今世紀前世紀を通じ戦争を除いてはここ二、三百年間、まずこれほどに異常なる衝撃とセンセーションを欧米人士に与えたものはなかったであろうとさえ、言われるくらいまでに最大なる世紀の話題であったが、もちろん多数の読者諸君のうちには外電によってすでに大体の輪郭を御存知の方もあり、あああれかと頷いていられる方も多かろうと思われるのであるが、そういう諸君にはしばらく眼をつぶっていただいて、私はまず近着各紙を渉猟して、その中から比較的信憑するに足ると思わるる部分だけを蒐集し、これを基礎としてこの事件の全貌をできるだけ詳細に、そしてできるだけ確実にお伝えしようと考えている。
もちろん事件といっても、これは怪奇なる犯罪とか、猟奇的な探偵物語とか言った種類の物では全然なく、そんな荒唐無稽な人為的作為の痕なぞは微塵だにもないジミな物語であるだけに、かえって事実は小説よりも奇なりという言葉の真が、追々とお分りになってくるであろうと思われる。
が、そのためにはこの物語の根幹をなしている、今より三十三年前に起った一つの出来事をここに抽出して――しかも付録というか挿話というか、その一つの出来事を冒頭に掲げて、諸君の御記憶を喚起しておいた方が、この物語全体にたいする御理解を深からしめる所以ではなかろうかと考える。一九一四年、すなわち今から三十三年前に勃発した第一次世界大戦中の出来事なのであった。
当時独逸は連合国側、主として大英帝国の海上交通網を脅かさんがため、巡洋艦エムデン号、イルティス号ほか数多の潜水艦を遠く印度洋大西洋上に出動せしめて、敵国商船を掌捕し無警告撃沈を敢てしていた。これが奇功を奏して一時はさすがの大英帝国をして食糧飢饉を嘆ぜしめ、急遽単独航海をやめて護送船団編制に改めさせたことは、あまねく人口に膾炙しているところであるが、当時独逸軍令部の秘密命令を受けて、同じく南太平洋水域に跳梁跋扈したものに駆逐艦シャッガァ号というのがあった。エムデン号その他の声名に圧せられ、海の狼としての悪名はさまで広く世界に宣伝せらるるには至らなかったが、同水域における連合国側の受けた通商破壊の実害たるや、実に計り知れざるものがあった。
基準排水量わずかに七百五十噸、渺たる一駆逐艦の身でありながら科学独逸の粋を集めていかなる秘密装備を施したものか、経済速力二十七節、戦闘速力まさに三十九節という当時にありては世界記録に未だなき驚異的なる快速力を利用して、これに強力なる短波を備え付け東経百五十度南緯四十五度より五十五度の線にかけ、楕円を描いて游弋し跳梁を恣にしていたのであった。しかも艦長の方針によるものか、この艦にあっては敵国商船の掌捕乗員の救助には一切手を触れず、鬼畜のごとく警告撃沈の一手のみであった。
孤立無援の独逸海軍であり制限ある小型駆逐艦ではあったが、大戦勃発の一九一四年夏より、一九一五年の秋にかけて満一カ年と二カ月、どこを根拠地として食糧、燃料、飲料水の補給を続けていたものか、いかに連合国側の船舶がこの眼を晦まそうとしても、必ず通り魔のごとくに現れてくるのであった。暗夜に紛れて出てくることもあれば、濃霧を利用して現れてくることもある。しかも一遍現れたが最後であった。
「止まれ!」たちまち大檣にスルスルと停止信号が上る。
「どこから出て、どこへ行く?」
「乗員は船を見棄てて、ただちに待避せよ!」
そして商船のめぐりをグルグルと廻る。ズドーン! と一発! 魚雷で来ることもあれば、砲門に白煙の上る場合もある。が、いずれの場合を問わずただの一発! 二発と続けて撃った試しがない。乗員もまた独逸海軍の精を選ったものか、百発百中! いったん狙われたが最後、未だこの海の狼から遁れ得た船はなかった。そして阿鼻叫喚を尻目に快速にものを言わせて、悠々とまた濃霧と暗夜のうちに姿を消す。
連合国側の商船でこの艦のために撃沈せられたものすでに十七隻! 試みに今記録に残る英国商船のみを辿ってみても、ノーリッジ号一万二千噸……ベッドフォード号九千六百噸……カウンテス・オブ・カーナヴォン号六千八百噸……バーロー号三千噸……エクゼター号七千六百噸……クィーン・オブ・サンダーランド号四千八百七十噸……指を屈するだに痛ましき犠牲の数々であった。総噸数にして二十余万噸、これがために恨みを呑んで南海の藻屑と消え果てし無辜の人命は、女子供を入れておそらく二万余人にも上っていたであろうか。人道の敵! 鬼畜さながらの所為であった。
南水域に鬼哭啾々として跡絶えず、妖気狭霧のごとくに立ち罩めて、大英帝国の憤激その極に達したのであった。大西洋艦隊より一部を割き豪州艦隊の一部を出動せしめ、あるいは単独にあるいは艦隊行動をもって北方より圧し、東西両海面よりの挟撃を企画し、百方手段を尽したが未だついに奏効しなかった。一度なぞは東経百二十五度南緯三十六度七分の線にまで逐い詰めて、確実にその大檣を砕き舵機を損ぜしめ前部砲塔を白煙のうちに包ましめたのは分っていたが、あいにくにも迫り来った薄暮に災されてついに艦影を逸し、沈没せるや否やを確認するまでには至らなかったのであった。
しかもそれより旬日、この阿修羅のごとき海の通り魔は突如として、その踪跡を晦ませてしまったのであった。無気味なる活動をピタリと停止して杳として、その消息を絶ってしまったのであった。
本国大海艦隊劣勢のため急速所属鎮守府へ廻航したものか、さもなくば南半球特有の大颱風によってさすがの海の狼も海底の藻屑と消え果てたものか、もしくば英豪艦隊に負わされし深傷のためにわずかに覆没を免かれつつも、涯しなき洋上に敗残の身を漂わせつつあったか?
連合国はなおも追求の手を緩めはしなかったが、シャッガァ号の所在は依然として不明のまま、それより五年の後刀折れ矢尽きて、一九一九年独逸の全面的降伏をもってこの第一回の世界悲劇は終末を告げたのであったが、ついに魔の駆逐艦シャッガァ号のみは、条約に拠る引渡し艦艇表にもその名を止めず、いかんともその足取りは不明であった。ついには独逸本国政府すらも捜索に匙を投げて、艦籍名簿より削除し沈没行方不明と発表して、関係列国の承認を得たのであった。艦長はキルネル・ヒウゴウ中佐、乗員は当時の推定にて八十九名!
天に翔ったか千尋の海底に潜ったか爾来星移ろい歳変り三十三年と三カ月、現在に至るもなおその消息は依然として謎のまま、一名の遺骸とても見出されず一片の遺留品とてもなく、一枚の船板の破片すら発見されず、南太平洋に姿を晦ませる大いなる海洋の神秘として現在に立ち至っているものであった。第二回の世界大戦すら終りし今日となっては、もはや昔を偲ぶよすがとてもなく、永遠の忘却の彼方へと苔蒸している三十三年昔の語り草となっているのであったが、読者はこの物語を読まれる前に、まず以上のような出来事を想い起しておかれる必要があろうと考える。
昨年七月十日亜留然丁のセミーリア州、アンデスに源を発するコロラド河がバヒア・ブランカ湾に注ぐ辺陬ボカス・デルトーロの村の海岸に、まだ明けやらぬ暁の靄が薄らと立て罩めている頃であった。村の貧しき少年ラウラ・セラやルシア・モラトたち四、五人連れはいつものように、この辺でヴィザと呼んでいる天草の一種を採集するために籠を背負って海岸を歩いていた。
一杯のヴィザを背負って、近くのエステポナの丘陵にできた州立の蛇毒研究所へ持って行けば、細菌培養基用の寒天を作るために、六ペソの高価で買い上げてくれるからであった。しがもヴィザを採るためには、あながち冷たい水の中へ潜る必要はない。遠くホーン岬を迂回して北上してくるウニデス潮流の支流が絶えず岸を洗っているこの辺では、ただ人よりも朝早く海岸へ出て来れば、浜辺にはヴィザが一杯打ち揚げられているのであった。屈んでは拾い拾っては屈みして、少年たちは余念もなく背の籠にヴィザを満たしていたが、ちょうどその時子供たちの眼を惹いた物があった。少年たちの屈み込んだ場所から二、三百碼ばかり沖合いの海中に、木函らしい物が一つ波の長濤に乗って泛んでいるのであった。打ち見たところ、この辺で投げ棄てられた空箱でもないらしい。永い間海中に浸っていたものとみえて、周囲には真青に海藻が付着して、しかも今ザブリと横波に反転してこちらに背を見せたところでは、海藻どころか! ビッシリ一杯、貝殻までもくっ付いている様子であった。
凝乎と眺めているうちに、好奇心が子供たちの心を捉えた。
「行ってみよう! 行ってみようぜ!」と一同大革取りも忘れて、ジャブジャブと水の中へ足を突っ込んだ。暁の水は冷たかったが、泳いでゆくほどの距離でもないらしい。洋袴を捲って水を渡ったが、これではとても届きそうにもない。マゴマゴすればせっかく近寄った函が、また長濤に乗って沖の方へと漂ってゆきそうな懸念がある。
「ようし、泳いでいってみよう! ッと」と子供たちは、到頭思い切って洋袴を取り上衣を脱いだ。
そして震えながら飛沫をあげて、函の方へと近付いていった。割合に水は深くて、胸のところまであった。しかも函は恐ろしく大きくて、打ち見たところ葬式に使う寝棺二つ分ぐらいの容積がある。とても少年たちの肩では担ぎ上げられそうもない。水に泛ばせながら、押して浜辺へと戻ってきたのであったが、身体も拭いて、さてヌルヌルと周囲に付着している海藻や貝殻を掻き落してみると、函の表両側にはビッシリと何か文字が書かれてあった。
が、板の表面が腐蝕して字面だけが高く盛り上っているところをみると、予想に違わずよほど永く海中に漂っていたものらしい。
烈しく逆浪に揉まれたか岩礁に摩擦されたかして、堅牢な函板は簓のように木膚がそそけ立っていた。ともかく莫迦大い上にドッシリとして、かなりの重さがある。何が中に詰まっているのか、大勢で持ち上げて、ドタン! と倒してみてもゴツン! とも音はせぬ。
棄てるには何か曰くのありそうな、しかし、ともかく字が読めぬ。
「おうい、ルシア! エステポナの蛇病院へ持ってってみようじゃねえか! あすこならきっと読んでみてくれるぜ」
子供たちは、結局これを蛇毒の研究所へ担ぎ込んでいくことにしたのであった。あすこならそう遠くはないし、そうだ! あすこには顕微鏡を覗いている、白い解剖衣の先生たちがたくさんにいる。何と書いてあるか、読んでみてくれるだろう。
「なんだ、なんだ、ラウラ! おいこら、モラ! 朝っぱらから棺函なんぞ担ぎ込んできて、なんて騒ぎをやらかしてるんだ!」
と解剖衣の所員たちはヴィザの代りに汗みずくになって、今にも大函の下に圧し潰されんばかりの恰好で、ワッショイワッショイ練り込んできたのを見ると、眼を円くしたが、
「小父さん! そうじゃないんだよう! 海に泛んでたんだよう」
と少年たちから訳を聞くと、
「おう! そうか、そうか、まさか水葬の屍体じゃあるまいな」
とたちまち好奇心の虜となってしまった。
「なんだ、なんだ、葬式か!」と隣り近所の部屋からも、たちまち三、四人解剖衣の青年たちが飛び出してくる。
御苦労千万にも、十五、六の少年五、六人が、圧し潰されんばかりになって、棺桶そっくりの長方形の大函を担ぎ込んできた恰好たるや、粗忽しい人間が見たら、まったく葬式とも見えたであろう。
「この函を発見せられたる方は開函せず、ただちに最寄り官憲、または警察署へ届け出でられたし。もし独逸本国警察へ送達せらるれば、我らの感謝これにしくものなし」
これだけの文句が、函の表側と裏側とに、三段に分けて認められてあった。一番上の二行が独逸文、次の二行が英文、最後の二行が仏蘭西文であった。なるほどこれではスペイン語しか通用せぬこの辺の少年たちには、読めようはずもないことであった。
しかも子供たちが汗を拭いている頃には、解剖衣の所員たちの好奇心は、函を囲んで、白熱し切っていた。
「開けてみたとて差し支えないじゃないか! 元のとおりにちゃんと蓋さえしておけば」
「そうはいかんさ。これだけ厳重に警察へ届けろと書いてあるのに、そんな勝手な真似はできんぜ!」
「律義にも程があるぞ。だってあんな老耄の警官に、何がわかるもんか!」
「こうしたら、どうだろうね? 発見したのはあの子供たちだが、解読してやったのは僕らなんだから、結局僕らは発見者と同様な立場にある。そこで一つ発見者の面子を立てて、警官に来てもらって、ここで開けてみてもらったらどうだろう?」
なにが発見者の面子だかわからぬが、こう一理屈ひねくるのが現れる。
「賛成! 賛成! 大賛成!」
ともかく開けてみたくてウズウズしている連中ばかりだから、遮二無二討議は一決した。退屈で退屈で朝から新聞を三度読み直して、靴を磨いて、今四度目を丹念に読み直そうと考えていた村の警官カヴァレロ・ホセ君が、交番から迎えられることになった。
驚破こそ、半年ぶりで珍事出来! と大喜びで、虎鬚をひねりながら飛んで来た。が、一部始終を聞くと、ホセ君分別ありげに手を振った。
「開けるのは本職立合いの上で差し支えないが、開け方を間違えたら、これは皆さん、取り返しの付かぬことになりますぞ!」と言うのであった。
「どんな大変なことになるんです?」
「時節柄、もしこれが漂流してきた爆薬だったらどうします? 我々の身体は木っ端微塵ですぞ!」
顔色変えて二、三人、函の廻りから飛び退く者がある。なるほどそう聞かされてみると、迂闊には開けられぬ。さりとてこれをこのまま、五十八哩離れたバヒア・ブランカ市の警察本署へ持ち込んでしまうのも、心残りのことではある。第一持ち込む途中だって、爆発する懸念は充分にあるではないか。いっそのこと、裏の庭球コートの真ん中へ持ち出して、拳銃で試してみたら? 莫迦を言ってくれるなよ! 強力爆薬が爆発したら、庭球コートどころか! 裏の畑へ持ち出したって、この建物くらいは一遍に吹っ飛んでしまう。それじゃ一体、どうすればいいんだい? こうしたらどうだろう! と小田原評議よろしくあった結局のつまりが、用心しながら中の物をあまり揺り動かさぬように、そろそろと捩じ開けてみたが一番いいだろう、ということに決まったのであった。
衆望の期するところ、臂力衆に勝れ、河馬のごとくに鈍重なる所員フノ・ゴメズ君がその選に当る。すなわちゴメズ君はこの世の生き別れのごとき悲壮極まりない面持をして、特攻精神を奮い起しつつ、函を捩じ開けにかかった。
非常に厳重な函であった。しかもどういう造り方がしてあるのか、釘や鋲という物が一切これには使ってなかった。角々がことごとく嵌め込みになって、これだけの容積の函が浪に揉まれても、海底の岩にぶつかっても、ビクともせず、しかも水一滴浸透している形跡がないのであったから、これを造った大工の腕前というものは、けだし実に素晴らしきものであったろう。まさに入神の技術ともいうべきであった。ゴメズ君、あっちへ鋏を当ててみたり、こっちへ当てがってみたり、しばしが程は函の廻りをグルグルと歩き廻っていたが、どこをどうして捩じあけたものか、これもまた入神の臂力を出して、とうとう函の板を、一枚メリメリと無理無体に引っ剥がし取ってしまった。
中へ水を透かさぬ用心であろう、函の裏側には一面に、セロファンのごとき物で内貼りがしてあった。はたして水は一滴も浸みてはいなかったが、問題はこのセロファンのごとき物であった。紙ともつかず、金属ともつかず、硝子よりもっと透明であり、セロファンよりもっと薄く、もっと柔軟に、しかも刃物で切っても切れず、錐の先で突いても穴一つあかず、何という物か、頓と得体のわからぬものであった。函の中にはほとんど空気のはいる隙間もないくらいに外函に密着して、また一つの函が納まっている。ピタリと一分の隙もなく密着しているので、これを取り出すのにゴメズ君大骨を折ったが、取り出した函は、またぞろ木組の堅牢無比なること、外函と同じものであった。
ゴメズ君、へとへとになって、しかしそこは鈍重な性格だけに文句一つ言わず、再び渾身の膂力を奮い起して、函の一角を引っ剥がし取ってしまったこと、また前のごとし。そして函の内側一杯に、例のセロファンようの物が貼ってあることも、また前のごとし。いよいよ爆弾や現る、と、一同恐る恐る顔を差し伸べたが、驚くなかれ! またもう一つ函が顔を出してきた。今の函に一分の隙もなく密着して、これを取り出すのに、またゴメさんは大汗を掻いた。
すなわち三重になって仕組んである、入念とも堅牢とも、譬うるに物なき頑丈無比なる荷造りであったが、思うに第一の外函が破砕しても内側の函で泛んでいるように、内函が破砕してもさらに第三の函が海上に漂うているようにとの、慎重無比なる計画なのであろう。
かくて第三の函の一角も、いよいよ捩じ開けられた。もはやここに至ってはこの函の中に水葬の屍体が納められていることも思わなければ、爆弾がはいっていると考える者もいなかったが、ただまたぞろ四つ目の函が出てくるのではあるまいか! と一同ウンザリして顔を差し伸べたことであったが、今度はいよいよ中の品物になってきたらしく、これも後日に至って検討の的となったのであるが、鋸屑が一杯に詰まっていた。これもまた一見したところでは鋸屑のごとく、セロファン屑のごとくには見えたが、もっともっと繊細な、紙屑ともつかねば鋼鉄屑とも思われぬ、妙な詰物なのであった。これを取り除くと、ゴメさんは、張り詰めていた気も尽き果てて、そこへ引っ繰り返ってしまったというのであるが、そんなことなぞはどうでもよろしい。
ともかく、その詰物を取り除くと同時に、一同呀っ! とばかりに悲鳴を挙げて、函の廻りから飛び退いた。しかも飛び退いて声を呑んでじっと函の中の物を瞶めていた五、六秒の後……七、八秒の後……再び一同は期せずして、驚嘆の叫びを挙げた。
「わあっ! 木乃伊だぞう!」
「木乃伊だ! 木乃伊だ! 埃及の木乃伊だぞ!」
木乃伊! 木乃伊! 木乃伊が現れたのであった。しかも、若い男と女の一対の木乃伊であった。もうその頃には、聞き伝え言い伝えて、全所員のことごとくが仕事をおっ抛り出してここに集まっていたのであろう。函の廻りは黒山のような人集りなのであったが、なるほどよく見れば確かにそれは木乃伊に違いなかったであろう。決して生々しい人間の屍体なぞではなかった。しかし木乃伊とさえ言えば、土気色をした瘠せて枯木のように乾干び切った埃及の木乃伊を連想する我らの木乃伊の概念を越えて、これはまたなんという美しい、絵に描いたように艶やかな男女一対の木乃伊であったろうか! ギョッとして飛び退いたも道理! まるで昨日にでも死んだかのように水々しい薔薇色の皮膚と潤いを見せて、今にも起きてムクムクと動き出すかと疑われんばかり、さながら生きた人間の眠っている姿としか思われぬ木乃伊であった。
その二体の木乃伊が今、南半球七月初旬の麗らかな朝暾を受けて微笑みつつ穏やかに美しく楽しげに、見果てぬ永遠の夢を語り合いながら接吻せんばかり相抱き合って、雨の中に眠っているのであった。
希臘か羅馬か古代埃及か? それはわからなかったが、いずれは由緒ある貴族の公達か姫君なのであったろう。屍体は鄭重に取り扱われているらしく、函の中は浮出し模様の高貴な白綸子風の絹をもって、羽根蒲団のように柔らかく全面に内貼りがしてあった。そして二人とも房々とした亜麻色の髪には、紫水晶と緑玉とを鏤めて桃金花の花綵を象った黄金の冠を戴き、裳裾長くすんなりと伸した素足には、革のサンダルを穿いていた。
男の方は年頃に二十四、五歳! なんという凛々しく雄々しい風貌であったろう! 歴史画に見る古羅馬貴族のように襞の多い折目の付いた寛闊な麻の外衣を着け、肩には精巧なる金の透彫りの外衣吊りを懸けていた。二十歳か二十一、二とも思われる、女の姿のまた窈窕さ! 嫋やかな首筋はすんなりと肩へ流れて、純白女神のごとき白絹の綾羅を装うていた。しかもその顔の素晴らしさ! 美しいというよりも嬋娟というよりも、ただ希臘の彫刻からでも脱け出してきた気高さ清らかさ繊細さそのものというほかには、何と言い現すべき言葉もなかった。
傾国の女王クレオパトラの昔もかくやと偲ばれんばかり、透き徹るような美しさというものはおそらくこういう女を指すものだろうと思わずにはいられなかったのであったが、しかも緩やかに巻いた腰帯は金糸銀糸の綾織に、紅玉石か真珠でも一杯に刺繍てあるらしく、それが今陽に燦めいて煙々と瓔珞の虹を放っている光耀さ!
一同言葉を発することも忘れて、あまりにも見事な古代美の妖しいまでの絢爛さ優美さにただ夢に夢見る心地して、白日の中に恍惚と見惚れ切っていたのであった。
やっと我に返ると、一同いよいよもって好奇百パーセントの瞳を輝かし、鵜の眼鷹の眼で再び函の中を調べ始めたのであったが、ちょうど木乃伊の足許に当る部分あたりから、さまざまのものが現れ始めた。まず第一に現れたのは六号画布大の、紙とも付かず皮とも付かぬ強靱な代赭色のへなへなした物に描かれた、精細なスケッチ風の油絵であった。都合三枚あった。
一枚は古代希臘か古羅馬あたりの、都会風景でも描いたような場面。一枚はその都会の中の公衆浴場みたいな、宏壮な建物の内部でも描写したような場面。そこには一糸を纏わぬ裸体の美人や、若い男たちが多数入り乱れて沐浴をしていた。三枚目はどこを書いたものかはわからなかったが、独逸語で細かく地名を指示している一風変った地図であった。到底地図らしくは思われぬ、しかしどう考えてみても結局やはり地図としか思われぬようなものであった。
これらの絵は一見壁掛けかとも思われるような物であったが、さてその次に出てきたのは純銀の紐で巻いた、三巻の巻物であった。紙質というか皮質というかは、前の絵を描いた皮のような紙のような物とやはり同質であったが、幅五吋ばかり、長さは一巻それぞれ約二呎くらいもあったであろうか。これにビッシリと細かに独逸文を列ねて、これが都合また三巻あった。すべて柔らかな純銀の紐で括られていた。
仏蘭西文化の影響を受けている拉丁亜米利加の研究所員には、仏蘭西語には造詣の深い者もいたが、独逸文はあまり大して読めなかったであろう。一同はちょっと紐を解いて覗いてみただけで、またクルクルと巻いてしまった。
最後に現れてきたものは、紫の絹紐で口を括った三個の鞣し皮袋であった。その皮袋を解いた途端、
「おお!」
と、異口同音思わず叫びを挙げずにはいられなかった。燦爛眼も射らんばかり、幾十枚かの金貨で頭に花綵を戴いた、歴史の本で見るユリウス・ケーザルのごとき人物を表に鋳出し、裏に古代アッシリヤの軍船のごとき船の形を鋳出した、見る眼眩い金貨であった。チャラチャラ! と一袋に二十枚ずつ、都合三袋で六十枚あった。
「大した金貨だな……純分度はわからぬが、この金質と重みでは」
と、年中化学分析ばかりやっている所員の一人が掌で重みを量りつつ言った。「一個まず今の値打ちで八千ペソ以上だろう。六十枚として全部で合計四十八万ペソか!」
「一体どこの金貨だろうな?」と不審がるものがあったが、
「さあ?」
と言ったきり、誰にもわからなかった。ただあまりにも見事な金貨の色に、みんな、
「ほう! ほう!」とばかりに見惚れ切っているばかりであった。
もうその頃には、海岸に漂着した木函の中から木乃伊と金貨が出たという噂は村一杯に拡まって、腹を突き出した郵便局長をはじめとし、白髭の学校の校長やよく囀る雑貨屋のお内儀、禿げ頭の宿屋のオヤジ等々……村中のありとあらゆる階層が押し合いへし合い眼白押しに周囲を取り繞いていたが、紙のような皮のような妙な物に描いた絵や、独逸語の巻物なぞは一向に問題でなく、どこへ行ってもただ、木乃伊と金貨金貨の評判で、持ち切りなのであった。
村の主だった連中はすぐ役場に集まって、この函は村の海岸で拾得したるが故に、これらの金貨は当ボカス・デルトーロ村の所有たるべきものなりという決議をしたが、どういう性質の金貨だかそれがサッパリわからず、ただ暗雲に決議ばかりしてしまったので、決議はしても今に誰かに持って行かれそうな気がして、どうも何だか奥歯に物の挟まったような工合であった。そこで一度誰かにすっかり調べてもらおうではないか! という、珍妙な申合せをくっ付けたのであった。
中には、もう一つくらい別の函が海岸へ漂ってきてはしねェかと、そうっと海岸へ駆け出して行ってみるという欲の深いのがいたかも知れぬ。その間にカヴァレロ・ホセ警官の方はまたバヒア・ブランカの本署と打ち合せて、木乃伊や他の品物なぞはともかくとして、これだけの金貨を村の駐在所へ保管しておくのは剣呑だから、当分の間蛇毒研究所の金庫の中へ預ってもらっておいて、銃を持った夜番を専属にくっ付けておくという手配をした。物淋しい村には村始まって以来の破れ返るような騒ぎが、俄然として持ち上ってきたのであったが、さてこのような噂が噂を生んで、次第次第に波紋のように全国的に拡まろうとしていた頃のある日であった。
いよいよ村当局とセミーリア州当局との共同依頼に応じて、州立バヒア・ブランカ大学史学科のケーポ・デ・リアーノ教授が村へ乗り込んできた。大函に詰められたこれらのものは一体いかなる性質のものであり、どこから漂着したものであるかの真相を鑑定すべく、一両日滞在すると申し渡したのであった。村の顔役として村長とホセ警官と小学校長とがこの大先生のお側に侍ってサービス至らざるなく、大先生の鑑定を一刻千秋の思いで待ち侘びているのであったが、大先生たるや村役場の階上に安置してある木乃伊を見ては感嘆し、金貨を眺めては感嘆し、油絵を手に取っては感嘆し、感心しているばかりで一向埒があかなかった。それでも独逸文だけは咀嚼する力があったとみえて、熱心に巻物を拡げて読み耽っているのであった。
時々溜息を洩らして、これにも感嘆しつつ読んでいたが、やがて驚くほど時間がかかって三巻ことごとく読み終えると、またぞろ木乃伊や金貨や絵の方を眺め感嘆しかかったので、堪りかねて村長が口を開いた。
「一体どういうもんでござりましょうな? 先生、どこからながれて来ましたのじゃろかな?」
「さあそこだて!」と大先生は当惑そうに絵を置いた。が、ありありと、額に皺を作っているのであった。
「せっかく来たが、儂にはなんとも手に負えんよ」とアッサリ兜を脱いでしまった。
「はたしてこういう奇怪なことが、あり得るものだろうかね?」
「と……仰しゃいましても、私共には何のことやら、さっぱりわかりかねますんですが」と村長は面食らった。自分の方で尋ねたいと思っていることを、かえって大先生の方から尋ねられて眼をパチクリした。
「一体この金や木乃伊は、どこからまいったものでしょうかな?」
「さあ、それなんだよ。それを儂もさっきから考えてるわけなんだがね」と先生は沈吟した、
「一体こういうことが、世の中にあり得ることか、あり得ぬことか……どうも儂には腑に落ちんよ!」
「あんたさんにわからんことはないでしょうが、散々腹暇かかって読んでいたくせに!」
と、さっきから無駄に固唾を呑ませられたのにムッとして、ホセ警官も食ってかかった。先生がたちまちあんたさんに下落したのであった。
「読んでいられたのだから、こうこういうことが書いてあったくらいは言えるでしょうが」
「言えんね……そんな簡単な、一朝一夕に言えるような問題じゃないね、これは!」
と先生は兜を脱いだ後の心境も清々しく、すこぶる割り切ってのうのうとした顔をした。
「誰が見ても、これが簡単に言えるものじゃないね。読んでいるうちに、儂まで頭がおかしくなってきたようだ」
「そんな狂人みたいなことが書いてあるんですかい?」
「狂人じみたということもないが」と先生はまた沈吟した。
「そうだね、見ようによっては、狂人じみたことと言えるかも知れんね。ともかく、君たち、こうしてみたらどうかね」と、知恵を付けてくれた。
「誰に見てもらっても、普通の史学の学者では歯が立たんよ。それよりも今ブエノスアイレスの大学に英国からケネディ博士という羅馬古代史の学者が来ているからね。この博士ならば、ハッキリしたことも決めてくれるだろう。一度博士に来てみてもらったらどうかね?」
「あんたさんに読めんと言わっしゃるならそうするほかがないが」
と村長もいささか中腹であった。
「が、何もブエノから、わざわざ外国人の先生を呼ぶにも当らんでしょうが。独逸語で書いてあるもんなら、独逸語の先生に読んでもらえばスグ分るでしょうが! バヒア・ブランカにだって独逸語の学校がねいわけじゃあるめいし」
「君たち話にならんね。語学ができるできぬの問題じゃないね、これは。決定が付けられるか付けられぬかの問題だよ。普通の史学の教授なら儂と五十歩百歩だね。これに断定の下せる人は、学者多しと言えどもまずケネディ博士くらいなものだろう。その他の学者なら、招ぶだけ時間と費用の損だね。それに海洋学者にも来てもらう必要があるね」
州立大学史学の大先生はそして、わからんわからん、と頭を振り立てながら帰って行ったのであったが、剣橋大学の教授アンドリウス・ケネディ博士が、この辺陬ボカス・デルトーロの村へ招ばれてやって来たというのは、実にこういう経緯からであった。
当時ケネディ博士は、英亜両国の交換教授として滞亜すでに半年、ブエノスアイレス大学で古代羅馬制度史を講じていたが、羅馬古代文化史の研究においては世界の最高峰とうたわれ、大著「羅馬古代政治の一般組織」は、有名なるテオドル・モムゼン博士の「羅馬史」とともに、古羅馬研究の双璧として、世界学界の珍重措かざるものであった。
痩身白髯、齢古稀に達せる博士は任期すでに満ちて、近く帰国の途に就こうとしていたのであったが、初めは問題をあまり大したことにも考えていなかったのであろう。大草原に程近きボカス・デルトーロの村へ招かれたのを幸い、鴫か鷭でも撃つつもりであったとみえて、これも州当局によって招かれた同じく交換教授として来朝中の海洋学の権威、エジンバラ大学の教授ウィルダア・マクドナルド博士と相携え、ともに猟服の軽装に愛用のウィンチェスター銃を肩にしてやって来たのであった。そして鳥打の下に柔和な瞳を綻ばせながら、銃を壁間に立てかけてにこにこと問題の函の方に近付いて来たのであるが、なんと外函を一瞥するや博士の眼は途端に異様な輝きを帯びてきたのであった。両博士とも西班牙語も独逸語もすこぶる堪能であった。
「おお!」と旧知にでも出っ逢したかのように、外函を撫でてみ、内函との寸分の隙間もない接触工合を調べてみ、一本の鋲や釘も使わぬ嵌め木の肩を叩いてみ、容器その物に、すでに無限の興趣を覚えているもののごとくであった。
内貼りの紙ともセロファンとも付かぬ、例の物を丁寧に剥がして陽に透かして見、第三の函からこれもまた鋸屑とも鋼鉄屑とも見分けの付かぬ、例の詰物を取り出して、マクドナルド博士とともに掌で揉んでみたり、しかもその瞳は言わん方なき驚異を現して……今までこの二人の博士のごとく、この外装にすらこんなにも綿密な注意を払った人たちが、どこにあったであろうか? おそらく外装調べだけでも、二時間くらいの時は費やしてしまったであろう。博士の注意は二体の木乃伊そのものにはあまり多くが払われず、この方はさっさと済ませてむしろ例の鞣し皮の小袋を取り出してザラザラと金貨を卓上に並べた時に、まさにその絶頂に達したのであった。
しかも、逸早くも博士の後を追って都から乗り込んできたのであろう、すでにウニベルサール紙、エル・コメルシオ紙、ラ・プレンサ紙、ラ・ナシオン紙等の自動車は役場前の広場に犇めき、各社の記者は手ぐすね引いて博士の調査を階下に待ち構えているのであった。
「おお、セステルチア金貨だ! セステルチア!」と博士の態度は、まったく変ってきた。「しばらく誰もここに入れないで下さい。そこの扉をピッタリと閉めて」
柔和な博士の眼がまったく引き緊り切って、博士はもはや猟銃も鴫も鷭も、すっかり忘れ果てているかのようであった。
「マクドナルド君、セステルチアだよ、正真正銘のセステルチア金貨だよ! これは」
そして誰も大して問題にもしなかった、例の三枚の絵を取り出して、一枚一枚どんなにそれを入念に眺めていたことであったろうか。また思い出したように函の嵌め込みに視線を送ってみたり、……しかも尽きぬ興趣に燃えてまた恍惚と閉ずるその瞳! まったくそれは豊猟に北叟笑む猟師の眼、会心の研究に魂を奪われている学者の瞳というべきものであったろう。
傍らに村長をはじめ、村の有力者たちが固唾を呑んで控えているのも気付かぬかのごとく、博士の眼は、今三巻の巻物の上に凝乎と吸い付けられている。時々驚愕したように眼を離して、函の中に納められている木乃伊の方を振り返って見たり、手にした煙草に火を点けるのさえ忘れているのであった。
そして、驚くべし海洋学のマクドナルド博士、博士もまたケネディ博士同様驚異をありありと面に現して、巻物の上に、吸い付けられたような瞳を走らせている。
「おお、古羅馬だ……古羅馬!」
恍惚としたように、二人の学者が独語する。そして時が静かに流れてゆく。
学者の研究の何ものたるかを解せぬ村人たちも、この真摯にして厳粛なる二人の老博士の研究の前には、何かは知らず咳一つ遠慮しなければならぬような、学問の荘厳さを感ぜずにはいられなかったのであった。
……そして、それからまた数時間の後……。
「先生、いかがなものでござりましょうな」と、村長は博士の前に小腰を屈めた。あれから無慮七時間! 読み終ってもまだ二人の学者は、放心したようにただ顔を見合せて沈思しているばかり、絶大な驚きに魂を奪われている様子であった。学者先生たちも腹が空いただろうが、こちとらも腹が減ってかなわねん、もうそろそろいい頃だろうじゃねえか、と村長は頃合いを見計らっていたのであった。
「いかがなものでござりましょうな? これは一体どこからまいったものでござりましょうな? おわかりになりましたでしょうかな?」
博士は軽く頷いたまま、それには答えず額に手をやって、まだ眼前に散ら付いてくる幻影でも逐おうとするかのように、沈思を続けていた。
「時に、付かぬことを伺うようだが」と、老博士に代ってマクドナルド博士が口を開いた。
「お国では、国の宝とでも言ったような貴重な物品を指定したり保存したりする仕事は、何という役所でやっておりましょうかな?」
「さあ、……それは財務管理局でやっとりましょうと思いまするですが」
「では、お手数ですが、スグその役所へ電話なり電報なりを打って、お役人に出張してもらっていただけまいか?」
財務管理局役人の出張? ……ウヘえ! と、一同へたばってしまった。
「それでは大体の目鼻も付きましたから、明朝九時頃からここでお目にかかると、階下の記者諸君に伝えて下さらんか?」と博士もやっと顔を挙げた。
「そう致しまするというとこの金は……」と村長は堪りかねて、恐る恐る伺いを立てた。まったく金貨専門のような村長であった。「どうも村の物にもなりませんようですが、一体誰の物になりまするんで?」
疲れたように老博士は眼を閉じていたが、その村長の問いには直接の返事を与えないで、人に話すともなく独語つとも付かずこういうことを言い出した。
「今から三十二、三年ばかり前……前の世界大戦中のことですが、太平洋南水域で大暴れをした独逸の駆逐艦がある。シャッガァ号というのですが、今私共の読んでいるこの巻物は、いずれもその駆逐艦に乗り組んでいたカアル・フォン・ワイゲルトという若い独逸の中尉によって書かれたものです……」と言いかけて、微笑して博士は語を切った。
「……その中尉はそれそこにいる!」
一同愕然とした。博士の指さしたのは、古羅馬貴族の服装を着けた男の方の木乃伊であった。
「呀っ! 先生! この木乃伊が!」
「ほう! へえ! この木乃伊が独逸人だったのですか?」
「そうです。それがワイゲルトという中尉なのですが、……それは純粋の木乃伊ではありません。特殊の薬剤を注入して……ま、そんなことはいずれ明日でも詳しく申し上げるが、……そのワイゲルトという中尉の姉がある貴族のところに縁付いて、独逸のケムニッツ市に住んでいる。その姉に渡すようにと書いてありますからもしその本人が生存していれば、まあ、その人のものになるのではないかと思われますな。私には、そういう方面のことはよくわからぬが」
博士は淡々としてごく無造作に話しているのであったが、聞いている一同は今度ばかりはへたばることも忘れて博士の顔を瞶めていた。
「しかし、そういうことは私にはよくわからないから、お役人が出張して来られたら、よくお役人とも御相談になってみられたらいいでしょう。もしその中尉の姉が現存していないということになれば、あるいはこの村のものになるかも知れませんから」
眼を円くして聞いている一同の様子を、博士は面白そうに眺めていたが、
「皆さんは大分この金貨に御執心のようだが」と、もう一度笑止そうに口許を綻ばせた。
「もちろん金貨の値打ちも大したものでしょう。しかしそんなものは高々何十万か何百万ペソ、……まあそんなところでしょう。が、ほんとうの値打ちというものはむしろ、皆さんが洟も引っかけずにいられるそこにある函や、鋸屑のような詰物、絵やこの巻物なぞの方にあるのですよ」
「と仰有いますると……?」
「それらのものは何千万ペソと言っていいか何億ペソと言ってよろしいやら、到底金で換算することも何もできぬ莫大な価値を持っているのです。財務管理局と、言いましたかね……そのお役人を呼んでいただきたいと私共が申し上げているのも、決してそんな金貨なぞを問題にしているのではありませんよ。函、油絵、鋸屑、それからこの巻物……そうしたものを、大切に保存していただこうと思っているからお願いしたわけなのです」
へへえ! とばかり一同性懲りもなく、またもやへたばってしまった。
「先生、パトリーア新聞社の方がお眼にかかりたいと、見えていられますが」と、またもや新聞記者の来訪であった。
「明日! 明日!」と苦笑して手を振りながら博士は老躯の腰を叩いて起ち上った。
「では詳しいことはいずれ明日申し上げることとして……今日は疲れていますから、これくらいで」
そして落胆した金貨の村長の案内で、村で一軒の宿屋へ両博士の引き揚げて行った後の扉を、一同は鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして、まだポカンと見送っていたのであった。
エキセルシオール紙やウニベルサール紙、エル・コメルシオ紙、ラ・プレンサ紙やラ・ナシオン紙等の選り抜き記者連中が会場へ乗り込んできたのは翌朝の九時頃であった。しかも片や羅馬古代史、片や海洋学の世界的権威二人の碩学が、ボカス・デルトーロの辺陬から世界的な重大発表をするらしいという噂が、誰いうとなく拡まって新聞記者たちの神経を刺戟していたのであろうか。首都とこの僻村との間には、珍しくも前夜来電信電話が頻々と交わされて、居眠りばかりしていた村の小さな郵便局員は眼を廻してしまった。
そして夜が明けると同時に、眠り不足の眼をこすりながら、役場の二階へ駆けつけてきたのは、首都から夜通し自動車をぶっ飛ばせてきたタス、アヴァス、エーピー、ユーピー等各通信社の特派員たち……おそらく在京各有力社の記者という記者たちは、ことごとく眼白押しをしてここに集っているといっても過言ではなかったであろう。それに、知らせを受けて飛んできた財務管理局のお役人たち、事の成行きに好奇心を起して、自分たちの仕事もおっ抛り出して最前列の席を占めている州立蛇毒研究所の若い所員たち、自分では何とも判定は下し得なかったが、ケネディ博士がいかなる断定を下すかと固唾を呑んで控えた例のバヒア・ブランカ大学史学科の教授ケーポ・デ・リアーノ大先生、狭い役場の二階はこれらの連中で、押すな押すなの盛観であった。
その中を村長や村の有力者たちは、村始まって以来のお歴々の来訪に眼を廻しながら、金貨を村のものにし損なった恨みもわすれて、お茶や珈琲の接待に忙殺されていた。
もちろん重大な世界的の発表と言ったからとて、日本のそれのように一同着席、座のザワメキが落ちついた頃を見計らって、両博士静々と登場、咳一咳オホン! と言ったような、そんな勿体ぶったものなぞでは決してなかった。
二体の木乃伊の納まった大函だけは室の一隅に安置されてあったが、油絵の金貨や例のセロファンとも鋸屑ともつかぬ詰物なぞを無造作に並べた卓子を挟んで、すでに座の真ん中ではケネディ博士とマクドナルド博士とを中心に、記者諸君が万年筆と手帳とを取り出しているところであった。
「では、何ですな、先生! そのワイゲルトという中尉の書いた記録や書翰の内容を一応我々に読んで下さって」と、エル・コメルシオ紙の記者ローペ・デ・トウリァ君が聞く、「その上で、一問一答の形式で御説明下さろうと……こうおっしゃるわけですな?」
「そう、……その方が諸君にも、手っ取り早くお飲み込めになれるだろうと思われるから」
「いかがです、皆さん、ケネディ博士はこうおっしゃるのですがね、それで皆さんにも御異存はありませんか?」と、トウリァ君が座長格で、一同を見廻して決を採る。
「結構ですな、結構です、結構です! どうぞそういうことにしていただきたいですな、先生!」と、座の一隅から三、四人の声がかかる。
「では一つ。先生、そういう方法で……」
「承知しました。……承知しましたが、私もマクドナルド君もね」と老博士は穏やかそうな眼を綻ばせた。「唯今も申し上げているとおり、ほんの講義に差し支えない程度の西班牙語なのですから、翻訳なぞという芸当はとても覚束ない。どなたか一人、読んで下さる方を諸君の中から選んで下さらないとね」
「そうそう、……そうでしたな。では、ちょっとお待ち下さい」とここで記者諸君が、額を集めて凝議する。
老博士のいうのはつまり、独逸文で書かれたこの三巻の巻物を一通り読んでみれば木乃伊や金貨、油絵がどういう性質を帯びたものであり、どこからどういう風に漂着してきたものであるか、そして何故に世界を驚駭せしめるような、そんな莫大な値打ちに相応しいものであるかということなぞは、一目瞭然たるのであるが、それにはここにいる記者諸君の中で誰か、独逸語に堪能な人はいないだろうか? というのであった。そうすれば亜留然丁人なのであるから読みながらスグに西班牙語に訳せるだろうというのであった。
ラ・プレンサ紙の記者ミゲル・ソオリヤ君が、すなわちその選に当る。この人ならば独逸系亜留然丁の市民であったから、うってつけの人物というべきであった。そこで三巻の巻物が、ことごとく同君の膝の上に集まる。西班牙語に直してこれを朗読すべく、同君は巻物の第一巻を解いて凝乎と眼を走らせている。そして記者諸君は、いよいよ万年筆を斜に構えたという段取りなのであったが、
「では、記録類の解説を、ちょっとここで述べておくことにしましょう。この巻物の最初三分の一ばかりの部分は、そのワイゲルトという中尉がケムニッツ市にいる姉に宛てて書いた書翰です。次の三分の一ばかりが、中尉と同じ駆逐艦シャッガァ号に乗り組んでいた、航海長のヘラァ・ルドウィッヒという大尉と主計長のウィットマン・クルーゲルという中尉、機関長のマイエル・ブルメナウという大尉なぞが連名で、同じくワイゲルト中尉の姉に宛てて書いた書翰。最後の三分の一ばかりと残り二巻の巻物は、ワイゲルト中尉がライプチヒ大学の地理学教室、もしくは伯林の万国地学協会へ呈出する目的で認めた、乗艦シャッガァ号の航海記録とも称すべきものなのです。多少順序は顛倒するようですが、ソオリヤ君に、まずこの航海記録から始めてもらうことにしましょうか」
そこで私のペンもまたこれから、各社の記者諸君と同じ動きを取って、まずシャッガァ号の航海記録から読者諸君に御紹介したいと思うのであるが、諸君はここで私が冒頭に抽出しておいた、南太平洋水域に踪跡を晦ませた海の狼を想い出していただく必要がある。殊に、英艦によって舵機を砕かれ、前部砲塔を白煙に包まれながら、薄暮に紛れて遁竄してしまったあたりの条を、今一度読み直しておいていただく必要がある。
独逸ケムニッツ市
ラファエスタイン街
エリザヴェート・ローゼンタール
男爵夫人
男爵夫人御身宛の我々の書翰中にも詳しく認めておきましたとおり、甚だお手数でもこの記録を何卒、伯林市ケオニッヒ街万国地学協会もしくばライプチヒ大学地理学教室へ御持参下さって、御身御自身の手により呈出して下さるよう願い上げます。これは御身の亡き令弟生前の熱き希望であり、同時にまた我ら一同の願いでもあります。
魔の海として十八世紀以来、世界の謎と目されていた南緯六十度ウニデス本流以南の全貌が、初めてこの記録によって独逸の学者を通じ、全世界の学界に闡明せらるることは、御身の令弟カアルの生前いかに大きな望みであったかを知って下さるならば、我らの喜びこれに優るものはありません。我らもはや再び帰り得ざる故国なりとは言えども、この機会に遥かに我らが祖国の隆盛と繁栄とを祈り、併せて願わくば上帝、何卒我らが亡き友カアル・フォン・ワイゲルト中尉の令姉夫人の上に、加護と祝福とを垂れたまわんことを!
一九一六年十二月九日
オストリニウム市において
元駆逐艦シャッガァ号乗組
機関長海軍機関大尉
マイエル・ブルメナウ
航海長海軍大尉
ヘラァ・ルドウィッヒ
主計長海軍主計中尉
ウィットマン・クルーゲル
万国地学協会もしくばライプチヒ大学に呈出せらるべき、故カアル・フォン・ワイゲルト中尉の手記による、駆逐艦シャッガァ号の航海記録。我々は、我々の秘密錨地である智利領ラパヌイ群島中のアーレマン島において、我々の同志なる独逸系智利人たちの手によって、充分なる燃料食糧等の補給を受けた。そして一九一五年十月二十日、再び好餌を求むべく、太平洋南水域へと出動したのであったが、しかしこの度は我々の求むる好餌を与えられず、かえって我々自身の方が敵の求むる好餌たるの悲運に、際会してしまったのである。
すなわち、水域に游弋すること三日……その三日目も空しくまさに暮れなんとして、模糊たる夕靄の海上一面を掩わんとしている頃であった。我々は、突如濛気の一角を衝いて現れたる英国監視艦のために発見せられ、たちまちその集中猛火を浴びせ掛けられたのであった。すなわち英領ピッケルン島の真南約二百三十海里……我々が南海航路の犠牲を求むるに絶好の位置なりし、南緯三十二度三分、東経百三十度七分の洋上であったと記憶している。彼我の距離、六千八百メートル!
殷々たる砲声は耳を劈いて、十二吋主砲弾はたちまち我艦眼掛けて、釣瓶打ちに落下してきた。
「後退、後退!」
「全速!」
「取舵一杯!」
司令塔からは慌しい艦長の命令が、伝声管を伝わって引っ切りなしに響いてくる。艦は急遽左回頭して、針路を転換、必死に遁走を試みたが、敵艦から撃ち出されてきたる砲弾は、右舷左舷の至近距離に丈余の水柱を挙げ、飛沫は、全艦滝のごとくに降り濺いでくる。しかも一弾また一弾! 弾着により敵は正確に射距離を修正しているとみえ、ついに轟然たる大爆発と同時に、艦尾並びに前艦橋同時に命中弾を受けた。
天地も砕けんばかりの大音響大震動とともに、我々はたちまち、もんどり打ってその場に投げ倒された。赤、黒、黄褐色の凄まじい焔が天に冲し、艦体諸物の破片は四方に飛び散って高く天空に舞い上り、艦はたちまち右舷九度ばかりも傾斜した。
「急ぎ防水扉閉鎖せよ! 総員! 防水蓆当て方!」
と、狂気のごとくになって航海長が甲板を飛んでゆく。
「航海長! 航海長! 左舷側四番砲門の下からも、火焔が上っています!」
プープ甲板に駆け上りフライング・ブリッジを走って、死物狂いの兵員が前艦橋へと駆け抜けてゆく。
「水雷室の艙口を閉めろ! スパイキを持って来い! スパイキを! 甲板と艙口の間に、スパイキを突っ支え!」
「おうい、排水だぞ! 排水だ! 全員、排水に取り掛かれ!」
「手動喞筒を廻せ! 手動喞筒を廻せ! おうい、喞筒を第一防禦甲板へ搬べ!」
艦内は名状すべからざる事態であった。右舷前方水雷室と舵機室との中間より、海水は奔馬のごとくに噴き上げてくる。ウィングに水を入れてキングストンを開け入れようと苛っているのであったが、すでにキングストン・ヴァルヴは水中に没したとみえて圧力で防水扉は飴のごとくに曲り、扉の間隙より海水は士官室へと烈しく噴き出してきた。
続いてまた一弾! 耳も聾せんばかりの大爆発とともに、今の今まで艦長がメガホンを執っていた司令塔も前部砲塔も濛々たる白煙に包まれて、メインマストのキャップからもスカイライトからも激しく火焔が噴き出してくる。フォクスルから海中へ、兵員が撥ね飛ばされた。
「毛布だ! 毛布だ! 毛布を搬べ! 機関室昇口艙口から、毛布を填めろ! おうい、毛布を搬べ! 毛布を持って来い!」
艦は今や汽缶を全開して、三十九節の全速力をもって一意敵の視界外へ逃れ出ずべく艦体を軋ませて浪を蹴立てていた。風圧に耳がグ※[#小書き片仮名ワ、34-8]ンとして、もはや立ってもいられぬくらいの動揺を続けている。眼下の海面はドス黒き煤色に泡立って、機関部艦底より浮び出ずる油の汚水によって、海底の浪の渦巻きは凄絶極まりなき様相を呈し、紅く染まった屍体! 負傷者の呻き! 艦内は酸鼻言語に絶した、阿鼻と叫喚と混乱との地獄絵であった。
しかも敵は、なおも巨弾を飛ばしつつ、執拗なる追跡を続けてくる。三檣二煙突の大巡洋戦艦でおそらくは一万二、三千噸くらいもあったであろうか。
歯を食いしばってみても、拳を奮ってみても、このくらいの大艦になれば、主砲の他に八吋砲、六吋砲の十二門や十四門は積んでいたであろうから、もはや我々のごとき眇たる駆逐艦としては、大鷲の羽掻いを逃れんと苛る小雀にも似たる運命であった。撃たれても傷つけられても、いかに無念の涙を呑んでみても、ただ全速をもって逃げる以外には何らの術とてもなかったのであった。
八千メートル……八千五百……九千……九千八百メートル……ようやくのことで主砲射程外に逃れ得て吻っとしたが、その時暮色靉靆たる左舷西方遥か水平線の彼方に、さらに単縦陣三隻ばかりの煙を発見したのであった。もちろん今の英国監視艦の通報によって来援の、英国艦隊か豪州艦隊に違いなかったであろうが、もう北と西とを塞がれてしまったのでは、いかんとしても南東方へ逃れるほかには方法がなくなってしまった。
艦は急逮再び、面舵一杯に取って右舷に転舵、わずかに損傷を免れた汽缶も破れんばかりに重油を焚いて、ただ盲滅法南々東へ南々東へと針路を取っていたのであったが、何分にも生命にも比すべき海図舵機室を破壊されてしまったのでは、正確な方位の得られようはずもないことであった。しかもコムパス・カードは硝子蓋に触れて遊動せず、ただわずかに風の吹いてくる方向で、それと判断しなければならなかったのであった。
全員必死の努力でようやく火を消し留めて、一時的排水に成功して、折りから夕靄を利用して首尾よく英国艦隊の眼は晦まし得たが、艦の損傷としてはこの他にも右舷吃水のすぐ上に、まだ二カ所ばかりの大穴が開けられていた。
おまけにその真夜中頃から天候は急に激変の兆を示して、気圧計は下る一方であった。もし今夜にでも南海特有の大颱風が襲来したならば、浸水のためこんな小さな敗残の艦などはたちまち覆没してしまわなければならなかったであろう。
戦闘速力のため艦外へ飛ばされそうなくらい烈しい動揺と風圧の中にも、生き残った総員は一刻の憩いもなく、修繕や喞筒作業の手を続けなければならなかった。
英国巡洋艦の攻撃を受けて以来八時間……飲まず食わず、一刻の休みもなく働き尽めだった一同の上に、ようやく極度の疲労と困憊の色とは影濃く迫りきたったのであった。
艦長のキルネル・ヒウゴウ中佐も前部砲塔が白煙に包まれた時司令塔内で戦死を遂げて、艦の指揮は、航海長をしていた先任のルドウィッヒ大尉が執っていた。乗員総員八十九名のうち、戦死者二十三名、重傷者二十六名を出し、働き得る乗員とてはわずかに四十名のみであった。その重傷者も医務室へ収容し切れず、呻吟しながらゴロゴロと中甲板までも埋め尽くしていた。艦は全速を出しながらも、中心が取れず、まるで酔っぱらいのように、しかも浸水と損傷の結果がようやく現れてきたものか、ヨタヨタと動揺し続けている始末であった。そして生き残って働いているものとても、極度の神経の疲憊と過度な労働とで、頭がフラフラになって、立って動いていながらも、うつらうつらと居眠りしているような状態であった。暗灰色に塗った俊敏な胴体で波を切りながら、スイスイと四肢を伸して南太平洋を隼のように翔っていた軽快な姿なぞは、もはやどこに見出し得べくもなかったのであった。
しかも、その暁方くらいから、状況はさらに一層悪くなってきた。案の定、南半球特有の颶風が吹き荒れてきたからであった。風を孕んで弓弦のように張り切った索具が切れる。切れた索具でさらに二、三名の怪我人が出た。翌朝に至っては砲弾で痛めつけられていた大檣が、秒速七十メートルの烈風に遭って根元からポッキリと吹き折られてしまった。
無電は破壊せられて利かず――よし利いたからとて、四周敵の重囲下にある孤立無援の独逸駆逐艦が、どこに救援を求めることができたであろう――舵機を損じている艦は、三十呎五十呎もある山のような波濤に翻弄されて、ただ木の葉のごとくに揺り挙げられ揺り降ろされ、しかも怒濤が艦橋にぶつかって大波が甲板を洗うごとに、飛沫は雨のようになって損傷船室へ降り濺いでくる。必死になって排水に努めながらもほとんど手の施しようもなく、全員ただ運を天に任せてしまったのであった。
そしてせっかく英艦の眼は晦まし得たが、今度こそこの颶風にかかって命を奪われるのか! と観念の臍を固めていたのであったが、おそらくこの颶風は三日二晩くらいは、吹き荒れていたことであろうか。幸いに沈没も免れて、東へ西へとまにまに吹き流されているうちに、三日目頃に至ってようやく風力も幾分の衰えを見せてきた。が、まだまだ長濤が高く、一同死んだようになって、ただゴロゴロと水浸しの船室に寝そべっていた。その間に気が付けば、いつの間にか艦はすでにウニデス潮流の中へ、捲き込まれていたらしいのであった。
そしてその今捲き込まれたウニデス潮流といえば、文明の今日なお世界の地理学上、海洋学上、最も暗黒未知の海洋であり、殊に東経百五度以東においてこの潮流の中へ捲き込まれたが最後、生きて再び無事に帰ってきた船がないとまで恐れられて、いかなる海の強豪すらも怖気を顫って寄り付かぬという世界最悪の魔海であった。
遠く亜弗利加のベンゲーラ海流の尽くるあたりに端を発し、印度洋太平洋の南端を南極圏すれすれに大蛇のごとくにくねりながら、その過ぐるところ南緯四十三度以南に猛烈なる西風暴風圏を起し、五十度以南に東風濃霧圏を五十三度四分以南に流氷圏を形成し、世界の海洋気象上にさまざまの奇怪なる変異を醸しつつ、ついにその本流の窮まるところを知らずといわれている世界最深最大の大潮流なのであった。その最も戦かれている正体不明の魔海の中へ、しかも最難個所の東経百五度以東において捲き込まれてしまったのであった。
さすがに一同呀っ! と驚駭の叫びを発したが、ピッケルン島南の遭遇以来、死生の間に打ちのめさるることすでに九十六時間! 身心気力ともに萎え疲れ、感覚は麻痺し、醒めていることがうつつのごとく、うつつが醒めている我々にとっては今更この潮流を恐怖する実感なぞは微塵も湧き起らなかった。恐怖してみたところで、この損傷艦の身をもってどこへ逃れ得べきであったろう。ウニデスに捲かれようが捲かれまいが、早晩やがては海の藻屑と消え果てて、南海に集う鱶の餌食となり終ることは、わかり切っている事実であった。
一同ウニデスと聞いて、人並に驚きの叫びは挙げてみたものの、今更覚悟を新たにするほどの元気もなく、憔悴切った髭面を並べて、船室に頬杖突きながら、舷窓越しに逆巻く潮流の壮観さに見惚れていたのであったが、この潮流の中へ捲き込まれてみて初めて、世界の航海者が、いかに古来からこの潮流を恐怖していたかが呑み込めてきたのであった。さながら矢のごとくに流れる眼眩しさ! しかも波の色の毒々しいまでのドス黒さ! 黒泡の鬣を逆立たせつつ噛み合い掴み合い、狂い合い縺れ合いつつ矢よりも速く流れゆく凄まじさ! さながら悪魔のごとき相貌とも評すべきであった。舵の完全な船ですら、この潮流へはいっては、もはや抜け出ることは絶対不可能と目されているその潮流の只中へ、この瀕死のヨタヨタ船が悠然と入り込んでしまったのであった。もはや到頭行き着くところへ行き着いた気持で、死の前の休息にも似た気持で……しかもあまりの壮観さに一同死の運命の迫ってくるのを忘れて、ただ凝乎と波の色に眼を奪われていたのであった。
「どうせワイゲルト君! 我々の艦が外海へ出たからとて、はたしてこの状態で本国へ帰れるかどうかわかりはしないのだ! いっそここで死ねば本望さ! 死なねばむしろこの潮流の中へはいって流されているうちには、南亜米利加東岸を遡上して、かえってヒョッコリ欧州近海へ出られるかも知れないぜ!」と水雷長のスティンゲル大尉なぞは半分自暴自棄交じりのような楽観論を述べていた。そしてほかに別段の考えとてもなく自分も実はそう考えていたのであった。すなわちここで落命すればそれでも一向差し支えはなかったし、もし死なないとすれば、我々の計算ではこの速さで流されていれば約一週間くらいもすれば南米突端ホーン岬あたりを迂回してしまうであろう――と、こう思っていたのであったが、これは大変な間違いであることに気が付いた。というのはこの潮流は決して一定の速度では流れていないことがわかってきたからであった。捲き込まれてから約二百八十海里くらいというものは奔馬のごとく一気に押し流されてしまったが、その先になると速度が非常に緩やかにほとんど流れていないのかと思うほどに澱んでいるところがあり、そこを過ぎるとまたぞろ急湍の速さとなる。まったく不思議極まる潮流なのであった。
艦長代理を務めていた航海長ルドウィッヒ大尉の考えによれば、この辺の海底はおそらく第三期第四期成層岩から成り立っている世界最深の大峡谷を成しているのではなかろうかというのであった。したがってその峡谷の急に狭まっているところでは、潮流が眼眩しいばかりの速さとなり、峡谷の広闊なところでは、非常に緩やかに、ほとんど澱んだようになってしまうのではあるまいか? とこういう意見なのであった。
そしてそのルドウィッヒ大尉の考えを裏書きするかのように、潮流はある時は速く、またある時は緩やかに、そろそろもうこの辺が南亜米利加の突端あたりになるのではあるまいかしら? と考えられる地点へ来る頃までには、流されたり停ったりして、おそらく十七、八日くらいもかかっていたのではないかと思われた。が、その頃のある晩、天体観測をして艦の位置を計った結果は、またもや我々の予想を裏切って、潮流は艦を思いも及ばぬ方角へ進ませていることを発見したのであった。
すなわち我々の習った地理学も、現存世界海図のことごとくも詳しいことはわからぬながらも、ともかくこの辺から一応ウニデス潮流は北上して、亜留然丁の海岸沿いにブラジル沿岸を洗ってゆく……とこう教えているのであったが、実際は大変な違いであった。亜留然丁海岸沿いに北上してゆくのは、ほんのその一つの支流に過ぎないものであって、主流は北上しているどころか! かえって逆にますます南下を続けているのであった。そして我々の艦はその南下する方の主流に乗って進んでいるらしいのであった。このままの状態で進んでゆけば、艦はやがて暴風圏へ突入し、濃霧圏へ突入し、最後には流氷圏へ突き進んで、南氷洋の氷に鎖されてしまわなければならぬのは、火を見るよりも瞭らかなことであった。
「スティンゲル君、これは困ったな。容易ならぬことになってきたぞ! せっかくここまで命冥加に生き永らえてきたのに、このまま南極へ流されてしまうのは実に残念だ! 何とかうまく艦を潮流から出してしまう工夫はないだろうかな!」とルドウィッヒ大尉もスティンゲル大尉も随分気を揉んでいるようではあったが、どうとも仕様のないことであった。しかも、首尾よくこの主流を乗り切ったからとて、その先にはもう一つ北上している支流が、横たわっているのであった。この舵を損傷している艦で、潮流二つも重ねて横断するなぞということは、考えるまでもなく絶対に不可能なことであった。なんともがいても諦めなければならぬことであった。成るがままに任せておくほかには、まったくテのないことであった。
しかもこの間にも、艦はいつの間にか南緯四十度の線も越えてしまったとみえて、はたして次第次第に強い西風が吹き募ってきた。潮流はこの暴風圏をさらに南へ南へと下ってゆくのであったが、艦の南下に従って風はいよいよ吹き荒れてくるばかりであった。そして強い風に揉まれるたびに、いまでは舵のまったく利かなくなってしまった艦は、ギリギリと逆転し、また強い風に揉まれてはギリギリと舞い、そのたびごとにさしも堅固に装うた装甲鉄板が、今にも砕けんばかりに軋みを発するのであった。
明けても暮れてもただ強い西風と船の軋む音ばかり! およそ何日くらいをこの暴風圏内に過ごしたことであろうか! やがて風向きが変って東風になってきたと思う頃に、今度は次第次第に濃い霧が艦の周囲を漂い出してきた。五十度を越えて、もはや濃霧圏内へ突人してきていたのであった。
もし潮流がこのまま南下を続けてゆけば、旋回しつつも艦はここ十日間くらいのうちには、厭でも応でも流氷圏の中へ突き進んでいって、我々の上には氷の死が冷やかに訪れてくるだけのことであった。憂鬱な日々を送りつつも、我々はいよいよ旬日の彼方に死が手ぐすね引いているのを覚えずにはいられなかったのであったが、不思議なことにはこの辺から潮流はまことに奇妙な迷走形を取ってきたのであった。南下せず、急に東へ向って流れるかと思えば、また北走し二、三日北走を続けるかと思えば、また南下し、さながら迷路のごとき形を取って流れているのであった。その間あるいは烈しい濃霧に鎖され、急に強い西風の暴風雨に変り……かと思えばまた東風に艦は旋回しつつ、あるいは東に南に北へ、あるいは西へと波のまにまに揉まれ抜いているのであった。そしてそれはちょうどそうした日のある夕方のことであったと覚えている。
「おや! 不思議な音がするぞ! あれは何だ?」と、ルドウィッヒ大尉が突然に耳を澄ませた。「凄い音がするぞ!」
一緒に食事をしていたブルメナウ機関大尉も軍医長のリンデンベルゲル軍医大尉や我々も、フォークを投じて耳を澄ませた。なるほど容易ならぬ物音がしてくる。ドドドドドドドドと、太鼓を打っているようにも聞こえれば、またどこかで滝の水が一時に海へ落下してくる音のようにも思われてくる。急いで甲板へ飛び出してみたが、海は渺茫として、艦は相変らずヨタヨタと右に左に酔っぱらいのように揺れながら、千鳥足で進んでいるばかり! その不思議な物音は、艦のゆく手から轟いてくるように思われるのであった。
すでに生死の境も幾度か潜り抜けて、今ではもはや生にも死にもさしたる執着は覚えぬ乗員たちではあったが、さすがに、この霧と烈風との間から轟いてくる異様な物音だけには、兵員たちも耳を欹てて、甲板のあちらに突っ立ち、こちらに佇みして、音の起ってくる原因を確かめようとしていた。そして音は艦の進むにつれて、いよいよ一刻増しにその響きを増してくるように感ぜられたのであった。
ともかくその晩は、不思議だ不思議だ! と夜を明かしたが、翌朝になると音はいよいよ烈しくなってきた。もはや遠雷くらいのものではないのであった。轟々と物凄まじく耳を打って、お互いの話さえろくろく聞こえぬくらいになってきた。そして海の上一帯、不思議に波だってきた。
今まで横揺れだけで、あまり縦揺れはしていなかったが、この辺になってくると、艦は盛んに縦揺れし始めてきたのであった。しかも縦揺れだけではない。波の上には無数の気泡が泛んでいるのであった。
ともかく、この音たるや、何に譬うべきであったろう? 天地の叫喚というか、地軸の怒号と評すべきか、これに較ぶれば、ピッケルン島沖十二吋の主砲弾の爆発音響なぞは物の数でもなかった。さながら天も地も一時に砕け落ちるかと疑われんばかりの物音であった。霧は濃く、風は吹き荒れていたが、天気はさほど悪くもないと考えていたのに、何らの天候の変化もなしに、波はさっきから刻一刻と高まってきて、今ではもはや狂瀾怒濤と化し去っていた。黒泡を立てて噛み合い咆え合い、轟々として奔騰しそれが耳も聾せんばかりの音と相俟って、喧囂といっていいか、悲絶といっていいのか、ほとんど人間界の形容を絶した光景を現出しているのであった。我々は生れてこの方、まだこれほどまでに凄絶な音響も、またこれほどまでに晦冥を極めた海洋の凄まじさにも接したことがなかった。もうその頃には縦横無尽、木の葉のごとくに翻弄され、艦の竜骨を響かせてくるドドドドドドドドという物凄い震動が身体を衝き上げて、誰一人立っているものもなかった。みんな漁り立ての鮪のように、あちらに一塊り、こちらに一塊り、ただゴロゴロと寝そべって、揺れるに任せていたのであった。が、その日の夕暮れ頃であったろうか?
「おうい! 渦巻だぞう! 渦巻だぞう! みんな出て見ろ! 大渦巻だぞう!」という叫びがどこからともなく船室へ伝わってきた。それ! とばかりに、一同こけつ転びつ甲板へ飛び出して見た。烈風は舷を打って、怒濤は逆巻いて、今にも艦は溺没せんばかりの、その見上げるような、浪頭の中に、海底の岩礁で散々に砕かれたらしい、膚を剥かれて真っ白になった無数の巨木や、確かに船の破片と覚しい大きな板切れや、レンジファインダーの空函、錨鎖と覚しき物体なぞが躍り挙がり、舞い狂い、奔逸し崩れ落ち、縦横に旋回しているのであった。
この瞬間、我々にも昨日からの凄まじい響きや哮えたけっている狂瀾や、その上に浮んでいる無数の気泡の原因が、ハッと胸を衝いてきたのであった。もはや聞くまでもない、どこかこの近所に大渦巻があるに違いないのであった。しかもその渦巻たるや、この潮流の中でありながら、数十海里を距ててなおその怒号というか、叫喚というかが聞こえていたのであった。そしてこのドス黒い浪の逆巻きといい、あのくるくる舞っている巨大な鋼鉄の錨鎖といい、我々のかつて教わったこともなければ、聞いたこともない、世界に稀有の大渦巻が起っているに違いないのであった。
幅員数十海里か数百海里にわたり、深さ地軸に達せんばかり、数千尋に及ぶ世界最大最深の大渦巻が!
「ワイ……ゲル……ト……君」轟音の中に掻き消えて、ルドウィッヒ大尉の唇は耳に付けられながらも、断続して聞こえてくるのであった。
「いよいよ……死だぞう……覚悟しておけ……よ」
ビューッ! と烈風が鳴りはためいて、頤紐を掛けた大尉の顔が、帽子の中で蒼白く微笑んだと思った途端、自分も大尉も、その場に薙ぎ倒されて、夢中で欄干にしがみついた。山のような大波に攫われて、艦が烈しく傾斜して、浪頭が眼前に散らついた。艦がギイギイと急転回して、今こそ渦巻の中へ捲き込まれたかと思わず瞼を閉じずにはいられなかったのであった。
あまりにも大きな衝撃の連打を受けると、昏迷の極にかえって胆が坐って、限りある人の神経はもはやどうにでもなれ! と行き着くところまで行き着いてしまうのかも知れぬ。この晦冥な天地と耳を圧する轟音の中で、ほとんど死んだもののごとくになって、夢のようにうつつのように、痴呆者のように、我々は十幾時間を、そして幾十時間を眠り続けていたものであろうか。
「島が見えるぞう! おおい、みんな出て見ろ! 陸地に着いたぞう!」そしてバタバタと甲板を駆け廻って、心も漫に躍り狂うような靴音!
「みんな出て来おい! 人家が見えるぞう!」泣き声を振り搾るような喚き声! ……それらのものが一時にごっちゃに耳を打って、ハッとして飛び起きた。なんという静謐さ! なんというなごやかな天と波……。
あの凄まじい狂瀾も轟音も、ついさっきまでまだ夢のように、うつつのように、耳許になりはためいていたのに、今眼の前に見る景色のなんという打って変った穏やかさ! 夢に夢見るような気持で、ただ茫然と我々は自分の眼を疑いながら、あまりにも美しいその景色に見惚れずにはいられなかった。
数十日、我々の上に重苦しくのしかかっていた、あの暗灰色の空、晦冥の天気……まったくそれは、隈なく晴れ渡って、空にも雲の影一つなかった。天心まで透き徹るかとばかり瑠璃色に冴えて……南極圏近くにありながら、陽光はそこから眩しく亜熱帯地方のごとくに燦いているのであった。小波はキラキラと静かに舷を叩いて、海の碧の美しさ! 銀鱗を閃かす小魚の姿、海底に漂う藻草の一本さえも、ありありと透し見られる。なんという明るい明るい陽の光、微風の快さであったろう。しかも眼のとどく限り、東方と北方の海上には、赤膚の巉巌が、世界の障壁のごとくに、涯しもなく列なって、断岩と断岩との間から顔を覗かせている。翠緑滴らんばかりの島の麗しさ! 遠く白砂の海岸には、白波寄せては返し、返しては寄せ、山の頂上には、朱色の瓦を輝かして、幾つかの人家が点綴する! 山と山との間、蓊鬱たる林間には雪を被った高山が雲を纏うて聳え立ち、なんという大いなる展望であり、荘厳さであったろう。しかも我らの艦は、今その断岩と断岩との間を縫って、音もなく静かに静かに、美しい海岸線の方へと誘い寄せられてゆくのであった。
そして恍惚と欄干に凭れたまま、推移してゆくこれらの島々に、眼を瞠っていた水雷長のスティンゲル大尉が、「有難い!」とこの時はじめて、夢から醒めたように舷を叩いて躍り上った。
「みんな喜べ! 遠心力のお陰で助かったぞ! 遠心力のおかげで!」遠心力! 遠心力! という言葉がたちまちあちらからもこちらからも囁かれ出した。そうなのであった。確かにそうなのであった。我らが絶望して、自暴自棄になって眠っていた幾十時間かの間に、我々の艦は幾度か危機に臨みながらも、そのたんびに弾き飛ばされて、大渦巻の圏外へと強い北西風を受けて、次第次第に危険区域を脱していたというわけなのであった。しかし我々の麻痺れきった頭で、そこまで納得がゆくのには、大分の間があった。あまりにも隔絶した天地の不思議さに、その時の疲労しきった我々の頭では、容易なことではそこまでの会得ができなかったのであった。いつの間にか、我々自身はもう死んでいて、死後の世界というものを、今目のあたり眺めているのではなかろうかしら? とさえ考えていたのであった。
そしてはじめは、茫然として、一同欄干に縋り付いたまま、声一つ出すものもなく、あまりにも打って変った平和な景色に、見惚れ切っていたのであったが、やがて自分らの眺めているこの景色が、決して消えて儚くなるような、そんな幻覚でもなければ、あるいはまた、死後の世界でもないということがハッキリと飲み込めると……そして今言ったように、大渦巻の起す遠心力のお陰で、見事にウニデス潮流の外へ押し出されて、そのまま北西風に送られて、こんな穏やかな港へ流されたのだと分った時には、一同喚声をあげて、躍り上り、躍り上り、声を限りに万歳を絶叫したのであった。中には感極まって声が出ず、ただぽろぽろと涙を伝わらせながら、無意識に舷側を叩いているものもあれば、中にはまた、万歳を絶叫しただけではまだ足らず、友達と抱き合って、帽子を抛り上げながら、乱舞しているものもあり、中には涙を一杯溜めたまま、犬のように甲板上を転げ廻って、抑え切れぬ歓喜を洩らしているものもあり、全艦一時に破れ返らんばかりの騒ぎになってきたのであった。
が、艦は近付いているとはいえ、まだまだ海上幾海里を距てていた。今日までは、万一を慮って食糧も大切に保存していたが、もはやこんな安全な港へはいった以上、しかも山の頂には相当の人家もあるらしく、人が住まっている以上は、もう心配することもない! 食糧庫を開いて、死線を越えた一同の喜びを増してやれ! というルドウィッヒ大尉の命令で、厨兵は貯蔵の麦酒、ウィスキイ、ジンなどのアルコール類や、ビスケット、ハム、チーズ、冷肉類を一時に出してきたので、兵員たちの喜びといったらないのであった。近付いてくる陸地を肴に、甲板上にはたちまちあちらにもこちらにも、歓談、笑声が渦を巻いて、ピッケルン島南方で英艦の襲撃を受けて以来、幾十日ぶりで、こんな喜びに触れたことであったろうか。
我々も艦橋で、水雷長のスティンゲル大尉、主計長のクルーゲル主計中尉、軍医長のリンデンベルゲル軍医大尉らと冷肉を肴に麦酒の満を引きつつ小宴を張ったが、さて水雷長所持の海図でいくら調べてみても、これらの島々や陸地が、一体どの辺の位置に当り、何という所なのか、それが一切わからないのであった。わからないのではない。海図は、ウニデス潮流もろとも、このあたりの記載というものを、もはやまったく欠いているのであった、すなわち人類にとっては未だまったく地球上未知の領域ということになっているのであった。したがって今目前に眺めている陸地も、さっきからそれを眺めて過ぎ去りつつあった幾多の島々も、一体我々が新発見をした陸地なのか、それともすでにどこかの国の領土として帰属している陸地だったのか、その辺の事情が一切雲を掴むように頼りないものなのであった。我々の懸念は、まず第一に、もし、これが今戦時交戦中の敵国側に属する領土であって、住民が我々に敵対行為を示してきたならば四十人足らずの小人数をもって、いかに処置したならばいいか? というところにあったが、評定区々な我々の肩を叩いて、「贅沢言うなよ、罰当りどもめ!」と水雷長のスティンゲル大尉が嘆笑した。満面に麦酒の酔いを発して、かなりに、もういい機嫌であった。「敵国の領土であろうがなかろうが、命拾いして上陸さえできたら、文句ありゃせん。贅沢言ったら、蜃気楼みたいに消えてしまうぞ!」
なるほど、スティンゲル大尉の言草ではなかったが、万死に一生を得てしかも陸地を眼前に眺めている以上、敵国の領土であろうがなかろうが、これが上陸せずにいられるものか! というのが我々の偽らざる気持であった。ともかく上陸早々襲撃せられるまでも何はともあれ、岸へ着き次第すぐに上陸してみようではないか! ということにたちまち評議は一決したのであった。が、しかし、戦争中ではあり、もし万一敵襲を受けた場合を考慮して、いつ何時でも応戦のできるよう艦には必要な砲員を留めて、砲はすべて陸上に向けて照準しておくことにしたのであった。
島はいよいよ眼前に近付いてきた。もはや望遠鏡の力を借りずとも、肉眼でハッキリと島の様子が見えるようになってきた。が見れば見るほど、あまりにも美しい穏やかな景色に胸を躍らせつつも、我々は測鉛線を入れて、水深を測りつつ、徐々にこの未知の港へと艦を進めていったのであったが、驚いたことには、どのくらい深さがあるのか、ほとんど測り知れなかった。透かして見れば海底の真砂さえも数えられそうなくらい、小波寄せて美しく水が澄んでいるのに、その深いこと! 三十尋の測鉛線の全部を入れても、まだ海底にとどかないのであった。しかも不思議はそればかりでなく、山の中腹から頂へかけて瀟洒な白堊の洋館は、ちらりほらりと、樹間に隠見しているにもかかわらず、これだけ艦が近付いていっても、浜辺に人一人佇んでいる気配もなかったのであった。ただにそういう人影が見えなかったばかりではない。第一これだけ天然の良港でありながら、この港には、港湾の設備すら何一つ見えなかったのであった。桟橋なぞというものはともかくとしても、そこには小舟を舫う棒杭一つ打ってあるでもなく、無人の浜辺には、ただ颯々と風に吹かれて五、六本の椰子の木が、淋しく梢の葉を鳴らしているばかり、第一小舟すらないのであった。海に漁っている舟がないばかりでなく、浜辺に揚げられてある小舟一隻すら見えなかった。ただわずかにそれと覚しいのは、岬とも思われる北西方の岸辺に材木を組んだ足場の残骸みたいなものが積み重ねられ、その上に紅鶴らしいものを形取った木組が打ち棄てられてあり、その傍には彩色を施した櫂らしきものの何本かが投げ棄てられてあるのが、わずかにそれと覚しきものであったが、こんなものはもちろん船などというべきではなく、むしろ筏と称した方が適当であったろう。いずれにせよ、海に泛べる道具らしきものといっては、ただ単にそれだけ、後はまったく無人の境に我々は上陸したのであったが、まず眼ざすのはすぐ目の前から爪先上りに山を登ってゆく林間の小径であった。この道を登れば山の中腹のさっき甲板から眺めていた白望の家のところへ出られるであろうと、我々は一散にその小径を駆け上ったが、七重にも八重にも山を取り繞いている羊腸たるこの小径は、道幅かれこれ二呎ばかりもあったであろうか? 落葉が厚く湿め湿めと散り敷いて、ここ何年にも何十年にも人の踏んだ足痕らしいものとてもなく、どこまでもただ山懐深く分け入ってゆくのであったが、やがて銃を吊った我らの一隊が歩を停めたのは、この小径の尽きたところ一面に平坦な広場となって――そしてここが山の頂上らしく、陽光煦々として明るく戯れているのであったが、――この辺の右側左側に佇んでいる石造りの家々であった。
我々は初めてそれらの家々を眼にした時の驚きを、今でもなお、まざまざと瞼に思い浮べることができるのであったが、いずれは樵夫か猟師たちの陋くるしい小舎であろうと考えていた我々の想像は根底から覆されて、今、これらの家の前に佇んでは、ほとほと我々自身の眼を疑わずにはいられなかったのであった。家はいずれもさまざまで大きなものではなかったが、富裕な貴族の別荘か山荘とでもいった風情に、忍冬や常春藤の纏わり付いた穹窿形の門があり、門をくぐると、荒れ果ててはいたが、花の一杯に乱れ咲いた前庭があり、その前庭には赭熊百合や白菖や、薄荷や麝香草や、薔薇や菫や、馬鞭草なぞが、どんなに今を盛りと咲き零れていたことであったろうか。そして、花に繞まれた玄関には、アカンザス模様を彫刻した幾本かの大理石の円柱がそそり立ち、中へ踏み込めば、そこには大広間の嵌木細工の床の半ばを掩うて、月桂樹の老木が円天井を衝かんばかりに蓊鬱とした葉を繁らせて、その翠緑の色を傍の青苔の蒸した浴池が水に浸しているのであった。浴池の中央には、大理石を彫んだ噴泉が飾られ、そして、この噴泉の大広間の両翼には、四つばかりの円柱で区画られた部屋部屋が庭に向って張り出して、それらの壁と壁との間には切子細工の龕灯が嵌め込まれ、その下に設けられた壁龕や青銅造りの開き窓の下に据えられた瑪瑙の植木鉢、そして同じく青銅製の女神や半人半獣の牧羊神の像等々。厚い樫の木の扉飾りには鼈甲や象牙や金銀や碧玉さえも嵌め込まれているのであった。
我々は茫然として言葉もなく佇んでいた。噴泉の水は涸れ、浴池には青苔蒸して青銅は錆び、眼に入るものすべては古色蒼然としてそこにはただ樹が繁り、花が乱れ咲いているだけの現実にはせよ、あまりにも絢爛たる邸の様子にただ夢に夢見る気持がして、眼を瞠って佇まずにはいられなかったのであった。しかも何百年前に人が住んでいたのか、何千年前に人がいたのかは知らなかったが、家の中は永遠の寂寞そのもののごとくに、佇んでいると何かは知らず、冷え冷えと一種の鬼気を感ぜずにはいられなかったのであった。しかも眼を挙げて一歩窓外を眺むれば、そこには真昼の陽光が燦々と降り濺いで彼方の昼なお暗き鬱蒼たる糸杉や、橄欖の森を背景に、一面の繚乱眼も眩まんばかり絢な花園であった。そしてそこにも花に台石を掩われた幾つかの青銅製の古代武人らしきものの像がそそり立ち、雪花石膏の艶麗花を欺かんばかりの裸体女神が佇んでいるのであった。
住む人とてもない無人の家、……絢爛たる廃墟! 華麗なる庭!
夢に夢見る心地というのはまったくこれを指すのであろう。さながら希臘か古羅馬貴族の邸にでも佇んで在りし昔の豪華なる俤でも偲んでいるかのような気持がしてくるのであった。そして、こうした無人の家は、我々のはいったこの家ばかりではなかったとみえて、やがて茫然と佇んでいる我々の傍へ、他の家を見終った軍医長たちがドヤドヤとはいってきたが、「廃墟だな! 素晴らしく豪華版の廃墟だな。まるで絵で見るポンペイの廃墟だな」とキョロキョロその辺を見廻しているだけで、廃墟とはいえあまりにも見事な麗しさに、我ら同様ただ茫然として眼を瞠っているだけであった。
かくして我々はまた、陽光眩しい戸外へと踵を返したが、兵員たちはせっかく再生の喜びを抱いて上陸した陸地が無人の廃墟であり、そこから土人の娘一人飛び出してくるでもなければ、犬一匹吠え付くわけでもないのに落胆したのであろう。叉銃して叢に煙草を吹かしながら大欠伸をしたり、草原に寝転んでその辺に枝も繞に実っている野生の葡萄に口を動かしたりしているのであった。
さっきも、我々はこの陸地の気候を灼熱した亜熱帯的の太陽が頭上に輝いていると言ったが、まったくそれは西班牙か伊太利のごとき南欧諸国七月初め頃の、茹るような暑熱であった。
絶えず微風が面を撫でて、空気は爽やかではあったが、佇んでいても、ぽとぽとと膏汗のにじみ出てくるほどの暑さが感ぜられた。そして今も言うとおり、ここはちょうどこの山の頂近くになっていたとみえて、かなりの高度もあれば、相当に広闊な平坦地にもなっていたが、山全体には闊葉樹が繁茂し、今登ってきた小径の両側に、橄欖樹が参差交錯して、脚下に海は横たわりながら、眺望が一切利かないのであった。
ただ、樹々の繁みを透して、我々の残してきた駆逐艦の黝んだ姿のみが、ポツンと一隻侘しげに佇んでいるばかりであった。しかも、この山からさらに次の峰に続き、またその隣りの山巓に列なり、それらの山々にはやはり小径がうねうねと木の葉隠れに見え隠れしていた。
樹々が小径の上に枝差し伸べて、枝から枝へは、眼の覚めるほど華美な小鳥が、楽しげに飛んでは囀っている。
「南極圏近くへ来ていながら、まるで熱帯国みたいではないか」と、ルドウィッヒ大尉は呆れながら汗を拭いていたが、
「隊長! もっと行ってみましょう! 行ってみようじゃありませんか!」と、退屈した兵員たちは口々に促し立てた。
あたりは依然として太古さながらの静寂を極めていたが、まだ今までにどこの軍艦も上陸したらしい気配はなかった。
「ようし! ではあの山の頂上まで行ってみるとしよう! しかし万一ということもある。誰かここに連絡に残っとらんといかんな」と、大尉は兵員たちの顔を見廻していたが、さらに六名の兵を選抜してここへ残しておくことにして、向うに見える山の頂上を窮めるべく我々は再び銃を肩に吊ったのであった。が、相当に重畳たる山岳の起伏はあっても、もちろん我々はこの陸地がそれほどまでに大きなものとも考えてはいなかった。
海図にも載っていないくらいの無名の陸地……したがって、向うに見えるあの山の頂に登ったならば、艦の給水や繕いをするのに、もう少し便利な港でも向う側に俯瞰できるのではないか? といったような、極めて簡単な望みの下に行を起したのであったが、小径は、桃花心木やチークの大木と大木との間を縫って、だらだらと降り切ると、やがて向う側の山の登りに掛かった。
「おお、孔雀だ! 孔雀だ! 孔雀が飛んでいる!」と、兵員の一人が叫んだ。なるほど、樹々の間からパッと飛び立ったのは、鮮麗な雄の孔雀であった。
「お! 紅鶴もいるぞ!」
そして極楽鳥も! 鸚鵡も鸚哥も! しかも我々の攀じている径の両側を掩うた橄欖樹の間々には、所々に桃金花や薔薇が咲き零れ、陽光は繁みから落葉の上へ光線を屈折して、どこからとてもなく、咽ぶような花の匂いが風に送られてくる。
穏やかな穏やかな自然! 睡気を誘う恍惚とした微風! 山路を踏み分けてゆく我らの心も軽く、身体はネットリと汗ばんで一人脱ぎ二人脱ぎ、いつ敵がどこから現れてくるかわからぬ未知の土地とは知りつつも、しまいには全員上衣を脱いで、勇ましく「ラインの護り」まで口を衝いてくる快速調であった。これが昨日まではへとへとになって大自然の脅威に打ちのめされていた同じ人間とは考えられぬくらい、旺盛な元気ぶりであった。さながら極楽境を行く一隊とでも評した方が適当だったかも知れぬ。
かくして、我々は次第次第に爪先上りの道を攀じ登っていったが、やがて頂上間近と思われた頃、
「おう! おう!」と先頭から驚異の叫びが次々に洩れて、隊列は一時に乱れた。そして、我がちに絶巓へと駆け上っていったのであったが、登り詰めたものは我を忘れて声もなく、ただ茫然として今眼の前に開けた大景観に眼を奪われ切っているのであった。
我々はさっきから、幾度となく繰り返して、なんという美しい、なんという素晴らしい、と同じような形容詞を重ねてきたが、今度こそはほんとうに、なんという景観であろう! と唸らんばかりの気持で、しみじみ嘆声を放たずにはいられなかったのであった。
見よ! 前方遥かに遠く、甲板上から遠望した、あの雪を纏う大高山が聳え立ち中腹には白雲が悠々と流れている。そして裾野は緩やかに東北方に流れて、眼に入る限り橄欖樹の大森林! その前方に白く帯のように光って一条の河が麓を取り繞き、河のこちら岸には一面の灌木に繞まれた大丘陵がそそり立つ。丘陵の灌木と灌木の間を点綴してうねりに沿って、碧、紫、群青、玉虫色に光る甍を並べて、なだらかな大市街が美しい町並を形づくっているのであった。しかも所々に高塔伽藍が甍を抜き、遠く離れて円形の劇場らしい大建築が聳え立つ。殊に市街の中心と覚しきあたりには、陽光に反射して見る眼眩ゆき舗石が、円柱の並んだ大建築を取り繞って放射線状に張り出した広場の中央には、噴泉らしいものもある……そして、今、我々の佇んでいるこの絶巓から、その市街の列なった丘陵に向っては、方十数哩にもわたるなだらかな大傾斜が脚下遥かに展開して、眼も醒めんばかり若草萌ゆる大草原に、繚乱花の咲き乱れた艶やかさ!
再び一同は突如眼下に打ち展けたこの雄大無比な大景観に向って、声を挙げることさえも忘れて、ただ恍惚と眼を瞠っていた。
この陸地がこれほどまでに広大なものとは夢にも思わなかった。これほどまでに雄大であるとも露知らなかった。しかも、見れば見るほど壮大であり、美麗壮観極まりなく、この分でいったならば、まだまだこの陸地の奥行はどれほどあるか計り知れぬものがあった。しかも、大市街に至ってはここから遠望してすらも、村や部落くらいの小集団ではなく、尠くとも人口十万や二十万は擁する大都市らしく思われた。その大都市が、ぶうんぶうんと虻の飛び交っているこの山中の真昼の睡った空気と瑠璃色の空の下に、今忽焉としてその全貌を晒け出しているのであった。
翠緑の樹々に包まれた平和と寂寞さ!
「ようし軍事施設は一切ないらしいな」凝乎と眺めていたルドウィッヒ大尉は、その瞬間心を決めたように双眼鏡を離した。「一同そのままで聞け!」と大音声を張り上げた。
「我々はこれよりあの市街地まで行進することにする。今見るところでは軍事施設の一切ない平和なる都会と認められる。が、戦時中であり、油断は禁物だぞ! 一分隊士を尖兵長と決める。尖兵長は兵員七名を抜いて絶えず警戒を厳にしつつ全隊を教導せよ」と大尉は兵員一同の面を顧みた。
「途中住民に出逢ったり市街地へはいっても、各自は独逸海軍の名誉に賭けて、掠奪暴行は一切厳禁である。違反者は猶予なく軍律によって処分する。殊に婦女子に戯れたるものは祖国の名誉を汚辱したるものとして、最も重きをもって処断する。しかし、敵はいつどこから現れてくるかわからぬぞ! 途中各自は連絡を密にして、命令一下ただちに散開のできるようにして行け! 言うことはそれだけである。わかったか? わかったら一分隊より前進!」
そして我々はこの未知の夢のように美しい市街地へ向って、また山を降り始めたのであった。途中索敵の関係と、市街地入城の独逸海軍の鉄の規律とが、我々の行動を牽制してはいたが、心の中では歓喜が高鳴って、まったく山を雪崩降りたといった方が適切だったかも知れぬ。
もちろん我々として当然の警戒であったとはいえ、後になって考えてみれば、尖兵を出すも出さぬもあったものではないのであった。世にも浮世離れのしたこの平和境へ、かほどまでにも索敵警戒を厳にして、銃の安全装置までも外して突入した滑稽さが、後になっては腹を抱えるほどのおかしさを感じさせてきたのであったが、ともかくいよいよ後二キロばかりでその市街地へ接しようというところで、尖兵三名ばかりが、この市街地へ逃げ込もうとして、自分たちの眼を掠めつつ、叢から叢へと這い廻っていた老人と子供とを捉えて来たのであった。
尖兵たちのつもりでは、この二人をルドウィッヒ大尉ら士官一同の前へ連れて来て、彼らを訊問することによって、この市街地を敵兵が占拠しているかどうか? また、市街地に住民はどのくらいもいて、この陸地は一体どこの属領であり、なんという名前であるか? ということなぞを穿くりたいと思っていたのであろうが、武器を帯びない住民を拉して来たのであったから、別段手荒なことなぞをして連れて来たわけではなかった。が、それでも、この二人は見知らぬ人に連れて来られたということそのことで恐怖を感じ切っていたのであろう。ルドウィッヒ大尉らの前に生きた顔色もなく震えている様は傍で見る眼も気の毒になるくらいであった。二人とも立派な白人であり、鼻の隆い、眼の碧い、そして髪の毛が亜麻色をした、我々と何ら異なったところのない欧州人であったが、その服装の変っていることには、まったく一驚を吃せずにはいられなかったのであった。老人は年の頃五十五、六くらい、少年は十七、八とも見える年齢であったが、二人とも肩から踝までも隠れるくらいの長い外衣を着けて、しかもその外衣の奇妙なこと! 左肩に夥しい襞が付いて、その襞の部分を肩に引っ掛けたような恰好をしているのであった。そして右肩は、青銅製の丸環でこの外衣を吊り、外衣は左腰のあたりで緩やかな帯に挟んであるように思われた。少年は下に薄い純白の肉衣を着けていたが、老人の方は素肌にこの外衣を纏うているらしく、頸も右肩もことごとく露出しになっていた。そして二人とも素足に革のサンダルを穿いているのであった。
しかも我々の面食らったのは、ただに奇妙なその服装ばかりではない。二人の言語の全然通ぜぬことであった。というのは、連れて来られたのが欧州人と見て、大尉は丁重に二人に腰掛けを勧め、我々は決して危害を加えに来たのではない。潮流によって漂流したのであるから、船の修繕のできるまでなりとも、しばらくこの地に逗留させてもらいたいということや、もし便宜が与えられるならば、艦の修繕材料や食料なぞも供給してもらいたいが、一体ここはどこの領地で、なんという陸地であるか? ということを、最初は独逸語で尋ね、次は自分でこれを御自慢の仏蘭西語に訳して質ねてみたが、二人には頓と解せぬのであった。大尉は傍に佇んでいた自分を顧みて、これを英語に直して質ねさせたが、やはり通ぜぬのであった。次は露西亜語のわかる二等兵曹を呼び、西班牙語と葡萄牙語のわかる機関兵を選抜し、最後にはフレミッシュ語と和蘭語のわかるもの……しかしそのいずれの言葉も二人には通じなかった。
「誰でもいい! 外国語のわかるものはみんな出て来い! 片語でもかまわぬし、また土語でもかまわんぞ! 申し出てくれ!」としまいには大尉は大声で呶鳴った。それに応じて、こんなにもいたのかと思うくらい何か違う言葉を知っているというものが、兵員の中から続々と現れてきた。
「隊長! 入隊前スマトラにおりまして、インドネシア語が少しわかるのですが」
「おお! やってみてくれ、やってみてくれ」
「隊長、私は馬来語が少し……」
「おお頼む」
「隊長、自分はオマーンにおりまして、亜剌比亜語を」
「オマーンというのはどこだ!」
「亜剌比亜の東端で波斯湾岸であります」
「妙な所にいたな! かまわぬ、やってみてくれ」
「私は支那語を四つばかり……」
「四つとは心細いな。しかし、物はためしだ!」
が、そのいずれも二人にとっては、ちんぷんかんぷんであった。
最後には紙と鉛筆を出して字を書いて見せたが、無学とみえて、二人ともただ珍しそうに眼をキョロ付かせているばかり。ともかく国籍なり、どこの領地かがわかりさえすれば、そこから推して、また似た言葉を出してみる手もあるというわけで、しまいにはポケット用の地図まで出して見せたが、地図なぞは初めて見たとみえて、逆さまに眺めている始末で、結局いかんとも我々の手には負えぬことがわかったのであった。それまでおよそ、ものの二時間くらいもかかったであろうか? 相手が土人であるならばいざ知らず、我々と同じ容貌をした立派な白人であるだけに、苛れったいというか、苛立たしいというか、我々の方でも少し急き込んだ傾きはあったが、どうにも埒があかないのであった。しまいには大尉も到頭匙を投げてしまった。
どうせ市街地へ行けば、なんとか言葉の通じる人間もいるだろう。面倒臭いから帰してしまえ! ということになったが、しかし後々のこともある。いい印象を与えておかなければならぬから、御馳走だけはして帰せよ! というわけで、やがて我々の昼の食事の折りには一緒に座に就かせて、食事を共にするように、と、手真似で勧めてみた。我々が決して危害を加える人間でないということが飲み込めたのであろう。二人ともにこにこと躙り寄ってきたが、食事をする習慣も我々とは大分異なっていたとみえて、我々の与えた。乾酪をあまり喜ばなかった。一口口に銜むと、ほろ苦い顔をして吐き出してしまった。そして喜んで喰べたのは、サンドウィッチ、ビスケット、燻腿! 我々の勧めたジンも口に合わないのか、一口含むと、顔を顰めて、もう要らぬと言わぬばかりに手を振った。我々が食後に摂っていた珈琲も不快そうに顔を顰めていたが、魔法瓶は珍しかったとみえて……殊にそこから湯気の立った熱い珈琲の迸り出てくるのを、世にも怪訝そうに眺めているのであった。そして最後に我々を驚かせたのはこの老人も少年も、我々の吸っている煙草がよほど珍しかったかして、眼を円くしながら、瞬きもせず、我々の口許を瞶めているのであった。
「どこの国の人間だか、こりゃどうにもわからんが、ともかく、この様子では我々より先に敵国側が来たらしくも見えんな……その点はまあ安心らしいが、大分変っているぜ!」
と、さっきから様子を眺めていた大尉がつくづく感嘆したように頭を振った。
「白人のくせに煙草が珍しい、珈琲が飲めん、酒が飲めんとは……しかも礼儀は莫迦に正しいらしいしなあ! わからん、まったくわからん! どこの国の人間かサッパリ得体がわからん!」
しかし、それは大尉に限らず、さっきから我々全部が、この二人から受けている感じなのであった。たとえば、珈琲には顔を顰めていたが、喰べてみろ! と手真似で我々が勧めた珈琲の角砂糖だけはすこぶる気に入ったらしく、二人とも相好を崩して喰べるのであった。が、それとて、やれば喜んで喰べるが、別段自分たちの方から手を出して物欲しそうな顔をするのでもなく、相好を崩したからとて、それもただにこにこ笑っているだけのことで、我々が南海の島々で幾度も経験した土人たちのように、キャッキャと声に出して笑い罵る様子なぞは微塵もなかったのであった。
もちろん、我々も行軍のための携帯食糧を出しているのであったから、ナイフやフォークなぞを使っていたわけではない。したがって二人とも我々同様手掴みで食べているのであったが、その手掴みとても決して土人たちのそれのように鷲掴みで口の中へ抛り込むわけなぞではなかった。人差指と拇指とで上品に摘んで喰べる。また乾酪を一口銜んで吐き出すとしても、そこいらにペッと唾をするではなく、人にわからぬように、そうっと掌に受けて、人知れず棄てるところなぞ、つくづく礼儀の正しさを感じさせるものがあった。しかも、そうかと思えば、今言ったように、煙草を珍しがってみたり、殊に叉銃して兵員が休憩しているその叉銃が、よほど好奇心を惹いたらしく、幾度手真似で追っても、いつかまた近付いてきて、いかにも手に触れてみたいらしい表情を、ありありと泛べているのであった。
さて、昼食も済ませ、食後の休憩も取った我々は、市街地へはいるべく、また行進を起したが、いよいよ市街の建物が交錯した彼方の樹間に大映しに見え出してきた頃、右手寄りに枝ぶり優美な橄欖を並樹のように植えて――しかもそれだけは野生ではなく、特に嫩木を選んで植えたらしく、背丈も等しければ、丁寧に剪裁も施されているのであった――その並樹の左側から市街地へかけて見る眼も絢な一面の芝生の中に、大理石の美しい石膚を光らせて、大小さまざまな形の、墓らしいものが現れてきたのであった。数段高く矩形に盛り上げた芝生の上に平たい石を飾ってあるのもあれば、また土を円く盛り上げて、大理石をその土の形に円く畳んであるのもあり、遠くこちら側にもありありと横に入口を見せて、墓の形が穹窿形に、銅や青銅、そして中には金と覚しく、陽光を受けて燦然と煌いているのもあった。欧州風に十字架や石を刳りぬいたのなぞは見受けられなかったが、欧州とはまた変った形ながら、いかにも美しく、気品高く、言い知れぬ床しさに清掃されて現れ出たのであった。
「おう、はいってはいかん! 足を踏み込んではならぬぞう!」
と、今しも隊伍を乱して三々五々物珍しさに駆け出そうとした兵員たちを制して、ルドウィッヒ大尉が急いで駆け寄ってきた。
「ブルメナウ君! 兵員に厳ましく言って墓に入れさせんでくれたまえ! 聞け、みんな!」
と、破鐘のような声を出した。
「我々の本国へ外国の兵隊がはいってきて、我々の子供や妻の墓を物珍しそうに土足で踏んだら、どんな気持がするか! 絶対に墓に足を踏み入れてはならぬぞう!」
さすがに亡き艦長に代って、指揮官の職務を執っているだけのことはある、と思わずにはいられなかった。隊伍を乱した兵員たちに悪気があったのでは少しもない。ただあまりの見事さに、わけもなく駆け寄ろうとしたに過ぎなかったのであったが、我々の闖入してきたのに神経を尖らせているこの国の人たちにとっては、決して嬉しい感情のものではなかったに違いない。今、見知らぬ都市へ入城しようという矢先、たださえこの土地の住民の気持を尊重しなければならぬ場合とて、我々はしみじみ大尉の配慮の周到さに、畏敬と頼もしさを感ぜずにはいられなかったのであった。
しかも日を経るに従って、この感はいよいよ深くならざるを得なかった。この都会の住民たちが、欧州人にも増して、いかに自分の祖先や家族たちの墳墓に敬虔なる感情を捧げ、日夜限りなき思慕を通わせているかを知ったからなのであったが、ともかく兵員一人としてこの塋域を乱すものとてもなく、今眼前に迫ってきた海図にさえ載らぬこんな未開の土地とも覚えぬ宏壮華麗なる市街地を指して粛々たる行進を続けたのであったが、今一足で市街地へはいろうとした途端、今度は道の左手に、同じく鬱蒼たる橄欖の林に繞まれて、絵のように美しい、石造りの大殿堂が聳え立っているのに、驚嘆の瞳を向けずにはいられなかったのであった。
大理石に似て、もっと石膚が艶やかに、もっと純白雪のように磨き上げられた円柱が並列して、円形の屋根を支え、円柱の台石に飾り付けられた裸体女神の立像や、座像や、そして屋根と柱との壁間に刻まれた白鳩とアカンザス模様の見事さ! しかもこの殿堂は、見る眼遥かな七、八十歩の大階段の上にそそり立ち、その階段から我々の佇んでいる道のべまで一面に広い乳白の甃が敷き詰められて、中空に参差し交錯した橄欖樹が、折からの翳った陽の光を受けて、仄かに影を甃の上に落している平和さ、荘厳さ! 恍惚と見惚れながらも、これから我々の訪れようとしている未知の都会に住む住民のいかなる人たちなるかに、今一度首を傾げずにはいられなかったのであった。すでに、我々の通り過ぎてきたあの山の上の無人の山荘と言い、あの塵っ葉一つ留めぬ塋域の瀟灑さと言い、今またこの荘厳な大殿堂と言い、その規模の雄大さ、荘厳さ、気高さにおいて、欧州一流の大都会にも未だこれほどの美しさ、これほどの見事さを、我々は見たことがなかったのであった。
しかも、我々の驚きは、足ひと度その市街地へ踏み込んだ時に、ついに絶頂に達せずにはいられなかった。なんという優美さ! なんという素晴らしさ! 欧州一の都会と言えども、この優美さには遠く及ばなかったであろう。市街は一面の緩やかな傾斜の上に建てられて、今我々のはいってきたところはその最も坂の下! 広い広い街路には、ことごとく今の殿堂そっくりな乳白の甃が敷き詰められて、道の中央には雪花石膏の彫像が所々に飾られていた。麝香草や薄荷や薔薇の咲き乱れた花壇が彼方此方に設けられ、そして甃の両側には、緑の街路樹が眼路の限りに打ち続き、その葉陰に真っ白な壁、磨き上げたような円柱、階高く整然と碧赭青の甍とりどりに、家々が遥かの坂の上まで続いていた。そして坂の上高く、広々とした芝生の中央には、大噴泉が五彩の虹を立てて、中空高く水を噴き、虹の彼方霧しぶきに包まれた広やかな大階段の上には、蔦葛生い茂った薔薇色の円柱林立して空を圧して公会堂風の大建築物がそそり立つ!
しかもそこに至るまでの両側の家々の扉の陰、入り口、柱の陰に佇んで、無数の男女の瞳が、今はいってきた我らの隊列の上に、凝乎と注がれているのであった。真昼の静けさの中に、真昼の彫像が立ち、真昼の花が咲き乱れ、そして真昼の中に溶け込んだように、物音一つ立てずに、声を呑んで、我らの動きを凝視している幾千幾万という人の群れ! 呀っ! と思わず我々は声を立てずにはいられなかった。
我々の予想はまったく違っていたのであった。優雅とは思っても、我々はまさかにそれほどまでの素晴らしい文化的な優雅さを、この都会が持っていようとは、夢にも思わなかった。そして、これほどまでに多数の人々が逃げも隠れもせずに、我々異国の軍隊の侵入を凝乎と見守っていようとは、夢にだも考えてはいなかった。まったく我々の予想していたものは、家財家具をおっ抛り出し、算を乱して逃げ出した後の無人の都会なのであった。そして我々の予期していたものは、溝河のゴボゴボと音だてて、土壁の土台を洗っているツブアイやタヒティのような太平洋諸島に見る半未開黒白人の雑居した、下層欧州都市のそれなのであった。我々はまったく夢に夢見る心地で、茫然と佇まずにはいられなかった。しかし、そこの扉の陰に、彫刻の陰に、鳴りを潜めて凝乎と我々の動きを注目しているこの都会の住民の、なんという雅やかさ! なんという気高さなのであろう! 男たちは老いも若きも、子供たちもみんなさっきの老人と少年のような長い上衣を緩やかに着け、素足にサンダルを穿いていた。眼は碧く、髪は亜麻色金髪をして、鼻は隆らかに、我々欧州人と寸分の変りもない容貌をしているのであった。ある者は怒りを含んだように、ある者は軽蔑を湛えているかのように、またある者は好奇の心を一杯に現して、しかも寛闊な外衣の下から盛り上っている隆々たる筋肉の見事さ、背丈の高さ! まったく希臘彫刻さながらの気高い姿をしていた。女たちはまた淡紅やピンク、薄紫、純白、色とりどりの柔らかな、肌も露な、羅衣を纏うて、やはり素足にサンダルを穿いて、裳裾は長く地に曳いていた。しかも同じく豊麗な四肢、背丈の高い艶やかな曲線を羅衣の下からくっきりと現して、ある者は涼しげな眸に羞恥を含んで、ある者は美しい怒りを額に現して、またある者は今にもにいっと微笑まんばかりに愛らしい口許を綻ばせて、この不意の闖入者を好奇の心一杯で瞶めているのであった。長い金髪をふさふさと掻き上げて、そこに花綵を巻いて、微風は袖を翻し、裳裾を靡かせ、しかもゆったりと腰に纏うた飾帯の金銀宝石が陽の光に煌いて、さながら、これも名彫刻から脱け出てきたような、匂わしい気品と香気とを漂わせているのであった。そして異国の軍隊の闖入してきた非常を告げるためか、市街のどこからか涼しい鐘の音がさっきから引っ切りなしに鳴り響いて、人出は刻々に増してくるらしい気配であった。
これらの群集に見守られて、さすがにルドウィッヒ大尉も鼻じろんだように、号令を憚った。そして兵員の末に至るまで、自分たちの一挙一動を注視しているこの両側の群集の雅やかさと気品とに気圧されたように、一語を発するものもないのであった。無言のうちに隊伍を組んで、銃を肩に吊りながら、大尉を先頭に、粛々として坂道を登り、大噴泉の周囲を廻って正面大階段の下に整列したが、我々がそこに二列横隊に並び終ると、それを待っていたかのように中央公会堂らしい円柱の陰に佇んでいた群集の中から静々と一人の老人が降りてきた。
やはり緩やかな外衣を着けていたが、長い白髭は両胸に垂れ、頭は禿げて、もうかなりの年配らしく、威厳あたりを払わんばかりの堂々たる人物であった。そして老人の背後からは、この都会の有力者たちなのであろうか。同じく外衣を着けた人たちが、続いてぞろぞろと降りてくるのであった。そして老人は、我々の前に来て、莞爾やかに一揖すると、慇懃な調子で何か話し掛けてくるのであったが、もちろん何を言っているのか、わかろうはずもないことであった。大尉もまたさっきで懲りていたから、もう強いてこちらから各国の言葉をもって話し掛けてみようともしなかった。よくよく困れば、なんとか言葉のできる者を選んで、向うから話し掛けてくるだろうと、高をくくったものか! ただ我々は決して敵意を帯びて来たものではないと示すために、にこにこと笑みを湛えているだけなのであった。
呆れたように、ちょっと沈黙してはまた話し掛け、当惑したようにちょっと口を噤んではまた話し掛け、あらゆる方法で老人は話し掛けてきたが、何を言っても通ぜぬため、今度は大尉との間に手真似が始まり出した。
しかし、山陰を指して、我々はそこにいる軍艦から来た。飲料水や糧食を補給してもらいたいし、船の修繕もしたいのだ……と大尉の手真似は、事情を知っている我々にはよく飲み込めたが、老人や側にいる人々には、何の身ぶりをしているのだか、サッパリ腑に落ちぬらしいのであった。山陰を指して、そこから来たということを示すために、大尉が山の方角を指さして道を歩いて見せると、老人の方はこの都会のことでも問われたと思ったのであろうか。天を指したり、また背後の殿堂を指し示したりして、何のことやら頓と要領を得ぬのであった。
しまいには両者とも、苦笑しながら、ただ顔を見合せているばかり、老人の面には、ありありと当惑の色が泛んできた。背後を顧みて周囲のものと何か耳語していたが、やがて今度はその周囲のものが進み出てきて話し掛ける。入れ替ってまた他のものが話し掛ける。もちろん、幾人替ってみても、言葉の通じようはずもなく、ほとほと困じ果てたように額を集めて相談し合っていたが、結局の詰まり、さっきはこちらから紙と鉛筆とを持ち出したが、今度は向うから紙とペンとを持ち出してきた。
その紙も、紙とも付かねば皮とも付かぬ絖のようにピカピカとして、光沢のある薄い堅靱なものであった。ペンは鵞の羽毛を削ったもの、そして瓶はないとみえて、綺麗な切籠硝子の皿にインキ様の液体が載っているのであった。老人はその薄い堅靱なものの上に、しきりに何か書いている。我々のかつて見たこともないような文字……言わばアルファベットに亜剌比亜文字の装飾を付けたと言ったような字を書いているのであった。優美極まりない文字だとは思ったが、さて何を書いているのか、もちろんこれも読めようはずはなく、ルドウィッヒ大尉に代って、多少絵心のあるブルメナウ機関大尉が、今度はそこにごく簡単な軍艦の絵を描いて、山を添え、右側に墓地を、左側にさっきの殿堂を描き、そこから来たのだということを示すために、幾度も幾度も繰り返して、その軍艦とこの市街との間に鵞ペンで点線を入れて見せた。
さすがにこれは老人の傍の者にもわかったとみえて、そのものは老人に何か教えていた。やっと腑に落ちたらしく、老人の頬には微笑が泛み上った。が、ブルメナウ大尉から受け取った鵞ペンで、何か魚のようなものを描いて、しきりにそれを突くのであったが、今度はこちらにその意味がなんとしても通じなかった。
「困ったなあ! 一体どこの言葉なんだろうなあ?」
つくづく機関大尉も困じ果てて、煙草に火を点けたが、その燐寸を擦った時に、そして煙草から煙が発した時に、一同どんなに吃驚して、眼を円に瞠ってそれを熟視していたことであろうか。もうその時分には、群集は殿堂を降りて、我々の廻りを十重二十重に取り繞いていたが、笑いながらブルメナウ大尉の差し出した煙草を二、三人吸ってみる者も出てきた。が、一口吸うや否やたちまちゴホンゴホン! と烈しい咳をして、まったく初めて煙草というものを経験したらしい様子であった。そして自分たちも銘々燐寸を擦ってみて、火が点くと吃驚して手を放す。その様子がおかしいのか、初めて声を出して女たちも笑い顔を見せてきたのであった。
こうして先方でも当惑したであろうが、我々自身の方も困じ果てて、そこに叉銃して、途方に暮れていたが、退屈し切った兵員たちの中には、群集に煙草をやる者もあれば、雑嚢の中からビスケットを取り出して差し出す者もあり、中には子供たちの頭を撫でて抱き上げて、頬摺りしている者もあり、言葉は通ぜぬながらも、兵員たちと群集との間には、早くも和気の靄々たるものを生じて女たちの二、三人の中には怯ず怯ずと兵員たちの腰に佩びた剣に触ってみるものもあれば、不思議そうに靴に眼を留めて、凝乎と眺めている者もある。
我々も気が付いて、図嚢の中からビスケットを出して、老人や周囲の者たちに勧めたが、さすがに苦笑して手は出さなかった。が、言わん方なき満足の色が、その面を彩っているように感ぜられたのであった。
かくして我々はそこにどのくらいもいたであろうか? 言葉は通ぜずとも、すでにそこに一抹の和気は生じて、我々に害意のないことは、充分に先方にも納得がいったのか、群集の中からは我々に笑顔を示しつつ近付いて来るものが続々と現れてきたが、さていつまでもこうやっていることはできないのであった。
帰るならば、もうそろそろ艦へ引き揚げなければならなかったが、それを通じる方法とてもなく、困惑し切っている頃に、先方はそんなことには頓着せず、そこへ三人ばかりの男に担がせて、大きな藍色の壺を搬ばせてきた。赤黒く、ドロリとした液体が一杯に湛えられて、それを水差しのような白磁の壺に酌み分けては、我々に差し出してくれるのであった。何という酒か! 葡萄の酸味と甘みとが、こっくりと舌の上に溶けて、その甘美さ! 身体中に酔いが快くポウッと廻ってきて、何とも、言おうようのない味わいがしてくるのであった。我々が喜んで舌鼓を打っているのを見ると、群集の面にはますます満足の色が泛んできた。
しかも士官たちはそうして舌鼓を打ちながらも、艦へ帰るべきか否かを相談しているうちに、兵員たちは……ああ、兵員たち! 彼らはなんという愛すべき無邪気な存在であったろうか……炎天の下、汗を拭き拭き歩いて乾き切った喉に、その美酒の何杯かを流し込んだのであろう。たちまち朗らかに酔いを発して、三、四人肩を組んで「ラインの護り」を唄い出すのもあれば、それに合わせて、いかなる難航中といえども片時も放したことのないハーモニカを取り出して、吹奏するものがあり、中には無邪気に足踏み鳴らして踊り出すものがあり、それを初めて声に出して笑いつつ、いかに面白そうに不思議そうに、群集は彼らを囲んで眺めていたことであろうか。言葉はわからぬながら、意思は通ぜぬながらに、彼らと我々の感情はいよいよ打ち溶けてくるように思われた。
白髯の長老や周囲の主だったらしい人々は、さっきから円陣を作って何事か議していたが、相談も纏まったのか、その頃に我々の前には金銀や宝石を鏤めて眼も絢に飾った燦爛たる轎が現れてきたのであった。二つ……三つ……五つ……八つ……九つと、数限りもなく現れてくるのであった。いずれも真っ黒な屈強な土人が――これこそほんとうの黒奴であったが、黙々として、片側に四人ずつ、八人で一つの轎を担いでいるのであった。そして、さあお乗りなさいと言わんばかりに、またもや長老や人々は、我々の廻りを取り繞いてくるのであった。轎を指さしてしきりに何か話し掛けてくる。
「どうする、航海長! 乗るのかね?」
「どうも乗れと言ってるらしい。困ったなあ、こいつは!」と心細げな主計長の問いに答えて、ルドウィッヒ大尉も当惑そうに苦笑したが、快活な大尉には、途端に決心が付いたのであろう。
「かまわん! 諸君、乗ろうじゃないか。害意は全然ないらしい! よしまたあったらあったで、それはその時さ! かまわん諸君! 乗ろうじゃないか、乗ろうじゃないか」
そして、大尉は靴を脱いで、真っ先に轎へ乗り込んだが、長老はじめ人々は、靴を脱ぐにも及ばぬというように手を振って、足許を指さしているのであった。
そして一つ一つの轎に三、四人くらいずつも乗り込むと、そのまた一つ一つの轎に付いている色の黒い奴隷頭のような人物が手を挙げて合図をする。長老や、人々の満足そうな微笑みのうちに轎は静かに舁ぎ上げられて、ゆらりゆらりと進み始めるのであったが、その乗り心地のよさというものは! 帷を絞り上げた轎の中はかなりに広々として向い側とこちら側とに、ゆったりと絹を張った羽根蒲団のような褥が設けられ、これに背を凭せて、前の脚台にグッと足を踏み伸した気持というものは、何とも言い難く快いものであった。
少年の頃、我々は、降誕節の贈物に、絵入りの美しいアラビヤン・ナイトなぞを父母から買ってもらったことがある。バグダットの王女とか、波斯の王子、ハルン・アル・ラシドといった王様たちが、大勢の侍臣に付き従われながら悠々と町を練っている光景なぞが、我々の心を躍らせて、未だ見ぬ東邦諸国の古へと夢のような憧憬を懐かしめたものであったが、ちょうど、ああ言ったような気持……何から何まで、見るもの聞くものが、ただ夢のようなうつつのような気持に包まれてくるのであった。
墺国皇太子フェルジナンド大公夫妻がボスニヤ、サライエヴォの遭難以来、地球上のありとあらゆる国は、ことごとく戦禍の巷に捲き込まれ、世を挙げて、まったく血腥き戦場と化し去っている時に、その同じ世界の中に、こんなにも悠々たる極楽のような平和境があるということすらが、まったく夢幻のような気持がしてくるのであった。
しかも、今から思えば、我々こそ半ば好奇心に包まれて、半ば不安な夢うつつのような気持であったが、長老や長老を囲む人々としては、招かざる賓客ながら、我らを遇するに精一杯の配慮を尽したのではなかろうかと思われる。
こうして我々を轎に乗せたということが、この都会に大きな邸を構えている幾軒かの貴族の邸へ、我々を送り届けるつもりであったらしく、やがて、三つ四つずつの轎が一組となって、代る代るに途中の邸の中に吸い込まれてゆくのであった。
そして、自分らの乗った轎が一番最後の順とみえて、市街からかなり離れているらしい、とある宏壮なる邸の奥深くへと舁ぎ入れられたのであったが、常春藤の絡み付いた穹窿形の門、そして橄欖や糸杉の聳えた並樹、芳香馥郁として万花繚乱たる花園の中を通り抜けて、大理石の円柱林立する広やかな内庭へと運び込まれた時には、我々はいよいよ夢幻的なるアラビヤン・ナイト画中の主人公たるの感を深くせざるを得なかったのであった。
青銅の重い扉の付いた大広間、満々たる清水を湛えた大理石の浴池の中央には、大噴泉が水を噴き、明るい光線が降り濺いでいて、明け放した窓からは美しい花園が見渡された。そして、浴池の傍には、翠緑眼醒めんばかりの常磐樹が美しい林間の逍遥路を作り、林泉の女神の彫刻の傍にはいずれが女神と見紛う真っ白な肌も露に、この貴族邸の侍女たちが全裸の姿態惜しげもなく水浴しているのであった。
ある女は豊満なる四肢をくねらせて髪を梳り、ある女は羞じらいを含んで櫛を銜えて佇み、ある女は小波の立つ泉のほとりに憩い……さながら林泉に喜戯する森の女神の群れと題する古名画の一幅の前に佇むがごとき思いであった。
しかも、我々を舁ぎ入れた黒奴らは、白皙美人のそうした姿態にも、別段心を動かされる様子もなく、空轎を担って引き揚げてゆく。折からの夕陽は噴泉をも水浴の女人たちをも邸内の万物を赤々と染めて、これが現世における生活かと、思わず我が眼を疑わざるを得なかったのであった。
それが給仕頭とみえて、黒奴の一人が我々を招じ入れたのは、その花園に向って突き出した、残照の降り濺いでいる広やかなテラスの一角であった。そこには黒光りに磨き上げられたどっしりとした大卓が据えられ、無数の彫りを施した椅子が取りかこみ、金銀の大皿に盛った犢の炙り肉や、香料を入れた鳥の蒸し焼き、紅鶴の舌や茸や橄欖の実の砂糖漬、蜂の子の蜜煮、焼き立ての真っ白な麺麭が所狭きまでに並べられていた。
そしてこれらの料理の間々には、金や宝石で象嵌をして彫刻を施した七宝の高脚の盃に、常春藤の絡んだ壺から雪で冷やした蕃紅花の香り高い酒が並々と注がれて、今沐浴から上ってきたらしい幾人かの美しい侍女が足許に跪いて、我らの盃を充たしてくれるのであった。
料理は女たちによって後から後からと搬ばれ、盃は女たちによって次から次へと充たされてゆく。微醺が頬へ現れた頃、歌い手三人ばかりが残照の花園に現れて、一人は竪琴を奏で、一人がそれに合せて節面白く唄って酒興を添えてくれるのであった。それにつれて女たちは起ち上って薔薇の花弁を撒き、食卓の上へは雪のように花弁が降り濺いでくる。喰べている料理の上へ……挙げている盃の中へ! そして我ら自身の体の上へ! 唇へ!
我々が充分に飲み食いして歓を尽した頃を見計って奴隷頭は我らを浴室へ導いてくれた。ここには薔薇色をした微温湯の噴泉が菫の薫りをくゆらせつつ噴き上っているのであった。そして三、四人の女たちが現れて我々の着物を脱がせてくれた。噴泉の飛沫を浴びつつ我々が一浴して浴池の縁に頭を凭せ掛けている時分、爪磨きの女が現れて我々の爪を磨いてくれる。雪白の麻布に掩われた糸杉の卓上に身を横たえると、黒奴がはいって来て橄欖の香油に浸した手で我々の全身を擦り始めた。そしてさらに次なる室へと導いてくれた。
穹窿形の浴槽の中に菫と蕃紅花の匂いのする別々の油湯が湛えられ、匂いの好みに従ってどちらかへはいる。
疲れはまったく癒え、全身は恍惚とした香気に包まれて艶々と輝き、溌剌と若返って生気は溢れて、我が身体ながら見違えるほど美しくなった。頃合いを見計らって黒奴が、タオルのような純白の柔らかい布で我らの身体を掩うてくれ、女たちが跪いて白磁の壺から馬鞭草の香油を擦り込んでくれた。そしてさらに次なる室へと導いてゆく。ここは納涼室となって、太陽神とジュピター神との彫像が立っていた。香が薫じられて、我々の身体が乾くのを待って女たちが、肌に柔らかくピッタリとする紫色の肉衣と、折目の付いた真新しい麻の外衣とを揃えて我らに着せ掛けてくれる。
我々は汗と埃に塗れた軍服を脱いで、生れて初めてこの不思議な都会の不思議な着物を身に付けたが、これほどまでに着心地のいい寛闊な衣服が世界にまたとあろうかと思ったことであった。ゆったりとして軽やかで涼しく柔らかで、生の歓びに甦った湯上りの肉体に、これは生のやわらぎをしみじみと感じさせてくれる着物と言うことができた。
我々はこの衣服を着けた時に、二度と再び欧州風の窮屈な着物は身に着けたくないと感じたくらいなのであった。そして外衣を着けて琥珀と猫眼石との嵌め込みのある臥榻に凭れて充分に涼を納れた頃に、女が来てさらにこちらへと導いていった。
もうその頃には、赤々と花園を燃え立たせていた残照は、庭の彼方の糸杉と山毛欅と桃金花との森の彼方に隠れて、あたりには夕暗が縹渺と垂れ込めて、壁に設けられた燭台の上には灯が煙々と輝き初めていたが、柔らかな褥を改めた卓上はすでにまったく清められて、新しい料理がまた、山のように並べられていた。
爽やかな菫の薫りが再び全室に撤き散らされ[#「撤き散らされ」はママ]、七彩の虹を放った切籠硝子の大鉢に湛えた深紅の葡萄酒が、雪に冷やされながら、我らの席に就くのを待っているのであった。そうして侍女たちは再び装いを新たにして、薔薇の花弁を撤くべく[#「撤くべく」はママ]用意を整えている……という歓を尽くした長夜の宴なのであったが、なんという奢侈優雅な生活であり、夢のように華麗な世界であったろうか! 世の中にはこんな優美な贅沢な生活も営み得るものであろうか! と、我々自身幾度自分の眼を疑ったかも知れなかったが、しかし決してこれは夢でもなければまた覚めながら我々自身の醸し出している幻覚でもないのであった。
確かに我ら自身がこの眼で見、この口で食らい、この鼻で嗅いでいるこの邸における現実、正銘の生活なのであった。しかも後日に至って知るところでは、これらの饗応もあながちに我々賓客を慰めんがための、特別の接待でもないのであった。すなわち、これが――この優雅な遊惰な贅沢な生活こそが――この都会における貴族たちの日常不断の生活ぶりなのであった。初めてこの接待を受けた時は、我々も肝を潰して驚いた。しかし今では、少しも驚かぬ。あまりにもこの都会の貴族たちの生活にも慣れ親しんだからであろう。
これも後になって知ったことであったが、この都会の人たちは、これらの湯のことを――薔薇色をした微温湯の噴泉をテピダリウムと呼び、穹窿形の入り口の中に菫と蕃紅花の油湯が用意してあったそれを、エレオテジウムと呼んでいた。そして最後に身を乾かす納涼室のことを、ラコニクムと言っていた。
そしておよそこれらの微温湯と油湯と納涼室とを自分の邸に設備して入浴を楽しまぬ貴族とては、この都会にただの一人もいなかった。一日の大半を侍女や奴隷に侍かれて、入浴に暮し、食事に贅を凝らして、友人知己とともに会食を楽しむことが、ほとんどこの都会の貴族の全生活であったと言ってもおそらく過言ではなかったであろう。みんなそれぞれに百人二百人くらいの侍女や奴隷を擁して、何のなすべき仕事とてもなく、その日その日を楽しく遊び暮している貴族たちは、親しい客人が来れば、これを誘うて共に歓語を交わしつつ、微温湯を楽しみ、油湯を楽しみ、納涼室を楽しんでいるのであった。
ただに貴族ばかりではない。自分の邸に入浴の設備を持たぬ一般市民たちのためには、大理石造りの大公衆浴場が市中に設けられ、市民たちはここでやはり入浴を享楽して、微温湯を楽しみ、油湯を楽しみ、納涼室を楽しんでいるのであった。しかも、若い白人の女奴隷たちが平気で男奴隷と混浴をして何の恥ずるところもなかった。全裸の姿態を男の前に晒すことを、何の羞恥とも感じていないのであった。男奴隷たちもまた、女の裸体を見てもいささかも異としている様子はなかった。
もちろんそれは土地柄が亜熱帯的の暑い気候のせいもあったであろう。が、それよりも第一の原因としては、この都会の人々ほどすべてにも増して美を愛好するものはなく、そして美の最高極致を人間の健康な肉体そのものに置いていたのであった。したがって一般の風習として若い女たちも平気で衣服を脱ぎ棄てて、若い男たちとともに噴泉の中に遊び戯れているわけなのであったが、同時にまたいずれも負けず劣らずにそれを誇るに足るだけの素晴らしく均斉の取れた美しい肉体を持っていたということも事実なのであったろう。
そして、その習慣を知ってからの我々もまた、知らず識らずのうちにいつか日々の入浴を享楽すべく習慣づけられてしまったのであったが、さてこうして我々がこの都会の貴族の邸に悠々として接待に預っているうちに、早くも三、四日間は夢のように過ぎ去ってしまったが、その間に我々にわかってきたことは、言葉はわからないながらもどうもこの土地へは今まで我々以前に訪れたものが、まだただの一人もいなかったらしいということであった。そしてこの都会の人たちは世界というものは自分たちの住んでいるこの土地だけであって、この土地以外に人間の住んでいる国もまた、人間がいるということすらも全然知らずにいた……今度初めて我々が漂着してきたことによって、人々は引っ繰り返るような騒ぎをしているらしいということであった。あの山荘も、決して我々が来たために住民が逃げ出したものではなく、主計長のウィットマン・クルーゲル主計中尉とフンク・アダルベルト二等機関兵曹と自分とが今賓客として歓待に預っているこの都会最高の貴族、エフィゲニウス家の祖先なるものが――そして我々は接待に預りながらまたその家族たちにも逢っていなかったのであったが――今から何百年か何千年かの昔海を渡ってどこからかこの土地へ移ってきた頃の旧蹟を大切に保存して、この土地発祥の地として人々が尊信を払っている場所だということが、朧げながらに飲み込めてきたのであった。
しかもわかったのはそればかりではなかった。艦に残留せしめておいた兵員たちを引き具して、ウェスネル・アントン少尉が兼ねて付近の状況、地勢等を偵察中であったが、その帰来しての話によれば、ここから山二つばかりを越えた向うには、この都会よりももう少し狭少な都会が今一つあり、その都会の西方より北方へかけては広袤千里の大沃野となって、そこには夥しい牛や羊が放牧せられ、小麦も耕作せられ、言葉が通ぜぬからハッキリとはわからぬが、どうしてどうして我々の考えているようなそんな生易しい陸地ではないらしいということであった。
「それにだいいち君! 地下資源の豊富な陸地らしいな。その都会の家には金や宝石なぞを扉に嵌め込んだ家がいっぱいあるぜ君!」
と、この友達は瞳を輝かせたのであった。
「おや! おかしいですね、先生!」
と、西班牙語に訳しつつ朗読していたソオリヤ君が、訝しげに顔を擡げた。
「この記録は、ここでポツンと切れていますが」
いつかペンの手を止めて、感に堪えたように聞き入っていた記者諸君一同、ここで拱いていた腕を解いたり、重ねていた脚を降ろしたりして、初めて夢から醒めたようにザワめき出した。
「そうです。残念ですが、その記録は今お聞きのところまでで……全部完結してはおりません」
と博士が頷く。
「これが最後まで完結していないということは、我々にとっても実に遺憾この上もないことです。これさえ完結しておりましたら、この陸地の所在を捜査する上にも、またその文物・風土・歴史等を探る上にも、利便の量り知るべからざるものがあると思われるのですが、残念ながら途中で切れていたのでは何とも仕方がありません」
と、博士は憮然たる面持で言った。
「もちろん、中尉自身もこんなところで筆を止めて抛ってしまうつもりなぞは少しもなかった。もっともっと充分に記録しておくつもりであったろうと思われますが、不幸にしてこの辺まで書いてきた頃に発病をして、最早先を続けることができなくなったのだろうと想像されるのです。そのことは、中尉の先輩や友人たちが連名で、中尉の姉宛に認めた手紙の中でも触れているように、だいたいこれらの記録なり、手紙なりを書くのに用いている、この手紙というものが」と、ここでちょっと言葉を切って、博士は巻物の一端を掲げて見せた。
「紙とも付かねば、皮とも付かぬ、このピカピカして薄い柔軟なものは、これは我々が紙と呼んでいるところのものではありませぬ。古代埃及に発明せられて、希臘に伝わり、羅馬に伝わって、古代文明人が物を書くのに用いた紙草という、言わば今日の紙の祖先ともいうべきものなのですが、御覧のように、ツルツルして光沢のある、極めて堅靱な質のものですから、これにものを書くということは、古代人ならばいざ知らず、すでに紙の便利さを知っている近代人にとっては、決して容易な苦労ではないのです。おそらく、紙の上ならば、四、五十枚にペンを走らせている間に、紙草一枚には、まだ書き上らないと言った程度のものではないか、と思われます。したがってソオリヤ君が今まで読み上げた記録の分だけでも、中尉は書くのに半年以上もかかっていたのではなかろうか、と考えられるのです。あるいは、もっと長い月日がかかっていたのかも知れません。その長い期間中、途中で発病して先を継続することができなくなったということは、充分考え得られることだと思います。しかも、中尉は最初にこの記録の筆を執ったのではありません。これから読み上げますが、姉宛に認めた書翰が別に一通あり、その方を書き上げてから、この記録へ移ってきたのですが、この分はついに完成を見るに至らずして、病死してしまった……と、こういうわけですから、本来ならば、その書翰の方から先に始むべきはずなのですが、それでは諸君に、この前代未開の陸地なるものが、現在我々の有する文明程度では――すなわち、現在の汽船なり航空機なりの程度では、到底行くこともできぬ、いかに困難な場所に位しているかということを、シャッガァ号の乗員たちが、いかに万死に一生の僥倖を得て、この陸地に漂着したかということなぞを概念に掴んでいただく上に、不便のようでしたから、それで順序にいささか顛倒するようですが、この記録の方から始めてもらったわけなのです。で、これからその姉宛の書翰を読んでいただこうと思うのですが、この二つを併せ読むと、幾分この陸地の持つ真に近付き得るのではないか、と考えられます」
記者諸君は一斉に頷いた。そして、再び巻物を繰るソオリヤ君の手許を瞶めながら、腕組みをして耳を傾けたのであった。
独逸ケムニッツ市
ラファエスタイン街
エリザヴェート・ローゼンタール
男爵夫人
懐かしきエリザヴェート姉上唯今私の書いておりますこの手紙が、無事に姉上、貴女のお手許に届いて、貴女がどんなにお驚きになり、お喜びになり、そして最後にどんなにお悲しみになるかが充分に私の胸にも響いてまいります。そしてそれを想うと、私の胸も張り裂けんばかりに顫えてくるのです。
この手紙をお受け取りになって、姉上貴女がお感じになる感情のすべてが、ごっちゃになって、一時に私の胸の中にも躍り狂ってくるからに違いありませぬ。
エリザヴェート姉上、永らく音信を絶っていましたが、私は無事で生きているのです。
生きて健康で、こんなにもピチピチと幸福に暮しています。ただ生きてこの世で再び貴女や義兄上に、お眼にかかれようとは絶対に考えられない淋しみのみが、限りなく私の心を暗くさせているばかりです。それほどまでにも、私は遥かなる遥かなる遠い国……不思議な不思議な、ほんとうに夢のように不思議な国へ来ているのです。
この国が何という名前の国であるかを知りません。またこの国が我々の住んでいる地球上の、どの辺に位しているかも知ることができません。
当時幾度か緯度や経度の観測もしたような覚えがありますけれど、この国へ漂着するまでは、幾度何十遍死生の境を彷徨したことか、あまりにも絶え間なき苦難の連続のために、もはや当時の記憶は磅
として、ただ夢のごとくうつつのごとく、何一つ判然とは想い出すことさえもできぬからなのです。すでにこの国へ漂着してからざっと一年余りにもなりますけれど……そしてこの頃では言葉だけは大体差し支えない程度にわかってきましたけれど、それらのことが我々には少しもハッキリと飲み込めないのです。第一今私は「国」という言葉を使いましたが、それもほかに適当な、言い現すべき言葉がないからであって、ここが一体、一つの大陸なのか、それとも大きな島なのか、そして独逸国、仏蘭西国、英国と言ったように、それぞれに区画されている、我々の持っているいわゆる「国」という概念に当て嵌まるところなのかどうか、それすらハッキリとしたことは少しも飲み込めてこないのです。もう二、三年もたって、この国の文字がわかるようになり、この国に伝わるたくさんの書物でも読めるようになりましたならば、少しはハッキリしたことも掴めるか知れませんが、ともかく、現在朧げながら我々の想像しているところでは、今私たちのいるこの都は、オストリニウムという都会であり、ここから山二つばかりを越えた、六十哩ばかり先には、この都よりやや狭小なアンチウムという都会があって、この国はこれらの独立した二つの都市より成り立っている、連合国家なのではあるまいかしら、と考えているのです。そして我々の知っているのは、そのアンチウム市の西方から北方へかけては、一望広闊な大平原となって、そこには牛や羊もたくさん放牧せられ、小麦畑も耕され、その辺にはグラウチアという部落や、プラキチウス・オケという二、三の村落やが散在しているということのみであって、それ以上の詳しいことなぞは少しもわかってはいないのです。ですから、どんなにここの模様をお知らせしようと思っても、姉上貴女にこれ以上のことは何にも書けようはずがないのです。それともう一つ私たちにわかっていることは、ここは我々の持っている世界地図には決して載っていないところであって……我々の住んでいる世界からはまったく隔絶したところであり、古来からまだただの一回も我々の住んでいる世界では、交通したことがないというところだということなのです。したがってここへ漂着してきたのは、この土地始まって以来我々をもって嚆矢とするということであり、ここへ来た以上は、もはやこの土地へ骨を埋める以外には絶対にもと来た世界へ帰ることはできない国だということが我々にわかっているのです。一度行くことのできた海ならば、たとえそれが漂着した海にせよ、その航路を辿ればまた帰れないこともあるまいに! と姉上、貴女はお考えになるかも知れません。しかし、それがどうしても帰ることのできない、船舶運用上の絶望さが、この辺の海洋には一杯に満ち充ちているのです。
世界最悪の魔海と呼ばれて、今から三百年前、第十八世紀の初頭以来、未だいかなる船舶と言えども乗り切ったことのない、といわれるウニデスの大潮流! 気流と潮の流れに変化常なく、何十日間かにわたる大逆風の暴風と濃霧圏! 万に一つの例外もなく、いかなる大船舶と言えども呑まずにはいぬ、世界無比の大渦巻! どうしてこの海洋を乗り切って、再び帰ってゆくことなぞができ得るものでしょうか!
眼を閉じて狂瀾の咆え猛っているこの海を想えば、身の毛の竦つなぞとは、いうも愚か! 生きてこの国へ漂い着いている我々自身の運命を、ただ不思議と考えるほかはないのです。こうして今、麗かな太陽を浴び、清らかな空気を吸い、紙草に向って姉上、貴女のことを考えながら、ペンを走らせている我々自身の身の上が、ただ奇蹟のような神秘さに、感じられてならないのです。
姉上、私はこの手紙を書き上げましたならば、早速一つの記録に取りかかるつもりでいます。永い間の謎とされていた魔の海の正体を学界へ報告するために、当時を想い起して、できるだけ詳細な記録を作り上げよう、と考えています。
この手紙とともにそれがお手許に届きましたならば、どうか姉上、最後まで眼を通してみて下さい。必ず貴女にも、私の帰れないわけの御納得が、お付きになれようと思います。
どんなに私が冀い、貴女はそれを祈って下さっても、お互い命のある限りは、生きて再び逢うことのできぬ、離れ離れの境遇にあるということが、貴女にもハッキリとお飲み込めになれようと思います。
それ故にこそ、一心籠めて私は今この手紙を、貴女に向って認めているのです。私の無事であることをお知らせしようと思って……そして再びお眼にはかかれなくても、私がこうして無事に、幸福に、ここで生を続けているということを、せめて貴女にお知らせして喜んでいただこうと思って!
エリザヴェート姉上、我々姉弟は早く両親に死に別れました。独逸屈指の名門に数えられ、広大なる邸はあり、富はあり、大勢の召使はあっても、我々姉弟ほど侘しく世の中へ抛り出された姉弟はありません。
我々姉弟はいつも抱き合って、一つの身体になって世の荒波を乗り越えてきたようなものでした。
大勢の男性たちに羨望される美しい何不自由ない妙齢の身をもって、貴女はいつもその艶麗な華奢な青春を惜し気なく弟一人のために捧げて下さった、私の瞳であり眼であり、そして生きる私の希望であったのです。そして私もまた、一刻も早く貴女の盾となり相談相手となりたい一心に、学問を励んで貴女のお望みのとおり皇帝陛下の海軍士官となることができました。しかもその助け合っていた生命が二つに分けられて、貴女も幸福であり、私もここで幸福でありながら、その幸福をお互いに手を執り合って喜ぶこともできないとは!
ああ姉上、
二年前の貴女の顔が浮んできます。我々の乗艦シャッガァ号が特殊命令を受けてブレーメルハーフェン軍港出航の際に、貴女が義兄上と送りに来て下さって、初夏の陽ざしの中にハンカチを振っていられたあの時の姿が眼の前にちらついてくる……。
しかし姉上、
こういうことは書いていても、私は決してここで不幸に陥っているわけではないのです。不幸どころか! むしろ貴女には想像もおつきになれぬような幸福に包まれて毎日を夢のように送り迎えていると申し上げた方がいいかも知れません。
世界の地図からは海の色一色に塗抹されていた陸地……そして古来から未だただの一度も、我々の住んでいる世界とは交通のなかった国、と申し上げれば、定めし姉上はそこに住む原住民たちは、見るもいぶせき掘立小舎から弓矢を携えて出入りする、裘を着けた極南の矮小民族か、物凄い黥をした南海の獰猛な土人の姿でも御想像なさるかも知れません。しかしそれは大変な間違いです。それならばこそ私は、この手紙の冒頭において、「遥かなる国、不思議なる国、ほんとうに夢のように不思議なる国」と、驚嘆の形容詞ばかりを重ねて申し上げたわけなのです。ここにいるものはことごとく、我々欧州人と寸分の相違もない白色人種ばかり金髪を持ち亜麻色の髪をし鳶色の髪を持つ、白皙隆鼻の碧い眼をした立派な文明人ばかりなのです。
瀟灑な服飾を整え、豪華な邸を構え、家具調度に贅を尽し、宝石を燦かし、文学を持ち、書籍と芸術とを愛好し、音楽を好み、詩を愛し、極めて優れた造形美術と野外劇とを有し、そのことごとくが我々の持つ欧羅巴の文明よりも遥かに水準を抜いて、いずれも高度な優秀さを示すものばかりです。しかも、その文明人が決して百人や千人、二千くらいの尠い数ではありません。我々の唯今いるオストリニウム市は、人口が約十三万……六十哩離れたアンチウム市は約十一万と数えられています。正確なことはもちろんわかりませんが、全部でおそらく二、三十万人にも上るのではなかろうかと思われます。
姉上、これがどうして漂着した民族なぞであり得ましょうか? しかも幾度も言いますとおり、ここは古来から我々の住む世界とはただの一度も往来のなかった国であり、地図に忘れられた国であり、その文明はまったく我々欧州人の文明とは異なった発達を遂げながらも、我々の文化を凌駕するとも劣らざる最高度の文明さ! ただ夢のような謎に包まれて、あまりの不思議さに茫然たるほかはないのです。
しかもこの香り高い文化の下に、最も進歩した共和政体の都市連合国家のごとく見えながらも、少数の貴族は強大なる特権を持って都会を支配し、世襲の多数奴隷の上に生殺与奪の権を奮って、あたかも王侯のごとくに君臨しているのです。
奴隷には黒奴もあれば白人もあり、白人の中には花のごとき窈窕たる美女もありながら、しかも彼らも彼女らも眼に一丁字なく、奴隷は祖先代々奴隷としての境遇に甘んじてその範囲を出ることは一歩たりとも許されないのです。
なんという不思議な社会制度! 珍しき国! おそらくこの国の持つ文化を研究し、この社会組織を究めるためのみにでも、有能なる学者が一生を賭してもなおかつ足りぬものがあるのではなかろうかと思われます。
しかもこれらの珍しい社会制度や香り高い文化にも増して我々を驚嘆せしめたのは、この国の持つ都会の優美さと、そこに住む住民の水際だった美しさだったのです。
私はどうかして姉上に、今私の感じているこの驚きの百分の一、千分の一でもをお伝えして、私の住んでいるこの都の絢爛さ、華麗さ、美々しさと、そしてこの都に住んでいる人々の並々ならぬ床しさや優雅さ、美しさなぞをお知らせしたいと思いますが、私の持っている筆の力くらいでは到底この驚異の万分の一をも紙の上に写し出すことは覚束ないかも知れません。
姉上はかつて我々が子供の時分……まだ父上や母上が御在世の頃、みんなで墺国の首都維納へ遊びに行った時のことを覚えておいでになりましょうか? あの時貴女も私も、
「美しい! 美しい!」
と大喜びで、飽かずあの古雅な音楽の都の落ち付いた景色を眺めていましたが、この国の都の美しさ清らかさは、とてもとても維納くらいの比ではありません。維納が十かたまっても二十集まっても、おそらくこの足許にも寄り付けなかったであろうと思われます。その美しい都の中のどんな美しいところに座を占めて今私がこの手紙を認めているか、周囲を少しく振り返ってみることにしましょう。そうしたならば、姉上にもこの都の幾分かが御想像になれるかも知れません。
姉上、私は今、我々が賓客として滞在しているこの都の貴族、エフィゲニウス邸の豪華壮麗を極めた内庭の大噴泉のほとり、広々とした緑の芝生の上に据えられた瑪瑙の大卓子に向ってこの手紙を認めているのです。エフィゲニウスと言えば、この国最高最大の貴族、そしてこの邸に私と主計長のウィットマン・クルーゲル主計中尉とフンク・アダルベルト二等機関兵曹とが分宿して歓待に預っているのです。右手彼方には階高く大理石の円柱林立して、エフィゲニウス邸の大殿堂が空を圧して聳え立ち、陽光は煦々として建物を蒼穹の中に浮き立たせ、ペンを軋ませている私の指先に戯れ、大噴泉は絶えず菫の薫りを四辺に撒き散らしているのです。
大空はくっきりと晴れて雲一つなく、桃金花と薔薇の小枝が顔さし伸べて、私の書いているこの紙草の上に花弁を降らせ、柔らかに陰を作っていてくれるのです。そしてダイアナに似てもっと豊麗な裸体女神の雪花石膏の台座を囲んで、見る眼広やかに白大理石を敷き詰めた大浴池の岸には、白菖と麝香草とが咲き乱れ、花陰では三、四人の侍女たちが清冽な水に白い脚を浸して笑い戯れながら、さっきから水遊びに余念もありません。
そして老エフィゲニウスが眼に入れても痛くないほどに鍾愛している一人娘のロゼリイスは、芝生に坐って私のために鵞ペンを削りながら、絶えず涼しい微笑みを送ってくれ、遥か橄欖と糸杉の森の彼方では、侍女のオルフィスやピエラたちが、蕃紅花の花を摘んでは銀皿に盛って、この紫のインキを搾っていてくれるのです。
姉上、これでいくらかはこの都の持つ華麗さ、絢爛さ、高雅さが貴女にも御想像がお付きになりましたでしょうか?
しかもその優美さ絢爛さにも増して、数百人の侍女や奴隷たちから姫君と尊められているロゼリイスの美しさ、気高さというものは!
ふさふさと豊かに垂れた金髪に桃金花の花綵を結んで、薔薇色の頬、蒼穹のように澄み切った眸! 雪白の綾羅の裳裾長く地に曳きながら、今私の方へ歩み寄ってくる姿というものは、背後の女神彫像と妍を競わんばかり、神々しいまでの美しさに見えました。しかも彼女は白粉一つ付けてもいなければ、口紅一つ塗ってもおりません。
姉上、貴女もほんとうに美しかった。ケムニッツ市一の美人とうたわれて故国にいた頃は、弟ながらもどんなにそれを誇らかに考えていたか知れません。けれども、私は今そう思うのです。さすがの姉上とても一瞥ロゼリイスを御覧になったならば、この美しさには舌を捲いて感嘆なさるに違いあるまいと。しかも、それは姉上、ただに貴女お一人とは限りません。
もし彼女をこの装いそのままで、今私が伯林へ連れて行き、巴里へ連れて行ったならば、人工の限りを尽して磨き上げた欧州の美女たちは、ことごとくこの未知の世界の女一人のために、顔色を失ってしまうに違いなかろうと。そして、頸飾りを下げているでもなければ、指環一つ嵌めているでもなく、ただ腰帯にだけ豪奢な飾りを示している天使のように清らかな彼女の装いは、欧州の濃厚とした装いをたちまちに蹴落して、巴里の流行も伯林の流行も、世界の流行という流行はことごとく一変してしまうに違いあるまいと、彼女を見るたびに私はいつもそう思い、そしてそう思いながらも彼久を欧州へ連れて行くどころか! 私自身さえもはや故国へは帰ることもできず、空しくこの辺土に骨を埋めてしまわなければならぬ自分の運命を考えて、思わず暗然たらざるを得ないのです。
姉上、私は彼女の美を称えることあまりにも長きに失するように思われますが、しかし彼女はただに美しいばかりではなく、また聡明そのもののような天稟でした。書物が好きで詩が好きで、この国に伝わっているオヴィジウスの詩というのを私によく話してくれましたが、その聡明さは私が教えてさえやれば、どんなことでもたちまちにして覚え、そしてまた興味をもっていろいろなことを尋ね、尋ねたことは一々熱心に紙草に書き留めているように思われます。私にはまだこの国の文学を解するだけの力がありませんから、どんな意味のことをどんな感想をもって書いていたかは知ることもできませんが、おそらくは、すでに誌した物だけでも、五、六巻くらいには上っていたのではなかろうかと思われます。そして私にこの手紙や記録類を認めるようにと勧めてくれたのも彼女だったのです。
今日まで、愚かにも私は姉上に手紙を書こうなぞという気にすらなれず……まんざらその気にならなかったわけでもありませんけれど、書いてもどうして送り届けるかを考えると、その不可能と絶望の方が先に立って、書いてみようという気にすらなれなかったのです。それを彼女に勧められて、こうして今ペンを執り始めたわけなのですが、それはまだほんの二日三日ばかりも前のことだったと覚えています。
先程も申し上げた大噴泉のあるあの池畔を散歩していました時に、ふと貴女のことを想い出して、何ともいえぬ暗い気持に襲われていたのです。私はこうして何不自由なく、夢のように幸福な日を送っていますけれど、姉上はさぞ今頃私のことを案じておいでになるだろうと思うと、彼女と笑いながら毎日を送っていることすらも貴女に済まぬような気持がして、青々と葉を繁らせている山毛欅の大木の幹に靠れて蒼空を眺めながら、何考えるともなく取り留めもない物思いに耽っていたのです。
窓から眺めてでもいたのでしょうか?
「どうして貴方はそんなにお淋しそうにしていらっしゃいますの?」
とロゼリイスが静かに側へ近付いてきました。
「貴方がいらして下さってから、こんなにも楽しくなって、みんな喜び切っていますのに……どうして貴方おひとりはそんなに淋しそうな顔をしていらっしゃいますの?」
「貴女や御父様のお陰で、こうして幸福に私は毎日を送っていますけれど、何にも知らずに姉がさぞ私のことを案じているだろうと……故国にいる姉を、また、今、想い出していたところなのです……」
「…………」
気の毒そうに眼をしばたたいて、ロゼリイスは頷きました。私が姉上、貴女のことを考えて暗い面持さえしていれば、優しい彼女はいつも同じように胸を痛めていてくれるのです。そして黙ってしばらくは、岸の桃金花を折って花綵を拵えていましたが、
「一度、私、貴方にお話してみようと思っていたのですけれど……」
と、独語つともなく、私に話し掛けるともなく恍惚としたように言い出すのです。今拵えた花綵を池の水際に浸していましたが、それが水の中から咲き出たように漣に揺られて、二つにも三つにも屈折して見えました。
「奴隷のクレテは、この国切っての函作りの名人と言われていますわ……クレテの作った函は、何年たっても、何十年たっても決して水が洩らないと言われていますわ。私、クレテに言い付けて、丈夫な函を作らせようと思っていますのよ……何年たっても何十年たっても、水の透らぬような浮き函を……」
「…………」
「そうしたら、貴方のお国の言葉で、貴方は書いて下さいますわね? この函を拾った方は、どうぞ私の姉のところへお届け下さるようにと……そのお礼には、函の中の宝石をお取り下さるようにと……私、函の中へ、ミレネアの花瓶も……エスキリネの鏡も……金も銀も宝石も一杯に入れておきますわ」
「…………」
「私、貴方のために鵞ペンをたくさんに削りますわ。奴隷のアヌッスに言い付けて、紙草もたくさんに拵えさせましょうね。……渦の中に何年捲き込まれても、何十年捲き込まれても、そして流れて流れて、何年かたてば……何十年かたてば……」
と、夢見るように恍惚と、彼女は呟くのです。
「海が連れてきた幸福を、どうして海がまたお姉様のところへ、連れて行ってくれないことがあるでしょう?」
「おお、貴女は何という優しい、そして賢い方なのでしょう」
と、深い深い感動と歓喜が込み上げて、私は覚束ないこの国の言葉では、口をきくことさえもできなくなってしまったのです。
「私は貴女ほどに美しい……貴女ほどに優しい賢い方を見たことがない! 貴女は何という……何という……」
再び私は感動で口がきけませんでした。そして初めて彼女は、羞ずかしそうに頬を赧めて、溶けんばかりの靨を泛べながら私の方を見上げました。真白な頬に薔薇色の血を上らせて、たださえ美しいその面が何という窈窕さだったでしょうか。
「さあ、お部屋へ行って……早くお姉様へ手紙を書いて、もっともっと幸福になりましょうね。たとえ一生涯お逢いになれなくても、お姉様も貴方の幸福を考えて、お幸福でいらっしゃるし……お姉様のお幸福を考えて、貴方も幸福でいらっしゃいますし……貴方が幸福になって下されば、父や私もどんなに幸福かわかりませんわ」
彼女は初めて、腰をくの字なりに曲げて悪戯っ子のように笑い声を挙げました。
「いつか貴方は初めて私の眼を開いて下さって、この世界がどんなに広いかを教えて下さいましたでしょう? 今度は私、貴方の眼を開いて差し上げて、この世界がどんなに狭いかを、お教えして上げますのよ」
そして、愛娘のその楽しげな姿を、噴泉の向う岸を逍遥しつつ、老エフィゲニウスが、これもまたさも楽しそうに微笑みながら眺めているのです。微笑みつつも時々、手にした巻物に眼をやって、クルーゲル中尉やアダルベルト兵曹たちと話をしているのは大好きなエンニウスというこの国の詩人の詩でも、読んで聞かせているのかも知れません。
エリザヴェート姉上
そういうわけで、私は今桃金花と薔薇の花陰に座を占めながら、この紙草にペンを走らせているのです。紙草にものを書くということは、まことに容易ならぬ苦労であって、慣れない私は、三行に一本くらいずつの割合で、ペンを潰してしまうのですが、ロゼリイスは約束のように私の傍に坐って、せっせと鵞ペンを削っていてくれるのです。およそ以上のような会話は、何を下らぬお伽噺の国の王子と王女の問答みたいなものを書いて! と、姉上貴女はお思いになられるかも知れません。しかし私にとっては決して詰らぬものでも、下らぬことでもないのです。というのは、彼女と話をしているうちに、私はどうして我々がこの国へ漂着するようになったか? というその航海経路や、この国は一体どういう国なのか? という事情なぞを、私がこの眼で見、この耳で聞いたとおりに、できるだけ詳しく記録して、姉上のお手許へお送りしようと決心したからなのです。この国家興亡の大戦を他処に見て、もはや海軍軍人としてもまた一国民としても、何ら祖国に尽すことのできぬ私は、せめてその方法によってなりと、故国の学会へ寄与することができたならば、この辺土に骨を埋めても、何ら悔ゆるところがないと考えたからにほかならないのです。
姉上、何年たってこの手紙がお手許へ届くのか、何十年たって届くものか、それは私に想像すらも付きません。しかし、ロゼリイスと同様に私もあくまで信じています。大海は私をこの国へ連れて来て、この幸福を私に与えてくれました。その私の幸福をどうして、姉上貴女の許へ齎してくれぬことがあろうかと。
この手紙がお手許へ届きましたならば、この国で私がどんなに幸福に暮しているかを知って下さって、姉上貴女もどうか幸福に義兄上と暮して下さい。定めし故国に勝利はもはや訪れて、貴女がたは栄光の中に生活していられることと思います。その栄光の日をどうぞ一日も長くこの世でお続けになりますように。では私の百千度の接吻を籠めて。
一九一六年五月十四日
オストリニウム市において
カアル・フォン・ワイゲルト
独逸ケムニッツ市
ラファエスタイン街
エリザヴェート・ローゼンタール
男爵夫人
夫人よ、御身に向って、御身の令弟であり我らの親しき友である、カアル・フォン・ワイゲルト中尉の死をお伝えすることが、いかに我らにとって大いなる苦痛であり、悲しみであるかということを御諒察の上、この手紙を御披見下さるならば、我らの幸いこれに過ぎませぬ。中尉は本年九月二十八日午前四時二十分、病気のため当地において逝去せられました。以前より心臓性喘息を患われ、昨秋頃より漸次悪化して約二カ月ばかり臥床せられました。本年春、一時軽快に赴かれましたが、夏頃よりまたまた病勢悪化、衰弱甚だしくしばしば呼気性の呼吸困難を訴えられ、烈しい発作がありました。九月二十八日、ついに肺炎を併発し、二日の後溘焉として永眠せられたのであります。発病以来、我々の同僚たる元シャッガァ号乗組軍医長、リンデンベルゲル軍医大尉の懇篤なる治療を受けられましたが、残念ながら当地においては医薬品の入手いかんとも致し難く、もしこれが欧州においてであったならば、いかようなる手段を執ってでも生命の保証だけは図り得たものを! と、リンデンベルゲル大尉もそれを非常に残念がっていられました。殊に中尉の病患に対して最も必要なる、アドレナリン注射液及びカルビタミン剤の持ち合せなく、大尉は窮余已むを得ず、薬草よりの代用薬採取を企図せられ、極力栽培に努力していられましたが、未だその成功を得ざるうちに忽焉として中尉の長逝を見ましたことは我々の最も痛恨極まりなきところであります。
当市より六十哩ばかり離れたる所にアンチウム市と申す所があり、我々の同僚の一人が唯今そこで病臥しておりますために、リンデンベルゲル大尉はその方へまいっておりまして、当時の経過の詳細をここに認めることのできませんのはまことに遺憾でありますが、シャッガァ号乗組当時、我々の同僚は八十九人でありました。ピッケルン島南方の遭遇戦において二十三名の戦死者を出し、重傷者中死亡せる者及びその後の航海中に死亡せる者二十四名を除き、現在ではわずかに四十二名に過ぎません。半数にも満たざるこの残り尠き同志中より、さらに今中尉を奪われしことは我らにとって寂寥これに過ぐるものはありません。殊に、中尉のごとく年歯わずかに二十五歳、前途有為の才に富み、天資豪邁、将来この地において我らの統率者たるべき英偉の資質をもってこの夭折を見たることは我らの痛嘆措かざるところ、生き残れる我ら同志中尉の棺を囲んで慟哭これを久しうした次第であります。
殊に、中尉はこの地においてまことに幸福なる生活を送られ、当地随一の名門たる最高貴族エフィゲニウス家の愛娘ロゼリイス姫と婚約せられ、やがて病癒えたる後は華燭の典を挙げ、エフィゲニウス家の相続者として当地一の荘園を支配し、六百七十人に余るエフィゲニウス家召使奴隷の主人たるべく約束せられし身であるだけに、中尉の愛人ロゼリイス姫の嘆きはもちろん、老いたる父君メラニデス・エフィゲニウス氏の悲嘆哀傷は傍の見る眼も痛ましく、日夜花を携えては中尉の墓辺を逍遥し、在りし日の中尉を偲んで涙滂沱たる有様は、ただ我ら万斛の悲しみを誘うのみであります。中尉の同僚友人愛人にして然り、いわんや日々中尉の安否を気遣われ、暮夜その消息に心痛められし御身が、令弟の訃音に接していかばかり悲嘆の涙に咽ばるるかは思うだに胸迫り、ペン持つ手の打ち震うを禁じ得ませんが、しかし夫人よ。すべては天帝の御旨であり、天帝の善しと見たもうところこれを行いたもう。到底我らの思惟の及ぶところではありませぬ。何卒令弟の死を超えて一日も早く涙の底より起ち上られますよう、願わくばこの苦き盃を速やかに御身の御家庭より離ちたまわんことをひたすらに上帝に祈願して已みませぬ。
中尉の臨終は極めて穏やかであり、死の前三日間は母国語をもって囈語を発し昏睡を続けていられましたが、死の直前意識は極めて明瞭に返り、当地の言葉をもってロゼリイス姫並びに父君エフィゲニウス氏に告別の辞を述べられ、微笑を湛えた目礼を我ら同僚の面に移して、自分が瞑目したならば独逸にいる姉に知らせて欲しいという意味を途切れ途切れに述べられました。そして書きかけの記録がよほど気にかかるかして、
「紙草……紙草……姉さん! 貴女に……」
というのがその臨終の言葉でありました。そのほかには何らの遺言とてもありませぬ。真に独逸武人らしく立派なる最期であったことを御満足あられますよう願い上げます。
当地の習慣に従い、亡骸はプリゴネと称する薬草の液に浸し、麝香草の花を詰めて腐敗を禦ぎ、金銀を象嵌したる瑪瑙の寝棺に納め、さらにこれを桃金花の木にてつくれる槨に入れ、薬蝋をもって密封し、七日間エフィゲニウス家に安置して祭祀の後、当市郊外の墓地に運び土中に埋葬致しました。そして爾来墓所の工事に専念いたし、一昨々日をもって完全なる葬送を終りました。この地に産する白大理石をもって築き上げた小高い石窟に棺を安置し、側室を設けて五、六歩の階段を登って棺側に近付くことのできるように廻廊をめぐらし、青銅の扉を付け、この全体を純白なる穹窿形の大理石にて蔽うたものであります。扉には三羽の白鳩を金にて彫刻し、紫水晶と緑玉とを鏤めて、エフィゲニウス家の定紋たる盾と兜とを浮き出さしめ、その下にラミセウス・ナミシウス・カアル・フォン・ワイゲルトの墓と当地の文字をもって表記しました。ラミセウス・ナミシウスとは「他家より迎えて相続者としたる」という意味の当地言葉だそうであります。すべてこれらはエフィゲニウス家出入りの工人がこれを担当し、昼夜兼行で工を急ぎ、中尉の永眠後二カ月、一昨々日をもって竣工し、我々は墓前に橄欖を植え芝生を設ける手伝いをいたしたのであります。
エフィゲニウス家の奴僕六百七十余名、我ら同僚一同、当地市民の会葬する者二千余名を超え葬送はすこぶる盛観を極めました。おそらく永眠ただちに中尉の魂魄は、夫人よ御身の許へ急いだこととは思われますが、しかしその霊はまた、遺骸の上にも静かに微笑んで故人が生前最も熱愛せるロゼリイス姫とこの地の上にあることをも、我らは信じて疑わざるものであります。独逸武人の魂として中尉が生前愛惜措かざりし第一種正装用短剣一振り、軍服、図嚢、勲章類は、エフィゲニウス家より贈られたる金の果物、銀製の羊、真珠と紅宝石とを鏤めたる青銅製の戦車と凱旋門の模型や各種宝石類とともに、ことごとくこれを側室に納めました。中尉遺愛のツワィス望遠鏡とロンジン夜光時計とだけは、懇請に任せ我ら一同よりの微意として、中尉の岳父たるべかりしメラニデス氏にこれを贈りました。中尉の永遠に眠るこの墓地が当市の何処にあるかは、中尉の手記中に詳しく記されてありますが、中尉はこの墓地のことを不思議なほど力を籠めて記述しております。何卒それによって御承知下さるよう願い上げます。
中央部分よりやや東寄りに、エフィニゲウス家の宏大な塋域があり、先程より詳しく申し上げました中尉の墓所は、この塋域中に設けられました。唯今大空には、一、二片の白雲がのどかに泛び、中尉の墓側に侘しい翳を落しております。そして老いたる貴族エフィゲニウス氏と、当地一般市民から姫君と尊められている、その気高き愛娘ロゼリイス姫とが花を携えたる侍女三、四人ばかりを従えて、その陽の翳った道を、力なく歩んでいられます。轎にも乗らず、二人で涙を一杯眼に溜めて歩んでいられ、また、中尉の墓詣りに行くに違いありません。我らの同僚ウェスネル・アントンが涙を伝わらせながら、窓に靠れて凝乎と、眺めております。
夫人よ、中尉は、生前暇々を見ては、故国の学界に提出すべく、紙草に記録のペンを熱心に走らせておりました。蕃紅花の花を搾って、インキを作り、鵞ペンを削って、ロゼリイス姫が、これを手伝っていられました。同送三巻の巻物がそれであり、臨終の際にも、念頭を去らざりし紙草というのもすなわちそれでありますが、中尉の病勢昂進のため、わずかに当地上陸の記述のみにて、筆が絶たれております。これが完成しておりましたならば、御身はもちろん、御身を通して故国へ、故国を通して欧州全土へ、当地の事情を詳しくお伝えすることができるものをと、今更ながら残念でなりませぬ。
しかし我々の中には、中尉のごとく文才豊けく、この記録の衝に当って、これが完成を図り得る者とては一人もなく、ペンを握ると聞くと、みんな頭を掻いて、尻込みしてしまう武骨者ばかりであります。
いわんや報告書的のものならばともかくも中尉の記述のごとく、あくまで事実に立脚しながら、しかも興味津々たる筆を進めている、こういう文藻溢るる記録に至っては、まったく中尉独自の領域でありまして、この後を引き受け得るものなぞはただの一人もおりませぬ。遺憾ながら、未完のままお手許にお送りいたしますから、何卒令弟の絶筆として、故人生前の意志どおりに御取り計らい下さいますれば、幸いこれに過ぎませぬ。
同封三枚の絵は、この記録とともに、故国の学界へ送るのだと、かねて中尉の非常に大切にしていたものであります。いずれも当地風景でありますが、元シャッガァ号乗組三等機関兵ウィンクラー・クラフトが、これを描きました。この男は、今次入隊前までは、ミュンヘンで画学生だったそうでありまして、この方面に多少の才能を持っていたのかも知れません。艦に乗っておりますときから、軍務の余暇を見ては、絵ばかり描いておりました。この男が当地上陸早々、この華麗なる都会風景に、画心を刺戟されまして、早速筆を執りましたのがこれらの絵であります。顔料だけは、持ち合せのもので辛うじて間に合せましたが、画布がなく、已むを得ず市民の好意で、紙草を漉いてもらい、これに描いておりました。画布と違って、絵具の乗りが悪くて困ると、描きながらよく零しておりました。
絵としては、あまり芸術的なものでないかも知れませんが、難航中写真機を紛失しましたので、令弟終焉の地の都会風景として写真代りに御覧に入れます。中尉の記録中に、右手に墓場を眺めつつ進んでゆくとやがて左手に、白堊の崇厳なる大殿堂が聳え立っているという部分があります。そこを行進してやがて隊列は、市街のもっとも坂の下へ現れたという条がありますが、一枚の絵はすなわち、このなだらかな坂道の下へクラフト機関兵が、手製の画架を据えて、市街を写生したものであります。他の一枚は、これも記録の中に出ております、当地市民公衆浴場の内部を描いたものであります。当人が生きておりましたならば、もっともっとたくさんの場面を写生してお送りすることができたかも知れませんが、不幸にしてこの機関兵もまた病気のため、中尉の死に先立つ約四カ月以前に、当地の土と化してしまいまして、もはやこれ以上のものを御眼にかけることのできませぬのを、残念に思います。
第三の紙草の上に描かれたものは、当地付近の見取り図であります。我々に、当地の地理的概念を与えるために、市民の一人が丹念に作ってくれたものでありまして、一見甚だ奇異なる地図でありますが、慣れてみますと、これでも我々には充分に地域的遠近の差、高度、山脈、湖水、河川、火山等の判断が付け得られるのであります。書き込んだ独逸文字は、仮に地名、河川名等を当地の発音どおりに、アルファベットをもって標記したものであります。我々の育まれてきた世界とこの大陸との間に、交通が開けるであろうということは、到底夢想だにもできぬことではありますが、しかもなお我ら瞑目の後にでも、この地図の役に立つ日のくることを我々一同どんなに望んでいるか知れません。が、所詮これも、我々のただ夢のようなる翹望と申すべきでありましょう。
さらに同送にて金貨六十枚をお送りいたします。いずれも、エフィゲニウス家祖先より伝わる古代金貨だそうでありますが、当地においては、貨幣などは何の値打ちでもありません。ただこの書翰記録類が完全にお手許へ届きますよう、この木函拾得者に対する謝礼の意味で封入して欲しいというロゼリイス姫の申し出でによって同封いたします。
姫はこのほかにも、莫大なるものを持参いたされました。夥しい宝石類やエスキリネの鏡と称える数千年来の名宝の鏡、花瓶等……しかしそうまで姫を煩わすに忍びず、我らはこれを辞退いたしました。これら六十枚の金貨は、当地においてこそ何らの値打ちでもありませんが、いずれも古代金貨でありますから、欧州においては莫大なる価値を生じ、拾得者に対する贈与金としては充分であろうと考えたからにほかなりません。さらばとて、姫はそれらのものをことごとく中尉の墓所の側室へ納め、己が愛人の死出の旅路の贐とされました。
以上、我々は、廻らぬ筆をもって、中尉逝去前後の御報告を申し上げましたが、この手紙を結ぶに当り、夫人よ、この機会を利用して我ら一同よりの御願いがあります。
下名ら四十一名は旧シャッガァ号乗組生残者でありますが、再度繰り返して、中尉の書翰記録類によって御判断を願いますとおり、もはや生きて祖国へ帰る望みは、到底持ち得ざるものであります。しかも、いずれも祖国には、老いたる親あり、妻子あり、親戚友人あり、想い一度それら家族の身に及ぶや、まことに断腸の念に堪えざるものがあります。ここに戦病死者、生存者一同の氏名を列ねてその出身地を明らかにいたしておきますから、この手紙御披見の上は、何卒伯林海軍省もしくは軍令部へ、即刻御報告下さいまして、家族は決して下名らの生還を期待せず、下名らはすでに世に亡きものと思い諦めて、それぞれに適当なる生計の道を取り、幸福なる生活更新の道を図るよう、しかも下名らは当地において、決して不幸なる運命にあるものではなく、むしろ世にも幸福なる生を享けているものであることを信じて、家族は決して、嘆くことなく、幸福なる道を辿るよう、適切なる処置を御仰ぎ下さいますならば、我々の喜びこれに優るものはありませぬ。
では、エフィゲニウス家工人の苦心による木函の中にこれより、上記の品々を納め明日大海に投ずることといたします。
この手紙ができましたならば、夫人よ、御身に対して自分のユーザ・サヨ・サマーレを伝えて欲しいと、美しき双眸に涙を湛えて、ロゼリイス姫が申していられます。ユーザ・サヨ・サマーレとは、当地の言葉にて「神々よ! 汝の手により涙を拭いたまいて」という慰めの意味だそうであります。姫の言葉とともに、夫人よ! 我ら一同のユーザ・サヨ・サマーレをも受け取りたまわんことを!
一九一六年十二月十九日
オストリニウム市において
元駆逐艦シャッガァ号乗組
機関長 海軍機関大尉マイエル・ブルメナウ
航海長 海軍大尉ヘラァ・ルドウィッヒ
主計長 海軍主計中尉ウィットマン・クルーゲル
再びエリザヴェート夫人夫人よ、御身に向って、下名らは昨年十二月十九日、御身の令弟の逝去を報ずる一通の書翰を認めました。そしてその書翰を納めたる木函を大海に投ずる旨を、その中に認めておきました。しかしその夜突発したある予期せさる事情は――しかも、その出来事に対して、夫人よ、我らは悲しんでいいか喜ふべきか、それすらわからないのでありますが――その突発した事情は、下名らをして一夜のうちに下名らの計画を根底より変異せしめ、前便を書き改むることなくして、三カ月を隔てたる今日、御身を驚かすべきさらに一つの書翰をここに追加せしむるの已むなきに立ち至らしめました。
すなわちこれより、この御身を驚かしめ、我らをして、悲しむべきか喜ぶべきか、その帰趨に迷わしむる事件の御報告を申し上げるわけなのでありますが、それには今より三カ月以前、我らが前便を書き終えた当日までペンを遡らせなければなりませぬ。
ちょうど我々が前便を書き終えて、いよいよその日こそは、これらを納めたる木函を大海へ投ずべく種々準備に専念していた朝のことでありますが、我々の集っていた部屋へ、突然、侍女のエリネと申すのが入ってまいりました。眼を真っ赤に泣き腫らして、悲しげに涙を溢らせつつ、そこに跪きました。ほとんど口もききえぬくらい、烈しい感情が胸を銷しているもののごとく、手真似でこちらの方へついて来て欲しいと言わんばかりの身振りをして、庭の向うを指さしているのであります。我々の宿舎に当てられている別邸とは宏大なる庭園を隔てて、本邸も遥かになだらかな一面の傾斜の彼方、南面して巍然たる円柱を繞らせて聳え立っているのでしたが、そちらの方を指さしながら、今にも涙の滴り落ちんばかりの様子が、何かは知らず、ただならぬ気色に見受けられました。
我々の同僚中では故中尉が、ロゼリイス姫と睦まじかったせいか、最も早くこの国の言葉に通じていたのでありまして、この点中尉の語学の才能というものは、まことに天才的だったと申すべきでありましょう。中尉を失って後の我々武骨者一同は、意思を通じ合うのに事々に困難を感じ、そのたびごとに故人を憶うの情切なるものあるを覚えていたのでありますが、その中尉すらも教養のあるせいか、貴族や姫たちとは割合容易に意を通じ合いましたが、侍女や奴隷たちと話を交えるのには大いに困難を感じていたらしいのであります。ですから、その時も侍女のただならぬ気色を見て、我々中では比較的言葉が通じると自他ともに許しておりましたアダルベルト二等機関兵曹が、手真似足真似で意を尽そうとしましたが、もちろんちんぷんかんぷんわかりようはずはありませぬ。
「こいつはどうにも難しい。何としても分りませんな」と兵曹は匙を投げました。
「何か向うへ来てくれとでも、言うんじゃないかな?」
「らしいですな……じゃちょって行ってみて来ましょうか?」と兵曹は立ち上りましたが、しかもそれを見ると、立ち上った侍女は、我々三人をも指ざして、何か言っているらしいのであります。
「みんなで来てくれと言ってるんじゃないでしょうか?」
「どうもそうらしいな。じゃ一つ、みんなで行ってみようか」
そして我々がドヤドヤと立ち上ると、侍女は初めて納得したように、我々の先に立って導いてゆくのでしたが、この侍女のエリネが手間取っているので、さらにまた使いを寄越したのかも知れません。一歩部屋を出るとやはり眼を真っ赤にした二人ばかりの侍女が、こちらに急ぎ足で来るのに出逢いました。我々にはわからぬ優雅な言葉で囁き交わすと、この侍女たちもまた我々の後から歩を返してくる様子が、何さま我々の行くのを待ちかねているらしい様子に思われました。しかも侍女たちが何故眼を赤く腫らして、今にも涙の溢れ落ちんばかりの表情をしているのか、それが我々には不思議に思えてなりませんでした。
今も申し上げましたように、この侍女たちの我々を導いてゆこうとしている本邸というのは、眼も絢な一面の大傾斜の向うに、しかも青々とした芝生に掩われたそのうねりの上に、美しい円柱を繞らした白大理石の豪華な殿堂なのでしたが、そこに至る道は、この芝生の上にやはり乳白な大理石の甃を敷いて、両側に欄を立てた美しい遊歩道がうねうねと曲折しながら続いているのです。
しかも下働きの奴隷たちだけは別として、こうして今我々を呼び迎えに来ている姫の身近に仕えている侍女たちというのは、いずれも年の頃、十八、九から二十一、二くらいの美しい白人の美女ばかりだったのです。この美女たちがいずれも長い裳裾を曳き、薄い練絹の被衣を微風に嬲らせながら、擦れ違うとお互いに淑やかな会釈を交わしつつ、朝な夕なにこの芝生の中の遊歩道を我々のところへ食膳を捧げ持ってくる姿や、時には
たけたロゼリイス姫のお伴などをしながら、ゆらりゆらりと歩を運んでくる姿というものを、絵よりももっともっと美しいと、我々は感じていたことでありましたが、今日に限っては、この絵のような遊歩道で、行き逢う侍女もみんな悲しげな面持をして、眼を腫らしたのもあれば、今にも泣き出さんばかりの顔をしたのもあり、いつもは我々に逢うと、言葉はわからぬながらに、にこっと微笑む愛らしい侍女までが、今日はさながら挨拶を忘れたかのように、うな垂れながら通り過ぎてゆくのであります。いよいよ不思議な気がせずにはいられませんでした。そうして我々はようやく本邸の廊下へ足を踏み入れました。不断は賑やかに、大勢の奴隷たちが往き交っている本邸の中も、そこに奴隷たちの姿はありながら、そこはまったくいつもとは違って、何とも言えぬしめやかさ……常の日よりも一倍ざわめきながら、言わば満邸涙に打ち湿っているとでも言ったような調子だったのであります。我々はいよいよ訝しく思わずにはいられなかったのです。しかし神ならぬ身のまさかにその時、これほどの事件がこの邸の内を領していようとは、夢にも気の付こうはずもなく、我々は侍女のエリネの後から大理石の廊下を踏んでいたのでしたが、いつもここへ来るたびごとに繰り返す驚きは……おそらく欧州一の帝国の宮殿といえども、これほどまでの優美さは持っていなかったであろうと思われるほどの、燻んだ瀟灑さだったのです。高い高い穹窿形の格天井……そこに吊された何千年来のものともわからぬ古風な龕灯や、どっしりとした井桁の枠の嵌まったこれも穹窿形の円窓や、そして両側に列なった三十幾つかの部屋部屋……第一公議室……小公議室……人民控室……政務室……執政公室……居間……書斎……大食堂……そして我々のいる別邸と同じく、それよりももっと規模の大きな微温室……油湯……塗膏室……納涼室……化粧室……菫の薫りのする清冽な水を噴き上げている屋内噴水池……。
我々の今歓待に預っている老貴族エフィゲニウス氏が、今こそは一切の公職を辞して悠々自適の生活を送っていましたが、以前はこの都会の市長とも言うべき最高執政を務めていた頃の名残りの部屋部屋の前を通り過ぎつつも、その壮麗さにはまたいつものように眼を瞠らずにはいられなかったのです。この噴泉池のあたりくらいまでは、我々も今までに来たことがないではありませんでしたが、これから先へは、まだ今日まで一度も来たことがなかったのであります。が、今我々を案内している侍女のエリネはこれらの部屋のいずれにも足を停めず、もっともっと奥まった所へと導いてゆきました。
噴水池の内庭を廻るとさらに侍女たちの部屋らしいものが両側に続き、奴隷たちの控間らしい幾つかの広間があって、ここから大廊下は左の方へと折れているのであります。が一足その左へ折れた途端、我々は呀っ! と思わずそこに立ち竦まずにはいられませんでした。その広い廊下の両側を埋めてそこに何百人という奴隷が――このエフィゲニウス家の六百七十人に余る奴隷という奴隷のことごとくがここに集まっているかと思われんばかり、そこに三列四列になって、甃に伏して、頭を床に摺り付けて号泣しているのであります。しかもそこに立ち止まった我らの姿に眼を付けるものとても一人もなく、懸命にその号泣を続けているのであります。あまりの凄愴さに、我々は思わずそこに佇立しましたが、しかもその奥の部屋からは、帷を揚げて三人ばかりの侍女たちが、両手で顔を掩いつつ、声を放って泣きながら転ぶように出てきたのです。そこに我々の佇んでいるのも眼に入らぬように駆け去って行ってしまいましたが、何事が起ったのか? 不審の眼を瞠っている間もなく、侍女のエリネは室の帷を揚げて我々を導き入れました。そして我々を導き入れると同時に、三人は怺え泳えていた悲しみが一時に堰を切ったように、俄破とそこに平伏してしまいました。今奴隷の号泣に眼を瞠った我々は、帷を絞って一足踏み込んだそこで、再び眼を瞠らずにはいられなかったのであります。今まで我々がこの部屋までは導き入れられなかったのも道理! 広々としたこの部屋が、おそらく姫の寝室にでもなっていたのでしょうか? 美しい人形、さまざまな陶器の壺、愛らしい青銅製の彫刻等を載せた飾り戸棚やどっしりとした帷などを四囲に廻らして、この壮厳なる寝室中央には、人目を眩ぜんばかり金色燦爛たる大寝台が、一段高くしつらえられ、穹窿形の天井から下っている純白紗のように薄い垂れ幕……ふうわりと眼も醒めんばかりの羽根蒲団が掛けられて、瑪瑙の勾欄……煌びやかな寝台の飾り!
その大寝台の上に、美しいロゼリイス姫が眠っていられるのであります。そして添い寝でもしているかのように、姫を抱きながら、その傍らに黙念と眼を閉じている老いたる父のエフィゲニウス氏! しかも怪訝なのはそればかりではありません。寝台の左手……部屋の奥には、四、五十人ばかりの侍女が、二列三列に並んで、六絃琴竪琴に合わせて頬に涙を伝わらせながら、緩やかなテンポで、この国の哀歌らしいものを唄い、その前にはさながらこの奏楽に合わせてでもいるかのように、二、三人ばかりの侍女が、軽羅の裾を翻して、花弁を撒いているのであります。
恍惚と父君に凭れかかるようにして、清らかな横顔、頤、頸筋をこちらに覗かせているロゼリイス姫の玲瓏さ! 白絹の垂れ幕の彼方ながら、透き徹らんばかりに
たけた神々しさ! 何かは知らず、壮厳なあたりの空気に圧せられて、我々が一瞬間呆気に奪られて佇立していた時に、跪いた侍女の一人が何か囁いたのでしょうか? 両胸に垂れた白髯がかすかに揺いで、寝台上の老エフィゲニウスがあたかも瞑想からでも醒めたように、静かに眼を開きました。そして毀れものでも下へ置くかのように、抱えていた姫をそうっと床の上に横たえると、無言のまま、合唱している侍女たちの群にちょっと手を振って見せました。悲しげな合唱はピタリと止んで、侍女二、三人がこちらに背を見せながら、花弁を撒いているばかり……何とも言おうようのない重くるしい沈黙が部屋の空気を澱ませて、唄を止めた侍女たちはこちらを眺めながらただ頬に涙を伝わらせているのであります。
「娘は……御覧のように……御覧のように……」老エフィゲニウスは烈しく咳込んで言葉は途中で消えてしまいました。
たださえ難しいこの国の言葉で烈しく咳込まれて、我々に聞き取り得たのは、わずかにこの数語に過ぎませんでした。そして我々が怪訝そうに一足踏み込んで、垂れ幕の中を覗き込もうとした途端、「おや!」と、一番先頭を切っていたクルーゲル中尉がたちまち驚愕の叫びを挙げました。
「お! 姫君が! ……姫君が!」
「御覧のように、娘は亡くなってしまいました」と中尉の叫びを圧して、老エフィゲニウスの嗄れた声が、咳込みながらも、明瞭に我々の耳を驚かしてきました。
「わざわざお呼び立ていたして失礼ですが……どうぞ死顔を見てやっていただきたい。娘はこのとおり亡くなってしまいましたのです」ぽろぽろ大粒の涙が老いたる頬を伝わりました。
「今朝ほど息を引き取りましたのです」
「…………」あまりの驚きに、我々は口を開くこともできませんでした。
「昨夜のうちに毒を飲みまして……毒を飲みまして……」と抑えていた悲しみに堪えられなかったとみえて、老エフィゲニウスは、侍女の差し出した手巾で顔を掩いながら烈しい嗚咽を洩らしているのであります。
「息を引き取る間際まで私と話をして……安らかにいろいろ話をして……決して嘆いてくれるなと私を慰めて、今少し前に息を引き取りましたのです」
我々がどんなに驚駭して、棒立ちに突っ立っていたかは、夫人よ、御身にも御想像がお付きになれるであろうと思います。
「皆様にくれぐれもよろしく申し上げて欲しいと、言いまして……生きていることが物憂くなったと、申しまして……あの方の後を追ってしまいました。娘の気持を考えれば、まことに無理からぬことと思います。私は決して嘆いているのではありませぬ。嘆くのではなく、皆様に娘の臨終の頼みをお話して、お聞き届けを願いたいと思いまして……かつはあの方の後を追うた不愍な娘の死顔をも見てやっていただきたいと思って、おいでを願ったわけなのです」
そして老エフィゲニウスは寝台を降りて力なく我々の方へ歩み寄って来ました。
「……仰有ることはよく飲み込めましたが」とその時突然アダルベルト兵曹が言葉を遮りました。
「姫君がお亡くなりになったということが……何としても我々には信じられないのです。こうやって眼の当り姫君を眺めていましても……眺めていましても……」絶句しているのを引き取って、
「そうです。我々には姫君がただ眠っていられるとしか、感じられないのです」と、兵曹に次いでは言葉の達者なクルーゲル中尉が後を続けました。
「何としても、ただあまりにも突然で……夢のような気がしているのです。一体どうしてお亡くなりになりましたのでしょうか?」
凝乎と手巾で顔を抑えていた老エフィゲニウスが、顔を抑えながら片手をさし伸べました。その意を悟ったように、姫の枕許から、侍女の一人が白磁の皿を取って捧げ持ちました。白い皿の底には、透明な青い液体の少量が残っているのであります。
「これを飲みましたのです。パピリラと申す毒草の根から搾った、一番の猛毒になっておりますが……これを飲んだと、娘は申しました。……あの方の後を慕って娘は喜んで亡くなりました。娘の頼みがありますので、それをお願いいたしたいと思いますが、娘は静かにここに眠らせておいて、……さ、あちらへまいって、聞いていただくことにいたしましょう」
そして老エフィゲニウスは、もうよろしいと言わんばかりに手を振りました。同時に人の魂を引き込むような静かな静かな挽歌が再び奏でられ、茫然とした我々は、姫の亡骸に黙祷を捧げながら、老エフィゲニウスとともにこの部屋を後にしたのでありますが、夫人よ、これで何故我々が前便をただちに海に投ずることをせず、再びこうやって、書翰を書き出したかが、おわかりになったことと思います。すなわち別室で老エフィゲニウスから、姫の臨終の頼みを伝えられたからに他なりません。
老エフィゲニウスが我々を導いたのは姫の寝室を出た突き当りの広やかな露台……おそらくここが老いを養っているこの老貴族の一番気に入っている場所だったのでしょう。うねりのように起伏した緑の芝生の上に、城砦のごとくに張り出した突端……そこにはアカンザス模様の円柱に蔓草が一杯に纏わり付いて、藤蔓が自然の天井のように強烈なる陽を遮っておりました。遠く遥かの彼方にエフィゲニウス家の正門を俯瞰して、そこから陽に眩めかしい砂利道が一本うねうねと糸杉の並樹越しに見えつ隠れつ、この本邸の方へと爪先上りになっているのです。
齢すでに七十に垂んとして、最近までこの国最高の政務を司り、夫人を亡ってからは愛娘一人の成育を楽しみに孤高な一生を送ってきた老政治家が、今その掌の内の珠を失った悲しみは、雪のような白い眉の下に瞼重げに見開いた穏やかな慈眼の中に、そして胸に垂れた白髯のそよぎにもそれと推し量られ、我ら一同なんと慰める言葉もなく、顔うな垂れて腰かけていたのであります。
「……そういうわけでエリネが私を起しにまいりました時は、服毒後一時余りもたった頃のことであろうと思われます。娘は何の取り乱したところもなくキチンと床の上に起き直って私の行くのを待っておりました。そして私を見ると、お父様おやすみのところをわざわざお呼び立てして済みませんけれど、少しお話したいことがございますから、どうぞこの寝台の上へお上りになって子供の時分、いつもお父様が抱いて下さいました時のように私を抱いて下さいまし、とこう申しますのです。端然として何の変ったところもないのです。私にも娘が毒を飲んでいようなぞとは少しもわかろうはずはありません。私は娘の頼みどおりに寝台へ上って娘の身体を抱いてやりました。お父様は愛するものが死んだならば、あの美しい星になって毎晩煌々と下界を俯瞰しながら地上に残してきた人の幸福を祈っているという言い伝えをお覚えになっていらっしゃいましょうか、とこう聞くのです。あれがまだ小さな時分のことでした。あれの母が亡くなりたてにあれが淋しがりますと、私はよくそういう話をしては慰めてやったことがありましたが、まだ私が執政になりたてで、忙しい時でしたが、あれが眠られなくて困っていると侍女たちから聞きますと、私はよくあれの部屋へ出かけていって一緒に寝てやりながらそういう話をしてやったものでした。そうするとあれは帷の向うに瞬いている星を瞶めて、にこにこと嬉しそうに聞きながらやがてスヤスヤと眠りに就いていたのです。あれを寝かし付けてから私はまた政務室へ戻ってきて仕事を見る……と、こういうことがよくありましたのですが、あれはそれをまだ覚えておりましたのでしょう。その話をして欲しいと、こう申しますのです。何を莫迦なことを言い出す! こんな大きな姿をしてと私が笑い出しますと、さすがにあれも笑いましたが、でもお父様、私もう一度あの時のお話をお聞きしたいのですもの、と、こう申しますので私は……」
惻々として悲しみが胸に溢れてくると見えて、老エフィゲニウスはしばらくは言葉を継ぐこともできませんでした。
「こんなことを申し上げますと皆様は何を莫迦なことばかり、この文化の低い国の老人が言い出すとお笑いになるかも知れませんが……確かに文化も低く文明も遅れておりましてお恥ずかしい次第です。しかしこれは文化の低く文明が遅れているからなぞという問題ではありませんのです。死が間近に迫っている際に、もはや娘は私と嘆いたり悲しんだりすることなく、穏やかな気持のうちに子供のようになごやかに私の胸に抱かれながら、平和な眠りに就きたかったのでしょうと思います。仕方なくまるで私が十か十一、二の子供にでも話すように忘れ切っていた昔話をしてやりますと、娘は頷きながらさも楽しそうに聞いておりますのです。そして話し終って、さあ、もういいだろう。これでお前もしばらくあの方のことを考えないで眠るようにしなければいけないと私が抱いていた手を放そうとしますと、いいえお父様! 後生ですからもうしばらく私を抱いていらして下さいまし。お年を召したお父様を夜中にお起しさせていて、ほんとうに申し訳ございませんけれど、私の生涯一度のお願いでございます、どうぞもうしばらくの間こうしていらして下さいまし、と縋るようにして私の手を放さないのです。私はまた子供のように、娘を揺り上げ揺り降しあやしながら、それからどれほどの間他愛もない話をしておりましたことでしょうか。言わば私はただフムフムと娘の言うことに頷いておりましたようなものなのですが、人というものはどんなに生きていたいと願っても、決して永遠にこの世に生きてはいられるものではないということや、人生の黄昏はその人その人によって異なるものであって、ある人にとっては生活の曙の光がさし初めた時でも、ある人にとっては陽がすでに沈みかけて夕暮れの薄闇が頭上に蔽い被さっている時であり、人はおのおの自分を手招きしているものに忠実であるべきであって、不幸や幸福なぞが決してそれで決めらるべきものでもなければ、あるいはまた、嘆いたり悲しんだりすべきものでもないというようなことなぞを静かに微笑みながら話しておりました。そしてこの世は死が人々を引き離つ、そういう淋しいところではあるけれど、一度死んだ後の世界というものは、そこでまたみんなが楽しく笑い集えるところであるから、死は決して永遠の別離なぞではなくて、ただ一足先へ行くか行かないかというくらいの違いに過ぎないものである、ということなぞを……今から考えればまことに他愛もない子供っぽい話に託せながら、娘は私を悲しませないよう、それとなく努めていたものではなかろうかと思われてなりませんのです」
ブルメナウ大尉やクルーゲル中尉らの頬にもいつか涙が流れておりました。
「が、そのうちに私は、おや! と気が付きました。さっきから他愛もない話にさりげなく微笑んではいましたが、父という気持に映ってくるものがありましたのです、お前は……お前は……と、私は思わず抱いていた手を話して[#「話して」はママ]娘の顔を瞶めました。お父様……何にも仰有らないで! と娘は犇と私の手に縋り付きました。今は真夜中で侍女たちはみんな昼の疲れで眠っております。どうかお騒ぎにはならないで! あれたちの眠りを醒まさせないで下さいまし。私はお父様と二人っきりでこうしてお話していれば、もうこれで何の思い残すところもございません。お父様、私の眠ります時までにまだ時間はございます。その時のくるまで、どうぞ、このままで……このままで私を抱いていて下さいましと、娘は堅く私の手を握って放さないのです。そうか! あの方が亡くなってから、いつか一度はこういう日がくるのではないかと、私も胸を痛めていたのだが、到頭その日がきたのかと私は長嘆息しました。やがて一時か二時の後には、たとえそれが娘の言うように、仮の別れであろうとも、この最愛の娘に別れねばならぬのかと思いますと、今更ながら年甲斐もなく狼狽せずにはいられなかったのです。この老いたる年をして最愛のものを失って、これからは何を力に生きてゆけるだろうかと思うと、まことに身勝手のようですけれどもう一度翻意してもらえるものならばすぐにでも侍女たちを呼び起して、医者のプラチウスでもリカルトスでも、この国のありとあらゆる名医たちを呼んで手当てを加えてもらおうかと考えずにはいられなかったのです。しかしあの方が亡くなってから、娘はすでにこの世の幸福というものを失い切っているのです。たとえそうして娘に生き永らえてもらって私は幸福であっても、すでに魂を失って形だけ生きている娘は不仕合せであり、私はもはや老い先短い身体ではあるが、行く末長い娘の身をそんな老人の犠牲として生き永らえさせておくよりも、娘自身こんなにも仕合せだと喜んでいるのですから、思い切って娘の選んだ道へこのまま赴かせようかと考えてみたり……さりげなく娘を抱いてはいましても、肚の中では膏汗を流さんばかりの気持で、千々に心が乱れておりました」
「……お察しいたします」
とブルメナウ大尉も声を曇らせました。
「ともかく、娘に聞いてみました。お前が仕合せになる道として選んだのならお父様も決してお前を妨げようとはしないから、一語だけハッキリと教えておくれ。毒薬はどれを飲んだのかと聞きますと、娘は黙って枕許の小皿を指ざしました。それがさっきお眼にかけましたあの青い透き徹った薬なのです。先程も申し上げましたようにこれはパピリラといいまして、この国で一番の猛毒として人に恐れられている毒薬です。この薬には死の苦しみもなければ、屍体に何の徴候をも残しはしませんが、誤って微量を嚥下しましても、もはやいかなる名医でも、匙を投げるよりほかはないとされているものでした。服毒後三時の間には、必ず死ぬものと恐れられている毒薬です。私は思わず嘆息しました。そしていつ頃飲んだのかと聞いたのです。お父様をお呼びする一時ばかり前に飲んだという返事です。私を呼ぶ一時前に服毒したとすれば、私が来てからでさえもはや一時近くはなっておりましたでしょう。この猛毒を飲んでからもう二時余りになっていたのでは、今更何としても助かりっこはありません。私は溜息を吐きました。もうそれほどまでに深い覚悟をしていたのなら、もはや私も娘の決心を妨げることはしないでおこうと心に決めました。そして、せめては娘の残りすくない時間をできるだけ楽しませてやろうと考えを決めましたのです」
「……」
「もうそれほどまでに心に決めたのならば、お父様も決してお前の行く手を遮ることはしない。しかしもう時聞もないことだし、お父様に頼んでおきたいと思うことがあったら今のうちにみんな話しといたらいいだろう、とこう申しますと、自分はこうして仕合せに死んでゆける身の上で何の心残りもありませんけれど、自分のいない後にお父様がどうして日々をお暮しなさるかと思うと、それが心残りだと私の胸へ顔を埋めて初めて涙を流しました。どうぞ不孝な娘を許して下さいましと頼むのです。そしてこの不孝な娘の頼みを、一つだけ聞いて下さいましと……おお……何なりとも遠慮なく言うがいいと……そして娘は初めてその頼みを打ち明けましたのです。実はこの娘の頼みをお願いするためにこうして皆様にもいらしていただいたわけなのです」
怺えかねた嗚咽が年老いた貴族の食い縛った唇から洩れてきたのであります。ブルーゲル大尉もクルーゲル中尉もハンカチで烈しく洟をかみました。
「娘の頼みますのには、あの方のお友達たちはあの方の御意志どおりにあの方のお書きになったものを大海へ投じようとしていらっしゃる。けれどもあの方が生きていらっしゃるうちならばともかくも、もう亡くなっておしまいになった今となっては、そんなお手紙なぞが届いたからとて、あの方のお姉様にとって何のお喜びでしょう。それよりもあんなにも生前お姉様のことばかり懐かしがっていられたあの方を、こんなところの墓場なぞへ葬っておくことが心残りでなりません、とこう申して泣きますのです。それよりもいっそのこと、あの方のお国へ返送して上げて下さい。生きては渡れない海かも知れませんけれど、死んだ身体で渡れぬはずは決してないはずです、と、こう申しますのです。そしてお前は? ……と聞きますと、私はあの方のいらっしゃるところへはどこへでもついてまいります。お父様、どうぞ私もあの方と御一緒にやって下さいまし、と、こう申しますのです。あまりにも思い込んだ娘のいじらしさに、私はただ涙が溢れてきて仕方がありませんでした。しかし、死んだ身体を葬りもせずに大海へ投じ、見知らぬ世界へ漂わせる不愍さを想いますと……あまりのいじらしさに凝乎と眼を閉じて涙ばかり伝わらせている私を見ますと、娘も初めて声を挙げて泣きながら私に縋り付きました。その泣いている娘を見ると私はもう胸が一杯になりました。どんなことでもこの娘の頼みだけは、何事でも聞かずにはいられないという気持になってきたのです。おお、承知した! 必ずあのお友達の方たちとも相談して、お前の頼みどおりにするから安心おし……と。そしてそれを聞くと娘も初めて涙のうちに莞爾として……そのうちに身体の調子が変ってきたのでしょう。お父様……もう死が手招きをしてまいりました。どうぞ私の身体をしっかりと抱いていらして……恍惚としてきたその耳に口をつけて、私は言ったのです。お前の頼みは必ず引き受けた。安心おし! さ、何かもっと私の手でできることはないか……と、お父様、どうぞ、侍女たちを呼んで薔薇を撒かして下さいまし……そして、六絃琴を鳴らさせて下さいまし……と」
老エフィゲニウスの言葉は途絶えて、しばらくは凝乎と眼頭を抑えていました。そして我々も、言葉なくうな垂れていたのです。
「ようくわかりました姫のお気持が……」と、ややあってルドウィッヒ大尉が眼をしばたたきながら口を開きました。
「亡くなった我々の友人をそれほどまでに慕って下さるということは、故人の友人なり同国人なりとして、我々として何と言ってお礼を申し上げてよろしいか! 感謝で胸が一杯になってくるのですが、しかし……しかし……」
と沈吟しました。
「それまでなさらぬでもよろしいのではないかと思われますが。そのお気持だけにして、姫はもちろんのこと、我々の友達もせっかくあすこへ葬られていることですし……中尉の遺骸もあのままにしておいた方が、かえって故人も喜ぶのではないかと考えます。骨にしてというならばともかくも、今更生々しい屍体を送り届けましても……よしんばそれが無事に向うへ到着しましたにしても、中尉の令姉の方でもかえって、有難迷惑のような……」
「しかし、娘はあんなにもそれを冀って死んだことです。……私もまたハッキリと請け合って娘にそれを約束したことですし……御迷惑だと仰有るならば致し方もありませんが、もしそれが御迷惑でなくて、何とか取り計らっていただけるものでしたら、何とか御配慮を願えれば我々親子の気持も救われますのですが……」
「迷惑だなぞと決してそんなことは……今も申し上げますとおり、姫のお気持は我々としても、何ともお礼の申し上げようもありません。……これを聞きましたら中尉の令姉もさぞかし落涙して感謝されるだろうとは考えるのですが、……ただ、屍体を送るということが、あまりにも何かこう……」
大尉は語尾を濁したのでありますが、我々には大尉の言わんとしたことが充分に察しられました。何か、こう、突拍子もないことのような気がするとおそらく言いたかったのであろうと思われます。しかしさすがにそこまでハッキリと言い切れなかったとみえて、何とかして思い止まらせようとしていたらしいのですが、娘と約束して一心籠めてそれを願っている老エフィゲニウスの涙を見れば、そうした欧州の常識なぞを持ち出すこともできません。夫人よ、ついに、老エフィゲニウスが姫の涙の前にすべてを抛ってしまったごとくに、大尉も、そして我々一同もまた、老エフィゲニウスの涙の前にすべてを抛って従うべく、心を定めてしまったのであります。
その頃には姫の死は、もはやこの都会中へも知れわたってしまったのでありましょう。この地最高の貴族エフィゲニウス家の愛娘としてよりもむしろ、すべての人に優しく慈悲深いので、市民一般から愛慕されていたロゼリイス姫の死を悼むためか、遠近の鐘が鳴り始めて、市民の群れは踵を接して眼下遥かなる正門の前に集いて
徊顧望立ち去りも得で敬虔なる黙祷を捧げておりました。そしてこの地の大官連中が来り弔するのでありましょうか、供回り揃えて幾台も幾台もの轎が引っ切りなしに正門からこの本邸への道を続いてくるのが見えました。そしてやがて姫の送葬にこれら弔客の接見に、老エフィゲニウスの身近怱忙を加うべきを思い、我らは今一度姫の死に涙の黙祷を捧げて後、やがて再び別邸への道を辿った次第でありましたが、もはや姫の葬送がいかに盛儀であったかなぞということは、申し上げるまでもなく御想像のお付きになれることでありましょう。姫の屍体もまたプリゴネと称する薬草の液に浸し麝香草の花を詰めて腐敗を禦ぎ、金銀を象嵌したる瑪瑙の寝棺に納め、さらにこれを桃金花の木にて造れる槨に入れ、エフィゲニウス家祭壇に安置して、鄭重なる祭祀が営まれているのであります。
かくしてエフィゲニウス家の奴隷たちは、その日以来二個の屍体を安置すべき木函作りに専念いたし始めたのでありますが、木函を作ると簡単には言いましても、一度これを海中へ投じましたならば、はたして何十日たって陸地へ漂着するものか、何カ月かかるものか、しかもその間怒濤の狂乱する魔の潮流はあり、世界未知の大渦巻はあり、あるいは何十年の歳月を海中に送らねばならぬものか全然予測が許されないのであります。したがってその間、浪に叩かれても渦に捲かれても海水の浸透しないように、また木函が腐蝕しないように、あらゆる面から検討してかからなければならないのであります。それがために、以前の単に文書を入れるだけの木函作りの場合においても、姫の言い付けによって、この国第一の工人たるエフィゲニウス家の奴隷クレテというものがこれに当り、四、五人の徒弟たちを手伝わせて専心これに努めておりました。邸内の一部に設けられた仮小舎の中では、いつ行ってみてもクレテや徒弟たちは、鉋をかけては削り、鑿を使って繊細なる技巧をもって角々の組み合せをなし、懸命なる努力を続けておりましたが、今回は、いわんや木函は前回の七倍八倍に達する容量を要し、しかも容量の増すに従い、怒濤のために破摧せらるべき危険も増大し、工人たちにとっては、一層の努力を必要としたのであります。すなわち単なる函とは申しながら、この都会最優秀の技術と経験とは、挙げて、これに傾注せられたと申すも過言ではなかるべく、その一例を挙げますならば、材料の木材一つ選ぶにも、手間暇厭わぬ周到なる吟味が加えられているのであります。
この都会の西北方六十哩にはアンチウム市があり、このアンチウム市の西北さらに百三十哩の――我々こそは未だ行ってみたこともありませんが、そこにルゾマクス・プケと称する四時雪を頂く休火山があり、この雪山の麓の無名湖には、湖岸森林中の巨木の倒れたものが無数に浸っているといわれているのであります。この巨木中にシダーラといわるる材質の緻密堅牢なるチーク材以上のものがあり、しかもこの緻密にして堅牢なる材質が、湖水中に多年倒れていることによって寒暖の差に鍛え上げられ、いかなることあるも決して湾屈せず、水に腐蝕浸透せられざるものとして、すなわちこの材料が選ばれたのであります。
函を拵えるのでありますが、釘鋲等を用うればその部分より腐蝕浸水しやすきため、一木の釘をも用いず、角々はことごとく古来よりこの国に伝うる組合せ式を用い、その組合せ式もまた六通りあり、その六通り中でも最も秘奥複雑なる方式の――我らはこの国でこれを何と称するかを知りませんが、我らの同僚たる一等船匠兵アイグナウ・ロトラァは、その専門眼より見て、この技法に感嘆し、故国において「隠蟻」と称する技法に似てもっと精妙なりと申しております。この「隠蟻」をもって角々を組み合せ、その技巧の妙を極め、堅牢無比なる、さながら今日の工学において隧道が外部より土砂の圧力が加わるほどますます堅牢になるごとく、この組立てによれば、浪に揉まるれば揉まるるほど、いよいよ引き緊って、堅牢性を発揮するであろうことを信ぜざるを得ないのであります。
かくしてでき上った第一の函に、浸水しても直に内部へ浸透せざるよう、さらに第二の函を嵌め込み、さらに第三の函を嵌め、その状あたかも今日欧州文明国の造船所において、艦艇を建造するに用うる手段と、まったく軌を一にせるを覚ゆるのであります。
すなわち艦艇においては吃水下、舷側並びに船底に夥しき区画を設け、もし砲弾これに貫通するも海水の浸入この一区画を満たすに止まるように工夫してあるのと、構想まったく同一の技巧と想念とに出ているのであります。こういう一事をもってしても、この国の持つ文明と技術とはいかなる祖先より伝承せられしやをうたた驚嘆せしめられるのでありますが、いずれにせよ、かくのごとき緻精巧妙を極めし函なるがゆえに、この木函作製のためには、クレテ以下六人の工人が昼夜兼行、その心魂の限りを尽しつつ、なお昨年十二月二十日以来本日までほとんど三カ月有余の日月を費やしたのであります。すなわち昨年十二月十九日前便を認め、二十日、ロゼリイス姫逝去し、この書翰を本日認むるまでに三カ月余りを費やしたというは、一にこの木函作製のためゆえだったのであります。そしてこの函もいよいよ三日ばかり前に完全にでき上り、侍女たちは内部に羽根蒲団を縫合すべく、目下全力を注いでいるのでありますが、おそらくこれも明後日くらいにはでき上るでありましょう。でき上れば、いよいよその日こそは中尉の遺骸を墓所より発掘してこの函に姫とともに移し、その翌日は当地全市民哀悼のうちに、いよいよ大海に投ずる手筈となっているのであります。当日全市においては、鐘を鳴らし、その前夜はエフィゲニウス家全邸を挙げて盛大なる告別祭が行わるる予定となっているのであります。
男爵夫人
再び長文の書翰となりましたが、これで御身にもすべての経緯が充分御諒解になられましたことと思います。
こういう事件が起りましたなればこそ、前便は前便のままとして、我々はさらにここに御身を驚かしむるべきこういう一つの書翰を追加するの已むなきに至ったのであります。そしてこの事件が、悲しむべきか喜ぶべきか我らをしてその帰趨に迷わせていると申し上げました理由も、これでよくおわかりになりましたことと思います。すなわちルドウィッヒ大尉の申しましたごとく、故中尉を思う姫の純愛に至っては、その無垢の真情、我ら中尉の友人として、ただ感謝のほかなきものではありますが、現実の問題として、すでに葬りたる中尉の墓域を発き、遺骸をあの狂瀾怒濤、魔の海上へ漂わしむることは……そしてもし無事に故郷へ辿り着いたにしましても、いかに令弟を熱愛せる身分高き美姫の死体とはいえ……夫人よ、御身がかつて面識だになき一個の生々しき屍体に、御身をしてその処置を当惑せしむるということは、我らの持つ常識としてはいささか躊躇せざるを得なかった次第なのでありますが、すでに御想像もおつきになりましたでしょうごとく、ここは毫末の不純なるものなき、まったくの詩と美と純情と夢との世界であり、かくのごとき世界においては我らの持つ欧州風の常識なるものもまた極めて不純なるべきものでありましょう。よって我らもまた、我らの持つ常識をことごとくかなぐり棄てて、この国の詩と美と純情と夢とに従いまして、ここに何らの批判もなく令弟の遺骸とともに、死にまで令弟に純愛を捧げし詩と美の化身、ロゼリイス姫の遺骸をも御身の許にお送りせんとするものであります。そして我らまたこの国人の持つ純情に従いまして、この二つの屍が魔の海を無事に乗り切って御手許に届くべきを心より堅く信ぜんとするものであります。御手許に到着いたしましたならば、何卒二体一身の屍と御見做し下さって、令弟を純愛せる気高き姫の上に温き涙の抱擁もて快く御受け容れ下さいまして、令弟と墓を同じうして下さいまするよう、さすれば、我らの喜びはもちろん、姫の老いたる父君の感謝、そして姫自身の感謝もまた限りなかるべきを信ずるものであります。
なおこの箱をお開きになりました時に、中尉並びに姫の容貌肢体、あまりにも水々しく、さながら昨日一昨日にでも死したるもののごとく、今にも起き上らんばかりに見えますために、定めし御驚きのことと考えますが、当地の風習では、富める貴人の場合は必ず屍体をプリゴネと称する薬草液に浸し、麝香草の花を詰めて腐敗を禦ぐを常としております。かく処置しました屍体は何年たつも何十年たつも、その水々しさは何ら生前と異ならず、リンデンベルゲル軍医大尉もこれに多大なる医学上の驚異を感じているのであります。おそらくこの土地に伝わる祖先伝来の秘習なのでありましょうが、右の次第、中尉の屍体も姫の屍体も決していわゆる木乃伊などと申すべきものではありません。まったくプリゴネ液と麝香草との作用なのでありますから、その点御承知おきを願い上げます。
前便の終りに、我々はロゼリイス姫がユーザ・サヨ・サマーレを御身に伝えて欲しいと涙を湛えて申していられることをしるしました。今やその人すでに亡く、この手紙においては、我らのユーザ・サヨ・サマーレをかえって中尉並びにロゼリイス姫に托することとなりました奇しき運命の変転に、無量の感慨を懐きつつ、この再度の書翰を結ぶことといたします。
再び願わくば上帝、何卒この二基の屍を譲りたまい、男爵夫人並びにその御家族の上に限りなき加護と恩恵とを垂れたまわんことを!
一九一七年三月二十四日
オストリニウム市、元駆逐艦シャッガァ号士官室
機関長 海軍機関大尉 マイエル・ブルメナウ
航海長 海軍大尉 ヘラァ・ルドウィッヒ
水雷長 海軍大尉 シューバール・スティンゲル
軍医長 海軍軍医大尉 パペル・リンデンベルゲル
主計長 海軍主計中尉 ウィットマン・クルーゲル
分隊士 海軍少尉 ウェスネル・アントン
機関長 海軍機関大尉 マイエル・ブルメナウ
航海長 海軍大尉 ヘラァ・ルドウィッヒ
水雷長 海軍大尉 シューバール・スティンゲル
軍医長 海軍軍医大尉 パペル・リンデンベルゲル
主計長 海軍主計中尉 ウィットマン・クルーゲル
分隊士 海軍少尉 ウェスネル・アントン
ソオリヤ君の朗読も済んで、いよいよケネディ博士から調査の結果を聞くこととなった。一同固唾を呑んで、その発表に耳を傾ける。
「では、これから私の意見を申し上げることにいたしましょう。要点を図表のようなものにして、差し上げればよろしいのですが」と博士はにこやかに口を開いた。
「私の備忘はもちろんそういう風になっているのですが、コピーにして差し上げている暇もありませんので、できるだけ順を追うて申し上げることにしましょう。実は過日、村と州庁からのお使いが見えまして、これこれこういう物が村へ漂着した、ぜひ出張して調べてもらいたいという御懇請がありました時に、ちょうどマクドナルド博士も私と同行の御依頼を受けられたのでありますが、……ブエノスアイレス市の新聞でもすでにこの記事は拝見しておりまして、もちろん詳しいことは知りませんが、この噂だけはまんざら存ぜぬこともなかったのであります。
が、しかし……唯今から考えますと、まことにお恥ずかしいことではありますが、私共考えましてどうせ、これは、あまり大したことでもないのであろう。もしかすれば潮の加減で漂着した、木乃伊ではあるまいかしら? なぞと、話し合ったことでありました。イスラ・デ・パスコアと申しますのは、隣国智利領……バルパライソ港から約二千三百海里ほど西方に距たった、太平洋中の小さな孤島でありますが、人類学上では相当に有名な島なのであります。
昔時非常に智能優秀な民族が、ここに住んでおりまして、推定によりますれば、一五三一年……唯今からちょうど四百十六年ばかり以前に、有名なインカ帝国のアタウアルパ帝が、西班牙のピサロ将軍に弑せられました当時、インカ帝国の臣民たちがこの島へ逃避したものではなかろうかと言われ、この島から時々木乃伊が……土砂の崩壊によるものか、海水の浸蝕によるものか原因はわかりませんが、時折、海中に漂い出ることがあるのであります。
そこで唯今噂の木乃伊なるものがもしこれだとするならば、もはや各方面から研究済みの問題でありまして、人類学者にとっては多大の興味でもありましょうが、私共……殊にマクドナルド博士のごとき海洋学者にとっては、今更何の興味でもなかったのであります。しかしせっかくの御懇請でもありますし、ともかく伺うことは伺うが、どうせ騒ぎ立ててるほどの大したことでもないのであろうから、ついでに、大草原で鴫か鷭でも撃って、保養してこようではないかと二人で話し合って、御覧のごとく、猟装で銃なぞを携えてまいった次第であります。
ところが、一歩この部屋へはいりました瞬間に、まず私共の眼に付きましたのは、この外函であります。一見してこれは容易ならぬものだと、非常に驚愕に打たれたのであります。と申しますのは、……どうか皆さんも、篤とこの函を御覧願います。すでにソオリヤ君の読んで下さった書翰中にも詳しく記されておりますとおり、この函にはただの一本も釘や鋲というものが使ってはありませぬ。殊に隠蟻と申すこの角々の、組立てになっております複雑な部分なぞに至っては、過去四十五年間私は古羅馬史のみを専門に研究してまいりました人間ではありますが、しかもなおこの眼から見まして、これが現代人の手によって作られたものであるとは、いかにしても考えることができなかったくらいであります。
すなわちこれは、古羅馬艦船建造の一大特長ともいうべきものでありまして、古代羅馬の艦船はことごとくこの組立て式による建造になっていたのであります。埃及、フェニキア、アッシリア、希臘等他の古代諸国の艦船には、いずれもこの建造法は見えておりませぬ。ただ羅馬艦船独特の方法でありまして、またこの建造法によりましたればこそ、古羅馬の艦船は耐水力強く、外洋の航海にも適し、したがって近隣諸国を侵略して、羅馬は古代史上稀に見る、あの強大国家をなしたとも言い得るのでありますが、実にこの函を見ました時に、私は自分の専門とする古羅馬艦船の模型にでも接したかのごとき錯覚に捉えられざるを得なかったのであります。
時その時、私は傍に佇んでいられるマクドナルド博士の歓声を耳にしたのであります。
『どうしましたネ、マクドナルド君』
『いや驚きました、ケネディ博士、どうしてどうして……これは生易しいものではないですよ』
と、マクドナルド博士もまた、感に堪えたように深い溜息を吐いていられるのであります。何をそんなにも博士が驚愕していられたか? 後程これは博士御自身の口から御説明がありましょうから、私が今ここで、余計なことを申し上げる必要は少しもありませんが、私としてはたださえ自分自身が驚愕しているところへ持ってきて、海洋学の権威のこの不思議な態度でありますから、一層驚異の念を昂めずにはいられなかったのであります。とてもとても、イスラ・デ・パスコアの島あたりから流れてきたくらいの問題ではない……もっともっと、これは容易ならざるものであることを覚えずにはいられなかったのであります。もはや、鴫や鷭どころではありませぬ。態度を慎重にして、これが調査に当るべきを改めて痛感した次第でありますが、次いで私共は二基の木乃伊の検討に移ったのでありますが、これは一目でほんとうの木乃伊ではないことがわかりました。
女の方も男の方も、ともに白人であり現代人であって、何か薬剤の力を借りて腐敗を禦いで、さながら生けるがごとき相貌を保ってはおりますが、これは決して古代羅馬人ではないのです。
古代埃及人は霊魂不滅の信仰上木乃伊を拵えました。その文明は希臘に伝わり羅馬に伝わって、いよいよ文化の爛熟時代を現出してきたのでありますが、信仰対象を異にしております関係から、木乃伊を作ることだけは希臘人も羅馬人も決していたさなかったのであります。したがってこの一対の男女の屍体が古羅馬人でないということは、そういう方面から考えても確かでありますが、さてそれならば、何が故にこの屍体が、古羅馬人と寸分異ならぬ、外衣なぞを着けているかということになってくると頓とわからない。
殊に男の左肩に付けた金の透し彫りの外衣吊り、及び緩やかに巻いた女の腰帯は、古羅馬貴族中の最も身分高き家柄の貴族――すなわち皇帝の次に位する身分であることを表徴し、この身分の者のみが古羅馬においては、代々執政を務めていたものでありますが、この執政を出すべき最高貴族の表徴を帯びているに至っては、いよいよ謎の深まりゆくを覚えずにはいられなかったのであります。
次いで私共は、函の中に納められた諸物品を調べ始めましたが、まず第一に鋸屑とも付かず、鋼鉄屑とも付かず、またセロファン屑とも付かぬ、この軽い綿のごときものであります。これを掴んだ時に、私共は再び驚嘆の叫びを挙げずにはいられなかったのであります。これは古羅馬において貴族の寝室の寝台中よりよく発見せられるものであって――たとえば、ポンペイやヘルクラネウムの廃墟中より発掘せられたものにも、これが多数見出されたのでありますが、寝台の蒲団や枕の中に詰めてあったものは、ことごとくこれとまったく同一物質のものだったのであります。
しかも今日まだ、この物質がどういう性質のものかということは、完全にわかっておりません。セロファンのごとき透明な光沢に輝いておりましても、もちろんそういうものは当時存在しておりませんし、また鋼鉄は当時すでに発明されておりましたが、いかに繊細に削りましても、鋼鉄屑がこんなに軽やかで、おまけに匂いなぞを帯びていようはずはありませぬ。幾度か分析の結果、おそらくは何かの草木質の精製品であろうということだけは今日推定されておりますが、それ以上のことはまだ少しも判明していないのであります。
非常に匂いが高く、かつまた綿のごとくにフワフワと軽やかに、柔らかな温かいものであって、当時においてはよほど値の尊きものであり、ただ貴族のみがこれを常用していたものであろうと考えられているのであります。そして枕や蒲団なぞの香気が抜ける時は、奴隷に命じて詰め替えさせていた、贅沢品の一種であったろうと史家は見ているのであります。中世期羅馬法王インノセント三世は非常に豪華な生活を好み、その病い篤き時この詰物を得んがために侍臣をして各地を探させましたが、いかにしても手に入れることができなかったということが、ヴァチカンの文に見えておりますから、その頃にはもはや羅馬でもこの詰物だけは、なかなか手に入れ難かったのかも知れません。
次いで私共の手にいたしましたのは、三枚の絵であります。いずれも私共にとって驚異ならざるはないのでありますが、繁雑になりますから一々驚いた驚いたとは、もはや申し上げぬことにしておきましょう。この三枚の絵の描かれております、紙とも付かず皮とも付かぬ強靭な代赭色のへなへなした物質が、今日の紙の祖先である紙草というものであることは、すでに先程申し上げたかと思います。
この絵を描いた人が顔料だけは現代の絵具を用いながら、画布なりそれに代るべき紙製品なぞを用いず、紙草を用いたということは、尠からず私共に奇異なる感を懐かせたのであります。ということは、すなわちこの絵の描かれた場所においては、現代の世界でありながら紙というものを用いずに、今から四千何百年も前に埃及で発明せられた古代の紙草なぞを用いていることが、実に不思議な国であるという感じを私共に与えたからであります。
そしてこの国は一体いかなる国ぞという、熾烈なる好奇心の湧き起ってくるのを禁じ得なかったのでありますが、この疑問はやがて本文書翰を読み進むに従って、次第に氷解してきましたことは、すでに皆様も御存知のとおりであります。
そこで、これからこの絵の説明に移るわけでありますが、第一図……この絵を見ました時に真っ先に感じましたことは、これは寸分たがわず中葉期における、羅馬市街の写生であるということであります。御覧下さい、この絵の中に現れているこの建物を! ことごとく羅馬中葉期市街の真景であります。
簡単に申し上げますれば、古羅馬初期に現れたる建築様式は、希臘から伝わったドーリア式、イオニア式、及びコリント式の三様式のほかに、エトルリアから習得しましたコンポジット式とタスカン式の、この五つに分れるのでありますが、この中で、羅馬人自身は、コリント式とコンポジット式とを最も好みました。すなわち古羅馬中葉期における羅馬の都会建築は、ことごとくコリント式とコンポジット式及びその折衷式のみであるということになるのでありますが、この第一図に現れている建築は、一軒残らずこの二つの様式及び折衷式のみでありまして、それ以外のものは何一つ混じってはおりません。明らかに、羅馬中葉期の市街であることを示しております。
しかも、後期以後のものはさらに別の様式に変化しておりますから、一言にして申せば建築を見ただけでこれは古羅馬前期に属するものか中期のものか、または後期のものであるかは一目瞭然区別され得るのでありますが、この絵はその截然たる時代別を、実に明白に描き分けているのでありまして、かくのごときことは画家の想像くらいからは絶対に生み出し得ざる性質のものであります。
そこで問題は、この絵は一体どこの都会を描いたものであるかということになるのでありますが、古羅馬建築の廃墟で今日に現存しておりますものは、羅馬市中における後期建築の残存物、ベスヴィアス火山によって埋没し後発掘せられた、ポンペイ及びヘルクラネウム両市における前期建築の残存物のみでありまして、これらはいずれも文字どおりの廃墟であって、一つとして完全なる形態を残しているものはありませぬ。いわんやその廃墟も前期後期のみでありまして、中葉期建築に至っては今日世界の何処にも、その廃墟すら見出すことができ得ないのであります。
したがって前にも申し上げたごとく、この絵が到底画家の想像なぞからは生み出し得ないものである以上、我々が未だかつて聞いたこともなければ見たこともない、この世界の何処かには、古羅馬中期の建物をそのまま今に伝えた、一つの優美華麗なる都会が現存しているに違いないという結論になってくるのであります。驚いたとは言わぬと申し上げながらも、これが驚きでなくて何が驚きであろうかというわけだったのであります。
第二図は第一図の驚きを我々に延長させるだけのものでありまして、特に新たなる驚きを増さしめる性質のものではありませぬ。第一図や一番右端に、屋根だけを見せている公衆浴場の内部をおそらく描いたものであろうと推せられるのでありますが、世界において羅馬人ほど入浴を楽しんだ国民はないのでありまして、古羅馬人の一日の生活は逸楽、闘技、奢侈、入浴とさえ一口に言われているくらいであります。したがってこの多くの人々の入浴を描いているこの絵は、またもってこの都会の人々が、いかに千有余年前の古羅馬アグリッパの浴場タイタスの浴場そのままの風習を、今に伝えているかということの如実なる証左というべきでありましょう。
第三図は本文書翰で見ますれば地図だそうでありますが、これについては私共は何とも申し上ぐべき材料を持ちません。古羅馬人がいかなる地図を描いたかという、記録なり文献なりが何ら残されていませんから、私共はただ皆様とともに古代人の地図というものはこういうものだったのかと、大いなる感興を催さしめられるくらいのものでありましょう。別段ほかに、述ぶべきこともありませぬ。
最後に私共が手にいたしましたのはこの幾十枚かの金貨であります。驚いたことは、一々申し上げぬと言いながら、やはりまたも繰り返して、驚いたと申し上げざるを得ないのでありますが、……なぜ、そんなに驚いたか? 正真正銘の、古羅馬金貨だからであります。しかも世界に現存するものわずかに二枚のみ、……その二枚が倫敦の大英博物館に秘蔵せられている世界の珍宝が、六十枚もザラザラと出てきては、驚かずとするも驚かざるを得なかったわけなのであります。
どうぞ、篤と御覧を願います。表面に鋳出されております花冠を戴いた像は、ユリウス・ケーザルではありませぬ。似てはおりますが、今より千二百年ばかり以前の羅馬皇帝エム・アウレル帝の肖像でありまして、この皇帝在位の当時羅馬は実に栄華の極に達しておりました。帝は非常に外征を好みまして、近隣諸国を侵略し、この上もない戦上手でありそして戦利品として諸国の黄金がどんどん羅馬へ搬ばれたのでありますが、当時の文献によりますと帝の凱旋時には常に道路一杯に、その頃羅馬の大通りは道幅二十三呎六吋もあったということでありますが、その二十三呎の大道路一杯に黄金の延板を敷き詰めたと申すくらいでありまして、帝はこの黄金をどしどし鋳潰して金貨を拵えました。
この金貨がすなわち今御覧になっていられるものでありまして、世に俗にセステルチア金貨と呼ばれているものであります。セステルチアは金貨の名称ではありませぬ。当時は各年代を通じての羅馬貨幣の単位名でありますから、そこで後年史家は鋳造年代を区別するために、これをアウレル・セステルチアと称しているのであります。裏の奇妙なる船の恰好をしたものは、当時帝が外征に用いた御座船を象ったものでありまして、周囲に彫ってあります符号は、羅馬紀元一七六年一月十六日……帝のトスカナよりの凱旋記念と、判断すべきでありましょう。
さて、以上で大体書翰を読むまでに、私共が手にしたものより受けました驚きは、ほぼその概略を尽したかと思います。細かいことを申し上げておりましては切りがありませんから、大体以上を概論とさせていただきまして、これより書翰各細節にわたって、考証することにいたすつもりでありますが、これを要するに私共が、書翰を読む前すでにいかに大いなる驚愕に打たれたか、そしていかに大いなる好奇心をもって貪るごとくに記録と書翰に向ったかを想像していただけますならば、この概論の主旨は尽きるのであります。
細節はまず順を追って、万国地学協会もしくばライプチヒ大学へ呈出するつもりで、ワイゲルト中尉の書いた航海記録中より拾ってみることにいたしましょう。第六章の後半において乗艦のシャッガァ号が、敗残の身を万死に一生を得て思いも設けぬ翠緑の陸地に向って、静かに近付いてゆく条があります。
〈海に漁っている舟がないばかりでなく、浜辺に揚げられてある小舟一隻すら見えなかった。ただわずかにそれと覚しいのは、岬とも思われる北西方の岸辺に材木を組んだ足場の残骸みたいなものが積み重ねられ、その上に紅鶴らしいものを形取った木組が打ち棄てられてあり、その傍には彩色を施した櫂らしいものの何本かが投げ棄てられてあるのが見えた云々〉ということを、中尉は書いております。
この島の住人が、何故海に漁らなかったのか、また舟を造りもしなかったのか、その点を私は甚だ不思議に思うものでありますが、あるいはこの陸地近くこそは穏やかであっても、一歩外海へ漕ぎ出せばただちにウニデス本流の逆巻く荒海となる危険さが、彼らに教えて古来より海へ乗り出すことを止めさせていたのかとも想像するのでありますが、そうした穿鑿はしばらく措いて、この中の私の頭へ訴えてくるものに対して、簡単な考証を試みてみましょう。
この文章の中の一句〈その上に紅鶴らしきものを形取った木組が打ち棄てられてあり、その傍には彩色を施した櫂らしきものの何本かが投げ棄てられてあった〉すなわちこれもまた、紛う方なき古羅馬風習の一つなのであります。
思うにこれは、遊覧船の一種の残骸だったでありましょう。往時羅馬においては遊覧船は概ね鳥の形に造り、殊に紅鶴の恰好が非常に多く、櫂はことごとく彩色せられていたらしいことは、当時の著明なる哲学者であり史家であるルカン・セネカ等の著書及び叙事詩人ヴェルギリウス等の詩にも、盛んに見えているところであります。
進んで、同じ六章の末節すなわちこの一隊がさらに初めて入江を俯瞰す山の頂上へ登ってきて、その辺の右側左側に佇んでいる石造りの家々を見たという条がありましょう。文章を引用してみますと〈我々は初めてそれらの家々を眼にした時の驚きを、今でもなお、まざまざと瞼に思い浮べることができるのであったが、いずれは樵夫か猟師たちの陋くるしい小舎であろうと考えていた我々の想像は根底から覆されて、今、これらの家の前に佇んでは、ほとほと我々自身の眼を疑わずにはいられなかったのであった。家はいずれもさまざまで大きなものではなかったが、富裕な貴族の別荘か山荘とでもいった風情に、忍冬や常春藤の纏わりついた穹窿形の門があり云々〉というところがありますでしょう。
よほどこの人々を驚かせたとみえて、中尉はかなり綿密に、これらの邸を誌しているのでありますが、これはまったく真っ向から羅馬貴族の邸宅の描写をしたものと考えて、寸分の相違もありませぬ。この条を読みます時には私もまったく、躬自ら苔蒸した古羅馬邸宅を迫遥するの思いを禁じ得なかったのであります。強ちこの条ばかりでなく、記録や書翰中の随所に出ておりますのでその都度申し上げますことは甚だ煩雑になりますから、ここで一括して申し上げておくことにしますが、羅馬貴族の邸宅というものは、この世において、最も豪奢絢爛を極めたものでありまして、その著しい特長としては窓でも門でも天井でも、非常に穹窿形を多く採り入れていたのであります。
そして家を設計するには、必ず屋内に満々と水を湛えた噴泉池を設け、これを中心として左右もしくば東西南北に、屋の棟を列ならせていたものでありまして、羅馬貴族の邸宅を見て素人でも一眼に感ずることは、屋内にも庭園にも至るところに噴泉の設備があり、穹窿形が建築の随所ふんだんに採り入れられてあるということであります。それと、もう一つは、羅馬国民は非常な文化国民……詩と美とを愛した国民でありまして、基督教思潮を代表するヘブライズムに対してこれはヘレニズム――すなわち希臘思潮を代表する民族でありまして、古代希臘人同様に多数の神々思想を持っていたのであります。
したがって、貴族の邸には、やはり屋内屋外を問わず、裸体女神の彫像とか、軍神像牧羊神像なぞを飾る習慣を持っていたのであります。その習慣はここに誌された山上無人の邸にも充分に現れているのでありますが、いずれにせよ高々猟師か樵夫の住居を予想してきたものが、今日我々古代文化の研究者さえも眩惑する、燦爛たる羅馬文化……しかも立派に完全したものを見たのでありますから、この駆逐艦乗組員一同の驚きもさこそと察し得られるのであります。
次に我々の注意を惹きましたのは、いよいよ一隊が市街地へ入ろうとするところで、右手一面に橄欖の林に取り繞まれた墓地の場面なのでありますが、この辺まで読み進んでまいりました時には、もはや、羅馬という観念は疑いを挿む余地もないまでに、我々の頭の中で判然とした形を取ってきたのであります。それでこれより一応、当時の羅馬種族のことを申し上げておきたいと思うのでありますが、一口に古羅馬と申しましても決して一つの民族が、羅馬市民なり羅馬帝国なりを形成していたわけではないのであります。
唯今判明しておりますだけでも大体希臘人、ガリヤ人、オスケール、ラチネール、フォルスケール、ウンブレール等各種族、エトラスケール、ベネチェール、リグレール……といったようなさまざまな種族の複合で、羅馬市及び帝国を形づくっていたのであります。そして言語もまた、それぞれ各種族特有のもの、またはその混淆したものを用いていたのでありますが、これらの中で最も文化の程度の高い、優秀な種族がエトラスケールなのでありまして、北部イタリヤの最も有力なる種族として、その領土はケルセニヤ海の沿岸チベル河より、ピサ及びマクラ海に及び、北辺は遠くエッチの谷に延びポー河の平原及び河口地を、ことごとくその手で統治していたのであります。
そして、希臘文化の影響を受けて最も早く貨幣を鋳造し、文字を創造して、体格も雄偉に、容貌は素晴らしく気高くて秀麗であったということが、史家によって伝えられております。この種族が羅馬にはいって貴族階級を占め、世代によって幾分の消長はありましても代々支配権を奮ったのでありますが、私がここで申し上げたいのは、この種族の墳墓型式なのであります。少しく微にわたって申し上げますならば、エトラスケール種族の墓は古代諸民族の墳墓中最も優美崇厳を極めたものでありまして、その塋域の清浄さに至っては、埃及人や希臘人なぞは到底足許にも及び得なかったのであります。
その墓は上に蔽石があり、横手から出入りするようになっております。これを史家は室形墳墓と称しておりますが、この蔽石それ自身穹窿形をなしているものが概ね全部であって、別に穹窿形天井を後からくっ付けたり、入り口を有する廻廊式のものもあり、側室を有する墓を最も身分高き貴族富裕階級のものとしております。これらの側室には、死者生前愛用の金銀製品、宝石類等が冥福のために納められ、その壁面には緻密な戦争画等が描かれているのでありますが、羅馬人は建築様式として穹窿形を最も好んでいるということを、前にもちょっと申し上げたように記憶いたしますが、これは一つには支配階級であるエトラスケール種族の好みからきていたのかも知れませぬ。この種族が穹窿形を好むことは実に非常なものでありまして、前記墓の蔽石は、これを穹窿形に積み重ねたものか、または穹窿形に石を刳ったものが、ほとんど比々皆然りと言っても差し支えないくらいなのであります。
以上が大体エトラスケール種族の墳墓型式なのでありますが、さてこれだけの予備知識を蓄えて、この第八章の美しき墓地の場面をお読みになりましたならば、皆様にもこの塋域がどういう種族のものであるかということは、容易に御首肯になり得ることであろうと思います。すなわちこの記録を読みながら大体今までのところから判断して、この土地に住んでいる人々が中葉期羅馬人を祖先とする人々であろうということは、もはや確信していたのでありますが、さて中葉期でも何種族に属する人々であろうかは、もちろんまだ推測が付かなかったのであります。
今更申し上げるまでもありませんが、物事を正当に判断するためには自己の頭に先入見を懐くことを排撃して無色透明を持してそこに系列されてくる事象そのものから、誤りなき帰納を見出すということが必要であると考えるのでありまして、もちろん私としてもこの心をもってこの問題に臨んでいたのでありますが、しかもここに至っては盲断に陥ることを禦ごうと努力しつつも、もはやこの土地へ渡って来ている羅馬人たちが、古代羅馬帝国民中でも最も優れたる種族エトラスケール人であるということに、一点疑いを挟むの余地も見出せなくなってまいったのであります。
そしてこの土地の住民たちが、エトラスケール種族であるという眼をもって読み進みます時に、この記録なり書翰なりに描かれている事物がさらにいかに如実に、判然と私のこの推定を裏書きしてまいったかも、これから例を挙げて、一、二拾ってみたいと思うのであります。記録書翰は読む進むに[#「読む進むに」はママ]つれて、いよいよこの独逸人の一隊が優美な美しい都会へ足を踏み入れ、そこにおいて長老たちから芳醇なる葡萄酒が供せられ、各自轎に乗駕してこの都会の貴族邸へ、賓客として舁かれてまいることが誌されているのであります。
次いで貴族邸内部における饗宴の模様に移り、饗宴の一つとしての入浴等に及んでいるのでありますが、これらの豪奢なる生活はことごとく羅馬における、最も贅沢なる支配階級エトラスケールの生活実態と考えていささかの相違もないのでありまして、羅馬帝国は勇武をもって諸国を侵略し、諸国は侵略せられしことをもって羅馬大帝国を侵略せりと、史家の申しているのは実にこの謂なのであります。
これを釈いて申せば、羅馬帝国はなるほど諸国を侵略した。が、しかし、諸国の富がことごとく川のごとくに羅馬へ流れ込んだために、羅馬は栄華の極盛に達し国民は相次いで華美逸楽へと趨った結果、当初の剛健勇武なる民は国を挙げて文雅懦弱な国民となり、その挙句がついに国を亡ぼしてしまったということになるのであります。ですから逆説的に申せば、侵略せられた国家群によって羅馬帝国は侵略せられたという結果になる……とこういうところを史家は申しているわけなのでありますが、この世界空前の大栄華が、すなわちこの記録書翰中にもよく現れているのであります。
世智辛い現代人なぞには、到底想像も付かぬこの栄華の世界を見て、たださえ勤倹に慣らされている独逸人の一隊がいかに驚異の眼を瞠ったか! いわんや彼らには、歴史的の知識なぞは何一つあるわけでもありません。この民族が羅馬人の後裔であるか、エトラスケールであるかなぞということは夢にも知らずに接しているのでありますから、彼らにとってはさながら夢幻の国にでも遊んでいるような、現世離れのした驚愕に打たれていたことは、決して無理からぬことと考えられるのであります。
さてこのようにして私共は、記録書翰の全部にわたって厳密なる考証を加えてまいりましたが、ここは学説の発表会ではないのでありますから、その考証の結果を一々申し上げることは、煩わしくもあり、また何の必要のないことと思われますので、これ以上の詳しいことは私共が倫敦へ帰りました後に纏め上げる論文によって御承知を願うことといたします。そしてここではただ、かくのごとき考証と検討とを加えてゆきましたが、この記録も書翰のすべてもことごとく真実であって、偽りの記載はいささかも見当らぬ、同時に我々はこの大陸に住む人々がエトラスケールと、その文化でないという反証をも、見出すことが全然できなかったということをここにハッキリと申し上げておくだけに、止めたいと思うのであります。
したがって甚だ口幅ったいようですが、今後いかなる羅馬学者が現れて新角度より研究を試みましても、以上の説を覆すことは絶対にできないであろうということを、百パーセントの確信をもって表明して憚らないものでありますが、ただ残念なことには現在闡明せられている羅馬学をもってしては、いかんとも解明することのでき得ざるものが、たった二つだけあるということを言い添えておきたいのであります。その一つはすでに皆様もお気付きになっていられたことと思いますが、この記録書翰中にはたくさんの古語が出ております。
たとえば、貴族邸の入湯設備中微温湯をテピダリウムと称し、油湯をエレオテジウム、納涼室をラコニクムと呼ぶがごとき、あるいは都会の名前をオストリニウム市、アンチウム市と呼ぶがごとき、あるいはまた人名をエフィゲニウス……ロゼリイス……ラミセウス・ナミシウスと呼ぶがごとき、その他ユーザ・サヨ・サマーレという言葉のごとき……幾つかの古語が現れておりますが、これらがはたして古代のエトラスケール語からそのまま受け継いできている言葉かどうかという点だけは、今日、いかんとしても究明することができぬのであります。
と申すは、羅馬末期においてウンブレール族、ベネチェール族、リグレール族等が王朝において覇を唱えた頃には、エトラスケール語はまったくこれらの各語と混淆してしまい、今日純粋のエトラスケール語というものは文献の上に存在せず、その体系ある研究はいかんとも至難であるからであります。エトラスケール文化の偉大を思うにつけエトラスケール語の研究欲は常に学者の脳裏を支配していたのでありますが、コルヒンその他の学者もこの研究に失敗し、クリオッサと申す学者も失敗し、今日未だ完全なる研究はできていないのでありまして、唯今純粋なるエトラスケール語として世界に残されているものは、わずかにレムノス島において発見せられた、彫刻された誌文が、二カ所に保存されているのみであります。したがって前記古語がエトラスケール語であるかどうかを判定することはいかんとも不可能なことでありまして、これのみは将来の研究に待たねばならぬと思うからであります。
それともう一つ私共に解釈の付かぬのは、ワイゲルト中尉の屍体もまたロゼリイス姫の屍体もともに、プリゴネと称する薬草の液に浸し麝香草の花を詰めて腐敗を禦ぎ云々と書いてありますが、こういう習慣が、羅馬時代にも存していたかどうか? そしてプリゴネとは一体いかなる薬草であるか? これらのことも古羅馬文献には何ら徴すべきものがありませんので、残念ながら私共には解釈が付かぬのであります。あるいは、この大陸特有の薬草であり、特有の風習であるのかも知れません。
いずれにせよ、古代埃及の木乃伊は今日すでに研究し尽されておりますが、古羅馬時代における屍体埋葬の方法は、今日なお一切知られておりません。しかもこの二個の屍体は皆様が御覧になるごとく実に生けるがごとく、生前の美しさそのままに保たれておりますが、絶対にいわゆる木乃伊なるものでないことだけは確かであります。この屍体が永久にこのままの状態であるものかどうか? それともやがて時を経るに従って、木乃伊化するものであるかどうか? あるいはまた時を経たならば、普通の屍体同様腐敗に帰するものかどうか? それらのことも一切不明なのであります。私考うるに、これは我々羅馬学者にとっての研究課題というよりは、むしろ医学界の方に与うる大いなる問題であって、世界の医学界はこの二個の屍体を繞る研究論議で、おそらくは今後沸騰するであろうと考えられるのであります。
以上で、細節の考証を終ることとし、この辺で結論を付けてしまうことにしたいと思いますが、いかがでしょう。ここいらで、ちょっと休憩させていただけませんかね?」と博士は、座長格のトウリァ君を顧みて微笑んだ。
「年を取りますと、まことにどうも……スグ意気地がなくなりましてねえ」
「さあさあ、どうぞ御遠慮なく!」
「これはどうもうっかりしておりまして、飛んだ不調法をいたしました」とトウリァ君に麾かれて、村長も面食らって飛んできた。
「さぞ、お腹もお空きになりましたでしょう。別室にはお食事のお支度もできておりますから。おい、これ、アロンゾ! 何をボヤボヤしとる。早く先生方を御案内しないか!」
「なあに、腹も何も空いてはおりません。ただ、ちょっと休息させてもらえれば結構なのでして」
かくて博士たちは別室へ退いたが、熱い珈琲の一杯、寛いだ紫煙の数分間は、老いたる博士の気力をまた癒したのであろう。やがて十分ばかりの後、再び座へ戻ってきた博士の頬には、元気そうな色が漲っていた。
「そこでこれから結論を申し上げるわけなのですが、少々歴史上の問題に触れますので、皆様の頭を今から千二百年ばかりの以前へお借りするわけなのですが、先程も金貨のところでちょっと申し上げました、エム・アウレル皇帝……帝は紀元一八〇年三月十七日に亡くなりましたが、すぐ続いてその子のコモンズスというのが即位しました。これが羅馬帝国の皇帝として正式な名乗りを、エム・アウレリウス・コモンズス・アントニウスということになったのでありますが、面倒ですからコモンズス帝と略しておきましょう。
この皇帝は外征を好んだ父のアウレル皇帝とは性格がまったく違って、戦争が大嫌いで、奢侈遊楽のみに耽り、まことに懦弱怯懦で、非常に我儘勝手な皇帝でありました。どういう風に我儘な性質であったかという一例を申し上げますと、羅馬はまことに冬が寒い。父祖代々住み慣れて善美を凝らした大宮殿にもかかわらず、帝にとってはこの寒い羅馬に住んでいることがまことに厭で厭で堪らなかった。
そこでこの大帝国の都を人民もろともそっくりそのまま、どこか海を越えた南方の暖かい国へ移してしまおうと思い立って、侍臣を遣わしてしょっちゅう適当な土地を物色していられた。そして一方適当な土地が見つかり次第、いつ何時でもすぐ引っ越しができるよう、人民に命じて怠らず大船の建造をさせていました。それがためにこの時代の羅馬は造船術の非常に急激な進歩を見たということが、歴史に見えておりますが、我々考えるには冬の寒さが厭ならば何も都ごとそっくり引っ越す必要なぞは少しもない。帝王の位にあるのだから、どこへでも離宮なり、避寒地なりを拵えて冬はそこへ行幸したらよさそうなものを、とこう思うのでありますが、そこが羅馬帝国と我々平民との考えが違うところであって、我儘も我儘このくらい我儘な考えを起した皇帝も、まず珍しかったでありましょう。治績を調べてみた上では、カリグラやネロのようなそれほどの暴君でもなかったようですが、さりとて人民の敬仰するほどの善政を施した明君というでもなく、言わば何ら傑出したところのない、極めて凡庸な暗愚な皇帝に過ぎなかったように思われます。が、しかし、いくらそんな我儘な、夢のようなことを考えたからとて、なかなか羅馬の都全体がそんな簡単に動かせるものではありません。
当時羅馬は世界の都と呼ばれて、大宮殿、公議所、裁判所、闘技場、公衆浴場、……貴族の邸は立ち列なり諸国からの朝貢は織るがごとく、市街は殷賑を極めこのたった一つの建物を取り毀って船に積んで搬ぶだけでも、おそらく当時の船舶としては何万隻何十万隻という夥しい数を要したことでありましょう。いかに皇帝の尊貴にあればとて、この途方もない我儘だけは、なかなかもっておいそれと実現できるものではありませぬ。
結局、帝自身は、懦弱な性質と、その途方もない我儘な夢の間に挟まって、来る冬も来る冬も寒い寒いと零しながら、思い切って暖かい国へ都を遷すこともできず、後年羅馬で亡くなってしまいましたが、ともかくこういう莫迦げたことを考えるような性質の皇帝ですから、お陰で造船術は長足の進歩を遂げたかも知れませんが、宮廷費の要ることは実に夥しい。羅馬の財政は、この帝の当時、非常なる窮乏を告げてきたのであります。したがって、父のアウレル帝時代に海外に輝した赫々たる武勲を敬仰して、諸国よりの黄金の勝利品に心酔し切っていた元老院と、折り合いのうまく付こうはずはありませぬ。
当時この皇帝の寵姫に、評判の美女でマルシャという才気煥発な女がありまして、この女がまた帝に
をかけたような浪費家であり、なかなか姦智に長けて事々に愚かな帝を操縦しておりましたので、これまた元老院の非常な憎まれものでありましたが、このマルシャがひそかに帝の目褄を忍んで、クレアンデルという奴隷と情を通じていたのであります。クレアンデルはフリギア生れの男でありまして、マルクス・アウレリウスによって自由な解放奴隷となっておりましたが、もともと身分も何もない卑しい奴隷のことでありますから、何とかしてマルシャの庇護によって然るべき地位を得たいと考えておりました。マルシャもまた自分の憎からず思っている奴隷のことではあり、何とかしてクレアンデルの望みを叶えさせてやりたいと、いろいろ心を砕いておりましたがその結果、ついに一策を案じて暗愚な帝を唆し、元老院に対して、こういう誘いの手を打ったのであります。
『自分たちは決して奢侈な生活を望むものでもなければ、また外征を好まぬわけでもない。しかし宮中において最も威武を張っている、禁衛軍総督のペレニウスというものが事々に政務に干渉して、羅馬の国威を発揚しようとする自分たちの意志を阻んでいるのである。よってもし元老院が、ペレニウスの館を襲うてこれを殺してくれて、代りに解放奴隷のクレアンデルを禁衛軍総督に推薦してくれたならば、自分たちはただちに元老院の望みどおり外征を起して、羅馬の財政を再び父アウレル帝の御代のごとき繁栄に赴かせるであろう』
元老院は、早速これを承諾いたしました。そして勢威並びなき総督ペレニウスの襲撃計画をひそかに樹立いたしましたが、ペレニウスの侍妾アギナという賢明な女のために、事は未前に発覚して総督ペレニウスは、己の身の危険を慮って一夜暗に乗じて、オスチアの港から一族郎党、侍臣から寵姫、奴隷たちをはじめ数多の金銀財宝家具家財を積んだ巨船を艤して、何処へともなく羅馬を脱去してしまいました。後には元老院の推挙によって、クレアンデルが禁衛軍総督となったのでありますが、私の申し上げたいのは、実にこのペレニウスのことなのであります。
歴史に判明しているところによりますれば、当時……紀元一九七年十一月三日、オスチアの港から仕立てました船は巨船六隻でありまして、行く目的地はハッキリとはわかりませぬが、おそらくはその頃羅馬に敵対しつつあったカルタゴではなかったろうかということが、憶測せられております。いずれにせよ、先程も申し上げましたとおり、当時の羅馬は造船技術の最も発達していた極盛時であり、船を選び取るのは勢威並ぶものなき総督のペレニウスでありますから、オスチアを船出した巨船六隻と申すのはさぞがし当時の粋を抜いた、最優秀船であったろうと考えられるのであります。
そして史実の示すところによりますれば、その時ペレニウスと行を共にいたしましたのは、寵姫二十三人、その子供たち家族合せて七十何人、侍臣奴隷たち六百何十人、このほかに禁衛軍の将卒中から従うもの千二百有余人……非常に大掛りなものであります。この大掛りな二千人余りの人々が、この時ペレニウスに従ったのでありますが、念のためお断りしておきたいのは、唯今奴隷と申しましたが、これは別段に黒ん坊や何かを意味しているわけではありません。当時の羅馬の制度として侵略せられた国の人民は勝手気儘にこれを連れて来て、奴隷として使っておりましたから、この中には希臘、マケドニアあたりの水も滴るような美人もあれば、コス、ビシニアあたりの生れもあり、嬋娟たる白人の美女を奴隷として、これに食事や入浴の世話をさせたり、外衣の折り目を付けさせたり、少し名のある貴族ならば、銘々三百人や四百人くらいの奴隷は、擁していたのであります。で、そういう大規模な同勢を引き連れまして、ペレニウスは巨船によって羅馬を遁れ去ったのでありますが、さてこれが何処に着いてその後どうなったものか、一切歴史の頁からは抜け出してしまっているのであります。カルタゴにももちろん着いていなければ、マケドニアに着いている様子もありません。当時の羅馬と交渉のあったどこの国の歴史を調べてみましても、ペレニウスのペの字一つ見当らないばかりか、その一族郎党と覚しき者の記載すら、一字一句も見当らないのであります。
そして紀元一九七年の十一月二日、オスチアの港を船出したまま、ペレニウス一族については歴史は一切空白を伝えて今日に至っていたのでありますが、私はワイゲルト中尉の記録を読み、また先程お話いたしました金貨その他を見ておりますうちに、ふとこの歴史上の事実に思い当りまして、この一族の乗った船が外海に泛んでおりますうちに、季節風その他の暴風によって洋上へ洋上へと押し流され、大海に漂っていた挙句の末、ついにこの未知の大陸へ漂着してしまったものではあるまいか……と。そしてこの地に定着してその人たちの子孫が今日何万か何十万かに殖えて、立派な羅馬中期さながらの文化都市を建設して栄えているのではあるまいか? ……と、こういう考えを懐かずにはいられなくなってまいったのであります。
もちろん、くれぐれもお断りしておきますが、これは私一個の単なる憶測に過ぎぬのでありまして、この大陸に住んでいるものがペレニウス一族の子孫なりと断定すべき、何らの根拠はないのでありますから、将来もしその大陸の方からでもさらに詳しい資料が手にはいるとか、あるいは羅馬カルタゴ方面あたりからペレニウスの遺跡でも発掘せられまして、もっと的確な資料があり次第ただちに崩れる、ほんの単なる私一個の憶測であると御承知を願いたいのであります。
が、憶測ではあるが、しかし現在のところではそういう風に考えておく方が、すべての条件がまことによく合致するというだけのことなのであります。たとえばこの金貨の問題にしましても、ペレニウスならばエム・アウレル皇帝鋳造のセステルチア金貨を山ほど運び出そうと、何らの不思議はないのであります。
またペレニウスならば当時羅馬随一の権力家でありますから、亡命に際しては建築家も連れて行ったであろうし、……農業や畜産、酒造、園芸、美術、工芸あらゆる方面の専門家たちもそれぞれに引き具して行き得たであろう。また大勢の従僕奴隷たちの中には、いろいろな特技を持っていた人間もいたであろうし、大勢の寵姫たちは羅馬の文雅な風俗習慣を、そのまま後世へ遺してしまったであろう……と、こう考えてくることもできるのであります。
中尉の書翰によれば、この地の住民は非常に優雅であり、驚くほど贅沢であり、男も女も美貌で立派な肉体の所有者である……と、こう書いてあります。これもこの土地の住民が、羅馬貴族であるエトラスケール人たるペレニウス一族の末裔なり、と考える時に、充分首肯のできる話でありまして、たびたび繰り返して申し上げますとおり、当時の羅馬人は非常に優雅であり、驚くほど贅沢ではありましたが、同時に詩と美とをこの上もなく愛好し、希臘文明の世に、いわゆるヘレニズムを輸入しまして、その影響から、非常に現世的享楽的である一方、人間の持つ肉体の美しさというものに美の最高極致をおいたのであります。
したがって美に対する憧憬が強く、当時の婦人は決して、勇敢なる子孫や賢明なる子女を欲しいとは冀いませんでした。生れる子が男であれば、アポロのように逞しい肉体を持って雄々しい容貌であってくれるように、……女ならば女神のように豊麗で美しく……と、ただ肉体の上の美しさと逞しさのみを希求いたしていたのであります。そして月日満ちて子供の生れるまで、妊娠した婦人は己が寝室に美しい彫像を飾り、美しい詩を頌することによって生れ出づる子の美しさのみを祈ったということが、文献のすべてによって物語られております。
いずれにせよ、この南の国の歓楽境は、古羅馬貴族の末裔であることは、どの方面から考察しても何らの疑いがなく、しかもその貴族は必ずエトラスケール出身の貴族であるべきであり、しかればその断定の上に立って、将来有力なる資料によって訂正せられざる限り、甚だ学者らしからぬ直観的独断ではありますが、私はその羅馬貴族なるものを前に述べたペレニウス一族であると仮定して、しばらくこの問題の解決を図っておきたいと考えるのであります。……では、以上で一応この問題を解決し得たものとしまして、これから結論の第二としてこの大陸の新発見が、現在の世界にいかなる影響を与えるものであるかということを、申し上げることにいたしましょう」と博士は結論の第二を考えるかのように、しばらく凝乎と瞑目していた。
「まず第一に念頭に泛びますことは、独逸駆逐艦のシャッガァ号は一九一五年の秋以来唯今まで実に三十三年と三カ月、世界の謎としてその行方が問題になっていたものであり、世界がすでに忘却し切ってしまった今日となって突然その所在が判明したことでありますから、世界を驚倒せしむるに足る絶好な新聞種であり、関係列国をはじめ世界の人々はさぞかし白熱的な好奇心をもって、このニュースに沸き立つであろうと思います。これがまず考えられることの第一です。
しかし、こんなことは世界の人々の好奇心を満足せしむるというだけであって、当分話題は賑わせることでしょうが、現在の世界にどれほどの影響を与えるという、本質的な問題なぞでは決してありませぬ。そしてまた世界がどう沸き立とうが、私共にとってはさしたる興味ある問題でもありませぬ。
それよりも第二以下の方が、より私共の関心を誘う事柄なのでありますが、まず第二に考えられることは、世界の歴史は大きく変化するであろうということであります。
コロンブスが新大陸を発見するまで、西半球には白人が一切住んでいなかったという定説は見事に覆されまして、新世界とは言えないかも知れませんが、西半球東経百五度以東、南緯五十度以南の地に、今より一千年前白人文明はすでに欧州より渡来していたということになって、古代羅馬史はもう一度直される必要があり、世界史も従ってまた書き直されなければなりませぬ。
第三は、未知の新大陸が発見せられたことによって、世界地理学もまた書き替えられなければならぬということであります。
第四は、同じく十八世紀以来、世界の謎と目されていた南緯六十度ウニデス本流以南の全貌が初めて闡明せられました結果として、海洋学、気象学の内容に多大の変化を与え造船学、航洋学等にも深い影響を及ぼすであろうと考えられることであります。
その他先程申し上げました薬草プリゴネは世界の医学界に課題を投じましょうし、枕や蒲団に入れる正体不明の詰物ももう一度執り上げられましょう。この機会あるいはこれが機縁となって、エトラスケール語の研究が本格化されるかも知れませんし、まだまだ私共の気付かぬもので、学者の研究意欲を刺戟するものがどれほど潜んでいるか知れぬと思うのでありますが、聞くところによれば、わずか十五、六歳の少年五、六人ばかりが海岸からこの箱を背負って来たのだそうでありますが、こんな函一つの漂着によっても我々の世界はこれだけの莫大なる影響を受けるのでありますから、もし将来この大陸の全貌が明らかになりましたならば、――すなわちどれくらいの大きさを持つものか、いかなる埋蔵資源を持っているものか、そして人口の分布、形態、生活文化、歴史、富力等一切のものが判明いたしました暁には、どれほど大きな影響が与えられるものか、想像を絶したものがあろうと思われるのであります。
が、しかし、残念なことには……まことに残念なことには気象上海洋上、いかんとも近付き難い危険地域にありますから、我々の持っている飛行機なり汽船なりの機械文明の力が現在の程度においては、まずここ二、三十年の近い将来には、到底交通は望めないのではなかろうかと考えられます。したがって一九一七年に海中に投ぜられましたこの函が二十九年間の歳月を海中に漂うてようやく到着いたしましたのが、我々の世界とこの大陸との持つ最初にして最後の消息でありまして、あたかも濃い霧の中からパッと一条の光が射して、一瞬にして、また元の霧の中へ消え去るように、この未知の大陸も再び永遠の霧の彼方に閉ざされてしまうのではあるまいかと考えますと、まことにそれが遺憾至極に存ぜられてならぬのであります。……大変長い話になりましたが、私の説明は、……ではこれくらいで!」記者諸君は原稿の整理に忙しくて、頭を下げただけであったが、
「どうも先生様、御苦労様でござりました。お陰様で、ようく飲み込めました。有難うござりました」と、事情もわからぬうちにこの金貨は我らのものとなりと遮二無二決議した村長はじめ村の有力者たちは、その決議の効力も何も忘れて、丁寧に挨拶した。そして開闢以来の珍事で、村の郵便局はヘコ垂れ切っているのであろうか。
「郵便局からのお知らせを皆様に申し上げまァす」と世話係が、大声を出して触れ歩いていた。
「局が混雑しておりますので、なるべく電信より電話での御送稿をお願い申し上げます。ブエノスアイレス直通は、バヒア・ブランカ中継で二回線増してありますそうですから、なるべくこの方の御利用を願いまァす」
「さて、ケネディ博士のお話が済みまして、これから私が調査の結果を申し上げる番なのでありますが」と、マクドナルド博士が代って口を開いた。
「しかし私に課せられている問題は、極めて簡単でありまして、言わば私の仕事はケネディ博士の御説を受けて、それを海洋学の立場から、肯定し得るか得ざるかを申し上げるだけのことなのであります。……ということは、私は歴史上のことは全然門外漢でありますから、この点はただケネディ博士のごとき碩学の御説は多大の尊敬をもって伺っているに過ぎぬものでありますが、私の立場から研究することは、博士の御説はどうあろうとそれに頓着なく、海洋学独自の立場から見まして、第一にはかくのごとき大陸は事実この世界に存在しているものであるかどうか? ということであり、第二はもし存在しているとしたならば、大昔この大陸へはケネディ博士御説のごとくに、羅馬からの渡来が可能なのであったろうかどうか? ということを決定することなのであります。
もし大昔渡来できなかったろうという結論が出てまいりますならば、ケネディ博士のせっかくの御説も、海洋学から首肯できないという残念な結果になってくるのでありますが、これもどうも致し方のないことでありましょう。ともかくそういうわけでありますから、それで唯今も申し上げたごとく、私の立場はケネディ博士の御説を受けて、それを海洋学の立場から肯定し得るか得ざるかを決めるだけに過ぎぬものである……と、かように申し上げた次第なのであります」そしてここで問題を纏めるように、博士はしばらく口を噤んでいた。
「まず第一の問題、……はたしてかくのごとき大陸がこの世界に現存しているかどうか? すでに御覧のごとく、この函がここに漂着してまいりまして、二個の屍体、油絵、紙草の巻物等々、こうして証拠物は歴然と皆様の眼の前に並んでいるのでありますから、今更大陸があるもないも論ずる余地はないようなものでありますが、しかもなお、科学というものは非常に疑り深く、理論上からこれを一応も二応も検討してみる学問なのであります。そこで、この第一の問題に対する答え、……そういう大陸は確かに存在している。そして、ここにあるこれらの品や屍体は、疑いもなくことごとくその大陸から来たものに間違いないと、こうハッキリと海洋学は断言して憚らぬものであります。
なぜならば、記録中で天体観測をした場所はハッキリしていませんが、ある地点まで来るとウニデス潮流は支流と主流とに分岐して、支流の方は北上して南米ブラジル海岸を洗い、主流はますます南下を続けてゆく……そして駆逐艦のシャッガァ号はこの南下する主潮流の方に乗った……とこういうことになるのですが、これはこの記録によって初めて明らかにせられたところでありまして、もちろん充分あり得ることであろうと首肯せられるのであります。またこの駆逐艦が人類未知の大渦巻から逃れ出たついでに、主潮流からも運よく逸れることができた……これも何ら不思議のない話でありまして、これだけの大渦巻になりますとその持っている求心力――つまり艦でも物体でもあらゆる物を吸い込む力も大きいが、撥ね飛ばす力――遠心力というものもまたまことに強大なはずなのであります。それがためにこの駆逐艦は、破砕の脅威を免れて安全なる海洋へ漂流させられた……しかもただに安全なる海洋へ漂流させられたばかりでなく、思いも寄らぬ陸地の側まで漂い流された……と。これもまた今なお人類未知の暗黒魔海の出来事でありますからこの主潮流の方向、性質、大渦巻付近の海底の組成等についてさらにさらに将来の充分なる研究の結果に待たねばならぬことは言うまでもありませんが、単に不可能の見地より論ずれば我々の海洋学は起り得る現象として、この報告記載中の出来事を決して否定するものではありませぬ。
先程もケネディ博士が、そのお話の冒頭に仰しゃったかと思いますが、初めて博士とともにこの部屋へはいってまいりまして、波に揉まれ抜いたこの函を一瞥いたしました途端に、私は非常なる驚愕に打たれたのであります。こんな丈夫な木膚にこれほどまでに深い海水の縞目が刳り付けられているということは、到底これは普通の海中なぞに何年漂おうと何十年浮かんでいようと、できるものではありませぬ。何かこれは、海の滝壺とでも言ったような激浪に絶え間なく打たれるところに、一定の年間漂っていて、そこで同じような動作を何年間も何年間も繰り返してでもいなければ、到底このような縞目なぞが彫り付けられるものではないのでありますが、さて全世界中探して見たからとて海の中にそんな滝壺みたいな所があろうはずはありません。
一体どこの海から漂着してきたものであろうか? 実は何にも事情を知らずにこの函の表面を一目眺めるや否や、たちまち非常なる驚駭に打たれたわけなのであります。もちろんその時私共はまさかにこれが、我々がかつてこの世界の海にありとしも思わなかった前代未聞の大渦巻によってでき上ったものだなぞとは夢さら気付こうはずもなかったことでありますが、ケネディ博士と眼を皿のようにして中尉の記録を読んでおりますうちに、いよいよ大渦巻の条になってまいりました瞬間、思わず膝を叩いてこれあるかな! と感じ入った次第なのであります。
そしていささか自慢を申し上げるようで、オコがましい話ではありますが、まさかに大渦巻とは気が付きませんでしたが、ほぼその似たり寄ったりの辺まで想像し得た自分の推理の当っていたことを、まことに嬉しく感じたことでありましたが、同時に私の推理を裏付けているという点においても、この記録書翰類が決して嘘偽りを書き立てたものでないということを、……充分に信憑するに足るものであるということを、心から信じた次第であります。
そして十八世紀以来正体不明の謎となっておりましたこの魔海の帷が、いよいよかくのごとき信頼のできる航海録によって世界の学者の前に明らかにせらるるに至りましたことに対して、私共は言語に尽せぬ絶大なる感謝と喜びとを禁じ能わなかったのでありますが、この木函の持つ重さ比重を測りまして、仮に最小限度六カ年間渦巻中で捲き上げられたり捲き込まれたりしていたものと仮定いたしますると、おおよそ一日に何回、捲き上り捲き降りていたか推定され得るのであります。そこでその推定を基として計算してみますると、――この計算は力学上の計算になりますから非常に煩雑な数字でありまして、皆様には御興味もおありにならないことと思いますからいずれ学界に報告いたします論文によって詳細御覧を願うこととして、ここには省略することといたしますが、計算の結果だけを簡単に申し上げますと、この渦巻の推定直径は約百二十哩……深度は約二万六千八百メートル余ということになるのであります。数字で二万六千八百メートルと申しますと、何でもないようでありますが、我々の想像することもできぬ深さ……もっとわかりやすく申しますと、世界一の高山ヒマラヤ山の最高峰エヴェレスト山が、驚くなかれ三つ重ねて埋没して、まだ余裕綽々たる深さだということになるのであります。いかに深いか……ほとんど地軸にも達せんばかりの深度であるということがこれでおわかりになったでありましょう。この深さで広袤実に百二十哩という、前古未曾有の大渦巻が大円を描いて轟々と哮え狂っている物凄さ、恐ろしさ、凄まじさというものを皆様は一体御想像になり得るものでありましょうか?
たとえ十万噸の巨艦といえども――現在の世界には、そんな大艦はまた建造されておりませんけれども、もし仮にあったとしましてもその巨艦といえども、この大渦巻の前へ出ては蠅の一匹と申し上げたいが、それよりもまだ小さくほとんど蚤一匹の大きさにしか過ぎません。しかもその十万噸の大艦がこの大渦に巻かれて、渦の最下部まで達するのにどれだけの時間を費やすか? ……仮に午前七時に捲き込まれたと想像しますれば、午前十一時に至ってやっと最下部に達すという、計算が成り立ち得るのであります。もってその大きさ恐ろしさが、皆様にも幾分かはお飲み込みになれたであろうと思います。
このくらいの大渦巻となれば、その震動は七百哩くらいまで響いてもきましょうし、また五十哩くらいまで近付いてきた船は、容赦なく捲き込まれてしまいます。いったん捲き込まれたが最後、海の水は鋼鉄板同様な力でグルグルグルグルと奈落の底まで止め度なく引き摺り込んで叩き付けますから、いかな鋼鉄艦といえども、たちまちバラバラに分解してしまうのであります。そのバラバラに砕け散ったものは屍体でも船体の破片でも、あるいは渦の底部に埋まっているのもありますでしょうし、またグルグル旋回しつつ、渦の外へおっ抛り出されてしまうのもありましょう。ですからもしこの海底を浚渫することができましたならば、古来からの金銀財宝や船の破片、白骨なぞがどのくらい堆積しているか、量り知れないものがあろうと思われるのであります。
さて次はこの駆逐艦が数十日間を難航していたと覚しき、南緯四十三度線以南の概況でありますが、まず最初の暴風圏では風は西から吹いてまいりますが、これはかなりの烈風であると見なければなりません。常時秒速、まず七十メートルくらいは吹いているであろうと考えます。殊に十二月、一月、二月の候が、最も甚だしい。五十度以南から五十三度四分線以北くらいへかけては、風が東から吹く。この逆と逆との関係で、中間に非常に穏やかな、霧もなければ風もない、海波鏡のごとき地帯ができることは容易に想像され得るところであります。これは激烈なる颱風の中心に無風地帯があり、そこだけは月が皓々と照って楽しげに鳥の舞っている現象をお考えになれば、皆様にもすぐお飲み込みになれることと思いますが、問題の新大陸はおそらくこのあたりに横たわっているのではなかろうかと、考えられます。
そしてその傍らを流れて潮流は、ジグザグのコースを取りながら南下してしまうのでありますが、そこだけは記録にも記載されているように波は穏やかであるし、それに潮流の影響を受けて、非常に気候が温かである。その温かな気候へさらに霧もなければ風もないその空気を通してくる太陽熱の関係で、熱い亜熱帯的の気候が生じてくるのであろう……と、こう私は考えているのであります。そしてその意味においても、この中尉の筆は充分に真実を伝えているものであると堅く信じているものでありますが……」
「先生、ちょっとお待ち下さい、先生……」と堪りかねてその時記者席の一隅から、口を挟んだものがある。
「しかし、そういう万に一つの僥倖ででもなければ到底行き着くことのできぬ大陸へ、昔羅馬人たちはどうして行くことができたものでしょうか? それが不思議でならぬのですが」
「と仰有ることは、つまり先程私が申し上げた第二の問題へ移るということになるのですが、……よろしい、ではかくのごとき大陸はこの世界に事実存在しているものであるか? という第一の問題に対しては、然り、確かに事実存在しているものであるという確答を与えたことにいたしまして、これから御質問の第二の問題の方へ移ることにいたしましょう。こういう大渦巻というものは海底の地殻の変動や潮流の変化によって捲き起されてくるものでありますから、私思うに古代は、ここにこんな渦巻なぞはなかったのではあるまいか……とそう考えているのであります。ウニデス潮流も、あるにはあったであろうが今よりもっと変った形のもので存在していて――ほとんど潮流とも言えないくらいの穏やかな形で、この大陸の周辺を洗っていたのではなかろうかと考えているのであります。そして同時に現在の暴風圏も濃霧圏も、古代はもう少し形の変ったもので存在していたのではなかろうかと考えているのです。
そこへある民族を乗せた船が――羅馬貴族のペレニウスですか――そのペレニウス一族を乗せた船が、欧羅巴方面の海上で暴風か何かのために禍されて、何日も何十日もかかってこの圏内まで吹き流されてきた。そして緩やかな潮流に乗ってこの大陸へ上陸をした。そこで自分たちが故国から持ってきた材料を使ってその風俗慣習に従って、この大陸を開発して住み着いているうちに、その後、何百年かの間に海底に大地震かあるいは物凄い陥没かが起って、付辺海底の地殻に大変動を生じて、今のような形に潮流も流れればまたあの大渦巻が起るようにもなった。それにつれて暴風圏も濃霧圏も、今のような形に改まってきたのではないかとそう考えているのであります。
そしてそれ以来は、この三重にも四重にもの天然の危険が幾重もの妨害物となって、この大陸はまったく我々の住む世界とは隔絶したものとなり、この大陸はこの大陸だけで古の文物制度による独自の文化発達を遂げ、他族を混淆せぬ単民族だけで現在あるような人口が増殖して大陸内に幾つかの都会が営まれているのではないかと、こう考えているのでありますが」
「では、先生」と待ち構えていたようにまた別の声が起った。一問一答の形式でと言いながら、ケネディ博士はほとんど自分一人で述べてしまわれたが、マクドナルド博士の方は問答形式を望むような口吻であったから、この頃から記者諸君の質問はようやく活発になってきたのであった。
「そうしますと将来は、この大陸とも往来ができるようになり得るものでしょうか? たとえ僥倖にもせよ、すでに独逸の駆逐艦も無事に向うへ着きましたし、またこうして函へ入れて向うから通信も届いてきたのですから」
「独逸の駆逐艦が着いたということは、僥倖も僥倖……ほとんど僥倖という言葉でも言い表せないくらいの僥倖……言わば万に一つ億に一つの、紛当りというべきです。ほとんど奇蹟と考うべきでしょう。奇蹟を、将来に考えることはできませぬ。今の飛行機なり船舶なりが将来、現在の我々には想像も許されないくらいの進歩を遂げた後ならばいざ知らず、今の程度の進歩スピードでは、まずここ三百年や五百年中に、これだけの測り知れぬ危険を克服して、この大陸と往来ができるようになろうなぞとは夢にも考えられません。
現在我々の持っている科学……海洋学の知識でさえ、こんな大陸どころか! この大陸から数千哩も我々の世界に程近い、南緯四十度線あたりから向うのことは、もう一切暗黒に閉ざされていたではありませんか。残念ですが、まず独逸駆逐艦が我々にこの大陸の所在を教えてくれた最初のものであり、そしてまた最後のものとして、おそらくこれでこの大陸と我々との間の消息はまた何十年か何百年か、場合によれば何千年かの間絶えてしまうと考えるのが、常識であろうと思われます」
「先生、先生!」と突拍子もない声を出した男がある。「なるほど人間の往来は近い将来にできないかも知れませんが、しかし通信という意味だけから言えば、現にこうやって函が届いているではありませんか! 何とか通信だけは、お互いにできそうな気がするんですがねえ」
「もう一度、記録や書翰類の発信日付を見ていただきたいと思います。あなたはこの函が、いつ海中へ投じられたものだとお考えになりますか? 一九一七年の三月二十四日に最終の書翰が認められています。それから仮に一週間くらいのうちに海中へ投ぜられたと見ますならば、この函がここまで届くのに二十九年と七カ月の星霜を費やしているではありませんか。
しかもそれも幸いに、少年たちが拾ったからいい。が、もし少年たちの眼に付かなかったとしたら、どうします? 波の都合では、またどこかの海上へ流されていったかも知れません。百年たって人の眼に付くか、二百年たって人に拾われるか! これも一つの僥倖です。僥倖の期待し得られざることは、すでに先程も申し上げたとおりです。今後再びこの大陸から、通信は来るかも知れません。来ないかも知れません。来ても、我々の手にはいるかも知れません。はいらないかも知れません。しかも、仮に通信が手にはいったとしましても、ウニデス潮流はこちらへ向って北上してきているのです。こちら側から向うへは、どういう風にして通信したらいいものでしょうか?」
これで、この通信は何とかできそうなもんですがねェ、先生は、完全にペチャンコになって、一座は再び深い沈黙に陥った。が、日本でも外国でも、記者諸君というものは相当に人を食った質問をするものとみえて、散々碩学二人に喋らせ放題喋らせといた挙句の果てに、ヌケヌケと飛んでもねェことを言い出してきた男がある。事のついでにもう一刷毛この男と碩学との問答を写しておいて私もこの長物語の筆を結ぶことにしようと考える。
「先生、お話はよう腑に落ちましたがにィ」とこの先生クソ落ち付いた声を出した。「……どうも何でしょうかにィ? ほんとうの話でしょうかにィ? ……これは?」と野郎物を聞くのに事を欠いて、どうもハヤ大変な質問をおっ始めてきた。
「ほんとうの話かとは?」心外千万なことを聞くと言わんばっかりの面持をして、ケネディ老博士が質問の矢面に立たれた。「ほんとうの話かとはどういう意味ですか?」
「……私共考えますにィ。どこかの世界に莫迦者でもいてですにィ。世間騒がせに、こんなことをしたのではないかとにィ……どうも何だか……世界にそんな途轍もない渦巻や大陸があるなんてことは、いくら先生がそう仰有っても信じられんのですがにィ」
この男、まるで基督が復活してきた時に磔柱になった後の疵口へ手を突っ込ませてみせてくれなくちゃ、人違いだか何だかわかんねえと言い張った十二使徒の中のタマスみたいに、懐疑派の御大ではある。そうら、こっちの方にこそ大莫迦者が出たぞ! と言わんばかりの表情で、みなまで言わせず白髪老眼の博士が、手足を震わせながらスックと立ち上った。
「信じると信じぬとはあなたの御勝手だ。無理に信じて下さいとは、決してお頼みしてはいませぬ。学者として我々はかく信ずるということだけを、ただ申し上げているに過ぎないのです。あなたのような人がいるから、古来新規な学説を発表した学者はみな苦しんだのだ。ガリレオも、初めは物笑いの種になった。コペルニクスもそうだった。ヨハン・ケプラーもそうであった。そして私と博士マクドナルドが、今またそれを舐める」温厚な老学者も、よほどこのタマス二世には腹が立ったのであろう。いきなり卓上の金貨の一枚を引っ掴んで、力一杯床に叩き付けられた。
「今の金貨と昔の金貨の音とどう違うかをようく覚えておおきなさい!」と博士はもう一度金貨を拾って叩き付けられた。金貨は混凝土の床に撥ね返って、チリリイン! と涼しい余韻を、いつまでも人々の耳に響かせていた。
「仮に、あなたの言われるような大莫迦名が世界のどこかにいて、こういう念の入った世間騒がせをしたとしても、……その大莫迦者は我々四十五年の歳月をかけて専門に研究しているものの眼を晦ますほどに、間然するところなき典型的なコリントとコンポジット様式の立派な殿堂を紙の上に創り上げ……」と博士は例の一枚の市街建築の油絵を、震える両手で高々と差し上げられた。
「往時のアグリッパ浴場の盛観を偲ばしむる完全な古羅馬大公衆浴場を紙の上に創り上げ……」と、次いで、博士は大浴場の絵を高く挙げ、
「これらの絵と字を書いた完全なる埃及伝来の紙草を創り上げ、しかも……」と博士は傍らの木函の蓋をどんと叩かれた。
「古羅馬人独特の秘法をもって釘なしの函を創り上げ、現代医学をもっても解明することのできぬ不思議な屍体二個を創り上げ、そして……最後に、……諸君は今の金貨の音を聞かれましたか?」と博士は会衆一同の顔を見渡された。憤激は消え去って、また柔和な敬虔な老学者の瞳であった。
「今日いかほど分析してもまだ製法のわからぬ、独特の錬金術をもって鋳造した古羅馬貨幣を金で六十枚も拵え上げた、そういう大莫迦者がありましたならば、私はその大莫迦者に世界第一の古羅馬制度学者たるの尊敬を捧げまして、剣橋の教職を唯今即刻辞職して、今日よりその方のところへ弟子入りをいたします。もはや私は余命幾許もなき、御覧のごとき頽齢の老人です。日は暮れて道はなお遠く、研究し残していることは山ほどある。もしそれほどの大莫迦者が現れてくれたならば、私にとってはこういう大陸の四つ五つ出てくるよりも、よっぽどよっぽど、有難い!」
書き去り書き来り、以上私は近着海外各紙を参照して、できるだけ確実なそして詳細な報道を読者に示してきたつもりだ。これが現在、欧米人士を戦争に次ぐの熱狂と興奮の坩堝に陥れ、全世界を異常なる衝撃とセンセーションとに包み込んでいる、世紀の事件の全貌なのであった。
つい一昨日入手したブエノスアイレス特電によれば、未曾有の悪気流と闘って四十日間の滞空に堪え、いかなる濃霧の中でも発着することのできる成層圏用大型飛行艇の建造が、この目的のために、目下着々米国で準備を進めつつあるということであるし、ブエノスアイレスでは、英亜両国協同で海底潜水爬行の大探険艇が、同じくこの目的のために、急速建造せられつつあるということだから、難中の難事世界無比の大冒険ではあるが、あるいはさらに詳しい報道に接し得るの日も案外近きにあるのではなかろうかと、私は万に一つの期待をかけている。
そして書き忘れたが、今次戦争による悲惨なる結果であろうか、中尉の姉のローゼンタール男爵夫人の宏壮なる邸も、広大なる荘園もことごとく占領軍当局の手に管理せられて、いかに捜索するも夫人自身の行方は判明しないということであった。已むなく不幸なる恋人同士の亡骸は、今もなおブエノスアイレス市サン・ドミンゴ教会内に安置せられ、しかも世界の医学者海洋学者にして同地に殺到するもの枚挙に遑あらず、二十九年と七カ月の歳月を費やし遥々万里の波濤を越えて漂着したこの一個の函をめぐって、今や世界学者の論争は白熱化しているということが、同じくこの外電によって報じられている。
が、しかし、世界の学界に与えつつある寄与と貢献もさることながら、世にも美しく不幸なる二基の亡骸だけは、何とかして男爵夫人を探し出して一日も早く、その涙と頬摺りの手に掻き抱かせてやりたいと冀うもの、あながち私一人とは限らなかったであろう。