若者(わかもの)は、小(ちい)さいときから、両親(りょうしん)のもとを離(はな)れました。そして諸所(しょしょ)を流(なが)れ歩(ある)いていろいろな生活(せいかつ)を送(おく)っていました。もはや、幾年(いくねん)も自分(じぶん)の生(う)まれた故郷(こきょう)へは帰(かえ)りませんでした。たとえ、それを思(おも)い出(だ)して、なつかしいと思(おも)っても、ただ生活(せいかつ)のまにまに、その日(ひ)その日(ひ)を送(おく)らなければならなかったのであります。
 もう、十七、八になりましたときに、彼(かれ)は、ある南方(なんぽう)の工場(こうじょう)で働(はたら)いていました。しかし、だれでもいつも健康(けんこう)で気持(きも)ちよく、暮(く)らされるものではありません。この若者(わかもの)も病気(びょうき)にかかりました。
 病気(びょうき)にかかって、いままでのように、よく働(はたら)けなくなると、工場(こうじょう)では、この若者(わかもの)に、金(かね)を払(はら)って雇(やと)っておくことを心(こころ)よく思(おも)いませんでした。そしてとうとうある日(ひ)のこと、若者(わかもの)に暇(ひま)をやって工場(こうじょう)から出(だ)してしまったのです。
 べつに、頼(たよ)るところのない若者(わかもの)は、やはり自(みずか)ら、勤(つと)める口(くち)を探(さが)さなければなりませんでした。
 彼(かれ)は、それからというものは毎日(まいにち)、あてもなく、あちらの町(まち)こちらの町(まち)とさまよって、職(しょく)を求(もと)めて歩(ある)いていました。
 空(そら)の色(いろ)のうす紅(あか)い、晩方(ばんがた)のことでありました。彼(かれ)は、疲(つか)れた足(あし)をひきずりながら、町(まち)の中(なか)を歩(ある)いてきますと、あちらに人(ひと)がたかっていました。
 何事(なにごと)があるのだろう? と思(おも)って、若者(わかもの)はその人(ひと)だかりのしているそばにいってみますと、汚(きたな)らしい少年(しょうねん)をみんながとりかこんでいるのであります。
「さあ、赤(あか)い鳥(とり)を呼(よ)んでみせろ。」と、一人(ひとり)がいいますと、また、あちらから、
「さあ、白(しろ)い鳥(とり)を呼(よ)んでみせろ!」とどなりました。
 汚(きたな)らしいふうをした子供(こども)は黙(だま)って立(た)っていました。
「どんな鳥(とり)でも呼(よ)んでみせるなんて、おまえは、うそをつくのだろう? なんで、そんなことがおまえにできてたまるものか!」と、人々(ひとびと)は口々(くちぐち)にいって冷笑(あざわら)いました。
 すると髪(かみ)の毛(け)の伸(の)びた、顔色(かおいろ)の黒(くろ)い、目(め)の落(お)ちくぼんだ子供(こども)は、じろじろとみんなの顔(かお)を見(み)まわしました。
「私(わたし)は、けっして、うそをつきません。山(やま)にいて、いろいろほかの人間(にんげん)のできないことを修業(しゅぎょう)しました。ほんとうに、みなさんが赤(あか)い鳥(とり)が呼(よ)んでほしいならば、どうか、私(わたし)に、今夜(こんや)泊(と)まるだけの金(かね)をください。私(わたし)は、すぐに呼(よ)んでみせましょう。」といいました。
 群衆(ぐんしゅう)の中(なか)には、酒(さけ)に酔(よ)った男(おとこ)がいました。
「ああ、呼(よ)んでみせろ! もし、おまえが呼(よ)んでみせたら、いくらでも、ほしいほどの金(かね)をやるから。」といいました。
 子供(こども)は、うなずいて、空(そら)を仰(あお)ぎました。雲(くも)はちぎれちぎれに高(たか)らかに飛(と)んでいました。そして、日(ひ)がまったく暮(く)れてしまうのには、まだ間(ま)があったのです。
 たちまち、鋭(するど)い口笛(くちぶえ)のひびきが子供(こども)の唇(くちびる)から起(お)こりました。子供(こども)は、指(ゆび)を曲(ま)げてそれを口(くち)にあてると、息(いき)のつづくかぎり、吹(ふ)きならしたのであります。
 このとき、紅(あか)みがかった、西(にし)の空(そら)のかなたから、一点(てん)の黒(くろ)い小(ちい)さな影(かげ)が雲(くも)をかすめて見(み)えました。やがて、その黒(くろ)い点(てん)は、だんだん大(おお)きくなって、みんなの頭(あたま)の上(うえ)の空(そら)に飛(と)んできたのです。そして、あちらの町(まち)の建物(たてもの)の屋根(やね)に止(と)まりました。
 それは、夕暮(ゆうぐ)れ方(がた)の太陽(たいよう)の光(ひかり)に照(て)らされて、いっそう鮮(あざや)かに赤(あか)い毛色(けいろ)の見(み)える、赤(あか)い鳥(とり)でありました。
「さあ、このように赤(あか)い鳥(とり)が飛(と)んでまいりました。」と、子供(こども)はいいました。
「あんな遠(とお)くでは、赤(あか)い鳥(とり)だかなんだかわからない。もっと近(ちか)く、あの鳥(とり)を呼(よ)んでみせろ!」と、酒(さけ)に酔(よ)った男(おとこ)が叫(さけ)びました。
 子供(こども)は、ふたたび高(たか)らかに、口笛(くちぶえ)を吹(ふ)き鳴(な)らしました。すると、赤(あか)い鳥(とり)は、すぐみんなの頭(あたま)の上(うえ)の電信柱(でんしんばしら)にきて止(と)まりました。
「おい、あの鳥(とり)を手(て)に捕(つか)まえてみせろ。」と、このとき、見(み)ていた一人(ひとり)がいいました。
「私(わたし)には、あの鳥(とり)を捕(つか)まえることもできますが、今日(きょう)はそんなことをいたしません。」と、子供(こども)は答(こた)えました。
「なんで、おまえは捕(つか)まえてみせないのだ?」
「私(わたし)は、ただ赤(あか)い鳥(とり)をここへ呼(よ)んだばかりです。」
「捕(つか)まえてみせなければ、金(かね)をやらないぞ。」と、群衆(ぐんしゅう)は口々(くちぐち)に叫(さけ)びました。
「赤(あか)い鳥(とり)を呼(よ)んでみせろというだけの約束(やくそく)であったのです」と、子供(こども)は答(こた)えました。けれどみんなは、口々(くちぐち)に勝手(かって)なことを喚(わめ)いて、承知(しょうち)をしませんでした。
「手(て)に捕(つか)まえてみせなけりゃ、金(かね)をやらない。」と、酒(さけ)に酔(よ)った男(おとこ)もいいました。
「私(わたし)は、お金(かね)はいりません。そのかわり、今夜(こんや)この町(まち)へ、黒(くろ)い鳥(とり)をたくさん呼(よ)んでみせましょう。」と、子供(こども)はいいました。
 黒(くろ)い鳥(とり)という言葉(ことば)は、なにか不吉(ふきつ)なことのように、みんなの耳(みみ)に聞(き)かれたのです。けれど、だれも心(こころ)から、ほんとうに信(しん)ずるものはありませんでした。なんでおまえにそんなことができるものか? この赤(あか)い鳥(とり)の飛(と)んできたのは、偶然(ぐうぜん)だったろうといわぬばかりの顔(かお)つきをして、この汚(きたな)らしい子供(こども)の姿(すがた)を見守(みまも)っていました。
 そのとき、だれか、小石(こいし)を拾(ひろ)って、電信柱(でんしんばしら)の頂(いただき)に止(と)まっている赤(あか)い鳥(とり)を目(め)がけて、投(な)げました。赤(あか)い鳥(とり)は驚(おどろ)いて、雲(くも)をかすめて、ふたたび夕空(ゆうぞら)を先刻(さっき)きた方(ほう)へと、飛(と)んでいってしまいました。
 子供(こども)は、しょんぼりとそこを立(た)ち去(さ)りました。この哀(あわ)れな有(あ)り様(さま)を見(み)た若者(わかもの)は、群衆(ぐんしゅう)を憎(にく)らしく思(おも)いました。自分(じぶん)も困(こま)っていたのですけれど、まだわずかばかりの金(かね)を持(も)っていましたので、その金(かね)の中(なか)から幾分(いくぶん)かを、子供(こども)に恵(めぐ)んでやりました。子供(こども)は、たいそう喜(よろこ)んで幾(いく)たびも礼(れい)をいいました。そして、忘(わす)れまいとするように、じっと若者(わかもの)の顔(かお)を見上(みあ)げていました。
 その晩(ばん)のことであります。空(そら)はいい月夜(つきよ)で、町(まち)の上(うえ)を明(あか)るく昼間(ひるま)のように照(て)らしていました。どこからともなく、口笛(くちぶえ)の声(こえ)が起(お)こりますとたちまちの間(あいだ)に、黒(くろ)い鳥(とり)が、たくさん月(つき)をかすめて、四方(ほう)から飛(と)んできて、町(まち)の家々(いえいえ)の屋根(やね)に止(と)まりました。
 町(まち)の人(ひと)たちは、みんな外(そと)に出(で)て、この黒(くろ)い鳥(とり)をながめました。そして、こんな鳥(とり)が、どこから飛(と)んできたのだろうと怪(あや)しみました。
 しかし、今日(きょう)の暮(く)れ方(がた)、町(まち)で、あの汚(きたな)らしいふうをした、髪(かみ)の毛(け)ののびた子供(こども)が、みんなからからかわれていた有(あ)り様(さま)を見(み)た人(ひと)たちは、あの子供(こども)がだまされたために、復讐(ふくしゅう)をしたのだろうということを知(し)りました。なんという名(な)の鳥(とり)か、だれも、この黒(くろ)い鳥(とり)を知(し)っているものがありませんでした。その鳥(とり)は、からすよりか、形(かたち)が小(ちい)さかったのであります。その鳥(とり)は、黙(だま)っていました。そのうちに、また、一羽(わ)残(のこ)らず夜(よる)のうちに、どこへか飛(と)んでいってしまいました。町(まち)の人(ひと)たちは、なにか悪(わる)いことがなければいいがと、おそれていました。
「あの汚(きたな)らしいふうをした乞食(こじき)の子(こ)は、悪魔(あくま)の子(こ)だ。見(み)つけしだいにひどいめにあわせて、この町(まち)の中(なか)から追(お)い払(はら)ってしまえばいい。」と、ある人々(ひとびと)はいっていました。
 数日後(すうじつご)のこと、若者(わかもの)は、雇(やと)われ口(ぐち)を探(さが)しながら歩(ある)いていますと、先日(せんじつ)の汚(きたな)らしいふうをした子供(こども)が、職人体(しょくにんてい)の男(おとこ)にいじめられているのを見(み)ました。
「おまえは、どこから、この町(まち)へなどやってきたのだ。このごろは町(まち)にろくなことがない。火事(かじ)があったり、方々(ほうぼう)でものを盗(ぬす)まれたりする。なんでも、口笛(くちぶえ)を吹(ふ)く子供(こども)があやしいといううわさだが、おまえは口笛(くちぶえ)を吹(ふ)くか? はやく、どこかへいってしまえ。」と、男(おとこ)は子供(こども)をにらみつけて、胸(むね)のあたりを突(つ)いて、あちらへ押(お)しやっていました。
 子供(こども)は、黙(だま)って、うつむいていました。これを見(み)た若者(わかもの)はそばへやってきました。
「かわいそうなことをするものでありません。この子供(こども)は、あなたに悪(わる)いことをしましたか? 口笛(くちぶえ)を吹(ふ)くということが、どうして悪(わる)いのですか?」と、若者(わかもの)は、職人体(しょくにんてい)の男(おとこ)をなじりました。
 職人体(しょくにんてい)の男(おとこ)は、振(ふ)り向(む)いて、
「この子(こ)は、悪魔(あくま)の子(こ)です。この子供(こども)が町(まち)にはいってからというもの、ろくなことがない。」といいました。
「そんな理由(りゆう)のあるはずがありません。私(わたし)は、それを信(しん)ずることができません。」と、若者(わかもの)はいいました。
 職人体(しょくにんてい)の男(おとこ)は、返(かえ)す言葉(ことば)がなく、あちらにいってしまいました。
 まもなく、五、六人(にん)連(づ)れの乱暴者(らんぼうもの)がやってきました。そして、いきなり、汚(きたな)らしいふうをした哀(あわ)れな子供(こども)をなぐりつけました。
「おまえだろう、口笛(くちぶえ)を吹(ふ)いて、夜中(よなか)に、黒(くろ)い鳥(とり)を呼(よ)んだりするのは? 火(ひ)をつけたのも、おまえにちがいない。また、方々(ほうぼう)へ泥棒(どろぼう)にはいったのも、おまえにちがいない。」と、彼(かれ)らは口々(くちぐち)にののしりました。
 このとき、子供(こども)は、なんといって弁解(べんかい)をしても、彼(かれ)らはききいれませんでした。そして、つづけざまにに子供(こども)をなぐりつけました。これを見(み)た若者(わかもの)は、あまりのことに思(おも)って、
「なぐらなくてもいいでしょう。口笛(くちぶえ)を吹(ふ)いて、鳥(とり)を呼(よ)んだことと、火事(かじ)や、泥棒(どろぼう)とが、なんの関係(かんけい)があるのですか? おおぜいで、こんな子供(こども)をいじめるなんてまちがってはいませんか。」と、若者(わかもの)は、彼(かれ)らの乱暴(らんぼう)を止(と)めようとしていいました。
 彼(かれ)らは、これを聞(き)くと、かえってますます怒(おこ)りました。
「なにもおまえの知(し)ったことじゃない。おまえは、この小(ちい)さい悪(わる)い奴(やつ)の仲間(なかま)なのか? 生意気(なまいき)な奴(やつ)だからいっしょになぐってしまえ!」といって、彼(かれ)らは、若者(わかもの)の手(て)や、足(あし)や、顔(かお)や、頭(あたま)を、かまわず思(おも)うぞんぶんになぐりつけました。
 若者(わかもの)の鼻(はな)からは、血(ち)が流(なが)れました。そして、子供(こども)と若者(わかもの)の二人(ふたり)は、これらの乱暴者(らんぼうもの)から、ひどいめにあわされました。彼(かれ)らは、思(おも)うぞんぶんに二人(ふたり)をなぐると、
「さあ、さっさと早(はや)くこの町(まち)から、どこへでもいってしまえ。まごまごしていると、また見(み)つけて、こんどは許(ゆる)しておかないから。」といい残(のこ)して、これらの乱暴者(らんぼうもの)は去(さ)ってしまいました。
 子供(こども)は、若者(わかもの)に二度(ど)助(たす)けられましたので、どんなにか、ありがたく感(かん)じたかしれません。若者(わかもの)が、自分(じぶん)を助(たす)けるために、鼻(はな)から血(ち)を出(だ)したことを知(し)ると、ただすまなく思(おも)って、幾(いく)たびも礼(れい)を申(もう)しました。
「そんなに、お礼(れい)をいわれると困(こま)ります。私(わたし)は、良心(りょうしん)が、不正(ふせい)を許(ゆる)さないために、戦(たたか)いましたばかりです。」と、若者(わかもの)は答(こた)えました。
 二人(ふたり)は、とぼとぼと話(はな)しながら、町(まち)を出(で)はずれて、あちらに歩(ある)いていきました。
「これから、あなたは、どこへおゆきなさいますか。」と、子供(こども)は、若者(わかもの)にたずねました。
「私(わたし)はいままで、ある工場(こうじょう)で働(はたら)いていましたが、病気(びょうき)になったために、その工場(こうじょう)から出(だ)されました。そして行(ゆ)き場(ば)がなく、毎日(まいにち)雇(やと)われ口(ぐち)を探(さが)しているのです。」と、若者(わかもの)は答(こた)えました。
 すると、子供(こども)は、
「私(わたし)は、山(やま)にいたとき、口笛(くちぶえ)を吹(ふ)いて、いろいろな珍(めずら)しい鳥(とり)を、捕(つか)まえることを覚(おぼ)えました。その珍(めずら)しい鳥(とり)の一羽(わ)を持(も)ってあちらのにぎやかな港(みなと)にいって、金(かね)のある人(ひと)たちに売(う)れば、困(こま)らずに暮(く)らしてゆくことができるのです。しかし、鳥(とり)をほんとうにかわいがる人(ひと)は少(すく)ないのです。鳥(とり)がかわいそうでなりませんから、鳥(とり)を捕(と)って売(う)ることはいたしません。私(わたし)は、独(ひと)りでさびしいときには、いままで、いろいろな鳥(とり)を呼(よ)んで、その声(こえ)をきくことを楽(たの)しみにしました。また、私(わたし)は、これから西(にし)にゆきますと、広(ひろ)いりんご畑(ばたけ)があって、そこでは人手(ひとで)のいることを知(し)っています。そのりんご畑(ばたけ)の持(も)ち主(ぬし)を、私(わたし)は、まんざら知(し)らないことはありません、その主人(しゅじん)に、私(わたし)は、あなたを紹介(しょうかい)しましょう。そして、私(わたし)も、あなたといっしょに働(はたら)いてもいいと思(おも)います。これから、二人(ふたり)は、そこへいって働(はたら)こうじゃありませんか。」といいました。
 若者(わかもの)は、これをきいて、たいそう喜(よろこ)びました。そして、二人(ふたり)は、西(にし)の方(ほう)にあるりんご畑(ばたけ)をさして旅(たび)をいたしました。
 二人(ふたり)は、りんご樹(じゅ)の手入(てい)れをしたり、栽培(さいばい)をしたりして、そこでしばらくいっしょに暮(く)らすことになりました。二人(ふたり)のほかにも、いろいろな人(ひと)が雇(やと)われていました。若者(わかもの)は、金(きん)や、銀(ぎん)に、象眼(ぞうがん)をする術(じゅつ)や、また陶器(とうき)や、いろいろな木箱(きばこ)に、樹木(じゅもく)や、人間(にんげん)の姿(すがた)を焼(や)き付(つ)ける術(じゅつ)を習(なら)いました。
 りんご畑(ばたけ)には、朝晩(あさばん)、鳥(とり)がやってきました。子供(こども)は、よく口笛(くちぶえ)を吹(ふ)いて、いろいろな鳥(とり)を集(あつ)めました。そして、鳥(とり)の性質(せいしつ)について若者(わかもの)に教(おし)えましたから、若者(わかもの)は、人間(にんげん)や、自然(しぜん)を彫刻(ちょうこく)したり、また焼(や)き画(え)に描(えが)いたりしましたが、鳥(とり)の姿(すがた)をいちばんよく技術(ぎじゅつ)に現(あらわ)すことができたのであります。
 しかし、二人(ふたり)は、幾年(いくねん)かの後(のち)に、また別(わか)れなければなりませんでした。子供(こども)は、青年(せいねん)になりました。そして、若者(わかもの)も年(とし)をとりましたから、二人(ふたり)は、もっと広(ひろ)い世(よ)の中(なか)に出(で)ていって、思(おも)った仕事(しごと)をしなければならなかったからです。
「私(わたし)は、汚(きたな)らしいふうをして、町(まち)の中(なか)をうろついていたときに、あなたに助(たす)けられました。あなたは、自分(じぶん)の身(み)を忘(わす)れて、私(わたし)を救(すく)ってくださいました。」と、その時分(じぶん)子供(こども)であった青年(せいねん)はいいました。
「ほんとうに、もう思(おも)い出(だ)せば幾年(いくねん)か前(まえ)のことであります。私(わたし)は、病気(びょうき)をして職(しょく)を失(うしな)っているときに、あなたにあって、このりんご圃(ばたけ)へつれられてきました。そして、ここで幾年(いくねん)か月日(つきひ)を過(す)ごしました。私(わたし)は、ここにきたがためにいろいろの技術(ぎじゅつ)を覚(おぼ)えることができました。これから、また方々(ほうぼう)を渡(わた)って、もっといろいろのことを知(し)ったり、見(み)たいと思(おも)います。」と、当時(とうじ)の若者(わかもの)は、もういい働(はたら)き盛(ざか)りになっていて、こう答(こた)えました。
「おたがいに、この世(よ)の中(なか)から、美(うつく)しい、喜(よろこ)ばしいことを知(し)りましょう。私(わたし)は、あなたが、私(わたし)のために乱暴者(らんぼうもの)からなぐられて、血(ち)を流(なが)されたことを一生(いっしょう)忘(わす)れません。」
「いえ、いつかも、いいましたように、けっしてあなたのためではありません。たとえその人(ひと)があなたでなくても、だれであっても、弱(よわ)いものを、ああして乱暴者(らんぼうもの)がいじめていましたら、私(わたし)は、良心(りょうしん)から、命(いのち)を投(な)げ出(だ)して戦(たたか)ったでしょう。」と、昔(むかし)の若者(わかもの)はいいました。
「みんなが、そのような、正(ただ)しい考(かんが)えを持(も)っていましたら、どんなにこの世(よ)の中(なか)がいいでしょう? 私(わたし)は、この話(はなし)をみんなに知(し)らしたいと思(おも)います。私(わたし)は、珍(めずら)しい鳥(とり)をあなたにあげますから、いつまでも飼(か)ってやってください。そして、私(わたし)を忘(わす)れずにいてください。」と、昔(むかし)の子供(こども)はいいました。
 口笛(くちぶえ)を上手(じょうず)に吹(ふ)く彼(かれ)は、山(やま)の方(ほう)へはいっていきました。そして、どこからか、一羽(わ)の珍(めずら)しい鳥(とり)を捕(つか)まえてきました。
「なんという鳥(とり)ですか。」と、年上(としうえ)の若者(わかもの)がきくと、
「どうか、あほう鳥(どり)という名(な)をつけておいてください。この鳥(とり)をあなたにさしあげます。」と、年若(としわか)の子供(こども)は答(こた)えた。
 二人(ふたり)は、ついに南(みなみ)と北(きた)に別(わか)れました。
 それから、幾(いく)十年(ねん)……たったことでしょう。ある町(まち)の二階(かい)を借(か)りて、年(とし)とった男(おとこ)が、鳥(とり)と二人(ふたり)でさびしい生活(せいかつ)をしていました。
 男(おとこ)は頭(あたま)の髪(かみ)が半分(はんぶん)白(しろ)くなりました。鳥(とり)も年(とし)をとってしまいました。男(おとこ)は、鳥(とり)の焼(や)き画(え)を描(か)くことや、象眼(ぞうがん)をすることが上手(じょうず)でありました。終日(しゅうじつ)、二階(かい)の一間(ひとま)で仕事(しごと)をしていました。その仕事場(しごとば)の台(だい)の前(まえ)に、一羽(わ)の翼(つばさ)の長(なが)い鳥(とり)がじっとして立(た)っています。ちょうど、それは鋳物(いもの)で造(つく)られた鳥(とり)か、また、剥製(はくせい)のように見(み)られたのでありました。
 男(おとこ)は、夜(よる)おそくまで、障子(しょうじ)を開(あ)け放(はな)して、ランプの下(した)で仕事(しごと)をすることもありました。夏(なつ)になると、いつも障子(しょうじ)が開(あ)けてありましたから、外(そと)を歩(ある)く人(ひと)は、この室(しつ)の一部(ぶ)を見上(みあ)げることもできました。
 ちょうど隣(となり)の家(いえ)の二階(かい)には、中学校(ちゅうがっこう)へ、教(おしえ)えに出(で)る博物(はくぶつ)の教師(きょうし)が借(か)りていました。博物(はくぶつ)の教師(きょうし)は、よく円形(えんけい)な眼鏡(めがね)をかけて、顔(かお)を出(だ)してこちらをのぞくのであります。
 博物(はくぶつ)の教師(きょうし)は、あごにひげをはやしている、きわめて気軽(きがる)な人(ひと)でありましたが、いつも剥製(はくせい)の鳥(とり)を、なんだろう? ついぞ見(み)たことのない鳥(とり)だが、と思(おも)っていました。男(おとこ)が、気(き)むずかしい顔(かお)をして仕事(しごと)をしているので、つい口(くち)を出(だ)さずにいましたが、ある日(ひ)のこと、教師(きょうし)は、
「あれは、なんという鳥(とり)の剥製(はくせい)ですか?」と、唐突(とうとつ)にききました。
 下(した)を向(む)いて仕事(しごと)をしていた男(おとこ)は、隣(となり)の屋根(やね)から、こちらを向(む)いて、みょうな男(おとこ)が顔(かお)を出(だ)してものをいったので、気(き)むずかしい顔(かお)を上(あ)げてみましたが、急(きゅう)に笑顔(えがお)になって、
「やあ、お隣(となり)の先生(せんせい)ですか。さあ、どうぞ、そこからお入(はい)りください。」と、男(おとこ)はいいました。
 男(おとこ)は、その人(ひと)が、学校(がっこう)の先生(せんせい)であるのを、前(まえ)からものこそいわなかったけれど、知(し)っていたのです。
「なんという鳥(とり)ですか? 珍(めずら)しい鳥(とり)ですな。」と、先生(せんせい)は、はいろうともせずにたずねたのであります。
「あほう鳥(どり)といいます。」と、男(おとこ)は答(こた)えました。
「あほう鳥(どり)?」といって、先生(せんせい)は、聞(き)いたことのない名(な)なので、びっくりしたように目(め)を円(まる)くしました。
「なんにしてもいい剥製(はくせい)ですな。」と、先生(せんせい)は、ため息(いき)をもらしました。
「いや、剥製(はくせい)ではありません。生(い)きているのです。もう年(とし)をとったので、いつもこうして眠(ねむ)っています。」と、男(おとこ)は答(こた)えました。
 先生(せんせい)は、不思議(ふしぎ)なことが、あればあるものだと、ふたたび、びっくりしました。この先生(せんせい)もどちらかといえば、あまり人(ひと)と交際(こうさい)をしない変人(へんじん)でありましたが、こんなことから、隣(となり)の男(おとこ)と話(はなし)をするようになりました。
 ある朝(あさ)、あほう鳥(どり)が鳴(な)きました。男(おとこ)は、なにかあるな? と胸(むね)に思(おも)いました。
 はたして、隣(となり)の先生(せんせい)がやってきました。そして、大事(だいじ)に扱(あつか)うから、ちょっとあほう鳥(どり)を学校(がっこう)へ貸(か)してくれないかと頼(たの)みました。男(おとこ)は、あほう鳥(どり)をひとり手放(てばな)すのを気遣(きづか)って、自分(じぶん)も学校(がっこう)まで先生(せんせい)といっしょについていきました。
 こんなことから、男(おとこ)は、多数(たすう)の生徒(せいと)らに向(む)かって、昔(むかし)、南(みなみ)のある町(まち)を歩(ある)いているときに、子供(こども)を助(たす)けたこと、それから、その子供(こども)といっしょに働(はたら)いたこと、子供(こども)は、どんな鳥(とり)でも自分(じぶん)の友(とも)だちにすることができたこと、この鳥(とり)は、その青年(せいねん)が分(わか)れるときにくれて、いままで長(なが)い月日(つきひ)の間(あいだ)を、この鳥(とり)と自分(じぶん)は、いっしょに生活(せいかつ)をしてきたことなどを、物語(ものがた)ったのであります。
 それから、正直(しょうじき)な「鳥(とり)の老人(ろうじん)」として、この町(まち)の付近(ふきん)には評判(ひょうばん)されました。この人(ひと)の、鳥(とり)の焼(や)き画(え)や象眼(ぞうがん)は、急(きゅう)に、名人(めいじん)の技術(ぎじゅつ)だとうわさされるにいたりました。
 暗(くら)い、夜(よる)のことであります。この年(とし)とった男(おとこ)は、ランプの下(した)で仕事(しごと)をしていますと、急(きゅう)にじっとしていたあほう鳥(どり)が羽(は)ばたきをして、奇妙(きみょう)な声(こえ)をたてて、室(しつ)の中(なか)をかけまわりました。いままでこんなことはなかったのです。
「おまえは、気(き)でも狂(くる)ったのではないか!」と、男(おとこ)は、鳥(とり)に向(む)かっていいました。けれど、鳥(とり)は、なかなかおちつくようすはありませんでした。
「先生(せんせい)に、きてみてもらおう。」と、男(おとこ)は、もうこのごろでは、親(した)しくなった、隣(となり)の先生(せんせい)を呼(よ)んだのでありました。
「鳥(とり)は、ものに感(かん)じやすいというから、今夜(こんや)、変(か)わったことがあるのかもしれない。あるいは地震(じしん)でもな……気(き)をつけましょう。」と、先生(せんせい)は、しきりに騒(さわ)ぐ鳥(とり)を見(み)ながらいいました。
 はたして、その夜(よ)、この町(まち)に大火(たいか)が起(お)こりました。そして、ほとんど、町(まち)の大半(たいはん)は全滅(ぜんめつ)して、また負傷(ふしょう)した人(ひと)がたくさんありました。
 この騒(さわ)ぎに、あほう鳥(どり)の行方(ゆくえ)が、わからなくなりました。男(おとこ)はどんなにか、そのことを悲(かな)しんだでしょう。彼(かれ)は、焼(や)け跡(あと)に立(た)って、終日(しゅうじつ)、あほう鳥(どり)の帰(かえ)ってくるのを待(ま)っていました。しかし、とうとう、鳥(とり)は帰(かえ)ってきませんでした。煙(けむり)に巻(ま)かれて、焼(や)け死(し)んだものか、南(みなみ)の故郷(こきょう)に、逃(に)げていったものか、いずれかでなければなりません。
「私(わたし)は、べつに、この町(まち)にいなければならない身(み)ではないのです。もう一度(ど)、鳥(とり)のすんでいた国(くに)にいってみようと思(おも)います。」と、男(おとこ)は、先生(せんせい)にいいました。
「そうですか、そんなら、私(わたし)も、あなたといっしょにいって、その口笛(くちぶえ)の名人(めいじん)について、珍(めずら)しい鳥(とり)の研究(けんきゅう)をいたします。」と、先生(せんせい)がいいました。
 こうして、男(おとこ)と先生(せんせい)は、旅(たび)に出(で)かけました。遠(とお)くの空(そら)に、白(しろ)い雲(くも)が漂(ただよ)っていました。三人(にん)が落(お)ち合(あ)った日(ひ)、どんな話(はなし)を、たがいに睦(むつ)まじく語(かた)り合(あ)うでありましょう。
了

底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社
   1977(昭和52)年1月10日第1刷
   1981(昭和56)年1月6日第7刷
初出:「童話」
   1923(大正12)年9月
※表題は底本では、「あほう鳥(どり)の鳴(な)く日(ひ)」となっています。
※初出時の表題は「阿呆鳥の鳴く日」です。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:本読み小僧
2012年9月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。