あらすじ
戦争中の子供たちの日常を描いた、心温まる物語です。遊びに夢中になる子供たち、そして、戦争によって変化していく彼らの姿、周りの大人たちの様子が、繊細な筆致で描かれていきます。子供たちの純粋な友情、そして、戦争という厳しい現実の中で懸命に生きる姿が、切なくも力強く、読者の心を揺さぶります。
 釣(つ)りの道具(どうぐ)を、しらべようとして、信(しん)一は、物置小舎(ものおきごや)の中(なか)へ入(はい)って、あちらこちら、かきまわしているうちに、あきかんの中(なか)に、紙(かみ)につつんだものが、入(はい)っているのを見(み)つけ出(だ)しました。
「なんだろうか。」
 頭(あたま)を、かしげながら、ほこりに、よごれた紙(かみ)を、あけてみると、べいごまが、六つばかり入(はい)っていました。信(しん)一は、急(きゅう)になつかしいものを、見(み)いだしたようにしばらくそれに見入(みい)っていました。そのはずです。一昨年(おととし)の春(はる)あたりまで、べいごまが、はやって、これを持(も)って原(はら)っぱへ、いったものです。それが、べいのやりとりをするのは、よくないというので、お父(とう)さんからも、先生(せんせい)からも、とめられて、ついみんなが、やめてしまったが、ただ記念(きねん)にしようと思(おも)って、これだけすてずに、紙(かみ)に包(つつ)んで、しまっておいたことを、思(おも)い出(だ)しました。
「やはり、こまはおもしろいなあ。」
 お天気(てんき)はいいし、子供(こども)たちのあそんでいる声(こえ)が、きこえるし、もう信(しん)一は、じっとして、家(いえ)にいることが、できなかったのです。べいごまを、ふところへ入(い)れると、赤土(あかつち)の原(はら)っぱをさして、出(で)かけていきました。
 原(はら)っぱには、武(たけ)ちゃんや、善(ぜん)ちゃんや、勇(ゆう)ちゃんたちが、あそんでいました。
 信(しん)一は、ふところから、べいを取(と)り出(だ)して、土(つち)の上(うえ)で、まわしてみました。これを見(み)つけると、善吉(ぜんきち)が、遠(とお)くからかけてきました。
「信(しん)ちゃん、なにしてんだい。」と、さけびました。
「なんでもない、ただ、まわしてみたんだよ。」と信(しん)一は、べいをひろい上(あ)げて、また紙(かみ)の中(なか)へ、入(い)れました。
「君(きみ)、べいごま?」
「うん、そうだよ。」
「いくつ、持(も)っているの?」
「六つしかない。」
 善吉(ぜんきち)は、あんなに、たくさん持(も)っていたのに、どこへやったのかと、いわぬばかりの顔(かお)つきをして、信(しん)一を見(み)ました。
「あんなにあったのを、どうしたんだい。」
「みんな川(かわ)へすててしまった。」
「おしいことをしたね。」
「だって、お父(とう)さんが、すてろといったから。」
 善吉(ぜんきち)は、自分(じぶん)も同(おな)じようなめに、あったことを、思(おも)い出(だ)していました。
「君(きみ)は?」と、こんどは、信(しん)一がたずねました。
「ぼくは、いま十個(こ)持(も)っているよ。あとは、ごみ箱(ばこ)へ、すててしまったのさ。」
 善吉(ぜんきち)が、こう答(こた)えると、信(しん)一は、目(め)をまるくして、
「いまなら、くず屋(や)さんにやると、いいんだね。ごみ箱(ばこ)の中(なか)へ、すてたりして、おしいなあ。」と、いいました。
「ぼくも、十個(こ)かくしておいたのを、持(も)ってこようか。」と、善吉(ぜんきち)は、いいました。
「あ、持(も)っておいでよ。」
 このとき、あちらから、勇二(ゆうじ)と武夫(たけお)が、
「なにしているの。」と、口々(くちぐち)に、わめきながら、やはり、かけてきました。
「べいごま。」
「ぼくも持(も)っているよ。」
「いくつ?」
「ぼくは、十五個(こ)ばかり。」と、武夫(たけお)が、いいました。
「おお、たくさんあるんだな。」と、みんなが、感心(かんしん)しました。
「勇(ゆう)ちゃんは、持(も)っていないの。」
「僕(ぼく)は、十個(こ)ばかり。」と、勇二(ゆうじ)が答(こた)えました。
「なんだ、みんな、持(も)っているんだな。じゃ、ここへ持(も)ってきて、まわしっこしない?」と、善吉(ぜんきち)がいいました。
「しようよ。ただやるだけなら、いいんだろう。やったり、とったりして、かけなけりゃね。」と、勇二(ゆうじ)が、いいました。
「ほんとうは、それでは、おもしろくないんだがな。」と、武夫(たけお)がいいました。
「だめ、見(み)つかったら、しかられるから。」
「さあ、早(はや)くみんな、家(いえ)へいって、持(も)っておいでよ。」と、信(しん)一が、いいました。
「オーライ。」と、子供(こども)たちは、元気(げんき)よく、いっさんに、原(はら)っぱから、かけ出(だ)して、きえてしまいました。
まっさきかけて、つっこめば
なんともろいぞ、敵(てき)の陣(じん)
馬(うま)よいななけ、かちどきだ
 信(しん)一は、うたいながら、しきりに、べいをまわして、しばらく、しなかった、手(て)ならしをしていました。
 すると、このとき、ぴかりと、自分(じぶん)の顔(かお)を、あかるくてらしたものがあります。とんぼでも飛(と)んできて、さわったのでないかと、顔(かお)をなでてみました。そして、べいのまわるのを見(み)ていると、また、ぴかりとしました。
「なんだろう?」
 信(しん)一は、頭(あたま)が上(あ)げて、原(はら)っぱを見(み)まわしました。はじめ、だれもいないと、思(おも)ったのに、あちらに、材木(ざいもく)のつんである上(うえ)で、女(おんな)の子(こ)が、あそんでいました。
 よく見(み)ると、かね子(こ)さんと、光子(みつこ)ちゃんらしいのです。そして、ぴかりとしたのは、だれか、コンパクトに、ついているかがみで、日(ひ)をてりかえして、自分(じぶん)に、いたずらを、したのです。
 信(しん)一が、じっと見(み)ていると、二人(ふたり)は、くすくす、笑(わら)っていました。
「知(し)っているよ。」と、信(しん)一が、その方(ほう)へ走(はし)っていきました。
「私(わたし)たち、なんにもしないわ、おままごとしていたのよ。」と、かね子(こ)さんがいいました。
「コンパクトのかがみで、やったんだい。」
「ほほほ。」
「信(しん)ちゃん、そこにいるの。」と、まっ先(さき)にかけてきたのは、善吉(ぜんきち)でありました。つづいて、武夫(たけお)に、勇二(ゆうじ)が、手(て)にこまをにぎってかけてきました。
「ああ、ござが、ないなあ。」
「だれか、だいと、ござを、持(も)ってくると、いいんだね。」
「だいは、いらないけれど、ござがなくては、できないよ。」
 こまは土(つち)の上(うえ)では、よくまわらぬからです。勇二(ゆうじ)は、足(あし)に力(ちから)をいれて、赤土(あかつち)の上(うえ)をトン、トン、と、ふんでいました。かたくして、そこで、こまをまわそうというのです。
「土(つち)の上(うえ)では、だめだよ、だれか、家(いえ)にござを持(も)っていない。」と、信(しん)一が、いいました。そこへ、また、あちらから一人(ひとり)の少年(しょうねん)がかけてきました。
「小山(こやま)が、きた。」
 小山(こやま)は、かね子(こ)さんの兄(にい)さんです。
「べいをするのかい。」と、小山(こやま)が、ききました。
「ござがなくて、こまって、いるんだよ。だれか、ござを、さがしてこないかな。」と、勇二(ゆうじ)が、いいました。
「私(わたし)、家(うち)へいって、持(も)ってきてあげるわ。」と、かね子(こ)さんが、いいました。
「ばか、家(うち)にござなんか、ないじゃないか。」と、小山(こやま)は、かね子(こ)さんをにらみました。

 十日(とおか)ばかり前(まえ)のことでした。新緑(しんりょく)がすがすがしいしいの木(き)の下(した)で、たたみやが、しごとをしているのを、かね子(こ)さんは、立(た)って見(み)ていました。いつか赤(あか)いインキをこぼして、お父(とう)さんにしかられてすぐインキけしでふいたけれど、どうしても、そのあとがとれなかった茶(ちゃ)の間(ま)のたたみも、新(あたら)しい青(あお)い草(くさ)のかおりのする表(おもて)にかえられました。
 もうこれから、毎日(まいにち)あのよごれた、たたみを見(み)なくてすむのであります。そんなことを思(おも)って見(み)ていると、おもしろいように、ほうちょうの刃(は)が入(はい)ります。するするとござが切(き)れていきます。そのあとを太(ふと)い針(はり)が、すいすいとぬって、じょうぶな糸(いと)を通(とお)していきます。半畳(はんじょう)のところへくると、半分(はんぶん)だけござが残(のこ)りました。かね子(こ)さんは内(うち)へかけこんで、
「お母(かあ)さん、新(あたら)しい半分(はんぶん)のござが残(のこ)ったの、どうするの?」と、ききました。
「しまっておけば、入用(にゅうよう)のことがありますよ。」
「ねえお母(かあ)さん、私(わたし)にちょうだいよ。」
「なんにするんですか。」
「私(わたし)、おままごとのとき、しくんですの。」
「そんなら、大(おお)きいのがいいでしょう。」
「私(わたし)、古(ふる)いのはいや、新(あたら)しいのがいいの。」
「あげてもいいですよ。」
 かね子(こ)さんは、喜(よろこ)んで、半分(はんぶん)のござをもらって、物置(ものおき)の中(なか)へしまっておきました。
 いま善(ぜん)ちゃんや、勇(ゆう)ちゃんや、信(しん)ちゃんたちが、べいごまをするのに、ござがなくなってこまっているのを見(み)て、しまっておいたござを、思(おも)い出(だ)したのです。それでかしてあげましょうかと、いったのでした。
「ばか。」と、兄(にい)さんにしかられて、かね子(こ)さんは顔(かお)を赤(あか)くしました。けれど、自分(じぶん)のものを、かしてやって、しかられるわけはないので、
「物置(ものおき)にあるわよ。」と、かね子(こ)さんはいいました。
「あれは、ぼくんだい。」と、小山(こやま)は、妹(いもうと)をにらみました。
「いいえ、あれは、私(わたし)のよ。」
「ぼくが、手工(しゅこう)をするのに、お母(かあ)さんからもらったんだい。」
 友(とも)だちは、二人(ふたり)の方(ほう)を見(み)ていましたが、
「小山(こやま)くん、かしてね。」と、信(しん)一が、いいました。けれど、小山(こやま)はだまっていました。
「ねえ、辰雄(たつお)くん、いいだろう。」と、善吉(ぜんきち)がいいました。
「ぼく、べいを持(も)っていないから、つまんないもの。」と、小山(こやま)が答(こた)えました。
「ござをかしてくれれば、一つあげるよ。」と、勇二(ゆうじ)が、いいました。小山(こやま)は、急(きゅう)に、たのしそうな顔色(かおいろ)になりました。
「ほんとうかい。」と、小山(こやま)は、かけだしました。
「だれが、うそをいうもんかね。」と、武夫(たけお)と勇二(ゆうじ)は、顔(かお)を見(み)あって、にっこり笑(わら)いました。
 小山(こやま)は、ござをかかえて、もどってきました。このとき、かね子(こ)さんは、
「光子(みつこ)さん、あっちへいって、じゅずだまを取(と)りましょうよ。」と、いいました。草(くさ)むらの中(なか)には、つゆくさがむらさきの花(はな)を咲(さ)かせていました。へびいちごの赤(あか)い実(み)が、じゅくしていました。あちらでは男(おとこ)の子(こ)たちが、べいにむちゅうになっています。
「ござが新(あたら)しいから、気持(きも)ちがいいね。」
「勇(ゆう)ちゃんの角(かく)は強(つよ)いなあ、辰(たっ)ちゃんの一つしかないべいがすっとんでしまった。」と、善(ぜん)ちゃんが笑(わら)いました。
 小山(こやま)は、しょげてしまいました。せっかく、勇(ゆう)ちゃんがくれたのに、また勇(ゆう)ちゃんに取(と)られてしまったからです。
「ぼくが、一つあげよう。」と、こんどは、武夫(たけお)が一つこまを小山(こやま)にやりました。
「やりとりしっこなしなんだろう。」
「うそっこでは、つまんないや。」
「わかると、先生(せんせい)にしかられるよ。」
「ああ、いちばんあとで、みんなかえそうや。」
 みんなで、そんなことをいっていると、
「ぼく、もうかえろう。」と、小山(こやま)がいいました。
「かえるの? もっとあそんでおいでよ。」
「勉強(べんきょう)しないと、お母(かあ)さんにしかられるもの。」
 小山(こやま)は、しいてあるござを取(と)りかかりました。
「辰(たっ)ちゃん、かしておきよ。すんだら持(も)っていくから。」と、武夫(たけお)がいいました。
「よごすと、手工(しゅこう)のとき、こまるもの。」
「そんな、いじわるをいうもんでないよ。」
「ほんとうだい。ござがなければ、べいができないじゃないか。」と、勇二(ゆうじ)が、おこり出(だ)しました。
 小山(こやま)は、こういわれると、ござにかけた手(て)をひっこめました。
「辰(たっ)ちゃん、べいを一つあげよう、これは、ほんとうに、君(きみ)にあげるのだよ。」と、善吉(ぜんきち)が、こまをやって、小山(こやま)のきげんを、なおそうとしました。
「さあ、みんなでやろう。辰(たつ)ちゃん、もうすこしあそんでいたって、いいだろう。」
 こういいながら、信(しん)一は、ブーンとうなりをたて、こまをござの上(うえ)へ投(な)げ入(い)れました。こまは元気(げんき)よくまわりました。そこへ善吉(ぜんきち)も、勇二(ゆうじ)も、武夫(たけお)もいっしょにこまを投(な)げ入(い)れました。
 こまは、たがいにふれ合(あ)って、ぱっぱっと火花(ひばな)を散(ち)らしています。ややおくれて、辰雄(たつお)ももらったこまを投(な)げ入(い)れました。辰雄(たつお)のこまもすごいいきおいを出(だ)してまわっていたが、けっきょく武夫(たけお)のこまが、どれもこれも、はじきとばして天下(てんか)を取(と)りました。また、小山(こやま)は、こまを一つも持(も)たなくなったのです。そのさびしそうなようすを見(み)て、信(しん)一は、
「辰(たっ)ちゃんに、一つあげよう。」と、いって、ひらたい、ぴかぴか光(ひか)ったのをやりました。
「おお、そのべたをやるの。」と、勇二(ゆうじ)が、目(め)をまるくしました。
「かしてあげたのさ。」と、信(しん)一は答(こた)えた。そうきくと、なんと思(おも)ったのか、
「いらない。」と、いって、辰夫(たつお)は[#「辰夫は」はママ]、そのこまを信(しん)一の手(て)に返(かえ)しました。
「どうして。」と、信(しん)一は小山(こやま)の顔(かお)をふしぎそうにのぞきこみました。
「ぼく、もうかえるんだよ。」
「ほんとうに、これ、君(きみ)にあげるよ。」
「ぼく、もうかえるんだ。」
 小山(こやま)は、こういって、また、ござを取(と)りにかかりました。
 このとき、じっと小山(こやま)のすることを見(み)ていた善吉(ぜんきち)が、
「いじわるのけちんぼめ。」と、いって、小山(こやま)のござを、自分(じぶん)のはいていたくつで、ふみにじりました。
「何(なに)するんだ。」と、小山(こやま)は、善吉(ぜんきち)を、おしたおそうとしました。ひょろひょろとなった善吉(ぜんきち)は、
「なにを。」と、小山(こやま)に、とびついていきました。

「おい、けんかは、およしよ。」と、信(しん)一が、いいました。
「いじわるをするから、けんかになるんだ。」と、みんなが小山(こやま)の顔(かお)を見(み)ました。
「ぼくのござだもの、かってじゃないか。」と、小山(こやま)は、顔(かお)を赤(あか)くしながらいいました。
「そのかわり、べいをやったろう。」
「こんなもの、ほしくはないよ。」と、小山(こやま)は、一つの手(て)に持(も)っていたべいを、なげすてました。
「急(きゅう)に勉強(べんきょう)するなんて、いわなくていいね。」と、武(たけ)ちゃんが、いいました。
「勉強(べんきょう)のことなんかいうのは、てんとり虫(むし)のいうことだ。」
「いらんおせわだよ、だれかみたいに、ランドセルなんか、もらわないからいいよ。」
「なんだと。」
 武(たけ)ちゃんは、はずかしめられたので、小山(こやま)のござをめりめりと引(ひ)きさきました。
「やあい、いいきみだ。」と、勇(ゆう)ちゃんが、手(て)をたたきました。
 小山(こやま)は、しくしくと泣(な)いて、かえりかけました。
「いいか、おぼえておれ。」と、小山(こやま)は、泣(な)きながら、こちらをふりかえりました。
「いいとも、あそんでなんかやらないから。」と、善(ぜん)ちゃんが、答(こた)えました。
「石(いし)をなげてやろうか。」と、武(たけ)ちゃんが、足(あし)もとの石(いし)をひろいました。
「およしよ。」と、信(しん)ちゃんがとめました。
 兄(あに)のいじめられたのを知(し)ると、かね子(こ)さんが走(はし)ってきました。
「なんで、みんなして兄(にい)さんをいじめるの。」
「なまいきだからさ。」
「かしたござをかえしておくれ。」
「そこにあるの持(も)っておゆきよ。」
「こんなやぶれたのでないのをかえしてよ。あす学校(がっこう)へいったら、先生(せんせい)にいうから。」
「いくらでもおいいよ。」と、武(たけ)ちゃんが、おこって、たたきにかかると、かね子(こ)さんは、逃(に)げていきました。
「けんかなんかして、つまらないなあ。」と、善(ぜん)ちゃんが、ポケットからボールをだして、空(そら)へ向(む)かって投(な)げ上(あ)げました。
「ボールをしようか。」
 そんなことをいっているところへ、鳥打帽(とりうちぼう)をかぶって、足(あし)にゲートルをまいた男(おとこ)が、ステッキをついて、原(はら)っぱをみんなのいる方(ほう)へ、歩(ある)いてきました。
「あっ、いつかきた紙(かみ)しばいのおじさんじゃあない?」
「そうだ、おじさんだ。」
「おじさあん。」と、みんなが、さけびました。
「おうい。」と、おじさんが、笑(わら)いました。
「どうしたの、おじさん、しばらくこなかったね。」
「ああ、商売(しょうばい)がえをして、このごろは、お話(はなし)をして学校(がっこう)をまわっているのだ。」と、おじさんは草(くさ)のはえたところへ、こしをおろしました。
「なにか、おもしろいお話(はなし)はないか。」と、おじさんが、みんなにききました。
「おもしろい話(はなし)って、どんな話(はなし)?」と、信(しん)ちゃんが、いいました。
「なんでも、君(きみ)たちが見(み)た話(はなし)さ。」
「おじさん、してあげようか。」と、善(ぜん)ちゃんが、いいました。
 友(とも)だちが、みんな善(ぜん)ちゃんの顔(かお)を見(み)ました。
「きのう、ぼくプールへいったんだよ。そして、泳(およ)いでいると、どこかの子(こ)が、小(ちい)さな弟(おとうと)と妹(いもうと)をつれてきたのさ。そして、うきぶくろにつかまって、泳(およ)ぎなさいといったのだよ。けれど、その小(ちい)さな弟(おとうと)も妹(いもうと)も水(みず)にはいるのが、はじめてとみえて、おそろしがってはいらないのだ。
 しかたがなく兄(にい)さんひとりプールへ入(はい)って泳(およ)いだのさ。そうすると、小(ちい)さな弟(おとうと)と妹(いもうと)が、おせんべいをたべながら、兄(にい)さんの泳(およ)いでいく方(ほう)へついて、プールの岸(きし)をぐるぐるまわっているのさ。ぼく、これを見(み)て、おかしくてしようがなかった。だって、おせんべいをたべながらついて走(はし)るんだぜ。」
「は、は、は。」と、おじさんが、笑(わら)いました。おじさんが、おかしそうに笑(わら)ったので、みんなが、いっしょに笑(わら)いました。
「なるほどな。」と、おじさんがいいました。
「さあ、こんど、おじさんの番(ばん)だ。」
「おれは、こないだ、北(きた)の方(ほう)へ旅行(りょこう)をしてきたが、いなかの子(こ)は、みんな非常時(ひじょうじ)なのでよくはたらいているぞ。学校(がっこう)からかえると、山(やま)へいって、たき木(ぎ)をせおってくるものや、畠(はたけ)へ出(で)てくわつみの手(て)だすけをするものや、また、くわの葉(は)のはいったざるをかかえたり、せおったりして、家(いえ)へはこんだりする。そうかと思(おも)うと子守(こもり)をしながら本(ほん)を読(よ)んでいるものもいる。町(まち)の子供(こども)たちのように、あそんでばかりいないよ。」
「ひどいな、おじさん、ぼくたちだって親(おや)のおてつだいをしているものが、いるんだぜ。」
「そうか、それは、感心(かんしん)なこった。」
「まだ、おもしろい話(はなし)はないの。」
「それから樺太(からふと)までいったよ。」
「樺太(からふと)? たいへん寒(さむ)いところまでいったんだね。」と、子供(こども)たちは、あの北(きた)のはしにつき出(で)て、青(あお)い海(うみ)の色(いろ)にとりまかれた、ほそ長(なが)い島(しま)を思(おも)い出(だ)しました。
「ツンドラ地帯(ちたい)って、沼地(ぬまち)みたいな、こけばかりはえているところがある。そこへ火(ひ)がつくと、なかなかきえない。何年(なんねん)ということなく、燐(りん)の火(ひ)のようなのが下(した)からもえ上(あ)がる。
 また、樺太(からふと)には、人間(にんげん)の手(て)のはいらない大(おお)きな森(もり)や林(はやし)がある。それに火(ひ)がつくと、それこそたいへんだ。どこまでもえるか、わからないからな。そんなとき、どうするかというに、火(ひ)のもえていく何(なん)十メートルか先(さき)の林(はやし)を切(き)りはらって、あきちをつくるのだ。そして、火事(かじ)のある森(もり)の片方(かたほう)のはしへ火(ひ)をつけるのだ。すると、あちらからもえてくる火(ひ)と、こちらからもえていく火(ひ)とだんだん近(ちか)づいて、どこかで出(で)あうだろう。そのときは、どうだと思(おも)う。ドーンという大(おお)きな音(おと)がして、火(ひ)のはしらが空(そら)へ立(た)つのだ。そして、それで火(ひ)がきえてしまうのだ。なぜって、両方(りょうほう)からの火(ひ)で、空気(くうき)があつくなって、まん中(なか)の空気(くうき)がなくなるからだ。」
「ほんとにおもしろい話(はなし)だな。おじさんは、その火事(かじ)を見(み)たの?」
「いや、きいた話(はなし)さ。おじさんが見(み)たのは、ある村(むら)で、馬(うま)が出征(しゅっせい)するので、駅(えき)にりっぱなアーチが立(た)ち、小学生(しょうがくせい)が、手(て)に、手(て)に、はたをふりながら、見送(みおく)りにいくのだった。どこも、非常時(ひじょうじ)で、緊張(きんちょう)しているぞ。」

 原(はら)っぱのはしの方(ほう)に、小(ちい)さな森(もり)がありました。いろいろの木(き)がしげっていて、風(かぜ)が吹(ふ)くと、葉(は)がきらきらと波(なみ)のように、かがやきました。ひるすこしすぎる時分(じぶん)、「カチ、カチ。」という拍子木(ひょうしぎ)の音(おと)が、その方(ほう)からきこえました。紙芝居(かみしばい)のおじさんが、子供(こども)たちを呼(よ)んでいるのです。原(はら)っぱで、ボールをなげているもの、とんぼを追(お)いかけているものが、一人(ひとり)、二人(ふたり)と、その方(ほう)へかけていって、森(もり)の中(なか)へ集(あつ)まりました。
 森(もり)の中(なか)には、小(ちい)さなお稲荷(いなり)さまのほこらがたっています。そのほこらのとりいの前(まえ)は、あちらの町(まち)へつづく、ひろい道(みち)になっていました。おじさんは、とりいのところへ自転車(じてんしゃ)をおいて、みんなのくるのをまっていました。光(みっ)ちゃんととみ子(こ)さんは、石(いし)のさくによりかかっていました。信(しん)一も、勇二(ゆうじ)も、ほかの子供(こども)たちの中(なか)へまじって、ぼんやりと立(た)っていました。
 ちょうど、そこは、すずしい日(ひ)かげになっていて、頭(あたま)の上(うえ)では、せみがジイジイとないています。やがて、「突撃兵(とつげきへい)」という、おじさんのお話(はなし)が、はじまりました。
「ある日(ひ)、召集令(しょうしゅうれい)が、忠(ちゅう)一のもとへまいりました。彼(かれ)は、手(て)に持(も)つ仕事道具(しごとどうぐ)をなげすててすぐに立(た)ちあがった。
『妹(いもうと)よ、あとをよろしくたのんだ。』
『お父(とう)さん、きょうは、ご気分(きぶん)は、いかがですか?』
 兄(あに)のいなくなった後(あと)は、かよわい女(おんな)の身(み)ながら、妹(いもうと)は、はたらいて、よく父親(ちちおや)の看護(かんご)をしていました。
『長(なが)い間(あいだ)、よくめんどうをみてくれたぞ。しかし、もう私(わたし)もいくときがきたんだ。ただ生(い)きているうちに、せがれのてがらをきかずにいくのが、ざんねんだ。』
『お父(とう)さん、そんな心(こころ)ぼそいことをおっしゃっては、いけません。』
『いや、それよりかおまえは、お父(とう)さんがなくなったら一人(ひとり)になってしまう。おまえも日本(にっぽん)の女(おんな)だ。なんなりと、自分(じぶん)の力(ちから)でできることをして日本(にっぽん)のためにつくすんだぞ。』
『お父(とう)さん、よくわかりました。いま日本(にっぽん)の人(ひと)は、男(おとこ)でも女(おんな)でも、年(とし)よりでも子供(こども)でも、一人(ひとり)のこらず、力(ちから)をあわせて、立(た)ちあがらなければならぬときがきたんです。私(わたし)は、女(おんな)ながら、つねにその覚悟(かくご)を持(も)っています。』
『ああ、それで安心(あんしん)した。』
 これが、父親(ちちおや)のわかれのことばでした。
 話(はなし)かわって、こちらは、戦場(せんじょう)であります。敵(てき)は、手(て)ごわくわが軍(ぐん)の前進(ぜんしん)をさまたげている。忠(ちゅう)一の部隊(ぶたい)は、クリークをへだてて、その敵(てき)と向(む)かいあっていました。
 あすの夜明(よあ)けに、敵(てき)のトーチカをくだいてしまえという命令(めいれい)がくだった。忠(ちゅう)一をはじめ一命(めい)を、天皇陛下(てんのうへいか)にささげた勇士(ゆうし)たちは、故郷(こきょう)へ、これがさいごの手紙(てがみ)を書(か)いてねむりにつきました。
 その夜中(よなか)のこと、忠(ちゅう)一一等兵(とうへい)は目(め)をひらくと、国防婦人会(こくぼうふじんかい)の白(しろ)い服(ふく)をきた妹(いもうと)が立(た)っている。おお、どうしてこんなところへきたかと、おどろいた。
『お兄(にい)さんに、知(し)らせにまいりました。』
『なにっ、お父(とう)さんが、なくなられたか。それで、おわかれに、なんとおっしゃられた?』
『はい。』と、妹(いもうと)がなみだぐみながら、
『せがれのてがらを、この世(よ)できかずにいくのがざんねんだと、おっしゃいました。』
 忠(ちゅう)一一等兵(とうへい)は、がばとはね起(お)きました。同時(どうじ)に目(め)がさめたのであります。
『お父(とう)さん、ゆるしてください。じきに私(わたし)もおそばへまいります。』」
 おじさんが、ここまで話(はな)したときに善吉(ぜんきち)と武夫(たけお)が、走(はし)ってきて、
「信(しん)ちゃん、吉川先生(よしかわせんせい)がきたから、早(はや)くおいでよ。」と、いって、ほこらのうしろの方(ほう)へかくれようとしました。おどろいて、信(しん)一と勇二(ゆうじ)は、その後(あと)を追(お)ったのです。紙芝居(かみしばい)のおじさんは、何(なに)ごとがおこったのかと、思(おも)ったのでしょう。
「どうしたのだ、どうしたのだ。」と、ききました。
「学校(がっこう)の先生(せんせい)が、きたんだよ。」
「なに、先生(せんせい)が。ちっともわるいことは、ないじゃないか。」と、おじさんはいばりました。
 学校(がっこう)の先生(せんせい)が、七、八人(にん)、上級(じょうきゅう)の生徒(せいと)をつれて交通整理(こうつうせいり)の見学(けんがく)にとおったのです。先生(せんせい)たちが、いってしまうと、信(しん)一も勇二(ゆうじ)も善吉(ぜんきち)も武夫(たけお)も顔(かお)を見(み)せました。
「みんな、どうしたの?」と、おじさんがいいました。
「ぼくたち、いまとりいの前(まえ)で、べいをしているのを見(み)つかったんだよ。」
「なぜここへきて、話(はなし)をきかなかったの? そんなことをするから、先生(せんせい)が、こわいのだよ。」と、おじさんは笑(わら)いました。
「小山(こやま)くんが、先生(せんせい)に、ぼくたちのことをいいつけたんだ。だから、先生(せんせい)が、ぼくたちのそばまできて、のぞこうとしたんだ。」
「あした、学校(がっこう)へいくとしかられるよ。」と、善吉(ぜんきち)はしょげてしまいました。
「小山(こやま)くん、ひきょうだね。こないだのしかえしをしたんだ。」と、信(しん)一は、いいました。
「ほんとうに、ひきょうだな。」
「おじさん、このお話(はなし)、後(あと)はどうなったの?」と、ほかの小(ちい)さな子供(こども)が、ききました。
「このあとのお話(はなし)は、またあす。これで、きょうはおしまい。」
 子供(こども)たちは、思(おも)い思(おも)いに、ちってしまいました。
「おじさんは、前(まえ)にきた、紙芝居(かみしばい)のおじさんと、お友(とも)だちだってね。」と、信(しん)一がいいました。
「ああ、友(とも)だちさ、ぼくらは、みなが、いい人(ひと)になって、日本(にっぽん)の国(くに)が、ますます強(つよ)くなるようにと、紙芝居(かみしばい)をして歩(ある)いているんだ。」と、おじさんが答(こた)えました。
「じゃ、おじさんは、ほんとうのあめ屋(や)さんじゃないんだね。」と、善吉(ぜんきち)は、おじさんの顔(かお)を、ふしぎそうに見(み)ました。
「あめも売(う)るから、ほんとうのあめ屋(や)さ。だってお話(はなし)ばかりでは、きいてくれないだろう。」
「ぼく、お話(はなし)だけでも、きくよ。」
「じゃ、あしたから、あめを持(も)ってくるのをよそうかな。」
「そして、お金(かね)をとらないの。」
「ほら、ごらん。みなは、お話(はなし)より、あめのほうがいいのだ。」
「お話(はなし)もきいて、あめも、もらいたいのだよ。」
「ぼく、お話(はなし)だけでもいいな。」
「だれだ、えらいぞ。は、は、は。」と、おじさんは笑(わら)いました。

 翌日(よくじつ)、学校(がっこう)のかえりに、善吉(ぜんきち)と武夫(たけお)の二人(ふたり)は、吉川先生(よしかわせんせい)からのこされました。
「きっと、善(ぜん)ちゃん、べいごまのことだよ。」と、武夫(たけお)がいいました。
「ああ、それにきまっているさ。だが、なんで、べいをしていけないんだろうね。」と、善吉(ぜんきち)は、まどの外(そと)のかきの木(き)を見上(みあ)げていました。秋(あき)になってから、日(ひ)の光(ひかり)が、夏(なつ)よりもかえって強(つよ)いようです。一つ、一つ、さすように葉(は)の上(うえ)にかがやいていました。
「かきがなっているね、武(たけ)ちゃん、これはしぶいのだろう。」
「あまいのかもしれない。ここから、あの枝(えだ)へは、うつれないかね。」
「とびつけば、とどくけど、落(お)ちたらたいへんだ。」
 二人(ふたり)は、二階(かい)のまどから、かきの木(き)を見(み)ながらいろいろ考(かんが)えつづけていました。そして、早(はや)く家(いえ)へかえって、あそびたいなと思(おも)ったのです。それだけでなく、お母(かあ)さんや、お姉(ねえ)さんが、しんぱいしていられるだろうと思(おも)うと、こうしていることが、くるしかったのです。
「先生(せんせい)、早(はや)くこないかな。」
「忘(わす)れたんだろう。かえろうか、武(たけ)ちゃん。」
 このとき、ろうかを歩(ある)いてくる、くつ音(おと)がしたのでした。二人(ふたり)は、急(きゅう)におぎょうぎをよくしていました。
 先生(せんせい)は、教壇(きょうだん)のいすにこしを下(お)ろして、
「こっちへおいで。」と、善吉(ぜんきち)と武夫(たけお)の二人(ふたり)は前(まえ)へ呼(よ)ばれました。
「きのうは、家(いえ)へかえってから、なにをしてあそんでいたね。」と、先生(せんせい)は二人(ふたり)の顔(かお)をごらんになりました。
 善吉(ぜんきち)は、顔(かお)を上(あ)げて、
「まりをなげたり、べいをしていました。」と、すなおに答(こた)えました。
「べいをしては、いけないというのでなかったかな。」
 善吉(ぜんきち)は、先生(せんせい)にそういわれると、だまってうつむきました。
「君(きみ)は、どう思(おも)うね。」と、先生(せんせい)は、こんどは武夫(たけお)に向(む)かって、おききになりました。
「よくないと思(おも)います。」と、武夫(たけお)は答(こた)えました。
「わるいと思(おも)うものを、なぜやったのだ。」
 先生(せんせい)の顔(かお)は、しだいにおそろしくなりました。
「しまいに勝(か)ったべいを、みんな返(かえ)せばいいと思(おも)いました。」と、善吉(ぜんきち)が、いいました。
 先生(せんせい)は、しばらくだまって、善吉(ぜんきち)のいうことをきいていられましたが、
「君(きみ)たちは、わるいことをして、後(あと)でそれを返(かえ)せばいいと思(おも)うのかね。」と、おっしゃいました。
「先生(せんせい)こまをまわすことは、わるいことですか。」と、武夫(たけお)が、こんど先生(せんせい)の顔(かお)を見(み)ながら、ふしぎそうにたずねたのです。先生(せんせい)は、ちょっと頭(あたま)をかしげて、すぐには、返答(へんとう)をなさいませんでしたが、しばらくしてから、
「こまをまわすことを、いけないというのではない。勝(か)ったり、負(ま)けたりするのに、品物(しなもの)をかけてやることを、いけないというのだ。べいなら、その負(ま)けたこまを、勝(か)ったものが取(と)るというふうに、勝負(しょうぶ)の後(あと)が、品物(しなもの)のやりとりになるからいけないというのだ。」
「先生(せんせい)そんなら、ただ、おたがいがこまをまわして、勝負(しょうぶ)をするぶんなら、いいのですか。」
「ものをかけたりしなければ、わるいことはない、みんなが、ただ一つぎりでな。ぼくも、子供(こども)の時分(じぶん)は、こまをまわすのが大(だい)すきだった。」
「先生(せんせい)も、べいをなさったのですか?」と、二人(ふたり)の子供(こども)は、おどろいた顔(かお)をしました。
「いや、ぼくの子供(こども)の時分(じぶん)には、べいごまなどというようなものは見(み)なかった。もっと大形(おおがた)の木(き)ごまか、鉄胴(てつどう)のはまったこまだった。鉄胴(てつどう)のこまには、木(き)ごまは、どうしてもかなわなかったものだ。そして、こまの合戦(かっせん)は、それは、さかんなものだった。」
 吉川先生(よしかわせんせい)は、自分(じぶん)の子供(こども)の時分(じぶん)を思(おも)い出(だ)して、いまのようにものをかけずに、ただ勝負(しょうぶ)をしただけで、それでもみんなが、満足(まんぞく)したという話(はなし)をなさいました。
「木(き)ごまは、鉄胴(てつどう)にかかると、よく真(ま)二つにわれたものだ。そのわれるのが、またゆかいだった。しかし、つばきの木(き)でつくった木(き)ごまは、たいへんかたくて、なかなかわれぬばかりでなく、うまく火花(ひばな)をちらして、ぶつかって、どぶの中(なか)へ鉄胴(てつどう)をはねとばしてしまうことが、あったものだ。」
「先生(せんせい)、おもしろいですね。」
「おもしろいが、べいなんか、もうよしたまえ。このごろは、みんなでいっしょにたのしんで、そして、勝(か)ち負(ま)けをきめるようなおもしろいあそびが、たくさんあるじゃないか。」と、先生(せんせい)は、おっしゃいました。この時分(じぶん)には、先生(せんせい)のお顔(かお)は、いつものやさしいお顔(かお)になっていました。
「先生(せんせい)よくわかりました。」と、善吉(ぜんきち)が、いいました。
「わかったか。」
「わかりました。けれど先生(せんせい)につげ口(ぐち)するものなんか、もっとひきょうだと思(おも)います。」と、武夫(たけお)が、いいました。
「つげ口(ぐち)されるようなことをしなければいいのだ。では、もうかえるがいい。」
 吉川先生(よしかわせんせい)は、立(た)ち上(あ)がると、さっさと、ろうかの方(ほう)へ歩(ある)いていかれました。
「黒(くろ)めがねの紙(かみ)しばいのおじさんは、ぼく、この話(はなし)をしたら、辰(たっ)ちゃんは、自分(じぶん)がけんかができないので、先生(せんせい)にいうなんてひきょうだといったよ。」と、善吉(ぜんきち)がいいました。
「おじさんは、先生(せんせい)をよく知(し)っているといったね。」
「ああ、おじさんも、日本(にっぽん)の子供(こども)は、そんとか、とくとかいうことなんか、考(かんが)えてはいけない。正(ただ)しいことをしなければならぬといった。」
 二人(ふたり)は、階段(かいだん)を下(お)りて、話(はな)しながら校門(こうもん)の外(そと)へ出(で)たのでありました。
「善(ぜん)ちゃん、あの犬(いぬ)をごらんよ。」
 武夫(たけお)のゆびさした方(ほう)を見(み)ると、白(しろ)い色(いろ)の犬(いぬ)が、まりをくわえて主人(しゅじん)の後(あと)についていきました。ある家(いえ)の門(もん)のところに、茶色(ちゃいろ)の犬(いぬ)がはらばいになっていたが、この犬(いぬ)を見(み)つけると、急(きゅう)におきあがって、ほえはじめました。二ひきの犬(いぬ)のあいだが、だんだん近(ちか)づきました。しかし、まりをくわえた犬(いぬ)は、知(し)らぬ顔(かお)をして、わき見(み)もせずに主人(しゅじん)についていくと、茶色(ちゃいろ)の犬(いぬ)はいまにもとびつこうとしたのでありました。

 赤土(あかつち)の原(はら)には、だれもあそんでいませんでした。茶色(ちゃいろ)の犬(いぬ)をつれた男(おとこ)の人(ひと)は、ボールを出(だ)すと、力(ちから)いっぱい、これを遠(とお)くへ向(む)かって投(な)げました。ボールは、青(あお)い空(そら)へ上(あ)がって、それから下(した)へ落(お)ちました。
「よし。」と、いうと、犬(いぬ)は、かけ出(だ)していきました。
「おじさん、犬(いぬ)の名(な)は、なんというの。」と、武夫(たけお)が聞(き)きました。
「ジョンです。あれで、まじりけのないシェパードではありませんよ。」と、おじさんは、答(こた)えました。
「いい犬(いぬ)ですね。」と、善吉(ぜんきち)が、感心(かんしん)しました。ジョンは、ボールをくわえてきました。
「訓練(くんれん)ひとつですね、いい犬(いぬ)にするには、なかなかほねがおれます。」
 ジョンは、ボールを主人(しゅじん)の前(まえ)へおこうとすると、
「こら!」と、おじさんはしかって、手(て)に持(も)っているむちでジョンをたたこうとしました。ジョンは、すぐ気(き)がついて、右(みぎ)から左(ひだり)へぐるりと、おじさんの足(あし)もとをまわって、ボールをおきました。「よし。」と、おじさんは、犬(いぬ)の頭(あたま)をなでてやりました。それから、おじさんは、犬(いぬ)をそこに待(ま)たしておいて、自分(じぶん)だけ、あちらへかけていきました。やがて、おじさんの姿(すがた)は、草(くさ)むらのしげった中(なか)へ、かくれてしまいました。じっと、そっちを見(み)ながら、すわっていたジョンは、主人(しゅじん)の姿(すがた)を見(み)えなくなると、さびしくなったのか、クン、クン、といって、おじさんをこいしがりました。善吉(ぜんきち)も、武夫(たけお)も、忠実(ちゅうじつ)な犬(いぬ)が、かわいくなりました。
 おじさんは、ちがった方角(ほうがく)から、姿(すがた)をあらわして、もどってきました。
「よし。」と、命令(めいれい)すると、ジョンは、すぐに主人(しゅじん)のいった足(あし)あとをさがして、ボールを取(と)りにいきました。
「おじさん、まりをかくしてきたの?」
「土(つち)へうめてきたが、ちょっと見(み)つからないでしょう。」と、いって、おじさんは、笑(わら)っていました。
 いつまでたっても、ジョンは、かえってきませんでした。見(み)つからないのです。そのうちに、ジョンは、しおしおとして、なにもくわえずにもどってきました。これを見(み)ると、おじさんは、こわい顔(かお)をして、犬(いぬ)をにらみました。そして、手(て)を上(あ)げて、
「だめ!」と、どなりました。ジョンは、また、さがしに、あちらへ走(はし)っていきました。
「かわいそうだな、見(み)つからないんだよ。」と、武夫(たけお)は、犬(いぬ)に同情(どうじょう)しました。
 そのとき、少年(しょうねん)が、きっきの白(しろ)い犬(いぬ)をつれてさんぽにやってきました。そして、みんなのいるところへきました。
「ポインターのかわりですね。」と、おじさんは、白(しろ)い犬(いぬ)の頭(あたま)をなでました。犬(いぬ)は、おとなしくしていました。おじさんは、よく犬(いぬ)の種類(しゅるい)を知(し)っています。また、どの犬(いぬ)もかわいがりました。犬(いぬ)もまた、かわいがる人(ひと)をよく知(し)っているようです。
 ジョンは、やっとボールを見(み)つけて、うれしそうに、くわえて走(はし)ってきました。おじさんも、喜(よろこ)んで、ジョンのそばへくるのを待(ま)って、犬(いぬ)が、ぐるりとまわって、前(まえ)へボールをおくと、だくようにして頭(あたま)をなでてやりました。
「おりこうですね。」と少年(しょうねん)が、これを見(み)て、いいました。
「ふせ!」と、おじさんが、いうと、ジョンは、地(ち)の上(うえ)へはらばいになりました。
「伏進(ふくしん)!」
 ジョンは、はらばいになりながら進(すす)みました。これを見(み)ていた武夫(たけお)は、善吉(ぜんきち)に向(む)かって、
「戦争(せんそう)にいって、敵(てき)に見(み)つからないようにして、進(すす)むんだね。」と、ささやきました。
 白(しろ)い犬(いぬ)も、おとなしくして、ジョンのするのを見(み)ていました。すると、少年(しょうねん)は、
「ごらんよ、おまえも、あんなことできるかい。」と、自分(じぶん)のほおを、犬(いぬ)の顔(かお)におしつけました。おじさんは、見(み)て、笑(わら)っていました。
「なにもおしえないのですか。」
「この犬(いぬ)は、ぼうきれを投(な)げると、くわえてくるぐらいのものです。」
「その犬(いぬ)は、猟犬(りょうけん)ですね。」
「だから、にわとりや、ねこを見(み)ると、追(お)いかけて、しかたがないんですよ。」と、少年(しょうねん)は、いいました。そのうちに、少年(しょうねん)は、犬(いぬ)をつれて、あちらへいってしまいました。
 おじさんも、一(ひと)とおりの茶色(ちゃいろ)の犬(いぬ)の訓練(くんれん)がすむと、善吉(ぜんきち)と武夫(たけお)に向(む)かって、
「さようなら。」と、いって、ジョンをつれて、お家(うち)へかえっていきました。
「ああ、きょうは、かえりがおそくなったね。ぼくお家(うち)へかえって、きっと、おかあさんにしかられるだろう。」と、武夫(たけお)は、しんぱいしました。
「復習(ふくしゅう)があったと、いえばいいだろう。」
 善吉(ぜんきち)は、うそをいって、わるいと思(おも)ったが、そういうことに、きめていました。
「ぼくは、原(はら)っぱで、犬(いぬ)のおけいこを見(み)てきたと、いおうかしら。」と、善吉(ぜんきち)が、いいました。
「残(のこ)されたといわなけりゃ、どっちだっておんなじじゃないか。」

 日(ひ)にまし涼(すず)しくなりました。原(はら)っぱに立(た)って、だまって空(そら)をみあげながら、鳴(な)き声(ごえ)のした方(ほう)に目(め)をそらすと、黒(くろ)く小(ちい)さく、群(む)れをなして、渡(わた)り鳥(どり)の飛(と)んでいくのが見(み)られました。
 ワン、ワン、犬(いぬ)が、ほえています。その方(ほう)を見(み)ると、いつかおじさんのつれてきた、ジョンでした。
「ジョン、ジョン。」と、善吉(ぜんきち)が、呼(よ)びました。ジョンはかけてきました。そばには、武夫(たけお)のほかに信(しん)一もいました。
「どこの犬(いね)なの?」
 信(しん)一が、ききました。
「いつかどこかのおじさんがつれてきた犬(いぬ)だよ。」と、武夫(たけお)は、あたりにおじさんがいないかと見(み)まわしました。どうしたのか、おじさんの姿(すがた)が見(み)えません。
「ジョン、どうしたんだい? ひとりかい。」と、善吉(ぜんきち)が、いうと、ジョンは、喜(よろこ)んでとびつきました。
「きっと、道(みち)をまぐれたんだよ。」
「ぼくたち、どっかへかくれよう、そうしたら、ジョンは、どうするだろうか。」と、武夫(たけお)が、いいました。

「そうだ、いいことがわかった。」
「どんなこと。」
 武夫(たけお)と信(しん)一は、善吉(ぜんきち)の顔(かお)を見(み)ました。
「ジョンが、まりをさがしている間(あいだ)に、僕(ぼく)たちはどこかへかくれるのだよ。そうしたらジョンは、どうするだろうかね。」と、善吉(ぜんきち)は、いいました。
「どうするだろう? おもしろいな。」と、信(しん)一がいいました。
「お家(うち)へ帰(かえ)っていくかもしれないよ。」
「いや、きっと、僕(ぼく)たちをさがすだろう……。」
「よし、やってみようよ。」
 武夫(たけお)はジョンにまりを見(み)せてから、自分(じぶん)は、向(む)こうのくさむらの方(ほう)へ走(はし)っていきました。そして、わからないように、草(くさ)の中(なか)へかくしてきました。
 武夫(たけお)は、息(いき)を切(き)らしてもどると、
「ジョン、まりをさがしておいで。」と、すぐ命令(めいれい)をしました。ジョンは、かけていきました。
「さあ、この間(あいだ)にかくれよう、どこがいいかな。」
 先(さき)に立(た)って、走(はし)っている善吉(ぜんきち)が叫(さけ)びました。
「僕(ぼく)の家(うち)の物置(ものおき)へいこうよ。」
 三人(にん)は、原(はら)っぱを犬(いぬ)のいった、反対(はんたい)の方(ほう)に向(む)かって走(はし)りました。
 広(ひろ)い道路(どうろ)のあちらは、すぐ町(まち)になっています。そして、いちばん近(ちか)いところに、善吉(ぜんきち)の家(いえ)がありました。土管(どかん)や、じゃりや、セメントなどを、あきなっていました。物置(ものおき)の中(なか)には、これらの品物(しなもの)がつまれていました。三人(にん)は、きゅうくつそうに、体(からだ)をおしあって、片(かた)すみにかくれて、かわるがわるふし穴(あな)から原(はら)っぱの方(ほう)をながめていました。
「どうしたんだろう、こないよ。」
「お家(うち)へかえったんじゃないか?」
 とつぜん、のぞいていた信(しん)一が、
「きた、きた、ジョンが、きちがいのようになって、さがしているよ。」
「こっちへこない。」
「足(あし)あとをさがしているから。」
「まりは、どうした?」
「くわえている。」
「かわいそうだから、出(で)てやろうか。」と、善吉(ぜんきち)がいいました。
 しかし、まもなくジョンは、小舎(こや)のところまでやってきました。そして、まりを下(した)へおいてさも悲(かな)しげに、鳴(な)き出(だ)しました。
「ジョン。」と、このとき、三人(にん)は、先(さき)をあらそって、物置(ものおき)からとび出(だ)しました。
「ふだに番地(ばんち)が書(か)いてあるから、これからつれていってやろう。」と、信(しん)一は、ジョンの頭(あたま)をなでました。
 庭(にわ)に、梅(うめ)もどきの実(み)が赤(あか)くなって、その下(した)に、さざんかの咲(さ)いている家(うち)がありました。そこが、ジョンのお家(うち)でした。
 三人(にん)は、げんかんに立(た)つと、ジョンが尾(お)をふって、ワン、ワンと喜(よろこ)んで鳴(な)きだしました。しょうじ戸(ど)をあけて出(で)てきた、おばさんは、犬(いぬ)と子供(こども)がいるので、見(み)てびっくりしました。三人(にん)が、まよい子(ご)になった、ジョンをつれてきたことを話(はな)すと、
「まあ、まあ、それは、ありがとうございます。じつは、いなくなったのでしんぱいして、みんなが、さがしに出(で)ているのですよ。いつもつないでおくのですが、朝(あさ)、くさりをといてやったら、いなくなってしまったのです。」と、おばさんは、おれいをいいました。
 武夫(たけお)は、ジョンをくさりにつないでから、
「さようなら。」と、いいました。
 三人(にん)は、いいあわしたようにジョンの方(ほう)をふり向(む)きながら、門(もん)を出(で)ようとすると、ジョンは、ついていこうとして、くさりを鳴(な)らしてほえました。
「ぼっちゃん。待(ま)っていてください。」と、おばさんが、あわてて奥(おく)から出(で)てきました。そして、げたをはいて、紙(かみ)に包(つつ)んだものをみんなのところへ持(も)ってきました。
「これは、ほんのおだちんですよ。あめか、おかしでも買(か)って、わけてください。」と、おばさんは、信(しん)一の手(て)に渡(わた)そうとしました。
「いいえ、そんなものいりません。」と、信(しん)一は、手(て)を引(ひ)っこめました。
「そんなこというものでありません、さあ取(と)ってください。」と、こんどおばさんは、善吉(ぜんきち)に渡(わた)そうとしました。
「おかしなんか買(か)うとしかられます。」と、善吉(ぜんきち)も、手(て)を引(ひ)っこめました。
「じゃ、えんぴつを買(か)ってわけてください。」と、おばさんは、むりに武夫(たけお)の手(て)ににぎらせました。武夫(たけお)は、どうしたらいいかと思(おも)ったが、おばさんが、これほどいってくれるのを、ことわるのはわるいと思(おも)って、いただいて外(そと)へ出(で)ました。
「困(こま)ったなあ、これどうしたらいいだろう。」と、武夫(たけお)は二人(ふたり)にそうだんしました。
「じゃ、えんぴつを買(か)ってわけようよ。」と信(しん)一が、答(こた)えました。
「武(たけ)ちゃん、君(きみ)、あずかっておいでよ。」と、善吉(ぜんきち)がいって、三人(にん)は、原(はら)っぱへもどってきました。もう西(にし)の方(ほう)の空(そら)が、赤(あか)くなりかけていました。
「あっ、紙(かみ)しばいのおじさんがきている。」
 三人(にん)は、子供(こども)たちの集(あつ)まっている方(ほう)へかけ出(だ)しました。そこには、小山(こやま)も、かね子(こ)も、光子(みつこ)も、とみ子(こ)もきていました。
「ね、黒(くろ)めがねのおじさんが、支那(しな)へいくんだって。」と、三人(にん)の顔(かお)を見(み)ると、小山(こやま)はいいました。
「ほんとう? 黒(くろ)めがねのおじさんが、支那(しな)へいくの。」と、武夫(たけお)が、おじさんにききました。
「ほんとうだとも、こんど宣撫班(せんぶはん)になって支那(しな)へいくのだ。」と、紙(かみ)しばいのおじさんは、答(こた)えました。黒(くろ)めがねのおじさんは、いつかこの原(はら)で、樺太(からふと)へ旅行(りょこう)をしたときの話(はなし)をしてくれました。
「宣撫班(せんぶはん)って、支那人(しなじん)のせわをしてあげるの。」と、とみ子(こ)さんがたずねました。
「ああ、そうだ。そして、支那(しな)の子供(こども)におもしろいお話(はなし)をきかせてやるのさ。どんなに喜(よろこ)ぶだろうな。」
「どんなお話(はなし)?」
「そのお話(はなし)が、あのおじさんのことだから、日本(にっぽん)の子供(こども)のことさ。きっと君(きみ)たちのお話(はなし)をして、日本(にっぽん)の子供(こども)は、みんなしょうじきで、やさしくて、いい子(こ)ばかりだということだろう。」と、おじさんは、笑(わら)いました。
「そうかなあ、僕(ぼく)たち、あのおじさんに、旗(はた)を送(おく)ろうか。」
「そうだ。ジョンのお家(うち)からもらったお金(かね)で、旗(はた)を買(か)おう。」
「僕(ぼく)も、お金(かね)を出(だ)すよ。」と、小山(こやま)が、いいました。赤土(あかつち)の原(はら)っぱには、赤々(あかあか)として、夕日(ゆうひ)がうつっていました。
了

底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社
   1977(昭和52)年10月10日第1刷発行
   1982(昭和57)年9月10日第5刷発行
底本の親本:「赤土へ来る子供たち」文昭社
   1940(昭和15)年8月
初出:「せうがく三年生」
   1939(昭和14)年6〜12月
※表題は底本では、「赤土(あかつち)へくる子供(こども)たち」となっています。
※初出時の表題は「赤土へ来る子供たち」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2016年10月28日作成
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