あらすじ
地震後の焼け野原と化した東京で、飢えと不安が漂う中で、主人公は家族とわずかな食料を分け合って生活しています。しかし、大切な晩御飯の車麩が消えてしまい、家族は不思議な出来事に不安を募らせます。車麩は鼠に食べられたのでしょうか? それとも…? 震災後の混乱と、人々の恐怖、そして不思議な出来事が織りなす、戦慄と哀愁に満ちた物語です。
 わびしさ……侘(わび)しいと言(い)ふは、寂(さび)しさも通越(とほりこ)し、心細(こゝろぼそ)さもあきらめ氣味(ぎみ)の、げつそりと身(み)にしむ思(おもひ)の、大方(おほかた)、かうした時(とき)の事(こと)であらう。
 ――まだ、四谷(よつや)見(み)つけの二夜(ふたよ)の露宿(ろじゆく)から歸(かへ)つたばかり……三日(みつか)の午後(ごご)の大雨(おほあめ)に、骨(ほね)までぐしよ濡(ぬ)れに成(な)つて、やがて着(き)かへた後(のち)も尚(な)ほ冷々(ひえ/″\)と濕(しめ)つぽい、しよぼけた身體(からだ)を、ぐつたりと横(よこ)にして、言合(いひあ)はせたやうに、一張(ひとはり)差置(さしお)いた、眞(しん)の細(ほそ)い、乏(とぼ)しい提灯(ちやうちん)に、頭(あたま)と顏(かほ)をひしと押着(おツつ)けた處(ところ)は、人間(にんげん)唯(たゞ)髯(ひげ)のないだけで、秋(あき)の蟲(むし)と餘(あま)りかはりない。
 ひとへに寄縋(よりすが)る、薄暗(うすぐら)い、消(き)えさうに、ちよろ/\またゝく……燈(あかり)と言(い)つては此(この)一點(ひとつ)で、二階(にかい)も下階(した)も臺所(だいどころ)も内中(うちぢう)は眞暗(まつくら)である。
 すくなくも、電燈(でんとう)が點(つ)くやうに成(な)ると、人間(にんげん)は横着(わうちやく)で、どうしてあんなだつたらうと思(おも)ふ、が其(それ)はまつたく暗(くら)かつた。――實際(じつさい)、東京(とうきやう)はその一時(いちじ)、全都(ぜんと)が火(ひ)の消(き)えるとともに、此(こ)の世(よ)から消(き)えたのであつた。
 大燒原(おほやけはら)の野(の)と成(な)つた、下町(したまち)とおなじ事(こと)、殆(ほとん)ど麹町(かうぢまち)の九分(くぶ)どほりを燒(や)いた火(ひ)の、やゝしめり際(ぎは)を、我(わ)が家(いへ)を逃出(にげで)たまゝの土手(どて)の向越(むかうご)しに見(み)たが、黒煙(くろけむり)は、殘月(ざんげつ)の下(した)に、半天(はんてん)を蔽(おほ)うた忌(いま)はしき魔鳥(まてう)の翼(つばさ)に似(に)て、燒殘(やけのこ)る炎(ほのほ)の頭(かしら)は、その血(ち)のしたゝる七(なゝ)つの首(くび)のやうであつた。
 ……思出(おもひだ)す。……
 あらず、碧(あを)く白(しろ)き東雲(しのゝめ)の陽(ひ)の色(いろ)に紅(くれなゐ)に冴(さ)えて、其(そ)の眞黒(まつくろ)な翼(つばさ)と戰(たゝか)ふ、緋(ひ)の鷄(とり)のとさかに似(に)たのであつた。
 これ、夜(よ)のあくるにつれての人間(にんげん)の意氣(いき)である。
 日(ひ)が暮(く)れると、意氣地(いくぢ)はない。その鳥(とり)より一層(いつそう)もの凄(すご)い、暗闇(やみ)の翼(つばさ)に蔽(おほ)はれて、いま燈(ともしび)の影(かげ)に息(いき)を潛(ひそ)める。其(そ)の翼(つばさ)の、時々(とき/″\)どツと動(うご)くとともに、大地(だいち)は幾度(いくど)もぴり/\と搖(ゆ)れるのであつた。
 驚破(すは)と言(い)へば、駈出(かけだ)すばかりに、障子(しやうじ)も門(かど)も半(なか)ばあけたまゝで。……框(かまち)の狹(せま)い三疊(さんでふ)に、件(くだん)の提灯(ちやうちん)に縋(すが)つた、つい鼻(はな)の先(さき)は、町(まち)も道(みち)も大(おほ)きな穴(あな)のやうに皆(みな)暗(くら)い。――暗(くら)さはつきぬけに全都(ぜんと)の暗夜(やみ)に、荒海(あらうみ)の如(ごと)く續(つゞ)く、とも言(い)はれよう。
 蟲(むし)のやうだと言(い)つたが、あゝ、一層(いつそ)、くづれた壁(かべ)に潛(ひそ)んだ、波(なみ)の巖間(いはま)の貝(かひ)に似(に)て居(ゐ)る。――此(これ)を思(おも)ふと、大(おほい)なる都(みやこ)の上(うへ)を、手(て)を振(ふ)つて立(た)つて歩行(ある)いた人間(にんげん)は大膽(だいたん)だ。
 鄰家(となり)はと、穴(あな)から少(すこ)し、恁(か)う鼻(はな)の尖(さき)を出(だ)して、覗(のぞ)くと、おなじやうに、提灯(ちやうちん)を家族(みんな)で袖(そで)で包(つゝ)んで居(ゐ)る。魂(たましひ)なんど守護(しゆご)するやうに――
 たゞ四角(よつかど)なる辻(つじ)の夜警(やけい)のあたりに、ちら/\と燈(ひ)の見(み)えるのも、うら枯(が)れつゝも散殘(ちりのこ)つた百日紅(ひやくじつこう)の四五輪(しごりん)に、可恐(おそろし)い夕立雲(ゆふだちくも)の崩(くづ)れかゝつた状(さま)である。
 と、時々(とき/″\)その中(なか)から、黒(くろ)く拔出(ぬけだ)して、跫音(あしおと)を沈(しづ)めて來(き)て、門(かど)を通(とほ)りすぎるかとすれば、閃々(きら/\)と薄(すゝき)のやうなものが光(ひか)つて消(き)える。
 白刃(しらは)を提(さ)げ、素槍(すやり)を構(かま)へて行(ゆ)くのである。こんなのは、やがて大叱(おほしか)られに叱(しか)られて、束(たば)にしてお取上(とりあ)げに成(な)つたが……然(さ)うであらう。
 ――記録(きろく)は愼(つゝし)まなければ成(な)らない。――此(こ)のあたりで、白刃(しらは)の往來(わうらい)するを見(み)たは事實(じじつ)である。……けれども、敵(かたき)は唯(たゞ)、宵闇(よひやみ)の暗(くら)さであつた。
 其(そ)の暗夜(やみよ)から、風(かぜ)が颯(さつ)と吹通(ふきとほ)す。……初嵐(はつあらし)……可懷(なつかし)い秋(あき)の聲(こゑ)も、いまは遠(とほ)く遙(はるか)に隅田川(すみだがは)を渡(わた)る數萬(すまん)の靈(れい)の叫喚(けうくわん)である。……蝋燭(らふそく)がじり/\とまた滅入(めい)る。
 あ、と言(い)つて、其(そ)の消(き)えかゝるのに驚(おどろ)いて、半(なか)ばうつゝに目(め)を開(ひら)く、女(をんな)たちの顏(かほ)は蒼白(あをじろ)い。
 疲(つか)れ果(は)てて、目(め)を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)りながらも、すぐ其(それ)なりにうと/\する。呼吸(いき)を、燈(ともしび)に吸(す)はるゝやうに見(み)える。
 がさり……
 裏町(うらまち)、表通(おもてどほ)り、火(ひ)を警(いまし)むる拍子木(ひやうしぎ)の音(おと)も、石(いし)を噛(か)むやうに軋(きし)んで、寂然(しん)とした、臺所(だいどころ)で、がさりと陰氣(いんき)に響(ひゞ)く。
 がさり……
 鼠(ねずみ)だ。
「叱(しつ)……」
 がさり……
 いや、もつと近(ちか)い、つぎの女中部屋(ぢよちうべや)の隅(すみ)らしい。
 がさり……
「叱(しつ)……」
 と言(い)ふ追(お)ふ聲(こゑ)も、玄米(げんまい)の粥(かゆ)に、罐詰(くわんづめ)の海苔(のり)だから、しつこしも、粘(ねば)りも、力(ちから)もない。
 がさり。
 畜生(ちくしやう)、……がさ/\と引(ひ)いても逃(に)げる事(こと)か、がさりとばかり悠々(いう/\)と遣(や)つて居(ゐ)る。
 氣(き)に成(な)るから、提灯(ちやうちん)を翳(かざ)して、「叱(しつ)。」と女中部屋(ぢよちうべや)へ入(はひ)つた。が、不斷(ふだん)だと、魑魅(ちみ)を消(け)す光明(くわうみやう)で、電燈(でんとう)を燦(ぱつ)と點(つ)けて、畜生(ちくしやう)を礫(つぶて)にして追拂(おひはら)ふのだけれど、此(こ)の燈(あかり)の覺束(おぼつか)なさは、天井(てんじやう)から息(いき)を掛(か)けると吹消(ふつけ)されさうである。ちよろりと足許(あしもと)をなめられはしないかと、爪立(つまだ)つほどに、心(しん)が虚(きよ)して居(ゐ)るのだから、だらしはない。
 それでも少時(しばらく)は、ひつそりして音(おと)を潛(ひそ)めた。
 先(ま)づは重疊(ちようでふ)、抗(むか)つて齒向(はむか)つてでも來(こ)られようものなら、町内(ちやうない)の夜番(よばん)につけても、竹箒(たかばうき)[#ルビの「たかばうき」はママ]を押取(おつと)つて戰(たゝか)はねば成(な)らない處(ところ)を、恁(か)う云(い)ふ時(とき)は敵手(あひて)が逃(に)げてくれるに限(かぎ)る。
「あゝ、地震(ぢしん)だ。」
 幽(かすか)ながら、ハツとして框(かまち)まで飛返(とびかへ)つて、
「大丈夫々々(だいぢやうぶ/\)。」
 ほつとする。動悸(どうき)のまだ休(やす)まらないうちである。
 がさり。
 二三尺(にさんじやく)、今度(こんど)は――荒庭(あらには)の飛石(とびいし)のやうに、包(つゝ)んだまゝの荷(に)がごろ/\して居(ゐ)る。奧座敷(おくざしき)へ侵入(しんにふ)した。――此(これ)を思(おも)ふと、いつもの天井(てんじやう)を荒※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(あれまは)るのなどは、ものの數(かず)ではない。
 既(すで)に古人(こじん)も言(い)つた――物之最小而可憎者(もののもつともせうにしてにくむべきは)、蠅與鼠(はへとねずみ)である。蠅以癡。鼠以黠。(はへはちをもつてしねずみはきつをもつてす)其害物則鼠過於蠅(そのものをがいするはすなはちねずみはへにすぐ)。其擾人則蠅過於鼠(そのひとをみだすはすなはちはへねずみにすぐ)……しかも驅蠅難於驅鼠(はへをかるはねずみをかるよりもかたし)。――鼠(ねずみ)を防(ふせ)ぐことは、虎(とら)を防(ふせ)ぐよりも難(かた)い……と言(い)ふのである。
 同感(どうかん)だ。――が、滿更(まんざら)然(さ)うでもない。大家(たいか)高堂(かうだう)、手(て)が屆(とゞ)かず、從(したが)つて鼠(ねずみ)も多(おほ)ければだけれども、小(ちひ)さな借家(しやくや)で、壁(かべ)の穴(あな)に氣(き)をつけて、障子(しやうじ)の切(き)り張(ば)りさへして置(お)けば、化(ば)けるほどでない鼠(ねずみ)なら、むざとは入(はひ)らぬ。
 いつもは、氣(き)をつけて居(ゐ)るのだから、臺所(だいどころ)、もの置(おき)は荒(あら)しても、めつたに疊(たゝみ)は踏(ふ)ませないのに、大地震(おほぢしん)の一搖(ひとゆ)れで、家中(うちぢう)、穴(あな)だらけ、隙間(すきま)だらけで、我家(わがや)の二階(にかい)でさへ、壁土(かべつち)と塵埃(ほこり)と煤(すゝ)と、襖(ふすま)障子(しやうじ)の骨(ほね)だらけな、大(おほ)きなものを背負(せお)つて居(ゐ)るやうな場合(ばあひ)だつたから堪(たま)らない。
「勝手(かつて)にしろ。――また地震(ぢしん)だ。……鼠(ねずみ)なんか構(かま)つちや居(ゐ)られない。」
 あくる日(ひ)、晩飯(ばんめし)の支度前(したくまへ)に、臺所(だいどころ)から女中部屋(ぢよちうべや)を掛(か)けて、女(をんな)たちが頻(しきり)に立迷(たちまよ)つて、ものを搜(さが)す。――君子(くんし)は庖廚(はうちう)の事(こと)になんぞ、關(くわん)しないで居(ゐ)たが、段々(だん/\)茶(ちや)の間(ま)に成(な)り、座敷(ざしき)に及(およ)んで、棚(たな)、小棚(こだな)を掻(か)きまはし、抽斗(ひきだし)をがたつかせる。棄(す)てても置(お)かれず、何(ど)うしたと聞(き)くと、「どうも變(へん)なんですよ。」と不思議(ふしぎ)がつて、わるく眞面目(まじめ)な顏(かほ)をする。ハテナ、小倉(をぐら)の色紙(しきし)や、鷹(たか)の一軸(いちぢく)は先祖(せんぞ)からない内(うち)だ。うせものがした處(ところ)で、そんなに騷(さわ)ぐには當(あた)るまいと思(おも)つた。が、さて聞(き)くと、いや何(ど)うして……色紙(しきし)や一軸(いちぢく)どころではない。――大切(たいせつ)な晩飯(ばんめし)の菜(さい)がない。
 車麩(くるまぶ)が紛失(ふんしつ)して居(ゐ)る。
 皆(みな)さんは、御存(ごぞん)じであらうか……此品(このしな)を。……あなた方(がた)が、女中(ねえ)さんに御祝儀(ごしうぎ)を出(だ)してめしあがる場所(ばしよ)などには、決(けつ)してあるものではない。かさ/\と乾(かわ)いて、渦(うづ)に成(な)つて、稱(よ)ぶ如(ごと)く眞中(まんなか)に穴(あな)のあいた、こゝを一寸(ちよつと)束(たば)にして結(ゆは)へてある……瓦煎餅(かはらせんべい)の氣(き)の拔(ぬ)けたやうなものである。粗(ざつ)と水(みづ)に漬(つ)けて、ぐいと絞(しぼ)つて、醤油(しやうゆ)で掻※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(かきまは)せば直(す)ぐに食(た)べられる。……私(わたし)たち小學校(せうがくかう)へ通(かよ)ふ時分(じぶん)に、辨當(べんたう)の菜(さい)が、よく此(これ)だつた。
「今日(けふ)のお菜(かず)は?」
「車麩(くるまぶ)。」
 と、からかふやうに親(おや)たちに言(い)はれると、ぷつとふくれて、がつかりして、そしてべそを掻(か)いたものである。其癖(そのくせ)、學校(がくかう)で、おの/\を覗(のぞ)きつくらをする時(とき)は「蛇(じや)の目(め)の紋(もん)だい、清正(きよまさ)だ。」と言(い)つて、負(まけ)をしみに威張(ゐば)つた、勿論(もちろん)、結構(けつこう)なものではない。
 紅葉先生(こうえふせんせい)の説(せつ)によると、「金魚麩(きんぎよぶ)は婆(ばゞ)の股(もゝ)の肉(にく)だ。」さうである。
 成程(なるほど)似(に)て居(ゐ)る。
 安下宿(やすげしゆく)の菜(さい)に此(こ)の一品(ひとしな)にぶつかると、
「また婆(ばゞ)の股(もゝ)だぜ。」
「恐(おそ)れるなあ。」
 で同人(どうにん)が嘆息(たんそく)した。――今(いま)でも金魚麩(きんぎよぶ)の方(はう)は辟易(へきえき)する……が、地震(ぢしん)の四日(よつか)五日(いつか)めぐらゐ迄(まで)は、此(こ)の金魚麩(きんぎよぶ)さへ乾物屋(かんぶつや)で賣切(うりき)れた。また「泉(いづみ)の干瓢鍋(かんぺうなべ)か。車麩(くるまぶ)か。」と言(い)つて友(とも)だちは嘲笑(てうせう)する。けれども、淡泊(たんぱく)で、無難(ぶなん)で、第一(だいいち)儉約(けんやく)で、君子(くんし)の食(く)ふものだ、私(わたし)は好(すき)だ。が言(い)ふまでもなく、それどころか、椎茸(しひたけ)も湯皮(ゆば)もない。金魚麩(きんぎよぶ)さへないものを、些(ちつ)とは増(まし)な、車麩(くるまぶ)は猶更(なほさら)であつた。
 ……すでに、二日(ふつか)の日(ひ)の午後(ごご)、火(ひ)と煙(けむり)を三方(さんぱう)に見(み)ながら、秋(あき)の暑(あつ)さは炎天(えんてん)より意地(いぢ)が惡(わる)く、加(くは)ふるに砂煙(さえん)の濛々(もう/\)とした大地(だいち)に茣蓙(ござ)一枚(いちまい)の立退所(たちのきじよ)から、軍(いくさ)のやうな人(ひと)ごみを、拔(ぬ)けつ、潛(くゞ)りつ、四谷(よつや)の通(とほ)りへ食料(しよくれう)を探(さが)しに出(で)て、煮染屋(にしめや)を見(み)つけて、崩(くづ)れた瓦(かはら)、壁泥(かべどろ)の堆(うづたか)いのを踏(ふ)んで飛込(とびこ)んだが、心(こゝろ)あての昆布(こぶ)の佃煮(つくだに)は影(かげ)もない。鯊(はぜ)を見着(みつ)けたが、買(か)はうと思(おも)ふと、いつもは小清潔(こぎれい)な店(みせ)なんだのに、其(そ)の硝子蓋(がらすぶた)の中(なか)は、と見(み)るとギヨツとした。眞黒(まつくろ)に煮(に)られた鯊(はぜ)の、化(ば)けて頭(あたま)の飛(と)ぶやうな、一杯(いつぱい)に跳上(はねあが)り飛※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(とびまは)る蠅(はへ)であつた。あをく光(ひか)る奴(やつ)も、パツ/\と相(あひ)まじはる。
 咽喉(のど)どころか、手(て)も出(で)ない。
 蠅(はへ)も蛆(うじ)も、とは、まさか言(い)ひはしなかつたけれども、此(こ)の場合(ばあひ)……きれい汚(きたな)いなんぞ勿體(もつたい)ないと、立(たち)のき場所(ばしよ)の周圍(しうゐ)から説(せつ)が出(で)て、使(つかひ)が代(かは)つて、もう一度(いちど)、その佃煮(つくだに)に駈(か)けつけた時(とき)は……先刻(さき)に見着(みつ)けた少(すこ)しばかりの罐詰(くわんづめ)も、それも此(これ)も賣切(うりき)れて何(なん)にもなかつた。――第一(だいいち)、もう店(みせ)を閉(とざ)して、町中(まちぢう)寂然(しん)として、ひし/\と中(うち)に荷(に)をしめる音(おと)がひしめいて聞(きこ)えて、鎖(とざ)した戸(と)には炎(ひ)の影(かげ)が暮(く)れせまる雲(くも)とともに血(ち)をそゝぐやうに映(うつ)つたと言(い)ふのであつた。
 繰返(くりかへ)すやうだが、それが二日(ふつか)で、三日(みつか)の午(ひる)すぎ、大雨(おほあめ)に弱(よわ)り果(は)てて、まだ不安(ふあん)ながら、破家(やぶれや)へ引返(ひきかへ)してから、薄(うす)い味噌汁(みそしる)に蘇生(よみがへ)るやうな味(あぢ)を覺(おぼ)えたばかりで、罐(くわん)づめの海苔(のり)と梅干(うめぼし)のほか何(なん)にもない。
 不足(ふそく)を言(い)へた義理(ぎり)ではないが……言(い)つた通(とほ)り干瓢(かんぺう)も湯皮(ゆば)も見當(みあた)らぬ。ふと中六(なかろく)の通(とほ)りの南外堂(なんぐわいだう)と言(い)ふ菓子屋(くわしや)の店(みせ)の、この處(ところ)、砂糖氣(さたうけ)もしめり氣(け)も鹽氣(しほけ)もない、からりとして、たゞ箱道具(はこだうぐ)の亂(みだ)れた天井(てんじやう)に、つゝみ紙(がみ)の絲(いと)を手繰(たぐ)つて、くる/\と※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)りさうに、右(みぎ)の車麩(くるまぶ)のあるのを見(み)つけて、おかみさんと馴染(なじみ)だから、家内(かない)が頼(たの)んで、一(ひと)かゞり無理(むり)に讓(ゆづ)つて貰(もら)つたので――少々(せう/\)おかゝを驕(おご)つて煮(に)た。肴(さかな)にも菜(さい)にも、なか/\此(こ)の味(あぢ)は忘(わす)れられない。
 ――此(こ)の日(ひ)も、晩飯(ばん)の樂(たのし)みにして居(ゐ)たのであるから。……私(わたし)は實(じつ)は、すき腹(ばら)へ餘程(よほど)こたへた。
 あの、昨夜(ゆうべ)の(がさり)が其(そ)れだ。
「鼠(ねずみ)だよ、畜生(ちくしやう)め。」
 それにしても、半分(はんぶん)煮(に)たあとが、輪(わ)にして雜(ざつ)と一斤入(いつきんいれ)の茶(ちや)の罐(くわん)ほどの嵩(かさ)があつたのに、何處(どこ)を探(さが)しても、一片(ひときれ)もないどころか、果(はて)は踏臺(ふみだい)を持(も)つて來(き)て、押入(おしいれ)の隅(すみ)を覗(のぞ)き、縁(えん)の天井(てんじやう)うらにつんだ古傘(ふるがさ)の中(なか)まで掻(か)きさがしたが、缺(かけ)らもなく、粉(こな)も見(み)えない。
「不思議(ふしぎ)だわね。變(へん)だ。鼠(ねずみ)ならそれまでだけれど……」
 可厭(いや)な顏(かほ)をして、女(をんな)たちは、果(はて)は氣味(きみ)を惡(わる)がつた。――尤(もつと)も引續(ひきつゞ)いた可恐(おそろし)さから、些(ち)と上(うは)ずつては居(ゐ)るのだけれど、鼠(ねずみ)も妖(えう)に近(ちか)いのでないと、恁(か)う吹消(ふきけ)したやうには引(ひ)けさうもないと言(い)ふので、薄氣味(うすきみ)を惡(わる)がるのである。
「何(ど)うかして居(ゐ)るんぢやないか知(し)ら。」
 追(お)つては、置場所(おきばしよ)を忘(わす)れたにしても、餘(あま)りな忘(わす)れ方(かた)だからと、女(をんな)たちは我(われ)と我身(わがみ)をさへ覺束(おぼつか)ながつて氣(き)を打(う)つのである。且(か)つあやかしにでも、憑(つ)かれたやうな暗(くら)い顏(かほ)をする。
 その目(め)の色(いろ)のたゞならないのを見(み)て、私(わたし)も心細(こゝろぼそ)く寂(さび)しかつた。
 いかに、天變(てんぺん)の際(さい)と雖(いへど)も、麩(ふ)に羽(はね)が生(は)えて飛(と)ぶ道理(だうり)がない。畜生(ちくしやう)、鼠(ねずみ)の所業(しわざ)に相違(さうゐ)あるまい。
 この時(とき)の鼠(ねずみ)の憎(にく)さは、近頃(ちかごろ)、片腹痛(かたはらいた)く、苦笑(くせう)をさせられる、あの流言蜚語(りうげんひご)とかを逞(たくま)しうして、女小兒(をんなこども)を脅(おびや)かす輩(ともがら)の憎(にく)さとおなじであつた。……
 ……たとへば、地震(ぢしん)から、水道(すゐだう)が斷水(だんすゐ)したので、此邊(このへん)、幸(さいは)ひに四五箇所(しごかしよ)殘(のこ)つた、むかしの所謂(いはゆる)、番町(ばんちやう)の井戸(ゐど)へ、家毎(いへごと)から水(みづ)を貰(もら)ひに群(むれ)をなして行(ゆ)く。……忽(たちま)ち女(をんな)には汲(く)ませないと言(い)ふ邸(やしき)が出來(でき)た。毒(どく)を何(ど)うとかと言觸(いひふ)らしたがためである。其(そ)の時(とき)の事(こと)で。……近所(きんじよ)の或邸(あるやしき)へ……此(こ)の界隈(かいわい)を大分(だいぶ)離(はな)れた遠方(ゑんぱう)から水(みづ)を貰(もら)ひに來(き)たものがある。來(き)たものの顏(かほ)を知(し)らない。不安(ふあん)の折(をり)だし、御不自由(ごふじいう)まことにお氣(き)の毒(どく)で申(まを)し兼(か)ねるが、近所(きんじよ)へ分(わ)けるだけでも水(みづ)が足(た)りない。外町(ほかまち)の方(かた)へは、と言(い)つて其(そ)の某邸(ぼうてい)で斷(ことわ)つた。――あくる朝(あさ)、命(いのち)の水(みづ)を汲(く)まうとすると、釣瓶(つるべ)に一杯(いつぱい)、汚(きたな)い獸(けもの)の毛(け)が浮(う)いて上(あが)る……三毛猫(みけねこ)の死骸(しがい)が投込(なげこ)んであつた。その斷(ことわ)られたものの口惜(くやし)まぎれの惡戲(いたづら)だらうと言(い)ふのである。――朝(あさ)の事(こと)で。……
 すぐ其(そ)の晩(ばん)、辻(つじ)の夜番(よばん)で、私(わたし)に恁(か)う言(い)つて、身(み)ぶるひをした若(わか)い人(ひと)がある。本所(ほんじよ)から辛(から)うじて火(ひ)を免(のが)れて避難(ひなん)をして居(ゐ)る人(ひと)だつた。
「此(こ)の近所(きんじよ)では、三人(さんにん)死(し)にましたさうですね、毒(どく)の入(はひ)つた井戸水(ゐどみづ)を飮(の)んで……大變(たいへん)な事(こと)に成(な)りましたなあ。」
 いや何(ど)うして、生(うま)れかゝつた嬰兒(あかんぼ)はあるかも知(し)らんが、死(し)んだらしいのは一人(ひとり)もない。
「飛(とん)でもない――誰(だれ)にお聞(き)きに成(な)りました。」
「ぢき、横町(よこちやう)の……何(なん)の、車夫(わかいしゆ)に――」
 もう其(そ)の翌日(よくじつ)、本郷(ほんがう)から見舞(みまひ)に來(き)てくれた友(とも)だちが知(し)つて居(ゐ)た。
「やられたさうだね、井戸(ゐど)の水(みづ)で。……何(ど)うも私(わたし)たちの方(はう)も大警戒(だいけいかい)だ。」
 實(じつ)の處(ところ)は、單(たん)に其(そ)の猫(ねこ)の死體(したい)と云(い)ふのさへ、自分(じぶん)で見(み)たものはなかつたのである。
 天明(てんめい)六(ろく)、丙午年(ひのえうまどし)は、不思議(ふしぎ)に元日(ぐわんじつ)も丙午(ひのえうま)で此(こ)の年(とし)、皆虧(かいき)の蝕(しよく)があつた。春(はる)よりして、流言妖語(りうげんえうご)、壯(さかん)に行(おこな)はれ、十月(じふぐわつ)の十二日(じふににち)には、忽(たちま)ち、兩水道(りやうすゐだう)に毒(どく)ありと流傳(りうでん)し、市中(しちう)の騷動(さうどう)言(い)ふべからず、諸人(しよにん)水(みづ)に騷(さわ)ぐこと、火(ひ)に騷(さわ)ぐが如(ごと)し。――と此(こ)の趣(おもむき)が京山(きやうざん)の(蜘蛛(くも)の絲卷(いとまき))に見(み)える。……諸葛武侯(しよかつぶこう)、淮陰侯(わいいんこう)にあらざるものの、流言(りうげん)の智慧(ちゑ)は、いつも此(こ)のくらゐの處(ところ)らしい。
 しかし五月蠅(うるさ)いよ。
 鐵(てつ)の棒(ぼう)の杖(つゑ)をガンといつて、尻(しり)まくりの逞(たくま)しい一分刈(いちぶがり)の凸頭(でこあたま)が「麹町(かいぢまち)六丁目(ろくちやうめ)が燒(やけ)とるで! 今(いま)ぱつと火(ひ)を吹(ふ)いた處(ところ)だ、うむ。」と炎天(えんてん)に、赤黒(あかぐろ)い、油(あぶら)ぎつた顏(かほ)をして、目(め)をきよろりと、肩(かた)をゆがめて、でくりと通(とほ)る。
 一晩(ひとばん)内(うち)へ入(はひ)つて寢(ね)たばかりだ。皆(みな)ワツと言(い)つて駈出(かけだ)した。
「お急(せ)きなさるな、急(せ)くまい。……いま火元(ひもと)を見(み)て進(しん)ぜる。」
 と町内第一(ちやうないだいいち)の古老(こらう)で、紺(こん)と白(しろ)の浴衣(ゆかた)を二枚(にまい)重(かさ)ねた禪門(ぜんもん)。豫(かね)て禪機(ぜんき)を得(え)た居士(こじ)だと言(い)ふが、悟(さとり)を開(ひら)いても迷(まよ)つても、南(みなみ)が吹(ふ)いて近火(きんくわ)では堪(たま)らない。暑(あつ)いから胸(むね)をはだけて、尻端折(しりはしよ)りで、すた/\と出向(でむか)はれた。かへりには、ほこりの酷(ひど)さに、すつとこ被(かぶり)をして居(を)られたが、
「何(なん)の事(こと)ぢや、おほゝ、成程(なるほど)、燒(や)けとる。※(ぱつ)[#「火+發」、U+243CB、268-12]と火(ひ)の上(あが)つた處(ところ)ぢやが、燒原(やけはら)に立(た)つとる土藏(どざう)ぢやて。あのまゝ駈※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(かけまは)つても近(ちか)まはりに最(も)う燒(や)けるものは何(なん)にもないての。おほゝ。安心々々(あんしん/\)。」
 それでも、誰(たれ)もが、此(こ)の御老體(ごらうたい)に救(すく)はれた如(ごと)くに感(かん)じて、盡(こと/″\)く前者(ぜんしや)の暴言(ばうげん)を怨(うら)んだ。――處(ところ)で、その鐵棒(かなぼう)をついた凸(でこ)がと言(い)ふと、右(みぎ)禪門(ぜんもん)の一家(いつか)、……どころか、忰(せがれ)なのだからおもしろい。
 文政十二年(ぶんせいじふにねん)三月二十一日(さんぐわつにじふいちにち)、早朝(さうてう)より、乾(いぬゐ)の風(かぜ)烈(はげ)しくて、盛(さかり)の櫻(さくら)を吹(ふ)き亂(みだ)し、花片(はなびら)とともに砂石(させき)を飛(と)ばした。……巳刻半(みのこくはん)、神田(かんだ)佐久間町河岸(さくまちやうがし)の材木納屋(ざいもくなや)から火(ひ)を發(はつ)して、廣(ひろ)さ十一里(じふいちり)三十二町半(さんじふにちやうはん)を燒(や)き、幾千(いくせん)の人(ひと)を殺(ころ)した、橋(はし)の燒(や)けた事(こと)も、船(ふね)の燒(や)けた事(こと)も、今度(こんど)の火災(くわさい)によく似(に)て居(ゐ)る。材木町(ざいもくちやう)の陶器屋(たうきや)の婦(つま)、嬰兒(あかご)を懷(ふところ)に、六歳(ろくさい)になる女兒(をんなのこ)の手(て)を曳(ひ)いて、凄(すさまじ)い群集(ぐんしふ)のなかを逃(のが)れたが、大川端(おほかはばた)へ出(で)て、うれしやと吻(ほつ)と呼吸(いき)をついて、心(こゝろ)づくと、人(ひと)ごみに揉立(もみた)てられたために、手(て)を曳(ひ)いた兒(こ)は、身(み)なしに腕(うで)一(ひと)つだけ殘(のこ)つた。女房(にようばう)は、駭(おどろ)きかなしみ、哀歎(あいたん)のあまり、嬰兒(あかご)と其(そ)の腕(うで)ひとつ抱(だ)きしめたまゝ、水(みづ)に投(とう)じたと言(い)ふ。悲慘(ひさん)なのもあれば、船(ふね)に逃(のが)れた御殿女中(ごてんぢよちう)が、三十幾人(さんじふいくにん)、帆柱(ほばしら)の尖(さき)から焚(や)けて、振袖(ふりそで)も褄(つま)も、炎(ほのほ)とともに三百石積(さんびやくこくづみ)を駈(か)けまはりながら、水(みづ)に紅(あか)く散(ち)つたと言(い)ふ凄慘(せいさん)なのもある。その他(た)、殆(ほとん)ど今度(こんど)とおなじやうなのが幾(いく)らもある。中(なか)には其(そ)のまゝらしいのさへ少(すくな)くない。
 餘事(よじ)だけれど、其(そ)の大火(たいくわ)に――茅場町(かやばちやう)の髮結床(かみゆひどこ)に平五郎(へいごらう)と言(い)ふ床屋(とこや)があつて、人(ひと)は皆(みな)彼(かれ)を(床平(とこへい))と呼(よ)んだ。――此(これ)が燒(や)けた。――時(とき)に其(そ)の頃(ころ)、奧州(あうしう)の得平(とくへい)と言(い)ふのが、膏藥(かうやく)の呼賣(よびうり)をして歩行(ある)いて行(おこな)はれた。
(奧州(あうしう)、仙臺(せんだい)、岩沼(いはぬま)の、得平(とくへい)が膏藥(かうやく)は、
 あれや、これやに、利(き)かなんだ。
 皹(あかぎれ)なんどにや、よく利(き)いた。)
 そこで床平(とこへい)が、自分(じぶん)で燒(やけ)あとへ貼出(はりだ)したのは――
(何(ど)うしよう、身代(しんだい)、今(いま)の間(ま)に、床平(とこへい)が恁(か)う燒(や)けた。
 水(みづ)や、火消(ひけし)ぢや消(き)えなんだ。
 曉方(あけがた)なんどにや、やつと消(き)えた。)
 行(や)つたな、親方(おやかた)。お救米(すくひまい)を噛(か)みながら、江戸兒(えどつこ)の意氣(いき)思(おも)ふべしである。
 此(こ)のおなじ火事(くわじ)に、靈岸島(れいがんじま)は、かたりぐさにするのも痛々(いた/\)しく憚(はゞか)られるが、あはれ、今度(こんど)の被服廠(ひふくしやう)あとで、男女(だんぢよ)の死體(したい)が伏重(ふしかさ)なつた。こゝへ立(た)つたお救小屋(すくひごや)へ、やみの夜(よ)は、わあツと言(い)ふ泣聲(なきごゑ)、たすけて――と言(い)ふ悲鳴(ひめい)が、地(ち)の底(そこ)からきこえて、幽靈(いうれい)が顯(あら)はれる。
 しきりもない小屋内(こやうち)が、然(さ)らぬだに、おびえる處(ところ)、一齊(いちどき)に突伏(つツぷ)す騷(さわ)ぎ。やゝ氣(き)の確(たしか)なのが、それでも僅(わづか)に見留(みと)めると、黒髮(くろかみ)を亂(みだ)した、若(わか)い女(をんな)の、白(しろ)い姿(すがた)で。……見(み)るまに影(かげ)になつて、フツと消(き)える。
 その混亂(こんらん)のあとには、持出(もちだ)した家財(かざい)金目(かなめ)のものが少(すくな)からず紛失(ふんしつ)した。娯樂(ごらく)ものの講談(かうだん)に、近頃(ちかごろ)大立(おほだて)ものの、岡引(をかつぴき)が、つけて、張(は)つて、見(み)さだめて、御用(ごよう)と、捕(と)ると、其(そ)の幽靈(いうれい)は……女(わか)い女(をんな)とは見(み)たものの慾目(よくめ)だ。實(じつ)は六十幾歳(ろくじふいくさい)の婆々(ばゞ)で、かもじを亂(みだ)し、白(しろ)ぬのを裸身(はだかみ)に卷(ま)いた。――背中(せなか)に、引剥(ひつぺ)がした黒塀(くろべい)の板(いた)を一枚(いちまい)背負(しよ)つて居(ゐ)る。それ、トくるりと背後(うしろ)を向(む)きさへすれば、立處(たちどころ)に暗夜(やみ)の人目(ひとめ)に消(き)えたのである。
 私(わたし)は、安直(あんちよく)な卷莨(まきたばこ)を吹(ふ)かしながら、夜番(よばん)の相番(あひばん)と、おなじ夜(よ)の彌次(やじ)たちに此(こ)の話(はなし)をした。
 三日(みつか)とも經(た)たないに……
「やあ、えらい事(こと)に成(な)りました。……柳原(やなぎはら)の燒(やけ)あとへ、何(ど)うです。……夜鷹(よたか)より先(さき)に幽靈(いうれい)が出(で)ます。……若(わか)い女(をんな)の眞白(まつしろ)なんで。――自警隊(じけいたい)の一豪傑(あるがうけつ)がつかまへて見(み)ると、それが婆(ばゞあ)だ。かつらをかぶつて、黒板(くろいた)……」
 と、黄昏(たそがれ)の出會頭(であひがしら)に、黒板塀(くろいたべい)の書割(かきわり)の前(まへ)で、立話(たちばなし)に話(はな)しかけたが、こゝまで饒舌(しやべ)ると、私(わたし)の顏(かほ)を見(み)て、變(へん)な顏色(かほつき)をして、
「やあ、」
 と言(い)つて、怒(おこ)つたやうに、黒板塀(くろいたべい)に外(そ)れてかくれた。
 實(じつ)は、私(わたし)は、此(こ)の人(ひと)に話(はな)したのであつた。
 こんなのは、しかし憎氣(にくげ)はない。
 再(ふたゝ)び幾日(いくにち)の何時(なんじ)ごろに、第一震(だいいつしん)以上(いじやう)の搖(ゆり)かへしが來(く)る、その時(とき)は大海嘯(おほつなみ)がともなふと、何處(どこ)かの豫言者(よげんしや)が話(はな)したとか。何(なん)の祠(ほこら)の巫女(みこ)は、燒(やけ)のこつた町家(まちや)が、火(ひ)に成(な)つたまゝ、あとからあとからスケートのやうに駈※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(かけまは)る夢(ゆめ)を見(み)たなぞと、聲(こゑ)を密(ひそ)め、小鼻(こばな)を動(うご)かし、眉毛(まゆげ)をびりゝと舌(した)なめずりをして言(い)ふのがある。段々(だん/\)寒(さむ)さに向(むか)ふから、火(ひ)のついた家(いへ)のスケートとは考(かんが)へた。……
 女小兒(をんなこども)はそのたびに青(あを)く成(な)る。
 やつと二歳(ふたつ)に成(な)る嬰兒(あかんぼ)だが、だゞを捏(こ)ねて言(い)ふ事(こと)を肯(き)かないと、それ地震(ぢしん)が來(く)るぞと親(おや)たちが怯(おど)すと、
「おんもへ、ねんね、いやよう。」
 と、ひい/\泣(な)いて、しがみついて、小(ちひ)さく成(な)る。
 近所(きんじよ)には、六歳(ろくさい)かに成(な)る男(をとこ)の兒(こ)で、恐怖(きようふ)の餘(あま)り氣(き)が狂(くる)つて、八疊(はちでふ)二間(ふたま)を、縱(たて)とも言(い)はず横(よこ)とも言(い)はず、くる/\駈※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(かけまは)つて留(と)まらないのがあると聞(き)いた。
 スケートが、何(ど)うしたんだ。
 我(われ)聞(き)く。――魏(ぎ)の正始(せいし)の時(とき)、中山(ちうざん)の周南(しうなん)は、襄邑(じやういふ)の長(ちやう)たりき。一日(あるひ)戸(こ)を出(い)づるに、門(もん)の石垣(いしがき)の隙間(すきま)から、大鼠(おほねずみ)がちよろりと出(で)て、周南(しうなん)に向(むか)つて立(た)つた。此奴(こいつ)が角巾(つのづきん)、帛衣(くろごろも)して居(ゐ)たと言(い)ふ。一寸(ちよつと)、靴(くつ)の先(さき)へ團栗(どんぐり)の實(み)が落(お)ちたやうな形(かたち)らしい。但(たゞ)しその風※(「蚌のつくり」、第3水準1-14-6)(ふうばう)は地仙(ちせん)の格(かく)、豫言者(よげんしや)の概(がい)があつた。小狡(こざか)しき目(め)で、じろりと視(み)て、
「お、お、周南(しうなん)よ、汝(なんぢ)、某(それ)の月(つき)の某(それ)の日(ひ)を以(もつ)て當(まさ)に死(し)ぬべきぞ。」
 と言(い)つた。
 したゝかな妖(えう)である。
 處(ところ)が中山(ちうざん)の大人物(だいじんぶつ)は、天井(てんじやう)がガタリと言(い)つても、わツと飛出(とびだ)すやうな、やにツこいのとは、口惜(くや)しいが鍛錬(きたへ)が違(ちが)ふ。
「あゝ、然(さ)やうか。」
 と言(い)つて、知(し)らん顏(かほ)をして澄(す)まして居(ゐ)た。……言(ことば)は些(ち)となまぬるいやうだけれど、そこが悠揚(いうやう)として迫(せま)らざる處(ところ)である。
 鼠還穴(ねずみあなにかへる)。
 その某月(ぼうげつ)の半(なか)ばに、今度(こんど)は、鼠(ねずみ)が周南(しうなん)の室(しつ)へ顯(あら)はれた。もの/\しく一揖(いちいふ)して、
「お、お、周南(しうなん)よ。汝(なんぢ)、月(つき)の幾日(いくじつ)にして當(まさ)に死(し)ぬべきぞ。」
 と言(い)つた。
「あゝ、然(さ)やうか。」
 鼠(ねずみ)が柱(はしら)に隱(かく)れた。やがて、呪(のろ)へる日(ひ)の、其(そ)の七日前(なぬかまへ)に、傲然(がうぜん)と出(で)て來(き)た。
「お、お、周南(しうなん)よ。汝(なんぢ)旬日(じゆんじつ)にして當(まさ)に死(し)ぬべきぞ。」
「あゝ、然(さ)やうか。」
 丁度(ちやうど)七日(なぬか)めの朝(あさ)は、鼠(ねずみ)が急(いそ)いで出(で)た。
「お、お、周南(しうなん)よ。汝(なんぢ)、今日(こんにち)の中(うち)に、當(まさ)に死(し)ぬべきぞ。」
「あゝ、然(さ)やうか。」
 鼠(ねずみ)が慌(あわ)てたやうに、あせり氣味(ぎみ)にちか寄(よ)つた。
「お、お、周南(しうなん)、汝(なんぢ)、日中(につちう)、午(ご)にして當(まさ)に死(し)ぬべきぞ。」
「あゝ、然(さ)やうか。」
 其(そ)の日(ひ)、同(おな)じ處(ところ)に自若(じじやく)として一人(ひとり)居(ゐ)ると、當(まさ)にその午(ひる)ならんとして、鼠(ねずみ)が、幾度(いくたび)か出(で)たり入(はひ)つたりした。
 やがて立(た)つて、目(め)を尖(とが)らし、しやがれ聲(ごゑ)して、
「周南(しうなん)、汝(なんぢ)、死(し)なん。」
「あゝ、然(さ)やうか。」
「周南(しうなん)、周南(しうなん)、いま死(し)ぬぞ。」
「然(さ)やうか。」
 と言(い)つた。が、些(ちつ)とも死(し)なない。
「弱(よわ)つた……遣切(やりき)れない。」
 と言(い)ふと齊(ひと)しく、ひつくり返(かへ)つて、其(そ)の鼠(ねずみ)がころつと死(し)んだ。同時(どうじ)に、巾(づきん)と帛(きもの)が消(き)えて散(ち)つた。魏(ぎ)の襄邑(じやういふ)の長(ちやう)、その時(とき)思入(おもいれ)があつて、じつと見(み)ると、常(つね)の貧弱(ひんじやく)な鼠(ねずみ)のみ。周南壽(しうなんいのちながし)。と言(い)ふのである。
 流言(りうげん)の蠅(はへ)、蜚語(ひご)の鼠(ねずみ)、そこらの豫言者(よげんしや)に對(たい)するには、周南先生(しうなんせんせい)の流儀(りうぎ)に限(かぎ)る。
 事(こと)あつて後(のち)にして、前兆(ぜんてう)を語(かた)るのは、六日(むいか)の菖蒲(あやめ)だけれども、そこに、あきらめがあり、一種(いつしゆ)のなつかしみがあり、深切(しんせつ)がある。あはれさ、はかなさの情(じやう)を含(ふく)む。
 潮(しほ)のさゝない中川筋(なかがはすぢ)へ、夥(おびたゞ)しい鯔(ぼら)が上(あが)つたと言(い)ふ。……横濱(よこはま)では、町(まち)の小溝(こみぞ)で鰯(いわし)が掬(すく)へたと聞(き)く。……嘗(かつ)て佃(つくだ)から、「蟹(かに)や、大蟹(おほがに)やあ」で來(く)る、聲(こゑ)は若(わか)いが、もういゝ加減(かげん)な爺(ぢい)さんの言(い)ふのに、小兒(こども)の時分(じぶん)にやあ兩國下(りやうごくした)で鰯(いわし)がとれたと話(はな)した、私(わたし)は地震(ぢしん)の當日(たうじつ)、ふるへながら、「あゝ、こんな時(とき)には、兩國下(りやうごくした)へ鰯(いわし)が來(き)はしないかな。」と、愚(ぐ)にもつかないが、事實(じじつ)そんな事(こと)を思(おも)つた。
 あの、磐梯山(ばんだいさん)が噴火(ふんくわ)して、一部(いちぶ)の山廓(さんくわく)をそのまゝ湖(みづうみ)の底(そこ)にした。……その前日(ぜんじつ)、おなじ山(やま)の温泉(おんせん)の背戸(せど)に、物干棹(ものほしざを)に掛(か)けた浴衣(ゆかた)の、日盛(ひざかり)にひつそりとして垂(た)れたのが、しみ入(い)る蝉(せみ)の聲(こゑ)ばかり、微風(かぜ)もないのに、裙(すそ)を飜(ひるがへ)して、上下(うへした)にスツ/\と煽(あふ)つたのを、生命(いのち)の助(たす)かつたものが見(み)たと言(い)ふ。――はもの凄(すご)い。
 恁(か)うした事(こと)は、聞(き)けば幾(いく)らもあらうと思(おも)ふ。さきの思出(おもひで)、のちのたよりに成(な)るべきである。
 處(ところ)で、私(わたし)たちの町(まち)の中央(まんなか)を挾(はさ)んで、大銀杏(おほいてふ)が一樹(ひとき)と、それから、ぽぷらの大木(たいぼく)が一幹(ひともと)ある。見(み)た處(ところ)、丈(たけ)も、枝(えだ)のかこみもおなじくらゐで、はじめは對(つゐ)の銀杏(いてふ)かと思(おも)つた。――此(こ)のぽぷらは、七八年前(しちはちねんぜん)の、あの凄(すさま)じい暴風雨(ばうふうう)の時(とき)、われ/\を驚(おどろ)かした。夜(よ)があけると忽(たちま)ち見(み)えなく成(な)つた。が、屋根(やね)の上(うへ)を消(き)えたので、實(じつ)は幹(みき)の半(なか)ばから折(を)れたのであつた。のびるのが早(はや)い。今(いま)では再(ふたゝ)び、もとの通(とほ)り梢(こずゑ)も高(たか)し、茂(しげ)つて居(ゐ)る。其(そ)の暴風雨(ばうふうう)の前(まへ)、二三年(にさんねん)引續(ひきつゞ)いて、兩方(りやうはう)の樹(き)へ無數(むすう)の椋鳥(むくどり)が群(む)れて來(き)た。塒(ねぐら)に枝(えだ)を爭(あらそ)つて、揉拔(もみぬか)れて、一羽(いちは)バタリと落(お)ちて目(め)を眩(まは)したのを、水(みづ)をのませていきかへらせて、そして放(はな)した人(ひと)があつたのを覺(おぼ)えて居(ゐ)る。
 見事(みごと)に群(む)れて來(き)た。
 以前(いぜん)、何(なに)かに私(わたし)が、「田舍(ゐなか)から、はじめて新橋(しんばし)へ着(つ)いた椋鳥(むくどり)が一羽(いちは)。」とか書(か)いたのを、紅葉先生(こうえふせんせい)が見(み)て笑(わら)ひなすつた事(こと)がある。「違(ちが)ふよ、お前(まへ)、椋鳥(むくどり)と言(い)ふのは群(む)れて來(く)るからなんだよ。一羽(いちは)ぢやいけない。」成程(なるほど)むれて來(く)るものだと思(おも)つた。
 暴風雨(ばうふうう)の年(とし)から、ばつたり來(こ)なく成(な)つた。それが、今年(ことし)、しかもあの大地震(おほぢしん)の前(まへ)の日(ひ)の暮方(くれがた)に、空(そら)を波(なみ)のやうに群(む)れて渡(わた)りついた。ぽぷらの樹(き)に、どつと留(と)まると、それからの喧噪(さわぎ)と言(い)ふものは、――チチツ、チチツと百羽(ひやつぱ)二百羽(にひやつぱ)一度(いちど)に聲(こゑ)を立(た)て、バツと梢(こずゑ)へ飛上(とびあが)ると、また颯(さつ)と枝(えだ)につく。揉(も)むわ搖(ゆ)るわ。漸(や)つと梢(こずゑ)が靜(しづ)まつたと思(おも)ふと、チチツ、チチツと鳴(な)き立(た)てて又(また)パツと枝(えだ)を飛上(とびあが)る。曉方(あけがた)まで止(や)む間(ま)がなかつた。
 今年(ことし)は非常(ひじやう)な暑(あつ)さだつた。また東京(とうきやう)らしくない、しめり氣(け)を帶(お)びた可厭(いや)な蒸暑(むしあつ)さで、息苦(いきぐる)しくして、寢(ね)られぬ晩(ばん)が幾夜(いくよ)も續(つゞ)いた。おなじく其(そ)の夜(よ)も暑(あつ)かつた。一時頃(いちじごろ)まで、皆(みな)戸外(おもて)へ出(で)て涼(すゞ)んで居(ゐ)て、何(なん)と言(い)ふ騷(さわ)ぎ方(かた)だらう、何故(なぜ)あゝだらう、烏(からす)や梟(ふくろ)に驚(おどろ)かされるたつて、のべつに騷(さわ)ぐ譯(わけ)はない。塒(ねぐら)が足(た)りない喧嘩(けんくわ)なら、銀杏(いてふ)の方(はう)へ、いくらか分(わか)れたら可(よ)ささうなものだ。――然(さ)うだ、ぽぷらの樹(き)ばかりで騷(さわ)ぐ。……銀杏(いてふ)は星空(ほしぞら)に森然(しん)として居(ゐ)た。
 これは、大袈裟(おほげさ)でない、誰(たれ)も知(し)つて居(ゐ)る。寢(ね)られないほど、ひつきりなしに、けたゝましく鳴立(なきた)てたのである。
 朝(あさ)はひつそりした。が、今度(こんど)は人間(にんげん)の方(はう)が聲(こゑ)を揚(あ)げた。「やあ、荒(あら)もの屋(や)の婆(ばあ)さん。……何(ど)うでえ、昨夜(ゆうべ)の、あの椋鳥(むくどり)の畜生(ちくしやう)の騷(さわ)ぎ方(かた)は――ぎやあ/\、きい/\、ばた/\、ざツ/\、騷々(さう/″\)しくつて、騷々(さう/″\)しくつて。……俺等(おいら)晝間(ひるま)疲(つか)れて居(ゐ)るのに、からつきし寢(ね)られやしねえ。もの干棹(ほしざを)の長(なが)い奴(やつ)を持出(もちだ)して、掻※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(かきまは)して、引拂(ひつぱた)かうと思(おも)つても、二本(にほん)繼(つ)いでも屆(とゞ)くもんぢやねえぢやあねえか。樹(き)が高(たか)くつてよ。なあ婆(ばあ)さん、椋鳥(むくどり)の畜生(ちくしやう)、ひどい目(め)に逢(あ)はしやがるぢやあねえか。」と大聲(おほごゑ)で喚(わめ)いて居(ゐ)るのがよく聞(きこ)えた。まだ、私(わたし)たち朝飯(あさめし)の前(まへ)であつた。
 此(これ)が納(をさ)まると、一時(ひとしきり)たゝきつけて、樹(き)も屋根(やね)も掻(かき)みだすやうな風雨(あめかぜ)に成(な)つた。驟雨(しうう)だから、東京中(とうきやうぢう)には降(ふ)らぬ處(ところ)もあつたらしい。息(いき)を吐(つ)くやうに、一度(いちど)止(や)んで、しばらくぴつたと靜(しづ)まつたと思(おも)ふと、絲(いと)を搖(ゆす)つたやうに幽(かすか)に來(き)たのが、忽(たちま)ち、あの大地震(おほぢしん)であつた。
「前兆(ぜんてう)だつたぜ――俺(おら)あ確(たしか)に前兆(ぜんてう)だつたと思(おも)ふんだがね。あの前(まへ)の晩(ばん)から曉方(あけがた)までの椋鳥(むくどり)の騷(さわ)ぎやうと言(い)つたら、なあ、婆(ばあ)さん。……ぎやあ/\ぎやあ/\夜一夜(よつぴて)だ。――お前(まへ)さん。……なあ、婆(ばあ)さん、荒(あら)もの屋(や)の婆(ばあ)さん、なあ、婆(ばあ)さん。」
 氣(き)の毒(どく)らしい。……一々(いち/\)、そのぽぷらに間近(まぢか)く平屋(ひらや)のある、荒(あら)もの屋(や)の婆(ばあ)さんを、辻(つじ)の番小屋(ばんごや)から呼(よ)び出(だ)すのは。――こゝで分(わか)つた――植木屋(うゑきや)の親方(おやかた)だ。へゞれけに醉拂(よつぱら)つて、向顱卷(むかうはちまき)で、鍬(くは)の拔(ぬ)けた柄(え)の奴(やつ)を、夜警(やけい)の得(え)ものに突張(つツぱ)りながら、
「なあ、婆(ばあ)さん。――荒(あら)もの屋(や)の婆(ばあ)さんが、知(し)つてるんだ。椋鳥(むくどり)の畜生(ちくしやう)、もの干棹(ほしざを)で引掻(ひきか)き※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)いてくれようと、幾度(いくど)飛出(とびだ)したか分(わか)らねえ。樹(き)が高(たけ)えから屆(とゞ)かねえぢやありませんかい。然(さ)うだらう、然(さ)うだとも。――なあ、婆(ばあ)さん、荒(あら)もの屋(や)の婆(ばあ)さん、なあ、婆(ばあ)さん。」
 ふり※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)す鍬(くは)の柄(え)をよけながら、いや、お婆(ばあ)さんばかりぢやありません、皆(みな)が知(し)つてるよ、と言(い)つても醉(よ)つてるから承知(しようち)をしない。「なあ、婆(ばあ)さん、椋鳥(むくどり)のあの騷(さわ)ぎ方(かた)は。」――と毎晩(まいばん)のやうに怒鳴(どな)つたものである。
 ……話(はなし)が騷々(さう/″\)しい。……些(ち)と靜(しづか)にしよう。それでなくてさへのぼせて不可(いけな)い。あゝ、しかし陰氣(いんき)に成(な)ると氣(き)が滅入(めい)る。

 がさり。
 また鼠(ねずみ)だ、奸黠(かんきつ)なる鼠(ねずみ)の豫言者(よげんしや)よ、小畜(せうちく)よ。
 さて、車麩(くるまぶ)の行方(ゆくへ)は、やがて知(し)れた。魔(ま)が奪(と)つたのでも何(なん)でもない。地震騷(ぢしんさわ)ぎのがらくただの、風呂敷包(ふろしきづつみ)を、ごつたにしたゝか積重(つみかさ)ねた床(とこ)の間(ま)の奧(おく)の隅(すみ)の方(はう)に引込(ひつこ)んであつたのを後(のち)に見(み)つけた。畜生(ちくしやう)。水道(すゐだう)が出(で)て、電燈(でんとう)がついて、豆府屋(とうふや)が來(く)るから、もう氣(き)が強(つよ)いぞ。
 ……齒(は)がたの着(つ)いた、そんなものは、掃溜(はきだめ)へ打棄(うつちや)つた。
 がさり。がら/\/\。
 あの、通(とほ)りだ。さすがに、疊(たゝみ)の上(うへ)へは近(ちか)づけないやうに防(ふせ)ぐが、天井裏(てんじやううら)から、臺所(だいどころ)、鼠(ねずみ)の殖(ふ)えたことは一通(ひととほ)りでない。
 近所(きんじよ)で、小(ちひ)さな兒(こ)が、おもちやに小庭(こには)にこしらへた、箱庭(はこには)のやうな築山(つきやま)がある。――其處(そこ)へ、午後二時(ごごにじ)ごろ、眞日中(まつぴなか)とも言(い)はず、毎日(まいにち)のやうに、おなじ時間(じかん)に、縁(えん)の下(した)から、のそ/\と……出(で)たな、豫言者(よげんしや)。……灰色(はひいろ)で毛(け)の禿(は)げた古鼠(ふるねずみ)が、八九疋(はつくひき)の小鼠(こねずみ)をちよろ/\と連(つ)れて出(で)て、日比谷(ひびや)を一散歩(ひとさんぽ)と言(い)つた面(つら)で、桶(をけ)の輪(わ)ぐらゐに、ぐるりと一巡(ひとめぐり)二三度(にさんど)して、すまして又(また)縁(えん)の下(した)へ入(はひ)つて行(ゆ)く。
「氣味(きみ)が惡(わる)くて手(て)がつけられません。」
「地震以來(ぢしんいらい)、ひとを馬鹿(ばか)にして居(ゐ)るんですな。」
 と、その親(おや)たちが話(はな)して居(ゐ)た。
「……車麩(くるまぶ)だつてさ……持(も)つて來(き)たよ。あの、坊(ばう)のお庭(には)へ。――山(やま)のね、山(やま)のまはりを引張(ひつぱ)るの。……車(くるま)の眞似(まね)だか、あの、オートバイだか、電車(でんしや)の眞似(まね)だか、ガツタン、ガツタン、がう……」
 と、その七(なゝ)つに成(な)る兒(こ)が、いたいけにまた話(はな)した。
 私(わたし)も何(なん)だか、薄氣味(うすきみ)の惡(わる)い思(おも)ひがした。
 蠅(はへ)の湧(わ)いたことは言(い)ふまでもなからう。鼠(ねずみ)がそんなに跋扈(ばつこ)しては、夜寒(よさむ)の破襖(やぶれぶすま)を何(ど)うしよう。
 野鼠(のねずみ)を退治(たいぢ)るものは狸(たぬき)と聞(き)く。……本所(ほんじよ)、麻布(あざぶ)に續(つゞ)いては、この邊(あたり)が場所(ばしよ)だつたと言(い)ふのに、あゝ、その狸(たぬき)の影(かげ)もない。いや、何(なに)より、こんな時(とき)の猫(ねこ)だが、飼猫(かひねこ)なんどは、此(こ)の頃(ごろ)人間(にんげん)とともに臆病(おくびやう)で、猫(ねこ)が(ねこ)に成(な)つて、ぼやけて居(ゐ)る。
 時(とき)なるかな。天(てん)の配劑(はいざい)は妙(めう)である。如何(いか)に流言(りうげん)に憑(つ)いた鼠(ねずみ)でも、オートバイなどで人(ひと)もなげに駈※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(かけまは)られては堪(たま)らないと思(おも)ふと、どしん、どしん、がら/\がらと天井(てんじやう)を追(お)つかけ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)し、溝(どぶ)の中(なか)で取(と)つて倒(たふ)し、組(く)んで噛(か)みふせる勇者(ゆうしや)が顯(あら)はれた。
 渠(かれ)は鼬(いたち)である。
 然(さ)まで古(ふる)い事(こと)でもない。いまの院線(ゐんせん)がまだ通(つう)じない時分(じぶん)には、土手(どて)の茶畑(ちやばたけ)で、狸(たぬき)が、ばつたを壓(おさ)へたと言(い)ふ、番町邊(ばんちやうへん)に、いつでも居(ゐ)さうな蛇(へび)と鼬(いたち)を、つひぞ見(み)た事(こと)がなかつたが。……それが、溝(どぶ)を走(はし)り、床下(ゆかした)を拔(ぬ)けて、しば/\人目(ひとめ)につくやうに成(な)つたのは、去年(きよねん)七月(しちぐわつ)……番町學校(ばんちやうがくかう)が一燒(ひとや)けに燒(や)けた前後(あとさき)からである。あの、時代(じだい)のついた大建(おほだて)ものの隨處(ずゐしよ)に巣(すく)つたのが、火(ひ)のために散(ち)つたか、或(あるひ)は火(ひ)を避(さ)けて界隈(かいわい)へ逃(に)げたのであらう。
 不斷(ふだん)は、あまり評判(ひやうばん)のよくない獸(やつ)で、肩車(かたぐるま)で二十疋(にじつぴき)、三十疋(さんじつぴき)、狼立(おほかみだち)に突立(つツた)つて、それが火柱(ひばしら)に成(な)るの、三聲(みこゑ)續(つゞ)けて、きち/\となくと火(ひ)に祟(たゝ)るの、道(みち)を切(き)ると惡(わる)いのと言(い)ふ。……よく年(とし)よりが言(い)つて聞(き)かせた。――飜(ひるがへ)つて思(おも)ふに、自(おのづ)から忌(い)み憚(はゞか)るやうに、人(ひと)の手(て)から遠(とほ)ざけて、渠等(かれら)を保護(ほご)する、心(こゝろ)あつた古人(こじん)の苦肉(くにく)の計(はかりごと)であらうも知(し)れない。
 一體(いつたい)が、一寸(ちよつと)手先(てさき)で、障子(しやうじ)の破穴(やぶれあな)の樣(やう)な顏(かほ)を撫(な)でる、額(ひたひ)の白(しろ)い洒落(しやれ)もので。……
 越前國(ゑちぜんのくに)大野郡(おほのごほり)の山家(やまが)の村(むら)の事(こと)である。春(はる)、小正月(こしやうぐわつ)の夜(よ)、若(わか)いものは、家中(いへぢう)みな遊(あそ)びに出(で)た。爺(ぢい)さまも飮(の)みに行(ゆ)く。うき世(よ)を濟(す)ました媼(ばあ)さんが一人(ひとり)、爐端(ろばた)に留守(るす)をして、暗(くら)い灯(ともし)で、絲車(いとぐるま)をぶう/\と、藁屋(わらや)の雪(ゆき)が、ひらがなで音信(おとづ)れたやうな昔(むかし)を思(おも)つて、絲(いと)を繰(く)つて居(ゐ)ると、納戸(なんど)の障子(しやうじ)の破(やぶ)れから、すき漏(も)る風(かぜ)とともに、すつと茶色(ちやいろ)に飛込(とびこ)んだものがある。白面(はくめん)黄毛(くわうまう)の不良青年(ふりやうせいねん)。見紛(みまが)ふべくもない鼬(いたち)で。木尻座(きじりざ)の筵(むしろ)に、ゆたかに、角(かど)のある小判形(こばんがた)にこしらへて積(つ)んであつた餅(もち)を、一枚(いちまい)、もろ手(て)、前脚(まへあし)で抱込(かゝへこ)むと、ひよいと飜(かへ)して、頭(あたま)に乘(の)せて、一(ひと)つ輕(かる)く蜿(うね)つて、伸(の)びざまにもとの障子(しやうじ)の穴(あな)へ消(き)える。消(き)えるかと思(おも)ふと、忽(たちま)ち出(で)て來(き)て、默(だま)つて又(また)餅(もち)を頂(いたゞ)いて、すつと引込(ひつこ)む。「おゝ/\惡(わる)い奴(がき)がの……そこが畜生(ちくしやう)の淺(あさ)ましさぢや、澤山(たんと)然(さ)うせいよ。手(て)を伸(の)ばいて障子(しやうじ)を開(あ)ければ、すぐに人間(にんげん)に戻(もど)るぞの。」と、媼(ばあ)さんは、つれ/″\の夜伽(よとぎ)にする氣(き)で、巧(たくみ)な、その餅(もち)の運(はこ)び方(かた)を、ほくそ笑(ゑみ)をしながら見(み)て居(ゐ)た。
 若(わか)いものが歸(かへ)ると、此(こ)の話(はなし)をして、畜生(ちくしやう)の智慧(ちゑ)を笑(わら)ふ筈(はず)が、豈(あに)計(はか)らんや、ベソを掻(か)いた。餅(もち)は一切(ひときれ)もなかつたのである。
 程(ほど)たつて、裏山(うらやま)の小山(こやま)を一(ひと)つ越(こ)した谷間(たにあひ)の巖(いは)の穴(あな)に、堆(うづたか)く、その餅(もち)が蓄(たくは)へてあつた。鼬(いたち)は一(ひと)つでない。爐端(ろばた)の餅(もち)を頂(いたゞ)くあとへ、手(て)を揃(そろ)へ、頭(あたま)をならべて、幾百(いくひやく)か列(れつ)をなしたのが、一息(ひといき)に、山(やま)一(ひと)つ運(はこ)んだのであると言(い)ふ。洒落(しやれ)れたもので。
 ……内(うち)に二三年(にさんねん)遊(あそ)んで居(ゐ)た、書生(しよせい)さんの質實(じみ)な口(くち)から、然(しか)も實驗談(じつけんだん)を聞(き)かされたのである。が、聊(いさゝ)か巧(たくみ)に過(す)ぎると思(おも)つた。
 後(のち)に、春陽堂(しゆんやうだう)の主人(しゆじん)に聞(き)いた。――和田(わだ)さんがまだ學校(がくかう)がよひをして、本郷(ほんがう)彌生町(やよひちやう)の、ある下宿(げしゆく)に居(ゐ)た時(とき)、初夏(しよか)の夕(ゆふべ)、不忍(しのばず)の蓮(はす)も思(おも)はず、然(さ)りとて數寄屋町(すきやまち)の婀娜(あだ)も思(おも)はず、下階(した)の部屋(へや)の小窓(こまど)に頬杖(ほゝづゑ)をついて居(ゐ)ると、目(め)の前(まへ)の庭(には)で、牡鷄(をんどり)がけたゝましく、鳴(な)きながら、羽(は)を煽(あふ)つて、ばた/\と二三尺(にさんじやく)飛上(とびあが)る。飛上(とびあが)つては引据(ひきす)ゑらるゝやうに、けたゝましく鳴(な)いて落(お)ちて、また飛上(とびあが)る。
 講釋師(かうしやくし)の言(い)ふ、槍(やり)のつかひてに呪(のろ)はれたやうだがと、ふと見(み)ると、赤煉蛇(やまかゞし)であらう、たそがれに薄赤(うすあか)い、凡(およ)そ一間(いつけん)、六尺(ろくしやく)に餘(あま)る長蟲(ながむし)が、崖(がけ)に沿(そ)つた納屋(なや)に尾(を)をかくして、鎌首(かまくび)が鷄(とり)に迫(せま)る、あます處(ところ)四五寸(しごすん)のみ。
 和田(わだ)さんは蛇(へび)を恐(おそ)れない。
 遣(や)り放(ぱな)しの書生(しよせい)さんの部屋(へや)だから、直(す)ぐにあつた。――杖(ステツキ)を取(と)るや否(いな)や、畜生(ちくしやう)と言(い)つて、窓(まど)を飛下(とびおり)ると、何(ど)うだらう、たゝきもひしぎもしないうちに、其(そ)の蛇(へび)が、ぱツと寸々(ずた/\)に斷(き)れて十(とを)あまりに裂(さ)けて、蜿々(うね/\)と散(ち)つて蠢(うごめ)いた。これには思(おも)はず度肝(どぎも)を拔(ぬ)かれて腰(こし)を落(おと)したさうである。
 が、蛇(へび)ではない。這(は)つて肩車(かたぐるま)した、鼬(いたち)の長(なが)い列(れつ)が亂(みだ)れたのであつた。
 大野(おほの)の話(はなし)も頷(うなづ)かれて、そのはたらきも察(さつ)しらるゝ。
 かの、(リノキ、チツキテビー)よ。わが鼬將軍(いたちしやうぐん)よ。いたづらに鳥(とり)など構(かま)ふな。毒蛇(コブラ)を咬倒(かみたふ)したあとは、希(ねがは)くは鼠(ねずみ)を獵(か)れ。蠅(はへ)では役不足(やくぶそく)であらうも知(し)れない。きみは獸中(ぢうちう)の隼(はやぶさ)である。……
大正十二年十一月
了

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※表題は底本では、「間引菜(まびきな)」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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