あらすじ
都会の喧騒から逃れ、広大な海を求めて長崎へと旅立った「私」は、青い空と波、そして島々を眺めながら、心身ともに解放されていく。長崎の街では、静寂と美しさ、そして歴史の重みに触れ、「私」は都会の生活から離れて暮らしたいという思いを募らせる。さらに島原の温泉へと足を延ばし、静かで美しい風景に包まれ、都会のストレスから完全に解放された「私」は、心安らぐひとときを過ごす。やがて旅を終え、再び都会に戻った「私」は、美しい風景との対比の中で、近代化が進む日本の現状を痛切に感じ、静寂と自然の中にこそ真の安らぎがあると確信する。
Homme libre, toujours tu ch※(アキュートアクセント付きE小文字)riras la mer.
Baudelaire.
自由の人よ。君は常に海を愛せん。
ボオドレエル。
     一

 昨日(きのふ)長崎から帰つた。八月の中旬横浜から上海(シヤンハイ)行の汽船に乗つて、神戸門司を経て長崎に上陸し、更に山を越えて茂木(もぎ)の港に出(い)で、入海(いりうみ)を横切つて島原半島に遊んだ後、帰り道は同じく上海より帰航の便船をまつて、同じ海と同じ港を過ぎて横浜に上陸したのである。二週日の間(あひだ)自分は海ばかりを見た。島と岬と岩と船と雲ばかりを見た。今だに強い海洋の香気と色彩とが腸(はらわた)まで浸み渡つてゐるやうな心持がする。
 自分はどういふ理由から夏の旅行の目的地を、殊更暑いと云はれた南方の長崎に択んだのか自分ながらも少しくその解釈に苦しむのである。自分は唯(たゞ)広々した大きな景色が見たかつた。自分は出来るだけ遠く自分の住んでゐる世界から離れたやうな心持になりたかつた。人間から遠ざかりたかつた。この目的のためには、汽車で行く内地の山間よりも、船を以て海洋に泛(うか)ぶに如(し)くはない。海は実に大きく自由である。自分は東京の市内に於ても、隅田川の渡船(わたしぶね)に乗つてさへ、岸を離れて水上に泛べば身体(しんたい)の動揺と共に何とも云へぬ快感を覚え、陸地の世界とは全く絶縁してしまつたやうな慰安と寂寞とを感ずる。
 この慰安と寂寞を味(あぢは)はんが為めに、自分は目的なく横浜の埠頭を離れて海に漂つたのである。夏の大空に輝く強い日光、奇怪なる雲の峯、洋々たる波浪、悲壮なる帆影(はんえい)、凡(すべ)て自由にして広大なる此等の海洋的風景は、如何に自分の心を快活にしてくれたであらう。あゝ此の二三年間、自分はあまりに烈しく、社会的並びに芸術的の圧迫に苦悩し過ぎた。人間が誰でも持つて居べき純朴温厚なる本来の感情さへ、自分は日に日に消滅して行くやうな情ない心持がしてゐた。自分は衰弱した身心の健康を、力ある海洋の空気によつて恢復させ、最少(もすこ)し軟かな暖(あたゝか)な感情を以て、自分と自分の周囲を顧ることが出来るやうになりたいと思つた。
 内地に於ける名所古蹟の遊覧には歴史的賞讃の義務を強ひられる虞(おそれ)がある。海洋には純然たる色彩の美があるばかりである。海は飽くまで自由である。自由にして大きな海を見れば、陸上の都会に於て、自分の心を激昂させた凡ての論争も、実に小さなつまらないものとなつて、水平線の下に沈み消えてしまふではないか。新しい劇場や新しい橋梁の建築に対して、或は各処の劇場に演じられる突飛なる新興芸術の試みに対して経験した憤怒の如きは、全く我ながら馬鹿らしい事だと心付く。海洋に於ける大きな自然の美は陸上のつまらない小さな芸術の論争などを顧みさせる余裕を許さない。
 自分は海に沈むすさまじい夕陽の色に酔つた。岬の岩角を噛む恐しい波の牙を見た。緑色した島の上に立つ真白な灯台を見た。山の裾に休息してゐる哀れな漁村の屋根を見た。暗夜に舷(ふなばた)を打つ不知火(しらぬひ)の光を見た。水夫が叩く悲しい夜半(やはん)の鐘の音(ね)を聞いた。異(ちが)つた人種の旅客を見た。自分の祖国に対するそれ等の人々の批評をも聞いた。港に這入(はい)つては活気ある波止場の生活を見た。新しいさま/″\の物音を聞いた。いろ/\な船といろ/\な国の旗を見た。そして自分の見たり聞いたりした其れ等の物は悉(こと/″\)く自分の心に向つて、この世の生存のいかに愉快であるかを歌つて聞かせるものゝやうに思はれた。夜半人の寝静(ねしづま)つた時、唯一人(ただひとり)舷に倚(よ)つて水を凝視すれば「死」はいつも自分の目前(めのまへ)に広がつてゐる事を自覚するにつけ、自分は美しい星の下(した)なるこの人生に対して、殆ど泣きたい程切(せつ)なく鋭い愛着の念に迫まられるのである。
 波浪を蹴つて進んで行く汽船の機関の一呼吸(ひとこきふ)する響毎(ひびきごと)に、自分の心は其身(そのみ)と共に遠い未知の境(さかひ)に運ばれて行く。昨日も海、今日もまた海、そして四日目の朝に、自分は絵のやうに美しく細長い入江の奥なる長崎に着いたのである。

     二

 長崎は京都と同じやうに、極めて綺麗な、物静かな都であつた。石道(いしみち)と土塀(どべい)と古寺(ふるでら)と墓地と大木の多い街であつた。花の多い街であつた。樹木の葉の色は東京などよりも一層鮮かに濃いやうに見えた。東京の蝉とは全く違つた鳴声(なきごゑ)の蝉が、夕立の降つてくるやうに市中(しちゆう)到る所の樹木に鳴いてゐた。果物を売り歩く女の呼声が湿気(しつき)のない晴れ渡つた炎天の下(もと)に、長崎は日本からも遠く、支那からも遠く、切支丹の本国からも遠い/\処である事を、沁々(しみ/″\)と旅客の心に感じさせるやうに響く。この云ひがたい遠国的の情調は、マニラから避暑に来る米国の軍人が騒いで遊ぶ丸山遊廓の絃歌の声、或はまた長崎の街々の端(はづ)れにある古寺の鐘の音(ね)によつて、一層深く味(あぢは)ひ得られるのであつた。
 自分は未だ嘗て長崎に於けるが如く、軟かな美しい鐘の音を聞いたことは無い。上陸した最初の日の夕方、乃(すなは)ち長崎の夕凪(ゆうなぎ)とか称(とな)へて、烈しい炎暑の一日(いちじつ)の後(あと)、入日と共に空気は死するが如くに沈静し、木葉(このは)一枚動かぬやうな森閑とした黄昏(たそがれ)、自分は海岸から堀割をつたはつて、外国人向きの商店ばかり並んだ一条の町を過ぎ、丸山に接する大徳寺(だいとくじ)といふ高台の休茶屋から、暮れて行く港の景色を眺めてゐた時であつた。何処(どこ)からとも知れぬが、確かに二三箇所から一度に撞出(つきだ)される梵鐘(ぼんしよう)の響は、長崎の町と入海(いりうみ)とを丁度円形劇場(アンフイテアトル)のやうに円く囲む美しい丘陵に遮られて、夕凪の沈静した空気の中(なか)に如何にも長閑(のどか)に軟かく、そして何時までも消えずに一つ処に漂つてゐる。最初に撞出された響が長く空中に漂つてゐる間に新しく撞出される次の響が後から/\と追ひかけて来て互に相縺(あひもつ)れ合ふのである。縺れ合ふ鐘の余韻は、早やたつぷりと暮れ果てた灯火の港を見下(みおろ)す自分の心に向つて、お前は何故(なぜ)もつと早く此処へ来なかつたのだ。東京はもうお前の住むべき処ではない。早く俗縁を断(た)つて、過去の繁華を夢に見つゝ心地よく衰頽の平和に眠つて行く此の長崎に来い………と諭(さと)してくれるやうにも思はれた。
 敢(あへ)て鐘の音(ね)のみではない。到る処散歩に適する市街の光景は皆自分に向つて、日本中でお前が身を隠すに適当な処は支那でもなく日本でもなく西洋でもない、此(この)特別の長崎ばかりだぞと囁くやうに思はれた。幾ヶ所とも知れぬ長崎の古い寺々は蔦(つた)まつはる其の土塀と磨減(すりへ)つた石段と傾いた楼門の形とに云ひ知れぬ懐しさを示すばかりで、奈良京都の寺院の如くに過去の権威の圧迫を感じさせない。曲学阿世の学者が無理やりに過去の日本歴史から造り出した教訓的臭味を感じさせない。若(も)し此地(このち)に過去の背景があるとすればそれは山の手なる天主堂の壁にかけてある油絵が示してゐるやうな、悲壮なる宗教迫害史の一節か、然らずば鎖国の為めに頓挫した日本民族雄飛の夢のはかない名残りのみである。痛嘆すべきこの二つの歴史は、畿内の山河(さんが)がいつも自分に向つて消極的教訓を語るに反して、長崎の風景に対して一種名状しがたき憤恨(ふんこん)と神秘の色調を帯びさせてゐるやうに思はれる。今では同じく京都のやうに悲しく廃(すた)れ果てゝはゐるものゝ、猶(なほ)絶えず海と船とによつて外国の空気が通(かよ)つてゐるが為めか京都ほど暗くはない。狭くはない。支那風に彩色した軽舟(サンパン)は真青(まつさお)な海の上と灰色した堀割の石垣と石橋の下をば絶えず動いてゐる。西洋人と支那人と内地人の子供は青物市場のほとりに入乱れて遊んでゐる。稲佐(いなさ)と丸山の女は日本語とロシヤ語と英語とで一夜(いちや)の恋を語つてゐる。海岸通の酒場では黒奴(ネグロ)が弾くピアノにつれてポルトガルの女が踊つてゐる。いつも石の階段と敷石の坂道を上(のぼ)つて行く町々の人家は皆古びて何処となく頑丈で、而(しか)も小綺麗である。道路は極めて狭いけれども、吾々が住む東京の山の手のやうに軍人の馬と荷車の馬とが荒れ廻つてゐず、又下町の大通のやうに年(ねん)が年中(ねんぢゆう)、水道と瓦斯(ガス)と溝掃除(どぶさうぢ)で、掘り返されてもゐないので、全く歩くべき道として、静に心安く歩くことが出来る。車夫や物売りの相貌(かほつき)も非常に柔和であつて、東京中を横行する彼の恐しい工夫や職工や土方のやうなものは至つて鮮(すく)ない。
 自分はこれにつけても進取と云ひ新興と云ふが如き機運の如何に残忍なものであるか。同時に静止と満足と衰頽との如何に懐しいものであるかを感ずる。
 嘗て北米西海岸(せいかいがん)の新開の都市に滞在してゐた時、自分は如何に悲惨な生涯を送つたかを思ひ返す。それは丁度今日(こんにち)の東京に住んでゐると同じやうな心持であつた。限りなく騰貴する物価は住民に向つて常に粗悪なる物品と食物とを供給せしめ、足らぬ勝ちなる生活は次第に野卑となつて礼儀交際の美観を許さず、目的を第一とした暴悪な行動は手段の如何を問はしめない。然もかう云ふ社会に限つて偏狭なる道徳的先入の判断が過敏であつて、団体の運動はいつも個人の私行にまで立ち入らうと迫る。自分は人種的迫害の事情の下(もと)に日本人の社会にも又米国人の社会にも接近する事が出来ず、唯(た)だ独り遣瀬(やるせ)のない思ひを抱(いだ)いて、新大陸の海岸一帯を蔽ふ松の深林ばかりを散歩してゐた。自然が如何に公平で如何に温いものであるかを心の底から会得したやうに感じたのも此の時が初めてゞあつた。
 横浜を出て四日間の航海と、幾百里離れた長崎の風景とが、東京を忌む自分の心にいかなる慰安を与へたかはこゝに繰返して云ふ必要がない。自分は帰りの便船を待つべき三日間をば尚少(もすこ)し遠く尚少し離れた処に送りたいと思ひ、ホテルの案内書をたよりにして島原の小浜(をばま)と云ふ海岸に赴いたのである。こゝは人も知る通り、上海やマニラや浦塩(うらじほ)あたりから、日光箱根などへ行く事の出来ない種類の西洋人が、日本の風景を唯一の慰藉として遊びに来る土地である。
 自分は其れ等の外客と小蒸汽に乗つて島原の入海を越え海岸の小さな木造(きづく)りのホテルに宿を取つた。

     三

 白い蚊帳(かや)のついた寝台(ねだい)と籐編(とうあみ)の椅子と鏡台と洗面器の外には何もない質素な一室である。壁には画額(ゑがく)もなく、窓には木綿更紗(もめんさらさ)の窓掛(まどかけ)が下げてあるばかり。然し自分はどれほどこの無装飾の淋しい室(へや)を喜んだか知れない。東京の帝国ホテルの食堂を飾つてゐるやうなサムライ商会式の西洋趣味に驚かされる恐れもなく、または日本風の宿屋の床の間や鴨居に俗気紛々たる官吏政治家等の筆蹟を見て不快を感ずるやうな事もなくて済むからである。装飾のない室の外は葭簀(よしず)の日避(ひよけ)をした外縁(ヴエランダ)になつてゐて、広々した海湾の景色は寝台の上に横(よこた)はりながら一目(ひとめ)に見晴(みはら)すことが出来る。強い日光に照りつけられた海水の反映が室の壁と天井とに絶間(たえま)なく波紋の揺(うご)く影を描(ゑが)いてゐる。窓の上に巣を作つてゐる燕が、幾羽となく海の方へ飛んで行つては海草(うみくさ)のちぎれを喙(ついば)んで来る。自分はこの可愛らしい燕と思ふさま照り輝く夏の日光と入海の彼方に延長する優しい丘陵とに対して、何といふ事もなくダンヌンチオ作品中の風景に接する思をなした。これと共に南の方へ漂つて来たといふ心持が一層深くなるのを覚えた。
 夏の昼過ぎの明(あかる)い寂寞(せきばく)は、遠い階下の一室から聞える玉突の音と折々(をり/\)起る人々の笑ひ声、森閑とした白昼のホテルの廊下を歩くボオイの足音、時々にママア/\と云つて母親を呼ぶ子供の声に乱されるばかり。然し日本の居室と違つて確然と区別のある西洋間の心安さは、襖の隙間から隣の部屋の乱雑を見ることもなく、枕元にひゞく上草履(うはざうり)の音もなく、自分は全く隔離されたる個人として外縁(ヴエランダ)の上なる長椅子に身を横(よこた)へ、恣(ほしいまゝ)なる空想に耽けることが出来た。
 自分は旅のつかれに眠気(ねむけ)を催しながら、あまりの淋しさ静けさに却(かへつ)て神経を刺戟せられ、うつら/\と、無い事をも有るやうに、有る事をも無いものゝやうに、止め度もなく、いろ/\と不合理な事ばかりを考へ始めるのである。誰やらの詩で読んだ――気狂(きちが)ひになつた詩人が夜半(やはん)の月光に海の底から現れ出る人魚の姫を抱(いだ)き致死(ちし)の快感に斃れてしまつたのも、思ふに斯(か)う云ふ忘れられた美しい海辺(うみべ)の事であらう。人のゐない宿屋の一室に置き捨てられた鏡台の曳出(ひきだ)しからは無名の音楽者の書きかけた麗しい未成(みせい)の楽譜のきれはしが発見せられはしまいか。或は自殺未遂者の置き忘れて行つた剃刀(かみそり)が出はしまいか。
 自分は遠いこの島原の海のほとり、西洋人ばかりしか泊(とまつ)てゐない宿屋の一室に人知れず自殺したらどうであらう。こんな事を考へて我ながら戦慄した。斯(かく)の如き戦慄の快感を追究するのは敢(あへ)て自分ばかりではあるまい。小説的(ロマンチツク)と云ふ病気に罹(かゝ)つたものは皆さうであらう。自分は幼(ちひさ)い時乳母(うば)から、或お姫様がどう云ふ間違からか絹針を一本お腹(なか)の中へ呑込んでしまつた。お医者様も薬もどうする事も出来ない。絹針は三日三晩悲鳴を上げて泣きつゞけたお姫様の身体中(からだぢゆう)をば血の流れと共に循(めぐ)り巡(めぐ)つて、とう/\心の臓を突破つて、お姫様を殺してしまつたとか云ふ話を聞いた。そして自分も万が一さう云ふ危難に遭遇したらどうしやう、と思ふと、激甚な恐怖の念は一種不可思議な磁石力(じしやくりよく)を以て人を魅するものである。自分は何となく自ら進んで其の危難に近(ちかづ)きたいやうな夢現(ゆめうつゝ)の心持になつた。石筆(せきひつ)や鉛筆なぞを口の端(はた)まで持つて行つては、自分から驚いて泣き出した事があつた。古井戸の真暗な底を差覗(さしのぞ)く時も、自分は同じやうな「死」の催眠術に引きかゝる。山の頂から谷底を望んだり滝壼を見たりしても同じである。
 日頃あるにかひなき自分をば慰め劬(いたは)り、教へ諭(さと)してくれる凡(すべ)ての親しい人達から遠く離れて全く気儘になつた一身をば偶然(たま/\)かうした静な淋しい境(さかひ)に休息させると、それ等の恐しい空想は鴉片(あへん)の夢かとばかり、云ひ知れぬ麻痺の快感を肉心(にくしん)に伝へるのであつた。
 室(へや)の戸を軽(かる)く叩く物音に自分は喫驚(びつくり)して夢から覚めた。ホテルのボオイが早や石油のランプを持ち運んで来たのである。

     四

 自分はぢつとランプの火影(ほかげ)を眺めた。外には夕栄(ゆふばえ)に染められた空と入江とが次第に蒼白く黄昏(たそが)れて行く。室(へや)の中には石油のランプがいかにも軟な悲しい光を投げ始める。自分はあまりの懐しさに此の旅館のランプをも島原の風景と同じやうに熱心に讃美して長く記憶に留めて置きたいと思つた。都会の生活は自分の書斎と友達の住宅を初め到る処工場(こうぢやう)のやうに天井からぶら下つてゐる電気灯の光ばかりにしてしまつた。然るに今突然自分は此の黄色な鈍い石油ランプの火影に接して何とも云へぬ不思議な慰安を覚えた。世の中から全く隠退し得たやうな悲しいあきらめの平和を感じた。同時に、まだ電灯が普及しない時分、かゝる薄暗い灯火の光をたよりに自分は稚(をさな)い恋の小説を書き始めた昔の追憶に打沈められる。加ふるに、この海辺(うみべ)のホテルは家具の質素な西洋室である為、其の周囲の光景が自分にはまた特別の事件を思起(おもひおこ)させるのであつた。「あめりか物語」中最終の短篇にも書いた通り紐育(ニユウヨオク)湾頭の離島(はなれじま)に夜(よる)の小禽(ことり)が鳴く「六月の夜(よ)の夢」を見たのは、丁度々々(ちやうど/\)このやうな古びたペンキ塗りの水道も電灯もない田舎家の一室であつたのだ。円い磨硝子(すりがらす)の笠をかけた朦朧(もうろう)たるランプの火影に、十九歳のロザリンが洋琴(ピアノ)を弾きながら低唱したあのロマンスのなつかしさ。
 あゝ。古びた家、木綿の窓掛、果樹の茂り、芝生の花、籠の鸚鵡(あうむ)、愛らしい小犬、そしてランプの光、尽きざる物思ひ………。あゝ、自分はかの眼もくるめく電灯の下(した)で、無智なる観客を相手に批評家と作家と俳優と興行師とが争名(さうめい)と収益との鎬(しのぎ)を削合(けづりあ)ふ劇場の天地を一日も早く忘れたい。さういふ激烈な芸術の巷(ちまた)を去りたい。そして悲しいロオダンバツクのやうに唯だ余念もなく、書斎の家具と、寺院の鐘と、尼と水鳥と、廃市を流るゝ堀割の水とばかりを歌ひ得るやうになりたい。

     五

 食堂に下(お)りて、西洋人の家族と独身の若者共とが互に談笑する中(なか)のテエブルに、自分ばかりは黙つて食事をすまし、広間の長椅子に凭(もた)れて其の辺(へん)に置いてある上海や香港(ホンコン)やマニラあたりの英字新聞を物珍らしく拾ひ読みした後、早く寝てしまつた。
 次の朝、宿屋の番頭はこれから三里の山道をば温泉(うんぜん)ヶ岳(たけ)の温泉へ行かれてはと云つてくれたが、自分は馬か駕籠(かご)しか通はぬといふ山道(やまみち)の疲労を恐れて、まる二日間をば唯(た)だ茫然とホテルの海に臨んだ外縁(ヴエランダ)の上に過してしまつた。自分には独りでぼんやり物思ひに沈んでゐるのが何よりも快かつたのである。
 三日目の朝早く、毎日一回入江を往復する小さな蒸汽船に乗つて元(もと)来た港へ帰つた。上海や香港から避暑に来てゐた英国人二三名も同じく船に乗つた。岸に沿ひつゝ入江を横切るには三時間あまり。彼等は船が殊更(ことさら)絵のやうに美しい海岸の巌角(いはかど)なぞを通り過ぎる折々(をり/\)啣(くは)へてゐる大きなパイプを口元から離して、日本の山水(さんすゐ)のうつくしい事を自分に語つた。支那には木がなく水は黄色に濁つてゐる。だから、日本へ来て緑の濃い木(こ)の葉(は)と真青(まつさを)な水の色を見るのが何(ど)れほど愉快だか知れないと云ふのであつた。対岸なる茂木の港へ上(あが)ると、こゝにも外客の為めに設けられてある小さな木造りのホテルに、避暑の外人が込み合つてゐる。その中(なか)には、若い妻をつれた軍服姿の米国の士官も三四人と数へられた。自分は大きな松の木蔭(こかげ)に並べてある食卓にビイルを傾けた後、ホテルの車を雇つて、長崎へ帰るべき峠を越して行くと、またしても同じ道を行く米国人の家族連れが、峠や谷川の景色の美しい事をば、まるで自分の家(いへ)の庭でも賞めてくれるやうに、自分に向つて話しかけるのであつた。
 長崎の或ホテルへ着いてからも、或は又其の翌日横浜行の汽船に乗つてからも、自分は南清(なんしん)及びフイリツピン群島から遊びに来る西洋人から、日本の風景に対する同様の賛辞を幾たび耳にしたか知れない。
 近頃東京朝日新聞の文芸欄に掲げられた「新日本風景論」の中にも論じられてゐたやうに、日本の風景が果して世界第一か否かは無論断定せらるべき事でもなく、又断定すべき必要もない事である。然し自分が汽船の上から観て過ぎた日本の風景は、何等の智的判断を許す暇(いとま)もないほどに唯々美しいと感じ得るのであつた。島嶼(たうしよ)の多い長崎港外の海湾、湖水の様な瀬戸内海から荒涼たる紀州半島、凹凸(あふとつ)の甚しい伊豆の岬に至るまで、海から眺望する日本の風景はいかにも青々として、いかにも優しく、いかにも日本らしい特種の姿をそなへてゐる事を感じ得るのであつた。外来の漫遊客が時として吾々には誇張したお世辞かとも思はれる程、日本の風景を愛賞し、都会の生活の文明的設備の不完全を度外視して、寧(むし)ろ田園に於ける原始的生活の状態に興味を持ち、始めから終りまで麗しい印象を以て、われ等の祖国を迎へてくれるのも、成程無理ではない。彼等は最初より日本を公園として其の綺麗な方面のみを見やうとしてゐるのである。複雑なる内地の事情に接近する事を必要としてゐないのである。然し彼等ならざる吾々は、此れに反していかに見まい聞くまいとしても、自然と見え聞える国民生活の物音に対して街道のほとりに立つ猿の彫刻のやうに耳と目と口とを閉(ふさ)いでゐる事は出来ない。自分は美しい祖国の風景を海の上から、乃(すなは)ち其の外側から眺めるにつけて、其の内側に潜んでゐる日本現代の生活と日本人の性情とがいかに甚しく日本的風景と其の趣きを異(こと)にしてゐるかに一驚せざるを得ない。試みに旅から帰つて来て、乃ち日本の風景の懐中(ふところ)から去つて東京の市街を歩んで見よ。新しい日本人が経営する新しい都会の生活には、日本の江湾と山岳とによつて印象されるやうな、可憐美麗真実なる何物が見出(みいだ)されるであらうか。自分は工業と商業の余儀ない外観を云々(うんぬん)するのではない。個人として国民としての内的生活に於て、現代日本人の心情は余りに、富士山の姿と天の橋立の趣きから遠ざかり過ぎてゐる事を自分は不思議に感ずるのである。国民と国土の風景とが何等の関係もなく余りに別々である事を不審に思ふのである。

     六

 汽船は海上四日の後(のち)横浜に着いた。
 自分は海岸通りのホテルに茶菓(さくわ)を味(あぢは)つた後(のち)、汽車で東京に帰つた。人家の屋根の上には梅毒の広告が突立(つつた)つてゐる大きな都会。電車の停留する四辻では噛み付くやうな声で新聞の売子が、「紳士富豪の秘密を暴(あば)きました………。」と叫んでゐる恐しい都会。長い竹竿を振り廻して子供が往来の通行を危険にしてゐる乱雑な都会。市民と市吏と警察吏とが豹変常なき新聞記者を中間にして相互の欠点を狙ひ合つてゐる気味悪い都会。その片隅に嗚呼(あゝ)自分の家(いへ)がある。
明治四十四年九月
了

底本:「日本の名随筆 別巻51 異国」作品社
   1995(平成7)年5月25日第1刷発行
底本の親本:「荷風全集 第一三巻」岩波書店
   1963(昭和38)年2月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月3日作成
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