あらすじ
戦後、焼け跡の残る街で、主人公の孝二は、かつての同級生である小泉と再会します。小泉は、学校ではいつも成績が低く、周囲からバカにされることもありましたが、孝二は小泉のまっすぐな性格に感心していました。大人になった小泉は、魚屋で働く姿を見かけます。周りの若者が遊び歩く中で、小泉は黙々と働いている姿に、孝二は改めて生きることの尊さと、小泉の真面目さを実感するのです。
「孝二(こうじ)、おまえでないか。」
「僕(ぼく)、そんなところへさわりませんよ。」
 玉石(たまいし)の頭(あたま)から、すべり落(お)ちた青竹(あおだけ)を、口(くち)をゆがめながらもとへ直(なお)して、おじいさんは、四(よ)つ目垣(めがき)の前(まえ)に立(た)っていました。いたずら子(こ)がきて、抜(ぬ)こうとするのだと思(おも)ったのです。竹馬(たけうま)にするには、ちょうど手(て)ごろの竹(たけ)だからでした。しかし、この辺(へん)の子供(こども)には、そんな悪(わる)い子(こ)がないと考(かんが)えると、植木屋(うえきや)の締(し)め方(かた)が足(た)りなかったのかと、しゅろなわの結(むす)び目(め)をしらべてみたが、そうでもなさそうでした。
 平常(ふだん)から、若(わか)いものが戦争(せんそう)にいって死(し)ぬのに、自分(じぶん)は、長(なが)く生(い)きすぎたと思(おも)っているおじいさんは、
「これで、七、八年(ねん)は持(も)ちましょう。」と、植木屋(うえきや)が造(つく)りながらいったのを聞(き)いたとき、そのころには、孝二(こうじ)は、中学(ちゅうがく)を卒業(そつぎょう)するであろうし、自分(じぶん)は、生(い)きているかどうか、わからないと思(おも)ったのでした。
「孝二(こうじ)、見(み)つけたら、しかってくれ。」
 おじいさんは、垣根(かきね)のきわに植(う)わっている、まだつぼみの堅(かた)いじんちょうげの葉(は)についたどろを洗(あら)ってやりました。若(わか)いうちは、なんでもぞんざいに取(と)り扱(あつか)ったのが、年(とし)をとると、どれにも自分(じぶん)と同(おな)じような生命(せいめい)があるように思(おも)えて、いたわる心(こころ)が生(しょう)ずるのでした。

 黒(くろ)いマントを頭(あたま)からかぶって、がたがたの自転車(じてんしゃ)に乗(の)った少年(しょうねん)が走(はし)ってきました。折(お)れたハンドルを、針金(はりがね)やひもで結(むす)び合(あ)わせて、巧(たく)みにあやつりながら、足(あし)には破(やぶ)れたくつをはいていました。息(いき)をきらしながら犬(いぬ)がついてきます。門(もん)のところで、自転車(じてんしゃ)を降(お)りると、前側(まえがわ)の板(いた)べいへ寄(よ)せかけて、ポケットから、焼(や)き芋(いも)を出(だ)して、自分(じぶん)は食(く)わずに、それを犬(いぬ)にやりました。犬(いぬ)は、一口(ひとくち)に食(た)べると、少年(しょうねん)の顔(かお)を見上(みあ)げて尾(お)を振(ふ)っていました。少年(しょうねん)は、マントの下(した)に肩(かた)からかけた、新聞(しんぶん)の束(たば)から、一枚(まい)引(ひ)き抜(ぬ)くと、門(もん)を開(あ)けて入(い)り口(ぐち)へまわらずに、竹(たけ)の垣根(かきね)の方(ほう)へ近(ちか)づきました。
 ちょうど、空(そら)をこうしの内(うち)からながめていた孝二(こうじ)は、いつも新聞(しんぶん)をここへ入(い)れていくのは、この子(こ)が配達(はいたつ)するのかと思(おも)って見(み)ていました。しかし、子供(こども)の手(て)は、垣根(かきね)の外(そと)から伸(の)ばしても窓(まど)の内(うち)へはとどかなかったのです。少年(しょうねん)は、窓(まど)の際(きわ)に、自分(じぶん)ぐらいの子供(こども)の立(た)っているのに気(き)づきました。
「はだしになって、上(あ)がってもいい。」と、どろのついたくつをぬいで、くつ下(した)の穴(あな)から冷(つめ)たそうに指(ゆび)の出(で)ている足(あし)を垣根(かきね)にかけました。
「ああ、いいよ。」と、孝二(こうじ)は、やさしく答(こた)えたのです。そして、新聞(しんぶん)を受(う)け取(と)ろうとして、マントに半分(はんぶん)隠(かく)れた顔(かお)をのぞくと、
「ああ、小泉(こいずみ)じゃないか。」と、驚(おどろ)きました。
「うん。」と、少年(しょうねん)もはじめて気(き)がついたらしく、にやっと笑(わら)って、うなずきました。
「ああ、君(きみ)の家(いえ)はここか。」ともいわずに、そのままハンドルのよくきかぬ自転車(じてんしゃ)に乗(の)って、いってしまいました。
 垣根(かきね)のゆるむ原因(げんいん)はわかったが、孝二(こうじ)は、おじいさんに、だまっていました。

 算数(さんすう)の時間(じかん)でした。先生(せんせい)は、黒板(こくばん)に問題(もんだい)を出(だ)されて、
「これをまちがわずに、いちばん早(はや)く答(こた)えを出(だ)したものに、ほうびをやろう。」と、一本(ぽん)の青色(あおいろ)の鉛筆(えんぴつ)を高(たか)く上(あ)げて示(しめ)されました。
「先生(せんせい)、一人(ひとり)だけですか。」
「いや、いちばんおそく出(だ)したものにも、名誉(めいよ)のほうびをやろう。」と、先生(せんせい)は、こんどは使用(しよう)されている鉛筆(えんぴつ)を高(たか)くさし上(あ)げられました。
 生徒(せいと)は、がやがやといいはじめた。
「名誉(めいよ)の鉛筆(えんぴつ)をもらいたくないものだ。」という声(こえ)がしました。
 しばらくの間(あいだ)、教室(きょうしつ)は、しんとして、真剣(しんけん)な空気(くうき)がみなぎりました。
「はい、先生(せんせい)できました。」と、ノートを持(も)って、元気(げんき)よく教壇(きょうだん)に進(すす)み出(で)たものがあります。それは、孝二(こうじ)でした。
「早(はや)いなあ。」
「僕(ぼく)は、まだ二つしかできないぞ。」
 そんな、ささやきが聞(き)こえると、答案(とうあん)に見入(みい)っていられた先生(せんせい)は、
「よし。」といって、鉛筆(えんぴつ)を孝二(こうじ)に与(あた)えられました。いつも、首席(しゅせき)を争(あらそ)う東(あずま)、小原(おばら)は、まだ出(で)ませんでした。つづいて出(で)たのは有田(ありた)です。答(こた)えは正(ただ)しかったけれど、孝二(こうじ)に賞(しょう)を奪(うば)われて、残念(ざんねん)そうに見(み)えました。そのうちに、いずれも出(で)つくしました。
「最後(さいご)はだれだ。」と、見(み)まわすと、
「小泉(こいずみ)だ。」と、笑(わら)い声(ごえ)が起(お)こりました。彼(かれ)は、組(くみ)の中(なか)でも、つねにできなかったからです。みんなの笑(わら)いに送(おく)られて、小泉(こいずみ)は、教壇(きょうだん)へノートを持(も)っていきました。
「なんだ、みんな違(ちが)っているではないか。」と、先生(せんせい)が、どなられた。彼(かれ)は、耳(みみ)のあたりまで赤(あか)くしました。
「おまえには、この鉛筆(えんぴつ)だ。」と、先生(せんせい)は、短(みじか)くなった鉛筆(えんぴつ)を出(だ)しかけて、なんと思(おも)われたか、
「待(ま)て……。」といって、教員室(きょういんしつ)へ駈(か)けていかれたが、やがて、手(て)に新(あたら)しい、孝二(こうじ)に与(あた)えたと同(おな)じ鉛筆(えんぴつ)を握(にぎ)ってきて、小泉(こいずみ)に渡(わた)されました。
「いいなあ。」
「うまいことをしたなあ。」
 ほうぼうからうらやましがるような声(こえ)が起(お)こった。小泉(こいずみ)は、うれしそうに、またすまなさそうに、自分(じぶん)の席(せき)へもどったのであります。
 運動場(うんどうじょう)へ出(で)るとき、廊下(ろうか)で、だれか、
「小泉(こいずみ)の家(いえ)は、貧乏(びんぼう)だから先生(せんせい)がやったんだよ。」と、蔭口(かげぐち)をしているのを聞(き)くと、
「先生(せんせい)がやさしいんだ。」と、孝二(こうじ)は腹立(はらだ)たしげに打(う)ち消(け)しました。
 せみの声(こえ)もしたし、運動場(うんどうじょう)には、まだ烈(はげ)しい日(ひ)の光(ひかり)が照(て)りつけていました。
「ドッジボールの金(かね)をもらうよ。」
 校舎(こうしゃ)の日蔭(ひかげ)のところに立(た)って、東(あずま)が、一人一人(ひとりひとり)から金(かね)を受(う)け取(と)っていました。一人(ひとり)が、十銭(せん)以上(いじょう)の寄付(きふ)をすれば、その金(かね)で求(もと)めたドッジボールの遊戯(ゆうぎ)に加(くわ)わることができるのでした。
「小泉(こいずみ)くん、君(きみ)持(も)ってきたの。」と、孝二(こうじ)が、そばへ寄(よ)って問(と)いました。小泉(こいずみ)は頭(あたま)を振(ふ)りました。
「じゃ、僕(ぼく)のと二人分(ふたりぶん)にしておくからね。」
 孝二(こうじ)は、二十銭(せん)出(だ)そうと持(も)ってきたのを、小泉(こいずみ)と二人(ふたり)の分(ぶん)にして出(だ)しました。これで、小泉(こいずみ)もこの遊戯(ゆうぎ)に加(くわ)わることができたのです。
 ついこのあいだまで聞(き)こえていた、あぶらぜみの声(こえ)がしなくなったと思(おも)うと、秋(あき)がきました。そして、今日(きょう)は、一同(どう)の待(ま)ちに待(ま)った遠足(えんそく)の日(ひ)であります。
 荒(あ)れ果(は)てた寺(てら)の境内(けいだい)で、孝二(こうじ)は、独(ひと)り松(まつ)の根(ね)に腰(こし)を下(お)ろして、茫然(ぼうぜん)としていました。
「君(きみ)、食(た)べない。」と、ふいにキャラメルの箱(はこ)をひざの上(うえ)へ置(お)いたものがあります。見上(みあ)げると、小泉(こいずみ)でした。
「どうして、こんなことをするんだい。」と、孝二(こうじ)は、不思議(ふしぎ)に思(おも)いました。
「いつか、ドッジボールのお金(かね)を出(だ)してもらったから。」
「えっ。」
「いつか、ドッジボールのお金(かね)を出(だ)してもらったろう。」
「そんなこと、いいんだよ。君(きみ)、お食(た)べよ。」と、孝二(こうじ)は、それを返(かえ)そうとすると、
「僕(ぼく)、君(きみ)の分(ぶん)として買(か)ってきたんだもの。」と、小泉(こいずみ)がいいました。孝二(こうじ)は、これを聞(き)くと、目(め)がしらが熱(あつ)くなって、
「ありがとう。」と、礼(れい)をいって、自分(じぶん)の持(も)ってきたものを出(だ)して、二人(ふたり)は、並(なら)んで話(はな)しながら、お菓子(かし)や、果物(くだもの)を食(た)べたのでした。
「まだ、新聞配達(しんぶんはいたつ)をやっているの。このごろちっとも見(み)ないね。」
「ちがった方面(ほうめん)を受(う)け持(も)ったのだ。」
「休(やす)みのとき、遊(あそ)びにおいでよ。」
「だって、恥(は)ずかしいもの。」
「ちっとも恥(は)ずかしいことなんかないさ。僕(ぼく)のお母(かあ)さんも、君(きみ)を偉(えら)いといって、感心(かんしん)しているよ。」
「そうかい、こんどいくよ。」
「卒業(そつぎょう)したら、どうするんだい。」
「お母(かあ)さんは、上(うえ)の学校(がっこう)へはやれぬから、家(いえ)の手助(てだす)けをしろというのだ。」
「君(きみ)のお母(かあ)さんは、いいお母(かあ)さんだろう。」
「僕(ぼく)が、勉強(べんきょう)ができなくても、しからないよ。」
「先生(せんせい)も、これからの子供(こども)は、第(だい)一が健康(けんこう)で、つぎは、正直(しょうじき)に働(はたら)くことだ。それがすなわちお国(くに)のためにつくすことになるとおっしゃったろう。僕(ぼく)などより、君(きみ)のほうがよっぽど偉(えら)いんだ。いまからでさえ働(はたら)いているのだもの。」と、孝二(こうじ)は、ややもすると黙(だま)ってしまう友(とも)だちをはげましました。
 ちょうど、このとき、あちらで、集合(しゅうごう)の笛(ふえ)が鳴(な)りました。

「東(あずま)さんというのは、たいそうおできになるのだね。」と、父兄会(ふけいかい)から帰(かえ)っていらしたお母(かあ)さんが、いわれました。
「級長(きゅうちょう)だ。」と、孝二(こうじ)は、答(こた)えました。
「どうりで、お母(かあ)さんが、自慢(じまん)していらした。先生(せんせい)も、おほめになっていられた。府立(ふりつ)だって、どこだってだいじょうぶでしょうといっていられたから。そして、有田(ありた)さんという子(こ)もおできになるようだね。」
「東(あずま)、有田(ありた)、小原(おばら)、三羽(ば)がらすだよ。みんなお母(かあ)さんがいっていたの。」
「ふとったお母(かあ)さんは、有田(ありた)さんのお母(かあ)さんでしょう。」
「眼鏡(めがね)をかけているのが、有田(ありた)くんのお母(かあ)さん、背(せ)の低(ひく)いちぢれ髪(がみ)のが、東(あずま)くんのお母(かあ)さん、ふとっているのは、小原(おばら)くんのお母(かあ)さんさ。あの三人(にん)は、いつも寄(よ)れば、自分(じぶん)の子供(こども)の自慢話(じまんばなし)をしているのさ。」と、孝二(こうじ)が、冷笑(れいしょう)しました。
「自慢(じまん)のされるようなお子(こ)さんを持(も)って、どんなにお母(かあ)さんたちは、うれしいかしれません。そういえば、その三人(にん)のお母(かあ)さんたちは、よく知(し)り合(あ)っているように話(はなし)をしていられました。おまえも、勉強(べんきょう)すれば、もっとできるのだがと先生(せんせい)がいっていらしたよ。」
「先生(せんせい)は、健康(けんこう)第(だい)一、勉強(べんきょう)第(だい)二と、いっているくせになあ。」
「健康(けんこう)と怠(なま)けることとは違(ちが)います。ああいうところへ出(で)ると、できない子供(こども)のお母(かあ)さんは、気(き)の毒(どく)ですよ。先生(せんせい)の前(まえ)で、頭(あたま)ばかり下(さ)げていなければなりません。」と、お母(かあ)さんが、いわれました。
「そんなお母(かあ)さんあって。」
「どこのお母(かあ)さんか知(し)らないが、先生(せんせい)の前(まえ)でペコペコ頭(あたま)を下(さ)げていた人(ひと)がありました。」
「どんなお母(かあ)さん。」
「働(はたら)いている方(かた)のように、みすぼらしいふうをしていましたが……。」
 これを聞(き)くと、孝二(こうじ)の目(め)は、かがやきました。
「それは、小泉(こいずみ)のお母(かあ)さんだ。よいとまけをやって、小泉(こいずみ)と妹(いもうと)と三人(にん)で暮(く)らしている、貧乏(びんぼう)な家(いえ)なんだよ。」
「それで、私(わたし)が、家(いえ)にいませんからと、先生(せんせい)にいっていらした……。」
「二、三年前(ねんまえ)にお父(とう)さんが死(し)んだのだそうだ。しかし、やさしい、いいお母(かあ)さんらしいのだよ。」

 五、六年(ねん)は、たちまちに過(す)ぎてしまいました。植木屋(うえきや)が、七、八年(ねん)は持(も)つといった竹垣(たけがき)も、この秋(あき)には新(あたら)しくしなければなりませんでした。けれど、おじいさんも達者(たっしゃ)であれば、孝二(こうじ)は、じきに中学(ちゅうがく)を卒業(そつぎょう)するのでした。ある日(ひ)、同窓会(どうそうかい)があって、ひさしぶりで母校(ぼこう)に集(あつ)まり、なつかしい先生(せんせい)を取(と)り巻(ま)いたのですが、顔(かお)を合(あ)わせたのは、わずか十五、六人(にん)に過(す)ぎなかったばかりでなく、東(あずま)も、小原(おばら)も、有田(ありた)も、見(み)えないのが寂(さび)しかったのでした。この日(ひ)、孝二(こうじ)の立(た)っていったことは、つぎのようなものでありました。
「私(わたし)は、生(い)きぬく力(ちから)というものを感(かん)じました。それは、学校(がっこう)にいる時分(じぶん)、先生(せんせい)からも聞(き)いた、健康(けんこう)で、まじめに働(はたら)くということですが、同窓(どうそう)の小泉(こいずみ)くんについて、最近(さいきん)私(わたし)は胸(むね)を打(う)たれました。諸君(しょくん)の知(し)られるごとく、小泉(こいずみ)くんは、学校(がっこう)にいる時分(じぶん)から働(はたら)いていたのです。卒業後(そつぎょうご)は、上(うえ)の学校(がっこう)へはいかずに働(はたら)いていたようですが、なにをしていたか知(し)りません。三年(ねん)ばかり前(まえ)、一度(ど)途中(とちゅう)であったときは、小僧(こぞう)さんのようなふうをしていました。
『いそがしいかね。』と、聞(き)くと、
『うん。』といいました。
『体(からだ)を大事(だいじ)にして、働(はたら)きたまえ。』というと、笑(わら)って、別(わか)れてしまったのでした。ところがこれは、このあいだのことです。
 それは日曜(にちよう)の午前(ごぜん)でした。天気(てんき)がいいので、往来(おうらい)は、いつになく人出(ひとで)が多(おお)く、カメラを下(さ)げて出(で)かける青年(せいねん)などを見受(みう)けました。このとき、チリン、チリンという鈴(すず)の音(ね)がしました。それは、魚(さかな)の骨(ほね)や、ご飯(はん)の残(のこ)りなどを、毎朝(まいあさ)集(あつ)めに車(くるま)を引(ひ)いてくる、それなのです。なんの気(き)なしに振(ふ)り向(む)くと、その男(おとこ)が、小泉(こいずみ)くんなのです。巻(ま)きゲートルをして、地下足袋(じかたび)をはいて、黒(くろ)い帽子(ぼうし)を被(かぶ)っていました。小泉(こいずみ)くんは、ほかへ気(き)をとられて、僕(ぼく)に気(き)づきませんでした。僕(ぼく)は、よほど声(こえ)をかけようかと思(おも)ったが、自分(じぶん)がなんだかいくじのない人間(にんげん)のような気(き)がしてやめました。私(わたし)は、真(しん)に働(はたら)くものの尊(とうと)さを感(かん)じたのであります。同(おな)じ年(とし)ごろの青年(せいねん)が遊(あそ)び歩(ある)いているのに、それをうらやむ色(いろ)もなく、また自分(じぶん)のようすを恥(は)ずかしいなどと考(かんが)えず、仕事(しごと)に対(たい)して真剣(しんけん)なのにうたれました。東(あずま)くん、小原(おばら)くん、有田(ありた)くん、この三人(にん)は、我(わ)が組(くみ)の三羽(ば)がらすとして知(し)られた秀才(しゅうさい)でありました。しかし、この三人(にん)は、あまり勉強(べんきょう)が過(す)ぎて、三人(にん)とも死(し)んでしまったのです。死(し)んでしまっては、なんのお国(くに)の役(やく)にもたちません。また、小泉(こいずみ)くんのお母(かあ)さんは、競争心(きょうそうしん)なんかない人(ひと)で、小泉(こいずみ)くんに無理(むり)に勉強(べんきょう)をさせなかったのもいいことだと、私(わたし)は思(おも)いました。先生(せんせい)は、第(だい)一が健康(けんこう)で、つぎは、正直(しょうじき)で、まじめであれとつねに私(わたし)たちにいわれました。皆(みな)さんも記憶(きおく)があるでしょう。いつであったか、先生(せんせい)は、算数(さんすう)の時間(じかん)に、いちばん早(はや)くできたものと、いちばんおくれたものに鉛筆(えんぴつ)をくださったことがあります。だれも、おくれた名誉(めいよ)の鉛筆(えんぴつ)をもらいたくないと思(おも)いました。そのとき、小泉(こいずみ)は、いちばん最後(さいご)で、しかもまちがった答(こた)えを先生(せんせい)のところへ持(も)っていったのであります。笑(わら)ったものもあったが、私(わたし)は、小泉(こいずみ)くんは正直(しょうじき)だと思(おも)いました。チリンチリンの車(くるま)を引(ひ)く小泉(こいずみ)くんを見(み)たとき、私(わたし)は、その正直(しょうじき)さをふたたび感(かん)じました。それはぐんと私(わたし)の胸(むね)をつきました。そうだ、どんな苦(くる)しいことであっても、私(わたし)たちは、生(い)きぬかなければならぬのだ。生(い)きぬくことがすなわち、お国(くに)のためにつくすことだと感(かん)じたのであります。」
 孝二(こうじ)がこういったので、小泉(こいずみ)の生活(せいかつ)が、はじめてみんなにもわかりました。この日(ひ)、小泉(こいずみ)は、同窓会(どうそうかい)にはきませんでした。
 この話(はなし)を聞(き)かれた、先生(せんせい)の目(め)には、五、六年前(ねんまえ)のいじらしい彼(かれ)の姿(すがた)を思(おも)い出(だ)してか、涙(なみだ)が光(ひか)っていました。
了

底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社
   1977(昭和52)年11月10日第1刷発行
   1983(昭和58)年1月19日第5刷発行
底本の親本:「生きぬく力」正芽社
   1941(昭和16)年11月
初出:「新児童文化 第1冊」
   1940(昭和15)年12月
※表題は底本では、「生(い)きぬく力(ちから)」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年10月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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