あらすじ
北国に、奇妙な男が現れます。黄色い袋を下げ、薬を売る男は、村々を根気強く歩き回りますが、人々は気味悪がり、なかなか薬を買ってくれません。ある日、男は、すいかをもらった少年に、不思議な薬を二つほどお礼に渡します。男は、少年に「来年も再来年も、お国へはこないつもりでございます」と言い残し、姿を消します。やがて男の乗った見慣れない船が港に入りますが、一晩で姿を消し、その後男は二度と現れませんでした。
目次
 どこからともなく、北国(ほっこく)に、奇妙(きみょう)な男(おとこ)が入(はい)ってきました。
 その男(おとこ)は黄色(きいろ)な袋(ふくろ)を下(さ)げて、薬(くすり)を売(う)って歩(ある)きました。夏(なつ)の暑(あつ)い日(ひ)に、この男(おとこ)は村(むら)から村(むら)を歩(ある)きましたが、人々(ひとびと)は気味(きみ)を悪(わる)がって、あまり薬(くすり)を買(か)ったものがありません。
 けれど、男(おとこ)は根気(こんき)よく、日盛(ひざか)りをかさをかぶって、黄色(きいろ)な袋(ふくろ)を下(さ)げて、
「あつさあたりに、食(た)べあたり、いろいろな妙薬(みょうやく)」といって、呼(よ)び歩(ある)きました。
 子供(こども)らは、人(ひと)さらいがきたといって、この薬売(くすりう)りがくると怖(おそ)ろしがって逃(に)げ隠(かく)れたりして、だれもそばには寄(よ)りつきませんでした。
 ある日(ひ)のこと、太郎(たろう)は独(ひと)り圃(はたけ)に出(で)て遊(あそ)んでいました。遠(とお)くの方(ほう)で、糸車(いとぐるま)の音(おと)が聞(き)こえてきました。海(うみ)のある方(ほう)の空(そら)が、青(あお)くよく晴(は)れ渡(わた)って雲(くも)の影(かげ)すらなかったのです。とんぼが、きゅうりや、すいかの大(おお)きな葉(は)の上(うえ)に止(と)まったり、棒(ぼう)の先(さき)に止(と)まったりしているほか、だれも人影(ひとかげ)がなかったのです。
 このとき、かなたから、薬売(くすりう)りの声(こえ)が聞(き)こえたのであります。毎日(まいにち)、毎日(まいにち)、こうして根気(こんき)よく歩(ある)いても、あまり買(か)う人(ひと)がないだろうと、村(むら)の人々(ひとびと)がいったことを太郎(たろう)は胸(むね)に思(おも)い出(だ)して、なんとなく、その薬売(くすりう)りが気(き)の毒(どく)なような感(かん)じがしたのでありました。
 けれど、また気味悪(きみわる)くも思(おも)ったので、隠(かく)れようとしましたが、そんな場所(ばしょ)がなかったので、きゅうりの垣根(かきね)の蔭(かげ)に黙(だま)って立(た)っていますと、薬売(くすりう)りの声(こえ)はだんだん近(ちか)づいてきたのでありました。
 その細(ほそ)い、さびしい途(みち)は、すぐこの圃(はたけ)のそばを通(とお)っていました。どうかして、薬売(くすりう)りの男(おとこ)に自分(じぶん)の姿(すがた)が発見(みつ)からなければいいがと、太郎(たろう)は心(こころ)で気(き)をもんでいました。
 いつしか薬売(くすりう)りは、間近(まぢか)にやってきましたから、太郎(たろう)は顔(かお)を見(み)ないように下(した)を向(む)いていますと、
「坊(ぼっ)ちゃん、坊(ぼっ)ちゃん。」
 不意(ふい)に、こう呼(よ)びかけられたので、太郎(たろう)は思(おも)わず身震(みぶる)いしました。そうしてやっと、顔(かお)を上(あ)げて、おそるおそる薬売(くすりう)りのほうを見(み)ますと、かさをかぶった薬売(くすりう)りは途(みち)の上(うえ)に立(た)って、じっとこちらを向(む)いていました。
「坊(ぼっ)ちゃん、お願(ねが)いがありますが。」と、薬売(くすりう)りはいいました。
「なあに。」と、太郎(たろう)は、お願(ねが)いと聞(き)いて返事(へんじ)をしました。
「のどが渇(かわ)いて、しかたがありませんのですが、この辺(へん)に水(みず)はありませんでしょうか。」と、薬売(くすりう)りは扇子(せんす)を指頭(ゆびさき)でいじりながらいいました。
「ずっと、あっちまでゆかないと井戸(いど)はありませんよ。」と、太郎(たろう)は答(こた)えました。
「そうですか。私(わたし)は、もうのどが渇(かわ)いて、我慢(がまん)ができなくなりました。まだ、そんなに遠方(えんぽう)でございますか。」といって、薬売(くすりう)りは、まだなにかいいたそうでありました。
 このとき、太郎(たろう)は、思(おも)いついて、
「おじさん、すいかをもいであげましょうか。」と聞(き)きました。
 すると、薬売(くすりう)りは笑顔(えがお)になって、
「私(わたし)も、それをお願(ねが)いしようと思(おも)ったんですが、これは坊(ぼっ)ちゃんの家(うち)の圃(はたけ)ですか。」と問(と)いました。
「これは僕(ぼく)の家(うち)の圃(はたけ)です。」と、太郎(たろう)は答(こた)えました。
「そうですか、そんなら一ついただきたいものです。」と、薬売(くすりう)りはいいました。
 太郎(たろう)は、いちばん実(み)のいった、水気(みずけ)のたくさんありそうなのをもぎって、薬売(くすりう)りの前(まえ)へ持(も)っていって渡(わた)しました。
 薬売(くすりう)りは、太郎(たろう)のしんせつに感(かん)じて、たいへんに喜(よろこ)びました。
「坊(ぼっ)ちゃん、あなたのごしんせつは忘(わす)れませんよ。ここに私(わたし)は、たいへんによくきく薬(くすり)を持(も)っています。この薬(くすり)は、病気(びょうき)のときや、けがなどをして気(き)を失(うしな)ったときには、のむとすぐにきく霊薬(れいやく)でございます。たくさんは持(も)っていませんが、ここに二粒(ふたつぶ)、三粒(みつぶ)あります。お礼(れい)にこれをさしあげておきます。」と、薬売(くすりう)りはいって、黄色(きいろ)な袋(ふくろ)の中(なか)から、小(ちい)さな紙包(かみづつ)みになった丸薬(がんやく)を出(だ)して、太郎(たろう)に与(あた)えたのであります。
「おじさん、どうもありがとう。」といって、太郎(たろう)は礼(れい)を述(の)べました。
「私(わたし)は、そのうち船(ふね)がこの港(みなと)に入(はい)ったときに、それに乗(の)ってお国(くに)を去(さ)りますよ。また、しばらくは、お目(め)にかかりません。来年(らいねん)の夏(なつ)も再来年(さらいねん)の夏(なつ)も、お国(くに)へはこないつもりでございます。坊(ぼっ)ちゃんは、お達者(たっしゃ)で大(おお)きくおなりなさい。」といって、薬売(くすりう)りは太郎(たろう)の頭(あたま)をなでてくれました。
 やがて、この二人(ふたり)は別(わか)れたのであります。
 二、三日(にち)たつと、この港(みなと)に見慣(みな)れない一そうの黒(くろ)い船(ふね)が入(はい)ってきました。こんな船(ふね)はめったに見(み)ることがないのであります。その船(ふね)は沖(おき)に一日(にち)一晩(ひとばん)泊(と)まっていましたが、あくる日(ひ)は、その影(かげ)も姿(すがた)もなかったのであります。そうしてその日(ひ)から、村(むら)に薬売(くすりう)りがこなくなりました。
 太郎(たろう)は、薬売(くすりう)りのくれた丸薬(がんやく)を、大事(だいじ)にしてしまっておきました。

 曇(くも)った日(ひ)のことです。太郎(たろう)は海辺(うみべ)にゆきますと、ちょうど波打(なみう)ちぎわのところに、一羽(わ)のやや大(おお)きな鳥(とり)が落(お)ちて、もだえていました。どうしたのだろうと思(おも)って、近寄(ちかよ)ってみますと、わしが血(ち)だらけになって、翼(つばさ)を傷(いた)めているのであります。
 太郎(たろう)は、これを見(み)ると、きっとどこかで、わしかなにものかと戦(たたか)って傷(きず)を受(う)けてきたにちがいない、そうして、ここまで飛(と)んできて、ついに気力(きりょく)を失(うしな)って落(お)ちたのだと思(おも)いましたから、彼(かれ)は、さっそく家(うち)に駆(か)けて帰(かえ)って、いつか薬売(くすりう)りからもらいました丸薬(がんやく)を持(も)ってきて、それを死(し)にかかっているわしにのませてやりました。
 この間(あいだ)、絶(た)えず波(なみ)は押(お)し寄(よ)せてきて、わしをさらっていこうとしていたのであります。しばらく、じっと太郎(たろう)はそこに立(た)って見守(みまも)っていますと、わしは、しだいに体(からだ)を動(うご)かしはじめました。そのうちに、力強(ちからづよ)い羽(は)ばたきを二、三度(ど)つづけてしますと、生(う)まれ変(か)わったように元気(げんき)づいて立(た)ち上(あ)がりました。そうして、曇(くも)った空(そら)に大(おお)きく輪(わ)を描(えが)いて下(した)の荒波(あらなみ)を見下(みお)ろしながら、どこへともなく飛(と)び去(さ)ってしまったのでありました。
 太郎(たろう)は、いまさら、薬売(くすりう)りのくれた霊薬(れいやく)のききめに驚(おどろ)きました。いったいあの薬売(くすりう)りは、どこからきて、どこへ去(さ)ったのだろう。彼(かれ)は、見慣(みな)れない船(ふね)のきたことや、その船(ふね)が立(た)った日(ひ)から、薬売(くすりう)りの見(み)えなくなった、いろいろのことを思(おも)って、しばらくぼんやりと海(うみ)の上(うえ)をながめていますと、遠(とお)く、いくつとなく船(ふね)が黒(くろ)い煙(けむり)を上(あ)げて、いったりきたりしています。
 その夜(よ)、海(うみ)がたいへんに暴(あ)れました。波(なみ)が高(たか)く、風(かぜ)が叫(さけ)びました。雨戸(あまど)をコトコトと鳴(な)らしました。海辺(うみべ)にある太郎(たろう)の家(いえ)は、大風(おおかぜ)の吹(ふ)くたびに、ぐらぐらと揺(ゆ)るぐかと思(おも)われたのであります。
 太郎(たろう)は夜中(よなか)に風(かぜ)の音(おと)を聞(き)いて眠(ねむ)ることができませんでした。そうして、こんな日(ひ)に航海(こうかい)する人(ひと)は、どんなに難儀(なんぎ)をしなければならぬだろうと思(おも)いますと、薬売(くすりう)りのじいさんは、いまごろどうしたろうか、もはやどこかの港(みなと)に着(つ)いたであろうか、それとも、また遠(とお)い国(くに)へいくので、船(ふね)に乗(の)っているであろうかと、その身(み)の上(うえ)などが案(あん)じられたのでありました。
 このとき、まくらもとの雨戸(あまど)をたたくような音(おと)がしました。太郎(たろう)は、きっと海(うみ)の方(ほう)から強(つよ)く吹(ふ)きつける風(かぜ)の音(おと)だろうと思(おも)っていました。すると、つづいて羽(は)ばたきする音(おと)が聞(き)こえました。
「きっと、風(かぜ)のために、海鳥(うみどり)がねぐらを取(と)られて騒(さわ)いでいるのだろう。」と思(おも)いました。
 その羽(は)ばたきが、あまりたびたび聞(き)こえましたので、なんであろうと、太郎(たろう)は起(お)きて、雨戸(あまど)を開(あ)けて外(そと)を見(み)ますと、空(そら)は真(ま)っ暗(くら)で星(ほし)の光(ひかり)ひとつ見(み)えずに、波(なみ)が高(たか)く騒(さわ)いでいました。
 そのとき、不意(ふい)に、一羽(わ)の鳥(とり)が窓(まど)からへやの中(なか)に飛(と)び込(こ)みました。それは、いつか命(いのち)を助(たす)けてやったわしでありました。わしは一つの袋(ふくろ)をくわえていました。そして、畳(たたみ)の上(うえ)に落(お)とすと、また暗(やみ)の中(なか)に飛(と)び込(こ)んで、どこへともなく立(た)ち去(さ)って、姿(すがた)をくらましたのであります。
 太郎(たろう)は、わしが落(お)としていった袋(ふくろ)を拾(ひろ)い上(あ)げてみますと、それは黄色(きいろ)な小(ちい)さな袋(ふくろ)であった。薬売(くすりう)りの持(も)っていた大(おお)きな袋(ふくろ)の形(かたち)によく似(に)ていました。ともすると、この袋(ふくろ)も薬売(くすりう)りが持(も)っていたのかもわかりませんでした。
 袋(ふくろ)を開(あ)けてみますと、その中(なか)には小(ちい)さな遠眼鏡(とおめがね)が入(はい)っていました。これこそ、じつにどんな鳥(とり)の目(め)よりも敏(さと)い不思議(ふしぎ)な眼鏡(めがね)であって、まったく、わしがいつか命(いのち)を救(すく)ってもらったお礼(れい)に太郎(たろう)に持(も)ってきてくれたものだとわかりました。
 夜(よ)が明(あ)けると、風(かぜ)は止(や)みましたけれど、沖(おき)の上(うえ)には黒雲(くろくも)が垂(た)れ下(さ)がって、ゆく船(ふね)の影(かげ)が見(み)えませんでした。
 太郎(たろう)は浜辺(はまべ)に立(た)って、わしのくれた遠眼鏡(とおめがね)で沖(おき)の方(ほう)をながめますと、ちょうど、わしの瞳(ひとみ)のようにその眼鏡(めがね)は、幾(いく)百里(り)も遠(とお)い遠(とお)い海原(うなばら)の景色(けしき)が、その中(なか)に映(うつ)るのでありました。
 その方(ほう)は波(なみ)が穏(おだ)やかで、太陽(たいよう)が静(しず)かに大空(おおぞら)に燃(も)えていました。空(そら)は、青(あお)く、青(あお)く晴(は)れて、海鳥(うみどり)が飛(と)んでいるのも見(み)えました。そうして幾(いく)そうかの船(ふね)が黒(くろ)い煙(けむり)を上(あ)げて、ゆうゆうとして波(なみ)の上(うえ)を航海(こうかい)していました。太郎(たろう)は、遠目鏡(とおめがね)で、薬売(くすりう)りの乗(の)っていった船(ふね)は見(み)えないかと、いろいろに探(さが)しました。
 すると、いちばん遠(とお)くゆく船(ふね)があります。つぎに、それよりやや後(おく)れて形(かたち)の変(か)わった船(ふね)があります。もしや、それでないかと、じっと眼鏡(めがね)をその船(ふね)の上(うえ)に向(む)けて子細(しさい)に見(み)ますと、いつかこの港(みなと)に入(はい)った、彼(か)の見慣(みな)れない船(ふね)でありました。
 薬売(くすりう)りは、どうしたかと、太郎(たろう)は、なお船(ふね)の中(なか)を探(さが)しますと、甲板(かんぱん)の上(うえ)に、薬売(くすりう)りは、知(し)らぬ商人(あきんど)となにやら笑(わら)いながら、煙草(たばこ)を喫(す)って話(はなし)をしていました。商人(あきんど)は、顔(かお)の色(いろ)のおそろしく黒(くろ)い男(おとこ)でありました。
 そうして、箱(はこ)の中(なか)から、さんごや、真珠(しんじゅ)や、めのうや、水晶(すいしょう)や、その他(た)、いろいろと高価(こうか)な、美(うつく)しい宝石(ほうせき)を出(だ)して、薬売(くすりう)りに示(しめ)しておりました。
 太郎(たろう)はいつまでも、その船(ふね)を見送(みおく)っていますと、船(ふね)はだんだん、知(し)らぬ遠(とお)い遠(とお)い国(くに)の方(ほう)へ小(ちい)さくなっていってしまったのであります。
了

底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社
   1976(昭和51)年11月10日第1刷
   1977(昭和52)年C第3刷
※表題は底本では、「薬(くすり)売(う)り」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:江村秀之
2013年10月01日作成
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