あらすじ
美しい娘は、どんなに両親が喜びそうなものを与えても、決して笑うことはありませんでした。両親は娘を救おうと、宝石や音楽、自然に触れさせたり、医師に診てもらったり、様々な試みを行いました。しかし、娘は依然として笑わず、むしろ悲しげな表情を見せるばかりでした。それでも、娘を救いたいと願う人々の思いは、諦めることなく、ついに娘は旅に出ることになります。そして、一年後、娘は生まれ変わったように明るく笑顔を取り戻して故郷に戻ってきたのです。
 あるところに、なに不足(ふそく)なく育(そだ)てられた少女(しょうじょ)がありました。ただ一人(ひとり)ぎりで、両親(りょうしん)にはほかに子供(こども)もありませんでしたから、娘(むすめ)は生(う)まれると大事(だいじ)に育(そだ)てられたのであります。
 世間(せけん)にも知(し)られるほどの金持(かねも)ちでありましたから、娘(むすめ)はりっぱな家(いえ)に住(す)み、食(た)べ物(もの)から着(き)る物(もの)まで、ほかの子供(こども)らには、とうていそのまねのできないほど、しあわせに日(ひ)を送(おく)ることができたのであります。
 娘(むすめ)は大(おお)きくなると、それは美(うつく)しゅうございました。目(め)はぱっちりとして、髪(かみ)の毛(け)は黒(くろ)く長(なが)く、色(いろ)は白(しろ)くて、この近隣(きんりん)に、これほど美(うつく)しい娘(むすめ)はないといわれるほどでありましたから、両親(りょうしん)の喜(よろこ)びは、たとえようがなかったのであります。
 けれど、ここに一つ両親(りょうしん)の心(こころ)を傷(いた)めることがありました。それは、こんなに美(うつく)しい娘(むすめ)が、いつも黙(だま)って、沈(しず)んでいて、うれしそうな顔(かお)をして笑(わら)ったことがなかった。
「なぜ、あの子(こ)は笑(わら)わないだろう。」
「まんざらものをいわないこともないから、おしではないが、いったいどうした子(こ)だろう。」
 両親(りょうしん)は、顔(かお)を見合(みあ)わせて、うすうす我(わ)が子(こ)の身(み)の上(うえ)について心配(しんぱい)しました。
 なにしろ、金(かね)はいくらもありますから、金(かね)でどうにかなることなら、なんでも買(か)ってやって、娘(むすめ)の快活(かいかつ)にものをいい、楽(たの)しむ有(あ)り様(さま)をば見(み)たいものだと思(おも)いました。
 そこで、町(まち)へ人(ひと)をやって、流行(りゅうこう)の美(うつく)しい、目(め)のさめるような華(はな)やかな着物(きもの)や、また、飾(かざ)りのついた人形(にんぎょう)など、なんでも娘(むすめ)の気(き)に入(い)りそうなものを、車(くるま)にたくさん積(つ)んで持(も)ってきて、娘(むすめ)の前(まえ)にひろげてみせました。
 娘(むすめ)は、ただ一目(ひとめ)それを見(み)たぎりで、べつにほしいともうれしいともいわず、また、笑(わら)いもしませんでした。両親(りょうしん)は、娘(むすめ)の心(こころ)を悟(さと)ることができなかった。
「なにか、心(こころ)から娘(むすめ)を喜(よろこ)ばせるような美(うつく)しいものはないものか。いくら高(たか)くても金(かね)をば惜(お)しまない。」と、両親(りょうしん)は、人(ひと)に話(はな)しました。
 そのことが、ちょうど旅(たび)から入(い)り込(こ)んでいた、宝石屋(ほうせきや)の耳(みみ)に、はいりました。すると宝石屋(ほうせきや)は、ひざを打(う)って喜(よろこ)んで、これは、一(ひと)もうけできると心(こころ)で思(おも)いながら、その金持(かねも)ちの家(いえ)へやってきました。
「どんなに、気(き)の沈(しず)んだお嬢(じょう)さんでも、私(わたし)の持(も)ってきた、宝石(ほうせき)をごらんになれば、こおどりしてお喜(よろこ)びなさるにちがいありません。それほど美(うつく)しい、珍奇(ちんき)なものばかりです。」と、箱(はこ)を前(まえ)に置(お)いていいました。
 両親(りょうしん)は、娘(むすめ)さえ喜(よろこ)んで、笑(わら)い顔(かお)を見(み)せてくれれば、いくらでも金(かね)を出(だ)すといって、さっそく娘(むすめ)をそこへ呼(よ)びました。
 しとやかに、娘(むすめ)は、そこに入(はい)ってきました。そして、両親(りょうしん)のそばにすわりました。
「お嬢(じょう)さん、これをごらんください。」といって、宝石屋(ほうせきや)は、箱(はこ)のふたを開(ひら)きました。すると、一時(じ)に、赤(あか)・青(あお)・緑(みどり)・紫(むらさき)、さまざまの石(いし)から放(はな)った光(ひかり)が、みんなの目(め)を射(い)りました。
 両親(りょうしん)はじめ、平常(ふだん)それらの石(いし)を扱(あつか)いつけている男(おとこ)までが、目(め)のくらみそうな思(おも)いがしましたのに、娘(むすめ)の顔(かお)は、びくともせずに、かえって、さげすむような目(め)つきをして、冷(ひ)ややかに見下(みお)ろしていたのであります。
「お嬢(じょう)さん、こんな美(うつく)しい石(いし)をごらんになったことがありまして?」と、宝石屋(ほうせきや)は、驚(おどろ)きの目(め)をみはっていいました。
「私(わたし)は、毎夜(まいよ)、これよりも美(うつく)しい星(ほし)の光(ひかり)をながめています。」
と、娘(むすめ)は平気(へいき)で答(こた)えました。
 さすがに、自慢(じまん)の宝石屋(ほうせきや)も、この答(こた)えにびっくりして、そうそうに箱(はこ)を抱(かか)えて、その家(いえ)から逃(に)げ出(だ)してしまいました。
 やがて、このことと、娘(むすめ)が沈(しず)んでいて笑(わら)わないといううわさが、世間(せけん)に伝(つた)わりました。
 あるところに、その話(はなし)を聞(き)いて、たいへん娘(むすめ)に同情(どうじょう)をして、気(き)の毒(どく)がったおじいさんがあります。そのおじいさんは、もう頭(あたま)が真(ま)っ白(しろ)でした。そして、背(せ)が低(ひく)く、いつも太(ふと)いつえをついて歩(ある)いていました。
「私(わたし)の考(かんが)えるに、その娘(むすめ)は、詩人(しじん)というものじゃ。宝石(ほうせき)より空(そら)の星(ほし)が美(うつく)しいとは、いまどきには、めずらしい高潔(こうけつ)な思想(しそう)じゃ。平常(ふだん)、沈(しず)んでいるのも、ものをいわないのもよくわかるような気(き)がする。私(わたし)がいって、その娘(むすめ)にあってやろう。」と、おじいさんはいって、独(ひと)りできめてしまいました。
 おじいさんは、つえをついて、ある日(ひ)、その家(いえ)をたずねました。そして、自分(じぶん)は娘(むすめ)を救(すく)いにやってきたことを両親(りょうしん)に話(はな)しました。
 両親(りょうしん)は、この老人(ろうじん)が、徳(とく)の高(たか)い人(ひと)だということを知(し)っていました。そして、そのしんせつを心(こころ)から感謝(かんしゃ)しました。
「どうしたら、娘(むすめ)がもっと快活(かいかつ)にものをいったり、笑(わら)ったりするようになるでしょうか。」と、両親(りょうしん)は、老人(ろうじん)に問(と)いました。
「性質(せいしつ)というものは、そう容易(ようい)に変(か)わらないものじゃ、けれどお嬢(じょう)さんは、金持(かねも)ちの家(いえ)に生(う)まれながら、衣服(いふく)や、宝石(ほうせき)などよりも、空(そら)の星(ほし)を愛(あい)されるところをみると、たしかに詩人(しじん)になられる素質(そしつ)があるようだ。そういう人(ひと)を教育(きょういく)するには、物質(ぶっしつ)ではいけない。やはり音楽(おんがく)や自然(しぜん)でなければならない。感情(かんじょう)・趣味(しゅみ)、そういう方面(ほうめん)の教育(きょういく)でなければならないと思(おも)われる。これから、私(わたし)は、お嬢(じょう)さんに、音楽(おんがく)を教(おし)え、自然(しぜん)を友(とも)とすることを教(おし)えましょう。もっと生(う)まれ変(か)わったように、快活(かいかつ)なお方(かた)となられると思(おも)うじゃ。」と、老人(ろうじん)はいいました。
 両親(りょうしん)は、これを聞(き)くと、たいそう喜(よろこ)びました。そこで、この老人(ろうじん)に、娘(むすめ)の教育(きょういく)を頼(たの)みました。老人(ろうじん)は、娘(むすめ)に音楽(おんがく)を教(おし)えました。また広(ひろ)い圃(はたけ)にはいろいろな草花(くさばな)を植(う)えました。あるときはその花(はな)の咲(さ)いた園(その)の中(なか)で、楽器(がっき)を鳴(な)らしました。小鳥(ことり)は、その周囲(しゅうい)の木々(きぎ)に集(あつ)まってきました。美(うつく)しいちょうは、ひらひらと飛(と)んできて花(はな)の上(うえ)を舞(ま)いながら、いい音楽(おんがく)のしらべに聞(き)きとれているように見(み)えました。こんな日(ひ)が幾日(いくにち)もつづきましたけれど、娘(むすめ)は笑(わら)いませんでした。笑(わら)わないばかりでなく、前(まえ)よりもいっそう顔(かお)の色(いろ)が青白(あおじろ)く、やつれて見(み)えるのでありました。両親(りょうしん)はたいそう心配(しんぱい)しました。老人(ろうじん)は、不思議(ふしぎ)に思(おも)いました。
「なんで、あなたは、そんなに憂(うれ)わしい顔(かお)つきをしているのじゃ。」と、老人(ろうじん)は、娘(むすめ)にききました。
 すると、娘(むすめ)は、目(め)にいっぱい涙(なみだ)をためて、
「この真(ま)っ赤(か)な花弁(かべん)に、晩方(ばんがた)の風(かぜ)がかすかに吹(ふ)き渡(わた)るのをながめますと、私(わたし)はたまらなく悲(かな)しくなります。音楽(おんがく)の音色(ねいろ)も私(わたし)の心(こころ)を楽(たの)しませることはできません。」と、娘(むすめ)は答(こた)えました。
 さすがに徳(とく)の高(たか)い老人(ろうじん)も、このうえ娘(むすめ)を快活(かいかつ)にする術(すべ)を考(かんが)えることはできなくなりました。そして、暇(いとま)を告(つ)げて、老人(ろうじん)はどこへか、つえをつきながら立(た)ってしまいました。
 このうわさは、また世間(せけん)に広(ひろ)がりました。
「だれか、あの金持(かねも)ちの娘(むすめ)を笑(わら)わせるものはないか。」と、人々(ひとびと)はいいました。
 このことを、ある年(とし)の若(わか)い医者(いしゃ)が聞(き)きました。その医者(いしゃ)は学者(がくしゃ)でありました。そして、あまり世間(せけん)には顔(かお)を出(だ)さず、いっしょうけんめいに研究(けんきゅう)をしているまじめな人(ひと)でありました。医者(いしゃ)はこの話(はなし)を聞(き)くと、興味(きょうみ)をもちました。
「その娘(むすめ)は、一種(しゅ)の精神病者(せいしんびょうしゃ)にちがいなかろう。診察(しんさつ)をして、できることなら自分(じぶん)の力(ちから)でなおしてやりたいものだ。」と思(おも)いました。
 年(とし)の若(わか)い、まじめな医者(いしゃ)は、金持(かねも)ちの家(いえ)へやってきました。両親(りょうしん)は、医者(いしゃ)の話(はなし)を聞(き)いているうちに、もしや自分(じぶん)の娘(むすめ)は、精神病者(せいしんびょうしゃ)でないかというような疑(うたが)いを抱(いだ)きましたから、
「どうぞ、早(はや)くご診察(しんさつ)をしてください。そして、あなたのお力(ちから)でなおることなら、どうぞなおしてください。」と、医者(いしゃ)に頼(たの)みました。
 医者(いしゃ)は、娘(むすめ)について、いろいろ診察(しんさつ)をしました。けれど、心臓(しんぞう)は正(ただ)しく打(う)っており、肺(はい)は強(つよ)く呼吸(こきゅう)をし、どこひとつとして狂(くる)っているところはないばかりか、すこしも精神病者(せいしんびょうしゃ)らしいところも見(み)うけなかったのです。
「なぜ、あなたは笑(わら)いませんか?」と、まじめな医者(いしゃ)は娘(むすめ)にたずねました。
「私(わたし)には、どうしても笑(わら)えないのです。」と、娘(むすめ)は答(こた)えた。
「なぜですか?」
「なぜだか、それが私(わたし)にもわからないのです。」と、娘(むすめ)は答(こた)えました。
 医者(いしゃ)は、それは自分(じぶん)の研究(けんきゅう)すべき領分(りょうぶん)でないことを感(かん)じました。そして、頭(あたま)をかしげて、その家(いえ)から去(さ)ってしまったのです。
 そのころ、ちょうど旅(たび)から曲馬師(きょくばし)が、この村(むら)に入(はい)ってきて、この話(はなし)を聞(き)きますと、
「若(わか)い時分(じぶん)には、そんなような性質(せいしつ)の娘(むすめ)さんがあるものだ。私(わたし)は、よくその娘(むすめ)さんの気持(きも)ちを知(し)っている。」といいました。
 この年(とし)をとった曲馬師(きょくばし)は、堅(かた)いしんせつな人(ひと)でありました。ある日(ひ)、娘(むすめ)の家(いえ)へたずねてきて、
「私(わたし)に、娘(むすめ)さんをおあずけください。きっと快活(かいかつ)な、愉快(ゆかい)な人(ひと)にしてあげますから。」と申(もう)しました。
 両親(りょうしん)は、大事(だいじ)な娘(むすめ)を、旅(たび)の曲馬師(きょくばし)にあずけることを躊躇(ちゅうちょ)しましたが、その人(ひと)がたいへんにしんせつな、正直(しょうじき)な人(ひと)だということがわかりましたものですから、娘(むすめ)に聞(き)いてみました。
「私(わたし)は、遠(とお)い国(くに)の知(し)らない町(まち)を見(み)たいと思(おも)っていましたから、どうかやってください。」と頼(たの)みました。
 曲馬師(きょくばし)は、両親(りょうしん)から娘(むすめ)をあずかりました。娘(むすめ)は、その人(ひと)たちの一行(こう)に加(くわ)わって、故郷(こきょう)を出発(しゅっぱつ)したのであります。
 それから、娘(むすめ)は南(みなみ)の町(まち)へゆき、あるときは西(にし)の都(みやこ)にまいりました。そして、いろいろの人(ひと)たちに交(まじ)わりました。春(はる)も過(す)ぎ、夏(なつ)もゆき、はやくも一年(ねん)はたちました。両親(りょうしん)は、娘(むすめ)のことを案(あん)じ暮(く)らしていました。
 ある日(ひ)の暮(く)れ方(がた)に、不意(ふい)に娘(むすめ)が帰(かえ)ってきました。両親(りょうしん)は、見違(みちが)えるように我(わ)が子(こ)の美(うつく)しく、快活(かいかつ)になっていたのに驚(おどろ)いたのです。
「どうして、おまえは、そんなに生(う)まれ変(か)わったように、おもしろそうに笑(わら)うようになったか?」と問(と)いました。
「だって、世(よ)の中(なか)は、愉快(ゆかい)なんですもの。」と、娘(むすめ)は答(こた)えた。
了

底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社
   1976(昭和51)年12月10日第1刷
   1982(昭和57)年9月10日第7刷
初出:「婦人之友」
   1921(大正10)年4月
※表題は底本では、「笑(わら)わない娘(むすめ)」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:江村秀之
2013年11月5日作成
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