◎政治家とならんか、文学者とならんか、我は文学者をえらばん。政治家の技能はその局に当りその地位を得るに非ざればあらわれず。その局に当りその地位を得るは一半は材能により一半は年歯ねんしによる。たとひ材能の衆に超ゆるあるも年歯の少きは遂に奈何いかんともするなきなり。英のピツトの例は再びあるべからず。一般の例に拠るに少くも四十歳を越えざれば天下を動かす能はず。病躯蠢々しゅんしゅん命、旦夕たんせきを測られざる者あに手を拱して四十歳を待たんや。独り文学はしからず。四十歳を待たず、三十歳を待たず。二十歳にして不朽の傑作を得る者古来の大家往々にして然り。一月世にあれば一月の著作あり、一年世にあれば一年の著作あり。天下の人、その著作の真価を認めずとも百代の後必ずこれを知る。文学は材にあり、年にあらず。文学の人意を強うする者実にここにあり。択んで文学に居る、しかも才短識浅、年三十を過ぎて未だ一字の伝ふべき者を得ず。文学におけるまた為すなきなり。ただ文学の世俗と競はず年歯とかかはらず不羈ふき自在にしてごうも他の束縛を受けざる処において独り自ら慰むるのみ。
◎源実朝廿八歳にして歿す。身、将軍の職にありて一事を為す能はず。史家評して庸劣ようれつと為す。思ふに実朝は庸劣為すなきの人に非ざりしも年歯弱少にして威中外に加はらず、その漸く長ずるに及んでかへつて早く北条氏のためにねたまれ終に刺客の手にたおれしなり。たとひその抱負は四海を覆ひその材能は天下を経綸けいりんするに足る者ありしとするも、一事為すなきのあとに徴して、断じて庸劣と為す、強ひて弁ずべからざる者あり。将軍にしてつしかり。政治の年歯と関するの大なる以て知るべし。(近時清国の変またこれを証するに足る)ただ実朝は和歌において不朽の業を為すを得たり。政治家として如何に実朝をへんするとも、歌人として万葉以後ただ一人たるの名誉は終にこれを歿すべからず。将軍実朝は一事を為さずして、廿八歳の歌人は能く成功せり。
◎文学者は往々早熟して早世す。その早世する者を見るにその著作の数、多くは老年の人と匹敵す。バーンスの如きバイロンの如き皆然り。けだし早熟にして精神を労する者は五十年間の事業と生命とをあはせてこれを十年間に短縮する者にして、文学の上より見ればその早世のために損益する所なきが如し。しかれども実朝の銀杏樹下いちょうじゅかたおれ、シエレーの一葦舟中に殺さるが如きは人にして天にあらず、まさに伸びんとする樹を伐りまさに開かんとする花を折る者、文学上の損害いくばくぞ。
◎我かつて哲学を学ばんと欲す。哲理深奥にして際涯さいがいなきが如き処おおいに我心をきたるなり。やや長じて常識を得るに及んで、未だ哲学を学ばず、先づ人智の極まる所、哲理の及ぶ所を見、自ら画していわく知るべきのみと。遂に転じて文学に志す。文学には階級ありて窮極なし。門に入りて一歩則ち一歩の楽あり、十歩則ち十歩の楽あり。十歩にして天を仰ぐ天極むべからず、百歩にして天を仰ぐ天なほ極むべからず。故に十歩の才ある者は十歩の楽を得てなほ百歩を仰ぐ。百歩の才ある者は百歩の楽を得てなほ千歩を仰ぐ。安んじて処を得、才の小なるを憂へず、伸べて限られず、才の大なるを憂へず。いよいよ進んでいよいよ楽しく、いよいよたのしんでいよいよきわまらざる者、文学の特色なり。
◎いづれの事業にも快楽あり、いづれの学問にも快楽あり、ただ文学以外の学問、美術以外の事業より得る所の快楽は智識的にして感情的に非ず、形而下的にして形而上的に非ず。形而下的の快楽はしばらく置く。智識的の快楽は我もこれを愛せざるに非ず。試に我こころざしを言はんか、我をして医師たらしめば我は病理を研究して茫漠ぼうばくたる治療術の基礎を固めん、我をして工人たらしめば我は機械学を研究し大小百種の機械を発明して世に便益を与へん、我をして科学者たらしめば我は数学を窮めて我智識に満足を与へ、生物学を学んで我感情に満足を与へん。しかれどもこれら皆空想に属す、実行するの余地あるに非ず。中につきて最も実行しやすき者を言はば生物学中る一部の研究か。我研究せんとする生物学の一部とは生物と美術文学と関係する部分にして、仮に名づけて美術的生物学といふ。ただ適当の書の研究に資するなきをうらむのみ。
〔『日本附録週報』明治32・3・13 一〕
◎文学者とならんか、画工とならんか、我は画工を択ばん。文学は文学に縁あるがために時に無風流の議論を為す。議論は一時を快にすといへども、退しりぞいて静かに思へば畢竟ひっきょう児戯のみ。絵画は議論を為す能はず。怒れば則ち画き、喜べば則ち画き、悲めば則ち画き、平ならざれば則ち画く。楽、黙々の中にあり。ただ我画につたなく、画工たる能はざるをうらむ。もし自ら楽まんとならば画の拙なるを憂へず。口をのりする能はず。
◎怒れば則ち悪魔を画くべし。激すれば則ち廻瀾かいらんを画くべし。喜べば則ち花開き鳥下る処、悲めば則ち木落ち風行く処、平和なれば則ち水草つぼみ黄にして佳人足をあらふ処、不平なれば則ち乞児きつじ巌頭にきょして遥に金紋先箱大鳥毛の行列をにらむ処。怒らず激せず喜ばず悲まず平和ならず不平ならざる時、則ち山しずかに水流れ、煙※(「風にょう+昜」、第3水準1-94-7)あがり牛帰る。一字不説、目視、心忘る。
◎我かつて南画を愛す。いたずらに気韻の高きをいふ。南画に非れば則ち画に非ずと為す。後漸く自然の妙趣を感じ造化の色彩を見るに及んで、始めて絵画の色彩にあるを知る。これより洋画を貴ぶ。洋画に非れば画に非ずと為す。我、画を学ばんか、形体を模するを要せず、輪廓を正すを要せず、ただ青を塗り紅を抹し黄を点すれば則ち足る。
◎我かつて日本画を愛し、洋画を排す。牛伴ぎゅうはん、我がために日本画の不完全と洋画の完全とを比較して説く。我悟らず。後不折ふせつ、我がために日本画の中につきて巧拙を比較し、西洋画の中につきて巧拙を比較し、日本画と西洋画と個々別々に説く。我、わずかに悟る所あり。退いてこれを文学上我得る所の趣味と対照するに符節を合すが如し。而して後に洋画を観る、空気充満し物々生動す。
◎いはゆる詩人文人の徒、梅を愛し梅を探り梅を植ゑ梅を詠ず。南画の梅を見る、これを賞することなほ真梅におけるが如し。しかもこれに示すに洋画の梅を以てせんか、則ち卑俗として唾棄だきす。彼もし真の白色の梅を愛せば南画の黒色の梅はこれを棄てざるべからず。彼もし南画の黒色の梅を愛せば真の白色の梅はこれを棄てざるべからず。しかるに真梅を棄てず、黒梅を棄てず、かへつて油画の写生の梅を棄つ。矛盾笑ふべし。
◎真を模せんとして模し得ざりしはいにしえの日本画なり。後世の日本画家、徒に古画を模してかへつて真を模せず。たまたま洋画の如く真を模したる者に逢へば則ち呆然自失ぼうぜんじしつ、その画なりや否やを疑ふ。真を模せんとして模し得ざりし古の画を模して、真を模せんとしたる古画家の志を忘れたる日本画家は鸚鵡おうむにつきて人語を学ばんとする者なり。
◎邦人一般に書を愛して画を愛せず。詩人文人の家、先生学者の家より都市の旅館、僻地へきちの農家に至るまで、掛物、額、屏風、ふすまの装飾は多く画を画かずして書を書く。書家は数多く、書はれんにして得やすきに因るといへどもまた画を解せざるに因るなり。ただし家屋器具全く装飾なき処には濃厚の画の調和せざる、また一因なり。貴顕の邸宅に油画を掲げ、荘厳の寺院に極彩色の画を用するはただに画価の貴きのみならず。
〔『日本附録週報』明治32・3・20 二〕
◎我に二けいの田あらば、麦青く風暖き処、退いて少年を教育するもまた面白からんと思ふ。教育には智育、技育、徳育、美育、気育、体育あり。その中にて最大切にしてまた最効力いちじるしきは智育なり。されど智育は現今の学校制度ほぼこれを尽す。技育は多く専門の修行に属し、しかもその薀奥うんおうに至りては教育以上にあり。美術の如き美文の如き殊に然りとす。こは必ずしも我関せざる所なり。我主として試みんとするは徳育、美育、気育、体育にあり。
◎学校の智育に専らにしてその他に疎なるは制度上やむをえざるに出づ。しかるに強いて倫理科を置きて徳育に助くるあらんとするは愚のいたりなり。小学校の修身科は極めて必要なる学科にして、修身科以外の学科にも多少修身的意義を加へて教授すること最効力あるべしと思はる。されど中学以上に倫理科を置きてこれを講義的に教ふるは不必要の事に属す。(文科大学の倫理学はこの例にあらず)現今倫理科なる者あらばそは如何なる方法によりて教授するか知らず、我経験する処に拠るに、あるいは『論語』を講じ、あるいは易を講じ、あるいは空論により引例により忠孝信義の道を説く、これ道徳修身の上にいくばくの益する所あるか。正直なる者に正直にせよと勧むるは無用なり、正直ならざる者に正直にせよと勧むるも口のさきの講義これをしてごうも正直ならしむる能はず。まして倫理を教ふる教師にして多少欠点あるの人ならんか、生徒はその講義に対してむしろ悪感情をき起すを常とす。かつて倫理学の先生あり、年六十にして遊里に放蕩ほうとうす。我その行状を知り而して後にその講義を聞く、その忠信孝悌を説く顔つきのまじめさを見てほとんど噴飯せんと欲す。かくの如き倫理科は大害ありて小利なし。十年間の経験により倫理学といふ事につきて我心裡しんりに印記したる感情はただ「いやな、つまらぬ学科」といふより外には何事もあらざるなり。生徒としてはいづれの学科も余り面白く感ずる者に非ず、されど年経て後に回顧すれば、大に我を利したりと思ふもあり、あの時に今少し勉強し置かば、など思ふもすくなからず。ただ倫理学の講義を回顧するごとに、毫も我を利したりと思はざるのみか、我は今に不愉快を感じて已まざるなり。一場の講義によりて徳育を進めんとするの効力なき事は今更に論ずるに及ばず。もし生徒を徳育に進ましめんとならば、倫理科を廃して、一般の教員職員に善良方正の人を挙ぐべし。しかれども智育の教師たる人にして善良方正なる者は実際得難えがたし。我の家庭的に少年を教へて徳育に進ましめんとするはこのけつを補はんがためなり。
◎小学校の修身科は先入主となりて人の一生を支配するほどの大切なる者なれば従つてこれを教ふるにも最も注意を要す。我幼時小学にある、勧善訓蒙なる書を得る能はず、借りてこれを手写せり。しかも今日我記憶に存する者は無趣味なる勧善訓蒙に非ずして、当時教科書ならざりし『(小学)読本』(俗に新読本といひ居たり)中の修身的事実談なり。伝記的事実談が人心に印記するの深きは繰り返して勉強したる学校の教科書よりも、かへつて幼時一読せし稗史はいし小説の永く忘られざるにても知るべし。徳育はこの秘訣を知らざるべからず。この秘訣を行ふには修身教科書にのみよらで教師が臨機の教授を必要とす。
◎美育は美的感情を発達せしむるなり。(美を造る技術即ち技育に非ず)人にして美の心なければ一生を不愉快に送るべし。絵画彫刻の美を感ずる人は紅塵こうじん十丈の裏にありても山林閑栖のたのしみを得べく、山水花鳥の美を感ずる人は貧苦困頓の間にありても富貴栄華の楽を得べし。間接には美の心は慈悲性を起し残酷性をしりぞく。
◎気育は意思を発達せしむるなり。義を見ては死を辞せざる、困苦に堪へ艱難かんなんち、初志を貫きて屈せずたわまざる、一時の私情を制して百歳の事業を成就じょうじゅする、これら皆気育に属す。世人時にこれを徳育と混じいふ、しかれども勇猛心忍耐心は善悪邪正の感とは異なり。
◎体育は必ずしも体操にあらず競技にあらず。衣服住居を清潔にし、滋養多き食物を取り、時に好むに従ひて散歩、競技、談話等快心の事を為す、いはゆる衛生なり。ただ衛生は精神的快楽をゆるがせにするの傾向あり。精神的快楽は体育の半を占む。
〔『日本附録週報』明治32・3・27 三〕
◎子を愛せざるの親はあらず、しかも子を教ふるの親は少し。徳育気育は学校に一任し置くべきに非ず、家庭において十分の注意を要す。しかれどもむべからざるに褒め叱るべからざるに叱るが如きはその害はなはだし。むしろこれを放任し置くに如かず。もしそれ家族親睦して和気、室に満ち、教へず叱らずして、子弟自然に薫陶くんとうせらるる者は、最も幸福なる家庭にして且つ徳育に最も適当せる家庭なり。
◎世間父兄の子を教ふるを見るに倫理に遠く人情にうとき者比々ひひこれなり。例へばまだ無邪気なる小児が他人の家に入りてみだりにその家の所有物(玩器なりとも)を持ち帰るが如き、児にありては悪意と認むべき者なきも、これらの習慣は他日悪行を為すの基となり得べき者なれば、父兄はその児を叱りさとし、少くもその器物を所有主に返す事において、その所為の効力を失ふ事を知らしめざるべからず。しかれども父兄は往々にしてこれをゆるかせに看過して一些事と為す。悪意は機微に防がざれば、愛児をして母を喰ふのふくろうとならしむる事なきにしもあらず。しかしながらこは無教育の父母に望むべきに非ざるべし。我子が現に悪行を為したる場合にすら知らざるまねしてこれを叱り諭さざるは思はざるの甚だしきなり。六、七歳以上の小児が全く無邪気にはあらで他人の物を持ち帰りたるが如き、または隣家の小児を故意に恐迫して泣かしめたるが如き場合において、その小児の父母は隣家の小児の父母に対して表面上に我児を叱るとも、裏面にはごうもこれを懲戒するの意思なき者あり。もし隣家の父兄にして知るなくば、可愛い我子の悪行に対して遂に一言の訓諭をも為さざるなり。かくの如くして教育せられたる児が、人とりたる後において、たとひ刑法上の大罪を犯すに至らざるも、一身の利のために他人を陥擠かんせいするなどは、尋常の事として敢て悪事とも思はざるべし。我は小児の悪戯を見るごとにその未来を恐れて已まざるなり。
◎父母が子を叱る場合は少きに非ず。例へば水遊びによりて衣服を濡らしたる時、やや遠きに遊びて帰りの遅かりし時、角力すもうを取りて障子ふすまを破りたる時、或る器物または食物を得んとてねだりたる時、これらの場合に父母はこれを叱るのみならず、甚だしきはこれを打ち、これを縛し、あるいは押込塗込の中に閉ぢ込めてこれを苦むる事あり。乱暴極まりたる教育といふべし。小児が水遊びして衣服を濡らしたりとて何ほどの事かあるべき、洗濯して干せば可ならんのみ。貧家にありて一枚の衣服を濡らしたるために父母は多少の迷惑を感ずる事あるべけれど、そは教へ諭して以後を注意せしむれば則ち足る。道徳上何の悪意もなき者を打擲ちょうちゃくするに至りてはその害、悪事を看過するよりもなほ甚だしからんか。これら不理の懲戒を受けたる者、残忍酷薄の人たらずんば必ず猜疑褊狭さいぎへんきょうの人たるべきなり。
◎父兄の子弟を教育するに厳に過ぐるは悪し。無邪気なる悪行を懲らすにもこれを教へ諭すの法に由らずしてかへつて打擲し鞭撻べんたつする者あり。甚だしきは家に帰りて学校の科程を復習せざる事のために食物を与へずしてこれを苦めこれをいしめんとする者あり。子を愛するの極、子をそこなはんとす。此の如き者、愚たらずんば狂、狂たらずんばけつならん。智育は学校に一任して干渉せざるむしろ可なり。
◎父母にして子を褒むる者あり。学問智識を褒むるはなほ可なり。我子の逆立の上手なるを誇り、輪を廻す事の巧なるを誇り、竹馬に乗り得たりとて誇り、運動会に賞品を得たりとて誇る。子に対してはその子を褒め、人に対しては側に現在する我子を誇る。此の如くして教育せられたる子は必ずや放蕩自恣ほうとうじし、家を滅し産を失ふに終る。
〔『日本附録週報』明治32・4・3 四〕
◎近時文字改良の論あり。文字にして改良し得べくんばわれも改良に同意せん。しかれども文字改良にも程度あり、もし今日使用の文字と全く別なる文字を用うる事となさば今日以前の文書はほとんど外国語の如くなりて常人の解する能はざる者とる事を覚悟せざるべからず。また旧文字を捨て新文字を用うる際に非常の不便と反抗とを生ずる事を覚悟せざるべからず。
◎文字改良論の主眼は漢字排斥にあり。第一、漢字は字数多くして記憶に不便なり、第二、漢字はかく多くして書くに不便なり、第三、漢字は字数多くして活字を拾ふ事等に不便なり、第四、漢字は画多くして細字を見るに不便なり。これらの不便は、漢字の性質が、音を現さずして、意義を現すより来る者なれども、他の方面に立ちて見ればこの漢字の性質より来る便利もまた少からず。文字の数多きことは文学上に便利あり。一字一意なるを以て簡便に事物を現すべく、従つて一見して容易にその意を知るべし。象形の字は印象を明瞭ならしむべく会意の字は事理を明瞭ならしむべし。この他、日本人が漢書を読むに便に、支那人が日本書を読むに便なるは言を待たず。
◎漢字を排斥すれば、仮名を用うるか、羅馬ローマ字を用うるか、新字を製するか、の一を択ばざるべからず。仮名を用うるは、簡単なる事と、日本固有の文字に拠る事と、古文を見るに不便少き事等の条件をたてとして、直に漢字排斥論者の主張する所となり、仮名の会なる者起りし事あり。しかれども仮名ばかりの不便なる事は同会雑誌の読み難く解し難かりしにても知るべし。けだし仮名の読み難きは、文字の大きさの同じき事、文字の形の皆丸くして圭角けいかく少き事、父音母音の区別なき事等に因る者にして、その解し難きは、同音の字多き漢語を仮名に直したるに因るなり。仮名ばかりを用うるは到底行はるべきにあらず。
◎羅馬字を用うる事は、欧米共通の文字なる事と、字画簡単なる事と、横に書くの容易なる事と、父音母音の区別ある事等の条件を楯として、つとに漢字排斥論者の主張する所となり、羅馬字会の設立ありたり。この方法より生ずる不便は、日本全国の人民をして従来の字と全く異なるこの羅馬字を用ゐしむるの困難なる事、日本固有の文字を捨つるは国家的団結心にそむく事、日本の古書及び漢書を読むには別に漢字仮名を学ばざるべからざる事、同音の字多き漢語を羅馬字にて書けば解し難き事等なり。一父音の後に必ず一母音の来るは不便なれど、こは改良し難きにも非ず。
◎仮名羅馬字共に不便なりとて新字を製造せんとする人あり。新字とはいへ、仮名にも羅馬字にもあらざる全く別種の文字を製造するはいたずらに奇を好む者にして何の利益もなかるべければ、まさかにかかる考を有する人はあらざるべし。さらば新字を製造すといふは従来の日本文字即ち仮名に幾多の改良を加へんの意なるべしと思はる。例へば仮名の形を大小長短種々に変化する事、たてに書かずして横に書く事、父音母音の区別を幾分か現す事等ならざるべからず。しかしこれにも種々の困難はあるなり。
◎父音と母音と字を区別すれば五十音は十五、六字にて現すを得べし。字数少きは便利なれども、少ければ少きほど、多く便利なる訳にはあらず。西洋にてもXといふ字あるは便利なる事あり。速記に用うる符号の如きも必ずしも字数少きを便とせず。「シヨ」「チヨ」「シヤ」「チヤ」「ヒヨ」「ヒヤ」等の拗音ようおんは「シ」と「ヨ」をあわせ、または「チ」と「ヤ」とをつなぐの方法を取らずして別に一符号を製し置くなり。
◎文字改良論者は多く記憶の不便、書く事の不便を数へて「見る事」の便否を言はず。羅馬字は長き字、短き字、広き字、狭き字、上に抜き出たる字、下に抜き出たる字などある故に、一の語には自ら一の形を生じ、従つて一見能くその語を区別しやすからしむ。この点においては漢字は世界中の最も区別しやすき字なり。漢字の利益は主としてここにあり。ことに仮名交り文は名詞、代名詞、及び動詞形容詞の語根の如き必要なる部分を漢字にて現し、助辞、助動詞、及び動詞形容詞の語尾を仮名にて現すを以て、その語の種類を見るにも甚だ便利あり。書く人は一人にして見る人は千万人なり。書く事の便利なるは見る事の便利なるにかず。新字を製せんとすれば最もこの点に注意せざるべからず。
〔『日本附録週報』明治32・4・24 五〕

底本:「飯待つ間」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年3月18日第1刷発行
   2001(平成13)年11月7日第10刷発行
底本の親本:「子規全集 第十二巻」講談社
   1975(昭和50)年10月刊
初出:「日本附録週報」
   1899(明治32)年3月13日、3月20日、3月27日、4月3日、4月24日
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
※底本では、表題の下に「升」と記載されています。
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2010年9月6日作成
2011年5月16日修正
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