あらすじ
お城に閉じ込められたお姫さまは、外の世界への憧れを抑えきれず、ある日、乞食の女と出会います。お姫さまは、乞食の女に自分の姿をまねて城の外へ出てほしいと願い、二人は衣服を交換します。お姫さまは乞食の女の姿で城を出て、広くて自由な世界へと旅立ちます。しかし、いつまでも外の世界を自由に満喫することはできず、お姫さまは故郷を懐かしむようになります。一方、城に残された乞食の女は、お姫さまの代わりに城の生活を送りますが、心の奥底では、お姫さまの無事を願い、早く帰ってくることを切に願っていました。果たして、お姫さまは無事に故郷へ帰ることができるのでしょうか。
 お城(しろ)の奥深(おくふか)くお姫(ひめ)さまは住(す)んでいられました。そのお城(しろ)はもう古(ふる)い、石垣(いしがき)などがところどころ崩(くず)れていましたけれど、入(い)り口(ぐち)には大(おお)きな厳(いか)めしい門(もん)があって、だれでも許(ゆる)しがなくては、入(はい)ることも、また出(で)ることもできませんでした。
 お城(しろ)は、さびしいところにありました。にぎやかな町(まち)へ出(で)るには、かなり隔(へだ)たっていましたから、木(き)の多(おお)い、人里(ひとざと)から遠(とお)ざかったお城(しろ)の中(なか)はいっそうさびしかったのであります。
 お城(しろ)の中(なか)には、どんなきれいな御殿(ごてん)があって、どんな美(うつく)しい人々(ひとびと)が住(す)んでいるか、だれも知(し)ったものがなかったのです。旅人(たびびと)は、お城(しろ)の門(もん)を通(とお)り過(す)ぎるときに、足(あし)を止(と)めてお城(しろ)のあちらを仰(あお)ぎました。けれど、そこからは、なにも見(み)ることができませんでした。
「なんでも、きれいな御殿(ごてん)があるということだ。」と、一人(ひとり)の旅人(たびびと)がいいますと、
「美(うつく)しいお姫(ひめ)さまがいられて、いい音楽(おんがく)の音色(ねいろ)が、夜(よる)も昼(ひる)もしているということだ。」と、また他(た)の一人(ひとり)の旅人(たびびと)がいっていました。
 こうして、旅人(たびびと)は、いろいろなうわさをしながら、そのお城(しろ)の門(もん)の前(まえ)を去(さ)ってしまったのであります。
 お城(しろ)の中(なか)には、美(うつく)しい御殿(ごてん)がありました。そして御殿(ごてん)の一室(しつ)に、美(うつく)しいお姫(ひめ)さまが住(す)んでいられて、毎日(まいにち)、歌(うた)をうたい、いい音色(ねいろ)をたてて音楽(おんがく)を奏(そう)せられ、そして、窓(まど)ぎわによりかかっては、遠(とお)くの空(そら)をながめられて、物思(ものおも)いにふけっていられました。そのことはだれも知(し)ることができなかったのです。
 お姫(ひめ)さまは、このお城(しろ)の中(なか)で大(おお)きくなられました。そして、このお城(しろ)の内(うち)しかお知(し)りになりませんでした。お城(しろ)の中(なか)には、大(おお)きな林(はやし)がありました。また、大(おお)きな濠(ほり)がありました。林(はやし)の中(なか)には、いろいろな鳥(とり)がどこからともなく集(あつ)まってきて、いい声(こえ)でないていました。またお濠(ほり)や、池(いけ)の中(なか)には、珍(めずら)しい魚(うお)がたくさん泳(およ)いでいました。そのほか、御殿(ごてん)の中(なか)には、この世(よ)の中(なか)のありとあらゆる珍(めずら)しいものが飾(かざ)られてありました。けれどお姫(ひめ)さまは、もはや、そんなものを見(み)ることに飽(あ)きてしまわれました。
「ああ、わたしは、このお城(しろ)の中(なか)にばかりいることは飽(あ)きてしまった。このお城(しろ)の中(なか)から外(そと)へ出(で)てみたいものだ。」と、お姫(ひめ)さまは思(おも)われました。
 このことをおつきのものに話(はな)されますと、おつきのものは、びっくりして、目(め)を円(まる)くしていいました。
「それはとんでもないことです。このお城(しろ)の内(うち)ほどいいところは、どこへいってもありません。お城(しろ)の外(そと)に出(で)ますと、それはきたないところや、暗(くら)いところや、また悪(わる)い人間(にんげん)などがたくさんにいまして安心(あんしん)することができません。お城(しろ)のうちほど、いいところがどこにありますものですか。」と申(もう)しました。
 しかし、お姫(ひめ)さまは、だれがなんといっても、やはり、お城(しろ)の外(そと)に出(で)て、世(よ)の中(なか)というものを見(み)たいと思(おも)われました。
「世(よ)の中(なか)というところは、どんなところだろう。そこには、にぎやかな町(まち)があるということだ。その町(まち)へいったら、きっと自分(じぶん)の知(し)らないおもしろいことがたくさんにあるに相違(そうい)ない。そして、いろいろな歌(うた)を聞(き)かれるにちがいない。どうかして、わたしは、その世(よ)の中(なか)を見(み)たいものだ。」と、お姫(ひめ)さまは思(おも)われたのであります。
 林(はやし)の中(なか)には、いろいろな小鳥(ことり)がきてさえずっていましたけれど、その小鳥(ことり)は、もはやお姫(ひめ)さまには珍(めずら)しいものではなかったのです。しかるに、あるとき、遠(とお)い南(みなみ)の方(ほう)から渡(わた)ってきたという、赤(あか)と緑(みどり)と青(あお)の毛色(けいろ)をした、珍(めずら)しい鳥(とり)を献上(けんじょう)したものがありました。
 お姫(ひめ)さまは、この鳥(とり)が、たいそう気(き)にいられました。そして、自分(じぶん)の居間(いま)に、かごにいれて懸(か)けておかれました。小鳥(ことり)は、じきにお姫(ひめ)さまになれてしまいました。しかし、小鳥(ことり)も、自身(じしん)の生(う)まれた、遠(とお)い国(くに)のことをときどき、思(おも)い出(だ)すのでありましょう。かごの中(なか)のとまり木(ぎ)に止(と)まって、遠(とお)くの青(あお)い、雲切(くもぎ)れのした空(そら)をながめながら、悲(かな)しい、低(ひく)い音色(ねいろ)をたててなくのでありました。するとお姫(ひめ)さまも悲(かな)しくなって、涙(なみだ)ぐまれたのであります。そして、やはり、あちらの空(そら)を見(み)ていられますと、白(しろ)い雲(くも)が夢(ゆめ)のように飛(と)んでゆくのでありました。
「おまえは、なにをそんなに考(かんが)えているの? しかし、おまえはこんなに遠(とお)い他国(たこく)にくるまでには、さだめしいろいろなところを見(み)てきたろうね。町(まち)や、海(うみ)や、港(みなと)や、野原(のはら)や、山(やま)や、河(かわ)や、また珍(めずら)しいふうをした旅人(たびびと)や、その人(ひと)たちの歌(うた)う唄(うた)などを聞(き)いたり、見(み)たりしてきたにちがいない。しかし、わたしは、そんなものを聞(き)くことも見(み)ることもできない。」
 お姫(ひめ)さまは、こういってなげかれたのであります。
 お城(しろ)の内(うち)には、さびしい秋(あき)がきました。つぎに木(き)の葉(は)のことごとく落(お)ちつくしてしまう冬(ふゆ)がきました。いろいろな木(き)の実(み)が紅(あか)く熟(じゅく)し、それが落(お)ちてしまうと雪(ゆき)が降(ふ)りました。そして、しばらくたつとまた、若草(わかくさ)が芽(め)をふいて、陽炎(かげろう)のたつ、春(はる)がめぐってきたのであります。
 お城(しろ)の内(うち)には、花(はな)が咲(さ)き乱(みだ)れました。みつばちは太陽(たいよう)の上(のぼ)る前(まえ)から、花(はな)の周囲(しゅうい)に集(あつ)まって、羽(はね)を鳴(な)らして歌(うた)っていました。ほんとうに、のびのびとした、いい日和(ひより)がつづきましたので、お城(しろ)の門番(もんばん)は、退屈(たいくつ)してしまいました。どこからともなく、柔(やわ)らかな風(かぜ)が花(はな)のいい香(かお)りを送(おく)ってきますので、それをかいでいるうちに、門番(もんばん)はうとうとと居眠(いねむ)りをしていたのであります。
 ちょうど、そのとき、みすぼらしいようすをした女(おんな)の乞食(こじき)がお城(しろ)の内(うち)へ入(はい)ってきました。女(おんな)の乞食(こじき)は門番(もんばん)が居眠(いねむ)りをしていましたので、だれにもとがめられることがなく、草履(ぞうり)の音(おと)もたてずに、若草(わかくさ)の上(うえ)を踏(ふ)んで、しだいしだいにお城(しろ)の奥深(おくふか)く入(はい)ってきたのであります。
 お姫(ひめ)さまは、おりから、怪(あや)しげなようすをした女(おんな)がこちらに近(ちか)づいてくるのをごらんになりました。そして、よくそれをごらんになると、自分(じぶん)と同(おな)じ年(とし)ごろの美(うつく)しい娘(むすめ)でありました。お姫(ひめ)さまはこんなに美(うつく)しい娘(むすめ)が、どうして、またこんなに汚(きたな)らしいようすをしているのかと怪(あや)しまれたのです。
「おまえは、だれだ?」と、お姫(ひめ)さまは、おたずねになりました。
 すると女(おんな)の乞食(こじき)は、悪(わる)びれずに、
「わたしは、貧(まず)しい人間(にんげん)です。親(おや)もありませんし、家(うち)もないものです。こうして諸方(しょほう)を歩(ある)いて、食(た)べるものや、着(き)るものをもらって歩(ある)く人間(にんげん)なのでございます。」と答(こた)えました。
 お姫(ひめ)さまは、その話(はなし)を聞(き)いていられる間(あいだ)に、幾(いく)たび、びっくりなされたかしれません。そして、この女(おんな)が、乞食(こじき)であることをはじめてお知(し)りになりました。
「おまえは乞食(こじき)なの?」と、お姫(ひめ)さまはお問(と)いになされました。
「さようでございます。」と、汚(きたな)らしいようすをした女(おんな)は答(こた)えました。
お姫(ひめ)さまは、つくづくと女(おんな)の乞食(こじき)をごらんになっていましたが、小(ちい)さな歎息(たんそく)をなされました。
「なんという、おまえの目(め)は美(うつく)しい目(め)でしょう。」とおっしゃられました。
 女(おんな)の乞食(こじき)は、お姫(ひめ)さまを見上(みあ)げて、
「そんなに、わたしの目(め)がよろしければ、あなたに、目(め)をさしあげましょう。」と申(もう)しました。
 お姫(ひめ)さまは、なおつくづくと女(おんな)の乞食(こじき)をごらんなされていたが、小(ちい)さな歎息(たんそく)をなされて、
「まあ、なんというおまえの髪(かみ)の毛(け)は美(うつく)しいのだろう。」といわれました。
 女(おんな)の乞食(こじき)は、長(なが)い、黒(くろ)い髪(かみ)の毛(け)を手(て)でかきあげながら、
「わたしの髪(かみ)の毛(け)が、そんなによろしければ、あなたにさしあげましょう。」と申(もう)しました。
 お姫(ひめ)さまは、前後(ぜんご)のわきまえもなく、女(おんな)の乞食(こじき)に抱(だ)きつかれました。
「ああ、なんというおまえの心(こころ)はやさしいのでしょう。目(め)も髪(かみ)の毛(け)もみんなおまえのもので、だれもおまえから取(と)ることができはしない。わたしがどうして、これをおまえからもらうことができましょう。わたしは、それをほしいとは思(おも)いませんが、どうか、おまえのきている着物(きもの)をおくれ。そして、おまえは、わたしの着物(きもの)をきて、わたしのかわりとなって、しばらく、このお城(しろ)の内(うち)に住(す)んでいておくれ。わたしは、おまえになって、広(ひろ)い世(よ)の中(なか)を見(み)てきたいから……。」と、お姫(ひめ)さまは、女(おんな)の乞食(こじき)にむかって、ねんごろに頼(たの)まれました。
 女(おんな)の乞食(こじき)は、下(した)を向(む)いて、しばらく考(かんが)えていましたが、やがて顔(かお)を上(あ)げて、
「お姫(ひめ)さま、わたしは、なんでもあなたのおっしゃることを聞(き)きます。しかし、わたしみたいなものが、お姫(ひめ)さまのかわりとなっていることができましょうか。」と申(もう)しました。
 お姫(ひめ)さまは、軽(かる)くうなずかれ、
「わたしがよく、侍女(こしもと)に頼(たの)んでおきます。そして、そんなに長(なが)くはたたない。じきにもどってくるから、どうかわたしのいうことを聞(き)いておくれ。ぜひお願(ねが)いだから……。」といわれましたので、女(おんな)の乞食(こじき)は、ついにうなずいて、お姫(ひめ)さまのいうことを聞(き)きました。
 お姫(ひめ)さまは、侍女(こしもと)をお呼(よ)びになって、そのことを話(はな)されますと、侍女(こしもと)は、びっくりして目(め)を円(まる)くしました。
「お姫(ひめ)さま、そんなお考(かんが)えをお起(お)こしになってはいけません。どんなまちがいがないともかぎりません。」と、おいさめ申(もう)しましたが、お姫(ひめ)さまは、どうかわたしの希望(きぼう)をかなえさせておくれ、きっとその恩(おん)は返(かえ)すからといって、ついに、女(おんな)の乞食(こじき)に姿(すがた)をやつされました。そして、城(しろ)を立(た)ちいでられることになりました。
 門番(もんばん)が見(み)つけたら、またひと災難(さいなん)であろうと、お姫(ひめ)さまは心配(しんぱい)をなされましたが、門番(もんばん)はこのときまで、まだいい心地(ここち)に居眠(いねむ)りをしていましたので、乞食(こじき)のふうをした若(わか)い女(おんな)が、自分(じぶん)の前(まえ)を忍(しの)び足(あし)で通(とお)り過(す)ぎたのをまったく知(し)らなかったのであります。
 お姫(ひめ)さまは、往来(おうらい)の上(うえ)に出(で)られました。その道(みち)を歩(ある)いてゆくと、どこまでも道(みち)はつづいています。そして、ゆきつきるということがありませんでした。お城(しろ)の内(うち)は、いくら広(ひろ)くても、一日(にち)の中(うち)には、まわりつくしてしまうことができますのに、往来(おうらい)はどこまでいっても、はてしがなかったのです。そればかりでない、青々(あおあお)とした野原(のはら)や、花(はな)の咲(さ)く圃(はたけ)などを右(みぎ)に左(ひだり)に見(み)ることができました。緑色(みどりいろ)の空(そら)は、円(まる)やかに頭(あたま)の上(うえ)に懸(か)かって、遠(とお)く地平線(ちへいせん)のかなたへ垂(た)れ下(さ)がっています。春風(はるかぜ)は、遠(とお)くから吹(ふ)いて、遠(とお)くへ去(さ)っていきます。百姓(しょう)が愉快(ゆかい)そうに働(はたら)いています。お姫(ひめ)さまは、なにを見(み)ても珍(めずら)しく、心(こころ)も、身(み)ものびのびとなされました。
「ああ、世(よ)の中(なか)というものは、なんという楽(たの)しいところだろう。」と、お姫(ひめ)さまは思(おも)われました。そして、いままでお城(しろ)の内(うち)でしていた生活(せいかつ)は、なんという窮屈(きゅうくつ)な生活(せいかつ)であったろうと思(おも)われました。
 あるところでは、山(やま)が見(み)られました。また、あるところでは、大河(おおかわ)が流(なが)れていました。その河(かわ)には橋(はし)がかかっていました。お姫(ひめ)さまは、その橋(はし)を渡(わた)られました。すると、あちらに、にぎやかないろいろな建物(たてもの)のそびえている町(まち)があったのであります。この乞食(こじき)のようすをした、お姫(ひめ)さまに出(で)あった人々(ひとびと)の中(うち)には、気(き)の毒(どく)に思(おも)って、お姫(ひめ)さまの側(そば)に寄(よ)ってきて、
「どうして、おまえさんは、そんなに若(わか)いのに乞食(こじき)をするのですか?」と、聞(き)いたものもありました。
 お姫(ひめ)さまは、こういって聞(き)かれると、なんといって答(こた)えたらいいだろうかとまどわれましたが、
「わたしには、両親(りょうしん)もなければ、また家(うち)もないのです。」と、いつか乞食(こじき)の女(おんな)がいったことを思(おも)い出(だ)して答(こた)えられました。
 すると、その人(ひと)は、たいそうお姫(ひめ)さまを気(き)の毒(どく)に思(おも)って、銭(ぜに)を出(だ)してくれました。
 お姫(ひめ)さまは、旅費(りょひ)などは用意(ようい)してきたので、べつにお金(かね)はほしくもなかったが、こうしてしんせつに知(し)らぬ人(ひと)がいってくれるのを、あだに思(おも)ってはならないと思(おも)って、深(ふか)くお礼(れい)を申(もう)されました。
 夜(よる)になったときに、お姫(ひめ)さまは、みんな自分(じぶん)のような貧(まず)しいようすをした旅人(たびびと)ばかりの泊(と)まる安宿(やすやど)へ、入(はい)って泊(と)まることになされました。そこには、ほんとうに他国(たこく)のいろいろな人々(ひとびと)が泊(と)まり合(あ)わせました。そして、めいめいに諸国(しょこく)で見(み)てきたこと、また聞(き)いたことのおもしろい話(はなし)や、不思議(ふしぎ)な話(はなし)などを語(かた)り合(あ)って、夜(よ)を更(ふ)かしました。また、それらの中(うち)には、自分(じぶん)と同(おな)じ年(とし)ごろの唄(うた)うたいがいて、マンドリンを鳴(な)らして、いろいろな歌(うた)をうたって、みんなを楽(たの)しませていました。
 お姫(ひめ)さまはもとからマンドリンを弾(ひ)くことが上手(じょうず)であり、また、歌(うた)をうたうことが上手(じょうず)でございましたから、自分(じぶん)も、明日(あした)からは、唄(うた)うたいとなって、旅(たび)をしようと思(おも)われました。夜(よ)が明(あ)けて、太陽(たいよう)が、花(はな)の咲(さ)いたように空(そら)に輝(かがや)きわたりますと、その宿(やど)に泊(と)まったすべての人々(ひとびと)は、思(おも)い思(おも)いに旅(たび)をつづけて、散(ち)っていってしまいました。お姫(ひめ)さまは、それを哀(かな)しいことにも、また、たのしいことにも思(おも)われました。そこで、自分(じぶん)は、すっかり唄(うた)うたいのふうをして、この町(まち)を立(た)って、さらに遠(とお)い遠(とお)い、自由(じゆう)な旅(たび)をつづけることになされました。
 お城(しろ)の内(うち)に、お姫(ひめ)さまのかわりになって残(のこ)った女(おんな)の乞食(こじき)は、その日(ひ)からは、なに不足(ふそく)なく暮(く)らすことができましたけれど、退屈(たいくつ)でしかたがありませんでした。
「いまごろ、お姫(ひめ)さまは、どうなさっていられるだろう。早(はや)く帰(かえ)ってきてくださればいい。」と、明(あ)け暮(く)れ思(おも)っていました。
 女(おんな)の乞食(こじき)は、ふたたび、気(き)ままな体(からだ)になって、花(はな)の咲(さ)く野原(のはら)や、海(うみ)の見(み)える街道(かいどう)や、若草(わかくさ)の茂(しげ)る小山(こやま)のふもとなどを、旅(たび)したくなったのであります。
 女(おんな)は、柱(はしら)にかかっている小鳥(ことり)に目(め)をとめました。その小鳥(ことり)は、お姫(ひめ)さまがかわいがっていられた美(うつく)しい小鳥(ことり)でありました。小鳥(ことり)は、かごの中(なか)でじっとして考(かんが)えています。女(おんな)は、顔(かお)をかごのそばに近寄(ちかよ)せました。
「小鳥(ことり)や、おまえも産(う)まれたふるさとが恋(こい)しいだろう。さあ、わたしが、いまおまえを自由(じゆう)にしてあげるから、早(はや)く飛(と)んでおゆき。」と、女(おんな)はいいました。
 そして、女(おんな)は、お姫(ひめ)さまの大事(だいじ)にしていられた小鳥(ことり)を、放(はな)してやりました。赤(あか)と、緑(みどり)と、青(あお)の羽色(はねいろ)をした美(うつく)しい小鳥(ことり)は、いい声(こえ)でないて、お城(しろ)の上(うえ)を舞(ま)っていましたが、やがて雲(くも)をかすめてはるかに、どこへとなく飛(と)び去(さ)ってしまったのであります。
 お姫(ひめ)さまは、足(あし)にまかせて、いっても、いっても、はてしのない遠(とお)くへといってしまって、帰(かえ)ろうと思(おも)っても、そこがどこやらまったくわからなくなってしまったのです。お姫(ひめ)さまは、自分(じぶん)の国(くに)をばたずねても、だれもその名(な)を知(し)っている人(ひと)はなかったのです。
「そんな国(くに)がどこか、遠(とお)いところにあるとは聞(き)いたが、私(わたし)どもはいってみたことも、またはたしてほんとうにあるのかさえも知(し)りません。」と、人々(ひとびと)は答(こた)えました。
 お姫(ひめ)さまは、悲(かな)しくなりました。たとえこうしていることが、どんなに自由(じゆう)であっても、ふるさとのことを思(おも)い出(だ)さずにいられなかったのです。お姫(ひめ)さまは、いまは、ふるさとを恋(こい)しく思(おも)われました。晩方(ばんがた)の雲(くも)を見(み)るにつけ、空(そら)を飛(と)んでゆく鳥(とり)の影(かげ)を見(み)るにつけ、ふるさとを思(おも)い出(だ)しては涙(なみだ)にむせばれていたのであります。
 ある日(ひ)のこと、お姫(ひめ)さまは、海(うみ)の見(み)える港(みなと)のはずれで、独(ひと)りマンドリンを弾(ひ)き、ふるさとの唄(うた)をうたっていられました。そこは、ずっとある島(しま)の南(みなみ)の端(はし)でありまして、気候(きこう)は暖(あたた)かでいろいろな背(せ)の高(たか)い植物(しょくぶつ)の葉(は)が、濃(こ)い緑色(みどりいろ)に茂(しげ)っていました。女(おんな)の人(ひと)は、派手(はで)な、美(うつく)しい日(ひ)がさをさして、うすい着物(きもの)を体(からだ)にまとって路(みち)を歩(ある)いています。男(おとこ)の人(ひと)は、白(しろ)い服(ふく)を着(き)て、香(かお)りの高(たか)いたばこをくゆらして歩(ある)いていました。
 お姫(ひめ)さまは、太陽(たいよう)の輝(かがや)いた、海(うみ)の面(おもて)をながめながら、心(こころ)をこめて唄(うた)を歌(うた)っていられました。そのときお姫(ひめ)さまは、聞(き)き慣(な)れた、なつかしい小鳥(ことり)の声(こえ)を耳(みみ)にされたのであります。
 それもそのはずのこと、お姫(ひめ)さまの大事(だいじ)にされていた小鳥(ことり)は、かごを出(で)て、自由(じゅう)な身(み)になりますと、夜(よる)も昼(ひる)も旅(たび)をして、自分(じぶん)の産(う)まれた南(みなみ)の方(ほう)の島(しま)に帰(かえ)ってきたのです。
 そして毎日(まいにち)、のどかな空(そら)に、舞(ま)いさえずりながら遊(あそ)んでいますうちに、ある日(ひ)のこと、下(した)の方(ほう)の港(みなと)で、御殿(ごてん)にいた時分(じぶん)、お姫(ひめ)さまのよくうたわれた唄(うた)と、そしてまさしく、なつかしい同(おな)じ声(こえ)とを聞(き)いたから、そばの木(き)におりてみたのであります。
 すると、まちがいなくお姫(ひめ)さまでありました。小鳥(ことり)はすぐに、お姫(ひめ)さまが国(くに)へ帰(かえ)りたいと思(おも)っても、その方角(ほうがく)も、また道(みち)もわからなくて、困(こま)っていられるのを察(さっ)したのでありました。
「おお、きれいな小鳥(ことり)だこと、あの鳥(とり)は、わたしの飼(か)っていた鳥(とり)とよく似(に)ている……。」と、お姫(ひめ)さまは、目(め)ざとくその鳥(とり)を見(み)つけると、思(おも)われました。
 小鳥(ことり)は、すぐにお姫(ひめ)さまのそばまでやってきて、なつかしそうにくびをかしげてさえずっています。
「おお、おまえは、まさしくわたしの大事(だいじ)にしていた小鳥(ことり)なのだ。どうして、ここへやってきたの? わたしは、国(くに)へ帰(かえ)りたいと思(おも)っても、道(みち)がわからなくて困(こま)っています。どうか、わたしをつれていっておくれ?」と、お姫(ひめ)さまは、小鳥(ことり)に向(む)かって話(はな)されました。
 それから、お姫(ひめ)さまは、小鳥(ことり)について、その飛(と)んでゆくままに、旅(たび)をされたのであります。
 小鳥(ことり)が、船(ふね)のほばしらの先(さき)に止(と)まって鳴(な)いたときに、お姫(ひめ)さまは、船(ふね)に乗(の)られました。そして、はるばると波路(なみじ)を揺(ゆ)られてゆかれました。小鳥(ことり)が岸(きし)に上(あ)がって、木(き)に止(と)まって鳴(な)いたときに、お姫(ひめ)さまは、船(ふね)から上(あ)がられました。そして、そこに休(やす)んでいたろばに乗(の)られて、砂漠(さばく)の中(なか)を過(す)ぎられました。
 お姫(ひめ)さまは、その道(みち)は、自分(じぶん)のきた時分(じぶん)に通(とお)った道(みち)でないので、ほんとうに、故郷(こきょう)に帰(かえ)ることができるだろうかと、不安(ふあん)に思(おも)われましたが、小鳥(ことり)がどこまでもついていってくれるのを頼(たよ)りに旅(たび)を続(つづ)けられていますと、ある日(ひ)のこと、お姫(ひめ)さまは見覚(みおぼ)えのあるお城(しろ)の森(もり)が、あちらにそびえているのをごらんになりました。
「おお、わたしはお城(しろ)へ帰(かえ)ってきた!」と、お姫(ひめ)さまは覚(おぼ)えず叫(さけ)ばれました。
 小鳥(ことり)は、「いま、あなたは、なつかしいふるさとにお帰(かえ)りなったのです。あなたが、私(わたし)をかわいがってくださった、ご恩(おん)を返(かえ)すために、ここまで、あなたをおつれ申(もう)しました。」といわんばかりに、木(き)の枝(えだ)に止(と)まってないていました。
「ほんとうに、ありがとう。」と、お姫(ひめ)さまは、涙(なみだ)に輝(かがや)いた瞳(ひとみ)を上(あ)げて、小鳥(ことり)をじっとごらんなさいますと、小鳥(ことり)は、やっと安心(あんしん)をしたように、空高(そらたか)く舞(ま)い上(あ)がって、どこへともなく、雲(くも)を遠(とお)く飛(と)び去(さ)ったのであります。
 ちょうどお姫(ひめ)さまが、お城(しろ)を出(で)られてから、三(み)たびめの春(はる)がめぐってきたのでありました。その間(あいだ)に、どうしたことか、門番(もんばん)の姿(すがた)は見(み)えませんでした。お姫(ひめ)さまは、乞食(こじき)の女(おんな)のことが気(き)にかかりながら、お城(しろ)の内(うち)へとしずみがちに歩(あゆ)みを運(はこ)ばれました。
「まあ、お姫(ひめ)さま、お帰(かえ)りでございますか。」と、侍女(こしもと)は、お姫(ひめ)さまの姿(すがた)を見(み)ると、目(め)にいっぱい涙(なみだ)をためて抱(だ)きつきました。
「おまえも無事(ぶじ)でよかったね。そしてあの女(おんな)はどうしました?」と、お姫(ひめ)さまも目(め)に涙(なみだ)をためて聞(き)かれました。
 侍女(こしもと)は、声(こえ)を忍(しの)んで泣(な)きました。そして、
「お姫(ひめ)さま、まことにかわいそうなことでございます。去年(きょねん)の春(はる)、御殿(ごてん)にお客(きゃく)がありまして、ご宴会(えんかい)のございましたときに、殿(との)さまから、お姫(ひめ)さまに歌(うた)をうたって舞(ま)うようにとのご命令(めいれい)がありました。あの女(おんな)は、そんな歌(うた)も知(し)らなければ、また舞(ま)いもできませんでした。それを知(し)らぬというわけにもいかず、その前夜(ぜんや)、井戸(いど)の中(なか)に身(み)を投(な)げて死(し)んでしまいました。」と申(もう)しました。
 お姫(ひめ)さまは、あの女(おんな)が、自分(じぶん)の身(み)がわりになったばかりに死(し)んだことを、たいそうかわいそうに思(おも)われました。そして、女(おんな)の身(み)を投(な)げて死(し)んだという井戸(いど)のそばへいって、深(ふか)く、深(ふか)く、わびられますと、その井戸(いど)のそばには、濃紫(こむらさき)のふじの花(はな)が、いまを盛(さか)りに咲(さ)き乱(みだ)れていたのであります。

――一九二一・一二作――
了

底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社
   1977(昭和52)年1月10日第1刷
   1981(昭和56)年1月6日第7刷
初出:「童話」
   1922(大正11)年4月
※表題は底本では、「お姫(ひめ)さまと乞食(こじき)の女(おんな)」となっています。
※初出時の表題は「お姫様と乞食の女」です。
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校正:本読み小僧
2012年9月26日作成
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