ弟子入(でしい)りして、手仕事(てしごと)をおぼえさせられたのでした。生(う)まれつき器用(きよう)の正吉(しょうきち)は、よく針(はり)をはこびました。
「正吉(しょうきち)、この金紗(きんしゃ)の羽織(はおり)は、仕損(しそん)じぬよう、念(ねん)を入(い)れてしなよ。」というように、主人(しゅじん)は、注意(ちゅうい)しながらも、上等(じょうとう)のむつかしい品(しな)をば選(えら)んで、彼(かれ)に扱(あつか)わせるようにしました。そして、でき上(あ)がりを見(み)て、いつもほめたものです。
 だから彼(かれ)は、いつからともなく、ほかの弟子(でし)たちを抜(ぬ)いて、仕事(しごと)の上(うえ)では、主人(しゅじん)の代(か)わりをしていました。この店(みせ)は、町(まち)で古(ふる)くからの縫(ぬ)い箔屋(はくや)だったので、金持(かねも)ちの得意(とくい)が多(おお)く、また遠(とお)くからも、註文(ちゅうもん)を受(う)けていました。
 しかし、なんによらず、世(よ)の中(なか)のことは、いつも同(おな)じような調子(ちょうし)でいくものではありません。いろいろの関係(かんけい)から、たえず変化(へんか)していくものです。これまでも、新(あたら)しい器械(きかい)が発明(はつめい)されたとか、新(あたら)しい思想(しそう)が流行(りゅうこう)するとか、また、戦争(せんそう)などということがあって、栄(さか)えた職業(しょくぎょう)が、急(きゅう)に衰微(すいび)したり、また反対(はんたい)に衰微(すいび)していたものが、復興(ふっこう)する例(れい)は少(すく)なくなかったのです。
 こんどの世界戦争(せかいせんそう)は、我(わ)が国(くに)のすべての産業(さんぎょう)に革命(かくめい)をもたらしました、縫(ぬ)い箔屋(はくや)という商売(しょうばい)が、たとえ一時的(じてき)にせよ、まったく衰(おとろ)える状態(じょうたい)となり、この店(みせ)もついに閉店(へいてん)して、転業(てんぎょう)を余儀(よぎ)なくされたのでした。
 ここにいた、若(わか)い、健康(けんこう)な男女(だんじょ)は、それぞれ工場(こうじょう)へいき、活溌(かっぱつ)に働(はたら)いたのですが、正吉(しょうきち)は、それらの人(ひと)たちと同(おな)じことはできず、ある電気工場(でんきこうじょう)へ勤(つと)めて、体力(たいりょく)にふさわしい仕事(しごと)として、ニクロム線(せん)を巻(ま)いたり、鉄板(てっぱん)のさびを落(お)としたりしていたのであります。
 ある休(やす)みの日(ひ)に、正吉(しょうきち)は、前(まえ)に奉公(ほうこう)していた、縫(ぬ)い箔屋(はくや)を訪(たず)ねました。主人(しゅじん)は喜(よろこ)んで迎(むか)えてくれました。主人(しゅじん)も、まだ老人(ろうじん)とはいえぬながら、もはや工場(こうじょう)へいって働(はたら)ける年(とし)ではなく、さればといって、ぼんやり、その日(ひ)を暮(く)らす気(き)にもなれず当惑(とうわく)していると、ちょうど総選挙前(そうせんきょまえ)で、筆耕(ひっこう)をたのむものがあって、そんなことをしているのでした。
「すこしの間(あいだ)に、世間(せけん)もだいぶ変(か)わったものだな。」と、主人(しゅじん)は、いまさらのように、腕(うで)を組(く)んでいいました。
「はい。」と、正吉(しょうきち)は、答(こた)えました。
「こんどから、おまえにも選挙権(せんきょけん)があるんだね。りっぱな人間(にんげん)一人前(にんまえ)になれたというものだ。だから、貴(とうと)い権利(けんり)をむだにしてはいけないよ。」
「はい。」
「考(かんが)えてごらん、これまで私(わたし)たちの代表(だいひょう)として選(えら)んだ代議士(だいぎし)が、ほんとうに、私(わたし)たちの身(み)の上(うえ)を思(おも)ってくれたといえるかい。いいかげんな約束(やくそく)をして、民衆(みんしゅう)を踏(ふ)み台(だい)にし、ただ当選(とうせん)すれば、いいとしたのだ。そして、いよいよ権力(けんりょく)を持(も)つと、自分(じぶん)たちの都合(つごう)ばかり考(かんが)えて、大衆(たいしゅう)は捨(す)てられてきたのだ。」
「はい。」
「むつかしいことをいうようだが、わかるだろうね。」と、主人(しゅじん)は、念(ねん)をおしました。
「深(ふか)いことはわかりませんが、意味(いみ)はわかります。」と、正吉(しょうきち)は、返事(へんじ)をしました。
「それは、選(えら)んだものにも罪(つみ)があったんだよ。人(ひと)を見(み)る目(め)がなかったのだ。ただ、空宣伝(からせんでん)におどらされたり、山師(やまし)のようなものにあやつられたからだ。これからは、だまされてはいけないし、強(つよ)くならなければならん。そして、真(しん)に、自分(じぶん)たちのためになり、力(ちから)のないものの味方(みかた)になる、正(ただ)しい人間(にんげん)を選挙(せんきょ)するのだ。いままでは、そういうあたりまえのことすらできなかったが、いよいよそれができる、自由(じゆう)な時代(じだい)になったのを、知(し)っているね。」
「はい、自由主義(じゆうしゅぎ)の時代(じだい)でしょう。」
「そうだ、自分(じぶん)が正(ただ)しいと信(しん)じたとおりにする、それがなにより貴(とうと)いことなのだよ。」
「わかりました。それには、自分(じぶん)がもっと正(ただ)しく、強(つよ)いりっぱな人間(にんげん)となるんですね。」
「そう、そう、前(まえ)からだれにも、人間(にんげん)平等(びょうどう)の権利(けんり)はあったのさ。それを無智(むち)と卑屈(ひくつ)のため、自(みずか)ら放棄(ほうき)して、権力(けんりょく)や、金銭(きんせん)の前(まえ)に、奴隷(どれい)となってきたのだ。」
「親方(おやかた)、私(わたし)たちは、いままで、自分(じぶん)というものをよく考(かんが)えなかったんですね。」
「それだから、気力(きりょく)も、勇気(ゆうき)もなかったのだ。」
「金(かね)とか、学問(がくもん)とかいうことより、なによりみんなが正(ただ)しい考(かんが)えをもつ人間(にんげん)となることが大切(たいせつ)なんですね。」
「それが民主主義(みんしゅしゅぎ)なんだよ。」
 こうして、正吉(しょうきち)は、前(まえ)の主人(しゅじん)から、勇気(ゆうき)づけられて帰(かえ)りました。それから、ひまがあれば、選挙候補者(せんきょこうほしゃ)の演説(えんぜつ)を聞(き)き歩(ある)くことにしました。選(えら)ぶには、まず、その人(ひと)を知(し)らなければならぬからです。まだ世(よ)の中(なか)のほこりに汚(けが)されぬ若者(わかもの)の感覚(かんかく)は、何人(ひとびと)が心(こころ)にもないうそをいったり、あるいは、飾(かざ)らず真実(しんじつ)を語(かた)るか、また謙遜(けんそん)であって、信用(しんよう)するに足(た)りるか、どうかということを、目(め)で見(み)わけ、耳(みみ)で聞(き)きわけたのでした。そして、ごまかしの誘惑(ゆうわく)や、一時(じ)の宣伝(せんでん)にとりことなるのを警戒(けいかい)し、自己(じこ)の信(しん)ずる人(ひと)に投票(とうひょう)しようとしたのであります。
 そうするうちに、いよいよ選挙日(せんきょび)となりました。おりしも、春(はる)のいい季節(きせつ)であって、正吉(しょうきち)らの投票場(とうひょうじょう)は、近(ちか)くの小学校(しょうがっこう)にきめられました。彼(かれ)は、午前(ごぜん)のうちに出(で)かけ、多(おお)くの人(ひと)たちとともに、列(れつ)をつくって並(なら)んだが、その長(なが)い列(れつ)は、えんえんとして、さながら長蛇(ちょうだ)のごとく、運動場(うんどうじょう)の内側(うちがわ)を幾巡(いくめぐ)りもしたのであります。
 大空(おおぞら)の雲(くも)の色(いろ)は、柔(やわ)らかに、吹(ふ)く風(かぜ)も暖(あたた)かでした。どこからか、きりの花(はな)の甘(あま)い香(にお)いが流(なが)れてきました。あちらにある物置(ものおき)の軒端(のきば)へ、すずめが巣(す)を造(つく)るとみえ、たえず往来(おうらい)していたが、飛(と)んでくるすずめは、わらくずや、糸(いと)きれのようなものを食(た)べていて、彼(かれ)らは、壁板(かべいた)の壊(こわ)れた穴(あな)から、出(で)たり、はいったりしていました。
「もう、田舎(いなか)も春(はる)だろうな。」と、正吉(しょうきち)は、紫色(むらさきいろ)を帯(お)びて、かすみたつ空(そら)を仰(あお)ぎました。考(かんが)えるともなく、子供(こども)の時分(じぶん)が、頭(あたま)の中(なか)へよみがえったのであります。
 かげろうの上(のぼ)る、かがやかしい田畑(たはた)や、若草(わかくさ)の芽(め)ぐむ往来(おうらい)や、隣家(りんか)の垣根(かきね)に咲(さ)く桃(もも)の花(はな)や、いろいろの景色(けしき)が浮(う)かんで、なつかしい思(おも)い出(で)にふけると、あのきれいな鳥(とり)が田圃(たんぼ)の中(なか)のかきの木(き)にきて止(と)まったのが、まだ昨日(きのう)のことであるように、いきいきと思(おも)い返(かえ)されるのです。
「あの後(のち)は、町(まち)の鳥屋(とりや)でも、あんな鳥(とり)を二度(ど)と見(み)たことがない。なんという名(な)の鳥(とり)だったろうな。」
 彼(かれ)は、いまでも世界(せかい)のどこかに、同(おな)じ鳥(とり)がすんでいるだろうとは思(おも)いながら、なんとなしに、またと見(み)られぬようなはかなさを感(かん)ずるのでした。そして、そのため自分(じぶん)は木(き)から落(お)ち、びっことなったにかかわらず、その苦痛(くつう)は忘(わす)れられて、ただ美(うつく)しい鳥(とり)に対(たい)し、限(かぎ)りないいとしさと悲(かな)しみがつのるばかりでした。
「あのとき、もち棒(ぼう)があれば、とれたかもしれぬ。」
 くちおしく思(おも)うけれども、また、子供(こども)の時分(じぶん)のことで、よく飼(か)い方(かた)も知(し)らぬから、殺(ころ)せばかわいそうだったとも考(かんが)え、かえって逃(に)げたのを喜(よろこ)ぶ心(こころ)にもなるのでした。彼(かれ)は、しばらく列(れつ)の中(なか)に立(た)ちながら、夢(ゆめ)を見(み)る気(き)で空想(くうそう)をつづけると、ふいに、空(そら)から、ひらひらと、花(はな)びらの落(お)ちるように、一ぴきの黒(くろ)いちょうが降(お)りて、そばの砂(すな)の上(うえ)で体(からだ)を休(やす)めたのです。
「花(はな)のない、人間(にんげん)ばかりのところへ、どうして、ちょうが、飛(と)んできたのか。」
 自然界(しぜんかい)には、想像(そうぞう)もつかぬようなことがあるものだと思(おも)いました。正吉(しょうきち)は、いまでは子供(こども)のときとちがって、めずらしいからといって、すぐ手(て)を出(だ)して、捕(と)らえようとはしませんでした。そのかわり、おちついて、色(いろ)や、姿(すがた)をよく観察(かんさつ)する機会(きかい)を与(あた)えられたのを喜(よろこ)び、ちょうの羽(はね)についている模様(もよう)まで、つくづくとながめたのでした。
「なんという、不思議(ふしぎ)な、きれいなものだろう。神(かみ)さまの力(ちから)ででもなければ、つくれぬものだ。」
 一ぴきの虫(むし)でさえ、子細(しさい)に見(み)れば、見(み)るほど美(うつく)しいのを知(し)りました。はじめて、それに気(き)がつくと、雲(くも)も、花(はな)も、すべてがおどろくばかり美(うつく)しかったのであります。
「いいな、自然(しぜん)は!」と、彼(かれ)は、眠(ねむ)りから目(め)がさめたごとく、感嘆(かんたん)しました。
 ひとり自然(しぜん)が美(うつく)しいばかりでなかった。こうして、見(み)、考(かんが)え、喜(よろこ)び、希望(きぼう)をもつ、人間(にんげん)がまた偉大(いだい)であり、貴(とうと)い存在(そんざい)であるのを知(し)りました。さらに、人間(にんげん)の一人(ひとり)である、自分(じぶん)が尊(とうと)いものであるのを知(し)ったのです。
 正吉(しょうきち)は、選挙(せんきょ)に一票(ぴょう)を投(とう)じてから、社会人(しゃかいじん)になれたという、強(つよ)い自覚(じかく)をもつと同時(どうじ)に、自然(しぜん)の観察(かんさつ)から、また仕事(しごと)のうえにも大(だい)なる自信(じしん)を得(え)ました。
「おれのいままでの仕事(しごと)は、みんなうそだったぞ。」
 彼(かれ)は、自分(じぶん)の部屋(へや)へもどると、大声(おおごえ)で叫(さけ)んだのです。そして、考(かんが)えたのでした。
 田舎(いなか)から、町(まち)へ出(で)て、縫(ぬ)い箔屋(はくや)へ弟子入(でしい)りをして、そして、習(なら)った細工(さいく)は、すべて魂(たましい)の入(はい)らない、ごまかしものだった。たとえば、帯(おび)や、羽織(はおり)や、着物(きもの)にしろ、刺繍(ししゅう)をしてでき上(あ)がった、花(はな)や、ちょうや、鳥(とり)は、ただひな形(がた)に似(に)せたのであり、絵本(えほん)から写(うつ)したものであるから、死(し)んでいて、生(い)きている姿(すがた)でなかった。そればかりでなく、品物(しなもの)の使(つか)い道(みち)がまた死(し)んでいた。というのは、金持(かねも)ちの奥(おく)さまや、令嬢(れいじょう)がたが着(き)るためであって、ただそうしたおしゃれの人(ひと)たちの虚栄心(きょえいしん)を満足(まんぞく)させるに役立(やくだ)つだけだった。そう思(おも)うと、たとえ自分(じぶん)の芸(げい)は未熟(みじゅく)ながら、考(かんが)えずにいられようか、平常(ふだん)はたんすや、行李(こうり)の中(なか)へしまいこまれて、お気(き)にいらなければ、そのまま虫(むし)にくわれ、永久(えいきゅう)に捨(す)てられるのである。だれしもそうと知(し)れば、良心(りょうしん)のあるかぎり、自分(じぶん)の仕事(しごと)に対(たい)して、あわれみと恥(は)ずかしさを感(かん)ずるであろう。
 つつましやかなる自然(しぜん)は、正吉(しょうきち)にふたたび、子供(こども)の時分(じぶん)のまじり気(け)ない無邪気(むじゃき)さと、勇気(ゆうき)を呼(よ)びもどしたのでした。それは、正(ただ)しく生(い)きようと希(ねが)う人間(にんげん)のもつ、りっぱな精神(せいしん)でありました。
「おれは、自分(じぶん)のもてる能力(のうりょく)が、たとえわずかばかりにせよ、これを発揮(はっき)して、世(よ)の中(なか)の人々(ひとびと)のために、役立(やくだ)てよう。」
 ふとしたことが、彼(かれ)の体(からだ)に長(なが)い間(あいだ)宿(やど)り、眠(ねむ)っていた正義心(せいぎしん)と、芸術心(げいじゅつしん)の芽(め)を、いっしょにめざめさせたのでした。
 その後(ご)、彼(かれ)の描(えが)いた、さまざまの水彩画(すいさいが)や、鉛筆画(えんぴつが)が、工場(こうじょう)の壁(かべ)にはられました。
 そして、素直(すなお)で特色(とくしょく)豊(ゆた)かな絵(え)は、多(おお)くの工員(こういん)たちの間(あいだ)に人気(にんき)を呼(よ)びました。なぜなら、疲(つか)れたものの精神(せいしん)にあこがれと朗(ほが)らかさをあたえることによって、彼(かれ)らを慰(なぐさ)めたからであります。
了

底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社
   1977(昭和52)年11月10日第1刷発行
   1983(昭和58)年1月19日第5刷発行
底本の親本:「心の芽」文寿堂出版株式会社
   1948(昭和23)年10月
初出:「少国民の友 22巻11号」
   1946(昭和21)年2月
※表題は底本では、「心(こころ)の芽(め)」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年10月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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