あらすじ
病院の病室で、病気の男の子は、窓から見える雲を眺めながら、雲と鬼ごっこをしていると想像します。雲は、男の子を仲間に入れてあげようと優しく語りかけます。やがて日は暮れ、雲は消えてしまいますが、男の子は、母親の歌声に包まれ、痛みを忘れ、夢の世界へ旅立つのを待ち望みます。母親は、息子の苦しみをやわらげるため、必死に子守歌を歌い続けます。その歌声は、息子を遠い場所へと導き、夜空に広がる静寂の中で、母と子の深い愛情が静かに響き渡ります。
 どんなに寒(さむ)い日(ひ)でも、健康(けんこう)な若(わか)い人(ひと)たちは、家(いえ)にじっとしていられず、なんらか楽(たの)しみの影(かげ)を追(お)うて、喜(よろこ)びに胸(むね)をふくらませ、往来(おうらい)を歩(ある)いています。こうした人(ひと)たちの集(あつ)まるところは、いつも笑(わら)い声(ごえ)のたえるときがなければ、口笛(くちぶえ)や、ジャズのひびきなどで、煮(に)えくり返(かえ)っています。しかし、路(みち)一筋(ひとすじ)町(まち)をはなれると、急(きゅう)に空(あ)き地(ち)が多(おお)くなるのが例(れい)でした。なかでも病院(びょういん)の建物(たてもの)の内(うち)は、この日(ひ)とかぎらず、いつも寂然(せきぜん)としていました。
 どの病室(びょうしつ)にも、顔色(かおいろ)の悪(わる)い患者(かんじゃ)が、ベッドの上(うえ)に横(よこ)たわったり、あるいは、すわったりして、さも怠屈(たいくつ)そうに、やがて暮(く)れかかろうとする、窓際(まどぎわ)の光線(こうせん)を希望(きぼう)なく見(み)つめているのでした。
「あんた、いい顔色(かおいろ)をしているのね。」
 このとき、火(ひ)の気(け)のない廊下(ろうか)で、すれちがった一人(ひとり)の看護婦(かんごふ)が、同(おな)じく白(しろ)い服(ふく)を着(き)た友(とも)だちに、言葉(ことば)をかけました。
「そう、そんなに赤(あか)いこと。外(そと)の冷(つめ)たい風(かぜ)に当(あ)たってきたからよ。」
「町(まち)へいってきたの、うらやましいわ。私(わたし)なんか、昨夜(ゆうべ)から休(やす)まないんですもの。」
「よくないの? 困(こま)ったわね。」
「まだ若(わか)い奥(おく)さんなのよ。お子(こ)さんが二人(ふたり)もあるんですって、ほんとうに、お気(き)の毒(どく)よ。なおればいいが。」
「あんたも、疲(つか)れるでしょう。お大事(だいじ)に。」
 そういって、二人(ふたり)は、たがいににっこり笑(わら)って別(わか)れました。病人(びょうにん)につききりの看護婦(かんごふ)は、手(て)に氷袋(こおりぶくろ)をぶらさげていました。
 健康(けんこう)の人(ひと)の住(す)む世界(せかい)と、病人(びょうにん)の住(す)む世界(せかい)と、もし二つの世界(せかい)が別(べつ)であるなら、それを包(つつ)む空気(くうき)、気分(きぶん)、色彩(しきさい)が、また異(こと)なっているでありましょう。そうすれば、これらの若(わか)い献身的(けんしんてき)な人々(ひとびと)は、いったいどちらの世界(せかい)に住(す)むというべきであろうか。
 ここは、病院(びょういん)の一室(しつ)でありました。そこには、五つになる男(おとこ)の子(こ)が、ろっ骨(こつ)カリエスにて、もう永(なが)らく入院(にゅういん)していました。その子(こ)の看護(かんご)には、真(しん)のお母(かあ)さんが、あたりました。子供(こども)は、日増(ひま)しにつのる病勢(びょうせい)のために、手足(てあし)はやせて、まったくの、骨(ほね)と皮(かわ)ばかりになって、見(み)るさえ痛々(いたいた)しかったのでした。それだけでなく、ものにおびえるような目(め)つきは、日(ひ)に幾回(いくかい)となく、ゲリゾン注射(ちゅうしゃ)や、ぶどう糖(とう)注射(ちゅうしゃ)や、ときには輸血(ゆけつ)をもしなければならなかったので、そのたび苦痛(くつう)を訴(うった)えて、泣(な)き叫(さけ)ぶ事実(じじつ)を語(かた)るのであります。子供(こども)の小(ちい)さな肉体(にくたい)と可憐(かれん)な魂(たましい)は、病菌(びょうきん)が、内部(ないぶ)から侵蝕(しんしょく)するのと、これを薬品(やくひん)で抗争(こうそう)する、外部(がいぶ)からの刺激(しげき)とで、ほとんど堪(た)えきれなかったのであります。
 しかしながら、こうした子供(こども)の体(からだ)にも、またすこしの間(あいだ)は、平静(へいせい)なときがありました。それをたとえるなら、一時間(じかん)に幾(いく)十回(かい)となく、貨車(かしゃ)や、客車(きゃくしゃ)が往復(おうふく)するために、熱(ねつ)を発(はっ)し、烈(はげ)しく震動(しんどう)する線路(せんろ)でも、ある時間(じかん)は、きわめてしんとして、冷(つめ)たく白光(しろびか)りのする鋼鉄(こうてつ)の面(おもて)へ、無心(むしん)に大空(おおぞら)の色(いろ)を映(うつ)すといったような具合(ぐあい)です。
 ちょうど、子供(こども)の病室(びょうしつ)の窓(まど)から見(み)える、青(あお)い空(そら)には、きざんだ色紙(いろがみ)をちらしたように、白(しろ)い雲(くも)、赤(あか)い雲(くも)、紫(むらさき)の雲(くも)が、思(おも)い思(おも)いの姿(すがた)で、上(うえ)になり、下(した)になり、遊(あそ)んでいるのを、子供(こども)は、寝(ね)ながらながめていました。
「みんなして、鬼(おに)ごっこをしているんだね。」と、子供(こども)はひとりごとをいいました。すると、空(そら)の上(うえ)で、耳(みみ)ざとくききつけた、白(しろ)い雲(くも)が、
「坊(ぼう)やも、お仲間(なかま)におはいりよ。」と、呼(よ)びかけました。
「ぼく、足(あし)が弱(よわ)くて、飛(と)べないんだもの。」
「飛(と)べるように、雲(くも)にしてあげるから、早(はや)くおいでよ。」
「ほんとうに、雲(くも)にしてくれるの?」
「いいとも、坊(ぼう)やの好(す)きな、雲(くも)にしてあげる。」
「そんなに遠(とお)くいけば、お母(かあ)さんが見(み)えなくなるだろう。」
「どんなに高(たか)いところからだって見(み)えるさ。ここから、よく坊(ぼう)やが見(み)えるのだもの。」と、雲(くも)が、やさしくいいました。
 さかんに燃(も)えていた、西(にし)の海(うみ)の炎(ほのお)が、いつしか波(なみ)に洗(あら)われて、うすくなったと思(おも)うと、窓(まど)から見(み)える空(そら)も、暗(くら)くなりかけていました。そして、白(しろ)い雲(くも)も、赤(あか)い雲(くも)も、紫(むらさき)の雲(くも)も、どこへかかくれて消(き)えてしまったのです。
「みんな、お家(うち)へ帰(かえ)っちまった。」と、子供(こども)は、さもさびしそうに、つぶやきました。ひとり自分(じぶん)だけが、置(お)き残(のこ)されたように、頼(たよ)りなさを感(かん)じたのでした。
 晩(ばん)の食事(しょくじ)を告(つ)げる鐘(かね)の音(おと)が、廊下(ろうか)の方(ほう)から、とびらを通(とお)して伝(つた)わりました。
「たいへん、おとなしかったのね。気分(きぶん)がいいんでしょう。お母(かあ)さんは、坊(ぼう)やのいいのが、なによりうれしいんですよ。おみかんでもあげましょうか。」と、お母(かあ)さんがいいました。
 子供(こども)は、これに対(たい)して、すげなく頭(あたま)をふりました。そして、うつろに開(ひら)いた目(め)で、電燈(でんとう)の光(ひかり)が、薄(うす)く弱々(よわよわ)しく漂(ただよ)う、四方(ほう)を見(み)まわしました。ここには、明(あか)るい、清(きよ)らかな、空(そら)の喜(よろこ)びはなく、すべてが灰色(はいいろ)をして、ほこりがかかっているような気持(きも)ちがしました。
 階下(かいか)にある、外来患者(がいらいかんじゃ)の控(ひか)え室(しつ)に、かかっている時計(とけい)の、鳴(な)る音(おと)がしました。風(かぜ)が、吹(ふ)きはじめたようです。引(ひ)き窓(まど)のガラス戸(ど)は、いつか閉(し)められました。月(つき)がなく、星(ほし)の光(ひかり)も射(さ)さず、曇(くも)っているとみえ、外(そと)は暗(くら)かった。風(かぜ)だけ、低(ひく)くかすめ、なんにでもぶつかっていく、そうぞうしいうめきがきかれたのであります。
 子供(こども)は、白壁(しらかべ)の上(うえ)を、戸(と)のすきまのあたりをじっと見(み)つめていました。このとき、そこから、忍(しの)び込(こ)む悪魔(あくま)がありました。はじめ灰色(はいいろ)の雲(くも)のようなものがはい出(で)ました。よく見(み)ると、その雲(くも)の上(うえ)に、黒(くろ)い着物(きもの)を着(き)た魔物(まもの)が乗(の)っています。鋭(するど)い剣(けん)を手(て)に持(も)ち、怖(おそ)ろしい顔(かお)をして、だんだん子供(こども)の体(からだ)に近(ちか)づくのでした。
「痛(いた)いよ! お母(かあ)さん。」
 子供(こども)は、逃(に)げるにも逃(に)げられず、もだえながら叫(さけ)びました。
「お、おう、かわいそうに、また痛(いた)み出(だ)したのですか。」
 いたわる母親(ははおや)の目(め)は、すでに力(ちから)なく疲(つか)れていました。その言葉(ことば)にも、たとえ親(おや)とはいえ、どうすることもできぬなげきが感(かん)じられました。しかたなく、いつものごとく、子守歌(こもりうた)をうたって聞(き)かせるのです。
 まだ、この子(こ)が、まったく乳飲(ちの)み子(ご)のときから、抱(だ)いたり、おぶったり、寝(ね)かせるとき、うたった歌(うた)であります。子供(こども)は、これを聞(き)きつつ、うつつの世界(せかい)から、夢(ゆめ)の世界(せかい)へ、夢(ゆめ)の世界(せかい)から、さらに遠(とお)い生(う)まれぬ前(まえ)の世界(せかい)へとかよった、ただ一筋(ひとすじ)のまぶしい、かすかな路(みち)でありました。
「坊(ぼう)やは、いい子(こ)だ、ねんねしな、
泣(な)かんで、いい子(こ)だ、ねんねしな。」
 子供(こども)は、母(はは)の胸(むね)にしっかり顔(かお)をおしつけ、耳(みみ)をすましていました。耳(みみ)というよりか、心(こころ)をすましていました。そうする間(あいだ)だけ、痛(いた)みを忘(わす)れたのです。さいなまれる魂(たましい)が、やわらかな、温(あたた)かい愛(あい)のしらべに救(すく)われて、暗(くら)い中(なか)、風(かぜ)の吹(ふ)く、はてしない広野(ひろの)をさまよい、林(はやし)の方(ほう)へ、知(し)らない町(まち)の方(ほう)へ、また、高(たか)い、高(たか)い、空(そら)の上(うえ)へと、苦(くる)しみのない、安(やす)らかな場所(ばしょ)を探(さが)しにいくのでした。そこには、おばけや、悪魔(あくま)などの、けっしてわからない、ただお母(かあ)さんと自分(じぶん)だけが知(し)っている、いいところだと子供(こども)は信(しん)じているのでした。
 また、母親(ははおや)は、声(こえ)に真心(まごころ)が通(つう)じて、子供(こども)の苦痛(くつう)がやわらげられるものなら、どんなにでもして、うたってやろうと思(おも)いました。そして、安(やす)らかにすることによって、奇跡的(きせきてき)に、病気(びょうき)がなおるよう、神(かみ)に念(ねん)じたのであります。
 しかし、いかにやさしい、信仰深(しんこうぶか)いお母(かあ)さんでも、疲(つか)れれば、しぜんと眠気(ねむけ)を催(もよお)し、眠(ねむ)ることによって、気力(きりょく)を回復(かいふく)する、若(わか)い、健康(けんこう)な肉体(にくたい)の持(も)ち主(ぬし)たることに変(か)わりはありません。幾日(いくにち)、幾夜(いくよ)の看病(かんびょう)の疲(つか)れが出(で)て、いくら我慢(がまん)をしても、しきれずに、歌(うた)の声(こえ)は、だんだんかすれて、とぎれたのでした。
「お母(かあ)さん、ほんとうに、うたっておくれよ。」
 子供(こども)は、母(はは)に、真実(しんじつ)にうたってくれと訴(うった)えるのでした。驚(おどろ)き、気(き)をとり直(なお)した母親(ははおや)は、
「ほんとうに、うたってあげますとも。知(し)らぬまに眠(ねむ)って、わるかったですね。坊(ぼう)やの苦(くる)しいのからみれば、お母(かあ)さんは、どんなことでも、我慢(がまん)しなければなりません。」
 母親(ははおや)は、真剣(しんけん)になって、子守歌(こもりうた)をうたいはじめるのでした。母(はは)の愛(あい)から流(なが)れ出(で)る、なつかしい、細(ほそ)いしらべは、光(ひか)る絹糸(きぬいと)のように、切(き)れんとして、切(き)れずに、つづくのでした。子供(こども)は、それを頼(たよ)りに、しんしんたる遠(とお)い道(みち)を、ただひとり旅(たび)をするのでした。鳥(とり)の鳴(な)く、林(はやし)の中(なか)を歩(ある)くこともあったし、たちまち白(しろ)い雲(くも)といっしょに、鬼(おに)ごっこをしていることもありました。そのときは、いつのまにか、自分(じぶん)は、紅(あか)い雲(くも)となっていたのです。
 とつぜん、歌(うた)がやむと、糸(いと)がぷつりと切(き)れて、からだは、真(ま)っ暗(くら)な穴(あな)の中(なか)へ落(お)ち込(こ)むような気(き)がしました。そして、ずきずきと痛(いた)み出(だ)しました。このとき、どこからともなく悪魔(あくま)があらわれて、一所(しょ)けんめいに逃(に)げようとする自分(じぶん)を追(お)いかけるのでした。
「こわいよう! お母(かあ)さん。」と、子供(こども)は、火(ひ)のつくように、叫(さけ)びました。
「おお、よしよし。」と、母親(ははおや)は、我(わ)が子(こ)をしっかりと抱(だ)いたのでした。
「お母(かあ)さん、どこかへいってしまってはいやよ。」
「どこへいくもんですか、坊(ぼう)やとここにいるじゃありませんか。」
「お母(かあ)さん、じきだまってしまうのだもの。」
「いいえ、さっきから、うたっているのですよ。」
「よく、うたってよう。」
 母(はは)は、こんどは、しずかに、ゆっくりと力(ちから)づよく、うたいはじめるのでした。こうしてうたうことによって、いくらかでも子供(こども)の気持(きも)ちが休(やす)まるなら、自分(じぶん)は、生命(いのち)のつづくかぎり、どんなにでもして、うたうであろうとうたったのでした。考(かんが)えると、こうしてうたったことは、今夜(こんや)だけでなく、この子(こ)が生(う)まれたときから、いくたびあったであろう。たとえば、気(き)むずかしく、どうしても眠(ねむ)らなかったときとか、病気(びょうき)で、夜(よ)じゅう泣(な)き明(あ)かしたときとか、母(はは)として、べつに他(た)につくす手(て)もなければ、おばあさんに、自分(じぶん)がうたってもらった記憶(きおく)をわずかに呼(よ)び起(お)こして子守歌(こもりうた)をうたい、やっとねかしつけ、すこしでも安(やす)らかなれと祈(いの)ったのでした。母(はは)と子(こ)の愛(あい)に昔(むかし)も今(いま)も変(か)わりはなかったのです。
 控(ひか)え室(しつ)にかかっている時計(とけい)が、規則正(きそくただ)しく、鳴(な)るのが聞(き)こえました。夜(よる)はしだいに更(ふ)けていくのです。そのとき、暗(くら)い、寒(さむ)い、廊下(ろうか)に立(た)って、子守歌(こもりうた)に耳(みみ)を傾(かたむ)けている、おばあさんがありました。
「私(わたし)も、せがれを大(おお)きくするまでには、いくど泣(な)いたり、笑(わら)ったりしたかしれない。そして、戦争(せんそう)で、出征(しゅっせい)してからも、便(たよ)りがなかったのは、一年(ねん)や二年(ねん)でなかった。実(じつ)に長(なが)い間(あいだ)のことで、あの子(こ)の安否(あんぴ)を気遣(きづか)い、そのため、私(わたし)は、やせてしまった。しかし死(し)んだとは思(おも)われず、どこかに生(い)きているものと、毎日(まいにち)かげぜんを供(そな)えて、ただ、あの子(こ)が、どうかして無事(ぶじ)に帰(かえ)ってくれるのを待(ま)っていた。そのかいもなく、戦死(せんし)の報知(ほうち)があったときには、私(わたし)は、まったく気(き)が転倒(てんとう)してしまった。しかし、いまだに、死(し)んだと信(しん)ずることができず、どこか南(みなみ)の名(な)もない島(しま)にでも生(い)きているような気(き)がして、きょうまではかない希望(きぼう)をつないでいるのではあるが、もしせがれが、草葉(くさば)のかげに眠(ねむ)るとしたら、一人(ひとり)の母(はは)が、こうして、派出婦(はしゅつふ)となって、たよりなく、日(ひ)を送(おく)るのを、どうして知(し)るであろうか。」
 哀(あわ)れな老婆(ろうば)は、しわの寄(よ)るほおを流(なが)れる、涙(なみだ)を手(て)でふいていました。
 重(おも)い荷(に)でも積(つ)んだトラックが、どこか外(そと)の往来(おうらい)のぬかるみに、はまり込(こ)んだとみえ、先刻(さっき)から、けたたましく笛(ふえ)を鳴(な)らして、抜(ぬ)け出(で)ようとあせっている。それが、なんで病床(びょうしょう)に横(よこ)たわる、患者(かんじゃ)たちの安静(あんせい)を妨(さまた)げずにおくことがありましょう。おばあさんは、ついにたまりかねて、足音(あしおと)をたてぬように、階段(かいだん)を下(お)りると、ようすを見(み)に外(そと)へ出(で)ていきました。
 いつしか、人(ひと)の気(き)づかぬうちに、天気模様(てんきもよう)はがらりと変(か)わっていました。真(ま)っ暗(くら)な空(そら)は、ただ一つの星影(ほしかげ)だに、目(め)にとまらなかった。吹(ふ)きすさぶ風(かぜ)にまじる粉雪(こなゆき)が、顔(かお)を打(う)ち、もつれた髪(かみ)に、降(ふ)りかかりました。
 あちらには、獰猛(どうもう)な獣(けもの)の、大(おお)きい目(め)のごとく、こうこうとした黄色(きいろ)の燈火(ともしび)が、無気味(ぶきみ)な一筋(ひとすじ)の線(せん)を夜(よる)の奥深(おくふか)く描(えが)いているのです。
 翌日(よくじつ)の明(あ)け方(がた)、子供(こども)は、ついにこの世界(せかい)から去(さ)りました。雪(ゆき)は、その道筋(みちすじ)を潔(きよ)めるため、白(しろ)く化粧(けしょう)して、野原(のはら)や、森(もり)までを清浄(せいじょう)にしました。そして、風(かぜ)は、悲(かな)しむ母親(ははおや)に代(か)わり、はるかなる国(くに)へさまよいゆく、みなし子(ご)のために、かすれがちな声(こえ)で、子守歌(こもりうた)をうたってきかせるのであります。
了

底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社
   1977(昭和52)年11月10日第1刷発行
   1983(昭和58)年1月19日第5刷発行
底本の親本:「心の芽」文寿堂出版株式会社
   1948(昭和23)年10月
初出:「新児童文化 第1冊」
   1946(昭和21)年8月
※表題は底本では、「雲(くも)と子守歌(こもりうた)」となっています。
※初出時の表題は「雲と子守唄」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年6月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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