あらすじ
深川《ふかがは》の町を、蝙蝠傘《かうもりがさ》を差して歩く語り手。震災《しんさい》の傷跡が残る街は、かつての賑わいを失い、寂しげな風景が広がっています。語り手は、かつての深川《ふかがは》の面影を偲びながら、米問屋や油堀《あぶらぼり》、辨財天《べんざいてん》などを巡ります。道中、語り手は様々な人々や出来事に遭遇し、深川《ふかがは》の過去と現在、そして未来を感じ取っていくのです。
 雨霽(あまあがり)の梅雨空(つゆぞら)、曇(くも)つてはゐるが大分(だいぶ)蒸(む)し暑(あつ)い。――日和癖(ひよりぐせ)で、何時(なんどき)ぱら/\と來(こ)ようも知(し)れないから、案内者(あんないしや)の同伴(つれ)も、私(わたし)も、各自(おの/\)蝙蝠傘(かうもりがさ)……いはゆる洋傘(パラソル)とは名(な)のれないのを――色(いろ)の黒(くろ)いのに、日(ひ)もさゝないし、誰(たれ)に憚(はゞか)るともなく、すぼめて杖(つゑ)につき、足駄(あしだ)で泥濘(ぬかるみ)をこねてゐる。……
 いで、戰場(せんぢやう)に臨(のぞ)む時(とき)は、雜兵(ざふひやう)と雖(いへど)も陣笠(ぢんがさ)をいたゞく。峰入(みねいり)の山伏(やまぶし)は貝(かひ)を吹(ふ)く。時節(じせつ)がら、槍(やり)、白馬(しろうま)といへば、モダンとかいふ女(をんな)でも金剛杖(こんがうづゑ)がひと通(とほ)り。……人生(じんせい)苟(いやし)くも永代(えいたい)を渡(わた)つて、辰巳(たつみ)の風(かぜ)に吹(ふ)かれようといふのに、足駄(あしだ)に蝙蝠傘(かうもりがさ)は何事(なにごと)だ。
 何(ど)うした事(こと)か、今年(ことし)は夏帽子(なつばうし)が格安(かくやす)だつたから、麥稈(むぎわら)だけは新(あたら)しいのをとゝのへたが、さつと降(ふ)つたら、さそくにふところへねぢ込(こ)まうし、風(かぜ)に取(と)られては事(こと)だと……ちよつと意氣(いき)にはかぶれない。「吹(ふ)きますよ。ご用心(ようじん)。」「心得(こゝろえ)た。」で、耳(みゝ)へがつしりとはめた、シテ、ワキ兩人(りやうにん)。
 藍(あゐ)なり、紺(こん)なり、萬筋(まんすぢ)どころの單衣(ひとへ)に、少々(せう/\)綿入(めんいり)の絽(ろ)の羽織(はおり)。紺(こん)と白(しろ)たびで、ばしや/\とはねを上(あ)げながら、「それ又(また)水(みづ)たまりでござる。」「如何(いか)にも沼(ぬま)にて候(さふらふ)。」と、鷺歩行(さぎあるき)に腰(こし)を捻(ひね)つて行(ゆ)く。……といふのでは、深川見物(ふかがはけんぶつ)も落着(おちつ)く處(ところ)は大概(たいがい)知(し)れてゐる。はま鍋(なべ)、あをやぎの時節(じせつ)でなし、鰌汁(どぢやうじる)は可恐(おそろ)しい、せい/″\門前(もんぜん)あたりの蕎麥屋(そばや)か、境内(けいだい)の團子屋(だんごや)で、雜煮(ざふに)のぬきで罎(びん)ごと正宗(まさむね)の燗(かん)であらう。從(したが)つて、洲崎(すさき)だの、仲町(なかちやう)だの、諸入費(しよにふひ)の懸(か)かる場所(ばしよ)へは、強(し)ひて御案内(ごあんない)申(まを)さないから、讀者(どくしや)は安心(あんしん)をなすつてよい。
 さて色氣(いろけ)拔(ぬ)きとなれば、何(ど)うだらう。(そばに置(お)いてきぬことわりや夏羽織(なつばおり))と古俳句(こはいく)にもある。羽織(はおり)をたゝんでふところへ突(つ)つ込(こ)んで、空(から)ずねの尻端折(しりはしより)が、一層(いつそう)薩張(さつぱり)でよからうと思(おも)つたが、女房(にようぼう)が産氣(さんけ)づいて産婆(さんば)のとこへかけ出(だ)すのではない。今日(けふ)は日日新聞社(にち/\しんぶんしや)の社用(しやよう)で出(で)て來(き)た。お勤(つと)めがらに對(たい)しても、聊(いさゝ)か取(とり)つくろはずばあるべからずと、胸(むね)のひもだけはきちんとしてゐて……暑(あつ)いから時々(とき/″\)だらける。……
「――旦那(だんな)、どこへおいでなさるんで? は、ちよつとこたへたよ。」
 と私(わたし)がいふと、同伴(つれ)は蝙蝠傘(かうもりがさ)のさきで爪皮(つまかは)を突(つゝ)きながら、
「――そこを眞直(まつすぐ)が福島橋(ふくしまばし)で、そのさきが、お不動樣(ふどうさま)ですよ、と圓(ゑん)タクのがいひましたね。」
 今(いま)しがた、永代橋(えいたいばし)を渡(わた)つた處(ところ)で、よしと扉(と)を開(あ)けて、あの、人(ひと)と車(くるま)と梭(ひ)を投(な)げて織違(おりちが)ふ、さながら繁昌記(はんじやうき)の眞中(まんなか)へこぼれて出(で)て、餘(あま)りその邊(へん)のかはりやうに、ぽかんとして立(た)つた時(とき)であつた。「鯒(こち)や黒鯛(くろだひ)のぴち/\はねる、夜店(よみせ)の立(た)つ、……魚市(うをいち)の處(ところ)は?」「あの、火(ひ)の見(み)の下(した)、黒江町(くろえちやう)……」と同伴(つれ)が指(ゆび)さしをする、その火(ひ)の見(み)が、下(した)へ往來(わうらい)を泳(およ)がせて、すつと開(ひら)いて、遠(とほ)くなるやうに見(み)えるまで、人(ひと)あしは流(なが)れて、橋袂(はしたもと)が廣(ひろ)い。
 私(わたし)は、實(じつ)は震災(しんさい)のあと、永代橋(えいたいばし)を渡(わた)つたのは、その日(ひ)がはじめてだつたのである。二人(ふたり)の風恰好亦如件(ふうつきまたくだんのごとし)……で、運轉手(うんてんしゆ)が前途(ゆくて)を案(あん)じてくれたのに無理(むり)はない。「いや、たゞ、ぶらつくので。」とばかり申(まを)し合(あ)はせた如(ごと)く、麥稈(むぎわら)をゆり直(なほ)して、そこで、左(ひだり)へ佐賀町(さがちやう)の方(はう)へ入(はひ)つたのであるが。
 さて、かうたゝずむうちにも、ぐわら/\、ぐわらとすさまじい音(おと)を立(た)てて、貨物車(くわもつしや)が道(みち)を打(う)ちひしいで驅(か)け通(とほ)る。それあぶない、とよけるあとから、又(また)ぐわら/\と鳴(な)つて來(く)る。どしん、づん/\づづんと響(ひゞ)く。
 燒(や)け土(つち)がまだそれなりのもあるらしい、道惡(みちわる)を縫(ぬ)つて入(はひ)ると、その癖(くせ)、人通(ひとどほり)も少(すくな)く、バラツク建(だて)は軒(のき)まばらに、隅(すみ)を取(と)つて、妙(めう)にさみしい。
 休業(きうげふ)のはり札(ふだ)して、ぴたりと扉(とびら)をとざした、何(なん)とか銀行(ぎんかう)の窓々(まど/\)が、觀念(くわんねん)の眼(まなこ)をふさいだやうに、灰色(はひいろ)にねむつてゐるのを、近所(きんじよ)の女房(かみさん)らしいのが、白(しろ)いエプロンの薄(うす)よごれた服裝(なり)で、まだ二時半前(やつまへ)だのに、青(あを)くあせた門柱(もんちう)に寄(よ)り添(そ)つて、然(さ)も夕暮(ゆふぐれ)らしく、曇(くも)り空(ぞら)を仰(あふ)ぐも、ものあはれ。……鴎(かもめ)のかはりに烏(からす)が飛(と)ばう。町筋(まちすぢ)を通(とほ)して透(す)いて見(み)える、流(なが)れの水(みづ)は皆(みな)黒(くろ)い。……
 銀行(ぎんかう)を横(よこ)にして、片側(かたがは)は燒(や)け原(はら)の正面(しやうめん)に、野中(のなか)の一軒家(いつけんや)の如(ごと)く、長方形(ちやうはうけい)に立(た)つた假普請(かりぶしん)の洋館(やうくわん)が一棟(ひとむね)、軒(のき)へぶつつけがきの(川(かは))の字(じ)が大(おほ)きく見(み)えた。
 夜(よる)は(川(かは))の字(じ)に並(なら)んだその屋號(やがう)に、電燈(でんとう)がきら/\とかゞやくのであらうも知(し)れない。あからさまにはいはないが、これは私(わたし)の知(し)つた※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)米問屋(くわいまいどんや)である。――(大(おほ)きく出(で)たな。)――當今(たうこん)三等米(さんとうまい)、一升(いつしよう)につき約四十三錢(やくよんじふさんせん)の値(ね)を論(ろん)ずるものに、※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)米問屋(くわいまいどんや)の知己(ちき)があらう筈(はず)はない。……こゝの御新姐(ごしんぞ)の、人形町(にんぎやうちやう)の娘時代(むすめじだい)を預(あづ)かつた、女學校(ぢよがくかう)の先生(せんせい)を通(とほ)して、ほのかに樣子(やうす)を知(し)つてゐるので……以前(いぜん)、私(わたし)が小(ちひ)さな作(さく)の中(なか)に、少(すこ)し家造(やづく)りだけ借用(しやくよう)した事(こと)がある。
 御存(ごぞん)じの通(とほ)り、佐賀町(さがちやう)一廓(いつくわく)は、殆(ほとん)ど軒(のき)ならび問屋(とんや)といつてもよかつた。構(かま)へも略(ほゞ)同(おな)じやうだと聞(き)くから、昔(むかし)をしのぶよすがに、その時分(じぶん)の家(いへ)のさまを少(すこ)しいはう。いま此(こ)のバラツク建(だて)の洋館(やうくわん)に對(たい)して――こゝに見取圖(みとりづ)がある。――斷(ことわ)るまでもないが、地續(ぢつゞ)きだからといつて、吉良邸(きらてい)のでは決(けつ)してない。米價(べいか)はその頃(ころ)も高値(たかね)だつたが、敢(あへ)て夜討(よう)ちを掛(か)ける繪圖面(ゑづめん)ではないのであるが、町(まち)に向(むか)つて檜(ひのき)の木戸(きど)、右(みぎ)に忍返(しのびがへ)しの塀(へい)、向(むか)つて本磨(ほんみが)きの千本格子(せんぼんがうし)が奧深(おくふか)く靜(しづ)まつて、間(あひた)の植込(うゑこみ)の緑(みどり)の中(なか)に石燈籠(いしどうろう)に影(かげ)が青(あを)い。藏庫(くら)は河岸(かし)に揃(そろ)つて、荷(に)の揚下(あげおろ)しは船(ふね)で直(す)ぐに取引(とりひ)きが濟(す)むから、店口(みせぐち)はしもた屋(や)も同(おな)じ事(こと)、煙草盆(たばこぼん)にほこりも置(お)かぬ。……その玄關(げんくわん)が六疊(ろくでふ)の、右(みぎ)へ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)り縁(えん)の庭(には)に、物數寄(ものずき)を見(み)せて六疊(ろくでふ)と十疊(じふでふ)、次(つぎ)が八疊(はちでふ)、續(つゞ)いて八疊(はちでふ)が川(かは)へ張出(はりだ)しの欄干下(らんかんした)を、茶船(ちやぶね)は浩々(かう/\)と漕(こ)ぎ、傳馬船(てんま)は洋々(やう/\)として浮(うか)ぶ。中二階(ちうにかい)の六疊(ろくでふ)を中(なか)にはさんで、梯子段(はしごだん)が分(わか)れて二階(にかい)が二間(ふたま)、八疊(はちでふ)と十疊(じふでふ)――ざつとこの間取(まど)りで、なかんづくその中二階(ちうにかい)の青(あを)すだれに、紫(むらさき)の總(ふさ)のしつとりした岐阜提灯(ぎふぢやうちん)が淺葱(あさぎ)にすくのに、湯上(ゆあが)りの浴衣(ゆかた)がうつる。姿(すがた)は婀娜(あだ)でもお妾(めかけ)ではないから、團扇(うちは)で小間使(こまづかひ)を指圖(さしづ)するやうな行儀(ぎやうぎ)でない。「少(すこ)し風(かぜ)過(す)ぎる事(こと)」と、自分(じぶん)でらふそくに灯(ひ)を入(い)れる。この面影(おもかげ)が、ぬれ色(いろ)の圓髷(まるまげ)の艷(つや)、櫛(くし)の照(てり)とともに、柳(やなぎ)をすべつて、紫陽花(あぢさゐ)の露(つゆ)とともに、流(ながれ)にしたゝらうといふ寸法(すんぱふ)であつたらしい。……
 私(わたし)は町(まち)のさまを見(み)るために、この木戸(きど)を通過(とほりす)ぎた事(こと)がある。前庭(まへには)の植込(うゑこみ)には、きり島(しま)がほんのりと咲(さ)き殘(のこ)つて、折(をり)から人通(ひとどほ)りもなしに、眞日中(まつぴなか)の忍返(しのびがへ)しの下(した)に、金魚賣(きんぎようり)が荷(に)を下(おろ)して、煙草(たばこ)を吹(ふ)かして休(やす)んでゐた。

「それ、來(き)ましたぜ。」
 風鈴屋(ふうりんや)でも通(とほ)る事(こと)か。――振返(ふりかへ)つた洋館(やうくわん)をぐわさ/\とゆするが如(ごと)く、貨物車(くわもつしや)が、然(しか)も二臺(にだい)。私(わたし)をかばはうとした同伴(つれ)の方(はう)が水溜(みづたまり)に踏(ふ)みこんだ。
「あ、ばしやりとやツつけた。」
 萬筋(まんすぢ)の裾(すそ)を見(み)て、苦(にが)りながら、
「しかし文句(もんく)はいひますもののね、震災(しんさい)の時(とき)は、このくらゐな泥水(どろみづ)を、かぶりついて飮(の)みましたよ。」
 特(とく)に震災(しんさい)の事(こと)はいふまい、と約束(やくそく)をしたものの、つい愚痴(ぐち)も出(で)るのである。
 このあたり裏道(うらみち)を掛(か)けて、松村(まつむら)、小松(こまつ)、松賀町(まつかちやう)――松賀(まつか)を何(なに)も、鶴賀(つるか)と横(よこ)なまるには及(およ)ばないが、町々(まち/\)の名(な)もふさはしい、小揚連中(こあげれんぢう)の住居(すまひ)も揃(そろ)ひ、それ、問屋向(とんやむき)の番頭(ばんとう)、手代(てだい)、もうそれ不心得(ふこゝろえ)なのが、松村(まつむら)に小松(こまつ)を圍(かこ)つて、松賀町(まつかちやう)で淨瑠璃(じやうるり)をうならうといふ、藏(くら)と藏(くら)とは並(なら)んだり、中(なか)を白鼠(しろねずみ)黒鼠(くろねずみ)の俵(たはら)を背負(しよ)つてちよろ/\したのが、皆(みな)灰(はひ)になつたか。御神燈(ごしんとう)の影(かげ)一(ひと)つ、松葉(まつば)の紋(もん)も見當(みあた)らないで、箱(はこ)のやうな店頭(みせさき)に、煙草(たばこ)を賣(う)るのもよぼ/\のおばあさん。
「變(かは)りましたなあ。」
「變(かは)りましたは尤(もつと)もだが……この道(みち)は行留(ゆきどま)りぢやあないのかね。」
「案内者(あんないしや)がついてゐます。御串戲(ごじやうだん)ばかり。……洲崎(すさき)の土手(どて)へ突(つ)き當(あた)つたつて、一(ひと)つ船(ふね)を押(お)せば上總澪(かづさみを)で、長崎(ながさき)、函館(はこだて)へ渡(わた)り放題(はうだい)。どんな拔(ぬ)け裏(うら)でも汐(しほ)が通(とほ)つてゐますから、深川(ふかがは)に行留(ゆきどま)りといふのはありませんや。」
「えらいよ!」
 どろ/\とした河岸(かし)へ出(で)た。
「仙臺堀(せんだいぼり)だ。」
「だから、それだから、行留(ゆきどま)りかなぞと外聞(ぐわいぶん)の惡(わる)い事(こと)をいふんです。――そも/\、大川(おほかは)からここへ流(なが)れ口(くち)が、下之橋(しものはし)で、こゝが即(すなは)ち油堀(あぶらぼり)……」
「あゝ、然(さ)うか。」
「間(あひだ)に中之橋(なかのはし)があつて、一(ひと)つ上(うへ)に、上之橋(かみのはし)を流(なが)れるのが仙臺堀川(せんだいぼりがは)ぢやあありませんか。……斷(ことわ)つて置(お)きますが、その川筋(かはすぢ)に松永橋(まつながばし)、相生橋(あひおひばし)、海邊橋(うみべばし)と段々(だん/\)に架(かゝ)つてゐます。……あゝ、家(いへ)らしい家(いへ)が皆(みな)取拂(とりはら)はれましたから、見通(みとほ)しに仙臺堀(ぜんだいぼり)も見(み)えさうです。すぐ向(むか)うに、煙(けむり)だか、雲(くも)だか、灰汁(あく)のやうな空(そら)にたゞ一(いつ)ヶ處(しよ)、樹(き)がこんもりと、青々(あを/\)して見(み)えませう――岩崎公園(いはさきこうゑん)。大川(おほかは)の方(はう)へその出(で)つ端(ぱな)に、お湯屋(ゆや)の煙突(えんとつ)が見(み)えませう、何(ど)ういたして、あれが、霧(きり)もやの深(ふか)い夜(よる)は、人(ひと)をおびえさせたセメント會社(ぐわいしや)の大煙突(だいえんとつ)だから驚(おどろ)きますな。中洲(なかず)と、箱崎(はこざき)を向(むか)うに見(み)て、隅田川(すみだがは)も漫々(まん/\)渺々(べう/\)たる處(ところ)だから、あなた驚(おどろ)いてはいけません。」
「驚(おどろ)きません。わかつたよ。」
「いや念(ねん)のために――はゝゝ。も一(ひと)つ上(うへ)が萬年橋(まんねんばし)、即(すなは)ち小名木川(をなぎがは)、千筋(ちすぢ)萬筋(まんすぢ)の鰻(うなぎ)が勢揃(せいぞろひ)をしたやうに流(なが)れてゐます。あの利根川圖志(とねがはづし)の中(なか)に、……えゝと――安政二年(あんせいにねん)乙卯(きのとう)十月(じふぐわつ)、江戸(えど)には地震(ぢしん)の騷(さわ)ぎありて心(こゝろ)靜(しづ)かならず、訪來(とひく)る人(ひと)も稀(まれ)なれば、なか/\に暇(いとま)ある心地(こゝち)して云々(しか/″\)と……吾(わ)が本所(ほんじよ)の崩(くづ)れたる家(いへ)を後(うしろ)に見(み)て、深川(ふかがは)高橋(たかばし)の東(ひがし)、海邊(うみべ)大工町(だいくちやう)なるサイカチといふ處(ところ)より小名木川(をなぎがは)に舟(ふね)うけて……」
「また、地震(ぢしん)かい。」
「あゝ、默(だま)り默(だま)り。――あの高橋(たかばし)を出(で)る汽船(きせん)は大變(たいへん)な混雜(こんざつ)ですとさ。――この四五年(しごねん)浦安(うらやす)の釣(つり)がさかつて、沙魚(はぜ)がわいた、鰈(まこ)が入(はひ)つたと、乘出(のりだ)すのが、押合(おしあひ)、へし合(あひ)。朝(あさ)の一番(いちばん)なんぞは、汽船(きせん)の屋根(やね)まで、眞黒(まつくろ)に人(ひと)で埋(う)まつて、川筋(かはすぢ)を次第(しだい)に下(くだ)ると、下(した)の大富橋(おほとみばし)、新高橋(しんたかばし)には、欄干外(らんかんそと)から、足(あし)を宙(ちう)に、水(みづ)の上(うへ)へぶら下(さが)つて待(ま)つてゐて、それ、尋常(じんじやう)ぢや乘切(のりき)れないもんですから、そのまんま……そツとでせうと思(おも)ひますがね、――それとも下敷(したじき)は潰(つぶ)れても構(かま)はない、どかりとだか何(ど)うですか、汽船(きせん)の屋根(やね)へ、頭(あたま)をまたいで、肩(かた)を踏(ふ)んで落(お)ちて來(き)ますツて。……こ奴(いつ)が踏(ふ)みはづして川(かは)へはまると、(浦安(うらやす)へ行(い)かう、浦安(うらやす)へ行(い)かう)と鳴(な)きます。」
「串戲(じようだん)ぢやあない。」
「お船藏(ふなぐら)がつい近(ちか)くつて、安宅丸(あたかまる)の古跡(こせき)ですからな。いや、然(さ)ういへば、遠目鏡(とほめがね)を持(も)つた氣(き)で……あれ、ご覽(ろう)じろ――と、河童(かつぱ)の兒(こ)が囘向院(ゑかうゐん)の墓原(はかばら)で惡戲(いたづら)をしてゐます。」
「これ、芥川(あくたがは)さんに聞(き)こえるよ。」
 私(わたし)は眞面目(まじめ)にたしなめた。
「口(くち)ぢやあ兩國(りやうごく)まで飛(と)んだやうだが、向(むか)うへ何(ど)うして渡(わた)るのさ、橋(はし)といふものがないぢやあないか。」
「ありません。」
 と、きつぱりとしたもので、蝙蝠傘(かうもりがさ)で、踞込(しやがみこ)んで、
「確(たしか)にこゝにあつたんですが、町内持(ちやうないもち)の分(ぶん)だから、まだ、架(か)からないでゐるんでせうな。尤(もつと)もかうどろ/\に埋(う)まつては、油堀(あぶらぼり)とはいへませんや、鬢付堀(びんつけぼり)も、黒鬢(くろびん)つけです。」
「塗(ぬ)りたくはありませんかな。」
「私(わたし)はもう歸(かへ)ります。」
 と、麥稈(むぎわら)をぬいで風(かぜ)を入(い)れた、頭(あたま)の禿(はげ)を憤(いきどほ)る。
「いま見棄(みす)てられて成(な)るものか、待(ま)ちたまへ、あやまるよ。しかしね、仙臺堀(せんだいぼり)にしろ、こゝにしろ、殘(のこ)らず、川(かは)といふ名(な)がついてゐるのに、何(なに)しろひどくなつたね。大分(だいぶ)以前(いぜん)には以前(いぜん)だが……やつぱり今頃(いまごろ)の時候(じこう)に此(こ)の川筋(かはすぢ)をぶらついた事(こと)がある。八幡樣(はちまんさま)の裏(うら)の渡(わた)し場(ば)へ出(で)ようと思(おも)つて、見當(けんたう)を取違(とりちが)へて、あちらこちら拔(ぬ)け裏(うら)を通(とほ)るうちに、ざんざ降(ぶ)りに降(ふ)つて來(き)た、ところがね、格子(かうし)さきへ立(た)つて、雨宿(あまやど)りをして、出窓(でまど)から、紫(むらさき)ぎれのてんじんに聲(こゑ)をかけられようといふ柄(がら)ぢやあなし……」
「勿論(もちろん)。」
「たゝつたな――裏川岸(うらがし)の土藏(どざう)の腰(こし)にくつ付(つ)いて、しよんぼりと立(た)つたつけ。晩方(ばんがた)ぢやああつたが、あたりがもう/\として、向(むか)う岸(ぎし)も、ぼつと暗(くら)い。折(をり)から一杯(いつぱい)の上汐(あげしほ)さ。……近(ちか)い處(ところ)に、柳(やなぎ)の枝(えだ)はじやぶ/\と浸(ひた)つてゐながら、渡(わた)し船(ぶね)は影(かげ)もない。何(なに)も、油堀(あぶらぼり)だつて、そこにづらりと並(なら)んだ藏(くら)が――中(なか)には破壁(やれかべ)に草(くさ)の生(は)えたのも交(まじ)つて――油藏(あぶらぐら)とも限(かぎ)るまいが、妙(めう)に油壺(あぶらつぼ)、油瓶(あぶらがめ)でも積(つ)んであるやうで、一倍(いちばい)陰氣(いんき)で、……穴(あな)から燈心(とうしん)が出(で)さうな氣(き)がする。手長蝦(てながえび)だか、足長蟲(あしながむし)だか、びちや/\と川面(かはづら)ではねたと思(おも)ふと、岸(きし)へすれ/\の濁(にご)つた中(なか)から、尖(とが)つた、黒(くろ)い面(つら)をヌイと出(だ)した……」
 小(ちひ)さな聲(こゑ)で、
「河(か)、河(か)、河童(かつぱ)ですか。」
「はげてる癖(くせ)に、いやに臆病(おくびやう)だね――何(なに)、泥龜(すつぽん)だつたがね、のさ/\と岸(きし)へ上(あが)つて來(く)ると、雨(あめ)と一所(いつしよ)に、どつと足(あし)もとが川(かは)になつたから、泳(およ)ぐ形(かたち)で獨(ひと)りでにげたつけ。夢(ゆめ)のやうだ。このびんつけに日(ひ)が當(あた)つちやあ船蟲(ふなむし)もはへまいよ。――おんなじ川(かは)に行當(ゆきあた)つても大(たい)した違(ちが)ひだ。」
「眞個(まつたく)ですな、いまお話(はなし)のその邊(へん)らしい。……私(わたし)の友(とも)だちは泥龜(すつぽん)のお化(ばけ)どころか、紺蛇目傘(こんじやのめ)をさした女郎(ぢよらう)の幽靈(いうれい)に逢(あ)ひました。……おなじく雨(あめ)の夜(よ)で、水(みづ)だか路(みち)だか分(わか)らなく成(な)りましてね。手(て)をひかれたさうですが、よく川(かは)へ陷(はま)らないで、橋(はし)へ出(で)て助(たす)かりましたよ。」
「それが、自分(じぶん)だといふのだらう。……幽靈(いうれい)でもいゝ、橋(はし)へ連出(つれだ)してくれないか。」
「――娑婆(しやば)へ引返(ひきかへ)す事(こと)にいたしませうかね。」
 もう一度(いちど)、念入(ねんい)りに川端(かはばた)へ突(つ)き當(あた)つて、やがて出(で)たのが黒龜橋(くろかめばし)。――こゝは阪地(かみがた)で自慢(じまん)する(……四(よ)ツ橋(はし)を四(よ)つわたりけり)の趣(おもむき)があるのであるが、講釋(かうしやく)と芝居(しばゐ)で、いづれも御存(ごぞん)じの閻魔堂橋(えんまだうばし)から、娑婆(しやば)へ引返(ひきかへ)すのが三途(さんづ)に迷(まよ)つた事(こと)になつて――面白(おもしろ)い……いや、面白(おもしろ)くない。
 が、無事(ぶじ)であつた。
 ――私(わたし)たちは、蝙蝠傘(かうもりがさ)を、階段(かいだん)に預(あづ)けて、――如何(いか)に梅雨時(つゆどぎ)とはいへ……本來(ほんらい)は小舟(こぶね)でぬれても、雨(あめ)のなゝめな繪(ゑ)に成(な)るべき土地柄(とちがら)に對(たい)して、かう番(ばん)ごと、繻子張(しゆすばり)を持出(もちだ)したのでは、をかしく蜴蟷傘(かうもりがさ)の術(じゆつ)でも使(つか)ひさうで眞(まこと)に氣(き)になる、以下(いか)この小道具(こだうぐ)を節略(せつりやく)する。――時(とき)に扇子使(あふぎづか)ひの手(て)を留(と)めて、默拜(もくはい)した、常光院(じやうくわうゐん)の閻王(えんわう)は、震災後(しんさいご)、本山(ほんざん)長谷寺(はせでら)からの入座(にふざ)だと承(うけたま)はつた。忿怒(ふんぬ)の面相(めんさう)、しかし威(ゐ)あつて猛(たけ)からず、大閻魔(だいえんま)と申(まを)すより、口(くち)をくわつと、唐辛子(たうがらし)の利(き)いた關羽(くわんう)に肖(に)てゐる。從(したが)つて古色蒼然(こしよくさうぜん)たる脇立(わきだち)の青鬼(あをおに)赤鬼(あかおに)も、蛇矛(じやぼう)、長槍(ちやうさう)、張飛(ちやうひ)、趙雲(てううん)の概(がい)のない事(こと)はない。いつか四谷(よつや)の堂(だう)の扉(とびら)をのぞいて、眞暗(まつくら)な中(なか)に閻王(えんわう)の眼(まなこ)の輝(かゞや)くとともに、本所(ほんじよ)の足洗屋敷(あしあらひやしき)を思(おも)はせる、天井(てんじやう)から奪衣(だつえ)の大婆(おほばゞ)の組違(くみちが)へた脚(あし)と、眞俯向(まうつむ)けに睨(にら)んだ逆白髮(さかしらが)に恐怖(おそれ)をなした、陰慘(いんさん)たる修羅(しゆら)の孤屋(こをく)に比(くら)べると、こゝは却(かへ)つて、唐土(たうど)桃園(たうゑん)の風(かぜ)が吹(ふ)く。まして、大王(だいわう)の膝(ひざ)がくれに、婆(ばゞ)は遣手(やりて)の木乃伊(みいら)の如(ごと)くひそんで、あまつさへ脇立(わきだち)の座(ざ)の正面(しやうめん)に、赫耀(かくえう)として觀世晉(くわんぜおん)立(た)たせ給(たま)ふ。小兒衆(こどもしう)も、娘(むすめ)たちも、心(こゝろ)やすく賽(さい)してよからう。但(たゞ)し浮氣(うはき)だつたり、おいたをすると、それは/\本當(ほんたう)に可恐(こは)いのである。
 小父(をぢ)さんたちは、おとなしいし、第一(だいいち)品行(ひんかう)が方正(はうせい)だから……言(い)つた如(ごと)く無事(ぶじ)であつた。……はいゝとして、隣地(りんち)心行寺(しんぎやうじ)の假門(かりもん)にかゝると、電車(でんしや)の行違(ゆきちが)ふすきを、同伴(つれ)が、をかしなことをいふ。
「えゝ、一寸(ちよつと)懺悔(ざんげ)を。……」
「何(なん)だい、いま時分(じぶん)。」
「ですが、閻魔樣(あちらさま)の前(まへ)では、氣(き)が怯(ひ)けたものですから。――實(じつ)は此寺(こゝ)の墓地(ぼち)に、洲崎(すさき)の女郎(やつ)が埋(う)まつてるんです。へ、へ、へ。長(なが)い突通(つきとほ)しの笄(かうがい)で、薄化粧(うすげしやう)だつた時分(じぶん)の、えゝ、何(なん)にもかにも、未(ひつじ)の刻(こく)の傾(かたむ)きて、――元服(げんぷく)をしたんですがね――富川町(とみかはちやう)うまれの深川(ふかがは)ツ娘(こ)だからでもありますまいが、年(ねん)のあるうちから、流(なが)れ出(だ)して、途(つひ)に泡沫(うたかた)の儚(はかな)さです。人(ひと)づてに聞(き)いたばかりですけれども、野(の)に、山(やま)に、雨(あめ)となり、露(つゆ)となり、雪(ゆき)や、氷(こほり)で、もとの水(みづ)へ返(かへ)つた果(はて)は、妓夫上(ぎふあが)りと世帶(しよたい)を持(も)つて、土手(どて)で、おでん屋(や)をしてゐたのが、氣(き)が變(へん)になつてなくなつたといひます――上州(じやうしう)安中(あんなか)で旅藝者(たびげいしや)をしてゐた時(とき)、親知(おやし)らずでもらつた女(をんな)の子(こ)が方便(はうべん)ぢやありませんか、もう妙齡(としごろ)で……抱(かゝ)へぢやあありましたが、仲(なか)で藝者(げいしや)をしてゐて、何(ど)うにかそれが見送(みおく)つたんです。……心行寺(しんぎやうじ)と確(たしか)いひましたつけ。おまゐりをして下(くだ)さいなと、何(なに)かの時(とき)に、不思議(ふしぎ)にめぐり合(あ)つて、その養女(やうぢよ)からいはれたんですが、ついそれなりに不沙汰(ぶさた)でゐますうちに、あの震災(しんさい)で……養女(やうぢよ)の方(はう)も、まるきし行衞(ゆくへ)が分(わか)りません。いづれ迷(まよ)つてゐると思(おも)ひますとね、閻魔堂(えんまだう)で、羽目(はめ)の影(かげ)がちらり/\と青鬼(あをおに)赤鬼(あかおに)のまはりへうつるのが、何(なん)ですか、ひよろ/\と白(しろ)い女(をんな)が。……」
 いやな事(こと)をいふ。
「……又(また)地獄(ぢごく)の繪(ゑ)といふと、意固地(いこぢ)に女(をんな)が裸體(はだか)ですから、氣(き)に成(な)りましたよ、ははは。……電車通(でんしやどほ)りへ突(つ)つ立(た)つて、こんなお話(はなし)をしたんぢあ、あはれも、不氣味(ぶきみ)も通(とほ)り越(こ)して、お不動樣(ふどうさま)の縁日(えんにち)にカンカンカンカンカン――と小屋掛(こやがけ)で鉦(かね)をたゝくのも同然(どうぜん)ですがね。」
 お參(まゐ)りをするやうに、私(わたし)がいふと、
「何(なん)だか陰氣(いんき)に成(な)りました。こんな時(とき)、むかし一(ひと)つ夜具(とこ)を被(かぶ)つた女(をんな)の墓(はか)へ行(ゆ)くと、かぜを引(ひ)きさうに思(おも)ひますから。」
 ぞつとする、といふのである。なぜか、私(わたし)も濕(しめ)つぽく歩行(ある)き出(だ)した。
「その癖(くせ)をかしいぢやありませんか。名所圖繪(めいしよづゑ)なぞ見(み)ます度(たび)に、妙(めう)にあの寺(てら)が氣(き)に成(な)りますから、知(し)つてゐますが、寶物(はうもつ)に(文幅茶釜(ぶんぶくちやがま))――一名(いちめい)(泣(な)き茶釜(ちやがま))ありは何(ど)うです。」
 といつて、涙(なみだ)だか汗(あせ)だか、帽子(ばうし)を取(と)つて顏(かほ)をふいた。頭(あたま)の皿(さら)がはげてゐる。……思(おも)はず私(わたし)が顏(かほ)を見(み)ると、同伴(つれ)も苦笑(にがわら)ひをしたのである。
「あ、あぶない。」
 笑事(わらひごと)ではない。――工事中(こうじちう)土瓦(つちかはら)のもり上(あが)つた海邊橋(うみべばし)を、小山(こやま)の如(ごと)く乘(の)り來(く)る電車(でんしや)は、なだれを急(きふ)に、胴腹(どうばら)を欄干(らんかん)に、殆(ほとん)ど横倒(よこだふ)しに傾(かたむ)いて、橋詰(はしづめ)の右(みぎ)に立(た)つた私(わたし)たちの横面(よこつら)をはね飛(と)ばしさうに、ぐわんと行(ゆ)く時(とき)、運轉臺上(うんてんだいじやう)の人(ひと)の體(たい)も傾(かたむ)く澪(みを)の如(ごと)く黒(くろ)く曲(まが)つた。
 二人(ふたり)は同時(どうじ)に、川岸(かし)へドンと怪(け)し飛(と)んだ。曲角(まがりかど)に(危險(きけん)につき注意(ちうい))と札(ふだ)が建(た)つてゐる。
「こつちが間拔(まぬ)けなんです。――番(ばん)ごとこれぢや案内者(あんないしや)申(まを)し譯(わけ)がありません。」
 片側(かたがは)のまばら垣(がき)、一重(ひとへ)に、ごしや/\と立亂(たちみだ)れ、或(あるひ)は缺(か)け、或(あるひ)は傾(かたむ)き、或(あるひ)は崩(くづ)れた石塔(せきたふ)の、横鬢(よこびん)と思(おも)ふ處(ところ)へ、胡粉(ごふん)で白(しろ)く、さま/″\な符號(ふがう)がつけてある。卵塔場(らんたふば)の移轉(いてん)の準備(じゆんび)らしい。……同伴(つれ)のなじみの墓(はか)も、參(まゐ)つて見(み)れば、雜(ざつ)とこの體(てい)であらうと思(おも)ふと、生々(なま/\)と白(しろ)い三角(さんかく)を額(ひたひ)につけて、鼠色(ねずみいろ)の雲(くも)の影(かげ)に、もうろうと立(た)つてゐさうでならぬ。

 ――時間(じかん)の都合(つがふ)で、今日(けふ)はこちらへは御不沙汰(ごぶさた)らしい。が、この川(かは)を向(むか)うへ渡(わた)つて、大(おほき)な材木堀(ざいもくぼり)を一(ひと)つ越(こ)せば、淨心寺(じやうしんじ)――靈巖寺(れいがんじ)の巨刹(きよさつ)名山(めいざん)がある。いまは東(ひがし)に岩崎公園(いはさきこうゑん)の森(もり)のほかに、樹(き)の影(かげ)もないが、西(にし)は兩寺(りやうじ)の下寺(したでら)つゞきに、凡(およ)そ墓(はか)ばかりの野(の)である。その夥多(おびたゞ)しい石塔(せきたふ)を、一(ひと)つ一(ひと)つうなづく石(いし)の如(ごと)く從(したが)へて、のほり、のほりと、巨佛(おほぼとけ)、濡佛(ぬれぼとけ)が錫杖(しやくぢやう)に肩(かた)をもたせ、蓮(はちす)の笠(かさ)にうつ向(む)き、圓光(ゑんくわう)に仰(あふ)いで、尾花(をばな)の中(なか)に、鷄頭(けいとう)の上(うへ)に、はた袈裟(けさ)に蔦(つた)かづらを掛(か)けて、鉢(はち)に月影(つきかげ)の粥(かゆ)を受(う)け、掌(たなそこ)に霧(きり)を結(むす)んで、寂然(じやくぜん)として起(た)ち、また趺坐(ふざ)なされた。
 櫻(さくら)、山吹(やまぶき)、寺内(じない)の蓮(はちす)の華(はな)の頃(ころ)も知(し)らない。そこで蛙(かはづ)を聞(き)き、時鳥(ほとゝぎす)を待(ま)つ度胸(どきよう)もない。暗夜(やみよ)は可恐(おそろし)く、月夜(つきよ)は物(もの)すごい。……知(し)つてゐるのは、秋(あき)また冬(ふゆ)のはじめだが、二度(にど)三度(さんど)、私(わたし)の通(とほ)つた數(かず)よりも、さつとむら雨(さめ)の數多(かずおほ)く、雲(くも)は人(ひと)よりも繁(しげ)く往來(ゆきき)した。尾花(をばな)は斜(なゝめ)に戰(そよ)ぎ、木(こ)の葉(は)はかさなつて落(お)ちた。その尾花(をばな)、嫁菜(よめな)、水引草(みづひきさう)、雁來紅(ばげいとう)をそのまゝ、一結(ひとむす)びして、處々(ところ/″\)にその木(こ)の葉(は)を屋根(やね)に葺(ふ)いた店小屋(みせごや)に、翁(おきな)も、媼(うば)も、ふと見(み)れば若(わか)い娘(むすめ)も、あちこちに線香(せんかう)を賣(う)つてゐた。狐(きつね)の豆府屋(とうふや)、狸(たぬき)の酒屋(さかや)、獺(かはうそ)の鰯賣(いわしこ)も、薄日(うすび)にその中(なか)を通(とほ)つたのである。
 ……思(おも)へばそれも可懷(なつか)しい……
了

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
初出:「東京日日新聞 第一八二七五号〜第一八二九六号」東京日日新聞社
   1927(昭和2)年7月17日〜8月7日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「串戲」と「串談」、「燈(ひ)」と「灯(ひ)」の混在は、底本通りです。
※「女房」に対するルビの「にようぼう」と「かみさん」、「工場」に対するルビの「こうば」と「こうぢやう」、「兄哥」に対するルビの「あにき」と「あにい」、「旦那」に対するルビの「だんな」と「だな」の混在は、底本通りです。
※表題は底本では、「深川(ふかがは)浅景(せんけい)」となっています。
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
入力:門田裕志
校正:岡村和彦
2018年1月27日作成
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