あらすじ
都会の一角に住む「私」は、蛙の鳴き声を聞くのを心待ちにしています。かつては、蛙の声が聞こえる場所まで出かけていたこともありましたが、今は物価が高騰し、そんな余裕もありません。そんなある日、知人から蛙を捕まえてきたと届けられます。しかし、蛙は姿を消してしまい、「私」は蛙の不思議な生態に改めて驚かされます。蛙にまつわる様々な逸話を語りながら、「私」は都会の喧騒の中に消えゆく自然を感じ、静かに物思いにふけります。
 小石川(こいしかは)傳通院(でんづうゐん)には、(鳴(な)かぬ蛙(かへる))の傳説(でんせつ)がある。おなじ蛙(かへる)の不思議(ふしぎ)は、確(たし)か諸國(しよこく)に言傳(いひつた)へらるゝと記憶(きおく)する。大抵(たいてい)此(これ)には昔(むかし)の名僧(めいそう)の話(はなし)が伴(ともな)つて居(ゐ)て、いづれも讀經(どきやう)の折(をり)、誦念(しようねん)の砌(みぎり)に、其(そ)の喧噪(さわがし)さを憎(にく)んで、聲(こゑ)を封(ふう)じたと言(い)ふのである。坊(ばう)さんは偉(えら)い。蛙(かへる)が居(ゐ)ても、騷(さわ)がしいぞ、と申(まを)されて、鳴(な)かせなかつたのである。其處(そこ)へ行(ゆ)くと、今時(いまどき)の作家(さくか)は恥(はづか)しい――皆(みな)が然(さ)うではあるまいが――番町(ばんちやう)の私(わたし)の居(ゐ)るあたりでは犬(いぬ)が吠(ほ)えても蛙(かへる)は鳴(な)かない。一度(いちど)だつて贅澤(ぜいたく)な叱言(こゞと)などは言(い)はないばかりか、實(じつ)は聞(き)きたいのである。勿論(もちろん)叱言(こゞと)を言(い)つたつて、蛙(かへる)の方(はう)ではお約束(やくそく)の(面(つら)へ水(みづ))だらうけれど、仕事(しごと)をして居(ゐ)る時(とき)の一寸(ちよつと)合方(あひかた)にあつても可(よ)し、唄(うた)に……「池(いけ)の蛙(かへる)のひそ/\話(ばなし)、聞(き)いて寢(ね)る夜(よ)の……」と言(い)ふ寸法(すんぱふ)も惡(わる)くない。……一體(いつたい)大(だい)すきなのだが、些(ちつ)とも鳴(な)かない。殆(ほとん)どひと聲(こゑ)も聞(きこ)えないのである。又(また)か、とむかしの名僧(めいそう)のやうに、お叱(しか)りさへなかつたら、こゝで、番町(ばんちやう)の七不思議(なゝふしぎ)とか稱(とな)へて、其(そ)の一(ひと)つに數(かぞ)へたいくらゐである。が、何(なに)も珍(めづら)しがる事(こと)はない。高臺(たかだい)だから此(こ)の邊(へん)には居(ゐ)ないのらしい。――以前(いぜん)、牛込(うしごめ)の矢來(やらい)の奧(おく)に居(ゐ)た頃(ころ)は、彼處等(あすこいら)も高臺(たかだい)で、蛙(かへる)が鳴(な)いても、たまに一(ひと)つ二(ふた)つに過(す)ぎないのが、もの足(た)りなくつて、御苦勞千萬(ごくらうせんばん)、向島(むかうじま)の三(み)めぐりあたり、小梅(こうめ)の朧月(おぼろづき)と言(い)ふのを、懷中(ふところ)ばかり春(はる)寒(さむ)く痩腕(やせうで)を組(く)みながら、それでものんきに歩(ある)いた事(こと)もあつたつけ。……最(も)う恁(か)う世(よ)の中(なか)がせゝつこましく、物價(ぶつか)が騰貴(とうき)したのでは、そんな馬鹿(ばか)な眞似(まね)はして居(ゐ)られない。しかし此(こ)の時節(じせつ)のあの聲(こゑ)は、私(わたし)は思(おも)ひ切(き)れず好(す)きである。處(ところ)で――番町(ばんちやう)も下六(しもろく)の此邊(このへん)だからと云(い)つて、石(いし)の海月(くらげ)が踊(をど)り出(だ)したやうな、石燈籠(いしどうろう)の化(ば)けたやうな小旦那(こだんな)たちが皆無(かいむ)だと思(おも)はれない。一町(いつちやう)ばかり、麹町(かうぢまち)の電車通(でんしやどほ)りの方(はう)へ寄(よ)つた立派(りつぱ)な角邸(かどやしき)を横町(よこちやう)へ曲(まが)ると、其處(そこ)の大溝(おほどぶ)では、くわツ、くわツ、ころ/\ころ/\と唄(うた)つて居(ゐ)る。しかし、月(つき)にしろ、暗夜(やみ)にしろ、唯(と)、おも入(い)れで、立(た)つて聽(き)くと成(な)ると、三(み)めぐり田圃(たんぼ)をうろついて、狐(きつね)に魅(つま)まれたと思(おも)はれるやうな時代(じだい)な事(こと)では濟(す)まぬ。誰(たれ)に何(なん)と怪(あや)しまれようも知(し)れないのである。然(さ)らばと言(い)つて、一寸(ちよつと)蛙(かへる)を、承(うけたまは)りまする儀(ぎ)でと、一々(いち/\)町内(ちやうない)の差配(さはい)へ斷(ことわ)るのでは、木戸錢(きどせん)を拂(はら)つて時鳥(ほとゝぎす)を見(み)るやうな殺風景(さつぷうけい)に成(な)る。……と言(い)ふ隙(ひま)に、何(なん)の、清水谷(しみづだに)まで行(ゆ)けばだけれど、要(えう)するに不精(ぶしやう)なので、家(うち)に居(ゐ)ながら聞(き)きたいのが懸値(かけね)のない處(ところ)である。
 里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)(さとみとん)さんが、まだ本家(ほんけ)有島(ありしま)さんに居(ゐ)なすつた、お知己(ちかづき)の初(はじめ)の頃(ころ)であつた。何(なに)かの次手(ついで)に、此話(このはなし)をすると、庭(には)の池(いけ)にはいくらでも鳴(な)いて居(ゐ)る。……そんなに好(す)きなら、ふんづかまへて上(あ)げませう。背戸(せど)に蓄(か)つて御覽(ごらん)なさい、と一向(いつかう)色氣(いろけ)のなささうな、腕白(わんぱく)らしいことを言(い)つて歸(かへ)んなすつた。――翌日(よくじつ)だつけ、御免下(ごめんくだ)さアい、と耄(ぼ)けた聲(こゑ)をして音訪(おとづ)れた人(ひと)がある。山内(やまのうち)(里見氏(さとみし)本姓(ほんせい))から出(で)ましたが、と言(い)ふのを、私(わたし)が自分(じぶん)で取次(とりつ)いで、はゝあ、此(こ)れだな、白樺(しらかば)を支那鞄(しなかばん)と間違(まちが)へたと言(い)ふ、名物(めいぶつ)の爺(とつ)さんは、と頷(うなづ)かれたのが、コツプに油紙(あぶらがみ)の蓋(ふた)をしたのに、吃驚(びつくり)したのやら、呆(あき)れたのやら、ぎよつとしたのやら、途方(とはう)もねえ、と言(い)つた面(つら)をしたのやら、手(て)を突張(つツぱ)つて慌(あわ)てたのやら、目(め)ばかりぱち/\して縮(すく)んだのやら、五六疋(ぴき)入(はひ)つたのを屆(とゞ)けられた。一筆(ひとふで)添(そ)つて居(ゐ)る――(お約束(やくそく)の此(こ)の連中(れんぢう)の、早(はや)い處(ところ)を引(ひ)つ捉(とら)へてお目(め)に掛(か)けます。しかし、どれも面(つら)つきが前座(ぜんざ)らしい。眞打(しんうち)は追(お)つて後(あと)より。)――私(わたし)はうまいなと手(て)を拍(う)つた。いや、まだコツプを片手(かたて)にして居(ゐ)る。うまい、と膝(ひざ)を叩(たゝ)いた。いや、まだ立(た)つたまゝで居(ゐ)る。いや何(なん)にしろ感心(かんしん)した。
 臺所(だいどころ)から縁側(えんがは)に出(で)て仰山(ぎやうさん)に覗(のぞ)き込(こ)む細君(さいくん)を「これ平民(へいみん)の子(こ)はそれだから困(こま)る……食(た)べものではないよ。」とたしなめて「何(ど)うだい。」と、裸體(らたい)の音曲師(おんぎよくし)、歌劇(オペラ)の唄(うた)ひ子(こ)と言(い)ふのを振(ふ)つて見(み)せて、其處(そこ)で相談(さうだん)をして水盤(すゐばん)の座(ざ)へ……も些(ちつ)と大業(おほげふ)だけれども、まさか缺擂鉢(かけすりばち)ではない。杜若(かきつばた)を一年(ひととせ)植(うゑ)たが、あの紫(むらさき)のおいらんは、素人手(しろうとで)の明(あか)り取(とり)ぐらゐな處(ところ)では次(つぎ)の年(とし)は咲(さ)かうとしない。葉(は)ばかり殘(のこ)して駈落(かけおち)をした、泥(どろ)のまゝの土鉢(どばち)がある。……其(それ)へ移(うつ)して、簀(す)の子(こ)で蓋(ふた)をした。
 ※(「弓+享」、第3水準1-84-22)(とん)さんの厚意(こうい)だし、聲(こゑ)を聞(き)いたら聞分(きゝわ)けて、一枚(いちまい)づゝ名(な)でもつけようと思(おも)ふと、日(ひ)が暮(く)れてもククとも鳴(な)かない。パチヤリと水(みづ)の音(おと)もさせなければ、其(そ)の晩(ばん)はまた寂寞(しん)として風(かぜ)さへ吹(ふ)かない。……馴染(なじみ)なる雀(すゞめ)ばかりで夜(よ)が明(あ)けた。金魚(きんぎよ)を買(か)つた小兒(こども)のやうに、乘(の)しかゝつて、踞(しやが)んで見(み)ると、逃(に)げたぞ! 畜生(ちくしやう)、唯(たゞ)の一匹(いつぴき)も、影(かげ)も形(かたち)もなかつた。
 俗(ぞく)に、蟇(ひきがへる)は魔(ま)ものだと言(い)ふ。嘗(かつ)て十何匹(じふなんびき)、行水盥(ぎやうずゐだらひ)に伏(ふ)せたのが、一夜(いちや)の中(うち)に形(かたち)を消(け)したのは現(げん)に知(し)つて居(ゐ)る。
 雨蛙(あまがへる)や青蛙(あをがへる)が、そんな離(はな)れ業(わざ)はしなからうと思(おも)つたが――勿論(もちろん)、それだけに、蓋(ふた)も嚴重(げんぢう)でなしに隙(すき)があればあつたのであらう。
 二三日(にさんにち)經(た)つて、※(「弓+享」、第3水準1-84-22)(とん)さんに此(こ)の話(はなし)をした。丁(ちやう)ど其日(そのひ)、同(おな)じ白樺(しらかば)の社中(しやちう)で、御存(ごぞん)じの名歌集(めいかしふ)『紅玉(こうぎよく)』の著者(ちよしや)木下利玄(きのしたりげん)さんが連立(つれだ)つて見(み)えて居(ゐ)た。――木下(きのした)さんの方(はう)は、※(「弓+享」、第3水準1-84-22)(とん)さんより三四年(さんよねん)以前(いぜん)からよく知(し)つて居(ゐ)たが――當日(たうじつ)連立(つれだ)つて見(み)えた。早速(さつそく)小音曲師(せうおんぎよくし)逃亡(かけおち)の話(はなし)をすると、木下(きのした)さんの言(い)はるゝには、「大方(おほかた)それは、有島(ありしま)さんの池(いけ)へ歸(かへ)つたのでせう。蛙(かへる)は隨分(ずゐぶん)遠(とほ)くからも舊(もと)の土(つち)へ歸(かへ)つて來(き)ます。」と言(い)つて話(はな)された。嘗(かつ)て、木下(きのした)さんの柏木(かしはぎ)の邸(やしき)の、矢張(やつぱ)り庭(には)の池(いけ)の蛙(かへる)を捉(とら)へて、水掻(みづかき)の附元(つけもと)を(紅(あか)い絹絲(きぬいと))……と言(い)ふので想像(さうざう)すると――御容色(ごきりやう)よしの新夫人(しんふじん)のお手傳(てつだ)ひがあつたらしい。……其(そ)の紅(あか)い絲(いと)で、脚(あし)に印(しるし)をつけた幾疋(いくひき)かを、遠(とほ)く淀橋(よどばし)の方(はう)の田(た)の水(みづ)へ放(はな)したが、三日(みつか)め四日(よつか)め頃(ごろ)から、氣(き)をつけて、もとの池(いけ)の面(おも)を窺(うかゞ)ふと、脚(あし)に絲(いと)を結(むす)んだのがちら/\居(ゐ)る。半月(はんつき)ほどの間(あひだ)には、殆(ほとん)ど放(はな)した數(かず)だけが、戻(もど)つて居(ゐ)て、皆(みな)もみぢ袋(ぶくろ)をはいた娘(むすめ)のやうで可憐(かれん)だつた、との事(こと)であつた。――あとで、何(なに)かの書(しよ)もつで見(み)たのであるが、蛙(かへる)の名(な)は(かへる)(歸(かへ)る)の意義(いぎ)ださうである。……此(これ)は考證(かうしよう)じみて來(き)た。用捨箱(ようしやばこ)、用捨箱(ようしやばこ)としよう。
 就(つい)て思(おも)ふのに、本當(ほんたう)か何(ど)うかは知(し)らないが、蛙(かへる)の聲(こゑ)は、隨分(ずゐぶん)大(おほ)きく、高(たか)いやうだけれども、餘(あま)り遠(とほ)くては響(ひゞ)かぬらしい。有島(ありしま)さんの池(いけ)は、さしわたし五十間(ごじつけん)までは離(はな)れて居(ゐ)まい。それだのに、私(わたし)の家(いへ)までは聞(きこ)えない。――でんこでんこの遊(あそ)びではないが、一町(いつちやう)ほど遠(とほ)い遠(とほ)うい――角邸(かどやしき)から響(ひゞ)かないのは無論(むろん)である。
 久(ひさ)しい以前(いぜん)だけれど、大塚(おほつか)の火藥庫(くわやくこ)わき、いまの電車(でんしや)の車庫(しやこ)のあたりに住(す)んで居(ゐ)た時(とき)、恰(あたか)も春(はる)の末(すゑ)の頃(ころ)、少々(せう/\)待人(まちびと)があつて、其(そ)の遠(とほ)くから來(く)る俥(くるま)の音(おと)を、廣(ひろ)い植木屋(うゑきや)の庭(には)に面(めん)した、汚(きたな)い四疊半(よでふはん)の肱掛窓(ひぢかけまど)に、肱(ひぢ)どころか、腰(こし)を掛(か)けて、伸(の)し上(あが)るやうにして、來(く)るのを待(ま)つて、俥(くるま)の音(おと)に耳(みゝ)を澄(す)ました事(こと)がある。昨夜(ゆうべ)も今夜(こんや)も、夜(よ)が更(ふ)けると、コーと響(ひゞ)く聲(こゑ)が遙(はるか)に聞(きこ)える、それが俥(くるま)の音(おと)らしい。尤(もつと)も護謨輪(ごむわ)などと言(い)ふ贅澤(ぜいたく)な時代(じだい)ではない。近(ちか)づけばカラ/\と輪(わ)が鳴(な)るのだつたが、いつまでも、唯(たゞ)コーと響(ひゞ)く。それが離(はな)れも離(はな)れた、まつすぐに十四五町(じふしごちやう)遠(とほ)い、丁(ちやう)ど傳通院前(でんづうゐんまへ)あたりと思(おも)ふ處(ところ)に聞(きこ)えては、波(なみ)の寄(よ)るやうに響(ひゞ)いて、颯(さつ)と又(また)汐(しほ)のひくやうに消(き)えると、空頼(そらだの)みの胸(むね)の汐(しほ)も寂(さび)しく泡(あわ)に消(き)える時(とき)、それを、すだき鳴(な)く蛙(かへる)の聲(こゑ)と知(し)つて、果敢(はか)ない中(なか)にも可懷(なつかし)さに、不埒(ふらち)な凡夫(ぼんぷ)は、名僧(めいそう)の功力(くりき)を忘(わす)れて、所謂(いはゆる)、(鳴(な)かぬ蛙(かへる))の傳説(でんせつ)を思(おも)ひうかべもしなかつた。……その記憶(きおく)がある。
 それさへ――いま思(おも)へば、空(そら)吹(ふ)く風(かぜ)であつたらしい。
 又(また)思出(おもひだ)す事(こと)がある。故人(こじん)谷活東(たにくわつとう)は、紅葉先生(こうえふせんせい)の晩年(ばんねん)の準門葉(じゆんもんえふ)で、肺病(はいびやう)で胸(むね)を疼(いた)みつゝ、洒々落々(しや/\らく/\)とした江戸(えど)ツ兒(こ)であつた。(かつぎゆく三味線箱(さみせんばこ)や時鳥(ほとゝぎす))と言(い)ふ句(く)を仲(なか)の町(ちやう)で血(ち)とともに吐(は)いた。此(こ)の男(をとこ)だから、今(いま)では逸事(いつじ)と稱(しよう)しても可(よ)いから一寸(ちよつと)素破(すつぱ)ぬくが、柳橋(やなぎばし)か、何處(どこ)かの、お玉(たま)とか云(い)ふ藝妓(げいしや)に岡惚(をかぼれ)をして、金(かね)がないから、岡惚(をかぼれ)だけで、夢中(むちう)に成(な)つて、番傘(ばんがさ)をまはしながら、雨(あめ)に濡(ぬ)れて、方々(はう/″\)蛙(かへる)を聞(き)いて歩行(ある)いた。――どの蛙(かへる)も、コタマ! オタマ! と鳴(な)く、と言(い)ふのである。同(おな)じ男(をとこ)が、或時(あるとき)、小店(こみせ)で遊(あそ)ぶと、其合方(そのあひかた)が、夜(よ)ふけてから、薄暗(うすぐら)い行燈(あんどう)の灯(ひ)で、幾(いく)つも/\、あらゆるキルクの香(にほひ)を嗅(か)ぐ。……あらゆると言(い)つて、「此(これ)が惠比壽(ゑびす)ビールの、此(これ)が麒麟(きりん)ビールの、札幌(さつぽろ)の黒(くろ)ビール、香竄葡萄(かうざんぶだう)、牛久(うしく)だわよ。甲斐産(かひさん)です。」と、活東(くわつとう)の寢(ね)た鼻(はな)へ押(お)つつけて、だらりと結(むす)んだ扱帶(しごき)の間(あひだ)からも出(だ)せば、袂(たもと)にも、懷中(ふところ)にも、懷紙(くわいし)の中(なか)にも持(も)つて居(ゐ)て、眞(しん)に成(な)つて、眞顏(まがほ)で、目(め)を据(す)ゑて嗅(か)ぐのが油(あぶら)を舐(な)めるやうで凄(すご)かつたと言(い)ふ……友(とも)だちは皆(みな)知(し)つて居(ゐ)る。此(こ)の話(はなし)を――或時(あるとき)、※(「弓+享」、第3水準1-84-22)(とん)さんと一所(いつしよ)に見(み)えた事(こと)のある志賀(しが)さんが聞(き)いて、西洋(せいやう)の小説(せうせつ)に、狂氣(きやうき)の如(ごと)く鉛筆(えんぴつ)を削(けづ)る奇人(きじん)があつて、女(をんな)のとは限(かぎ)らない、何(なん)でも他人(たにん)の持(も)つたのを内證(ないしよ)で削(けづ)らないでは我慢(がまん)が出來(でき)ない。魔的(まてき)に警察(けいさつ)に忍(しの)び込(こ)んで、署長(しよちやう)どのの鉛筆(えんぴつ)の尖(さき)を鋭(するど)く針(はり)のやうに削(けづ)つて、ニヤリとしたのがある、と言(い)ふ談話(はなし)をされた。――不束(ふつゝか)で恐(おそ)れ入(い)るが、小作(せうさく)蒟蒻本(こんにやくぼん)の蝋燭(らふそく)を弄(もてあそ)ぶ宿場女郎(しゆくばぢよらう)は、それから思(おも)ひ着(つ)いたものである。
 書齋(しよさい)の額(がく)をねだつた時(とき)、紅葉先生(こうえふせんせい)が、活東子(くわつとうし)のために(春星池(しゆんせいち))と題(だい)されたのを覺(おぼ)えて居(ゐ)る。……春星池活東(しゆんせいちくわつとう)、活東(くわつとう)は蝌蚪(くわと)にして、字義(じぎ)(オタマジヤクシ)ださうである。

 去年(きよねん)の事(こと)である。一雨(ひとあめ)に、打水(うちみづ)に、朝夕(あさゆふ)濡色(ぬれいろ)の戀(こひ)しく成(な)る、乾(かわ)いた七月(しちぐわつ)のはじめであつた。……家内(かない)が牛込(うしごめ)まで用(よう)たしがあつて、午(ひる)些(ち)と過(す)ぎに家(いへ)を出(で)たが、三時頃(さんじごろ)歸(かへ)つて來(き)て、一寸(ちよつと)目(め)を圓(まる)くして、それは/\氣味(きみ)の惡(わる)いほど美(うつく)しいものを見(み)ましたと言(い)つて、驚(おどろ)いたやうに次(つぎ)の話(はなし)をした。
 早(はや)いもので、先(せん)に彼處(あすこ)に家(いへ)の建續(たてつゞ)いて居(ゐ)た事(こと)は私(わたし)たちでも最(も)う忘(わす)れて居(ゐ)る、中六番町(なかろくばんちやう)の通(とほ)り市(いち)ヶ谷(や)見附(みつけ)まで眞直(まつすぐ)に貫(つらぬ)いた廣(ひろ)い坂(さか)は、昔(むかし)ながらの帶坂(おびざか)と、三年坂(さんねんざか)の間(あひだ)にあつて、確(たし)かまだ極(きま)つた名稱(めいしよう)がないかと思(おも)ふ。……新坂(しんざか)とか、見附(みつけ)の坂(さか)とか、勝手(かつて)に稱(とな)へて間(ま)に合(あ)はせるが、大(おほ)きな新(あたら)しい坂(さか)である。此(こ)の坂(さか)の上(うへ)から、遙(はるか)に小石川(こいしかは)の高臺(たかだい)の傳通院(でんづうゐん)あたりから、金剛寺坂上(こんがうじざかうへ)、目白(めじろ)へ掛(か)けてまだ餘(あま)り手(て)の入(はひ)らない樹木(じゆもく)の鬱然(うつぜん)とした底(そこ)に江戸川(えどがは)の水氣(すゐき)を帶(お)びて薄(うす)く粧(よそほ)つたのが眺(なが)められる。景色(けしき)は、四季(しき)共(とも)に爽(さわや)かな且(か)つ奧床(おくゆか)しい風情(ふぜい)である。雪景色(ゆきげしき)は特(とく)に可(い)い。紫(むらさき)の霞(かすみ)、青(あを)い霧(きり)、もみぢも、花(はな)も、月(つき)もと數(かぞ)へたい。故々(わざ/\)言(い)ふまでもないが、坂(さか)の上(うへ)の一方(いつぱう)は二七(にしち)の通(とほ)りで、一方(いつぱう)は廣(ひろ)い町(まち)を四谷見附(よつやみつけ)の火(ひ)の見(み)へ拔(ぬ)ける。――角(かど)の青木堂(あをきだう)を左(ひだり)に見(み)て、土(つち)の眞白(まつしろ)に乾(かわ)いた橘鮨(たちばなずし)の前(まへ)を……薄(うす)い橙色(オレンジいろ)の涼傘(ひがさ)――束(たば)ね髮(がみ)のかみさんには似合(にあ)はないが、暑(あつ)いから何(ど)うも仕方(しかた)がない――涼傘(ひがさ)で薄雲(うすぐも)の、しかし雲(くも)のない陽(ひ)を遮(さへぎ)つて、いま見附(みつけ)の坂(さか)を下(お)りかけると、眞日中(まひなか)で、丁(ちやう)ど人通(ひとどほり)が途絶(とだ)えた。……一人(ひとり)や二人(ふたり)はあつたらうが、場所(ばしよ)が廣(ひろ)いし、殆(ほとん)ど影(かげ)もないから寂寞(ひつそり)して居(ゐ)た。柄(え)を持(も)つた手許(てもと)をスツと潛(くゞ)つて、目(め)の前(まへ)へ、恐(おそ)らく鼻(はな)と並(なら)ぶくらゐに衝(つ)と鮮(あざや)かな色彩(しきさい)を見(み)せた蟲(むし)がある。深(ふか)く濃(こ)い眞緑(まみどり)の翼(つばさ)が晃々(きら/\)と光(ひか)つて、緋色(ひいろ)の線(せん)でちら/\と縫(ぬ)つて、裾(すそ)が金色(こんじき)に輝(かゞや)きつゝ、目(め)と目(め)を見合(みあ)ふばかりに宙(ちう)に立(た)つた。思(おも)はず、「あら、あら、あら。」と十八九の聲(こゑ)を立(た)てたさうである。途端(とたん)に「綺麗(きれい)だわ」「綺麗(きれい)だわ」と言(い)ふ幼(いとけな)い聲(こゑ)を揃(そろ)へて、女(をんな)の兒(こ)が三人(さんにん)ほど、ばら/\と駈(か)け寄(よ)つた。「小母(をば)さん頂戴(ちやうだい)な」「其蟲(そのむし)頂戴(ちやうだい)な」と聞(き)くうちに、蟲(むし)は、美(うつく)しい羽(はね)も擴(ひろ)げず、靜(しづ)かに、鷹揚(おうやう)に、そして輕(かる)く縱(たて)に姿(すがた)を捌(さば)いて、水馬(みづすまし)が細波(さゝなみ)を駈(かけ)る如(ごと)く、ツツツと涼傘(ひがさ)を、上(うへ)へ梭投(ひな)げに衝(つ)くと思(おも)ふと、パツと外(そろ)へそれて飛(と)ぶ。小兒(こども)たちと一所(いつしよ)に、あら/\と、また言(い)ふ隙(ひま)に、電柱(でんちう)を空(くう)に傳(つた)つて、斜上(なゝめあが)りの高(たか)い屋根(やね)へ、きら/\きら/\と青(あを)く光(ひか)つて輝(かゞや)きつゝ、それより日(ひ)の光(ひかり)に眩(まぶ)しく消(き)えて、忽(たちま)ち唯(たゞ)一天(いつてん)を、遙(はるか)に仰(あふ)いだと言(い)ふのである。
 大(おほ)きさは一寸(いつすん)二三分(にさんぶ)、小(ちひ)さな蝉(せみ)ぐらゐあつた、と言(い)ふ。……しかし其(その)綺麗(きれい)さは、何(ど)うも思(おも)ふやうに言(いひ)あらはせないらしく、じれつたさうに、家内(かない)は些(ち)と逆上(のぼ)せて居(ゐ)た。但(たゞ)し蒼(あを)く成(な)つたのでは厄介(やつかい)だ。私(わたし)は聞(き)くとともに、直下(すぐした)の三番町(さんばんちやう)と、見附(みつけ)の土手(どて)には松並木(まつなみき)がある……大方(おほかた)玉蟲(たまむし)であらう、と信(しん)じながら、其(そ)の美(うつく)しい蟲(むし)は、顏(かほ)に、其(そ)の玉蟲色(たまむしいろ)笹色(さゝいろ)に、一寸(ちよつと)、口紅(くちべに)をさして居(ゐ)たらしく思(おも)つて、悚然(ぞつ)とした。
 すぐ翌日(よくじつ)であつた。が此(これ)は最(も)う些(ちつ)と時間(じかん)が遲(おそ)い。女中(ぢよちう)が晩(ばん)の買出(かひだ)しに出掛(でか)けたのだから四時頃(よじごろ)で――しかし眞夏(まなつ)の事(こと)ゆゑ、片蔭(かたかげ)が出來(でき)たばかり、日盛(ひざか)りと言(い)つても可(い)い。女中(ぢよちう)の方(はう)は、前通(まへどほ)りの八百屋(やほや)へ行(ゆ)くのだつたが、下六番町(しもろくばんちやう)から、通(とほり)へ出(で)る藥屋(くすりや)の前(まへ)で、ふと、左斜(ひだりなゝめ)の通(とほり)の向側(むかうがは)を見(み)ると、其處(そこ)へ來掛(きかゝ)つた羅(うすもの)の盛裝(せいさう)した若(わか)い奧(おく)さんの、水淺葱(みづあさぎ)に白(しろ)を重(かさ)ねた涼(すゞ)しい涼傘(ひがさ)をさしたのが、すら/\と捌(さば)く褄(つま)を、縫留(ぬひと)められたやうに、ハタと立留(たちど)まつたと思(おも)ふと、うしろへ、よろ/\と退(しさ)りながら、翳(かざ)した涼傘(ひがさ)の裡(うち)で、「あら/\あらあら。」と言(い)つた。すぐ前(まへ)の、鉢(はち)ものの草花屋(くさばなや)、綿屋(わたや)、續(つゞ)いて下駄屋(げたや)の前(まへ)から、小兒(こども)が四五人(しごにん)ばら/\と寄(よ)つて取卷(とりま)いた時(とき)、袖(そで)へ落(おと)すやうに涼傘(ひがさ)をはづして、「綺麗(きれい)だわ、綺麗(きれい)だわ、綺麗(きれい)な蟲(むし)だわ。」と魅(み)せられたやうに言(い)ひつゝ、草履(ざうり)をつま立(だ)つやうにして、大空(おほぞら)を高(たか)く、目(め)を据(す)ゑて仰(あふ)いだのである。通(とほ)りがかりのものは多勢(おほぜい)あつた。女中(ぢよちう)も、間(あひだ)は離(はな)れたが、皆(みな)一齊(いつせい)に立留(たちどま)つて、陽(ひ)を仰(あふ)いだ――と言(い)ふのである。私(わたし)は聞(き)いて、其(そ)の夫人(ふじん)が、若(わか)いうつくしい人(ひと)だけに、何(なん)となく凄(すご)かつた。

 一昨年(いつさくねん)の秋(あき)九月(くぐわつ)――私(わたし)は不心得(ふこゝろえ)で、日記(につき)と言(い)ふものを認(したゝ)めた事(こと)がないので幾日(いくか)だか日(ひ)は覺(おぼ)えて居(ゐ)ないが――彼岸前(ひがんまへ)だつただけは確(たしか)だから、十五日(じふごにち)から二十日頃(はつかごろ)までの事(こと)である。蒸暑(むしあつ)かつたり、涼(すゞ)し過(す)ぎたり、不順(ふじゆん)な陽氣(やうき)が、昨日(きのふ)も今日(けふ)もじと/\と降(ふ)りくらす霖雨(ながあめ)に、時々(とき/″\)野分(のわき)がどつと添(そ)つて、あらしのやうな夜(よる)など續(つゞ)いたのが、急(きふ)に朗(ほがら)かに晴(は)れ渡(わた)つた朝(あさ)であつた。自慢(じまん)にも成(な)らぬが叱人(しかりて)もない。……張合(はりあひ)のない例(れい)の寢坊(ねばう)が朝飯(あさめし)を濟(す)ましたあとだから、午前(ごぜん)十時半頃(じふじはんごろ)だと思(おも)ふ……どん/\と色氣(いろけ)なく二階(にかい)へ上(あが)つて、やあ、いゝお天氣(てんき)だ、難有(ありがた)い、と御禮(おれい)を言(い)ひたいほどの心持(こゝろもち)で、掃除(さうぢ)の濟(す)んだ冷(ひや)りとした、東向(ひがしむき)の縁側(えんがは)へ出(で)ると、向(むか)う邸(やしき)の櫻(さくら)の葉(は)が玉(たま)を洗(あら)つたやうに見(み)えて、早(は)やほんのりと薄紅(うすべに)がさして居(ゐ)る。狹(せま)い町(まち)に目(め)まぐろしい電線(でんせん)も、銀(ぎん)の絲(いと)を曳(ひ)いたやうで、樋竹(とひだけ)に掛(か)けた蜘蛛(くも)の巣(す)も、今朝(けさ)ばかりは優(やさ)しく見(み)えて、青(あを)い蜘蛛(くも)も綺麗(きれい)らしい。空(そら)は朝顏(あさがほ)の瑠璃色(るりいろ)であつた。欄干(らんかん)の前(まへ)を、赤蜻蛉(あかとんぼ)が飛(と)んで居(ゐ)る。私(わたし)は大(だい)すきだ。色(いろ)も可(よ)し、形(かたち)も可(よ)し……と云(い)ふうちにも、此(こ)の頃(ごろ)の氣候(きこう)が何(なん)とも言(い)へないのであらう。しかし珍(めづら)しい。……極暑(ごくしよ)の砌(みぎり)、見(み)ても咽喉(のど)の乾(かわ)きさうな鹽辛蜻蛉(しほからとんぼ)が炎天(えんてん)の屋根瓦(やねがはら)にこびりついたのさへ、觸(さは)ると熱(あつ)い窓(まど)の敷居(しきゐ)に頬杖(ほゝづゑ)して視(なが)めるほど、庭(には)のない家(いへ)には、どの蜻蛉(とんぼ)も訪(おとづ)れる事(こと)が少(すくな)いのに――よく來(き)たな、と思(おも)ふうちに、目(め)の前(まへ)をスツと飛(と)んで行(ゆ)く。行(ゆ)くと、又(また)一(ひと)つ飛(と)んで居(ゐ)る。飛(と)んで居(ゐ)るのが向(むか)うへ行(ゆ)くと、すぐ來(き)て、又(また)欄干(らんかん)の前(まへ)を飛(と)んで居(ゐ)る。……飛(と)ぶと云(い)ふより、スツ/\と輕(かる)く柔(やはら)かに浮(う)いて行(ゆ)く。
 忽(たちま)ち心着(こゝろづ)くと、同(おな)じ處(ところ)ばかりではない。縁側(えんがは)から、町(まち)の幅(はゞ)一杯(いつぱい)に、青(あを)い紗(しや)に、眞紅(しんく)、赤(あか)、薄樺(うすかば)の絣(かすり)を透(す)かしたやうに、一面(いちめん)に飛(と)んで、飛(と)びつゝ、すら/\と伸(の)して行(ゆ)く。……前(さき)へ/\、行(ゆ)くのは、北西(きたにし)の市(いち)ヶ谷(や)の方(はう)で、あとから/\、來(く)るのは、東南(ひがしみなみ)の麹町(かうぢまち)の大通(おほどほり)の方(はう)からである。數(かず)が知(し)れない。道(みち)は濡地(ぬれつち)の乾(かわ)くのが、秋(あき)の陽炎(かげろふ)のやうに薄白(うすじろ)く搖(ゆ)れつゝ、ほんのり立(た)つ。低(ひく)く行(ゆ)くのは、其(そ)の影(かげ)をうけて色(いろ)が濃(こ)い。上(うへ)に飛(と)ぶのは、陽(ひ)の光(ひかり)に色(いろ)が淡(うす)い。下(した)行(ゆ)く群(むれ)は、眞綿(まわた)の松葉(まつば)をちら/\と引(ひ)き、上(うへ)を行(ゆ)く群(むれ)は、白銀(しろがね)の針(はり)をきら/\と飜(ひるがへ)す……際限(かぎり)もなく、それが通(とほ)る。珊瑚(さんご)が散(ち)つて、不知火(しらぬひ)を澄切(すみき)つた水(みづ)に鏤(ちりば)めたやうである。
 私(わたし)は身(み)を飜(かへ)して、裏窓(うらまど)の障子(しやうじ)を開(あ)けた。こゝで、一寸(ちよつと)恥(はぢ)を言(い)はねば理(り)の聞(きこ)えない迷信(めいしん)がある。私(わたし)は表二階(おもてにかい)の空(そら)を眺(なが)めて、その足(あし)で直(すぐ)に裏窓(うらまど)を覗(のぞ)くのを不斷(ふだん)から憚(はゞか)るのである。何故(なぜ)と言(い)ふに、それを行(や)つた日(ひ)に限(かぎ)つて、不思議(ふしぎ)に雷(らい)が鳴(な)るからである。勿論(もちろん)、何(なに)も不思議(ふしぎ)はない。空模樣(そらもやう)が怪(あや)しくつて、何(ど)うも、ごろ/\と來(き)さうだと思(おも)ふと、可恐(こは)いもの見(み)たさで、惡(わる)いと知(し)つた一方(いつぱう)は日光(につくわう)、一方(いつぱう)は甲州(かふしう)、兩方(りやうはう)を、一時(いちじ)に覗(のぞ)かずには居(ゐ)られないからで。――鄰村(となりむら)で空臼(からうす)を磨(す)るほどの音(おと)がすればしたで、慌(あわたゞ)しく起(た)つて、兩方(りやうはう)の空(そら)を窺(うかゞ)はないでは居(ゐ)られない。從(したが)つて然(さ)う云(い)ふ空合(そらあひ)の時(とき)には雷鳴(らいめい)があるのだから、いつもはかつぐのに、其(そ)の時(とき)は、そんな事(こと)を言(い)つて居(ゐ)る隙(ひま)はなかつた。
 窓(まど)を開(あ)けると、こゝにも飛(と)ぶ。下屋(げや)の屋根瓦(やねがはら)の少(すこ)し上(うへ)を、すれ/\に、晃々(きら/\)、ちら/\と飛(と)んで行(ゆ)く。しかし、表(おもて)からは、木戸(きど)を一(ひと)つ丁字形(ちやうじがた)に入組(いりく)んだ細(ほそ)い露地(ろぢ)で、家(いへ)と家(いへ)と、屋根(やね)と屋根(やね)と附着(くツつ)いて居(ゐ)る處(ところ)だから、珊瑚(さんご)の流(なが)れは、壁(かべ)、廂(ひさし)にしがらんで、堰(せ)かるゝと見(み)えて、表欄干(おもてらんかん)から見(み)たのと較(くら)べては、やゝ疎(まばら)であつた。此(こ)の裏(うら)は、すぐ四谷見附(よつやみつけ)の火(ひ)の見(み)櫓(やぐら)を見透(みとほ)すのだが、其(そ)の遠(とほ)く廣(ひろ)いあたりは、日(ひ)が眩(まぶし)いのと、樹木(じゆもく)に薄霧(うすぎり)が掛(かゝ)つたのに紛(まぎ)れて、凡(およ)そ、どのくらゐまで飛(と)ぶか、伸(の)すか、そのほどは計(はか)られない。が、目(め)の屆(とゞ)くほどは、何處(どこ)までも、無數(むすう)に飛(と)ぶ。
 處(ところ)で、廂(ひさし)だの、屋根(やね)だのの蔭(かげ)で、近(ちか)い處(ところ)は、表(おもて)よりは、色(いろ)も羽(はね)も判然(はつきり)とよく分(わか)る。上(うへ)は大屋根(おほやね)の廂(ひさし)ぐらゐで、下(した)は、然(さ)れば丁(ちやう)ど露地裏(ろぢうら)の共同水道(きやうどうすゐだう)の處(ところ)に、よその女房(かみ)さんが踞(しやが)んで洗濯(せんたく)をして居(ゐ)たが、立(た)つと其(そ)の頭(あたま)ぐらゐ、と思(おも)ふ處(ところ)を、スツ/\と浮(う)いて通(とほ)る。
 私(わたし)は下(した)へ下(お)りた。――家内(かない)は髮(かみ)を結(ゆ)ひに出掛(でか)けて居(ゐ)る。女中(ぢよちう)は久(ひさ)しぶりのお天氣(てんき)で湯殿口(ゆどのぐち)に洗濯(せんたく)をする。……其處(そこ)で、昨日(きのふ)穿(は)いた泥(どろ)だらけの高足駄(たかあしだ)を高々(たか/″\)と穿(は)いて、此(こ)の透通(すきとほ)るやうな秋日和(あきびより)には宛然(まるで)つままれたやうな形(かたち)で、カラン/\と戸外(おもて)へ出(で)た。が、出(で)た咄嗟(とつさ)には幻(まぼろし)が消(き)えたやうで一疋(ひとつ)も見(み)えぬ。熟(じつ)と瞳(ひとみ)を定(さだ)めると、其處(そこ)に此處(こゝ)に、それ彼處(あすこ)に、其(そ)の數(かず)の夥(おびたゞ)しさ、下(した)に立(た)つたものは、赤蜻蛉(あかとんぼ)の隧道(トンネル)を潛(くゞ)るのである。往來(ゆきき)はあるが、誰(だれ)も氣(き)がつかないらしい。一(ひと)つ二(ふた)つは却(かへ)つてこぼれて目(め)に着(つ)かう。月夜(つきよ)の星(ほし)は數(かぞ)へられない。恁(か)くまでの赤蜻蛉(あかとんぼ)の大(おほい)なる群(むれ)が思(おも)ひ立(た)つた場所(ばしよ)から志(こゝろざ)す處(ところ)へ移(うつ)らうとするのである。おのづから智慧(ちゑ)も力(ちから)も備(そな)はつて、陽(ひ)の面(おもて)に、隱形(おんぎやう)陰體(いんたい)の魔法(まはふ)を使(つか)つて、人目(ひとめ)にかくれ忍(しの)びつゝ、何處(いづこ)へか通(とほ)つて行(ゆ)くかとも想(おも)はれた。
 先刻(さつき)、もしも、二階(にかい)の欄干(らんかん)で、思(おも)ひがけず目(め)に着(つ)いた唯(たゞ)一匹(いつぴき)がないとすると、私(わたし)は此(こ)の幾千萬(いくせんまん)とも數(すう)の知(し)れない赤蜻蛉(あかとんぼ)のすべてを、全體(ぜんたい)を、まるで知(し)らないで了(しま)つたであらう。後(あと)で、近所(きんじよ)でも、誰(たれ)一人(ひとり)此(こ)の素(す)ばらしい群(むれ)の風説(うはさ)をするもののなかつたのを思(おも)ふと、渠等(かれら)は、あらゆる人(ひと)の目(め)から、不可思議(ふかしぎ)な角度(かくど)に外(そ)れて、巧(たくみ)に逸(いつ)し去(さ)つたのであらうも知(し)れぬ。
 さて足駄(あしだ)を引摺(ひきず)つて、つい、四角(よつかど)へ出(で)て見(み)ると、南寄(みなみより)の方(はう)の空(そら)に濃(こ)い集團(しふだん)が控(ひか)へて、近(ちか)づくほど幅(はゞ)を擴(ひろ)げて、一面(いちめん)に群(むらが)りつゝ、北(きた)の方(かた)へ伸(の)すのである。が、厚(あつ)さは雜(ざつ)と塀(へい)の上(うへ)から二階家(にかいや)の大屋根(おほやね)の空(そら)と見(み)て、幅(はゞ)の廣(ひろ)さは何(ど)のくらゐまで漲(みなぎ)つて居(ゐ)るか、殆(ほとん)ど見當(けんたう)が附(つ)かない、と言(い)ふうちにも、幾干(いくせん)ともなく、急(いそ)ぎもせず、後(おく)れもせず、遮(さへぎ)るものを避(さ)けながら、一(ひと)つ一(ひと)つがおなじやうに、二三寸(にさんずん)づゝ、縱横(じうわう)に間(あひだ)をおいて、悠然(いうぜん)として流(なが)れて通(とほ)る。櫻(さくら)の枝(えだ)にも、電線(でんせん)にも、一寸(ちよつと)留(と)まるのもなければ、横(よこ)にそれようとするのもない。
 引返(ひきかへ)して、木戸口(きどぐち)から露地(ろぢ)を覗(のぞ)くと、羽目(はめ)と羽目(はめ)との間(あひだ)に成(な)る。こゝには一疋(いつぴき)も飛(と)んで居(ゐ)ない。向(むか)うの水道端(すゐだうばた)に、いまの女房(かみ)さんが洗濯(せんたく)をして居(ゐ)る、其(そ)の上(うへ)は青空(あをぞら)で、屋根(やね)が遮(さへぎ)らないから、スツ/\晃々(きら/\)と矢(や)ツ張(ぱ)り通(とほ)るのである。「おかみさん。」私(わたし)は呼(よ)んだ。「御覽(ごらん)なさい大層(たいそう)な蜻蛉(とんぼ)です。」「へゝい。」と大(おほ)きな返事(へんじ)をすると、濡手(ぬれて)を流(なが)して泳(およ)ぐやうに反(そ)つて空(そら)を視(み)た。顏中(かほぢう)をのこらず鼻(はな)にして、眩(まぶ)しさうにしかめて、「今朝(けさ)ツから飛(と)んで居(ゐ)ますわ。」と言(い)つた。別(べつ)に珍(めづら)しくもなささうに唯(たゞ)つい通(とほ)りに、其處等(そこら)に居(ゐ)る、二三疋(にさんびき)だと思(おも)ふのであらう。時(とき)に、もうやがて正午(おひる)に成(な)る。
 小一時間(こいちじかん)經(た)つて、家内(かない)が髮結(かみゆひ)さんから歸(かへ)つて來(き)た。意氣込(いきご)んで話(はなし)をすると――道理(だうり)こそ……三光社(さんくわうしや)の境内(けいだい)は大變(たいへん)な赤蜻蛉(あかとんぼ)で、雨(あめ)の水溜(みづたまり)のある處(ところ)へ、飛(と)びながらすい/\と下(お)りるのが一杯(いつぱい)で、上(うへ)を乘越(のりこ)しさうで成(な)らなかつた。それを子供(こども)たちが目笊(めざる)で伏(ふ)せるのが、「摘草(つみくさ)をしたくらゐ笊(ざる)に澤山(たくさん)。」と言(い)ふのである。三光社(さんくわうしや)の境内(けいだい)は、此(こ)の邊(へん)で一寸(ちよつと)子供(こども)の公園(こうゑん)に成(な)つて居(ゐ)る。私(わたし)の家(うち)からさしわたし二町(にちやう)ばかりはある。此(こ)の樣子(やうす)では、其處(そこ)まで一面(いちめん)の赤蜻蛉(あかとんぼ)だ。何處(どこ)を志(こゝろざ)して行(ゆ)くのであらう。餘(あま)りの事(こと)に、また一度(いちど)外(そと)へ出(で)た。一時(いちじ)を過(す)ぎた。爾時(そのとき)は最(も)う一(ひと)つも見(み)えなかつた。そして摘草(つみくさ)ほど子供(こども)にとられたと言(い)ふのを、何(なん)だか壇(だん)の浦(うら)のつまり/\で、平家(へいけ)の公達(きんだち)が組伏(くみふ)せられ刺殺(さしころ)されるのを聞(き)くやうで可哀(あはれ)であつた。
 とに角(かく)、此(こ)の赤蜻蛉(あかとんぼ)の光景(くわうけい)は、何(なに)にたとへやうもなかつた。が、同(おな)じ年(とし)十一月(じふいちぐわつ)のはじめ、鹽原(しほばら)へ行(い)つて、畑下戸(はたおり)の溪流瀧(けいりうたき)の下(した)の淵(ふち)かけて、流(ながれ)の廣(ひろ)い溪河(たにがは)を、織(お)るが如(ごと)く敷(し)くが如(ごと)く、もみぢの、盡(つ)きず、絶(た)えず、流(なが)るゝのを見(み)た時(とき)と、――鹽(しほ)の湯(ゆ)の、斷崖(だんがい)の上(うへ)の欄干(らんかん)に凭(もた)れて憩(いこ)つた折(をり)から、夕颪(ゆふおろし)颯(さつ)として、千仭(せんじん)の谷底(たにそこ)から、瀧(たき)を空状(そらざま)に、もみぢ葉(ば)を吹上(ふきあ)げたのが周圍(しうゐ)の林(はやし)の木(こ)の葉(は)を誘(さそ)つて、滿山(まんざん)の紅(くれなゐ)の、且(か)つ大紅玉(だいこうぎよく)の夕陽(ゆふひ)に映(えい)じて、かげとひなたに濃(こ)く薄(うす)く、降(ふ)りかゝつたのを見(み)た時(とき)に、前日(さきのひ)の赤蜻蛉(あかとんぼ)の群(むれ)の風情(ふぜい)を思(おも)つたのである。
 肝心(かんじん)の事(こと)を言(い)ひおくれた。――其(そ)の日(ひ)の赤蜻蛉(あかとんぼ)は、殘(のこ)らず、一(ひと)つも殘(のこ)らず、皆(みな)一(ひと)つづゝ、一(ひと)つがひ、松葉(まつば)につないで、天人(てんにん)の乘(の)る八挺(はつちやう)の銀(ぎん)の櫂(かい)の筏(いかだ)のやうにして飛行(ひかう)した。
 何(なん)と……同(おな)じ事(こと)を昨年(さくねん)も見(み)た。……篤志(とくし)の御方(おかた)は、一寸(ちよつと)お日記(につき)を御覽(ごらん)を願(ねが)ふ。秋(あき)の半(なかば)かけて矢張(やつぱ)り鬱々(うつ/\)陰々(いん/\)として霖雨(ながあめ)があつた。三日(みつか)とは違(ちが)ふまい。――九月(くぐわつ)の二十日(はつか)前後(ぜんご)に、からりと爽(さわや)かにほの暖(あたゝ)かに晴上(はれあが)つた朝(あさ)、同(おな)じ方角(はうがく)から同(おな)じ方角(はうがく)へ、紅舷(こうげん)銀翼(ぎんよく)の小(ちひ)さな船(ふね)を操(あやつ)りつゝ、碧瑠璃(へきるり)の空(そら)をきら/\きら/\と幾千萬艘(いくせんまんそう)。――家内(かない)が此(こ)の時(とき)も四谷(よつや)へ髮(かみ)を結(ゆ)ひに行(い)つて居(ゐ)た。女中(ぢよちう)が洗濯(せんたく)をして居(ゐ)た。おなじ事(こと)である。其(そ)の日(ひ)は歸(かへ)つて來(き)て、見附(みつけ)の公設市場(こうせつしぢやう)の上(うへ)かけて、お濠(ほり)の上(うへ)は紀(き)の國坂(くにざか)へ一面(いちめん)の赤蜻蛉(あかとんぼ)だと言(い)つた。惜(をし)い哉(かな)。すぐにもあとを訪(たづ)ねないで……晩方(ばんがた)散歩(さんぽ)に出(で)て見(み)た時(とき)は、見附(みつけ)にも、お濠(ほり)にも、たゞ霧(きり)の立(た)つ水(みづ)の上(うへ)に、それかとも思(おも)ふ影(かげ)が、唯(たゞ)二(ふた)つ、三(み)つ。散(ち)り來(く)る木(こ)の葉(は)の、しばらくたゝずまふに似(に)たのみであつた。
大正十一年五月
了

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「番茶話(ばんちやばなし)」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月6日作成
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